経験なき継承者として
2023年08月14日

 8月は、重たい月だ。 
 ことしはこれに先立つ5月の広島で、少し胸が熱くなる思いを経験した。G7広島サミットを取材したときのことである。
 ウクライナのゼレンスキー大統領が急きょ駆けつけ、世界が注目したサミットだった。最終日、ゼレンスキー大統領が岸田首相にエスコートされ、広島の平和記念資料館を訪れることになった。我々のスタッフは、公園から200メートルほど離れたマンションの高層階の住人にお願いし、ベランダに陣取り、その様子を撮影することにした。
 大統領の車列の到着、岸田首相の出迎え。そして両首脳は、原爆犠牲者の慰霊碑へとゆっくりと歩を進めながら真摯に語り合っていた。このサミットでの最も印象的な場面であり、遠目ながらその様子を映像に残すことができたのは収穫だった。

 だが、収穫はそれにとどまらなかった。実はゼレンスキー大統領以外にも、帰国前に原爆資料館を訪れた首脳がいたのを知った。カナダのトルドー首相である。カナダ国旗が公用車にひるがえっていたので、離れたベランダからでも、それはすぐに分かった。それにしても、トルドー首相を含むG7の首脳は、すでに一度は揃って原爆資料館を訪れ、見学したはずである。
 しかし、トルドー首相は、会議が終わった後、もう一度資料館を見たいと願ったのだという。原爆がもたらす悲惨な現実が、51歳の若き指導者の心を動かしたことになる。その姿を垣間見た僕までも、胸が熱くなる思いがしたのである。

 それは、惨禍を生き抜き、二度と原爆が投下されることがあってはならないと訴え続けた被爆者たちと、それを受け継いできた広島の人たちの努力のたまものだろう。78年という時間を経ても、広島や長崎が発するメッセージは強い。
 それは、しっかりとその地に刻み込まれた記録が持つ力によるものと言っていい。広島の平和記念資料館も、長崎の原爆資料館も、いずれもが大切に運営され、訪れた人々の心に忘れがたい何かを残し続けている。
 5月のサミットの際に、僕も広島の資料館を訪ねたが、被爆の実相を伝える展示物の前に立ち尽くしてしまった。涙を流す人、見学を終えてもしばらく身動きできない人の姿が、日本人、外国人を問わず、いたるところにあった。

 そうなのだ。しっかりと記録に残し続けることが大事なのだ。
 このところ、僕は戦争を知らない自分たちの世代が、後世に戦争を語り継ぐことの責任について、あれこれ考えを巡らせてきたのだが、答えのひとつは、やはり記録というキーワードにあるように思う。
 自分の経験を考えれば、様々な記録に触れてきたことが、自分なりに平和を願う大きな礎になっている。広島、長崎の資料館だけではない。取材でさまざまな国々を旅する中で、主要な町には必ずと言っていいほど、過去の傷を風化させまいとする博物館がある。

 バルト三国のひとつ、リトアニアの首都ビリニュスでは、旧ソ連に支配された時代のKGB(国家保安委員会)の建物がそのまま博物館として使われていた。独立を求めたパルチザンへの迫害のすさまじさを伝えている。水を張った小さな部屋に置かれた小さなコンクリート盤は、容疑者への尋問の際に立たせる足場だった。冬、気を失って倒れれば、次には氷の恐怖が待ち受ける、という何重にも残酷な拷問の設計となっていた。地元の中学生の一団が見学に訪れていたが、女子のひとりが、たまらずその場にうずくまっていた。

 ポーランドのアウシュビッツ強制収容所には2度、訪ねる機会があった。この収容所の意味合いは改めて説明するまでもないだろう。殺害された裕福なユダヤ人の遺体の口からは、金歯が取り出された。ナチス・ドイツが、その金を業者と取引した書類が残されていた。残酷極まりないそのときの実態が、これでもかと言うほど押し寄せて来る。ここでも、若い見学者たちが涙をこらえきれず、うずくまっていた。「どこから来たの?」と聞くと、ドイツだという。声をかける言葉が見つからなかった。

 こうした博物館や資料館を見ることについて、「怖くていやだ」と思うのは、ある意味、自然な感情と言える。僕もそうした場所に入る際には、ひとつ気合を入れないと気持ちが持たないことがある。
 しかし、それでも僕たちは、目をそらしてはならない。そして、僕たちの子や孫の世代にも、戦争の実相を伝えるそれらの記録を直視するよう働きかけ、その機会を積極的に作っていかなければならない。苦痛の中を振り絞るようにして刻み付けた記録の数々こそ、僕らが後世に引き継ぐべきものなのだ。

01

 先日、海軍の特攻隊員だった経歴を持つ、茶道・裏千家の千玄室大宗匠にインタビューした。学徒出陣時の思い、訓練の過酷さ、出撃を前に仲間たちに茶を振る舞った忘れられぬ体験。そして、生き残った数奇な運命。

02

 どれひとつとっても、後世に残したい貴重な体験談だった。そして千大宗匠は、100歳になった今も、精力的に国の内外を講演して回り、外国の要人に茶をたてる。茶道における「やわらぎ」の心を伝えるために。「丸い茶碗は地球そのものなのですよ」と諭しながら。

03

 御年100歳の大宗匠が、こうして骨身を削って戦争のない世界を目指し、活動している。自分たちが何もしないで済むわけがない。彼の行動そのものがひとつの大切な記録である。それを大切には、放送人としての僕の使命でもある。
 安穏と過ぎていく日常に流されず、失われていった数多くの命に思いをいたし、背筋をピンと伸ばしていきたい。
 僕にとって、8月とはそういう日々である。

(2023年8月14日)

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