カメラとペンの戦士たち
2016年01月29日

海外旅行先のなかで、
ベトナムは好きな国の一つです。
程よく近くて、雰囲気があって、
ひとが優しい。食事も優しい。ついでに懐にも優しい。
何度か旅行したことがあるのですが、
去年、10年前に一度旅したホーチミンを
再び訪れる機会がありました。

やはり新興国、勢いがあります。
鉄道敷設工事が大規模に行われていたり、
洗練されたコロニアルなお店の増えた目抜き通りには
おしゃれに敏感な若者が多く行き交っていたり。
夜になると、それはそれはすさまじい活気!

写真1

前向きなムードが、街を明るく照らしています。

でも、目線をふと「足元」に落とすと、違ったものも見えてきます。
雑貨店の軒先、物乞いをする親子。
くたくたに使い古されたブランケットの上に座る
お母さんの目のあたりには大きな瘤。
無邪気に笑う息子さんは4、5歳でしょうか。
その手足は極端に短く、ぎこちなく辺りを歩き回ります。
その親子に限らず、体に障がいを持った人たちを
市内では少なからず目にしました。

ベトナム戦争が終結したのは、1975年4月。
今からたった40年前のこと。
痛々しく残る傷痕に、
「まだ、過去のものではないんだ」
改めて思い知らされます。

写真2

戦争証跡博物館を訪れると、整然と展示された写真の数々に、
思わず涙と吐き気がこみ上げます。
恐怖に慄き、泣き叫び、逃げ惑う人々。
絶望の淵に追い遣られ、呆然と宙を見つめる大人たち。
奇形の子どもたち。
衝撃的で悲痛な写真が並ぶ中、目に留まったもの。

写真3

これは、この戦争で命を落とした、
各国のジャーナリストたちの名前です。
日本人の名前も。
追悼の意味を込めてこうして展示されているのです。
大国の利害が絡む中泥沼化したベトナム戦争。
世論に訴えかけ、終結の大きなきっかけをつくったのは、
こうした写真やルポで戦場から惨状を伝えたジャーナリストたちだったんですね。

写真4

写真5

彼らが命の危険と隣り合わせの中、
「ペン」と「カメラ」で戦わなければ、
もっと悲惨な状況が、生まれていたかもしれません。
現代の活き活きとした前向きのエネルギーにあふれたホーチミンは、
なかったかもしれません。
胸が熱くなりました。

踏み込まれなければ知られない真実が
知られなければ変わらない現実が
今も溢れていますね。

明日は1月30日。
あの、ジャーナリストの後藤健二さんの事件からちょうど一年です。
改めて、さまざま思い巡らせています。

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