記者会見あれこれ
2025年01月29日

 記者になったのが40年前で、もう記憶もあいまいなのだが、テレビカメラも入った本格的な正式な記者会見として僕が経験した初めてのものは、岡山県警察本部刑事部長によるそれだった。
 実を言うと、その会見が行われた経緯には僕自身がわずかながら関わっていた。岡山で警察担当をしていた僕は、県内のある暴力団に対する警察の家宅捜索の情報をつかみ(賭博の容疑だったと思う)、カメラマンとともにその現場を押さえ、ちょっとしたスクープとしてローカル・ニュースで放送した。ニュースを見て激昂したと見られる若手組員が、当時のNHK岡山放送局にやってきて、あろうことか玄関ロビーにあった備品や展示物を竹刀で破壊したのだ。受付の職員などにケガがなかったのは幸いだった。

 当時、朝日新聞阪神支局で記者が殺害される事件があり、言論機関に対する暴力が大きな問題となっていた。刑事部長の会見は、記者クラブからの要請によるものか、県警側からの申し出だったのかは分からないが、岡山県警たたき上げの刑事部門トップの会見は、サツ回りの駆け出し記者だった僕には迫力を感じさせるものがあった。彼は「言論を妨害する暴力行為は断じて許さない」と、端的に、しかも力強いメッセージを発した。

 もちろん、こうした大々的な形でなくても、警察による発表は毎日あった。県警本部の一角に設けられた記者クラブの部屋には、入るとすぐに10人程度が座れる古いソファセットがあり、事件の発表などは担当課の課長や次長がでんと座って発表資料(当時は手書きだった!)をもとに説明する。記者が周りを取り囲んであれこれ質問するという形式で、これも記者会見の一種である。
 若い僕はその場で、地元紙のベテラン記者による話の引き出し方から多くのものを吸収した。県警幹部には、少なくともミスリードはしないという誠実さがあったし、捜査上明らかにできないことについての「はぐらかし方」からさえも、僕は多くのものを学んだ。何よりニュースの放送時間が迫っているときは、要領よくポイントを理解して急いで原稿をまとめなければなかったので、だらだらと時間をかけているわけにいかなかった。

 年齢を重ねて政治部で総理官邸を担当していた頃は、毎日午前と午後2回の官房長官会見が記者たちの必須業務だった。長官の個性にもよるが、事前に秘書官らが用意した文面を慎重に読み上げる答えが多い。しかし、長官の発言に個性や主張が入ることも少なからずあり、興味深いものがあった。
 一方で、政府側からの発表事項がなく、記者団にもこれといって問いただすネタがないとき、こんなやり取りで終わることもあった。平成10年前後の頃である。

官房長官「こちらから特段申し上げることはありません」。
…一同沈黙
幹事社記者「(後ろを振り返りつつ)よろしいですか?」
内閣広報官「会見を終わります」。
…一同解散

 いくら「ネタ枯れ」の日であっても、これでは国民の目となり耳となる記者としてはいただけないし、反省しきりである。
 ただ、かつてはこんな牧歌的な一幕もあったとはいえ、こうした記者会見は、権力を持つ当局の動きに透明性を持たせ、情報公開を迫るために、記者クラブ側が働きかけて実現させてきた側面がある。一方で、当事者側が伝えたいことがあるために、記者クラブに会見の開催を連絡してくる場合もある。企業の新製品開発をめぐる記者発表などは後者の典型だし、先述の岡山県警刑事部長の当時の会見は、両方の融合形と言えるだろう。
 いずれにせよ記者会見というのは、会見を行う側と質す記者の側という、いわば川の対岸に存在する両者によって成り立つものであり、それは民主的で自由な言論空間の確保のためには欠かせない、社会の大事なピースだと思う。

 こんなことをつらつらと思い返したのは、1月27日から28日にかけて、10時間を優に超える長時間にわたって行われた、フジテレビの記者会見について考えるところがあったからだ。それは29日の放送中に述べたが、会見が異様ともいえる長さとなったのは、フジテレビ側と、もう一方の主役である質問者側の双方に問題があったからだと思う。
 フジテレビ側の発言は、「人権意識の不足」がもたらした具体的な影響や、最高実力者である日枝相談役の不在について、説得力のある答えがなかった。そして、そもそも1回目の閉鎖的な会見から続く、フジテレビ側の仕切りはとても褒められたものではなかった。
 一方で、質問者の側には、自説を長々と述べたり、ヤジを飛ばしたり、感情的な発言を繰り返す人がいた。僕は午前1時半くらいまで見たが、最後は会見の場というより双方の消耗戦のようだった。質問者側について言えば、記者会見も取材の場である以上、たとえ批判の対象であっても、取材相手に対しては一定のリスペクトを払うのが取材者としてのマナーだと思う。

 一連の問題は、中居正広氏と女性のトラブルを報じた週刊文春が、昨年12月の記事について訂正と謝罪を行うなど、事態が複雑な展開をたどっている。
 ただ、今の時点でいえることは、10時間を超える会見では失われたものも多いということだ。フジテレビは、予定していた他の番組を飛ばし、自社の会見を地上波ですべて放送した。自戒を込めた番組編成の決断だったのかもしれない。だが、本来、世の中で起きる様々な事象を伝えたり、娯楽を提供したりするテレビ局の役目を、この日は完全に放棄してしまったことは忘れてはならない。

 そして、この日は大阪地検の元検事正が、女性検事に対する準強制性交罪に問われた事件をめぐり、被害女性の支援者が厳正な捜査などを求める約5万9千筆に上る署名を法務省などに提出した。女性検事が記者会見して、「検察は個人による事件と矮小化せず、組織の問題として向き合うべきだ」と涙ながらに訴えた。
 報道ステーションではこのニュースも伝えたが、項目の順番は後ろの方にせざるを得なかった。同じ記者会見であっても、時間も規模も、フジテレビのそれには比べるべくもない。しかし、女性検事によるこの記者会見は、非常に勇気を要するものであったことは想像に難くない。
 報道に携わる者として、そうしたニュースの重みを忘れまいと思う。

(2025年1月29日)

  • mixiチェック

2025年1月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031