今年はベートーヴェン生誕250年ということもあって、一段とベートーヴェンに注目が集まっています。今週は辻井伸行さんにベートーヴェンの大傑作ソナタ、「悲愴」と「熱情」を演奏していただきました。ベートーヴェンのピアノ・ソナタのなかでも、「悲愴」「熱情」「月光」の「三大ソナタ」はとりわけ高い人気を誇っています。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタはぜんぶで32曲ありますが、「悲愴」「熱情」「月光」といったようにタイトルの付いた曲は決して多くありません。当時の楽曲はピアノ・ソナタであれ、交響曲であれ、このようにタイトルが付いていないほうが一般的だったのです。たとえば、ベートーヴェンが最初に書いたピアノ・ソナタは、ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調作品2-1。番号や調、作品番号などが記されているだけで、具体的な曲のイメージを伝えるタイトルはありません。それが普通だったんですね。
でも、それでは不便だということで、人気の高い曲は愛称で呼ばれるようになりました。現代的な価値観からすると「他人が曲の名前を付けるなんておかしい」と思われるかもしれませんが、愛称とはもともと本人ではなく他人が付けるものだと考えれば、不思議なことではないでしょう。
辻井さん独自の解釈で愛称を付けるとすれば、「悲愴」ソナタは「怒りと慰め」。第1楽章に怒りや苛立ちがあって、第2楽章では慰めがあり、第3楽章で両方の感情が重なり合うという解説がありました。こんなふうにストーリー性があると、作品がいっそう身近に感じられますよね。「熱情」ソナタは「幻想曲、嵐」。「熱情」という言葉は人間の感情にのみ焦点を当てていますが、「嵐」という言葉からは感情も自然現象も含めたさまざまなイメージが湧いてきます。辻井さんの真摯な演奏から、力強く雄大な音のドラマが伝わってきました。次週の「月光」も楽しみです。
飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)