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辻井伸行がベートーヴェンの「月光」完全版を弾く音楽会

投稿日:2020年09月12日 10:30

今週は先週に続いて辻井伸行さんにベートーヴェンの傑作ソナタを演奏していただきました。今回はピアノ・ソナタ第14番「月光」。実はこの曲、出版時にはピアノ・ソナタ第13番と2作セットで発表されました。その際、ベートーヴェンはこの2作に「幻想曲風ソナタ」と名付けました。
 言葉だけを見ると、幻想曲とはなんらかの空想を描いた曲のことかと思ってしまうかもしれませんが、そうではありません。ここでいう幻想曲とは、既存の様式や形式にこだわらずに、自由な創意にもとづいて書かれた曲のこと。カチッとした形式があるのではなく、即興風の曲だというようなニュアンスも持っています。ですから、本当ならベートーヴェンのピアノ・ソナタ第13番も第14番も両方とも「幻想曲風ソナタ」と呼ばれていいはずなのですが、番組内でもご紹介したように第14番には「月光」の愛称が定着しました。ベートーヴェンは「月光」のイメージなど一切持っていなかったでしょうが、みんなが「なるほど、これは月光だ」と納得したわけです。ちなみに愛称の付かなかった第13番のほうは、今でもよく「幻想曲風ソナタ」の名で呼ばれています。
 辻井さんが「月光」に与えた愛称は「かなしみ」。たしかに第1楽章には一貫して静かな「かなしみ」の感情が流れているように思います。そこから軽やかな第2楽章を経て、最後の第3楽章で感情を爆発させ、荒々しい波が押し寄せるというストーリー性は、ベートーヴェンにふさわしいものでしょう。最後はとても盛り上がって情熱的に曲を閉じるのですが、それでもどこか満たされない思いが残っているようにも感じます。
 辻井さんの演奏は端正で力強く、説得力に満ちていました。「かなしみ」とは題したものの、過度に感情に溺れることなく、格調高い本格派のベートーヴェンを披露してくれました。これぞ名曲、名演だったと思います。
(※辻井伸行さんの姓の「辻」は正式には、点がひとつの「辻」です)

飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)

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