今回は「不協和音」が、いかに新しい音楽の世界を切り拓いてきたかをテーマにお届けしました。鈴木優人さんの解説で、「不協和音」とは避けるべきものではなく、むしろ音楽に不可欠な要素であることがよく伝わってきたのではないでしょうか。
最初にモーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」の例が示されましたが、現代の聴衆の感覚では、この曲がなぜ「不協和音」と呼ばれるのか、不思議に感じられると思います。曲名からどんなに恐ろしい音がするのかと思いきや、そこまでの違和感はありません。でも、当時は物議をかもしたのです。
ベートーヴェンの「第九」の終楽章冒頭でも不協和音が鳴り響きます。一種のカオスの表現だと思いますが、耳にする機会の多い「第九」だけに、聴き慣れてしまうと衝撃が薄れてしまうかもしれませんね。
その点、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」の第1幕前奏曲は、現代人にとっても「なんだかおかしいぞ」といった不安定さが感じられるのではないでしょうか。どこに向かっているのかわからない、宙ぶらりんな感じがあって、なんとも落ち着きません。このオペラでは古い伝説にもとづいた禁断の愛が描かれます。忠臣である騎士トリスタンは、叔父マルケ王の妃としてイゾルデを迎えに行くのですが、誤って媚薬を飲んだために、トリスタンとイゾルデの間に愛の炎が燃え上がります。これは決して許されない愛。その幕開けに、あの不穏なトリスタン和音が用いられるのです。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」やペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」といった20世紀の音楽になると、「不協和音」が猛威を振るいます。音と音がぶつかりあって、調和しません。ペンデレツキの曲は「これって本当に音楽なの?」といった疑問を抱かせるかもしれません。でも、この曲は今や古典になりつつあります。いずれ時が経つと、この曲もモーツァルトの「不協和音」のような存在になるのでしょうか。
飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)