日本を代表する名指揮者、秋山和慶が残したメッセージ

投稿日:2025年03月15日 10:30

 今週は今年1月に84歳で世を去った日本を代表する名指揮者、秋山和慶さんの功績を振り返りました。
 秋山和慶さんのデビューは1964年。23歳で東京交響楽団を指揮しました。日本のほとんどのオーケストラを指揮してきた秋山さんですが、東京交響楽団とはキャリアの最初期から特別な結びつきがあり、1968年から2004年までの長きにわたって音楽監督・常任指揮者を務めました。
 なにしろデビュー直後に、スポンサー契約の打ち切りにより楽団の経営が破綻し、自主運営の団体として再出発するという試練を迎えたのですから、その苦労は想像に余りあります。少しでも仕事を増やそうとした結果、「ひと月に32回本番があった」という凄まじい状況に。そのすべてを秋山さんがひとりで指揮したといいますから、尋常ではありません。
 世界最高峰のオーケストラであるベルリン・フィルからの客演を3回も断ったというお話がありましたが、それも先に東京交響楽団のスケジュールが入っていたから。もしも秋山和慶指揮ベルリン・フィルの演奏会が実現していたら……と、つい思ってしまうところですが、秋山さんは「自分の楽団を放っておいてベルリンに行くことなどはできない、してはならない」と、ご自身の回想録で振り返っています。
 秋山さんは北米を中心に国際的に活躍した指揮者でもありました。1972年にカナダのヴァンクーヴァー交響楽団の音楽監督に就任。31歳の若さで海外のオーケストラの音楽監督に就任したわけです。以後、アメリカ交響楽団の音楽監督、ニューヨーク州のシラキュース交響楽団音楽監督を歴任しました。
 秋山さんは後進の育成にも力を注ぎました。弟子にあたるNHK交響楽団正指揮者の下野竜也さんが、若き日に秋山さんに言われた言葉は「音楽を出世や自分をよく見せるための道具に使っちゃいけない」。秋山さんの人柄が偲ばれます。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

コメントはこちらからどうぞ

ニックネーム
コメント

※必ず注意事項をお読みの上、送信して下さい。

フォトギャラリー

フォトギャラリーを詳しく見る≫