ポピュラー音楽の世界で使われる用語に「スタンダード」という言葉があります。辞書をひくと「恒久的なレパートリーとして広く親しまれる名曲のこと、特にポピュラー・ソングで使われる」といった説明が乗っています。ジャズでいえば「A列車で行こう」とか「枯葉」「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」といった曲名がまっさきに挙がるでしょうか。
本日の「ニュースタンダードの音楽会」では、新しいスタンダード、つまり70年代から80年代の洋楽ヒットナンバーを最新のアレンジでお聴きいただきました。マイケル・ジャクソンやプリンスのヒットナンバーもすでに30年の時を経ているのですから、もはや「スタンダード」になっているんですね。
時代を代表するヒット・ナンバーがスタンダードになるということは、いいかえれば本人以外のアーティストたちによって演奏され続けているということ。だれかが楽曲に新しい命を吹き込まなければ、「スタンダード」は誕生しません。今回は時代の最先端を行くアレンジャーたちが、「今のマイケル・ジャクソン」や「今のプリンス」を聴かせてくれました。「ビート・イット」がゴージャスに生まれ変わっていたり、「パープル・レイン」に繊細で抒情的な彩りが添えられていたり……。懐かしくて、しかも新鮮であるというのが、「ニュースタンダード」を聴く楽しさでしょうか。
エリック・ミヤシロ EMバンドの演奏もカッコよかったですね。あのスカッと抜けるようなトランペットの高音はどうやったら出せるんでしょう。サックスやトロンボーン、ハーモニカなど、ソロの聴きどころも満載でした。
同じ曲をいろんなアーティストがくりかえし演奏して、スタンダードになる。このプロセスはクラシック音楽が生まれるプロセスとまったく同じです。今スタンダードと呼ばれる名曲が、さらにあと100年演奏され続けると、クラシックと呼ばれるようになるのかもしれません。
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ニュースタンダードの音楽会
山田和樹と日本一の合唱団の音楽会
今週は「山田和樹と日本一の合唱団の音楽会」。
社会人から高校生まで、それぞれの世代で輝かしいコンクール歴を誇る合唱団を、世界的指揮者の山田和樹さんが指揮したらどうなるのか。そんな興味深い試みが実現しました。
山田和樹さんといえば、モンテカルロ・フィル芸術監督(9月~)、スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者、日本フィル正指揮者など、各地のオーケストラで要職に就く一方で、東京混声合唱団音楽監督も務めています。トップレベルの指揮者によるリハーサル風景を見られるという意味でも貴重な機会でした。
山田さんがどんな指導をするのか、事前にまったく予想がつかなかったのですが、いざ始まってみると短時間のなかで次々とリクエストを出して、作品に命を吹き込んでいきます。ほんの一言だけの指示でも、一気に音楽の表情が変わるのには驚かされました。山田さんの指導には「もっと花の香りがするように」といった比喩的な示唆もあれば、具体的な歌い方を指示するものもありました。そして、これらをただちに音楽に反映できてしまうのも、合唱団の実力があってこそ。教える側と教わる側がぴたりとかみ合って、密度の濃い練習になっていたと思います。
以前、山田さんにインタビューをしたときに「オーケストラの音は指揮者によってまったく変わる。不思議なことに、指揮台に立っただけでもその人の音が出てくる」といったお話をうかがいました。もしかすると、同じことが合唱団についても言えるのかもしれません。山田さんが合唱団の前に立った時点で、すでになにか化学反応が始まっているような気がするんですよね。
豊島岡女子学園コーラス部、東京フラウエン・カンマーコール、コンビーニ・ディ・コリスタ、どの団体にも劇的な変化が感じられました。特に印象的だったのが豊島岡女子学園コーラス部による木下牧子作曲「おんがく」。十代ならではの鋭敏な感受性がそのまま曲に直結しているようで、胸に迫るものがありました。
久石譲が語る歴史を彩る6人の作曲家たち 後編
今週は先週に続いて作曲家・久石譲さんにクラシック音楽の歴史をガイドしていただきました。ペンデレツキ、スティーヴ・ライヒ、ジョン・アダムズといった現代の作曲家たちの作品が演奏されましたが、いかがでしたか。先週のベートーヴェンやワーグナーとはまったく違った発想で作品が書かれているのを感じていただけたかと思います。
特にペンデレツキの「広島の犠牲者に捧げる哀歌」には、「うーん」と腕組みをしてしまった方も多いかもしれません。龍さんと久石さんの会話にあったように、まるでホラー映画に出てくるような不気味な音楽と感じてもおかしくはないでしょう。事実、ペンデレツキのみならず、20世紀の前衛音楽がホラー映画に使用されることは珍しくありません。
「広島の犠牲者にささげる哀歌」はトーン・クラスターと呼ばれる新しい表現方法を使った作品として知られています。一定の音域の間にある密集した音の群をいっせいに鳴らすのがトーン・クラスター。美しいハーモニーとは別世界の斬新な音が出てきます。作曲家たちは「これまでに聴いたことのない音」を追い求め、このようなかつてない表現方法を次々と生み出してきました。
そういった知的な音の探求は今もずっと続いてはいるのですが、一方で技法があまりに先鋭化すると、一般の聴衆の共感を得られなくなるという大きな問題が出てきます。新しいけれども、多くの人が楽しめる明快な音楽はないものか。そんな疑問もわきますよね。そこで人気を獲得したのがライヒらのミニマル・ミュージック。1960年代から70年代に一世を風靡し、その後、ジョン・アダムズら次世代の作曲家たちがこの手法を独自に発展させています。
まさに今、2010年代にも作曲家たちは次々と新作を発表しています。そのなかには前衛的な作風の延長上にある人もいれば、ミニマル・ミュージック的なスタイルの人もいますし、民族音楽の要素を取り入れる人、伝統回帰を唱える人、ポスト・モダンと呼ばれる潮流に属する人などがいて、多種多様の音楽が同時に生み出されています。その意味では現代を「○○主義音楽の時代」と一言で表すことは困難です。たぶん、今がどんな時代なのかは、これから何十年も経った後にわかることなのでしょう。
久石譲が語る歴史を彩る6人の作曲家たち 前編
今週のテーマは「久石譲が語る歴史を彩る6人の作曲家たち」前編。番組テーマ曲でもおなじみの作曲家、久石譲さんのガイドで音楽の歴史をたどりました。
クラシック音楽の歴史は、9世紀頃のグレゴリオ聖歌まで遡ることができます。この時代はまだメロディが一本だけで、伴奏もない音楽だったんですね。こういった伴奏のない単旋律の音楽が「モノフォニー」。そこから、複数のメロディが同時に歌われる「ポリフォニー」の音楽や、メロディに伴奏が付く「ホモフォニー」の音楽が生まれてきました。
ルネサンス期には、番組中で演奏されたジョスカン・デ・プレの「アヴェ・マリス・ステラ」のようなポリフォニーの音楽が盛んに作曲されていたのですが、わたしたちが一般に思い浮かべる「クラシック音楽」とはずいぶん違っていますよね。複数の旋律が絡み合って同時進行しますので、かなり複雑な音楽といえるでしょう。古い音楽が決して単純に書かれているわけではありません。むしろ、「難しい」と感じた方も多いのでは?
18世紀半ばから19世紀初頭までを古典派の時代と呼びます。この時代の最大の作曲家がベートーヴェン。「運命」に表現されていたように、個人の主観が明確に打ち出され、ドラマティックな感情表現が生み出されます。
続くロマン派の時代になると、作曲家たちはさらに新たな表現技法を開拓し、やがてワーグナーのような巨人があらわれて、これまでになかった和音を駆使したり、音楽とドラマの融合を目指すようになりました。その究極が「トリスタンとイゾルデ」。ロマン派音楽の頂点とでもいいましょうか。もう音楽はどんな複雑な感情や心理でも表現できるのではないかと思わされます。
しかしワーグナーの時点でもまだ19世紀。20世紀を迎えると音楽にはさらなる変革が訪れます。いったいどんな曲が書かれるようになったのか。次回の「後編」にご期待ください!
平成VS昭和 いま歌いたい合唱曲の音楽会
懐かしの一曲と再会した方も多かったのではないでしょうか。今週は「平成VS昭和 いま歌いたい合唱曲の音楽会」。昭和生まれと平成生まれの世代別にランキングが発表されました。
昭和生まれとしては「えっ、今はこんな曲が歌われているの?」と驚くような曲も。ボーカロイドの初音ミクが歌った「桜の雨」って、ご存知でしたか。作詞作曲はhalyosyさん。卒業の歌として広まっているのだそうです。今の時代ならではの新たな名曲と呼ぶべきでしょうか。
懐かしかったのは「気球にのってどこまでも」。かつて学校で歌ったという方も多いはず。長年、耳にする機会はありませんでしたが、聴けば一瞬で思い出す。そんなノスタルジックな一曲です。
合唱界の人気曲に交じって、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」がランク入りしていたのも印象的でした。こちらはモーツァルトがわずか35歳にして世を去る1791年に書かれた賛美歌。精妙でニュアンスに富み、宗教の枠を超えて歌い継がれています。
昭和生まれの第1位は「大地讃頌」。これは納得の結果でしょう。不動の人気ナンバーワンと言いましょうか、これほど愛唱されている合唱曲もありません。
指揮の山田和樹さんは現在、東京混声合唱団の音楽監督、さらには理事長まで務めています。ベルリンに拠点を置き、オーケストラの指揮者としてモンテカルロ・フィル音楽監督、スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者等々、いくつものポストを持って世界中を飛び回っています。それでいて合唱の分野にもこれだけ力を注いでいるのですから、日本一多忙な指揮者といってもいいかもしれません。
山田和樹指揮東京混声合唱団という超強力コンビで聴く、おなじみの合唱名曲。プロが歌うとこうなるのか!という感動がありました。
癒しの英国音楽会
今週は20世紀前半を代表するイギリスの作曲家、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズの音楽をたっぷりとお聴きいただきました。ヴォーン・ウィリアムズといえば、「グリーンスリーヴス」による幻想曲がなんといっても有名です。しかし、彼の最重要作品といえば、やはり交響曲でしょう。偶然ですが、ベートーヴェンと同じく、ヴォーン・ウィリアムズも9曲の交響曲を残しています。
ヴォーン・ウィリアムズは「もっともイギリス的な作曲家」とも呼ばれます。イギリスの民謡を採集し、イギリスの伝統的な教会音楽に関心を深め、そしてイギリス人に愛される作品を書きました。交響曲第3番「田園交響曲」に、イギリス的な田園情緒を感じた方も多いのではないでしょうか。
母国イギリスではヴォーン・ウィリアムズの交響曲は人気曲です。イギリスの多くのレコード会社とイギリスのオーケストラがこぞって交響曲を録音しています。ところが、イギリス国外に出ると、これらの作品が演奏されたり録音されたりする機会はぐっと減ってしまいます。
なぜそうなるのか、一言で答えるのは難しいのですが、理由のひとつとしてヴォーン・ウィリアムズが20世紀の主だった潮流とは異なる、穏健なスタイルの作曲家とみなされていたから、ということがあげられるかもしれません。時代の最先端を走るような音楽ではなかったため、国外ではローカルな存在だと思われていたのでしょう。
しかし、時が経てば、作品が時流に乗っていたかどうかはあまり関係がなくなってきます。音楽そのものに普遍的な美しさや人の心を動かす力があるかどうかが問われるようになるはず。交響曲第3番「田園交響曲」は、一見安らかな音楽のようでいて、その背景には平和への痛切な祈りが込められています。この作品のメッセージは決して古びることがありません。むしろこれからの時代にこそ、広く聴かれるべき作品なのではないでしょうか。
世界で愛されているアニメミュージックの音楽会
世界中で日本のアニメが放送されるようになるとともに、アニメミュージックもまた大きな広がりを見せるようになりました。今週は「世界で愛されているアニメミュージックの音楽会」。アニメ・ファンならずとも、今のアニメミュージックの進化ぶりを感じられたのではないでしょうか。
ONE PIECEの「ウィーアー!」をはじめ、アニメ音楽のパイオニアとして数々の名曲を生み出してきた作曲家の田中公平さんが、最近のアニメミュージックの特徴をわかりやすく解説してくださいました。
田中さんの解説で特におもしろいなと思ったのは、菅野よう子さん作曲の「創聖のアクエリオン」について、教会旋法を活用しているというご指摘。ドビュッシーやストラヴィンスキーなど、フランス近代や20世紀の作曲家たちが新しい音楽を作り出そうとして教会旋法を用いましたが、同じようなことがアニメミュージックの世界でもあるんですね。教会旋法そのものは中世やルネサンス音楽で用いられたもので、私たちがふだんなじんでいる音楽よりもずっと古いわけですが、うんと古いものの探求から新しいものが生まれてくるのがおもしろいところです。
田中公平さんの解説でもう一点、目からうろこが落ちたのは「スタイリッシュな歌詞に下世話なメロディが組み合わされている」「長く聴かれるのはその下世話さも大切」というお話です。なにからなにまでスタイリッシュに作ってしまうと、長く聴かれるものにはならない、ベートーヴェンやモーツァルトだってスタイリッシュなサウンドに下世話なメロディを付けているとおっしゃるんですね。そういわれてみれば、決定的な名曲として長く残る作品は、どこかに下世話といいますか、ベタな魅力があるように思います。
今回はオーケストラに加えて、外囿祥一郎さんのユーフォニアム・ソロ、石川綾子さん、龍さんのヴァイオリン・ソロと、実にぜいたくな陣容でアニメミュージックを聴くことができました。この分野のさらなる可能性を感じます。
神童たちの音楽会2016
この子たちはいったいなにが普通の子と違うのだろう、天賦の才なのか、努力の賜物なのか……。神童と呼ばれる幼い音楽家たちを前にすると、ついそんなことを考えてしまいます。
今回の「神童たちの音楽会2016」では、そんな時代を担う俊才たちに集まっていただきました。チェリストのNanaさんは今年すでに日本でCDデビューを果たして注目を集めています。欧陽菲菲の姪とあって話題性も抜群ですが、フィラデルフィアの名門カーティス音楽院に13歳で入学したというのですから、並大抵のことではありません。
中村紘子さん推薦の谷昂登さんは12歳。目をつぶって聴けばとても少年が弾いているとは思えないような、大人びたショパンを演奏してくれました。のびのびとして表情豊かな音楽で、オーケストラと共演したのが初めてとは思えません。龍さんがおっしゃっていたように、音楽への愛があふれているんですよね。
徳永二男さん推薦の山本遥花さんは、なんと9歳。堂々とクライスラーを弾ききってくれました。演奏も立派ですが、ステージ上で物怖じしないことに驚かされます。演奏後には「沼尻さんが合わせてくださったので弾きやすかったです」と一言。協奏曲を演奏した後にソリストが指揮者を称えるのはよく見かける光景ですが、まさか9歳の女の子からその一言が発せられるとは!
最後は「元神童」を代表して、上原彩子さんによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番をお聴きいただきました。上原さんは中村紘子さんをして「日本の戦後最大の天才児」と言わしめた才能の持ち主。一般に神童というと、その稀有な才能ゆえに大人になる段階で困難な道をたどることも少なくないような印象がありますが、上原さんは成熟した大人の音楽家として健やかに才能を開花させた存在といえるのではないでしょうか。神童たちにエールを送る大人の音楽家として、これほどふさわしい方はいないでしょう。
吹奏楽部を知る音楽会Ⅱ
今週は「吹奏楽部を知る音楽会Ⅱ」。前回、吹奏楽部を取り上げたときは、吹奏楽コンクールがテーマになっていましたが、今回は吹奏楽部のもう一つの晴れ舞台、学園祭での人気曲を特集しました。こちらはコンクールとは違って、お客さんに楽しんでもらうためのステージ。吹奏楽経験者ならずとも、学校生活のなかでこれらの名曲に出会ったという方は多いのではないでしょうか。音楽への入り口としての吹奏楽の役割は決して侮れません。
ゲストにお迎えした大阪府立淀川工科高等学校吹奏楽部顧問の丸谷明夫先生は、吹奏楽の世界ではだれもが知る名物先生。「カーペンターズ・フォーエヴァー」でシエナ・ウインド・オーケストラを指揮してくださいました。満面の笑みでの指揮姿から、音楽への愛情が伝わってきます。丸谷流の人を楽しませる極意は「自分で楽しんだとき、お客さんにも楽しさは伝わる」。これは至言ではないでしょうか。吹奏楽に限らず、通用する極意のように思います。
それにしても驚いたのは、丸谷先生が子供時代の龍さんに会っていたこと。25年ぶりの再会だとか。龍さんのお姉さんで世界的ヴァイオリニスト、五嶋みどりさんにも学校に来てもらったりとお付き合いがあったそうです。この番組、出演する音楽家が五嶋家と旧知の間柄というパターンはこれまでにも何度かありましたが、まさか、吹奏楽の丸谷先生ともご縁があったとは! 五嶋家、恐るべし……。
年代別人気曲メドレーでは、世代によってそれぞれにぐっと来る曲があったと思います。「宇宙戦艦ヤマト」、懐かしかったですねえ。アニメの主題歌を超えた名曲といいましょうか、吹奏楽アレンジが曲想にぴったりマッチしています。
なお、「宝島」「カーペンターズ・フォーエヴァー」の編曲者であり、作曲家の真島俊夫さんが、4月21日に亡くなりました。67歳でした。吹奏楽界における多大な功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。
天才モーツァルトの音楽会
モーツァルトほど「天才」という言葉がふさわしい作曲家はいないのではないでしょうか。一見すると、とてもシンプルな音楽なのに、ほかの作曲家にはない独特の魅力が宿っています。革新的な音楽語法を発明したとか、新しいジャンルを開拓したとか、そういった新規性でモーツァルトのすごさを伝えようとしても、なかなかうまくいきません。特別なことをやっているようには見えないのに、出来上がったものは天衣無縫の音楽になっている。これぞ天才の証でしょう。
今回はモーツァルトの作品のなかでも、短調で書かれている名曲に焦点を当てて、その天才性がどんなところにあるのか、指揮者の沼尻竜典さんにピアノ・ソナタ第8番イ短調をピアノで弾きながら、解説していただきました。「なるほど!」と思うようなポイントがいくつもありましたよね。
モーツァルトについて、龍さんが「喜びと悲しみの境目がない」、反田恭平さんが「陽と陰を併せ持った天才」とおっしゃっていたのも印象的でした。モーツァルトはしばしば短調と長調の境目を自在に行き来します。光のなかに影があり、影のなかに光がある。そんな微妙な陰影が、情感の豊かさを生み出しているのでしょう。
ピアノ協奏曲第20番ニ短調では、反田恭平さんが独奏を務めてくれました。この時代に書かれたピアノ協奏曲には「カデンツァ」という、独奏者がソロで自由な即興演奏を披露する聴かせどころが用意されています。ここは演奏者にお任せする部分ですので、モーツァルト本人はこの曲のカデンツァを書き残していません。幸いなことにベートーヴェンがこの曲のためのカデンツァを残していますので、多くのピアニストはベートーヴェン作のカデンツァを使用します。
しかし、この日、反田さんが演奏したのは聴き慣れないカデンツァでした。第2楽章の主題が引用されるという一風変わったカデンツァは、イタリアの往年の大ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが古い録音で弾いていた演奏に触発されたもの。この曲を聴き慣れた人にも、新鮮な感動があったのではないでしょうか。