爆走する隣人と正常化バイアスと
2026年09月07日

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 「正常化バイアスと言うんでしょうか…」。
 北京にある日本大使館公邸で、金杉憲治中国大使が僕の最初の質問への答えとして選んだのが、この言葉だった。僕たち番組クルーが、北京取材の総仕上げとして金杉大使にインタビューしたときのこと。中国に対して日本人が抱きがちな心理を、大使はそう表現した。
 「我々(人間)はこうあってほしいというのを見てしまうところがあります。日本の方がいろんな分野で上なんだろうと思ってきましたが、実際来てみると(大使着任は2023年12月)そんなことはない。中国のイノベーションのスピードは、想像をはるかに超えていた。それが実感です」。

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 僕たちは8月下旬、2泊3日という日程で北京を訪ねた。北京はまさに「ロボット・ウィーク」のさなか。冬季北京五輪のスケート会場となったアリーナでは、AI(人工知能)搭載型の「人型ロボット運動会」が、また、市内の総合展示場ではロボットの「ワールド・カンファレンス」が開催されており、各企業が出展する最新のテクノロジーを一目見ようと、会場は異様なほどの熱気に包まれていた。

 AIは、文字やデータ、映像といった平面の世界を飛び越え、いまや3次元の存在になりつつある。自分で知覚し、判断し、行動する。失敗も糧としてあくなき学習を繰り返すこうした存在は、「フィジカルAI」と呼ばれる。
 そして、「フィジカルAI」の中でも、まさに人間がやってきた仕事をこなす人型ロボット(ヒューマノイド)がいよいよ実用化されつつある。この分野ではアメリカをしのぐとも言われる中国が、その実力を誇示するのが「ロボット運動会」というイベントなのだ。

 運動会の幕開けから、僕はいきなり度肝を抜かれた。人型ロボットの100mレース。去年は20秒以上もかかっていた(とはいえ速い)ロボットたちだが、最初のレースからもはや異次元の存在となっていた。目の前をグングン加速してゴールに向かって爆走していく。そしてタイムを見るとなんと9秒39。ウサイン・ボルトが持つ9秒58の世界記録をあっさりと抜き去った。その後のレースで記録はもっと更新されたらしいが、もう僕には十分だった。

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 そこで冒頭の金杉大使の発言につながる。
 AIはいまや産業革命をしのぐと言われる社会変革の中核であり、製造業に強みを持つ中国は「フィジカルAI」の開発で日本の一歩も二歩も先を行く。爆走するロボットを見て、僕は金杉大使が言うところの「正常化バイアス」を率直に修正せざるを得なかった。

 だが、今回の取材は、驚き以外にも胸を去来するものがあった。
 11年前に北京を取材したときは比較的自由に動けたし、街の情景を撮影するのも、市井の人々にインタビューをするのもほとんど制約を感じなかった。
 ところが今回はどうにも窮屈なものを感じた。北京の中心である天安門広場の前を車で通った時のこと、人民大会堂に「張り付く」ように設置された監視カメラの数に驚いた。そうした目で街を見ると各所にカメラはあり、日本から出張でわざわざやって来た僕たちテレビクルーの行動の一切を監視しようとすれば可能だと思われた。

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 最初は興奮した「ロボット運動会」についても、途中からやはり国家による「お仕着せ」感が付きまとった。国営放送の人気アナウンサーが進行を務め、中国全土に中継されるこの運動会は、ロボットの大群による一糸乱れぬ行進もあれば、途中でロボットと「人間の」一流プレイヤーによるテニスなどの余興もあり、入念な組み立てぶりである。100mや400m走では転倒して故障、火を噴くロボットも少なくないが、それすら運動会の呼び物であり、見る人の共感と笑いを取る要素となっている。
 国威発揚感が満ちあふれていた。ひねくれ者の僕には少し苦手な空気である。

 人型ロボットが働く現場も見た。コンタクトレンズやその関連商品を売る北京市内の無人店舗を取材すると、定位置で充電しながら注文を待つ一機のロボットがたたずんでいた。注文を感知すると棚に商品を取りに行く。アームに取り付けられたカメラで識別、器用につかみ出して所定のボックスまで運ぶ。仕事は正確だし、疲れ知らずだ。

 ただ、それを取りに来る配達員は人間だ。無人店舗に到着し、商品を受け取るとあわただしく配達へと出かける。何人も。その繰り返しである。その様子を撮影し終えて街に出ると、電気スクーターに荷物を載せた配達員の多さに改めて驚く。ロボットが涼しい場所で選別作業し、真夏の街なかで人間が汗を流す光景がそこにある。いずれは配達までロボットがこなすようになるのだろう。そうすると人間の居場所は?

 「フィジカルAI」の開発にまい進する中国は、そのこと、つまりAIが人間の仕事を奪うという現実が着実に進行していることに、やや無頓着なのではないかと感じた。インタビューした金杉大使も、そのことについては同意見だった。ただ、大使はもう少し踏み込んだ。これもまた日本人の対中感情に触れる話である。

 「日本にいると、中国が負う難しい部分、技術発展に伴う負の部分がともすれば強調されてしまいますが、やはり中国の社会が豊かになり、経済が拡大してきているのは事実です。中国のプラスとマイナスを十分勘案した上で評価し、対応していく必要があると思います」。
 中国がAI開発で先行していることは認めるが壁にぶつかる可能性が高く、技術開発と雇用などの社会政策のバランスに優れる日本がいずれ優位に立つのではないか…。僕の中にはまだそういう気持ちもあるのだが、これもまたある種の「正常化バイアス」ということか。

 わずか3日間の滞在で、しかも北京の一部を見ただけで巨大な中国を語ることなどできないが、一連の取材を通じて、感情やメンツに囚われることなく、多層的に相手の姿を知ることの必要性を痛感した。
 高市首相の台湾有事をめぐる発言以来、日中関係は冷え切ったままだ。そうした中で中国の習近平国家主席は、日本など眼中にないと言わんばかりに、アメリカのトランプ大統領とのシャトル外交を定着させる構えである。
 しかし、日本と中国は引っ越しができない隣人同士であり、アジア太平洋地域の平和と安定にとっての重要なプレイヤー同士だ。共存共栄を図るのには十分すぎるほどの理由がある。

 対話が必要だ。その仕事はAIにはできない。そろそろ政治の出番だと思う。

 (2026年9月7日)

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