若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
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栗谷が「幸せな朝」を迎えても勢いの衰えない強運コンビ・カカロニの次なる展開とは?|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#36
カカロニのふたりは、なぜか、朗らかとしている。そして、自信に満ちている。撮影中の佇まいを見てそう思った。 彼らがまとう、余裕のオーラ。その秘密を知りたくなった。 芸人の初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」。今回はカカロニのふたりに、テレビでの初舞台や、ブレイクの舞台裏を話してもらった。そこで見えてきたのは、チャンスをものにするための徹底的な準備と、幸運を信じる前向きな姿勢だった。 【こちらの記事も】 人気コンビ・カカロニの半年遅れのファーストステージと、波乱のセカンドステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#36 目次「グレープカンパニーは各々なんです」コロナ禍のサッカーテレビに出た時期がたまたまよかった僕らは幸運である 「グレープカンパニーは各々なんです」 左から:栗谷、すがや ──2016年に結成したカカロニは、その後すぐに人力舎を退所してフリーになった。 すがや そうですね。1年間くらいですけどラスタ原宿を中心に、寄席にけっこう出てました。よかったのは、あの時期に栗谷さんが「カッコつけるキャラやってるけど、俺、本当はこういうこと思ってないんだよね」って言い出したことで。 ──どういうことですか。 すがや 「俺は落とし方とかは考えるけど、実践はできないんだよ。勇気がないから」って言われたんです。 栗谷 「そういう俺の性格で、漫才をやったほうがいいんじゃないか」って提案しました。それでナルシストにネガティブな要素を入れたらウケたんです。あと俺と組む前のすがやはずっとボケをやっててツッコミに慣れてなかった。だから俺がまっすぐナルシストすぎると全力でツッコまなきゃいけなくて、しんどかったんです。でもそれもネガティブ要素を入れれば、俺で落とせるようになる。 ──コンビの課題を一気に解消する提案だったと。その後どうやってグレープカンパニーに入るんですか。 栗谷 2016年の『M-1(グランプリ)』決勝で、「カミナリさんおもしれぇ!」ってなって、グレープカンパニーを知って。そこからサンドウィッチマンさんいる事務所じゃん、ここ行きたいってなって、メールを送りましたね。 すがや それまでは浅井企画のオーディションを受けてたんですけど、グレープにメールを送ってから数カ月後に「今ならオーディションできます」って返信があったので、浅井にはお断りを入れて。それでわりかしすぐ所属させてもらいましたね。 ──そもそも2016年のグレープカンパニーは、芸人ですらピンとこない事務所だったんですね。 すがや そうですね、カミナリさんもライブシーンで会うことってなくて、いきなり出てきた感じで。サンドさんも売れすぎてもはや事務所名で把握してなかったですし、永野さんもすでに入ってたんですけど事務所は意識してなかった。あ……でも(お見送り芸人)しんいちさんがいたから、グレープの名前は知ってたんだ。 ──2016年のしんいちさんとは知り合ってた? すがや しんいちさんとバイト先が一緒だったんですよ。まぁでも今の歌ネタをやる前のしんいちさんの事務所に行こうとはなかなか……(苦笑)。 栗谷 それまで腐っても人力舎とワタナベにいたんで、無名すぎる事務所はっていうのもありましたよね。今でこそ(東京)ホテイソン、ティモンディ、ランジャタイ、わらふぢ(なるお)さんとかいるけど、当時はサンドさん以外、誰もいなかったから。 ──その面々で一致団結してグレープカンパニーもここまで大きく……。 すがや 力を合わせた記憶はまったくない(笑)。 栗谷 各々がんばってた。グレープカンパニーって各々なんですよ。 コロナ禍のサッカー ──実際所属してどうでしたか。 すがや 「なんていい事務所なんだ!」って思いました。グレープの芸人がちょっと不満に思ってることも、いや、ワタナベと人力舎に比べたらだいぶ恵まれてる(笑)。めちゃめちゃオーディション多いですし。 栗谷 コロナ以降はYouTubeでネタが見られるようになったんで、オーディション自体減ってるんですけど、コロナ前はオーディションだけで忙しい時期とかあって。テレビにはまったく出てないし金も稼げてないのに、オーディションのはしごでした。月20日オーディション入ってた。 すがや 養成所の生徒向けに、オーディションでのハマり方で授業できるくらい必勝トークルートができ上がってました。 栗谷 こいつがここで暴露して俺がブチギレるとか。それで『ゴッドタン』の「この若手知ってんのか!?(2020)」もうまくいったんで。 ──オーディション地獄があったからこその成功だった。 すがや 俺らの感覚からすると地獄でもなかったんですよ。前の事務所ではチャンスすらもらえなかったから。 栗谷 売れてる感覚すらあったよな。売れてない芸人はテレビ局なんか行けないじゃないですか。でも今くらい行ってた(笑)。 すがや オーディションも二次、三次まであったし。 栗谷 夢に向かってがんばってる感じがあったよね。あれは青春だった。 すがや やっと軌道に乗ってきた手応えもあったし。テレビに出るまでではないけど、スタッフには気に入ってもらえて最終まで残るんですよ。だから一個番組に出たら、ほかのところも急に使ってくれるようになって。 ──おもしろいと思っても実績がないなかなかとキャスティングしづらい。そんなときにひとつハネると一気に連鎖する。それにしてもふたりになってからはわりとトントン拍子ですけど、うまくいかない時期はありましたか? 栗谷 コロナ禍ですね。なんにもなくなったじゃないですか。テレビに出てる人すら仕事がなくなって、再放送が流れてるみたいな。それだったらテレビにまだ出てない人はもう無理じゃんって。ずっと家にいてけっこう病んじゃって、とりあえず解散しようって思いました。 すがや それは初めて聞いたな(笑)。なんで解散の話しなかったんだろう。 栗谷 コロナ禍に事務所で久しぶりにネタ見せやりましょうってなって、すがやと前日にネタ合わせしたんですよ。そしたらこいつがサッカーボールを持ってきて、急にパスし始めて。 すがや ちょっと蹴ろうよって。 栗谷 それが楽しくて。で、じゃあちょっと……またがんばるかって(笑)。 すがや はははは(笑)。僕は僕で、家にこもっててしんどかったんで、ボール蹴りたかったんですよ。ネタ合わせよりも、一回リフレッシュしたかった。 栗谷 久々に外で笑ったな、笑顔になったなって思って、やっぱ悪くないなって。その直後に『ゴッドタン』に出られたんで解散しなくてよかった。 テレビに出た時期がたまたまよかった ──カカロニがテレビに現れたのは、コロナ禍だったんですね。 栗谷 コロナ禍に出られたのはラッキーでした。僕らふたりともひな壇に座って「ちょっとちょっとー!」って前に出られるタイプじゃないから。 ──たしかにテレビ収録も演者同士距離を取らなきゃいけないから、人数も限られてましたもんね。 栗谷 出演者が減ったぶん、1組を深掘りするようになった時期だったんで、ありがたかったです。僕は自分から行ける芸風じゃないんで。『ウチのガヤが(すみません!)』とか昔は30人とか出てたじゃないですか。それが5組くらいになったら、1組10分くらいプレゼンできるようになって。そこで掘ってもらって初めて僕はキャラを出せる。それでコロナが終わったら先輩にも知ってもらえてるから、『アメトーーク!』に出てもイジってもらえて。 ──ちなみにテレビの初舞台は『ゴッドタン』ですか? 栗谷 コンビでは『有ジェネ(有田ジェネレーション)』ですね。あれは2018年か。 ──ふたりが最も敬愛するくりぃむしちゅー有田(哲平)さんの番組。 栗谷 めっちゃ緊張しました。 すがや 大部屋の楽屋だったな。 栗谷 いろんな人にあいさつして、この人は返事しねぇんだなとか思ってましたね。 すがや 『有ジェネ』はみんなレギュラー外されたくなくてバチバチだったからね(笑)。 栗谷 今はみんな優しいですけど、当時はめっちゃ怖かった。 ──ネタの手応えはどうでしたか? 栗谷 あんまりよくなかったですね。ちょうどオーディションに呼ばれまくってた時期なんで、ネタをこねくり回してたんですよ。同じ番組に同じネタは持っていけないので毎回、進化版を出さなきゃいけなくて。 ──進化版なら、よりおもしろくなる気がするんですけど……。 栗谷 いや、スタッフさんに向けた進化版なんで、ちょっとわかりづらくなってるんですよ。初見の人にはもっとわかりやすいのを出したい。なので、これ伝わりづらいだろうなって思いながら本番やってました。 ──憧れの有田さんとの初対面はどうでした? すがや ずっと『オールナイトニッポン』を聴いてたから、有田さんがグイグイ来られてもあんま喜ばないのもなんとなく知ってて、ざっとあいさつしました。でもその時期、有田さんの番組の前説もちょこちょこあって、顔合わせる機会があったんです。僕たちがドッキリをかけられてる映像を有田さんが見てたこともあって、勝手に縁を感じてました。 栗谷 僕は今も『(全力!)脱力タイムズ』にカリスマ3(ぱーてぃーちゃん・すがちゃん最高No.1、リンダカラー∞・Denとのユニット)で、2週に1回お会いしてますから。 すがや 僕も半年に1回くらい『くりぃむナンタラ』に呼んでもらってますし、前編でも言いましたけど、有田さんとプライベートでゲーム大会してるんで夢のようです。 僕らは幸運である ──カカロニ、順風満帆ですね。 栗谷 もちろん不安はありますけど、そうですね。 すがや 僕らは幸運であるということは、もう知ってるので。 栗谷 不安はありつつも大丈夫かもっていう自信はありますね。事務所もちゃんと仕事入れてくれるし、バラエティの現場でも誰かが僕のことなんとかしてくれますし(笑)。去年まではずっと不安で、今年になってようやく楽しいです。 すがや 僕はわりとずっと楽しいですけどね。 栗谷 いや、もちろん楽しいは楽しいですけど……前は「この『アメトーーク!』ハネないと次はない……」って思って緊張してたんです。今はなんとかしてもらえる状況ができたので。 ──栗谷さんは2024年末に恋人ができたことを発表して、公私ともに順調ですもんね。 栗谷 2年前まで女性とまともにしゃべれなかったのに、番組でマッチングアプリをやったのをきっかけにここまで来られましたね。 ──どうやって苦手意識を克服したんですか。 栗谷 マッチングしたら1回は必ずランチするって決めて、60人ぐらいの女性と会ってたらだんだん楽しくなってきました。でも、なかなかモテないキャラという芸風があったんで、彼女作ったら仕事なくなるかもっていう不安はあって。いいなって思う子がいても、仕事を失ってまで付き合えないやって。 ──今の恋人は、その不安も払拭するほどの出会いだったんですね。 栗谷 そうですね。去年の夏に出会ったんですけど、めちゃくちゃ楽しくて。どうやらこれ彼女できても仕事なくならないっぽいぞって秋くらいに確信して、11月に付き合って。 ──どういう方なんですか。 栗谷 2歳年上で、僕が失敗してもなんでも笑って楽しくしてくれる。全部受け止めてくれる優しい人ですね。こんな幸せでいいんかって思います。結局仕事も減らず、なんなら増えてるぐらいですし。 すがや 大変なのは漫才だけですね(笑)。前編でも言いましたけど、栗谷さんに彼女ができて、今までの漫才ネタは全部使えなくなったんで。 栗谷 でもそこもラッキーで、俺が童貞卒業したと同時に、今度はこいつのポンコツがバレ始めた。今までポンコツの部分は隠してくれてたんですよ。 すがや 栗谷さんのキャラを見せたいのに、僕が目立つとブレるんで。 栗谷 いやぁ隠しきって、今このタイミングでバレるって本当に俺たちは運がいいです。だからこの先も大丈夫じゃないですかね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 カカロニ 栗谷(くりたに、1989年9月5日、神奈川県出身)と、すがや(1991年3月5日、東京都出身)のコンビ。2016年に結成し、2017年にグレープカンパニーに所属する。2020年には『ゴッドタン』の企画「この若手知ってんのか!? 2020」の“今の時代に売れそうな新世代芸人”部門で2位に入り、ブレイク。栗谷は、すがちゃん最高No.1(ぱーてぃーちゃん)とDen(リンダカラー∞)とのユニット「カリスマスリー」でも活動する。サッカー好きで知られるすがやは、2018年のサッカーW杯「日本対セネガル戦」をゴールネット裏で観戦している際、セネガル選手のシュートをヘディングした映像が話題になった。 【後編アザーカット】
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人気コンビ・カカロニの半年遅れのファーストステージと、波乱のセカンドステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#36
ナルシストキャラなのに、繰り出すセリフはネガティブ。カカロニ栗谷の「ネガティブナルシスト」はひとつの発明だった。コロナ禍に現れた新種は、あっという間にお笑いファンのハートをつかんだ。 学生時代はともにサッカーに励みながら、くりぃむしちゅーに憧れたカカロニ。彼らがコンビを組み、初舞台を踏むに至るヒストリーを紐解くと、鼻っ柱の強い栗谷の、漢気が見えてきた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次栗谷は小6まではイケメンで“俺様キャラ”だったすがやは、くりぃむしちゅーと友達だった担任に背中を押されて芸人の道へ……栗谷、不遇の養成所時代キレる栗谷、人力舎も速攻で辞める 栗谷は小6まではイケメンで“俺様キャラ”だった 左から:栗谷、すがや ──「ネガティブナルシスト」で知られる栗谷さんですが、2024年末に初めての恋人ができたことを所属事務所のホームページでお知らせして話題になりましたね。 弊社所属タレント カカロニ栗谷からのお知らせ 栗谷 「幸せな朝」を迎えさせていただきました。 すがや でも、それでカカロニの持ちネタは全部成立しなくなったんです(笑)。これまではナルシスト×ネガティブな童貞キャラだったんですけど、お客さんも「彼女いるじゃん」っていうのがよぎる台本になっちゃったので。 栗谷 だから作り直してるところです。前は僕がボケで、すがやがツッコミでしたけど、それも入れ替えて。 ──栗谷さんの「幸せな朝」は、カカロニというコンビを抜本的に変える出来事だったと。それなら事務所ホームページで知らせるのも納得です(笑)。でもなぜ女性と縁がなかったんですか。 栗谷 僕はずっと一軍だったんですよ。小中高、体育祭のリレーはずっとアンカーでしたし。小学6年生まではけっこうイケメンで、わがままな俺様キャラで。でもそのころ、鼻の骨が1本足りないことがわかって顔の手術をしたら、顔が変わっちゃってブサイクになっちゃって。それで女子に無視されるようになったんです。女子に嫌われたら、男友達からも距離取られるようになっちゃって。 ──それはつらい……。 栗谷 でも俺も学校の友達をちょっと下に見てたんですよ。サッカーのクラブチームに入ってたんで、学校のヤツらとはつるまない、みたいな。なので運動神経はいいんだけど、「何してるかわからないヤツ」みたいな扱いになってたのが中学時代ですね。 ──高校は? 栗谷 僕が通ってた厚木北高校って、中学でクラブチームに行ってた子が集まる学校だったんですよ。だから最初から友達がいっぱいいたし、先輩も俺のこと知ってくれてたんで、人間関係を作る必要がなかった。入学早々、3年生の教室呼ばれて「みんなの前でなんかやれ」みたいな。 ──イジられキャラだった? 栗谷 いや、普段はイジるほうが多かったですよ。 すがや たしかに栗谷さんの気質はイジる側ですね(笑)。 栗谷 当時は狩野英孝さんが出てきたり、出川(哲朗)さんが再ブレイクしたりして、イジられる側もすごいっていう風潮がもうあったんですよ。バナナマンの日村(勇紀)さんもブサイクイジりされておもしろかったし。「イジるほうが上/イジられるほうは下」っていう意識はなかったですね。 ──学生のときからお笑いは好きだったんですか。 栗谷 そうですね、中学のときには芸人になりたいなと思ってました。サッカーやってるせいで、夜は早く寝なさいっていう家庭だったんで、親の目を盗んでバラエティ番組観てましたね。『ワンナイ(R&R)』、『内P(内村プロデュース)』、『(くりぃむしちゅーの)たりらリラ〜ン』(のちに『くりぃむしちゅーのたりらリでイキます!!』に改名)、『くりぃむナントカ』……。くりぃむしちゅーさんは特に好きでした。 すがやは、くりぃむしちゅーと友達だった すがや 僕もくりぃむさん、大好きでした。テレビもそうですけど、やっぱり『(くりぃむしちゅーの)オールナイトニッポン』ですね。中3の夏に始まってハマって、それきっかけでTBSラジオの『JUNK』も聴くようになって、お笑いにずっぽり。僕もずっとサッカーやってたんですけど、高3の冬にくりぃむさんのANNが終わるってなって、「よし、芸人になろう」と思いました。 ──かなり飛躍があるように感じるんですけど(笑)。 すがや ラジオを聴きすぎて、くりぃむさんと友達になったような錯覚を起こしてたんです(笑)。なんなら友達としゃべってる時間より、ラジオを聴く時間のほうが長かった。ラジオが終わって、この人たちに会えなくなるのはイヤだから、芸人になれば会えるぞってことです。 ──なるほど(笑)。実際に共演の機会もありますか。 すがや 番組でもたまにご一緒させてもらいますし、今は有田(哲平)さんとプライベートでゲーム大会とかして遊んだりしてます。 ──本当に友達になった……! すがや 友達っていうと恐れ多いですけど(苦笑)。でも夢のようです。リスナーだった当時の自分に教えてあげたい。 ──高3で芸人になろうと思って、すぐ養成所に行ったんですか? すがや いや、くりぃむさんのANNが終わったのが高3の冬で、いきなり「受験辞める」って親に言い出せなかったんで、大学には行くことにしました。バイトでお金貯めて、3年生のときに養成所入って。その1年で無理そうだったら就活しようって。なんだかんだ逃げの手は残しておいて(笑)。それで最初はワタナベコメディスクールに行きましたね。 ──養成所はどうでした。 すがや 200組くらいいたんですけど、ハガキ職人をやってたおかげで、最初は上のクラスに行けましたね。相方が「俺は島田紳助になる」ってトガり散らかしてるのに、「ネタはお前が書いてくれ」っていう変な子で。 栗谷 ネタ書かない島田紳助さんはあり得ないって。 すがや 最初のライブでは、舞台裏で女芸人に「全然目見て話してくれないじゃん」ってイジられてふてくされて、ネタ合わせしてくれなくて(笑)。たぶん、栗谷さんと同じで女性が苦手な人だった。でも、そこをネタ書かない上に、女子に免疫がないことをイジられてふてくされちゃう人とは、コンビ続けられないなって思いましたね。そのあとは今、モンローズっていうコンビをやってる宮本(勇気)と、ベアードノーズっていうコンビを組んで卒業しました。 ──ベアードノーズは何年くらい活動したんですか。 すがや 4年くらいですね。見た目はちょっとシュッとしてたから、それなりに笑ってもらえたんですけど、テレビのオーディションでは手応えがまったくなくて解散しました。仲悪いとかではなかったんですけどね。そのあと栗谷さんと組みました。 担任に背中を押されて芸人の道へ…… ──おふたりが合流する前に、栗谷さんの経歴を聞かせてください。 栗谷 高校卒業したらNSCに入ろうと思ってたんですけど、なかなか言い出せないうちに大学も指定校で決まっちゃって。 すがや スポーツ科だったから内申点が取りやすかったんですよね。 栗谷 そうそう。でも担任の先生だけには「お笑いやりたい」って言ってて。その先生は『(痛快なりゆき番組)風雲!たけし城』に出たことがあって、たけし軍団にもスカウトされたらしくて。 ──そんな先生が身近なところに。 栗谷 すごくおもしろい先生でした。それで「栗ちゃん、お笑いやりたいんじゃないの? がんばりなよ」って背中を押してくれて、三者面談でも「お父さん、悟史くんはお笑いやりたいんですよ」って言ってくれて。父親が「いや、お笑いなんて……」って言っても「一回やらせてあげてください」って説得してくれて。結局、推薦が決まってた大学にも、校長先生と一緒に謝りに行ってくれて、それで1年間お金貯めて、NSCに行きました。 ──NSCはどうでした? 栗谷 1週間で辞めました。 すがや 先生があそこまでしてくれたのに(笑)。 栗谷 有吉(弘行)さんがブレイクしたときだったんで、自分もいけると勘違いして、同期に毒舌でバーッて言ってて。当然それがウケなくて、この状態でネタ見せして「つまんないヤツじゃん」って思われたらいよいよヤバいなと思ったら怖くて行けなくなっちゃいました。 ──担任の先生はそのこと知ってるんですか。 栗谷 いや、言えないです。あれ以来会えてないんで、一回謝りたいし、感謝も伝えたいですね。 ──ぜひそうしてください。その後、栗谷さんはどうするんですか。 栗谷 20歳になるんだし、やったことないことやってみようと思って、ヤンキーになってみました。近くのコンビニに小学校のとき仲よかったヤンキーの子たちがたまってたんで、「仲間に入れてくんない?」って。 ──歓迎してくれた? 栗谷 俺がおもしろいっていうのも伝わってたんで、普通に入れてくれましたね。ずっと駐車場でくっちゃべって、ダーツ行ったり、ボーリングしたり、ほかの人が車イジってるの見たりして。その間はお笑いは何もしてなかった。 ──いずれ芸人に戻る気はあったんですか。 栗谷 それはありましたね。でもヤンキーも楽しそうだった。で、ある程度遊んで満足したんで、工場で1年間働いて貯めたお金で(スクール)JCA(人力舎の養成所)に行きました。人力舎ってみんな仲がいいイメージがあるじゃないですか。おぎやはぎさん、アンタッチャブルさん、(東京)03さんの雰囲気ですよね。みなさん好きでしたし。 栗谷、不遇の養成所時代 ──じゃあ栗谷さんの芸人としての初舞台は、人力舎時代ですか。 栗谷 そうっすねぇ。でもその前にまたいろいろあって……。僕がJCAに入った年に、本来あった2クラスに加えて、「阿佐ヶ谷クラス」っていうのが新しくできたんです。そこに配属されたんですけど、授業初日に講師の方が「このクラスは実験クラスです。1年間何もしなかったらどうなるか見てみます」って言い出して。 すがや 60万円払ってるのに(笑)。 栗谷 最初はボケだろうなって思いましたけど、本当に誰も教えてくれなくて。で、夏に初めてのネタ見せがあったんですけど、当然誰もうまくいかなくて、講師が「このクラスはダメです。このままだったらライブやりません」って言い出して。 ──そんな理不尽な……。 栗谷 しかも、僕だけ呼び出されて「こいつらやる気ないから、お前が辞めさせろ。そうしないとライブやらせないよ」って。 すがや 栗谷さんが同期にリストラを告げたんですよね。 栗谷 うん、それで「ちゃんとやるならやる、やらないなら辞めてくれ」ってはっきり言って辞めてもらいました。で、ようやく9月に初ライブでしたね。そのネタはウケたんですよ。そのときの相方は、ソニーで2年くらいやってた経験者だったんでネタが作れて、みんなより完成度も高かった。「おやじ狩り」のネタでしたね。僕が親父役で「金出せよ」って言われるんだけど、変なものをどんどん出すモノボケみたいなネタで。 ──当時はコントだったんですね。 栗谷 人力舎だしコントかなって。でも当時はフリーライブに出ちゃいけないルールがあって、かといって事務所ライブも月1〜2回しかない。『キングオブコント』で結果を出さないとK-PROにも呼ばれないし、当時はネタ番組が軒並み終わって、お笑い氷河期みたいになってたんで。そんななかでも同期のトンツカタンとかは2年目で『おもしろ荘』に呼ばれてたから、オーディションにすら行けない俺らは絶対売れないってことで解散しました。 すがや その解散のタイミングが、僕の解散と同じ時期だったんで、組むことになったんですよ。 キレる栗谷、人力舎も速攻で辞める ──もともとふたりは知り合いだったんですか。 栗谷 いや、全然。共通の知り合いがいて、「ちょうど解散したヤツいるから会ってみれば」ってところからです。 すがや 新宿のベローチェで、ふたりっきりで会いましたね。 ──本当にお互いのこと何も知らない状態で。 すがや 最初、趣味の話したかな? どんな芸人が好きかとか、どんなネタやりたいのかとか。あと、ふたりともサッカーやってたっていうのは教えてもらってたので、その話。そういえば、組む前に一回、フットサル大会出たよね。 栗谷 優勝したんだよな。 すがや その景品でワールドカップ予選のチケットをもらったんだ。チームメイトがMVPになったんですけど、その人が気遣って「お前らで見てこいよ」って言ってくれたんです。 ──最初は友達みたいな感じでスタートした。でもふたりとも当時は人力舎とワタナベで他事務所だったんですよね? すがや まずは僕が人力舎に行くことになりました。ワタナベに栗谷さんが入るのは難しそうだけど、人力舎は行けそうな雰囲気があったから。 栗谷 それでいったん預かりになったんです。でもなかなかライブに出られなかったんですよ。当時あったじゃないですか、事務所移動したら半年間活動しちゃいけないっていう謎ルール。 すがや そんなところだけ若手芸人にも芸能界のルールが適用されるんだって(笑)。 栗谷 なので初舞台はコンビになってから半年後でしたね。 すがや 初舞台はわりとうまくいったんですよ。ナンパの成功数で競って、負けたほうが一枚ずつ服を脱いでく設定のコントで、栗谷さんが男前キャラのまんま、どんどん裸になっていく。 栗谷 あのネタがめっちゃウケた記憶がありますね。 すがや でもその次のライブで事務所を辞めましたけど。だから人力舎のライブは2回しか出てないんです。 ──何があったんですか。 すがや 出番直前に栗谷さんがマネージャーとケンカして辞めることになったんです。 栗谷 半年出してもらえなかったのに、ネタやる直前に「このネタおもしろくなかったら、もう来なくていいから」って言われたんですよ。それも舞台袖で。そのまま舞台出ていってウケたんですけど「辞めます!」って言って、それで終わり。 すがや 完全にふてくされた栗谷さんが、カツラ脱いで、去っていきましたね。 栗谷 あれに関してはこっちに完全に非はなかった。まぁもうその人はいないんですけど。「ピンだったら残っていいよ」みたいな、すがやに対してすごい失礼な感じだったんすよ。いや、お前らがすがや連れてきていいって言ったのに、そんな言い方ないだろって、すげぇムカついたんですよね。 すがや 止めてくれたマネージャーもいたんです。その人は「私が担当するんで」って泣きながら止めてくれて。だから俺は「面倒見てくれるって人もいるから残ってもいいんじゃないの」って言ったんだけど、栗谷さんは辞めるって聞かなくて。しかもそのとき栗谷さんが「栗谷だけピンで残るならいいよ」って言われてたことを、俺は知らなかったんです。 栗谷 別に隠してたつもりもないですけど。怒りがピークに達して感情的になったから説明してないだけです。 すがや 今でこそ感謝してますけど、当時は何も言ってくれないから「意地張って辞めなくてもいいのに」って思ってました。まぁあそこで辞めて、結果よかったんですけどね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 カカロニ 栗谷(くりたに、1989年9月5日、神奈川県出身)と、すがや(1991年3月5日、東京都出身)のコンビ。2016年に結成し、2017年にグレープカンパニーに所属する。2020年には『ゴッドタン』の企画「この若手知ってんのか!? 2020」の“今の時代に売れそうな新世代芸人”部門で2位に入り、ブレイク。栗谷は、すがちゃん最高No.1(ぱーてぃーちゃん)とDen(リンダカラー∞)とのユニット「カリスマスリー」でも活動する。サッカー好きで知られるすがやは、2018年のサッカーW杯「日本対セネガル戦」をゴールネット裏で観戦している際、セネガル選手のシュートをヘディングした映像が話題になった。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 栗谷が「幸せな朝」を迎えても勢いの衰えない強運コンビ・カカロニの次なる展開とは?|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#36
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賞レースでも活躍し、ブレイク間近と話題のコンビ・ひつじねいりが抱く焦燥と野望|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35
細身の元慶應ボーイ・細田が並べ立てる屁理屈に、ふくよかな男・松村が濃厚な関西弁で熱くツッコむ。東と西の笑いが融合したしゃべくり漫才が魅力のコンビ・ひつじねいり。 前回の『M-1グランプリ』では惜しくも準決勝敗退。しかし確実に認知を広げ、活躍の場は広がっている。 はたから見ているとのぼり調子なひつじねいりだが、本人たちの自覚は違うようだ。死屍累々の芸人界でひと旗あげるべく、がむしゃらに戦う彼らの現在地を聞いた。 【こちらの記事も】 紆余曲折を経て主役の座が見えてきたコンビ・ひつじねいりの期待にあと押しされた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35 目次ひつじねいりには、何かが足りんライブシーンに居座ってしまったテレビで傭兵として爆死したい ひつじねいりには、何かが足りん 左から:松村祥維、細田祥平 ──ネタ作りはどうしてますか? 松村 細田が0→1を出して、台本を持ってくるんですけど、一言一句決まってるわけじゃないんで、僕が編集する感じです。前のコンビではネタ作りしてましたけど、僕はゼロからイチを生み出すのが苦手やなと思ったんで、このかたちになりましたね。 細田 最初のころは(松村が)遠慮じゃないけど気を遣って、台本をまんまやってくれてて。でもこれじゃM-1勝てんぞってなって、気になるとこを言ってくれるようになりましたね。 松村 組んで1年くらいは細田の発想にシンプルにツッコむみたいな感じで。それがちょっと戦うには弱いなってなってから、お互いの違いを乗せたかたちになってきた。 細田 あと今年になって、ラジオを通して外部の意見をくれる人を募りました。2年くらい前に、ふたりで詰めるやり方だと、天井このへんかなぁって。 松村 今、3人いますね。ひとりはガッツリお笑いの作家さんですけど、あとは別の畑の方です。ネタの種だけあるときに、「どういう拾い方がいいですかねぇ」って聞いたりして。 ──客観的な視点を入れているというのは意外です。どのネタもふたりの人柄(ニン)が立ってるので気づきませんでした。 松村 組むときの目標として、M-1で決勝行きたい、優勝したいっていうのがはっきりあったんで、そこに行けない間はずっとテコ入れは繰り返すでしょうね。 ──昨年のM-1では初めて準決勝に進出しました。着実にステップアップしてる印象があるんですが。 松村 やってることは間違ってはないんでしょうけど、決勝に届かないってことは単純なウケ以外の部分で、何かが足りんってことでしょう。だったら何かやらんとあかん。まぁ落ちても「なんでやねん!」とはならないですけど。 ──その足りない「何か」って、現状ではなんだと思いますか? 細田 ネタの切り口、設定のところがまだ弱いのかなと。今まではふたりの人間性と対照性を見せてきましたけど、それだけだとまだ足りない。 ──昨年末のM-1敗者復活戦は初めての舞台でしたが、いかがでしたか。 細田 勝つかもとは思ったんですけど、まぁ勝ったところで……とは思いましたね。 松村 決勝行ったとて、令和ロマンにボコボコにされてたから。 細田 たぶん損してたと思うんで、結果、勝ち上がれなくてよかったです(笑)。 ライブシーンに居座ってしまった ──近年マセキ芸能社では、おふたりより芸歴の長いモグライダーやハンジロウといった中堅や、同世代のきしたかのが活躍されています。やや遅咲きの面々を見ていて、自分たちもまだまだ間に合うぞって背中を押されるところはありませんか。 松村 いや、普通にめっちゃ焦りますよ。子供のころテレビで見てたスターは20代後半だったんで、僕らみたいに30代半ばでお金はギリギリ、テレビもちょっとしか出てないってヤバいなと思います。SMAにいたときにバイきんぐの小峠(英二)さんにお世話になってて、今もたまに飲ませてもらうんですけど、あの人が『キングオブコント』で優勝したのが、36歳のときなんです。 ──松村さんは今年37歳になるから、小峠さんがチャンピオンになったときを超えると……。 松村 そうなんですよ。当時のバイきんぐさんって、死ぬほど遅咲きで苦労人っていう扱われ方だったじゃないですか。それでも36歳やったっていうのがヤバくて。あんなに苦労人やって言われてた、つるっぱげのおじいちゃんが報われたのに、俺はまだ報われてない。 ──たしかにそう聞くと焦るのもわかります。 松村 それこそ前編でも話題になったストレッチーズって、2022年に『ツギクル(芸人グランプリ)』で優勝して、M-1も準決勝まで行ってるんすよ。俺らより前に「次はストレッチーズの時代や!」ってなってたんです。でも、ちょうど昨日(高木)貫太を飲みに誘ったら「行きてぇけど……金がない」って言うんですよ。 ──なんと……。 松村 僕もびっくりっすよ。さすがに「今日俺がおごったるわぁ。俺の金で飲め!」って言っちゃいましたね。自分らより先にガッと行きかけてたヤツらが金ないのは焦ります。 ──ちなみにマセキだと、どのあたりの芸人がバイトを辞めて芸人仕事だけで食べていけてるんですか。 松村 僕らとサスペンダーズがギリギリで食えてる。 細田 カナメ(ストーン)さんも食えてるはずだけど、借金が(笑)。 松村 吉本(興業)だけですよ、若手でもたくさん食えてるのは。僕らがガッと上行って、仲間をフックアップできる立場になれればいいですけどね。ライブシーンでいうと、僕らってもうだいぶおじさんなんでいい加減上がらないといけないんですけど、実は下もあんまり育ってないんですよ。次の若手があんまり出てきてないから、僕らが中心に居座ってしまってる。吉本はそのへんもうまく回ってるんですけどね。 細田 僕はライブシーンがどうこうっていうより、自分のことで精いっぱいですね。 松村 細田はこの世代の中で一番熟してないんですよ。この芸歴ではありえんパフォーマンス。コイツだけマジで大学生みたい。 細田 本当にそうなんですよ。僕はしゃべりもステージングも全然ダメで……。ここから僕らが勝ち上がるために必要なものを考えると、僕の足りてないところばっかりなんです。 松村 これは自分らのラジオでもしゃべってることなんすけど、細田は青臭いまんま、ここまで来てる。たぶんコイツはお笑いを頭の中でだけやってきたんやなって。でも今は本人が意識して成長しようとしてるぶん、まわりの先輩も「最近の細田、接しやすくなったな」って徐々に認められてきてますけど。 細田 年齢的にも芸歴的にも、かわいげを出すとかってやり方はギリギリアウトなんですけどね……。 松村 20代前半のヤツ育ててるみたいな気分ですよ(笑)。 ──松村さんは相方として、細田さんの青臭さに気づいてたはずですよね。なんでここまで放置したんですか? 松村 もちろん気づいてましたよ! でも自分でなんとかすると思ってたんです。なのに、いよいよなんともならんから! 組んで3〜4年目までは我慢してたんです。でもこれはいよいよあかんわって。僕らほんまにずっとジタバタしてますね。 テレビで傭兵として爆死したい ──今後はどんな活躍のビジョンを描いてますか? 細田 僕はずっとおもしろいことを言ってカッコいいと思われたいんです。だから学生気分でやんなって言われるんでしょうけど。 ──前編では「『火花』憧れはもうない」って言ってましたけど、まだ引きずってる……? 細田 そうかもしれないですね。僕は足りてないところを宿題としてまじめにやっていって、その先でおもしろいこと言いたい。 松村 細田はまだまだ自分磨きで必死なんですよ。自分がちゃんと磨けてないから、具体的に何になれるかまだわかってない(笑)。 細田 でも僕、めっちゃまじめなんで、一個一個がんばるのは性に合ってます。 松村 こっちは次の課題を毎回提示せなあかんので大変ですよ(笑)。「これできた! ハイ次これ!」ってずっとやってるんで。最近だと『大喜る人たち』でも「MCをやるんじゃなくて、お前もやる側に回れよ!」って。この見た目は絶対大喜利できると思われるんで。 まぁ僕だけでも先に売れればいいんですけどね。そしたら「コイツ、ヘンなヤツなんですよ」って紹介できるじゃないですか。そのために「プレイヤーとしていろんなことできますよ」ってことで、いろいろやってます。サツマカワ(RPG)さんと、ストレッチーズの貫太とやってる『トゥリオのKOC優勝への道』ってPodcastもやってるし、『こちら幡ヶ谷待機所』っていうYouTubeチャンネルをスタミナパン・トシダと、大仰天・田口とも組んでますし。 ──YouTubeやPodcastで活動の幅を広げている松村さんは、テレビよりネットのほうに活路を見出している? 松村 いや、本当はいっぱいテレビに出たいですよ。ウエストランドの井口(浩之)さんと仲いいんですけど、あの人みたいにレギュラー番組はあんまなくても、この人おったら全部おもろなるなって芸人になりたい。 あと、芸人のおもちゃになりたいですね。子供のころからずっとイジられてやってきたんで、そういうところを見せていきたい。きしたかのさんとかって、ネタが高野(正成)さんの説明書になってるじゃないですか。ああいうネタも必要やなって思います。そんで、食べたいもの食べられて、いくらでもおごれるくらい稼ぎたい。 ──テレビで活躍したいんですね。 松村 めちゃめちゃテレビ至上主義です。YouTubeは結局ナメちゃうっていうか。テレビってどんだけしんどいことになっても、結局、一番影響力がある。だから、そこで自分も戦っていきたいんですよ。ルールとかコンプラはどんどん厳しくなるんでしょうけど、その網目をくぐっていきたいですね。 どうせ僕らはテレビにフィットできない側の人間ですけど、若い子らはそのへんうまいことやるじゃないですか。その手前でがんじがらめになった僕は、わめき続けたい。最後まで「女がめっちゃ好きやねん!」って叫び続けたい。テレビでまだこんなん言ってるでって呆れられたい。 細田 僕らってさらば(青春の光)さんとかAマッソさんみたいに、自分らの国を作っていくタイプではなくて、もらった仕事を一個ずつこなしていく傭兵タイプだと思うんです。だからどんな仕事もスケジュールが空いてたら行きます。 松村 傭兵として戦いますよ。僕らはどうせ爆売れはしないんで。 ──今回はブレイク直前のひつじねいりさんの焦燥を聞けて、貴重なインタビューになった気がします。 松村 ブレイクできるかほんまにわからないですからね。このFirst Stageさんがストレッチーズを取材したのってちょうど『ツギクル』優勝して、M-1準決勝行ったタイミングですよね。そう考えると、僕らも踏ん張らなあかんと思いますよ。 ──テレビで活躍するふたりを見たいです。 松村 早くボロ雑巾になりたいです。 細田 もっと働きたいですね、働かせてください。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ひつじねいり 細田祥平(ほそだ・しょうへい、1991年11月30日、埼玉県出身)と松村祥維(まつむら・よしつな、1988年7月2日、大阪府出身)のコンビ。2019年に結成し、2023年には『ツギクル芸人グランプリ』で準優勝する。『M-1グランプリ2024』では初めてセミファイナリストとなった。大喜利ライブ『大喜る人たち』のMCとして、お笑いファンの信頼も厚い。 【後編アザーカット】
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紆余曲折を経て主役の座が見えてきたコンビ・ひつじねいりの期待にあと押しされた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35
細身の元慶應ボーイ・細田が並べ立てる屁理屈に、ふくよかな男・松村が濃厚な関西弁で熱くツッコむ。東と西の笑いが融合したしゃべくり漫才が魅力のコンビ・ひつじねいり。 前回の『M-1グランプリ』では惜しくも準決勝敗退となったが、次の主役の座を虎視眈々と狙っている。 コンビ歴は7年目だが、実は今年、細田が34歳、松村が37歳と若手とは言い難い。紆余曲折を経たふたりは、どうして組んだのだろうか。ふたりのさまざまな初舞台を聞きながら、ひつじねいりの軌跡をたどる。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次細田の遅刻と、松村のモテテクニック突如の上京と運命にならずの出会い寂しさとエッチな問題で解散実はNSCに入りかけた 細田の遅刻と、松村のモテテクニック 左から:細田祥平、松村祥維 松村 すんません、細田がまだ来てなくて……。 ──よく遅刻されるんですか? 松村 いや、全然ないっすね。電話していいっすか……。出えへん。大丈夫かな。いったん先に僕だけ取材してもろても大丈夫ですか? ──もちろんです。では、ひつじねいりを組むまでの話を聞かせてください。大阪で生まれ育った松村さんにとって、お笑いはやはり身近でしたか。 松村 そうですね。逆に東京来るまではこれが当たり前やと思ってたんですけど、フル尺の漫才を20分番組とかでやってるんですよ。あと、『吉本新喜劇』。僕らが子供のころは土曜日は午前授業があったんで、学校終わったらすぐ帰って、お昼ごはん食べながらテレビで観てました。月曜は『新喜劇』(MBS)か『ごっつ(ダウンタウンのごっつええ感じ)』(フジテレビ)の話で盛り上がる。大阪ってほんまにおもしろいヤツがクラスの中心メンバーになるんですよ。足が速いとか顔がええとかより、おもしろいほうが偉い。 ──ちなみに松村さんは人気者だった? 松村 僕はもうほんまにずっと人気者でした! ──(笑)。 松村 いや、ほんまなんですよ。とにかくイジってもらえたんです。友達もそうですけど、先生もイジってくる。そこでうまく返そうっていうのは、小学生のときからやってましたね。 ──よく言われることですけど、ブラジルの少年たちが当たり前に路上でサッカーしてるみたいに大阪ではお笑いが日常なんですね。 松村 ほんまにそうでしたね。あと、女の子がめちゃめちゃ好きでモテたかったんです。顔はブサイクやから、笑いで勝負したろと。 ──その努力は実ったんですか。 松村 これが実ってるんですよ。変な話、初体験もまわりよりちょっと早いし。そういう人生だったぶん、モテない自虐をネタでやっても、ウソってバレる。 ──笑いでモテるってどういうことなんですか。 松村 小中学生のときはあんまわかってなかったんですけど、高校生ぐらいになると女子との会話の中で、ちょっとしたことにツッコんだり、イジったりすると、女子がめっちゃ笑ってくれるのに気づいて。それで女子との間(ま)の取り方がうまくなった気はします。大学に入ったら、心斎橋でめちゃめちゃナンパもしてて。見た目カッコいい友達はサクサク行くでしょう。でも僕は女子からしたら「なんでお前いかなあかんねん」って見た目やから、そこは戦死する覚悟で笑かしてました。 ──女性が笑ってくれる定番のフレーズとかあるんですか。 松村 いや、これを言ったらっていう鉄板の言葉はないんです。それこそ女子の前にスライディングしたこともありますよ。「うわ、セカンドベースやなかったんかい!」とか言うて。その瞬間のインスピレーションだけ。せやからむちゃくちゃ失敗も多かったですし。ただ、そういうところで鍛えられた根性が、芸人になった今も少なからず活きてるやろうなって思います。 ──まだ細田さん来ないのでもう少し「笑いとモテ」について聞きたいんですけど、笑わせてハートをつかんだあと、男性としての魅力はどうやって出すんですか。 松村 僕はこの見てくれなんで、やっぱ色気は出せなくて。なんで、笑わせたあとは「聞く力」ですね。最初は僕からめちゃくちゃしゃべって盛り上げてからは、ひたすら聞く。で、相手が投げてきたワードにちょっとだけおもしろを乗せて笑かすみたいな。(明石家)さんまさんみたいに「ほんで? ほんで?」じゃなくて、「そうなんやぁ」って相づちを打ちながらですね。でもこんな偉そうに言うてますけど、ほんまに打率は低いですよ、ピッチャーの生涯通算打率並です。圧倒的にミスが多い。数少ない成功で、自信を養ってきた感じですね。 突如の上京と運命にならずの出会い 松村 あっ! すんません、今、細田からLINE来ました。「忘れてた」って(苦笑)。ほんますんません。今から急いで来たら、30分くらいで着くと思うんで。あいつがどんな顔して入ってくるか、見てやりましょう。 ──事故に遭ったとかじゃなくて、本当によかったです。では、もう少し松村さんの話を聞かせてください。芸人になろうと思ったのはどのタイミングだったんですか。 松村 大学卒業する直前ですね。就活してて、サラリーマンになる予定やったんですけど、高校の同級生が急に「お笑いやらんの?」って言うてきて、それがキッカケですね。就活もなんとなくやってたんで、お笑いやってみてもええなと。イケイケのお姉ちゃんたちを振り向かすには、俺が有名になって「見たよ〜」ってLINEさせるしかないなって。 ──じゃあ最初は大阪で活動してたんですか。 松村 ここでややこしいのが、最初は静岡に行くんですよ。僕、留年してたから、誘ってきた同級生はもう社会人で。そいつが静岡に住んでたんです。親には内緒で「勤務地が東京になりました」って就職したフリして実家を出て、静岡の相方の社宅に住ませてもらいました。 ──松村さんの芸人としての初舞台は、その相方と? 松村 そうですね。大阪であった新人コンクールの予選会、そこに1回出ただけです。それも客前じゃなくてネタ見せなんで、大阪吉本のギラギラした若手ばっかりやから、ひとつもウケない。終わったあとは、そそくさと帰りましたね。車で来てたんで、静岡まで運転して帰るんですけど、空気重かったなぁ。最初は「全然ダメやったなぁ」ってヘラヘラしてたけど、めっちゃ時間あるから、じわじわと「ヤバいな……」って。 ──気まずい時間ですね。 松村 学生のときは、まわりからおもろいとされて調子乗ってたんで落ち込みました。本気でお笑いやってる人らとはまるで違うんやなと。今思うと、あの初舞台で相方は心折れたところが多少あったかもしれないですね。サラリーマンとしてじゅうぶん稼げてるのに、なんでこんな惨めな思いせなあかんねんって思うのも無理ない。もし初舞台でウケてたら、その勢いで「会社辞めるわ」ってなってたかもわからん。 ──ナンパで鍛えられた松村さんは打たれ強いから。 松村 そうっすねぇ。「まぁこっからやな」って踏ん張れました。結局、相方が全然やる気にならなくて2カ月くらいで社宅出ましたけど。「俺、本気でやるわ」ってひとりで東京に来て。 ──誘われて静岡に来たのに、相方に愛想を尽かして、そこからひとりで東京に出るってすごいですよね。大阪に戻る選択肢はなかった? 松村 大阪ってなると吉本一択なんで、NSC行かんとダメじゃないですか。当時僕はもう26歳になる年だったんで、今さら1年間養成所に通うのもしんどい。それに新人コンクールでのひどい経験があったから、とにかく舞台に立たなあかんってことで、フリーライブがたくさんある東京に行くことにしました。最初は上京してた友達の家に居候させてもらいながらバイトしてお金貯めながら、相方探すためにライブを観に行ったりして。 ──相方はすぐ見つかりましたか。 松村 これもたまたまなんですけど、高田馬場の汚い食堂で偶然、高校の同級生と再会したんですよ。しかもそいつも東京にお笑いしに来たって言うてて。 ──ドラマみたいな話。 松村 俺も思いましたよ、「絶対コイツと組んで売れるんや!」って。でもそのコンビも、2年ちょっとやったら「結婚するからもう辞める」って言われて(笑)。そのあともいろんな人と試して、今のコンビの1個前「いい塩梅」ではM-1の準々決勝まで行けたんです。それで芸人とかライブのスタッフさんとかに声かけてもらえるようになったんですけど、そいつとはまったくそりが合わず、2年もたなかったですね。 ──松村さんの20代は、鳴かず飛ばずだった。 松村 養成所にも事務所にも入ってないから、同期もおらんし過酷でしたよ。あ、細田来た。 細田 すみません! いやもう本当に申し訳ありません。家の近くの喫茶店でネタ書いてました。集中するためにスマホもイジれない設定にしてたんで、連絡も気づかず……。 松村 うまいこと言い訳考えてきたなぁ。 細田 タクシーで考えてきました。今日は休みだと思ってました……。ホントすみません。 寂しさとエッチな問題で解散 ──ちょうど松村さんがひつじねいりを組む直前まで話を聞いたんで、いいタイミングでした。埼玉出身の細田さんは、ストレッチーズと同じ浦和高校に通ってたんですよね。 細田 そうです。『U-1グランプリ』っていうのがあって、そこで漫才したのが初舞台ですね。出場者は2組だけで、もう片方はストレッチーズでしたけど。 ──4分の3がプロになり第一線で活躍してるってすごい大会じゃないですか。 細田 いやでも文化祭で教室をひとつ借りてやるだけですよ。観てる人も10人くらいなんで、緊張することもなく。 ──大学は慶應(義塾)ですが、(お笑い道場)O-Keisというお笑いサークルがありますね。もともと大学お笑いをやるつもりだったんですか? 細田 いや、最初はNSCに通おうかなと思ってました。でもお笑いサークルがあるって聞いてのぞいたら、大学生活を楽しめてない人が集まってて、親近感があって入りました。 ──以前、この連載でストレッチーズに取材した際、細田さんとトリオになるかもしれなかったって聞いたんですよ。 細田 そんな話もあった気がしますね。でも別にサークルなんで、一生の相方になろうって感じではなかったと思いますよ。そもそも僕は漫才に憧れてたから、3人でやるイメージが湧かなかったし。 ──ストレッチーズの高木(貫太)さんいわく、最初に3人で結成の話をしようとしたとき、福島(敏貴)さんが遅刻されて「初っ端から遅刻するヤツとは組めない」って細田さんが言ってたらしいんです。 松村 どの口が言うてんねん!! めちゃめちゃ遅刻しとるやないか! 細田 いやもう今日は本当にすみませんでした! ──もう大丈夫ですよ(笑)。学生時代にお笑いサークルで活動しつつ、どのタイミングでプロになろうと思ったんですか。 細田 慶應にいた真空ジェシカの川北(茂澄)さんが人力舎所属になって、そのルートで行けたらいいなと。当時は三四郎さん、ルシファー吉岡さん、モグライダーさんってマセキ(芸能社)所属の方々がライブシーンでめっちゃ盛り上がって熱気があったんで、大学在学中にマセキを受けて、卒業とともに預かりになりました。 ──プロとしての初舞台は、そのコンビで踏んだ? 細田 はい。新宿Fu-でしたね。大学お笑いで慣れてたんで、わりとうまくいって。帰り道は缶ビール片手にテンション上がってたかな。あのころちょうど又吉(直樹)さんの『火花』が流行って芸人はカッコいいみたいな風潮があったんで、自分たちに酔ってましたね。 ──松村さんと同じく、細田さんもいくつかコンビを経験してますよね。 細田 最初のコンビは1年くらいで解散しましたね。まじめにネタの話をするようになったら、普通に険悪になった(笑)。あと、新宿駅からライブ会場までの10分間、一緒に歩いているのにずっとイヤホンされてたのが寂しすぎた。 松村 コンビやったら普通にあるやろ(笑)。 ──次のコンビはバーニーズでした。 細田 今、モシモシっていうトリオをやってるまぐろと組んでました。でも相方がすごいエッチな問題を起こしちゃって……。たぶん業界初のSNS乗っ取りで、自分のアカウントからすべてを暴露されたんですよ。今思えば笑い話にして続けられたと思うんですけど、僕がけっこう無理になっちゃいましたね。 実はNSCに入りかけた ──ここでようやく松村さんと細田さんがひつじねいりを組むわけですが、松村さんはずっとフリーだったんですよね。そもそもどうやって知り合ったんですか? 松村 たぶん、K-PROのライブですね。いい塩梅のときにM-1準々決勝まで行ったおかげでライブが増えたり、SMAに入れてもらえたりしたんですよ。その流れで知ってくれる芸人も増えて、細田とも出会いました。でも僕、細田と組む直前まで、NSCに行こうとしてて。 細田 それ知らなかったわ。 松村 いい塩梅を解散して、今さら誰かとまた組む歳でもないなぁって思ってて。30歳になる年だったんで、NSCに入る最後のタイミングかなと、まぁ吉本への憧れもありましたしね。あのとき入ってたら、たぶんナイチン(ゲールダンス)と同期ですよ。お金振り込めば入学っていうタイミングで細田から声かかって、まぁやるかと。 ──細田さんはなぜ松村さんに声をかけたんですか。 細田 前のコンビがおもしろかったし、ふたりだったら対照的で見栄えがするんじゃないかなぁって思ってました。 松村 新宿の珈琲西武で、「組もか」って話したな。 細田 朝6時に集まりましたね、お互い8時からバイトだったんで。 ──大事なときはちゃんと会って話すんですね。細田さんLINEで承諾されたら「寂しいから」って組むのやめそう(笑)。 細田 そんなことはないですけど(苦笑)。でもさすがにLINEではやらないですね。 松村 でも完全に一個騙されたんですよ。僕が細田と組もうと思ったんは、「ネタ無限に書けます」って言ってたのもあったんです。それまでのコンビでは合同で書いたり、僕が書いたりしてたんで、次はネタ作れる人と組みたかった。でも結局、詐欺でしたね。 細田 まぁそこは誇大広告くらいで(苦笑)。 ──では、ひつじねいりの初舞台は? 細田 K-PROのライブだったと思いますね。 松村 お互い前のコンビで知られてたんで、ライブシーンのお客さんは知ってくれてたから、うっすら期待の熱があったんですよ。そのわりにはまぁ「ウケはしたけど……」っていう感じ。 ──「ヤバいコンビ出てきた!」みたいな感じではなかった? 松村 まったくですね。自分らのスタイルを見つけるまでけっこう時間かかってます。 ──初々しい初舞台ではなかったんですね。 松村 いやもう全然ですよ、僕らは焼き回ってるんでね(笑)。 細田 おじさんになって組んだんで、浮かれてるとかはまったくなかったですね。『火花』憧れももうなかったです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ひつじねいり 細田祥平(ほそだ・しょうへい、1991年11月30日、埼玉県出身)と松村祥維(まつむら・よしつな、1988年7月2日、大阪府出身)のコンビ。2019年に結成し、2023年には『ツギクル芸人グランプリ』で準優勝する。『M-1グランプリ2024』では初めてセミファイナリストとなった。大喜利ライブ『大喜る人たち』のMCとして、お笑いファンの信頼も厚い。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 賞レースでも活躍し、ブレイク間近と話題のコンビ・ひつじねいりが抱く焦燥と野望|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#35
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好きなことを突き詰めてきた異色のコンビ・十九人が、勝ちを意識した瞬間|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34
「M−1、嫌いだったんですよ」 『M-1グランプリ2024』でセミファイナリストとなり、敗者復活戦でも爪あとを残した十九人(じゅうきゅうにん)。 初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」では今回、十九人のふたりに『M-1』の大舞台に初めて上がった感想を話してもらった。 そこで飛び出したのが、冒頭の言葉だ。M-1に対する十九人の本音、そして勝負への覚悟を決めた彼らの現在に迫る。 【こちらの記事も】 『M-1』や『おもしろ荘』で注目を集めるコンビ・十九人の脳汁とニヤケが止まらなかった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34 目次M-1準決勝敗退はひどいなりトップバッターを任されがちM-1が大嫌いだった何も矯正されず、変人のままで M-1準決勝敗退はひどいなり 左から:ゆッちゃんw、松永勝忢(まつなが・まさとし) ──M-1では、昨年初めて準決勝に進出しましたね。 松永 なんか緊張するっていうよりかは、普通に楽しかった。 ゆッちゃんw ね。めちゃめちゃ気持ちよかったです。 松永 楽屋もけっこう和気あいあいとしてたし。 ゆッちゃんw カメラはすっごい多いです、ずっと密着だし。ホントに気づかないうちに撮ってる。僕たちはカメラ向けられたら、いっぱいふざけようって決めてたんですけど、バレないようにめっちゃ撮られまして。でも、密着のスタッフさんとめっちゃ仲よくなりました。僕たちがふざけてたら「いや、使えるかぁ!」とかツッコんでくれた(笑)。 ──準決勝の出番は4番目でした。 松永 よくないなぁとは思ってました。実際、場が温まりきってない感じはしましたし。 ゆッちゃんw でも、後半すぎると逆にお客さんが疲れちゃうから、僕らみたいなのは、みんなが体力のあるうちに見てもらえてめっちゃありがたかったなと思う。元気じゃないと、見てられないときがあるから(笑)。 ──客席から観ていましたが、十九人で会場が温まった記憶があります。 ゆッちゃんw わー、うれしい! たしかにねぇ。気持ちいいくらいウケて、終わった直後はもしかしたら……とは思ったんですけど、僕たちのすぐあとのスタミナパンさんが相当ウケられていたので、ダメかもなぁって。 ──出番が終わって、結果発表まではどう過ごしたんですか? 松永 結果発表まで3時間ぐらいあったんですよ。オズワルドの伊藤(俊介)さんに誘ってもらって、モツ鍋を食べさせてもらいました。スタミナパンの麻婆さんと、豆鉄砲と、例えば炎の田上で行きましたね。 ゆッちゃんw モツ鍋のあとはカラオケに行って、時間がないから、ひとりずつ「魂の一曲」を歌って。僕はYOASOBIの「群青」を歌いました。でも松永くんがすごい曲歌ってた(笑)。 松永 僕、神聖かまってちゃんの「神様それではひどいなり」。 ゆッちゃんw 最後に「殺してやる!」って叫び続ける曲で、みんなで「まだ落ちてないよ! 大丈夫だよ!」って。でも結局、そのモツ鍋メンバー全員落ちてて、ずこーってなりました(笑)。 トップバッターを任されがち ──敗者復活戦では、準決勝とはネタを変えていました。敗者復活戦では『席を譲ろう』、準決勝でやった『耳が痛い』。なぜ変えたんでしょうか。 松永 敗者復活はトップバッターだったんで、トップバッターで「耳が痛い!」って叫びまくるネタはちょっとかかりすぎてるから引っ込めました。テレビだし、初見の人もいっぱい観てくれるから。 ゆッちゃんw 電車のネタは、僕らの中では伝わりやすい温厚なほうだったんです(笑)。『おもしろ荘』では『耳が痛い』をやったんですけど、総合演出の諏訪(一三)さんは「席譲るやつは伝わりやすいけど、十九人を好きな人からすると、物足りないなぁ」って言われました。「まぁ、しょうがないな。テレビだからなぁ。おじいちゃんおばあちゃんが観てるからな」って(笑)。 ──初めての敗者復活戦はいかがでしたか。 ゆッちゃんw 出る直前に煽りVを見てて、「うわぁ、テレビで観てたあれに出るんだ!」と思ったら、一回「ぐぅ!」ってめっちゃ緊張して。でもマネージャーさんに「めっちゃ緊張してきました……」ってベラベラしゃべってたら、「たぶん緊張してないですよ。アドレナリンが出てるだけです」って教えてもらえて、落ち着きました。 松永 でも正直そんなに手応えはなかったなぁ。 ゆッちゃんw だから勝つぞっていうよりも、僕らのネタで番組が盛り上がればいいかって半分思ってた。『M-1敗者復活戦』という番組が、十九人がいたおかげで盛り上がったっていう印象になればいいなって。 松永 僕らは普段のライブでもトップバッターにされることが多い。十九人で無理やり盛り上がらせようみたいな。 ゆッちゃんw 大きい声っていうか、デカい音を出せるから(笑)。 ──最近の若手芸人は「M-1という番組を盛り上げたい」と言う人が増えている印象があります。 ゆッちゃんw たしかに。「絶対に勝つぞ」って気持ちと、番組を盛り上げたい気持ちだったら、どっちがいいのかはわからないけど。 松永 なんやろ。賞レースで結果出して(メディアに)引き上げてもらうっていうよりは、自分たちがおもしろいと思うことをやって、いいものができればいいよねっていう気持ちが強いのかな。だから勝ち負けはそこまで重要じゃないっていうか。もちろん勝ちたいんですけど。 M-1が大嫌いだった ──気が早いですけど、次のM−1への意気込みはどうですか。 ゆッちゃんw M-1に対して意識が変わりました。今までは15年かけて、いいところまで行けたらっていう感じで。普段のバトルライブも、僕らそんなに得意じゃないから、お笑いは戦うもんじゃないしな、みたいに思ってたけど……うん、松永くん、どうだ? 松永 敗者復活に出てみて、見えてるものがちょっと変わったんですよ。もう一回勝てば決勝なんやっていうのが具体的に見えてきて、これからはM-1に向けたネタを作ろうと。今までは自分たちの好きなことやり続けて、いつか決勝行けたらと思ってたけど、決勝に行ってる人たちはM-1で勝つための4分間のネタを作ってるんだって目の当たりにして、ここをちゃんとやらなアカンなっていう気持ちになった。 ゆッちゃんw 勝ちたくなっちゃったね(笑)。みんながあんなに熱いのはこういうわけだったんだなって思っちゃいました。 松永 僕ら、M−1嫌いだったんですよ。かなり嫌い。 ゆッちゃんw こんなこと言っていいのか(笑)? 松永 僕らなんて、1回戦で3回落とされてるし。1回戦って持ち時間が2分じゃないですか。そんな短い時間で伝わるわけないって、ふて腐れてたんです。ライブではめちゃめちゃウケてるまわりの友達もいっぱい落とされるから、M-1自体が嫌いだった。でもだからといって賞レース至上主義からは逃れられんし……。 ゆッちゃんw 悲しいね。なんか悲しい話だね(笑)。 松永 ふふふふ(苦笑)。嫌なんですよね、お笑いの本質って別にバトルじゃないし。なんなら商売ですらない。 ゆッちゃんw 趣味でやってることにたまたまお金が発生して、超ラッキーっていう状態なので。 松永 そんな感じで僕らは賞レース自体が嫌いだったけど、でもそれをM-1の2回戦で負けてるヤツが言ってても仕方ないじゃないですか。 ゆッちゃんw やっぱ決勝に行ってる人たちってめっちゃすごい。でも別に2回戦で落ちた人がおもしろくないわけじゃない。それがみんなに伝わってほしいなって思うから、僕らが勝ったら「たまたま今日評価されたから勝っただけで、ほかの人もみんなおもしろいんだよ」って言えるようになりたい。そのためにがんばりたいなって思えるようになりました。 何も矯正されず、変人のままで ──これからはどんな仕事をしたいですか。 ゆッちゃんw 事務所の先輩たちがすごいので、そういう人たちと一緒にテレビ番組出られたり、営業とか一緒に回れるぐらい有名になれたらいいなとは思ってます。 松永 やりたいことを、やりたい。今は それについてきてくれるお客さんもいるし。去年単独ライブやったんですけど、それが500人ぐらい来てくれて。そのお客さんを大事にしたいなって思う。 ゆッちゃんw ありがてぇ。 松永 僕らに3000円とか払ってくれる人がそんだけいるっていうのがうれしいから。 ゆッちゃんw 高いよね! 松永 だから、僕らをおもしろいと思ってくれる人たちを喜ばせたいし、僕らはやりたいことをやりたいなって気持ちです。 ゆッちゃんw あと、僕らが好き勝手していい場所がテレビにできたらいいなぁ。冠までは行かなくても、僕らの同世代の何組かで番組させてもらえたりしたらいいなぁ。 ──1997年生まれのおふたりも、テレビへの憧れはあるんですね。 松永 テレビは好きですね。僕らはまだギリギリYouTubeじゃなくてテレビに育ててもらったので。それに「テレビは終わり」みたいに言われるけど、まだ終わってないと思うしなぁ。視聴率が数%でも数百万人が同時に観てるってことで、その規模はYouTubeではあり得ない。やっぱりテレビにしかできんことがあると思うし、そこで自分らがやりたいことをできたらめちゃくちゃうれしいですね。 ゆッちゃんw あと、松永くんは英語もすごくできるから。英語クイズなら負けない。ね! 松永 何それ、あんま関係なくない?(苦笑) ──でもEテレの英語番組とかおふたりでやったらハマりそう。 ゆッちゃんw わぁ、やりたい! たしかに「NHK出てください」はファンの人にめっちゃ言われます。最初の単独ライブで人形劇をやったときテレビ局の人から「アテレコ上手〜」って褒められたよね(笑)。 ──たしかにおふたりとも独特のテンションと声質なので、ナレーションも向いてそうです。 ゆッちゃんw やりたい! 『キョコロヒー』で内田紅多(人間横丁)がやってて、めっちゃうらやましいです。大(おお)友達だから。 ──先ほど「同世代の何組かで番組」と言ってましたが、どのあたりの芸人が浮かびますか。 ゆッちゃんw うわぁ、どうする!? 何組かっていったら、まず人力舎のめっちゃ最高ズかなぁ。おばた(最高)は仕切れるし、(めっちゃ)むつみさんは突破力があって、『はねトび(はねるのトびら)』みたいな番組だったら、虻川(美穂子)さんみたいになれそう。あと、何をしても大丈夫っていう安心感が欲しいのでオッパショ石さん。どんな空気でもなんとかしてくれるし、僕らが好きなことやってもまとめてくれる。あと豆鉄砲とか。 松永 いいなぁ。たしかに今売れてる人って何組かでコント番組とかしてきたイメージあるから、そういうのをうちらの世代でできたらいい。 ゆッちゃんw 地下ライブって「これしかできない」みたいな変人がいっぱいいるんです。そういう人たちがテレビに出ようとすると、直さなきゃいけなくなっちゃうけど、それがもったいないなぁって。何も矯正されずに、変人のままテレビに出られるようになったらいいな。僕もそうなんです。松永くんは器用だからなんでもできるけど、僕は松永くんが書いてくれるネタじゃないと無理だから(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 十九人 ゆッちゃんw(1997年9月9日、北海道出身)と、松永勝忢(まつながまさとし、1997年10月29日、大阪府出身)のコンビ。2018年4月、立命館大学の劇団サークルで出会い、コンビを結成。2020年4月に上京し、フリーとして活動。2022年、ASH&Dに正式所属。『M-1グランプリ2024』準決勝進出。2025年元日未明に放送された『おもしろ荘』では3位に入賞した。 【後編アザーカット】
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『M-1』や『おもしろ荘』で注目を集めるコンビ・十九人の脳汁とニヤケが止まらなかった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34
『M-1グランプリ2024』で準決勝に進出し、敗者復活戦ではトップバッターとして大会を盛り上げた十九人(じゅうきゅうにん)。結成は2018年4月。その初舞台で、お笑いの虜となった。 TシャツGパンの装いで、長髪を振り乱し叫ぶメガネの女、ゆッちゃんw。そんな彼女に翻弄される昭和レトロな出で立ちの松永勝忢。 漫才を見る限り、どんな人間かまったくイメージがつかないふたりに、その初舞台から振り返ってもらった。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次脳汁ドバドバ初舞台号泣のセカンドステージお客さんがようやく僕らに慣れてきた「僕」は、あの俳優の影響 脳汁ドバドバ初舞台 左から:ゆッちゃんw、松永勝忢(まつなが・まさとし) ──十九人の初舞台を覚えてますか。 ゆッちゃんw 超覚えてます。最初のボケでウケすぎて、脳汁がドバドバ出たんです。忘れられない。 松永 当時は大阪にいたんですよ。『C★マン』っていうエントリーライブに出ました。大学3年のときか。30組ぐらい出るんですけど、初めて出て、2位になったんです。 ──すごい。 ゆッちゃんw 鬼のように緊張して、出番前は「吐きそう」って言ってたんですよ。でも僕の最初のボケがドカン!とウケて、そこからは「楽しい!」に変わって。ライブのあと、ふたりでサイゼリヤで打ち上げしたんですけど、ウケすぎたのがうれしくてずっとニヤニヤしてて。メニューを開いたり閉じたりして、全然注文もできないし。コップの水が空になっても、ふたりでずっとニヤニヤしてたね。めっちゃ覚えてるなぁ。 松永 僕らは立命館大学の演劇サークルで出会って、僕が誘ってコンビを組んだんです。最初はずっと続けようなんて思ってなかったもんな。 ゆッちゃんw うん。コメディを主にやるサークルだったんですけど、新入生歓迎公演で松永くんがコントの台本を書いてきて、それがおもしろかったんです。だからこの人の台本で演じられるんなら、なんでもいいやって。僕、お笑いは見てこなかったから、正直、漫才とコントの区別すらついてなかったし。でも初舞台がウケすぎて楽しくて、「もっとやりたい! 早く次やりたい!」ってなっちゃいました。 ──演劇では味わったことのない興奮だった? ゆッちゃんw 演劇のお客さんは笑っても「ふふふ」ってレベルだったけど、お笑いだとみんなが口を開けて笑うんですよ! それがめっちゃくちゃうれしかったです。それからは演劇サークルも行くけど、お笑いの稽古を優先してました。 ──どんなネタをしたんですか。 松永 今とそんなに変わらないですね。この人に思いっきり動いてもらってて。僕はツッコミができないタイプなんで、ほぼしゃべらず。 ゆッちゃんw 松永くんは『ハイスクールマンザイ』にも出てたらしいんですけど、そのときはボケだったんだよね。 ──松永さんはボケ気質なのに、自分がツッコミをするのは大丈夫だった? 松永 そうですね。当時、お笑いをやろうと思って、誰に声かけようかなって手札を見たら、 この人に変なことをさせるのが一番おもしろいと思ったので。もちろん自分がボケたくはあったけど、しょうがないかと。 号泣のセカンドステージ ──初舞台でウケて、そこからは順風満帆でしたか。 松永 2回目のライブは、めちゃくちゃスベったんです。初舞台のネタを改良したつもりだったんだけど……。スベりすぎて、舞台からはけた瞬間に、相方が泣き出したんですよ。 ゆッちゃんw 松永くんはほぼしゃべらないネタだから、「スベったってことは、僕が間違ったんだ!」と思って。「ごめん! 次はがんばるから見捨てないでくれ!」って泣きました。 ──でもそこで方向転換するわけではなく、今の十九人と変わらないスタイルを貫いていた。松永さんには、最初から十九人の理想が見えてたんですか? 松永 半分くらいは見えてたかな。相方がすごく騒いで、僕は静かにする、みたいな方向性だけですけど。ライブによっては作家さんがいて、アドバイスされるんですよ。「もっとツッコミをちゃんとしたほうがいい」「出てきたときにこの人のキャラクターがわかるようなボケを入れて」って。そのほうが正しいよなとは思いつつ、「でもなぁ……」ってそのままやり続けて、ここまで来ました。3年目の途中ぐらいまでは事務所にも入らずフリーで好き勝手やってたので、直す機会もなかった。だからもうガラパゴスです。 ゆッちゃんw 独自の発展を遂げました(笑)。でもだんだん認めてくれる大人ばっかりになってきて。ASH&Dにスカウトしてくださったマネージャーの大竹(涼太)さんも、僕らの漫才を見て腹抱えて笑ってくれて。「そのまま好きにやってください」って。 松永 僕らはほとんどネタ見せも受けてきてない。とにかく自由にやってきました。 ──不安になることはなかった? 松永 自分たちのスタイルで迷ったりしたことはないですけど、コロナ禍はキツかったですね。大学卒業して上京したのが2020年の4月なんですよ。 ゆッちゃんw コロナと一緒に東京に来た。 松永 せっかく上京したのに、半年ぐらいほぼなんもしてなかった。親にも「いったん帰ってきたら?」って言われました。 ゆッちゃんw 今、芸人じゃないなぁ、名乗ってるだけかなぁって。 ──そもそも大学卒業後、芸人になることはすんなり決まったんですか? 松永 大学4年の初めごろにASH&Dにスカウトされたんです。それでいったん預かりになってて。当時のASH&Dは、僕らのすぐ上の先輩がラブレターズさんで若手がまったくいなくて、僕らに若手向けのオーディションを回してくれたんです。あと、大学4年の年末に『おもしろ荘』のオーディションで最終選考まで残ったのもあって、親も説得しやすかった。 ──今年頭の『おもしろ荘』に出演されましたが、そんなに前からいいところまで行ってたんですね。 松永 総合演出の諏訪(一三)さんは、もう5、6年、僕らのことを見てくれてますね。 ──諏訪さんはめちゃめちゃ厳しいと聞きますが。 松永 僕らにはめちゃくちゃ優しかったです。「数百組のネタを見てると、どれも同じに見えるんだけど、君らは違う」って。 ゆッちゃんw 「十九人は覚えてられる、忘れない」って言ってくれました。でも番組にはなかなか出られなくて(笑)。 松永 おもしろ荘のオーディションは「映像審査」「諏訪さんの面接」「客前オーディション」と3段階あって、僕らはお客さんのアンケートで落とされるんです。お客さんはみんなお笑い好きじゃない視聴者の方々だから、僕らの漫才は怖がられて、アンケートでバツばっかつけられる。今年ようやく出られたけど、「×」と「◎」の差が一番激しいって言われましたね。 お客さんがようやく僕らに慣れてきた ──コロナ禍で上京してきた十九人はM-1の予選も東京で受けるようになりますが、2020、21年と2年連続で1回戦敗退でした。 松永 上京2年目までが一番キツかったですね。僕らくらいの若手にとって、M-1で勝つ/負けるって正直かなりデカいんで。 ──しかし2022年は3回戦、2023年が準々決勝、2024年は準決勝と毎年ステップアップしています。何かきっかけがあったんですか。 松永 なんだろうなぁ。2022年にこれまで預かりだったASH&Dに所属したことくらいで、別にそれ以外は変わってないんですよね。 ゆッちゃんw お客さんが僕らを見慣れたんじゃない? 松永 たしかに。ライブもできるようになって、東京での仲間も増えて、M-1もだんだん“僕らの世代”になってきたのかもしれない。 ──僕らの世代。 松永 やっぱり世代ってあるなって思うんです。ここ数年は、令和ロマン、真空ジェシカ世代みたいな感じで、なんとなくあったじゃないですか。1回戦を観に来るような熱心なお客さんが、普段見てるライブによく出てる芸人みたいな。その世代が、2022年あたりにちょっとずつ切り替わる感じはしました。 ──十九人が変わったわけではない。 松永 僕らは大学生のころからほとんど変わってないですね。もちろん、うちらが成長して見やすくなったっていうのはあると思いますけど、それ以上にお客さんが見慣れてくれたのは大きい。一昨年の3回戦でやったネタも、今やると全然ウケるんですよ。うちらのメディア露出も、ここ1年でちょっと増えたし、見慣れてもらうってかなり大きいと思います。 ゆッちゃんw あと、僕の滑舌としゃべり方がよくなった(笑)。昔は相当聞き取りづらかったみたいで、それをがんばって改善して。前は「高すぎて聞き取れない」って言われがちだったけど、今は「高いのに太い」って褒められるようになって。 松永 たしかにそれも大きいね。大阪のそれこそ地下でやってたときは、なんかヤバい女が出てきたと思われてたから。「なんか知ってる」とか「名前は見たことある」だけでも安心して見てもらえる。知ってる人が変なことしてるのと、知らない人が変なことしてるのとだったら、知ってる人のほうがいい。 ──私の勝手な推測ですが、マヂカルラブリーやトム・ブラウン、ランジャタイのように漫才の認識を拡張するコンビがM-1の決勝に出てきたことで、十九人の奔放なスタイルも受け入れられたのかと思っていました。かつては「漫才か漫才じゃないか論争」もあったけど、漫才は自由でいい空気が徐々に広まったのかなと。でも、そういう全体的な雰囲気の変化というよりは、自分たち自身が受け入れられたっていう感覚なんですね。 松永 そうですね。変則的な漫才っていうのは常にある。M-1でいうなら、昔ならスリムクラブさんもいました。だから漫才が拡張された、とかはあんま関係ない気がしてます。結局、個々の知られ方が重要で。大きな流れに乗ったっていうよりは、自分たちの受け入れられ方が変わっただけかな。 ゆッちゃんw でも、マヂラブさんが優勝されたあたりから、変な漫才枠がM-1の決勝にできた気がします。ちょっと変なコンビを2組くらい入れて、その人たちが優勝してもまぁ納得みたいな。そういう雰囲気ができて、僕らは助かるなぁって。 松永 たしかに。あと単純に2020年のマヂカルラブリーさんの優勝とか、その前年のぺこぱさんが準優勝っていうのは勇気づけられましたね。変則的なネタでも、そこまでいけるんだって思えたから。 ゆッちゃんw できないことはないんだって思えたね。 「僕」は、あの俳優の影響 ──十九人のnoteで、松永さんが「男女コンビへの『付き合ってんの?』ではない正解の聞き方」で、男女コンビならではのめんどくささについて書いていました。5年前の記事ですけど、今の十九人を見ていると、男女コンビであることってまったく気にならなくて。 松永 君が女性ってあんまり見られてながち、かもな。衣装のTシャツにGパンも、大学時代ずっとその格好だったからってだけですけど、中性的やし。今も普段はスカートよりはパンツのほうが多いよな。 ゆッちゃんw そうだね。 ──以前、蛙亭を取材したときイワクラさんが、コントで抱き合ったりすると「おっぱい当たってんだろ」と言われたりして、それがうっとうしいと言ってたんですよ。 ゆッちゃんw やっぱしそういうのあるんだ。 松永 俺たちは言われないなぁ。ホンマに今までそこ言われたの、モグライダーのともしげさんくらいかも。 ゆッちゃんw たしかに(笑)。「それはいいのかなぁ……」ってオドオドしながら心配されてた(笑)。 ──違和感がなくて忘れがちですけど、ゆッちゃんwさんの「僕」という一人称もいいのかもしれません。芸人になってから言うようになったんですか? ゆッちゃんw いや、生まれてこの方ずっと「僕」って感じで生きてきました。 ──私の娘も6歳で「僕」って言うんですよ。でもそれはあのちゃんの影響とかもあって。 ゆッちゃんw あぁ、たぶんあのちゃんは僕と同年代です。 ──あのちゃんとゆッちゃんwは「僕」世代。 ゆッちゃんw たしかに(笑)。子供のころ、まわりでは「うち」って言ってる子も多かったけど、僕はしっくりこなくて。でも「私」もなんか長いから違うし。 松永 「うち」「ぼく」より「わたし」は1文字多いから。 ゆッちゃんw そうそう。それで「僕」のまま来ちゃった。あと僕、TEAM NACSが好きなんですけど、ちっちゃいときから北海道のテレビで大泉洋さんを見てて。大泉さんの言う「ぼかぁね〜」が刷り込まれてるのかもしれないです。 ──ルーツは大泉洋。 ゆッちゃんw 保育園のときから言ってたみたいです。親も友達もなんにも咎めないから、そのままやってきちゃって。でも一時期、おじいちゃんYouTuberのマネをして、「わしはね〜」って言ってたら、それは友達に「年寄りの言い方だからやめたほうがいいよ」って言われて、「僕」に戻しましたね(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 十九人 ゆッちゃんw(1997年9月9日、北海道出身)と、松永勝忢(まつなが・まさとし、1997年10月29日、大阪府出身)のコンビ。2018年4月、立命館大学の劇団サークルで出会い、コンビを結成。2020年4月に上京し、フリーとして活動。2022年、ASH&Dに正式所属。『M-1グランプリ2024』準決勝進出。2025年元日未明に放送された『おもしろ荘』では3位に入賞した。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 好きなことを突き詰めてきた異色のコンビ・十九人が、勝ちを意識した瞬間|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34
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芸人たちから愛される70代の“若手芸人”おばあちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(後編)
2023年6月、よしもとの若手芸人が活躍する、神保町よしもと漫才劇場に激震が走る。なんと76歳の“若手芸人”が、オーディションに勝利し、史上最高齢で劇場入りを果たしたのだ。 「おばあちゃん」という、ひねりがないのに新しい芸名で、笑いをかっさらう彼女。瞬く間に注目されたが、本人は至って平常心だ。 なぜおばあちゃんは、こんなにも飄々と、イキイキしているのか。きっとこのインタビューを読めば、彼女のバイタリティの秘密がわかるはず! 【インタビュー前編】 よしもとの劇場で活躍する70代の“若手芸人”おばあちゃんの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(前編) 目次知らぬ間に芸人になっていた高齢者向けの営業で大活躍『M-1』でも大活躍「ババア!」って言われるのもうれしい 知らぬ間に芸人になっていた ──シルバー演劇をやっていたおばあちゃんが、舞台の基本を学ぼうとしてひょんなことから、よしもとの養成所・NSCに入った。そこまではギリギリわかるのですが、なぜ養成所の卒業後に演劇に戻らなかったんですか。 おばあちゃん NSCでは、お笑いだけじゃなくて、発声や舞台での心得も学べるんです。だから勉強しているうちに、舞台という意味では、演劇もお笑いも同じなのかもしれないと思いました。 ──それでそのまま芸人になった? おばあちゃん いえ、私はこの歳で芸人になれるなんて思いませんでした。事務所の方に「おばあちゃん、なんで所属登録しないの?」と聞かれたときも「私はスマホもできないし、みなさんに迷惑かけるので無理です」と言ってたくらいで。 そしたら「たったそれだけの理由?」「そんなことはこっちでバックアップするから、手続きだけしときなさい」と、おっしゃるんです。 ──その言葉は心強いですね。 おばあちゃん でもね、最初はそう言ってた方がメールを教えてくださったんですけど、私があんまりにも覚えが悪いんで、さじ投げちゃって、ほかの若い事務員さんに指導役が変わりました(笑)。スマホは同期の仲間にも教えてもらいましたし、芸人になれたのは、みなさんのおかげなんです。とはいっても、自分が芸人になったって気づいたのは、卒業してから3年後なんですけど(笑)。 ──3年後に芸人になったことに気づくって、どういうことですか(笑)。よしもとに所属して劇場に出ているのに。 おばあちゃん NSC時代からお世話になっていた作家の山田ナビスコさんの舞台に出させてもらってましたけど、コロナもありましたし、それこそシルバー演劇のように、ときどきネタをやってるだけでしたから、自分がプロの芸人になったなんて思わなかったんです。 でもあるとき、同期の男の子と話してたら年寄りのお節介が始まっちゃって。「あんたさ、芸人になるつもりなの? お母さん心配するから辞めときな」と話してたら、その子に「何言ってんの、おばあちゃん。俺たちもう芸人だぜ」と言われて、「えぇ! 私も芸人!?」ってびっくりしちゃって(笑)。「そうだよ、売れない芸人」という言葉で、やっと自分が芸人だったことに気づいたんです。 ──売れてない芸人ゆえにライブが少なくて、芸人の自覚が芽生えなかった。 おばあちゃん そうですねぇ。神保町の劇場(神保町よしもと漫才劇場)に所属が決まったときも、システムがよくわかってなくてね。夜の舞台が多かったんですけど、私は横浜のほうに住んでるから、早めに劇場を出ないと家に着くのが深夜になるでしょう。だから自分の出番が終わったら、すぐ帰っていたんです。 ──それでバトルライブの結果をずっと知らなかった? おばあちゃん 結局、そういうことだったみたいですね(笑)。スマホもろくに見れないから順位も知らない。ある日「おばあちゃん、おめでと〜」って言われても、何がおめでたいのかさっぱりわからない。「オーディションに受かったんだよ」と聞かされて「ねぇねぇ、これに受かってなんの得があんの?」という具合で、みんなから「いい加減にしてくれよ!」と言われちゃいましたね(笑)。 ──若手芸人たちは、必死で勝ち上がろうとしているバトルライブだから、そう言うのも無理はないですね(笑)。 おばあちゃん もうみんな、そのライブのときはピリピリしてますからね。そこで私はおせんべい配って「みんながんばってねぇ」って。自分もこれから出番なのにね(笑)。 高齢者向けの営業で大活躍 ──おばあちゃんの、小噺のあとに川柳を詠むというネタは、どうやって完成したんですか? おばあちゃん NSCの講師だった山田ナビスコさんが卒業後もネタを見てくださって、「おばあちゃんは漫談をシルバー川柳で締めたほうがいい」とアドバイスしてくださったんです。実際、それがすごくよかった。漫談のオチを忘れそうになっても、川柳に書いてあるから読めばいいんですから(笑)。 ──川柳にはもともとなじみがあったんですか。 おばあちゃん 会社員時代にちょっと詠んだりはしましたけど、本格的にやったことはありません。今でも、ひとつの川柳を作るのに、半年以上かかったりすることもあります。もちろんほかのものも並行しながら作っていますけどね。いったん保留にしておくと、あとでいいものが浮かぶことがあるんです。 ──ネタ作りはどんなタイミングでやるんですか。 おばあちゃん ネタ帳というか、メモ帳を家の至るところに置いてまして、いつでもメモを取れるようにしたんです。たとえば、この時期だと今年の流行語をテレビで見て、メモします。……でも流行のネタって、すぐ使えなくなるんですよ。 ──旬が過ぎると、ウケなくなる。 おばあちゃん そうなんです。最初のころは、流行とか季節のネタをよく作ってましたけど、今は一年中どこでも通用するネタを考えてます。あと、依頼に応じて作ることもありますね。補聴器のPRイベントに呼ばれたときは、耳のネタ。お父さんの耳が聞こえにくいのをネタにしたり、老眼鏡も入れ歯も補聴器も、衰えたことを悲しむんじゃなくて、アクセサリーとして楽しみましょうと。 ──営業の機会は多いですか。 おばあちゃん はい。老人ホームもありますね。ただ、老人ホームでもいろいろあって、国がやってるところは認知症の方が多いでしょう。だからネタなんか聞いてもらえない(笑)。認知症の方には音楽がいいですね。ほとんどしゃべれなくなった人でも、音楽が鳴ると、手を叩いたり、リズムを取ったりします。私の漫談ネタをやるなら有料老人ホームが合ってるんでしょうけど、そういうとこの人は、みんなお金を持ってるから、私のネタを見るくらいなら、自分たちでコンサートとか演劇を観に行ってしまう(笑)。 ──高齢者向けの営業はなかなか大変なんですね。 おばあちゃん でも葬儀屋さんでの営業は楽しかったですねぇ。高齢者をいっぱい集めて終活の説明会をするでしょ。お葬式の準備から、後見人制度、財産分与の説明をして、その付録として私たち芸人がネタを披露させていただくんです。若い落語家さんなんかは、やりにくいでしょうけどね(笑)。そりゃあ控え室からお線香臭くて、祭壇があって、お客さんはお年寄りばかりだからしょうがない。でも私は楽しいですねぇ。 ──葬儀屋の営業ではどんなネタをしますか。 おばあちゃん お父さんに「書いといて」って渡したエンディングノートがメモ帳になってたとか、終活で自宅の整理をしている友人が、私の家にたくさんの不用品を送ってきた話とかしてますね。 『M-1』でも大活躍 ──おばあちゃんは、しゅんP(しゅんしゅんクリニックP)さんと一緒に「医者とおばあちゃん」というコンビで『M-1グランプリ』にも出ていますね。2年連続で3回戦まで進出していて、2024年なんて、10,330組中の408組まで残っていて、すごいです。 おばあちゃん そうなんですかねぇ。私はよくわかんないんですよ。 ──「医者とおばあちゃん」のネタはどうやって作ってるんですか? おばあちゃん しゅんPさんと雑談しながらですね。「最近の若い医者はパソコンばっかり見て、患者の顔を見てないねぇ」とか「患者はボロイスなのに、なんで医者はいい椅子なの?」とかって話すと、ネタにしてくれます。あと、私は友達からネタを仕入れてますね。ばあさんのくせにイケメンの先生のところにしか行かないとか、オシャレしていく場所が病院しかないとか(笑)。 ──そもそも、しゅんPさんとはどういう経緯で組んだんですか。 おばあちゃん これも山田ナビスコさんのおかげです。前々からしゅんPさんに、「お前にぴったりの人が入ったから、組んでみたらおもしろいんじゃないの」と言っていたらしくて。それからコロナがあったり、しゅんPさんのご結婚・出産や、相方との別れを経て、初めてお会いしました。そのとき撮った写真がバズったんですって。お医者さんがババアの脈を測っているポーズで。 吉本に後輩ですが75歳の「おばあちゃん」という芸名のピン芸人がいるのですが、今日劇場でお会いしたので写真を撮ったら完全にただの「医者と患者」になりました。 pic.twitter.com/4n7YvavzsY — しゅんしゅんクリニックP(しゅんP) (@fleming_miya) August 27, 2022 そのあとすぐM-1に応募して、1回戦まで受かりました。そろそろ3回戦より上に行きたいんですけど、欲が出てくると危ないんですよねぇ(苦笑)。 ──M-1は緊張感がすごいですが、おばあちゃんは大丈夫ですか? おばあちゃん 私はね、しゅんPさんがいてくれるから全然気が楽なんです。噛もうが何しようが、かぶせてくれるので、安心感があります。医者っていう安心感もあるんでしょうね。最近は脈を測られても「おばあちゃん正常だな、俺のほうが早えや」なんて言ってますよ(笑)。 「ババア!」って言われるのもうれしい ──よしもとって、先輩・後輩の関係性は絶対というイメージがあるんですが、おばあちゃんもやはり年下の先輩におごってもらうんですか? おばあちゃん そうそう、普段から食事に連れてってくださるんです。「おばあちゃん、なんでもいいから。高くてもいいからね」と言ってくれるんで「ありがとうございます。こんなの食べたことありません」って、特上の天丼を食べさせてもらってね。でも時々、お会計で「お前払えよ」「いや、俺金ねえよ」とやりとりしてる同期の会話が聞こえてきて、「明日食べるごはんあるのかなぁ」と心配になることもあります(苦笑)。でも、私も後輩だから出すわけにはいかないので、そこは「ごちそうさまです」と言いますけど。 ──特に仲のいい芸人さんはどなたですか。 おばあちゃん 喫茶ムーンのレヲンっていう女の子は、NSCのときから、よくごはんに行きます。こないだは八景島の水族館にも行きましたよ。私の自宅が八景島のほうにありまして。 ──八景島から都内まで通われているんですね。 おばあちゃん それで舞台も最後までいられないんです(笑)。でも主人は海が大好きで、あそこから離れられないんですよ。この前、「お父さんが亡くなったら都内に引っ越そうかな」って言ったら、イヤ〜な顔して「お母さんそこまで芸人続かないから考えなくていいよ」って言ってましたよ(笑)。 あとよくしてくださってる芸人は、エルフさん、ヨネダ2000さんですね。あと、ぼる塾さんは4人が同じグループになる前は、劇場の控え室で一緒にお菓子を食べていたんです。それがあっという間に人気者になって、今ではテレビで追っかけしてますね。 ──おばあちゃんが若い芸人たちと仲よくやれている様子は、この高齢社会にあってひとつの希望だなって勝手に思ってしまうんですよ。 おばあちゃん そう言っていただけてうれしいです。最終目標はやっぱり世の中のために役に立ちたい、ですから。この年までね、みなさんのおかげでこうやって生かされたので、お役に立ちたい。最近はね、控え室で私が大福食べてると、ほかの芸人さんが「誰か水持ってきとけよ」とか「掃除機どこにある?」とか言い出すんですよ(笑)。みなさんが私のことを笑いにしてくださるのも、すごくありがたい。 ──変に心配されるよりも、笑い飛ばされるほうが居心地がよかったりしますよね。 おばあちゃん そうそう。今までは「ババア!」って言われると、気にしてたんですよ。でも最近は「おい、ババア!」と言われても「ジジイって言われなくてよかったね!」って言い返して、「お主、やるなぁ」と褒められるようになりました(笑)。芸人の雰囲気ってすごくいいんです。私は本当にまわりの方に恵まれていますね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 おばあちゃん 1947年2月12日、東京都出身。2018年、NSC東京校に24期生として入学。2019年4月、72歳で芸人デビューを果たす。2023年6月に、神保町よしもと漫才劇場のメンバーとなる。76歳での当劇場メンバー入りは過去最高齢。FANYアプリ『おばあちゃんのシルバーラジオ』や、YouTubeチャンネル『おばあちゃんといっしょ』なども展開している。 【後編アザーカット】
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よしもとの劇場で活躍する70代の“若手芸人”おばあちゃんの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(前編)
2023年6月、脂の乗ったよしもとの若手芸人が活躍する、神保町よしもと漫才劇場に激震が走った。なんと76歳の“若手芸人”が、オーディションに勝利し、史上最高齢で劇場入りを果たしたのだ。 その芸名はずばり「おばあちゃん」。2018年、71歳で吉本興業の養成所・NSCに入学した彼女は、実力で活躍の舞台を勝ち取った。 その朗らかな笑顔を支えるたくましさは、いったいなんなのか。高齢社会を生きる我々に、おばあちゃんは多くの示唆を与えてくれる。シルバー演劇からお笑いへと流れてきたおばあちゃんに、初舞台へと至る道を聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次ルーツはラジオで聴いた上方漫才初舞台はカラス役シルバー演劇で子供を泣かせるおばあちゃんは入学金の振り込みもひと苦労アドリブでしのいだ初舞台 ルーツはラジオで聴いた上方漫才 ──おばあちゃんは1947年生まれだそうですね。 おばあちゃん そうです。 ──子供のころ、慣れ親しんでいた娯楽はなんでしたか? おばあちゃん あのころは娯楽もほとんどないんですよ。そんななかで、ラジオでお笑いを聴くのは好きでした。(中田)ダイマル・ラケット(※1)さんのしゃべくり漫才や、エンタツ・アチャコ(※2)さん、浪花千栄子(※3)さんのラジオドラマを、家族みんなで、真空管ラジオで聴いてましたね。しゃべくり漫才は、楽器も何も持たずに、あれだけ人を楽しませて、笑わせるのはすごいなぁと思っていました。大きくなってからも、コント55号さんとか、カトちゃん(加藤茶)のいた……なんだっけ? ──(ザ・)ドリフターズ。 おばあちゃん そうそう。テレビでは、そのあたりを観てました。 ──子供のころはラジオで漫才に触れてきたんですね。 おばあちゃん といっても、ひとつのネタを全部聞くことはできないんですよ。真空管がなんかの拍子でゆるむとで、ぷつっと音が消えるから。でも、親も一緒に笑ってて楽しいなぁと思ってましたね。当時は家も狭いから、みんな茶の間に集まって、勉強したり本読んだり。4人兄弟で私以外は男だったので、『赤胴鈴之助』(※4)のラジオドラマもよくかかってました。 ──男兄弟に、女ひとりだと大変そうですね。 おばあちゃん 大変ってことはないですけど、ちょっと浮いてましたよね。私が小学4年生の春に母が倒れて家のことができなくなりまして、それからは私が全部やっておりました。でもそれも仕方ない。私は上から2番目でしたけど、女ひとりだから、父がものすごくかわいがってくれました。休みの日はいつも父がリヤカーに乗っけてくれて、多摩川に連れてってくれるんです。父はハーモニカを吹いてて、兄弟みんなが好きなことやって遊んでましたね。父はピアノもギターも弾けましたね。 ※1 戦後、活躍した上方しゃべくり漫才の代表格。そのイリュージョン的な奇想天外な漫才は、『R-1グランプリ2024』チャンピオンの漫談家・街裏ぴんくも敬愛する。 ※2 戦前に活躍した“近代漫才の元祖”横山エンタツ・花菱アチャコ。『早慶戦』のネタが大当たりし、人気漫才師に。1934年のコンビ解消後は、ラジオドラマで共演した。 ※3 黒澤明や、小津安二郎、溝口健二の映画でも活躍した昭和の名女優。大阪出身で、エンタツ・アチャコとはラジオ・テレビドラマで幾度も共演した。 ※4 1954年〜1960年にかけて連載された少年マンガ。少年剣士・鈴之助の修行と闘いを描く。ラジオドラマや映画、アニメ、テレビドラマにもなった。 初舞台はカラス役 ──71歳でよしもとの養成所・NSCに入ったそうですが、昔から芸人への憧れがあったんですか? おばあちゃん 芸人になろうなんて思ったこともありませんでした。でも、子供のころから友達を笑わせるのは好きでしたね。だから中学からずっと付き合っているお友達に「芸人の学校に行く」と言ったら、「やっぱりねぇ!」と言われました(笑)。 ──半世紀越しの「やっぱりね」はパンチがありますね。 おばあちゃん といっても、雑談の中でちょっとおかしなことを言うだけでしたけど。自分じゃ何を言ってたのか覚えてないですが、いつもみんなを笑わせて。昔のことですから、学校までみんなで1時間くらい歩くんで、その間、ずっと話してました。あと、中学時代は演劇部にも少し入っていました。 ──それが人生初めての舞台ですか? おばあちゃん 人前で出し物をしたのは初めてですね。たしかね、カラス役かなんかをやりましたね。それで何をしたのかは覚えてないですけど。 あと、先輩の卒業記念の演劇ではお百姓さん役をしました。ちょうど兄が卒業するときで、肥溜めを担いでた私のことを「お前の妹は肥溜め担ぎが似合ってたぞ」と友達から冷やかされたそうです(笑)。 ──人前で演技をするのは楽しかった? おばあちゃん ちょっと興味は湧きましたね。そのとき学校にいらっしゃったプロの劇団の方が「もし演技の道に進む気持ちがあるんなら声をかけて」と、ちらっとおっしゃってて迷いました。でもあの時代ですからね、特殊な世界だから親に反対されるっていうか、話も聞いてもらえませんでした。 ──親が厳しかった。 おばあちゃん 厳しいっていうわけじゃなくて、そういう時代だったんです。女の子は学校に行く必要もない。家のことをして、旦那の補佐をするのが当たり前でしょう、と。だから母からは洋裁なんかの習い事をしなさいと言われていました。それで中学卒業してすぐ就職して、仕事のあともお休みの日もお稽古してっていう日々でしたね。 シルバー演劇で子供を泣かせる ──ご結婚や乳がんの経験、お兄さんの介護などを経験して、そのことは、著書『ひまができ 今日も楽しい 生きがいを - 77歳 後期高齢者 芸歴5年 芸名・おばあちゃん』(ワニブックス)にも書かれていました。その日々も伺いたいところですが、このインタビューでは芸人・おばあちゃんについて詳しく聞かせてください。定年後はシルバー劇団に所属したそうですね。 おばあちゃん そうです。神奈川の八景島のほうに住んでるんですが、あるとき横浜でシルバー劇団のイベントを観たんですね。鯨エマさんっていう方がやっていらっしゃる「かんじゅく座」の公演で。それがすごくよかったので、入ることにしたんです。 ──そこでの初舞台は覚えていますか。 おばあちゃん もちろん。最初はお祭り会場での公演で、私は追い剥ぎの役でした(笑)。当時は、壊死した膝の手術直後でリハビリ中だったんですけど、演技してるときは不思議とハキハキ動けるんです。パッと舞台に出ていって、「持ってるもの置いてけぇ!」と怒鳴りました。 ──手応えはありましたか。 おばあちゃん 私が出ていったら、子供が「うわーん!」って泣き出して、「やったねぃ!」って感じでした(笑)。私は少々図々しいんでしょうね、やり始めると役にはまり込んじゃうんです。 ──その「かんじゅく座」での印象深い思い出は? おばあちゃん 野良猫の役をやったときかな。自分が生んだ3匹の子猫を、もらわれていくんです。そのときの悲しみを「うわぁ〜!」と演技したとき「これが演劇なのかもしれない」と感じました。 主宰のエマさんは「野良猫の役をやるなら、本物の野良猫を観察してこい」と言うんです。毎回、自分が演じる役について理解するために、生まれてから今に至るまでを想像してレポートにして。それはすごく勉強になりましたね。演じるっていうのは、セリフを覚えるだけじゃないんだと。 ──すごい経験ですね。 おばあちゃん お芝居はみんなで作るものだから、流れをつかんで演技しなさいとも言われましたね。「自分のセリフがないからってぼうっと突っ立ってるなら舞台から降りなさい!」と言うような方で、すっごく厳しかったんですけど、私は大好きでした。 おばあちゃんは入学金の振り込みもひと苦労 ──なぜそのシルバー演劇から、NSCに行くことになるんでしょうか。 おばあちゃん 劇団はけっこうお金がかかるんですよね。地方公演をやると、交通費や宿代も全部自分持ちですから、長くは続けられないなぁと思いました。あと、私みたいにまったくのド素人って意外といないので、当たり前に飛び交う専門用語がわからないんです。「板付き」って「かまぼこじゃあるまいし」と思ったし、「ハケて」って言われても「チリもないのにどこを掃くの?」って感じで(苦笑)。 ──右も左もわからないなか、好奇心で飛び込んだんですね。 おばあちゃん そうそう(笑)。それで、みなさんとご一緒するには基本的なところから勉強したほうがいいなということで、演技の養成所にいろいろ連絡してみたんです。でも、ほとんどの養成所が、25歳くらいまでしか受け付けてないんですね。私はもう70歳でしたから全部断られて。唯一、「いいですよ」と言ってくれたのがNSCでした。 ──ちょっと待ってください、どうして演技と関係のないお笑いの養成所に行くことになるんですか? おばあちゃん 大学時代の友達に相談したら、彼女が自分のお子さんに聞いてくれたんです。それで薬の裏紙に書かれた番号だけで寄こしてくれて。どこにつながる番号なのかも書いてないんです(笑)。 ──怪しすぎますね。 おばあちゃん それで電話をかけてみたら、よしもとの作家さんやスタッフさんを育てるところで。 ──YCA、よしもとクリエイティブアカデミーでしょうか。 おばあちゃん そうそう。で、そこの担当の方が「ご自身がやりたいのは、NSCのほうですね」と言ってくださって、改めて電話をして。でもすぐには入らなかったんです。蜷川(幸雄)さんが立ち上げた「さいたまゴールド・シアター」の公演が残っていたので、それを終えて翌年2018年に面接を受けに行きました。 ──面接はいかがでしたか。 おばあちゃん 「学費収められますか?」と「6階まで階段を昇れますか?」の2点を聞かれましたね。 ──膝の手術後に、階段昇り降りは大変ですよね。 おばあちゃん 面接のときはまだリハビリ中で、杖ついてましたからね。でも受かりたいから「大丈夫です」と言いました。 ──特別扱いしないNSCもすごい。 おばあちゃん そこがよしもとのいいところだと思いますね。私としてもいいリハビリになりました。結局、その1年で体重も5キロぐらい痩せましたし。荷物もね、同期の方が「持ってってあげるよ」と言ってくださった。みなさんのおかげですねぇ。 ──最初のネタ見せは覚えてますか。 おばあちゃん NSCの入学金を収めに行ったときの話をしました。「振り込め詐欺かと心配された」って。それがウケたんです(笑)。いつも行く銀行で「学費をね、振り込みたいんですけど」と頼んだら「お孫さんのですか?」「なんの学校ですか?」と聞かれちゃって。「私が通うんです」「たぶん、お笑いの勉強だと思うんですけど」と答えたら、「ちょっとお待ちください」って、係の人が奥に引っ込んじゃって。 ──「たぶん、お笑いの勉強だと思う」で完全に心配されますね(笑)。 おばあちゃん うしろのほうで、支店長とゴソゴソしゃべってるんですよ。それで養成所の合格通知を見せたら、「わかりました」と振り込んでくれました。「こんなババアがお笑いの学校?」ってそりゃ思いますよね(笑)。そのときの話を初めてのネタ見せでやったら、みなさんに笑ってもらえたのでよかったですけど。 アドリブでしのいだ初舞台 ──芸人としての初舞台は覚えていますか? おばあちゃん あれはNSCを卒業してからすぐだったと思います。作家の山田ナビスコさんがやっているライブでした。そのときは今の川柳を読み上げるネタもできてなくて、たぶん、さっき話した銀行のお話をするみたいな漫談っぽいことをしたんでしょうが、あまり覚えてないですねぇ。最初のころは月に3回くらい舞台がありましたが、今以上にお客さんがいない。それで、チケットも芸人が街中に出て自分で売るんですよ。 ──おばあちゃんも手売りやってたんですか!? おばあちゃん 「お客さんいないからチケット売ってこい!」と劇場の人から言われるんです。それで渋谷の街に出たら、事務所の人が飛んできて「熱中症になったらどうするんですか!? おばあちゃんはやめてください!」って言われちゃった(笑)。 ──そんなおばあちゃんも昨年、芸歴5年目にして若手よしもと芸人が活躍する神保町の劇場に所属が決まりました。そのときの初舞台は覚えていますか? おばあちゃん それは覚えてます。神保町になると、持ち時間が5分になるんですね。それまで3分ネタしかやってなかったので、感覚がつかめない。3分まではスラスラいったんですけど、その先が急に思い出せなくなって、そこからはアドリブ。「すみません。年取るとね、3分以上のネタはできないんですよ」みたいなことを言ったら、笑ってもらえてなんとかなりました。 ──ネタを飛ばすとパニックになって、早めに舞台を降りる人もいるなか、初舞台で5分立ち続けたのがすごいですよ。 おばあちゃん 5分やれって言われたら、何がなんでもやらなきゃいけないと思ってただけなんです。作家さんにも「おばあちゃんの場合は、間を空けなさんな」と言われていたので、なんでもいいからしゃべっちゃえ、という気持ちもありましたね。私みたいな後期高齢者が間を空けると、お客さんが心配しちゃうでしょう(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 おばあちゃん 1947年2月12日、東京都出身。2018年、NSC東京校に24期生として入学。2019年4月、72歳で芸人デビューを果たす。2023年6月に、神保町よしもと漫才劇場のメンバーとなる。76歳での当劇場メンバー入りは過去最高齢。FANYアプリ『おばあちゃんのシルバーラジオ』や、YouTubeチャンネル『おばあちゃんといっしょ』なども展開している。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 芸人たちから愛される70代の“若手芸人”おばあちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(後編)
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カリスマが見据える先は、世界と地元…リンダカラー∞のネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#32(後編)
ひとりのカリスマが、ふたりの信者の相談に乗る「カリスマンザイ」で、今ブレイク中のトリオ・リンダカラー∞(インフィニティ)。 もともとは、小学生からの幼なじみのカリスマのDenと、坊主頭のたいこーのコンビだった「リンダカラー」。2022年、そこに“りなぴっぴ”が加入し、「リンダカラー∞」に進化した。 芸人たちの初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」。後編では、もともとDenのファンだったりなぴっぴが加入した衝撃の経緯と、たいこーの戸惑い、そして世界を狙うトリオの“確信”について聞いた。 【インタビュー前編】 自分たちのおもしろさを疑わなかったコンビ時代…カリスマ率いるリンダカラー∞の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#32(前編) 目次「私も入りたい〜」で即加入の逸材“りなぴっぴ”「漫才はやりたくない」世界進出で、地元を振り向かせたい 「私も入りたい〜」で即加入の逸材“りなぴっぴ” 左から:りなぴっぴ、Den、たいこー ──もともと、Denさんとたいこーさんのコンビだったリンダカラーですが、りなぴっぴさんが加入し、リンダカラー∞に変わります。前編ではコンビ時代に「漫才をぶっ壊したい」と試行錯誤していたと語っていました。りなぴっぴさんが入って、どんな変化がありましたか。 Den りなぴっぴが入って、「漫才をやらなきゃいけない」っていう重い枷(かせ)が外れたんですよね。僕はずっと、「◯◯やりたいんですよね」で入る漫才コントの形式も、「もういいよ/ありがとうございました〜」っていう決まり文句もイヤだった。 ──「漫才といえば、こういうかたち」が、受け入れられなかった。 Den それで漫才を破壊するようなナンセンスなことをやってたんですけど、そういうネタをやっていると、『M-1(グランプリ)』で「漫才じゃない」って言われる時代になったじゃないですか(笑)。まぁ、漫才の賞レースなんでそれは当たり前なんですけど。でも、りなぴっぴが入って、そういう賞レースで結果を残すこととか、気にならなくなった。これがやりたかったことだなと。 ──りなぴっぴさんはもともとリンダカラーのファンだったんですよね。どういう経緯で加入したんですか。 Den りなぴっぴは、僕らを観に来てたファンの子の友達だったんですよ。単独ライブの出待ちで、りなぴっぴに「楽しそうでした。私もあの中に入りたかったですよ〜」と言われて、体に稲妻が走りました。「ファンを入れる」ってこれは新しいんじゃねぇかと。 ──りなぴっぴさんの軽口を真に受けたと。 りなぴっぴ 本気で言ってたんですよ!(笑) それまで、就職したりバイトしたり、いろいろやってたんですけど、全部楽しそうだからやってみてて。たしかにDenさんに話しかけたときは、「絶対入りたい!」っていうわけではなかったけど、「えー楽しそう! やりたい!」とは思ってました。だから実際に誘ってもらったときも「えー! やったー! おもしろそー」ってすぐオッケーしました。 Den とんでもない女ですよ。このノリを目の当たりにして僕も、とんでもないこと起きるんじゃないかって頭の中がスパークしたんです。 ──たいこーさんは、Denさんの突然の提案にどう思われましたか。 たいこー 提案なんかなかったっすよ。ある日、ネタ合わせで喫茶店に行ったら、知らない女の子がいて、Denが「この子、今日から入るから」って言われて……。まぁ決まってるなら、しょうがないかぁって。 ──すぐ受け入れたんですね。 たいこー いや、パニックですね。今もまだテンパってますから。 りなぴっぴ めっちゃ正直にいうと、私もたいこーさん見てびっくりしました。Denさんとお笑いができるから入ったので、たいこーさんは、いることも知らなかった(笑)。 Den はっはっは(笑)。 たいこー 信じられないですよ。だって、りなぴっぴが観に来てたのって、俺たちの新ネタライブだったんですよ? りなぴっぴ でも後輩の人たちも出てましたよね。 Den 企画コーナーで出てたな。 りなぴっぴ 私、お笑いがまったくわからなくて。漫才とコントの違いとか、コンビとかトリオもよくわからなくてメンバーっていう概念も知らなかったから、Denさんとたいこーさんの関係が見えてなかったです。 Den この捉われなさ、すごくないですか。衝撃ですよ。俺らは漫才の型に捉われないっていろいやってましたけど、そんな俺たちより自由なヤツがいた。俺らの「漫才を壊したい」って結局“ありもの”へのアンチテーゼでしかなかった。そういう認識も超えたりなぴっぴが入ったら何かが変わるって確信しました。 ──りなぴっぴさんは、実際に入ってみてどうでしたか? りなぴっぴ えー、楽しかったです。ふふふ(笑)。 「漫才はやりたくない」 ──3人での初舞台はどうでしたか。 Den 最初は単純に、僕とたいこーの漫才を、うちわを持ったファンであるりなぴっぴが応援してて、僕がファン対応を見せるって感じのネタでしたね。ファンを舞台に上げるっていうコンセプトがおもしろいと思ってたので。 たいこー 最初はエントリーライブだった。 りなぴっぴ しかも、入るって言った日にネタ合わせして、そのままライブでしたよね? たいこー そう。俺はDenとふたりでネタをやるつもりだったのに、初対面の新メンバーと漫才やって。だからパニックで、3人の初舞台はあんま記憶にないんですよ。 Den しかも最初は全然ウケてないっすね。お客さんも見方がわからなくて戸惑ってた。事務所ライブでもコンビ時代に観てくれてた人たちは、突然ファンが入ってきて、意味がわからなかったんじゃないかな。 たいこー 俺もお客さんと同じです。意味わかんなかった。 りなぴっぴ 私もウケるとかウケないとかもよくわかんなくて。「楽しい!」ってだけでした。 Den 手応えを感じてたのは、僕だけなんですよ。僕にしかビジョンは見えてない。だから初舞台からしばらくはまったくウケてないですね。 ──でも成功する確信はあった。 Den 絶対大丈夫だなって自信はありましたよ。 ──カリスマンザイはどういう経緯で誕生するんですか。 Den 時代に合ったものを作ろうってところからですよね。僕のカリスマをどう浴びせようか。そのためにどういう装備で行くか。テーマは決まってるんで、あとはガワをどうするかだけ。どうやったら世の中の人が見やすくなるかを考えてたら、今のかたちになりました。コンビ時代は、ふたりでネタという作品を追求してましたけど、今はリンダカラー∞そのものを作品にしようっていう感覚です。 ──コンビ時代のDenさんは黒髪・メガネで、今とはだいぶ雰囲気が違いますよね。どうやって仕上げていったんですか。 たいこー あんま覚えてないんですよね。 りなぴっぴ でも、私が初めて見たときはもう金髪でしたよ。 Den なんかね、芸人になってからしばらくの間、芸人らしくしなくちゃいけないと思いこんでたんです。養成所のころはもっと派手で、ピアスもしてたし、(ルイ・)ヴィトンのボストンバッグで養成所ライブに行ってましたから。あるとき、事務所の先輩・ハナコの岡部(大)さんに「君、芸人……?」って言われて、「俺、芸人っぽくないんだ」と知って、黒染めしてメガネかけたくらいで。実際、岡部さんの言うとおり、イカつい格好してると、お客さんも笑ってくれない。だから最初は自分らしくできなかった。 りなぴっぴ 今のDenさんが好きです。 Den ありがとう。 りなぴっぴ あと、私、踊りたかったんで、カリスマンザイできてうれしいです。ミュージカルとか好きだし。 Den 漫才はやりたくないって言ってたよね。 りなぴっぴ しゃべってるだけだとつまんないって思っちゃう。踊ってるほうが楽しい。音楽も欲しいし。 Den このりなぴっぴの自由な感覚が、リンダカラーには欠けてたんですよ。 ──りなぴっぴさんが加入したことで、リンダカラーは「インフィニティ=無限大」の可能性を手に入れたと。今年の『おもしろ荘』(日本テレビ)では準優勝しました。 Den 本当は去年優勝するつもりだったんですけどね、1年目は落ちちゃって。そこはトリオになって唯一の誤算でした。前編で話した、養成所のランクづけでAクラスに入れなかったときと同じ感覚になりましたね。「この俺たちが? ウソだろ」って。まぁまぁ今年、結果残せてよかったですよ。 ──ちなみに、りなぴっぴさんを真ん中に立てるアイデアはなかったですか。 Den それはないですね。りなぴっぴのおもしろさは、僕らから押し出すと、原石のまま終わってしまう。芸人ってひねくれてるから、こっちから押し出したものはあんまりイジりたくない生きものなんです。りなぴっぴはまわりの人たちに磨かれてこそだと思うんで、そこは気をつけてます。 りなぴっぴ いつも「りなぴっぴはそのままでいいよ」って言ってくれます(笑)。 Den 俺がフロントマンとして立ってるんで、りなぴっぴには変わらず、才能一本でやっていってほしいっすね。 世界進出で、地元を振り向かせたい ──これからますます勢いづきそうですが、リンダカラー∞の目標はなんですか。 Den 今もらえる仕事をがんばるのが前提ですけど、今後はもうちょっと可能性広げたいんで、世界っすね。 ──世界のカリスマになっていく。 Den 『ゴット・タレント』でチョコプラ(チョコレートプラネット)さんとか(とにかく明るい)安村さんが活躍して、全然夢じゃないなと。日本と世界で活躍して、相乗効果を狙ってます。あと、りなぴっぴが海外好きなんで行かなきゃいけない。 りなぴっぴ 行きたくて、アメリカ。来年くらい行きたいですね。 Den りなぴっぴは「世界行きましょう!」って簡単に言うんですよ。でもそう言われて「いや、行けるかぁ!」とも思わない。「おもしれぇから、世界行くか」って感じですね。 ──ちなみに個人としてのそれぞれの目標は? Den 俺だけの目標かぁ……出てきただけでお客さんが失神するレベルのカリスマになりたいっすね。せっかくカリスマやらせてもらってるんで、カリスマの価値をどこまで上げられるか試したい。 ──ザ・カリスマってすごいですよね。かつては「カリスマ美容師」という言葉がありましたけど、Denさんは「カリスマ芸人」ではないし。 Den カリスマ芸人っていったら、(千原)ジュニアさんとかでしょ? 俺が目指してるところは「カリスマ・オブ・カリスマ」なんで。「職業:カリスマ」のヤツなんていないじゃないですか。そこの価値をどこまで上げられんのか、そこはシンプルに追求していきたいっすね。 ──りなぴっぴさんがやりたいことは? りなぴっぴ えー、いっぱいあります! どうしよう。 Den 全部言っていいよ。 りなぴっぴ アメリカのアニメとか好きだから、アニメの声もやってみたいし、洋服とかメイクも好きだから、そういう仕事もしたい。絵描くのも楽しいから、描きたいし。将来はアメリカに住みたい。 Den すごいでしょ? お笑い芸人にはまったくない、まっすぐな価値観ですよ。この逸材を見つけてもらうために、俺もいろいろ仕掛けてやんなきゃって思いますよ。丁寧に育てたい。芸人としてもすごく優秀なんで、バランスを見ながら、スターを目指してほしいですね。 ──たいこーさんはいかがですか。 たいこー 目標かぁ……。今、わかんないっすね。何をしたいのかもわかんないし、リンダカラー∞の、この状況についていくのに必死なんで。トリオの目標も、個人的にやりたいことも、これから探します。 ──それにしてもここ数年のDenさんとたいこーさんの活躍ぶりには、地元の友人たちもびっくりしてるんじゃないですか? たいこー なんも言ってこないっすね。 Den 地元のヤツらは興味ないんっすよ。テレビに出ても何も連絡来ないっす。 たいこー 普通に「飲み行こう」って連絡は来るけど。まぁそのほうが気楽でいいっす。 Den 一緒に飲んでて、ファンから声かけられたときも、アイツらは冷たい目で見るだけですから。普通、地元の友達だったら「本当に有名人じゃん、すごいね」とか言うでしょ? でもさすがに世界行ったら「ギャフン!」って、本当に声上げると思いますよ。 ──地元の友達の心をつかむのが一番難しい。 Den いや、マジでそうっすね。仮にコンビ時代にM-1で優勝してたとしても何も言われなかったでしょう。世界を獲れば、さすがにアイツらも振り向くだろうね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リンダカラー∞ Den(1994年2月22日、神奈川県出身)、たいこー(1993年8月5日、神奈川県出身)、りなぴっぴ(1998年2月10日、山形県出身)のトリオ。2017年、小学生から幼なじみだったDenとたいこーで前身となるコンビ「リンダカラー」を結成。2022年5月、Denのファンである りなぴっぴが加入し、「リンダカラー∞(インフィニティ)」に改名する。2024年、若手芸人の登竜門『おもしろ荘』(日本テレビ)で「カリスマンザイ」を披露し、準優勝した。 【後編アザーカット】
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自分たちのおもしろさを疑わなかったコンビ時代…カリスマ率いるリンダカラー∞の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#32(前編)
ひとりのカリスマが、ふたりの信者の相談に乗る「カリスマンザイ」で、今ブレイク中のトリオ・リンダカラー∞(インフィニティ)。 誰も見たことのない“漫才”で注目を集めるが、実は3人組になったのは2022年と最近だ。紅一点の りなぴっぴ加入前は、カリスマのDenと、坊主頭のたいこーのコンビだった。 芸人たちの初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」。この前編では、小学生からの幼なじみであるDenとたいこーの出会いから初舞台、りなぴっぴの加入までが明かされる。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次幼なじみの初舞台は、修学旅行俳優でもアーティストでもよかったけど 「俺たちがおもしろくない可能性あんのかよ!」漫才の枠をぶち壊したかった 幼なじみの初舞台は、修学旅行 左から:りなぴっぴ、Den、たいこー ──先に撮影を行いましたが、3人とも最高でした。 Den 僕らは被写体がうまいんでね。 ──Denさんの堂々とした佇まいと、たいこーさんの強い眼差し。ふたりは芸歴8年目なので、まだわかるんです。でも、2年前にまったくの素人からスタートしたりなぴっぴさんの表情が、カメラを向けられた瞬間に一変したことに驚きました。もともと芸能関係の仕事をしてたんですか? りなぴっぴ 全然してないです。ずっとバイトとかしてました。 Den りなぴっぴは、もう完全にプロですね。 ──カリスマであるDenさんの指導の賜物? Den いやいや、完全なるポテンシャルです。僕ら3人の中で、一番スター性があるのが彼女ですよ。 りなぴっぴ ありがとうございます(笑)。 ──そんなりなぴっぴさんのこともすごく気になるんですが、リンダカラー∞の歴史を、順を追って聞きます。Denさんと、たいこーさんは、小学校の同級生なんですよね? Den そうですね。小学校3年生で同じクラスになって以来、ずっと一緒にいる仲間です。学校が終わると、たいこーの家に遊びに行くのがルーティーンでしたね。 たいこー 親が共働きで家に大人がいないんで、みんなが遊びに来てました。 Den 何人かで集まってましたけど、それぞれゲーム、マンガ、パソコンでエッチなもん見るって感じで、みんな自由にやってましたよ。 ──学校生活はどんな感じでしたか。 Den ウチの小学校ってちょっと特殊で、マジメに勉強する文化がなかったんですよね。 たいこー 正直にいえば、荒れてましたね。 Den なんかもうね、みんな、善悪があんまりわかってなかった。僕も校長室登校を1カ月させられてました。あえて悪さをしてやろうなんて気持ちは、これっぽっちもなかったんですけど。 たいこー ただ、ふざけてただけ。それが笑えると勘違いしてたんすよ。 ──中学生では、より荒れた? Den いや、中学で変わるんですよ。普通、中学校って運動ができるとか、ヤンキーでケンカ強いヤツが力を持つじゃないですか。でも僕らの中学校は、おもしろいヤツが一番だし、モテました。 ──ちなみにDenさんはおもしろいヤツでしたか。 Den もちろん。最強でしたよ。 ──おふたりは横須賀の出身ですね。 Den 横須賀にお笑いの文化があるわけじゃないし、中学も上の世代はとんでもなく荒れてたんで、僕らの代だけおもしろいのが正義でした。上の世代の影響で、修学旅行の行き先も岩手でしたもん。定番の修学旅行先に行くと、他校の学生とケンカするから(笑)。僕らの学年は平和主義だったのに。 たいこー 岩手ではホームステイして、川下りとかして楽しかったっすね。 Den そういえば、たいこーとの初舞台は中3のときの修学旅行ですね。僕とたいこーと、友達ふたりで漫才をやりました。 ──4人で漫才って、すでに型に捉われてなくて、すごいですね。 Den 自由ですよ。お笑いをやるのは好きだけど、観る側としてはあんま知らなかったし。だからネタを作るときも「漫才ってこんな感じじゃね?」って、みんなで話し合って考えましたね。まぁ結局は、いつものノリで舞台出れば大丈夫っしょって感じでやりましたけど。 たいこー まぁ中学生の余興なんて、知ってるヤツが出てくるだけで盛り上がるんで。ネタでウケたっていうよりも、みんなずっとテンションが高いって感じでしたね。 ──どんなネタをやったんですか。 Den 漫才コントをやった記憶があるけど、あんまり覚えてないんですよ。まぁ4人でネタ作るのも、披露するのも楽しかった。それだけです。 俳優でもアーティストでもよかったけど ──中学で漫才をやって芸人になることを意識し始めた? たいこー いや、それはないっすね。僕ら、高校は別々で。俺は高校卒業で就職して、Denが大学卒業したころに、俺から誘いました。2017年ですね。 ──たいこーさんは、なんで芸人になりたいと思ったんですか。 たいこー 自分がやってみたらどうなるんだろうって気持ちだけですね。別にめちゃめちゃ熱心にお笑いを観てたわけでもないし、特別好きな芸人がいるわけでもない。『M-1(グランプリ)』の出囃子に乗って出てくる感じがかっこよくて憧れてました。 Den たいこーに誘われて、すぐやることにしました。僕はちょっと就職活動もしましたけど、本気ではなくて。でも正直、自分のカリスマを世界に見せつけられるなら、俳優でもアーティストでもなんでもよかった。ただ、自分の能力値を考えると、お笑いがずば抜けてたんで、芸人になろうと。 ──ふたりは23歳で、芸人の養成所に入りました。なぜ、ワタナベエンターテインメントの「ワタナベコメディスクール」を選んだんですか。 たいこー どんな事務所があるのか、よくわかってなかっただけです。吉本は知ってたけど、上下関係が怖いらしいっていうのは聞くからやめました。 Den 小学生のころ、さんざん怒られてきたんで、もうコリゴリなんですよ(笑)。 たいこー 地元のモスバーガーの2階で、いろんな養成所をネットで調べてワタナベに決めたよな。 Den そうだったわ。検索して最初に出てきた事務所にしようって言ってたら、吉本の次が、ワタナベだった。 ──ワタナベのSEO対策が見事だった。 Den 実際、ワタナベでよかった。「先輩の言うことは絶対!」とか、ないから。 ──「お笑いがずば抜けてる」という自己認識だったDenさんは、養成所でも抜きん出てましたか。 Den もちろん、人間としては「俺はレベルがちげぇな」って思ってましたよ。でも、ネタは作ったことがなかったんで、ロジックもわからなくて、そこは苦労したかな。それこそ、芸人としての初舞台では、心がぽっきり折れた瞬間がありましたね。 「俺たちがおもしろくない可能性あんのかよ!」 ──何があったんですか。 Den 最初のランク分けで、Bランクになったんですよ。最初は「なんで俺らがAじゃねぇんだよ」とも思いましたけど、よく考えたらプロの作家が見て「B」なんだからこれが事実なんだろうと。「あの俺たちがおもしろくない可能性あんのかよ!」ってかなり落ち込みましたね。次のランク分けのライブに出るまでの1カ月間はしんどかった。 ──カリスマ、初めての挫折。 Den まぁそっからすぐAランクに上がって、そこで優勝するんですけどね。でも、あの初舞台は鮮明に覚えてる。今までの自分を否定された感覚に陥りましたから。あの感覚は、あの瞬間、あの場所でしか得られないものだった。 たいこー 俺は大丈夫だと思ってましたよ。まぁすぐに勝てるだろって。 ──たいこーさんも大物感があります。 たいこー いや、当時はお笑いの世界のことがよくわからなかっただけですね。養成所でも、お笑い好きの人たちがトガった感じでマウント取ってくるのが、意味わかんなくて。単純におもしろいこと言えばいいだけなのに、何やってるんだろうって思ってましたよ。 Den たいこーは、こういうとこカッコいいんですよ(笑)。まぁ俺も、速攻で「やっぱりレベル違うじゃん」と、折れて落っこちてた天狗の鼻をつけ直しましたよ。これが俺の標準装備だから。 たいこー でも、もっとヤバい初舞台もありました。養成所に入る前、アマチュアとして1回だけM-1の1回戦に出たんですよ。東京だとちょっと厳しいから、大宮の劇場に行って。トップバッターだったんですけど、舞台に出て10秒くらいでDenがネタを飛ばして。それで俺もテンパってゴチャゴチャした記憶があります。 Den こいつウソついてます。 たいこー はぁ? Den 10秒じゃない。3秒だよ。 りなぴっぴ ははは(笑)。 Den たしかにあれは初めての感覚だったっすね。今思うと極限状態だった。テンパってる自分と、その自分を客観的に見てる俺が共存してた。 たいこー でも、なんかウケたんだよ。 Den そう、これはすごいことですよ。記憶も曖昧で、真っ白の状態で、笑いを起こしたんですから。 たいこー 今思えばあり得ないんですけど、「こんだけウケたら、1回戦通るだろ」って思ってたわ(笑)。 Den それは俺もよ。 たいこー ネタのクオリティを審査員が見てるとかもよくわからなかったから、単純に笑いの量だけだったら、俺らもいけるんじゃないかなって勘違いしてましたね。 漫才の枠をぶち壊したかった ──養成所を卒業してすぐ、若手芸人によるテレビ番組『ウケメン』(フジテレビ)にもレギュラー出演するようになりました。 Den 『はねトび(はねるのトびら)』(フジテレビ)の総合演出・近藤真広さんも入ってたんで、 王道の活躍路線ですよ。僕らは最年少で入れてもらったので気合いも入ってました。結局、力及ばずで2年弱で終わっちゃいましたけど。 ──当時のインタビューを読むと「ボケのデンさんが投げかける突拍子もない設定に、たいこーさんが熱いツッコミで応える」とあって、想像つかないんですが……。 たいこー ははっ(笑)。 Den 僕がアフリカに行ったというネタをやってるころとかですかね。アフリカの辺境の地でオリンピックが開催される。そこで僕が選手宣誓をお願いされそうだと。日本人ってバレたら、槍でひと突きされちゃうから、ちゃんとしなきゃっていうネタで。そこには理由もなければ道理もない、ナンセンスですよね。ほかのネタも「なんかこの景色見たことあんな」から入って「デジャブだわ」って4分間言い続けるとか。めちゃくちゃでした。 ──型にはまった漫才が嫌いだった? Den そうっすね。「お願いします」「いきなりなんだけど」「ありがとうございました」って定型文とか使って、漫才っぽいことをする。そういう漫才の枠に捉われたくなかったんですよね。とにかく新しいものを生み出したかったですね。 ──その思いでふざけ倒すDenさんに、たいこーさんは熱いツッコミを返していたと。 たいこー 熱いツッコミっていうか、単純にすごくでかい声出してただけです(苦笑)。 Den 僕のボケで、たいこーが困ってるのがおもしろいんですよ。それは小学生のころから変わらない。昔はネタとか平場でたいこーを困らせてたけど、りなぴっぴが入った今は、人生まるごと使って困惑させるのが、テーマになってますね。 たいこー リンダカラー∞になってから、もう2年経ちますけど、いまだに戸惑ってます。 Den ふたりで漫才やってるときは、伝統と歴史がある漫才文化をとにかく壊したかったんですよ。でも、リンダカラー∞になってから「壊す」よりも「作る」ほうに関心が向いている。古い漫才をぶっ壊すんじゃなくて、新しい漫才を立ち上げる。この3人なら、やれますね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リンダカラー∞ Den(1994年2月22日、神奈川県出身)、たいこー(1993年8月5日、神奈川県出身)、りなぴっぴ(1998年2月10日、山形県出身)のトリオ。小学生から幼なじみだったDenとたいこーで前身となるコンビ「リンダカラー」を結成。2022年5月、Denのファンである りなぴっぴが加入し、「リンダカラー∞(インフィニティ)」に改名する。2024年、若手芸人の登竜門『おもしろ荘』(日本テレビ)で「カリスマンザイ」を披露し、準優勝した。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 カリスマが見据える先は、世界と地元…リンダカラー∞のネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#32(後編)
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活躍の場と規模を広げていく、兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(後編)
京都を拠点に活動する劇団・THE ROB CARLTON。浮世離れしたラグジュアリーな人間たちの、不毛な会話劇が魅力だ。 近年、東京での公演にも力を入れるが、コロナ禍は大きな壁として立ちはだかった。その危機を乗り越えた今、追い風が吹いている。 さらに、演劇だけでなくコントにも注力するTHE ROB CARLTONに、これからの拡大戦略を聞いた。 ちなみに、作・演出を務める村角太洋は、役者名をボブ・マーサムという。弟の村角ダイチは、太洋を「ボブ」と呼ぶので、本文はそれに従う。 【インタビュー前編】 不毛な会話劇で魅せる兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(前編) 目次「HEP→ABC」関西劇団のステップアップコロナに阻まれた東京進出THE ROB CARLTONのコント流儀「存在感を引っ込める」おじさんになって説得力が増す 「HEP→ABC」関西劇団のステップアップ 村角太洋(ボブ・マーサム) ──THE ROB CARLTONは京都を拠点に活動されている劇団です。関西の演劇シーンはいかがでしょうか。 ボブ 僕らみたいなコメディの系譜でいうと、2世代上にMONOさんがいらっしゃって、年齢的に10歳くらい離れたところにヨーロッパ企画さんがいらっしゃる。まずは、このふたつの劇団のような動きができたらいいなと、昔から思っていました。 ──劇場の規模としては、どういうふうにステップアップしていくんですか。 ボブ 僕らのときは梅田のHEP HALLでまずやりたいんですよ。あそこは200席くらいで、わりとぎゅっとした空間だけど、大阪のイケてる小劇場なんです。その次というと、これも梅田のABCホール。ここはそれこそMONOさんとかヨーロッパ企画さんがロングラン公演をされるところです。最大で300席超のキャパですね。僕らはこの10月にABCホールで公演を行います。 村角ダイチ ──東京でいうと、下北沢の本多劇場より少し小さいくらいの規模でしょうか。THE ROB CARLTONが、HEPホールに初めて立ったのはいつですか? ボブ 2015年ですね。 ──旗揚げは2011年ですから、かなり早いんじゃないでしょうか。 ボブ いやね、このときは無理やり行ってしまったんですよ。一度やってしまおうと。当然ロングランなんて無理なので公演数も減らしました。それからまた4年くらいはHEPさんにお世話になってます。 ──当時は無理やりでも一度立つことが必要だった? ボブ そうですね。HEPホールでやることによって、気づいてくれる層は確実にいますから。実際、あのときはやせ我慢してよかったなと思ってます。僕らは劇団を始めたのも30歳近くになってからで遅かったから、急ぐ必要がありました。若くて勢いのある子たちは、20代のうちにHEPに立って、30代早めにABCに行く。そこに合わせるとなると、早く行かなきゃいけなかった。 ダイチ そういうところ、ボブはめちゃめちゃ戦略的に考えられるんですよ。もしボブがぼやっと「俺たちの演劇がわからないヤツらはダメだ」みたいに独りよがりな考え方をするヤツやったら、たぶんケンカしてましたね(笑)。僕が考えるようなことの数手先を見てボブは動いている。だからここまで信じて、ついてこられたところはあります。 ボブ 失敗は多いですけど、意識して動いてきたから、なんとかここまで来られた。その安堵感はあります。でも、大きな後悔がひとつだけあるんですよ。 コロナに阻まれた東京進出 ──大きな後悔とはなんですか? ボブ もう2年早く、東京に出てればよかったなと。東京での初公演は2018年2月、赤坂RED/THEATERで行いました。それからは毎年1回、東京でやろうと決めていた。でも、その2年後にはコロナ禍になってしまったんです。もしも、HEPホールをやった翌年の2016年に、その勢いのまま東京で初公演を打っていれば、コロナ禍までに4回はできた。それが実現していたら状況はかなり違ったんじゃないかと思ってしまうんですよ。 まぁコロナは誰にも予測できない事態だったので、しょうがないですけど……でも早くやっておくことに越したことはなかった。そのことは後悔してもしきれないですね。 ──なぜ2016年に東京公演をできなかったんですか。 ボブ やっぱり金銭的な問題が出てきたんです。東京公演が毎年できるような体制を整えるのに、ちょっと時間がかかったんですよね。でも今思えばほかのやり方があったかもしれない。それこそ、やせ我慢を続けていたらよかったのかもしれません。 ──演劇でも、東京と関西ではお客さんの反応も違いますか? ボブ やっぱり違いますね。東京のお客様のほうが、反応が細かい感じがする。90分の上演中、どのシーンでも誰かしら笑ってくれているといいますか。関西は公演日によって、けっこう反応に差がある気がしますね。 ダイチ 関西では、お客さんのほうも僕らを見慣れているから、反応がまろやかになるのはしょうがない。東京のほうが物珍しく見てくれてはるな、という印象です。 ボブ だから東京でも、もっと公演をやりたいんですよね。これからは年に1〜2回は東京でやるつもりです。そしたら関西でも新鮮に見てもらえるようになるかもしれませんし。 THE ROB CARLTONのコント流儀「存在感を引っ込める」 ──THE ROB CARLTONは今年に入ってひとり離脱し、ボブさんとダイチさんのふたりになりました。今、東京公演の話もありましたが、今後の戦略を伺ってもいいですか。 ボブ そうですね、図らずもふたりになってしまったので、戦略の変更は余儀なくされましたが、大枠は変わらないです。関西が我々のベースにあるので、そこで定期的に公演を続けながら規模を拡大していく。そして先ほど言った東京公演もコンスタントに行うと。 『テアトロコント』(演劇人とコント師が競演するライブ。ダウ90000躍進のキッカケにもなった)にも呼んでいただきましたが、コントだと演劇よりもお金をかけずに、いろんな方々に我々を見てもらえる。こういう機会を増やしていけたらなと思いました。 ──その『テアトロコント』では30分の持ち時間で、コントを5つ披露されました。いかがでしたか。 ダイチ コントを次々とやっていくのは初めてで、忙しなく切り替えていく感じが新鮮で楽しかったです。 ボブ ある種の気軽さが楽しかったですね。普段の演劇公演は根を詰めて準備するから、メンバー同士の関係性も不安定になるものです。そして僕は作家&演出&出演なので、そこで揉めることは少なからずある。これは産みの苦しみなので仕方ない。ところが今回5本のコントを一気にやったときは、ひたすらやるしかないね、という気楽さがありました。瞬発力勝負の心地よさですね。 ──THE ROB CARLTONは、ネタ番組に出ても注目されそうです。 ボブ もちろん出られたらうれしいですよ。まずは存在を知っていただくことが大事ですから。ただ、テレビの数分間に耐えられるものを僕らが作っていけるかといえば、そう簡単なことじゃない。芸人さんたちは四六時中、コントと向き合っているわけですからね。 ──とはいえ近年、コントでも演技力がかなり重視されるようになっていて、抜群の演技力を持つTHE ROB CARLTONにも、時代の追い風が吹いているように思います。 ボブ たしかにコントにも演劇的な要素が求められるのは、僕らが学生のころにはなかった傾向です。そのトレンドにうまくマッチすればおもしろいでしょうね。でもコントを本職にされている方々は、引き出しが多いじゃないですか。キャラクターの幅が広く、ギャグもできて、おまけにお芝居もうまいわけで。 ──今回は芸人のコントと差別化するような、演劇的なアプローチで作られたコントがあって印象的でした。 ダイチ それはすごくうれしい、狙いどおりの感想を言っていただけました(笑)。 ボブ たしかにいくつかのコントは、演劇的なアプローチで作りましたね。通常のコントって、誰が演じているのかがかなり重要ですよね。 ──芸人自身のイメージが、コントのキャラクターにもある程度反映されて笑えるという構造はありますね。 ボブ しかし演劇の場合は、演じる本人の存在感を薄めるといいますか、引っ込めるといいますか。誰が演じているのかを、お客さんに意識させないようにする。そのアプローチをコントにも導入してみました。 ダイチ 特にボブは、極端なほどに自分を出さないですね。 ボブ このキャラクターは実在する、ということを納得させられれば、絶対にそのおもしろさが伝わると思っているんです。だから自我を出さずに演じることを徹底しています。 おじさんになって説得力が増す ──これからもTHE ROB CARLTONのコントをたくさん観たいです。 ボブ ありがとうございます。意外とね、舞台美術という制約がないから、いろいろアイデアが浮かんできて考えやすかったですよ。もっとやりたいです。でも、演じるのはやっぱり難しかったね。 ダイチ お芝居やったらね、物語の流れがしっかりあるから感情の持っていき方も段階を踏んでやりやすいんですけど、5分〜10分となると、急に感情を変えなアカンから、不慣れで難しかった。 ボブ 「本当にそういう気持ちになるかな?」と、ディテールを考え出すと、コントの演技には入り込みにくい。演劇的な脳みそでやると、つまずいてしまうんですよね。あと、前編でも言いましたが、僕らのコメディはボケもツッコミもいないわけです。 登場人物は自分が正しくて、常識人だと思っているけれど、その認識がそもそもズレている。そのズレを観客が楽しむのがコメディなんですよね。それが可能なのは、90分という時間をかけて、丁寧に物語と人物を説明できるから。 ──5分程度のコントで、そこを丁寧に見せるのは至難の業ですね。 ボブ そうなんです。だからこそコントにはボケとツッコミが不可欠なんですよね。 ──ここで笑ってください、というメタ的な指示として、ボケとツッコミは優れていますね。 ボブ 機能として抜群に優れていますよ。そこはまだまだ勉強しなくちゃいけないです。 ──THE ROB CARLTONは、ゴージャスな雰囲気だったり、重厚感のある演技も魅力なので、年齢を重ねれば重ねるほど、キャラクターとおふたりの存在感がハマって、よりおもしろくなるような気がします。 ダイチ それは本当にそうですね。実際、おじさんになっていくにつれて、やりやすくなってきましたから(笑)。 ボブ 昔はどこかしら無理して、おじさんを演じてたからな。今ではいい意味で動きが遅くなって、所作に重みが出てきてます。コップひとつ取るにしても、体が若いと機敏になっちゃうんですよ(笑)。若いうちは体も薄いからスーツも似合わなかったですし。その意味でもTHE ROB CARLTONは完全に遅咲きだと思ってるんで、僕ら自身ここから先が楽しみです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 THE ROB CARLTON(ザ・ロブ・カールトン) 村角太洋(1984年7月21日、鹿児島県出身)、村角ダイチ(1985年11月24日、鹿児島県出身)による劇団。2004年、出身校である京都府立洛西高等学校ラグビー部のOBで「洛西オールドボーイズ」を結成。これが母体となり、2011年に「THE ROB CARLTON」が誕生する。ROBは「洛西オールドボーイズ」の頭文字であり、CARLTONは憧れのホテル「ザ・リッツ・カールトン」から取っている。10月には新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』を、東京と大阪で上演する。 新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』 【東京公演】 MITAKA“Next”Selection 25th 参加公演 2024年10月4日(金)〜14日(月・祝) 会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール 【大阪公演】 2024年10月25日(金)・26日(土) 会場:ABCホール http://www.rob-carlton.jp/ 【後編アザーカット】
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不毛な会話劇で魅せる兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(前編)
京都を拠点に活動する劇団・THE ROB CARLTON。大富豪や政治家など、浮世離れした設定とキャラクターたちが繰り広げる、不毛な会話劇が魅力の劇団だ。 作・演出を務め、俳優としても出演する村角太洋と、村角ダイチは兄弟である。幼いころから仲良しで、40歳を目前にした今もともに歩むふたりに、いくつかの初舞台を聞いた。 ちなみに、太洋は役者名をボブ・マーサムという。ダイチは太洋を「ボブ」と呼ぶので、本文はそれに従っている。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次「僕らのコメディにはボケもツッコミもいない」弟の文化祭演劇に脚本を書く「知らなすぎや!」劇場スタッフに叱られる意図せず不毛だった初舞台 「僕らのコメディにはボケもツッコミもいない」 左から:村角太洋(ボブ・マーサム)、村角ダイチ ──この連載では普段、芸人の方々のファーストステージ=初舞台について聞いているんですが、今回は劇団ということで異色回です。 ボブ そうですよね。そうそうたるメンバーの中にインタビューが載るのはありがたいですけど、私たちでいいんですか。 ──もちろんです! THE ROB CARLTONの演劇の魅力は、重厚な世界観の中で繰り広げられる不毛な会話劇ですが、その一方でコントにも挑戦されていますから。演劇にせよ、コントにせよ、創作のこだわりはなんでしょうか。 ボブ 知らないことはやらない、ですかね。重厚な世界観と言っていただきましたが、もともとそういう古い映画が好きだから、そのシーンを再現したくて作ってるんです。 ──自分の愛着から創作がスタートする。 ボブ 物語やキャラクター、設定の根底をどれだけ能動的に把握できてるかは、僕にとって重要ですね。THE ROB CARLTONは、僕がもともと好きなもの、興味のあるものを題材にしている。その説得力はあると思います。 ──喜劇を作っているTHE ROB CARLTONの、笑いの肝はなんでしょうか。 ボブ 僕らのコメディにはボケとツッコミが存在しないんです。それは、小さいころ親父に見せられてたアメリカのコメディ映画の影響だと思っていて。コメディ映画の登場人物って、みんな自分が「普通」だと思って行動するんだけど、それを観客側から見ると滑稽なわけです。自分の好き勝手に動いていたら、互いのアクションと思惑が絡み合って、どんどんカオスになっていく。そういう意味では、説明的になりすぎずに、キャラクターを理解してもらうことが重要だと思っています。 ダイチ キャラクターとシチュエーションをしっかり作り込まないと、お客さんはなんのこっちゃわからないので、そこは大変ですよね。 ボブ 逆にいえば、キャラクターとシチュエーションを理解してもらったら、あとは彼らが多少変なこと言おうが何しようが、お客さんたちは納得して見てくれるんですよね。シットコム(シチュエーション・コメディ)を作る感覚にも近いのかもしれません。 ──正統派のコメディなんですよね。 ボブ そう言ってもらえるとうれしいですね。時代遅れともいえるのかもしれないから(笑)。7月にはユーロライブで行われている演劇人とコント芸人が交差するライブ『テアトロコント』に呼んでいただきましたが、そこで観る芸人さんたちは、自分たちにはないロジックで笑いを作ってらっしゃっておもしろいし、演技も設定も巧みで。そこはすごく勉強させてもらってますね。 弟の文化祭演劇に脚本を書く ──ボブさんとダイチさんは、兄弟なんですよね。 ボブ そうです。だから初舞台っていったら、幼稚園生のころだと思います。ホームビデオが残ってるんですよ。家でふたり並んで蝶ネクタイを締めて演説してる。でも、ダイチがすねてるんです。 ダイチ そうそう(笑)。僕がしゃべろうと思ってたのに横取りされたんやろな。親に対してだけど、何かを演じて見せるのはアレが初めてやった。僕は幼稚園のお遊戯会でも、ひとりだけ目立つ役をやらせてもらって、それでちょっとした優越感を覚えた記憶がありますね。 ボブ それ聞いて急に思い出したんですけど、小学1年生のときにものすごい悔しい経験をしたんですよ。クラスで演劇をしたんですが、ある男の子が「先生。僕、チャーリー浜のセリフ言いたいです」って言い出して。実際、本番でその子がめちゃめちゃウケてて、それが悔しくてしょうがなかった。当時から人を笑わせたいっていう欲求があったんでしょうね。 ──実際に演劇をやるようになったのはいつからですか? ボブ 高校から脚本を書くのがおもしろくなってきました。高校の文化祭でクラスで演劇をすることになって、台本を書いたんですが……自分で立候補するのは気恥ずかしいから、うまいこと根回しして自分が書くことになるよう仕向けましたね。 ──なんで書きたいと思ったんですか。 ボブ もともと映画が好きで、映画監督になりたかったんですよ。いろいろ観ていくうちに、脚本を自分で書く監督がいることを知り、じゃあ書いてみようと。ただ、映画は簡単には撮れないじゃないですか。だから脚本だけいろいろ書いてたんです。人前で見せるための脚本は高校2年生の文化祭のときが初めてですね。 ──どんな物語でしたか。 ボブ もうハチャメチャで、いろんなマンガやアニメのキャラクターを全部出すみたいな感じです、今思えば恥ずかしい。でも学校の文化祭って客席は身内しかいないから、ある程度ウケてしまって。それで「自分には才能がある」って勘違いしちゃったんでしょうね(笑)。 ──でも、文化祭の持ち時間は少ないでしょうし、既存のキャラクターを使うと説明が省けるから、効率的でいいなと思いました。 ボブ たしかにそうですね。クラス演劇なので、いろんな人を出せるように、誰もが知ってるキャラクターを寄せ集めたところはあったかもしれない。 ダイチ 僕はボブの1学年下やから、その劇、観たんですよ。それで影響されて、僕も演劇をやりました。3年生のときは卒業してたボブに脚本を書いてもらって。ボブはずっと学校で目立つ人やったんで、僕の学年でもある程度信頼があって。「ダイチの兄ちゃんが書くんやったら大丈夫やろ」って感じで受け入れてもらいましたね。 ボブ ダイチに渡した脚本は『ゴッドファーザー』を下敷きにした話でしたね。自分で書いた脚本を、初めて客席から俯瞰して観られたので、勉強になりました。 「知らなすぎや!」劇場スタッフに叱られる ──ボブさんとダイチさんは子供のころから仲がよかったんですね。 ボブ 僕らは幼稚園も小学校も中学も高校も同じですしね。 ダイチ 僕らが小学校に上がるぐらいのタイミングで、九州から京都に引っ越したんですよ。僕は今でこそ関西弁ですけど、当時は言葉も違ったから、露骨にヘンなヤツ扱いされてしんどかったです。でも家に帰ったらボブがいるし、そっちで遊んでるほうが楽しい。ボブの友達とも一緒に遊んでました。 ボブ ダイチとは兄弟って感じもしないですね。僕ら三兄弟で、4つ下の三男がいるんですけど、彼はちゃんと弟なんですよ。会ったらお小遣いをあげたくなる感じ(笑)。でもダイチはもう友達に近い。 ダイチ 不思議な距離感やね。 ボブ でも僕らにとってはこれが普通だから。 ──高校卒業後、すぐにTHE ROB CARLTONを結成するんですか。 ボブ いや、僕は相変わらず映画が撮りたかったんで、海外に映画の勉強しに行こうと思ってホテルで働いてお金を貯めてました。でも同時に脚本を書いて、それを試したいから、(出身校の)洛西高校のラグビー部の連中を集めて、お芝居の真似事をやったんです。 ダイチ 「洛西オールドボーイズ」っていうそのまんまの名前でな(笑)。文化祭しか経験がなくて公演の打ち方もわからないのに、 一丁前に京都の劇場を借りてやりましたね。それが2004年か。 ボブ 照明も音響もわからない。すべて見よう見まねでやりましたね。 ダイチ 劇場の人たちに「知らなすぎや!」ってめちゃめちゃ怒られましたよ(笑)。 ボブ でも、そのスタッフのお姉さんたちも演劇好きなんで、呆れながら教えてくださいましたね。 ──洛西オールドボーイズが、そのままTHE ROB CARLTONになる? ボブ いや、あれは本当にただのお遊びで、2008年には終了しました。その後も僕は、結局3年ほどホテルで働き続けました。でもあるとき、やっぱり本気でやっていきたいなと思いまして。しかし中途半端に年食っちゃったんで、弟子入りもスクールに入るのも難しい。それならいっそ自分でやってしまえとTHE ROB CARLTONの旗揚げ公演を行ったのが、2011年の2月11日でした。メンバーの(入江)拓郎も、そのときに弟がバイト先から連れてきたんです。 意図せず不毛だった初舞台 ──その初舞台は覚えていますか。 ボブ 鮮明に覚えてますね。 ダイチ 最初の公演なんて恥ずかしくて思い出したくないんだけど、忘れられない(笑)。 ボブ 台本も見てらんないよな。今まさにタイムリーですけど、大統領が演説中に撃たれるというシチュエーションで、そのシークレットサービス側を描いた話でした。 ダイチ 大統領は助かるんだけど、銃弾が1個だけ見つからなくて、シークレットサービスが疑われると。それがしょうもないオチで……。 ボブ あらぬ容疑をかけられたシークレットサービスが、すっごいくせ毛だったんですよ。 ダイチ アフロヘアの中に銃弾が残ってたというね(苦笑)。 ボブ 今思えば、くだらなすぎてむしろおもしろい気がする。 ダイチ でも密室に閉じ込められるっていう場面があって暗転が明けたら、ドアが開きっぱなしやったんですよ(笑)。 ボブ それは終わってるわ、はははは。今思えば最悪だったね。記録映像を見返してもすぐに止めるほどです。 ──今振り返ればさんざんだったとはいえ、当時は達成感もあったのでは? ボブ いや、普通に落ち込みましたよ(笑)。稽古は盛り上がってたんですけどね。稽古中はシーンごとにやっていくんで、ポイントでしか捉えられなかったんですよ。一本の劇として全体で見通せてなかった。当時はおもしろいシーンがいっぱいできたら最高だよね、って感じでしたから。演劇って全体としての流れが重要で、波を作らないといけない。そんなことすらわからず、第3回公演までは試行錯誤してましたね。 ──初回からTHE ROB CARLTONの「芳醇な不毛な会話」という特徴は表れていましたか。 ボブ そうですね。ファーストステージの公演は、その最たるものだった気がします。今は不毛なものを作ろうと意図してますけど、当時は一生懸命やってるのにフタを開けたら不毛だっただけですけど。 ──天然で不毛だった(笑)。 ボブ そうそう(笑)。ちゃんと構築されたコメディがやりたいのに、できない。でも、あるときから、自分たちのよさは「この不毛さなんだ」って気づいて、これを人工的に作り出せれば、おもしろい演劇ができるのではなかろうかと思ったんです。人を笑わせたいのに、天然でやってたらダメなんですよ。 ──先ほど第3回公演までは試行錯誤していたとのことでしたが、4回目で何かつかんだんでしょうか。 ボブ そうですね。そこで初めて客演さんをお呼びしたんですよ。劇団メンバー以外の方が入ったことで、内輪ノリができなくなったのが功を奏しました。客演さんはもちろんのこと、その方を見に来るお客さんにもわかってもらうことを意識したんです。あの回が礎となって、THE ROB CALROTNの型ができましたね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 THE ROB CARLTON(ザ・ロブ・カールトン) 村角太洋(1984年7月21日、鹿児島県出身)、村角ダイチ(1985年11月24日、鹿児島県出身)による劇団。2004年、出身校である京都府立洛西高等学校ラグビー部のOBで「洛西オールドボーイズ」を結成。これが母体となり、2011年に「THE ROB CARLTON」が誕生する。ROBは「洛西オールドボーイズ」の頭文字であり、CARLTONは憧れのホテル「ザ・リッツ・カールトン」から取っている。10月には新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』を、東京と大阪で上演する。 新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』 【東京公演】 MITAKA“Next”Selection 25th 参加公演 2024年10月4日(金)〜14日(月・祝) 会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール 【大阪公演】 2024年10月25日(金)・26日(土) 会場:ABCホール http://www.rob-carlton.jp/ 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 活躍の場と規模を広げていく、兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(後編)
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岩波詩織(Daily logirl #242)岩波詩織(いわなみ・しおり)2002年3月30日生まれ。千葉県出身 Instagram:shiori.iwanami X:@shiori_iwanami TikTok:shiori.iwanami 撮影=青山裕企 ヘアメイク=爽来 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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中川陽葵(Daily logirl #241)中川陽葵(なかがわ・ひまり)2010年4月1日生まれ。愛知県出身 Instagram:himari.nakagawa_staff X:@himari_staff_ 撮影=石垣星児 ヘアメイク=田村直子(GiGGLE) 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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名城莉奈(Daily logirl #240)名城莉奈(なしろ・りな)2010年9月2日生まれ。大阪府出身 Instagram:rina_nashiro 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Saya 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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@onefiveが目指す“新種のアイドル”──ゴールではなく通過点──武道館で見たい“しあわせ”の景色@onefive(ワンファイブ) 令和元年に結成された、Amuse×avexに所属している新進気鋭ガールズグループ。KANO・SOYO・GUMI・MOMOの4人組。グループ名は、全員が15歳のときに結成し、一期一会を大切に。また、「@」には“私たちから”、“今この場所から”という意味が込められている。ドラマと映画版『推しが武道館いってくれたら死ぬ』には主題歌を担当するだけでなく、演者として4人そろって作品への出演を果たした。2027年春に自身初の日本武道館単独公演を行うことを目指し、精力的に活動を行っている。 令和元年の結成から今年で7年目に突入した@onefive。キレのあるダンスと歌でファンを魅了するが、一歩ステージを降りると、天真爛漫さとサービス精神旺盛なトークが親しみやすい彼女たち。そんな@onefiveの冠番組『@onefiveの撮れ高DOH YOH!』(CSテレ朝チャンネル1)が3月29日に放送されることが決定した。過去2回の放送回の思い出話に花を咲かせつつ、番組の見どころに迫っていく。さらに、テレ朝動画logirl『15VIBES』で吸収したバイブスの話や、2027年春に目指している武道館公演への想いについても語ってくれた。 私たちが目指す像は“新種のアイドル” ──@onefiveは、2027年春に日本武道館を目指していますよね。みなさんは『推しが武道館いってくれたら死ぬ』(ABCテレビ/2022年)の主題歌を担当したり、実際にドラマ出演したりと縁がありますけど、@onefiveにとっての日本武道館とはどんな場所ですか? MOMO 私たちが武道館を目指そうってしっかり決めたのは、やっぱり『推し武道』の影響が大きくて。それまではZeppでライブすることを目標にしていたんですけど、この『推し武道』のキャラクターたちを通してだったり、ほかのアーティストさんの大きなステージのライブを観たりして、やっぱ目標は大きくすべきだよね、と。あとはファンのみなさんからも、「『推し武道』の物語みたいに、@onefiveにも武道館を目指してほしい」みたいな声が多かったので、明言してやっています。 武道館はゴールではなくて、通過点でありたいなと思っているんですけど、今は夢みたいな景色だなとも思います。でも、この4人だったら絶対に叶えられるという自信もあって。2025年の大晦日に『ももいろ歌合戦』に出させてもらったとき、武道館のステージからの景色を見たんです。そのときに、この景色が全部@fifth(フィフス/※@onefiveのファンネーム)だったら、本当にしあわせだなと思って。絶対に叶えたいと思ったので、憧れでもあるけど、絶対につかめる自信もあると思っています。 ──公言している“2027年春まで”という期日設定については、なぜ“2027年春まで”なのでしょうか? GUMI みんなでタイムリミットを設けようみたいな感じで話したんです。私たちは大学に通っている子もいれば、専門学校に通っている子もいる。まわりが就活して仕事を始めるのが2027年の春なので、私たちもそこまでに何かしらで結果を出したいよね、という話になって。 ──あと1年って、正直短いですよね。 SOYO 私も短いなと思います。タイムリミットを決めたのは1年前なんです。そのときは「あと2年後だね」と言っている時期でした。その時点でうちらはデビュー6年目で、今は7年目に突入しているけど、何も結果を残してないのは自分たちでも危機だなと思うし、これぐらい乗り越えないとダメだなと思っていて。ずっとこの仕事をしていて、何か結果を残さなきゃいけないというなかで、すごく高い目標ではあるけど、そこは乗り越えなきゃという気持ちです。 ──実際は2年前に目標を定めていて、今は半分経ったところということですね。そういう意味では、前半戦を終えて手応えはどうですか? GUMI 今まで私たちがやってきた6年間は進歩がほぼなくて、ずっと既存のファンの人しかいなかったんです。ほかの人に知ってもらいたいと思っても、うまくできない感じだったので、それに比べたら、今までには考えられないぐらい、初めて観てくださる方も増えたし、新しいファンの方もすごく増えました。今までの@onefiveの中では、一番成長率が高かった1年だなと思います。 ──武道館アーティストとしてふさわしくなるために、やろうとしていることは? MOMO 最新曲の「マジカルアイロニー prod.☆Taku Takahashi(m-flo)」が顕著だと思うんですけど、最近は楽曲の方向性とか、グループのコンセプトとかが、より明確になってきた感じがしていて。@onefiveって、今までは「アイドルなの?」、「アーティストなの?」、「日本なの?」、「K-POPのマネしているの?」みたいにいろいろ言われることが多かったんですよね。今までは私たちも「その中途半端さがいいんです!」みたいな感じで言っていたんですけど、最近、@onefiveを表す言葉が見つかったんです。私たちは“新種のアイドル”を目指したい、新しくカテゴライズしたいと思っていて。かわいらしさもあるし、衣装には統一感があるけど、ちょっとトガったサウンド感だったり、曲のメッセージ性がすごく強かったりだとか、そういう部分が王道アイドルとは違うので、そこでこれから勝負していきたいなと思っているんです。 ──直近のワンマンライブは6月、7月に予定されています。そこに向けて4人でどんなことを話し合っていますか? MOMO このライブは、タイトルが『SAKURAIZATION』(読み:サクライゼーション)というんです。武道館を目指すにあたって、あのときの要素も入ったものになっています。ほかは、お楽しみに! 謙虚な気持ちを忘れずにしていきたい ──ステージ上でのアーティストとしての意識が高い@onefiveですけれども、逆にご自身の番組では等身大のみなさんが出ていますよね。みなさんってパフォーマンス中のカッコよさと、番組中のゆるさのギャップがすごいなと思っていて。番組のときは素がどのくらい出ているんですか? MOMO 私は全部が素です。MOMOちゃんはいつでもMOMOちゃんです! GUMI プライベートでもみんなこんな感じです。 KANO 100%素の自分! SOYO 4人で一緒にいると素が出ちゃうんです。もう12年ぐらい一緒にいますから。 ──そんな@onefiveの素が楽しめる冠番組のアンコール放送と、新番組の放送が控えています。まずは3月26日(木)に『@onefiveのお辞儀ツアー 日本の伝統を探しにいこう!』がアンコール放送されます。 KANO うわー! 懐かしい! ──記憶を掘り起こしつつになると思うんですけど、番組を経て、日本の伝統的な文化に興味を持ったりしました? SOYO 茶道の企画のときに、「茶道は一期一会を大切にしている」みたいなお話を聞いて。私たちの@onefiveという名前には、「一期一会を大切に」という意味も含まれているから、同じものを感じるというか。日本人として大切にしているものが一緒だと学んだかな。謙虚な気持ちとか、そういうのは絶対に忘れずに今後もやっていきたいなと思いました。 KANO 私は外国人の方にインタビューしに行ったのがすごく記憶に残ってる。外国には、お辞儀の文化があんまりないらしくて、「日本のその文化が素晴らしい」と言っているのを聞いたことがあったんです。それで、番組でインタビューしたときに、自然とお辞儀をしてくれる外国人の方がいて、日本と外国の文化交流が素敵だなと感じました。 SOYO その取材は、この企画で一番大変だった。本当に病みそうだった……。私は人見知りすぎて、人と話したくないんですよね。なので、そこではひと言もしゃべっていません(笑)。「KANO、お願い!」って(笑)。 MOMO 海外の人はみんなノリがよくて、番組側で用意されている人なんじゃないかなと思いましたけどね(笑)。 SOYO そうそう、めっちゃノリがいい! GUMI 海外の人は、日本の文化が好きな人が多いよね。うれしいなと思います。 MOMO あと、寿司のシャリって意外とちっちゃいということを学んだ。 GUMI おもろ! MOMO 私が握った寿司は「コロッケみたい」って言われました(笑)。繊細だなと思いますね、日本の文化って。 ──翌日3月27日(金)には『@onefive かわいいを超えていこうツアー』もアンコール放送されます。 GUMI そっちでも取材したよね。新大久保で取材したんですけど、そっちのほうが「取材とかいいです……」みたいな人が多かった。 KANO 恥ずかしがりの若い人が多かったかな。 ──街頭インタビューはみなさん上手で、スムーズに進んだロケのように思えましたけど。 SOYO いやいや! SOYOは本当に嫌だった。でもKANOはインタビューのプロなので、私はしゃべらなくていいやって。私はニコニコしているだけでした(笑)。 GUMI 私たち(GUMI&MOMO)は、インタビューした子たちが行くカフェにまでついていって、一緒にお茶したんですよ。そこがちょっと気まずかった。めっちゃいい子たちだったんだけど、「なんかごめん」って。 MOMO 東京観光の貴重な時間を変なおばさんたちと過ごさせてしまった(笑)。 ──いや、めちゃくちゃ貴重な経験じゃないですか(笑)。あとは、VTuber体験もしていましたよね。 MOMO 全身タイツを着たのが楽しかった。またやりたい。 ──そんなこと言いつつ、MOMOさんってひとりだけタコのキャラクターでしたよね。全身タイツがあんまり関係なかったような(笑)。 KANO そうだ! 懐かしい! GUMI タコ、かわいかったな〜。できるなら私がやりたかった。 ──ああいう経験をしたことで、VTuberへの興味が増したんじゃないですか? GUMI 副業でやってみようかな。事務所に怒られちゃうけど。 SOYO 朝起きて、パジャマのままできるよね。 GUMI なんならもう全身タイツで寝ればいい。めちゃいいな〜。 SOYO これもネオな日本の文化だから、@onefiveと混ぜてもおもしろいなと思った。コラボとかしたい。 大号泣の撮れ高MVPは〇〇!? ──そんなアンコール放送後、3月29日には新たな特番『@onefiveの撮れ高DOH YOH!』の放送があります。今回のテーマは「撮れ高」ということで、ズバリ「撮れ高」への手応えは? GUMI うちらって撮れ高がないことで有名で(笑)。でも、いろいろやったよね。 SOYO 自分からふざけたことはしてないけど、素のうちらで喜怒哀楽がある。 KANO 私には過去イチの試練がありました。それは今思い出しても震えます。 ──スカイウォーカーの企画ですかね? KANO そうです! 下から見たらめっちゃ簡単やんって思うけど、上に行ったら高すぎてガチの泣き顔を見せました。あれはどこから見てもブス……。 GUMI 正直ちょっとブス(笑)。かわいい泣き顔じゃなかった。 SOYO KANOがガチで泣いているのは久しぶりに見た。 MOMO ユニバで乗ったザ・フライング・ダイナソー以来かな。 KANO メンバーもマネージャーも大笑いしていましたね、ガチ泣きで(笑)。 ──でも、撮れ高として正解ですよね。 MOMO あ、たしかに。KANOありがとう! ──ほかには、いちご農園でのロケもあったみたいで。 MOMO いちご農園でショートムービーを撮る、みたいな企画だったんです。普段からSNS撮影とかでやっていることなので、いつもどおりのテンションでやったけど、それが農園のおじちゃんに刺さりました。やっぱり私たちって何もしなくてもかわいいんだなと思いましたね(笑)。って、苦笑いしないでください! KANO いちごはおいしかったね。 MOMO いちごって、品種で味が全然違うんですよ。5種類くらいあったので、食べ比べしました。 KANO でも、蜂がいっぱい。 GUMI そこでもKANOがすごかった。逃げ回るとかじゃなくて、固まっていて。 ──KANOさんは撮れ高MVPですね。さらに番組内の最後には本音トークのコーナーがあったみたいで。 KANO マネージャーさんもいないひとつの部屋に4人だけで入って話しました。撮影の感じじゃないみたいで。 SOYO 出会いとか、武道館に向けての想いとかを話しました。メンバーへの感謝はやってないっけ? MOMO 5個くらいテーマが用意してあったんです。その中で、「今だから言えるメンバーへの感謝の気持ち」というのがあったんですけど、話の流れでそのテーマだけすっ飛んだ(笑)。 ──せっかくなので、この場で感謝を伝えてもらってもいいですよ。 全員 う〜ん? GUMI 感謝? 難しいなあ(笑)。 KANO 感謝かあ……。 SOYO あ、私はちょっと話しましたよ。実はアイドルを辞めようとしていた時期があったんです。さくら学院のときに先輩と揉めて、「4月に卒業します」みたいに言っているときに、この3人が止めに来てくれたから、@onefiveとして、今ここにいるのかな、サンキューって。 MOMO でも、私がそれをまったく覚えていなくて……すみません。でも、まじめに話したよね。4人で合宿したときを思い出した。前に事務所の本社に合宿しに行って、みんなでしゃぶしゃぶしながら今後について語り合った日があったんですけど、そのときは熱い気持ちを話し合って、個人的には4人の中での大事なポイントかなと思っています。今回はカメラがあるけど、そこまで気にせず、そのときみたいに赤裸々に話せたかなと。「どうせ編集されるだろうから」って気持ちで。 ──編集される前提で、放送できないようなぶっちゃけ話もありました? SOYO してたよね。うちらが辞めるか辞めないか、みたいな。 MOMO 武道館で辞めるかも、みたいな話とかもしたよね。でもそこから話が二転三転して、今は目標の場所になったんですけど、もともと去年の契約更新の時期にみんながすごく病んでいたんです。 GUMI うん。みんな目が死んでいて、絶望の顔だったよね(笑)。私、契約書を出すか迷ったもん。「これ出さなければ契約更新にならないのかな、捨てちゃおうかな」って。 ──それをよく乗り越えましたね。 MOMO いっぱい打ち合わせしたんです。 GUMI うちらだけじゃなくて、事務所もうちらが武道館に立つためにがんばってくれるって言ってくれたし。 MOMO @onefiveチームの編成もいろいろ変わったりしたので、新しい刺激もあるし、それでそこを抜け出せたのかな。 いつか恩返しをしたい“すがちゃん” ──本音トークがどこまで使われているのか、観てのお楽しみということですね。番組でいうと、テレ朝動画『15VIBES』はシーズン1が終わって、現在シーズン2を準備中とのこと。シーズン1は、4人の自然体な姿が魅力的でしたが、シーズン2はどんな展望がありますか? KANO 今まではマイナスな言葉を表では言わないようにしていたんですけど、今回のシーズン2では、私たちの本音がたくさん見られるんじゃないかなと思います。私たちのすべてを知ってもらって、それを応援してもらいたいなって。 ──それはシーズン1と雰囲気が変わりそうですね。 MOMO 全然違うと思います。シーズン1が終わって、すがちゃん(ぱーてぃーちゃん・すがちゃん最高No.1)に会えていないので……寂しい! シーズン1の最終回では、「もうしばらくお別れです」みたいな感じで、寂しい空気になったよね。 GUMI すがちゃんから「バラエティ講座」や「エピソードトークの仕方」とか学んだことは、めっちゃタメになった。 MOMO すがちゃんにキャッチコピーをつけてもらったんですけど、それまでは自分のキャラに迷いがあったんですけど、すがちゃんに断言されて、自分を貫こうと自分の中の答えが見つかったし、ほかのところでも活かせるようになったかな。 KANO 毎回すがちゃんが、私たち一人ひとりがどうやったら引き立つのかを考えてくださっていて。その中で、私は4人でいるときの自分の振る舞い方がわかってきた。昔は「私はこういうキャラだから……」ってマイナスに考えることが多かったけど、番組を通して自分らしさを見つけることができて、最近は自分で発信するのが楽しいです。 SOYO 私も自分のキャラに迷ってた。たくさんのキャラがあって……。けど、どのキャラでもSOYOだし、何をしても正解だからって。でもやっぱりまだ迷ってるから、すがちゃんに教えてほしい(笑)。 ──みなさんとすごく向き合ってくれていたんですね。 GUMI そうなんです。お兄ちゃんみたい。 MOMO 恩返ししなきゃね。 GUMI・KANO・SOYO うん、したい! ──シーズン2では武道館に向けたモチベーションを高め、ゆるい@onefiveが観たくなったらシーズン1を見返してください、と。 KANO たしかに。それです! 「自信しかない!」@onefiveのパフォーマンス ──番組をきっかけに@onefiveを知る人も増えると思いますが、番組に出ているときの@onefiveの魅力、ライブをしているときの@onefiveの魅力について、読者にアピールをお願いします! MOMO 番組の@onefiveは……ゆるい! SOYO 長年一緒にいるからこその空気感が見られると思います。あとは何かに苦戦しているところが見られるのも、番組ならではです。今後まじめな部分がたくさん出てきて、ロケのようなバラエティみたいなのは珍しくなってくるかもしれないから、そこに注目してほしい。仲のよさと、がんばっているところ! ──では、ライブでの@onefiveの魅力とは? MOMO ワンマンライブだったら、世界観だったり、ライブを通して伝えたいメッセージだったりをチーム全員で話し合って作っているので、そういったクリエイティブな部分はレベルが高いし、意識高くやっています。パフォーマンスは圧倒される部分かなって。でもMCはちょっと下手(笑)。 ──MCについては番組でも、すがちゃんからリアルなダメ出しをもらっていましたもんね(笑)。 KANO あれはヤバかった……ガチの反省会。 SOYO いつもは4人だけでライブの振り返りを収録しているんですけど、すがちゃんと観た回は「ちーん……」って(笑)。 MOMO 次のワンマンは、その反省を経てちょっとはよくなっているかも。事務所の偉い人にも動画を送って、観てもらおうと思います。 ──最後に、今回のCS特番や『15VIBES』を通じて初めて@onefiveに出会う方々へ、今の4人の「一番熱いバイブス」を言葉で伝えてください。 MOMO 今回の特番や今までの『15VIBES』では、私たちのすごくゆるくて楽しい、20代の女の子が集まってキャッキャしている部分を楽しんでもらえると思います。でも、これから出していく『15VIBES』のシーズン2だったり、特番で収録されているリリースイベントの映像だったりでは、ほかのグループにはないクオリティを見ることができます。本当にパフォーマンスには自信があるので、そういった部分ではたくさん好きになってもらえると思うし、こういった番組は、そういう完成された@onefiveが、実際にどんな人間なのかをより知れる場面だなと思うので、そういった部分で幻滅しないで「かわいいな」と思ってもらえたらうれしいです! 取材・文=宮崎ちゃーみー大樹 編集=宇田川佳奈枝 CSテレ朝チャンネル1 3/26(木)よる10:00-深夜0:00 『@onefiveのお辞儀ツアー 日本の伝統を探しにいこう!』※アンコール放送 3/27(金)よる10:00-深夜0:00 『@onefive かわいいを超えていこうツアー』※アンコール放送 3/29(日)よる9:00-よる11:00 『@onefiveの撮れ高 DOH YOH!』
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ラッパーに転身して現実をプレイする──“天竜川ナコン”とは何者なのか?天竜川ナコン(てんりゅうがわ・なこん) 東京生まれ、東京育ち。YouTubeチャンネル『現実チャンネル』を中心に活動するクリエイター。2025年に長年勤めていた会社を辞めラッパーに転身し、人生初のHIP-HOPアルバムリリースに向けてクラウドファンディングを実施中。 2025年11月、「会社を辞めて、34歳からラッパーを目指します」と表明した“天竜川ナコン”。長年勤めた会社を辞め、ラッパーという新たな人生を歩み始めることを決意した。自らをインターネットピエロと称する彼は、YouTubeチャンネル『現実チャンネル』で、何気ない日常を「現実 実況プレイ」として、自身の哲学を語る動画シリーズや散歩動画を多数公開している。ラッパー、動画配信者、ブロガー……複数の顔を持つ天竜川ナコンに、彼自身初となるインタビューを敢行。「散歩もフリースタイルで」と語る天竜川ナコンとは、いったい何者なのか、インタビューを通してその謎に迫っていく。 10年勤めた会社を辞め、ラッパーに転身 ──インタビューを受けたことって、これまでありますか? ナコン まったくなくて、初めてです。普段、動画では人とおしゃべりすることも特にないので、すごく怖いですね。 ──怖がらないでください(笑)。失礼ながら本日は「天竜川ナコンとは何者か?」というテーマで、ご自身について話していただければと思います。 ナコン はい、よろしくお願いします。 ──YouTubeでいろいろな動画を拝見しました。最初は本当に何者なんだろう?という気持ちで見始めたんですけど、いつの間にか「めちゃくちゃいいこと言うなあ」って共感してハマってしまいました。 ナコン ありがとうございます。 ──「自己紹介をお願いします」と言われたら、どんなふうに人に伝えてるんですか? ナコン それが質問の中で一番難しくてですね(笑)。まあ普通に言うんだったら、ラッパーで、動画制作者で、ブロガーで、という感じで伝えています。親戚とかには「YouTubeでなんかおもしろそうなことやってるよ」とか、ちょっと漠然とした言い方をします。 ──ラッパーとして活動するために、勤めていた会社を退職されたそうですね。 ナコン 新卒から入って10年ぐらい働いた会社を辞めて、今ラップをしているっていう状態です。実は今、動画を週1で投稿しながら本も書いていて、それも並行してやってはいるんですけど、大部分の時間を音楽に使っている感じですね。 ──音楽への思いものちほど伺いたいんですけど、まずはYouTubeチャンネル『現実チャンネル』について教えてください。登録者数が5万人以上の人気チャンネルですが、登録者数が増えたきっかけは何かあったんですか? ナコン 5年ぐらいやってるんですけど、あんまりバズったことがなくて。このタイミングで伸びたなっていうタイミングもなく、徐々に増えていった感じで。動画で100万回再生行ったこともなくて、曲を投稿した動画がジワジワ伸びて、最終的に15万回になってるのが一番の再生数ですね。あと「現実 実況プレイ」っていう動画シリーズが、たまに10万回行くぐらい。 ──これからバズる可能性を秘めたチャンネルなんですね。 ナコン すごく素敵な言い方を(笑)。ありがとうございます。 ──そもそも動画配信をやるようになったのはどうしてなんですか。 ナコン 29歳ぐらいのときに『現実チャンネル』を開設したんですけど、そのとき一番最初に投稿した動画が、HIP-HOPのミュージック・ビデオ(「証明(prod.YONTZ)」)だったんです。そこから、曲に限らずいろんなことをやってみたいなっていう気持ちもあったので、チャレンジしたっていうかたちですね。一番初めに作った動画が、「現実 実況プレイ」っていうシリーズの「キムチ鍋攻略」というやつで。 キムチ鍋の食材をスーパーで買ってきて、それを作って食べて、最後に大声で何かを言うっていう(笑)。そういった現実をゲーム実況的に切り取ると、また違う感じなんじゃないかなと考えて、作ったと思います。 ──反響はいかがでしたか。 ナコン そんなに驚くほど反応があったわけではなく……。ただ、そこまで労力がかかるものではないなと、無理なくやっていけるな、という感覚はありました。 ──YouTuberとしてキャラクターを作って、というわけでもなく? ナコン そうですね、基本的に現実で起こったことしかやってないので。しゃべり方とかは自分なりに気をつけたり、キャラクターを作ったりしたところではあるんですけど──ヤンキーマンガがすごく好きだから「べらんめえ口調」がなんか好きで(笑)。そういうパワフルなしゃべり方に憧れて、ああなっているのかもしれません。 ──それは現実の自分とは違うんですか。 ナコン 真逆だと思います。 ──ご自身を「インターネットピエロ」と称してますよね。それはどういう意味なんでしょう。 ナコン 自虐的な意味が込められてますね。結局、僕が今インターネットでこういう“出し物”をやってるのって、インターネットの「いいね」のシステムだったりとか、そういったものに踊らされているなという自覚が薄々あるんです。そういうシステムに乗っかって、そういうことをやってるのって恥ずかしいという前提があるので、「インターネットのいいねが生んだピエロおじさん」っていうことをたまに言ったりするんですけど(笑)。それを略した言葉が「インターネットピエロ」です。 ──動画を拝見すると、自虐的なことを言っている半面、何か物事に対するアンチテーゼとして言葉を発しているようにも感じました。 ナコン ああ、それはそうですね。そこに対しては自覚的になったほうがいいかなと思うので、アンチテーゼ的な意味も込めて、あえて言うようにしてます。 「嫌」と言えずズルズル続けた少年野球 ──動画制作を始めてから、こういうことを目的に、こうやっていこうという筋道みたいなものは、何かできていったのでしょうか。 ナコン 大枠はあんまりないですね。たとえば登録者10万人とか100万人に行きたいという目標を持ってるわけでもないですし、お金がいくら欲しいとかいうのも正直あんまないんです。でも「こういうふうになりたい」という気持ちは漠然とあるような気がするんですよね。 ──そういう漠然とした思いが、noteで発表していた「「想像上の妻子」と結婚したら、自己肯定感が上がった話」みたいなことにつながるんですかね。ああいう発想ってどんなときに生まれるんですか? ナコン 一週間のうちで「何か新しいことやりたいな、考えたいな」と思う時間があって、そういうときに、ざっくばらんにノート帳みたいなところに書いたりはしています。その中で、やってみたいことをもうちょっとふくらませたりとか、電車の中で何気なく思いついてずっと覚えてることだったりとかを出し物にしたりして、企画は考えてます。 ──「現実さんぽ:昭和記念公園編」で、「内向的で誰ともしゃべりたくないという気持ちと、とはいえなんとかなるだろう、という自分が共存している」という言葉が印象的でした。もともと内向的な人なんですか? ナコン めっちゃくちゃ内向的ですね。やっぱり人の集まりが苦手というか。だから小学校から大学まで、会社に入っても、あんまり「集団になじむ」みたいな感覚を持ったことは今までなくて。たとえば、みんなで集まって(サッカー)ワールドカップとか見たりするじゃないですか? そういうことにも、いまいち乗りきれない自分がいるんです。それをひと言で表すと「内向的」になるのかなっていう感じがしてますね。 ──今は人前に出るわけではないにしろ、人に何かを伝えているわけじゃないですか? 何かをクリエイトしていくことに関しては、そこに自分じゃない自分がいるんですかね。そういう葛藤があるから「自分の悪いところ自覚王 選手権」みたいなことをやって、自問自答していらっしゃるのかなと思ったんですけど。 ナコン あれは元気がないときにやった出し物で。どうしても気持ちが落ち込むときはあるじゃないですか? そういうときに自分の場合は、「これも出し物にしちゃいたいな」という気持ちがあったりして。そのひとつとして、自分の悪いところを100個言うっていうことをやってみました。 ──そういうことをやって、自分自身で気づくことはありますか? ナコン 企画自体がチャレンジングだったし、それで若干元気になったところはありました。「意外と俺、悪いところ100個言えるんだな」みたいな(笑)。ちょっとベクトルが違うかもしれないけど、謎の達成感とかはあったりします。 あと、街を長距離歩く動画とかも撮ってるんですけど、実際1日で50キロ歩いてたりするので。その中で歩きながらしゃべったりしてると、どんどん考え方が整理されてく感じがしますね。本当はこういうことが言いたかったけど、こういうふうに言えたとか。 ──今のナコンさんになるまで、小さいころから振り返ってみると、あんまり変わってないですか? ナコン 根本的には変わってないですね。あんまり人とお話しして、何か気づきや学びを得たとかっていう経験は比較的少ないなと思っていて。どちらかというと、自分の頭の中で良くも悪くもぐるぐる考えちゃってることが、ここ2年ずっと続いていて、それが動画というかたちで出てきてしまったみたいな(笑)。 ──それが今のナコンさんなんですね。小さいころはどんな子供だったんですか? ナコン 小さいころの自分は野球をやっていたんですけど、野球自体に興味がなかったりとか、内向的だったっていうこちもあって、毎週野球に行ったら怒られるみたいな日々がずっと続いてたんですよ。監督とかコーチは誰かの父兄がやっていたんですけど、その方がけっこうヤンキー上がりみたいな人で(笑)。その人が、僕がうまくできないとめっちゃ怒るみたいな状態だったんです。そのときから、「人って怖いんだな」っていう気持ちがあったんです。 ──野球は好きで始めたんじゃないですか? ナコン 親が野球をやっていて、「あなたもやりなさい」みたいに入れてもらった感じです。だから進んでやりたかったわけじゃないんですけど、小学校1年から中学1年の夏ぐらいまでやってたんですよ。そこで本当に嫌になって辞めたっていう感じです。 ──そこまで嫌いだったら、普通はとっくに辞めてますよね。 ナコン そこが、僕の悪いところだなと思うんですよ。嫌なことを嫌って言い出せなかったんですね。本当は小3のときから嫌だったので、親に嫌って言えばよかったんだけど、それがどうにも言えなくてズルズル続けちゃったんですよ。中1のときは学校で陸上部にも所属していて、課外活動として野球部にも所属していたので、陸上部という所属組織がひとつあるんだから、課外活動の野球のほうは辞めてもいい、みたいな感じで辞めやすかったのかなと思います。 ──スポーツ以外に好きだったものとか、趣味とかはなかったですか。 ナコン 高校のときも陸上部だったんですけど、途中で辞めて帰宅部になって。趣味といえるものが特になかったですね。強いて言えば動画を見るとか。“無”ですね。何もなく、“無”です。 ──“無”を感じながら日々を過ごしていた? ナコン 自分が「これだ!」と思えるものが、あんまりわからなかったんですよね。アイデンティティがないというか。だから本当に何もやることがなくなって、高2の終わりぐらいになぜか受験勉強をし始めるんですよ。別にそれまで勉強もやってなかったんですけど、「これだけはやっておかないとまずいんじゃないか」みたいな気持ちになって、受験勉強を始めて。それが、高校時代で唯一のアイデンティティですね。それ以外何もやってないです。 ──そこから大学に進んで就職してっていう。 ナコン そうです。 “無”から芽生えたラッパーへの憧れ ──“何者かになりたい”っていう言葉を見たんですけど、いつそういう気持ちが芽生えたんですか? それまでは“無”だったわけですよね。 ナコン もともとHIP-HOPが好きでずっと聴いてたんですけど、大学に入ったぐらいから「せめて音楽とかやってみようかな」みたいな気持ちになってラップを始めたんです。動画サイトにラップの曲を投稿するコミュニティがあったんですけど、そこで同世代の人が有名になったりとかしていて。それを見てうらやましいというか、同じことをしてるはずなのに自分はそんなに見てもらえないなっていうのがコンプレックスではあったんです。それがたぶん“何者かになりたい”みたいな気持ちだったのかなと思いますね。 ──“無”と言いつつ、HIP-HOPという拠りどころはあったんですね。 ナコン それはおっしゃるとおりです。映画とか音楽とかも好きで、そういう受動的に見るやつはめちゃくちゃ見てました。 ──影響されたラッパーっています? ナコン KREVAさんにはけっこう影響を受けてるかもしれないです。シンプルな言葉なんですけど、ちょっと奥行きのあることを言っていて、音楽としてちゃんと成立しているようなしゃべり方、ラップをしてるし、そういう奥深さには惹かれました。こんなに簡単な言葉で人の心を動かせるんだって感銘を受けましたね。 ──音楽以外で、おもしろいことを言うほうの文脈で、もともと好きな人っていましたか? ナコン 『オモコロ』(※WEBメディア)はけっこう影響を受けてますね。実際にマネをしたりとかもしてましたし。それと、ラッパーのノリアキにはめちゃくちゃ影響受けてます。ラッパーとは真逆の出自の方が、首からチェーンをかけてラップをされているんですけど、その姿や姿勢にとても影響を受けました。 ──曲作りって、どんなふうに始めたんでしょうか。 ナコン 安いマイクと録音機材を買って録音してみたり、当時ラップのうしろで鳴ってるような音楽を作れるアプリがあって、それで作曲をしたりしてました。ライブは誘われて2回ぐらいやったんですけど、考えてきたことを人前で発表するっていうのは、けっこう好きだなと思いました。 ──それは、今の動画を作って発表することと同じ感覚ですか? ナコン まったく同じだと思います。自分で考えて、それをそのとおりやるみたいなのが好きですね。 ──ナコンさんにとってラップをやることと、動画で歩きながら話してることって、あんまり線引きがないようにも感じます。 ナコン 表現の仕方が違うだけで、言ってること自体、全部同じだと思います。なので線引きを設けたり、「こういうときはこういうことを言う」とかも変えるつもりがないです。ただただ、自分が言いたいことをいろんな表現を使って言っていくだけっていう感じではあります。 ──noteでは「「新品の赤ちゃん」と伊豆を旅行したら、親の気持ちが少しわかった話」という記事を書かれていましたけど、街中で声をかけられたりしたんですか? ナコン いや、意外とかけられなかったですね。無事ミッションはクリアしました(笑)。 ──「【検証】ディズニーランドは1日で最大何周できるのか」とか、「自分の悪いところ自覚王 選手権」とか、観ていて正直きつそうだなというのがあるんですけど、これはもう二度とやりたくない、途中でやめたかったという企画はありましたか? ナコン 「縛り旅」っていう動画シリーズがありまして、京都駅から大阪湾まで徒歩で歩いたり、異常な距離を歩く企画が多いんですよ。それをやってる途中で「もう二度とやらないな」って思ったりはします。すごくきつくて(笑)。 ──終電後に夜中の街を歩いてる動画を観ていたら、「どこにいても疎外感を感じる」「夜中の松屋にしか発せられないオーラがあんだよな」「夜が我々を主人公にしてくれる」とか、あ、これ自体がもうラップなんだなって。 ナコン ははははは(笑)。よく観ていただいて、ありがとうございます。マジでそうですね。本当にラップを書くときと同じような考え方で、いろんな動画を撮ってます。自分の言いたいことっていうのが、すごく領域が狭いんです。僕の中で「これは普遍的なんじゃないか」と思えることがあって、そういうことだけを言いたいなと思っていて。 ──夜中に歩きながらポエムみたいなことを言ってたら絶対共感しないと思うし、普通に街で歩いて見たリアルなことを自分の感性で言葉にしてるから、共感するんでしょうね。 ナコン たしかにそうですね。散歩しながらしゃべるのって、フリースタイルみたいなもんですからね(笑)。 ヤフコメが怖い──やるからには誰かを傷つけたくない ──最初にアップしたMV「証明」は、「誰にもなれやしない日々」という歌詞から始まってますけど、「何者かになりたいけどなれない自分」が、すべての表現の核になっているのでしょうか。 ナコン それはめちゃくちゃあると思います。今はそうでもないですけど、昔は本当にそういった気持ちが強かったですね。「何者かになりたい」みたいな、ぼんやりとした気持ちがあって、それがコンプレックスになって創作に反映されていた気がします。今はありがたいことに動画を観ていただける方も増えて、そこの気持ちはある程度払拭はされたんですけど、「証明」を出した当時はそういう気持ちが一番強かった感じがします。 ──「どこにいても感じる疎外感」という意味ではいかがですか? ナコン それはやっぱりありますね。「天竜川ナコン」で出させていただくぶんには、僕のことをみんな知っているからまったく感じないんですけど、ひとたび本名で、たとえば同窓会とか、異業種交流会とか……。 ──参加するんですか? ナコン いや、参加しないですけど(笑)。仮にそういう場所があったとしたら、僕はすごく苦手だし、行きたくないなと思います。 ──HIP-HOPの世界って「仲間が大事」みたいな感じがあるじゃないですか? ああいうのはどう思いますか。 ナコン 友達と一緒になってのし上がっていくみたいなのは、ラップ界隈だとスタンダードではあるんですよね。だからそれと真逆のことはしたいなって感覚はあって。まず僕にHIP-HOP的な仲間がいないし、その内容もまったく真逆に近いものを表現したいなっていう気持ちもあるし、差別化もできるかなと思って、そうしてる部分はあります。 ──ラッパーとして「人生」を賭けたHIP-HOPアルバムを創るために、クラウドファンディングをやっていらっしゃいますが、その理由や原動力について聞かせてください。動画の中で、「恥ずかしいけど、はっきり誰かの助けになろうとしている」とおっしゃっていますが、抽象的な表現をするアーティストが多い中で、そういう明確なメッセージを口にしていることに、非常に感銘を受けました。 ナコン ありがとうございます。 ──それは自分がある程度満たされたから、そう思うようになったのか、それともラッパーとして生きていきたいという原動力として、誰かの助けになりたいという気持ちがあったのか、教えてください。 ナコン 大前提として、創作というもの全般が人の助けになると思っているんです。絵とか小説とか音楽も、全部そうだと思うんですよね。その中で、いろんなアーティストが「自分がやりたいからやってるだけです」とか、抽象的なことをお話しされているとは思うですけど、やっぱりみんな恥ずかしいから言わないだけで、たぶんみんな誰かの助けになりたいとは思ってると思うんです。だから、逆にそれをちゃんと言っちゃったほうが誠実だなと思って言ったという背景はあります。 ──現時点で、クラウドファンディングは目標の100万円を遥かに超えた金額が集まってますね。 ナコン めちゃくちゃありがたいし、ここまで行くとは本当に思ってなかったですね。なので、責任が重いなという感じはします。いい内容にして、ちゃんと届けたいです。 ──アルバムのタイトル『人生』にはどんな思いが込められているのでしょうか。 ナコン アルバム自体が僕にとってそういうものというメッセージもあるし、内容も過去に何か思ったこととかを、ある程度整理して時系列のかたちで伝えていったりとかするものを想定しているので、そういう意味でこのタイトルがいいかなと思っています。 ──今の段階で、アルバム制作はどれぐらい進んでいますか? ナコン 9曲入れようと思っていて、そのうち2曲はほぼ完成してます。残りは、ほぼ歌詞とうしろに鳴ってる音楽がある状態で、あとはがんばって歌うだけという段階です。 ──クラファンを始めたことは、Yahoo!ニュースでも取り上げられましたよね。どう思いました? ナコン 怖かったですね。正直いうと、取り上げないでほしいなって(笑)。友達の友達とかがヤフコメで見たとか聞いたりとか……それがすごく怖かったです。 ──今日のインタビュー記事が載ったら、もっと自分のことを知られるわけじゃないですか? それは怖くはないですか? ナコン それは大丈夫です。インタビューの内容って、基本的には僕が話す内容でしかないじゃないですか。Yahoo!ニュースの記事の捉え方とコメントの捉え方って、僕はまったく知らないので、そこがめちゃくちゃ怖いっていうことです。 ──実際、何かコメントが書いてあったんですか? ナコン いや、何回か見たんですけど、今のところ書いてなかったです。それはそれで寂しいんですけど(笑)。 ──ナコンさんは、自己顕示欲みたいなものはあるんですか。 ナコン めちゃくちゃあると思いますね。そうじゃなかったら、たぶんここにいないとは思います。ただ、その自己顕示欲の出し方には、けっこう気を遣ってます。「俺ってすごいだろ」とか、そういった自慢めいた顕示欲はまったくないと思います。 ──自慢もそうですし、人に迷惑をかけるようなことはきっとしないようにしてるんだなって思いました。 ナコン 人に迷惑をかけることはしたくないですね。何か出し物を出している以上、見た人が傷ついてしまうことって絶対あると思ってるんですけど、意図して誰かを傷つけようとは絶対しないようにしています。 ──そういえば、「AIに付き合って貰えるまでラブレターを送りました」という動画がありましたよね。AIってどう思ってますか? ナコン AIは、実は「現実チャンネル」という名前を付けた由来にもなっているんです。5年前ぐらいに、おぼろげながらAIの元みたいなものが世に出始めていたとき、当時「まずいな」と思ったんですよね。SFが好きなので、このテクノロジーは発展するだろうなと思っていたし、そうなると僕が大好きな文章を書いたりとか、動画を作るとかも、たぶんそれに代替されるだろうなって思ったんですね。 会社勤めをしていたとき、僕は大枠ではクリエイティブ関係の仕事をしていたんですけど、自分のYouTubeチャンネルとか自分が顔を出して発信する媒体がないと、僕が会社で創作をする機会っていうのは失われると思ってたんです。それで始めたのが『現実チャンネル』なんです。 今、僕たちが普通に過ごしている考え方自体や、何に幸せを覚えるかとか、全部変わっていくと正直思っていて。それぐらい危機感はあります。もう不可避的にAIは発展していくだろうし、その中で消去法的に、どういう考え方で生きていけば楽しく暮らせるんだろうっていうことはずっと考えています。 ──個人個人が考えてやっていかないといけないということでしょうか。抗うわけでもなく、依存するわけでもなく。 ナコン 僕の考えだと、抗うことはできないと思います。だからどっちかというと、考え方を変えるほうにシフトしていく感じかもしれないですね。たとえば、僕がもともと自分しかできないなと思っていた音楽もAIはたぶん作れますし。そうなると多くの人が、アイデンティティを失いかねない。それってけっこう深刻だと思っていて。そうなったときに「自分って結局なんだったんだっけ?」みたいな気持ちにならない準備はしたほうがいいと思っています。 ──アルバムが世の中に出た先に、見据えている展望があれば教えてください。 ナコン あんまりないですね。アルバムの反応とかは、正直想像ができないと思っています。ただ、ライブは一回やりたいなと思っていて、その準備は並行して進めていきたいと思っています。あとは、HIP-HOP界みたいなところに今まで所属できたことがないので、有名なラッパーの方にも何か心に残ってほしいっていう思いはあります。「意外といいラップするね」って言われたいです。 ──HIP-HOPクルーに加わらないか、みたいな声がかかったらどうしますか。 ナコン たぶん、人とチームになることはないだろうなと思います(笑)。 ──すごく根本的なことを聞きますけれども、人にはあんまり興味がないですか? ナコン 人に興味がないわけではないです。ただ、その人がどんな考えで今そういうことをしてるのかとか、そういった部分のほうにどちらかというと興味があるかもしれないです。 ──「ナコンさん大好きです」っていう人たちが5人ぐらい来て、週末にバーベキューに行きましょうって言われたら? ナコン 行きます! わざわざ好きだと言ってくれる人は拒絶したりはしないですよ。ただ、やっぱり大人数は苦手ではあるので、若干抵抗はあるんですけど……。 ──何人ぐらいから大人数と考えてますか? ナコン 4人以上ですかね(笑)。4人以上はちょっと苦手なんだけどっていう気持ちは若干ありつつも……でも行きます、行きます。 ──今さらなんですけど、「天竜川ナコン」ってどんな由来があるんですか。天竜川っていうのは何か出身地とか想像しちゃいますけど。 ナコン ナコンは、「江戸川コナン」のもじりです。天竜川については、特にゆかりはなくて、カッコいいからつけました。竜がカッコイイし、天がついてるし(笑)。 ──現実をプレイしていくなかで、ラップ以外に興味があることって何かあります? ナコン 創作全般にすごく興味がありますね。動画も興味がありますし、本を書いたりするのも興味があるし。最終的には、映画とか小説を作りたいなと思っています。 ──現実を生き抜く術みたいなのって何か見つかりましたか? ナコン あんまり悲しい気持ちになりすぎないというか、絶望しないというか、それが大事だなと思います。僕自身がそういった悲しい気持ちとかを過大評価してしまうきらいがあるので、そういうのを意識して避けていくというか。嫌なことがあってもほかの人にとっては大したことないだろうとか、なんか今日生きていくお金はあるしとか、そういういい捉え方を選んでいくことが大事なのかなと思ってます。 取材・文=岡本貴之 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 天竜川ナコン クラウドファンディング “ラッパーとして「人生」を賭けたHIPHOPアルバムを発売します” https://camp-fire.jp/projects/898465/view
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自分が自分の一番のファンだから──“文坂なの”は好きをかたちにできた作品文坂なの(あやさか・なの) 平成生まれ昭和育ち、懐かしくも新しい楽曲を歌うフリーランス・セルフプロデュースソロアイドル「文坂なの」。全国各地でライブ活動中。多数メディアでも注目を集めるなか、2024年1月に1stアルバム『だけど、わたし、アイドル』を全国流通にてリリース。2024年4月、ヒャダイン作曲の「明治プロビオヨーグルトR-1」CMソング歌唱を担当。2025年2月には、80'sアイドルカバーアルバム『Lost & Found Vol.1』をリリース。2025年4月には、楽曲制作にconnie、葉上誠次郎を迎えた「恋のスリズィエ」をリリースし、「NO MUSIC NO IDOL?」(タワーレコード新宿店発のアイドルとのコラボレーション企画)に抜擢される。2026年には、活動10周年を迎える。 大阪拠点で活動を続けているフリーランス・セルフプロデュースソロアイドル、文坂なの。2026年に活動10周年を迎える彼女が、今年11月26日に4th EP『CITY』をリリースした。作詞作曲は好きな人に自らオファーをして実現したという本作品は、松井寛や佐々木喫茶などそうそうたる名が並ぶ。文坂なのは、なぜアイドルになったのか? なぜセルフプロデュースを続けるのか? その理由が明らかになる。 恥ずかしがり屋だった幼少期 ──文坂さんは大阪ご出身ですよね。今も大阪を拠点に活動されているんですか? 文坂 生まれは大阪なんですけど、実は11月上旬から東京に住んでいるんです。地元の大阪にも帰って活動しつつ、東京の活動も増やしてがんばっていきたいなと思っています。 ──なるほど、そうだったんですね。では大阪時代から遡って聞かせてください。“昭和と令和を股にかける懐かしくも新しいアイドル”というキャッチフレーズが印象的ですが、どんなきっかけで音楽に触れたんですか。 文坂 小さいころに歌番組で昭和の懐メロ特集とかを見たりして、気づいたら好きになっていたという感じです。あと、ケーブルテレビでよく流れていた昭和のコンピレーション・アルバムのCMがすごく好きだったんですよ。アニメのチャンネルを見つつ、そのCMが流れるのがけっこう楽しみで。私が学生のころってAKB48さんとかが大活躍されていて、現代のアイドルさんの曲も好きで聴いてはいたんですけど、中でも自分の心に響くのは80年代の音楽で、自然に好きになっていた感じですね。 ──もともと、小さいころから歌を歌っていたりしました? 文坂 いやもう、全然(笑)。めちゃめちゃ恥ずかしがり屋でした。お姉ちゃんがいるんですけど、ふたりとも照れ屋さんなので家族でカラオケに行っても、両親が歌ってるのをひたすら聴いてるみたいな感じでした。音楽の授業でみんなの前でひとりずつ歌うのとかもすごく苦手でしたから。部屋でひとりで歌うのは好きだったけど、人前で歌うとかは全然考えてなかったです。 ──どんなことが好きな子だったんですか。 文坂 休み時間には教室で自由帳にイラストを描くような、あんまり外で活発に遊ぶような子じゃなかったんですよ。自分の好きなアニメのキャラクターを使った二次創作とか、オリジナルの魔法少女のマンガを描いたりとか、架空のアニメのキャラクター設定をして、資料みたいなものを作ったりとか(笑)。今、セルフプロデュースで活動しているんですけど、自分で何か考えてひとりでやるのが好きなのは、そのころからかなと思います。 ──そういう描いたものって、人に見せたりはしたんですか? 文坂 見せてなかったです。あくまでも自分の中で「こういうのが好きだな」とか「こういうのいいな」みたいなことを考えるのが好きで、それを誰かに発表することは全然考えなかったです。たぶん今も実家にあると思うんですけど、ちょっと自分で見るのも怖いですね(笑)。 ──そんな子が今や人前で歌っているっていう。しかも完全セルフプロデュースのアイドルってすごいですよね。 文坂 そう言っていただくことが多いんですけど、それ以外なかったっていうだけなんです。中学生のころにアイドルにのめり込んで、高校生になってから、オーディションを受け始めたんですけど、全然受からなくて。どうしようってなったときに、地下アイドルという存在を知って、調べていくうちにひとりで活動されている方が多いことを知ったんです。 大阪だと、日本橋界隈で活動する“日本橋系アイドル”みたいなジャンルがあって、ライブハウスに見学に行ったとき、みなさん物販もチェキ撮影も全部自分ひとりでやっていて。それを見てから「自分もひとりでやろう」と始めたので、すごいねって言われると自分的には「あ、不思議なんだ」という感じでした。 ──でも、小さいころは恥ずかしがり屋だった文坂さんが、人前で歌ったり踊ったりするようになったというのは、やっぱり不思議です。 文坂 アイドルが本当に好きなんだと思います。いまだにどのライブもめちゃめちゃ緊張するんですよ。人前に立つことって普段ないじゃないですか? ステージに立って、ライトに照らされて歌って、それをみんなが見てるって、いまだに緊張するし慣れないんですけど、でもやっぱり好きだからやれてるんだと思います。 “明菜ちゃん”はファンでもあり憧れの存在 ──最初はどんなアイドルからハマり出したんですか。 文坂 AKBさんや声優アイドルさんとか、当時は本当にいろいろ聴いていましたけど、やっぱり一番好きだったのは80年代のアイドルさんでした。思春期で学校にあんまり行けていない時期があって、実家のリビングのパソコンで調べて曲を聴いたりしていたんですけど、そのときに一番胸に刺さったのは80年代のソロアイドルさんだったんです。 ──80年代のソロアイドルで、特にどんな方が好きなんですか。 文坂 一番好きなのは中森明菜さんですね。アイドルってキラキラの衣装でフリフリで、かわいくて明るくてみんなに元気を与えるみたいなイメージだったのが、明菜ちゃんってけっこう影のある感じというか。そういうところが新鮮で、すごく惹かれました。 ──今日は黒い衣装で撮影していて、中森明菜さんと通じるイメージも感じました。 文坂 自分もキラキラアイドルっていうよりは、切ない曲を歌うことが多いので、通じる部分はあるかもしれないです。それと、私服は基本的に黒しか着ないです。今日はまだ明るいほうで、自宅のクローゼットは本当に真っ黒ですから(笑)。 ──大阪出身っていうと、ちょっと陽気なイメージを結びつけたくなるけど、全然そうじゃないわけですね。 文坂 もう、全然。休みの日は家から出ないんですよ。特にひきこもりがちだった中学時代、当時はもう不登校でまったく家から出なかったので、明菜さんのパフォーマンスがそういう自分にすごく刺さったんです。 ──そういえば、大分のフェスで明菜さんのステージ(※)を観たんですよね? (※2025年4月19日、20日に大分スポーツ公園で開催された『ジゴロック 2025 ~大分“地獄極楽”ROCK FESTIVAL』)。 文坂 そうなんですよ! めっちゃ弾丸スケジュールで観に行きました。明菜さんって私が中学生のころにはもうテレビにあんまり出ていなかったし、私の中ではネットや昔のレコード、雑誌の中で見てた架空の人物みたいな感じだったんですよ。だから、ステージに出てきた瞬間に「あ、明菜ちゃんがいる!」と感動して涙が出ました。 幸運なことに前のほうで観られそうだったんですけど、「これ以上近づけない」と思い、前から4列目ぐらいで観ました(笑)。やっぱり憧れだし、ファンでもあるし、いつかお会いしたいなという気持ちはありますね。 ──明菜さんをはじめとする80年代のアイドルを好きになって、地下アイドルとして活動を始めたときは、どんな感じだったんですか? 文坂 最初はもちろんオリジナル曲はなくて、カラオケ音源で歌う感じでした。それこそ明菜ちゃんの「スローモーション」「セカンド・ラブ」とか。あと(松田)聖子ちゃんの曲も。 ──ご両親とカラオケに行ったときも歌わなかったのに。 文坂 そうですね(笑)。初ステージは20分のステージで4曲歌ったんですけど、もう緊張しすぎて、自分が何をやったかはまったく覚えてなくて、楽屋に戻って号泣しました。安心したのと、「全然できなかったな」っていう悔しさとか、いろんな感情でもうめっちゃ涙で。自分的にはもう本当に0点ぐらいのステージだったんですけど、ずっと憧れてたステージに立てた喜びもあって「一回きりじゃ終わりたくないな」と思いました。 そうしたら、ライブハウスのオーナーさんから「来月も同じイベントがあるから出てください」とオファーをいただいたんです。そこから定期イベントに毎月出るようになって、そのイベントに来ていたほかのイベンターさんのイベントにも呼んでいただくようになったんです。 ──それだけステージに魅力があったということだと思うんですけど、観た人たちからの反響はどう受け止めていたんですか。 文坂 褒めていただくこともありましたけど、自分ではピンときてなかったんですよ。だから、なんで誘っていただけるのかなって、いまだに思っていて。応援してくださってる方にはちょっと失礼になっちゃいますけど、ファンの人がなんで自分を応援してくれるのかがちょっとわかんないんですよ。自己肯定感が低いのかもしれないです(笑)。ただ、もちろん制作や作品は自信を持ってお届けしてますし、そんなに思ってくれるなら、がんばって返していかなきゃなって思っています。 ファンと一緒に作っていく“文坂なの” ──ライブは、号泣した初ステージからどう変わっていったのでしょう。 文坂 当時は“ポンバシ界隈”(日本橋系アイドル界隈)でオリジナル曲を持ってる子が本当に少なかったんですよ。私も最初はカラオケで歌ってたんですけど、どうしても自分だけの曲が欲しくなってきて。でもまわりに聞いてもみんなオリジナル曲を持っていないから「どうやって作るんだろうね?」みたいな。なので、当時私がやったのは、Twitter(現X)で「楽曲提供」というワードで検索して、出てきた人に「こういう者なんですけど、曲を作っていただけないでしょうか?」と連絡して。 ──まったく面識のない人だけど、その人がアップしている曲を聴いたりして連絡したわけですか。 文坂 そうです。曲を聴いて、「この人にお願いしたいな」と思ってメールしました。そしたら返事が来て、曲を作ってもらって、レコーディングしていただいて──活動を始めて2年目の2018年4月に『ひとりごと』っていう初めてのCDを出しました。それは昔の名義なんですけど、当時の地下アイドルの界隈は「盛り上がってなんぼ」みたいな感じだったので、そういうアイドルチックな曲にしました。 そのあとも2ndシングル、3rdシングル、ミニアルバムと続いていくんですけど、やっていくうちに「自分のやりたいのってこれじゃないよな」っていう違和感もあって、2020年に“文坂なの”に改名をして、今の路線になりました。だから今は、当時の音楽性とはまったく変わってます。制作方法は今でも一緒で、面識のない作曲家さんでも自分で連絡してご依頼しています。それも自分の中では当たり前だと思ってここまでやってきました。 ──「こういう楽曲にしたい」というイメージってどんなふうに伝えるんですか? 文坂 「懐かしいけど新しい、80年代だけど新しい」みたいなコンセプトは自分の軸にあるので、それは必ず伝えています。その作曲家さんが好きで頼んでいるので、その方の得意とするジャンルで伝えさせていただくこともありますね。 今回のEPだったら、ほかに収録曲が決まっていて最後にお願いしたのが、加納エミリさんの「ブルー・リライト」なんです。女性に曲を書いていただくのは初めてだったんですけど、ありがたいことにお受けいただいて、細かくイメージをお伝えしました。私は切ない恋愛ソングが好きで自分の声質にも合ってるかなと思うので、そういう曲が多いんですけど、EPの最後を切ない感じで締めくくりたいなっていうのがあったので、「とびきり切なくしてください」とお願いしました。伝え方は作曲さんによってバラバラですね。エミリさんは、もともと面識があった本当に珍しいパターンなんですけど。 ──加納さんも、セルフプロデュースで活動しているアーティストですよね。どんなきっかけで出会ったんですか。 文坂 エミリさんが設立された事務所に所属するアイドルさんの主催ライブに呼んでいただいたときに、初めてお会いしたんです。エミリさんご自身もセルフで全部やってきたので、「大変なこともありますよね」みたいに話をして、その日の物販もお手伝いしてくださったんです。そこから連絡先を交換して、仲よくなりました。今回はレコーディングもディレクションも立ち会ってくれて、コーラスも歌ってくださっています。あと、レコーディング終わりに一緒にごはんを食べたんですけど、「当時こういう場面だったらどうしてましたか?」とか、私の人生相談みたいな感じになって、共感祭りでした(笑)。 ──セルフプロデュースで活動する上での共感があったわけですね。それこそ衣装とか物販のこととか、いろいろ細かい決め事とかもあると思うんですけど、特にどんなところが大変ですか? 文坂 物販は自分ひとりなのでチェキ撮影してくださる方がいないのは大変です。けど、私のファンの方は協力的で、ツーショットを撮るときは、うしろに並んでる人がシャッターを押してくれたりするんですよ。だからみんなチェキを撮るのうまくなって(笑)。さすがにそれは申し訳ないので、現場のスタッフぐらいは雇えるようになりたいなと思いつつ。あとはそんなに大変だなって思うことは、正直言ってあんまりないですね。 ──それ以上に楽しい? 文坂 楽しいし、なんか全部できるようになってしまったので。 ──鍛えられてきたんですね(笑)。 文坂 そうです(笑)。いろいろ経験してきたので。まあ最初は“ソロアイドルあるある”かもしれないですけど、「楽屋がない」とかはありました。グループだと、ヘアメイクとかスタッフ、マネージャーが大所帯で来るじゃないですか。私はリハとかもひとりで行くし、個室はそのみなさんが使うので、「文坂さん、スタッフさんがいなくてひとりならすいませんけど、この廊下で」とか……。 ──ええ~!? 文坂 この前は、「楽屋どこですかね?」と聞いたら「すみません、フロアに行ってもらっていいですか?」って言われちゃって。でも開場したらお客さんが入ってくるから、「ここにいてください」って、今度は会場の裏の小さい物置みたいなところに移動して、そこで準備しました(笑)。そういうことはいまだにあるので、個室の楽屋を用意してもらえるぐらいがんばろうって思いました。 ──そういうのを聞くと、より応援したくなるお客さんもいるでしょうね。来年10周年を迎えるということですが、どんどんファンの方が増えてきている実感はありますか。 文坂 そうですね。「文坂なの」名義になってからは、ラジオや雑誌とか、こういうインタビューとかもでご紹介いただいたり、ライブ以外のお仕事をいただくことが増えてきたので、東京に頻繁に来るようになった3年前ぐらいから、ファンの方も増えてきたなっていう実感はありますね。 上京は夢に近づくためのパズルのピース ──そもそも人前に出たくなかった文坂さんが、こうしてファンの方が増えるぐらいがんばってこられたのって、ただただアイドルが好きだっていうのもあるんでしょうけど、どこにモチベーションを持ってやってきたんですか? 文坂 やっぱり、「好きだから」という理由がもう90パーセントぐらいなんですよね。あとはファンに喜んでもらいたいっていうことですね。自分のことはあと回しで、「これをしたらファンが喜んでくれるかな」っていうのでここまで来ました。 それと、今の名義になって佐々木喫茶さんに作っていただいた1stシングル「愛わずらい」(2021年)を初めてラジオで流していただいたあとの反響が大きくて、「ラジオを聴いてライブに来ました」という方がめちゃめちゃ多かったんですよ。今までのアイドルっぽい曲から、自分の本当にやりたい80年代のジャンルに方向転換をした曲だったので、「これで間違ってないんだな」って自信がついて、この路線でやっていこうと決めた曲でもあるんです。それが今の自分を作り上げる大きなきっかけになっていますね。 ──佐々木喫茶さんは今回のEPでも「シャカリキ飲料」を書いていますね。タイトルを見たときに「これはどういう曲なんだ?」って思いました。 文坂 ですよね(笑)。ほかの作家さんには、たとえば「シティポップ調の曲にしてください」とか、失恋の曲だったり、かっこいい女性の曲にしてくださいとか頼むんです。喫茶さんに関しては、もともと80年代風な曲が多くてすごく好きだったので、最初の「愛わずらい」から毎年曲を作っていただいてて今回で5曲目なんですけど、2曲目からは全部お任せでお願いしているんです。 今回は「ちょっと楽しい曲にしていいですか?」って言ってくださって、「曲できました」と喫茶さんからデモ音源と歌詞が届いたとき、ファイル名が「シャカリキ飲料」とあって……。正直、これは何かの間違いであってほしいなって思いながら聴いたんですけど、「ヤルトキシャカリキ」って歌っていて(笑)。最初はびっくりしましたけど、聴いていくうちにすごくいい曲だなって、めちゃめちゃお気に入りの曲になりました。 ──『CITY』の収録曲は作詞・作曲・編曲の方が曲ごとに違いますけど、EPとして統一感のある作品だと感じました。どんなコンセプトで一枚にしようと思ったのか教えてください。 文坂 これも上京の話になるんですけど、お仕事が明らかに東京のほうが多くて、毎週のように新幹線で行ったり来たりしていたんです。ホテルに泊まるのも高いし、東京にお家を借りなきゃなという思いはずっとあったんですけど、タイミングを逃し続けていて。それで今回、上京することになったので、決意を込めてタイトルに『CITY』とつけたところはあります。 EPを作ろうと思ったのは、松井寛さん作曲編曲の「Night Mirage」という曲をいただいたときに、すごく都会のイメージが浮かんできて、かっこいいなと思ったのがきっかけです。作詞の鈴木さちひろさんに「都会のかっこいい女性を書いてください」とお願いしてこの曲が完成したときに、そういうコンセプトでひとつの作品を作ったらおもしろいんじゃないかなと思って、EPのコンセプトができ上がりました。 偶然にも「シャカリキ飲料」も都会でがんばる社会人の歌で。原田夏樹さん(evening cinema/Vo)に作っていただいた「初恋と呼ぶくらい」は80年代のトレンディドラマとか都会っぽいイメージが浮かんでいたのでピッタリだし、パズルのピースが当てはまるようにでき上がっていきました。 ──セルフプロデュースという意味では、ジャケットなどアートワークへのこだわりもありますよね。 文坂 ジャケットは、今までの自分よりはちょっと大人びた感じを意識して撮影しました。東京タワーが写っていたり、盤面も赤だったり、「大人と都会、東京」みたいなコンセプトで作っています。CDのジャケット、ブックレットのデザインも、入稿まで全部自分でやっています。 ──すごくいい声をしてらっしゃって、すんなり耳に入ってくる歌声だと思いました。80年代をイメージした楽曲を歌う上で、工夫していることや意識していることはありますか。 文坂 「文坂さんは歌はうまくないけど声がいいね」って本当にみなさんに言われるんですよ(笑)。宇多丸さん(RHYMESTER)のラジオで初めて言われて、ほかのメディアで紹介されるときもだいたいそうなんです。正直ちょっとショックでした……けど今は「じゃあそこを自分の長所として声を生かすような歌い方を心がけよう」と思っています。 あと、80年代のアイドルさんって、歌の語尾を上げるんですよ。レコーディングのときに「その語尾を上げるの何?」って言われて、聴いてみたら私の歌も全部語尾が上がってて。小さいころからソロアイドルの曲をずっと聴いてたので、自分の中に染みついてる部分はあるかもしれないです。 ──今後、東京に拠点を移してからの活動はどんな展開を考えていますか? 文坂 上京したというのもあるし、2026年の4月10日で活動10周年なので、そこに向けて次のリリースの計画とか、スペシャルなことだったりを計画しています。それと、リキッドルームでライブをするのが夢なんですけど、実現できるようにがんばっていこうと思っています。 ──日本武道館を目標に掲げるアイドルが多い中で、リキッドルームでやりたいというのはなぜなんですか? 文坂 自分のプロデューサー目線もあるし、ファン目線もあるんですよ。自分自身が自分の一番のファンでもあると思うから。無理してめちゃめちゃ大きいところでやるよりは、堅実にやっていくアイドルのほうが私は推せるので。もちろん、リキッドルームも1,000人規模の大きい箱ですし、今すぐやれっていわれたら埋められないですけど、着実に進んでいきたいなっていう気持ちがあります。 今回のEP『CITY』も、パズルのピースがはまるようにコンセプトができ上がっていったんですけど、そういう偶然的に作っていくものもあれば、先まで考えていることとかもあるので、2026年は、夏までにはこれをして年末までにはこれをして、みたいなことは一応考えています。楽しみにしていてください。 取材・文=岡本貴之 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 文坂なの 4th EP『CITY』 2025年11月26日(水)発売 M1. intro 作曲:松井寛 M2. Night Mirage 作詞:鈴木さちひろ/作曲・編曲:松井寛 M3. 初恋と呼ぶくらい 作詞・作曲・編曲:原田夏樹 M4. シャカリキ飲料 作詞・作曲・編曲:佐々木喫茶 M5. ブルー・リライト 作詞・作曲・編曲:加納エミリ M6. Night Mirage(Instrumental) M7. 初恋と呼ぶくらい(Instrumental) M8. シャカリキ飲料(Instrumental) M9. ブルー・リライト(Instrumental)
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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TAMU(BOY meets logirl #065)TAMU(たむ)2002年7月30日生まれ、東京都出身Instagram:tamura_ryosuke_0730 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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藤本洸大(BOY meets logirl #064)藤本洸大(ふじもと・こうだい)2005年10月6日生まれ、兵庫県出身Instagram:kodai_fujimoto_official 映画『終点のあの子』公開中EXドラドラ大作戦『CUT.編集された世界』2月7日(土)24:40〜放送開始Hulu『時計館の殺人』2月27日(金)配信開始 撮影=井上ユリ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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芳村宗治郎(BOY meets logirl #063)芳村宗治郎(よしむら・そうじろう)1998年2月1日生まれ、東京都出身X:@YTactor_1Instagram:sojiro_yoshimura 映画『ヒグマ!!』2026年1月23日公開主演映画『ゾンビ 1/2』2026年春公開予定 撮影=佐々木康太 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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映画『90メートル』ヒロイン・南琴奈──「もっとかわいく」演出と向き合った日々#22 南 琴奈(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載『focus on!ネクストガール』。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 インタビュー【前編】 目次“ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい “ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん ──最新作の『90メートル』の話を聞かせてください。脚本をもらったときの印象はどうでしたか? 南 印象……んー、でも、すごく簡単な言葉になっちゃってイヤだな(笑)……なんだろう? ──役柄的には、普通っていうとあれですけど、さっき話されたみたいに、今回すごくキャラクターが濃いということでもないと思うんですよね。どんな感じなのかな?と思って、ストーリーを含めて。 南 そうですね……ストーリー、感動するなって思いました。 ──たしかに。クランクインをして撮影していくなかで、印象に残っている出来事はありました? 南 私は基本的に「藤村佑(たすく)」くん(山時聡真)とのふたりのお芝居か、学校のバスケ部でのお芝居だったんですけど。基本的にはふたりのシーンが多くて。山時くんも現場で言っていたんですけど「昨日はお母さんとの撮影がすごく大変で。バスケ部のシーンを楽しみにがんばったんだよね」とか。私には(それを聞いて)もう想像することしかできないから「お疲れさま」と思って。実際に(大変だったという)そのシーンを観るのを楽しみにしていました。 中川駿監督からは「ここはふたりのアドリブでやってみて」と任せてもらえることが多かったです。なので、合間にもいろいろとコミュニケーションを取ったりして……「きっとこのふたりだったらこうするんじゃないか」みたいなのを、なんとなく考えながら。考えて、でも考えすぎもせず……とにかく楽しい空気感を出せたらいいなと思って、ニコニコしていました。 ──アドリブのシーンが多いという感じですか? ふたりのシーンでは。 南 そうですね。ちゃんと台本はあるんですけど、台本にないところのセリフはもう全部、自分たちのアドリブで。そのときに思ったことを言っているんです。 ──佑くんに、きっかけを与えるような、導くようなところもある杏花さんの役柄。もし実際に佑くんのような友人がいて、南さんが接するとしたら、どうしますか? 南 そうですね、まあ、佑の出方にもよるんですけど(笑)。向こうがどれだけ心を開くか……でも私だったら杏花みたいにはガツガツ聞けないような気もして。ガツガツって言い方もあれですけど……杏花は本当に純粋な気持ちで、本当に力になりたくて、本当に気になって聞いているとは思うんですけど。私だったら、逆にいろいろと考えすぎてしまって「あ、こうやって聞かれたらイヤかな……?」とか。そんなのは聞いてもいないからわからないのに勝手に想像しちゃって、あまり聞けなそうだなというのが、リアルなところなんですけど。だから杏花はすごいなと思っていて。話を聞くことにはけっこうな責任が伴う気がするし。人の私生活とかプライベートすぎることに……。 ──わりと踏み込んでますもんね、杏花は……。 南 そうですね。だからもし私だったら、聞ける勇気があるのかなと思って。 ──佑を演じた山時さんとのシーンで、監督からのアドバイスは何かありました? 南 監督からは、ずっと明るくて楽しくて支えになってあげるような、心のよりどころになってくれるようなキャラクターでいてほしいと。意識してやっていたんですけど、いざ撮影をすると、監督が「もっとかわいく」って。「もっとかわいらしくやって」って……ムチャブリな注文をしてきて(笑)。「私、けっこうかわいくやったんだよ」と思ったり(笑)。「えー、かわいくなかったのー?」って。 ──これで満足いかないんですか?みたいなことですよね(笑)。 南 もっとあざとくやってほしいみたいな。 ──(笑)もっとあざとく……あざとキャラ。 南 はい(笑)。私はバスケ部のマネージャーをしていて、自分のおうちにはあまりお金がなくて、でもその環境に負けたくないからがんばるという、ガッツのある感じの女の子だなと思っていたので……「私、大丈夫だよ」みたいな感じの。体育会系みたいな感じのキャラクターなのかな?って、撮影に入る前にはイメージしていたんですけど、監督からは「もっとかわいく」と(笑)。なので、がんばりました。 ──じゅうぶん出ていた気はしますけど……共演者の方々との思い出はあります? 南 (一緒の撮影シーンがなかったので)菅野美穂さんと西野七瀬さんにはお会いする機会がなかったんです。山時くんと田中(偉登)くんとは、本当の高校みたいに、みんなめちゃくちゃ仲よくなって。撮影期間はけっこう短かったと思うんですけど。 バスケ部のみんなは、クランクインする前に(シーンのある)バスケの事前練習があったので、そこでもう仲よくなっちゃったんです。私は撮影から参加だったので、入る前はちょっと行きづらいかもと思っていたら、向こうからすごく話しかけてくださったりとか。みんなの明るさに助けられたな、と思いますね。 楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい ──今後やってみたい役柄ってあります? 南 そうですね……ちょっとまじめに答えると(笑)、今、楽器の練習をしているんですよ。練習をすると、特技が増えるじゃないですか、それが楽しい。自分がレベルアップしている気がして(笑)。 ──何か技術を身につける役ということですか? 南 そういう専門の……たとえばバイオリンだったりとか。そういう楽器って、やっぱり楽しいなと思って。私、特技がないんですよ! ──でもプロフィールを見ると……。 南 一応書いているんです(笑)。 ──でも、書道4段とかすごいじゃないですか。 南 (小声で)一応書いてるだけで……今できる特技が欲しいなと思っていて。 ──今、一番身につけたい特技はなんですか? 南 え、錠剤……錠剤をうまく飲むこと!(笑) 私、錠剤を飲むのが下手すぎて。もうすっごい下手で。 ──でもいますよね、たしかに。錠剤をうまく飲めない人って。 南 一回……こう(錠剤を)口に入れても、うわって吐いちゃうんですよ。そうすると、水に浸った錠剤をまた飲まなきゃいけないから(笑)。もうちょっとスマートに飲めるようになりたいですよね。 ──(笑)プライベートなこともお伺いしたんですけど、最近ハマっていることは何かあります? 南 そうですね。スープの素を組み合わせて……何かおいしいものができるか、みたいな。いろいろな種類のスープを買って、今日はこれとこれを混ぜてみよう、って。 ──(笑)それはもう……ガチャ的な感じ。 南 今日の気分はこれとこれだから!って。 ──今まで、一番イケていたのは? 南 もずくと、玉子スープですかね。 ──意外と王道な(笑)……普通に合いそうな感じ。 南 じゃあなしで(笑)。そうですねー、最近は自炊をしようかなと思って。そぼろ丼とかも作りました。 ──料理教室で最初に作るやつ……。 南 えー(笑)、でもちょっと興味が出てきていますね、料理に。 ──なるほど、では料理で。逆に今までで、すごくハマりましたみたいなものは……。 南 陶芸にハマっていたんです。花瓶をよく作っていたんですけど、最後に作った花瓶が自分の思ったようにはいかなくて、そこでやめちゃいました。 ──陶芸を始めたきっかけって、なんですか? 南 きっかけは……友達が誘ってくれて。やったことないし、やりたいなと思って。 ──なるほど。それでは最後の質問ですが、今後やってみたいお仕事はありますか? 南 ……なんだろう。それって、本当に来ちゃうかもしれないですもんね(笑)。 ──可能性はあります(笑)。 南 海外にいっぱい行きたいです。いろいろなところに。 ──海外ロケ! どのあたりに行きたいですか? 南 ちょっと過酷なのはイヤですけどね。でも……自分では選ばなそうなところ。んー、国名はパッと出てこないんですけど……そうですね、過酷でもやります!(笑) 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。
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新進俳優・南琴奈──“自分との共通点”を見つける役づくり#22 南 琴奈(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 目次原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」 ──この業界に入ったきっかけから、お聞かせいただけますか? 南 きっかけは……母と原宿に初めて遊びに行ったときに、今の事務所の方に声をかけていただいたことで。そこから、という感じです。 ──声をかけられて「わ。なんか、話が来た」みたいな感じですか? 南 「え……本当にあるんだ!こういうの」って思って。初めて原宿に行ったから、すごくキョロキョロしながら歩いていたら声をかけていただいて……「本当かな?」って(笑)。 ──声をかけられた時点で、すぐにやってみたいと? 南 すぐにではないですけど、家へ帰ってから、お母さんやお父さんといろいろ話して。最後は「楽しそうだからやってみれば?」と、お母さんが言ってくれました。 ──なるほど。事務所に入って、最初にした仕事は覚えてます? 南 最初にした仕事……最初にしたのは、着物のカタログのモデルですね。 ──その仕事をしたとき、どうでした? 南 最後は「楽しかったな」と思って帰った記憶はあるんですけど、最初のほうは、とりあえず全力で笑顔を作ることに徹してました。 ──それをきっかけに、いろいろな仕事をやって……その後、最初に“演技的なこと”をしたのは何になります? 南 演技は……ミュージックビデオですね。1週間ぐらい撮影をしたMr.Childrenさんのミュージックビデオ、14歳ぐらいのときなんですけど。このとき初めて、お母さんの元を離れて、ひとりで仕事に行って。セリフはなかったんですけど、感情を出す演技というか、そういうのを監督から初めて教えてもらった仕事だったので、印象的です。 ──やってみて、実際どうでした? 南 やってみて……難しかったし、恥ずかしかったですね、やっぱり。 ──セリフがある演技経験は、何になりますか? 南 是枝裕和監督のドラマ『舞妓さんちのまかないさん』ですかね。 ──どうでした? 南 楽しかったんですけど、撮影していたタイミングがコロナ禍ということもあって、ひとりの時間が多かったんです。ホテルへ帰ったあととか……撮影所とホテルを行ったり来たりするだけで「ちょっとひとりじゃ心細いな」というのもありつつ。それに、先輩の俳優さんたちと初めて実際にお芝居ができるという状況にも戸惑いながら……。中学生だったんですけど、幼いながらも「贅沢だなあ」と思って。 ──共演した俳優さんたちと話したりとか……。 南 話しましたね。女性のキャストの方が多かったので……実際にお母さんとかお姉ちゃんみたいな感じで接してくださって。松坂慶子さんとか、いつもニコニコ現場で温かく話しかけてくださって、すごく安心したのを覚えています。 ──そのあたりから、俳優の仕事も意識し始めた感じですか? 南 ん……いや、まだ、まったくです。 ──なるほど。俳優として仕事をしているという実感が出てきたのって、どのあたりの作品になります? 南 えー……なんだろう……(マネージャーに向かって)どのあたりだと思います!? 自分じゃ本当にわからなくて……(笑)。 ──自然と……なんですかね。実際に『舞妓さんちのまかないさん』での自分の演技を観たときの印象はどうでしたか? 南 そうですね。がんばって撮影したのが完成したな、という。キャリアとして「よし、積み上げていけたぞ!」というよりは「完成したんだ! よかった! すごいな!」みたいな。まだ自分のことと思っていないところもあったのかなとも思います。 「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 ──その後、いろいろな作品をやっていく中で、一番印象に残っている作品って何になります? 南 一番印象に残っているのは……やっぱり『ミーツ・ザ・ワールド』ですかね。 ──それは役柄的に? それとも撮影が?みたいなことですか。 南 どちらもそうなんですけど、それこそ本当に、演じていること自体が、自分がやっているように思えなくて……撮影している間もすごく不思議で。自然にその現場へ行ってお芝居をして、普通に話して、ご飯を食べて帰るということ自体が、すごく不思議な感覚で楽しかったです。なんとなく、あまり現実味がなかった気がします。 ──演じている感覚が強かったんですかね。その『ミーツ・ザ・ワールド』も含めて、今まで演じてきたキャラクターで、一番素の自分に近いなと感じる作品は……。 南 一番自分に近い……そうですね、んー。 ──たとえば、『僕達はまだその星の校則を知らない』とか『ミーツ・ザ・ワールド』、それこそ『終点のあの子』や、もちろん『90メートル』もそうですけど……『夜勤事件』もそうかな? それぞれの作品で、あまりにも演じているキャラクターが違うじゃないですか。パッと見ると、本当に……カメレオン俳優とまではいわないんですけど、幅の広い役柄を演じているなと思っていて。 南 そうですね。私は、人としてちょっと汚いところというか……あまり人に見せたくないものが自分と似ているほうが「自分と近しいかな」と思っていて。そういう部分でいったら、やっぱり『終点のあの子』の「菊池恭子」なのかな、と。 ──なるほど。逆に、一番遠いのは『ミーツ・ザ・ワールド』? 南 『ミーツ・ザ・ワールド』も、ちょっとずつは共感できるというか、理解できるところがあるキャラクターかなとは思うんですけど。そこまで自分とかけ離れているなというキャラクターはあまりないかも……あ、一番遠いのは『夜勤事件』じゃないですかね(笑)。 ──初めて主演をした作品。その『夜勤事件』で、ホラーをやってみてどうでした? 南 やった感想は……もうやらないです!(笑) 今回、初めてホラーをやってみて「やってよかったな」と、すごく思うんですけど。ホラーのお芝居で、私、これ以上引き出せるものがあるのかな?と思うぐらいの経験だったので。監督に言われたことを必死にひとつずつやっていくという感じだったので……撮影では自分の中のボキャブラリーというか、そういうのがなさすぎて。終始不安だったんですよね、もう。 ──「もうやらないです」は、ホラーとしては、ある意味、最高の誉め言葉ですよね。その撮影時に、何かホラー的なことってあったりしました? 南 ホラーの撮影では、よくあるじゃないですか、現場でのお祓(はら)いが。今回、私たち役者陣はお祓いがなくて。監督やスタッフさんはやったらしいんですけど。だから、なんとなくすごく不安で。いつもホテルへ入る前には、スタッフさんに塩を振ってもらっていたんですけど、そのおかげか何もなく終えることができたと思います(笑)。 ──なるほど。撮影時に役づくりとして、自分で何か意識してやってることってあります? 南 作品ごとに違うんですけど……私、今までは、がっつりキャラクターがある役をあまりやったことがなくて。すごく個性の強いキャラクターとかを演じたことがないんですよね。自分とかけ離れすぎているキャラクターを演じることはあまりないので……どこかしらはちょっと共通しているところがあるから、まずはそこを見つけて。こういう気持ちになったんじゃないかな?とか、想像力をふくらませて、あとはもう、監督に全部聞きます。わからないまま現場に入るのは、失礼かなと思うし。 ──たとえば原作モノ、『ミーツ・ザ・ワールド』(金原ひとみ)とか……それこそ『終点のあの子』(柚月麻子)もそうですけど、原作がある作品をやるときは、事前に原作を読んでから入ります? それとも読まずに……。 南 必ず読みます。 ──そのほうが入りやすい? 南 はい。入りやすいです。 ──原作がない作品だと、監督にもうとにかく聞く? 南 そうですね。わからないことは、がっつり聞きます! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑(たすく)」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。 【インタビュー後編】
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休日にはあえてグルテンを摂取!──女優・鳴海唯の「チートデイ」#21 鳴海 唯(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年・NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年・TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年・ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる「若松のぶ」の同僚「琴子」役として出演。 インタビュー【前編】 目次余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい 余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々 ──これまでいろいろな作品に出演されてきたと思いますが、その中で特に印象に残っているものはなんですか? 鳴海 最近だと、やっぱり『あんぱん』が一番ホットですね。でも、印象に残っているという意味では、『わかっていても The Shapes of Love』(2024年/ABEMA)という、横浜流星さん主演のドラマですね。その作品で私は、余命宣告を受けた女性の役を演じさせていただいたんです。 その役は、必然的に命と向き合わなければならないキャラクターだったので、演じる上で本当にたくさんのことを考えましたし、それを経験したことが自分の中ではすごく大きな糧になっていて……。 もちろん私自身は実際に余命宣告を受けたことはないので、どこまでいっても埋められない差はあるんですけど、だからこそ、その中で「どう向き合っていくか」という難しさに直面しました。この経験を通じて、私自身、役への向き合い方が大きく変わったと思います。だから『わかっていても』は、すごく印象深い作品ですね。 ──そういう壁にぶつかったときは、どう乗り越えていくんですか? 鳴海 自分の人生と全然違う役柄に出会うと、やっぱりすごく難しいなって思いますし、「どうすればいいんだろう」って悩みます。でも、その壁を乗り越えたときに、またひとつ自分が成長できたような気がするんですよね。 だから、自分が取り組みやすい、演じやすい役ばかりじゃなくて、苦手意識のあるキャラクターにも、どんどん挑戦していきたいなと思っています。 ──なるほど。その意味では、先日、NHKで放送された村上春樹さん原作のドラマ『地震のあとで』(第2話「アイロンのある風景」)に出演されましたよね。あれは難しい作品だったと思いますが、どうでした? 鳴海 役がすごく難しくて、ずっと悩んでいました。撮影が終わっても、「これでよかったのかな」と、思い続けていました。 もちろん、正解がない作品だと思うので、正解を求めること自体が違うのかもしれないんですけど……どうしても正解を求めてしまう自分がいて。放送を終えて、視聴者の方から感想をいただいたときに初めて、「わからないままでいいのかもしれない」と思えたんです。 正解が出ないなかで悩み続けることって、その作品とひたすら向き合っている証拠だと思うので、正解が出るかどうかじゃなく、向き合っていた“時間”のほうが大事なんだなと……そういうことを視聴者の方々の感想から教えてもらいました。 ──堤真一さんと共演されていましたが、現場でお話はされましたか? 鳴海 はい。私が演じたキャラクターは、けっこう感情を吐き出すようなシーンがあって、そのときは堤さんが本当に静かに寄り添ってくださいました。監督ともアプローチについて話しながら撮影に臨んでいたんですけど……堤さんは細かくお芝居について話すというよりは、すごく自然に気持ちを引き出してもらえるような関わり方をしてくださって。 実は私、小学生のころから「好きな俳優さんは誰ですか?」と聞かれたら「堤真一さんです」と言っていたくらい、ずっと憧れていたんです。しかも堤さんは私と同じ兵庫県西宮市の出身で地元のスターでもあるので、いつか共演できたら……と思っていた夢が今回実現しました。 撮影中は悩む時間もありましたけど、堤さんとは地元トークで盛り上がったりして……「あそこの公園わかる!」みたいなお話もできたんです。東京にいるのに、地元にいるような感覚でお話しできて、とても楽しかったです。お芝居の面でも、本当にたくさん引っ張っていただきました。 休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい ──地元トークができるのっていいですよね。ところで、少し仕事からは離れますが、最近ハマっていることや気になっていることってありますか? 鳴海 最近ハマっているのは、休みの日に「あえてグルテンを摂取しに行く」ことなんです(笑)。今、普段はグルテンフリーをゆるくやっているんですけど、完全に摂らないでい続けるというのは無理なので、次の日に撮影がないときは「今日は小麦を摂るぞ!」って決めて、気になるパン屋さんを調べて行くんです。 今はそれがすごく楽しみで……パン屋さんまで散歩して、近くのカフェでカフェラテを買って、公園で座ってのんびりするというのが最近のリフレッシュ方法ですね。ひとりでパンを食べたり、トンカツを食べたり……そういうのが今のささやかな楽しみです。(小麦を)ごほうび感覚にすると、適度に距離感が出ることで、より好きになって。 ──いわゆるグルテンフリー版「チートデイ」的な感じですね! 鳴海 そうです(笑)。おっしゃるとおり、チートデイですね。 ──グルテンフリーを始めて、何か変化はありましたか? 鳴海 そうですね。わかりやすく体重が減りましたし、朝の目覚めもすごくよくなりました。よく「本当に効果あるの?」って言われるんですけど、実際にやってみたら本当でした。おもしろいくらい、如実に効果が出ます。 ただ、普段パンを食べていない状態で久しぶりに小麦を食べると、そのあとすごく眠くなるんですよね。だから仕事に集中したいときは、お米を食べるようにしています。 ──なるほど。今後やってみたいことって何かありますか? 鳴海 私、ひとり旅が好きなんですよ。今年は(忙しくて)ちょっと行けそうにないんですけど……去年や一昨年は海外に行っていて。国内旅行は飛ばして、海外にばかり行っていたんです。でも最近は、時間があまりないなかで「どこか行きたいな」と思ったときに「国内旅行もいいな」と思うようになってきて。やりたいことっていうほどではないかもしれないですけど、今は国内旅行をしたい気持ちが強いです。 ──行ってみたい場所はありますか? 鳴海 今は三重県の伊勢神宮に行きたいです……というか、伊勢神宮の手前にある参道で、赤福のぜんざいを食べたいという(笑)。 東京から三重って絶妙に行きづらくて、なかなか友達とも計画が立てられないんですよね。大阪に帰ってくると、つい実家で過ごしてしまうので、やっぱりなかなか予定に組み込めなくて。なので「ちゃんと見に行くぞ!」って決めないと、きっと実現できないなと思っています。 刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい ──三重、近いうちに実現するといいですね……あと、今後演じてみたい役柄はあります? 鳴海 今までは、自分に近い等身大の役が多かったんですけど、最近は特殊な職業の女性を演じてみたいなと思っていて。実はこの前、とあるそういう感じの役をやらせていただいたんです。その役づくりをしていく中でのプロセスが、すごくおもしろくて。 『あんぱん』だと土佐弁がそうだと思うんですけど、そういう役づくりで必要になる要素があると、自然と役と向き合う時間が増えるんですよね。いつも以上に役と向き合わないといけない。準備をしっかりしないといけないから、役やセリフが自分の中にどんどん染み込んでくる、血肉になっていく感じがあって、それが好きなんです。 これからも、そういう特殊な職業の役に挑戦してみたいです。刑事とか弁護士とか、以前からやってみたいと思っていた役にも……実は今後挑戦させていただく予定があるので、夢がひとつ叶ってうれしいですね。絶対、大変じゃないですか(笑)。もちろん大変だとは思っているんですが、限られた時間の中でどこまで取捨選択して準備できるか、挑戦していきたいと思っていますし、大人の女性の役柄を演じていけたらいいなとも思っています。 ──ありがとうございます。最後に、鳴海さんが出演する『あんぱん』の見どころを教えてください。 鳴海 私は『高知新報』という新聞社のパートに出演しているんですけど、そこは戦後最初のパートになるんですね。なので、すごく自由と活気にあふれていて、熱量の高い場面が続きます。ドラマの制作の方からも「開放感のある、明るいシーンにしたい」と最初に言われていたので、そういうエネルギーを意識しながら演じていました。 それと、(若松)のぶと(柳井)崇の恋が大きく進展するパートでもあるし、私が演じる琴子は、そのふたりの恋のキューピッド的な存在でもあるので、琴子の“愛あるおせっかい”によって、ふたりの恋がどう動いていくのか……ぜひ楽しみにしていただけたらと思います。 ──視聴者が思っているもどかしさを、全部代弁してくれるようなキャラクターですよね。 鳴海 そうなんです(笑)。『高知新報』のシーンは、ちょうど作品としては折り返し地点に入っているところなので、最初から観てくださっていて(のぶと崇の関係性が)「もどかしい!」と思っている方には、「ようやく動く!」と思っていただけるんじゃないかなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「自分と向き合い、自分を知って上手に付き合う」山中瑶子のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 2024年に公開された監督作『ナミビアの砂漠』が、カンヌ国際映画祭で「国際映画批評家連盟賞」を受賞するなどして大きな注目を集めた山中瑶子さん。自身を「サボりやすい」と語る山中監督に、創作の過程やそのサボり方について聞いた。 山中瑶子(やまなか・ようこ) 映画監督。日本大学芸術学部映画学科中退。初監督作『あみこ』が、PFFアワード2017で観客賞を受賞し、ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、ほか多数の海外映画祭に出品された。2024年に公開された河合優実主演の『ナミビアの砂漠』は、カンヌ国際映画祭の監督週間で「国際映画批評家連盟賞」を受賞した。 映画マニアになっていく自分に危機感を覚えて撮った初監督作 ──まずは、改めて映画監督を目指したきっかけから教えてください。 山中 高2の進路調査表が配られた時期に映画にハマっていたことからですね。子供のころから、会社勤めは無理だろうからものを作る分野に行きたいと思っていましたが、ずっと絵画教室で絵を習いながら漫画家やデザイナーに憧れてみたり、建築もいいなと思ったり、興味の移り変わりが激しくて。そんななか突然映画に出会いましたが、高校のまわりに映画館が4つある環境だったのも大きかったと思います。 ──映画にハマっても、監督になれるとまではなかなか思えないような気もします。 山中 昔の海外の大作とかを観ても「人間が作ってるな」という感覚にはなれなかったんですけど、アート系の作品や、ミニマルなフランス映画、2000年代の邦画などを観ていくうちに、作り手が見える気がしてきたんです。カメラの向こうに人がいて、なにやら思想があるようだぞ、と。それに気づいてから、自分でもやりたいし、できるかもしれないと思うようになりました。 ──でも、映画学科に進学後、ドロップアウトしてしまったそうですね。 山中 とにかく朝、起きることができないんです。小学校のころからずっとそうで、大学でひとり暮らしを始めたら、まったく行けなくなりました……(笑)。最初のほうになんとか通っていたときにできた友達に協力してもらって、自主映画の『あみこ』を作ったんです。今なら授業の大切さもわかるのでちゃんと受けておけばよかったと思うんですけど、当時は1年生はひたすら座学というカリキュラムが耐えられなかったんですよね。 ──『あみこ』を作ったということは、映画を撮りたいという気持ちは変わらずあったわけですね。 山中 そうです。学校に行かなくなってからも映画はめちゃくちゃ観ていました。でも、どんどんイヤな映画ファンみたいになっていくんですよ。批評ともいえない批判ばかりが鋭くなっていって、このままだと自分に対するハードルが上がりすぎて首を絞めることになるなと気づいて。それで、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)を目標に脚本を書き始めたんです。 ──結果はどうだったんですか? 山中 観客賞はもらえましたが、審査員からの賞は特にもらえず。入選作はウェルメイドな作品が多くて、自分の下手さに気づいて恥ずかしくなりましたね。技術的なものはあとからついてくるだろうから、大人たちが見ているのはそこじゃないと頭ではわかっていても、もっとスクリーンで観るべきものを作らなきゃなと思って。それで、けっこう気が引きしまったというか、もうちょっとがんばろうと思うようになりました。 ──映画を作ることへの迷いはなかったんですね。 山中 なかったですね。『あみこ』がベルリン映画祭に招待されたのも大きくて。小さい内輪の作品と見られても仕方ないと思っていたのが、意外とそれだけじゃない部分もあるのかなと。それが自信につながったんでしょうね。 我慢して人に合わせなくていいと気づいたら、映画作りが変わった ──映画は人と一緒に作り上げていく以上、結局社会性を求められるんじゃないかと思います。そのあたりの折り合いはつけられたのでしょうか。 山中 『ナミビアの砂漠』までは、まさにその向いてなさを感じていました。やっぱり、監督の振る舞いって正解がないので。どうしたら人に気持ちよく仕事をしてもらえるか、どうしたら思うようなパフォーマンスをしてもらえるか。それって人からは教えてもらえないんですよね。 その結果、自分の性に合わないような振る舞い方もしていました。最初は年齢も若く信頼されていないので、簡単にいうとナメられてしまう。そこでどうすれば自分のやりたいことを相手に具現化してもらえるか考えるほど、居心地の悪い振る舞いをして、居心地の悪い空気になっていく。それがキツかったですね。 ──それは経験を積むことでしか、乗り越えられないんですかね。 山中 場数を踏んで体得していくしかないですね。でも、頭で考えてもしょうがないから、難しいことは考えないようにしようとしたんですけど、コロナ禍になって本当に無理かもしれないと思ってしまって。一切現場の仕事はやらずに自分と密に向き合ったことで、「(監督を)辞めたいかも」と思うようになっていたんですね。ただ、そのあとに少し年上の女性プロデューサーからドラマのお仕事をいただいたんです。 その方は、まわりにどう思われようとまっすぐなところがあって。その姿を見ていたら「これでいいんだ」と勇気づけられて、自分が我慢して人に迎合するがんばり方は、ちょっと違うんじゃないかと気がつきました。それからは、自分でスタッフィングするなど、自分を軸に人と関わるように変えていき、ストレスも少なくなりました。結局、自分が我慢していると場の空気もよくならなくて、みんな楽しめないんですよね。 ──そういった自分なりの仕事の仕方が見えてきたところで、『ナミビアの砂漠』の企画が動き出したのでしょうか。 山中 そうですね。最初は別の原作小説を河合優実さんで撮る企画が進んでいたのですが、自分と向き合った期間があったことで、私ではこの原作をまっとうできないんじゃないかと思い、「降りたい」とプロデューサーに伝えたんです。そうしたら、「オリジナルならどうですか?」とご提案いただき、『ナミビアの砂漠』になっていくという。 ──では、河合さんの出演だけが決まっていて、あとはゼロだった。 山中 そうなんです。アイデアも何もないので、当て書きをする前提で、「インスピレーションを得たいです」と、脚本を書く前に河合さんと何度かお話しました。 ──その結果でき上がった主人公のカナは、河合さんとはまた違ったキャラクターなのではないかと思いました。 山中 実際の河合さんはカナとはほど遠い方だと思うんですけど、カナのことはよく理解できると言っていました。私も私でよくわかるというか、カナみたいな現代の子の精神性は、自分の中にもあると思うんです。物質量も情報量もあふれていて、たくさんの選択肢と可能性を提示され続けているのに、だからこそ自分の欲望がどこにあるのかわからない感じ。それに、ネットで簡単に答えにたどり着けてしまうという気にさせられてしまいがちで、何も楽しめず不全感だけがあるというか。東京特有の特殊さだと思うんですけど。 ──東京で生きていると、特にそうした空気にさらされやすい。 山中 絶対そうですね。情報量の多さは世界でもトップじゃないですか。どんな大都会に行っても、こんなに「これをしたほうがいい」「あれを買ったほうがいい」と社会から要請されないと思います。「でも、本当に自分がしたいことや自分がいらないものを明確にわかっている人って、どれくらいいるんだろう?」といったことなどを考えながら作りました。 ──では、カナというキャラクターには、今の若い世代のいろんな要素が入っているんですね。 山中 そうですね。あと、私は映画を作るときに、ある特定のひとりを思い浮かべて、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」というふうに思っていて。昔からSNSで知らない人を一方的にウォッチしてるんですけど、その中のひとりにカナっぽい感じの子がいて、『ナミビアの砂漠』はその子が観てくれたら大成功だと思っていました。カナについて考えるときも、その子がどう思うかを指標にしていて。 ──漠然とした「お客さん」ではなく、まずはひとりの人に届けばいいと。 山中 お客さんといってもみんなバラバラなので、ひとりの人をイメージして考えることは多いですね。そうやって具体的なひとりの人について考えることで、結局全体のうちの数パーセントに届くんじゃないかと信じてやっています。カナの場合は、直感が鋭くて勘はいいのに、言語にするのが苦手だから人に当たっちゃう。そんなカナみたいな子たちにも届けたいし、そういう子たちを生き生きと描けたらいいなと思っていました。 突飛なアイデアほど、スタッフの意見を採り入れている ──『ナミビアの砂漠』について、ほかに制作中に意識していたことはありますか? 山中 どこに向かっていくのかわからない映画にしたいなと考えていました。他者って何を考えているのかが徹底的にわからない存在だと思うんですよ。観ている人が、カナのことをそう思えるといいなと。結果的に共感してくれる人もいて、それはそれでいいんですけど、作り手としては「どうしてそうなっちゃうの!?」というハラハラドキドキ感は意識していました。 ──たしかに、観ている側としてもカナがどういう行動をして、映画がどこに向かうのかわからないため、ずっと緊張感のようなものがあった気がします。 山中 そういった意味でのエンタメ性やサスペンス性もあると思っていて。トーンとしてはドライなところもありますが、意外とサービス精神旺盛にやってるつもりなんですよね。カナが階段から落ちたり、緊張感のある音が入っていたり。 ──音楽はかなり不穏さがありました。 山中 世界とか社会って冷静に考えると怖すぎるというか、なぜ世の中が回っているのかよくわからないじゃないですか。回っていないとも言えるし。そういった世界の不思議みたいなものは意識していました。音楽の渡邊琢磨さんとも「『この世は不思議だね』っていうことを意識しよう」と話していて、最後のクレジットでは動物が砂漠の水場に集まっている実際の音に合わせて、琢磨さんが作った世界の終わりと始まりみたいな電子音楽も入っているんです。 ──効果的なスタッフワークとしては、カナの脳内のような描写や、部屋のレイアウトが反転する場面など、劇中の印象的なシーンは、スタッフのアイデアを採り入れたものだそうですね。 山中 あとは、「キャンプだホイ」を歌うシーンもスタッフのアイデアですね。後半になって監督の「やってやったぞ!」感が押し寄せてくると言われたこともありますが、全部私のアイデアじゃない(笑)。自分の中に取り込んで出しているので、私のものでもあるんですけど。ただ、そういった一見突飛なアイデアがスタッフから出てくるのは、すごくいいことだと思うんです。そういう提案をしてもらいたかったし、それが気兼ねなく言える環境がいいと思っていたので。 ──作家性の強い作品という印象がありましたが、オープンな現場で意見を交わしながら作っていったんですね。 山中 そうですね。部屋を反転させるのはどうかというアイデアがカメラマンから出たときは、最初「なんで!?」って思いましたけど、一度持ち帰ったんです。理由を聞いてもなんかおもしろい、以上のことはわからなかったんですが、彼がとっさにそう思ったこと自体が大事だから、理屈はあとづけでいいからとりあえずやってみようとなって。もちろん、ちょっと違うなと思ったアイデアは反映しないんですけど、部屋の反転は結果としてだいぶしっくりきていますね。 ──撮影しながらさまざまなアイデアを取り入れていくのは、ダイナミックでおもしろいと思いますが、かなり大変なのではないでしょうか。 山中 決められた脚本をスケジュールどおりに撮っていくだけだと、作業感が強くてあまり楽しくなくて。もちろん、着々と積み重ねて準備してきた部分も大事にはしていますが、『ナミビアの砂漠』の場合は、それ以上に撮影を通じてみんなが感じたことのほうが大事なんじゃないかと思ったんです。 ──『ナミビアの砂漠』は河合優実さんの存在感も欠かせない要素だと思いますが、河合さんとの映画作りはどのようなものでしたか? 山中 河合さんは、カナからはみ出さない範囲で、お芝居を毎テイク変えてくるんですよ。何度も同じ演技ができる俳優も、そのときの気持ちを大事にして毎回変わってしまう俳優もそれぞれ魅力的だと思うんですけど、河合さんはそのハイブリッドというか、そのシーンに最適な領域の中で変えてくるのがおもしろくて。だから、撮影中は河合さんにもカナにも慣れるということがなかったです。 ──立ち姿というか、佇まいが圧倒的に「カナ」だったところにも驚かされました。 山中 撮影前から、河合さんとカナの歩き方を決めたりはしていました。あとは、「今、カナはどういう気持ちでいるのか」「外からどう見えて、内心ではどう思っているのか」など、シーンごとのカナのテンションもスタッフみんなと共有して。河合さんのカナがカナすぎて、スタッフがカナについて語るときに、まるで実際にいる友達みたいに話すのがおもしろかったです。 ──作品の反響については、監督としてどのように感じていましたか? 山中 万人に「おもしろい」「わかる」と言われる映画ではないという自覚はありましたが、それにしても感想がバラバラで。語る人の内面を鏡のように映し出してしまう側面があるというか、その人の価値観がにじみ出てくるような感想も多かったのが興味深かったです。 ──つい自分のことや、自分のまわりにいるカナについて話したくなってしまう。 山中 そうですね。個人的な記憶と結びついて、それが引きずり出されてしまう映画だというのは、いろんな人の反応を見て知りました。あと、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」と思っていたSNSの人にも観てもらえたので、そういう意味では大成功でしたね。 基本サボってしまうので、本当に集中するときは生活から変える ──山中さんのサボりについても伺いたいのですが、ひとりで作業するようなときに、ついサボってしまうことはありますか? 山中 仕事をしている時間のほうが断然短いです(笑)。喫茶店に6時間いても、本当に集中しているのは全体の80分ぐらいの感じで。 ──仕事に集中できていないときは、何してるんですか? 山中 本を読んでいるときはまだよくて、仲のいい友達とやりとりしちゃうんですよ。用事があって連絡しても、話題が用事と関係ない方向に派生していってしまって。あとは、調べものをしているうちに関係ないことを調べ始めたりすることもありますね。でも、やらなきゃいけないことがやれていないこと自体はものすごくストレスなので、そのストレスに対する怒りをバネに仕事を片づけるんです。 ──作業は基本的に喫茶店でやるんですね。 山中 でも、喫茶店で仕事をしなさすぎて、仕事をする場所じゃなくなり始めてます。いくつか店を変えるんですけど結局やらなくて、最近は逆に家でやるようになりました。脚本を書かなきゃいけない時期は、さすがにもっと集中しますけど。脚本の期間は、本気で人に会わないようにするし、やりとりもしません。 ──やると決めたらできるタイプというか。 山中 撮影の半年前ぐらいのせっぱ詰まった段階になると、生活から変えて追い込みます。私の場合、脚本は自分の内面に潜らないと書けないので、外交的なモードだと書けないんですよ。 ──そういった集中モードのときこそ、意識的に息抜きをする必要があると思いますが、ひと息入れるためのポジティブなサボりはありますか? 山中 人に会えないし、仕事と関係のない本を読むようなこともなくなるので、食事だけはすごくこだわります。ステーキとかすき焼きとかパフェとか、普段食べないようなものを食べてエネルギーをつけるんです。逆に普段食べているようなものは好きでも食べない。それがジンクスのようになっていて、普段の自分からは出てこないようなものを生み出すために、普段とは違う自分に変えていくんです。 ──食事が儀式みたいになってるんですね。 山中 ガソリンだと思って食べてるので、息抜きにもなっていないのかもしれません。食べること自体は楽しいんですけど。 ──では、日常モードのときに純粋に心休まるのはどんなときですか? 山中 飼っている猫といるときですかね。もともとは旅行とかも好きだったんですけど、猫がいるし、結局疲れるので全然息抜きにならなくて。今は普通に歯医者に行ったり、整体に行ったりすることで癒やされます。自分をないがしろにせず、大事にしていると思えることでホッとできるというか。昔の自分だったら「ウソつくな!」って軽蔑しそうですけど(笑)。 ──日常の感覚が変わってきていると。 山中 そうですね。以前はホッとする時間があまりなくて。やっぱり趣味でも人と会って話すでも、何をやっていても仕事の役に立ってしまうから、ずっとオンの状態になってしまうのがつらかったんですよ。でも、最近はそれが受け入れられないとか言ってる場合じゃないというか、それもしょうがないなと思えるようになった感じですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「AIによる映像作りは泥臭いが、あれこれ考えながら作る時間が楽しい」宮城明弘のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 AI技術の進化が注目を集め続けるなか、その最前線で活躍するAIクリエイティブディレクターが宮城明弘さんだ。全編AIによるドラマ制作など、AIの可能性と限界を模索し続けている宮城さんに、独学で学んだというAIに対するスタンスや、サボりについて聞いた。 宮城明弘 みやぎ・あきひろ AIクリエイティブディレクター。映像制作会社を独立後、独学でAIを学び、AI技術を活用した映像作品の制作を開始。2025年にはフランス、ベルギー、オランダ、インド、さらにイギリス、アメリカを含む世界各国の大手映像制作プロダクションとの独占契約を獲得し、国際的な評価を確立。全編AI制作のドラマ『サヨナラ港区』(読売テレビ)、AI技術を活用したドラマ『TOKYO 巫女忍者』(日本テレビ)への参加など、AI映像による新たなエンタテインメントを切り拓いている。 株式会社TRUSTAR https://trustar.co.jp/ お仕事の依頼 https://x.gd/twDhO アシスタント募集 https://x.gd/9oghC 独学でAIを学び、1カ月後にはコンテンツで受賞 ──宮城さんがAIによる映像制作を始めたきっかけについて教えてください。 宮城 もともとうちの家系が商社で、そこで営業をやっていたところ、ある人との出会いをきっかけに映像制作会社でプロデューサーをやるようになったんです。それからプロデューサーとして十数年、CMなどを手がけていましたが、一度は自分の力で何かをやってみたいと思い、会社を独立してAIを学ぶようになりました。 ──なぜAIを学ぼうと思われたのでしょうか。 宮城 会社にいたころに、AIの開発をしている若いチームと出会って、AIによる映像を見せてもらったんです。自分のまわりにいる若い映像作家や俳優は、映画を作るにしてもなかなか資金が集められない。でも、その映像を見て、少ない制作費で壮大な演出を入れられるAIの映像なら彼らの役に立てるのではないかと思い、独学でAIについて学び始めました。 ──独学っていうのがすごいですよね。 宮城 自分でやり方を調べて、いろんなツールを手探りで試していたら、わりとすぐに映像は作れるようになりましたね。1カ月後には、AI動画コンテストで賞をいただき、海外からお声がけいただけるようになりました。当時はリアルな人間を描き出すのは難しかったので、受賞作ではキャラクターはゾンビにして、廃墟化した街で音楽を演奏するミュージックビデオ風にして。 ──1カ月ですか……。映像業界にいたという経験によるものもあると思いますが、早くから手応えが得られたことで、AIを軸足に活動されるようになったと。 宮城 いや、AIって価格もあってないようなものなので、なかなかそれだけだと難しかったです。CGほどお金をかけられないところで、「AIならこういうプラスアルファができますよ」とご提案してCMに携わるなど、元の仕事と近いところでやっていましたね。 個別に学習が進むことで、逆に職人的になっていくAIクリエイター ──CMや映像作品内でAIを活用して融合させるのと、AIで独立した映像作品を作ることは、だいぶ勝手が違いますよね。 宮城 まったく違いますね。技術だけでなく映画やCMの作り方、チームワークがわかっていないと難しいんじゃないでしょうか。だから、SNSなどで「CMも映画も、もうAIでできちゃうよね」みたいに言われることもありますが、ちょっと現実がわかってないなと思ってしまいます。 ──そういった現場感も理解した上でAIを活用できるから「AIクリエイティブディレクター」なんですね。今のところほかにない職業というか。 宮城 今まさに『TOKYO 巫女忍者』というドラマをやっていて、その難しさを改めて実感していますね。実写とAIが融合したドラマなので、人間じゃ撮影できないようなシーンをAIで作ったり、LEDスタジオでAIの映像を流して背景にしたり、CGチームと組んでグリーンバックで撮影したり、いろんなチームとのコミュニケーションがあるんですよ。 ──AI映像の場合、テキストで指示してでき上がった映像をチェックしていくわけですよね。作品全体のトーンや色味に合わせたり、各所からのオーダーに対応したりするのは難しそうな気がします。 宮城 AIだと映像を直接調整できるわけではないので、調整の指示を入れても出てきたものを見るまでどうなっているのかわからないんです。何度も指示を入れてはチェックするという、かなり泥臭いことをやっています。 しかも、AIは僕の好みやスタイルを学習しているので、ほかの人に同じプロンプト(入力する指示のこと)をお渡ししても、同じ映像にはならないんですよ。だから、本当はアシスタントと分業したいんですけど、なかなか難しくて。 ──再現性のない技術なので、共有が難しい。なんだか職人みたいですね。逆に宮城さんのAIは学習が進み、宮城さん自身も経験を重ねていくわけで、こなすのは大変ですが、独占状態ともいえそうです。 宮城 たぶん、そうなってますね。おかげさまでスケジュールがパンパンで……(笑)。 フルAIドラマであえて残した「AIっぽさ」 ──宮城さんがAIによる作品を作り始めたときは、具体的にどのように作られていたのでしょうか。 宮城 僕はプロンプトにChatGPTは使わず、全部自分で打ち込みます。それを一度英語に翻訳して、AIに落とし込むんですけど、そこで「この要素が足りない」と思ったときに、ChatGPTを使うんです。そこからよけいな要素がついてきたら減らして、といったことを繰り返します。最初は毎日のようにInstagramに作品をアップしていて、1〜3分の映像を2時間ぐらいで作っていました。映像と音楽だけでオリジナルを作るぶんには簡単なんですよ。 ──キャラクターにしゃべらせたりするとなると、また難しくなってくる。 宮城 そうですね。AIで音声から口の動きを生成することを「リップシンク」といいますが、なんとなく声とズレを感じるというか、まだまだ気持ち悪くなってしまうところがあって。だから、自分ではあまりしゃべる作品は作らず、ドラマでもセリフのないシーンをいかに壮大に見せるか、といったところに力を入れています。僕の場合、そもそも全部AIでやろうという発想があまりないんですよ。結局、映画監督やカメラマンとおもしろいことがしたいので、入口から違うというか。 ──そういった意味でも、宮城さんが「AIの可能性と限界を探る」と言っていた、全編AIのドラマ『サヨナラ港区』は、すごく実験的な試みだったんですね。 宮城 『サヨナラ港区』ではリップシンクは使わず、映像はフルAIで、声優さんにアフレコしてもらい、脚本は読売テレビの汐口(武史)プロデューサーに書いてもらいました。可能性としては、日本ではなかなかやれないような壮大なSF・アクションができるのではないか、という点がまずあって。 ほかにも背景としてAIを活用したりすることには可能性を感じましたが、人間を描くのはまだまだ難しいですね。あとは、どうしても映像に破綻が生じてしまう。さっきの場面であったものがなくなってしまったり、そういったところで一貫性を持たせるのが難しかったですね。 ──「初のフルAIドラマ」という点だけでも、価値というか、話題性はありましたね。 宮城 許可取りにはだいぶ苦労されたと思うんですけどね。権利や著作権の問題については、まだ法も整備されていない状態なので、弁護士さんに入ってもらいながら、いろいろと調整していきました。 ──AIっぽさはあるものの、あそこまで人間を描くことができることに驚きました。 宮城 AI感はあえて残しているんです。実写とは違う次元のリアルを目指したというか、AIであることを意識して観てほしくて。本当は炎上してほしかったくらいなんですけど、炎上はしませんでしたね。逆に業界での評価がわりと高くて、テレビ業界、映画業界の方からバンバン連絡が来るようになりました。 AIは新しい映画やドラマを作るための技術の一部でいい ──AIの利用については法の整備などが追いついていないとのことでしたが、実際にさまざまな議論が起こっていますよね。AIにまつわるルールや倫理について、宮城さんの考えを聞かせてください。 宮城 法が整備されていない以上、自分でできることをしっかりやるしかないと思います。まず著作権を守るための大前提として、プロンプトにタレント名や「東京タワー」といった建物の名称などは絶対に入れません。また、生み出したキャラクターについてもネット検索にかけて、酷似した人物がいないか確認しています。 AIを利用し、開発する側も、このままにしていると「結局、AIって何かのコピーでしょ」「倫理的に問題があるから使えないよね」といったイメージばかりが広がって、自らの首を絞めることになる。だから、僕ひとりじゃどうにもなりませんが、不正な利用の撲滅を訴えてはいるんです。でも結局、世界基準の法を整備することが一番なんですよね。AIによる著作権侵害について複数の出版社が抗議声明を出しましたが、法がないとそこで止まってしまいますから。 ──法以外にも、AI業界にはこれから作り上げていくべきものが多いかと思います。宮城さんが何か課題として意識されていることなどはありますか? 宮城 これからAIを扱っていく子供たちに、いち早くAIに触れてもらいつつ、権利関係などについても学んでもらいたいと思い、ボランティアでAIについて教えています。でも、子供の発想は僕らとはまったく違うので、逆にこちらがインスピレーションを受けることも多くて。今、僕の中で一番センスがいいAIクリエイターは、そこで出会った高校1年生ですから。 ──人材を育てていけば、AIによるクリエイションも職人的なものから産業的なものへと変わっていくかもしれませんね。 宮城 そのために、スタジオを作ろうとも考えているんです。あとは、アカデミー。アカデミーでAIクリエイターを育成して、そこから優秀な人材がスタジオに入ってきてくれるようになったらいいかなと。 ただ、僕が最終的にやりたいことは、お話ししたようにフルAIというわけではないんです。素晴らしい写真や映像を撮れるカメラマンやCGチームと一緒に、新しい映画やドラマのかたちを作っていきたい。リアリティを求めているクリエイターたちの一部に僕がいるようなものづくりのほうがおもしろいと思うんです。そのための仲間が集まるようなスタジオにしたいですね。 若い世代にAIを教えることが、リフレッシュであり希望になっている ──スケジュールがパンパンとのことでしたが、宮城さんにとっての息抜きのようなサボりは、どんなものがあるのでしょうか。 宮城 コーヒーを飲みながら、YouTubeなどで映像を観ることですかね。「調べ物ですよ」みたいな顔をしてますけど、サボってるといえばサボってますね。家にいるときは、料理が息抜きになっています。「これを足したらどうなるんだろう?」とか考えながら作っているのが、けっこう楽しいんですよ。 ──プロンプト作りみたいですね(笑)。 宮城 そうですね(笑)。料理はけっこう近いものがあるかもしれません。あとは、ボランティアで学生たちに会う時間も、自分にとってはリフレッシュになっていると思います。学生たちはAIクリエイターになりたいわけではないので、僕らとは違う感覚でAIに触れているのが新鮮なんです。刺激を受けたり、何かを吸収したりすることができる、ありがたい場を設けていただいているなと。 ──そういった学生たちは、AIをどう活用しようとしているんですか? 宮城 今の学生たちって、社会貢献をすごく意識しているんですよね。緑を増やした街をイメージするとか、社会貢献につながるような発想が多くて。自分が10代のときは、社会についてまったく考えていなかったなと思うんです。だから、すごく頼もしいし、教えがいもありますね。ほかにも、先生になってAIを教えたいという子や、歌手になりたくて自分でMVを作る子もいて、それぞれ違いがあっておもしろいんですよ。 ──都市計画の専門家になって、AIを使って新しい都市のイメージを作るとか、いろいろな使い方があるわけで。宮城さんのもとで学んだ学生たちが、どうAIを活用してくれるのか楽しみですね。 宮城 だから、子供のころからAIに触れておいたほうがいいと思うんですよ。若くてセンスがある子を育てていけば、どんどんおもしろいことになっていくなと感じています。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「ポップで軽いノリの作品も、本気で作って、上手にサボる」亀山陽平のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 2025年に放送・配信されるや、SFなのに懐かしさを感じるビジュアルや、ナチュラルな会話などが大きな話題を呼んだショートアニメーション『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』。全12話の3DCGアニメをほぼひとりで作り上げ、映画版として再編集・新作パートも加えた『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』の公開を控える亀山陽平監督に、作品作りの背景や、ちょっとしたサボりについて聞いた。 亀山陽平 かめやま・ようへい 2016年、欧米スタイルの手描きアニメーションを学ぶためにアメリカに留学。2019年、欧米では手描きアニメーションが主流ではなくなっていることや、Dに興味を持ったことから、大学を自主退学し帰国。専門学校生時代の2022年、個人制作兼卒業制作として作ったショートアニメーション『ミルキー☆ハイウェイ』を公開。同作が評判を呼び、2023年に『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』の制作を開始し、2025年に放送・配信された。2026年2月には同作を再編集し、作パートを入れた『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』が公開される。 ビジュアルは派手にしつつ、ストーリーは地に足をつける ──『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』のSFなのに懐かしさや親しみを覚える世界観、ナチュラルに会話する等身大のキャラクターといった世界観は、どのように生み出されたのでしょうか。 亀山 世界観は、「ビジュアル的に映えるかどうか」で決めています。だから、設定よりも見た目優先なんです。取っつきづらくなさそうなビジュアルにして、設定をあとづけしていくような感じですね。 (C)亀山陽平/タイタン工業 ──『ブレードランナー』(※1)の世界観を意識されている部分があると聞きましたが、一方で本作ならではのポップさも感じられます。その点で影響を受けた作品や世界観などはありますか? 亀山 高校時代に『ルーニー・テューンズ』(※2)にハマっていて、あのごちゃごちゃ感、ビジュアルのかわいさみたいなものは、原点としてあるかもしれないです。 ──宇宙暴走族のカナタが、電流を受けて硬直してしまうシーンなどはルーニー・テューンズ感がありますね。 亀山 たしかにありますね。そういうポップそうでちょっと泥臭い感じもあるのは、ギャップでインパクトを持たせようとしているからなんです。警察官が宇宙っぽくない制服を着ているのも、「ポップなの? ポップじゃないの?」という謎感を出そうしているところがあるかもしれません。 ──また、つまはじき者のキャラと宇宙という世界観を持つ作品として、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(※3)も想起されました。 亀山 予告編で心をつかむという意味でビジュアルのリファレンス(参考資料)にはなっていますが、特別好きな作品というわけではないんですよね。同じジェームズ・ガン監督の作品なら、『スーサイド・スクワッド』(※4)とかのほうが好きですね。残酷描写といった監督独自のテイストを存分に発揮しているので。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は、自分の中で感情移入できる要素が少ないというか、入り込める隙があまりないんですよ。 だから『ミルキー☆サブウェイ』のストーリーは、暴走した列車からなんとか帰ろうとする程度の危機が起こるくらいでいいと思ったのかもしれません。小さいころ、まだ電車に乗り慣れていなくて、間違った電車に乗って軽くパニックになるようなイメージというか。そのくらいわかりやすいほうがいいような気がします。 ──SF的な設定の壮大さがありつつ、ストーリーは大風呂敷を広げない。そういった地に足のついたバランス感が、親しみやすさを生んでいるんでしょうね。 亀山 ビジュアルが派手なぶん、演出やストーリーで地に足のついた部分を残すことは強く意識しています。『スター・ウォーズ』の1作目(エピソード4/新たなる希望)も、宇宙が舞台のSFだけど、序盤に農場で育った主人公が人生に鬱憤(うっぷん)を感じて夕日を眺める描写があって。ああいった感情移入できる瞬間があることは、やっぱり大事だと思いますね。 (※1)1982年に公開された、リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演のSF映画。ディストピア(荒廃した未来社会)を描く「サイバーパンク」と呼ばれるジャンルを代表する作品で、長きにわたり愛されている (※2)アメリカのワーナー・ブラザースが製作するアニメーションシリーズ。バッグス・バニーやダフィー・ダック、トゥイーティーといった人気キャラクターを生み出した (※3)ジェームズ・ガン監督による、「マーベル・コミック」の実写映画シリーズ。銀河のお尋ね者がヒーローチームを結成し、宇宙の危機に立ち向かう (※4)「DCコミックス」の悪役キャラクターたちがチームを結成するアクション映画シリーズ。ジェームズ・ガン監督作品は、2021年公開の『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』 ネタだったはずの日常描写が、作品にリアリティを生んだ ──『ミルキー☆サブウェイ』といえば、亀山監督がほぼおひとりで制作されている点も注目されていますが、そういったスタイルのこだわりについても伺いたいです。 亀山 ひとりでやってよかったのは、自分の中で正解だと思ったアイデアをそのまま採用できたことですね。グループになるとアイデアが受け入れられなかったり、意図が伝わらなかったりすることもあると思いますが、自分にとっての正解をストップがかからずにやれたことは、強みになっていたんじゃないかと。 ──その結果、監督の個性やスタイルも感じられる作品になっているんでしょうね。 亀山 キャラクターにアニメっぽくしゃべらせない、セリフを被せるといった、聞かせるためではないセリフを作る演出は、自分のスタイルとして理解されているのかなと思います。これも地に足のついた表現のひとつなんですけど。 ──セリフの演出は、この作品の個性やリアリティのポイントですよね。ほかにリアルな人間臭さを生むための演出として、うまくいったところはありますか? 亀山 カートとマックスというキャラクターがゲームをプレイしているときに、主人公のチハルとマキナから話しかけられるんですけど、その途中でゲームが盛り上がって会話を中断してしまうシーンは、個人的にもうまくできたなと感じています。実際にそういった場面はよくあるし、「なんかこいつらイヤなヤツらだな」と思ってもらえるような描写にもなったかなって。 マックス(左)とカート(右) (C)亀山陽平/タイタン工業 ──カートとマックスが鏡の前で髪を整えたりしているのも、日常で見かけた場面を取り入れているそうですね。 亀山 そうですね。だから、共通の日常演出があるというよりは、普段の生活の中で「こういう瞬間ってあるよな」と感じたことを、場面に応じてキャラクターにやらせているような感じですね。それも最初はギャグのつもりでやっていたんです。「サイボーグに髪整えさせるんかい!」みたいな。ただ、結果的にそれが「この人たちって実際にいそうだな」と思ってもらえるような現実感や、自己投影のしやすさ、この世界の説得力にも寄与していたんじゃないかと思います。 ──食堂車に懐かしい食品の自動販売機が登場したりするのも、ネタといえばネタですけど、リアリティや親しみやすさを生んでいて、作品世界をより豊かにしているのかもしれませんね。 亀山 そういう点では、ニール・ブロムカンプ作品の存在は大きいです。『第9地区』や『エリジウム』といった映画の監督なんですけど、そのSF描写が衝撃的で。カッコよくないけど、なんだか見たことがあるようなガジェットが登場するんです。画的な映えよりも、細かい設定ありきでビジュアルを作り込んでいる。それが「ここまでやっちゃうんだ」というギャグにもなっているし、世界観の説得力にもなっているので、ブロムカンプ作品はビジュアル的にすごく好きなんですよね。 軽いノリは大事だけど、手を抜いていいわけじゃない ──『ミルキー☆サブウェイ』には、よりストレートなオマージュもありますよね。 (C)亀山陽平/タイタン工業 亀山 それはハリウッド映画の影響ですね。マーベル作品などはそういったオマージュがたくさんあって、向こうのオタクの人たちがひとつずつピックアップして説明している動画を観るのが好きで。 あと、背景の要素として、看板などにはどうしてもテキストを入れなきゃいけないので、そこは小ネタとして何かを想起するようなものを入れたほうが、観ていておもしろくなるんじゃないかと。 ──その遊びの部分は、純粋に監督の好みだったりするんですか? 亀山 何を入れるかは大事だと思っています。日本のアニメでもそういう文化は広がっていますが、「なんで今それを入れたの?」と疑問を抱かれてしまうのはよくないと思うんです。ただオマージュすることをおもしろがるだけじゃなくて、なぜそれをするのかといったテーマの部分も重視したほうがいいというか。自分でもそれがちゃんとできているかというと、怪しいところはあるんですけど。 ──では、作品における必然性とは関係なく、監督個人の趣味やノリが出てしまっているような部分はあまりないのでしょうか。 亀山 いや、現場のノリでやってしまうこともあります。あくまでエンタメ作品なので、日常の息抜きとして気軽に観てほしいという気持ちもあって。肩に力を入れて観なくてもいいような、ポップさやノリの軽さも大事にしています。ただ、作っているときの姿勢は軽くなってはいけないので、しっかり作って完成度を担保することも大事で。 ──そこはやはりバランスですよね。ひとりで作りながら客観性も持たなくてはいけない。 亀山 だから、軽いノリは大事だけど、手を抜いていいわけじゃないんですよね。軽いノリを本気でやっているからこそ、「何に本気を出しているんだ」というギャグにもなるわけで、映像はできるだけ気合いを入れてやらなくてはと思っています。 うまい手の抜き方というか、そういう演出もあるので、本当にさじ加減によるんですけど。アニメの『ぼっち・ざ・ろっく!』とかはそれがうまいですよね。3Dではなく作画だからこそ、描き込まないことによるギャグ演出があったりして。3Dだとデフォルメのようなことはできないので。 ──急にラフなタッチでゆるくキャラクターが描かれるような演出ですよね。たしかに3Dでは難しそうです。ただ、『ミルキー☆サブウェイ』に登場する警察署のキャラクター人形の古びた味などは、3Dだからできる質感の演出なのかなと思いました。 亀山 正直、古びた質感を出すのはそんなに難しくなくて。むしろ、新品でピカピカしているものに重厚感を出すほうがテクニックはいるんです。3Dだと安っぽく見えてしまうので。 もっと『ミルキー☆サブウェイ』の世界を広げていきたい ──映画用にショートアニメシリーズを再編集された『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』も公開されますが、何か意識されたことなどはありますか? 亀山 再編集ではあるので、映画用の演出を組むようなことは難しかったんですけど、そのぶん、映画として1本にまとめたときに違和感なく物語が流れていくよう、構成に注力しました。構成的なつなぎとして、警察側のパートを入れているんです。 新たなシーンに登場する警察官・アサミ (C)亀山陽平/タイタン工業 ──映画版になるほどの反響があったわけですが、作品を世に出したことで感じたことなどはありますか? 亀山 テレビ放送やYouTubeでの配信がされたとき、1話3分半で12話分を毎週放送することが世間にどう受け取られるか、まったく想像がつかなかったんです。「3分半のエピソードのために、みんな1週間も待ってくれるのだろうか」と思ったりして。でも、みんなほかのアニメと変わらない感じで楽しんでくれたので、そこはちょっとした衝撃でした。 ──どんなリアクションがあったのでしょうか。 亀山 ファンメイドのマンガをSNSに上げてくれたりしたので、キャラクターの日常にまで想像を広げてもらえるくらいの魅力は出せたんだなと思いましたね。ファンメイドのマンガの中にはキャラクター描写がうまくて、「俺、こんなセリフ書けないかも」と思うようなこともあって、勉強させてもらっていたくらいです。 ──それも、個々のキャラクターの魅力あってのことですよね。 亀山 そうですね。でもこの作品の世界って、まだ警察署と列車しか描けてないんですよ。だからこちらとしても、あのキャラクターたちの普段の生活みたいな、新しい映像を出せていけたらいいなと思っています。 ──「ミルキーユニバースシリーズ」がまだ広がる可能性があるということですね。楽しみです。 亀山 ノリで作った世界なだけに、ちゃんと設定を決めていかないとどんどん矛盾が出てきてしまうので、そこから考えるのは大変ですけどね……(笑)。でも、それも作品を観てもらってこそできることなので、ありがたい限りです。 ──ちなみに、ほかに興味のあるテーマや設定などはあるんですか? 亀山 時代劇が好きなので、いつかやってみたいですね。歴史考証が大変な上に、観る人も歴史を把握していないと深く楽しめない部分もあるので、エンタメとして成立しづらいジレンマはあるんですけど。でも、みんな侍とか刀とかは好きじゃないですか。だから、「擬人化した動物たちによるポップな時代劇ならエンタメとして成立させられるかな」とか、そういったことはずっと考えています。 自転車をこいでいると、アイデアが降ってくる ──監督のサボりについても伺いたいのですが、仕事に追われるなかでついサボってしまうようなことはありますか? 亀山 よくないかたちでサボってしまっていて。今、サボれる時間って食事のときぐらいしかないんですけど、「これが終わったら、また仕事に戻らなきゃ……」と思うと、ついダラダラ食べてしまって、体重も増えていく、みたいな(笑)。ただ、うまくサボらないと集中力は生み出せないので、サボりの時間は必要だと思います。だから、何分働いて、何分休む、みたいに、ちゃんと時間を決めてサボりたいですね。 ──「ポモドーロ・テクニック」(※5)みたいな感じですかね。 亀山 たぶんそれですね。漫画家さんのワークスタイル動画を観て、そういうのをちゃんとやっていきたいなと思っています。 ──ノってきているときに作業を中断することへの抵抗はないんですか? 亀山 ノってきたところで止めるぐらいのほうが、本当はいいのかもしれないです。客観的に仕事を見直す時間が定期的にあったほうがいいので。今は、グッズやコミカライズの作業もあったりして、一日一日を大事に生きなきゃいけない状況ではあるので、サボりについても最適な手順を勉強したいです。 ──では、リフレッシュできるような、息抜きの瞬間はどんなときですか? 亀山 毎日のように自転車で近所のスーパーに通っているんですけど、自転車をこいでいるときはいいアイデアがたくさん浮かんできます。やっぱり有酸素運動は大事なんでしょうね。ずっと部屋にいると、どんどんよくない状態になっていくので。気分も明るくなるし、アイデアもしっかり出てくるので、運動は優秀だなと思います。 ──スーパーでの買い物も、けっこう気が紛れるんじゃないですか。 亀山 そうですね。ただ、あまりにも食材のことに頭が行きすぎて、戻ってこられないこともあったりします(笑)。「大根、そろそろなくなるかな」とか、けっこう考えることがあって。 ──買い物も意外と忙しい。 亀山 そうなんですよ。でも、スーパーで見かける人にもキャラクターのヒントはあったりするので、地に足のついた世界を描くなら、日常的な生活の時間も持っていないといけないんじゃないかなと。やっぱり世捨て人みたいになってしまうと、人が観て共感できるような話は作れないような気がします。 (※5)タスクを25分(1ポモドーロ)ごとに区切り、5分休憩を挟み、4ポモドーロごとに長めの休憩を取る時間管理術 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』2026年2月6日(金)公開 (C)亀山陽平/タイタン工業 『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』を再編集し、新作パートを加えた映画『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ 各駅停車劇場行き』が全国の映画館で公開。 https://milkygalacticuniverse.com/movie/
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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祖母のために買い続けていたパンとお惣菜。“移動式祖母の家”になった夜(瀬戸璃子)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 瀬戸璃子(せと・りこ) 2001年6月10日生まれ、24歳。食べることをこよなく愛する俳優、モデル。2023年にボックスコーポレーションに所属。モデルでは「ピンクハウス」や「シープ」のビジュアルを担当、映画『ボウル ミーツ ガール』で主演を務め、MOOSIC LAB 2025にてベストアクター賞、第19回札幌国際短編映画祭にて最優秀国内作品賞を受賞。2025年8月は舞台『七つ数えて』(新宿シアタートップス)に立ち、2026年2月公開の映画『結局珈琲』に須藤役として出演。MOOSIC LAB 2026には『結局珈琲』に加えて、主演・矢吹ことり役を務めた“しどろもどり”最新作『床一面こんな感じ』と、主演・田中揚羽役を務めたマツモトタクロウ監督作品『ペキ・ペキ・ペキ』の3作品が上映される。 Instagram:@umauma_bot 駅から家に帰る途中に祖母の家があった。ひとり暮らしで心配だからというのもあったけど、高校や大学からの帰りに夜ご飯を2回食べたい日や甘やかされたい日、お小遣いが欲しい日に寄っていた。 いつも突然行くから「これしかないわよ」と言って、パスタを茹でてくれたり「Tさんに教えてもらったピンチ料理のワンタン麺よ」(すぐできる料理を祖母はピンチ料理と呼んでいた)と私に提供してくれていた。 お買い物好きでおしゃれ好き、お出かけ好きな祖母に、自由が丘や近所にあるあらゆる百貨店、博品館とかによく連れて行ってもらっていた。 歩いていてちょっと左のほうのコンビニとかお店を見てると、「何が欲しいの? 早く買いなさい!」という感じの買ってあげたい症候群の人だった。大して欲しいものがなくてもかなりしつこく聞いてくるから、とりあえずメントスグレープを買ってもらったりしていた。 気づくと祖母は歳を取って、脳梗塞を2回か3回、骨盤の骨を1回折っていてひとりで暮らせなくなる、歩けなくなると言われた。 入院した祖母を父が見舞いに行くと、看護師さんに見守られながらひとりで歩いて父に向かって手を振ったそうで父が「宇宙人かと思った」と言っていた。そのくらい自分が歩けなくなるなんて夢にも思っていないタイプの人だった。信じることってすごいな。 とはいえ、いろんな病気とケガを経てひとりで暮らせても、ひとりでは出歩けない身体になっていた。 お出かけ好きでグルメで世話焼きな祖母にとって、出かけられないのは相当なストレスがかかっているように見えた。だからなるべく合間を縫って、週に3回くらいおいしいパン屋さんのパンとかお惣菜とかを届けて、月に1回は近所の歯医者さんに散歩がてら引っ張り出すお出かけをしていた。 大学生で遊びたい盛りだった私にとっては、「歩けなくなって本当に不自由、つまらない。早く祖父のところに行きたい」と話す祖母との時間は退屈で、私も時間を割いて来てあげているのにそんなふうにつまらないとか、早く行きたいとか言うなよとイライラした。 ある日、「パンを届けに今から行くね。家いる?」と連絡をしたら返ってこず、私にも都合があるのにどうして今家にいるのか教えてくれないのかとイライラして、ものすごくイライラしながら祖母用のパンを5つ見繕った(不定期でおじいちゃんおばあちゃん介護の会みたいなやつに車で連れて行ってもらう日があった)。 パン屋さんで大学の課題をしながら、お茶をして連絡を待った。そのあと連絡も返ってこないし、だいぶ外も暗くなっていたのでいよいよプンスカしながら(頼まれてもないのに勝手に届けてるのにプンスカするのも変な話だが)祖母の家をピンポンした。 何回ピンポンしても出てくれなくてLINEも返信くれなくて、祖母の身に何か起こったんじゃないかとやっと気づいた。実家に連絡して祖母宅の鍵を母と妹が持ってきて、「おばあちゃんいる? 開けるからね?」と叫びながら開けたら、祖母が倒れていた。 看護師のたまごの妹が心臓マッサージをして、私が救急車を呼び、母が祖母に声をかけていた。 あれよあれよといううちに病院にいて、死んだと告げられ、兄やいとこ一家が来たりして、最後に父が来た。母の配慮で父には直接安否を伝える連絡はせず、父が来た瞬間どんなリアクションをするだろうと考えながら過ごしていた。母親が死ぬってどんな感じなんだろうなとか妄想していた。泣くかな?とか。 父が来て、見たことないカエルみたいな笑っているのか緊張しているのかわからない顔をして開口一番「しんだ?」と言った。父らしいなと思った。気が抜けてみんな笑った。 自宅で亡くなったから一応検死したりなんだりで気がついたら4時になっていた。ほぼ朝。祖母に買った5つのパン類を見ていられなくて、祖母を思いながら家族みんなが寝た家で、ひとりでパンをバクバク食べた。5つ全部バクバク食べて、悲しいとかもよくわからずに疲れたなと思って眠った。 死んだあとも火葬されるまでは毎日祖母に会いに行ったりして、火葬されるときもいまいち実感が湧かなかった。葬式やもろもろを済ませて、家を売ることになった。 なんとなく家にあいさつするかと思って、友達と遊んだ帰りに祖母宅を訪れた。たぶん25時とかだったと思う。 祖母の家に入って、リビングに着いて、三つ指ついて「ありがとうございました」って口に出した瞬間、やっと祖母がいなくなった、いなくなるって気がついて涙が止まらなくなった。泥だらけになって遊びに来ちゃった小さい私たちの思い出から、お泊まりしたときに「マッシュ(マッシュポテト)にする?」と毎回確認してきたことや、キレートレモンが好きと言ったらいつ行っても6瓶セットで置いてあったこと。反抗期の私のシェルターになってくれた思い出や、祖父に買ってもらったというアクセサリーたちを毎度お決まりのエピソードつきで100回くらい見せてきたことや、晩年愚痴ばかり言って、気づけばキレートレモンも買えなくなっていた祖母から、歩けなくなっても私をもてなそうとしきりにお寿司を取ろうとした祖母、何から何まで急に思い出してしまって。 プンスカしながら勝手に届けて祖母を助けているつもりだったけど、救われていたのは私だったと気がついた。身体の悪くなった祖母のエンタメ枠として訪れていたつもりだったのに、あの時間に私はこの家で無意識に甘え散らかしていたのだと実感した。 なんかよくわからないけど、申し訳ないとか恥ずかしいとかもう甘えられないとか話せないとか後悔とか感謝とかごちゃごちゃになった。 思い出は場所に宿るんだって改めて気がついて、その場所が売りに出されるってことは祖母がいなくなるってことで、悲しかった。夜も遅いしここで泊まって帰ろうかと思ったけど、祖母死んだ場所だしいないし(思い出は場所に宿るんじゃないのかよ)、怖いし素直に帰宅した。家までがものすごく長く感じた。歩いても歩いてもたどり着かないし、着きたくなかった。でも、すぐ着いた。 あれから2年以上経った。相手のためって思ったことはだいたい自分のためになってるっぽいから、いい意味でなんも考えずに気負わず素直に生きられるようになった気がする。祖母がいなくなって甘える場所がなくなったぶん、帳尻合わせるように生きやすくなった。 今、お墓よりも私に祖母が宿ってる気がする。私が“移動式祖母の家”になった夜だった。 文・写真=瀬戸璃子 編集=宇田川佳奈枝
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ちっぽけな後悔に涙する、みじん切り大会が開催された夜(中島侑香)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 中島侑香(なかしま・ゆうか) 1999年1月19日、愛知県生まれ。2019年より女性ファッション誌『JJ』を中心に活躍。2022年には映画『名もなき一篇・東京モラトリアム』で俳優としてのキャリアを本格始動。2023年には『なのに、千輝くんが甘すぎる。』で商業映画デビューを果たし、以降『朝をさがして』『祝日』『チャチャ』(2024年)など、話題作への出演が続く。テレビドラマでは、『あなたがしてくれなくても』や『イップス』(ともにフジテレビ)、『ザ・ロイヤルファミリー』(TBS)などに出演。 忘れられない夜。忘れたい夜。 忘れたくない夜。忘れた夜。 ああ、久しぶりにあの夜を思い出した。 「私は心を落ち着かせるとき、野菜をみじん切りにします」 特にそれが始まるのは夜。 夜は、ちっぽけな悩み事が“人生最大の危機”みたいな顔をしてやってくる。 そんな危機から私を守ってくれるのが、みじん切りなのだ。 たとえば新しい作品のクランクイン前夜。ついこの間もプレッシャーに負けじと大量の野菜をきれいな四角に刻んだばかり。 「あれ、“みじん切り”はいつから始まったんだっけ」 この仕事を始めてもうすぐ7年。7年前はみじん切りをしていなかった。20歳の私は自分を守る術なんてまだ知らなかったし、どんな心配事も、根拠なき大自信で乗り越えられていた。20代をドタバタと生きている間に、みじん切りという護身術を習得していた。 大人になるということは、自分を守れるようになることなのでしょうか。 2年前のあの夜。 とあるちっぽけな後悔が、“人生最大の危機”の顔をしてやってきた。 初めて主演を務めた映画の撮影終盤、帰りの電車で乗った駅から降りた駅まで涙した日があった。自分の演技にどうしても納得がいかなくて悔しかった。 そういうとき、目の前に座っていた会社帰りの男性、隣に座っていた高校生ふたり、止まる駅まですべてが、私の陰口で大盛り上がりなんじゃないかって本当に思ってしまう。 こうなったら涙は止まらない。もはやすべて流れ出てしまえ状態。大人になったら涙くらい止められると思っていたのに。 撮影現場に居合わせた人はそこまで大事に思っていなかったみたいだが、どうしても自分だけが自分を許せないときがある。 家に帰ると、すぐさま冷蔵庫を開けて入っていたすべての野菜をキッチンに並べた。 緊急みじん切り大会の開幕だ。 次の日もその次の日も映画の撮影は続くのに、ぐちゃぐちゃになったこの心で明日には行けない。 ならば、みじん切りをするのみ。(心の声になるとヒーロー調になるわけではない) まずは玉ねぎ2個。ザクザクとみじん切りを始める。 くう、目にしみる。もうなんの涙なのか訳がわからなくなって、ちょうどよかった。 次はにんじん。にんじんしりしり用に買ったものだが、今夜は例外。 そして茄子。絶対に揚げ浸しが食べたかったけれど、今夜はみじん切りになっていただく。 トントンザクザク。 カラフルのきれいな四角がどんどん生産されていく。 ぼーっとしながら次の野菜を手に取りザクリ。 うっかりブロッコリーのモサモサ部分に包丁を入れてしまった。「元みじん切りの集まり」みたいなブロッコリーはたちまち崩れて、また少し落ち込む。今宵の私は面倒だ。 冷蔵庫にそれを戻して、みじん切りに戻る。 だんだんと、「ジャガイモの芽に含まれている“ソラニン”そんな響きで毒なのはズルい」とか、「ついでに万能ねぎ刻んで冷凍しとくか」と順調に頭の中が野菜で埋もれていった。 キッチンに積もったカラフルの四角は、立派なものだった。 2、3歩下がってつい眺めた。腫れぼったい目の奥がにんまりとする。 「よし」 深呼吸をし、いってらっしゃいと野菜たちをフライパンに進ませる。 ポイントは弱火で大切に炒めること。せっかく刻んだ悩み事を粗雑に扱ってはダメ。 大切に向き合えば、あんなに泣かされた玉ねぎも狐色になり甘くなる。 それから少しの水で伸ばし、ルウを溶かして完成。 私の“人生最大の危機”は、キーマカレーになった。 浮かない顔した私よ。後悔や悩み事は、今日中に刻んで食べてしまえ。 もちろん、みじん切りをしたって、どんなにおいしいキーマカレーができたって、解決しないことだらけなのはわかっている。だってみじん切りをしているだけだし、キーマカレーがおいしいだけだから。けれど、「みじん切りをすれば大丈夫」というおまじないの効果は絶大だった。本当に、すごく。 それに、人生最大の危機なんてやっぱり大げさだった。 どうでもいいことがどうでもよくなくなったり、このまま夜に閉じ込められてしまう気がしたら、全部夜のせい。(あまりにも眠れない日「誰でも眠れる催眠術」という動画を観終わったことがある) 寂しがり屋で、時々私たちにいじわるをする。夜はひとりぼっちなのかもしれない。そう思うと途端にかわいいやつめ、とも思えた。 ついこの間、プラネタリウムに行きたくなり、レインボーブリッジを越えお台場へ。 谷川俊太郎さんの『夜はやさしい』という作品に出会った。 地球上のさまざまな場所から見える星空と音に包まれて、世界がぐんと横に広がった。夜の優しさが少しだけわかった気がして、ビルみたいなガンダム立像を見上げながら、自動販売機で買ったコーンスープでホッとした日を思い出した。 最後に。今まさに真っ暗な夜にひとりな私とあなたへ。 真夜中にキッチンの暖色灯ひとつでザクザク四角を生産する大人が今どこかにいます。 泣きながら、怒りながら、みじん切りをしています。 夜はひとりぼっちだらけです。ひとりぼっちが集まれば大人数です。 みんなでみじん切りをしましょう。 そしたら暖かいお茶でも飲んで、おやすみなさい。 文・写真=中島侑香 編集=宇田川佳奈枝
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母がいなかった、味のしない「サッポロ一番塩らーめん」を食べた夜(吉宮るり)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 吉宮るり(よしみや・るり) 東京都出身。2016年にデビュー。声優としてアニメやライブなどに出演。現在は『アサルトリリィシリーズ』や、『けものフレンズ JAPARI STAGE!〜きみのあしおとがまたきこえた〜』など舞台にも出演し、2025年3月には自身初のミュージカル『インサイド・ウィリアム』にジュリエット役で出演した。2025年10月気象予報士合格、2026年1月~グリーンチャンネル『中央競馬全レース中継』(日曜・前半)キャスターに就任。 私には生涯忘れることのできない夜がある。 2004年12月27日 私が7歳のころ 母が突然いなくなったのだ。 その夜、私は父とふたりきりだった。 「妹ができるよ」 あれはたしか登校前の朝に言われた言葉だった。 え!? 私に妹!? と思ったのをよく覚えている。 なぜなら、これまでずっとひとりっ子だった私。当たり前に両親の愛情を一身に受け、ぬくぬくと生活していた私にとって、突然現れた家族となる者の存在に驚きを隠せなかった。 それに当時の私の常識では兄弟姉妹は2〜3歳しか離れていないものだと思っていたから、すでに小学校に上がっていた私にできると思っていなかったのだ。 よく「上の子は下の子ができると甘えんぼさんになったり寂しがる」というが、もともとぽけーっとした性格だった私にそんな感情は特になかった。 強いて言えば、幼なじみで仲よしの数少ないひとりっ子同士のなぎさちゃんに「なんて言おうかなぁ」と考えるくらいだった(なぎさちゃんとは今でも仲がよい)。 余談だが、なぎさちゃんに妹ができることを伝えたところ「へー」という返事が返ってきた。 「反応そっけないな」なんて思っていたが、しばらく経ってから私のところにすごい勢いで走ってきて「妹できるの!?」と聞かれた。会話って知ってる? そんなこんなで始まった、母のお腹に妹なる存在がいる生活。 今までバスの座席には必ず私を座らせてくれていたのに、私ではなく母が座るようになり、ぶすくれていたことや、妊娠中の母に「私と妹どっちが好き?」なんて悪魔の質問をしたこと以外は、特に大きなことは起こらなかったように思う。 そして忘れもしない2004年12月27日の夜。 どういう経緯で母が入院したのかは忘れたが、とにかくその夜は父とふたりだった。 「もうすぐ産まれるんだろうなぁ」 子供ながらに思った。 こうして文字に起こすとアッサリしているが、悲しくて悲しくてたまらなかった。 夜ご飯はいつも母が作ってくれるのだが、その日の夜は父が「サッポロ一番塩らーめん」を作ってくれた。 サッポロ一番塩らーめんは家族全員大好きで、みんなでよく食べていた。 いつも母が座る席に私が座り、父と向かい合って食べた。 会話はなかった。 父は険しい顔で食べていたし、 母がいないことといつもあるはずの具がないらーめんを食べたら、寂しくて寂しくてしょうがなくて。 泣きはしなかったものの、悲しい気持ちでひたすら食べた。 あんなに大好きだったサッポロ一番塩らーめんの味がわからなかった。 こんな夜が続くなんて耐えられない。 私だけの母じゃないの? 早く母が帰ってきてほしい。 寂しい寂しい。 妹が産まれるとわかってから初めて感じた「寂しい」だった。 次の日、12月28日。 子供というのは切り替えも早いもので、このときの私は「産まれる瞬間見られるかな〜」なんてのん気なことを考えながら病院へ向かっていた。 病室を開けた瞬間びっくりした。 もう産まれていたのだ。 産まれてから時間が経って、だいぶ落ち着いた様子の母の腕に抱かれた妹らしきピンクの小さい生物を見て 「誰!?」 と思った。 いやだって初対面だから。初対面って誰だって「誰?」ってなるじゃない。 このときは姉になるなんて自覚は特に芽生えず、ただ「ピンクだなー」などと考えていた。あとしつこいようだが、生まれる瞬間がどうしても見たかった……。 のちに母から聞いたところ「産まれるところ見せたかったんだけど、すごいスピードで産まれてきたのよねー」と言っていた。見せたかったはよくわからないが、がんばってくれてありがとう母。 そこからは北海道にいる祖母が東京に来てくれたり、退院した母がしばらく家にいたり、ピンク色ではなくなった妹をお世話したりと、慌ただしい生活が始まった。 そんな慌ただしい生活がすぐに始まったからか「寂しい」なんて気持ちはあの夜限りのものとなっていた。 これが私の忘れられない夜の話だが、もう少しだけ先の話をする。 私の人差し指を握ったり 「いないいないばぁ」をすると笑ってくれたり 子供にしては信じられない量のご飯を食べているのを見たり 走る私に小さいながらに一生懸命ついてきたり 小さい子特有のしゃべり方をするから私が翻訳して母に伝えたり 時には(けっこう)ケンカをしたり そんな積み重ねが、いつの間にか私に姉としての自覚を芽生えさせてくれた。 ご飯にお味噌汁をかけた“ねこまんま”をペロリと10杯食べる妹を見て「赤ちゃんってそんなご飯の量食べるのか、たくましいんだな」と驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 このころ、毎日驚きの連続で楽しかった。 そんな妹ももう大学生。 最近では油物を控えたり野菜中心の食生活にしたり、たくさん食べることを控えたり、あのころの食生活の面影はなく、なんだか大人になったなぁと思う。 だが、7歳離れていたからこそ彼女の小さいときの姿も鮮明に覚えている。 母が子に対して思うように、どんなふうな大人になっていっても私の目に映る妹はあのころと何も変わらない。いつまでもかわいい子供なのだ。 これから先、彼女を悲しませることがひとつでも減ることを祈っているし、あの小さい体で10杯のねこまんまを平らげたたくましさを忘れずに、強く生きていってほしい。 命尽きる瞬間に一番そばにいる可能性があるのが妹だ。産まれてきてくれたのが彼女でよかったと心から思う。 寂しくて寂しくてたまらなかった夜。 あの夜があってよかった。 文・写真=吉宮るり 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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生い立ち〜恋愛まで、ママタルト・大鶴肥満の赤裸々な人生──白武ときお『まーごめ180キロ』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 「まーちゃんごめんね」。略して「まーごめ」。 謎の言葉を発して登場する身長182cm、体重188kg。ピンクのジャケットを羽織った一度見たら忘れない巨漢、その名は大鶴肥満(おおつる・ひまん)。「僕がもう少し細ければ」そう言って登場するのは相方・檜原洋平(ひわら・ようへい)。大鶴肥満に隠れているが、実は174cm、82kgと少々太め。凸凹コンビならぬ、凸とちょい凸コンビ──サンミュージックプロダクション所属のお笑いコンビ、ママタルトだ。 『まーごめ180キロ』は新進気鋭のお笑い芸人、ママタルト・大鶴肥満に密着したドキュメンタリー……ではなく、彼が発するあいさつのような……ギャグのような……ともかく彼がバラエティ番組でよく発している言葉「まーごめ」の真髄に迫るドキュメンタリー映画である、らしい。 監督は放送作家の白武ときお。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)の最年少作家でありながら、『しもふりチューブ』、『ララチューン』、『ママタルト本物チャンネル』など数多くの芸人のYouTubeも手がけている。 ひと言でまとめるのは難しい映画だが、あえてひと言でいうと、“180kgのおもしろい男に出会える映画”だ。実際、作中で「まーごめ」という単語はそれほど登場しない。大鶴肥満が現在の大鶴肥満という存在になって得たものの象徴として「まーごめ」という単語が使われているといった感じだ。いわばメタファー。 「ファン向けのムービーなのか?」と思われてしまうかもしれない。だが、大鶴肥満という人間をよく知らない映画ファン、ドキュメンタリーファンの方も興味を失わないでほしい。最初は知らない巨漢でも、2時間見たらきっと好きになるから。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 私がママタルトというお笑いコンビを知ったのは、2021年の冬だった。 個人的な話になるが、私は趣味のひとつとして『ぷよぷよ』というパズルゲームを挙げている。8年ほど前に出会ったこのゲームはなかなかおもしろく、私は大会やオフライン対戦会にも赴き、中級者といっても差し支えない程度の実力を手に入れるほどにはやり込んでいた。2021年11月、ぷよぷよの対戦会で知り合ったいわば“ぷよぷよ友達”のひとりから、ある日こんなことを言われた。 「今年のM-1(グランプリ)、追ってます?」 私は好きなコンビが準々決勝で落ちてしまった旨を話した。 「だったら真空ジェシカを応援しましょう。ボケの川北さんがぷよぷようまいんで」 彼らがYouTubeで芸人仲間を集めてぷよぷよを配信しているということを教えてもらった私はさっそくアーカイブを視聴した。 配信に参加しているのは真空ジェシカ・川北茂澄、ママタルト大鶴&檜原、ストレッチーズ高木貫太、さすらいラビー・中田和伸の5人。全員ちゃんとこのゲームをやり込んでいるのだろうとわかるプレイをしている。うまい。正直、競技人口も多くないゲームだ。芸人さんがこんなにたくさんこのゲームをやり込んでいるのか、と驚いた。 そんなきっかけでこの4組の芸人のファンになった私は、彼らの出演している番組を録画して観たり、西新宿ナルゲキの合同ライブに行ったり、単独ライブに行ったり、ラジオを聴いたり……と彼らを追いかけるようになった。そう、彼らは4組とも、ネタもおもしろかったのだ。ついでにいうと、MCのフリートークもめちゃくちゃおもしろい。おもしろくてぷよぷよがうまい、そりゃあ当然好きになるだろう。 前置きが長くなったが、それからしばらく経った2023年春。ママタルトの……いや、「まーごめの」ドキュメンタリー映画が公開されるという情報を耳にした。どうやらライブ用に作った映像を再編集したものを映画版として全国公開する、という経緯らしい。ドキュメンタリー映画が好きでママタルトも好きな私には願ってもない出来事だった。 さらに、私は大鶴肥満という人間の生い立ちにも興味があった。私は当時、ママタルトの冠ラジオ『ママタルトのラジオ母ちゃん』(GERA)をよく聴いていたのだが、大鶴肥満は時折、実家との確執や学生時代のトラウマに関する話をすることがあった。特に父親との反りの合わなさは繰り返し語られているトピックだった。率直に気になっていた。 とはいえ、芸人さんの(元は)ライブ用の映像ということであまり深い話は期待しないように、ライブの幕間を観る気持ちで観るべきだろう。そんな気持ちで臨んだ上映だったが、結果は期待の上の上を行く大満足だった。お笑い(コメディ)とドキュメンタリーのいいとこ取りをした素晴らしい映画だった。 2021年夏、表参道。ワタナベエンターテインメント本社の前に大鶴肥満はいた。大鶴肥満は言う。 「まーを待ってます」 「まー?」 「マルシアです」 大鶴肥満は俳優の大鶴義丹に似ていることから、現在の芸名を名乗っている。 2004年、大鶴義丹が記者会見でマルシアに対して発した言葉「まーちゃん(マルシア)、ごめんね」を略して「まーごめ」と言っているらしい。 ……えっ、もう答え出たじゃん。いやいや、まだ続く。 本作は3つの軸で進行していく。 1つめは、大鶴肥満がママタルトを結成し活躍するに至るまでの経緯について。大鶴肥満の語りを中心に、大学お笑い時代から親交の深い真空ジェシカやサツマカワRPGら10人のお笑い芸人の視点で語られていく。 2つめは、大鶴肥満の恋の行方について。これは現在進行形の話。マッチングアプリで知り合い1年間もの間気になっているMちゃんとデートを重ね、告白を試みる肥満の様子が映されている。 3つめは、大鶴肥満の……いや、粕谷明弘(かすや・あきひろ/大鶴肥満の本名)のこれまでの人生について。お笑いを始めるきっかけとなった大学のある明大前駅、嫌な思い出の小学校を巡る。 さらにはいじめを受けたという高校時代を振り返りながら 「お笑いは復讐だよ?」 ウエストランド井口浩之の言葉を借りて、自身の原動力を語る。 この映画は入れ子構造にもなっている。前述のとおり本作はもともとライブ用に作られた映像で、真空ジェシカ、大鶴小肥満(※スカート・澤部渡)による上映ライブが行われていた。映画版では上映ライブでの音声や映像も使われており、観客の笑い声や真空ジェシカによるツッコミが副音声的に被せられている。 そんな複雑な構成を取っている本作だが、実際見てみると案外見やすい。 大鶴肥満をはじめとした演者のしゃべりがうまいことに加えて、編集のバランス感覚が非常にいいことが理由だろう。退屈になりがちなインタビューシーンでも館内は常に笑いが起きていた。 おそらくこれは、視聴者の大半がお笑いファンであろうという想定から生まれた配慮だろう。 たとえば、大鶴肥満が語っているとき、ちょっとおもしろい遊具にまたがっていたとする。どう見てもおもしろいしツッコんでほしいけど、大事な話をしているから話の腰は折らないでほしい。そんなとき、後づけのテロップや真空ジェシカによる副音声で処理する。バラエティの手法をドキュメンタリーに取り入れたこの編集は秀逸で、作品にマッチしていたと思う。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 ともかく、「お笑いファンが楽しめる」ドキュメンタリーになっているので、見やすいのだ。 とりわけ印象的なのが、前述のいじめを受けたという高校のあとに訪れた実家のシーンだ。実家が近づくにつれ大鶴肥満の顔が曇っていくように見える。 実家では今どき珍しい、息子の芸を、いや、息子がお笑いの道へ進んだこと自体をまったく認めていない父親が登場する。 「芸能人になるなんて許せないですね」 「情けない。早くコロッて死んじゃえばいいんだよね。誰にも迷惑かけずに死んでください」 さらに父親は、自分はコロナウイルスの関係でできないから友人に葬式をしてもらえと続ける。 「ごめんな、そんな子供に育てちゃって。もうちょっと才能がある子供に育ててあげればよかったのに」 ……もちろん、まったく愛がないわけではないだろう。母親は、父親は自分よりも大鶴肥満の活動を追いかけているとフォローする。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 大鶴肥満は最後、「そのままでいてくれてありがとう」という言葉を残して実家を去る。そのまま、というのはもちろん、俺の嫌いな親父でいてくれて、という意味だろう。 物語の最後は相方・檜原への想いで締められる。マンガ『HUNTER×HUNTER』の主人公・ゴンと 親友・キルアの関係になぞらえて、ひわちゃん(檜原)は俺にとっての光だ、という。これまでの1時間半で大鶴肥満の暗い側面をたくさん見てきたので、よりいっそう、このふたりが出会ったことへ感謝の気持ちが湧いてくる。そんなママタルトは、2024年に初めてM-1の決勝へと進出した──結果は10組中10位と、グランプリを獲得することはできなかったが、平場の強さとふたりの人柄からか、今やお茶の間の人気者となっている。 総じていい映画だったな、と思う。エンディングで流れる音楽も素晴らしい。 私は初見時、少し泣きそうになった。実家のシーンがあまりにもリアルなのもいい。芸人など“しゃべりがうますぎる”人の語りは本心なのかトークをおもしろくするための誇張なのかがわかりづらいときがあるが、あのシーンによって疑う余地もない、本心の部分が見えた気がする。 実はこの映画は以前から紹介したかった一本なのだが、自分がファンだからこそためらっていた。 「知らない人が観てもおもしろいのか?」と。 2025年10月、「第17回下北沢映画祭」で『まーごめ180キロ』が再上映されるということで、私は“ママタルトのことはテレビで見たことがある”程度の認識の友人を誘って観に行くことにした。反応がよければ自信を持って読者に勧められる。結果は想像以上で、かなり気に入ってくれたようだった。物販のクリアファイルを購入し、マックを食べて帰ろうとまで提案してきた。自分の好きな映画、そして自分の好きな芸人にそれだけ人を動かす魅力があることが誇らしい。 『まーごめ180キロ』を観たあと、きっと思うだろう。 このおもしろい男に出会えてよかった、と。 監督:白武ときお プロデューサー:雨無麻友子 構成:橋本拓実、エレファントかさ増し、梶本長之 音楽:PARKGOLF 出演:檜原洋平(ママタルト)、大鶴肥満(ママタルト)、ほか (C)劇場版まーごめ製作委員会
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誰を信じたらいいのか、全聾の作曲家“ゴーストライター”の真実──森達也『FAKE』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「全聾(ぜんろう)の作曲家佐村河内守はペテン師だった!」 今から約10年前の2014年2月、世間を騒がせる“ゴーストライター騒動”の発端となる記事が「週刊文春」(文藝春秋)に掲載された。作曲家である新垣隆(にいがき・たかし)氏が18年間にわたり佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏のゴーストライターを務めていたことなどを告発した一連の騒動である。 (※以下、敬称略) 佐村河内は当時、聴覚障害を持ちながらゲーム音楽や交響曲などを発表し“現代のベートーベン”と評されていた。新垣はこの18年間で20曲以上もの楽曲を提供したことに加え、佐村河内に対し「耳が聞こえないと感じたことはない」「彼のピアノの技術は非常に初歩的で、譜面は書けない」と、佐村河内の聴覚障害の真偽についてや作曲能力についても告発した。佐村河内は、制作が自分ひとりによるものではないことは認めた上で、新垣に対し名誉毀損で訴える可能性もあると公言した。 本作は、映画監督・森達也による佐村河内を追ったドキュメンタリーである。 まず最初に、この映画を評価するのは非常に難しい。そもそも真偽不明な事件を扱っている上に、映像によって登場人物たちへの印象や好感度がコントロールされているように感じる。佐村河内も18年にわたり誇張した自己プロデュースを成功させ世間から評価されていただけあって、(それが意図的な演技なのか、彼の人柄から滲み出る天然ものなのかはわからないが)同情心を煽るのがうまい。大好きな豆乳をコップに並々注いで飲む姿がなんともかわいらしい。佐村河内を献身的に支え、森を含めた来客に毎回違うケーキを振る舞うような気遣いの人である妻・香の存在もそれを助長させる。ついでに猫もかわいい。 でも冷静に考えるとおかしな箇所はたしかに存在していて、作曲に関しても聴覚に関しても、佐村河内は1の真実を100と誇張していたことが問題なのに、メディアが0だと決めつけている(1を取り上げてもらえない)ことについて掘り下げられていく。もちろんそれも問題だしマスメディアの悪いところなのだが、本来は1であるのになぜ100だと誇張したのか、その部分の丸裸の本音が語られることはない。作中で佐村河内は杖をついていないし(足が悪く杖をつかないと歩けないとされていた)、激しい耳鳴りに悩まされ向精神薬(※)を服用しているとされていたが、そのようなシーンもない。もちろんカメラが回っているときにたまたま症状がなかっただけかもしれないので断言はできないが、いち視聴者として「あれって設定だったの?」と思ってしまう部分はある。 (※精神症状の治療に使われる薬物の総称) 大前提として、そもそも佐村河内の肩書は作曲家であるし、実際に足が悪かったかどうかはどうでもよい。別に「キャラ設定のために杖をついていました」と言ってくれたっていい。だが、そういったシーンはないし、きっと佐村河内はそれを認めないだろう。認めない以上、本当に足が悪く、よほど調子のいい日以外は杖がないと歩けない(撮影した日はたまたま調子のいい日だった)という可能性もある。そういうアンバランスさがどうにも気持ち悪い作品だ。 だが私は、この作品をおもしろいと感じた。まがりなりにも、同じものづくりをしている人間として感じるものがあった。この連載では基本的に、テーマ作品の案を私が数点提案し、それを編集部のみなさんに選んでもらうかたちを取っているのだが、私は『FAKE』を今回含め計3回提案し、ようやく記事を書くに至ったくらいだ。 物語は佐村河内の家を訪ねる監督・森のシーンから始まる。そこには森の言葉を手話で通訳し、森にケーキを振る舞う妻・香と夫婦の愛猫が映っている。 「事件から9カ月くらい経つと思うんですけど、日に日にマスコミで報道されている共作問題以外の──特に耳ですね──の嘘。それへの悲しみとか日本中がメディアの言うことを鵜呑みにして、誤解されたままになって日本一低い人間のように扱われて、その悲しみというか……」 佐村河内は自身の聴覚に関する再検査の結果を森に見せる。佐村河内の平均聴力が約50デシベルの感音性難聴であるという事実がマスコミによって取り上げられることはほとんどなかったという。この結果は、脳波を検査して発覚したもので不正などはできない。 ある日、佐村河内の自宅にフジテレビのプロデューサーらが現れる。机には妻・香が用意したであろうケーキが並べられている。プロデューサーらは年末の特番に佐村河内に出演してほしいと、打診のため自宅を訪ねたという。おもしろおかしくイジるのではなく、彼の今後をテーマとして未来に向かった音楽活動を取り上げたい、という。 佐村河内はこんなに目を見て話してくれる人たちを疑いたくないが、もし自分が出演を断ったら復讐のためボロクソにイジられるのではないかと思ってしまう、と申し訳なさそうに伝えた。プロデューサーらはそのような扱いは絶対にしないと説明する。 佐村河内は結局、そのバラエティ番組の出演を断った。そしてその番組には佐村河内の代わりに新垣が出演することになった。番組では新垣が佐村河内に関しての質問を受け「楽器は弾けるというレベルではない」と答える場面が放送されていた。テロップでは「自分の演奏を一度も見せなかった」とも。覚えている人も多いかと思うが、このころ新垣は一躍時の人となっており、バラエティ番組にファッション誌にと引っ張りだこだった。ゴーストライター騒動を話題に、笑いを取っていた。「違ってましたね」と落胆する佐村河内に対し、森は言う。 「出演していたらだいぶ趣旨は変わっていたと思います。つまりどういうことかというと、テレビを作っている彼らには信念とか思いとかが全然ないんです」 このセリフがなんともいえない。その場をおもしろくすることばかり考えている、というのなら佐村河内もそうだったのではないか。音楽を愛しているのなら、そこに信念があるのなら、そもそも全聾であるという嘘は信念を汚すもののような気がする。 ……と書いていくと新垣が真っ黒の悪人のように感じるが、おそらくそうでもないと思う。ゴーストライター問題について長年黙っていたのも、きっと気弱で佐村河内やプロデューサーに流されていただけなのだろう。新垣は大学で教鞭をとっているのだが、学生たちからの評判も非常にいいという。作中でも自著のサイン会に訪れた森に対し、「ぜひお話ししたいと思っていた」と穏やかに対応した。結局、取材の依頼は新垣の事務所から断られてしまうのだが。 物語中盤、アメリカの著名なオピニオン誌の記者から取材を受けるシーンがある。今まで佐村河内への同情心を煽るような撮り方をしていたが、ここで風向きが変わる。 「誰もが気になることだが、そもそもどうして作り話を?」 「18年の間に、なぜ楽譜の読み書きを覚えようとしませんでした? 覚えれば役に立ちません?」 極めつきは、 「なんでピアノがないのですか? 捨てる必要はないんじゃないですか?」 この質問に佐村河内は、 「んーなんですかね。部屋が狭いから」 と答える。腱鞘炎で弾けなくなったのではないのか。 「指示書は見てる。文書は見てる。でも、多くの読者がそれが作曲の半分までと思えない可能性が高い。ぜひ何か佐村河内の作曲である音源なりなんなりを見せてほしいんです」 現実世界でドラマチックなフィクションを演じた人間を追ったドキュメンタリーという企画自体、ある種メタ的なように感じるが、撮り方も観客の感情を振り回すよう巧みに構成されている。佐村河内に肩入れさせられたかと思えば、マジレスする海外の記者を登場させ、でもやっぱり佐村河内の言ってることっておかしくない? 全部嘘なんじゃ?と思わされたり……。 私が本作を初めて観たのは、公開から何年も経ってからだった。 この映画のポスターには大きな文字で「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分」という宣伝文が書いてある。この映画を観て最初に思ったことは、「このラストって“衝撃”なんだ……」ということだった。直接的なネタバレは避けるが、映画を観るにあたり佐村河内のWikipediaを読むと、元バンドマンであることや、新垣と出会う前から作曲の仕事をしていることなどが書かれていたので、本作のラストは私にとって騒動に関する真相がどうであれ、真っ先に想像されるドラマチックな結末であったからだ。いやむしろ、騒動に関して佐村河内が黒に近ければ近いほどラストの展開が見たいと思うはずだ。 本作が公開されたのが騒動から約2年後、まだ騒動について世間が強く記憶していたころということを考えると、当時の観客にとっては「誰にも言えない衝撃のラスト」だったのだろうか。それは佐村河内をなめすぎではないだろうか。というよりも、佐村河内が本作のラストとは違う結末を選ぶような人間だったなら、こんな2時間にも及ぶ映画の主役にはならなかったのではないだろうか。 新垣は佐村河内との制作作業について、 「彼の情熱と私の情熱が、共感し合えたときはあったと思っています」 と会見で語っている。 ラストの展開は少なくとも音楽の専門知識のない私にとっては、騒動に関する真偽を証明できるものではない。曲を聴いて作曲家が同じかどうか判別できるだけの知識などない。だがものづくりを生業とするいち表現者として、感じるものがないわけではない。佐村河内が音楽を愛していた……というよりも音楽というものに期待していた、夢を見ていたことは事実だと思う。事実であってほしい。惜しむらくは作曲に取りかかるシーンがほとんどカメラに収められておらず、撮影を再開したときにはすでにメロディができてしまっていたことだ。 佐村河内は作中で新垣に対し「非常に優秀な技術屋さん」と評した。私事だが、私は以前、ネーム(マンガのコマ割りをしたラフのようなもの)原作のマンガの作画担当をしてほしい、という旨でいただいたお仕事が、いつの間にか「口頭で物語を説明するからあなた(作画家)が内容を詰めて描き起こしてね」というものにすり替わっていたことがある。もちろんそれでは作画担当としての仕事の域を逸脱している、ということでお断りさせていただいたが、きっと佐村河内と新垣の関係性もそういった積み重ねで歪になっていたのではないかと思う。 私だってマンガのアシスタントさんに対して、いつだって細かく指示を出せるわけではなく「ここの背景、いい感じに木を描いておいてください」というような、アシスタントさんの能力にお任せするような指示をすることもある。編集者にアイデアがないかと相談し、それを採用したこともある。私に口頭で説明すると言った原作者もきっと「こいつを使って楽して稼いでやろう。うっしっし」なんて思っていたわけではないと思う。共作自体は悪いことではないし、発表方法を変えてしまえば問題ないのだが、佐村河内の場合、それをプライドが許さなかったことが問題なのだろう。曲作りにおいてプロデューサーのような立場で新垣に指示をしていたのは事実なのだから初めからそう言えばよかった。でも佐村河内はそれができなかった。虚勢を張ってしまった。どんどん誇張して、メディア受けする嘘の自分を演出してしまった。それが彼の業だろう。 物語の最後でもまた、妻・香が森にケーキを振る舞うシーンが映される。チョコレートの装飾のきれいなそのケーキを見て佐村河内は言う。 「うわーすごい」 「こんなことで、楽器が手元に戻ってくるまで、自分こんなことに感情が動くことなかったもん。きれいだとか」 森は『FAKE』の公式サイトに次のようなコメントを寄せている。 「僕の視点と解釈は存在するけれど、結局は観たあなたのものです。でもひとつだけ思ってほしい。様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。」 (映画『FAKE』公式サイトより引用) この連載でどこまで自分の仕事や作品に絡めて文章を書くか毎回悩むのだが、自著である『ミューズの真髄』(KADOKAWA)にも似たシーンがある。美大を志す主人公の美優は、自分の至らなさを受け入れられず、憧れの先生(月岡)の模倣に走ってしまう……というどうにも業の深い女性キャラクターなのだが、彼女が物語の最後にどうして絵を描くのか自問自答し、出した答えが「自分を責め立てる大嫌いな世界でも、絵のモチーフだと思えば美しくおもしろく見えてくるから」というもので、最終的には模倣をやめて自分の絵を描く、という概要だ。ちょっとだけ『FAKE』に近いものがある気がする。 このコラムを書きながら、この作品の何が自分にとってよかったのかがうまく説明できず何日も悩んでいた。結局真相はどうであれ、創作の持つ力を信じさせてくれる演者と作り手だからという、それだけなのかもしれない。佐村河内は、まだ全然我々に丸裸は見せてくれてはいない。きっと彼の虚勢を張る癖、誇張して自己を演出するような部分は、そう簡単なものではないのだろう。 だが、彼が発した「作曲できたおかげ」という言葉は本当のように見えるので、やっぱりいい映画だったなと思う。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya (C)2016「Fake」製作委員会
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4年ごとに人類が抱く夢、映像美を追求したスポーツの記録──市川崑『東京オリンピック』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 1964年8月21日、ギリシャ・オリンポスの丘で点火されたオリンピックの火は日本へ向かった。 『東京オリンピック』は、1965年3月に公開された1964年の東京オリンピックの公式記録映画である。監督は『ビルマの竪琴』(1956年)や『炎上』(1958年)などで知られる鬼才・市川崑。 東京オリンピックの公式記録映画でありながら市川の「単なる記録映画にはしたくない」という理念のもと作られた本作は、「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論を巻き起こし、国内動員2000万人超えの大ヒットを記録し、数々の映画賞を受賞した。 本作の特徴はなんといってもその映像美、芸術性にあると思う。スポーツの祭典であるオリンピックの記録映画でありながら、冒頭の真っ赤な太陽の画など、抽象的なショットがたびたび映し出される。 「とにかく、単なる記録映画にはしたくなかったですね。自分の意思とかイメージというものを重く見て、つまり創造力を発揮して、真実なるものを捉えたい、と。」 (「公益財団法人日本オリンピック委員会」インタビューより引用) 市川は本作の制作にあたり、記録映画であるにもかかわらず緻密なシナリオを制作し、スタッフには絵コンテを描いて説明するなど、演出に強くこだわったという。100台以上のカメラ、200本以上のレンズ。世界で初めての2000ミリの望遠レンズまでも使用された。それらを用いて撮影された映像は、選手の肉体美のみならず、内面までも映し出す。 (C)フォート・キシモト 選手の強張った表情が、額を流れる汗が、彼らがオリンピックというものに向ける大きな感情を如実に表現する。 そして市川らのカメラが捉える対象は、選手だけに留まらない。 ケガをした選手を運ぶ救護班。 グラウンドの整備をするスタッフ。 思わず競技に見入ってしまう審判。 休憩中、競技が始まって、思わず仲間たちと顔を見合わせニヤリと笑う警備員たち。 アメリカ人選手とドイツ人選手による一騎打ちとなった棒高跳びのシーンでは、各国の応援をする観客たちのリアルな表情が対比するように映される。 太ったおじさんの二重あごのアップ……ではなく、息を呑む観客の喉元が、こだわり抜かれた映像技術で映し出される。 彼らもまた、東京オリンピックの参加者のひとりである。 また、本作では、ハードル走のシーンで選手が先行しているかわかりづらいであろう真正面からの画角を採用するなど、スポーツ観戦としての正確性より芸術性を重視した挑戦的なカメラワークを採用している。そのため、映像作品としても非常に完成度が高い。 監督である市川は、もともとスポーツというものにはそれほどの関心がなく、本作の総監督の打診もそのことを理由に一度保留にしていたほどだ。そして、自身がスポーツに疎いからこそ「スポーツファンだけの映画にしない」とスタッフ全員に徹底して伝えたという。 市川はスポーツに対し、たとえばその勝敗などよりも、そこに関わっている人間たちのドラマや心の機微に関心があったのだろう。 そのため本作は記録映画としては不十分ではないかという批評を受けることがある。冒頭でも述べたように、当時は「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論が巻き起こった。試写会で本作を鑑みたオリンピック担当大臣(当時)の河野一郎は、「記録性を無視したひどい映画」と本作を激しく批判し、文部大臣(当時)の愛知揆一もまたこれに同調した。 しかし翌年1965年、『東京オリンピック』が劇場公開されると当時の興行記録を塗り替える大ヒットとなった。 「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」 冒頭の字幕だ。 本作は、オリンピックのために解体される東京の街を映したシーンから始まる。聖火リレーのシーンで映されるのは沖縄の「ひめゆりの塔」、広島の「原爆ドーム」。市川はのちに「どうしても広島の原爆ドームからスタートさせたかったんです」と語る。 1945年8月6日、市川の母を含む家族8人全員が広島に住んでおり、被爆している。当時東京で暮らしていた市川も原爆投下から数日後に広島へ向かい、その凄惨さを目の当たりにしていた。 オリンピックの理念のひとつに世界平和がある。のちのインタビューで市川はこの世界平和という部分に着目してシナリオを制作したと語っている。 東京オリンピックには、実は1940年にも一度開催が予定されていたが日中戦争の勃発などにより幻となったという経緯がある。戦後復興と高度経済成長を世界にアピールしたい日本にとって、1964年の東京オリンピックは絶好の機会であった。 本作は 「人類は4年ごとに夢をみる この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」 という言葉で締めくくられる。 森達也をはじめ、さまざまなドキュメンタリー監督がドキュメンタリーにおいて作り手の視点は重要である、という趣旨の発言をしている。ドキュメンタリーとは事実の記録に基づいた作品のことであり、一般的に「意図を含まぬ事実の描写」であると認識されることが多いが、それを撮影、編集し作品として仕上げている以上、制作者の意図や思想、視点が入り込むことになる。 私はドキュメンタリーのおもしろさはこの制作者の視点にあると思っている。制作陣がどういう感情を持ってその対象を観測していたかの記録であり、そしてその視点を我々視聴者が追体験できるという意味で、ドキュメンタリーは非常に価値のあるものだと感じている。 自分がいつかスポーツマンガを描くのなら、私はこういった制作者の視点が、制作者が何に魅力を感じているのかが如実に伝わるような作品が作りたい。 本作はそう強く思える、市川の視点が十二分に込められた素晴らしいスポーツドキュメンタリーだ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 『東京オリンピック』 Blu-ray&DVD発売中 発売・販売元:東宝 (C)公益財団法人 日本オリンピック委員会
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K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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K-POP好きこそ観てほしい。日韓の美術交流をさかのぼる『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』主任学芸員・日比野民蓉が伝えたかったこと|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)まで開催されている展覧会『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』は、1945年以降、日本と韓国が影響を与え合いながら紡いできた、美術の軌跡を見つめ直す企画です。 本展開催の横浜美術館があるみなとみらい駅周辺は、コンサート会場が多く、K-POPファンの方にもおなじみの場所かもしれません。ライブの高揚感とはまた違う角度から、「おとなりの国」とのつながりを感じられる時間になるでしょう。 Kカルチャーが私たちの日常に根づいた今、アーティストたちが紡いできた長い対話の歴史、そこで生まれた表現が映し出すものとは? 展示をじっくり鑑賞した林美桜が、本展を企画した横浜美術館主任学芸員の日比野民蓉(ひびの・みよん)さんにお話を伺います。 優劣をつけず「多様性」を表現する展覧会 林 見応えたっぷりで本当に素晴らしい展示でした……! これまでの展覧会であまり目にすることのなかった視点もたくさん感じ取れたのですが、そもそも日比野さんが本展を企画したきっかけはなんだったのでしょうか? 日比野 話し始めると少し長くなってしまうのですが(笑)。これは日韓国交正常化60周年を記念する展覧会でもありますが、その10年前、日韓国交正常化50周年の節目のとき、私は国立新美術館(新美)にアシスタント・キュレーターとして在籍していました。その際に新美が、開館当初から毎年開催していた現代美術のグループ展を韓国の美術館と一緒にやることになったんです。 さらにその前、大学院の修士課程での私の専門領域は、1945年以前の日本と朝鮮半島の美術の関わりでした。ただ学芸員の仕事を始めてからは、現代美術分野のお仕事をする機会が多くなっていった。つまり、学生時代に関心を持っていた1945年以前から、一足飛びに2000年代へと対象にする時代が飛んでいったんですね。 そうすると「1945年から2000年代に至るまでの韓国、あるいは朝鮮半島と日本の美術の関係はどうなっていたのだろう?」という疑問が湧いてきました。そこで調べてみたところ、45年以降の日韓の現代美術の歴史を、大きな視点でさかのぼる展覧会は、両国とも過去に開催されていないことがわかったんです。 「これはどこかで誰かがやらなければいけない」と思っていたのですが、美術品の海外輸送がある・なしで展覧会にかかる費用が桁違いに変わります。国内作品だけで成立させるのか、海外からも借りるのかで、予算規模はまったく違ってくるんです。 マティスやモネ、ゴッホのように、何十万人もの来場者が見込める、いわゆるブロックバスター的な展示とは事情が違うわけで、正直コストパフォーマンスがいいとはいいにくい企画になる。ですから、いつ実現できるだろうかとずっと機会をうかがっていました。 そんな折、横浜美術館が大規模改修工事のために長期休館することになりました。そしてリニューアル後の館のコンセプトをどうするかという議論の中で、「多様性」というキーワードが掲げられたんです。 そのときに「もうこれしかない」と思い、長く温めてきたこの企画を、館のリニューアルオープンの理念を体現する展覧会としてぜひ実現させてほしいと提案したところから、すべてが始まりましたね。 林 「多様性」を体現する展覧会ということは、韓国と日本、そして在日コリアンのアーティストによる作品が並列で展示されているところにも表れていますよね。 日比野 そうですね。これまでにない試みなので、「大変だったことはありますか?」と聞いていただく機会も多いのですが、意外とないんです。 というのも「そこに優劣はない」ということが、最初から展覧会の基本コンセプトにあったからです。在日コリアンであるがゆえに、日本の美術史からも韓国の美術史からもこぼれ落ちてきた部分が少なからずある。その活動をきちんと位置づけたい、という思いが出発点でした。 グローバル社会の現在は、国や民族、共同体といった単位で美術を語ること自体がナンセンスになりつつある時代です。それでもあえて「日韓」というフレームを掲げる展覧会である以上、その“はざま”にいる在日コリアンの活動を一緒に語らなければ、日本と韓国の現代美術史を正しく描くことはできない。そう考えてスタートしました。 林 在日コリアンの人々による“はざま”の感覚が、この展示には強く表れていると思いました。在日コリアンのアーティストの作品で、日本と韓国のはざまにあると感じられる表現の傾向のようなものはありますか? 日比野 「在日コリアンによる作品だから、こういう表現傾向がある」という語り方は、私自身はしないようにしています。属性から作品を捉えるのではなく、まず作品そのものがどのような意味や感覚を鑑賞者に与えるのか、そこから作家のバックグラウンドへとさかのぼるほうが、キュレーターとしては適切なアプローチだと考えているからです。 ただ、時代ごとに各作家が置かれた社会状況でどのような表現をしてきたのかを見ると、たとえば1950年代の在日コリアンの作家たちは、当時の社会問題に対して非常に強い問題意識を持って制作していたことがわかります。 もちろん、それは在日コリアンの作家だけに限った動きではありません。1950年代の日本でも、社会的テーマを美術に積極的に取り入れる流れはありました。ただ、在日コリアンの作家の中には、帰国事業のような自分自身の立場に直結する問題や、日常生活の中のコミュニティや集住地を描く作品など、より切実なテーマが表れやすい傾向はあったのではないかと思います。 日韓国交正常化以降の、美術交流で生まれた作品たち 林 社会状況の変化の中でアートが何を映し出していったかというお話は、個人的に、日韓国交正常化で両国の交流が一気に盛んになった1965年以降の作品を見て強く実感しました。 日比野 たとえば、本展にも展示されている関根伸夫さんの『位相-大地』(1968年発表)は、土を掘り起こし、その形をそのまま隣に置くという作品で「もの派」(1970年前後の日本で起こった美術の動向)の先駆けともいわれています。 手前:『位相-大地1』(関根伸夫、1986年/個人蔵)、左奥:『風景(I)(II)(III)』(李禹煥、1968年/2015年/個人蔵(群馬県立近代美術館寄託))、撮影=加藤 健 ただ、関根さんがあの作品を作っただけでは、もの派は成立しなかったと考えられています。日本を拠点に活動し、当時の日本の最前線の美術動向から強い刺激を受けていた作家の李禹煥(リ・ウーファン)さんが『位相-大地』を目撃し、「ここから新しい美術が始まる」と直感し、それを言葉で理論化しました。そのテキストは韓国語にも翻訳され、韓国の若い作家たちにも読まれた。つまり日本で起こっている動向が、ほとんど時差なく韓国に伝わったわけです。 また李禹煥さんに関してはもちろん言葉だけでなく、作品も象徴的だといえます。中でも『点より』『線より』のシリーズは、絵の具を筆につけ、点を打ち、かすれるまで線を引くといった、書道にも通じる行為の痕跡を通じて、日本と韓国を含む東洋の視覚文化に根差しながら表現するものです。韓国出身の李さんが日本を活動拠点にして、より広い視点から文化を見つめ直したことで、このシリーズが生まれたとも考えられるでしょう。 写真上:『点より』、写真下:『線より』(李禹煥、1977年/東京国立近代美術館蔵)/日比野「1970年代前半に始まった李禹煥の代表的な絵画シリーズで、絵画作品は韓国の『単色画』にも数えられますが、絵の具がかすれていくさまや筆のリズムの痕跡が単純に見ていて楽しい作品ですよね」 こうした思考や表現の往復が、国交正常化をきっかけに本格的に始まった。1960年代後半から80年代にかけてが、日本と韓国の直接的な美術交流の萌芽期だったと思います。 林 さまざまな作品が行き来することで生まれた表現というものを、実際に目の前にすると「交流ってこういうことなんだ」と実感しますね。 日比野 一つひとつが個人的なバックグラウンドと密接なことがわかりますよね。たとえば海老塚耕一さんの『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』という作品は興味深いです。こちらが制作されたのは2024年ですが、その素材に関しては、さかのぼること1979年に初めて韓国を訪れたときに買い求めたものなんです。 『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』(海老塚耕一、2024年/個人蔵)/林「オンドルに使われる紙が使用されているんですね」 日比野「はい。壮版紙(チャンバンジ)というもので、伝統的なオンドルに使用するときと同様の表面処理が本作にも施されています」 海老塚さんは横浜・鶴見の出身で、在日コリアンが多い地域で育ちましたが、その歴史について深くは知らなかった。大学時代に在日コリアンのジャーナリストの著作を読み、日本の帝国主義の歴史と彼らの人生がどう結びついているのかを知り、大きな衝撃を受けたそうです。 1979年に韓国へ渡航し大邱(テグ)で滞在制作を行い、伝統的なオンドル(かまどを焚いたときに出る煙を利用した暖房)の床に使われる紙の質感に強く惹かれ、持ち帰ります。しかしその紙は、先ほどの背景があったことから、海老塚さんにとってあまりに大きな意味を持つものとなって、長い間使えなかった。およそ半世紀近く経って、ようやく作品に用いたのが『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』だといいます。 「視覚的な体験」で、若い世代にもより響く展示に 林 会場には若い来場者も多くいらっしゃいましたが、本展を通じて初めて日韓の歴史を知る方も多いのではないかと思います。 日比野 そうですね。どんな方が来て、どんな感想を持ってくださっているのか、私も日々SNSなどで拝見しています。特に第1章『はざまに──在日コリアンの視点』のところで「全然知らなかった」という声が多く、在日コリアンの歴史があまり知られていなかったことも、改めて感じました。 第1章『はざまに──在日コリアンの視点』は、日本と朝鮮半島に国交がなかった1965年までの20年間の在日コリアンに焦点が当てられている/日比野「林典子さんやナム・ファヨンさんといった、1965年以降に生まれた世代の作家の作品をあえて並べて見せることで、遠い過去の話ではない問題として引き寄せて考えてもらおうと考えました」 ただ「在日コリアンの歴史に関する展示です」という言葉が先行してしまうと、どうしても入りにくい部分があると思うんです。高嶺格さんの作品『Baby Insa-dong』にもありましたが、「在日」というワード自体が日本社会の中で排他的に扱われ、差別の対象になってきた歴史があるからです。 若い世代によって韓国や朝鮮半島に対する感覚が大きく変わったとはいえ、日本人にとって「在日コリアン」という言葉に対する一種の恐れや戸惑いがまだあるのではないかと思います。どこまで話していいのか、間違ったことを言ってはいけないのではないか、と。知ること自体が、自分たちの過去や先祖を振り返ることにつながる。その触れ方が難しい、と感じる方もいるのが事実です。 でも、美術作品はまず目の前に“ある”ものです。本をひとりで読むのとは違い、同じ空間で多くの人と共有できる。視覚的な体験として入ってくるのが、美術の強みです。たとえば古美術を見たとき、何千年も前に作られたものが今も目の前に存在しているという驚きがありますよね。近代美術であっても、80年前の人たちがこういうものを作っていたという事実が、まざまざと迫ってきます。 言葉や概念から入るのではなく、視覚的な体験から入ることができる。そういう意味で、若い方々にとっても新鮮な驚きとして受け止められているのではないかと思います。 林 展示の中でも、中村政人さんの写真作品は、若い来場者に刺さるのではないかと感じました。ソウルで撮影された一連の作品からは、街の細部に寄せられた関心を感じ取ることができて、すごく現代っぽいなと。 中村政人による写真作品の展示/日比野「中村さんの作品は着眼点が秀逸ですよね。ソウルの街が持つダイナミックさを細部に見出して芸術として捉える視点が感じ取れます」 SNS上などで、旅行先の看板やオブジェなど何気ないものの写真をアップする若い方が多いので、それに近い感覚だったのかもとおもしろく鑑賞しました。中村さんは1990年に、日本から韓国へ留学されていたんですよね。 日比野 そうですね。80年代後半から、旅行などで日本から韓国へは行っていたそうです。 中村さんが美大生だった当時は、多くの日本の若者がアメリカを目指していました。アメリカで最先端のアートを観て、ギャラリーに扱われて認められるというのが、アーティストにとっての「ゴール」としてまなざされていた時代だったんですね。 でもその感覚が、中村さんとしてはあまり腑に落ちなかったそうで、「それって本当にそうなの?」という違和感があった。そんななか韓国に行き始めて、「近い国にダイナミックな世界が広がっている!」と感じたそうです。 中村さんの写真って、ソウルの街で一般市民が行っている営みが、そのまま芸術のように見えてしまうところがおもしろいですよね。街の中の風景や、人々の振る舞い、制度やルールのズレみたいなものに、非常に鋭く目を向けている。欧米を目指す前に、すぐ隣にある国にまったく違うおもしろさの文化や社会があることに気づいたんですね。その感覚が、中村さんを韓国留学へと向かわせたのだと思います。 「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかける 林 そして近年の若い世代による作品も、興味深かったです。特に、武蔵野美術大学と朝鮮大学校によるプロジェクト『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)のコーナーでは、作品もそうですが、作家同士による話し合いの記録が展示されている形式が印象的でした。 『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)/プロジェクトを実践したメンバーがそれぞれ「日本人」「在日朝鮮人」の立場で続けた対話の記録が展示されている 日比野 塀を隔てて隣り合っている武蔵野美術大学と朝鮮大学校の間に、橋を架けるプロジェクトですよね。ただ最も重要なことは、今おっしゃっていただいたように「橋を架けたこと」そのもの以上に、そこに至るまでのプロセスでした。 5人の作家たちが、各自のアイデンティティに関わる問題意識について、痛みを伴いながらもやめなかった対話。その軌跡こそが、このプロジェクトの本質なのではないか。だからこそ今回の展示でも、抜粋にはなりますが、そこで交わされた彼らの言葉がちりばめられています。 林 ここで観た作品についても誰かと話したくなるようなものばかりでしたし、対話を続ける大切さは、この展覧会の鑑賞後に最も強く感じました。 日比野 ありがたいことに、「人と感想を交換したくなった」という声をよくいただいています。 『いつもとなりにいるから』という展覧会タイトルは、あえて「~から」と文章を途中で止めることで「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかけるかたちになっています。「いつもとなりにいるから、どうなのか」「だから、私たちはどうするのか」といった、日本と韓国が地理的に隣にあるという事実のその先を、どう考えていくのか。 誰かと一緒に語り合うのも、自分の中で言葉をつないでもいい。来場してくださった一人ひとりが、「から」の続きを考えられるような展覧会になっていたらと思います。 横浜美術館リニューアルオープン記念展 『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日) 10時~18時 ※入館は閉館の30分前まで ※木曜日は休館 文=菅原史稀 撮影=佐々木康太 編集=高橋千里
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チュ・ヨンウさんに“チュうもく”! 飾らない魅力が光る『2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN』レポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 昨年末に開催された『2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN』に行ってきました!! チュ・ヨンウさんは、『オク氏夫人伝 -偽りの身分 真実の人生-』や 『トラウマコード』『広場』『巫女と彦星』など話題作に出演。 『第61回百想芸術大賞』放送部門の男性新人演技賞をはじめ 名だたる賞を受賞している、今大注目の俳優さんです。 今回は特別編として、本イベントのレポートをお届けします! チュ・ヨンウさんにとって、初めての日本ファンミということで 最初から最後まで語り尽くしたい気分ですが…… 2月14日(土)ひる12時からCSテレ朝チャンネル1にて ファンミーティングが放送されるということで ネタバレ禁止で、私が感じた見どころポイントをご紹介したいと思います。 <ファンミーティングツアー日本公演を独占放送!> 2月14日(土)ひる12時~午後2時 CSテレ朝チャンネル1 <独占放送>2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/variety/0841/ 飾らないユニークなトークに、笑いすぎ注意!? まずは、トーク。 日本語がお上手でびっくり!! 日本のアニメをよくご覧になるからなじみがあるそうなんですが、 たくさんの日本語を混ぜながら話してくださいました。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. ヨンウさんの飾らないナチュラルな雰囲気が、とにかくとっても魅力的!! ファンに褒められると大爆笑、リアクション一つひとつが自然で どんどん生まれる親近感に、取り込まれていく。 フレッシュかつ堂々としたオーラ。ものすごいパワー。 今まで感じたことのない独特の雰囲気に、すべてのシーンが印象に残りまくり。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. 見ているこちらのイメージがふくらむ、ユニークな語り口・内容、 大爆笑でした(放送で初めて見る方、笑いすぎ注意ですよ、本当に)。 エピソードの随所に20代の感性がちりばめられていて、新鮮な感覚。 皆様、何回も何回も観たくなっちゃうはずです。録画もお忘れなく! 歌とダンスも器用にこなす、完璧すぎるパフォーマンス! 歌、ものすごく感動。 深みがあって、力強く響いていました。 心がキュンとするようなビブラートも効いていて、 感性のぐんと深いところまで刺さってきました。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. 驚いてばかりになってしまいますが、ダンスのレベルも高すぎました。 長い手足を活かしたダンスは、息を飲む腕前。 俳優さんであることを忘れるくらい、プロでした。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. なんでも器用にさらりと素敵にこなす姿、まぶしいほどに完璧。 インタビューで感じた、謙虚で朗らかな人柄 今回、『大下容子ワイド!スクランブル』でインタビューさせていただきました。 こちらもぜひご覧いただけるとうれしいです。 ファンミーティング前のお忙しい時間にもかかわらず応じていただきました。 質問に一つひとつまっすぐ丁寧にお答えいただき、 謙虚な姿勢に、こちらの背筋もピンと伸びるようでした。 ヨンウさんが作り出すフレッシュで朗らかな空気が 観てくださる方々にも伝わるといいなと思います。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. 見れば見るほど、お話を伺うほどに こちらの期待感がぐんぐん増していく感じ。 一瞬一瞬がきらめく。ライジングスターとはこのことかと。 勢いを肌で感じました。 <ファンミーティングツアー日本公演を独占放送!> 2月14日(土)ひる12時~午後2時 CSテレ朝チャンネル1 <独占放送>2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/variety/0841/ ファンミーティングの様子が放送されます!! なんと2時間。お見逃しなく。 チュ・ヨンウさんに“チュうもく”です!! <チュ・ヨンウさん出演ドラマ> 韓国ドラマ『トキメク☆君との未来図』 CSテレ朝チャンネル1にて放送中 https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/drama/1127/ 文=林 美桜 編集=高橋千里
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「グループメンバーの一員になりたい」アーティストのYouTube動画に思うこと|「林美桜のK-POP沼ガール」第24回「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 今回は、年末に向けて勝手にいろいろ書く回にします。 最近、急に歯が欠けて心臓がヒュンとなりました。歯ぎしりで歯に負担がかかると、欠けることもあるそうで。 歯医者さん「ストレスとか……?」 あー、それそれ! 疲れました。 一年も終わりますね。 ふとした瞬間にズンズンと壁に囲われたように感じて息苦しさを感じたり、毎日140%で生きていた過去の自分と比較してがっかりしたり、他人のキラキラした日常を見ることがとてつもなくしんどくなったり、誰かのため息が脳にこびりついて眠れない。 書いたらキリがないけど、明るいほうに上がらず、暗いほうにどんどんエネルギーが落ちちゃってます。体力も下がり調子。年末が近づくとこんなふうになりがちです。 若いころは、コンサート中に座りたくなることなんてなかったのに。最近は膝が痛い……悲しい。 でも、これは若かりしころの私が、毎回遅刻ギリギリでコンサート会場まで安い靴で走りまくっていた代償だと思えばしょうがない。 最近、人と話していたとき 「あれさ(仕事)、もっとああやるべきじゃない? 生放送だしね」 ……へ? 私と同じ仕事でもないのに、よく言えるなぁと。 「じゃあ、あんたがやってみろよ」 が、喉まで出かけました。 (ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』好きです) もう一度生きられるなら、メンバーの一員になりたい 毎日噴出するイライラや疲れを優しく鎮めてくれたのが、『M:ZINE』収録準備のため勉強していた、あるアーティストのYouTubeチャンネル。 気張らず、自然体で、グループの日常を感じる長尺の動画に、妙に癒やされる。 暇なときのちょっとした会話から信頼し合っているのがわかるし、本番前のドキドキ感、ステージを成し遂げたあと高揚しながらキャッキャと話している感じとか。 仲がいいなぁ、メンバーっていいなぁ、と。 もう一度生きられるなら、 グループのメンバーの一員になってみたかったな。 というのも、私の仕事は意外にも、同じ仕事に携わる全員が、同じ瞬間を、同じように見ていることが少ないような気がしていて。 スタッフさんたちと一緒に準備をするので、チームワークではあるのですが、収録や生放送ではぽーんと放り出されて、ひとりぼっちな感じ。 大切な仲間ではあるけど、“同じメンバー”といえるほど、同じときに同じことはしてない。見えている景色も、生まれる感情も、まったく同じというわけではない気がしている。 同僚も、それぞれ番組や役割が違うので、何もかも共有して共感してもらえるような関係ではない。もちろん友人も。 だから、なんだかうらやましくなりました。 「今日、本当最高だったね」って全部を分かち合える人たち。 他人同士、しかも数人いるわけだから大変なことも多いだろうけど、そのメンバーしか知り得ない、素晴らしい景色、心の動き、喜び、幸せ、苦労、秘密……。 歳を取っても共有できるって、人生の宝。 友人とか仲間、家族はこれからでも期待できるかもしれないけど、メンバーだけは時間を巻き戻さないと得られないものな気がします。 改めて、いいなぁ。メンバーという存在がいたら、寂しくなったりしないのかしら。 ILLIT「NOT CUTE ANYMORE」よく聴いてます 本当にいろいろ、ぐだぐだ書きました。 揺らぎまくってます。 誰かに共感してもらえたらうれしいです。 まあ……30歳という節目に感じそうなことを、31歳で感じているということは、私の体内の感覚は1歳くらい若いということ……?(名推理) めちゃくちゃポジティブに捉えることにしてます。 もうひとつ、最近はILLITの「NOT CUTE ANYMORE」をよく聴きます。 강아지보 난 느슨한 해파리가 좋아 「子犬よりは私はゆるいクラゲが好き」(←訳し方はそれぞれ違うと思うので、これが正解ではない) このガツガツしていない感じ、今の若い方々の雰囲気や生き方が歌詞に表れているように感じて、そのゆるっとした素直さに癒やされる。 ガチガチした考え方をふわっとさせたい。 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
logirl staff voice
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(高松宮記念)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(高松宮記念) いよいよJRA競馬にG1シーズンが到来。3月29日(日)の中京11R・高松宮記念でG1シリーズがスタートします。昨年の1~3着馬が7歳になっても大きな存在感があります。とはいえ3頭とも7歳、ナムラクレアはラストランになりますから、そのまま信用してもいいものか。 【高松宮記念の傾向・特異点】(過去10年) ・前走逃げた馬 ・大枠でナスルーラ、あるいはダンチヒなどスピード系のノーザンダンサー系 ・前走G1組。特に香港スプリント。ステップレースではシルクロードS組が優位 ◎⑨サトノレーヴ。 前年勝ち馬。その後、香港チェアマンズスプリントプライズでカーインライジングに追いすがり、アスコットのクイーンエリザベス2世ジュビリーSで2着。トップクラスのスプリンターであることは疑いありません。去年の1~3着で、いずれかを買うなら牡馬であるこの馬かと思います。 ○①パンジャタワー。 あまり安定感があるタイプではなく、ゲートの良くない馬の最内枠も微妙ではありますが、昨年上位独占した7歳馬に引導を渡せるとしたらパンジャタワーかと。フルゲートのG1ですから、出遅れてもまれ倒したりすると厳しくなりますが、脚力は上位です。▲⑱ジューンブレア。 アメリカンファラオらしく、気分良く行けば力を発揮。もまれる形になると威力半減というタイプ。中京千二の大外は逃げ馬にとって遠いのは間違いありませんが、案外とすんなりいい位置から競馬ができるかもしれません。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑨→<2着>①⑱→<3着>①⑧⑪⑫⑭⑯⑱。 <1着>⑨→<2着>⑧⑪⑫⑭⑯→<3着>①⑱。22点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(愛知杯)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(愛知杯) 今週は3月22日(日)の中京11R・愛知杯を予想します。牝馬限定のフルゲートでただでさえ一筋縄ではいきそうもないうえ、出走馬のジョッキーも田山や小林美駒といった若手への乗り替わりがあり、ローカル重賞感が満載です。高松宮記念を次週に控えていますから、短距離の一線級も出てきていない。面白いレースです。なお愛知杯が3月の牝馬限定1400メートルとなったのは去年からなので、傾向・特異点は中京芝1400メートルについて取り上げます。 【中京芝1400メートルの傾向・特異点】(過去10年) ・大型馬が優位 ・奇数枠が偶数枠より好成績。馬番ではなく枠番。かなり特殊な傾向で理由は類推できますが、それが真実かどうかは。ただ迷った時は奇数枠で。 ・前走先行組、延長や前に行く馬に穴あり ◎⑥ナムラクララ。 母サンクイーン2からは3頭目のオープン馬。逃げるわけではないが前に構えられてポジション利を生かせるタイプで、案外と前が楽になりそうな組み合わせの今回は展開の恩恵を受ける公算は小さくありません。はっきり牝馬に強い馬が出ているアドマイヤマーズ産駒。その父ダイワメジャーとはちょっと違うタイプの種牡馬ですが、着実に地歩を築いていますし、半姉ナムラクレアのラストラン高松宮記念前に妹が一仕事。というか浜中&長谷川厩舎&ナムラ買うならこちらでは。 ○①マピュース。 内枠以外なら△でいいかと思っていましたが、ドンピシャ最内枠をゲット。昨夏中京記念で最内枠から牡馬相手に勝利。当時の4着がエコロヴァルツ、5着キープカルムなど悪くないメンバーでしたから価値は高い。ダートの前走は後方からでしたが、今回は芝ですから田辺もこの枠なら腹をくくって先行するはず。 ▲⑭シンバーシア。 前走カーバンクルSがあまりにもろかったので人気は落とすと思いますが、もまれない方がいいタイプかと。中京千二なら団野は強気に乗ってくれる傾向です。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑥→<2着>①⑭→<3着>①③⑦⑧⑫⑭⑰。 <1着>⑥→<2着>③⑦⑧⑫⑰→<3着>①⑭。22点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(スプリングS)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(スプリングS) 先週の弥生賞ディープインパクト記念。1、2着固定というめったに見ない買い方から分かる通り、正直なところ自信がありました。◎バステールはイクイノックス以降では、最もイクイノックスっぽい馬に見えましたし、○アドマイヤクワッズは友道厩舎が一流馬仕様の追い切りを仕掛けたところからも水準以上の馬だと思っていました。結果は1、3着。あいやー。今週も皐月賞トライアル。3月15日(日)の中山11R・スプリングSを予想します。 【スプリングSの傾向・特異点】(過去10年) ・前走上がり3Fが指標としてあまり有効ではない ・1勝クラスからの臨戦が重賞に伍するぐらい優秀 ・キャリア2~5戦ぐらい ◎⑭アクロフェイズ。 アルゼンチンG1馬クルソラから広がるこの牝系は、ククナ、アライバル、アルテヴェローチェなど、クラシック前の重賞でひと仕事する馬を複数送り出しています。アルゼンチン牝系はやや早熟に振れるので、それも要因の一つ。ロードカナロアとの組み合わせなら春クラシックのトライアルにもってこいの配合。前走の若駒S2着も早めに動く強気の運びで、差されはしたものの見どころ十分。このコースはそう遅くない流れを攻められる機動力がほしいので。 ○⑫クレパスキュラー。 ひいらぎ賞を優秀なタイムで完勝。破ったリゾートアイランドは次走のジュニアCを勝っておりレベルも保証されています。トライアルで権利を獲れるだけの調教も積んでいますし、ルメールと手も合っていそう。1番人気で馬券には来るだろうという存在。 ▲⑯サウンドムーブ。 シンザン記念2着が示す通り、マイルの方がいい気もするタイプですが、そこそこの位置を取って最速ならずともいい脚を使える…という運び方がこのレース向き。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑫⑭→<2着>⑫⑭→<3着>②⑧⑩⑪⑮⑯。 <1着>⑫⑭→<2着>②⑧⑩⑪⑮⑯→<3着>⑫⑭。24点。今週は折り返します。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑