私の身長が大きくなったのは、小学生のころ。
入学したての時は背の順の真ん中あたりだったのに、
卒業する時には一番後ろに立っていました。
それからもずっとクラスでは大きいほうだったのですが、
特にコンプレックスに感じたことはなかったんです。
でも、高校2年生の時。
体育の授業で、バスケットボールの試合を行っていたんですが、
相手チームの女の子から、高身長を生かしたパスカットをしたんです。
その時に女の子が一言、目の前の私に言い放って、笑いました。
「でかっ!」
その瞬間から、身長の高さは
私のちょっとしたコンプレックスになりました。
誰が言ったのかは覚えていないんです。
言葉に傷ついたのではないのかもしれません。
何が辛かったって、周りのみんなが笑っていたこと。
一生懸命にバスケをしていただけなのに、
身体的特徴をからかわれたような気がして、
繊細な十代の心は(笑)、ちょっと傷つきました。
今では身長のことは気にしていませんが、
あの時のことは忘れられない記憶として
ずっと心に残っています。
大げさだけれど、敏感すぎるのかもしれないけれど、
あの場の空気で、私は一瞬の孤独に追いやられたんです。
都議会での野次が、連日ニュースになっています。
「早く結婚すれば」「産めないのか」。
化石みたいな価値観による品のない野次ですよね。
言葉を受け取る相手の気持ちを一切考えることができない、
都議としての資質、人としての感覚を強烈に疑いますが、
飛ばした野次の卑劣さ同様に、私は
あの日の都議会の空気に、ショックを覚えました。
野次を飛ばした人達の周りからは、発言をとがめるどころか
いくつもの笑い声が上がりました。
誰が発したのかという騒動になると、発言者をかばう人、
聞こえなかったと取り合わない人、自分は関係ないと開き直る人もいました。
野次を許してしまうようなその場の空気、その後の対応・・・
そのすべてが、今後の女性を取り巻く環境をうらない、
そのすべてが、問題の根深さを雄弁に物語っています。
言葉は人を傷つけますが、
もっと人を傷つけるのは、
その言葉を許す空気なんじゃないかな、と思うんです。
心無いことを言う人はいつの世もどんな社会にもいます。
そこで発せられた、人を傷つける言葉に、
毅然とNOを突きつけることができるか、
突きつける人がいるかどうかが、
その社会の健全性を示す大きな要素なのではないかと思います。
当事者の女性の一人として
スタジオでコメントする機会がいつもなく残念なのですが、
そんなことを考えながら、日々怒りを持って
このニュースを伝えています。