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一夫多妻制は円満なのか? “竜人は救世主♡” 清 竜人25新たな夫人たちの本音
清 竜人25(きよし・りゅうじんトゥエンティーファイブ) シンガーソングライターの清 竜人が結成した一夫多妻制アイドルユニット。前回は2014年〜2017年にかけて活動。今年、清 竜人のデビュー15周年、清 竜人25結成から10周年という節目を迎えるにあたり、完全新メンバーで復活。第101夫人・清 さきな(頓知気さきな/femme fatale)、第103夫人・清 凪(根本凪/ex 虹のコンキスタドール、でんぱ組.inc)、第104夫人・清 真尋(林田真尋/ モデル・舞台女優)、第105夫人・清 ゆな(チバゆな/きゅるりんってしてみて)で活動している。 ※第102夫人・清 嬉唄(島村嬉唄/きゅるりんってしてみて)は7月のお披露目ライブで電撃脱退した Instagram:@kiyoshiryujin25_official 清 竜人25が復活した。“一夫多妻制アイドル”というコンセプトで、一世を風靡し解散したのが2017年のこと。あれから7年。新たな夫人たちを迎え、新生・清 竜人25として再スタートしたのだ。 オリジンの清 竜人25は伝説的な存在だが、現・夫人の4人も負けてはいない。アイドルとしてすでに活躍してきた彼女たちの実力は申し分ない。しかもグループの雰囲気もグッドで、第101夫人のさきなは、「もう家族みたい」と語るほどだ。 10周年だけど、新婚ほやほやの清 竜人25。インタビューで四者四様の夫人たちの魅力に迫ると、大いなる飛躍の予感は、確信に変わった。 目次夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!?さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」真尋は「素直でめんどくさい女」ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」竜人くんはみんなの救世主新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!? ──なぜ、清 竜人25を復活させたんですか。 竜人 10年前は、アイドルシーンにおいて、男性が女の子と一緒にステージに立つユニットがなかったので、そこに一石を投じる気持ちがありました。そのクリエイション以外の部分で成し遂げたかったことは3年かけていったん完全燃焼した。今回は清 竜人25の10周年というアニバーサリーイヤーだったので、純粋なエンタテインメントグループとして、この時代にできるハッピーなもの作りをしたいなと思ったんです。 ──このメンバーならそれができると思ったんですね。 竜人 うん、そうですね。 ──竜人さんの誕生日でもある5月27日に復活が発表されましたが、いつごろ夫人たちに声がかかったんですか。 さきな 半年以上前かな。もうあんまり覚えてない(笑)。でも私は、お仕事ではなく、もう家族みたいだなと思ってます。最初は、真尋ちゃんがみんなの仲を取り持ってくれたよね。 真尋 私、人見知りしないんで。でも、みんないい人で本当によかった。今では夫人4人がすごく仲よくて、竜人が置いていかれてる感があるんですけど(笑)。 さきな だから、夫人たちの間でギスギスすることはなくて、(ステージ上でのウィンクとか)「みんなに平等にしてよ!」とか逆に竜人にクレームが行くことがあるかも? 1対4で、竜人が共通の敵みたいな♡(笑)。 ──寂しいですね。 竜人 そうっすねえ……(苦笑)。 ──楽曲も次々とリリースされています。竜人さんにとって、どんなポジティブな影響がありますか? 竜人 10年前のデビュー曲「Will♡You♡Marry♡Me?」のリアレンジverをリリースして、SNSなどでたくさんの方に聴いていただけている状況で。解釈を変えて世の中に提示することで、違う時代でも受け入れてもらえてるのは、すごくアーティスト冥利に尽きるなと思います。 ──夫人たちは、竜人さんの楽曲を歌ってみていかがですか。 夫人4人 (キーが)高すぎる! 真尋 あと、歌詞に「スケベ」なんて入る曲を歌ったことがなかったので(笑)、新鮮で楽しいです。 ゆな 歌うのが難しい楽曲ばかりですけど、難しいからこそ、どうやって歌うか考えるのが楽しいです。 凪 壁が高いからこそ超えたくなるよね。「竜人、もっと難しい曲提示してよ」みたいな。負けねえぞ!という気持ち。 竜人 すげえ、ストイック(笑)。 さきな かっこいい〜。私はもう「楽しいなぁ!」ってだけかも。「キーが高くて出ないよ〜、楽しい〜!」みたいな。 凪 「振り付けできないよ〜。楽しい〜」ってね(笑)。最終的には「楽しいなら、いっか!」なグループですね。 さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」 ──夫人同士のお互いの印象はいかがでしょうか? まずは、さきなさんについて。 凪 私たちの振り付けは、ワークショップ的に先生と一緒に考えることが多いんですけど、さきなちゃんは積極的に意見を言ってくれて、それがキレイなかたちにまとまることが多いんですよ。地頭がいいんだと思ってます。 ゆな さきなちゃんは、もう……このまんま人間! 凪&真尋 あはははは(笑)。 さきな これ以上でも以下でもない(苦笑)。 ゆな すごく明るいし優しいし、裏表がまったくない。あと、すごくいろいろ考えてる。思考力が深すぎて、こんなに明るいのに、こんなこと考えてるんだって思うと、ゴリゴリゴリ〜ってしたくなる。 凪 ゴリゴリゴリ……? ゆな 違う! わしゃわしゃわしゃ〜って頭を撫でたくなっちゃうような感じ、でーす(笑)。 真尋 さきなちゃんは言葉の選び方がすごく上品。私は本当に頭が悪いんで、思ったことをすぐ言っちゃうんですよ……。でも、さきなちゃんは、誰も嫌な気持ちにならない言い方をしてくれるから、すごくありがたい。 さきな うれしい、泣いちゃう……! 竜人は? 竜人 ……3人が言ったことがすべてだよね。 さきな えぇ〜。 ゆな 私は、さきなちゃんのいいところもっと言いたいくらいなのに! 竜人 まじめな子だなあ、と思いますね。 さきな もう、竜人はいつもこれしか言ってくれない。「責任感がある」、「まじめ」。そんなことないのに……まだ私のこと知らないんだね。 凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」 ──凪さんはどうですか? 真尋 癒やし系でほわほわしてるけど、ライブ中は、人が変わったようにすごいんですよ! さきな 憑依型だよね。あと、ツッコミ担当だけど、すっごくおっちょこちょい(笑)。 真尋 リップのフタを逆側にハメちゃって、抜けなくなったり(笑)。さっきは、ドアを半開きにしておく方法がわからなくて、ずっとドアの前でわたわたしてた。「大丈夫?」って聞いたら「ダメです」って(笑)。 さきな 凪ちゃんはひとりでごちゃついてること多いよね。 真尋 おもしろいから、放置してずっと見ちゃう。 凪 助けてくれよぉ〜。 さきな あと、すごく人見知りで、心をすぐに開かない。だから、最近心を許してくれたことが本当にうれしくて愛おしくて。 凪 たしかに、今めっちゃ心開いてる。 さきな 最近は顔を見るたびに抱きしめたくなっちゃう。 凪 さっきは肩揉んでくれましたね。 真尋 おばあちゃんだと思われてない!?(笑) 凪 私は、清 竜人25の「おばあちゃん」担当ですね(苦笑)。ちなみに竜人は何かありますか? 竜人 出会ったころから、いい意味で印象が変わってないかも。 凪 前世のレコーディングのときに出会ったんですよね。「歌が上手だね」って言ってくれて。覚えてる? 竜人 覚えてるよ。いい意味でオンオフの切り替えがはっきりしてて、プロフェッショナルだなと思いますね。 凪 ありがとうございます。普段けっこうダウナーなので、意識して切り替えないと、人の前で歌ったり踊ったりできないんですよ。 さきな 凪ちゃんの本来の人間性と、ステージに立つ人の感覚っていうのが、ギャップがあるんだよね。だからそのまんまの凪ちゃんでは出ていけなくて、スイッチを入れなくちゃいけない。 凪 そうそうそう。けっしてお酒を飲んでステージに上がってるわけではないです。 さきな ナチュラルハイなんだよね。 真尋は「素直でめんどくさい女」 ──真尋さんはどうですか。 凪 真尋〜! 大好き!! 真尋 あはは、私も(笑)。 さきな 屈託のない素直さが魅力。何事にもまっすぐ。たまに良くも悪くもって感じになるんだけど。 真尋 よくわかってる(笑)。 さきな 素直に猪突猛進って感じ。私はこういう女が好き。 真尋 告白……!(笑) さきな でも、まだ見たことないですけど、もし機嫌が悪くなったら、めっちゃ態度に出すタイプだと思います。そういうめんどくさい女(笑)。 真尋 合ってます! さきなちゃん、占い師みたい(笑)。 さきな 私、めんどくさい女が大好きなんですよ。あと、私は真尋ちゃんのことは、ほぼ犬だと思ってます。 真尋 どういうこと!? さきな 誰にでも笑顔でしっぽ振って懐いちゃうから……。この3人の中で彼女にしたら一番不安になっちゃうのが真尋ちゃんだと思う。どっか行っちゃうんじゃないかって。 真尋 やばい女じゃん!(笑) さきな めちゃくちゃムードメーカーで、みんなを朗らかにしてくれる存在です。喜びや怒りはまっすぐ表現する反面、自分の弱さは人に見せない強がりさんなところがあって愛おしい。とても器用だから隠すのが上手すぎて、明るい真尋を演じている瞬間があるのでは?と心配になっちゃうこともあるくらい。 凪 今まで出会ったことのないタイプの明るさを持っている人。なので、人見知りの私でもすぐに打ち解けられた。唯一の同い年で、パフォーマンス力がすごく高くて、ダンスとか教えてくれるから……真尋いつもありがとう。 ゆな 真尋ちゃんは本当に優しくて、犬みたい(笑)。 真尋 え⁉︎ なんでみんな犬って言うの!(笑) ゆな (笑)私は、ひとりだけ加入が遅かったんですけど、初めての顔合わせが写真の撮影日で。もうガチガチで、初めて会う人と一緒に写真撮るなんて、ヤバーい!って緊張してて。 さきな この仕事してたら、初対面で撮影なんてしょっちゅうあるでしょ(笑)。 ゆな でもヤバすぎ〜って緊張してたの! そしたら真尋ちゃんがめっちゃ話しかけてくれて、こんなに優しい人がいてうれしいってなりました。楽しいこともうれしいことも、真尋ちゃんにすぐ言いたくなる。 真尋 うれしい〜! じゃあ、竜人。来いよ! 竜人 なんだろう、すごくガーリーだよね。本番前の舞台袖とかでさ、いつもぷるぷる震えてるじゃん。たぶん緊張しいな部分もあるんだよね。そこもかわいいなって思うよ。 真尋 きゅん♡ かわいいならよかった! ──今日初めて「かわいい」って出ましたね。 凪 本当だ! クレームセンター行きだ(笑)。 さきな クレームの窓口どこだろ。 ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」 ──最後に、ゆなさんはどうですか? さきな ゆなは、繊細さんで守りたくなる。いい子すぎて、すっごく健気で、がんばり屋さんで。ゆなこそ、すっごくまじめ。こうやってずっとニコニコして、ギャグセンがちょっと高くて、おもしろいこととか言うし、ぽわぽわしてるように見える。でも実はちょっと抱え込みがちだから、守りたくなっちゃう。 真尋 癒やしです。ずっと見てたくなる。いつか誰かに騙されそうで、壺とか買っちゃいそう(笑)。守りたくなるんですよね。 ゆな ぜひ守っていただいて♡ 真尋 うん、みんなで守るよ! 凪 めちゃめちゃかわいくて、きゅるんってしてるのにおもしろいし、親身になって同じ目線になって話聴いてくれるところもある。私はゆなちゃんいないと、無理。依存! さきな 中毒性がある(笑)。 真尋 ゆなちゃんって、よく変なこと言うんですよ。このインタビューでもちょいちょい出てると思いますけど(笑)。 さきな 最近おもしろかったのが、私が「トイレ行ってくる〜」って部屋を出ようとしたら「いいなぁ」って返されて。じゃあ「一緒に行こうよ〜」って誘いました。 凪&真尋 あっはっは(笑)。 真尋 パッと出るひと言がすごくおもしろいんですよ。 ゆな ありがとうございます。竜人くんは? 竜人 ゆなはすごく今っぽいなと思いますね。時代をまとった女。 さきな ナウい。いいなぁ。私にもそういうのつけてよ、二つ名欲しい。 竜人 うーん、考えておく。 竜人くんはみんなの救世主 ──夫人たちは、竜人さんとの「結婚」にためらいはなかったですか。 さきな 私は全然。懸念あった? ゆな ゆなはいっぱいあった。 凪 めっちゃ悩んでたね。 ──お披露目ライブで第102夫人の嬉唄さんが離脱し、急遽交代で入ったのがゆなさんでした。 さきな ゆなちゃんは、すっごくファンを大事にしてて、誰ひとり取り残さないで、みんなを笑顔にしたいタイプだから、けっこう葛藤があったよね。 ゆな でも「やる!」って自分で決めて入ったら楽しかったので、勇気を出してよかったです。 真尋 私のファンからも「結婚」っていうワードに対して「悲しい」って意見もありました。でも結局は、私が幸せなら何をしても応援してくれる人ばかりだから、「ごめんね」じゃなくて、「がんばるから見ててね」って前向きな気持ちになれました。 凪 私のファンの方々は「凪がまた元気に活動してくれて、またグループやってくれるなんて!」って喜んでくださってます。私の健康も気遣ってくれるし……って、これじゃ本当におばあちゃんみたいですね(苦笑)。私のファンにとって、竜人くんは救世主です。「竜人くんは救世主♡」って歌作ってほしい! 竜人 やば!(笑) 真尋 いいじゃん! 次の曲それにしようよ! ──歌詞はご夫人方が書いてもよさそうですね。 凪 1行ずつ書こう! さきな 私たちが書いたら絶対グチャグチャになるよ。 凪 たしかに(笑)。 新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」 ──ライブツアーも控えていますが、グループとしての目標はなんでしょうか? ゆな ずっとこんな感じでにこにこ楽しく幸せにやっていきたいです。 凪 どんな状況でも、どんなライブハウスでも、路上ライブだとしても、この5人なら、絶対楽しいし、ハッピーを届けられると思います。元気のない人にも、このハッピーオーラを届けたいですね。 真尋 このハッピーさはみんなに伝えたい。あと、私の前世のグループで叶えられなかった目標があるので、清 竜人25では叶えたいです。 さきな すごい! このグループで、そんな大きな目標が話題になったことなかった。 凪 竜人の頭の中にはあるんじゃないの? 竜人 ん? なに? さきな 今、真尋ちゃんがライブハウスよりも大きいステージにこの5人で立ちたいって言ってたの。 竜人 へぇ、いいじゃん! 真尋 明日にでも予約してくれそうなテンション!(笑) さきな 今、決まりました! 行きましょう。 ──さきなさんご自身の目標はどうですか? さきな やっぱりたくさんの人に見てほしいかな。ライブを観に来てくれたお友達とか家族の反応がすごくいいんです。たぶん私たちが思っているよりも、お客さんのことを楽しませることができてる。だから、「私たちのことを観ておかないと、もったいないよ?」って思います。私も観たいくらいだし。こんなグループもう二度と出てこないと思うから、今のうちに観てほしい。見世物小屋を観に来る感覚でいいから。 凪 寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! ゆな 凪ちゃんはすごく天然なんですけど……。 さきな 突然どうしたの?(笑) ゆな さっき凪ちゃんのこと説明できなかったから。凪ちゃんはノートに歌詞を書いてて、メモもたくさんしてます。憑依は、そういう努力のおかげだと思う。っていうのも書いておいてください。 凪 優しい……ゆな〜〜! ゆなはメンバーのことを本当によく見てくれてる。 ゆな 照れるからやめてよ〜(笑)。 文=安里和哲 撮影=時永大吾 編集=宇田川佳奈枝 <出演情報>テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 11/9(土)11/16(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 出演:清 竜人25 会場:豊洲PIT 日程:2024年11月14日(木) 時間:18:00開場/19:00開演 http://www.kiyoshiryujin.com/kr25_2024/
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H1-KEYはなぜ“K-POP界のアベンジャーズ”? 4人が持つ能力と特別な関係
2022年にデビューしたK-POPガールズグループ・H1-KEY(ハイキー)の魅力は、高い歌唱力と圧倒的なパフォーマンススキル、そして4人のメンバーによる息の合ったステージングにより、幅広い音楽ジャンルを彼女たちの色に染め上げることができるところだ。 今回は日本で初のリリースイベント、そして音楽フェス『XD World Music Festival』出演で来日した4人に、彼女たちの多彩さがたっぷりと詰まった最新作『LOVE or HATE』にまつわるエピソードや、“H1-KEYらしさ”について語ってもらった。 目次グループのイメージを覆す“挑戦”違うところで育った4人がひとつになったK-POPの“スタンダード”になりたい グループのイメージを覆す“挑戦” ──まず初めに、3rd Mini Album『LOVE or HATE』について改めて紹介してもらえますか? ソイ 今まで私たちが歌ってきた曲は、前向きなメッセージが込められている明るい内容がメインでしたが、今回のアルバムは打って変わって“反抗的な学生が結成したスクールバンド”というコンセプトで作ったものです。なので、歌詞もストレートでアグレッシブなものになっているぶん、新しい姿をお見せできたのではないかと思います。 リイナ もともと私たち自身、ガールクラッシュなコンセプトがずっとやりたかったので、『LOVE or HATE』でまさに念願が叶った感じでした。 ソイ 「これは私たちにとって新たなチャレンジになる」って、すごくうれしかったよね! ただ、みなさんがH1-KEYに寄せている期待を覆すものでもあるので、どんな反応が返ってくるかということは正直なところ少し心配でもありました。 ソイ ──これまでのH1-KEYのイメージをアップデートするようなスタイルですね。タイトル曲「Let It Burn」は、まさにこのアルバムを象徴するようなナンバーです。 イェル 初めて聴いたときはすごく私たち好みだなと感じましたし、ギャップを見せられる曲だなと思いました。 フィソ 歌詞も、あまりアイドルが歌わないような表現だからすごく特別な感じがしたよね。「氷が溶けてしまったアイスティー」や「“チャギヤ(愛する人を親しみを込めて「ダーリン」「ハニー」と呼ぶ際に使う韓国語)”、愛してる」、「心が焦げて灰になってしまっても」とか。 イェル 振り付けも挑発的な歌詞に合っていて、すごく気に入っています! 違うところで育った4人がひとつになった ──ほかの収録曲も聴き応え満載なものばかりですが、特にファンの方々にとって特別な曲になったのは、メンバーのみなさんが作詞に参加された「♡Letter」なのではないかと思います。 フィソ 「♡Letter」の歌詞はそのタイトルどおり、作詞をするというよりは、メンバー同士お互いに向けて手紙を書くつもりで作り上げたものなんです。なので、私たちがどんな気持ちで向き合っているかということが表れていて、すごく美しい曲になったと思います。 イェル メンバーのお誕生日に手紙を贈り合ったりもするのですが、そのときとはまた違った感じでした。大変だった時期のことを思い返しながら、それを乗り越えたことへのお互いに対する感謝を込めて書いたので、この曲を聴くだけで涙が出そうになります。 ソイ 「私たちはすでにひとつ」という歌詞があるのですが、それぞれが違う環境で育ち夢を抱いていた4人がひとつのチームになっていく過程で、お互いに近づいていったH1-KEYらしさがよく表れている箇所だと思います。 リイナ そうだよね。それから「これは夢のような現実」という歌詞は、もともと違うものを持っているお互いが今では不思議なことに似たところもたくさんできたという私たちの、信じがたいくらい特別な関係性を伝えるフレーズです。 リイナ ──「それぞれが違う環境で育った」とは、どういうことなのですか? リイナ H1-KEYは、違う事務所の練習生だった4人が集結して結成したグループなんです。 ソイ そう。だから自分たちのことを「“アベンジャーズ”みたいなチーム」と呼んでいます。全員のキャラクターが明確だし、特色もまったく違うから。 ──“K-POP界のアベンジャーズ”であるH1-KEYは、どんな能力を持ったメンバーが集まっているのでしょうか。まずはリーダーのソイさんについて、教えてください。 イェル 私たちのリーダーであるソイさんは、とにかく歌声が特別。いつも「この曲をソイさんが歌ったら、どんな雰囲気になるかな」って考えますし、想像力を掻き立ててくれる声だなって思います。見た目と歌声のギャップも、魅力的です! フィソ ソイさんは、「これをやり遂げるぞ」って一度決めると目の色が変わって、目標に向かってまい進する情熱的な人です。一方で、たとえまわりが浮足立った状況でも、しっかりと自分のペースを保てる冷静さも兼ね備えています。 ──続いて、フィソさんについてご紹介お願いします! ソイ まずは歌声。どんなジャンルの楽曲でも自分のものにできる、宝物のような声ですね。 イェル さっきソイさんを紹介するときは「『この曲をソイさんが歌ったら……』と想像力を刺激する声」とお話ししたのですが、フィソさんは「この曲はフィソさんが歌えばこうなるだろう!」とはっきりイメージできるほど、個性が明確な歌声の持ち主です。その魅力が最大に発揮される音域帯というのもあるのですが、曲の中でパートが近づいてくると「来るぞ~!」と期待してしまいます。 ソイ ステージ上ではカリスマを発揮しているのですが、性格的にはとてもシャイで、情に厚く優しさにあふれているところも愛らしいです。 ──では、イェルさんは? ソイ グループの末っ子なので、以前は「子供みたいでかわいいな」と思うことも多かったのですが、特に『LOVE or HATE』の成熟したコンセプトがすごくマッチしたのか、最近はお姉さんに見えます。性格もサバサバしていてしっかりしているので、年上である私にとっても頼りがいのあるメンバーです。 フィソ 大きな心を持っていて私たちお姉さんメンバーの面倒もよく見てくれる、まるで長女のような存在です。 ソイ (じっとフィソを見つめる) フィソ ……もちろん、本当の長女はソイさんだよ(笑)! 安心して! 一同 (爆笑) フィソ それからイェルは伝統的な舞踊を習っていたというバックグラウンドがありつつ、ヒップホップの感性も持ち併せているところが特別だと思います。 ──では最後にリイナさんについて。 ソイ クールでチルで、芯がしっかりしている人。私は「誰かに頼りたいな」というとき、真っ先に思い浮かぶのがリイナですね。清純な見た目とハスキーボイス、しっかりとした性格とユーモアセンス……と、本当にたくさんの素晴らしいところを持ったメンバーです。 イェル いつも一生懸命なリイナさんは、日本語の勉強も熱心で、実際にとても上手ですよね。そんな姿を隣で見ていると「私もがんばろう」って思えるので、とてもありがたい存在です。 K-POPの“スタンダード”になりたい ──お互いをリスペクトし合う関係性がとても伝わってきました。それでは、ここからは今後のH1-KEYについてお聞かせください。いよいよ『LOVE or HATE』発売イベントで初めて日本のM1-KEY(ファンネーム)と対面を果たしますね(※取材はイベント開催前に実施)。今のお気持ちは? イェル 『LOVE or HATE』で新しい姿に変身したH1-KEYを、日本のM1-KEYに直接お見せできるのが本当に楽しみです! イェル ソイ 私、すごく気になっていることがあるんです。日本のM1-KEYはいつも、かわいい私たちの姿を好んでくださっているような気がするので、今回のような“ちょっと怖いお姉さん”なH1-KEYを気に入ってくださるかなって。よいリアクションをいただけたらうれしいですね。 ──リリースのたびにいろいろな姿を見せてくれるみなさんに、日本のM1-KEYも魅了されていると思います! では最後にこれから先、達成したい目標を教えてください。 ソイ 今後も日本のM1-KEYに会える機会がたくさんあることを願っていますし、少しずつM1-KEYが増えていけばいいなと思います。ゆくゆくは東京ドームでみんなで一緒に楽しめる日が来たら幸せですね。 リイナ 日本デビューは絶対に叶えたいです。私は日本語の勉強を一生懸命がんばっているのですが、特にバラエティ番組がすごく役立つのでよく観て学んでいます。参考になる上に、とてもおもしろいから。なので、いつか私たちも出演できたらいいなって思っています! あと……小さい役でもいいのでドラマや映画に出演したり、演技のお仕事もやってみたいですね。 フィソ チームとしての目標は、ふたりもお話ししてくれたように日本での活躍をもっともっとすることと、そして『コーチェラ』出演です。個人として夢見ているのは、今一般的に知られているボーカリストとしての魅力だけでなく、実用舞踊科出身ならではのダンスパフォーマンスにおける実力もみなさんにお伝えしたいということですね。 フィソ イェル まずは、私たちが「K-POPとはこういうものだ!」ということをこの世界に知らしめたいです! 一同 おお〜! ソイ ちょっと怖いんだけど(笑)! イェル (笑)。でもそれくらい、H1-KEYのパワーを多くの方に知っていただけたらいいなと思っています。もちろん、M1-KEYが見たい私たちの姿もしっかりお見せしたいですね。それから、私自身はダンスやラップだけでなく作詞作曲もできるし、本当にいろいろな才能を持っているので、これからいろいろな魅力を発揮していけたらいいなって。 あとは、メンバー全員がそれぞれ違うブランドのアンバサダーを務めていたらカッコよくない? ソイ めっちゃいいと思う! 私は、日本のCMに出演することが夢です。私たちは、日本の映像の感性にもバッチリ合うと思いますよ〜(笑)! フィソ 「Let It Burn」には「アイスティー」って単語が出てくるし、お茶のCMとかよさそう! ──みなさん、アピールがすごくお上手ですね! リイナ はい(笑)! ひとつでも夢を叶えていけるようにがんばりますので、これからもたくさんの応援をよろしくお願いします。 編集・文=菅原史稀 撮影=山口こすも
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NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき
平中悠一。高校在学中に執筆した小説『She’s Rain』(1985年/河出書房新社)が「文藝賞」を受賞、1984年に作家デビュー。その後『Go!Go!Girls(⇔swing-out Boys)』(1995年/幻冬舎)、『アイム・イン・ブルー』(1997年/幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(2000年/河出書房新社)などの著作を重ねてきたが、デビューから約40年の間に、エッセイや翻訳なども含め出版された単行本が計15冊という寡作な作家。その平中が、今春『シティポップ短篇集』(2024年/田畑書店)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』(2024年/田畑書店)という2冊の書籍を上梓した。しかも『「細雪」の詩学』に至っては、東京大学大学院にて執筆した博士論文がもとになっている学術書だという。 現在『logirl』のプロデューサーを務めている私自身、デビュー作から追っている作家のひとりで、2作品の同時出版というニュースを知ったときはテンションが上がった。 今回、平中に近著の2作品に関する話を聞くことになったのだが、作品内容だけにとどまらず、本人のスタンスの変遷(=変わらなさ)に関する見解にまで話が及んだ。そこにはタイムリーな「NewJeans」(2022年7月にデビューした、韓国の5人組ガールズグループ)の話題なども加わることに。 ──『シティポップ短篇集』を編纂するにあたっての企図をお伺いできればと思います。 平中 本書のライナーノーツ(解説)にも詳しく書いていますけど、近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃなくて、もともと1980年代にはこのシティポップという言い方はあまり使われてなかったんですが、僕のデビュー作『She’s Rain』が出版されたのは1985年なので、結果的には、僕自身がちょうどいわゆるシティポップの時代に重なるんですよね。 デビュー作の中では、ドビュッシーとかラヴェルとかも書いていますが、実は一番いい場面では登場人物たちは山下達郎を聴いているんですよ、あの小説って。まさにシティポップの真ん中の時代で、シティポップ小説という考え方はなかったけれど、今、回顧的にシティポップと呼ばれているような音楽が出てきていたように、当時すごく都会的な小説もいっぱい出てきていたから、それをまとめたらいいんじゃないかと思っていたんです。 「こういうのをまとめたら、いいものできるよ」って、当時、編集者に言ってはいたんだけど……僕がまとめるという考えはなかった。それを、今ならまとめられるんじゃないかなと思って、作ったんですよ。 「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。 僕自身、もともとシティポップ音楽も好きで、シュガー・ベイブや大貫妙子、ティン・パン・アレー系とか大瀧詠一、そういうのを好きで聴いていて、近年のシティポップの流行はアジアからの逆輸入ともいわれていますけど、、日本の1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の空気感が、経済発展してきた今のアジアの空気にピタッとはまったんだと思うんです。 だから日本のシティポップがオリジナルだからすごいということと同時に、アジアの全体が元気になって、前向きになってきて、1980年代の日本のポジティブで都会的なセンスが共有されるようなってきた。インドネシアにしろタイにしろフィリピンにしろ、最近すごくいいですよね、ポップスがね。 シティポップの話題から、アジア全体のポップスの話へと。平中とアジアンポップスとの邂逅についての話が続く…… 平中 僕は1990年代に入って、ほとんどJ-POPを聴かなくなっていたんだけど、たまたまスカパーをつけたら韓国のチャートをやっていて、すごくおもしろくてびっくりしたんです。それが1998年くらい。そこからK-POPを聴き始めることに。 2、3年後には韓国語もだいたい話せるようになるくらいハマったんですけど、これには自分でも驚きました。最初にトランジットで韓国へ行ったとき、キンポ(国際)空港でソバンチャの3人が歌っているのをテレビで観て、強烈な印象を受けていましたから。それがわずか10年で、ここまでかっこいいポップスをやるようになるとは想像もしませんでした。 1988年のソウルオリンピックのころまでは、韓国は今の北朝鮮のような感じで閉じられていて、日本語も英語も全部放送禁止だった。その後、解放が始まって……最初にキム・ゴンモあたりがレゲエから入ったんですよね。冷戦時代の西側・東側的な政治性から少し離れてるじゃないじゃないですか、レゲエって。だから外国のポップスでもレゲエならいいでしょということで。 僕が一番聴いていた2000年……BoAが出てきたころでもまだ、韓国ではポップスで一番過激なのはロックとヒップホップだといわれていたんですよ。 ヒップホップはメッセージ性もあるし、まだわかるんです。でもなんでロック?なのかというと……ロックはアメリカ文化の典型なので、一番厳しかったみたいなんです。最も反体制的、という感覚があったみたい。 その後、キム・デジュン(大統領/当時)のころから、日本は「侍の、武士の国、武力の武の国」であるけれど、韓国は「文人の国、文の国、文化の国」であるという自己規定をして、カルチャーへ予算をドンと入れていくんですが、2003、4年くらいからK-POPもあんまり僕はおもしろくなくなっていくんです。 なぜかというと、そこまでは、キム・ゴンモからあとも、たとえばパク・ジニョンとか、R&Bというのはこういう音楽ですみたいな……本物志向がすごく強かった。ミュージシャン自身が自分で一番いいと思う音楽をやろうとしてたから……ちょうど日本の1980年前後のシティポップ黎明期のようにね。すごくおもしろかったんです。 それが2003、4年くらいになってくると、もうちょっと売れる感じ……韓国の伝統歌謡、歌謡曲のちょっと下世話な感じまでを取り入れる……ちょっとお色気も入れて、みたいな感じになってきて、ポップな感じとズレていくんですね。結果、どれを聴いても全部おもしろい、というそれ以前のようなよさはなくなってきて。 結局、そのころ、僕自身、ちょっと日本を離れてしまったので……そのあと、日本で韓国の子たちが売れたでしょ? KARAとか少女時代とか、いっぱい。そういう話自体は聞いてたんだけど、あのあたりは全然、僕は知らなくて。だからK-POPファンをやっていて、一番日本で盛り上がっておもしろかっただろうなというあのころは全然知らないんです(※2005〜2015年、平中はパリに住んでいた)。 とまあ、そんな感じだったんですけど……昨年の暮れぐらいからNewJeansを、最初はInstagramのリールか何かでアメリカ人がカバーしているのを聴いて「誰これ? カッコいいじゃん!」と思って調べたらK-POPだっていうから、びっくり!して、原曲を聴いてみたらすごくよかった。 最初に気がついたときは年末くらいだったから、もう『Ditto』が出ていたころだったかな? まずは『Ditto』をすごくいいと思ったんだけど、その前の曲も、『Attention』とかすごくコード進行がジャジーでおもしろいなと思ったりもしたんです。 『Ditto』のときから「あれ? けっこうすごい!」と思っていたんだけど、やっぱり2枚目のEPが出たときに『ASAP』のMVとかを観ると、もう完全に雑誌『Olive』の世界なので……改めてびっくりして、これ『Olive』じゃん!と思って。 マガジンハウスから刊行されていた人気雑誌『Olive』(1982年〜2003年)。その独特な世界観をベースにした編集から根強いファンを持ち、休刊から時が経った現在でも、いまだに回顧系の関連書籍などが出版されている。平中も、かつてこの『Olive』で連載を持っていた 平中 僕は、もともと『Olive』が好きで、デビュー作も『Olive』の読者が想定読者だったんです。デビュー後には『Olive』で声をかけてもらい、結果、連載までやらせてもらいました。もちろん今のNewJeansを作っている人たちは『Olive』には気がついていないだろうと思うんですよね。勝手にやっていると思うんです。自分たちのオリジナルとして。 だけど日本では1980年代のバブルのころに『Olive』みたいなものが出てきていて……当時の読者だった女性からは『Olive』が出てきてどんなに救われたかっていう話を、今でもよく聞くんです。僕自身が『Olive』で書いていたから。 当時の赤文字系雑誌の『JJ』(光文社)や『CanCam』(小学館)は、あくまでいかに男の子にウケるかを考えるということをやっていたんだけど、『Olive』は男の子がどうとかとは関係ないんだ、自分たちがかわいいと思うものがかわいい、かわいいものは全部つけちゃう!みたいな雑誌だった。僕はそれを見ていて、かわいいなぁと思ったわけです。 だから実際に今、NewJeansを見て、あの子たちが自分の好きなものを「ほら、これもこれも!」「これかわいいでしょ、これもかわいいでしょ!」っていうようなあの感じ……あれは当時『Olive』を見ていた感じに、すごく近い。 なるほど、『Olive』とNewJeansの親和性、その世界の中で自律的に自己完結しているというような。その場合、『Olive』読者もBunnies(NewJeansのファンネーム)も、等しくその世界を見つめることに終始することになる。話は、その眼差しに及んでいく…… 平中 1980年代はそういう意味でいうと、ポストモダンの時代でもあったのね。パフォーマティブとかディスクール、コミュニケーションとかそういうものが、すごくプロモートされていた。パフォーマティブでコミュニカティブでないものはだめだ!と否定されてしまうくらい……。でも、すごく豊かな時代というか、多様性が許容できた時代だったということもあると思うんだけど、『Olive』みたいな真逆のものも実はあった……要するにパフォーマティブとかコミュニケーションの基本って、相手に影響を与えようという意図を持って働きかけることで、それが『Olive』の場合、自分がかわいいと思えば、もうそれでいいわけです。人がどう思うかなんて、どうでもいい。そういうものも、パフォーマティブの時代だと思われていた1980年代にちゃんと日本に出てきていた。 そう考えると、シティポップみたいなものがアジアでウケてきている今、NewJeansのようなものが出てくるということは、日本の1980年代を重ねてみると、ひとつ読み解けるんだよな、と。 NewJeans『How Sweet』 日本デビュー曲の「Supernatural」では1980年代に生まれ大ヒットしたニュージャックスイングのスタイルを採用。完全に狙ってる? さらにここから「ノン・コミュニケーション理論」が主体を成す『「細雪」の詩学』へと話が進んでいく。平中の感覚の中でそれぞれの要素がきれいにリゾりながら展開していくさまは、まるで魔法にでもかけられているような気持ちになる。 平中 NewJeansを見ていてなるほどと思ったのは……ちょっと前提から話すと、僕も1980年代に仕事をしていたので、そもそもコミュニケーションが一番大事だと思っていたんだけど、その後、フランスへ行って「ノン・コミュニケーション理論」という、小説はコミュニケーションじゃないという考え方を知ったんです。 ところが日本語というのは、実はコミュニケーションじゃない言葉遣いを失っている。すべてが“言文一致”……話すように書くことで、書き言葉とコミュニケーションの口語を一致させるようになっているので、コミュニケーションじゃない言葉が見えなくなっている。なので、特にわかりにくくなっていると思うんだけど……もともとは“物語”ってコミュニケーションではなくて、別世界なんですよね。たとえば子供に「おじいさんとおばあさんがいました……」というのは、全然別の世界の話なわけです。物語には、そういうところがそもそもあって、これはコミュニケーションでもなんでもないはずなんです。そういうところが今は全然捉えられなくなっています。 ドキュメンタリー番組での「今日は村人たちのお祭りだ」みたいなやつ……ああいうのはフランス語なら、コミュニケーションではなく“物語”なわけです。でも日本のアナウンサーの人たちってそれを一生懸命コミュニカティブに伝えようとしますよね。真逆のことをやっているんです。文章自体は、すっと人から離れたひとつの物語になろうとしているのに、それをコミュニカティブにしようということをやっているので、すごく無理があるんですよね。 フランス語だったら、パッセコンポゼ(複合過去)という日常の会話と、パッセサンプル(単純過去)という、文章でしか使わなくなっている古文のような書き方があって……で、フランス人って、子供におとぎ話を語るときはパッセサンプルなんです。それですっと物語の世界に入っていける。言葉にはコミュニカティブな面とそうでもない面があるということに気がついたのはエミール・バンヴェニストなんだけど、それが本になるのは1960年代以降です。 日本で“言文一致”運動が始まったころにはフランスでもまだ周知されてなかったことなので、現代の日本語に“物語”の言語が確立されていないのは仕方がないところもある。そんななかで、日本の小説家たちはいろいろ工夫してがんばったと思います。 小説というのも“私とあなた”の間のコミュニケーションとは違うところにある“世界”を見せてくれるところが、実はすごくおもしろい。 『細雪』(谷崎潤一郎/1943年〜1948年)なんかはその典型なのだけれど、自分の人生とは別のラインで4年半の時間が流れていて、読んでいると自分の人生がそこのところだけ二股に分かれるみたいな感じがある、別次元のような。なぜそれができるのかというと、別の世界がそこにあって、読者はその世界をのぞき込むように経験するから。 僕の『「細雪」の詩学』では、アン・バンフィールドの「ノン・コミュニケーション理論」に関係して、ヴァージニア・ウルフを紹介しているのだけれど、ヴァージニア・ウルフは意識的にノン・コミュニケーションの小説を書こうと思ってすごく苦しんだ人なんですね。 文章の中にノン・コミュニケーションの部分があるというのはいえるとしても、それだけで1章、2章……と作っていくのは難しいんです。ウルフは『灯台へ』(1927年)でまったく人称性のない章を書いていますけど(第2章)、実はあれはすごく大変で、彼女の日記を見ると、ものすごく苦しんでいるのがわかる。 僕自身の話でいうと『She’s Rain』を書いたときに江藤淳先生から「街の情景の部分が新しいので、あれをもうちょっと発展なさったらいいと思いますね」と言われたので(『She’s Rain』の前日譚になる)次作の『EARLY AUTUMN アーリィ・オータム』(1986年/河出書房新社)のときに、意識的に街の情景を描いてみたんです。カメラアイを用いて街の情景を書いて……ずっと街の情景が続いている中に、人物のセリフがぽっと入る。 映像的にいうと……人物たちが遊んでいるようなシーンに、その画とは関係なしに人物たちの声でナレーションが入るかたちがあるじゃないですか……あれをやりたかった、文章で。 文章でぎっしり4ページくらいはいきたいなと思って書いていたんだけど、全然無理、続かない。やっぱりカメラアイでずっと書くことはすごく大変なんだなと思ったことがあって……ウルフのそういう日記を見て、ああそうだ、これって難しいんだよなと。 ウルフの書いたエッセイには、バンフィールドも取り上げている『The Cinema』(1926年)というのがあって……映画って“中の人たち”は見られていることに気づいていないわけです。こちらを見ない、“こちら”があるとも思っていない。見ていることに気づかれることもない状況でこそ、初めて何か真実の姿が現れる、と言うんですね。 たとえば、映像の中で波が来ても自分の足が濡れることはないし、馬が暴れても蹴られることはない、結局のところ自分たちとは別の世界、逆にこちらの手も届かない世界で起こっている出来事がそこには捉えられている。だからこそ自分たちの日常を離れて、客観的に何か真実が見えてくるというのを『The Cinema』では“映画の美学”として考えている。 そういうものを、ウルフは自分の小説でなんとかやろうとしたんだと思うんです。「ノン・コミュニケーションの美学」はそこにあって、NewJeansの「Bubble Gum」(2024年)とか「ASAP」(2023年)のMVを観ていると感じるのは、そういうもの。こっちで見る者のことを全然意識していない世界が強調的に描かれている。ステージでの「Bubble Gum」のイントロで演じられる小芝居なんか、典型的です(カメラを鏡ということにして、誰にも見られていないていでメンバー同士の内輪の会話が演じられる)。 「ノン・コミュニケーション理論」とNewJeans……コンテンツへの私たちの接し方を考えると、それもあり得る話に思えはするものの、接し方ではなくコミュニケーションという視点に変えることで、モノではなく人、世界になっていく。NewJeansから、話はさらに進む。 平中 若い女の子を眼差しによって消費するのではなく、少女たちに眼差されることがない自分を儚む、みたいな捉え方もあると思うけど、僕はちょっと違って、少女たちがこちらを見返してくれる必要を僕はまったく感じないので……見返されても困るし、持て余しちゃう。あの子たちがああやって遊んでいるのを見て、みんながおもしろいと言って……たぶんそこにはいろいろな楽しみ方があるし、彼女たちの仲間になれる人もいるし、彼女たちに共感したり自分を投影する人もいるだろうし、僕みたいに全然別の“楽しそうだなぁ”と思って見ているだけで自分も楽しくなっちゃう人もいる。そこはやっぱり人によって違うと思う。 ただ僕は、NewJeansを見たときに、これって『Olive』だよね。で、これが『Olive』だということは、NewJeansのこういうノン・コミュニケーション的なところを考えると『Olive』って「ノン・コミュニケーション理論」だったんだよねと思って。 『Olive』からのNewJeans、「ノン・コミュニケーション理論」からのNewJeans、そして『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」、一見すると単なる三段論法のようにも思えるが、深く聞いていくと同じ地平でつながっているのは間違いないことに気づかされる。そしてNewJeansを橋頭堡として、そこへ「シティポップ」もつながってくる。 これはまさに今起こっていること……ここへさらに平中自身の縦軸、デビュー作『She’s Rain』がたどり着いた場所(それは換言すると“普遍性”でもあるのだけれど)の話が続く。 『She’sRain』 装丁はオサムグッズの原田治 平中 僕はずっとこれをやっているんだって、実は最初(デビュー作)から。結局そこで、僕はその子たちに見つめ返されたくない。見つめ返されない自分を悲しむとかはないわけです。なぜかというと、本当に高校生のときから僕はこの子を汚さないというのが僕の考えなわけだから。もう全然、けっこうなわけです。 だから、くるっときれいにつながってくるので、『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」がNewJeansを介して通じたときに、自分がやっていたことが、くるっときれいにつながった感じがしたんです。だからバラバラないろいろなことをやっているようだけど、最終的に僕はそういうことがやりたいんだと思って。 デビュー作『She’s Rain』では、ユーイチとレイコというふたりの高校生の恋物語が描かれる。今風にいうなら“煮え切らない”ように見えるユーイチが抱いているレイコへの思い「僕は、ほんとに好きになったら口説かないでおく。そのコのこと大切に思うから。(中略)そのコをずっと素的なままでいさせてあげる自信なんて、ない」「素的な、一人で歩いて行ける女のコのままでいて欲しい」「束縛したくないんだ(中略)つまんない女のコにしたくないんだ」(『She’sRain』より抜粋)この言葉が、まさにスタンスを体現している。 約40年が経って、改めて変わっていないことに気づかされる、それは自分の志向性が間違っていなかったという自己肯定でもあるのだろう。 取材・文=鈴木さちひろ 平中悠一(ひらなか・ゆういち) 1965年生まれ、兵庫県出身。小説『She’s Rain』で1984年度・第21回「文藝賞」を受賞しデビュー。『それでも君を好きになる』(トレヴィル)、『アイム・イン・ブルー』(幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社)などの小説、『ギンガム・チェック Boy in his GINGHAM-CHECK』(角川書店)などのエッセイの出版のほか、『失われた時のカフェで/パトリック・モディアノ』(作品社)等の翻訳も手がける。 2024年4月『シティポップ短篇集』(編著)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の2冊の書籍を田畑書店から上梓。HP:http://yuichihiranaka.com 『シティポップ短篇集/平中悠一編』(田畑書店) 「1980年代、シティポップの時代」を彩った7人の作家による9つの物語を、自らも小説家である平中悠一が編纂。 (収録作家:片岡義男・川西蘭・銀色夏生・沢野ひとし・平中悠一・原田宗典・山川健一) 平中「読んだあと味がいい……希望が持てる感じかな。1980年代の感覚ってひと言でいうと、大貫妙子さんのアルバムタイトルにもあった『Comin’ Soon』。今にいいことが……一番いいものはこれから来るよみたいな感覚。それがなんだったの?と言ったら何もないまま終わっちゃった、巨大な予告編のようなところもあるのだけど。もっといいものが来るよと思いながら生きていく感じ。そういうあのころの気分のある小説、なにかしら夢が持てる、希望が持てる感じの作品を選びました。 これを僕がまとめなかったら、たぶんまとめられないまま終わっちゃう。ここでいっぺん、こういうものも80年代にはありましたよということをまとめておいたら、いつか誰か拾ってくれるかもしれない。そのときにまた、日本の状況がもうちょっとよくなっていたりしたら……そういう“壜(びん)の中のメッセージ”、タイム・カプセルでもあるんです」 『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み/平中悠一』(田畑書店) 谷崎潤一郎の「細雪」を、日本では初の試みとなる「ノン・コミュニケーション理論」を用いて解析。三人称小説の在り方、文学作品の客観的な読み解き方を考察する。小説家である平中悠一の、東京大学大学院での博士論文を書籍化。 平中「三人称の小説を自分ではうまく書けないっていうのがまずあって。三人称の小説が一番本格的であるという話もよく聞くし、でも日本語で書かれた三人称の小説は、どうもどれもしっくりこないというか……どうも読んでて三人称ごっこみたいに見えちゃう感じがあるのに『細雪』だけは違和感が何もなくスーッと読めるので、なんでだろう?と。どこが違うんだろう?って、ずっと謎だった。『細雪』という小説自体、どうやって書いたんだろう?というのが全然わからなくて。それが『細雪』を研究のモチーフにしたきっかけです。そこから「ノン・コミュニケーション理論」の勉強を始めて……もしこの理論が使えるようになったら絶対おもしろいことになるぞ、と思ったんです」
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K-POPの名MC・古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学”
古家正亨(ふるや・まさゆき) 1974年生まれ、北海道出身。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了。ラジオDJ、テレビVJ、韓国大衆文化ジャーナリスト。年間200本以上の韓国アーティスト・俳優イベントのMCを務める。NHK R1『古家正亨のPOP★A』、ニッポン放送『古家正亨 K TRACKS』、テレビ愛知『古家正亨の韓流クラス』などのレギュラー番組でも活躍中 K-POPが好きな人なら、一度は「古家正亨」の名を耳にしたことがあるだろう。数々の韓国アーティスト・俳優による来日イベントなどでMCを務める古家は、ラジオDJそしてジャーナリストとして、長年、韓国大衆文化と併走してきた。 今回は、そのたしかな知識とカルチャーへのリスペクトを感じさせるトークで、ファンそしてスターたちからも厚い信頼を集める彼の職業観を聞いた。 現地での実体験でしか得られないものがある 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』 ──2024年4月に新著『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA)を刊行されました。本書ではK-POPの最新シーンはもちろんのこと、韓国芸能が国外へ受容されるまでの道のりもわかりやすく綴られていますが、なぜこうした内容を発信したいと思ったのですか。 古家正亨(以下、古家) まず、僕の中では日本におけるK-POPの展開って、KARAや少女時代が日本に進出した2010年前後である程度広がりきったと思っているんですね。逆にいうとそこまでのプロセスが大事で、それ以降はひとつのムーブメントとして定着していったといえる。 その一方、最近のK-POPシーンについては多くの方がご存じですし、記録としてもいろんなかたちで残っているけれど、当時の細かい事象についてはあまり知られていないように感じるんです。 ──“細かい事象”というと、どのようなものが挙げられますか? 古家 たとえばCDショップのK-POPコーナーに行くと、アルバムパッケージの形がすごく多様だと気づかされます。正方形のスタンダードな形態だけでなく、すごく大きいものや細長いもの、本型もあれば箱型もある。 なぜこうなったのかという背景にはさまざまな要因がありますが、よくいわれているのは「韓国では芸能事務所が作品プロデュースを徹底していて、アルバムのデザインワークにもこだわっているから」ということですよね。 でも僕の目には、別の理由もあるように映っているわけです。というのも、CDの売り上げが下降していった時期に、韓国ではCDケースのメーカーが次々に倒産してしまい、国内生産が難しくなっていたんです。そこで仕方なく、代わりにDVDのパッケージが使われ始めたんです。 それ以降、CDの形態が画一ではなく、いろいろなものが出始めて、見た目の自由度も増していった……というのがそもそもの経緯なんですね。 ──そんな事情があったんですね! 古家 もともと僕は大学卒業後にカナダへ留学して、そのときに韓国人留学生の友人から聴かせてもらったK-POPがきっかけで韓国の音楽に傾倒していったんです。 ラジオDJとして活動しながら「自分の好きな韓国の音楽についてもっとみんなに知ってもらいたい!」と流行歌を紹介したりしていたわけですが、今とは違って当時はインターネットも普及しておらず、現地のトレンドを把握するのがすごく大変だった。なので自ら韓国のCDショップへ足を運んで、音源をチェックするしかなかったんです。 その時代の日本は、ほかのアジア諸国を軽視するような風潮がありましたし、韓国カルチャーの発信に積極的なメディアも少なかったので、僕の活動を認めてくれる人も少なかったですし、渡韓費用もCD代もすべて自腹でした。 そんな時代、韓国のCDショップへ行くたびに、個性的な形のCDが少しずつ増えていき、知らず知らずに(ショップ内で)やたら足を(CDに)ぶつけるようになっていったわけです(笑)。 さらに時が経つと、今度は三角形のアルバムパッケージなんかも登場して(miss Aの『Bad But Good』)。日本ではそんなケースが少なかったので「なぜだろう?」と思い、関係者に聞いてみると、先ほどお話ししたことがわかったんです。 miss A『Bad But Good』 ……話が少し長くなってしまいましたが、あるムーブメントを捉えるにおいて、実体験を通じて新鮮に感じたことや疑問に思ったことを調べる、ということの繰り返しでしか見えてこないことってあるんですよね。なのでそういう経験を通じて、この目で見てきた“細かい事象”を伝えたいという気持ちがあるんです。 ──どこにいながらも世界中の最新曲がチェックでき、現地メディアのレポートが即日多言語でアップされるようになって久しい今も、その考えに変化はありませんか? 古家 そうですね。昔は「若者の間で流行っている音楽を知るには、明洞(ソウルの繁華街)を歩け」といわれていましたが、最近は好みや音楽ジャンルが多様化して、そうはいかなくなりました。 ソウルの若者の遊び場も、かつては一極集中だったのが、今ではいろいろなところに広がっています。それぞれの場所で流れている音楽も、たとえば芸術系大学エリアの弘大はインディーズミュージックの中心地ですし、名門大学エリアの梨大や新村では日本のシティポップが流れていたりする。 日本で「韓国の音楽」といえばアイドルが中心ですけど、韓国本国では2010年以降音楽の多様化が一気に進み、さまざまなジャンルのアーティストが音楽界で支持されています。 日本でヒットチャートだけを見ていては「アイドルが流行っている」という情報しか得られず、わかったような気になってしまうので、現地の実情を理解するには、ネットでなんでも調べられる今だからこそフィールドワークが大切だと思うんです。きっと大学院でジャーナリズムを専攻していたこともあり、その思いが強いのかもしれません。 MCで大事なのは「透明な存在になること」と「入念なリサーチ」 古家正亨 ──古家さんはK-POPのイベントMCを数多く務められていますが、それぞれのアーティストに関する知識の深さにファンから驚きの声が上がることもよくあります。その根本にはジャーナリズムの精神があったのですね。 古家 大学で専攻していた臨床心理学によって培われたものも大きいと思います。心理学って要は、“人の心”を数値化する学問じゃないですか。見えないものを“見える化”する作業は、今僕がMCやラジオDJをするにあたって、非常に役立っているんです。 それから、当時の恩師から教えていただいた「カウンセラーは自ら答えを提供するのではなく、あくまで困っている人の話を聞き、気づきを与える職業」という言葉に大きな影響を受けました。「真の話し上手は、最高の聞き上手である」という先輩からのアドバイスも、今の僕の成長の糧になりました。 ですから今の仕事をするなかで常に念頭に置いているのは、できるだけ“透明な存在”になって、主人公のスターとファンをつなぐパイプ役に徹したいということ。必要なタイミングにだけ、なるべく短い言葉を発することでスターとファンとの橋渡しができたらというのが、仕事をするにあたっての哲学です。 ただ、その「必要なタイミング」というのはいつやってくるかわからないので、どんな状況にも対応できるように、やはり事前の入念なリサーチが重要になるわけです。 ──逆にいうと、どれだけリサーチしても「必要なタイミング」が来ない限りは、せっかく準備した情報の出番はないということですよね。 古家 そうです! 昔、マラソンの実況をやっていた先輩から「ランナー全員のバックグラウンドや趣味まで調べ上げても、それが少しも役に立たないことが多い。それでも1000リサーチしたうち1や2が活かされるときのため、我々は準備している」という話を聞いて、すごく感動したんです。 だから常にスターの動向をチェックして、現地の記事を読んで、時にはファンのSNSを見て……。家族には「いつもネットばかり見て、楽しそう」と思われていますけど(笑)。 ──本当に大変なお仕事だということがわかります……。 古家 最近は年間200本ほどイベントに出演しているのですが、その中で「今日は満足できた」と思えるイベントって、正直10本あるかないかなんです。 MCという立場上、自分がどれだけ準備をしても、すべてをコントロールできるわけではないし、韓国と日本という文化や習慣が違う、異なる民族の者が混在する現場が多いので、価値観や目的にもズレが生じるわけです。 とはいえ、表に立って進行しているのはMCですから、もしもイベントがイマイチだったときは僕の責任になってしまうんです。 たまに「なりたい職業は古家さんです」と言っていただくことがあるんですけど、はっきりいってオススメできません。想像できないかもしれませんが、心労は計り知れません。 韓国カルチャーの「スポットが当てられていない部分」も伝えたい ──とはいえそんな古家さんだからこそできる仕事、伝えられることが多いぶん、活動のフィールドを広げていらっしゃるのだと思います。今後新たに挑戦したいことってありますか? 古家 たくさんあります。たまに「古家さん主催のフェスをやってほしい」と言われるので、いつか実現できればと思っています。ただ、K-POPアイドルのフェスにしてしまうと、どうしてもお金が莫大にかかってしまいますし、すでに多くのイベントが日本で行われているので、僕がする意味はもはやないと思います。 自分のキャリアの原点って、もともと韓国のインディーズ音楽を聴いてハマったということもありますし、あまり日本では知られていなくても、実力のあるアーティストを呼ぶというかたちでなら可能かもしれません。 それと、昔からずっとやりたいと思っているのは、韓国音楽についてのドキュメンタリー制作です。取り上げたいテーマはいろいろあって、1970~80年代に日韓の音楽交流の架け橋として尽力してきた歌謡界の重鎮の半生だったり、日本における韓国エンタメの定着の過程だったり……。K-POPが日本でここまで受容されるようになった背景については、もっと掘り下げられるべきだと思うんです。 今でこそ注目されるようになった韓国カルチャーですが、スポットライトが当てられているのはまだまだほんの一部なので、それ以外のところを“古家目線”で記録として残したい、というのが僕の希望ですね。 文=菅原史稀 編集=高橋千里 INFORMATION 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA) 著者:古家正亨 定価:1,600円(税別) 古家正亨が韓国カルチャーの過去・今・未来を、ラジオ番組仕立てで届ける https://www.kadokawa.co.jp/product/322111001104/
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春アニメを遡り考える“アニメのこれから” ──DJ・KO KIMURA×アニメ評論家・藤津亮太
KO KIMURA 木村コウ(きむら・こう) 国内ダンスミュージック・シーンのトップDJ。クラブ創成期から現在までシーンをリードし、ナイトクラブでの活動のみならず、さまざまなアーティストのプロデュース、リミックス、J-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』(毎月第1金曜日27:00〜29:00)にてラジオDJとしてなど、国内外で活躍中。 藤津亮太(ふじつ・りょうた) アニメ評論家。地方紙記者、週刊誌編集を経てフリーのライターとなる。主な著書として『「アニメ評論家」宣言』(2003年/扶桑社、2022年/ちくま文庫)、『アニメと戦争』(2021年/日本評論社)、『アニメの輪郭』(2021年/青土社)などを出版。 昨年11月に実現したアニメ好きで知られるDJ・KO KIMURAとアニメ評論家・藤津亮太の対談。今回は、春アニメをテーマにふたりのアニメ対談第2弾を敢行した。人気作『鬼滅の刃』や『僕のヒーローアカデミア』の続編をはじめ、『忘却バッテリー』や『怪獣8号』など話題作が盛りだくさんの今期。過去〜現代の春アニメ作品を比較しながら、トレンドやアニメ業界の変化などについて語ってもらった。 目次“春アニメ”で思い出すあの作品過去〜現在でよくできたアニソンとは?春アニメから見る業界のこれから “春アニメ”で思い出すあの作品 ──アニメ対談第2弾ということで、今回はビッグタイトルが並ぶ春アニメについてです。毎年、春アニメはどこも気合いが入っているようですが、20年前、10年前、現在放送の春アニメを比較しながらお話を伺えたらと思い、2004年、2014年、2024年の春アニメ作品リストを持ってきました。 藤津 2004年の春アニメもそこそこ数がありますが、『アニメ産業レポート』(日本動画協会)によると、2004年は年間放送されたアニメが203本ぐらいあったんです。2022年の段階でテレビアニメは年300本を超えているので、2004年は現在の3分の2ぐらいだったころで。 木村 今は毎クール50番組を超えていますから、もう全部をチェックするのは不可能に近いですよね。こう見てみると、昔は一般には広く流行らなくても、アニメシーンの中では話題になる作品が多かった気がしますかね。 藤津 2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』の放送があるんですけど、そのあとからラノベ(※ライトノベル)のアニメ化がまた増えるんですよね。1990年代以来ですね。2004年はその直前なんで、意外とラノベアニメは少ないかなって。 木村 マンガ原作が多いからか、全部が似たような作品にならない時代でしたよね。 藤津 今だと異世界転生モノがたくさんあるので(笑)。ベースが似ている──たとえると、でき上がっているラーメンは別ものなんだけど、基本の出汁は同じみたいなところがありますよね。個人的に春アニメの記憶をたどると、『機動戦士ガンダム』(1979年)がすぐ浮かびますね。 木村 ガンダムは春の放送だったんですね。 藤津 そうなんです。4月7日放送開始で。小学校高学年ぐらいのときで、事細かに春の記憶と結びついているわけではないんですけど。そのあと『機動戦士Ζガンダム』が1985年3月放送開始で、高校2年生になった4月に、友達と登校中に会って「(Zガンダム)どうよ?」という話をしたのを覚えています。 木村 『Ζガンダム』になって、だいぶストーリーが暗くなりましたよね。富野由悠季監督のネガティブなところがいっぱい出ている気がしました。 藤津 重苦しい感じがありましたよね。キャラクターを追い詰めていくところがある作品ですからね。 木村 10年おきに見てみると、異世界転生モノのような今っぽいアニメはまだないですね。2004年は『忘却の旋律』でLiSAさんの歌(OPテーマ「Will」)を思い出しました。あと、『頭文字D Fourth Stage』はCGが少しよくなっている時代ですね。 藤津 『頭文字D』は2023年秋に『MFゴースト』(※『頭文字D』と同じ世界の近未来が舞台という設定)をやっていて、今年もシーズン2をやると言っているし。『ケロロ軍曹』や『キン肉マン』は今年新シリーズ発表をしていて、2004年を見ていると、意外と20年後の今と重なるものがあっておもしろいです。 木村 20年経っても観ている方はけっこういそうですよね。あと、アニメファン初期の人たちも多く見ていそうです。ちょうど『風の谷のナウシカ』(1984年)で映画館に並んでいたような人たちなのかな。 藤津 『風の谷のナウシカ』も春の映画でしたね。ちょうど中学3年から高校に上がる春休みの公開だったので、映画館に観に行きましたね。約束もしてないのに友達も観に来ていて、映画館でばったり隣り合わせるみたいな(笑)。 木村 「やっぱり来るよね!」って言ってね(笑)。90年代になると今でいう深夜アニメ的なものはOVAになっていったじゃないですか。だんだん夕方6時のアニメもなくなってしまうし。自分が子供のころ、ジャンプアニメは19時からやっているみたいな。それが今になると夕方はニュースばっかりで。あと土曜と日曜の朝にやるアニメが増えましたよね。 藤津 結局はアニメそのものの視聴率が90年代の終わりごろからジリ貧の状態だったんです。その結果として、たとえば『ONE PIECE』(1999年〜)がゴールデンタイム放送じゃなくなるのが2006年で、『名探偵コナン』(1996年〜)もずっと月曜19時台でやっていたのが、2009年以降は土曜夕方枠に移っていて。そんなふうに、ちょっとずつ視聴率的にゴールデンタイムからアニメ枠が押し出されていって、逆に深夜にアニメ枠が増えていくことになった感じですね。 木村 なるほど。『交響詩篇エウレカセブン』(2005〜2006年)は朝7時とかにやっていて、京田知己監督や脚本家の佐藤大さんが「ナイトクラブで踊ったあとに見てもらいたい」と言っていたんですよ。そういう狙いもあるのかなって。僕もそのころは『マリア様がみてる』(2004年)を観るために、DJ終わったあとすぐ帰っていたから。最近は日曜朝のアニメって、大人向けのものが少なくなってきましたよね。 藤津 かっちり棲み分けされていますよね。土日の朝は、玩具やカードがセットになっている番組が中心で。 木村 たしかに多いですね。カードバトルものとかね。僕は朝6〜7時ぐらいまでDJをしていたりするので、日曜の朝に好きなアニメを観られるのは、DJ中もテンションが上がっちゃって。あと、土曜朝の『家庭教師ヒットマンREBORN!』(2006年)とかも好きでした。 過去〜現在でよくできたアニソンとは? ──その時代のトレンドはあるのでしょうか? 木村 2004年はやっぱりマンガ原作が多かったですよね。『GANTZ』(2004年)はアニメを観るときに少しフレッシュさがなくなってしまうから、原作は読まないようにした思い出があります。 藤津 あと、現代は “なろう系”(※小説投稿サイト『小説家になろう』発の原作の作品)という言葉に代表される、WEB投稿発の小説が企画のスタート地点のものがめちゃくちゃ多くなっているので、そこが一番違うところですよね。 木村 『サムライチャンプルー』も2004年春なんですね。少しサブカルっぽい雰囲気が伝わってきていて、アニメでヒップホップの音楽が流れることはなかったから。 藤津 そういう意味では『サムライチャンプルー』は、かなり目立っていましたよね。 木村 そういえば当時は野球中継があると、最終回までテレビでやらないとかありましたよね。 藤津 ありましたね(笑)。『GAD GUARD』(2003年)も地上波放送が途中で終わってて。そのあたりは、アニメ制作会社は局と連携があまりよくなくて、過渡期といえば過渡期だったんですよね。深夜アニメが始まって10年弱ぐらいで、改めてアニメに力を入れようとなったけれど、その体制が2004年はまだ固まりきってないんですよ。 木村 そうなんですね。『GAD GUARD』とかも「え、これどうなるの?」で終わっているから。今だと次のクールの最終話の持ち越しとかありますから。最終話を見るために、OVAを買ったり、レンタルしたりしなきゃいけなくなるという。 藤津 あとBSだけで全部やります、みたいなケースもありますからね。 木村 なかなか懐かしいですね。『サムライチャンプルー』も最後あれ?ってなりました(笑)。『GAD GUARD』はカッコよかったですよね。 藤津 ちょっとトガったビジュアルセンスのある作品だったので。 木村 最近は“なろう系”ばっかりで……。 藤津 すごく量が多いですからね。あと、2004年春の作品リストを見ると『DANDOH!!』があるんですよ。ということは、2004年も今年も両方ともゴルフアニメが入っています。そもそもゴルフアニメなんて、めちゃくちゃ少ないのに。両方にあるのはすごいなと(笑)。今年放送の『オーイ! とんぼ』は、ゴルフ雑誌『週刊ゴルフダイジェスト』(ゴルフダイジェスト社)の長期連載マンガですね。 木村 10年周期でゴルフアニメが出てくるのかもですね(笑)。ゴルフアニメはおもしろいですけど、数が少ないからいいのかもしれないですね。サッカーとか野球とか多いから、そうすると、どれか埋もれちゃう。 藤津 ただゴルフというスポーツの欠点は1試合が長いということですね(笑)。省略しすぎるとゴルフらしさが減っちゃうし、そこが実際にアニメで描くときには難しいところだなと思いますね。マンガだと延々とできるんですが、アニメだと区切りのいいところで収めないといけないから。 木村 箱根を自転車でずっと走っている『弱虫ペダル』(2013年〜)も同じですよね。 藤津 あれも走り出すと長いですからね。 木村 1クール全部、箱根を走っているみたいな。バスケットボールとか野球は、春や夏の甲子園とかね、終わらすタイミングがありますけど。 ──こう並べて見てみても、記憶に新しい作品が多いですよね。 木村 え、『ハイキュー!!』は2014年!? 藤津 そうなんですよ。テレビで第3期までやって、今年は映画です。映画『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』(2024年2月)は、すでに興行収入100億円と勢いがすごいんです。今は人気が出ると、作品寿命がかなり長くなるんですよね。『ラブライブ!』も最初のシリーズの第2期が2014年ですけど、シリーズは今も継続中ですからね。今度NHKで一番新しいシリーズをやるし。さらにほかのシリーズも展開しますと予告しているし。 木村 『ラブライブ!』といえば、作中に出てくる“穂むら”(※神田にある和菓子屋“竹むら”)。僕は90年代からずっと甘味好きなのもあって通っていたんですが、『ラブライブ!』人気でやばいことになっていて。作品ファンらしき人たちがグワーって並んでいて、当時全然行けなくなってしまって。店内での撮影もダメになり、アニメって影響力は強いんだなって(笑)。もちろん僕も、『らき☆すた』(2007年)の聖地巡礼もしていましたけど。みんなが聖地巡礼をやり出したのは、どのあたりなんですかね? 藤津 どこで線を引くか難しいんですけれど、もとから映画のロケ地探訪というのがファンの中ではあったんですよね。70年代〜80年代前後だと『ベルサイユのばら』ファンがフランス旅行へ行くというのもあったりして。当時はまだ聖地巡礼という名前がついていたわけではなかったけれど、アニメの舞台を訪れるという意識は昔からあったんです。“聖地巡礼”といわれたり、新聞記事になるようになったりしたのが、『おねがい☆ティーチャー』(2002年)あたりからだと思います。作中に長野県・木崎湖が出てくるんですけど、木崎湖に年1回ファンが集まるみたいなことが自然発生的に起きるようになって。それがさらに大きく話題になったのは『らき☆すた』ですよね。そのあと、さらに『ガールズ&パンツァー』(2012年)で茨城県・大洗町がフィーチャーされた感じです。ほかにもいっぱいあるけど、節目でいうとそこですかね。 木村 なるほど。今期の『変人のサラダボウル』は岐阜県を舞台にしていて、僕が岐阜県出身なのでうれしくなって。その土地と組んでアニメを作ることも増えましたよね。 藤津 フィルム・コミッションにロケ地を挙げてもらったりしているみたいですね。『となりの妖怪さん』(2024年)は静岡県西部の山のほうが舞台になっているのと、『ゆるキャン△ SEASON3』(2024年)は原作どおり、このあと静岡の山間地も登場する流れです。僕は静岡県出身なので、いろいろな地名が出てくると懐かしいなと思って観ています。 木村 実際に行ってアニメの場所が現実世界でそこにあるとうれしいですよね。僕も、長崎や函館に行ったときは、仕事ついでに1日余分に取って聖地を訪れています。 藤津 長崎に住んでいる知り合いの方が、長崎舞台のアニメはいくつかあるけれど、逆に住んでいるぶんだけ楽しみにくいみたいなことを言っていて。現地のリアルな情報があるから、「こういう感じじゃないんだけどな……」と気になってしょうがないと。素直に作品を観られなくなっちゃうらしくて。そういう、実際に住んでいるからこその感想はちょっとおもしろいなと思いました。 木村 アニメを観た人に来られても困る場所とかありますもんね。 藤津 舞台にはしたけど、私有地だから「入ってはいけないですよ」みたいな場所だったり。 ──地元が盛り上がるのはうれしいですが、難しい問題もありますよね。ほか、気になる作品はありますか? 藤津 『シドニアの騎士』(2014年)は、ひとつ分岐点っぽい作品で。国内で地上波放送をする前に、当時はまだ日本でサービスインしていなかったNetflixで先にかけたので、海外のほうが先に見られる作品だったんです。そのあと2015年に日本でNetflixのサービスがスタートしたんです。『シドニアの騎士』は日本のアニメが配信を舞台に海外で戦えているよ、というごく初期の例で。そういう意味で興味深い作品です。今は配信サービスがめちゃめちゃありますけど、10年前はまだ黎明期だったよなって。 木村 配信で最新のものを観たいけど、いずれ人気なのはテレビでやるだろうって思いながら。同じ業界の知り合いのTOWA TEIさんが音楽を手がける『スーパー・クルックス』(2021年)を観ようかなって思ったけど、テレビだけでも追われているのに、Netflixまで追い出すと大変。 ──同じ業界の人、知り合いの方が関わっている作品は気になりますよね。 木村 『BANANA FISH』(2018年)は気になって観たんですけど、結局音楽ばかり気になって、作品のほうに入っていけなくなったり。そういうのもおもしろいんですけどね。音楽でいえば、僕はアニソンはやっぱり、アニソンらしいほうが好きで。最近だと、YOASOBIさんとかはうまく作品にリンクしていますよね。 藤津 この間『AnimeJapan 2024』で、YOASOBIのレーベルプロデューサーに公開取材をするイベントがあったんです。そのときおっしゃっていたのが、YOASOBIは小説を歌にするユニットなので、どのアニメタイアップも小説を必ず書いてもらうんですって。最初にやった『BEASTARS』(2019年)も原作の板垣巴留先生に「書いてみてください」と言って書いてもらったみたいです。小説を書いてもらって、そこから世界観を抽出しているので、作品とのマッチ具合がいいんでしょうね。 木村 そのやり方を崩してないのは合ってる気がしますね。あと、ボカロPっぽい感じの曲の作り方も。 藤津 アニメのオープニングは89秒ですから、その中に詰め込む力がないと物足りなくなってしまいますからね。 ──アニメタイアップ曲は印象に残りますし、何年経っても色褪せないというか。数十年経って聴いてもいい曲が多いですよね。 藤津 2014年の『ピンポン』は、牛尾憲輔(うしお・けんすけ/作曲家)さんが初めてアニメの劇版をやった作品で。牛尾さんはもともとアニメ好きで知られている方ですが、当時は依頼が来たことにテンションが上がって、監督などと打ち合わせをする前に、まず曲を書いて渡してたっておっしゃってました。 木村 『ピンポン』の音楽も作品に合っていましたよね。子供のころは直球アニソンが多かったけど、『サムライチャンプルー』とか、2000年代から全然違う曲調が増えてきたなという印象ですね。そのころから、海外のDJでもリクエストが増えてきて、海外でもアニメが流行っているなって。 藤津 2005〜2006年に北米で日本のアニメのDVDが売れているんですよね。ただ当時は、DVDベースなので、ローカライズして輸出することができる作品は限られていた。向こうのファンも渇望しているというか、飢えている度合いが高かったんです。それがYouTubeのサービスが始まったあたりから海賊版が大量に発生して、DVDが売れなくなり、さらにリーマンショックもあって、その影響で日本のアニメ産業がシュリンクする時期があるんですよ。なので、作られているテレビアニメのタイトル数は、今お話しした海賊版やリーマンショックの影響で2010年で少し減っているんです。その後、徐々に持ち直していくのですが。そして2015年ごろから配信サービスの普及で当たり前になって、今やほぼタイムラグなしで日本のアニメが観られるようになっているんですよね。それによって業界も売り上げが増えていますし。 木村 アニメファンはおもしろい作品には課金してみようかな、というマインドがありますよね。DVDも自分用、友達への布教用、あとは保管用で買ったりして。 春アニメから見る業界のこれから ──今期の春アニメについてはどうでしょうか? 全体的には“なろう系”からの作品が多いですが。 藤津 『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』は「つむぎ秋田アニメLab」という秋田のアニメスタジオが作っているんです。同社は、少人数で作るための体制やワークフローを整えて、同作を作っているそうです。東京だとスタッフが足りないという話も多いですが、そういった状況に対するカウンターですね。時代の先端のやり方だと思いました。興味深いです。作品自体も気軽に楽しめる魅力があります。木村さんは、何か気になるアニメありますか? 木村 とりあえずこれまでの続きの2〜3期ものは押さえつつ、『転生貴族、鑑定スキルで成り上がる』、『LV2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ』、『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』、『Unnamed Memory』、『Re:Monster』、『魔王の俺が奴隷エルフを嫁にしたんだが、どう愛でればいい?』、『WIND BREAKER』、『喧嘩独学』、『となりの妖怪さん』はおもしろいですね。『変人のサラダボウル』、『忘却バッテリー』とかも。 藤津 『忘却バッテリー』は、おもしろいほうの宮野真守さんを堪能できる作品ですよね。 木村 あと、僕はまだCGアニメ系についていけてなくて……。 藤津 ああ、そうですか。実は今期だと『ガールズバンドクライ』は、イラストレーターさんの絵を3DCGで動かすという、変わったアプローチをしていて。視聴者や業界が「どうやっているの?」って思うであろう、すごく攻めたルックで、独特の雰囲気を持っています。あれは3DCGのインパクトがある作品です。 木村 あと僕は昭和世代なので『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』も気になります。再構築じゃないですけど、ちょっとは新しく、変わっているんですか? 藤津 『宇宙戦艦ヤマト2199』(2013年/※リメイク版シリーズ)からの続きですね。旧シリーズの『新たなる旅立ち』に相当する位置づけの作品ですね。『2199』以降のリメイクシリーズは、科学的なアイデアやミリタリー的な要素も大幅にアップデートされていて、旧作よりもリアリティは増しています。だから旧作を知っている世代は「そうきたか」とおもしろがれると思います。 木村 そういう話を聞くと、おもしろさが増しますよね。前からそういうことを指摘する人っていたじゃないですか、「こんなことできないよ」って。 藤津 『怪獣8号』はご覧になられました? 木村 観てます! これからおもしろくなっていきますね。 藤津 ギャグシーンも含めて、このあとも緩急含めていい感じに仕上がっていますよね。 ──さすがジャンプ作品ですね。5月からは『「鬼滅の刃」柱稽古編』や『僕のヒーローアカデミア 第7期』などビッグタイトルのシリーズが始まります。2期、3期と続くのは定番化されているのでしょうか? 藤津 確認したことはないんですけど、配信になると、今観た作品の続きが“おすすめ”の欄に出てくるじゃないですか。そうなると、“おかわり”がしやすいんですよね。ヒットしたら続きを作ったほうが、配信サービスにも売りやすいのかなって想像しています。配信って、新しい作品を観るのもいいけど、続きがあるならとりあえず続きを観てみるか、となりやすいサービスなので。そういう意味で、ここ10年、シリーズものが増えているのかなと。 木村 自分的には、間に半年とか空くと忘れてしまうので続けて放送してほしいんですけど(笑)。あと気になるのは『じいさんばあさん若返る』。 藤津 『じいさんばあさん若返る』は、たわいのない話なんですけど、三木眞一郎さんがおじいさんをやっていて。『アストロノオト』に出てくるおじいさんも三木さんなんですよ。三木さんがおじいちゃんをやるようになるんだ……といろいろ思いましたね。 木村 やっぱりおじいちゃんキャラがうまいんですね。『終末トレインどこへいく?』も観てますが、本当に「どこへ行く?」というストーリーで(笑)。 藤津 本当にそう! どうなるんだろうなって。おもしろいより先に不思議、という感想になりますね。これを観ていると、自分はどんな気持ちになるのか予想がつかないです(笑)。 木村 おもしろくなるのかどうなるのか。不思議な感じですよね。『ダンジョン飯』もちゃんと続いていますよね。ご飯のお話で、ストーリー持つのかな?と思っていましたけど、第2期になって、ご飯の話じゃなくなってきて。 藤津 アニメは最初すごく飯推しで宣伝していたのでね(笑)。原作の九井諒子さんは短編のうまい方で、長編をどう描くのだろうと?と思っていたら、飯推しから始まって、だんだんハードなファンタジーになっていって、さすがだなと。そういう意味ではアニメも安心できるなと。 木村 ちゃんとダンジョンのお話になっていきましたよね。 藤津 あと、『転生したらスライムだった件』は第3期で、これが終わると1期から数えて70話を超えることになります。かなり長いシリーズになっていて、話数的に昔のOVA『銀河英雄伝説』(本伝全110話)に近づいてきてるんです。これは実はなかなかすごいことだと思います。 木村 『転スラ』は会議のシーン多いし、キャラも多い。キャラも一つひとつ立っているからいいですね。 藤津 時々ちゃんとバトルもありますからね。 木村 魔法のバトルなり、剣のバトルなり、戦闘機のバトルなり──やっぱりアニメにバトルシーンを取り入れると、それで人気が出るのはあるんですかね? 子供のころのアニメとかはそういうので話題になっていたから。今の時代もそうなのかなって。 藤津 やっぱり華になるシーンですし、SNSで戦闘がカッコよかったって、動画を上げる人もいますからね。目を引くし、人を呼び込む力はありますよね。 ──今期のアニメで、おふたりがアニメ好きに限らず、ライト層にもおすすめするならどの作品ですか? 木村 『怪獣8号』や『戦隊大失格』は見やすいかなと思います。『ダンジョン飯』も見やすいかな。異世界転生モノは、もう少しアニメに慣れてからかな。 藤津 『転スラ』は3期ですしね。やっぱり『怪獣8号』はおすすめしやすいですね。バトルもクスッと笑えるところもありますから。あと、深夜にゆったりとした気持ちで観るなら『となりの妖怪さん』。田舎暮らし的なお話なので。 ──ここまで春アニメを振り返ってみましたけど、今後のアニメ全体はどんなシーンになりますかね? 木村 異世界転生モノはもう原作がなくなってきたんじゃないですか? そのジャンルが今後どうなるのかは心配になってきています。 藤津 少しでも人気があるやつはすぐアニメ化されていますからね。あとは改編期が配信ベースになると、どうなっていくのかなって。配信だけだと広がりが出ないとわかっているので、テレビアニメがなくなることはないと思うんですけど。テレビと配信のどっちが主になるのか。テレビ局もアニメにもっとコミットして放送外収入を得ましょう、という流れもあって。ここからテレビ局とアニメ業界の綱引きで、どういう未来を目指すかということが将来のテレビアニメ、春アニメに関わってくるのかなと。 木村 見逃したアニメを観るために、Netflix、Hulu、dアニメストアに加入しているんですけど、減らしてもいいのかなって(笑)。 藤津 dアニメは新作アニメリストがあるから便利ですよね。HuluはDisney+がセットになりましたしね。 木村 これ以上観ないといけないアニメの数が増えると困っちゃいますね(笑)。 撮影=Jumpei Yamada 取材・文・編集=宇田川佳奈枝
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相性抜群の“ラク”な関係、悩んだら“来世”でがんばる──梅田彩佳×赤ペン瀧川
梅田彩佳(うめだ・あやか) 1989年1月3日生まれ、福岡県出身。2006年、第2期AKB48追加メンバーオーディションに合格。その後、総選挙16位となり選抜メンバーへ。チームBキャプテンとなる。NMB48での活動を経て、10年間所属したAKBグループを2016年に卒業。14年に出演したブロードウェイ・ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』(TETSUHARU演出)や、『THE WIZ ウィズ~オズの魔法使い~』(宮本亜門演出)への出演をきっかけに、ミュージカルに目覚める。 5月2日〜5日、音楽劇『瀧廉太郎の友人、と知人とその他の諸々』に出演。 赤ペン瀧川(あかぺん・たきがわ) 1977年12月27日生まれ、神奈川県出身。映画プレゼンターとしてテレビ、ライブ、コラムなど多方面で活躍。スライドとトークを武器にさまざまな添削(ツッコミ)する姿が強烈で、巷で「天才スライドトーク職人」と呼ばれている。また、ドラマ『ドクターX』や『相棒』(ともにテレビ朝日)などに出演し、俳優としても活動している。『今から観てもギリ間に合う「Destiny」3話までのおさらい by赤ペン瀧川』配信中 テレ朝動画logirlで配信中の、怪談、心霊体験、心霊スポット、都市伝説……など、この世の中に存在する「あやかし」案件を深掘りする “あやかしエンターテインメント番組”『恋する♥怪』。このたびlogirl公式YouTubeにて第1回から最新回までを一挙無料公開することが決定した。メインMCとして出演中の梅田彩佳と赤ペン瀧川を番組収録後に直撃し、公開を記念した対談を敢行。今回は番組冒頭の人気コーナー、梅田から瀧川への“お悩み相談”に焦点を当て、お互いの悩みや番組の思い出、おすすめの映画まで語ってもらった。 目次悩みすぎたら伊勢神宮にすぐ行く(梅田)斬新すぎる赤ペン瀧川流“悩み解決法”梅田彩佳はかなり“ラク”できる人“どうしたらいい?”赤ペン瀧川から梅田へ逆お悩み相談 悩みすぎたら伊勢神宮にすぐ行く(梅田) ──収録、お疲れさまでした。『恋する♥怪』は“あやかし案件”をさまざまなゲストからお話しいただくというものですが、番組冒頭の梅田さんから瀧川さんへの“お悩み相談”も今や名物コーナーです。今日はそのあたりをメインに深掘りできたらと思っています。 梅田 いつの間にか毎回、私が相談してるオープニングになってます(笑)。 瀧川 すごく悩みが尽きないもんね! なんでそんなに尽きないんだろ? 梅田 隔週で瀧川さんと会ってるんだけど、なんでなんだろ? けど、2週間のうちっていろいろありますよね? ──はい、ありますね(笑)。 瀧川 すごいよね。俺はないのよ、相談する悩みが。 梅田 そんなに悩むことがないんですか? 瀧川 うん、ない! あるのはあるんだろうけど、結局はどうにか自力で解決すべき問題でしかないものが多いから。あと、人に相談するのがそもそも得意じゃないのかな。梅田さんは湧き出るように相談事が出てきてる。 梅田 めちゃくちゃ出てきます。2週間もあれば悩み3つぐらい出てきます! ほんと毎回相談させてもらってますからね。今日の収録でも「お酒弱くなったんですよね」っていう相談を……。 瀧川 お酒は、物理的にお酒の量と同じぐらいの水を飲んでおけばいいと言われてはいるからね。 梅田 全然飲んでなかったんです。だからこの間(ファンクラブのツアーで)マネージャーさんに運ばれてました。放送では言えなかったんですけど、こうやって(※はがい締めのポーズで)引きずられて帰ってましたから。「ああ、終わった!」と思って(笑)。 瀧川 その姿を見るファンはうれしいだろうね。「推しが泥酔して連れていかれてる!」って。酔っ払うとどうなるの? 梅田 めっちゃご機嫌になりますね! 泣いたり、怒ったりとかは全然なくって。演技論を語るとか絶対ない! あと嫌いな人もすぐ言っちゃう(笑)。 瀧川 いいお酒だね。でも、嫌いな人ってほんと減ったんだよね。 梅田 私もほんとひと握りですよ。嫌いというか苦手な人っているじゃないですか。 瀧川 演劇をやっているとそういう人と出会うからね。 梅田 舞台の座組だと、ほんといろんな人に会うじゃないですか。そのときに悩みが生まれていたので、よく瀧川さんに相談してました。 瀧川 やっぱりまじめなのよ。俺は舞台とかであんまり悩みが生まれないのよね。運がよかったのかな。俺のまわりの人は知らないところで、「瀧川めんどくせぇな」って俺についてすごい悩んでるかもしれないけど(笑)。 梅田 ははは! 私は悩みすぎて伊勢神宮とかすぐ行っちゃいます。夜11時ぐらいに「悩みすぎたな。よし、明日朝5時に起きて(伊勢神宮に)行こう!」って。 瀧川 いやいや、伊勢神宮の前にいくつかあるじゃん? もうちょっと何か手近なところで解決のタネが。伊勢神宮はラストよ。 梅田 たしかに(笑)。伊勢神宮に行けないときは明治神宮に行ってはいます。神社がすごい好きなので。 ──瀧川さんは、普段から人のお悩み相談を受けているんですか? 瀧川 いや、ないですよ! 僕に相談する人なんていないよ。梅田さんだけですからね(笑)。 梅田 うそでしょ!? 瀧川さんの毒舌じゃないけど、マイクに乗らないところでも、「あの人はひどいよね」って言ってくれるところがすごく好きで。隠す方は本気で隠すし、そういう人だと壁があるし、芸能界だから仕方ないけど、私はそれがない人が好きだから。 瀧川 あんまり相談されることないんだよな。 梅田 瀧川さんに相談したい方、いっぱいいると思う。でも機会がないとできないですもんね。いつもポップに答えてくれて、私にない考え方をされるので、相談するのおもしろいんですよ。 瀧川 人の悩みを聞くのは好きかもしれない。俺には人の相談に乗る才能があるのかな……。 ──あると思いますよ。梅田さんは普段からけっこう悩むタイプなんですか? 梅田 なあなあにしたくなくて白黒つけたいから、ちゃんと考えたいタイプです。なあなあでなんとなく現場にも行きたくないし、人間関係とかいろいろどうしようかなって思ったときに相談したくなります。自分より人生経験がある人に話を聞きたくて、年上の方とお話しするのが好きなんです。 ──ひとりで悶々と悩みを抱えるというよりは? 梅田 悶々としたら伊勢神宮へ行きます(笑)。 瀧川 年上の人に聞きたくなるのはわかるな。 梅田 絶対に似たような経験をしているはずだから、どうやって取り組んできたのかなって。私には経験値としてないから知りたいです。 斬新すぎる赤ペン瀧川流“悩み解決法” ──これまでたくさん瀧川さんに相談されたと思うのですが、印象に残っているアドバイスはありますか? 梅田 私は基本的にネガティブで“陰”に入っちゃうんですよ。でも、瀧川さんはポップに「そんなことないんじゃない?」と全部明るく返してくださるのが私にとって救いでした。本気で相談したときに、相手も「そうだよね……俺もさ……」ってなられると、自分の気持ちもめっちゃ落ちていくなって。でも瀧川さんに「そんなことないでしょ!」とか、「あの人ほんとやばいよね!」と言ってもらったときには、私も「やっほー!」ってなる(笑)。私の陰と真逆、瀧川さんは陽の返しをしてくれるから、新しいプラスになる考えが毎回楽しくて。 瀧川 俺はいろんなことを「しょうがいない」とあきらめがちな人生なんですよ。すぐ「この宿題は今世ではもう無理! 来世で!」って。 梅田 えー、すごい! 私と考え方が全然違う。私は絶対「今世!」って思う。 瀧川 絶対無理! 今世で解決できない悩みなんか死ぬほどあるよ。今世で叶えられない夢とかもめっちゃあるから。俺はめちゃくちゃラップうまくなりたいけど、まじで今世では無理だから。もう無理無理! 梅田 絶対叶えたいってなっちゃう。それは年齢からですか? 瀧川 年齢もだし、ガッツもそうだし。やるべき仕事、やらなきゃいけない仕事を優先した場合、ラップ練習する時間は絶対取れない。だから脱サラして新しいこと始める人とか見ると、本当にすごいしかっこいいと思う。だって俺は今にしがみついてるもん。なんとか“赤ペン瀧川”という仕事で今世を乗り切るために。高みを目指そうなんて、てっぺんでいい景色を見ようなんて思わない。これを逃すもんかってキープしてる。だから夢とか希望とか目標も本当にないの。 梅田 10代、20代のときも「こうなりたい」とか、目標はなかったんですか? 瀧川 そもそも俳優を始めたきっかけが、定年がないという理由でしかないから。この仕事を続ければ定年もなく、10代の仕事と30代の仕事が変わって新しい仕事をしていられる。俳優だったら60代も楽しいんじゃないのか?で始めてるから。 梅田 それでも続いてるのは、すごくないですか? 瀧川 めっちゃラッキーだよ。続いてるんだもん。辞めていく人は、ある程度頭がいい人なの。ある程度目標を持ってそこにたどり着けない自分との葛藤があって「ダメだ、このままじゃいけない」と心が折れるんだけど、目標のない俺は特に折れない。折れるほど目標を高く設定してないから、折れようがない。 梅田 これだけは人生でやっておきたいこともないんですか? 瀧川 ……ないっ!! 死なないようにはしようと(笑)。だから目標や夢がある人は超リスペクトしてる。梅田さんはありますか? 梅田 今年中に絶対これを達成したいということ、めちゃくちゃあります。今年はお芝居を中心にしたいのと、あとボイトレ。私は30歳からボイトレを本格的にやり始めたんですけど、遅いみたいで。歌がうまい人たちは、子供のときからやってるから遅いんだよ、ってボイトレの先生に言われて。「私は子供からやってる人たちと同じ土俵に立とうとしてるんだ」と気づいたら、ミュージカルの現場に行くとガクブルするわけです。 昨年はありがたいことにミュージカルで1年間埋まっていたから、そのミュージカルの曲の練習しかできなかったんです。基礎というものが二の次になっちゃってて……だから今年の目標は「基礎を固める」。さすがに1年では絶対に固められないから、まず基盤を。ボイトレの先生にも「10年はかかるよ」と言われてるから、今年は基礎を固める1年目にできたらいいなって。何歳になってもミュージカルに出るという夢があるので。でもひとりじゃできないから、みんなに助けてもらいながら。 瀧川 素晴らしい……(拍手)。 梅田 そう思ってますけど、ぐうたらする日もありますよ。お酒でベロベロになってマネージャーさんに担がれて帰った日もあるし(笑)。 ──実際に瀧川さんからもらったアドバイスで、今でも梅田さんが実践していることはありますか? 梅田 けっこうタイムリーな悩みが多くて、現場に戻ったらすぐ実践してました。それが自分に合う合わないは置いといて、ひとつやってみるってことで、何か世界が変わるかもしれないから。あと、私そんなに凹まなくてもいいんだ、そんなに深く考えなくよかったことなんだ、はたから見たら別に大したことじゃなかったのかなと思えて心が軽くなりました。 瀧川 ……ありがたい。持ち帰っていただいてるのね。 ──瀧川さんは「梅田さん、こんなことで悩んでるんだ」と、驚いたお悩みはありますか? 瀧川 わりと人間関係の悩みが多いですよね。あと、やっぱりまじめだなと。悩みが育って人に相談するまで俺は自分の悩みを育てきれないから、その前に「あいつはバカだからしょうがない」で終わるから。そうやって悩みの芽が育つ前に捨てるから。やっぱり現場には(変な人が)いるからね……。向こうから見たらこっちも変な人かもだけどね。 梅田 めちゃくちゃ最高(笑)。 ──(笑)。瀧川さんみたいな考え方の人って、あまり怒らないイメージがあります。 瀧川 うーん、怒らないな。最後にすっげえ怒ったのは舞台の現場では30前半、テレビ局では30中盤ぐらいかな。俺が怒ったら最悪。舞台のときも、ゲネを止めて舞台監督を泣かしちゃいました。 梅田 ゲネを止めてまではよっぽど! 不満が溜まったまま本番なんてできないですから、伝えたほうがいい。 ──そういう人のほうが信頼できますよね。 瀧川 めんどくさいと思いますよ。鬼ギレしたのはあれが最後だな、10年ぐらい前かな。 ──実際にその現場にいたら、ゾッとしますよね。 梅田 それこそ怪談話になりますよ。 瀧川 梅田さんは終わったあとにめっちゃ爆笑すると思うよ。「キレてたなー」って(笑)。 梅田 人がキレてる姿は、はたから見てるとおもしろかったりしますからね。 瀧川 しかも俺は退路を断つからね。うまい人は退路を残して怒るけど。追い込もうと思ってたから。何にも使えない、このくだり(笑)。 梅田彩佳はかなり“ラク”できる人 ──改めて、番組で共演してお互いの印象って変わりました? 瀧川 最初にお会いしたのは古坂(大魔王)さんの『サン・ジェルマン伯爵は知っている』(テレビ朝日)だ! そこから空いて『恋する♥怪』ですよね。梅田さんの印象はだいぶ“ラク”ですね。こういうお仕事だといろんな方と会いますけど、相当“ラク”な人です。だから、ふたりセットでなんかやってくれないかな?って。 梅田 すごくうれしい。何かやりたいです。お悩み相談コーナー作りって、ふたりでお悩み相談を受けましょう! 瀧川 僕と梅田さんに相談してきてくれる人はいるんですかね? 最終的に「今世では無理!」になるから。梅田さんは何がしたい? 梅田 「これやりたい」と言ったら(logirlで)やってくれそう。でも、放送で言えないことしか出てこないかも(笑)。実はマイクがオフのときに瀧川さんと話してる時間も好きで。以前、瀧川さんのライブを観に行かせていただいたんですけど、放送では言えないことばかりでめちゃくちゃおもしろくて最高でした。ああいうの大好きなんです。 ──梅田さん、せっかくなので相談しきれてないお悩みがあれば、ぜひ。 梅田 最近時間があったのでいろんな人に連絡してみようと思ったんですけど、久しぶりの人に連絡するときはどうしてますか? アイドル時代に仲よかったマネージャーさんに「久しぶりに思い出したんでLINEしました!」と送ったらすぐに「ご飯行こ!」と来て。会ったときに「何があったの? 梅ちゃんから急にLINEが来てびっくりした」と言われて。みんなは他愛ないLINEって送ったりしないのかな。 瀧川 俺も久しぶりに用事がなく連絡することがないからな。でも、豊かなことかもしれないね。連絡をもらった相手はうれしいもんね。 梅田 誰かの目とか、耳に入る行動をすると仕事にもつながるよ、と教えていただいたことがあって。だからやってみようと思いまして。 瀧川 映画とかを観ててエンドロールに知り合いのプロデューサーがいたら「(映画)観たよ」って送るとかはやるかも。でもさ、梅田さんは久しぶりに連絡すると心配されちゃう人なんだね(笑)。危なっかしい人だと思われてるのかな? 梅田 たしかにアイドルのころはトガってたから。当時そのマネージャーさんに「大っ嫌いだ! 帰れ! むかつく!」とかずっと言ってたからかな(笑)。 瀧川 ははははは! すげえ、よく今まともになったよね。そうでもしないと生き抜けない世界だったのかな。 梅田 あのころは自己主張がないといけなかったですからね。今は溜めて溜めて考えて考えて「これは言ったほうがいい」と思ったら相手に伝えるし、言うタイミングは考えるかも。昔は思ったらその場ですぐ言ってたけど(笑)。 瀧川 今のアイドルもそうなのかな。 梅田 私がいたころから10年しか変わらないけど、今のほうが穏やかだって聞きました。そう思うとすごくおもしろかった時代を生きられてたと思います。 瀧川 団体で働いてるとそうなるよね。しょせん、こっちはひとりだからね。 梅田 ひとりのほうが大変じゃないですか? 卒業してもう8年とかになるけど、ひとりでずっとやってる人はすごいなって。 瀧川 コンビやトリオを見ると「楽しそうだな」ってうらやましくなるけど、もはや無理だしね。 梅田 来世で(笑)。あと、人生で初めてぐらいの苦手な人がいて……。 瀧川 たまにいますよね。俺も、すげえポンコツのディレクターさんいたもん。打ち合わせに入った瞬間に「こんな人いるんだー」って。そのときのチームが“ヤバい人”を感じ取れる人たちだったんで「俺たちは俺たちでがんばろう」と一致団結したこともあった。だから、どうしても苦手な人がいるならみんなにシェアができたらいいかもね。 梅田 なぜかまわりにその人と仲いいと思われてて。でも相談したら、私以外の人も困ってたみたいで。 瀧川 まともな人が多いわけだから。ヤバい人のことは、みんなヤバいと思っているよ。とにかく味方を見つける。 “どうしたらいい?”赤ペン瀧川から梅田へ逆お悩み相談 ──瀧川さんは普段悩むことはないとのことですが、梅田さんに相談してみたいことはないですか? 瀧川 ある! 梅田さん、食べ放題って行ったことある? ちょうど昨日家族で焼肉食べ放題に行ったんだけど“食べ放題に行ったときの浅ましさはいつ治る?”って思ったんだよ。すごい時間に追われながら「なんで俺は食べ放題にしてしまったんだろ……」と、浅ましさと向き合う90分。いや、ひどかったね。 梅田 もとを取りたい、という謎の精神が出てきますもんね。 瀧川 小学3年生の息子の食欲なんて大したことないのよ。彼は大して食えないから、むしろもとを取ろうとしてるのは俺と妻でしかないわけ。時間いっぱいに食べて、ちょっと気持ち悪くなったりとかして、スイーツとかも食えないぐらい。なのに俺は、きなこバニラアイスを頼んだあとに杏仁豆腐もまだいこうとする。食べ放題じゃなかったら、もっと平和な時間が流れていて、穏やかな気持ちで過ごせていたはずなのに。46歳でこの浅ましさ、みんないつ卒業するの? 梅田 絶対無理だと思う(笑)! 瀧川 前に『ハライチのターン!』(TBSラジオ)で、岩井(勇気)さんがチャンカワイさんと一緒に帝国ホテルのバイキングに行った話をしてたのね。帝国ホテルはカレーがおいしいらしいんだけど、カワイさんはお皿いっぱいにカレーをよそってたんだって。すごくない? バイキングで、ひと皿をカレーで埋めるという、本物の金持ちにしかできないことを。その話を聞いたときに、なんて豊かなんだろうって。 しかも、そのカレーを食べ終わったあとに、カワイさんはまたカレーを持ってきたんだって。帝国ホテルのバイキングでカレーを2杯いっちゃう、これぞホンモノ。その話を聞いてるのに、俺は昨日の焼肉食べ放題であんなに浅ましいことを。20代の店員さんは時間いっぱい食べてる俺を見て、どう思ったんだろ……。「あいつ浅ましいな」と思っただろうな。バイキングに行くと、俺に対する俺の価値が下がるなって。どんどん自己嫌悪に陥っていく。 梅田 もとは絶対取りたいですよ。私も、ミスタードーナツの食べ放題で(1個ずつの)料金確認しますもん。ドーナッツを7、8個食べないともとが取れないとか。値段を確認しながら食べてます(笑)。単価が高いから、これ入れておこうって。 瀧川 昨日、近々で、愚かとはこういうことかと悩んだな。息子の食べ方が美しかったですよ。「お腹いっぱいだからもういらない」って。杏仁豆腐もアイスも食わず、腹9分目で終われるお前はかっけえなって。 ──ここで少し、番組についても伺えたらと思います。これまでいろいろな怪談師がゲストに来て「あやかし案件」を披露してくれたと思うのですが、印象に残っているエピソードはありますか? 梅田 私はずっと言ってるんですけど、(由乃)夢朗さん。もう大好きでおもしろかった。ちゃんと霊とか呪物とかにリスペクトを置いて話してるというのが、すごく素敵だなと思って。怖いものが好きな怪談師もいらっしゃいますけど、霊をリスペクトしてると言ってる人に初めて会ったので。それから夢朗さんYouTubeは観てますね。 瀧川 僕はもともとYouTubeで怪談を漁り出したきっかけが、いたこ28号さん、田中俊行さん、村上ロックさん。あと、響洋平さん、吉田悠軌さんだったんですよ。怪談好きのきっかけをくれたレジェンドの人たちに会えたのは、すごくうれしかったですね。 梅田 田中さんの藁人形はめっちゃおもしろかった。おもろいし、怖いし、超最高だった! あと、いたこさんから教えてもらった話をそのまま友達に教えてあげてます(笑)。 瀧川 Dr.マキダシさんとかも好きだったな。怪談ブームが起きてる理由は、発信のハードルが下がったことも大きいと思うんです。ホラー映画だとCG、VFX技術とかで怖いものを作り出して、実際に目の前に映し出せるじゃないですか。けど怪談は、語りと人の想像力だけでどれだけ怖いものを作り出せるのか、わりと真逆の作業なんですよね。最新技術のホラーが発達すればするほど、全部をかたちにできるという、真逆の文化である怪談が盛り上がってくるんだろうなって。正解を映像にできないからこそ、より怖いみたいなことが怪談にはまだまだ隠されているから魅力だと思います。『恋する♥怪』ではそういうのを目の前でやってもらえたのが、すごくおもしろかったですね。 ──今日の対談から、おふたりの相性のよさもとても伝わりました。 梅田 あ、ひとつ、瀧川さんでめちゃくちゃうれしかったことがあって──舞台本番中にあった収録で、その日はたしか公演後で自分でも意識ないぐらい、すごく疲れた顔をしていたと思うんですよ。そしたら瀧川さんが、いつもより(多く)回してくれて「優しい……」と思いました。あのときは、ありがとうございました。 瀧川 ほんと? たまたまじゃないかな(笑)。俺、そんな察する能力は高くないと思うんだけど。 梅田 台本に“梅田”と書いてある部分も、瀧川さんが言ってくださって。めっちゃ優しい!と思いました。 瀧川 たぶん「梅田さん、これ言わないのかな?」って進まなかったんだろうね(笑)。 ──最後になりますが、2年弱番組をやってきてお互いのことをわかってきたかと思います。今、瀧川さんが梅田さんに1本映画をおすすめするとしたら? 瀧川 『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』という映画が6月に公開されるんだけど、アカデミー賞で作品賞にもノミネートされた作品。その映画がとてもとてもよかった。寄宿学校が舞台なんだけど、冬休みに家庭の事情で帰れなくなっちゃった問題児がいて。その問題児と教師、寮母さんの3人で2週間を過ごすというストーリーなんだけど、全員めんどくさいの。主要人物全員の性格がよくないのに、なんでこんなに泣いちゃうの?ってぐらいおもしろい。人の優しさとはこういうものなのかって。逆に梅田さんから僕におすすめ映画はありますか? 梅田 ちょっと待ってくださいよ! 瀧川さんにおすすめするのしんどいよ! 瀧川 見てない映画はたくさんあるんですよ。偏ってますから。 梅田 えっと……なんだろ。ブロードウェイで『ハミルトン』(2020年)というミュージカルがあるんですけど、チケットが1枚10万円以上するほどプレミアなんです。ディズニープラスでだけ映像化されていて、1幕は人間関係で、2幕は政治とかの話もあって、難しいのが好きな瀧川さんにはいいかも! 主演の方が脚本も書いて、作曲もして、自分も出演されてる。みんな歌がうまいし、曲もいいし、曲調もラップとか入ってて超かっこいいし、物語もおもしろい。私はすごく好きです。 瀧川 それは観たい! ちなみに『アメリカン・ユートピア』(2021年)は観た? 梅田 観てないです。観たほうがいいですか? 瀧川 観たほうがいい映画なんて世の中にはないんだから(笑)。でも『アメリカン・ユートピア』はスパイク・リー監督で、トーキング・ヘッズのフロントマンのショーなんだけど、すっげえおもしろいよ! 梅田 舞台の映像をそのまま観られる作品はすごく好きですね。おもしろそう、観る! 『恋する♥怪』 全話配信を観るならコチラ! logirl公式YouTubeチャンネル 取材・文・編集=宇田川佳奈枝
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バンド、役者、ラジオ、“伯山の妹”──マルチな才能を発揮する、アンジェリーナ1/3の魅力
アンジェリーナ1/3(あんじぇりーな・さんぶんのいち) Gacharic Spinのマイクパフォーマー。高校生の文化祭でスカウトされ、2019年、Gacharic Spinに加入。バンド活動のほか、『アンジェネレーションラジオ』(ラジオ日本)でパーソナリティを1年間務める。2022年に『問わず語りの神田伯山』(TBSラジオ)で神田伯山の代役に大抜擢され、“伯山の妹”と話題になる。2024年2月、Gacharic SpinはEP『Ace』をリリースし、7月6日にはTOKYO DOME CITY HALLにて全国ツアーの追加公演が決定している。 結成15周年を迎えた超攻撃的&ド派手なガールズバンド・Gacharic Spinでマイクパフォーマーを担当。バンド経験のない「普通の女子高生」から一転、バンドのフロントマンとなり表現者として圧倒的存在感を放つ。ラジオパーソナリティとしても活躍中の彼女には、講談や寄席など伝統芸能が好きだという一面も。「自分に正直に生きること」を座右の銘に掲げ、日々新しい表現を求め続けるアンジェリーナ1/3。彼女が多くの人から“愛される理由”を徹底解剖する。 目次「職業=表現者」に導いてくれた父の存在出会うべく人とめぐり会えている奇跡人生のターニングポイントは神田伯山さん個人仕事の終着点はすべて“バンドのため” 「職業=表現者」に導いてくれた父の存在 ──2022年にGacharic Spin(略称:ガチャピン)が豊洲PITで『☆G!G!G!PREMIUM!!』を開催されたとき、そのライブレポートを僕が担当しまして。ライブでメンバーとお客さんが一緒にジャンプをする場面があり、4分くらい経ってお客さんがバテ始めたときに、アンジーさん(※アンジェリーナ1/3の愛称)が「つま先を地面につけたまま、かかとを上げ下げするのはジャンプじゃない。ちゃんと跳べ!」とおっしゃいまして。 アンジェリーナ1/3 ははは! 私なら言いかねない。 ──この言葉、どこかで聞いたことがあるぞ……あ、昔の不良がカツアゲするときに言っていた!と思ったんですよ。そのことも記事に書かせてもらいました。 アンジェリーナ1/3 いやいやいや! 今日は私の人となりをお話しする企画ですよね? 出だしから嫌な人間になってるから!(笑) ──ちゃんと客席は沸いてましたよ。その日のライブを観て、アンジーさんは小さいころから天真爛漫で、人の心をつかむのがうまかったんだろうなと思いました。 アンジェリーナ1/3 そうですね。幼少期はとにかく人懐っこくて、子供用のリードをつけていないと、すぐに親の元を離れていくタイプだったんですよ。知らない家族の集合写真に写り込むし、初めて会う人に対して壁を作らない。子供ながらに人のことが好きだったのか、グイグイいく性格ではありましたね。だけど小学校の高学年くらいから、人と関わるのが怖くなってしまって。そこからは引っ込み思案じゃないですけど、内にこもるタイプになりました。今も人と関わるときには、距離感だったり発言だったり、その人とのいい関係を保つために、いろいろ考えながらコミュニケーションを図る癖がつきましたね。 ──実は、慎重に様子をうかがいながら接していると。 アンジェリーナ1/3 考えていないようにしゃべるのが得意なんですよ。ただ、自分の中ではラインがあって「これ以上は行かないようにしよう」と心がけながらコミュニケーションをしていて。って……こんな見た目でまじめなことを言っちゃうのも、ちょっとアレなんですけど(笑)。 ──小学生のころに、子役として芸能活動をしていたのも大きいんですかね。 アンジェリーナ1/3 そうかもしれないです。子供のころに、洋画の『サウンド・オブ・ミュージック』を観て「歌って、踊って、お芝居をするのって、生活に彩りを与えてくれるな」と思ったんです。それで小学2年生のとき、父に「私、お芝居をやってみたい」と言ったんです。 ──それでお父さんは? アンジェリーナ1/3 かつては、父も同じ夢を持っていたんですよ。俳優座劇場などでお芝居をやっていたらしいんですけど、そのことを私には言わずにいてくれていて。なぜなら「自分の夢を子供に押しつけたくない」という理由で、隠していたらしいんです。だけど私が自発的に「お芝居をやりたい」と言い出したから、お父さんも「それならサポートをしたい」と言ってくれて。私にはお兄ちゃんがふたりいるんですけど、長男も芸能系の夢を持っている人だったので、お兄ちゃんが芸能事務所のオーディションを受けに行くのを聞きつけて、レッスンの様子も見たいから、私もついていったんです。そしたらお兄ちゃんのオーディションなのに、私が社長さんにスカウトをされて。それで小学3年生から子役の活動を始めました。 ──ドラマにも出られていたとか。 アンジェリーナ1/3 この性格なので、最初はバラエティのお仕事が多くて。『おはスタ645』(テレビ東京)もそうですし、レギュラーでいうとEテレの『Eダンスアカデミー』(2013年〜2022年放送)にも出させていただいたり、CMのお仕事もいただけたり。ようやくお芝居の仕事をもえらえたのが、小学校高学年になったころですね。時代劇をはじめ、いろんな作品でお芝居をさせていただけるようになりました。 ──じゃあ、そのまま芸能の世界へ行こうと。 アンジェリーナ1/3 家庭環境とかいろんな問題が重ならなければ、ノンストップでお芝居を続けていたと思うんですけど。 ──家庭環境ですか? アンジェリーナ1/3 私が小学生になったタイミングで、お父さんが癌を発症したんです。父は料理人だったんですけど、右腕に骨肉腫ができて術後は包丁を握ることはおろか、ペンを持つこともできなくなってしまって。私が小学6年生になり「これで何もなければ、治ってるはず」という最後の検診で、癌が肺に転移しているのが見つかって……。その時点でステージ4になっていて、余命も長くないと診断されました。闘病生活を送りながら、一緒に台本の読み合わせをやってくれていたんですけど、私が中学1年生の6月に病気で亡くなってしまって。 お父さんは、私がお芝居をやることを誰よりも応援してくれていたからこそ「お父さんがいないのに、自分が芸能活動を続ける意味ってなんだろう……」とわからなくなっちゃったんです。一番評価してもらいたい人がいないし、その中で続けていく強さも自分にはなくて。そこで表現者になる夢をあきらめて、安定した職業に就こうって決めました。だけど事務所を辞めたあと、父の遺品整理をしていたら、大量のCDとか音楽に関わる物がいっぱい出てきて。表現者を辞めるのはきついかも、って思ったんです。 ──それはどうして? アンジェリーナ1/3 UNICORNさん、サザンオールスターズさん、プリンセス プリンセスさんとか、父が残した遺品のCDを見たときに「お父さんは機嫌がいいときにこれを歌ってたな」とか「ちょっとイライラしてるときはこれでストレス発散してたな」って、いろいろ思い出したら、音楽って時間と人をつないでくれると改めて感じて。その人の肉体がなくなっても、音楽を聴くだけで一緒に過ごしていた情景がよみがえる。お芝居はお父さんがいないから怖くてやれないけど、音楽だったらがんばれるんじゃないかと思って、音楽の道に進もうと決めました。中学1年生から高校2年生になるまで不登校だったんですけど、その間にアコースティックギターを始めたのが原点ですね。 ──不登校になったのは、お父さんのことで? アンジェリーナ1/3 それもあるし……小学校の高学年のときに、いじめられていた時期があったんです。それで人と関わることが苦手になりました。そのあと、中学に進学してバスケ部に入ったんですね。バスケが好きだったのもあるのと、3歳からずっと一緒にいる親友がいて「今日は元気だし、その子に会いたいから学校に行くか」みたいな感じでした。 出会うべく人とめぐり会えている奇跡 ──そして高校生になり、学校の文化祭で大きな転機が訪れますね。 アンジェリーナ1/3 高校は音楽だけじゃなく、お芝居をできたりダンスをできたり、あとは企画を立てる授業があったりする特殊な学校に進学しまして。で、高2のときに初めて文化祭に参加したんです。本当はバンドで歌いたかったんですけど、音楽専門の学校ではなかったので、みんなのやりたいことがバラバラ。そんななかで中途半端にバンドは組みたくない、とトガっている自分がいて。私が好きなバンドって“音楽しかやれなかった人たち”じゃないけど、音楽に命をかけてる人たちで、すごく憧れを抱いていたので「とりあえずドラムやろうかな」みたいな中途半端なメンバーは受けつけねえぞ、みたいな(笑)。 ──それで同じ熱量を持った人は見つからなくて。 アンジェリーナ1/3 そうです。考えた結果、自分はボーカリストになりたいから、ひとりでも歌おうと思って。がんばってバイトをして貯めた初任給で、アコースティックギターを買って、文化祭に出て弾き語りをしました。そのステージをKOGA(F チョッパー KOGA)さんが観ていたんですよ。当時、Gacharic Spinにはダンスをするパフォーマーがいたんですけど、そのメンバーが卒業することになったので、新しくバンドを作り変えようとしていて。どこかに若いボーカルがいないか、KOGAさんが自らの足で探し回っていたんです。アイドルさんのイベントに行ったり、ちょっとでも気になる弾き語りのライブがあれば、片っ端からチケット買って観に行ったりして。それで「表現全般を学べる学校の文化祭だったら、いい子がいるんじゃないか」ということで私の学校にも来てくれて、声をかけていただきました。 ──その前からGacharic Spinの存在は知っていたそうですね。 アンジェリーナ1/3 お声がけいただいたその年の春に、Gacharic Spinのライブを観に行ってまして。「こんなにカッコいいガールズバンドがいるんだ」って度肝を抜かれたんですよ。私、ガールズバンドではなくて、男の子に混ざって女の子がセンターボーカルというParamore(パラモア/アメリカのポップロックバンド)みたいなバンドを組みたかったんです。 というのも「女の子だけのバンドって、恋の歌しか歌わないんじゃないの?」とか「キレイな衣装を着て、小ギレイに演奏してるんじゃないの?」みたいな偏見がありまして。そんななか、音楽にジャンルなんて関係ないし、性別なんて関係ないんだって気づかせてくれたのが、Gacharic Spinだったんです。自分がガールズバンドを組むなら、ガチャピンみたいなバンドを組みたいと思っていて。 ──そしたら、そのバンドからスカウトをされて。 アンジェリーナ1/3 すごくリスペクトしている、大好きなバンドなので夢のようでしたね。 ──加入当初のことって覚えてます? アンジェリーナ1/3 覚えてます。私は音楽未経験の女子高生で、なんでもない素人だったんです。だから毎日のように、メンバーが入れ替わり立ち替わりで「今日はMCを見る日」とか「今日はパフォーマンスだけをする日」「ダンスをする日」「歌う日」みたいに、ずっと指導してくれたんですよね。細いことでいえば、お立ち台に飛び乗る練習を3時間やるとか、降りるにしてもどういう降り方をするのかも全部教わったし、鏡の前で拳を上げるだけのリハーサルもあって。とにかくセンターに立つ人として、説得力をつけるためのレッスンを毎日やってくれて。Gacharic Spinは“全力エンターテイメントガールズバンド”なので、所作ひとつにしても完璧でなければいけない。バンド練習というよりも、舞台のお稽古みたいな感じでしたね。 ──Gacharic Spinのボーカリストが板についてきただけでなく、今やおひとりでメディアに出演する機会も多くなりましたね。アンジーさんが個人で活躍されていることに対して、メンバーのみなさんは何かおっしゃっていますか? アンジェリーナ1/3 あえて何も言わずにいてくれてるんですよね。ギターボーカルのはなちゃんは、「アンジーのおかげでいろんな人がガチャピンを知ってくれるようになったよ、ありがとう」って要所要所で伝えてくれたりとか、バラエティ番組でも「あの切り返しおもしろかった」と言ってくれたりします。でも、ほかのメンバーもラジオを聴いてくれたりテレビを観てくれたり、先日は舞台にも来てくれて。でも多くは語らず、「ありがとう」だけを伝えてきてくれるので、私もかえってやりやすいです。 ──今年2月に出演された初舞台『芸人交換日記』はいかがでした? アンジェリーナ1/3 めちゃくちゃ楽しかったです。先ほどお話ししたように、自分の父がすごくお芝居が大好きな人だったし、私が「お芝居をやりたい」と言ったときに、「やっぱり俺の娘だな!」と泣いて喜んでくれたんですよ。それが私としてもうれしくて、活躍する姿をお父さんに見てほしいって気持ちで、幼少期はがんばっていたんです。だけど、父が亡くなったことで自分の夢をあきらめた。私にとって、お芝居の復帰作が『芸人交換日記』だったんです。 私は漫才コンビ・イエローハーツの甲本の娘役と、彼女役の2役をやらせてもらいまして。その娘役が、まあ自分の人生とまったく一緒で! ざっくりいうと、甲本はお笑い芸人として売れたかったけど、家族や相方のために夢をあきらめて飲食店を始めるんですよ。自分が夢をあきらめてしまったからこそ、今度は夢を持っている人たちをサポートしたいと。その結果、たくさんの夢を持った人たちが、そのお店に集まってきた。でも甲本は癌になってしまうんです。甲本は「夢をあきらめるな」、「大切な人のために夢をあきらめる強さを持てる人間になったときに初めて、夢はあきらめるものだよ」って言葉を残して亡くなるんです。 ──ああ……それがお父さんと。 アンジェリーナ1/3 私のお父さんも俳優の夢をあきらめてから飲食店をやっていて。夢を持ってる若い子たちが「お金がない」と言ったら「じゃあ俺が自腹で料理を作ってやる。だからお前たちは自分のやりたいことやれ」と言って鍋を振る父の背中を見て私は育った。時間が経って夢を叶えていく人もいれば、あきらめてしまう人もいるなかで、お父さんはずっとその人たちと向き合っていて。最終的に自分が病気になってしまって、癌で亡くなってしまうのもまったく一緒で。 お父さんがよく私に言ってくれたことは、「夢は口に出せば叶う」、「夢をあきらめるな」、「自分の夢を口に出すことで、それを実現してあげたいって思う人たちが近くに来てくれる。実現したいって思ってもらえるような人間になりなさい」とずっと言われていて。甲本とあまりに一緒すぎて、この役をいただけたことは必然だと思ったんです。自分の夢の原点になっているお芝居を「もう一回やってもいいんだよ」と言われているような気がして。死ぬ間際でも思い出すぐらい、大きな出来事ですね。 ──Gacharic Spinの加入もそうですし、そういう奇跡的な巡り合わせがアンジーさんの人生には多いですね。 アンジェリーナ1/3 そうなんですよ。私には実力も特別な素質もないけど、“人にめぐり会う”才能だけはあったんですよ。運だけでここまで来ているなって思うぐらい、出会うべく人たちにちゃんと出会えている。“人ってひとりで生きていけない”を体現している人間だと思います。 人生のターニングポイントは神田伯山さん ──ラジオのパーソナリティは、どういうきっかけで始められたんですか? アンジェリーナ1/3 最初はコロナ禍で始まった『アンジェネレーションラジオ』がきっかけでした。当時、制作担当だった方が「アンジーはマイクパフォーマーだし、もっと間口を広げられたらいいよね」ということで、1年ほど番組をやらせてもらいまして。ある日、リスナーさんから「表現者になりたいのなら、ぜひ神田伯山さんの素晴らしい講談に触れてみてください」という熱いメールが届いたんです。それで演目『中村仲蔵』という講談を聞いたら、度肝を抜かれて涙が止まらなかったんですよ。「こんな素晴らしい表現を知らずして、どうして私はステージに立てているんだろう?」と思うぐらいの衝撃を受けました。 後日、「私は初心者ながら、講談を観てこんなに感動したんですよ!」とラジオで30分間熱弁をしたんですね。なんと、それが伯山さんご本人の耳に届きまして。私は当時19歳だったんですけど「ロックをやっている10代のピンク髪の女の子が、講談をめっちゃいいって言ってくれて。俺の名前を出してくれたんだよ」と『問わず語りの神田伯山』で言ってくださって。そこからラジオを通して交流が生まれて、半年ぐらいずっとオファーし続けて、やっと『アンジェネレーションラジオ』で伯山さんのゲスト出演が決まりました。 ──そこでどんな話をされたんですか? アンジェリーナ1/3 芸事についての質問や自分が悩んでることを、赤裸々にお伝えしたんです。そしたら一つひとつの質問に、真摯に答えてくださって、人としても大好きな人になりました。そこから交流が深くなり、今では私のことを“伯山の妹”と言ってくださるようになりました。ただ、年度が変わるタイミングで私の番組が終わってしまったんです。 やっと伯山さんと出会えて、ラジオが大好きになったのに、と落ち込んでいたときに伯山さんがコロナに感染されて。お身体は元気だったらしいんですけど「ラジオ収録には行けないから、アンジーが代役をやってくれないか?」と収録の2日前に連絡が来まして。もともとはリスナーとして『問わず語り』を愛聴していたので「え? あんな耳の肥えたリスナーさんしかいない番組に、私が出ていいのかな?」と思ったんですけど、「……やります!」と出演させてもらいました。 ──とはいえ、かなり荷が重い代役ですよね。 アンジェリーナ1/3 ヤバいですよね! でも2日後に収録する、と言われてるから「自分にできるかどうかわかんないです」と言ってる場合じゃなくて、勢いのままお受けして。収録が終わったあとに「大丈夫だったのかな?」って、だんだん不安になってくるっていう。 でもリスナーさんは温かい方がたくさんいらっしゃって、うれしい反応をくれました。伯山さんの代役をきっかけに、文化放送(『アンジェリーナ1/3のA世代!ラジオ』)とTBSラジオ(『アンジェリーナ1/3 夢は口に出せば叶う!!遅番』)で自分の番組を持たせていただけることになって。人生のターニングポイントを何回も作ってくれてる方が、伯山さんなんですよね。 ──伯山さんと出会ったことで、新しく興味を持ったものはありますか? アンジェリーナ1/3 もちろん講談や寄席もそうです。あとは、テレビ朝日の番組でご一緒したときに、伯山さんが私のところに来てくださって「俺さ、アンジーにストリップを観てほしいんだよ」とおっしゃったんです。“ストリップ”の言葉自体は知っていたし、伯山さんのラジオで魅力も聴いていたんです。「だけど大人のイメージありますし、私には敷居が高いんじゃないですか?」と言ったら、「いや、アンジーだったら感じるものがあると思う。これでストリップを観てこい」と1万円を渡されました。 ──すごい! アンジェリーナ1/3 渡された1万円を握りしめて、浅草ロック座にストリップを観に行ったら、めちゃめちゃ感動して。そこから池袋ミカド劇場にも行きましたね。自分が飛び込めなかったところに「行ってこい!」と背中を押してくれるレジェンドの先輩がいるって、すごく幸せなことだなって思ったし、ストリップを観てからステージ上の所作をより気にするようになったんですよ。 ストリップって衣服を着ていないわけじゃないですか? それでも指先ひとつで観る人に美しいと思わせる力がある。私でいえば「衣装に頼ってしまっている動きをしていないか?」とか「指先ひとつにも魂を込めて表現しているだろうか?」など、いろいろと考えさせられました。 個人仕事の終着点はすべて“バンドのため” ──講談やストリップのほかにもアンジーさんは、美術にも影響を受けているんですよね。 アンジェリーナ1/3 岡本太郎が小学生のころからの推しメンなんですよ。『20世紀少年』ってマンガがあるじゃないですか? 作品に描かれている“友民党”について「これって何?」とお父さんに聞いたら、「岡本太郎というアーティストの人がいてね。その人が作った奇想天外でカッコいい造形物をオマージュしてると思う」と教えてくれて、興味を持って調べたんですよ。 大阪万博のテーマ館の大屋根を貫いて、世の中を見渡せるような高い塔を作ろうと言って、生まれたのが太陽の塔ですよね? 考えてることもおかしいし、そんな人がまわりにいたら迷惑ですよ(笑)。でも、やり遂げちゃう。「太郎さんが言うなら、しょうがないですよ」と言って動いてくれる人たちがいるってことは、それだけ愛されている証拠だし、命をかけて芸術と向き合っているところに、小学生ながらにめっちゃ感動して。「私、この人みたいになりたい」と思ったんですよね。あとは、最近改めてすごいなと思ったのは横尾忠則さん。 ──どこに惹かれましたか? アンジェリーナ1/3 子供のころから大好きなんですけど、今22歳になって横尾さんの本とか資料を読み返すと、こんなに死と向き合いながら生きてる人っているのかな?って感動するんです。横尾さんって、若いころから死を連想させる作品をたくさん発表されていて。横尾さんの作品を見ていると、「死ぬことが怖いことではないんじゃないか?」と思う境地に立たされるぐらい、考えてることも深いし、作品も含めてメッセージが強い。子供のころに見ていた横尾さんの作品と、今とでは感じ方が全然違って、年齢を重ねれば重ねるほど魅力的に思える。この人を好きな理由ってそこにあるんだなって、この1〜2年ですごく感じましたね。 ──改めて思うのが、アンジーさんってパッと見の印象と中身が逆っていうか。 アンジェリーナ1/3 ははは、そうなんですよ。よく言われます(笑)。 ──古くから受け継がれている伝統や、先人たちが残してくれたものから、大きな影響を受けていますよね。 アンジェリーナ1/3 やっぱり伝統芸能とか、昔から愛されているものには理由があるから、知っていかなきゃいけないと思うんですよね。新しいものってきらびやかに見えるし、素敵なものに感じやすいけど、それは昔から愛されているものがあるからこそ。古きよきものをしっかりインプットした上で、新しい表現につなげるのが大事だと思います。最近の個人的な目標は、寄席に出たいんですよ。落語なのか、講談なのか、浪曲なのかわからないですけど、テレ朝動画で配信されている『WAGEI』のおかげで、玉川太福さんという浪曲師の方に出会えたのもあり、三味線を弾きたい欲が強くて。伝統芸能を自分でやることで、今の自分に生かせることがあるんじゃないか、と思うんです。 ──ちなみに、その先のビジョンはありますか? アンジェリーナ1/3 私にとって最も大事なのは、Gacharic Spinというバンドがずっと生き続けることなんです。年齢差が離れているメンバーと一緒にバンドを組んでいるので、この先何があるかわからない。急に活動が止まってしまう事態に直面するかもしれない。そうなったときでも、「Gacharic Spinのアンジェリーナ1/3です」って名乗り続けたい。自分が名乗ることでバンドが残り続けるし、どれだけ昔に作った楽曲でも、その楽曲が生き続けられる状況を作りたい。メンバーそれぞれが、いろんな人生に進むとしても、帰ってこられる場所を作りたい。だからこの名前をずっと守り続けて、Gacharic Spinの活動が止まってしまったとしても、離れ離れになってしまうことがあったとしても、ずっとこの名前が生きていく環境を作っていくのが一番のビジョンですね。 ──個人で活動していても、やっぱり“バンドのため”に終始するんですね。 アンジェリーナ1/3 バンドに還元できなかったら、個人で活動をする意味がないと思っていて。外で吸収したことを、どのようにバンドにつなげていくかを一番意識しています。 ──まさにラジオもそうですよね。 アンジェリーナ1/3 はい。前に、伯山さんが「ラジオを大事にしてきた人が、自分の本業に返していけるんだよ」と言ってくださって。その言葉を大事にラジオをやらせてもらっているからこそ、たくさんのリスナーさんがガチャピンを知ってくれたり、「ラジオがきっかけで、ライブにも行きました」と言ってくれたりする人たちが増えたんです。ラジオでつながった方々っていうのは、本当に熱くて。何にも変えがたい強い絆で結ばれてるな、と感じますね。ラジオのお仕事を大事にしてきたことで、今の自分の活動があります。 ──ここまでのトーク力を身につけるためには、相当な鍛錬を積まれたんだろうなと思います。 アンジェリーナ1/3 ぶっちゃけ、私は話すのがめちゃくちゃヘタくそなんですよ。自分がラジオを始めたばかりのときは、まともに聴いていられるレベルじゃなかったんです(笑)。エピソードの時系列がおかしいし、いろんな登場人物も出てくるし、あっちこっちに話がとっ散らかって何を話しているのかもわからない。伯山さんの代役をやらせてもらったときに、『問わず語り』のラジオチームとアンジーラジオのチームって一緒なんですけど、その人たちがまあ厳しくて。「今の話はわかりづらい」みたいなことをバンバン言ってくるんですよ。 ──話すプロじゃないのに! アンジェリーナ1/3 初めて『問わず語り』の代役を務めたときに、ですよ! ラジオ番組を1年間やっていたにしろ、自分の中で達成感とかやりきった感がないまま終わってしまった番組からの『問わず語り』なのに「がんばったね、今のよかったよ」とか一切なくて。作家の方からも「今のだと全然伝わらないわ。もう一回やってみよう!」と言われて。もう絶対にこのチームとやりたくない、と思うぐらい(笑)。 ──ははは、スパルタすぎたと。 アンジェリーナ1/3 めちゃくちゃしごかれたおかげで『問わず語り』は荒削りなりに、しゃべることができまして。結果、たくさんのリスナーの方が私の存在を知ってくれたから、あの人たちの厳しさはただのスパルタじゃなくて、ちゃんと結果につながる厳しさだったんだなと思いました。すごく愛のあるチームだなと感じたときに、「やっぱり、この人たちとラジオをやりたい!」という思考に変わったんですよ。 「そうじゃない!」、「もう一回録り直し!」、「これ、全部ダメ!」みたいな指導が1年半ぐらい続いて……今に至ります(笑)。最近になって、ようやく作家の方とかディレクターの方から「アンジー、しゃべりうまくなったね」と言われるようになって。文化放送のチームは20代中心なんですけど、そこでもアンジーのしゃべりの活かし方を考えてくださっていて。レジェンドチームもアンジーのしゃべりの生かし方を考えてくださる。おかげで今の自分が形成されたので、ラジオチームには本当に感謝です。 ──というか、アンジーさんってみんなに愛されていますよね。 アンジェリーナ1/3 ラジオだけじゃないんですよ。北島三郎さんや大御所の方がたくさんいらっしゃるクラウンレコードにお世話になっているんですけど、そこの社長にもかわいがってもらっていて。社長から「取材やラジオのしゃべりもうまくなったし、ライブのステージングとか、普段の人との接し方もすごくよくなったよね」と言っていただけて。今やらせてもらっていること全部が、自分を作ってくれているので、一日一日の出来事にしっかりと向き合って、人としてもアーティストとしても成長していきたいと思います。 取材・文=真貝 聡 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 Gacharic Spin オフィシャルサイト アンジェリーナ1/3『logirl』出演情報 『ももクロちゃんと!』ももクロちゃんとGacharic Spin 『ももクロちゃんと!』ももクロちゃんとGacharic Spin~最年少アンジェリーナ1/3の魅力に迫る~ 『ももクロちゃんと!』アフタートーク #112 『ももクロちゃんと!』アフタートーク #113 『ぶっちゃけガチャリック!』 『WAGEI』#112 『WAGEI』#113 『WAGEI』#114 『WAGEI』#115 『WAGEI』#116 『WAGEI』#117
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LIGHTSUM、カムバックまでの1年5カ月は「空白期間ではない」6人を支えたファンの言葉
2021年に韓国でデビュー、心躍るハツラツとした楽曲でオーディエンスを魅了している6人組ガールズグループ・LIGHTSUM(ライトサム)。 (G)I-DLEなど人気の実力派グループを輩出している芸能事務所・CUBEエンターテインメントの系譜を受け継ぎ、パフォーマンス面でもK-POPファンから支持の厚いメンバーが集うことで知られている。 今回は、初の日本リリースイベントとlogirl新番組『ライトサムズアップ』収録で来日した彼女たちに、最新ミニアルバム『Honey or Spice』へ懸けた思いをはじめ、日本のファンとの交流について、これからの展望などを話してもらった。 目次実はおっちょこちょい?メンバーのかわいすぎる「反転魅力」「6人の努力は、私たちが知ってるよ」SUMITからのうれしい言葉ヒナの日本語講座「“牛タン”を教わりました!」 実はおっちょこちょい?メンバーのかわいすぎる「反転魅力」 ──今日はテレ朝動画logirlの新番組『ライトサムズアップ』の撮影があったそうですね。 ジュヒョン はい! 朝からの撮影だったのですが、いろいろな場所にメンバーと行けて、とても楽しい一日でした。 ──まず、10月に韓国でリリースされたミニアルバム『Honey or Spice』についてお話しいただけますか。 ヒナ タイトルどおり、“Honey=甘さ”と“Spice=刺激”がどちらも味わえるアルバムになっています。 表題曲「Honey or Spice」のパフォーマンスでは、明るくかわいらしい側面とカリスマティックな側面を表すため、笑顔のあとにキリッとした表情をしたり、衣装もキュートなものからシックなものまであるんです。 韓国では、人を惹きつけるギャップのことを「反転魅力」というのですが、そこに注目してステージを観ていただけたらうれしいです。 ──ではそんな『Honey or Spice』にちなんで、メンバー同士だからこそ知っているお互いの「反転魅力」を教えてください。 ナヨン はい、まずは私から! ジュヒョンちゃんはよく「しっかり者だね」と言われているのですが、意外とおっちょこちょいなところもあるんです。昨日も、飲んでいたコーヒーのカップをうっかり倒して慌てていたり(笑)。そんな姿をそばで見ていると、かわいいなって思います。 ジュヒョン チョウォンさんは、歌がとても上手で“クールなアーティスト”っていうイメージが強いんですけど、ステージを降りると愛嬌いっぱいなところにギャップを感じます。声や話し方、仕草がめっちゃキュートなんですよ。 チョウォン チョウォン ……(鼻の下をこすりながら、おどけた表情をしている)。 一同 アハハハハ!(笑) ジュヒョン ほら、わかりますよね⁉ まさにこんな感じ! チョウォン ありがとうございます。ヒナちゃんはキュートな印象が強い子なんですけど、「Honey or Spice」のステージでは“Spice=刺激的”なイメージをすごく上手に表現していて、ヒナちゃんの新たな表情を見られたのがうれしかったです。 ヒナ ユジョンちゃんはグループの末っ子メンバーなので、よく「お姉ちゃ〜ん」って甘えてくれるんです。でもパフォーマンス中は本当にカッコよくて、頼もしさもあるので、いつも見惚れちゃいます。 ユジョン サンアさんは“Spice=刺激的”な魅力があることで、SUMIT(サミット/LIGHTSUMファンのこと)の間でも有名だと思うのですが、実はすごくおもしろい人なんですよ。急に変なダンスをしたり、ハイテンションになったり、ギャグを言ったり。日本語のレッスンを受けているときも、先生から教わった単語を突然大声で言って、メンバーを爆笑させています(笑)。 サンア ステージ上では明るくかわいらしい姿を見せているナヨンちゃんですが、普段はタフで大胆な一面を見せることもあるので、SUMITはそういうところにハマっていくんじゃないかなと思いますね。 ナヨン たしかに……その自覚は、ちょっとあります(笑)。 ナヨン 「6人の努力は、私たちが知ってるよ」SUMITからのうれしい言葉 ──6人とも、本当に多様な魅力を持っていますね。アルバムの話に戻ると、本作にはジュヒョンさんが作曲、サンアさんが作詞に参加した「Skyline」も収録されています。おふたりは、この曲にどんな思いを込めたのでしょうか。 ジュヒョン 私は練習生のときから作詞作曲に興味があって、ずっと勉強し続けていたのですが、今回初めてSUMITに聴いてもらえる自作曲を発表できたのですごくうれしかったし、そのぶん緊張もしました。 この曲は、生きる上で苦労している人へ、その気持ちに寄り添って力を与えたいという気持ちを込めて作った曲です。なので、少しでも多くの方に届けばいいなと思います。 ジュヒョン サンア 「Skyline」は私にとって初めて本格的に作詞に取り組んだ曲だったので、その喜びを素直に表してみました。 サンア ──このアルバムは、約1年5カ月ぶりとなるLIGHTSUMの新作ですね。カムバックを果たすまでは簡単な道のりではなかったと思うのですが、この期間を経て、どんなところがグループとして進化したと感じていますか? ヒナ 私たちにとって、新作を出すまでは“空白期間”ではなく、練習を重ねたり語学勉強をしたりなど、アーティストとしてひたすら自分を磨く期間でした。その間は大変な思いもしたし、SUMITを待たせてしまっている申し訳なさも感じていたのですが、足を止めずに自分と向き合ったその一日一日が、今回のアルバムに表れていると思います。 SUMITも「6人の努力は、私たちが知ってるよ」と言ってくださったりして……がんばったかいがあったなと、すごくうれしかったです。 チョウォン 「私たち自身が満足できる作品にしないと」というプレッシャーも大きかったのですが、一生懸命に取り組んだぶんだけSUMITが喜んでくれたので、ありがたい気持ちでいっぱいです。もちろん、私たちも疲れることはあるのですが、そんなときはSUMITがくれる言葉を思い出して、がんばるエネルギーに変えています。 ──新作を通じて、ファンのみなさんとの絆を改めて確認できたのですね。今回の来日では初めての日本リリースイベントが実現しました。日本のSUMITとの交流はいかがでしたか。 ジュヒョン 想像していたよりも近い距離でお会いできたので、お話しするときもパフォーマンス中でも、みんなのエネルギーを感じられて本当に楽しかったです! SUMITのリアクションや表情も明るく、大きな歓声で迎えてくれて、ありがたかったですね。 ユジョン 私は日本語がまだ上手じゃないので、最初は不安もあったのですが、SUMITの反応を見て安心できました。むしろ「自分が韓国語をがんばって勉強するから、あまり心配しないでね」と優しい言葉をかけてくださる方もいて、すごく感動しました。 ヒナの日本語講座「“牛タン”を教わりました!」 ──来日中は、日本出身メンバーのヒナさんがグループを引っ張る存在になっているのでしょうか。 ナヨン そうなんです。日本での活動中は、私たちが言葉の面でヒナちゃんを頼ってしまうぶん苦労をかけてしまっているなと感じているのですが、いつも感謝しています。 チョウォン 日本語の曲を練習するときも、言葉の意味や発音の指導を丁寧にしてくれたり、すごく頼もしいです! いつも「これなに?(日本語で)」って質問しています(笑)。 ヒナ ユジョン 昨日は、ヒナさんから「牛タン」っていう言葉を教わりました。 ヒナ 私以外のメンバーは、今回初めて牛タンを食べたんです。みんな気に入ると思ったので、おすすめしました。 一同 めっちゃおいしかった! ジュヒョン ずっと牛タンのことばっかり考えてます(笑)。 ──滞在を楽しんでいるようで、なによりです! そろそろ2023年も終わりに近づきつつありますが、LIGHTSUMとして2024年に達成したい目標を教えてください。 ナヨン 日本に来ることができてうれしかったので、来年はぜひ日本デビューを実現させて、もっともっと日本のSUMITと会える機会を増やしたいです。 ジュヒョン 今年は初めて韓国でファンミーティングを開催できたので、日本でもやってみたいなと思います。 チョウォン 2024年は日本でコンサートができたらいいですね。 ヒナ 日本のSUMITもずっと待ってくれているので、日本語の曲をリリースしたり、みなさんともっと近い距離で交流できるとうれしいです。 ユジョン 海外へ行って、さらに多くのSUMITに会えたらいいなと思っています! ユジョン サンア 来年はもっと短いスパンでカムバックしたいと考えています。それから日本はもちろん、ヨーロッパなど遠くに住んでいるSUMITのもとへも会いに行きたいですね。実現できるように一生懸命がんばりますので、応援よろしくお願いします! 文=菅原史稀 撮影=山口こすも 編集=高橋千里 <INFORMATION> LIGHTSUMの素性を深掘りしていく番組『ライトサムズアップ』がテレ朝動画logirlに登場! ここでしか聞けない貴重なスタジオトークや、都内の話題のスポットを巡るロケを通じて、6人それぞれの魅力を2カ月にわたってお届け!・第1回 2023年12月27日(水)20時配信 無類のK-POP好き・林美桜アナが、独自の目線でメンバー6人をトークで深掘り!・第2回、第3回 2024年1月下旬配信予定 LIGHTSUMが東京の人気スポットを巡りながらトレンドを体感! カワイイ文化の発信地・原宿やコリアンタウン・新大久保を遊び尽くす!
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ふたりの主人公から教えられた“信じること”の大切さ──中島セナ×奥平大兼インタビュー
中島セナ(なかじま・せな) 2006年生まれ、東京都出身。2017年にスカウトされモデルデビュー後、モード系ファッション誌やCMなどを中心に活躍中。映画『クソ野郎と美しき世界/慎吾ちゃんと歌喰いの巻』(2018年)で女優デビューし、「ポカリスエット」CMの主演に抜擢され話題に。12月配信開始の『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』(ディズニープラス)ではナギ役を演じ、奥平とW主演となる。 奥平大兼(おくだいら・だいけん) 2003年生まれ、東京都出身。『MOTHER マザー』(2020年)で映画デビューを果たし、同作で第44回日本アカデミー賞新人俳優賞や第63回ブルーリボン賞新人賞ほか受賞。2023年、映画『君は放課後インソムニア』や『ヴィレッジ』、『あつい胸さわぎ』、『映画 ネメシス 黄金螺旋の謎』、ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(日本テレビ)と立て続けに出演。12月20日配信開始の『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』(ディズニープラス)ではタイム役を演じる。2024年3月8日には主演映画『PLAY! ~勝つとか負けるとかは、どーでもよくて~』が公開。 12月20日より、ディズニープラスで独占配信される『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』は、“実写”と“アニメ”が交錯する壮大なふたつの世界で、ふたりの主人公が躍動するオリジナルファンタジー・ アドベンチャー大作。予告映像は公開されているものの、全貌は明かされず謎のベールに包まれた本作。W主演の中島セナと奥平大兼のふたりに演じるおもしろさや難しさ、そして本作で伝えたいメッセージについて語ってもらった。 目次実写もアニメも思いっきり演じられた(奥平)奥平大兼から見た中島セナの魅力 “やり続けること”が大事だと学んだ(中島セナ) 実写もアニメも思いっきり演じられた(奥平) ──本作の主人公は、現実世界の横須賀に暮らす空想好きな女子高生・ナギ(中島セナ)と、異世界のウーパナンタから突然、現実世界にやってきた半人前のドラゴン乗り・タイム(奥平大兼)。それぞれの世界で生きづらさを感じていたふたりが出会い、ともに世界を救うために命がけの冒険の旅に出る物語です。 奥平 最初にお話をいただいたときは、ほかにはない世界観なので、具体的なイメージが湧かなかったんです。まずは、この物語をちゃんと理解するところから始めました。それこそ今作は“ドラゴン”や“冒険”など、男の子の好きな要素が詰まっている作品。監督(萩原健太郎)さんやプロデューサーさんと初めてお会いしたときに「必ず魅力的な作品にしてやる」という気合いが伝わってきて「この人たちだったら、難しい世界観でもちゃんと届けることができるはずだ」と思ったのと同時に、ふたりの凄まじい熱量に背中を押されましたね。 中島 私も初めて台本に目を通したときは、映像でどうなるのかがよくわからなかったです。特に、アニメと実写のパートがどのように交錯していくのかが、想像できなくて。まずは撮影に臨むにあたって、演じる役のことを理解しようとしました。あと、なんといっても子供のころから観ていたディズニー作品に関われるのは、すごくうれしかったです。 (C)2023 Disney ──おふたりが演じる役の印象を教えてください。 中島 ナギは、自分の考えを人に理解されないことに、苦しみを感じている子で。人生に期待をせず、夢を持つことをあきらめていましたが、タイムやナギの親友の男子高生・ソン(エマニエル由人)のおかげで、次第に成長をしていきます。 ──ナギは中島さんと同じ17歳ということで、シンパシーを感じたところはありましたか? 中島 私も、生きづらさや窮屈さを感じることがあるので、そういうところは共感できました。ナギを演じるにあたって、等身大で挑もうと意識したのと、彼女の苦悩が現れるように臨みましたね。 ──世の中に対して、期待せず割り切っている感じは、表情からも伝わってきました。些細な表情の作り方や佇まいも、相当意識されていたのかなと。 中島 そうですね。ただ、私もそういう部分があると思うので、そこまでまったく真反対の役をやっているわけではなかったから、わりとナチュラルに出せたのかなと思います。 奥平 僕が演じるタイムは、絵に描いたような純粋な人間で。あきらめることを知らないし、人を疑うこともない。もちろん物語が進むにつれて、タイムの人間性が少しずつ変わっていくんですけど、自分が信じているものに対しては、なんの疑いもなく純粋に突っ走ることができる。この現実世界ではいないような、ちょっと珍しい子だと思います。 ──タイムを演じるにあたって、大事にされたことはなんでしょう? 奥平 タイムが憧れているドラゴン乗りの英雄・アクタ(新田真剣佑)は、小さいころから異世界で過ごしてきたから、異世界の常識が自分の中に根づいているんですよね。異世界ならではの文化や社会を通して、タイムの性格が形成されたはずだから、そこを知ることに少しでも手を抜いてしまうと、役のリアリティがなくなってしまうと思い、監督と話をしながら、徹底して役のイメージを固めていきました。 ──今回、奥平さんは実写とアニメで同じ役を演じられましたね。 奥平 実写パートを撮影したあとに、アニメパートを録りまして。「実写の雰囲気にアニメのタイムを寄せよう」とおっしゃってくださったので、変にアニメパートのことを考えることはなかったです。先に実写の撮影で思いっきりやって、それに合わせてアニメのアフレコができたのは、すごく助かりました。そもそもアニメのお芝居はまったく経験がないですから、アニメーション監督(大塚隆史)にテイストはお任せして、できるだけ実写で作ったタイム像を忘れずにいようと心がけましたね。 奥平大兼から見た中島セナの魅力 ──せっかくの対談ということで、お互いのご印象も伺えたらと思うんですけど。 奥平 ええ! どうだろう……? 最初の印象って覚えてるかな(笑)。 中島 ふふふ。 奥平 今の印象になってしまうんですけど、セナさんに加えてエマくんとのシーンが多かったので、基本的に3人一緒にいたんです。みんな年齢がバラバラだったので、最初はちゃんとしゃべれるか不安だったんですけど、意外と話せるようになっていって。なによりエマくんが現場の雰囲気を明るくしてくれて、すごく助かりました。エマくんがふざけて、それに僕も乗っかったら、意外とセナさんも乗ってくれて。セナさんにそういうイメージがなかったから、エマくんと「うれしいですね!」と話していたのが記憶に残っています。 ──中島さんの人柄についてはどう見えていますか? 奥平 最初にセナさんを見たのは、とあるCMで。お会いする前はクールなイメージが強かったんですけど、いざ話してみたら年相応のかわいらしさがあって。そんなに年齢の壁を感じることもないな、と思いました。だからこそ、ふざけている場面で乗ってきてくれたのかなと思います。けど、3人の中だったら一番大人だったかもしれないです。 中島 ははは(笑)。 ──中島さんは奥平さんと初めて会ったときの印象って覚えています? 中島 最初は、みんなで台本の読み合わせをしましたよね? 奥平 あ、あった! そうだ、そうそう! 中島 そこで感じたのは、演じる役に対して自分の答えがちゃんとある方なんだなと。基本的に撮影も一緒だったんですけど、タイムも奥平さんも自然体で素敵な方だなって思いました。演技に対してすごく熱があるし、みんなで明るく話したりして、とても楽しかったです。ただ、最初は私もクールというか静かな方だと思っていたんですよ。でも、エマくんと一緒にしゃべっているときはすごく楽しそうで。 奥平 この場にエマくんがいてほしいね(笑)。 中島 演技に対しての刺激も受けましたし、楽しい時間を過ごさせていただきました。 ──俳優・中島セナさんの特性って、どう見えていますか? 奥平 一番強く思うのは、セナさんにしか出せない魅力があるんです。それは、俳優さんとしてすごく素晴らしいことだと思いますし、持って生まれた武器だと思います。それこそ最近、誰かと話していたんですけど、どういう役であれ、すごく見入っちゃう人っているじゃないですか。セナさんはそういうタイプの方。意識せずとも、なんか目で追っちゃう。そういう魅力を持っているのは本当に素晴らしいことだし、誰しもが持っているものではなくて。お芝居をご一緒して、すごく新鮮でした。今回は僕も含めて、演技経験が少ない3人だったんですよね。とはいえ、今作の物語を進めていく上で、重要なカギになる大役で。そういう役割を担うのはエマくんも初めてだったから、最初は相当緊張していたと思うんです。ディズニー作品の主演をやると聞いて、僕自身もかなりのプレッシャーがありましたし、みんなプレッシャーがあったなかで、どんどん場数を重ねていって。こんなこというと、上からみたいで嫌なんですけど、ふたりの成長が一番間近で見られたなと思うんです。お芝居もそうですけど、現場での所作など役者さんとして成長していく姿を見られてうれしかったので、これからほかの役も見てみたいなと思います。 ──森田剛さん、田中麗奈さん、新田真剣佑さん、成海璃子さんなど、そうそうたる方々が脇を固めるなか、ダブル主演を務めたお気持ちはどうですか? 奥平 主演を任せていただく機会は、今までもあったんですけど「主演だからがんばるぞ」よりも、どんな役でも「そういえば、僕が主演じゃないのか?」とハッとする瞬間があるぐらい、自分がメインだと思って作品に参加してきたんです。逆に、そのおかげで今作も“主演だから”と変に責任を感じることがなかったです。素晴らしい先輩方に囲まれつつ、引けを取らないようにがんばろうと思いました。 中島 やっぱりプレッシャーもありましたし、そもそも長期間の撮影が初めてだったんです。どうなるのかわからない部分もあったんですけど、奥平さんと一緒だったのがとても頼もしかったですし、まわりのみなさんに助けてもらいながら、やりきることができました。 “やり続けること”が大事だと学んだ(中島セナ) ──まだ物語の全貌が明かされていませんが、この作品が視聴者に訴えているメッセージはなんでしょうか? 奥平 タイムは良くも悪くも、普通の人と感覚が違うので、彼に共感できるかといったら、おそらくあまりできないかもしれないです。でも僕が演じていて思ったのは、簡単な言葉になってしまいますけど、“信じることの大切さ”なんですね。タイムって「この人には、こういう接し方をしよう」という感覚がないので、全員平等に接する。誰のことも区別しないで、温かく接してあげられるんです。そんな中で、すごくタイムのよさが出ていたと思う場面がありまして。たとえば、困っている方がいたら、多くの方は近寄りがたいと思ってしまう気がするんですけど、タイムはなんの躊躇もなく寄り添ってあげる。映像ではさらっと描かれているのかもしれないですけど、そこが僕は好きなんですよね。「すぐに同じようなことができるか?」といわれたら、難しいかもしれないですけど、そういう温かさは大事だよなって。ほかにも、この作品にはいろんなメッセージが込められていると思いますし、観た方によって感じ方も違うと思うんですけど、個人的にはただ単に映像作品として楽しんでほしい気持ちも強くあります。 中島 私も“信じること”というのは大きなテーマに含まれていると思いますし、ナギという子はさまざまなことをあきらめてしまって、自分のことも他人のことも信じられていない状況から、タイムと出会って変わっていく。そして自分と人を信じてみようと前を向こうとする姿に注目していただきたいですし、それぞれの正義や主張があるなかで、何を選んで信じていくのかは、物語の中で重要なポイントかなと思います。 ──おふたりが今作を通して、俳優として人間として得たものはありますか? 中島 タイムのまっすぐな人間性は、本当に魅力的だと思いますし、もしも自分の中に取り入れることができたら人生観が変わるのかなって。私もナギとは同じ方向性の人間だと思うので、信じることはすごく大事だと今一度思いましたし、3〜4カ月という長い撮影を初めて経験して、人間的な成長もあったかなと思います。 ──その人間的な成長の部分って、言葉にできますか? 中島 “やり続けること”ですね。常に仕事に対して誠実に向き合う姿勢は、とても大事だなと改めて学びました。 奥平 17歳でそれが言えるってすごいですよ! 中島 いえいえ(照笑)。奥平さんはどうですか? 奥平 ゆっくり時間をかけて撮影していたぶん、照明の角度だったりカメラの位置だったり、本当に細かくこだわっていた現場で。自分だけじゃなくてまわりのスタッフさんがいかにやりやすくできるかを考える姿勢は、この現場ですごく勉強になりました。それと監督が「こういう画を撮りたい」と話したら、カメラマンさんが「じゃあ、こう撮りましょう」と提案しているなかで、僕もお芝居に影響がない程度に「これはどうですか?」と言わせてもらう機会がたびたびありました。今回はスタッフさんが若い方が多いのと、距離が近かったので意見を出しやすかったんですよね。現場でただ芝居をするだけじゃなくて、まわりを見てスタッフさんとコミュニケーションを図ることも大事だなと学びました。人間的に得たものでいうと、最近、二十歳になりまして。改めて、タイムのように純粋さを持っておくことは大事だなと。役者というお仕事をしているからこそかもしれないですけど、大人になるにつれて考えることとか責任も大きくなっていく。それでもタイムのように何も考えないで純粋に楽しむことや、何も疑わないで突き進むことも、時にはすごく大事な選択肢なのかなと思いました。 ──ちなみに、撮影を通して「ディズニー作品ならではの現場だな」と感じたことはありましたか? 奥平 特に、視覚的なこだわりにディズニーらしさを感じましたね。ファンタジーの作品だからというのもあると思うんですけど、予告を観たときにディズニーならではの魅力が詰まっている画だなって。衣装やセットもそうですし、そこはほかの作品と大きく違いましたね。 中島 セットやスケール感は「やっぱりディズニーだな」と思いましたし、奥平さんの言ったようにファンタジー作品というのもありますけど、色使いも独特ですごく好きです。そういうところは、“ディズニーならでは”だなと思いました。 ──おふたりが言うように、壮大な世界観と色彩豊かな映像美で。稚拙な表現ですけど、予告だけでワクワクしますよね。 奥平 そうなんですよね! 子供心をくすぐられるというか、ああいう映像を大人が本気で作っているところがすごくいいですよね。 ──そういえば、スタジオに入ってきたときにおふたりとも“懐かしの再会感”があったんですけど、顔を合わせるのはいつ振りなんですか? 奥平 実は、会うのがすごく久しぶりなんです。撮影が終わったのは昨年の12月とかで。そのあとにみんなで少し会ったりしましたけど、こうしてちゃんとお話しするのは1年以上振りで。なんか……気持ち(中島の)背が大きくなったなと思って。 中島 親戚のお兄さんみたい(笑)。 奥平 気のせいかもしれないですけど(笑)。僕は僕で二十歳になってから初めて会いますし、ちょっと不思議な感覚なんですよね。そういえば、今も絵は描いてます? 中島 あ、描いてます。 奥平 撮影現場でエマくんが絵を描いていたんですけど、それがすっごい下手で(笑)。演じているソンは絵が上手な役なんですけど、エマくん自身は下手なんです。セナさんはすごく上手なんですよ! 「絵をよく描くんです」とおっしゃっていたから、今も描かれているのかちょっと気になりました。 中島 ほぼ毎日描いています。 奥平 あ、そうなんだ! いつか『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』の絵も描いてほしいです。 (C)2023 Disney 『ワンダーハッチ -空飛ぶ竜の島-』 2023年12月20日(水)よりDisney+(ディズニープラス)で独占配信開始。【出演】 中島セナ、奥平大兼、エマニエル由人、SUMIRE 津田健次郎、武内駿輔、嶋村侑、三宅健太、福山潤、土屋神葉、潘めぐみ、宮寺智子、大塚芳忠 田中麗奈、三浦誠己、成海璃子/新田真剣佑(友情出演)、森田剛【スタッフ】 監督:萩原健太郎 アニメーション監督:大塚隆史 脚本:藤本匡太、大江崇允、川原杏奈 原案:solo、日月舎 キャラクター原案・コンセプトアート:出水ぽすか プロデューサー:山本晃久、伊藤整、涌田秀幸 制作プロダクション:C&Iエンタテインメント アニメーション制作:Production I.G (C)2023 Disney 取材・文=真貝 聡 撮影=友野 雄 編集=宇田川佳奈枝 スタイリスト=柴原コトミ(中島セナ)、伊藤省吾/sitor(奥平大兼) ヘアメイク=SHUTARO/vitamins(中島セナ)、速水昭仁/CHUUNi Inc.(奥平大兼)
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アニメを愛するふたりがひも解く、ヒット作が生まれる理由──DJ・KO KIMURA×アニメ評論家・藤津亮太
KO KIMURA 木村コウ(きむら・こう) 国内ダンスミュージック・シーンのトップDJ。クラブ創成期から現在までシーンをリードし、ナイトクラブでの活動のみならず、さまざまなアーティストのプロデュース、リミックス、J-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』にてラジオDJとしてなど、国内外で活躍中。 藤津亮太(ふじつ・りょうた) アニメ評論家。地方紙記者、週刊誌編集を経てフリーのライターとなる。主な著書として『「アニメ評論家」宣言』(2003年/扶桑社、2022年/ちくま文庫)、『アニメと戦争』(2021年/日本評論社)、『アニメの輪郭』(2021年/青土社)などを出版。 『葬送のフリーレン』含め、数々の注目作品が並ぶ10月クールのアニメ。今回logirlでは、毎クール何十番組以上ものアニメを観ている大のアニメ好きであるDJ・KO KIMURAとアニメ評論家・藤津亮太とのアニメ対談を実現させた。ふたりが観てきたアニメ遍歴をたどりながら、アニメの在り方やこれからのシーンの変化、そして10月クールアニメの注目作など思う存分語ってもらった。 目次深夜アニメの始まりと現在異世界転生モノはおもしろい!?リアリティと丁寧さが求められるアニメ10月クールアニメの注目作は? 深夜アニメの始まりと現在 ──今回はアニメ対談ということで、おふたりにアニメについてのお話をたくさん伺えたらと思います。まずDJとしてご活躍中の木村コウさんの経歴から知りたく、音楽にハマるきっかけとは? 木村 初めは特撮の主題歌などのアニソンから音楽を好きになりました。小さいころ『超人バロム・1』(1972年)や『愛の戦士レインボーマン』(1982〜1983年)の曲のドーナツ盤を親に買ってもらったりして。実家が花屋なんですが、手伝いをすると時給が出るので、貯めたお金でレコードを買うというのを子供のころからしてました。まわりはキャンディーズとかを好きな人が多かったけど、僕はなんとなく反発する子で違うほうに行きたくて。だんだんアニソンから映画音楽を好きになってきたのが小学校高学年ぐらいですね。高学年になると学校で放送委員会を担当できるようになるので、給食のときに自分の好きな映画音楽『タワーリング・インフェルノ』(1974年)とか『ポセイドン・アドベンチャー』(1969年)、『ロッキー』(1977年)のテーマなどを流して、給食をまずくしてました(笑)。そこからフュージョン音楽、当時のバンドだとカシオペアとかほかの小学生が聴いてない音楽を掘ってました。CMで流れているフュージョンとかカッコよかったので。 藤津 どれも世代的にわかります! ちょうど80年前後に、音楽だけじゃなくてデジタルっぽいビジュアルのCMも出てきて。 木村 あと、SHŌGUN(ショーグン)のようなスタジオミュージシャン系音楽も聴いてました。なるべく同級生と被らない方向になんとなく……。 藤津 そのころからもう、今の道が決まってきてる感じなんですね。 木村 放送委員会をやってたときが楽しくて、だんだん音楽のことをやりたいなと思い始めてて。音楽を掘っていくにつれてファッションも好きになっていき、ヴィヴィアン・ウエストウッドなどのデザイナーの服がかっこよくて、次第に自身のファッションも決まっていきました。自分の知ってる知識をどうにかして活かせないかなと思ったとき、NYのHIP-HOPシーンで、DJのスクラッチが流行っているらしいと噂が流れてきて。僕も始めたかったけど、当時ターンテーブルは1台7万円くらいしてすぐ買えなくて……。中学校3年生の少年だったので、実家の手伝いをしてなんとかターンテーブルとDJミキサー1台を買えて。高校生になって夏休みにダムを埋めに行くバイトをして、もう1台を買って。貴重な夏休みを工事現場のおじさんと過ごしました(笑)。 藤津 レコードは大切に扱わないといけないものだから、スクラッチという技を初めて知ったときは「痛む!」って思った記憶があります。そういう使い方もあり得るんだ、と驚きました。 木村 DJするときには、違う2曲がキレイに重なってたりするんですよね。最初はそれがどういうことがわからなくて、小節のルールもよくわからなかったし。音楽的知識がないと2曲がうまく混ざらなくて、BPM(※曲のテンポ)を合わせるのも難しいので初めは手探りでした。教本とかもないので、いろんなMVとかを何度も止めて超チェックして。でもその元の音楽がなんなのかわからないから、一瞬映るレコードを見て「アメリカの〇〇というレーベルの曲だ」ってお店で探して。 ──当時のDJシーンはどんな感じだったんですか? 木村 チャラい系のユーロビートを流すところがほとんどでした。でも、僕はそこには行きたくなかったので、洋服屋さんで流すカセットを作ったり小さなNY風のDJバーでDJをさせてもらったり。音楽でいうとニュー・ウェーブからセックス・ピストルズからブラック・コンテンポラリー、Chicとかをかけたり。地元が岐阜県大垣市で、町内でも信号機がひとつしかないような地域で、町の小さいレコード屋には欲しいレコードがなかったので、長い時間かけて名古屋まで買いに行ってました。 藤津 僕はDJシーンに全然詳しくなくて、知り合いにアニソンDJをやってる人はいますけど。 木村 僕もアニソンは放送委員会時代からかけてました! 藤津 僕らの世代もですが、アニメが盛り上がるタイミングがあって、そのあと一度アニメシーンが切り替わるんですよ。あのころアニメが好きだったけどアニメから離れてしまった人が一定数いた時代があって。 木村 『機動戦士ガンダム』(1979〜1980年)が終わったぐらいですかね? 藤津 もう少しあとの1984年いっぱいでアニメブームが去ったということが、いろんなデータを突き合わせていくと見えてくるところがあって。だいたいどんなころかというと1983年の春が『幻魔大戦』、『クラッシャージョウ』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』。1984年が春に『風の谷のナウシカ』、夏に『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』。 木村 1990年代の半ば、『新世紀エヴァンゲリオン』(1995〜1996年)や『天空のエスカフローネ』(1996年)のころからまた盛り上がったんですかね? 『銀河英雄伝説』のビデオっていつでしたっけ? 藤津 たしか1988年にスタートですね。 木村 『銀河英雄伝説』の時代はよかったですよね。まだ深夜にアニメ放送もやってなくて、ビデオで販売したあとにテレビ放送が始まって。そのあたりから深夜アニメ枠がちょっとずつ忙しくなってきた感じ。あかほりさとる先生(※小説家/マンガ原作者)が原作のアニメ『セイバーマリオネット』(1996年)、『MAZE☆爆熱時空』(1997年)が放送され始めたあたりからまた盛り上がりましたよね。 藤津 1984年でシーンが切り替わったあと、当時、幼かった視聴者が中学生になったころに『エヴァ』が現れた感じです。その直前に『美少女戦士セーラームーン』(1992〜1997年)が大ヒットして、その熱気が『エヴァ』につながる感じです。『セーラームーン』がすごいのは、オタクも小学生の女の子も、男女問わず熱狂してましたからね。実はエヴァとセーラームーンは、キャストが被ってるんですよ。 木村 ああああ! たしかにそうですね。 藤津 『エヴァ』の庵野秀明監督はすごく『セーラームーン』が好きで、制作にも参加してたりするんです。『エヴァ』は、1997年春に劇場版『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』の公開が決定して、テレビシリーズが深夜帯で再放送されたんですよ。それの数字がめちゃくちゃよくって! テレビ東京が「じゃあ深夜に積極的にアニメ枠を設けよう」と判断して、そこから深夜アニメが増えていくんです。今のようなかたちの深夜アニメが増えたきっかけのひとつが、『エヴァ』再放送だったんですね。 木村 今は深夜アニメを観るのでどんどん忙しくなってます(笑)。逆に子供向けアニメが少なくなってきましたもんね。『「鬼滅の刃」竈門炭治郎 立志編』(2019年)は深夜放送が先でしたし、昔は夕方に放送されてたアニメ自体がほぼ深夜になっちゃって。とはいえ、今の子はNetflixとか配信サイトで観れちゃいますからね。 藤津 あとハードディスクレコーダーが出てきて、録画が便利になりましたよね。我々、VHS(※ビクターなどが販売していた家庭向けビデオテープレコーダ)や、ベータマックス(※ソニーが販売していた家庭向けビデオテープレコーダ)のころから体験している世代からすると、こんなに便利かと……。 木村 本当に超便利ですよね。ビデオでいう3倍的な感じで録っててもすぐいっぱいになるぐらいアニメ録画してますけど(笑)。録画してるアニメをずっと観なきゃいけなくて、毎日録画を消化するのが大変で。毎期、新しいアニメは50番組ぐらいあるじゃないですか。全部観なきゃいけないとなると……。完全に子供向きのものと、僕が音楽の仕事をしてるので音楽絡みのアニメは省いてますが。 藤津 とはいえ、そのジャンルを省いても、かなりの数ありますよ(笑)。実際に木村さんの録画リスト画像を見せてもらいましたけど、絨毯爆撃的にご覧になってる感じで、すごいなって。 木村コウの実際の「録画リスト」の一部 木村 とりあえず1話だけは全アニメ観てます。観なきゃいけないというか、観てないと不安になるというか。誰と話をするわけではないけど、知らないって悲しいですよね。音楽では“学者聴き”っていうんですけど──学者の人は、自分の守備範囲より2割ぐらい広く知識を入れるみたいな。 藤津 チェックをしておこうってことですね。 木村 何かのときに合わせられますからね。あと、アニメ好きって全員同じだと思われません? アニメ好きの人はたくさんいるけど、それぞれ趣味が違って。クラブ音楽も同じで、クラブ音楽好き=クラブ好きといわれてしまって。「君たち話してみたら」って、知らないふたりをくっつけようとする人がけっこういるんですよね。アニメ好きと言うと、よくそうされて。話し出してみるけど、お互い腹の探り合いがいつも始まります(笑)。 藤津 どの範囲が好きなのか、わからないですもんね。 木村 だから会話が平行線なんですよ。この間も初めて会った人とアニメの話をしたら、途中からちょっと守備範囲が違うかなと思って。過去観てたアニメを遡りながら接点を探して、結果『少年アシベ』(1991年)とかになるみたいな。相手は「コウさんとアニメの話ができておもしろかったです! またお願いします!」と言ってくれたけど、僕は「次は何を話せば……」って(笑)。藤津さんは評論家をされていらっしゃるから、とにかくたくさん知ってないとで大変ですよね? 藤津 できるだけ観ようと思ってますが、数が多いのでね……。仕事関係で、過去作品で観直さなければならないものもわりとありますし。配信だと最新でアップされた作品を2話ずつぐらいまとめて観ていくようにしてます。1話ずつ連続していろんな作品を観るとほかの作品と印象が混ざってしまうので、ひとつの作品を連続して観たほうがしっかり覚えられます。 木村 少なくとも3話ぐらい連続で観たいですね。 異世界転生モノはおもしろい!? 藤津 僕、よく言うんですけど、「好きなアニメがある」と「アニメが好き」は違っていて。多くは「好きなアニメがある」人なんです。ただ、僕らはジャンル自体に興味があるといいますか。好きなジャンルの山の形を確認したいのであって、その山を形成している一つひとつへの関心とはまた別に、少し違う見方でアニメを観てるんです。ただ、個別のアニメをちゃんと観続けてないと、その山は何年かごとに形が変わってしまうんですよね。 木村 僕は昔からSFっぽいのが好きなのもあって、今はやっぱり異世界転生モノが好きですね。原作がマンガやラノベのものが多いですけど、そこまでは追えてないです。 藤津 異世界転生モノって、もともと小説投稿サイト『小説家になろう』などからスタートしているものが多いんですが、聞くと、あそこは『(週刊少年)ジャンプ』(集英社)よりも過酷ですね。デイリーでランキングが出るので、毎日読者を飽きさせずに更新をするのにすごく特化していて。だから流行の伝播と進化の度合いが早いんです。早すぎるぐらい。そのあたりのトレンドが、数年遅れでアニメ業界に現れてくるんです。異世界転生モノは、“普通に転生して、強い能力でうまくやっていく”というストーリーだったのが、最近だと転生して自動販売機になったりとか、スローライフを送ったりとか、変化球もいろいろあって(笑)。その進化の速度にアニメ業界が振り回されてる感はありますね。 木村 なるほど、だからラノベ作品が多いんですね。アニメでおもしろかったら原作も読む人もいますが、そっちまで手を出しちゃうと忙しすぎて……。 藤津 そっちはそっちで量がたくさんありますからね(笑)。 木村 買いまくらないといけなくなるから「異世界破産になる」と僕の友人が言ってました(笑)。異世界転生モノだけじゃなくてもってなるとよけいに。 藤津 僕もよっぽどのことがない限り、原作には手を出さないようにしてます。マンガ原作で原稿書くときに照らし合わせてアニメがどう工夫してるか確認したいときは買いますけど。それ以上のことをすると、大変なことになっちゃいます(笑)。 木村 原作はあんまりでもアニメになっておもしろくなる作品も多いですよね。『鬼滅の刃』はアニメになってさらにおもしろくなったと思います。 藤津 『鬼滅の刃』はアニメで跳ねましたね。原作は、連載当初はそこまでバカ売れしていたわけではなかった印象です。 ──木村さんは、異世界転生モノ以外だと、最近気になるジャンルは? 木村 やっぱりSFモノが好きですね。あと、キャラ萌えしない系が好きかな。好きな方向のキャラはありますが、この声優さんだからほかの作品を観ようとか、トークライブに行こうとかはできてないですね(笑)。 藤津 そっちはそっちで沼ですからね(笑)。SFモノが好きというのは世代的なところもありますよね。当時、映画『スター・ウォーズ』が流行っていましたし。1970年代後半から1980年代初頭に多感な時期だった世代は、SF好きが多いと思います。 木村 僕はもう50歳超えてるんですけど、こういう年齢になっても、アニメを観てられるような時代になったのはよかったと思います。音楽でもナイトクラブのような場所で最先端音楽をやってられますし。先日ナイトクラブでDJしていたら20歳ぐらいの女の子に「コウさんっていくつなんですか?」と言われて。すでにアラフィフですらないし、アラカンだけど微妙な感じで、だから「四捨五入して100歳」と伝えるようにしてますけど(笑)。 藤津 僕も、もうまわりが若いと、ひとりで平均年齢上げてると思っちゃいますよね(笑)。1960年前後生まれの人たちが、アニメを観るのが自然な最初の世代なんです。わかりやすくいうと庵野秀明監督とか、今上天皇と同世代で、子供のころ買ってもらった本が『図解 怪獣図鑑』(1967年/秋田書店)みたいな世代ですね。1963年に本格的テレビアニメ第1号の『鉄腕アトム』が放送開始なんですが、そこからテレビアニメや特撮番組が作られていく過程で、彼らが一緒に年齢を重ねていきます。そして、この人たちが大学生になるタイミングで『ガンダム』が来る。彼らが視聴者・ファンの中核を形成して、アニメを観る年齢を少しずつ上げていってくれてるんです。 木村 それはありがたいですよね。ここ数年、エヴァをやっている鷺巣詩郎(※さぎす・しろう/音楽家:『エヴァンゲリオン』シリーズ全作のアニメ音楽、映画『あぶない刑事』や『シン・ゴジラ』などあらゆる映像音楽を手がける)さんの音楽を、今時のダンスミュージックにするという仕事をやってます。余談ですけど、鷺巣さんは実際に特撮のスタジオにいることで作曲をすることになった、という話を伺いました。 藤津 鷺巣さんは『マグマ大使』(1967〜1968年)などを作っていた、ピープロ(※日本のテレビアニメ・テレビ番組・特殊映像の製作会社「株式会社ピー・プロダクション」)の社長(うしおそうじ)さんの息子さんなんですよね。 木村 だから小学生のころからスタジオで手伝いをしていたみたいですね。「みんな人生のターニングポイントあると思うけどいつ?」という話になったんだけど、鷺巣さんは「生まれたときがターニングポイントでした」っておっしゃっていて(笑)。すごいな、時代を作ってきた人だなと。 リアリティと丁寧さが求められるアニメ ──作品のジャンルはもちろん、アニメ音楽もどんどん変わってきてますよね? 木村 最近のアニメはレコード会社が推してるアーティストをアニメに入れ込もうと、少し製作委員会っぽい匂いがしますよね。20年ぐらい前の『交響詩篇エウレカセブン』(2005〜2006年)だと、京田知己監督や脚本家・佐藤大さんがダンスミュージック好きで、作品の中でテクノを流して注目されてたんですよね。僕も1曲だけ作らせてもらったんですが、のちに映画版を作る際は「アニメ具合がいろいろと変わって、自分がかけたい音楽を作中でかけられなくなった」と監督から聞きました。 藤津 『エウレカセブン』の全音楽を集めたCDが販売されてますが、テクノしか入ってないディスクもありますからね。 木村 作中に代々木公園みたいな場所でDJパーティーをやるシーンがあるんですけど、実際にそういうイベント(※1998年より代々木公園で開催されている野外フリーフェス『春風』)があって、現実とリンクしてるんです。 藤津 僕は『エウレカセブン』を何回か取材をしてるんですけど、公園のシーンは「明け方までみんなで騒いだあと、、ダルダルになっている空気の中で曲がかかってる」というイメージで作られているそうなんですよ。 木村 とりあえずその場でヘラヘラ動いてると楽しくなってくるみたいなシーンで、まさに実際もそうですし、リアルでとてもいいシーンでした。最近、DJアニメがたくさん出てきてますが、少しリアルから離れているかなと。「このグルーヴが〜」とか「バイブスが〜」とか実際は言わないですから(笑)。 藤津 (笑)。そういう意味ではDJがキャラ化したんですかね。「こういうことを言ってそう」みたいなね。ほんと音楽系のアニメ増えましたよね。 木村 最近はアニソン音楽にいろんなシーンの方が入ってきて、話題にはなりますけど、定番のアニソンが懐かしくてたまに聴きたくなってしまいますよね。 ──木村さんは本当に多くの作品を観られていますが、好きな監督の作品はあるんですか? 木村 そこはあまり関係なく観ています。逆に製作会社のほうが気になります。でも、基本的にはそういうのには縛られずになんでもチェックするようにしてます。SF以外だと、たとえば『君に届け』(2009〜2010年)はよかったですね。『四月は君の嘘』(2014〜2015年)や、最近では『わたしの幸せな結婚』(2023年)もストーリーがいいなと。『わたしの幸せな結婚』といえば、友達がフランス人の女性と結婚したんだけど、奥さんが『わたしの幸せな結婚』が好きなんですって。「Crunchyroll」(※海外の定額制ネット配信サービス)があるから、日本の最新アニメを観られるみたいで。普通に『SPY×FAMILY』(第1期:2022年、第2期:2023年)がいいとか、『モブサイコ100』(2018年)がいいとか言ってて、アニメの話をしているんです。改めて世界でアニメが流行ってるんだなと実感しました。 藤津 2015年ころから配信ビジネスが世界的に拡大して、日本のアニメがほぼ時間差なしで海外に届くようになったんですよね。以前は、海外のアニメファンはすぐには日本の作品を観られなかったので「日本でこういう新作アニメがあるらしい」という情報だけあって、そこを海賊版が補ってたんです。 木村 だから古いアニメとかだと、外国語字幕がついてるものがあるんですね。 藤津 80年代から海外では供給と需要のギャップがずっとあったのが、配信ビジネスでかなり解消されて、世界の配信会社に大量のアニメが売れていて。だから、現在アニメが活況なんです。たとえば『転生したらスライムだった件』(第1期:2018年、第2期:2021年)なども北米ですごい人気があるんですよ。その売り上げが次の作品の費用になるので、作品が増えていく仕組みになってるんですね。 木村 『ジャンプ』も「MANGA Plus」(※海外向けマンガ誌アプリ)で読めるようになりましたもんね。それぐらい海外では流行ってますからね。 藤津 アニメが売れると原作が紙で売れる。『NARUTO -ナルト-』(原作:岸本斉史)がまさにそのパターン。だけど今、出版社は「MANGA Plus」で英語でも読めるようにして、おそらくは最初のタッチポイントをマンガに切り替えたいと思ってるんです。その後にアニメが人気になったほうが出版社にとってはうれしいわけで。今、アニメビジネスは転換期だなと思っています。 木村 本当にそうですよね。 藤津 僕は大学で20歳ぐらいの学生にアニメ産業の歴史を教えているんですが、彼らは子供のころから動画共有サイトが当たり前で、中学生ぐらいからは配信サイトが主流になってる。テレビを観る習慣がない子ばっかりなわけですよ。「君たちはこれが当たり前だと思ってるかもだけど、この10年ぐらいで急激に起きたことで、このあとまだどうなるかわからない。今がめちゃくちゃ過渡期だよ」という話をしてます。テレビという柱がしっかりあって、そこにいろんな枝がついてるという状況じゃなくなったんです。テレビ局も放送外収入を求められる時代で、もっと積極的にアニメにコミットして自社の収入として入れられるように各社動いてる感じですよね。だから、地上波でアニメの枠が増えてるのは、視聴率が取れるからではないんですよね。この作品にコミットして長く運用していくとか、何回か続けているうちにそのうち大当たりが出るかも、という期待なんですよね。 木村 先行投資みたいなもんですよね。 藤津 それこそテレビ朝日だと「NUMAnimation」(※2020年から“沼落ち”をコンセプトに設けられた深夜アニメ枠)がありますよね。おそらく『ユーリ!!! on ICE』(2016年)が大ヒットしたことを機に、設けられた枠なんだと思います。 木村 『ユーリ!!! on ICE』は、おもしろかったですよね。 藤津 フィギュアスケートをあそこまでアニメで描くのはすごい。フィギュアスケートを全12話で描く上で3回は大きい試合がないとダメだろうと僕は思ってたんですよ、練習シーンを除いて。それをやりきれるの?って思っていたら、『ユーリ!!! on ICE』はやりきりましたね。ただ大変なのは、ビジュアル表現含めそういうふうに、「すごいことをやった」のが、その後のアニメの当たり前になっていくのは、ファンとしてはうれしいけど、同時に大変そうで。たとえば『黒子のバスケ』(2012〜2015年)とかも『SLAM DUNK』(1993〜1996年)よりも遥かに丁寧にバスケシーンが描かれるようになっているわけで、アニメの現場は大変そうだなと思います。 木村 2003年、『LAST EXILE』のころからやたらキレイな絵が出てきて驚いきました。キレイな絵だとより引き込まれやすい傾向はありますよね。 藤津 インパクトがありますからね。この間、大学生の息子に『呪術廻戦』(MBS/TBS系)の渋谷でのバトルの絵がすごかったから「観て!」って言われましたよ。家族がよく使う渋谷駅も出てるからって。そのシーンだけ見せられましたよ(笑)。 木村 それでいうと、聖地巡礼が『らき☆すた』(2007年)や『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)のときから一般的になりましたよね。聖地を巡ることを考えて作られてるなって思うこともあります。実家(岐阜県大垣市)の近くが『聲の形』(2016年)の聖地なんですけど、まさにここで遊んでたなっていうシーンがあって。 藤津 親水公園みたいなところ出てきますよね。 木村 自分も『灼眼のシャナ』(2005〜2006年)の聖地・大宮や『らき☆すた』の聖地は行きたいって思って行ってしまいました。『ノエイン もうひとりの君へ』(2005〜2006年)のために函館まで行って、「本当にハリストス正教会がある!」って興奮しました(笑)。 藤津 それはすごいですね(笑)! 2000年代に入って、アニメでもロケハンするのが当たり前になったんです。最終的に書く風景は架空でも、想像で描くより実際にその土地の街路樹や古い建物の古び方を見て、街の雰囲気から丁寧に作るとアニメのリアリティが増すんです。あと厳密にいうと、シナリオハンティングにも少し近いものでもあります。こういう空間があるなら、こういうシーンに使えるとかを見つけたり。あと、デジカメのおかげで資料写真を大量に手に入れられるようになり、場合によっては、撮ってきた写真をそのまま画面の中に反映することも増えました。 木村 リアルと重なるとやっぱり視聴者として、現実で見つけるとうれしいですもんね。田園調布に行ったとき『フルーツバスケット』(2001年)のシーンがあってうれしかったですし。 藤津 実写や映画のロケ地と違うのは、アニメの聖地巡礼に行くと二重映しになるんですよ。拡張現実じゃないですけど、実写だと「ここだな」で終わるんですが、アニメだと「ここが実際の風景で、アニメだとこうなってるのか」に加えて、そこにさらにキャラクターが重なって見えてきて、いろんなレイヤーが重なる感じが楽しいところなんですよね。 木村 現実世界では年月が経っていても、アニメの中だと描かれた時代の景色に一瞬で戻ることができるのもいいですよね。 藤津 原恵一監督の『カラフル』(2010年)という映画は、再開発中だった二子玉川が舞台なんです。だから今はもうない景色なんだけれど、映画の中には作ってる最中の工事現場が残ってるという。当時、そのあたりを車で通ったときに「ああああ! 『カラフル』に出てきた交差点だ!」と驚きましたもん。 木村 たしかに土地を見たら、作品がパッと浮かぶというか。本当におもしろいですよね。 10月クールアニメの注目作は? ──ここまでにいろんな作品が出てきましたが、現在放送中の10月クールの作品も魅力的な作品が多いですよね。 木村 『葬送のフリーレン』(日本テレビ系)が話題になってましたが、ほかに話題になってるものってどの作品なんですか? 藤津 まわりで出来栄えがいいよね、と話題になっているのは『オーバーテイク!』(TOKYO MXほか)ですね。 木村 『オーバーテイク!』はおもしろいですよね! 藤津 この作品はオリジナルなので期待が高いというか。 木村 僕はF1が好きなので観ちゃいますね。これ原作ないんですか? 藤津 ないんですよ。取材してゼロから作ってるので、観てる側も先の展開もわからないから新鮮ですよね。大変そうなレースシーンもとても丁寧に作っていて、すごいなと思います。あとは『薬屋のひとりごと』(日本テレビ系)ですね。ちょっとミステリーっぽい謎解き要素もあって。 木村 初回はスペシャルで90分ほどありましたよね。初回90分放送は『【推しの子】』(2023年4〜6月/TOKYO MXほか)のときからやってますし、『葬送のフリーレン』もそうでしたが、番組サイドが推したいからなんですかね? 藤津 狙って初回ロング放送にしてる作品もあると思います。『【推しの子】』は序盤のストーリーをまとめて観てもらったほうが、その後の新展開に入っていきやすいので、まとめて放送したのかなと思います。物語のセッティングとしてまずはここまで観てほしい、と。『金曜ロードショー』枠で放送した『葬送のフリーレン』は狙ってると思います。できるなら『鬼滅の刃』ぐらい大きく育てていきたいという期待があってのことだと思います。 木村 ヒットが出たらアニメの主題歌は儲かったりするみたいで。僕の知り合いが某アニメの主題歌を作ってるんですが「コウくん、アニメって儲かるね(※小声で)」って(笑)。シリーズものだったんだけど、シリーズ1で家が建ったと言ってました。僕はお金儲けというより、とにかくアニメが好きなのでアニメの仕事はいつもやりたいなと思っているんですが、仕事じゃなくて趣味としてやりたい。アニソンDJをやればと言われることもあるけど自分の手の内を見られてる感じがして。「ああ、こういうの好きなんだ……」とオタクの人に超上から目線で見られる気がして恥ずかしくてできません(笑)。けど、アニメには何かで参加したいです。 ──このあとの展開において、期待値が高い作品はどれでしょうか? 木村 『アンダーニンジャ』(TBS)はどうなるんだろうって、気になりますね。だんだん話がつながってきたけど、最終的に何が目的かまだわからないからよけい気になります。 藤津 あれは、どうなるんでしょうね(笑)? 『アンダーニンジャ』の笑いはけっこうオフビートじゃないですか(笑)。深夜アニメの中ではけっこう攻めてる企画だなって思います。あと、想像よりずっとジャンプっぽくておもしろいなと思ったのは『アンデッドアンラック』(MBS/TBS系)。 木村 キャラも含めてジャンプっぽいですよね。やっぱりジャンプ作品は外さないというか。 藤津 設定がかなり変なのにツボを押さえてあるのと、「ナンバリングされてる幹部と次々戦っていく」という展開に持ち込むあたりがいかにもジャンプで。そういう外枠がしっかりしているからキャラクターも楽しめるし。あとカラーの違いでいうと、『SHY』(テレビ東京系)もおもしろい。これは『(週刊少年)チャンピオン』(秋田書店)なんですよね。ジャンプでスーパーヒーローを日本版にアレンジすると『僕のヒーローアカデミア』(2016〜2023年)なんだけど、チャンピオンだと『SHY』なんだなって。 木村 たしかに! チャンピオンや『(週刊少年)サンデー』になるとヒーロー像が変わってきますもんね。それでいうと『NARUTO』もヒットしましたよね。DJしてると、DJブースの向こうから携帯画面を見せてきて曲のリクエストをしてくる人がいるんですが、海外で、この10年ぐらい「NARUTO」って文字をタイプして、「お前、日本人ならNARUTO知ってるだろ?」ってアピってくる人が増えたんです。 藤津 10年前ぐらいかな、動画投稿サイトとか見てると『NARUTO』の走り方をマネをしてるアメリカの若者がけっこういるんですよ。そこまで普通に伝わってるんだって思いましたけど。80年代にビデオが海外にも流通することになり、日本アニメにもおもしろい作品があるぞ、とアメリカの業界内で話題になるんです。『トイ・ストーリー』(1995年)のジョン・ラセターとかも、1980年代初頭に、宮崎駿監督の存在を知ってたんですよ。だから『となりのトトロ』(1988年)の制作段階で、ジョン・ラセターはジブリを訪ねてるんですよ。『広島国際アニメーションフェスティバル』に自分の初期のCG『レッズ・ドリーム』(1987年/ピクサー・アニメーション・スタジオが制作した短編アニメ)を持ってくるときだと思うんですが「ジブリに行きたい」と、尋ねてたと。その流れで『AKIRA』(1988年)とか『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)とか、向こうの一般的な人たちは知らないけど、“ミュージシャンズ・ミュージシャン”的にマニアックな人たちは知っているという。 木村 海外の人は『攻殻機動隊』系のジャンル好きですもんね。それこそウォシャウスキー兄弟監督の映画『マトリックス』(1999年)を観たときに「そのまんまやってるな」って思いました(笑)。 藤津 グリーンの文字でちょっとずつ決まるタイトルバックとか、『攻殻機動隊』の雰囲気を自己流にうまく持っていった感じですよね。話は逸れましたが、10月クール作品がほかにも……。 木村 『はめつのおうこく』(MBS/TBS系)もおもしろかったですね。 藤津 おお、僕はまだチェックしきれてないですね。いや、全然話が尽きないですね(笑)。 木村 毎クール、話をしたいぐらいです(笑)。本当にアニメは心を豊かにしてくれます。 撮影=服部健太郎 取材・文・編集=宇田川佳奈枝
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気づいたら“天才子役”と呼ばれていた 壁を乗り越え手にした美山加恋の “ふたつの武器”
美山加恋 1996年12月12日生まれ、東京都出身。2002年に子役デビューを果たし、ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ)で一躍脚光を集めると、ドラマ『ちびまる子ちゃん』シリーズ(フジテレビ)や『受付のジョー』(日本テレビ)など数々の作品に出演。ドラマ、映画のほかミュージカル『ピーター・パン』や舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』にも出演して話題に。また、テレビアニメ『キラキラ☆プリキュアアラモード』、『アイカツ!』シリーズ、映画『かがみの孤城』など声優としても活躍。現在、ドラマL『around1/4(アラウンドクォーター)』(ABCテレビ)にヒロイン・平田早苗役で出演中。 2002年に子役デビューを果たし、一度も活動を止めることなくドラマ、映画、舞台、声優とシーンを問わず活躍し続けてきた。子役としてのイメージが強かったが、2022年に俳優20周年を迎え、大人の女性としてさらに経験を積み重ね次なるフェーズへと踏み出している。そんな彼女が2023年夏、新たに挑戦するのが“25歳の壁”を描く恋愛群像劇『around1/4(アラウンドクォーター)』。赤裸々なテーマをもとにした本作で同年代ヒロインを演じることへの覚悟や想い、そしてこれまでの“俳優・美山加恋”の人生を振り返ってもらった。 目次偶然が重なりスタートした芸能活動“新しい自分探し”苦悩と葛藤を抱えた10代幻のように過ぎた撮影は忘れられない“青春”「楽しまないともったいない」と思えるようになった20代 偶然が重なりスタートした芸能活動 ──去年デビュー20周年を迎えられましたが、ご心境はどうですか? 美山 私にとっては、芸能活動が人生そのものなんですよね。だから「やっと」とか「長かった」とか、そういうのではなくて。「またひとつ大人になったな」という感覚ですね(笑)。 ──たしかに、デビューが5歳ですからね。 美山 私がこの世界に入ったのは、偶然だったんです。マンガ雑誌『ちゃお』(小学館)を読んでいたら、たまたま芸能事務所のレッスン生募集の広告を見つけて、お母さんが前の事務所に入れてくれました。そのときは「映像に出たい」とか「舞台に出たい」と考えてはいなかったんですけど、偶然オーディションがあって、偶然受けたら偶然合格して、偶然デビューできた感じで。 ──偶然が重なって気づいたら女優になっていた、と。 美山 流れに身を任せたスタートでした。ちゃんとお仕事をするようになった最初のターニングポイントでいうと……やっぱり2004年にフジテレビで放送された『僕と彼女と彼女の生きる道』は大きかったなと思います。 ──最高視聴率が27.1%の大ヒットドラマですからね。オーディションのことは覚えていますか? 美山 オーディションを受けに行く話をしたとき、女優の賀来千香子さんに「あなたなら絶対にこの役を取れるから、がんばってきなさい」と言われたのをすごく覚えています。そこでスイッチが入ったんですよね。賀来さんの言葉を信じて、自分なりにがんばったら、本当に合格をいただきました。 ──主演は草彅剛さんで、その娘の小柳凛役に大抜擢されましたが、これがいかにすごいことかっていうのは、幼いながらに感じていました? 美山 そのころ、あまりテレビを観ていなかったので、私自身は事の大きさをちゃんとは理解できていなかったです。それでも国民が愛するSMAPの草彅さん(演じる小柳徹朗)の娘役ということで、「これはとんでもないことなんだよ!」とまわりの方から言われたのは覚えています。ちなみに去年、ABEMAで放送されている、新しい地図さんの番組『7.2 新しい別の窓』に出させていただいて、約6年ぶりに草彅さんと再会したんですよ。「25歳になりました」と伝えたら「大人になったね。でも、加恋はあのころから大人だったよね。落ち着いていたよ」と言っていただきました。 ──じゃあ、年齢以上に大人っぽかったんですね。 美山 話している内容が大人だったみたいですね。あと、細かくは覚えていないですけど、草彅さんがセリフを忘れていたら、私がそのセリフを教えてあげるとか、そんなことをしていたらしいです(笑)。 ──素晴らしいですね! そのときは何歳ですか? 美山 5歳から7歳の間に作品を撮っていたので、小学1、2年生ですかね。 ──世間では“天才子役”といわれていましたけど、美山さん自身はその自覚がなかったとか。 美山 そうなんです(笑)。学校に行ったら上級生の子から「加恋ちゃん、芸能活動をしてるんだね!」と言われて、「誰から聞いたんだろう?」ぐらいの感じでしたね。 ──不思議に感じてることが、逆に不思議ですよ(笑)。 美山 そもそも、自分がテレビに出ている認識がその当時はなくて。初めて「自分はテレビに出ているんだ」と思ったのが『めざましテレビ』(フジテレビ)の占いコーナー。1位は射手座とか書いてあるじゃないですか。なぜか、そこに私の顔が映ってたんですよ(笑)。毎朝、学校へ行く前に『めざましテレビ』の占いコーナーを観ていたので、「え、私がテレビに出てる!」みたいな。初めての衝撃でしたし、逆にそれぐらいテレビを観ていなかったんです。だから自分が“天才子役”といっていただいていたのも、当時は認識していなくて。そういうのって、あとあと気づくんですよね。 ──小学生のころには「このまま私は女優をやっていくんだ」と考えていました? 美山 いえ、考えていなかったです。将来の夢を書く授業があって、そこにはパティシエとか飛行機の操縦士と書いていました。 ──まわりから「いやいや、女優でやっていきなよ!」とは言われなかった? 美山 言われなかったです(笑)。お母さんからは「無理はしないでね、いつ辞めてもいいんだからね」とずっと言われていたので、そんなに女優を意識していなかったです。それに職業として認識できていなかったので、楽しい習い事の延長というか「今日も現場へ行くのうれしいな!」と思っていました。 “新しい自分探し”苦悩と葛藤を抱えた10代 ──中学生になって、徐々にお仕事が落ち着いたことで、冷静に将来のことを考えたそうですね。 美山 学校で過ごすことも、友達といる時間もすごく増えまして。「こういう過ごし方もあるのか」と、そこで初めて普通の学生生活を知りました。それが、すごく楽しかったんですよね。一方で、このままお仕事をしなかったら、私は女優の仕事をやらなくなってしまうのかな?と初めて不安になったんです。「このままでいいのかな?」って。不安になるってことは、やっぱり“お芝居が好きで現場が好き”ということだから、学校も楽しいけど仕事もがんばらなきゃ!と自分を見つめ直しました。 ──それで学校も仕事も大事にしたいと。 美山 学校生活も楽しかったですけど、現場にいる楽しさとは全然違うからこそ、どちらかひとつに絞ることができなかったです。「女優という居場所をなくしたくない」と思っていたので、取り残されないように必死でしたね。常に未来のことを想像して、そのたびに不安になって、というのを繰り返していました。そうはいっても、先のことを考えてもわからないことばかりなんです。どんな仕事が来るのかもわからないし、いつ自分がテレビに映れるのかもわからない。運もすごく必要な職業なので、想像したって全部が思いどおりにいくことなんてないんだな、と心で覚悟していても、やっぱり不安が出てくる。 ──そんな苦悩と葛藤を中学生で抱えて……。 美山 一回でも仕事を辞めてしまったら、もう戻れないだろうな、と感じていたので、活動を途切れさせたくなかったです。だけど久々に現場に戻ったときは、すごく怖かったんですよ。「私は女優でいいのかな?」みたいな。「お芝居するのは久しぶりだけど、私のお芝居は合っているんだろうか?」と不安を感じたときがあって。でも、そこで「諦めよう」じゃなかったんですよね。「お芝居は辞めちゃいけない」「続けなくちゃいけない」と思ったのを覚えています。 ──そこまで追い込まれていたのは、どうしてだったんですかね? 美山 いろいろとタイミングが重なったんですよね。それまでは子役として、お母さんと一緒に台本を読んで教えてもらっていたし、レギュラー出演のドラマがわりと多くて。ずっと同じスタッフさんと仕事をしていたので、ドラマの現場をホームのように感じていたんです。だけど、中学生になったころから、レギュラー番組よりもゲスト出演が増えて。自分ひとりで台本を読んでお芝居を考えるようになったことで、急に独りになった感覚に襲われました。「独りぼっちで、この世界と戦わなくちゃいけないんだ」と思ったんです。そうすると、この世界に私のお芝居は通用するんだろうか?とわからなくなってしまって。ちょうど仕事が減ってきたときと、不安を抱えたタイミングがばっちりハマったんです。 ──その不安はどのように脱したんですか。 美山 “自分の形”みたいなものを、自ら決めているつもりはなかったんですけど、どこか決められているような感覚になっていて。高校生のころに「この殻を破らないと、新しい自分を見てもらえないな」と思いました。そこから18歳のときに、歌ったことも踊ったこともなかったけど、ミュージカルに挑戦したりとか、同時に2.5次元がちょうど流行り出したころに、ご縁があって舞台『「終わりのセラフ」The Musical』に出させていただいたりして。なんといっても、声優さんとお仕事をご一緒する機会が増えたんですね。それまで声優さんが舞台に出られるイメージがなかったんですけど、「声優さんは舞台にも出るんだ!」と衝撃を受けて。「私も声優さんみたいに、自分のイメージ以外の役も幅広く演じられるようになりたい」と思った矢先に、アニメ『エンドライド』が決まったので、自分の中ではすごくつながっている数年でしたね。 ──舞台といえば、『ハリー・ポッターと呪いの子』で嘆きのマートル役とデルフィー役を演じられて大きな話題になりましたね。しかも、マネージャーさんが「うちの美山はすごいんです!」とまわりの関係者に言っていたとか。 美山 自己肯定感が爆上がりですね、本当に! 一同 (笑)。 ──何がそう思わせたんですか? マネージャー 映画のイメージが強い役ですし、体力的にも大変な役なのに、軽々とやってみせるからよけいにすごいと思ったんですよね。舞台で見ると、すごく大きく見えました。 ──最も身近な方のそういう言葉が、自分の成長を感じられますよね。 美山 そうなんですよね。あまり自分で自己肯定感上げることができないので、すごく助かっています。 幻のように過ぎた撮影は忘れられない“青春” ──『ハリー・ポッター』のご出演も驚いたんですけど、現在放送中のドラマL『around1/4 (アラウンドクォーター)』でヒロイン・平田早苗役を演じることも驚いたし、覚悟が必要だったのかなと思って。 美山 あ、そうですか? 私は「ありがとうございます!」と思って、すぐにお受けしました。1年みっちり『ハリー・ポッター』をやってきて、久々のドラマ出演であること、しかもヒロインを私に任せていただけるのも、すごくうれしかったです。恋愛モノをやらせていただけることも、みなさんが私を信頼してくださっているのかなと思えて、そういう意味でもうれしかったです。 ──原作をお読みになって、どんな印象を持ちましたか? 美山 原作は縦スクロールマンガなのもあって、メインで登場する5人の日常がテンポよく進んでいくので、とても読みやすかったです。私が演じる早苗は、SEXを含め恋愛に苦手意識を持っていて、なかなか心を開くことができないけど、明るく生きている淡白な性格の女性なんですね。それを映像でどう落とし込んでいこうかな、と原作を読みながらいろいろと考えていました。 ──早苗を演じる上で、心がけたことはなんでしょうか? 美山 早苗の話は、かつてのバイト仲間だった新田康祐(佐藤大樹)との関わりが主軸にあるんですけど、いい意味で康祐と早苗は似ているようで対照的な部分もあって。とにかくすごく素直なんですよ。起こった物事に対して全力で向き合う。そのたびに叫んだり号泣したり、ボロボロになりながら25歳を全力で生きてるな、と思うシーンが多いです。だからこそ、あまり深くは考えずに、目の前で起こる出来事に対して毎回素直に反応できるようにしよう、と心がけていました。 ──主演を務める佐藤大樹さんの印象や人柄は、どのように感じました? 美山 FANTASTICS from EXILE TRIBEというグループでリーダーをされているからか、出演者やスタッフの結束力を高めて、現場を盛り上げるのがすごく上手なんです。だから私も安心して現場にいられましたし、とにかくみんなが笑っていましたね。それは佐藤さんがみんなとのコミュニケーションを大事にしてくださったから、現場もリラックスした雰囲気に包まれました。あと積極的に宣伝をしている姿は、私も見習いたいと思いました。目標を持たれて、それを口に出してくださる方なので、そういうのもチームとしてはすごく助けになるんですよね。「佐藤さんについていこう」と思えるので、本当に素敵な座長でしたね。 ──すでにクランクアップをされているそうですが、撮影を振り返っていかがですか? 美山 20日間ほどで全10話を撮影したので、なんか幻のようにも感じていて(笑)。本当に撮り終えたんだっけ?と思うくらい、あっという間に過ぎ去ったんですけど、一日一日がすごく濃かったんですね。今でもその日に何を撮って、どこで撮影して、どんなシーンがあって、監督とどんな話をしたのか鮮明に思い出せるほど、濃い撮影期間でした。なんか……青春だったなと思えるというか、1シーンごとに思い出が詰まっているので、本当に素敵な時間を過ごさせていただきました。 「楽しまないともったいない」と思えるようになった20代 ──変化球の質問ですけど、撮影を振り返って「このときの自分はゾーンに入っていたな」と思うシーンはどこでしょう? 美山 早苗の心がぐしゃぐしゃになっているシーンは、わりとゾーンに入ってましたね。高校時代から8年間、ずっと付き合っていた彼氏・林健太に振られるところから物語が始まるんですけど、早苗の中で健太に「つまらない」と言われたことが、いつまでも心に中でシコリのように残っているんです。それは、早苗が無理してでも行動を起こす原動力やきっかけにもなっているぐらいの出来事。健太に「つまらない」と言われて、うっぷんを晴らそうとサパークラブで大はしゃぎして、その結果後悔することになるんですけど、そのシーンは自己肯定感が爆下がりの早苗なんですね。おそらく10話の中で一番下がるシーンというか。そのときに康祐を誘って拒否されて「あ……私はまたダメだったんだ」と落ちるところまで落ちるシーンは本当にしんどかったですね。しかも長回しのオンパレードで、現場の温度も暑くて、わりと時間をかけて撮ったので、次の日は目がパンパンになりました(笑)。 ──ずっと大号泣してますからね。 美山 ふふ、そうなんですよ。撮影後半から大事なシーンがすごく多かったので、康祐とのラストシーンは時間も日にちもかけて大切に撮りました。早苗と康祐のシーンは大変な撮影が多かったですけど、そのぶん素敵に編集していただいて、たくさんの人に見てもらえたらすベての苦労が浮かばれます(笑)。 ──健太が早苗を振った理由って、まだ自分に伸びしろがあると思っているから「もっといい子と出会えるかもしれない。だから、早苗との関係を切っておこう」と思ったわけですよね。でも年齢重ねると伸びしろよりも、今ある幸せをちゃんとつかまなきゃと思うものなんですけど、それは僕が25歳をとっくに卒業したからそう思うわけで。ぶっちゃけ10代は勢いのまま恋愛しちゃっていいし、30代以降は相手のためにも結婚を意識する。じゃあ、その間にある25歳の恋愛ってなんなんでしょうね? 美山 まさしく、健太に関しては自分に伸びしろを感じたんですよね。女性と男性でそこの価値観もちょっと違うというか、早苗的には将来のことも考えた結果、目の前の幸せをつかもうと決めていたんですけど、きっと健太とは人生のスパンが違ったのかなって。でも早苗も早苗で、このままではいけないと思ってる自分もいる。25歳の早苗はちょうど現実と理想の狭間にいるというか……なんなんですかね? どういう恋愛をしてたらいいのかわからなくなり、そこで葛藤する様子が早苗の話なのかな、と思います。 ──これまで数々の作品に出演されてきた美山さんの中で、『around1/4(アラウンドクォーター)』はどんな立ち位置の作品ですか。 美山 今、出会えたことがすごくうれしい作品です。等身大の女の子ですし、今だからこそできる役でもありますし。別の道で活躍してきた同世代のみんなとお芝居ができたのは、今後の活力にもつながります。インタビューの時点では第1話が放送されたばかりですけど、すごく映像がキレイで! 「毎週このクオリティでやるんだ」ということにも驚きました。スタッフさんの気合いも入った作品に、ヒロインとして関わることができたのは、本当に大きな財産だなと思います。 ──今回は、美山さんの女優人生を中心にお話を聞いてきましたが、改めてその時々で壁にぶち当たり、それを乗り越えて今があるんだと思いました。 美山 5歳のときにお芝居を始めて、小学5年生ぐらいからひとりで現場に行くようになり、台本もひとりで読むようになり「台本ってどう読むんだろう?」とか、お芝居の基礎を学びました。中学生になってからは、まわりの方からも“大人の世界に片足を突っ込んだ”と認識されるので、子役だけど子役じゃない時期に突入しました。そうすると、求められることがわりとわかるようになってきて、そこがひとつの壁だったのかもしれないですね。 ──お芝居が楽しむだけではなくなった。 美山 そうですね。「自分は何かを求められているのか」とぼんやり気づくようになって、「じゃあ私は何をしたらいいだろう」と“正解を探し始める道”へ歩き始めました。そこから「もっとお芝居うまくならなければ」とお芝居の研究ゾーンが始まって──だんだん自分の得意不得意がわかってきて「できないことをやれるようになりたい」と自分のいいところより、悪いところのほうに目が行ってしまう時期が始まりました。「こんな自分を変えなければ」という焦りが、高校生ぐらいで1回くるんです。みんな進路を考え出すじゃないですか。ぼんやり「このまま私は女優さんかな? 女優だろうな」って。じゃあ、続けていくには自分ができないことをできるようになったり「何か特技がなきゃいけない」と思い、自分の武器を探す時期に入って、そこがもうひとつの壁でした。“今までのお芝居”と“新しいアプローチ”というふたつの武器を同時に使えたらいいんじゃないか、と思って声優さんのお仕事もやるようになって。そこから壁というより、楽しみ方がわかるようになってきたんです。しかも、自分のいいところにも目を向けられるようになった。「結局、楽しまないともったいない」と考えられるようになってきて、今に至ります。 ──今は生きやすくなっているし、自らそうしてきたんですね。 美山 そうなんです! 最大限の楽しみを持って、お芝居をやりたいと思えるようになりました。 『around1/4(アラウンドクォーター)』 毎週土曜深夜2時30分〜(テレビ朝日)/毎週日曜夜11時55分〜(ABCテレビ) ※ABCテレビ放送後TVer /ABEMAで見逃し配信 【出演】佐藤大樹(EXILE/FANTASTICS)、美山加恋、工藤遥、松岡広大、曽田陵介、藤森慎吾(オリエンタルラジオ)、平岡祐太 ほか 取材・文=真貝 聡 撮影=友野 雄 編集=宇田川佳奈枝 ヘアメイク=関東沙織 スタイリスト=椎名倉平
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誰しも愛せる魅力がある──漫画家としての文野紋を作り上げた作品たち
文野 紋 (ふみの・あや)漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月、『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で『ミューズの真髄』を連載スタート。単行本『ミューズの真髄』1巻&2巻は重版がしており、3月10日には最終3巻が発売された。 『logirl』記事コンテンツのコラム連載として、ドキュメンタリーへの愛を語っている漫画家・文野紋。今年3月に美大受験をテーマにした『ミューズの真髄』最終3巻が発売され、作品は完結を迎えた。そこで、彼女が『ミューズの真髄』を描くきっかけや漫画家となった経緯、また、並々ならぬ“ドキュメンタリー愛”を持つ理由など、話を聞いた。 目次『ミューズの真髄』キャラクター紹介いまだに夢に出てくる、美大浪人時代作品の大きなテーマは“承認” 部屋はギャップを描く大切な場所あふれ出るドキュメンタリーへの愛 『ミューズの真髄』キャラクター紹介 瀬野美優(せの・みゆう)一般企業に勤める23歳事務職。美大受験に失敗してから5年間、大好きな絵を描くことを諦め、母親の敷いたレールの上で生きてきた。合コンで鍋島に出会い、再び絵を描くことを決意し家を飛び出すのだが……。 鍋島海里(なべしま・かいり) 広告代理店勤務。美優とは合コンで知り合い意気投合するが、心ない言葉で傷つけてしまう。 月岡未来(つきおか・みらい) 東京藝術大学に通う学生。東中野美術予備校で油絵科夜間部講師のアルバイトをしており、美優のクラスを受け持つ。 龍円草太(りゅうえん・そうた)高円寺のバーの店主。家出をして行き場のない美優に、救いの手を差し伸べる。 いまだに夢に出てくる、美大浪人時代 ──『ミューズの真髄』が全3巻で完結となりました。美大受験をテーマにしたこの作品を描いたきっかけを教えてください。 文野 そもそも私が美大浪人を経験していまして、結局は美大に行けなかったんですけど……そのころの夢をいまだに見るんです。あまりにも何度も夢を見るので、これは何かかたちにしたほうがいいのかなと思っていて。ちょうど『月刊コミックビーム』の編集さんから連載をしませんか、と声をかけていただいていたので、この題材を選んで描きました。 ──どんな夢ですか? 文野 今の私が美大予備校に通っていて、マンガを描きながら受験とかできるのかな……と悩んでいたり、予備校講師の先生に「仕事は辞めたくないんですけど」と相談しながら受験をしたりする夢を見ます。 ──なるほど。『ミューズの真髄』は3巻で完結しましたけど、もともと青図として描いていたストーリーどおりに進みました? 文野 当初は美優がもう少し、いわゆるマンガ的なハッピーエンドになるようなかたちを想定していたんですけど、美優がキャラクターとして動いていくなかで、その終わり方だとちょっとわだかまりが残るかもしれないなと感じたので、一番最初の想定と比べると、ラストはけっこう変わっていきましたね。 ──マンガ的なハッピーエンドというと、美大に合格するということですか? 文野 もともと東京藝術大学には合格できないイメージはあったので、第2志望の地方公立の美大に受かるとか。そういう結末を当初は考えていました。ただ、2巻ラストで美優が髪型を憧れの月岡さんに寄せるというシーンで、これはすごい展開になるのかな?と思って、美優なりのハッピーエンドにしようと決めました。 ──その月岡さんに憧れて髪型を変えてピアスを開けるというアイデアは、月岡さんを描いていくなかで出てきたのですか? 文野 まだこの作品が何巻で完結とかも決まっていないとき、美優と月岡さんを軸にしたストーリーを考えていたので、月岡さんとのエピソードではいくつかやりたいことがあったんです。その中のひとつが(美優が月岡に)容姿を寄せることで。結果、物語の中で美優がそれを選択するシーンを描きました。 ──読者は途中で、月岡さんが実は浪人を重ねていることを知りますが、最初からそういう設定にしていたんですね。美優にはご自分を投影している部分もあるかと思うのですが、美優の人物造形のモデルがもしいたら教えてください。 文野 美優については、特定のこの人というのはなくて。自分と一緒に浪人していた仲間の話を参考にさせてもらいながら、自分の経験とをつなぎ合わせたキャラクターです。 作品の大きなテーマは“承認” ──どの登場人物も他人から承認されるとか、自分で自分自身を承認するとか、何かを認める/認められるみたいなものがテーマとしてあるように感じられました。 文野 はい、それはすごく考えていました。多くの人が幼少期に、特に家族から承認される経験があるかないかが人格形成にものすごく関わると私は考えていて。それが得られなかった人の苦しみというのは、それを当然に得られている人からはわかりにくい。逆に得られなかった人はそれがわかりにくいってことがわからなくて暴走したことをしてしまう、というのが現実でもたくさんあるのかなと。 それは『ミューズの真髄』もそうですし、短編集『呪いと性春』も同じで、制作するにあたってすごく考えているテーマのひとつです。そういう承認の経験が乏しいキャラクターが、この作品だと“美術”っていう承認される/されないが漠然としている──たとえば100メートルを何秒で走ればいいとかそういう話ではない──そういうところに身を置いたときの話で。『ミューズの真髄』を書くにあたって、“承認”はすごく大事なテーマでした。 ──明確な基準があるわけではなくということですよね。実際に美優とお母さんとの関係に、そういうところがあるのかと。最初に読んでいたときは、なんとなく“毒親”的な印象を受けていたのですが、読んでいくにつれて、それを超えているというか、毒親でもないのかなという気もしてきました。 文野 子供の精神的な影響において、悪影響を及ぼしているという面では毒親だと思うんです。ただ、性格が悪いから毒親というわけではなく、そういう人物にもほとんどの場合は原因や理由があってそうなっていて。親子関係に関わらず、全部そうだと思っているんですけど。鍋島とかも。 ──たしかに、そういう意味では鍋島もそうですね。読者は美優が知らないであろう、鍋島の事情とかも知ることができますし。みんな何かしらバックボーンを持っているのは絶えず意識して描かれていたんですね。この鍋島のモデルはいるんですか? 文野 はい。もともと別の作品で古着について描こうと思っていたときに取材した方で、その方が「自分はUNIQLOの服を着るのが怖い」という話をされていたんです。なぜなら自分に自信がないから、その土壌に立つと、その勝負になってしまう。そういう理由で古着が好きみたいで。古着好きの人って一見するとオシャレで自分に自信がありそうって思うじゃないですか。明らかに都会的なイメージだけど、そこにある気持ちは傍から見るとわからなくて、実は自信がないからそういうトガった服を着ている人もいることを知りました。第一印象との違いがある人物はおもしろいなとずっと感じていて、今回『ミューズの真髄』でキャラクターとして入れられそうだったので、入れてみました。 ──龍円に関しても、裏設定を考えていたんでしょうか? 文野 一応考えてはいました。一度ネームを描いたことがあるんですけど、担当編集さんに相談したら「美優との関わりが薄いから、今のタイミングで入れるのはどうなんだろう」という話になって。たしかに鍋島と違って龍円の過去のエピソードは美優の人生に影響しないから、それを見せる必要はないかもしれない。美優と近い部分はあるかもしれないけど、龍円はまったく違う価値観で生きているから。 ──たしかに、読者からすると、龍円は最初はすごく協力的でいい人なのかなと思わせつつ、実はその場しのぎのドライな人だったりするので、「え?」と思うところもありました。美優の印象的なシーンとして、1巻の、お母さんとケンカをした夜にキャンバスを持って2階から飛び降りるシーンがありますが、あのシーンはどんなところから発想が生まれたんですか? 文野 イメージ的には、映画の予告であったらおもしろそうなシーンが1話の中に入っていたほうがいいなと思っていました。映画の予告編でキャンバスを持って飛び降りるシーンがあったら、ちょっとは観たいと思ってもらえるかなって。 部屋はギャップを描く大切な場所 ──文野さんはこの作品に限らず、登場人物の部屋の中をすごく描き込むというか、わりと雑然と描くことが多いと感じています。そこにもこだわりはあるんでしょうか? 文野 そうですね。部屋は、キャラクターを言葉ではない部分で説明するのにすごく適している場所だと思っています。鍋島と美優に関しては、今時の感じがあるけど実は……という少し心が複雑なキャラクターなので、そのギャップを描くのに部屋は表現しやすくて大切な場所です。 ──なるほど。月岡さんの部屋は、まさにちゃんと絵を描いている人の部屋だなと。 文野 生活部屋とアトリエが一体化しているイメージで、家具や食べ物、化粧道具よりも画材とか絵の道具がいっぱいある部屋です。美優が自分の部屋との違いを感じるシーンとして描きました。 ──文野さん自身が美大受験をしていたころは、どちらの部屋に近かったですか? 文野 自分はわりと雑然としてました……(笑)。そのころは実家から通っていたので、アトリエみたいにできなかったんですけど、美大生になったら月岡さんみたいな部屋にしたいなと考えてました。 ──そうなんですね。あと、この作品だけではないのですが、表現としてものすごい量のセリフを一気に描き込む場面がいくつか出てくるじゃないですか。どういう効果を狙って作っているコマなのかを伺えればと。 文野 美優や『呪いと性春』に出てくる女の子は、抜けている部分と妙に理屈っぽい部分が同居していて、それが生きづらさや、難しさの理由のひとつだと思うんです。そういう人たちが感情が高ぶったとき、長文でしゃべってくれるのが、私はすごく好きで。なので、抜けているのに理屈っぽいキャラクターの表現として使っています。 ──吹き出しにノイズを入れている場面もありますよね。 文野 あれはすごく長いセリフをしゃべっているのが、もはやBGMみたいな。読んでね、というセリフじゃなくてたくさんしゃべっているということが伝わってほしいなというときに使っています。 ──絵としての表現ということですね。一番印象に残っているシーン、好きなシーンはどのあたりですか? 文野 3巻の試験のシーンですね。マンガのキャラクターとはいえ、美優みたいな人はものすごく現実にいそうで、2巻のラストから美優を苦手に感じる読者もいると思うんです。主人公は基本的に好感度があって、正しいことをする人が多いですし。けど、美優はそうではなく、わりと間違ったことをしてきているというのが1、2巻のストーリーで。それを踏まえた上で、美優が出す決断をどうしたらいいのかと悩んでいて。いわゆる王道のハッピーエンドではないんですけど、美優がやってきたことに対して誠実な答えを出せたのかなと思うので気に入っています。 ──欲を言うなら、もうちょっとここを描き込みたい、描き加えたいなという箇所はありますか? 文野 エピソード的に足したいなと思うところは実はそんなになくて、3巻でキレイに完結できたなと感じています。ただ、もっとちゃんと伏線を張ればよかったなという部分はたくさんあります……。技術的な話になるんですけど、構図を描くときに手で窓を作ってのぞき込むっていうシーンが3巻にあって、この仕草は1巻から絶対描いておくべきだったよな……とか。 ──これから『ミューズの真髄』を読まれる方には、どういうところに注目してほしいですか。 文野 読んだ方に、ここまで才能がない凡人にフォーカスしてる作品は珍しいと言っていただくことがすごく多くて。そういう才能がないと悩んでいる人がいたら、ラストで美優が導き出した結論で何かを感じていただけると思うので、ぜひ読んでもらえたらと思います。 SNSがきっかけで職業・漫画家の道へ ──そもそも文野さんがマンガを描き始めるようになったきっかけを教えてもらえますか? 文野 大きなきっかけというのは特にないんですが、小学生のときから絵を描くのが好きだったので、“マンガを描いてみよう”みたいな本を買ってマンガを描いていました。 ──当時から、まわりの人には「絵、上手だね」と言われてました? 文野 それがあんまり言われてなくて……。すごく記憶に残っているのは、兄や友達と絵を描いて、その中の好きな絵に投票するという遊びをやっていた時期があって。そのときの最下位が私で……。それがめちゃくちゃ悔しくて、そこから逆に練習しよう!と思ったのかもしれません(笑)。 ──漫画家になろう、と職業として意識したのはいつぐらいからですか? 文野 村田雄介さんの『ヘタッピマンガ研究所R』(集英社)を読んだことがきっかけで「漫画家いいな〜」と思い始めました。ただ職業として意識したのは、デビューする半年前とかです。 ──わりと最近なんですね。ちなみに好きな漫画家さんは? 文野 冨樫義博さんや浅野いにおさん、高屋奈月さんが好きです。 ──冨樫さんは……『幽☆遊☆白書』(集英社)だったりとか。 文野 そうです! 『幽☆遊☆白書』だと“仙水編”が好きで、あと『レベルE』(集英社)も。 ──『HUNTER×HUNTER』(集英社)とかも。展開、ついていけています? 文野 もちろん、読んでます! 『HUNTER×HUNTER』が休載している間にYouTubeで解説動画を10回ほど観たんですよ。なのに追いつけてないんです……みんな名前難しいから。 ──登場人物もセリフも多いですからね。『レベルE』とかは世代的には上ですよね。 文野 そうですね。コインランドリーに『(週刊少年)ジャンプ』(集英社)が置いてあって、そこで『HUNTER×HUNTER』にすごいハマったんです。『HUNTER×HUNTER』のためにジャンプを買うようになったので、冨樫さん作品は全部読もうと思って読みました。 ──なるほど。将来的にはSFやファンタジー要素が入っている作品も描いてみたいなって思っていたり……。 文野 はい、いつか挑戦してみたいです。鬼頭莫宏さんの『ぼくらの』(小学館)『最終兵器彼女』(小学館)にもハマりました。人間の感情を軸にしながら世界のことが関わってくるもの、いわゆる“世界系”はすごくいいな〜って思います。 ──世界系の作品だと、アニメもわりとありますよね。 文野 『新世紀エヴァンゲリオン』や『コードギアス』シリーズとか好きです! ──いろんな作品に触れていますね。実際に漫画家になる過程を伺えればと思うのですが、どういう経緯で? 文野 美大浪人を2年させてもらったんですけど、美大受験は学費だけじゃなくて、画材代とかでもお金がとてもかかるんです。とりあえずアルバイトをしながらSNSにイラストを投稿していたらフォロワーが増えていったことがあって。当時はまだSNSでマンガを投稿することがそれほど流行っていなかったからなのか、けっこう反応もよくて。同時期に『月刊!スピリッツ』(小学館)にも投稿したら“スピリッツ賞”で佳作をいただけました。コミティアで出展していたマンガを『月刊コミックビーム』の前の編集長が読んで、声をかけてくださって、商業誌で描くようになった、という経緯です。 ──漫画家としてデビューが決まったときはどうでしたか? 文野 雑誌に載るというのはもちろんうれしかったんですけど、仕上げの原稿を送るときや見本誌が届いたときとか、自分の拙さにめちゃくちゃ落ち込んでしまって。すごくうれしい!というよりは、もっと練習しないとやばいな……という気持ちで。 ──実際に読者の反応を見て、気にしたりします? 文野 気になるので見ないようにしてます(笑)。 ──次はどんなテーマを描きたいですか? 文野 テーマはまだ決まっていないんですけど、『ミューズの真髄』でキャラクターの人柄が誤解されて読まれてしまうこともあったなと感じてて。私はキャラクターを描くときに、それこそお母さんや鍋島とか悪者として登場したキャラについても、個人的には悪者を描くぞ!と考えて描いてはいなくて。いい人とはいえないけど知っていくとかわいい人、いろんな抱えているものがあって悪者だと一概にはいえない人。どのキャラクターにも魅力があることを伝えたいのに、それを伝えることは難しいなって。だから、次はもっとちゃんと伝えたいです。 あふれ出るドキュメンタリーへの愛 ──話は変わりますが、文野さんには現在『logirl』でドキュメンタリーについての連載「文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~」を執筆いただいています。たしかSNSで「ドキュメンタリーのコラムどっかで書けないかな」とつぶやいていたのを見て、オファーさせていただいたのですが、ドキュメンタリーを好きになったきっかけを教えてください。 文野 一番最初はアルバイト先にサブカルチャーに詳しい先輩がいて、その方が原一男監督をすごい好きで、「『ゆきゆきて、神軍』は絶対に観るべきだ!」っておすすめしてくれたんです。それがきっかけでドキュメンタリーを好きになりました。 ──最初が『ゆきゆきて、神軍』なんですね! 濃いですね。そこからは、どんな順番で? 文野 そこから原一男監督の作品をいくつか観ました。そのあとテレビ局に興味を抱くきっかけがあって、『さよならテレビ』(東海テレビ)を。上京してからミニシアターに行けるようになって、特にポレポレ東中野が好きで、新作は全部チェックしていてすごいハマって、過去作品も観るようになりました。 ──中でも一番刺さったドキュメンタリーは? 文野 東海テレビの『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』がすごく好きです。それこそ一見すると悪役みたいな人がたくさん登場します。現実にいたら万人受けしない、マンガの主人公には絶対ならないようなキャラクターしか出てこない作品で。でも、単に悪者という描き方ではなくて、ちゃんと愛せるところがあるように映しているので、そのバランスがいい作品です。過激なキャラクターでもおもしろく映すことができるというのはすごいなと。 中盤で、理事長がカメラを回しているテレビ局の方に「金を貸して」と土下座するシーンがあって、それは衝撃的でした。撮られていることで、お金を貸してくれるかもしれないと思って頼むってけっこうすごいシーンですよね。普通はカメラと撮影対象者って交わらないものじゃないですか。それが交わることでおかしなことが起きてしまう、カメラの暴力性。ドキュメンタリーというものにおいてのカメラの位置、カメラが入っている時点でリアルではないということのひとつだと思うんですけど。それもあって、すごく印象的な作品だなと思いました。 ──東海テレビのドキュメンタリーは、対象者との距離感がおもしろいですよね。 文野 『さよならテレビ』も、カメラがあることでのオチがあるというか。 ──東海テレビの作品は、ほとんど観られているんですね。海外ドキュメンタリーはご覧になります? 文野 日本の方が撮っている『ハイパー ハードボイルド グルメリポート』(テレビ東京)は好きで観たんですが、それ以外は、まだそんなに掘れていないですね。外国の方が撮られているとその国の文化や常識など、勉強不足のところがあるので。 ──たしかに日本人の視点があるかないかで変わりますよね。連載では、直近だと『水俣曼荼羅』に触れていました。ボクも作品を観たんですけど、正直いうと6時間は長かった……。文野さん6時間全部観たんだ、すごいな、と思ったんですよね。 文野 私は映画館で観たんですけど、6時間は余裕でした。1部で出てくる大学教授の方は“マッド”と言われていて、いわゆる世間がイメージする科学者像とは異なるし、3部ではいろんな人に恋をする素敵な女性が出てきたり、登場人物がすごく興味深くておもしろいんです。 ──そうなんですよね。ちなみに、ご自分で何か密着したドキュメンタリーを撮りたいと思ったことは? 文野 自分でドキュメンタリーを撮るというのは、あんまりイメージができないです。もし撮るとしたら、私は変な人が好きなので(笑)、刺激的な人に密着して、自分も刺激をもらいたいなって思います。 取材=鈴木さちひろ 撮影=まくらあさみ 文・編集=宇田川佳奈枝
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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滝口芽里衣(Daily logirl #182)
滝口芽里衣(たきぐち・めりい)2008年11月4日生まれ。東京都出身 Instagram:merii_takiguchi_official 撮影=時永大吾 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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芽日子(Daily logirl #181)
芽日子(めいこ)2005年6月28日生まれ。群馬県出身 Instagram:628meiko X:@628meiko TikTok:628meiko 撮影=青山裕企 ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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入江美沙希(Daily logirl #180)
入江美沙希(いりえ・みさき)2006年7月19日生まれ。大阪府出身 Instagram:irie_misaki_official X:@irie_misaki0719 TikTok:irie_misaki_official 撮影=時永大吾 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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黒田昊夢(BOY meets logirl #051)
黒田昊夢(くろだ・ひろむ)2001年9月10日生まれ、山形県出身 Instagram:hiro_crown.0910 X:@Hirokuro0910 ドラマ『【推しの子】』(Prime Video)森本ケンゴ役で出演中 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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別府由来(BOY meets logirl #050)
別府由来(べっぷ・ゆらい)1998年11月24日生まれ、東京都出身 Instagram:beppu_yurai ドラマ『ハッピー・オブ・ジ・エンド』(フジテレビ)柏木千紘役 12月25日(水)Blu-ray&DVD BOX発売 『FESTIVAL OUT』(TOKYO FM)毎週金曜21:00~メインパーソナリティとして出演中 撮影=Jumpei Yamada 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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栗原颯人(BOY meets logirl #049)
栗原颯人(くりはら・はやと)1999年年12月29日生まれ、新潟県出身 Instagram:h4y4tk 映画『HAPPYEND』ユウタ役で出演(一部地域にて上映中) 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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芸人たちから愛される70代の“若手芸人”おばあちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(後編)
2023年6月、よしもとの若手芸人が活躍する、神保町よしもと漫才劇場に激震が走る。なんと76歳の“若手芸人”が、オーディションに勝利し、史上最高齢で劇場入りを果たしたのだ。 「おばあちゃん」という、ひねりがないのに新しい芸名で、笑いをかっさらう彼女。瞬く間に注目されたが、本人は至って平常心だ。 なぜおばあちゃんは、こんなにも飄々と、イキイキしているのか。きっとこのインタビューを読めば、彼女のバイタリティの秘密がわかるはず! 【インタビュー前編】 よしもとの劇場で活躍する70代の“若手芸人”おばあちゃんの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(前編) 目次知らぬ間に芸人になっていた高齢者向けの営業で大活躍『M-1』でも大活躍「ババア!」って言われるのもうれしい 知らぬ間に芸人になっていた ──シルバー演劇をやっていたおばあちゃんが、舞台の基本を学ぼうとしてひょんなことから、よしもとの養成所・NSCに入った。そこまではギリギリわかるのですが、なぜ養成所の卒業後に演劇に戻らなかったんですか。 おばあちゃん NSCでは、お笑いだけじゃなくて、発声や舞台での心得も学べるんです。だから勉強しているうちに、舞台という意味では、演劇もお笑いも同じなのかもしれないと思いました。 ──それでそのまま芸人になった? おばあちゃん いえ、私はこの歳で芸人になれるなんて思いませんでした。事務所の方に「おばあちゃん、なんで所属登録しないの?」と聞かれたときも「私はスマホもできないし、みなさんに迷惑かけるので無理です」と言ってたくらいで。 そしたら「たったそれだけの理由?」「そんなことはこっちでバックアップするから、手続きだけしときなさい」と、おっしゃるんです。 ──その言葉は心強いですね。 おばあちゃん でもね、最初はそう言ってた方がメールを教えてくださったんですけど、私があんまりにも覚えが悪いんで、さじ投げちゃって、ほかの若い事務員さんに指導役が変わりました(笑)。スマホは同期の仲間にも教えてもらいましたし、芸人になれたのは、みなさんのおかげなんです。とはいっても、自分が芸人になったって気づいたのは、卒業してから3年後なんですけど(笑)。 ──3年後に芸人になったことに気づくって、どういうことですか(笑)。よしもとに所属して劇場に出ているのに。 おばあちゃん NSC時代からお世話になっていた作家の山田ナビスコさんの舞台に出させてもらってましたけど、コロナもありましたし、それこそシルバー演劇のように、ときどきネタをやってるだけでしたから、自分がプロの芸人になったなんて思わなかったんです。 でもあるとき、同期の男の子と話してたら年寄りのお節介が始まっちゃって。「あんたさ、芸人になるつもりなの? お母さん心配するから辞めときな」と話してたら、その子に「何言ってんの、おばあちゃん。俺たちもう芸人だぜ」と言われて、「えぇ! 私も芸人!?」ってびっくりしちゃって(笑)。「そうだよ、売れない芸人」という言葉で、やっと自分が芸人だったことに気づいたんです。 ──売れてない芸人ゆえにライブが少なくて、芸人の自覚が芽生えなかった。 おばあちゃん そうですねぇ。神保町の劇場(神保町よしもと漫才劇場)に所属が決まったときも、システムがよくわかってなくてね。夜の舞台が多かったんですけど、私は横浜のほうに住んでるから、早めに劇場を出ないと家に着くのが深夜になるでしょう。だから自分の出番が終わったら、すぐ帰っていたんです。 ──それでバトルライブの結果をずっと知らなかった? おばあちゃん 結局、そういうことだったみたいですね(笑)。スマホもろくに見れないから順位も知らない。ある日「おばあちゃん、おめでと〜」って言われても、何がおめでたいのかさっぱりわからない。「オーディションに受かったんだよ」と聞かされて「ねぇねぇ、これに受かってなんの得があんの?」という具合で、みんなから「いい加減にしてくれよ!」と言われちゃいましたね(笑)。 ──若手芸人たちは、必死で勝ち上がろうとしているバトルライブだから、そう言うのも無理はないですね(笑)。 おばあちゃん もうみんな、そのライブのときはピリピリしてますからね。そこで私はおせんべい配って「みんながんばってねぇ」って。自分もこれから出番なのにね(笑)。 高齢者向けの営業で大活躍 ──おばあちゃんの、小噺のあとに川柳を詠むというネタは、どうやって完成したんですか? おばあちゃん NSCの講師だった山田ナビスコさんが卒業後もネタを見てくださって、「おばあちゃんは漫談をシルバー川柳で締めたほうがいい」とアドバイスしてくださったんです。実際、それがすごくよかった。漫談のオチを忘れそうになっても、川柳に書いてあるから読めばいいんですから(笑)。 ──川柳にはもともとなじみがあったんですか。 おばあちゃん 会社員時代にちょっと詠んだりはしましたけど、本格的にやったことはありません。今でも、ひとつの川柳を作るのに、半年以上かかったりすることもあります。もちろんほかのものも並行しながら作っていますけどね。いったん保留にしておくと、あとでいいものが浮かぶことがあるんです。 ──ネタ作りはどんなタイミングでやるんですか。 おばあちゃん ネタ帳というか、メモ帳を家の至るところに置いてまして、いつでもメモを取れるようにしたんです。たとえば、この時期だと今年の流行語をテレビで見て、メモします。……でも流行のネタって、すぐ使えなくなるんですよ。 ──旬が過ぎると、ウケなくなる。 おばあちゃん そうなんです。最初のころは、流行とか季節のネタをよく作ってましたけど、今は一年中どこでも通用するネタを考えてます。あと、依頼に応じて作ることもありますね。補聴器のPRイベントに呼ばれたときは、耳のネタ。お父さんの耳が聞こえにくいのをネタにしたり、老眼鏡も入れ歯も補聴器も、衰えたことを悲しむんじゃなくて、アクセサリーとして楽しみましょうと。 ──営業の機会は多いですか。 おばあちゃん はい。老人ホームもありますね。ただ、老人ホームでもいろいろあって、国がやってるところは認知症の方が多いでしょう。だからネタなんか聞いてもらえない(笑)。認知症の方には音楽がいいですね。ほとんどしゃべれなくなった人でも、音楽が鳴ると、手を叩いたり、リズムを取ったりします。私の漫談ネタをやるなら有料老人ホームが合ってるんでしょうけど、そういうとこの人は、みんなお金を持ってるから、私のネタを見るくらいなら、自分たちでコンサートとか演劇を観に行ってしまう(笑)。 ──高齢者向けの営業はなかなか大変なんですね。 おばあちゃん でも葬儀屋さんでの営業は楽しかったですねぇ。高齢者をいっぱい集めて終活の説明会をするでしょ。お葬式の準備から、後見人制度、財産分与の説明をして、その付録として私たち芸人がネタを披露させていただくんです。若い落語家さんなんかは、やりにくいでしょうけどね(笑)。そりゃあ控え室からお線香臭くて、祭壇があって、お客さんはお年寄りばかりだからしょうがない。でも私は楽しいですねぇ。 ──葬儀屋の営業ではどんなネタをしますか。 おばあちゃん お父さんに「書いといて」って渡したエンディングノートがメモ帳になってたとか、終活で自宅の整理をしている友人が、私の家にたくさんの不用品を送ってきた話とかしてますね。 『M-1』でも大活躍 ──おばあちゃんは、しゅんP(しゅんしゅんクリニックP)さんと一緒に「医者とおばあちゃん」というコンビで『M-1グランプリ』にも出ていますね。2年連続で3回戦まで進出していて、2024年なんて、10,330組中の408組まで残っていて、すごいです。 おばあちゃん そうなんですかねぇ。私はよくわかんないんですよ。 ──「医者とおばあちゃん」のネタはどうやって作ってるんですか? おばあちゃん しゅんPさんと雑談しながらですね。「最近の若い医者はパソコンばっかり見て、患者の顔を見てないねぇ」とか「患者はボロイスなのに、なんで医者はいい椅子なの?」とかって話すと、ネタにしてくれます。あと、私は友達からネタを仕入れてますね。ばあさんのくせにイケメンの先生のところにしか行かないとか、オシャレしていく場所が病院しかないとか(笑)。 ──そもそも、しゅんPさんとはどういう経緯で組んだんですか。 おばあちゃん これも山田ナビスコさんのおかげです。前々からしゅんPさんに、「お前にぴったりの人が入ったから、組んでみたらおもしろいんじゃないの」と言っていたらしくて。それからコロナがあったり、しゅんPさんのご結婚・出産や、相方との別れを経て、初めてお会いしました。そのとき撮った写真がバズったんですって。お医者さんがババアの脈を測っているポーズで。 吉本に後輩ですが75歳の「おばあちゃん」という芸名のピン芸人がいるのですが、今日劇場でお会いしたので写真を撮ったら完全にただの「医者と患者」になりました。 pic.twitter.com/4n7YvavzsY — しゅんしゅんクリニックP(しゅんP) (@fleming_miya) August 27, 2022 そのあとすぐM-1に応募して、1回戦まで受かりました。そろそろ3回戦より上に行きたいんですけど、欲が出てくると危ないんですよねぇ(苦笑)。 ──M-1は緊張感がすごいですが、おばあちゃんは大丈夫ですか? おばあちゃん 私はね、しゅんPさんがいてくれるから全然気が楽なんです。噛もうが何しようが、かぶせてくれるので、安心感があります。医者っていう安心感もあるんでしょうね。最近は脈を測られても「おばあちゃん正常だな、俺のほうが早えや」なんて言ってますよ(笑)。 「ババア!」って言われるのもうれしい ──よしもとって、先輩・後輩の関係性は絶対というイメージがあるんですが、おばあちゃんもやはり年下の先輩におごってもらうんですか? おばあちゃん そうそう、普段から食事に連れてってくださるんです。「おばあちゃん、なんでもいいから。高くてもいいからね」と言ってくれるんで「ありがとうございます。こんなの食べたことありません」って、特上の天丼を食べさせてもらってね。でも時々、お会計で「お前払えよ」「いや、俺金ねえよ」とやりとりしてる同期の会話が聞こえてきて、「明日食べるごはんあるのかなぁ」と心配になることもあります(苦笑)。でも、私も後輩だから出すわけにはいかないので、そこは「ごちそうさまです」と言いますけど。 ──特に仲のいい芸人さんはどなたですか。 おばあちゃん 喫茶ムーンのレヲンっていう女の子は、NSCのときから、よくごはんに行きます。こないだは八景島の水族館にも行きましたよ。私の自宅が八景島のほうにありまして。 ──八景島から都内まで通われているんですね。 おばあちゃん それで舞台も最後までいられないんです(笑)。でも主人は海が大好きで、あそこから離れられないんですよ。この前、「お父さんが亡くなったら都内に引っ越そうかな」って言ったら、イヤ〜な顔して「お母さんそこまで芸人続かないから考えなくていいよ」って言ってましたよ(笑)。 あとよくしてくださってる芸人は、エルフさん、ヨネダ2000さんですね。あと、ぼる塾さんは4人が同じグループになる前は、劇場の控え室で一緒にお菓子を食べていたんです。それがあっという間に人気者になって、今ではテレビで追っかけしてますね。 ──おばあちゃんが若い芸人たちと仲よくやれている様子は、この高齢社会にあってひとつの希望だなって勝手に思ってしまうんですよ。 おばあちゃん そう言っていただけてうれしいです。最終目標はやっぱり世の中のために役に立ちたい、ですから。この年までね、みなさんのおかげでこうやって生かされたので、お役に立ちたい。最近はね、控え室で私が大福食べてると、ほかの芸人さんが「誰か水持ってきとけよ」とか「掃除機どこにある?」とか言い出すんですよ(笑)。みなさんが私のことを笑いにしてくださるのも、すごくありがたい。 ──変に心配されるよりも、笑い飛ばされるほうが居心地がよかったりしますよね。 おばあちゃん そうそう。今までは「ババア!」って言われると、気にしてたんですよ。でも最近は「おい、ババア!」と言われても「ジジイって言われなくてよかったね!」って言い返して、「お主、やるなぁ」と褒められるようになりました(笑)。芸人の雰囲気ってすごくいいんです。私は本当にまわりの方に恵まれていますね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 おばあちゃん 1947年2月12日、東京都出身。2018年、NSC東京校に24期生として入学。2019年4月、72歳で芸人デビューを果たす。2023年6月に、神保町よしもと漫才劇場のメンバーとなる。76歳での当劇場メンバー入りは過去最高齢。FANYアプリ『おばあちゃんのシルバーラジオ』や、YouTubeチャンネル『おばあちゃんといっしょ』なども展開している。 【後編アザーカット】
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よしもとの劇場で活躍する70代の“若手芸人”おばあちゃんの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(前編)
2023年6月、脂の乗ったよしもとの若手芸人が活躍する、神保町よしもと漫才劇場に激震が走った。なんと76歳の“若手芸人”が、オーディションに勝利し、史上最高齢で劇場入りを果たしたのだ。 その芸名はずばり「おばあちゃん」。2018年、71歳で吉本興業の養成所・NSCに入学した彼女は、実力で活躍の舞台を勝ち取った。 その朗らかな笑顔を支えるたくましさは、いったいなんなのか。高齢社会を生きる我々に、おばあちゃんは多くの示唆を与えてくれる。シルバー演劇からお笑いへと流れてきたおばあちゃんに、初舞台へと至る道を聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次ルーツはラジオで聴いた上方漫才初舞台はカラス役シルバー演劇で子供を泣かせるおばあちゃんは入学金の振り込みもひと苦労アドリブでしのいだ初舞台 ルーツはラジオで聴いた上方漫才 ──おばあちゃんは1947年生まれだそうですね。 おばあちゃん そうです。 ──子供のころ、慣れ親しんでいた娯楽はなんでしたか? おばあちゃん あのころは娯楽もほとんどないんですよ。そんななかで、ラジオでお笑いを聴くのは好きでした。(中田)ダイマル・ラケット(※1)さんのしゃべくり漫才や、エンタツ・アチャコ(※2)さん、浪花千栄子(※3)さんのラジオドラマを、家族みんなで、真空管ラジオで聴いてましたね。しゃべくり漫才は、楽器も何も持たずに、あれだけ人を楽しませて、笑わせるのはすごいなぁと思っていました。大きくなってからも、コント55号さんとか、カトちゃん(加藤茶)のいた……なんだっけ? ──(ザ・)ドリフターズ。 おばあちゃん そうそう。テレビでは、そのあたりを観てました。 ──子供のころはラジオで漫才に触れてきたんですね。 おばあちゃん といっても、ひとつのネタを全部聞くことはできないんですよ。真空管がなんかの拍子でゆるむとで、ぷつっと音が消えるから。でも、親も一緒に笑ってて楽しいなぁと思ってましたね。当時は家も狭いから、みんな茶の間に集まって、勉強したり本読んだり。4人兄弟で私以外は男だったので、『赤胴鈴之助』(※4)のラジオドラマもよくかかってました。 ──男兄弟に、女ひとりだと大変そうですね。 おばあちゃん 大変ってことはないですけど、ちょっと浮いてましたよね。私が小学4年生の春に母が倒れて家のことができなくなりまして、それからは私が全部やっておりました。でもそれも仕方ない。私は上から2番目でしたけど、女ひとりだから、父がものすごくかわいがってくれました。休みの日はいつも父がリヤカーに乗っけてくれて、多摩川に連れてってくれるんです。父はハーモニカを吹いてて、兄弟みんなが好きなことやって遊んでましたね。父はピアノもギターも弾けましたね。 ※1 戦後、活躍した上方しゃべくり漫才の代表格。そのイリュージョン的な奇想天外な漫才は、『R-1グランプリ2024』チャンピオンの漫談家・街裏ぴんくも敬愛する。 ※2 戦前に活躍した“近代漫才の元祖”横山エンタツ・花菱アチャコ。『早慶戦』のネタが大当たりし、人気漫才師に。1934年のコンビ解消後は、ラジオドラマで共演した。 ※3 黒澤明や、小津安二郎、溝口健二の映画でも活躍した昭和の名女優。大阪出身で、エンタツ・アチャコとはラジオ・テレビドラマで幾度も共演した。 ※4 1954年〜1960年にかけて連載された少年マンガ。少年剣士・鈴之助の修行と闘いを描く。ラジオドラマや映画、アニメ、テレビドラマにもなった。 初舞台はカラス役 ──71歳でよしもとの養成所・NSCに入ったそうですが、昔から芸人への憧れがあったんですか? おばあちゃん 芸人になろうなんて思ったこともありませんでした。でも、子供のころから友達を笑わせるのは好きでしたね。だから中学からずっと付き合っているお友達に「芸人の学校に行く」と言ったら、「やっぱりねぇ!」と言われました(笑)。 ──半世紀越しの「やっぱりね」はパンチがありますね。 おばあちゃん といっても、雑談の中でちょっとおかしなことを言うだけでしたけど。自分じゃ何を言ってたのか覚えてないですが、いつもみんなを笑わせて。昔のことですから、学校までみんなで1時間くらい歩くんで、その間、ずっと話してました。あと、中学時代は演劇部にも少し入っていました。 ──それが人生初めての舞台ですか? おばあちゃん 人前で出し物をしたのは初めてですね。たしかね、カラス役かなんかをやりましたね。それで何をしたのかは覚えてないですけど。 あと、先輩の卒業記念の演劇ではお百姓さん役をしました。ちょうど兄が卒業するときで、肥溜めを担いでた私のことを「お前の妹は肥溜め担ぎが似合ってたぞ」と友達から冷やかされたそうです(笑)。 ──人前で演技をするのは楽しかった? おばあちゃん ちょっと興味は湧きましたね。そのとき学校にいらっしゃったプロの劇団の方が「もし演技の道に進む気持ちがあるんなら声をかけて」と、ちらっとおっしゃってて迷いました。でもあの時代ですからね、特殊な世界だから親に反対されるっていうか、話も聞いてもらえませんでした。 ──親が厳しかった。 おばあちゃん 厳しいっていうわけじゃなくて、そういう時代だったんです。女の子は学校に行く必要もない。家のことをして、旦那の補佐をするのが当たり前でしょう、と。だから母からは洋裁なんかの習い事をしなさいと言われていました。それで中学卒業してすぐ就職して、仕事のあともお休みの日もお稽古してっていう日々でしたね。 シルバー演劇で子供を泣かせる ──ご結婚や乳がんの経験、お兄さんの介護などを経験して、そのことは、著書『ひまができ 今日も楽しい 生きがいを - 77歳 後期高齢者 芸歴5年 芸名・おばあちゃん』(ワニブックス)にも書かれていました。その日々も伺いたいところですが、このインタビューでは芸人・おばあちゃんについて詳しく聞かせてください。定年後はシルバー劇団に所属したそうですね。 おばあちゃん そうです。神奈川の八景島のほうに住んでるんですが、あるとき横浜でシルバー劇団のイベントを観たんですね。鯨エマさんっていう方がやっていらっしゃる「かんじゅく座」の公演で。それがすごくよかったので、入ることにしたんです。 ──そこでの初舞台は覚えていますか。 おばあちゃん もちろん。最初はお祭り会場での公演で、私は追い剥ぎの役でした(笑)。当時は、壊死した膝の手術直後でリハビリ中だったんですけど、演技してるときは不思議とハキハキ動けるんです。パッと舞台に出ていって、「持ってるもの置いてけぇ!」と怒鳴りました。 ──手応えはありましたか。 おばあちゃん 私が出ていったら、子供が「うわーん!」って泣き出して、「やったねぃ!」って感じでした(笑)。私は少々図々しいんでしょうね、やり始めると役にはまり込んじゃうんです。 ──その「かんじゅく座」での印象深い思い出は? おばあちゃん 野良猫の役をやったときかな。自分が生んだ3匹の子猫を、もらわれていくんです。そのときの悲しみを「うわぁ〜!」と演技したとき「これが演劇なのかもしれない」と感じました。 主宰のエマさんは「野良猫の役をやるなら、本物の野良猫を観察してこい」と言うんです。毎回、自分が演じる役について理解するために、生まれてから今に至るまでを想像してレポートにして。それはすごく勉強になりましたね。演じるっていうのは、セリフを覚えるだけじゃないんだと。 ──すごい経験ですね。 おばあちゃん お芝居はみんなで作るものだから、流れをつかんで演技しなさいとも言われましたね。「自分のセリフがないからってぼうっと突っ立ってるなら舞台から降りなさい!」と言うような方で、すっごく厳しかったんですけど、私は大好きでした。 おばあちゃんは入学金の振り込みもひと苦労 ──なぜそのシルバー演劇から、NSCに行くことになるんでしょうか。 おばあちゃん 劇団はけっこうお金がかかるんですよね。地方公演をやると、交通費や宿代も全部自分持ちですから、長くは続けられないなぁと思いました。あと、私みたいにまったくのド素人って意外といないので、当たり前に飛び交う専門用語がわからないんです。「板付き」って「かまぼこじゃあるまいし」と思ったし、「ハケて」って言われても「チリもないのにどこを掃くの?」って感じで(苦笑)。 ──右も左もわからないなか、好奇心で飛び込んだんですね。 おばあちゃん そうそう(笑)。それで、みなさんとご一緒するには基本的なところから勉強したほうがいいなということで、演技の養成所にいろいろ連絡してみたんです。でも、ほとんどの養成所が、25歳くらいまでしか受け付けてないんですね。私はもう70歳でしたから全部断られて。唯一、「いいですよ」と言ってくれたのがNSCでした。 ──ちょっと待ってください、どうして演技と関係のないお笑いの養成所に行くことになるんですか? おばあちゃん 大学時代の友達に相談したら、彼女が自分のお子さんに聞いてくれたんです。それで薬の裏紙に書かれた番号だけで寄こしてくれて。どこにつながる番号なのかも書いてないんです(笑)。 ──怪しすぎますね。 おばあちゃん それで電話をかけてみたら、よしもとの作家さんやスタッフさんを育てるところで。 ──YCA、よしもとクリエイティブアカデミーでしょうか。 おばあちゃん そうそう。で、そこの担当の方が「ご自身がやりたいのは、NSCのほうですね」と言ってくださって、改めて電話をして。でもすぐには入らなかったんです。蜷川(幸雄)さんが立ち上げた「さいたまゴールド・シアター」の公演が残っていたので、それを終えて翌年2018年に面接を受けに行きました。 ──面接はいかがでしたか。 おばあちゃん 「学費収められますか?」と「6階まで階段を昇れますか?」の2点を聞かれましたね。 ──膝の手術後に、階段昇り降りは大変ですよね。 おばあちゃん 面接のときはまだリハビリ中で、杖ついてましたからね。でも受かりたいから「大丈夫です」と言いました。 ──特別扱いしないNSCもすごい。 おばあちゃん そこがよしもとのいいところだと思いますね。私としてもいいリハビリになりました。結局、その1年で体重も5キロぐらい痩せましたし。荷物もね、同期の方が「持ってってあげるよ」と言ってくださった。みなさんのおかげですねぇ。 ──最初のネタ見せは覚えてますか。 おばあちゃん NSCの入学金を収めに行ったときの話をしました。「振り込め詐欺かと心配された」って。それがウケたんです(笑)。いつも行く銀行で「学費をね、振り込みたいんですけど」と頼んだら「お孫さんのですか?」「なんの学校ですか?」と聞かれちゃって。「私が通うんです」「たぶん、お笑いの勉強だと思うんですけど」と答えたら、「ちょっとお待ちください」って、係の人が奥に引っ込んじゃって。 ──「たぶん、お笑いの勉強だと思う」で完全に心配されますね(笑)。 おばあちゃん うしろのほうで、支店長とゴソゴソしゃべってるんですよ。それで養成所の合格通知を見せたら、「わかりました」と振り込んでくれました。「こんなババアがお笑いの学校?」ってそりゃ思いますよね(笑)。そのときの話を初めてのネタ見せでやったら、みなさんに笑ってもらえたのでよかったですけど。 アドリブでしのいだ初舞台 ──芸人としての初舞台は覚えていますか? おばあちゃん あれはNSCを卒業してからすぐだったと思います。作家の山田ナビスコさんがやっているライブでした。そのときは今の川柳を読み上げるネタもできてなくて、たぶん、さっき話した銀行のお話をするみたいな漫談っぽいことをしたんでしょうが、あまり覚えてないですねぇ。最初のころは月に3回くらい舞台がありましたが、今以上にお客さんがいない。それで、チケットも芸人が街中に出て自分で売るんですよ。 ──おばあちゃんも手売りやってたんですか!? おばあちゃん 「お客さんいないからチケット売ってこい!」と劇場の人から言われるんです。それで渋谷の街に出たら、事務所の人が飛んできて「熱中症になったらどうするんですか!? おばあちゃんはやめてください!」って言われちゃった(笑)。 ──そんなおばあちゃんも昨年、芸歴5年目にして若手よしもと芸人が活躍する神保町の劇場に所属が決まりました。そのときの初舞台は覚えていますか? おばあちゃん それは覚えてます。神保町になると、持ち時間が5分になるんですね。それまで3分ネタしかやってなかったので、感覚がつかめない。3分まではスラスラいったんですけど、その先が急に思い出せなくなって、そこからはアドリブ。「すみません。年取るとね、3分以上のネタはできないんですよ」みたいなことを言ったら、笑ってもらえてなんとかなりました。 ──ネタを飛ばすとパニックになって、早めに舞台を降りる人もいるなか、初舞台で5分立ち続けたのがすごいですよ。 おばあちゃん 5分やれって言われたら、何がなんでもやらなきゃいけないと思ってただけなんです。作家さんにも「おばあちゃんの場合は、間を空けなさんな」と言われていたので、なんでもいいからしゃべっちゃえ、という気持ちもありましたね。私みたいな後期高齢者が間を空けると、お客さんが心配しちゃうでしょう(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 おばあちゃん 1947年2月12日、東京都出身。2018年、NSC東京校に24期生として入学。2019年4月、72歳で芸人デビューを果たす。2023年6月に、神保町よしもと漫才劇場のメンバーとなる。76歳での当劇場メンバー入りは過去最高齢。FANYアプリ『おばあちゃんのシルバーラジオ』や、YouTubeチャンネル『おばあちゃんといっしょ』なども展開している。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 芸人たちから愛される70代の“若手芸人”おばあちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(後編)
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カリスマが見据える先は、世界と地元…リンダカラー∞のネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#32(後編)
ひとりのカリスマが、ふたりの信者の相談に乗る「カリスマンザイ」で、今ブレイク中のトリオ・リンダカラー∞(インフィニティ)。 もともとは、小学生からの幼なじみのカリスマのDenと、坊主頭のたいこーのコンビだった「リンダカラー」。2022年、そこに“りなぴっぴ”が加入し、「リンダカラー∞」に進化した。 芸人たちの初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」。後編では、もともとDenのファンだったりなぴっぴが加入した衝撃の経緯と、たいこーの戸惑い、そして世界を狙うトリオの“確信”について聞いた。 【インタビュー前編】 自分たちのおもしろさを疑わなかったコンビ時代…カリスマ率いるリンダカラー∞の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#32(前編) 目次「私も入りたい〜」で即加入の逸材“りなぴっぴ”「漫才はやりたくない」世界進出で、地元を振り向かせたい 「私も入りたい〜」で即加入の逸材“りなぴっぴ” 左から:りなぴっぴ、Den、たいこー ──もともと、Denさんとたいこーさんのコンビだったリンダカラーですが、りなぴっぴさんが加入し、リンダカラー∞に変わります。前編ではコンビ時代に「漫才をぶっ壊したい」と試行錯誤していたと語っていました。りなぴっぴさんが入って、どんな変化がありましたか。 Den りなぴっぴが入って、「漫才をやらなきゃいけない」っていう重い枷(かせ)が外れたんですよね。僕はずっと、「◯◯やりたいんですよね」で入る漫才コントの形式も、「もういいよ/ありがとうございました〜」っていう決まり文句もイヤだった。 ──「漫才といえば、こういうかたち」が、受け入れられなかった。 Den それで漫才を破壊するようなナンセンスなことをやってたんですけど、そういうネタをやっていると、『M-1(グランプリ)』で「漫才じゃない」って言われる時代になったじゃないですか(笑)。まぁ、漫才の賞レースなんでそれは当たり前なんですけど。でも、りなぴっぴが入って、そういう賞レースで結果を残すこととか、気にならなくなった。これがやりたかったことだなと。 ──りなぴっぴさんはもともとリンダカラーのファンだったんですよね。どういう経緯で加入したんですか。 Den りなぴっぴは、僕らを観に来てたファンの子の友達だったんですよ。単独ライブの出待ちで、りなぴっぴに「楽しそうでした。私もあの中に入りたかったですよ〜」と言われて、体に稲妻が走りました。「ファンを入れる」ってこれは新しいんじゃねぇかと。 ──りなぴっぴさんの軽口を真に受けたと。 りなぴっぴ 本気で言ってたんですよ!(笑) それまで、就職したりバイトしたり、いろいろやってたんですけど、全部楽しそうだからやってみてて。たしかにDenさんに話しかけたときは、「絶対入りたい!」っていうわけではなかったけど、「えー楽しそう! やりたい!」とは思ってました。だから実際に誘ってもらったときも「えー! やったー! おもしろそー」ってすぐオッケーしました。 Den とんでもない女ですよ。このノリを目の当たりにして僕も、とんでもないこと起きるんじゃないかって頭の中がスパークしたんです。 ──たいこーさんは、Denさんの突然の提案にどう思われましたか。 たいこー 提案なんかなかったっすよ。ある日、ネタ合わせで喫茶店に行ったら、知らない女の子がいて、Denが「この子、今日から入るから」って言われて……。まぁ決まってるなら、しょうがないかぁって。 ──すぐ受け入れたんですね。 たいこー いや、パニックですね。今もまだテンパってますから。 りなぴっぴ めっちゃ正直にいうと、私もたいこーさん見てびっくりしました。Denさんとお笑いができるから入ったので、たいこーさんは、いることも知らなかった(笑)。 Den はっはっは(笑)。 たいこー 信じられないですよ。だって、りなぴっぴが観に来てたのって、俺たちの新ネタライブだったんですよ? りなぴっぴ でも後輩の人たちも出てましたよね。 Den 企画コーナーで出てたな。 りなぴっぴ 私、お笑いがまったくわからなくて。漫才とコントの違いとか、コンビとかトリオもよくわからなくてメンバーっていう概念も知らなかったから、Denさんとたいこーさんの関係が見えてなかったです。 Den この捉われなさ、すごくないですか。衝撃ですよ。俺らは漫才の型に捉われないっていろいやってましたけど、そんな俺たちより自由なヤツがいた。俺らの「漫才を壊したい」って結局“ありもの”へのアンチテーゼでしかなかった。そういう認識も超えたりなぴっぴが入ったら何かが変わるって確信しました。 ──りなぴっぴさんは、実際に入ってみてどうでしたか? りなぴっぴ えー、楽しかったです。ふふふ(笑)。 「漫才はやりたくない」 ──3人での初舞台はどうでしたか。 Den 最初は単純に、僕とたいこーの漫才を、うちわを持ったファンであるりなぴっぴが応援してて、僕がファン対応を見せるって感じのネタでしたね。ファンを舞台に上げるっていうコンセプトがおもしろいと思ってたので。 たいこー 最初はエントリーライブだった。 りなぴっぴ しかも、入るって言った日にネタ合わせして、そのままライブでしたよね? たいこー そう。俺はDenとふたりでネタをやるつもりだったのに、初対面の新メンバーと漫才やって。だからパニックで、3人の初舞台はあんま記憶にないんですよ。 Den しかも最初は全然ウケてないっすね。お客さんも見方がわからなくて戸惑ってた。事務所ライブでもコンビ時代に観てくれてた人たちは、突然ファンが入ってきて、意味がわからなかったんじゃないかな。 たいこー 俺もお客さんと同じです。意味わかんなかった。 りなぴっぴ 私もウケるとかウケないとかもよくわかんなくて。「楽しい!」ってだけでした。 Den 手応えを感じてたのは、僕だけなんですよ。僕にしかビジョンは見えてない。だから初舞台からしばらくはまったくウケてないですね。 ──でも成功する確信はあった。 Den 絶対大丈夫だなって自信はありましたよ。 ──カリスマンザイはどういう経緯で誕生するんですか。 Den 時代に合ったものを作ろうってところからですよね。僕のカリスマをどう浴びせようか。そのためにどういう装備で行くか。テーマは決まってるんで、あとはガワをどうするかだけ。どうやったら世の中の人が見やすくなるかを考えてたら、今のかたちになりました。コンビ時代は、ふたりでネタという作品を追求してましたけど、今はリンダカラー∞そのものを作品にしようっていう感覚です。 ──コンビ時代のDenさんは黒髪・メガネで、今とはだいぶ雰囲気が違いますよね。どうやって仕上げていったんですか。 たいこー あんま覚えてないんですよね。 りなぴっぴ でも、私が初めて見たときはもう金髪でしたよ。 Den なんかね、芸人になってからしばらくの間、芸人らしくしなくちゃいけないと思いこんでたんです。養成所のころはもっと派手で、ピアスもしてたし、(ルイ・)ヴィトンのボストンバッグで養成所ライブに行ってましたから。あるとき、事務所の先輩・ハナコの岡部(大)さんに「君、芸人……?」って言われて、「俺、芸人っぽくないんだ」と知って、黒染めしてメガネかけたくらいで。実際、岡部さんの言うとおり、イカつい格好してると、お客さんも笑ってくれない。だから最初は自分らしくできなかった。 りなぴっぴ 今のDenさんが好きです。 Den ありがとう。 りなぴっぴ あと、私、踊りたかったんで、カリスマンザイできてうれしいです。ミュージカルとか好きだし。 Den 漫才はやりたくないって言ってたよね。 りなぴっぴ しゃべってるだけだとつまんないって思っちゃう。踊ってるほうが楽しい。音楽も欲しいし。 Den このりなぴっぴの自由な感覚が、リンダカラーには欠けてたんですよ。 ──りなぴっぴさんが加入したことで、リンダカラーは「インフィニティ=無限大」の可能性を手に入れたと。今年の『おもしろ荘』(日本テレビ)では準優勝しました。 Den 本当は去年優勝するつもりだったんですけどね、1年目は落ちちゃって。そこはトリオになって唯一の誤算でした。前編で話した、養成所のランクづけでAクラスに入れなかったときと同じ感覚になりましたね。「この俺たちが? ウソだろ」って。まぁまぁ今年、結果残せてよかったですよ。 ──ちなみに、りなぴっぴさんを真ん中に立てるアイデアはなかったですか。 Den それはないですね。りなぴっぴのおもしろさは、僕らから押し出すと、原石のまま終わってしまう。芸人ってひねくれてるから、こっちから押し出したものはあんまりイジりたくない生きものなんです。りなぴっぴはまわりの人たちに磨かれてこそだと思うんで、そこは気をつけてます。 りなぴっぴ いつも「りなぴっぴはそのままでいいよ」って言ってくれます(笑)。 Den 俺がフロントマンとして立ってるんで、りなぴっぴには変わらず、才能一本でやっていってほしいっすね。 世界進出で、地元を振り向かせたい ──これからますます勢いづきそうですが、リンダカラー∞の目標はなんですか。 Den 今もらえる仕事をがんばるのが前提ですけど、今後はもうちょっと可能性広げたいんで、世界っすね。 ──世界のカリスマになっていく。 Den 『ゴット・タレント』でチョコプラ(チョコレートプラネット)さんとか(とにかく明るい)安村さんが活躍して、全然夢じゃないなと。日本と世界で活躍して、相乗効果を狙ってます。あと、りなぴっぴが海外好きなんで行かなきゃいけない。 りなぴっぴ 行きたくて、アメリカ。来年くらい行きたいですね。 Den りなぴっぴは「世界行きましょう!」って簡単に言うんですよ。でもそう言われて「いや、行けるかぁ!」とも思わない。「おもしれぇから、世界行くか」って感じですね。 ──ちなみに個人としてのそれぞれの目標は? Den 俺だけの目標かぁ……出てきただけでお客さんが失神するレベルのカリスマになりたいっすね。せっかくカリスマやらせてもらってるんで、カリスマの価値をどこまで上げられるか試したい。 ──ザ・カリスマってすごいですよね。かつては「カリスマ美容師」という言葉がありましたけど、Denさんは「カリスマ芸人」ではないし。 Den カリスマ芸人っていったら、(千原)ジュニアさんとかでしょ? 俺が目指してるところは「カリスマ・オブ・カリスマ」なんで。「職業:カリスマ」のヤツなんていないじゃないですか。そこの価値をどこまで上げられんのか、そこはシンプルに追求していきたいっすね。 ──りなぴっぴさんがやりたいことは? りなぴっぴ えー、いっぱいあります! どうしよう。 Den 全部言っていいよ。 りなぴっぴ アメリカのアニメとか好きだから、アニメの声もやってみたいし、洋服とかメイクも好きだから、そういう仕事もしたい。絵描くのも楽しいから、描きたいし。将来はアメリカに住みたい。 Den すごいでしょ? お笑い芸人にはまったくない、まっすぐな価値観ですよ。この逸材を見つけてもらうために、俺もいろいろ仕掛けてやんなきゃって思いますよ。丁寧に育てたい。芸人としてもすごく優秀なんで、バランスを見ながら、スターを目指してほしいですね。 ──たいこーさんはいかがですか。 たいこー 目標かぁ……。今、わかんないっすね。何をしたいのかもわかんないし、リンダカラー∞の、この状況についていくのに必死なんで。トリオの目標も、個人的にやりたいことも、これから探します。 ──それにしてもここ数年のDenさんとたいこーさんの活躍ぶりには、地元の友人たちもびっくりしてるんじゃないですか? たいこー なんも言ってこないっすね。 Den 地元のヤツらは興味ないんっすよ。テレビに出ても何も連絡来ないっす。 たいこー 普通に「飲み行こう」って連絡は来るけど。まぁそのほうが気楽でいいっす。 Den 一緒に飲んでて、ファンから声かけられたときも、アイツらは冷たい目で見るだけですから。普通、地元の友達だったら「本当に有名人じゃん、すごいね」とか言うでしょ? でもさすがに世界行ったら「ギャフン!」って、本当に声上げると思いますよ。 ──地元の友達の心をつかむのが一番難しい。 Den いや、マジでそうっすね。仮にコンビ時代にM-1で優勝してたとしても何も言われなかったでしょう。世界を獲れば、さすがにアイツらも振り向くだろうね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リンダカラー∞ Den(1994年2月22日、神奈川県出身)、たいこー(1993年8月5日、神奈川県出身)、りなぴっぴ(1998年2月10日、山形県出身)のトリオ。2017年、小学生から幼なじみだったDenとたいこーで前身となるコンビ「リンダカラー」を結成。2022年5月、Denのファンである りなぴっぴが加入し、「リンダカラー∞(インフィニティ)」に改名する。2024年、若手芸人の登竜門『おもしろ荘』(日本テレビ)で「カリスマンザイ」を披露し、準優勝した。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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タイを満喫──女優・莉子が語る『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』撮影裏話
#19 莉子(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 莉子(りこ)。2018年〜2021年まで雑誌『Popteen』の専属モデルを経て、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)にて連続ドラマ初主演。その後も、ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)や、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品に出演し、女優としての歴を重ねる。2024年10月から放送中のドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)では主演を、11月より配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)では、主人公と行動をともにする「広瀬」として、重要な役どころを演じている。前回に続いて、最近の活動にフォーカスする。 インタビュー【前編】 目次「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート 「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」 ──最近出演された『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)(以下、『インフォーマ』)についてもお聞きしたいのですが、実際にやってみていかがでしたか? 莉子 本当に楽しかったです! それはやっぱり、桐谷健太さんと佐野玲於(GENERATIONS)さんのおかげだと思っていて。おふたりがいなければ、私はきっとこの現場を乗り越えられなかっただろうなと思うくらい、おふたりが伸び伸びとお芝居できる環境を整えてくださったので、感謝の気持ちでいっぱいです。 ──海外での撮影は今回が初めてでしたか? 莉子 はい、初めてです。修学旅行以来の海外で、4年ぶり。渡航の準備段階から「海外ってどうやって行くんだっけ?」という感じでした(笑)。久しぶりの海外が仕事で、しかも撮影ということで不安もありましたけど、やるしかないと思って飛び込みました。 ──タイでの撮影はいかがでしたか? 莉子 正直、最初は不安と緊張でいっぱいでした。現地はとても暑くて、ちょっと過酷な環境でしたし。どうしようという不安もあったんですが、『Popteen』時代の体育会系精神がよみがえってきて「やるしかない!」と自分に言い聞かせました。 ──印象に残った出来事は、どんなことでしたか? 莉子 タイはどこも室内が寒いんですよ。タイの人たちは暑さを和らげるために、室内をキンキンに冷やしているんです。それがサービスなんですが、私は寒すぎてスウェットを着たいくらいでした。日本の冷房の感覚とは違って、本当に冷え冷えなんです! それと、交通はバイクや車が主流で、タクシーが渋滞に巻き込まれることがしょっちゅうありました。「バイタク」というバイクタクシーも利用しましたけど、日本ではまず見かけない光景なので新鮮でした。撮影では「トゥクトゥク」にも乗りましたし、日本ではなかなかないことをたくさん体験できて、最初の不安はどこかへ消えて、終わってみれば本当に楽しい思い出ばかりです。 ──ご飯はいかがでした? 莉子 実は私、辛いものが苦手で、最初の1週間くらいは現場でも辛い料理ばかりで食べられず、ずっとタイ米だけを食べる生活でした(笑)。そんななか、プロデューサーさんたちが「ヤバい、莉子ちゃん、辛いのダメらしい」と気づいて気を遣ってくださり、辛くない料理を用意してくれるようになって、そこからはだいぶおいしくいただけました! ──撮影中、特に印象に残ったシーンはありますか? 莉子 私自身のアクションシーンは少なくて、体力的にはほかのみなさんほど大変ではなかったんですけど……普通に楽しかったのは、やはり「トゥクトゥク」に乗るシーンです。それと、前作の『インフォーマ』(関西テレビ/2023年)で印象的だったシーンがまた出てきたり、前作を観ていた人が楽しめるネタがあちこちにちりばめられているので、「あ! このシーンはあれだ!」と、ひとりで密かに盛り上がっていました。 ──今回のドラマでは、どのような役づくりを意識されましたか? 莉子 普段はノートに役について書き込むのですが、今回はあえて決め込まずにいこうと思いました。オーディションでお芝居を見ていただいたこともありますし、木原(桐谷)と三島(佐野)との関わりの中で変化していく役柄なので、先入観で固めてしまわないようにしました。 せっかくのタイという場所での撮影ですし、前作にも出てらっしゃる桐谷さんや佐野さんと初共演するなかで、その場の空気感を大切にしながら生まれるお芝居を受け止めて、キチンと返すことに集中しましたね。 ──撮影中、桐谷さんとはどんなお話をされましたか? 莉子 最初に本当に感動したのは、桐谷さんの気遣いです。タイの室内は寒いというのは聞いていて対策していたんですけど、ロケバスで初対面のあいさつをしてから、移動するとき、桐谷さんが「莉子ちゃん、ロケバスの温度大丈夫?」と、すぐ気にかけてくださったんです。初対面で、しかもさっきごあいさつしたばかりなのにすぐに私の名前を呼んで、温度まで気遣ってくださるなんて、本当に素敵な方だなと思いました。あの瞬間から、私も桐谷さんのような人間になりたいと強く思いました。 ──佐野さんとは、いかがでしょうか? 莉子 佐野さんとは、空港のシーンが最初でした。初対面だったのですが、待ち時間などに少し話しかけてくださったりして。佐野さんって本当に温かみのある方で、コミュニケーションの取り方からも、たくさんの経験をされてきた方なんだなと感じました。 ほかにも佐野さんは、タイでおすすめの場所のリストをスタッフさんを通じて送ってくださったり、後輩や私たちのことを気にかけてくれる方でした。今回の現場では、人に恵まれているなと改めて感じましたね。桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました。 ──タイでの撮休日は、観光を……? 莉子 そうですね、最初の3〜4週間はタイに滞在しっぱなしだったので、後半にはもう慣れて、ひとりでタクシーに乗ったり、マッサージやショッピングモールにひとりで行ったりしていました。タイでひとり行動できるなんてすごいなと自分で思うくらい楽しんでました(笑)。 ──特に印象に残った場所はありますか? 莉子 とにかくショッピングモールが大きくて、中には水上マーケットがあったりもするんです。色合いや装飾がタイらしくて楽しかったですね。ナイトマーケットも有名で、暑さのなか、汗をかきながらスタッフとご飯を食べたりして……いい思い出ですね。 ──改めて『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』の見どころは、どんなところですか? 莉子 前作でも日本のドラマでここまで作れるんだと思いましたけど、今作ではタイでの撮影ということで、さらに臨場感があります。日本ではなかなかできないカーアクションもかなり入っているので、映画のようなクオリティになっています。 前作を観ていた方にも「『インフォーマ』が返ってきた!」というような楽しんでいただける要素がたくさんありますし、私も含めて新しいキャラクターも登場するので、見どころ満載です。 映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在 ──ほかの作品についてもお聞きします。この夏公開していた映画『恋を知らない僕たちは』(2024年)の撮影はどうでしたか? 同世代の方が多い現場でしたよね。 莉子 とても楽しかったです。同世代と一緒だとリラックスできて、休みの日にはくだらない話で盛り上がることも多かったり、本当に学校のような感覚で撮影できました。 ──撮影地の学校のロケーションも素敵でしたね。 莉子 そうなんです、福岡で。学校や海が印象的な原作だったので、福岡のロケーションが作品の雰囲気を引き立てていました。福岡に1カ月ほど滞在して、酒井麻衣監督の映像美が際立つ作品に仕上がっています。 ──ああいう作品に出演するときは、原作のマンガを先に読んでから臨むんですか? 莉子 読みますね。原作がある場合は必ず読んでいます。原作を一度読み込んでから、そこから自分なりに役を落とし込んでいくんです。酒井監督は、キャラクターづくりに対して本当にこだわりを持っていて、髪型も役のために切ったり、持っている小道具も原作と同じ飲み物を用意したりと、細かい部分まで忠実に再現していました。みんなが一丸となってこだわりを持って作り上げる作品だったので、刺激的でした。 ──ボクも観たのですが、原作についてまったく予備知識がなくて、全然違う展開を想像していたので……。 莉子 そうなんですよ! 水野美波先生が作り上げる『恋を知らない僕たちは』(集英社)は、最初は学園恋愛ものに見えるんですけど、意外な方向に矢印が向かうのがおもしろいんですよね。それがリアルな恋愛模様を描いていて、私はその部分にすごく魅力を感じているんです。 ──この作品もですが、ご家族や友達からは、出演した作品への感想などは伝えられます? 莉子 家族は観てくれていると思うんですが、感想はあまり言ってきませんね。父は『インフォーマ-闇を生きる獣たち-』に出演するのは知っていて、タイでの撮影についても話していたので、前作の『インフォーマ』も観てくれたみたいで、めちゃめちゃハマってましたね。「あれはどうだった?」とか「このあとはどうなるの?」とか聞かれたんですけど、ネタバレはできないので「言わないよー」と返してました(笑)。 キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート ──ちょっとプライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることや好きなことはありますか? 莉子 カメラが好きで、フィルムカメラと……最近ではデジカメも使っています。フィルムカメラは高校2年生のころからずっと愛用していて、最近はハーフカメラも手に入れて、現像してみたらすごくよくて、さらにハマりそうです。映像作品の撮影現場では、フィルムカメラで共演者の写真を撮ったりしています。 ──カメラを始めたきっかけは? 莉子 高校生のときに「写ルンです」ブームが再燃していて、それをきっかけにインスタントカメラではなく、ちゃんとしたカメラが欲しいと思い、父に初めてフィルムカメラを買ってもらいました。今はスマホですぐに写真が見られる時代なので、現像までの待ち時間が新鮮で、フィルムの色味や画質の粗さもすごく好きなんです。ずっと使っています。 ──写真を撮るときに、何か工夫はしていますか? 莉子 特に工夫はしないのですが、人や物を撮るのが好きです。友達が笑っている瞬間など、現場の思い出を撮影して、あとで見返してそのときのことを思い出すのが楽しいんですよね。だから現場にもフィルムカメラを持ち込んでいます。 ──なるほど。普段はどのような休日を過ごしていますか? 莉子 家にいるのが苦手で、じっとしていられないんです。休みが本当にいらないっていう人間なので、それこそ仕事も週6とかでしていたいんですよ。週1の休みがあればじゅうぶんなんです(笑)。 けっこう日々動いていたくて、休みの日も必ずキックボクシングやジム、ピラティスに行っています。撮影期間中は朝から夜まで撮影があるので、運動できないのがストレスになるくらい。午後から撮影の日なんかは、午前中にジムへ行って、体を動かしています。 ──キックボクシングをやろうと思ったのは、エクササイズ目的で……? 莉子 はい。今は、特に本格的なジムに通っているわけではなくて、習い事的な感覚でエクササイズの一環として通っている感じです。体づくりが目的ですね。中学のときはバドミントンを3年間ゴリゴリにやっていたんですが、高校で仕事が忙しくなってからはできなくなってしまいました。でも、20代で運動をしているかどうかで将来が変わるなと感じていて、まわりの大人の方からもそう言われているので(笑)、やれるうちにやっておこうと思って続けています。 ──ほかに、やってみたいことはありますか? 莉子 最近はドライブにハマっていて、車を運転するのがけっこう好きなんです。友達とドライブに行くことが多くて、もっと遠出してみたいですね。あと、今はずっとグランピングに行きたくて。 ──基本、アクティブですね! 莉子 そうなんですよ、アクティブすぎて(笑)。 ──少し話が戻りますが、ドラマ『怖れ』(2024年/CBCテレビ)など、最近はいろいろな役柄を演じていますよね。そんななか、今後やってみたい役柄はありますか? 莉子 ずっと言っているんですけど……悪役をやってみたいです。ファンの方に「えっ、莉子ちゃんが……?」と驚かれるような役を演じてみたいんです。だから、悪役とか、人とケンカしたりいじめたりする役に挑戦してみたいですね。 ──『怖れ』の役にも、少しそういった空気感があるのかな……と。 莉子 たしかにそうですね。でも『怖れ』では役がいくつもあって、完全に悪役というわけではないんです。新しい挑戦でもあって、そういう意味ではすごく楽しかったです。 ──悪役の役づくりを徹底してみたいと……。 莉子 そうなんです。ワンクール通して悪役をやってみたら、自分がどうなるのか気になりますね。本当にやったことがないので、挑戦してみたいと思っています。 ──ありがとうございます。最後に、今まで観た作品の中で、好きな作品はありますか? 映像でも舞台でも構いません。 莉子 最近観たアニメになっちゃうんですけど、映画『ルックバック』(2024年)を観て、すごくよかったです! たった1時間でここまで人の心を動かせるんだと驚きました。しかもアニメーションで! 河合優実さんも声優をされていて、本当に素晴らしいなと思いました。いろいろな表現方法があって、あの短い時間でも伝わるものがあるんだと感じました。最近観た映画で、一番いいと感じた作品ですね。 ──なるほど。声優にも本格的に挑戦してみたいと思いますか? 莉子 やってみたいですね。ただ、声優って本当に難しいです。今までも少しやらせてもらったりオーディションを受けたりとかしたことはあるんですが……声だけで感情を伝えるのがいかに難しいかを実感しました。それでも、これからも挑戦してみたいと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 莉子(りこ) 2002年12月4日生まれ。神奈川県出身。雑誌『Popteen』(角川春樹事務所)専属モデルを経て、『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)で映画デビュー。その後、ドラマ『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)、『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品への出演を重ねる。現在、連続ドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)に主演、11月からABEMAで配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』では、主人公と行動をともにする「広瀬」として重要な役どころを演じている。
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女優・莉子“忙しすぎた”モデル時代を経て“負けず嫌い”な役者へ──
#19 莉子(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 莉子(りこ)。2018年〜2021年まで雑誌『Popteen』の専属モデルを経て、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)にて連続ドラマ初主演。その後も、ドラマ『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)や、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品に出演し、女優としての歴を重ねる。2024年10月から放送中のドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)では主演を、11月より配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)では、主人公と行動をともにする「広瀬」として、重要な役どころを演じている。若くして歴を重ねている彼女、まずは活動のきっかけから聞いてみた。 「focus on!ネクストガール」 今まさに旬な方はもちろん、さらに今後輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載。 目次学業とモデル業の両立。忙しすぎた学生時代モデルから女優へ──転機となった映画初出演松岡茉優との共演に学び、畑芽育とは刺激を受け合う仲 学業とモデル業の両立。忙しすぎた学生時代 ──この業界に入ったきっかけを教えてください。 莉子 小学6年生のころに「ANAP GiRL」というブランドが大好きで、よくそのお店に通っていたんです。ある日、店内にWEBモデル募集のお知らせが貼ってあって、そのブランドが好きすぎて応募したくなったんですよね。もともと、おしゃれやモデル、雑誌が好きだったので、ちょっとやってみたい気持ちはありました。ただ、当時はジュニアモデルでも身長が重視される時代で、応募条件に合わずに落ちてしまいました。そこから1年ぐらいの間、牛乳を飲んで身長が伸びるようがんばったりして、もう一回応募して受かったのが、きっかけだと思います。 ──なるほど、そのころから活動を始めたんですね。 莉子 はい。母は、幼稚園のころから私はファッションにこだわりがあったと言っていました。たとえば髪型にしても、母が「ここで結んでほしい」と言っても私は「イヤだ!」と言ったり……「これを着て」と言われても、「このスカートを履きたい」とか、自分の意思が強かったみたいです。 ──ANAP GiRLには、特にどんな魅力があったんですか? 莉子 ブランド自体が大好きだったのもありますけど、店長さんがとてもよくしてくれたんです。今でも連絡をくれるくらい親しくしていて……本当にお姉ちゃんみたいな感じで接してくれて、私にとって特別な存在でした。フリフリした服装よりも、ポップでカジュアルなスタイルが好きだったので、それも大好きになった理由ですね。 ──初めてWEBモデルとしての仕事をしたときの印象や、覚えていることはありますか? 莉子 ANAP GiRLは中学生までのブランドだったので、中学3年生までには卒業というルールがあったんです。私は背が低かったので、わりと長く続けることができたのですが……小学生のころは本当に「放課後の楽しみ」でした。それこそ撮影場所が原宿だったので、竹下通りに行けるのも楽しみのひとつだったし。放課後になると急いで家に帰り、母と一緒に撮影場所へ向かうという日々で、撮影がある日はそれだけでやる気が出て、学校の授業や宿題もがんばれました。 中学に入ると部活動が始まって、忙しくなりました。部活を休んで撮影に行くこともあったんですけど、基本的には学校に通い、部活がない日の放課後に活動をしていたんです。そんななか、中学2年生のときに今の事務所から声をかけていただいて、そこから本格的にお仕事としてやっていくという自覚が芽生えていきました。 ──なるほど。ちなみに部活は何をやっていたんですか? 莉子 バドミントンです。 ──中学生での部活と仕事の両立は、大変ではなかったですか? 莉子 正直、中2から中3まではそれほど忙しくなかったです。事務所に入って数年後に『Popteen』のモデルが決まったんですけど、高校の3年間は、もう本当に凄まじく忙しかったですね。 ──特に忙しかったときのこと、何か覚えていますか? 莉子 高校時代はほぼ始発で『Popteen』の撮影に行って、朝8時くらいに撮影が終わったら急いで学校に行き、放課後また撮影に戻って、夜10時まで仕事をして帰る……という日々で、本当にあっという間に時間が過ぎていきましたね。 ──それはもう、やりたいというモチベーション、一心で……? 莉子 そうですね、当時は特にやる気がみなぎっていました。時代的にも、ちょうどTikTokやSNSが流行り始めていた時期で、雑誌内でのバトルや競争も多かったんです。ずっと目標だった『Popteen』モデルの仕事ができているという気持ちがモチベーションになって、これをがんばらないと!というエネルギーで突っ走っていました。 ──その中で、徐々に活躍が増えていったという実感はありましたか? 莉子 正直、あまり自覚はなかったですね。気がついたら単独で表紙を飾ることもありました。私は常に自信がないタイプなので、まわりから「たくさん見かけるよ」と言われて初めて、「あ、私ってそんなに世の中に出てたんだ」と気づくことが多いんです。 自覚はあまりないのですが、先輩たちが卒業していくなかで、だんだん自分も先輩の立場になっていくことを感じるようになりました。『Popteen』は年功序列がはっきりしていて、体育会系のような厳しさもあったので、礼儀や上下関係についてはかなり学びましたね。 ──『Popteen』時代で、特に思い出に残っている出来事はありますか? 莉子 運動会があったんですよ。小学校の体育館を借りて、モデル全員で本当に運動会をしたり、あと、キャンプに行ったりもしました。自分たちでテントを組み立てて泊まるとか、けっこう過酷な経験(笑)。『Popteen』は“第2の学校”みたいな存在で、学校での高校生活と同じくらい充実していました。いつも忙しく動き回っていたので、あのころの自分の体力はすごかったなと思いますね。 ──モデルとして活動しながらも、何か新しいことをやりたいという気持ちが芽生えてくる感じはありましたか? 莉子 正直なところ、高校の3年間はがむしゃらに過ごしていました。本当に毎日を生き抜くのに必死で(笑)、自分がやるべきことをこなすのに精いっぱい。『Popteen』の撮影に向かう電車の中で、テストに向けて赤シートを使って必死に勉強していると……気づいたら寝落ちしていて、隣のおじさんがその赤シートを持っていてくれたことも。そんなギリギリの生活をしていました。あのときの自分を褒めてあげたいですね。 モデルから女優へ──転機となった映画初出演 ──なるほど。とすると、そんな忙しい中で『Popteen』を卒業したあとに何をするのかを考え始めたのは……? 莉子 実は、高校2年生のときに『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)という映画に出演させてもらったりして、少しずつお芝居にも触れていました。ただ当時は、自分から「お芝居をやりたい」というよりも、マネージャーさんから勧められた感じでした。 この映画に出たときは、まわりの方々のお芝居に圧倒されて、自分が何もできないことが本当に悔しかったんです。それまでモデルだけをしていたので、お芝居の現場で何も知らずに立っている自分が申し訳なくて、それでお芝居についてもっと知りたいと思うようになりました。基本、負けず嫌いなので、できないことに直面すると悔しくて、もっとやらなきゃと思うんです。 それをきっかけにワークショップに通い始めて、演技の基礎を学んでいくなかで、お芝居が楽しくなっていきました。ちょうどそのころ『Popteen』も卒業しようと決めたので、「これからはお芝居もやっていきたい」と思うようになりました。 ──最初にお芝居をした『小説の神様 君としか描けない物語』の現場は、具体的にどんな感じでしたか? 莉子 撮影は2日間くらいで、佐藤大樹(EXILE)さんの妹役で病院に入院しているシーンだけだったのですが、とにかく悔しかったんです。まわりの方々を見て、「これがお芝居なんだ」と感じ、緊張しっぱなしでほとんど覚えていないような感じです。でも「悔しい」という気持ちだけはしっかり残っているので、それをきっかけにお芝居を学びたいと思ったのは間違いないですね。 ──それまでも、視聴者としてドラマはいろいろと観ていたり……? 莉子 今ではお芝居の仕事をしているのでいろいろなジャンルのドラマを観るようになったんですけど、昔は恋愛ものやキラキラした作品が大好きで、そういうものばかりを観て育ったので、幅広いジャンルにはあまり触れていませんでした。 ──好きだった作品はなんですか? 莉子 小さいころに観ていたのは『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』(2009年/フジテレビ)ですね。月9の恋愛ドラマです。 ──お芝居を意識的に始めてから「自分がキチンと演技できているかも……」と感じた最初の現場はどこですか? 莉子 演技が楽しくなってきたときにお話をいただいたのが、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)でした。初めての主演としてプレッシャーを感じながらも、演技をしっかりできたという感覚が生まれた作品です。さまざまな感情が混ざり合った濃い経験で、本当に忘れられない作品でした。 ──『ブラックシンデレラ』での役柄は、コンプレックスを抱える複雑なキャラクターでしたが、どう役づくりをしていきましたか? 莉子 初めての連ドラでの主演ということもあったので、役づくりについてどうすればいいかもわからず、とにかく身近なところから始めました。たとえば、高校の友達に「顔に傷があったらどう感じる?」と質問したり、そうやって自分のまわりから役づくりを始めた記憶があります。それからは、ノートに自分の考えやキャラクターの想いを書くことを続けています。この作品で得たその感覚は今でも大切にしていて、毎回作品に入るたびにノートを取って、自分の解釈を書き込んでいます。 松岡茉優との共演に学び、畑芽育とは刺激を受け合う仲 ──それ以降で、印象に残っている作品はありますか? 莉子 ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)は、地上波での初めての連続ドラマで、しかも学園ものなので、同世代の俳優たちと同じ空間で演技をする瞬間のすごさやスケールの大きさを感じました。特に教師役の松岡茉優さんは、穏やかで素敵な方でありながら、演技に入るときの切り替えはすごくて、現場全体に影響を与えていました。松岡さんの演技力と佇まいが私たちに多くのことを教えてくれて、本当に刺激を受けました。 ──松岡さんとは、撮影中、話す機会はありました? 莉子 はい。撮影が終わったとき、みんな号泣するほどやりきった感があって。そのとき、松岡さんが「ありがとうございました」と言いながら、生徒役一人ひとりにお花を渡してくれたんです。私にも「莉子ちゃんは本当にまっすぐな目がすごく印象的だった」と言ってくださって……30人近くいる生徒役のことをちゃんと見てくれているんだなと感じましたね。松岡さんとご一緒したことで、私も広い視野ですべてを見られる女優でありたいなと思いました。 ──活動していくなかで、仲よくなった方はいますか? 莉子 畑芽育ちゃんとは、すごく仲よくなりました。映画『なのに、千輝くんが甘すぎる。』(2023年)で初めて一緒になったんですけど、私はそれまで芽育ちゃんのことをずっと注目していて“かわいすぎるコがいる!”と思っていました。初めて会ったときに「ずっと好きでした!」って伝えたら、芽育ちゃんも「えー! うれしいです」ってなって……そこから撮影期間を通じて仲よくなって、今でも作品のあとにご飯に行くとか、こんなに長く仲よくさせてもらうことになるとは思わなかったので、とてもうれしいですね。 ──畑芽育さんとのエピソードで、思い出深いものはありますか? 莉子 一緒に温泉や岩盤浴に行ったり、家にも来てくれたりします。疲れたとき「とりあえず会って話そう」と、焼き鳥屋さんでご飯を食べたりするような仲です。ただ会って話すだけで満足できる、そんな本当に友達みたいな関係になれて、すごくうれしいし、ありがたいです。 ──仕事の話もお互いにするんですか? 莉子 はい。次の作品についてとか。行き詰まったときにもLINEで「こんなことがあるんだけど、どう思う?」と聞くと、「大丈夫、大丈夫。莉子はまじめだから」と励ましてくれるんです。同業でここまでの仲になれるのは珍しいことなので、本当にありがたい存在ですね。 ──松岡さんの話もありましたが、ほかに憧れている、目標にしている俳優さんはいますか? 莉子 有村架純さんのお芝居がずっと好きで。今後20代後半から30代になったときに、有村さんのような深みのあるお芝居ができる女優になりたいと思っています。今は役や作品によって求められることを必死にこなしている感じなんですが、大人になればなるほど、お芝居にもその人の人間性がにじみ出てくると思うんですよね。有村さんの演技は自然で柔らかいのに、しっかりと感情が見える部分があって、すごく惹かれます。 ──有村さんの出演作の中で、特に好きなものはなんですか? 莉子 『海のはじまり』(2024年/フジテレビ)は、感情の起伏があるシーンと日常的な会話が多いシーンのバランスが素晴らしいと思っています。普通になりがちなシーンでも感情がしっかり伝わってきて、あの柔らかさと強さのバランスは、やはりキャリアを積んだ方だからこそ出せるものなんだろうなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 莉子(りこ) 2002年12月4日生まれ。神奈川県出身。雑誌『Popteen』(角川春樹事務所)専属モデルを経て、『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)で映画デビュー。その後、ドラマ『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)、『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品への出演を重ねる。現在、連続ドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)に主演、11月からABEMAで配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』では、主人公と行動をともにする「広瀬」として重要な役どころを演じている。 【インタビュー後編】
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“本当に怖がりながら逃げた”『逃走中』ヒロイン・田鍋梨々花
#18 田鍋梨々花(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 田鍋梨々花(たなべ・りりか)。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 「前編」では、この世界に入るキッカケや、モデルや女優としての初仕事の思い出を話してくれた彼女。「後編」では、意外な回答が出てきた、この問いから……。 インタビュー【前編】 目次目標は、研ナオコさん“リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」プライベートでは“食”を軸に 目標は、研ナオコさん ──田鍋さんが、目標にしている方はいますか? 田鍋 研ナオコさんが好きなんです。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)に出ていた研ナオコさんを好きになったのがきっかけで、今も研さんのYouTubeチャンネルを観たりしています。話し方とか、ファッション、メイク、自分のスタイルを持っているのがカッコいいなと思っています。 ──自分を持っている人というところに憧れている? 田鍋 はい、カッコいいです! 私もああいうふうに歳を重ねていったら楽しいだろうなと思っています。メイクとかも、常に楽しんでいて。 ──でも、研ナオコさんというのは、ちょっと意外でした。バラエティ的なことなんかにも興味はあったりします? 田鍋 見るのは楽しいです。 ──コントをやってみたいな、まではない……。 田鍋 うーん……コントはとっても難しそうです。 ──演技だと思えばやりやすいのかも。普通にバラエティのスタジオで話すより、もしかしたらコントのほうが台本があるぶん、女優さんとしてはやりやすいかも……。 田鍋 たしかに! そういう考え方もありますね(笑)。 ──いつか、ぜひ。それと、何か好きな作品はあったりしますか? 映画でもドラマでも。 田鍋 何かひとつの作品というよりは……けっこういろいろと観るんですけど、人の愛憎入り乱れるようなギッタギタなやつが大好きです。ママ友の嫉妬とか、不倫とか、裏切ったり裏切られたり、人間の闇が見える瞬間のドラマが、私からすると“異世界”すぎて、おもしろいです。 ──たとえば、どんな作品が好きなんですか? 田鍋 少し前の作品ですけど、『名前をなくした女神』(2011年/フジテレビ)とか、好きです。 ──ああ、なるほど。きっと自分のまわりにはない世界だからこそ、おもしろいんですね。自分でもそういう役をやってみたいと思いますか? 田鍋 チャンスがあれば、いつかやってみたいです! 自分にとって異世界的なものが好きなんですよね。『逃走中』(フジテレビ)も、絶対に現実にはないし、そういう世界が好きなのかも。 “リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」 ──今ちょうど出てきましたが、映画『逃走中THE MOVIE:TOKYO MISSION』が公開されますよね。最初にお話を聞いたとき、どう思いましたか? 田鍋 最初は……『逃走中』の映画って何? どういうこと?っていう感じでした。 ──そうですよね。僕も最初に聞いたときはびっくりしました(笑)。どういうストーリーで、田鍋さんは、どんな役を演じているんですか? 田鍋 『逃走中』に、弟と一緒に参加するんですけど……ゲーム自体が乗っ取られて、捕まったら死ぬというデスゲームに切り替わってしまうんです。私は弟思いのお姉ちゃんの役なのですが、ほかにもお金が欲しいとか、なにかしらの目的があって集まったいろいろな人たちの人間模様が繰り広げられます。 ──弟を守りながら逃げるという……? 田鍋 そうですね。 ──実際に走って逃げたりするシーンも多かったりしましたか? 田鍋 そうですね、「ハンター」(逃走者を確保するため追ってくるアンドロイド)も、実際に何十体もいたりするので、リアルに怖かったです。 ──テレビで観ていた『逃走中』よりも、リアルに感じましたか? 田鍋 テレビで観ていると楽しそう!って思ってたんですけど、実際に追いかけられるとこんなに怖いんだという感じでした。 ──撮影中に印象に残ったことや、思い出に残ったことはあります? 田鍋 ゲームが乗っ取られてからは、ハンターが「ワイルドハンター」という悪いハンターに変わるんです。地下駐車場へ降りていくシーンで、私のちょっとうしろにワイルドハンターが4人くらいいて、襲ってくるんです。全力で坂を下るんですけど、エキストラの方たちの悲鳴とか迫力がすごすぎて、その中に入って、うまく逃げられるかなって……本当に怖くて逃げたことが、すごく印象に残っています。 ──弟役の子(川原瑛都)とは、撮影の合間に話したりしましたか? 田鍋 そうですね。撮影中はすごくしっかりしているんですけど、不意に垣間見える小学生らしさがかわいくて、そのギャップにみんなやられていました。 ──田鍋さんが思う、映画の見どころはどのあたりでしょうか? 田鍋 人間模様はもちろんなのですが、テレビの『逃走中』によく出演されている方や、ガチャピンなんかも出てくるんです。あと、ちょっと笑えるようなシーンもあって……もちろん感動もあります。たくさんの要素が詰まっているところが見どころだと思います。 ──幅が広いんですね。 田鍋 はい。 ──印象に残っている方はいますか? 田鍋 キャラクターですね! (出世大名)家康くんとか、ぐんまちゃん、ご当地キャラクターがかわいかったです。 ──ゆるキャラは、ゆるキャラのまま登場するんですね。 田鍋 はい、そうです。ゆるキャラのまま(笑)。 ──撮影の合間に、ゆるキャラと絡んだりしました? 田鍋 はい! 楽しかったです。 ──ご自分が演じたシーンで、ここを観てほしいというポイントはありますか? 田鍋 ただ逃げているだけじゃない、みんなの勇敢な姿を観てほしいです。ラストに向かってみんなのスイッチが入る瞬間があるので、そこは特に見どころだと思います。 プライベートでは“食”を軸に ──田鍋さんが今後やってみたい役柄はありますか? 田鍋 いろいろな職業に触れてみたいですね。警察官とか受付係とか……今までは学生の役が多かったので。コンビニ店員なんかもやってみたいです。 ──今思う、具体的にやってみたい職業はありますか? 田鍋 そうですね、オフィスで名札をつけて働く役とか、スーパーのレジ打ちもやってみたいです。 ──ドロドロもありそうですよね、スーパーとか(笑)。……話は変わりますが、最近ハマっているものはありますか? 田鍋 最近は、薬膳が好きです。マーラータンとか火鍋とか、薬膳系の味が大好きなんです。辛いのが大好きすぎて、毎日食べていた時期もあったんですけど少し控えてて……ただ、最近またちょっとずつ食べ始めたら、今またハマってしまっています(笑)。やっぱり薬膳が好きですね。 ──中でも、この具が好きとかあります? 田鍋 キクラゲですね! あと、薬膳は体にいいと思いつつ……ご飯、お米も大好きで。 ──なるほど。薬膳以外で好きな食べ物はありますか? 田鍋 生牡蠣やパクチー、大葉など、けっこう癖が強いものが好きですね。 ──お店を自分で探したりはします? 田鍋 夜寝る前にGoogleマップでお店を見て、食べたいメニューを決めて……というのをよくやるんですよ。でも結局、行ったりはしないんですけど(笑)。 ──(笑)。自分で行くお店以外で……たとえば、撮影の合間に出てくるご飯の中で好きなものはあったりしますか? 田鍋 のり弁が大好きです! 唐揚げ弁当なんかも好きなんですけど、のり弁だけでいけちゃいます。おかずもなしで、のりと醤油だけで、何杯でもご飯が進みます。 ──それにしても、ご飯(米)ばかり食べていても太らないんですか? 田鍋 太らないわけではないんですけど、気持ちの問題だな、と。太らないと念じて食べています(笑)。 ──なるほど、気持ちなんですね。今後やってみたいことはあります? 田鍋 いつか気球に乗ってみたいです。それと最近では、ぬか床を作って、ぬか漬けを自分で作ってみたいと思っています。常に家にぬか漬けがあると幸せだな~と思って。 ──ぬか漬け! 食に関することが多いですね。 田鍋 はい、食を軸に生きています! ──気球には、なぜ……? 田鍋 気球から見える景色はきっとキレイなんだろうな、感動するだろうな~、と。そこでしか味わえない何かが生まれそうな気がします。 ──空を飛びたいというわけではなく、気球に乗りたいんですね。 田鍋 はい、気球に乗りたいんです。 ──逆にぬか漬けのほうが、ハードルが高そうですね。あと、ドラマ以外の仕事でやってみたいことはありますか? 田鍋 わんこそばチャレンジとかやってみたい! プライベートでわんこそばを食べても苦しくなるだけな気がするけど、撮影を通してなら、楽しみながら挑戦できそう。 ──わんこそばは、何杯くらい食べられそうですか? 田鍋 女性の平均がどれくらいなのかわからないのですが、100杯を目指します。 ──ぜひ、いつかチャレンジを。ちなみに食リポの仕事はやったことあります? 田鍋 ほとんどないです。 ──やってみたら、うまくできそうな気がします? 田鍋 え~、できないと思います(笑)。私、真剣に食べちゃうので。 ──食に関するドラマなんかもいいですよね。 田鍋 たしかに! お寿司屋さんとか。でも、これって食べたいだけですね(笑)! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 田鍋梨々花(たなべ・りりか) 2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)、『くるり~誰が私と恋をした?~』(2024年/TBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「人生における“サボりの期間”が、その後の糧になる」下田昌克のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 色鉛筆による生き生きとしたポートレートなどで知られる画家/イラストレーターの下田昌克さんは、近年のライフワークとして、キャンバス地で恐竜の被り物を制作している。恐竜の化石が放つ本質的なカッコよさをポップに落とし込んだ被り物を「衝動的に作り始めた」という下田さんに、その創作の経緯などについて聞いてみた。 下田昌克 しもだ・まさかつ 1967年、兵庫県生まれ。1994年から2年間、世界各国を旅行。旅行の絵と日記をまとめた『PRIVATE WORLD』(山と渓谷社)を出版し、絵の仕事を始める。2011年よりプライベートワークでハンドメイドの恐竜のヘッドピースを作り始める。2018年、COMME des GARÇONS HOMME PLUSがAWのメンズコレクションのショーにて、そのヘッドピースを採用。2021年、Virgil Ablohからの依頼で制作したマスク、ヘッドピースがOff-White/Fall 2021/Paris,Franceで使われる。絵本『死んだかいぞく』(ポプラ社)が、イタリアにてボローニャ・ラガッツィ賞2024特別部門「海」で特別賞(Special Mention of the 2024 BolognaRagazzi Awards for The Sea – 2024 Special Category)を受賞。2024年には、音楽劇『死んだかいぞく』が上演された。 何もうまくいかなくて、海外を放浪した2年間 ──下田さんはどんな人に影響を受けて、アートやデザインの世界に興味を持ったのでしょうか。 下田 子供のころは手塚治虫が好きでしたね。10代になってからは、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグの映画を意識して観るようになりました。『スター・ウォーズ』や『E.T.』とか、当時は「これが観たかったんだよ!」っていう感じで。 ──その後、美術系の学校に進まれますが、最初からアーティストを志していたわけではないそうですね。 下田 だって、なれると思わないじゃん! 子供のころは絵を描けば褒められたけど、美術の高校に行ったら、クラスで一番ビリで、勉強もできなくて……。クラスのみんなが美大を目指してるのに、ひとりだけ先生から美大進学の話を一回も聞かれないまま卒業したくらいだったので、絵で仕事ができるとはとても思えなかったです。 それで、会社員になったんですけど、全然うまくいかない。結局、会社をクビになったから、親のお金でデザインの専門学校に行かせてもらったものの、就職したデザイン事務所も1年でクビ。それからアルバイトをいろいろやってみたけど、それも全然続かない。本当に何をすればいいのかわかんなくなって、一度、働くということから離れてみようと思いました。 ──そこから、海外を放浪することになったと。 下田 最初は国内を自転車でブラブラ回ってたんですよ。まだ若かったから、人の家に泊めてもらったり、食べ物を食べさせてもらったり、アルバイトさせてもらったりしながら過ごしていたら、初めて貯金できて、100万円くらい貯まった。 ──すごいですね! 下田 それで、そのお金を持って海外旅行に行ったんです。なんとなく日記でも描きそうな気がしたので、スケッチブックと色鉛筆をカバンに入れて。中国からチベット、ネパール、インド、ヨーロッパなんかを回ったんだけど、時間を持て余してやることがなくなったときでも、日記帳に撮った写真を貼ったり、絵を描いたり、日記を書いたりしていました。学校の宿題の日記なんて一度もちゃんとつけたことないのに。旅行していた2年間で、出会った人たちの絵は500枚くらい描いたと思います。 下田さんが海外を旅したときの日記 ──下田さんの視点で旅の空気感がパッケージングされていて、スクラップブックみたいな作品になっていますね。中でも人との出会いは大きかったんですね。 下田 風景を描いてみたりもしたけど、人としゃべりながらその人の絵を描いたりするのが楽しくなって。そこで、「仕事にするのは無理だとしても、こういうことを一生続けていけたらいいな」ってなんとなく思うようになった気がします。 とにかく絵の仕事に専念してみようと「自称絵描きに」に ──ポートレートに関しては、このころからあまり作風が変わらないように思いますが、旅の中で生まれたスタイルなんですかね? 下田 そうですね。ずっと変わらない。持ち運びやすいし、すぐ描き始められるし、どこでも手に入るし、片づけもいらないから、色鉛筆は自分には合ってたと思います。人の描き方も、目の前に座ってもらっているから時間がかけられないし、向かい合ってずっとしゃべりながら描くから正面の顔ばっかりになって、こういう絵になった。 ──それがきっかけで、絵の仕事をされるようになったんですね。 下田 旅行から帰ってきて、写真や絵をまわりの友人などに見せていたら、人づてに週刊誌の連載の話をいただいたんです。もちろん、最初は絵だけじゃやっていけませんでしたよ。でも、絵を描くことで関わったデザイナーさんや挿絵を描いた小説家の方など、会う人たちがおもしろい人ばかりだったので、もっと絵の仕事をやってみたいと思うようになって。 それで、アルバイトの求人もなくなってきた30歳のタイミングで、絵の仕事だけで一度やってみようと思いました。ダメだったら、またバイトして考えようかな、くらいで。 ──「描きたい絵を描く」のと「仕事として絵を描く」のは違うと思いますが、「とにかく絵を仕事にする」という気持ちが大きかったのでしょうか。 下田 そうですね。絵の仕事ならなんでもよかったんですけど、きっかけが旅行中に描いた絵だったから、自分の描きたいものを作らせてもらえることも多かったです。小説の挿絵とか、題材があって「何を描こうか」って考える仕事も大好きですし。自分発信だけでやるほど中身もないから(笑)、両方できてよかったと思ってます。 ──自分から発信する場合、何かテーマや題材などはあったりするのでしょうか。 下田 作りたいものがあって、それをどうやってかたちにするか考えたり。たとえば、最初の絵本は、旅行中に描いた風景画をつなげていったらお話になりそうな気がして、絵本を作ってみたいと思って。とりあえず自分で1冊作ってみて、コピーして製本して出版社を回って、「これが作りたいんだけど、どうしたらいい?」って聞いて回りました。 ──物語を考えたりするのも好きなんですか? 下田 好きは好きだけど、その風景画の絵本のときは、とりあえず絵だけで作ってみて、本になることが決まったときに「文章どうしよう」って聞かれて。誰か文章を書ける人がつけてくれるもんだと思ってたら、「僕が書くの!?」みたいな(笑)。先に絵でお話を作っちゃったから、自分しかいないといえばいないんだけど、本当に何も知らないまま作ってたので。 欲しいものがなかったから、自分で作ることにした ──恐竜の被り物も、なんとなく興味の向くまま手を動かしたことが制作のきっかけらしいですね。 下田 2011年に、恐竜博に行ったのがきっかけで。久しぶりに見た恐竜の骨格標本がすごくカッコよくて、買い物をする気満々でミュージアムショップに行ったら、そのときは欲しいものが何もなくて、図録だけ買って帰ったんです。 家に帰ったら、絵を描くキャンバス用の布が丸めて置いてあって、なんとなくそれを切ってトリケラトプスの角とかを作ってみたんですよね。なんとなくだから、サイズも自分が基準になってて、なんか被れそうなものができ上がったから被ってみたら、「おお〜っ!!」と思って。2次元にはない、原始的な興奮を感じた気がしたんです。 ──絵では表現できない何かを感じた。 下田 しばらくは絵も描かずに、ずっと作ってましたね。 ──キャンバス地で恐竜の被り物を作るのも、意味やテーマはないんですね。 下田 そう。たまたま恐竜博に行って、布があって、ガムテープやホッチキスを使って形にしてみただけで。でも、作っているうちに、だんだん「中に何か詰めたほうがいいな」とか「ミシンを買ってみようかな」とか「身につけるっていうのがおもしろいな」とか思うようになって。だから、全部あとづけ。仕事につながるなんて思いもしなかった。 ──それを周囲の人が見てくれたことで、広がりが生まれたんですか? 下田 でも、最初はちょっと怖がられてましたよ。絵も描かずに急に恐竜を被り始めたから、本当に心配してる人もいて、「今だから言えるけど、あのころちょっと怖かったよ」みたいな(笑)。僕は僕でカッコいいものができたと思ってるから、毎日のように持ち歩いて被ったりしてたんだけど、たしかにちょっと怖いですよね。 ──ただ、中にはおもしろがってくれる人もいた。 下田 そう。たとえば、一緒に絵本を作る仕事で出会った谷川俊太郎さんは、わりと最初から率先して被ってくれました。それで谷川さんと会うときは一番新しい恐竜を持っていくようになったら、谷川さんが「これに詩を書くから、連載できる場所を探してきて」って言ってくれて。それがきっかけで雑誌の連載が始まって、世に出るようになりました。でも、撮影してくれた藤代冥砂さんもそうだけど、仕事というより単に楽しんでくれてたのかもしれない。 原点は、ひとりで行った映画館の暗闇 ──被り物以外にも舞台の美術や小道具、衣装を手がけられたり、活動の幅を広げられていますが、それぞれ向き合い方などは違ったりするのでしょうか。 下田 道具や材料が変わるだけで、一緒ですね。一生懸命やります。スタイルを変えたとか言われることもあるんだけど、全然変えてませんから。そのときの自分のブームによってやることが違ったり、いただいたテーマによってやり方を変えたりしているだけなんで。自分のスタイルみたいなものに特にこだわりがないというか、スタイルと呼べるほどのものを持ってない(笑)。 ──では、「こういうことをやってみたい」「こういう絵を描きたい」といった展望も特にない? 下田 ないですね。そういう作戦とか考えたほうがいいんだよな、本当は。でも、手を動かしていると何かがやってくる感じで。 ──恐竜との出会いはまさにインスピレーションが刺激された経験だと思いますが、同じようにインスピレーションを得た経験はほかにありますか? 下田 なんだろう、映画とかライブとか展覧会とか、いろんな本とか。小学生のときから、ひとりで映画館に行くのが許されてたんですよ。僕は落ち着きのない子供で、授業中にじっとしてられなかったりしたこともあったんですが、劇場や映画館は大好きで、そういうところでは静かに大人しくできた。あと、コンサートやお芝居は親に連れていってもらって、劇場で「ここは大人の場所だから、大人にしてなさい」と母親に言われたのをすごく覚えている。 まわりに子供がいない感じが妙に好きだったんですよ。友達と遊ぶのも好きだけど、ひとりで映画館に行って、暗闇の中で「落ち着く」とか思うような小学生でした。それが中学になると映画を観たついでにジャズ喫茶に寄ったりするようになって、高校になると洋書屋さんに立ち寄ってアートを見たりするようになった。そうやってひとりで観て、読んで、聴くことでふくらんでくるものがあって、いまだに創作の材料になっているような気がします。 ──10代で出会うものって、特別ですよね。 下田 やっぱり一番強烈なんだよなぁ。あのころいっぱい遊んでよかったと思う。当時、地元の神戸でRCサクセション、YMOのライブも観に行ったりしてました。一応学校ではまじめにやってたんですよ、まじめにやってるのに成績がビリだったっていうだけで。一番カッコ悪い(笑)。 創作は、自分の中の“好きな点”がつながることで動き出す ──「サボり」がこの企画のテーマなんですが、下田さんにとっては人生におけるサボりの時間が大きそうですよね。10代の過ごし方もそうですし、2年間海外にいたのも大きな意味でサボりといえそうです。 下田 まあ、学生時代はサボってたんでしょうね。だからこそ、あのころに観たものが深く刺さってる気がする。ずっと取っておいてあるんだよね、当時の映画やお芝居のチケット。今と違ってカッコいいでしょ。 当時のチケットの束 ──すぐに出てくるのがすごいです。 下田 宝物だもん。僕の札束だよ。たまんなくない? ──たまらないですね。このころが特別な時間だったことが伝わってくるというか。 下田 友達と行くこともあったけど、このチケットはだいたいひとりで行ったものだと思う。 ──ひとりだからこそ、自分の中で熟成されるようなこともありますよね。 下田 どうなんだろう。でも、たしかに自分の作るものも、何もないところから湧いてくるんじゃなくて、過去に観たものや、知ったこと、経験したことなんかが点としていっぱいあって、それが何かの瞬間にビャーッとつながる感じですね。そういう“好きな点”がいっぱいあるといいですよね。サボりながら、遊ぶようにその点を作ってこられたことは、自分にとってよかったと思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「うまくサボって、コンテンツ作りに効率と持続性をもたらす」橋本吉史のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 TBSラジオで数々の人気番組を立ち上げてきた、ラジオプロデューサーの橋本吉史さん。TBSラジオ退社後は、配信者やパーソナリティとして自らトークを繰り広げるなど、プロデュース業に留まらず幅広く活動している。そんな橋本さんに、クリエイターとしての原点や番組作り、幅広い活動の背景などを聞いた。 橋本吉史 はしもと・よしふみ 1979年、富山県生まれ。プロデューサー/配信者。2004年、株式会社TBSラジオ入社。『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』、『ジェーン・スー 生活は踊る』、『アフター6ジャンクション』など、数々の番組を立ち上げる。24年にTBSラジオを退社し、フリーランスのプロデューサーに。文化人として芸能事務所sai & co.に所属し、ラジオに限らずさまざまなコンテンツでラジオ体験をプロデュース、番組パーソナリティなど出演者として活動、ライブ配信者としてのプロジェクトも立ち上げるなど、活動の幅を広げている。 クリエイターとして必要なものは、すべて学生プロレスから学んだ ──橋本さんが手がけるラジオ番組からは、さまざまなカルチャーのエッセンスが感じられますが、ご自身はどんなカルチャーに影響を受けてきたのでしょうか。 橋本 僕は地方都市で生まれ育ったので、東京に比べれば遥かにカルチャー不毛の地ではありました。だから触れられるエンタメもある程度は限られていて。やっぱりテレビの影響は強かったですね。バラエティ番組が好きだったんですけど、今思えば、お笑いというよりも企画性に惹かれていたような気がします。 特に、裏方であるスタッフも前に出てくるようなチーム感のある番組に憧れていました。それってすごくラジオ的な構造でもあるので、そういう意味でも自分にとってのルーツかもしれないですね。 ──世代的に、インターネットもまだ広まっていませんでしたね。 橋本 そうですね。だから、雑誌や本からも影響を受けていました。『smart』っていうファッション誌で、なぜかジャーマン・テクノみたいなディープなカルチャーを知ったり、大槻ケンヂさんのエッセイに出会って、B級映画やプロレスのおもしろがり方といった、サブカルチャー的な視点を学んだり。あとは、地元にシネコンができたので、映画もけっこう観てましたし、ゲームの進化とともに人生を歩んできたので、ゲームもずっとやってましたね。 ──不毛の地出身とはいえ、幅広いカルチャーに触れられてきたんですね。 橋本 でも、大学で上京したら、やっぱり東京は格が違うと思いましたよ。中でも学生プロレスとの出会いは自分のキャリアにとって決定的だったというか、クリエイターとしてエンタメを作る上での価値観は、ほぼプロレスから学んだといってもいいくらいで。 たとえば、プロレスはお客さんを沸かせてナンボなので、まず試合をどう盛り上げるかというところから教わるわけですよ。いきなり必殺技を出しても盛り上がらないから、ちゃんと振りを入れるとか。お客さんを惹きつける試合の構築は、まさにエンタメの基礎だったなと思います。 ──学生プロレスにもプロ意識が求められる。 橋本 僕らはプロと違って、学園祭やお祭りで通りすがりの人を立ち止まらせなければならないんです。興味がない人の心をつかむのって、すごく難しいじゃないですか。だから、いかにインパクトを与えて、そこからどう惹きつけるか、プロ目線で考える必要があったんですよね。ウケないと、僕らもやっててキツいですし。 ──なるほど。そういった経験は、ラジオの世界でどう活きてきたのでしょうか。 橋本 それこそ、入社するといきなりプロの世界に飛び込んで、厳しい視線にさらされるわけじゃないですか。最初からプロの世界で通用する人なんてまずいないので、みんな打ちのめされるんですけど、僕はそこで落ち込んだり、苦労したりすることはなかったです。 そういうものだとわかっていたし、「どうやったら伝わるか」をずっと考えてきたので、ラジオの世界でも同じように考えることは、大変だけどつらくないというか、むしろ楽しいと思えた。そこはプロレスをはじめとするサブカルチャー的なベースが活きたと思いますね。 いいパーソナリティは、正直で、共感されやすい ──プロデューサーとして最初に立ち上げられた番組は『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』ですが、当時、宇多丸さんがパーソナリティのサブカル的な番組という企画を通すことにハードルなどはなかったのでしょうか。 橋本 TBSラジオにはそういう土壌があったので、大変ではなかったですね。そのころ、僕も担当していた『ストリーム』という昼のワイド番組に、吉田豪さんや町山智浩さんといったサブカルアイコンみたいな方々が出演していて、番組の聴取率もよかったんです。 サブカルとラジオって相性もよくて。ちょっと踏み込んだ時事評論とか、カウンターカルチャー的な要素もハマって、サブカルファンがラジオ好きになってくれた。それで、知名度が高いタレントさんを起用しなくても、リスナーとガッチリハマるおもしろい番組なら勝てるという自信をみんなが持つようになったんです。 ──そのタイミングで宇多丸さんと出会ったと。 橋本 そうですね。宇多丸さんは初めて会ったときからポテンシャルが高い人だというのは一発でわかったので、すぐに特番の企画を出してやってみたら、「宇多丸さん、おもしろいよね」って上の人たちも支持してくれて、レギュラー化できたんです。 当時は自分もプロデューサーになったばかりでイキっていたので、数字が取れるか、スポンサーについてもらえるかといったことよりは、とにかく宇多丸さんのポテンシャルを信じて番組として企画を当てていけば大丈夫だろうと思っていました。数字が下がると怒られはしましたが、今思えば局の理解があったからこそ続けられたんでしょうね。 ──その後もジェーン・スーさんなどをパーソナリティとして起用していきますが、「この人いけるな」と思うポイントなどはあるんですか? 橋本 これはラジオパーソナリティに限らないと思いますが、まず「正直な人」であることです。「正直な人」というのは、自分が思っていることをきちんと言葉にできて、それを「本当にこの人が言いたいことなんだな」と伝わる話し方ができる人のことなんですけど、上辺だけで話していない、“本当らしさ”というのは大切で。 もうひとつは、共感されやすいかどうか。リスナーがなんとなく抱えているような違和感を言語化できると共感を得やすいんですけど、その瞬発力が高い人は向いていると思いますね。 ──ほかにも、数々のラジオ番組を手がけてきて、実感されたことはありますか。 橋本 月並みですけど、リスナーの重要性ですね。最初は過激な情報や強い情報をぶつけまくって、それをおもしろがってもらえたらなと思っていましたが、だんだん「リスナーと一緒に場を作る」という感覚を持たないと、ラジオっぽくならないなと感じるようになりました。 やっぱり、リスナーに「参加している」という意識を持ってもらえたほうが、番組も長続きするんですよね。ラジオ番組はコンテンツでありながら、コミュニティでもあると思っていて。リスナーにはパーソナリティの話を聞きたいという欲求だけでなく、その場にいたい、その場の一員になって連帯を感じたいという気持ちがあるから、ラジオはインタラクティブにやるのが基本になっているんでしょうね。 ──番組に直接投稿するだけでなく、SNSにリアクションを書き込むといったかたちで番組に参加しているリスナーもたくさんいますよね。 橋本 そうですね。おかげでどんな人がどんなシチュエーションで、どんな思いで聴いているのか可視化されて、リスナーのイメージが浮かびやすくなりました。もちろんサイレントリスナーのことを大切にしながら、ですが。それで気づいたのが、ラジオは心地よさが大事だということです。家事や仕事をしながらラジオを聴いている人にとっては、ひたすらおもしろいだけだとちょっと疲れるんですよね。 だから、パーソナリティと一緒にいたい、その人の話を聞き続けたいと思ってもらうことも必要で。それって、トークの技術なんかとはまた別の要素ですよね。その点で、『たまむすび』という番組をやっていた赤江珠緒さんの「愛され力」はすごかったと思います。 「ラジオ的なもの」がどこまで広げられるか追求したい ──現在は独立されて活動の幅も広がっていますが、その活動イメージや、ラジオをはじめとする音声メディアに対する考え方などを聞かせてください。 橋本 先ほど話したように、ラジオには音声メディアだけでなく、コミュニティとしての側面などがあるわけですよね。だから、受け手との距離が近いコンテンツやファンと一緒に作るようなコンテンツなら、ラジオで培ってきたノウハウが活かせるんじゃないかと思っていて。それで、ある商品とそのファンをエンゲージさせる場を作るとか、そういったラジオ以外の仕事もやるようになりました。 それに音声メディア自体も、今やラジオやポッドキャストに限ったものではないと思うんです。YouTubeだって映像メディアではありますが、トークがベースのコンテンツがたくさんあるじゃないですか。そう考えると、音声メディアの領域ってかなり広いものだといえますよね。 ──たしかに、そう考えると活動領域も広がりますね。 橋本 そうなんです。僕がTBSラジオ時代に手がけた最後のプロジェクトのひとつに、『龍が如く』というゲーム内で、『アフター6ジャンクション2』というラジオ番組を流すというコラボレーションがあるんですけど、それってラジオじゃなくてゲームなわけですよね。でも、プレイヤーはゲームの中でラジオを聴いている。ということは、「ラジオ的なもの」はいろんな媒体の中に存在し、体験できるんですよね。 だったら、ラジオというものを因数分解しながらその構成要素を追求して、いろんなものに当てはめてみたい。それでどこまで行けるのか、どんな景色が見られるのか知りたい。そう考えたら「放送局にいる場合じゃないな」と思ったのが、独立のきっかけなんです。 ──ラジオ以外の場でラジオ的な空間や体験を作るという意味で、実際に活動されていることはありますか? 橋本 配信プラットフォームの「Twitch」で配信者として活動しているのも、そういった文脈から始めたことではありますね。今の若い子にとっては、ゲーム実況が深夜ラジオみたいな場になっていたりするんですよ。視聴者が悩み相談のコメントを書き込むなど、単にゲームの実況を聞くというよりは、ラジオパーソナリティみたいな存在として配信者と接していて。 個人が毎日のように生放送していて、そこにファンがついている。これってもうラジオ体験ですよね。配信者の振る舞いやコメントを拾ううまさなんかも、ほとんどラジオパーソナリティなんですよ。実際に配信者の方に話を聞いてみても、コミュニティを作ることが重要だと言ってました。だから、若い子はラジオなんか聴かない、ラジオはもう終わっていく、みたいに言われがちですけど、実はまったく終わってない。 ──「ラジオ的なもの」は常に求められ、存在している。 橋本 はい。電波で聴くのがラジオだという時代が終わっても、媒体やかたちを変えてラジオっぽいコンテンツは残っていくと思います。そのひとつが配信の世界だという仮説を実証するために、自分で配信することにしたんです。 もともと配信文化も好きで、一度ちゃんと学んでみたいと思っていたのでやってみたら、ラジオリスナーの人たちも集まってくれて、普通に楽しいですね。ラジオリスナーのコメントセンスや距離感も配信にぴったりで、予想どおりラジオ的な感覚で違和感なくやれています。いずれはタレントさんを立ててプロデュースしたりすることも考えていましたが、今は自分が楽しんじゃって、実験どころか「配信者としてやっていこう」みたいな感じになっちゃってます(笑)。 サボりは、コンテンツ作りにおける超重要テーマ ──橋本さんは趣味と仕事が近い位置にある方だと思いますが、サボることってありますか? 橋本 会社を辞めた今だから言えますけど、僕はもともとサボるのが大好きな人間なので、サボるために仕事をしていたようなところはありますね。仕事も好きですけど、遊ぶことも好きなので、無意味にダラダラ働くのがイヤで、サボるために効率を追求していた。いうなれば積極的なサボり、「ポジティブサボり」ですね。「漫然と仕事してたらサボれないじゃん!」みたいな。 ──ポジティブサボり、いいですね。見習いたいです。 橋本 ポジティブにサボり方を考えるのって、クリエイティブな行為だと思うんです。「ここを効率化すれば、この時間までに作業が終わって、別のことができるな」みたいに、時間の作り方を考えたりするので。それに、無駄を省く作業って、番組作りにおいてもプラスに働くんですよね。 一方で、僕もネガティブサボりをしてしまうことはあります。スイッチが入るまでなかなか動き出せないタイプだし、やるべきことをギリギリまで寝かせてしまうこともある。「やり始めたら、やる気も出るんだよ」って言われても、「いや、わかってるけど、『やる気が降りてくるの待ち』なときもあるじゃん!」みたいな(笑)。 ──やっぱり最初の一歩を踏み出すのが一番大変ですよね。 橋本 そうですよね。突然スイッチが入ってギュッと仕事をするときもあるから、できないときはやらなくてもいいかなと思いつつ、罪悪感は常にある。自分でもそれはよくないと思うんですけど、人間だからしょうがない。だって、サボりを知らない勤勉な人って、ちょっと人間味が感じられないじゃないですか。 キラキラした人のインタビューを読むと、「要はやるか、やらないか。成功できないのは、やらないヤツなんだ」みたいなことを言ってますけど、「本当かな?」って思いますよ。実際は「疲れた〜」とか「めんどくせー」とか思うこともあるんじゃないかな。 ──「好きなことをやっているから、仕事とも思わない」みたいな人はたまにいます。 橋本 僕も好きなことばっかりやっているので、仕事と遊びの境界線はないし、仕事してるのか、サボってるのかよくわからないこともあります。でも、好きなことをしていても、作業工程としては好きな作業と嫌いな作業があるわけで、好きな作業だけで仕事が埋まることはないじゃないですか。仕事は好きだけど、そのために朝早く起きるのはイヤだっていう気持ちは矛盾しないと思うんですよね。 ──たしかに、やりたいと思っていた仕事の中にも、やりたくないことはありますね。 橋本 そういう気持ちも隠さず、積極的にサボっているところを見せていったほうがいいですよね。普段は全然会社にいないのに、大事な仕事はビシッと決めるような先輩とか、僕はそういう人に憧れていましたから。「会社でデスクに座ってるだけじゃ、いいアイデアなんて出てくるわけないだろ」って言われて育った、最後の世代なのかな。 それに、ラジオ番組作りも、やっぱりサボりがないとダメなんですよ。お話ししたように、ラジオは聴いている人を疲れさせちゃいけないので。それは作る側も同じで、現場が疲弊していたら、コンテンツとしてサステナブルなものにならない。お互いに長く付き合っていくためには、適度に緩急をつけた、サボりの要素が入ったコンテンツにする必要があるんです。 ──なるほど、コンテンツにも「抜け」のようなものが必要だと。 橋本 そうですね。だから、「サボり」って超重要なテーマですよ。今の時代にこそ必要なものだと思います。 撮影=NAITO 編集・文=後藤亮平
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「抜くときは抜いて、自分らしく楽しむ時間を作る」橋本和明のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 『有吉の壁』をはじめ、演出家・ディレクターとして日本テレビで多くの人気番組を手がけてきた橋本和明さん。2024年の独立以降は、テレビ番組や配信番組だけでなく、幅広いコンテンツに携わっている橋本さんに、その好奇心の源や、忙しいなかでのサボりについて聞いてみた。 橋本和明 はしもと・かずあき 1978年、大分県生まれ。東京大学教育学部を経て、東京大学大学院人文社会系研究科修了(社会学修士)。2003年、日本テレビ放送網株式会社入社。『有吉の壁』『有吉ゼミ』『マツコ会議』の企画、総合演出を務めヒット番組に。ほかにもドラマの演出・プロデュースや、映画監督なども務める。マツコ・デラックスをアンドロイド化した『マツコとマツコ』は、カンヌ広告賞でブロンズ賞を受賞。2023年、日本テレビを退社し、株式会社WOKASHIを設立。 原点は、大学時代に立ち上げたコント集団 ──橋本さんのルーツとして、大学の落語研究会での活動があるそうですね。 橋本 はい。東京大学の落語研究会でコントをやっていました。どうしてもコントがやりたくて、自分で「ナナペーハー」っていうコント集団を立ち上げたんです。作家の別役実さんのコントセミナーに通ったりして、自分で台本も書いて。とにかくお笑いがやりたかったので、「カジュアル兄弟」っていう恥ずかしいコンビ名で漫才もやってましたね(笑)。 ──大学時代はお笑いひと筋だった。 橋本 大学院に進んだのも、コントを続けるために大学生活を延ばそうという一心からで、お笑いへの熱量は当時から高かったと思います。学園祭でのライブにも力を入れていて、最初は20人くらいしか集まらなかったけど、客引きなどをがんばって盛り上げて、最終的には3日で1000人くらい動員できるライブにしていって。 学園祭でのライブが自分にとっての原体験なんですよね。お客さんが目の前で笑ってくれる、ライブを観て喜んでくれるって、やっぱり何事にも代えがたいことなんですよ。「生きててよかった」って本当に思うくらいで。芸人さんがお笑いをやめられないのも、すごくよくわかります。 ──そのまま芸人になるという道は考えなかったのでしょうか。 橋本 芸人になる勇気はなかったというか、自分がそこまでおもしろいとは思えなかった。同じ世代でお笑いをやっていた学生の中でも、かもめんたるや小島よしおさんがいたWAGEや、脳みそ夫さんなんかはプロになれると思っていたけど、自分は演者としては無理だなって。それで、テレビ局の入社試験を受けてみたら、たまたま日テレに拾ってもらえたので、運命だと思ってテレビの道に進みました。最初は報道採用だったんですけど。 ──報道だったんですね。意外です。 橋本 でも研修を受けてみて、やっぱり人間性的に報道は無理だなと。それで、人事に「報道じゃないと思うんで、舞台やりたいです」と言ったら、「甘えるな」ということで制作現場に配属されました。それでいつの間にかバラエティをやることになったっていう。これも巡り合わせですね。 準備を重ねた上で、予定調和が崩れる瞬間がおもしろい ──テレビ番組作りとなると、学生時代のライブとは違うと思いますが、ノウハウなどは現場で学んでいくものなのでしょうか。 橋本 そうですね、入社当時はまだテレビ界が近代化する前だったので……(笑)、ADとして徹夜で仕事するとか、きつい下積み時代がありました。それでも自分の企画をかたちにしたくて、企画書を山ほど提出して。2年目でようやく深夜番組の企画が通って、3年目でディレクターになって、7年目にゴールデンでレギュラー番組を担当するようになりました。 その後も、『ヒルナンデス!』の演出をやったり、『有吉ゼミ』を立ち上げたり、10年ぐらいはずっとバラエティ畑で。12年目でようやく『有吉の壁』というお笑いに特化した番組をやれるようになったんです。 ──『有吉の壁』まで「お笑い番組」と呼べるものは手がけられていなかったんですね。企画は出していたんですか? 橋本 めちゃくちゃ出してました。お笑い番組ってなかなか企画が通らないんですよ。『有吉ゼミ』が当たって、ようやく「そろそろこいつにお笑いやらせてやるか」と思ってもらえたんじゃないかな。でも、バラエティディレクターとして地肩を作る期間は必要だったと思います。 『有吉ゼミ』で初めて当たったのが、坂上忍さんが家を買う企画なんですけど、芸能人が本当に家を買うわけで、そこでリアルであることの大切さを実感しました。リアルなものをそのまま届けることで、バラエティとしての強度が生まれる。『有吉の壁』でも、その点は大切にしています。芸人さんたちがその場でネタを披露して、有吉(弘行)さんが即興で○×をつける。その様子を視聴者のみなさんにショーとして見せるって、リアルなことじゃないですか。 ──たしかに、芸人さんたちのリアクションや生き様なども含め、ドキュメンタリー的な魅力を感じます。 橋本 そうなんですよ。バラエティにおけるドキュメンタリー要素って年々強まっていて、ドキュメンタリー性がないものは観てもらえなくなってきてるんですよね。YouTubeやInstagramなどのあらゆる動画が視聴者の見る目や世界を変えたんだと思います。それによって、テレビが自ら現象を作って当てるようなことが難しくなり、リアルをいかに切り取って、人の感情を導くかという方向に舵を切るようになっていった。 そこで、観ている人の感覚をすくい取る能力がより重要になってくるんですけど、僕がずっと番組で伴走してきた有吉さんとマツコ(・デラックス)さんって、その天才なんですよ。ふたりとも台本がいらないタイプで、その場の肌感で流れを作ることができる。ふたりのそばにいるなかで、自分もそういった感覚が培われたというか、チューニングできるようになってきたところはあると思います。 ──では、台本や企画の狙いなどは用意しつつも、収録はその場の流れで進めていく、といった作り方が多いのでしょうか。 橋本 そうですね。『マツコ会議』なんかも、テーマについて調べたり、いろんな人に会ったり、準備に準備を重ねるのですが、収録では現場で起きたことに流されていました。マツコさんが、画面の端っこに映っていたこちらが意図しない人を「おもしろい」と言ったら、その流れに乗っていく。こちらが考え抜いて準備した予定調和が崩れていくからこそ、それを超えたものが生まれるんだと思います。 ──企画当初のビジョンに捉われると、それ以上のものは作れない。 橋本 そう、全部が崩れる瞬間が最高におもしろいんです。『有吉の壁』で、プールの水面に浮かんだゴザの上を走って、浮島で大喜利のお題に答えるというコーナーをやったんですけど、U字工事の益子(卓郎)さんがプールから上がってこない。みんなが「どうした?」って聞くと、結婚指輪を落としたと。 そうしたら、出演者がみんなで指輪を探し始めたんですよ、濁ったプールの底を足で探りながら。有吉さんも「指輪を見つけた人が優勝です」って言い出して、結果、パーパーのあいなぷぅが指輪を見つけるというミラクルを起こして優勝した。その瞬間、もとの企画とかそれまで獲得したポイントなんてどうでもよくなるんですよ。でも、結婚指輪をなくして焦る益子さんも、それをなんとかしなきゃと思う芸人さんたちの愛情も、全部リアルじゃないですか。あのときはすごいものが撮れたなと思いましたね。 答えのない問題と向き合う楽しさ ──独立後の活動について伺いたいのですが、やはりメディアなどの幅が広がると作る感覚も違うものですか。 橋本 全然違いますね。TikTokで『本日も絶体絶命。』っていうコント番組を始めたんですけど、10代のお客さんも多いなかで、最初の1秒半が勝負のコンテンツをどう作ろうか、参加してくれたハナコやかが屋、吉住と現場で議論しています。それで、振りの部分をバッサリ切って、何かが起こるところから始まるコントを作ってみたり。またそういう経験によって、テレビを作る上での視点も広がるんですよね。 ──いろんなルールの中で考えていくことで、引き出しも増えている。 橋本 そうなんです。いろんなルールを知って、いろんなテクニックを持っているほうが、これからの時代、絶対おもしろいと思うんですよ。バラエティの世界も、これからはコンテンツありきで進む、コンテンツファーストの時代になるはずなので、テレビマンとしての可動域を広げる必要が出てくる。独立してからの経験は、そのためのトレーニングになっていると思います。 ──逆にテレビマンとして鍛えてきたものが、ほかのメディアで活きていると感じることはありますか? 橋本 テレビで10年以上鍛えてきた力はすごく大きいです。特にたくさんのスタッフさん、タレントさんを活かしてプロのコンテンツを作ることって、テレビじゃないとできない経験なので。Netflixさんとお仕事してもAmazonプライムさんとお仕事しても、結局出てくるのはテレビ畑の人だっていう実感があるわけですよ。 そういう意味では、コンテンツメーカーとしてのテレビ局の未来って、全然暗いものじゃないと思います。マンガ業界はIP(知的財産)活用や海外進出など、マネタイズが多角化してより才能が発掘できるようになりましたが、テレビ業界も同じような進化をしていかなきゃいけないフェーズに差しかかっている。そこでテレビの真価が問われるようになったとき、多くの仲間と新しい表現に挑戦したいという気持ちはすごくありますね。 ──過渡期の中に身を置くことは不安や怖さもあると思いますが、橋本さんからはワクワクしたものを感じます。 橋本 楽しいですよ。日々いろんなお話をいただいて、「こんな宿題があるのか、こんなテーマがあるのか、どうしよう」って思いながら、答えのない問題と向き合っています。答えがないなかで第一投を投げることは怖くもありますが、見たことがないものを見ることができる楽しさもあって、刺激的なんですよね。 原点に立ち戻って、手作りで好きなことをやりたい ──さまざまなメディアでの展開のほかに、新たにユニットも始められるそうですね。 橋本 timeleszの佐藤勝利くんとダウ90000の蓮見翔くんと3人でコントユニットをやるんです。まずは『佐藤勝利のすべて』という、佐藤勝利がコントライブを作るまでのドキュメンタリー的なものをYouTubeでやって、実際に劇場でコントライブもやるっていう。これは仕事というより、好きな仲間と好きなことをしたいね、っていう話から始まった企画なんですけど。3人とも本当にお笑いが大好きで。 ──佐藤さんもお笑い好きなんですね。 橋本 そうなんですよ。普段、あまり表には出さないけどすごくお笑い好きで、自分でもやりたいってずっと言っていたので、こんな時代だし、やっちゃってもいいんじゃないかという話になって。今は3人で毎週朝10時から定例会議をやっています。スタイリストさんへの発注とかロケ場所の予約とかも勝利くんが自分で電話したりして、完全に手弁当です(笑)。 ──そんなに手作りなんですか? 橋本 そう、手作り。全部自分たちでやっています。テレビ局や配信プラットフォームに企画として持っていくと、仕事になっちゃうじゃないですか。でも、ここでは違うことをやりたい。再生回数も宣伝方法も考えず、やりたいこと、楽しいことをやりながら、だんだん仲間が増えていったらいいよね、って話しています。11月11日〜13日にニューピアホール竹芝で旗揚げのコントライブをやるんですけど、3人ともワクワクしながら中身を作っています。 だから、大学時代にコント集団を作ったっていう原点に戻ってるんですよね。ビジネスとして結果を出さなきゃいけない仕事が続いて、それはそれで楽しいんだけど、一方で自分が本当にやりたいこと、愛せるものを確立しておきたくて。それが今になって気の合う仲間とできるって、めちゃくちゃ贅沢なことだと思うんです。そのぶん、めちゃくちゃ大変ですけど。 ──でも、そういう熱量の高いコンテンツは時代にも合っている気がします。 橋本 今っぽいですよね。想いや熱量を応援してもらうっていう感覚がすごく強くなったと思います。ただ、YouTubeチャンネルもやるんですけど、再生回数競争に巻き込まれて実態を暴露したり、キツいことを言ったりしなきゃいけないような感じからも自由になりたいんです。 個人的にも、ギスギスしたものや、人間の本性を暴くようなものが苦手なんですよね。細々でもいいから、誰かを悪く見せることなく、仲間と楽しい場所を作って、応援してくれる人を増やしていきたい。そうやって生きていくことが自分の人生の目標というか、そういう場所にたどり着きたいと今は思っています。 サボって罪悪感を溜め込むからこそがんばれる? ──橋本さんのサボりについても伺いたいのですが、忙しいなかでついサボりたくなることはありますか? 橋本 昔からサボり癖はひどくて、できれば働きたくないと思うようなタイプなんですよ。休みの日は起きれなくてずっとゴロゴロしてたりしますし、夏休みの宿題は残り2日くらいまでやらなかったし。でも、サボるって罪悪感があるじゃないですか。その罪悪感を溜め込むことが僕にとっては大事なんですよね。 やっぱり人間って、サボるとそれを取り戻そうとがんばるじゃないですか。サボることは、がんばるための貯金になるんですよ。サボってサボって、自分を追い込んでようやくがんばれる。最後に帳尻が合っていればいいわけですから。 ──ダッシュするための溜めがサボりなんですね。サボりの反作用に自覚的な方の話はあまり聞いたことがなかったです。 橋本 だから、何をサボっているか、その実感だけは忘れないようにしています。「これとこれで人を待たせているけど、今日はやらずに映画を観に行こう」となっても、ちゃんとサボったことを覚えていて、翌朝急いでやれば許してもらえるだろう、みたいな。 でも、みんなそんなもんじゃないんですかね。リモート会議を仕切っているときも、画面をオフにしている人たちはそれぞれメシ食ったり、横になったりしながら聞いてるんだろうなって思ってます(笑)。でも、別にそれでいいというか。僕だって、横になってお菓子を食べながらVTRをチェックすることもありますから。 ──やることをやっていればいい。 橋本 多少サボっても、ここだけは押さえておかないと事故が起こる、人と揉めてしまう、失敗してしまう、といったポイントはわかっている。プロってそこが大事な気がします。逆に、サボってるという自覚がない人のほうがやりにくいこともありますよね。罪悪感もないまま、何も進めてくれなかったり……。 あと、サボってるときのほうがいろいろ思いつくんですよ。オンの状態で企画に意識が向きすぎても、いいアイデアって浮かばなくて。そこでいったん放置しておくと、シャワーを浴びたりしているときにふと思いつく。泳ぐのが好きで、無心で泳いでいるときに企画を思いつくことも多いです。やっぱり根を詰めるだけじゃなくて、抜くのも大事なんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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サンタがくれた贈り物、無菌室で育てられた私の夜(佐藤ミケーラ倭子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 佐藤ミケーラ倭子 元アイドルグループのメンバーで、現在はYouTuber、女優、モデルとして活躍中。YouTubeは登録者数52万人、TikTokはフォロワー数55万人を突破しており、Z世代から支持されている今注目のクリエイター。総再生回数は2億3000万回超。自身をさらけ出した破天荒なスタイルが魅力で、さまざまなシチュエーションを再現したちょっとおまぬけな「あるある動画」が話題沸騰中。飾らない人柄が人気だが、WEBドラマ『港区女子』(『東京カレンダー』)では台本も書き、演技力を発揮する新たな一面も。その他、テレビ/WEBCM『ゴキッシュ』『カジューハイ』、書籍『恋する猿は木から落ちる』(KADOKAWA)、写真集『en』(KADOKAWA)の発売など活動を広げる。最近ではバラエティ番組のサブレギュラー、ニュース番組のレポーターとジャンルを広げ、2025年からはモデルやポッドキャストのMCレギュラーも務めるマルチタレント。 「無菌室で育てられたんだね。」彼はそう言った。 独特なアルコールの匂いが充満している中、私は揺られている。 もう日付も変わる時間。 街のどこにこんなに人がいたんだろうと思うくらい混んでいた。 うずくまり今にも財布が落ちそうなスーツの人、 居酒屋での話の続きをする背の高い人たち、 携帯を持ちながら船を漕いでいる女性、 そんな中で私は吊り革につかまって立っていた。 何か悪いことをしているような気持ちになる。 走っている車内でバランスを取るのが苦手な私は何度もよろけながら携帯を見ていた。 目は携帯に向いているが、何かを“見ている”わけではない。 意識が大きな粘土みたいに重くて動きが悪かった。 ただ携帯の画面をいじくり回しているだけ。でも目だけは冴えていた。 最寄り駅に着いて、改札までつらつらと歩いて外に出る。 スィーっと風を吸って、早歩きで横断歩道を渡った。 水で濡れたレンズで写したみたいな信号がボヤボヤと輝いていて、 バス停の横にツンと止まっているタクシーに駆け寄った。 まるで私を待ってくれていたようだった。 「お願いしまーす」 車内は暖かくて、後部座席に乗るといつも誰かに旅行先まで運転してもらっている気分になる。 安心してシートに深く腰かけた。 私はいつも話しかける。 タクシーに乗ると、運転手のおじちゃんに今日あった悲しいことを話す。 その日、今日もらってきた暴れる悪魔を吐き出した。 おじちゃんは私がいつもそうしているかのように聞いてくれた。 もう二度と会うことのないふたりのプチ旅行。 明るい相づちで私の弱った悪魔がしおしおと出ていった。 身を乗り出して席の間から夜道を見ながら話し続けた。 その時期の私は、まわりの動きとは逆に自分だけ止まっているような気持ちで毎日を過ごしていた。 あるはずという希望に手を伸ばし続けて、 自分がどこまで来ているのか どこに行くのかわからないまま、 でも、何かあると信じて手を伸ばしていなければいけなかった。 夜は苦手だ。 心がガラスでできたウニになってしまうから。 タクシーの中は暖かくてふかふかで、話し続けている私。 おじちゃんの顔は見えなかった。 どんどん家に近づいていく。 木はガサガサ揺れていて、オレンジ色の街灯がすごく大きく見えた。 最後の信号で止まったとき おじちゃんはこう言った。 「お姉ちゃんは、無菌室で育てられたんだね」 すごくうれしかった。 その言葉を聞いたとき、大きな透明の瓶の中に入っている私が浮かんだ。 おじちゃんがどんな意味で言ったかわからないけれど、その瓶を大切に手入れしてくれる人たちのことも優しく思えた。 小さいころは何かが不思議と私の願いを叶えてくれた。 サンタさんは11歳までいた。 まわりの子は半分信じていなくて、少し呆れられていた。 そんな私が、11歳になった年、 今年こそはサンタさんがいるかどうか確かめるためにある作戦を決行した。 家に『急行「北極号」』(あすなろ書房)という絵本がある。 その本は、雪降る夜に主人公の男の子が不思議な汽車に乗るとサンタクロースのおもちゃが作られている場所に到着するお話。 サンタクロースから選ばれた男の子は、何が欲しいか聞かれて サンタのソリについた鈴をもらう。 その鈴を家に帰ってから鳴らすが、妹と男の子にだけ鈴音が聞こえて両親には聞こえない。 サンタクロースを心から信じている人にしかその鈴音は聞こえないという物語。 私はその年のクリスマスに、サンタさんのソリについているベルをプレゼントに願った。 そのベルをもらえばサンタさんがいる証明になる。 私は今までにないくらい心臓が飛び跳ねているのを感じながら、クリスマス前夜は眠りについた。 翌朝12月25日、リビングに行くと食べかけのケーキと飲みかけの牛乳。 そして、ベルが置いてあった。 そのベルはずっしりと重く、明らかに長年使ったように薄汚れていた。 頭についた白いひもは少し茶色く、振っても振っても切れないぐらい太かった。 とんでもないものをもらってしまったと思った。 そのクリスマスは私の人生で特別なものとなり、今でも大切にしている思い出。 その年のずーっとずーっとあとに聞いた話。 誰かが父の部屋にヤスリを借りに来たらしい。 あの日あのとき、私を待っていたかのように佇むタクシーのおじちゃんは今思えばサンタクロースだったのかもしれない。 さっきまでの犬歯の抜けた狼みたいに逃げ腰だった私は、 あのおじちゃんの優しい言葉であたたかい水の中でぷかぷか浮いているような不思議な気持ちになった。 みんなが大切にしてくれた私を私も大切にしよう、という気持ちに気づかせてくれた。 家の近くでタクシーを降りてなぜか何度も おじちゃんにお礼を言って走って横断歩道を渡った。 家に近い最寄り駅はもう終電がなくなっていて、誰もいない。 まぶしいコンビニを横切って、いつもの坂が見えた。 走りながら坂を降りた。 夜は苦手だからぷかぷかした気持ちと一緒に走った。 よく見る夢みたいに、飛べそうなくらい大股で走った。 あごが痛くなって、喉が冷たくなる。 長い坂。 そのまま一気に走って、ゆっくり鍵を差して、 紺色の見慣れたドアを開ける。 「……ただいまー」 私はこの夜のおかげでこれからも瓶の隙間から手を伸ばし続ける。 文・写真=佐藤ミケーラ倭子 編集=宇田川佳奈枝
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文章の神が降りてくる、「ギリギリの女王」のプライドで書いた夜(伊藤亜和)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 伊藤亜和(いとう・あわ) 1996年、横浜市生まれ。文筆家。学習院大学文学部フランス語圏文化学科卒業。noteに掲載した「パパと私」がX(旧Twitter)でジェーン・スー、糸井重里などの目に留まり注目を集める。著書は『存在の耐えられない愛おしさ』(KADOKAWA)、『アワヨンベは大丈夫』(晶文社)。 文章はいつも、夜に降りてくる──。 私は右手で顎をなぞりながら目を細め、どこかのインタビューでそう回答した。我ながらかっこいい。まるで浮世離れした天才作家のようだ。実際、私はこうして深夜に原稿を書いていることが多い。しかしそれは、別に夜の静寂や星の輝きや、頬を撫でる優しい夜風のインスピレーションによって私の中から文章が湧き出てくる、といったようなエモーショナルな理由からではない。私は単純に、朝が苦手だ。 いつも昼過ぎにやっと起きてシャワーを浴び、用意された何かを食べ、化粧をし始める。身支度が整ったころにはだいたい15時ごろになっていて、それからまもなくアルバイトへ出勤する。アルバイトを終え、ダラダラと賄いを食べ、家に帰ってくるころには23時過ぎになる。それから私はやっと、その日の締め切りに思いを馳せる。そろそろやらないとまずい。でも今日はもう疲れたし、明日の朝早く起きてから書くのでもいいんじゃないか、いやいや、絶対に朝に起きられないことはもうわかりきっている。とりあえず顔だけ洗おう。その前に一服しよう。あー眠い。何も考えられない。でもやらないといけない。とりあえずひと文字でも書いてみよう。なんてことはない。やれば終わる。やれば終わる……。 私が文章を書き始めるまでの思考はいつもこんな感じだ。それから書いているうちになんだかんだでやる気が出てきて一気に書き上げ、日が昇る前に眠る。何日かに分けてコツコツと書くというのはほとんどしたことがない。こんなことができるのは、書かなければならない文量がせいぜい2000字から5000字程度のものだからである。小説家だったら、きっとそういうわけにもいかないのだろう。今の仕事も、大学時代に課されてきた数々の大学のレポートも、私はこうして踏破してきた。なんとかなってきたせいで、ギリギリで書き始めることに妙なプライドのようなものさえある。ギリギリの女王としての自負。実際社会的にはアウトでも、私の中ではセーフだと言い聞かせていることもある。この原稿は昨日までに書かなければならなかったのだが、土日が挟まっているからなんとかなる。私が三苫(※薫/プロサッカー選手)じゃなくて本当によかった。AI判定があったら、これは完全にはみ出ている。ごめんなさい。 長々と書いてしまったが、こんな無敗の私にも忘れられない激戦を繰り広げた夜がある。私を死の淵にまで追いやった奴の名は、卒業論文。多くの大学生たちの運命を弄んできた、悪名高い地獄の使者である。 大学4年生になって数カ月が経ち、私たちは教授からその試練について説明を受けた。私たちの学科では、卒業するためには「卒業演習」という授業を取るか、授業を受けることなく「卒業論文」を提出するかのどちらかを選択することができた。まわりの仲間たちが口々に「卒論は書きたくない」と言って卒業演習を選択していくなか、私は迷うことなく卒業論文を選択した。だって、授業なんてできれば1秒も受けたくない。好きな時間に好きな場所で論文を書けるなんて最高じゃないか。3万字なんて少しがんばれば楽勝だろう。私はそんなことを考えていた。まだ締め切りまで半年以上あるわけだし、いつもどおりギリギリまでダラダラ資料でも集めて、1カ月前くらいから書き始めよう。 私以外にも卒業論文を選択した生徒は10数人いて、みんな自分以外がいつから書き始めるのか探り合っているようだった。私は「もう書いてる?」と聞かれるたびに、優越感に満ちた顔で「まだひと文字も書いてないよ」と返した。そう、まるでテスト当日に「マジでなんにもやってないわー」と得意げに話す男子高校生と同じ態度。私は、いい年こいてまだあれがかっこいいと思っていた。ゼミの教授が進捗をまったく調査しない人だったせいで、私はますます図に乗り、誰も参加していないチキンレースにノリノリで参加し続けた。 私が卒論の課題に選んだのは、アフリカの呪物。時々思いついたように珍しい資料を取り寄せてはコピーを取り、適当にファイルにしまい、また部室でダラダラする。締め切りの1カ月前になって、やっと論文のほうに手をつけた。2、3日休憩を挟みながら、1000字くらいずつ進める。みんなはそろそろ書き終わるらしい。もしかしてこれヤバい? いやいや、文章書くの好きだし、全然余裕でしょ。まったく危機感を覚えることもないまま、私はついに、締め切り前日の夜を迎えた。 あと1万字弱。 これはヤバいのではないか? 夕飯を食べ、満腹の眠気に体を揺すられながら漠然と思った。草むらでのんびりと日向ぼっこをしていた脳内の私のもとに、恐ろしい地響きとともに何かが近づいてくる。留年……? 巨大な“留年”の2文字がのっそのっそとこちらに向かってきているではないか。これはヤバい。どうして今まで気がつかなかったのか。卒論の締め切りは明日の11時。ここから本論を書いて、文献をまとめ、おまけにフランス語であとがきを書かなければならない。これは完全にヤバい。絶体絶命だ。 適当に集めていた資料のコピーを部屋の床に並べ、使えそうなところに手当たり次第に線を引いていく。白黒写真の呪物たちが私を責めるように見上げていた。資料の山で狭い部屋は埋め尽くされて、私は追い詰められながらも、頭の片隅では「坂口安吾の部屋みたいでかっけぇな」とのんきに考えたりもしていた。 関連性のなさそうな資料同士をとにかくこじつけまくって、まるで何かいいことを言っている“風”な文章をひたすら書いていく。今になってつくづく思うが、私にある才能といえばこの「こじつける」の一点のみである。「マジカルバナナ」の全国大会があったら優勝できるかもしれない。目を見開きながらキーボードを打ち続けて、すっかり太陽が上がってきたころ、やっと本文が書き上がり、そこから電車に乗るギリギリまでフランス語であとがきを書く。自分でも何を書いているのかまったくわからない。せんせいアリガトウ、ミンナアリガトウ……畜生! 4年間勉強してきたフランス語の成果がこれか! 無理やり謝辞を締めくくって電車に飛び乗り、大学のコピー室でダラダラと汗を書きながら製本した。残り15分。提出する研究室の前でタイトルを考えて表紙に書きなぐる。 「アフリカ呪物研究~芸術ならざるものの鑑賞~」 かっけぇ。こんなときでもタイトルはそれっぽい。研究室に集まった仲間たちに笑われながら、私はなんとか卒論を提出した。時刻は10時57分だった。 後日卒論についての口頭試問の部屋で、教授は私の卒論を渋い顔で眺めながら「誤字が大変多い。ですが、とても1カ月前に書き始めたとは思えない濃い内容でした。本当にあなたが書いたのですか?」と言った。 当然だ。私はギリギリの女王。文章の神は、私を真夜中に祝福する──。 文・写真=伊藤亜和 編集=宇田川佳奈枝
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賑やかな夏景色が懐かしくなった、蚊がいない暑すぎる夜(夏川椎菜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 夏川椎菜(なつかわ・しいな) 1996年7月18日生まれの声優、アーティスト。2011年に開催された「第2回 ミュージックレイン スーパー声優オーディション」に合格し、翌年より声優として活動を開始。『アイドルマスター ミリオンライブ!』シリーズ、『響け!ユーフォニアム3』(NHK Eテレ)、『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』など多数出演。2015年からは同じく声優の麻倉もも・雨宮天とともにユニット「TrySail」(トライセイル)としても活動し、これまで横浜アリーナ公演などを成功させている。2017年4月には1stシングル『グレープフルーツムーン』で自身の名義にてソロデビュー。2023年11月には3枚目のアルバム『ケーブルサラダ』を発表し、12月よりライブツアー『LAWSON presents 夏川椎菜 3rd Live Tour 2023-2024 ケーブルモンスター』を開催。2024年10月30日に9枚目のシングル『「 later 」』をリリース予定。ほかにも小説・コラムなどの執筆活動や、舞台出演など、声優だけに留まらない幅広い活動を展開している。 HP:https://www.natsukawashiina.jp/ X:@Natsukawa_Staff ブログ:『ナンス・アポン・ア・タイム!』 今年の夏、蚊がいなかったのである。 調べてみたら、蚊は25℃から30℃で活動が活発になり、35℃以上になると木陰で休む傾向にあるのだという。 40℃になると死んでしまうこともあるんだとか。 つまり、今夏の気温は蚊にとって「活動限界」なのだ。 たぶん、人間の活動限界も同じようなもんだと思うが、 なぜこんなにも街は人であふれかえっているのか。 国の偉い人たちには、ぜひとも本気で「夏眠制度」の導入を検討してもらいたい。 外気が35℃を超える見込みなら、すぐにすべての経済活動を中断して、みんなでお家で冷麺とか食べるのである。 お外が涼しくなるまで、そうやって耐え忍ぶのである。 今年は、夜でも容赦のない暑さだ。 陽はもう落ちきっているというのに、昼の熱気を吸い込んだコンクリートが「もう我慢ならん」という感じに放出するせいで、暑さがぶり返す。 夏の夜といえば、子供のころの嘘みたいに風流な景色を思い出す。 祖父の家、風鈴の音が鳴っている縁側に、足を投げ出すようにして座り、ばあちゃんが切ったスイカをかじる。 庭ではみんなが花火をしていて、「線香花火、誰が一番長くもつか」なんて勝負で盛り上がる。 花火の煙と、蚊取り線香の香りが混じって、めっちゃいい香りの催涙ガスになって飛んでくる。 思わず吸い込んでしまって、むせて、家族に背中をさすられる。 あのときは、なんでもない、ちょっとだけ賑やかな夏の夜という認識でしかなかった光景だが、時が経った今、あまりにも再現性がないことに、ちょっとだけ悲しくなる。 そう、この暑さじゃあ。 風鈴はなんの気休めにもならず、スイカはすぐにぬるくなる。 線香花火よりも先に、汗が滴り落ちるのだろうし、蚊は活動限界中なのだから、蚊取り線香も必要ない。 ていうか、縁側がない。 都内じゃ花火も難しい。 うう、悲しくなってきた。 ともかく私が言いたいのは、このクソ暑さのせいで、夏の夜の風物詩がかなり失われてしまったんじゃねぇの?ってことである。 蚊がいない。 今年の夏、蚊がいないのである。 どっちかといえば、たぶん喜ばしいことなのかもしれない。 でも、ちょっとだけ浮かばれない想いが、たしかにここにあるのである。 私は去年、運命の出会いを果たした。 たまたま立ち寄った百貨店で、鳥をモチーフにした作品が集う企画展をやっていて、ある作品にひと目惚れした。 ハシビロコウを模した、陶器の蚊取り線香スタンドこと「コータロー氏」である。 切り株の上にちょこんと座ったコータロー氏が、両翼を使って器用に鉄の棒を持っている。 鉄の棒の先は、蚊取り線香のサイズに合わせたクリップのような形状になっていて、蚊取り線香のトグロの最終地点に挟むと、固定できる。 コータロー氏が蚊取り線香の傘をさしているように見える、激アゲ最カワ夏アイテムなのだ。 コータロー氏に出会ってから、私は夜ごと近くの公園に出かけていって、コータロー氏と晩酌を楽しんだ。 (余談だがこの公園には、毎晩ブレイクダンスの練習をしながら動画を撮っている、おじさんTikTokerがいる。コータロー氏と過ごした夜には、必ずこのブレイクダンスおじさんも一緒だったということを、一応、書き添えておく) コータロー氏は、毎回健気に蚊取り線香を背負って、私を蚊から守ろうとしてくれているのだが、肝心の蚊のほうが活動限界中なので、あまり意味をなさない。 無駄な蚊の殺生が発生していない、と考えれば、平和な世界でいいじゃないか、と思えるのだが、こちらは、この激アゲ最カワ夏アイテムを使いたいがために、わざわざクソ暑いなか公園で晩酌しているわけなので、ちょっとだけ虚しくなっちゃうのだ──パンダを観るため長蛇の列に並んだのに、自分の番になったら終始遊具の影にいて、背中の一部しか見ることができなかったみたいな誰も、何も悪くないし、パンダはかわいいんだけど、それでも感じてしまう「この時間はなんだったんだ」という。 あの感じに似ている。 なんだか申し訳なさそうな背中で、蚊取り線香を背負うコータロー氏の横で、私は「まぁ、でも蚊取り線香っていい香りだしな」とかいってなんとか気分を上げつつ、コンビニで買ったお酒をチミチミ飲む。 (肴になるものは、ブレイクダンスおじさんしかない。全然上達しないな、なんてことを思いながら飲む) しばらくすると私の活動限界もやってくるので、まだ半分以上も残っている蚊取り線香の火を消し、コータロー氏を箱に戻してさっさと退散する。 たぶん晩酌していた時間より、準備のほうに時間がかかっている。 そんなわけで、コータロー氏はいまだにその本領を発揮できないままなのである。 今年の夏も、何度か試みてはみたのだが、気温が高すぎて断念したり、気温はよくても雨が降ったりしたせいで、公園のベンチが使えなくなっていて、あきらめている。 (だから、おじさんのブレイクダンスが上達したのかどうかも、私は知らない) 夏の気温が下がってくれれば、すべてが解決するので、ぜひそうしてもらいたい。 私は、せっかく手に入れたコータロー氏の、活躍が見たいのだ。 蚊のみなさんごめんなさい。 (ちなみに、万が一の公園バレを避けるため、おじさんが練習していたものがブレイクダンスだというブラフをかけていたのだが、ちょっと無理があったかもしれない。 夜ごと、公園の砂利に頭部を擦りつけているおじさんを想像されていた方には非常に申し訳ないが、そんな人物はいない。 いるわけがない。 おじさんが練習していたのは、少なくともブレイクダンスではない、ということだけ、最後に言わせてほしい) 文・撮影=夏川椎菜 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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俳優・東出昌大が導く「生きている意味」
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「あいつ、鉄砲の免許持ってて狩猟してるんだよ」 サバイバル登山家・服部文祥の言葉からすべては始まった。 『WILL』は映像作家・エリザベス宮地によるドキュメンタリー映画で、俳優・東出昌大の狩猟生活を追った作品だ。 東出昌大は映画『桐島、部活やめるってよ』(2012年)での俳優デビューから数々の映画やドラマに出演するなど人気の俳優だ。個人的な話になるが、私は東出が将棋棋士・羽生善治を演じた映画『聖の青春』(2016年)をきっかけに、最近では『Winny』(2023年)や『福田村事件』(2023年)などの東出の出演作を観ては彼の魅力に感嘆するいち映画ファン、東出ファンである。彼は世間的に見ると常軌を逸したような、独特な人間を演じるのがうまい。 しかし一般的にはやはり東出といえば、2020年の離婚騒動をはじめとしたスキャンダルのイメージが強いだろう。その後、「山ごもり」が報道され賛否両論となっていたころ、東出は2023年11月放送のABEMAのバラエティ番組『チャンスの時間』に出演した。映画に出演している姿以外ほとんど彼について知らなかった私は、そのあきらめきったような厭世的な様子に少しだけ衝撃を受けた。騒動の印象と端正な顔立ちから、いわゆるチャラい、器用なタイプかと想像していたが、なんとも生きづらそうな人だ、と思った。 俳優・東出昌大はなぜ狩りをするのか。 「カメラ回してもらっても、たぶん僕500時間ぐらい一緒にいないとわからないから」 「カメラ前で主張したいこととかもないし……」 実は本企画は、一度頓挫している。事務所の許可が降りなかったのだ。しかしその半年後、宮地のもとに東出から連絡が届く。2021年10月、再びのスキャンダルにより事務所を離れることになったという。事務所NGがなくなったことで本企画は再び動き出し、宮地は狩りをする東出にカメラを向けることになる。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 東出は狩猟について「悪」であると語る。 「混沌とすることが、常にまとわりついていて、でも、近くに命があるから……考え続けるし……」 なぜ自身が「悪」と定義する狩猟を、つらい思いを抱えながらも続けるのかと尋ねられた東出はたどたどしく答え、頭を抱える。東出は何に葛藤し、何に悩んでいるのか。きっと自分でもわかっていないのだろう。わからないから狩猟をしているのだろう。東出にとって狩猟は、自身(人間)の根源的な罪を心に刻む、ゆるやかな自傷行為なのかもしれない。 「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯食って感謝もしないよか、呪われてるっていう実感持ちながら、そこに張り合い持ってアレの分も……って思ってもらったほうが……とかなんのかな。わからん」 東出から紡ぎ出される言葉はいつも正直で真摯だ。 私は大阪府貝塚市の精肉店を迫ったドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』(2013年)を見たことをきっかけに、狩猟や屠殺(とさつ)について興味を持ち、関連のドキュメンタリー映画や書籍を読み漁っていたことがある。そうしていわゆる「食育」について学んでいると、「命をいただいている自覚を持って感謝して生きる」といった結論にたどり着くことが多い。それはもちろん間違いではないし、人間として生きていく以上そうして合理化するしかない。だが、屠殺の職に就いているわけでもない「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯を食っている」自分にとってその結論は本当に実感を持った正しいものなのだろうかと思う。 もっとわかりやすくいうと、ものすごく耳障りがいい「命への感謝」という概念に違和感があった(これは私が普段食に対して命を実感する生活をしていないことに起因しているため、その結論を出している人たちを批判するものではない)。 東出は自身の銃で鹿を仕留めたとき、ひと言「うぃ〜」と言った。ドキュメンタリーのカメラが回っているにもかかわらず、俳優という世間からわざわざボロを探して叩かれるような人生を送っているにもかかわらず、だ。東出はこのことを振り返って、なんて軽薄なんだと思ったけど、すごくうれしかったから、と語る。こういう素直さは東出の魅力のひとつだ。 作中全編を通して感じることだが、改めて、東出は人間離れした男前である。189cmの長身に、考えられないくらい小さな頭。目鼻立ちもハッキリしており、端正。誰がどう見ても男前なのだ……一般人として生きていけないくらいに。猟友会の中にいる東出は正直、イケメンすぎて浮いている。作中でも狩猟仲間から親戚を紹介され「芸能人」として求められることに苦悩するシーンが映されている。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS スキャンダルや本作中での言動を考えると、東出は本来「芸能人」に向いている性質ではないのだろうと思う。実際、最初はバイト感覚でモデルの仕事をしていたという。だが東出の生まれ持った圧倒的なオーラは、彼が一般人になることを許さない。そして、そのことに葛藤し、もがき苦しんだ東出はよりいっそう俳優として唯一無二な魅力的な存在になっていく。俳優という職業は人生経験が糧になる。彼にしか演じられない役柄が存在する限り、東出は映画界から求められ続けるだろう。 東出は『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』(2023年/ABEMA)の仕掛け人である高橋弘樹プロデューサーとの対談で、俳優の仕事について次のように語る。 「僕の場合は(高橋さんと違って)人が用意した台本でやる。たしかにそれはあるんですけど、“僕の35年の人生があって台本をどう読むか”だから。そこに僕のオリジナリティがまた生まれるんです」 「でも役者の仕事はめちゃくちゃ疲弊するんです。磨耗する、削られる。ちょっと休むとまた欲が出るんです。(中略)また身を粉にするように削られるようにやりながら挑戦したいという欲が生まれる」 2022年、東出が出演する映画作品『福田村事件』の撮影が始まる。監督は、『A』(1998年)、『A2』(2001年)、『FAKE』(2016年)など数々のドキュメンタリー作品でも有名な、森達也だ。東出はオファーを受ける前から森の作品のファンだったという。正義や悪や人間は簡単なものじゃない、虐待事件を起こした側にも家族があり愛がある──そういった森の作品に共感し出演を決めたという。私自身も森の作品には感銘を受け、トークショーにも足を運ぶようなドキュメンタリーファンのひとりだ。東出のこの感覚には非常に共感する。 私は普段はマンガの仕事をしているが、時々、自分には作品を発表する素質がないような気がして何も書けなくなってしまうことがある。なにも自分や自分の作り出したキャラクターの価値観が絶対的に正しいだなんて思っていない。何が正しいことなのかを悩みながら、悩んでいるからこそ生きているし、物を作っている。しかし世間が見るのは「完成品」であり「商品」である。当たり前に自分が作ったものが倫理的に正しくないと指摘されることがある。私の作品を見ることで不快になった(=不幸になった)と言われることがある。これ自体は物を作って発表している以上、仕方のないことだ。折り合いをつけていくしかない。 ただ、私はそういう正しくなさも含めて人間(キャラクター)であり、愛らしさであり、それが滲み出ているものが、それを丸ごと抱きしめてあげたくなるようなものが愛しい作品であると思っている。自分はそういった「抱きしめてあげたいような気持ち」に出会うために生きているような気がする。 調子がいいときはそう思えているのだが、物作りをしているとどうしようもない不安に駆られる瞬間がある。自分の考える「愛らしさ」は世間にとって害であり、自分が物を作り自分の価値観を訴えることは多くの人を不快にする行為なのではないか。そうやって価値観を開示したときに人を幸せにできるか否かこそが物作りをすることに必要な素質の有無なのではないか。正直に自分を開示することは世間から愛されるコツだが、開示して出てくるものが世間とズレていたらもうどうしようもないのではないか。 東出は私にとって非常に「愛らしい」存在だ。 東出はきっと、本当に「こういう人」で、それを我々にある程度素直に開示してくれている。何度世間を賑わせて、叩かれて、殺害予告が届いても。 彼の過去のスキャンダルが倫理的に正しかったかというと、うなずくことはもちろんできない。内容はまったく違うが、個人的には本作を観たときの感覚は圡方宏史監督の『ホームレス理事長』(2014年)を観たときに近い。罪は罪だし行為に対して正しいとも思わないけれど、人間が真摯に生きる姿は惹かれるものがある。そして、「自分はやっぱり人間という生き物が好きだな」と思う。 東出は語る。 「──仕事だったり狩猟だったり、人との出会いだったりっていうのを本気でやってると、何か生きててよかったって僕自身思う瞬間もあれば、生きててよかったって(あなたの)おかげで思いましたって言ってくれる人の言葉があったり、生きててよかったとか、どうしようもなく愛おしいっていう気持ちなんだ、とか。それは物に対しても人に対しても作品に対しても。そういうときに、なんか、生きている意味ってあるんだろうな」 さまざまなスキャンダルやバッシングを受け続けた東出の口から、たどたどしい言葉で紡がれる「生きている意味」は必見だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 出演:東出昌大 音楽・出演:MOROHA 監督・撮影・編集:エリザベス宮地 プロデューサー:高根順次 製作・配給・宣伝:SPACE SHOWER FILMS
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ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
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バカにされても突き進む、カッコいい男の“生き様”を描く──湊寛『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 “新根室プロレスは競技を見せているのではなく生き様を見せている” 『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』は、北海道文化放送によって制作されたドキュメンタリー映画で、北海道根室市で活動する「新根室プロレス」を追った作品だ。 新根室プロレスは、おもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に地元のプロレス愛好家たちが集まって2006年に旗揚げされたアマチュアプロレス団体だ。所属メンバーは地元の会社員、漁師、酪農家、派遣社員など日々を生きる社会人ばかり。 創設者であるサムソン宮本は「無理しない ケガしない 明日も仕事!」を、モットーに掲げている。 本映画では新根室プロレスの活動の軌跡と、創設者であるサムソン宮本が平滑筋肉腫(※癌の一種)と診断され、55歳の若さでこの世を去るまでの生き様を主軸として描いている。 プロレスといわれて世の中の人は何を思い浮かべるのだろうか。私は恥ずかしながらプロレスという文化に疎く、バラエティ番組で目にしたことがある毒霧やパイプ椅子の映像から「なんかよくわからないけど痛そうだから見たくない」とさえ思っていた。しかし安心してほしい。新根室プロレスは“エンタテインメント全振り”だ。サムソン宮本が「老若男女誰でも楽しめるプロレスを目指す」と発言しているように、新根室プロレスは思わず笑顔になってしまうようなおもしろさを売りにしている。 所属するメンバーも、レジェンドプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアント」にちなんだ、身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」、同じくレジェンドプロレスラーの「ハルク・ホーガン」にちなんだ豊満な体型の「ハルク豊満」など、くすりと笑えるものばかり。 サムソン宮本は、ロープ渡りを失敗してお股にロープが直撃……なんていう、コミカルな動きで観客を笑わせる。必殺技も“相手の頭をパンツの中に突っ込む”とか“カンチョー”とか、とても上品とはいえないものばかり。サムソン宮本の娘も「(最初は)恥ずかしかった」と語っている。 そんな新根室プロレスのメンバーたちには、ある共通点がある。 それは“学生時代イケてなかった”ことだ。たしかに作中に登場するメンバーは優しそうな、悪くいうと気弱そうな、一見格闘技などしなそうに見える面々だ。最年少であるTOMOYAの異名も「メガネのプリンス」、「ラブライバー」(※メディアミックス作品『ラブライブ!』ファンの総称)といったとおり。 所属メンバーにとって新根室プロレスがどういう存在であったのかは、映画パンフレットに記載されている新根室プロレス選手名鑑を見ると、ひと目で理解できる。職業や得意技と合わせて、「新根室プロレスとは?」という項目があるのだ。 「家族」「恩人」「居場所」「遅れてきた青春」。「自立支援団体」や「精神安定剤」と回答しているメンバーもいる。 サムソン宮本の弟である「オッサンタイガー」は次のように語る。 「ズレている人ばっかでしたね。マトモな人は入れないです。(中略)いかにイケてないかとか、ダサいとか、ちょっと社会に適合していないとかが基準なんですよね。そういう人たちに惹かれるんですよ、サムソンは」(※「新根室プロレス映画化記念メンバー座談会」より引用) かくいう私も、いわゆる“イケてない”、“ダサい”、“社会に適合していない”と言われるような人たちに惹かれる性分だ。自分自身がそうだから、というのももちろんあるし、そういう人たちにスポットライトが当たりづらい世間の風潮に対する反骨精神もある。これは私が今、漫画家として仕事をしている理念の部分になっているし、きっとドキュメンタリー映画が好きな人にはそういう性分の人間が多いのではないだろうか。普段スポットライトが当たりづらい人たちにカメラを向け、誤解されやすい、理解されづらい彼らの生き様をまざまざと描く。これは私がドキュメンタリーというものに感じているよさの、最も大きい部分と言っても過言ではない。 普段はイケてない人たちが仮面を被って別の名前を名乗ることで「カッコよく」変身するというのもよい。冴えないオタクがヒーローに変身して活躍するのは、マンガやアニメの王道だ。 まあ、つまり、ひと言で言うと私は『新根室プロレス』のような物語が好きでたまらないのだ。 映画としての編集もニクい。本作では「サムソン宮本として死にたい」という本人の発言を尊重し、最後までサムソン宮本の素顔を映さないように編集している。若いころの写真にも闘病中の家族との写真にも、たとえ家族の素顔が映っている場面でも、サムソン宮本に対しては徹底してマスクを合成する編集がされている。制作陣のサムソン宮本への多大なリスペクトが感じられる。 2019年9月。根室・三吉神社のお祭り興行でサムソン宮本から衝撃の告白が飛び出す。「難病・平滑筋肉腫と診断され……新根室プロレスを解散します」 平滑筋肉腫は10万人に3人の難病で、治療法も確立されていないという。 2019年10月。東京・新木場1stRINGにて、新根室プロレス最初で最後の興行が開かれた。1stRINGはインディ興行の聖地ともいわれる場所。約300人のファンが詰めかけ、会場は超満員となった。 次々とメンバーたちの試合が進み、第二部。場内スクリーンには「生か死か サムソン宮本13番勝負」の文字、サムソン宮本が新根室の面々と13番勝負をするという企画だ。本映画の編集マン・堀威の取材日記によると、大会当日のサムソンは「本当につらそう」だったという。また、13番勝負12戦目のセクシーエンジェル・ねね様戦でサムソン宮本が助骨を骨折していたということも明かしている。身体がボロボロになりながらも「プロレスラー・サムソン宮本」として戦う姿に、私は涙が止まらなかった。サムソン宮本は必ずまた新木場のリングに戻ってくると宣言するが、翌年9月、55歳の若さでこの世を去ってしまう。 制作した北海道文化放送の吉岡史幸プロデューサーは北海道新聞の取材に対し「(サムソン宮本は)自分の死すらもエンタテインメントにするほど徹底したプロデューサー」であると語った。 サムソン宮本は、うつ病や仕事の悩みを抱えるメンバーたちの悩み事を魅力にして人気者にし、観客たちを楽しませたように、自らの病気や死も観客を楽しませるためのネタにする男なのだ。 「新根室プロレスにおいて重要なのは、強さ、うまさではなく、観ている人の感情を揺さぶれるかどうか。それが本当の勝者」 新根室プロレス結成当時のサムソン宮本の言葉だ。 この映画はドキュメンタリーとしてはもちろん、題名どおり物語として非常によくできている。 というのも、プロレス自体、競技とエンタテインメントの両方の特性を併せ持つものであるし、登場人物たちもまた本人と、それとは別にプロレスラーとしてのキャラクターも持っている。自分の人生さえもさらけ出して「サムソン宮本として死にたい」とまで言っていた彼を追った映画なのだから、“物語”になるのは必然なのかもしれない。 本映画の後半では、残されたメンバーたちで新根室プロレスを再結成し、復活させる様子が描かれている。 先頭に立ったのは、小学3年生のときに新根室プロレスに魅了され、一度は入門を断られながらもメンバーとなった最年少のTOMOYAだ。サムソン宮本を敬愛していたメンバーの中には、TOMOYAだけで大丈夫なのだろうかと心配するメンバーもいたが、支え合いながら復活に向けて動いていく。 みんなの大黒柱だったサムソン宮本が亡くなって解散してしまった新根室プロレスが、メンバーの中でいわば末っ子であるTOMOYAの強い気持ちで再び集まっていく様子は、胸が熱くなるものがある。 「人生一度きり。やりたいことをやれ。カッコ悪くてもいい。バカにされてもいい。いつかわかってくれる。Don’t give up! Do your best!」 サムソン宮本の最後の言葉だ。 上映が終わったあと、映画館には涙を啜る音が響いていた。少なくとも映画を観た人たちの中に、サムソン宮本をカッコ悪いだとかダサいとかいう人間はいないだろう。 これは、北海道根室市に新しい文化を作ったカッコいい男の物語だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)連載中。さらに、2024年3月、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて読切『下北哀歌。』を掲載。 配給:太秦 (C)北海道文化放送
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
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#32「脚本打ち合わせは袋小路に…」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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#31「衣装の思わぬ突破口」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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#30「芸術と芸能のあいだで」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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マンガ『ぺろりん日記』鹿目凛
でんぱ組.incの「ぺろりん」こと鹿目凛がゆる〜く描く、人生の悲喜こもごも——
林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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オク・テギョン&イ・ジュンギ出演『K-ドラマフェス2024』レポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 韓国ドラマをよくご覧になる方で知らない方はいないのではないか……と思われる アジア最大規模のドラマメーカー「Studio Dragon(スタジオドラゴン)」。 火を吹いているかわいらしい青いドラゴンのロゴ!! あーなるほど安心、これなら間違いないわねこのドラマ、となりますよね。 隙のないほど美しい映像美、こだわりのストーリー。 そんなスタジオドラゴンが誇る人気ドラマ 『ヴィンチェンツォ』からは、チャン・ジュヌ役のオク・テギョンさん 『悪の花』からは、ペク・ヒソン役のイ・ジュンギさん おふたりが出演したスペシャルイベント!! 『K-ドラマフェス2024』に行ってきましたので、少しレポートさせていただきます。 まず、一度に世界的俳優ふたりのファンミを楽しめるなんて、あまりないですよね……。 私は初めての経験でしたし、とても豪華でした。 すべてが正しすぎるイケメン、オク・テギョンさん マチネ公演。 最初に登場したのは、 『ヴィンチェンツォ』チャン・ジュヌ役のオク・テギョンさん。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. お城のバルコニーのような素敵な舞台から 颯爽と登場した“俳優の”テギョンさん。 (“俳優の”をだいぶ強調しておられました) 少し動くだけでも歓声を上げたくなってしまうほどの、あまりにもすべてが正しすぎるイケメン。 さんざんファンにキャーキャー言わせて、 急にイタズラっぽく現実的なことを言ってクスッと笑わせる テギョン節、健在でした。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. イベントでは、2021年放送の『ヴィンチェンツォ』についてたっぷりお話を伺えましたよ! 名シーン総選挙では、 「こんなシーンあったなぁ」なんて思い出しながら、さっと振り返れられたのがよかったですし、 それぞれのシーンに対するファンからのメッセージには さすが俳優のテギョンさん、目元の表現だけで反応。目で語る語る。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. 中でも、 ジュヌのような悪役をやることがつらかったというプライベートな話。 『ドラマフェス』ということで、普通のファンミではなかなか聞けないような 俳優として深度のある話も伺えて興味深かったです。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. そしてサプライズで出てきたのは なかなかスキニーなトロッコ。 テギョンさん、このときばかりは全力でアイドル。 1秒ごとにくるくるとファンサで応えていました。 思いがけず近くまで来てくれて贅沢な時間でしたね……(遠い目)。 普段からトロッコの順路にとても厳しい私ですが、 こちらのトロッコは抜け目なく会場を回りきったのを確認いたしました。 穏やかな空気感をまとった、イ・ジュンギさん 次に登場したのは 『悪の花』ペク・ヒソン役のイ・ジュンギさん。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. すっとラフな格好で現れたイ・ジュンギさん。 内から発光するような、柔らかな光を放つお姿に釘づけ。 話し終わりの優しい笑顔……私、溶けました。 Vフリシーンがまた最高にキュンでして(泣)。 観客をかわいらしく煽ってからの、挑戦。 ファンの気持ちを1から10まで熟知した 完璧なVフリ王子。 最後、照れるところまで。一連で何回も観たくなるはずです。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. イ・ジュンギさんが出演された、2020年放送の『悪の花』。 恥ずかしながらドラマを観ずに参加したのですが、 ググッと引き込まれる名シーンを観ながら語られる役柄への理解、作品への想いに感銘を受け、イ・ジュンギさんの持つ「演技」についての哲学的な考えに触れ……。 これは必ず観なければと、心のメモに筆圧高く書きました。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. 脚本家さんからのメッセージも素敵でした。 なかなかないサプライズですよね。 脚本家さんの選ぶ言葉、文章の温かさから イ・ジュンギさんがどれだけまわりの人を大切にしているか、そして愛されているか 改めてお人柄を知れる機会となりました。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. 途中から、どんどんキュートな動作が大きくなってかわいかったです。 トロッコの上からは ポップに、ユニークに、キレキレなファンサを届けてくださいました。 名前もたくさん呼んでくださっていましたね。 私はその穏やかな世界観にすっかり夢中。 ファンの愛を感じる「祝い花」も素敵! また、会場の外も素敵だったんですよ! オク・テギョンさんとイ・ジュンギさんへの祝い花。 どちらもご本人の雰囲気やカラーを大切にされていました。 ファンの愛ですね。 イ・ジュンギさんの祝い花にはベンチが!! かわいい お正月は『K-ドラマフェス2024』放送で癒やされよう さあ、ここでお知らせです。 2025年1月2日(木)よる7:00~CSテレ朝チャンネル1にて <CSテレ朝チャンネル特別版>『K-ドラマフェス2024 with Studio Dragon』を放送予定です。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. バタバタするお正月に、ほっとひと息癒やされるのはいかがでしょうか♪ CS限定の舞台裏映像も放送されるようです。 これぞ永久保存版!! お見逃しなく。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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チョン・ヘインの温かさに感動!『2024 JUNG HAEIN FANMEETING IN JAPAN ~FALLING WITH YOU~』レポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 先日、俳優のチョン・ヘイン(*1)さんのファンミ『2024 JUNG HAEIN FANMEETING IN JAPAN ~FALLING WITH YOU~』に行ってまいりました!! というわけで、今回は特別編として、本イベントのレポートをお届けします。 歌声、トーク、笑顔。すべてが最高なヘインさん 登場から圧巻でした。 ヘインさん、歌が本当にお上手なんですよね。 透明感のある伸びやかな声。 その歌声に、一瞬でヘインさんの世界観(キラキラとした木漏れ日が差し込む、すっと深呼吸したくなるような美しい森林の中のイメージ。鳥のさえずりまで聞こえた気がしました)に引き込まれました。 初めは、MCなしでお話しされていて。 イヤモニを外して、ヘイニズ(*2)の皆様と会話しながらトークを進め 一生懸命日本語でお話しされていて、時々言葉を思い出しながら照れてしまい、キャキャっと笑われる姿がもう……最高にキュートでした。 あまりのかわいらしさに、客席で観ていた私、 普段の「キャー」より5オクターブは高い音域の「キャー」を発しておりました。 壇上でおいしそうにビールを飲みまくる世界的俳優 印象に残ったシーンはたくさんあるのですが、 実はこのファンミーティングが、CSテレ朝チャンネル1にて12月28日夜7時から放送されるので、いくつかだけ……! まずは、利きビール……(泣)。 素晴らしい企画をありがとうございます。 どの瞬間もビールのCMにすべきだろ!!となぜか怒りたくなるくらい グビグビおいしそうにビールを飲むヘインさん、最高でした。 壇上でビールを飲みまくる世界的俳優をただただ見つめる会なんて、なかなかないですよね。 楽しすぎました。いい飲みっぷり。 ヘインさんのご満悦な笑顔に、 私の抱えるストレスも、ビールの泡のようにシュワっと弾けてなくなったわけであります。 ほかにも、ヘインさんの出演作の名場面を振り返ったり、撮影の裏側をお話ししてくださったりと、盛りだくさんでした。 最後、「帰りたくない」と座り込んじゃうヘインさん、尊かったぁ……。 ファンと同じ気持ちで楽しんでくださっていたんだと、うるっとくるシーンでもありました。 思わず感動…!ヘインさんの貴重なインタビューも ここでお知らせです! 実はファンミーティング当日、チョン・ヘインさんにインタビューさせていただきました。 お忙しいなか、そして至らない点も多々あったにもかかわらず、ヘインさんは終始ニコニコ。丁寧に質問に答えてくださいました。 今でも頻繁に思い出すほど感銘を受けたのが、ヘインさんがお話を聞いてくださるときの姿勢です。 温かい眼差しで、まっすぐ目を見て答えてくださるんです。 拙い質問だったのにもかかわらず、心から興味を持って聞いてくださっているのが伝わってきて、感動しました。 一瞬で心を委ねられる……そんな感覚でした。 私が緊張で言い淀むと、失敗した……と傷つかないように完璧なフォローで返してくださいました(本来ならアナウンサーがやるべき立ち回り。インタビュイーとインタビュアーが完全に逆転)。 その心の広さたるや……(泣)。 ヘインさんの澄んだ美しいお人柄が、その姿勢に反映されていました。 インタビューの内容は、12月中に『大下容子ワイド!スクランブル』内で放送予定。 番組公式SNS、私のInstagramやXなどで、放送日時についてお伝えさせていただく予定です。ぜひチェックしていただきたいです。 平日のお昼、ヘインさんのスマイルで穏やかな時間が流れるはずです。 皆様、どうぞお見逃しなく! ※放送日時が変更になる場合もあります ヘイニズの皆様も、ファンミーティング当日、快く取材させてくださりありがとうございました。 ヘイニズの皆様は、ヘインさんに似て温かくて。寄付になる祝い花も、センスが輝いていました。 ヘインさんに出会って韓国語を勉強し始め、生きがいを見つけられた方。日々の疲れをヘインさんに癒やしてもらっている方。ヘインさんのぬいぐるみを着せ替え、アメまで持たせてあげている方(『となりのMr.パーフェクト』の!)など、素敵な方々にたくさんお話を伺えました。 ファンミーティング放送もお見逃しなく! そして改めまして、もうひとつ見逃していただきたくないのが ファンミーティングの放送です。 CSテレ朝チャンネル1にて12月28日夜7時から放送されます。あの癒やしの時間をもう一度!! 永久保存に。 実はこのコラムのために、ファンミーティングの会場の様子などの写真をたくさん撮ってきます!と編集の方にお伝えして、意気込んで行ったのですが、緊張で本当に全部忘れて帰ってきてしまいました。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/チョン・ヘイン ドラマ『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』でブレイクし、『ある春の夜に』『半分の半分 ~声で繋がる愛~』『D.P. -脱走兵追跡官-』『スノードロップ』では主演を務めています。*2/ヘイニズ チョン・ヘインさんのファンの名称。とても温かく、素敵な方ばかりでした! 文=林 美桜 編集=高橋千里
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「涙袋メイク沼」で10年以上かけてたどり着いた“最強のコスメ”|「林美桜のK-POP沼ガール」第19回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 私に欠かせないもの それは「涙袋」。 前髪がうまくセットできないと一日テンションが上がらない方、まつ毛の上向き具合に気分を左右されちゃう方、いろいろいらっしゃると思うのですが 私の場合はここ10年以上、やる気・元気、全部が「涙袋の出来具合」にかかっていると言っても過言ではありません。 涙袋メイクデビューを果たした高校時代 K-POPと出会ったのは高校時代。 ただ、校則が厳しかったのでK-POPメイクを実践することが難しく 時は過ぎ、大学生で満を持して涙袋メイクデビュー。 当時、KARA、少女時代、IU、f(x)などのMVを、延々とリピートしながら いったい何をしたら、私はK-POPアーティストに……? Twitterで彼女たちの画像を拾い集めては、拡大し、拡大しては分析し K-POPアーティストに少しでも近づくためには、「涙袋」の存在も重要なのだと気づかされたわけです。 そこから、私と涙袋メイクとの付き合いが始まりました。 少女時代・ユナのホワイトゴールド涙袋メイク 私の涙袋メイクに影響を与えたアーティスト:その1 少女時代・ユナ 大学時代半ばくらいまで、特に参考にしていたのは少女時代のユナさんのメイク。 そのころのK-POPアーティストの涙袋は、色はゴールドでラメも大きめ。 ステージライトが当たると、ラメがホワイトゴールドに輝くような……そんな涙袋が特徴だったと思います。 当時は今のようにメイク動画なども少なく、Twitterにアーティスト使用コスメの詳細があふれていたわけでもないので、自力で似たものをデパートの端から端まで探し、テスターを試しまくって、私の感性に訴えかけてきたゴールドは、RMKのシングルアイシャドウ、インジーニアス パウダーアイズ(シャイニー シルバーゴールド/現在は廃盤)。 メイクに慣れていなくて毎日塗りたくっていましたが、まつ毛にラメがひと粒でもついたまま太陽のもとに出ると、見える世界が一瞬で輝き出すような、そんな強力に光瞬くアイシャドウ、そして涙袋でした。 MissA・スジの「Only You」メタリック涙袋メイク 私の涙袋メイクに影響を与えたアーティスト:その2 Miss A・スジ 大学時代半ばから新社会人のころは、Miss Aのスジさんの涙袋を意識していました。 スジさんのことは、ドラマ『ドリームハイ』を観てからずっとファンなのですが、特に衝撃的だったのが2015年に配信された「Only You」MVのビジュアル。 スジさんは今まで、ここまで目の下を強調したメイクをされていたことがなかったので、新しいスタイルが私の目に飛び込み、そのまま勢いよく感性に刺さりました。 うろ覚えですが、スジさんのメイク動画をスクショしてズームして特定した使用コスメが、おそらくMAKE UP FOR EVERのアクアマティック アイシャドウ(メタリックピンキーベージュ/現在は廃盤)。特に気に入って、使っていました。 ギシッとラメが詰まったメタリックに輝くアイシャドウで、涙袋が浮き出るんです! ピンクという膨張色により100%……いや、160%のぷっくり感、うるっと感を演出できる!! TWICE担当メイク ウォン・ジョンヨによる「涙袋メイク革命」 私の涙袋メイクに影響を与えたアーティスト:その3 TWICE アナウンサーになって2〜3年目からは、TWICEさんのメイクを参考にしていました。TWICEさんは涙袋メイクに革命を起こしたアーティストだと思います。 メンバーのメイクを担当されているウォン・ジョンヨ(*1)さんが、世界中のメイク好きから支持を集めている理由がわかります。アーティストのメイク動画が流行り出したきっかけもTWICEさんではないかと……! 涙袋がとにかく強調されているのに、わざとらしく見えないテクニック。何度も何度も動画を観て学びました。 涙袋の影を描く、涙袋の下地にコンシーラーを塗る、ベージュ系やコーラル系のアイシャドウを何色も重ねる。特にこの工程が新しかった。 全部マネしたくて、動画に出てきたコスメは買い漁りましたが、鍵になるアイシャドウは海外でしか買えないものだったりして悔しい思いもしたなぁ……。 ただ、このころの私は仕事に慣れず精神的にブレブレだったので、使っていたコスメもブレブレで、毎日涙袋が違いました。 韓国にあるTWICEの通うメイクショップ「Bit&Boot」でメイクをしてもらったとき。プロがするとやっぱり違う!! 涙袋が1.3倍ぷっくり! 最近のお気に入りコスメ そして! 今までK-POPアーティストの涙袋を研究して取り入れてきましたが、最近のお気に入りはこれ。 どのポーチにも入れています too cool for schoolのフロッタージュペンシル。 最近、Xでもバズっているのでご存じの方も多いかもしれません。 昨年、韓国でプロのメイクアップアーティストの方に教えてもらってから使っています 一撃で涙袋が爆誕します。 いろいろアイテムを使ってきましたが 私はよく面倒を見てあげないと、コンシーラーがシワに溜まりやすかったり、ジェルペンシルではムラになってしまったりするので、 粉末状の細かいラメが詰まった柔らかい色鉛筆のようで、すっと描けるこのアイテムがベストでした。 ベージュとピンクのいいとこ取りで、 派手になりすぎずに、もともとの涙袋を1.3倍くらい自然にぷっくりさせられる感じ。 もし涙袋メイクに行き詰まっている方がいたら、ぜひおすすめです。 涙袋には“希望”が詰まってる 涙袋があるかないかでだいぶ変わるなと、毎日自分のオンエアを観ながら思います。 涙袋のおかげで顔の重心が下がって幼い印象になり、中顔面の短縮にもなることで、顔も小さく見える。 たった数ミリ! されど数ミリ!! 時には、心ない人に「涙袋変だよ」とか言われたこともありましたが(年を取るにつれて自分にとってマイナスなことを言う人とは距離を置いているので、今はそんなにいない) 毎日メイクしていたら、塗りすぎたり塗らなすぎたり、ムラはあるし! 研究段階なメイクで外に出ているときもある。 奥深い涙袋メイク沼。今まで投資したコスメ費用を考えたくもないですが、すでに10年以上は浸かっている沼。これからも浸かり続けるでしょう。 ぷっくりな日はハッピー満タン。 涙袋には、その日の希望が詰まってる。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/ウォン・ジョンヨ 韓国の人気メイクアップアーティスト。彼女が監修するコスメブランド「Wonjungyo」(ウォンジョンヨ)は日本でも大人気です! 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯
先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯
これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(日経新春杯)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(日経新春杯) 先週コラムにも書いた通り、配信はしばらくお休みをいただいています。ここで当たらない話を書くことは気が進みませんが、弊社の社杯であるスポニチ賞京都金杯で馬券の軸にしていたアスクコンナモンダが4着。先週フェアリーSの◎マイスターヴェルクが4着。狙った馬が4着になった時に「それ4」と言います。好走はしているものの馬券になってない、最もカネにならない状態ですね。次走ではもうその人気で買えない公算も大きくなるので。微妙に狙いすぎているという指標にはなりますので、軌道修正していきます。できるはずです、きっと。さて今回は1月19日(日)の中京11R・日経新春杯。 ◎⑨サトノグランツ。 このレースを予想していくと、4歳馬が目に付きます。同舞台重賞勝ちメイショウタバル、クラシック好走のサンライズアース、ショウナンラプンタ、上り馬ヴェローチェエラ。後者3頭はハンデも手ごろです。一方で、5歳馬サトノグランツは昨年未勝利、前年のこのレース3着もハンデ1キロ増、鞍上も乗り替わり(これまでの主戦川田はヴェローチェエラ騎乗)ですから、ありていに言って買いづらい。ただ、香港と有馬記念に使いたかったにもかかわらず前者は選出されず、後者は除外。当然、期するところはあります。世代限定G2を2勝している実績は、4歳の有力馬にもそう譲らない。詰めが甘いのですが、こういう馬の乗り替わりは騎手に関係なくプラスに捉えていいと思います。「それ4」感がめちゃくちゃ漂いますが、果敢に踏み込みます。 ○⑦ホールネス。 エリザベス女王杯ではG1初挑戦ながら2番人気に推されて3着。ファンの目が肥えていますね…。実際、最内枠も含めて条件は悪くなかったのですが、当時のこの馬を2番人気で買いたいかと言われると筆者は厳しいです。ロペデヴェガ×母父ゴーランですから、欧州オリエントの芝がいい。今の中京芝は合います。というか春の阪神や東京で走るイメージはあまり湧きませんので、ここを勝ちに来ていると思います。馬場コンディションに合う大型馬で2200巧者、サウスポーと、条件はそろっています。 ▲⑪サンライズアース。 休み明け、気性の若さもまだ解消されない現状というネガティブな要素はありつつ、ダービーの早め押し上げての4着に見どころがあったのも確か。かかってそこらにいないかもしれませんが…。 ☆⑬ヴェローチェエラ。 ハンデG2で過去にも3勝クラス、どころか17年2着シャケトラなど2勝クラス勝ちからの連対実績すらあるレース。3連勝で55キロのこの馬にもチャンスはあります。ただまあ確実に通用かと言われると、レース内容からはそこまでは思えないです。 馬券は3連単2頭軸マルチ。 <軸>⑦⑨→<相手>②③⑥⑪⑬⑭。36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(フェアリーステークス)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(フェアリーS) 松も明けましたが、ひとまず25年もよろしくお願いいたします。配信の方はしばらくお休みをいただき、logirlブログのこのコラムにお付き合いください。25年のコラム一発目は、1月12日(日)の中山11R・フェアリーS。さてこのレース、はっきり言えば桜花賞を狙うほどの馬はあまり出てきません。1勝クラスにちょっとプラスアルファがあるぐらいの顔ぶれ。中山芝マイルという速い流れになりがちなコースにキャリアの浅い馬が出てくるので、何となく耐久力のありそうなダート適性のありそうな、そういうタイプを狙うのがいいかと。 ◎①マイスターヴェルク。 いささか旧聞に属しますが、15年勝ち馬ノットフォーマルの父がヴァーミリアン、16年勝ち馬ビービーバーレルの父がパイロ。ダート種牡馬の産駒が活躍しています。マイスターヴェルクの父はドレフォン。ジオグリフやウォーターリヒトなど一線級には芝馬もいますが、基本はダート。今回、外枠にニシノラヴァンダとミラーダカリエンテが並んだことで、序盤から速い流れになることが予想され、インで我慢できる大型馬のダート適性が高そうな馬に流れが向くのではないかと。このレース、というか中山芝マイルは大型馬がいいのです。前走490キロ。今回のメンバー最重量です。 ○⑦ホウオウガイア。 前走の百日草特別は道中の不利がりつつ上がり3F33秒6で2着好走。シルバーステート×母父フレンチデピュティの配合で中山替わりはいいはず。人気ほどの信頼度があるかは微妙ですが、いいところまで差し込んでくるのではないかと。 ▲③ジャルディニエ。 9月の中山芝マイル・アスター賞は味な内容で1着。同舞台勝ちは大きく、本命も考えたのですが、あまり器用な立ち回りはできそうにないので、外が飛ばしてくる並びの内枠は良くありません。運び方が難しいかと。 ☆②キタノクニカラ。 一昨年の勝ち馬キタウイングの全妹。小柄ながらタフで姉に重なります。 馬券は3連単1頭軸流し。 <1着>①→<相手>②③⑦⑧⑨⑩⑪。42点。25年もよろしくお願いいたします。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(ホープフルステークス)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(ホープフルS) 有馬記念は最内の横山典という時点で逃げを警戒するべきでした。あと横山典が逃げてのスローなので、なまじ内枠のアーバンシックとブローザホーンは行き場なし。このあたりは展開予想で読めるところだったので、ちょっと失敗したな、という感じです。でもレガレイラは自分には無理です。さてJRA競馬のラスト開催。12月28日(土)の中山11R・ホープフルS。せめてここぐらいはちゃんと当てとかないと、といつも以上に気を引き締めて臨みます。今回の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#191)では、ゲストがほのかさんと雪平莉左さん。三谷紬アナウンサーと3人で女子会風の画面です。 ◎⑥クロワデュノール。 6月新馬勝ち、休み明けの東スポ杯2歳Sを24キロ増で、上がり3F33秒3で1着ですから、パフォーマンスは上々です。同父で同じ毛色のイクイノックスになぞらえても、現時点で決して不足ではないと思います。馬体は現時点でイクイノックスほどあか抜けていないので、そのあたりは今後に期待。斉藤崇厩舎&北村友一のコンビはクロノジェネシスでG1を3勝しています。強い信頼関係で結ばれており、新馬勝ち直後から、おそらく来春クラシックまでのローテが組まれたはず。ここをクリアして、気分よく来春クラシックに向かってもらいたいものです。 ○⑯ジュタ。 矢作師によれば「ダートは確実に走る。芝でどれぐらいやれるか」と分析した上で東京芝1800メートルの新馬で下ろしました。結果、なかなか味な内容で完勝。ここで冒頭のトレーナーの言葉が生きてきます。このレースはダート実績馬が強い。昨年3着サンライズジパング、一昨年1着ドゥラエレーデもダートで走っていました。ジュタは新馬勝ち即のG1挑戦なのでダート経験はありませんが、当代一のトレーナーが「ダートは走る」と言っていますから、この舞台は合うはず。キャリアのぶん、クロワデュノールを上に取りましたが、ジュタもここの内容いかんではクラシック候補に名を連ねるはず。そしてオッズの妙味はこちらの方が大きい。 ▲⑱マスカレードボール。 ジュタはドゥラメンテ産駒としてはセンスもいい方で器用さもありそう。一方、こちらマスカレードボールはこれぞドゥラメンテという荒々しさで、ゲートから道中から懸念はいろいろ。いかに手塚厩舎とはいえ、あの気性が簡単に落ち着くとは思いませんが、父もそうでしたが、本当に強い馬は荒々しいままG1を勝ってしまうものでもあります。 ☆⑧デルアヴィー。 ゲートを出てくれれば。話はそれからですが。1戦の敗戦で見限るのはちょっと惜しい馬です。 馬券は3連単1頭軸流し。 <1着>⑥→<相手>①⑧⑩⑫⑮⑯⑱。42点。 2024年もありがとうございました。 2025年は1月10日にフェアリーSコラムからスタートします。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>
テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑