またも熊本で…
2026年08月01日

 地震のみならず、そこに酷暑がのしかかった経験したことのない複合災害である。

 国道をはじめとする幹線道路は渋滞が激しく、はまり込んだら目的地までどれくらいかかるか分からない。だから裏道を駆使する。今回の地震取材は、スマホのナビ・システムに頼りっぱなしだ。目的地までの最短コースを提示するアプリの能力は確実に進歩している。
 それでも想定外のことはしばしば起こる。我々が乗ったハイエースが八代市内の細い農道を左折した時のこと。道路右側の民家の軒先にいた住民のひとりが、「あっ、そっち行っちゃだめだよ…」というような視線を送ってくれたのが分かった。そしてほどなく、瓦屋根の民家が道の真ん中に崩れ落ちていた。車が通行するどころではない。何度か切り返してUターンし、ナビで別の道を探ることにする。そうしたことは取材中、何度となく繰り返された。

 またも熊本だと、発生時にがく然とした。
 7月28日午後4時27分、10年前と同じ震度7を宇城市と氷川町で、八代市など複数箇所で震度6強を記録した。やや間をおいて、嘉島町にある巨大なショッピング施設・イオンモール熊本でガス爆発が発生。揺れの後、買い物客たちはほぼ避難を終えていたが、残っていた従業員の中から犠牲者が出た。地域の人たちに親しまれたモールはまるで廃墟になり、ヘリから撮影されたすさまじい映像が、繰り返しニュースで流された。また、八代市にある日本製紙八代工場では、街を象徴する存在でもあった巨大な煙突が倒れ、ここでも多数の犠牲が出た。

 10年前の地震を経ても、断層がため込んだエネルギーは完全に放出されておらず、いずれ大きな地震が起きる可能性が指摘されてはいたが、わずか10年でそれが起きてしまった。

 冒頭の場面もそうだが、今度の地震の現場を取材しながら、のどかに見える光景の中で、突然むごい現場に遭遇することがしばしばあった。
 そのひとつ、震度7を記録した宇城市小川町では、地面に1メートル近い高低差の段差ができ、周辺の家や商店が大きく傾いたり、ひしゃげたりしていた。カンカン照りの猛暑の中、地域の複数の住民がテントで日陰を作り、暑さをしのいでいる。取材するこちら側も、汗がしたたり落ちる。
 男性のひとりに聞くと、その男性は「店に商品があるので、この場を離れられないんです」という。店舗兼住宅になっている男性の家は、地震でとても住める状態ではなくなった。しかし離れてしまうのも防犯上の懸念がある。動こうにも動けないのだ。

 すぐそばに、地震によって、アスファルトの亀裂が異様にせり上がった道路があった。そのすさまじさに驚いていると、母と息子の親子連れに、「東京からわざわざ取材に来られたんですか?」と声をかけられた。厳しい状況の中にあるにもかかわらず、「ご苦労さまです」とまで言われると申し訳ない気持ちになる。
 この地域一帯は情報過疎でもあった。停電でテレビもつかないし、携帯電話の電波は微弱で、ネットで何かを検索してもらちが明かない状態だ。声をかけてくれた親子にも、地震をめぐる情報が十分に入っていないようだった。
 情報不足は人を極端に不安にさせる。僕たちがこの小川町に来る道すがら、いくつかのスタンドやコンビニが開店していたことを伝えると「じゃあ、行ってみようかしら」と心細げだ。「ありがとうございます」と言われ、こちらはますます恐縮してしまった。

 こうした地震の発災直後の数日間は、病気で言えば「急性期」だ。被災者は大きな混乱の中に放り込まれる。しかもこの暑さだ。
 被災から2日後の30日、避難所が置かれた八代市内の中学校を訪ねた。「10年前の地震をはじめ、台風や豪雨災害でいろいろと経験は積んできています。しかし、今回はやはり規模が違います」と、設営にあたる市職員は悩ましそうに語った。

 その時ちょうど、この避難所に5台の仮設トイレがトラックで運ばれてきた。避難中の複数の住民が協力してプールから水をバケツリレーで運び、移動式トイレに充填していた。水洗を機能させるためだ。

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 準備が整い、「仮設トイレが使えるようになりました!」と市職員がアナウンスすると、さっそく待ちわびた何人かが駆け込んだ。断水下では、トイレは切実な問題だ。水分をとること自体を我慢してしまうことで、熱中症の誘因にもなる。取材する我々クルーも、そのことは肌身にしみてわかる。状況が改善されたことにホッとしながら、中学校を後にした。

 そして向かったのが、八代市北部の鏡町だった。そこには言葉を失うような被害が広がっていた。干満差の激しい川の岸辺に基礎となる柱を据え付け、ちょうど川に張り出すようにして建てられた住宅が軒を連ねる。しかし、それらがほとんど崩れ落ち、川へと沈み込んでしまった家も目立った。
 住宅への被害が軽微でも、電気もガスも水道も使えない中での時間はきつい。ベランダで夜を過ごしているという70代の女性は、「地震発生の夜は1時間しか眠れなかった。2日目はそれでも多少は寝られたかな」と言う。そして発災から3日目の熱帯夜を迎えた。また暑さと蚊に悩まされる夜だ。満月だけが輝いていた。

 この鏡町から、中継リポートをした。見たままの街の惨状を伝えた。眠れない住民の声を伝えた。「災害は現在進行形で起きています」。僕の語彙力ではそう表現するのが精いっぱいだった。
 どんなに駆けずり回っても、我々が伝えられるのは膨大な被害のごく一部でしかない。それでも少しでも多くの現場を取材しなければならない。ずっとそこに暮らし続ける被災者の苦労を思いながら。

 「急性期」を越えても、被災地にはまた違った困難が待ち受ける。数日間は気を張っていられるが、むしろ落ち着いたところで一気に疲れが出るケースは少なくない。電気が通じ、水道が段階的に復旧しても油断はできないのだ。これからは、いわゆる災害関連死を防ぐ必要に迫られるフェーズに移行する。
 これからもできるだけきめ細やかに災害の現実を伝え続けたい。被災地は長丁場の戦いの入り口に立ったばかりである。

(2026年8月1日)

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