若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
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「結局、ネタがおもしろいのがカッコいい」青色1号のネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(後編)
2024年の夏に開催された『第45回ABCお笑いグランプリ』で準優勝になった青色1号。『M-1グランプリ』覇者の令和ロマンに惜しくも破れたものの、芸歴10年目以下の漫才師、コント師、ピン芸人が集う戦いで、確かな実力を見せ、爪あとを残した。 この取材は『ABC』の前に行われたが、3人は気負いを見せず、どこか肩の力が抜けた様子だった。 初の賞レース決勝で見た“地獄”や、いいネタが生まれないスランプ、『キングオブコント』の展望など、青色1号の現在地を語ってもらった。 【インタビュー前編】 コンビからトリオへ、コントのウケが一気に変わった青色1号の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(前編) 目次バラバラの衣装は青色1号の象徴賞レース初ファイナルは地獄のスベりよう青色1号には分析屋がいないいいネタは一発目から雰囲気があるコントは結局おじさんが強い?三者三様の夢と、ひとつの目標 バラバラの衣装は青色1号の象徴 左から:カミムラ、榎本淳、仮屋そうめん ──今日は榎本さんだけ衣装ですか。 仮屋 いや、僕もですよ。 ──失礼しました。あまりにナチュラルなので気づきませんでした。榎本さんはビシッと決まっているので。 榎本 去年の6月に衣装を作ったんですけど、3人ともすごいバラバラになっちゃって。ホントは青で統一したかったんですけど。 ──青のトーンが全然違いますもんね。 カミムラ 僕もいちおう買ったんですけど、あんまりしっくりこないっていうか。どうしようかなって感じで。榎本が予想外のものを選んできちゃって。もうちょっと抑えたかったのに失敗したんすよ。 榎本 仕立ててもらったんですけど、生地を見せてもらったときは、もっと抑えめの青だった気がしたのに、実際めっちゃ明るくて(笑)。 ──インタビューでもよく「バラバラなのが青色1号の個性」だって言ってますけど、衣装もバラバラで見事に体現してますよね。 仮屋 そうですね。趣味もまったく違うし、性格もバラバラです。 賞レース初ファイナルは地獄のスベりよう ──前編では芸人としての初舞台について聞きました。この後編では、賞レースの初舞台について聞きたいです。2022年にはABCお笑いグランプリの決勝に進出されました。大きな賞レースの決勝は初めてでしたが、いかがでしたか。 カミムラ かなりスベりましたね。 榎本 『財布』っていうネタはけっこう自信もあったし、予選でもウケてたから「かますぞ」って思ってたんですが、最初から受け入れてもらえなかった。 カミムラ 「これはマズいぞ」っていう焦りが、3人とも顔に出てましたね。東京でウケるところが全然ハマらない。 榎本 もう無理だ、地獄だと思って、とにかく大きい声でごまかしました。 仮屋 ファースト決勝であり、ファースト大阪でもあったんですよ。大阪が難しかった。 カミムラ いや、でも東京のこたけ正義感とかちゃんとウケてたんで、僕らがただ実力不足だっただけです。お笑いは東京が一番おもしろいと思うんで、別に向こうに合わせなくてもいいかなと思いますし。でもあれ以降、「ネタ中に動揺しないでやり通す」っていう目標もできたんで、いい経験にはなったんじゃないですかね。 ──今年のABCお笑いグランプリでもファイナリストになりました。この記事が配信されるころには結果も出てると思うんですが、直前に控えた今の心境はどうですか。 カミムラ 一昨年よりはうまくいくんじゃないですか? あのときは本当にゼロ笑いだったんで、今年はふた笑いくらい。 榎本 もっといくだろ! とにかくウケたいですね。 カミムラ あとラストイヤーなんで。 榎本 やることやるだけですね。 ──M-1王者の令和ロマンや、『(女芸人No.1決定戦)THE W』女王の天才ピアニストなど、すごいメンツですよね。 カミムラ ホントそうっすよね。なんでみんな出てんすかね。 榎本 まぁそのおかげで注目度も上がってるんで、ありがたいですよ。普通に令和ロマンが獲っちゃうかもしれないですけど(笑)。 (※)7月7日に行われた『第45回ABCお笑いグランプリ』チャンピオンは令和ロマン。青色1号は4点差で惜しくも準優勝となった 青色1号には分析屋がいない ──青色1号はコント師で、キングオブコントに毎年挑戦されていますが、トリオになった翌年の2018年には準々決勝、2022年に準決勝まで行きました。 カミムラ 同期の中では初めて準々決勝に行けたんですよね。 榎本 当時は「2回戦行けたらすごい」と言われてたんでうれしかったですね。 仮屋 でもコロナ禍に入って、2回戦落ちが続いた。 カミムラ KOCだけ負ける印象でしたね。ライブではずっと勝ってたんで。だから理由が全然わかんない。僕らデータ派がいないんですよ。分析できるヤツがまったくいないんで。 ──ギャンブルも好きな仮屋さんは、分析も得意そうですけど。 仮屋 実はできてますけど、言ってないかもしれない。 榎本 なんでだよ! 教えてくれよ。 仮屋 いや、言いきる度胸はないです。外れたらイヤだし。 カミムラ 『月笑』っていう事務所ライブで、去年の年間チャンピオンを決める最後のネタは仮屋が決めたんですけど、それも大外れしましたから。活躍してるコンビは、けっこう分析力がすごいんで、そこは弱みです。 ──KOCの不振や、コロナ禍が重なって、不安はありませんでしたか? カミムラ 僕は平気でしたね。ふたりはどうかわかんないですけど。別にいいよと思ってた。どうにでもなれって。 仮屋 僕も特に不安はなかったです。 榎本 僕はヤバいなぁって思ってましたね。どうしよう、どうしようと焦ってました。でも、もうしょうがないかと。 ──ちなみにお笑いで食べられるようになったのはいつごろですか。 全員 まだ全然食えてないです! 榎本 めちゃくちゃバイトしてます。 カミムラ 仮屋は死ぬほどバイトしてます。 仮屋 お笑いが副業です(笑)。 ──『ゴッドタン』の恒例企画「この若手知ってんのか!?」で「とにかくヤバい芸人部門」の1位に選ばれ、注目されたのは2020年ですよね。ネタにも定評があって、お笑いファンの間ではよく知られる存在なので、意外に思う人も多いんじゃないでしょうか。 榎本 それはよく言われますね。 仮屋 吉本以外はこんなんですよ。 榎本 吉本の人には「青色は食えてるよね」とか言われるんですよね。早くバイトせずにお笑いできるようになりたいです。 いいネタは一発目から雰囲気がある ──ネタ作りはカミムラさんが担当されているんですよね。 カミムラ はい。よくて8割くらいの状態でふたりに見せて、榎本はあんま言わないですけど、仮屋からアイデアをもらって、ネタ合わせしながら仕上げていきます。 ──YouTubeチャンネル『青色1号のホストクレープキッチン』でも再生回数1位と2位の『面接』と『ネギトロ王子』が個人的に好きなんですが、あのあたりのネタはいつごろできたんですか。 カミムラ けっこう古めなんですよね。最近はああいう勝負できるネタができてない。 仮屋 『面接』は新しいほうですけど、それでも2年前。『ネギトロ』も4年くらい前で。でもそれも何回も叩いているうちに、味がしてきたっていう印象ですね。 榎本 原型は全然違ったしね。 カミムラ いいネタって、一発目から雰囲気あるんですよね。いまだにネタおろしの時点で、話になんないくらいスベることもあるんで、そういうのはすぐ捨てちゃいます。いいネタだったら最初っからちょっとウケるんですよね。 ──ここ最近、勝負ネタができてない要因はどう分析されていますか。 カミムラ なんなんですかね、わかんないですね。なんだろう……(苦笑)。いいのが降りてこない感じですね。 ──降りてくるタイプなんですね。 カミムラ まぁ降りてくるっていうとアレですけど、いいのができるときは、すぐできるんです。これいいなと思ったらオチまで一気に思いつく。でも最近はそれがないっすね。続きを考えないとダメなときってだいたいおもしろくないんだけど。 ──ふたりはカミムラさんを信じて待っている。 榎本 そうですね、待つことしかできないんで(笑)。 ──去年は初の単独ライブ『ちょっとだけバカ』を開催しました。あれは新たな勝負ネタを生むためのキッカケとして必要だったんですか? カミムラ いや、単純に「やりませんか?」って事務所の方から言っていただいたんですよ。2022年に初めてABCの決勝やKOCの準決に行けたから、一回やってみるかって。ネタも単独でできたものを叩くっていうよりは、普段から下ろしてくのが性に合ってるんで、「単独で代表作を作ろう」って意気込みではなかったです。 ──近年「単独ライブで食えるようになりたい」というコント師が増えましたが、青色1号もそこが理想? カミムラ そうなったらいいですけど……大変ですよね。 榎本 それはそれでねぇ(笑)。 コントは結局おじさんが強い? ──KOCで優勝して売れる姿って、今どれくらいイメージできていますか。 カミムラ どうなんだろうなぁ……正直、優勝は大変だろうなと思ってます。でも決勝はまぁいずれ行けるっしょとは思ってますね。一回目の決勝でスベるイメージまですげぇできてる。 榎本 ははははは(笑)。最悪だな。 仮屋 まぁ最初は顔見せで。 カミムラ 2回目で優勝狙っていきてぇなって感じですかね。 ──たしかにあのステージに一度立たないことには、優勝も見えてこないですよね。最近だと、ビスケットブラザーズ、空気階段、ジャルジャルは複数回決勝に出て獲りました。 カミムラ ABCの決勝でとんでもないスベり方を経験したから、そんなにヘコまないだろうし、とりあえずどうなってもいいから、KOCの決勝行きたいですね。 ──カミムラさんのこのイメージはふたりも共有してる? 榎本 うん、決勝は行けるだろうとは思ってますね。 仮屋 決勝スベるだろうなっていうのもわかります(笑)。 カミムラ 一度、決勝に行けばテレビもちょっと出られたりするじゃないですか。そこで知られて、ネタの楽しみ方も伝わってからが勝負かなと。 ──KOCって芸歴制限がないから本当に大変ですよね。 カミムラ 去年だったらラブレターズさん、ジグザグジギーさん、や団さんが出てますからね。 榎本 若手で勢いのあるコント師が決勝に行くケースって本当に少ないと思います。準決の顔ぶれ見て、今年は若いヤツ多いなって思うこともありますけど、結局決勝はおじさんが多い。それは毎回、思いますね。結局おじさんが強い(笑)。 三者三様の夢と、ひとつの目標 ──最後に、芸人としてのやっていきたいことを聞かせてください。仮屋さんはやっぱりパチンコですか。 仮屋 そうですね。お仕事でパチンコ、ボートレースやりたいです。早くバイトも辞めて、プライベートでもギャンブルしたいです。 榎本 お金貸さなくて済むんで、早くそうなってほしい(笑)。 カミムラ 勝手にやっててほしいですね。 ──榎本さんは、どうですか? 榎本 僕は映画、ドラマ、CMとかバンバン出たいんです。お笑い芸人が映画とかドラマに出てるのがかっこいいなと思ってて。でもなかなかチャンスがないんですよね。ふたりはドラマにも出たことあるのに、一番憧れてる僕には話が来ない。 仮屋 知り合いから頼まれる感じですけど。そこからおかわりみたいな感じでたまにあるんですよね。榎本は「普通の顔」すぎてよくないらしいです。 榎本 そうなんです。太田の俳優部のマネージャーさんに「ドラマ出たいんですよ」と伝えたら「いいけど、君だけ普通すぎて何もないから」って言われて。普通だからこそなんでも演じられるのかと思ったら、そうでもないらしいですね。ドラマ、映画、演劇、なんでもやりたいんで、業界関係者の方、僕を使ってください! ──記事にもしっかり書かせていただきます。カミムラさんはどうですか? カミムラ 「趣味人間」みたいな立ち位置の人いるじゃないですか。ああいう人になれたらいいですね。バイクと格闘技が好きなんで。ケンコバ(ケンドーコバヤシ)さんとかいいですよね。あと、さらば(青春の光)の森田(哲矢)さんとか。ネタがおもしろいからこそ許されるようなポジションなんで、そこがんばらなきゃですけど。 ──今日ここまで話を聞いてきて、カミムラさんの肩の力が抜けてる気がしました。『ゴッドタン』での荒ぶるカミムラさんの印象が強烈だったので。 カミムラ マジっすか。いやでもやっぱムカつくことはいろいろありますよ。そりゃそういうヤツらは全員負かしてやろうと思ってる。そのあとでゆくゆくは趣味人間になりたいってだけです。 ──3人の目標はどうですか? カミムラ やっぱりネタは続けていきたいですね。 榎本 カミちゃんも言ってましたけど、何やってても結局この人たちネタおもしろいからっていう存在になりたい。 カミムラ シティボーイズさんとかめちゃめちゃかっこいいじゃないですか。普段は全然違うことやってんのに集まったら、コントがおもしろいって最強ですよ。 ──仮屋さんはどうなんですか? 仮屋 ずっとやっていきたいですよ、パチンコ。 榎本 3人での目標を聞かれてるんだよ? 仮屋 3人でもパチンコやりたいです。 榎本 巻き込むなよ! カミムラ 仕事でできるんなら僕もやりますよ。趣味人間になりたいんで。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 青色1号 カミムラ(1990年6月7日、東京都出身)、榎本淳(1992年5月29日、神奈川県出身)、仮屋そうめん(1991年7月17日、福岡県出身)のトリオ。2014年、カミムラと榎本で結成。2017年にコンビ「フィルダースチョイス」を解散した仮屋が加入する。2024年、ラストイヤーで挑戦した第45回ABCお笑いグランプリで準優勝した。YouTubeチャンネル『青色1号のホストクレープキッチン』でネタ動画を公開中。 【後編アザーカット】
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コンビからトリオへ、コントのウケが一気に変わった青色1号の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(前編)
若手からベテランまで、群雄割拠のコント界。2017年にトリオとなった青色1号は、次の主役の座を虎視眈々と狙っている。 今回の取材後には、2024年の『第45回ABCお笑いグランプリ』でファイナリストとなり、惜しくもM-1チャンピオンの令和ロマンに破れ、準優勝となった3人。 いつブレイクしてもおかしくない青色1号に、初舞台を振り返ってもらう。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次養成所のお金は、パチンコで稼いだ?人生で一番ウケた初舞台“足立区の暇そうなヤツ”を捕まえてオーディション巡り榎本「仮屋が入って、自分は辞めさせられると思った」3人になってようやく味がした 養成所のお金は、パチンコで稼いだ? 左から:カミムラ、仮屋そうめん、榎本淳 ──3人は、2014年に太田プロダクションの養成所に入った同期ですが、最初はカミムラさんと榎本さんがコンビだったんですよね? 榎本 そうですね、そのときから青色1号でした。太田に入ったころは僕らも別々だったんですけど、同じタイミングで解散して組みました。 ──榎本さんは大学お笑い出身なんですよね。 榎本 といっても、学内でしかやってないです(笑)。 ──大会には出なかった? 榎本 一度出たんですけど、僕らの大学がめちゃめちゃ弱かったんです。2011年に『(国民的大学生芸人グランプリ)大学芸会』の初回に出たら最下位だったので、もう辞めようと(笑)。その後はずっと大学内で活動してました。 ──それでもプロになろうとは思ってたんですか? 榎本 そうですね。卒業してからが勝負って感じで切り替えてました。 ──太田に入ったのはなぜ? 榎本 4期生と5期生に先輩がいたんです。ひとりはもう辞めてYouTuberになりました。「オカルトスイーパーズ」ってオカルト界では有名らしいです。 ──カミムラさんは芸人になろうと思ったタイミングはいつごろですか。 カミムラ 就活してても話が一個も入ってこなくて、ダメだこれと思ったんですよね。ちょっとお笑い好きだったんで、やっちゃおうかなって感じです。太田プロを選んだのは、授業料が一番安かったからで。入学金と授業料で33万円。当時は吉本のNSCが40万くらいだったかな(※)。たぶん9割の人間は安いから入ってる。あと、授業が週1なのもいいなと思いましたね。所属さえできればいいやって入っちゃった。 (※)現在のNSCは入学金、授業料、施設料合わせて年間50万円。太田プロは33万円のまま ──お金は自分で工面できました? カミムラ そうですね、バイトをかけ持ちして稼ぎました。 榎本 僕もバイト代で払いました。 ──仮屋さんは? 仮屋 僕は……あれっすね。バイトもしてたんですけど、パチンコで稼ぎましたね。4月入学なんですけど、2月ごろにはパチンコでだいぶ貯まったんです。でも3月にほとんどなくなっちゃって。 ──どうしたんですか。 仮屋 とりあえず家族には何も言わず、福岡から東京に出てきました。そこから1カ月でまたパチンコをがんばって、なんとかお金貯めましたね。ちょっと足りなかったんで、そこは親から「がんばってね」ってもらったお金で補填して。 ──結局、パチンコで入学できたと。すごいですね。 カミムラ いや、これウソです。コイツ、お金間に合ってなくて、初回の授業休んでますから。 ──初日より前に、支払い期限があるんじゃないんですか。 カミムラ じゃないんですよ。太田はそのへんがけっこうゆるい。 仮屋 ちゃんと電話はしたんですよ。めっちゃ怒られましたけど、「用意できたら払ってください。そこから入学でいいですよ」と言ってもらえたんで大丈夫です。一緒に入った中学の同級生に「初日、何したの?」と聞いて、お母さんには電話で「今日は自己紹介だけだったよ」と伝えました。 ──とはいえ、なんだかんだある程度パチンコで入学金を貯められたのはすごいですね。 仮屋 いや、本当にパチンコがなかったらヤバかったです。パチンコには一生頭上がんないです。 榎本 でもそのときだけですよ。それからずっと負けてる。 仮屋 今はパチンコだけじゃないんですよ。ボートレースとか競輪とかも覚えちゃったんで、それを合わせると負けてるという。 カミムラ ギャンブルとか全然意味がわかんないです。バカだと思う。 榎本 僕もお金貸してる。 カミムラ 早く仕事にしてほしいですね。「いつまでダラダラやってんの?」って。 榎本 金沢で一回だけ仕事があったよね。 仮屋 そうそう。これはパチンコのファーストステージの話なんですけど。 榎本 芸人としての初舞台より先にそっち話すんだ(笑)。 仮屋 お笑いやってるときより全然笑顔で、過去一番でかい声でしゃべりました。 榎本 一番楽しそうだった。 仮屋 みんなから「あんな仮屋、初めて見た」って言われましたね。いい初舞台になりました。 人生で一番ウケた初舞台 ──仮屋さんは同級生と一緒に入ったんですね。 仮屋 大学時代の同級生ですね。最初の2年はそのコンビでした。 カミムラ 仮屋のコンビは、養成所時代ずっと1位だったんですよ。最初からちゃんと漫才になっててすごかった。ほかのコンビなんて話になんないんすよ。素人ふたりが緊張してネタ飛ばしてる中で、仮屋のコンビだけちゃんとしてた。 榎本 コントも普通にうまかったね。 ──仮屋さんの初舞台はその相方ですか。 仮屋 いや、最初は高校3年生のころで、そのときが人生で一番ウケました。あれは一度も超えてない。なぜかわかんないですけど(笑)。そもそも福岡ってお笑いをライブで観る文化がないはずなのに、なんであんなにお客さんがいたのかもわかんない。まぁ出演者の家族とか友達なのかな。大学時代も福岡にいて、そのコンビで月に1回、アマチュアのライブに出てたけど、そこもあんまりウケなかった。 カミムラ たしかに今思うと仮屋のコンビは解散まであんま変わんなかったです。進化はしなかった。 仮屋 僕らとしても「伸びないなぁ」とはずっと思ってて、それで解散したんですよね。相方もすごいお笑い好きだったのに生活的に苦しかったのか、折れちゃいました。 ──解散後すぐ、青色1号に合流したんですか。 仮屋 いや、2カ月ぐらいはピンでやってましたよ。でもちょっと無理すぎたんで、入れてもらったんです。 “足立区の暇そうなヤツ”を捕まえてオーディション巡り ──仮屋さんが加入する話に移る前に、カミムラさんと榎本さんの初舞台についても聞かせてください。 カミムラ 僕は太田プロの養成所に入る前に、いろんな事務所のオーディションに行ってて、そこが最初です。初めて行ったのが浅井企画で、死ぬほどスベりました。大学での授業中に書いたコントのネタで自信もあったんでヘコみましたね。まぁネタ見せなんてウケるわけないって今ならわかりますけど。 ──ひとりで行ったんですか。 カミムラ いや、地元の足立区には暇そうなヤツがいっぱいいるんで、そこから適当に捕まえました。「このセリフだけ覚えて」っつって、連れ回してた。 榎本 その相方めっちゃイカつかったよね。一緒に太田プロにも入ってきて……。 カミムラ いや、最初は違うヤツとやったんだよ。初舞台のときは、もっと変な暇してるヤツ。なんかふたりで並んだら芸人っぽかったんですよ。僕が細長くて、そいつが太ってたから「極楽とんぼみてぇじゃん」って。テンション上がって行ったのにめっちゃスベった。 仮屋 一緒に太田プロに入ってきたゴリゴリにイカつい相方は、めちゃめちゃ演技がうまかった。あの人と続けてたら、カミちゃんはもう売れてたかもしれないですね(笑)。 ──その元相方は今どうしてるんですか? カミムラ 久しぶりに会ったら全身に墨入れてましたね。これはコンプライアンス的に書いても大丈夫なやつです(笑)。 ──よかったです。榎本さんの初舞台は大学時代ですか。 榎本 そうですね、1年生のときに先輩と組んで出た学内のライブです。仮屋と同じで、それがめちゃくちゃウケたんですよ。それで「俺たちいける!」ってなって満を持して出た『大学芸会』が最下位だったんで、もう無理だと。 カミムラ 初舞台がウケたっていうのも絶対ウソですよ。 榎本 いやいやいや、それは本当だから。めちゃくちゃウケた。 カミムラ 調べようがないからってウソついてるだろ。 榎本「仮屋が入って、自分は辞めさせられると思った」 カミムラ 榎本と組んだのは、たまたま解散したタイミングが同じだったのもあって。しゃべってたらけっこうツッコミできるなと思って、誘ったんです。でもその日がコイツのピークで、それから全然ツッコめない。 榎本 そんなことねぇわ(苦笑)。 カミムラ あの日以来、コイツのツッコミがいいなと思ったことは本当に一回もないです。だから初舞台でウケたっていうのもウソだと思ってる。でもあれか、いつも最初だけ調子いいって可能性はあるか。 ──すごい言いようですけど、ふたりでの初舞台はどうでしたか? カミムラ 最初はあんまよくなかったです。クソスベったってわけじゃないけど。 榎本 中途半端でした。綾瀬はるかのネタだよね。 カミムラ 「綾瀬はるかと付き合えた」みたいなことを言い合う会話劇っぽいネタ。椅子に座って、動きとかあんまない感じの。 榎本 スカしてましたね。ラーメンズさんとかバナナマンさんみたいな繊細な演技のコントをやろうとしてた(笑)。 カミムラ あと、東京03さん。大学時代にすごい観てて、めちゃくちゃ影響されてました。 ──初舞台はそんなに手応えはなかったけど、解散はしなかったんですね。 カミムラ 太田プロの養成所って、当時は1年かけて最終的に30組ぐらいが残るんです。さらにそこから5組だけ所属になる。だからとりあえず5組には入れそうだなってところで、そこを目標に続けてました。 榎本 一番は取れなくていいやって。 カミムラ それで2年くらいふたりでやってたんですけど、なんか3人でやるようなネタばっかりできるんですよ。それで、いつかいいヤツ見つかったら入れようとはずっと話してたんです。そしたら仮屋が解散したんで、ちょうどいいやと。 仮屋 とにかくピンがイヤすぎたんで、誘われてありがたかったですね。もともと仲もよかったんで。でもトリオはちょっと抵抗あったんですよ。やっぱM-1にも憧れて芸人になったんで、「お笑い=コンビ」っていう考えがあったから。結果的にはよかったですけど。 ──結成するときはどんな話し合いがあったんですか。 カミムラ インタビューに書けるような熱い展開とかないですよ。 榎本 あはははは(笑)。 仮屋 お互いに組むだろうなって空気はあったんですけど、僕はちゃんと話そうと思って「いったんちょっとお茶しない?」とカミちゃんに声かけたんです。そしたら「いや、入っていいよ」ってあっさり言われて。 カミムラ いや、マジであとあとこうやって聞かれるって知ってたら、熱いやりとりしてたのにな。で、その日のネタ合わせに仮屋を連れていきましたね。 ──榎本さんはどのタイミングで仮屋さんを入れることに同意したんですか。 カミムラ 同意も何もないです。榎本には決定権ないんで。 榎本 僕はトリオになるのも知らなかったです(苦笑)。 仮屋 榎本は、自分が脱退させられると思って不安だったそうです。 榎本 仮屋はおもしろかったし養成所でも成績よかったんで、そのまま僕がパンって弾き出されて、辞めさせられると思ってました。そのストレスで、めっちゃでっかいニキビができたのも覚えてます。 3人になってようやく味がした ──トリオとしての初舞台はいつですか? カミムラ 仮屋が入った翌週にあった、ヤマザキモータースさんが主催の『モータースLIVE』ですね。 ──『モータースLIVE』は、この連載でもたびたび話題に上がる若手芸人のライブです。 榎本 僕らめっちゃお世話になってますから。急にトリオになったときもすぐ出させてくれました。でも今までのお客さんたちは動揺してましたね。名前は青色1号のまま、急にもうひとり出てくるから(笑)。 仮屋 たぶん、お客さんからしても「なんか見覚えあるけど、よくわかんない人が増えた」みたいな感じ。 榎本 でも最初のコントからウケたんですよ。まわりからも「トリオになってよくなった」って言ってもらえたし、『モータースLIVE』のランキングもすぐ1位になって昇格して、上がったライブでも1位になった。 ──仮屋さんの加入でなぜそこまで劇的によくなったんでしょうね。 カミムラ 僕と榎本は、あんまりおもしろくないんですよ。ネタ中に全然お笑いやってないんで。なんつーんすかね……ドレッシングが、かかってないみたいな。 榎本 あぁ、たしかに(笑)。 カミムラ 仮屋っていうドレッシングをかけて、「やっと味がする!」みたいな。俺と榎本だけだとかたちになってんだけど、おいしくはないみたいな感じだった。 ──仮屋さんは、ドレッシングとしての手応えはありましたか。 仮屋 どうなんでしょうね(笑)。でもたしかに僕はバカバカしいネタが好みだったんで、ふたりがやってた静かで繊細な感じのコントにちょっとだけお笑い要素を足してあげてるなっていう自覚はありました。 カミムラ 僕らのネタで仮屋いないバージョン想像してもらったらゾッとしませんか? それをずっとやってたんですよ。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 青色1号 カミムラ(1990年6月7日、東京都出身)、榎本淳(1992年5月29日、神奈川県出身)、仮屋そうめん(1991年7月17日、福岡県出身)のトリオ。2014年、カミムラと榎本で結成。2017年にコンビ「フィルダースチョイス」を解散した仮屋が加入する。2024年、ラストイヤーで挑戦した『第45回ABCお笑いグランプリ』で準優勝した。YouTubeチャンネル『青色1号のホストクレープキッチン』でネタ動画を公開中。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 「結局、ネタがおもしろいのがカッコいい」青色1号のネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#30(後編)
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ギャルネタでブレイクの先にある、エルフのネクストステージとは|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#29(後編)
2023年の『女芸人No.1決定戦 THE W』で、準優勝したエルフ。 荒川の“ギャルあるある”でバズり、漫才やコントでファンを獲得しブレイク中のエルフだが、実は最初のころはギャルを封印していたのだという。 根っからのギャルである荒川は、なぜ本性を隠していたのだろうか。そしてその封印を解除したキッカケはなんだったのか。 THE Wで結果を出すまで「毎日が地獄」だったというエルフに、覚醒の瞬間から東京進出、そして賞レース決勝の初舞台と、準優勝までのストーリーを聞いた。 【インタビュー前編】 ギャルネタを武器に『THE W』などで活躍するエルフの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#29(前編) 目次ギャル芸人として覚醒した日のことTikTokでバズって、宗右衛門町でフィーバー上京後は毎日が地獄死ぬような思いも、ウケなければ無意味 ギャル芸人として覚醒した日のこと 左から:はる、荒川 ──エルフのおふたりは、2017年に芸人の養成所であるNSCを卒業しました。2022年に上京するまでの5年間は大阪で活動されていましたが、当時から今の芸風だったんですか。 荒川 全然違いました。私はまだギャルを出しきってなかったんです。最初のころのことはあんま記憶ないけど……超若手のころって女の子の漫才師がほとんどいなかったから、女コンビってだけで目立ってたんですよ。 だから存在だけは知られていて、バトルライブでも票を集めやすい。だけど実際のネタはスベってるみたいな状態で、それがつらかったです。作家さんにもボロカスに言われてましたし。芸歴1年目の初舞台からギャル漫才にたどり着くまでは、めちゃめちゃつらかったです。 ──もともとギャルだった荒川さんは、なぜギャル的な要素を舞台では見せなかったんですか。 荒川 芸人がギャルやってたらダメだと思い込んでたんです。でもかわいい格好はしたいから、中途半端におしゃれはしてて。今考えると「自分どっちなん?」ってわかるんですけど、当時は迷走してました。 ──はるさんから、荒川さんの迷いに対してアドバイスすることはなかった? はる 自分自身のことで精いっぱいで、荒川が迷ってることには気づなかったです。そもそも私も「ツッコミが強すぎる」とか「立ち方がおかしい」とかずっと注意されてたんで。ずっと荒川に頼りっきりだったんですよ。平場も荒川が前に出て、私は一歩も動けない。自分がどうすればいいのか、どうしたいのか、それがまったくわかりませんでした。 荒川 芸人になってからしばらくは毎日楽しいのに、すっごくしんどかった。昔は芸歴8年目で劇場レギュラーになれたらってノリで、売れたい気持ちもなかったんです。でも、よしもとで芸人やってるうちに負けず嫌いになっちゃって勝てないのがつらくなった。子供のころずっとやってた空手でも勝ち負けとか気にしてなかったのに。 ──お笑いで負けるのは悔しかった。 荒川 っていうより、よしもとに性格を変えられたんですよ。若手のころからバトルライブでずっと戦わされるから、いつの間にか「クッソ、ふさけやがって! なんで私らが負けんねん!」って思うようになってた(笑)。 ──その苦しい状況をどうやって突破したんですか。 荒川 初めてお笑いに興味がないお客さんたちの前でネタをやったときに、“第3のカラコン”が開いたんですよ。 はる そこは「目」でいいけどな。 荒川 私らのことをまったく知らなくて、お笑いも好きじゃないお客さんは、当時の自分みたいに中途半端な見た目とキャラの芸人は、見方がムズいやろうなって気づいたんです。だからここで思いきって変えてみようってことで、普段のギャルっぽい私で「うぇい!」とか言ってたらウケたんです。そこでギャルのまま芸人やっていいんだって吹っ切れてからは、ネタも作りやすくなったし、平場もしゃべれるようになりました。 ──突然の方針転換を、はるさんは否定しなかった? 荒川 はるはいつだって「わかった」「了解」「いいと思う」しか言わないんですよ(笑)。 はる 荒川の言うことには全部乗っかってきました。荒川に言われたことで「イヤやな」って感じたこともないんです。 荒川 たまには意見くれよって思いますけどね。 はる ホンマにないんです(苦笑)。 TikTokでバズって、宗右衛門町でフィーバー 荒川 ギャルを解放してからは、マンゲキ(よしもと漫才劇場。大阪よしもとの若手が活躍する)でもレギュラーになれました。4年目ですね。 ──8年という目標の半分でそこまで行けたと。 荒川 自分でも「はやっ!」って思いました。でも活躍してる芸人さんってみんなネタを作る量もハンパじゃないし、ネタ合わせの真剣さも全然ちゃうから、ここからもっとがんばらなきゃと思いました。でもそれは全然つらくなくて、むしろがんばらないと落ちちゃう世界っていいなって感じでしたね。 はる 当時はまだ見取り図さんとか、アインシュタインさんがいらっしゃいましたね。芸歴がちゃうから、バトルライブでは一緒になりませんでしたけど。 荒川 カベポスターさんとか、ダブルヒガシさんもずっと一緒だった。あと、天才ピアニスト。先輩でいうと、蛙亭のイワクラさんにはめっちゃお世話になってて。私って見た目とノリがチャラチャラしてるから否定されがちだけど、イワクラさんだけはずっと「エルフは絶対劇場上がれるから、大丈夫やで」とか「荒川はそのままのほうがおもしろいよ」って言ってくれたんです。その言葉もあって、私はギャルとして舞台に立てたのもあります。 ──いい先輩ですね。 荒川 「荒川は時間かかると思うけど、絶対みんながわかってくれるから。ウソつかずにそのままやっていっていいよ」って言われたときは、ホント震え上がりました。でもイワクラさんって私が相談するまでは、何も言わないんですよ。「こうしろ」とか言われたことって一度もなくて。本当に感謝してます。 ──劇場に上がったのが2019年ですが、翌年にはコロナ禍になりました。 荒川 それで劇場の出番がなくなったんで、TikTokとかで「ギャルあるある」の動画を上げ始めたんです。その動画と『おもしろ荘』(日本テレビ)で知ってもらえるようになりましたね。 ──TikTokに動画をアップするようになったときは、これで売れるぞと狙っていたんですか。 荒川 全然です。やれることがないからやってただけで。NSCのころから、ネタを考えるときは「あるある」とか切り口が大事ってめちゃめちゃ言われてたんですけど、私それめっちゃ苦手なんですよ。でもギャルのマネだけはできるなって。 昔はずっとギャルと飲んでて、「なんでこんな不毛な時間過ごしてんねん」って落ち込んだ時期もあったんですよ。毎日朝5時まで飲んでヘコむのに、それをセーブできない自分がホンマにイヤで。でも、そのとき一緒にいたギャルたちの「あるある」を動画にしたら、お笑いが好きな人とは違う層にまで私たちを知ってもらえたんでよかったなって。 ──不毛だと思った時間も、無駄じゃなかったんですね。 荒川 (大阪の)梅田歩いてたら、ビール缶持ってるカップルが「荒川やん! 見てんで!」って声かけてくるんですよ。声かけてくれる人がみんな缶ビールかチューハイ持ってましたもん。シラフの人に知られてなかった。一回、宗右衛門町(大阪の歓楽街)で「荒川フィーバー」起きたし。 はる どこでフィーバー起きてんねん。 荒川 そうやってSNSのフォロワーが増えて、逆にお笑い好きとか芸人にも認められるようになりましたね。 上京後は毎日が地獄 ──2021年正月に出演した『おもしろ荘』はどうでしたか。 荒川 あれが人生で一番緊張しました。全国ネットも初めてやったし。あのころは毎日動画アップしてネタ合わせしてましたね。 はる ふふ……。 荒川 取材中に思い出し笑いやめてや(苦笑)。 はる いや、急に「てーれーてーれーてれってれってって♫」って『おもしろ荘』の出囃子が頭に流れてきて。緊張したなぁ〜って思い出してしまった。 ──手応えはありましたか。 はる いやいや、ないです。 荒川 やす子ちゃんとかおったしな。優勝はダイヤモンドさんやし、私らは全然ダメやった。でも『おもしろ荘』に出た芸人ってことで、2021年は大阪の番組にたくさん出させてもらったんです。憧れてた番組は全部出してもらえたんで、じゃあ来年は東京行こうって決めました。 はる 私は東京行きが決まってから、上京することを知ったんですよ。 荒川 完全に伝えたつもりになってたんです(笑)。当時はまだ「東京進出したい」って言っても申請が遅くなると、すぐに行けへんくて。そればっかり気になって、はるに言うのを忘れてました。 はる まわりの先輩から「東京行くんやろ」って聞かれても「わかりません」って答えてましたね。 荒川 はるに伝えるのを忘れるくらい、あのときはせっぱ詰まってたんです。東京でダメだったらお笑い辞めようと思ってましたし。大阪の若手芸人には『ytv漫才新人賞』か『ABCお笑いグランプリ』を獲るか、『M-1』で決勝に行って上京するルートがあるんですよ。その流れをフル無視していくから、THE Wだけは絶対に決勝に行かないといけないってプレッシャーがありました。2022年のTHE Wでファイナリストになるまでは、しんどかったですね。毎日が地獄でした。 ──なんでそんなにつらかったんですかね。 荒川 私がギャル芸人としてもてはやされるのも、すぐ終わるってわかってたんですよ。だから飽きられる前に、早く芸人として結果出さなアカンって焦ってたんです。 死ぬような思いも、ウケなければ無意味 ──2022年のTHE W決勝は、いかがでしたか。 荒川 めっちゃ緊張しました。1週間前に喉もつぶしちゃったし。(アインシュタイン・河井)ゆずるさんが病院を紹介してくれたおかげで、なんとかなりましたけど……。 はる 喉とんだときは、この世の終わりみたいな顔してたよな。 荒川 でも喉が治ったところで全然ウケなかったです。 はる 私も緊張してて全然ダメでした。コントだったんですけど、セリフ量も私のが多かったし、ちょうど審査員の方と目が合う位置だったから、「ヤッバっ!」って。 荒川 決勝出るだけじゃアカンねやって絶望しました。こんな死ぬような思いしても、ウケんかったらマジ意味ないんやなって。誰の記憶にも残らんねんから。それで上京2年目はもっとしんどかったです。 はる 荒川とは違って、私の中ではとりあえず全国の賞レースの決勝に出られたっていう達成感みたいなのは少しありましたけどね。 荒川 私は「あと1年は芸人続けられる」っていう感覚でした。もうちょっとこの世界におっていいんかなって。 ──そんな切実な思いを抱えてたなんて、普段の荒川さんのキャラクターからは想像もつかないです。 荒川 ね? 思わないでしょう? ホンマにがんばったんですよ〜! ──その苦労が実り、2023年のTHE Wは準優勝しました。 荒川 妙な自信もあったんです。っていうのも、決勝メンバーでは私らが一番舞台に立ってると思ったから。 ──ファーストラウンドがコントで、決勝(ファイナルラウンド)は漫才でした。ネタの順番はどうやって決めたんですか。 荒川 コントは去年スベったから怖いっていうのはあったんです。でもほかのメンバーが漫才で続くんなら、コントにしたほうがいいかなとかも思って。でも、私たちのブロックが決まったら、ゆりやん(レトリィバァ)さん、あぁ〜しらきさん、ぼる塾さんってなって……。 はる とんでもないブロックに入ってしまった(笑)。 荒川 もう全部わからなくなりました。結局、前日の夜に出たサンミュージックさんのライブで、漫才の最後の10秒が仕上がったんです。だからまだ漫才はちょっと不安で、自信のあるコントのほうにしました。あと、あのネタって途中でメイク落とすじゃないですか。だから万が一優勝したら、すっぴんでトロフィー持つのはイヤやなって。 はる まぁそうやな。あの瞬間の映像ずっと使われるもんな。 ──メイク落とすの最高でしたね。ちゃんみなさんリスペクトで。 荒川 うれしいです。あれは、ちゃんみなさんにも連絡して、インスパイアされましたって伝えました。 ──優勝まで、本当にあと一歩でしたね。 荒川 そう言ってもらえてうれしいんですけど、でも私らからしたら、2本できたっていうのがうれしすぎて満足してたんです。みんなからも「優勝できたんちゃう?」って言われて、「え? そうなん!?」って感じで。必死すぎて優勝までは意識できてなかったですね。でもこれで、ようやく「お笑いやってもいい」って認めてもらえた感じはありました。次は優勝したいです。 ──賞レースで結果を出したエルフの今の目標はなんですか。 荒川 芸能界の1位になることですね。「MCになりたい」欲はないんですけど、あの輪に入りたい。有吉(弘行)さんと軽快にやりとりできるようになりたいし(笑)。だからもっと全部のレベルを上げなきゃいけないですね。 はる 私はみなさんから愛される芸人さんになりたいです。企画会議でも荒川はギャルっていう要素があるから使いやすいでしょうけど、はるって枠がなさすぎて困ると思うんですよ。狩野英孝さんとか出川(哲朗)さんみたいに、みんなからイジられて愛される人になりたいですね。 荒川 はるは皮をめくるほどに奇人なんです。ホンマにおもろいから早く見つかってほしい。お互いが一生懸命がんばって、エルフとして売れたいですね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 エルフ 荒川(1996年8月30日、大阪府出身)と、はる(1996年6月16日、大阪府出身)のコンビ。2016年、大阪NSC38期として出会い、結成。2022年に東京へ進出すると、同年に行われた『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ)で初めてファイナリストとなる。翌2023年にはTHE Wで準優勝。 【後編アザーカット】
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ギャルネタを武器に『THE W』などで活躍するエルフの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#29(前編)
2023年、『女芸人No.1決定戦 THE W』で準優勝を果たしたエルフ。 “ギャル芸人 ”としてブレイクした荒川のキャラクターや、はるの得体の知れなさを生かした漫才やコントに定評があるふたりが、コンビを結成したのは2016年のこと。 一見、まったくタイプの違うふたりだが、吉本興業の養成所であるNSCに通っているころは、相方同士というより「友達って感じ」だったという。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次「漫才師をやろう」と必死だった初舞台ヤンキーの先輩に“ネタ見せ”してた中学時代芸人は先生の勧め「相方っていうより、“すっごい友達”」 「漫才師をやろう」と必死だった初舞台 左から:荒川、はる ──昨年末に開催された『THE W』決勝では見事、準優勝となりました。その後も大活躍のエルフですが、初舞台はいつごろでしたか。 はる 2016年の10月のNSCライブですね。 荒川 4月に入学して半年後。芸人それぞれの地元から人が集まるんですよ。 はる 親も来てくれましたね。でも緊張しすぎて何も覚えてない。 荒川 私も〜。 はる ネタを覚えるのも初めてなんで、台本をただただなぞるので必死でした。間、テンポ、声量、全部間違ってた……。 荒川 はるのツッコミは、初手から怒鳴りつけてたな。 はる 「漫才師をやろう、やろう」としてる感じだったから。「ツッコミ」っぽい感じを意識しすぎてました。 ──地元の人たちの反応はどうでしたか。 はる 怖くて聞いてないです。そもそも親も友達もみんな「がんばれ!」としか思ってなくて、笑いには来てないから……。 荒川 私らが舞台に出てきただけで喜んでくれてた(笑)。でもNSCってとにかくネタ見せが多いんで、ウケたウケないで、喜んだり落ち込んだりするヒマもないんですよ。とにかく次のネタ持っていかなアカンっていう状態。そういう意味では、お客さんの前でやるよりも、芸人の前でやるネタ見せのほうがしんどかった。 ──芸人仲間のほうがシビアなんですか? 荒川 そうですね。「サムい」とかも普通に言われてたんで。今だったら「黙れ」って思えるんですけど。あのときは同期の評価に怯えてましたね。 ──ちなみに当時はどんなネタをやってたか覚えてますか? 荒川 私が加藤ミリヤさんの替え歌をするネタがありましたね。私、恋愛したらその相手のことしか考えられなくなるんですよ。だから恋するとネタも変わって(笑)。加藤ミリヤさんが好きで、友達の名前を並べるっていう歌があったんで、その当時の元カレと関わった女の名前をただ歌うってネタをしてました。 ──荒川さんが歌っている間、はるさんは何をするんですか? はる 全力でツッコむだけです。 荒川 カオスでしたね。 ヤンキーの先輩に“ネタ見せ”してた中学時代 ──そもそもお笑い芸人になったキッカケはなんだったんでしょうか。お笑いは子供のころから好きだったんですか? 荒川 ずっと好きでした。当たり前にずっとあるのがお笑い。でも、すごい世界すぎて、自分が芸人になるなんて想像したことなかったです。芸人になろうと思ったのは、高校2年生のときにNSCのパンフレット見つけたことで。「学校あるんや! ヤバ! 行きたい!」って即決でした。大学も行きたかったけど、お金かかるから。 でも、いろんな人にすっごい反対されましたよ。進路相談のときに「NSC」って書くとボロカス怒られました。三者面談のときも先生が「お母さん、こんなんでいいんですか?」って聞くんですよ。将来の夢について作文を書いたときも「お前にできんの?」って先生に笑われたし。 ──それでも芸人になろうという決意は揺るがなかった? 荒川 そうですね。私はまわりの人たちの意見には全然興味なかったんで、否定されて悲しいとも思わなかったです。もともとお笑いって自分にとって武器だったんですよね。ヤンキーの先輩に認めてもらうために、「ちょっとギャグやっていいですか?」とか言ってたので。 ──先輩ヤンキーにネタ見せ。 荒川 私の地元が本当にヤンキーとかギャルが多かったんです。同級生の中でも、お兄ちゃんとかお姉ちゃんがヤンキーだと、一目置かれるんです。私は長女だからそういうのもなくて。だから中学のときはすっごい悔しかったんですよ。あと、友達にもかわいい子が多くて私は全然敵わないですし。中学生なりに同じ土俵で戦っても無理やなって思って、ギャグやったり、「だんじり」やったりしてました。 ──NSCに入るときは友人を誘ったりはしませんでしたか。 荒川 ナナって子を誘ったんですけど、断られました。ナナとは『ハイスクールマンザイ』(高校生お笑いNo.1を決めるイベント)にも出たんですよ。 ──荒川さんの人生初舞台はそこだった。 荒川 そうかもしれないですね。でも私は文化祭みたいなノリで「思い出作り」だったんですよ。だから今思うとめっちゃ場違いやって。 ──お笑いをやる高校生にとって、ハイスクールマンザイは甲子園みたいなものですもんね。 荒川 そうなんです。地方予選の準決勝ぐらいで負けちゃったんですけど、「マジ楽しい。最高!」みたいな感じで、ほかの参加者の子たちに「みんなで記念写真撮ろうや」とか言ってたら普通に断られて。それで相方に「もういい、帰ろう! コイツらおもんない!」とかバリキレて帰りましたね。 はる ははははは(笑)。 荒川 今だったら賞レースで落ちてテンション下がる気持ちめっちゃわかるから、当時の私のほうがムカつくんですけど(笑)。当時は「は? お前ら何しに来たん? 笑えよ!」って思ってました。ナナはめっちゃおもしろくて、今でも私は芸人になったら絶対売れると思ってます。ダブルボケみたいなコンビだったんですけど、ナナのほうが全然おもしろくて悔しかったんです。だからひとりでNSC入ったら、絶対ボケまくろうと思ってました。 芸人は先生の勧め ──はるさんが芸人に憧れたのは、NON STYLEの『M-1グランプリ』優勝(2008年)がキッカケだったそうですね。 はる そうです、小6のときにNON STYLEさんが優勝されて。単純にすごくおもしろかったんですけど、それ以上に衝撃だったのは石田(明)さんが泣いてたことで。あの姿を見たときに、「芸人ってアホやって笑かしてるだけじゃないんや」って気づいて、かっこいいなと思いましたね。 ──それからお笑いの世界を目指したんですか。 はる 憧れてただけで活動はしてないです。でも高校のときに「体育教師になりたい」って言い出したら、高1のときの担任の先生が「いや、『芸人になりたい』って言ってたやん」って、教師になるのを止めたんですよ。私の学力がアホすぎて、高3からいきなり教師になるのは無理だったから、だったら一回芸人になれっていう。先生にケツ叩いてもらってNSCに行きました。 ──先生に「芸人になれ」って言われるのは珍しいですね(笑)。友人や親からは止められませんでしたか? はる 「いいんちゃう?」って感じでした。親とは「高校さえ行ってくれたらあとは好きにしていい」って約束してたんで何も言われなかったです。まわりは基本就職やったんで、NSCにもひとりで入りましたね。 ──NSCで荒川さんと出会うわけですね。 はる そうですね。NSCって最初のころに「相方探しの会」があって、そこで会いました。荒川は今ほどギャルじゃなかったですけど、まぁまぁハデで明るくて、それなのに「憧れの芸人は中川家さんです」とか言ってて、そのギャップが気になったんですよね。私はあんまり前に出るタイプじゃなかったんで、自分が持ってない明るさと華やかさを持ってる荒川に、自分から声かけました。 ──荒川さんは、はるさんの第一印象って覚えてますか? 荒川 「細いやん」って。私は芸人になっても見た目を大事にしたいな、かわいくいたいなって思ってたんで、はるとならバランスいいやろなって思いました。 はる そんだけ?(笑) 荒川 うん。 はる でも荒川って最初はピンでやろうと思ってたんやろ? 荒川 そうそう。誰かとずっと一緒におるのが、ホンマに無理で。友達とかも決まったメンバーでずっと一緒におろうみたいなのが、すっごい苦手。だから最初はやっぱりピンでやろうかなと思ってました。 ──なのになぜ「相方探しの会」に行ったんですか。 荒川 入学してすぐネタやらなアカンくて。でも当時はピンネタの作り方もまったくわからなかったんですよ。でも漫才ならめっちゃ見てたから作れそうと思って、とりあえず相方を探したんです。だから、中身が合わんかったら、すぐ解散しよって言ってましたし。 はる まあ最初はどこのコンビもそんな感じですけどね。 「相方っていうより、“すっごい友達”」 ──今は荒川さんがネタを書いているそうですが、当時はどうでしたか? はる 最初から荒川です。 荒川 最初のころは一緒にネタ作りしてるつもりだったんですよ。でも4年目ぐらいのときに、ふと「あれ? これ全部私やな……」って気づきました。 はる スタート時からヒャクゼロです! ──曇りない眼で言いますね(笑)。荒川さんは漫才なら抵抗なく書けたんですか。 荒川 全然書けなかったです。本当になんにも知らんくて、まわりの芸人さんのやり方をとにかく吸収してました。当時はネタ見せでもほかの芸人のネタを、みんなが笑ってる理由がまったくわからないことばっかりで。「イヤなこと言ってるだけやん」とか思って、ほかの漫才師に「なんで笑ってるん?」って聞いて回りましたね。 ──聞いた結果、納得した? 荒川 しないです。「一線を越えてるからこそおもろい」みたいなのは一切おもしろいと思わなかったんで。でもそういうネタをやる子らにも「好きなお笑いナニ?」とか聞いて勉強はしてました。それでお笑いって(吉本)新喜劇と中川家さんだけじゃないんやって気づけたので結果よかったです。 はる 私はその間もなんにもしてなかったですね。NSCの記憶ってあんまないんですよ。 荒川 違うやん! NSC生のすっごい恋愛する女の子がひとりおって、その子の話ずっと聞いてたやん。 はる そうや(笑)。私、めっちゃ頼られがちで。当時は荒川とネタ合わせするか、人の恋バナ聞くしかしてなかった。 荒川 NSCにいる女の子の恋バナ全部聞いてた! はる たしかにそうでしたわ。人の恋愛事情だけは全部知ってました。一切お笑いはしてないけど(笑)。 ──なんでみんな、はるさんに話したがるんでしょうね。アドバイスが的確だった? はる アドバイスはしないです。 荒川 いらんねんな。 はる そう。「あぁ、そうなんやぁ」って聞いてあげるだけでよくて。私はそうやって何時間でも話聞けちゃうんです。私は自分の意見を話すのはめっちゃ苦手なんですけど、人の話を聞くのは好きで。 荒川 私だったら、人の恋バナばっかり聞くのはちょっと時間もったいないって思っちゃう。恋愛してる子ってあんまネタ見せにも来ないんですよ。NSCのお母さん的存在の社員さんがいたんですけど、その人から「女芸人は恋愛だけ気をつけなさい」ってめっちゃ言われてたんですよ。恋愛すると解散しちゃうって。 ──なぜ恋愛が解散につながるんですか。 荒川 やっぱり恋愛にハマっちゃうと、おもしろいことするのが恥ずかしくなって変わっちゃう。これはホンマにあるんで、女芸人はめっちゃ言われてました。 ──コンビ間ではさすがに恋愛の話はしないですか。 荒川 しますします、今でもするし(笑)。エルフって、ネタ合わせ以外の部分ですごく波長が合うから続いてると思ってて。 はる ネタ合わせだけダメ(笑)。 荒川 あと、私らはずっと「恋愛してもいい」っていう認識やったんですよ。恋で変わっても、それをお笑いにすればええやんって感じで、なんかおもしろそうやしって。だからお互いの恋愛の話もめっちゃしてました。同期の男芸人がおったらできないんで、同期の子らと遊んで解散したあと、朝方まで難波駅の前ではるとふたりで恋バナして泣いてました。相方っていうより、すっごい友達みたいな感じやった。 はる 今でも私は現場でかっこいい人見つけたら、すぐ荒川に言っちゃうんですよ。それを荒川がすぐその人に伝えるんで、「やめてや!」みたいな。 荒川 27歳になっても女子高生みたいなくだりをまだやってます(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 エルフ 荒川(1996年8月30日、大阪府出身)と、はる(1996年6月16日、大阪府出身)のコンビ。2016年、大阪NSC38期として出会い、結成。2022年に東京へ進出すると、同年に行われた『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ)で初めてファイナリストとなる。翌2023年にはTHE Wで準優勝。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 ギャルネタでブレイクの先にある、エルフのネクストステージとは|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#29(後編)
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コントシーンで注目を集めるトリオ・破壊ありがとうのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(後編)
東京のコントシーンで、今最も注目されている若手のひと組が「破壊ありがとう」だ。大学時代に結成してまだ3年。2024年4月にフリーながらプロとしての活動をスタートさせたが、すでに単独ライブを打てば、お笑い好きがこぞって集まる人気のトリオだ。 このインタビューでは、彼らが作るコントの独自性の秘密に迫る。リアルでありながら発想が飛躍していき、観る者を一瞬たりとも飽きさせないのは、破壊ありがとうのコントが孕むミステリー性とワクワク感に理由があるようだ。 【インタビュー前編】 プロの道へと歩み出した話題の若手トリオ・破壊ありがとうの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(前編) 目次他人同士の3人だから生まれるリアルなコント「卒業後の進路はどうするんですか?」笑えるだけじゃなく、ワクワクするコントを人間を超えたい健康に、純粋に、コントを続けるために 他人同士の3人だから生まれるリアルなコント 左から:木下もくめ、田中机、森もり ──前編では2021年に踏んだ初舞台について伺いました。そのときにはすでに「この先も3人でやっていくだろうな」という予感はありましたか。 田中 いや、まったく考えてなかったです。ネタを考える方向性もバラバラだし、キャラクターも全然違うから、台本もすごく書きづらいんですよ。演技の方向性もちょっとずつ違うし。 森もり 僕がアニメとかマンガっぽくて、木下は演劇っぽくて、田中は自然な人の演技。 田中 まったくチグハグな3人で、どうやって辻褄を合わせようか、最初のころは苦戦してました。でも、そこをうまくクリアできたら、3人にしかできないネタになったような気がしました。この3人に合うネタを考えてると、オリジナルのものができるんだっていう手応えを、徐々に得ていったっていう感じです。 木下 破壊ありがとうのコントは「他人同士が巡り合って、どうなるか」を描いていておもしろいってたまに言っていただくんですけど、そういうコントが自然とできていくのは、そもそもメンバーがみんなバックボーンも好きなものも全然違う「他人同士」だからっていうのがあると思うんです。 田中 そうですね。台本を書いていって、ふたりに実際に読んでもらうと「この人たちは、こういうふうに読むんだ」って毎回気づかされることが多いんです。「このキャラクターはこんなこと言わない」とか、「一人称が合ってない」とか、「このセリフはお客さんを意識しすぎてる」とか。そういう感覚を全部反映して、台本を書き直します。 森もり 読む段階で、キャラクターの言動が不自然だなと思ったら、それは全部話すようにしてます。そこの感覚を全部大切にするのが、僕たちのやり方だなって。 木下 そこは細かく相談してるよね。 田中 登場人物を自然にするってことはかなり意識していますね。僕らには、徹底的にバカバカしいコントよりも、自然なコントのほうが合っているから。お客さんが「あり得ないよ」って白けてしまわないように、自然な設定とセリフは意識しています。 「卒業後の進路はどうするんですか?」 ──今年の4月にプロとして活動することを発表されました。破壊ありがとうで今後も行こうって思ったのはいつごろですか? 森もり それこそ前編でもお話しした『テアトロコント』の出演が決まったときなんで、2023年の8月です。テアトロコントのキュレーターをされている小西(朝子)さんが声をかけてくれたタイミングで「卒業後の進路はどうされるんですか?」と聞いてくれて。 田中 そこで初めてプロになるかどうか話し合いました。それまではあえて言わないでやってきたんですよね。手応えはあったけど、プロとしてやっていくのは難しいんじゃないかと思っていたので。 木下 お笑い芸人を職業にできるっていう考えがまったくなかった。 森もり でも、テアトロコント出してもらうなら「プロになります」って言わないと失礼だなと。 木下 大学生でお笑いやってて、その先にプロの道がつながってるだなんて思ってなかったから、びっくりしました。大学1年生のときに所属していたミュージカルサークルでは、公演を打ってもプロのミュージカル関係者が来るわけじゃない。でもお笑いサークルは、そうやってプロの方が観に来てくれて、引き上げてくれる。 田中 でも、小西さんみたいな方はやっぱり珍しい。「ただただ、おもしろいものを観たい」っていう小西さんの好奇心のおかげで、見つけてもらえたんです。 笑えるだけじゃなく、ワクワクするコントを ──今年の3月にはテアトロコントの会場でもあるユーロライブで単独ライブを行い、大盛況でした。急きょ追加公演が決まって、300人以上の集客があったようで驚きました。 田中 ありがたかったですね。手応えのあるネタもできたので、よかったです。特に『砂』と『クイズ』は気に入ってますね。 ──『砂』は、新入社員が、砂の山から粒をひとつずつ分けて、数えていくネタでした。設定は不条理だけど、妙なリアリティがあって笑えました。 田中 まだちょっと足りない部分はあるんですけど、あれは自分たちでもワクワクしました。最初は単純に「砂を数える行為が大きな笑いになったらワクワクするな」ってところからスタートしてて。「これってこうやって見せたら実は笑えるよね」ってみんなに共有するのが好きなんです。 ──『クイズ』のネタは、旧友の葬式に行く前にカラオケに集まったんだけど、ひとりだけこのあとに葬式があることも、そもそも誰が死んだのかも知らない、という設定のコントでした。葬式コントは定番ですが、『クイズ』は葬式に行く前が舞台で、しかも誰が死んだかわからないというミステリー仕立てなのが新鮮でおもしろかったです。 森もり ありがとうございます。あれは本番の2日前にようやくかたちになって、「これはけっこうワクワクするネタになりそうだね」って興奮しましたね。 田中 うんうん。その前日までは、どうやっても不謹慎な感じが拭えなくて、「今回はやめとく?」って相談してたくらいなんです。でも、その2日前のネタ合わせがうまくいって、これはただ笑えるだけじゃなくて、ワクワクもあるネタになるぞって確信しました。このテーマが笑いになったらすごくワクワクするっていうところは、原動力になっていますね。 森もり 一番大切にしてるのは、そこだね。ワクワクするかどうか。 ──破壊ありがとうのネタは、観客が予想するエンディングの、その先まで見せてくれるので驚きと満足感もあります。『砂』の場合は数え終わったところから、またストーリーがうねっていく。そこまででもじゅうぶんおもしろいのに、その先を考え抜いてコントにするところが、好きです。 田中 お客さんだけでなく、僕ら自身もどこに向かっているのか、わからないように見える。そういうミステリー感のあるコントが好きなんですよね。僕はもともとミステリーというジャンルが好きなんですけど、お笑いにおいても、ミステリーがあるとすごくワクワクする。演者ですら、どこに行くのかわかってないように思えるコントを作りたいです。 木下 コント自体は何度も練習してるんで、もちろん「どこに行くのかわからない」なんてことはないんですけど、でも、その日の会場の雰囲気を捉えて、ちょっとした演技のさじ加減で、空気が変わるっていう緊張感はいつもあるんです。だから演者の私たちがそこでハラハラしている感じも、お客さんにとってはワクワクする要素になるかもなって思います。 ──コントといっても、ナマモノなんですね。 木下 そうですね。でもたぶん、漫才とはまた違って、お客さんのほうに意識が向かうとダメになっちゃう。 田中 僕らの場合、コントのキャラクターから降りたツッコミもないようにしてるので、舞台上と客席の間に明確な線引きはあるんですよね。 木下 コントをしているときは、意識は内側にありつつも、俯瞰でも見ていますね。 人間を超えたい ──今はライブシーンで活躍されていますが、これからはテレビにも出ていきたいですか。 田中 呼んでいただけたら、もちろん出たいです。 森もり 僕はめっちゃ出たいです! 『(千原ジュニアの)座王』(関西テレビ)とか出たいです。 田中 森もりは大喜利が大好きだから向いてそう。僕らは一人ひとり得意なことがまったく違うので、それぞれが一番活躍できる場所に行けたらいいですね。 木下 私は、ピンでの活動は破壊ありがとうの広報活動っていうイメージです。舞台に出たり、イラストとかマンガを描くのも好きなので、そっちも何かできたらいいな。 田中 木下はもともとミュージカルやってたのもあって、歌って踊れるから、いろんな活躍の方法があると思う。 木下 好きなことや、やってみたいことが多いので、それを一つひとつ伸ばしていけたらいいなと思います。私個人の人生の目標は、「人間を超えること」なので……(笑)。 森もり これ怖いんだよなぁ。 木下 へへ(笑)。コントが好きで、絵描くのも好きだし、歌って踊るのも好き。そうやって好きな部分を全部伸ばしたら、どうなっちゃうんだろうって。観に来てくれたお客さんたちをビックリさせたいんです。「人間ってこうなれるんだ……」って思わせたいんです(笑)。 森もり 怖いよ……。 木下 『進撃の巨人』のミュージカル公演がすごかったんです。ミュージカルだから当然歌って踊るし、アクションシーンではワイヤーで跳びながら戦ってて。その役者さんができるすべての能力を使いきって人が人間の限界を超えてるように見えて感動したんです。 その場では物語という嘘が本当になっていたというか。自分の好きなことを伸ばしていけば、そういう嘘を本当に見せられる力を身につけられるんじゃないかと思ってるんです。もちろん心は人間なのでね、「うー、ツラい……」って落ち込むこともあるんですけど、そこは信じてます。 森もり 木下は弱虫だから。 木下 すぐ泣いちゃう(笑)。人すぎるからこそ、人を超えたいって思ってます。 健康に、純粋に、コントを続けるために ──木下さんの壮大な目標を聞かせてもらいましたが、破壊ありがとうとしての目標を最後に教えてください。 森もり 単独ライブをしっかり打って、それだけでごはんを食べられるようになりたいです。 田中 まずは3日間4公演とか埋められるようになりたいです。学生からおじいちゃんおばあちゃんまで、極力前提知識なく観られるものをがんばって作っていくので、ぜひ劇場に足を運んでいただきたいです。 森もり あとは、もちろん全国ツアーもやりたいね。 木下 そうだね。昨年行われた、三谷幸喜さんの『笑の大学』の再演を観に、3人で仙台の電力ホールに行ったんです。内野聖陽さんと瀬戸康史さん、ふたりの会話劇を観るためだけに、1000人くらいのお客さんが集まっているのに感動しちゃって。 田中 僕らも3人で完結するコントで「どうだ!」と言えるようになりたいです。 ──コント師として『キングオブコント』という賞レースも見据えているとは思うのですが、いかがですか? 田中 もちろん決勝に行けたら、優勝できたら、とは思いますが、ガッツリそこを目指すのとはまた違っていて。 木下 私たちの場合は、そっちを目指すと体力が持たなくなっちゃう気がしてます。 田中 賞レースに挑戦しながら、自分たちのお笑いもやり続けてる人は本当すごいから。 森もり 僕らもバトルジャンキーではあるんですよ。だからこそ、ガッツリ戦おうとすると、すり減っていっちゃうだろうなって。 木下 そこのバランスは大事だよね。健康に続けたい。 田中 これまでもコントの尺も気にせず、おもしろいと思えるネタを作ってきたので、これからも賞レースで優勝するためのコントを仕上げようっていう感じにはならないかもしれないです。自分たちがおもしろいと思えて、笑えてワクワクできるコントを作りたい。その純粋な気持ちを忘れたくないですね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 破壊ありがとう 田中机(1999年6月26日、神奈川県出身)、森もり(1998年8月4日、東京都出身)、木下もくめ(2000年9月3日、埼玉県出身)のトリオ。2020年末、結成。2023年には、ユーロライブで開催された渋谷コントセンター月例公演『テアトロコント Vol.63』 に出演。2024年、同会場で単独ライブ『洒落臭い』を開催。チケットソールドアウトで、2回公演となった。YouTubeチャンネルでも、ネタ動画をアップしている。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! <出演情報> テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 6/22(土)6/29(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで 【後編アザーカット】
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プロの道へと歩み出した話題の若手トリオ・破壊ありがとうの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(前編)
コロナ禍にお笑いを始めた芸人たちが、台頭してきた。結成3年で、この4月からプロとして活動をスタートした「破壊ありがとう」は、次世代のコント師として、にわかに注目を浴びている。 物騒なトリオ名とは裏腹に、彼らは繊細な手つきで、身近なシーンから種を見つけ、新鮮な笑いを生み出している。 2020年末の結成ながら、東京のコントシーンの隆盛にひと役買う「ユーロライブ」での単独ライブも成功させた「破壊ありがとう」に、いまだ記憶に新しい初舞台の話や、お笑いを始めたキッカケを聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次初舞台のネタは“実話”「普通の大学生活」と「バンザイ同盟」への違和感破壊ありがとうの指針は『笑の大学』何者でもない3人を見出した恩人 初舞台のネタは“実話” 左から:森もり、田中机、木下もくめ ──3月にユーロライブで開催した単独ライブ『洒落臭い』は大盛況で、急きょ追加公演も行われました。芸歴1年目にしてキャパ200弱の会場で2回公演を打てるのは破格かと思います。破壊ありがとうの初舞台はいつですか? 田中 2021年の2月です。結成は2020年の年末。 ──最近のことですね。 森もり 初舞台は中野twlでしたね。地下の靴を脱がないといけない劇場。 木下 バトルライブで、1位をもらえました。 田中 30組くらいは出てたかな。基本的にみんな初舞台だから、まずウケない。そもそもお客さんも学生が3〜4人ぐらい。 森もり 俺らのときは5〜6人はいたんじゃない? 田中 そんな誤差を強調しても恥ずかしいので、やめましょう。 ──どんなネタをやったんですか。 田中 森もりが、真冬もタンクトップで過ごす小学生役で、学校でのあだ名も「タンクトップ」なんです。タンクトップが自分のキャラクターになってしまった彼は、母親に「寒くないの?」と聞かれても「大丈夫だよ」と、やせ我慢してる。 木下 そしたら児童相談所から人がやってきて「真冬にタンクトップなんて虐待じゃないですか」という話になるんです。お母さんが「大丈夫なんだよね?」と聞いたタイミングで、子供のお腹からポロってホッカイロが落ちる。 森もり しかもホッカイロでヤケドになってて、児童相談所の人がさらに疑うというコントでした。 ──子供とお母さんと児童相談所の思惑が絶妙にすれ違っていて、初舞台とは思えないほど巧みなネタですね。ネタは誰が書いたんですか? 田中 アイデアはみんなで出して、僕が台本にしました。真冬にタンクトップっていうアイデアは木下が持ってきたんですよ。 木下 友達から聞いた実話なんです。真冬に半袖着てたら、本当に児童相談所が尋ねてきたっていう知人がいるって。 田中 そのエピソードを、半袖がアイデンティティになっちゃった子の話にしたらおもしろそうってことで、自分なりにはだいぶ自信持って台本書けたんですけど、ボケとかツッコミとかも明確じゃないから、ほかの人が台本だけ読んでも全然おもしろく見えなかったんです。最初は森もりもどこが笑えるポイントなのかわからないって言ってたよね。 森もり でも実際にやってみたら手応えあった。 田中 僕らは性格も好みもバラバラだから、3人の意見をまとめていくのはけっこう大変です。今は基本的には僕がネタを考えて、ふたりからGOが出たら台本を書き出していくって感じです。実際に3人でネタ合わせをしながらふたりからアイデアとか「このキャラクターはこんな言い方はしない」とかの意見をもらって、3人で話し合って詰めていくって感じですね。 「普通の大学生活」と「バンザイ同盟」への違和感 ──3人は、2020年にお笑いサークル「早稲田大学お笑い工房LUDO」で出会ったそうですが、3人とも年齢が違うんですよね? 森もり そうです。僕が25歳、田中が24歳、木下が23歳。僕は大学4年のときに入りました。 ──大学4年までは何をしていたんですか? 森もり いわゆる「大学生」っぽい生活を謳歌してました。サーフィンしてみたり、バーベキューしてみたり(笑)。でもなんか心の底からなじめてはいないなっていう感じがしてて。しかも途中で休学して、大学に6年いなきゃいけないことが確定したんですよ。それで残りの3年間どうしようかな、なんかもっと自分でおもしろいことできる場所ないかな、と思っているときに、『大喜利プラス』という大喜利サイトを見つけて遊び始めたんです。 もともとお笑いは好きだったけど見るだけだったので、自分でおもしろい回答を作ってウケるという体験が新鮮でどハマりしてしまって。ちょうどそのタイミングでコロナ禍になり、いろんな制限があってうっぷんが溜まるうちに、笑いをスマホの中だけじゃなくて、実際に自分の体を動かしてやってみたいなと思いました。 ──それでLUDOに入った。 森もり そうですね。いきなりお笑いをやるなんて無理かな、とも思ったんですけど、芸人をやっている友達に話したら「とりあえずやってみればいいじゃん」って言われて「お笑いってやろうと思った日からできるじゃん」と気づかされました。 ──田中さんはどういう経緯でLUDOに? 田中 僕は、高校では演劇部に入ってて、脚本と演出をやってたんです。自分で物語を書いて、それをかたちにするっていうことへの感動はけっこう自分の中に残ってて、大学でもまた何か書きたいなと思っていました。 で、映画サークルに入ってみたんですけど、ノリが合わず。かといって、小説を書くみたいに、ひとりで創作をするのも性格に合ってなくて。気づいたころには、早稲田大学の「バンザイ同盟」に入ってました。 森もり 書くことから目を背けたんだよね。 田中 完全に血迷ってたね。バンザイ同盟っていう、100種類以上のさまざまなバンザイを人前で披露するっていうサークルに入ってたんです。結婚式とかに呼んでもらって、ただただバンザイをしてました。それをひたすら1年間。でも、バンザイ同盟には現実から目を背けてる人しかいなくて、みんな空虚なカラ元気でバンザイしてました。でも、コロナになって、バンザイすらさせてもらえなくなったんです。 木下 バンザイをさせてもらうって発想が怖いよ(笑)。 田中 ようやく「俺、こんなとこにいちゃダメだ」と気づいたちょうどそのときに、二浪して大学に入った友達から「お笑いやりたいんだよね」と言われ、一緒にLUDOに入りました。その友達はすぐに辞めちゃったんですけど、あそこで誘われてなかったら、僕がお笑いをやるなんてことはあり得なかったですね。 破壊ありがとうの指針は『笑の大学』 ──田中さんは高校で演劇をやってたのに、早稲田で演劇にいかなかったんですね。 田中 やってきたのになんですけど、演劇がめちゃくちゃおもしろいとは思えなかったし、観客としても観てこなかったんです。 ただ、三谷幸喜さんの『笑の大学』を高校生のときにDVDで観て、こんなのやってみたいなと思ってました。二人芝居というシンプルな作りで、舞台上には至って真剣な登場人物しかいないのに、お客さんにはその真剣なセリフが笑えるものに見えるっていうのがすごくて。 木下 去年、3人で観に行ったよね。前日に行くこと決めて、深夜バスに乗って。 田中 ちょうど再演してたんで「これ本当におもしろいから」ってふたりを誘って仙台公演に行きました。「俺たちの指針にもなる気がするから」って。 森もり 初演ともまた違ってて、めちゃめちゃおもしろかった。 木下 すごかった。終わったあと、立てなくなっちゃった。 私は大学のときはお笑いサークルと並行してミュージカルをやってたんです。照明や音楽を使って盛り上げようとするミュージカルとも違って、演技と言葉のおもしろさだけで満足させる『笑の大学』はまた違うよさがあって、感銘を受けました。 ──そもそも木下さんは、なんでミュージカルからお笑いに転身したんですか。 木下 高校2年生からお笑いは好きだったんですよね。でもまさか、自分がお笑いをやる立場になるとは思っていなかったんです。 大学2年生のときにコロナ禍が始まり、ミュージカルの公演ができなくなってしまって。ヒマだったのでZoomで友人とコントみたいなおふざけをやっていたら、それがすごく楽しかったんです。そんなときにLUDOでスタッフをやっていた高校の同級生が「入ってみない?」と誘ってくれて。コントをやってみたい気持ちも高まっていたので勇気を出して入りました。 ──LUDOで出会った3人はすぐ「破壊ありがとう」を結成した? 田中 いや、最初は3人とも別のコンビだったんですけど、僕は一緒に入った友達と最初は組んでました。それからピンでやってたら、森もりが「一緒にやろうよ」と言ってくれて。ちょうど同じ時期に、木下もピンになりそうだから誘いました。 木下 そのとき組んでいたコンビは主に漫才をやっていたんです。時々コントもやったんですが、あまりうまくいかなくて。 田中 すっごい変なコントやってたよな。木下が化粧水を飲んで、内側からキレイにするみたいな。 木下 美しくなるための努力って滑稽だよね、みたいなネタだったんです。小顔にするためのマッサージで変な顔になるとか。 田中 すごい変なネタだったんですけど、木下がすごい輝いて見えたんです。この人はスターだなって思って。 森もり 俺もすげぇと思った。変顔もおもしろかったもんね。表現力がすごかった。 何者でもない3人を見出した恩人 ──そして2020年末に結成し、冒頭の初舞台に至ったんですね。今年、LUDOでは大学お笑いの大会『NOROSHI』で優勝も飾っています。 森もり 同期の友田オレと放電っていうコンビと一緒に出たんですけど……。 田中 サークルの活動にはほとんど関わってこなかったから、最初はちょっと気まずかったですね(笑)。最後は仲よくなれましたけど。在学中は自主ライブばかりやっていて、LUDOのライブに出たのは5回あるかないかぐらいだったから。 ──なぜLUDOで活動しなかったんですか? 森もり 僕らがLUDOに入った年に、コロナが始まって、それまでのライブ活動ができなくなったんです。サークル主宰のライブが打てなくなったり、バトルライブが中止になったり。そうすると、自分たちでライブを打つしかなくて、自然とサークルから離れていきました。 田中 僕らはネタ時間の長いコントが多いんですけど、それもコロナ禍のせいというか、おかげというか。自分たちのライブだから、尺をあんまり気にせず作ってこられたんです。 木下 ライブとか大会のネタ尺って基本的には3分なんです。でもコロナのせいで、そこを通ってこなかったから、短い尺で収めなきゃという気持ちはあまりなくて。やりたいことを、やりたい尺でやろうってなってました。 森もり 僕らの世代は、自分たちでライブを打つことを覚えていった世代だと思いますね。 ──そうやって自主ライブを重ねた末に、2023年にはユーロライブで行われているコントと演劇のライブ『テアトロコント』に出演されました。 木下 テアトロコントはずっと目標だったのでうれしかったです。破壊ありがとうは、こういう場所を主戦場にしていくんだって気づかせてくれた場所で。 田中 テアトロコントを教えてくれたのは、木下なんですよ。 木下 私が大学1年生のときに、お客さんとして観に行ったんです。高校時代に演劇もやってたから、コント師と演劇の人たちが合同でやるライブはおもしろいなと思ってました。 田中 僕も高校時代に演劇をやっていたので「テアトロコントっていうのがあるよ」って木下に聞いたとき、それに出られたら最高だなと思ってました。そしたら2023年の3月にお誘いがあって。 ──テアトロコントのキュレーターである小西朝子さんに売り込んだんですか? 田中 いや、何もしてないんです。 森もり 小西さんは、新宿バティオスっていう小さい会場でやった、最初の単独ライブにも観に来てくれたんですよ。 木下 YouTubeの動画も2本くらいしか上げてなかった時期なんですけど、たぶんそれを見てくださったみたいで。 森もり 最初の単独ライブ『おととい』って、2022年の4月だからね。 木下 小西さんと実際にお会いして、Instagramの過去の投稿を見たら、本当に2022年の4月に私たちのフライヤーの写真を上げて「おもしろかった」って書いてくださってて。あんなに早く見つけていただいたのを知って、すごくうれしかったですね。 田中 常におもしろいものを見つけようとしてる小西さんがいなかったら、僕らもプロになろうとは思わなかったです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 破壊ありがとう 田中机(1999年6月26日、神奈川県出身)、森もり(1998年8月4日、東京都出身)、木下もくめ(2000年9月3日、埼玉県出身)のトリオ。2020年末、結成。2023年には、ユーロライブで開催された渋谷コントセンター月例公演『テアトロコント Vol.63』に出演。2024年、同会場で単独ライブ『洒落臭い』を開催。チケットソールドアウトで、2回公演となった。YouTubeチャンネルでも、ネタ動画をアップしている。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! <出演情報> テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 6/22(土)6/29(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 プロの道へと歩み出した話題の若手トリオ・破壊ありがとうの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#28(前編)
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目標に捉われず“今”を楽しむ?ぱーてぃーちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(後編)
コロナ禍のテレビに突如として現れ、ノーテンキなギャル漫才でブレイクしたぱーてぃーちゃん。 そんな彼らが、一介のお笑い好きから芸人になった初舞台について、聞いていく。前編ではリーダー的存在であるすがちゃん最高No.1がまさかの大遅刻で、信子と金子きょんちぃのみの展開に。 さて、すがちゃんは無事インタビュー現場にたどり着くのか? ぱーてぃーちゃんの現在地はいったいどこだ。 【インタビュー前編】 ぱーてぃーちゃん結成前夜、ギャルふたりがコンビで立った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(前編) 目次すがちゃん、未だ到着せず遅れてきた男が説明する、ぱーてぃーちゃん結成話アオハルだったブレイク前夜賞レースは一回休み……?自信満々でスベった初舞台アイツらのこと嫌いになりそうだった すがちゃん、未だ到着せず 左から:信子、金子きょんちぃ、(撮影には間に合った)すがちゃん最高No.1 ──前編に続き、すがちゃんさんがまだ到着されていません。なので、もう少しおふたりに話を聞きたいんですが、そもそもすがさんとの関係はどんな感じだったのでしょうか。 信子 もともと(信子&きょんちぃのコンビ)「エンぷレス」のネタを書いてもらってたんです。私が「こんなことやりたいんだよね」って伝えて、おしゃべりしながら95%くらい作ってもらってた。 きょんちぃ アイツのシェアハウスに居座って「ネタ書かないんなら、ウチらは帰らないぞ!」って脅してた。 信子 面倒見いいんだよね。ワタナベに所属して最初にごはん連れてってくれたのもすがちゃんだし。それからは「月一すがの会」でごはん連れてってもらった。 ──そんな3人が、すがちゃんの元のコンビ解散をきっかけに合流するわけですけど、初舞台って覚えてますか? 信子 それが2020年の11月かな? すがちゃんが解散したのが10月なんで。その時期って解散する芸人が多くて。 きょんちぃ 毎年、賞レースの予選で負けて、解散する芸人が多い時期。でも、あの年はコロナだったから特に多かった。 信子 そうそう。で、そういう解散してこれからどうしようって芸人を集めて、即席ユニットを作るライブがあった。そこで初めて3人でやったんだよね。あの日がぱーてぃーちゃん史上一番スベったけど、なんか遊びでやっただけだから、あんまり思い出はないかも。 遅れてきた男が説明する、ぱーてぃーちゃん結成話 ──そこからどうやって正式に組むことになったんですか? 信子 えっと……。 きょんちぃ あれ? アイツ来たんじゃね? すが 本当に申し訳ございません……! 今、地球で一番申し訳ないと思ってる男です。 信子 遅すぎ〜(笑)。てか急に入ってくるなし。何しゃべろうとしてたか忘れたじゃん! きょんちぃ 正式に組んだのはいつかって話。 すが わかりました、全部私が説明いたします。正式に組んだのは2021年の4月ですね。その前は2〜3回一緒にライブ出たり、ネタ番組のオーディション動画を送ったりするだけだったんですが、そのタイミングでぱーてぃーちゃんのポーズ漫才ができて、それがハマって北海道放送の『知らなくて委員会』の「芸人ショートネタ選手権」に出られることになったんです。そこで初めて人生で一度もがんばったことなかった我々が本気で準備しました。 信子 めっちゃがんばったよね! ──今のすがさんって分析家なイメージがありますが、当時はノリでぶつかるタイプだったんですね。 すが 人がいいって言うことは全部やらないっていう、ちょっとトガッた感じでした。でも『知らなくて』のときは、ちゃんとハマるためにめちゃめちゃシミュレーションして備えたんです。結果的に本番の出来がめちゃくちゃよくて優勝させてもらって、その日のうちに、APさんから「ほかの番組にも出てくれない?」って言われましたね。テレビって、ハネたらほかにつながるって本当なんだなって実感した。 ──『知らなくて委員会』をきっかけに、正式にぱーてぃーちゃんを結成した? すが 端的に言うとそうですね。僕ら、きょんちぃのバイト先のバーでネタ合わせをすることが多かったんですけど、ある日ふたりがそこに僕を呼び出したんです。これは「組もう」って誘われるなっていうのは察してたんですよ。っていうのも、僕のシェアハウスの同居人がテレビマンなんですけど、そいつは僕らが組むのを勧めてて。ギャルたちにも「後輩のお前らから一緒にやろうって言ったほうがいい」って言ってたらしい。 信子 そうだね。 すが だから僕もそういう心づもりだったんだけど、店に入ったらコイツらタバコ吸いながら白々しく「おはよ〜」って言ってて。いつまで経っても言い出さないから結局僕が折れて「いったんやってみるか?」って言ったら「ナオトがそう言うんだったらいいよ〜」とか言ってきやがった。こいつらマジ、シャバかったですよ。 きょんちぃ もう遅刻反省モード終わってんじゃん。 すが くっ……申し訳ありません。 アオハルだったブレイク前夜 ──正式に組んだ2021年の終わりに出た『おもしろ荘』でブレイクしますが、その前に売れると確信したタイミングはありましたか。 すが ぱーてぃーちゃんのポーズができて、K-PROのライブで初めて披露したときは初めてイケるかもって思いましたね。 信子 耳がキーンってするくらいウケたもんね。 きょんちぃ 私たちがポーズ取った2秒後に笑いが来た。 すが あの笑いは「おもしろい」だけじゃなくて「新しいものを見た!」っていう興奮も入ってたな。 ──『おもしろ荘』の出演ってどうやって決まるんですか? すが 秋くらいにオーディションが始まるんですよ。だから4月に組んでからはそこを目がけてがんばってました。一次審査は通ったんですけど、二次から総合演出の名物おじさんが出てきて、「ガチャガチャやりすぎだな。シンプルなギャルとチャラ男の漫才が見たかった」って反応が悪かった。たしかにそのときは、とにかくブチかませばいいと思ってたんですよね。で、今回は落ちたかなって思ってたら、たまたま若手のスタッフが僕らを好きって言ってくれて、なんとか最終まで残った。それで次が最終。日テレの会議室にお客さん入れてやるんですよ。 信子 めちゃめちゃ緊張した! きょんちぃ 空気が重いっていうか、変な感じだった。お客さんも審査員みたいな顔してるから。 すが ははは(笑)。 きょんちぃ ちゃんぴおんず、ぱーてぃーちゃんの順だったんだけど、ちゃんぴおんずがあり得ないくらいスベってて。 すが 「ちょんってすなよ」を見つける前だから。僕らはまぁスベってないくらいで、結果的に受かった。それで翌日また日テレに呼ばれるんですけど、そこからがまた地獄だった。 すが しっくりこなくて結局ネタ全部作り直したりとか。たまたましんどいロケが重なったりライブ詰め込みすぎたりしたせいで死ぬほど忙しかった。 きょんちぃ すがちゃん、めっちゃじんましん出てたよね。 信子 ヤバかった。一瞬、目を離してまた見たらプツプツプツって出てた。あのころはすがちゃんを労ってジュース買ってあげたりしてた。懐かしすぎる! すが でもなんか青春っぽかったよな。 信子 うん、マジでアオハルだった。 賞レースは一回休み……? ──もうお時間もそろそろなんですが、最後に3人はこの先どうなっていきたいのか聞かせてください。 きょんちぃ 私はM-1(グランプリ)チャンピオン。 信子 賞レースは勝ちたいね。来年は『R-1(グランプリ)』決勝行くから! 『THE W』(女芸人No.1決定戦 THE W)もがんばる! ──賞レースも出られるものは全部出て、決勝の舞台を狙っていく。 すが いや、うーん……それも悩みどころですねぇ。 きょんちぃ はぁ? 早くM-1獲ろうよ。 信子 『キングオブコント』も! すが いや、真剣な話、テレビに出ながら賞レースのネタを仕上げるってめちゃめちゃ難しいなって痛感してるんだよ。俺らくらいの露出度だと一回のテレビ出演で世間のイメージもガラッと変わるから、そこを微調整しながらネタに落とし込むのが難しい。実際、テレビにたくさん出ながら、賞レースに挑戦してる人は異常ですよ。 僕らは今後、タレント活動がメインとなるタイプの芸人だと思うんで、タレントとして成長しながらネタも作ってライブで仕上げていくやり方は、正直見えてない。 ──今年は賞レースに出ない選択もあり得る? すが どうしよっかな……。 信子 ぱーてぃーちゃんは違うよ! きょんちぃ ウチらが休んだら終わりだよ。コイツら芸人辞めたんだって思われるから。 すが もうニン(漫才における“人柄”)は出せたし、のびのび自分らのよさを出すところはクリアできた。新たなシステムが必要で。そこさえ思いつけば準決勝、決勝も見えてくるとは思うんですけど。 信子 えー、どんなかたちであれ、絶対出続けるべきだよ。 すが 要検討ですね。 ──過渡期にあるぱーてぃーちゃん、興味深いです。今日はありがとうございました。ここでお時間が来てしまったので、撮影に移りましょう。 信子 すがちゃんは後日、補習だから! ──そうですね。少しリモートで追加取材お願いします。 すが 全然なんでもやります! 自信満々でスベった初舞台 ──(後日)改めまして、すがさん。今日は取材お願いします。ご自宅ですか? すが そうですね。確定申告してました。 ──年度末の忙しいタイミングで追加取材ありがとうございます。今日はすがさんが芸人としてどんな初舞台を踏んだのかを聞かせてください。そもそも芸人になろうと思ったきっかけはなんだったんですか? すが もともとテレビ番組のADをやってたんです。そこでキャリアアップを図ろうとしたんだけど、採用試験に落ちちゃって。そのタイミングで専門学校時代の同級生に呼び出されて「芸人にならねぇか?」と誘われたんです。 自分が表に出る仕事なんて無理だって最初は言ったんですけど、即興で一回やろうと言われるがままに深夜のカラオケでネタのまね事したら「イケるんじゃね?」と勘違いしてしまった。満員のお客さんの前で爆笑を取る自分たちが浮かんだんです。 でも、芸人になろうと思ったタイミングが5月とか中途半端な時期で。NSCに入るには1年待たなきゃいけないから他事務所を探して、最初はマセキ(芸能社)に行きました。だから芸人としての初舞台はマセキのオーディションですね。「俺ら絶対ウケるっしょ」って自信満々だったけど、あり得ないくらいスベリましたね。 ──どんなネタをやったんですか。 すが 相方が書いたネタだったんですけど、くまのプーさんのマラソン大会みたいなテーマの漫才でした。プーさんってかわいらしいけど、実際はクマだからヤバいぞ、みたいな。僕はツッコミでしたね。それで結局マセキはあきらめて、半年後に秋入学でワタナベ(エンターテインメント)に入りました。「君たちは天才だ。第二のハライチになれるよ」ってめっちゃ褒められて天狗になって行ったら、第二のハライチが100人ぐらいいた。 ──全員に同じことを言ってたと(笑)。 すが 騙されたなとは思ったけど、まぁ事務所入んないと仕事はなかなか来ないだろうなと思ったんで、そのまま入りましたね。 次々と後輩に抜かされたコンビ時代 ──2013年秋に入学したワタナベの養成所はどうでしたか? すが めっちゃ調子よかったです。当時僕らが養成所ライブで作った連勝記録は、10年経った今でも破られてないんですよ。1回だけ、“Why Japanese people!?”を産みたての厚切りジェイソンに負けましたけど、それ以外は全勝。でもあっという間にジェイソンに抜かれましたね。 ──とはいえ、養成所時代にそれだけ活躍すると将来を嘱望されるんじゃないですか。 すが 「第二のキングコングが来るらしいぞ」って言われてたみたいで、お笑いちょろいなって調子乗ってました。結局、所属してからは事務所ライブでは勝てるものの、テレビのオーディションに受からなくて。後輩のブルゾンちえみ、四千頭身、丸山礼が売れて、先輩でもサンシャイン池崎さん、平野ノラさん、クマムシさんがブレイクして、自分らはさんざんでしたね。 ──鳴かず飛ばずで、数年後に一緒に事務所に入った相方とのコンビを解散します。 すが 5年目ぐらいまでは同じ方向見て歩いてたんですけどね。第7世代が出てきたタイミングで、僕がそろそろ売れなきゃなと思って、「まだ迎合しないぞ」ってトガッてた相方と考え方がズレていきました。 ──それでぱーてぃーちゃんを組むことになると。 すが そうですね。個人的にはピンで10年目までは本気でがんばってみようかなって思ったときに、軽い気持ちでギャルたちとネタやったらこんなことになりました。 ──もともとふたりには芸人としての魅力を感じていて組んだんですか? すが 芸人としておもしろいと思ったことはなかったですね。人としてはめちゃめちゃおもしろかったけど。アイツら、本当どうしようもないチンピラだったんですよ。芸人界に初めて舞い降りた養殖じゃない天然のギャルだったから、そりゃ合わないですよね ──ギャルでありながら、お笑いへの愛も人一倍強いふたりですよね。 すが 当時はそこがまた厄介でした。お笑い憧れが強烈なぶん、舞台に上がると芸人っぽく振る舞わなきゃいけないって気持ちが前面に出ちゃって身動き取れないみたいな。アイツらは本当にテレビに鍛えてもらった感じです。 アイツらのこと嫌いになりそうだった ──この間、3人インタビューした際に、賞レースに消極的な発言をしてたじゃないですか。ちょっと前までのすがさんは、年間計画をきっちり立てて、賞レースの目標もしっかり決めていましたが、今はそういうモードじゃないんですか? すが そうですね。前は本当に細かくビジョンを決めて、どういう見え方をすればテレビ出演やCMがゲットできるか考えて動いてたんですけど……3人ともストレスが溜まりすぎたんで、去年の夏前くらいから綿密に計画を立てるのはやめたんです。ちょっと売れるスピードがゆるやかになっても、なんか楽しいほうがいいかなって僕も思うようになりました。 ──ブレイクの波に乗ってるときに、シフトダウンするのは勇気がいりませんか。 すが たしかに勇気いりましたけど、でもそのまま行くほうがしんどかったっすね。正直、毎日アイツらのこと嫌いになりそうだったし。組んでから3年近くになりますけど、4回ぐらい解散しようと思ったこともある。でもそれは僕が立てた目標や、ふたりを急かす感じが原因だったなって気づいたんです。ぱーてぃーちゃんにおいて一番大事なのは、自分らが楽しくやれること。未来のためじゃなくて今が楽しいってほうを選んでるので、今は全然愉快にやってますね。 ──前はきょんちぃさんが急に髪色変えたとかでバトルしてましたもんね。 すが もうそういうの疲れちゃったんです。俺、別に生活指導じゃねぇんだからさって(笑)。もうみんな好きにして、楽しくやろう、それでいいんだと。アイツらもそっちのほうが性に合ってるんですよ。見てるほうもストイックな僕らより、バカみたいに楽しそうなぱーてぃーちゃんのほうが好きだろうし。とりあえず愉快な感じで続けてれば、俺らはおもしろいんじゃないかなって今は思ってます。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ぱーてぃーちゃん すがちゃん最高No.1(1991年8月21日、山形県出身)、信子(1992年8月1日、大分県出身)、金子きょんちぃ(1993年9月19日、神奈川県出身)のトリオ。2021年、コンビを組んでいた信子ときょんちぃに、すがちゃんが合流して結成。同年末の『ぐるナイおもしろ荘』(日本テレビ)への出演をきっかけにブレイク。賞レースに挑戦しながら、個人としても活躍する。YouTubeチャンネル『ぱーてぃーちゃんの今夜はなにパ?』は、“ガチガチに決めちゃうとイヤになっちゃうから”不定期更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演アーカイブ ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん~ぱーてぃーちゃんが裁判!?~ 【後編アザーカット】
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ぱーてぃーちゃん結成前夜、ギャルふたりがコンビで立った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(前編)
生粋のギャルふたりと、彼女たちに挟まれたチャラ男。コロナ禍のテレビに颯爽と現れたぱーてぃーちゃんは、純度100%のギャルとして人々に笑いと衝撃を与えた。 そんな彼らに初舞台について聞く……予定だったのだが、なんとリーダー的存在である、すがちゃん最高No.1が大遅刻! そこでこの前編では、ギャルの信子と金子きょんちぃに、お笑いとの出会いや、トリオになる前にふたりが組んでいた「エンぷレス」の初舞台について聞いた。 果たして、インタビュー終了までにすがちゃんは間に合うのだろうか……! 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次すがちゃん最高NO.1、まさかの大遅刻「芸人は医者より偉いと思った」マイナスイオン姉さん”と“相方ビッチ”きょんちぃの初舞台は時事ネタ漫才コンビがうまくいった秘訣は、丸投げしたこと初舞台のあとは大号泣&ブチギレ すがちゃん最高NO.1、まさかの大遅刻 左から:金子きょんちぃ、(撮影には間に合った)すがちゃん最高No.1、信子 ──お忙しいところありがとうございます。ところでひとり欠けてますが……。 信子 「菅野、遅刻してんじゃねぇよ!」って書いといてください(笑)。 ──すがさんの遅刻はよくあるんですか。 きょんちぃ あと40〜50分かかるんですよね? ここまで遅れるのは珍しい。 ──勝手なイメージですけど、おふたりのほうが遅刻しそうなイメージがありました。 信子 ナメてもらっちゃ困ります。昨日同じ飲み会に行ってて、私は終電で帰ったんですよ! きょんちぃ ギャルなのにお利口〜。 信子 そう、ウチはちゃんと帰ってエラい。まぁ遅刻もしますけど(笑)。 「芸人は医者より偉いと思った」 ──次のお仕事もあると思うので、すがさん抜きで先にインタビューを始めさせてください。芸人としての初舞台について聞きたいんですが、そもそもお笑いに興味を持ったのはいつごろですか? きょんちぃ すみません、私、メイクしたいんで、先に信子から聞いてもらっていいですか。 信子 オッケー! 私、バッチリなんで。私が芸人に興味持ったキッカケは、吉本新喜劇かも。大分出身なんですけど、土曜の昼に吉本新喜劇の放送があったんですよ。午前で学校が終わるから、帰ってお昼ごはん食べながら吉本新喜劇を観て、終わったら友達と合流して、新喜劇ごっこやってました。 ──「新喜劇ごっこ」って初めて聞きました。 信子 めっちゃ楽しかったですよ。うちはポコポコヘッド(島木譲二)か、茂じい(辻本茂雄)やってた。でも茂じいは人気で奪い合い。あと、アスパラガス(中條健一)もやってたなぁ。クラスにお笑い好きな子が多かったんですよ。最初はウチとサトウユウくんのふたりだったけど、どんどん仲間が増えていった。あとは『バカ殿』(志村けんのバカ殿様/フジテレビ)も好きでした。 ネタでいうと2004年のM-1で南海キャンディーズさんを初めて見て、「こんな革命的なツッコミする人いるんだ……!」って思った。あと、テレビで「笑うことでがん細胞を減らせる」みたいな情報を見て「じゃあ芸人って医者よりすごくね??」って芸人リスペクトになりました。医者は病気を治すけど、芸人はそもそも病気を発生させないってすごいじゃないですか。 話してたら、いろいろ思い出してきた! 中高生のころは、『リンカーン』(TBS)とかの有名なバラエティ番組観てて、『ごっつ』(ダウンタウンのごっつええ感じ/フジテレビ)もDVDで観てました。あとは、南海キャンディーズさんの漫才とか、バナナマンさんの単独ライブもツタヤで借りて観てたな。これ初めて言うかも。 ──能動的に見てたんですね。 信子 『ごっつ』だけ高校時代の彼氏の影響でした。一緒にごはん食べてるときに、急に変なことやりだして、聞いたらそれが「キャシィ塚本」のマネだって。彼氏に「なんで知らないんだよ、これ観ろ」って言われた。 高校卒業したときは芸人になろうなんて思ってなくて。上京して飲食店で働きながら、次は自分で店出すかフランスに留学するか迷ったときに、初めて「芸人になろう」って決めたんです。独立とか留学しちゃったら、その後の人生ってそれだけがんばらなくちゃいけないじゃないですか。やり残したことなんだろうなって考えたら芸人だったんです。 マイナスイオン姉さん”と“相方ビッチ” ──新喜劇でお笑いを好きになった信子さんが、吉本興業ではなくワタナベエンターテインメントに入ったのはなぜ? 信子 一応いろいろ調べてたら、ワタナベがやってた「オモ女オーディション」っていうのを見つけたんですよ。当時、バービーさんとかイモト(アヤコ)さん、にしおかすみこさん、平野ノラさんってたくさんピンの女芸人さんが活躍し始めてて、私もピンでやろうって思ってたから、合うかもって。 ──それでオーディションに行った? 信子 最初はとりあえず話聞いてみようって説明会に行ったんですけど、「次来るときネタやってみて」って言われて急いで作りました。人前で初めてネタやったのが、そこですね。「マイナスイオン姉さん」っていうネタ。銀色の全身タイツ着て「アンタ、森に返してやろうか!」とか言ってた(笑)。あれ、きょんちぃも見てたよね。 きょんちぃ 全然意味わかんなかった。 信子 擬人化するのがセンスあると思ってたの。 ──ピンでやりたかったのはなぜ? 信子 誰かの失敗を許せないだろうなって思ったからかな。でも変わった女の子に捕まって「私たち、もうコンビだよね!」って言われておもしろかったので組みました。結局、外国人の男の子も入って3人でやったんですよ。でも、ゲボゲボつまんなくて。きょんちぃには、そういうグチをずっと聞かせてました。週3〜4で飲みに行ってたよね。 きょんちぃ うん。 信子 ウチらマジでただのプライベート友達みたいだったよね。だから私がトリオを解散したあとで、きょんちぃと組むことにしたんですよ。そしたら講師が「お前ら、やっと組んだのか」って言ってました。事務所的には最初っからウチらを組ませたかったみたいなんだけど、「だったら言えし!」って感じ。そしたらもっと早く組んでたかもしれないのに。 当時のきょんちぃって“相方ビッチ”だったんですよ! ウチが思い出せる範囲でも8人と組んでた。私たちが組んだのが9月なんで、4月の入学から半年で8人。ひとり1カ月も持ってない(笑)。 きょんちぃ 私、基本的に性格が合う人がめっちゃ少ないんですよ。当時はめっちゃワガママだったし。自分でネタ書くのは絶対イヤで毎回相方に書いてもらってたんですけど、いつも「コイツ性格も合わないし、ネタも微妙だな」ってめっちゃ思ってて。お笑いが好きすぎて、劇場にもめっちゃ行ってたんで、そのプロのレベルが基準になっちゃってたんですよね。めっちゃ生意気だったんで申し訳ないです。 でも信子とは毎日飲んでたし、人間としては合うんだろうなって思って組みました。あ、メイク終わりました。 きょんちぃの初舞台は時事ネタ漫才 ──きょんちぃさんがお笑い好きになったのも子供のころですか。 きょんちぃ はい。パパがめっちゃお笑い好きだったんですよ。『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日)は下品だからって見せてくれなかったけど。 信子 えっ!? 最悪、ウチの師匠なのに。 きょんちぃ あんまりにもマネしすぎるからダメだって言われてた。でもお笑いだったらどんなに下品なものでも見せてくれました。 養成所に入ったのは22歳。卒業してからキャバクラで働いてたんだけど、みんなが大学卒業して就職したり、中卒高卒の子たちが落ち着いてるの見て、「自分、このままだと終わるぞ」って不安になったんです。そんなときに友達と話してたら「てかさ、お笑い芸人やるって言ってなかった〜?」って言われて、芸人になりました。 ──「お笑い芸人やる」って言ったのはいつごろですか。 きょんちぃ 中学のときです。高校のときも、なんかのイベントで友達と漫才したことあるんですよ。 信子 その初舞台、マジ見たいんだけど(笑)。映像ないの? きょんちぃ ない! 時事ネタやりました。ちょうどマイケル・ジャクソンが亡くなった年だと思うんですけど、それに絡めてなんかやりました。 信子 なんか覚えてるワードとかないの? きょんちぃ ない、覚えてても絶対言わない。 信子 ちょっとこれ取材なんだけど!(笑) ──ボケツッコミはどちらでしたか? きょんちぃ 私はツッコミでした。まぁもうこれ以上話せることはないですね。 信子 その子とは一回しかやらなかったの? きょんちぃ うん。「またやる?」って聞いたら「やるわけなくねぇ?」って言われた。養成所入るときも「一緒に行く?」って声かけたけど、「誰が? ウチが? え、無理」って即答だった。 ──きょんちぃさんはなぜワタナベに? きょんちぃ 本当は吉本行きたかったんですよ。漫才とM−1がめっちゃ好きで。お笑いはもちろん好きだけど、M-1チャンピオンになりたい気持ちが一番だったから、絶対吉本じゃんと思ってて。でも一応吉本もワタナベも説明会には行ってて。そしたらワタナベから「もう一回だけ来てくれないか、どうしても会わせたい子がいるんだ」って言われたんです。 ──「会わせたい」とまで言われてたんですね。 きょんちぃ 言われてました。「合うと思うんだよねぇ」って。でも最初に会ったときは別にしゃべらなくて。養成所に入ってからたしかに人間としては合うなと思ったんですけど、信子は「ピンでやりたい」って言ってたので誘わなかった。まぁ入ったらトリオになってて意味わかんなかったけど。 信子 ははははは(笑)。 コンビがうまくいった秘訣は、丸投げしたこと きょんちぃ 話戻るんですけど、しばらく事務所選びで悩んでたら、ワタナベコメディスクールが営業上手でめっちゃ電話かけてきて。それで「こりゃ条件いいぞ」ってなって、じゃあまぁ場所もいいしってことで、ワタナベにしました。 ──立地ですか。 きょんちぃ はい。中目黒に養成所があって、ワタナベコメディスクールとLDHの事務所がめっちゃ近いんですよ。私、LDH大好きなんで、中目に毎日いたら、絶対誰かに会えるじゃんと思って、ワタナベにしました。 ──会えました? きょんちぃ たまに会えました ──そういうときって声かけるんですか。 きょんちぃ さすがに声はかけないです。私、すごくいいファンなので。 信子 はははは(笑)。 きょんちぃ いつか仕事するぞと思って。実際、GENERATIONSさんが一番好きなんですけど、ABEMAの『GENE高』(GENERATIONS高校TV)に出させてもらいましたし、『御殿』(踊る!さんま御殿!!/日本テレビ)でTAKAHIROさんにも会えた。(山下)健二郎さんと、NAOTOさんにも会いましたね。うれぴぃ。 ──連絡先とかは? きょんちぃ 絶対交換しないです。私、すごくいいファンなので。 信子 あはははは(笑)。 ──きょんちぃさんと信子さんのコンビ関係はなぜ長続きしたんでしょうか? きょんちぃ いろいろ考えても無駄だって思ったんですよ。おもしろいことはしたいけど、どうせ私はネタ書けないんだし丸投げするんだったら文句言うのもやめようって。 そしたら案の定、信子は山里(亮太)さんに憧れてるから、全然向いてないのにたとえツッコミをしてて。全然向いてないんですよ。でも、いったんやりたいことやらせようと思って、ほっときました。私も「世界で一番自分がかわいい」っていうぶりっ子キャラさせられたし。 信子 それはきょんちぃが「私は石原さとみ以外の女優には、勝てる部分がある」って言ってたからだよ。 きょんちぃ まわりの芸人からは「楽屋でしゃべってればおもろいのに、ネタはまったくおもしろくない」って言われてました。 初舞台のあとは大号泣&ブチギレ ──ふたりは、エンぷレスというコンビ名で活動しますが、初舞台は覚えていますか? きょんちぃ 私はネタを飛ばして号泣しました。養成所のネタ見せだったんですけど、ネタが終わって、エンディングで泣いて。そのあともずっと泣いてた。 信子 で、ウチがブチギレ。ネタ飛ばしたり、泣いたりしたのはいい。でも終わってすぐに化粧直ししたのがムカついた。「それはちげえだろ!」って(笑)。 きょんちぃ そのあとに次のライブの手伝いがあったから、メイク崩れた顔見られたくなくて。でも結局手伝いもしないで、ふたりでダベってるだけでした。何話したかも覚えてないけど。 信子 どんなネタやったかも覚えてないね。組んでから1週間もなくて、とりあえずこなすだけで。思い入れのないネタやっちゃったから。 ──2017年に養成所を卒業します。芸歴が始まってからの初舞台は覚えてますか? 信子 全然覚えてねぇ。 きょんちぃ 外のライブもあんま出てなかったね。事務所ライブもネタ見せに通らなくて、1年近く出られてない。芸歴3年超えてから、少しずつ事務所ライブに出られるようにはなりました。でも、ぱーてぃーちゃん組む直前は、芸人辞めようかなって思ってた。 コロナでライブが全部なくなって、なんの活動もしなくなって、コロナがいつか明けるとも思えなくて、気持ち的にも沈んでて。感染するのが怖くてキャバクラのバイトも辞めたし、引きこもりみたいになって誰とも会わなくて、全部イヤになってました。人と人が触れ合わなくなったら、やってる意味ないわと思った。 信子 きょんちぃの辞めそうなオーラ感じてたから、ピンネタ作らなきゃなっては思ってたよ。そしたら本当に電話来て「辞めたい」って言われて……そっからなんて言ったんだっけ?(笑) きょんちぃ 「もうちょい様子見てもいいんじゃない?」って。 信子 そっか。ウチはコロナ明けると思ってたから。最悪、芸人じゃない活動で注目浴びて、芸人に戻るのもアリだなとか考えてたし。 きょんちぃ それが2020年の夏だね。その直後に事務所の先輩のすがちゃんが前のコンビを解散して、お試しで「ぱーてぃーちゃん」をやったおかげで、まだ芸人続けてるって感じ。 信子 っていうかもうぱーてぃーちゃん結成まで話したのに、まだアイツ来ないじゃん! 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ぱーてぃーちゃん すがちゃん最高No.1(1991年8月21日、山形県出身)、信子(1992年8月1日、大分県出身)、金子きょんちぃ(1993年9月19日、神奈川県出身)のトリオ。2021年、コンビを組んでいた信子ときょんちぃに、すがちゃんが合流して結成。同年末の『ぐるナイおもしろ荘』(日本テレビ)への出演をきっかけにブレイク。賞レースに挑戦しながら、個人としても活躍する。YouTubeチャンネル『ぱーてぃーちゃんの今夜はなにパ?』は、“ガチガチに決めちゃうとイヤになっちゃうから”不定期更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演アーカイブ ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん ももクロちゃんとぱーてぃーちゃん~ぱーてぃーちゃんが裁判!?~ 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 目標に捉われず“今”を楽しむ?ぱーてぃーちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#27(後編)
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結成直後から大躍進のはるかぜに告ぐが、じっくり見据えるネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#26(後編)
「おもろない女芸人が、一番恥ずかしい」 『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』のファイナリストとして、一躍脚光を浴びた芸歴1年目のコンビ「はるかぜに告ぐ」。ヤンキー風のとんずと、清楚な一色といろ。いびつなふたりが織りなす、偏見混じりのしゃべくり漫才は痛快だ。 そんなふたりは、もともと男女コンビとピン芸人だった。女性が1割にも満たない芸人の世界。そのヒエラルキーを実感してきたふたりは、はるかぜに告ぐを組んだ瞬間、飛躍した。 芸人界に吹き荒れる一陣のはるかぜ、その声を聞いてみた。 【インタビュー前編】 『THE W』決勝で注目のはるかぜに告ぐの初舞台は、NSC入学前の腕試し|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#26(前編) 目次芸人になる気はないのに、養成所に入学した理由余りもの同士で組んだコンビ結成直後に大躍進大阪ではキャラ漫才だと思ってたけど、東京では正統派?テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! 芸人になる気はないのに、養成所に入学した理由 左から:とんず、一色といろ ──現在、といろさんが26歳、とんずさんが25歳ですが、ふたりとも社会人経験を経てから芸人になったんですか? とんず いや、私は大学1回留年してからNSCですね。私はもともとお笑い好きやって、学生のころからライブも通ってたんですよ。前編で話したように、友達とM-1の予選に出て、全然うまくいかんかったのが悔しくて、芸人ちゃんとやってみようと思って養成所行きましたね。 といろ 私ももともとは2年間正社員をしてて、NSC入るときに辞めました。 ──といろさんもお笑いにはずっと興味があった? といろ 芸人になりたいと思ったことは人生で一回もないです。 とんず なんならまだ「自分は芸人」っていう自覚も芽生えてないよな。 といろ 私、NSCに入ったのも運動不足解消のつもりだったんです。仕事始めたのがコロナ禍だったから在宅で仕事ができちゃって。出社も数えるくらいしかしたことなくて、体動かす機会がなかったんで、楽しそうやし、NSCに通ってみようかなと。 ──ジムに行くとかじゃないんですね。 といろ 行ったけど続かないんですよ。でもNSCはけっこうまとまった入学金払うんで、元取りたくて通うじゃないですか。週5で授業があるんで、学校感覚で通えるんちゃうかなって。ホントに全部の授業出ましたからね。 とんず 普通は行くのがめんどくさくてサボるねん。 といろ あと「芸人になるつもりがなくても、NSCはけっこう楽しい」って話をよく聞いてたんですよ。大学生のときにWEBライターをやってたんですけど、そこの編集長が15年間よしもとにいた人で、その人が言ってました。 とんず 最初はピン芸やってたやんな。 といろ そうですね。芸人になる気もないのに、誰かと組むのはおこがましいかなって。当時は「お嬢様のことわざ」みたいなフリップ芸をしてました。言葉遊びみたいな。 とんず めっちゃヘンやったよなぁ。金太郎の格好して紙芝居みたいなこともしてた。おもんなかったなぁ(笑)。 余りもの同士で組んだコンビ ──とんずさんはコンビを組んでいましたか? とんず そうっすね、全然うまくいかなかったですけど。 といろ なんかアクロバット系漫才してたんでしょ? とんず えらい回転させられてたな。110キロくらいの巨漢と組んでて、舞台上でぶん回されてた。めっちゃ変わった子で、お互いにお互いのネタをけなす感じやったんで解散しましたね。 ──なんで組んじゃったんですか。 とんず これはマジで余りもの同士やったからです。男で芸人になろうとするヤツって、女と組む想定してないじゃないですか。だから女側がどんなにおもしろくしゃべれたとて、組もうってならんみたいで。それでずっと振られ続けて、余りもの同士組んだんですよね。そのあとも何人か男に声かけたんやけどダメやって。 ──男女コンビにこだわっていたとんずさんが、なぜといろさんと組んだのでしょうか。 といろ それは私が余ってたから? とんず といろさんって、ネタはおもろくないんやけど、なんか目離せない感じがあったんで誘ってみたんです。そしたら「私もうネタ書きたくない! 誘ってくれてむしろ助かる!」くらいの感じで乗ってくれた。 といろ ちょうど「ネタ書くの面倒だな」と思ってたころだったので。 とんず まぁ最初はユニットでって感じだったんですけど、ある程度結果出たんで続けてみようかと。これまで私を断ってきたヤツらには「ざまぁみろ! 組んどきゃよかったやろ!」って思ってます。 結成直後に大躍進 ──はるかぜに告ぐとしての初舞台はいつでしたか? とんず 組んだのが2022年の7月で、それからわりとすぐでした。うちらの最初はテレビか。 といろ BSよしもとでコットンさんがやってた『新宿音響ラボ』ですね。とんずがギター持って、歌ネタやりました。「蛍光スニーカー履いてる男は、ほにゃらら〜」みたいな偏見を歌うネタ。 昨日オンエアの新宿音響ラボ⚡️観てくれたかーーー!!??見逃し配信もあるで👀 はるかぜに告ぐ結成して初のネタ見せがこれなので、実質あーしら新宿音響ラボ所属の芸人🙃🙃また行きます💨💨 https://t.co/1FdrrEgPNi — はるかぜに告ぐ とんず (@tontokotonez_) October 2, 2022 とんず 予選突破したよな。あの時期、なぜか週1で何かしらのイベントやらテレビやらに出してもらって、ありがたかった。M-1も3回戦まで行って。 ──NSC在学中で、その活躍はすごいですね。 とんず いや、うちらだけじゃなくて、大阪の45期はけっこうすごくて。私の分析なんですけど、コロナで入学をちょっと待ってた経験者組が一気に入ってきてるんですよ。45期内ですでに先輩後輩(関係が)あるヤツもいますから。 といろ インディーズ時代に関係性ができてる。 とんず そうそう。大卒1〜2年目の社会人経験者がわりと多い。 といろ 私たちと同じ25歳付近がけっこういますね。 ──そうはいっても、3回戦進出はざわつくんじゃないですか。 といろ そうですね。私たちと「千年ぶり」っていうコンビの2組だけでした。そのおかげで、『深夜のハチミツ』(フジテレビ)に出させてもらえて。 とんず いきなり局のテレビ出してもらえたのは、すごいよな。でも最初の収録はめちゃくちゃでした。「千年ぶり」と一緒に東京に来て「帰りは歌舞伎町で遊ぼうな」ってウキウキしてたのに、2組とも収録でガチゴチになっちゃって。 といろ 何もできなかった。 とんず 千年ぶりってずっとエリートなんですよ。もともとワタナベ(エンターテインメント)にいて、45期の中でもずっと1位だった。だから、あの千年ぶりが、収録中にひと言もしゃべれてなかったのは衝撃でしたね。 といろ テレビ初出演の人たちも多い現場だったので、助け合うこともできなくて悲惨でした。 とんず 千年ぶりはホテル取ってたのに寝れなくて始発で帰ったらしいですから(笑)。でも、あの経験があったから、THE Wでエゲツない緊張してもなんとか耐えられたとこはある。 といろ THE Wが最初やったら死んでたな。 大阪ではキャラ漫才だと思ってたけど、東京では正統派? ──ここまでの活躍は自分でも予想してなかったと思うのですが、2024年はどんな年にしたいですか。 といろ 個人としてはナレーションの仕事をしたいです。それか奈良テレビとかで神社仏閣を巡りたい。あと、前回のTHE Wは失敗しないでおこうみたいな気持ちばっかりで勝敗まで意識できなかったので、次は勝てるようにがんばりたいですね。 とんず といろさんはやっぱ芸人としてじゃなくて「一色といろ」としての目標が先に来るんですよ(笑)。私は賞レース優勝が目標なんでネタをしっかり書き続けたいです。 といろ 私もなんらかの賞レース早く獲りたいよ。大阪にも10年未満とかの大会があるので。 ──東京進出は考えてますか。 とんず 3年くらいですかね? そのうち行きたいんですけど……。うちらってこんな感じやから“キャラ漫才”って言われてもいいぐらい目立つと思ってたのに『深夜のハチミツ』出たら全然目立ってなかったのが引っかかってて。 といろ むしろ正統派だった(笑)。 とんず だから東京行ってキャラ強くしたほうがネタも書きやすくなるんちゃうかなと最初は思ってたんです。でも、大阪には大阪のよさがあって、勉強できるところもあるだろうから、それをまずは見つけたいなと。大阪と東京の違いを自分らなりに探して、それを吸収できたら東京行っちゃえばいい。 といろ 今はどっちにも土壌がないから、とりあえず大阪でがんばりたいな。今、大阪では女性同士のコンビが少ないので、そういう意味では仕事が回ってきやすい。なので大阪でしか積めない経験もあるかなと。 とんず 大阪で強くなってから上京したほうが、東京の人からの見られ方もよくなるやろうし。そのあたり、ちゃんと言語化してからじゃないともったいないかなぁと思ってます。あと、2024年の目標でいうとバイトをやめたいっすね。 ──まだバイトしてるんですね。 とんず 夜カフェしてます。知り合いのところで働いてて。いつも「コント、夜カフェ」ってテンションでやってますね。ちょっときれいめの格好して、伊達メガネかけて、髪の毛くくって、高い声で「いらっしゃいませぇ〜」って。 といろ 東京行くと家賃も高いしね。今は実家暮らしなんでいいですけど。 とんず 私はもうパッツパツ。おとといも普通にバイトしてましたから。早く芸人で売れたいです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽 はるかぜに告ぐ とんず(1998年11月27日、兵庫県出身)と一色といろ(1997年1月13日、大阪府出身)のコンビ。ともに大阪NSC45期(2021年4月入学)で、2022年にコンビ結成。芸歴1年目にして『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』ファイナリストとなり、話題に。YouTubeチャンネル『はる告ぐちゅーぶ byはるかぜに告ぐ』は「とりま週1更新頑張れ」の精神で更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! <出演情報> テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 3/23(土)3/30(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで 【後編アザーカット】
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『THE W』決勝で注目のはるかぜに告ぐの初舞台は、NSC入学前の腕試し|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#26(前編)
昨年10月に開催された『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』ファイナル。史上最高レベルだった決勝の舞台に、芸歴1年目で立ったのが「はるかぜに告ぐ」だ。 堂々たるしゃべくり漫才を披露した「とんず」と「一色といろ」のふたりがNSCに入ったのは、2022年だというから驚くばかりだ。 次世代のニュースターに、初めての賞レース決勝の舞台や、芸人としての初舞台について聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次THE Wは「目ギンギンでデュエル漫才」コント漫才はトラウマ?顔ファンはアリだけど初舞台はNSC入学前の賞レーステレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! THE Wは「目ギンギンでデュエル漫才」 とんず ──初舞台について聞く連載ですが、まずは昨年の『THE W』決勝という賞レース初舞台について聞かせてください。芸歴1年目とは思えない堂々とした漫才で、大会を盛り上げました。 とんず 緊張しすぎてマジで覚えてないです。必死すぎた。 といろ わかる。けど、前室が和やかだったおかげで、少しほぐれました。 ──そもそもゴールデン番組で漫才をするのも初めてだったそうですね。 といろ そうですね、大阪の深夜番組でちょっとやることはあったんですけど、がっつりちゃんとやるのは初めて。東京のテレビ局は広かったですね。明るいし。THE Wはスタジオの画面に自分たちも映るんで、なんか変な感じでした。どこ向けばいいんやろって。審査員の方々も目に入るし。 とんず 私はまわりを見る余裕もなかったわ。普段は緊張してても、ツカミでウケたらそっから余裕になるけど、今回はウケたのにそのまま緊張してて焦った。ヤッべ……って思ってる間に終わったもんな。私、緊張してるのわかった? といろ 出番前から緊張してるのはわかってたから、舞台では気にならなかったよ。 とんず ホンマに? 私、といろさんと目合って「もう、お互い助けません」って目で合図したのは覚えてる。 といろ それはそう。自分の言葉を言うだけで必死。 とんず デュエルしてる感じよな。自分のセリフを出して、といろさんのターンが終わったら、今度は私が出す。その繰り返し。 といろ 万が一ネタが飛んでても、ふたりとも気づかなかったやろな(笑)。 とんず ホントそう。お互い目ギンギンでな。私も普段は間が怖くてアドリブけっこう入れてしまうんですけど、今回はそんな余裕もなかった。 一色といろ ──放送は観返しましたか? といろ 私は観てないですね。そもそも恥ずかしくて自分の映ってる番組が観られないので。気にはなるんですけどね。 とんず 私は一生観てますね。普通に自分のネタ観て、笑うもん。特に「傘、どこでなくしたん?」「岸和田の……」「終わりやんけ!」のテンポ感がめっちゃ好きで。あそこ、審査員もめっちゃ笑ってたやん? テレビで観ると男性の野太い笑い声がハッキリ残ってて、めっちゃ気持ちいい。 といろ じゃあ、その声目覚ましにしたら? とんず なんで野太い笑い声で起きなあかんねん! ──緊張しつつも、スタジオの雰囲気はつかめてたんですね。 とんず そこはなんとか。ネタ作ってる側として、ここ絶対ウケたいっていうところが「岸和田」のくだりだったんで、そこがハマったのは気持ちよかったですね。岸和田っていう地名が、東京だとピンとこない可能性もあったんで。入りの「警察行かなあかんねん」「よしもと芸人すぎるやろ」っていうのも劇場ではウケないんですけど、THE Wはなんかハマりました。 ──そこのボケツッコミは、劇場のほうがウケそうな印象がありますが。 とんず 私らを知らん人からしたら「急にトゲあること言うやん」って引くんちゃうかな。でも、あそこはウケを捨ててでも言いたいセリフなので削ることもできなくて。 ──序盤でこういうキツめのことを言うコンビなんだなと印象づけられますもんね。 とんず そうなんです。THE Wはそこでちゃんと笑いがあったんで「そうやんな? おもろいやんな」とは思いました。緊張は取れんかったけど。 コント漫才はトラウマ? ──しゃべくり漫才のテンポ感も気持ちよかったので、芸歴1年目とは驚きでした。 といろ むしろ、コント漫才は難しそうで、できる気がしないです。 とんず 演技ができないというか、テンポが難しいというか。といろさんと組む前はコント漫才しか書いてなかったんですけど、いろいろあってイップスみたいになって書けなくなったんですよ。あれがちょっとトラウマっぽくなってて。 といろ でも、THE Wの2本目でやる予定だったネタは、しゃべくりとコントの間じゃないけど、けっこう動きもあるネタやって。 とんず ちょっとずつ動きのあるネタもやるようにはなってきてるな。THE Wの準決勝に向けて作家さんにネタ見せしてアドバイスをいただく機会があって。その作家さんが元芸人さんなんですよ。 といろ もともとコントをされていた方なので、動きの面でもアドバイスをくださって。 とんず あれでだいぶよくなったよな。その人の動き、ホンマおもろくて。ケータイで撮った動画を見ながら練習しましたね。 といろ ユニークな動きって難しいよな。 とんず めっちゃ勉強したけど、全然あれやったな。何が違うのかわからん。THE Wが終わったら、そのネタ見せもなくなったので寂しいですね。 顔ファンはアリだけど ──THE W決勝後の反響はどうですか? といろ YouTubeは登録者数4000人から一気に2万人に増えました(2024年2月現在、3万人超)。メディアに出させていただく機会も急に増えました。 とんず 劇場の先輩たちも「よかったよ!」って言ってくれてうれしいです。というか、そもそもTHE Wに出てるよしもとの先輩たちも、ゆりやん(レトリィバァ)さんとか、紅しょうがさんとか、スパイクさんとか、すごい人たちやないですか。 といろ もう会えるだけですごいというか。 とんず そうそう。会えるだけでうれしいのに、「よかったで」とまで言ってもらえるのが不思議な感覚で。でも、芸人として認められた感じはめっちゃうれしいです。この前、ハイヒールさんとも仕事させてもらったんですけど。 といろ モモコさんは初めましてでした。リンゴさんは、定期的に女芸人ライブを企画してくださるので、お会いしてたけど。 とんず あいさつさせてもらったら、おふたりとも「よかったね」って言ってくださった。 といろ なんのことかわからなくて、最初「何がですか?」って聞いちゃいました。 とんず 「THE Wやろ、そら観るよ」ってな。あと、元カレから連絡が来たときは「これは売れるな……」って思いましたね。 といろ 気が早いな(笑)。私は同級生からメッセージが来ましたね、8人くらい。芸人になったことは親にしか言ってなかったんで、気づかれてびっくりしました。でも、誰もTHE Wの放送は観てないんですよ。「LINEニュースで見たよ」って(苦笑)。 とんず ネットニュース困るよな! 私らも知らないニュースを親が読んでたりするから。YouTubeの企画ですっぴんからメイクした動画があるんですけど「『小峠』『ピクミン』が変化『男子には絶望を』」って見出しでネットニュースにされてな。 といろ その動画がこないだテレビでもさらされてて……ここまで広がると思ってなかったから、さすがにびっくり(苦笑)。 ──とはいえ、「めちゃめちゃかわいい」「肌きれい」という反響も多かったですよね。 とんず それは芸人やから下駄履かせてもらってるだけです。そもそも「すっぴんが小峠(英二)さんに似てる」っていうの自己評価なんで。かわいいって言われても「ウソつけ!」と思うだけ。日本が心配になります。 ──とんずさんはライセンスの藤原一裕さんの“顔ファン”になったところから、お笑い好きになったそうですが、ご自身に顔ファンがつくことはどう思いますか? とんず アリですね。私も人を好きになるときは顔も重要なんで。 初舞台はNSC入学前の賞レース ──おふたりの芸人としての初舞台はいつになるんですか? といろ 2022年4月にNSCに入ったんですけど、初舞台は2021年なんです。THE Wの予選にひとりで出たんですよ。NSCの願書は出してたんで、お笑いの世界を少しでも知っておこうとエントリーしました。手に被せたリスと羊のぬいぐるみをしゃべらせて、私は黒子になって……。 とんず やってること完全にパペットマペットやん(笑)。 といろ 内容は全然違いますよ! でも、たまたま私の前の出番が松浦景子さんで……。 ──バレリーナ芸人で、『ザ・細かすぎて伝わらないモノマネ』(フジテレビ)でブレイクした方ですね。 といろ で、私のあとが変ホ長調さんやって。間に挟まれたんですけど、おそらく私の声、小さすぎて何も聞こえなかったやろうなって。恥ずかしくて、ちょっと笑いながらやっちゃったし。 とんず そこから考えたら、声でかなってんやろうなぁ。NSCの最初のライブでも、といろさんのネタのときは笑ったら聞こえなくなるから、みんなこうやって聞いてました。 ──半身で耳をすまして(笑)。とんずさんの初舞台は? とんず 私もNSC入る前で、2021年の『キングオブコント』予選が最初ですね。中学からの仲よしの男とちょっと出てみようやって。1カ所だけ爆ウケして「あ、そこなんや」って思ったのだけ覚えてますね ──初舞台でウケたのはすごいですね。 とんず でも、自分の想定してたのとは違ったとこだったんで、うれしかったというよりは「こういうのがウケるんや」って。『M-1』も出たんですけど、そのときは2分間沈黙で、それが悔しくて、どうやったらウケるんやろうと思ったのが、芸人になるきっかけでした。 それでNSCに入るんですけど、組んでたヤツは「長男やから」っていう理由で断られました。でもソイツが今、天狗です。「俺がアイツの最初の相方やねん」って言いまくってる(笑)。 ──ただの同級生じゃなくて、つい数年前に相方として組んでたわけですもんね。 とんず でも、アイツと組んでたせいで、そのとき付き合ってた彼氏とも別れたんですよ。 といろ 嫉妬されたん? とんず うん。私もアイツも夜型やから、ネタ合わせも夜やってたんやけど、彼氏が「そんな時間に男とふたりで何してんねん」って。「別にお前の前でやってもいいねんけど」って言い返したんですけど、「それは気悪いからやめて」って言われて、そのまま結局浮気までされて意味わからんかったな。でも男とも別れたことやし、もう失うものもないわって感じで、NSCレッツゴーだった。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽 はるかぜに告ぐ とんず(1998年11月27日、兵庫県出身)と、一色といろ(1997年1月13日、大阪府出身)のコンビ。ともに大阪NSC45期(2021年4月入学)で、2022年にコンビ結成。芸歴1年目にして『女芸人No.1決定戦 THE W 2023』ファイナリストとなり、話題に。YouTubeチャンネル『はる告ぐちゅーぶ byはるかぜに告ぐ』は「とりま週1更新頑張れ」の精神で更新中。 テレビ朝日『ももクロちゃんと!』出演決定!! <出演情報> テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 3/23(土)3/30(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 結成直後から大躍進のはるかぜに告ぐが、じっくり見据えるネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#26(後編)
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賞レースで躍進するナイチンゲールダンスが目指すのは“王道の漫才”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#25(後編)
2023年、『ツギクル芸人グランプリ』優勝や、『M-1グランプリ』準決勝進出など、躍進を遂げたナイチンゲールダンス。 漫才では、中野なかるてぃんのボケとギャグの乱舞にヤスがツッコむが、実際には、ヤスが中野を振り回しているようだ。自信家で忖度のないヤスの言葉は、鋭く真実をえぐるからこそ反発も生む。そんな相方の横にいられるのは、中野だけだろう。 エリート漫才師、ブレイク前夜の証言をお届けする。 【インタビュー前編】 大学時代から名を馳せ、養成所を首席で卒業した、ナイチンゲールダンスの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#25(前編) 目次血気盛んなNSC時代プロ初舞台は漫才の聖地すべてを強引に正解してやるナイチンゲールダンスは王道でメガヒットする 血気盛んなNSC時代 左から:ヤス、中野なかるてぃん ──大学お笑いから吉本の養成所であるNSCに入ったのはなぜですか? ヤス なんでだったっけな。たしかに僕たちよりちょっと上の世代の大学お笑いでは、「吉本行くのはちょっと違う」みたいな雰囲気があったんですよ、なんでかは知らないですけど。 中野 本当になんとなくだよね。僕らも芸人になろうって決めてから一応いろんな事務所を考えはしたんですよ。 ヤス そうそう、人力舎どうかなとか、マセキ(芸能社)のオーディション受けようとか。でも、僕らは節操なかったんで「一番でっかいとこ行ったほうがいいじゃん」って行きましたね。普通にNSCとか行ってみてぇじゃんって。怖いもの見たさじゃないですけど。 中野 ヤスさんが「NSCで青春したい」って言ってたんですよ。 ヤス あぁ、そうだわ。 中野 NSCに入った年、僕は大学4年だったんですけど、ヤスさんは卒業したんですよ。4年間大学お笑いをやりきったヤスさんが「俺、新しいところで青春したい。ダンスとかいっぱい練習したいし、同期と一緒にいろんな授業受けたい」って言ってて。なのにNSCに入ったらほとんど授業に来ない。 ヤス なんかね〜(苦笑)。 中野 「行きましょうよ」って誘っても、「行くわけねーだろ! 俺がイヤがること強制してくんなよ!」って。 ヤス 言った記憶あるわぁ。 ──ヤスさんの心境にどんな変化があったんですか。 ヤス いや、もう覚えてないっすね。 中野 本当にここでは言えないような言葉を使って、罵倒されたんですよ。 ヤス なんて言ってたの? 中野 「NSCに無理やり行かせるってことは、◯◯するのと同じだからな」って。 ヤス いやいや、載せれるか!(笑) 中野 「もうコイツはダメだ……」って思って、僕はひとりで行ってましたね。 ヤス なかるてぃんは、4月から11月くらいまで「ナイチンゲールダンス・中野」としてずっとピンでやってて。選抜クラスにも入ってたんですよ。 ──それなのにナイチンゲールダンスは首席卒業した。 ヤス そうっすね。 ──じゃあヤスさんがNSC不登校の間も、水面下でネタ合わせはしてた? ヤス してたっけ? 中野 ヤスさんは授業を選んでたまに来てたんですよ。ネタ見せの授業もたまに行ってたんで、そのためのネタ合わせはしてましたね。 ヤス あぁ。ふたつだけ行ってたね。ひとつは講師の人がめちゃくちゃちゃんとした人だなぁって思って行ってたんですけど、もうひとつは「マジでコイツとケンカしてぇな」って行ってた。 ──ケンカってなんですか。 ヤス その人のお笑いの授業に「それどういう意味ですか?」って突っかかってましたね。意味わかんなかったんで。ケンカ売るためにネタやってました。今思えばなんであんなに血気盛んだったのかわかんないですけど。 プロ初舞台は漫才の聖地 ──ちなみになんでNSCを首席で卒業できたんだと思いますか? ヤス 芸人を味方につけたからですね。卒業ライブの成績で順位が決まるんですけど、客席がお客さん半分、芸人半分なんですよ。だから声のでかい芸人を笑わせたほうがウケ量が大きくなる。 ──成績ってウケたかどうかで決まるんですね。 ヤス まんまそうです。講師の判断とかはない。だから卒業ライブでやるネタは同期にも隠しておくべきなんですよ。 ──じゃあヤスさんがNSCに通わなかったことも功を奏したんですね。 ヤス そうでしょうね。負けたヤツは本当悔しいでしょうね、なんで来ないヤツに負けるんだって(笑)。逆になかるてぃんは出席率100%なんですよ。そんなヤツもいないですよ、みんなよくて60〜70%だから。 ──ヤスさんってダークヒーロー的ですよね。同期からひんしゅく買いませんでしたか? ヤス もちろんありましたよ、今でもありますし。でも全員、力でねじ伏せるだけです。文句あるなら俺よりウケろよ、それだけです。神保町の劇場だったら「『Jimbochoグランプリ』で俺たちより結果出してんの?」ってことですから。 ──ヤスさんと一緒で、中野さんは大変じゃないですか。 中野 慣れましたよ。 ──プロとしての初舞台っていつですか? ヤス それはNSC首席特典で出たNGKの『よしもとゴールデンアワー』っていうイベントですね。ダウンタウンさんがMCのライブで、それがプロとして最初の舞台です。漫才の持ち時間は1分半だったし、お客さんはみんなダウンタウンさんを観に来てる舞台でしたけど、いい経験でしたね。だって、ダウンタウンさんが袖で観てるんだから。 ──いきなりそれはヤバいですね。 ヤス ダウンタウンのおふたりが袖で並んで、全組観てるんですよ。緊張しながら自分らの出番まで袖で待機してたら、横でバキバキバキッ!って音がして、驚いて振り向いたら、浜田(雅功)さんがアメ5個一気に噛み砕いてました。 中野 僕らには人間の骨を噛み砕く音にしか聞こえなかったです。 ヤス 怖すぎるって(笑)。その舞台はさすがに死ぬほどスベりましたね。でも、そのライブが全員ダウンタウンさんと同じギャラだったんですよ。だからいきなりすごい額のお金もらえて、全然プラスで帰れました。こんだけもらえるなら全然スベっていいやって。 中野 ほかの出演者のおいでやす小田さんとかネルソンズさんとかも、ダウンタウンさんに観てもらうから、みんな目がバキバキなんですよ。 ヤス プロの楽屋ってこんなにピリついてるんだって思いましたもん。コーナーのジェスチャーゲームかもダウンタウンさんと一緒にやるんですよ。 ──そこでは爪あとは残せましたか? ヤス 前に出られるわけないですよ。武器なんて何も持ってないですから。 中野 ダウンタウンさんが一番活躍してました。 ヤス 手数も一番多かった。一番ボケて、一番ツッコんでた。NGKでずっと裏方やってる人に「NGKで一番ウケた人だれですか?」って聞いたら、やっぱりダウンタウンさんだって言ってましたからね。あの人たちはずっとウケ続けてるんですよね。 すべてを強引に正解してやる ──プロになったばかりのころのナイチンゲールダンスは、ヤンキー漫才をやって迷走してたと聞いたことがあります。 ヤス それは1年目かな。とりあえずキャラとかあったほうがいいのかなと。あと、ダブルボケをやってみたかったんでヤンキーとガリ勉でやってみました。でも別に迷走っていうよりは、いろいろ試してる時期じゃないですか? 中野 普通にM-1も3回戦とか行きましたしね。 ヤス ウケてはいたし、NON STYLEの石田(明)さんにも「めっちゃおもろいな」って言ってもらえてたし。でも、すぐ飽きちゃうんですよ。たぶん、2年目くらいまでは月1で漫才スタイルを変えてたと思います。 中野 いろいろ試して探そうって感じでしたね。 ヤス そうそう。いろんな格好してましたからね。俺が指なしグローブをつけたり、なかるてぃんの衣装が全身水玉模様になったり。 中野 そうそう。ポップにしようって思って、全身水玉模様のスーツみたいなの作ったんですけど、水玉模様が細かすぎて……。 ヤス 俺たちをずっと応援してくれてたファンの方が、水玉スーツを見た瞬間にゲロったんですよ。集合体恐怖症だったらしくて。それ以来、二度と来てくれなくなりましたね(苦笑)。 ──余裕がないといろいろ試してみようって思えない気がするんですが、早く売れたいっていう焦りはなかったんですか? ヤス そういう焦りもあったのかもしれないですけど、それよりは今しか失敗できないじゃんって思ってました。 中野 あと、東京ホテイソンの存在も大きかったです。大学時代、一緒にライブに出てたときは普通の漫才してたんですよ。でも僕らが1年目のときに、東京ホテイソンが3年目とかで自分たちのスタイルを見つけたんで「スタイルを模索したほうがいいのかもしれない」って思いましたね。 ヤス そうだね。だから、あるあるネタも歌ネタもやったし。しかもそういうのって今、営業でめちゃめちゃ使えてるんですよ。営業で歌ネタは最強ですよ。声出してればスベってるってバレないんで。だから全然迷走でもムダでもなかったですね。 ──ナイチンゲールダンスは主催ライブもものすごい数打ってましたよね。 中野 事前に質問案をいただいたじゃないですか。あそこに「ヤス主催ライブが多いのはなぜですか?」って書かれてたのがおもしろくて(笑)。 ヤス それは、俺がこんな感じなんで劇場からよく思われてなくて、ライブ出演が減ったからです。出番もらえないなら、自分でライブ打てばいいんじゃんってことでやり出して。一番多いときは年間97本やりましたね。2位は4本でしたけど。 ──尋常じゃないですね。 ヤス あと、めんどくさかったのが吉本のしきたり。後輩が先輩をライブに誘うときは、一回直接あいさつしに行かなくちゃいけないっていうのがあるんですよ。「こっちが仕事振ってるのに、なんで俺が出向かなきゃいけないの?」って思って。俺は今でも後輩からライブ誘われたら「ありがとうね」って言いますから。 ──ライブをたくさん打ちたいってなると、毎回あいさつに行くのは時間がかかりすぎますね。 ヤス でしょ? だから、けっこう他事務所の芸人さんを呼んでました。M-1出る前のモグライダーさんとかランジャタイさん、ウエストランドさん、錦鯉さんも出てくださって。あの人たちは「出てくれませんか?」って連絡したら、すぐ「いいよ」って返事くれるんで話が早いんですよ。 ──他事務所の芸人さんともつながりがあったんですね。 ヤス そういう意味では、けっこうほかの吉本芸人とは違う道を通ってるんですけど、意外と正解っていうか。まぁ無理やり正解にしたところはあるんですけど。まぁ、いろんな考え方があるんで、各々自由にやったらいいんでしょうけど。俺はこういう考え方ですね。他事務所はそういうしきたりがないんで、呼びやすかったです。 ナイチンゲールダンスは王道でメガヒットする ──ナイチンゲールダンスはM-1に出てない時期がありましたね。 ヤス 単純にみんな出てるから、別のことしたほうが売れるんじゃないかって出なかったです。 ──その時期って賞レース向けの漫才は作らないってことですよね。 ヤス そうですね。だからみんながめちゃくちゃボケ詰め込んだネタで調整しまくってるときに、歌ネタやって劇場でめっちゃウケてましたね。お客さんも緊張してるから笑いたいんですよ。 ──中野さんも賞レースは別に出ないでよかった? 中野 いや、僕はけっこう出たかったっすね。でも、出たいって言ったら、本当にここでは言えないような言葉で……。 ヤス うはははは(笑)。 中野 意味わかんない。「二度と出ねえから、お前、次その話したら◯すぞ!」って出番前の袖で言われてましたから(苦笑)。 ヤス まぁ結局、出ないと売れないんで出ることにしたって感じで。 ──そして今年のM-1はセミファイナルまで進出して、いよいよ頂点も見えてきたのかなと思いますが、今後のナイチンゲールダンスはどんな活躍をしていきたいですか。 ヤス 吉本の売れっ子芸人コースを行きたいですね。今でいうと、千鳥さんとかかまいたちさんの感じで。 中野 もう少し近くでいうと、見取り図さんとかニューヨークさん。 ヤス うつろな目で全国の劇場を回り続けたいですね。 ──彼らの一日に密着した映像を観たことありますが、尋常じゃない忙しさですよね。あれに憧れるんですか……? ヤス もちろん。 中野 実際あの忙しさになったら「しんどい!」って絶対言いますけど、でもやりたいです。 ヤス 一回やっとかないとね。僕はやすしきよし師匠とか漫才ブームのときの芸人さんをずっと見てて、あの時代の吉本芸人の感じに憧れてるんですよ。だから劇場飛び回ってるっていうのはやりたいですねぇ。 ──やっぱり劇場が大事。 ヤス 劇場でウケてないとナメられちゃいますからね。それに劇場でウケるのが売れるための一番の近道なんでね。吉本の社員さんってみんな忙しいから、「この芸人さんはウケてないけど見込みあるぞ」なんてヒマないんです。「めっちゃウケてんじゃん、どんどん使うぞ」でしかないんで。だからそりゃ劇場でウケてないと厳しいっていう。すごいシンプルなんですよ。 ──社員の視点に立てるのがヤスさんのすごみですね。お笑いサークル時代のスパイ活動で培った力というか。 ヤス いや、普通に見てたらわかりますよ。社員さんに芸人のネタを吟味してる時間なんてないよ(笑)。 ──ナイチンゲールダンスの漫才はオーソドックスだけどずっと笑ってられるし、劇場はもちろんテレビも沸かせる漫才だなと思います。 ヤス いろいろやってみたんですけど、あんま向いてなくて。結局、まっすぐシンプルに「なかるてぃんをハンバーグ屋にぶち込んで、俺がツッコむ」みたいなコント漫才が一番ウケる。僕らはメガヒットしたいんですよ。『ハリー・ポッター』みたいに売れたい。あれも、魔法少年が親の仇と対決するっていうシンプルな話なのに、中身がむちゃくちゃおもしろいわけじゃないですか。だから、僕らは『ハリー・ポッター』みたいな王道でメガヒットしてやります。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽 ナイチンゲールダンス ヤス(1993年5月27日、長崎県出身)と中野なかるてぃん(1994年8月28日、山梨県出身)のコンビ。大学時代、『大学生M-1グランプリ2015』で優勝。2016年にNSC東京に22期生として入学し、首席で卒業。2023年には『ツギクル芸人グランプリ』優勝、M-1では初めて準決勝に進出した。YouTubeチャンネル『ナイチンゲールダンスチャンネル』でネタや企画動画もアップしている。 【後編アザーカット】
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大学時代から名を馳せ、養成所を首席で卒業した、ナイチンゲールダンスの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#25(前編)
2023年、ナイチンゲールダンスがついにメインストリートに躍り出た。大学お笑いで出会いコンビを組んだヤスと中野なかるてぃんが、今年『ツギクル芸人グランプリ』で優勝をかっさらい、『M-1グランプリ』では初めて準決勝に進出したのだ。 大学時代から名を馳せ、養成所を首席で卒業したエリートコンビがついに舞い上がるその直前に聞く、彼らの初舞台=First Stage───。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次俺はおもしろいのか?神に認められた男めちゃめちゃフザけた初舞台ルミネで聞いた爆笑が一生を決めた 俺はおもしろいのか? 左から:中野なかるてぃん、ヤス ──子供のころからお笑いは好きでしたか? ヤス 僕はずっと好きでしたよ。でも、長崎出身で、お笑いの文化が全然ないんですよね。みんな『エンタの神様』(日本テレビ)とか観てるけど、それでドランクドラゴンさんの単独ライブに行けるわけじゃない。だから僕は、ビデオ屋さんに1本だけあったドランクドラゴンさんの単独ライブのDVDを繰り返し借りて、観てましたね。 ──スタートはドランクドラゴンだった。 ヤス そうですね、そのとき『はねるのトびら』(フジテレビ)の全盛期だったので。 中野 僕も『はねトび』っすね。僕は山梨だったんで、ツタヤとかゲオで『はねトび』に出てたロバートさんとかインパルスさんとかのネタDVDを借りてました。そこでテレビのコントとかとは違う、「ネタ」っていうのに気づいて。あと、小学生のときは『お台場冒険王』に行ってました。秋山森乃進(コント『おじいちゃんといっしょ』でロバートの秋山竜次が演じていたキャラクター)と一緒にプリクラが撮れる機械があって、こないだそのとき撮ったプリクラが親から送られてきました。 ヤス キングコングの西野(亮廣)さんが『はねトび』のMCだったじゃないですか。僕の中では、西野さんって天才大御所MCだったんですよ。だから、『Mステ(ミュージックステーション)』(テレビ朝日)とか観ても、「なんで西野がMCじゃないんだよ!」って思ってたな。 中野 高校からはほかのお笑いも観るようになったんですけど、中学のときは『はねトび』だけだった。『オンバト(爆笑オンエアバトル)』(NHK)とかも観てなかった。 ヤス 『オンバト』の存在は知ってたけど、なんの番組かもわかってなかった。 中野 僕が高校生のころは『オンバト+』(2010年4月にリニューアル)で。でも深夜は親がテレビ観てることが多くて観られなかったですね。「オンバト観たいからチャンネル変えて」って言えるほどの熱はなかった。 ──自分もお笑いをやってみたいと思うようになったのはいつですか? 中野 大学でお笑いサークルの存在を知ってからですね。高校のときはけっこう人気者のグループにいたんですけど、漫才やるみたいな文化がなくて。でもギャグはやってました。クラスのみんなの前でやるとウケるのが楽しくて。高校になると『あらびき団』(TBS)を観てるヤツが、そのネタをそのまんまやってウケるんですよ。僕はそれを知ってたけど、優しいから指摘しなかった。 ヤス 言わなかったんだ。 中野 「僕はオリジナルで闘ってるぞ」って、密かに思ってましたね。 ヤス 俺は高校の文化祭でMCのマネごとはしてましたけど、ネタ的なことは一切やってなかった。東京とか大阪だったら文化祭で漫才やるみたいなこともあったんでしょうけど。だから、高校時代は「俺、絶対おもしろいよな」っていう気持ちはありつつ、「本当に俺はおもしろいのか?」っていう不安もあって。ネタ番組とか観ていろいろケチつけたりはするんだけど、一方で「じゃあお前はできんのか?」っていう。 神に認められた男 ──おふたりとも大学でお笑いサークルに入ったそうですが、そのときは「プロの芸人になるぞ!」っていう感じだったんですか? ヤス 全然。普通のノリでしたね。 中野 僕もです。サッカーサークルと兼サーでしたし。 ──「大学お笑いはサムい」という価値観があった時代もあると思うんですけど、おふたりが大学生活を過ごした2010年代半ばは、そういう見方はなかったですか。 ヤス どうなんだろう、わかんないっすね。たしかに昔はでっかい大会もないし、大人が絡んでなかったから、しょうもないって思われてたのかもしれないけど。 中野 「お笑いサークルっていいよね」っていう人が増えたのは、ラランド以降だと思いますね。ラランドは僕らの一個下なんですけど。 ──大学お笑いで活躍し、アマチュアで『M-1』2019の準決勝まで行ったラランドはスターでしたね。ところで、おふたりは別の学校だったんですよね。ふたりの初舞台は別々だった? ヤス そうですね。お互いそれぞれのサークルでのネタ見せが初舞台になりますね。僕が日大(日本大学)の「経商法落語研究会」ってとこで、なかるてぃんが一橋大学の「IOK」。で、俺は初めてのネタ見せでめちゃくちゃウケたんですよ。あれはうれしかったっすね。「ほら見ろよ! やっぱ俺おもしれぇじゃん!」って。マジで2日寝られなかったです、アドレナリン出すぎて。あのときのウケ量が頭にこびりついて、寝られなかったですね。 ──ネタは自分で書いた? ヤス そうっすね。それでツッコミやってました。それも不思議なんですよね。高校生までは自分がフザケて笑いを取る感じだったからボケでいいはずなのに、なんかツッコミやってました。ネタはそのときの相方が高校時代にアナウンスの賞をもらったとかいう経歴を活かして、ニュース番組を読み上げてもらって、それに俺がツッコむみたいな。 ──ちゃんと相方のニンをつかんだネタですね。 ヤス ねぇ。今思うとしっかりしてましたね。そいつとはその一回きりでしたけど。 ──サークルのネタ見せって先輩が「新入生のお手並み拝見」って怖い雰囲気を出すものですか。 ヤス いや、全然。普通にみんな仲いい感じでしたよ。 中野 日大はキャンパスごとに何種類かお笑いサークルがあったんですけど、ヤスさんのところは、オラオラしてるヤスさんが入ってから怖くなったんですよ。 ヤス オラついてましたね。ほかの大学のサークルにスパイとか送り込んでたんで。 中野 自分たちの勢力を大きくするために(笑)。 ──中野さんはどうでしたか? 中野 僕も最初のネタ見せはウケましたね。当時、4年生にさすらいラビーの中田(和伸)さんがいて、僕らの漫才をめっちゃ褒めてくれたんです。当時、サークルで中田さんってマジで神みたいな扱いされてたんで、僕も「神に認められた男」みたいな感じで(笑)。 ──どんなネタだったんですか。 中野 「オリジナルの神話を考えてきた」っていうネタでした。僕が書いたんですけど、「タルファネス」とか「ペンガソッスス」みたいな名前のヤツらが出てくる神話で、それを僕が説明して相方にリアクションしてもらうっていう。伏線回収とかもしてましたね。 めちゃめちゃフザけた初舞台 ──日大と一橋のお笑いサークルにいて、どうやってふたりは出会ったんでしょうか。 ヤス 僕が2年のとき、青山学院大学と一橋大学のバトルライブに潜入したんですよ。そしたら、すごく声が高い1年生がいておもしろかったんで、「コンビ組んでみようよ」って速攻誘って。それこそ神話のネタやってたよ。 中野 一回もしゃべったことないヤスさんから突然「一回ネタ合わせしよう」ってDMが来て。 ヤス ネタ合わせなんかしてないだろ。「一回集まろう」って感じじゃない? 中野 いや、「ネタ合わせしよう」って言われたんですよ。それで新宿駅の東口で待ってたら、ヤスさんが現れて「ちょっとルミネ行こう」って言われて。僕、「ルミネtheよしもとでも行くのかな?」と思ってたのに、その一個下の階のタケオキクチにヤスさんが入って、店員さんに「明日デートなんで、3万でバチクソかっこいい服ください」って頼んで。僕、ヤスさんが服選んでるのを見てたんですよ。 ヤス そうそうそう。で、帰った。 ──不可解な行動ですね。 ヤス いや、普通に後輩に買い物付き合ってもらったっていう感じですよ。なんかコミュニケーション取ろうとしたんじゃないですか。 ──中野さん的には、いきなりDMをもらって組むのはためらわなかったですか。 中野 ヤスさんの存在は知ってたんですよ。今、太鵬ってコンビのさがえ(がえちゃん)さんと、歌うだけのネタをやってて。 ヤス ラリアットカンガルーペロンペロンっていうコンビです。 中野 で、ヤスさんとさがえさんは、みんなが一生懸命漫才してる大会で、歌ネタで決勝まで行ってたんですごいなって思ってました。僕もまだ1年生でけっこうヒマだったんで、組んでみましょうって感じでしたね。 ヤス お笑いサークルは何組もコンビ組むのがけっこう当たり前だからな。 ──ナイチンゲールダンスの初舞台は覚えていますか。 中野 なんかの学園祭でしたよね。和光大学かどこかの。 ヤス あれが初めてだっけ? 和光大学の文化祭実行委員に僕たちの日大経商法落語研究会が呼ばれたのが、なかるてぃんと初めての舞台だ。暗めの教室でやりました。 ──どれくらい人は集まるんですか。 ヤス 20人いないくらいですね。でもウケました。めっちゃフザケてネタ作ったんですけど、これでもウケるんだって思いましたね。同じネタを早稲田大学放送研究会がやってた『大学生M-1グランプリ』の動画審査に送ったら通って、決勝大会に行ったんですよ。「ナイチンゲールダンスです」って言い始めたのはそこからです。 ──どんなネタだったんですか。 ヤス ペニシリンを探すみたいな。 中野 あぁ、そうだ。ペニシリンを開発した人の前に、ペニシリンみたいな人が出てきて、「ペニシリンじゃない!」みたいな……。 ヤス そういうネタでしたね。 中野 たぶん、日曜劇場『JIN−仁−』(TBS)と同じです。 ルミネで聞いた爆笑が一生を決めた ──どのタイミングで、ふたりでプロでやっていこうって決めたんですか。 ヤス 大学お笑いである程度結果を出したからですかね。『大学生M-1グランプリ』も2015年に優勝したりしたんで。僕はナイチンゲールダンスと、さがえと組んでたラリアットカンガルーペロンペロンのどっちでプロに行こうか迷ってたんですよ。でもさがえとのほうは大学お笑いだから盛り上がってるだけと思って、なかるてぃんとやろうと。 ──中野さんの実家は医者の家系で、ご自身は弁護士になりたくて一橋の法学部に入ったそうですが、芸人になることに躊躇(ちゅうちょ)はなかったですか? 中野 僕が2年生のときに吉本主催の『NOROSHI』っていう大会が始まって、そこで決勝に行って。そのときルミネでネタやったのがかなり気持ちよくて、芸人なりたいなってそのあたりでもう思ってたんですよ。 ヤス ルミネの舞台で爆笑聞いたら、引き返すのは無理だよ。 中野 それで、ヤスさんに「親に『お笑いやりたい』ってジャブ入れとけ」って言われて。そこから徐々に親を納得させましたね。 ヤス 大学お笑いは、親を4年間かけて説得できるのがでかいよね。 中野 結果で示せるし。 ──NOROSHIは吉本興業のリクルートとして機能してたんですね。 ヤス ちょうどタイミングもよかったんですよね。僕らが3〜4年生になったころに、吉本が大学お笑いに近づいて。いつかルミネに立てるんだって思えたのは、でかいですね。 中野 準優勝させてもらったとき、エンディングでも「吉本行きたいです」って言ってたら、MCのジャルジャルさんとか、ゲストのBKB(バイク川崎バイク)さん、プラス・マイナスさんから裏で「吉本来るんやな。一緒にがんばろう」って言ってもらえて、それはうれしかったですね。でも、準優勝の特典がなかったのは納得いってないです! ヤス 今思えば、そんな甘くないってわかるけど、当時は入れてくれるだろって思ってたよな。 中野 NOROSHIって優勝するとNSCの授業料免除なのに、準優勝は一円も安くならないんですよ。そのとき優勝したチームは誰も芸人にならなかったんだし、その分余ってるじゃないですか! ヤス でも、今は普通に吉本来てよかったなって思ってます。吉本の芸人って、みんなそう言ってるんで。 ──なんで吉本でよかったと思えるんですか? ヤス 単純に舞台の数とギャラですね。この芸歴でNGK(なんばグランド花月)本公演のトップバッターまでさせてもらってますから。ホントありがたいっすよ。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平、田島太陽 ナイチンゲールダンス ヤス(1993年5月27日、長崎県出身)と中野なかるてぃん(1994年8月28日、山梨県出身)のコンビ。大学時代、『大学生M-1グランプリ2015』で優勝。2016年にNSC東京に22期生として入学し、首席で卒業。2023年には『ツギクル芸人グランプリ』優勝、M-1では初めて準決勝に進出した。YouTubeチャンネル『ナイチンゲールダンスチャンネル』でネタや企画動画もアップしている。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 賞レースで躍進するナイチンゲールダンスが目指すのは“王道の漫才”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#25(後編)
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撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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安達木乃(Daily logirl #165)
安達木乃(あだち・この)2006年3月26日生まれ。東京都出身 Instagram:kono_adachi_ ドラマ『新宿野戦病院』(フジテレビ)にリナ役で出演中 撮影=時永大吾 ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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今村美月(Daily logirl #164)
今村美月(いまむら・みつき)2000年2月19日生まれ。広島県出身 Instagram:immr_mitsuki X:@immr_mitsuki 撮影=石垣星児 ヘアメイク=ACO 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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小森香乃(Daily logirl #163)
小森香乃(こもり・かの)2008年8月6日生まれ。東京都出身 Instagram:kano__komori86 撮影=大靏 円 ヘアメイク=ACO 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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H1-KEYはなぜ“K-POP界のアベンジャーズ”? 4人が持つ能力と特別な関係
2022年にデビューしたK-POPガールズグループ・H1-KEY(ハイキー)の魅力は、高い歌唱力と圧倒的なパフォーマンススキル、そして4人のメンバーによる息の合ったステージングにより、幅広い音楽ジャンルを彼女たちの色に染め上げることができるところだ。 今回は日本で初のリリースイベント、そして音楽フェス『XD World Music Festival』出演で来日した4人に、彼女たちの多彩さがたっぷりと詰まった最新作『LOVE or HATE』にまつわるエピソードや、“H1-KEYらしさ”について語ってもらった。 目次グループのイメージを覆す“挑戦”違うところで育った4人がひとつになったK-POPの“スタンダード”になりたい グループのイメージを覆す“挑戦” ──まず初めに、3rd Mini Album『LOVE or HATE』について改めて紹介してもらえますか? ソイ 今まで私たちが歌ってきた曲は、前向きなメッセージが込められている明るい内容がメインでしたが、今回のアルバムは打って変わって“反抗的な学生が結成したスクールバンド”というコンセプトで作ったものです。なので、歌詞もストレートでアグレッシブなものになっているぶん、新しい姿をお見せできたのではないかと思います。 リイナ もともと私たち自身、ガールクラッシュなコンセプトがずっとやりたかったので、『LOVE or HATE』でまさに念願が叶った感じでした。 ソイ 「これは私たちにとって新たなチャレンジになる」って、すごくうれしかったよね! ただ、みなさんがH1-KEYに寄せている期待を覆すものでもあるので、どんな反応が返ってくるかということは正直なところ少し心配でもありました。 ソイ ──これまでのH1-KEYのイメージをアップデートするようなスタイルですね。タイトル曲「Let It Burn」は、まさにこのアルバムを象徴するようなナンバーです。 イェル 初めて聴いたときはすごく私たち好みだなと感じましたし、ギャップを見せられる曲だなと思いました。 フィソ 歌詞も、あまりアイドルが歌わないような表現だからすごく特別な感じがしたよね。「氷が溶けてしまったアイスティー」や「“チャギヤ(愛する人を親しみを込めて「ダーリン」「ハニー」と呼ぶ際に使う韓国語)”、愛してる」、「心が焦げて灰になってしまっても」とか。 イェル 振り付けも挑発的な歌詞に合っていて、すごく気に入っています! 違うところで育った4人がひとつになった ──ほかの収録曲も聴き応え満載なものばかりですが、特にファンの方々にとって特別な曲になったのは、メンバーのみなさんが作詞に参加された「♡Letter」なのではないかと思います。 フィソ 「♡Letter」の歌詞はそのタイトルどおり、作詞をするというよりは、メンバー同士お互いに向けて手紙を書くつもりで作り上げたものなんです。なので、私たちがどんな気持ちで向き合っているかということが表れていて、すごく美しい曲になったと思います。 イェル メンバーのお誕生日に手紙を贈り合ったりもするのですが、そのときとはまた違った感じでした。大変だった時期のことを思い返しながら、それを乗り越えたことへのお互いに対する感謝を込めて書いたので、この曲を聴くだけで涙が出そうになります。 ソイ 「私たちはすでにひとつ」という歌詞があるのですが、それぞれが違う環境で育ち夢を抱いていた4人がひとつのチームになっていく過程で、お互いに近づいていったH1-KEYらしさがよく表れている箇所だと思います。 リイナ そうだよね。それから「これは夢のような現実」という歌詞は、もともと違うものを持っているお互いが今では不思議なことに似たところもたくさんできたという私たちの、信じがたいくらい特別な関係性を伝えるフレーズです。 リイナ ──「それぞれが違う環境で育った」とは、どういうことなのですか? リイナ H1-KEYは、違う事務所の練習生だった4人が集結して結成したグループなんです。 ソイ そう。だから自分たちのことを「“アベンジャーズ”みたいなチーム」と呼んでいます。全員のキャラクターが明確だし、特色もまったく違うから。 ──“K-POP界のアベンジャーズ”であるH1-KEYは、どんな能力を持ったメンバーが集まっているのでしょうか。まずはリーダーのソイさんについて、教えてください。 イェル 私たちのリーダーであるソイさんは、とにかく歌声が特別。いつも「この曲をソイさんが歌ったら、どんな雰囲気になるかな」って考えますし、想像力を掻き立ててくれる声だなって思います。見た目と歌声のギャップも、魅力的です! フィソ ソイさんは、「これをやり遂げるぞ」って一度決めると目の色が変わって、目標に向かってまい進する情熱的な人です。一方で、たとえまわりが浮足立った状況でも、しっかりと自分のペースを保てる冷静さも兼ね備えています。 ──続いて、フィソさんについてご紹介お願いします! ソイ まずは歌声。どんなジャンルの楽曲でも自分のものにできる、宝物のような声ですね。 イェル さっきソイさんを紹介するときは「『この曲をソイさんが歌ったら……』と想像力を刺激する声」とお話ししたのですが、フィソさんは「この曲はフィソさんが歌えばこうなるだろう!」とはっきりイメージできるほど、個性が明確な歌声の持ち主です。その魅力が最大に発揮される音域帯というのもあるのですが、曲の中でパートが近づいてくると「来るぞ~!」と期待してしまいます。 ソイ ステージ上ではカリスマを発揮しているのですが、性格的にはとてもシャイで、情に厚く優しさにあふれているところも愛らしいです。 ──では、イェルさんは? ソイ グループの末っ子なので、以前は「子供みたいでかわいいな」と思うことも多かったのですが、特に『LOVE or HATE』の成熟したコンセプトがすごくマッチしたのか、最近はお姉さんに見えます。性格もサバサバしていてしっかりしているので、年上である私にとっても頼りがいのあるメンバーです。 フィソ 大きな心を持っていて私たちお姉さんメンバーの面倒もよく見てくれる、まるで長女のような存在です。 ソイ (じっとフィソを見つめる) フィソ ……もちろん、本当の長女はソイさんだよ(笑)! 安心して! 一同 (爆笑) フィソ それからイェルは伝統的な舞踊を習っていたというバックグラウンドがありつつ、ヒップホップの感性も持ち併せているところが特別だと思います。 ──では最後にリイナさんについて。 ソイ クールでチルで、芯がしっかりしている人。私は「誰かに頼りたいな」というとき、真っ先に思い浮かぶのがリイナですね。清純な見た目とハスキーボイス、しっかりとした性格とユーモアセンス……と、本当にたくさんの素晴らしいところを持ったメンバーです。 イェル いつも一生懸命なリイナさんは、日本語の勉強も熱心で、実際にとても上手ですよね。そんな姿を隣で見ていると「私もがんばろう」って思えるので、とてもありがたい存在です。 K-POPの“スタンダード”になりたい ──お互いをリスペクトし合う関係性がとても伝わってきました。それでは、ここからは今後のH1-KEYについてお聞かせください。いよいよ『LOVE or HATE』発売イベントで初めて日本のM1-KEY(ファンネーム)と対面を果たしますね(※取材はイベント開催前に実施)。今のお気持ちは? イェル 『LOVE or HATE』で新しい姿に変身したH1-KEYを、日本のM1-KEYに直接お見せできるのが本当に楽しみです! イェル ソイ 私、すごく気になっていることがあるんです。日本のM1-KEYはいつも、かわいい私たちの姿を好んでくださっているような気がするので、今回のような“ちょっと怖いお姉さん”なH1-KEYを気に入ってくださるかなって。よいリアクションをいただけたらうれしいですね。 ──リリースのたびにいろいろな姿を見せてくれるみなさんに、日本のM1-KEYも魅了されていると思います! では最後にこれから先、達成したい目標を教えてください。 ソイ 今後も日本のM1-KEYに会える機会がたくさんあることを願っていますし、少しずつM1-KEYが増えていけばいいなと思います。ゆくゆくは東京ドームでみんなで一緒に楽しめる日が来たら幸せですね。 リイナ 日本デビューは絶対に叶えたいです。私は日本語の勉強を一生懸命がんばっているのですが、特にバラエティ番組がすごく役立つのでよく観て学んでいます。参考になる上に、とてもおもしろいから。なので、いつか私たちも出演できたらいいなって思っています! あと……小さい役でもいいのでドラマや映画に出演したり、演技のお仕事もやってみたいですね。 フィソ チームとしての目標は、ふたりもお話ししてくれたように日本での活躍をもっともっとすることと、そして『コーチェラ』出演です。個人として夢見ているのは、今一般的に知られているボーカリストとしての魅力だけでなく、実用舞踊科出身ならではのダンスパフォーマンスにおける実力もみなさんにお伝えしたいということですね。 フィソ イェル まずは、私たちが「K-POPとはこういうものだ!」ということをこの世界に知らしめたいです! 一同 おお〜! ソイ ちょっと怖いんだけど(笑)! イェル (笑)。でもそれくらい、H1-KEYのパワーを多くの方に知っていただけたらいいなと思っています。もちろん、M1-KEYが見たい私たちの姿もしっかりお見せしたいですね。それから、私自身はダンスやラップだけでなく作詞作曲もできるし、本当にいろいろな才能を持っているので、これからいろいろな魅力を発揮していけたらいいなって。 あとは、メンバー全員がそれぞれ違うブランドのアンバサダーを務めていたらカッコよくない? ソイ めっちゃいいと思う! 私は、日本のCMに出演することが夢です。私たちは、日本の映像の感性にもバッチリ合うと思いますよ〜(笑)! フィソ 「Let It Burn」には「アイスティー」って単語が出てくるし、お茶のCMとかよさそう! ──みなさん、アピールがすごくお上手ですね! リイナ はい(笑)! ひとつでも夢を叶えていけるようにがんばりますので、これからもたくさんの応援をよろしくお願いします。 編集・文=菅原史稀 撮影=山口こすも
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NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき
平中悠一。高校在学中に執筆した小説『She’s Rain』(1985年/河出書房新社)が「文藝賞」を受賞、1984年に作家デビュー。その後『Go!Go!Girls(⇔swing-out Boys)』(1995年/幻冬舎)、『アイム・イン・ブルー』(1997年/幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(2000年/河出書房新社)などの著作を重ねてきたが、デビューから約40年の間に、エッセイや翻訳なども含め出版された単行本が計15冊という寡作な作家。その平中が、今春『シティポップ短篇集』(2024年/田畑書店)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』(2024年/田畑書店)という2冊の書籍を上梓した。しかも『「細雪」の詩学』に至っては、東京大学大学院にて執筆した博士論文がもとになっている学術書だという。 現在『logirl』のプロデューサーを務めている私自身、デビュー作から追っている作家のひとりで、2作品の同時出版というニュースを知ったときはテンションが上がった。 今回、平中に近著の2作品に関する話を聞くことになったのだが、作品内容だけにとどまらず、本人のスタンスの変遷(=変わらなさ)に関する見解にまで話が及んだ。そこにはタイムリーな「NewJeans」(2022年7月にデビューした、韓国の5人組ガールズグループ)の話題なども加わることに。 ──『シティポップ短篇集』を編纂するにあたっての企図をお伺いできればと思います。 平中 本書のライナーノーツ(解説)にも詳しく書いていますけど、近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃなくて、もともと1980年代にはこのシティポップという言い方はあまり使われてなかったんですが、僕のデビュー作『She’s Rain』が出版されたのは1985年なので、結果的には、僕自身がちょうどいわゆるシティポップの時代に重なるんですよね。 デビュー作の中では、ドビュッシーとかラヴェルとかも書いていますが、実は一番いい場面では登場人物たちは山下達郎を聴いているんですよ、あの小説って。まさにシティポップの真ん中の時代で、シティポップ小説という考え方はなかったけれど、今、回顧的にシティポップと呼ばれているような音楽が出てきていたように、当時すごく都会的な小説もいっぱい出てきていたから、それをまとめたらいいんじゃないかと思っていたんです。 「こういうのをまとめたら、いいものできるよ」って、当時、編集者に言ってはいたんだけど……僕がまとめるという考えはなかった。それを、今ならまとめられるんじゃないかなと思って、作ったんですよ。 「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。 僕自身、もともとシティポップ音楽も好きで、シュガー・ベイブや大貫妙子、ティン・パン・アレー系とか大瀧詠一、そういうのを好きで聴いていて、近年のシティポップの流行はアジアからの逆輸入ともいわれていますけど、、日本の1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の空気感が、経済発展してきた今のアジアの空気にピタッとはまったんだと思うんです。 だから日本のシティポップがオリジナルだからすごいということと同時に、アジアの全体が元気になって、前向きになってきて、1980年代の日本のポジティブで都会的なセンスが共有されるようなってきた。インドネシアにしろタイにしろフィリピンにしろ、最近すごくいいですよね、ポップスがね。 シティポップの話題から、アジア全体のポップスの話へと。平中とアジアンポップスとの邂逅についての話が続く…… 平中 僕は1990年代に入って、ほとんどJ-POPを聴かなくなっていたんだけど、たまたまスカパーをつけたら韓国のチャートをやっていて、すごくおもしろくてびっくりしたんです。それが1998年くらい。そこからK-POPを聴き始めることに。 2、3年後には韓国語もだいたい話せるようになるくらいハマったんですけど、これには自分でも驚きました。最初にトランジットで韓国へ行ったとき、キンポ(国際)空港でソバンチャの3人が歌っているのをテレビで観て、強烈な印象を受けていましたから。それがわずか10年で、ここまでかっこいいポップスをやるようになるとは想像もしませんでした。 1988年のソウルオリンピックのころまでは、韓国は今の北朝鮮のような感じで閉じられていて、日本語も英語も全部放送禁止だった。その後、解放が始まって……最初にキム・ゴンモあたりがレゲエから入ったんですよね。冷戦時代の西側・東側的な政治性から少し離れてるじゃないじゃないですか、レゲエって。だから外国のポップスでもレゲエならいいでしょということで。 僕が一番聴いていた2000年……BoAが出てきたころでもまだ、韓国ではポップスで一番過激なのはロックとヒップホップだといわれていたんですよ。 ヒップホップはメッセージ性もあるし、まだわかるんです。でもなんでロック?なのかというと……ロックはアメリカ文化の典型なので、一番厳しかったみたいなんです。最も反体制的、という感覚があったみたい。 その後、キム・デジュン(大統領/当時)のころから、日本は「侍の、武士の国、武力の武の国」であるけれど、韓国は「文人の国、文の国、文化の国」であるという自己規定をして、カルチャーへ予算をドンと入れていくんですが、2003、4年くらいからK-POPもあんまり僕はおもしろくなくなっていくんです。 なぜかというと、そこまでは、キム・ゴンモからあとも、たとえばパク・ジニョンとか、R&Bというのはこういう音楽ですみたいな……本物志向がすごく強かった。ミュージシャン自身が自分で一番いいと思う音楽をやろうとしてたから……ちょうど日本の1980年前後のシティポップ黎明期のようにね。すごくおもしろかったんです。 それが2003、4年くらいになってくると、もうちょっと売れる感じ……韓国の伝統歌謡、歌謡曲のちょっと下世話な感じまでを取り入れる……ちょっとお色気も入れて、みたいな感じになってきて、ポップな感じとズレていくんですね。結果、どれを聴いても全部おもしろい、というそれ以前のようなよさはなくなってきて。 結局、そのころ、僕自身、ちょっと日本を離れてしまったので……そのあと、日本で韓国の子たちが売れたでしょ? KARAとか少女時代とか、いっぱい。そういう話自体は聞いてたんだけど、あのあたりは全然、僕は知らなくて。だからK-POPファンをやっていて、一番日本で盛り上がっておもしろかっただろうなというあのころは全然知らないんです(※2005〜2015年、平中はパリに住んでいた)。 とまあ、そんな感じだったんですけど……昨年の暮れぐらいからNewJeansを、最初はInstagramのリールか何かでアメリカ人がカバーしているのを聴いて「誰これ? カッコいいじゃん!」と思って調べたらK-POPだっていうから、びっくり!して、原曲を聴いてみたらすごくよかった。 最初に気がついたときは年末くらいだったから、もう『Ditto』が出ていたころだったかな? まずは『Ditto』をすごくいいと思ったんだけど、その前の曲も、『Attention』とかすごくコード進行がジャジーでおもしろいなと思ったりもしたんです。 『Ditto』のときから「あれ? けっこうすごい!」と思っていたんだけど、やっぱり2枚目のEPが出たときに『ASAP』のMVとかを観ると、もう完全に雑誌『Olive』の世界なので……改めてびっくりして、これ『Olive』じゃん!と思って。 マガジンハウスから刊行されていた人気雑誌『Olive』(1982年〜2003年)。その独特な世界観をベースにした編集から根強いファンを持ち、休刊から時が経った現在でも、いまだに回顧系の関連書籍などが出版されている。平中も、かつてこの『Olive』で連載を持っていた 平中 僕は、もともと『Olive』が好きで、デビュー作も『Olive』の読者が想定読者だったんです。デビュー後には『Olive』で声をかけてもらい、結果、連載までやらせてもらいました。もちろん今のNewJeansを作っている人たちは『Olive』には気がついていないだろうと思うんですよね。勝手にやっていると思うんです。自分たちのオリジナルとして。 だけど日本では1980年代のバブルのころに『Olive』みたいなものが出てきていて……当時の読者だった女性からは『Olive』が出てきてどんなに救われたかっていう話を、今でもよく聞くんです。僕自身が『Olive』で書いていたから。 当時の赤文字系雑誌の『JJ』(光文社)や『CanCam』(小学館)は、あくまでいかに男の子にウケるかを考えるということをやっていたんだけど、『Olive』は男の子がどうとかとは関係ないんだ、自分たちがかわいいと思うものがかわいい、かわいいものは全部つけちゃう!みたいな雑誌だった。僕はそれを見ていて、かわいいなぁと思ったわけです。 だから実際に今、NewJeansを見て、あの子たちが自分の好きなものを「ほら、これもこれも!」「これかわいいでしょ、これもかわいいでしょ!」っていうようなあの感じ……あれは当時『Olive』を見ていた感じに、すごく近い。 なるほど、『Olive』とNewJeansの親和性、その世界の中で自律的に自己完結しているというような。その場合、『Olive』読者もBunnies(NewJeansのファンネーム)も、等しくその世界を見つめることに終始することになる。話は、その眼差しに及んでいく…… 平中 1980年代はそういう意味でいうと、ポストモダンの時代でもあったのね。パフォーマティブとかディスクール、コミュニケーションとかそういうものが、すごくプロモートされていた。パフォーマティブでコミュニカティブでないものはだめだ!と否定されてしまうくらい……。でも、すごく豊かな時代というか、多様性が許容できた時代だったということもあると思うんだけど、『Olive』みたいな真逆のものも実はあった……要するにパフォーマティブとかコミュニケーションの基本って、相手に影響を与えようという意図を持って働きかけることで、それが『Olive』の場合、自分がかわいいと思えば、もうそれでいいわけです。人がどう思うかなんて、どうでもいい。そういうものも、パフォーマティブの時代だと思われていた1980年代にちゃんと日本に出てきていた。 そう考えると、シティポップみたいなものがアジアでウケてきている今、NewJeansのようなものが出てくるということは、日本の1980年代を重ねてみると、ひとつ読み解けるんだよな、と。 NewJeans『How Sweet』 日本デビュー曲の「Supernatural」では1980年代に生まれ大ヒットしたニュージャックスイングのスタイルを採用。完全に狙ってる? さらにここから「ノン・コミュニケーション理論」が主体を成す『「細雪」の詩学』へと話が進んでいく。平中の感覚の中でそれぞれの要素がきれいにリゾりながら展開していくさまは、まるで魔法にでもかけられているような気持ちになる。 平中 NewJeansを見ていてなるほどと思ったのは……ちょっと前提から話すと、僕も1980年代に仕事をしていたので、そもそもコミュニケーションが一番大事だと思っていたんだけど、その後、フランスへ行って「ノン・コミュニケーション理論」という、小説はコミュニケーションじゃないという考え方を知ったんです。 ところが日本語というのは、実はコミュニケーションじゃない言葉遣いを失っている。すべてが“言文一致”……話すように書くことで、書き言葉とコミュニケーションの口語を一致させるようになっているので、コミュニケーションじゃない言葉が見えなくなっている。なので、特にわかりにくくなっていると思うんだけど……もともとは“物語”ってコミュニケーションではなくて、別世界なんですよね。たとえば子供に「おじいさんとおばあさんがいました……」というのは、全然別の世界の話なわけです。物語には、そういうところがそもそもあって、これはコミュニケーションでもなんでもないはずなんです。そういうところが今は全然捉えられなくなっています。 ドキュメンタリー番組での「今日は村人たちのお祭りだ」みたいなやつ……ああいうのはフランス語なら、コミュニケーションではなく“物語”なわけです。でも日本のアナウンサーの人たちってそれを一生懸命コミュニカティブに伝えようとしますよね。真逆のことをやっているんです。文章自体は、すっと人から離れたひとつの物語になろうとしているのに、それをコミュニカティブにしようということをやっているので、すごく無理があるんですよね。 フランス語だったら、パッセコンポゼ(複合過去)という日常の会話と、パッセサンプル(単純過去)という、文章でしか使わなくなっている古文のような書き方があって……で、フランス人って、子供におとぎ話を語るときはパッセサンプルなんです。それですっと物語の世界に入っていける。言葉にはコミュニカティブな面とそうでもない面があるということに気がついたのはエミール・バンヴェニストなんだけど、それが本になるのは1960年代以降です。 日本で“言文一致”運動が始まったころにはフランスでもまだ周知されてなかったことなので、現代の日本語に“物語”の言語が確立されていないのは仕方がないところもある。そんななかで、日本の小説家たちはいろいろ工夫してがんばったと思います。 小説というのも“私とあなた”の間のコミュニケーションとは違うところにある“世界”を見せてくれるところが、実はすごくおもしろい。 『細雪』(谷崎潤一郎/1943年〜1948年)なんかはその典型なのだけれど、自分の人生とは別のラインで4年半の時間が流れていて、読んでいると自分の人生がそこのところだけ二股に分かれるみたいな感じがある、別次元のような。なぜそれができるのかというと、別の世界がそこにあって、読者はその世界をのぞき込むように経験するから。 僕の『「細雪」の詩学』では、アン・バンフィールドの「ノン・コミュニケーション理論」に関係して、ヴァージニア・ウルフを紹介しているのだけれど、ヴァージニア・ウルフは意識的にノン・コミュニケーションの小説を書こうと思ってすごく苦しんだ人なんですね。 文章の中にノン・コミュニケーションの部分があるというのはいえるとしても、それだけで1章、2章……と作っていくのは難しいんです。ウルフは『灯台へ』(1927年)でまったく人称性のない章を書いていますけど(第2章)、実はあれはすごく大変で、彼女の日記を見ると、ものすごく苦しんでいるのがわかる。 僕自身の話でいうと『She’s Rain』を書いたときに江藤淳先生から「街の情景の部分が新しいので、あれをもうちょっと発展なさったらいいと思いますね」と言われたので(『She’s Rain』の前日譚になる)次作の『EARLY AUTUMN アーリィ・オータム』(1986年/河出書房新社)のときに、意識的に街の情景を描いてみたんです。カメラアイを用いて街の情景を書いて……ずっと街の情景が続いている中に、人物のセリフがぽっと入る。 映像的にいうと……人物たちが遊んでいるようなシーンに、その画とは関係なしに人物たちの声でナレーションが入るかたちがあるじゃないですか……あれをやりたかった、文章で。 文章でぎっしり4ページくらいはいきたいなと思って書いていたんだけど、全然無理、続かない。やっぱりカメラアイでずっと書くことはすごく大変なんだなと思ったことがあって……ウルフのそういう日記を見て、ああそうだ、これって難しいんだよなと。 ウルフの書いたエッセイには、バンフィールドも取り上げている『The Cinema』(1926年)というのがあって……映画って“中の人たち”は見られていることに気づいていないわけです。こちらを見ない、“こちら”があるとも思っていない。見ていることに気づかれることもない状況でこそ、初めて何か真実の姿が現れる、と言うんですね。 たとえば、映像の中で波が来ても自分の足が濡れることはないし、馬が暴れても蹴られることはない、結局のところ自分たちとは別の世界、逆にこちらの手も届かない世界で起こっている出来事がそこには捉えられている。だからこそ自分たちの日常を離れて、客観的に何か真実が見えてくるというのを『The Cinema』では“映画の美学”として考えている。 そういうものを、ウルフは自分の小説でなんとかやろうとしたんだと思うんです。「ノン・コミュニケーションの美学」はそこにあって、NewJeansの「Bubble Gum」(2024年)とか「ASAP」(2023年)のMVを観ていると感じるのは、そういうもの。こっちで見る者のことを全然意識していない世界が強調的に描かれている。ステージでの「Bubble Gum」のイントロで演じられる小芝居なんか、典型的です(カメラを鏡ということにして、誰にも見られていないていでメンバー同士の内輪の会話が演じられる)。 「ノン・コミュニケーション理論」とNewJeans……コンテンツへの私たちの接し方を考えると、それもあり得る話に思えはするものの、接し方ではなくコミュニケーションという視点に変えることで、モノではなく人、世界になっていく。NewJeansから、話はさらに進む。 平中 若い女の子を眼差しによって消費するのではなく、少女たちに眼差されることがない自分を儚む、みたいな捉え方もあると思うけど、僕はちょっと違って、少女たちがこちらを見返してくれる必要を僕はまったく感じないので……見返されても困るし、持て余しちゃう。あの子たちがああやって遊んでいるのを見て、みんながおもしろいと言って……たぶんそこにはいろいろな楽しみ方があるし、彼女たちの仲間になれる人もいるし、彼女たちに共感したり自分を投影する人もいるだろうし、僕みたいに全然別の“楽しそうだなぁ”と思って見ているだけで自分も楽しくなっちゃう人もいる。そこはやっぱり人によって違うと思う。 ただ僕は、NewJeansを見たときに、これって『Olive』だよね。で、これが『Olive』だということは、NewJeansのこういうノン・コミュニケーション的なところを考えると『Olive』って「ノン・コミュニケーション理論」だったんだよねと思って。 『Olive』からのNewJeans、「ノン・コミュニケーション理論」からのNewJeans、そして『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」、一見すると単なる三段論法のようにも思えるが、深く聞いていくと同じ地平でつながっているのは間違いないことに気づかされる。そしてNewJeansを橋頭堡として、そこへ「シティポップ」もつながってくる。 これはまさに今起こっていること……ここへさらに平中自身の縦軸、デビュー作『She’s Rain』がたどり着いた場所(それは換言すると“普遍性”でもあるのだけれど)の話が続く。 『She’sRain』 装丁はオサムグッズの原田治 平中 僕はずっとこれをやっているんだって、実は最初(デビュー作)から。結局そこで、僕はその子たちに見つめ返されたくない。見つめ返されない自分を悲しむとかはないわけです。なぜかというと、本当に高校生のときから僕はこの子を汚さないというのが僕の考えなわけだから。もう全然、けっこうなわけです。 だから、くるっときれいにつながってくるので、『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」がNewJeansを介して通じたときに、自分がやっていたことが、くるっときれいにつながった感じがしたんです。だからバラバラないろいろなことをやっているようだけど、最終的に僕はそういうことがやりたいんだと思って。 デビュー作『She’s Rain』では、ユーイチとレイコというふたりの高校生の恋物語が描かれる。今風にいうなら“煮え切らない”ように見えるユーイチが抱いているレイコへの思い「僕は、ほんとに好きになったら口説かないでおく。そのコのこと大切に思うから。(中略)そのコをずっと素的なままでいさせてあげる自信なんて、ない」「素的な、一人で歩いて行ける女のコのままでいて欲しい」「束縛したくないんだ(中略)つまんない女のコにしたくないんだ」(『She’sRain』より抜粋)この言葉が、まさにスタンスを体現している。 約40年が経って、改めて変わっていないことに気づかされる、それは自分の志向性が間違っていなかったという自己肯定でもあるのだろう。 取材・文=鈴木さちひろ 平中悠一(ひらなか・ゆういち) 1965年生まれ、兵庫県出身。小説『She’s Rain』で1984年度・第21回「文藝賞」を受賞しデビュー。『それでも君を好きになる』(トレヴィル)、『アイム・イン・ブルー』(幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社)などの小説、『ギンガム・チェック Boy in his GINGHAM-CHECK』(角川書店)などのエッセイの出版のほか、『失われた時のカフェで/パトリック・モディアノ』(作品社)等の翻訳も手がける。 2024年4月『シティポップ短篇集』(編著)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の2冊の書籍を田畑書店から上梓。HP:http://yuichihiranaka.com 『シティポップ短篇集/平中悠一編』(田畑書店) 「1980年代、シティポップの時代」を彩った7人の作家による9つの物語を、自らも小説家である平中悠一が編纂。 (収録作家:片岡義男・川西蘭・銀色夏生・沢野ひとし・平中悠一・原田宗典・山川健一) 平中「読んだあと味がいい……希望が持てる感じかな。1980年代の感覚ってひと言でいうと、大貫妙子さんのアルバムタイトルにもあった『Comin’ Soon』。今にいいことが……一番いいものはこれから来るよみたいな感覚。それがなんだったの?と言ったら何もないまま終わっちゃった、巨大な予告編のようなところもあるのだけど。もっといいものが来るよと思いながら生きていく感じ。そういうあのころの気分のある小説、なにかしら夢が持てる、希望が持てる感じの作品を選びました。 これを僕がまとめなかったら、たぶんまとめられないまま終わっちゃう。ここでいっぺん、こういうものも80年代にはありましたよということをまとめておいたら、いつか誰か拾ってくれるかもしれない。そのときにまた、日本の状況がもうちょっとよくなっていたりしたら……そういう“壜(びん)の中のメッセージ”、タイム・カプセルでもあるんです」 『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み/平中悠一』(田畑書店) 谷崎潤一郎の「細雪」を、日本では初の試みとなる「ノン・コミュニケーション理論」を用いて解析。三人称小説の在り方、文学作品の客観的な読み解き方を考察する。小説家である平中悠一の、東京大学大学院での博士論文を書籍化。 平中「三人称の小説を自分ではうまく書けないっていうのがまずあって。三人称の小説が一番本格的であるという話もよく聞くし、でも日本語で書かれた三人称の小説は、どうもどれもしっくりこないというか……どうも読んでて三人称ごっこみたいに見えちゃう感じがあるのに『細雪』だけは違和感が何もなくスーッと読めるので、なんでだろう?と。どこが違うんだろう?って、ずっと謎だった。『細雪』という小説自体、どうやって書いたんだろう?というのが全然わからなくて。それが『細雪』を研究のモチーフにしたきっかけです。そこから「ノン・コミュニケーション理論」の勉強を始めて……もしこの理論が使えるようになったら絶対おもしろいことになるぞ、と思ったんです」
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K-POPの名MC・古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学”
古家正亨(ふるや・まさゆき) 1974年生まれ、北海道出身。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了。ラジオDJ、テレビVJ、韓国大衆文化ジャーナリスト。年間200本以上の韓国アーティスト・俳優イベントのMCを務める。NHK R1『古家正亨のPOP★A』、ニッポン放送『古家正亨 K TRACKS』、テレビ愛知『古家正亨の韓流クラス』などのレギュラー番組でも活躍中 K-POPが好きな人なら、一度は「古家正亨」の名を耳にしたことがあるだろう。数々の韓国アーティスト・俳優による来日イベントなどでMCを務める古家は、ラジオDJそしてジャーナリストとして、長年、韓国大衆文化と併走してきた。 今回は、そのたしかな知識とカルチャーへのリスペクトを感じさせるトークで、ファンそしてスターたちからも厚い信頼を集める彼の職業観を聞いた。 現地での実体験でしか得られないものがある 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』 ──2024年4月に新著『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA)を刊行されました。本書ではK-POPの最新シーンはもちろんのこと、韓国芸能が国外へ受容されるまでの道のりもわかりやすく綴られていますが、なぜこうした内容を発信したいと思ったのですか。 古家正亨(以下、古家) まず、僕の中では日本におけるK-POPの展開って、KARAや少女時代が日本に進出した2010年前後である程度広がりきったと思っているんですね。逆にいうとそこまでのプロセスが大事で、それ以降はひとつのムーブメントとして定着していったといえる。 その一方、最近のK-POPシーンについては多くの方がご存じですし、記録としてもいろんなかたちで残っているけれど、当時の細かい事象についてはあまり知られていないように感じるんです。 ──“細かい事象”というと、どのようなものが挙げられますか? 古家 たとえばCDショップのK-POPコーナーに行くと、アルバムパッケージの形がすごく多様だと気づかされます。正方形のスタンダードな形態だけでなく、すごく大きいものや細長いもの、本型もあれば箱型もある。 なぜこうなったのかという背景にはさまざまな要因がありますが、よくいわれているのは「韓国では芸能事務所が作品プロデュースを徹底していて、アルバムのデザインワークにもこだわっているから」ということですよね。 でも僕の目には、別の理由もあるように映っているわけです。というのも、CDの売り上げが下降していった時期に、韓国ではCDケースのメーカーが次々に倒産してしまい、国内生産が難しくなっていたんです。そこで仕方なく、代わりにDVDのパッケージが使われ始めたんです。 それ以降、CDの形態が画一ではなく、いろいろなものが出始めて、見た目の自由度も増していった……というのがそもそもの経緯なんですね。 ──そんな事情があったんですね! 古家 もともと僕は大学卒業後にカナダへ留学して、そのときに韓国人留学生の友人から聴かせてもらったK-POPがきっかけで韓国の音楽に傾倒していったんです。 ラジオDJとして活動しながら「自分の好きな韓国の音楽についてもっとみんなに知ってもらいたい!」と流行歌を紹介したりしていたわけですが、今とは違って当時はインターネットも普及しておらず、現地のトレンドを把握するのがすごく大変だった。なので自ら韓国のCDショップへ足を運んで、音源をチェックするしかなかったんです。 その時代の日本は、ほかのアジア諸国を軽視するような風潮がありましたし、韓国カルチャーの発信に積極的なメディアも少なかったので、僕の活動を認めてくれる人も少なかったですし、渡韓費用もCD代もすべて自腹でした。 そんな時代、韓国のCDショップへ行くたびに、個性的な形のCDが少しずつ増えていき、知らず知らずに(ショップ内で)やたら足を(CDに)ぶつけるようになっていったわけです(笑)。 さらに時が経つと、今度は三角形のアルバムパッケージなんかも登場して(miss Aの『Bad But Good』)。日本ではそんなケースが少なかったので「なぜだろう?」と思い、関係者に聞いてみると、先ほどお話ししたことがわかったんです。 miss A『Bad But Good』 ……話が少し長くなってしまいましたが、あるムーブメントを捉えるにおいて、実体験を通じて新鮮に感じたことや疑問に思ったことを調べる、ということの繰り返しでしか見えてこないことってあるんですよね。なのでそういう経験を通じて、この目で見てきた“細かい事象”を伝えたいという気持ちがあるんです。 ──どこにいながらも世界中の最新曲がチェックでき、現地メディアのレポートが即日多言語でアップされるようになって久しい今も、その考えに変化はありませんか? 古家 そうですね。昔は「若者の間で流行っている音楽を知るには、明洞(ソウルの繁華街)を歩け」といわれていましたが、最近は好みや音楽ジャンルが多様化して、そうはいかなくなりました。 ソウルの若者の遊び場も、かつては一極集中だったのが、今ではいろいろなところに広がっています。それぞれの場所で流れている音楽も、たとえば芸術系大学エリアの弘大はインディーズミュージックの中心地ですし、名門大学エリアの梨大や新村では日本のシティポップが流れていたりする。 日本で「韓国の音楽」といえばアイドルが中心ですけど、韓国本国では2010年以降音楽の多様化が一気に進み、さまざまなジャンルのアーティストが音楽界で支持されています。 日本でヒットチャートだけを見ていては「アイドルが流行っている」という情報しか得られず、わかったような気になってしまうので、現地の実情を理解するには、ネットでなんでも調べられる今だからこそフィールドワークが大切だと思うんです。きっと大学院でジャーナリズムを専攻していたこともあり、その思いが強いのかもしれません。 MCで大事なのは「透明な存在になること」と「入念なリサーチ」 古家正亨 ──古家さんはK-POPのイベントMCを数多く務められていますが、それぞれのアーティストに関する知識の深さにファンから驚きの声が上がることもよくあります。その根本にはジャーナリズムの精神があったのですね。 古家 大学で専攻していた臨床心理学によって培われたものも大きいと思います。心理学って要は、“人の心”を数値化する学問じゃないですか。見えないものを“見える化”する作業は、今僕がMCやラジオDJをするにあたって、非常に役立っているんです。 それから、当時の恩師から教えていただいた「カウンセラーは自ら答えを提供するのではなく、あくまで困っている人の話を聞き、気づきを与える職業」という言葉に大きな影響を受けました。「真の話し上手は、最高の聞き上手である」という先輩からのアドバイスも、今の僕の成長の糧になりました。 ですから今の仕事をするなかで常に念頭に置いているのは、できるだけ“透明な存在”になって、主人公のスターとファンをつなぐパイプ役に徹したいということ。必要なタイミングにだけ、なるべく短い言葉を発することでスターとファンとの橋渡しができたらというのが、仕事をするにあたっての哲学です。 ただ、その「必要なタイミング」というのはいつやってくるかわからないので、どんな状況にも対応できるように、やはり事前の入念なリサーチが重要になるわけです。 ──逆にいうと、どれだけリサーチしても「必要なタイミング」が来ない限りは、せっかく準備した情報の出番はないということですよね。 古家 そうです! 昔、マラソンの実況をやっていた先輩から「ランナー全員のバックグラウンドや趣味まで調べ上げても、それが少しも役に立たないことが多い。それでも1000リサーチしたうち1や2が活かされるときのため、我々は準備している」という話を聞いて、すごく感動したんです。 だから常にスターの動向をチェックして、現地の記事を読んで、時にはファンのSNSを見て……。家族には「いつもネットばかり見て、楽しそう」と思われていますけど(笑)。 ──本当に大変なお仕事だということがわかります……。 古家 最近は年間200本ほどイベントに出演しているのですが、その中で「今日は満足できた」と思えるイベントって、正直10本あるかないかなんです。 MCという立場上、自分がどれだけ準備をしても、すべてをコントロールできるわけではないし、韓国と日本という文化や習慣が違う、異なる民族の者が混在する現場が多いので、価値観や目的にもズレが生じるわけです。 とはいえ、表に立って進行しているのはMCですから、もしもイベントがイマイチだったときは僕の責任になってしまうんです。 たまに「なりたい職業は古家さんです」と言っていただくことがあるんですけど、はっきりいってオススメできません。想像できないかもしれませんが、心労は計り知れません。 韓国カルチャーの「スポットが当てられていない部分」も伝えたい ──とはいえそんな古家さんだからこそできる仕事、伝えられることが多いぶん、活動のフィールドを広げていらっしゃるのだと思います。今後新たに挑戦したいことってありますか? 古家 たくさんあります。たまに「古家さん主催のフェスをやってほしい」と言われるので、いつか実現できればと思っています。ただ、K-POPアイドルのフェスにしてしまうと、どうしてもお金が莫大にかかってしまいますし、すでに多くのイベントが日本で行われているので、僕がする意味はもはやないと思います。 自分のキャリアの原点って、もともと韓国のインディーズ音楽を聴いてハマったということもありますし、あまり日本では知られていなくても、実力のあるアーティストを呼ぶというかたちでなら可能かもしれません。 それと、昔からずっとやりたいと思っているのは、韓国音楽についてのドキュメンタリー制作です。取り上げたいテーマはいろいろあって、1970~80年代に日韓の音楽交流の架け橋として尽力してきた歌謡界の重鎮の半生だったり、日本における韓国エンタメの定着の過程だったり……。K-POPが日本でここまで受容されるようになった背景については、もっと掘り下げられるべきだと思うんです。 今でこそ注目されるようになった韓国カルチャーですが、スポットライトが当てられているのはまだまだほんの一部なので、それ以外のところを“古家目線”で記録として残したい、というのが僕の希望ですね。 文=菅原史稀 編集=高橋千里 INFORMATION 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA) 著者:古家正亨 定価:1,600円(税別) 古家正亨が韓国カルチャーの過去・今・未来を、ラジオ番組仕立てで届ける https://www.kadokawa.co.jp/product/322111001104/
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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赤澤遼太郎(BOY meets logirl #046)
赤澤遼太郎(あかざわ・りょうたろう)1997年1月11日生まれ。神奈川県出身 Instagram:akazawa_taro X:@akazawa_taro 舞台 朗読劇『青野くんに触りたいから死にたい』presented by eeo Stage(2024年9月11日〜16日、CBGKシブゲキ!!にて上演) 撮影=Jumpei Yamada 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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南出凌嘉(BOY meets logirl #045)
南出凌嘉(みなみで・りょうか)2005年8月10日生まれ。大阪府出身 Instagram:ryokaminamide_official X:@minamide_staff 映画『サユリ』(8月23日より全国公開)主演・神木則雄役で出演 撮影=友野 雄 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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山時聡真(BOY meets logirl #044)
山時聡真(さんとき・そうま)2005年6月6日生まれ。東京都出身 Instagram:soma_santoki_official 映画『あのコはだぁれ?』前川タケル役で出演 撮影=友野 雄 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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“本当に怖がりながら逃げた”『逃走中』ヒロイン・田鍋梨々花
#18 田鍋梨々花(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 田鍋梨々花(たなべ・りりか)。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 「前編」では、この世界に入るキッカケや、モデルや女優としての初仕事の思い出を話してくれた彼女。「後編」では、意外な回答が出てきた、この問いから……。 インタビュー【前編】 目次目標は、研ナオコさん“リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」プライベートでは“食”を軸に 目標は、研ナオコさん ──田鍋さんが、目標にしている方はいますか? 田鍋 研ナオコさんが好きなんです。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)に出ていた研ナオコさんを好きになったのがきっかけで、今も研さんのYouTubeチャンネルを観たりしています。話し方とか、ファッション、メイク、自分のスタイルを持っているのがカッコいいなと思っています。 ──自分を持っている人というところに憧れている? 田鍋 はい、カッコいいです! 私もああいうふうに歳を重ねていったら楽しいだろうなと思っています。メイクとかも、常に楽しんでいて。 ──でも、研ナオコさんというのは、ちょっと意外でした。バラエティ的なことなんかにも興味はあったりします? 田鍋 見るのは楽しいです。 ──コントをやってみたいな、まではない……。 田鍋 うーん……コントはとっても難しそうです。 ──演技だと思えばやりやすいのかも。普通にバラエティのスタジオで話すより、もしかしたらコントのほうが台本があるぶん、女優さんとしてはやりやすいかも……。 田鍋 たしかに! そういう考え方もありますね(笑)。 ──いつか、ぜひ。それと、何か好きな作品はあったりしますか? 映画でもドラマでも。 田鍋 何かひとつの作品というよりは……けっこういろいろと観るんですけど、人の愛憎入り乱れるようなギッタギタなやつが大好きです。ママ友の嫉妬とか、不倫とか、裏切ったり裏切られたり、人間の闇が見える瞬間のドラマが、私からすると“異世界”すぎて、おもしろいです。 ──たとえば、どんな作品が好きなんですか? 田鍋 少し前の作品ですけど、『名前をなくした女神』(2011年/フジテレビ)とか、好きです。 ──ああ、なるほど。きっと自分のまわりにはない世界だからこそ、おもしろいんですね。自分でもそういう役をやってみたいと思いますか? 田鍋 チャンスがあれば、いつかやってみたいです! 自分にとって異世界的なものが好きなんですよね。『逃走中』(フジテレビ)も、絶対に現実にはないし、そういう世界が好きなのかも。 “リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」 ──今ちょうど出てきましたが、映画『逃走中THE MOVIE:TOKYO MISSION』が公開されますよね。最初にお話を聞いたとき、どう思いましたか? 田鍋 最初は……『逃走中』の映画って何? どういうこと?っていう感じでした。 ──そうですよね。僕も最初に聞いたときはびっくりしました(笑)。どういうストーリーで、田鍋さんは、どんな役を演じているんですか? 田鍋 『逃走中』に、弟と一緒に参加するんですけど……ゲーム自体が乗っ取られて、捕まったら死ぬというデスゲームに切り替わってしまうんです。私は弟思いのお姉ちゃんの役なのですが、ほかにもお金が欲しいとか、なにかしらの目的があって集まったいろいろな人たちの人間模様が繰り広げられます。 ──弟を守りながら逃げるという……? 田鍋 そうですね。 ──実際に走って逃げたりするシーンも多かったりしましたか? 田鍋 そうですね、「ハンター」(逃走者を確保するため追ってくるアンドロイド)も、実際に何十体もいたりするので、リアルに怖かったです。 ──テレビで観ていた『逃走中』よりも、リアルに感じましたか? 田鍋 テレビで観ていると楽しそう!って思ってたんですけど、実際に追いかけられるとこんなに怖いんだという感じでした。 ──撮影中に印象に残ったことや、思い出に残ったことはあります? 田鍋 ゲームが乗っ取られてからは、ハンターが「ワイルドハンター」という悪いハンターに変わるんです。地下駐車場へ降りていくシーンで、私のちょっとうしろにワイルドハンターが4人くらいいて、襲ってくるんです。全力で坂を下るんですけど、エキストラの方たちの悲鳴とか迫力がすごすぎて、その中に入って、うまく逃げられるかなって……本当に怖くて逃げたことが、すごく印象に残っています。 ──弟役の子(川原瑛都)とは、撮影の合間に話したりしましたか? 田鍋 そうですね。撮影中はすごくしっかりしているんですけど、不意に垣間見える小学生らしさがかわいくて、そのギャップにみんなやられていました。 ──田鍋さんが思う、映画の見どころはどのあたりでしょうか? 田鍋 人間模様はもちろんなのですが、テレビの『逃走中』によく出演されている方や、ガチャピンなんかも出てくるんです。あと、ちょっと笑えるようなシーンもあって……もちろん感動もあります。たくさんの要素が詰まっているところが見どころだと思います。 ──幅が広いんですね。 田鍋 はい。 ──印象に残っている方はいますか? 田鍋 キャラクターですね! (出世大名)家康くんとか、ぐんまちゃん、ご当地キャラクターがかわいかったです。 ──ゆるキャラは、ゆるキャラのまま登場するんですね。 田鍋 はい、そうです。ゆるキャラのまま(笑)。 ──撮影の合間に、ゆるキャラと絡んだりしました? 田鍋 はい! 楽しかったです。 ──ご自分が演じたシーンで、ここを観てほしいというポイントはありますか? 田鍋 ただ逃げているだけじゃない、みんなの勇敢な姿を観てほしいです。ラストに向かってみんなのスイッチが入る瞬間があるので、そこは特に見どころだと思います。 プライベートでは“食”を軸に ──田鍋さんが今後やってみたい役柄はありますか? 田鍋 いろいろな職業に触れてみたいですね。警察官とか受付係とか……今までは学生の役が多かったので。コンビニ店員なんかもやってみたいです。 ──今思う、具体的にやってみたい職業はありますか? 田鍋 そうですね、オフィスで名札をつけて働く役とか、スーパーのレジ打ちもやってみたいです。 ──ドロドロもありそうですよね、スーパーとか(笑)。……話は変わりますが、最近ハマっているものはありますか? 田鍋 最近は、薬膳が好きです。マーラータンとか火鍋とか、薬膳系の味が大好きなんです。辛いのが大好きすぎて、毎日食べていた時期もあったんですけど少し控えてて……ただ、最近またちょっとずつ食べ始めたら、今またハマってしまっています(笑)。やっぱり薬膳が好きですね。 ──中でも、この具が好きとかあります? 田鍋 キクラゲですね! あと、薬膳は体にいいと思いつつ……ご飯、お米も大好きで。 ──なるほど。薬膳以外で好きな食べ物はありますか? 田鍋 生牡蠣やパクチー、大葉など、けっこう癖が強いものが好きですね。 ──お店を自分で探したりはします? 田鍋 夜寝る前にGoogleマップでお店を見て、食べたいメニューを決めて……というのをよくやるんですよ。でも結局、行ったりはしないんですけど(笑)。 ──(笑)。自分で行くお店以外で……たとえば、撮影の合間に出てくるご飯の中で好きなものはあったりしますか? 田鍋 のり弁が大好きです! 唐揚げ弁当なんかも好きなんですけど、のり弁だけでいけちゃいます。おかずもなしで、のりと醤油だけで、何杯でもご飯が進みます。 ──それにしても、ご飯(米)ばかり食べていても太らないんですか? 田鍋 太らないわけではないんですけど、気持ちの問題だな、と。太らないと念じて食べています(笑)。 ──なるほど、気持ちなんですね。今後やってみたいことはあります? 田鍋 いつか気球に乗ってみたいです。それと最近では、ぬか床を作って、ぬか漬けを自分で作ってみたいと思っています。常に家にぬか漬けがあると幸せだな~と思って。 ──ぬか漬け! 食に関することが多いですね。 田鍋 はい、食を軸に生きています! ──気球には、なぜ……? 田鍋 気球から見える景色はきっとキレイなんだろうな、感動するだろうな~、と。そこでしか味わえない何かが生まれそうな気がします。 ──空を飛びたいというわけではなく、気球に乗りたいんですね。 田鍋 はい、気球に乗りたいんです。 ──逆にぬか漬けのほうが、ハードルが高そうですね。あと、ドラマ以外の仕事でやってみたいことはありますか? 田鍋 わんこそばチャレンジとかやってみたい! プライベートでわんこそばを食べても苦しくなるだけな気がするけど、撮影を通してなら、楽しみながら挑戦できそう。 ──わんこそばは、何杯くらい食べられそうですか? 田鍋 女性の平均がどれくらいなのかわからないのですが、100杯を目指します。 ──ぜひ、いつかチャレンジを。ちなみに食リポの仕事はやったことあります? 田鍋 ほとんどないです。 ──やってみたら、うまくできそうな気がします? 田鍋 え~、できないと思います(笑)。私、真剣に食べちゃうので。 ──食に関するドラマなんかもいいですよね。 田鍋 たしかに! お寿司屋さんとか。でも、これって食べたいだけですね(笑)! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 田鍋梨々花(たなべ・りりか) 2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)、『くるり~誰が私と恋をした?~』(2024年/TBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。
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重病患者、アセクシュアル、幾多の難役に挑戦してきた女優・田鍋梨々花の現在地
#18 田鍋梨々花(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 田鍋梨々花(たなべ・りりか)。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 「focus on!ネクストガール」 今まさに旬な方はもちろん、さらに今後輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載。 目次幼いころから憧れた『Seventeen』重病患者、アセクシュアル、数々の難役を経験して 幼いころから憧れた『Seventeen』 ──田鍋さんが、この業界を目指したきっかけを教えてください。 田鍋 保育園のときからモデルになりたかったんです。ちょうど姉が『Seventeen』(集英社)を読んでいて、私もそれを借りて見ていたりしていて……いつか載ってみたいなと思っていたら、スカウトされました。 ──保育園のときに『Seventeen』を読んでいたんですね! 田鍋 そうなんです。今思えばあれが『Seventeen』だったなと。子供ながらにペラペラとめくっていました。 ──この雑誌の中に入りたいという感じですか? スカウトされたのはいつごろでしょう。 田鍋 小学5年生のときに、母と『Girls Award』を観に行った会場でスカウトされました。 ──声をかけられたときはどう思いましたか? 田鍋 ずっと事務所に入りたいと思っていたので、うれしかったです! ──ご両親の反応は? 田鍋 「自分がやりたいんだったらいいんじゃない?」という感じでした。 ──そうなんですね。当時、憧れていた人はいますか? 田鍋 特にこの人!というのはいなかったんですけど……というより、まずは芸能界に入ってみたい、そんな感じでした。 ──事務所に入られて、実際にモデルとしての活動をするようになり……初めて撮影したときはどうでした? 田鍋 最初は、めっちゃ緊張しました。すべてが初めてだったので……セットやライトの数に圧倒されて、心臓をバクバクさせながら撮影していました。 ──その撮影が終わったときの感想は……? 田鍋 ほっとしましたね。もう「はぁ―……」みたいな(笑)。 ──初めて雑誌に載った自分を見た感想は? 田鍋 うれしかったです。「わぁ、自分だー!」みたいな感じで。 ──まわりの反応はどうでした? 田鍋 そこまで大きな反応はなかったですね。家族は常に応援してくれていましたし。 ──友達は? 田鍋 友達は、私がモデルのお仕事をしていることをまだ知らなかったです。 ──モデルの仕事をする中で、どんなところにやりがいを感じましたか? 田鍋 最初のうちはただ楽しいからやっていたという感じですね。モデルの大変さはまだ子供すぎてわからないし、ただただ「いいねー!」と言われるのが楽しくてやっていました。 ──逆に大変だったことはあります? 田鍋 季節と真反対の洋服を着て撮影するのは大変でした。特に冬場に薄着をしなくちゃならないのは、寒くてつらかったです。 ──なるほど、それは今でも大変ですよね? 田鍋 はい、今でも大変ですね。 ──夏場と冬場だと、どちらの真逆がつらい……。 田鍋 どっちなんだろう……でも寒いほうがつらいかもしれないです。冬場に薄着をすると声も震えちゃうし、滑舌も悪くなるし。 ──あと、モデルの撮影って朝が早いイメージがありますが、朝は強いほうですか? 田鍋 寝るのが大好きで、お休みの日は夕方ぐらいまで寝ているんですけど、仕事となったら起きられます。眠いんですけど、「朝になっちゃった」と思いながらも、仕事となると行けるんです。 ──プロ意識ですね! 仕事をしていくなかで、仲のよい方はいます? 田鍋 私はけっこう“狭く深く”なタイプなので。地元の友達とか、高校の同級生と遊ぶことが多いんですよね。 ──なるほど、モデルの仕事で気をつけていること、意識していることはあります? 田鍋 人前に立つ仕事なので、見られているという意識を常に持つようにしています。ただ、切り替えがうまいタイプではないので、プライベートから意識するようにしているかもです。 ──普段から人の目を意識をするということ、なるほど。 田鍋 見られていると、勝手に思い込むというか……(笑)。そうするとそれが当たり前になって、仕事でも疲れたと思わなくなるんです。仕事のときだけ意識をしてがんばると、終わったあとで疲れちゃうので、常に気持ちをキープしていたほうが、無理がない気がするんです。 ──そんななかでの、家に帰ってからの息抜きはあります? 田鍋 寝ることですね。あと、深夜にラーメンを食べることもあります。ひとり暗闇で、テレビを観ながらラーメンを食べるのなんて最高です(笑)。 ──部屋でカップラーメン? 田鍋 そういうの、好きです。 ──ラーメンとか、むしろカロリーを気にするのかなと思っていたんですけど、そんなことは全然ないんですね。 田鍋 はい(笑)。 重病患者、アセクシュアル、数々の難役を経験して ──モデルをやっていきながら幅を広げていくなかで、演技の仕事もやるようになってきたと思うんですが、初めての演技の仕事はなんですか? 田鍋 セリフをいただいた一番最初のドラマは、13歳のときに出演した『コード・ブルー』です。 ──撮影していて、印象的だったことはありますか? 田鍋 そのときはお芝居も初めてだったので、決まるとは思っていなくて。経験と思ってオーディションを受けたら、まさかの合格で! 最初はセリフを言いながら手を動かすことすら難しくて、監督に1対1でレッスンをしてもらったりもしました。『コード・ブルー』というすごい作品が最初だったのは本当に貴重な経験でしたし、今にして思うと初めてが『コード・ブルー』でよかったなと思っています。 ──実際に演技をしている自分を画面で見てみて、どうでした? 田鍋 観ていられなかったです。ただただ恥ずかしい!という……ドラマの中の自分の顔を直視できない感じでした。 ──今は慣れましたか? 田鍋 今はもう、大丈夫です(笑)。 ──『コード・ブルー』の撮影中、共演者の方から何かアドバイスをもらったりしました? 田鍋 共演者の方はみなさん優しくて……いろいろと声をかけてくださいました。ただ、私は脳腫瘍にかかっている役で、泣くような緊迫するシーンが多くて……自分のことで精いっぱいでした。だから正直、あまり記憶がないんです。必死に、みなさんについていかなきゃという感じでした。 ──女優さんに伺うと、最初のころは何も覚えていないと言う方がけっこういらっしゃいます。 田鍋 本当に、ほとんど覚えていないんです。 ──演技をしたという撮影の記憶が、意識的に残るようになったのはどのあたりからになるんでしょう? 田鍋 もともと、終わったことはすぐ忘れちゃうんですよね。終わったことは終わったこと、今は今、という感じで(笑)。もちろん、どんなことがあったか、そのときに感じた思いとかは覚えてはいるんですけど、撮影した時期とかを聞かれると、本当にわからなくて……あれ?何年前だったっけ?みたいになることが多い……(笑)。 ──セリフを覚えるのは大変ですか? 田鍋 セリフは覚えられるんです。でもそれ以外のことはなかなか覚えられなくて……たとえば勉強とか(笑)。好きなことだけは、覚えられます! ──台本を読みながら普通に覚える感じですか? 田鍋 そうですね。見ていると“そのまま入る系”なんです。 ──よくいう、映像記憶的な? カメラで撮ったみたいに覚えるみたいな感じですか? 田鍋 はい、見ていたら入っています、けっこう。次はひと言だけだったなとか……そんな感じなんです。 ──けっこういらっしゃるみたいですよね。 田鍋 多いですよね、そのまま入るっていう俳優さん。 ──そうすると……NGなんかも少なかったりするんですか? 田鍋 いえ、けっしてそんなことはなくて(笑)。現場に行くと忘れちゃうこともあります。練習ではあんなに言えていたのに……現場へ行くと急に出てこなくなるとか、全然あります。 ──今までいろいろな役を演じてきたと思いますけど、印象に残っている役はありますか? 田鍋 いっぱいあるんですけど、『コード・ブルー』はもちろんで……あとは『17.3 about a sex』というドラマ(2020年/ABEMA)で、アセクシュアルという悩みを抱えた役を演じたのも印象に残っています。「アセクシュアル」という言葉をそのときに初めて知って、全部イチから勉強して、まったく知らなかった性質のコを演じるのはすごく難しいな、と。結果、学ぶこともたくさんありました。 ──そのときに参考にしたものはありますか? 田鍋 関連する本を読んだり、動画を観たりしました。 ──役を演じたあとは、やり遂げたと感じました? 田鍋 正解は人によって違うと思うんですけど、観た人に何か少しでも共感してもらえたらいいなという気持ちでやっていました。 ──モデル活動からスタートし、何もかもが初体験だった最初の演技を経て、さらにはイメージすることも難しいような難役にもチャレンジすることで、女優としての幅も広げていった彼女。「後編」では、映画初出演となる最新作や、プライベートな話題を聞いていく。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 田鍋梨々花(たなべ・りりか) 2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)、『くるり〜誰が私と恋をした?〜』(2024年/TBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 【インタビュー後編】
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女優・桜田ひより、二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと
旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 インタビュー【前編】 目次お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』 ──放送中の主演ドラマ『あたりのキッチン!』について伺いたいです。どのような作品ですか? 桜田 はい、今も絶賛撮影中で、お腹が空きます(笑)。撮影中は、本当にお腹がすごく空くんです。 ──(笑)。料理については、どうですか? 桜田 作品内の料理は手軽に作れるもの、家庭料理が多いので、視聴者の方々もまねしていただきやすいかなと思います。この作品自体はグルメに焦点を当てるというより、グルメとハートフルなドラマの要素が組み合わさっているんですよね。 主人公の辺(あたり)「清美」ちゃんはコミュニケーション能力がゼロの大学生で、話が進むにつれて、関わっていく人々によって成長していく過程や、将来の自分についての悩みにもがく姿など、大学生ならではの胸に迫る瞬間も描かれています。観ていただければ、お腹も空きつつ、でも心は満たされる素敵な作品だと思います。 ──『あたりのキッチン!』ではメガネをかけていましたが、今までも桜田さんが演じるのはメガネをかけたキャラクターが多い印象があります。 桜田 メガネをかけてお芝居するのって意外と難しいと思っていて。技術的な問題になっちゃうんですけど、反射でどうしても顔が撮れなかったり、フレームで目が隠れたりということがあって。顔の角度とかも、意識しないとちょっと難しいんです。 ──たしかに。お顔も小さいので、合うメガネを見つけるのも難しいでしょうし。 桜田 メガネの形で、雰囲気も変わってきますし。 ──『家政夫のミタゾノ』の「実優」ちゃんと『あたりのキッチン!』の「清美」ちゃんは、キャラクター的にもかなり違いますが、その演じ分けはどうでしたか? 桜田 楽しいです。どちらもやっぱり演じていて楽しいですし。「実優」ちゃんのように相手のパーソナルスペースにすんなり入り込むことも楽しいですし、「清美」ちゃんのちょっとずつ成長していく姿は親目線というか、がんばれがんばれっていう気持ちで演じているので、それも楽しいです。観ていただく方々に変化を感じていただけることを期待しています。 殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い ──今後、挑戦してみたい役柄はありますか? 桜田 今後……そうですね。まだ制服を着る役にも挑戦できるかなと思うので、制服を着た役や、若さならではの恋愛に焦点を当てた役とか、それと! 刺激的な殺人鬼のような役にも挑戦してみたいと思っています。二十歳を過ぎてから、役の幅もますます広がると思っているので、さまざまな役に挑戦していきたいです。 ──若い女優さんにこの質問をすると、みなさん、殺人鬼の役を挙げるんですよね(笑)。 桜田 わぁー。みなさん、思考がちょっと変わってるのかもしれないですね。私もだけど(笑)。 ──殺人鬼の役を演じたいということですが、今までって、逆に何かに追われる役のほうが多かったりしません? 桜田 たしかに! 追われる役、多いですね。よく森に逃げて、森の中を走り回るシーンが多かったです。 ──ですよね。それと、プライベートの話も伺いたいのですが、最近ハマっているものや気になっていることはあります? 桜田 私、最近何してるんだろう……(笑)。思い出せない……台本を読んでいることくらいしか思い浮かばないです。楽しみを見つけたいと思います。 ──(笑)。何かやってみたいことはありますか? 桜田 マイナスイオンがたくさん出ているような森に行って、癒やされる系の旅館に泊まってみたいです。鳥のさえずりを聞きながら、リラックスできる場所で過ごしてみたいです。私はインドア派なので、思いきって外に出てみたいですね。 ──ちょうど1年くらい前に取材で話を伺ったときには、スカイダイビングをやりたい、と。 桜田 ああー(笑)。スカイダイビングは、ずっとやりたいんです。機会があれば挑戦したい。気球にも乗ってみたいです! 二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと ──去年の12月に二十歳を迎えてもうすぐ1年が経ちますけど、どうですか? 何か変わりました? 桜田 なんにも変わっていません(笑)。仕事は本当に充実した1年で、着実にステップアップしている感覚はあるんですけど、プライベートでは何も変わりませんでした。 ──たとえば、お酒を飲むようになったり……。 桜田 そうですね……お酒も本当にたまにしか飲まないので。しかも基本的に家族と乾杯することが多いです。 ──なるほど。まわりからの期待など、二十歳になって変わったと思うことはありますか? 桜田 そうですね、仕事先で、作品を観たよ、よかったよ、と褒めていただく機会が増えたと思います。すごくうれしいです。 ──あと、現在思っている(スカイダイビング以外に)今後、挑戦してみたいことってあります? 桜田 冬に「かまくら」をつくってみたいです! これまで「かまくら」をつくったことがないので、試してみたいです。家の中でやりたいことは、だいたいやってきたと思うので。連れ出してくれる何かがないと、外に出られないんです(笑)。だから「かまくら」をつくりに行きたいですね。 ──「かまくら」づくりは、けっこうコツがいるんですよね。 桜田 崩れないようにがんばりたいです。手先が器用だと思うので、できる気がします(笑)。 ──体力も……。 桜田 体力も意外とあると思うので……がんばります! ──具体的にこのあたりへ行きたいとか、考えている場所はありますか? 桜田 北海道でおいしいものを食べたいですね。特に海鮮系。 ──北海道でおいしいものを食べて、「かまくら」をつくって、気球に乗って……。 桜田 森の鳥のさえずりを聞きながら(笑)。 ──ぜひ、そういう仕事を。 桜田 お待ちしております(笑)。 ──(笑)。最後に……日常生活で気をつけていることとか、普段やっていることはありますか? 桜田 撮影中はお弁当を食べることが多いので、時間があるときは、サラダや野菜を摂取して身体のバランスを保つようにしています。睡眠にも気をつけています。睡眠不足になると肌が荒れたりするので、スキンケアや身体のメンテナンスは、ゆとりがあるときに心がけていますね。最近は特に。 ──料理とかも? 桜田 たまに自炊もします。家族が食べたいものをつくったりしています。簡単なスープをつくったりすることが多いですね。 ──いわゆる冷蔵庫にあるものを使って……。 桜田 レシピさえあれば、基本なんでも! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「仕事もサボりも、その場に足を運んで体感したい」小西朝子のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 コント好きや演劇好きから一目置かれているイベント『テアトロコント』。そのキュレーションを手がけているのが、ユーロスペースの小西朝子さんだ。お笑い芸人や演劇人からの信頼も厚い小西さんのコント愛、演劇愛を伺いながら、そのアクティブなサボり方にも触れた。 小西朝子 こにし・ともこ 2015年、有限会社ユーロスペースに所属。東京・渋谷にある劇場「ユーロライブ」で開催されるコント公演『渋谷コントセンター』を担当。持ち時間30分でコント師と演劇人が競演するイベント『テアトロコント』のキュレーターを務めている。 公演の意義を熱弁したら、いつの間にか運営スタッフに ──小西さんがユーロスペースに所属し、コントライブを手がけるようになった経緯を教えてください。 小西 2014年の11月にユーロライブ(東京・渋谷にある劇場)が開館して、劇場主催の月例公演として『渋谷コントセンター』が始まったんですけど、それを普通に観に行っていたんです。劇場主催で、芸人さんの持ち時間が3〜5分ではなく30分というコンセプトがおもしろいし、いい試みだなと思っていました。でも、全然お客さんがいなくて。 それで、誰も気づいていないけど、劇場が主体となって発信して交流を生むことがいかに大事で、そうした場がいかに貴重か、といったことを小論文みたいにしたためた手紙をユーロライブに送ったんです。 ──すごい情熱ですね。 小西 当時読んだ、平田オリザさんの『芸術立国論』という本の影響などもあったと思います。そうしたら、社長の堀越(謙三)さんが読んで、連絡をくださって。30分という上演時間によるコントと演劇の違いは何か、コントと演劇を混ぜたらおもしろそう、といったことも手紙に書いたら、『渋谷コントセンター』と同じフォーマットで演劇も入れた公演をやってくれないか、みたいなことを言っていただいたんです。それがきっかけですね。 その公演が、『テアトロコント』なんですけど、最初は制作スタッフとしてテアトロコントだけを担当する感じだったのが、だんだん劇場のこともやるようになって、気がつけばユーロライブを運営している人になってしまいました(笑)。 ──最初からキュレーションなどもされていたのでしょうか。 小西 1回目は先に決まっていて、2回目からはキュレーションも含め好きにやらせてもらっていました。演劇のほうは、お笑い芸人を名乗っていないけど劇場でコント公演をしているような方々をブッキングして。最初のほうはただただがむしゃらでしたね。関係性のない方をゲストに呼んでアフタートークをお願いしたり、今だったら足踏みしてしまうような挑戦的だけど危なっかしいこともやっていました。 ──今はどんな基準でキュレーションをされているんですか? 小西 お笑いも演劇も、ファンの方ばかりじゃない場でも成立して、ウケることがひとつの基準ですね。あとは、新しいことをしていたり、そんなにお客さんを抱えていなかったりするような方もブッキングすることがあるんですけど、その基準を言語化するのはちょっと難しくて。私なりに「この人たちのものづくりは信頼できる」と思えるかどうかというか。強いて言葉にするなら、「人の意見やお客さんのウケに左右されず、自分がおもしろいと思うことをブレずに追求できているか」みたいなことかもしれません。 おもしろさを体感することが一番 ──ブッキングしたくなるようなおもしろい人たちは、どのように見つけているんですか? 小西 ひたすら劇場に観に行っています。それが一番おもしろさを体感できるので。特に信頼できる方から「おもしろいよ」と紹介されたものはできるだけ観るようにしていて。YouTubeなどの動画も観ますが、あまり集中力が続かないんですよね。ただ、YouTubeではたまに「コント」で検索して、芸人さんなのかどうかもわからないような人たちが上げているコントを観ることもあります。 ──キュレーターとして目をつけるポイントと、個人的なツボや好みに違いはあるのでしょうか。 小西 私は一緒かもしれないです。集客につなげるためにはバランスのいいブッキングをしたほうがいいかもと考えたこともありましたが、「それって私自身がやる意味があるのかな?」と思って。最近は自分の好みを判断基準にした、いわば偏ったブッキングのほうがいいと考えるようになりました。それぞれの価値観で選ぶキュレーターがいっぱいいることで、多様性も生まれるはずなので。 ──そのほうが「この人たちはおもしろいから観てほしい!」という熱も高くなるんでしょうね。 小西 はい。それが一番だし、たぶんそれしかできないなと。「おもしろいらしいです」って紹介するのが一番よくなくて、私がしっかり「おもしろいです」って言えないとお客さんにも悪いと思うんですよ。 ──お笑いも演劇も幅広く観られているなかで、最近の演劇シーン、コントシーンについてはどう見えているのでしょうか。 小西 テアトロコントを始めたときは、演劇とお笑いは別物だという壁があったように思いますが、最近はその壁がなくなってきている気がします。テアトロコントについても、以前は演者の方にそんなに興味を持たれてなさそうだなと感じることもありました。 でも最近は、演劇とお笑いの垣根を感じさせない方の話をよく聞くようになったんです。先日もアンパサンドさんという劇団と春とヒコーキさんというコンビに出てもらったんですけど、春とヒコーキさんがもともとアンパサンドさんを好きで観ていて、一緒になってうれしいと言ってくださいました。 さまざまな交流を生む場をつくっていきたい ──お笑いと演劇の交流について、テアトロコントをやっていて手応えや意義を感じられたことはありますか? 小西 そんなに大きな話ではないのですが、普段は積極的に演劇を観ないという芸人さんや、コントを観ないという劇団の方が、共演者の演劇/コントを観て、楽屋で少し話したりする。そういう交流から何か思ってもらえたら、一番うれしいですね。 特に演劇だとほかの組と一緒になる公演がそもそも少ないので、自分たちの上演を観たお客さんがほかの組の上演を観て別の反応をしていることが刺激になるみたいで。芸人さんのウケ方を目の当たりにして、「もっとウケたい」「もっと笑いを取り込みたい」と思って帰る方もいたりします。 ──30分上演するコントと演劇は何が違うのか、といった問いかけもありましたが、実際に同じ場で上演するなかで違いを感じることはあるのでしょうか。 小西 如実に違うのは、作る環境というか、文化ですね。演劇はやっぱりスタッフワークというか、照明、音響、制作、舞台美術、舞台監督といった役割込みで完成形に持っていく感じですが、芸人さんは本当に身ひとつなんです。単独公演では演劇寄りの制作体制でやっている芸人さんも、演劇とはまたちょっとやり方が違っていて。そこが近づくと、より多様な表現が生まれそうな気もするんですけどね。 ──テアトロコントについて、今後の展望などはありますか? 小西 テアトロコントは関西の劇団の方にもちょくちょく出てもらっていて、そういうご縁もあるので、関西でテアトロコントをやりたいなとは思っていました。コロナ禍になってその展望が一度潰えてしまったんですけど、また関西公演みたいなかたちでやれたらなと思っています。関東で活躍している方々にも参加してもらって、場所を超えた何かができたらいいですね。 ──コントと演劇という垣根だけでなく、地理的な垣根も引っかき回せたらおもしろそうですね。 小西 そうですね。お笑いでも劇団でも、関西の方って東京でもう一度売れないといけない、といったハードルがあるので、関東で認知を広めるお手伝いができたらいいですね。逆に、関東を基盤にしている方でもツアーができるような劇団じゃないと関西公演をやるような機会がないので、そのお手伝いもしたいですし。そういう活動をしていれば、地方で演劇やお笑いをやる人も増えるんじゃないかと思っています。 サボるために出かけるのか、サボるから出かけるのか ──小西さんは、やらなきゃいけないことを先延ばしにしてしまうようなことはありますか? 小西 テアトロコントの告知が迫ってきて、早くブッキングしなきゃいけないのに事務作業をやっちゃうようなことはあります。コントのことは置いておいて、とりあえずメールの返信をするとか。事務作業って、やればやるだけ進んで、仕事が消えていく感覚があるんですよね。 ──では息抜きみたいなことも意識するのでしょうか。 小西 やっぱり息抜きをしないと効率が悪くなってくることはありますね。そういうときは劇場とかじゃなくて、神社仏閣や史跡を巡ったりします。歴史が好きなので、本やドラマでポイントとなっていた場所に行くことが多いです。(NHKの大河ドラマ)『鎌倉殿の13人』に出てきた伊豆山権現に行ってみたり、読んでいた本で取り上げられた唐招提寺に行ってみたり。 ──いわゆる「聖地巡礼」的な。 小西 そうですね。劇場に行くのと同じで、実際に足を運んで体験することが私の中で一番大事なので。「寺が思ったよりデカい!」とかでもいいんですけど、その場で感じたこと、受け取ったものって、積み重なっていくような気がするんです。普通に温泉に行くのとかも好きですけどね。 ──日常的な小さな息抜きだと、どんなことが思い当たりますか? 小西 それも結局、どこかへ足を運ぶことかもしれないです。音楽のライブに行ったり、外でごはんを食べたり。もしかしたら、すごくサボりやすい人間なのかも。家に帰ると何もしないから、どこかへ出かけてるんじゃないかと思います。 ──それも嫌々だと続かないはずなので、やっぱり出かけること自体が好きなんでしょうね。 小西 そういえば、無理をしないことは大事にしてますね。「行きたい」ではなく「行ったほうがいい、行かなければならない」と思ってしまったことは、義務というか労働になってしまうので、やらないと決めています。 ──それは、絶対に観たほうがいい話題の映画でも、気分じゃないなと思ったら観ない、みたいなことですか? 小西 そうですね。ただ、トータルで「観たい」が大きくなるときもあるじゃないですか。乗り気ではなかったけど、観た人と「あの映画観ました」って話せるかなと思ったら「観たいかも」という気持ちが大きくなるとか。いろんな動機があるなかで、それでも「やらなければならない」と思っていたらやめる、という感じですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「仕事みたいに遊んで、遊びみたいに働く」林雄司のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、会社員として人気WEBメディア『デイリーポータルZ』の編集長を長年務め、2024年に独立し、デイリーポータルZ株式会社の代表として同サイトの運営を続けている林雄司さん。会社員時代から背伸びをしない等身大のビジネス書を手がけるなど、どこかサボりの香りがするクリエイターである林さんの「サボり観」を聞いてみた。 林 雄司 はやし・ゆうじ デイリーポータルZ株式会社代表。2002年に立ち上げたWEBメディア『デイリーポータルZ』をはじめ、『Webやぎの目』、『死ぬかと思った』などのサイトを運営。『世界のエリートは大事にしないが、普通の人にはそこそこ役立つビジネス書』(扶桑社)、『ビジネスマン超入門365』(太田出版)など、独自視点のビジネス書なども手がけている。 本当は「できませんでした」で終わりたい ──林さんは『デイリーポータルZ』を20年以上運営されてきましたが、独立による変化というのはやはり大きいのでしょうか。 林 単純に忙しくなったというのはありますね。編集が僕を入れてふたりになっちゃったんで、現場に同行するだけで1週間が終わっていく感じで。あと、営業もいないので、広告の引き合いなどがあっても対応が遅くなってしまったり、費用を安く言っちゃって後悔したり、そういうつらさもあります。 「いったん持ち帰ります」とか「僕はやりたいんですけど、上が……」とか、会社のせいにできなくなったんですよね(笑)。前は安めに言っちゃっても「上から言われまして」っていう言い訳で訂正できたのに、それが使えないのはけっこう厳しいなって思ってます。 ──誰かのせいにできないのは地味につらいですね。自分で会社をやるとなると大変なことも多いと思います。 林 でも、会社にお金が入ってくるのは、意外とうれしかったです。「もっと制作費を抑えればお金が余る」みたいな悪魔の誘い的な声が聞こえてきたりして、経営者がお金儲けに夢中になっていく気持ちがわかってきました。 ──では、『デイリーポータルZ』自体の変化について伺いたいのですが、WEBメディアとして、時代による変化をどのくらい意識されているのでしょうか。 林 けっこう意識してるつもりで、実際に変わってると思います。2000年代は、インターネットで『デイリーポータルZ』みたいな記事を読む人も少なかったんで、変わったことをやっていればいいというか、サブカルチャーな感じでしたね。「工作しようとしたけど、できませんでした! いや〜失敗、失敗」みたいな読み物も受け入れられていた。 でも、今は結果を求められるようになって、「できませんでした」って言ったら「なんで完成してないのに記事に載せてんだ、ちゃんとやれ」みたいに言われてしまう。今、YouTubeにも器用な人がいっぱいいるじゃないですか。下手な人がいないので、下手を売りにできなくなったというか。本当はね、失敗した人が落ち込んだりしてるところがおもしろいと思うんですけど、そういうのは受け入れられなくなった気がします。 ──たしかに、結果や情報が主体で、ドキュメント性の少ないコンテンツが多いかもしれません。 林 ホームセンターに行って材料買わなきゃいけないのにアイス食ってるとか、そういうのはないですよね。 ──「材料は100均で買えるよ!」でおしまいですもんね。実際に行ってみたらなかったりするんですけど。 林 ないんですよねぇ。まあ、僕も10秒ですごいものがバーンとできる動画とか、回ってくると見ちゃうんですけど。だから記事のほうでも、最近は「できない」で終わるものはなくなってきたと思います。ただ、「あんまりできるようになってほしくないなぁ」というのが正直なところで。ライターには得意なことばかりしないようにお願いすることもありますね。 ──では、逆に変わらず大事にしているようなことはありますか? 林 書き手のキャラクターが見えるようにはしています。人に読んでもらうために、入口は「すごく辛いカレーを出す店がある」といった“情報”にしましょうと言ってるんですけど、そこから「実家のカレーより辛い」とか、自分のことやよけいなことも書いて、書き手の存在を見せるようにしたい。そこはブレずにやってますね。 あと、ただ奇を衒(てら)うんじゃなくて、動機となるような軸があるかどうかは大事にしてます。以前、「豚の鼻を食べる」という企画があがったんですけど、企画したライターが特に豚の鼻に思い入れがあるわけでもなかったので、そういう場合は「じゃあやめよう」と言っています。逆にディズニーみたいな王道のテーマでも、ライターが個人的にすごく好きで、「ここが!」っていうポイントがあるなら扱ってもいいかなと思ってます。 やるべきことをすぐに始めたくない ──独自のおもしろさを追求して、記事として発信したりしていると、人から「楽しく働いている」と思われがちなんじゃないかと思いますが、実際のところどうなんでしょうか。 林 楽しく働くようにはしてます。本当に仕事してんのか遊んでんのかわかんないような感じで、なるべくやりたい仕事だけやるようにしていて。生意気ですね(笑)。でも、最初に「イヤだな」と思った仕事を、お金になるから、お世話になってるから、次につながりそうだから、みたいに考えて受け入れると、結局「うわ、やんなきゃよかった……」ってなるじゃないですか。だから、最初の直感は意外に正しいというか、大事にしてますね。 ──とはいえ、お仕事なので楽しいだけではないかと思いますが、現場や会議などで人と楽しくやるためのコツなどはありますか? 林 企画やアイデアにダメ出ししなきゃいけないときは、ひたすら低姿勢でお願いしてます。現場でも、思いつきで新しい提案をしてきた人に「却下」って言わなくちゃいけないときは、できるだけ冗談っぽく言うようにしてます。それくらいですかね。 ──林さんが機嫌よくやっていて、周囲の機嫌も損ねないようにしている。地味だけど、チームで動くときは大事なことかもしれませんね。 林 機嫌が悪い人がいたらイヤですよね。だから僕、お菓子買って行ったりしますよ。あと、撮影で集まっても20分ぐらいダラダラしゃべって、なかなか始めない。来てすぐ始めようとする人には「ちょっと待って。おしゃべりしましょう」って言いますから。「なに効率よくやってんだ」っていう(笑)。無駄話も大事にしてますね。 知りたいこと、わからないことは増え続ける ──「くだらないことをおもしろがって楽しむ」って、年齢とともにモチベーションが下がるというか、できなくなってきませんか? 林 そういうことはないですね。たぶん、自分には子供がいないし、介護もしていないので、くだらないことに時間を使えるのが大きいと思います。興味を持つ対象なども変わらずで。何かを知れば知るほど、またわかんないことが増えて興味を持ったりしています。 でも、下品な企画は恥ずかしくなってきたかもしれない。この前も検尿用の折りたたみ式のコップが売られているのを見て、「これで飲み会やったらおもしろいかな」と思ったんだけど、さすがにそういうことはやれなくなりました。「若かったらまだかわいげがあるけど、おっさんがやってたらキツいな、見たくないな」って。 ──たしかに、人からの見え方は変わっていくので、そういう意味で「いい年だから」とブレーキがかかることもありますね。 林 だから、僕が若いYouTuberだったら、きっと炎上してたと思います。ちょっと前に、交差点に布団を敷いて怒られたYouTuberがいたんですけど、僕、企画メモに同じこと書いてましたから。「本当にやらなくてよかったな〜」と思いました。 ただ今後、YouTubeは照れずにやってみたい気持ちもあります。無駄話的なものや、その場の雰囲気、行間的なものを伝えるのなら、動画がいいんじゃないかと。工作するつもりが、木材を買うのに右往左往してるだけの動画とかいいですよね。 ──ほかに今後やってみたいことなどはありますか。 林 笑い屋さんを呼んで、絶対に爆笑になるお笑いイベントをやりたいと思ってるんですよ。スベるのは恥ずかしいじゃないですか。でも、これなら何をやったってウケるので、気持ちがいいっていう。実際に笑い屋さんの事務所に電話してみたら、けっこう安くお願いできることがわかったので、演者からお金をもらえば成立するんじゃないかと思ってるんです。素人参加型のオープンなイベントにして、おもしろいことをやりたい人たちを仲間にできたらいいですね。 屋上でサボるのが好き 愛用の双眼鏡で東京を眺める林さん ──林さんの「サボり」について伺いたいのですが、サボりと聞いてどんなイメージが浮かびますか? 林 喫茶店にいる会社員のイメージ。僕は打ち合わせに行くと、絶対にまっすぐ帰らず喫茶店に入っちゃいますね。スマホを見ると負けた気がするので、ぼーっと外を眺めたり、ひたすらぼんやり過ごすんです。 あと、展望台にも登ります。「三軒茶屋に来たから、キャロットタワーに登ってみよう」とか。休みの日にわざわざ行かないけど行くとおもしろい場所って、サボるのにちょうどいいんですよ。渋谷に事務所があったときは、渋谷スクランブルスクエアの年間パスポートを買って、しょっちゅう屋上に行ってました。 ──展望台や屋上では何をしているんですか? 林 アプリで上空を飛んでいる飛行機がどこの会社なのかわかるので、それを調べたりしてます。あと、屋上が好きすぎて双眼鏡を買っちゃいました。星空を見るための、倍率が低くて視野が広い双眼鏡があって、それで東京を眺めるんです。 アプリで飛行機を特定する林さん ──サボりグッズを日常的に所持している方は初めてです。さすがですね。ほかにも携帯しているものはあるのでしょうか。 林 いろいろ持ち歩いてるんですよ。温度と気圧のログが取れる温湿度計とか、液体とか金属の温度が測れる温度計とか。あんまり使ってないんですけど、何か測りたくなったときに「持っておけばよかった〜」って思うのが癪(しゃく)なんで。前に、西陽に当たってすごく熱くなったゴミ箱があって、温度を測りたかったのに測れなかったのがすごく悔しくて。 もしものために携帯している温度計 ──サボってはいるけれど、ちゃんとネタにしている感じもしますね。 林 記事になるかはわからないけど、気になったことは調べちゃいますね。スクランブルスクエアの屋上から見たら、品川方面のビルの高さがみんな同じだったので調べてみたら、羽田空港があるから高さの制限があるとわかったり。そういう発見はメモしてます。 趣味は「一銭にもならない仕事」 ──著書の『ビジネスマン超入門365』でも、サボりのテクニックのようなものが紹介されていますよね。「どこかに直行したことにするときは、つじつま合わせの行き先をメモしておく」とか。こういったものは、どのくらいご自身の経験がもとになっているのでしょうか。 林 ほとんど自分が経験してることかな。「直行直帰」ってホワイトボードに書いたときは、ちゃんとウソを貫き通せるように設定を考えてました。人事の人が見てたりして、バレるとけっこうな怒られ方をするので……。でも、会社を辞めてみると、やっぱり会社員ってラクだったなって思うんです。だって、雇われてる側としては、最小の労力でお金もらうべきだし、なるべくサボったほうがいいですもんね(笑)。 ──では、もっとシンプルに息抜きや趣味として楽しんでいることはなんですか? 林 趣味ってあんまりないんですよ。全部が趣味みたいなものだけど、仕事に関わらないものがほぼないので。パソコンでゲームをやっても、トラックで荷物を運んだり、車を洗ったり、パソコンを直したりしていて、遊んでるときにやってることが全部仕事っぽくて。一銭にもならない仕事は楽しいですね。 ──「一銭にもならない仕事」って、もう趣味ですよね。 林 そうですね。知り合いの経営者も、スキマバイトアプリに登録してコンビニでバイトしてるって言ってました。現場で働くのが楽しいみたいで。僕も知らない業界のハウツー本が好きで、本当はSEOの本とか読めばいいのに、消防士のホースのたたみ方とか、料理の盛りつけマニュアルとか、体育教師の指導要領とかを読んでます。 ──趣味としての仕事って、大人のキッザニアみたいなものだと考えたら、ちょっと需要がありそうな気がします。 林 あったらおもしろいですよね。僕もドラッグストアの品出しとか、ちょっとやってみたい。『Airbnb』で趣味として人の家に泊まれるようになったので、次は趣味として人の仕事をやるようになってもおかしくないと思います。 ──サボりとはかけ離れてしまいましたが、興味深いです。ちなみに、あえてシンプルな趣味をあげるとしたら……? 林 古本屋に行くか、ミスドに行くぐらいですね。 ──サボってるときと変わらない(笑)。ありがとうございました。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「自分の中の衝動と向き合い、うまく付き合う」越智康貴のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 フローリストの越智康貴さんは、ショップを経営するほか、イベントや広告などでフラワーアレンジメントを手がけている。花の美しさを引き出す作品だけでなく、写真や文章でも注目を集める越智さんに、フローリストとしての考え方や、サボることの難しさについて聞いた。 越智康貴 おち・やすたか フローリスト/「ディリジェンスパーラー」代表。文化服装学院にてファッションを学んだのち、フローリストの道へ。2011年、ディリジェンスパーラーを開業。ショップ運営のほか、イベントや店舗、雑誌、広告などのフラワーアレンジメントを手がける。また、写真や文章の分野でも活躍している。 「向いてるな」という直感で花の道へ ──服飾系の学校を卒業されたのに、なぜフローリストの道を選ばれたのでしょうか? 越智 服飾の学校を卒業したら資格の専門学校に入学する予定だったんですけど、そのときに花屋でアルバイトをしていたんです。それで、「こっちのほうが向いてるな」と思って、すぐに独立しちゃいました。 当時は「手に職をつけなければ」という焦りがあって。それで、アパレル関係の会社に就職した友達などが、展示会やポップアップストアをやる際に「花を生けてよ」って頼んでくれるようになったこともあり、とにかく失敗してもいいから独立してやってみようと。そのまま10年以上が経ったという感じですね。 ──それでなんとかなるものなんですか? 越智 でも、最初の1年は本当に仕事がなかったし、請求書の作り方とかも何もわからなかったので、とにかく手探りのままなんとか生きてきました。4年ぐらいはショップの一部を間借りして花を売っていたんですけど、外に出る仕事が多くなってきたころに、「表参道ヒルズのコンペに参加しないか」とお声がけいただいて。そのコンペに参加して店を出すことになり、会社化したあたりからちょっと流れが変わってきました。 でも、会社を作ってからの1〜2年も大変でしたけどね。店の固定費が跳ね上がって、人も雇うことになって。人間と働くのがイヤで独立したのに、あれよあれよと人間、人間……ってなっちゃって(笑)。 「花で表現はしない。花は花でいい」 ──外でも花の装飾などをたくさんやられてきたとのことですが、お仕事としてのターニングポイントなどはありますか? 越智 手応えのある仕事をひとつやったというよりは、グラデーションのように変わっていった感じですね。僕、スタイルがどんどん変わっていくんですよ、会社の経営スタイルでも、外から来る仕事でも。だから、いろんな仕事が連鎖していって、実力もついていったし、評価していただけるようにもなっていったと思います。 ──経営スタイルはどう変わっていったのでしょうか。 越智 僕は既存のやり方に則らない方向でしか物事を考えられなくて。インディペンデントな花屋なのに商業施設に入ったのも、そういう店がほとんどなかったからなんです。インディペンデントな小規模の花屋さんって、センスのいいフローリストさんがオーナーで、隠れ家的にやっていることが多かったんですよね。 でも、自分はそういう方法だと長く続かない気がして、店舗に立つ頻度なども減らしていき、店と自分を分離するようになりました。やっぱり店ってお客様が作っていくものというか、自分がいなくてもお客様のニーズに合わせて物事を展開していけば、それがいつの間にかブランドになっていくと思うので。 ──越智さんらしさにこだわらないんですね。 越智 もちろん僕のアイデアもありますが、ルールを壊していく発想が多いので、どうしても定着するのに時間がかかるんですよ。透明の取っ手がついた花を入れるためのバッグがシグネチャー的に有名になったんですけど、それも最初はみんな「何これ?」みたいな反応でしたし。 あと、花屋の特徴として、花を買いに来てくださる方+それを受け取られる方、ふたりのお客様がいるんです。買いに来てくださるお客様は花を贈るお相手のことをわかっているようでわからない場合も多いので、「お相手に合うものを花で用意するとしたら何がいいだろう?」と考えたり、わりと翻訳的な仕事が求められる。それによって自分たちも助けられ、店として成長していったところもあります。 ──外で装飾のお仕事をされる場合、依頼内容や目的などはありますが、もう少し表現する要素が強いかと思います。そこの違いはあるのでしょうか。 越智 それもあまり自分の個性みたいなことは考えてなくて。花で表現したいことも特にないというか、表現媒介として花を使うっていうことをなるべく避けようと思ってるんです。花は花でいい。だから、花屋の場合と同じで、頼んでくれた方が言っていることを翻訳していくイメージですね。 もちろん、それでも自分の視点が反映されて、どうしてもスタイルみたいなものはできてしまいますが、本当はそれも避けたい。自分の持ち味みたいなものには興味がないので、仕入れなんかもスタッフに任せたりします。 「なんか違う」言葉にできない感覚をどう生み出すか ──ひとつのスタイルや自分にこだわらないとのことですが、ずっと花と向き合ってきたことで、植物に対する考えや捉え方などは変わってきていますか? 越智 そうですね。生花もやってるんですけど、その影響は強いです。花の個別性や、「そこにある見えないもの」を重視するようになりました。その場に花が一輪あることで雰囲気が変わる、その雰囲気をそのままパッケージしたいと思ったりするというか。すごく感覚的な話なんですけど、そういった人の感覚的なものに頼るようになってきました。「なんか違う」ことをやっていると、見た人も「この花屋さんはなんか違う」と思ってくれる。そういう言語化できないことを徹底的にやっています。 ──「なんか違う」を生み出せたかどうかが、越智さんの中でOKかどうかの基準になっているとか。 越智 なんか違わないとヤバいっていうか、そこに驚きとか喜びがないとつまらないなと思っていて。一見何も気にならないのに、大きく見ると今までにない印象が生まれるとか、目に見えないものをそこに生じさせるとか、そういうことができないかずっと考えています。まだ全然成功してないんですけど。すごくめんどくさい話してますよね(笑)。 ──いやいや(笑)。でも、なぜそういう考えなのかは気になります。 越智 自分の中に3方向くらいの衝動があって、それぞれが緊張状態にあるんですよ。まずルールに縛られず自由でいること。同時に博愛的であること。そこが自分にとっての喜びにつながっているんですけど、一方で物事を持続したり変えなかったりすることにも安心を感じる。独立したいけど、博愛的でいたい。新しいことをやりたいけど、変化したくない。そういう方向性の違う衝動が自分の中でぐるぐるしてるんですよね。 ──それが仕事や表現にも影響している。 越智 そうですね。サイコロの出目みたいにどんどん変わるので、スタッフも困ってるんですけど、みんな慣れてきて無視するようになりました(笑)。文章や写真の仕事をやっているのも、そういう自分の中のさまざまな衝動を逃すためなんです。花では自分を表現していないし、それだけだと過集中しちゃうので。だから、自分らしさは文章で表現すると決めています。 ──文章ではどんな活動をされているんですか? 越智 仕事として短い話やエッセイを書いたりすることもありますし、個人的な制作として小説を書くこともあります。花や写真では自分を表現したいと思っていないにもかかわらず、そのことにストレスも感じてるんですよね。頼まれた仕事だけが世に出ることで、それが自分らしさだと思われてしまうから。 ──自分を正しく理解してほしい、といった気持ちもあるんですか? 越智 理解してほしいとはあんまり思ってないですね。ただ、愛してほしい。「こんなことを考えてるよ」「こんなことをしたよ」「こんなところに行ったよ」って、愛してほしくて書いてるんだと思います。あと、文章では「こういうことってあるよね」「こういうのはわかるかもしれない」っていう、言葉にできていなかった体験を人と共有したい気持ちもあります。 ──文章について、何かやってみたいことなどはありますか。 越智 いくつか話が溜まってきていて、ちょっとずつ人に読んでもらったりしてるんです。それがもうちょっと溜まったら、本にできるといいですね。 猫は神様が作った最高傑作 ──頭の中も仕事も忙しいと、サボりたくなったりはしませんか? 越智 サボってると安心できない状態になってしまうので、本当にサボれないんですよ。そういうものが必要な人もいることは理解できるんですけど、自分にはちょっと当てはまらないというか。純粋に趣味といえるものもほとんど存在しなくて。美術を観るのも、映画を観るのも、本を読むのも好きなんですけど、全部「自分だったらこうする」とか、何か制作したい気持ちと切り離せないものなので。 ──仕事や制作と関係のない時間がほとんどない。 越智 でも、猫を飼い始めたんですよ。対象を決めて、そのために時間を使っているぶんには大丈夫なので、猫と遊んだり、猫の世話をしたりしている時間が、自分にとってはサボるということなのかもしれないです。本当に時間貧乏性なので、何かしてないとダメで。 ──猫と戯れている時間だけは、そこから解き放たれているんですね。 越智 友達と遊んでいても、頭の中はめちゃくちゃぐるぐるしてるんです。でも、猫は思考を追う必要がない。猫の性質や動いていることから受け取るものもありますし、めちゃくちゃ猫のことを文章にしたりもしてるんですけど、仕事が絡んでないというか、「かわいい、OK」みたいな感じで。だから、「猫は神様が今まで作ったもので一番完成度が高い」「猫がもたらすものは世界平和だ」と本気で思ってます。 あと、文章を書くこともけっこうリフレッシュになりますね。そのときだけは考えていることが外に出ていくから、デトックス的な感じかもしれないです。しかも、最終的に人に見せることができるのも、自分としてはうれしい。 ──コーヒーを飲むとホッとするとか、そういう些細なレベルのものはないですか? 越智 食べ物も全然興味がないんですよね。先日、京都に5日間いたんですけど、ずっと朝はベローチェでサンドイッチ、昼はベローチェでホットドッグ、夜はカロリーメイトでした。友達とごはんに行くと、ちょっとしたビストロとかに入るじゃないですか。そういうのも一切興味ないんですよ。お酒も飲みますけど、けっこう強いからあまり酔わないし、リラックスすることもなくて。 「動いてるほうがサボれるんです」 ──安らいだり楽しんだりする時間も広くサボりとして伺っているのですが、基本的に活動していたいということなんですかね? 越智 僕の場合、安心、安全みたいなものがエネルギーや闘争心とくっついてしまっていて、活動的であることに安心するんです。だから、物事の持続や、発展・拡大を実感することでリラックスしてる。動いてるほうがサボれるんです。喜びを感じるのはまた別の領域なんですけど。 ──仕事と趣味の境目がなくて、結果としてサボりを必要としていない方もいますが、それともまた違いますね。 越智 母親の影響もあるかもしれません。母子家庭で、母親がずーっと働いてる家だったんですよ。それが安心のかたちを作ってしまったと思いますね。ただ、経理の人が「休むのも仕事だから、本当に休めるときに休んでください」ってすごく言ってくれるので、「なるほど、仕事か」と物理的に休むようにはなりました。 ──ちなみに、睡眠はしっかり取るタイプですか? 越智 睡眠もヤバくて。寝たり起きたりみたいなことが多いですね。猫も平気で起こしてくるから。睡眠にアプローチするアロマオイルにハマったり、いろいろトライしてますけど、なかなか難しい。夜中に目覚めたら、夢で見たものを全部メモしようとしたり、「こういうふうに編集すればいいんだ!」っていきなり動画編集を始めたりしちゃう。「どうせしばらく眠れないから、無理に眠ろうとせずに仕事しよう」って。本当にヤバい(笑)。 ──やっぱり猫と遊ぶしかないですね。 越智 でも、つい「いつか死ぬんだよな……」ってなっちゃう。2匹いるので、今は夜中に追いかけっこ始めて走り回ったりするから「ええ加減にせえ」ってなるんですけど、それだけが心配ですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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憧れの舞台での挑戦、大雨と拍手がやまない夜(鈴々舎美馬)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鈴々舎美馬(れいれいしゃ・みーま) 1993年4月12日生まれ、神奈川県相模原市出身。落語協会所属の落語家。桜美林大学在学中から落語研究部に所属し、全日本学生落語選手権に入賞するなど活躍。2018年2月、十代目鈴々舎馬風に入門、2019年7月21日、「美馬」と命名され前座となる。2023年11月上席より二ツ目に昇進し、2024年1月の二ツ目昇進披露公演は、異例の1800人規模のホールで開催した。 X:@reireishamiima YouTubeチャンネル:鈴々舎美馬の落語道【やってミーマ】 雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。 こんなことが恥ずかしげもなく言えてしまうほど感激した、一夜の話をしたいと思う。 その夜は、大雨のあと、大吹雪になった。 落語協会所属の落語家で、2023年の11月に5年9カ月の前座修行を終え二ツ目に昇進した私は、2024年の1月13日、記念の昇進落語会を地元相模原の1800人収容できるホールで、初めて自らが主催となり開催することに決めた。そうしなければいけないと思った。 今から10年前、落研所属の大学生だった私は、運よく全国大会に出場できたこともあり、落語女子としてほんの少しだけ話題になると、新聞やテレビ等のメディアで紹介されたりもして有頂天だった。 『モヤモヤさまぁ~ず2』(テレビ東京)に出演したあと、大手芸能事務所からお声がけをいただき、落語タレントとしてデビューをする話が持ち上がった。ずっと地味に生きてきた自分に突然当たったスポットライトは前が見えないほどまぶしく、これから誰に会って何をして、どんな人生が待っているんだろうと頭の中いっぱいの妄想に脳みそを掻き回されながら、小さな体がまさに天高く舞い上がった瞬間に、寸前で突然白紙になって夢は打ち砕かれた。 それは、もともと気が弱くて自分に自信がない私の心を折るにはじゅうぶんな出来事で、そのまま地面に叩きつけられた私は、ありがたくもお誘いいただいていた師匠の声も聞こえなくなり、プロの落語家への道もあきらめて、エステティシャンとして就職する道を選んだ。 ただ、自分の人生なんてこんなもんだとポッキリ折れた気持ちがもう一度悲鳴を上げるくらいには落語が大好きになっていた私は、数年働いたあと、腹を決めて退職し、師匠に入門をした。 前座のころは、毎日、地元の相模原から、片道2時間近くかけて寄席に向かい、男仕立ての着物を着て、楽屋働きをする。日給1000円だから交通費のほうがもちろん高い。ブラックとかホワイトのレベルの話ではない。おまけにアルバイトは禁止されている修行期間という明確な縛り。でも、それが悪いことだとはまったく思わない。タダでさまざまなことを仕込んでくれた師匠方には感謝しかない。ただ、入門時にそれが6年続くとわかっていたら門は叩けなかったかもしれないとは思う。 私はそそっかしい前座で、よくしくじりばかりしてしょっちゅう怒られていた。スタートラインの二ツ目になることを夢見ていたが、コロナ禍の真っ只中で、それどころではない状況に先も見えない焦りもあった。20代半ばから後半を、同世代の女性たちのキラキラした生活を横目に、前座たるもの、もちろんスッピンで目立たない色のシャツとズボンを身にまとい、大きなリュックを背負って毎日4時間揺られる車窓に映る自分は、さながらねずみ男のように見えた。 入門から5年、二ツ目昇進が決定した瞬間はうれしさよりホッとした気持ちのほうが大きかった。昇進の発表があったのが4月1日だったので、嫌な冗談だなと思いながら、師匠から「よかったな」と言ってもらえて初めて実感が湧き、涙を堪えた。 同時に、バカだと言われてもデカイことをしよう。私はがんばった。昔に比べれば住み込みでもないし、甘くなっているのも間違いないんだろうとは思う。でも私はがんばったんだ。あのとき叩き落とされてから、まだ起き上がってない。立ち上がって歩き出すための昇進の会は、あの日の自分を納得させられるものにしたいと思い、計画を始めた。 昇進の会のゲストには感謝と尊敬しかない鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)師匠と、落語家になる道を作ってくださった兄弟弟子の鈴々舎馬るこ(れいれいしゃ・まるこ)師匠、大学時代からずっとずっと憧れていた蝶花楼桃花(ちょうかろう・ももか)師匠に出演していただけることになった。 師匠方の胸をお借りして、自分の披露目の会を開催するならば、それに見合った大きい挑戦をしなければと、演目は落語の中でも大ネタのひとつである「文七元結(ぶんしちもっとい)」に決めた。 会場は、私が幼稚園の卒園式や小学生のころ習っていたバレエの発表会、中学高校の吹奏楽部の演奏会、それから成人式とずっとお世話になった1800席の大ホール「相模女子大学グリーンホール」。ここしかない憧れの舞台だった。 勢いで突っ走り始めたのはいいものの、冷静に考えると自分があのホールをいっぱいにするのは無理があるとすぐに焦り始め不安で夜も眠れなくなった。 準備を進めるなかで、ただがむしゃらにがんばっていたことが思いがけず大きなショックを受けることにつながり、6年間の修行の中で一番くじけそうにもなったけど、それ以上に私を応援してくださるたくさんの素敵な方々と出会い、励まされ、力添えをいただいてなんとか前向きな気持ちを取り戻すことができた。 当日は、まさかの大雨、大吹雪だった。 なんで今日に限って、やっぱり神様は私を飛ばせたくないんだ、と落ち込む私の耳に聞こえてきたのは、大吹雪のなか、たくさんのお客様が会場前に詰めかけてくれているという声だった。こんな天候のなかでたくさんのお客様が会場に足を運んでくださっていると思うと感謝の思いで開演前から涙を拭った。 雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。 いや、好きになった。 パチパチと傘に当たって弾ける水滴。幕が上がると、その音はその日の嵐の雨音よりもさらに大きな音だった。これまでに感じたことがない量の音圧に、感動と興奮と昂揚で全身に電気が走った。 師匠方の圧巻の高座のあと、飛び出しそうな心臓をなんとか飲み込み、出囃子が鳴って、高座に向かって舞台袖から歩き出したところで足がつった。もう終わりだと思った。なんで私はこうなんだ。高座に上がって、座布団に座って頭を上げる。 大勢のお客様の前で私ひとりにスポットライトが当たった。その瞬間、足がつっているのは忘れてしまった。ひと言発するたび、お客様一人ひとりの気持ちが伝わってくるような不思議な感じがした。かと思えば口が全自動で動いているような、でも頭はいろんなことを考えていて。きっと人生であの瞬間しか感じられなかっただろう奇妙な感覚。 先月まで前座だった未熟者の、しかもネタ下ろしで1時間の大ネタの高座を、最後までお付き合いいただけたお客様には感謝しかない。演目が終わり、頭を下げて、追い出し太鼓が流れるとお客様の拍手の音は幕が下りきるまで続いて、重厚な拍手の音が今度は自分を包み込んでくれるような、そのまま体がふわっと浮いた気がした。 ようやく立ち上がれた私は、あれから大雨の降る日は、あの日の夜の鳴りやまない拍手を思い出して、応援してくれる人たちのために成長しよう、よしがんばろうと思うようになった。 文・写真=鈴々舎美馬 編集=宇田川佳奈枝
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あの日過ごした部屋との思い出、騒音すら恋しく感じた東京の夜(まるいるい)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 Ⓒ吉本興業 まるいるい 1997年11月28日生まれ、神奈川県横須賀市出身。NSC東京23期生のお笑い芸人。吉本坂46(2期生)としても活動していた。自身の家族をテーマに綴ったエッセイやYouTubeチャンネル『まるいるいの逆襲』が話題になる。 X:@Rui_tontokoton note:https://note.com/maruirui61 YouTube:『まるいるいの逆襲』 二十歳のとき、上京して三鷹に六畳一間の家を借りた。築40年。畳の香りが鼻をかすめるどこか昔懐かしいアパート。私はそのアパートが大好きだった。 20年間ともに過ごした家族と離れることを決め、ホームシックになることを覚悟していたのに、意外にも寂しかったのは最初のひと晩だけだった。 その家は朝から晩まで側を走る中央線の音が鳴り響く。壁が薄すぎてお隣さんのオナラも、ビール缶のプルタブを起こす音も聞こえる。今、『キユーピー3分クッキング』(日本テレビ)を観ているな、ということまで把握できた。 それから1年後。その家とともに過ごす2度目の夏を迎えたとき。 “ドドドドドドドドド” 5歳くらいの子供が天井裏を駆け回っているのではないかと疑うくらいの大きな足音だった。 “チュー” ネズミだ。 屋根裏にネズミがいる。 まぁ、ここに建てられてから40年も経っていたらどこかに隙間もできるよな。仕方ない。大して気には留めなかった。 そんなある朝、起きたら身体中がかゆかった。イエダニの仕業だ。このダニはネズミがいない限り家に発生することはめったにないらしい。実害が出たら放ってはおけなかった。かゆすぎた。皮膚科に行った。 大家さんに報告すると、すぐに魚肉ソーセージを吊るした鉄製で箱型の、原始的なネズミ捕りを持ってきてくれた。 それを仕掛ける際、大家さんは私の部屋の天袋を開けた。そして両手を上げたかと思うと天板をバコッと外した。屋根の裏が姿を現した。 大家さんに「見てみるか?」と問われたのでうなずいた。そして天板が外れたことで現れた隙間に上半身を突っ込んだ。 私の目の前には想像以上に広い空間が広がっていた。驚くべきことに、お隣さんの部屋との間に仕切りはなかった。お隣さんとそのまたお隣さんの間にも、そのまたお隣さんとの間にもだ。同じ階の全部屋の屋根裏がつながっていた。大家さんいわく今の建築法では作れない、作ってはいけない家の構造らしい。こりゃ音が筒抜けなわけだなと合点がいった。 そんなことを思っていると奥からガササッと音がした。大家さんはネズミ捕りを仕掛け、天板を元に戻した。これで平穏な生活が訪れるはず。 季節は冬になった。ネズミ捕りを設置したかいはまったくなかった。相変わらず5歳児が屋根裏を駆けていた。 そんなある日、管理会社からアパートの更新料のお知らせが届いた。引っ越しを決めた。ネズミとの共存はできなかった。 退去の日、大家さんと写真を撮ってもらった。 「写真を撮ってと言われたのは初めてだよ」 困ったように笑う照れ屋な大家さん。いつも長靴を履いていて、たまに畑で採れた野菜をおすそ分けしてくれた大家さん。小柄で日に焼けた笑顔がかわいい大家さん。鍵を返して2年間のお礼を告げ、お別れをした。とても寂しかった。 次に借りた家は板橋区のマンション。私はマンションにこだわっていた。大好きだったアパートを出た唯一の理由は騒音だった。静寂を求めていた。それなら木造アパートではなく鉄製マンションに住むべきだと考えた。 引っ越して最初に迎えた夜。先輩にLINEした。 「前の家が恋しくて涙が出ます。」 比喩ではない。本当に泣いていた。お別れしたときの大家さんの顔も浮かんできてよけいに泣けた。 「私も初めて借りた家を出たときは恋しかったな。でも、もう今はここが私の家で、一番落ち着く」 私はこの家をそんなふうに思えるだろうか。不安だった。 とりあえず寝ようと布団を敷き、横になった。真っ暗な部屋。 鉄筋コンクリート造りのその部屋のお隣からはレゲエともヒップポップともつかない謎ジャンルの音楽が爆音でひっきりなしに流れている。壁が躍るのを感じる。音が振動になるということは相当な音量だ。ライブ会場かここは。話が違う。 こっそりドアを開けてお隣の様子をうかがうと、聞き慣れない言語での会話が聞こえた。外国人だ。料理をしている。嗅ぎ慣れないスパイスの匂いが漂う。 不安すぎた。私はこの家が本当に好きになれるだろうか。騒音からも解放されないではないか。 シクシク泣きながら、数時間爆音に耐えたが、我慢の限界が訪れた。管理会社はもうとっくに営業を終了している時間だった。 警察に電話しよう。生まれて初めて警察に通報した。 「事件ですか? 事故ですか?」 事故では絶対にないが、これは事件なのか……? 「じ、事件です」 そう告げると内容を聞いてくれた。時刻は午前5時。 電話を切ってから10分程度で駆けつけてくれた。音はピタッと鳴り止んだ。警察の方々には心から感謝した。 しかし、騒音は音楽だけではなかった。洗濯機の音だ。そのマンションは洗濯機置き場が玄関前にあったので、お隣さんの洗濯機の音が家の中まで鳴り響く。お隣さんの洗濯機は明らかに普通じゃなかった。一番音がひどいのは脱水のときだ。洗濯機自体が暴れてどんどん前に進むのだ。よく壊れずに使えているなと感心すら覚えるほどだ。 だが、音楽の騒音とは違って生活音に文句をつけるのは違うと思った。お互い様な部分もある。黙って暴れる洗濯機を見守ることにした。 慣れというものは怖い。数週間目の当たりにしていると、あまり気にならなくなってくる。 私が入居してから2カ月も経たずしてお隣さんは引っ越した。そこからは静かな暮らしが続いた。 入居当初は辟易していたはずの暴れ洗濯機がいなくなっていて、少し寂しいかもとすら思った。私は環境の変化に弱いけど、適応するのは早いのだなということに気がついた。 引っ越して最初の夜はいつも心細くて不安になって、前の家が恋しくなる。だがその家を出たら、またその家が前の家になるのだ。 板橋のその家も、今では私の大切な家の記憶になっている。コロナ禍をともにした家。緊急事態宣言が発出され、丸1カ月こもった家。当時の相方たちがネタ合わせに訪れた家。温かい記憶。 東京に出てきてからの6年間。 7度の引っ越しをした。 あと何度こんな気持ちになる夜を過ごすのだろう。 文・写真=まるいるい 編集=宇田川佳奈枝
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花束みたいな友ができた、魔物と戦い続けた夜(美山加恋)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 美山加恋(みやま・かれん) 1996年生まれ、東京都出身。2002年、舞台『てるてる坊主の照子さん』でデビュー。2004年、ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ)の凛役で注目を集める。以降、映画『いま、会いにゆきます』、『僕らのごはんは明日で待ってる』、ドラマ『around1/4 アラウンドクォーター』(朝日放送)、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』、ミュージカル『ピーターパン』、『赤毛のアン』など出演作多数。声優として、2017年『キラキラ☆プリキュアアラモード』(テレビ朝日)で主人公・キュアホイップ/宇佐美いちか役でアニメ初主演を果たす。現在、MCを務める『あにレコTV』(テレビ東京)が放送中。 スポットライトがひと筋。 私を照らしている。 誰もいない舞台上。 セリフが出てこない。 身体が動かない。 袖を見ても、誰も助けてくれない。 そもそもこれがどんな作品か思い出せない。 そんな夢を、よく見る。 朝起きたときの気持ち悪さといったらない。 夜になると魔物が私の枕元にやってきて、頭の中に侵入してくるんじゃないか。 夢占いが大好きで起きたらすぐ調べるのだが、たいていの夢はすぐ忘れてしまう。 でも舞台上の夢だけは、あまりにもリアルでいつも頭にこびりつく。 そして現実でも、袖から出るときに思い出す。 一種の自己暗示のようなプレッシャーなんじゃないか。 30歳を前に、最近よく自分のパーソナリティについてよく考える。 私は身長が低い。 実際に会うと 「思っていたより小さいんですね」 とよく言われる。 実は152cm。 この記録は小学校高学年くらいから変わっていない。 小学校高学年で152cmというと背の順でも大きなほうだったので、うしろからみんなを見ていた。 中学に上がるとどんどん前に押し出され、ついには先頭を陣取ることになった。 あのときの気持ちといったら。 「一番前なんて嫌だ。恥ずかしい」 「でも“前へならえ”というくらいだから、先頭がしっかり位置についていないとみんなに迷惑がかかるし……」と、悶々としていた。 うしろはいいな。前にならうだけだもんなぁ。 これが私の性格。 なるべく目立ちたくはない。 うしろ指もさされなくない。 そう、女優のくせに、目立ちたくはない。 人と比べられたくない。 (あの“前へならえ”できれいに並ばないといけないの、なんでだったんだろう……) あれ、なんか過去の愚痴になってしまった。 身長が小さいと、なるべくみんなと目線を合わせたくて自分を大きく見せるようになる。 「小さいのかわいいね〜」と言われても、ちっともうれしくなかった。 カッコいいと言われたかった。ないものねだりだ。 でもこれは、夢に出てくる魔物のせいでもあると思う。 小さいころは特に同い年の子より寝る時間が少なかったため、ご機嫌な夢を満足いくまで見られた試しがない。そのため睡眠時間も減り、じゅうぶんな成長期を逃した。 そんな自分が嫌いだった中学時代。 でも実は、そのとき出会った友達が今でも一番の親友だったりする。 人と比べられることが大嫌いで、転校も多く、なるべくひとりでいたかった私にも、友達ができたのだ。 その子と仲よくなったきっかけは些細なことだった。 教科書が入れ替わっていただけ。 授業中、教科書にアンダーラインを引くのだが、私の教科書に引いたその子のアンダーラインは定規できれいにそろえられており、逆に友達の教科書に引いた私のアンダーラインはガッタガタだった。 それだけのことなのに、なんだかお互いに興味を持つようになった。 それからはなんとなくずっと一緒に過ごしていた。 その友達の前だと、自分の気持ちに素直でいられる気がした。 目立ってもいいんだ。 人と違ってもいいんだ。 顔もよく覚えていない誰かにうしろ指さされても、気にすることないんだ。 中学2年の夏、家庭の事情で私は別の区に転校をした。 だけど、その子とは転校しても会い続けた。 親に怒られるくらいに、しょっちゅう遊んでいた。 仕事も勉強もおろそかになるほど、当時の私は遊びたかったのだ。 会いに行ってくると言うと「遊びすぎよ。やることをやりなさい」と言われた。 それでも会いに行った。 さながらロミオとジュリエットだ。 その子と離れ1年が過ぎたころ。 私は初舞台を踏んだ。 (正確には子役デビューは舞台なのだが、5歳のころなのであまり記憶がなく、これが初舞台に近い状態) めちゃくちゃ怖かった。 知らない世界に飛び込む怖さを初めて味わった。 勝手がわからない。 稽古ってどうやってやるんだろう。 いつ舞台上に出ればいいのだろう。 声が小さいと言われる。 全力でやっているのに、何かが足りないのはわかる。でも何ができていないのかわからない。 これまでの自分をすべて否定された気分だった。 それでも、お芝居をしている時間は楽しかった。 自分の発したセリフで、まわりが動く。 芝居の空間というものを感じられたのは初めての感覚だった。 稽古も終わり、劇場入り。 客席というものがあることをそのとき思い出した。 そうか、目の前の人たちに届けるのか。 一斉にこっちを向いて、私の芝居をじっと見つめてくるのか。 衝撃だった。 袖から感じる本番の張り詰めた空気。 この舞台のひと言目は私のセリフ。 音楽のタイミングで、ひと言発しながら走って舞台に上がる。 “これだけのこと”が怖かった。 勢いで初日を迎えたが、正直、何も覚えていない。 稽古で言われていた「声が小さくて聞き取れない」ということ。 本番でも指摘された。 お客さんがみんな敵に思えた。 私のセリフは届いていなくて、きっとみんなに 「あの子は何を言っているんだろう」 「なんでこの舞台出ているんだろう。下手だなぁ」 なんて思われているんじゃないか。 朝になればまた劇場へ行ってひとりで発声練習をしなければならない。 なんでがんばらないといけないのだろう。 つらい世界で、なんのためにがんばればいいのだろう。 あるとき、友達が観に来てくれた。 「加恋の舞台、絶対に観に行く」と言ってくれていて、楽しみにしてくれていた。 この広い客席のどこかに、あの子がいる。 そう思うだけで力が出た。 やらなければ。 声が小さいとか、どう観られているとか気にしている場合じゃない。 楽しんで、全力でがんばる自分を彼女に観てもらいたい。 とにかくがむしゃらだった。 終演後、楽屋まで会いに来てくれた。 中学生なんてまだ子供なのに、お小遣いで買うには高いであろう花束を、わざわざ買って持ってきてくれた。 「すごい」と何度も言ってくれた。 初めて肯定された気分だった。 泣くほどうれしかった。 そうか、敵ばかりじゃないんだ。 楽しんで観てくれている人もいたんだ。 真っ暗に見えていた客席が、少しクリアに見えた気がした。 拍手も、笑い声も、お客さんの顔も、ちゃんと見てみよう。 それから私は舞台が好きになった。 自分のお芝居で楽しんでもらう快感を知った。 そんな私のいろんなターニングポイントとなった友達が、先日婚約をした。 一番に報告をしてくれたのだ。 報告を受けたのは、一緒に行ったサウナの中(笑)。 サプライズにしてもなんてタイミングだ。 お互い裸じゃないか。 早く報告したかったらしい。 私たちらしいね、と笑う。 改めてちゃんとお祝いさせてね、と伝えた。 彼女と別れたあと、夕方の薄暗くなるころ。 昼と夜が混ざり合うとき。 これを逢魔時(おうまがとき)というらしいが、魔物との戦い方はもう攻略済みだ。 帰り道に花屋を訪れてみた。 売れ残った花たちはすっかり元気をなくしていたけど、バケツの真ん中に一輪。 凛と立っている。 今度は私が花束を持って彼女に会いに行くのだ。 文・写真=美山加恋 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
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バカにされても突き進む、カッコいい男の“生き様”を描く──湊寛『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 “新根室プロレスは競技を見せているのではなく生き様を見せている” 『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』は、北海道文化放送によって制作されたドキュメンタリー映画で、北海道根室市で活動する「新根室プロレス」を追った作品だ。 新根室プロレスは、おもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に地元のプロレス愛好家たちが集まって2006年に旗揚げされたアマチュアプロレス団体だ。所属メンバーは地元の会社員、漁師、酪農家、派遣社員など日々を生きる社会人ばかり。 創設者であるサムソン宮本は「無理しない ケガしない 明日も仕事!」を、モットーに掲げている。 本映画では新根室プロレスの活動の軌跡と、創設者であるサムソン宮本が平滑筋肉腫(※癌の一種)と診断され、55歳の若さでこの世を去るまでの生き様を主軸として描いている。 プロレスといわれて世の中の人は何を思い浮かべるのだろうか。私は恥ずかしながらプロレスという文化に疎く、バラエティ番組で目にしたことがある毒霧やパイプ椅子の映像から「なんかよくわからないけど痛そうだから見たくない」とさえ思っていた。しかし安心してほしい。新根室プロレスは“エンタテインメント全振り”だ。サムソン宮本が「老若男女誰でも楽しめるプロレスを目指す」と発言しているように、新根室プロレスは思わず笑顔になってしまうようなおもしろさを売りにしている。 所属するメンバーも、レジェンドプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアント」にちなんだ、身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」、同じくレジェンドプロレスラーの「ハルク・ホーガン」にちなんだ豊満な体型の「ハルク豊満」など、くすりと笑えるものばかり。 サムソン宮本は、ロープ渡りを失敗してお股にロープが直撃……なんていう、コミカルな動きで観客を笑わせる。必殺技も“相手の頭をパンツの中に突っ込む”とか“カンチョー”とか、とても上品とはいえないものばかり。サムソン宮本の娘も「(最初は)恥ずかしかった」と語っている。 そんな新根室プロレスのメンバーたちには、ある共通点がある。 それは“学生時代イケてなかった”ことだ。たしかに作中に登場するメンバーは優しそうな、悪くいうと気弱そうな、一見格闘技などしなそうに見える面々だ。最年少であるTOMOYAの異名も「メガネのプリンス」、「ラブライバー」(※メディアミックス作品『ラブライブ!』ファンの総称)といったとおり。 所属メンバーにとって新根室プロレスがどういう存在であったのかは、映画パンフレットに記載されている新根室プロレス選手名鑑を見ると、ひと目で理解できる。職業や得意技と合わせて、「新根室プロレスとは?」という項目があるのだ。 「家族」「恩人」「居場所」「遅れてきた青春」。「自立支援団体」や「精神安定剤」と回答しているメンバーもいる。 サムソン宮本の弟である「オッサンタイガー」は次のように語る。 「ズレている人ばっかでしたね。マトモな人は入れないです。(中略)いかにイケてないかとか、ダサいとか、ちょっと社会に適合していないとかが基準なんですよね。そういう人たちに惹かれるんですよ、サムソンは」(※「新根室プロレス映画化記念メンバー座談会」より引用) かくいう私も、いわゆる“イケてない”、“ダサい”、“社会に適合していない”と言われるような人たちに惹かれる性分だ。自分自身がそうだから、というのももちろんあるし、そういう人たちにスポットライトが当たりづらい世間の風潮に対する反骨精神もある。これは私が今、漫画家として仕事をしている理念の部分になっているし、きっとドキュメンタリー映画が好きな人にはそういう性分の人間が多いのではないだろうか。普段スポットライトが当たりづらい人たちにカメラを向け、誤解されやすい、理解されづらい彼らの生き様をまざまざと描く。これは私がドキュメンタリーというものに感じているよさの、最も大きい部分と言っても過言ではない。 普段はイケてない人たちが仮面を被って別の名前を名乗ることで「カッコよく」変身するというのもよい。冴えないオタクがヒーローに変身して活躍するのは、マンガやアニメの王道だ。 まあ、つまり、ひと言で言うと私は『新根室プロレス』のような物語が好きでたまらないのだ。 映画としての編集もニクい。本作では「サムソン宮本として死にたい」という本人の発言を尊重し、最後までサムソン宮本の素顔を映さないように編集している。若いころの写真にも闘病中の家族との写真にも、たとえ家族の素顔が映っている場面でも、サムソン宮本に対しては徹底してマスクを合成する編集がされている。制作陣のサムソン宮本への多大なリスペクトが感じられる。 2019年9月。根室・三吉神社のお祭り興行でサムソン宮本から衝撃の告白が飛び出す。「難病・平滑筋肉腫と診断され……新根室プロレスを解散します」 平滑筋肉腫は10万人に3人の難病で、治療法も確立されていないという。 2019年10月。東京・新木場1stRINGにて、新根室プロレス最初で最後の興行が開かれた。1stRINGはインディ興行の聖地ともいわれる場所。約300人のファンが詰めかけ、会場は超満員となった。 次々とメンバーたちの試合が進み、第二部。場内スクリーンには「生か死か サムソン宮本13番勝負」の文字、サムソン宮本が新根室の面々と13番勝負をするという企画だ。本映画の編集マン・堀威の取材日記によると、大会当日のサムソンは「本当につらそう」だったという。また、13番勝負12戦目のセクシーエンジェル・ねね様戦でサムソン宮本が助骨を骨折していたということも明かしている。身体がボロボロになりながらも「プロレスラー・サムソン宮本」として戦う姿に、私は涙が止まらなかった。サムソン宮本は必ずまた新木場のリングに戻ってくると宣言するが、翌年9月、55歳の若さでこの世を去ってしまう。 制作した北海道文化放送の吉岡史幸プロデューサーは北海道新聞の取材に対し「(サムソン宮本は)自分の死すらもエンタテインメントにするほど徹底したプロデューサー」であると語った。 サムソン宮本は、うつ病や仕事の悩みを抱えるメンバーたちの悩み事を魅力にして人気者にし、観客たちを楽しませたように、自らの病気や死も観客を楽しませるためのネタにする男なのだ。 「新根室プロレスにおいて重要なのは、強さ、うまさではなく、観ている人の感情を揺さぶれるかどうか。それが本当の勝者」 新根室プロレス結成当時のサムソン宮本の言葉だ。 この映画はドキュメンタリーとしてはもちろん、題名どおり物語として非常によくできている。 というのも、プロレス自体、競技とエンタテインメントの両方の特性を併せ持つものであるし、登場人物たちもまた本人と、それとは別にプロレスラーとしてのキャラクターも持っている。自分の人生さえもさらけ出して「サムソン宮本として死にたい」とまで言っていた彼を追った映画なのだから、“物語”になるのは必然なのかもしれない。 本映画の後半では、残されたメンバーたちで新根室プロレスを再結成し、復活させる様子が描かれている。 先頭に立ったのは、小学3年生のときに新根室プロレスに魅了され、一度は入門を断られながらもメンバーとなった最年少のTOMOYAだ。サムソン宮本を敬愛していたメンバーの中には、TOMOYAだけで大丈夫なのだろうかと心配するメンバーもいたが、支え合いながら復活に向けて動いていく。 みんなの大黒柱だったサムソン宮本が亡くなって解散してしまった新根室プロレスが、メンバーの中でいわば末っ子であるTOMOYAの強い気持ちで再び集まっていく様子は、胸が熱くなるものがある。 「人生一度きり。やりたいことをやれ。カッコ悪くてもいい。バカにされてもいい。いつかわかってくれる。Don’t give up! Do your best!」 サムソン宮本の最後の言葉だ。 上映が終わったあと、映画館には涙を啜る音が響いていた。少なくとも映画を観た人たちの中に、サムソン宮本をカッコ悪いだとかダサいとかいう人間はいないだろう。 これは、北海道根室市に新しい文化を作ったカッコいい男の物語だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)連載中。さらに、2024年3月、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて読切『下北哀歌。』を掲載。 配給:太秦 (C)北海道文化放送
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偶然で必然の出会い、渋谷に響くひとつの歌声──島田隆一『ドコニモイケナイ』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 『ドコニモイケナイ』は2012年に公開され、第53回日本映画監督協会新人賞を受賞したドキュメンタリー映画である。 物語は2001年の渋谷から始まる。1996年生まれの自分には当時の渋谷の空気は想像でしかわからないが、ギャルブームやメディアの注目もあり若者のファッション・トレンドの街だったという。本作のパンフレットによるとゼロ年代初期の渋谷は「行き場のない若者が集まっては、ただひたすらにたむろしている場所」であったと書いてある。今でいう「トー横(※新宿の歌舞伎町にある東宝ビル横のこと)」のような位置づけだったのだろうか。 監督の島田隆一は2001年当時、映画専門学校に通う学生だった。本作は当初、専門学校の実習課題として撮影され始めたものだった。ほかの学生より大人しく、課題を探しあぐねていた島田に講師が「渋谷へでも行ってみたら?」と提案したことがきっかけだった。 2001年10月23日、ひしめく若者たちの中で島田とスタッフたちはひとりの女性と出会う。あまり上手とはいえない声で歌う彼女は、佐賀からヒッチハイクでやってきたストリートミュージシャンの吉村妃里(よしむら・ひさと/当時19歳)であった。 「元気で行こう 精一杯の力を出して 元気で行こう 無理しなくて いい 元気で行こう 気楽な気持ちでリラックスして」 そう歌う彼女に惹かれた島田とスタッフたちは彼女を追いかけて撮影をすることに決める。 (C)JyaJya Films 妃里は、新宿で出会った芸能事務所の社長という人間からスカウトをされ、事務所が借りたウィークリーマンションに住むようになる(最終的には妃里は「貧血」を理由にわずか1カ月ほどで切り捨てられ、住む場所を失ってしまう)。そのあと路上で知り合った友人・幸香の家に居候したりと妃里を取り巻く環境が不安定に変わっていくなか、2001年12月13日、島田らスタッフの元に幸香から連絡が届く。 「妃里の様子がおかしい」 妃里は統合失調症を発症していた。 翌々日の12月15日には妃里は都内の病院に緊急入院し、翌年3月には故郷である佐賀の病院に転院することとなる。こうして映画の撮影は中断され、妃里を映したテープは放置されたまま、島田らスタッフは映画専門学校を卒業してしまう。 私個人の話で恐縮だが、私の祖母は私が物心ついたころ、すでに統合失調症を患っていた(母から聞いた話だと、母が小学生のころにはすでに発症していたという)。 当時はまだ統合失調症という病名に改称されて日も浅かったからか、母からは「ばーちゃんは精神分裂病だから」と言われて育った。家族で帰省したときには祖母が私を罵倒することもあったようだから、「精神分裂病だから、ばーちゃんの言うことは気にしなくていいよ」という母から子への思いやりから出ていた言葉だと思う。私の中の祖母の記憶は、誰かに怒っているか、上のほうの何もない一点を見つめて何かぶつぶつと話している姿しかない。 母には「神様と話してるらしいよ」と教えられた。祖母は歩くことも難しかったので、母は祖母を風呂に入れることにすごく苦労していたような記憶がある。もちろん、統合失調症の症状はさまざまで、これは私の祖母の話でしかないので主語を大きくするつもりはない。 私は、発症する前の祖母を知らないので祖母とはそういうものだと思っていたし、祖母の話す言葉は方言がきつかったこともあり罵倒されても特別傷つくということはなかったが、母が「母さんも発症したらどうしよう」、「遺伝かもだから」とひどく心配していたのは今でも強く印象に残っている(実際、遺伝的要素は示唆されているものの、未だ解明はされていないようだ)。 母は発症前の祖母を知っている。母にとって統合失調症は「突然、自分にも起こってしまうかもしれないこと」なのだと思う。私もそうなんだろうな、と思う。人間は現実に物語性を見出したくなってしまうが、それは必ずしも正しくない。 本作のパンフレットでも精神科医の春日武彦は統合失調症の発症について「率直に述べるなら、運が悪かったとしか表現できない」(『ドコニモイケナイ』パンフレットより引用)と述べている。 監督である島田は語る。 「吉村妃里を統合失調症にまで追い込んだのは、カメラを回し続けた自分の責任ではないだろうか」 (C)JyaJya Films 以前、『監督失格』について書いた記事でも引用したが『ゆきゆきて、神軍』の監督である原一男は「ドキュメンタリーをやる人間は畳の上で死ねない」と述べている。 『監督失格』の監督である平野勝之も「人の死で金儲けしていると言われるかもしれない」と心配していた。 (文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ #1:https://tvablog.tv-asahi.co.jp/reading/logirl/2894/) 『監督失格』も『ドコニモイケナイ』も不安定な、美しい女性とそれに惹かれた監督がカメラを通してコミュニケーションを取る、カメラを通してしかコミュニケーションを取れない、という構造で物語が進む。もちろん取り巻く状況や彼女らのキャラクターはまったく違うものなので単純に比較はできないが『監督失格』の被写体である林由美香は売れっ子のAV女優だ。どんな激しい場面でも撮りなさいと平野に言った。監督である平野もプロのAV監督であるから、悩みながらも彼女の言葉に従った。しかし『ドコニモイケナイ』の被写体である吉村妃里は歌手志望の19歳の若者でしかない。監督である島田も、当時20歳そこらの映画学校の学生だ。 本作の後半では、撮影を中断してから9年後、佐賀で暮らす妃里が描かれている。 妃里が佐賀に渡り撮影を中断してから島田やスタッフはそれぞれの道を歩んでいた。島田も起業用のPR映像の制作に携わるなど映画業界で仕事をするようになる。ただ、そうしている間にも島田の胸にはしこりのように妃里さんを映した映像のことが残っており、細々と編集作業もしていたという。2007年、冒頭で島田に「渋谷へでも行ってみたら?」と提案した映画学校の講師から「あれをまとめてみないか」と電話を受ける。講師から「現在の吉村妃里を描くべきだ」という言葉もあり、悩みながらも島田はカメラを持って現在の妃里に会いにいく。 (C)JyaJya Films そこでは、母とふたりで暮らしながらNPO法人・鹿陽会チャレンジド支援センター「ザ・鹿島」に通っている妃里の姿があった。そこで軽作業(服をたたんでビニール袋に詰めるなどの単純作業)にも取り組んでいる。 2001年との渋谷とはあまりにも正反対の妃里の故郷の風景は、一種のやるせなさというか切なさのようなものを感じさせる。そして同時に映画を完成させるために、その対比を映さなければならないというドキュメンタリー監督という職業の業も感じさせられる。物語の終盤、彼女が博多の駅で再び「元気で行こう」を歌うシーンがある。道ゆく人は誰も彼女とコミュニケーションを取ろうとしない。 ただ、切なく感じてしまうというのも現実に物語性を求めてしまう鑑賞者である私たちの悪癖でしかなく、妃里の人生も島田の人生も続いているのだ。妃里は本作についてこう語る。 「50歳くらいになったら、この作品を持って講演をしたいな」 島田がこの作品を撮ることができたのはある意味“偶然”なのだろうと思う。当時の島田にとっては悪い偶然だったのだろうと思うし、自責の念を抱えていたことも窺える。だが、その映像を『ドコニモイケナイ』という一本の映画にまとめるに至ったのは、島田のドキュメンタリー監督としての性なのだと思う。 デリケートな題材であるがゆえ、すべての人が観るべきだとは思わない。だが、少なくとも私はこの映画を観ることができてよかったと思う。公開10周年を記念して再上映をしてくれたポレポレ東中野にも感謝でいっぱいだ。 この映画を必要とする人に届いてくれたらいいなと思う。そして願わくば、ふたりにとってもいいものであったらいいな、と思う。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)の新連載がスタート。 (C)JyaJya Films 出演 吉村妃里 吉村はる子 撮影・録音 朝妻雅裕 島田隆一 城阪雄一郎 佐賀編撮影 山内大堂 編集 辻井潔 音楽 AMADORI モリヒデオミ 宣伝 酒井慧 配給 JyaJya Films 製作 JyaJya Films 監督 島田隆一
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林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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最新のおすすめK-POPドキュメンタリー|「林美桜のK-POP沼ガール」第18回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 今年の夏はひどく暑い。 何をやろうにも、まず自分が疲れないように気遣う気持ちが先に立ってしまい、全力でがんばれない感じ。 そうなってしまうのはしょうがないかもしれないけど……。 そんな私に最近深く刺さったのが、ふたつのK-POPドキュメンタリー! 『n.SSign THE MOVIE』と『LE SSERAFIM - Make It Look Easy』。 どちらのドキュメンタリーもアーティストの素の姿、考えに触れることができます。 輝かしいステージの裏でアーティストたちはこんなに努力しているのか……と もうこんなにがんばっているのに、まだまだがんばりたいという姿勢に 自然と涙が流れました。 どんな内容だったのか本当にざっくりご紹介させていただくと、 初心を思い出す『n.SSign THE MOVIE』 韓国のボーイズグループn.SSignの、日本デビューまでの軌跡が映し出されたドキュメンタリー映画。 日本デビューを間近に控え、東京・有明アリーナで行われた単独公演『BIRTH OF COSMO』で、初めてステージ上からファンを見たメンバーの表情にはグッと……。 COSMO(n.SSignのファンネーム)への大きな感謝と未来への想いが語られていて、初心が思い起こされます。 メンバーの優しい人柄がまっすぐ伝わってきて、率直な思いやさまざまな感情を、見ているこちら側も自分事のように感じられる映画でした。 壮絶な裏側に心を打たれる『LE SSERAFIM - Make It Look Easy』 韓国のガールズグループLE SSERAFIMの、過去1年間の活動の裏側が映し出されたドキュメンタリー映像。 華やかで完璧な姿を見せ続ける、その裏側は壮絶で……内面の葛藤から出てくる不安や悩みの言葉が深く、ずしんと考えさせられました。 つらいときでも、メンバーと顔を合わせるだけで幸せを生み出せているのも印象的でした。 高みを目指し続ける姿勢にも、学ぶところがたくさんあります。 「裏の努力」に思いを馳せたい いろいろ感じるところがありましたが、 みんなが一度は夢見る大舞台の上、 目の前にいる人みんなが自分のパフォーマンス・存在に心から喜んでくれているという高揚感のなか、 まだ努力が足りていないんじゃないか、もっとできたのではないかという不安な気持ちを併せ持っているって、改めてすごいなと。 何度も自分だったらと想像してみましたが……私は一生かけても知り得ない感情だと思い知りました。 そしてドキュメンタリーを観たあとにふと思い出した感覚なんですが…… 私は素晴らしいものを観たとき、心から感動します。 ただ、そのときの私は、目に映るものだけへの感動に留まっているかもしれないな とボーっと考えてしまいました。 その奥を知るための努力を怠ってしまっているのではないか……。 完璧なものであればあるほど、努力の積み重ねが見えづらい。隙がないゆえに。 でもそれを作り上げるためには想像を絶する血のにじむような努力や苦労があって、 このときに存在してくれているということを忘れちゃいけないですね。 もっと背景を知ろうとする努力、思いを馳せることを怠ってはいけないと強く思いました。 その過程にもしっかりと目を向けられる人って 一生懸命努力している人、人の心の痛みがわかる温かい人な気がします。 私もそうありたい。 晴れやかな気持ちでコンサートに行きたい! いつも大好きなK-POPアーティストのパフォーマンスに生きる力をもらい、疲れた心を癒やしてもらってばかりですが、 仕事でもなんでも、自信を持ってがんばったと言えるほど努力して、晴れやかな気持ちでコンサートやファンミに行きたくなりました。 微力でも、アーティストに感謝と、いいパワーを届けたい!! ペンライトだけに頼らず、自分自身が内側から発光して輝いて応援したい。 そう思ったらもう少し仕事をがんばれると思った今日このごろです。 まずは夏を乗り越えたい。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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n.SSign日本ファンミで公開収録!現場で感じたメンバーの絆とファンの優しさ|「林美桜のK-POP沼ガール」第17回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 『動画、はじめてみました』というテレビ朝日公式YouTubeチャンネルの中で、K-POP評論家の古家正亨さんと私が、K-POPに関するさまざまな内容をお届けしている『動はじK-POP部』。 今年1月に『動はじK-POP学校』に進化し、 今回、なんとn.SSign(エンサイン/*1)さんのファンミーティングにおじゃまして 公開収録させていただきました!! こんな日が来るとは…… イベントが終わっても「現実だったのかな」と思ってしまうほど、夢のような時間でした。 思い出しながらテンションが高ぶって、いろいろすっ飛ばして書いてしまいそうなので まずはn.SSignさんのことを簡単に紹介させていただきます。 こちらをご覧ください‼︎ 実は、n.SSignのみなさんには今年1月にも『動はじK-POP学校』に出演いただきました。 この自己紹介動画、メンバー一人ひとりの個性が光っていて、何回も観られてしまう沼動画です。 (私の母はこの動画ですっかりn.SSignさんにハマりました) 放送後、COSMO(*2)の皆様からの温かくて大きな反響もあって、今回の出張収録が決まりました。 ありがとうございます! 全瞬間が見どころ!ファン必見のお気に入りポイント 公開収録当日。 アナウンサーを7年間続けているものの、たくさんの方の目の前で司会する機会にあまり恵まれなかった私。 『ワイド!スクランブル』とナレーションの仕事を終えて やっと現場に到着した本番1時間半前から、 心臓が身体中にあるのかと疑うほどドキドキ。 そんななか開催された第1部は、こちら。 第2部は、こちら。 なんと、舞台裏も緊急配信! 僭越ながら、私のお気に入りポイントを挙げさせていただきますと…… 第1部 ・ぐるぐるバッドでよろよろ、ニコニコ笑顔が癒やし効果抜群のエディさん ・本当は虎なのに猫にもなれるシャイボーイ、ハンジュンさん ・会場を妖精のように駆け抜けるフェアリー、ロレンスさん ・お菓子箱からお菓子が落ちないように、クールにさっと手を貸す気遣い王子、ロビンさん 第2部 ・トップバッター、カントリーマアムにも動揺せず華麗に! みんなの頼れる伝説の優等生、カズタさん ・メロンパンに動揺して赤髪と同じくらい赤くなってしまった猫、ジュニョクさん ・つけ襟を頭に。誰よりも演技に熱が入る、縦割れ腹筋のヒウォンさん ・壁になり「壁だよ」と親切につぶやく、ムキムキ王子ソンユンさん(壁の表情にご注目) 全瞬間が見どころなので選びきれないですが…… COSMOの皆様、ぜひお気に入りポイントを教えてください。 n.SSignの心の絆 一生忘れられない大切な思い出になりました。 私のムチャブリにも応じてくださったn.SSignのみなさん。 いつも私たち番組側が想像する何万倍も全力で、前向きに、楽しく取り組んでくださる姿には 尊敬や感激の思いが入り混じって、ぐっと感情がこみ上げてきます。 いつも目がキラキラしていて、今という瞬間にワクワクしているのを感じて…… 心が本当にまっすぐで、きれいなんですよね。 カメラが回っていないときや舞台裏でも、ステージ上と変わらないわちゃわちゃ感で メンバー同士で楽しくお話しされているのが、微笑ましくて。 目線の合い方や距離感に、家族のような信頼関係、心の絆を感じました。 MC古家さんに助けられた、ドキドキの公開収録! ちょっと脱線して、私の話なんですが、 ファンミ前日、台本の時間割を確認しながら、ふと「時計が必要なんじゃないか?」と。 普段はスタジオにあるカメラ映像の画面に時間が表示されていたり、スタッフの指示で進行したりと、あまり時計は必要ではないので、持っておらず。 よくよく考えたら持ってないとまずいかもしれないぞと、前日、急きょ電器店に走り、購入した時計。 しかし当日、1ミリも時計を見ることはありませんでした。 現場では、MCの古家さんに全力でおんぶにだっこ状態。 古家さんの仕事ぶり、もうそれはそれは神でした。 決められた進行時間と闘いながら、通訳さんと息を合わせて、おもしろいと思ったところは広げて、ファンの方が知りたいパーソナルな情報を引き出して、ツッコミを入れて……。 目が回るほど忙しい。目の前にお客さんがいらっしゃるので、失敗が許されないわけです。 テレビ収録のように、スタッフからたくさんの指示が飛んでくるわけではなく、自分ですべてを進めなきゃいけないという、極限の生放送。 古家さんがたくさんの俳優さん、K-POPアーティストに信頼される理由が、横からビシビシ感じられました。 一方で、普段から“あとから編集される”のが前提で司会進行をしている私。 もっとピリッと緊張感を持って仕事しなくては。 COSMOの皆様、ありがとうございます! 最後に…… 舞台に立って感じたんですが、n.SSignのみなさんに初めて会ったときの印象と、COSMOの皆様から感じていた印象が同じだったんです。 ポジティブなエネルギーに満ちていて、穏やかで優しい。 双方が似ていることを、一瞬で体感して感動しました。 COSMOの皆様、いつも温かいメッセージをありがとうございます! 私も、そして携わっているスタッフさんも、いつも本当に励まされています。 またいつか『動はじK-POP学校』、開校されますように。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/n.SSign グループ名は“net of Star Sign”の略語で、“星座の連結(星のつながり)”という意味が込められています。 *2/COSMO n.SSignさんのファンダムネーム。星座をつなげると宇宙ができるように、n.SSignさんとCOSMOさんがつながれば“無限の力を発揮できる”という意味が込められています。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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夢の“韓国留学”が実現!漢陽大学で得た「意欲的に学ぶことの大切さ」|「林美桜のK-POP沼ガール」第16回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 絶賛、鬱々とした毎日を送ってます(前回から変わらず)。 気持ちが上向きになるのに時間かかりすぎるタイプです。 特にバラエティの収録のあとがダメなんですよね……すぐ放送されたらいいのに、収録から放送まで時間がかかるのは、とってもメンタルを食い散らかされちゃう。悩んでも変わらないのにね! ですが、これからコンサートやファンミの予定があるので、それを楽しみにがんばっている今日このごろです。 大学時代からの夢「韓国留学」がついに実現! 3月の末、1週間の休みを取り 韓国の大学に4日間の超短期留学をしに行ってきました! まず、留学したきっかけなんですが 普段からお世話になっているキム・スノク先生が中心となって企画されたプログラムであることに運命を感じたから そして、大学時代から抱いていた「韓国に留学して韓国語を学んでみたい」という夢に、ようやく向き合って実現してみようと思ったからです。 当時からこの夢は、頭の中でふんわり浮遊していたり、全速力でよぎったりしてはいたのですが 大学生活が楽しかったし、コンサートなど推し活で忙しかったし……全部言い訳ですね。 なんといっても勉強が苦手だからという理由で、いつだって怠惰な自分との戦いに負けて、常に優先順位の下位に送られていたわけです。 韓国語の勉強が日本でもできていないのに、留学するのはまだ早い。そう思って忘れていました。 ところがどうしたことでしょう。 社会人になり、韓国語を学び始めると、あんなに暇だった学生時代に留学すればよかった……と頭を抱えるわけです。大矛盾。 正直、悩んでいる暇はないので、運命と感じた己の直感を信じて……えいっと決めました。 まるで韓ドラ? 現地で韓国語を学んだ4日間のキャンパスライフ 今回はひとりぼっちで渡韓。しかも大学に通うということでドキドキ。 ソウル唯一、駅直結の漢陽(ハニャン)大学(*1)。 通学路で大学のスカジャンを着ている学生がたくさん。なんだかほっこり。 4日間、語学堂で毎日10時から17時まで韓国人の先生の授業を受けて、発表などをする内容でした。 ただ、久しぶりすぎる学生生活のカムバック。 歳を取ったからといって昔の学習態度がアップデートされているわけではなく、集中力を保ち続けるのが昔と変わらず大変でした(笑)。がんばって勉強している学生さんを尊敬します。 なによりも、頭に流れ込んでくる韓国語の量に圧倒されちゃいました。 日本で韓国語を勉強していると、文法や単語は日本語で説明してもらえるので、その部分まで韓国語だともう大混乱。 初めのほうは言われていることもわからない、話したいことがまったく韓国語で浮かばない、浮かんだとしても声に出せない。これぞお先真っ暗。 心温かいまわりの生徒さんに助けてもらうことで、やっと生きられるといった感じでした。トホホ。 そしてこの超短期留学は、ただ学ぶだけではなく、プログラムが工夫されていて、漢陽大学の生徒さんとお話しできる機会がありました。 鍋を囲みながら こちらが拙い韓国語で話しても、ニコニコお話ししてくれて、学生生活だったり、おすすめスポットだったり、ちょっとした日々の愚痴だったり(笑)。 学生ならではの他愛もない話の内容や雰囲気がすごく懐かしくて、でも韓国語だから新鮮に感じて……不思議な感覚だったなぁ。 後日、学生さんが「日本語を学び始めた」とSNSに掲載していたのがすごくすごくうれしかったです。 昼食は学食で食べました! 韓国の大学で学食を食べるなんて……夢かな。 韓国ドラマかな。ヒロインかな(え?)。 石鍋で提供されるのが韓国っぽいなと感じたんですが、いかがですか? おいしかったです とてつもなく広く自然豊かなキャンパス内を散策していたら、 この鳥、カラスではないんです。 韓国の国鳥「カッチ」です。 見かけたら幸運が訪れるらしい……。 やっと慣れてきて、前より少し韓国語を理解できたり話せたりするかも……? で、あっという間に最終日。 最後には修了証までいただきました。 4日間講義をしてくださったチェ先生 キム・スノク先生、カムサハムニダ たった4日間ではありましたが、ぎゅっと濃い時間で、きっとこのあともずっと記憶される日々です。 帰り道は達成感と寂しさと……まるで卒業式の帰り道のような気持ちでした。 アン・ボヒョンのファンミでも「韓国語が聞き取れた…!」 あと、実はこの学習期間にちゃっかり、ファンミーティングに参加する予定を入れていました。 俳優のアン・ボヒョン(*2)さんです。 韓国開催なので、もちろんオール韓国語。 ファンミはゲームなどもあるので、韓国語がわからなかったら……と不安もありましたが 学習の成果なのか、もちろんすべてではないですが聞き取れたり、頭の中で訳するスピードもギリギリ間に合ったりと、楽しめました! 現地で学んだという実感を得ることができて、すごくうれしかったです。 そして、アン・ボヒョンさんは韓国で会っても日本で会っても、素晴らしく素敵。 「学びたい」意欲が、勉強が苦手だった自分を変えた 今回は書きたい気持ちが前のめりで、長くなってしまいました……。 ところどころ大変だった感じに書いていますが、やっぱり好きなことなので、つらいといった感情はまったくなかったです。 あと、勉強をやらされているわけではなく、自分の意思で学びに来ているので、自分でも驚くほど意欲的に勉強できたように感じました。これが社会人になって勉強することの醍醐味なのかもしれません。 今回のメンバーには、私より年上の方もいらっしゃって、学習への前向きな姿勢や、韓国語における美しい言葉の選び方、知的で深みのある文章の作り方に触れ、この先を照らされたような感じがして感銘を覚えました。 私も長く韓国語を学び続けたいな、と。 大学のキャラクターと 久しぶりの学生生活に疲れて、ほぼ観光らしい観光はできなかったのですが、訪れてよかった場所などは今度ご紹介させてください。 超短期留学から帰ってきて、今後の日本での学習プランを考え直し、最近は韓国語の会話授業に参加しています! もっと語彙を増やして、ナチュラルに話せるようになりたいです! 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/漢陽大学 漢陽大駅直結という、立地条件も魅力的なキャンパス。今流行りの聖水(ソンス)にも近いので観光も楽しめました。語学堂の先生、スタッフの皆様がとても温かくて、アットホームで過ごしやすかったです。広いキャンパスはなんでもそろっていて、困ることがありませんでした! 規模が小さい女子大に通っていた私は、短期間でしたが大きい大学に通えたのがめちゃくちゃうれしかったです。これぞキャンパスライフという感じでした *2/アン・ボヒョン 『梨泰院クラス』や『ユミの細胞たち』、『生まれ変わってもよろしく』など、このほかにも代表作はたくさん。どんな役もハマる天才的な俳優さんです。えくぼが素敵 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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あんみつコーヒーのおいしさに震える!マジシャン店主の想いを継ぐ「世田谷邪宗門」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第7杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 雨はあまり好きではないが、街に人が少なくなるところは好きだ。 傘をさしながら散歩をして、長靴を履いてこなかった自分を呪いながら飲むコーヒーはとてもおいしい。平日で雨の日の喫茶店なんて、一番静かで落ち着く。 濡れることや疲れることのマイナスを、雨の日にしか味わえない空気から得られる楽しさが上回ることのほうが多い。 だから雨のときは思いきって外に出ることにしている。たまに、雨だし、行こうと思っていた喫茶店も閉まっていたし、のようなさんざんな日もあるけれど。 ちなみに、今の時期こそ行きたいお店といえば、高円寺の名曲喫茶ネルケンだろう。先日久しぶりに一杯コーヒーを飲みに行ったが、店先の紫陽花は今年もきれいだった。 まるで資料館? 凄まじい骨董品の数々 さて、今回訪れたのは、下北沢と三軒茶屋のちょうど間あたりの住宅街にある喫茶店。1965年創業の老舗「世田谷邪宗門(じゃしゅうもん)」さんだ。 閑静な通りで、レンガの壁が目印のこのお店。扉を開けお店に入った瞬間、思わず息を呑んだ。一歩足を踏み入れると、アンティークの品々が所狭しと並んでいる。 喫茶店で見るアンティーク調のランプが私は大好きなのだが、この「世田谷邪宗門」は天井から数えきれないほどのランプが吊り下げられている。見ているだけで胸が高鳴る。 メニューはシンプルで、バリエーション豊かなコーヒーと、紅茶やココアやジュースなどのドリンク。ライトミールとして3種類のトースト、ケーキがある。 その中で唯一見たことのない「あんみつコーヒー」というメニューがあった。これは世田谷邪宗門名物で、あんみつコーヒー目当てで訪れるお客さんや取材も多いとのこと。味の想像ができなかったので、楽しみにしながら注文した。 それにしても、店内の骨董品が凄まじい。古いカメラがたくさんあったり、古い電話機があったり、壁には火縄銃がたくさんかかっている。 これは、喫茶店の内装のアンティーク品の範疇を大きく超えている。どちらかといえば資料館のようだ。 これまでいろいろな喫茶店を巡ってきたが、過去一番くらいにキョロキョロあたりを見回した。どこもかしこも気になる代物ばかり。 世田谷邪宗門名物「あんみつコーヒー」が絶品! あんみつコーヒーが登場した。たっぷりの寒天の上に、あんことバニラアイスが乗っている。別の器に入っているのが冷たいコーヒーで、生クリームもついている。 このあんみつコーヒーは、黒蜜の代わりにコーヒーをかけるというスイーツ。まずはコーヒーを全部かけて、あんこを少し溶かしてかき混ぜてからアイスクリームと合わせて食べるのがおすすめとのことだ。 あんことバニラアイスの甘さにコーヒーのいい香りと苦味が相まって、ひと口食べただけで震えるようなおいしさ。寒天なので、コーヒーゼリーよりももっと弾力があるのもよい。 あんことコーヒーの相性のよさに舌鼓を打った。これから暑くなるのにピッタリのメニュー。 アイスクリームが溶けてきたころに生クリームも加えて混ぜると、よりまろやかな味わいになる。寒天を食べきったあとに、お椀に残ったクリーム入りのコーヒーも飲み干した。 クリームあんみつはたまに最後のほうで甘みが強く感じられてしまうことがあると思っていたのだが、このあんみつコーヒーは最後の最後までおいしくいただける。 絶対にこの夏はもう一度、なんならもっと食べたいと感じた。 全国5店舗、暖簾分けの条件は「店主がマジシャンであること」 今回お話を聞かせていただいたのは、店主の息子さん。店主さんは今年90歳とのことで、お体のこともあり、今は息子さんがお店にいらっしゃることが多いそうだ。 「邪宗門」というかなり印象的な店名だが、実はこの名前の喫茶店は全国に5店舗ある。そのうち「荻窪邪宗門」は私も何度も行っているお気に入りのお店だ。 世田谷にもあるということを知って、いつか行ってみたいと思っていたので、今回訪れることができてうれしい。 ちなみにほか3店舗は、静岡県の下田、新潟県の石打、富山県の高岡で営業しているそうだ。邪宗門巡りの旅をいつかしてみたい。 邪宗門の始まりは東京の国立で、おいしいコーヒーと骨董品のある、多くの人に愛された喫茶店だったそうだ。創業者の名和孝年さんはマジシャンでもあり、そのコーヒーとマジックに心を奪われた人も多数。 いつからか、その常連客が暖簾(のれん)分けというかたちで、各地に「邪宗門」と名のつく喫茶店を開いたそう。「邪宗門を名乗るには、店主がマジシャンであること」という特殊な条件がついていたとのことだ。 最大で8店舗あった邪宗門は、店主8人が全員マジシャン。なんだかマンガや物語のようだが、実際に、世田谷邪宗門の主人もマジシャンだという。以前はお店でマジックを披露することもしばしばあったそう。 ちなみに邪宗門の店主は「門主」というらしく、昔は1カ月に一度ほど「門主会」という集まりも開かれていたらしい。 その話を聞いて、「マジックができる邪宗門の門主たち」という響きから、秘密結社のようなものを想像してしまった。実際はみんなで楽しく遊んでいたとのことだ。 現在営業している邪宗門は、門主のご夫人やご子息などがお店を切り盛りしているところが多いので、なかなかマジックをお目にかかれる機会はなさそう。それでもワクワクする響きのお話だと思った。 西荻窪の「物豆奇」は、世田谷邪宗門の姉妹店! 店主の息子さんと喫茶店についてお話ししていたとき、私は西荻窪の「物豆奇」(ものずき)というお店が好きだと何気なく言った。すると、「物豆奇はここの姉妹店なんだよ」という衝撃の事実を教えてくださった。 たしかにそこも店内にアンティークが置いてあり、壁にもたくさんかかっている雰囲気がどことなく似ているのだが、私はまったく知らなかったので驚いた。 物豆奇の店主と世田谷邪宗門の店主は、今でも交流があるそうだ。最近少しずつわかってきたのだが、喫茶店は意外と横のつながりがあるらしく、それもおもしろい。 物豆奇の店主もまた国立邪宗門のファンだったそう。そこで邪宗門という喫茶店を開こうとしたが、その方はマジシャンではなかったため邪宗門は名乗れなかったらしい。ここまでおもしろいエピソードが聞けるとは思っていなかったので、思わず笑ってしまった。 ただ、国立邪宗門の雰囲気を強く受け継いでいるのは物豆奇とのこと。国立はもう閉店してしまっていて行くことができないので、今度西荻窪に行ったら物豆奇にまた必ず行こうと思った。 歴史あるインテリアで、半世紀前にタイムスリップ? 昔は今ほど骨董品が高価ではなかったそうで、そのころに店主は次々に買いそろえてお店に置いていったそうだ。 店の奥には奥様の趣味の音楽のものも並んでいる。ジュークボックスが置いてある場所も、今はなかなかないと思うので、貴重で見ていて楽しい。 扇風機は半世紀ほど前からあるもので、いまだに動くそう。きちんと稼働していて、古くからのものが大切に使われ続けているのは本当に素敵だと思った。 ピンクの電話も現役だそうで、世田谷邪宗門に電話をかけると、ここにかかってくるらしい。私の世代はダイヤル式の使い方も知らない。かくいう私も実際にダイヤル式の電話機で電話をしたことはない。タイムスリップしたような体験ができるかも。 世田谷邪宗門はアニメの聖地にもなっていて、そのアニメのファンや海外からもお客さんが訪れるそう。 それでも常連さんが来られることを大切にしているとのことで、この取材の日も常連さんがいらした。お店の人かと思うくらいに、邪宗門や喫茶店のお話をしてくださって、とても楽しい時間だった。 “好き”を貫く精神が、居心地のよさの理由 そういえば、邪宗門の暖簾分けの条件はもうひとつだけあったそうだ。それは「お金儲けに走らないこと」。 “好き”を貫いてお店を営業している精神が邪宗門からは感じられる。だからこそ味わえる居心地のよさがきっとある。 街の中の一枚の扉を開くだけで、こんなにも素敵な世界が広がっているということがなんだか幸せ。ひと休みにも、ちょっとした現実逃避にもいいかもしれない。 下北沢や三軒茶屋から歩いて世田谷の街を楽しみ、このお店まで行ってみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 世田谷邪宗門 平日:9時〜17時、土日:9時〜18時、水木:定休日 東京都世田谷区代田1-31-1 世田谷代田駅から徒歩11分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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“談話室中毒”になりそう!具だくさんナポリタンが人気の「談話室 ニュートーキョー」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第6杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 喫茶店での過ごし方は無限にあると思う。以前までの私は「喫茶店に行く」ということ自体が楽しく、反対にいえば足を運んだ時点で目的が達成されてしまっていた。最近になってようやく「どう過ごすか」ということを考えるようになってきた。 音楽喫茶であれば、ひとりでゆったりと音楽を楽しむ時間を過ごすということが目的になる。モーニングで新聞を読んでみたり、昼下がりに読書してみたり、店内でうっすら流れるラジオを聴きながら人を待ってみたり。 喫茶店というのは10人いれば10通りの過ごし方があるからおもしろいのかもしれないと思い始めた。 エスカレーターで2階に上がる「談話室 ニュートーキョー」 今回はJR日暮里駅東口から徒歩1分、駅前のロータリーの前にある「カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー」さんを訪れた。 通り沿いのショーケースに並ぶメニューがどれもおいしそうで、お店に入る前から何を食べようかとワクワクする。 お店がある2階へはエスカレーターに乗っていく。過去に数えるほどしか見たことがないが、2階にある喫茶室へ向かうためだけのエスカレーターはかわいらしさがある。昭和の時代からあるビルに多い印象だ。レトロモダンを感じられてよい。 店内に入るとその幽玄な景色に圧倒される。ビルの2階のワンフロアは丸々この「談話室 ニュートーキョー」で、なんと客席は160席。平日の昼時もとうに過ぎたころだったが、店内では食事やお茶をしているお客さんで賑わっていた。 大理石の壁や赤い絨毯(じゅうたん)、各テーブル席の間の木製の柵に、ゴージャスなシャンデリア。欲しいものが全部詰まっているような、喫茶店らしさであふれる店内。 そしてなにより、木をベースに柄のある赤いベルベット調の生地が張られた椅子がすべての席にある。ひとりがけもソファ席もすべてこの素材。 昭和の雰囲気は感じられるが、清潔感がありピカピカとしている、とても過ごしやすい店内だ。 具だくさんのナポリタンをペロリと完食! 午前11時から午後2時まではランチタイム。 私が訪れたときはランチの時間は過ぎていたが、午後2時からラストオーダーの午後8時25分まで、「サービスメニュー」としてハンバーグやロースカツの定食セットがいただける。プラス110円でドリンクをつけることも可能。 夜ご飯の時間にも食べられることも含めて、とても良心的だ。ちなみに平日は7時から11時まで、土日祝日は8時から11時まで、モーニングの営業もある。 私はグランドメニューの「下町のエビ入りナポリタン」を注文した。銀のお皿がたまらない。 ナポリタンにエビが入っているのは初めてだったが、これがとてもおいしかった。定番のウインナーももちろん入っており、具だくさん。さらにゆで卵が上に乗せられているのがよい。かわいらしくてキュンとしてしまう。 ソースの味も絶妙で、最初に見たときはかなりボリューミーに感じたが、あっという間にペロリと完食してしまった。 これはナポリタンの特集でも紹介されるほどの名品だそうで、お客さんからの人気も高いメニューとのこと。ちなみにテイクアウトもできる。 アイスコーヒーはすっきりとした苦味のある味わい。ひと口飲むと落ち着いた気持ちになり、談話室の空気に溶け込むような感覚があった。コースターもお店のオリジナルで素敵だ。 店内にある絵をぼんやりと眺めたり、店内の音楽に耳を傾けたりして、食後のひとときを過ごした。いつまでもいたくなるような空間だ。 ほぼ毎日来店する“談話室中毒”のお客さんも このお店について、店長さんにお話を伺った。 「談話室 ニュートーキョー」としての営業は45年近く続いており、店長さんも30年ほどお仕事されているとのこと。 談話室は地元の人に愛され続けている喫茶店で、常連さんも多いそうだ。365日のうち340日ほど来店する“談話室中毒”といってもいいお客さんもいるとのこと。 年中無休で朝から夜まで営業しているから、どんなシーンでも訪れることができる。仕事に行く前のモーニングや、誰かと会うときにお茶をするなど、日常の一部になる喫茶店だ。 「ニュートーキョー」というのは会社の名前で、もともとはこの日暮里駅前のビルの1階でパチンコ店を営んでいたそうだ。そしてその2階は喫茶室として営業していた。さらに上の階には宿泊施設があったらしい。 昔はそのような形態で営業しているところが多かったと店長さんがおっしゃっていた。たしかに、先に記した「エスカレーターで行く2階の喫茶室」は、ほかもまったく同じように、下がパチンコ店で上が宿泊施設だったことを思い出して、なんだかスッキリした。 時代が流れていくうちにパチンコ店などはなくなってしまったそうなのだが、この談話室だけは残り続けて、令和の今もたくさんの人が訪れるお店として営業している。 日暮里駅や駅前も開発で変わっていったらしい。そのなかで、この談話室は変わらず存在しているというのが歴史を味わえて素敵だと感じた。 駅前ロータリーが見える大きな窓は“談話室の顔” 店内は何度か改装はしていて、席の生地の張り替えなどもしているそう。しかし、壁やシャンデリアや銅のテーブルは開店当初からずっと使い続けているとのこと。 長持ちするものが大切に守られているというのは、喫茶店のよいところだと思う。そのような細やかなことが空間全体の温かみにつながっているのではないだろうか。 駅前を見渡せる大きな窓。やはりこの窓際の席は人気らしく、「あそこに座りたい」というお客さんも多いそう。 お店の端にいても窓がちらりと見えて、光が差し込んでいることがわかる。この大きな窓は“談話室の顔”ともいえるかもしれない。 日暮里散策と談話室がセットで楽しめる 日暮里という土地に、正直私はなじみがなかったのだが、店長さんいわく谷中霊園や繊維街に訪れる人が多いとのこと。そのため、霊園や繊維街の帰りにこの談話室に立ち寄るお客さんもいる。 日暮里という街に訪れることと、談話室に寄ることがセットになっている人がたくさんいるのも、やはりこのお店が何度も行きたくなる落ち着きのある空間だからなのではないかと思う。 街や時代が移り変わるなかで、試行錯誤を重ねながら続いてきた「カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー」。最近ではコロナ禍での営業など大きな困難もあったが、談話室は街の人をはじめ多くの人に愛されている。 朝も昼も夜も、お茶もお食事も。いつどんなときもお客さんを温かく受け入れる。近くに行った際はぜひ訪れてほしいし、談話室に行くついでに日暮里を散策してみてもいいだろう。 私も帰りがけに初めて繊維街を訪れたが、なかなか楽しかった。谷中もまた違った趣がある。一度この街とお店に足を運んでみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー 平日:7時〜21時、土日祝:8時〜21時 東京都荒川区西日暮里2-19-4 ニュートーキョービル2階 日暮里駅から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
logirl staff voice
logirlのスタッフによるlogirlのためのtext
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(セントウルステークス)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(セントウルS) 競馬の暦では秋競馬に分類されつつ、サマーシリーズの総決算も兼ねるのが今週。今年は特に中京競馬が夏からの継続開催となりますので、その感はいっそう強くなります。YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#176)でも、ゲストに雪平莉左さんを迎え、三谷紬アナウンサーとともに配信を行っております。当コラムの予想も9月8日(日)の中京11R・セントウルS。 ◎⑦ヨシノイースター。 セントウルSはこの5年で中京開催が4回目ですが、それにしたって20~22年の中京開催は開幕週。今年は8月も使っていた中京の連続開催となりますので、かなり様相が違います。具体的に言えば開幕週だと3歳牝馬の逃げ馬ピューロマジックが相当に有利でしたが、今年の中京芝コンディションは逃げ馬に有利とは言えず、しかも同型多数なので、相応に厳しいのではないかと思います。逃げ馬の一列後に構えそうな馬としてヨシノイースター。差し馬よりも先行して立ち回りのうまいタイプに重点を置きたい。 ○③グレイトゲイナー。 今夏は15、10着といいところがありませんが、前走のCBC賞は叩いて型通り良くなっていたかと思います。叩き3走目で、ここが勝負どころ。ピューロマジックやアサカラキングが行くなら、無理に逃げないのでは。その方が結果につながりそう。 ▲⑥ジョウショーホープ。 3勝クラスを勝って、いきなりの重賞チャレンジ。かつ初千二。さすがに人気はないと思いますが、ストークSの内容はなかなか優秀。重賞の千二だと置かれる懸念はありつつ、上級までいくミッキーロケット産駒の先例としてミッキーゴージャスが3勝クラス→愛知杯を連勝。一例を持ってですが、上昇ムードに乗っておく手もあります。 馬券は3連複1頭軸。 <軸>⑦→<相手>③⑤⑥⑫⑮⑰⑱。21点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(キーンランドカップ)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(キーンランドカップ) 今週も配信はお休みです。いやー、先週の札幌記念プログノーシスですが、パドックがあんまり良くないなーとは思ったんですが、回ってきただけの4着。能力的に巻き返す余地はもちろんあるでしょうが、6歳でそう伸びしろもないのも正直なところ。札幌記念で買って秋に評価を下げるのが常道だと思いましたが、競馬は常道だけでは決まりませんね…。秋の扱いも難しくなりました。さて今週の予想は8月25日(日)の札幌11R・キーンランドカップ。ここはこのコラムでも何度も出したフレーズでおなじみ、「G1以外で馬券を外したことがない」ナムラクレアが登場です。筆者も高く評価している馬で、次走のスプリンターズSが正真正銘の大勝負ながら、前哨戦で手を抜くタイプでもありません。 ◎②ナムラクレア。 プログノーシスが馬券外に飛んだので、ナムラクレアに◎を打つのも結構、迷いました。昨年と同じ55キロで楽なのは確かですが、今年の方がメンバーは強力な感じ。衰えてはいませんが、大きな上積みがある感じでもないので、ありていに言えば「飛び頃」と感じなくもありません。そもそもこのレース、外枠の方がいいんですよね。ただ、今年は例年よりインが使えるうえ、この馬自身も内のさばきは苦手にしていない。何らかに脚をすくわれる恐れはありますが、馬券の軸としてここまでは信用すべきかと思います。次のG1は正直、評価を下げてもいいかなと思っています。 ○⑩サトノレーヴ。 8戦6勝、函館スプリントS勝ち馬。スプリンターズSに直行するかと思っていましたが、こちらに参戦。勝てばサマースプリントの優勝はほぼ確実。WASJウイークで鞍上にレーンを確保。元々使い込めないタイプなので、出るところは全部勝負のタイプ。ここでナムラクレアとのアトサキを測って本番というより、サマースプリントを勝ちに来たのではないかと思います。 ▲④モリノドリーム。 函館札幌5戦5勝。洋芝マスターとして名乗りを上げてきました。当然、陣営は特性を把握しており、前走の青函Sもいかにも先を見据えつつ完勝。当面のというか5歳牝馬であることからもキャリア集大成的な目標はこのキーンランドカップでしょう。スプリンターズSや高松宮記念だと微妙に切れ味不足感があり、ナムラクレアがいようとも「地の利」はこちらにあり。 馬券は3連単2頭軸マルチ。 <軸>②⑩→<相手>③④⑥⑧⑨⑭。36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(札幌記念)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(札幌記念) 配信は盆休みをいただいております。特に問題なければ8月30日の新潟記念ではYouTube配信もありますので、その際はご高覧をたまわりたく。ともあれ、関屋記念は米子S1、2着がそのままで、◎プレサージュリフトが力負け(展開も良くはありませんでしたが)という結果でした。やっぱり夏競馬は実力評価もともかく展開ですね…と書きつつ、今回ばかりは展開?知らん、力で何とかする…という予想になります。8月18日(日)の札幌11R・札幌記念。 ◎⑪プログノーシス。 いやー、この馬を◎にする予想を読みたいがために、このページを訪れた人はそんなにいないと思います。なので、あらゆる角度からケチをつけようとしたのですが、最も負ける公算が大きくなるのは「ゲートでやらかして前が詰まりまくり」に尽きます。外枠で周囲の馬が馬なりスタート(出していかない)の時点で、前が詰まる恐れも少なくなり、仕上げにも不満なしとなれば仕方ありません。 ○③ボッケリーニ。 重賞2着8回の実績馬。とはいえ8歳の2番人気想定を対抗にする自体、あまり気乗りしませんが、今年は春についてはG1出走を自重してG2、G3サーキットというローテーションを組んでおり、賞金7000万円で敵は1頭だけみたいな夏のスーパーG2で仕上げない理由がありません。 ▲⑤チャックネイト。 人気薄からプログノーシスの相手に指名するならこの馬でしょうか。天皇賞・春は距離も長かったし格負け。前走は窮屈なレースだったので、それほど悲観する必要はありません。距離はもう少しほしいところですが、ややステイヤー質の馬が夏のローカル2000メートルで走るのはよくあります。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑪→<2着>③⑤→<3着>①②③⑤。 <1着>⑪→<2着>①②→<3着>③⑤。10点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>
動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2024年8月28日(水)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画でレギュラー配信中、話芸の達人が集う「WAGEI」公開収録! 番組MCを務める浪曲師・玉川太福と、ワゲイストにはSF小説のネタを披露する落語家・立川わんだが登場! ゲストには、落語経験のある「今村美月」(元STU48)が登場!今回特別に高座で落語を披露します。 さらに「髙橋彩音」(AKB48)も緊急参戦!豪華出演者たちとの貴重なトークや、 サイン入りグッズが当たるプレゼント企画も用意しています! 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2024年8月28日(水)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川鈴(曲師)/立川わんだ(落語家)/今村美月/髙橋彩音(AKB48) ※さらに出演者が追加する場合も有ります。 応募詳細 追加応募期間:2024年8月16日(金)17:00~8月22日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 当選発表:当選した方のみ、8月23日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2024年8月28日(水)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福 玉川鈴(曲師)・立川わんだ・今村美月・髙橋彩音(AKB48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、8月23日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑