世に「前奏曲」と題された曲はたくさんありますが、そのなかでも特に人気の高い曲がショパンの「24の前奏曲」。「雨だれ」をはじめ、名曲がぎっしり詰まっています。でも前奏曲ばかりが続いていて、なぜか前奏の後に来るはずの本編(?)がありません。不思議ですよね。今回はそんな単独で成立する「前奏曲」が生まれるまでの歴史に迫ってみました。
前奏曲がその名の通り前奏曲として機能している代表例としては、バッハの「前奏曲とフーガ」が挙げられます。「平均律クラヴィーア曲集」を筆頭に、バッハは前奏曲とフーガを一組にした作品をたくさん書いています。フーガとは主題を複数の声部間で模倣しながら進む曲のこと。とても複雑な構造を持っているので、聴くだけでも集中力が必要です。それに比べると、前奏曲はハーモニーやメロディの美しさが際立った曲が多く、リラックスして聴くことができます。つまり、「前奏曲とフーガ」は対照的な性格を持った曲がワンセットになっているわけです。
ところがショパンの前奏曲もドビュッシーの前奏曲も、前奏曲だけで曲集が組まれています。フーガのような曲がなくても、前奏曲だけで十分に味わい深く、多彩な曲集が成立しています。ショパンの「24の前奏曲」は、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」と同じように24のすべての調で曲を書くというアイディアに基づいていますが、ショパンの時代にはすでにフーガは流行していませんでしたので、ショパンが前奏曲とフーガをセットで書くことはありませんでした。
ショパンに先んじて、ベートーヴェンも前奏曲のみの作品を書いています。「すべての長調にわたる2つの前奏曲」作品39や、前奏曲ヘ短調WoO.55といった作品があります。どちらもめったに演奏されない曲ですが、こういった知られざる作品にも、ベートーヴェンの先駆性があらわれています。
飯尾洋一(音楽ジャーナリスト)