今週はクラシック界とジャズ界から、未来を担うふたりの若いピアニストをお招きました。おふたりともCDデビューが早く、牛田智大さんは12歳で、奥田弦さんは10歳でデビュー・アルバムをリリースしています。才能のあるピアニストが続々と登場する昨今ですが、ここまで早くから活躍している人はめったにいません。
ショパンのバラード第1番をふたりのリレーで演奏する場面はおもしろかったですよね。牛田さんの演奏は、磨き上げられた繊細なタッチによる情感豊かなショパン。これを受けた奥田さんは、ショパンにジャズのテイストを加えてスリリングな即興を披露してくれました。
牛田さんは昨年、浜松国際ピアノ・コンクールで第2位を獲得して大きな話題を呼びました。なにしろ牛田さんは、コンクールを受ける前から知名度が高く、すでに演奏活動も行っていましたので、コンクールを受けることを少し意外に感じました。しかし、見事に第2位を獲得したことで、牛田さんへの注目度は一段と増したように思います。人気に加えて、実力も証明されたと言ってよいでしょう。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番は、このコンクールのファイナルで演奏した曲。作品について、牛田さんは「壮大な海を渡るイメージ」と語っていましたが、これにはなるほどと膝を打ちました。
ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」は奥田さんにうってつけの名曲です。即興部分は事前にどう弾くか決めておらず、その場で音楽を作っていくというのですから、驚かされます。どんな演奏になるかはやってみないとわからないので「ある意味私も観客のひとり」という奥田さん。ガーシュウィン本人も即興演奏の名手だったそうですが、もし奥田さんの演奏を聴いたら、きっと大喜びしてくれたのでは。
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平成が生んだ!ピアノ王子vs即興王子の音楽会
劇伴音楽の魅力を知る休日
「劇伴」とは映画やテレビドラマなどで流される音楽のこと。劇への伴奏ということでできた言葉なんでしょうね。もともとは業界用語だと思いますが、近年は広く使われるようになりつつある言葉だと思います。それだけ劇伴の重要性が知られるようになったということでもあるのでしょう。
作曲家の村松崇継さんが猫の映像に3種類の音楽を付けてくれましたが、それぞれ見る人に伝わる印象はまったく違っていました。この比較だけでも、劇伴が映像の意味付けに大きな役割を果たしていることがよくわかります。
劇伴が作られるプロセスもおもしろかったですよね。テレビドラマの場合は映像がない状態で作曲するというお話にはびっくり。監督の言葉からイメージを想起するということですから、これは高度な職人芸の世界です。てっきり映像を見てインスピレーションを得るものだと思っていたのですが、このあたりはテレビと映画の事情の違いなのでしょう。しかもその音楽がどこでどう使われるかに、作曲家が関与しないというのも意外な気がしました。作曲家はとても重要な存在だけれど、作品全体は監督のもの。そんな考え方なのでしょうか。
鈴木慶一さんが衝撃を受けたという映画「ベニスに死す」では、全編にわたってマーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」が使用されています。大編成のオーケストラを必要とするマーラーの交響曲ですが、この楽章で使われるのは弦楽合奏とハープだけ。編成は簡潔ながらインパクトは抜群。愛の音楽でありながらも、死の匂いを漂わせた音楽でもあるのが、この「アダージェット」です。「ベニスに死す」のテーマにぴったりの音楽で、今となってはこれ以外の選曲はありえなかったとまで思わされるほど。
この映画のおかげでマーラーが大好きになったという人は世界中にたくさんいることでしょう。劇伴の影響力は決して侮れません。
ピアノ界のスーパースター ラン・ランに教わる休日
今週はピアノ界のスーパースター、ラン・ランをお招きしました。中国出身のラン・ランは、今やピアニストという枠を超えた時代のシンボルのような音楽家です。
そんな世界的ピアニストが、ベートーヴェンの「エリーゼのために」を弾いたらどうなるのか。びっくりしましたねえ。この曲、ピアノ学習者にとってはおなじみの超名曲ですが、プロのピアニストの本格的なリサイタルで演奏されることはめったにありません。もし演奏されるとしてもアンコールに留まることがほとんどでしょう。でも、ラン・ランが弾くと、あんなに情感豊かな曲になるとは! こんな「エリーゼのために」は聴いたことがありません。
バレンボイムとラン・ランとの師弟エピソードも実におかしかったですね。バレンボイムといえば大巨匠。いかにもコワモテでラン・ランならずとも若い音楽家は緊張するところでしょうが、バレンボイムに意外な茶目っ気があることを知りました。オレンジで弾くショパンの「黒鍵のエチュード」は最高にユーモラスです。
近年は教育活動にも注力するラン・ラン。ラン・ランは中国で父親から徹底したコンクール至上主義のスパルタ教育を受けたことで知られていますが、成長してアメリカに渡って名教師ゲイリー・グラフマンに師事した際に、それまでの価値観が根底から覆されたといいます。この出会いがなければ今のラン・ランはなかったことでしょう。そして、ラン・ランの教える姿からは生徒を優しく励まそうという姿勢が伝わってきました。
最後に弾いてくれたバダジェフスカの「乙女の祈り」も超有名曲ですが、プロの演奏会では一度も聴いたことがありません。ラン・ランはこの曲に対しても、ベートーヴェンやモーツァルトと同じように、真摯に向き合っています。曲のスケールがぐっと大きくなったように感じられたのではないでしょうか。
新元号発表!日本のクラシック音楽をたどる休日
新元号が「令和」に決まりましたね。今週は明治から平成までの日本人作曲家たちの作品をお届けしました。収録場所は明治44年竣工のグランドプリンスホテル高輪貴賓館。気品と華やかさの感じられる素敵な会場でした。
冒頭の天皇皇后両陛下による「歌声の響」は、皇太子夫妻時代に沖縄を初訪問された際に誕生した一曲。歌詞には沖縄や元ハンセン病患者らへの思いが込められています。
幸田露伴の妹である作曲家、幸田延の作品をお聴きになったことがある方は決して多くはないでしょう。鈴木優人さんが「シューマンやメンデルスゾーンを思わせる本格的なソナタ」とおっしゃるヴァイオリン・ソナタは、明治30年に初演されました。明治30年というと西暦1897年ですので、まさに19世紀末のこと。これはちょうどブラームスがウィーンで世を去った年と同じ。ブラームスの最晩年に書かれた2曲のクラリネット・ソナタが1894年に書かれています。そういう意味では、西洋音楽と出会っていきなりこんなソナタを書いてしまった幸田延という人の吸収力は、並大抵のものではありません。
山田耕筰は「赤とんぼ」や「この道」などの歌で広く知られる作曲家ですが、日本初の交響曲を書くなど、オーケストラ曲の作曲にも功績を残しています。また、日本交響楽協会を設立するなど、日本のオーケストラ活動の礎を築いたという点でも大きな役割を果たしました。
昭和後期になると、日本のクラシック音楽受容はずいぶんと進み、日本から世界へと羽ばたく音楽家も数多くあらわれるようになりました。作曲家としては、武満徹が筆頭に挙げられる存在でしょう。1996に武満徹が世を去って23年が経ちましたが、今もなお武満作品は世界中で演奏されています。クラシック音楽の世界で、くりかえし演奏される「古典」になる。武満作品はそんなとてつもなく高いハードルを越えようとしています。