今、日比谷公会堂でコンサートを聴いたことがあるという方はそう多くはいらっしゃらないかもしれません。しかし、かつてはこの場所こそが東京のクラシック音楽シーンの中心地でした。開館は1929年。後に東京文化会館やサントリーホール、東京オペラシティなど、東京にはすぐれたコンサートホールがいくつも誕生することになりますが、日比谷公会堂はその先駆けとなった存在です。メニューインやシャリアピン、ハイフェッツなど、伝説の巨匠たちがこの舞台に立っています。
その日比谷公会堂がこの3月をもって休館を迎えることになりました。会場の独特の雰囲気は放送を通じても伝わったのではないかと思います。現代のホールとは一味違った趣があり、歴史の重みと品格を感じさせます。定員は2000人強ですので、現代のコンサートホールと変わりません。しかし客席に座ってみると意外と舞台が近く感じられます。残響が少なく、オーケストラの音は豊麗というよりは、生々しくひきしまったサウンドに聞こえます。
2007年にこの日比谷公会堂でショスタコーヴィチ作曲の交響曲全曲演奏会を指揮したのが井上道義さん。今年2月にはふたたびこの会場でショスタコーヴィチの交響曲第9番と第15番を指揮しています。番組では交響曲第9番の第1楽章をお聴きいただきましたが、かねてよりショスタコーヴィチの作品に特別な情熱をもって取り組んできたマエストロの思いが伝わってきたのではないでしょうか。軽快でコミカルな表情とアイロニーが一体となったような、一筋縄ではいかない多面性はショスタコーヴィチならでは。日比谷公会堂の古き良き伝統と、ショスタコーヴィチのモダンな響きが不思議と調和していました。
この会場で若い五嶋龍さんが演奏している姿を見ることができたのもうれしかったですね。ブルッフのヴァイオリン協奏曲に、胸がいっぱいになりました。
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日比谷公会堂さよなら音楽会
アメリカン・クラシックの音楽会
ヨーロッパを中心に長い歴史を持つクラシック音楽の世界では、アメリカは若くて新しい国の立場です。1892年、ニューヨークにもヨーロッパ並みの本格的な音楽院を設立しようと考えた富豪のジャネット・サーバー夫人は、院長としてドヴォルザークを招きました。ドヴォルザークのような著名な作曲家をヨーロッパから招くことが、音楽院の声望を高めるためにどうしても必要だったのでしょう。当初、ドヴォルザークはチェコを離れることを逡巡していましたが、破格の報酬が約束されたこともあって、アメリカ行きを決断しました。
ドヴォルザークがアメリカにわたったおかげで、交響曲第9番「新世界より」のような傑作が生まれたのですから、わたしたちはジャネット・サーバー夫人に感謝するよりほかありません。もっとも、1893年に恐慌が起き、サーバー夫人が高額な報酬を支払えなくなったため、ドヴォルザークのアメリカ時代は長くは続きませんでした。
やがて、アメリカはガーシュウィンやコープランドのような自国の作曲家によって、独自のクラシック音楽を作り出すようになりました。番組中でガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」の冒頭が演奏されましたが、この曲はジャズでもありクラシックでもあるという、アメリカならではの名曲です。
レナード・バーンスタインの「ウェスト・サイド・ストーリー」は、映画やミュージカルで知ったという方が多いでしょう。オーケストラ用の組曲はコンサートでしばしば演奏される人気曲です。新日本フィルのみなさんの「マンボ!」の掛け声、盛り上がりましたよね。バーンスタインといえば生前は、作曲家よりも指揮者として注目を浴びることが多かったのですが、没後四半世紀を経た今、彼の作品の演奏機会は着実に増えているように思います。バーンスタインはアメリカの作曲家として、すでにクラシック音楽の伝統の一部になった感があります。
それにしても井上道義さん、カウボーイの衣装がさまになっていました。絵になりますよね。
歴史を彩るヴァイオリニストたち
同じ作品が、演奏するアーティストによって違った表情を見せる。クラシック音楽の聴き方のひとつとして、こういった同曲異演の楽しみがあります。
では、現在第一線で活躍するプロのヴァイオリニストたちは、往年の大ヴァイオリニストの演奏について、どう感じているのでしょうか。今回の「題名のない音楽会」では、徳永二男さん、三浦文彰さん、そして司会の五嶋龍さんの三人のヴァイオリニストたちが、「演奏の違い」について語ってくれました。徳永二男さんは長年NHK交響楽団のコンサートマスターを務めていらっしゃいましたので、テレビを通してご存知の方も多いと思います。また、三浦文彰さんは大河ドラマ「真田丸」のオープニングテーマで、ソロを演奏している若き俊英です。ちなみにお父さまの三浦章宏さんは現在東京フィルのコンサートマスターを務めていらっしゃいます。
三浦文彰さんが憧れのヴァイオリニストとして挙げたのはナタン・ミルシテイン。品格と高雅さを感じさせる大家です。決して派手な人ではありませんので、若い奏者からこの名が挙がると「おお!」と思ってしまいますね。徳永二男さんが挙げたのはヤッシャ・ハイフェッツ。「技巧が高い」と呼ばれる名奏者は大勢いますが、そのなかでも別格なのがハイフェッツでしょう。龍さんはお姉さんの五嶋みどりさんの名を挙げていました。幼いころからいちばん身近なところに世界の「MIDORI」がいたわけですから、これは納得です。
後半ではチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をイヴリー・ギトリスとイツァーク・パールマンの演奏で聴き比べていただきました。ふたりの個性の違いを感じ取っていただけたでしょうか。濃厚で奔放なギトリスと、天衣無縫の流麗さを誇るパールマン。番組内ではほんの少しだけの演奏でしたが、もし機会があったら、全曲演奏を聴いてみてください。同じ曲でもこんなに違ったアプローチができるのかという驚きが待っているはずです。
世界が認めた新世代の音楽会
今週は「世界が認めた新世代の音楽会」。著名なコンクールで上位入賞を果たし、音楽界の第一線で活躍する若くて実力のあるアーティストがそろいました。
おもしろかったのは選曲のセンス。萩原麻未さん、成田達輝さん、横坂源さん、吉田誠さんが、オススメの一曲を持ち寄ってきてくださったのですが、みんなが知っているような有名曲は一曲もありませんでした。でも、どの曲もとても親しみやすくて、シャレていて、カッコいい。なるほど、こういう曲がこれから受けるのかな、と思わされます。クラシック音楽の世界にも案外、はやりすたりがあるもの。その時々で作曲家や作品の人気が高まったり、逆に低くなったりすることは珍しいことではありません。
ヘンデルの原曲をハルヴォルセンが編曲した「パッサカリア」は、決して新しい曲ではないのですが、弦楽器2台で演奏できる貴重なレパートリーとして、近年耳にする機会が増えています。
一方、プーランクの「城への招待」、この曲は初めて聴きました。めったに演奏される機会のない曲だと思いますが、こうして聴いてみると機知に富んだおもしろい作品ですよね。短編アニメや映画に仕立ててもおもしろいかも。
最後に演奏された「アダムズ・ヴァリエーション」の作曲者、ギョーム・コネッソンは1970年フランス生まれの現代の作曲家です。現代の作曲家といっても作風は難解ではなく、「アダムズ・ヴァリエーション」もそうでしたが、軽やかで明快で、ポップといってもいいほどです。
この番組の収録をきっかけに気になって、コネッソンの作品をいくつか録音で聴いてみたのですが、この「オシャレ感」はすごく今風だなと感じました。これからぐっと人気が高まるのではないでしょうか。
指揮者のわがまま音楽会
指揮者のわがままって、いったいなんだろう……と思ったら、こういうことだったんですね。ノーリハーサルでの本番、楽団員の暗譜演奏、バラバラの楽器配置、楽団員が歌って演奏。どれも実際のコンサートではまずありえないようなことばかり。でも指揮者の山田和樹さんのお話を聞くと、音楽的な狙いがあってのことと知って納得しました。
ノーリハーサルで演奏してくれたのはプロコフィエフの「古典交響曲」の第3楽章。自在にテンポを動かしながら、強弱の表現もはっきりと付けた演奏でした。リハーサルがなくても、指揮のテクニックだけでこれだけ音楽を作ることができるとは。リハーサル嫌いの歴史的大指揮者クナッパーツブッシュも、こんなふうに指揮をしていたのでしょうか。
楽団員の暗譜演奏にもびっくりしました。指揮者で暗譜をする方は決して珍しくはありませんが、楽団員が暗譜で演奏する姿を見たのは初めて。譜面台がないと、ずいぶんオーケストラの景色が違って見えます。なにかさっぱりした感じ、とでもいいましょうか。暗譜のおかげなのでしょう、すこぶる精彩に富んだ「フィガロの結婚」序曲を聴くことができました。19世紀の名指揮者ハンス・フォン・ビューローが楽団員に暗譜を求めたのは、こんなスリリングな演奏を実現したかったからなのかもしれません。
いちばん予測が付かなかったのは、楽器のバラバラ配置。近年、一般的なストコフスキ式の楽器配置を見直して、それ以前のヴァイオリンを両翼に分ける対向配置を復活させようというトレンドが一部にあるのですが、山田さんのアイディアはもっと過激で、楽器ごとにグループを作らないという自由配置でした。さすがに楽器間の音のバランスは保てなくなってしまいますが、普段とは違った響きが生まれてくるのがおもしろかったです。オーケストラは集団である以前に、ひとりひとりのプレーヤーたちの集まりなんだな、ということも改めて感じました。
辻井伸行によるベートーヴェンの音楽会
ベートーヴェンの「皇帝」って、聴けば聴くほど傑作ですよねえ。辻井伸行さんの演奏を聴いて、改めて実感しました。
ベートーヴェンが最後に書いたピアノ協奏曲がこの「皇帝」。当時の協奏曲には共通する「型」があります。楽章の数は3つ。第1楽章と第3楽章が速いテンポで、第2楽章は遅いテンポで書かれています。第1楽章の終盤には「カデンツァ」と呼ばれるソロの聴かせどころが置かれます。カデンツァではオーケストラはお休み。ソリストだけが自由に即興的に演奏し、華やかな技巧を披露します。
カデンツァは「おお、このソリスト、すごい!」とお客さんに思わせるための見せ場とでもいえるでしょうか。楽譜にはカデンツァが入るという指示があるだけ。なにを弾くかはソリストが決めます。
しかし、型破りな作曲家ベートーヴェンは、「皇帝」で従来のようなカデンツァを止めてしまいます。当時、多くの場合、作曲家本人がソリストとしてピアノ協奏曲を演奏していましたが、すでに聴力の衰えていたベートーヴェンは演奏を他人に委ねるしかありませんでした。他人が弾くと決まっているのなら、即興などいらない、自分でぜんぶ作曲してしまおう。そう考えても不思議はありません。
番組中で辻井さんがおっしゃっていたように、その代わり、ベートーヴェンはソリストのための見せ場を曲の冒頭に用意しました。最初にオーケストラが力強い和音を響かせるやいなや、ソリストがきらびやかなパッセージを奏でて、聴衆にアピールします。普通の協奏曲であれば、ソリストの登場までお客さんはしばらく待たされるのですが、この曲ではいきなり見せ場がやってきます。こういった趣向もベートーヴェンの型破りなところのひとつです。
「皇帝」は第2楽章から第3楽章への移行部もすばらしいですよね。静かに瞑想するかのような雰囲気のなかで、ゆったりと第3楽章のテーマが出現して、切れ目なくパワフルな第3楽章へと突入します。あの瞬間にブルッと鳥肌が立つのは私だけではないでしょう。
※辻井伸行さんの姓の「辻」は正式には、点がひとつの「辻」です。
弦を奏でる音楽家たち
今週は「弦を奏でる音楽家たち」。そうなんです、ヴァイオリンもギターも同じ弦楽器だったんですね。
たしかにどちらも弦を奏でているわけですが、ヴァイオリンとギターではずいぶん雰囲気やキャラクターが違います。ヴァイオリンというとコンサートホールのようなかしこまった空間が似合う楽器のように感じますが、ギターはぐっと身近な楽器といいましょうか、日常のなかの親密な空間で演奏される楽器というイメージがあります。
そんなキャラクターの違いもあってか、ギターとヴァイオリンがいっしょに演奏するようなクラシックの名曲はあまりありません。しかし、例外的にパガニーニはこのふたつの楽器が共演する曲をいくつも作曲しています。最後にお聴きいただいた「ヴァイオリンとギターのためのカンタービレ」もそのひとつ。
パガニーニといえば「悪魔に魂を売り渡した」とウワサされるほどの超絶技巧を持ったヴァイオリンの名手でした。その一方で、演奏旅行に出る際には常にギターを携えて、折に触れて弾いていたといいます。一説によればパガニーニは若き日の一時期、ギターを嗜む裕福な貴婦人の寵愛を受け、そこでギターを習得し、婦人のために作品を書いたとか。常に最高難度の技巧をアピールしなければならなかったヴァイオリンと異なり、パガニーニにとってギターとはリラックスして心からくつろぐための楽器だったのかもしれません。
今回はギターの持つ音色の多彩さにも目を見張りました。村治佳織さんと村治奏一さんがさまざまな奏法を披露してくれましたが、ギターってこんなに表現力の高い楽器だったんですね。アルペジオ奏法とかトレモロ奏法はいかにもギターらしい奏法ですが、ベリナティの「ジョンゴ」でのパーカッション奏法にはびっくりしました。弦楽器なのに、まるで打楽器のように演奏できるとは! しかもギター2台で共演。楽しかったですね。
○○新世紀の音楽会
「○○新世紀の音楽会」。いったいなにが新世紀なのかと思えば、答えは「ジャズ」。今の時代のジャズとして、スガダイローさんと黒田卓也さんのおふたりのアーティストが登場しました。
でもジャズって、どこまでがジャズなんでしょうね。スウィングとかモダン・ジャズとか、ジャズの歴史を振り返るときに出てくる言葉には漠然としたイメージがわいてきますが、じゃあ、今のジャズはどこからどこまでがジャズなのかと問われると、よくわかりません。きっと定義などはだれにもできないのでしょう。歴史の発展とともにボーダーレス化するというのは、20世紀のクラシック音楽から現代音楽への変遷とどこか似ています。
黒田卓也さんは日本人として初めてブルーノート・レーベルと契約したという話がありましたが、日本人が本場で認められるといった一種のグローバル化も、クラシック音楽界と共通しているように感じました。
スガダイローさんの「時計遊戯」は、ジャンルの枠などすっかり飛び越えたユニークな曲でしたよね。「時計遊戯」という曲名を英語に直すと「ゲームウォッチ」。たぶん、若い方はご存じないかと思いますが、ゲームウォッチとは1980年に発売されて一世を風靡した任天堂の携帯型液晶ゲーム機のこと。小さなモノクロ液晶画面を搭載した、ひとつのハードでひとつのゲームしか遊べないというタイプのゲームで、当時の子どもたちは(いや、大人も?)夢中になって遊びました。指先の反射神経と集中力の限界に挑むタイプのアクションゲームでしたので、スタート直後は簡単でも、ゲームが進むにつれて難度が増し、しまいには「キーーーッ!」となってゲーム機を放り出したくなるほど難しくなります。
昔のゲームですから、出てくる音もふたつだけ。まさかそんなシンプルな効果音が「ジャズ新世紀」につながろうとは。でもあのゲームのクセになるような感じが、楽曲からも伝わってきたのではないでしょうか。中毒性があって、ついもう一度聴いてみたくなります。
五嶋龍の音楽会
今回は「五嶋龍の音楽会」。ヴァイオリニスト五嶋龍さんを改めて知っていただくために、「現代音楽」「同世代」「ゲーム音楽」「練習」「ユンディ・リ」「アップデート」というキーワードに即して、6曲がとりあげられました。これまでに番組を通じて龍さんが出会った音楽家たちや楽曲について、龍さんがどんなふうに考えているのか、とてもよく伝わってきたのではないかと思います。
久石譲さんの作曲と指揮、龍さんのヴァイオリンによる番組オープニング・テーマ Untitled Musicを、久しぶりにフルバージョンで聴くことができましたが、やっぱりいい曲ですよね。フレッシュで、勢いがあって、心が浮き立つような音楽です。龍さんのイメージにぴったりではないでしょうか。
龍さんと同世代の音楽家との共演を聴けるのも、この番組ならではの楽しみ。龍さんは「普段の生活では同世代の音楽家たちと接しあう機会はまったくない」のだとか。若くして国際的に活躍する音楽家にとっては、共演者はずっと年上ということがほとんど。日本の同世代を代表する気鋭の演奏家たちとの共演は、大きな刺激を与えてくれるにちがいありません。
ハーバード大学卒、空手三段、幼少時から脚光を浴びるヴァイオリニスト。そんな龍さんのプロフィールからすると、実はゲーム好きだというのが意外ですよね。ゲームを語るときの龍さんの熱さは本物です。「ハマるゲームは製作者が心を込めて作ったゲーム。そういったゲームはすばらしい作品であり、アートでもある」というのが龍さんの持論です。
本日の最後に登場したのはイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番。龍さんが司会となってこの番組で最初に演奏した楽曲で、選曲にも照明効果にも龍さんのアイディアが反映されています。古典の引用からはじまりながら、独自の音楽世界を作り出すこのイザイの作品ほど、龍さんの「音楽に対する視野・視点をアップデートする」という姿勢を体現した曲もないでしょう。ただ新奇さを追い求めるのではなく、見慣れた光景が違ったものに見えてくるような視点の転換を迫る。これはまさに過去の大作曲家が行ってきたことでもあり、その積み重ねがクラシック音楽の歴史になっているともいえます。その意味では、龍さんのおっしゃることは音楽家の本道そのものだな、と感じました。
クラシック新世紀の音楽会
今回のゲストはヴァイオリニストの葉加瀬太郎さん。舞台に登場した葉加瀬さんと龍さんがヒシッと抱擁する姿を見て驚いた方も多いのでは? なんと、おふたりは旧知の間柄。龍さんがまだ幼かった頃からのお知り合いなんだそうです。ジャンルの枠にとらわれない活動を展開する葉加瀬さんと、世界の名門オーケストラと共演するなどクラシックの王道を歩む五嶋龍さん。活動のフィールドを異にするおふたりですが、こんなに親しい関係だったんですね。葉加瀬さんを「先輩!」と呼ぶ龍さんの表情が生き生きとしていたのが印象的でした。
葉加瀬さんは自作のメドレーで「弾き振り」を披露してくれました。楽器を演奏しながら、指揮も同時に行うのが「弾き振り」。しかも自作を演奏していましたので、ここでの葉加瀬さんは作曲家であり、演奏家であり、指揮者であるという一人三役をこなしていたことになります。
実はクラシック音楽の歴史において、作曲家が演奏家や指揮者を兼ねることはまったく珍しいことではありませんでした。むしろかつてはそれが普通の音楽家のあり方だったのです。ところが時代が進むにつれて分業化が進み、指揮は専門の指揮者が担い、演奏家は演奏に専念して作曲をしなくなり、作曲家も作曲のみを行いステージに立たない人が増えてきました。それだけ各々が高度化してきたことはたしかなのでしょうが、自分の曲を自分で演奏するのが音楽の原点ではないかという思いはどこかに残ります。
その意味では、現在の葉加瀬さんの音楽活動は、18世紀にモーツァルトが行なっていたことと変わりありません。
最後の「情熱大陸」では、葉加瀬さんと龍さんの共演が実現しました。思い切りはじける龍さんと、温かい眼差しを注ぐ葉加瀬さん。迫力がありましたよね。東京オペラシティコンサートホールの客席がわきあがりました。