わかるようなわからないような音楽用語ってありますよね。今週とりあげた「スケルツォ」もそのひとつではないでしょうか。ショパンの「スケルツォ」のように単体で作品名として用いられることもあれば、ベートーヴェンの交響曲のように特定の楽章にこの名が添えられることもあります。
もともと「スケルツォ」とはイタリア語で「冗談」「滑稽」の意。今回はベートーヴェン、クライスラー、プロコフィエフ、フランセの作品を例に、「スケルツォ」のおかしさについて音楽家のみなさんといっしょに掘り下げてみました。
ベートーヴェンはすぐれたスケルツォをたくさん書いた作曲家だと思います。ピアノ・ソナタ第2番に登場するスケルツォで表現されるのは、「ひょうきん」と「まじめ」の対比の妙。言われてみると、なるほどと思いますよね。こういった表現のコントラストの鮮やかさは、ベートーヴェンの音楽の特徴と言ってもよいでしょう。
クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリス」では、服部百音さんがそのイメージを言語化してくれたように、曲調がめまぐるしく変化します。「カプリス」は奇想曲ともいい、気まぐれな性格の作品を指しています。「スケルツォ」と「カプリス」を組み合わせているところがユニークだと思いました。
プロコフィエフのフルート・ソナタのスケルツォは、多久潤一朗さんの「コメディ風のサイコスリラー」という表現がまさにぴったり。プロコフィエフの音楽にはしばしば毒のある笑いの要素が見受けられます。不気味さや執拗さが笑いと結びつくのがプロコフィエフならでは。
最後のフランセはあえて擬古典的なスタイルで書かれた曲で、作品自体に宮廷風舞曲のパロディのような要素があります。この「スケルツォ」には演劇的な要素も感じられました。
飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)