プロは首周りで知る
2022年05月09日

 「やせましたね。首回りが細くなっている」と、僕を担当してくれているスタイリストの女性にそう言われた。うれしい。
 決してビジュアル系ではない僕を、テレビに出しても恥ずかしくない程度にまでブラッシュ・アップしてくれる職人が、こうしたスタイリストやメイクアップ・アーティストたちである。同じ日、メイクの女性にも「少し顔がシュッとしてきましたね」と言われ、「いよいよ本当にやせてきたぞ」と手ごたえを感じた。体重計は僕にとって長年、その都度がっかりさせられる、好ましからぬ存在だったが、久しぶりに勇気を出して乗ってみようかしらん。

 理由は自分では分かっていた。なにしろ、よく歩いているのである。最近は、気がついたらもう2時間も歩いていた、なんてのはざらだ。余計な脂肪が落ち、「シュッと」しても不思議ではないのだ。
 その長時間の散歩だが、実は僕が努力家でエライというわけでも何でもない。もともと散歩は嫌いではないが、このところ特によく歩くようになったのは、ウクライナ情勢をはじめ、切ないニュースが多すぎるのが理由である。情報を整理し、どう伝えるかを始終考えていると、内容が内容だけに、だんだんしんどくなってくる。当事者の胸中はいかばかりだろう。伝える仕事だけでもこれだけ消耗するというのに。
 朝起きると、心も体も、いつにも増してどんより重く感じる。でも、一念発起して外に出ることにしている。

 その都度、やっぱり外に出てよかったと思う。
 歩くと、頭に風が入ってきて気持ちが広々としてくる。心に余白が生まれる。すると昔のことを突然思い出したりする。
 小学生のころは忘れ物の常習犯で、休み時間にダッシュで家に取りに帰るのは日常茶飯事だった。学校では禁じられていたのかもしれないが。
 「また忘れ物?」とあきれ顔の祖母の声や表情が、なぜかよみがえってきた。その忘れ物というのが給食係のかっぽう着で(自分の週が終わると洗濯して週明けに次の係に渡す決まりになっていた)、急いで学校に戻ろうとしてもやたら手足にまとわりついていたな、というようなちょっとした感覚が呼び覚まされたりする。
 歩くうちに時空を超えてしまった感覚だ。人間の脳というのは不思議だ。
 あの頃のように走れるだろうか、と突然走り出してみる。おっ?意外と走れるじゃないか、などとひとりでニヤニヤしている。

 歩いていると、興味深いものを見つけたりもする。ある路地に、ずいぶん古びてはいるが、気合の入った看板があった。「犬の糞をさせるな」と大書されている。「糞」には「ふん」とかなまで振ってある。
 その看板の主は、たびたび門前に放置される茶色い物体に堪忍袋の緒が切れたのだと察せられる。しかし、文面の何かがひっかかる。
 看板を書いた人は、「犬の糞」をさせるなと言っている。犬じゃなければ許されるのか。「猫の糞」はどうなのだろうか。猫はそんなところではしないか。「ウグイスの糞」なら美容にも効果があるそうだから良いのだろうか・・・ほとんど言いがかりに近いが、脳みそが悪乗りをしだすと僕はもう止まらなくなる。
 だとすれば、「犬に糞をさせるな」が正しい表現なのだろうか。「の」を「に」に変えるという戦術である。しかしそれでは犬がかわいそうだ。飼い主が、「ここはなんとか我慢してね」と犬に説得したところで、犬も「ワン」と納得はしないだろう。
 となると、看板の主はどう表現すればよかったのだろう。自治体などではどのように注意喚起しているのだろうか、などと考えて近くの公園まで看板を探しに行ったりする。いやあ、日本語って難しいな、などと思いつつ。
 ちなみに、立ち寄った公園では「犬のふんは持ち帰りましょう」とイラスト入りで看板が立てられていた。「まあ、そんなもんだろうな」と納得しつつ、墨痕鮮やかに描かれた例の看板の不思議な説得力に改めて思いを致した。

 そんなあれこれを考えたり突っ込みを入れたりしながら朝から歩き回っていると、2時間なんてあっという間に過ぎてしまう、という次第なのである。
 時間をかけすぎかもしれないが、煮詰まりそうな頭が解放され、「よし、きょうも仕事がんばるぞ」とすんなり気分転換できるのだから、僕にとって必要な時間であることは間違いない。

 今週も重いニュースが並びそうだ。
 きょう(5月9日)はかねてからウクライナへのロシアの侵攻の節目となると言われてきた、ロシアの対独戦勝記念日である。プーチン大統領は何を述べるのか。何より、罪のないウクライナ市民の犠牲はこれからも続くのか。
 北海道・知床沖の観光船事故は、捜索と捜査がどこまで進むのだろうか。
 そして、山梨県の山中では人の骨や衣服が相次いで見つかっている。胸の痛むこの出来事は解明が進むのだろうか。

 今週も、こうしたニュースを丁寧に伝えていかなければならない。その役割を担っているのだから、僕自身が丁寧な日常を心がけ、平静を保たなければならない。
 仕事に出かけるにはまだ時間がある。きょうも歩こう。心と身体に新鮮な空気を取り込みながら、毎日を積み重ねていこう。

(2022年5月9日朝)

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