大越健介の報ステ後記

異様な寒さと不可思議な大統領について
2025年01月21日

 今の気分をどう表現すればいいのだろう。
 僕は今、アメリカでの一連の取材と中継リポートを終えて、ワシントンの国際空港で帰国の飛行機を待っている。今の気分…第一に、とにかくワシントンは寒かった。
 報道ステーションの放送時間帯はアメリカの朝だ。きのうはマイナス5度、そしてきょうはマイナス12度と、あたりは完全に凍り付いていた。ホワイトハウスをバックにカメラに向かってリポートをする僕の苦労などたかが知れている。だが、機材を整え、ケーブルを引き、段取りを整えるスタッフたちの苦労は想像を超える。まずは、無事放送を出し終えることができたことに対し、スタッフ一同に感謝したい。

 寒さに耐え、ひと仕事終えたという安堵の気持ちはある。しかし、それと同時に、かつて40歳代だった僕が勤務した時のアメリカとの違いに戸惑い、胸の中がざわざわしている。あんなワシントンは見たことなかったのだ。
 大統領就任式の取材は2回目だ。前回は16年前、オバマ大統領の就任式だ。初めてのアフリカ系アメリカ人の大統領就任への期待で、ワシントンは膨張していた。就任式典が開かれる連邦議会議事堂には、ナショナル・モールと呼ばれる広大な緑地帯が広がるが、朝焼けの中を、四方八方から徒歩で人々が集まってきていた。アメリカ社会で苦難の歴史を歩んできた有色人種が目立った。寒い夜を野宿してまで駆け集まった人たちも珍しくなかった。民主主義の力とはこういうものかと、僕は大いに感慨にふけったものだ。

 今回のトランプ大統領の2期目の就任式もまた、興奮が渦巻いていた。しかし、16年前とは明らかに質が異なる。街にはキャッチフレーズであるMake America Great Again、その頭文字をとって「MAGA」とプリントされた帽子姿の人たちがあふれていた。「MAGA」ではなく「MANGA」みたいだ。トランプ氏がお披露目の会を開いたスポーツアリーナの前には、いったい何人いるのかわからないほどの支持者の列ができていた。白人の割合が間違いなく多い。

 しかし、外国人である僕が言うのもおこがましいが、今回の興奮にはある種の異様さがつきまとっていた。それはトランプ氏がこれまで繰り返してきた言動に由来する。
 誤解のないように言っておくが、アメリカ第一主義を唱えるのは別に不思議はない。愛国心のなせる業なのだからむしろ当然だ。問題は「アメリカ第一主義」に名を借りて、いわば「目ざわり」な勢力を露骨に、罵詈雑言を交えて排除しようとするそのやり方だ。
 トランプ大統領は就任直後から、それこそ世界に見せつけるようにして大統領令への署名を連発して見せた。地球温暖化に対処するために各国が苦労して築き上げた国際的枠組みからは脱退するという。むしろ挑発するように、アメリカ国内の石油資源を「掘れ、掘れ、もっと掘れ」と掛け声を忘れない。また、WHO・世界保健機関からも脱退するという。アメリカは最大の資金拠出国なのに、中国が勝手にふるまうのが気に食わないという。国際協調など眼中にない。やるなら1対1でやるから文句を言うなと言わんばかりである。

 4年前の連邦議会襲撃事件で訴追された人たち(ほとんどがトランプ支持者だ)は、恩赦によって檻の外に出すという。確かに大統領権限の内なのかもしれないが、法治国家である限り程度というものがあるのではないか。一方で、自分に忠誠を誓わない中央官僚は疎外することを明言している。そして、不法移民は史上空前の規模で祖国に追い返すと強調している。祖国での非人間的な扱いに耐えかねてアメリカにわたってきた人の事情など、この指導者には興味がないらしい。アメリカには男性と女性の2つしか性別はないと言い切り、性的少数者の権利を広げてきたたくさんの人たちの努力を台無しにする。
 つまりは、オレは言いたい放題に言うし、やりたい放題にやるから見ておけということなのである。ちなみに、See What Happens.(まあ見ていろ)というお気に入りのフレーズは、彼の演説を聞くと何度も出てくる。

 僕らが常識として身に着けてきた「モラル」というものを完全に超えている。せめて「自分勝手はだめですよ」、とか「人さまの意見もちゃんと聞きましょう」という最低限のモラルは、昭和の日本に育った僕のみならず、ほぼ人類共通の規範であるはずだ。だからこそ、フーテンの寅さんは「それ言っちゃあおしまいよ」と人をたしなめるのだ。だが今は、「それを言っちゃあおしまい」なことを、あろうことかアメリカの大統領が平然と言ってのけ、やってのける。

①

 トランプ大統領の就任演説を、僕はトランプ支持者が集まるレストランで聞いた。何度か彼の演説を聞いたが、言うことはほぼ同じだ。トランプ支持者ならば僕の数倍は聞いているであろう演説なのに、彼らは決して飽きることなく、同じツボで爆笑し、同じツボで大歓声を上げる。一種のファン・ミーティングだ。
 支持者たちの興奮に同調することなく、ひとりだけパソコンで何かの仕事をしながら、演説をちらちら見るだけの男性を見つけたので話を聞いてみた。この「判で押したみたいな」熱狂の正体は何なのかと。物書きをやっているというその男性は、「まあ、政治はアメリカ人にとってはスポーツみたいなものだからさ」と言った。

 わかったような気がしたし、わからないような気もした。スポーツ、とりわけ野球好きの僕は、例えば
最終回裏の攻撃、一打出れば逆転サヨナラのような場面では、それこそ判で押したように興奮する。しかし、アメリカの、さらに言えば世界の命運を握る大統領を見るとき、おのずと違ったまなざしを向けることが、やはり必要なのではないか。

②

 日系アメリカ人の著名な政治思想家で、自由と平等を重んじるリベラルな民主主義こそ、あるべき政治が最終到達点だと説くフランシス・フクヤマ氏にインタビューした。フクヤマ氏は、形だけの民主主義では、強権的な指導者を生む可能性も、社会の分断を招く危険性も避けられないと言う。そして、分断こそ今のアメリカの最大の弱点だとしたうえで、アメリカ国民がトランプ氏を再度選んだことは、民主主義が後退局面に入っていることを意味するという。
 「それでも」と、フクヤマ氏は続けた。「アメリカの民主主義の復元力は強い。アメリカの民主主義はトランプ時代を乗り越えていくだろう」。

 僕もそう願いたい。世界のリーダーたる自覚も気概も失った超大国が、最大の内向き国家になることは、世界にとって悲劇だからだ。しかし、少なくとも僕の目から見たアメリカは、望ましい方向に進んでいるとは到底思えない。
 僕はアメリカの大統領に対して、あるいは選挙という尊い行為によってトランプ氏を大統領に押し上げたアメリカ国民に対して失礼が過ぎたかもしれない。フーテンの寅さんに「それを言っちゃあおしまいよ」と叱られるかもしれない。
 しかし、飛行機が東京に着いてからこのコラムを書けば、経過した時間と距離の分だけ、妙に自分が冷静になっているかもしれない。自分の身体がまだアメリカにあるうちに、失礼を承知で正直な思いを書き残しておこうと思う。

(2025年1月21日 ワシントン・ダレス国際空港にて)

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