アクロバティックなネタで目先の笑いを追いかけた?『THE SECOND』で注目されたリニアの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46

芸歴16年以上の芸人が出場する『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』で、ベスト4となった、リニア。
コンビ歴18年で、ようやく全国放送の賞レースで活躍したが、これまでずっと苦汁をなめてきた。
もともとはトリオで、コントをしていたリニアが、なぜコンビになり、漫才に主戦場を移したのか。「目先のウケ」ばかり意識して、自分たちの「笑い」を見つけられなかったというリニア。その初舞台について聞いた。
若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage>
注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。
子供のころからずっと芸人に憧れていた

左から:しょうへい、酒井啓太
──今年の『THE SECOND』で、見事ベスト4になったリニアさんですが、コンビ歴18年でようやく賞レース決勝と、かなり苦労されていますよね。そもそも芸人になろうと思ったきっかけは?
酒井 『オンバト』(爆笑オンエアバトル)と『M-1(グランプリ)』ですね。僕、今年で40歳ですけど、小学生くらいのときから、お笑いで闘うことがカッコいいみたいな風潮が出てきてて。オンバトってお客さんがボールを流して重さを量るじゃないですか。自分の実力が測られる感じがわかりやすくて憧れたんですよね。小学校の卒業文集にも「芸人になりたい」と書いてて、親も賛成してくれてたんですよ、「大学行くより安いし」みたいな感じで。
──小学生からずっと温めてきた夢だったんですね。
酒井 中学生のとき一瞬、CHEMISTRYに憧れて「ボイトレに行きたい」って頼んだことがありましたけどね(笑)。でも、僕が神奈川県の中山ってところに住んでて、田舎だからボイトレなんかないんですよ。結局、ヤマハのカラオケ教室に入れてもらったんですけど、僕以外おじいちゃんしかいなかったんで、すぐ辞めました(笑)。

──しょうへいさんはいつからお笑いにハマったんですか?
しょうへい 僕はとんねるずさんですね。ちっちゃいころから夜ふかしオッケーな家だったんで、幼稚園のころから『ねるとん紅鯨団』とか『(とんねるずの)みなさんのおかげです。』を見てて。意味はわからないんです。でもとんねるずさんが出ているから見ている感じでしたね。
──とんねるずだと、どちらにより憧れていましたか?
しょうへい 僕は(木梨)憲武さんですね。おいしそうにご飯を食べるじゃないですか。おかずちょっとでご飯モリモリいくみたいな。
酒井 なんの話!? おかずちょっとでご飯いくって(苦笑)。
しょうへい あと憲武さんは、チビノリダー(※1)でも憧れていましたね。とんねるずさんを見てて「芸人になったら毎日楽しいんだろうなぁ」って思っていました。
(※)『みなさんのおかげです。』の人気キャラクター「仮面ノリダー」の相棒として、幼少期の伊藤淳史が演じたキャラクター

──しょうへいさんが芸人になりたいと思ったのはいつごろ?
しょうへい 高校生のとき、アンタッチャブルさんがM-1で優勝したんです。オンバトのころからずっとおもしろかったですし優勝したのがカッコよくて、その次の年にアンタッチャブルさんのいる人力舎に入りました(※2)。
酒井 当時の人力舎って、おぎやはぎさんとかも出てきて、ネタがおもしろい人が多いイメージがあったんですよね。あと、僕が人力舎を選んだのは、吉本が怖かったってのもありました(笑)。毎年500人ぐらい入って、スパルタだって聞いてたから、厳しい競争社会では勝ち残れる自信がなかった。
(※2)アンタッチャブルのM-1優勝は2004年。翌2005年にしょうへいと酒井は人力舎の養成所「JCA」に14期生として入学した
緊張したアクロバティックな初舞台

──芸人としての初舞台は覚えていますか。
酒井 養成所のライブですね。夏休み明けにあったんですよ。当時は僕としょうへいと、もうひとりで「バリアスリー」っていうトリオでした。会場は……。
しょうへい 「高円寺区民会館」だよ。今はもう「座・高円寺」に変わってますけど。
酒井 そうだ。客席はほぼ養成所生の友達とか身内しかいない感じで。めちゃくちゃ緊張したのは覚えていますね。
しょうへい 僕は全然記憶がないです。ネタをやった感じも何も覚えてない。
酒井 しょうへいは基本、何も覚えてないから(笑)。僕はこの前の『THE SECOND』の決勝より、緊張してました。出番前に行ったトイレとか、舞台に向かうまでの感じとか、映像として鮮烈に覚えています。当時は1回のライブで将来が決まると思っていたんですよ。ここでミスったら講師に落ちこぼれ認定されると思ってた。

──どんなネタをやったか覚えていますか?
酒井 もうひとりの相方がツッコミで、僕が小ボケ、しょうへいが大ボケみたいな感じでコントをしていました。僕が体操をやってたんで、いろいろアクロバティックなことしてました。
しょうへい 僕が土台になって、僕の上で啓太が「あん馬」をするんですよ。
酒井 『ケンカ』っていうショートコントだと、ドンッってぶつかられて、アクロバティックに立ち上がるみたいな感じです。ネタ自体はオーソドックスなんですけど、そこに無理やりアクロバティックを入れてて(笑)。
──そういうネタがやりたかったんですか?
酒井 いや、やりたいっていうよりは、手っ取り早く勝てるからやっちゃってたんですよね……。「おーっ!」って驚いてもらえるし、そのあとにオチをつけると、ドーンってウケちゃう。それに味をしめた感じで。養成所って投票で順位がつくんで、とにかくウケなきゃって思ってたんです。

──「自分たちのお笑いを見せつけるぞ」とトガるんじゃなくて、ウケることを重視していた。
酒井 いや、これ不思議なんすけど、そんなネタをやりながらもトガってたんすよ(笑)。芸人初じゃないですか? あんなにドタバタコントやってんのにトガるって。高卒ですぐ芸人になったから、ちょっとイタかったんですよね。「ネタも俺が作ってんだぜ」みたいなイキリがあって。養成所ライブではしょせん5位くらいだったんですけどね。
──しょうへいさんは、そんな酒井さんをどう見てましたか?
しょうへい いや、僕もトガってたんです(笑)。全部、啓太にやってもらってるのに、「俺もすごいんだぞ」って感じを出してた。
酒井 ふたりともトガってるって感じ悪いなぁ(笑)。もうひとりの相方は僕らより3〜4歳上だったから落ち着いてたんですよ。それでこっちがヤンチャでいられたのかもしれないですね。
目先の笑いに走ってしまう

──初舞台後の養成所はどうでしたか?
酒井 養成所時代は、スベった記憶があんまりないんですよ。JCA卒業後もレギュラーに残れたし。でも卒業して初めての事務所ライブが全然ウケなかったんです。明確にスベったのはあそこが初めてだったかもしれないです。
──なんでスベったんだと思いますか?
酒井 事務所ライブのお客さんって、めちゃめちゃお笑い好きな人が多いから、アクロバティックなことをしても「おおーっ」って感心されるだけでウケないんです。けっこう自信のあるネタだったんですけど、全然ダメで「プロの世界って全然違うんだ」って思ったのをめちゃくちゃ覚えてますね。
人力舎って養成所卒業からすぐ所属になるんじゃなくて「預かり」っていう状態があるんですけど、そのころは全然ダメでした。2007年に正式に所属してからもスベってばっかりで。

──どのタイミングでトリオからコンビになったんですか。
酒井 ツッコミをしてた元相方が、2008年の単独ライブ後に急に「辞める」って言ってきたんです。それで、じゃあふたりでやろうかと。それで「S×L」に改名して続けました。でも、ボケがふたり残ったところで何をしたらいいかもわからない。
一応、トリオ時代のアクロバティックなドタバタコントは封印したんですよ。あれができたのは、真ん中にポップなツッコミがいたからだったんで。それでシュールの方向に挑戦しましたね。当時はキングオブコメディさんが活躍されていたので、そのマネみたいなコントでした。ブッ飛んだボケをして、芯を食ったツッコミをするみたいな。
しょうへい 僕がしゃがんで「あ、アリだ」ってアリをつまんで食べて……。
酒井 それに対して「何やってんだよ!」じゃなくて「おいしいですか?」ってちょっとずらしたツッコミをする……。

──なるほど……。
酒井 当時も今みたいにめっちゃスベりましたよ!(笑) それですぐアクロバティックに戻しました。
──戻すんですか(笑)。
酒井 養成所時代はウケてたから、スベるのが怖かったんですよ。今となっては、芸歴の浅いうちは手前のウケよりも自分の信じたことをやったほうが、自分たちのスタイルを見つけられるってわかるんですけど……。当時はウケないと事務所もクビになっちゃうかもしれなかったんで、目先の笑いに走ってました。でも結局それから3年くらいずっとうまくいかなくて。そしたら事務所からクビ予告されたんです。
東京03・飯塚の金言

──事務所をクビになることがあるんですか。
酒井 事務所の人に呼び出されて、「あと半年ぐらいの間に結果出してくれないと、ちょっと危ないかも」って言われました。そこで「なんか変えなきゃいけない」と思って、僕はもうひとり入れてトリオに戻ろうって言ったんです。でもしょうへいは「ふたりがいい」って。
しょうへい 覚えてないなぁ(笑)。
酒井 言ったんだよ! そこで初めてしょうへいがお笑いのことに意見を言ったんで、これは信じたほうがいいのかなと思って、ふたりでなんとかしようと。それでまずコントから漫才をやるようになったんです。ガラッと変える方法がそれくらいしか浮かばなくて。
あと、事務所の先輩のゆってぃさんに相談したら、「東京03の飯塚(悟志)さんにも相談してみれば?」と言ってくれて、初めて飯塚さんに会いました。そこで「ちゃんとお笑いを勉強して、ベタなことをやったほうがいい」と言われたんですよ。

──お笑いの勉強、ですか。
酒井 飯塚さんは「レンタルビデオ屋のお笑いの棚にあるDVDを全部見て、おもしろいと思ったところの構造をメモしろ」って教えてくれたんです。「全部じゃなくておもしろいと思ったところだけでいい。そのメモの集合体が酒井のセンスになる」って。
──実践的ですね。
酒井 僕の芸人人生って、このあともずっと飯塚さんの言葉に助けられてきたんですよ。実際それで勉強して、ベタな笑いに集中したら、ウケるようになってきて。
当時ちょうど学生芸人が台頭してきてて、まだ人力舎に入る前の真空ジェシカとか、解散したスパナペンチとかがいて、そいつらと人力舎のうまくいっていない芸人の対抗戦があったんです。そこでベタな漫才をやったらめちゃくちゃウケて、2位になれた。あれは自信になりましたね。

──2012年には『THE MANZAI』の認定漫才師にも選ばれています。
酒井 飯塚さんからアドバイスをもらった年のことですよ。目に見えて結果が出始めて、念願だったオンバトでも、オーバー500KB(キロバトル)を連発できて。
──順風満帆だった。
酒井 いや、ここでベタから抜け出せない時期が来るんですよ……。また、ウケた手応えを手放せなくなって、守りに入るというか。THE MANZAIが終わってM−1が再開してからがダメで。
THE MANZAIはとにかくお客さんにウケることが評価されるんですけど、M-1はエッジの効いた漫才が勝ち上がるんです。だからベタに振り切った僕らは全然ダメで。ここから十数年、THE SECONDの決勝に上がるまでが大変でしたね。
文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平

リニア
酒井啓太(さかい・けいた、1986年9月11日、神奈川県出身)としょうへい(1986年11月16日、神奈川県出身)のコンビ。2008年結成。プロダクション人力舎所属。スクールJCA14期生。2012年から3年連続で『THE MANZAI』認定漫才師となる。2013年には『漫才新人大賞』優勝。2016年1月に一度解散、同年8月に「リニア」として再結成。2026年、『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』でグランプリファイナル進出を果たした。YouTubeチャンネル『リニアの漫才』では、漫才やトーク動画を公開中。
【前編アザーカット】





