マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
-
#27「衣装準備の3本柱」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#26「衣装もGAPが大事」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#25「キャラづけしたいだけなのに」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#24「ヒトが見たい…?」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#23「ベテランからの意見?」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#22「キャスティングってどうするの?」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#21スピンオフ「クランクアップ後の世界」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#20スピンオフ「クランクアップでの懸念」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#19スピンオフ「ドラマ監督あるある」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#18スピンオフ「髪を切るタイミング」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#17スピンオフ「仕事が捗る場所ベスト3」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#16スピンオフ「いま、ドラマ中でして…」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
-
一色香澄(Daily logirl #172)
一色香澄(いっしき・かすみ)2010年10月3日生まれ。 Instagram:kasumiisshiki_official 撮影=石垣星児 ヘアメイク=ACO 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
-
竹下優名(Daily logirl #171)
竹下優名(たけした・ゆうな)2010年1月14日生まれ。東京都出身 Instagram:yu_na0114.official 撮影=時永大吾 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
-
穂刈 優(Daily logirl #170)
穂刈 優(ほかり・ゆう)2010年6月15日生まれ。神奈川県出身 Instagram:hokari_yu 撮影=時永大吾 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
Dig for Enta!
注目を集める、さまざまなエンタメを“ディグ”!
-
H1-KEYはなぜ“K-POP界のアベンジャーズ”? 4人が持つ能力と特別な関係
2022年にデビューしたK-POPガールズグループ・H1-KEY(ハイキー)の魅力は、高い歌唱力と圧倒的なパフォーマンススキル、そして4人のメンバーによる息の合ったステージングにより、幅広い音楽ジャンルを彼女たちの色に染め上げることができるところだ。 今回は日本で初のリリースイベント、そして音楽フェス『XD World Music Festival』出演で来日した4人に、彼女たちの多彩さがたっぷりと詰まった最新作『LOVE or HATE』にまつわるエピソードや、“H1-KEYらしさ”について語ってもらった。 目次グループのイメージを覆す“挑戦”違うところで育った4人がひとつになったK-POPの“スタンダード”になりたい グループのイメージを覆す“挑戦” ──まず初めに、3rd Mini Album『LOVE or HATE』について改めて紹介してもらえますか? ソイ 今まで私たちが歌ってきた曲は、前向きなメッセージが込められている明るい内容がメインでしたが、今回のアルバムは打って変わって“反抗的な学生が結成したスクールバンド”というコンセプトで作ったものです。なので、歌詞もストレートでアグレッシブなものになっているぶん、新しい姿をお見せできたのではないかと思います。 リイナ もともと私たち自身、ガールクラッシュなコンセプトがずっとやりたかったので、『LOVE or HATE』でまさに念願が叶った感じでした。 ソイ 「これは私たちにとって新たなチャレンジになる」って、すごくうれしかったよね! ただ、みなさんがH1-KEYに寄せている期待を覆すものでもあるので、どんな反応が返ってくるかということは正直なところ少し心配でもありました。 ソイ ──これまでのH1-KEYのイメージをアップデートするようなスタイルですね。タイトル曲「Let It Burn」は、まさにこのアルバムを象徴するようなナンバーです。 イェル 初めて聴いたときはすごく私たち好みだなと感じましたし、ギャップを見せられる曲だなと思いました。 フィソ 歌詞も、あまりアイドルが歌わないような表現だからすごく特別な感じがしたよね。「氷が溶けてしまったアイスティー」や「“チャギヤ(愛する人を親しみを込めて「ダーリン」「ハニー」と呼ぶ際に使う韓国語)”、愛してる」、「心が焦げて灰になってしまっても」とか。 イェル 振り付けも挑発的な歌詞に合っていて、すごく気に入っています! 違うところで育った4人がひとつになった ──ほかの収録曲も聴き応え満載なものばかりですが、特にファンの方々にとって特別な曲になったのは、メンバーのみなさんが作詞に参加された「♡Letter」なのではないかと思います。 フィソ 「♡Letter」の歌詞はそのタイトルどおり、作詞をするというよりは、メンバー同士お互いに向けて手紙を書くつもりで作り上げたものなんです。なので、私たちがどんな気持ちで向き合っているかということが表れていて、すごく美しい曲になったと思います。 イェル メンバーのお誕生日に手紙を贈り合ったりもするのですが、そのときとはまた違った感じでした。大変だった時期のことを思い返しながら、それを乗り越えたことへのお互いに対する感謝を込めて書いたので、この曲を聴くだけで涙が出そうになります。 ソイ 「私たちはすでにひとつ」という歌詞があるのですが、それぞれが違う環境で育ち夢を抱いていた4人がひとつのチームになっていく過程で、お互いに近づいていったH1-KEYらしさがよく表れている箇所だと思います。 リイナ そうだよね。それから「これは夢のような現実」という歌詞は、もともと違うものを持っているお互いが今では不思議なことに似たところもたくさんできたという私たちの、信じがたいくらい特別な関係性を伝えるフレーズです。 リイナ ──「それぞれが違う環境で育った」とは、どういうことなのですか? リイナ H1-KEYは、違う事務所の練習生だった4人が集結して結成したグループなんです。 ソイ そう。だから自分たちのことを「“アベンジャーズ”みたいなチーム」と呼んでいます。全員のキャラクターが明確だし、特色もまったく違うから。 ──“K-POP界のアベンジャーズ”であるH1-KEYは、どんな能力を持ったメンバーが集まっているのでしょうか。まずはリーダーのソイさんについて、教えてください。 イェル 私たちのリーダーであるソイさんは、とにかく歌声が特別。いつも「この曲をソイさんが歌ったら、どんな雰囲気になるかな」って考えますし、想像力を掻き立ててくれる声だなって思います。見た目と歌声のギャップも、魅力的です! フィソ ソイさんは、「これをやり遂げるぞ」って一度決めると目の色が変わって、目標に向かってまい進する情熱的な人です。一方で、たとえまわりが浮足立った状況でも、しっかりと自分のペースを保てる冷静さも兼ね備えています。 ──続いて、フィソさんについてご紹介お願いします! ソイ まずは歌声。どんなジャンルの楽曲でも自分のものにできる、宝物のような声ですね。 イェル さっきソイさんを紹介するときは「『この曲をソイさんが歌ったら……』と想像力を刺激する声」とお話ししたのですが、フィソさんは「この曲はフィソさんが歌えばこうなるだろう!」とはっきりイメージできるほど、個性が明確な歌声の持ち主です。その魅力が最大に発揮される音域帯というのもあるのですが、曲の中でパートが近づいてくると「来るぞ~!」と期待してしまいます。 ソイ ステージ上ではカリスマを発揮しているのですが、性格的にはとてもシャイで、情に厚く優しさにあふれているところも愛らしいです。 ──では、イェルさんは? ソイ グループの末っ子なので、以前は「子供みたいでかわいいな」と思うことも多かったのですが、特に『LOVE or HATE』の成熟したコンセプトがすごくマッチしたのか、最近はお姉さんに見えます。性格もサバサバしていてしっかりしているので、年上である私にとっても頼りがいのあるメンバーです。 フィソ 大きな心を持っていて私たちお姉さんメンバーの面倒もよく見てくれる、まるで長女のような存在です。 ソイ (じっとフィソを見つめる) フィソ ……もちろん、本当の長女はソイさんだよ(笑)! 安心して! 一同 (爆笑) フィソ それからイェルは伝統的な舞踊を習っていたというバックグラウンドがありつつ、ヒップホップの感性も持ち併せているところが特別だと思います。 ──では最後にリイナさんについて。 ソイ クールでチルで、芯がしっかりしている人。私は「誰かに頼りたいな」というとき、真っ先に思い浮かぶのがリイナですね。清純な見た目とハスキーボイス、しっかりとした性格とユーモアセンス……と、本当にたくさんの素晴らしいところを持ったメンバーです。 イェル いつも一生懸命なリイナさんは、日本語の勉強も熱心で、実際にとても上手ですよね。そんな姿を隣で見ていると「私もがんばろう」って思えるので、とてもありがたい存在です。 K-POPの“スタンダード”になりたい ──お互いをリスペクトし合う関係性がとても伝わってきました。それでは、ここからは今後のH1-KEYについてお聞かせください。いよいよ『LOVE or HATE』発売イベントで初めて日本のM1-KEY(ファンネーム)と対面を果たしますね(※取材はイベント開催前に実施)。今のお気持ちは? イェル 『LOVE or HATE』で新しい姿に変身したH1-KEYを、日本のM1-KEYに直接お見せできるのが本当に楽しみです! イェル ソイ 私、すごく気になっていることがあるんです。日本のM1-KEYはいつも、かわいい私たちの姿を好んでくださっているような気がするので、今回のような“ちょっと怖いお姉さん”なH1-KEYを気に入ってくださるかなって。よいリアクションをいただけたらうれしいですね。 ──リリースのたびにいろいろな姿を見せてくれるみなさんに、日本のM1-KEYも魅了されていると思います! では最後にこれから先、達成したい目標を教えてください。 ソイ 今後も日本のM1-KEYに会える機会がたくさんあることを願っていますし、少しずつM1-KEYが増えていけばいいなと思います。ゆくゆくは東京ドームでみんなで一緒に楽しめる日が来たら幸せですね。 リイナ 日本デビューは絶対に叶えたいです。私は日本語の勉強を一生懸命がんばっているのですが、特にバラエティ番組がすごく役立つのでよく観て学んでいます。参考になる上に、とてもおもしろいから。なので、いつか私たちも出演できたらいいなって思っています! あと……小さい役でもいいのでドラマや映画に出演したり、演技のお仕事もやってみたいですね。 フィソ チームとしての目標は、ふたりもお話ししてくれたように日本での活躍をもっともっとすることと、そして『コーチェラ』出演です。個人として夢見ているのは、今一般的に知られているボーカリストとしての魅力だけでなく、実用舞踊科出身ならではのダンスパフォーマンスにおける実力もみなさんにお伝えしたいということですね。 フィソ イェル まずは、私たちが「K-POPとはこういうものだ!」ということをこの世界に知らしめたいです! 一同 おお〜! ソイ ちょっと怖いんだけど(笑)! イェル (笑)。でもそれくらい、H1-KEYのパワーを多くの方に知っていただけたらいいなと思っています。もちろん、M1-KEYが見たい私たちの姿もしっかりお見せしたいですね。それから、私自身はダンスやラップだけでなく作詞作曲もできるし、本当にいろいろな才能を持っているので、これからいろいろな魅力を発揮していけたらいいなって。 あとは、メンバー全員がそれぞれ違うブランドのアンバサダーを務めていたらカッコよくない? ソイ めっちゃいいと思う! 私は、日本のCMに出演することが夢です。私たちは、日本の映像の感性にもバッチリ合うと思いますよ〜(笑)! フィソ 「Let It Burn」には「アイスティー」って単語が出てくるし、お茶のCMとかよさそう! ──みなさん、アピールがすごくお上手ですね! リイナ はい(笑)! ひとつでも夢を叶えていけるようにがんばりますので、これからもたくさんの応援をよろしくお願いします。 編集・文=菅原史稀 撮影=山口こすも
-
NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき
平中悠一。高校在学中に執筆した小説『She’s Rain』(1985年/河出書房新社)が「文藝賞」を受賞、1984年に作家デビュー。その後『Go!Go!Girls(⇔swing-out Boys)』(1995年/幻冬舎)、『アイム・イン・ブルー』(1997年/幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(2000年/河出書房新社)などの著作を重ねてきたが、デビューから約40年の間に、エッセイや翻訳なども含め出版された単行本が計15冊という寡作な作家。その平中が、今春『シティポップ短篇集』(2024年/田畑書店)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』(2024年/田畑書店)という2冊の書籍を上梓した。しかも『「細雪」の詩学』に至っては、東京大学大学院にて執筆した博士論文がもとになっている学術書だという。 現在『logirl』のプロデューサーを務めている私自身、デビュー作から追っている作家のひとりで、2作品の同時出版というニュースを知ったときはテンションが上がった。 今回、平中に近著の2作品に関する話を聞くことになったのだが、作品内容だけにとどまらず、本人のスタンスの変遷(=変わらなさ)に関する見解にまで話が及んだ。そこにはタイムリーな「NewJeans」(2022年7月にデビューした、韓国の5人組ガールズグループ)の話題なども加わることに。 ──『シティポップ短篇集』を編纂するにあたっての企図をお伺いできればと思います。 平中 本書のライナーノーツ(解説)にも詳しく書いていますけど、近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃなくて、もともと1980年代にはこのシティポップという言い方はあまり使われてなかったんですが、僕のデビュー作『She’s Rain』が出版されたのは1985年なので、結果的には、僕自身がちょうどいわゆるシティポップの時代に重なるんですよね。 デビュー作の中では、ドビュッシーとかラヴェルとかも書いていますが、実は一番いい場面では登場人物たちは山下達郎を聴いているんですよ、あの小説って。まさにシティポップの真ん中の時代で、シティポップ小説という考え方はなかったけれど、今、回顧的にシティポップと呼ばれているような音楽が出てきていたように、当時すごく都会的な小説もいっぱい出てきていたから、それをまとめたらいいんじゃないかと思っていたんです。 「こういうのをまとめたら、いいものできるよ」って、当時、編集者に言ってはいたんだけど……僕がまとめるという考えはなかった。それを、今ならまとめられるんじゃないかなと思って、作ったんですよ。 「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。 僕自身、もともとシティポップ音楽も好きで、シュガー・ベイブや大貫妙子、ティン・パン・アレー系とか大瀧詠一、そういうのを好きで聴いていて、近年のシティポップの流行はアジアからの逆輸入ともいわれていますけど、、日本の1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の空気感が、経済発展してきた今のアジアの空気にピタッとはまったんだと思うんです。 だから日本のシティポップがオリジナルだからすごいということと同時に、アジアの全体が元気になって、前向きになってきて、1980年代の日本のポジティブで都会的なセンスが共有されるようなってきた。インドネシアにしろタイにしろフィリピンにしろ、最近すごくいいですよね、ポップスがね。 シティポップの話題から、アジア全体のポップスの話へと。平中とアジアンポップスとの邂逅についての話が続く…… 平中 僕は1990年代に入って、ほとんどJ-POPを聴かなくなっていたんだけど、たまたまスカパーをつけたら韓国のチャートをやっていて、すごくおもしろくてびっくりしたんです。それが1998年くらい。そこからK-POPを聴き始めることに。 2、3年後には韓国語もだいたい話せるようになるくらいハマったんですけど、これには自分でも驚きました。最初にトランジットで韓国へ行ったとき、キンポ(国際)空港でソバンチャの3人が歌っているのをテレビで観て、強烈な印象を受けていましたから。それがわずか10年で、ここまでかっこいいポップスをやるようになるとは想像もしませんでした。 1988年のソウルオリンピックのころまでは、韓国は今の北朝鮮のような感じで閉じられていて、日本語も英語も全部放送禁止だった。その後、解放が始まって……最初にキム・ゴンモあたりがレゲエから入ったんですよね。冷戦時代の西側・東側的な政治性から少し離れてるじゃないじゃないですか、レゲエって。だから外国のポップスでもレゲエならいいでしょということで。 僕が一番聴いていた2000年……BoAが出てきたころでもまだ、韓国ではポップスで一番過激なのはロックとヒップホップだといわれていたんですよ。 ヒップホップはメッセージ性もあるし、まだわかるんです。でもなんでロック?なのかというと……ロックはアメリカ文化の典型なので、一番厳しかったみたいなんです。最も反体制的、という感覚があったみたい。 その後、キム・デジュン(大統領/当時)のころから、日本は「侍の、武士の国、武力の武の国」であるけれど、韓国は「文人の国、文の国、文化の国」であるという自己規定をして、カルチャーへ予算をドンと入れていくんですが、2003、4年くらいからK-POPもあんまり僕はおもしろくなくなっていくんです。 なぜかというと、そこまでは、キム・ゴンモからあとも、たとえばパク・ジニョンとか、R&Bというのはこういう音楽ですみたいな……本物志向がすごく強かった。ミュージシャン自身が自分で一番いいと思う音楽をやろうとしてたから……ちょうど日本の1980年前後のシティポップ黎明期のようにね。すごくおもしろかったんです。 それが2003、4年くらいになってくると、もうちょっと売れる感じ……韓国の伝統歌謡、歌謡曲のちょっと下世話な感じまでを取り入れる……ちょっとお色気も入れて、みたいな感じになってきて、ポップな感じとズレていくんですね。結果、どれを聴いても全部おもしろい、というそれ以前のようなよさはなくなってきて。 結局、そのころ、僕自身、ちょっと日本を離れてしまったので……そのあと、日本で韓国の子たちが売れたでしょ? KARAとか少女時代とか、いっぱい。そういう話自体は聞いてたんだけど、あのあたりは全然、僕は知らなくて。だからK-POPファンをやっていて、一番日本で盛り上がっておもしろかっただろうなというあのころは全然知らないんです(※2005〜2015年、平中はパリに住んでいた)。 とまあ、そんな感じだったんですけど……昨年の暮れぐらいからNewJeansを、最初はInstagramのリールか何かでアメリカ人がカバーしているのを聴いて「誰これ? カッコいいじゃん!」と思って調べたらK-POPだっていうから、びっくり!して、原曲を聴いてみたらすごくよかった。 最初に気がついたときは年末くらいだったから、もう『Ditto』が出ていたころだったかな? まずは『Ditto』をすごくいいと思ったんだけど、その前の曲も、『Attention』とかすごくコード進行がジャジーでおもしろいなと思ったりもしたんです。 『Ditto』のときから「あれ? けっこうすごい!」と思っていたんだけど、やっぱり2枚目のEPが出たときに『ASAP』のMVとかを観ると、もう完全に雑誌『Olive』の世界なので……改めてびっくりして、これ『Olive』じゃん!と思って。 マガジンハウスから刊行されていた人気雑誌『Olive』(1982年〜2003年)。その独特な世界観をベースにした編集から根強いファンを持ち、休刊から時が経った現在でも、いまだに回顧系の関連書籍などが出版されている。平中も、かつてこの『Olive』で連載を持っていた 平中 僕は、もともと『Olive』が好きで、デビュー作も『Olive』の読者が想定読者だったんです。デビュー後には『Olive』で声をかけてもらい、結果、連載までやらせてもらいました。もちろん今のNewJeansを作っている人たちは『Olive』には気がついていないだろうと思うんですよね。勝手にやっていると思うんです。自分たちのオリジナルとして。 だけど日本では1980年代のバブルのころに『Olive』みたいなものが出てきていて……当時の読者だった女性からは『Olive』が出てきてどんなに救われたかっていう話を、今でもよく聞くんです。僕自身が『Olive』で書いていたから。 当時の赤文字系雑誌の『JJ』(光文社)や『CanCam』(小学館)は、あくまでいかに男の子にウケるかを考えるということをやっていたんだけど、『Olive』は男の子がどうとかとは関係ないんだ、自分たちがかわいいと思うものがかわいい、かわいいものは全部つけちゃう!みたいな雑誌だった。僕はそれを見ていて、かわいいなぁと思ったわけです。 だから実際に今、NewJeansを見て、あの子たちが自分の好きなものを「ほら、これもこれも!」「これかわいいでしょ、これもかわいいでしょ!」っていうようなあの感じ……あれは当時『Olive』を見ていた感じに、すごく近い。 なるほど、『Olive』とNewJeansの親和性、その世界の中で自律的に自己完結しているというような。その場合、『Olive』読者もBunnies(NewJeansのファンネーム)も、等しくその世界を見つめることに終始することになる。話は、その眼差しに及んでいく…… 平中 1980年代はそういう意味でいうと、ポストモダンの時代でもあったのね。パフォーマティブとかディスクール、コミュニケーションとかそういうものが、すごくプロモートされていた。パフォーマティブでコミュニカティブでないものはだめだ!と否定されてしまうくらい……。でも、すごく豊かな時代というか、多様性が許容できた時代だったということもあると思うんだけど、『Olive』みたいな真逆のものも実はあった……要するにパフォーマティブとかコミュニケーションの基本って、相手に影響を与えようという意図を持って働きかけることで、それが『Olive』の場合、自分がかわいいと思えば、もうそれでいいわけです。人がどう思うかなんて、どうでもいい。そういうものも、パフォーマティブの時代だと思われていた1980年代にちゃんと日本に出てきていた。 そう考えると、シティポップみたいなものがアジアでウケてきている今、NewJeansのようなものが出てくるということは、日本の1980年代を重ねてみると、ひとつ読み解けるんだよな、と。 NewJeans『How Sweet』 日本デビュー曲の「Supernatural」では1980年代に生まれ大ヒットしたニュージャックスイングのスタイルを採用。完全に狙ってる? さらにここから「ノン・コミュニケーション理論」が主体を成す『「細雪」の詩学』へと話が進んでいく。平中の感覚の中でそれぞれの要素がきれいにリゾりながら展開していくさまは、まるで魔法にでもかけられているような気持ちになる。 平中 NewJeansを見ていてなるほどと思ったのは……ちょっと前提から話すと、僕も1980年代に仕事をしていたので、そもそもコミュニケーションが一番大事だと思っていたんだけど、その後、フランスへ行って「ノン・コミュニケーション理論」という、小説はコミュニケーションじゃないという考え方を知ったんです。 ところが日本語というのは、実はコミュニケーションじゃない言葉遣いを失っている。すべてが“言文一致”……話すように書くことで、書き言葉とコミュニケーションの口語を一致させるようになっているので、コミュニケーションじゃない言葉が見えなくなっている。なので、特にわかりにくくなっていると思うんだけど……もともとは“物語”ってコミュニケーションではなくて、別世界なんですよね。たとえば子供に「おじいさんとおばあさんがいました……」というのは、全然別の世界の話なわけです。物語には、そういうところがそもそもあって、これはコミュニケーションでもなんでもないはずなんです。そういうところが今は全然捉えられなくなっています。 ドキュメンタリー番組での「今日は村人たちのお祭りだ」みたいなやつ……ああいうのはフランス語なら、コミュニケーションではなく“物語”なわけです。でも日本のアナウンサーの人たちってそれを一生懸命コミュニカティブに伝えようとしますよね。真逆のことをやっているんです。文章自体は、すっと人から離れたひとつの物語になろうとしているのに、それをコミュニカティブにしようということをやっているので、すごく無理があるんですよね。 フランス語だったら、パッセコンポゼ(複合過去)という日常の会話と、パッセサンプル(単純過去)という、文章でしか使わなくなっている古文のような書き方があって……で、フランス人って、子供におとぎ話を語るときはパッセサンプルなんです。それですっと物語の世界に入っていける。言葉にはコミュニカティブな面とそうでもない面があるということに気がついたのはエミール・バンヴェニストなんだけど、それが本になるのは1960年代以降です。 日本で“言文一致”運動が始まったころにはフランスでもまだ周知されてなかったことなので、現代の日本語に“物語”の言語が確立されていないのは仕方がないところもある。そんななかで、日本の小説家たちはいろいろ工夫してがんばったと思います。 小説というのも“私とあなた”の間のコミュニケーションとは違うところにある“世界”を見せてくれるところが、実はすごくおもしろい。 『細雪』(谷崎潤一郎/1943年〜1948年)なんかはその典型なのだけれど、自分の人生とは別のラインで4年半の時間が流れていて、読んでいると自分の人生がそこのところだけ二股に分かれるみたいな感じがある、別次元のような。なぜそれができるのかというと、別の世界がそこにあって、読者はその世界をのぞき込むように経験するから。 僕の『「細雪」の詩学』では、アン・バンフィールドの「ノン・コミュニケーション理論」に関係して、ヴァージニア・ウルフを紹介しているのだけれど、ヴァージニア・ウルフは意識的にノン・コミュニケーションの小説を書こうと思ってすごく苦しんだ人なんですね。 文章の中にノン・コミュニケーションの部分があるというのはいえるとしても、それだけで1章、2章……と作っていくのは難しいんです。ウルフは『灯台へ』(1927年)でまったく人称性のない章を書いていますけど(第2章)、実はあれはすごく大変で、彼女の日記を見ると、ものすごく苦しんでいるのがわかる。 僕自身の話でいうと『She’s Rain』を書いたときに江藤淳先生から「街の情景の部分が新しいので、あれをもうちょっと発展なさったらいいと思いますね」と言われたので(『She’s Rain』の前日譚になる)次作の『EARLY AUTUMN アーリィ・オータム』(1986年/河出書房新社)のときに、意識的に街の情景を描いてみたんです。カメラアイを用いて街の情景を書いて……ずっと街の情景が続いている中に、人物のセリフがぽっと入る。 映像的にいうと……人物たちが遊んでいるようなシーンに、その画とは関係なしに人物たちの声でナレーションが入るかたちがあるじゃないですか……あれをやりたかった、文章で。 文章でぎっしり4ページくらいはいきたいなと思って書いていたんだけど、全然無理、続かない。やっぱりカメラアイでずっと書くことはすごく大変なんだなと思ったことがあって……ウルフのそういう日記を見て、ああそうだ、これって難しいんだよなと。 ウルフの書いたエッセイには、バンフィールドも取り上げている『The Cinema』(1926年)というのがあって……映画って“中の人たち”は見られていることに気づいていないわけです。こちらを見ない、“こちら”があるとも思っていない。見ていることに気づかれることもない状況でこそ、初めて何か真実の姿が現れる、と言うんですね。 たとえば、映像の中で波が来ても自分の足が濡れることはないし、馬が暴れても蹴られることはない、結局のところ自分たちとは別の世界、逆にこちらの手も届かない世界で起こっている出来事がそこには捉えられている。だからこそ自分たちの日常を離れて、客観的に何か真実が見えてくるというのを『The Cinema』では“映画の美学”として考えている。 そういうものを、ウルフは自分の小説でなんとかやろうとしたんだと思うんです。「ノン・コミュニケーションの美学」はそこにあって、NewJeansの「Bubble Gum」(2024年)とか「ASAP」(2023年)のMVを観ていると感じるのは、そういうもの。こっちで見る者のことを全然意識していない世界が強調的に描かれている。ステージでの「Bubble Gum」のイントロで演じられる小芝居なんか、典型的です(カメラを鏡ということにして、誰にも見られていないていでメンバー同士の内輪の会話が演じられる)。 「ノン・コミュニケーション理論」とNewJeans……コンテンツへの私たちの接し方を考えると、それもあり得る話に思えはするものの、接し方ではなくコミュニケーションという視点に変えることで、モノではなく人、世界になっていく。NewJeansから、話はさらに進む。 平中 若い女の子を眼差しによって消費するのではなく、少女たちに眼差されることがない自分を儚む、みたいな捉え方もあると思うけど、僕はちょっと違って、少女たちがこちらを見返してくれる必要を僕はまったく感じないので……見返されても困るし、持て余しちゃう。あの子たちがああやって遊んでいるのを見て、みんながおもしろいと言って……たぶんそこにはいろいろな楽しみ方があるし、彼女たちの仲間になれる人もいるし、彼女たちに共感したり自分を投影する人もいるだろうし、僕みたいに全然別の“楽しそうだなぁ”と思って見ているだけで自分も楽しくなっちゃう人もいる。そこはやっぱり人によって違うと思う。 ただ僕は、NewJeansを見たときに、これって『Olive』だよね。で、これが『Olive』だということは、NewJeansのこういうノン・コミュニケーション的なところを考えると『Olive』って「ノン・コミュニケーション理論」だったんだよねと思って。 『Olive』からのNewJeans、「ノン・コミュニケーション理論」からのNewJeans、そして『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」、一見すると単なる三段論法のようにも思えるが、深く聞いていくと同じ地平でつながっているのは間違いないことに気づかされる。そしてNewJeansを橋頭堡として、そこへ「シティポップ」もつながってくる。 これはまさに今起こっていること……ここへさらに平中自身の縦軸、デビュー作『She’s Rain』がたどり着いた場所(それは換言すると“普遍性”でもあるのだけれど)の話が続く。 『She’sRain』 装丁はオサムグッズの原田治 平中 僕はずっとこれをやっているんだって、実は最初(デビュー作)から。結局そこで、僕はその子たちに見つめ返されたくない。見つめ返されない自分を悲しむとかはないわけです。なぜかというと、本当に高校生のときから僕はこの子を汚さないというのが僕の考えなわけだから。もう全然、けっこうなわけです。 だから、くるっときれいにつながってくるので、『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」がNewJeansを介して通じたときに、自分がやっていたことが、くるっときれいにつながった感じがしたんです。だからバラバラないろいろなことをやっているようだけど、最終的に僕はそういうことがやりたいんだと思って。 デビュー作『She’s Rain』では、ユーイチとレイコというふたりの高校生の恋物語が描かれる。今風にいうなら“煮え切らない”ように見えるユーイチが抱いているレイコへの思い「僕は、ほんとに好きになったら口説かないでおく。そのコのこと大切に思うから。(中略)そのコをずっと素的なままでいさせてあげる自信なんて、ない」「素的な、一人で歩いて行ける女のコのままでいて欲しい」「束縛したくないんだ(中略)つまんない女のコにしたくないんだ」(『She’sRain』より抜粋)この言葉が、まさにスタンスを体現している。 約40年が経って、改めて変わっていないことに気づかされる、それは自分の志向性が間違っていなかったという自己肯定でもあるのだろう。 取材・文=鈴木さちひろ 平中悠一(ひらなか・ゆういち) 1965年生まれ、兵庫県出身。小説『She’s Rain』で1984年度・第21回「文藝賞」を受賞しデビュー。『それでも君を好きになる』(トレヴィル)、『アイム・イン・ブルー』(幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社)などの小説、『ギンガム・チェック Boy in his GINGHAM-CHECK』(角川書店)などのエッセイの出版のほか、『失われた時のカフェで/パトリック・モディアノ』(作品社)等の翻訳も手がける。 2024年4月『シティポップ短篇集』(編著)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の2冊の書籍を田畑書店から上梓。HP:http://yuichihiranaka.com 『シティポップ短篇集/平中悠一編』(田畑書店) 「1980年代、シティポップの時代」を彩った7人の作家による9つの物語を、自らも小説家である平中悠一が編纂。 (収録作家:片岡義男・川西蘭・銀色夏生・沢野ひとし・平中悠一・原田宗典・山川健一) 平中「読んだあと味がいい……希望が持てる感じかな。1980年代の感覚ってひと言でいうと、大貫妙子さんのアルバムタイトルにもあった『Comin’ Soon』。今にいいことが……一番いいものはこれから来るよみたいな感覚。それがなんだったの?と言ったら何もないまま終わっちゃった、巨大な予告編のようなところもあるのだけど。もっといいものが来るよと思いながら生きていく感じ。そういうあのころの気分のある小説、なにかしら夢が持てる、希望が持てる感じの作品を選びました。 これを僕がまとめなかったら、たぶんまとめられないまま終わっちゃう。ここでいっぺん、こういうものも80年代にはありましたよということをまとめておいたら、いつか誰か拾ってくれるかもしれない。そのときにまた、日本の状況がもうちょっとよくなっていたりしたら……そういう“壜(びん)の中のメッセージ”、タイム・カプセルでもあるんです」 『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み/平中悠一』(田畑書店) 谷崎潤一郎の「細雪」を、日本では初の試みとなる「ノン・コミュニケーション理論」を用いて解析。三人称小説の在り方、文学作品の客観的な読み解き方を考察する。小説家である平中悠一の、東京大学大学院での博士論文を書籍化。 平中「三人称の小説を自分ではうまく書けないっていうのがまずあって。三人称の小説が一番本格的であるという話もよく聞くし、でも日本語で書かれた三人称の小説は、どうもどれもしっくりこないというか……どうも読んでて三人称ごっこみたいに見えちゃう感じがあるのに『細雪』だけは違和感が何もなくスーッと読めるので、なんでだろう?と。どこが違うんだろう?って、ずっと謎だった。『細雪』という小説自体、どうやって書いたんだろう?というのが全然わからなくて。それが『細雪』を研究のモチーフにしたきっかけです。そこから「ノン・コミュニケーション理論」の勉強を始めて……もしこの理論が使えるようになったら絶対おもしろいことになるぞ、と思ったんです」
-
K-POPの名MC・古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学”
古家正亨(ふるや・まさゆき) 1974年生まれ、北海道出身。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了。ラジオDJ、テレビVJ、韓国大衆文化ジャーナリスト。年間200本以上の韓国アーティスト・俳優イベントのMCを務める。NHK R1『古家正亨のPOP★A』、ニッポン放送『古家正亨 K TRACKS』、テレビ愛知『古家正亨の韓流クラス』などのレギュラー番組でも活躍中 K-POPが好きな人なら、一度は「古家正亨」の名を耳にしたことがあるだろう。数々の韓国アーティスト・俳優による来日イベントなどでMCを務める古家は、ラジオDJそしてジャーナリストとして、長年、韓国大衆文化と併走してきた。 今回は、そのたしかな知識とカルチャーへのリスペクトを感じさせるトークで、ファンそしてスターたちからも厚い信頼を集める彼の職業観を聞いた。 現地での実体験でしか得られないものがある 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』 ──2024年4月に新著『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA)を刊行されました。本書ではK-POPの最新シーンはもちろんのこと、韓国芸能が国外へ受容されるまでの道のりもわかりやすく綴られていますが、なぜこうした内容を発信したいと思ったのですか。 古家正亨(以下、古家) まず、僕の中では日本におけるK-POPの展開って、KARAや少女時代が日本に進出した2010年前後である程度広がりきったと思っているんですね。逆にいうとそこまでのプロセスが大事で、それ以降はひとつのムーブメントとして定着していったといえる。 その一方、最近のK-POPシーンについては多くの方がご存じですし、記録としてもいろんなかたちで残っているけれど、当時の細かい事象についてはあまり知られていないように感じるんです。 ──“細かい事象”というと、どのようなものが挙げられますか? 古家 たとえばCDショップのK-POPコーナーに行くと、アルバムパッケージの形がすごく多様だと気づかされます。正方形のスタンダードな形態だけでなく、すごく大きいものや細長いもの、本型もあれば箱型もある。 なぜこうなったのかという背景にはさまざまな要因がありますが、よくいわれているのは「韓国では芸能事務所が作品プロデュースを徹底していて、アルバムのデザインワークにもこだわっているから」ということですよね。 でも僕の目には、別の理由もあるように映っているわけです。というのも、CDの売り上げが下降していった時期に、韓国ではCDケースのメーカーが次々に倒産してしまい、国内生産が難しくなっていたんです。そこで仕方なく、代わりにDVDのパッケージが使われ始めたんです。 それ以降、CDの形態が画一ではなく、いろいろなものが出始めて、見た目の自由度も増していった……というのがそもそもの経緯なんですね。 ──そんな事情があったんですね! 古家 もともと僕は大学卒業後にカナダへ留学して、そのときに韓国人留学生の友人から聴かせてもらったK-POPがきっかけで韓国の音楽に傾倒していったんです。 ラジオDJとして活動しながら「自分の好きな韓国の音楽についてもっとみんなに知ってもらいたい!」と流行歌を紹介したりしていたわけですが、今とは違って当時はインターネットも普及しておらず、現地のトレンドを把握するのがすごく大変だった。なので自ら韓国のCDショップへ足を運んで、音源をチェックするしかなかったんです。 その時代の日本は、ほかのアジア諸国を軽視するような風潮がありましたし、韓国カルチャーの発信に積極的なメディアも少なかったので、僕の活動を認めてくれる人も少なかったですし、渡韓費用もCD代もすべて自腹でした。 そんな時代、韓国のCDショップへ行くたびに、個性的な形のCDが少しずつ増えていき、知らず知らずに(ショップ内で)やたら足を(CDに)ぶつけるようになっていったわけです(笑)。 さらに時が経つと、今度は三角形のアルバムパッケージなんかも登場して(miss Aの『Bad But Good』)。日本ではそんなケースが少なかったので「なぜだろう?」と思い、関係者に聞いてみると、先ほどお話ししたことがわかったんです。 miss A『Bad But Good』 ……話が少し長くなってしまいましたが、あるムーブメントを捉えるにおいて、実体験を通じて新鮮に感じたことや疑問に思ったことを調べる、ということの繰り返しでしか見えてこないことってあるんですよね。なのでそういう経験を通じて、この目で見てきた“細かい事象”を伝えたいという気持ちがあるんです。 ──どこにいながらも世界中の最新曲がチェックでき、現地メディアのレポートが即日多言語でアップされるようになって久しい今も、その考えに変化はありませんか? 古家 そうですね。昔は「若者の間で流行っている音楽を知るには、明洞(ソウルの繁華街)を歩け」といわれていましたが、最近は好みや音楽ジャンルが多様化して、そうはいかなくなりました。 ソウルの若者の遊び場も、かつては一極集中だったのが、今ではいろいろなところに広がっています。それぞれの場所で流れている音楽も、たとえば芸術系大学エリアの弘大はインディーズミュージックの中心地ですし、名門大学エリアの梨大や新村では日本のシティポップが流れていたりする。 日本で「韓国の音楽」といえばアイドルが中心ですけど、韓国本国では2010年以降音楽の多様化が一気に進み、さまざまなジャンルのアーティストが音楽界で支持されています。 日本でヒットチャートだけを見ていては「アイドルが流行っている」という情報しか得られず、わかったような気になってしまうので、現地の実情を理解するには、ネットでなんでも調べられる今だからこそフィールドワークが大切だと思うんです。きっと大学院でジャーナリズムを専攻していたこともあり、その思いが強いのかもしれません。 MCで大事なのは「透明な存在になること」と「入念なリサーチ」 古家正亨 ──古家さんはK-POPのイベントMCを数多く務められていますが、それぞれのアーティストに関する知識の深さにファンから驚きの声が上がることもよくあります。その根本にはジャーナリズムの精神があったのですね。 古家 大学で専攻していた臨床心理学によって培われたものも大きいと思います。心理学って要は、“人の心”を数値化する学問じゃないですか。見えないものを“見える化”する作業は、今僕がMCやラジオDJをするにあたって、非常に役立っているんです。 それから、当時の恩師から教えていただいた「カウンセラーは自ら答えを提供するのではなく、あくまで困っている人の話を聞き、気づきを与える職業」という言葉に大きな影響を受けました。「真の話し上手は、最高の聞き上手である」という先輩からのアドバイスも、今の僕の成長の糧になりました。 ですから今の仕事をするなかで常に念頭に置いているのは、できるだけ“透明な存在”になって、主人公のスターとファンをつなぐパイプ役に徹したいということ。必要なタイミングにだけ、なるべく短い言葉を発することでスターとファンとの橋渡しができたらというのが、仕事をするにあたっての哲学です。 ただ、その「必要なタイミング」というのはいつやってくるかわからないので、どんな状況にも対応できるように、やはり事前の入念なリサーチが重要になるわけです。 ──逆にいうと、どれだけリサーチしても「必要なタイミング」が来ない限りは、せっかく準備した情報の出番はないということですよね。 古家 そうです! 昔、マラソンの実況をやっていた先輩から「ランナー全員のバックグラウンドや趣味まで調べ上げても、それが少しも役に立たないことが多い。それでも1000リサーチしたうち1や2が活かされるときのため、我々は準備している」という話を聞いて、すごく感動したんです。 だから常にスターの動向をチェックして、現地の記事を読んで、時にはファンのSNSを見て……。家族には「いつもネットばかり見て、楽しそう」と思われていますけど(笑)。 ──本当に大変なお仕事だということがわかります……。 古家 最近は年間200本ほどイベントに出演しているのですが、その中で「今日は満足できた」と思えるイベントって、正直10本あるかないかなんです。 MCという立場上、自分がどれだけ準備をしても、すべてをコントロールできるわけではないし、韓国と日本という文化や習慣が違う、異なる民族の者が混在する現場が多いので、価値観や目的にもズレが生じるわけです。 とはいえ、表に立って進行しているのはMCですから、もしもイベントがイマイチだったときは僕の責任になってしまうんです。 たまに「なりたい職業は古家さんです」と言っていただくことがあるんですけど、はっきりいってオススメできません。想像できないかもしれませんが、心労は計り知れません。 韓国カルチャーの「スポットが当てられていない部分」も伝えたい ──とはいえそんな古家さんだからこそできる仕事、伝えられることが多いぶん、活動のフィールドを広げていらっしゃるのだと思います。今後新たに挑戦したいことってありますか? 古家 たくさんあります。たまに「古家さん主催のフェスをやってほしい」と言われるので、いつか実現できればと思っています。ただ、K-POPアイドルのフェスにしてしまうと、どうしてもお金が莫大にかかってしまいますし、すでに多くのイベントが日本で行われているので、僕がする意味はもはやないと思います。 自分のキャリアの原点って、もともと韓国のインディーズ音楽を聴いてハマったということもありますし、あまり日本では知られていなくても、実力のあるアーティストを呼ぶというかたちでなら可能かもしれません。 それと、昔からずっとやりたいと思っているのは、韓国音楽についてのドキュメンタリー制作です。取り上げたいテーマはいろいろあって、1970~80年代に日韓の音楽交流の架け橋として尽力してきた歌謡界の重鎮の半生だったり、日本における韓国エンタメの定着の過程だったり……。K-POPが日本でここまで受容されるようになった背景については、もっと掘り下げられるべきだと思うんです。 今でこそ注目されるようになった韓国カルチャーですが、スポットライトが当てられているのはまだまだほんの一部なので、それ以外のところを“古家目線”で記録として残したい、というのが僕の希望ですね。 文=菅原史稀 編集=高橋千里 INFORMATION 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA) 著者:古家正亨 定価:1,600円(税別) 古家正亨が韓国カルチャーの過去・今・未来を、ラジオ番組仕立てで届ける https://www.kadokawa.co.jp/product/322111001104/
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
-
日野友輔(BOY meets logirl #048)
日野友輔(ひの・ゆうすけ)2002年6月3日生まれ。愛知県出身 Instagram:hinoyusuke63 X:@hinoyusuke63 『仮面ライダーガヴ』(テレビ朝日)仮面ライダーヴァレン/辛木田絆斗役で出演中 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
-
坂元愛登(BOY meets logirl #047)
坂元愛登(さかもと・まなと)2009年2月9日生まれ。福岡県出身 Instagram:sakamoto_manato_official 木曜ドラマ『スカイキャッスル』(テレビ朝日系/毎週木曜よる9:00~放送)南沢青葉役で出演中 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
-
赤澤遼太郎(BOY meets logirl #046)
赤澤遼太郎(あかざわ・りょうたろう)1997年1月11日生まれ。神奈川県出身 Instagram:akazawa_taro X:@akazawa_taro 舞台 朗読劇『青野くんに触りたいから死にたい』presented by eeo Stage(2024年9月11日〜16日、CBGKシブゲキ!!にて上演) 撮影=Jumpei Yamada 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
-
活躍の場と規模を広げていく、兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(後編)
京都を拠点に活動する劇団・THE ROB CARLTON。浮世離れしたラグジュアリーな人間たちの、不毛な会話劇が魅力だ。 近年、東京での公演にも力を入れるが、コロナ禍は大きな壁として立ちはだかった。その危機を乗り越えた今、追い風が吹いている。 さらに、演劇だけでなくコントにも注力するTHE ROB CARLTONに、これからの拡大戦略を聞いた。 ちなみに、作・演出を務める村角太洋は、役者名をボブ・マーサムという。弟の村角ダイチは、太洋を「ボブ」と呼ぶので、本文はそれに従う。 【インタビュー前編】 不毛な会話劇で魅せる兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(前編) 目次「HEP→ABC」関西劇団のステップアップコロナに阻まれた東京進出THE ROB CARLTONのコント流儀「存在感を引っ込める」おじさんになって説得力が増す 「HEP→ABC」関西劇団のステップアップ 村角太洋(ボブ・マーサム) ──THE ROB CARLTONは京都を拠点に活動されている劇団です。関西の演劇シーンはいかがでしょうか。 ボブ 僕らみたいなコメディの系譜でいうと、2世代上にMONOさんがいらっしゃって、年齢的に10歳くらい離れたところにヨーロッパ企画さんがいらっしゃる。まずは、このふたつの劇団のような動きができたらいいなと、昔から思っていました。 ──劇場の規模としては、どういうふうにステップアップしていくんですか。 ボブ 僕らのときは梅田のHEP HALLでまずやりたいんですよ。あそこは200席くらいで、わりとぎゅっとした空間だけど、大阪のイケてる小劇場なんです。その次というと、これも梅田のABCホール。ここはそれこそMONOさんとかヨーロッパ企画さんがロングラン公演をされるところです。最大で300席超のキャパですね。僕らはこの10月にABCホールで公演を行います。 村角ダイチ ──東京でいうと、下北沢の本多劇場より少し小さいくらいの規模でしょうか。THE ROB CARLTONが、HEPホールに初めて立ったのはいつですか? ボブ 2015年ですね。 ──旗揚げは2011年ですから、かなり早いんじゃないでしょうか。 ボブ いやね、このときは無理やり行ってしまったんですよ。一度やってしまおうと。当然ロングランなんて無理なので公演数も減らしました。それからまた4年くらいはHEPさんにお世話になってます。 ──当時は無理やりでも一度立つことが必要だった? ボブ そうですね。HEPホールでやることによって、気づいてくれる層は確実にいますから。実際、あのときはやせ我慢してよかったなと思ってます。僕らは劇団を始めたのも30歳近くになってからで遅かったから、急ぐ必要がありました。若くて勢いのある子たちは、20代のうちにHEPに立って、30代早めにABCに行く。そこに合わせるとなると、早く行かなきゃいけなかった。 ダイチ そういうところ、ボブはめちゃめちゃ戦略的に考えられるんですよ。もしボブがぼやっと「俺たちの演劇がわからないヤツらはダメだ」みたいに独りよがりな考え方をするヤツやったら、たぶんケンカしてましたね(笑)。僕が考えるようなことの数手先を見てボブは動いている。だからここまで信じて、ついてこられたところはあります。 ボブ 失敗は多いですけど、意識して動いてきたから、なんとかここまで来られた。その安堵感はあります。でも、大きな後悔がひとつだけあるんですよ。 コロナに阻まれた東京進出 ──大きな後悔とはなんですか? ボブ もう2年早く、東京に出てればよかったなと。東京での初公演は2018年2月、赤坂RED/THEATERで行いました。それからは毎年1回、東京でやろうと決めていた。でも、その2年後にはコロナ禍になってしまったんです。もしも、HEPホールをやった翌年の2016年に、その勢いのまま東京で初公演を打っていれば、コロナ禍までに4回はできた。それが実現していたら状況はかなり違ったんじゃないかと思ってしまうんですよ。 まぁコロナは誰にも予測できない事態だったので、しょうがないですけど……でも早くやっておくことに越したことはなかった。そのことは後悔してもしきれないですね。 ──なぜ2016年に東京公演をできなかったんですか。 ボブ やっぱり金銭的な問題が出てきたんです。東京公演が毎年できるような体制を整えるのに、ちょっと時間がかかったんですよね。でも今思えばほかのやり方があったかもしれない。それこそ、やせ我慢を続けていたらよかったのかもしれません。 ──演劇でも、東京と関西ではお客さんの反応も違いますか? ボブ やっぱり違いますね。東京のお客様のほうが、反応が細かい感じがする。90分の上演中、どのシーンでも誰かしら笑ってくれているといいますか。関西は公演日によって、けっこう反応に差がある気がしますね。 ダイチ 関西では、お客さんのほうも僕らを見慣れているから、反応がまろやかになるのはしょうがない。東京のほうが物珍しく見てくれてはるな、という印象です。 ボブ だから東京でも、もっと公演をやりたいんですよね。これからは年に1〜2回は東京でやるつもりです。そしたら関西でも新鮮に見てもらえるようになるかもしれませんし。 THE ROB CARLTONのコント流儀「存在感を引っ込める」 ──THE ROB CARLTONは今年に入ってひとり離脱し、ボブさんとダイチさんのふたりになりました。今、東京公演の話もありましたが、今後の戦略を伺ってもいいですか。 ボブ そうですね、図らずもふたりになってしまったので、戦略の変更は余儀なくされましたが、大枠は変わらないです。関西が我々のベースにあるので、そこで定期的に公演を続けながら規模を拡大していく。そして先ほど言った東京公演もコンスタントに行うと。 『テアトロコント』(演劇人とコント師が競演するライブ。ダウ90000躍進のキッカケにもなった)にも呼んでいただきましたが、コントだと演劇よりもお金をかけずに、いろんな方々に我々を見てもらえる。こういう機会を増やしていけたらなと思いました。 ──その『テアトロコント』では30分の持ち時間で、コントを5つ披露されました。いかがでしたか。 ダイチ コントを次々とやっていくのは初めてで、忙しなく切り替えていく感じが新鮮で楽しかったです。 ボブ ある種の気軽さが楽しかったですね。普段の演劇公演は根を詰めて準備するから、メンバー同士の関係性も不安定になるものです。そして僕は作家&演出&出演なので、そこで揉めることは少なからずある。これは産みの苦しみなので仕方ない。ところが今回5本のコントを一気にやったときは、ひたすらやるしかないね、という気楽さがありました。瞬発力勝負の心地よさですね。 ──THE ROB CARLTONは、ネタ番組に出ても注目されそうです。 ボブ もちろん出られたらうれしいですよ。まずは存在を知っていただくことが大事ですから。ただ、テレビの数分間に耐えられるものを僕らが作っていけるかといえば、そう簡単なことじゃない。芸人さんたちは四六時中、コントと向き合っているわけですからね。 ──とはいえ近年、コントでも演技力がかなり重視されるようになっていて、抜群の演技力を持つTHE ROB CARLTONにも、時代の追い風が吹いているように思います。 ボブ たしかにコントにも演劇的な要素が求められるのは、僕らが学生のころにはなかった傾向です。そのトレンドにうまくマッチすればおもしろいでしょうね。でもコントを本職にされている方々は、引き出しが多いじゃないですか。キャラクターの幅が広く、ギャグもできて、おまけにお芝居もうまいわけで。 ──今回は芸人のコントと差別化するような、演劇的なアプローチで作られたコントがあって印象的でした。 ダイチ それはすごくうれしい、狙いどおりの感想を言っていただけました(笑)。 ボブ たしかにいくつかのコントは、演劇的なアプローチで作りましたね。通常のコントって、誰が演じているのかがかなり重要ですよね。 ──芸人自身のイメージが、コントのキャラクターにもある程度反映されて笑えるという構造はありますね。 ボブ しかし演劇の場合は、演じる本人の存在感を薄めるといいますか、引っ込めるといいますか。誰が演じているのかを、お客さんに意識させないようにする。そのアプローチをコントにも導入してみました。 ダイチ 特にボブは、極端なほどに自分を出さないですね。 ボブ このキャラクターは実在する、ということを納得させられれば、絶対にそのおもしろさが伝わると思っているんです。だから自我を出さずに演じることを徹底しています。 おじさんになって説得力が増す ──これからもTHE ROB CARLTONのコントをたくさん観たいです。 ボブ ありがとうございます。意外とね、舞台美術という制約がないから、いろいろアイデアが浮かんできて考えやすかったですよ。もっとやりたいです。でも、演じるのはやっぱり難しかったね。 ダイチ お芝居やったらね、物語の流れがしっかりあるから感情の持っていき方も段階を踏んでやりやすいんですけど、5分〜10分となると、急に感情を変えなアカンから、不慣れで難しかった。 ボブ 「本当にそういう気持ちになるかな?」と、ディテールを考え出すと、コントの演技には入り込みにくい。演劇的な脳みそでやると、つまずいてしまうんですよね。あと、前編でも言いましたが、僕らのコメディはボケもツッコミもいないわけです。 登場人物は自分が正しくて、常識人だと思っているけれど、その認識がそもそもズレている。そのズレを観客が楽しむのがコメディなんですよね。それが可能なのは、90分という時間をかけて、丁寧に物語と人物を説明できるから。 ──5分程度のコントで、そこを丁寧に見せるのは至難の業ですね。 ボブ そうなんです。だからこそコントにはボケとツッコミが不可欠なんですよね。 ──ここで笑ってください、というメタ的な指示として、ボケとツッコミは優れていますね。 ボブ 機能として抜群に優れていますよ。そこはまだまだ勉強しなくちゃいけないです。 ──THE ROB CARLTONは、ゴージャスな雰囲気だったり、重厚感のある演技も魅力なので、年齢を重ねれば重ねるほど、キャラクターとおふたりの存在感がハマって、よりおもしろくなるような気がします。 ダイチ それは本当にそうですね。実際、おじさんになっていくにつれて、やりやすくなってきましたから(笑)。 ボブ 昔はどこかしら無理して、おじさんを演じてたからな。今ではいい意味で動きが遅くなって、所作に重みが出てきてます。コップひとつ取るにしても、体が若いと機敏になっちゃうんですよ(笑)。若いうちは体も薄いからスーツも似合わなかったですし。その意味でもTHE ROB CARLTONは完全に遅咲きだと思ってるんで、僕ら自身ここから先が楽しみです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 THE ROB CARLTON(ザ・ロブ・カールトン) 村角太洋(1984年7月21日、鹿児島県出身)、村角ダイチ(1985年11月24日、鹿児島県出身)による劇団。2004年、出身校である京都府立洛西高等学校ラグビー部のOBで「洛西オールドボーイズ」を結成。これが母体となり、2011年に「THE ROB CARLTON」が誕生する。ROBは「洛西オールドボーイズ」の頭文字であり、CARLTONは憧れのホテル「ザ・リッツ・カールトン」から取っている。10月には新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』を、東京と大阪で上演する。 新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』 【東京公演】 MITAKA“Next”Selection 25th 参加公演 2024年10月4日(金)〜14日(月・祝) 会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール 【大阪公演】 2024年10月25日(金)・26日(土) 会場:ABCホール http://www.rob-carlton.jp/ 【後編アザーカット】
-
不毛な会話劇で魅せる兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(前編)
京都を拠点に活動する劇団・THE ROB CARLTON。大富豪や政治家など、浮世離れした設定とキャラクターたちが繰り広げる、不毛な会話劇が魅力の劇団だ。 作・演出を務め、俳優としても出演する村角太洋と、村角ダイチは兄弟である。幼いころから仲良しで、40歳を目前にした今もともに歩むふたりに、いくつかの初舞台を聞いた。 ちなみに、太洋は役者名をボブ・マーサムという。ダイチは太洋を「ボブ」と呼ぶので、本文はそれに従っている。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次「僕らのコメディにはボケもツッコミもいない」弟の文化祭演劇に脚本を書く「知らなすぎや!」劇場スタッフに叱られる意図せず不毛だった初舞台 「僕らのコメディにはボケもツッコミもいない」 左から:村角太洋(ボブ・マーサム)、村角ダイチ ──この連載では普段、芸人の方々のファーストステージ=初舞台について聞いているんですが、今回は劇団ということで異色回です。 ボブ そうですよね。そうそうたるメンバーの中にインタビューが載るのはありがたいですけど、私たちでいいんですか。 ──もちろんです! THE ROB CARLTONの演劇の魅力は、重厚な世界観の中で繰り広げられる不毛な会話劇ですが、その一方でコントにも挑戦されていますから。演劇にせよ、コントにせよ、創作のこだわりはなんでしょうか。 ボブ 知らないことはやらない、ですかね。重厚な世界観と言っていただきましたが、もともとそういう古い映画が好きだから、そのシーンを再現したくて作ってるんです。 ──自分の愛着から創作がスタートする。 ボブ 物語やキャラクター、設定の根底をどれだけ能動的に把握できてるかは、僕にとって重要ですね。THE ROB CARLTONは、僕がもともと好きなもの、興味のあるものを題材にしている。その説得力はあると思います。 ──喜劇を作っているTHE ROB CARLTONの、笑いの肝はなんでしょうか。 ボブ 僕らのコメディにはボケとツッコミが存在しないんです。それは、小さいころ親父に見せられてたアメリカのコメディ映画の影響だと思っていて。コメディ映画の登場人物って、みんな自分が「普通」だと思って行動するんだけど、それを観客側から見ると滑稽なわけです。自分の好き勝手に動いていたら、互いのアクションと思惑が絡み合って、どんどんカオスになっていく。そういう意味では、説明的になりすぎずに、キャラクターを理解してもらうことが重要だと思っています。 ダイチ キャラクターとシチュエーションをしっかり作り込まないと、お客さんはなんのこっちゃわからないので、そこは大変ですよね。 ボブ 逆にいえば、キャラクターとシチュエーションを理解してもらったら、あとは彼らが多少変なこと言おうが何しようが、お客さんたちは納得して見てくれるんですよね。シットコム(シチュエーション・コメディ)を作る感覚にも近いのかもしれません。 ──正統派のコメディなんですよね。 ボブ そう言ってもらえるとうれしいですね。時代遅れともいえるのかもしれないから(笑)。7月にはユーロライブで行われている演劇人とコント芸人が交差するライブ『テアトロコント』に呼んでいただきましたが、そこで観る芸人さんたちは、自分たちにはないロジックで笑いを作ってらっしゃっておもしろいし、演技も設定も巧みで。そこはすごく勉強させてもらってますね。 弟の文化祭演劇に脚本を書く ──ボブさんとダイチさんは、兄弟なんですよね。 ボブ そうです。だから初舞台っていったら、幼稚園生のころだと思います。ホームビデオが残ってるんですよ。家でふたり並んで蝶ネクタイを締めて演説してる。でも、ダイチがすねてるんです。 ダイチ そうそう(笑)。僕がしゃべろうと思ってたのに横取りされたんやろな。親に対してだけど、何かを演じて見せるのはアレが初めてやった。僕は幼稚園のお遊戯会でも、ひとりだけ目立つ役をやらせてもらって、それでちょっとした優越感を覚えた記憶がありますね。 ボブ それ聞いて急に思い出したんですけど、小学1年生のときにものすごい悔しい経験をしたんですよ。クラスで演劇をしたんですが、ある男の子が「先生。僕、チャーリー浜のセリフ言いたいです」って言い出して。実際、本番でその子がめちゃめちゃウケてて、それが悔しくてしょうがなかった。当時から人を笑わせたいっていう欲求があったんでしょうね。 ──実際に演劇をやるようになったのはいつからですか? ボブ 高校から脚本を書くのがおもしろくなってきました。高校の文化祭でクラスで演劇をすることになって、台本を書いたんですが……自分で立候補するのは気恥ずかしいから、うまいこと根回しして自分が書くことになるよう仕向けましたね。 ──なんで書きたいと思ったんですか。 ボブ もともと映画が好きで、映画監督になりたかったんですよ。いろいろ観ていくうちに、脚本を自分で書く監督がいることを知り、じゃあ書いてみようと。ただ、映画は簡単には撮れないじゃないですか。だから脚本だけいろいろ書いてたんです。人前で見せるための脚本は高校2年生の文化祭のときが初めてですね。 ──どんな物語でしたか。 ボブ もうハチャメチャで、いろんなマンガやアニメのキャラクターを全部出すみたいな感じです、今思えば恥ずかしい。でも学校の文化祭って客席は身内しかいないから、ある程度ウケてしまって。それで「自分には才能がある」って勘違いしちゃったんでしょうね(笑)。 ──でも、文化祭の持ち時間は少ないでしょうし、既存のキャラクターを使うと説明が省けるから、効率的でいいなと思いました。 ボブ たしかにそうですね。クラス演劇なので、いろんな人を出せるように、誰もが知ってるキャラクターを寄せ集めたところはあったかもしれない。 ダイチ 僕はボブの1学年下やから、その劇、観たんですよ。それで影響されて、僕も演劇をやりました。3年生のときは卒業してたボブに脚本を書いてもらって。ボブはずっと学校で目立つ人やったんで、僕の学年でもある程度信頼があって。「ダイチの兄ちゃんが書くんやったら大丈夫やろ」って感じで受け入れてもらいましたね。 ボブ ダイチに渡した脚本は『ゴッドファーザー』を下敷きにした話でしたね。自分で書いた脚本を、初めて客席から俯瞰して観られたので、勉強になりました。 「知らなすぎや!」劇場スタッフに叱られる ──ボブさんとダイチさんは子供のころから仲がよかったんですね。 ボブ 僕らは幼稚園も小学校も中学も高校も同じですしね。 ダイチ 僕らが小学校に上がるぐらいのタイミングで、九州から京都に引っ越したんですよ。僕は今でこそ関西弁ですけど、当時は言葉も違ったから、露骨にヘンなヤツ扱いされてしんどかったです。でも家に帰ったらボブがいるし、そっちで遊んでるほうが楽しい。ボブの友達とも一緒に遊んでました。 ボブ ダイチとは兄弟って感じもしないですね。僕ら三兄弟で、4つ下の三男がいるんですけど、彼はちゃんと弟なんですよ。会ったらお小遣いをあげたくなる感じ(笑)。でもダイチはもう友達に近い。 ダイチ 不思議な距離感やね。 ボブ でも僕らにとってはこれが普通だから。 ──高校卒業後、すぐにTHE ROB CARLTONを結成するんですか。 ボブ いや、僕は相変わらず映画が撮りたかったんで、海外に映画の勉強しに行こうと思ってホテルで働いてお金を貯めてました。でも同時に脚本を書いて、それを試したいから、(出身校の)洛西高校のラグビー部の連中を集めて、お芝居の真似事をやったんです。 ダイチ 「洛西オールドボーイズ」っていうそのまんまの名前でな(笑)。文化祭しか経験がなくて公演の打ち方もわからないのに、 一丁前に京都の劇場を借りてやりましたね。それが2004年か。 ボブ 照明も音響もわからない。すべて見よう見まねでやりましたね。 ダイチ 劇場の人たちに「知らなすぎや!」ってめちゃめちゃ怒られましたよ(笑)。 ボブ でも、そのスタッフのお姉さんたちも演劇好きなんで、呆れながら教えてくださいましたね。 ──洛西オールドボーイズが、そのままTHE ROB CARLTONになる? ボブ いや、あれは本当にただのお遊びで、2008年には終了しました。その後も僕は、結局3年ほどホテルで働き続けました。でもあるとき、やっぱり本気でやっていきたいなと思いまして。しかし中途半端に年食っちゃったんで、弟子入りもスクールに入るのも難しい。それならいっそ自分でやってしまえとTHE ROB CARLTONの旗揚げ公演を行ったのが、2011年の2月11日でした。メンバーの(入江)拓郎も、そのときに弟がバイト先から連れてきたんです。 意図せず不毛だった初舞台 ──その初舞台は覚えていますか。 ボブ 鮮明に覚えてますね。 ダイチ 最初の公演なんて恥ずかしくて思い出したくないんだけど、忘れられない(笑)。 ボブ 台本も見てらんないよな。今まさにタイムリーですけど、大統領が演説中に撃たれるというシチュエーションで、そのシークレットサービス側を描いた話でした。 ダイチ 大統領は助かるんだけど、銃弾が1個だけ見つからなくて、シークレットサービスが疑われると。それがしょうもないオチで……。 ボブ あらぬ容疑をかけられたシークレットサービスが、すっごいくせ毛だったんですよ。 ダイチ アフロヘアの中に銃弾が残ってたというね(苦笑)。 ボブ 今思えば、くだらなすぎてむしろおもしろい気がする。 ダイチ でも密室に閉じ込められるっていう場面があって暗転が明けたら、ドアが開きっぱなしやったんですよ(笑)。 ボブ それは終わってるわ、はははは。今思えば最悪だったね。記録映像を見返してもすぐに止めるほどです。 ──今振り返ればさんざんだったとはいえ、当時は達成感もあったのでは? ボブ いや、普通に落ち込みましたよ(笑)。稽古は盛り上がってたんですけどね。稽古中はシーンごとにやっていくんで、ポイントでしか捉えられなかったんですよ。一本の劇として全体で見通せてなかった。当時はおもしろいシーンがいっぱいできたら最高だよね、って感じでしたから。演劇って全体としての流れが重要で、波を作らないといけない。そんなことすらわからず、第3回公演までは試行錯誤してましたね。 ──初回からTHE ROB CARLTONの「芳醇な不毛な会話」という特徴は表れていましたか。 ボブ そうですね。ファーストステージの公演は、その最たるものだった気がします。今は不毛なものを作ろうと意図してますけど、当時は一生懸命やってるのにフタを開けたら不毛だっただけですけど。 ──天然で不毛だった(笑)。 ボブ そうそう(笑)。ちゃんと構築されたコメディがやりたいのに、できない。でも、あるときから、自分たちのよさは「この不毛さなんだ」って気づいて、これを人工的に作り出せれば、おもしろい演劇ができるのではなかろうかと思ったんです。人を笑わせたいのに、天然でやってたらダメなんですよ。 ──先ほど第3回公演までは試行錯誤していたとのことでしたが、4回目で何かつかんだんでしょうか。 ボブ そうですね。そこで初めて客演さんをお呼びしたんですよ。劇団メンバー以外の方が入ったことで、内輪ノリができなくなったのが功を奏しました。客演さんはもちろんのこと、その方を見に来るお客さんにもわかってもらうことを意識したんです。あの回が礎となって、THE ROB CALROTNの型ができましたね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 THE ROB CARLTON(ザ・ロブ・カールトン) 村角太洋(1984年7月21日、鹿児島県出身)、村角ダイチ(1985年11月24日、鹿児島県出身)による劇団。2004年、出身校である京都府立洛西高等学校ラグビー部のOBで「洛西オールドボーイズ」を結成。これが母体となり、2011年に「THE ROB CARLTON」が誕生する。ROBは「洛西オールドボーイズ」の頭文字であり、CARLTONは憧れのホテル「ザ・リッツ・カールトン」から取っている。10月には新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』を、東京と大阪で上演する。 新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』 【東京公演】 MITAKA“Next”Selection 25th 参加公演 2024年10月4日(金)〜14日(月・祝) 会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール 【大阪公演】 2024年10月25日(金)・26日(土) 会場:ABCホール http://www.rob-carlton.jp/ 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 活躍の場と規模を広げていく、兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(後編)
-
「結局、ネタがおもしろいのがカッコいい」青色1号のネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(後編)
2024年の夏に開催された『第45回ABCお笑いグランプリ』で準優勝になった青色1号。『M-1グランプリ』覇者の令和ロマンに惜しくも破れたものの、芸歴10年目以下の漫才師、コント師、ピン芸人が集う戦いで、確かな実力を見せ、爪あとを残した。 この取材は『ABC』の前に行われたが、3人は気負いを見せず、どこか肩の力が抜けた様子だった。 初の賞レース決勝で見た“地獄”や、いいネタが生まれないスランプ、『キングオブコント』の展望など、青色1号の現在地を語ってもらった。 【インタビュー前編】 コンビからトリオへ、コントのウケが一気に変わった青色1号の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(前編) 目次バラバラの衣装は青色1号の象徴賞レース初ファイナルは地獄のスベりよう青色1号には分析屋がいないいいネタは一発目から雰囲気があるコントは結局おじさんが強い?三者三様の夢と、ひとつの目標 バラバラの衣装は青色1号の象徴 左から:カミムラ、榎本淳、仮屋そうめん ──今日は榎本さんだけ衣装ですか。 仮屋 いや、僕もですよ。 ──失礼しました。あまりにナチュラルなので気づきませんでした。榎本さんはビシッと決まっているので。 榎本 去年の6月に衣装を作ったんですけど、3人ともすごいバラバラになっちゃって。ホントは青で統一したかったんですけど。 ──青のトーンが全然違いますもんね。 カミムラ 僕もいちおう買ったんですけど、あんまりしっくりこないっていうか。どうしようかなって感じで。榎本が予想外のものを選んできちゃって。もうちょっと抑えたかったのに失敗したんすよ。 榎本 仕立ててもらったんですけど、生地を見せてもらったときは、もっと抑えめの青だった気がしたのに、実際めっちゃ明るくて(笑)。 ──インタビューでもよく「バラバラなのが青色1号の個性」だって言ってますけど、衣装もバラバラで見事に体現してますよね。 仮屋 そうですね。趣味もまったく違うし、性格もバラバラです。 賞レース初ファイナルは地獄のスベりよう ──前編では芸人としての初舞台について聞きました。この後編では、賞レースの初舞台について聞きたいです。2022年にはABCお笑いグランプリの決勝に進出されました。大きな賞レースの決勝は初めてでしたが、いかがでしたか。 カミムラ かなりスベりましたね。 榎本 『財布』っていうネタはけっこう自信もあったし、予選でもウケてたから「かますぞ」って思ってたんですが、最初から受け入れてもらえなかった。 カミムラ 「これはマズいぞ」っていう焦りが、3人とも顔に出てましたね。東京でウケるところが全然ハマらない。 榎本 もう無理だ、地獄だと思って、とにかく大きい声でごまかしました。 仮屋 ファースト決勝であり、ファースト大阪でもあったんですよ。大阪が難しかった。 カミムラ いや、でも東京のこたけ正義感とかちゃんとウケてたんで、僕らがただ実力不足だっただけです。お笑いは東京が一番おもしろいと思うんで、別に向こうに合わせなくてもいいかなと思いますし。でもあれ以降、「ネタ中に動揺しないでやり通す」っていう目標もできたんで、いい経験にはなったんじゃないですかね。 ──今年のABCお笑いグランプリでもファイナリストになりました。この記事が配信されるころには結果も出てると思うんですが、直前に控えた今の心境はどうですか。 カミムラ 一昨年よりはうまくいくんじゃないですか? あのときは本当にゼロ笑いだったんで、今年はふた笑いくらい。 榎本 もっといくだろ! とにかくウケたいですね。 カミムラ あとラストイヤーなんで。 榎本 やることやるだけですね。 ──M-1王者の令和ロマンや、『(女芸人No.1決定戦)THE W』女王の天才ピアニストなど、すごいメンツですよね。 カミムラ ホントそうっすよね。なんでみんな出てんすかね。 榎本 まぁそのおかげで注目度も上がってるんで、ありがたいですよ。普通に令和ロマンが獲っちゃうかもしれないですけど(笑)。 (※)7月7日に行われた『第45回ABCお笑いグランプリ』チャンピオンは令和ロマン。青色1号は4点差で惜しくも準優勝となった 青色1号には分析屋がいない ──青色1号はコント師で、キングオブコントに毎年挑戦されていますが、トリオになった翌年の2018年には準々決勝、2022年に準決勝まで行きました。 カミムラ 同期の中では初めて準々決勝に行けたんですよね。 榎本 当時は「2回戦行けたらすごい」と言われてたんでうれしかったですね。 仮屋 でもコロナ禍に入って、2回戦落ちが続いた。 カミムラ KOCだけ負ける印象でしたね。ライブではずっと勝ってたんで。だから理由が全然わかんない。僕らデータ派がいないんですよ。分析できるヤツがまったくいないんで。 ──ギャンブルも好きな仮屋さんは、分析も得意そうですけど。 仮屋 実はできてますけど、言ってないかもしれない。 榎本 なんでだよ! 教えてくれよ。 仮屋 いや、言いきる度胸はないです。外れたらイヤだし。 カミムラ 『月笑』っていう事務所ライブで、去年の年間チャンピオンを決める最後のネタは仮屋が決めたんですけど、それも大外れしましたから。活躍してるコンビは、けっこう分析力がすごいんで、そこは弱みです。 ──KOCの不振や、コロナ禍が重なって、不安はありませんでしたか? カミムラ 僕は平気でしたね。ふたりはどうかわかんないですけど。別にいいよと思ってた。どうにでもなれって。 仮屋 僕も特に不安はなかったです。 榎本 僕はヤバいなぁって思ってましたね。どうしよう、どうしようと焦ってました。でも、もうしょうがないかと。 ──ちなみにお笑いで食べられるようになったのはいつごろですか。 全員 まだ全然食えてないです! 榎本 めちゃくちゃバイトしてます。 カミムラ 仮屋は死ぬほどバイトしてます。 仮屋 お笑いが副業です(笑)。 ──『ゴッドタン』の恒例企画「この若手知ってんのか!?」で「とにかくヤバい芸人部門」の1位に選ばれ、注目されたのは2020年ですよね。ネタにも定評があって、お笑いファンの間ではよく知られる存在なので、意外に思う人も多いんじゃないでしょうか。 榎本 それはよく言われますね。 仮屋 吉本以外はこんなんですよ。 榎本 吉本の人には「青色は食えてるよね」とか言われるんですよね。早くバイトせずにお笑いできるようになりたいです。 いいネタは一発目から雰囲気がある ──ネタ作りはカミムラさんが担当されているんですよね。 カミムラ はい。よくて8割くらいの状態でふたりに見せて、榎本はあんま言わないですけど、仮屋からアイデアをもらって、ネタ合わせしながら仕上げていきます。 ──YouTubeチャンネル『青色1号のホストクレープキッチン』でも再生回数1位と2位の『面接』と『ネギトロ王子』が個人的に好きなんですが、あのあたりのネタはいつごろできたんですか。 カミムラ けっこう古めなんですよね。最近はああいう勝負できるネタができてない。 仮屋 『面接』は新しいほうですけど、それでも2年前。『ネギトロ』も4年くらい前で。でもそれも何回も叩いているうちに、味がしてきたっていう印象ですね。 榎本 原型は全然違ったしね。 カミムラ いいネタって、一発目から雰囲気あるんですよね。いまだにネタおろしの時点で、話になんないくらいスベることもあるんで、そういうのはすぐ捨てちゃいます。いいネタだったら最初っからちょっとウケるんですよね。 ──ここ最近、勝負ネタができてない要因はどう分析されていますか。 カミムラ なんなんですかね、わかんないですね。なんだろう……(苦笑)。いいのが降りてこない感じですね。 ──降りてくるタイプなんですね。 カミムラ まぁ降りてくるっていうとアレですけど、いいのができるときは、すぐできるんです。これいいなと思ったらオチまで一気に思いつく。でも最近はそれがないっすね。続きを考えないとダメなときってだいたいおもしろくないんだけど。 ──ふたりはカミムラさんを信じて待っている。 榎本 そうですね、待つことしかできないんで(笑)。 ──去年は初の単独ライブ『ちょっとだけバカ』を開催しました。あれは新たな勝負ネタを生むためのキッカケとして必要だったんですか? カミムラ いや、単純に「やりませんか?」って事務所の方から言っていただいたんですよ。2022年に初めてABCの決勝やKOCの準決に行けたから、一回やってみるかって。ネタも単独でできたものを叩くっていうよりは、普段から下ろしてくのが性に合ってるんで、「単独で代表作を作ろう」って意気込みではなかったです。 ──近年「単独ライブで食えるようになりたい」というコント師が増えましたが、青色1号もそこが理想? カミムラ そうなったらいいですけど……大変ですよね。 榎本 それはそれでねぇ(笑)。 コントは結局おじさんが強い? ──KOCで優勝して売れる姿って、今どれくらいイメージできていますか。 カミムラ どうなんだろうなぁ……正直、優勝は大変だろうなと思ってます。でも決勝はまぁいずれ行けるっしょとは思ってますね。一回目の決勝でスベるイメージまですげぇできてる。 榎本 ははははは(笑)。最悪だな。 仮屋 まぁ最初は顔見せで。 カミムラ 2回目で優勝狙っていきてぇなって感じですかね。 ──たしかにあのステージに一度立たないことには、優勝も見えてこないですよね。最近だと、ビスケットブラザーズ、空気階段、ジャルジャルは複数回決勝に出て獲りました。 カミムラ ABCの決勝でとんでもないスベり方を経験したから、そんなにヘコまないだろうし、とりあえずどうなってもいいから、KOCの決勝行きたいですね。 ──カミムラさんのこのイメージはふたりも共有してる? 榎本 うん、決勝は行けるだろうとは思ってますね。 仮屋 決勝スベるだろうなっていうのもわかります(笑)。 カミムラ 一度、決勝に行けばテレビもちょっと出られたりするじゃないですか。そこで知られて、ネタの楽しみ方も伝わってからが勝負かなと。 ──KOCって芸歴制限がないから本当に大変ですよね。 カミムラ 去年だったらラブレターズさん、ジグザグジギーさん、や団さんが出てますからね。 榎本 若手で勢いのあるコント師が決勝に行くケースって本当に少ないと思います。準決の顔ぶれ見て、今年は若いヤツ多いなって思うこともありますけど、結局決勝はおじさんが多い。それは毎回、思いますね。結局おじさんが強い(笑)。 三者三様の夢と、ひとつの目標 ──最後に、芸人としてのやっていきたいことを聞かせてください。仮屋さんはやっぱりパチンコですか。 仮屋 そうですね。お仕事でパチンコ、ボートレースやりたいです。早くバイトも辞めて、プライベートでもギャンブルしたいです。 榎本 お金貸さなくて済むんで、早くそうなってほしい(笑)。 カミムラ 勝手にやっててほしいですね。 ──榎本さんは、どうですか? 榎本 僕は映画、ドラマ、CMとかバンバン出たいんです。お笑い芸人が映画とかドラマに出てるのがかっこいいなと思ってて。でもなかなかチャンスがないんですよね。ふたりはドラマにも出たことあるのに、一番憧れてる僕には話が来ない。 仮屋 知り合いから頼まれる感じですけど。そこからおかわりみたいな感じでたまにあるんですよね。榎本は「普通の顔」すぎてよくないらしいです。 榎本 そうなんです。太田の俳優部のマネージャーさんに「ドラマ出たいんですよ」と伝えたら「いいけど、君だけ普通すぎて何もないから」って言われて。普通だからこそなんでも演じられるのかと思ったら、そうでもないらしいですね。ドラマ、映画、演劇、なんでもやりたいんで、業界関係者の方、僕を使ってください! ──記事にもしっかり書かせていただきます。カミムラさんはどうですか? カミムラ 「趣味人間」みたいな立ち位置の人いるじゃないですか。ああいう人になれたらいいですね。バイクと格闘技が好きなんで。ケンコバ(ケンドーコバヤシ)さんとかいいですよね。あと、さらば(青春の光)の森田(哲矢)さんとか。ネタがおもしろいからこそ許されるようなポジションなんで、そこがんばらなきゃですけど。 ──今日ここまで話を聞いてきて、カミムラさんの肩の力が抜けてる気がしました。『ゴッドタン』での荒ぶるカミムラさんの印象が強烈だったので。 カミムラ マジっすか。いやでもやっぱムカつくことはいろいろありますよ。そりゃそういうヤツらは全員負かしてやろうと思ってる。そのあとでゆくゆくは趣味人間になりたいってだけです。 ──3人の目標はどうですか? カミムラ やっぱりネタは続けていきたいですね。 榎本 カミちゃんも言ってましたけど、何やってても結局この人たちネタおもしろいからっていう存在になりたい。 カミムラ シティボーイズさんとかめちゃめちゃかっこいいじゃないですか。普段は全然違うことやってんのに集まったら、コントがおもしろいって最強ですよ。 ──仮屋さんはどうなんですか? 仮屋 ずっとやっていきたいですよ、パチンコ。 榎本 3人での目標を聞かれてるんだよ? 仮屋 3人でもパチンコやりたいです。 榎本 巻き込むなよ! カミムラ 仕事でできるんなら僕もやりますよ。趣味人間になりたいんで。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 青色1号 カミムラ(1990年6月7日、東京都出身)、榎本淳(1992年5月29日、神奈川県出身)、仮屋そうめん(1991年7月17日、福岡県出身)のトリオ。2014年、カミムラと榎本で結成。2017年にコンビ「フィルダースチョイス」を解散した仮屋が加入する。2024年、ラストイヤーで挑戦した第45回ABCお笑いグランプリで準優勝した。YouTubeチャンネル『青色1号のホストクレープキッチン』でネタ動画を公開中。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
-
“本当に怖がりながら逃げた”『逃走中』ヒロイン・田鍋梨々花
#18 田鍋梨々花(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 田鍋梨々花(たなべ・りりか)。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 「前編」では、この世界に入るキッカケや、モデルや女優としての初仕事の思い出を話してくれた彼女。「後編」では、意外な回答が出てきた、この問いから……。 インタビュー【前編】 目次目標は、研ナオコさん“リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」プライベートでは“食”を軸に 目標は、研ナオコさん ──田鍋さんが、目標にしている方はいますか? 田鍋 研ナオコさんが好きなんです。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)に出ていた研ナオコさんを好きになったのがきっかけで、今も研さんのYouTubeチャンネルを観たりしています。話し方とか、ファッション、メイク、自分のスタイルを持っているのがカッコいいなと思っています。 ──自分を持っている人というところに憧れている? 田鍋 はい、カッコいいです! 私もああいうふうに歳を重ねていったら楽しいだろうなと思っています。メイクとかも、常に楽しんでいて。 ──でも、研ナオコさんというのは、ちょっと意外でした。バラエティ的なことなんかにも興味はあったりします? 田鍋 見るのは楽しいです。 ──コントをやってみたいな、まではない……。 田鍋 うーん……コントはとっても難しそうです。 ──演技だと思えばやりやすいのかも。普通にバラエティのスタジオで話すより、もしかしたらコントのほうが台本があるぶん、女優さんとしてはやりやすいかも……。 田鍋 たしかに! そういう考え方もありますね(笑)。 ──いつか、ぜひ。それと、何か好きな作品はあったりしますか? 映画でもドラマでも。 田鍋 何かひとつの作品というよりは……けっこういろいろと観るんですけど、人の愛憎入り乱れるようなギッタギタなやつが大好きです。ママ友の嫉妬とか、不倫とか、裏切ったり裏切られたり、人間の闇が見える瞬間のドラマが、私からすると“異世界”すぎて、おもしろいです。 ──たとえば、どんな作品が好きなんですか? 田鍋 少し前の作品ですけど、『名前をなくした女神』(2011年/フジテレビ)とか、好きです。 ──ああ、なるほど。きっと自分のまわりにはない世界だからこそ、おもしろいんですね。自分でもそういう役をやってみたいと思いますか? 田鍋 チャンスがあれば、いつかやってみたいです! 自分にとって異世界的なものが好きなんですよね。『逃走中』(フジテレビ)も、絶対に現実にはないし、そういう世界が好きなのかも。 “リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」 ──今ちょうど出てきましたが、映画『逃走中THE MOVIE:TOKYO MISSION』が公開されますよね。最初にお話を聞いたとき、どう思いましたか? 田鍋 最初は……『逃走中』の映画って何? どういうこと?っていう感じでした。 ──そうですよね。僕も最初に聞いたときはびっくりしました(笑)。どういうストーリーで、田鍋さんは、どんな役を演じているんですか? 田鍋 『逃走中』に、弟と一緒に参加するんですけど……ゲーム自体が乗っ取られて、捕まったら死ぬというデスゲームに切り替わってしまうんです。私は弟思いのお姉ちゃんの役なのですが、ほかにもお金が欲しいとか、なにかしらの目的があって集まったいろいろな人たちの人間模様が繰り広げられます。 ──弟を守りながら逃げるという……? 田鍋 そうですね。 ──実際に走って逃げたりするシーンも多かったりしましたか? 田鍋 そうですね、「ハンター」(逃走者を確保するため追ってくるアンドロイド)も、実際に何十体もいたりするので、リアルに怖かったです。 ──テレビで観ていた『逃走中』よりも、リアルに感じましたか? 田鍋 テレビで観ていると楽しそう!って思ってたんですけど、実際に追いかけられるとこんなに怖いんだという感じでした。 ──撮影中に印象に残ったことや、思い出に残ったことはあります? 田鍋 ゲームが乗っ取られてからは、ハンターが「ワイルドハンター」という悪いハンターに変わるんです。地下駐車場へ降りていくシーンで、私のちょっとうしろにワイルドハンターが4人くらいいて、襲ってくるんです。全力で坂を下るんですけど、エキストラの方たちの悲鳴とか迫力がすごすぎて、その中に入って、うまく逃げられるかなって……本当に怖くて逃げたことが、すごく印象に残っています。 ──弟役の子(川原瑛都)とは、撮影の合間に話したりしましたか? 田鍋 そうですね。撮影中はすごくしっかりしているんですけど、不意に垣間見える小学生らしさがかわいくて、そのギャップにみんなやられていました。 ──田鍋さんが思う、映画の見どころはどのあたりでしょうか? 田鍋 人間模様はもちろんなのですが、テレビの『逃走中』によく出演されている方や、ガチャピンなんかも出てくるんです。あと、ちょっと笑えるようなシーンもあって……もちろん感動もあります。たくさんの要素が詰まっているところが見どころだと思います。 ──幅が広いんですね。 田鍋 はい。 ──印象に残っている方はいますか? 田鍋 キャラクターですね! (出世大名)家康くんとか、ぐんまちゃん、ご当地キャラクターがかわいかったです。 ──ゆるキャラは、ゆるキャラのまま登場するんですね。 田鍋 はい、そうです。ゆるキャラのまま(笑)。 ──撮影の合間に、ゆるキャラと絡んだりしました? 田鍋 はい! 楽しかったです。 ──ご自分が演じたシーンで、ここを観てほしいというポイントはありますか? 田鍋 ただ逃げているだけじゃない、みんなの勇敢な姿を観てほしいです。ラストに向かってみんなのスイッチが入る瞬間があるので、そこは特に見どころだと思います。 プライベートでは“食”を軸に ──田鍋さんが今後やってみたい役柄はありますか? 田鍋 いろいろな職業に触れてみたいですね。警察官とか受付係とか……今までは学生の役が多かったので。コンビニ店員なんかもやってみたいです。 ──今思う、具体的にやってみたい職業はありますか? 田鍋 そうですね、オフィスで名札をつけて働く役とか、スーパーのレジ打ちもやってみたいです。 ──ドロドロもありそうですよね、スーパーとか(笑)。……話は変わりますが、最近ハマっているものはありますか? 田鍋 最近は、薬膳が好きです。マーラータンとか火鍋とか、薬膳系の味が大好きなんです。辛いのが大好きすぎて、毎日食べていた時期もあったんですけど少し控えてて……ただ、最近またちょっとずつ食べ始めたら、今またハマってしまっています(笑)。やっぱり薬膳が好きですね。 ──中でも、この具が好きとかあります? 田鍋 キクラゲですね! あと、薬膳は体にいいと思いつつ……ご飯、お米も大好きで。 ──なるほど。薬膳以外で好きな食べ物はありますか? 田鍋 生牡蠣やパクチー、大葉など、けっこう癖が強いものが好きですね。 ──お店を自分で探したりはします? 田鍋 夜寝る前にGoogleマップでお店を見て、食べたいメニューを決めて……というのをよくやるんですよ。でも結局、行ったりはしないんですけど(笑)。 ──(笑)。自分で行くお店以外で……たとえば、撮影の合間に出てくるご飯の中で好きなものはあったりしますか? 田鍋 のり弁が大好きです! 唐揚げ弁当なんかも好きなんですけど、のり弁だけでいけちゃいます。おかずもなしで、のりと醤油だけで、何杯でもご飯が進みます。 ──それにしても、ご飯(米)ばかり食べていても太らないんですか? 田鍋 太らないわけではないんですけど、気持ちの問題だな、と。太らないと念じて食べています(笑)。 ──なるほど、気持ちなんですね。今後やってみたいことはあります? 田鍋 いつか気球に乗ってみたいです。それと最近では、ぬか床を作って、ぬか漬けを自分で作ってみたいと思っています。常に家にぬか漬けがあると幸せだな~と思って。 ──ぬか漬け! 食に関することが多いですね。 田鍋 はい、食を軸に生きています! ──気球には、なぜ……? 田鍋 気球から見える景色はきっとキレイなんだろうな、感動するだろうな~、と。そこでしか味わえない何かが生まれそうな気がします。 ──空を飛びたいというわけではなく、気球に乗りたいんですね。 田鍋 はい、気球に乗りたいんです。 ──逆にぬか漬けのほうが、ハードルが高そうですね。あと、ドラマ以外の仕事でやってみたいことはありますか? 田鍋 わんこそばチャレンジとかやってみたい! プライベートでわんこそばを食べても苦しくなるだけな気がするけど、撮影を通してなら、楽しみながら挑戦できそう。 ──わんこそばは、何杯くらい食べられそうですか? 田鍋 女性の平均がどれくらいなのかわからないのですが、100杯を目指します。 ──ぜひ、いつかチャレンジを。ちなみに食リポの仕事はやったことあります? 田鍋 ほとんどないです。 ──やってみたら、うまくできそうな気がします? 田鍋 え~、できないと思います(笑)。私、真剣に食べちゃうので。 ──食に関するドラマなんかもいいですよね。 田鍋 たしかに! お寿司屋さんとか。でも、これって食べたいだけですね(笑)! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 田鍋梨々花(たなべ・りりか) 2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)、『くるり~誰が私と恋をした?~』(2024年/TBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。
-
重病患者、アセクシュアル、幾多の難役に挑戦してきた女優・田鍋梨々花の現在地
#18 田鍋梨々花(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 田鍋梨々花(たなべ・りりか)。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 「focus on!ネクストガール」 今まさに旬な方はもちろん、さらに今後輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載。 目次幼いころから憧れた『Seventeen』重病患者、アセクシュアル、数々の難役を経験して 幼いころから憧れた『Seventeen』 ──田鍋さんが、この業界を目指したきっかけを教えてください。 田鍋 保育園のときからモデルになりたかったんです。ちょうど姉が『Seventeen』(集英社)を読んでいて、私もそれを借りて見ていたりしていて……いつか載ってみたいなと思っていたら、スカウトされました。 ──保育園のときに『Seventeen』を読んでいたんですね! 田鍋 そうなんです。今思えばあれが『Seventeen』だったなと。子供ながらにペラペラとめくっていました。 ──この雑誌の中に入りたいという感じですか? スカウトされたのはいつごろでしょう。 田鍋 小学5年生のときに、母と『Girls Award』を観に行った会場でスカウトされました。 ──声をかけられたときはどう思いましたか? 田鍋 ずっと事務所に入りたいと思っていたので、うれしかったです! ──ご両親の反応は? 田鍋 「自分がやりたいんだったらいいんじゃない?」という感じでした。 ──そうなんですね。当時、憧れていた人はいますか? 田鍋 特にこの人!というのはいなかったんですけど……というより、まずは芸能界に入ってみたい、そんな感じでした。 ──事務所に入られて、実際にモデルとしての活動をするようになり……初めて撮影したときはどうでした? 田鍋 最初は、めっちゃ緊張しました。すべてが初めてだったので……セットやライトの数に圧倒されて、心臓をバクバクさせながら撮影していました。 ──その撮影が終わったときの感想は……? 田鍋 ほっとしましたね。もう「はぁ―……」みたいな(笑)。 ──初めて雑誌に載った自分を見た感想は? 田鍋 うれしかったです。「わぁ、自分だー!」みたいな感じで。 ──まわりの反応はどうでした? 田鍋 そこまで大きな反応はなかったですね。家族は常に応援してくれていましたし。 ──友達は? 田鍋 友達は、私がモデルのお仕事をしていることをまだ知らなかったです。 ──モデルの仕事をする中で、どんなところにやりがいを感じましたか? 田鍋 最初のうちはただ楽しいからやっていたという感じですね。モデルの大変さはまだ子供すぎてわからないし、ただただ「いいねー!」と言われるのが楽しくてやっていました。 ──逆に大変だったことはあります? 田鍋 季節と真反対の洋服を着て撮影するのは大変でした。特に冬場に薄着をしなくちゃならないのは、寒くてつらかったです。 ──なるほど、それは今でも大変ですよね? 田鍋 はい、今でも大変ですね。 ──夏場と冬場だと、どちらの真逆がつらい……。 田鍋 どっちなんだろう……でも寒いほうがつらいかもしれないです。冬場に薄着をすると声も震えちゃうし、滑舌も悪くなるし。 ──あと、モデルの撮影って朝が早いイメージがありますが、朝は強いほうですか? 田鍋 寝るのが大好きで、お休みの日は夕方ぐらいまで寝ているんですけど、仕事となったら起きられます。眠いんですけど、「朝になっちゃった」と思いながらも、仕事となると行けるんです。 ──プロ意識ですね! 仕事をしていくなかで、仲のよい方はいます? 田鍋 私はけっこう“狭く深く”なタイプなので。地元の友達とか、高校の同級生と遊ぶことが多いんですよね。 ──なるほど、モデルの仕事で気をつけていること、意識していることはあります? 田鍋 人前に立つ仕事なので、見られているという意識を常に持つようにしています。ただ、切り替えがうまいタイプではないので、プライベートから意識するようにしているかもです。 ──普段から人の目を意識をするということ、なるほど。 田鍋 見られていると、勝手に思い込むというか……(笑)。そうするとそれが当たり前になって、仕事でも疲れたと思わなくなるんです。仕事のときだけ意識をしてがんばると、終わったあとで疲れちゃうので、常に気持ちをキープしていたほうが、無理がない気がするんです。 ──そんななかでの、家に帰ってからの息抜きはあります? 田鍋 寝ることですね。あと、深夜にラーメンを食べることもあります。ひとり暗闇で、テレビを観ながらラーメンを食べるのなんて最高です(笑)。 ──部屋でカップラーメン? 田鍋 そういうの、好きです。 ──ラーメンとか、むしろカロリーを気にするのかなと思っていたんですけど、そんなことは全然ないんですね。 田鍋 はい(笑)。 重病患者、アセクシュアル、数々の難役を経験して ──モデルをやっていきながら幅を広げていくなかで、演技の仕事もやるようになってきたと思うんですが、初めての演技の仕事はなんですか? 田鍋 セリフをいただいた一番最初のドラマは、13歳のときに出演した『コード・ブルー』です。 ──撮影していて、印象的だったことはありますか? 田鍋 そのときはお芝居も初めてだったので、決まるとは思っていなくて。経験と思ってオーディションを受けたら、まさかの合格で! 最初はセリフを言いながら手を動かすことすら難しくて、監督に1対1でレッスンをしてもらったりもしました。『コード・ブルー』というすごい作品が最初だったのは本当に貴重な経験でしたし、今にして思うと初めてが『コード・ブルー』でよかったなと思っています。 ──実際に演技をしている自分を画面で見てみて、どうでした? 田鍋 観ていられなかったです。ただただ恥ずかしい!という……ドラマの中の自分の顔を直視できない感じでした。 ──今は慣れましたか? 田鍋 今はもう、大丈夫です(笑)。 ──『コード・ブルー』の撮影中、共演者の方から何かアドバイスをもらったりしました? 田鍋 共演者の方はみなさん優しくて……いろいろと声をかけてくださいました。ただ、私は脳腫瘍にかかっている役で、泣くような緊迫するシーンが多くて……自分のことで精いっぱいでした。だから正直、あまり記憶がないんです。必死に、みなさんについていかなきゃという感じでした。 ──女優さんに伺うと、最初のころは何も覚えていないと言う方がけっこういらっしゃいます。 田鍋 本当に、ほとんど覚えていないんです。 ──演技をしたという撮影の記憶が、意識的に残るようになったのはどのあたりからになるんでしょう? 田鍋 もともと、終わったことはすぐ忘れちゃうんですよね。終わったことは終わったこと、今は今、という感じで(笑)。もちろん、どんなことがあったか、そのときに感じた思いとかは覚えてはいるんですけど、撮影した時期とかを聞かれると、本当にわからなくて……あれ?何年前だったっけ?みたいになることが多い……(笑)。 ──セリフを覚えるのは大変ですか? 田鍋 セリフは覚えられるんです。でもそれ以外のことはなかなか覚えられなくて……たとえば勉強とか(笑)。好きなことだけは、覚えられます! ──台本を読みながら普通に覚える感じですか? 田鍋 そうですね。見ていると“そのまま入る系”なんです。 ──よくいう、映像記憶的な? カメラで撮ったみたいに覚えるみたいな感じですか? 田鍋 はい、見ていたら入っています、けっこう。次はひと言だけだったなとか……そんな感じなんです。 ──けっこういらっしゃるみたいですよね。 田鍋 多いですよね、そのまま入るっていう俳優さん。 ──そうすると……NGなんかも少なかったりするんですか? 田鍋 いえ、けっしてそんなことはなくて(笑)。現場に行くと忘れちゃうこともあります。練習ではあんなに言えていたのに……現場へ行くと急に出てこなくなるとか、全然あります。 ──今までいろいろな役を演じてきたと思いますけど、印象に残っている役はありますか? 田鍋 いっぱいあるんですけど、『コード・ブルー』はもちろんで……あとは『17.3 about a sex』というドラマ(2020年/ABEMA)で、アセクシュアルという悩みを抱えた役を演じたのも印象に残っています。「アセクシュアル」という言葉をそのときに初めて知って、全部イチから勉強して、まったく知らなかった性質のコを演じるのはすごく難しいな、と。結果、学ぶこともたくさんありました。 ──そのときに参考にしたものはありますか? 田鍋 関連する本を読んだり、動画を観たりしました。 ──役を演じたあとは、やり遂げたと感じました? 田鍋 正解は人によって違うと思うんですけど、観た人に何か少しでも共感してもらえたらいいなという気持ちでやっていました。 ──モデル活動からスタートし、何もかもが初体験だった最初の演技を経て、さらにはイメージすることも難しいような難役にもチャレンジすることで、女優としての幅も広げていった彼女。「後編」では、映画初出演となる最新作や、プライベートな話題を聞いていく。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 田鍋梨々花(たなべ・りりか) 2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)、『くるり〜誰が私と恋をした?〜』(2024年/TBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 【インタビュー後編】
-
女優・桜田ひより、二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと
旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 インタビュー【前編】 目次お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』 ──放送中の主演ドラマ『あたりのキッチン!』について伺いたいです。どのような作品ですか? 桜田 はい、今も絶賛撮影中で、お腹が空きます(笑)。撮影中は、本当にお腹がすごく空くんです。 ──(笑)。料理については、どうですか? 桜田 作品内の料理は手軽に作れるもの、家庭料理が多いので、視聴者の方々もまねしていただきやすいかなと思います。この作品自体はグルメに焦点を当てるというより、グルメとハートフルなドラマの要素が組み合わさっているんですよね。 主人公の辺(あたり)「清美」ちゃんはコミュニケーション能力がゼロの大学生で、話が進むにつれて、関わっていく人々によって成長していく過程や、将来の自分についての悩みにもがく姿など、大学生ならではの胸に迫る瞬間も描かれています。観ていただければ、お腹も空きつつ、でも心は満たされる素敵な作品だと思います。 ──『あたりのキッチン!』ではメガネをかけていましたが、今までも桜田さんが演じるのはメガネをかけたキャラクターが多い印象があります。 桜田 メガネをかけてお芝居するのって意外と難しいと思っていて。技術的な問題になっちゃうんですけど、反射でどうしても顔が撮れなかったり、フレームで目が隠れたりということがあって。顔の角度とかも、意識しないとちょっと難しいんです。 ──たしかに。お顔も小さいので、合うメガネを見つけるのも難しいでしょうし。 桜田 メガネの形で、雰囲気も変わってきますし。 ──『家政夫のミタゾノ』の「実優」ちゃんと『あたりのキッチン!』の「清美」ちゃんは、キャラクター的にもかなり違いますが、その演じ分けはどうでしたか? 桜田 楽しいです。どちらもやっぱり演じていて楽しいですし。「実優」ちゃんのように相手のパーソナルスペースにすんなり入り込むことも楽しいですし、「清美」ちゃんのちょっとずつ成長していく姿は親目線というか、がんばれがんばれっていう気持ちで演じているので、それも楽しいです。観ていただく方々に変化を感じていただけることを期待しています。 殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い ──今後、挑戦してみたい役柄はありますか? 桜田 今後……そうですね。まだ制服を着る役にも挑戦できるかなと思うので、制服を着た役や、若さならではの恋愛に焦点を当てた役とか、それと! 刺激的な殺人鬼のような役にも挑戦してみたいと思っています。二十歳を過ぎてから、役の幅もますます広がると思っているので、さまざまな役に挑戦していきたいです。 ──若い女優さんにこの質問をすると、みなさん、殺人鬼の役を挙げるんですよね(笑)。 桜田 わぁー。みなさん、思考がちょっと変わってるのかもしれないですね。私もだけど(笑)。 ──殺人鬼の役を演じたいということですが、今までって、逆に何かに追われる役のほうが多かったりしません? 桜田 たしかに! 追われる役、多いですね。よく森に逃げて、森の中を走り回るシーンが多かったです。 ──ですよね。それと、プライベートの話も伺いたいのですが、最近ハマっているものや気になっていることはあります? 桜田 私、最近何してるんだろう……(笑)。思い出せない……台本を読んでいることくらいしか思い浮かばないです。楽しみを見つけたいと思います。 ──(笑)。何かやってみたいことはありますか? 桜田 マイナスイオンがたくさん出ているような森に行って、癒やされる系の旅館に泊まってみたいです。鳥のさえずりを聞きながら、リラックスできる場所で過ごしてみたいです。私はインドア派なので、思いきって外に出てみたいですね。 ──ちょうど1年くらい前に取材で話を伺ったときには、スカイダイビングをやりたい、と。 桜田 ああー(笑)。スカイダイビングは、ずっとやりたいんです。機会があれば挑戦したい。気球にも乗ってみたいです! 二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと ──去年の12月に二十歳を迎えてもうすぐ1年が経ちますけど、どうですか? 何か変わりました? 桜田 なんにも変わっていません(笑)。仕事は本当に充実した1年で、着実にステップアップしている感覚はあるんですけど、プライベートでは何も変わりませんでした。 ──たとえば、お酒を飲むようになったり……。 桜田 そうですね……お酒も本当にたまにしか飲まないので。しかも基本的に家族と乾杯することが多いです。 ──なるほど。まわりからの期待など、二十歳になって変わったと思うことはありますか? 桜田 そうですね、仕事先で、作品を観たよ、よかったよ、と褒めていただく機会が増えたと思います。すごくうれしいです。 ──あと、現在思っている(スカイダイビング以外に)今後、挑戦してみたいことってあります? 桜田 冬に「かまくら」をつくってみたいです! これまで「かまくら」をつくったことがないので、試してみたいです。家の中でやりたいことは、だいたいやってきたと思うので。連れ出してくれる何かがないと、外に出られないんです(笑)。だから「かまくら」をつくりに行きたいですね。 ──「かまくら」づくりは、けっこうコツがいるんですよね。 桜田 崩れないようにがんばりたいです。手先が器用だと思うので、できる気がします(笑)。 ──体力も……。 桜田 体力も意外とあると思うので……がんばります! ──具体的にこのあたりへ行きたいとか、考えている場所はありますか? 桜田 北海道でおいしいものを食べたいですね。特に海鮮系。 ──北海道でおいしいものを食べて、「かまくら」をつくって、気球に乗って……。 桜田 森の鳥のさえずりを聞きながら(笑)。 ──ぜひ、そういう仕事を。 桜田 お待ちしております(笑)。 ──(笑)。最後に……日常生活で気をつけていることとか、普段やっていることはありますか? 桜田 撮影中はお弁当を食べることが多いので、時間があるときは、サラダや野菜を摂取して身体のバランスを保つようにしています。睡眠にも気をつけています。睡眠不足になると肌が荒れたりするので、スキンケアや身体のメンテナンスは、ゆとりがあるときに心がけていますね。最近は特に。 ──料理とかも? 桜田 たまに自炊もします。家族が食べたいものをつくったりしています。簡単なスープをつくったりすることが多いですね。 ──いわゆる冷蔵庫にあるものを使って……。 桜田 レシピさえあれば、基本なんでも! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
-
「抜くときは抜いて、自分らしく楽しむ時間を作る」橋本和明のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 『有吉の壁』をはじめ、演出家・ディレクターとして日本テレビで多くの人気番組を手がけてきた橋本和明さん。2024年の独立以降は、テレビ番組や配信番組だけでなく、幅広いコンテンツに携わっている橋本さんに、その好奇心の源や、忙しいなかでのサボりについて聞いてみた。 橋本和明 はしもと・かずあき 1978年、大分県生まれ。東京大学教育学部を経て、東京大学大学院人文社会系研究科修了(社会学修士)。2003年、日本テレビ放送網株式会社入社。『有吉の壁』『有吉ゼミ』『マツコ会議』の企画、総合演出を務めヒット番組に。ほかにもドラマの演出・プロデュースや、映画監督なども務める。マツコ・デラックスをアンドロイド化した『マツコとマツコ』は、カンヌ広告賞でブロンズ賞を受賞。2023年、日本テレビを退社し、株式会社WOKASHIを設立。 原点は、大学時代に立ち上げたコント集団 ──橋本さんのルーツとして、大学の落語研究会での活動があるそうですね。 橋本 はい。東京大学の落語研究会でコントをやっていました。どうしてもコントがやりたくて、自分で「ナナペーハー」っていうコント集団を立ち上げたんです。作家の別役実さんのコントセミナーに通ったりして、自分で台本も書いて。とにかくお笑いがやりたかったので、「カジュアル兄弟」っていう恥ずかしいコンビ名で漫才もやってましたね(笑)。 ──大学時代はお笑いひと筋だった。 橋本 大学院に進んだのも、コントを続けるために大学生活を延ばそうという一心からで、お笑いへの熱量は当時から高かったと思います。学園祭でのライブにも力を入れていて、最初は20人くらいしか集まらなかったけど、客引きなどをがんばって盛り上げて、最終的には3日で1000人くらい動員できるライブにしていって。 学園祭でのライブが自分にとっての原体験なんですよね。お客さんが目の前で笑ってくれる、ライブを観て喜んでくれるって、やっぱり何事にも代えがたいことなんですよ。「生きててよかった」って本当に思うくらいで。芸人さんがお笑いをやめられないのも、すごくよくわかります。 ──そのまま芸人になるという道は考えなかったのでしょうか。 橋本 芸人になる勇気はなかったというか、自分がそこまでおもしろいとは思えなかった。同じ世代でお笑いをやっていた学生の中でも、かもめんたるや小島よしおさんがいたWAGEや、脳みそ夫さんなんかはプロになれると思っていたけど、自分は演者としては無理だなって。それで、テレビ局の入社試験を受けてみたら、たまたま日テレに拾ってもらえたので、運命だと思ってテレビの道に進みました。最初は報道採用だったんですけど。 ──報道だったんですね。意外です。 橋本 でも研修を受けてみて、やっぱり人間性的に報道は無理だなと。それで、人事に「報道じゃないと思うんで、舞台やりたいです」と言ったら、「甘えるな」ということで制作現場に配属されました。それでいつの間にかバラエティをやることになったっていう。これも巡り合わせですね。 準備を重ねた上で、予定調和が崩れる瞬間がおもしろい ──テレビ番組作りとなると、学生時代のライブとは違うと思いますが、ノウハウなどは現場で学んでいくものなのでしょうか。 橋本 そうですね、入社当時はまだテレビ界が近代化する前だったので……(笑)、ADとして徹夜で仕事するとか、きつい下積み時代がありました。それでも自分の企画をかたちにしたくて、企画書を山ほど提出して。2年目でようやく深夜番組の企画が通って、3年目でディレクターになって、7年目にゴールデンでレギュラー番組を担当するようになりました。 その後も、『ヒルナンデス!』の演出をやったり、『有吉ゼミ』を立ち上げたり、10年ぐらいはずっとバラエティ畑で。12年目でようやく『有吉の壁』というお笑いに特化した番組をやれるようになったんです。 ──『有吉の壁』まで「お笑い番組」と呼べるものは手がけられていなかったんですね。企画は出していたんですか? 橋本 めちゃくちゃ出してました。お笑い番組ってなかなか企画が通らないんですよ。『有吉ゼミ』が当たって、ようやく「そろそろこいつにお笑いやらせてやるか」と思ってもらえたんじゃないかな。でも、バラエティディレクターとして地肩を作る期間は必要だったと思います。 『有吉ゼミ』で初めて当たったのが、坂上忍さんが家を買う企画なんですけど、芸能人が本当に家を買うわけで、そこでリアルであることの大切さを実感しました。リアルなものをそのまま届けることで、バラエティとしての強度が生まれる。『有吉の壁』でも、その点は大切にしています。芸人さんたちがその場でネタを披露して、有吉(弘行)さんが即興で○×をつける。その様子を視聴者のみなさんにショーとして見せるって、リアルなことじゃないですか。 ──たしかに、芸人さんたちのリアクションや生き様なども含め、ドキュメンタリー的な魅力を感じます。 橋本 そうなんですよ。バラエティにおけるドキュメンタリー要素って年々強まっていて、ドキュメンタリー性がないものは観てもらえなくなってきてるんですよね。YouTubeやInstagramなどのあらゆる動画が視聴者の見る目や世界を変えたんだと思います。それによって、テレビが自ら現象を作って当てるようなことが難しくなり、リアルをいかに切り取って、人の感情を導くかという方向に舵を切るようになっていった。 そこで、観ている人の感覚をすくい取る能力がより重要になってくるんですけど、僕がずっと番組で伴走してきた有吉さんとマツコ(・デラックス)さんって、その天才なんですよ。ふたりとも台本がいらないタイプで、その場の肌感で流れを作ることができる。ふたりのそばにいるなかで、自分もそういった感覚が培われたというか、チューニングできるようになってきたところはあると思います。 ──では、台本や企画の狙いなどは用意しつつも、収録はその場の流れで進めていく、といった作り方が多いのでしょうか。 橋本 そうですね。『マツコ会議』なんかも、テーマについて調べたり、いろんな人に会ったり、準備に準備を重ねるのですが、収録では現場で起きたことに流されていました。マツコさんが、画面の端っこに映っていたこちらが意図しない人を「おもしろい」と言ったら、その流れに乗っていく。こちらが考え抜いて準備した予定調和が崩れていくからこそ、それを超えたものが生まれるんだと思います。 ──企画当初のビジョンに捉われると、それ以上のものは作れない。 橋本 そう、全部が崩れる瞬間が最高におもしろいんです。『有吉の壁』で、プールの水面に浮かんだゴザの上を走って、浮島で大喜利のお題に答えるというコーナーをやったんですけど、U字工事の益子(卓郎)さんがプールから上がってこない。みんなが「どうした?」って聞くと、結婚指輪を落としたと。 そうしたら、出演者がみんなで指輪を探し始めたんですよ、濁ったプールの底を足で探りながら。有吉さんも「指輪を見つけた人が優勝です」って言い出して、結果、パーパーのあいなぷぅが指輪を見つけるというミラクルを起こして優勝した。その瞬間、もとの企画とかそれまで獲得したポイントなんてどうでもよくなるんですよ。でも、結婚指輪をなくして焦る益子さんも、それをなんとかしなきゃと思う芸人さんたちの愛情も、全部リアルじゃないですか。あのときはすごいものが撮れたなと思いましたね。 答えのない問題と向き合う楽しさ ──独立後の活動について伺いたいのですが、やはりメディアなどの幅が広がると作る感覚も違うものですか。 橋本 全然違いますね。TikTokで『本日も絶体絶命。』っていうコント番組を始めたんですけど、10代のお客さんも多いなかで、最初の1秒半が勝負のコンテンツをどう作ろうか、参加してくれたハナコやかが屋、吉住と現場で議論しています。それで、振りの部分をバッサリ切って、何かが起こるところから始まるコントを作ってみたり。またそういう経験によって、テレビを作る上での視点も広がるんですよね。 ──いろんなルールの中で考えていくことで、引き出しも増えている。 橋本 そうなんです。いろんなルールを知って、いろんなテクニックを持っているほうが、これからの時代、絶対おもしろいと思うんですよ。バラエティの世界も、これからはコンテンツありきで進む、コンテンツファーストの時代になるはずなので、テレビマンとしての可動域を広げる必要が出てくる。独立してからの経験は、そのためのトレーニングになっていると思います。 ──逆にテレビマンとして鍛えてきたものが、ほかのメディアで活きていると感じることはありますか? 橋本 テレビで10年以上鍛えてきた力はすごく大きいです。特にたくさんのスタッフさん、タレントさんを活かしてプロのコンテンツを作ることって、テレビじゃないとできない経験なので。Netflixさんとお仕事してもAmazonプライムさんとお仕事しても、結局出てくるのはテレビ畑の人だっていう実感があるわけですよ。 そういう意味では、コンテンツメーカーとしてのテレビ局の未来って、全然暗いものじゃないと思います。マンガ業界はIP(知的財産)活用や海外進出など、マネタイズが多角化してより才能が発掘できるようになりましたが、テレビ業界も同じような進化をしていかなきゃいけないフェーズに差しかかっている。そこでテレビの真価が問われるようになったとき、多くの仲間と新しい表現に挑戦したいという気持ちはすごくありますね。 ──過渡期の中に身を置くことは不安や怖さもあると思いますが、橋本さんからはワクワクしたものを感じます。 橋本 楽しいですよ。日々いろんなお話をいただいて、「こんな宿題があるのか、こんなテーマがあるのか、どうしよう」って思いながら、答えのない問題と向き合っています。答えがないなかで第一投を投げることは怖くもありますが、見たことがないものを見ることができる楽しさもあって、刺激的なんですよね。 原点に立ち戻って、手作りで好きなことをやりたい ──さまざまなメディアでの展開のほかに、新たにユニットも始められるそうですね。 橋本 timeleszの佐藤勝利くんとダウ90000の蓮見翔くんと3人でコントユニットをやるんです。まずは『佐藤勝利のすべて』という、佐藤勝利がコントライブを作るまでのドキュメンタリー的なものをYouTubeでやって、実際に劇場でコントライブもやるっていう。これは仕事というより、好きな仲間と好きなことをしたいね、っていう話から始まった企画なんですけど。3人とも本当にお笑いが大好きで。 ──佐藤さんもお笑い好きなんですね。 橋本 そうなんですよ。普段、あまり表には出さないけどすごくお笑い好きで、自分でもやりたいってずっと言っていたので、こんな時代だし、やっちゃってもいいんじゃないかという話になって。今は3人で毎週朝10時から定例会議をやっています。スタイリストさんへの発注とかロケ場所の予約とかも勝利くんが自分で電話したりして、完全に手弁当です(笑)。 ──そんなに手作りなんですか? 橋本 そう、手作り。全部自分たちでやっています。テレビ局や配信プラットフォームに企画として持っていくと、仕事になっちゃうじゃないですか。でも、ここでは違うことをやりたい。再生回数も宣伝方法も考えず、やりたいこと、楽しいことをやりながら、だんだん仲間が増えていったらいいよね、って話しています。11月11日〜13日にニューピアホール竹芝で旗揚げのコントライブをやるんですけど、3人ともワクワクしながら中身を作っています。 だから、大学時代にコント集団を作ったっていう原点に戻ってるんですよね。ビジネスとして結果を出さなきゃいけない仕事が続いて、それはそれで楽しいんだけど、一方で自分が本当にやりたいこと、愛せるものを確立しておきたくて。それが今になって気の合う仲間とできるって、めちゃくちゃ贅沢なことだと思うんです。そのぶん、めちゃくちゃ大変ですけど。 ──でも、そういう熱量の高いコンテンツは時代にも合っている気がします。 橋本 今っぽいですよね。想いや熱量を応援してもらうっていう感覚がすごく強くなったと思います。ただ、YouTubeチャンネルもやるんですけど、再生回数競争に巻き込まれて実態を暴露したり、キツいことを言ったりしなきゃいけないような感じからも自由になりたいんです。 個人的にも、ギスギスしたものや、人間の本性を暴くようなものが苦手なんですよね。細々でもいいから、誰かを悪く見せることなく、仲間と楽しい場所を作って、応援してくれる人を増やしていきたい。そうやって生きていくことが自分の人生の目標というか、そういう場所にたどり着きたいと今は思っています。 サボって罪悪感を溜め込むからこそがんばれる? ──橋本さんのサボりについても伺いたいのですが、忙しいなかでついサボりたくなることはありますか? 橋本 昔からサボり癖はひどくて、できれば働きたくないと思うようなタイプなんですよ。休みの日は起きれなくてずっとゴロゴロしてたりしますし、夏休みの宿題は残り2日くらいまでやらなかったし。でも、サボるって罪悪感があるじゃないですか。その罪悪感を溜め込むことが僕にとっては大事なんですよね。 やっぱり人間って、サボるとそれを取り戻そうとがんばるじゃないですか。サボることは、がんばるための貯金になるんですよ。サボってサボって、自分を追い込んでようやくがんばれる。最後に帳尻が合っていればいいわけですから。 ──ダッシュするための溜めがサボりなんですね。サボりの反作用に自覚的な方の話はあまり聞いたことがなかったです。 橋本 だから、何をサボっているか、その実感だけは忘れないようにしています。「これとこれで人を待たせているけど、今日はやらずに映画を観に行こう」となっても、ちゃんとサボったことを覚えていて、翌朝急いでやれば許してもらえるだろう、みたいな。 でも、みんなそんなもんじゃないんですかね。リモート会議を仕切っているときも、画面をオフにしている人たちはそれぞれメシ食ったり、横になったりしながら聞いてるんだろうなって思ってます(笑)。でも、別にそれでいいというか。僕だって、横になってお菓子を食べながらVTRをチェックすることもありますから。 ──やることをやっていればいい。 橋本 多少サボっても、ここだけは押さえておかないと事故が起こる、人と揉めてしまう、失敗してしまう、といったポイントはわかっている。プロってそこが大事な気がします。逆に、サボってるという自覚がない人のほうがやりにくいこともありますよね。罪悪感もないまま、何も進めてくれなかったり……。 あと、サボってるときのほうがいろいろ思いつくんですよ。オンの状態で企画に意識が向きすぎても、いいアイデアって浮かばなくて。そこでいったん放置しておくと、シャワーを浴びたりしているときにふと思いつく。泳ぐのが好きで、無心で泳いでいるときに企画を思いつくことも多いです。やっぱり根を詰めるだけじゃなくて、抜くのも大事なんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「仕事もサボりも、その場に足を運んで体感したい」小西朝子のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 コント好きや演劇好きから一目置かれているイベント『テアトロコント』。そのキュレーションを手がけているのが、ユーロスペースの小西朝子さんだ。お笑い芸人や演劇人からの信頼も厚い小西さんのコント愛、演劇愛を伺いながら、そのアクティブなサボり方にも触れた。 小西朝子 こにし・ともこ 2015年、有限会社ユーロスペースに所属。東京・渋谷にある劇場「ユーロライブ」で開催されるコント公演『渋谷コントセンター』を担当。持ち時間30分でコント師と演劇人が競演するイベント『テアトロコント』のキュレーターを務めている。 公演の意義を熱弁したら、いつの間にか運営スタッフに ──小西さんがユーロスペースに所属し、コントライブを手がけるようになった経緯を教えてください。 小西 2014年の11月にユーロライブ(東京・渋谷にある劇場)が開館して、劇場主催の月例公演として『渋谷コントセンター』が始まったんですけど、それを普通に観に行っていたんです。劇場主催で、芸人さんの持ち時間が3〜5分ではなく30分というコンセプトがおもしろいし、いい試みだなと思っていました。でも、全然お客さんがいなくて。 それで、誰も気づいていないけど、劇場が主体となって発信して交流を生むことがいかに大事で、そうした場がいかに貴重か、といったことを小論文みたいにしたためた手紙をユーロライブに送ったんです。 ──すごい情熱ですね。 小西 当時読んだ、平田オリザさんの『芸術立国論』という本の影響などもあったと思います。そうしたら、社長の堀越(謙三)さんが読んで、連絡をくださって。30分という上演時間によるコントと演劇の違いは何か、コントと演劇を混ぜたらおもしろそう、といったことも手紙に書いたら、『渋谷コントセンター』と同じフォーマットで演劇も入れた公演をやってくれないか、みたいなことを言っていただいたんです。それがきっかけですね。 その公演が、『テアトロコント』なんですけど、最初は制作スタッフとしてテアトロコントだけを担当する感じだったのが、だんだん劇場のこともやるようになって、気がつけばユーロライブを運営している人になってしまいました(笑)。 ──最初からキュレーションなどもされていたのでしょうか。 小西 1回目は先に決まっていて、2回目からはキュレーションも含め好きにやらせてもらっていました。演劇のほうは、お笑い芸人を名乗っていないけど劇場でコント公演をしているような方々をブッキングして。最初のほうはただただがむしゃらでしたね。関係性のない方をゲストに呼んでアフタートークをお願いしたり、今だったら足踏みしてしまうような挑戦的だけど危なっかしいこともやっていました。 ──今はどんな基準でキュレーションをされているんですか? 小西 お笑いも演劇も、ファンの方ばかりじゃない場でも成立して、ウケることがひとつの基準ですね。あとは、新しいことをしていたり、そんなにお客さんを抱えていなかったりするような方もブッキングすることがあるんですけど、その基準を言語化するのはちょっと難しくて。私なりに「この人たちのものづくりは信頼できる」と思えるかどうかというか。強いて言葉にするなら、「人の意見やお客さんのウケに左右されず、自分がおもしろいと思うことをブレずに追求できているか」みたいなことかもしれません。 おもしろさを体感することが一番 ──ブッキングしたくなるようなおもしろい人たちは、どのように見つけているんですか? 小西 ひたすら劇場に観に行っています。それが一番おもしろさを体感できるので。特に信頼できる方から「おもしろいよ」と紹介されたものはできるだけ観るようにしていて。YouTubeなどの動画も観ますが、あまり集中力が続かないんですよね。ただ、YouTubeではたまに「コント」で検索して、芸人さんなのかどうかもわからないような人たちが上げているコントを観ることもあります。 ──キュレーターとして目をつけるポイントと、個人的なツボや好みに違いはあるのでしょうか。 小西 私は一緒かもしれないです。集客につなげるためにはバランスのいいブッキングをしたほうがいいかもと考えたこともありましたが、「それって私自身がやる意味があるのかな?」と思って。最近は自分の好みを判断基準にした、いわば偏ったブッキングのほうがいいと考えるようになりました。それぞれの価値観で選ぶキュレーターがいっぱいいることで、多様性も生まれるはずなので。 ──そのほうが「この人たちはおもしろいから観てほしい!」という熱も高くなるんでしょうね。 小西 はい。それが一番だし、たぶんそれしかできないなと。「おもしろいらしいです」って紹介するのが一番よくなくて、私がしっかり「おもしろいです」って言えないとお客さんにも悪いと思うんですよ。 ──お笑いも演劇も幅広く観られているなかで、最近の演劇シーン、コントシーンについてはどう見えているのでしょうか。 小西 テアトロコントを始めたときは、演劇とお笑いは別物だという壁があったように思いますが、最近はその壁がなくなってきている気がします。テアトロコントについても、以前は演者の方にそんなに興味を持たれてなさそうだなと感じることもありました。 でも最近は、演劇とお笑いの垣根を感じさせない方の話をよく聞くようになったんです。先日もアンパサンドさんという劇団と春とヒコーキさんというコンビに出てもらったんですけど、春とヒコーキさんがもともとアンパサンドさんを好きで観ていて、一緒になってうれしいと言ってくださいました。 さまざまな交流を生む場をつくっていきたい ──お笑いと演劇の交流について、テアトロコントをやっていて手応えや意義を感じられたことはありますか? 小西 そんなに大きな話ではないのですが、普段は積極的に演劇を観ないという芸人さんや、コントを観ないという劇団の方が、共演者の演劇/コントを観て、楽屋で少し話したりする。そういう交流から何か思ってもらえたら、一番うれしいですね。 特に演劇だとほかの組と一緒になる公演がそもそも少ないので、自分たちの上演を観たお客さんがほかの組の上演を観て別の反応をしていることが刺激になるみたいで。芸人さんのウケ方を目の当たりにして、「もっとウケたい」「もっと笑いを取り込みたい」と思って帰る方もいたりします。 ──30分上演するコントと演劇は何が違うのか、といった問いかけもありましたが、実際に同じ場で上演するなかで違いを感じることはあるのでしょうか。 小西 如実に違うのは、作る環境というか、文化ですね。演劇はやっぱりスタッフワークというか、照明、音響、制作、舞台美術、舞台監督といった役割込みで完成形に持っていく感じですが、芸人さんは本当に身ひとつなんです。単独公演では演劇寄りの制作体制でやっている芸人さんも、演劇とはまたちょっとやり方が違っていて。そこが近づくと、より多様な表現が生まれそうな気もするんですけどね。 ──テアトロコントについて、今後の展望などはありますか? 小西 テアトロコントは関西の劇団の方にもちょくちょく出てもらっていて、そういうご縁もあるので、関西でテアトロコントをやりたいなとは思っていました。コロナ禍になってその展望が一度潰えてしまったんですけど、また関西公演みたいなかたちでやれたらなと思っています。関東で活躍している方々にも参加してもらって、場所を超えた何かができたらいいですね。 ──コントと演劇という垣根だけでなく、地理的な垣根も引っかき回せたらおもしろそうですね。 小西 そうですね。お笑いでも劇団でも、関西の方って東京でもう一度売れないといけない、といったハードルがあるので、関東で認知を広めるお手伝いができたらいいですね。逆に、関東を基盤にしている方でもツアーができるような劇団じゃないと関西公演をやるような機会がないので、そのお手伝いもしたいですし。そういう活動をしていれば、地方で演劇やお笑いをやる人も増えるんじゃないかと思っています。 サボるために出かけるのか、サボるから出かけるのか ──小西さんは、やらなきゃいけないことを先延ばしにしてしまうようなことはありますか? 小西 テアトロコントの告知が迫ってきて、早くブッキングしなきゃいけないのに事務作業をやっちゃうようなことはあります。コントのことは置いておいて、とりあえずメールの返信をするとか。事務作業って、やればやるだけ進んで、仕事が消えていく感覚があるんですよね。 ──では息抜きみたいなことも意識するのでしょうか。 小西 やっぱり息抜きをしないと効率が悪くなってくることはありますね。そういうときは劇場とかじゃなくて、神社仏閣や史跡を巡ったりします。歴史が好きなので、本やドラマでポイントとなっていた場所に行くことが多いです。(NHKの大河ドラマ)『鎌倉殿の13人』に出てきた伊豆山権現に行ってみたり、読んでいた本で取り上げられた唐招提寺に行ってみたり。 ──いわゆる「聖地巡礼」的な。 小西 そうですね。劇場に行くのと同じで、実際に足を運んで体験することが私の中で一番大事なので。「寺が思ったよりデカい!」とかでもいいんですけど、その場で感じたこと、受け取ったものって、積み重なっていくような気がするんです。普通に温泉に行くのとかも好きですけどね。 ──日常的な小さな息抜きだと、どんなことが思い当たりますか? 小西 それも結局、どこかへ足を運ぶことかもしれないです。音楽のライブに行ったり、外でごはんを食べたり。もしかしたら、すごくサボりやすい人間なのかも。家に帰ると何もしないから、どこかへ出かけてるんじゃないかと思います。 ──それも嫌々だと続かないはずなので、やっぱり出かけること自体が好きなんでしょうね。 小西 そういえば、無理をしないことは大事にしてますね。「行きたい」ではなく「行ったほうがいい、行かなければならない」と思ってしまったことは、義務というか労働になってしまうので、やらないと決めています。 ──それは、絶対に観たほうがいい話題の映画でも、気分じゃないなと思ったら観ない、みたいなことですか? 小西 そうですね。ただ、トータルで「観たい」が大きくなるときもあるじゃないですか。乗り気ではなかったけど、観た人と「あの映画観ました」って話せるかなと思ったら「観たいかも」という気持ちが大きくなるとか。いろんな動機があるなかで、それでも「やらなければならない」と思っていたらやめる、という感じですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「仕事みたいに遊んで、遊びみたいに働く」林雄司のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、会社員として人気WEBメディア『デイリーポータルZ』の編集長を長年務め、2024年に独立し、デイリーポータルZ株式会社の代表として同サイトの運営を続けている林雄司さん。会社員時代から背伸びをしない等身大のビジネス書を手がけるなど、どこかサボりの香りがするクリエイターである林さんの「サボり観」を聞いてみた。 林 雄司 はやし・ゆうじ デイリーポータルZ株式会社代表。2002年に立ち上げたWEBメディア『デイリーポータルZ』をはじめ、『Webやぎの目』、『死ぬかと思った』などのサイトを運営。『世界のエリートは大事にしないが、普通の人にはそこそこ役立つビジネス書』(扶桑社)、『ビジネスマン超入門365』(太田出版)など、独自視点のビジネス書なども手がけている。 本当は「できませんでした」で終わりたい ──林さんは『デイリーポータルZ』を20年以上運営されてきましたが、独立による変化というのはやはり大きいのでしょうか。 林 単純に忙しくなったというのはありますね。編集が僕を入れてふたりになっちゃったんで、現場に同行するだけで1週間が終わっていく感じで。あと、営業もいないので、広告の引き合いなどがあっても対応が遅くなってしまったり、費用を安く言っちゃって後悔したり、そういうつらさもあります。 「いったん持ち帰ります」とか「僕はやりたいんですけど、上が……」とか、会社のせいにできなくなったんですよね(笑)。前は安めに言っちゃっても「上から言われまして」っていう言い訳で訂正できたのに、それが使えないのはけっこう厳しいなって思ってます。 ──誰かのせいにできないのは地味につらいですね。自分で会社をやるとなると大変なことも多いと思います。 林 でも、会社にお金が入ってくるのは、意外とうれしかったです。「もっと制作費を抑えればお金が余る」みたいな悪魔の誘い的な声が聞こえてきたりして、経営者がお金儲けに夢中になっていく気持ちがわかってきました。 ──では、『デイリーポータルZ』自体の変化について伺いたいのですが、WEBメディアとして、時代による変化をどのくらい意識されているのでしょうか。 林 けっこう意識してるつもりで、実際に変わってると思います。2000年代は、インターネットで『デイリーポータルZ』みたいな記事を読む人も少なかったんで、変わったことをやっていればいいというか、サブカルチャーな感じでしたね。「工作しようとしたけど、できませんでした! いや〜失敗、失敗」みたいな読み物も受け入れられていた。 でも、今は結果を求められるようになって、「できませんでした」って言ったら「なんで完成してないのに記事に載せてんだ、ちゃんとやれ」みたいに言われてしまう。今、YouTubeにも器用な人がいっぱいいるじゃないですか。下手な人がいないので、下手を売りにできなくなったというか。本当はね、失敗した人が落ち込んだりしてるところがおもしろいと思うんですけど、そういうのは受け入れられなくなった気がします。 ──たしかに、結果や情報が主体で、ドキュメント性の少ないコンテンツが多いかもしれません。 林 ホームセンターに行って材料買わなきゃいけないのにアイス食ってるとか、そういうのはないですよね。 ──「材料は100均で買えるよ!」でおしまいですもんね。実際に行ってみたらなかったりするんですけど。 林 ないんですよねぇ。まあ、僕も10秒ですごいものがバーンとできる動画とか、回ってくると見ちゃうんですけど。だから記事のほうでも、最近は「できない」で終わるものはなくなってきたと思います。ただ、「あんまりできるようになってほしくないなぁ」というのが正直なところで。ライターには得意なことばかりしないようにお願いすることもありますね。 ──では、逆に変わらず大事にしているようなことはありますか? 林 書き手のキャラクターが見えるようにはしています。人に読んでもらうために、入口は「すごく辛いカレーを出す店がある」といった“情報”にしましょうと言ってるんですけど、そこから「実家のカレーより辛い」とか、自分のことやよけいなことも書いて、書き手の存在を見せるようにしたい。そこはブレずにやってますね。 あと、ただ奇を衒(てら)うんじゃなくて、動機となるような軸があるかどうかは大事にしてます。以前、「豚の鼻を食べる」という企画があがったんですけど、企画したライターが特に豚の鼻に思い入れがあるわけでもなかったので、そういう場合は「じゃあやめよう」と言っています。逆にディズニーみたいな王道のテーマでも、ライターが個人的にすごく好きで、「ここが!」っていうポイントがあるなら扱ってもいいかなと思ってます。 やるべきことをすぐに始めたくない ──独自のおもしろさを追求して、記事として発信したりしていると、人から「楽しく働いている」と思われがちなんじゃないかと思いますが、実際のところどうなんでしょうか。 林 楽しく働くようにはしてます。本当に仕事してんのか遊んでんのかわかんないような感じで、なるべくやりたい仕事だけやるようにしていて。生意気ですね(笑)。でも、最初に「イヤだな」と思った仕事を、お金になるから、お世話になってるから、次につながりそうだから、みたいに考えて受け入れると、結局「うわ、やんなきゃよかった……」ってなるじゃないですか。だから、最初の直感は意外に正しいというか、大事にしてますね。 ──とはいえ、お仕事なので楽しいだけではないかと思いますが、現場や会議などで人と楽しくやるためのコツなどはありますか? 林 企画やアイデアにダメ出ししなきゃいけないときは、ひたすら低姿勢でお願いしてます。現場でも、思いつきで新しい提案をしてきた人に「却下」って言わなくちゃいけないときは、できるだけ冗談っぽく言うようにしてます。それくらいですかね。 ──林さんが機嫌よくやっていて、周囲の機嫌も損ねないようにしている。地味だけど、チームで動くときは大事なことかもしれませんね。 林 機嫌が悪い人がいたらイヤですよね。だから僕、お菓子買って行ったりしますよ。あと、撮影で集まっても20分ぐらいダラダラしゃべって、なかなか始めない。来てすぐ始めようとする人には「ちょっと待って。おしゃべりしましょう」って言いますから。「なに効率よくやってんだ」っていう(笑)。無駄話も大事にしてますね。 知りたいこと、わからないことは増え続ける ──「くだらないことをおもしろがって楽しむ」って、年齢とともにモチベーションが下がるというか、できなくなってきませんか? 林 そういうことはないですね。たぶん、自分には子供がいないし、介護もしていないので、くだらないことに時間を使えるのが大きいと思います。興味を持つ対象なども変わらずで。何かを知れば知るほど、またわかんないことが増えて興味を持ったりしています。 でも、下品な企画は恥ずかしくなってきたかもしれない。この前も検尿用の折りたたみ式のコップが売られているのを見て、「これで飲み会やったらおもしろいかな」と思ったんだけど、さすがにそういうことはやれなくなりました。「若かったらまだかわいげがあるけど、おっさんがやってたらキツいな、見たくないな」って。 ──たしかに、人からの見え方は変わっていくので、そういう意味で「いい年だから」とブレーキがかかることもありますね。 林 だから、僕が若いYouTuberだったら、きっと炎上してたと思います。ちょっと前に、交差点に布団を敷いて怒られたYouTuberがいたんですけど、僕、企画メモに同じこと書いてましたから。「本当にやらなくてよかったな〜」と思いました。 ただ今後、YouTubeは照れずにやってみたい気持ちもあります。無駄話的なものや、その場の雰囲気、行間的なものを伝えるのなら、動画がいいんじゃないかと。工作するつもりが、木材を買うのに右往左往してるだけの動画とかいいですよね。 ──ほかに今後やってみたいことなどはありますか。 林 笑い屋さんを呼んで、絶対に爆笑になるお笑いイベントをやりたいと思ってるんですよ。スベるのは恥ずかしいじゃないですか。でも、これなら何をやったってウケるので、気持ちがいいっていう。実際に笑い屋さんの事務所に電話してみたら、けっこう安くお願いできることがわかったので、演者からお金をもらえば成立するんじゃないかと思ってるんです。素人参加型のオープンなイベントにして、おもしろいことをやりたい人たちを仲間にできたらいいですね。 屋上でサボるのが好き 愛用の双眼鏡で東京を眺める林さん ──林さんの「サボり」について伺いたいのですが、サボりと聞いてどんなイメージが浮かびますか? 林 喫茶店にいる会社員のイメージ。僕は打ち合わせに行くと、絶対にまっすぐ帰らず喫茶店に入っちゃいますね。スマホを見ると負けた気がするので、ぼーっと外を眺めたり、ひたすらぼんやり過ごすんです。 あと、展望台にも登ります。「三軒茶屋に来たから、キャロットタワーに登ってみよう」とか。休みの日にわざわざ行かないけど行くとおもしろい場所って、サボるのにちょうどいいんですよ。渋谷に事務所があったときは、渋谷スクランブルスクエアの年間パスポートを買って、しょっちゅう屋上に行ってました。 ──展望台や屋上では何をしているんですか? 林 アプリで上空を飛んでいる飛行機がどこの会社なのかわかるので、それを調べたりしてます。あと、屋上が好きすぎて双眼鏡を買っちゃいました。星空を見るための、倍率が低くて視野が広い双眼鏡があって、それで東京を眺めるんです。 アプリで飛行機を特定する林さん ──サボりグッズを日常的に所持している方は初めてです。さすがですね。ほかにも携帯しているものはあるのでしょうか。 林 いろいろ持ち歩いてるんですよ。温度と気圧のログが取れる温湿度計とか、液体とか金属の温度が測れる温度計とか。あんまり使ってないんですけど、何か測りたくなったときに「持っておけばよかった〜」って思うのが癪(しゃく)なんで。前に、西陽に当たってすごく熱くなったゴミ箱があって、温度を測りたかったのに測れなかったのがすごく悔しくて。 もしものために携帯している温度計 ──サボってはいるけれど、ちゃんとネタにしている感じもしますね。 林 記事になるかはわからないけど、気になったことは調べちゃいますね。スクランブルスクエアの屋上から見たら、品川方面のビルの高さがみんな同じだったので調べてみたら、羽田空港があるから高さの制限があるとわかったり。そういう発見はメモしてます。 趣味は「一銭にもならない仕事」 ──著書の『ビジネスマン超入門365』でも、サボりのテクニックのようなものが紹介されていますよね。「どこかに直行したことにするときは、つじつま合わせの行き先をメモしておく」とか。こういったものは、どのくらいご自身の経験がもとになっているのでしょうか。 林 ほとんど自分が経験してることかな。「直行直帰」ってホワイトボードに書いたときは、ちゃんとウソを貫き通せるように設定を考えてました。人事の人が見てたりして、バレるとけっこうな怒られ方をするので……。でも、会社を辞めてみると、やっぱり会社員ってラクだったなって思うんです。だって、雇われてる側としては、最小の労力でお金もらうべきだし、なるべくサボったほうがいいですもんね(笑)。 ──では、もっとシンプルに息抜きや趣味として楽しんでいることはなんですか? 林 趣味ってあんまりないんですよ。全部が趣味みたいなものだけど、仕事に関わらないものがほぼないので。パソコンでゲームをやっても、トラックで荷物を運んだり、車を洗ったり、パソコンを直したりしていて、遊んでるときにやってることが全部仕事っぽくて。一銭にもならない仕事は楽しいですね。 ──「一銭にもならない仕事」って、もう趣味ですよね。 林 そうですね。知り合いの経営者も、スキマバイトアプリに登録してコンビニでバイトしてるって言ってました。現場で働くのが楽しいみたいで。僕も知らない業界のハウツー本が好きで、本当はSEOの本とか読めばいいのに、消防士のホースのたたみ方とか、料理の盛りつけマニュアルとか、体育教師の指導要領とかを読んでます。 ──趣味としての仕事って、大人のキッザニアみたいなものだと考えたら、ちょっと需要がありそうな気がします。 林 あったらおもしろいですよね。僕もドラッグストアの品出しとか、ちょっとやってみたい。『Airbnb』で趣味として人の家に泊まれるようになったので、次は趣味として人の仕事をやるようになってもおかしくないと思います。 ──サボりとはかけ離れてしまいましたが、興味深いです。ちなみに、あえてシンプルな趣味をあげるとしたら……? 林 古本屋に行くか、ミスドに行くぐらいですね。 ──サボってるときと変わらない(笑)。ありがとうございました。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
-
賑やかな夏景色が懐かしくなった、蚊がいない暑すぎる夜(夏川椎菜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 夏川椎菜(なつかわ・しいな) 1996年7月18日生まれの声優、アーティスト。2011年に開催された「第2回 ミュージックレイン スーパー声優オーディション」に合格し、翌年より声優として活動を開始。『アイドルマスター ミリオンライブ!』シリーズ、『響け!ユーフォニアム3』(NHK Eテレ)、『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』など多数出演。2015年からは同じく声優の麻倉もも・雨宮天とともにユニット「TrySail」(トライセイル)としても活動し、これまで横浜アリーナ公演などを成功させている。2017年4月には1stシングル『グレープフルーツムーン』で自身の名義にてソロデビュー。2023年11月には3枚目のアルバム『ケーブルサラダ』を発表し、12月よりライブツアー『LAWSON presents 夏川椎菜 3rd Live Tour 2023-2024 ケーブルモンスター』を開催。2024年10月30日に9枚目のシングル『「 later 」』をリリース予定。ほかにも小説・コラムなどの執筆活動や、舞台出演など、声優だけに留まらない幅広い活動を展開している。 HP:https://www.natsukawashiina.jp/ X:@Natsukawa_Staff ブログ:『ナンス・アポン・ア・タイム!』 今年の夏、蚊がいなかったのである。 調べてみたら、蚊は25℃から30℃で活動が活発になり、35℃以上になると木陰で休む傾向にあるのだという。 40℃になると死んでしまうこともあるんだとか。 つまり、今夏の気温は蚊にとって「活動限界」なのだ。 たぶん、人間の活動限界も同じようなもんだと思うが、 なぜこんなにも街は人であふれかえっているのか。 国の偉い人たちには、ぜひとも本気で「夏眠制度」の導入を検討してもらいたい。 外気が35℃を超える見込みなら、すぐにすべての経済活動を中断して、みんなでお家で冷麺とか食べるのである。 お外が涼しくなるまで、そうやって耐え忍ぶのである。 今年は、夜でも容赦のない暑さだ。 陽はもう落ちきっているというのに、昼の熱気を吸い込んだコンクリートが「もう我慢ならん」という感じに放出するせいで、暑さがぶり返す。 夏の夜といえば、子供のころの嘘みたいに風流な景色を思い出す。 祖父の家、風鈴の音が鳴っている縁側に、足を投げ出すようにして座り、ばあちゃんが切ったスイカをかじる。 庭ではみんなが花火をしていて、「線香花火、誰が一番長くもつか」なんて勝負で盛り上がる。 花火の煙と、蚊取り線香の香りが混じって、めっちゃいい香りの催涙ガスになって飛んでくる。 思わず吸い込んでしまって、むせて、家族に背中をさすられる。 あのときは、なんでもない、ちょっとだけ賑やかな夏の夜という認識でしかなかった光景だが、時が経った今、あまりにも再現性がないことに、ちょっとだけ悲しくなる。 そう、この暑さじゃあ。 風鈴はなんの気休めにもならず、スイカはすぐにぬるくなる。 線香花火よりも先に、汗が滴り落ちるのだろうし、蚊は活動限界中なのだから、蚊取り線香も必要ない。 ていうか、縁側がない。 都内じゃ花火も難しい。 うう、悲しくなってきた。 ともかく私が言いたいのは、このクソ暑さのせいで、夏の夜の風物詩がかなり失われてしまったんじゃねぇの?ってことである。 蚊がいない。 今年の夏、蚊がいないのである。 どっちかといえば、たぶん喜ばしいことなのかもしれない。 でも、ちょっとだけ浮かばれない想いが、たしかにここにあるのである。 私は去年、運命の出会いを果たした。 たまたま立ち寄った百貨店で、鳥をモチーフにした作品が集う企画展をやっていて、ある作品にひと目惚れした。 ハシビロコウを模した、陶器の蚊取り線香スタンドこと「コータロー氏」である。 切り株の上にちょこんと座ったコータロー氏が、両翼を使って器用に鉄の棒を持っている。 鉄の棒の先は、蚊取り線香のサイズに合わせたクリップのような形状になっていて、蚊取り線香のトグロの最終地点に挟むと、固定できる。 コータロー氏が蚊取り線香の傘をさしているように見える、激アゲ最カワ夏アイテムなのだ。 コータロー氏に出会ってから、私は夜ごと近くの公園に出かけていって、コータロー氏と晩酌を楽しんだ。 (余談だがこの公園には、毎晩ブレイクダンスの練習をしながら動画を撮っている、おじさんTikTokerがいる。コータロー氏と過ごした夜には、必ずこのブレイクダンスおじさんも一緒だったということを、一応、書き添えておく) コータロー氏は、毎回健気に蚊取り線香を背負って、私を蚊から守ろうとしてくれているのだが、肝心の蚊のほうが活動限界中なので、あまり意味をなさない。 無駄な蚊の殺生が発生していない、と考えれば、平和な世界でいいじゃないか、と思えるのだが、こちらは、この激アゲ最カワ夏アイテムを使いたいがために、わざわざクソ暑いなか公園で晩酌しているわけなので、ちょっとだけ虚しくなっちゃうのだ──パンダを観るため長蛇の列に並んだのに、自分の番になったら終始遊具の影にいて、背中の一部しか見ることができなかったみたいな誰も、何も悪くないし、パンダはかわいいんだけど、それでも感じてしまう「この時間はなんだったんだ」という。 あの感じに似ている。 なんだか申し訳なさそうな背中で、蚊取り線香を背負うコータロー氏の横で、私は「まぁ、でも蚊取り線香っていい香りだしな」とかいってなんとか気分を上げつつ、コンビニで買ったお酒をチミチミ飲む。 (肴になるものは、ブレイクダンスおじさんしかない。全然上達しないな、なんてことを思いながら飲む) しばらくすると私の活動限界もやってくるので、まだ半分以上も残っている蚊取り線香の火を消し、コータロー氏を箱に戻してさっさと退散する。 たぶん晩酌していた時間より、準備のほうに時間がかかっている。 そんなわけで、コータロー氏はいまだにその本領を発揮できないままなのである。 今年の夏も、何度か試みてはみたのだが、気温が高すぎて断念したり、気温はよくても雨が降ったりしたせいで、公園のベンチが使えなくなっていて、あきらめている。 (だから、おじさんのブレイクダンスが上達したのかどうかも、私は知らない) 夏の気温が下がってくれれば、すべてが解決するので、ぜひそうしてもらいたい。 私は、せっかく手に入れたコータロー氏の、活躍が見たいのだ。 蚊のみなさんごめんなさい。 (ちなみに、万が一の公園バレを避けるため、おじさんが練習していたものがブレイクダンスだというブラフをかけていたのだが、ちょっと無理があったかもしれない。 夜ごと、公園の砂利に頭部を擦りつけているおじさんを想像されていた方には非常に申し訳ないが、そんな人物はいない。 いるわけがない。 おじさんが練習していたのは、少なくともブレイクダンスではない、ということだけ、最後に言わせてほしい) 文・撮影=夏川椎菜 編集=宇田川佳奈枝
-
憧れの舞台での挑戦、大雨と拍手がやまない夜(鈴々舎美馬)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鈴々舎美馬(れいれいしゃ・みーま) 1993年4月12日生まれ、神奈川県相模原市出身。落語協会所属の落語家。桜美林大学在学中から落語研究部に所属し、全日本学生落語選手権に入賞するなど活躍。2018年2月、十代目鈴々舎馬風に入門、2019年7月21日、「美馬」と命名され前座となる。2023年11月上席より二ツ目に昇進し、2024年1月の二ツ目昇進披露公演は、異例の1800人規模のホールで開催した。 X:@reireishamiima YouTubeチャンネル:鈴々舎美馬の落語道【やってミーマ】 雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。 こんなことが恥ずかしげもなく言えてしまうほど感激した、一夜の話をしたいと思う。 その夜は、大雨のあと、大吹雪になった。 落語協会所属の落語家で、2023年の11月に5年9カ月の前座修行を終え二ツ目に昇進した私は、2024年の1月13日、記念の昇進落語会を地元相模原の1800人収容できるホールで、初めて自らが主催となり開催することに決めた。そうしなければいけないと思った。 今から10年前、落研所属の大学生だった私は、運よく全国大会に出場できたこともあり、落語女子としてほんの少しだけ話題になると、新聞やテレビ等のメディアで紹介されたりもして有頂天だった。 『モヤモヤさまぁ~ず2』(テレビ東京)に出演したあと、大手芸能事務所からお声がけをいただき、落語タレントとしてデビューをする話が持ち上がった。ずっと地味に生きてきた自分に突然当たったスポットライトは前が見えないほどまぶしく、これから誰に会って何をして、どんな人生が待っているんだろうと頭の中いっぱいの妄想に脳みそを掻き回されながら、小さな体がまさに天高く舞い上がった瞬間に、寸前で突然白紙になって夢は打ち砕かれた。 それは、もともと気が弱くて自分に自信がない私の心を折るにはじゅうぶんな出来事で、そのまま地面に叩きつけられた私は、ありがたくもお誘いいただいていた師匠の声も聞こえなくなり、プロの落語家への道もあきらめて、エステティシャンとして就職する道を選んだ。 ただ、自分の人生なんてこんなもんだとポッキリ折れた気持ちがもう一度悲鳴を上げるくらいには落語が大好きになっていた私は、数年働いたあと、腹を決めて退職し、師匠に入門をした。 前座のころは、毎日、地元の相模原から、片道2時間近くかけて寄席に向かい、男仕立ての着物を着て、楽屋働きをする。日給1000円だから交通費のほうがもちろん高い。ブラックとかホワイトのレベルの話ではない。おまけにアルバイトは禁止されている修行期間という明確な縛り。でも、それが悪いことだとはまったく思わない。タダでさまざまなことを仕込んでくれた師匠方には感謝しかない。ただ、入門時にそれが6年続くとわかっていたら門は叩けなかったかもしれないとは思う。 私はそそっかしい前座で、よくしくじりばかりしてしょっちゅう怒られていた。スタートラインの二ツ目になることを夢見ていたが、コロナ禍の真っ只中で、それどころではない状況に先も見えない焦りもあった。20代半ばから後半を、同世代の女性たちのキラキラした生活を横目に、前座たるもの、もちろんスッピンで目立たない色のシャツとズボンを身にまとい、大きなリュックを背負って毎日4時間揺られる車窓に映る自分は、さながらねずみ男のように見えた。 入門から5年、二ツ目昇進が決定した瞬間はうれしさよりホッとした気持ちのほうが大きかった。昇進の発表があったのが4月1日だったので、嫌な冗談だなと思いながら、師匠から「よかったな」と言ってもらえて初めて実感が湧き、涙を堪えた。 同時に、バカだと言われてもデカイことをしよう。私はがんばった。昔に比べれば住み込みでもないし、甘くなっているのも間違いないんだろうとは思う。でも私はがんばったんだ。あのとき叩き落とされてから、まだ起き上がってない。立ち上がって歩き出すための昇進の会は、あの日の自分を納得させられるものにしたいと思い、計画を始めた。 昇進の会のゲストには感謝と尊敬しかない鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)師匠と、落語家になる道を作ってくださった兄弟弟子の鈴々舎馬るこ(れいれいしゃ・まるこ)師匠、大学時代からずっとずっと憧れていた蝶花楼桃花(ちょうかろう・ももか)師匠に出演していただけることになった。 師匠方の胸をお借りして、自分の披露目の会を開催するならば、それに見合った大きい挑戦をしなければと、演目は落語の中でも大ネタのひとつである「文七元結(ぶんしちもっとい)」に決めた。 会場は、私が幼稚園の卒園式や小学生のころ習っていたバレエの発表会、中学高校の吹奏楽部の演奏会、それから成人式とずっとお世話になった1800席の大ホール「相模女子大学グリーンホール」。ここしかない憧れの舞台だった。 勢いで突っ走り始めたのはいいものの、冷静に考えると自分があのホールをいっぱいにするのは無理があるとすぐに焦り始め不安で夜も眠れなくなった。 準備を進めるなかで、ただがむしゃらにがんばっていたことが思いがけず大きなショックを受けることにつながり、6年間の修行の中で一番くじけそうにもなったけど、それ以上に私を応援してくださるたくさんの素敵な方々と出会い、励まされ、力添えをいただいてなんとか前向きな気持ちを取り戻すことができた。 当日は、まさかの大雨、大吹雪だった。 なんで今日に限って、やっぱり神様は私を飛ばせたくないんだ、と落ち込む私の耳に聞こえてきたのは、大吹雪のなか、たくさんのお客様が会場前に詰めかけてくれているという声だった。こんな天候のなかでたくさんのお客様が会場に足を運んでくださっていると思うと感謝の思いで開演前から涙を拭った。 雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。 いや、好きになった。 パチパチと傘に当たって弾ける水滴。幕が上がると、その音はその日の嵐の雨音よりもさらに大きな音だった。これまでに感じたことがない量の音圧に、感動と興奮と昂揚で全身に電気が走った。 師匠方の圧巻の高座のあと、飛び出しそうな心臓をなんとか飲み込み、出囃子が鳴って、高座に向かって舞台袖から歩き出したところで足がつった。もう終わりだと思った。なんで私はこうなんだ。高座に上がって、座布団に座って頭を上げる。 大勢のお客様の前で私ひとりにスポットライトが当たった。その瞬間、足がつっているのは忘れてしまった。ひと言発するたび、お客様一人ひとりの気持ちが伝わってくるような不思議な感じがした。かと思えば口が全自動で動いているような、でも頭はいろんなことを考えていて。きっと人生であの瞬間しか感じられなかっただろう奇妙な感覚。 先月まで前座だった未熟者の、しかもネタ下ろしで1時間の大ネタの高座を、最後までお付き合いいただけたお客様には感謝しかない。演目が終わり、頭を下げて、追い出し太鼓が流れるとお客様の拍手の音は幕が下りきるまで続いて、重厚な拍手の音が今度は自分を包み込んでくれるような、そのまま体がふわっと浮いた気がした。 ようやく立ち上がれた私は、あれから大雨の降る日は、あの日の夜の鳴りやまない拍手を思い出して、応援してくれる人たちのために成長しよう、よしがんばろうと思うようになった。 文・写真=鈴々舎美馬 編集=宇田川佳奈枝
-
あの日過ごした部屋との思い出、騒音すら恋しく感じた東京の夜(まるいるい)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 Ⓒ吉本興業 まるいるい 1997年11月28日生まれ、神奈川県横須賀市出身。NSC東京23期生のお笑い芸人。吉本坂46(2期生)としても活動していた。自身の家族をテーマに綴ったエッセイやYouTubeチャンネル『まるいるいの逆襲』が話題になる。 X:@Rui_tontokoton note:https://note.com/maruirui61 YouTube:『まるいるいの逆襲』 二十歳のとき、上京して三鷹に六畳一間の家を借りた。築40年。畳の香りが鼻をかすめるどこか昔懐かしいアパート。私はそのアパートが大好きだった。 20年間ともに過ごした家族と離れることを決め、ホームシックになることを覚悟していたのに、意外にも寂しかったのは最初のひと晩だけだった。 その家は朝から晩まで側を走る中央線の音が鳴り響く。壁が薄すぎてお隣さんのオナラも、ビール缶のプルタブを起こす音も聞こえる。今、『キユーピー3分クッキング』(日本テレビ)を観ているな、ということまで把握できた。 それから1年後。その家とともに過ごす2度目の夏を迎えたとき。 “ドドドドドドドドド” 5歳くらいの子供が天井裏を駆け回っているのではないかと疑うくらいの大きな足音だった。 “チュー” ネズミだ。 屋根裏にネズミがいる。 まぁ、ここに建てられてから40年も経っていたらどこかに隙間もできるよな。仕方ない。大して気には留めなかった。 そんなある朝、起きたら身体中がかゆかった。イエダニの仕業だ。このダニはネズミがいない限り家に発生することはめったにないらしい。実害が出たら放ってはおけなかった。かゆすぎた。皮膚科に行った。 大家さんに報告すると、すぐに魚肉ソーセージを吊るした鉄製で箱型の、原始的なネズミ捕りを持ってきてくれた。 それを仕掛ける際、大家さんは私の部屋の天袋を開けた。そして両手を上げたかと思うと天板をバコッと外した。屋根の裏が姿を現した。 大家さんに「見てみるか?」と問われたのでうなずいた。そして天板が外れたことで現れた隙間に上半身を突っ込んだ。 私の目の前には想像以上に広い空間が広がっていた。驚くべきことに、お隣さんの部屋との間に仕切りはなかった。お隣さんとそのまたお隣さんの間にも、そのまたお隣さんとの間にもだ。同じ階の全部屋の屋根裏がつながっていた。大家さんいわく今の建築法では作れない、作ってはいけない家の構造らしい。こりゃ音が筒抜けなわけだなと合点がいった。 そんなことを思っていると奥からガササッと音がした。大家さんはネズミ捕りを仕掛け、天板を元に戻した。これで平穏な生活が訪れるはず。 季節は冬になった。ネズミ捕りを設置したかいはまったくなかった。相変わらず5歳児が屋根裏を駆けていた。 そんなある日、管理会社からアパートの更新料のお知らせが届いた。引っ越しを決めた。ネズミとの共存はできなかった。 退去の日、大家さんと写真を撮ってもらった。 「写真を撮ってと言われたのは初めてだよ」 困ったように笑う照れ屋な大家さん。いつも長靴を履いていて、たまに畑で採れた野菜をおすそ分けしてくれた大家さん。小柄で日に焼けた笑顔がかわいい大家さん。鍵を返して2年間のお礼を告げ、お別れをした。とても寂しかった。 次に借りた家は板橋区のマンション。私はマンションにこだわっていた。大好きだったアパートを出た唯一の理由は騒音だった。静寂を求めていた。それなら木造アパートではなく鉄製マンションに住むべきだと考えた。 引っ越して最初に迎えた夜。先輩にLINEした。 「前の家が恋しくて涙が出ます。」 比喩ではない。本当に泣いていた。お別れしたときの大家さんの顔も浮かんできてよけいに泣けた。 「私も初めて借りた家を出たときは恋しかったな。でも、もう今はここが私の家で、一番落ち着く」 私はこの家をそんなふうに思えるだろうか。不安だった。 とりあえず寝ようと布団を敷き、横になった。真っ暗な部屋。 鉄筋コンクリート造りのその部屋のお隣からはレゲエともヒップポップともつかない謎ジャンルの音楽が爆音でひっきりなしに流れている。壁が躍るのを感じる。音が振動になるということは相当な音量だ。ライブ会場かここは。話が違う。 こっそりドアを開けてお隣の様子をうかがうと、聞き慣れない言語での会話が聞こえた。外国人だ。料理をしている。嗅ぎ慣れないスパイスの匂いが漂う。 不安すぎた。私はこの家が本当に好きになれるだろうか。騒音からも解放されないではないか。 シクシク泣きながら、数時間爆音に耐えたが、我慢の限界が訪れた。管理会社はもうとっくに営業を終了している時間だった。 警察に電話しよう。生まれて初めて警察に通報した。 「事件ですか? 事故ですか?」 事故では絶対にないが、これは事件なのか……? 「じ、事件です」 そう告げると内容を聞いてくれた。時刻は午前5時。 電話を切ってから10分程度で駆けつけてくれた。音はピタッと鳴り止んだ。警察の方々には心から感謝した。 しかし、騒音は音楽だけではなかった。洗濯機の音だ。そのマンションは洗濯機置き場が玄関前にあったので、お隣さんの洗濯機の音が家の中まで鳴り響く。お隣さんの洗濯機は明らかに普通じゃなかった。一番音がひどいのは脱水のときだ。洗濯機自体が暴れてどんどん前に進むのだ。よく壊れずに使えているなと感心すら覚えるほどだ。 だが、音楽の騒音とは違って生活音に文句をつけるのは違うと思った。お互い様な部分もある。黙って暴れる洗濯機を見守ることにした。 慣れというものは怖い。数週間目の当たりにしていると、あまり気にならなくなってくる。 私が入居してから2カ月も経たずしてお隣さんは引っ越した。そこからは静かな暮らしが続いた。 入居当初は辟易していたはずの暴れ洗濯機がいなくなっていて、少し寂しいかもとすら思った。私は環境の変化に弱いけど、適応するのは早いのだなということに気がついた。 引っ越して最初の夜はいつも心細くて不安になって、前の家が恋しくなる。だがその家を出たら、またその家が前の家になるのだ。 板橋のその家も、今では私の大切な家の記憶になっている。コロナ禍をともにした家。緊急事態宣言が発出され、丸1カ月こもった家。当時の相方たちがネタ合わせに訪れた家。温かい記憶。 東京に出てきてからの6年間。 7度の引っ越しをした。 あと何度こんな気持ちになる夜を過ごすのだろう。 文・写真=まるいるい 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
-
俳優・東出昌大が導く「生きている意味」
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「あいつ、鉄砲の免許持ってて狩猟してるんだよ」 サバイバル登山家・服部文祥の言葉からすべては始まった。 『WILL』は映像作家・エリザベス宮地によるドキュメンタリー映画で、俳優・東出昌大の狩猟生活を追った作品だ。 東出昌大は映画『桐島、部活やめるってよ』(2012年)での俳優デビューから数々の映画やドラマに出演するなど人気の俳優だ。個人的な話になるが、私は東出が将棋棋士・羽生善治を演じた映画『聖の青春』(2016年)をきっかけに、最近では『Winny』(2023年)や『福田村事件』(2023年)などの東出の出演作を観ては彼の魅力に感嘆するいち映画ファン、東出ファンである。彼は世間的に見ると常軌を逸したような、独特な人間を演じるのがうまい。 しかし一般的にはやはり東出といえば、2020年の離婚騒動をはじめとしたスキャンダルのイメージが強いだろう。その後、「山ごもり」が報道され賛否両論となっていたころ、東出は2023年11月放送のABEMAのバラエティ番組『チャンスの時間』に出演した。映画に出演している姿以外ほとんど彼について知らなかった私は、そのあきらめきったような厭世的な様子に少しだけ衝撃を受けた。騒動の印象と端正な顔立ちから、いわゆるチャラい、器用なタイプかと想像していたが、なんとも生きづらそうな人だ、と思った。 俳優・東出昌大はなぜ狩りをするのか。 「カメラ回してもらっても、たぶん僕500時間ぐらい一緒にいないとわからないから」 「カメラ前で主張したいこととかもないし……」 実は本企画は、一度頓挫している。事務所の許可が降りなかったのだ。しかしその半年後、宮地のもとに東出から連絡が届く。2021年10月、再びのスキャンダルにより事務所を離れることになったという。事務所NGがなくなったことで本企画は再び動き出し、宮地は狩りをする東出にカメラを向けることになる。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 東出は狩猟について「悪」であると語る。 「混沌とすることが、常にまとわりついていて、でも、近くに命があるから……考え続けるし……」 なぜ自身が「悪」と定義する狩猟を、つらい思いを抱えながらも続けるのかと尋ねられた東出はたどたどしく答え、頭を抱える。東出は何に葛藤し、何に悩んでいるのか。きっと自分でもわかっていないのだろう。わからないから狩猟をしているのだろう。東出にとって狩猟は、自身(人間)の根源的な罪を心に刻む、ゆるやかな自傷行為なのかもしれない。 「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯食って感謝もしないよか、呪われてるっていう実感持ちながら、そこに張り合い持ってアレの分も……って思ってもらったほうが……とかなんのかな。わからん」 東出から紡ぎ出される言葉はいつも正直で真摯だ。 私は大阪府貝塚市の精肉店を迫ったドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』(2013年)を見たことをきっかけに、狩猟や屠殺(とさつ)について興味を持ち、関連のドキュメンタリー映画や書籍を読み漁っていたことがある。そうしていわゆる「食育」について学んでいると、「命をいただいている自覚を持って感謝して生きる」といった結論にたどり着くことが多い。それはもちろん間違いではないし、人間として生きていく以上そうして合理化するしかない。だが、屠殺の職に就いているわけでもない「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯を食っている」自分にとってその結論は本当に実感を持った正しいものなのだろうかと思う。 もっとわかりやすくいうと、ものすごく耳障りがいい「命への感謝」という概念に違和感があった(これは私が普段食に対して命を実感する生活をしていないことに起因しているため、その結論を出している人たちを批判するものではない)。 東出は自身の銃で鹿を仕留めたとき、ひと言「うぃ〜」と言った。ドキュメンタリーのカメラが回っているにもかかわらず、俳優という世間からわざわざボロを探して叩かれるような人生を送っているにもかかわらず、だ。東出はこのことを振り返って、なんて軽薄なんだと思ったけど、すごくうれしかったから、と語る。こういう素直さは東出の魅力のひとつだ。 作中全編を通して感じることだが、改めて、東出は人間離れした男前である。189cmの長身に、考えられないくらい小さな頭。目鼻立ちもハッキリしており、端正。誰がどう見ても男前なのだ……一般人として生きていけないくらいに。猟友会の中にいる東出は正直、イケメンすぎて浮いている。作中でも狩猟仲間から親戚を紹介され「芸能人」として求められることに苦悩するシーンが映されている。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS スキャンダルや本作中での言動を考えると、東出は本来「芸能人」に向いている性質ではないのだろうと思う。実際、最初はバイト感覚でモデルの仕事をしていたという。だが東出の生まれ持った圧倒的なオーラは、彼が一般人になることを許さない。そして、そのことに葛藤し、もがき苦しんだ東出はよりいっそう俳優として唯一無二な魅力的な存在になっていく。俳優という職業は人生経験が糧になる。彼にしか演じられない役柄が存在する限り、東出は映画界から求められ続けるだろう。 東出は『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』(2023年/ABEMA)の仕掛け人である高橋弘樹プロデューサーとの対談で、俳優の仕事について次のように語る。 「僕の場合は(高橋さんと違って)人が用意した台本でやる。たしかにそれはあるんですけど、“僕の35年の人生があって台本をどう読むか”だから。そこに僕のオリジナリティがまた生まれるんです」 「でも役者の仕事はめちゃくちゃ疲弊するんです。磨耗する、削られる。ちょっと休むとまた欲が出るんです。(中略)また身を粉にするように削られるようにやりながら挑戦したいという欲が生まれる」 2022年、東出が出演する映画作品『福田村事件』の撮影が始まる。監督は、『A』(1998年)、『A2』(2001年)、『FAKE』(2016年)など数々のドキュメンタリー作品でも有名な、森達也だ。東出はオファーを受ける前から森の作品のファンだったという。正義や悪や人間は簡単なものじゃない、虐待事件を起こした側にも家族があり愛がある──そういった森の作品に共感し出演を決めたという。私自身も森の作品には感銘を受け、トークショーにも足を運ぶようなドキュメンタリーファンのひとりだ。東出のこの感覚には非常に共感する。 私は普段はマンガの仕事をしているが、時々、自分には作品を発表する素質がないような気がして何も書けなくなってしまうことがある。なにも自分や自分の作り出したキャラクターの価値観が絶対的に正しいだなんて思っていない。何が正しいことなのかを悩みながら、悩んでいるからこそ生きているし、物を作っている。しかし世間が見るのは「完成品」であり「商品」である。当たり前に自分が作ったものが倫理的に正しくないと指摘されることがある。私の作品を見ることで不快になった(=不幸になった)と言われることがある。これ自体は物を作って発表している以上、仕方のないことだ。折り合いをつけていくしかない。 ただ、私はそういう正しくなさも含めて人間(キャラクター)であり、愛らしさであり、それが滲み出ているものが、それを丸ごと抱きしめてあげたくなるようなものが愛しい作品であると思っている。自分はそういった「抱きしめてあげたいような気持ち」に出会うために生きているような気がする。 調子がいいときはそう思えているのだが、物作りをしているとどうしようもない不安に駆られる瞬間がある。自分の考える「愛らしさ」は世間にとって害であり、自分が物を作り自分の価値観を訴えることは多くの人を不快にする行為なのではないか。そうやって価値観を開示したときに人を幸せにできるか否かこそが物作りをすることに必要な素質の有無なのではないか。正直に自分を開示することは世間から愛されるコツだが、開示して出てくるものが世間とズレていたらもうどうしようもないのではないか。 東出は私にとって非常に「愛らしい」存在だ。 東出はきっと、本当に「こういう人」で、それを我々にある程度素直に開示してくれている。何度世間を賑わせて、叩かれて、殺害予告が届いても。 彼の過去のスキャンダルが倫理的に正しかったかというと、うなずくことはもちろんできない。内容はまったく違うが、個人的には本作を観たときの感覚は圡方宏史監督の『ホームレス理事長』(2014年)を観たときに近い。罪は罪だし行為に対して正しいとも思わないけれど、人間が真摯に生きる姿は惹かれるものがある。そして、「自分はやっぱり人間という生き物が好きだな」と思う。 東出は語る。 「──仕事だったり狩猟だったり、人との出会いだったりっていうのを本気でやってると、何か生きててよかったって僕自身思う瞬間もあれば、生きててよかったって(あなたの)おかげで思いましたって言ってくれる人の言葉があったり、生きててよかったとか、どうしようもなく愛おしいっていう気持ちなんだ、とか。それは物に対しても人に対しても作品に対しても。そういうときに、なんか、生きている意味ってあるんだろうな」 さまざまなスキャンダルやバッシングを受け続けた東出の口から、たどたどしい言葉で紡がれる「生きている意味」は必見だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 出演:東出昌大 音楽・出演:MOROHA 監督・撮影・編集:エリザベス宮地 プロデューサー:高根順次 製作・配給・宣伝:SPACE SHOWER FILMS
-
ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
-
バカにされても突き進む、カッコいい男の“生き様”を描く──湊寛『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 “新根室プロレスは競技を見せているのではなく生き様を見せている” 『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』は、北海道文化放送によって制作されたドキュメンタリー映画で、北海道根室市で活動する「新根室プロレス」を追った作品だ。 新根室プロレスは、おもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に地元のプロレス愛好家たちが集まって2006年に旗揚げされたアマチュアプロレス団体だ。所属メンバーは地元の会社員、漁師、酪農家、派遣社員など日々を生きる社会人ばかり。 創設者であるサムソン宮本は「無理しない ケガしない 明日も仕事!」を、モットーに掲げている。 本映画では新根室プロレスの活動の軌跡と、創設者であるサムソン宮本が平滑筋肉腫(※癌の一種)と診断され、55歳の若さでこの世を去るまでの生き様を主軸として描いている。 プロレスといわれて世の中の人は何を思い浮かべるのだろうか。私は恥ずかしながらプロレスという文化に疎く、バラエティ番組で目にしたことがある毒霧やパイプ椅子の映像から「なんかよくわからないけど痛そうだから見たくない」とさえ思っていた。しかし安心してほしい。新根室プロレスは“エンタテインメント全振り”だ。サムソン宮本が「老若男女誰でも楽しめるプロレスを目指す」と発言しているように、新根室プロレスは思わず笑顔になってしまうようなおもしろさを売りにしている。 所属するメンバーも、レジェンドプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアント」にちなんだ、身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」、同じくレジェンドプロレスラーの「ハルク・ホーガン」にちなんだ豊満な体型の「ハルク豊満」など、くすりと笑えるものばかり。 サムソン宮本は、ロープ渡りを失敗してお股にロープが直撃……なんていう、コミカルな動きで観客を笑わせる。必殺技も“相手の頭をパンツの中に突っ込む”とか“カンチョー”とか、とても上品とはいえないものばかり。サムソン宮本の娘も「(最初は)恥ずかしかった」と語っている。 そんな新根室プロレスのメンバーたちには、ある共通点がある。 それは“学生時代イケてなかった”ことだ。たしかに作中に登場するメンバーは優しそうな、悪くいうと気弱そうな、一見格闘技などしなそうに見える面々だ。最年少であるTOMOYAの異名も「メガネのプリンス」、「ラブライバー」(※メディアミックス作品『ラブライブ!』ファンの総称)といったとおり。 所属メンバーにとって新根室プロレスがどういう存在であったのかは、映画パンフレットに記載されている新根室プロレス選手名鑑を見ると、ひと目で理解できる。職業や得意技と合わせて、「新根室プロレスとは?」という項目があるのだ。 「家族」「恩人」「居場所」「遅れてきた青春」。「自立支援団体」や「精神安定剤」と回答しているメンバーもいる。 サムソン宮本の弟である「オッサンタイガー」は次のように語る。 「ズレている人ばっかでしたね。マトモな人は入れないです。(中略)いかにイケてないかとか、ダサいとか、ちょっと社会に適合していないとかが基準なんですよね。そういう人たちに惹かれるんですよ、サムソンは」(※「新根室プロレス映画化記念メンバー座談会」より引用) かくいう私も、いわゆる“イケてない”、“ダサい”、“社会に適合していない”と言われるような人たちに惹かれる性分だ。自分自身がそうだから、というのももちろんあるし、そういう人たちにスポットライトが当たりづらい世間の風潮に対する反骨精神もある。これは私が今、漫画家として仕事をしている理念の部分になっているし、きっとドキュメンタリー映画が好きな人にはそういう性分の人間が多いのではないだろうか。普段スポットライトが当たりづらい人たちにカメラを向け、誤解されやすい、理解されづらい彼らの生き様をまざまざと描く。これは私がドキュメンタリーというものに感じているよさの、最も大きい部分と言っても過言ではない。 普段はイケてない人たちが仮面を被って別の名前を名乗ることで「カッコよく」変身するというのもよい。冴えないオタクがヒーローに変身して活躍するのは、マンガやアニメの王道だ。 まあ、つまり、ひと言で言うと私は『新根室プロレス』のような物語が好きでたまらないのだ。 映画としての編集もニクい。本作では「サムソン宮本として死にたい」という本人の発言を尊重し、最後までサムソン宮本の素顔を映さないように編集している。若いころの写真にも闘病中の家族との写真にも、たとえ家族の素顔が映っている場面でも、サムソン宮本に対しては徹底してマスクを合成する編集がされている。制作陣のサムソン宮本への多大なリスペクトが感じられる。 2019年9月。根室・三吉神社のお祭り興行でサムソン宮本から衝撃の告白が飛び出す。「難病・平滑筋肉腫と診断され……新根室プロレスを解散します」 平滑筋肉腫は10万人に3人の難病で、治療法も確立されていないという。 2019年10月。東京・新木場1stRINGにて、新根室プロレス最初で最後の興行が開かれた。1stRINGはインディ興行の聖地ともいわれる場所。約300人のファンが詰めかけ、会場は超満員となった。 次々とメンバーたちの試合が進み、第二部。場内スクリーンには「生か死か サムソン宮本13番勝負」の文字、サムソン宮本が新根室の面々と13番勝負をするという企画だ。本映画の編集マン・堀威の取材日記によると、大会当日のサムソンは「本当につらそう」だったという。また、13番勝負12戦目のセクシーエンジェル・ねね様戦でサムソン宮本が助骨を骨折していたということも明かしている。身体がボロボロになりながらも「プロレスラー・サムソン宮本」として戦う姿に、私は涙が止まらなかった。サムソン宮本は必ずまた新木場のリングに戻ってくると宣言するが、翌年9月、55歳の若さでこの世を去ってしまう。 制作した北海道文化放送の吉岡史幸プロデューサーは北海道新聞の取材に対し「(サムソン宮本は)自分の死すらもエンタテインメントにするほど徹底したプロデューサー」であると語った。 サムソン宮本は、うつ病や仕事の悩みを抱えるメンバーたちの悩み事を魅力にして人気者にし、観客たちを楽しませたように、自らの病気や死も観客を楽しませるためのネタにする男なのだ。 「新根室プロレスにおいて重要なのは、強さ、うまさではなく、観ている人の感情を揺さぶれるかどうか。それが本当の勝者」 新根室プロレス結成当時のサムソン宮本の言葉だ。 この映画はドキュメンタリーとしてはもちろん、題名どおり物語として非常によくできている。 というのも、プロレス自体、競技とエンタテインメントの両方の特性を併せ持つものであるし、登場人物たちもまた本人と、それとは別にプロレスラーとしてのキャラクターも持っている。自分の人生さえもさらけ出して「サムソン宮本として死にたい」とまで言っていた彼を追った映画なのだから、“物語”になるのは必然なのかもしれない。 本映画の後半では、残されたメンバーたちで新根室プロレスを再結成し、復活させる様子が描かれている。 先頭に立ったのは、小学3年生のときに新根室プロレスに魅了され、一度は入門を断られながらもメンバーとなった最年少のTOMOYAだ。サムソン宮本を敬愛していたメンバーの中には、TOMOYAだけで大丈夫なのだろうかと心配するメンバーもいたが、支え合いながら復活に向けて動いていく。 みんなの大黒柱だったサムソン宮本が亡くなって解散してしまった新根室プロレスが、メンバーの中でいわば末っ子であるTOMOYAの強い気持ちで再び集まっていく様子は、胸が熱くなるものがある。 「人生一度きり。やりたいことをやれ。カッコ悪くてもいい。バカにされてもいい。いつかわかってくれる。Don’t give up! Do your best!」 サムソン宮本の最後の言葉だ。 上映が終わったあと、映画館には涙を啜る音が響いていた。少なくとも映画を観た人たちの中に、サムソン宮本をカッコ悪いだとかダサいとかいう人間はいないだろう。 これは、北海道根室市に新しい文化を作ったカッコいい男の物語だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)連載中。さらに、2024年3月、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて読切『下北哀歌。』を掲載。 配給:太秦 (C)北海道文化放送
マンガ『ぺろりん日記』鹿目凛
でんぱ組.incの「ぺろりん」こと鹿目凛がゆる〜く描く、人生の悲喜こもごも——
林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
-
人気芸人4組がアイドル練習生に!? 春とヒコーキ・ひつじねいり・ママタルト・令和ロマンが目指す「東京ドームへの道」|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 今回は、いつもとは少し内容を変えて!! 私、『研修テレビ!!』という 春とヒコーキさん・ひつじねいりさん・ママタルトさん・令和ロマンさんの芸人4組と テレビ朝日の若手アナウンサーが「バラエティの研修」を行うという内容の深夜バラエティに参加していまして、 その番組の中で「芸人さんをK-POPアイドル風にしてデビューさせて東京ドームを目指す!」というシリーズ(コーナー?)のプロデューサーをしていました。 なんてわかりづらい説明なんだ……。 ですが、もうこれ以上の説明が思い浮かばないんです。 なので……こちらを観ていただくのが早いです。 【テラサ】 (1)研修テレビ『自分なりに分析してぶつけてみよう~後編~』 (2)研修テレビ『林美桜プロデュース目指せ!東京ドームへの道』 (3)研修テレビ『林先生の言うことを聞きなさい!』 (4)研修テレビ『東京ドームへの道 完結編』 ※テラサにご加入いただけますと、過去回も観られます ざっくりの内容なんですが、 私がK-POPアーティストのプロデューサーとして、芸人さんたちにK-POPといえば!な「エンディング妖精」を指導したり、ファンミの練習をしたり、漫才にかけ声を入れてみたり……本当にいろいろやりました。 アユクデ(*1)を意識した運動や、即席ボードに全力ファンサで応える練習も。 それらをすべて、芸人さんにやってもらってます(大声)。それも至って真剣に。 シリーズを通してK-POPアーティストのオーディション風にもしていて、 デビューを目指して、実力を見てデビュー組と練習組に振り分けたり、センターを決めたりもしています。 『研修テレビ!!』アイドル練習生8名を紹介! さあ、ここで、今回「研修テレビ!!デビューオーディション」に参加していたメンバーを紹介したいと思います。 ※以下、コンビ名あいうえお順 ・ぐんぴぃさん(春とヒコーキ):ぐんぴぃ 奥ゆかしい性格で、初めはプロデューサーの目に1ミリも止まらなかったり、MCとしてオーディションに参加した新人アナウンサー荒井理咲子に心を奪われてしまったり、喘息で歌えなくなったり……。さまざまなアクシデントがあったが、すべて乗り越え、著しい成長を見せたメンバー。 アイドルはパフォーマンスだけじゃない! 人間とは何か、視聴者に考えさせた今回のオーディションの主人公である。また、毎晩書く日記が素晴らしかった。多くの人の心を動かす言葉の数々。デビュー前にもかかわらず「ぐんぴぃの金言日めくりカレンダー」の販売が決まった。 ・土岡哲朗さん(春とヒコーキ):つちぴぃ オーディション参加前からラップがうますぎると話題だった練習生。独特な感性から生み出される唯一無二のラップでチームのレベルを底上げした。天才に魅了された大御所芸能人のファンが続出。 また、宿舎での自由時間が放送のたびに話題になった。自分の部屋をよくわからない何かでユニークに飾りつけ、大きな奇声でストレスを発散していた。アイドルに今まで興味のなかった、考察好きや私物特定好きの人をファンにつけ、票を伸ばした。デビュー曲の作詞を担当する。 ・細田祥平さん(ひつじねいり):ほそぴょん 際立つビジュアルで登場し、他メンを圧倒した。しかし、歌もダンスも未経験なことが足を引っ張り、他メンに差をつけられ、スタジオの隅っこで体育座りをしていたり、ただぼうっと佇んでいたり……そのような姿でも視聴者を惹きつける力があったメンバー。そんなほそぴょんをファンたちは「尊い」と呼んだ。 最終ミッションではカメラを見つけることが自分の特技だと気がつき、どの瞬間も必要以上のカメラ目線でパフォーマンスすることで大逆転、デビュー組に入った。 ・松村祥維さん(ひつじねいり):まっちゃん ムードメーカー的存在。しっかり者で、起床時間になるととても大きな声で全メンバーを起こしに行き、スタジオに着いたらとびっきりの関西弁で点呼をする。ファンからは「まっちゃんことオモニ(*2)」というあだ名で愛された。 特にパフォーマンス以外のブレイクタイムで輝きを見せ、女装コンテストやパン食い競争でグランプリに輝いた。出番が少ない回は、「やっぱりまっちゃんがいないと締まらないわ……」となり、視聴数がガクっと下がった。数字を持つ男。 ・大鶴肥満さん(ママタルト):ひまちゃむ どこにいても隠れない圧倒的な存在感。よく食べる愛らしい姿が、特に同世代ファンやお子様の心をつかんだ。ひまちゃむが食べたスナック菓子はコンビニから姿を消すほどの人気となり、オーディション期間中に大ブームを巻き起こした。 洞察力が鋭く、ひまちゃむがメンバーのパート分けを担当すると必ず成功する。プロデューサーにはとても小さな声で、あまりにも芯を突きすぎている反抗的な発言をすることが多々あったが、そのワイルドな姿に惚れた視聴者も多かった。 ・檜原洋平さん(ママタルト):ひわちゃむ とにかくプロデューサーに気に入られた伝説の優等生。偉い人の言うことの核を瞬時に理解し、実践できる。深夜までスタジオに残って練習したり、泣いちゃった練習生に寄り添ったり、鍵になるシーンにはなぜか必ずいる。宿舎に隠されたカメラ一つひとつに漏れなくファンサするあざとさに視聴者は虜になった。 1位を死守し続けた、アイドルになるべくして「成った」アイドル。グループ紹介を任せると他メンを置いてけぼりにすること、パフォーマンスに古典舞踊みが強く出すぎることがあり、その点は課題。 ・髙比良くるまさん(令和ロマン):くるまチャム 登場の瞬間から視聴者がデビューを確信したスター練習生。運営側もイチオシで、パフォーマンスや発言の際にはいちいちキラキラ加工が入る。ミッションでは毎回リーダーやキリングパートを任され、休み時間には練習についてこられない他メンの指導までする優等生。どんなコンセプトも難なく消化し、ファンを魅了することができる。頼れる愛されマンネ(*3)。 ただ、期待の重圧に耐えきれず、収録中にスタジオを飛び出してホワイトボードが真っ黒になるくらい極限まで悩みを書き出したこともあった。 ・松井ケムリさん(令和ロマン):ケムどん ドラマチックな美しい顔をお持ちのケムどんの右に出る者はいない。ロックやセクシーコンセプトで魅力を遺憾なく発揮した。素直な性格で特に年上の方からの人気が高く、「国民の息子」というあだ名まで獲得し、デビュー組上位圏までのぼり詰めた。 ファンの間ではバラをくわえさせたり、ワイングラスを持たせるなどの加工を施した画像を拡散するのがブームに。とてもまじめで、ワイプでも気を抜かずアイドルとしてキュートに爪あとを残す姿勢も評価された。 と、ここまで書いてびっくりしたんですが、 メンバー紹介が、放送内容とほぼ関係なくなっちゃいました。これ、本当です。妄想がふくらんじゃって。放送内容と混じり混じり。 怖い!! 私ってこういうところあるんですよね。 オーディション番組に臨むアイドル練習生だったらこんな感じかしら。と、勝手に長々と「妄言」を書いちゃってました。オーディション番組好きの方には「あるある〜」と思っていただける……かも? ファンの皆様、これは違うぞ!このメンバーはこうだと思う!など、どしどし返信で教えてくださいませ。 改めて、本物をぜひご覧ください↓ 【テラサ】https://www.telasa.jp/videos/221350 「KT-TM」東京ドームを目指してデビュー決定! ようやくデビューが決まった、 K 研修 T テレビ T 東京ドーム M 美桜 ぎゅっとして 「KT-TM(ケイチーム)」。 真ん中の線は、メンバーと東京ドームをつなぐヒモ。 みなさんどうか、このヒモをつかんで離さないでくださいね!! 東京ドームがそこにある限り道は続きます。 東京ドームが逃げない限り。 井口(浩之)さん(ウエストランド)がその道を遮るなら戦いましょう。 https://x.com/kenshutv5ch/status/1836831122422198421?s=46&t=wKbIHEhNnaB1hY5sTdeASA いろいろありましたが、これが決定したデビューフォーメーションです テレビ朝日で仕事できてよかった! 最後に、 「東京ドームへの道」は、K-POPコンサートや韓国の俳優さんのファンミに行かれたことがある方にとっては多少わかりやすい内容だと思うのですが、 芸人さんをはじめ、芸人さんファンの方にとっては見慣れない光景で、驚かせてしまったかもしれません。 そんな状況の中、文句ひとつ言わず私のやりたいことを最大限叶えてくれたスタッフのみなさん、想像の何万倍も楽しくしてくださった心温かい芸人さんたちには、もう頭が上がりません。 放送されていない収録現場は、私の言いたいことがしっちゃかめっちゃかで、「激ヤバ」だったんです。本当にたくさん助けていただきました。 感謝の気持ちでいっぱいです。 入社8年目、仕事にこんなにワクワクできて、夢のような時間が過ごせて、テレビ朝日で仕事できてよかった。幸せだ!ラッキー!!と、心からそう思えました。 そして、いつも東京ドームへの道の放送後、SNSは温かいコメントにあふれていて……読んでは癒やされ、心が弱ったときには力をもらっています。 本当にありがとうございました。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/アユクデ 韓国語で「アイドルスター陸上選手権大会」、いわゆる「アイドル運動会」のこと。韓国MBCで人気バラエティ番組として放送されていました。 *2/オモニ 韓国語で「お母さん」を意味する言葉。 *3/マンネ 韓国語で「末っ子」を意味する言葉。 文=林 美桜 編集=高橋千里
-
最新のおすすめK-POPドキュメンタリー|「林美桜のK-POP沼ガール」第18回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 今年の夏はひどく暑い。 何をやろうにも、まず自分が疲れないように気遣う気持ちが先に立ってしまい、全力でがんばれない感じ。 そうなってしまうのはしょうがないかもしれないけど……。 そんな私に最近深く刺さったのが、ふたつのK-POPドキュメンタリー! 『n.SSign THE MOVIE』と『LE SSERAFIM - Make It Look Easy』。 どちらのドキュメンタリーもアーティストの素の姿、考えに触れることができます。 輝かしいステージの裏でアーティストたちはこんなに努力しているのか……と もうこんなにがんばっているのに、まだまだがんばりたいという姿勢に 自然と涙が流れました。 どんな内容だったのか本当にざっくりご紹介させていただくと、 初心を思い出す『n.SSign THE MOVIE』 韓国のボーイズグループn.SSignの、日本デビューまでの軌跡が映し出されたドキュメンタリー映画。 日本デビューを間近に控え、東京・有明アリーナで行われた単独公演『BIRTH OF COSMO』で、初めてステージ上からファンを見たメンバーの表情にはグッと……。 COSMO(n.SSignのファンネーム)への大きな感謝と未来への想いが語られていて、初心が思い起こされます。 メンバーの優しい人柄がまっすぐ伝わってきて、率直な思いやさまざまな感情を、見ているこちら側も自分事のように感じられる映画でした。 壮絶な裏側に心を打たれる『LE SSERAFIM - Make It Look Easy』 韓国のガールズグループLE SSERAFIMの、過去1年間の活動の裏側が映し出されたドキュメンタリー映像。 華やかで完璧な姿を見せ続ける、その裏側は壮絶で……内面の葛藤から出てくる不安や悩みの言葉が深く、ずしんと考えさせられました。 つらいときでも、メンバーと顔を合わせるだけで幸せを生み出せているのも印象的でした。 高みを目指し続ける姿勢にも、学ぶところがたくさんあります。 「裏の努力」に思いを馳せたい いろいろ感じるところがありましたが、 みんなが一度は夢見る大舞台の上、 目の前にいる人みんなが自分のパフォーマンス・存在に心から喜んでくれているという高揚感のなか、 まだ努力が足りていないんじゃないか、もっとできたのではないかという不安な気持ちを併せ持っているって、改めてすごいなと。 何度も自分だったらと想像してみましたが……私は一生かけても知り得ない感情だと思い知りました。 そしてドキュメンタリーを観たあとにふと思い出した感覚なんですが…… 私は素晴らしいものを観たとき、心から感動します。 ただ、そのときの私は、目に映るものだけへの感動に留まっているかもしれないな とボーっと考えてしまいました。 その奥を知るための努力を怠ってしまっているのではないか……。 完璧なものであればあるほど、努力の積み重ねが見えづらい。隙がないゆえに。 でもそれを作り上げるためには想像を絶する血のにじむような努力や苦労があって、 このときに存在してくれているということを忘れちゃいけないですね。 もっと背景を知ろうとする努力、思いを馳せることを怠ってはいけないと強く思いました。 その過程にもしっかりと目を向けられる人って 一生懸命努力している人、人の心の痛みがわかる温かい人な気がします。 私もそうありたい。 晴れやかな気持ちでコンサートに行きたい! いつも大好きなK-POPアーティストのパフォーマンスに生きる力をもらい、疲れた心を癒やしてもらってばかりですが、 仕事でもなんでも、自信を持ってがんばったと言えるほど努力して、晴れやかな気持ちでコンサートやファンミに行きたくなりました。 微力でも、アーティストに感謝と、いいパワーを届けたい!! ペンライトだけに頼らず、自分自身が内側から発光して輝いて応援したい。 そう思ったらもう少し仕事をがんばれると思った今日このごろです。 まずは夏を乗り越えたい。 文=林 美桜 編集=高橋千里
-
n.SSign日本ファンミで公開収録!現場で感じたメンバーの絆とファンの優しさ|「林美桜のK-POP沼ガール」第17回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 『動画、はじめてみました』というテレビ朝日公式YouTubeチャンネルの中で、K-POP評論家の古家正亨さんと私が、K-POPに関するさまざまな内容をお届けしている『動はじK-POP部』。 今年1月に『動はじK-POP学校』に進化し、 今回、なんとn.SSign(エンサイン/*1)さんのファンミーティングにおじゃまして 公開収録させていただきました!! こんな日が来るとは…… イベントが終わっても「現実だったのかな」と思ってしまうほど、夢のような時間でした。 思い出しながらテンションが高ぶって、いろいろすっ飛ばして書いてしまいそうなので まずはn.SSignさんのことを簡単に紹介させていただきます。 こちらをご覧ください‼︎ 実は、n.SSignのみなさんには今年1月にも『動はじK-POP学校』に出演いただきました。 この自己紹介動画、メンバー一人ひとりの個性が光っていて、何回も観られてしまう沼動画です。 (私の母はこの動画ですっかりn.SSignさんにハマりました) 放送後、COSMO(*2)の皆様からの温かくて大きな反響もあって、今回の出張収録が決まりました。 ありがとうございます! 全瞬間が見どころ!ファン必見のお気に入りポイント 公開収録当日。 アナウンサーを7年間続けているものの、たくさんの方の目の前で司会する機会にあまり恵まれなかった私。 『ワイド!スクランブル』とナレーションの仕事を終えて やっと現場に到着した本番1時間半前から、 心臓が身体中にあるのかと疑うほどドキドキ。 そんななか開催された第1部は、こちら。 第2部は、こちら。 なんと、舞台裏も緊急配信! 僭越ながら、私のお気に入りポイントを挙げさせていただきますと…… 第1部 ・ぐるぐるバッドでよろよろ、ニコニコ笑顔が癒やし効果抜群のエディさん ・本当は虎なのに猫にもなれるシャイボーイ、ハンジュンさん ・会場を妖精のように駆け抜けるフェアリー、ロレンスさん ・お菓子箱からお菓子が落ちないように、クールにさっと手を貸す気遣い王子、ロビンさん 第2部 ・トップバッター、カントリーマアムにも動揺せず華麗に! みんなの頼れる伝説の優等生、カズタさん ・メロンパンに動揺して赤髪と同じくらい赤くなってしまった猫、ジュニョクさん ・つけ襟を頭に。誰よりも演技に熱が入る、縦割れ腹筋のヒウォンさん ・壁になり「壁だよ」と親切につぶやく、ムキムキ王子ソンユンさん(壁の表情にご注目) 全瞬間が見どころなので選びきれないですが…… COSMOの皆様、ぜひお気に入りポイントを教えてください。 n.SSignの心の絆 一生忘れられない大切な思い出になりました。 私のムチャブリにも応じてくださったn.SSignのみなさん。 いつも私たち番組側が想像する何万倍も全力で、前向きに、楽しく取り組んでくださる姿には 尊敬や感激の思いが入り混じって、ぐっと感情がこみ上げてきます。 いつも目がキラキラしていて、今という瞬間にワクワクしているのを感じて…… 心が本当にまっすぐで、きれいなんですよね。 カメラが回っていないときや舞台裏でも、ステージ上と変わらないわちゃわちゃ感で メンバー同士で楽しくお話しされているのが、微笑ましくて。 目線の合い方や距離感に、家族のような信頼関係、心の絆を感じました。 MC古家さんに助けられた、ドキドキの公開収録! ちょっと脱線して、私の話なんですが、 ファンミ前日、台本の時間割を確認しながら、ふと「時計が必要なんじゃないか?」と。 普段はスタジオにあるカメラ映像の画面に時間が表示されていたり、スタッフの指示で進行したりと、あまり時計は必要ではないので、持っておらず。 よくよく考えたら持ってないとまずいかもしれないぞと、前日、急きょ電器店に走り、購入した時計。 しかし当日、1ミリも時計を見ることはありませんでした。 現場では、MCの古家さんに全力でおんぶにだっこ状態。 古家さんの仕事ぶり、もうそれはそれは神でした。 決められた進行時間と闘いながら、通訳さんと息を合わせて、おもしろいと思ったところは広げて、ファンの方が知りたいパーソナルな情報を引き出して、ツッコミを入れて……。 目が回るほど忙しい。目の前にお客さんがいらっしゃるので、失敗が許されないわけです。 テレビ収録のように、スタッフからたくさんの指示が飛んでくるわけではなく、自分ですべてを進めなきゃいけないという、極限の生放送。 古家さんがたくさんの俳優さん、K-POPアーティストに信頼される理由が、横からビシビシ感じられました。 一方で、普段から“あとから編集される”のが前提で司会進行をしている私。 もっとピリッと緊張感を持って仕事しなくては。 COSMOの皆様、ありがとうございます! 最後に…… 舞台に立って感じたんですが、n.SSignのみなさんに初めて会ったときの印象と、COSMOの皆様から感じていた印象が同じだったんです。 ポジティブなエネルギーに満ちていて、穏やかで優しい。 双方が似ていることを、一瞬で体感して感動しました。 COSMOの皆様、いつも温かいメッセージをありがとうございます! 私も、そして携わっているスタッフさんも、いつも本当に励まされています。 またいつか『動はじK-POP学校』、開校されますように。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/n.SSign グループ名は“net of Star Sign”の略語で、“星座の連結(星のつながり)”という意味が込められています。 *2/COSMO n.SSignさんのファンダムネーム。星座をつなげると宇宙ができるように、n.SSignさんとCOSMOさんがつながれば“無限の力を発揮できる”という意味が込められています。 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
-
カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯
先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
-
贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯
これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
-
40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
-
涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
-
W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
-
宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
大好評企画が復活!AKB48 Team 8メンバーひとりずつの撮り下ろし連載
【会員限定】AKB48 Team 8 私服グラビア Extra
【会員限定】AKB48 Team 8メンバーひとりずつの撮り下ろし連載
生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
-
「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
-
勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
-
克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
-
【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
-
【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
-
【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
logirl staff voice
logirlのスタッフによるlogirlのためのtext
-
「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
-
logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
-
言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(アルゼンチン共和国杯)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(アルゼンチン共和国杯) 今秋のG1も面白いです。先週の天皇賞(秋)は、武豊ドウデュースのベストレースといっていい内容でした。馬券的には◎マテンロウスカイは5着でしたが、横山典もあれ以上は無理かというぐらいのラチ沿いぴったり。ほんのちょっと流れが違えば、通ったコース的には馬券になっても不思議はなかったかと思います。今週はJRA4重賞、米ブリーダーズカップ、佐賀でJBCと競馬ファンにはイベントいっぱい。ここでは11月3日(日)の東京11R・アルゼンチン共和国杯を予想します。今回の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#184)では、成瀬琴さんをゲストに迎えています。もちろんスクリーンヒーローの話が出ました。ご尊父である鹿戸調教師のトレーナーとしての重賞初Vがアルゼンチン共和国杯です。 ◎⑭セレシオン。 前走の新潟記念では、正直なところシンリョクカはつかまえないといけなかったと思います。もちろん上がり3F32秒8は物理的にそれ以上を望むのは難しいわけですが、仕掛けてからの加速が根本的にタルいというか、そのあたりはハーツクライ産駒の特徴です。ただ、友道厩舎はシュヴァルグラン、ドウデュースとA級のハーツクライ産駒を育てていますし、マイラプソディの試行錯誤でいっそう産駒取り扱いの習熟度が上がったと思います。ここで結果が出ればG1戦線も視野に入ります。荻野極も気合の入るところでしょう。 ○⑯ショウナンバシット。 札幌芝2600メートルでオープンを連勝。神戸新聞杯で上がり3F33秒台を出した実績はあるのですが、あれは相当速い馬場でした。しぶとさを生かすタイプで、長丁場の常連になるタイプでしょう。そういうタイプはアル共、ステイヤーズ、ダイヤモンド、目黒記念で買っておくべきです。 ▲⑩マイネルウィルトス。 出たら面白いと思っていたワイドエンペラーが出走しなかったので、8歳ながら東京芝2500G2には一家言あるこの馬の印を引き上げました。今年の目黒記念は5着でしたが、流れが不向きでした。その着順と年齢で見切られるようなら馬券的な妙味も出てきます。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>⑭→<相手>①②④⑨⑩⑬⑯。計42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(天皇賞 秋)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(天皇賞・秋) 先週の菊花賞、めちゃめちゃ面白かったですね!馬券的には◎が4着、○が見せ場ある7着なので馬券は駄目でしたが、○シュバルツクーゲルの先捲りは一瞬、決まったかと思いました。レースを見直したら、武豊アドマイヤテラの仕掛けに動かされた形で、松山はもうちょっと待ちたかったかな、という印象。これも競馬です。あと筆者は何度予想しても勝ったアーバンシックには本命を打てません。あの馬、絶対に中距離馬ですよ…。行きたがるし、頭は高いし。ルメールが超絶技巧完璧騎乗をしたもので、あんなの再現性はありません。ルメール以外には。ともあれレースとしてスペクタクルでした。さて面白いG1が続きます。10月27日(日)の東京11R・天皇賞(秋)を予想していきましょう。今回の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#183)では、成瀬琴さんをゲストに迎えて天皇賞(秋)を予想。後半はちょっと手が付けられないルメールについての話をしています。 ◎②マテンロウスカイ。 G1はルメールを買っておけというのはメソッドとして有効ですが、ここでそういう話を望む読者もいないでしょう。今回の天皇賞・秋は横山典です。菊花賞ではダノンデサイルに騎乗しましたが、道中の不運に次ぐ不運で4角勝負圏外。あれほどの名手をして、どんどん前が下がってくるのをさばけないこともあるのが競馬。レース後「誰が悪いわけでもない。流れが悪すぎた。これも競馬」という無念のコメントを残しましたが、出入りの激しい競馬で複数の馬が次々脚をなくしたので、内枠が仇になりました。今回も内枠で、馬としてはさばき上手のマテンロウスカイ。毎日王冠も前が詰まって追えませんでしたから、横山典も期するところがあるでしょう。もちろん期したところで何とかなるわけではありませんが、3番手インの穴馬を買うのは東京芝2000メートルの基本です。 ○⑫リバティアイランド。 調教の時計は出ていますが、重め残りかという気もしますし、いっそうマイラーっぽい馬体になっています。ただまあ次であろうジャパンカップでも買いたい馬ですし、馬体や調教を見ても能力の減退も感じられません。 ▲⑦ドウデュース。 今年で引退。多くてもあと3戦で、それを3連勝するタイプではありません。そのわりに常に人気なので投資効率は悪いのですが、抜群の調教と充実の馬体。SNSで愛される面白キャラで、当代を代表する名馬であることは間違いありません。 あとルメールのレーベンスティールですが、G1実績がないのにこの人気は過剰ですね。無理に消すことはありませんが、積極的に買いたいほどではないです。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>②→<相手>⑤⑥⑦⑨⑩⑫⑭。計42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(菊花賞)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(菊花賞) 先週の秋華賞は堅い予想を出して堅い結果になったので、外れましたが穴志向の記者はそういう結果に安堵します。堅い予想をして荒れたら「どうしてこれを見抜けなかったのか?」と果てしない自問自答が始まるからです。今回は「選択ミスだけど大枠は合ってた」わけです。10月20日(日)の京都11R・菊花賞 は特に相性がいいわけではありませんが好きなレース。何せ普段は血統を全く考えない人でも、このレースは血統を気にしますからね。血統の比率が高い筆者の予想は力が入るというものです。今回の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#182)では、ほのかさんをゲストに迎えて、もう菊花賞なのでいろいろ話しています。菊花賞っていくら語っても足りない…! で、今回は予想の前にルメールの話を。長いので予想が見たい方はスクロールしてください。 ルメールは菊花賞でアーバンシックに騎乗します。他にヘデントールという3勝クラスの日本海Sを圧勝したお手馬もいながら、です。G2勝ち馬とオープン馬なので、前者に乗るのは不思議ではありませんが、ヘデントールは臨戦が昨年の菊花賞馬ドゥレッツァと似ており、明らかに距離が延びて良さそう。一方でアーバンシックはひいき目にみても長距離よりは中距離ベストでしょう。なので、なぜルメールがアーバンシックかを知りたい方もいるでしょう。筆者も何人かから聞かれました。なぜかは知りません。ルメールもなぜかは語りません。どちらの陣営もお得意さまで、騎手には凄腕営業マンの側面もありますから序列を付けるようなことは言いません。まあ、なぜかは知りませんが経緯については―― 本人(ルメール)が決めた 他者が決めた この2通りしかありません。事実が①なら明快です。ルメールの中で菊花賞での勝ちやすさがアーバンシック>ヘデントール。②は、両馬ともクラブ法人の馬ですから、エージェントの可能性もありますがおそらくノーザンファームの意向とみるのが妥当でしょう。これもエース騎手を乗せるのはアーバンシックがふさわしいとみなされたことになります。 つまりどう転んでもアーバンシック>ヘデントールとなるわけですが、ここで一つ注意を。菊花賞というレースの勝利可能性の判断は、ルメールであっても、ノーザンファームであっても「間違う恐れ」が少なからずある、ということです。ルメールの充実は今に始まったことではありませんが、彼が卓越しているのは騎乗技術であって、勝ち馬予想ではありません。ヘデントールの日本海Sにドゥレッツァを見いだした方は、自信を持って買っていいと思います。勝ち馬予想においては、あなたがルメールやノーザンファームを凌駕する可能性が…あると思います、あるといいなあ。 ◎⑪ショウナンラプンタ。 ルメールの話を上で延々書きましたが、今回のキーホースはメイショウタバルです。逃げ切るには中盤でドカンと13秒台にラップを落とすのが常道ですが、無理にためて折り合いを欠くぐらいならずっと12秒台で引っ張るかもしれません。ずっと12秒台だと直線はサバイバル戦になりますね。ショウナンラプンタはどうにもディープボンドっぽいので、そうしたラップにも適性はあるとみました。 ○⑫シュバルツクーゲル。 道悪要員ぐらいの穴候補とみられていると思いますが、キズナ×ドイツ馬でイメージはワールドプレミアです。ワールドプレミアほどの機動力には至りませんが、ルメールが乗った前走3勝クラスVが開眼したと言っていい内容。ダイヤモンドSかもしれませんが、オッズもつくことから菊で先物買い。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑪⑫→<2着>④⑪⑫⑯→<3着>①④⑥⑧⑨⑪⑫⑯。計36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
-
WAGEI公開収録<概要・応募規約>
動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2024年8月28日(水)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画でレギュラー配信中、話芸の達人が集う「WAGEI」公開収録! 番組MCを務める浪曲師・玉川太福と、ワゲイストにはSF小説のネタを披露する落語家・立川わんだが登場! ゲストには、落語経験のある「今村美月」(元STU48)が登場!今回特別に高座で落語を披露します。 さらに「髙橋彩音」(AKB48)も緊急参戦!豪華出演者たちとの貴重なトークや、 サイン入りグッズが当たるプレゼント企画も用意しています! 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2024年8月28日(水)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川鈴(曲師)/立川わんだ(落語家)/今村美月/髙橋彩音(AKB48) ※さらに出演者が追加する場合も有ります。 応募詳細 追加応募期間:2024年8月16日(金)17:00~8月22日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 当選発表:当選した方のみ、8月23日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2024年8月28日(水)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福 玉川鈴(曲師)・立川わんだ・今村美月・髙橋彩音(AKB48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、8月23日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
-
新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑