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前代未聞の演奏!もしもの音楽会

投稿日:2022年01月22日 10:30

音楽を聴いていて、ふと「もしこんなことをやってみたらどうなるのかな……」という素朴な疑問が浮かぶことがあります。そんな疑問に日本のトップレベルの音楽家たちが本気でこたえてくれたのが今回の企画。これはびっくりしましたよね。
 「もしもボレロの小太鼓を他の打楽器で演奏してみたら」には意表を突かれました。本来、ラヴェルのボレロはずっと小太鼓が同じリズムを刻む曲。そこにいろんな楽器が交代で同じメロディを奏でて、どんどん音色が移り変わるのが聴きどころ。だったら小太鼓が別の打楽器に変わったらどんな曲になるのか。ドラムセット、カスタネット、アゴゴベル、銅鑼、しまいには相撲太鼓まで登場して超ジャンル横断的「ボレロ」が誕生しました。
 「もしもメチャクチャ細かい指示が書いてある楽譜を演奏したら?」では、古今の作曲家たちがくりかえし変奏曲の題材にとりあげてきたパガニーニの主題をもとに、川島素晴さんが変奏曲を作曲。「甘く歌うように」とか「とても表情豊かに」というのはわかるのですが、「キュンです ♡ 」とは? 服部百音さんの熱演がすごい! おしまいに登場する蚊が痒そうでした。
 圧巻は「もしも漫才の掛け合いを音楽にしたら」。こちらも川島さんの作曲です。サンドウィッチマンの漫才と音楽がぴたりと合致しているのも驚きですが、漫才抜きで聴いてもちゃんと曲に聞こえるんですよね。もともとの漫才にある対話性が音楽として転写されている、ということなのでしょうか。楽器と楽器の対話から音楽が生まれると思えばこれも納得!?
 「もしも名曲を逆さまに演奏したら」では、有名な「乙女の祈り」が登場。これを上下反転してみると、すっかり乙女感はなくなり、別の音楽に。まるで乙女が勇敢な戦士に変身したかのよう。意外といい曲になったと思いませんでしたか。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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トリオの名曲でぶつかり合う3人の音楽会

投稿日:2022年01月15日 10:30

今週は藤田真央さん、佐藤晴真さん、服部百音さんの新世代ソリストたち3名によるトリオをお楽しみいただきました。国際的に注目される若き実力者たちの共演は聴きごたえ十分。ピアノ・トリオの名曲に3人が相談して題名を付けてくれましたが、楽曲のイメージがよく伝わってきたのではないでしょうか。
 最初の曲はモーツァルトのピアノ・トリオ第1番 K.254の第1楽章。作曲は1776年ですので、モーツァルトはまだ20歳です。トリオの中心にいるのはピアノ、その相手役となるのがヴァイオリン、両者をそっと支えるのがチェロといった役どころ。リラックスして会話を楽しんでいるようなアットホームな雰囲気があります。3人の奏者で話し合って付けた題名は「少年の戯れ」。若き日のモーツァルトの天真爛漫な楽想にぴったりです。
 2曲目はブラームスのピアノ・トリオ第1番の第1楽章。ピアノ・トリオの名作ですが、若き日にいったん完成させた曲を、円熟期になってから改訂したという少し珍しい作品です。そこで3人で付けた題名が「青春の回想」。3人のパッションがひしひしと伝わってくるような熱い演奏でした。ブラームスならではの濃密なロマンに胸がいっぱいになります。
 最後に演奏されたのはショスタコーヴィチのピアノ・トリオ第2番の第2楽章。ショスタコーヴィチはソ連時代の作曲家でしたので、自由な創作活動は許されていませんでした。芸術家が当局の方針に従うことを求められる社会体制のなかで、自分が本当に表現したいことを表現するにはどうしたらいいのか。そんな葛藤から、ショスタコーヴィチは多様な解釈が可能な二面性を持った作品を書くようになりました。この楽章もユーモラスなようなグロテスクなような、楽しんでいるような怒っているような、一言では語れない複雑な表情を持っています。服部百音さんが題した「束の間の可愛くて攻撃的な遊び心」には、そんなショスタコーヴィチの作風が反映されていると思います。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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奄美のシマ唄を歌い継ぐ休日

投稿日:2022年01月08日 10:30

今週は元ちとせさん、里アンナさんのおふたりをお招きして、奄美のシマ唄をお楽しみいただきました。
 言葉も違えば、歌唱法も独特で、強烈に異文化を感じさせる音楽なのですが、それにもかかわらずどこか懐かしさを感じさせるのがシマ唄の不思議なところ。心の琴線に触れる歌声をたっぷりと味わうことができました。訳詞を見なければ意味がわからないという点では、クラシックの歌曲やオペラを聴くときと同じ心構えを要するのですが、シマ唄には言葉を超越してダイレクトに伝わってくる生々しい感情表現が込められているように思います。
 「シマ唄」という言葉、てっきり「島唄」だと思っていたら、実は集落やテリトリーを意味する「シマ」の唄ということだったんですね。日々の生活の中から唄が生まれ、譜面ではなく口伝で歌い継がれてゆくという成り立ちはほとんどの民謡に共通する特徴だと思いますが、それが土地に根差した形で現代まで歌い継がれているのは稀有なことだと思います。
 おもしろいなと思ったのは昭和のシマ唄、「ワイド節」。古い曲を歌い継ぐだけではなく、新曲も書かれているんですね。曲名から広々とした光景を歌った曲を想像してしまいましたが、「ワイド」とは徳之島の方言で「がんばれ」「やった」の意。徳之島には闘牛の文化があり、その掛け声なんだそうです。スペインの闘牛でいうところの「オーレ!」みたいなものでしょうか。曲調から人々の熱気が渦巻いている様子が伝わってきます。闘牛というと、ついビゼーの「カルメン」を連想してしまうのですが、情熱的な表現はどこか一脈通じるところがあるような気もします。
 最後に演奏された「豊年節」は、アコーディオン、ギター、パーカッションが加わった現代的なアレンジで。これは古くて新しい音楽、ローカルでありながらユニバーサルな音楽だと思います。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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クラシック奏者が演奏したいアニメソングの音楽会

投稿日:2021年12月25日 10:30

今週はクラシック音楽の名奏者たちが思い入れのあるアニメソングをスペシャルアレンジで演奏してくれました。かつてはアニメソングといえば子供でも歌えるような平易な曲が中心でしたが、アニメが世代を超えた文化として定着するにしたがって、アニメソングも音楽文化としての成熟度を格段に深めてきました。クラシックの奏者たちが演奏したくなるのも自然なことだと思います。
 最初に演奏されたのは『東京リベンジャーズ』より「Cry Baby」。ストーリー中で大きな役割を果たすタイムリープをたびたびの転調で表現したという曲ですが、なるほど、どこに連れていかれるのかわからなくなるような曲調はそのためだったんですね。ヴァイオリン、チェロ、フルートを中心にした編成が生み出すサウンドは、パワフルでありながらもエレガント。ほのかなノスタルジーが漂います。
 日本音楽コンクールヴァイオリン部門第1位の俊英、荒井里桜さんが選んだのは『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』より「炎(ほむら)」。荒井さんのつややかなヴァイオリンの音色が、エモーショナルな曲想にぴたりとマッチしていました。この曲は泣かせますね。
 超絶技巧と自由な発想力で新たなフルート奏者像を築く多久潤一朗さんは、『BEASTARS』より「怪物」を選んでくれました。草食獣と肉食獣が共存する学園生活を描いたという『BEASTARS』。主人公が自身の感情を恋なのか食欲なのかと葛藤するという展開が実に斬新ですが、多久さんの演奏もまったく想像のつかない斬新さでした。まさかフルートでオオカミの遠吠えを表現できるとは。
 ロストロポーヴィチ国際チェロコンクールに優勝し、国際的な活動をくりひろげる宮田大さんが選んだのは『呪術廻戦』より「廻廻奇譚(かいかいきたん)」。宮田さんのキレキレのチェロがオーケストラと一体となって荘厳なサウンドを作り出していました。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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反田恭平・小林愛実 ショパン国際ピアノコンクール入賞者の音楽会

投稿日:2021年12月18日 10:30

今週は10月に開催されたショパン国際ピアノコンクールで入賞を果たした反田恭平さんと小林愛実さんをお招きしました。反田恭平さんが第2位、小林愛実さんが第4位。これは快挙です! コンクールさながらの集中度で見事なショパンを披露してくれました。
 今回のショパンコンクールでは、すべての演奏がインターネットで動画配信されました。審査員やメディアだけではなく、世界中の人々に開かれたコンクールとなったことで、いっそう注目度が上がったように思います。1次予選から2次予選、3次予選、さらにファイナルへと段階を進むにつれてコンテスタントがどんどん減っていく形式ですから、予選の結果発表のたびに、応援するピアニストが残っているかどうか、ドキドキしていた方も多いことでしょう。
 反田さんは過度の緊張のあまり「3次予選で空回りしてしまった」とおっしゃっていたのに対して、小林さんは3次予選で前奏曲を弾いていたのが「いちばん楽しめた瞬間」と対照的な感想を述べていたのが印象的でした。
 おふたりのここまでに至る道のりも対照的といっていいかもしれません。小林さんは小学生の頃にすでに「世界一YouTubeで視聴された日本人ピアニスト」として有名になり、早くも中学生でメジャーレーベルへのデビューを実現しました。ショパンコンクールには2度目の出場で、前回もファイナルに進出しています。少女時代の印象が強いので、何歳になっても「あの女の子がこんなに大きくなったなんて!」という感慨を抱かずにはいられません。一方、反田さんはデビュー後あっという間に活躍の場を広げ、実力と人気に対して国際コンクール歴が追い付いていない感がありました。今回めでたく第2位を獲得したのはふさわしい結果というほかありません。おふたりとも今後、日本を代表するピアニストとして目覚ましい活躍をくりひろげてくれることでしょう。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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オーケストラで奏でる「ゲーム音楽」の音楽会

投稿日:2021年12月11日 10:30

今週はオーケストラの迫力あるサウンドでゲーム音楽をお楽しみいただきました。ゲーム音楽ほど近年に発展を遂げた音楽のジャンルはないかもしれません。当初はハードウェアの制限から「ピコピコ音」と形容されていた音楽が、今やなんの制限もなく作曲家たちが創造性を発揮できる分野へと進化しました。
 「モンスターハンター」シリーズの作曲家、甲田雅人さんのお話でおもしろかったのは、「英雄の証」のお蔵入りバージョンについて。今回、そのお蔵入りバージョンと採用されたバージョンを比較することができましたが、オーケストレーションがぜんぜん違います。お蔵入りバージョンは分厚いサウンドで、一度にいろいろな音が聞こえてきます。とてもゴージャスですばらしいのですが、これに魅了されるのは、先に採用バージョンを聴いて知っているからでしょう。初めて聴いたときに強いインパクトを残すのは、すっきりと洗練された採用バージョンだと思います。
 ブルックナーという交響曲の作曲家は、同じ曲に異なるバージョンをいくつも残したことから、どの稿がよいかファンの間でよく議論になるのですが、それを少し思い出しました。まさか「モンハン」の音楽にも初期稿があったとは!
 指揮の佐々木さんも言っていたように、ホルンの活躍は狩を連想させます。もともとホルンは狩の角笛を起源とすることから、ワーグナーやベートーヴェン、ブルックナーら多くの作曲家がこの楽器を狩のシンボルとして使いました。19世紀の音楽では森の動物を狩っていたのに対して、21世紀にはモンスターを狩っているわけです。
 「ファイナルファンタジー」や「グラディウス」「キングダム ハーツ」はゲームとして名作であるのみならず、音楽も名曲ぞろい。特に「ファイナルファンタジー」の「勝利のファンファーレ」を耳にすると、もうそれだけでささやかな達成感を味わえます。ゲーム音楽の枠にとどまらず、純粋にファンファーレとして傑出した音楽だと思います。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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「ウエスト・サイド・ストーリー」“対立”が仕掛けられた音楽会

投稿日:2021年12月04日 10:30

今週は「ウエスト・サイド・ストーリー」の音楽をお楽しみいただきました。作曲者バーンスタインが作品に込めたさまざまな仕掛けに、改めて名作の名作たるゆえんを知った思いがします。
 ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」が初演されたのは1957年。もう今から半世紀以上も前なんですね。多くの方は1961年製作の映画で親しんでいることでしょう。スピルバーグ監督によりリメイクでまた新たな話題を呼びそうです。そもそも「ウエスト・サイド・ストーリー」はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を20世紀のアメリカによみがえらせたもの。モンタギュー家とキャピュレット家の対立が、ジェッツとシャークスの対立に置き換えられています。ですからこの作品自体が古典のリメイクとも言えるのですが、不朽の名作になったのはなんといってもバーンスタインの音楽の力があってこそでしょう。
 バーンスタインの舞台作品のおもしろいところは、ミュージカルでもありオペラでもあるところ。「ウエスト・サイド・ストーリー」に限らず「キャンディード」や「オン・ザ・タウン」なども、ミュージカルとして上演される一方、オペラとして上演されることもあります。作曲者自身が指揮した「ウエスト・サイド・ストーリー」のレコーディングでもオペラ歌手が起用されています。今回の番組でもそうでしたが、オペラ歌手もミュージカルの歌手も歌うのがバーンスタインの音楽。ジャンルの枠に収まらない傑作だと思います。
 そんな野心作だけに「ウエスト・サイド・ストーリー」の最初のオーディションには苦労したと言います。バーンスタインによれば、「マリア」の増4度は誰も歌えなかったし、ミュージカルには音域が広すぎると言われたそうです。「だいたい第1幕が終わってふたつの死体が転がってるミュージカルなんて誰が見たいんだ?」。そう揶揄されたそうですが、結果は歴史的ヒット作となりました。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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きょうだい奏者のウラ側を知る休日

投稿日:2021年11月27日 10:30

今週は吉田兄弟、レ・フレール、村治佳織さんと村治奏一さんの3組のきょうだい奏者のみなさんにお集まりいただきました。
 昔から音楽界にはきょうだいで活躍する例が少なくありません。モーツァルトが少年時代から神童としてもてはやされた話は有名ですが、モーツァルトの姉ナンネルもまた早くから楽才を発揮して、弟の共演者を務めていました。また、早熟の天才として知られるメンデルスゾーンにも才能豊かな姉ファニーがいました。女性が作曲家として活躍するのは困難な時代でしたので、弟のような名声を得ることはありませんでしたが、時代が違えばきょうだいそろって音楽史に名を残していたかもしれません。
 そして、きょうだいにはやはり他人からはうかがい知れない特別な結びつきがあるものだなと、本日ご出演のみなさんのお話をうかがって改めて感じました。演奏が始まるとぴたりと息が合うのは、さすがきょうだいならではだと思います。
 吉田兄弟のおふたりが演奏してくれたのは「モダン」。津軽三味線らしからぬ意外性のある曲名ですが、これは津軽じょんがら節を現代風にアレンジしたから「モダン」なのだとか。スタイリッシュで華やかなテイストがありましたよね。曲が進むにつれて次第に音楽が白熱する様子がとてもスリリングでした。
 レ・フレールが演奏したのは「Joker」。こちらは吉田兄弟とは逆で、楽器が西洋で曲調が和風。連弾スタイルで表現される日本の祭りのイメージは新鮮です。演奏中にふたりのポジションがなんども入れ替わるおなじみのプレイスタイルで盛り上げてくれました。これは文句なしに楽しい!
 村治佳織さんと村治奏一さんが演奏したのは童唄「ずいずいずっころばし」と「ふるさと」。2台のギターが生み出す温かくまろやかな響きが、曲のノスタルジーをいっそう際立たせていたように思います。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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演奏するのが大変な巨大楽器の音楽会

投稿日:2021年11月20日 10:30

今週は4種類の巨大楽器を集めて、めったに聴くチャンスのない低音の世界をお楽しみいただきました。コントラバスサックス、ダブルコントラバスフルート、コントラバスクラリネット、そして巨大なドラ。どれも普段の演奏会では目にすることのない珍しい楽器ばかりです。
 原則として、楽器はサイズが大きいほど低い音を出すことができますので、巨大楽器は超低音楽器でもあります。コントラバスサックスという楽器、初めて聴きましたが最低音はまるでパイプオルガンみたいな音でしたね。田村真寛さんが「道路工事のような音」とおっしゃっていましたが、音というかほとんど振動に近いかも。並の肺活量では吹けそうにありません。「イン・ザ・ムード」の演奏では、この重低音が高音楽器と鮮やかなコントラストを作り出すことで、曲の浮き立つような楽しさを際立たせていました。
 多久潤一朗さんが演奏したのはダブルコントラバスフルート。なんと、全長5メートル。フルートといえば軽やかな音色をまっさきに思い浮かべますが、こちらも地響きのような低音が出てきて、パイプオルガンやコントラバスを連想させます。
 さかなクンが愛用するのはコントラバスクラリネット。パッと見た感じはファゴットのような外見ですが、クラリネットらしいふっくらした音色も感じられます。ズンズンと振動が伝わってくる「クラリネットをこわしちゃった」には、なんともいえないコミカルなテイストがありました。
 木管楽器以外から唯一登場したのは、巨大なドラ。普通のドラ(タムタム)であれば、ラヴェルの「ボレロ」など、ときどきオーケストラでも使われることがありますが、これほど巨大なものは見たことがありません。余韻がすごい! そして神田佳子さんの特殊奏法から繰り出される音は実に多彩。スーパーボールでこすって悲鳴のような音が出てきたのには背筋がゾクッとしました。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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心をつかむセレナーデの音楽会

投稿日:2021年11月13日 10:30

今週はシューベルトからグレン・ミラーまで、さまざまなセレナーデをお楽しみいただきました。
 音楽用語のなかでも「セレナーデ」ははっきりと意味のわからない言葉の筆頭ではないでしょうか。シューベルトの「セレナーデ」を聴くと、切々とした恋の歌のことを指すのかなと思います。でもチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」やモーツァルトが残した多数のセレナーデには、恋愛の要素が感じられません。これは言葉の意味が時代を通して変化しているからなんですね。
 古くはルネサンス時代から、夜に戸外で恋人や貴人のために演奏される曲をセレナーデと呼んでいました。ところがモーツァルトの時代になると、戸外でも演奏できるような小編成で多楽章の合奏音楽をセレナーデと呼ぶようになります。モーツァルトが書いたいちばん有名なセレナーデは「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」。ナハトムジークはドイツ語で「夜の音楽」という意味です。それからだんだん戸外のイメージも薄れてきて、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」のように純然たる演奏会用の楽曲までセレナーデと呼ばれるようになります。
 セレナーデの伝統がジャズに及んだ例がグレン・ミラーの「ムーンライト・セレナーデ」。ここにも月明かりという夜の要素が受け継がれています。もっとも、これは偶然の産物でもあるのです。当初、この曲はNow I Lay Me Down to Weepと題されていましたが、グレン・ミラーがこの曲をフランキー・カール作曲「サンライズ・セレナーデ」のカバーと一緒にリリースする際、「ムーンライト・セレナーデ」と新たな題が付けられたのだとか。レコードのA面が「サンライズ・セレナーデ」なので、B面は対語として「ムーンライト・セレナーデ」にしたらいいんじゃないか、という発想です。おかげで「セレナーデ」本来の語義に含まれていた「夜」のイメージが復活することになりました。

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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