サボリスト〜あの人のサボり方〜
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「その時々の感じで生きているのが失敗につながって、その失敗がまた気持ちの揺れ、ひいては言葉や文になる」小原晩のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 エッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版するや、各方面から反響を呼び、注目の作家となった小原晩さん。そんな小原さんが語る、執筆のきっかけや心が動く瞬間、豪快なサボり方。 小原 晩 おばら・ばん 1996年、東京都生まれ。作家。2022年、デビュー作となるエッセイ集『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版する。2023年、商業出版として『これが生活なのかしらん』(大和書房)を発売。2024年には、『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』が実業之日本社より商業出版される。現在は、多数の媒体でエッセイや小説を連載中。 何もわからず作った本が、1万部のヒットに ──そもそもは、なぜエッセイを書いてみようと思ったんですか? 小原 エッセイをよく読んでいたから、自然とそうなりました。ただ、もともと文学少女みたいな感じだったわけではないんです。18歳で就職して、すごく忙しくしている間に、中学生のころから好きだったピースの又吉直樹さんが芥川賞作家になっていたんです。19歳くらいのころ、仕事を辞めてフラフラしていたときに、下北沢のヴィレッジヴァンガードで又吉さんの作品や好きな本が特集されている「又吉直樹の本棚」を見つけて、『東京百景』(KADOKAWA)というエッセイ集を手に取ったんです。それがもうすごくおもしろくて、又吉さんのほかの作品や、又吉さんが好きだと言っている本などを読むようになり、読書が好きになっていきました。 ──とはいえ、文章を書き始めるのも、書き切るのも簡単ではないと思うのですが。 小原 自分で書いてみて、書くことの難しさを感じたし、改めて今まで読んできた作家さんのことを尊敬しました。でも同時に、自分で書いたり、人の作品を読み返したりすることで、「こういう構成になってたんだ」とか、「こういう仕組みがおもしろさにつながるんだ」とか、いろいろ気づくようになったんです。そうすると、書くことも、読むことも、どんどんおもしろくなって。 ──そこからいきなりデビュー作の『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を自費出版で作ろうと思ったのは、なぜでしょうか。 小原 それも仕事をせずに貯金を切り崩しながらフラフラしていたころなんですけど、あと1〜2カ月で貯金もなくなるとなったときに、「最後にやり残したことをやろう」という気持ちになって。自費出版が「リトルプレス」と呼ばれていて、自分で本が作れることは知っていたので調べてみたら、200部の本を5万円で作れることがわかったんです。それで、本を作ることにしました。 ──そうなると、書くこと以外も自分でやらなきゃいけないわけですよね。 小原 そうですね。デザイナーの友達なんていなかったので、表紙の絵だけ絵描きの方にお願いして、あとは自分でわけもわからないまま作っていました。結局、本文の字がすごく小さかったり、失敗もたくさんありました。 ──そこからは、自費出版本を扱ってくれる書店などに売り込んでいったと。 小原 はい。できる限りお客さんとして足を運んで、「自分の本が合うかな?」とか、「置かれるならここかな?」とか考えながら見て回りました。それから、置いていただきたい本屋さんに見本をお送りしていいかメールしていきました。 ──反響を実感するようになったのは、どんなタイミングだったのでしょうか。 小原 独立系書店を中心に、本が売り切れて再入荷するようなことが何回かあったんです。たぶん、独立系書店と呼ばれる本屋さんには、店主の目利きを信用しているお客さんたちがいるので、そういう方々が買ってくれたりするようになったんだと思っています。最初は200部だったのが、たしか1年で5000部ぐらいまでいって、たまたま本を買ってくださったダウ90000の蓮見翔さんに、テレビプロデューサーの佐久間宣行さんのYouTubeで紹介していただいたことで、1万部くらいになりました。 最悪な思い出も、一歩引いたら喜劇になる ──1万部も売り上げたことで、『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』の商業出版のお話が持ち上がったのでしょうか。 小原 いえ、発売して半年くらいでお話はいただいていたんですけど、別の作品を出版する話が進んでいたので、一度待ってもらっていました。でも、そうしている間に1万部に達して、全部自分でサインして発送していたので、もう無理だとなってしまって。 ──全部にサインしていたんですか!? 小原 9000部くらいまではサインしていました。だから本当に大変で……。お仕事の話もたくさんいただくようになったのに、書く時間が取れなくなったのもあって、急いで商業出版のお話を進めていただきました。 ──状況が一気に変わって、とにかく大変だったと思いますが、たくさんの方に読んでもらったことで、うれしい反応や意外な発見などはありましたか? 小原 編集者の方に言っていただいたことなんですが、「人生は寄りで見ると悲劇だが、引きで見れば喜劇である」という言葉があるじゃないですか。でも、「小原さんの場合は、寄りで見ても喜劇だ」と言ってくださって、なるほど、うれしいな、と思いました。 ──たしかに、深刻になってもおかしくない場面でも、そう感じさせないところがある気がします。ご自身でも意識されていた部分はあるのでしょうか。 小原 特にエッセイに関してはそうですね。エッセイは基本的に自分語りではあるんですけど、だからこそ自分の人生や生活をどう表現するのかを大切にしています。つらかった過去をつらい気持ちのまま書いても、自分の文章ではあまり魅力的にならなかったので、もう少しトーンを意識してみよう、という感じというか。 ──結果としてそれが作風につながっているわけですね。自分の人生を表現するという点では、美容師時代や家族、恋愛について書かれていますが、そこに抵抗などはなかったのでしょうか。 小原 書くこと自体への抵抗はあまりなかったです。『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を書いたときは、それこそ又吉さんの『東京百景』が頭にあって、「東京の生活」をテーマにしていました。ただ、同じようにある場所に付随する思い出を書くのはどうかと思いましたし、又吉さんのように書けるわけでもないので、自分が一番おもしろくなるように書いていこうと考えた結果、自分なりの「東京」をふくらませた感じですね。 ──では、書きながら過去と向き合うなかで、感じたことなどはありますか? 小原 書き始めはものすごくつらいんですよ。「自分の過去って最悪だ」「なんて自分は浅はかな人間なんだ」「どうして人を傷つけるようなことをしたんだろう」「なんだその謎の自信は!」「自分にはおもしろいところはひとつもない」とか考えて、最悪な気持ちになります。そこからあきらめがついて、「自分はつまらない人間だ」と開き直るゾーンに入ってやっと書き始めるんです。 ──一つひとつは苦い思い出として存在しているんですね。 小原 よく明るい人間だと思われて、「こんなふうに生きられたらいいな」と言ってもらえることもあるんですけど、それは、書くことで、過去を捉え直しているからかもしれません。ズタズタになった思い出でも、人には笑いながら話せたりするじゃないですか。悩みを話し始めたはずなのに、なんか話してたら笑ってもらえて、そしたら自分も笑えてくる。そういう感覚に近い気がします。 純粋さがエッセイの素材を引き寄せる? ──エッセイの中には、日常におけるちょっとした出来事を描いた作品などもありますが、気になったことはずっと心に残って記憶されていたりするのでしょうか。 小原 最近はメモを取ったりするようにもなりましたが、最初の作品を書いたときは、思い出のある場所に実際に行ったり、聴いていた音楽を聴き直したりして、当時の出来事を思い出していきました。基本的には、日常のディテールに興味があって、そういうことばかり覚えています。逆に、友達とディズニーランドに行ったことはすっかり忘れていたりするので、非日常にはあんまり興味がないのかもしれないです。 ──ディズニーランドの思い出を忘れちゃうんですか? 小原 写真を見せられても、何も思い出せないくらい。でもやっぱり、どうでもいいことは覚えてるんです。この前、ひとりでお蕎麦屋さんに行ったときに、そこにいたおばあちゃんが「八海山ひとつください」ってお酒を注文したら、一緒にいたおじいちゃんが「“八海さん”じゃなくて、“八海山”ね」って言ったんです。「そんなの知ってるわよ」ってみんなで笑ってるんですけど、何がおもしろいのかさっぱりわからない。でも、なんか「それでいいんだよな」っていう気持ちになって。そういうことのほうが心に残って覚えてるんですよね。 ──それはまさにエッセイ的なアンテナが日常的に張られているのかもしれないですね。同時に、小原さんはちょっと変な人に遭遇したり、おかしなことに巻き込まれたりする頻度も高いように感じるのですが、そういうものを引き寄せてしまうところはあると思いますか? 小原 自分ではあまり思わないですね。自分の人生で起こることは、自分にとっては普通のことなので。ただ、(歌人/エッセイストの)穂村弘さんとトークイベントでご一緒したときに、「純粋な人間ほど、イヤな目に遭ったり、変わった人を惹きつけたりするんだ」みたいなことを言ってくださって、「純粋だったのかな」って思うようになりました(笑)。 ──純粋な人だからこそ、ちょっと無防備だったり、人との距離感が独特だったりするのかなと思うと、納得できる気がします。 小原 純粋なんて、そんないいものだったらいいんですけどね。自分では最悪な人間だと思っているので……。 眠くなったら寝る。何時でも、何時間でも ──失礼なのですが、小原さんにはサボりのネタもあるような気がしています。性格的にサボりがちだなと思うようなところはありますか? 小原 基本はサボってますね。今はサボっている時間も創作の時間といえるので、「ぼーっとすることも大事だから」と自分に言い訳することもありますし。でも、生活と創作が密接なところにあると、線引きが難しくなってきますよね。 ──そんななかでもダメなサボりだと思うのは、どんなことでしょうか。 小原 一番イヤなのは、短い動画ばっかり観てしまうとき。YouTubeでもInstagramでもXでも、短い動画がずっと出てくるシステムになってるじゃないですか。興味もないのにずっと観ちゃったりするので、あのサボりだけは自分の中で悪ですね。世の中からなくなればいいなと思ってます。 ──では、よしとするのはどんなサボりですか? 小原 飲みに行って本を読んだり、散歩に出たり、スーパー銭湯に行ったり、買い物に出かけたりすることですかね。出先で作業しようという気持ちもあるので、一応パソコンも持っていきます。結局開くことなく、焦りだけを残して帰ってくるんですけど(笑)。 ──あるあるですよね、わかります。より後悔のない積極的なサボりとして、リフレッシュに近い気持ちでやることはありますか? 小原 昼寝です。眠くなったら寝る。何時でも、何時間でも、3度でも4度でも寝る。夜眠れなくなっても構わない。 ──カッコいい。バッチリ5時間ぐらい寝ちゃうこともあるんですか。 小原 全然あります。起きたら外が真っ暗で、「ふふふ、こんなことになっちゃった」と思います。 ──睡眠のサイクルがぐちゃぐちゃになりそうですが……そういった世のことわりも気にしない。 小原 そうですね。特に夏の昼間は、たまったもんじゃないぐらい暑いじゃないですか。だから、昼間に起きていても仕方がないっていう気持ちがあって。基本的に夕日が落ちるころに起きて、また朝日が出たときに眠る生活になります。昼間に連絡がつかなくなるのは申し訳ないと思うんですけど。 ──自分では怖くてできそうにありませんが、ちょっと理にかなっているような気もします。なにより自由な感じがしますね。 小原 でも、ルーティンには憧れてるんですよ。モーニングルーティンなんて、めちゃくちゃ憧れてますから。やっぱり「何時に起きて何時に寝る」って徹底したほうがいいんでしょうけど、ただ、その時々の感じで生きているのが失敗につながって、その失敗がまた気持ちの揺れ、ひいては言葉や文になるとも思ってるんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「人生における“サボりの期間”が、その後の糧になる」下田昌克のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 色鉛筆による生き生きとしたポートレートなどで知られる画家/イラストレーターの下田昌克さんは、近年のライフワークとして、キャンバス地で恐竜の被り物を制作している。恐竜の化石が放つ本質的なカッコよさをポップに落とし込んだ被り物を「衝動的に作り始めた」という下田さんに、その創作の経緯などについて聞いてみた。 下田昌克 しもだ・まさかつ 1967年、兵庫県生まれ。1994年から2年間、世界各国を旅行。旅行の絵と日記をまとめた『PRIVATE WORLD』(山と渓谷社)を出版し、絵の仕事を始める。2011年よりプライベートワークでハンドメイドの恐竜のヘッドピースを作り始める。2018年、COMME des GARÇONS HOMME PLUSがAWのメンズコレクションのショーにて、そのヘッドピースを採用。2021年、Virgil Ablohからの依頼で制作したマスク、ヘッドピースがOff-White/Fall 2021/Paris,Franceで使われる。絵本『死んだかいぞく』(ポプラ社)が、イタリアにてボローニャ・ラガッツィ賞2024特別部門「海」で特別賞(Special Mention of the 2024 BolognaRagazzi Awards for The Sea – 2024 Special Category)を受賞。2024年には、音楽劇『死んだかいぞく』が上演された。 何もうまくいかなくて、海外を放浪した2年間 ──下田さんはどんな人に影響を受けて、アートやデザインの世界に興味を持ったのでしょうか。 下田 子供のころは手塚治虫が好きでしたね。10代になってからは、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグの映画を意識して観るようになりました。『スター・ウォーズ』や『E.T.』とか、当時は「これが観たかったんだよ!」っていう感じで。 ──その後、美術系の学校に進まれますが、最初からアーティストを志していたわけではないそうですね。 下田 だって、なれると思わないじゃん! 子供のころは絵を描けば褒められたけど、美術の高校に行ったら、クラスで一番ビリで、勉強もできなくて……。クラスのみんなが美大を目指してるのに、ひとりだけ先生から美大進学の話を一回も聞かれないまま卒業したくらいだったので、絵で仕事ができるとはとても思えなかったです。 それで、会社員になったんですけど、全然うまくいかない。結局、会社をクビになったから、親のお金でデザインの専門学校に行かせてもらったものの、就職したデザイン事務所も1年でクビ。それからアルバイトをいろいろやってみたけど、それも全然続かない。本当に何をすればいいのかわかんなくなって、一度、働くということから離れてみようと思いました。 ──そこから、海外を放浪することになったと。 下田 最初は国内を自転車でブラブラ回ってたんですよ。まだ若かったから、人の家に泊めてもらったり、食べ物を食べさせてもらったり、アルバイトさせてもらったりしながら過ごしていたら、初めて貯金できて、100万円くらい貯まった。 ──すごいですね! 下田 それで、そのお金を持って海外旅行に行ったんです。なんとなく日記でも描きそうな気がしたので、スケッチブックと色鉛筆をカバンに入れて。中国からチベット、ネパール、インド、ヨーロッパなんかを回ったんだけど、時間を持て余してやることがなくなったときでも、日記帳に撮った写真を貼ったり、絵を描いたり、日記を書いたりしていました。学校の宿題の日記なんて一度もちゃんとつけたことないのに。旅行していた2年間で、出会った人たちの絵は500枚くらい描いたと思います。 下田さんが海外を旅したときの日記 ──下田さんの視点で旅の空気感がパッケージングされていて、スクラップブックみたいな作品になっていますね。中でも人との出会いは大きかったんですね。 下田 風景を描いてみたりもしたけど、人としゃべりながらその人の絵を描いたりするのが楽しくなって。そこで、「仕事にするのは無理だとしても、こういうことを一生続けていけたらいいな」ってなんとなく思うようになった気がします。 とにかく絵の仕事に専念してみようと「自称絵描きに」に ──ポートレートに関しては、このころからあまり作風が変わらないように思いますが、旅の中で生まれたスタイルなんですかね? 下田 そうですね。ずっと変わらない。持ち運びやすいし、すぐ描き始められるし、どこでも手に入るし、片づけもいらないから、色鉛筆は自分には合ってたと思います。人の描き方も、目の前に座ってもらっているから時間がかけられないし、向かい合ってずっとしゃべりながら描くから正面の顔ばっかりになって、こういう絵になった。 ──それがきっかけで、絵の仕事をされるようになったんですね。 下田 旅行から帰ってきて、写真や絵をまわりの友人などに見せていたら、人づてに週刊誌の連載の話をいただいたんです。もちろん、最初は絵だけじゃやっていけませんでしたよ。でも、絵を描くことで関わったデザイナーさんや挿絵を描いた小説家の方など、会う人たちがおもしろい人ばかりだったので、もっと絵の仕事をやってみたいと思うようになって。 それで、アルバイトの求人もなくなってきた30歳のタイミングで、絵の仕事だけで一度やってみようと思いました。ダメだったら、またバイトして考えようかな、くらいで。 ──「描きたい絵を描く」のと「仕事として絵を描く」のは違うと思いますが、「とにかく絵を仕事にする」という気持ちが大きかったのでしょうか。 下田 そうですね。絵の仕事ならなんでもよかったんですけど、きっかけが旅行中に描いた絵だったから、自分の描きたいものを作らせてもらえることも多かったです。小説の挿絵とか、題材があって「何を描こうか」って考える仕事も大好きですし。自分発信だけでやるほど中身もないから(笑)、両方できてよかったと思ってます。 ──自分から発信する場合、何かテーマや題材などはあったりするのでしょうか。 下田 作りたいものがあって、それをどうやってかたちにするか考えたり。たとえば、最初の絵本は、旅行中に描いた風景画をつなげていったらお話になりそうな気がして、絵本を作ってみたいと思って。とりあえず自分で1冊作ってみて、コピーして製本して出版社を回って、「これが作りたいんだけど、どうしたらいい?」って聞いて回りました。 ──物語を考えたりするのも好きなんですか? 下田 好きは好きだけど、その風景画の絵本のときは、とりあえず絵だけで作ってみて、本になることが決まったときに「文章どうしよう」って聞かれて。誰か文章を書ける人がつけてくれるもんだと思ってたら、「僕が書くの!?」みたいな(笑)。先に絵でお話を作っちゃったから、自分しかいないといえばいないんだけど、本当に何も知らないまま作ってたので。 欲しいものがなかったから、自分で作ることにした ──恐竜の被り物も、なんとなく興味の向くまま手を動かしたことが制作のきっかけらしいですね。 下田 2011年に、恐竜博に行ったのがきっかけで。久しぶりに見た恐竜の骨格標本がすごくカッコよくて、買い物をする気満々でミュージアムショップに行ったら、そのときは欲しいものが何もなくて、図録だけ買って帰ったんです。 家に帰ったら、絵を描くキャンバス用の布が丸めて置いてあって、なんとなくそれを切ってトリケラトプスの角とかを作ってみたんですよね。なんとなくだから、サイズも自分が基準になってて、なんか被れそうなものができ上がったから被ってみたら、「おお〜っ!!」と思って。2次元にはない、原始的な興奮を感じた気がしたんです。 ──絵では表現できない何かを感じた。 下田 しばらくは絵も描かずに、ずっと作ってましたね。 ──キャンバス地で恐竜の被り物を作るのも、意味やテーマはないんですね。 下田 そう。たまたま恐竜博に行って、布があって、ガムテープやホッチキスを使って形にしてみただけで。でも、作っているうちに、だんだん「中に何か詰めたほうがいいな」とか「ミシンを買ってみようかな」とか「身につけるっていうのがおもしろいな」とか思うようになって。だから、全部あとづけ。仕事につながるなんて思いもしなかった。 ──それを周囲の人が見てくれたことで、広がりが生まれたんですか? 下田 でも、最初はちょっと怖がられてましたよ。絵も描かずに急に恐竜を被り始めたから、本当に心配してる人もいて、「今だから言えるけど、あのころちょっと怖かったよ」みたいな(笑)。僕は僕でカッコいいものができたと思ってるから、毎日のように持ち歩いて被ったりしてたんだけど、たしかにちょっと怖いですよね。 ──ただ、中にはおもしろがってくれる人もいた。 下田 そう。たとえば、一緒に絵本を作る仕事で出会った谷川俊太郎さんは、わりと最初から率先して被ってくれました。それで谷川さんと会うときは一番新しい恐竜を持っていくようになったら、谷川さんが「これに詩を書くから、連載できる場所を探してきて」って言ってくれて。それがきっかけで雑誌の連載が始まって、世に出るようになりました。でも、撮影してくれた藤代冥砂さんもそうだけど、仕事というより単に楽しんでくれてたのかもしれない。 原点は、ひとりで行った映画館の暗闇 ──被り物以外にも舞台の美術や小道具、衣装を手がけられたり、活動の幅を広げられていますが、それぞれ向き合い方などは違ったりするのでしょうか。 下田 道具や材料が変わるだけで、一緒ですね。一生懸命やります。スタイルを変えたとか言われることもあるんだけど、全然変えてませんから。そのときの自分のブームによってやることが違ったり、いただいたテーマによってやり方を変えたりしているだけなんで。自分のスタイルみたいなものに特にこだわりがないというか、スタイルと呼べるほどのものを持ってない(笑)。 ──では、「こういうことをやってみたい」「こういう絵を描きたい」といった展望も特にない? 下田 ないですね。そういう作戦とか考えたほうがいいんだよな、本当は。でも、手を動かしていると何かがやってくる感じで。 ──恐竜との出会いはまさにインスピレーションが刺激された経験だと思いますが、同じようにインスピレーションを得た経験はほかにありますか? 下田 なんだろう、映画とかライブとか展覧会とか、いろんな本とか。小学生のときから、ひとりで映画館に行くのが許されてたんですよ。僕は落ち着きのない子供で、授業中にじっとしてられなかったりしたこともあったんですが、劇場や映画館は大好きで、そういうところでは静かに大人しくできた。あと、コンサートやお芝居は親に連れていってもらって、劇場で「ここは大人の場所だから、大人にしてなさい」と母親に言われたのをすごく覚えている。 まわりに子供がいない感じが妙に好きだったんですよ。友達と遊ぶのも好きだけど、ひとりで映画館に行って、暗闇の中で「落ち着く」とか思うような小学生でした。それが中学になると映画を観たついでにジャズ喫茶に寄ったりするようになって、高校になると洋書屋さんに立ち寄ってアートを見たりするようになった。そうやってひとりで観て、読んで、聴くことでふくらんでくるものがあって、いまだに創作の材料になっているような気がします。 ──10代で出会うものって、特別ですよね。 下田 やっぱり一番強烈なんだよなぁ。あのころいっぱい遊んでよかったと思う。当時、地元の神戸でRCサクセション、YMOのライブも観に行ったりしてました。一応学校ではまじめにやってたんですよ、まじめにやってるのに成績がビリだったっていうだけで。一番カッコ悪い(笑)。 創作は、自分の中の“好きな点”がつながることで動き出す ──「サボり」がこの企画のテーマなんですが、下田さんにとっては人生におけるサボりの時間が大きそうですよね。10代の過ごし方もそうですし、2年間海外にいたのも大きな意味でサボりといえそうです。 下田 まあ、学生時代はサボってたんでしょうね。だからこそ、あのころに観たものが深く刺さってる気がする。ずっと取っておいてあるんだよね、当時の映画やお芝居のチケット。今と違ってカッコいいでしょ。 当時のチケットの束 ──すぐに出てくるのがすごいです。 下田 宝物だもん。僕の札束だよ。たまんなくない? ──たまらないですね。このころが特別な時間だったことが伝わってくるというか。 下田 友達と行くこともあったけど、このチケットはだいたいひとりで行ったものだと思う。 ──ひとりだからこそ、自分の中で熟成されるようなこともありますよね。 下田 どうなんだろう。でも、たしかに自分の作るものも、何もないところから湧いてくるんじゃなくて、過去に観たものや、知ったこと、経験したことなんかが点としていっぱいあって、それが何かの瞬間にビャーッとつながる感じですね。そういう“好きな点”がいっぱいあるといいですよね。サボりながら、遊ぶようにその点を作ってこられたことは、自分にとってよかったと思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「うまくサボって、コンテンツ作りに効率と持続性をもたらす」橋本吉史のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 TBSラジオで数々の人気番組を立ち上げてきた、ラジオプロデューサーの橋本吉史さん。TBSラジオ退社後は、配信者やパーソナリティとして自らトークを繰り広げるなど、プロデュース業に留まらず幅広く活動している。そんな橋本さんに、クリエイターとしての原点や番組作り、幅広い活動の背景などを聞いた。 橋本吉史 はしもと・よしふみ 1979年、富山県生まれ。プロデューサー/配信者。2004年、株式会社TBSラジオ入社。『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』、『ジェーン・スー 生活は踊る』、『アフター6ジャンクション』など、数々の番組を立ち上げる。24年にTBSラジオを退社し、フリーランスのプロデューサーに。文化人として芸能事務所sai & co.に所属し、ラジオに限らずさまざまなコンテンツでラジオ体験をプロデュース、番組パーソナリティなど出演者として活動、ライブ配信者としてのプロジェクトも立ち上げるなど、活動の幅を広げている。 クリエイターとして必要なものは、すべて学生プロレスから学んだ ──橋本さんが手がけるラジオ番組からは、さまざまなカルチャーのエッセンスが感じられますが、ご自身はどんなカルチャーに影響を受けてきたのでしょうか。 橋本 僕は地方都市で生まれ育ったので、東京に比べれば遥かにカルチャー不毛の地ではありました。だから触れられるエンタメもある程度は限られていて。やっぱりテレビの影響は強かったですね。バラエティ番組が好きだったんですけど、今思えば、お笑いというよりも企画性に惹かれていたような気がします。 特に、裏方であるスタッフも前に出てくるようなチーム感のある番組に憧れていました。それってすごくラジオ的な構造でもあるので、そういう意味でも自分にとってのルーツかもしれないですね。 ──世代的に、インターネットもまだ広まっていませんでしたね。 橋本 そうですね。だから、雑誌や本からも影響を受けていました。『smart』っていうファッション誌で、なぜかジャーマン・テクノみたいなディープなカルチャーを知ったり、大槻ケンヂさんのエッセイに出会って、B級映画やプロレスのおもしろがり方といった、サブカルチャー的な視点を学んだり。あとは、地元にシネコンができたので、映画もけっこう観てましたし、ゲームの進化とともに人生を歩んできたので、ゲームもずっとやってましたね。 ──不毛の地出身とはいえ、幅広いカルチャーに触れられてきたんですね。 橋本 でも、大学で上京したら、やっぱり東京は格が違うと思いましたよ。中でも学生プロレスとの出会いは自分のキャリアにとって決定的だったというか、クリエイターとしてエンタメを作る上での価値観は、ほぼプロレスから学んだといってもいいくらいで。 たとえば、プロレスはお客さんを沸かせてナンボなので、まず試合をどう盛り上げるかというところから教わるわけですよ。いきなり必殺技を出しても盛り上がらないから、ちゃんと振りを入れるとか。お客さんを惹きつける試合の構築は、まさにエンタメの基礎だったなと思います。 ──学生プロレスにもプロ意識が求められる。 橋本 僕らはプロと違って、学園祭やお祭りで通りすがりの人を立ち止まらせなければならないんです。興味がない人の心をつかむのって、すごく難しいじゃないですか。だから、いかにインパクトを与えて、そこからどう惹きつけるか、プロ目線で考える必要があったんですよね。ウケないと、僕らもやっててキツいですし。 ──なるほど。そういった経験は、ラジオの世界でどう活きてきたのでしょうか。 橋本 それこそ、入社するといきなりプロの世界に飛び込んで、厳しい視線にさらされるわけじゃないですか。最初からプロの世界で通用する人なんてまずいないので、みんな打ちのめされるんですけど、僕はそこで落ち込んだり、苦労したりすることはなかったです。 そういうものだとわかっていたし、「どうやったら伝わるか」をずっと考えてきたので、ラジオの世界でも同じように考えることは、大変だけどつらくないというか、むしろ楽しいと思えた。そこはプロレスをはじめとするサブカルチャー的なベースが活きたと思いますね。 いいパーソナリティは、正直で、共感されやすい ──プロデューサーとして最初に立ち上げられた番組は『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』ですが、当時、宇多丸さんがパーソナリティのサブカル的な番組という企画を通すことにハードルなどはなかったのでしょうか。 橋本 TBSラジオにはそういう土壌があったので、大変ではなかったですね。そのころ、僕も担当していた『ストリーム』という昼のワイド番組に、吉田豪さんや町山智浩さんといったサブカルアイコンみたいな方々が出演していて、番組の聴取率もよかったんです。 サブカルとラジオって相性もよくて。ちょっと踏み込んだ時事評論とか、カウンターカルチャー的な要素もハマって、サブカルファンがラジオ好きになってくれた。それで、知名度が高いタレントさんを起用しなくても、リスナーとガッチリハマるおもしろい番組なら勝てるという自信をみんなが持つようになったんです。 ──そのタイミングで宇多丸さんと出会ったと。 橋本 そうですね。宇多丸さんは初めて会ったときからポテンシャルが高い人だというのは一発でわかったので、すぐに特番の企画を出してやってみたら、「宇多丸さん、おもしろいよね」って上の人たちも支持してくれて、レギュラー化できたんです。 当時は自分もプロデューサーになったばかりでイキっていたので、数字が取れるか、スポンサーについてもらえるかといったことよりは、とにかく宇多丸さんのポテンシャルを信じて番組として企画を当てていけば大丈夫だろうと思っていました。数字が下がると怒られはしましたが、今思えば局の理解があったからこそ続けられたんでしょうね。 ──その後もジェーン・スーさんなどをパーソナリティとして起用していきますが、「この人いけるな」と思うポイントなどはあるんですか? 橋本 これはラジオパーソナリティに限らないと思いますが、まず「正直な人」であることです。「正直な人」というのは、自分が思っていることをきちんと言葉にできて、それを「本当にこの人が言いたいことなんだな」と伝わる話し方ができる人のことなんですけど、上辺だけで話していない、“本当らしさ”というのは大切で。 もうひとつは、共感されやすいかどうか。リスナーがなんとなく抱えているような違和感を言語化できると共感を得やすいんですけど、その瞬発力が高い人は向いていると思いますね。 ──ほかにも、数々のラジオ番組を手がけてきて、実感されたことはありますか。 橋本 月並みですけど、リスナーの重要性ですね。最初は過激な情報や強い情報をぶつけまくって、それをおもしろがってもらえたらなと思っていましたが、だんだん「リスナーと一緒に場を作る」という感覚を持たないと、ラジオっぽくならないなと感じるようになりました。 やっぱり、リスナーに「参加している」という意識を持ってもらえたほうが、番組も長続きするんですよね。ラジオ番組はコンテンツでありながら、コミュニティでもあると思っていて。リスナーにはパーソナリティの話を聞きたいという欲求だけでなく、その場にいたい、その場の一員になって連帯を感じたいという気持ちがあるから、ラジオはインタラクティブにやるのが基本になっているんでしょうね。 ──番組に直接投稿するだけでなく、SNSにリアクションを書き込むといったかたちで番組に参加しているリスナーもたくさんいますよね。 橋本 そうですね。おかげでどんな人がどんなシチュエーションで、どんな思いで聴いているのか可視化されて、リスナーのイメージが浮かびやすくなりました。もちろんサイレントリスナーのことを大切にしながら、ですが。それで気づいたのが、ラジオは心地よさが大事だということです。家事や仕事をしながらラジオを聴いている人にとっては、ひたすらおもしろいだけだとちょっと疲れるんですよね。 だから、パーソナリティと一緒にいたい、その人の話を聞き続けたいと思ってもらうことも必要で。それって、トークの技術なんかとはまた別の要素ですよね。その点で、『たまむすび』という番組をやっていた赤江珠緒さんの「愛され力」はすごかったと思います。 「ラジオ的なもの」がどこまで広げられるか追求したい ──現在は独立されて活動の幅も広がっていますが、その活動イメージや、ラジオをはじめとする音声メディアに対する考え方などを聞かせてください。 橋本 先ほど話したように、ラジオには音声メディアだけでなく、コミュニティとしての側面などがあるわけですよね。だから、受け手との距離が近いコンテンツやファンと一緒に作るようなコンテンツなら、ラジオで培ってきたノウハウが活かせるんじゃないかと思っていて。それで、ある商品とそのファンをエンゲージさせる場を作るとか、そういったラジオ以外の仕事もやるようになりました。 それに音声メディア自体も、今やラジオやポッドキャストに限ったものではないと思うんです。YouTubeだって映像メディアではありますが、トークがベースのコンテンツがたくさんあるじゃないですか。そう考えると、音声メディアの領域ってかなり広いものだといえますよね。 ──たしかに、そう考えると活動領域も広がりますね。 橋本 そうなんです。僕がTBSラジオ時代に手がけた最後のプロジェクトのひとつに、『龍が如く』というゲーム内で、『アフター6ジャンクション2』というラジオ番組を流すというコラボレーションがあるんですけど、それってラジオじゃなくてゲームなわけですよね。でも、プレイヤーはゲームの中でラジオを聴いている。ということは、「ラジオ的なもの」はいろんな媒体の中に存在し、体験できるんですよね。 だったら、ラジオというものを因数分解しながらその構成要素を追求して、いろんなものに当てはめてみたい。それでどこまで行けるのか、どんな景色が見られるのか知りたい。そう考えたら「放送局にいる場合じゃないな」と思ったのが、独立のきっかけなんです。 ──ラジオ以外の場でラジオ的な空間や体験を作るという意味で、実際に活動されていることはありますか? 橋本 配信プラットフォームの「Twitch」で配信者として活動しているのも、そういった文脈から始めたことではありますね。今の若い子にとっては、ゲーム実況が深夜ラジオみたいな場になっていたりするんですよ。視聴者が悩み相談のコメントを書き込むなど、単にゲームの実況を聞くというよりは、ラジオパーソナリティみたいな存在として配信者と接していて。 個人が毎日のように生放送していて、そこにファンがついている。これってもうラジオ体験ですよね。配信者の振る舞いやコメントを拾ううまさなんかも、ほとんどラジオパーソナリティなんですよ。実際に配信者の方に話を聞いてみても、コミュニティを作ることが重要だと言ってました。だから、若い子はラジオなんか聴かない、ラジオはもう終わっていく、みたいに言われがちですけど、実はまったく終わってない。 ──「ラジオ的なもの」は常に求められ、存在している。 橋本 はい。電波で聴くのがラジオだという時代が終わっても、媒体やかたちを変えてラジオっぽいコンテンツは残っていくと思います。そのひとつが配信の世界だという仮説を実証するために、自分で配信することにしたんです。 もともと配信文化も好きで、一度ちゃんと学んでみたいと思っていたのでやってみたら、ラジオリスナーの人たちも集まってくれて、普通に楽しいですね。ラジオリスナーのコメントセンスや距離感も配信にぴったりで、予想どおりラジオ的な感覚で違和感なくやれています。いずれはタレントさんを立ててプロデュースしたりすることも考えていましたが、今は自分が楽しんじゃって、実験どころか「配信者としてやっていこう」みたいな感じになっちゃってます(笑)。 サボりは、コンテンツ作りにおける超重要テーマ ──橋本さんは趣味と仕事が近い位置にある方だと思いますが、サボることってありますか? 橋本 会社を辞めた今だから言えますけど、僕はもともとサボるのが大好きな人間なので、サボるために仕事をしていたようなところはありますね。仕事も好きですけど、遊ぶことも好きなので、無意味にダラダラ働くのがイヤで、サボるために効率を追求していた。いうなれば積極的なサボり、「ポジティブサボり」ですね。「漫然と仕事してたらサボれないじゃん!」みたいな。 ──ポジティブサボり、いいですね。見習いたいです。 橋本 ポジティブにサボり方を考えるのって、クリエイティブな行為だと思うんです。「ここを効率化すれば、この時間までに作業が終わって、別のことができるな」みたいに、時間の作り方を考えたりするので。それに、無駄を省く作業って、番組作りにおいてもプラスに働くんですよね。 一方で、僕もネガティブサボりをしてしまうことはあります。スイッチが入るまでなかなか動き出せないタイプだし、やるべきことをギリギリまで寝かせてしまうこともある。「やり始めたら、やる気も出るんだよ」って言われても、「いや、わかってるけど、『やる気が降りてくるの待ち』なときもあるじゃん!」みたいな(笑)。 ──やっぱり最初の一歩を踏み出すのが一番大変ですよね。 橋本 そうですよね。突然スイッチが入ってギュッと仕事をするときもあるから、できないときはやらなくてもいいかなと思いつつ、罪悪感は常にある。自分でもそれはよくないと思うんですけど、人間だからしょうがない。だって、サボりを知らない勤勉な人って、ちょっと人間味が感じられないじゃないですか。 キラキラした人のインタビューを読むと、「要はやるか、やらないか。成功できないのは、やらないヤツなんだ」みたいなことを言ってますけど、「本当かな?」って思いますよ。実際は「疲れた〜」とか「めんどくせー」とか思うこともあるんじゃないかな。 ──「好きなことをやっているから、仕事とも思わない」みたいな人はたまにいます。 橋本 僕も好きなことばっかりやっているので、仕事と遊びの境界線はないし、仕事してるのか、サボってるのかよくわからないこともあります。でも、好きなことをしていても、作業工程としては好きな作業と嫌いな作業があるわけで、好きな作業だけで仕事が埋まることはないじゃないですか。仕事は好きだけど、そのために朝早く起きるのはイヤだっていう気持ちは矛盾しないと思うんですよね。 ──たしかに、やりたいと思っていた仕事の中にも、やりたくないことはありますね。 橋本 そういう気持ちも隠さず、積極的にサボっているところを見せていったほうがいいですよね。普段は全然会社にいないのに、大事な仕事はビシッと決めるような先輩とか、僕はそういう人に憧れていましたから。「会社でデスクに座ってるだけじゃ、いいアイデアなんて出てくるわけないだろ」って言われて育った、最後の世代なのかな。 それに、ラジオ番組作りも、やっぱりサボりがないとダメなんですよ。お話ししたように、ラジオは聴いている人を疲れさせちゃいけないので。それは作る側も同じで、現場が疲弊していたら、コンテンツとしてサステナブルなものにならない。お互いに長く付き合っていくためには、適度に緩急をつけた、サボりの要素が入ったコンテンツにする必要があるんです。 ──なるほど、コンテンツにも「抜け」のようなものが必要だと。 橋本 そうですね。だから、「サボり」って超重要なテーマですよ。今の時代にこそ必要なものだと思います。 撮影=NAITO 編集・文=後藤亮平
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「抜くときは抜いて、自分らしく楽しむ時間を作る」橋本和明のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 『有吉の壁』をはじめ、演出家・ディレクターとして日本テレビで多くの人気番組を手がけてきた橋本和明さん。2024年の独立以降は、テレビ番組や配信番組だけでなく、幅広いコンテンツに携わっている橋本さんに、その好奇心の源や、忙しいなかでのサボりについて聞いてみた。 橋本和明 はしもと・かずあき 1978年、大分県生まれ。東京大学教育学部を経て、東京大学大学院人文社会系研究科修了(社会学修士)。2003年、日本テレビ放送網株式会社入社。『有吉の壁』『有吉ゼミ』『マツコ会議』の企画、総合演出を務めヒット番組に。ほかにもドラマの演出・プロデュースや、映画監督なども務める。マツコ・デラックスをアンドロイド化した『マツコとマツコ』は、カンヌ広告賞でブロンズ賞を受賞。2023年、日本テレビを退社し、株式会社WOKASHIを設立。 原点は、大学時代に立ち上げたコント集団 ──橋本さんのルーツとして、大学の落語研究会での活動があるそうですね。 橋本 はい。東京大学の落語研究会でコントをやっていました。どうしてもコントがやりたくて、自分で「ナナペーハー」っていうコント集団を立ち上げたんです。作家の別役実さんのコントセミナーに通ったりして、自分で台本も書いて。とにかくお笑いがやりたかったので、「カジュアル兄弟」っていう恥ずかしいコンビ名で漫才もやってましたね(笑)。 ──大学時代はお笑いひと筋だった。 橋本 大学院に進んだのも、コントを続けるために大学生活を延ばそうという一心からで、お笑いへの熱量は当時から高かったと思います。学園祭でのライブにも力を入れていて、最初は20人くらいしか集まらなかったけど、客引きなどをがんばって盛り上げて、最終的には3日で1000人くらい動員できるライブにしていって。 学園祭でのライブが自分にとっての原体験なんですよね。お客さんが目の前で笑ってくれる、ライブを観て喜んでくれるって、やっぱり何事にも代えがたいことなんですよ。「生きててよかった」って本当に思うくらいで。芸人さんがお笑いをやめられないのも、すごくよくわかります。 ──そのまま芸人になるという道は考えなかったのでしょうか。 橋本 芸人になる勇気はなかったというか、自分がそこまでおもしろいとは思えなかった。同じ世代でお笑いをやっていた学生の中でも、かもめんたるや小島よしおさんがいたWAGEや、脳みそ夫さんなんかはプロになれると思っていたけど、自分は演者としては無理だなって。それで、テレビ局の入社試験を受けてみたら、たまたま日テレに拾ってもらえたので、運命だと思ってテレビの道に進みました。最初は報道採用だったんですけど。 ──報道だったんですね。意外です。 橋本 でも研修を受けてみて、やっぱり人間性的に報道は無理だなと。それで、人事に「報道じゃないと思うんで、舞台やりたいです」と言ったら、「甘えるな」ということで制作現場に配属されました。それでいつの間にかバラエティをやることになったっていう。これも巡り合わせですね。 準備を重ねた上で、予定調和が崩れる瞬間がおもしろい ──テレビ番組作りとなると、学生時代のライブとは違うと思いますが、ノウハウなどは現場で学んでいくものなのでしょうか。 橋本 そうですね、入社当時はまだテレビ界が近代化する前だったので……(笑)、ADとして徹夜で仕事するとか、きつい下積み時代がありました。それでも自分の企画をかたちにしたくて、企画書を山ほど提出して。2年目でようやく深夜番組の企画が通って、3年目でディレクターになって、7年目にゴールデンでレギュラー番組を担当するようになりました。 その後も、『ヒルナンデス!』の演出をやったり、『有吉ゼミ』を立ち上げたり、10年ぐらいはずっとバラエティ畑で。12年目でようやく『有吉の壁』というお笑いに特化した番組をやれるようになったんです。 ──『有吉の壁』まで「お笑い番組」と呼べるものは手がけられていなかったんですね。企画は出していたんですか? 橋本 めちゃくちゃ出してました。お笑い番組ってなかなか企画が通らないんですよ。『有吉ゼミ』が当たって、ようやく「そろそろこいつにお笑いやらせてやるか」と思ってもらえたんじゃないかな。でも、バラエティディレクターとして地肩を作る期間は必要だったと思います。 『有吉ゼミ』で初めて当たったのが、坂上忍さんが家を買う企画なんですけど、芸能人が本当に家を買うわけで、そこでリアルであることの大切さを実感しました。リアルなものをそのまま届けることで、バラエティとしての強度が生まれる。『有吉の壁』でも、その点は大切にしています。芸人さんたちがその場でネタを披露して、有吉(弘行)さんが即興で○×をつける。その様子を視聴者のみなさんにショーとして見せるって、リアルなことじゃないですか。 ──たしかに、芸人さんたちのリアクションや生き様なども含め、ドキュメンタリー的な魅力を感じます。 橋本 そうなんですよ。バラエティにおけるドキュメンタリー要素って年々強まっていて、ドキュメンタリー性がないものは観てもらえなくなってきてるんですよね。YouTubeやInstagramなどのあらゆる動画が視聴者の見る目や世界を変えたんだと思います。それによって、テレビが自ら現象を作って当てるようなことが難しくなり、リアルをいかに切り取って、人の感情を導くかという方向に舵を切るようになっていった。 そこで、観ている人の感覚をすくい取る能力がより重要になってくるんですけど、僕がずっと番組で伴走してきた有吉さんとマツコ(・デラックス)さんって、その天才なんですよ。ふたりとも台本がいらないタイプで、その場の肌感で流れを作ることができる。ふたりのそばにいるなかで、自分もそういった感覚が培われたというか、チューニングできるようになってきたところはあると思います。 ──では、台本や企画の狙いなどは用意しつつも、収録はその場の流れで進めていく、といった作り方が多いのでしょうか。 橋本 そうですね。『マツコ会議』なんかも、テーマについて調べたり、いろんな人に会ったり、準備に準備を重ねるのですが、収録では現場で起きたことに流されていました。マツコさんが、画面の端っこに映っていたこちらが意図しない人を「おもしろい」と言ったら、その流れに乗っていく。こちらが考え抜いて準備した予定調和が崩れていくからこそ、それを超えたものが生まれるんだと思います。 ──企画当初のビジョンに捉われると、それ以上のものは作れない。 橋本 そう、全部が崩れる瞬間が最高におもしろいんです。『有吉の壁』で、プールの水面に浮かんだゴザの上を走って、浮島で大喜利のお題に答えるというコーナーをやったんですけど、U字工事の益子(卓郎)さんがプールから上がってこない。みんなが「どうした?」って聞くと、結婚指輪を落としたと。 そうしたら、出演者がみんなで指輪を探し始めたんですよ、濁ったプールの底を足で探りながら。有吉さんも「指輪を見つけた人が優勝です」って言い出して、結果、パーパーのあいなぷぅが指輪を見つけるというミラクルを起こして優勝した。その瞬間、もとの企画とかそれまで獲得したポイントなんてどうでもよくなるんですよ。でも、結婚指輪をなくして焦る益子さんも、それをなんとかしなきゃと思う芸人さんたちの愛情も、全部リアルじゃないですか。あのときはすごいものが撮れたなと思いましたね。 答えのない問題と向き合う楽しさ ──独立後の活動について伺いたいのですが、やはりメディアなどの幅が広がると作る感覚も違うものですか。 橋本 全然違いますね。TikTokで『本日も絶体絶命。』っていうコント番組を始めたんですけど、10代のお客さんも多いなかで、最初の1秒半が勝負のコンテンツをどう作ろうか、参加してくれたハナコやかが屋、吉住と現場で議論しています。それで、振りの部分をバッサリ切って、何かが起こるところから始まるコントを作ってみたり。またそういう経験によって、テレビを作る上での視点も広がるんですよね。 ──いろんなルールの中で考えていくことで、引き出しも増えている。 橋本 そうなんです。いろんなルールを知って、いろんなテクニックを持っているほうが、これからの時代、絶対おもしろいと思うんですよ。バラエティの世界も、これからはコンテンツありきで進む、コンテンツファーストの時代になるはずなので、テレビマンとしての可動域を広げる必要が出てくる。独立してからの経験は、そのためのトレーニングになっていると思います。 ──逆にテレビマンとして鍛えてきたものが、ほかのメディアで活きていると感じることはありますか? 橋本 テレビで10年以上鍛えてきた力はすごく大きいです。特にたくさんのスタッフさん、タレントさんを活かしてプロのコンテンツを作ることって、テレビじゃないとできない経験なので。Netflixさんとお仕事してもAmazonプライムさんとお仕事しても、結局出てくるのはテレビ畑の人だっていう実感があるわけですよ。 そういう意味では、コンテンツメーカーとしてのテレビ局の未来って、全然暗いものじゃないと思います。マンガ業界はIP(知的財産)活用や海外進出など、マネタイズが多角化してより才能が発掘できるようになりましたが、テレビ業界も同じような進化をしていかなきゃいけないフェーズに差しかかっている。そこでテレビの真価が問われるようになったとき、多くの仲間と新しい表現に挑戦したいという気持ちはすごくありますね。 ──過渡期の中に身を置くことは不安や怖さもあると思いますが、橋本さんからはワクワクしたものを感じます。 橋本 楽しいですよ。日々いろんなお話をいただいて、「こんな宿題があるのか、こんなテーマがあるのか、どうしよう」って思いながら、答えのない問題と向き合っています。答えがないなかで第一投を投げることは怖くもありますが、見たことがないものを見ることができる楽しさもあって、刺激的なんですよね。 原点に立ち戻って、手作りで好きなことをやりたい ──さまざまなメディアでの展開のほかに、新たにユニットも始められるそうですね。 橋本 timeleszの佐藤勝利くんとダウ90000の蓮見翔くんと3人でコントユニットをやるんです。まずは『佐藤勝利のすべて』という、佐藤勝利がコントライブを作るまでのドキュメンタリー的なものをYouTubeでやって、実際に劇場でコントライブもやるっていう。これは仕事というより、好きな仲間と好きなことをしたいね、っていう話から始まった企画なんですけど。3人とも本当にお笑いが大好きで。 ──佐藤さんもお笑い好きなんですね。 橋本 そうなんですよ。普段、あまり表には出さないけどすごくお笑い好きで、自分でもやりたいってずっと言っていたので、こんな時代だし、やっちゃってもいいんじゃないかという話になって。今は3人で毎週朝10時から定例会議をやっています。スタイリストさんへの発注とかロケ場所の予約とかも勝利くんが自分で電話したりして、完全に手弁当です(笑)。 ──そんなに手作りなんですか? 橋本 そう、手作り。全部自分たちでやっています。テレビ局や配信プラットフォームに企画として持っていくと、仕事になっちゃうじゃないですか。でも、ここでは違うことをやりたい。再生回数も宣伝方法も考えず、やりたいこと、楽しいことをやりながら、だんだん仲間が増えていったらいいよね、って話しています。11月11日〜13日にニューピアホール竹芝で旗揚げのコントライブをやるんですけど、3人ともワクワクしながら中身を作っています。 だから、大学時代にコント集団を作ったっていう原点に戻ってるんですよね。ビジネスとして結果を出さなきゃいけない仕事が続いて、それはそれで楽しいんだけど、一方で自分が本当にやりたいこと、愛せるものを確立しておきたくて。それが今になって気の合う仲間とできるって、めちゃくちゃ贅沢なことだと思うんです。そのぶん、めちゃくちゃ大変ですけど。 ──でも、そういう熱量の高いコンテンツは時代にも合っている気がします。 橋本 今っぽいですよね。想いや熱量を応援してもらうっていう感覚がすごく強くなったと思います。ただ、YouTubeチャンネルもやるんですけど、再生回数競争に巻き込まれて実態を暴露したり、キツいことを言ったりしなきゃいけないような感じからも自由になりたいんです。 個人的にも、ギスギスしたものや、人間の本性を暴くようなものが苦手なんですよね。細々でもいいから、誰かを悪く見せることなく、仲間と楽しい場所を作って、応援してくれる人を増やしていきたい。そうやって生きていくことが自分の人生の目標というか、そういう場所にたどり着きたいと今は思っています。 サボって罪悪感を溜め込むからこそがんばれる? ──橋本さんのサボりについても伺いたいのですが、忙しいなかでついサボりたくなることはありますか? 橋本 昔からサボり癖はひどくて、できれば働きたくないと思うようなタイプなんですよ。休みの日は起きれなくてずっとゴロゴロしてたりしますし、夏休みの宿題は残り2日くらいまでやらなかったし。でも、サボるって罪悪感があるじゃないですか。その罪悪感を溜め込むことが僕にとっては大事なんですよね。 やっぱり人間って、サボるとそれを取り戻そうとがんばるじゃないですか。サボることは、がんばるための貯金になるんですよ。サボってサボって、自分を追い込んでようやくがんばれる。最後に帳尻が合っていればいいわけですから。 ──ダッシュするための溜めがサボりなんですね。サボりの反作用に自覚的な方の話はあまり聞いたことがなかったです。 橋本 だから、何をサボっているか、その実感だけは忘れないようにしています。「これとこれで人を待たせているけど、今日はやらずに映画を観に行こう」となっても、ちゃんとサボったことを覚えていて、翌朝急いでやれば許してもらえるだろう、みたいな。 でも、みんなそんなもんじゃないんですかね。リモート会議を仕切っているときも、画面をオフにしている人たちはそれぞれメシ食ったり、横になったりしながら聞いてるんだろうなって思ってます(笑)。でも、別にそれでいいというか。僕だって、横になってお菓子を食べながらVTRをチェックすることもありますから。 ──やることをやっていればいい。 橋本 多少サボっても、ここだけは押さえておかないと事故が起こる、人と揉めてしまう、失敗してしまう、といったポイントはわかっている。プロってそこが大事な気がします。逆に、サボってるという自覚がない人のほうがやりにくいこともありますよね。罪悪感もないまま、何も進めてくれなかったり……。 あと、サボってるときのほうがいろいろ思いつくんですよ。オンの状態で企画に意識が向きすぎても、いいアイデアって浮かばなくて。そこでいったん放置しておくと、シャワーを浴びたりしているときにふと思いつく。泳ぐのが好きで、無心で泳いでいるときに企画を思いつくことも多いです。やっぱり根を詰めるだけじゃなくて、抜くのも大事なんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「仕事もサボりも、その場に足を運んで体感したい」小西朝子のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 コント好きや演劇好きから一目置かれているイベント『テアトロコント』。そのキュレーションを手がけているのが、ユーロスペースの小西朝子さんだ。お笑い芸人や演劇人からの信頼も厚い小西さんのコント愛、演劇愛を伺いながら、そのアクティブなサボり方にも触れた。 小西朝子 こにし・ともこ 2015年、有限会社ユーロスペースに所属。東京・渋谷にある劇場「ユーロライブ」で開催されるコント公演『渋谷コントセンター』を担当。持ち時間30分でコント師と演劇人が競演するイベント『テアトロコント』のキュレーターを務めている。 公演の意義を熱弁したら、いつの間にか運営スタッフに ──小西さんがユーロスペースに所属し、コントライブを手がけるようになった経緯を教えてください。 小西 2014年の11月にユーロライブ(東京・渋谷にある劇場)が開館して、劇場主催の月例公演として『渋谷コントセンター』が始まったんですけど、それを普通に観に行っていたんです。劇場主催で、芸人さんの持ち時間が3〜5分ではなく30分というコンセプトがおもしろいし、いい試みだなと思っていました。でも、全然お客さんがいなくて。 それで、誰も気づいていないけど、劇場が主体となって発信して交流を生むことがいかに大事で、そうした場がいかに貴重か、といったことを小論文みたいにしたためた手紙をユーロライブに送ったんです。 ──すごい情熱ですね。 小西 当時読んだ、平田オリザさんの『芸術立国論』という本の影響などもあったと思います。そうしたら、社長の堀越(謙三)さんが読んで、連絡をくださって。30分という上演時間によるコントと演劇の違いは何か、コントと演劇を混ぜたらおもしろそう、といったことも手紙に書いたら、『渋谷コントセンター』と同じフォーマットで演劇も入れた公演をやってくれないか、みたいなことを言っていただいたんです。それがきっかけですね。 その公演が、『テアトロコント』なんですけど、最初は制作スタッフとしてテアトロコントだけを担当する感じだったのが、だんだん劇場のこともやるようになって、気がつけばユーロライブを運営している人になってしまいました(笑)。 ──最初からキュレーションなどもされていたのでしょうか。 小西 1回目は先に決まっていて、2回目からはキュレーションも含め好きにやらせてもらっていました。演劇のほうは、お笑い芸人を名乗っていないけど劇場でコント公演をしているような方々をブッキングして。最初のほうはただただがむしゃらでしたね。関係性のない方をゲストに呼んでアフタートークをお願いしたり、今だったら足踏みしてしまうような挑戦的だけど危なっかしいこともやっていました。 ──今はどんな基準でキュレーションをされているんですか? 小西 お笑いも演劇も、ファンの方ばかりじゃない場でも成立して、ウケることがひとつの基準ですね。あとは、新しいことをしていたり、そんなにお客さんを抱えていなかったりするような方もブッキングすることがあるんですけど、その基準を言語化するのはちょっと難しくて。私なりに「この人たちのものづくりは信頼できる」と思えるかどうかというか。強いて言葉にするなら、「人の意見やお客さんのウケに左右されず、自分がおもしろいと思うことをブレずに追求できているか」みたいなことかもしれません。 おもしろさを体感することが一番 ──ブッキングしたくなるようなおもしろい人たちは、どのように見つけているんですか? 小西 ひたすら劇場に観に行っています。それが一番おもしろさを体感できるので。特に信頼できる方から「おもしろいよ」と紹介されたものはできるだけ観るようにしていて。YouTubeなどの動画も観ますが、あまり集中力が続かないんですよね。ただ、YouTubeではたまに「コント」で検索して、芸人さんなのかどうかもわからないような人たちが上げているコントを観ることもあります。 ──キュレーターとして目をつけるポイントと、個人的なツボや好みに違いはあるのでしょうか。 小西 私は一緒かもしれないです。集客につなげるためにはバランスのいいブッキングをしたほうがいいかもと考えたこともありましたが、「それって私自身がやる意味があるのかな?」と思って。最近は自分の好みを判断基準にした、いわば偏ったブッキングのほうがいいと考えるようになりました。それぞれの価値観で選ぶキュレーターがいっぱいいることで、多様性も生まれるはずなので。 ──そのほうが「この人たちはおもしろいから観てほしい!」という熱も高くなるんでしょうね。 小西 はい。それが一番だし、たぶんそれしかできないなと。「おもしろいらしいです」って紹介するのが一番よくなくて、私がしっかり「おもしろいです」って言えないとお客さんにも悪いと思うんですよ。 ──お笑いも演劇も幅広く観られているなかで、最近の演劇シーン、コントシーンについてはどう見えているのでしょうか。 小西 テアトロコントを始めたときは、演劇とお笑いは別物だという壁があったように思いますが、最近はその壁がなくなってきている気がします。テアトロコントについても、以前は演者の方にそんなに興味を持たれてなさそうだなと感じることもありました。 でも最近は、演劇とお笑いの垣根を感じさせない方の話をよく聞くようになったんです。先日もアンパサンドさんという劇団と春とヒコーキさんというコンビに出てもらったんですけど、春とヒコーキさんがもともとアンパサンドさんを好きで観ていて、一緒になってうれしいと言ってくださいました。 さまざまな交流を生む場をつくっていきたい ──お笑いと演劇の交流について、テアトロコントをやっていて手応えや意義を感じられたことはありますか? 小西 そんなに大きな話ではないのですが、普段は積極的に演劇を観ないという芸人さんや、コントを観ないという劇団の方が、共演者の演劇/コントを観て、楽屋で少し話したりする。そういう交流から何か思ってもらえたら、一番うれしいですね。 特に演劇だとほかの組と一緒になる公演がそもそも少ないので、自分たちの上演を観たお客さんがほかの組の上演を観て別の反応をしていることが刺激になるみたいで。芸人さんのウケ方を目の当たりにして、「もっとウケたい」「もっと笑いを取り込みたい」と思って帰る方もいたりします。 ──30分上演するコントと演劇は何が違うのか、といった問いかけもありましたが、実際に同じ場で上演するなかで違いを感じることはあるのでしょうか。 小西 如実に違うのは、作る環境というか、文化ですね。演劇はやっぱりスタッフワークというか、照明、音響、制作、舞台美術、舞台監督といった役割込みで完成形に持っていく感じですが、芸人さんは本当に身ひとつなんです。単独公演では演劇寄りの制作体制でやっている芸人さんも、演劇とはまたちょっとやり方が違っていて。そこが近づくと、より多様な表現が生まれそうな気もするんですけどね。 ──テアトロコントについて、今後の展望などはありますか? 小西 テアトロコントは関西の劇団の方にもちょくちょく出てもらっていて、そういうご縁もあるので、関西でテアトロコントをやりたいなとは思っていました。コロナ禍になってその展望が一度潰えてしまったんですけど、また関西公演みたいなかたちでやれたらなと思っています。関東で活躍している方々にも参加してもらって、場所を超えた何かができたらいいですね。 ──コントと演劇という垣根だけでなく、地理的な垣根も引っかき回せたらおもしろそうですね。 小西 そうですね。お笑いでも劇団でも、関西の方って東京でもう一度売れないといけない、といったハードルがあるので、関東で認知を広めるお手伝いができたらいいですね。逆に、関東を基盤にしている方でもツアーができるような劇団じゃないと関西公演をやるような機会がないので、そのお手伝いもしたいですし。そういう活動をしていれば、地方で演劇やお笑いをやる人も増えるんじゃないかと思っています。 サボるために出かけるのか、サボるから出かけるのか ──小西さんは、やらなきゃいけないことを先延ばしにしてしまうようなことはありますか? 小西 テアトロコントの告知が迫ってきて、早くブッキングしなきゃいけないのに事務作業をやっちゃうようなことはあります。コントのことは置いておいて、とりあえずメールの返信をするとか。事務作業って、やればやるだけ進んで、仕事が消えていく感覚があるんですよね。 ──では息抜きみたいなことも意識するのでしょうか。 小西 やっぱり息抜きをしないと効率が悪くなってくることはありますね。そういうときは劇場とかじゃなくて、神社仏閣や史跡を巡ったりします。歴史が好きなので、本やドラマでポイントとなっていた場所に行くことが多いです。(NHKの大河ドラマ)『鎌倉殿の13人』に出てきた伊豆山権現に行ってみたり、読んでいた本で取り上げられた唐招提寺に行ってみたり。 ──いわゆる「聖地巡礼」的な。 小西 そうですね。劇場に行くのと同じで、実際に足を運んで体験することが私の中で一番大事なので。「寺が思ったよりデカい!」とかでもいいんですけど、その場で感じたこと、受け取ったものって、積み重なっていくような気がするんです。普通に温泉に行くのとかも好きですけどね。 ──日常的な小さな息抜きだと、どんなことが思い当たりますか? 小西 それも結局、どこかへ足を運ぶことかもしれないです。音楽のライブに行ったり、外でごはんを食べたり。もしかしたら、すごくサボりやすい人間なのかも。家に帰ると何もしないから、どこかへ出かけてるんじゃないかと思います。 ──それも嫌々だと続かないはずなので、やっぱり出かけること自体が好きなんでしょうね。 小西 そういえば、無理をしないことは大事にしてますね。「行きたい」ではなく「行ったほうがいい、行かなければならない」と思ってしまったことは、義務というか労働になってしまうので、やらないと決めています。 ──それは、絶対に観たほうがいい話題の映画でも、気分じゃないなと思ったら観ない、みたいなことですか? 小西 そうですね。ただ、トータルで「観たい」が大きくなるときもあるじゃないですか。乗り気ではなかったけど、観た人と「あの映画観ました」って話せるかなと思ったら「観たいかも」という気持ちが大きくなるとか。いろんな動機があるなかで、それでも「やらなければならない」と思っていたらやめる、という感じですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「仕事みたいに遊んで、遊びみたいに働く」林雄司のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、会社員として人気WEBメディア『デイリーポータルZ』の編集長を長年務め、2024年に独立し、デイリーポータルZ株式会社の代表として同サイトの運営を続けている林雄司さん。会社員時代から背伸びをしない等身大のビジネス書を手がけるなど、どこかサボりの香りがするクリエイターである林さんの「サボり観」を聞いてみた。 林 雄司 はやし・ゆうじ デイリーポータルZ株式会社代表。2002年に立ち上げたWEBメディア『デイリーポータルZ』をはじめ、『Webやぎの目』、『死ぬかと思った』などのサイトを運営。『世界のエリートは大事にしないが、普通の人にはそこそこ役立つビジネス書』(扶桑社)、『ビジネスマン超入門365』(太田出版)など、独自視点のビジネス書なども手がけている。 本当は「できませんでした」で終わりたい ──林さんは『デイリーポータルZ』を20年以上運営されてきましたが、独立による変化というのはやはり大きいのでしょうか。 林 単純に忙しくなったというのはありますね。編集が僕を入れてふたりになっちゃったんで、現場に同行するだけで1週間が終わっていく感じで。あと、営業もいないので、広告の引き合いなどがあっても対応が遅くなってしまったり、費用を安く言っちゃって後悔したり、そういうつらさもあります。 「いったん持ち帰ります」とか「僕はやりたいんですけど、上が……」とか、会社のせいにできなくなったんですよね(笑)。前は安めに言っちゃっても「上から言われまして」っていう言い訳で訂正できたのに、それが使えないのはけっこう厳しいなって思ってます。 ──誰かのせいにできないのは地味につらいですね。自分で会社をやるとなると大変なことも多いと思います。 林 でも、会社にお金が入ってくるのは、意外とうれしかったです。「もっと制作費を抑えればお金が余る」みたいな悪魔の誘い的な声が聞こえてきたりして、経営者がお金儲けに夢中になっていく気持ちがわかってきました。 ──では、『デイリーポータルZ』自体の変化について伺いたいのですが、WEBメディアとして、時代による変化をどのくらい意識されているのでしょうか。 林 けっこう意識してるつもりで、実際に変わってると思います。2000年代は、インターネットで『デイリーポータルZ』みたいな記事を読む人も少なかったんで、変わったことをやっていればいいというか、サブカルチャーな感じでしたね。「工作しようとしたけど、できませんでした! いや〜失敗、失敗」みたいな読み物も受け入れられていた。 でも、今は結果を求められるようになって、「できませんでした」って言ったら「なんで完成してないのに記事に載せてんだ、ちゃんとやれ」みたいに言われてしまう。今、YouTubeにも器用な人がいっぱいいるじゃないですか。下手な人がいないので、下手を売りにできなくなったというか。本当はね、失敗した人が落ち込んだりしてるところがおもしろいと思うんですけど、そういうのは受け入れられなくなった気がします。 ──たしかに、結果や情報が主体で、ドキュメント性の少ないコンテンツが多いかもしれません。 林 ホームセンターに行って材料買わなきゃいけないのにアイス食ってるとか、そういうのはないですよね。 ──「材料は100均で買えるよ!」でおしまいですもんね。実際に行ってみたらなかったりするんですけど。 林 ないんですよねぇ。まあ、僕も10秒ですごいものがバーンとできる動画とか、回ってくると見ちゃうんですけど。だから記事のほうでも、最近は「できない」で終わるものはなくなってきたと思います。ただ、「あんまりできるようになってほしくないなぁ」というのが正直なところで。ライターには得意なことばかりしないようにお願いすることもありますね。 ──では、逆に変わらず大事にしているようなことはありますか? 林 書き手のキャラクターが見えるようにはしています。人に読んでもらうために、入口は「すごく辛いカレーを出す店がある」といった“情報”にしましょうと言ってるんですけど、そこから「実家のカレーより辛い」とか、自分のことやよけいなことも書いて、書き手の存在を見せるようにしたい。そこはブレずにやってますね。 あと、ただ奇を衒(てら)うんじゃなくて、動機となるような軸があるかどうかは大事にしてます。以前、「豚の鼻を食べる」という企画があがったんですけど、企画したライターが特に豚の鼻に思い入れがあるわけでもなかったので、そういう場合は「じゃあやめよう」と言っています。逆にディズニーみたいな王道のテーマでも、ライターが個人的にすごく好きで、「ここが!」っていうポイントがあるなら扱ってもいいかなと思ってます。 やるべきことをすぐに始めたくない ──独自のおもしろさを追求して、記事として発信したりしていると、人から「楽しく働いている」と思われがちなんじゃないかと思いますが、実際のところどうなんでしょうか。 林 楽しく働くようにはしてます。本当に仕事してんのか遊んでんのかわかんないような感じで、なるべくやりたい仕事だけやるようにしていて。生意気ですね(笑)。でも、最初に「イヤだな」と思った仕事を、お金になるから、お世話になってるから、次につながりそうだから、みたいに考えて受け入れると、結局「うわ、やんなきゃよかった……」ってなるじゃないですか。だから、最初の直感は意外に正しいというか、大事にしてますね。 ──とはいえ、お仕事なので楽しいだけではないかと思いますが、現場や会議などで人と楽しくやるためのコツなどはありますか? 林 企画やアイデアにダメ出ししなきゃいけないときは、ひたすら低姿勢でお願いしてます。現場でも、思いつきで新しい提案をしてきた人に「却下」って言わなくちゃいけないときは、できるだけ冗談っぽく言うようにしてます。それくらいですかね。 ──林さんが機嫌よくやっていて、周囲の機嫌も損ねないようにしている。地味だけど、チームで動くときは大事なことかもしれませんね。 林 機嫌が悪い人がいたらイヤですよね。だから僕、お菓子買って行ったりしますよ。あと、撮影で集まっても20分ぐらいダラダラしゃべって、なかなか始めない。来てすぐ始めようとする人には「ちょっと待って。おしゃべりしましょう」って言いますから。「なに効率よくやってんだ」っていう(笑)。無駄話も大事にしてますね。 知りたいこと、わからないことは増え続ける ──「くだらないことをおもしろがって楽しむ」って、年齢とともにモチベーションが下がるというか、できなくなってきませんか? 林 そういうことはないですね。たぶん、自分には子供がいないし、介護もしていないので、くだらないことに時間を使えるのが大きいと思います。興味を持つ対象なども変わらずで。何かを知れば知るほど、またわかんないことが増えて興味を持ったりしています。 でも、下品な企画は恥ずかしくなってきたかもしれない。この前も検尿用の折りたたみ式のコップが売られているのを見て、「これで飲み会やったらおもしろいかな」と思ったんだけど、さすがにそういうことはやれなくなりました。「若かったらまだかわいげがあるけど、おっさんがやってたらキツいな、見たくないな」って。 ──たしかに、人からの見え方は変わっていくので、そういう意味で「いい年だから」とブレーキがかかることもありますね。 林 だから、僕が若いYouTuberだったら、きっと炎上してたと思います。ちょっと前に、交差点に布団を敷いて怒られたYouTuberがいたんですけど、僕、企画メモに同じこと書いてましたから。「本当にやらなくてよかったな〜」と思いました。 ただ今後、YouTubeは照れずにやってみたい気持ちもあります。無駄話的なものや、その場の雰囲気、行間的なものを伝えるのなら、動画がいいんじゃないかと。工作するつもりが、木材を買うのに右往左往してるだけの動画とかいいですよね。 ──ほかに今後やってみたいことなどはありますか。 林 笑い屋さんを呼んで、絶対に爆笑になるお笑いイベントをやりたいと思ってるんですよ。スベるのは恥ずかしいじゃないですか。でも、これなら何をやったってウケるので、気持ちがいいっていう。実際に笑い屋さんの事務所に電話してみたら、けっこう安くお願いできることがわかったので、演者からお金をもらえば成立するんじゃないかと思ってるんです。素人参加型のオープンなイベントにして、おもしろいことをやりたい人たちを仲間にできたらいいですね。 屋上でサボるのが好き 愛用の双眼鏡で東京を眺める林さん ──林さんの「サボり」について伺いたいのですが、サボりと聞いてどんなイメージが浮かびますか? 林 喫茶店にいる会社員のイメージ。僕は打ち合わせに行くと、絶対にまっすぐ帰らず喫茶店に入っちゃいますね。スマホを見ると負けた気がするので、ぼーっと外を眺めたり、ひたすらぼんやり過ごすんです。 あと、展望台にも登ります。「三軒茶屋に来たから、キャロットタワーに登ってみよう」とか。休みの日にわざわざ行かないけど行くとおもしろい場所って、サボるのにちょうどいいんですよ。渋谷に事務所があったときは、渋谷スクランブルスクエアの年間パスポートを買って、しょっちゅう屋上に行ってました。 ──展望台や屋上では何をしているんですか? 林 アプリで上空を飛んでいる飛行機がどこの会社なのかわかるので、それを調べたりしてます。あと、屋上が好きすぎて双眼鏡を買っちゃいました。星空を見るための、倍率が低くて視野が広い双眼鏡があって、それで東京を眺めるんです。 アプリで飛行機を特定する林さん ──サボりグッズを日常的に所持している方は初めてです。さすがですね。ほかにも携帯しているものはあるのでしょうか。 林 いろいろ持ち歩いてるんですよ。温度と気圧のログが取れる温湿度計とか、液体とか金属の温度が測れる温度計とか。あんまり使ってないんですけど、何か測りたくなったときに「持っておけばよかった〜」って思うのが癪(しゃく)なんで。前に、西陽に当たってすごく熱くなったゴミ箱があって、温度を測りたかったのに測れなかったのがすごく悔しくて。 もしものために携帯している温度計 ──サボってはいるけれど、ちゃんとネタにしている感じもしますね。 林 記事になるかはわからないけど、気になったことは調べちゃいますね。スクランブルスクエアの屋上から見たら、品川方面のビルの高さがみんな同じだったので調べてみたら、羽田空港があるから高さの制限があるとわかったり。そういう発見はメモしてます。 趣味は「一銭にもならない仕事」 ──著書の『ビジネスマン超入門365』でも、サボりのテクニックのようなものが紹介されていますよね。「どこかに直行したことにするときは、つじつま合わせの行き先をメモしておく」とか。こういったものは、どのくらいご自身の経験がもとになっているのでしょうか。 林 ほとんど自分が経験してることかな。「直行直帰」ってホワイトボードに書いたときは、ちゃんとウソを貫き通せるように設定を考えてました。人事の人が見てたりして、バレるとけっこうな怒られ方をするので……。でも、会社を辞めてみると、やっぱり会社員ってラクだったなって思うんです。だって、雇われてる側としては、最小の労力でお金もらうべきだし、なるべくサボったほうがいいですもんね(笑)。 ──では、もっとシンプルに息抜きや趣味として楽しんでいることはなんですか? 林 趣味ってあんまりないんですよ。全部が趣味みたいなものだけど、仕事に関わらないものがほぼないので。パソコンでゲームをやっても、トラックで荷物を運んだり、車を洗ったり、パソコンを直したりしていて、遊んでるときにやってることが全部仕事っぽくて。一銭にもならない仕事は楽しいですね。 ──「一銭にもならない仕事」って、もう趣味ですよね。 林 そうですね。知り合いの経営者も、スキマバイトアプリに登録してコンビニでバイトしてるって言ってました。現場で働くのが楽しいみたいで。僕も知らない業界のハウツー本が好きで、本当はSEOの本とか読めばいいのに、消防士のホースのたたみ方とか、料理の盛りつけマニュアルとか、体育教師の指導要領とかを読んでます。 ──趣味としての仕事って、大人のキッザニアみたいなものだと考えたら、ちょっと需要がありそうな気がします。 林 あったらおもしろいですよね。僕もドラッグストアの品出しとか、ちょっとやってみたい。『Airbnb』で趣味として人の家に泊まれるようになったので、次は趣味として人の仕事をやるようになってもおかしくないと思います。 ──サボりとはかけ離れてしまいましたが、興味深いです。ちなみに、あえてシンプルな趣味をあげるとしたら……? 林 古本屋に行くか、ミスドに行くぐらいですね。 ──サボってるときと変わらない(笑)。ありがとうございました。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「自分の中の衝動と向き合い、うまく付き合う」越智康貴のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 フローリストの越智康貴さんは、ショップを経営するほか、イベントや広告などでフラワーアレンジメントを手がけている。花の美しさを引き出す作品だけでなく、写真や文章でも注目を集める越智さんに、フローリストとしての考え方や、サボることの難しさについて聞いた。 越智康貴 おち・やすたか フローリスト/「ディリジェンスパーラー」代表。文化服装学院にてファッションを学んだのち、フローリストの道へ。2011年、ディリジェンスパーラーを開業。ショップ運営のほか、イベントや店舗、雑誌、広告などのフラワーアレンジメントを手がける。また、写真や文章の分野でも活躍している。 「向いてるな」という直感で花の道へ ──服飾系の学校を卒業されたのに、なぜフローリストの道を選ばれたのでしょうか? 越智 服飾の学校を卒業したら資格の専門学校に入学する予定だったんですけど、そのときに花屋でアルバイトをしていたんです。それで、「こっちのほうが向いてるな」と思って、すぐに独立しちゃいました。 当時は「手に職をつけなければ」という焦りがあって。それで、アパレル関係の会社に就職した友達などが、展示会やポップアップストアをやる際に「花を生けてよ」って頼んでくれるようになったこともあり、とにかく失敗してもいいから独立してやってみようと。そのまま10年以上が経ったという感じですね。 ──それでなんとかなるものなんですか? 越智 でも、最初の1年は本当に仕事がなかったし、請求書の作り方とかも何もわからなかったので、とにかく手探りのままなんとか生きてきました。4年ぐらいはショップの一部を間借りして花を売っていたんですけど、外に出る仕事が多くなってきたころに、「表参道ヒルズのコンペに参加しないか」とお声がけいただいて。そのコンペに参加して店を出すことになり、会社化したあたりからちょっと流れが変わってきました。 でも、会社を作ってからの1〜2年も大変でしたけどね。店の固定費が跳ね上がって、人も雇うことになって。人間と働くのがイヤで独立したのに、あれよあれよと人間、人間……ってなっちゃって(笑)。 「花で表現はしない。花は花でいい」 ──外でも花の装飾などをたくさんやられてきたとのことですが、お仕事としてのターニングポイントなどはありますか? 越智 手応えのある仕事をひとつやったというよりは、グラデーションのように変わっていった感じですね。僕、スタイルがどんどん変わっていくんですよ、会社の経営スタイルでも、外から来る仕事でも。だから、いろんな仕事が連鎖していって、実力もついていったし、評価していただけるようにもなっていったと思います。 ──経営スタイルはどう変わっていったのでしょうか。 越智 僕は既存のやり方に則らない方向でしか物事を考えられなくて。インディペンデントな花屋なのに商業施設に入ったのも、そういう店がほとんどなかったからなんです。インディペンデントな小規模の花屋さんって、センスのいいフローリストさんがオーナーで、隠れ家的にやっていることが多かったんですよね。 でも、自分はそういう方法だと長く続かない気がして、店舗に立つ頻度なども減らしていき、店と自分を分離するようになりました。やっぱり店ってお客様が作っていくものというか、自分がいなくてもお客様のニーズに合わせて物事を展開していけば、それがいつの間にかブランドになっていくと思うので。 ──越智さんらしさにこだわらないんですね。 越智 もちろん僕のアイデアもありますが、ルールを壊していく発想が多いので、どうしても定着するのに時間がかかるんですよ。透明の取っ手がついた花を入れるためのバッグがシグネチャー的に有名になったんですけど、それも最初はみんな「何これ?」みたいな反応でしたし。 あと、花屋の特徴として、花を買いに来てくださる方+それを受け取られる方、ふたりのお客様がいるんです。買いに来てくださるお客様は花を贈るお相手のことをわかっているようでわからない場合も多いので、「お相手に合うものを花で用意するとしたら何がいいだろう?」と考えたり、わりと翻訳的な仕事が求められる。それによって自分たちも助けられ、店として成長していったところもあります。 ──外で装飾のお仕事をされる場合、依頼内容や目的などはありますが、もう少し表現する要素が強いかと思います。そこの違いはあるのでしょうか。 越智 それもあまり自分の個性みたいなことは考えてなくて。花で表現したいことも特にないというか、表現媒介として花を使うっていうことをなるべく避けようと思ってるんです。花は花でいい。だから、花屋の場合と同じで、頼んでくれた方が言っていることを翻訳していくイメージですね。 もちろん、それでも自分の視点が反映されて、どうしてもスタイルみたいなものはできてしまいますが、本当はそれも避けたい。自分の持ち味みたいなものには興味がないので、仕入れなんかもスタッフに任せたりします。 「なんか違う」言葉にできない感覚をどう生み出すか ──ひとつのスタイルや自分にこだわらないとのことですが、ずっと花と向き合ってきたことで、植物に対する考えや捉え方などは変わってきていますか? 越智 そうですね。生花もやってるんですけど、その影響は強いです。花の個別性や、「そこにある見えないもの」を重視するようになりました。その場に花が一輪あることで雰囲気が変わる、その雰囲気をそのままパッケージしたいと思ったりするというか。すごく感覚的な話なんですけど、そういった人の感覚的なものに頼るようになってきました。「なんか違う」ことをやっていると、見た人も「この花屋さんはなんか違う」と思ってくれる。そういう言語化できないことを徹底的にやっています。 ──「なんか違う」を生み出せたかどうかが、越智さんの中でOKかどうかの基準になっているとか。 越智 なんか違わないとヤバいっていうか、そこに驚きとか喜びがないとつまらないなと思っていて。一見何も気にならないのに、大きく見ると今までにない印象が生まれるとか、目に見えないものをそこに生じさせるとか、そういうことができないかずっと考えています。まだ全然成功してないんですけど。すごくめんどくさい話してますよね(笑)。 ──いやいや(笑)。でも、なぜそういう考えなのかは気になります。 越智 自分の中に3方向くらいの衝動があって、それぞれが緊張状態にあるんですよ。まずルールに縛られず自由でいること。同時に博愛的であること。そこが自分にとっての喜びにつながっているんですけど、一方で物事を持続したり変えなかったりすることにも安心を感じる。独立したいけど、博愛的でいたい。新しいことをやりたいけど、変化したくない。そういう方向性の違う衝動が自分の中でぐるぐるしてるんですよね。 ──それが仕事や表現にも影響している。 越智 そうですね。サイコロの出目みたいにどんどん変わるので、スタッフも困ってるんですけど、みんな慣れてきて無視するようになりました(笑)。文章や写真の仕事をやっているのも、そういう自分の中のさまざまな衝動を逃すためなんです。花では自分を表現していないし、それだけだと過集中しちゃうので。だから、自分らしさは文章で表現すると決めています。 ──文章ではどんな活動をされているんですか? 越智 仕事として短い話やエッセイを書いたりすることもありますし、個人的な制作として小説を書くこともあります。花や写真では自分を表現したいと思っていないにもかかわらず、そのことにストレスも感じてるんですよね。頼まれた仕事だけが世に出ることで、それが自分らしさだと思われてしまうから。 ──自分を正しく理解してほしい、といった気持ちもあるんですか? 越智 理解してほしいとはあんまり思ってないですね。ただ、愛してほしい。「こんなことを考えてるよ」「こんなことをしたよ」「こんなところに行ったよ」って、愛してほしくて書いてるんだと思います。あと、文章では「こういうことってあるよね」「こういうのはわかるかもしれない」っていう、言葉にできていなかった体験を人と共有したい気持ちもあります。 ──文章について、何かやってみたいことなどはありますか。 越智 いくつか話が溜まってきていて、ちょっとずつ人に読んでもらったりしてるんです。それがもうちょっと溜まったら、本にできるといいですね。 猫は神様が作った最高傑作 ──頭の中も仕事も忙しいと、サボりたくなったりはしませんか? 越智 サボってると安心できない状態になってしまうので、本当にサボれないんですよ。そういうものが必要な人もいることは理解できるんですけど、自分にはちょっと当てはまらないというか。純粋に趣味といえるものもほとんど存在しなくて。美術を観るのも、映画を観るのも、本を読むのも好きなんですけど、全部「自分だったらこうする」とか、何か制作したい気持ちと切り離せないものなので。 ──仕事や制作と関係のない時間がほとんどない。 越智 でも、猫を飼い始めたんですよ。対象を決めて、そのために時間を使っているぶんには大丈夫なので、猫と遊んだり、猫の世話をしたりしている時間が、自分にとってはサボるということなのかもしれないです。本当に時間貧乏性なので、何かしてないとダメで。 ──猫と戯れている時間だけは、そこから解き放たれているんですね。 越智 友達と遊んでいても、頭の中はめちゃくちゃぐるぐるしてるんです。でも、猫は思考を追う必要がない。猫の性質や動いていることから受け取るものもありますし、めちゃくちゃ猫のことを文章にしたりもしてるんですけど、仕事が絡んでないというか、「かわいい、OK」みたいな感じで。だから、「猫は神様が今まで作ったもので一番完成度が高い」「猫がもたらすものは世界平和だ」と本気で思ってます。 あと、文章を書くこともけっこうリフレッシュになりますね。そのときだけは考えていることが外に出ていくから、デトックス的な感じかもしれないです。しかも、最終的に人に見せることができるのも、自分としてはうれしい。 ──コーヒーを飲むとホッとするとか、そういう些細なレベルのものはないですか? 越智 食べ物も全然興味がないんですよね。先日、京都に5日間いたんですけど、ずっと朝はベローチェでサンドイッチ、昼はベローチェでホットドッグ、夜はカロリーメイトでした。友達とごはんに行くと、ちょっとしたビストロとかに入るじゃないですか。そういうのも一切興味ないんですよ。お酒も飲みますけど、けっこう強いからあまり酔わないし、リラックスすることもなくて。 「動いてるほうがサボれるんです」 ──安らいだり楽しんだりする時間も広くサボりとして伺っているのですが、基本的に活動していたいということなんですかね? 越智 僕の場合、安心、安全みたいなものがエネルギーや闘争心とくっついてしまっていて、活動的であることに安心するんです。だから、物事の持続や、発展・拡大を実感することでリラックスしてる。動いてるほうがサボれるんです。喜びを感じるのはまた別の領域なんですけど。 ──仕事と趣味の境目がなくて、結果としてサボりを必要としていない方もいますが、それともまた違いますね。 越智 母親の影響もあるかもしれません。母子家庭で、母親がずーっと働いてる家だったんですよ。それが安心のかたちを作ってしまったと思いますね。ただ、経理の人が「休むのも仕事だから、本当に休めるときに休んでください」ってすごく言ってくれるので、「なるほど、仕事か」と物理的に休むようにはなりました。 ──ちなみに、睡眠はしっかり取るタイプですか? 越智 睡眠もヤバくて。寝たり起きたりみたいなことが多いですね。猫も平気で起こしてくるから。睡眠にアプローチするアロマオイルにハマったり、いろいろトライしてますけど、なかなか難しい。夜中に目覚めたら、夢で見たものを全部メモしようとしたり、「こういうふうに編集すればいいんだ!」っていきなり動画編集を始めたりしちゃう。「どうせしばらく眠れないから、無理に眠ろうとせずに仕事しよう」って。本当にヤバい(笑)。 ──やっぱり猫と遊ぶしかないですね。 越智 でも、つい「いつか死ぬんだよな……」ってなっちゃう。2匹いるので、今は夜中に追いかけっこ始めて走り回ったりするから「ええ加減にせえ」ってなるんですけど、それだけが心配ですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「前例に捉われず、自分たちが楽しめるかを考える」サリngROCKのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 ちょっと不気味で不思議な作風で、関西の演劇シーンで活躍している劇団「突劇金魚」のサリngROCKさん。最近では映画『BAD LANDS』での怪演も話題になった彼女に、劇団独自のスタイルやルーツ、サボりマインドについて聞いた。 サリngROCK さりんぐろっく 劇作家/演出家。2002年、劇団「突劇金魚」を旗揚げし、大阪を拠点に活動。2008年に第15回OMS戯曲賞大賞、2009年に第9回AAF戯曲賞大賞、2013年に若手演出家コンクール2012優秀賞を受賞。2023年には映画『BAD LANDS』にて俳優として映画デビューし、第78回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。 就活がイヤで劇団旗揚げ…? ──演劇と出合ったのは、高校時代に所属されていたという演劇部ですか? サリngROCK(以下、サリ) そうなんですけど、高校のときはあまり演劇を知らなくて。大学に入学するころに、演劇好きの先輩に連れて行ってもらった「惑星ピスタチオ」を観て衝撃を受けて、小劇場の作品を観るようになったんです。 惑星ピスタチオの舞台って、オブジェみたいな抽象的な舞台美術で、その中で宇宙を表現したりしてたんですよ。体ひとつで人物や物語を想像させられるのがすごいなって。演劇で想像力を掻き立てられるという体験が初めてだったので、すごくびっくりしたのを覚えてます。 ──そこから大学で劇団を立ち上げるようになったきっかけは? サリ 当時の演劇サークルでは、先輩たちが卒業のタイミングで劇団を作っていたので、前例があったんですね。もうちょっと演劇をやりたかったのと、なにより就職活動がめちゃめちゃイヤやったんで(笑)、だったら先輩たちみたいに同級生と劇団をやってみようと。私は演出がやりたかったんですけど、脚本を書く人が誰もいなかったので、自分で脚本も書いたのが最初の公演でしたね。 ──立ち上げ当初から、劇団としてのコンセプトやイメージなどは決まっていたのでしょうか。 サリ 子供のころからかわいいキャラクターより幽霊が好きだったり、ティム・バートン監督の映画が好きだったり、ちょっと不気味だったり、痛々しかったりするものに惹かれるんですよ。だから、そういうドロドロとしたものを入れた、ひと筋縄ではいかない舞台にしようとは思っていました。 ──実際に公演をやってみて、手応えはありましたか? サリ とにかくやりきれたというのが大きくて。やりきることを続ける、初期はそれだけやったと思いますね。若手のための演劇祭にもとにかく出場していたんですけど、そしたら、劇場のスタッフさんが選ぶ賞をもらえて、劇場が使える権利をもらったんです。それが人から認められたほぼ初めての経験だったので、「この方向でいいんや、間違ってなかった」みたいに思えた気がします。 ──そこから公演を打ち続けるなかで、ターニングポイントなどはあったのでしょうか。 サリ 28歳のときに、OMS戯曲賞という関西の劇作家が欲しがる戯曲賞で大賞をいただいたんですよ。そこから観に来る人もガラッと変わって、「どんなもんやねん」って批評的に観られるようになり、「脚本は独特でおもしろいけど、演出と俳優がめちゃめちゃダメや」といったことを言われるようになりました。特に演劇の勉強をしてきたわけではなかったので、やっぱり未熟やったんだと思います。 それで、「何がダメなの?」と思うようになったころ、今も一緒に突劇金魚をやってる山田蟲男くんが劇団に関わるようになったんです。山田くんのほうがわりとロジカルに技術的なことも考えているタイプで、だんだん「だったら、こうしたほうがいいんじゃない?」って提案してくれるようになって。彼の言うことに応えようと、薦められた本を読んだり、作品を観たりしながら技術を身につけていったことで、徐々にできることも増えてきた。そう思えるようになってきたのは、ここ最近の話なんですけど。 活動の軸は「楽しく生きていくこと」 ──劇団を続けることは簡単なことではないと思いますが、ひたすら試行錯誤を続けるうちにここまで来た、という感覚なんですかね? サリ それに近いと思います。技術を身につけて客観的にわかりやすくなった作品は評判もいいんですけど、私独特のヘンテコな要素が薄まると、それはそれで「前のほうがよかった」と言われたりもする。でも、そこは絶対両立できるはずなので、今もヘンテコだけど伝わりやすいラインを探してます。そういう目の前の課題をただやり続けてきたというか。 あと、今は劇団も山田くんとふたりでやってる状態なので、ふたりが納得すればいい。だから続けられてるところもあります。それを「劇団」って言っていいのかよくわからないんですけど。 ──1公演で俳優2チームのWキャストにするといった独自のスタイルも、その結果のひとつなのでしょうか。 サリ 山田くんがけっこう前例に捉われないアイデアを出してくるんです。大人数のキャストを2チームにするのもそうで、私が「そんなんやってる人おらんけど大丈夫なん?」って聞いても、「論理的に考えたら、このほうがうまくいくんや」みたいな。 結果的に、俳優さんがケガや病気になっても中止にしなくて済みますし、関係者が増えれば公演の宣伝をしてくれる人も増えるので、そういう意味でも助かっています。それに2チームあるだけで、俳優さんたちがそれぞれ勝手にがんばってくれるんですよ(笑)。 ──切磋琢磨する状況が生まれるんですね。関西の小劇場というシーンなどはあまり意識されていないんですか? サリ 同世代とは友達感覚はありますけど、横のつながりを意識するようなことはあまりないかもしれません。「アイツら、なんかヘンなことやってんな」って思われてるんじゃないですかね。前例や風習に捉われないという意味では、裏方の仕事など、当たり前に人に頼んでいた仕事についても一から検討して、自分たちでできることはやろうとするから、まわりから変わった目で見られている気がします。 ──劇団としてのあり方にも捉われていない印象ですが、活動のイメージも変わってきているのでしょうか。 サリ ふたりとも40歳を過ぎたので、劇団の核になるものについて改めて話し合うようになったんです。それで、劇団を続けるとか売れるとかじゃなくて、我々ふたりが楽しく生きていくことを軸にしようと話していて。 次はどこどこの劇場でやろうとか、東京にも行かないといけないんじゃないかとか、そういうことは無視しようと。できるだけしんどいことは無理してやらんとこうというか。「自分たちの人生のためになっているか」が基準としてはっきりしてきたので、結果として、私が全然演劇をやらなくなる可能性だってある。そうやって縛られずに考えられるようになったのはいいことやなと思いますね。 映画初出演で感じた、演劇との違い ──最近では映画『BAD LANDS』への出演の話題になりましたね。ただ、最初は監督からのオファーを断られていたそうですが……。 サリ でも、映画の現場はめちゃくちゃ楽しかったです。演劇では、お客さんにちゃんと声を届けるとか、顔が見えるように立つとか、役者+お客さんで演じるんですよ。そこが楽しみのひとつでもあるんですけど、映画では目の前の俳優さんと演技すればいいだけなのがめっちゃ楽しくて。もちろん、映画でもカメラの位置やいろんなことを意識しなければいけないんでしょうけど、初めての映画出演だったんで、そこは今回は無視させていただいて。 ──裏社会に生きる林田というキャラクターを演じる上で意識したことなどはありますか? サリ かたちから入ることってめっちゃ大事だと思うんです。かたちを心がけてたら、中身も寄っていくというか。それで、なるべく瞬きをしないようにしたり、口を半開きにしたり、ちょこまか動かないようにしていました。あとは基本的に演出どおりにやれば成立するものなので、ヘンなことをやろうとしたり、「ちゃんと演じたろう」みたいな欲は出さないようにしました。そういうのって、バレるんですよね。 ──こうした経験をきっかけに、演劇でも自ら演じる機会が増えるような可能性もあるのでしょうか。 サリ あるかもしれないですね。演出をやりながらだと難しいところもあるし、外部の作品に役者として出ることにもあまり興味がないので、どういうかたちかはわかりませんけど。ただ、山田くんとは「二人芝居やりたいね」といった話もしているので、役者としてのウェイトが大きい公演を、ふたりで演出しながらやってみたいとは思ってます。 時間が許すなら、イヤになるまでサボり続ける ──サリngROCKさんは、「サボりたいな」と思ったりすることはありますか? サリ 私の仕事の場合、みんなで仕事してる最中にひとりだけサボって抜け駆けするようなことはないんですけど、やらなきゃいけないことがあるのになかなかできない、みたいなことならめっちゃあります。でも、結局締め切りに間に合うんだったら、それも必要な時間というか。 「スマホを見なきゃもっと仕事が進んだのに」って思うよりも、「私はそこでスマホを見る人間だし、この作品はそんな人間が作ったものなんだ」って思っちゃうというか。そういう達観みたいなものはあるかもしれない。 ──やっぱりサボるときはスマホを見てしまうことが多いんですかね。 サリ そうですね。SNSとか、YouTubeとか。そういうときはもう飽きるまで見続けます。逆にそっちがイヤになるまでやっちゃったほうがいいんじゃないかなって。結局、スマホを見続けられてるってことは、その時間が許されてるってことなんで。ほんまにやんなきゃいけなかったら、やるじゃないですか。 ──そのほうがすっきり切り替えられそうですね。もうちょっとポジティブなサボりというか、アイデアにつながるリフレッシュとしてやっていることはありますか? サリ お風呂に入ってリラックスしたら新しいアイデアが湧く、みたいなことがあまりないので、映画を観たり、偉人たちの戯曲を読んだりしますね。インスピレーションを受けようと思って観たり読んだりするわけじゃないんですけど、人のアイデアに触れることで何か考えたり、受け取ったりすることが多い気がします。 ──より趣味に近いかたちで楽しんでいるものもあるのでしょうか。 サリ これも創作ではありますけど、絵を描くことですかね。時間ができたら絵を描きたい。でき上がったものがパッと一瞬で目に入るのが好きなんですよ。脚本は「完」って書くのが気持ちよくても、一瞬で全部は見られないので。ただ、もうちょっと本格的にやろうとしたら、絵を描く手が止まってしまいそうな気もするんですけど。 ──では、より仕事に関係なくリラックスしたり、楽しんだりできる時間は? サリ スーパーに行って野菜を選んでるときです。別に料理好きなわけじゃないんですけど、「今日は自炊する余裕があるんだ」とか「普通の日を過ごせている」って思えるのがうれしくて。だから掃除でもよくて、余裕を感じられることがうれしいというか。 あと、最近はユニクロのお店に行ったり、サイトを見たりするのがめっちゃ好きで(笑)。新商品が次々出るので、チェックするのが楽しい。好きなブランドと似合う服って違うんだということがようやくわかってきたので、ユニクロでいろいろな服を試してて……ってどうでもいいか(笑)。 ──いやいや(笑)、そういうささやかな楽しみも聞きたいんです。 サリ コラボものとかは大きい店舗にしかないので、わざわざ発売日に自転車で遠い店まで行ってるんですよ。発売日がいっぱいあるっていいですよねぇ。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「サボりたくなる人間だから、短歌を書いているのかもしれない」伊藤紺のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 歌人の伊藤紺さんは、心のどこかにある感情、情景が呼び起こされるような歌で多くの共感や支持を集めている。3作目となる歌集『気がする朝』も反響を呼んでいる伊藤さんに、短歌との出合いや、歌が生まれる過程、サボりと創作などについて聞いた。 伊藤 紺 いとう・こん 歌人。2016年に作歌を始め、2019年に『肌に流れる透明な気持ち』、2020年に『満ちる腕』を私家版で刊行する。2022年には、両作を短歌研究社より新装版として同時刊行。最新刊は2023年に発売された第3歌集『気がする朝』(ナナロク社)。 短歌と出合って、すぐに投稿を始めた ──短歌と出合ったのは、大学生のときだそうですね。 伊藤 最初は小学生か中学生のときに教科書で見た俵万智さんの歌だと思うんですけど、そのときは特にすごいと思ったりはしなかったんです。でも、大学4年生の年末に突然俵さんの歌を思い出して、「あれ? なんかわかるかも、いい歌かも」と思って、そのまま本屋さんで俵さんの『サラダ記念日』(河出書房新社)と、あと穂村弘さんの『ラインマーカーズ』(小学館)という歌集を買いました。 ──読んでみてどうでしたか? 伊藤 歌集って400首くらいの歌が載っているので、よくわからないものもあったんですけど、繰り返し読みたくなるほど「いいな」と思える歌もあって。それから短歌や歌人についてネットで調べて、佐藤真由美さんの『プライベート』(集英社)という歌集と出合いました。とっつきやすい言葉でリアルなことが書かれていて、すごくおもしろくて。そのあとすぐ、2016年元旦に短歌を始めました。 ──「おもしろい」から「やってみよう」までが早いですね。なんとなく詠み方などもつかめたのでしょうか。 伊藤 いや、何も考えてなかったです。かわいいイラストを見て自分でも描いてみたくなるのと同じような、軽い感じでしたね。なんでもすぐにやってみるタイプではあったので、なんとなく1首書いてみて。それが2首、3首と書くうちに「いいかも」と思えてきて、母に読んでもらったりしていました。 ──人に見せるのも早いですね(笑)。 伊藤 書いたその日には当時のTwitterにアカウントを作って、短歌を投稿し始めてましたから。ただ、当時は短歌そのものに愛を感じていたというよりは、「わかる/わからない」という基準で判断しているところが大きかったし、まだ趣味にも満たないマイブームっていう感じでしたね。 でも、歌人の枡野浩一(※)さんが早い段階で「いいね」してくださって、「あれ、才能ある……?」みたいな(笑)。枡野さんは特別うれしかったけど、そうでなくても反応をもらえること自体が当時のモチベーションの一部だったと思います。 (※)簡単な現代語で表現されているのに思わず読者が感嘆してしまう「かんたん短歌」を提唱するなど、若い世代の短歌ブームを牽引した歌人。 「若い女性の恋心」を詠んでいるわけではない ──歌人として活動していくようになったのは、どんなタイミングだったのでしょうか。 伊藤 短歌を真剣に書き続けている人はみんな歌人だと思いますし、「歌人になる」というタイミングはほぼ存在しないと思うんですけど、肩書を「歌人」だけにしたタイミングはなんとなくありました。それまではライターやコピーライターとしても活動していて、特に短歌では食べていけない気がしていたし、そもそも作家は精神的に苦しいだろうから、あんまりなりたいとは思ってなかったんです。 だけど、どんどん短歌だけが調子づいてきて、ほかの仕事とは違う早さでいろんなことが進んでしまって、「これなのか……?」って。今でもたまにコピーを書くことはありますが、「歌人・伊藤紺」として、自分の言葉で書くものだけ、ということにしています。 ──手応えのある歌ができた、といったことでもなく? 伊藤 その時々で「書けてよかったな」と思える歌はちょこちょこあるんですけど、あとから思うとそうでもなかったような気がすることもありますし、これといった歌があったわけではないと思います。ただ、最近はいいと思える打率が上がってきたというか、外さなくなってきたような感覚はありますね。 ──では、周囲の反響による手応えはあったのでしょうか。2019年には私家版(自主制作の書籍)というかたちで最初の歌集『肌に流れる透明な気持ち』を作られていますよね。 伊藤 第1歌集は300冊作ったらすぐ増刷になり、(私家版も扱う)書店にも置いてもらえて、思ったよりも反響があってうれしかったですね。読者の方の解釈を聞いたりするのも新鮮で楽しかった。でも同時に「若い女性の揺れる恋心」みたいなよくある言葉がひとり歩きすることがあって、抵抗もありました。自分はそういうつもりじゃなかったので。 ──ご自身の中ではどんな作品、作風だと認識されていたんですか? 伊藤 当時はあんまりわかってなかったですね。「なんか違う気がするな」っていうだけで。少し成長してある程度見えてきたのは、作品内での他者への特別な感情について、恋とか愛とか友情とかっていう仕分けをあんまり重視していないということです。「情」って言葉が近いのかな。人間でなくてもよくて、動物や植物に胸がきゅうっと動くのも全部一緒でいい。登場人物の設定などを詳細に書かなくてもいいから短歌がおもしろかったのに、「若い女性の恋」だけになっていくことに違和感があったんだと思います。 でもやっぱり「きみ」とか「あなた」って入っていたら恋の歌に見えやすいし、事実、私は「若い女性」だったし、今の話を聞いても「恋だ」と思う人もいるはずで、それはそれでもちろんいいんです。自分にできることは、そういう違和感に向き合って、描きたいものを明確にしていくことなのかなって。 ──そういった変化は第3歌集の『気がする朝』にも反映されているのでしょうか。 伊藤 そうですね。歌を作るにしても、本当に書きたいことか、立ち止まることが増えたように思います。歌の並べ方もそうで、編集の村井(光男)さんがいわゆる恋っぽい歌をひいおじいちゃんの歌の近くに置く案をくれたとき、すごく見え方が変わることに気づいて。それは大きな発見でした。 歌になるのは、自分にとって「真実らしきもの」 ──伊藤さんの場合、短歌はどういう流れで作られているんですか? 伊藤 自分にとっての真実らしいものが見つかると、それが歌になると思うんです。自分にとってはそれが情とか自由、命みたいなものだと思うんですけど。生活しているなかで、そういう真実のかけらみたいなものを見つけたらメモしておきます。短歌を書こうと思ってパソコンに向かったときは、そのメモから広げていくことが多いですね。 まずは短歌にしてみて、それを読んで「こういうことじゃないな」とかって思いながら、改行しては書き直していく。ちょっとずつ軌道を変えていったり、突然思いついた方向にガラッと変えていったりしながら、いいと思えるかたちになるまで書き続けています。 ──考えてみれば当たり前なんですけど、やっぱりパソコンで作るんですね。 伊藤 申し訳ない(笑)。 ──いえいえ、さすがに短冊に筆で書いたりしていないと思いますが、なんとなくアナログなイメージというか思い込みがあったので。改行しながら書き連ねていくことは、思考の痕跡を残すためでもあるのでしょうか。 伊藤 そうですね。行き詰まったら過去に書いたものやメモを見返して、いいと思えた要素を取り込んだりすることもあるので。けっこうしょうもないことも書いたまま残しているから、あとで見るとひどいなって思うこともあるんですけど、いいものだけ残そうとするとカッコつけちゃうんですよね。なんでもいいから書き続けることが大事というか。 ──以前は完成までたどり着けなかったメモが、時を経てかたちになる、といったこともありますか? 伊藤 ありますね。時間が経って自分が成長したことで書けるようになる場合もありますし、時間が空いたことで客観的に見直せるようになる場合もあります。たとえば、「机と宇宙」という言葉の感じが気に入っていても、何がいいのかわかっていないと、下の句にたどり着けなかったりする。でも、時間を置いてから見直すと、そのよさや言葉の結びつきがわかることがあるんです。 ──何かを感じたときにメモしておく習慣があると、自分の感動や感情に意識的になるし、その気持ちを思い出すこともできるんでしょうね。 伊藤 そう思います。なるべく新鮮な状態で言葉にしておくと、言葉を解凍したときに食べられる、みたいな。メモせずにあとから思い出して書こうとしても、感動が言葉にたどり着かなくなることもあるので。 今は小石のような真実が、いつか世間の真実になるかもしれない ──『気がする朝』のあとがきに、短歌を書くことは「日常の些細な喜び」ではなく、「100%の満足」だとあったのが印象的でした。日常の中で「真実らしいもの」を見つけていくこと自体が生きることだという意味でもあるのかなと思ったのですが、いかがでしょうか。 伊藤 そうですね。でも、真実らしいことでなくても「お茶がおいしい」とか「木漏れ日がきれい」とかで心が大きく動くこともあるし、そういうふうに楽しく生きてはいける気もする。短歌と生きることがイコールではないです。 『気がする朝』は「このところ鏡に出会うたびそっと髪の長さに満足してる」という歌で始まるのですが、この歌もひとつの真実らしいものが基盤になっていて、その発見が歌になっています。その真実は私がそのへんで拾ってきた小石のような真実なので、きっと理解しない人もいる、というかそっちが多数派でしょうね。逆に自分が多数派だったら書こうとも思わないのかもしれない。 ──そういった気づきから、「自分」というものを発見していく感覚はあるんですか? 伊藤 あまり自分で意識したり実感したりしたことはないんですけど、あるかもしれません。自分の言いたかったことや思ったことを短歌にして、それを何度も読んだりするのって、自己理解にもつながりますしね。 でも、その小石のような真実を「みんなも本当はこうなんじゃない?」ってどこかで思ってるんですよね。100年後、1000年後、世間一般の真実になっているかもしれないって。だから、「自分」を発見するということにもつながっているけど、自分の特異性というよりは、いつかどこかで誰かと共有でき得るものだと思っているかも。 ──みんなが気づいていないだけかもしれない。そんなふうに、伊藤さんの歌によって自分では意識していなかった感情に気づいた、という経験をした読者も多いのではないでしょうか。それって作家としてはうれしいことですよね。 伊藤 よく言われます。すごくうれしいですね。ただ、そう感じてもらうことが短歌を作る目的ではないので、自分にとっての山頂を目指して歩いていたら、給水スポットの人がすごく優しかった、みたいな感じというか。 ──なるほど。では、伊藤さんの中で今後目指したい山のイメージなどはあったりするのでしょうか。 伊藤 書きたいと思ったものを短歌にするという意味では、毎回山頂に登ったような気持ちで作品を作っていて、登りきったところでまだ山頂ではないことに気づいたり、別の山に登ってみたくなったりする感じなんですね。 それで今、ちょっと登りたい山があって、「5・7・5・7・7」ぴったりの定型に帰ってみようかなと思ってるんです。作品作りを積み重ねていくなかで、どんどん定型から外れてきたんですけど、『気がする朝』で自分のやりたいことがすごくできたので、勉強がてら定型に戻ってみたいなって。いざやってみるとどうしても外れてしまうので、今は難しいと思いながら向き合っているところです。 「ずっとサボってゲームしてます」 ──伊藤さんは、作業をしなくてはいけないと思いつつ、サボってしまうようなことはありますか? 伊藤 ずっとサボってますね。ゲームしちゃうんです。最近は、落ちてくる数字を小さくまとめていくゲームとか、ブロックをそろえて王様を助けてあげるゲームとか。サボりっていうか、気がつくと8時間くらいやっちゃうこともあります。作品を作ったり、本にしているときが一番逃げやすいので、『気がする朝』を出したあとはそんなにやらなくなったんですけど。 ──やっぱり、やらなきゃいけないことがあるからこそ、サボりも発生するんですよね。 伊藤 そうですね。ゲームをやることが楽しいわけじゃないのに、サボってる間は楽しくなるんですよ。でも、もうちょっとちゃんとしたサボりというか、スーパーで買い物するついでに散歩したり、喫茶店で本を読んだりしてリフレッシュすることもあります。 ──リフレッシュを挟むことで、作業が進展するようなこともありますか? 伊藤 けっこうあります。散歩から帰ったときにメモしたいようなことが出てきたり、行き詰まっていた原稿がはかどるようになったり。5日くらい外出しないこともあるんですけど、そんなときも家事をしたり、お風呂に入ったり、何か食べたり、そういうことをちょこちょこ挟んだほうが調子は出やすいですね。 ──ずっと家にいられるタイプなんですね。1時間おきとかにできそうな、気軽な息抜きもあったりしますか? 伊藤 詩集を読んだりしますね。好きな1節とか1ページだけ読んで本を閉じると、「いかんいかん」って書きたい気持ちが戻ってくることがあります。小説だと戻れなくなっちゃうので、つまみ読みできるような詩集がいいんです。Instagramとかも見ますけど、猫の動画をずっと見ちゃったりして、「いかんいかん」を20回くらい繰り返すことになるので……。 ──戻れない感じ、すごくわかります。そういうブレを断ち切って、ストイックに作品に向き合いたいと思ったりすることはあるのでしょうか。 伊藤 うーん……ありますけど、たぶんそういうことができる人間だったら、短歌を書いてないんじゃないかなって思います。もっとお金がいっぱいもらえる仕事に就いたほうがよさそうじゃないですか。もちろん、芸術や文化を愛している人の中にもストイックに動き続けられる人は山ほどいるわけですけど、自分の場合は短歌と出合う前にやりたかったことが本当はたくさんあった気がするので、そのうちのどれかをしているんじゃないかな。そうじゃないからここに来てしまった感じがします。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「バラバラだけど、一緒にいる」三浦直之のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、劇団「ロロ」の主宰で、劇作家・演出家の三浦直之さん。「さまざまなカルチャーへの純粋な思いをパッチワークのように紡ぎ合わせ、さまざまな『出会い』の瞬間を物語化している」と評される作品がどのように生まれるのか、そのきっかけや創作の背景などを聞いた。 三浦直之 みうら・なおゆき 宮城県出身。2009年、日本大学芸術学部演劇学科劇作コース在学中に、処女作『家族のこと、その他たくさんのこと』が王子小劇場「筆に覚えあり戯曲募集」に史上初入選。同年、主宰として劇団「ロロ」を立ち上げ、全作品の脚本・演出を担当する。2016年、『ハンサムな大悟』で第60回岸田國士戯曲賞最終候補作品にノミネート。また、『腐女子、うっかりゲイに告る。』(NHK)など、ドラマ脚本も多数手がけ、共同脚本を手がけた映画『サマーフィルムにのって』はスマッシュヒットを記録した。 演劇と出会うも、いきなりの失踪…… ──三浦さんが演劇と出会ったのは、大学で演劇学科に進まれてからだそうですね。 三浦 そうですね。本当は映画学科に入りたかったんですけど、落ちちゃって。それで、受かった演劇学科のほうに進学しました。でも、それまでほとんど演劇を観たことがなかったんですね。宮城から上京してきて、演劇を知らなかったら友達ができないんじゃないかと思って、過去の雑誌の小劇場特集などをひたすら読んで、そこで紹介されていた劇団を片っ端から観ていくうちに、「演劇っておもしろいな」と思うようになりました。 ただ、大学内で立ち上げられた劇団のお手伝いみたいなことはしていましたが、自分で戯曲(脚本)を書こうなんて全然考えてませんでしたね。 ──では、何がきっかけで脚本を書かれたのでしょうか。 三浦 ロロのメンバーの亀島(一徳)くんとは同じ演劇学科で、亀島くんから「三浦くん、何か書いてみない?」と言われたのがきっかけです。亀島くんが演出で、僕が脚本で、一緒に何かやってみようという話になって。でも、僕は事務能力が皆無な人間なので、手伝っていた制作の仕事とかで追い込まれちゃって、失踪したんですよ……。 制作をやっていた劇団も公演が迫っていたし、亀島くんのほうも劇場を押さえていたので、別の脚本を見つけて公演を打つことになり、みんなにめちゃくちゃ迷惑をかけてしまって。僕はそのとき宮城に帰っていたんですけど、実家にもいづらくなって、3カ月くらい友達の家を転々としていました。 ──大学にも戻りにくかったでしょうね……。 三浦 もう人間関係は全部終わったなと思いながら、それでもさすがに大学には戻ったほうがいいだろうと思ったんですよね。戻ったら、制作を手伝った劇団の人とは連絡も取れなくなっちゃいましたけど、亀島くんとは大学でばったり会って。 そのとき、亀島くんが「三浦くんはマジでクソ人間だけど、やっぱり書くものはおもしろいと思うから、何か書けたら一緒にやろうよ」って言ってくれたんです。さすがにそこまで言ってもらったら、公演をやるかどうかは別として、一度書いてみようと思って書いたのが、ロロの旗揚げ作品『家族のこと、その他たくさんのこと』ですね。 ──いきなり舞台の脚本って書けるものなんですか? 三浦 上演する予定もなかったので完成度は気にせず、とにかく亀島くんに読んでもらおうという気持ちで書いただけなんです。ただ、10代のころから映画やアニメ、マンガ、小説などはひたすら摂取してきたので、「書くってこういうことなのかな?」みたいな漠然としたイメージはありました。 作家の人がよく言っているのですが、デビュー作は作家じゃない自分が書く唯一の作品なんですよね。それは、あとから読み返してみても感じるもので、当時は書き方や構成も考えず、そのときの思いつきや自分がおもしろいと思うものをひたすらつないで書いていた。でも、いまだに「またああいうふうに書いてみたいな」と思ったりもします。 ──その作品が王子小劇場の「筆に覚えあり戯曲募集」に入選したのもすごいですよね。 三浦 ロロのメンバーになる(篠崎)大悟が当時近くに住んでいたので、漠然としたイメージのまま書いていた脚本を(声に出して)読んでもらって、それをもとに書き進めていたんです。書き上がったときに、大悟が「これおもしろいから上演したら?」って言ってくれて、ちょっと考えてみようかなと。 ただ、大学で公演をやって、友達が観に来るだけで回っていく感じに違和感があったので、上演するならもっと自分を知らない人に観てほしくて、戯曲が入選すると劇場が無料で借りられる王子小劇場の制度に応募してみたんです。ロロも、その公演をやるためだけに旗揚げしたので、1回やって終わるつもりでした。だから、あまり深く考えずに「ロロ」っていう名前をつけてしまった(笑)。 ロロというコミュニティから得たものを作品にフィードバックする ──一度きりのユニットだったロロが、なぜ劇団として活動するようになったのでしょうか。 三浦 実際に上演してみたら、もうちょっとやってみたくなって。めちゃくちゃ悔しかったのを覚えてるんですけど、戯曲はともかく、演出はどうしても経験を積むことでしか上がっていかない能力があるなって感じたんですね。俳優やスタッフとのコミュニケーション力や、目指している世界観の共有の仕方、スケジュール感とか。 それで、ロロの旗揚げ1年目は、とにかく場数だと思って毎月のように公演を行っていました。結果的に、その時期と当時のTwitter(現・X)の普及がリンクして、口コミで広がってどんどん動員も上がっていったような気がします。 ──なりゆきで始まり、がむしゃらに公演を打っていくなかで、ロロという劇団の方向性やコンセプトのようなものは意識されていましたか? 三浦 なんとなく始まったので、ビジョンみたいなものはなくて、それがコンプレックスでもありました。でも、僕は人を引っ張っていくようなことが苦手だし、メンバーも各々で違う価値観を持っているので、だんだん「バラバラなまま一緒にいられる集団はどうすれば作れるか」と思うようになっていきましたね。 ──とはいえ、公演を続けていくうちに表現スタイルや「ロロらしさ」のようなものは、形作られたのではないでしょうか。 三浦 演劇に関しては門外漢だという意識を抱えながら、自分が影響を受けてきた演劇以外のポップカルチャーのおもしろい要素を、どう演劇に翻訳できるか考えていたところはありますね。「あのマンガのあのシーンを演劇で実現するには、どうしたらいいんだろう?」みたいな。 あと、さっきのロロの話もそうなんですけど、コミュニティの作られ方にはずっと興味があって。だから、演劇でも疑似家族みたいなものをモチーフにすることがすごく多いんです。ロロの活動を通じて集団性について考えたことをフィクションにフィードバックして、そのフィクションから得たものをまたロロにフィードバックしていく。そんなふうに作品を考えています。 ──「ボーイミーツガール」といったテーマも、ロロの世界観を表すキーワードとしてよく耳にしました。 三浦 10代のころは青春小説や「ボーイミーツガール」的なアニメがめちゃくちゃ好きで、ロロの初期はコピーとしてよく使っていましたね。ただ、僕も30代半ばで、メンバーも一緒に歳を重ねているので、さすがにもうボーイでもガールでもないだろうっていう(笑)。メンバーの価値観に影響を受けながら、「今、この俳優たちとどういう作品が作れるか」と考えていくなかで、自分の書くものも変わっていったと思います。 これまでは若さを大事に書いてきたんですけど、反対に老いをポジティブに捉えられないかと考えてみたり、今はまだ試行錯誤の最中で。本格的な「中年の危機」に差しかかる前に、なんとかそれを乗り越えるための練習を始めたような感じですね。 リーダーシップのある演出家じゃなくてもいい ──今も変化の過程にあるとのことですが、これまでの活動の中でターニングポイントとなった作品などはありますか? 三浦 いくつかありますが、書き方のスタイルを見つけられたと感じたのは、『ハンサムな大悟』という岸田戯曲賞の候補にもなった作品です。僕はまずジャンルのフォーマットから作品を考えていくんですけど、『ハンサムな大悟』では一代記(ある人物の一生を記録したもの)を書いてみようと思いました。まずはさまざまな一代記系の作品を分析して、その分析をもとにオリジナルの物語を作っていく。そういうスタイルができ上がったのが、『ハンサムな大悟』なんです。 もうひとつは、「いつ高シリーズ」という高校演劇のルールに則って演劇を行う60分のシリーズを始めたことですね。だんだん本公演がプレッシャーになってきたころに、息抜きとして青春の物語やポップカルチャーの引用とか、自分が好きだったものだけで作品を作ってみたら、新しい観客に出会えた。あまり演劇を観ていない人でも気軽に楽しめるものが自分にも書けるんだな、って思えたのは大きかったです。 ──最新作となるパルコ・プロデュースの公演『最高の家出』も、三浦さんとしてはまた新しい挑戦ですよね。 三浦 パルコ・プロデュースの公演は、演劇を始めてからのひとつの目標だったので、めちゃくちゃうれしかったです。しかも、ロロのメンバーも一緒に呼んでもらえて、プロデューサーの方がロロをすごく愛してくれていると感じました。それで、「ロロっぽさ」みたいなものを改めて意識するところから作品を考えてみたんです。 そこから、ヘンテコなヤツらが集まって、一緒に暮らしているような世界観の中に、主演の高城れにさんが迷い込んでいく、みたいな物語ができていきました。ジャンルのフォーマットとしては、「行きて帰りし物語」という、非日常に迷い込んだ主人公がまた日常に戻っていく話になると思います。 ──三浦さんは作品のテーマである家出について「帰ることが宿命づけられている」とおっしゃっていましたが、まさに「行きて帰りし物語」と重なりますね。 三浦 そうですね。「家出って、失敗して帰ることが前提の言葉だな」と思ったときに、「成功する家出ってなんだろう?」と考えたところから、イメージをふくらませていきました。帰るという行為の意味合いを変えられたら、家出そのものも変えられるかもしれない。そこが今回の舞台で大事にしているところです。 ──初めて組む俳優さんやスタッフさんとも作品を作るという点で、意識されていることはありますか? 三浦 僕はリーダーシップを発揮するタイプの演出家にはなれないという話をしましたが、最近は劇作家の僕が書いた戯曲に対して、スタッフたちや俳優たちが用意してくれるプランをどう組み合わせたらいいかと考えるようになってきましたね。演出家として、僕のやりたいことをかたちにするというよりは、みんなが持ち寄ってくれたものをリスペクトして、ポテンシャルが一番発揮されるかたちで作品につなげたいと思っています。 スイッチを切り替えるための2拠点生活 ──学生時代には失踪もしたことのある三浦さんですが(笑)、お仕事をサボってしまうことはありますか? 三浦 めちゃめちゃあると思います。書くこととサボることにどれくらい差異があるのかな、と考えたりしますし。ちゃんとルーティンがあって常に書いているタイプの方もいると思うんですけど、僕は書けなくて悩んでいる時間もすごく長くて。その時間って、サボってるといえばサボってるんですよね。そういうときは、何も手につかないまま罪悪感だけがどんどん募っていって、ずっとウロウロするという無の時間が過ぎていきます。 ──そういうとき、どのように気分を切り替えているのでしょうか。 三浦 場所を変えることは、すごく大事にしていますね。僕は今、宮城と東京を行ったり来たりしている生活で、演劇の稽古がないときはほとんど宮城に住んでるんですよ。そうすると、演出しているときは東京にいて、書いているときは宮城にいるから、東京に来ると書いている自分から逃避している感覚になるし、宮城の実家にいるときは演出家の自分から逃避している感覚になる。具体的に場所を変えると、ちゃんとスイッチが入るようになるというか。 東京にいると毎週のように演劇をやっていて、情報もたくさん入ってくるので、「みんなこんなにやってるのに、俺は……」ってネガティブになっちゃうんですけど、宮城にいたら「どうせ物理的に行けねーし」って思えるんですよ。 ──では、より自分をリフレッシュさせるための息抜きなどはありますか? 三浦 やっぱり読書ですね。「ひとりになりたいけど、ひとりぼっちは寂しい」みたいなややこしい性格なんですが、読書ってその状態にすごく向いているんですよ。読書自体はめちゃくちゃ孤独な行為じゃないですか。でも、本の中にはたくさんの人たちがいるので、その人たちと一緒にいるような感覚にもなれる。僕にとって読書はすごく大事な時間です。 あとは最近、自分のための言葉を書くようになりました。コロナ禍でメンタルの不調が続き、自分があまり感動してないような気がしたのがきっかけなんですけど。 ──お仕事として書く言葉とは別の言葉を書いている。 三浦 はい。Instagramでは読書日記をつけてるんですけど、書評やレビューのように人に伝える仕事ではないので、自分の心がこの物語でどう動いたかを確認するためだけに文章を書いています。「そうか、俺は今、ここに感動してるんだ」とか「俺はまだワクワクできるぞ」とか、自分の中の感動や欲望を見つけることは大事だなって思うんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 三浦直之による書き下ろし最新作! パルコ・プロデュース2024『最高の家出』上演中 出演:高城れに(ももいろクローバーZ)/祷キララ/東島京/板橋駿谷/亀島一徳/篠崎大悟/島田桃子/重岡漠/尾上寛之 企画・製作:株式会社パルコ 2月4日〜24日/東京・紀伊国屋ホール *高知、大阪、香川、宮城、北九州公演あり 公式サイト https://stage.parco.jp/program/iede
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「何気ない散策から、意識の中のかたちが立ち上がる」新津保建秀のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、写真家の新津保建秀さん。人物、風景、建物など、さまざまな対象を撮影しながら、対象と向き合うことで心の中に立ち上がってくるものをまなざしているという新津保さんにとって、必要なサボりといえる「散策」とは? 新津保建秀 しんつぼ・けんしゅう 写真家。東京藝術大学大学院美術研究科博士課程修了。博士(美術)。近年の主な個展に『消え入りそうなほど 細かくて 微妙な』MIZUMA ART GALLERY(2023、東京)、『往還の風景』ART DRUG CENTER(2022、宮城)など。主な展覧会に『景観観察研究会 八甲田大学校』国際芸術センター青森(2022、青森)、『さいたま国際芸術祭』(2020、埼玉)、『北アルプス国際芸術祭』(2017、長野)など。主な作品集に、池上高志氏との共作『Rugged TimeScape』(FOIL、2010)、『Spring Ephemeral』(FOIL、2011)、『\風景』(KADOKAWA、2012)など。 目次対象から感じたものをフィルムの中に込める写真もドローイングも、本質は変わらない目的のない散策から生まれた写真がつながる瞬間サボりの中に仕事がある 対象から感じたものをフィルムの中に込める ──新津保さんは写真家としてのご自身のスタイルをどのように見出されたのでしょうか。 新津保 20代の前半はジョゼフ・コーネル(※1)やジョナス・メカス(※2)らに影響を受けて、写真の断片を箱に入れたコラージュや、8ミリカメラを用いた映像作品を制作していました。映像の場合は8ミリカメラの約3分の尺の中で、日々目にしたものの断片を写真を撮るように撮っていきます。それを数ヶ月かけて行うと、その間の思い出をのぞき込んだような映像になるのです。 これと並行して行っていたコラージュ作品の制作の中で、その素材となる写真を撮ることを始めたんですが、この作業を数年続けていくことでつかんだ感覚があって、雑誌などの複製媒体の中でまったく会ったことのない人に見てほしいと思い、写真を仕事として始めるようになったんです。 (※1)Joseph Cornell(1903-1972)。身の回りのもので構成した箱の作品やコラージュ作品、前衛的な映像作品などを制作したアーティスト (※2)Jonas Mekas(1922-2019)。16ミリカメラで身の回りの日常を撮影し、数々の「日記映画」を残した映画作家 ──つかんだというのは、どんな感覚だったんですか? 新津保 対象を見て、自分の気持ちの中にモワっとしたものが浮かぶ、外からはわからないそのモワっとしたものを、フィルムというメディウムの中に込めることができたという感覚です。20代半ばに、フランスに長期滞在していたとき、リュクサンブール公園を蚤の市で入手したスライドフィルムで撮っていると「ちょっと違ったぞ」という手応えがありました。現像してみたら、そのときに心と体で感じたものと、それまで数年かけて映像で探っていたものが写真の中に入ってたんですよね。対象を見てそのときに感じたものを自分が扱う素材の中にどのように織り込んでいくのかという感覚が、すっと腑に落ちたというか。 ──今では人物、風景、建物など、さまざまな対象を撮影されていますが、そのプロセス自体は変わらないものなのでしょうか。 新津保 そうですね。写真って「何を撮ってるんですか?」って聞く人が多いと思うんですけど、何を被写体に選ぶかというよりも、対象と向き合う中で自分の心に立ち上がってくるものをどうまなざすかが、前段階としてあって。対象はそのきっかけになるものです。 ──最初に8ミリで日常を撮影していたのも、同じように心に引っかかった瞬間を断片として集めていたのかもしれませんね。 新津保 最近も同じようなことをやってみてはいるんですよね。始めたときから経験を積んで、当時と変わってきたところとそうでないところがあると思うので、今やったらどうなるんだろうと考えて。近いもので気に入っているのは、今年の初夏にやった個展に出したもので、ひとりで諏訪を訪れたときに見かけた焚き火と、ムービーの仕事で初めて訪れた千葉の田園地帯をアシスタントと歩いていたときに見た農業用水の水たまりに映っていた夕日の写真です。 諏訪で見かけた焚き火の写真 《焚き火2》2023、ラムダプリント、アクリルマウント、629×420mm(C)SHINTSUBO Kenshu, Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery 夕日の写真 《水鏡》2023、ラムダプリント、アクリルマウント、594×445mm(C)SHINTSUBO Kenshu, Courtesy of the artist and Mizuma Art Gallery ──タレントのグラビアや写真集などでも、その基本は変わらないんですね。 新津保 そうですね。写真集は海外でロケすることが多いですが、ともするとあっという間に滞在期間が過ぎてしまうので、現地では都度、自分の中でテーマを定め、ベストを尽くすようにしています。コロナになる前に、綾瀬はるかさんをリスボンで、鈴木絢音さんをタヒチで撮ったのですが、リスボンでは(ヴィム・)ヴェンダースの『リスボン物語』(1995)に出てきた風景を、タヒチでは(ポール・)ゴーギャンがかつて住んでいた土地の風景を訪ねながら撮影をしていきました。期せずして、パンデミックで世界が変わる前の雰囲気が入っていたような気がしています。 『ハルカノイセカイ 03 リスボン』(講談社、2020)より 写真もドローイングも、本質は変わらない ──新津保さんのポートレートは、周囲に漂う空気感のようなものも魅力だと思います。 新津保 空気と光を読むこととともに、それ以外のいろんな条件が重なったときにうまくいっている気がします。撮影の場をセッティングしていくことは、家の設計に近いような気がしています。たとえば、自分の家を設計していくときや、不動産の内見って、土地の背景や風通しや採光、住む人の動線などを見るじゃないですか。撮影者の立場で現場を組み立てていくことはこれに似ていて、現場の光と空気の流れを読んで、快と不快の境い目を探すんです。現場全体の雰囲気には、その場にいる人たちが感じる心身の感覚がフィードバックされるし、それが写真の中にも写ってくるように思います。とりわけ、被写体となる人の快・不快は重要で、お腹が減っていたり、寒すぎたりしてもダメですね。 ──また、最近では大学院での研究をとおして、イメージについて再考されていますね。 新津保 10代のころに絵を描いていたので、カメラやコンピューターなどの機器を使わないでイメージを扱うということが気になっていたんです。機械を介在させてイメージを扱う写真や映像の中からではなく、人間の文化の中で長い歴史を持つ絵画という領域の中で、イメージについて再考したいと思い、大学院で研究をしていました。 たとえば、紙という面の上に描画材で身体の行為の痕跡を残すドローイングというものを少し広げて考えてみると、地面や地図の上に、歩いた跡を残すこともドローイングたり得るし、写真というものにそのときその場所にいた自分がいた跡を残すこともドローイングになります。写真は、その場で経験したことがすべて撮れているわけではなくて、経験したことの残りカスみたいな感じがあって。自分の中に湧き上がってくるものをどうまなざすかという関心は変わらないんですけど、自分の方法論や考えていることを異なる角度から再考してみたいと思ったんです。 ──本質的には写真を撮る際の前提と変わらない。 新津保 そうです。同じものを探っていて。絵画の制作プロセスも近いんですよね。結局、制作って目の前の時間と歴史や心の中の時間だったり、心の中の目に見えないイメージと自身が扱う物質性を持った素材だったり、相反するものの応答の中で進んでいくと思うんです。だから、ほかの人が作ったものを見るときもそこに注目しています。単純に表層を定着させただけのものもあれば、対象との深い応答の中から生まれたフォルムもあって、そこは「見る」というより「伝わってくる」というか。 目的のない散策から生まれた写真がつながる瞬間 ──最近ではどんなものに関心を持たれているのでしょうか。 新津保 それこそ「サボり」という話にもつながるかもしれませんけど、「都市散策」ですね。直近のプロジェクトとは関係のないロケハンみたいなことをするんです。この前も滝山団地という、東久留米のほうにある、1960年代ぐらいに旧日本住宅公団(現・都市再生機構(UR))が作った団地を散策してきました。子供のころ、こうした団地に住む友人宅に遊びに行ったときの記憶をたどりに行ったんですけど、現在の中に過去が浮遊しているというか、今もそこでゆるゆると日常がつながっていて興味深かったです。 ──おひとりで散策されるんですか? 新津保 友人と散策することが多いです。同世代だったり、年下の世代の異なる友人です。そういった友人と対話しながら歩くと、座って対話するのとは違う交流が生まれるんですよ。先ほどお話しした滝山団地へは友人のアーティストと行きました。 コロナの緊急事態宣言の時期に小説家の朝吹真理子さんと武蔵野を散策したときは、三鷹市井の頭から国分寺崖線(崖の連なり)の下に水が湧いているところ、「ハケ」っていうんですけど、そこを目指してたくさん歩きました。歩きながら語ってくれた「道の時間」という考えについての話がとても印象に残っています。 武蔵野散策時に撮影した写真 ──日本の残滓(ざんし)を探したり、地形に注目したり、テーマもさまざまなんですね。 新津保 気になる土地を友人とあーだこーだ言いながら歩くと、『ブラタモリ』(NHK)みたいになるときもあるし、『アースダイバー』(※3)的な感じになるときもあります。そうかと思えば、物語の聖地巡礼をするようなこともあって。 先日、沼津にロケに行ったときは、現地にある芹沢光治良記念館の学芸員さんに教えていただき、作家の井上靖が小説の中で描いた情景や風景を探しに行きました。当時の面影が残っているわけじゃないんですけど、風景の中に物語が重なるような瞬間があったり、井上が作品内で描いたヒロインの像がもやーっと浮かんできたりして、過去と現在が交差するような感覚を味わいました。 (※3)思想家・人類学者の中沢新一による著作。地形だけでなく、歴史や神話、都市論といった視点も交えながら、その土地について考察している ──一緒に行く人によっても違うような気がします。 新津保 そうですね。それでおもしろかったのは、建築家で東京大学の准教授でもある川添善行さんにお誘いいただいた鶴見線沿線の散策です。やっぱり建築家と行くと、学者の目というか、自分とまったく違う視点で風景を見てるんですよね。この工場はいついつに建てられてますね、とか、生き字引と歩いている感じで、また別のリアリティが立ち上がってくる。 ただ、印象的だったのは、それだけ理知的な川添さんが立ち止まってエモい感じになっているときがあって。何が起きたのかと思ったら、「今思い出しました。私はここで父と一緒に電車を見てたんですよ!」って。そこで初めて、彼の個人的な思い出を話してくれたんです。そういう視点でその日に撮った写真を見返して選ぶと、自分ひとりで撮ったときとは違う写真を選ぶんですよね。それがすぐ写真集などになるということもないんですけど。 ──でも、そうして選んだ写真を並べてみると、見えてくるものもありそうですね。 新津保 3年とか5年単位で捉えると、予想もしないかたちが見えてくることもあります。ある経験が数年先につながって「やっといてよかったな」って思うとか。「かたち」っていうのは、視認できるものもありますが、もやっとした、物質の上に定着される前の意識の中の「かたち」もあると思うんです。点と点がつながって、撮ってきた写真の中からそういうかたちが見えてくる瞬間はおもしろいですね。 『USO 5』(rn press、2023)より ──目的なく散策していた記録が、あるとき像を結ぶというか。 新津保 いったん目的から離れることで開かれるものがあって、その瞬間は非常に感動しますね。ここ3年で一番感動したのは、建築家の隈研吾さんからご自身が作られた建築の自薦リストをいただいて、それを私が撮るという書籍(※4)の企画で撮影したときです。 撮影に着手する前に、隈さんに幼少期に記憶に残っている場所を伺ったら、田園調布だったんですね。それで編集者さんと田園調布を歩いてみたら多摩川が見えてきて、そこが国分寺崖線だと気づいた。そのとき、頭の中でバーっとその崖線の像が見えて、これまで自分がなんとなく気になって撮影していた場所の多くが国分寺崖線上にあったことに気がついたのです。自分は国分寺崖線の雰囲気に惹かれていたんだと、数年を経て見えてきたっていう。だから、散策するってけっこう大事で。家族からは「遊んでるだけじゃん」って言われますけど(笑)。 (※4)隈研吾『東京TOKYO』(KADOKAWA、2020) サボりの中に仕事がある ──仕事といえば仕事だし、遊びといえば遊び、という点で、やはり新津保さんにとっての散策はサボりの要素もあるんですね。 新津保 会社員のような方にとってはサボる時間って意味を持っていると思うんですけど、自分の場合はサボってる中に仕事がある、という感覚ですね……。 ──これまでは仕事がそのまま息抜きになっているような、アウトプットし続けるタイプの方にお話を伺うことが多かったので、独特のバランスだなと思います。 新津保 企業にお勤めの方が多かったんじゃないですか? ──そうでもないんです。あとは仕事の時間が大半で、その中で息抜きになる時間を大切にされているような方も多いです。 新津保 そういえば、アートディレクターの葛西薫さんに、夜、昭和歌謡をカセットテープで聴きながら作業するのが好きだと伺ったことがあります。是枝裕和さんの映画『歩いても 歩いても』(2008)のポスター撮影でご一緒したときだったので、かなり前の話ですが。 ──そのサボり方も興味深いです。 新津保 現実から逃避することも大事なんですかね。現実はハードだから。 ──新津保さんは、どういうときに現実を忘れられますか? 新津保 先日、真っ昼間から吉祥寺をぶらぶらしたんですけど、それは楽しかったです。それもロケハンだったんですけど。やっぱり歩いている時間が好きなのかもしれないですね。 撮影=NAITO 編集・文=後藤亮平
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「心が動いた瞬間を見つめ、感じたものを大事にする」南沢奈央のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 俳優としてドラマや舞台で活躍しながら、読書や落語、登山などさまざま趣味を持ち、その愛を発信している南沢奈央さん。落語をテーマに初の著書を出版した南沢さんに、文章を書くことの醍醐味、落語の奥深さ、そして意外なサボり術などを聞いた。 南沢奈央 みなみさわ・なお 1990年生まれ、埼玉県出身。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、ドラマ『恋する日曜日 ニュータイプ』(BS-i)で主演デビュー。書評や連載など執筆活動も精力的に行っている。大の落語好きとしても知られ、「南亭市にゃお」の高座名を持ち、初の単著『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)を刊行。近年の出演作品に、ドラマ『彼女たちの犯罪』(読売テレビ・日本テレビ)、映画『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』、舞台『セトウツミ』などがある。 目次感じたものを、そのままの熱量で伝えたい観るだけでなく、自らも高座に一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある以前は成長に捉われて、サボれなかった緑の世話と歯磨きが癒やしの時間落語を愛してやまない南沢奈央さんによるエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』 感じたものを、そのままの熱量で伝えたい ──南沢さんは落語好きとしてメディアにも出演されていますが、落語についてのエッセイが『今日も寄席に行きたくなって』として本になったことは、また特別な感慨があるのでしょうか。 南沢 読書がすごく好きで、文章を書くことも好きで、いつか自分の本を出してみたいなと思っていたので、ひとつ夢が叶った気持ちです。しかも、私が落語好きになったきっかけの小説『しゃべれども しゃべれども』(新潮社)の作者・佐藤多佳子さんに帯のコメントをいただけて、本から出会って本に戻ってきた感じもすごく感慨深いです。 ──初の単著というのは意外でした。今回も落語をテーマにしながら、ご自身が感じたものを描かれていますが、テーマに縛られないエッセイなども興味はありますか? 南沢 ありますね。お芝居は、台本で決められた人物を演じていく中で、自分をどう表現していくかだと思うんですけど、エッセイは自己表現に直結するものなので、書いていると自分の考えがかたちになって、浄化されていく感覚があって。その時間がすごく好きで、心地いいんです。普段は自ら積極的にしゃべるタイプではないので、ストレス発散になっているところもあるかもしれません。 ──書くことで自分を再認識したり、発見したりすると。 南沢 そうですね。ノートにメモしたことを書き出しているうちに、何かが連鎖していって自分の思いや考えにたどり着いたり、おもしろいと感じたことの理由に気づいたり、自分を掘り下げていくことができるんです。 ──落語についても、何か発見などはありましたか? 南沢 落語を通じて発見したことはありますね。「ブラックな笑いでも笑えるんだ」とか。人の失敗やしくじりって笑っちゃいけないものだと思っていましたが、笑ってもいい世界があるんだと知って、ちょっと気持ちが楽になったんです。人が死体を使って笑いにするような話もあるんですけど、落語だと笑えるんですよね。 ──そういった自分の中での新鮮な発見や感動を人に伝えるのは簡単ではないと思います。落語のエッセイを書くにあたって、「好き」を伝えるために意識されたことはあるのでしょうか。 南沢 「鉄は熱いうちに打て」じゃないですけど、できるだけ一番熱量が高まっているときに文章にするようにしていました。ちょっと置いておくと、その気持ちが落ち着いてしまったり、自分の中でなじんでしまったりするので。 最初は落語を紹介するような内容にしようとしていましたが、本当に伝えたいことは違うなと気づいたんですよね。落語を聞いて何を思い出したのか、何を感じたのかを、そのままの熱量で書いたほうが思いも乗るし、伝わるんじゃないかと思ったんです。 観るだけでなく、自らも高座に ──落語を観ることとやることも全然違うのではないかと思います。本の中には、実際に高座に上がって落語を披露したエピソードもありますね。 南沢 全然違いました。もしかしたら文章を書くよりも、自分が出ちゃうというか、取り繕えない感じがありましたね。20歳のときの初高座から11年ぶりに落語をやってみて思ったのは、やっぱり落語は話芸だということです。お芝居のように役に入って演じるのではなく、どういうテンポで、どういう間合いで話したらおもしろくなるのかを追求する芸なんですよね。それだけに、高座に上がるときも「本当にこれでおもしろいのかな?」と不安を抱えていました。 ──役ではなく、あくまで話し手本人が軸になる。だから、演芸の世界では「人(にん)」(その人の持つ個性や雰囲気)が大事だといわれたりするんでしょうね。南沢さんもその点は意識されていたのでしょうか。 南沢 すごく意識しましたね。『厩火事(うまやかじ)』という話では、メインの女性のキャラクター「お崎さん」が好きだったので、その気持ちを大切にしました。大きく筋は変えずに、その女性キャラクターが話の軸に見えるようにしたんです。女性目線の話って少ないんですけど、自分がやるなら、そのほうがおもしろくなるんじゃないかと思って。 最初は、私が落語を教わった柳亭市馬師匠の話を、そのままコピーするくらいのつもりだったんです。とにかく上手にやろうとしていたというか。でも、立川談春師匠に稽古をつけていただいたときに、「亭主にこう言われて、お崎さんはどういう気持ちなの?」と聞かれて。「役者ならどう考えるか」という方向で指導していただいたおかげで、キャラクターの思いまで考えて、自分なりにアレンジしながら生きた存在にしようという意識になりました。 一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある ──言葉にしたり、演じたり、ひとつの「好き」を突き詰めていくと、対象の見え方も変わってくると思いますが、そもそも何かを好きになるのも意外と難しい気がします。南沢さんは、読者や登山などにも魅了されていますが、どのように好きになるのでしょうか。 南沢 昔から好奇心は強くて、シンプルに、触れたことのないものには全部興味があるんです。なんでも一回はやってみたい。そこから自分の性に合っているものに絞られていくんだと思います。だから、ゴルフとかサーフィンとか、ずっと興味はあるけれど体験できていないものもけっこうありますね。 ──興味はあっても、勝手に敷居が高いものだと思ってしまったり、ちょっとおっくうになったり、最初の一歩ってハードルが高いですよね。 南沢 そうですね。でも、一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある。そう感じたのも、落語がきっかけでした。初めて寄席に行ったときは本当に緊張したし、「何を着ていけばいいんだろう?」なんてソワソワしていましたが、ひとりで行ってみたら、何も心配するようなことはなかった。 慣れないところで困っていたら、助けてくれる人がいるし、そこから人とつながって輪が広がっていくこともあるんですよね。その経験があるので、ほかのことに対しても一歩踏み出してみようと思えるようになりました。 ──思いきって落語の世界に飛び込んだことが、成功体験になっているんですね。そこから「好き」を深めるには、自分なりの楽しみ方を見つけることもポイントかと思いますが、南沢さんはどんなところに目を向けていますか? 南沢 自分の心の変化ですかね。本を読んだあとの読後感、登山の達成感や疲労感、落語を聞いて心が軽くなった感じ、そういう心の動きがおもしろいなと思います。プロレスも観るんですけど、試合を観終わったあとのワーッとエネルギーが湧いてくる感じが好きなんです。 ──そういった心が動いた瞬間を見つめることで、自分や対象についての認識が深まっていくんですね。 南沢 そうですね。本を読んでいても、何かに共感したり、「こんな人がいるんだ」と違いを感じたりしていると、どこか自分に立ち返ってくるところがあって、それも楽しいんです。 以前は成長に捉われて、サボれなかった ──「サボり」についても伺いたいのですが、たとえば、パソコンに向かって文章を書いていて、サボりたくなる、逃げ出したくなるようなことはありますか? 南沢 あります、あります。最近は、いさぎよく「はい、やめ」って切り替えられるようになってきたので、一回外に出て散歩しに行ったり、「もう今日はおしまい」となったらお酒を飲んだりしちゃいます。 ──ダラダラ作業するよりいいかもしれない。サボり上手ですね。 南沢 でも、もともとサボりが苦手だったんです。休みの日も、「何か仕事につながることを勉強しなきゃ」とか、「尊敬できる先輩と会って話を聞かなきゃ」とか、常に成長していないといけないと思っていたので。それがようやくサボれるようになったというか、成長など関係なく、好きに読書したりできるようになりました。 ──息抜きとして効果を感じていたり、ハマっていたりすることはありますか? 南沢 体を動かすのが好きで、サウナも好きなんですけど、最近、それが一気にできる「ホットヨガ」というものを発見したんです。昔からありましたけど、自分の中では、「汗をかきながら体も動かせる、一石二鳥じゃん!」って(笑)。それで、ホットヨガにハマっています。 ──ホットヨガを「サウナ×運動」だと紹介されたことがなかったので、すごく新鮮に感じます。やっぱりデトックス感みたいなものがあるのでしょうか。 南沢 めちゃくちゃ汗をかけます。あと、ヨガでは「自分の呼吸を意識してください」とすごく言われるんです。自分の内側を意識して、普段考えている雑念などを全部呼吸で出してください、みたいな。そうすると、本当に仕事のことや悩みなどが、全部一回なくなる感じがする。 10年ぐらい前にもホットヨガをやっていたんですけど、そのときはじっとしていることに耐えられなかったんですよね。でも、久々にやってみたら、無心でいることに耐えられるようになっていました。 緑の世話と歯磨きが癒やしの時間 ──何かを楽しむには、出会うタイミングも大事なんですね。もっと日常のささやかな息抜きというか、癒やしなどはありますか? 南沢 観葉植物の世話をしている時間は好きですね。見ていてすごく癒やされるし、「あれ、葉っぱ出てる?」みたいな成長も感じるので、かわいくて。家の中に何か変化する存在というか、生命力があるって、すごくいいなと思います。 夏はベランダで野菜を育てたりもするんですけど、夏の野菜の成長力もすごくて。朝出かけて帰ってきたら、「えっ、私の身長越えてる!?」みたいなこともあって、その成長がすごくうれしいし、心癒やされます。 ──たしかに、家にいると部屋が汚れるとかゴミが溜まるとか、ネガティブな変化が目につくものなので、ポジティブに変化していくものがあるっていいですね。緑に触れているときが、無心になれる瞬間なんですね。 南沢 もっとしょうもないことだと、夜、歯磨きをしている時間は好きですね。10分くらいかけてしっかり磨いていると、無心になれます。その時間は歯磨きだけに集中して、1本1本の歯と向き合ってる(笑)。そうすると、目覚めの爽快感が全然違うんですよ。 ──「歯磨きの向こう側」があるんですね。 南沢 個人的な意見ですけどね。でも、それに気づいてから、歯磨きがやめられなくなりました(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 落語を愛してやまない南沢奈央さんによるエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』 落語との運命的な出会い、立川談春師匠からの意外な「ダメ出し」、蝶花楼桃花さんの真打昇進までの半生記、伝説の超大作『怪談牡丹灯籠』、自身が高座に挑戦した演芸会など、南沢さんの落語愛がつまったエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)が発売中。
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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志田こはく(Daily logirl #258)志田こはく(しだ・こはく)2004年5月25日生まれ。埼玉県出身 Instagram:shida_kohaku X:@shida_kohaku 撮影=青山裕企 ヘアメイク=高良まどか 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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木下 恵(Daily logirl #257)木下 恵(きのした・けい)2004年12月6日生まれ。東京都出身 Instagram:kei.muxia63 X:@kei_kinoshi 撮影=石垣星児 ヘアメイク=ACO 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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畠中夢叶(Daily logirl #256)畠中夢叶(はたなか・ゆめか)2005年8月13日生まれ。大阪府出身 Instagram:yumeka_hatanaka X:@yumeka_hatanaka TikTok:yumeka_yumety_813 撮影=NAITO ヘアメイク=爽来 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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NMB48安部若菜が卒業後に見据える新たな景色──「文章での、かっこいい姿を見せられたら…」安部若菜(あべ・わかな) 2018年、『第3回AKB48グループドラフト会議』でNMB48チームNに指名され、ドラフト3期生として加入。2020年1月に正規メンバーへ昇格し、同年11月発売の24thシングル『恋なんかNo thank you!』で初選抜入りを果たす。グループでの活動と並行して小説を執筆し、2022年に処女作『アイドル失格』(KADOKAWA)で小説家デビュー。以降『私の居場所はここじゃない』(KADOKAWA/2024年)、『描いた未来に君はいない』(KADOKAWA/2026年)を発表するなど、執筆活動でも高い評価を得てきた。また落語を趣味とし、上方落語の定席・天満天神繁昌亭でも高座に上がるなど、多彩な一面を持つ。2026年3月に卒業を発表し、自身の25歳の誕生日となる7月18日、大阪・Zepp Osaka Baysideで卒業コンサート『そして最後のページには』を開催。約8年半にわたるアイドル活動に区切りをつけ、新たな一歩を踏み出すことに。 目次卒業を目前に控えて(取材日:7月12日)アイドル・安部若菜として、やり残さないためにファンへ届けたい想い小説家・安部若菜が描くもの「ご飯」をめぐってNMB48でのターニングポイント落語との出会い落語・浪曲番組『WAGEI』の公開収録卒業後に叶えたい夢 卒業を目前に控えて(取材日:7月12日) ──まもなく卒業ということで、今の率直な気持ちを伺いたいと思います。 安部 もう緊張してきていますね、卒業に。8年半……高校1年生のころからずっとNMB48にいたので、NMB48じゃない自分がまだ想像できなくて。ちょっとドキドキ……不安も。 ──8年半前だと…… 安部 16歳のときに入りました。 ──その16歳のときには、今のこの卒業するイメージは、まったく描いてないですよね? 安部 全然できてなかったですね。16歳のときに思い描いてたよりもずっといいかたちで卒業できるなあと思います。 ──卒業のタイミングは決めていらっしゃったんですか? 安部 気づいたらこのタイミングになってたっていうのが一番なんですけど。ずっと卒業というのは頭の片隅に常にありつつ、でも先輩を全員見送るまではNMB48にいようと思っていて。去年の12月に自分より上の方が全員卒業されて、自分も旅立てるぞっていう覚悟が決まりました(笑)。 ──ちょうど誕生日ですよね。 安部 卒業コンサートが誕生日当日になったのは、本当にたまたまで。夏ぐらいに卒業したいとは伝えていて……まさか25歳の誕生日に卒コンできるなんて、もうこんな幸せなことはないなぁって思いました。 アイドル・安部若菜として、やり残さないために ──その卒業までは間もなくですけど、この間に、アイドル・安部若菜としてやっておきたいことはありますか? 安部 そうですね。ステージで歌って踊ってというのが、本当にあと1、2回になってくるのでそれを思う存分やっていきたいなと思っていて。今までは、そこまでアイドルらしいツインテールとかをしないタイプだったんですけど、最近急にそういうことをやっておこうと思って、かわいい方向に、ここへ来て急に走り始めました(笑)。 ──(卒コンの)衣装は決めていらっしゃるんですか? 安部 卒業コンサートの衣装……一番最後に着る衣装とか、全部決めていて。そこでドレスをその人に合わせて作ってもらえるんですけど、ずっと憧れていて……それを作ってもらえる人になりたいと思っていたので。 ──初めての…… 安部 初めてですね。生地からオーダーメイドで、こんな形にしたいみたいなのを伝えて作ってもらえるので、本当に幸せだなぁって思います。 ──8年半の中で、もうちょっとやっておけばよかったみたいな、これはやりたかったなみたいなことってあったりします? 安部 けっこうありますね。もっとできたかもと思うことはあったり。そうだな、ステージのことですね。もっとかわいいことをやっておけばよかったなって(笑)。わりとあざとくないタイプで、ファンの方に向けてかわいいことを言ったりとか……まあまあしてこなかったので。もうちょっとやっとけばよかったなって、ちょっとだけ後悔しています。 ファンへ届けたい想い ──なるほど、卒業するにあたって、ファンにどんなことを届けたいですか? 安部 最後をめっちゃいい思い出として終わることで、ファンの人が一生忘れられないような人になれたらいいなと思いますね。推し活とかをしていると、気持ちの波もあったりして、数年経つと、あのころ好きやったなぁっていう思い出になると思うんですけど、すごく楽しかったなぁという思い出で埋め尽くされたらいいなと思いますね。 ──ブログでも書いてましたけど、ファンの方に対する安部さんの想いって、なかなか伝えられないじゃないですか。安部さんは待っている一方で、ファンは好きなときに来られるという。今後は、どんな安部さんを見てほしいですか? 安部 NMB48にいるときも小説を書いたりしたんですけど、今後はそれをもっとがんばっていきたいなと思っているので。やっぱりアイドルをしていると、明るくてキラキラした面をステージで見せることが多かったんですけど、そうじゃない、文章でのかっこいい姿を見せられたらいいなと思っています。 小説家・安部若菜が描くもの ──安部さんが書かれた小説を読んでいて……アイドルをやっている方が書かれた小説って、なんとなくラノベ調の作品とかが多い気がするんですけど、安部さんの小説は、そうじゃないのが本当にすごいなと。 安部 ありがとうございます。うれしいです。 ──3作のうち、もちろんご自分を投影しているわけじゃないんでしょうけど、最初は女性目線で書いていらっしゃって。ただ(男性目線での)最新作は、どういう感じで書かれたんですか? 安部 はい、でもそれも意識していて。最初はアイドルのことをテーマにした『アイドル失格』という小説から始まって、ちょっとずつ遠ざけていきたいなぁっていうのがあって。3作目の『描いた未来に君はいない』というのが、ひとりの視点でずっと書いてみようというのから書き始めて、結果そうなりました。 ──(語りの)性別が男性というと、想像するのは大変だったりしました? 安部 そうですね、でも小説を書くときって、自分と近くない人のほうが書きやすくて。意外とすらすら書けて。アイドルの役を書いてるときって、自分だったらどうかな?みたいなことを考えるので、自分自身をまず言語化しないといけなくて。そっちのほうが時間がかかります。 ──リアリティラインが…… 安部 そうですね。自分とキャラを分離させるのが難しかったりするので、逆に想像で書くほうがスラスラ書けはしますね。 ──実際、普段もモノを書くというか……小説以外にも何かを書いたりということは多いんですか? 安部 多いですね。それこそ日記を毎日書いていたりとか、とにかく昔から気持ちをノートに書いたりっていうのは、ずっとしていて。作文とかが大好きでした。 ──もう何回も聞かれているかもしれないですけど、好きな作家さんはいらっしゃいますか? 安部 好きな作家さんは……湊かなえさんが、いろいろな本を読むようになったきっかけで。あとは凪良ゆうさんも大好きです。 ──じゃあ、そのうちミステリーとかも。 安部 書いてみたいですね。 ──ちなみに、次はどんなものを書きたいとかってありますか? 安部 次の小説も書き始めていて……ご飯にまつわるお話にしようと。 「ご飯」をめぐって ──ご飯というと……昔は好き嫌いが、ぬか漬け、きゅうりがダメだったんですよね。 安部 そうなんです。ぬか漬けがダメでした。 ──カブとかやると、おいしいですよ(笑)。 安部 おいしいですか? やってみます。 ──カブの実じゃなく、葉っぱのほう…… 安部 へえー。あのぬか漬けができるんですね。ちょっとやってみます(笑)。 ──あと、白米がダメというのが(ブログに)あったので、お弁当とかは今まで大丈夫だったのかなと…… 安部 そうなんです。私は白ご飯が昔から食べられなくて。高校生ぐらいのときに克服したんですけど。 ──すごい! それまでは? 安部 それまでは、おかずがないとダメで。 ──おかずがあれば大丈夫。 安部 ご飯に合うものが。鮭とかがあれば、食べられるんですけど。 ──味がついているご飯とかもあるじゃないですか。ああいうのは大丈夫? 安部 ああいうのはいけるんですけど。 ──日の丸弁当とか。のり弁とかもダメ? 安部 のり弁はのりがあればいいので(笑)。梅干し1個だと、ちょっと足りないなぁって。でも今は白米だけでも。 NMB48でのターニングポイント ──NMB48の活動の話に少し戻りますが、この瞬間がターニングポイントだったなというのは何になります? 安部 そうですね……どれがいいかな。あ! NMB48の中で『NAMBATTLE』というファンの投票でシングルのメンバーを決めるイベントが2022年にあって。そのときに私、4位をいただいたんですけど、それがうれしくて。自信がつくきっかけになった出来事だなと思います。 ──なるほど、楽曲でいうと、一番印象に残っている曲は何になります? 安部 吉田あかりさんが卒業するときの「恋なんかNo thank you!」が、初めて選抜に選んでもらった曲で。それはやっぱり思い出の曲ですね。 ──初選抜に選ばれたときはどうでした? 安部 いやぁーようやくかって思いましたね。まだかまだかという気持ちだったので。 落語との出会い ──ほかに活動の中で、印象に残っていることはありますか? 安部 そうですね、たくさんあるんですけど……落語をしたことですかね。NMB48に入って、半年ぐらいのときに落語をひとりですることになって。それまでひとりでステージに立ったこともないなかで、初めてのひとり舞台が落語だったので(笑)。それはやっぱりNMB48の活動の中でも、すごく記憶に残っていますね。 ──落語をやるきっかけはなんだったんですか? 安部 NMB48に入る前から落語が好きで……入ってからも「趣味・落語」と書いていたら、マネージャーさんが「落語をやってみるとか、どう?」と。私も自分で演じるというのは考えたことがなかったんですけど……やってみます!というのが始まり。 ──練習は、けっこうされたんですか? 安部 練習はもう自主練という感じだったので……一度だけ、吉本の落語家さんの桂三金さんに来ていただいて見てもらってだったんですけど、本当にまだ何もわからずで。いろいろDVDとかを借りてきて覚えたりもして。 ──所作とか、DVDを見ながら…… 安部 そうですね。 ──あっちこっちを向いたりしながら、人物を振り分けないといけないですもんね。 安部 はい。 ──実際に高座に上がって、人前で披露してみてどうでした? 安部 直前まで不安すぎて号泣していたんですけど。でもいざ始まってみたら、本当に温かく見守ってくれて、けっこう笑ったりもしてくださったので……人に笑ってもらうっていうのも初めてのことだったので、楽しかったですね、いざやってみたら。 ──そのときにやられた演目は? 安部 『鶴』と『桃太郎』をやりました。 ──おぉ。実際にやってからは、落語を見る目も変わりましたか? 安部 やっぱり変わりますね。いざ自分でやってみたら、より尊敬の気持ちが大きくなって。それこそ私は二席覚えるのでも必死だったんですけど、落語家さんって、その日の流れとかを見て、話を決めたりするじゃないですか。そんな直前に決めて、あんなに長い噺を急にできるんやっていうのが、何回観ても不思議ですね。 ──すごいですよね。でも安部さんも『金明竹』とか『平林』とか、いっぱいやりましたよね。 安部 5つくらい覚えましたね。 ──じゃあ卒業コンサートでも! 安部 (笑)。 ──繁昌亭での雰囲気は、NMB劇場とは違いますか? 安部 違いますね。やっぱり緊張しますね。普段、自分が観に行っている場所の高座に上がれるというのが恐れ多くて……本当に気が引きしまりました。 ──お客さんも全然違いますもんね。 安部 それこそ繁昌亭とか、落語好きの方が集まる前で落語をさせてもらうことも何回かあったんですけど、できるだけ孫みたいな顔をして、孫ががんばっているから的な感じで見てもらえるように無邪気な顔でやっていました(笑)。 落語・浪曲番組『WAGEI』の公開収録 卒業コンサート後の7月29日、安部さんが出演する落語・浪曲イベント『WAGEI』の公開収録が行われる。テーマは「恋」、会場は日暮里サニーホール。 ──今回の『WAGEI』イベントのテーマが「恋」。恋をテーマにして、噺家のみなさんにネタを考えてもらっていて……安部さんも一席、どうですか? 安部 恋か……全然ネタがないですね(笑)。 ──以前『WAGEI』に出ていただいたときは、たしか『アイドル失格』をテーマにしたネタをやってもらったんですよね。カンペありで、覚えていますか? 安部 んー、どうでしたっけ? ──浪曲風で作ってもらって。直前で玉川太福さんにいろいろ教わって。でも、今回は難しいですよね……? 安部 そうですね、どうしよう……。 ──ちなみに、今回の『WAGEI』イベントのゲスト出演者とは、みなさん初めてになります? 安部 お会いしたことはないかな……。 ──ネタを聞いたことは? 安部 えーっと……たぶん聞いているような。 ──玉川太福さん、立川吉笑さん……ソーゾーシーは全員? 安部 えーと……はい、たぶんほとんど。林家つる子さんと鈴々舎美馬さんも、別の落語の番組でお会いしたことがあります。 ──寄席じゃなくて、普通の番組で共演してネタを観たんですね。 安部 はい、ネタも観ました。 ──ということは、ほぼ全員のネタをご覧になってる。 安部 はい。でも立川吉笑さんの「恋」はあんまり想像できないです。おもしろそうですね。 ──プルプル……言いながら(笑)。 安部 あまり「恋」のイメージがないので。 ──瀧川鯉八さんは? 安部 瀧川鯉八さんとは共演したことないです。 ──鯉八さんは基本、オリジナルなネタで。その世界観もぶっ飛んでいて、よくわからないこととかもあるんですけど……枕を10分ぐらいやって、ネタはもう4、5分とか。イベントでは「恋」に関するネタとか恋に関するトークとか、みんなでできればなあと思っているので。 安部 いいですね! 恋バナですね。 ──その中で、この安部さんの最新作に関する話もしていただけたらな、と。 安部 ありがとうございます。もう卒業も近いので、なんでも話せます(笑)。 ──ギリギリのラインでお願いします(笑)。今まで3回『WAGEI』の番組にご出演いただいていて……安部さん的にはどんな感じですか? 安部 落語が好きだったんですけど、『WAGEI』で浪曲とかにも初めて触れたりしたのが、すごく印象的で。“話芸“という、ちょっと大きなくくりなのが、すごく素敵だなと思っていて。 ──浪曲を披露していただきましたよね。 安部 はい。難しかったですね。 ──玉川太福さんが、いろいろと教えてくれて。あと落語も上方だと違うじゃないですか。 安部 そうですね。私自身は、大阪で上方落語をやってる方と一緒になることが多いので。『WAGEI』だと江戸落語のみなさんの噺を聞けるのも、すごく楽しいです。 ──安部さんは、新作落語と古典落語と、どっちが好きとかあります? 安部 古典からの入りなんですけど新作もおもしろいですよね。どっちも大好きです。 ──普段、創作活動なさってますしね。 安部 そうですね。 ──今後も話せるネタを増やしていく方向で…… 安部 やりたいなと思いますね。それこそずっと創作落語にも興味があるんですけど、なかなか。 ──たしかにネタをイチから作るって、わからないですよね。 安部 まだまったくわからないですね。だから本当にすごいなあと。 ──NMB48のメンバーの中に、落語が好きな方って、ほかにもいたりするんですか? 安部 落語はいないですね。でもお笑いを一緒に観に行くことはあって。なんばグランド花月とかに行ったら、漫才の中に落語家さんも出られたりしていて、そこで初めてメンバーが落語を観て、横でめっちゃ笑ったりしてたら勝手に「よしっ!」と思いますね(笑)。うれしくなります。 ──寄席へは最近、行かれたりしています? 安部 最近は、本当にたまになんですけど。 ──東京だと、なかなかスケジュール的に難しいですよね。 安部 そうなんです。東京で行けることがなかなかないので……卒業して、時間に余裕ができるので、いろんな寄席へ行ってみたいですね。 卒業後に叶えたい夢 ──実際、卒業したら時間もできるし、一番やってみたいことはなんですか? 安部 旅に出たいです。 ──旅! 具体的にどことかあります? 安部 行きたいのはそうですね……世界に羽ばたきたいです! NMB48にいると旅行に行ける機会がなかったので。1泊以上という旅をしたことがなくて。ヨーロッパとかへ行きたいです。 ──なるほど。ヨーロッパで特にこの国に行ってみたいとかは…… 安部 イタリア、ローマ。“ローマの休日“したいですね。 ──(笑)。あと……旅行以外でも、安部さん、たくさん趣味があるじゃないですか。たとえば、その中で何か…… 安部 今、いろいろな趣味があるんですけど、逆により増やしてみたいなと思っていて。習い事を始めたいなと。 ──たとえば? 安部 たとえば……あ! ポールダンス。 ──すごい! 文化系かと思いきや! 安部 一回、ロケでポールダンスを……この間やってみたら、運動したいなーと(笑)。 ──運動系は自信があるんですか? 安部 はい、運動系はわりと。中学時代は陸上部で運動をしていたし、NMB48でも踊ったりというのがあったので。逆に(卒業すると)運動が一番なくなっちゃうので、動きたいなあと。 ──運動を、ポールダンスで埋めていく……もしかしたらポールダンス小説も。(ポールダンスの)マンガはあるじゃないですか。 安部 小説は、まだないかもしれない。 ──最後にlogirl読者へメッセージをいただければと。 安部 はい。私はあと1、2週間でNMB48を卒業するんですけど、趣味の落語とか、あとは小説を書いてきたこととかも含めて、より幅広い活動を好奇心旺盛にしていけたらなと思うので、これからも一緒に見守っていただけたらうれしいなと思います。 取材・文=山田ひろし、鈴木さちひろ 撮影=北野将市 『CSテレ朝チャンネル「WAGEI」特別公演 創作話芸フェス】 出演:玉川太福・春風亭昇々・立川吉笑・瀧川鯉八・玉川みね子 林家つる子・鈴々舎美馬・安部若菜(NMB48) 日時:2026年7月29日(水)18:00開場/18:30開演 会場:日暮里サニーホール・4Fホール チケット料金(全席指定):前売3,500円/当日4,000円(いずれも税込) チケット販売(チケットぴあ):Pコード542-635 詳しくは番組公式HPへ https://ex-maniacs.tv-asahi.co.jp/ch/ex_maniacs/post-64934/
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ときめきプレ写!吉川ひより&エルフ荒川の“ギャルデート”編テレ朝動画logirlで毎週金曜17時からレギュラー配信中、アイドルユニット「超ときめき♡宣伝部」の冠番組『ときめき♡プレシャス』。「おしゃれ」「かわいい」をテーマに、メンバーがときめくことをお届けしています。この記事では「ときめきプレ写!」と題して、番組の裏側の様子や、メンバー同士が撮り合ったオフショットなどを紹介していきます。今回は、6月19日から配信予定の、吉川ひよりとゲストのエルフ荒川さんの様子をご覧ください。 『ときめき♡プレシャス』 『ときめき♡プレシャス』Instagram 今回の『ときプレ』は、吉川ひよりの休日に密着! 高校生のころから通っていたという下北沢で、古着屋さんを巡ったり、お気に入りのお店を紹介したりと、普段の休日さながらの自然体なひよりんをお届けします。 2025年11月にオープンしたばかりのお店 まず訪れたのは、下北沢の人気店「ニューかかん」。以前からSNSで気になっていたという念願のお店で、名物の麻婆豆腐やメロンクリームソーダを堪能! 「ひとりごはんは苦手じゃないけど、なかなか冒険できない」と語るなど、普段のひよりんらしい飾らないトークも飛び出します。 店内はレトロでステキな雰囲気 その後は、大好きなシール屋さんへ。目を輝かせながらお気に入りを探す姿に、テンションも最高潮! さらに、ロケのちょっとしたスキマ時間には気になる古着屋さんへ。そんな自由気ままな姿にも、ひよりんらしさがたっぷり。 ところ狭しと並んだシールの前で そして、今回の最大の見どころは、人生初の「令和ギャル」変身企画! 渋谷のサロンで、普段とはまったく違うギャルメイクに挑戦。とき宣では禁止されているというカラコンにも初挑戦し、「もう目だけでギャル!」と大興奮。鏡を見るたびに、どんどんギャルマインドが芽生えていく様子は必見です。 さらに、エルフ荒川さんと合流し、SHIBUYA109へ! 荒川さんお気に入りのお店を巡りながら、荒川さんプロデュースのギャルコーデ選びがスタート。普段はあまり選ばない柄物や大胆な小物にも挑戦し、新たなひよりんの魅力が次々と引き出されていきます。 エルフ荒川さんとのコーデ開始 そして、令和ギャルに大変身したあとは、ふたりでプリントシールの撮影へ。ギャルポーズやラクガキを楽しみながら、まるで学生時代に戻ったかのように大はしゃぎ! 完成したプリクラは番組でご紹介します! いろんなポーズで撮影! ロケの締めくくりは、「クレープとエスプレッソとジェラートと」でのカフェタイム。パステルカラーに彩られたかわいらしい店内や、色とりどりのジェラート、思わず写真を撮りたくなるスイーツの数々に大興奮! ギャル姿のまま、休日の過ごし方やメンバーとの関係、プライベートでのお出かけ事情など、ここでしか聞けない本音トークが繰り広げられます。 大きなクレープを頬張りながらトーク 下北沢で見せた自然体な表情、そして令和ギャルとしての新たな一面。いつものひよりんとはひと味違う魅力がぎゅっと詰まった、ときめき満載の一日は、6月19日から配信予定の『ときめき♡プレシャス』にて!
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ときめきプレ写!坂井仁香&結那の“鎌倉デート”編テレ朝動画logirlで毎週金曜17時からレギュラー配信中、アイドルユニット「超ときめき♡宣伝部」の冠番組『ときめき♡プレシャス』。「おしゃれ」「かわいい」をテーマに、メンバーがときめくことをお届けしています。この記事では「ときめきプレ写!」と題して、番組の裏側の様子や、メンバー同士が撮り合ったオフショットなどを紹介していきます。今回は、5月29日から配信予定の「鎌倉デート」での坂井仁香と、ゲストの声優・アーティスト結那さんの様子をご覧ください。 『ときめき♡プレシャス』 『ときめき♡プレシャス』Instagram 今回の『ときプレ』は、坂井仁香が鎌倉へ! そしてなんと……番組初となるメンバー以外とのデートロケが実現! お相手は、声優・アーティストとして活躍する結那さん。 実はふたり、高校の同級生だったんです! 坂井さんの希望で韓国風の制服に身を包み、「気持ちはまだ18歳!」と笑い合いながら、鎌倉の街を巡っていきます。 制服姿も相まって、本当に放課後のような雰囲気 ロケのスタートは、鶴岡八幡宮。若宮大路を歩きながら、源頼朝が作った段葛(だんかずら)の歴史を学ぶ場面も。「歴史苦手だった〜!」「世界史? 日本史? どっち取ってたっけ?」と、学生時代そのままの空気で盛り上がるふたり。 鎌倉グルメも満喫 さらに、小町通りではプリントシールの撮影にも挑戦! 「難しすぎる!」「え、これどうやるの!?」と、最新のJK文化に大苦戦。現場にいた現役の女子高生に教わりながら、完成したシールを見て大盛り上がり!(完成したシールは番組で) まるで修学旅行のようなテンションで楽しむ姿が印象的 そしてロケ後半は、江ノ電が目の前を走る話題のお店「ヨリドコロ」へ! 稲村ヶ崎駅近くを歩きながら「SNSで見てずっと気になってた!」「江ノ電を見ながらご飯食べられるんだって!」と、到着前からテンションMAXのふたり。 江ノ電をバックに一枚 お店では、電車がすぐ横を通るロケーションに大興奮! 「近すぎる!」「こんなの初めて!」「手、振ってみる!?」と、終始大はしゃぎ。 お店の名物、ふわふわメレンゲ卵かけご飯にも挑戦! 卵白を交代しながら必死に泡立てて「メレンゲ王になる!」と大盛り上がり。 絶品料理にご満悦の坂井さん(撮影=結那) 同じく舌鼓を打つ結那さん(撮影=坂井仁香) 最後は、由比ガ浜へ。夕暮れの海をバックに、ふたりで写真を撮りまくりながら大はしゃぎ! 「エモすぎる!」「青春ドラマみたい!」と、最後まで高校時代に戻ったような時間を満喫していました。 ロケ中には、高校時代の思い出トークも続々 同級生だからこその空気がたっぷり詰まったロケになりました。普段のときプレとは少し違う、自然体すぎる坂井さんの表情にも注目です。制服姿で思い出をたどるふたりの鎌倉デートは、5月29日から配信予定の『ときめき♡プレシャス』にて!
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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吉高志音(BOY meets logirl #068)吉高志音(よしたか・しおん)1999年7月2日生まれ、東京都出身Instagram:sion_yoshitakaX:@sionyoshitakaYouTubeドラマ『東京彼女』出演(7月号配信中)ライブ『KoN×吉高志音 THE BRIDGE』出演(2026年8月5日(水)) 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) ヘアメイク=堤 紗也香 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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西山蓮都(BOY meets logirl #067)西山蓮都(にしやま・れんと) 2009年5月4日生まれ、千葉県出身Instagram:nishiyama_rento_official X:@nishiyama_rento ドラマ『タツキ先生は甘すぎる!』(日本テレビ)岩瀬大也役で出演ドラマ『転校生ナノ』(FOD)episode6.「探しものは何ですか?」タクト役で出演 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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萩原 護(BOY meets logirl #066)萩原 護(はぎわら・まもる) 2003年7月9日生まれ、東京都出身Instagram:mamoru_hagiwara ドラマ『スピナーベイト』(フジテレビ)2026年6月放送開始映画『Man』2026年9月11日公開写真展『あの人と私』(弘重GALLERY)2026年5月19日〜24日開催 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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「お笑いが好きだったらなんとかなる」──『THE SECOND』ベスト4のリニアを変えた先輩芸人の金言|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46芸歴16年以上の芸人が出場する『THE SECOND~漫才トーナメント~』。今年ベスト4まで勝ち上がったのがリニアだ。 もともとは2006年にトリオで結成し、その後、コンビになった。2016年には一度解散も経験している。出会ってから20年。酒井啓太としょうへいは、ようやくその実力を世間に知らしめた。 遠回りをしてきたリニアは、なぜ20年も走り続けることができたのか。彼らに聞くと、東京03・飯塚悟志をはじめとした先輩たちの支えがあったことがわかる。 「お笑いが好きだったらなんとかなる」 その言葉を信じて、賞レース決勝までたどり着いたリニアのこれまでを聞いた。 【こちらの記事も】 アクロバティックなネタで目先の笑いを追いかけた?『THE SECOND』で注目されたリニアの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46 目次ウケを手放す怖さ人の感情がわからない化け物即再結成も、ファンがゼロに「お笑いが好きだったらなんとかなる」『THE SECOND』は勝てるはずだった ウケを手放す怖さ 左から:しょうへい、酒井啓太 ──前編では、とにかくお客さんのウケを重視する『THE MANZAI』に適応したことで、エッジの効いた漫才を求める『M-1(グランプリ)』に苦戦したと言っていました。 酒井 2015年に復活したM-1では、それまでお客さんにウケることだけを考えてて「自分たちの漫才」を作ってこなかった僕らはめちゃめちゃ苦戦して。本当にダサいんですけど、予選で落ちるたびに「審査員は何もわかってねえんだよ!」って後輩に言ってましたね。 「これじゃダメだよな」ってわかってはいるんですけど、普段のライブではウケてるから、「俺らのやり方は間違っていない」って自分を慰めてたんですよね。本当に若手のころはずっとスベってて、そこからちょっとウケるようになったもんだから、一度覚えたウケを手放すのが怖かった。 今思うと最低ですけど、最終的に全部しょうへいのせいにして、結局2016年に一度解散したんです。 ──しょうへいさんは解散を告げられて、何を思いましたか。 しょうへい コンビのことは啓太が全部決めてたから、しょうがないかって感じでしたね。もうずっと仲も悪かったんです。ネタ合わせで集まっても、あいさつもしないでいきなり「どうもー」から始まって、終わったら「お疲れ」って帰るみたいな。普通の会話が一切なかった。 酒井 一応、一回は「解散したくない」って言ってたけどね。 しょうへい ライブ終わりに中野サンプラザの前の広場に呼び出されて、そこで言われたんだ。そのときは一回「イヤだ」って言ったんですけど、また新宿でのライブ終わりに言われて、しょうがないかって。 酒井 今でこそしょうへいの変人なところがおもしろいって思えるんですけど、当時は、この変なところにずっとイライラしてたんですよね。 しょうへい あ、変なとこ出てた……? 酒井 ずっと出てたよ。隠せてるつもりだったのかよ(笑)。 人の感情がわからない化け物 ──酒井さんから見て、しょうへいさんの「変さ」ってどういうところに出てるんですか。 酒井 しょうへいは、人の心がまったくわからないんです。ネタ合わせでも、一つひとつのセリフについて、どういう感情で言うのか説明しないとダメで。「ここのセリフはもうちょっと強めに」とか「悲しそうに言って」とか、言葉のニュアンスを一個一個、手入力してる感じ。 意図せずデリカシーのないことを言ったりするし。だから僕はしょうへいのことを「大型動物」だと思ってます。人間的なことを求めてしまったらダメなんですよ。 しょうへい 人の感情がわからなすぎるから、先輩芸人に「映画を見て勉強したら?」って言われて、映画メモをつけるようになりました。 酒井 そのメモもひどいんですよ! 一回見せてもらったら、「『トイストーリー』を最初に観たのはいつごろだっけ? 小5のときか」だけで終わり。感想とか何もない(苦笑)。 でも、ここが厄介なんですけど、しょうへいって感情的ではあるんですよ。人の感情には鈍感だけど、自分の感情には敏感というか。 ──たしかに『THE SECOND』でも涙されていました。 酒井 そうそう。感情の起伏は激しくて、すぐヘコんだりもするんです。コイツの感情自体はすっごくわかりやすい。 しょうへい みんな、今どんな感情なのか言ってほしいです。「今うれしいんだよ」とか「悲しいよ」とか言ってほしい。 酒井 超不器用なんですよね。そのくせ、自分を「できるヤツ」に見せたがるところがあるんですよ。それで目先のウケやすいベタなことをやるんですけど,本質的に変なヤツなんだから下心は出さないで自然体でいてくれたほうがよっぽどおもしろい。 ──たしかにTHE SECONDで見ていても、ほかの芸人とは違う異質な感じがありました 酒井 しょうへいは本来ステージとかテレビに出ちゃいけない人なんですよ(笑)。でもだからこそ輝くっていうか。早く異物として見つかってほしいですね。 しょうへい 異物として、化け物として見られたいですね。 酒井 そうやって自分で言うと、ちょっと違うんだよ(苦笑)。 即再結成も、ファンがゼロに ──話を戻すと、酒井さんは解散後どうするつもりだったんですか? 酒井 ちょうど同じ時期に解散した元巨匠の岡野(陽一)と、元ザンゼンジの武田(裕司)と3人でやろうかって話が出たんですよ。 でも、岡野が天才すぎてやめました。ふたりでネタを書いてみたんですけど、これだったら岡野だけ書いたほうがいいやって思ったんです。でも、僕は自分でネタを書かない芸人人生に納得できないだろうなって気づいたんですよね。それですぐ、しょうへいをまた誘いました(笑)。 ──しょうへいさんも振り回されてますね。 しょうへい でもピンでもうまくいきそうになかったし、ずっと啓太の言うとおりにしてきたんで。 酒井 再結成しても、また空回りするんですよ。新しい自分たちを見せようとしすぎて、しょうへいがピンで一瞬やっていた「サイモン」というキャラをやっちゃって。 ──なんですか、それは。 しょうへい 東南アジアのジャングルでゴリラに育てられた人間が、日本に出稼ぎに来ているみたいな設定のキャラクターをやってたんです。 酒井 僕も「そのキャラで新しいお笑いができる!」ってワクワクしてたんですよ。ふたりで衣装も買いに行って。ありがたいことに再結成ライブも、チケットは即完売だったんですよ。S×L時代に応援してくれてた人たちが、僕らが戻ってきたと思ってくれて。 なのにステージに現れたのはサイモン(笑)。客席にいる女性のお客さんを指さして「女、抱かせろ」って言った瞬間、全員が悲しそうな顔になりました……。数少ないファンも完全にゼロになった。結局、サイモンは2日でやめましたね。 ──でも再結成してコンビ仲は回復したんじゃないですか? 酒井 いや、最初は気を遣い合ってましたけど、すぐに関係がよくなったとかではないですね。結局、人間はすぐには変わらないんですよ(笑)。 「お笑いが好きだったらなんとかなる」 ──2016年の再結成から、2023年のM-1のラストイヤーまで思うような結果は出てなかったと思うのですが、なぜそれでも芸人を続けられたのでしょうか? 酒井 ここでも東京03の飯塚さんに助けられましたね。サイモンで再結成したとき、すぐ飯塚さんが飲みに誘ってくださったんですよ。 そこで「酒井って、自分にお笑いの才能あると思う?」って聞かれて。これ、「どっちが正解だ?」と思うじゃないですか。「才能ないです」って言ったら、「自信ないならもう辞めたほうがいいよ」って思われるかもしれない。だから一か八か「才能、ありますよ」って答えたんですけど、飯塚さんに「いや、俺だって才能ないよ」と言われて(苦笑)。 ──二択を外した(笑)。 酒井 めちゃめちゃ恥ずかしかったですけど、でも飯塚さんは「才能がない上で、リニアがどう売れるかを一緒に話したかったんだよ」と言ってくれて。 ──いい先輩ですね。 酒井 本当にありがたかったです。その日は朝まで相談に付き合ってくれて。帰り道で歩いてるとき、飯塚さんが「酒井ってお笑い好きなの?」と聞いてくれたんですよ。 「好きです」って答えたら、「じゃあ大丈夫だよ。この世界はお笑いが好きだったらなんとかなるようにできてるから」って言われて。 ──その言葉はお守りになりますね。 酒井 でもそのときは、ちょっと卑屈になっていたのもあって、「それは飯塚さんが売れたから言えるんじゃないの?」と思っちゃったんですよ(苦笑)。 でもずっと飯塚さんのあの言葉は残っていて、ふとした瞬間に気づいたんです。「お笑いが好きならなんとかなる」って裏を返せば、「なんとかならないってことは、お笑いが好きじゃない」ってことだって。 ──お笑いが好きだってことを証明するためにも、結果を出さなくちゃならない。 酒井 それに気づいてから、めちゃくちゃスイッチが入りました。「お笑いが好きだ」っていう気持ちがウソになるのだけは、絶対にダメだと思って。そこからネタの作り方も変えましたね。目先のウケじゃなくて、「リニアとしてどういう漫才をやったらおもしろいか」を考えるようになりました。 ──具体的には何を変えたんですか。 酒井 まず「ネタを作っているのは俺だ」というプライドは捨てて、元エレファントジョンの(ガッテン)森枝さんにネタを手伝ってもらうようになりました。 あと、1分ネタなどのテレビのオーディションもすべて断るようにしました。とにかく漫才だけやる。うまい人に追いつくには、全部のリソースを漫才に割くしかないと思ったんです。 しょうへい そういうことだったんだ。僕は1分ネタもがんばったほうがいいのになって思ってたんですよ。チャンスは多いほうがいいから。啓太がそんなこと考えてたって今初めて知りました。 酒井 絶対言ったけどなぁ(笑)。 ──リニアの漫才を追求するようになって、結果はすぐに出ましたか? 酒井 そこからまた2〜3年はスベり続けましたよ。ウケてたころの感触を取り戻したくて、前みたいに戻したくなることもあったし。そのたびに森枝さんが「安易に手前の笑いを取りにいってる」って注意してくれて、思い留まれたんです。 それで我慢してリニアの漫才を考えてたら、だんだん芸人仲間の言葉が「ウケてるね」から「おもしろいね」に変わってきた。あれはうれしかったですね。芸人がおもしろいって思うんなら間違いないなって。めっちゃ時間かかりましたけど、あのとき向き合ってよかった。 しょうへい 僕は台本をもらってやるだけなので、その変化は正直わかってなかったです(苦笑)。 『THE SECOND』は勝てるはずだった ──こらえてこらえてようやくリニアは今年、THE SECONDのグランプリファイナルに初進出しました。初めての賞レース決勝の舞台は、いかがでしたか? 酒井 ただただ楽しかったですね。僕、普段は吐き気がするぐらい緊張することもあって、実際ノックアウトステージは、緊張で噛んだりして自分にガッカリしたんですよ。でも、決勝は緊張せずに出られました。 当日の朝、飯塚さんがLINEをくれたんです。「決勝で優勝するのは運しかないから、思い出作りだと思って楽しんできな」って。その日、東京03の単独ライブだったんですよ。自分の忙しいときに、僕らのことを気にかけてくれて本当にありがたかったです。 しょうへい 僕も決勝前に(モグライダーの)ともしげさんと、や団の中嶋(享)さんと飲みに行って、「決勝が一番楽しいから、楽しみなよ」って言ってもらいました。 酒井 しょうへいもすごい緊張しやすいんですよ。昔、賞レースの出番直前に「ごめんなさい、ごめんなさい……」ってテンパってることがあって。「セリフが何も思い出せない」って。結局なんとかなったんですけど、あのときは焦りましたね。 しょうへい でも、THE SECONDは楽しかったです。 酒井 小劇場でマックス20人ぐらいのお客さんの前で、ウケた、スベったっていう日々だから、テレビで6分ネタを2本もできて夢みたいでした。 ──惜しくも準決勝で敗れました。 酒井 そこなんですよね。やるだけのことをやったと思えたし、打ち上げも楽しかった。でも帰り道でひとりになったとき、ふと、「あれ。準決で勝ってたら、優勝できたかもしんないな」って気づいたんです。 決勝の金属バットが、ホームランか三振かっていう極端なネタやったじゃないですか。たぶん、僕らの3本目はあれに勝てた。それまでの2本とは毛色も違うネタだったし、流れも完全にリニアだったんで。 ──遅れて悔しさが来た。 酒井 まぁでも僕はTHE SECONDっていう大会がめっちゃ好きなんで、最初のグランプリファイナルでいきなり優勝して上がるよりは、来年も出るほうがいいです。卒業しなくてよかったなって。 ──当面の目標はTHE SECOND優勝ですか。 酒井 そうですね。またあの舞台に立ちたいです。ネタを3本作るのはめちゃくちゃしんどいですけど、またみんなでTHE SECONDを盛り上げられたら最高だなと思います。 しょうへい 僕はテレビとかラジオに出ることが増えたんで、ちゃんとしゃべれるようになりたい。 酒井 いや、しょうへいは本当に無理してしゃべらなくていいよ。「コイツ、全然しゃべらねえな!」ってツッコまれてからが勝負だから。しょうへいを見つけてもらうためにも、漫才をがんばらなくちゃいけないなと僕は思いますね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リニア 酒井啓太(さかい・けいた、1986年9月11日、神奈川県出身)としょうへい(1986年11月16日、神奈川県出身)のコンビ。2008年結成。プロダクション人力舎所属。スクールJCA14期生。2012年から3年連続で『THE MANZAI』認定漫才師となる。2013年には『漫才新人大賞』優勝。2016年1月に一度解散、同年8月に「リニア」として再結成。2026年、『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』でグランプリファイナル進出を果たした。YouTubeチャンネル『リニアの漫才』では、漫才やトーク動画を公開中。 【後編アザーカット】
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アクロバティックなネタで目先の笑いを追いかけた?『THE SECOND』で注目されたリニアの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46芸歴16年以上の芸人が出場する『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』で、ベスト4となった、リニア。 コンビ歴18年で、ようやく全国放送の賞レースで活躍したが、これまでずっと苦汁をなめてきた。 もともとはトリオで、コントをしていたリニアが、なぜコンビになり、漫才に主戦場を移したのか。「目先のウケ」ばかり意識して、自分たちの「笑い」を見つけられなかったというリニア。その初舞台について聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次子供のころからずっと芸人に憧れていた緊張したアクロバティックな初舞台目先の笑いに走ってしまう東京03・飯塚の金言 子供のころからずっと芸人に憧れていた 左から:しょうへい、酒井啓太 ──今年の『THE SECOND』で、見事ベスト4になったリニアさんですが、コンビ歴18年でようやく賞レース決勝と、かなり苦労されていますよね。そもそも芸人になろうと思ったきっかけは? 酒井 『オンバト』(爆笑オンエアバトル)と『M-1(グランプリ)』ですね。僕、今年で40歳ですけど、小学生くらいのときから、お笑いで闘うことがカッコいいみたいな風潮が出てきてて。オンバトってお客さんがボールを流して重さを量るじゃないですか。自分の実力が測られる感じがわかりやすくて憧れたんですよね。小学校の卒業文集にも「芸人になりたい」と書いてて、親も賛成してくれてたんですよ、「大学行くより安いし」みたいな感じで。 ──小学生からずっと温めてきた夢だったんですね。 酒井 中学生のとき一瞬、CHEMISTRYに憧れて「ボイトレに行きたい」って頼んだことがありましたけどね(笑)。でも、僕が神奈川県の中山ってところに住んでて、田舎だからボイトレなんかないんですよ。結局、ヤマハのカラオケ教室に入れてもらったんですけど、僕以外おじいちゃんしかいなかったんで、すぐ辞めました(笑)。 ──しょうへいさんはいつからお笑いにハマったんですか? しょうへい 僕はとんねるずさんですね。ちっちゃいころから夜ふかしオッケーな家だったんで、幼稚園のころから『ねるとん紅鯨団』とか『(とんねるずの)みなさんのおかげです。』を見てて。意味はわからないんです。でもとんねるずさんが出ているから見ている感じでしたね。 ──とんねるずだと、どちらにより憧れていましたか? しょうへい 僕は(木梨)憲武さんですね。おいしそうにご飯を食べるじゃないですか。おかずちょっとでご飯モリモリいくみたいな。 酒井 なんの話!? おかずちょっとでご飯いくって(苦笑)。 しょうへい あと憲武さんは、チビノリダー(※1)でも憧れていましたね。とんねるずさんを見てて「芸人になったら毎日楽しいんだろうなぁ」って思っていました。 (※)『みなさんのおかげです。』の人気キャラクター「仮面ノリダー」の相棒として、幼少期の伊藤淳史が演じたキャラクター ──しょうへいさんが芸人になりたいと思ったのはいつごろ? しょうへい 高校生のとき、アンタッチャブルさんがM-1で優勝したんです。オンバトのころからずっとおもしろかったですし優勝したのがカッコよくて、その次の年にアンタッチャブルさんのいる人力舎に入りました(※2)。 酒井 当時の人力舎って、おぎやはぎさんとかも出てきて、ネタがおもしろい人が多いイメージがあったんですよね。あと、僕が人力舎を選んだのは、吉本が怖かったってのもありました(笑)。毎年500人ぐらい入って、スパルタだって聞いてたから、厳しい競争社会では勝ち残れる自信がなかった。 (※2)アンタッチャブルのM-1優勝は2004年。翌2005年にしょうへいと酒井は人力舎の養成所「JCA」に14期生として入学した 緊張したアクロバティックな初舞台 ──芸人としての初舞台は覚えていますか。 酒井 養成所のライブですね。夏休み明けにあったんですよ。当時は僕としょうへいと、もうひとりで「バリアスリー」っていうトリオでした。会場は……。 しょうへい 「高円寺区民会館」だよ。今はもう「座・高円寺」に変わってますけど。 酒井 そうだ。客席はほぼ養成所生の友達とか身内しかいない感じで。めちゃくちゃ緊張したのは覚えていますね。 しょうへい 僕は全然記憶がないです。ネタをやった感じも何も覚えてない。 酒井 しょうへいは基本、何も覚えてないから(笑)。僕はこの前の『THE SECOND』の決勝より、緊張してました。出番前に行ったトイレとか、舞台に向かうまでの感じとか、映像として鮮烈に覚えています。当時は1回のライブで将来が決まると思っていたんですよ。ここでミスったら講師に落ちこぼれ認定されると思ってた。 ──どんなネタをやったか覚えていますか? 酒井 もうひとりの相方がツッコミで、僕が小ボケ、しょうへいが大ボケみたいな感じでコントをしていました。僕が体操をやってたんで、いろいろアクロバティックなことしてました。 しょうへい 僕が土台になって、僕の上で啓太が「あん馬」をするんですよ。 酒井 『ケンカ』っていうショートコントだと、ドンッってぶつかられて、アクロバティックに立ち上がるみたいな感じです。ネタ自体はオーソドックスなんですけど、そこに無理やりアクロバティックを入れてて(笑)。 ──そういうネタがやりたかったんですか? 酒井 いや、やりたいっていうよりは、手っ取り早く勝てるからやっちゃってたんですよね……。「おーっ!」って驚いてもらえるし、そのあとにオチをつけると、ドーンってウケちゃう。それに味をしめた感じで。養成所って投票で順位がつくんで、とにかくウケなきゃって思ってたんです。 ──「自分たちのお笑いを見せつけるぞ」とトガるんじゃなくて、ウケることを重視していた。 酒井 いや、これ不思議なんすけど、そんなネタをやりながらもトガってたんすよ(笑)。芸人初じゃないですか? あんなにドタバタコントやってんのにトガるって。高卒ですぐ芸人になったから、ちょっとイタかったんですよね。「ネタも俺が作ってんだぜ」みたいなイキリがあって。養成所ライブではしょせん5位くらいだったんですけどね。 ──しょうへいさんは、そんな酒井さんをどう見てましたか? しょうへい いや、僕もトガってたんです(笑)。全部、啓太にやってもらってるのに、「俺もすごいんだぞ」って感じを出してた。 酒井 ふたりともトガってるって感じ悪いなぁ(笑)。もうひとりの相方は僕らより3〜4歳上だったから落ち着いてたんですよ。それでこっちがヤンチャでいられたのかもしれないですね。 目先の笑いに走ってしまう ──初舞台後の養成所はどうでしたか? 酒井 養成所時代は、スベった記憶があんまりないんですよ。JCA卒業後もレギュラーに残れたし。でも卒業して初めての事務所ライブが全然ウケなかったんです。明確にスベったのはあそこが初めてだったかもしれないです。 ──なんでスベったんだと思いますか? 酒井 事務所ライブのお客さんって、めちゃめちゃお笑い好きな人が多いから、アクロバティックなことをしても「おおーっ」って感心されるだけでウケないんです。けっこう自信のあるネタだったんですけど、全然ダメで「プロの世界って全然違うんだ」って思ったのをめちゃくちゃ覚えてますね。 人力舎って養成所卒業からすぐ所属になるんじゃなくて「預かり」っていう状態があるんですけど、そのころは全然ダメでした。2007年に正式に所属してからもスベってばっかりで。 ──どのタイミングでトリオからコンビになったんですか。 酒井 ツッコミをしてた元相方が、2008年の単独ライブ後に急に「辞める」って言ってきたんです。それで、じゃあふたりでやろうかと。それで「S×L」に改名して続けました。でも、ボケがふたり残ったところで何をしたらいいかもわからない。 一応、トリオ時代のアクロバティックなドタバタコントは封印したんですよ。あれができたのは、真ん中にポップなツッコミがいたからだったんで。それでシュールの方向に挑戦しましたね。当時はキングオブコメディさんが活躍されていたので、そのマネみたいなコントでした。ブッ飛んだボケをして、芯を食ったツッコミをするみたいな。 しょうへい 僕がしゃがんで「あ、アリだ」ってアリをつまんで食べて……。 酒井 それに対して「何やってんだよ!」じゃなくて「おいしいですか?」ってちょっとずらしたツッコミをする……。 ──なるほど……。 酒井 当時も今みたいにめっちゃスベりましたよ!(笑) それですぐアクロバティックに戻しました。 ──戻すんですか(笑)。 酒井 養成所時代はウケてたから、スベるのが怖かったんですよ。今となっては、芸歴の浅いうちは手前のウケよりも自分の信じたことをやったほうが、自分たちのスタイルを見つけられるってわかるんですけど……。当時はウケないと事務所もクビになっちゃうかもしれなかったんで、目先の笑いに走ってました。でも結局それから3年くらいずっとうまくいかなくて。そしたら事務所からクビ予告されたんです。 東京03・飯塚の金言 ──事務所をクビになることがあるんですか。 酒井 事務所の人に呼び出されて、「あと半年ぐらいの間に結果出してくれないと、ちょっと危ないかも」って言われました。そこで「なんか変えなきゃいけない」と思って、僕はもうひとり入れてトリオに戻ろうって言ったんです。でもしょうへいは「ふたりがいい」って。 しょうへい 覚えてないなぁ(笑)。 酒井 言ったんだよ! そこで初めてしょうへいがお笑いのことに意見を言ったんで、これは信じたほうがいいのかなと思って、ふたりでなんとかしようと。それでまずコントから漫才をやるようになったんです。ガラッと変える方法がそれくらいしか浮かばなくて。 あと、事務所の先輩のゆってぃさんに相談したら、「東京03の飯塚(悟志)さんにも相談してみれば?」と言ってくれて、初めて飯塚さんに会いました。そこで「ちゃんとお笑いを勉強して、ベタなことをやったほうがいい」と言われたんですよ。 ──お笑いの勉強、ですか。 酒井 飯塚さんは「レンタルビデオ屋のお笑いの棚にあるDVDを全部見て、おもしろいと思ったところの構造をメモしろ」って教えてくれたんです。「全部じゃなくておもしろいと思ったところだけでいい。そのメモの集合体が酒井のセンスになる」って。 ──実践的ですね。 酒井 僕の芸人人生って、このあともずっと飯塚さんの言葉に助けられてきたんですよ。実際それで勉強して、ベタな笑いに集中したら、ウケるようになってきて。 当時ちょうど学生芸人が台頭してきてて、まだ人力舎に入る前の真空ジェシカとか、解散したスパナペンチとかがいて、そいつらと人力舎のうまくいっていない芸人の対抗戦があったんです。そこでベタな漫才をやったらめちゃくちゃウケて、2位になれた。あれは自信になりましたね。 ──2012年には『THE MANZAI』の認定漫才師にも選ばれています。 酒井 飯塚さんからアドバイスをもらった年のことですよ。目に見えて結果が出始めて、念願だったオンバトでも、オーバー500KB(キロバトル)を連発できて。 ──順風満帆だった。 酒井 いや、ここでベタから抜け出せない時期が来るんですよ……。また、ウケた手応えを手放せなくなって、守りに入るというか。THE MANZAIが終わってM−1が再開してからがダメで。 THE MANZAIはとにかくお客さんにウケることが評価されるんですけど、M-1はエッジの効いた漫才が勝ち上がるんです。だからベタに振り切った僕らは全然ダメで。ここから十数年、THE SECONDの決勝に上がるまでが大変でしたね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リニア 酒井啓太(さかい・けいた、1986年9月11日、神奈川県出身)としょうへい(1986年11月16日、神奈川県出身)のコンビ。2008年結成。プロダクション人力舎所属。スクールJCA14期生。2012年から3年連続で『THE MANZAI』認定漫才師となる。2013年には『漫才新人大賞』優勝。2016年1月に一度解散、同年8月に「リニア」として再結成。2026年、『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』でグランプリファイナル進出を果たした。YouTubeチャンネル『リニアの漫才』では、漫才やトーク動画を公開中。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 「お笑いが好きだったらなんとかなる」──『THE SECOND』ベスト4のリニアを変えた先輩芸人の金言|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46
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「結婚したいんですよ」地に足が着いているのに悩みも多い、R-1チャンピオン・友田オレの今|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#45大学在学中にネタ動画がバズり、プロの芸人となった友田オレ。2025年には、芸歴3年目にして『R-1グランプリ』の王者となった。23歳での優勝は史上最年少だ。 誰がどう見ても破格の新人。順風満帆の芸人人生だろう……と思いきや、どうやら悩みは尽きないようだ。 未来が不安でいろいろ手を出してしまうという友田は、これからどうなっていくのか。さまざまな“初舞台”を振り返りながら、次なるステップを探った。 【こちらの記事も】 「ひとりのほうがウケたんです」史上最年少R-1チャンピオン・友田オレが覚醒した初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#45 目次歌ネタの強みとは?無理してもしょうがないいろいろやるのは不安だから?邪念を払うためにやりたいこと 歌ネタの強みとは? ──「わたしの彼は左きき」の替え歌でバズったことでテレビにも出演されて、学生にして所属事務所も決まった。芸歴3年目で『R-1』も優勝されて、順風満帆ですよね。 友田 ありがたいですね。でも2023年のR-1は、2回戦で負けたんですよ。 ──100万回再生されたネタをもってしても、賞レースでは2回戦で負けてしまう。 友田 審査員からの洗礼だと思いました。それに賞レースを替え歌でいくのってアマチュアにしか許されない。それもあって大学3年の後半くらいから、友達の清水(遊/brooks)にオリジナル曲を作ってもらうようになりました。清水は小学校の塾も中学高校も一緒だったんですよ。 ──音楽もずっと好きだった? 友田 そうですね、兄の影響もあるし、清水からもいろいろ教えてもらいました。大学では軽音サークルにも入ってましたし。J-POPはもちろん、R&Bとかニューウェイヴ、歌謡曲、フォークとかいろいろ聴いていましたね。 ──ちなみにプロとしての初舞台は覚えていますか? 友田 2022年、大学3年の4月だったと思います。野方区民ホールでやった芸人さん主催のライブですね。事務所に入る前でしたけど、ギャラをいただいたのはあれが初めてです。 ──そこでは『私の彼は左きき』をやったんですか? 友田 いや、違うネタをやった気がします。ライブシーンに来るようなお客さんはさすがにみんな知ってるかなと思ったんで。『北酒場』だったかな。 ──逆にバズってるこのネタを見たいっていう可能性もあるじゃないですか。 友田 いや、やっぱりお笑いは知られているほどウケないんです。音楽みたいに「待ってました!」とはなりにくくて。今でこそ、歌ネタは爆発的なウケがなくても「いいもん見れたなぁ」って満足感もあることがわかったので、そこは強いなと思いますけどね。どぶろっくさんとかAMEMIYAさんって歌がとにかくいいから、ネタを知ってても聴けただけで「気持ちいい!」って思える。ぼくもそこまでいけたらいいですね。 無理してもしょうがない ──2025年には、芸歴3年目にしてR-1で優勝されました。決勝という晴れ舞台はいかがでしたか? 友田 その年の目標は「準決勝に行くこと」だったんで、準決勝からずっと夢見心地でした。浮き足立っていて、あまり現実感がなかった。正直「決勝楽しみ」っていう感じもなければ、ドキドキするわけでもなく、「やるしかない」と思っていました。 ──決勝の1本目、出順はラストから2番目でしたが、一気に空気を掌握しましたよね。ご自身では追い風を感じましたか? 友田 そこは感じましたね。さっき言った「お笑いは知られてるほどウケない」っていうのと重なりますけど、僕のことをまだ誰も知らなかったのがよかった気がします。キャラクターと本人がごっちゃになってて、本当に変な人が出てきたと思ってもらえたというか。 ──テレビ出演もまだ少ないなか、平場のコメントなど不安はありませんでしたか? 友田 そこは気にしてもしょうがないなと思ってました。ネタに集中して、コメントで無理に爪あとは残さなくていいやと割り切ってましたね。 ただ、事前に撮った煽りのVTRは、スタッフさんの演出でかなりカマしてたんですよ。当時、最年少で優勝した霜降り明星の粗品さんに向かって、僕が拳銃で撃つみたいな感じで。撮影したときは「いくらなんでも大げさじゃない……?」と思ってたんですけど、結局それが実現したんでびっくりです。 ──多くのピン芸人がR-1優勝をひとつの目標にしています。そんななか芸歴3年目でいきなり優勝して、今後の目標がなくなる不安はありませんでしたか? 友田 それはまったくないですね。なるべく多くのお客さんに見てもらいたいっていうのが一番なので、早く結果を出せてよかったです。賞レースで勝てたことで、今後の活動の言い訳もしやすくなりましたし。 ──言い訳ってどういうことですか? 友田 この先何をやっても、賞レースチャンピオンだから許してもらえる。お客さんには伝わらないかもしれない挑戦的なネタができるのも、優勝できたからなんですよね。音楽アルバムをリリースできたのもそう。なんの結果も出してないのに「音楽もやります」って言ったら、「先にお笑いがんばれよ」って思われるじゃないですか。だからいきなり優勝できたことで、活動の幅は広がったと思ってますね。 ──R-1チャンピオンとして気負うことはないですか。 友田 どうなんだろう。無理してもしょうがないなって感覚はずっとあります。まだ芸歴は短いので舞台経験は少ないですけど、ムチャしていい結果が出たことってないんです。だからなるべく自然体でいこうと思っています。 ──この7月で25歳になるのに、すごく老成していますよね。普通、20代って自分を大きく見せたいというか、ジタバタする時期のはずなのに。 友田 それはやっぱり大学お笑いをやってたのが大きいかもしれません。アマチュアでも自分の素材のよさを客観的に見て、ちゃんと出力できてる人がけっこういたんですよ。そういう大学お笑いの芸人を見て、学びました。 いろいろやるのは不安だから? ──これからはどんな活動をしていきたいですか。 友田 もっと多くの人に知ってもらいたいです。単独ライブを大きくしていくためにコアなファンにもアプローチしたいですし、YouTubeやテレビを通してライトな層も広げていけたらなと。 ──テレビにも出たいんですね。 友田 もちろんです。でも今はテレビって席が埋まっているので自分がつけ入る隙はしばらくなさそうだなと。テレビに出られるなら、ひな壇でもドッキリでもなんでもいいんですけどね。50代の芸人に女性タレントがお色気ドッキリって、実際の社会だとあり得なさすぎるから、僕も使ってほしいです(笑)。 ──友田さんってひな壇やドッキリの印象がないのかもしれないですね。 友田 たしかに。本当は大喜利ライブとかも出たいんですけど、あんまりオファーが来ないんですよ。早くに賞レース勝ってしまって、大喜利のライブには出ないと誤解されているのかな。 ただテレビの話に戻ると、こないだ40代のテレビ業界の方から聞いて衝撃だったことがあって。「本当は若手に声かけたいけど、『先見の明ある』みたいなアピールだと思われそうで、その視線が怖い」と言っていて。 ──テレビ業界のそういう力学はなかなか難しいところですね。でも、友田さんの「お笑いならなんでもやりたい」という姿勢が伝わると仕事の幅は広がりそうですね。 友田 そうなるとありがたいです。……ただ、自分がいろいろやりたがっているところも最近はダメなのかな?と思っていて。 ──なぜですか。 友田 未来が不安だから、いろんなことに手を出してるところがあるのかもしれないなって。本当はR-1チャンピオンにならせてもらって、ある程度自由にネタをできるようになった現状とか、賞レースから解放された状況を目いっぱい楽しめばいいのに、未来が不安であれこれやっちゃうのってよくないかもなと。 ──現状を楽しめてない。 友田 そうですね。「次どうしよう」とか、「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」と自分から仕事に追われに行っているというか。いろいろ手を出さずに、ひとつのことに集中したほうがいいのかなと悩みます。 邪念を払うためにやりたいこと ──友田さんって若くして売れたのにギラついてないですよね。野心も強くなさそうだし、確固たる自分があるという感じもしない。 友田 そうですね。ラランドさんとか、ダウ90000の蓮見(翔)さんみたいにカッコよくはなれないなと思います。僕なんかがサーヤさんとか蓮見さんみたいに意見を言ったりしても、薄っぺらい感じになっちゃうと思いますし。 ──じゃあ芸人としての理想像もないですか? 友田 あえて挙げさせてもらうなら、ロバートの秋山(竜次)さんですね。自分の着眼点みたいなもので勝負できたらなって。もうちょっと前の時代に芸人をやってたら、「DVDを作りたい」と思っていた気がしますね。 ──なるほど。たしかに今YouTubeでやってるコントもそういう方向性ですね。「食レポ」や「アナウンサー」のコントも好きにやっている感じがありました。 友田 でもそこも、自分が今どういうふうにおもしろく映るんだろうと考えたら、「若手アナウンサーみたいな見た目のやつが変なことを言ってる」というのが、今の自分に似合っているのかなと思って。ネタを作るときには「自分には何が向いているかな」がけっこう大事なんで。 僕がお笑いファンだったときも、そういうことを気にしていたからかもしれません。「この人、まだ若いのにこのキャラは合ってないな」とか思ってたし、その人の向き不向きもあるじゃないですか。 ──第一線で活躍されている芸人ほど、自分を俯瞰で見られてるなと思いますが、友田さんもそうなんですね。 友田 たしかに芸人はそういう人が多いかもしれません。独りよがりで場の空気を乱す人って、実は芸人にはあんまりいないですよ。 でも、そうやっていろいろ俯瞰で見ているうちに、純粋な気持ちが薄れてきてて、そこは怖いですね。たとえば、誰かにめでたいことがあっても「おめでとう」ってストレートに言えなくなってるんですよ。なんか、素朴に振る舞うことに変な照れがあるというか。 だから変な話、結婚して子供ができたら、そういう邪念も振り払えるような気がして、憧れるんです。自分の家族ができたら、いろんなことを純粋に楽しめるのかなと思って。 ──結婚したいんですか。 友田 そうですね、31〜32歳までにはしたいです。 ──それってすごく地に足が着いた考え方ですよね。友田さんの実績があれば、もっと華やかな話もありそうですけど。 友田 いやぁ、まさにそこはがんばらないとなと思っているんですよ。芸能界っぽい話題がまったくないので。地元の友達と遊んでても「芸能人なのに俺たちと遊んでて大丈夫?」って言われます。「お前、全然変わんないな」って(苦笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 友田オレ(ともだ・おれ) 2001年7月20日、福岡県出身。早稲田大学「お笑い工房LUDO」22期出身。大学在学中からピン芸人として活動し、2022年に芸能事務所「GATE」に所属する。2023年『第44回ABCお笑いグランプリ』決勝進出、2025年『R-1グランプリ』優勝。YouTubeチャンネル『友田オレ』では、不定期でネタ動画をアップしている。2026年5月には、歌ネタの音源も制作している幼なじみの清水遊(brooks)と制作した1stフルアルバム『陽動』をリリースした。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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映画『90メートル』ヒロイン・南琴奈──「もっとかわいく」演出と向き合った日々#22 南 琴奈(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載『focus on!ネクストガール』。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 インタビュー【前編】 目次“ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい “ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん ──最新作の『90メートル』の話を聞かせてください。脚本をもらったときの印象はどうでしたか? 南 印象……んー、でも、すごく簡単な言葉になっちゃってイヤだな(笑)……なんだろう? ──役柄的には、普通っていうとあれですけど、さっき話されたみたいに、今回すごくキャラクターが濃いということでもないと思うんですよね。どんな感じなのかな?と思って、ストーリーを含めて。 南 そうですね……ストーリー、感動するなって思いました。 ──たしかに。クランクインをして撮影していくなかで、印象に残っている出来事はありました? 南 私は基本的に「藤村佑(たすく)」くん(山時聡真)とのふたりのお芝居か、学校のバスケ部でのお芝居だったんですけど。基本的にはふたりのシーンが多くて。山時くんも現場で言っていたんですけど「昨日はお母さんとの撮影がすごく大変で。バスケ部のシーンを楽しみにがんばったんだよね」とか。私には(それを聞いて)もう想像することしかできないから「お疲れさま」と思って。実際に(大変だったという)そのシーンを観るのを楽しみにしていました。 中川駿監督からは「ここはふたりのアドリブでやってみて」と任せてもらえることが多かったです。なので、合間にもいろいろとコミュニケーションを取ったりして……「きっとこのふたりだったらこうするんじゃないか」みたいなのを、なんとなく考えながら。考えて、でも考えすぎもせず……とにかく楽しい空気感を出せたらいいなと思って、ニコニコしていました。 ──アドリブのシーンが多いという感じですか? ふたりのシーンでは。 南 そうですね。ちゃんと台本はあるんですけど、台本にないところのセリフはもう全部、自分たちのアドリブで。そのときに思ったことを言っているんです。 ──佑くんに、きっかけを与えるような、導くようなところもある杏花さんの役柄。もし実際に佑くんのような友人がいて、南さんが接するとしたら、どうしますか? 南 そうですね、まあ、佑の出方にもよるんですけど(笑)。向こうがどれだけ心を開くか……でも私だったら杏花みたいにはガツガツ聞けないような気もして。ガツガツって言い方もあれですけど……杏花は本当に純粋な気持ちで、本当に力になりたくて、本当に気になって聞いているとは思うんですけど。私だったら、逆にいろいろと考えすぎてしまって「あ、こうやって聞かれたらイヤかな……?」とか。そんなのは聞いてもいないからわからないのに勝手に想像しちゃって、あまり聞けなそうだなというのが、リアルなところなんですけど。だから杏花はすごいなと思っていて。話を聞くことにはけっこうな責任が伴う気がするし。人の私生活とかプライベートすぎることに……。 ──わりと踏み込んでますもんね、杏花は……。 南 そうですね。だからもし私だったら、聞ける勇気があるのかなと思って。 ──佑を演じた山時さんとのシーンで、監督からのアドバイスは何かありました? 南 監督からは、ずっと明るくて楽しくて支えになってあげるような、心のよりどころになってくれるようなキャラクターでいてほしいと。意識してやっていたんですけど、いざ撮影をすると、監督が「もっとかわいく」って。「もっとかわいらしくやって」って……ムチャブリな注文をしてきて(笑)。「私、けっこうかわいくやったんだよ」と思ったり(笑)。「えー、かわいくなかったのー?」って。 ──これで満足いかないんですか?みたいなことですよね(笑)。 南 もっとあざとくやってほしいみたいな。 ──(笑)もっとあざとく……あざとキャラ。 南 はい(笑)。私はバスケ部のマネージャーをしていて、自分のおうちにはあまりお金がなくて、でもその環境に負けたくないからがんばるという、ガッツのある感じの女の子だなと思っていたので……「私、大丈夫だよ」みたいな感じの。体育会系みたいな感じのキャラクターなのかな?って、撮影に入る前にはイメージしていたんですけど、監督からは「もっとかわいく」と(笑)。なので、がんばりました。 ──じゅうぶん出ていた気はしますけど……共演者の方々との思い出はあります? 南 (一緒の撮影シーンがなかったので)菅野美穂さんと西野七瀬さんにはお会いする機会がなかったんです。山時くんと田中(偉登)くんとは、本当の高校みたいに、みんなめちゃくちゃ仲よくなって。撮影期間はけっこう短かったと思うんですけど。 バスケ部のみんなは、クランクインする前に(シーンのある)バスケの事前練習があったので、そこでもう仲よくなっちゃったんです。私は撮影から参加だったので、入る前はちょっと行きづらいかもと思っていたら、向こうからすごく話しかけてくださったりとか。みんなの明るさに助けられたな、と思いますね。 楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい ──今後やってみたい役柄ってあります? 南 そうですね……ちょっとまじめに答えると(笑)、今、楽器の練習をしているんですよ。練習をすると、特技が増えるじゃないですか、それが楽しい。自分がレベルアップしている気がして(笑)。 ──何か技術を身につける役ということですか? 南 そういう専門の……たとえばバイオリンだったりとか。そういう楽器って、やっぱり楽しいなと思って。私、特技がないんですよ! ──でもプロフィールを見ると……。 南 一応書いているんです(笑)。 ──でも、書道4段とかすごいじゃないですか。 南 (小声で)一応書いてるだけで……今できる特技が欲しいなと思っていて。 ──今、一番身につけたい特技はなんですか? 南 え、錠剤……錠剤をうまく飲むこと!(笑) 私、錠剤を飲むのが下手すぎて。もうすっごい下手で。 ──でもいますよね、たしかに。錠剤をうまく飲めない人って。 南 一回……こう(錠剤を)口に入れても、うわって吐いちゃうんですよ。そうすると、水に浸った錠剤をまた飲まなきゃいけないから(笑)。もうちょっとスマートに飲めるようになりたいですよね。 ──(笑)プライベートなこともお伺いしたんですけど、最近ハマっていることは何かあります? 南 そうですね。スープの素を組み合わせて……何かおいしいものができるか、みたいな。いろいろな種類のスープを買って、今日はこれとこれを混ぜてみよう、って。 ──(笑)それはもう……ガチャ的な感じ。 南 今日の気分はこれとこれだから!って。 ──今まで、一番イケていたのは? 南 もずくと、玉子スープですかね。 ──意外と王道な(笑)……普通に合いそうな感じ。 南 じゃあなしで(笑)。そうですねー、最近は自炊をしようかなと思って。そぼろ丼とかも作りました。 ──料理教室で最初に作るやつ……。 南 えー(笑)、でもちょっと興味が出てきていますね、料理に。 ──なるほど、では料理で。逆に今までで、すごくハマりましたみたいなものは……。 南 陶芸にハマっていたんです。花瓶をよく作っていたんですけど、最後に作った花瓶が自分の思ったようにはいかなくて、そこでやめちゃいました。 ──陶芸を始めたきっかけって、なんですか? 南 きっかけは……友達が誘ってくれて。やったことないし、やりたいなと思って。 ──なるほど。それでは最後の質問ですが、今後やってみたいお仕事はありますか? 南 ……なんだろう。それって、本当に来ちゃうかもしれないですもんね(笑)。 ──可能性はあります(笑)。 南 海外にいっぱい行きたいです。いろいろなところに。 ──海外ロケ! どのあたりに行きたいですか? 南 ちょっと過酷なのはイヤですけどね。でも……自分では選ばなそうなところ。んー、国名はパッと出てこないんですけど……そうですね、過酷でもやります!(笑) 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。
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新進俳優・南琴奈──“自分との共通点”を見つける役づくり#22 南 琴奈(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 目次原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」 ──この業界に入ったきっかけから、お聞かせいただけますか? 南 きっかけは……母と原宿に初めて遊びに行ったときに、今の事務所の方に声をかけていただいたことで。そこから、という感じです。 ──声をかけられて「わ。なんか、話が来た」みたいな感じですか? 南 「え……本当にあるんだ!こういうの」って思って。初めて原宿に行ったから、すごくキョロキョロしながら歩いていたら声をかけていただいて……「本当かな?」って(笑)。 ──声をかけられた時点で、すぐにやってみたいと? 南 すぐにではないですけど、家へ帰ってから、お母さんやお父さんといろいろ話して。最後は「楽しそうだからやってみれば?」と、お母さんが言ってくれました。 ──なるほど。事務所に入って、最初にした仕事は覚えてます? 南 最初にした仕事……最初にしたのは、着物のカタログのモデルですね。 ──その仕事をしたとき、どうでした? 南 最後は「楽しかったな」と思って帰った記憶はあるんですけど、最初のほうは、とりあえず全力で笑顔を作ることに徹してました。 ──それをきっかけに、いろいろな仕事をやって……その後、最初に“演技的なこと”をしたのは何になります? 南 演技は……ミュージックビデオですね。1週間ぐらい撮影をしたMr.Childrenさんのミュージックビデオ、14歳ぐらいのときなんですけど。このとき初めて、お母さんの元を離れて、ひとりで仕事に行って。セリフはなかったんですけど、感情を出す演技というか、そういうのを監督から初めて教えてもらった仕事だったので、印象的です。 ──やってみて、実際どうでした? 南 やってみて……難しかったし、恥ずかしかったですね、やっぱり。 ──セリフがある演技経験は、何になりますか? 南 是枝裕和監督のドラマ『舞妓さんちのまかないさん』ですかね。 ──どうでした? 南 楽しかったんですけど、撮影していたタイミングがコロナ禍ということもあって、ひとりの時間が多かったんです。ホテルへ帰ったあととか……撮影所とホテルを行ったり来たりするだけで「ちょっとひとりじゃ心細いな」というのもありつつ。それに、先輩の俳優さんたちと初めて実際にお芝居ができるという状況にも戸惑いながら……。中学生だったんですけど、幼いながらも「贅沢だなあ」と思って。 ──共演した俳優さんたちと話したりとか……。 南 話しましたね。女性のキャストの方が多かったので……実際にお母さんとかお姉ちゃんみたいな感じで接してくださって。松坂慶子さんとか、いつもニコニコ現場で温かく話しかけてくださって、すごく安心したのを覚えています。 ──そのあたりから、俳優の仕事も意識し始めた感じですか? 南 ん……いや、まだ、まったくです。 ──なるほど。俳優として仕事をしているという実感が出てきたのって、どのあたりの作品になります? 南 えー……なんだろう……(マネージャーに向かって)どのあたりだと思います!? 自分じゃ本当にわからなくて……(笑)。 ──自然と……なんですかね。実際に『舞妓さんちのまかないさん』での自分の演技を観たときの印象はどうでしたか? 南 そうですね。がんばって撮影したのが完成したな、という。キャリアとして「よし、積み上げていけたぞ!」というよりは「完成したんだ! よかった! すごいな!」みたいな。まだ自分のことと思っていないところもあったのかなとも思います。 「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 ──その後、いろいろな作品をやっていく中で、一番印象に残っている作品って何になります? 南 一番印象に残っているのは……やっぱり『ミーツ・ザ・ワールド』ですかね。 ──それは役柄的に? それとも撮影が?みたいなことですか。 南 どちらもそうなんですけど、それこそ本当に、演じていること自体が、自分がやっているように思えなくて……撮影している間もすごく不思議で。自然にその現場へ行ってお芝居をして、普通に話して、ご飯を食べて帰るということ自体が、すごく不思議な感覚で楽しかったです。なんとなく、あまり現実味がなかった気がします。 ──演じている感覚が強かったんですかね。その『ミーツ・ザ・ワールド』も含めて、今まで演じてきたキャラクターで、一番素の自分に近いなと感じる作品は……。 南 一番自分に近い……そうですね、んー。 ──たとえば、『僕達はまだその星の校則を知らない』とか『ミーツ・ザ・ワールド』、それこそ『終点のあの子』や、もちろん『90メートル』もそうですけど……『夜勤事件』もそうかな? それぞれの作品で、あまりにも演じているキャラクターが違うじゃないですか。パッと見ると、本当に……カメレオン俳優とまではいわないんですけど、幅の広い役柄を演じているなと思っていて。 南 そうですね。私は、人としてちょっと汚いところというか……あまり人に見せたくないものが自分と似ているほうが「自分と近しいかな」と思っていて。そういう部分でいったら、やっぱり『終点のあの子』の「菊池恭子」なのかな、と。 ──なるほど。逆に、一番遠いのは『ミーツ・ザ・ワールド』? 南 『ミーツ・ザ・ワールド』も、ちょっとずつは共感できるというか、理解できるところがあるキャラクターかなとは思うんですけど。そこまで自分とかけ離れているなというキャラクターはあまりないかも……あ、一番遠いのは『夜勤事件』じゃないですかね(笑)。 ──初めて主演をした作品。その『夜勤事件』で、ホラーをやってみてどうでした? 南 やった感想は……もうやらないです!(笑) 今回、初めてホラーをやってみて「やってよかったな」と、すごく思うんですけど。ホラーのお芝居で、私、これ以上引き出せるものがあるのかな?と思うぐらいの経験だったので。監督に言われたことを必死にひとつずつやっていくという感じだったので……撮影では自分の中のボキャブラリーというか、そういうのがなさすぎて。終始不安だったんですよね、もう。 ──「もうやらないです」は、ホラーとしては、ある意味、最高の誉め言葉ですよね。その撮影時に、何かホラー的なことってあったりしました? 南 ホラーの撮影では、よくあるじゃないですか、現場でのお祓(はら)いが。今回、私たち役者陣はお祓いがなくて。監督やスタッフさんはやったらしいんですけど。だから、なんとなくすごく不安で。いつもホテルへ入る前には、スタッフさんに塩を振ってもらっていたんですけど、そのおかげか何もなく終えることができたと思います(笑)。 ──なるほど。撮影時に役づくりとして、自分で何か意識してやってることってあります? 南 作品ごとに違うんですけど……私、今までは、がっつりキャラクターがある役をあまりやったことがなくて。すごく個性の強いキャラクターとかを演じたことがないんですよね。自分とかけ離れすぎているキャラクターを演じることはあまりないので……どこかしらはちょっと共通しているところがあるから、まずはそこを見つけて。こういう気持ちになったんじゃないかな?とか、想像力をふくらませて、あとはもう、監督に全部聞きます。わからないまま現場に入るのは、失礼かなと思うし。 ──たとえば原作モノ、『ミーツ・ザ・ワールド』(金原ひとみ)とか……それこそ『終点のあの子』(柚月麻子)もそうですけど、原作がある作品をやるときは、事前に原作を読んでから入ります? それとも読まずに……。 南 必ず読みます。 ──そのほうが入りやすい? 南 はい。入りやすいです。 ──原作がない作品だと、監督にもうとにかく聞く? 南 そうですね。わからないことは、がっつり聞きます! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑(たすく)」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。 【インタビュー後編】
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休日にはあえてグルテンを摂取!──女優・鳴海唯の「チートデイ」#21 鳴海 唯(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年・NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年・TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年・ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる「若松のぶ」の同僚「琴子」役として出演。 インタビュー【前編】 目次余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい 余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々 ──これまでいろいろな作品に出演されてきたと思いますが、その中で特に印象に残っているものはなんですか? 鳴海 最近だと、やっぱり『あんぱん』が一番ホットですね。でも、印象に残っているという意味では、『わかっていても The Shapes of Love』(2024年/ABEMA)という、横浜流星さん主演のドラマですね。その作品で私は、余命宣告を受けた女性の役を演じさせていただいたんです。 その役は、必然的に命と向き合わなければならないキャラクターだったので、演じる上で本当にたくさんのことを考えましたし、それを経験したことが自分の中ではすごく大きな糧になっていて……。 もちろん私自身は実際に余命宣告を受けたことはないので、どこまでいっても埋められない差はあるんですけど、だからこそ、その中で「どう向き合っていくか」という難しさに直面しました。この経験を通じて、私自身、役への向き合い方が大きく変わったと思います。だから『わかっていても』は、すごく印象深い作品ですね。 ──そういう壁にぶつかったときは、どう乗り越えていくんですか? 鳴海 自分の人生と全然違う役柄に出会うと、やっぱりすごく難しいなって思いますし、「どうすればいいんだろう」って悩みます。でも、その壁を乗り越えたときに、またひとつ自分が成長できたような気がするんですよね。 だから、自分が取り組みやすい、演じやすい役ばかりじゃなくて、苦手意識のあるキャラクターにも、どんどん挑戦していきたいなと思っています。 ──なるほど。その意味では、先日、NHKで放送された村上春樹さん原作のドラマ『地震のあとで』(第2話「アイロンのある風景」)に出演されましたよね。あれは難しい作品だったと思いますが、どうでした? 鳴海 役がすごく難しくて、ずっと悩んでいました。撮影が終わっても、「これでよかったのかな」と、思い続けていました。 もちろん、正解がない作品だと思うので、正解を求めること自体が違うのかもしれないんですけど……どうしても正解を求めてしまう自分がいて。放送を終えて、視聴者の方から感想をいただいたときに初めて、「わからないままでいいのかもしれない」と思えたんです。 正解が出ないなかで悩み続けることって、その作品とひたすら向き合っている証拠だと思うので、正解が出るかどうかじゃなく、向き合っていた“時間”のほうが大事なんだなと……そういうことを視聴者の方々の感想から教えてもらいました。 ──堤真一さんと共演されていましたが、現場でお話はされましたか? 鳴海 はい。私が演じたキャラクターは、けっこう感情を吐き出すようなシーンがあって、そのときは堤さんが本当に静かに寄り添ってくださいました。監督ともアプローチについて話しながら撮影に臨んでいたんですけど……堤さんは細かくお芝居について話すというよりは、すごく自然に気持ちを引き出してもらえるような関わり方をしてくださって。 実は私、小学生のころから「好きな俳優さんは誰ですか?」と聞かれたら「堤真一さんです」と言っていたくらい、ずっと憧れていたんです。しかも堤さんは私と同じ兵庫県西宮市の出身で地元のスターでもあるので、いつか共演できたら……と思っていた夢が今回実現しました。 撮影中は悩む時間もありましたけど、堤さんとは地元トークで盛り上がったりして……「あそこの公園わかる!」みたいなお話もできたんです。東京にいるのに、地元にいるような感覚でお話しできて、とても楽しかったです。お芝居の面でも、本当にたくさん引っ張っていただきました。 休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい ──地元トークができるのっていいですよね。ところで、少し仕事からは離れますが、最近ハマっていることや気になっていることってありますか? 鳴海 最近ハマっているのは、休みの日に「あえてグルテンを摂取しに行く」ことなんです(笑)。今、普段はグルテンフリーをゆるくやっているんですけど、完全に摂らないでい続けるというのは無理なので、次の日に撮影がないときは「今日は小麦を摂るぞ!」って決めて、気になるパン屋さんを調べて行くんです。 今はそれがすごく楽しみで……パン屋さんまで散歩して、近くのカフェでカフェラテを買って、公園で座ってのんびりするというのが最近のリフレッシュ方法ですね。ひとりでパンを食べたり、トンカツを食べたり……そういうのが今のささやかな楽しみです。(小麦を)ごほうび感覚にすると、適度に距離感が出ることで、より好きになって。 ──いわゆるグルテンフリー版「チートデイ」的な感じですね! 鳴海 そうです(笑)。おっしゃるとおり、チートデイですね。 ──グルテンフリーを始めて、何か変化はありましたか? 鳴海 そうですね。わかりやすく体重が減りましたし、朝の目覚めもすごくよくなりました。よく「本当に効果あるの?」って言われるんですけど、実際にやってみたら本当でした。おもしろいくらい、如実に効果が出ます。 ただ、普段パンを食べていない状態で久しぶりに小麦を食べると、そのあとすごく眠くなるんですよね。だから仕事に集中したいときは、お米を食べるようにしています。 ──なるほど。今後やってみたいことって何かありますか? 鳴海 私、ひとり旅が好きなんですよ。今年は(忙しくて)ちょっと行けそうにないんですけど……去年や一昨年は海外に行っていて。国内旅行は飛ばして、海外にばかり行っていたんです。でも最近は、時間があまりないなかで「どこか行きたいな」と思ったときに「国内旅行もいいな」と思うようになってきて。やりたいことっていうほどではないかもしれないですけど、今は国内旅行をしたい気持ちが強いです。 ──行ってみたい場所はありますか? 鳴海 今は三重県の伊勢神宮に行きたいです……というか、伊勢神宮の手前にある参道で、赤福のぜんざいを食べたいという(笑)。 東京から三重って絶妙に行きづらくて、なかなか友達とも計画が立てられないんですよね。大阪に帰ってくると、つい実家で過ごしてしまうので、やっぱりなかなか予定に組み込めなくて。なので「ちゃんと見に行くぞ!」って決めないと、きっと実現できないなと思っています。 刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい ──三重、近いうちに実現するといいですね……あと、今後演じてみたい役柄はあります? 鳴海 今までは、自分に近い等身大の役が多かったんですけど、最近は特殊な職業の女性を演じてみたいなと思っていて。実はこの前、とあるそういう感じの役をやらせていただいたんです。その役づくりをしていく中でのプロセスが、すごくおもしろくて。 『あんぱん』だと土佐弁がそうだと思うんですけど、そういう役づくりで必要になる要素があると、自然と役と向き合う時間が増えるんですよね。いつも以上に役と向き合わないといけない。準備をしっかりしないといけないから、役やセリフが自分の中にどんどん染み込んでくる、血肉になっていく感じがあって、それが好きなんです。 これからも、そういう特殊な職業の役に挑戦してみたいです。刑事とか弁護士とか、以前からやってみたいと思っていた役にも……実は今後挑戦させていただく予定があるので、夢がひとつ叶ってうれしいですね。絶対、大変じゃないですか(笑)。もちろん大変だとは思っているんですが、限られた時間の中でどこまで取捨選択して準備できるか、挑戦していきたいと思っていますし、大人の女性の役柄を演じていけたらいいなとも思っています。 ──ありがとうございます。最後に、鳴海さんが出演する『あんぱん』の見どころを教えてください。 鳴海 私は『高知新報』という新聞社のパートに出演しているんですけど、そこは戦後最初のパートになるんですね。なので、すごく自由と活気にあふれていて、熱量の高い場面が続きます。ドラマの制作の方からも「開放感のある、明るいシーンにしたい」と最初に言われていたので、そういうエネルギーを意識しながら演じていました。 それと、(若松)のぶと(柳井)崇の恋が大きく進展するパートでもあるし、私が演じる琴子は、そのふたりの恋のキューピッド的な存在でもあるので、琴子の“愛あるおせっかい”によって、ふたりの恋がどう動いていくのか……ぜひ楽しみにしていただけたらと思います。 ──視聴者が思っているもどかしさを、全部代弁してくれるようなキャラクターですよね。 鳴海 そうなんです(笑)。『高知新報』のシーンは、ちょうど作品としては折り返し地点に入っているところなので、最初から観てくださっていて(のぶと崇の関係性が)「もどかしい!」と思っている方には、「ようやく動く!」と思っていただけるんじゃないかなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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感情を表に出すには時間がかかる。知らない自分と出会えたふたつの夜(鈴木絢音)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鈴木絢音(すずき・あやね) 1999年3月5日生まれ、秋田県出身。俳優、文筆家。2013年、乃木坂46の2期生オーディションに合格して加入し、研究生として活動を開始。2023年3月に初エッセイ『⾔葉の海をさまよう』(幻冬舎)を発売し、同年3月28日をもって乃木坂46から卒業。現在は俳優と執筆業のほか、CBCラジオ『大津功と鈴木絢音の通になりた~い!』など幅広く活躍している。 感情がない人だ、と言われることがある。たしかに、ほかの人より感情の起伏が少ないほうかもしれない。それでも、私だってうれしいことがあればうれしいし、悲しいことがあれば悲しい。ただ、それを表に出すには、少しだけ時間がかかる。一度自分の中で、形になるのを待ってから、言葉にする。そのほうが、自分の感情を見失わずにいられるような気がしていた。それが私なりの感情との距離の取り方、向き合い方だったのだと思う。けれど、その向き合い方を見つめ直す夜が、二度あった。 屋外スタジアムでのコンサートだった。空はまだ完全に暗くなりきっておらず、昼と夜の境目で、その日最初の花火がステージに立つ私たちのうしろに打ち上がるはずだった。けれど、風向きのせいで花火が流れ、少し逸れたところで開いた。その瞬間の振り付けの流れで、私たちは偶然、花火を見上げることになった。 屋外コンサートは何度も経験してきたが、ステージ上から花火を見るのは、初めてのことだった。「あ、花火だ」と、気づいたのより少し遅れて、客席からの大きな歓声が私のところまで届く。一瞬、夢と現実の区別がつかなくなった。 でも、何事もなかったように、すました顔でパフォーマンスを続けた。喜びの感情を沈めながら、顔の角度は変えずに視線だけを落とすと、先輩がステージ上で花火に向かって手を伸ばしている。無邪気に飛び跳ね、まるで子供みたいだった。数秒後、先輩は私の視線に気がついて、少し照れたように笑い、パフォーマンスに戻った。 私だってうれしかった。でも、抑え込んだ。感情は一度自分の中に落として、形を整えてからでないと、外に出してはいけないと思い込んでいた。そうしないと、自分で自分を保てないような気がして、それがいつの間にか癖になっていた。 先輩は私とは違っていて、ほんの数秒、その瞬間にしか見られない花火を見て、素直に喜んでいた。それは正しさの中にある、ほんの一瞬の隙間だった。私たちは同じステージに立っているはずなのに、先輩はその瞬間の中にいて、私はその瞬間の外にいた。 ステージに立ちながら、その瞬間を誰よりも楽しんでいる先輩の姿は、花火よりも鮮やかで、呼吸するのを忘れるくらいまぶしかった。 私は、このときの情景を今でも鮮明に思い出せる。感情が形になる瞬間が、こんなにも愛おしいものだとは思わなかった。何年もステージに立ってきたのに、こんなに大切なことに気がついたのは、残りのステージを指折り数えられるころになってからだった。 その数年後、私の心を大きく揺さぶったのは、1匹の猫だった。一緒に暮らし始めて少し経ったころ、その猫が手術を受けることになった。急な病気やケガではない。迎えるときから決まっていたもので、心の準備はできているつもりでいた。 昼下がり、病院で同意書に署名し、猫を預けて、私だけ帰路についた。部屋の中は何も変わらないのに、自分の部屋ではないみたいだった。猫がいつも使っているブランケットも、ご飯のお皿も、おもちゃもある。けれど、猫だけがいない。部屋は驚くほど広く、静かに感じられた。当たり前だと思っていた暮らしは、小さな気配の上に成り立っていたのかもしれない。時計の針は正しく進んでいるのに、私だけ置き去りにされたようだった。 日付が変わるころ、ようやく病院から連絡が入った。手術は無事に終わったものの、ひと晩入院することになったという。せめて顔だけでも見に来てください、という言葉で外に出た。街の空気はもう冷たかった。 静かな病院の入院室の中で点滴を打たれている猫は、不安そうで、落ち着かない様子だった。撫でてあげてください、と言われ、いつものように手を差し伸べると、顔を擦り寄せてきた。その小さな仕草で、張り詰めていた心の糸が切れるのがわかった。救われたかったのは、私のほうだったのかもしれない。 安心と、不安と、言葉にならないものが同じ場所に重なって、どれが自分のものなのかわからなかった。感情を理解するより先に涙が落ちた。20歳超えて泣いたことなんてほとんどなかった私が、泣いた。夜が明けるまで泣いて、ほとんど眠れなかった。 翌朝迎えに行き、ようやく自分の部屋に猫が戻った。ご飯を食べ、おやつまで食べ、ごろごろと喉を鳴らして甘えてきた。時間は猫の温もりとともに正しく動き始め、心の欠けていた部分が埋まったような気がした。私は泣けるほどの大きな感情を自分の中に持っていたことを知った。 私は一度信じたことを、なかなか手放せない。自分では柔軟なつもりでいても、頑固なのだと思う。物の見方を変えるには、当たり前だと思っていたことが、一瞬でひっくりかえるような出来事が必要になる。感情が形になる瞬間の美しさを知った夜、自分が思っていた以上に誰かを愛せると知った夜、ふたつの夜が私の知らなかった私を連れてきた。そういう夜を積み重ねながら、人は少しずつ、自分の知らなかった自分と出会っていくのかもしれない。 文・写真=鈴木絢音 編集=宇田川佳奈枝
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じいちゃんとの思い出、酒が解いた夜(たけうちほのか)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 たけうちほのか 1997年4月6日、東京都町田市生まれ。モデルやインフルエンサーとして活動をスタートし、2023年4月に『ゴッドタン』(テレビ東京)のオーディション企画で優勝したことを機に、バラエティの才能が開花。お酒好きやサッカーフリークといった親しみやすい一面も持ち、飾らないキャラクターと物怖じしないぶっちゃけトークで大きな話題を呼ぶ。その後、『酒のツマミになる話』(フジテレビ)、『ダウンタウンDX』(日本テレビ)など数多くの人気番組にゲスト出演を重ね、マルチに活躍中。 忘れられない夜がある。 家族全員でウイスキーを飲んだ夜だ。 先月じいちゃんが死んだ。 町田にじいちゃんとばあちゃんが住んでいた。 子供のころは、団地で生まれて育った。 うちは1街区で、ばあちゃん家は7街区。 歩いて20分の距離だった。 私の家は親が共働きで忙しかった。 学校帰りは、ばあちゃん家に帰ってご飯を食べたりして 週末と夏休み、春休みはずっとばあちゃん家で過ごしてきた。 夏休みの定番といえば、 じいちゃんお手製の竹で作った流しそうめん 。 それをうっすいめんつゆにつけて食べたら そのあとはつまらない宿題の時間だった。 内緒だけど、習字はじいちゃんが子供っぽく書いてくれたし、自由研究はじいちゃんが考えたのをひたすら写した。 じいちゃんが考える自由研究は、いつも学年で1位だった。 じいちゃんは無口で超頑固。 酒、たばこ、女が大好きな、まさに昭和の漢(おとこ)だ。 夜は、ばあちゃんが隠したサントリーのウイスキーのボトルとhi-liteのたばこを宝探しのように探した。 見つけたら、じいちゃんが貯めている500円玉をもらえた。 じいちゃんが仕事を辞めたとき、家でテレビを見てお酒を飲むことだけが趣味だった。 毎晩ウイスキーを1本空けた。 健康を心配したばあちゃんがウイスキーとたばこを隠すと、毎日怒鳴り散らかした。 じいちゃんをそんな人間にさせるウイスキーという飲み物を、子供の私は大っ嫌いだった。 そんなじいちゃんが、酒を飲まなくなった。 だんだんとじいちゃんらしい頑固な性格も柔らかくなって、 このころの好物は、たばことウイスキーではなく、あんぱんとコーラに変わっていった。 なんとなく、子供ながらに人の老いを感じていた。 そんなじいちゃんの口癖は“まじめにやってるかー?” 毎回ばあちゃん家に行くたびに私にそう言ってきた。 思春期が来たときには、あまりばあちゃん家に行かなくなった。 久々に行くと、じいちゃんは杖をついていた。 私がたまに泊まりに行ったときは、いつもは出てこない寝室から、 ものすごい時間をかけてリビングまで歩いてきて、笑いながら私の話を聞いてくれた。 私が毎回“今日のパンツの色見て〜!”とふざけて見せると、 “お前は一生結婚できないな”と笑いながら寝室に戻っていった。 何年かその調子で無口なじいちゃんは、元気だった。 あるとき、じいちゃんは施設に入った。 何回か面会に行ったけど、もうそのときには、私の名前も誰かも忘れていて少しボケ始めていた。 “この施設はかわいい女がいねぇ”とか(笑)。 ばあちゃんのことを“嫁”と呼び始めたり“嫁が大好きだ”とか“嫁が一番かわいい”とか、普段絶対じいちゃんが言わないようなことばっかり言っていた。 でも、会うたびに必ず“まじめにやってるかー?”と聞いてきた。 ちょっとは覚えてんのかよ(笑)と私は思った。 数年が経って、じいちゃんが病院に移ったと連絡が来た。 肺炎だった。 その2日後じいちゃんは死んだ。 その日じいちゃんに家族で会いに行った。 集まったとき全員が、じいちゃんの大好きなサントリーのウイスキーを片手に持ってきていた。 竹内家の約束は、葬式まで明るく。 じいちゃんが生前これを遺影に使ってくれよと言ってた、ばあちゃんの誕生日会をやったときの、じいちゃんが一番ふざけていた写真だった。 約束どおり持って行った。 全員がその写真で笑った。 葬式の次の日、奇跡的に全員の休みがそろって初めて家族全員で旅行に行った。 その夜、家族全員でウイスキーの水道水割りで乾杯した。 じいちゃんの飲み方だった。 じいちゃんのために全員が集まって、じいちゃんとの思い出話をつまみに、お酒を飲んだ。 気づけばグラスの中のウイスキーが何度も空になって、じいちゃんがそこにいるわけじゃないのに、あの夜はたしかに家族全員の真ん中にじいちゃんがいた。 無口で頑固で無愛想で家族の愛し方がわからないと言ってたじいちゃんが、一番家族をひとつにしてくれた夜だった。 そんな私が小さいころ大っ嫌いだった、ウイスキーを飲みながらこの文章を書いている。 じいちゃんが毎日飲んでいた意味が今はわかる。 酒は人をダメにするものだと思っていた。 じいちゃんを怒らせる原因だと思っていた。 でも今は少しだけ違う。 酒が偉いわけじゃないし、酒で全部解決するわけじゃない。 ただ楽しかった夜や寂しい夜、うまく言葉にならない気持ちをゆっくり引っ張り出してくれる夜がある。 今日のこの1杯もそうだ。 忘れたくない思い出を思い出させてくれる酒なら、少しくらい好きに飲んでもいいかもしれない。 私はこんな毎晩の1杯が大好きだ。 じいちゃん、私はまじめにやってるよ。 ありがと。乾杯。 文・写真=たけうちほのか 編集=宇田川佳奈枝
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チキン南蛮弁当に別れを告げる、食べ尽くし食べすぎた私だけの夜(ぼる塾・あんり)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 ぼる塾・あんり(ぼるじゅく・あんり) 1994年10月7日、東京都江戸川区生まれ。2014年、幼なじみのきりやはるかとお笑いコンビ「しんぼる」を結成、2019年に田辺智加と酒寄希望の先輩コンビ「猫塾」と合流してお笑いカルテット「ぼる塾」としての活動を開始。『女芸人No.1決定戦 THE W』2020・2023・2024で決勝進出。『ラヴィット!』(TBS)、『ぼる部屋』(九州朝日放送)、『イマドキッ』(MBSラジオ)などにレギュラー出演中。4月からメンバーの田辺智加とパーソナリティを務める『ぼる塾あんりと田辺の食べて喋って』(TBS Podcast)がスタート。 食べすぎた夜の次の日にもっと食べすぎた夜を過ごせば、昨日の夜の食べすぎは少しマシになる。 この考えを、私は【食べすぎのマトリョーシカ】と呼んでいこうと思う。 コンビニで買った夜ご飯、空の弁当箱やホットスナックが入っていた袋、その他もろもろ。 ゴミを入れたら、今日買った3円の袋はすぐにパンパンになった。 これを繰り返していくと、1週間も経たずに45リットルのゴミ袋もあっという間にパンパンになるのだ。 わかっている。 ひとり暮らしだから、誰のせいにもしない。 私がすべて食べた。 食い尽くした。 大人な私は、潔く食べすぎる。 今日の朝は、5時にマンションを出た。 見上げた空はまだ暗かった。 暗ければ朝ではなく、夜だ。 誰かが誰かにそう言って、もう少しだけ眠れたらいいのに。 そんなことを願いながら始まった1日。 夜まではまだ長い。 仕事は嫌いじゃない。 仕事があることはありがたい。 でも、早く帰りたい。 夜が待ち遠しい。 今夜も誰かと会う予定は特にないけど。 早朝からがんばった自分へのごほうびを存分に与えることができるのは、私だけだ。 今夜私は、昨日の私より食べすぎる。 帰りのタクシー、スマホの画面を見なくても指がデリバリーアプリの位置を覚えている。 そのまま慣れた手つきでお店一覧をスクロール。 デリバリーアプリの配達時間と地図アプリで自宅までの到着時間を比較しながら、今夜食べすぎるものを決めていく。 しかし、ダメだ。 今日は決まらない。 お腹が空きすぎて、わずか10分の配達時間でさえ待てそうにない。 よし、こうなったら、今夜はコンビニの商品で宴だ。 夜の暗闇で光る24時間営業の楽園で暴れてやろうじゃないか。 お弁当のコーナーに行く道中で、レジ前のホットスナックが充実していることを確認した。 この効率のよさをほかのことにも使えたら、もっと立派な大人になれるかも。 まあ、それは少し先の未来の私に期待しよう。 今は、宴の準備に集中。 このコンビニでよく買うチキン南蛮のお弁当と目が合った。 「おかえり」と言われた気がした。 自然と手が伸びた。 だけど、チキン南蛮弁当に触れる直前に止めた。 今日はもっと非日常を楽しみたい。 チキン南蛮弁当、今日はごめんね、また明日ね。 返事はもちろんなかった。 さて、どうしようか。 静かに悩む私の近くに、大学生くらいの男性3人が楽しそうに笑いながらやってきた。 彼らのカゴの中には、すでにお酒やお菓子がたくさん入っている。 これから誰かの家で宅飲みでもするのだろう。 ピザポテト、じゃがりこサラダ味、柿の種、しみチョココーン。 カゴの中のお菓子のラインナップで、特別な記念日や特別な理由があるような宅飲みではないとわかる。 目的も理由も曖昧な、ただなんとなく集まってする宅飲み。 これがどんなに楽しいか、私は知っている。 パーティー開けにしたピザポテトのパッケージがお皿になって、そこにほかのお菓子も盛り合わせていくのだろう。 明日の朝、柿の種は少し余り、家主のものになる。 知らない大学生たちの宅飲みを想像して、なんだか私まで楽しくなる。 私がそんな宅飲みをしていたのは、20歳から23歳くらいのとき。 芸人になって、1年目から3年目。 バイトやライブ、オーディションが終わったあとに、終電で同期の家に集まって、始発まで宅飲みをするのが習慣になっていた。 夜が深くなるほど、会話の内容も濃くなっていく。 売れたらどんな番組に出たいか、どんな芸人でありたいか、同期とそんなことを語っていると、なんだかもう叶っているかのような満足感があった。 今語り合っている夢がこれ以上遠ざからないように、同期との差が、結果ではなく努力から生まれないように、がんばらなければ。 同期との宅飲みは、楽しみながらも自分を焦らせる時間にもなった。 正直にいうと、本当にただ集まって、お菓子を食べて、朝には覚えていないようなしょうもない話をして、始発に帰るだけの無意味な宅飲みのほうが数でいえば多い。 でも、だからこそ、少しだけまともに語り明かすことができた夜を昨日のことのように覚えていたりする。 隣にいる大学生たちにまた視線を戻す。 彼らは今夜、何を語り合うのだろう。 「俺、弁当いっちゃおうかな!!」 私がさっき「また明日ね」と別れたチキン南蛮弁当を大学生のひとりが手に取る。 「今メシ食ってきたばっかだろ!」とか「食欲バカすぎ!」とか笑う友達に、うれしそうな表情をしている。 サービス精神が旺盛なチキン南蛮弁当の青年よ。 私が人生の先輩として予言しよう。 今日、君は宅飲みで一番先に寝ることになる。 青年にあのころの自分を重ねて、気づいたら私は弁当売り場からお菓子売り場に移動していた。 ピザポテトに「久しぶり」と声をかけられた気がする。 あのころみんなで分け合っていたものは、今日はひとりでたいらげる。 いや、あのころもほとんどひとりでたいらげていたかもしれない。 ピザポテトが入ったカゴにさっき別れたチキン南蛮弁当も追加した。 私に非日常はまだ早い。 日常の中で暴れよう。 今日の宴のテーマは“あのころの自分と今の自分の宅飲み”。 コーラとシュークリームもカゴに入れて、レジでアメリカンドッグと骨なしチキンも頼む。 3円で買った袋にパンパンに詰まった宅飲みの材料たち。 今夜私を楽しませてくれる、最高の演者たち。 なんだか大学生3人のカゴに入っていたものより多い気がするが気にしない。 今夜の宅飲みルールは、罪悪感を抱かないこと。 最高の夜にするんだ、遠慮なくはしゃごう。 その夜の私の食欲は、あのころと変わっていなかった。 宣言どおり、楽しくて仕方がない最高の夜を過ごし、満足して満腹で眠った。 あのころと変わらない自分、あのころから少し変われた自分、どちらも好きだと自覚する夜。 私はきっと、この夜をまた過ごしたくなるだろう。 大切にしたい私だけの夜。 朝に来るであろう胃もたれは、朝の私に任せてしまおう。 文・写真=ぼる塾・あんり 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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UFOに翻弄される人々、「信じたい」気持ちの尊さを描いたヒューマンドラマ──小路谷秀樹『虚空門 GATE』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 私はいわゆるUFOというものを信じていない性(たち)だ。地球外生命体の存在自体はあってもおかしくない、むしろあってほしいと思っているが、アブダクションとか空飛ぶ円盤とか言われると、「そんなテンプレ的な想像が本当に真実と一致するのだろうか?」と、どうしても疑いの気持ちを持ってしまう。 今まで「UFOを見た」と主張していた人の大半が嘘だった、という経験から来る疑いもある。地球外生命体は実在してもおかしくないが、SNSに上がっている映像やエピソードトークは99.99%フェイクだろう、というのが私の感覚だ。 私と同じような感覚の人は多いと思うし、本作に関してもUFOを題材にした映画といわれると、反射的に「うさん臭い」と感じる人もいると思う。 私も正直、仕事(角由紀子原作『トムライガール冥衣』作画担当)のための勉強という目的がなければなかなか手が伸びない作品だったと思う。私はUFOの真偽というSF的なテーマよりも、人間の人間らしさの部分に興味があるからだ。私は大半の心霊やオカルトを題材にしたドキュメンタリーに対して、普通であれば多少なりとも疑いの気持ちを持つものに対して「本物の前提」で進んでいくような……登場人物たちの気持ちについていけないような気がしていた。これは映画の質の問題ではなく、制作の目的が違うのだから当たり前だ。私はターゲットではないのだ。 だが、この映画は違った。この映画はUFO映画の皮を被ったヒューマンドラマなのだ。 2013年、本作の監督である小路谷秀樹はYouTubeで月面異星人遺体動画を発見した。小路谷は件の動画に強く興味を持ち、友人や専門家に意見を聞いて回るが、フェイク動画だと言われてしまう。 1995年に発見され世界を震撼させた「宇宙人解剖フィルム」(※)も2006年、制作者によってフェイク動画であったことが告白された。嘘だったのだ──UFO研究家、宇宙人研究家たちは慎重になっているという。だが、専門家たちは動画がフェイクだということと、宇宙人が実在しているかはまた別の話だともつけ加える。 (※イギリスの映像プロデューサーが世界中に公開した、異星人の死体解剖を撮影した記録フィルム) (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 取材を続けていくなかで、小路谷は俳優である庄司哲郎と出会う。庄司は「自分はUFOを呼べる、UFOなんか当たり前に飛んでる」と主張する。小路谷は庄司含むUFO愛好家たちに同行し、UFO撮影を試みる。作中ではUFOを確認できたということになるのだが、映像に映るのは「あれあれ、出た出た!」「俺生まれて初めてUFO見た!」とはしゃぐ登場人物たちだけなので、我々視聴者には真偽のほどはわからない。また別の日、小路谷が庄司に同行すると、なんと庄司はUFOの撮影に成功したという。庄司が撮った写真にはたしかに空に浮かぶ円盤が写っていた。 「明日はどうしようかな」 「明日は晴れていればなんらかはあるんじゃないかと思うけど」 正直このシーンまで、私はこの作品もノットフォーミーなのかもしれない……という不安を持っていたのだが、ここで急展開が起こる。 撮影の約束の日、庄司は現場に現れずそのまま音信不通となるのだ。 そして2016年8月31日、庄司哲郎は覚醒剤取締法違反で逮捕された。 小路谷は庄司を慕っていたUFO愛好家たちに尋ねる。 「彼の能力は信じてるんですね?」 「断然信じてますよ」 「だからこそもったいないんですよ」 「覚醒剤とは別個に本当だったんじゃないかなと思ってるんです」 全員が庄司の能力は本物だと信じているという。 恋人である林泰子も、何度も手紙を送るなど献身的に庄司を支えていた。 いなくなった庄司の代わりに猫に餌をあげる彼女が、空を見て言った。 「あ! 地震雲!」 ここで私は、この映画はUFOを題材にした作品ではなく、UFO愛好家・庄司哲郎とそれを取り巻くUFO愛好家仲間たちのヒューマンドラマなのだと理解した。 約7カ月後、身柄の拘束が解けた庄司は身の潔白を証明するために控訴するという。 「いくつまで生きるかわかんないけど、人生。てっちゃんにとって大事なものを最優先に考えたら、戦うことじゃなくて、大切な人を守りながら二度とこんな目にあわないように生きていくことが一番大事なんじゃないの」 泣きながら訴える泰子の姿は胸を打つものがあった。 庄司は泰子の説得を受け、控訴して戦うのではなく、警備員として働きながらUFO愛好家として活動する道を選ぶ。 この映画のテーマのひとつとして、人間の「信じたい」という気持ちの尊さがあると思う。専門家に否定されても「信じたい」気持ちで取材を続ける監督。逮捕されてもUFOに関する能力は本当だったと「信じたい」UFO愛好家たち。逮捕されたパートナーを「信じたい」一心で支える泰子。作中には何度か、UFOを信じていると楽しそうに語る人たちのインタビューも差し込まれる。 (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 物語後半、小路谷は庄司含むUFO愛好家たちの合宿に同行することになる。そこで小路谷は同行者のひとりから衝撃的な告白を受ける。彼は庄司が“こより”のようなものを使ってUFO写真を偽装しているところを見たという。 「これはもうある種の試練だなって。これでも信じるの?っていう思いが……」 その後、小路谷は偶然、庄司が“こより”を使ってフェイク映像を撮影している場面をカメラに収めてしまう。庄司の不正は本当だった。 カメラは第三者視点になり、これまで視点としてカメラを握っていた小路谷が被写体として映画の中に登場することになる。小路谷は庄司を問い詰めるが、庄司は記憶がないと否定する。泰子は心配そうに庄司を見つめていた。泰子は庄司の不正に気づいていたのだろうか。その答えが作中で明かされることはない。 ふたりはその後籍を入れ、小さな結婚式を挙げる。 (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 私事だが、少し前までオカルト作品(『トムライガール冥衣』)の作画を担当していた。私個人として大切に思っている作品であるものの、数字的にはあまり振るわなかった。 オカルトの専門家を原作に据え、しっかりとした知識に基づいてオカルト要素を扱う、という編集部としても気合いを入れた作品であったと思う。私がオカルトを信じていないことが作品にとって悪い影響を与えているのではないか、と何度も考えた。 だが、私は実在するかわからないもの、未知のものへの恐怖や興味で振り回される人間の心情にはすごく興味があるし、そういった人間の心情を丁寧に描いている作品が大好きだ。本作を観てその思いはさらに強くなった。やはり、UFOという存在を証明できないものに焦がれ、振り回される人間は尊く、おもしろいと思う。連載中不安になっていたなかでこの映画に出会い、その気持ちを再確認できて本当に感謝している。 結局、もろもろの都合からその気持ちを作品に活かすことはできず何も力添えができなかったため、作品に対しては大きな後悔と申し訳なさが残っている。 私は幼少期から母に「お天道様が見ている」というような理屈で教育されたことは一度もないし、幼少期近所にあった「おばけトンネル」と呼ばれる心霊スポット(?)も家族の中では「ゲジゲジが出るトンネル」という扱いに過ぎなかった。子供のころから幽霊よりゲジゲジのほうが怖かった。そんな家の中で、母が一度だけ幽霊の話をしたことがある。壁にかけていたカレンダーが揺れたのを「弟の命日が近いから来てくれた」と言ったのだ。私はもう十数年も前の母のその言葉が今でも忘れられない。 人があやふやなものを信じる理由はいろいろあるけれど、普遍的な理由のひとつとして、信じたいから、があるのだと思う。 だから作中でUFOについて語る人はみんな少年のようにキラキラしているし、庄司を見つめる泰子の目は愛にあふれているのだろう。好きなものを、好きな人を、信じたいから信じるのだ。 なぜ人は何かを信じるのか。信じたいと思うのか。 本作は宇宙人が「いる」のか「いない」のかがどうでもよくなってしまうくらい、大切な人間の感情を捉えたヒューマンドキュメンタリーである。 余談だが、監督である小路谷秀樹はAV監督出身で、「アダルトビデオ」という造語を生み出したAV史に残る人物でもあるらしい。 平野勝之といい、カンパニー松尾といい、AV監督の撮るドキュメンタリーは湿度のあるおもしろいものが多い。私は女性ということもありAVを通っておらず、監督方のビデオも見たことがないのだが、何か通ずるところがあるのだろうか。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2026年3月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)にて『今際の際のファムファタール』の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 『虚空門 GATE』 企画・制作:株式会社ブライドワークス MONALISA FILMS 監督:小路谷秀樹 撮影:小路谷秀樹、小路谷恵美 プロデューサー:小路谷秀樹、小路谷恵美 編集:小路谷秀樹 出演:庄司哲郎、林泰子、竹本良、巨椋修、大森敏範、宇宙大使くん、ほか (C)Bride Works/『虚空門 GATE』
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なぜクラシックに惹かれるのか? クラシックに青春を捧げる4人を追いかけた1371日間──浅野直広『カルテットという名の青春』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 2011年にBS朝日で放送され、第49回ギャラクシー賞など数々の賞を受賞したドキュメンタリー番組が再編集され、劇場公開された。浅野直広が監督を務める本作は、タイトルのとおりカルテットに青春を捧げる若者たちを1371日間にわたりカメラで追った青春映画である。カルテットとは2本のヴァイオリンとヴィオラ、チェロで構成される合奏形態のことで「クラシック音楽の本質」ともいわれる究極のアンサンブルだ。 私は正直にいうと王道の……才能ある善良な若者の成長を追ったような作品が好みというわけではないのだが……本作の外せない見どころのひとつとして監督である浅野の視点がある。物語序盤の浅野の「クラシック嫌い」宣言がなかったら、私はこの映画に入り込めていなかったかもしれない。浅野の少し斜に構えた姿勢には個人的に共感を覚える。浅野の視点に乗って彼らを見ることで、浅野の変化とともに偏見を取り外すことができ、4人の青春がよりいっそう胸に響くようになる。 2008年、クラシック嫌いを自称する浅野が出会ったのは、カルテットを組む4人の若き音楽家たち。リーダーも務めるファーストヴァイオリン・タロウ(植村太郎)、芯の強い性格のセカンドヴァイオリン・マドカ(佐橘マドカ)、天真爛漫でムードメーカーのヴィオラ・マリコ(原麻理子)、これまでコンクールで1位以外を取ったことがないというチェロ・ダイ(宮田大)。4人とも経歴を聞いただけでまぶしくなるほどのエリートだ。4人は国内最高の若手演奏家集団の名をほしいままにしていた。クラシックが好きな人間からすると、垂涎ものの被写体なのだろう。だが、浅野にとって初めて聞いた4人の演奏は難解で「あくびを噛み殺す」時間になっていたというほど、退屈なものだった。何度も繰り返される演奏の違いは素人にはわからないような高度なものだし、無理もないと思う。私も、この映画についていけるのか不安になった。 「絶対そういう変なことはしてないから!」 コンクールへ提出する音源のレコーディング中、マドカがタロウに言い放った。楽譜の解釈についての言い争いだ。 「それが長いんだっつんだって!」 「じゃあ自分で弾いて!」 揉めに揉めた結果、4人は書類審査で落選となった。 浅野はこの日まで、この優秀な4人のサクセスストーリーを撮る予定だったという。そんな彼らがまさか一次審査での落選だなんて。浅野が前のめりになったのを感じた。 タロウが言った。 「僕たちのよさをわかってないだけ」 一次審査での落選を受けても強気にうそぶく若者たちは魅力的で、浅野が「なぜ彼らがこれほどまでクラシックに惹かれるのか」知りたくなったというのもうなずける。私はこの映画はおもしろく見られるぞ、と確信した。 その後、4人はマリコの海外留学によってさらに揺れ動くことになる。マリコは海外の自由で創造的な音楽に触れることで、ほかの3人とは違う音楽観を持つようになっていた。そして彼女は、ついにはカルテットからの脱退を申し出ることになる。 誰も彼女を引き止めようとはしなかった。誰も強い言葉を使わなかった。だが、4人の心がバラバラになっているのは明白だった。 その後、タロウ、マドカ、ダイはそれぞれ別の場所へ留学していくことになる。 そして浅野は4人の音楽に対する誠実な姿勢を目の当たりにし、「クラシック嫌い」という偏見から解放されていく。そうして、物語後半4人がカルテットを再開し「演奏に感情を込める」という壁にぶつかるころには、浅野は人生で初めてクラシックのCDを購入するようにまでなっていた。もともと音楽に造詣のある浅野だ。偏見がなくなれば、クラシックによさを感じるのも当然の流れなのかもしれない。 私がドキュメンタリーを好きだと感じる大きな点のひとつに、「被写体との接触、撮影を通して起こる監督の視点の変化」(またはその逆)がある。本作も、それがわかりやすく描かれているところが好きだ。欲をいえばもっと赤裸々な浅野の感情も知りたかったところだが、きっと4人へのリスペクトが大きくなるにつれて茶々を入れるのは野暮だ、という考えになったのだろう。それもまた、音楽好きである監督の「らしさ」な気がしてよい。 個性豊かな4人の中でも、私が特に惹かれた人物がファーストヴァイオリンのタロウだ。タロウは物語序盤、浅野からの「自分をおでんの具でたとえると?」という質問に「大根(メイン)かなぁ」「もちろんカルテットは4人平等だけども、ある意味で(僕の)責任は大きいんですよ」と答えていた。4人のリーダーも務めている彼のまじめさと責任感の強さがにじみ出た回答だ。 物語序盤、一次審査での落選を受けて強気にうそぶいていたのも彼だった。 「こんなこと言うと怒られちゃうかもしれないんですけど、ちっちゃいころから、あんまりヴァイオリン弾くことに苦労しなかったんです」 音楽家一家に生まれ、環境にも才能にも恵まれていた彼にとって、今は初めてのスランプだという。「自由な演奏をしなさい」と言われ続けたタロウは、そのことをよけいに考えてしまい、よけいに気持ちを込められなくなる、という負のスパイラルに陥っていた。 並列して語るのもおこがましい話だが、表現の仕事をしている身として非常に共感し苦しい気持ちになるシーンだった。私はネーム(マンガの下書きのようなもの)に対して「この内容じゃあなたが描いている意味がない」という理由でボツをくらうことがよくある。そういうとき、どうしたら自分らしくなるのだろう、自分らしさを表現できる構成はどんなだろう、と考えれば考えるほど、学ぼうとすればするほど、素の自分らしさから離れていき、何をしたら自分らしいのかわからなくなってしまう。また、そうして「自分らしさ」を求められ続けると、今まで言われてきた「ダメ」によって、がんじがらめになっていく気がするときがある。 話が逸れてしまったが、そんな私にとってタロウが音楽の美しさに気づき涙を流すシーンは心にくるものがあった。 「なぜ彼らがこれほどまでクラシックに惹かれるのか」 実は、その答えが作品内で明言されることはないのだが、本作を見た人はみんな、自ずとその答えを見つけることができるだろう。 物語の最後、浅野は4人に再び同じ質問をする。 「自分をおでんの具にたとえると?」 その答えはぜひ劇場で確かめてほしい。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)、2026年3月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)にて『今際の際のファムファタール』の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 『カルテットという名の青春』 2026年4月3日(金)から、シネスイッチ銀座ほかで全国順次公開 監督・撮影・編集・ナレーション:浅野直広 制作・配給:テレビマンユニオン 製作:BS朝日、テレビマンユニオン 出演:植村太郎(ヴァイオリン)、宮田大(チェロ)、佐橘マドカ(ヴァイオリン)、原麻理子(ヴィオラ)ほか ナレーション:原田知世 (C)テレビマンユニオン
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生い立ち〜恋愛まで、ママタルト・大鶴肥満の赤裸々な人生──白武ときお『まーごめ180キロ』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「まーちゃんごめんね」。略して「まーごめ」。 謎の言葉を発して登場する身長182cm、体重188kg。ピンクのジャケットを羽織った一度見たら忘れない巨漢、その名は大鶴肥満(おおつる・ひまん)。「僕がもう少し細ければ」そう言って登場するのは相方・檜原洋平(ひわら・ようへい)。大鶴肥満に隠れているが、実は174cm、82kgと少々太め。凸凹コンビならぬ、凸とちょい凸コンビ──サンミュージックプロダクション所属のお笑いコンビ、ママタルトだ。 『まーごめ180キロ』は新進気鋭のお笑い芸人、ママタルト・大鶴肥満に密着したドキュメンタリー……ではなく、彼が発するあいさつのような……ギャグのような……ともかく彼がバラエティ番組でよく発している言葉「まーごめ」の真髄に迫るドキュメンタリー映画である、らしい。 監督は放送作家の白武ときお。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)の最年少作家でありながら、『しもふりチューブ』、『ララチューン』、『ママタルト本物チャンネル』など数多くの芸人のYouTubeも手がけている。 ひと言でまとめるのは難しい映画だが、あえてひと言でいうと、“180kgのおもしろい男に出会える映画”だ。実際、作中で「まーごめ」という単語はそれほど登場しない。大鶴肥満が現在の大鶴肥満という存在になって得たものの象徴として「まーごめ」という単語が使われているといった感じだ。いわばメタファー。 「ファン向けのムービーなのか?」と思われてしまうかもしれない。だが、大鶴肥満という人間をよく知らない映画ファン、ドキュメンタリーファンの方も興味を失わないでほしい。最初は知らない巨漢でも、2時間見たらきっと好きになるから。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 私がママタルトというお笑いコンビを知ったのは、2021年の冬だった。 個人的な話になるが、私は趣味のひとつとして『ぷよぷよ』というパズルゲームを挙げている。8年ほど前に出会ったこのゲームはなかなかおもしろく、私は大会やオフライン対戦会にも赴き、中級者といっても差し支えない程度の実力を手に入れるほどにはやり込んでいた。2021年11月、ぷよぷよの対戦会で知り合ったいわば“ぷよぷよ友達”のひとりから、ある日こんなことを言われた。 「今年のM-1(グランプリ)、追ってます?」 私は好きなコンビが準々決勝で落ちてしまった旨を話した。 「だったら真空ジェシカを応援しましょう。ボケの川北さんがぷよぷようまいんで」 彼らがYouTubeで芸人仲間を集めてぷよぷよを配信しているということを教えてもらった私はさっそくアーカイブを視聴した。 配信に参加しているのは真空ジェシカ・川北茂澄、ママタルト大鶴&檜原、ストレッチーズ高木貫太、さすらいラビー・中田和伸の5人。全員ちゃんとこのゲームをやり込んでいるのだろうとわかるプレイをしている。うまい。正直、競技人口も多くないゲームだ。芸人さんがこんなにたくさんこのゲームをやり込んでいるのか、と驚いた。 そんなきっかけでこの4組の芸人のファンになった私は、彼らの出演している番組を録画して観たり、西新宿ナルゲキの合同ライブに行ったり、単独ライブに行ったり、ラジオを聴いたり……と彼らを追いかけるようになった。そう、彼らは4組とも、ネタもおもしろかったのだ。ついでにいうと、MCのフリートークもめちゃくちゃおもしろい。おもしろくてぷよぷよがうまい、そりゃあ当然好きになるだろう。 前置きが長くなったが、それからしばらく経った2023年春。ママタルトの……いや、「まーごめの」ドキュメンタリー映画が公開されるという情報を耳にした。どうやらライブ用に作った映像を再編集したものを映画版として全国公開する、という経緯らしい。ドキュメンタリー映画が好きでママタルトも好きな私には願ってもない出来事だった。 さらに、私は大鶴肥満という人間の生い立ちにも興味があった。私は当時、ママタルトの冠ラジオ『ママタルトのラジオ母ちゃん』(GERA)をよく聴いていたのだが、大鶴肥満は時折、実家との確執や学生時代のトラウマに関する話をすることがあった。特に父親との反りの合わなさは繰り返し語られているトピックだった。率直に気になっていた。 とはいえ、芸人さんの(元は)ライブ用の映像ということであまり深い話は期待しないように、ライブの幕間を観る気持ちで観るべきだろう。そんな気持ちで臨んだ上映だったが、結果は期待の上の上を行く大満足だった。お笑い(コメディ)とドキュメンタリーのいいとこ取りをした素晴らしい映画だった。 2021年夏、表参道。ワタナベエンターテインメント本社の前に大鶴肥満はいた。大鶴肥満は言う。 「まーを待ってます」 「まー?」 「マルシアです」 大鶴肥満は俳優の大鶴義丹に似ていることから、現在の芸名を名乗っている。 2004年、大鶴義丹が記者会見でマルシアに対して発した言葉「まーちゃん(マルシア)、ごめんね」を略して「まーごめ」と言っているらしい。 ……えっ、もう答え出たじゃん。いやいや、まだ続く。 本作は3つの軸で進行していく。 1つめは、大鶴肥満がママタルトを結成し活躍するに至るまでの経緯について。大鶴肥満の語りを中心に、大学お笑い時代から親交の深い真空ジェシカやサツマカワRPGら10人のお笑い芸人の視点で語られていく。 2つめは、大鶴肥満の恋の行方について。これは現在進行形の話。マッチングアプリで知り合い1年間もの間気になっているMちゃんとデートを重ね、告白を試みる肥満の様子が映されている。 3つめは、大鶴肥満の……いや、粕谷明弘(かすや・あきひろ/大鶴肥満の本名)のこれまでの人生について。お笑いを始めるきっかけとなった大学のある明大前駅、嫌な思い出の小学校を巡る。 さらにはいじめを受けたという高校時代を振り返りながら 「お笑いは復讐だよ?」 ウエストランド井口浩之の言葉を借りて、自身の原動力を語る。 この映画は入れ子構造にもなっている。前述のとおり本作はもともとライブ用に作られた映像で、真空ジェシカ、大鶴小肥満(※スカート・澤部渡)による上映ライブが行われていた。映画版では上映ライブでの音声や映像も使われており、観客の笑い声や真空ジェシカによるツッコミが副音声的に被せられている。 そんな複雑な構成を取っている本作だが、実際見てみると案外見やすい。 大鶴肥満をはじめとした演者のしゃべりがうまいことに加えて、編集のバランス感覚が非常にいいことが理由だろう。退屈になりがちなインタビューシーンでも館内は常に笑いが起きていた。 おそらくこれは、視聴者の大半がお笑いファンであろうという想定から生まれた配慮だろう。 たとえば、大鶴肥満が語っているとき、ちょっとおもしろい遊具にまたがっていたとする。どう見てもおもしろいしツッコんでほしいけど、大事な話をしているから話の腰は折らないでほしい。そんなとき、後づけのテロップや真空ジェシカによる副音声で処理する。バラエティの手法をドキュメンタリーに取り入れたこの編集は秀逸で、作品にマッチしていたと思う。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 ともかく、「お笑いファンが楽しめる」ドキュメンタリーになっているので、見やすいのだ。 とりわけ印象的なのが、前述のいじめを受けたという高校のあとに訪れた実家のシーンだ。実家が近づくにつれ大鶴肥満の顔が曇っていくように見える。 実家では今どき珍しい、息子の芸を、いや、息子がお笑いの道へ進んだこと自体をまったく認めていない父親が登場する。 「芸能人になるなんて許せないですね」 「情けない。早くコロッて死んじゃえばいいんだよね。誰にも迷惑かけずに死んでください」 さらに父親は、自分はコロナウイルスの関係でできないから友人に葬式をしてもらえと続ける。 「ごめんな、そんな子供に育てちゃって。もうちょっと才能がある子供に育ててあげればよかったのに」 ……もちろん、まったく愛がないわけではないだろう。母親は、父親は自分よりも大鶴肥満の活動を追いかけているとフォローする。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 大鶴肥満は最後、「そのままでいてくれてありがとう」という言葉を残して実家を去る。そのまま、というのはもちろん、俺の嫌いな親父でいてくれて、という意味だろう。 物語の最後は相方・檜原への想いで締められる。マンガ『HUNTER×HUNTER』の主人公・ゴンと 親友・キルアの関係になぞらえて、ひわちゃん(檜原)は俺にとっての光だ、という。これまでの1時間半で大鶴肥満の暗い側面をたくさん見てきたので、よりいっそう、このふたりが出会ったことへ感謝の気持ちが湧いてくる。そんなママタルトは、2024年に初めてM-1の決勝へと進出した──結果は10組中10位と、グランプリを獲得することはできなかったが、平場の強さとふたりの人柄からか、今やお茶の間の人気者となっている。 総じていい映画だったな、と思う。エンディングで流れる音楽も素晴らしい。 私は初見時、少し泣きそうになった。実家のシーンがあまりにもリアルなのもいい。芸人など“しゃべりがうますぎる”人の語りは本心なのかトークをおもしろくするための誇張なのかがわかりづらいときがあるが、あのシーンによって疑う余地もない、本心の部分が見えた気がする。 実はこの映画は以前から紹介したかった一本なのだが、自分がファンだからこそためらっていた。 「知らない人が観てもおもしろいのか?」と。 2025年10月、「第17回下北沢映画祭」で『まーごめ180キロ』が再上映されるということで、私は“ママタルトのことはテレビで見たことがある”程度の認識の友人を誘って観に行くことにした。反応がよければ自信を持って読者に勧められる。結果は想像以上で、かなり気に入ってくれたようだった。物販のクリアファイルを購入し、マックを食べて帰ろうとまで提案してきた。自分の好きな映画、そして自分の好きな芸人にそれだけ人を動かす魅力があることが誇らしい。 『まーごめ180キロ』を観たあと、きっと思うだろう。 このおもしろい男に出会えてよかった、と。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 監督:白武ときお プロデューサー:雨無麻友子 構成:橋本拓実、エレファントかさ増し、梶本長之 音楽:PARKGOLF 出演:檜原洋平(ママタルト)、大鶴肥満(ママタルト)、ほか (C)劇場版まーごめ製作委員会
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K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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日本デビュー15周年・2PMの6人“完全体”に号泣…! 東京ドーム再来で果たした「ファンとの約束」|「林美桜のK-POP沼ガール」第25回「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 東京ドームで開催された、2PMの日本デビュー15周年記念コンサート『2PM JAPAN 15th Anniversary Concert “THE RETURN” in TOKYO DOME』に参加してきました! もう……ボロボロ泣きました。 2PMの6人、“完全体”が目に映った瞬間 感謝と感動がとめどなく押し寄せて(号泣)。 今回のライブは、多くが日本語の曲で構成されていました。 そのため、あのときのライブやイベント、ハイタッチ会……思い出が巡りまくる。 ……ちょっと待った。メンバーのみなさん 変わらなすぎじゃないか? ビジュアルもパフォーマンスも 以前と全然変わらない。 変わらないどころか、さらに輝きをプラス、洗練されて、 これぞ「いい感じ」。 メンバー6人の“最大級の魅力” Jun.Kさんは、温もりあふれる壮大な歌声で東京ドームを包み込んでいました。「約束のキス」を連発し、お兄さんのファンへの愛情深さはもちろん変わらず。 メンバーの発言に目尻下がりまくり、肩に手を添えたり腕を組んだり、メンバーに絡みまくりの姿に大変癒やされました。「I'll be back」の冒頭、テギョンに譲っちゃう変わらない寛大さにもグッときました(うるっ)。 たった卵3個のご飯でライブに臨んだニックンさんは、メンバーの汗を拭き拭き、衣装の脱ぎ着も手伝い、配信を観ているファンのことも気にして、全方位気遣いあふれる紳士。 ニックンさんがみんなの面倒を見てるのを見るのが大好きなんです。そして長い手足を活かした華やかなパフォーマンス、柔らかな表情……東京ドームに再び王子が君臨しておりました。 テギョンさんは、ファンが笑いすぎて歯をしまい忘れてしまうくらい、相変わらずのテギョン節炸裂。有明から「テギョンのジュークボックス」が無事に引き継がれていて感激でした(笑)。 MCであり、ほかメンバーのソロも奪いながらパフォーマンスし、大ボケを担当しながら、営業も兼ねるという器用すぎる存在。それでもパフォーマンス中の集中したキリッとした表情に、改めて(もう数万回目)魅力されました。 ウヨンさんは、チャーミングな魅力爆発。みんなのビタミンに留まらず、みんなのアイドルであり、顔であり、体でもあった(爆笑)。メンバーにそうツッコミされてうれしそうにはしゃいでるウヨンさん、尊かったなぁ。この瞬間、2PMの完全体を感じました。 トークはふわふわキュートなのに、パフォーマンスのキレは抜群で、指の先まで忠実で繊細なダンス。センスがさらに磨き上がっていました。 ジュノさんは、東京ドームのハレス(2PMのファンネーム)の思いを汲み取って歓声をまとめる、完璧な王様。品があふれるしなやかなダンス、スッとまっすぐ耳に届く伸びやかな歌声。グッと会場の雰囲気を引きしめる、黄色に輝くオーラがビシビシ感じられました。 何度も話が脱線するテギョンさんを「セクシーでいてほしい」のひと言でもとに戻すジュノさん、大変ツボでした。ずっと優等生すぎる。メンバーのわちゃわちゃに、とてもはにかんでいたのがキュンすぎました。 チャンソンさんは、末っ子なのに相変わらず一番しっかり者。メンバーの日本語を手伝ったり、的確なツッコミで救ったり、努力で培った日本語力で場をうまく回してくださって、頼もしかったです。チャンソンさんの特大笑い声は、どんなときも聞いた人を特大ハッピーにするパワーがあるなと思うのですが、今回も何回も東京ドームに響き渡る瞬間があって、心満ち足りました。 チャンソンさんにとって「2PMは自信のひとつ」という言葉がありましたが、私にとっても、2PMという存在に勇気をもらったから自分の未来や可能性を信じることができたなと。哲学的な言葉に、毎回深く考えさせられます。 2PMとハレスが作る「実家のような安心感」 ほかにも感激したタイミングはたくさんありすぎて挙げきれないんですが、2PMとハレスで歌った「離れていても」は、その中のひとりでありながら圧巻だったと感じました。Jun.Kさんのピアノ伴奏だったのもうれしかったです(泣)。 前回の有明は、なんとなく勝手に……本当に最後な感じがしてしまい、涙・涙の気持ちだったのですが、今回は寂しくなかったです。 前回の約束を守ってくださった2PM。 ハレスと離れていても気持ちはひとつだったと証明されたので 「離れていても いつでもそばにいたね」 ありがとうと、気持ちをより強固にひとつにできた感じがしたんです。幸せだったな。 メンバーそれぞれのユニークなポイントに ハレス同士で「いつものやつだね」みたいに笑い合えて メンバーのみなさんもそんな雰囲気に気がついて、何回も笑わせてくれて楽しかったです。 2PMとハレスが作るこの空気感、本当にずっと変わらない。 実家に帰ったような気持ちでした。 安心感、半端ない。 日本デビュー15周年、最高のライブをありがとう! 最後のコメントで、Jun.Kさんがメンバーのことを 「家族、友達、仲間」と表現されていましたが ハレスにとっての2PMも、そう表現したくなる かけがえのない存在だなと。 改めて、日本デビュー15周年おめでとうございます。 約束の場所・東京ドームに戻ってきてくださって、ありがとうございました!! 2PMが見せてくれたハレスへの愛 “Ultra Lover”でした(泣)。 出会えた奇跡はきっと運命。 今後の2PMが描く未来へ速攻、今すぐ直行できるよう メンバーのみなさんが言ってくれたように膝を大事にしながら 2PMにまたいつか感謝を伝えられるよう、 たくさんの拍手を送れるよう 懸命に生きると決めました。 本当に最高のライブでした。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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次世代の最先端を走る『82MAJOR CONCERT <BEBEOM : BE THE TIGER> in JAPAN』東京公演の見どころをレポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 北米での単独ツアーを成功させ、世界から注目を集める次世代K-POPボーイズグループ・82MAJOR。 『82MAJOR CONCERT <BEBEOM : BE THE TIGER> in JAPAN』が2月14日にZepp Haneda(TOKYO)で開催されました。 なんと今回、CSテレ朝チャンネル1にて 4月25日(土)よる6:00〜よる7:00 東京公演のダイジェストとビハインド映像を収録した特別番組が放送されるということで、 今回の記事では、私が感じた見どころをまとめてみました。 圧巻のオープニングと、癒やしトークのギャップ メンバーの一人ひとりを映したオープニング映像。 モノクロからカラーへ……始まりが近づいている。 ライブのスタートは「Heroes」。 真っ赤なバックスクリーンに、6人の凛としたシルエットが際立つ。 「東京、準備はいいか」というかけ声で 「Passport」へ、一気に加速して高まるボルテージ!! メンバーとファンのテンションがガッチリと合う選曲、圧巻でした。 メンバーのみなさん、なめらかな日本語でごあいさつ。 さっきまでの雰囲気とは一変、フニャッとした癒やしのトーク。 完璧すぎるギャップの魅力……(沼)。 今回のライブのタイトル<BEBEOM : BE THE TIGER>には、「普通を超える存在になる」「虎になる」という意味が込められているんだそう。 「タイガーになりタイガー」なんて、かわいらしさ全開の意気込みにほっこり。 ハイレベルなパフォーマンスから感じる「次世代」 82MAJORの高いラップスキルには、ラップの楽曲ってこんな幅が出せるのかと驚かされました。 ラップと聞いて思い浮かぶようなものだけでなく、爽やかだったり、キュートだったり、クールだったり。 一人ひとりの音色の違いが重なると、本当におもしろくて新鮮に楽しい。 ダンスもカッチリ合わせるのではなく、個のよさを存分に引き出しながら、それでも“団”としてのまとまりがある。 曲間では、それぞれの曲に込めた想いやポイントを自然に説明されていて、メンバーみんなで曲を作っているからなのだなぁ、と。みなぎる自信と説得力がありました。 みなさんの最新の“今”が詰め込まれているからこそ、「次世代」なのだなぁと体感しました。 そんな中でも、私は「Choke」という曲の中毒性にハマっちゃいました。 エッジの効いたキレのあるサビ、一音一音が明瞭で気合いがこもっていて、エネルギーを存分に感じるステージでした。 「SQUAD」は、華やかで力強いラップが体に刻み込まれる感じ。 ファンを巻き込んでのコールアンドレスポンスは、咆哮(ほうこう)のような迫力がありました。 バレンタインチョコが溶けるほどの熱気! そして、注目はアンコール。 走ったり跳んだり、ステージの上を縦横無尽に駆け回るメンバーのみなさん、爽やかでかわいかったです。ただ、どれだけ走っても息切れしないラップ。プロフェッショナルでした。 ファンもメンバーもお互い楽しくなる曲を何度も披露。 じゅうぶんすぎるほどの満足感。最高のアンコールでした。 実はバレンタインの日のライブだったんですが、 もちろんチョコが溶けるほどの熱気の中、幕を閉じました。 私は「次世代」の最先端を走る82MAJORさんを目撃しました。 今後がますます楽しみ! さあ、最後に改めまして、 CSテレ朝チャンネル1にて 4月25日(土)よる6:00〜よる7:00 東京公演のダイジェストとビハインド映像を収録した特別番組が放送されます。 ぜひご覧ください!! 撮影=大橋祐希 文=林 美桜 編集=高橋千里
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K-POP好きこそ観てほしい。日韓の美術交流をさかのぼる『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』主任学芸員・日比野民蓉が伝えたかったこと|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)まで開催されている展覧会『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』は、1945年以降、日本と韓国が影響を与え合いながら紡いできた、美術の軌跡を見つめ直す企画です。 本展開催の横浜美術館があるみなとみらい駅周辺は、コンサート会場が多く、K-POPファンの方にもおなじみの場所かもしれません。ライブの高揚感とはまた違う角度から、「おとなりの国」とのつながりを感じられる時間になるでしょう。 Kカルチャーが私たちの日常に根づいた今、アーティストたちが紡いできた長い対話の歴史、そこで生まれた表現が映し出すものとは? 展示をじっくり鑑賞した林美桜が、本展を企画した横浜美術館主任学芸員の日比野民蓉(ひびの・みよん)さんにお話を伺います。 優劣をつけず「多様性」を表現する展覧会 林 見応えたっぷりで本当に素晴らしい展示でした……! これまでの展覧会であまり目にすることのなかった視点もたくさん感じ取れたのですが、そもそも日比野さんが本展を企画したきっかけはなんだったのでしょうか? 日比野 話し始めると少し長くなってしまうのですが(笑)。これは日韓国交正常化60周年を記念する展覧会でもありますが、その10年前、日韓国交正常化50周年の節目のとき、私は国立新美術館(新美)にアシスタント・キュレーターとして在籍していました。その際に新美が、開館当初から毎年開催していた現代美術のグループ展を韓国の美術館と一緒にやることになったんです。 さらにその前、大学院の修士課程での私の専門領域は、1945年以前の日本と朝鮮半島の美術の関わりでした。ただ学芸員の仕事を始めてからは、現代美術分野のお仕事をする機会が多くなっていった。つまり、学生時代に関心を持っていた1945年以前から、一足飛びに2000年代へと対象にする時代が飛んでいったんですね。 そうすると「1945年から2000年代に至るまでの韓国、あるいは朝鮮半島と日本の美術の関係はどうなっていたのだろう?」という疑問が湧いてきました。そこで調べてみたところ、45年以降の日韓の現代美術の歴史を、大きな視点でさかのぼる展覧会は、両国とも過去に開催されていないことがわかったんです。 「これはどこかで誰かがやらなければいけない」と思っていたのですが、美術品の海外輸送がある・なしで展覧会にかかる費用が桁違いに変わります。国内作品だけで成立させるのか、海外からも借りるのかで、予算規模はまったく違ってくるんです。 マティスやモネ、ゴッホのように、何十万人もの来場者が見込める、いわゆるブロックバスター的な展示とは事情が違うわけで、正直コストパフォーマンスがいいとはいいにくい企画になる。ですから、いつ実現できるだろうかとずっと機会をうかがっていました。 そんな折、横浜美術館が大規模改修工事のために長期休館することになりました。そしてリニューアル後の館のコンセプトをどうするかという議論の中で、「多様性」というキーワードが掲げられたんです。 そのときに「もうこれしかない」と思い、長く温めてきたこの企画を、館のリニューアルオープンの理念を体現する展覧会としてぜひ実現させてほしいと提案したところから、すべてが始まりましたね。 林 「多様性」を体現する展覧会ということは、韓国と日本、そして在日コリアンのアーティストによる作品が並列で展示されているところにも表れていますよね。 日比野 そうですね。これまでにない試みなので、「大変だったことはありますか?」と聞いていただく機会も多いのですが、意外とないんです。 というのも「そこに優劣はない」ということが、最初から展覧会の基本コンセプトにあったからです。在日コリアンであるがゆえに、日本の美術史からも韓国の美術史からもこぼれ落ちてきた部分が少なからずある。その活動をきちんと位置づけたい、という思いが出発点でした。 グローバル社会の現在は、国や民族、共同体といった単位で美術を語ること自体がナンセンスになりつつある時代です。それでもあえて「日韓」というフレームを掲げる展覧会である以上、その“はざま”にいる在日コリアンの活動を一緒に語らなければ、日本と韓国の現代美術史を正しく描くことはできない。そう考えてスタートしました。 林 在日コリアンの人々による“はざま”の感覚が、この展示には強く表れていると思いました。在日コリアンのアーティストの作品で、日本と韓国のはざまにあると感じられる表現の傾向のようなものはありますか? 日比野 「在日コリアンによる作品だから、こういう表現傾向がある」という語り方は、私自身はしないようにしています。属性から作品を捉えるのではなく、まず作品そのものがどのような意味や感覚を鑑賞者に与えるのか、そこから作家のバックグラウンドへとさかのぼるほうが、キュレーターとしては適切なアプローチだと考えているからです。 ただ、時代ごとに各作家が置かれた社会状況でどのような表現をしてきたのかを見ると、たとえば1950年代の在日コリアンの作家たちは、当時の社会問題に対して非常に強い問題意識を持って制作していたことがわかります。 もちろん、それは在日コリアンの作家だけに限った動きではありません。1950年代の日本でも、社会的テーマを美術に積極的に取り入れる流れはありました。ただ、在日コリアンの作家の中には、帰国事業のような自分自身の立場に直結する問題や、日常生活の中のコミュニティや集住地を描く作品など、より切実なテーマが表れやすい傾向はあったのではないかと思います。 日韓国交正常化以降の、美術交流で生まれた作品たち 林 社会状況の変化の中でアートが何を映し出していったかというお話は、個人的に、日韓国交正常化で両国の交流が一気に盛んになった1965年以降の作品を見て強く実感しました。 日比野 たとえば、本展にも展示されている関根伸夫さんの『位相-大地』(1968年発表)は、土を掘り起こし、その形をそのまま隣に置くという作品で「もの派」(1970年前後の日本で起こった美術の動向)の先駆けともいわれています。 手前:『位相-大地1』(関根伸夫、1986年/個人蔵)、左奥:『風景(I)(II)(III)』(李禹煥、1968年/2015年/個人蔵(群馬県立近代美術館寄託))、撮影=加藤 健 ただ、関根さんがあの作品を作っただけでは、もの派は成立しなかったと考えられています。日本を拠点に活動し、当時の日本の最前線の美術動向から強い刺激を受けていた作家の李禹煥(リ・ウーファン)さんが『位相-大地』を目撃し、「ここから新しい美術が始まる」と直感し、それを言葉で理論化しました。そのテキストは韓国語にも翻訳され、韓国の若い作家たちにも読まれた。つまり日本で起こっている動向が、ほとんど時差なく韓国に伝わったわけです。 また李禹煥さんに関してはもちろん言葉だけでなく、作品も象徴的だといえます。中でも『点より』『線より』のシリーズは、絵の具を筆につけ、点を打ち、かすれるまで線を引くといった、書道にも通じる行為の痕跡を通じて、日本と韓国を含む東洋の視覚文化に根差しながら表現するものです。韓国出身の李さんが日本を活動拠点にして、より広い視点から文化を見つめ直したことで、このシリーズが生まれたとも考えられるでしょう。 写真上:『点より』、写真下:『線より』(李禹煥、1977年/東京国立近代美術館蔵)/日比野「1970年代前半に始まった李禹煥の代表的な絵画シリーズで、絵画作品は韓国の『単色画』にも数えられますが、絵の具がかすれていくさまや筆のリズムの痕跡が単純に見ていて楽しい作品ですよね」 こうした思考や表現の往復が、国交正常化をきっかけに本格的に始まった。1960年代後半から80年代にかけてが、日本と韓国の直接的な美術交流の萌芽期だったと思います。 林 さまざまな作品が行き来することで生まれた表現というものを、実際に目の前にすると「交流ってこういうことなんだ」と実感しますね。 日比野 一つひとつが個人的なバックグラウンドと密接なことがわかりますよね。たとえば海老塚耕一さんの『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』という作品は興味深いです。こちらが制作されたのは2024年ですが、その素材に関しては、さかのぼること1979年に初めて韓国を訪れたときに買い求めたものなんです。 『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』(海老塚耕一、2024年/個人蔵)/林「オンドルに使われる紙が使用されているんですね」 日比野「はい。壮版紙(チャンバンジ)というもので、伝統的なオンドルに使用するときと同様の表面処理が本作にも施されています」 海老塚さんは横浜・鶴見の出身で、在日コリアンが多い地域で育ちましたが、その歴史について深くは知らなかった。大学時代に在日コリアンのジャーナリストの著作を読み、日本の帝国主義の歴史と彼らの人生がどう結びついているのかを知り、大きな衝撃を受けたそうです。 1979年に韓国へ渡航し大邱(テグ)で滞在制作を行い、伝統的なオンドル(かまどを焚いたときに出る煙を利用した暖房)の床に使われる紙の質感に強く惹かれ、持ち帰ります。しかしその紙は、先ほどの背景があったことから、海老塚さんにとってあまりに大きな意味を持つものとなって、長い間使えなかった。およそ半世紀近く経って、ようやく作品に用いたのが『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』だといいます。 「視覚的な体験」で、若い世代にもより響く展示に 林 会場には若い来場者も多くいらっしゃいましたが、本展を通じて初めて日韓の歴史を知る方も多いのではないかと思います。 日比野 そうですね。どんな方が来て、どんな感想を持ってくださっているのか、私も日々SNSなどで拝見しています。特に第1章『はざまに──在日コリアンの視点』のところで「全然知らなかった」という声が多く、在日コリアンの歴史があまり知られていなかったことも、改めて感じました。 第1章『はざまに──在日コリアンの視点』は、日本と朝鮮半島に国交がなかった1965年までの20年間の在日コリアンに焦点が当てられている/日比野「林典子さんやナム・ファヨンさんといった、1965年以降に生まれた世代の作家の作品をあえて並べて見せることで、遠い過去の話ではない問題として引き寄せて考えてもらおうと考えました」 ただ「在日コリアンの歴史に関する展示です」という言葉が先行してしまうと、どうしても入りにくい部分があると思うんです。高嶺格さんの作品『Baby Insa-dong』にもありましたが、「在日」というワード自体が日本社会の中で排他的に扱われ、差別の対象になってきた歴史があるからです。 若い世代によって韓国や朝鮮半島に対する感覚が大きく変わったとはいえ、日本人にとって「在日コリアン」という言葉に対する一種の恐れや戸惑いがまだあるのではないかと思います。どこまで話していいのか、間違ったことを言ってはいけないのではないか、と。知ること自体が、自分たちの過去や先祖を振り返ることにつながる。その触れ方が難しい、と感じる方もいるのが事実です。 でも、美術作品はまず目の前に“ある”ものです。本をひとりで読むのとは違い、同じ空間で多くの人と共有できる。視覚的な体験として入ってくるのが、美術の強みです。たとえば古美術を見たとき、何千年も前に作られたものが今も目の前に存在しているという驚きがありますよね。近代美術であっても、80年前の人たちがこういうものを作っていたという事実が、まざまざと迫ってきます。 言葉や概念から入るのではなく、視覚的な体験から入ることができる。そういう意味で、若い方々にとっても新鮮な驚きとして受け止められているのではないかと思います。 林 展示の中でも、中村政人さんの写真作品は、若い来場者に刺さるのではないかと感じました。ソウルで撮影された一連の作品からは、街の細部に寄せられた関心を感じ取ることができて、すごく現代っぽいなと。 中村政人による写真作品の展示/日比野「中村さんの作品は着眼点が秀逸ですよね。ソウルの街が持つダイナミックさを細部に見出して芸術として捉える視点が感じ取れます」 SNS上などで、旅行先の看板やオブジェなど何気ないものの写真をアップする若い方が多いので、それに近い感覚だったのかもとおもしろく鑑賞しました。中村さんは1990年に、日本から韓国へ留学されていたんですよね。 日比野 そうですね。80年代後半から、旅行などで日本から韓国へは行っていたそうです。 中村さんが美大生だった当時は、多くの日本の若者がアメリカを目指していました。アメリカで最先端のアートを観て、ギャラリーに扱われて認められるというのが、アーティストにとっての「ゴール」としてまなざされていた時代だったんですね。 でもその感覚が、中村さんとしてはあまり腑に落ちなかったそうで、「それって本当にそうなの?」という違和感があった。そんななか韓国に行き始めて、「近い国にダイナミックな世界が広がっている!」と感じたそうです。 中村さんの写真って、ソウルの街で一般市民が行っている営みが、そのまま芸術のように見えてしまうところがおもしろいですよね。街の中の風景や、人々の振る舞い、制度やルールのズレみたいなものに、非常に鋭く目を向けている。欧米を目指す前に、すぐ隣にある国にまったく違うおもしろさの文化や社会があることに気づいたんですね。その感覚が、中村さんを韓国留学へと向かわせたのだと思います。 「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかける 林 そして近年の若い世代による作品も、興味深かったです。特に、武蔵野美術大学と朝鮮大学校によるプロジェクト『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)のコーナーでは、作品もそうですが、作家同士による話し合いの記録が展示されている形式が印象的でした。 『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)/プロジェクトを実践したメンバーがそれぞれ「日本人」「在日朝鮮人」の立場で続けた対話の記録が展示されている 日比野 塀を隔てて隣り合っている武蔵野美術大学と朝鮮大学校の間に、橋を架けるプロジェクトですよね。ただ最も重要なことは、今おっしゃっていただいたように「橋を架けたこと」そのもの以上に、そこに至るまでのプロセスでした。 5人の作家たちが、各自のアイデンティティに関わる問題意識について、痛みを伴いながらもやめなかった対話。その軌跡こそが、このプロジェクトの本質なのではないか。だからこそ今回の展示でも、抜粋にはなりますが、そこで交わされた彼らの言葉がちりばめられています。 林 ここで観た作品についても誰かと話したくなるようなものばかりでしたし、対話を続ける大切さは、この展覧会の鑑賞後に最も強く感じました。 日比野 ありがたいことに、「人と感想を交換したくなった」という声をよくいただいています。 『いつもとなりにいるから』という展覧会タイトルは、あえて「~から」と文章を途中で止めることで「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかけるかたちになっています。「いつもとなりにいるから、どうなのか」「だから、私たちはどうするのか」といった、日本と韓国が地理的に隣にあるという事実のその先を、どう考えていくのか。 誰かと一緒に語り合うのも、自分の中で言葉をつないでもいい。来場してくださった一人ひとりが、「から」の続きを考えられるような展覧会になっていたらと思います。 横浜美術館リニューアルオープン記念展 『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日) 10時~18時 ※入館は閉館の30分前まで ※木曜日は休館 文=菅原史稀 撮影=佐々木康太 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
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L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東海S)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東海S) 7月26日(日)の中京7R・東海Sの予想をします。今週から暑熱対策として、中京と新潟開催には昼休みが設けられています。メインはそれぞれ7R。今年はとりわけ暑さが話題になっていますから、JRAの昼間のレース施行を避ける暑熱対策はそれなりに的を射ていたのでしょう。夏競馬が苦手という方は少なくないと思いますが、それはまあこの暑さなので、馬の出来は蓋を開けてみないと分からないところがあります。狙い馬が走らない、思いもよらない馬が走るシーズンですから、そういうものとして付き合いましょう。今回の東海Sはノーザンファーム、社台ファームの生産馬がいません。だから何?ではありますが、そういった組み合わせから推し量れる重賞のプレゼンスみたいなものを感じていただければ。 【プロキオンS→東海S(7月開催の西日本ダート重賞)、合わせて過去10年の傾向・特異点】 ・エーピーインディ系、米国ミスプロ系などとにかくアメリカっぽさ ・大型馬 ・基本は若い好調馬 ◎⑭マテンロウコマンド。 前走圧勝の⑤ドンインザムードが1番人気でしょう。前走の内容は重賞レベル。血統や年齢、馬体重などもこのレースの好走ファクターに合致するので有力だとは思いますが、良の中京ならひとひねりしてもいいかと思う次第。そこでマテンロウコマンドに◎。差し優位の府中でこそ着を崩していますが、このコースは基本的に前優位。かつこの舞台で2戦2勝。松山に先んじて仕掛けての押し切りを狙ってもらいましょう。 ○⑬ドラゴンテイラー。 3勝クラス1着から即の重賞挑戦は楽ではありませんが、4連勝が全て完勝でアメリカっぽさ全開の血統とあれば、ここで味見したくはあります。しかし、キャリア7戦全部違う騎手。どうしてこうもヤネが替わりますかね。誰が乗っても力を発揮できる素直な馬とは言えますが。ちなみに坂井瑠星とは合いそうです。 ▲⑨インユアパレス。 昨年2着馬で、高いレベルで安定しています。重賞未勝利と詰めの甘さは拭えませんが、夏場も走る馬でいいところに来るのでは。 馬券は3連単軸フォーメーション。 <1着>⑬⑭→<2着>⑤⑨⑬⑭→<3着>⑤⑨⑬⑭。12点。 さて2020年から長らく続いてきた当コラムですが、お休みをいただきます。また有馬記念かダービーか、競馬の祭典は続いていきますからどこかで会いましょう。Xのアカウントは@xupoです。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(小倉記念)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(小倉記念) 今週は7月19日(日)の小倉11R・小倉記念を予想します。この重賞は昨年からお盆→7月に繰り上がり。夏の小倉はいま4週間だけで今週はラスト週です。自分が記者になった頃は8週開催があって、まだ小倉競馬場に滞在する馬も多く「夏の小倉滞在2週間」みたいな出張が楽しかったのですが、これは「懐古厨乙」案件。現代の小倉競馬は馬運車の進歩による輸送負担軽減により滞在も少なく、栗東トレセンのトレーナーも福島の番組と両にらみ。合理性と風情はトレードオフですから、時代に合った予想をしないといけません。それこそ昔は〝このままでは帰れない関東馬の勝負駆け〟みたいな情報が飛び交っていました。来るかは別として。 【小倉記念過去10年の傾向・特異点】 ・基本的には若い方が有利、内枠が優位 ・前走上がり3F速い馬、末脚重視 ・トニービン、ディクタス持ち ◎③ナムラエイハブ。 この重賞、得意というわけではないのですが、20年アールスター(10番人気1着)とか昨年シェイクユアハート(3番人気2着)とか、狙い澄ました◎がわりと走っています。上の傾向3つめのトニービン、ディクタス持ちというファクターが非常に強力で、合致するなかで走りそうな馬を狙うだけという案配。ところが今年はトニービン持ちが8頭もいて、トニービンに準じるナスルーラ系の父、母父も加えると出走馬の過半数を超える始末。むしろ「じゃない方」が7頭しかいないので血統ファクターが使いづらくなっています。ならば展開でしょう。先行勢の層が薄く、ハナ候補のレーゼドラマが大外。内枠でスタートを決めたら田山ナムラエイハブの逃げも五分とみました。田山は売り出し中の若手。そういう騎手が名を上げるのが夏競馬。逃げがいい重賞ではありませんし、からまれると良くないタイプなので、腹をくくって逃げてほしいところ。 ○⑨ジーティーアダマン。 上村厩舎といえばベラジオオペラ。近年屈指の中距離馬を管理しただけあって、厩舎にもトレーナーにも似たタイプを育て上げるノウハウがあるのでしょう。さすがに先達のスケールを望むのは酷ですが、成長ラインから何からフォロワーにはなれます。 ▲⑥ガイアメンテ。 ゲートは悪いものの、早めの仕掛けでも長く脚を使えて、小回りなら捲りを打てそうなタイプ。前走レコード駆けの好内容で、時計勝負の適性も高い。千八巧者感があってあと1Fは微妙ですが。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>③→<相手>②⑥⑨⑭⑰。20点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(七夕賞)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(七夕賞) G1のない夏競馬を買っている、あまつさえこうしたコラムも読んでいる方は練達の競馬ファンと思います。そうした方なら分かると思いますが、夏競馬の馬券は、たとえば上位に見立てた3頭が全然来ない…がしばしばあります。それだけならまだしも、その理由もよく分からないことすらあります。春秋のG1だと、たとえば3頭選んで1頭も来ないなんてことは実はそんなにありませんし、仮にそうであっても理由を推察できます。基本、夏競馬の人気は割れますから、一貫してハマるのを待つことで予後が良くなるものです。と自分にも言い聞かせつつ今週は7月12日(日)の福島11R・七夕賞を予想します。 【七夕賞過去10年の傾向・特異点】 ・直線の長いコースで負けた馬の巻き返し ・戸崎フル参戦で4勝2着1回。ベリー七夕賞マスター ・おまじないの類いかもですが偶数枠の方が好成績 ◎④カラマティアノス。 58を背負う4歳馬という時点であまり食指が動かないうえ、主戦の津村が騎乗停止で乗り替わり。ないな、という印象でしたが、乗り替わり先が岩田康誠でちょっと方向転換。奥村武厩舎と岩田康はノースブリッジ(重賞3勝)で気心の知れた間柄。カラマティアノスも先達ノースブリッジと似た夏冬ピーク型であることを期待して本命視。勝てば岩田康は中央10場重賞制覇です。 ○⑤オーロラエックス。 それほど牝馬のいい重賞ではありませんが、サトノダイヤモンド×母父ガリレオが重賞でいいところがあるとすれば、ここではないかと。なんでもかんでも杉山晴厩舎を買えばいいってものではありませんが、なにせ全方位に走る馬を出す厩舎で、このメンバーならチャンスありとみての仕上げかと思います。ハンデの恩恵はありませんが。 ▲⑪アスクナイスショー。 母父アドマイヤムーンの評価が難しいところですが、牝系は名門バラード系。4代母グローリアスソングがG1を4勝した名馬で、欧州の名門出身であることが福島芝で推す理由になるのは少々落差がありますが、こうした牝系の芯みたいなものが生きるコースなのは確か。田辺も夏の福島では頼りになります。 ☆⑬バトルボーン。 坂井やMデムーロといった早め進出の騎手がいなければ、戸崎と田辺と折り合って行った行った…もありですが、坂井が勝負に来るとちょっと厳しいですかね。ミルコは出遅れるかもしれませんが、坂井はスタートうまいので。そのあたり、オーロラエックスが動けるか否かで展開がガラリ変わるのがいかにも夏競馬。あとは馬券の組み合わせでフォロー。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>④→<2着>⑤⑪⑬→<3着>②⑤⑦⑩⑪⑬⑮。 <1着>④→<2着>→②⑦⑩⑮<3着>⑤⑪⑬。30点 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑