先週末、以前取材で訪れた宮城県石巻市の雄勝地区に行ってきました。
約1年ぶりに訪れたのですが、景色の「変化」に、驚きました。
被害の爪痕がそのまま残っていた建物やがれきがすっかりなくなり…
一面、「更地」。
ここになにがあったか、お分かりになるでしょうか?
ここでなにがあったか、想像できますか?
ここは、雄勝病院という、町の中核を担う病院が建っていたところ。
風光明媚な海沿いの病院は、2011年3月11日、
津波に侵され、64人もの方が命を落としました。
無惨な姿に、震災から1年後に訪れた私は心からショックを覚えました。
ひしゃげた骨組み、波の跡が残る壁や、砕け散った窓ガラス。
そして窓からのぞめる穏やかな潮騒。
一瞬にしてこの場所をさらっていった悲劇の片りんを物語るものたち。
目の当たりにするだけで、溢れてくる言葉たち。
今は雄勝病院があったことを示すものはただひとつ、この慰霊碑。
静かに手を合わせます。
更地になった病院跡地を眺めながら、
こんなにも思い出せないものか…と、
自分の記憶の儚さ、もろさを実感しました。
宮城県南三陸町で被災し、骨組みだけが痛々しく残る防災対策庁舎。
取り壊されることが決まったそうです。
見るたびに辛い記憶が呼び起こされてしまう…。
津波の猛威を後世に伝える遺構としてそのままにするべき…。
住民の方々の間でも意見が分かれていたといいます。
時が経っていく。
なくなっていく。
どう遺すか。
考えさせられます。