小川彩佳-番組公式ブログ

スタジオをお休みし取材に行ってきました
2017年12月21日

12月の7日から14日にかけて、
ノルウェーのオスロに出張して参りました。
ある女性のスピーチを取材するためです。

サーロー節子さん。
カナダ人と結婚、以来トロント在住の85歳。
サーローさんは13歳の時に、
広島の爆心地から1.8キロという場所で被爆しました。
建物の下敷きになり、からくも息をつなぎましたが、
母校の同級生ら広島女学院の生徒たち351人が、尊い命を奪われました。
サーローさんのお姉さん、そして可愛がっていた4歳の甥、
英治ちゃんもまた、苦しみの中で息を引き取ったのです。

「生き残ったものの使命感、そして責任」と、サーローさんは言います。
アメリカに留学、そして23歳の時にカナダ人の男性と結婚し
トロントに移住してからも、
世界の人々に英語で、核廃絶を訴える活動を続けてきました。

そんなサーローさんをはじめとする被爆者の方々の
生涯を賭した訴えが、今年一つの実りを迎えます。
核兵器禁止条約。
世界で歴史上初めて、核兵器を禁止する条約が
7月7日、国連で採択されたのです。
これを受けて、
NGOのICAN=核廃絶国際キャンペーンが
今年のノーベル平和賞を受賞することに。
そして被爆者として先頭に立ち闘い続けてきたことから、
サーローさんもまた、平和賞のメダルを授与され、
授賞式でスピーチを行うことになったのです。

実は私、核兵器禁止条約の採択にあわせて、
6月末にサーローさんを取材していました。
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そのご縁で今回、授賞式前に
サーローさんのインタビューをさせていただくことになり、
オスロに飛んだ、というわけです。

11日月曜日にVTRとオスロからの中継を放送しました。
中継

インタビュー

オスロでのサーローさんは、様々なイベントや
国内外のメディアからの取材対応などが重なり、立て込んでいた模様。
授賞式前にインタビューさせていただいたときも、最初は
「ちょっと疲れちゃったわ…」と、はにかんでいらっしゃいました。
85歳でいらっしゃるもの、そうだよなぁ…。
時間内になんとしても取材を終えて、休んでいただかなくちゃ。
そんな風に始まったインタビューだったのに、
質問を重ねるごとに、小さかったサーローさんの声は徐々に声量を増し、
サーローさんの思いはほとばしり始めます。
時間をオーバーしても言葉はとどまることなく、
「有難うございました」とインタビューを締めくくると、
しゅんとした表情で、こう呟いたんです。
「もう終わりなの?もっと話していたいわ…。フラストレーションね…。
日本にいられたら、もっとたくさんのことが日本の人たちに伝えられるのに…」

中継でもお伝えしましたが、
今回の取材でも6月のトロントの取材でも、
何度も問われたのは、
「日本人の皆さんはどう思っていらっしゃるの?」
ということでした。

“声をあげている人はもちろんいると思っている。
でも、唯一の被爆国なのに、私たち被爆者は、こんなにむごい被害を受けたのに、
もっと声をあげてくれてもいいのに、なかなかカナダにいると伝わってこない。
日本人の皆さんはどう思っているの?どういうアクションを取っているの?”

日本に対して訴えたい、もっと日本の人に動いてほしい、
だって唯一身をもって核の恐ろしさを体験した国なのだから…。

孫のような年の私にそんな風に訴えるときの、
「分かったふりではなく、心から解ってほしい」と、
懇願するような眼差しに、私は胸がえぐられるようでした。

10日。迎えた授賞式当日。

湧き立つような情熱と
怒り、悲しみ、願いの強さに圧倒される、
サーローさんのスピーチ。
オンエアでは使用できる映像に時間制限があり、
そのすべてを放送することができなかったのですが、
一人でも多くの方に触れていただけたら…。
そんな思いで、ここに改めて全文を掲載させてください。

【スピーチ全文(PDF)】

今回インタビューさせていただくにあたり、
「日本から何か持ってきてほしいものなどありますか?」と聞くと、
サーローさん、こうおっしゃったんです。
「核に関する新しい本を、できるだけたくさん、
持ってきてほしいわ」
85歳。学び続け、訴え続けていく。
そんな思いに胸を打たれ、ハッとさせられました。

サーローさん3
【サーローさんの自宅にて。本棚には核や終戦についての本がびっしり】

授賞式のステージでは
シンガーソングライターのジョン・レジェンドが
ピアノの弾き語りを披露していました。
曲は、ボブ・マーリーの「REDEMPTION SONG」。
救済、赦しの歌。
もちろん、平和賞が何かを劇的に変えるわけではありません。
サーローさんがおっしゃるように、核廃絶を願う人たちにとって、
「これからが始まり」です。
でも、この平和賞が、
思い出すことも耐えがたいはずの被爆体験を語り続けてきた方々、
口にすることもできず苦しみ続けてきた方々、
そして核によって命を奪われた方々の魂の「救い」に、
少しでもなっていれば…と、
切に願います。

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