エッセイアンソロジー「Night Piece」
-
世界の中心が変わった、子猫が来た日の初めての夜(若菜みさ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 若菜みさ(わかな・みさ) 2001年3月8日、長野県産まれ。2016年、SMAオーディション「アニストテレス」ファイナリスト。2021年よりフリーで画家として活動を開始、2023年5月に初の個展を開催。現在は総合24万人のフォロワーを抱え、自身のコラムや動画発信など幅広く活動を行っている。 Instagram:neko_ne_ko1/ misa_art38 X:@Neko_ne_ko1 人間は自分のことを人間と信じてやまず、まさか自分が宇宙人だとは疑いもしないのだろう。 動物から見たら、この世で最も摩訶不思議なのは人間という生物の存在であり、その姿はまさしく宇宙人そのものであると私自身は感じる。 今から書くのは3年前の5月、子猫を迎えた夜のことだ。 その日は、家の近くにあるビリビリに破壊されたカラーコーンも、営業しているところを一度も見たことがない歯医者も、なにもかもが私に拍手と歓声を送ってきているようであった。 家族を迎えるということが、これほどまでに光を帯びることだとは想像もつかなかった。 家に到着したのは20:00ごろだった。 ほんのり肌寒く心地のいい、夏の序章の最中にいた。 いつもよりもドアを静かに開け、できるだけよけいな音を立てないように靴を脱いだ。 リビングに着くなり、子猫を入れたバッグをなるべく傾かないように肩から降ろし、そっと床に置いた。 「大丈夫だよ」と声をかけながら、ファスナーのつまみを静かに、丁寧に、ゆっくりと横にスライドさせた。 だんだん奇妙な緊張感が走り始めた。 人を上げることは一切ない部屋に、子猫が解き放たれる日が訪れるとは。 あまり近くにいないほうがいいかもしれないと思い、子猫が出てくるまで少し離れた距離から見守ることにした。 それでもしばらく出てくる様子がなく、相当おびえているのだと察した。それはそうだろう、私だったら急に巨大生物の家に到着したら死を覚悟する。 のちに「スンスン、スンスン」と音が聞こえ始めた。 子猫は大きな目で周囲を確認しながら、バッグから体を出し、ゆっくりとおぼつかない足取りでフローリングの上を歩き始めた。 「よちよち」という効果音がこれほどまでにマッチする光景を見たことがあっただろうか。 肉球の色は柔らかなピンクで、全身を覆う毛は幻のように白かった。 子猫のまんまるな眼は、いかにその魂が純粋であるかを私に魅せつけてくるようだった。 部屋に落ちていた私の服が気に入ったのか、ピンクの鼻先をぴくりぴくりとさせながら何度も匂いを嗅ぐ、かと思ったら突然奥歯でギシギシと噛み始めた。 なんてかわいくて、意味不明なのだろう。 困惑と興味のせめぎ合いの中で、何から手をつけるべきかわからない様子にも見えた。 嗅いでは、飽きたかのように次の物を嗅ぎ、また飽きた様子で別の物を探す。 このときは、まさかそれが猫のスタンダードであるとは想像もできなかったのである。 2時間も経つと、子猫はだいぶなれなれしくなった。まるで最初からここに住んでいたかのような態度で、私が招かれた側なのだと錯覚をするほどであった。 腹を仰向けにして寝転がったり、イヤホンを破壊したり、思い出したかのようにトイレをし始めた。 本来ならイヤホンが壊れることは嫌だが、そんなことがどうでもよくなるほどに猫のすべての行動がおもしろく、怖いほどに魅力的だった。 尻尾がふにょん、ふにょん、と動いたり、時々耳がぴくっと横に傾く。すべての動作には同じ地球に産まれたとは思えない違和感があった。 そもそもなぜこんなに小さいのか、なぜこんなにかわいいのか、その尻尾は自分でかわいいとわかっているのだろうか。 愛おしいという気持ちは、時間をかけずとも案外すぐに湧くものなのだろうか。 そういえばこの子はまだ生後2カ月だ。 地球の姿も知らないのだろうし、世界のことも何も知らないはずだ。 この場所は私にとっては家、しかしこの子にとっては世界のすべてになるだろう。 5畳の部屋は世界にしては狭く、薄暗く、なんだかものすごく寂しい。ベッドと、キッチンと、トイレ以外に何もない。牢屋に少し課金したような部屋だ。 この子が、もっと広い部屋で走り回ったり、ゴロゴロしたりする姿を単純に見てみたいと思った。喜んでくれるかわからないが、生き生きとした姿を見られれば誰よりも私が満足するだろう。 その日の夜、ベッドでアニメを観ていた。 すると子猫が私の膝の上に乗っかってきて、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。 私の膝の上で安心してくれているのだろうか。なんだか愛おしさとうれしさと視覚的なかわいさとで、壊れそうなくらいに気持ちが高まった。 脚に変な感覚が走った。 同じ体制で座っていたせいで、脚と腰に絶妙な痛みと不快感を感じ始めた。 じわじわ、と何かが骨を蝕んでいくような、鈍い不快感だった。次の瞬間ズキーン!と強い痺れが身体中を巡った。 私が動けば子猫が起きてしまう。 今日は一日疲れただろう、ようやく眠れたのに私の都合で起こすことはできなかった。痺れた足腰から意識を逸らして、そのままじっと耐え続けた。 ふと、おかしな気持ちになった。 自分の足腰のことよりも、この子にいい夢を見てほしいと思う気持ちが優先しているではないか。あんなに自己中心的だった私が、自分ではない何かを想って、しっかりと遠慮しているのだ。 そのとき、私は私が自覚している以上に大切な何かを得たのではないかと感じた。 それがたまらなくうれしくもあり、偉大な力のようで怖くもあった。 カーテンをめくって窓を見ると、外はもうすっかり深い夜の色になっていた。 いつもならば、ひとりで考え事ばかりしてしまう窮屈な夜を過ごして、朝が来そうになると焦り始める、むごいルーティンがあったはずだ。 その晩、小さな部屋の中で夢を見た。 それは幻想や無自覚に見る夢などではなく、子猫とのこれからの生活や、未来を自分の胸で描いた、本当の夢だ。 おやすみ、と明日も明後日も、1年後もこの子に伝えることができて、一緒に朝を迎える未来が今日この瞬間から始まったのだ。 ダイヤモンドのような夜だった。 あれから3年が経った今、もう1匹家族が増えて、ずいぶんと愉快になった。 朝は猫たちが暴れる音が目覚まし時計だ。 そしてこれを書いている現在、猫が「なぜ、撫でない?」とわかりやすく苛立った目でプレッシャーを与えてきている。 猫、君たちにとって私たち人間はどんな存在なのだろう。宇宙人か、大きな猫か、親か。 魂の大きさや、脳の仕組みが違っても、幸せを共有し、感情を伝え合うことはじゅうぶんに可能だと猫が教えてくれた。 きっと我々は人間同士であっても、本質的には宇宙人同士なのだろう。 私にとって君たち猫は、宇宙生物である。 猫が宇宙生物なら、私たち人間も宇宙生物であるはずだ。 文・写真=若菜みさ 編集=宇田川佳奈枝
-
一歩近づいたあの日の目標、不器用な優しさに涙した夜(青戸しの)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 青戸しの(あおと・しの) 神奈川県出身・ライター兼モデル。2018年夏から被写体としての活動を始め、自身やカメラマンのSNSに写真がアップされると、そのつかめない表情や雰囲気、かわいさからすぐに話題となり人気が急騰。最大で月間100件以上の撮影依頼の問い合わせがある人気モデルとなり、ポートレートモデルの先駆け的存在として雑誌で特集が組まれるなど業界から注目を浴びた。go!go!vanillas「パラノーマルワンダーワールド」のMVにてヒロイン役を務めるなど演技の活動もする一方で、『小説現代』(講談社)にてミステリー小説の書評連載を務めるほか『ar web』(主婦と生活社)では乙女の憂鬱をテーマに恋愛コラムの連載も担当、映画の感想コメントを提供するなど、ライターとしても活躍の幅を広げている。 Instagram:aotoshino_02 TikTok:aotoshino_02 X:@aotoshino_02 記憶に残り続ける言葉や、夜は案外短く、とてもシンプルだったと思う。 シュークリームを3つ抱えてバス停から走る。 息切れしながら玄関を開けると「ただいま」と言うよりも先に「おかえりー!」と大きな声が聞こえた。 その日は久々の帰省だった。 リビングのドアを開けると、炊き立てのご飯の匂いがしてぐーっとお腹が鳴る。 「今日は米何合食べて帰るんか」 出会い頭、父に意地悪を言われた。 久々に会った娘への第一声がそれか!と思いつつ父なりの愛情表現でもあるので、「5合」と冗談で返すと「大丈夫! 2回お米炊くから!」とキッチンから母の真剣な声が聞こえた。 振り返ると手の込んだおかずが机いっぱいに並べられていて、とても冗談だとは言えなくなった。 私の実家では「もう勘弁してください……」と言うまで追加の料理が出てくる。 もしかしてあの冷蔵庫は異空間にでもつながっているのだろうか……? 満腹になってソファに横たわる私を横目に、父は「お風呂」と言ってリビングをあとにした。 昔から20時になるとお風呂に入って、そのまま寝るのが日課なのだ。 『金曜ロードショー』で観たい映画が放送される日はどうしているのだろうか。 そもそも好きな映画とかあるのだろうか。 私は食事中にひととおり近況報告を済ませていたが、父は相づちを打つのみであまり自分の話をしない。 「お父さん相変わらず淡白だね」 「そう? だいぶ変わったと思うけど……」 特段変わった様子は見当たらなかった、白髪が少し増えたくらいだ。 「え〜、たとえばどこが?」 お母さんはお土産のシュークリームをかじりつきながら昔から変わらない、優しい笑顔で言った。 「お風呂から上がる前に、お父さんの部屋のぞいておいでよ」 言われるがまま、私は数年ぶりにそっと父の部屋に忍び込んだ。 相変わらずきれいで、ホコリひとつない。 ホテルのように整えられたベッド、無駄なものがないシンプルなデスク。 お父さんも私と同じO型だよな……?と改めて血液型占いの信憑性を疑っていると、デスク横の棚に並べられた時計と靴が目に入った。 どちらも私がプレゼントしたものだった。 よく見るとビジネス書が並べられていたはずの本棚には、私が連載している雑誌が隙間なくきっちりと並べられている。 母の言っている意味が、久しぶりに入ったこの部屋にぎゅっと詰まっていた。 この歳になってまで父に泣かされるのが悔しくて、あふれそうになる涙をグッとこらえる。 正直、自信がなかったのだ。 今も昔も、自慢の娘でいる自信がなかった。 大人になってから、忙しさを理由に何カ月も会わない日々が続いたり、誕生日に連絡するのを忘れたりすることもある。 実家に顔を出すのもたいていが落ち込んでいるときで、せっかく作ってくれたご飯をひと口も食べられない日もあった。 父はそんな私を、責めたことは一度もなかったけど、口に出して慰めることもしなかった。 その距離感が居心地よくもあり、ずっと不安でもあったのだ。 言ってくれればよかったのに、「いつでも見てるよ」と、もっと早く教えてくれればよかったのに。 肝心なところが変わっていない、昔から優しさが不器用さに隠れてしまう人だった。 「お父さんね、大事なお仕事がある日は必ずしのがプレゼントした時計をつけて出勤するんだよ」リビングに戻ると、内緒ねと母が教えてくれた。 「雑誌は発売日に買ってくるし、しのが帰ってくる日は、張り切って買い物に連れて行ってくれるんだから」 わかってはいたけど、うちの冷蔵庫は異空間につながっているわけではなかった。 さっきまで「まだ食べるのか」と文句を言っていた父がなんだかかわいく思えてくる。 「いらんこと言わんでいい」 お風呂から上がった父が珍しくリビングに戻ってきた。 母はしまった!という顔をしてキッチンへ逃げていく。 どうしたらいいのかわからず「そろそろ帰ろうかな……」とその場から逃げ出そうとする私に、父は「送ってやろうか?」と言った。 「え?いいの?」 「車出してくるから待ってろ」 母からたくさんのお土産を受け取り、父の車に乗り込んだ。 車内はYOASOBIの「夜に駆ける」が流れている。 「お父さんYOASOBIとか聴くんだ」 「若い子は聴くらしいな」 返事になっていない。 私が知っていそうな曲をかけてくれたのだろうと、都合のいい解釈をした。 「時計、新しいのプレゼントしようか?」 飾られていた時計は数年前にプレゼントしたもので、今ならもう少しいい物を買ってあげられる。 父はしばらく黙ったあとに 「いい、あれが気に入ってる」 とまっすぐ前を向きながら答えた。 「そっか」 話したいことがたくさんあるのに夜景はぐんぐん進んでいく。 少しでも車をゆっくり走らせてほしかった。 まだ実家に住んでいたころ、父は今よりずっと怖く見えていた。 仕事であまり家にいなかったし、口数も少ない。 当時の私は休日に父とふたりで過ごしても、何を話していいのかわからず、窮屈に感じていた。 「またすぐに帰ってくるね」 今の私にできる精いっぱいの甘え方だった。 口下手なのは父に似たらしい。 「いつでも帰ってこい」 たったひと言、ぶっきらぼうで淡白な返事だったけど、明日からも踏ん張って生きていくにはじゅうぶんすぎる言葉だった。 きっとこれから挫折することもあるだろう。 泣きながら過ごす夜もあるだろう。 それでも、この先どんなに苦しいことがあっても大丈夫だと、そう思えた。 運転中の父の横顔は昔よりずっと穏やかで、若くはない。 数年後にはあの殺風景な部屋を私でいっぱいにしてみせる。 新しくできた目標を胸に、眠りについたあの夜を私はきっと忘れない。 先日、実家に帰省すると花と一緒に『週刊プレイボーイ』が玄関に飾られていた。 ご丁寧に私が掲載されているページが開かれている。 「玄関に飾るのはやめてよ……」 母に頼み込むと「俺の部屋にもあるぞ」 と父が部屋から2冊目を持ってきた。 ギャグのような光景に思わず吹き出す。 今日もまた、あの日の目標に一歩近づいた。 文・写真=青戸しの 編集=宇田川佳奈枝
-
たどり着いた真夜中の終着駅。人生で最もスリルを感じた夜(鳥飼 茜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鳥飼 茜(とりかい・あかね) 漫画家。1981年生まれ、大阪府出身。2004年に『別冊少女フレンドDXジュリエット』(講談社)でデビュー。代表作に『おんなのいえ』(『BE・LOVE』/講談社)『先生の白い嘘』(『月刊モーニング・ツー』/講談社)『地獄のガールフレンド』(『FEEL YOUNG』/祥伝社)、『サターンリターン』(『週刊ビッグコミックスピリッツ』/小学館)など。 指を折り数えると身震いしてしまうのだが、あれはもう20年近く前なのだった。そのころ私はアルバイト兼自称漫画家で、雑誌に載った読み切りの原稿料を投じて、ニューヨークの街に乗り込んだ。ただ旅行に行っただけだが、興奮していたし、この上ない緊張感と不安でいっぱいだった。 海外では音楽を聴くくらいしか能力を発揮しないガラケーと、地球の歩き方と銘打たれた地図つきのガイドブックを携え、初めての海外ひとり旅だった。 踏み切れたのは、バイト先で偶然出会ったひと組のカップルと、古本屋で知り合ったアメリカ人学生がどちらもニューヨーク在住で、ニューヨーク未経験の私に遊びに来なよ!と誘ってくれたからで、若く厚かましい私はその親切になんのうしろめたさもなく乗っかったのであった。 英会話が得意なわけでもないし、20代前半の臨時収入なんて知れている。ホテル代は彼らの親切で無償だったので、予算は飛行機代と、毎日の食事代だけでギリギリだったはずだ。 そんな丸腰でよくぞ無事に帰ってこられたと今となっては感心する限りだが、人生で最もスリルのある夜を経験したのもこのときだ。 同じニューヨークといえど、彼らの自宅はマンハッタンとブルックリンという2カ所に跨っていた。そこを行き来するのに、移動は専ら地下鉄である。 当時のニューヨークは、大きく変化を迎えたばかりで、若く無知な外国人の自分にも地下鉄が利用できるくらいには治安がよくなったらしかった。それでもブルックリンにはまだまだ危険の多い場所があり、地下鉄で往来するということ自体相当なスリルがあった。 その日は友達がブルックリンでのパーティーに誘ってくれて、夜中過ぎに解散となり、私は宿泊させてもらっているマンハッタンのカップルの家までひとりで帰ることになった。 ニューヨークではひと晩中、電車が走っている。昼間の移動には少し慣れてきていたが、初めての路線で深夜にひとりということもあって、緊張もひとしおだった。身も引き締まるところだが、普通の人と違って、私は「緊張するほど慎重さを欠く」というたいへん難儀な性質なのである。 何度も念押されたはずの乗り換えをスコンと忘れ去り、終点へ向かう深夜過ぎの地下鉄車内はどんどん人気が少なくなっていた。何かがおかしい気がするが、自分が間違っている確証が持てない。電車内に表示されている路線図は簡素化されすぎていて、自分がどこに運ばれる予定なのかがわからない。よけいな動きをして無駄に失敗を重ねるくらいなら、とにかく確実に結果がわかるまでこのまま電車に乗っていようと思った。 深夜1時を過ぎたニューヨークの地下鉄の乗客は次々と帰路につき、怪しいと感じた時点で車両には私だけだったと思う。駅が進むにつれどんどんノイズが薄れ静かになっていく。少なくとも聞き覚えのある地名が出てきてくれれば少しは安心するかもしれないのに、などと根拠のないことを思い始めたとき、電車はとうとう終着駅に到着した。アナウンスを聞いて、かるく戦慄した。「ワールドトレードセンター」。世界を震撼させた前代未聞のテロ事件からまだ数年、何度もニュースで耳にしたあの場所に、深夜2時前、私はたったひとりで降り立った。 あらかじめ知ってのとおり、ここは世界屈指のビジネス街である。東京のそれと同じように、真夜中を過ぎたビジネス街に用事のある人はほとんどいない。際立って静かなのは単にそれだけが理由のはずだが、地理的にも終着点であること、そしてさらに、この場に惨禍に見舞われた無数の魂が眠っていることを思うと、静寂と闇が膨張し、地下鉄構内をかろうじて照らす電気を今にも飲み込みそうな気配を感じた。ここは、都会の夜の端っこだ。 私は完全なパニックから、まずホームに降り立った人の中に女性ふたり連れを見つけ、藁にもすがるように声をかけた。話しかけてどうなるわけでもないが、誰かに優しくしてもらわないと不安で仕方がなかったのだ。果たして、どうなるわけでもなかった。彼女たちも旅行者で、私が戻りたい場所への行き方を知らなかった。彼女たちにとってはここが目的地なので、当然のように地上へと掃き出されていった。 私もいっそ地上に出て、タクシーでとにかく帰るという選択肢も考えたが、タクシーが体よく捕まらなかったときのことを考えると、地上よりも地下鉄構内にいたほうがましなのではないかとまごついた。 私は完全なひとりだった。 ニューヨークではひと晩中電車が走っていると書いたが、時刻表などはない。従って、次の電車はだいたい何分置きに来るとかいう予想もできない。夜中になると本数が減ること、ホームで待つときはカメラのある場所にいること、という友人からの教えが思い出された。ここで屈強な、何か悪いことを企んでいる人間と鉢合わせたら私は死ぬ、冗談抜きでそう思った。 人がいるところを必死で探し、改札口に駅員を探すが乗客どころか駅員さえいない。こんなの終夜営業といえるのか?と怒りすら覚えた。ようやくホームの端で黙々と線路の改修工事をしている移民系の男性を見つけ、事情を片言ながら説明すると、ここで待っていればいつかは電車が来ると言われた。いつかはわからないけど、と。 人がいるということに、こんなに救われたことはない。電車が来るまで、オレンジの光に照らされた一角の、彼の工事作業をただ呆然と見つめていた。外国の、自分とは本来関係のない場所に立って、見知らぬ人の作業を眺めながら私はいつ来るか知れない真夜中の電車を待っていた。 簡単に考えればわかることだが、どこかで乗り換えを忘れて終点にたどり着いたのなら、降りずに折り返し、正解の地点で乗り換えれば済むだけのことなのだった。おそらくほんの十数分後のことであろう、折り返しの電車はやってきた。今度は無事降車した乗換駅で、心配をかけているであろう宿主に手持ちのコインで公衆電話をかけ、ただ今帰路についている旨を説明した。説明しながら、なんと無駄な冒険だったことかと笑いが込み上げてきた。電話口の宿主も笑っていた。 よけいな不安を不注意から創作して盛り上がっただけの一夜だった。 慌て、窮し、考え、自ら何かを解決したようで、実はどうということもなくゼロ地点にいただけのような話だ。 くだらなくも、自分にとっては相当に映画的な夜の顛末であった。 GoogleマップとSNSとタクシーアプリがあればこんな経験はきっとしないで済むであろう。 忘れられない夜になったが、二度と再現できない夜はすべて忘れられない夜である。 戻ってこないもの、場所、人、それらが偶然ひとところに集まった夜を我々は日々更新中なのだが、忘れられない夜となるのはそれらが過ぎ去り、手のうちからこぼれてしまったあとなのだ。 文・撮影=鳥飼 茜 編集=宇田川佳奈枝
-
“好き”を貫く大切さに気づいた、神様と出会えた忘れられない夜(阪田マリン)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 阪田マリン(さかた・まりん) 2000年12月22日生まれ。昭和カルチャーが大好きで“ネオ昭和”と自ら命名し、ファッションやカルチャーを発信する人気インフルエンサー。数々のメディアや企業からの出演オファーが殺到中。SNSでの総フォロワー数は約23万人。同じくZ世代で昭和歌謡に精通するシンガーの吉田カレンとタッグを組み、世に放つ懐かしくも新しいネオ昭和歌謡プロジェクト「ザ・ブラックキャンディーズ」を結成。昭和98年4月29日にシングル「雨のゴールデン街」でデビュー。 私の忘れられない夜はなんだろう。 思い浮かべるとあの日の出来事がすぐさま頭に浮かび上がった。 2022年8月14日に参戦した山下達郎(※敬称略)のコンサートだ。そのコンサートの話をする前に、この話をしたい。 私は70s、80sの音楽や文化や服装が大好きだ。私が中学2年生のときに祖母の家にあったレコードプレーヤーで、チェッカーズの「Song for U.S.A.」という曲を初めて聴いた。そのとき、レコードの仕組みや音質に影響を受けたことがきっかけで、当時流行っているものが見えなくなるぐらい“昭和のもの”に夢中になっていった。けれど中2の私はみんなと違うものが好きだということは“恥ずかしいこと”だと思っていた。仲間外れにされたらどうしよう……と。友達とカラオケに行ったとき昭和の歌を歌いたいはずなのに、歌えなかった。本当はとってもとっても歌いたかったのにね。 中学校の廊下には音楽ボックスというものが置いてあった──給食の時間に流してほしい音楽をリクエストできるというボックスだ。匿名でリクエストができるので私は紙に“山下達郎「クリスマス・イブ」”と書いて提出した。 それは真冬のことだった。給食の時間に「クリスマス・イブ」が流れた。私はうれしすぎて心の中でコッソリと喜んだ。みんなはこの歌にどんな反応をしてるだろう……知ってる人はいるかな? この曲を好きな人はいるかな?とまわりを見たが、みんな無反応で「誰の曲?」という感じだった。やっぱそうなるよなぁと。時代が時代だもんね。中学生の私は自分の好きなことを隠し、カラオケでも妥協をして流行りの歌をみんなに合わせて歌っていた。そんな私が高校生になるときに山下達郎の名言に出会う。 “新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」でも、それはウソです。自分の信じることを貫いてしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない” 私はこの名言を見てハッとした。 自分を貫くってどれだけ大事なことなんだろう。 それに気づいた私は高校からは好きなものを好きと言い、自分を隠さずに生活した。だけど、友達は全然私のことを忌避しなかった。むしろ「その趣味いいね!」と言ってくれたのだ。それから中学校生活と比べものにならないくらい高校生活は楽しいものとなった。最近は私の好きな昭和が仕事にもつながってきている。自分を貫き信じることの大切さを教えてくれた山下達郎。まさに私にとっての神様なのだ。 さて、コンサートの話に戻る。念願のチケット当選を喜び、友人とふたりで行く予定だったのだが友人がカゼをひいてしまい、私ひとりで参戦することになった。ひとりでコンサートに行くのは初めてだし、なんといっても山下達郎を生で観られるのはこの日が初めてだ。心臓がドキドキと飛び出そうで、手汗がびっしょりしていた。 少し早めに会場に到着し、グッズを購入した。もちろんカゼで行けなかった友人にもね。泣きながら悲しんでいたから(笑)。席に座ると私はこんなことを考えた。 「山下達郎は私の中で神様だ……本当に存在するのかな。この目で拝めるのかな。夢じゃないかしら」と。 まるでその場にいる自分が信じられなくなるぐらい、ふわふわとした気持ちになった。 山下達郎はどんなときでも私の心の支えだった。 失敗した日、成功した日、寂しい夜、うれしい夜、そんなとき、いつも山下達郎を聴いていた。 あぁ会場が暗くなった。 もうすぐ始まるのだ。息を呑む。 ジャカジャカジャンとギターの音が聞こえた。すぐにわかった。この曲は私の大好きな「SPARKLE」だ。そして山下達郎が登場した。 どうしよう、目の前が涙で滲んでぼんやりしている。登場してわずか5秒も経たないうちに、私は号泣してしまった。目をつむると大好きだった山下達郎の声や音楽を独り占めしているような気分になった。この曲はお父さんが教えてくれた曲で、小学校のころ毎年夏になると白浜の海水浴によく連れて行ってもらって、帰りの車の中で「SPARKLE」がよく流れていたのを覚えている。車の窓を全開にすると夕日とともにムワッとした風が入ってきて「曲が聴こえなくなるから窓を閉めて」とお父さんに怒られたのを思い出した。 山下達郎の音楽を聴くと、当時のいい思い出がアルバムを開いたときのように次々とよみがえってくる。私は中でも「Paper Doll」という歌がとても大好きで、(コンサートで)この曲を歌ってほしいな、とずっと願っていた。ツアーなので調べるとセトリも事前に見られるのだが楽しみが減るような気がして、あえて絶対調べないようにしていた。コンサートの中盤に差しかかったころ、なんと「Paper Doll」が流れ始めた。私はなんてラッキーなんだ。初めての山下達郎のコンサートで、私の一番大好きな曲が聴けるなんて。 いつまでも 一緒だと 囁いている 君はただ 手のひらに 僕を乗せ 転がしている だけなのさ Paper Doll 僕等の恋は まるでおもちゃさ 遊び疲れる時を きっと 君は待ってるんだ 僕は好きな女性に遊ばれている。と悟っているような、弱気な男性を描いた歌詞。こんなリリックどうやったら思いつくんだろう。改めて山下達郎の才能を身に感じながら大切に大切にこの1曲を聴いた。観客席のひとりがペンライトを振っていた。それに気づいた山下達郎は「僕のコンサートでペンライトを振ってる人いるんだね(笑)珍しいなぁ。ありがとう」と言った。わぁ……うらやましい。私もペンライトやうちわとか持ってこればよかったと後悔をした(笑)。一瞬で時間は過ぎ、コンサートは終わった。私の隣に座っていた3人組の女性たちはおしゃべりをしながら「あの曲がよかった」とか「ここは感動したね」とか楽しそうに語り合ってる。ひとりで来ている私はコッソリとその話を聞きながら「うんうん、たしかにそこ感動したわ」ニヤリと、心の中で共感したりしていた。ひとりでのコンサートは寂しいと思っていたが、集中して楽しむことができたし、会場みんなが一体となる感覚なので、ひとりもありだなぁと気づいた。 会場を出たのは21時ごろ。真夏なのにその日は少し涼しく、星が見えていた。さっきまで私たちの目の前にいた山下達郎。会場を出て外の空気を吸うと、やはり夢だったような気がしてちょっぴり虚無感に襲われた。やはりひとりでコンサートは寂しいかもと思った。楽しい時間は一瞬で過ぎるな。本当だったら今この帰り道、イヤホンをつけて山下達郎の歌を聴きながら余韻とともに電車に乗るのだが、私は我慢をした。 家に帰ってからリスペクトと愛を込めて、山下達郎のレコードに針を落とすのだ。そんな小さなこだわりや、少しの手間が音楽をよりいっそう輝かせる。コンサートの余韻に浸りながらあの夜、家で聴いた「SPARKLE」最高だったな。 忘れられない夜だ。 文・写真=阪田マリン 編集=宇田川佳奈枝
-
そこは美しい絶望の地だった──甘く、脆い夢を見た夜(伊東楓)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 伊東 楓(いとう・かえで) 1993年10月18日生まれ、富山県出身。大学卒業後〜2021年までTBSにてアナウンサーとして活躍。フリーに転身後、2021年3月に初の絵詩集『唯一の月』を出版、atmos千駄ヶ谷店にて個展『変化の兆し』を開催。現在はドイツに拠点を移し、アーティストとして活動中。 夜は美しく、優しい。 世の中の雑音も、涙が出るほどの愛おしさも、孤独も寂しさも、何もかもを私から奪い去ってしまう。 始まりだったのか、それとも終わりだったのか。 あの夜、私たちがたどり着いたのは 夢のように悲しく 夢のように輝きに満ちて 夢のように美しい絶望の地だったのか。 その答えは、まだ誰も知らない。 ドイツに移住してから、あっという間に1年半が過ぎて、振り返る暇もなく走っているうちに、多くのものを置いてきたように思う。それを実感したのは、1カ月前の帰国のときだ。 久しぶりの日本だった。飽きるほど見たはずの東京の夜は、まるで別人のように思えた。こんなにも騒がしく、煌々として、どこか他人事で寂しかっただろうか。太陽とともに寝て起きる、自然の流れに抗わぬまま生きるヨーロッパの生活が、思った以上に自分の肌になじんでいるらしい。 東京の部屋に着いてホッとひと息つき、ベランダに出た。そこには変わらない美しい東京が広がっていた。白く光るレインボーブリッジが遠くに見える。 いつ見てもこの景色は変わらない。何ひとつ変わっていない。そう思ったら、なぜだか急に、言葉にできない切なさが胸に押し寄せた。代わり映えしない景色が、たった一夜の出来事を甦らせた。レインボーブリッジを見つめ、ふたりでたくさんの夢を語り合ったあの夜を。そして私は、もう二度と取り戻せない何かを思い出していた。 ちょうど1年前。 今思うと、あのころの私は、旅立ちの前の静けさに嫌気が差して、新しい刺激を探していたように思う。 そんなある日。その人は「つまらない」とつぶやく私を、夜のドライブに誘ってくれた。 車窓から流れる眩い都会の光をただ見つめて、交わす言葉も少なく、聴き慣れた音楽とともに、私たちはあてもなく夜の街をさまよった。最終的にたどり着いたのは、東京湾の浜辺だった。実にベタな展開。でも、私にとってはどれも初めてのイベントだったから、ワクワクする気持ちと少しの照れ臭さで、なんだか落ち着かなかったのを覚えている。 まさかこの人とこんな場所に来るなんて想像もしていなかった。 強い風に体を打たせて、ふらふらと砂浜を歩いた。ふたりの間には優しい沈黙が流れる。頬に触れる風は冷たいのに、私の熱は冷めないように思えた。 私たちはアスファルトの段差に並んで腰かけた。目の前には、吸い込まれそうになるような漆黒の海が広がっている。聞こえるのは柔らかいさざなみの音と、どこかではしゃぐ若者の楽しそうな声。遠くに浮かぶレインボーブリッジの光が海面に反射して、ゆらゆらと揺れていた。とてもキレイだと思った。 ぽつり、ぽつりと、口からこぼれ始めたのは、未熟で道半ばで、鋭く光る自分だった。 叶えたい夢がある。そのために日本を出て、世界に拠点を変えた。先は見えない。頼れるのは自分の直感と、果てしない情熱だけだ。時に、堪え難い孤独が私を襲う。それでも、私はその先を渇望している。 あの人は、ただただ黙ってそれを聞いていた。そして、あの人のうつろう瞳の中に強い何かが見えた。 私の心に渦巻く、羨望と憧れ。 “早くあなたに追いつきたい、世界で何かをつかみたい” あの人の横顔を見つめながら、そっと心に火を灯す。そして、たどり着く場所が同じであればいいと、心から願った。私たちは、甘く、脆い夢を見た。 「ずっとこのまま、変わらず、そばにいて」 そのひと言が出かかって、飲み込んだ。熟していない果実を飲み込むような感覚だった。 変わらないものはない。私たちは常に変化の中で生きている。その事実を、私が誰よりも知っていた。だから、私にはたったひと言が言えなかった。悲しみとともに訪れたのは、透き通るような甘さと、穢れのないひと粒の希望だった。 あれから1年が過ぎた。 あの日のふたりは、もうどこにもいない。 そして、ふわふわと夢の中で理想を語る自分も、もうどこにもいない。 あのころ欲しかったものは、確実に少しずつ手に入って、永遠に暗闇の中で見えないと思っていた光が見えるようになった。同時に、私はいろんなものを手放してきたのだろう。夢のための代償は、最初から覚悟していた。それでも、こんなにも現状が変化していくなんて。過ぎ去った日々を思い返して、私は、まだ出ぬ答えを思い巡らせていた。 遠くの空が、次第に淡くなっていく。気づけば、静かで煌びやかな東京の夜が、もうすぐ明けようとしていた。 ああ、そうか。変わったのはほかでもない、私だ。 あの日のふたりに、偽りはひとつもなかった。あれもすべて真実だったと思う。しかし、私自身が先へ進むことを選んだのも、また真実なのだ。 あの日、あの瞬間、もしも違う選択をしていたら、私にも平凡な幸せが手に入ったのかもしれない。道が逸れてしまった今はもう、その答えは永遠にわからない。だけど、それでいいのだ。代わりに、私たちは別の景色を手に入れたのだから。 日が昇る前に、私は再び走り出す。 どんなにあのころが素晴らしくても、今以上に大切なものはない。うしろ髪を引かれるような思いも、孤独も、悲しみも、すべてをこの夜に置いていこう。未来への希望に胸を踊らせて、今は真っすぐに走り続けよう。 これから私が向かうのは、最も険しく、美しい最果ての地なのだから。 文・写真=伊東 楓 編集=宇田川佳奈枝
-
夢に見る初夏の香り、鮎が教えてくれた夜(大野いと)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 大野いと(おおの・いと) 1995年7月2日生まれ、福岡県出身。映画の撮影を見学しているところをスカウトされ、芸能界入り。2009年『週刊文春』のグラビア「原色美女図鑑」でデビューし、『週刊少年マガジン』の巻頭グラビアにも登場。2010年からは専属モデルとなった『Seventeen』をはじめ、さまざまなファッション雑誌で活躍。2011年、映画『高校デビュー』でヒロインに抜擢されスクリーンデビューを果たす。その後、舞台、CM、連続ドラマなど活動の幅を広げている。近年の主な作品は、ドラマ『インビジブル』『リコカツ』(TBS)、『真夜中にハロー!』(テレビ東京)、映画『高津川』、舞台『ウィングレス(wingless)翼を持たぬ天使』など。福岡県中間市のPR大使を務めている。現在、配信サービスLeminoにてオリジナルドラマ『放課後ていぼう日誌』が配信中。 私は鮎が好き。 魚の中で一番くらいに好き。 初夏が近づくと鮎が食べたくてソワソワしてきて夢に見ることもあるくらい。 そして先日、今年初めての鮎をこれまた鮎好きの友達に誘われて食べに行った。 鮎をひとりで5匹。食べすぎと思うかもしれないけど私としてはこれでもまだ遠慮している。2匹はそのままで3匹は蓼酢(たでず)につけて。それではまず塩焼きをそのままでいただく。カシュッと揚げるように焼かれた頭、わずかにこげて香ばしい皮目、ホクホクとして鮎独特の旨みをまとった身、パリッと焼けた腹びれ、そして鮎を鮎たらしめているほろ苦いお腹のワタ……それらの味が合わさって口いっぱいに広がり、そのあとに若草のような香りが鼻に抜けていく。はい、もうべらぼうにおいしいです、参りました。こうして今年も私は鮎の軍門に下るのである。 でも、これでまだ終わらないのが鮎のすごいところ。次は蓼酢につけて食べるのだ。そのまま食べても鮎は一番おいしい魚といえるかもしれない。ただ、蓼酢と合わさると鮎は一番おいしい魚から一番おいしい料理へと昇華される。あのピリっとして青くさい苦味のある蓼酢に鮎をつけて食べると、鮎の持つすべての味がより濃く華やかに鮮明に広がっていく。この組み合わせを考えた昔の人は本当に天才だと思う。 私は5匹、もちろん友達も5匹をペロっとたいらげたところにお店の人が来てこう言って褒めてくれた。 「まあ、5匹も食べられたんですか、本当に鮎がお好きなんですね。鮎は急流に負けず川を昇っていくので、鮎をたくさん食べる方は出世すると昔からいわれてるんですよ」 ふむ。遠慮して5匹、本当はもうあと3匹は食べられた私はどんな困難があっても乗りきっていけるってことだ、やったー! こうして、今年初めての私の至福の時間はあっという間に過ぎていったのだった。 と、ここまで鮎がどれだけおいしくて私がどれだけ鮎が好きかを書いてきましたが、“鮎が教えてくれた夜”はこの夜のことではないのです。 話は私がまだ20代前半だったころに遡ります。 その年の夏の終わり、私は新しい映画の撮影で島根県の高津川が流れる小さな町に来ていた。高津川は日本ではもう少なくなったダムのない清流で町は豊かな自然にあふれていた。 当時の私はまだ自分の演技に自信を持てず、このまま進んでいっていいのか漠然と将来への不安を感じていた。 私の役は、その町に住む私と同じくらいの歳の素直で優しい「七海」という名の女性だった。 最初は自分と似ているところもある役なのでなんとかやれそうと思っていたのだけど、うまくできない。七海ならこのときどんな表情をするのかなとか、考えれば考えるほど表面的な演技になってしまい、そんな不甲斐ない自分にひとりで泣いてしまうことも幾度となくあった。それでもなんとか諸先輩方にアドバイスをいただきながら必死でついていこうとしていた。 そんなある日、晩ごはんに高津川で捕れた天然の鮎が出てきた。私はそれまでにもスーパーで買ってきた養殖の鮎を食べたことはあったけれど、川魚のくさみが嫌で正直あまりおいしいと思ったこともなく、できるかぎり避けてきた魚だった。でもその日は肉体的にも精神的にも本当に疲れていて何も考えられずに出された鮎をただ口に入れた。「えっ、何これ? えっ、鮎?」そこに広がったのは、私が今まで食べてきたものの中で一番おいしいと思えるぐらいの鮮烈な味と香りだった。 その日の夜、布団の中で目を閉じると悩んでいたあるシーンが浮かんできた。 それは七海が祖母に「七海は鮎が食べたくて帰ってきたんじゃろ〜」と言われるシーン。昨日までうまくつかめなかった七海と祖母の気持ちが今ならわかる。あんなにおいしい鮎があるならそんな楽しい会話が自然と出てくる。 「そっか! 今まで私は七海を理解しようとして必死に七海を見てきたけど、それだけじゃダメなんだ。七海が見たり感じたりしてる世界を私も見たり感じたりしなきゃいけないんだ」 次の日の朝、私は高津川に行った。自然が豊かな本当にキレイな川で、ふと透き通った水の中を見ると数匹の鮎が泳いでいくのが見えた。子供のときに遊んだ山の風景とそのときのワクワクした楽しさが、そのときの感情を伴って心と記憶に広がった。 お昼には撮影場所に地元の皆さんがおにぎりを作って持ってきてくれた。そのおにぎりがおいしくておいしくて。別の日の夜には近くの神社にその地方に古くから伝わる神楽を観に行った。その荘厳さに心を奪われ、その美しい舞いをただただ見つめていた。帰りに地元のおじさんが「はい、これあげる」と言って焼きたての焼き芋をくれた。甘くておいしい、ありがとう! 私はいつしか「七海」になっていた。 高津川で食べた鮎の夜と、その日から始まる忘れられない体験は私を女優としても人間としてもちょっぴり成長させてくれた。 そして27才になった今もあの日々の大切な思い出は少しも色褪せずそっと私を支えてくれている。 追記 なんとその映画のお仕事でまた高津川に行けることになりました! いろんなことを私に教えてくれた高津川やお世話になった地元の方々にまた会えると思うとうれしくて涙がでてきます。 そして夏は鮎の一番おいしい季節! 日本一おいしい高津川の鮎をお腹いっぱい食べまくるぞ! 文・撮影=大野いと 編集=宇田川佳奈枝
-
最高の父に“ありがとう”。濃い夜はあと何度訪れるだろうか(池田レイラ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 池田レイラ(いけだ・れいら) 2005年3月1日生まれ、東京都出身。2016年に親子コンビ「完熟フレッシュ」を結成。日本テレビ『ぐるぐるナインティナイン』内の企画である「おもしろ荘」に出演し、その後さまざまなバラエティ番組に出演。最近では大学進学も話題となり、バラエティ番組やラジオなど、芸人・タレントとしても幅広く活躍中。 Twitter:@kanjuku_layla Instagram:@kanjukufresh_leyla TikTok:https://www.tiktok.com/@kanjuku_layla まだ18年という短い人生しか歩んでいない私だが、どこかの18歳の女の子よりも少しだけ濃密な人生を歩んできているということはなんとなく自覚している。 とはいっても、小学2年生くらいまではいたって普通の、むしろどちらかというと引っ込み思案で物静かな女の子だった。当時は母、父、私の3人家族で、ものすごく裕福というわけでもなかったと思う。でも家族やまわりの人に無償の愛を与えてもらいながら毎日を過ごしていたとも思う。さすがにこれは自覚あり。そのおかげで我ながらすごくおしとやかでかわいらしい性格のままスクスクと育っていった。が、最初のほうで「小学校2年生くらいまではいたって普通」と書いてあるように、このあたりで人生一度目の“濃い夜”を経験することとなる。 なぜか今でも鮮明に覚えている。 いつもと変わらない雰囲気で、居間にあるテーブルにはテーブルが見えないくらいたくさんのお寿司が並ぶ。昨日と同じく、楽しく食卓を囲んでいた。幸せな気分のまま食事を終え、いつもどおりなら家族団らんの時間が始まるはずだった。 「レイラに話さなくちゃいけない大切なお話がある」 突然、母がそう言った。 大好きなお絵描きを始めようとしていた私の手が自然と止まり、ここで人生初めての“勘”が働いた。それも嫌なほうの。気まずそうな表情をしている父と母の正面に座り、幼いながらに声を振り絞りっておそるおそる「どうしたの?」そう父と母に問いかけた。 「明日からママとレイラは一緒に住めなくなっちゃうんだよ」 第一声、ママにそれだけ告げられた。 もちろん意味がわからない。あとあとうっすら知ることになるが、家庭内では何かといろいろ問題があったらしい。私は「子供だからわからない」と早い段階で目を背けた。今思えば、できた子どもだったと思う。というか、そうだったと信じたい。小学2年生のころの私と家族を否定してあげたくない気持ちがあるのだ。その晩、急いで荷造りをして翌朝には父方の祖母の家に送り出された。この夜が私の人生で一度目の“濃い夜”となる。 祖母の家には少しの間だけ滞在し、そこからは父と私と、助けに来てくれた祖父との3人で、東京での暮らしが始まる。3人での生活も数年が経ち、慣れてきたころ、祖父は祖母の待つ地元へと戻っていった。 ここから父と私の父子家庭ライフが本格始動するのである。 本当にこれでもかというくらい声を大きくして世界中の人に伝えたい。父(別名:池田57CRAZY)は、私にとって本当に素晴らしいパパだ。ものすごくまじめで完璧主義な性格。父曰く、お笑いには不利らしい。たしかに。 池田57CRAZYは、父親としては120点。ただ芸人としては20点。 これを父に伝えると、「じゃあ平均したら70点じゃん!」と喜ぶ。 違う。そういうことじゃない。 とりあえずお笑いについては置いておいて、父はまだまだ小さい私に向かって「そんなにお手伝いしなくて大丈夫だよ」とよく言ってくれていた。仕事が終わったらすぐにスーパーへ買い出しに行く父、帰ってきたらすべての家事をこなす父。そんな生活を何年か続けていたところ、ある日突然父が倒れた。 働きすぎによる過労で倒れたとのことだった。父が入院していたあたりのタイミングで、M-1グランプリが復活するという情報が回った。そこで父は「いつ死ぬかわからないから、やりたいことはやれるうちにやったほうがいい」と強く思ったらしい。 ある夜、「来年一緒にM-1出ようよ」と突然誘ってきた。え? なんで私?と思い、のちに理由を聞いてみたところ、私が小学4年生くらいのころに「将来は表に立つ仕事をしてみたい!」とポロッと発したひと言を覚えていたらしく、「これは使えるぞ」と思ったから誘ったらしい。馬鹿野郎(今となっては父の考えどおり、今の私の活動に繋がっているので感謝してもしきれない)。まぁそういった経緯によって私はお笑いの世界に足を踏み入れることになった。いや、踏み入れてしまった、の間違いか。人生が変わるきっかけとなる「お笑い」に誘われたその夜が、私の人生で二度目の“濃い夜”となる。 お笑いデビューをした年のM-1グランプリ2回戦のこと。 その日、もちろん私はものすごく緊張してネタをところどころ飛ばしてしまったが、それよりも緊張していたのが私の父、池田57CRAZY。なんでだよ。緊張により、父は私よりも多くのミスをした。 2回戦のネタも披露し終わり、浅草の雷5656会館をあとにして、近くの居酒屋で夜ごはんをふたりで食べた。さっきの反省会をしたり、親子のいつもどおりの会話をしたりしていたら、父の声がパッタリと聞こえなくなった。おかしいなと思い、父を見てみた。 めっちゃ泣いてた。めっちゃ笑った。 父は私とコンビを組む前からお笑いを十何年かやってきていて、きっと不甲斐なさもあり、涙があふれたんだと思う。父が泣いている姿を自分の目で見るのは人生で2回目くらいだったこともあり、すごく記憶に残っている。これが人生三度目の、私にとっての“濃い夜”となる。 ちなみに父は2年後のM-1グランプリでウケすぎて恥ずかしくなり、噛み倒して制限時間をオーバーしてしまい、袖にはけた瞬間に号泣していた。そんな父を見て、私はまた爆笑した。そのあと、日本テレビの「おもしろ荘」(『ぐるぐるナインティナイン』)のオーディションを受けることになる。最終オーディションではテレビ局の中にあるスタジオでお客さんの前でネタを試す。2次オーディションのとき、作家さんに「キミのキャラクターもあるからお客さんの前でネタをやってみて、受け入れられるか試したほうがいい」と言われていたので不安でたまらなかった。すごく緊張したまま舞台に立ってみると、一瞬で不安がふっ飛ばされるくらい多くの笑い声を感じた。そのとき生まれて初めて人生が変わった気がした。そこが人生で四度目の“濃い夜”。 昨日まで普通の大人しい中学生だったはずの私の人生が180度変わった。そこからは本当にいろいろな経験をして、高校受験を番組に密着してもらうこともできた。無事合格し、高校3年間通い、とても楽しい高校生活を送ることもできた。でも途中、そこから進路を決めなくてはいけなくなった。学生の運命。 私は私立高校の学費を父にすべて負担してもらっていたので、生活的にも金銭的にも父にはこれ以上迷惑はかけられないと思い、大学には通うつもりがなかった。もちろん父にもそういうふうに伝えていた。するとある日の夜に父が突然、「大学生活はものすごく楽しいし、一生の宝物になるよ。金銭的なことは何も気にしなくていいから受験するだけしてみたら?」と提案してくれた。本当に父に恵まれているんだなと痛感した。そのひと言のおかげで大学進学が選択肢のひとつとなり、私は今、大学で真新しい新生活を送ることができている。大学生になるきっかけをくれたあの夜は、一番記憶に新しい“濃い夜”だった。 まだまだ濃い夜はたくさんあるが、こうして振り返ってみると、どれも私だけの力で起きた夜ではなくて、まわりの人たちのおかげ、それもほとんどが父のおかげで迎え入れることになった濃い夜の積み重ねで、この夜があるから幸せな朝を迎えられているんだと苦しいほどにわかった。 私はまだまだ与えられている人生の中で、あと何度の“濃い夜”を迎えることになるのだろうか。 文・撮影=池田レイラ 編集=宇田川佳奈枝
-
あの子と過ごした記憶──宝物のような映画に出会えた夜(松本花奈)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 松本花奈(まつもと・はな) 1998年1月24日生まれ、大阪府出身。慶應義塾大学総合政策学部を卒業。2014年、初長編映画『真夏の夢』がNPO法人映画甲子園主催eiga worldcupの最優秀作品賞に選ばれる。2016年、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭にて映画『脱脱脱脱17』がオフシアター・コンペティション部門の審査員特別賞・観客賞を受賞。同年、第29回東京国際映画祭のフェスティバル・ナビゲーターに就任。2021年、シリーズ累計600万部超人気漫画の実写映画化&テレビドラマ化『ホリミヤ』、WEBライター・カツセマサヒコの長編デビュー作となった人気小説を映画化した『明け方の若者たち』を監督し、話題になった。 Twitter:@hana_m0124 子供のころ、クッキーの空き箱を宝物箱にして、大切なものをしまっていた。お気に入りのシール、好きな人のプロフィールシート、切れたミサンガ、キレイな石……。もし今再び、宝物箱を持ったとしたら──真っ先に入れたいものに出会った、そんな夜があった。 昨年、大学時代の先輩と『マイ・ブロークン・マリコ』という映画を観た。 鬱屈した日々を送っていた会社員・シイノは、親友のマリコが亡くなったことをテレビのニュースで知る。幼いころからひどい虐待を受けていたマリコの魂を救うため、シイノは遺骨を奪って逃亡し、マリコが行きたがっていた岬へと旅に出る……というストーリーだ。 あまり前情報なく、ポスターの雰囲気に惹かれてフラッと劇場に入ったのだが、開始15分で「この映画、好きだな」と思い、開始1時間で「マリコ幸せになってよ」と切望し、最後には「宝物のような映画に出会えた」と確信した。 劇場を出ると、先輩に「どうだった?」と聞かれて、言葉に詰まる。10秒ほど考え「よかったです、すごく」と答えた。私は昔から、映画の感想を言葉にするのが苦手だ。特に観終えた直後は思考がぐちゃぐちゃしていて、「よかった」「よくなかった」くらいは言えるが、それがなぜかと問われると困ってしまう。整理する時間が必要なのだ。そんな心情を察してくれたのか、先輩は「マジでよかったよね」と言ったきり映画の話を振ってくることはなく、その後は学生時代の思い出話や、お互いの近況報告をして別れた。 最寄り駅に着くと、23時を過ぎていた。秋から冬に変わる空気が肌寒くて、気持ちいい。空を見上げると月が煌々としていた。自宅までの道のりを、遠回りして歩きながら“マリコ”のことを考える。マリコは寂しがり屋で泣き虫で、どうしようもないメンヘラだった。主人公・シイノは思い出が美化されるのを恐れ、そんなマリコの面倒くさいところもひっくるめて、忘れないでいようとした。 忘れない、というのは時に私たちを苦しめる。たいていのことは時間とともに忘れられるからこそ、どうにか生きていけてるというのに。忘れない、というのはとても覚悟がいることで、愛のある行為だと私は思う。 私にもかつて、“マリコ”のような大切な友達がいたことを思い出した。 その子は“ユウコ”といって中学生のときに知り合った。仲よくなったきっかけはいたってシンプルで、席替えで席が前後になったからだ。窓際の席になると私は決まっていつも、窓際の少しだけ出っ張った淵の部分に細々とモノを置き(たとえば鉛筆削りとか、予備の消しゴムとか、プリクラとか)、そこを自分の部屋の一角のようにするのが好きだった。 ある朝登校すると、私の前の席のスペースにも、同じような一角ができていた。そして、その席の主こそが、“ユウコ”だった。彼女はくるりとこちらを振り向くと「いいでしょ?」と言わんばかりにニコッと笑った。私は、その笑顔にひと目惚れしたのだ。 それから、ユウコはなんでもかんでも私のまねをするようになった。私が吹奏楽部でトロンボーンを始めると、ユウコは隣で腹式呼吸をやり出した。私がトロンボーンに挫折しバスケ部に途中入部すると、ユウコは隣で『SLAM DUNK(スラムダンク)』を読み出した。私がドラマ『モテキ』にどハマりしていると、ユウコは普段一切ドラマなんて観ないくせに「コメディだけど人間模様がしっかり描かれてていいね」なんて感想をちゃっかり述べてきた。私がDef Techの「My Way」という曲を聴いていると、「これ歌えるようになろうよ」と言って、カラオケへと連れ出された。まだ“Will〜”だとか、“no more than〜”だとかしか習っていない14歳の私たちにとって、英語の歌詞(しかもラップ!)を歌うのはだいぶハードルが高かったが、歌えないことがまたおかしくて、ゲラゲラと笑いながらデュエットを続けた。 ユウコにまねをされることが、私は心地よかった。私の好きなものを、同じように好きでいてくれる人がいることのうれしさを、このとき初めて味わった。 ある日の放課後、ユウコに「今晩、うちに来ない?」と誘われた。そういえば、これだけ仲がいいというのに家へ行ったことはそれまで一度もなかった。「行きたい!」とうなずいて、ふたりで家までの道のりを歩いている最中、ユウコが家庭の状況についてポツリポツリと話し出した。小さいころに両親が離婚し、それからずっとお母さんとふたりで暮らしていたが、つい最近再婚し、新しいお父さんがやってきた。そのお父さんというのがなかなかな曲者で、全然しゃべらないのに、ものすごく怖いという。「しゃべらなくて、怖いってどういうこと? だって、しゃべらないってことは、怒鳴ったりするわけじゃないんでしょ?」と私が聞くと、ユウコはしばらくうーんと考え、「なんていうんだろう……圧が強いっていうのかな、まあ会えばわかるよ」とつぶやいた。 公園の脇を抜けた先に、ユウコの住むアパートはあった。軋む階段をのぼり、3階まで上がる。「ただいまぁ」とユウコが玄関を開けると、お母さんが「おかえりー。あら、いらっしゃい」と迎え入れてくれた。そしてその奥に、チラリとお父さんの姿が見えた。100kg、いや200kgはありそうなその巨体の男性は、たしかににものすごく圧があった。 夜になり、晩ご飯にカレーをいただくことになった。「生卵、のせるとうまいで」とお父さんが私にボソリと話しかけてきた。突然のことに少し驚きながらも、「あー、私その食べ方、あんまり好きじゃないんですよね」と答えると、その場の空気が凍りついた。 え、私、そんな変なこと言った?と思い、ユウコのほうを見やると、うつむいていて、表情が見えない。お母さんは、お父さんの様子をチラチラと気にしていて、当のお父さんはというと、私のことをジッと見てきている。そんな空気に耐えられなくなり、私は思わず「……やっぱり、生卵のせます」と言った。 帰り道、駅まで送るよとついてきたユウコと、公園に寄り道した。ブランコをこぎながら、「ごめんね、無理やり食べさせちゃって」と申し訳なさそうにするユウコに、私は「全然だよ! 私こそごめんね、変な空気にさせちゃって。いやーでもお母さんのカレー、おいしかったな」とできるだけ明るく接した。 ユウコはまたうつむいて、「私、お母さんの好きなものは、全然好きになれないや……」と消え入りそうな声で囁いた。お母さんの好きなもの、というのはきっと、お父さんを指すのだろう。私はそのユウコの寂しそうな横顔に、胸がギュッと締めつけられた。 それから、半年後。 ユウコのお父さんが、亡くなった。原因は、肥満による脳卒中だった。ユウコは、お母さんと地元に戻ることになり、ほどなくして転校した。ほんの数週間の出来事だっただろうか。あれだけ毎日一緒にいたのに、一瞬で私の元からいなくなってしまった、寂しがり屋で泣き虫で、どうしようもないメンヘラのユウコ。私はそんなユウコとの別れがつらくて、けれどもユウコのいない日常に慣れていかなければいけない現実があって、悲しみの渦に飲まれないために、自分を守るために、ユウコのことを忘れる努力をしたのだった。 映画を観た夜、自宅までの道のりを遠回りして歩く道すがら、公園を見つけた。ブランコをこぎながら、ユウコを想う。今、どこにいて何をしているのだろう。 ───いや、そんなことはどうだっていい。あの夜、「お母さんの好きなものは、全然好きになれない」と言ったユウコに、ユウコだけが好きになれる、特別なものができていますようにと、ただただ願った。 文・撮影=松本花奈 編集=宇田川佳奈枝
-
大切な人とのストーリー。今日と明日の狭間。忘れられない忘れたくない夜。(小林涼子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 小林涼子(こばやし・りょうこ) 1989年、東京都生まれ。雑誌『ニコラ』専属モデルとして活躍し、19歳でドラマ『魔王』(TBS)のヒロインに抜擢、以降も多数のドラマや映画、CMなどに出演。直近の主な出演作品は映画『わたしの幸せな結婚』(3月17日公開)や、ドラマ『ワタシってサバサバしてるから』(NHK総合)など。また、女優業の傍ら、自然環境に優しい農業や農福連携サービスを提供する事業を立ち上げ、農林水産省からも認定を受けている。さまざまな経験を活かし、ラジオ『STEP ONE』(J-WAVE)の火曜ナビゲーターとしても活躍中。 夜になると「今日」が終わり、日が昇れば自然と朝が、そして「明日」がやってくる。毎日を忙しなく生きていると、それが当たり前のことのように感じている自分がいる。しかし、本当は奇跡のようなことなのだ。 起業してからというもの、夜、撮影が終わればたくさんの事務仕事に追われて、遅くまでカタカタとパソコンを叩き、疲れ果ててベッドに倒れ込む毎日を送っている。 その日も同じような一日を過ごし、ベッドにようやくたどり着いたところで突然、母の電話が鳴った。こんな時間の電話がいい話なわけがない。不安になりながら尋ねると悪い予感は当たるもの。「おばあちゃんが危ない」絞り出すような母のか細い声を聞いたとたん、すぐさま着替えて、ふたりで家を飛び出した。 千葉と東京。普段はそんなに遠くはないと思っていたのに、この日はやけに遠く感じて、苛立つ。車の中、話すこともできなくて窓の外を見ると、深夜だというのにお構いなしにキラキラとネオンが輝いていた。ぼんやりと華やかな街を眺めていると、20代のころ、祖母と住んでいた東京タワーの見える部屋を思い出す。 もともと祖母と私はとても仲がよく、祖母が千葉に住んでいたときもよく休みを取っては遊びに行って一緒に過ごしていた。帰るときになると、姿が見えなくなるまで窓際に立って私を見送る祖母の姿は今でも脳裏に焼きついているし、今こうして文章を紡ぎながらその姿を思い出すだけで目の奥が熱くなる。 20代前半、子供から大人に変わる環境の中で、うまく息が吸えなくて不安定だった私のことを心配し、祖母が東京に来て一緒に住んでくれた時期がある。 住んでいた部屋はこぢんまりとしていたが、窓から見える景色が最高で、私たちのお気に入りだった。 祖母はシャイな人で言葉数は多くはなかったけれど、子供のころに出演したスーパーマーケットのチラシから、近年の出演作まで部屋の壁に貼って私の仕事を心底応援していたし、大変な仕事だからと会えばいつも私の心配ばかりしていた。 千葉の家が大好きな人だったのに、私を心配して東京まで出てきてくれたのは、高齢な祖母にとっては大変なことだったと思う。愛しかない。 一緒に住んでいたときは、母もよく来て三世代で買い物をしたり、ご飯を作ったり、ケンカもした。東京タワーのそばを散歩したり、一緒に夕飯を作ったり、何をするわけではないけれど祖母と母と過ごした時間は最高の時間だった。 多感な20代の私を抑えつけることも、干渉することもせず、ただ寄り添い見守ってくれた。 そんな家族がいたから、私は今日までお仕事を続けていられていると思っている。 ちょうど東京タワーの横を通過したとき、また電話が鳴った。病院からだった。 今日の東京タワーはなんだかやけに赤く輝いて見えた。 病院に到着するころにはあたりは薄明るくなり、朝が近づいていた。 突然のことだったから、普段と変わらず眠っているような穏やかな祖母の顔を見ると不思議に思う。もういい加減大人なんだから亡くなることの意味はわかっているのに、理解も納得もできない。もう話せないんだと思うと後悔とともに自分に腹が立った。 コロナ禍、県外移動ができるようになったあとも仕事柄いろんな人と会うから万が一にでも祖母にうつしたくなかった。たしかにそうだったし、仕方ないと言うしかない。でも、本当にそれだけだっただろうか。毎日、目の前のことに必死だったのを言い訳に、祖母との時間を犠牲にしてなかっただろうか。 1カ月前、大好物の鰻を食べながら「また来るね」「年末は旅行行けたらいいね」と言ったきり、時間を作らなかったのは私だ。 私は、いつでも待っていてくれる祖母に甘えていた。 そして、いつまでも待っていてくれると勘違いしていたのだ。 どんなに悲しくても、腹が立っても、世界は平常運転。夜は明けて朝が来る。 今だけはまだ夜で、「今日」でいてほしいと願う私とは裏腹にこの日も窓の外には朝が来て、「明日」が「今日」に変わっていく。 私にとってはまた普通の一日である「今日」が始まり、仕事をしてご飯を食べ眠るだろう。でも、夜を境に「今日」には祖母はいない。 明日が来ることは当たり前ではない。 そんな使い古された言葉、じゅうぶんわかっている。 わかっていると思っていた。 でも、こんなことになるなんて想像していなかった。 ドラマのように「全10話」とか「最終回」とか書いてあればいいけれど、人生の最後は通り過ぎてから「あれが最後だったんだ」と気づくのだ。 こんな重い話、しかも正直まだ自分の中で消化できていないこの話をコラムに書くのはどうなのかとても悩んだ。でも、コロナが5類になる兆しが見え、ようやく会いたい人に会える世界が戻ってきた今だからこそ、改めて伝えたい。 会いたい人には会いに行き やりたいことはすぐやらないと 明日が必ず来る保証なんてどこにもない。 生死に関わらなくとも人の縁だってそう。 とても不確かで脆いもの。 「また会おう」と言ったまま、会えていない大切な人はいないだろうか。 この夜、ベッドで誰かの顔が浮かんだらすぐ会いに行ってほしい。 文・撮影=小林涼子 編集=宇田川佳奈枝
-
色褪せることのない“初めて”の思い出、メロンソーダの夜(富田望生)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 富田望生(とみた・みう) 俳優。2000年2月25日生まれ、福島県いわき市出身。2015年公開の映画『ソロモンの偽証』でデビュー。主な出演作品に映画『モヒカン故郷に帰る』『チア☆ダン』『あさひなぐ』『SUNNY 強い気持ち・強い愛』、ドラマ『宇宙を駆けるよだか』(Netflix)連続ドラマ小説『なつぞら』(NHK総合)『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ)『ナンバMG5』(フジテレビ)、舞台『ウェンディ&ピーターパン』、KERA・MAP『しびれ雲』など多数。現在、『ズームジャパン』(NHK for School)レギュラー出演中、藤子・F・不二雄 SF短編ドラマ『テレパ椎』(NHK)今春放送、映画『ネメシス~黄金螺旋の謎~』3月31日公開予定。 ビビッドな光が走馬灯のように浮かび上がる。 走って、飛んで、見つめている。 ピンク 黄色 緑 水色 黒。 嬉しいも、悲しいも、寂しいも。 友達とケンカするのも仲直りするのも、相談するもされるのも。 そういえば、夜。 オーディションに落ちたと連絡が来るのも、好きな人を思い浮かべて止まらないのも。 そういえば、夜が多い。 ビビッドな光が走馬灯のように浮かび上がる。 走っている。飛んでいる。見つめている。 私の“忘れられない夜” このエッセイの締め切りが迫る。 今晩を入れてもあと6日。 昨日、マネージャーさんに「執筆のほうはどう?」と聞かれた。 「はい! たぶん! 大丈夫です! たぶん!!」 ……いや、いったいどこをどのように切り取ったら大丈夫なんだい? 全然大丈夫じゃねぇぜ?と帰り道自分にツッコんでみる。 兎にも角にもこのエッセイを書き始めなければならないのだが……忘れられない夜かぁ。 ぼけーっと考えてみても、なかなか思いつかない。 いったんNetflixで『I.W.G.P.(池袋ウエストゲートパーク)』をはさむPM10:32。 よからぬところでおもしろい。ケラケラ笑う。 エッセイに戻る。 さらにぼけーっと考えてみる。 ひとつ、思い出が飛び出してきた。 勢いよく書き進める。 1854字書き起こした! もう少しで大まかまとまりそう! よし、ひと晩寝かしてみよう。 起きる。 読み返す。 やっぱりこれはそっとしまっておきたいかも……となったので潔くしまう。 また、ぼけーっと考える。 締切まであと5日。 ……。 ……。 …………。 そうだなぁ、私は並みな人生ではないなぁ。 そんなことをふと思う。 そしてまた書き始める。 東京に来てからの11年をたどって。 1525字書き起こした! 今度こそ! いったん前々から予定していた旅行をはさむ。 旅行といいましても、故郷へ。 一緒に行く方が初めて行くとのことで、気張ってエスコートすることに。 私のおすすめすべてを教えたくて詰め込みすぎた結果、気づいたときには締め切りまであと3日。 ぼけーっと故郷の空を見る。 星、大きさは変わらないけど、輝きが違うなぁ。 うーん、1525字書き起こしたの、なんか違うなぁ。 人様にお届けするにはちょっぴり私的な感情を出しすぎだと感じ、しまう。 旅の間に脱稿することは叶わず、帰路につく。 東京までの車内、友部SAを過ぎたあたりで急に聞いてみたくなった。 「初めてソーダを飲んだときのこと、覚えてる?」 私が初めて飲んだのは、年中さんのとき。 友達親子と保育園の帰りにラーメンを食べた日だった。 私と友達が頼んだのは、ネギ抜きでコーンが入ってるラーメンにガチャガチャが1回できる、いわゆる“お子さまセット”。 ガチャガチャはピンクのボックスとブルーのボックス2種類あって、どっちにする?なんて会話が楽しくて仕方がなかった、お子ちゃま全開のころだ。 お腹いっぱいになったところで、道路をはさんで斜め前にあるファミレスへ入る。 大人はコーヒーを頼み、私はミルクを頼んだ。 友達はオレンジジュースでも頼むのかな?と思っていたら「メロンソーダにする!」と言った。 私の母が「もうソーダ飲めるの⁉︎」と。 友達のお母さんは「全然飲めるよ~」と。 ソーダを飲んだことがない私はとっても気になって、「私も飲んでみたい!」と母に伝えた。 母は少しびっくりした顔をしたが「飲んでみる?」と言ってくれたので、喜んでミルクからメロンソーダに変更した。 細長い店内のイートインスペース。その一番奥の窓際の席。地元の中でも車量の多い道路をはさんでさっきのラーメン屋さんを眺められる席だ。 初めましての“メロンソーダ”とやらをワクワクして待つこと数分「お待たせしました~」とウェイトレスさんが来た。 目をキラキラさせて見上げると、緑色の粒がぷつぷつと動く不思議な飲み物が届いた。 迷うことなくストローでチューチューと吸い上げる友達を横に、私は息を吐き、思いきって吸い込んだ。 …………!!!!!! 電流が走ったかのように全身がビリビリと動いて、マンガのように目をとんがらせて固まった。そんな私を見て、友達や友達のお母さん、私の母までもが涙を流しながら笑っている。 そんなみんなを横目に私の口から出てきた言葉は「あんまりおいしくない……」だった。 この世界にはまだまだ知らないことがたくさんあって、そのすべてが自分の好みばかりではない。けれど知らなければ、自分がどうなるかも知らないままだ。 よく「食わず嫌いなんだよね~。食べたことない~」という人がいるけれど、せっかく知れるのに知らないことがある、ましてや自らその選択をするなんて、なかなかもったいないなぁと思う。 自分だけの“初めて”の経験を逃してるって損だと思いませんか? あ、今はもうメロンソーダ好きです。 16歳のときアメリカで食べて瞬発的に口から出したパクチーでさえ、今はもう大好きだ。 これはもったいない野郎な私の性格、意見なのでスルーしていただいて構わないのだが、食べられるものを、出逢えた人を、せっかくならば嫌いと思いたくはない。私はつくづくもったいない野郎だなぁ……。 そんなことはさておき、唐突に聞いてみたくなった“初めて”と出会ったときのことについて。 たしかに、なんてことのないひとつの出会いに過ぎないのかもしれないが、私には色濃く残っている。特に夜に出会った“初めて”は、褪せる前に眠るからだろうか、鮮明に覚えている気がする。 故郷を旅して、懐かしい人、懐かしい店、なんの気なしに通った懐かしい道で、色として残っていた数々の思い出が突然ふくらんで出てきた。 “メロンソーダの夜” 提出期限日のPM5:56脱稿。 よい旅だった。 文・撮影=富田望生 編集=宇田川佳奈枝
-
新たな感動を求めて。後輩から先輩に変化した夜(桜木心菜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 桜木心菜(さくらぎ・ここな) 2005年9月14日生まれ、茨城県出身。2021年5月5日より私立恵比寿中学(通称:エビ中)のメンバーとして活動開始。2022年9月、初の生誕ソロライブ『NightProm~new open~』を恵比寿ザ・ガーデンホールにて開催し、さらに同月デジタル写真集『Anytime Cocotime』を発売。 Instagram:@sakuragi_cocona_official TikTok:@cocona__sakuragi 事務所に入って、東京へ通う日々が始まってもう4年が経とうとしている。 前のグループでの活動休止から、いくつものオーディションを受け、そのたびに悔し涙を流していた。 そして、最後のオーディションと決めて挑んだエビ中のオーディション。 最終審査まで残ることができ、3泊4日の合宿審査に進んだ。 必死にくらいついてやり切った。あっという間の4日間だった。 合宿が終わり、帰ってすぐに家族と焼肉を食べた。だけど、このときの焼肉は何を食べたかまったく覚えていない。会話の内容もほとんど覚えていないくらい、ふわふわした感覚だった。 でも自分なりにやり切ったし、後悔はまったくなかったからあとは結果を待つだけ。 その夜。 受かった。オーディションに受かった……。 まさか当日の夜に結果が……涙が止まらなかった。 やっとつかんだ夢だった。 そんな始まりの夜だった。 それからはあっという間の1年。 1年間はただがむしゃらに歌もダンスも必死にがんばってきた。良くも悪くも何も考えずにただまっすぐに、やってきた。 何もかも初めてで、先輩の背中を追うように目の前のことだけをひたすらやってきた。 そのときは初めてのことだらけで楽しいよりも正直、つらいという気持ちが勝っていた。 怒られて、何をしても否定されているような気がして……自分の得意なものすらも見失いかけていた。 それでも1年が経った。 ひなちゃん(柏木ひなた)が卒業発表をして、新メンバーの加入発表があり、自分の中の感情が変わり出した。 まず、エビ中のことを前よりもよく考えるようになった。 私たち“ココユノノカ”(桜木心菜、小久保柚乃、風見和香)の3人がこれからのエビ中の未来を切り開いてくんだ、という気持ちが強くなって、1年前のような先輩メンバーに頼りっぱなしはダメだし、自分自身で変えていかなければならない。そして新しく転入してくるメンバーにもこの気持ちを伝えたいと思うようになった。 この10年間、想像を絶するほどの経験を積んできた先輩メンバーには“余裕”がある。 その“余裕”が私たちと先輩との決定的な違いだった。 その差に私はたくさんの不安があった。 ふたりの新メンバーが加わって、 10人で活動する上での目標の違い、気持ちの違い、スキルの差、いろいろなことを悩んだ。 そして、それは同期の柚乃と和香も同じ気持ちだった。 卒業するひなちゃんが、 「ココユノノカ3人ならエビ中の未来を明るくしてくれる。任せたよ」 って言ってくれた言葉を思い出して、ひなちゃんが今まで築き上げてきたエビ中を大切にしていかなければいけないと思った。 そして私ばかりが悩んでいるわけではなくて、先輩メンバーも私たち以上にすごくすごく悩んでいるはずで、新メンバーが入ってきていろいろ変わってしまうことに不安や怖さがあるんだと思う。 それなのに変わりなく先輩メンバーは私たちのことを気にかけてくれたり、くだらない話で笑ってくれたりして、悩んでいる素振りも一切見せずにいてくれた。 そして新メンバー発表の夜。 当日は誰が転入してくるかわかっていたのに、生配信での発表は緊張した。ファミリーの皆さんの反応も気になるし、なによりも1年前の自分を見ているようで、心臓がバクバクした。 たくさんの大人たちから「先輩になるんだね」「先輩らしいところを見せなきゃね」って言われたけど、このときはまだ何も実感がなかった。 でも、えま(桜井えま)とゆな(仲村悠菜)はきっと、転入当初の私たちと同じ気持ちで、不安でいっぱいだと思った。 やることすべてが初めての経験、初めてのチャレンジ、それに早くついていかなきゃと焦る気持ち。 楽しいよりもつらい感情のほうが大きいと思う。私はその気持ちが痛いほどわかる。 1年前は毎日があっという間で、ほんとに記憶がないくらい全力で突っ走ってきた。 だから今、私がふたりに、えまとゆなに、この1年間で教わってきたことを精一杯伝えて、そして、私もふたりと一緒にまだまだ上を目指して成長していきたいと思う。 大丈夫。頼もしい先輩メンバーと、前を向いている私たちがいるから。 先輩メンバーがそう思わせてくれたから。 きっと今まで見たことのない世界が 味わったことのない感動が待っているから。 そして、これからまだ見たことのない世界を一緒に見に行きたい。10人で。 後輩でもあり先輩でもある私。またひとつ大切なことを経験させてもらえたことに感謝して、これからファミリーの皆さんと一緒に突き進んでいきたい。 たった1年。でも、もう1年。先輩としての責任感を感じた夜。先輩になった夜。 エビ中として新しくスタートする夜。 わくわくが止まらない。 文・撮影=桜木心菜 編集=宇田川佳奈枝
-
金曜22時、“友達”への電話。恋愛にキレ散らかした夜 in 飯田橋(野花紅葉)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 野花紅葉(のはな・もみじ) 1997年10月20日生まれ、東京都出身。AOI biotope所属。個人演劇ユニット「モミジノハナ」主宰。恋愛がテーマの「会話にならない会話劇」を上演するユニットで、すべての作品で脚本・演出・出演をする。劇作家や舞台女優としての演劇活動のほかに、オンラインエッセイの毎日更新やTikTokショートドラマへの脚本提供など、活動の幅を広げている。 Twitter:https://twitter.com/momiji__44 劇団ホームページ:https://momijinohana.jimdofree.com オンラインエッセイ(note):https://note.com/momijinohana/ はじめまして(おひさしぶりです)。野花紅葉です。 わたしは劇作家をやっている25歳で、高校1年生で初めて演劇の台本を書いてから今に至るまで、すべての作品で「恋愛ってなんなの!?」とキレ散らかしている女です。 ゆえに、わたしの「忘れられない一夜」はもちろん「恋愛ってなんなの!?」とキレ散らかした夜。でもそんな夜には覚えがありすぎるから、最新のキレ散らかしの話をします。 友達から恋人に発展するっていうアレ、嘘だと思ってて。 いや、「あるらしい」ということはさすがに知っていたのだけども、それでも自分の人生にないことって、なんていうか「らしい」のレベルから脱しづらいじゃないですか。 今までとってもたくさん恋愛をしてきたわけではないけど、してきた恋愛は全部めっちゃ全力だったし、全然めっちゃ好きだったと思うのです。余裕で。当たり前に。 その前提でわたしは、恋愛や性愛の対象となる人とならない人が、する人としない人が、ガッツリ分かれていたのですね。分かれていたというか、分けていたというか、分けたがっていたというか。 女の子は覚えがある人多いんじゃないかなぁ。 あの、あー、お前は口説くためにわたしと話してたんですねっていう、裸体の入手のためにがんばってたんですねっていう、わたし、人間だと思われてなかったんですねっていう、じゃあ、わたしが人間だと思ってテメエに使った頭とか紡いだ言葉とか尽くした心とかなんだったんですかね、っていう。 そういう気持ちってマジで永遠になりたくないからさ。 それへの対策をしたいというマインドから生み出されたのが、「友達は友達。絶対に恋愛・性愛の対象にしない」と「絶対に友達ではないし友達にはならない。恋愛・性愛の対象」を、はっきり分けてきっちり死守し続けるっていう、自分のスタンスを提示することによる自己防衛で、なんなら相手への誠実な態度ですらあると思って生きてたんです。 わたしは。 生きてたんですけど。 友達がいて。 立派なのに嫌味がなくて、温和なのに鋭くて、あらゆる物事をなるべく見ようと努めているような。わたしにとって彼の性別は恋愛・性愛の対象になり得るけども、さっき書いたようなスタンスのわたしは、マジのマジでスーパー最高な友達であると認識していたんです。 してたんですけど。 最新の話をしよう。 やーーー、これ、そうじゃなくねえ?って。気づいて。金曜夜22時の飯田橋で。 ちょっと「友達は友達」と言い張るには別の色が混じりまくってることが無視できないし、てかなんか、言い張るの、なぜだか寂しい気がするし。でもでも「間違いなく友達でもある」のよね。全然めっちゃ友達として交流し続けたいもん! 余裕で! 当たり前に! と、大混乱したわたし in 飯田橋。 実はその人と一緒にいたわけじゃなくて、これまた最高な爆イケガールの友達に「恋愛ってなんなの!?」って話をしている最中で、しかもワインが2本空いていました。 ワインが、2本、空いていたんですね。 「電話すれば? 今」 お酒のせいで真っ赤な顔の爆イケガールが、お酒・混乱・照れ・その他いろいろのせいで、真っ赤な顔のわたしに。 「するわ」 しました。出ました。びっくりしました。 「びっくりしました」 するよね、そりゃあ。これはすべてをわたしがブチまけたあとの、彼の言葉です。 今までとってもたくさん恋愛をしてきたわけではないけど、それに、こうあるべきとかけっして思っているわけではないけど、それでもやっぱり、告白されたいとか追われたいとか思っちゃう、てか憧れちゃう。 だからこれまでわたし、決定的なことというのを自分からしないようにしてきてて。いや、客観的に見たらほとんど告ってんだけどさ、ギリギリのキワキワを攻める、攻めたい、攻めてるつもりっていう。急にダサい話をしてすみません。 でも、もう、この夜のわたしはダメでした。言いました。完全に、全部を。 「ここは飯田橋で、爆イケガールの友達と飲んでいて、あ、ワイン2本くらい空いてるんですけど、で、ちょっと好きかもしれないなって話になって、でも友達じゃないですか、わたしたち。わたしも友達だと思ってるしあなたのこと、でも、間違いなくそうなんですけど、間違いなくそれだけじゃなくて。いやでも、こんなこと初めてで自分でもよくわかってないっていうか、わからないまま電話しちゃって本当アレなんですけど、ていうかどう思ってるんでしょうかそちらは、キモいですか? キモいですよね、でもキライにはならないでほしくて、好きなので。いやぁ好きっていうか、ていうか、ていうか……」 セリフみたいだ、と思うのは、わたしが劇作家だからでしょうか。 たしかにわたしの作品ではクライマックスに女が男にこういうことを大声でブチまけるし、金曜22時のわたしは接続詞の使い方くらいしか違わないレベルで、これをたしかにブチまけました。 「ていうか……恋愛ってなんなの!?」 なんで怒ってるんだろう、わたし。電話口でも怒ってたけど。 「……問いだけがあります」 あるよね、問い。恋愛ってなんなんだろう。これはすべてをわたしがブチまけたあとの、彼の言葉“その2”です。 これがわたしの、忘れられない一夜、最新版。 あくまで「一夜」の話なので、その後については書きません。ていうか書けません、相手が居ることなので…… あ、あ、待って。でも最後にひとつ。 「野花さんと付き合ったら演劇にされちゃうんですか?」と言われました(彼の言葉“その3”)。10年近く恋愛のことだけを演劇にしているわたしは、そりゃあもう自分の恋愛のことを演劇にしてきましたが、なんていうか、「それバレてんだ」と思ってウケてしまいました。 次回公演の予定が立っていないので(泣)その問いについてはなんとも言えないのですが、ただ、logirlさんへ寄稿するエッセイにはなりました。ありがとうございました。そして何より、ここまで読んでくださったlogirl読者のみなさま、ありがとうございました。 またいつかどこかで、恋バナをしましょうね。飯田橋以外で! 文・撮影=野花紅葉 編集=宇田川佳奈枝
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
-
志田こはく(Daily logirl #258)志田こはく(しだ・こはく)2004年5月25日生まれ。埼玉県出身 Instagram:shida_kohaku X:@shida_kohaku 撮影=青山裕企 ヘアメイク=高良まどか 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
-
木下 恵(Daily logirl #257)木下 恵(きのした・けい)2004年12月6日生まれ。東京都出身 Instagram:kei.muxia63 X:@kei_kinoshi 撮影=石垣星児 ヘアメイク=ACO 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
-
畠中夢叶(Daily logirl #256)畠中夢叶(はたなか・ゆめか)2005年8月13日生まれ。大阪府出身 Instagram:yumeka_hatanaka X:@yumeka_hatanaka TikTok:yumeka_yumety_813 撮影=NAITO ヘアメイク=爽来 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
Dig for Enta!
注目を集める、さまざまなエンタメを“ディグ”!
-
NMB48安部若菜が卒業後に見据える新たな景色──「文章での、かっこいい姿を見せられたら…」安部若菜(あべ・わかな) 2018年、『第3回AKB48グループドラフト会議』でNMB48チームNに指名され、ドラフト3期生として加入。2020年1月に正規メンバーへ昇格し、同年11月発売の24thシングル『恋なんかNo thank you!』で初選抜入りを果たす。グループでの活動と並行して小説を執筆し、2022年に処女作『アイドル失格』(KADOKAWA)で小説家デビュー。以降『私の居場所はここじゃない』(KADOKAWA/2024年)、『描いた未来に君はいない』(KADOKAWA/2026年)を発表するなど、執筆活動でも高い評価を得てきた。また落語を趣味とし、上方落語の定席・天満天神繁昌亭でも高座に上がるなど、多彩な一面を持つ。2026年3月に卒業を発表し、自身の25歳の誕生日となる7月18日、大阪・Zepp Osaka Baysideで卒業コンサート『そして最後のページには』を開催。約8年半にわたるアイドル活動に区切りをつけ、新たな一歩を踏み出すことに。 目次卒業を目前に控えて(取材日:7月12日)アイドル・安部若菜として、やり残さないためにファンへ届けたい想い小説家・安部若菜が描くもの「ご飯」をめぐってNMB48でのターニングポイント落語との出会い落語・浪曲番組『WAGEI』の公開収録卒業後に叶えたい夢 卒業を目前に控えて(取材日:7月12日) ──まもなく卒業ということで、今の率直な気持ちを伺いたいと思います。 安部 もう緊張してきていますね、卒業に。8年半……高校1年生のころからずっとNMB48にいたので、NMB48じゃない自分がまだ想像できなくて。ちょっとドキドキ……不安も。 ──8年半前だと…… 安部 16歳のときに入りました。 ──その16歳のときには、今のこの卒業するイメージは、まったく描いてないですよね? 安部 全然できてなかったですね。16歳のときに思い描いてたよりもずっといいかたちで卒業できるなあと思います。 ──卒業のタイミングは決めていらっしゃったんですか? 安部 気づいたらこのタイミングになってたっていうのが一番なんですけど。ずっと卒業というのは頭の片隅に常にありつつ、でも先輩を全員見送るまではNMB48にいようと思っていて。去年の12月に自分より上の方が全員卒業されて、自分も旅立てるぞっていう覚悟が決まりました(笑)。 ──ちょうど誕生日ですよね。 安部 卒業コンサートが誕生日当日になったのは、本当にたまたまで。夏ぐらいに卒業したいとは伝えていて……まさか25歳の誕生日に卒コンできるなんて、もうこんな幸せなことはないなぁって思いました。 アイドル・安部若菜として、やり残さないために ──その卒業までは間もなくですけど、この間に、アイドル・安部若菜としてやっておきたいことはありますか? 安部 そうですね。ステージで歌って踊ってというのが、本当にあと1、2回になってくるのでそれを思う存分やっていきたいなと思っていて。今までは、そこまでアイドルらしいツインテールとかをしないタイプだったんですけど、最近急にそういうことをやっておこうと思って、かわいい方向に、ここへ来て急に走り始めました(笑)。 ──(卒コンの)衣装は決めていらっしゃるんですか? 安部 卒業コンサートの衣装……一番最後に着る衣装とか、全部決めていて。そこでドレスをその人に合わせて作ってもらえるんですけど、ずっと憧れていて……それを作ってもらえる人になりたいと思っていたので。 ──初めての…… 安部 初めてですね。生地からオーダーメイドで、こんな形にしたいみたいなのを伝えて作ってもらえるので、本当に幸せだなぁって思います。 ──8年半の中で、もうちょっとやっておけばよかったみたいな、これはやりたかったなみたいなことってあったりします? 安部 けっこうありますね。もっとできたかもと思うことはあったり。そうだな、ステージのことですね。もっとかわいいことをやっておけばよかったなって(笑)。わりとあざとくないタイプで、ファンの方に向けてかわいいことを言ったりとか……まあまあしてこなかったので。もうちょっとやっとけばよかったなって、ちょっとだけ後悔しています。 ファンへ届けたい想い ──なるほど、卒業するにあたって、ファンにどんなことを届けたいですか? 安部 最後をめっちゃいい思い出として終わることで、ファンの人が一生忘れられないような人になれたらいいなと思いますね。推し活とかをしていると、気持ちの波もあったりして、数年経つと、あのころ好きやったなぁっていう思い出になると思うんですけど、すごく楽しかったなぁという思い出で埋め尽くされたらいいなと思いますね。 ──ブログでも書いてましたけど、ファンの方に対する安部さんの想いって、なかなか伝えられないじゃないですか。安部さんは待っている一方で、ファンは好きなときに来られるという。今後は、どんな安部さんを見てほしいですか? 安部 NMB48にいるときも小説を書いたりしたんですけど、今後はそれをもっとがんばっていきたいなと思っているので。やっぱりアイドルをしていると、明るくてキラキラした面をステージで見せることが多かったんですけど、そうじゃない、文章でのかっこいい姿を見せられたらいいなと思っています。 小説家・安部若菜が描くもの ──安部さんが書かれた小説を読んでいて……アイドルをやっている方が書かれた小説って、なんとなくラノベ調の作品とかが多い気がするんですけど、安部さんの小説は、そうじゃないのが本当にすごいなと。 安部 ありがとうございます。うれしいです。 ──3作のうち、もちろんご自分を投影しているわけじゃないんでしょうけど、最初は女性目線で書いていらっしゃって。ただ(男性目線での)最新作は、どういう感じで書かれたんですか? 安部 はい、でもそれも意識していて。最初はアイドルのことをテーマにした『アイドル失格』という小説から始まって、ちょっとずつ遠ざけていきたいなぁっていうのがあって。3作目の『描いた未来に君はいない』というのが、ひとりの視点でずっと書いてみようというのから書き始めて、結果そうなりました。 ──(語りの)性別が男性というと、想像するのは大変だったりしました? 安部 そうですね、でも小説を書くときって、自分と近くない人のほうが書きやすくて。意外とすらすら書けて。アイドルの役を書いてるときって、自分だったらどうかな?みたいなことを考えるので、自分自身をまず言語化しないといけなくて。そっちのほうが時間がかかります。 ──リアリティラインが…… 安部 そうですね。自分とキャラを分離させるのが難しかったりするので、逆に想像で書くほうがスラスラ書けはしますね。 ──実際、普段もモノを書くというか……小説以外にも何かを書いたりということは多いんですか? 安部 多いですね。それこそ日記を毎日書いていたりとか、とにかく昔から気持ちをノートに書いたりっていうのは、ずっとしていて。作文とかが大好きでした。 ──もう何回も聞かれているかもしれないですけど、好きな作家さんはいらっしゃいますか? 安部 好きな作家さんは……湊かなえさんが、いろいろな本を読むようになったきっかけで。あとは凪良ゆうさんも大好きです。 ──じゃあ、そのうちミステリーとかも。 安部 書いてみたいですね。 ──ちなみに、次はどんなものを書きたいとかってありますか? 安部 次の小説も書き始めていて……ご飯にまつわるお話にしようと。 「ご飯」をめぐって ──ご飯というと……昔は好き嫌いが、ぬか漬け、きゅうりがダメだったんですよね。 安部 そうなんです。ぬか漬けがダメでした。 ──カブとかやると、おいしいですよ(笑)。 安部 おいしいですか? やってみます。 ──カブの実じゃなく、葉っぱのほう…… 安部 へえー。あのぬか漬けができるんですね。ちょっとやってみます(笑)。 ──あと、白米がダメというのが(ブログに)あったので、お弁当とかは今まで大丈夫だったのかなと…… 安部 そうなんです。私は白ご飯が昔から食べられなくて。高校生ぐらいのときに克服したんですけど。 ──すごい! それまでは? 安部 それまでは、おかずがないとダメで。 ──おかずがあれば大丈夫。 安部 ご飯に合うものが。鮭とかがあれば、食べられるんですけど。 ──味がついているご飯とかもあるじゃないですか。ああいうのは大丈夫? 安部 ああいうのはいけるんですけど。 ──日の丸弁当とか。のり弁とかもダメ? 安部 のり弁はのりがあればいいので(笑)。梅干し1個だと、ちょっと足りないなぁって。でも今は白米だけでも。 NMB48でのターニングポイント ──NMB48の活動の話に少し戻りますが、この瞬間がターニングポイントだったなというのは何になります? 安部 そうですね……どれがいいかな。あ! NMB48の中で『NAMBATTLE』というファンの投票でシングルのメンバーを決めるイベントが2022年にあって。そのときに私、4位をいただいたんですけど、それがうれしくて。自信がつくきっかけになった出来事だなと思います。 ──なるほど、楽曲でいうと、一番印象に残っている曲は何になります? 安部 吉田あかりさんが卒業するときの「恋なんかNo thank you!」が、初めて選抜に選んでもらった曲で。それはやっぱり思い出の曲ですね。 ──初選抜に選ばれたときはどうでした? 安部 いやぁーようやくかって思いましたね。まだかまだかという気持ちだったので。 落語との出会い ──ほかに活動の中で、印象に残っていることはありますか? 安部 そうですね、たくさんあるんですけど……落語をしたことですかね。NMB48に入って、半年ぐらいのときに落語をひとりですることになって。それまでひとりでステージに立ったこともないなかで、初めてのひとり舞台が落語だったので(笑)。それはやっぱりNMB48の活動の中でも、すごく記憶に残っていますね。 ──落語をやるきっかけはなんだったんですか? 安部 NMB48に入る前から落語が好きで……入ってからも「趣味・落語」と書いていたら、マネージャーさんが「落語をやってみるとか、どう?」と。私も自分で演じるというのは考えたことがなかったんですけど……やってみます!というのが始まり。 ──練習は、けっこうされたんですか? 安部 練習はもう自主練という感じだったので……一度だけ、吉本の落語家さんの桂三金さんに来ていただいて見てもらってだったんですけど、本当にまだ何もわからずで。いろいろDVDとかを借りてきて覚えたりもして。 ──所作とか、DVDを見ながら…… 安部 そうですね。 ──あっちこっちを向いたりしながら、人物を振り分けないといけないですもんね。 安部 はい。 ──実際に高座に上がって、人前で披露してみてどうでした? 安部 直前まで不安すぎて号泣していたんですけど。でもいざ始まってみたら、本当に温かく見守ってくれて、けっこう笑ったりもしてくださったので……人に笑ってもらうっていうのも初めてのことだったので、楽しかったですね、いざやってみたら。 ──そのときにやられた演目は? 安部 『鶴』と『桃太郎』をやりました。 ──おぉ。実際にやってからは、落語を見る目も変わりましたか? 安部 やっぱり変わりますね。いざ自分でやってみたら、より尊敬の気持ちが大きくなって。それこそ私は二席覚えるのでも必死だったんですけど、落語家さんって、その日の流れとかを見て、話を決めたりするじゃないですか。そんな直前に決めて、あんなに長い噺を急にできるんやっていうのが、何回観ても不思議ですね。 ──すごいですよね。でも安部さんも『金明竹』とか『平林』とか、いっぱいやりましたよね。 安部 5つくらい覚えましたね。 ──じゃあ卒業コンサートでも! 安部 (笑)。 ──繁昌亭での雰囲気は、NMB劇場とは違いますか? 安部 違いますね。やっぱり緊張しますね。普段、自分が観に行っている場所の高座に上がれるというのが恐れ多くて……本当に気が引きしまりました。 ──お客さんも全然違いますもんね。 安部 それこそ繁昌亭とか、落語好きの方が集まる前で落語をさせてもらうことも何回かあったんですけど、できるだけ孫みたいな顔をして、孫ががんばっているから的な感じで見てもらえるように無邪気な顔でやっていました(笑)。 落語・浪曲番組『WAGEI』の公開収録 卒業コンサート後の7月29日、安部さんが出演する落語・浪曲イベント『WAGEI』の公開収録が行われる。テーマは「恋」、会場は日暮里サニーホール。 ──今回の『WAGEI』イベントのテーマが「恋」。恋をテーマにして、噺家のみなさんにネタを考えてもらっていて……安部さんも一席、どうですか? 安部 恋か……全然ネタがないですね(笑)。 ──以前『WAGEI』に出ていただいたときは、たしか『アイドル失格』をテーマにしたネタをやってもらったんですよね。カンペありで、覚えていますか? 安部 んー、どうでしたっけ? ──浪曲風で作ってもらって。直前で玉川太福さんにいろいろ教わって。でも、今回は難しいですよね……? 安部 そうですね、どうしよう……。 ──ちなみに、今回の『WAGEI』イベントのゲスト出演者とは、みなさん初めてになります? 安部 お会いしたことはないかな……。 ──ネタを聞いたことは? 安部 えーっと……たぶん聞いているような。 ──玉川太福さん、立川吉笑さん……ソーゾーシーは全員? 安部 えーと……はい、たぶんほとんど。林家つる子さんと鈴々舎美馬さんも、別の落語の番組でお会いしたことがあります。 ──寄席じゃなくて、普通の番組で共演してネタを観たんですね。 安部 はい、ネタも観ました。 ──ということは、ほぼ全員のネタをご覧になってる。 安部 はい。でも立川吉笑さんの「恋」はあんまり想像できないです。おもしろそうですね。 ──プルプル……言いながら(笑)。 安部 あまり「恋」のイメージがないので。 ──瀧川鯉八さんは? 安部 瀧川鯉八さんとは共演したことないです。 ──鯉八さんは基本、オリジナルなネタで。その世界観もぶっ飛んでいて、よくわからないこととかもあるんですけど……枕を10分ぐらいやって、ネタはもう4、5分とか。イベントでは「恋」に関するネタとか恋に関するトークとか、みんなでできればなあと思っているので。 安部 いいですね! 恋バナですね。 ──その中で、この安部さんの最新作に関する話もしていただけたらな、と。 安部 ありがとうございます。もう卒業も近いので、なんでも話せます(笑)。 ──ギリギリのラインでお願いします(笑)。今まで3回『WAGEI』の番組にご出演いただいていて……安部さん的にはどんな感じですか? 安部 落語が好きだったんですけど、『WAGEI』で浪曲とかにも初めて触れたりしたのが、すごく印象的で。“話芸“という、ちょっと大きなくくりなのが、すごく素敵だなと思っていて。 ──浪曲を披露していただきましたよね。 安部 はい。難しかったですね。 ──玉川太福さんが、いろいろと教えてくれて。あと落語も上方だと違うじゃないですか。 安部 そうですね。私自身は、大阪で上方落語をやってる方と一緒になることが多いので。『WAGEI』だと江戸落語のみなさんの噺を聞けるのも、すごく楽しいです。 ──安部さんは、新作落語と古典落語と、どっちが好きとかあります? 安部 古典からの入りなんですけど新作もおもしろいですよね。どっちも大好きです。 ──普段、創作活動なさってますしね。 安部 そうですね。 ──今後も話せるネタを増やしていく方向で…… 安部 やりたいなと思いますね。それこそずっと創作落語にも興味があるんですけど、なかなか。 ──たしかにネタをイチから作るって、わからないですよね。 安部 まだまったくわからないですね。だから本当にすごいなあと。 ──NMB48のメンバーの中に、落語が好きな方って、ほかにもいたりするんですか? 安部 落語はいないですね。でもお笑いを一緒に観に行くことはあって。なんばグランド花月とかに行ったら、漫才の中に落語家さんも出られたりしていて、そこで初めてメンバーが落語を観て、横でめっちゃ笑ったりしてたら勝手に「よしっ!」と思いますね(笑)。うれしくなります。 ──寄席へは最近、行かれたりしています? 安部 最近は、本当にたまになんですけど。 ──東京だと、なかなかスケジュール的に難しいですよね。 安部 そうなんです。東京で行けることがなかなかないので……卒業して、時間に余裕ができるので、いろんな寄席へ行ってみたいですね。 卒業後に叶えたい夢 ──実際、卒業したら時間もできるし、一番やってみたいことはなんですか? 安部 旅に出たいです。 ──旅! 具体的にどことかあります? 安部 行きたいのはそうですね……世界に羽ばたきたいです! NMB48にいると旅行に行ける機会がなかったので。1泊以上という旅をしたことがなくて。ヨーロッパとかへ行きたいです。 ──なるほど。ヨーロッパで特にこの国に行ってみたいとかは…… 安部 イタリア、ローマ。“ローマの休日“したいですね。 ──(笑)。あと……旅行以外でも、安部さん、たくさん趣味があるじゃないですか。たとえば、その中で何か…… 安部 今、いろいろな趣味があるんですけど、逆により増やしてみたいなと思っていて。習い事を始めたいなと。 ──たとえば? 安部 たとえば……あ! ポールダンス。 ──すごい! 文化系かと思いきや! 安部 一回、ロケでポールダンスを……この間やってみたら、運動したいなーと(笑)。 ──運動系は自信があるんですか? 安部 はい、運動系はわりと。中学時代は陸上部で運動をしていたし、NMB48でも踊ったりというのがあったので。逆に(卒業すると)運動が一番なくなっちゃうので、動きたいなあと。 ──運動を、ポールダンスで埋めていく……もしかしたらポールダンス小説も。(ポールダンスの)マンガはあるじゃないですか。 安部 小説は、まだないかもしれない。 ──最後にlogirl読者へメッセージをいただければと。 安部 はい。私はあと1、2週間でNMB48を卒業するんですけど、趣味の落語とか、あとは小説を書いてきたこととかも含めて、より幅広い活動を好奇心旺盛にしていけたらなと思うので、これからも一緒に見守っていただけたらうれしいなと思います。 取材・文=山田ひろし、鈴木さちひろ 撮影=北野将市 『CSテレ朝チャンネル「WAGEI」特別公演 創作話芸フェス】 出演:玉川太福・春風亭昇々・立川吉笑・瀧川鯉八・玉川みね子 林家つる子・鈴々舎美馬・安部若菜(NMB48) 日時:2026年7月29日(水)18:00開場/18:30開演 会場:日暮里サニーホール・4Fホール チケット料金(全席指定):前売3,500円/当日4,000円(いずれも税込) チケット販売(チケットぴあ):Pコード542-635 詳しくは番組公式HPへ https://ex-maniacs.tv-asahi.co.jp/ch/ex_maniacs/post-64934/
-
ときめきプレ写!吉川ひより&エルフ荒川の“ギャルデート”編テレ朝動画logirlで毎週金曜17時からレギュラー配信中、アイドルユニット「超ときめき♡宣伝部」の冠番組『ときめき♡プレシャス』。「おしゃれ」「かわいい」をテーマに、メンバーがときめくことをお届けしています。この記事では「ときめきプレ写!」と題して、番組の裏側の様子や、メンバー同士が撮り合ったオフショットなどを紹介していきます。今回は、6月19日から配信予定の、吉川ひよりとゲストのエルフ荒川さんの様子をご覧ください。 『ときめき♡プレシャス』 『ときめき♡プレシャス』Instagram 今回の『ときプレ』は、吉川ひよりの休日に密着! 高校生のころから通っていたという下北沢で、古着屋さんを巡ったり、お気に入りのお店を紹介したりと、普段の休日さながらの自然体なひよりんをお届けします。 2025年11月にオープンしたばかりのお店 まず訪れたのは、下北沢の人気店「ニューかかん」。以前からSNSで気になっていたという念願のお店で、名物の麻婆豆腐やメロンクリームソーダを堪能! 「ひとりごはんは苦手じゃないけど、なかなか冒険できない」と語るなど、普段のひよりんらしい飾らないトークも飛び出します。 店内はレトロでステキな雰囲気 その後は、大好きなシール屋さんへ。目を輝かせながらお気に入りを探す姿に、テンションも最高潮! さらに、ロケのちょっとしたスキマ時間には気になる古着屋さんへ。そんな自由気ままな姿にも、ひよりんらしさがたっぷり。 ところ狭しと並んだシールの前で そして、今回の最大の見どころは、人生初の「令和ギャル」変身企画! 渋谷のサロンで、普段とはまったく違うギャルメイクに挑戦。とき宣では禁止されているというカラコンにも初挑戦し、「もう目だけでギャル!」と大興奮。鏡を見るたびに、どんどんギャルマインドが芽生えていく様子は必見です。 さらに、エルフ荒川さんと合流し、SHIBUYA109へ! 荒川さんお気に入りのお店を巡りながら、荒川さんプロデュースのギャルコーデ選びがスタート。普段はあまり選ばない柄物や大胆な小物にも挑戦し、新たなひよりんの魅力が次々と引き出されていきます。 エルフ荒川さんとのコーデ開始 そして、令和ギャルに大変身したあとは、ふたりでプリントシールの撮影へ。ギャルポーズやラクガキを楽しみながら、まるで学生時代に戻ったかのように大はしゃぎ! 完成したプリクラは番組でご紹介します! いろんなポーズで撮影! ロケの締めくくりは、「クレープとエスプレッソとジェラートと」でのカフェタイム。パステルカラーに彩られたかわいらしい店内や、色とりどりのジェラート、思わず写真を撮りたくなるスイーツの数々に大興奮! ギャル姿のまま、休日の過ごし方やメンバーとの関係、プライベートでのお出かけ事情など、ここでしか聞けない本音トークが繰り広げられます。 大きなクレープを頬張りながらトーク 下北沢で見せた自然体な表情、そして令和ギャルとしての新たな一面。いつものひよりんとはひと味違う魅力がぎゅっと詰まった、ときめき満載の一日は、6月19日から配信予定の『ときめき♡プレシャス』にて!
-
ときめきプレ写!坂井仁香&結那の“鎌倉デート”編テレ朝動画logirlで毎週金曜17時からレギュラー配信中、アイドルユニット「超ときめき♡宣伝部」の冠番組『ときめき♡プレシャス』。「おしゃれ」「かわいい」をテーマに、メンバーがときめくことをお届けしています。この記事では「ときめきプレ写!」と題して、番組の裏側の様子や、メンバー同士が撮り合ったオフショットなどを紹介していきます。今回は、5月29日から配信予定の「鎌倉デート」での坂井仁香と、ゲストの声優・アーティスト結那さんの様子をご覧ください。 『ときめき♡プレシャス』 『ときめき♡プレシャス』Instagram 今回の『ときプレ』は、坂井仁香が鎌倉へ! そしてなんと……番組初となるメンバー以外とのデートロケが実現! お相手は、声優・アーティストとして活躍する結那さん。 実はふたり、高校の同級生だったんです! 坂井さんの希望で韓国風の制服に身を包み、「気持ちはまだ18歳!」と笑い合いながら、鎌倉の街を巡っていきます。 制服姿も相まって、本当に放課後のような雰囲気 ロケのスタートは、鶴岡八幡宮。若宮大路を歩きながら、源頼朝が作った段葛(だんかずら)の歴史を学ぶ場面も。「歴史苦手だった〜!」「世界史? 日本史? どっち取ってたっけ?」と、学生時代そのままの空気で盛り上がるふたり。 鎌倉グルメも満喫 さらに、小町通りではプリントシールの撮影にも挑戦! 「難しすぎる!」「え、これどうやるの!?」と、最新のJK文化に大苦戦。現場にいた現役の女子高生に教わりながら、完成したシールを見て大盛り上がり!(完成したシールは番組で) まるで修学旅行のようなテンションで楽しむ姿が印象的 そしてロケ後半は、江ノ電が目の前を走る話題のお店「ヨリドコロ」へ! 稲村ヶ崎駅近くを歩きながら「SNSで見てずっと気になってた!」「江ノ電を見ながらご飯食べられるんだって!」と、到着前からテンションMAXのふたり。 江ノ電をバックに一枚 お店では、電車がすぐ横を通るロケーションに大興奮! 「近すぎる!」「こんなの初めて!」「手、振ってみる!?」と、終始大はしゃぎ。 お店の名物、ふわふわメレンゲ卵かけご飯にも挑戦! 卵白を交代しながら必死に泡立てて「メレンゲ王になる!」と大盛り上がり。 絶品料理にご満悦の坂井さん(撮影=結那) 同じく舌鼓を打つ結那さん(撮影=坂井仁香) 最後は、由比ガ浜へ。夕暮れの海をバックに、ふたりで写真を撮りまくりながら大はしゃぎ! 「エモすぎる!」「青春ドラマみたい!」と、最後まで高校時代に戻ったような時間を満喫していました。 ロケ中には、高校時代の思い出トークも続々 同級生だからこその空気がたっぷり詰まったロケになりました。普段のときプレとは少し違う、自然体すぎる坂井さんの表情にも注目です。制服姿で思い出をたどるふたりの鎌倉デートは、5月29日から配信予定の『ときめき♡プレシャス』にて!
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
-
吉高志音(BOY meets logirl #068)吉高志音(よしたか・しおん)1999年7月2日生まれ、東京都出身Instagram:sion_yoshitakaX:@sionyoshitakaYouTubeドラマ『東京彼女』出演(7月号配信中)ライブ『KoN×吉高志音 THE BRIDGE』出演(2026年8月5日(水)) 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) ヘアメイク=堤 紗也香 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
-
西山蓮都(BOY meets logirl #067)西山蓮都(にしやま・れんと) 2009年5月4日生まれ、千葉県出身Instagram:nishiyama_rento_official X:@nishiyama_rento ドラマ『タツキ先生は甘すぎる!』(日本テレビ)岩瀬大也役で出演ドラマ『転校生ナノ』(FOD)episode6.「探しものは何ですか?」タクト役で出演 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
-
萩原 護(BOY meets logirl #066)萩原 護(はぎわら・まもる) 2003年7月9日生まれ、東京都出身Instagram:mamoru_hagiwara ドラマ『スピナーベイト』(フジテレビ)2026年6月放送開始映画『Man』2026年9月11日公開写真展『あの人と私』(弘重GALLERY)2026年5月19日〜24日開催 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
-
「お笑いが好きだったらなんとかなる」──『THE SECOND』ベスト4のリニアを変えた先輩芸人の金言|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46芸歴16年以上の芸人が出場する『THE SECOND~漫才トーナメント~』。今年ベスト4まで勝ち上がったのがリニアだ。 もともとは2006年にトリオで結成し、その後、コンビになった。2016年には一度解散も経験している。出会ってから20年。酒井啓太としょうへいは、ようやくその実力を世間に知らしめた。 遠回りをしてきたリニアは、なぜ20年も走り続けることができたのか。彼らに聞くと、東京03・飯塚悟志をはじめとした先輩たちの支えがあったことがわかる。 「お笑いが好きだったらなんとかなる」 その言葉を信じて、賞レース決勝までたどり着いたリニアのこれまでを聞いた。 【こちらの記事も】 アクロバティックなネタで目先の笑いを追いかけた?『THE SECOND』で注目されたリニアの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46 目次ウケを手放す怖さ人の感情がわからない化け物即再結成も、ファンがゼロに「お笑いが好きだったらなんとかなる」『THE SECOND』は勝てるはずだった ウケを手放す怖さ 左から:しょうへい、酒井啓太 ──前編では、とにかくお客さんのウケを重視する『THE MANZAI』に適応したことで、エッジの効いた漫才を求める『M-1(グランプリ)』に苦戦したと言っていました。 酒井 2015年に復活したM-1では、それまでお客さんにウケることだけを考えてて「自分たちの漫才」を作ってこなかった僕らはめちゃめちゃ苦戦して。本当にダサいんですけど、予選で落ちるたびに「審査員は何もわかってねえんだよ!」って後輩に言ってましたね。 「これじゃダメだよな」ってわかってはいるんですけど、普段のライブではウケてるから、「俺らのやり方は間違っていない」って自分を慰めてたんですよね。本当に若手のころはずっとスベってて、そこからちょっとウケるようになったもんだから、一度覚えたウケを手放すのが怖かった。 今思うと最低ですけど、最終的に全部しょうへいのせいにして、結局2016年に一度解散したんです。 ──しょうへいさんは解散を告げられて、何を思いましたか。 しょうへい コンビのことは啓太が全部決めてたから、しょうがないかって感じでしたね。もうずっと仲も悪かったんです。ネタ合わせで集まっても、あいさつもしないでいきなり「どうもー」から始まって、終わったら「お疲れ」って帰るみたいな。普通の会話が一切なかった。 酒井 一応、一回は「解散したくない」って言ってたけどね。 しょうへい ライブ終わりに中野サンプラザの前の広場に呼び出されて、そこで言われたんだ。そのときは一回「イヤだ」って言ったんですけど、また新宿でのライブ終わりに言われて、しょうがないかって。 酒井 今でこそしょうへいの変人なところがおもしろいって思えるんですけど、当時は、この変なところにずっとイライラしてたんですよね。 しょうへい あ、変なとこ出てた……? 酒井 ずっと出てたよ。隠せてるつもりだったのかよ(笑)。 人の感情がわからない化け物 ──酒井さんから見て、しょうへいさんの「変さ」ってどういうところに出てるんですか。 酒井 しょうへいは、人の心がまったくわからないんです。ネタ合わせでも、一つひとつのセリフについて、どういう感情で言うのか説明しないとダメで。「ここのセリフはもうちょっと強めに」とか「悲しそうに言って」とか、言葉のニュアンスを一個一個、手入力してる感じ。 意図せずデリカシーのないことを言ったりするし。だから僕はしょうへいのことを「大型動物」だと思ってます。人間的なことを求めてしまったらダメなんですよ。 しょうへい 人の感情がわからなすぎるから、先輩芸人に「映画を見て勉強したら?」って言われて、映画メモをつけるようになりました。 酒井 そのメモもひどいんですよ! 一回見せてもらったら、「『トイストーリー』を最初に観たのはいつごろだっけ? 小5のときか」だけで終わり。感想とか何もない(苦笑)。 でも、ここが厄介なんですけど、しょうへいって感情的ではあるんですよ。人の感情には鈍感だけど、自分の感情には敏感というか。 ──たしかに『THE SECOND』でも涙されていました。 酒井 そうそう。感情の起伏は激しくて、すぐヘコんだりもするんです。コイツの感情自体はすっごくわかりやすい。 しょうへい みんな、今どんな感情なのか言ってほしいです。「今うれしいんだよ」とか「悲しいよ」とか言ってほしい。 酒井 超不器用なんですよね。そのくせ、自分を「できるヤツ」に見せたがるところがあるんですよ。それで目先のウケやすいベタなことをやるんですけど,本質的に変なヤツなんだから下心は出さないで自然体でいてくれたほうがよっぽどおもしろい。 ──たしかにTHE SECONDで見ていても、ほかの芸人とは違う異質な感じがありました 酒井 しょうへいは本来ステージとかテレビに出ちゃいけない人なんですよ(笑)。でもだからこそ輝くっていうか。早く異物として見つかってほしいですね。 しょうへい 異物として、化け物として見られたいですね。 酒井 そうやって自分で言うと、ちょっと違うんだよ(苦笑)。 即再結成も、ファンがゼロに ──話を戻すと、酒井さんは解散後どうするつもりだったんですか? 酒井 ちょうど同じ時期に解散した元巨匠の岡野(陽一)と、元ザンゼンジの武田(裕司)と3人でやろうかって話が出たんですよ。 でも、岡野が天才すぎてやめました。ふたりでネタを書いてみたんですけど、これだったら岡野だけ書いたほうがいいやって思ったんです。でも、僕は自分でネタを書かない芸人人生に納得できないだろうなって気づいたんですよね。それですぐ、しょうへいをまた誘いました(笑)。 ──しょうへいさんも振り回されてますね。 しょうへい でもピンでもうまくいきそうになかったし、ずっと啓太の言うとおりにしてきたんで。 酒井 再結成しても、また空回りするんですよ。新しい自分たちを見せようとしすぎて、しょうへいがピンで一瞬やっていた「サイモン」というキャラをやっちゃって。 ──なんですか、それは。 しょうへい 東南アジアのジャングルでゴリラに育てられた人間が、日本に出稼ぎに来ているみたいな設定のキャラクターをやってたんです。 酒井 僕も「そのキャラで新しいお笑いができる!」ってワクワクしてたんですよ。ふたりで衣装も買いに行って。ありがたいことに再結成ライブも、チケットは即完売だったんですよ。S×L時代に応援してくれてた人たちが、僕らが戻ってきたと思ってくれて。 なのにステージに現れたのはサイモン(笑)。客席にいる女性のお客さんを指さして「女、抱かせろ」って言った瞬間、全員が悲しそうな顔になりました……。数少ないファンも完全にゼロになった。結局、サイモンは2日でやめましたね。 ──でも再結成してコンビ仲は回復したんじゃないですか? 酒井 いや、最初は気を遣い合ってましたけど、すぐに関係がよくなったとかではないですね。結局、人間はすぐには変わらないんですよ(笑)。 「お笑いが好きだったらなんとかなる」 ──2016年の再結成から、2023年のM-1のラストイヤーまで思うような結果は出てなかったと思うのですが、なぜそれでも芸人を続けられたのでしょうか? 酒井 ここでも東京03の飯塚さんに助けられましたね。サイモンで再結成したとき、すぐ飯塚さんが飲みに誘ってくださったんですよ。 そこで「酒井って、自分にお笑いの才能あると思う?」って聞かれて。これ、「どっちが正解だ?」と思うじゃないですか。「才能ないです」って言ったら、「自信ないならもう辞めたほうがいいよ」って思われるかもしれない。だから一か八か「才能、ありますよ」って答えたんですけど、飯塚さんに「いや、俺だって才能ないよ」と言われて(苦笑)。 ──二択を外した(笑)。 酒井 めちゃめちゃ恥ずかしかったですけど、でも飯塚さんは「才能がない上で、リニアがどう売れるかを一緒に話したかったんだよ」と言ってくれて。 ──いい先輩ですね。 酒井 本当にありがたかったです。その日は朝まで相談に付き合ってくれて。帰り道で歩いてるとき、飯塚さんが「酒井ってお笑い好きなの?」と聞いてくれたんですよ。 「好きです」って答えたら、「じゃあ大丈夫だよ。この世界はお笑いが好きだったらなんとかなるようにできてるから」って言われて。 ──その言葉はお守りになりますね。 酒井 でもそのときは、ちょっと卑屈になっていたのもあって、「それは飯塚さんが売れたから言えるんじゃないの?」と思っちゃったんですよ(苦笑)。 でもずっと飯塚さんのあの言葉は残っていて、ふとした瞬間に気づいたんです。「お笑いが好きならなんとかなる」って裏を返せば、「なんとかならないってことは、お笑いが好きじゃない」ってことだって。 ──お笑いが好きだってことを証明するためにも、結果を出さなくちゃならない。 酒井 それに気づいてから、めちゃくちゃスイッチが入りました。「お笑いが好きだ」っていう気持ちがウソになるのだけは、絶対にダメだと思って。そこからネタの作り方も変えましたね。目先のウケじゃなくて、「リニアとしてどういう漫才をやったらおもしろいか」を考えるようになりました。 ──具体的には何を変えたんですか。 酒井 まず「ネタを作っているのは俺だ」というプライドは捨てて、元エレファントジョンの(ガッテン)森枝さんにネタを手伝ってもらうようになりました。 あと、1分ネタなどのテレビのオーディションもすべて断るようにしました。とにかく漫才だけやる。うまい人に追いつくには、全部のリソースを漫才に割くしかないと思ったんです。 しょうへい そういうことだったんだ。僕は1分ネタもがんばったほうがいいのになって思ってたんですよ。チャンスは多いほうがいいから。啓太がそんなこと考えてたって今初めて知りました。 酒井 絶対言ったけどなぁ(笑)。 ──リニアの漫才を追求するようになって、結果はすぐに出ましたか? 酒井 そこからまた2〜3年はスベり続けましたよ。ウケてたころの感触を取り戻したくて、前みたいに戻したくなることもあったし。そのたびに森枝さんが「安易に手前の笑いを取りにいってる」って注意してくれて、思い留まれたんです。 それで我慢してリニアの漫才を考えてたら、だんだん芸人仲間の言葉が「ウケてるね」から「おもしろいね」に変わってきた。あれはうれしかったですね。芸人がおもしろいって思うんなら間違いないなって。めっちゃ時間かかりましたけど、あのとき向き合ってよかった。 しょうへい 僕は台本をもらってやるだけなので、その変化は正直わかってなかったです(苦笑)。 『THE SECOND』は勝てるはずだった ──こらえてこらえてようやくリニアは今年、THE SECONDのグランプリファイナルに初進出しました。初めての賞レース決勝の舞台は、いかがでしたか? 酒井 ただただ楽しかったですね。僕、普段は吐き気がするぐらい緊張することもあって、実際ノックアウトステージは、緊張で噛んだりして自分にガッカリしたんですよ。でも、決勝は緊張せずに出られました。 当日の朝、飯塚さんがLINEをくれたんです。「決勝で優勝するのは運しかないから、思い出作りだと思って楽しんできな」って。その日、東京03の単独ライブだったんですよ。自分の忙しいときに、僕らのことを気にかけてくれて本当にありがたかったです。 しょうへい 僕も決勝前に(モグライダーの)ともしげさんと、や団の中嶋(享)さんと飲みに行って、「決勝が一番楽しいから、楽しみなよ」って言ってもらいました。 酒井 しょうへいもすごい緊張しやすいんですよ。昔、賞レースの出番直前に「ごめんなさい、ごめんなさい……」ってテンパってることがあって。「セリフが何も思い出せない」って。結局なんとかなったんですけど、あのときは焦りましたね。 しょうへい でも、THE SECONDは楽しかったです。 酒井 小劇場でマックス20人ぐらいのお客さんの前で、ウケた、スベったっていう日々だから、テレビで6分ネタを2本もできて夢みたいでした。 ──惜しくも準決勝で敗れました。 酒井 そこなんですよね。やるだけのことをやったと思えたし、打ち上げも楽しかった。でも帰り道でひとりになったとき、ふと、「あれ。準決で勝ってたら、優勝できたかもしんないな」って気づいたんです。 決勝の金属バットが、ホームランか三振かっていう極端なネタやったじゃないですか。たぶん、僕らの3本目はあれに勝てた。それまでの2本とは毛色も違うネタだったし、流れも完全にリニアだったんで。 ──遅れて悔しさが来た。 酒井 まぁでも僕はTHE SECONDっていう大会がめっちゃ好きなんで、最初のグランプリファイナルでいきなり優勝して上がるよりは、来年も出るほうがいいです。卒業しなくてよかったなって。 ──当面の目標はTHE SECOND優勝ですか。 酒井 そうですね。またあの舞台に立ちたいです。ネタを3本作るのはめちゃくちゃしんどいですけど、またみんなでTHE SECONDを盛り上げられたら最高だなと思います。 しょうへい 僕はテレビとかラジオに出ることが増えたんで、ちゃんとしゃべれるようになりたい。 酒井 いや、しょうへいは本当に無理してしゃべらなくていいよ。「コイツ、全然しゃべらねえな!」ってツッコまれてからが勝負だから。しょうへいを見つけてもらうためにも、漫才をがんばらなくちゃいけないなと僕は思いますね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リニア 酒井啓太(さかい・けいた、1986年9月11日、神奈川県出身)としょうへい(1986年11月16日、神奈川県出身)のコンビ。2008年結成。プロダクション人力舎所属。スクールJCA14期生。2012年から3年連続で『THE MANZAI』認定漫才師となる。2013年には『漫才新人大賞』優勝。2016年1月に一度解散、同年8月に「リニア」として再結成。2026年、『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』でグランプリファイナル進出を果たした。YouTubeチャンネル『リニアの漫才』では、漫才やトーク動画を公開中。 【後編アザーカット】
-
アクロバティックなネタで目先の笑いを追いかけた?『THE SECOND』で注目されたリニアの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46芸歴16年以上の芸人が出場する『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』で、ベスト4となった、リニア。 コンビ歴18年で、ようやく全国放送の賞レースで活躍したが、これまでずっと苦汁をなめてきた。 もともとはトリオで、コントをしていたリニアが、なぜコンビになり、漫才に主戦場を移したのか。「目先のウケ」ばかり意識して、自分たちの「笑い」を見つけられなかったというリニア。その初舞台について聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次子供のころからずっと芸人に憧れていた緊張したアクロバティックな初舞台目先の笑いに走ってしまう東京03・飯塚の金言 子供のころからずっと芸人に憧れていた 左から:しょうへい、酒井啓太 ──今年の『THE SECOND』で、見事ベスト4になったリニアさんですが、コンビ歴18年でようやく賞レース決勝と、かなり苦労されていますよね。そもそも芸人になろうと思ったきっかけは? 酒井 『オンバト』(爆笑オンエアバトル)と『M-1(グランプリ)』ですね。僕、今年で40歳ですけど、小学生くらいのときから、お笑いで闘うことがカッコいいみたいな風潮が出てきてて。オンバトってお客さんがボールを流して重さを量るじゃないですか。自分の実力が測られる感じがわかりやすくて憧れたんですよね。小学校の卒業文集にも「芸人になりたい」と書いてて、親も賛成してくれてたんですよ、「大学行くより安いし」みたいな感じで。 ──小学生からずっと温めてきた夢だったんですね。 酒井 中学生のとき一瞬、CHEMISTRYに憧れて「ボイトレに行きたい」って頼んだことがありましたけどね(笑)。でも、僕が神奈川県の中山ってところに住んでて、田舎だからボイトレなんかないんですよ。結局、ヤマハのカラオケ教室に入れてもらったんですけど、僕以外おじいちゃんしかいなかったんで、すぐ辞めました(笑)。 ──しょうへいさんはいつからお笑いにハマったんですか? しょうへい 僕はとんねるずさんですね。ちっちゃいころから夜ふかしオッケーな家だったんで、幼稚園のころから『ねるとん紅鯨団』とか『(とんねるずの)みなさんのおかげです。』を見てて。意味はわからないんです。でもとんねるずさんが出ているから見ている感じでしたね。 ──とんねるずだと、どちらにより憧れていましたか? しょうへい 僕は(木梨)憲武さんですね。おいしそうにご飯を食べるじゃないですか。おかずちょっとでご飯モリモリいくみたいな。 酒井 なんの話!? おかずちょっとでご飯いくって(苦笑)。 しょうへい あと憲武さんは、チビノリダー(※1)でも憧れていましたね。とんねるずさんを見てて「芸人になったら毎日楽しいんだろうなぁ」って思っていました。 (※)『みなさんのおかげです。』の人気キャラクター「仮面ノリダー」の相棒として、幼少期の伊藤淳史が演じたキャラクター ──しょうへいさんが芸人になりたいと思ったのはいつごろ? しょうへい 高校生のとき、アンタッチャブルさんがM-1で優勝したんです。オンバトのころからずっとおもしろかったですし優勝したのがカッコよくて、その次の年にアンタッチャブルさんのいる人力舎に入りました(※2)。 酒井 当時の人力舎って、おぎやはぎさんとかも出てきて、ネタがおもしろい人が多いイメージがあったんですよね。あと、僕が人力舎を選んだのは、吉本が怖かったってのもありました(笑)。毎年500人ぐらい入って、スパルタだって聞いてたから、厳しい競争社会では勝ち残れる自信がなかった。 (※2)アンタッチャブルのM-1優勝は2004年。翌2005年にしょうへいと酒井は人力舎の養成所「JCA」に14期生として入学した 緊張したアクロバティックな初舞台 ──芸人としての初舞台は覚えていますか。 酒井 養成所のライブですね。夏休み明けにあったんですよ。当時は僕としょうへいと、もうひとりで「バリアスリー」っていうトリオでした。会場は……。 しょうへい 「高円寺区民会館」だよ。今はもう「座・高円寺」に変わってますけど。 酒井 そうだ。客席はほぼ養成所生の友達とか身内しかいない感じで。めちゃくちゃ緊張したのは覚えていますね。 しょうへい 僕は全然記憶がないです。ネタをやった感じも何も覚えてない。 酒井 しょうへいは基本、何も覚えてないから(笑)。僕はこの前の『THE SECOND』の決勝より、緊張してました。出番前に行ったトイレとか、舞台に向かうまでの感じとか、映像として鮮烈に覚えています。当時は1回のライブで将来が決まると思っていたんですよ。ここでミスったら講師に落ちこぼれ認定されると思ってた。 ──どんなネタをやったか覚えていますか? 酒井 もうひとりの相方がツッコミで、僕が小ボケ、しょうへいが大ボケみたいな感じでコントをしていました。僕が体操をやってたんで、いろいろアクロバティックなことしてました。 しょうへい 僕が土台になって、僕の上で啓太が「あん馬」をするんですよ。 酒井 『ケンカ』っていうショートコントだと、ドンッってぶつかられて、アクロバティックに立ち上がるみたいな感じです。ネタ自体はオーソドックスなんですけど、そこに無理やりアクロバティックを入れてて(笑)。 ──そういうネタがやりたかったんですか? 酒井 いや、やりたいっていうよりは、手っ取り早く勝てるからやっちゃってたんですよね……。「おーっ!」って驚いてもらえるし、そのあとにオチをつけると、ドーンってウケちゃう。それに味をしめた感じで。養成所って投票で順位がつくんで、とにかくウケなきゃって思ってたんです。 ──「自分たちのお笑いを見せつけるぞ」とトガるんじゃなくて、ウケることを重視していた。 酒井 いや、これ不思議なんすけど、そんなネタをやりながらもトガってたんすよ(笑)。芸人初じゃないですか? あんなにドタバタコントやってんのにトガるって。高卒ですぐ芸人になったから、ちょっとイタかったんですよね。「ネタも俺が作ってんだぜ」みたいなイキリがあって。養成所ライブではしょせん5位くらいだったんですけどね。 ──しょうへいさんは、そんな酒井さんをどう見てましたか? しょうへい いや、僕もトガってたんです(笑)。全部、啓太にやってもらってるのに、「俺もすごいんだぞ」って感じを出してた。 酒井 ふたりともトガってるって感じ悪いなぁ(笑)。もうひとりの相方は僕らより3〜4歳上だったから落ち着いてたんですよ。それでこっちがヤンチャでいられたのかもしれないですね。 目先の笑いに走ってしまう ──初舞台後の養成所はどうでしたか? 酒井 養成所時代は、スベった記憶があんまりないんですよ。JCA卒業後もレギュラーに残れたし。でも卒業して初めての事務所ライブが全然ウケなかったんです。明確にスベったのはあそこが初めてだったかもしれないです。 ──なんでスベったんだと思いますか? 酒井 事務所ライブのお客さんって、めちゃめちゃお笑い好きな人が多いから、アクロバティックなことをしても「おおーっ」って感心されるだけでウケないんです。けっこう自信のあるネタだったんですけど、全然ダメで「プロの世界って全然違うんだ」って思ったのをめちゃくちゃ覚えてますね。 人力舎って養成所卒業からすぐ所属になるんじゃなくて「預かり」っていう状態があるんですけど、そのころは全然ダメでした。2007年に正式に所属してからもスベってばっかりで。 ──どのタイミングでトリオからコンビになったんですか。 酒井 ツッコミをしてた元相方が、2008年の単独ライブ後に急に「辞める」って言ってきたんです。それで、じゃあふたりでやろうかと。それで「S×L」に改名して続けました。でも、ボケがふたり残ったところで何をしたらいいかもわからない。 一応、トリオ時代のアクロバティックなドタバタコントは封印したんですよ。あれができたのは、真ん中にポップなツッコミがいたからだったんで。それでシュールの方向に挑戦しましたね。当時はキングオブコメディさんが活躍されていたので、そのマネみたいなコントでした。ブッ飛んだボケをして、芯を食ったツッコミをするみたいな。 しょうへい 僕がしゃがんで「あ、アリだ」ってアリをつまんで食べて……。 酒井 それに対して「何やってんだよ!」じゃなくて「おいしいですか?」ってちょっとずらしたツッコミをする……。 ──なるほど……。 酒井 当時も今みたいにめっちゃスベりましたよ!(笑) それですぐアクロバティックに戻しました。 ──戻すんですか(笑)。 酒井 養成所時代はウケてたから、スベるのが怖かったんですよ。今となっては、芸歴の浅いうちは手前のウケよりも自分の信じたことをやったほうが、自分たちのスタイルを見つけられるってわかるんですけど……。当時はウケないと事務所もクビになっちゃうかもしれなかったんで、目先の笑いに走ってました。でも結局それから3年くらいずっとうまくいかなくて。そしたら事務所からクビ予告されたんです。 東京03・飯塚の金言 ──事務所をクビになることがあるんですか。 酒井 事務所の人に呼び出されて、「あと半年ぐらいの間に結果出してくれないと、ちょっと危ないかも」って言われました。そこで「なんか変えなきゃいけない」と思って、僕はもうひとり入れてトリオに戻ろうって言ったんです。でもしょうへいは「ふたりがいい」って。 しょうへい 覚えてないなぁ(笑)。 酒井 言ったんだよ! そこで初めてしょうへいがお笑いのことに意見を言ったんで、これは信じたほうがいいのかなと思って、ふたりでなんとかしようと。それでまずコントから漫才をやるようになったんです。ガラッと変える方法がそれくらいしか浮かばなくて。 あと、事務所の先輩のゆってぃさんに相談したら、「東京03の飯塚(悟志)さんにも相談してみれば?」と言ってくれて、初めて飯塚さんに会いました。そこで「ちゃんとお笑いを勉強して、ベタなことをやったほうがいい」と言われたんですよ。 ──お笑いの勉強、ですか。 酒井 飯塚さんは「レンタルビデオ屋のお笑いの棚にあるDVDを全部見て、おもしろいと思ったところの構造をメモしろ」って教えてくれたんです。「全部じゃなくておもしろいと思ったところだけでいい。そのメモの集合体が酒井のセンスになる」って。 ──実践的ですね。 酒井 僕の芸人人生って、このあともずっと飯塚さんの言葉に助けられてきたんですよ。実際それで勉強して、ベタな笑いに集中したら、ウケるようになってきて。 当時ちょうど学生芸人が台頭してきてて、まだ人力舎に入る前の真空ジェシカとか、解散したスパナペンチとかがいて、そいつらと人力舎のうまくいっていない芸人の対抗戦があったんです。そこでベタな漫才をやったらめちゃくちゃウケて、2位になれた。あれは自信になりましたね。 ──2012年には『THE MANZAI』の認定漫才師にも選ばれています。 酒井 飯塚さんからアドバイスをもらった年のことですよ。目に見えて結果が出始めて、念願だったオンバトでも、オーバー500KB(キロバトル)を連発できて。 ──順風満帆だった。 酒井 いや、ここでベタから抜け出せない時期が来るんですよ……。また、ウケた手応えを手放せなくなって、守りに入るというか。THE MANZAIが終わってM−1が再開してからがダメで。 THE MANZAIはとにかくお客さんにウケることが評価されるんですけど、M-1はエッジの効いた漫才が勝ち上がるんです。だからベタに振り切った僕らは全然ダメで。ここから十数年、THE SECONDの決勝に上がるまでが大変でしたね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リニア 酒井啓太(さかい・けいた、1986年9月11日、神奈川県出身)としょうへい(1986年11月16日、神奈川県出身)のコンビ。2008年結成。プロダクション人力舎所属。スクールJCA14期生。2012年から3年連続で『THE MANZAI』認定漫才師となる。2013年には『漫才新人大賞』優勝。2016年1月に一度解散、同年8月に「リニア」として再結成。2026年、『THE SECOND~漫才トーナメント~2026』でグランプリファイナル進出を果たした。YouTubeチャンネル『リニアの漫才』では、漫才やトーク動画を公開中。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 「お笑いが好きだったらなんとかなる」──『THE SECOND』ベスト4のリニアを変えた先輩芸人の金言|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#46
-
「結婚したいんですよ」地に足が着いているのに悩みも多い、R-1チャンピオン・友田オレの今|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#45大学在学中にネタ動画がバズり、プロの芸人となった友田オレ。2025年には、芸歴3年目にして『R-1グランプリ』の王者となった。23歳での優勝は史上最年少だ。 誰がどう見ても破格の新人。順風満帆の芸人人生だろう……と思いきや、どうやら悩みは尽きないようだ。 未来が不安でいろいろ手を出してしまうという友田は、これからどうなっていくのか。さまざまな“初舞台”を振り返りながら、次なるステップを探った。 【こちらの記事も】 「ひとりのほうがウケたんです」史上最年少R-1チャンピオン・友田オレが覚醒した初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#45 目次歌ネタの強みとは?無理してもしょうがないいろいろやるのは不安だから?邪念を払うためにやりたいこと 歌ネタの強みとは? ──「わたしの彼は左きき」の替え歌でバズったことでテレビにも出演されて、学生にして所属事務所も決まった。芸歴3年目で『R-1』も優勝されて、順風満帆ですよね。 友田 ありがたいですね。でも2023年のR-1は、2回戦で負けたんですよ。 ──100万回再生されたネタをもってしても、賞レースでは2回戦で負けてしまう。 友田 審査員からの洗礼だと思いました。それに賞レースを替え歌でいくのってアマチュアにしか許されない。それもあって大学3年の後半くらいから、友達の清水(遊/brooks)にオリジナル曲を作ってもらうようになりました。清水は小学校の塾も中学高校も一緒だったんですよ。 ──音楽もずっと好きだった? 友田 そうですね、兄の影響もあるし、清水からもいろいろ教えてもらいました。大学では軽音サークルにも入ってましたし。J-POPはもちろん、R&Bとかニューウェイヴ、歌謡曲、フォークとかいろいろ聴いていましたね。 ──ちなみにプロとしての初舞台は覚えていますか? 友田 2022年、大学3年の4月だったと思います。野方区民ホールでやった芸人さん主催のライブですね。事務所に入る前でしたけど、ギャラをいただいたのはあれが初めてです。 ──そこでは『私の彼は左きき』をやったんですか? 友田 いや、違うネタをやった気がします。ライブシーンに来るようなお客さんはさすがにみんな知ってるかなと思ったんで。『北酒場』だったかな。 ──逆にバズってるこのネタを見たいっていう可能性もあるじゃないですか。 友田 いや、やっぱりお笑いは知られているほどウケないんです。音楽みたいに「待ってました!」とはなりにくくて。今でこそ、歌ネタは爆発的なウケがなくても「いいもん見れたなぁ」って満足感もあることがわかったので、そこは強いなと思いますけどね。どぶろっくさんとかAMEMIYAさんって歌がとにかくいいから、ネタを知ってても聴けただけで「気持ちいい!」って思える。ぼくもそこまでいけたらいいですね。 無理してもしょうがない ──2025年には、芸歴3年目にしてR-1で優勝されました。決勝という晴れ舞台はいかがでしたか? 友田 その年の目標は「準決勝に行くこと」だったんで、準決勝からずっと夢見心地でした。浮き足立っていて、あまり現実感がなかった。正直「決勝楽しみ」っていう感じもなければ、ドキドキするわけでもなく、「やるしかない」と思っていました。 ──決勝の1本目、出順はラストから2番目でしたが、一気に空気を掌握しましたよね。ご自身では追い風を感じましたか? 友田 そこは感じましたね。さっき言った「お笑いは知られてるほどウケない」っていうのと重なりますけど、僕のことをまだ誰も知らなかったのがよかった気がします。キャラクターと本人がごっちゃになってて、本当に変な人が出てきたと思ってもらえたというか。 ──テレビ出演もまだ少ないなか、平場のコメントなど不安はありませんでしたか? 友田 そこは気にしてもしょうがないなと思ってました。ネタに集中して、コメントで無理に爪あとは残さなくていいやと割り切ってましたね。 ただ、事前に撮った煽りのVTRは、スタッフさんの演出でかなりカマしてたんですよ。当時、最年少で優勝した霜降り明星の粗品さんに向かって、僕が拳銃で撃つみたいな感じで。撮影したときは「いくらなんでも大げさじゃない……?」と思ってたんですけど、結局それが実現したんでびっくりです。 ──多くのピン芸人がR-1優勝をひとつの目標にしています。そんななか芸歴3年目でいきなり優勝して、今後の目標がなくなる不安はありませんでしたか? 友田 それはまったくないですね。なるべく多くのお客さんに見てもらいたいっていうのが一番なので、早く結果を出せてよかったです。賞レースで勝てたことで、今後の活動の言い訳もしやすくなりましたし。 ──言い訳ってどういうことですか? 友田 この先何をやっても、賞レースチャンピオンだから許してもらえる。お客さんには伝わらないかもしれない挑戦的なネタができるのも、優勝できたからなんですよね。音楽アルバムをリリースできたのもそう。なんの結果も出してないのに「音楽もやります」って言ったら、「先にお笑いがんばれよ」って思われるじゃないですか。だからいきなり優勝できたことで、活動の幅は広がったと思ってますね。 ──R-1チャンピオンとして気負うことはないですか。 友田 どうなんだろう。無理してもしょうがないなって感覚はずっとあります。まだ芸歴は短いので舞台経験は少ないですけど、ムチャしていい結果が出たことってないんです。だからなるべく自然体でいこうと思っています。 ──この7月で25歳になるのに、すごく老成していますよね。普通、20代って自分を大きく見せたいというか、ジタバタする時期のはずなのに。 友田 それはやっぱり大学お笑いをやってたのが大きいかもしれません。アマチュアでも自分の素材のよさを客観的に見て、ちゃんと出力できてる人がけっこういたんですよ。そういう大学お笑いの芸人を見て、学びました。 いろいろやるのは不安だから? ──これからはどんな活動をしていきたいですか。 友田 もっと多くの人に知ってもらいたいです。単独ライブを大きくしていくためにコアなファンにもアプローチしたいですし、YouTubeやテレビを通してライトな層も広げていけたらなと。 ──テレビにも出たいんですね。 友田 もちろんです。でも今はテレビって席が埋まっているので自分がつけ入る隙はしばらくなさそうだなと。テレビに出られるなら、ひな壇でもドッキリでもなんでもいいんですけどね。50代の芸人に女性タレントがお色気ドッキリって、実際の社会だとあり得なさすぎるから、僕も使ってほしいです(笑)。 ──友田さんってひな壇やドッキリの印象がないのかもしれないですね。 友田 たしかに。本当は大喜利ライブとかも出たいんですけど、あんまりオファーが来ないんですよ。早くに賞レース勝ってしまって、大喜利のライブには出ないと誤解されているのかな。 ただテレビの話に戻ると、こないだ40代のテレビ業界の方から聞いて衝撃だったことがあって。「本当は若手に声かけたいけど、『先見の明ある』みたいなアピールだと思われそうで、その視線が怖い」と言っていて。 ──テレビ業界のそういう力学はなかなか難しいところですね。でも、友田さんの「お笑いならなんでもやりたい」という姿勢が伝わると仕事の幅は広がりそうですね。 友田 そうなるとありがたいです。……ただ、自分がいろいろやりたがっているところも最近はダメなのかな?と思っていて。 ──なぜですか。 友田 未来が不安だから、いろんなことに手を出してるところがあるのかもしれないなって。本当はR-1チャンピオンにならせてもらって、ある程度自由にネタをできるようになった現状とか、賞レースから解放された状況を目いっぱい楽しめばいいのに、未来が不安であれこれやっちゃうのってよくないかもなと。 ──現状を楽しめてない。 友田 そうですね。「次どうしよう」とか、「あれやらなきゃ、これやらなきゃ」と自分から仕事に追われに行っているというか。いろいろ手を出さずに、ひとつのことに集中したほうがいいのかなと悩みます。 邪念を払うためにやりたいこと ──友田さんって若くして売れたのにギラついてないですよね。野心も強くなさそうだし、確固たる自分があるという感じもしない。 友田 そうですね。ラランドさんとか、ダウ90000の蓮見(翔)さんみたいにカッコよくはなれないなと思います。僕なんかがサーヤさんとか蓮見さんみたいに意見を言ったりしても、薄っぺらい感じになっちゃうと思いますし。 ──じゃあ芸人としての理想像もないですか? 友田 あえて挙げさせてもらうなら、ロバートの秋山(竜次)さんですね。自分の着眼点みたいなもので勝負できたらなって。もうちょっと前の時代に芸人をやってたら、「DVDを作りたい」と思っていた気がしますね。 ──なるほど。たしかに今YouTubeでやってるコントもそういう方向性ですね。「食レポ」や「アナウンサー」のコントも好きにやっている感じがありました。 友田 でもそこも、自分が今どういうふうにおもしろく映るんだろうと考えたら、「若手アナウンサーみたいな見た目のやつが変なことを言ってる」というのが、今の自分に似合っているのかなと思って。ネタを作るときには「自分には何が向いているかな」がけっこう大事なんで。 僕がお笑いファンだったときも、そういうことを気にしていたからかもしれません。「この人、まだ若いのにこのキャラは合ってないな」とか思ってたし、その人の向き不向きもあるじゃないですか。 ──第一線で活躍されている芸人ほど、自分を俯瞰で見られてるなと思いますが、友田さんもそうなんですね。 友田 たしかに芸人はそういう人が多いかもしれません。独りよがりで場の空気を乱す人って、実は芸人にはあんまりいないですよ。 でも、そうやっていろいろ俯瞰で見ているうちに、純粋な気持ちが薄れてきてて、そこは怖いですね。たとえば、誰かにめでたいことがあっても「おめでとう」ってストレートに言えなくなってるんですよ。なんか、素朴に振る舞うことに変な照れがあるというか。 だから変な話、結婚して子供ができたら、そういう邪念も振り払えるような気がして、憧れるんです。自分の家族ができたら、いろんなことを純粋に楽しめるのかなと思って。 ──結婚したいんですか。 友田 そうですね、31〜32歳までにはしたいです。 ──それってすごく地に足が着いた考え方ですよね。友田さんの実績があれば、もっと華やかな話もありそうですけど。 友田 いやぁ、まさにそこはがんばらないとなと思っているんですよ。芸能界っぽい話題がまったくないので。地元の友達と遊んでても「芸能人なのに俺たちと遊んでて大丈夫?」って言われます。「お前、全然変わんないな」って(苦笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 友田オレ(ともだ・おれ) 2001年7月20日、福岡県出身。早稲田大学「お笑い工房LUDO」22期出身。大学在学中からピン芸人として活動し、2022年に芸能事務所「GATE」に所属する。2023年『第44回ABCお笑いグランプリ』決勝進出、2025年『R-1グランプリ』優勝。YouTubeチャンネル『友田オレ』では、不定期でネタ動画をアップしている。2026年5月には、歌ネタの音源も制作している幼なじみの清水遊(brooks)と制作した1stフルアルバム『陽動』をリリースした。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
-
映画『90メートル』ヒロイン・南琴奈──「もっとかわいく」演出と向き合った日々#22 南 琴奈(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載『focus on!ネクストガール』。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 インタビュー【前編】 目次“ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい “ガツガツ系”ヒロインは、アドリブもたくさん ──最新作の『90メートル』の話を聞かせてください。脚本をもらったときの印象はどうでしたか? 南 印象……んー、でも、すごく簡単な言葉になっちゃってイヤだな(笑)……なんだろう? ──役柄的には、普通っていうとあれですけど、さっき話されたみたいに、今回すごくキャラクターが濃いということでもないと思うんですよね。どんな感じなのかな?と思って、ストーリーを含めて。 南 そうですね……ストーリー、感動するなって思いました。 ──たしかに。クランクインをして撮影していくなかで、印象に残っている出来事はありました? 南 私は基本的に「藤村佑(たすく)」くん(山時聡真)とのふたりのお芝居か、学校のバスケ部でのお芝居だったんですけど。基本的にはふたりのシーンが多くて。山時くんも現場で言っていたんですけど「昨日はお母さんとの撮影がすごく大変で。バスケ部のシーンを楽しみにがんばったんだよね」とか。私には(それを聞いて)もう想像することしかできないから「お疲れさま」と思って。実際に(大変だったという)そのシーンを観るのを楽しみにしていました。 中川駿監督からは「ここはふたりのアドリブでやってみて」と任せてもらえることが多かったです。なので、合間にもいろいろとコミュニケーションを取ったりして……「きっとこのふたりだったらこうするんじゃないか」みたいなのを、なんとなく考えながら。考えて、でも考えすぎもせず……とにかく楽しい空気感を出せたらいいなと思って、ニコニコしていました。 ──アドリブのシーンが多いという感じですか? ふたりのシーンでは。 南 そうですね。ちゃんと台本はあるんですけど、台本にないところのセリフはもう全部、自分たちのアドリブで。そのときに思ったことを言っているんです。 ──佑くんに、きっかけを与えるような、導くようなところもある杏花さんの役柄。もし実際に佑くんのような友人がいて、南さんが接するとしたら、どうしますか? 南 そうですね、まあ、佑の出方にもよるんですけど(笑)。向こうがどれだけ心を開くか……でも私だったら杏花みたいにはガツガツ聞けないような気もして。ガツガツって言い方もあれですけど……杏花は本当に純粋な気持ちで、本当に力になりたくて、本当に気になって聞いているとは思うんですけど。私だったら、逆にいろいろと考えすぎてしまって「あ、こうやって聞かれたらイヤかな……?」とか。そんなのは聞いてもいないからわからないのに勝手に想像しちゃって、あまり聞けなそうだなというのが、リアルなところなんですけど。だから杏花はすごいなと思っていて。話を聞くことにはけっこうな責任が伴う気がするし。人の私生活とかプライベートすぎることに……。 ──わりと踏み込んでますもんね、杏花は……。 南 そうですね。だからもし私だったら、聞ける勇気があるのかなと思って。 ──佑を演じた山時さんとのシーンで、監督からのアドバイスは何かありました? 南 監督からは、ずっと明るくて楽しくて支えになってあげるような、心のよりどころになってくれるようなキャラクターでいてほしいと。意識してやっていたんですけど、いざ撮影をすると、監督が「もっとかわいく」って。「もっとかわいらしくやって」って……ムチャブリな注文をしてきて(笑)。「私、けっこうかわいくやったんだよ」と思ったり(笑)。「えー、かわいくなかったのー?」って。 ──これで満足いかないんですか?みたいなことですよね(笑)。 南 もっとあざとくやってほしいみたいな。 ──(笑)もっとあざとく……あざとキャラ。 南 はい(笑)。私はバスケ部のマネージャーをしていて、自分のおうちにはあまりお金がなくて、でもその環境に負けたくないからがんばるという、ガッツのある感じの女の子だなと思っていたので……「私、大丈夫だよ」みたいな感じの。体育会系みたいな感じのキャラクターなのかな?って、撮影に入る前にはイメージしていたんですけど、監督からは「もっとかわいく」と(笑)。なので、がんばりました。 ──じゅうぶん出ていた気はしますけど……共演者の方々との思い出はあります? 南 (一緒の撮影シーンがなかったので)菅野美穂さんと西野七瀬さんにはお会いする機会がなかったんです。山時くんと田中(偉登)くんとは、本当の高校みたいに、みんなめちゃくちゃ仲よくなって。撮影期間はけっこう短かったと思うんですけど。 バスケ部のみんなは、クランクインする前に(シーンのある)バスケの事前練習があったので、そこでもう仲よくなっちゃったんです。私は撮影から参加だったので、入る前はちょっと行きづらいかもと思っていたら、向こうからすごく話しかけてくださったりとか。みんなの明るさに助けられたな、と思いますね。 楽器、料理、陶芸──プライベートではあれこれ試したい ──今後やってみたい役柄ってあります? 南 そうですね……ちょっとまじめに答えると(笑)、今、楽器の練習をしているんですよ。練習をすると、特技が増えるじゃないですか、それが楽しい。自分がレベルアップしている気がして(笑)。 ──何か技術を身につける役ということですか? 南 そういう専門の……たとえばバイオリンだったりとか。そういう楽器って、やっぱり楽しいなと思って。私、特技がないんですよ! ──でもプロフィールを見ると……。 南 一応書いているんです(笑)。 ──でも、書道4段とかすごいじゃないですか。 南 (小声で)一応書いてるだけで……今できる特技が欲しいなと思っていて。 ──今、一番身につけたい特技はなんですか? 南 え、錠剤……錠剤をうまく飲むこと!(笑) 私、錠剤を飲むのが下手すぎて。もうすっごい下手で。 ──でもいますよね、たしかに。錠剤をうまく飲めない人って。 南 一回……こう(錠剤を)口に入れても、うわって吐いちゃうんですよ。そうすると、水に浸った錠剤をまた飲まなきゃいけないから(笑)。もうちょっとスマートに飲めるようになりたいですよね。 ──(笑)プライベートなこともお伺いしたんですけど、最近ハマっていることは何かあります? 南 そうですね。スープの素を組み合わせて……何かおいしいものができるか、みたいな。いろいろな種類のスープを買って、今日はこれとこれを混ぜてみよう、って。 ──(笑)それはもう……ガチャ的な感じ。 南 今日の気分はこれとこれだから!って。 ──今まで、一番イケていたのは? 南 もずくと、玉子スープですかね。 ──意外と王道な(笑)……普通に合いそうな感じ。 南 じゃあなしで(笑)。そうですねー、最近は自炊をしようかなと思って。そぼろ丼とかも作りました。 ──料理教室で最初に作るやつ……。 南 えー(笑)、でもちょっと興味が出てきていますね、料理に。 ──なるほど、では料理で。逆に今までで、すごくハマりましたみたいなものは……。 南 陶芸にハマっていたんです。花瓶をよく作っていたんですけど、最後に作った花瓶が自分の思ったようにはいかなくて、そこでやめちゃいました。 ──陶芸を始めたきっかけって、なんですか? 南 きっかけは……友達が誘ってくれて。やったことないし、やりたいなと思って。 ──なるほど。それでは最後の質問ですが、今後やってみたいお仕事はありますか? 南 ……なんだろう。それって、本当に来ちゃうかもしれないですもんね(笑)。 ──可能性はあります(笑)。 南 海外にいっぱい行きたいです。いろいろなところに。 ──海外ロケ! どのあたりに行きたいですか? 南 ちょっと過酷なのはイヤですけどね。でも……自分では選ばなそうなところ。んー、国名はパッと出てこないんですけど……そうですね、過酷でもやります!(笑) 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。
-
新進俳優・南琴奈──“自分との共通点”を見つける役づくり#22 南 琴奈(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 南琴奈(みなみ・ことな)。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から芸能活動を開始。ドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)への出演を契機に、俳優活動も本格的に始める。以降、映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)やドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などへの出演を重ね、映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』への出演を控えている。 目次原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 原宿でスカウトされ「本当にあるんだ!こういうの」 ──この業界に入ったきっかけから、お聞かせいただけますか? 南 きっかけは……母と原宿に初めて遊びに行ったときに、今の事務所の方に声をかけていただいたことで。そこから、という感じです。 ──声をかけられて「わ。なんか、話が来た」みたいな感じですか? 南 「え……本当にあるんだ!こういうの」って思って。初めて原宿に行ったから、すごくキョロキョロしながら歩いていたら声をかけていただいて……「本当かな?」って(笑)。 ──声をかけられた時点で、すぐにやってみたいと? 南 すぐにではないですけど、家へ帰ってから、お母さんやお父さんといろいろ話して。最後は「楽しそうだからやってみれば?」と、お母さんが言ってくれました。 ──なるほど。事務所に入って、最初にした仕事は覚えてます? 南 最初にした仕事……最初にしたのは、着物のカタログのモデルですね。 ──その仕事をしたとき、どうでした? 南 最後は「楽しかったな」と思って帰った記憶はあるんですけど、最初のほうは、とりあえず全力で笑顔を作ることに徹してました。 ──それをきっかけに、いろいろな仕事をやって……その後、最初に“演技的なこと”をしたのは何になります? 南 演技は……ミュージックビデオですね。1週間ぐらい撮影をしたMr.Childrenさんのミュージックビデオ、14歳ぐらいのときなんですけど。このとき初めて、お母さんの元を離れて、ひとりで仕事に行って。セリフはなかったんですけど、感情を出す演技というか、そういうのを監督から初めて教えてもらった仕事だったので、印象的です。 ──やってみて、実際どうでした? 南 やってみて……難しかったし、恥ずかしかったですね、やっぱり。 ──セリフがある演技経験は、何になりますか? 南 是枝裕和監督のドラマ『舞妓さんちのまかないさん』ですかね。 ──どうでした? 南 楽しかったんですけど、撮影していたタイミングがコロナ禍ということもあって、ひとりの時間が多かったんです。ホテルへ帰ったあととか……撮影所とホテルを行ったり来たりするだけで「ちょっとひとりじゃ心細いな」というのもありつつ。それに、先輩の俳優さんたちと初めて実際にお芝居ができるという状況にも戸惑いながら……。中学生だったんですけど、幼いながらも「贅沢だなあ」と思って。 ──共演した俳優さんたちと話したりとか……。 南 話しましたね。女性のキャストの方が多かったので……実際にお母さんとかお姉ちゃんみたいな感じで接してくださって。松坂慶子さんとか、いつもニコニコ現場で温かく話しかけてくださって、すごく安心したのを覚えています。 ──そのあたりから、俳優の仕事も意識し始めた感じですか? 南 ん……いや、まだ、まったくです。 ──なるほど。俳優として仕事をしているという実感が出てきたのって、どのあたりの作品になります? 南 えー……なんだろう……(マネージャーに向かって)どのあたりだと思います!? 自分じゃ本当にわからなくて……(笑)。 ──自然と……なんですかね。実際に『舞妓さんちのまかないさん』での自分の演技を観たときの印象はどうでしたか? 南 そうですね。がんばって撮影したのが完成したな、という。キャリアとして「よし、積み上げていけたぞ!」というよりは「完成したんだ! よかった! すごいな!」みたいな。まだ自分のことと思っていないところもあったのかなとも思います。 「初主演のホラー作品は……終始不安でした」 ──その後、いろいろな作品をやっていく中で、一番印象に残っている作品って何になります? 南 一番印象に残っているのは……やっぱり『ミーツ・ザ・ワールド』ですかね。 ──それは役柄的に? それとも撮影が?みたいなことですか。 南 どちらもそうなんですけど、それこそ本当に、演じていること自体が、自分がやっているように思えなくて……撮影している間もすごく不思議で。自然にその現場へ行ってお芝居をして、普通に話して、ご飯を食べて帰るということ自体が、すごく不思議な感覚で楽しかったです。なんとなく、あまり現実味がなかった気がします。 ──演じている感覚が強かったんですかね。その『ミーツ・ザ・ワールド』も含めて、今まで演じてきたキャラクターで、一番素の自分に近いなと感じる作品は……。 南 一番自分に近い……そうですね、んー。 ──たとえば、『僕達はまだその星の校則を知らない』とか『ミーツ・ザ・ワールド』、それこそ『終点のあの子』や、もちろん『90メートル』もそうですけど……『夜勤事件』もそうかな? それぞれの作品で、あまりにも演じているキャラクターが違うじゃないですか。パッと見ると、本当に……カメレオン俳優とまではいわないんですけど、幅の広い役柄を演じているなと思っていて。 南 そうですね。私は、人としてちょっと汚いところというか……あまり人に見せたくないものが自分と似ているほうが「自分と近しいかな」と思っていて。そういう部分でいったら、やっぱり『終点のあの子』の「菊池恭子」なのかな、と。 ──なるほど。逆に、一番遠いのは『ミーツ・ザ・ワールド』? 南 『ミーツ・ザ・ワールド』も、ちょっとずつは共感できるというか、理解できるところがあるキャラクターかなとは思うんですけど。そこまで自分とかけ離れているなというキャラクターはあまりないかも……あ、一番遠いのは『夜勤事件』じゃないですかね(笑)。 ──初めて主演をした作品。その『夜勤事件』で、ホラーをやってみてどうでした? 南 やった感想は……もうやらないです!(笑) 今回、初めてホラーをやってみて「やってよかったな」と、すごく思うんですけど。ホラーのお芝居で、私、これ以上引き出せるものがあるのかな?と思うぐらいの経験だったので。監督に言われたことを必死にひとつずつやっていくという感じだったので……撮影では自分の中のボキャブラリーというか、そういうのがなさすぎて。終始不安だったんですよね、もう。 ──「もうやらないです」は、ホラーとしては、ある意味、最高の誉め言葉ですよね。その撮影時に、何かホラー的なことってあったりしました? 南 ホラーの撮影では、よくあるじゃないですか、現場でのお祓(はら)いが。今回、私たち役者陣はお祓いがなくて。監督やスタッフさんはやったらしいんですけど。だから、なんとなくすごく不安で。いつもホテルへ入る前には、スタッフさんに塩を振ってもらっていたんですけど、そのおかげか何もなく終えることができたと思います(笑)。 ──なるほど。撮影時に役づくりとして、自分で何か意識してやってることってあります? 南 作品ごとに違うんですけど……私、今までは、がっつりキャラクターがある役をあまりやったことがなくて。すごく個性の強いキャラクターとかを演じたことがないんですよね。自分とかけ離れすぎているキャラクターを演じることはあまりないので……どこかしらはちょっと共通しているところがあるから、まずはそこを見つけて。こういう気持ちになったんじゃないかな?とか、想像力をふくらませて、あとはもう、監督に全部聞きます。わからないまま現場に入るのは、失礼かなと思うし。 ──たとえば原作モノ、『ミーツ・ザ・ワールド』(金原ひとみ)とか……それこそ『終点のあの子』(柚月麻子)もそうですけど、原作がある作品をやるときは、事前に原作を読んでから入ります? それとも読まずに……。 南 必ず読みます。 ──そのほうが入りやすい? 南 はい。入りやすいです。 ──原作がない作品だと、監督にもうとにかく聞く? 南 そうですね。わからないことは、がっつり聞きます! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Kanako(TRON) スタイリスト=池田ミレイ 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 ************ 南 琴奈(みなみ・ことな) 2006年6月20日生まれ。埼玉県出身。2020年、Mr.ChildrenのMVなどへの出演から本格的に芸能活動をスタート。以降、俳優としてドラマ『舞妓さんちのまかないさん』(2023年/Netflix)や映画『アイスクリームフィーバー』(2023年)、『ミーツ・ザ・ワールド』(2025年)、『終点のあの子』(2026年)、ドラマ『僕達はまだその星の校則を知らない』(2025年/フジテレビ)などに出演。映画『夜勤事件 The Convenience Store』(2026年)では初主演を務める。今春公開される映画『90メートル』では、主人公「藤村佑(たすく)」の同級生でもあるバスケ部のマネージャー「松田杏花」を演じている。 【インタビュー後編】
-
休日にはあえてグルテンを摂取!──女優・鳴海唯の「チートデイ」#21 鳴海 唯(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年・NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年・TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年・ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる「若松のぶ」の同僚「琴子」役として出演。 インタビュー【前編】 目次余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい 余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々 ──これまでいろいろな作品に出演されてきたと思いますが、その中で特に印象に残っているものはなんですか? 鳴海 最近だと、やっぱり『あんぱん』が一番ホットですね。でも、印象に残っているという意味では、『わかっていても The Shapes of Love』(2024年/ABEMA)という、横浜流星さん主演のドラマですね。その作品で私は、余命宣告を受けた女性の役を演じさせていただいたんです。 その役は、必然的に命と向き合わなければならないキャラクターだったので、演じる上で本当にたくさんのことを考えましたし、それを経験したことが自分の中ではすごく大きな糧になっていて……。 もちろん私自身は実際に余命宣告を受けたことはないので、どこまでいっても埋められない差はあるんですけど、だからこそ、その中で「どう向き合っていくか」という難しさに直面しました。この経験を通じて、私自身、役への向き合い方が大きく変わったと思います。だから『わかっていても』は、すごく印象深い作品ですね。 ──そういう壁にぶつかったときは、どう乗り越えていくんですか? 鳴海 自分の人生と全然違う役柄に出会うと、やっぱりすごく難しいなって思いますし、「どうすればいいんだろう」って悩みます。でも、その壁を乗り越えたときに、またひとつ自分が成長できたような気がするんですよね。 だから、自分が取り組みやすい、演じやすい役ばかりじゃなくて、苦手意識のあるキャラクターにも、どんどん挑戦していきたいなと思っています。 ──なるほど。その意味では、先日、NHKで放送された村上春樹さん原作のドラマ『地震のあとで』(第2話「アイロンのある風景」)に出演されましたよね。あれは難しい作品だったと思いますが、どうでした? 鳴海 役がすごく難しくて、ずっと悩んでいました。撮影が終わっても、「これでよかったのかな」と、思い続けていました。 もちろん、正解がない作品だと思うので、正解を求めること自体が違うのかもしれないんですけど……どうしても正解を求めてしまう自分がいて。放送を終えて、視聴者の方から感想をいただいたときに初めて、「わからないままでいいのかもしれない」と思えたんです。 正解が出ないなかで悩み続けることって、その作品とひたすら向き合っている証拠だと思うので、正解が出るかどうかじゃなく、向き合っていた“時間”のほうが大事なんだなと……そういうことを視聴者の方々の感想から教えてもらいました。 ──堤真一さんと共演されていましたが、現場でお話はされましたか? 鳴海 はい。私が演じたキャラクターは、けっこう感情を吐き出すようなシーンがあって、そのときは堤さんが本当に静かに寄り添ってくださいました。監督ともアプローチについて話しながら撮影に臨んでいたんですけど……堤さんは細かくお芝居について話すというよりは、すごく自然に気持ちを引き出してもらえるような関わり方をしてくださって。 実は私、小学生のころから「好きな俳優さんは誰ですか?」と聞かれたら「堤真一さんです」と言っていたくらい、ずっと憧れていたんです。しかも堤さんは私と同じ兵庫県西宮市の出身で地元のスターでもあるので、いつか共演できたら……と思っていた夢が今回実現しました。 撮影中は悩む時間もありましたけど、堤さんとは地元トークで盛り上がったりして……「あそこの公園わかる!」みたいなお話もできたんです。東京にいるのに、地元にいるような感覚でお話しできて、とても楽しかったです。お芝居の面でも、本当にたくさん引っ張っていただきました。 休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい ──地元トークができるのっていいですよね。ところで、少し仕事からは離れますが、最近ハマっていることや気になっていることってありますか? 鳴海 最近ハマっているのは、休みの日に「あえてグルテンを摂取しに行く」ことなんです(笑)。今、普段はグルテンフリーをゆるくやっているんですけど、完全に摂らないでい続けるというのは無理なので、次の日に撮影がないときは「今日は小麦を摂るぞ!」って決めて、気になるパン屋さんを調べて行くんです。 今はそれがすごく楽しみで……パン屋さんまで散歩して、近くのカフェでカフェラテを買って、公園で座ってのんびりするというのが最近のリフレッシュ方法ですね。ひとりでパンを食べたり、トンカツを食べたり……そういうのが今のささやかな楽しみです。(小麦を)ごほうび感覚にすると、適度に距離感が出ることで、より好きになって。 ──いわゆるグルテンフリー版「チートデイ」的な感じですね! 鳴海 そうです(笑)。おっしゃるとおり、チートデイですね。 ──グルテンフリーを始めて、何か変化はありましたか? 鳴海 そうですね。わかりやすく体重が減りましたし、朝の目覚めもすごくよくなりました。よく「本当に効果あるの?」って言われるんですけど、実際にやってみたら本当でした。おもしろいくらい、如実に効果が出ます。 ただ、普段パンを食べていない状態で久しぶりに小麦を食べると、そのあとすごく眠くなるんですよね。だから仕事に集中したいときは、お米を食べるようにしています。 ──なるほど。今後やってみたいことって何かありますか? 鳴海 私、ひとり旅が好きなんですよ。今年は(忙しくて)ちょっと行けそうにないんですけど……去年や一昨年は海外に行っていて。国内旅行は飛ばして、海外にばかり行っていたんです。でも最近は、時間があまりないなかで「どこか行きたいな」と思ったときに「国内旅行もいいな」と思うようになってきて。やりたいことっていうほどではないかもしれないですけど、今は国内旅行をしたい気持ちが強いです。 ──行ってみたい場所はありますか? 鳴海 今は三重県の伊勢神宮に行きたいです……というか、伊勢神宮の手前にある参道で、赤福のぜんざいを食べたいという(笑)。 東京から三重って絶妙に行きづらくて、なかなか友達とも計画が立てられないんですよね。大阪に帰ってくると、つい実家で過ごしてしまうので、やっぱりなかなか予定に組み込めなくて。なので「ちゃんと見に行くぞ!」って決めないと、きっと実現できないなと思っています。 刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい ──三重、近いうちに実現するといいですね……あと、今後演じてみたい役柄はあります? 鳴海 今までは、自分に近い等身大の役が多かったんですけど、最近は特殊な職業の女性を演じてみたいなと思っていて。実はこの前、とあるそういう感じの役をやらせていただいたんです。その役づくりをしていく中でのプロセスが、すごくおもしろくて。 『あんぱん』だと土佐弁がそうだと思うんですけど、そういう役づくりで必要になる要素があると、自然と役と向き合う時間が増えるんですよね。いつも以上に役と向き合わないといけない。準備をしっかりしないといけないから、役やセリフが自分の中にどんどん染み込んでくる、血肉になっていく感じがあって、それが好きなんです。 これからも、そういう特殊な職業の役に挑戦してみたいです。刑事とか弁護士とか、以前からやってみたいと思っていた役にも……実は今後挑戦させていただく予定があるので、夢がひとつ叶ってうれしいですね。絶対、大変じゃないですか(笑)。もちろん大変だとは思っているんですが、限られた時間の中でどこまで取捨選択して準備できるか、挑戦していきたいと思っていますし、大人の女性の役柄を演じていけたらいいなとも思っています。 ──ありがとうございます。最後に、鳴海さんが出演する『あんぱん』の見どころを教えてください。 鳴海 私は『高知新報』という新聞社のパートに出演しているんですけど、そこは戦後最初のパートになるんですね。なので、すごく自由と活気にあふれていて、熱量の高い場面が続きます。ドラマの制作の方からも「開放感のある、明るいシーンにしたい」と最初に言われていたので、そういうエネルギーを意識しながら演じていました。 それと、(若松)のぶと(柳井)崇の恋が大きく進展するパートでもあるし、私が演じる琴子は、そのふたりの恋のキューピッド的な存在でもあるので、琴子の“愛あるおせっかい”によって、ふたりの恋がどう動いていくのか……ぜひ楽しみにしていただけたらと思います。 ──視聴者が思っているもどかしさを、全部代弁してくれるようなキャラクターですよね。 鳴海 そうなんです(笑)。『高知新報』のシーンは、ちょうど作品としては折り返し地点に入っているところなので、最初から観てくださっていて(のぶと崇の関係性が)「もどかしい!」と思っている方には、「ようやく動く!」と思っていただけるんじゃないかなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
-
「24時間、好きなことを、好きなだけ、楽しみ続ける」吉田尚記のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 吉田尚記さんは、マンガ・アニメ・アイドル・デジタル、あらゆる分野に精通した異色のアナウンサーとして、多岐にわたる活動の幅を広げ続けている。「もっと活動したい、もっと働きたい」という思いから、長年所属したニッポン放送を退社してしまったという吉田さんに、その原動力となる好奇心や楽しむ力、そしてサボりすらも楽しむ姿勢について聞いた。 吉田尚記(よしだ・ひさのり) アナウンサー。1975年、東京都生まれ。ニッポン放送アナウンサーとしてラジオのレギュラー番組のほか、テレビ番組やイベント司会など年間200本ほど出演。マンガ・アニメ・アイドル・デジタル分野に精通し、「マンガ大賞」発起人でもある。2012年には、第49回「ギャラクシー賞DJパーソナリティ賞」受賞。近年はウェルビーイングにも関心を広げ、講演や執筆活動を展開。2025年、人類学者・奥野克巳との共著『何も持ってないのに、なんで幸せなんですか?』(亜紀書房)を出版。2026年3月、ニッポン放送を退社。 人のカッコいいをなぞるのはカッコよくないと、オタクの道へ ──吉田さんといえば、アナウンサーでありながら、マンガ・アニメ・アイドル・デジタルと、あらゆる分野のオタクとしても有名です。子供のころから何かにハマりやすいタイプだったのでしょうか。 吉田 小学生のころから新聞のスクラップブックを作っていた記憶があるので、メディアが好きな子ではありました。ただ、我々が子供のころはまだオタクという存在が顕在化していなかったので、オタク的な趣味に走ったのはある種の反抗でもあったと思います。 中学生くらいになったとき、バイクに乗ったりするような、いわゆる尾崎豊的な上の世代の反抗がカッコ悪く感じられたんですね。そのカウンターとして、アニメやマンガ、ゲームにハマっていったというか。人のやっている“カッコいい”をなぞるのは、カッコよくないと思っていたんです。 ──なるほど、ひねくれ者としての反抗のかたちだったと。 吉田 そういう側面もありますし、同時にものすごい作品群が登場した時代でもあって。中でも中学2年のときに出会った『機動警察パトレイバー』には圧倒されました。1980年代から10年後の社会を舞台に、将来あり得るかもしれない話が描かれていて、それが当時珍しいメディアミックスというかたちで展開されていた。 忘れもしないのがOVA(※)の特典で、作中に出てくる架空の企業のノベルティとかだったんですよ。「篠原重工」と企業名が入っていて、1990年代なのに、「2000年」みたいなあり得ない年数が入っている。それを学校に持って行って、気づいた人に「年数おかしくない?」とか言われてニヤニヤしていました。 吉田さんが今も大切にしている当時のノベルティ (※)オリジナル・ビデオ・アニメーション。テレビ放送などではなく、ソフト販売用に制作されたアニメ作品 ──最初は反抗に近い気持ちもあったのが、だんだんシンプルにハマっていった。 吉田 そうです。で、高校でアイドルも好きになり、落語も好きだったので大学では落語研究会に入りました。1週間に5日も寄席に通ったりしていて、まあなんでもハマりやすいんですよね。濃淡はあれどずっとその繰り返しで、飽きたという状態がないまま今に至ります。 ──コミケにも高校生のころから通っていたそうですね。90年代のコミケって、どんな雰囲気だったのでしょうか。 吉田 まだネットも浸透していなかったので、ムーブメントが目に見えるかたちでわからなかったんですよ。だから、コミケに行って「ここにいる人、全員オタクなんだ!」という衝撃がありました。コスプレがコミケで生まれたのも、そのコスプレの文脈を理解できる人がコミケにしかいなかったからです。エビの寿司の被り物をしている人を見て、「あれは菊池通隆の自画像だ!」とわかったりするのがおもしろくて。 自分の原点である作品によって、アナウンサーとして覚醒 ──大学卒業後は、ニッポン放送にアナウンサーとして就職されますが、スクールに通うほど熱心にアナウンサーを志望していたわけじゃなかったとか。 吉田 落研にいてしゃべるのが嫌いじゃなかったので受けてみたんですけど、いろいろと勘違いしていましたね。エントリーシートに落語をしている写真を使ったり、ラジオ局なのに「好きなアナウンサー」という項目にフジテレビの西山喜久恵アナの名前を書いたり。面接では、扇子と手拭い持って行って小噺(こばなし)をやりました。 ──それが結果としておもしろがってもらえた。でも、入社後しばらくはそうしたおもしろさやオタク性が活かされず、自称「社内ニート」化していたそうですね。 吉田 仕事になるとは思っていなくて、誰にもオタクだと言ってなかったんです。まだ世間的にもオタクがポジティブに受け入れられていませんでしたし。でも、中身はオタクだからコミュニケーションの取り方が普通じゃなくて、最初は「気持ち悪い」とか「よくわからない」とか言われていました。 ──どこで吉田さんらしいキャラクターが開花したのでしょうか。 吉田 たまたま僕のところに、『機動警察パトレイバー』の特番の仕事が来たんですよ。こっちとしては「えーっ!?」ってなりますよね。しゃべり手の中では誰よりも詳しい自負がありましたから。 今でも覚えているのが、ラジオネーム「津田三蔵」という人からメールが来たことで。「これって、太田(功)巡査が勝手な行動を起こしたときに、篠原遊馬が言うセリフじゃん」みたいなことを言った瞬間、ラジオの向こうがザワついたのがわかったんです。本物のオタクがしゃべっていると伝わって、ものすごい量のファックスが届きました。 ──相当な反響だったんですね。 吉田 「今まで何もできなかった吉田が覚醒したらしい」って、制作部の人たちもザワついていたみたいですね。そこで、「ラジオってこういうことなんだ」と初めてつかめた気がします。アナウンサーとしてパブリックなしゃべり方をしなければいけないと思い込んでいたのが、自分の好きなものを出していいんだと考えるようになりました。 ちょうどそのころ、ニッポン放送が「オタクは数字を持っている」と気づき始めたのも、タイミングがよくて。たとえば、ニッポン放送主催のイベントのプロモーションでアニラジ(アニメ系ラジオ)をやろうとなったら、「あいつがいるじゃん」という話になり、僕がレギュラーで担当するようになったり。それが今の道につながりました。 ──では、自分でキャラクターを売り出したというよりは、時代の波や社内の状況など、いろいろなタイミングがハマったというイメージなのでしょうか。 吉田 そうですね。オタクのアナウンサーなんていない時代に、偶然あの場所に立っていた。本当にラッキーだったと思います。ラジオDJの小林克也さんも、日本に洋楽が入ってきたタイミングで、洋楽が大好きなあの方があの場所に立っていて、洋楽を広めていったわけじゃないですか。その小林さんが、80歳を過ぎた今でも最新の音楽を聴いているんですよ。僕もオタクとしての熱が衰える気配がないので、オタクカルチャーにおける小林克也みたいになれたらいいなと思っています。 ──覚醒してからは大忙しになっていったわけですが、仕事をしていて改めてアナウンサーという職業の奥深さを感じるようなことはありましたか? 吉田 アナウンサーの何がおもしろいって、「アナウンサー」というだけで、選挙の現場や歌番組の司会など、どこにいてもよくなるんですよ。芸人さんと夜の街をパンツ一丁で駆け回ったって、「若手のアナウンサーなら、そういうこともするか」と認められるじゃないですか。逆に芸人さんが選挙の現場にいたり、報道記者が歌番組にいたりしたら、「なんで?」ってなりますよね。どこにいても納得してもらえるアナウンサーという肩書は、ずるくて、おもしろいなと思っています。 ──アナウンサーは専門性の高い仕事というイメージがあったので、なんにでもなれるという視点は新鮮です。 吉田 僕自身、オタクなイベントに出たりしている一方で、災害現場やオリンピックなどの取材にも行ってきました。もちろん、「サッカー実況といえばこの人」みたいな、ひとつの道を極められる方もいます。でも、僕はそのなんでもありな方向で、やれるだけやってみようと思うんです。 好奇心を突き詰めていった結果、ボルネオへ ──なんでもありなアナウンサーの道を進んだ結果、社外業務がほとんどになっていったそうですね。 吉田 そうですね。誘われたことはなんでもやりますから。それは、自分がラジオのアナウンサーだったからであって、つまりラジオパーソナリティでもあるんですよ。ラジオパーソナリティは、その人自身や考えていることがおもしろくなければ、番組を聴いてもらえないじゃないですか。だから僕も、自分なりの疑問が生まれると、答えを探して現場に出かけたり、本を読んだり、取材したりするようになっていきました。 ──吉田さんはその結果、コミュニケーションや没頭力、ウェルビーイング(※)といったことをテーマに書籍を出版されています。どうしたらそこまで自身の興味関心を深められるのでしょうか。 吉田 好奇心のない子供っていませんよね? それが社会人になっていくと、みんなその好奇心にフタをするようになると思うんです。でも僕は、それをしなかったというか、できなかった。自分の疑問から人類学にたどり着き、奥野克巳先生の本と出会って、先生にイベントに出てもらって、先生の誘いで有給を取ってボルネオのプナンという狩猟採集民の村で1週間暮らしたことなんかは、その典型ですね。僕は、会える人には会いに行けばいいし、行ける場所には行けばいいと思うんです。 (※)心や体、生活が満たされた状態のこと。吉田さんいわく「機嫌よく、いきいきとしている状態」 ──そこまでできるかは別として……自分の価値観やものの見方が変わるような体験をするチャンスがあるなら、飛び込んで行ったほうがいいんでしょうね。 吉田 そうですね。ただ、僕はプナンの村で「こんな世界があるんだ!?」と刺激を受けたというよりは、プナンの生活を見て日本で思っていたことについて「やっぱりそうだよね」と再認識した感じが強かったんです。 僕は「みんなウェルビーイングのために生きてるんじゃないの?」と思っていて、今はそれを大学院で研究しているんですけど、プナンの人たちはそんな言葉も知らないまま、ずっとそういう状況を生きていた。そして東京に戻ると、東京がどこか間違っているというか、わざわざウェルビーイングでない状況に向かっているように見えて。「なんか、わざわざ不機嫌になってる感じの人多くない?」みたいな。 ──たしかに、社会全体で病んでいっている感じはします。それにしても、年齢を重ねても好奇心にフタをしないで行動できるのはすごいと思います。精神的にも肉体的にもタフというか。 吉田 全然「めんどくさい」とか思わないです。歳を取ったほうが疑問って増えるじゃないですか。「道路工事ってどうやってるんだろう?」とか、なんでも興味が持てるし、おもしろく見える。その興味を深めるのにエネルギーはいらないんですよね。 ──とはいえ、知識も蓄積されていくわけで、ずっと好きだったアーティストが作品を発表し続けているのに、新しいアーティストも次々と現れてフォローしきれない、みたいな感覚はあります。 吉田 それはね、無理です。でも、ガーッとハマった時期から、そこまで追いきれなくて離れた状況になっても、そのジャンルを嫌いにはならないじゃないですか。勘どころは押さえているから、久しぶりに見たものでも「おお、いいじゃん」って思える。僕も落語は一時期に比べると行かなくなりましたが、久しぶりに寄席に行くと「この二つ目の人、めっちゃおもしろいじゃん」ってわかるし、楽しめますから。 ──なるほど、その時々の好奇心に応じて流動的に動いているんですね。 吉田 そのとき見たいものしか見ていないので。「チェックしておく」という行動をあまりしないんです。好きなだけでいいじゃないですか。 ──そんな吉田さんが、今関心を持っていること、やってみたいことはありますか。 吉田 僕は会社員がやってはいけないことなんてないと思って過ごしてきましたが、退社してみて、やってはいけないことはまあまああったし、それを多少気にしていたんだなって気づいたんです。自分で責任を取っていない部分があった。 じゃあ、逆にどんなことなら自分で責任を取ってやれるのか考えたときに、「あの人にしかできない」と思われるようなことをやろうと思いました。僕の場合は、異様に知り合いがいること、異様に守備範囲が広いこと、これを活かすことです。 ──さまざまな人やジャンルをつなぐ、ハブになるようなイメージでしょうか。 吉田 そうですね。学術も、アニメも、アイドルも、音楽も、演劇も、いろんな現場の人を知っているから、そういう人たちを橋渡しできると思うんです。そして、この橋渡しをしているところ自体がおもしろいのではないかとも感じていて、YouTubeチャンネルのような場を作ってみようかと考えています。 労働もサボりになる。サボりは視点次第 ──もっと働きたくて会社を辞めるほど活動的な吉田さんが、「サボり」をどう考えているのかぜひ伺いたいです。 吉田 逆に24時間、ずっとサボってるんじゃないかな。サボりって、「サボりなさい」と言われてやることじゃないですよね。勝手にやっていることがサボりだったら、僕は全部勝手にやっているから、ずっとサボっているようなものです。だから、別の意味で会社に「サボりなさい」と言われたわけですよ。「もっと休みなさい」と。そういうわけにはいかなくて、会社を辞めてしまった。 ──サボっているのに、サボれと言われた。 吉田 サボりなんて視点の問題じゃないですかね。それこそ、プナンなんてずっとサボってますよ。ずっとダラダラしていて、気が向いたら狩りに行く。「今日は狩りに行くのやめた」と言った5分後に「やっぱり行くぞ」って言われたりしながら、「もともとはみんなこうやって生きてたんだよね」って思っていました。 ──ほとんどノリで生きているんですね。 吉田 彼らは川で漁をするとき、水面に網を投げ込む投網で魚を取るんです。定置網のほうがたくさん魚は取れるのに。なぜなら、彼らは効率を考えたりしないから、楽しいほうを選んでいる。網を投げて、「おー、かかってる、かかってる」って喜んでいるんです。 ──おもしろいですね。漁をしているけど、サボっている。 吉田 でも、日本でもサラリーマンが週末に家庭菜園で野菜を育てたりしていますよね。あれは労働じゃなくて、農業が楽しいからやっているわけで。それと同じだと思います。 ──それで生活もできれば幸せだと思いますが、なかなかそうもいきませんよね。だったら、今やっている仕事を少しでも楽しめるといいのかもしれない。 吉田 そうですね。この世に存在するものは、誰かにとってはおもしろいものであるはずですから。その人の視点を獲得できてしまえば、楽しめるかもしれません。たとえば、僕がオリンピックの取材をしたときに、射撃の取材に行ったんですけど、最初は何がおもしろいのかわからなくて。でも、選手の話を聞いていると、手の感覚に異常に気を遣っていることがわかったりする。「試合の前日に水を飲みすぎると、手の水分量が変わって感覚が狂ってしまうんです」みたいな話を聞かされると、おもしろいじゃないですか。 ──たしかに、一気に興味を惹かれました。では、シンプルな息抜きに近いサボりはありますか? 吉田 チャリンコが好きなので、できるだけ自転車で移動しているんです。それがリフレッシュになっていますね。あのスピード感がちょうどいいし、秋葉原から上野に行っただけで街並みがガラッと変わったりするのがおもしろくて。 ──本当にずっと楽しいことしかしてませんね。 吉田 何かを楽しみ続けることが、人生の目標ですから。じいさんになっても、ずっと楽しんでいたいです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「料理もサボりも、生活の延長としてポジティブに取り入れる」長谷川あかりのサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 日々の仕事や家事に疲れていても、ちょっとした満足感の得られる料理を作りたい。そんなニーズに応えた「丁寧な暮らし“風”レシピ」などを発信し、多くの支持を集めている長谷川あかりさん。その活動の裏側を聞くと、緻密な戦略や、脳のリソースを配分するという独自のサボり方があった。 長谷川あかり(はせがわ・あかり) 料理家、管理栄養士。1996年、埼玉県生まれ。子役タレントとして活躍後、大学で栄養学を学び、料理家に。疲れたときも作りたくなる心を満たすレシピを発信し、支持を集める。『つくりたくなる日々レシピ』(扶桑社)をはじめ、手がけたレシピ本も多数。近著は、パーソナルムック『長谷川あかり DAILY RECIPE Vol.5』(扶桑社)。 生き方まで発信する料理家に憧れ、「なり方」から考えた ──子役として始めたタレント業を引退後、大学で栄養学を学ばれたそうですが、料理家という職業をどんなふうにイメージされていたのでしょうか。 長谷川 料理家という職業を知ったのは、生活情報誌やレシピ本を通じてでした。そこでレシピだけでなく料理家さんの生き方や暮らし方にも触れていたので、その人となりが見えていたり、その人自身にブランドがあったりする方のことを料理家だと思っていて。「先生おすすめのお菓子が食べてみたい」と思ったり、先生が語る人生観に共感したり……そんなふうに、人として信頼できる、共感できる先生に憧れていました。 ──たしかに、そのほうが生活の中での料理の位置づけなど、深いところまで共感できそうです。 長谷川 作る人にとって料理家との相性はめちゃくちゃ大事なので、「私はこういう人間で、こうして生きています」と伝えた上でレシピを見ていただいたほうが、ミスマッチが起こりにくいと思いますね。 ──そして料理家になるにあたって、長谷川さんの場合はSNSで発信するところから活動を始められたそうですね。 長谷川 そうですね。料理家って、「どうやってなったらいいかわからない職業ランキング」1位じゃないですか(笑)。いろんな先生の経歴を調べても「好きが高じて料理家に」とか、なり方がよくわからなくて。だから正直、言っちゃったもの勝ちというか。 ただ、私はやっぱり雑誌媒体でのレシピ開発がやりたくて、そこからテレビやタイアップ、CMなどBtoB的に広げたほうが、結果的にレシピで救うことができる人数が増えると思っていて。SNSを中心に活動する料理家さんが増えていますが、私は、広く浅く、料理する人全体にレシピを届けたかったんです。 ──SNSはメディアに見つけてもらうきっかけというか。 長谷川 でも、メディアの人からすると、人気やインフルエンス力は欲しいけれど、何者かよくわからない人にお仕事を頼むのは怖いじゃないですか。私は子役をやっていたので、メイクさんやスタイリストさんも、まずは誰か師匠について働いたという土台があることはわかっていたんです。料理家も同じかなと考えると、きちんとした先生のもとで学ばないと、雑誌の世界に入るための信用は得られない。そこで、SNSと並行して先生についてお仕事するということも始めました。 ──それで、スープ作家の有賀薫先生のもとでアシスタントを経験されたと。 長谷川 はい。有賀先生の考え方や発信の仕方は本当に素晴らしいというか、私の理想だったので、アシスタントを募集されているのを見つけてすぐに応募しました。エントリーシートに自分が変えていきたい家庭料理のビジョンや、有賀先生のレシピの素晴らしさなどを書いたんですけど、それでおもしろい若者だと思ってくださったみたいで、採用になったんです。でも、当時のイメージをかたちにできるのは、10〜15年後ぐらいだろうなと思っていましたね。 ──料理家として雑誌で活躍できるように、長い目でがんばっていこうと思っていたんですね。 長谷川 当時26歳くらいで、マンダラチャート(※)の中央に「30までにレシピ本を出す」と書いていたんです。それもだいぶがんばらないといけなくて、現実的には早くても37歳ぐらいだろうなと思っていました。 (※)大谷翔平が実践していたことでも有名な、9×9マスのマス目からなる、目標達成や思考整理のためのフレームワーク 目指すべき方向性や提供すべき価値を掘り下げていった ──料理家としての活躍が早まったのはSNSによる部分も大きいかと思いますが、どのように運用していたのでしょうか。 長谷川 最初はXとInstagramをやっていて、Xではレシピや自分の考え、Instagramでは出かけた場所や普段食べているものといった生活の部分を書いていました。 ──当時からすでに現在のようなコンセプトでレシピを考案されていたんですか? 長谷川 そうですね。料理家になりたいと思ったタイミングで、自分は料理のどこに不満があるのか、何がしたくて何ができるのか、あとはレシピのコンセプトと届け先、自分のバリューなどをひととおり書き出したんです。 そこで、自分のやりたい方向性と世の中で求められているものを照らし合わせたときに取りこぼされているなと思ったのが、20代後半〜結婚してるかしてないかギリギリ、ぐらいの年齢の方向けの料理だったんです。料理をする必要性にそこまで迫られていない人たち。 ──仕事が忙しいので外食でもコンビニでもいいけど、できれば自炊ぐらいしたいな、と思っているような。 長谷川 はい。それで、なぜその層のためのレシピを届ける必要があるのか、なぜそういったレシピが行き届いていないのか、そういったことを掘り下げていった結果、そこに需要があるし、私がやりたいこととも一致していると思えたんです。自分がどうありたくて、どこを目指すべきか考える期間が、半年くらいありましたね。 ──その半年の間に、コンセプトに合ったレシピも考えていたんですか? 長谷川 そうですね。さっきのような考えを掘り下げていくと、結局、自分が欲しいと思うレシピであればいいということに気づいて。無理に需要に合わせなくても、私が欲しいと思っているレシピはみんなにとっても価値があるなと。その根拠を探していた時期でもありました。 ──マーケティングありきで考えすぎると自分が追いつかなくなってしまうこともあると思うので、自分から生まれるものから新しい価値が提案できるといいですよね。 長谷川 あと、新しさを感じていただけているとしたら、レシピを届ける際のアプローチによるところもあるかもしません。たとえば、「塩だけで味をつける」というときに、「健康のため」「そのほうがおいしいから」と言うと、料理が苦手な方は「うっ……」と引いてしまうんですよ。先生と生徒みたいな感じになってしまうので。でもそこで、「塩だけで味が決まったらかっこよくないですか?」と言ったら、やってみたくなるじゃないですか。私はあくまでみなさんと同じ感覚で生きていて、そんな私が欲しいと思うレシピを具体化したのでシェアします、というアプローチは最初から意識していましたね。 ──届け方も重要なんですね。 長谷川 私は作っている人の気持ちがどう動くかに興味があるんです。「おいしい/おいしくない」については、正直、自分が作らずにおいしいものが食べられるなら、そのほうがいいじゃないですか(笑)。私自身、料理を作るという過程に救われた経験があるので、レシピから味を想像したり、作ってみたいと思ったりする時間に意義を見出していて。 おいしいレシピを作れる先生はたくさんいるので、私の仕事じゃないというか。だって、「塩で味が決まった! 自分でこんなおいしい料理を作れるなんて、私って天才!」と1日に1回思えるってすごいことじゃないですか。料理を作ることで得られるものがあり、なおかつ、それを食べるからこそ、受け身で食べるよりもおいしく感じられる。私はわがままな人間なので、おいしいだけじゃ物足りないんですよ。「せっかく作るならドヤ顔したい!」って思っちゃう。 作る過程の楽しさ、作ったあとの気持ちの変化を大切にしたい ──現在では、体験する価値まで含めたようなレシピをさまざまな媒体で日々発信していますよね。どのようにレシピを考案されているのでしょうか。 長谷川 同じ人間が考える料理なので、全部が全部カラーの違うものでなくてもいいと思っています。バスケで片足を軸にピボットするイメージというか、軸となるコンセプトは動かさずに、そこから派生させているような感覚で。あと、ご依頼ベースのお仕事になると「こういう人に向けて」「こういう調味料を使って」と条件が増えていくので、逆に作りやすかったりしますね。 ──具体的なレシピにするにあたっては、試作しながら詰めていくのか、先にレシピとして完成させてしまうのか、どのような工程なんでしょうか。 長谷川 プレゼン資料だけ先に作るようなイメージです。まずどういう料理で、どこがポイントで、どういう気持ちになるか、イメージできる状態でレシピ名を出す。そこで、材料、味つけ、作りたいと思えるシチュエーションやポイント、手間に対するリターンなどを考えるのが難しいんですけど、それさえできれば、あとは試作といってもほぼ確認みたいな感じです。 ──最初に作り手の人が受ける印象の部分から作っていくんですね。 長谷川 作る人も、最初はレシピの詳細なんて見ないじゃないですか。だから、レシピを選ぶ人の感覚で「こんなレシピがあったらうれしいな」というものを作ります。いくらレシピの完成度が高くても、最初にテンションが上がらなかったら作るところまで行かないので、「あとは作るだけ」というところまで進んでもらうことが大事なんです。 ──コンセプトや届け方を考える能力と、料理を考える能力は別ものだと思うんですけど、長谷川さんはその両輪がカバーできている気がします。 長谷川 たぶん、ほどよいんですよね。家庭料理を作る以上の技術を持ち合わせていないので、ある意味、料理がうますぎない。自慢できることではないですし、もっと修行したほうがいいとも思うんですけど、外枠を考えるのが得意で、料理もシェフ並みにできたら、誰もまねできないような料理研究家になってしまうかもしれない。 今は、頭の中でどこまでも行ける料理への想像力と、技術的な制限のバランスがいいのかなと思うんです。家庭料理としてできる範囲で、新しさのあるレシピを作るのにちょうどいいというか。 ──では、技術的なこと以外に、自分の引き出しを増やすためにされていることはありますか? 長谷川 味のバリエーションをたくさん知りたいという気持ちはあります。外食が好きだと言うと「それを再現されるんですか?」とよく聞かれるんですけど、再現には興味がなくて。「この味も『おいしい』に入るんだ」とか、「この地域ではこういう味が受け入れられているんだ」といったことが知りたいんです。 新しい味の領域と出会った記憶が残ると、お仕事のご依頼をいただいたときに「この材料をこういう味つけにしたら、あのときの料理の雰囲気が出せるかも」みたいに思い出すことがあるんですよ。色合いなどの見た目も含めて、料理の共通項を見つけるための抽象的なパーツを溜めていきたいと思っています。 ──長谷川さんの意外性のあるレシピを作ろうとした人の「あかり、信じてるぞ」という言葉がミーム化したように、レシピに対する好意的な反応は多いかと思います。そういった反応から得るもの、感じることはありますか? 長谷川 ありますね。私が言葉にできていないところまで、レシピを作った方が言語化してくださることがあるんですよ。「こういう気持ちを思い出した」といった感想を書いてくださる方がいると、「私はこの感覚をみんなに得てほしくて、このレシピを作ったんだ」と気づかされたりする。自分で1から100まで言わないと届かないと思っていましたが、レシピでそれが表現できていればちゃんと受け取ってもらえるんだと実感できたんです。それはすごく救いになりましたね。 ──味以外の感覚が刺激されるといえば、実際に実家で出てきたわけじゃないのになぜか実家感を覚える「空想謎実家飯」を考案されていましたね。あれは作った人がつい自分の思い出語りをしたくなるような独特なレシピでした。 長谷川 自分の中でもチャレンジでしたね。料理って、「しなきゃいけない」と思っている人がたくさんいて、作るのを楽しんでいる人って少ないと思うんですよ。だから、「作ると楽しい、そして、作ってもらうよりも自分で作ったほうがその過程も含めておいしく感じる」と思えるようなレシピを作りたくて。それで、「おいしいかどうかもよくわからないけれど、作ったらおもしろい経験になるよ」っていう切り口のレシピがあってもいいと思ったんです。レシピを見てくださる方との信頼関係がある程度生まれてきたからできることなんですけど。 ──より体験的な価値に振り切ったレシピ。 長谷川 「こんな料理、食べたことある気がする」って、ない記憶が刺激されると楽しくないですか? でも、実家飯は最初バズらなかったんですよ。「ああ、ちょっとトガりすぎたか」と思っていたら、投稿の1週間後くらいから伸びてきて。作ってくれたみなさんがそれぞれの言葉で語ってくれて、じわじわと伸びていったんです。私にとっても、理想的な広がり方でしたね。 ──よりレシピの枠を超えた発信として、ポッドキャスト(『長谷川あかりのシャニカマでごめんなさい』)なども展開されていますが、そういった方向でほかに挑戦してみたいことはありますか? 長谷川 今、5年前の自分がマンダラチャートに書いたことが怖いくらい実現できてるんですよ。ちょっとした予言書みたいになっていて(笑)。そこに書いていてまだ実現していないのは、私のレシピが出てくるマンガを出すこと。レシピを作る過程や作ったあとの気持ちの変化を表現するには、マンガやドラマが向いてるんじゃないかなって。私も料理を繰り返し作ることで救われてきたので、その気持ちをシェアできるようなかたちでマンガやドラマとコラボレーションできたらハッピーですね。 脳の何割かは常にサボっているナチュラルサボリスト ──長谷川さんのサボりについても聞きたいのですが、忙しい日々の中でサボってしまうことってありますか? 長谷川 自分では想像を絶するサボリストだと思ってます。私の場合、けっこうさりげなくサボるタイプなんですけど。脳内がおかしくて、レシピを考えながら、ラジオも聴いていて、1分に1回くらいXを見るとか、同時進行でサボるんです。 ──仕事が4割、ラジオが3割、SNSが3割みたいな、脳のリソースを分散しながらサボっていると。 長谷川 集中しているときもあって、特に人としゃべったり会議したりしているときはそこが10になるんですけど、常に1〜2割はサボってたりしますね。状況に応じて割合が変化するというか。 ──マルチタスクでサボっている。 長谷川 ナチュラルサボリストなので(笑)。だから、それほどサボった感覚もないのがタチの悪いところなんですけど。でも、料理って生活の話なので、仕事と関係ないジャンルがあまりなくて。サボって服屋さんに行ってしまったとしても、「この服の配色かわいい。こんな料理作りたい」ってけっこうアクロバティックに結びつけちゃうんですよ。 ──何かしら得るものがあるから、サボりとは言いきれない。 長谷川 そう言い訳しながらサボってます。寝転がりたくなったときも、「1時間仕事をするより、30分寝て、30分脳の余白ができた状態で仕事をしたほうがいいアイデアが思いつく」って考えたり。 ──では、意識的にリフレッシュするような場合は、どんなことをしますか? 長谷川 散歩はよくしますね。あとは、夫や友達としゃべることはかなりリフレッシュになります。頭の中が常にガチャガチャしているので、ひとりでいると言いたいことが溜まってストレスになってくるんですよ。そこで、しゃべって、新しい意見をもらって、またしゃべって、「たしかにそうだよね。スッキリ! 解散!」って息抜きしています。 ──吐き出さずにはいられない。 長谷川 常に頭に何か入ってくるんで。何もしないサボりができなくて、何かを取り込むようなサボりばかりなんですよ。だから、運動みたいな感じでしゃべってるのかもしれません。 ──おしゃべりのアスリートなんですね。そういう意味でもポッドキャストは意義がありそうです。 長谷川 たしかに。仕事以外のことでも、「これはなんでなんだろう?」って考えてしゃべるのが楽しいんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「自分と向き合い、自分を知って上手に付き合う」山中瑶子のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 2024年に公開された監督作『ナミビアの砂漠』が、カンヌ国際映画祭で「国際映画批評家連盟賞」を受賞するなどして大きな注目を集めた山中瑶子さん。自身を「サボりやすい」と語る山中監督に、創作の過程やそのサボり方について聞いた。 山中瑶子(やまなか・ようこ) 映画監督。日本大学芸術学部映画学科中退。初監督作『あみこ』が、PFFアワード2017で観客賞を受賞し、ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、ほか多数の海外映画祭に出品された。2024年に公開された河合優実主演の『ナミビアの砂漠』は、カンヌ国際映画祭の監督週間で「国際映画批評家連盟賞」を受賞した。 映画マニアになっていく自分に危機感を覚えて撮った初監督作 ──まずは、改めて映画監督を目指したきっかけから教えてください。 山中 高2の進路調査表が配られた時期に映画にハマっていたことからですね。子供のころから、会社勤めは無理だろうからものを作る分野に行きたいと思っていましたが、ずっと絵画教室で絵を習いながら漫画家やデザイナーに憧れてみたり、建築もいいなと思ったり、興味の移り変わりが激しくて。そんななか突然映画に出会いましたが、高校のまわりに映画館が4つある環境だったのも大きかったと思います。 ──映画にハマっても、監督になれるとまではなかなか思えないような気もします。 山中 昔の海外の大作とかを観ても「人間が作ってるな」という感覚にはなれなかったんですけど、アート系の作品や、ミニマルなフランス映画、2000年代の邦画などを観ていくうちに、作り手が見える気がしてきたんです。カメラの向こうに人がいて、なにやら思想があるようだぞ、と。それに気づいてから、自分でもやりたいし、できるかもしれないと思うようになりました。 ──でも、映画学科に進学後、ドロップアウトしてしまったそうですね。 山中 とにかく朝、起きることができないんです。小学校のころからずっとそうで、大学でひとり暮らしを始めたら、まったく行けなくなりました……(笑)。最初のほうになんとか通っていたときにできた友達に協力してもらって、自主映画の『あみこ』を作ったんです。今なら授業の大切さもわかるのでちゃんと受けておけばよかったと思うんですけど、当時は1年生はひたすら座学というカリキュラムが耐えられなかったんですよね。 ──『あみこ』を作ったということは、映画を撮りたいという気持ちは変わらずあったわけですね。 山中 そうです。学校に行かなくなってからも映画はめちゃくちゃ観ていました。でも、どんどんイヤな映画ファンみたいになっていくんですよ。批評ともいえない批判ばかりが鋭くなっていって、このままだと自分に対するハードルが上がりすぎて首を絞めることになるなと気づいて。それで、ぴあフィルムフェスティバル(PFF)を目標に脚本を書き始めたんです。 ──結果はどうだったんですか? 山中 観客賞はもらえましたが、審査員からの賞は特にもらえず。入選作はウェルメイドな作品が多くて、自分の下手さに気づいて恥ずかしくなりましたね。技術的なものはあとからついてくるだろうから、大人たちが見ているのはそこじゃないと頭ではわかっていても、もっとスクリーンで観るべきものを作らなきゃなと思って。それで、けっこう気が引きしまったというか、もうちょっとがんばろうと思うようになりました。 ──映画を作ることへの迷いはなかったんですね。 山中 なかったですね。『あみこ』がベルリン映画祭に招待されたのも大きくて。小さい内輪の作品と見られても仕方ないと思っていたのが、意外とそれだけじゃない部分もあるのかなと。それが自信につながったんでしょうね。 我慢して人に合わせなくていいと気づいたら、映画作りが変わった ──映画は人と一緒に作り上げていく以上、結局社会性を求められるんじゃないかと思います。そのあたりの折り合いはつけられたのでしょうか。 山中 『ナミビアの砂漠』までは、まさにその向いてなさを感じていました。やっぱり、監督の振る舞いって正解がないので。どうしたら人に気持ちよく仕事をしてもらえるか、どうしたら思うようなパフォーマンスをしてもらえるか。それって人からは教えてもらえないんですよね。 その結果、自分の性に合わないような振る舞い方もしていました。最初は年齢も若く信頼されていないので、簡単にいうとナメられてしまう。そこでどうすれば自分のやりたいことを相手に具現化してもらえるか考えるほど、居心地の悪い振る舞いをして、居心地の悪い空気になっていく。それがキツかったですね。 ──それは経験を積むことでしか、乗り越えられないんですかね。 山中 場数を踏んで体得していくしかないですね。でも、頭で考えてもしょうがないから、難しいことは考えないようにしようとしたんですけど、コロナ禍になって本当に無理かもしれないと思ってしまって。一切現場の仕事はやらずに自分と密に向き合ったことで、「(監督を)辞めたいかも」と思うようになっていたんですね。ただ、そのあとに少し年上の女性プロデューサーからドラマのお仕事をいただいたんです。 その方は、まわりにどう思われようとまっすぐなところがあって。その姿を見ていたら「これでいいんだ」と勇気づけられて、自分が我慢して人に迎合するがんばり方は、ちょっと違うんじゃないかと気がつきました。それからは、自分でスタッフィングするなど、自分を軸に人と関わるように変えていき、ストレスも少なくなりました。結局、自分が我慢していると場の空気もよくならなくて、みんな楽しめないんですよね。 ──そういった自分なりの仕事の仕方が見えてきたところで、『ナミビアの砂漠』の企画が動き出したのでしょうか。 山中 そうですね。最初は別の原作小説を河合優実さんで撮る企画が進んでいたのですが、自分と向き合った期間があったことで、私ではこの原作をまっとうできないんじゃないかと思い、「降りたい」とプロデューサーに伝えたんです。そうしたら、「オリジナルならどうですか?」とご提案いただき、『ナミビアの砂漠』になっていくという。 ──では、河合さんの出演だけが決まっていて、あとはゼロだった。 山中 そうなんです。アイデアも何もないので、当て書きをする前提で、「インスピレーションを得たいです」と、脚本を書く前に河合さんと何度かお話しました。 ──その結果でき上がった主人公のカナは、河合さんとはまた違ったキャラクターなのではないかと思いました。 山中 実際の河合さんはカナとはほど遠い方だと思うんですけど、カナのことはよく理解できると言っていました。私も私でよくわかるというか、カナみたいな現代の子の精神性は、自分の中にもあると思うんです。物質量も情報量もあふれていて、たくさんの選択肢と可能性を提示され続けているのに、だからこそ自分の欲望がどこにあるのかわからない感じ。それに、ネットで簡単に答えにたどり着けてしまうという気にさせられてしまいがちで、何も楽しめず不全感だけがあるというか。東京特有の特殊さだと思うんですけど。 ──東京で生きていると、特にそうした空気にさらされやすい。 山中 絶対そうですね。情報量の多さは世界でもトップじゃないですか。どんな大都会に行っても、こんなに「これをしたほうがいい」「あれを買ったほうがいい」と社会から要請されないと思います。「でも、本当に自分がしたいことや自分がいらないものを明確にわかっている人って、どれくらいいるんだろう?」といったことなどを考えながら作りました。 ──では、カナというキャラクターには、今の若い世代のいろんな要素が入っているんですね。 山中 そうですね。あと、私は映画を作るときに、ある特定のひとりを思い浮かべて、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」というふうに思っていて。昔からSNSで知らない人を一方的にウォッチしてるんですけど、その中のひとりにカナっぽい感じの子がいて、『ナミビアの砂漠』はその子が観てくれたら大成功だと思っていました。カナについて考えるときも、その子がどう思うかを指標にしていて。 ──漠然とした「お客さん」ではなく、まずはひとりの人に届けばいいと。 山中 お客さんといってもみんなバラバラなので、ひとりの人をイメージして考えることは多いですね。そうやって具体的なひとりの人について考えることで、結局全体のうちの数パーセントに届くんじゃないかと信じてやっています。カナの場合は、直感が鋭くて勘はいいのに、言語にするのが苦手だから人に当たっちゃう。そんなカナみたいな子たちにも届けたいし、そういう子たちを生き生きと描けたらいいなと思っていました。 突飛なアイデアほど、スタッフの意見を採り入れている ──『ナミビアの砂漠』について、ほかに制作中に意識していたことはありますか? 山中 どこに向かっていくのかわからない映画にしたいなと考えていました。他者って何を考えているのかが徹底的にわからない存在だと思うんですよ。観ている人が、カナのことをそう思えるといいなと。結果的に共感してくれる人もいて、それはそれでいいんですけど、作り手としては「どうしてそうなっちゃうの!?」というハラハラドキドキ感は意識していました。 ──たしかに、観ている側としてもカナがどういう行動をして、映画がどこに向かうのかわからないため、ずっと緊張感のようなものがあった気がします。 山中 そういった意味でのエンタメ性やサスペンス性もあると思っていて。トーンとしてはドライなところもありますが、意外とサービス精神旺盛にやってるつもりなんですよね。カナが階段から落ちたり、緊張感のある音が入っていたり。 ──音楽はかなり不穏さがありました。 山中 世界とか社会って冷静に考えると怖すぎるというか、なぜ世の中が回っているのかよくわからないじゃないですか。回っていないとも言えるし。そういった世界の不思議みたいなものは意識していました。音楽の渡邊琢磨さんとも「『この世は不思議だね』っていうことを意識しよう」と話していて、最後のクレジットでは動物が砂漠の水場に集まっている実際の音に合わせて、琢磨さんが作った世界の終わりと始まりみたいな電子音楽も入っているんです。 ──効果的なスタッフワークとしては、カナの脳内のような描写や、部屋のレイアウトが反転する場面など、劇中の印象的なシーンは、スタッフのアイデアを採り入れたものだそうですね。 山中 あとは、「キャンプだホイ」を歌うシーンもスタッフのアイデアですね。後半になって監督の「やってやったぞ!」感が押し寄せてくると言われたこともありますが、全部私のアイデアじゃない(笑)。自分の中に取り込んで出しているので、私のものでもあるんですけど。ただ、そういった一見突飛なアイデアがスタッフから出てくるのは、すごくいいことだと思うんです。そういう提案をしてもらいたかったし、それが気兼ねなく言える環境がいいと思っていたので。 ──作家性の強い作品という印象がありましたが、オープンな現場で意見を交わしながら作っていったんですね。 山中 そうですね。部屋を反転させるのはどうかというアイデアがカメラマンから出たときは、最初「なんで!?」って思いましたけど、一度持ち帰ったんです。理由を聞いてもなんかおもしろい、以上のことはわからなかったんですが、彼がとっさにそう思ったこと自体が大事だから、理屈はあとづけでいいからとりあえずやってみようとなって。もちろん、ちょっと違うなと思ったアイデアは反映しないんですけど、部屋の反転は結果としてだいぶしっくりきていますね。 ──撮影しながらさまざまなアイデアを取り入れていくのは、ダイナミックでおもしろいと思いますが、かなり大変なのではないでしょうか。 山中 決められた脚本をスケジュールどおりに撮っていくだけだと、作業感が強くてあまり楽しくなくて。もちろん、着々と積み重ねて準備してきた部分も大事にはしていますが、『ナミビアの砂漠』の場合は、それ以上に撮影を通じてみんなが感じたことのほうが大事なんじゃないかと思ったんです。 ──『ナミビアの砂漠』は河合優実さんの存在感も欠かせない要素だと思いますが、河合さんとの映画作りはどのようなものでしたか? 山中 河合さんは、カナからはみ出さない範囲で、お芝居を毎テイク変えてくるんですよ。何度も同じ演技ができる俳優も、そのときの気持ちを大事にして毎回変わってしまう俳優もそれぞれ魅力的だと思うんですけど、河合さんはそのハイブリッドというか、そのシーンに最適な領域の中で変えてくるのがおもしろくて。だから、撮影中は河合さんにもカナにも慣れるということがなかったです。 ──立ち姿というか、佇まいが圧倒的に「カナ」だったところにも驚かされました。 山中 撮影前から、河合さんとカナの歩き方を決めたりはしていました。あとは、「今、カナはどういう気持ちでいるのか」「外からどう見えて、内心ではどう思っているのか」など、シーンごとのカナのテンションもスタッフみんなと共有して。河合さんのカナがカナすぎて、スタッフがカナについて語るときに、まるで実際にいる友達みたいに話すのがおもしろかったです。 ──作品の反響については、監督としてどのように感じていましたか? 山中 万人に「おもしろい」「わかる」と言われる映画ではないという自覚はありましたが、それにしても感想がバラバラで。語る人の内面を鏡のように映し出してしまう側面があるというか、その人の価値観がにじみ出てくるような感想も多かったのが興味深かったです。 ──つい自分のことや、自分のまわりにいるカナについて話したくなってしまう。 山中 そうですね。個人的な記憶と結びついて、それが引きずり出されてしまう映画だというのは、いろんな人の反応を見て知りました。あと、「この人が気に入ってくれたらそれでいい」と思っていたSNSの人にも観てもらえたので、そういう意味では大成功でしたね。 基本サボってしまうので、本当に集中するときは生活から変える ──山中さんのサボりについても伺いたいのですが、ひとりで作業するようなときに、ついサボってしまうことはありますか? 山中 仕事をしている時間のほうが断然短いです(笑)。喫茶店に6時間いても、本当に集中しているのは全体の80分ぐらいの感じで。 ──仕事に集中できていないときは、何してるんですか? 山中 本を読んでいるときはまだよくて、仲のいい友達とやりとりしちゃうんですよ。用事があって連絡しても、話題が用事と関係ない方向に派生していってしまって。あとは、調べものをしているうちに関係ないことを調べ始めたりすることもありますね。でも、やらなきゃいけないことがやれていないこと自体はものすごくストレスなので、そのストレスに対する怒りをバネに仕事を片づけるんです。 ──作業は基本的に喫茶店でやるんですね。 山中 でも、喫茶店で仕事をしなさすぎて、仕事をする場所じゃなくなり始めてます。いくつか店を変えるんですけど結局やらなくて、最近は逆に家でやるようになりました。脚本を書かなきゃいけない時期は、さすがにもっと集中しますけど。脚本の期間は、本気で人に会わないようにするし、やりとりもしません。 ──やると決めたらできるタイプというか。 山中 撮影の半年前ぐらいのせっぱ詰まった段階になると、生活から変えて追い込みます。私の場合、脚本は自分の内面に潜らないと書けないので、外交的なモードだと書けないんですよ。 ──そういった集中モードのときこそ、意識的に息抜きをする必要があると思いますが、ひと息入れるためのポジティブなサボりはありますか? 山中 人に会えないし、仕事と関係のない本を読むようなこともなくなるので、食事だけはすごくこだわります。ステーキとかすき焼きとかパフェとか、普段食べないようなものを食べてエネルギーをつけるんです。逆に普段食べているようなものは好きでも食べない。それがジンクスのようになっていて、普段の自分からは出てこないようなものを生み出すために、普段とは違う自分に変えていくんです。 ──食事が儀式みたいになってるんですね。 山中 ガソリンだと思って食べてるので、息抜きにもなっていないのかもしれません。食べること自体は楽しいんですけど。 ──では、日常モードのときに純粋に心休まるのはどんなときですか? 山中 飼っている猫といるときですかね。もともとは旅行とかも好きだったんですけど、猫がいるし、結局疲れるので全然息抜きにならなくて。今は普通に歯医者に行ったり、整体に行ったりすることで癒やされます。自分をないがしろにせず、大事にしていると思えることでホッとできるというか。昔の自分だったら「ウソつくな!」って軽蔑しそうですけど(笑)。 ──日常の感覚が変わってきていると。 山中 そうですね。以前はホッとする時間があまりなくて。やっぱり趣味でも人と会って話すでも、何をやっていても仕事の役に立ってしまうから、ずっとオンの状態になってしまうのがつらかったんですよ。でも、最近はそれが受け入れられないとか言ってる場合じゃないというか、それもしょうがないなと思えるようになった感じですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
-
UFOに翻弄される人々、「信じたい」気持ちの尊さを描いたヒューマンドラマ──小路谷秀樹『虚空門 GATE』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 私はいわゆるUFOというものを信じていない性(たち)だ。地球外生命体の存在自体はあってもおかしくない、むしろあってほしいと思っているが、アブダクションとか空飛ぶ円盤とか言われると、「そんなテンプレ的な想像が本当に真実と一致するのだろうか?」と、どうしても疑いの気持ちを持ってしまう。 今まで「UFOを見た」と主張していた人の大半が嘘だった、という経験から来る疑いもある。地球外生命体は実在してもおかしくないが、SNSに上がっている映像やエピソードトークは99.99%フェイクだろう、というのが私の感覚だ。 私と同じような感覚の人は多いと思うし、本作に関してもUFOを題材にした映画といわれると、反射的に「うさん臭い」と感じる人もいると思う。 私も正直、仕事(角由紀子原作『トムライガール冥衣』作画担当)のための勉強という目的がなければなかなか手が伸びない作品だったと思う。私はUFOの真偽というSF的なテーマよりも、人間の人間らしさの部分に興味があるからだ。私は大半の心霊やオカルトを題材にしたドキュメンタリーに対して、普通であれば多少なりとも疑いの気持ちを持つものに対して「本物の前提」で進んでいくような……登場人物たちの気持ちについていけないような気がしていた。これは映画の質の問題ではなく、制作の目的が違うのだから当たり前だ。私はターゲットではないのだ。 だが、この映画は違った。この映画はUFO映画の皮を被ったヒューマンドラマなのだ。 2013年、本作の監督である小路谷秀樹はYouTubeで月面異星人遺体動画を発見した。小路谷は件の動画に強く興味を持ち、友人や専門家に意見を聞いて回るが、フェイク動画だと言われてしまう。 1995年に発見され世界を震撼させた「宇宙人解剖フィルム」(※)も2006年、制作者によってフェイク動画であったことが告白された。嘘だったのだ──UFO研究家、宇宙人研究家たちは慎重になっているという。だが、専門家たちは動画がフェイクだということと、宇宙人が実在しているかはまた別の話だともつけ加える。 (※イギリスの映像プロデューサーが世界中に公開した、異星人の死体解剖を撮影した記録フィルム) (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 取材を続けていくなかで、小路谷は俳優である庄司哲郎と出会う。庄司は「自分はUFOを呼べる、UFOなんか当たり前に飛んでる」と主張する。小路谷は庄司含むUFO愛好家たちに同行し、UFO撮影を試みる。作中ではUFOを確認できたということになるのだが、映像に映るのは「あれあれ、出た出た!」「俺生まれて初めてUFO見た!」とはしゃぐ登場人物たちだけなので、我々視聴者には真偽のほどはわからない。また別の日、小路谷が庄司に同行すると、なんと庄司はUFOの撮影に成功したという。庄司が撮った写真にはたしかに空に浮かぶ円盤が写っていた。 「明日はどうしようかな」 「明日は晴れていればなんらかはあるんじゃないかと思うけど」 正直このシーンまで、私はこの作品もノットフォーミーなのかもしれない……という不安を持っていたのだが、ここで急展開が起こる。 撮影の約束の日、庄司は現場に現れずそのまま音信不通となるのだ。 そして2016年8月31日、庄司哲郎は覚醒剤取締法違反で逮捕された。 小路谷は庄司を慕っていたUFO愛好家たちに尋ねる。 「彼の能力は信じてるんですね?」 「断然信じてますよ」 「だからこそもったいないんですよ」 「覚醒剤とは別個に本当だったんじゃないかなと思ってるんです」 全員が庄司の能力は本物だと信じているという。 恋人である林泰子も、何度も手紙を送るなど献身的に庄司を支えていた。 いなくなった庄司の代わりに猫に餌をあげる彼女が、空を見て言った。 「あ! 地震雲!」 ここで私は、この映画はUFOを題材にした作品ではなく、UFO愛好家・庄司哲郎とそれを取り巻くUFO愛好家仲間たちのヒューマンドラマなのだと理解した。 約7カ月後、身柄の拘束が解けた庄司は身の潔白を証明するために控訴するという。 「いくつまで生きるかわかんないけど、人生。てっちゃんにとって大事なものを最優先に考えたら、戦うことじゃなくて、大切な人を守りながら二度とこんな目にあわないように生きていくことが一番大事なんじゃないの」 泣きながら訴える泰子の姿は胸を打つものがあった。 庄司は泰子の説得を受け、控訴して戦うのではなく、警備員として働きながらUFO愛好家として活動する道を選ぶ。 この映画のテーマのひとつとして、人間の「信じたい」という気持ちの尊さがあると思う。専門家に否定されても「信じたい」気持ちで取材を続ける監督。逮捕されてもUFOに関する能力は本当だったと「信じたい」UFO愛好家たち。逮捕されたパートナーを「信じたい」一心で支える泰子。作中には何度か、UFOを信じていると楽しそうに語る人たちのインタビューも差し込まれる。 (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 物語後半、小路谷は庄司含むUFO愛好家たちの合宿に同行することになる。そこで小路谷は同行者のひとりから衝撃的な告白を受ける。彼は庄司が“こより”のようなものを使ってUFO写真を偽装しているところを見たという。 「これはもうある種の試練だなって。これでも信じるの?っていう思いが……」 その後、小路谷は偶然、庄司が“こより”を使ってフェイク映像を撮影している場面をカメラに収めてしまう。庄司の不正は本当だった。 カメラは第三者視点になり、これまで視点としてカメラを握っていた小路谷が被写体として映画の中に登場することになる。小路谷は庄司を問い詰めるが、庄司は記憶がないと否定する。泰子は心配そうに庄司を見つめていた。泰子は庄司の不正に気づいていたのだろうか。その答えが作中で明かされることはない。 ふたりはその後籍を入れ、小さな結婚式を挙げる。 (C)Bride Works/『虚空門 GATE』 私事だが、少し前までオカルト作品(『トムライガール冥衣』)の作画を担当していた。私個人として大切に思っている作品であるものの、数字的にはあまり振るわなかった。 オカルトの専門家を原作に据え、しっかりとした知識に基づいてオカルト要素を扱う、という編集部としても気合いを入れた作品であったと思う。私がオカルトを信じていないことが作品にとって悪い影響を与えているのではないか、と何度も考えた。 だが、私は実在するかわからないもの、未知のものへの恐怖や興味で振り回される人間の心情にはすごく興味があるし、そういった人間の心情を丁寧に描いている作品が大好きだ。本作を観てその思いはさらに強くなった。やはり、UFOという存在を証明できないものに焦がれ、振り回される人間は尊く、おもしろいと思う。連載中不安になっていたなかでこの映画に出会い、その気持ちを再確認できて本当に感謝している。 結局、もろもろの都合からその気持ちを作品に活かすことはできず何も力添えができなかったため、作品に対しては大きな後悔と申し訳なさが残っている。 私は幼少期から母に「お天道様が見ている」というような理屈で教育されたことは一度もないし、幼少期近所にあった「おばけトンネル」と呼ばれる心霊スポット(?)も家族の中では「ゲジゲジが出るトンネル」という扱いに過ぎなかった。子供のころから幽霊よりゲジゲジのほうが怖かった。そんな家の中で、母が一度だけ幽霊の話をしたことがある。壁にかけていたカレンダーが揺れたのを「弟の命日が近いから来てくれた」と言ったのだ。私はもう十数年も前の母のその言葉が今でも忘れられない。 人があやふやなものを信じる理由はいろいろあるけれど、普遍的な理由のひとつとして、信じたいから、があるのだと思う。 だから作中でUFOについて語る人はみんな少年のようにキラキラしているし、庄司を見つめる泰子の目は愛にあふれているのだろう。好きなものを、好きな人を、信じたいから信じるのだ。 なぜ人は何かを信じるのか。信じたいと思うのか。 本作は宇宙人が「いる」のか「いない」のかがどうでもよくなってしまうくらい、大切な人間の感情を捉えたヒューマンドキュメンタリーである。 余談だが、監督である小路谷秀樹はAV監督出身で、「アダルトビデオ」という造語を生み出したAV史に残る人物でもあるらしい。 平野勝之といい、カンパニー松尾といい、AV監督の撮るドキュメンタリーは湿度のあるおもしろいものが多い。私は女性ということもありAVを通っておらず、監督方のビデオも見たことがないのだが、何か通ずるところがあるのだろうか。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2026年3月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)にて『今際の際のファムファタール』の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 『虚空門 GATE』 企画・制作:株式会社ブライドワークス MONALISA FILMS 監督:小路谷秀樹 撮影:小路谷秀樹、小路谷恵美 プロデューサー:小路谷秀樹、小路谷恵美 編集:小路谷秀樹 出演:庄司哲郎、林泰子、竹本良、巨椋修、大森敏範、宇宙大使くん、ほか (C)Bride Works/『虚空門 GATE』
-
なぜクラシックに惹かれるのか? クラシックに青春を捧げる4人を追いかけた1371日間──浅野直広『カルテットという名の青春』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 2011年にBS朝日で放送され、第49回ギャラクシー賞など数々の賞を受賞したドキュメンタリー番組が再編集され、劇場公開された。浅野直広が監督を務める本作は、タイトルのとおりカルテットに青春を捧げる若者たちを1371日間にわたりカメラで追った青春映画である。カルテットとは2本のヴァイオリンとヴィオラ、チェロで構成される合奏形態のことで「クラシック音楽の本質」ともいわれる究極のアンサンブルだ。 私は正直にいうと王道の……才能ある善良な若者の成長を追ったような作品が好みというわけではないのだが……本作の外せない見どころのひとつとして監督である浅野の視点がある。物語序盤の浅野の「クラシック嫌い」宣言がなかったら、私はこの映画に入り込めていなかったかもしれない。浅野の少し斜に構えた姿勢には個人的に共感を覚える。浅野の視点に乗って彼らを見ることで、浅野の変化とともに偏見を取り外すことができ、4人の青春がよりいっそう胸に響くようになる。 2008年、クラシック嫌いを自称する浅野が出会ったのは、カルテットを組む4人の若き音楽家たち。リーダーも務めるファーストヴァイオリン・タロウ(植村太郎)、芯の強い性格のセカンドヴァイオリン・マドカ(佐橘マドカ)、天真爛漫でムードメーカーのヴィオラ・マリコ(原麻理子)、これまでコンクールで1位以外を取ったことがないというチェロ・ダイ(宮田大)。4人とも経歴を聞いただけでまぶしくなるほどのエリートだ。4人は国内最高の若手演奏家集団の名をほしいままにしていた。クラシックが好きな人間からすると、垂涎ものの被写体なのだろう。だが、浅野にとって初めて聞いた4人の演奏は難解で「あくびを噛み殺す」時間になっていたというほど、退屈なものだった。何度も繰り返される演奏の違いは素人にはわからないような高度なものだし、無理もないと思う。私も、この映画についていけるのか不安になった。 「絶対そういう変なことはしてないから!」 コンクールへ提出する音源のレコーディング中、マドカがタロウに言い放った。楽譜の解釈についての言い争いだ。 「それが長いんだっつんだって!」 「じゃあ自分で弾いて!」 揉めに揉めた結果、4人は書類審査で落選となった。 浅野はこの日まで、この優秀な4人のサクセスストーリーを撮る予定だったという。そんな彼らがまさか一次審査での落選だなんて。浅野が前のめりになったのを感じた。 タロウが言った。 「僕たちのよさをわかってないだけ」 一次審査での落選を受けても強気にうそぶく若者たちは魅力的で、浅野が「なぜ彼らがこれほどまでクラシックに惹かれるのか」知りたくなったというのもうなずける。私はこの映画はおもしろく見られるぞ、と確信した。 その後、4人はマリコの海外留学によってさらに揺れ動くことになる。マリコは海外の自由で創造的な音楽に触れることで、ほかの3人とは違う音楽観を持つようになっていた。そして彼女は、ついにはカルテットからの脱退を申し出ることになる。 誰も彼女を引き止めようとはしなかった。誰も強い言葉を使わなかった。だが、4人の心がバラバラになっているのは明白だった。 その後、タロウ、マドカ、ダイはそれぞれ別の場所へ留学していくことになる。 そして浅野は4人の音楽に対する誠実な姿勢を目の当たりにし、「クラシック嫌い」という偏見から解放されていく。そうして、物語後半4人がカルテットを再開し「演奏に感情を込める」という壁にぶつかるころには、浅野は人生で初めてクラシックのCDを購入するようにまでなっていた。もともと音楽に造詣のある浅野だ。偏見がなくなれば、クラシックによさを感じるのも当然の流れなのかもしれない。 私がドキュメンタリーを好きだと感じる大きな点のひとつに、「被写体との接触、撮影を通して起こる監督の視点の変化」(またはその逆)がある。本作も、それがわかりやすく描かれているところが好きだ。欲をいえばもっと赤裸々な浅野の感情も知りたかったところだが、きっと4人へのリスペクトが大きくなるにつれて茶々を入れるのは野暮だ、という考えになったのだろう。それもまた、音楽好きである監督の「らしさ」な気がしてよい。 個性豊かな4人の中でも、私が特に惹かれた人物がファーストヴァイオリンのタロウだ。タロウは物語序盤、浅野からの「自分をおでんの具でたとえると?」という質問に「大根(メイン)かなぁ」「もちろんカルテットは4人平等だけども、ある意味で(僕の)責任は大きいんですよ」と答えていた。4人のリーダーも務めている彼のまじめさと責任感の強さがにじみ出た回答だ。 物語序盤、一次審査での落選を受けて強気にうそぶいていたのも彼だった。 「こんなこと言うと怒られちゃうかもしれないんですけど、ちっちゃいころから、あんまりヴァイオリン弾くことに苦労しなかったんです」 音楽家一家に生まれ、環境にも才能にも恵まれていた彼にとって、今は初めてのスランプだという。「自由な演奏をしなさい」と言われ続けたタロウは、そのことをよけいに考えてしまい、よけいに気持ちを込められなくなる、という負のスパイラルに陥っていた。 並列して語るのもおこがましい話だが、表現の仕事をしている身として非常に共感し苦しい気持ちになるシーンだった。私はネーム(マンガの下書きのようなもの)に対して「この内容じゃあなたが描いている意味がない」という理由でボツをくらうことがよくある。そういうとき、どうしたら自分らしくなるのだろう、自分らしさを表現できる構成はどんなだろう、と考えれば考えるほど、学ぼうとすればするほど、素の自分らしさから離れていき、何をしたら自分らしいのかわからなくなってしまう。また、そうして「自分らしさ」を求められ続けると、今まで言われてきた「ダメ」によって、がんじがらめになっていく気がするときがある。 話が逸れてしまったが、そんな私にとってタロウが音楽の美しさに気づき涙を流すシーンは心にくるものがあった。 「なぜ彼らがこれほどまでクラシックに惹かれるのか」 実は、その答えが作品内で明言されることはないのだが、本作を見た人はみんな、自ずとその答えを見つけることができるだろう。 物語の最後、浅野は4人に再び同じ質問をする。 「自分をおでんの具にたとえると?」 その答えはぜひ劇場で確かめてほしい。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)、2026年3月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)にて『今際の際のファムファタール』の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 『カルテットという名の青春』 2026年4月3日(金)から、シネスイッチ銀座ほかで全国順次公開 監督・撮影・編集・ナレーション:浅野直広 制作・配給:テレビマンユニオン 製作:BS朝日、テレビマンユニオン 出演:植村太郎(ヴァイオリン)、宮田大(チェロ)、佐橘マドカ(ヴァイオリン)、原麻理子(ヴィオラ)ほか ナレーション:原田知世 (C)テレビマンユニオン
-
生い立ち〜恋愛まで、ママタルト・大鶴肥満の赤裸々な人生──白武ときお『まーごめ180キロ』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「まーちゃんごめんね」。略して「まーごめ」。 謎の言葉を発して登場する身長182cm、体重188kg。ピンクのジャケットを羽織った一度見たら忘れない巨漢、その名は大鶴肥満(おおつる・ひまん)。「僕がもう少し細ければ」そう言って登場するのは相方・檜原洋平(ひわら・ようへい)。大鶴肥満に隠れているが、実は174cm、82kgと少々太め。凸凹コンビならぬ、凸とちょい凸コンビ──サンミュージックプロダクション所属のお笑いコンビ、ママタルトだ。 『まーごめ180キロ』は新進気鋭のお笑い芸人、ママタルト・大鶴肥満に密着したドキュメンタリー……ではなく、彼が発するあいさつのような……ギャグのような……ともかく彼がバラエティ番組でよく発している言葉「まーごめ」の真髄に迫るドキュメンタリー映画である、らしい。 監督は放送作家の白武ときお。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)の最年少作家でありながら、『しもふりチューブ』、『ララチューン』、『ママタルト本物チャンネル』など数多くの芸人のYouTubeも手がけている。 ひと言でまとめるのは難しい映画だが、あえてひと言でいうと、“180kgのおもしろい男に出会える映画”だ。実際、作中で「まーごめ」という単語はそれほど登場しない。大鶴肥満が現在の大鶴肥満という存在になって得たものの象徴として「まーごめ」という単語が使われているといった感じだ。いわばメタファー。 「ファン向けのムービーなのか?」と思われてしまうかもしれない。だが、大鶴肥満という人間をよく知らない映画ファン、ドキュメンタリーファンの方も興味を失わないでほしい。最初は知らない巨漢でも、2時間見たらきっと好きになるから。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 私がママタルトというお笑いコンビを知ったのは、2021年の冬だった。 個人的な話になるが、私は趣味のひとつとして『ぷよぷよ』というパズルゲームを挙げている。8年ほど前に出会ったこのゲームはなかなかおもしろく、私は大会やオフライン対戦会にも赴き、中級者といっても差し支えない程度の実力を手に入れるほどにはやり込んでいた。2021年11月、ぷよぷよの対戦会で知り合ったいわば“ぷよぷよ友達”のひとりから、ある日こんなことを言われた。 「今年のM-1(グランプリ)、追ってます?」 私は好きなコンビが準々決勝で落ちてしまった旨を話した。 「だったら真空ジェシカを応援しましょう。ボケの川北さんがぷよぷようまいんで」 彼らがYouTubeで芸人仲間を集めてぷよぷよを配信しているということを教えてもらった私はさっそくアーカイブを視聴した。 配信に参加しているのは真空ジェシカ・川北茂澄、ママタルト大鶴&檜原、ストレッチーズ高木貫太、さすらいラビー・中田和伸の5人。全員ちゃんとこのゲームをやり込んでいるのだろうとわかるプレイをしている。うまい。正直、競技人口も多くないゲームだ。芸人さんがこんなにたくさんこのゲームをやり込んでいるのか、と驚いた。 そんなきっかけでこの4組の芸人のファンになった私は、彼らの出演している番組を録画して観たり、西新宿ナルゲキの合同ライブに行ったり、単独ライブに行ったり、ラジオを聴いたり……と彼らを追いかけるようになった。そう、彼らは4組とも、ネタもおもしろかったのだ。ついでにいうと、MCのフリートークもめちゃくちゃおもしろい。おもしろくてぷよぷよがうまい、そりゃあ当然好きになるだろう。 前置きが長くなったが、それからしばらく経った2023年春。ママタルトの……いや、「まーごめの」ドキュメンタリー映画が公開されるという情報を耳にした。どうやらライブ用に作った映像を再編集したものを映画版として全国公開する、という経緯らしい。ドキュメンタリー映画が好きでママタルトも好きな私には願ってもない出来事だった。 さらに、私は大鶴肥満という人間の生い立ちにも興味があった。私は当時、ママタルトの冠ラジオ『ママタルトのラジオ母ちゃん』(GERA)をよく聴いていたのだが、大鶴肥満は時折、実家との確執や学生時代のトラウマに関する話をすることがあった。特に父親との反りの合わなさは繰り返し語られているトピックだった。率直に気になっていた。 とはいえ、芸人さんの(元は)ライブ用の映像ということであまり深い話は期待しないように、ライブの幕間を観る気持ちで観るべきだろう。そんな気持ちで臨んだ上映だったが、結果は期待の上の上を行く大満足だった。お笑い(コメディ)とドキュメンタリーのいいとこ取りをした素晴らしい映画だった。 2021年夏、表参道。ワタナベエンターテインメント本社の前に大鶴肥満はいた。大鶴肥満は言う。 「まーを待ってます」 「まー?」 「マルシアです」 大鶴肥満は俳優の大鶴義丹に似ていることから、現在の芸名を名乗っている。 2004年、大鶴義丹が記者会見でマルシアに対して発した言葉「まーちゃん(マルシア)、ごめんね」を略して「まーごめ」と言っているらしい。 ……えっ、もう答え出たじゃん。いやいや、まだ続く。 本作は3つの軸で進行していく。 1つめは、大鶴肥満がママタルトを結成し活躍するに至るまでの経緯について。大鶴肥満の語りを中心に、大学お笑い時代から親交の深い真空ジェシカやサツマカワRPGら10人のお笑い芸人の視点で語られていく。 2つめは、大鶴肥満の恋の行方について。これは現在進行形の話。マッチングアプリで知り合い1年間もの間気になっているMちゃんとデートを重ね、告白を試みる肥満の様子が映されている。 3つめは、大鶴肥満の……いや、粕谷明弘(かすや・あきひろ/大鶴肥満の本名)のこれまでの人生について。お笑いを始めるきっかけとなった大学のある明大前駅、嫌な思い出の小学校を巡る。 さらにはいじめを受けたという高校時代を振り返りながら 「お笑いは復讐だよ?」 ウエストランド井口浩之の言葉を借りて、自身の原動力を語る。 この映画は入れ子構造にもなっている。前述のとおり本作はもともとライブ用に作られた映像で、真空ジェシカ、大鶴小肥満(※スカート・澤部渡)による上映ライブが行われていた。映画版では上映ライブでの音声や映像も使われており、観客の笑い声や真空ジェシカによるツッコミが副音声的に被せられている。 そんな複雑な構成を取っている本作だが、実際見てみると案外見やすい。 大鶴肥満をはじめとした演者のしゃべりがうまいことに加えて、編集のバランス感覚が非常にいいことが理由だろう。退屈になりがちなインタビューシーンでも館内は常に笑いが起きていた。 おそらくこれは、視聴者の大半がお笑いファンであろうという想定から生まれた配慮だろう。 たとえば、大鶴肥満が語っているとき、ちょっとおもしろい遊具にまたがっていたとする。どう見てもおもしろいしツッコんでほしいけど、大事な話をしているから話の腰は折らないでほしい。そんなとき、後づけのテロップや真空ジェシカによる副音声で処理する。バラエティの手法をドキュメンタリーに取り入れたこの編集は秀逸で、作品にマッチしていたと思う。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 ともかく、「お笑いファンが楽しめる」ドキュメンタリーになっているので、見やすいのだ。 とりわけ印象的なのが、前述のいじめを受けたという高校のあとに訪れた実家のシーンだ。実家が近づくにつれ大鶴肥満の顔が曇っていくように見える。 実家では今どき珍しい、息子の芸を、いや、息子がお笑いの道へ進んだこと自体をまったく認めていない父親が登場する。 「芸能人になるなんて許せないですね」 「情けない。早くコロッて死んじゃえばいいんだよね。誰にも迷惑かけずに死んでください」 さらに父親は、自分はコロナウイルスの関係でできないから友人に葬式をしてもらえと続ける。 「ごめんな、そんな子供に育てちゃって。もうちょっと才能がある子供に育ててあげればよかったのに」 ……もちろん、まったく愛がないわけではないだろう。母親は、父親は自分よりも大鶴肥満の活動を追いかけているとフォローする。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 大鶴肥満は最後、「そのままでいてくれてありがとう」という言葉を残して実家を去る。そのまま、というのはもちろん、俺の嫌いな親父でいてくれて、という意味だろう。 物語の最後は相方・檜原への想いで締められる。マンガ『HUNTER×HUNTER』の主人公・ゴンと 親友・キルアの関係になぞらえて、ひわちゃん(檜原)は俺にとっての光だ、という。これまでの1時間半で大鶴肥満の暗い側面をたくさん見てきたので、よりいっそう、このふたりが出会ったことへ感謝の気持ちが湧いてくる。そんなママタルトは、2024年に初めてM-1の決勝へと進出した──結果は10組中10位と、グランプリを獲得することはできなかったが、平場の強さとふたりの人柄からか、今やお茶の間の人気者となっている。 総じていい映画だったな、と思う。エンディングで流れる音楽も素晴らしい。 私は初見時、少し泣きそうになった。実家のシーンがあまりにもリアルなのもいい。芸人など“しゃべりがうますぎる”人の語りは本心なのかトークをおもしろくするための誇張なのかがわかりづらいときがあるが、あのシーンによって疑う余地もない、本心の部分が見えた気がする。 実はこの映画は以前から紹介したかった一本なのだが、自分がファンだからこそためらっていた。 「知らない人が観てもおもしろいのか?」と。 2025年10月、「第17回下北沢映画祭」で『まーごめ180キロ』が再上映されるということで、私は“ママタルトのことはテレビで見たことがある”程度の認識の友人を誘って観に行くことにした。反応がよければ自信を持って読者に勧められる。結果は想像以上で、かなり気に入ってくれたようだった。物販のクリアファイルを購入し、マックを食べて帰ろうとまで提案してきた。自分の好きな映画、そして自分の好きな芸人にそれだけ人を動かす魅力があることが誇らしい。 『まーごめ180キロ』を観たあと、きっと思うだろう。 このおもしろい男に出会えてよかった、と。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 監督:白武ときお プロデューサー:雨無麻友子 構成:橋本拓実、エレファントかさ増し、梶本長之 音楽:PARKGOLF 出演:檜原洋平(ママタルト)、大鶴肥満(ママタルト)、ほか (C)劇場版まーごめ製作委員会
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#48「ドラマ監督のリアルな台本とは…カット割り編②」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様—— <前の話に戻る
-
#47「カット割り編①」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様—— < 前の話に戻る 次の話に行く >
-
#46「ほんよみにあった怖い話③」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様—— < 前の話に戻る 次の話に行く >
マンガ『ぺろりん日記』鹿目凛
「ぺろりん」こと鹿目凛がゆる〜く描く、人生の悲喜こもごも——
林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
-
日本デビュー15周年・2PMの6人“完全体”に号泣…! 東京ドーム再来で果たした「ファンとの約束」|「林美桜のK-POP沼ガール」第25回「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 東京ドームで開催された、2PMの日本デビュー15周年記念コンサート『2PM JAPAN 15th Anniversary Concert “THE RETURN” in TOKYO DOME』に参加してきました! もう……ボロボロ泣きました。 2PMの6人、“完全体”が目に映った瞬間 感謝と感動がとめどなく押し寄せて(号泣)。 今回のライブは、多くが日本語の曲で構成されていました。 そのため、あのときのライブやイベント、ハイタッチ会……思い出が巡りまくる。 ……ちょっと待った。メンバーのみなさん 変わらなすぎじゃないか? ビジュアルもパフォーマンスも 以前と全然変わらない。 変わらないどころか、さらに輝きをプラス、洗練されて、 これぞ「いい感じ」。 メンバー6人の“最大級の魅力” Jun.Kさんは、温もりあふれる壮大な歌声で東京ドームを包み込んでいました。「約束のキス」を連発し、お兄さんのファンへの愛情深さはもちろん変わらず。 メンバーの発言に目尻下がりまくり、肩に手を添えたり腕を組んだり、メンバーに絡みまくりの姿に大変癒やされました。「I'll be back」の冒頭、テギョンに譲っちゃう変わらない寛大さにもグッときました(うるっ)。 たった卵3個のご飯でライブに臨んだニックンさんは、メンバーの汗を拭き拭き、衣装の脱ぎ着も手伝い、配信を観ているファンのことも気にして、全方位気遣いあふれる紳士。 ニックンさんがみんなの面倒を見てるのを見るのが大好きなんです。そして長い手足を活かした華やかなパフォーマンス、柔らかな表情……東京ドームに再び王子が君臨しておりました。 テギョンさんは、ファンが笑いすぎて歯をしまい忘れてしまうくらい、相変わらずのテギョン節炸裂。有明から「テギョンのジュークボックス」が無事に引き継がれていて感激でした(笑)。 MCであり、ほかメンバーのソロも奪いながらパフォーマンスし、大ボケを担当しながら、営業も兼ねるという器用すぎる存在。それでもパフォーマンス中の集中したキリッとした表情に、改めて(もう数万回目)魅力されました。 ウヨンさんは、チャーミングな魅力爆発。みんなのビタミンに留まらず、みんなのアイドルであり、顔であり、体でもあった(爆笑)。メンバーにそうツッコミされてうれしそうにはしゃいでるウヨンさん、尊かったなぁ。この瞬間、2PMの完全体を感じました。 トークはふわふわキュートなのに、パフォーマンスのキレは抜群で、指の先まで忠実で繊細なダンス。センスがさらに磨き上がっていました。 ジュノさんは、東京ドームのハレス(2PMのファンネーム)の思いを汲み取って歓声をまとめる、完璧な王様。品があふれるしなやかなダンス、スッとまっすぐ耳に届く伸びやかな歌声。グッと会場の雰囲気を引きしめる、黄色に輝くオーラがビシビシ感じられました。 何度も話が脱線するテギョンさんを「セクシーでいてほしい」のひと言でもとに戻すジュノさん、大変ツボでした。ずっと優等生すぎる。メンバーのわちゃわちゃに、とてもはにかんでいたのがキュンすぎました。 チャンソンさんは、末っ子なのに相変わらず一番しっかり者。メンバーの日本語を手伝ったり、的確なツッコミで救ったり、努力で培った日本語力で場をうまく回してくださって、頼もしかったです。チャンソンさんの特大笑い声は、どんなときも聞いた人を特大ハッピーにするパワーがあるなと思うのですが、今回も何回も東京ドームに響き渡る瞬間があって、心満ち足りました。 チャンソンさんにとって「2PMは自信のひとつ」という言葉がありましたが、私にとっても、2PMという存在に勇気をもらったから自分の未来や可能性を信じることができたなと。哲学的な言葉に、毎回深く考えさせられます。 2PMとハレスが作る「実家のような安心感」 ほかにも感激したタイミングはたくさんありすぎて挙げきれないんですが、2PMとハレスで歌った「離れていても」は、その中のひとりでありながら圧巻だったと感じました。Jun.Kさんのピアノ伴奏だったのもうれしかったです(泣)。 前回の有明は、なんとなく勝手に……本当に最後な感じがしてしまい、涙・涙の気持ちだったのですが、今回は寂しくなかったです。 前回の約束を守ってくださった2PM。 ハレスと離れていても気持ちはひとつだったと証明されたので 「離れていても いつでもそばにいたね」 ありがとうと、気持ちをより強固にひとつにできた感じがしたんです。幸せだったな。 メンバーそれぞれのユニークなポイントに ハレス同士で「いつものやつだね」みたいに笑い合えて メンバーのみなさんもそんな雰囲気に気がついて、何回も笑わせてくれて楽しかったです。 2PMとハレスが作るこの空気感、本当にずっと変わらない。 実家に帰ったような気持ちでした。 安心感、半端ない。 日本デビュー15周年、最高のライブをありがとう! 最後のコメントで、Jun.Kさんがメンバーのことを 「家族、友達、仲間」と表現されていましたが ハレスにとっての2PMも、そう表現したくなる かけがえのない存在だなと。 改めて、日本デビュー15周年おめでとうございます。 約束の場所・東京ドームに戻ってきてくださって、ありがとうございました!! 2PMが見せてくれたハレスへの愛 “Ultra Lover”でした(泣)。 出会えた奇跡はきっと運命。 今後の2PMが描く未来へ速攻、今すぐ直行できるよう メンバーのみなさんが言ってくれたように膝を大事にしながら 2PMにまたいつか感謝を伝えられるよう、 たくさんの拍手を送れるよう 懸命に生きると決めました。 本当に最高のライブでした。 文=林 美桜 編集=高橋千里
-
次世代の最先端を走る『82MAJOR CONCERT <BEBEOM : BE THE TIGER> in JAPAN』東京公演の見どころをレポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 北米での単独ツアーを成功させ、世界から注目を集める次世代K-POPボーイズグループ・82MAJOR。 『82MAJOR CONCERT <BEBEOM : BE THE TIGER> in JAPAN』が2月14日にZepp Haneda(TOKYO)で開催されました。 なんと今回、CSテレ朝チャンネル1にて 4月25日(土)よる6:00〜よる7:00 東京公演のダイジェストとビハインド映像を収録した特別番組が放送されるということで、 今回の記事では、私が感じた見どころをまとめてみました。 圧巻のオープニングと、癒やしトークのギャップ メンバーの一人ひとりを映したオープニング映像。 モノクロからカラーへ……始まりが近づいている。 ライブのスタートは「Heroes」。 真っ赤なバックスクリーンに、6人の凛としたシルエットが際立つ。 「東京、準備はいいか」というかけ声で 「Passport」へ、一気に加速して高まるボルテージ!! メンバーとファンのテンションがガッチリと合う選曲、圧巻でした。 メンバーのみなさん、なめらかな日本語でごあいさつ。 さっきまでの雰囲気とは一変、フニャッとした癒やしのトーク。 完璧すぎるギャップの魅力……(沼)。 今回のライブのタイトル<BEBEOM : BE THE TIGER>には、「普通を超える存在になる」「虎になる」という意味が込められているんだそう。 「タイガーになりタイガー」なんて、かわいらしさ全開の意気込みにほっこり。 ハイレベルなパフォーマンスから感じる「次世代」 82MAJORの高いラップスキルには、ラップの楽曲ってこんな幅が出せるのかと驚かされました。 ラップと聞いて思い浮かぶようなものだけでなく、爽やかだったり、キュートだったり、クールだったり。 一人ひとりの音色の違いが重なると、本当におもしろくて新鮮に楽しい。 ダンスもカッチリ合わせるのではなく、個のよさを存分に引き出しながら、それでも“団”としてのまとまりがある。 曲間では、それぞれの曲に込めた想いやポイントを自然に説明されていて、メンバーみんなで曲を作っているからなのだなぁ、と。みなぎる自信と説得力がありました。 みなさんの最新の“今”が詰め込まれているからこそ、「次世代」なのだなぁと体感しました。 そんな中でも、私は「Choke」という曲の中毒性にハマっちゃいました。 エッジの効いたキレのあるサビ、一音一音が明瞭で気合いがこもっていて、エネルギーを存分に感じるステージでした。 「SQUAD」は、華やかで力強いラップが体に刻み込まれる感じ。 ファンを巻き込んでのコールアンドレスポンスは、咆哮(ほうこう)のような迫力がありました。 バレンタインチョコが溶けるほどの熱気! そして、注目はアンコール。 走ったり跳んだり、ステージの上を縦横無尽に駆け回るメンバーのみなさん、爽やかでかわいかったです。ただ、どれだけ走っても息切れしないラップ。プロフェッショナルでした。 ファンもメンバーもお互い楽しくなる曲を何度も披露。 じゅうぶんすぎるほどの満足感。最高のアンコールでした。 実はバレンタインの日のライブだったんですが、 もちろんチョコが溶けるほどの熱気の中、幕を閉じました。 私は「次世代」の最先端を走る82MAJORさんを目撃しました。 今後がますます楽しみ! さあ、最後に改めまして、 CSテレ朝チャンネル1にて 4月25日(土)よる6:00〜よる7:00 東京公演のダイジェストとビハインド映像を収録した特別番組が放送されます。 ぜひご覧ください!! 撮影=大橋祐希 文=林 美桜 編集=高橋千里
-
K-POP好きこそ観てほしい。日韓の美術交流をさかのぼる『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』主任学芸員・日比野民蓉が伝えたかったこと|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日)まで開催されている展覧会『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』は、1945年以降、日本と韓国が影響を与え合いながら紡いできた、美術の軌跡を見つめ直す企画です。 本展開催の横浜美術館があるみなとみらい駅周辺は、コンサート会場が多く、K-POPファンの方にもおなじみの場所かもしれません。ライブの高揚感とはまた違う角度から、「おとなりの国」とのつながりを感じられる時間になるでしょう。 Kカルチャーが私たちの日常に根づいた今、アーティストたちが紡いできた長い対話の歴史、そこで生まれた表現が映し出すものとは? 展示をじっくり鑑賞した林美桜が、本展を企画した横浜美術館主任学芸員の日比野民蓉(ひびの・みよん)さんにお話を伺います。 優劣をつけず「多様性」を表現する展覧会 林 見応えたっぷりで本当に素晴らしい展示でした……! これまでの展覧会であまり目にすることのなかった視点もたくさん感じ取れたのですが、そもそも日比野さんが本展を企画したきっかけはなんだったのでしょうか? 日比野 話し始めると少し長くなってしまうのですが(笑)。これは日韓国交正常化60周年を記念する展覧会でもありますが、その10年前、日韓国交正常化50周年の節目のとき、私は国立新美術館(新美)にアシスタント・キュレーターとして在籍していました。その際に新美が、開館当初から毎年開催していた現代美術のグループ展を韓国の美術館と一緒にやることになったんです。 さらにその前、大学院の修士課程での私の専門領域は、1945年以前の日本と朝鮮半島の美術の関わりでした。ただ学芸員の仕事を始めてからは、現代美術分野のお仕事をする機会が多くなっていった。つまり、学生時代に関心を持っていた1945年以前から、一足飛びに2000年代へと対象にする時代が飛んでいったんですね。 そうすると「1945年から2000年代に至るまでの韓国、あるいは朝鮮半島と日本の美術の関係はどうなっていたのだろう?」という疑問が湧いてきました。そこで調べてみたところ、45年以降の日韓の現代美術の歴史を、大きな視点でさかのぼる展覧会は、両国とも過去に開催されていないことがわかったんです。 「これはどこかで誰かがやらなければいけない」と思っていたのですが、美術品の海外輸送がある・なしで展覧会にかかる費用が桁違いに変わります。国内作品だけで成立させるのか、海外からも借りるのかで、予算規模はまったく違ってくるんです。 マティスやモネ、ゴッホのように、何十万人もの来場者が見込める、いわゆるブロックバスター的な展示とは事情が違うわけで、正直コストパフォーマンスがいいとはいいにくい企画になる。ですから、いつ実現できるだろうかとずっと機会をうかがっていました。 そんな折、横浜美術館が大規模改修工事のために長期休館することになりました。そしてリニューアル後の館のコンセプトをどうするかという議論の中で、「多様性」というキーワードが掲げられたんです。 そのときに「もうこれしかない」と思い、長く温めてきたこの企画を、館のリニューアルオープンの理念を体現する展覧会としてぜひ実現させてほしいと提案したところから、すべてが始まりましたね。 林 「多様性」を体現する展覧会ということは、韓国と日本、そして在日コリアンのアーティストによる作品が並列で展示されているところにも表れていますよね。 日比野 そうですね。これまでにない試みなので、「大変だったことはありますか?」と聞いていただく機会も多いのですが、意外とないんです。 というのも「そこに優劣はない」ということが、最初から展覧会の基本コンセプトにあったからです。在日コリアンであるがゆえに、日本の美術史からも韓国の美術史からもこぼれ落ちてきた部分が少なからずある。その活動をきちんと位置づけたい、という思いが出発点でした。 グローバル社会の現在は、国や民族、共同体といった単位で美術を語ること自体がナンセンスになりつつある時代です。それでもあえて「日韓」というフレームを掲げる展覧会である以上、その“はざま”にいる在日コリアンの活動を一緒に語らなければ、日本と韓国の現代美術史を正しく描くことはできない。そう考えてスタートしました。 林 在日コリアンの人々による“はざま”の感覚が、この展示には強く表れていると思いました。在日コリアンのアーティストの作品で、日本と韓国のはざまにあると感じられる表現の傾向のようなものはありますか? 日比野 「在日コリアンによる作品だから、こういう表現傾向がある」という語り方は、私自身はしないようにしています。属性から作品を捉えるのではなく、まず作品そのものがどのような意味や感覚を鑑賞者に与えるのか、そこから作家のバックグラウンドへとさかのぼるほうが、キュレーターとしては適切なアプローチだと考えているからです。 ただ、時代ごとに各作家が置かれた社会状況でどのような表現をしてきたのかを見ると、たとえば1950年代の在日コリアンの作家たちは、当時の社会問題に対して非常に強い問題意識を持って制作していたことがわかります。 もちろん、それは在日コリアンの作家だけに限った動きではありません。1950年代の日本でも、社会的テーマを美術に積極的に取り入れる流れはありました。ただ、在日コリアンの作家の中には、帰国事業のような自分自身の立場に直結する問題や、日常生活の中のコミュニティや集住地を描く作品など、より切実なテーマが表れやすい傾向はあったのではないかと思います。 日韓国交正常化以降の、美術交流で生まれた作品たち 林 社会状況の変化の中でアートが何を映し出していったかというお話は、個人的に、日韓国交正常化で両国の交流が一気に盛んになった1965年以降の作品を見て強く実感しました。 日比野 たとえば、本展にも展示されている関根伸夫さんの『位相-大地』(1968年発表)は、土を掘り起こし、その形をそのまま隣に置くという作品で「もの派」(1970年前後の日本で起こった美術の動向)の先駆けともいわれています。 手前:『位相-大地1』(関根伸夫、1986年/個人蔵)、左奥:『風景(I)(II)(III)』(李禹煥、1968年/2015年/個人蔵(群馬県立近代美術館寄託))、撮影=加藤 健 ただ、関根さんがあの作品を作っただけでは、もの派は成立しなかったと考えられています。日本を拠点に活動し、当時の日本の最前線の美術動向から強い刺激を受けていた作家の李禹煥(リ・ウーファン)さんが『位相-大地』を目撃し、「ここから新しい美術が始まる」と直感し、それを言葉で理論化しました。そのテキストは韓国語にも翻訳され、韓国の若い作家たちにも読まれた。つまり日本で起こっている動向が、ほとんど時差なく韓国に伝わったわけです。 また李禹煥さんに関してはもちろん言葉だけでなく、作品も象徴的だといえます。中でも『点より』『線より』のシリーズは、絵の具を筆につけ、点を打ち、かすれるまで線を引くといった、書道にも通じる行為の痕跡を通じて、日本と韓国を含む東洋の視覚文化に根差しながら表現するものです。韓国出身の李さんが日本を活動拠点にして、より広い視点から文化を見つめ直したことで、このシリーズが生まれたとも考えられるでしょう。 写真上:『点より』、写真下:『線より』(李禹煥、1977年/東京国立近代美術館蔵)/日比野「1970年代前半に始まった李禹煥の代表的な絵画シリーズで、絵画作品は韓国の『単色画』にも数えられますが、絵の具がかすれていくさまや筆のリズムの痕跡が単純に見ていて楽しい作品ですよね」 こうした思考や表現の往復が、国交正常化をきっかけに本格的に始まった。1960年代後半から80年代にかけてが、日本と韓国の直接的な美術交流の萌芽期だったと思います。 林 さまざまな作品が行き来することで生まれた表現というものを、実際に目の前にすると「交流ってこういうことなんだ」と実感しますね。 日比野 一つひとつが個人的なバックグラウンドと密接なことがわかりますよね。たとえば海老塚耕一さんの『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』という作品は興味深いです。こちらが制作されたのは2024年ですが、その素材に関しては、さかのぼること1979年に初めて韓国を訪れたときに買い求めたものなんです。 『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』(海老塚耕一、2024年/個人蔵)/林「オンドルに使われる紙が使用されているんですね」 日比野「はい。壮版紙(チャンバンジ)というもので、伝統的なオンドルに使用するときと同様の表面処理が本作にも施されています」 海老塚さんは横浜・鶴見の出身で、在日コリアンが多い地域で育ちましたが、その歴史について深くは知らなかった。大学時代に在日コリアンのジャーナリストの著作を読み、日本の帝国主義の歴史と彼らの人生がどう結びついているのかを知り、大きな衝撃を受けたそうです。 1979年に韓国へ渡航し大邱(テグ)で滞在制作を行い、伝統的なオンドル(かまどを焚いたときに出る煙を利用した暖房)の床に使われる紙の質感に強く惹かれ、持ち帰ります。しかしその紙は、先ほどの背景があったことから、海老塚さんにとってあまりに大きな意味を持つものとなって、長い間使えなかった。およそ半世紀近く経って、ようやく作品に用いたのが『Correspond-1977年7月 大邱の余韻』だといいます。 「視覚的な体験」で、若い世代にもより響く展示に 林 会場には若い来場者も多くいらっしゃいましたが、本展を通じて初めて日韓の歴史を知る方も多いのではないかと思います。 日比野 そうですね。どんな方が来て、どんな感想を持ってくださっているのか、私も日々SNSなどで拝見しています。特に第1章『はざまに──在日コリアンの視点』のところで「全然知らなかった」という声が多く、在日コリアンの歴史があまり知られていなかったことも、改めて感じました。 第1章『はざまに──在日コリアンの視点』は、日本と朝鮮半島に国交がなかった1965年までの20年間の在日コリアンに焦点が当てられている/日比野「林典子さんやナム・ファヨンさんといった、1965年以降に生まれた世代の作家の作品をあえて並べて見せることで、遠い過去の話ではない問題として引き寄せて考えてもらおうと考えました」 ただ「在日コリアンの歴史に関する展示です」という言葉が先行してしまうと、どうしても入りにくい部分があると思うんです。高嶺格さんの作品『Baby Insa-dong』にもありましたが、「在日」というワード自体が日本社会の中で排他的に扱われ、差別の対象になってきた歴史があるからです。 若い世代によって韓国や朝鮮半島に対する感覚が大きく変わったとはいえ、日本人にとって「在日コリアン」という言葉に対する一種の恐れや戸惑いがまだあるのではないかと思います。どこまで話していいのか、間違ったことを言ってはいけないのではないか、と。知ること自体が、自分たちの過去や先祖を振り返ることにつながる。その触れ方が難しい、と感じる方もいるのが事実です。 でも、美術作品はまず目の前に“ある”ものです。本をひとりで読むのとは違い、同じ空間で多くの人と共有できる。視覚的な体験として入ってくるのが、美術の強みです。たとえば古美術を見たとき、何千年も前に作られたものが今も目の前に存在しているという驚きがありますよね。近代美術であっても、80年前の人たちがこういうものを作っていたという事実が、まざまざと迫ってきます。 言葉や概念から入るのではなく、視覚的な体験から入ることができる。そういう意味で、若い方々にとっても新鮮な驚きとして受け止められているのではないかと思います。 林 展示の中でも、中村政人さんの写真作品は、若い来場者に刺さるのではないかと感じました。ソウルで撮影された一連の作品からは、街の細部に寄せられた関心を感じ取ることができて、すごく現代っぽいなと。 中村政人による写真作品の展示/日比野「中村さんの作品は着眼点が秀逸ですよね。ソウルの街が持つダイナミックさを細部に見出して芸術として捉える視点が感じ取れます」 SNS上などで、旅行先の看板やオブジェなど何気ないものの写真をアップする若い方が多いので、それに近い感覚だったのかもとおもしろく鑑賞しました。中村さんは1990年に、日本から韓国へ留学されていたんですよね。 日比野 そうですね。80年代後半から、旅行などで日本から韓国へは行っていたそうです。 中村さんが美大生だった当時は、多くの日本の若者がアメリカを目指していました。アメリカで最先端のアートを観て、ギャラリーに扱われて認められるというのが、アーティストにとっての「ゴール」としてまなざされていた時代だったんですね。 でもその感覚が、中村さんとしてはあまり腑に落ちなかったそうで、「それって本当にそうなの?」という違和感があった。そんななか韓国に行き始めて、「近い国にダイナミックな世界が広がっている!」と感じたそうです。 中村さんの写真って、ソウルの街で一般市民が行っている営みが、そのまま芸術のように見えてしまうところがおもしろいですよね。街の中の風景や、人々の振る舞い、制度やルールのズレみたいなものに、非常に鋭く目を向けている。欧米を目指す前に、すぐ隣にある国にまったく違うおもしろさの文化や社会があることに気づいたんですね。その感覚が、中村さんを韓国留学へと向かわせたのだと思います。 「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかける 林 そして近年の若い世代による作品も、興味深かったです。特に、武蔵野美術大学と朝鮮大学校によるプロジェクト『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)のコーナーでは、作品もそうですが、作家同士による話し合いの記録が展示されている形式が印象的でした。 『突然、目の前がひらけて』(市川明子、鄭梨愛、土屋美智子、灰原千晶、李晶玉/2014〜15年/2025年)/プロジェクトを実践したメンバーがそれぞれ「日本人」「在日朝鮮人」の立場で続けた対話の記録が展示されている 日比野 塀を隔てて隣り合っている武蔵野美術大学と朝鮮大学校の間に、橋を架けるプロジェクトですよね。ただ最も重要なことは、今おっしゃっていただいたように「橋を架けたこと」そのもの以上に、そこに至るまでのプロセスでした。 5人の作家たちが、各自のアイデンティティに関わる問題意識について、痛みを伴いながらもやめなかった対話。その軌跡こそが、このプロジェクトの本質なのではないか。だからこそ今回の展示でも、抜粋にはなりますが、そこで交わされた彼らの言葉がちりばめられています。 林 ここで観た作品についても誰かと話したくなるようなものばかりでしたし、対話を続ける大切さは、この展覧会の鑑賞後に最も強く感じました。 日比野 ありがたいことに、「人と感想を交換したくなった」という声をよくいただいています。 『いつもとなりにいるから』という展覧会タイトルは、あえて「~から」と文章を途中で止めることで「いつもとなりにいる“から”、その先は?」と、問いを投げかけるかたちになっています。「いつもとなりにいるから、どうなのか」「だから、私たちはどうするのか」といった、日本と韓国が地理的に隣にあるという事実のその先を、どう考えていくのか。 誰かと一緒に語り合うのも、自分の中で言葉をつないでもいい。来場してくださった一人ひとりが、「から」の続きを考えられるような展覧会になっていたらと思います。 横浜美術館リニューアルオープン記念展 『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』 2025年12月6日(土)~2026年3月22日(日) 10時~18時 ※入館は閉館の30分前まで ※木曜日は休館 文=菅原史稀 撮影=佐々木康太 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
-
カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
-
贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
-
40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
-
涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
-
W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
-
宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
大好評企画が復活!AKB48 Team 8メンバーひとりずつの撮り下ろし連載
【会員限定】AKB48 Team 8 私服グラビア Extra
【会員限定】AKB48 Team 8メンバーひとりずつの撮り下ろし連載
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
-
【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
-
【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
-
【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
logirl staff voice
logirlのスタッフによるlogirlのためのtext
-
「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
-
logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
-
言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東海S)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東海S) 7月26日(日)の中京7R・東海Sの予想をします。今週から暑熱対策として、中京と新潟開催には昼休みが設けられています。メインはそれぞれ7R。今年はとりわけ暑さが話題になっていますから、JRAの昼間のレース施行を避ける暑熱対策はそれなりに的を射ていたのでしょう。夏競馬が苦手という方は少なくないと思いますが、それはまあこの暑さなので、馬の出来は蓋を開けてみないと分からないところがあります。狙い馬が走らない、思いもよらない馬が走るシーズンですから、そういうものとして付き合いましょう。今回の東海Sはノーザンファーム、社台ファームの生産馬がいません。だから何?ではありますが、そういった組み合わせから推し量れる重賞のプレゼンスみたいなものを感じていただければ。 【プロキオンS→東海S(7月開催の西日本ダート重賞)、合わせて過去10年の傾向・特異点】 ・エーピーインディ系、米国ミスプロ系などとにかくアメリカっぽさ ・大型馬 ・基本は若い好調馬 ◎⑭マテンロウコマンド。 前走圧勝の⑤ドンインザムードが1番人気でしょう。前走の内容は重賞レベル。血統や年齢、馬体重などもこのレースの好走ファクターに合致するので有力だとは思いますが、良の中京ならひとひねりしてもいいかと思う次第。そこでマテンロウコマンドに◎。差し優位の府中でこそ着を崩していますが、このコースは基本的に前優位。かつこの舞台で2戦2勝。松山に先んじて仕掛けての押し切りを狙ってもらいましょう。 ○⑬ドラゴンテイラー。 3勝クラス1着から即の重賞挑戦は楽ではありませんが、4連勝が全て完勝でアメリカっぽさ全開の血統とあれば、ここで味見したくはあります。しかし、キャリア7戦全部違う騎手。どうしてこうもヤネが替わりますかね。誰が乗っても力を発揮できる素直な馬とは言えますが。ちなみに坂井瑠星とは合いそうです。 ▲⑨インユアパレス。 昨年2着馬で、高いレベルで安定しています。重賞未勝利と詰めの甘さは拭えませんが、夏場も走る馬でいいところに来るのでは。 馬券は3連単軸フォーメーション。 <1着>⑬⑭→<2着>⑤⑨⑬⑭→<3着>⑤⑨⑬⑭。12点。 さて2020年から長らく続いてきた当コラムですが、お休みをいただきます。また有馬記念かダービーか、競馬の祭典は続いていきますからどこかで会いましょう。Xのアカウントは@xupoです。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(小倉記念)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(小倉記念) 今週は7月19日(日)の小倉11R・小倉記念を予想します。この重賞は昨年からお盆→7月に繰り上がり。夏の小倉はいま4週間だけで今週はラスト週です。自分が記者になった頃は8週開催があって、まだ小倉競馬場に滞在する馬も多く「夏の小倉滞在2週間」みたいな出張が楽しかったのですが、これは「懐古厨乙」案件。現代の小倉競馬は馬運車の進歩による輸送負担軽減により滞在も少なく、栗東トレセンのトレーナーも福島の番組と両にらみ。合理性と風情はトレードオフですから、時代に合った予想をしないといけません。それこそ昔は〝このままでは帰れない関東馬の勝負駆け〟みたいな情報が飛び交っていました。来るかは別として。 【小倉記念過去10年の傾向・特異点】 ・基本的には若い方が有利、内枠が優位 ・前走上がり3F速い馬、末脚重視 ・トニービン、ディクタス持ち ◎③ナムラエイハブ。 この重賞、得意というわけではないのですが、20年アールスター(10番人気1着)とか昨年シェイクユアハート(3番人気2着)とか、狙い澄ました◎がわりと走っています。上の傾向3つめのトニービン、ディクタス持ちというファクターが非常に強力で、合致するなかで走りそうな馬を狙うだけという案配。ところが今年はトニービン持ちが8頭もいて、トニービンに準じるナスルーラ系の父、母父も加えると出走馬の過半数を超える始末。むしろ「じゃない方」が7頭しかいないので血統ファクターが使いづらくなっています。ならば展開でしょう。先行勢の層が薄く、ハナ候補のレーゼドラマが大外。内枠でスタートを決めたら田山ナムラエイハブの逃げも五分とみました。田山は売り出し中の若手。そういう騎手が名を上げるのが夏競馬。逃げがいい重賞ではありませんし、からまれると良くないタイプなので、腹をくくって逃げてほしいところ。 ○⑨ジーティーアダマン。 上村厩舎といえばベラジオオペラ。近年屈指の中距離馬を管理しただけあって、厩舎にもトレーナーにも似たタイプを育て上げるノウハウがあるのでしょう。さすがに先達のスケールを望むのは酷ですが、成長ラインから何からフォロワーにはなれます。 ▲⑥ガイアメンテ。 ゲートは悪いものの、早めの仕掛けでも長く脚を使えて、小回りなら捲りを打てそうなタイプ。前走レコード駆けの好内容で、時計勝負の適性も高い。千八巧者感があってあと1Fは微妙ですが。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>③→<相手>②⑥⑨⑭⑰。20点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(七夕賞)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(七夕賞) G1のない夏競馬を買っている、あまつさえこうしたコラムも読んでいる方は練達の競馬ファンと思います。そうした方なら分かると思いますが、夏競馬の馬券は、たとえば上位に見立てた3頭が全然来ない…がしばしばあります。それだけならまだしも、その理由もよく分からないことすらあります。春秋のG1だと、たとえば3頭選んで1頭も来ないなんてことは実はそんなにありませんし、仮にそうであっても理由を推察できます。基本、夏競馬の人気は割れますから、一貫してハマるのを待つことで予後が良くなるものです。と自分にも言い聞かせつつ今週は7月12日(日)の福島11R・七夕賞を予想します。 【七夕賞過去10年の傾向・特異点】 ・直線の長いコースで負けた馬の巻き返し ・戸崎フル参戦で4勝2着1回。ベリー七夕賞マスター ・おまじないの類いかもですが偶数枠の方が好成績 ◎④カラマティアノス。 58を背負う4歳馬という時点であまり食指が動かないうえ、主戦の津村が騎乗停止で乗り替わり。ないな、という印象でしたが、乗り替わり先が岩田康誠でちょっと方向転換。奥村武厩舎と岩田康はノースブリッジ(重賞3勝)で気心の知れた間柄。カラマティアノスも先達ノースブリッジと似た夏冬ピーク型であることを期待して本命視。勝てば岩田康は中央10場重賞制覇です。 ○⑤オーロラエックス。 それほど牝馬のいい重賞ではありませんが、サトノダイヤモンド×母父ガリレオが重賞でいいところがあるとすれば、ここではないかと。なんでもかんでも杉山晴厩舎を買えばいいってものではありませんが、なにせ全方位に走る馬を出す厩舎で、このメンバーならチャンスありとみての仕上げかと思います。ハンデの恩恵はありませんが。 ▲⑪アスクナイスショー。 母父アドマイヤムーンの評価が難しいところですが、牝系は名門バラード系。4代母グローリアスソングがG1を4勝した名馬で、欧州の名門出身であることが福島芝で推す理由になるのは少々落差がありますが、こうした牝系の芯みたいなものが生きるコースなのは確か。田辺も夏の福島では頼りになります。 ☆⑬バトルボーン。 坂井やMデムーロといった早め進出の騎手がいなければ、戸崎と田辺と折り合って行った行った…もありですが、坂井が勝負に来るとちょっと厳しいですかね。ミルコは出遅れるかもしれませんが、坂井はスタートうまいので。そのあたり、オーロラエックスが動けるか否かで展開がガラリ変わるのがいかにも夏競馬。あとは馬券の組み合わせでフォロー。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>④→<2着>⑤⑪⑬→<3着>②⑤⑦⑩⑪⑬⑮。 <1着>④→<2着>→②⑦⑩⑮<3着>⑤⑪⑬。30点 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
-
WAGEI公開収録<概要・応募規約>テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
-
新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑