旅は、出会いだ。
って思うんですよね。
先日の夏休みで行ったスペイン旅行でも、いろいろな出会いがありました。
それは、
最高においしいイベリコ豚との出会いだったり、
初めて観る闘牛の様式美と残酷さの狭間で揺れる自分自身の感情との出会いだったり、
神々しさに思わず頭を垂れたエル・グレコの絵画との出会いだったり、
ほろ酔いで訪れたサグラダ・ファミリア、西日のあたるステンドグラスの光に包まれる幸福感との出会いだったり、
そしてスペインの人々のあっけらかんとした明るさとの出会いだったり。
3度目のスペインでも、味わいは新鮮でした。
きっと4度目だって、5度目だって。
日常を抜け出して旅をすれば、
新しく吹き抜ける空気の中にたくさんの「初めて」が、
その時その場所にいなければ出会えない「初めて」があります。
だから私は旅行が好きです。
旅は、出会いだ。
忘れられない出会いがあります。
10年前、大学生の時に旅した、ベルギーでのことでした。
ブリュッセルから郊外へ足を運ぶため、国鉄に乗ったんです。
のんびり車窓を眺めていると、通路に何やら気配が。
ふと目をやると、3、4歳ぐらいの女の子が、こちらを覗き込んできて。
「どうしたの?」と笑顔を向けると、くしゃっとはにかんで、
通路を挟んで反対側に座る夫婦のところに逃げていきます。
どうやらその夫婦のお子さんなんですね。30歳前後くらいのお父さんお母さんと、女の子の3人家族。
清潔感のあるTシャツにデニムというカジュアルなファッション。
女の子は、ピンク色のカットソーを着て、ちょっとおしゃれをしています。
しばらくすると女の子がまた覗き込んできて、ケラケラと笑いました。
その繰り返し。
あまりに可愛らしいので、思わず私も女の子の相手をして、その道中ずっと遊んでいたんです。
微笑みながら「ごめんなさいね」と会釈するお母さん。
優しく叱りながら女の子をあやす子煩悩なお父さん。
なんとも穏やかで温かく、清潔感のあるさわやかな家族。
その後女の子が「あちょー」と空手風の技を繰り出してくるので、
「なんちゃって空手対決」にまで発展し、ひとしきり遊ぶと、
女の子はやがて疲れておやすみモードに。
落ち着いたところで、お父さんが片言の英語で、話しかけてくれました。
「どこから来たの?」
「日本です。あなたは?」
「イランから来たよ。」
と、意外な返答が。
続けて色々と聞いてみたんです。
「へぇ、イラン!ベルギーは旅行ですか?」
「違うんだ。」
「じゃあ、お仕事?」
「仕事は…空手の先生をやってたんだよ。」
あぁ、だから女の子は空手を。と、納得していると、お父さんはこう重ねたんです。
「でも今は仕事、していないんだ。」
おそらく「?」マークが頭上に飛んでいた私の目をまっすぐと見て、お父さんは続けました。
「僕たち、難民なんだ。」
あまりに突然の、予想外の言葉に、絶句していました。
いわゆる「難民」という言葉からイメージする人々の姿とのあまりの違いに、
状況を飲み込めなかったんです。
そんな私に、「ホントなんだよ。」と、お父さんはさらに言葉を重ね、
訥々と教えてくれました。
イランを逃れ、ブリュッセルで生活保護を受けているということ。
仕事に就きたくても、就けないということ。
いつイランに帰れるか分からないこと。
パスポートがないということ。
難民認定の申請が通っていたのか、それともまだ申請中だったのかは定かではありませんが、
こんな風にも言っていたことをよく覚えています。
「今はラッキーなことにベルギーで暮らしていられる。
でも、安定することはない。いつ何が起こるか。
これからどうなるかわからないんだ。」
見ず知らずの、ぽかんとした日本人学生に、
どうしてあんなに語ってくれたのか分かりません。
でも、お父さんのまなざしは何かを訴えるようにまっすぐでした。
言葉少なでもゆっくりと優しく繰り出す単語ひとつひとつに、
虚しくも切なくも祖国を思う気持ちが、繊細な綿のように柔く幾重にも絡まっているのを感じて。
言葉が見つからずただただ胸がきゅうと締め付けられる、あの時初めて覚えたその感覚を、今でも思い出します。
「難民危機」とも呼ばれる事態に面しています。
欧州を目指して大量に押し寄せる難民・移民は、
シリア人だけで400万人とも言われています。
連日、日本でも報道されていますね。
手を振って別れたあの家族は、遠く離れただれか、違う世界のだれかではなく、
たまたま生まれた場所が違っただけの「隣人」でした。
あのとき見た、お父さんの笑顔の裏にある哀しみを思います。
今、彼らはどうしているだろうか。
元気にしているだろうか。
心から笑っていてくれたら、いいな。
ずっと、考えています。