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60周年記念企画⑤鈴木優人&BCJ 時代を超えて甦らせるクラシックの音楽会

投稿日:2024年08月31日 10:30

 今週は鈴木優人さんとバッハ・コレギウム・ジャパンの演奏でベートーヴェンとメンデルスゾーンの名曲をお楽しみいただきました。
 バッハ・コレギウム・ジャパンは、バッハが生きていた時代の楽器を用いて演奏する団体として知られています。このようなピリオド楽器を用いた演奏は1980年代ごろから盛んになり、各地でいくつものオーケストラが結成されました。日本ではバッハ・コレギウム・ジャパンが1990年に設立され、国際的に高い評価を得ています。今回はバッハよりも新しい時代の作曲家、ベートーヴェンとメンデルスゾーンの作品にチャレンジしました。
 多くの場合、楽器は現代に近くなるほど、音域が広がったり、出せる音が増えたり、音量が大きくなるなど、さまざまな発展を遂げています。現代の楽器のほうが機能性は増していると言えるでしょうが、一方で作曲家が思い描いていた音とは違ったものになっていることは否めません。ピリオド楽器を用いたオーケストラは、作曲家が想定していた音を再現することで、作品のメッセージになるべく近づこうとしているのです。
 弦楽器の弦は羊の腸を用いたガット弦が用いられているというお話がありました。現代ではスチール弦やナイロン弦が広く使われています。優人さんの説明にあったように、ガット弦は「スピーチ、発音が強い」。音が出る瞬間にひっかくようなニュアンスがあります。ベートーヴェンの「運命」にその違いが感じられたのではないでしょうか。
 メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」では、オフィクレイドという金管楽器が登場しました。現代ではテューバで代用されることがほとんどですが、聴き比べるとその音色の違いは一目瞭然。テューバのふっくらとした音色に対して、オフィクレイドはもっとシャープで、鼻にかかったような甘い音色が特徴的です。メンデルスゾーンはこんな音をイメージしていたんですね。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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60周年記念企画⑤鈴木雅明&優人によるバッハの音楽会

投稿日:2024年08月24日 10:30

 今週は60周年記念企画第5弾として、バッハ・コレギウム・ジャパンの創設者で音楽監督の鈴木雅明さんと首席指揮者の鈴木優人さんの親子をお招きしました。優人さんにはたびたび番組に出演していただいていますが、お父さんの鈴木雅明さんは今回が番組初登場。バッハ・コレギウム・ジャパンとともに、バッハの名曲をお届けしました。
 バッハ・コレギウム・ジャパンは国際的にも高く評価されている古楽アンサンブルです。バッハが生きていた当時の楽器を用いたオーケストラと合唱団からなる古楽のスペシャリストで、ロンドン、パリ、ウィーンなど、ヨーロッパの主要都市でも公演を行い、絶賛を博しています。これまでにリリースしたCDは100タイトル以上。そして、これらのCDはスウェーデンのBISというレーベルからリリースされています。BISは意欲的な活動をする中堅レーベルとしてクラシック音楽ファンにはよく知られていますが、彼らが早くからバッハ・コレギウム・ジャパンの実力を認め、大規模なレコーディング・シリーズを敢行したことで、バッハ・コレギウム・ジャパンはヨーロッパで多数の聴衆を獲得するようになりました。こんなふうに日本のアンサンブルでありながら、本場ヨーロッパのレーベルが主体となって継続的に録音をリリースしている例はほとんどありません。
 バッハは音楽一家として知られ、息子たちも父親に並ぶ名声を築きましたが、そんなバッハの音楽を演奏するバッハ・コレギウム・ジャパンもまた、鈴木親子により牽引されています。若い頃から優人さんが少しずつ活躍の場を広げ、やがて成長して首席指揮者となり、他のオーケストラにも客演するようになる姿を、ずっと見守ってきたファンも多いことでしょう。まるで現代のバッハ親子のように思ってしまいますが、今回なにより驚いたのは、雅明さんが決して教育パパではなかったというお話。お父さんが優人さんを自らの後継者とすべく育てたのではなく、優人さんが自ら音楽家への道を歩んだのだということに深く感銘を受けました。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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名前を覚えてもらえない作曲家の音楽会~この人も学校で習ったのに編

投稿日:2024年08月17日 10:30

 曲は知っているけど、作曲家の名前は出てこない。よくあることですよね。今週は、そんな気の毒な作曲家たちの名前を覚えてもらうための好評企画第3弾。小中学校の教科書に登場する曲から選んだ5曲をみなさんに聴いていただき、作曲者名をお尋ねしました。
 ハンガリー舞曲第5番を聴いて、作曲者がブラームスだと答えてくれたのは50人中8人。少ないといえば少ないですが、なかなか健闘しているとも言えるのでは。オーケストラのコンサートではよくアンコールで演奏される曲です。
 「ペールギュント」第1組曲から「山の魔王の宮殿にて」の作曲者は、ノルウェーのグリーグ。50人中6人がグリーグの名前を答えてくれました。この曲はテレビドラマや映画、スポーツシーンなどでもよく使われます。緊迫感があり、だんだんと曲調が激しくなってくるのは、これがピンチの場面を描いた音楽だから。主人公ペールが山奥で出会った女性に求婚したところ、なんと、その父親は山の魔王(トロールの王)。結婚を許すから人間をやめてトロールになれと命じられて、慌てて逃げ出す場面の音楽です。
 オペラ「カルメン」は名曲の宝庫。今回は「前奏曲」をとりあげましたが、ほかにも「闘牛士の歌」や「ハバネラ」などもよく知られています。作曲者ビゼーの名を答えてくれたのは50人中5人のみ。
 オペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」が日本で広く知られるようになったのは、2006年トリノオリンピックのフィギュアスケートがきっかけです。荒川静香さんの金メダル獲得が大きな話題になり、その際に使用されていた「誰も寝てはならぬ」は一躍人気曲になりました。作曲者プッチーニの名を答えられたのは50人中3人。意外と少ないですね。
 おしまいは運動会の名曲、「クシコスポスト」。作曲者ネッケの名を答えられた人はひとりもいませんでした。これは無理もありません。ネッケが話題になることはまずないこと。教科書に名前が出ているにもかかわらず、だれもよく知らないという点で、ネッケにかなう人はいません。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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ラン・ラン&ジーナがフランスの名曲を奏でる音楽会

投稿日:2024年08月10日 10:30

 今週は世界的ピアニストのラン・ランと、妻で同じくピアニストであるジーナ・アリスのおふたりをお招きしました。トップレベルの檜舞台で活躍するかたわら、音楽教育活動にも尽力し、ユニセフ親善大使を務めるなど、いまやラン・ランはピアニストの枠を超えた音楽界のシンボル的な存在になっています。そんなラン・ランが2019年に結婚したお相手が、ドイツ出身のジーナ・アリス。ふたりはクラシックの名門レーベル、ドイツグラモフォンからリリースしたニューアルバムでも共演して話題を呼んでいます。
 パリにも拠点を置くラン・ランは、フランス音楽がアジアの音楽や文化とたくさんのつながりを持っていると指摘します。たしかにフランスの作曲家たち、たとえばドビュッシーであれば、交響詩「海」の楽譜の表紙に北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」をあしらったり、日本の漆絵の錦鯉に触発されて「映像」第2集の「金色の魚」を作曲するといったように、さまざまな形でジャポニズム、オリエンタリズムの影響を目にすることができます。そう考えると、中国出身でグローバルに活躍するラン・ランならではの視点によるフランス音楽の表現があってもおかしくありません。
 今回演奏してくれたのは、サン=サーンスとフォーレの作品。サン=サーンスの組曲「動物の謝肉祭」からは、ラン・ランの独奏で「白鳥」を、ジーナ・アリスとの連弾で「水族館」と「化石」を演奏してくれました。連弾する姿からふたりの仲睦まじさが伝わってきましたね。ラン・ランの自在の表現にジーナ・アリスがぴたりと寄り添う様子が印象的でした。
 最後に演奏されたのはラン・ラン独奏によるフォーレの「パヴァーヌ」。パヴァーヌとは古い時代の2拍子または4拍子のゆっくりとした宮廷舞踏を指します。古雅な雰囲気をまとったフォーレの「パヴァーヌ」に、ラン・ランは豊かでしみじみとした情感を注ぎ込んでくれました。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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パリだからこそ生まれた名曲の音楽会

投稿日:2024年08月03日 10:30

 現在オリンピックが開催されるパリでは世界中からアスリートたちが集まっていますが、パリはアーティストたちが集う芸術の都でもあります。今週は出口大地さん指揮東京フィルが、パリで生まれた名曲を演奏してくれました。演奏されたのはロッシーニ、ストラヴィンスキー、ガーシュインの作品。いずれも外国からパリにやってきた作曲家たちです。
 ロッシーニはイタリア・オペラのヒットメーカー。「セビリアの理髪師」などで大成功を収めると、その人気はイタリア国外にも広がりました。やがてパリに招かれるとセンセーションを巻き起こし、フランス国王から「国王の首席作曲家」なるポストを与えられます。そんなロッシーニがパリの聴衆のために書いたオペラが「ウィリアム・テル」。当時37歳だったロッシーニはこれを最後にオペラ作曲家から引退し、以後はフランス政府から終身年金を得て、ロッシーニ風ステーキの発案など、美食家として名を馳せることになりました。
 ロシア生まれのストラヴィンスキーは、ロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフに才能を見出され、バレエ音楽「火の鳥」を作曲します。パリで上演された「火の鳥」は大きな話題を呼びました。続くバレエ音楽「ペトルーシュカ」「春の祭典」は激しい賛否両論を巻き起こし、ストラヴィンスキーは一躍、時代を代表する作曲家となりました。
 アメリカのガーシュインは、ミュージカルやジャズの世界で華々しい成功を収めた作曲家です。「ラプソディ・イン・ブルー」をきっかけに、クラシック音楽界でも注目を浴びるようになりましたが、ガーシュインは正規のクラシックの教育を受けていません。そこでガーシュインはパリに渡り、ラヴェルに教えを乞おうとしました。しかし、ラヴェルはこう言ったのです。「君はすでに一流のガーシュインなのだから、二流のラヴェルになることはない」。そんなガーシュインがパリの活気に刺激を受けて作曲したのが「パリのアメリカ人」です。花の都の賑わいが伝わってきましたね。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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