サボリスト〜あの人のサボり方〜
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「できることは全部やる──安定よりも異常で過剰に」中郡暖菜のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 コンサバティブな女性ファッション誌が全盛のなか、影をはらんだ独自の世界観を打ち出した雑誌『LARME』をヒットさせたのが、編集者の中郡暖菜さん。そんな中郡さんに、もの作りにおけるスタンスや、逃避しながら仕事をするという斬新なサボり方などを聞きました。 中郡暖菜 なかごおり・はるな 編集者/株式会社LARME代表取締役。大学在学中からギャル系ファッション誌『小悪魔ageha』の編集に携わり、2012年に女性ファッション誌『LARME』を創刊。編集長を4年務めたのち、女性ファッション誌『bis』の新創刊編集長を経て、2020年に株式会社LARMEを設立。『LARME』のM&Aを行い、編集長に復帰した。 目次下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しいネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』ほかではやらないことをやってこそ意義がある「異常と異常の間」を走り続ける罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる?行動からしか新しい出会いは生まれない 下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界 ──中郡さんが手がける雑誌『LARME』では、映画や小説などの世界観を企画のテーマにすることが多いかと思いますが、どんなカルチャーに影響を受けてきたのでしょうか。 中郡 本は全般的に好きでしたが、大きく影響を受けたのはマンガですね。中でも印象深いのは、中学生のときに読んだ竹宮惠子さんの『風と木の詩』。フランスの寄宿舎の話なんですけど、その世界観に衝撃を受けました。 ──では編集の道に進んだのも、本が好きだったからなんですね。 中郡 中学生のときから本に関わる仕事がしたくて、編集者になりたいと思っていました。でも、どの大学に行ったら編集者になれるのかもわからなかったので、音楽高校からそのまま音大に進みつつ、とりあえずマスコミスクールに通ってみたりして。それも「なんか違うな」と辞めてしまって、出版社のアルバイトに応募して入ったのが『小悪魔ageha』なんです。 ──リアルな編集の現場は、やっぱり違いましたか? 中郡 そうですね。一番下っ端だったので編集どころか雑用ばかりでしたが、学ぶことは多かったですし、その時期を乗り越えたことで自信もついたと思います。まだガラケーだしファイル転送サービスも普及してなかったので、手間がかかりましたけど。 読者アンケートのはがきを集計したり、読者に直接電話してアンケートを取ったり。「アイメイクに関するアンケートを50人分取って」と言われたら、ひたすら電話をかけてたんですよ。効率悪すぎますよね。色校正(印刷確認用の試し刷り)や入稿データも直接運んでました。飛脚ですよ(笑)。 難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しい ──下積み経験も糧になっているとのことですが、心が折れたりしなかったのでしょうか。 中郡 折れなかったですね。それよりも早く編集担当になって、ページを作りたいと思っていました。クリエイティブな職業って、下積みもけっこう重要じゃないですか。まわりがフリーの編集者とかだと、教育係がついて教えてくれるということもないので、自分で仕事を覚えていくしかないから。 ──そうして能動的に学んでいくうちに、だんだん会議で企画を提案できるような場面も増えていったとか。 中郡 大学生のころから編集会議には出ていて、企画も出していました。ただ、自分の企画が通っても、編集までは任せてもらえないんです。それが悔しくて。社会人になってようやく、自分の企画を担当できるようになりました。 初めての撮影はすごく印象に残っています。自分の思い描いていたものが、カメラマンさん、モデルさん、ヘアメイクさん、衣装さんたちのおかげでいい写真になったのがうれしくて。今でもあのときみたいに撮影したいと思っていますが、なかなかあそこまで感動できる撮影は多くないですね。 ──どんな企画だったんですか? 中郡 『セーラームーン』のヘアアレンジみたいな企画で、モデルさんたちにコスプレをしてもらいました。ネットでもけっこうバズったんですけど、それ以上に二次元の世界を三次元で表現するといった、難しそうな内容をかたちにできたことがうれしかったんですよね。 大変そうな壁を乗り越えられると楽しいし、チャレンジをしていくことで個性も磨かれていくんじゃないかなと思います。結果が見えるラクな撮影を続けていると、自分ができる範囲でしか仕事をしなくなって、結局どこかで行き詰まってしまうというか。成長の機会を逃してしまう気がします。 ネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』 『LARME』 ──ご自身で新たに『LARME』という雑誌を立ち上げた経緯を教えてください。 中郡 編集者として結果を出せるようになって、「編集長になりたい」「自分の本を作りたい」とアピールするようになったんです。そんなことを言う人がまわりにいなかったのもあり、『小悪魔ageha』の編集長があと押ししてくれて、『LARME』の企画を立ち上げました。 ところが、その編集長が会社を辞めてしまったら、企画自体もなかったことになってしまって……。すでに『LARME』の話は進めていたし、当時担当していた『姉ageha』の企画も最後だと思って気持ちを込めて作ったので、「もう続けられない、自分の雑誌をやる」という思いで、会社を辞めて別の出版社に『LARME』の企画を持ち込んだんです。 ──ほかにはない雑誌として、どのような点を意識していたのでしょうか。 中郡 当時の女性ファッション誌って、モテを重視したハッピーでコンサバティブな雑誌がほとんどだったんですけど、無理して笑顔を作らないようなものを求めている人もいるんじゃないかなって感じていたんです。 私自身、悲しいことが起きたとしても何も起きなかったよりはいいんじゃないか、みたいな気持ちがあったので、ネガティブなもの、マイナスなものも悪いものではないというスタンスの雑誌にしようと思っていました。それで、名前もフランス語で「涙」という意味の『LARME』にして。 ──そのスタンスが『LARME』のデザインや世界観をかたち作っているんですね。 中郡 色にはこだわりがあって、自分が嫌いな色は使わないようにしているので、ほとんどの号で水色、ピンク、ラベンダーがメインになっています。水色なら水色で、どこまでバリエーションを展開できるかという方向に力を入れているんです。 もうひとつの特徴は、男性がひとりも登場しないことですね。現実にはあり得ないことですが、この雑誌を読んでいるときだけは、現実とは異なるここだけの世界にしたいんです。そのために女の子を男性役にしたり、着ぐるみを登場させたりすることもあります。 ほかではやらないことをやってこそ意義がある ──企画のテーマを参照するにあたって、基準や作品の傾向などはありますか? 中郡 好みのものがあるというか、嫌いなものははっきりしてますね。お姫様が出てくるような作品は雰囲気的に近いと思われがちなんですけど、王子様ありきの物語が好きじゃないんですよ。『不思議の国のアリス』みたいな、自分の物語を生きて、冒険するような作品が好きなんです。 でも、『小悪魔ageha』に始まり、『bis』という雑誌も作っていましたし、『LARME』も50号以上出ていますから、自分の中にもうストックがなくて……。最近は、1号作り終えたらインプットの期間を設けて、必死に何かを読んだり観たりしています。それを次の号ですぐ使う、みたいな(笑)。 ──ご自身のセンスや価値観と、読者の求めるものや売れ行きとのバランスについては、意識されているのでしょうか。 中郡 最近はあまりバランスを気にすることがなくなってきました。長くやってきたから聞かなくてもなんとなくわかるんですよ、ビジュアルがメインの企画より実用性のある企画のほうが人気だとか。でも、それで実用性のある企画ばかりにしたら『LARME』ではなくなってしまうし、ほかの雑誌ではやらなそうな企画をやることに意義があるというか。 本が売れなくなってきて、雑誌は発売日に電子版が読み放題になっている。そんな状況で売り上げをどうにかしようとしても、気持ちが暗くなるだけじゃないですか。それよりも『LARME』をたくさんの人に知ってもらって、接触面を増やして、本だけの存在を越えたリアルなカルチャーのひとつとしてイベントなどにつなげていくほうが重要かなと思ってるんです。 「異常と異常の間」を走り続ける ──より広く、人に何かを届けるという点で大切にしていることはありますか? 中郡 何においても、自分にできることは全部やりたいと思っています。先日、知り合いの漫画家さんに新刊の宣伝について相談されて、いろいろと提案したんですけど、担当編集さんには「そこまでやらなくてもいいんじゃないか」と言われたらしくて。大手出版社の編集さんにとっては、がんばらなくても売れる作品だし、必死になって無理しても自分の何かが変わるわけでもないし、むしろリスクが増えるから、どうしても保守的になるというか。 私は安定したくないんです。漫画家の楳図かずおさんが「異常の反対は安定じゃなくて、また別の異常がある。その中心にあるのが安定だから、安定を目指すと内に入ってしまってよくない」といったことを言っていたのですが、すごくいい言葉だなって。私はその言葉を信じて異常と異常の間を行き来しているので、どうしても過剰になっちゃうんですよね(笑)。 ──常に難しそうなことにチャレンジする、というスタンスとも共通したものを感じます。では、会社の代表として今後チャレンジしてみたいことなどはあるのでしょうか。 中郡 すでに決まっていることとしては、新宿の東急歌舞伎町タワーで『LARME』10周年のイベントをやる予定で、それが楽しみですね。歌舞伎町って、今一番文化が生まれそうなカオスな場所で、『LARME』との相性のよさを感じていて。私はユートピアよりもディストピア派なので、安定してない混沌とした街と一緒に変化していけるのが、カルチャーとしてカッコいいなって思うんです。 罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる? ──中郡さんは、動き続けて忙しさがピークになったとき、サボったり、息抜きをしたりすることはありますか? 中郡 辛いものとか、注射とか、刺激物が好きなんです。本当に忙しくなったり、仕事でイヤなことがあったりしたら、刺激物を求めてしまいますね。「からっ!」「いたっ!」みたいな刺激って、一瞬そっちで頭がいっぱいになるじゃないですか。それが私のストレス発散方法です。 ──刺激に慣れてくるようなことはないんですか? 中郡 今でも辛いものを食べた翌日は、普通にお腹が痛くなったりしますよ(笑)。あとは、飛行機や新幹線に乗るような長距離の移動が好きで。いきなり北海道や福岡に行ってしまうこともけっこうあります。 長距離を移動していると、その罪悪感ですごく仕事が捗るんですよ。移動中にやらなきゃいけないことを一気に解消しています。結果的に移動も楽しめて、マルチタスクをこなせたようでうれしいっていう。 ──仕事とサボりを同時に行うというのは斬新ですね。移動という制限がうまく働いている部分もあるのでしょうか。 中郡 そうですね。移動自体は遊びなんですけど、仕事をするために移動するようなところもあります。家とか会社だと、何かと連絡が来たりして集中できる時間が作りづらいじゃないですか。移動していると対応できなくなることも増えてハラハラするんですけど、そのぶん集中できるんです。 調子が悪くなるかもしれないのに辛いものを求めてしまう感覚と近いかもしれませんね。破滅的な行動が好きなんですよ。毎日同じルーティンを繰り返すような生活ができなくて、辛いものを食べて、めちゃくちゃお酒飲んで、なんか具合悪い、みたいな日常を送っています。 行動からしか新しい出会いは生まれない ──では、無心になる時間、心が休まる時間などもあまりないんですかね? 中郡 心の安らぎもあまり大事にはしてないですね。「安らいだら終わり」みたいな(笑)。ただ、寝る前にマンガを読んでいる時間は幸せで、安らいでいるような気がします。寝る前に読むのはエッセイ系のマンガが多くて、清野とおるさん、まんきつさん、山本さほさん、沖田×華さんといった漫画家さんの作品を繰り返し読んでいます。 ──仕事のためのインプットとはまた違う時間なんですね。 中郡 そうですね。インプットのほうは仕事感が強くて、サボりではないかもしれません。この前も必死になりすぎて、「何かあるかもしれない」と盆栽展を見に行って、特に何もなく帰ってきました。 でも、自分の目で見たもの、実際に体験したものについてしか、何も言えないと思っているので、行動するのは大事なことで。ネットで盆栽を見ても、好きなのかどうかもわからないじゃないですか。ピンとこなくても、そのことがわかっただけでいいんです。 ──やったことのない仕事が成長につながるように、実際に行動して経験することで、新しい刺激や感動に出会えるんですね。 中郡 先日、「ニセコにスノーボードをしに行こう」と誘ってくれた友人がいて、スノボはできないし、寒いのもイヤなのに、マイルで行けるなら行こうと思ったんです。でも結局、ちょうどいい飛行機がなくて断ってしまって。ただ、興味がなくても、チャレンジする機会があるなら前向きに検討してみるのはいいですよね。あくまでマイルで行けるのなら、っていうレベルですけど(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「遊ぶように働きながら、真剣に“ヒマを持つ”」ステレオテニスのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話をうかがったのは、80年代テイストを取り入れたグラフィックデザインで注目を集め、企画やプロデュース業など、幅広い分野で活躍しているステレオテニスさん。精力的に活動を続ける一方で、「サボり」に対しても深い関心を向けているというが、ステレオテニス流のサボり論とは? ステレオテニス アートディレクター/プロデューサー。80年代グラフィックのトーン&マナーを取り入れた作風で、音楽やファッションなどカルチャーシーンを中心に広告表現や空間プロデュース、イベントの企画などを手がける。電気グルーヴやももいろクローバーZなどのアーティストのグッズ制作や、ハローキティなどのキャラクターとのコラボレーションを多数展開。宮崎県都城市で2拠点生活を2018年から開始、プロデュース業やクリエイティブディレクションにも積極的に取り組む。すべてデッドストックの80年代衣料を扱うアップサイクルブティック「マムズドレッサー」を主宰。 目次誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた発想や視点は、矛先を変えても活かせる地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」サボりとは、贅沢のひとつである?お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! 誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた ──グラフィックデザインという分野でお仕事をされるようになった経緯について教えてください。 ステレオテニス 学生のころからデザインや絵を描くことが好きで、当時聴いていた音楽ジャンルの影響で、音楽をグラフィックで表す仕事があることを知って、京都の美大でデザインを学ぶようになったんです。卒業後もクラブでVJをしたり、フライヤーをデザインしたりしていましたね。当時は単純に表現することが楽しかったんですけど、もっとおもしろいことをしてみたいと思って、京都を出ることにしたんです。上京をきっかけに少し意識が変わって、ポートフォリオを作って持ち込みしてみたり、知り合いのデザイナーさんに作品を見てもらったりするようになりました。 あと、新宿二丁目のカルチャーと出会って、イベントでVJをさせてもらったりしていたことも大きかったです。自分の表現が広がり、音楽関係者といった方々との出会いもあり、デザインの仕事をもらえるようになって。だから、けっこうアンダーグラウンド出身の叩き上げなんですよ(笑)。 ──そうした活動の中で、どのように作風を確立されていったのでしょうか。 ステレオテニス まわりがやっていないことをやろうとしていて、VJの世界は男っぽくて裏方的なイメージが主流だったので、ちょっとギャルっぽいテイストを打ち出したりしていたんです。そうした奇をてらったアプローチとして、「80年代」を扱うようになって。 当時は今のように80年代のテイストが「アリ」だとされていなくて、古くてダサい、よくない意味で「ヤバい」ものだったんですよ。それをあえておもしろがっていたのが、だんだん「これ、もしかしてカッコいいのでは……?」と思うようになって。それからは、古本屋にある雑誌や、寂れた文房具屋さんに残っている商品、レンタルビデオ店の型落ちビデオなんかを掘り出して、すみっこに追いやられている存在から、自分なりにカッコよさを見出していました。 ──そうしたモチーフを、自分なりにアレンジするようになったと。 ステレオテニス そうですね。80年代をそのまま表現する懐古趣味ではなく、80年代というエッセンスを自分なりに調合して、その時代に落とし込んでアレンジするというか。お仕事の場合、クライアントの反応によってそのバランスやモチーフを自分の勘で変え、提案したりすることもあります。 発想や視点は、矛先を変えても活かせる ──中でも反響が大きかったもの、個人的に手応えのあったものとして、どんなお仕事があるのでしょうか。 ステレオテニス 2010年代前半の、SNSでの広がりは印象に残っています。好きなアイドルについて「グッズを作りたい!」と発信したら、それが拡散されて事務所の方から連絡が来るようなことがありました。そういった仕事をきっかけに依頼もどんどん増えていって、同時に80年代的なムードが理解されるようにもなったことで、小学生のころ愛読していたマンガ『あさりちゃん』のコラボグッズを作らせてもらったり、サンリオさんとコラボレーションさせてもらったりするようになりました。 『東京ガールズコレクション』のキービジュアルは、親でも知ってるお仕事だったので、多方面から反響も大きかったです。それからだんだん平面のデザインではなく、立体物も手がけるようになりました。中でも、東京ディズニーリゾートの施設「イクスピアリ」内のプリクラエリア「moreru mignon」のディレクションは、立体としての規模も大きくて、やりがいがありましたね。 あと、電気グルーヴさんのグッズ制作は個人的に大きかったです。私が中学生のころから聴いていたミュージシャンでしたし、今でも第一線で長く活動されている方に、自分の表現を受け入れてもらえたことで、ある種の達成感を覚えたというか。 『東京ガールズコレクション』(2018)キービジュアル moreru mignon 電気グルーヴ公式グッズ ──そんな80年代も、今やブームと言われるほどの扱いになっています。 ステレオテニス 個人的な印象では3回目ぐらいの80年代ブームなんですけど、ここまで市民権を得るとは思いませんでしたね。ブームが続くと、もう当たり前の存在として定着してきちゃっているような気がします。だから、手慣れた感じでしつこく80年代的なデザインをやればいいのにって思いますけど、素直におもしろいと思えなくて。 それで、次は手段というか、表現の先を変えようと思うようになりました。自分の中にある80年代のポップさとか、発想の楽しさは活かしつつ、その対象を一過性で流れていくものではなく、誰もやっていない分野にシフトするのが楽しくなってきたんですよね。 地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」 ──そんな表現の変化として、地方でのクリエイションなどは当てはまりますか? ステレオテニス そうですね。地方を行き来していると、「人が減ってるな」とか、「こういうものが不足していて、こういうものは余ってるんだな」とか、世の中の縮図として問題を知ることがいろいろある。そういった課題や気づきを、自分が80年代を再解釈してデザイン表現したときに培った視点で見てみると、解決につなげられるかもしれない。そうやって表現が変換できることにワクワクしました。 それで、私の地元にある呉服店の昭和のデッドストック服をリブランディングして販売する「MOM’s DRESSER」というブティックやったり、同じようにメガネ屋さんと組んだり、飲食店と組んだりしていると、自分にしかない視点が活かせるとわかって。「人の役に立ちたい」とか、「地域貢献」とかって、あまり好きな表現ではないんですけど、結果としてそれが人のためにもつながることに魅力を感じるようになりました。あくまで自分がおもしろがっているだけなんですけど。 MOM’s DRESSER ──地元である都城市では、どのように活動を広げていったのでしょうか。 ステレオテニス 都城には、おしゃれなお店はあっても、知的好奇心に応えてくれるような文化の発信基地といえるような場所が少ないなと思ったんです。そんなときに、「都城市立図書館」という大きな図書館ができて、最初は実家に帰ったついでに仕事をする場所として利用していました。そのうちに、イベントスペースがあることが気になって、職員さんに何かやる予定があるのか聞いたんですよ。そうしたら、場所はあるけど企画がないので、考えているところだと。 それで、企画を持っていってみることにしたんです。実家に帰ることが増えてから、地元におもしろい活動をしている人がいたら、会いに行ってインタビューする、というフィールドワークをしていたので、これをトークショーにできないかと。それが『おしえて先輩!』というレギュラーの企画として採用されたのがきっかけですね。 ──地元での活動も続けるなかで、意識していることはありますか? ステレオテニス もう何年も離れているし、ずっと住んでいるわけじゃないので、地元だけど、地元じゃない、適度によそ者感覚でいることを大事にしています。それで、地元に対して「懐かしい」とか、「変わらないなぁ」とか言ってるのって、視野が狭い捉え方かもしれないと思って。そうすると、逆に地元が新鮮に見えてきました。同時に問題も見えてきたり。地元感とよそ者感、ふたつの視点を両立させて、おもしろいものを見つけていきたいですね。 サボりとは、贅沢のひとつである? ──ステレオテニスさんは「サボる」ということに対して、どう考えていますか? ステレオテニス 最近、サボっていかに好パフォーマンスを出すか考えるようになったんですよ。もともとアイデアがどんどん湧くので行動的なタイプだったんですけど、サボっているときのほうが行動的なときにはないクリエイティブにつながることに気づいて。ぼーっとしたり、好きなことをしていると、インスピレーションが湧いたり、悩みに対して別角度のひらめきが降りてきたりする。サボりは、自分本来のペースに戻す時間だと思うんです。 ──仕事などはどうしても人のペースに合わせることになりますが、サボってる間は自分のペースになれる。 ステレオテニス そうなんです。サボってるときは自分が軸になるんですよ。だから、ヒマとかサボりとかって、ある種の贅沢というか。「ヒマしてる」「ヒマだ」とか言うと、すごく退屈な印象で、みんなヒマを恐れがちなんですけど、「ヒマがある」「ヒマを持っている」と言うと、ちょっと高貴な気分になれませんか(笑)。 リトリート(日常生活から離れた場所で心身をリラックスさせること)なんかも流行っていて、何もないところに出かけて、何もしないことがレジャーになっている。ヒマを買う人がいて、それがビジネスになってるんですよ。ヘンな話ですけど。そうやってヒマを買うような忙しい人たちも、自分の軸ではなく、誰かの軸を基本に生きているという感覚が拭えないんだと思います。 お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ ──サボりともいえる好きな時間は、何をしているときなのでしょうか。 ステレオテニス 散歩したり、寝たり、コンテンツを観たり、温泉に行ったり、瞑想したり、いろいろありますけど、お金の勉強も趣味なんです。勉強というか、お金の世界を知るのが楽しい。仕事があるのに、お金の仕組みがわかる動画を観たりしちゃいます。遊びというか、仕事と直結しないことを一生懸命やってる感じですね。 その関心も、最初は「お金とは?」「経済とは?」といったところにあったんですけど、お金のことを考えていると、だんだん自分の価値観や生き方といったテーマに広がっていくのもおもしろくて。そんなに意識の高い話ではなくて、お金に縛られないでラクに生きる、発想の転換みたいなことなんですけど。 ──その結果、好きなことや趣味が仕事になって、夢中になっている人もいますよね。 ステレオテニス でも、仕事と遊びの時間は分けたほうがいいような気がするんですよね。私も遊んでお金をもらっているような感覚が仕事にあって、ずっと走り続けていても苦ではないんですけど、気がついたら背中から小さい槍(やり)で追い立てられてるように感じる走り方をしていることに、気づいてない場合もあると思うんです。それで結果的に、体にムリが出たりするのは違うのかなって。だから、ヒマを怖がってワーカホリックになったり、仕事が遊びだと言ったりするより、やっぱり遊びは遊び、真剣にヒマを持つっていう。そういうことがわかってきましたね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! この連載「サボリスト~あの人のサボり方~」が書籍化されることになりました。 これまでに登場した12名のインタビューに加筆したほか、書籍オリジナルの森田哲矢さん(さらば青春の光)インタビューも収録。クリエイターの言葉から、上手な働き方とサボり方が見えてくる一冊です。 『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』(扶桑社)は2023年3月2日発売
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「好きなことでムリなく働くために努力する」佐久間宣行のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、テレビ東京で多くの人気バラエティを手がけ、現在はフリーのテレビプロデューサー、ラジオパーソナリティとして活躍する佐久間宣行さんが登場。クリエイターとしてのルーツや、ほかとは違う番組の作り方、仕事との向き合い方とサボり方などについて聞いた。 佐久間宣行 さくま・のぶゆき テレビプロデューサー/ラジオパーソナリティ。『ゴッドタン』『あちこちオードリー』(ともにテレビ東京)などを手がける。元テレビ東京社員。2019年4月からニッポン放送のラジオ番組『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを担当。YouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』も人気。近著に『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社)がある。 目次SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンスエンタメはサボりのはずが、借金にしゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ ──佐久間さんは、コンテンツの作り手である一方、エンタメ好きとして映画、マンガ、演劇など、さまざまなジャンルの作品を幅広い媒体で紹介していますが、エンタメ好きになったきっかけは、どんな作品との出会いなんでしょうか? 佐久間 やっぱり、中学のころにSFを好きになったのが大きいですね。SFって、ストーリー以前に作品の世界観や仕組みから作っていくんですよ。構造の部分で大きなウソはつくけど、それ以外のディテールはリアリティで埋めていく。そういった世界の仕組みごと作るような作品を好きになったことで、自分がものを作る上でもルールが美しいものや、どこかに新しさがあるものを目指すようになった。SFからの影響は大きいですね。 衝撃的だったのは、中学1年くらいのときに読んだ士郎正宗さんのマンガ『ブラックマジック』。その世界観にびっくりしたのと、まわりの同級生は読んでいなくて、僕だけが出会ったという意味でも特別な作品です。 ──そこからSF小説なんかも読むようになったんですか? 佐久間 中学高校のお小遣いだと、なかなかハード系のSFには手が出せなくて。大学受験が終わったあたりから、よりハードなSFを好きになっていった感じですね。僕が青春時代を過ごした1990年代前半は、音楽でもルーツをさかのぼることが盛んに行われていて、僕は小説やドラマのシナリオなどで過去の作品に触れ、ルーツをさかのぼっていました。古典といわれるSF作品を読むと、「(現在の作品につながる世界観、設定などが)ここに全部あったんだ」といった発見がたくさんあるんですよ。 ──お笑い系のカルチャーも当然好きだったんですよね? 佐久間 もちろん。僕が中高生のころはダウンタウンさんの勃興期で、みんなヤラれてましたから。でも、個人的に大きかったのは、雑誌カルチャーと深夜ラジオですね。特に深夜ラジオは、中学1年でオールナイトニッポン(ニッポン放送)の2部に出会って、毎日聴くようになって。そうすると日曜だけ放送がないから、チューニングをして放送している番組を探していたら、大阪の『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)を見つけたんですよ。海沿いの街だからか、福島県のいわき市でも聴けたんです。 北野誠さんがパーソナリティのすごくカルトなラジオで、番組を通じて大阪のお笑いに詳しくなっていきました。あとは、大槻ケンヂさんや水道橋博士さんといった方々が出ていて、サブカルチャーにも触れられた。深夜ラジオが、地方で暮らすカルチャー不足の僕を救ってくれたんです。 番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンス ──佐久間さんのテレビ番組作りについて伺いたいのですが、企画についてはMCとなるタレントありきで考えていると言われることも多いと思います。そうなった背景などはあるのでしょうか? 佐久間 それはあくまでアプローチのひとつなんです。ほかと被らない番組を作ろうとしたときに、ジャンルから考えることもあるし、社会でまだ気づかれていないものから考えることもあるし、そのタレントがほかでやっていないことから考えることもある。 企画を考えるときはだいたいそうですね。自分を掘り下げるか、社会を掘り下げるか、パートナーとなるタレントや企業を掘り下げるか。そこから「このタレントのこういう面って取り上げられてないよな」といった仮説を立てていくんです。 ──仮説を立てるまでが大変そうですね。 佐久間 大変ですけど、日常的に疑問を持ったり、考えたりしているので、そこから仮説が生まれる感じなんですよね。たとえば、「NFT(偽造・改ざんできない、所有が証明できるデジタルデータ)がブームになるって言われてるけど、いつもの怪しい人たちが持ち上げているだけなのか、文化になっていくのか、どっちなんだろう?」とか。 タレントに対しても同じです。フワちゃんがテレビに登場したときは一過性のタレントだと思われてましたけど、仕事をしてみたらそうは感じなかった。きっとそうやって人を油断させながら、しっかりした仕事をしていくんだろうなって。だから、フワちゃんに番組に出てもらうときは、単なる賑やかしじゃなくて、芯を食ったことを言ってもらうようにしています。 ──そういったご自身の見方・価値観と、世の中の価値観とのバランスについては意識しますか? 佐久間 世の中で流行っているものをそのまま扱うことはまずないですね。それは別に僕がやらなくてもいいというか、マーケティングで企画を作れる人が、どんどんアプローチするだろうから。流行っているものの中に、僕が好きになれたり、おもしろがれたりする要素が見つかれば企画にしますけど。 それは、僕がテレビ東京出身だからかもしれません。フジテレビとか電通出身の人なら、人気者のイメージをうまく利用してコンテンツが作れると思うんですけど、かつては、いろんな局の番組を2〜3周してからしか、人気者はテレ東に出なかった。だから、人気者の人気者たる要素から企画を考えるクセがついてないような気がします。 ──自分の価値観をもとに企画を考えると、自分がおもしろいと思うものと、世間がおもしろいと思ってくれるものとでギャップが生じたりしませんか? 佐久間 自分のセンスや価値観だけじゃ番組作りを続けられないだろうから、仮説をもとに仕組みから作ってるんですよね。それでたまたま続けていられるだけで。最終的に自分のセンスを信用しなきゃいけないんですけど、最初から自分のセンスを信用してるわけではないというか。 ──ちなみに、最近では佐久間さん自身がメディアに出演するケースも多くなっていますが、タレントとしてご自身をどう捉えているのでしょうか。 佐久間 表に出ることは、自分では全然考えてないんです。番組の役に立てそうなら出る、くらいの感じで。ラジオは別ですけどね。パーソナリティを数年やってみて、やっぱりラジオが好きだなと思って。仮に『オールナイトニッポン0(ZERO)』が続けられなくなっても、どこかでラジオ番組を持って、しゃべり続けたい、リスナーと触れ合える場にいたい。だから、ラジオを続けるために努力する時間はとっておきたいし、もっと自分の価値観を込めてうまくしゃべれるようになりたい。ラジオパーソナリティであることに対しては、しっかりとした気持ちがあるんです。 エンタメはサボりのはずが、借金に ──佐久間さんは「仕事サボっちゃったな」と思うようなことはありますか? 佐久間 ありますあります。「結局寝ちゃったな」みたいなこともあるし。あとは、サボりとは違うかもしれませんけど、「ここでリフレッシュしないとちょっとしんどいな」と思って、計画的に仕事をしない時間を組み込むことは多いですね。 ──そういった時間にエンタメを摂取しているんですよね。 佐久間 そうなんですけど、最近は観たいものが多すぎて追いつかないから、常に借金を抱えているような状態なんです。だから、サボろうと思って予定を入れるというより、その借金を返すために空いている時間が埋まっていくというか。「やべー、もう劇場公開が終わっちゃう……」みたいな感じで、映画館に行く時間を作ったり。 ──もはやお仕事みたいですけど、やっぱりエンタメに触れる時間自体は別物なんでしょうか。 佐久間 そうですね。作品を観ることについては「勉強のためだ」とかまったく思わず、普通に楽しんでます。自分では、たまたまエンタメを作る側の立場にいるだけ、というイメージなんですよ。常に作品を作り続けなきゃいけない業を背負ったような人たちが、本物のクリエーターだと思うんです。でも僕の場合、一生ゲームをやったり、本やマンガを読んだりするだろうけど、クリエーターでいるのは人生の中で30年ぐらいだろうなって。 しゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない ──エンタメ以外に、佐久間さんが純粋に好きなことはありますか? 佐久間 人とごはんを食べることですね。本当に少人数で、仕事の話もしないような感じで。一緒に行くのは、大学時代の友人、会社で仲のよかった同僚、あとは後輩数人くらいですけど、おいしいお店でごはんを食べてるときが一番リフレッシュできているかもしれません。 ──仲のいい人といるときの佐久間さんは、どんな感じなんでしょうか。 佐久間 全然しゃべらないです。だいたい話を聞く側で。だから、みんな僕がラジオを始めたときに「こんなにしゃべるんだ!?」って驚いたと思います。誰かに言われたんですよね、「よく黙ってたね」って(笑)。そういう意味で僕のしゃべりに気づいたのは、秋元康さんですね。 秋元さんと『青春高校3年C組』(テレビ東京)という番組を一緒にやっていたとき、毎週定例会議があったんです。そこで秋元さんのひと言に対する僕の返しをおもしろがってくれたみたいで、秋元さんが『オールナイトニッポン』に僕を推薦してくださったんですよ。 ──そうなんですね。打ち合わせのやりとりから、ラジオパーソナリティもできるだろうという発想につながるのがすごいと思います。 佐久間 秋元さんも確信はなかったんでしょうけど、まず『AKB48のオールナイトニッポン』に中井りかさんのサポートとして「出てよ」って言われて。それがおもしろかったということだと思うんですけど。そこはさすが秋元さんだなと。 そんな佐久間さんのラジオでのトークなどがまとめられている 『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社) ──普段はあまりしゃべらないほうなのに、ラジオでは自然にキャラクターが切り替えられたのでしょうか。 佐久間 別にムリはしていなくて、キャラクターを作るというより「どの自分を出そうかな?」という感覚でしたね。そこでラジオ好きな自分を出していったっていう。ラジオでの人格も、自分の中にあるものではあるんです。年齢を重ねて、会社を辞めてフリーにもなって、自分にとって不自然なこと、メンタルにくるようなムリのある仕事はやめようと思って。できるだけ気が合う人と仕事をしていたい。そういう意味では、本当のプロフェッショナルではないかもしれません。イヤだったら辞めようと思って働いてるから。 ──オンとオフがあって、オフの状態がサボりということではなく、オンの状態もムリのないようにしていく。それもある意味で息抜きというか、サボりの技術かもしれませんね。 佐久間 基本的に、自分が信用できないんですよ。逆境やストレスの溜まる場所でもがんばれる人間だとは思えないというか。自分をマネジメントするもうひとりの佐久間としては、「佐久間という人間はイヤなことから逃げ出すぞ」ってわかるんですよね。だから、自分で自分のダメな部分をマネジメントする。スケジュールなんかも、「いやこれ、佐久間ムリなんじゃない?」とか、「スケジュールは詰まってるけど、楽しい仕事だから大丈夫そうだね」とか、自分を客観的に見て考えていますね。 撮影=難波雄史 編集・文=後藤亮平
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「心を動かしながら、遊ぶように働く」加藤隆生のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、さまざまな場所から謎を解いて脱出する「リアル脱出ゲーム」を生み出し、新たなエンタテインメントへと育て上げた、SCRAP代表の加藤隆生さんにお話を伺った。クリエイターと経営者、ふたつの顔をどのように行き来しながら、日々「ワクワク」を形にしているのだろうか。 加藤隆生 かとう・たかお 株式会社SCRAP代表取締役/バンド「ロボピッチャー」のギターボーカル。2004年にフリーペーパー『SCRAP』を創刊。同誌の企画として実施した「リアル脱出ゲーム」が評判を呼び、2008年、株式会社SCRAPを設立。多くのリアル脱出ゲームイベントを手がけ、その舞台は遊園地やスタジアム、海外にまで広がっている。また、新宿歌舞伎町の「東京ミステリーサーカス」をはじめ、常設店舗も全国各地に展開している。 ふとしたことから「物語の中に入る装置」を発明 ──リアル脱出ゲームは、2007年にフリーペーパーの企画として行ったのが最初だそうですが、きっかけはなんだったんですか? 加藤 僕が作っていたフリーペーパー『SCRAP』の企画だったのですが、このフリーペーパーはイベントで収入を得ていたんです。フリーペーパーに広告を載せて収益を得るビジネスモデルは崩壊していたので、フリーペーパーを豪華なチラシと捉え、イベントにつなげて集客して、入場料で収益を上げていました。 ある日、「どんなイベントを作ろうか?」という会議をしていたときに、スタッフに「最近、何かおもしろいことあった?」と聞いたら、「(ネットゲームの)脱出ゲームにハマってます」って言う人がいたので、「じゃあそれイベントにしよう」と。 第1回目のリアル脱出ゲーム『謎解きの宴。』 ──とはいえ、謎を作るのはもちろん、脱出ゲームをリアルに再現することなども難しかったのではないでしょうか。 加藤 意外と盲点だったのが、鍵の位置ですね。脱出ゲームって、密室の中で鍵を見つけて、最後にドアをガチャっと開けて出ていくんですけど、現実には部屋の内側に鍵穴のある部屋なんてないんですよ(笑)。外から人が入ってこないようにするものだから。でも、内側から鍵を開けるのが脱出ゲームの醍醐味だから、そこにはこだわろうと、段ボールやガムテープを使って即席の鍵を作ったりしましたね。 あとは、借りていたスペースにこちらが仕掛けた謎とは関係ないものがたくさん置いてあって、みんな、それもわーっとひっくり返しちゃうんですよ。で、そこにあったマンガの中から走り書きのメモみたいなものが出てきて、「これだーー!!」って(笑)。こちらとしては、「え、何それ!?」っていう。でもそれがきっかけで、謎解き目線で世の中を見れば、不思議なことはいっぱいあると気がつけたんです。 ──そういったお客さんの反応や、ご自身の手応えもあって、また開催しようという流れになっていったんですね。 加藤 そうですね。第1回を終えた夜には、「物語の中に入る装置を発明したんだ!」と感じて、謎をどんどん作りたいと思っていました。お客さんも大熱狂で、「興奮して眠れない」というメールが何十通と来て。ほかではできない体験だったので、飢餓感のようなものもすごかったと思います。 ──「早く次の謎をくれ!」みたいな(笑)。 加藤 でも、大事なのは謎じゃなかったんですよ。みんなでコミュニケーションを取りながら、協力して謎と向き合う空間、その仕組みが大事で。僕らは「物語体験」と呼んでいますが、物語を感じる場所、空気があれば、人は熱狂する。それは世界共通で、シンガポールでも、ニューヨークでも、どこでやってもお客さんの熱を感じました。 誰もやっていないことを、自ら切り拓いていく感覚だった ──それにしても、今ほどネットの拡散力が強くなかった時代に、どのように評判が広まっていったのでしょうか。 加藤 当時、mixiに「脱出ゲームコミュニティ」があったので、そこに「リアルでやります」と書いたら、コメントがブワーっとついたんですよね。コミュニティ参加者が6万人もいたので、そこで告知をしただけですぐにチケットが売り切れて。 それ以降は、100枚、200枚、400枚、1000枚と、倍々ゲームでチケットが売れていき、リアル脱出ゲームを思いついた日から4年後の2011年には東京ドームで『あるドームからの脱出』をやっていました。そのころにはTwitterもやっていましたが、東京ドームのときもTwitterとmixiで告知しただけで売り切れたんです。 ──ゲームとして楽しんでいた世界がリアルで体験できると聞いたら、ワクワクしますよね。それで、事業として展開していくようになったと。 加藤 そうですね。さまざまな企業からイベントの依頼や謎制作の依頼が来て、もう個人では対応できなくなり、2008年にSCRAPを設立しました。でも、1回目のイベントの時点で「もうこれは遊びじゃなくなるぞ」と思っていた気がします。そこからは見えるものがすべて謎に見え、日々新しいことを思いついたし、経験を重ねるほど次の経験が作れるようになっていったんです。 だから、ターニングポイント的な大きな出来事があったというより、毎日ターニングポイントを迎えているようなイメージでした。すごいスピードで成長していて、誰もやっていないことを自ら切り拓いて先頭に立っているような感覚で。「ここでは今、自分が世界一なんだ」と興奮してましたね。 ──ひとつずつイベントをこなしながら成長していくことで、東京ドームのような場所でも成立させられるスキルを身につけていったんですね。 加藤 考えてみると、東京ドームでリアル脱出ゲームをやったことは、ひとつのターニングポイントだったといえるかもしれません。小さな部屋だった会場がホール、学校、遊園地と、どんどん大きくなっていって。それが東京ドームになって、燃え尽きてしまった感覚がありました。ミュージシャンにとっての武道館のような場所ですし、名実ともに大きな場所はほかにないんじゃないかと。 そこで、「次は10人しか遊べない部屋を作ろう」と原点回帰して始めたのが、常設店舗です。アパートの一室を借りて、ルーム型のリアル脱出ゲームを展開していきました。イベントごとに会場を借りるのではなく、自分たちで店舗を運営する方向に舵を切ったんです。 「物語」が広げた、リアル脱出ゲームの世界 ──イベントとしての変遷だけでなく、ゲーム自体の変化や進化などはあったのでしょうか。 加藤 コルクという会社の佐渡島庸平さんが編集者として講談社にいらっしゃったときに、マンガ『宇宙兄弟』とコラボしたんです。そのときに、「本当に脱出できてよかった」と泣けるような物語にできないかと提案されて。僕はそれまで、物語は謎解きにとってジャマだとすら思っていたんです。でも、いざ物語をつけてみると、シビアな判断をして脱出しなければならないこともあり、謎が解けた興奮とは別の感動があった。お客さんがみんな泣いていて、それを見て僕も泣いて(笑)。物語性のあるリアル脱出ゲームを作ってみませんか、というのはすごくクリティカルなアドバイスだったと思います。 それをきっかけに、うちのスタッフも急に脚本を書き出すようになって。素人が脚本なんて書けないだろうと思っていたんですけど、みんなサラサラ書いちゃうんですよ。ゲームのシステムや設定を踏まえて、その世界、空間をよりよくするための文章なら、ある意味プロよりもそのゲームを作っている本人のほうがうまく書けるんですよね。 「無実の罪で刑務所に収監され、処刑が目前に迫り脱獄に挑む」というストーリーのある『ある刑務所からの脱出』。 ──やはりスタッフの方々も「リアル脱出ゲーム脳」が発達しているんですね。 加藤 当然、一緒にゲームを作ってきたスタッフたちも、僕と同じようにリアル脱出ゲームを作る力をつけていて、いつの間にか追い抜かれていました(笑)。僕はどうしても経営のほうに回らざるを得ないときもあるので、途中から「もう俺より先に行ってくれ」とゲーム作りを任せるようになっていったんです。 アイデアはパソコンの前に座っていても出てこない ──ご自身が最前線でリードされていたクリエイションを、人に任せることは簡単ではなかったんじゃないかと思います。 加藤 「俺が世界一だ」と思ってやってきたので、やっぱり最初は身を引き裂かれるような思いもありました。でも、47歳になった人間が最前線に立ってクリエイティブだなんだと言っていても、しょうがないなと思ったんです。若い人たちのほうが心の動きのストレッチもきくし、絶対量も多い。だったら、任せちゃったほうがいいんですよね。 今は「どんどんやってくれ」と思うし、スタッフが結果を出せば、自分がそのゲームを作ったかのようにはしゃげる。でも、心のどこかでは「俺のおかげだな」とも思っていて(笑)。彼らがアイデアを思いつけるような場所を用意したり、方法論を作ったりしてきたと、こっそり思ってきたからなんでしょうけど。 ──ゲーム作りのノウハウや知識はしっかり共有されているんですね。 加藤 僕が知っていることは、すべて会社で共有するようにしています。たとえば、謎作りのアイデアが浮かんだとき、すぐに専門家に相談して実現する方法を探ることができるのも、ひとつのアイデア力、企画力だと思うんですけど、そういったネットワークも共有していきました。 あとは、企画の作り方ですね。パソコンの前に座って考えていても、アイデアなんて思いつかないと思うんです。僕のイメージでは、「さあ、思いついて」って言われた瞬間に思いつけないともうダメ。日常的にアイデアにつながるインプットをしていれば、すぐに出てくるはずなんです。何も思いつかないのは、それまでの半年間サボっていたということ。だから、半年後にアイデアを思いつけるような努力を毎日していこうとは、みんなに話しています。 ──何からインプットするかは、やはり人それぞれなんですかね? 加藤 そうですね。マンガでもいいし、山登りでもいい。日常の中にヒントは転がっているはずだから、それを意識することが大切だと思います。ただ、好きなものじゃないと心は動かないので、何かを好きになる能力が高い人は、ゲームもたくさん作れるんですよね。自分の心が動くプロセスを観察できないと、人の心の動かし方もわからないんじゃないでしょうか。 サボりもどこかで仕事とつながっている ──加藤さんの「サボり」についても聞かせてください。 加藤 仕事をサボるほど忙しくないんですよ。1日5時間予定が入っていたら、「うわ、忙しいな……」と感じます。自分では、1日3~4時間で滞りなく業務をこなせる能力があるんだと思っているんですけど(笑)。それくらいの時間ですべてを処理できるようなチーム作りもしてきました。 そう言うとなんか偉そうですけどね(笑)。もちろん、空いている時間にもいろいろ話しかけられたりはするので、純粋に3~4時間しか会社にいないというわけじゃないんです。でも、それは仕事だと思ってないというか。 ──遊びを仕事にしているだけに、線引きが曖昧なのでしょうか。 加藤 はい。今だったらハマってるラジオについて早く社員と話したいんですけど、そう思っている時間も仕事といえば仕事なんです。だから、スマホのソーシャルゲームにハマってダラダラプレイするようなことにも、あまり罪悪感はなくて。絶対にどこかで仕事とつながっているはずだから。 ──常にスイッチをオンにした状態で遊んでいるとしたら、そういった意識もなく純粋に楽しんでいることはあるのでしょうか。 加藤 最近、やっと仕事と関係ない趣味だと思えるものができてきたんです。山登りが好きになって、社内に登山部があるので、その活動に子供と一緒に参加したりしています。あと、仕事っぽくはなりますけど、社内で発足したミステリー研究会にも参加しています。毎月みんなで課題図書を読んで、その感想戦的な飲み会をするんですよ。感想戦の1週間前からドキドキするくらい、それが楽しくて。 ──ひとりで楽しむよりも、みんなで楽しむことが好きなんですね。 加藤 単純に寂しがりなんですよね。会社設立当初は、よくみんなをごはんに誘っていたんですけど、反応が悪いと「もう会社辞める! 俺がなんで会社作ったかわかるか? ひとりになりたくないからや!」って(笑)。それで、みんなパソコンを閉じてごはんに行ってくれる。そんな時代もありました。 今はそうもいかないので、ミステリーとかラジオとか登山とか、共通する話題のある人たちとランチに行ったりしているんです。人と何かを共有するのが好きなんでしょうね。仕事のことをすぐに社内で共有するのも、業務として意識しているというより、単純に自分がそういうタイプなだけなんだと思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「普通からズレても、ブレずに自分の“好き”を貫く」中屋敷法仁のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、劇団「柿喰う客」の主宰として演劇シーンをにぎわせながら、2.5次元舞台なども積極的に手がけている劇作家・演出家の中屋敷法仁さん。幼少期からブレずに活動を続けてきた中屋敷さんの、妄信的なまでの「演劇愛」とは? 中屋敷法仁 なかやしき・のりひと 高校在学中に発表した『贋作マクベス』にて、第49回全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞を受賞。青山学院大学在学中に「柿喰う客」を旗上げ、2006年に劇団化。旗揚げ以降、すべての作品の作・演出を手がける。劇団公演では本公演のほかに「こどもと観る演劇プロジェクト」や、女優のみによるシェイクスピアの上演企画「女体シェイクスピア」などを手がける一方、近年では外部プロデュース作品も多数演出。 「自分が一番光る場所は、舞台しかない」と思っていた ──中屋敷さんは高校演劇の大会で賞を受賞されるなど、早くから活躍されていますが、演劇と出会ったきっかけから聞かせてください。 中屋敷 一応演劇をお仕事にさせてもらっていますが、思い返すと、5歳のお遊戯会の時点で「世に出てはいた」んです。僕は勉強もスポーツもできなかったんですけど、お遊戯会だけべらぼうに褒められていて。僕としては、演劇でデビューしているという意識でやっていたというか、「自分が一番光る場所は舞台だ」という認識はありました。 みんなにとっては日常が自然なもので、演劇は誰かを演じたり装ったりする世界だったと思うんですけど、僕は逆に役があることで人と会話ができた。実生活では、人とどうコミュニケーションを取ればいいのかわからなかったんです。普段はまったくしゃべらないのに、学芸会になると誰よりも大きい声でハキハキしゃべれたから驚かれていましたね。 ──でも10代になると、人前に出て演技をするにも自意識が邪魔をするというか、恥ずかしくなったりしませんでしたか? 中屋敷 僕は全然恥ずかしくなかったですね。むしろ、一番の地獄は高校の修学旅行でした。新幹線でボックス席になるとか、夜に部屋を行き来するとか、まったくついていけなくて。友達がいないわけでも、ひとりになりたいわけでもないけど、何をすべきかわからなかった。今思えば、雑談をするにしても100%おもしろくて素敵な話をしなければいけないと考えて、うまくできずに苦しんでいた気がします。 ──演じるだけでなく作る側に回ったのも、ご自身の中では自然な流れだったのでしょうか。 中屋敷 演劇部では脚本と演出と主演もやってましたが、とにかくお芝居を作ってみたい、演じてみたいと思っていました。ただ、ほかの部員とはあまりうまくいってなかったです。部活動って、みんなで楽しくやったり、思い出を作ったりすることにも価値があるはずなんでしょうけど、僕は「おもしろい芝居をやらなかったら、やる意味がない」くらいの気持ちでいたので。 おもしろいかどうかは、自分が決めることじゃない 柿喰う客『滅多滅多』(2021年5月) 撮影:神ノ川智早 ──大学時代には劇団「柿喰う客」を立ち上げていますが、当初から「圧倒的なフィクション」といったコンセプトも構想されていたんですか? 中屋敷 そこまで深く考えてませんでしたね。ただ、それまではどうすれば大会で勝てるかとか、同級生にウケるかとか、目的や観客ありきで逆算して作品を作ってきたところがあったので、もうちょっと自分の内面と向き合ってみようと思っていたくらいです。 それで、「妄想」をテーマに自分の頭の中をさらけ出すような作品を作ってみたら、すごくグロテスクなものができてしまって。ただ、演劇はおもしろいけど、自分という人間はつまらないと思っていたのが、「けっこう俺ってヘンだぞ」「人と違うところはあるけど、なかなか悪くないな」と、劇作を通じて自分を客観的に見るようにはなりました。 ──作品を継続的に発表し、劇団としての存在感を高めていくなかで、手応えを感じたり、思うようにいかなかったりしたような紆余曲折はあったのでしょうか。 中屋敷 20歳くらいで演劇をやっていると、「将来これで生きていけるのか?」って、まわりのみんなは悩むし病んでいました。でも、僕はそういうことで悩んだり、ブレたりしたことがない。作品のおもしろさどうこうではなく、演劇に対してこんなに狂信的で盲信的なのはすごいなと我ながら思ったりします。 お客さんが全然入っていないお芝居でも、人生が変わるくらい感動した人はいるかもしれないし、みんながおもしろいと言う作品でも、自分はノれないこともあるわけで。評価を気にしないことはないんですけど、自分の達成感とみんなの評価は違うものなので、そういう点でもブレませんでしたね。 柿喰う客『空鉄砲』(2022年1月) 撮影:サギサカユウマ ──作品作りに関する悩みやスランプも特になかったんですか? 中屋敷 これがないんですよ。先輩たちから「お前は葛藤がなさすぎる」「演技に関する考えが甘いぞ」なんて言われて、「悩んでなきゃまずいんじゃないか」と考えたこともあります。でも今は、「甘くてもいいじゃないか!」って思いますね。無理に悩む必要はないわけで。 「生みの苦しみ」って言葉も、僕はウソだと思ってます。書けないことや思いつかないことは、周囲の人に対して申し訳ないなという気持ちはあるけど、それ自体は苦しくないんですよ。出ないものは出ないし、出たものがたとえつまらないと思っても、とりあえずやってみる。自分ではおもしろいと思えなかった作品に限って、「最高傑作だ」ってみんなに褒められたりするんですから。自分ひとりで判断して、世に出す前にひとりで苦しんでも得がないなとは思いますね。 ──では、ブレずに作り続けた作品において、「演劇のフィクション性」を大事にされているのはなぜでしょうか。 中屋敷 お金と時間をかけて観劇していただくので、日常の延長ではなく、幕が開いた瞬間にすべてのルールが変わるような強い作品をお届けしたいんです。日常とはまったく異なるフィクションの世界に飛び込むことで、お客様の日常もラクになるんじゃないかなと思っていて。僕自身の実生活がそれほどおもしろくないと感じていたからかもしれませんけど。 ──非日常的な演劇を作る上でのこだわり、核となるものなどはあったりするんですか? 中屋敷 気持ち悪いですけど、やっぱり「愛」だなと思います。怒りや悲しみといったネガティブなもの、もしくは悩みや戸惑いといった揺らぎみたいなものって、実はそんなに表現に必要ないと僕は思ってるんです。自分たちがいかに演劇を愛しているか、いかにこの物語を通して世界を肯定的に見ているかを伝えたい。できる限り健康的で、健全で、誰かに対してポジティブな感情を持っていないと、表現を信じられないんじゃないかなと。 お客さんとイマジネーションを共有する2.5次元舞台 ──最近では、2.5次元舞台(マンガやアニメを原作とした舞台)の演出でも活躍されていますが、作品の作り方などに違いはあるのでしょうか。 中屋敷 マンガを読んでいてセリフが声で聞こえてきたり、絵が動いて見えたりしたことってあると思うんですけど、2.5次元舞台では、そういった人間のイマジネーションをくすぐるのが大事だと思っています。原作をそのまま再現しなくても、お客さんの想像力によって作品の世界は動いているはずだから、一緒にその世界を楽しんでいきたいんです。 キャラクターの再現率はあくまでもスタート地点でしかなくて、舞台で観る以上、そのキャラクターに会えたとか、そのキャラクターの感情に触れられたとか、そういう感動がないといけないなと思いますね。 ──イマジネーションを共有できる世界を、舞台上に作り上げていくんですね。演出を始められた当初から、そのような意識はあったんですか? 中屋敷 2.5次元は原作のイメージが強いので、「僕がお客さんなら絶対にこのシーンはやってほしいだろうな」みたいなことは考えてましたね。だからこそ、「どう(演出)するかわからないところほど、お客さんをびっくりさせないとな」という気持ちもあって。 初めて演出した『黒子のバスケ』だと、バスケットボールを舞台上でどう扱うかがまず問題になるんですけど、僕にとってはむしろ「お好み焼きをどう飛ばすか」のほうが難関だったりして。原作にお好み焼きを焼いていたら飛んじゃって、あるキャラクターの頭に乗っかるっていうシーンがあって、どう飛ばすかずっと考えていました。結果的にとてもくだらない飛ばし方を思いついて、本番でも大爆笑でしたね。 ──ボールよりお好み焼き(笑)。そういった細部へのこだわりのほかに、2.5次元舞台における中屋敷さん演出の特徴と呼べるものはあるのでしょうか。 中屋敷 僕は俳優さんが好きなので、彼らが埋もれるようなスケールのセットや大がかりな舞台転換なんかはあまり好きじゃなくて。このスタイルには称賛も批判もあると思うんですけど、できるだけ俳優さんに目が向くように心がけています。 『文豪ストレイドッグス』という舞台には、キャラクターがトラに襲われるシーンがあるんですけど、普通はトラをどう作り出すか考えるじゃないですか。でも、僕はアニメを観たときから、トラから逃げるキャラクターの動きが素敵だから、そこを描きたいと思っていました。トラは映像でいいので、俳優さんの心と体の動きにお客さんの注意が向くようにしたかったんです。 仕事を詰め込まないとパンクしてしまう? ──中屋敷さんのように常に動いていたいタイプの方だと、やはり仕事をサボりたいと思ってしまうようなことはないのでしょうか。 中屋敷 僕は演出家としては多作な部類なんですね。月に1本以上の作品を作っているので、台本を執筆しながら別の舞台の稽古をしたり、午前と午後で別の舞台の稽古に行ったりすることも多い。でも、そうしていないと苦しくなってしまうところがあって。なんか、「頭の中がパンクしちゃう」と思うんですよね。 ──普通は仕事を詰め込むことでパンクしちゃうものですが……。 中屋敷 ちょっとわかりにくいですよね(笑)。過去に一度だけ、ひとつの作品に集中しようと思って、創作に2カ月ぐらいかけたこともあったんですよ。でも、それが僕にとっては地獄の2カ月で、何がやりたくて、何がおもしろいのか見失ってしまって。結局、「もっとたくさんの演劇を観たい、もっとたくさんの俳優さんに会いたい」という気持ちが原点にあるんだと気づいた。だから、僕のサボりも、関係ない演劇作品について考えることだったりするんです。 ──常にたくさんの演劇に触れることが、ある種のサボりというか、息抜きになっているんですね。 中屋敷 「わ~! やることいっぱいある!」って言いながら、直接は関係ないシェイクスピアとかを読んだり、目の前に締め切りがあるのに、1年後に演出する舞台の台本を読んだりしてしまうんですよ。それってサボりなんですけど、自分の作品から離れることでその作品のよさがわかることもあるし、1年後にやる台本を読むことで「準備がいい」と言われることもある。だから、線引きが難しいんですよね。 でも、ごはんを食べに行ったり、山登りに行ったりしても、まったくサボれた気がしない。ちょっと思考が止まっていただけであって、作業を再開したときに何もリフレッシュできていないようなことはよくあります。 ──では、演劇以外で単純に好きな時間、好きなことはありますか? 中屋敷 怖いことに、これもあんまりなくてですね……。家族と過ごしたり、友達と遊んだりするのはすごく楽しいんですけど、没頭するほど好きなものってないなと思っていて。ドラマや映画で俳優さんを見ることは好きですけどね。演技をしている人間や、その芸を見るのは気持ちがいい。 あと最近は、ドラマのスタッフさんに注目しています。この人のプロデュースはいいなとか、このチームの撮り方はすごいとか、美術も作り込んでるなとか。俳優さんだけでなく、俳優さんの魅力をどういう人たちがどう引き出しているのかにも興味があるんです。 ──稽古や取材のときも常にピンクパンサーのぬいぐるみを持ち歩いているそうですが、日常的に大事にしていること、ルーティンなどはあるのでしょうか。 中屋敷 また演劇の話になりますが、“演出家らしさ”を装わないようにしていますね。演出家になりたかったのではなくて、学芸会が楽しかったという思い出が創作のエネルギーの基本にあるので、童心を忘れないようにしたい。ぬいぐるみを持っているのも、そのための警告だったりするんです。演出家ぶって偉そうなことを言っても、ぬいぐるみ持ってたら間抜けじゃないですか(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「ウソとホント、仕事とサボり、あいまいだからおもしろい」吉田悠軌のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は実話怪談界をリードする怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんに、怪談との出会いやこれまでの活動、実話怪談の魅力などについて聞いた。「虚実のあわい」にあるという怪談が、なぜブームと呼ばれるまでに広まっていったのだろうか。 吉田悠軌 よしだ・ゆうき 怪談・オカルト研究家。早稲田大学卒業後、ライター・編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長として、オカルトや怪談の研究をライフワークにしている。TBS『クレイジージャーニー』など、さまざまなメディアに出演。テレ朝動画『あなたのまだまだ知らない世界』ではナビゲーターを務めている。怪談に関する著書も多数。近著として、『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』、『現代怪談考』などがある。 好きで始めた怪談が、やがて仕事に ──吉田さんが怪談の道に進んだのは、稲川淳二さんの怪談に出会ったのがきっかけだそうですね。 吉田 はい、2005年ですね。もちろん、小さいころから怖い話などには触れてきてはいましたが、「怪談をやりたい」と思ったのは社会人になってから、まあ、就職できず社会人にはなれなかったんですけど(笑)、稲川淳二さんのライブを観たのがきっかけですね。それで、一緒にライブに行った今仁(英輔)さんという人と怪談サークル「とうもろこしの会」を立ち上げました。 最初は仕事にしようとか、お金にしようとかいう気持ちもなく、怪談好きの人とただ飲み会をやっていた感じで。当時は今ほど怪談が一般に浸透していなかったので、普通の飲み会で怪談の話をすると引かれたというか……まあ、今でもそうでしょうね(笑)。それで、数少ない同好の士と怪談について語り合っているうちに、だんだんLOFT(新宿などにあるトークライブハウス)なんかでイベントをするようになったというか。 ──だんだんお仕事として活動できるようになっていったと。 吉田 時代がよかったんですよね。業界で怪談のプレイヤーを育てようという動きが起こったタイミングだったので。怪談をリードする出版社の竹書房が新人発掘のために『超-1』という実話怪談著者発掘の大会を始めたり、LOFTでも若手の怪談プレイヤーで新しいイベントを企画していたり。それがちょうど2005~2006年くらいだったんです。 私も書き手と語り手の2本柱で活動するようになりましたが、それでも職業にできるほど稼げるまでには7~8年かかっています。その間はずっとバイトをしていました。営業前の居酒屋を借りてイベントをやっても、お客さんがふたりだったこともあって……それこそ『浅草キッド』みたいな状況でしたね(笑)。 30年以上の歴史の中で広がっていった「実話怪談」 ──そこから吉田さんが怪談を仕事にできるようになったのは、何か転機などがあったのでしょうか。 吉田 ある時期を境に大きな変化が起きたわけではなくて、怪談がだんだん社会に受け入れられ、仕事が増えていったという感じですね。やっていることは変わらないのですが、本を出したり、イベントをやったり、メディアに出たりする機会が多くなった。 昨今の怪談は主に本当にあった怖い話である「実話怪談」と呼ばれるものなのですが、私はその動きを15年スパンで3期に分けています。第1期は1989年~90年くらい、平成とともに始まっていて、私は第2期が始まる2005年くらいから活動を開始しました。そして、平成とともに第2期が終わり、令和とともに第3期が始まった。こうしてゆるゆるとシーンの裾野が広がっていったというイメージですね。 ──3期の違いというのは、どういったところにあるんですか? 吉田 第1期はすでに名が売れている作家さんの本やイベントを楽しむような受け入れられ方でしたが、第2期になると、一般の人も「怪談をやろう」とプレイヤーとして動き出すようになりました。私も含め、名もない怪談好きたちがインディーズでバンドを始めるように怪談を語るようになったんです。 そして第3期になると、インターネット配信によってプレイヤー数が爆発的に増えました。YouTubeなどで手軽に配信・視聴ができるようになり、熱心な怪談ファンだけでなく、ライトユーザーと呼べるような人も増えたんだと思います。令和になってから、ほかの業界の方から「今、怪談ブームだよね?」と言われるようにもなりました。 虚と実のあわい……「実話怪談」の不思議な魅力 ──吉田さんの考える「実話怪談」の特徴や魅力などについて聞かせてください。 吉田 ジャンルとしては、実際に不思議な体験をした人がいて、その体験者への取材をもとにしたレポートであるというのが実話怪談です。怪談はそもそも、信ぴょう性やリアリティのグラデーションはあるにせよ、「本当にあった怖い話」のはずですよね。実話怪談はそれをより明確にし、少なくとも体験者は本当にいる、自分で取材したのでその点は担保します、というルールを徹底しています。 私は実話怪談を、書き手や語り手とその受け手が一緒に育てていった、ひとつの文化運動として捉えています。自分が2005年に出会ったときも、「これは新しい、来るな」と文化的な広がりを感じて、「一生やる仕事だな」と確信しました。自分がもっと深掘りし、広げていくべきだと。 ──その新しさとは、どのようなところにあったのでしょうか。 吉田 実話怪談は人の体験談なので、小説のように作家がゼロから創造した作品ではありません。また、リアルなレポートではありますが、ドキュメンタリーやルポルタージュともちょっと違う。不思議な体験を扱うので、体験者はウソをついていなくても、結局、それが証明・検証できる事実かどうかはわからない。本当か事実かということを、きっぱり分けられない。そういった虚実のあわいが、魅力的で新しいと感じました。 私たち怪談好きは、不思議な現象を「本当にあるんだよ!科学的に証明できるんだよ!」と主張しているわけではないんです。証明できるとは思っていませんし、証明できちゃったら怪談じゃないと思っています。でも、不思議な体験をした人がいるのは事実で。私だけでも何千人と取材していますが、みんながウソをついているとは考えにくい。だったら、不思議な体験があるということを楽しみましょうと。肯定と否定の二元論ではなく、その先のステージで考えています。 ──受け手の人たちも、吉田さんのように「ウソかホントか」を超えて不思議な現象を楽しんでいるんでしょうね。 吉田 そうですね。社会におけるリテラシーが変わったというか、「どうせウソでしょ?」と、怪談は科学的思考ができない人が楽しむものだと切って捨てられるようなことが、だんだんなくなってきたと思います。 実話怪談を楽しんでいる人たちは、日常とは異なる世界、異界のようなものがあるかもしれないことに、恐怖やワクワクを感じている。それって、ある種の救いになったりもするじゃないですか。 ──自分が知っている世界がすべてではない、という感覚が楽しみや救いにつながるのはわかる気がします。宇宙探査なんかもかつてはそういった魅力があったんでしょうね。 吉田 つまり「秘境」ですよね。ネット社会になって情報がグローバルに共有され、Googleマップが登場したことで、地理的な意味での秘境はなくなりました。日本でも、90年代までは山奥に誰も知らない村落があるんじゃないかという噂があったりしたんですよ。でも、実話怪談では誰かの身近な体験として不思議なことがある。今はそういう話が求められていると思います。 「俺がなんとかしなきゃ」怪談シーンは終わらせない ──吉田さんは体験者に取材するだけでなく、現地を取材したり文献にあたったりと、怪談を研究するような活動もされていますが、活動としての違いはあるのでしょうか。 吉田 体験者に聞いた話を語ったり文章にしたりする表現的な活動も、現場や文献にあたる批評的な活動も、根本的には同じものだと思っています。実話怪談はそのすべてを組み込める、広がりのあるジャンルなので。誰かの体験談を語り、作品にするのもある種の批評行為なんですよね。人から聞いた体験談をこちらで再構成し、編集して世に出すわけですから。 また、怪談イベントでは、誰かの話にほかの演者が「その話って、こういうことなんじゃない?」と感想を言い合うことがよくあるんですけど、その解釈、つまり批評自体が怖かったりもする。怪談というジャンルはクリエイション(作品)とクリティーク(批評)の境がないんですよね。だから、新しいんだと思いますし、21世紀になって流行っているんでしょうね。 ──では、今後の怪談シーンはどうなっていくのか、またご自身はどう活動されていくのか、お考えを聞かせてください。 吉田 「業界がどうなるか」と受動的に眺めるのではなくて、「俺がなんとかしなきゃ」とは思っていますね。せめて私が老後を迎えるまでは、怪談業界を存続させたいので(笑)。若手も食っていけるようにするために、業界の整備、マネタイズできるような仕組み作り、後進の育成などに意識的に取り組んでいます。まだまだ怪談業界を盛り上げていきたいですね。 仕事の中の「快楽」を見つけてサボる ──吉田さんの「サボり」についても伺いたいのですが、お仕事中についサボってしまうことはありますか? 吉田 自分の中では、ほぼサボってるなという感覚です。ちゃんと仕事をしているのは1日2時間くらいかもしれない。「もういいや、本でも読んでよう」って寝転んでサボっているつもりでも、読んでいるのは資料なのであいまいなんですけど。でも、調査も、文献にあたることも仕事としてカウントしていないんです。 すごい極論ですけど、全知全能の人なら何も調べなくても完全なる正解を書けるわけですよね。調べないで書けたほうが偉いんだけど、調べないと書けないから仕方なく調べていると自覚すべきであって、こちらから自慢してはダメというか。資料を求めて国会図書館に通ったりもしますが、手足を動かして、ひたすら調べればいいわけで。たとえば毎日20kmを血ヘド吐きながら走っているというのとは違う。他人に指摘されるならともかく、自分から「努力してる」「これだけ取材してます」とは言わないほうがいいなと思っています。あくまで好みの問題ですが。 ──他人から見たら煩わしいことが苦にならないという意味では、調査などは向いていることなんでしょうね。 吉田 性には合っているんでしょうね。資料にあたるのが一番の息抜きだったりもしますし、単純に楽しいので。半信半疑で調べていたネタの気になる点を調べていくうち、その元となる情報が本当にあったんだと発見できたときは、めちゃくちゃテンションが上がりますよ。そういった意味でも、苦行に励む努力の類いではない。自分にとって、やっぱり努力ではなく快楽なんですよね。 logirlで配信中の3番組による『logirlスーパーオンラインライブ』が3月20日(日)に開催! 吉田さんもcaicatariスペシャル『三種の恐気(おそれげ)な夜』に登場します ──では、怪談とは関係なく妙に好きなこと、ハマっていることなどはありますか? 吉田 歩くことですね。都内をあちこち歩いているうちに、結局、怪談につながってしまうことも多いんですけど。怪談がささやかれる場所は、たいていアップダウンのダウンに当たる地形で、かつて川だったのが暗渠(あんきょ)になっていたり埋め立てられていたりするような元水場、そういう場所ばっかりなんです。 でも、怪談に出会う前からめちゃくちゃ歩いてましたね。バイト中に電車賃を浮かせるために歩いたりもしていましたが、それも好きだから歩いていただけで。今でもよく歩いています。こんなご時世になる前は、よく缶チューハイを片手にラジオを聴きながら歩いていました。 ──だいぶエンジョイしてますね(笑)。 吉田 いかがなものかとは思いますが……(笑)。私、お酒は好きなんですけど、お店にはあまり行かないんですよ。ひとりでは行かないし、人を誘って行くこともない。仕事のあとの打ち上げは大好きなんですけどね。だから、わざわざ外に出て歩いて飲んでいたんです。 ──何か目的やゴールを決めることもないんですか? 吉田 そうですね。メンチカツのおいしい店を調査しているので、気になる店の近くを通ったら買ったりしますけど、基本的に何も決めていません。なんなんでしょうね、本当に単純に歩くのが好きなんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 吉田悠軌さんがMCを務めるテレ朝動画logirlの怪談番組 『あなたのまだまだ知らない世界』が「TVer」で配信中! 同じくテレ朝動画logirl『恋する怪』も「TVer」で配信中!
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「出会いを大切にしながら、自分と向き合っていく」塩谷歩波のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、建築図法を活用して銭湯を描いた「銭湯図解」が話題を集めた塩谷歩波さん。詳細なだけでなく温かみも感じられる図解の描き方や、絵を仕事にするまでの歩み、リフレッシュにまつわる哲学などを語ってもらった。 塩谷歩波 えんや・ほなみ 画家。早稲田大学大学院(建築専攻)修了後、設計事務所、高円寺の銭湯・小杉湯を経て、画家として活動を開始する。2016年より建築図法「アイソメトリック」と透明水彩で銭湯を表現した「銭湯図解」シリーズを SNSで発表。2019年にシリーズをまとめた書籍『銭湯図解』が発売されたほか、TBS『情熱大陸』など、多くのメディアにも取り上げられた。現在はレストラン、ギャラリー、茶室など、銭湯に留まらず幅広い建物の図解を制作している。ゲスト出演したテレ朝動画『小川紗良のさらまわし』が、3月11日(金)17時〜logirlにて配信予定。 どん底の気分から救ってくれた、銭湯との出会い ──塩谷さんが「銭湯図解」をきっかけに絵をお仕事にするまでには、いろいろな体験や出会いがあったそうですね。 塩谷 はい。大学で建築を学び、設計事務所で働いていました。でも、大学時代に思うような成績が取れなかった悔しさなどから、がんばりすぎて体調を崩してしまったんです。病院の先生に3か月休職するように言われて、「もうこの業界でやっていくのは無理かもしれない……」とだいぶ落ち込みました。 そんなときに、同じように休職していた知り合いに誘われて、銭湯に行ったんです。久しぶりの銭湯は、身も心も疲れていたこともあり、めちゃくちゃ気持ちよくて。「こんなにゆっくりできるの、久しぶりだな」ってすごく感動したんですね。そこから、いろんな銭湯に行くようになりました。 ──そのよさをイラストで表現しようとして、「銭湯図解」が生まれたと。 塩谷 当時、友達とTwitterで交換日記のようなことをしていたんですけど、その子に自分が好きな銭湯について知ってもらおうと思って描いたのが、「銭湯図解」なんです。その絵が銭湯好きの方々の目に留まって。「いいね」をもらえたのがうれしくて、どんどん絵を描くようになったという感じですね。 最初は走り描きみたいなものでしたけど、反応をもらううちに「私が銭湯で感じたよさはこんなものじゃない」「もっと描ける」と、自分が感じたものをよりよく伝えたくなって、試行錯誤するようになりました。最初から建築図法は使っていましたが、浴室をきちんと測量し、より詳細に描くようになったり、水の光の照りを描こうと工夫したり。 高円寺の銭湯「小杉湯」の銭湯図解 建築と銭湯、共通するもの、違うもの ──「銭湯図解」を描き始めたことで、実際に「小杉湯」という銭湯で働く経験もされているんですよね。 塩谷 いろんな銭湯さんから図解のご依頼をいただくようになるなかで、小杉湯の3代目と親しくなったのがきっかけです。ハウスメーカーの営業をされていたこともあり、銭湯を戦略的に盛り上げようと考えているような方で。私も建築の知識を活かして、銭湯で何かできないか考えていたので、すごく仲よくなったんです。 復職したものの、やっぱり体調がついていかないという時期で、そのことを3代目に相談したら「うちで働けば?」と誘ってもらえたので、思い切って転職することにしました。受付や掃除といった業務はもちろん、イラストつきのPOP作り、メディア取材やイベント対応といった広報業務、自主イベントの企画など、いろんなことをやらせてもらいましたね。 ──設計事務所とは異なる分野で働いてみて、得たもの、感じたことなどはありますか? 塩谷 分野は違いますけど、銭湯の仕事は建築に通じる部分も多かったと思います。建築を学んでいたとき、場所や家族構成などの設定をもとに「この家族にとって住み心地のいい家とは?」といった課題に取り組んでいましたが、小杉湯でも「この問題を解消するために、こんなイベントをやってみたらどうか」といった頭の使い方をしていたので。 違いを感じたのは、物事の進み方や距離感ですね。建物が建つまでには何年もかかりますけど、銭湯では絵を描いたら翌日には「いいね」と言ってもらえるような早さや近さがありました。あと、建築は多くの人の手を介してひとつの建物ができ上がりますけど、絵だったら「これは私の作品です」と堂々と言えるのもうれしかったですね。 描きたいのは、人が楽しんでいる幸せな空間 ──「銭湯図解」は、銭湯を楽しむ人たちが生き生きと描かれていることも魅力のひとつですよね。その点についてのこだわりはありますか? 塩谷 建築の絵はあまり人を描き込まないのですが、大学での師匠に当たる方から「絵の中に人がいなかったら、建築、死んでるよね」と言われたことがあって。ずっとその言葉が心に残っていて、「銭湯図解」でも人を描くようになったんだと思います。 それと、もともと奇抜な形の建築よりも、人が集まる様子や物語が感じられる建築のほうに惹かれるタイプだったので、人が楽しんでいる幸せな空間を描きたいという気持ちが、絵に表れているのかもしれません。 国立の銭湯「鳩の湯」の銭湯図解 ──絵に描かれた人々の様子は、実際に銭湯で見た光景がベースになっているのでしょうか。 塩谷 そうですね。子供がお風呂を出た瞬間にパッと逃げて、お母さんがタオルを持って追いかける場面など、銭湯でよく見かけるシーンを絵にすることは多いです。取材で銭湯に行ったときも、一番うれしくなるのはハプニングに遭遇したとき。人との出会いも、銭湯のよさだなって思います。 中にはクセの強いおばちゃんもいたりして、地方の銭湯で「背中洗ってあげるわよ」って、自分の体をめっちゃ洗ったタオルをそのまま背中に持ってこられたこともありました(笑)。「さすがにそれは……」と思いましたけど、そういうハプニングがあると、なんだかうれしくなっちゃうんですよね。 ──実際に体験したこと、感じたことが表現されているので、より親しみを覚えるんでしょうね。 塩谷 本にするときも、その銭湯の情報というよりも、私が感じたその銭湯のよさや、そこに置いてきた感情、帰りに食べた焼き鳥がおいしかったといった思い出をちゃんと伝えたいと考えていました。 描くものも、描き方もどんどん広げていく ──ちなみに、塩谷さんが「いい銭湯だな」と感じるのは、どんな銭湯なのでしょうか。 塩谷 2パターンあるんですけど、ひとつは大切に使われていることがわかる銭湯ですね。掃除も行き届いていて、自分の銭湯を愛してるんだなって伝わるような銭湯。もうひとつは、とんでもなく建物がいい銭湯。すごみを感じるような、歴史のある古きよき銭湯はカッコいいと思います。 ──現在は独立して絵を仕事にされていますが、銭湯以外のものを描いていて、違いを感じることなどはありますか? 塩谷 そこに息づく人を描くということは変わらず大切にしていますが、シンプルに「服を描くのって大変だな」と思うことはありますね(笑)。「なんで服なんか着てるんだろ?」って理不尽なことを考えたりしちゃいます。 あとは、「この劇場のスタッフを全員描いてほしい」とか、その場に関わる一人ひとりに愛情を込めたご依頼が増えたのは、すごくうれしいです。以前は説明や紹介のためのツールとして図解が捉えられていたけれど、だんだん絵としての価値を認めてもらえるようになったのがありがたくて。 ベーカリーカフェ「サンジェルマン」の図解 ──今後の展望として、描いてみたいものなどについて聞かせてください。 塩谷 これからもご依頼いただいたものを描くのはもちろん、自分で「描きたい」と思えるものも見つけていきたいと思っています。今、興味があるのは、寺社仏閣ですね。京都の三十三間堂に千手観音がずらっと並んでいたりするのを見ると、「描きたい……!」って思うんです。大変そうなものほど描きたくなるというか。 あとは海外の建物、世界遺産も描いてみたいし、車の断面なんかも描いてみたい。どんどん描くものの幅を広げていきたいし、図解にこだわらず、表現の幅も広げてみたいと思っています。 日本茶スタンド「Satén japanese tea」の図解 巡り巡って、生活がサボりになった? ──銭湯はサボりやリフレッシュの定番ツールでもあると思いますが、塩谷さんはどのように銭湯を楽しんでいたんですか? 塩谷 小杉湯で働いていたころは、週8くらいで銭湯に行っていましたね。毎日小杉湯に入るのと、小杉湯+別の銭湯で1日に2回入る日もあったので(笑)。あつ湯に入ってから水風呂に入るという交互浴がすごく好きなので、それを繰り返しながら1時間半くらいしっかり楽しむんです。 それこそコロナ前は、ランニングをしてから銭湯で汗を流して、お酒を飲んで帰るのが好きでしたね。銭湯の番頭さんに「このあたりにおいしいお店はないですか?」って聞いたりして。 ──サボりやリフレッシュというより、生活の一部だったんですかね。今のほうが銭湯をリフレッシュとして楽しめたりするのでしょうか。 塩谷 今でも銭湯は好きですけど、最近は「無理に切り替えなくてもいいんじゃないか」と思うようになってきたんですよね。独立してひとりで過ごす時間が長くなると、怒りや悲しみの感情を引きずってしまうこともあるんですけど、無理に切り替えようとすると逆にストレスが溜まる気がして。 生活をしていても、銭湯に行っても、その感情を捨てずに煮詰めていく。そうすると、だんだんネガティブな感情が消えたり、問題の捉え方が変わったりするんですよ。絵がうまく描けなくてムカムカしていたのが、「今は成長のタイミングだから、もっとうまくなるはず!」って思えるようになるとか。 ──息抜きの必要がないということではなく、大事なのは向き合うべき感情から逃げないということですかね? 塩谷 そうですね。お茶が好きなんですけど、自分でお茶を淹れて飲んでいると頭がフッと落ち着くので、そういう時間は好きですし。でも、息抜きすら大事にしていない時期もありました。以前は絵を描くことを重視しすぎて、生活を外に追いやっていたんです。家のお風呂場をクローゼットにしたり、洗濯もコインランドリーで済ませたり……。設計事務所時代ほどじゃないですけど、同じように絵だけを優先してしまっていて。 最近になってようやく、生活を充実させると、意外と仕事も充実することがわかってきたんですよね。今では必要以上に自炊したり、お風呂掃除に異常に時間をかけたりするようになりました。 ──仕事を中心とした一日の中に、「生活」というサボりを取り入れるようになったとか……? 塩谷 そうなんですよ。家事をするようになってから体調がよくなり、朝、ランニングするようになって体力がつき、頭も冴えるようになりました。仕事の効率を上げることを追求していたら、結果的に「普通の暮らし」にたどり着いたというか。「生活」を再発見しましたね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「楽しめるうちは、全力で楽しみきる」MBのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、ユニクロの商品解説や着こなし術など、ファッションを苦手とする人たちのための情報を発信し続けているMBさん。ファション業界を盛り上げようと動き続けるMBさんの多岐にわたる活動や、心休まる時間などについて語ってもらった。 MB えむびー ファッションバイヤー/ファッションアドバイザー/ファッションブロガー/作家。ユニクロをはじめとするファストファッションを対象にした論理的な「お金を使わない着こなし法」が注目を集め、書籍、ブログ、メルマガ、YouTubeなど、さまざまな媒体で情報を発信。著書『最速でおしゃれに見せる方法』やマンガ『服を着るならこんなふうに』(企画協力)など、書籍の発行部数は累計200万部を突破し、有料メルマガは配信メディア「まぐまぐ!」にて個人配信者として1位をマーク。2022年1月29日には、新刊『MBの偏愛ブランド図鑑』が発売される。 楽しめるうちは、ひたすら突っ走る ──動画を拝見することが多いので、YouTubeの印象が強いのですが、幅広いメディアで活動されていますよね。 MB YouTubeはほぼ毎日更新していて、登録者数も37万人を超えましたけど、始めたのは2年前くらいなんですよね。この仕事を10年ほどやっていて、主な実績となると書籍のほうが強いかもしれません。本は30冊ぐらい出版されていますし、マンガやライトノベルを監修したり、ビジネス書を手がけたりもしているので。 ほかにも有料メルマガやオンラインサロン、オリジナルブランドの販売、アパレルとのコラボレーション、講演会、メディア出演などもやっています。だから、とにかく打ち合わせが多くて。あとは執筆や撮影でスケジュールが埋まるので、年間ほぼ休みなく活動しています。 ──サボるヒマなんかないですね……。 MB 旅行が好きなので、コロナ前は国内海外、いろんなところに出かけてはいましたけどね。旅先でもほとんどパソコンに向かっているんですけど、場所が変わるだけでも気分転換になって楽しいんです。飛行機に乗るのも好きですし。 自分としては洋服が好きでやっていることであって、そこまで仕事をしている感覚もないんですよ。「休みがない」と言うと驚かれますが、精神をすり減らしながら働いている感じではないというか。 ──好きなことを楽しんでいる感覚に近い。 MB そうですね。だから楽しくなくなったら、スパッとやめてしまうかもしれません。無理して続けるつもりはないですね。 日本一、「ファッションに興味のない人」のことを考えた ──ユニクロを扱ったアドバイザー的な活動を始められたのは、どんなきっかけからなんでしょうか? MB パリのファッションシーンが好きで、コレクションを20年ぐらい追いかけ続けているんです。革新的で新しいトレンドを生み出すのは、やっぱりパリなんですよ。ただ、そんな話をしてもわかってくれる人は限られてくる。だったら、ファッションに興味を持ってくれる人を増やして、全体のレベルが上がっていい服が市場に出回るようにしよう、パイを増やそうと考えたんです。 でも、そこで着こなし法やおすすめのアイテムを紹介しても、商品を手に入れて実践できなかったら意味がない。実際に着て「たしかにカッコいい」「褒められた」と実感する体験がないと、市場はふくらまないはず。だからユニクロなんです。47都道府県津々浦々に店舗がしっかりあって、なおかつ同じアイテムを展開しているとなると、ユニクロしかないんですよね。 ──ファッションに興味がない人にアプローチするため、リサーチなどもたくさんされたのでしょうか。 MB たぶん、日本で僕以上にファッションに興味のない人のことを考えた人はいないっていうくらい考えました。死ぬほど考えましたね。アパレルの販売員だったころから、彼らがどんなことに困っていて、どんなところで服を買っているのか聞いたり、リサーチしたりもしていましたし。 自分のセンスを押しつけるのではなく、論理的な提案とターゲットの需要をつなげる作業が必要だと思ったんです。だから、リサーチをもとに「足が短くてパンツが似合わないと思ってる人には、こういう提案をすればいいかな」といった事例をひたすら考えました。あらゆる課題に応えられるように、すべて準備してからコンテンツを作ったんです。 ──最初にブログを始められたそうですが、先々のコンテンツまであらかじめ用意していたんですね。 MB 本当はやりながら改善していったほうがよかったと思いますけどね。ヘンに完璧主義なところがあって(笑)。どんな疑問や反論にも、100%返せるようにしておきたかったんですよ。それに内容だけでなく、ファッションに興味がない人に届けるためのタッチポイントも考えていました。 みんなが洋服のことで悩むのって、主に結婚式やライフステージが切り替わるタイミングなどですよね。だから、「スマートカジュアル」「結婚式の2次会スタイル」「上司の着こなし」といった検索キーワードを押さえるようにしたんです。おかげで準備期間はすごく長くなりましたけど、ブログを始めて半年で月間40万PV獲得できるようになりました。 ──「言われてみると当たり前のようだけど、そこまでやらないな」ということを徹底的に実行されているように感じます。 MB ブログに続いてメルマガも始めたんですけど、とにかく顧客を逃さないようにしていました。よく水とバケツにたとえられるんですけど、集客という水が流れても、バケツに穴が空いていると顧客にはならず、どんどん流れ出てしまう。僕の場合、水の量は少なくても、バケツの穴をふさいで確実に顧客になってもらうように努めました。僕にしか出せない情報を発信し、読者が1,000人規模になっても質問にはすべて返信するといった感じで。 たぶん、自分に自信がないんですよね。だから、人の3倍、4倍時間をかけて、できることをとにかくやる。それだけなんです。 一番の喜びは、「おしゃれが楽しい」と思ってもらえること ──入念にリサーチとシミュレーションを重ねてコンテンツを展開されたわけですけど、読者の質問に答えるなど、ユーザーと触れ合うことによるフィードバックもあったのではないでしょうか。 MB いっぱいありましたね。予想もしないことで悩んでいるんだと驚いたり、思った以上にこちらの言葉が伝わらず、繰り返し発信したり、書き方を変えてみたり。「僕は身長175センチなので、このアイテムはLサイズを選んでいます」と書いたら、「MBさんおすすめのLサイズを買いました!」と身長190センチ近い方からメッセージをもらったこともありました……(笑)。 それこそ、「コーディネートのバランスは、ドレスとカジュアルで7対3に」と10年間言い続けていますけど、「どうですか?」とメルマガに全身カジュアルの写真が投稿されるなんてこともけっこうありますから。でも、自分の中に「こういう言い方をすれば、みんなに届くだろう」っていうおごりがあったんだと思うんです。相手に届く言葉をちゃんと考えなきゃいけなかった。 ──どのように伝え方を変えていったのでしょうか? MB 僕が言葉を届けようとしている人たちが、どんな暮らしをしていて、どんなことを考え、どんな言葉を求めているのかまで考えて、伝え方をブラッシュアップしていきました。「このパンツはシルエットも素材もよくて、どんなトップスにも合わせやすいです」といった言い方ではなくて、「家族と土日に出かけるなら、このパンツはぴったりなのできっと褒められますよ」などとシチュエーションも含めて伝えるとか。 ただ、僕が言ったことを100%忠実にやってほしいというわけではないんです。みんなにファッションに興味を持ってもらって、「おしゃれが楽しいな」って感じてもらうことがゴールなので。 ──ユーザーの方々の変化を感じられることが、やりがいにつながっている。 MB はい。服に興味のなかった人が、今や服が趣味になってハイファッションを楽しんでいるなんて聞くと、やっぱりうれしいですね。うつ病に悩んでいたけれど、通販でユニクロの服を買ってみたことをきっかけに外出できるようになったという方もいました。人生を変えるお手伝いもできるかもしれないと思うと、やりがいを感じます。 いつかは「自分のための服作り」に没頭してみたい ──ご自身でも常にファッションに触れていかなきゃいけない部分もあると思うのですが、どのくらい商品を買ったり、展示会に行ったりされているのでしょうか。 MB 洋服には年間で2,000万円くらい使っています。個人的に好きなブランドのものもいろいろ買いますし、ユニクロが出しているメンズ服は、ほぼ全型買っていると思います。 ──すごい……! 全部は着れないですよね。 MB 体はひとつしかないので、なかなか着れないんですよね。でも、みんなと同じ目線に立たないとわからないこともあると思うので、ユニクロの服も自分でお金を出して買って、自分で着てみることを大事にしています。 それに、ファッション業界に少しでも還元するために、僕ぐらいはきちんと定価で買って、業界にお金をまわしていかないとな、という思いもあります。これは僕だけでなく、アパレルに関わる人たちに共通する感覚だとは思うんですけど。 ──MBさんの場合、商品を魅力的に紹介するだけでなく、ご自身がメディアに出演される機会も増えているかと思いますが、それもあくまでファッション文化を広めるため、ということなのでしょうか。 MB マスに文化を広めるためにも、お仕事をいただいた以上は一生懸命やっています。ただ、本音を言えば表に出るのは苦手で……裏方として自分でミシンを踏んでいたいという気持ちのほうが強いですね。自分で服のモデルをやるのも、体型の整ったモデルよりも説得力があるからという理由だけなんです。 ──「スパッとやめるかもしれない」とおっしゃっていましたが、将来的なビジョンとしては職人的な働き方をされたいと。 MB そうですね。いつかは1日10人くらいしか来ないお店で、自分で洋服を作って販売するような活動にシフトしていきたい。社会のため、業界のためという“広げる”方向から、自分の価値観を“深める”方向に移していくというか。最低限生きていけるだけの売り上げでいいので、自分のこだわりを追求してみたいという思いはありますね。 運転しているときは、何も考えない時間を過ごせる ──現状、休みなく働いていらっしゃるとのことですが、「サボり」と言えそうなMBさんなりの気分転換、息抜きはありますか? MB 車の運転はすごく好きですね。夜中に車を走らせて、首都高をぐるぐる回るだけでも気晴らしになります。以前は、ふらっと車で名古屋ぐらいまで行って、現地でホテルを探す、といったこともやっていました。6時間かけて大阪に行って、特に何をするわけでもなくそのまま帰ってくるとか。 ──純粋に運転している時間が好きなんですね。仕事と同じで、好きだからこそできることだと思います。 MB そうですね。車を選ぶ基準も、あくまで乗り心地です。何も考えずぼーっと運転している感じが好きで。だから、いずれコロナが落ち着いたら、車で日本一周しながら自分の読者さん、フォロワーさんに会いに行くという、InstagramやYouTubeと連動させた企画をやりたいんですよね。 ──日常のルーティンのような、生活のリズムを作ったり、頭を切り替えたりするために習慣化していることはありますか? MB 瞑想ぐらいですかね。10年ぐらい続けていますが、瞑想も頭が空っぽになるからいいんです。ちょっとスピリチュアルな感じがしますけど、科学的にも効果が証明されているんですよ。 頭の中を空っぽにするのって、けっこうむずかしいじゃないですか。脳は常にアイドリング状態というか、何も考えていないつもりでも動き続けているので。その動きをある程度止められるのが瞑想らしいんですよ。 ──趣味はドラムとのことですが、ドラムを叩いている時間は無心にならないんですか? MB ドラムは違いますね。腕の動きなどを確認しながら、コツコツと技術を磨いていくというか、だいぶ考えながらやっています。小学生のときに始めて、プロを目指したこともありました。だから、今でも「プロになれないかな」って気持ちがちょっとあるんですよね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「やりたいことも、楽しいことも、自分で探す」枝優花のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は初長編作品『少女邂逅』が世界で称賛を浴び、一躍注目された映画監督の枝優花さんに、映画監督になるまでの歩みや、映画作りにおけるこだわり、フリーランスならではの息抜き術などを聞いた。 枝 優花 えだ・ゆうか 映画監督/写真家。1994年生まれ。群馬県出身。2017年、初長編作品『少女邂逅』を監督。主演に穂志もえかとモトーラ世理奈を迎え、MOOSICLAB2017では観客賞を受賞、劇場公開し、高い評価を得る。香港国際映画祭、上海国際映画祭正式招待、バルセロナアジア映画祭にて最優秀監督賞を受賞。2019年、日本映画批評家大賞の新人監督賞受賞。また写真家として、さまざまなアーティスト写真や広告を撮影している。 幼いころから憧れていた、映像の世界 ──映画を好きになったきっかけなどはあるのでしょうか。 枝 小さいときからなんですけど、近所の子たちと違う保育園に通っていて、全然友達がいなかったんですよ。それに祖父母の家に預けられることも多かったので、近所の公民館で借りたビデオを観たりしていました。 父が映画好きだったので、家で一緒に観ることもよくありましたね。父はいつも途中で寝るんですけど(笑)。それこそ王道のハリウッド映画なんかを、タイトルも知らないままいろいろと観ていました。だから、今になって「このタイトルって、あのとき観た映画のことなんだ」って気がつくこともけっこうあります。 ──それで映画の世界に憧れを? 枝 はい。映画に限らず、漠然と映像の世界に興味はありましたね。「どうやったらあっちの世界に行けるんだろう?」とぼんやり思っていました。私は群馬出身なんですけど、地元にいても憧れの世界には行けないことがわかっていたので、きっかけみたいなものを探していたんです。 そんなときに、東京からお芝居を教えてくれる先生が来ることを回覧板で知って。いわゆるワークショップみたいなものですね。それで勇気を出して母に「これ行ってみたい」って言ったんですよ。まだ10歳くらいだったんですけど、母は公務員で、納得できる理由がないと認めてくれない人だったので、子供なりに思い描く将来像などを説明して通わせてもらいました。 ──10歳から演技を学んでいたんですね。 枝 ワークショップは月に何度かあったので、自分のお年玉で会費を払いながら、15〜16歳まで通っていました。お芝居を学んで、先生に紹介してもらった監督のショートフィルムに出てみたり。でも、恥ずかしくて友達には言えませんでしたね。 映像の世界に進みたくて、親や先生の反対を押し切って東京の大学に進学しました。そこでワークショップの先生と再会して、今度は演出の勉強のために先生のレッスンのアシスタントをするようになったんです。先生は芸能事務所に所属する俳優のレッスンを受け持っていたので。 映画を通じて、自分を表現すること ──大学生のときには作る側を意識されていたということは、映画を撮ったりもしていたんですか? 枝 アシスタントをやりながら映画サークルにも入っていたので、そこで初めて映画を撮りました。サークルメンバーの映画作りを手伝っていたら、その人が逃げちゃいまして……。残ったメンバーでどうするか話し合ったんですけど、一向に話がまとまらないので、「私が脚本を書いていいですか?」って申し出て、そのまま監督もやることになったんです。 監督はもちろん、脚本を手がけたこともなかったんですけど、やってみたら、めちゃくちゃおもしろくて。先輩が脚本から撮影まであれこれ面倒を見てくれたおかげもあって、なんとか作品を完成させることができました。 ──映画作りのおもしろさに目覚めたんですね。 枝 上映会は口から心臓が飛び出そうなくらい緊張したんですけど、自分ができなかったと思っていた部分は、みんなそれほど見ていなくて。逆に思ってもみないところで「いいね」「映画的だね」って言ってもらえたのが新鮮でしたね。無自覚に撮っていたシーンにも、小さいころから映画を観てきた経験や、その記憶が紐づいていることがわかって、「自分を表現するって、こういうことなのかも」って思ったんです。 「好きになれるキャラクターしか登場させたくない」 ──「自分を表現する」という要素は、一般公開された作品を観ても感じられるのですが、作品にはどのぐらいご自身が投影されているのでしょうか。 枝 基本的に自分で脚本も書くのですが、どうしても自分からかけ離れたものは作れないんですよね。演出する際も自分に引き寄せて考えているので、自己投影度は高いほうだと思います。 主人公に60%ぐらい自分を託して、残り40%は取材するなどして作り上げていくイメージです。主人公以外のキーパーソンに自分の中の大事なものを分散して預けることもあります。 ──キャラクターに自分を託す割合の調整は、より共感してもらえるようにキャラクターを普遍化していくイメージなのでしょうか。 枝 割合についてそこまで考えてなかったんですけど、自分が作る物語の中に完璧な人は出したくないという思いがあって、そこは意識していますね。完璧にいい人もいないし、完璧に悪い人もいないはず。人はもっと多面的だと思うんです。 だから、どこか好きになれる要素がある人物しか登場させないんですね。物語的によく思われないキャラクターでも、自分は嫌いになれないようにしています。「この人、イヤだな」と思うと、それが画に出ちゃうんですよ。どこか適当で、そっけないシーンになってしまう。 ──物語はそういったキャラクターから広げていくんですか? 枝 やりたいことや言いたいことがあって、それがどうしたら伝わるのかを意識しながら、物語の展開などを考えています。でも、テーマとなるような思いって、根っこの部分はずっと変わらないんじゃないかと思っていて。だから、やりたいことが常にあるわけではなくて、がんばって探しているところもあるんです。根っこの思いはありつつ、それを枝分かれさせてみたり、角度を変えてみたり。ただ、「こういうシーンを撮りたい」といったシーンのイメージは常にありますね。 ──たしかに、枝さんの作品には特別な瞬間を切り取ったような印象的なシーンがありますよね。画だけで語ろうとする意志を感じます。 枝 やっぱり映像が好きなんですよね。映像が見たくて映画を観ているといってもいいくらい、たくさん映画を観るよりも、好きなシーンを観るために何百回も同じ作品を観るようなタイプで。 自分で映画を作るときも、どうしたらイメージしたシーンが撮れるかを常に考えているので、脚本では光の指定もします。「ここで後光が差す」とか。「差す」じゃないよっていう(笑)。でも、そういった光の演出のほうがセリフよりよっぽど伝わるし、小説でも音楽でもできないことだと思うので、そこは重視しているというか、プライドを持ってやっているかもしれないですね。 「自分たちの話だ」と思えるような作品を作りたい ──撮りたい映像のイメージなどは、やはりこれまで観てきた映画から受けた影響が大きいのでしょうか。 枝 それも大きいんですけど、自分で映画を撮るようになって見方が変わったんですよね。大学の先輩たちに撮ることについて一から教えてもらったり、撮った映像に1カットずつダメ出しされたりしたことで、映像を意識的に見るようになりました。そうしているうちに、好きなショットやカメラの動き、レンズの深度などがわかってきたんです。 一方で、映画だけ観ていてもダメで。やっぱり見たことのない世界を撮りたい気持ちがあるので、映画として表現されたものだけでなく、別の刺激も必要なんですよね。なので、海外のショーや知らない国の人たちの生活を映したドキュメンタリーなど、いろんなものを観るようにしています。 ──異なる刺激が自分の中で組み合わさることによって、何かが生まれるかもしれない。 枝 そうです。それこそ、ただ広い土地を眺めるとか、映像じゃなくてもいいんです。自分の記憶と経験が作品に投影されて、それが作家性になると気づいたので、今はいろんな経験を重ねたい。だから、ひとりでどこでも行きます。 この前も、舞台挨拶で茨城に行くことになったので、早めに行って大洗まで足を延ばしてみたんです。行くあてもなかったので、とりあえず「めんたいパーク」(明太子の老舗かねふくが運営する明太子のテーマパーク)に行って。バス旅行のおじいちゃんおばあちゃんグループが明太子作りをじっと見ていたんですけど、その景色が妙におもしろかったんですよね(笑)。そんな記憶が、脚本を書くときに活かせるかもしれないなって思うんです。 ──そういった経験も重ねた上で、今後撮ってみたい作品のイメージなどはあるのでしょうか。 枝 日本映画を観ていても、「自分たちの話がないな」と感じることが多いんですね。自分が直面している問題や、同年代の子が同じように抱えている悩みを描いている作品が少ないんじゃないかなって。だからこそ、私のような人たちが「自分たちの話だ」と思えるような作品を作っていきたいですね。 それは作品だけでなく、プロモーションなどもそうで。若い人たちに作品が届くような発信の方法を考えるべきだし、これまでのルールや型にこだわらず、試行錯誤していかなくてはと思っています。 サボりに大切なのは、「公言すること」 ──「サボり」についても伺いたいのですが、枝さんにとって「サボる」ってどんなイメージでしょうか。 枝 誰かが「フリーランスはいつでも休めるし、いつも休めない」と言っていたんですけど、本当にそうなんですよね。私も休むことへの罪悪感が強くて。会社のように就業時間も決まっていないので、具体的な仕事がなくても、ずっと脚本のことが心のどこかにあったりするんですよ。 だから、気持ちを切り替える方法もいろいろ考えてはいて、最近は「サボります」と公言するようにしています。友達とかに「今日はもう絶対に仕事しない」って言うんです。何かやらなきゃと思いながら結果的にサボっちゃうのが、一番罪悪感を覚えるので。 ──たしかにサボると決めれば、少なくともその1日は後悔なく楽しめそうですね。どんな過ごし方をするとリフレッシュできるのでしょうか。 枝 友達を家に呼んで料理をするのが好きですね。書き物などの仕事がうまくいかないときも、料理に逃げています。脚本は手を動かしていればなんとかなるものではないけど、料理は手を動かしていれば完成するじゃないですか。「何かを作っている」という感覚が得られるので、脚本がうまくいかないストレスが解消できるんです。 ──食べることで元気にもなれますしね。 枝 そうですね。それに、スーパーに行くのも好きで。「めんたいパーク」に行くのと同じように、店内でかかる謎の音楽を聞いて「誰が作ったんだろう?」って思ったり、「私が作りました」みたいなラベルのある野菜を見て「これは家族が撮ったのかな?」と思ったり、そういうのが楽しい。 ──ストレスを発散しながら、クリエイティブな刺激も受けている。 枝 そう思います。日常の中でもどれだけ豊かな経験をして、豊かにものを見ているかが、創作にも関わってきちゃうんですよね。映画の技術部の友達がいるんですけど、撮影などで地方に行くと、ちょっとした隙間の時間に地元の有名なお店や観光地に行くんですよ。インスタで「サボりチャンス」なんて言いながら、みんなに内緒でさっと消えていく。そういう限られた時間でも積極的に楽しむ姿勢は大事だなって思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「仕事の中で“好き”を見つける」平井精一のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)にお笑い部門を立ち上げ、コウメ太夫、バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、錦鯉などの人気芸人を世に送り出してきた平井精一さん。クセの強い芸人さんたちをどう集め、背中を押してきたのか。平井さんの仕事論を聞いた。 平井精一 ひらい・せいいち 渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)を経て、1998年、ソニー・ミュージックアーティスツに入社。2004年、同社にお笑い部門を立ち上げる。SMA NEET Projectといったプロジェクトや専用劇場「Beach V(びーちぶ)」などを手掛け、多くの芸人を輩出している。 「今しかない」とお笑いに参入 ──どういった経緯でSMAにお笑い部門を立ち上げられたのでしょうか。 平井 SMAは音楽系と俳優・文化人系のグループ会社が合併したばかりで、「好きなことをやれ」って社長から号令があったんです。そこにちょうど、『エンタの神様』(日本テレビ)ブームが来て。ブームのときって、「俺でもできるや」って勘違いした芸人が集まるんですよ(笑)。それと、東京のお笑い事務所は少数精鋭のところばかりなので、都内にフリー芸人があふれているのも気になっていました。 ──いろんなタイミングが重なって、「お笑いをやってみよう」と。 平井 そうですね、「今しかない」と。でも、こんなに芸人の出演番組が増える時代になるとは思いませんでしたね。逆に今だったらやってないんじゃないかな。やっぱり芸人が財産なので、芸人たちを集められたのが大きかったと思います。 ──とはいえ、あふれているフリーの芸人さんとなると、あまりテレビ向きじゃないというか、マニアックな芸風の方も多い印象です。そこは問題にならなかったのでしょうか。 平井 車でたとえると、軽自動車ばかり売ってたり、スポーツカーばかり売ってたりすると、事務所としてテレビ番組に対応できないなと思っていて。いろんなヤツがオールマイティーにいたほうが、いろんな番組に突っ込めるじゃないですか。特定のイメージより、「あそこだったらなんかおもしろいヤツがいるんじゃないか」っていうイメージを持たれたほうがいいなと。 ──芸人さんが集まったところで、どう売り込んでいったんですか? 平井 渡辺プロダクション時代の人脈が残っていたので、東京の各プロダクションのマネージャーさんのところに挨拶がてらリサーチに行きました。どういうふうにマネージメントしていて、どんな番組に売り込んでいるのか。ライブも観せてもらいましたね。あとは(番組側に)頭を下げるだけです。音楽の宣伝をやっていたときにさんざん頭を下げてきたので、そこはもう慣れてますんで(笑)。 「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」 ──SMAといえば個性的な芸人さんが多いイメージですが、平井さんはそんな芸人さんたちをどうサポートしてきたんですか? 平井 僕は芸人にまず「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」と聞くんです。好きなことをやりたいなら事務所に入る理由はないし、成功したいなら成功に歩み寄らないといけない。その上で、毎月やっている事務所ライブでは新ネタをやってもらいました。 ネタ番組に何度か出ると、土日の営業が入るようになるんですよ。でも、ネタ番組の傾向って時代によって動いていくから、ずっと同じネタだと対応できない。だから、どんどん新ネタをやれと。 ──時代やメディアの要望に合わせて、キャッチーなネタを作れるようになってほしいということですかね。 平井 そうですね。芸人によりますけど。お笑いの教科書はどの事務所にも養成所にもないんだから、時代を見てくれ、テレビを見てくれ、と言っていました。あとはお客さんが共感できるネタを作ってくれと。 お笑いから離れていた僕が偉そうに評価するのもおかしいし、ほかのスタッフが評価しても方向性を間違ってしまう可能性がある。売れるネタに歩み寄るには、お客さんに判断してもらうのが一番なんじゃないかと思うんです。だから、ライブもお客さんの投票でランクづけするシステムにしています。 ──そうやって数をこなしていると、だんだんネタも変わってきますか? 平井 やっぱり毎月新ネタを作っていると、どこかで方向性を変えざるを得ないというか、勝手に変えてきちゃうというか。それでウケるようになってくるヤツがいると、ほかの芸人も引き寄せられたりする。芸人同士の仲がいいせいか、みんなでサポートしたり、相談したりするんです。 人の言うことなんて聞かないヤツもいますけど、ランクの1軍に入れば番組のオーディションに入れるようにしたことで、自ら試行錯誤してくれるようになったところもありますね。 必要なのは、「3分のネタ2本とトーク力」 ──テレビで活躍しているバイきんぐさんやハリウッドザコシショウさんといった方々も、試行錯誤を重ねてこられたのでしょうか。 平井 バイきんぐなんかは、「いい加減にしてくれ〜」って思うくらい、クレイジーなネタをやってましたよ(笑)。それでも、舞台上で光るものがあったので、もっといろんなネタが作れるように、単独ライブをやれと言ったんです。小峠(英二)は嫌がってましたけど、とにかくやらせてみたら、また好き勝手にやっていて……。 今度は2組でやるライブにして、テーマに応じたネタを作るというコンセプトを決めたんです。お客さんの評価のもと、2組でネタ6本を対決させるようにした。そこからバイきんぐのネタがガラッと変わっていきましたね。何かをつかんだようにネタを量産していって、『キングオブコント』優勝にまでつながりました。 ──今や誰もが小峠さんのバラエティスキルを認めていますよね。それもライブをやっていく中で磨かれたものなのでしょうか。 平井 昔から小峠には「トーク力が大事だ」って口酸っぱく言っていたんですよ。「テレビはまずネタありきで、そのあと、バラエティの雛壇に並ぶようになってからはトーク。トークができないと絶対に残らないから」って。 ──平井さんのそういった認識は、テレビを観たりしながら気づかれたものなんですか? 平井 渡辺プロダクション時代に担当していたホンジャマカさんの教えかもしれないですね。恵(俊彰)さんがトーク、トークと言っていたので。逆にトークが苦手で、テレビからいなくなっていったタレントも見てきました。 それで、芸人たちには「3分のネタ2本とトーク力があれば、絶対に芸能界を闊歩(かっぽ)できるから」って言うようになったんです。「ネタはとりあえず3分だけ楽しけりゃいいんだ、トークだって先輩のおもしろい話をそのまま話したっていいからとにかくメモれ!」と。 きれい事でも、できるだけのことはしたい ──平井さんは常に劇場(Beach V)にいらっしゃるんですよね? 今の劇場や若手の芸人さんたちの雰囲気は、どんなものなのでしょうか。 平井 ネタ見せと土日ライブはほぼ見るようにしているので、週4日は劇場にいます。新人の応募も多いんですけど、「では、3分のネタをお持ちください」って返信すると返ってこなかったりする。みんな軽い気持ちで、1から10まで育成してくれると思ってるんですかね。 でも、やっぱり人が財産なので、そこで値踏みするんじゃなくて、事務所で成長させたいという気持ちがあります。勇気を持ってお笑い事務所の門を叩いてきた人を、たまたまマネージャーの仕事をしているだけの僕たちがジャッジしていいのかなって思うんです。きれい事ですけど、誰かがそのきれい事を押し進めないと、泣くヤツがいると思ってるんでね(笑)。 ──出会いやタイミング、その後の努力などによって、芸人さんが化けることもありますしね。 平井 コウメ太夫もそうですけど、「このネタはないな……」と思っていたような芸人が突然化けることってあるんですよ。だから、うちではできるだけ芸人たちを受け入れたい。まずはプロの舞台に乗せてあげて、そこで可能性を見極めたり、チャレンジしたりしたほうがいいと思うんですよね。 ──ちなみに、平井さん個人としては、どんなお笑いが好みなんですか? 平井 人力舎の芸人さんたちがやるような、きっちり作り込まれたコントが好きなんですよ。ハリウッドザコシショウとかはちょっとね、見てると疲れてきちゃう(笑)。 芸人たちに背中を見せるため、空手の道へ? ──平井さんにとっての「サボり」とはどんなことですか? 平井 現場が重なったときに、好きな現場に行くっていうのはサボりかもしれないです。楽しそうなほうに行っちゃう。昔からこんな調子で、仕事をしながら自分で楽しみを見つけているような感じなんです。お笑いの現場に関わるのも楽しいし、音楽のマネージメントをやっていたときも、それはそれで楽しんでいました。 ──お仕事以外の趣味や息抜きなどはありますか? 平井 今はコロナで行けてませんが、2011年から極真空手はやってますね。それも芸人たちに発破をかけたくて始めたんです。高校球児が甲子園に出て負けたら、涙を流すじゃないですか。あれって限られたチャンスのために死ぬほど努力してきたからだと思うんです。だから芸人が記念受験みたいに「今年ダメだったら、また来年」って気持ちで賞レースに出ているのにすごくイライラして。「お前らの人生なんだから、もっと気合い入れろ!」と言いたくて本気で空手をやりました。 ──「俺の背中を見ろ」と。 平井 やり始めて半年後には大会に出て、黄帯(5級)になったときには関東の大会で準優勝しました。ただ、芸人たちにも「見に来い!」って言ってビデオを撮らせてるんですけど、一度、回し蹴りで思いっきりノックアウトされたことがあって。そのときは「これ、俺の葬式で流してくれ」って言いました(笑)。 ──やっぱり一番喜びを感じるのも、芸人さんが活躍するときなんでしょうか。 平井 そうですね。バイきんぐの『キングオブコント』優勝や、ハリウッドザコシショウとアキラ100%の『R-1グランプリ』優勝もそうですし、芸人が賞レースに優勝したときが一番感動しますよ。やっぱりチャンピオンになったときの彼らの“報われた感”はもう最高ですよね。こんな人生を味わえるとは思わなかったってくらい。 少なくとも東京で一番のお笑い事務所にしたいので、これからもさらに打率を上げていきたい。SMAでナンバーワンになれば売れると言われるくらい売れっ子を輩出していって、もっと芸人たちのモチベーションを上げたいんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「息抜きのラジオもアイデアのタネに」川上アキラのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は、2008年のデビューから10年以上にわたってももいろクローバーZを支える名物マネージャー・川上アキラさんが登場。「ほとんど自己流でやってきた」というマネージャーとしての仕事術や、メンバーの近くで多忙な毎日を送る中でのリフレッシュ方法を語ってもらった。 川上アキラ かわかみ・あきら 1974年生まれ、埼玉県出身。株式会社スターダストプロモーション執行役員・プロデューサー。マネージャーとしてキャリアをスタートし、沢尻エリカらの俳優のマネジメントを担当。その後、2008年にももいろクローバーを立ち上げ、国立競技場ライブを実現するなどの人気グループへと導く。 「餅は餅屋」、仕事は線引きが大事 ──川上さんのマネージャーとしてのお仕事についてお聞きしたいです。 川上 タレントを世に出す仕事がマネージャー業なんじゃないですかね。売れるっていう言い方が合ってるかわからないですけど、収益が上がって、メンバーと、彼女たちに関わるスタッフが食べていけるようにする仕事だと考えてますね、昔から。 ──タレントが「売れる」ことを最終ゴールとして考えると、マネージャーである川上さんはどんな役割を担っているのでしょうか。 川上 タレントが一番いい状態で仕事をできる環境を作るのがマネージャーの仕事かもしれないですね。そのためにいろんな現場に立ち会ったりすることもありますし、番組やコンサートのスタッフと調整したりすることもあります。だから基本的には調整役ですね。 ──ももいろクローバーZのクリエイティブの部分に関してはどうですか? 川上 コンサートでも番組でも楽曲でも、そういうクリエティブに関しては専門の方々がいるので、そういう人たちにお任せして。餅は餅屋ですから、アイデアレベルで種をまいたりすることはありますけど、基本的にはそれぞれ信頼できる専門スタッフに任せています。そういう意味では僕らはスタッフには恵まれてますね。 ──もともとどういうきっかけでマネージャーになったんですか? 川上 大学のときにテレビのADのアルバイトをしてたんですけど、つらくて逃げちゃったんですよね。そのときに収録の現場に来てたマネージャーを見て「なんか楽そうだな」って思ったのはあるかもしれないです。単純におもしろそうだなって思ったのもありますけど、別に志高くマネージャーを目指したわけじゃないですね。 ──実際にマネージャーになってからは苦労もされましたか? 川上 苦労っていうか、肉体的に大変なのはやっぱりテレビの制作の人たちだろうから、肉体的なつらさは特になかったですね。ただ、失敗はしましたよ。若いころは何もできてなかったんじゃないですか。いろいろ経験した今だったら、もうちょっとうまくできるんじゃないかとは思いますけどね。 昔はけっこう厳しめにタレントに接してたんで、もうちょっと柔らかく接してもよかったなとかは思います。そのときはほかのやり方を知らなかったし、それがメンバーのためになると思ってたから。それから僕自身も経験を積んだし、メンバーも成長してきたんで、接し方も少しずつ変わってきました。 ──ももいろクローバーZとは10年以上の付き合いですが、マネジメントをする上で意識していることはありますか? 川上 あくまでメインは表現者である彼女たちだし、実際にステージに立つのは僕じゃないから、尊敬を持って接することですかね。お客さんの前や、カメラの前に立っている人にしかわからない領域があるので、そこはしっかり線引きしてます。その上で、彼女たちを俯瞰で見て何か参考になることが言えたらいいかなっていうスタンスですね。 ──メンバーはもちろん、マネージャーは外部のさまざまなスタッフと接する機会も多いですよね。 川上 そうですね。でも、仕事以外での付き合いは一切しないようにしています。いろんなことが面倒臭くなりそうだし、あくまで仕事での付き合い。そうやって割り切ったほうが仕事がしやすいんですよね、あくまで僕の場合はですけど。 新しい出会いのタネは至るところにある ──今回は企画にちなんで「息抜き」の方法についてもお聞きしたいです。仕事のオンとオフはきっちり分けているほうですか? 川上 けっこうダラダラ仕事のことを考えてるかもしれないです。毎日車で片道2時間くらいかけて通勤してるんで、車に乗ってる時間はとにかく長いんですよ。だから行き帰りは基本的にラジオを聴いていて、それが息抜きになってるのかもしれないです。 車に乗ってる時間にもよるんですけど、伊集院(光)さんの番組は聴いてますし、ほかにはニッポン放送の『テレフォン人生相談』とか『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、TBSラジオの『たまむすび』とか。大して何も考えずに聴いてるんですけど、「あ、これは仕事に使えそうだな」って気づくこともあるし、やっぱり仕事に紐づいてはいますよね。 ──そこから新しい出会いも生まれる? 川上 そうですね。この前もたまたまうちの事務所の本仮屋ユイカが出ているABS秋田放送のラジオをなんとなく聴いてたら、そこのアナウンサーさんがももクロの大ファンだって言っていて。それをTwitterでつぶやいてみたら返信もいただいて、いつかそういうアナウンサーさんがいる番組にも出てみたいなと思ったり。そういうヒントはありますね。 ──ももいろクロバーZはこれまでもさまざまなジャンルの方々とコラボしたり、ライブで共演したりしていますが、そういう方々の情報も積極的に集めているんですか? 川上 いや、そんなに一生懸命チェックしてるわけではないですよ。単純に、テレビ観て「この人おもしろいな」って思うくらいです。この前『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』(テレビ朝日)を観てたら80年代アイドルに詳しい女の子が出てきて、「うちの佐々木彩夏と会わせたいな」とか。 普段からすごく意識してるわけじゃないですけど、テレビとかネットとかYouTubeを観て、こういう人がいるんだなって知る感じですね。あとは世の中の流れを見てつかんでおいたほうが、直接的ではなくても「こういうライブを作ったらいいのかな」「こういう人をゲストに呼ぼうかな」っていうヒントはありますよね。 ──これまでで印象的なゲストとの出会いは? 川上 ゲストというか、今でも一緒にお仕事してますけど、ももクロと本広克行監督との出会いはおもしろかったですね。もともと僕が本広監督の作品が好きだったこともあって、「いつか本人たちに会わせたいな」と思ってお呼びしたんです。そのあと「七番勝負」(トークイベント『ももいろクローバーZ 試練の七番勝負』)で本人たちと最初に会ったのがきっかけで、映画『幕が上がる』も作りましたし、印象深い出会いですよね。 撮影中、偶然通りがかった(!)ももクロの高城れにさんと ストレス解消法は「とにかく食べること」 ──仕事で落ち込むこともありますか? 川上 だいたい寝たら忘れるタイプですけどね。あとはとにかく食べる。だから食べることがストレス解消になってるんですよね。それでここまで太ったわけだから、「お前が言うな」って話かもしれないですけど(笑)。今日も朝から築地場外でホルモン丼を食べてきましたから。まだまだ全然、食べれますよ。 ──すごいですね。休日はリフレッシュに時間を割いたりしていますか? 川上 別にこれといった趣味はないんで、もうただただダラダラしてますよ。日曜の夕方から徳光さんが出てる『路線バスで寄り道の旅』(テレビ朝日)の再放送を観て、『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ)を観て……っていうルーティーンです。別に仕事のことを考えてるわけでもないですし、あの時間はすごく有意義ですよね。そう考えるとテレビっ子なのかもしれないですね。それで昼間から酒を飲めていれば一番いいですね。 ──ちなみに、平日のルーティーンもあったりするんですか? 川上 子供ができてからは寝るのも早くなったんで、だいたい9時半くらいには寝ちゃうんです。そこから朝5時半とか6時に起きて、朝風呂に入る。ニュースをチェックしたり、ネットで情報収集したりするのはだいたいその時間ですね。 コロナ禍でもできることを粛々と ──ももクロは、デビューしたてのころからテレ朝動画やCSテレ朝チャンネルでも番組を持つなどテレビ朝日とはとても深いつながりがありますよね。特に番組スタートから10年以上が経つ『ももクロChan』はグループにとっても象徴的な番組だと思います。 川上 『ももクロChan』は本当にグループの初期からやらせてもらってる番組ですし、メンバーにとっても番組がホームになっていると思います。スタッフのみなさんのおかげですよね。 ──ホームという意味では、テレ朝動画logirlの『川上アキラのひとのふんどしでひとりふんどし』も、メンバーの身近な姿が感じられる場になっていますよね。 川上 なかなかライブができない状況ですが、『ひとりふんどし』はメンバーの近況を伝える場というか、イメージだとラジオのフリートークにも近いと思います。今はYouTubeとかInstagramとかいろいろありますけど、彼女たちにとっては、一番リアルタイムに近いかたちで自分たちを伝えられる場になってるんじゃないですかね。 『ももクロChan』では、番組初となるオンラインイベント 「テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~」を11月6日(土)19時開演 ももクロが10年間で培ったバラエティスキルの集大成として、 歌やコントやバラエティ企画に挑戦! logirl会員は割引価格でご視聴いただけます ──『ももクロちゃんと!』(テレビ朝日)も、10月から土曜深夜(3時20分放送)に枠が移動し、リニューアルされたばかりですよね。番組のますますの進化が楽しみです。では最後に、これからグループとしての展望や挑戦したいことを教えていただけますか? 川上 いつになるかわからないですけど、お客さんをたくさん入れて、声を出してっていうライブができなくなってますから、そういうのはもう一回やりたいですよね。コロナ禍になってから、エンタテインメントに関わる人はみんな頭を悩ませてると思いますけど。 基本的に、エンタメって世の中がちゃんと平和で幸せで余裕があるときに見るものですから。もともとそんな大層なものだと思ってないんで、僕は。だからこういう状況でも世の中に迷惑をかけずに喜んでもらえることがあるなら粛々とそれをやっていこう、っていう感じですね。 ──やれることを地道にやっていく。 川上 そうですね。ただ、この前の9月に横浜アリーナで開催された『@JAM EXPO 2020-2021』にももクロが呼んでもらって、久々のライブ出演だったんですけど、やっぱりいいなとは思いましたね。ご時世次第ですけど、そういうこともできたらなと思います。 撮影=石垣星児 文=山本大樹 編集=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「自分の中の『好き』と『問い』を大事にする」畑中翔太のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、『絶メシロード』、『八月は夜のバッティングセンターで。』、『お耳に合いましたら。』といった深夜ドラマの企画・プロデュースで注目を集める畑中翔太さん。広告の世界で活躍してきた畑中さんが、ドラマというジャンルに足を踏み入れたきっかけや、その仕事ぶりなどについて語ってもらった。 畑中翔太 はたなか・しょうた クリエイティブディレクター/プロデューサー。2008年博報堂入社。プロモーション局に配属後、2012年より博報堂ケトルに参加。手段とアプローチを選ばないプランニングで「人と社会を動かす」広告キャンペーンを数多く手掛ける。これまでに国内外の200以上のアワードを受賞。カンヌライオンズ審査員。2018年「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」メダリスト。現在は、ドラマや番組などのコンテンツ領域における企画・プロデュース・脚本も務める。2021年dea inc.を設立。 「クリエイティブディレクターって何をやる人なんですか?」 ──まず、広告クリエイターの畑中さんが、ドラマに関わることになったきっかけから聞かせてください。 畑中 絶やしてしまうには惜しいローカルな飲食店とその絶品メシ「絶メシ」を紹介する地域創生プロジェクトを手掛けていまして。本を出版したり、いろんな地域に展開したりして、ニュースにも取り上げてもらったんですけど、市民権を得られていないな、という感覚があったんです。一般の人に広く浸透している実感がなかったというか。 テレビで5分のニュースにすることに限界を感じて、だったら、30分〜1時間のメディアになっちゃったほうが早いんじゃないかと思ったんですよね。それで、「絶メシ」ならドラマにできるんじゃないかと、テレビ東京さんに企画書を出してみたのがきっかけです。 ──それが、ドラマ『絶メシロード』(テレビ東京)になったんですね。 畑中 でも、最初はいくつもある候補のひとつに過ぎなくて、企画が通る可能性は低かったんですよね。そこで、絶メシを巡る男の話だけでは弱いとなったときに、「ロード」の部分を思いついたんです。ちょうど車中泊YouTuberの動画を観ることにハマっていたので、「車中泊」という要素を掛け算してみたらどうだろうと。車中泊が盛り上がりつつあったし、車中泊をしながら絶メシを巡る話なら地域創生などにもつなげられるかもしれないなと思いました。 ──ふたつの要素を掛け合わせることで、企画が通ったんですね。ドラマ作りが始まってからは、現場に立ち会ったりもしていたのでしょうか。 畑中 ドラマチームの方たちに名刺を渡したとき、「クリエイティブディレクターって何をやる人なんですか?」ってシンプルに聞かれたんですよね。それにうまく答えられなくて、広告の中でだけ確立されている役職にちょっと虚無感みたいなものを感じて、ドラマでは一からいろいろ学ばせてもらおうと思いました。 とりあえず、制作プロダクションさんに居候するようなかたちで、撮影だけでなく編集などの現場にもいるようにしたんです。すごく新鮮で、世界が広がるような感覚があったんですけど、だんだんと「ただ居候しているだけではダメだな」と思い、より入り込むというか、自分から関わっていくようになりました。あのころは、本当にずっとプロダクションさんにいましたね。 ドラマ『絶メシロード』 普通のサラリーマン・須田民生は家族のいない週末、車中泊をしながら 「絶メシ」を追い求めるという小さな大冒険に出かける ドラマは観る人のことをイメージできる ──畑中さんの場合、「企画・プロデュース」とはどんなことをされているのでしょうか。 畑中 『絶メシロード』や『八月は夜のバッティングセンターで。』(テレビ東京)は、「企画・プロデュース」として参加していますが、わりと原案に近いところから手掛けている感じですね。『八月〜』なら、バッティングセンターが舞台で、妄想の世界に本物の元プロ野球選手が出てくるドラマという設定や、ストーリーラインなどを考えています。 『お耳に合いましたら。』(テレビ東京)は、主人公がチェーン店グルメ「チェンメシ」をテーマにしたポッドキャストを始めるという設定やストーリーを一から考えているので、「原案・企画・プロデュース」ということになっています。12話までの仮の展開も決めて、それをもとに脚本をお願いしました。 ──ドラマ作りに参加して、30分〜1時間という時間のほかに広告との違いを感じたところはありますか? 畑中 広告って、どこにどのタイミングで流れるのかわからないことも多いんですけど、ドラマは何曜日の何時って枠が決まっているじゃないですか。すると、「金曜日の深夜にテレ東を観ている人って何が観たいんだろう?」とドラマを観る人のことをイメージできるんですよね。 『絶メシロード』のときは、金曜深夜に観た人が、そのまま主人公と同じように出かけてくれたらいいなという気持ちがありました。車で出かけて車中泊して、土曜日に帰ってくる、みたいな。それと、週末の深夜なので、事件やドラマ性のあるものよりも、楽しそうでちょっと気の緩むようなもののほうが観ている人に届くんじゃないかとも考えました。そういう発想で企画を考えたことがなかったので、おもしろかったですね。 ──実際にドラマに登場した絶メシを食べに行った人もたくさんいたみたいですね。 畑中 「絶メシ」という概念がドラマを通じて広がって、SNSでも毎日のように「お店に行ったよ」「マネして車中泊やってみました」といった投稿が上がっていたので、当初の狙いどおりというわけじゃないですけど、本当によかったなと思いました。 ドラマ『八月は夜のバッティングセンターで。』 高校生の夏葉舞がアルバイトをするバッティングセンターに現れた 元プロ野球選手・伊藤智弘は、バッティングから人の悩みを察し 野球にたとえた人生論で背中を押していく ドラマ『お耳に合いましたら。』 主人公の高村美園は、あるきっかけからチェーン店グルメをテーマにした ポッドキャスト番組を始める。 美園の妄想の世界にラジオ界のレジェンドが登場する展開も話題に 自分の「好き」を掘り下げて、記憶に残るものを作りたい ──その後もドラマを手掛けられるようになったのは、広告的な発想でドラマを作ることができるとわかったのが大きいのでしょうか。 畑中 そうですね。広告でやっていることはドラマに転用できるなと思いました。企画を作るとか、それをプレゼンして通すとか、そのドラマのおもしろいポイントを見つけるとか。あとは、コピーライティングじゃないですけど、ドラマを表すキーワードを考えるとか。そういったことが活かせるとわかって、もっとドラマをやりたいなと思うようになりましたね。 ──絶メシ×車中泊や、チェンメシ×ポッドキャストなど、要素の組み合わせの妙にも、企画性の高さを感じます。 畑中 『お耳〜』は、ポッドキャストというテーマは決まっていて、グルメか何かと掛け算できないかなと思っていたんですけど、コロナで外食もできないので、テイクアウトがいいんじゃないかなと。チェーン店グルメなのは、僕が好きだからなんですけど。 広告をやっているからか、テーマを掛け合わせるようなクセがあるんでしょうね。「ただ恋愛ドラマをやる」というだけだと、おもしろくなるか不安になってしまうというか。ドラマの世界では邪道なんだろうと思うんですけど、逆に新鮮に見てもらえているのかもしれないです。 ──そこに畑中さんの「好き」も加わっているので、頭の中で考えただけではない、熱のようなものが感じられるのかもしれません。 畑中 テレビ東京さんの深夜ドラマって、カルチャー系のものも多かったりするように、100人に刺さらなくても7〜8人に深く刺さればいいっていう作り方をさせてもらえるので、ありがたかったんですよね。『八月〜』で野球をテーマにしたのも自分が好きだったからなんですけど、自分たちの好きなものを掘り下げて、それに共感してくれた人の記憶に残る、そういうドラマを作りたいと思ってるんです。 ──元プロ野球選手の選び方などに、「好き」を感じました。 畑中 僕だけでなくスタッフも野球好きばかりだったので、打ち合わせから撮影までずっと楽しくて。特に「誰に出てもらうか」という打ち合わせは、好きなチームの話にまで脱線して、収拾できないくらい盛り上がりましたね(笑)。主人公の名前が「伊藤智弘」なのも、僕が元ヤクルトスワローズの伊藤智仁さんが好きだったからなんです。 『お耳〜』でドムドムハンバーガーが登場したのも、完全に自分が好きなだけ。僕が子供のころに初めて食べたハンバーガーがドムドムだったので、ハンバーガーを出すなら絶対にドムドムだと言ってたんです。単なるエゴですね(笑)。 「どちらかというと、走り続けるタイプなんです」 ──ところで、2本のドラマを同時に進行するなど、畑中さんはかなり忙しく動いていらっしゃるようですが、「サボり」というか、息抜きなどはしているんですか? 畑中 どちらかというと、走り続けるタイプなんですよね。なので、息抜きといっても、ソーシャルトラベルみたいなことで。スマホの中でいろんなソーシャルメディアをブワーッと巡って情報のシャワーを浴びてきて、また仕事に戻るような感じなんですけど。 ──それもちょっとお仕事みたいですね……。 畑中 仕事のためというわけではなく、好きなものが多くて、置いていかれるのがイヤなんです。だから、時間ができたら話題に追いつきたい。大谷翔平選手がホームランを打ったことを、翌日知るなんてイヤじゃないですか。それが僕にとっては息抜きなんですよね。 ただ、企画をする仕事なので、情報に触れることが仕事につながっている部分もあります。ひらめきや要素の掛け算って、自分の中にあるものから生まれるものなので、引き出しを増やしておいたほうが、ふとしたときに何か思いつく可能性も高くなると思います。 ──好きなことに限らず、広く情報には触れるようにしているんですか? 畑中 そうですね。でも、ただ情報を見るというよりは、気になった情報について一度考えることが大事だと思っています。たとえば、事件を起こした犯人が沖縄で逮捕されたというニュースを見たら、「なぜ犯人は南に逃げるんだろう?」って考えてみるとか。そこから、「自分が犯人でも、わざわざ寒い地方には逃げないよな」「警察はどう考えるんだろう?」と広げていく。問いを立てて考えた経験は、あとになって企画に活きたりするんですよね。 ──仕事とプライベートの曖昧なところも楽しんでいらっしゃるんですね。純粋に楽しんだり、無になったりする時間はないのでしょうか。 畑中 あの、性格的にあとに残しておくのがダメなんですよ。夏休みの宿題を全部7月にやっていたくらいで、仕事もやり残した状態だと気持ち悪いんです。だから、本当に全部仕事が片づいて、やることはもうない、1日か半日何もしなくていい、という状態になってようやく無になる。その瞬間は好きですね。 楽しいことも、自分で率先してやるような趣味はないんですけど、逆にどんなことでも楽しめるんですよね。情報に対して問いを立てるのと同じように、「なぜ?」と考えながら見ているだけでおもしろい。実家に帰ると、両親や祖母と「花を見に行こう」なんて話になったりするじゃないですか。僕は花には興味がないんですけど、でも、「なぜ人は歳を取ると草花が好きになるんだろう?」って考えるのは楽しいというか。それも結局、仕事につなげちゃうんですけどね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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大瀧沙羅(Daily logirl #237)大瀧沙羅(おおたき・さら)2004年12月6日生まれ。東京都出身 Instagram:sara_1206insta X:@sara1206_tw 撮影=時永大吾 ヘアメイク=爽来 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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岡田莉世(Daily logirl #236)岡田莉世(おかだ・りせ)2003年6月11日生まれ。徳島県出身 Instagram:rise_okada TikTok;rise_okada 撮影=石垣星児 ヘアメイク=Saya 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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桃果(Daily logirl #235)桃果(ももか)2000年8月25日生まれ。神奈川県出身Instagram:momoka_825__ X :@momoka_825__ TikTok:momoka_825__ 撮影=青山裕企 ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
Dig for Enta!
注目を集める、さまざまなエンタメを“ディグ”!
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ラッパーに転身して現実をプレイする──“天竜川ナコン”とは何者なのか?天竜川ナコン(てんりゅうがわ・なこん) 東京生まれ、東京育ち。YouTubeチャンネル『現実チャンネル』を中心に活動するクリエイター。2025年に長年勤めていた会社を辞めラッパーに転身し、人生初のHIP-HOPアルバムリリースに向けてクラウドファンディングを実施中。 2025年11月、「会社を辞めて、34歳からラッパーを目指します」と表明した“天竜川ナコン”。長年勤めた会社を辞め、ラッパーという新たな人生を歩み始めることを決意した。自らをインターネットピエロと称する彼は、YouTubeチャンネル『現実チャンネル』で、何気ない日常を「現実 実況プレイ」として、自身の哲学を語る動画シリーズや散歩動画を多数公開している。ラッパー、動画配信者、ブロガー……複数の顔を持つ天竜川ナコンに、彼自身初となるインタビューを敢行。「散歩もフリースタイルで」と語る天竜川ナコンとは、いったい何者なのか、インタビューを通してその謎に迫っていく。 10年勤めた会社を辞め、ラッパーに転身 ──インタビューを受けたことって、これまでありますか? ナコン まったくなくて、初めてです。普段、動画では人とおしゃべりすることも特にないので、すごく怖いですね。 ──怖がらないでください(笑)。失礼ながら本日は「天竜川ナコンとは何者か?」というテーマで、ご自身について話していただければと思います。 ナコン はい、よろしくお願いします。 ──YouTubeでいろいろな動画を拝見しました。最初は本当に何者なんだろう?という気持ちで見始めたんですけど、いつの間にか「めちゃくちゃいいこと言うなあ」って共感してハマってしまいました。 ナコン ありがとうございます。 ──「自己紹介をお願いします」と言われたら、どんなふうに人に伝えてるんですか? ナコン それが質問の中で一番難しくてですね(笑)。まあ普通に言うんだったら、ラッパーで、動画制作者で、ブロガーで、という感じで伝えています。親戚とかには「YouTubeでなんかおもしろそうなことやってるよ」とか、ちょっと漠然とした言い方をします。 ──ラッパーとして活動するために、勤めていた会社を退職されたそうですね。 ナコン 新卒から入って10年ぐらい働いた会社を辞めて、今ラップをしているっていう状態です。実は今、動画を週1で投稿しながら本も書いていて、それも並行してやってはいるんですけど、大部分の時間を音楽に使っている感じですね。 ──音楽への思いものちほど伺いたいんですけど、まずはYouTubeチャンネル『現実チャンネル』について教えてください。登録者数が5万人以上の人気チャンネルですが、登録者数が増えたきっかけは何かあったんですか? ナコン 5年ぐらいやってるんですけど、あんまりバズったことがなくて。このタイミングで伸びたなっていうタイミングもなく、徐々に増えていった感じで。動画で100万回再生行ったこともなくて、曲を投稿した動画がジワジワ伸びて、最終的に15万回になってるのが一番の再生数ですね。あと「現実 実況プレイ」っていう動画シリーズが、たまに10万回行くぐらい。 ──これからバズる可能性を秘めたチャンネルなんですね。 ナコン すごく素敵な言い方を(笑)。ありがとうございます。 ──そもそも動画配信をやるようになったのはどうしてなんですか。 ナコン 29歳ぐらいのときに『現実チャンネル』を開設したんですけど、そのとき一番最初に投稿した動画が、HIP-HOPのミュージック・ビデオ(「証明(prod.YONTZ)」)だったんです。そこから、曲に限らずいろんなことをやってみたいなっていう気持ちもあったので、チャレンジしたっていうかたちですね。一番初めに作った動画が、「現実 実況プレイ」っていうシリーズの「キムチ鍋攻略」というやつで。 キムチ鍋の食材をスーパーで買ってきて、それを作って食べて、最後に大声で何かを言うっていう(笑)。そういった現実をゲーム実況的に切り取ると、また違う感じなんじゃないかなと考えて、作ったと思います。 ──反響はいかがでしたか。 ナコン そんなに驚くほど反応があったわけではなく……。ただ、そこまで労力がかかるものではないなと、無理なくやっていけるな、という感覚はありました。 ──YouTuberとしてキャラクターを作って、というわけでもなく? ナコン そうですね、基本的に現実で起こったことしかやってないので。しゃべり方とかは自分なりに気をつけたり、キャラクターを作ったりしたところではあるんですけど──ヤンキーマンガがすごく好きだから「べらんめえ口調」がなんか好きで(笑)。そういうパワフルなしゃべり方に憧れて、ああなっているのかもしれません。 ──それは現実の自分とは違うんですか。 ナコン 真逆だと思います。 ──ご自身を「インターネットピエロ」と称してますよね。それはどういう意味なんでしょう。 ナコン 自虐的な意味が込められてますね。結局、僕が今インターネットでこういう“出し物”をやってるのって、インターネットの「いいね」のシステムだったりとか、そういったものに踊らされているなという自覚が薄々あるんです。そういうシステムに乗っかって、そういうことをやってるのって恥ずかしいという前提があるので、「インターネットのいいねが生んだピエロおじさん」っていうことをたまに言ったりするんですけど(笑)。それを略した言葉が「インターネットピエロ」です。 ──動画を拝見すると、自虐的なことを言っている半面、何か物事に対するアンチテーゼとして言葉を発しているようにも感じました。 ナコン ああ、それはそうですね。そこに対しては自覚的になったほうがいいかなと思うので、アンチテーゼ的な意味も込めて、あえて言うようにしてます。 「嫌」と言えずズルズル続けた少年野球 ──動画制作を始めてから、こういうことを目的に、こうやっていこうという筋道みたいなものは、何かできていったのでしょうか。 ナコン 大枠はあんまりないですね。たとえば登録者10万人とか100万人に行きたいという目標を持ってるわけでもないですし、お金がいくら欲しいとかいうのも正直あんまないんです。でも「こういうふうになりたい」という気持ちは漠然とあるような気がするんですよね。 ──そういう漠然とした思いが、noteで発表していた「「想像上の妻子」と結婚したら、自己肯定感が上がった話」みたいなことにつながるんですかね。ああいう発想ってどんなときに生まれるんですか? ナコン 一週間のうちで「何か新しいことやりたいな、考えたいな」と思う時間があって、そういうときに、ざっくばらんにノート帳みたいなところに書いたりはしています。その中で、やってみたいことをもうちょっとふくらませたりとか、電車の中で何気なく思いついてずっと覚えてることだったりとかを出し物にしたりして、企画は考えてます。 ──「現実さんぽ:昭和記念公園編」で、「内向的で誰ともしゃべりたくないという気持ちと、とはいえなんとかなるだろう、という自分が共存している」という言葉が印象的でした。もともと内向的な人なんですか? ナコン めっちゃくちゃ内向的ですね。やっぱり人の集まりが苦手というか。だから小学校から大学まで、会社に入っても、あんまり「集団になじむ」みたいな感覚を持ったことは今までなくて。たとえば、みんなで集まって(サッカー)ワールドカップとか見たりするじゃないですか? そういうことにも、いまいち乗りきれない自分がいるんです。それをひと言で表すと「内向的」になるのかなっていう感じがしてますね。 ──今は人前に出るわけではないにしろ、人に何かを伝えているわけじゃないですか? 何かをクリエイトしていくことに関しては、そこに自分じゃない自分がいるんですかね。そういう葛藤があるから「自分の悪いところ自覚王 選手権」みたいなことをやって、自問自答していらっしゃるのかなと思ったんですけど。 ナコン あれは元気がないときにやった出し物で。どうしても気持ちが落ち込むときはあるじゃないですか? そういうときに自分の場合は、「これも出し物にしちゃいたいな」という気持ちがあったりして。そのひとつとして、自分の悪いところを100個言うっていうことをやってみました。 ──そういうことをやって、自分自身で気づくことはありますか? ナコン 企画自体がチャレンジングだったし、それで若干元気になったところはありました。「意外と俺、悪いところ100個言えるんだな」みたいな(笑)。ちょっとベクトルが違うかもしれないけど、謎の達成感とかはあったりします。 あと、街を長距離歩く動画とかも撮ってるんですけど、実際1日で50キロ歩いてたりするので。その中で歩きながらしゃべったりしてると、どんどん考え方が整理されてく感じがしますね。本当はこういうことが言いたかったけど、こういうふうに言えたとか。 ──今のナコンさんになるまで、小さいころから振り返ってみると、あんまり変わってないですか? ナコン 根本的には変わってないですね。あんまり人とお話しして、何か気づきや学びを得たとかっていう経験は比較的少ないなと思っていて。どちらかというと、自分の頭の中で良くも悪くもぐるぐる考えちゃってることが、ここ2年ずっと続いていて、それが動画というかたちで出てきてしまったみたいな(笑)。 ──それが今のナコンさんなんですね。小さいころはどんな子供だったんですか? ナコン 小さいころの自分は野球をやっていたんですけど、野球自体に興味がなかったりとか、内向的だったっていうこちもあって、毎週野球に行ったら怒られるみたいな日々がずっと続いてたんですよ。監督とかコーチは誰かの父兄がやっていたんですけど、その方がけっこうヤンキー上がりみたいな人で(笑)。その人が、僕がうまくできないとめっちゃ怒るみたいな状態だったんです。そのときから、「人って怖いんだな」っていう気持ちがあったんです。 ──野球は好きで始めたんじゃないですか? ナコン 親が野球をやっていて、「あなたもやりなさい」みたいに入れてもらった感じです。だから進んでやりたかったわけじゃないんですけど、小学校1年から中学1年の夏ぐらいまでやってたんですよ。そこで本当に嫌になって辞めたっていう感じです。 ──そこまで嫌いだったら、普通はとっくに辞めてますよね。 ナコン そこが、僕の悪いところだなと思うんですよ。嫌なことを嫌って言い出せなかったんですね。本当は小3のときから嫌だったので、親に嫌って言えばよかったんだけど、それがどうにも言えなくてズルズル続けちゃったんですよ。中1のときは学校で陸上部にも所属していて、課外活動として野球部にも所属していたので、陸上部という所属組織がひとつあるんだから、課外活動の野球のほうは辞めてもいい、みたいな感じで辞めやすかったのかなと思います。 ──スポーツ以外に好きだったものとか、趣味とかはなかったですか。 ナコン 高校のときも陸上部だったんですけど、途中で辞めて帰宅部になって。趣味といえるものが特になかったですね。強いて言えば動画を見るとか。“無”ですね。何もなく、“無”です。 ──“無”を感じながら日々を過ごしていた? ナコン 自分が「これだ!」と思えるものが、あんまりわからなかったんですよね。アイデンティティがないというか。だから本当に何もやることがなくなって、高2の終わりぐらいになぜか受験勉強をし始めるんですよ。別にそれまで勉強もやってなかったんですけど、「これだけはやっておかないとまずいんじゃないか」みたいな気持ちになって、受験勉強を始めて。それが、高校時代で唯一のアイデンティティですね。それ以外何もやってないです。 ──そこから大学に進んで就職してっていう。 ナコン そうです。 “無”から芽生えたラッパーへの憧れ ──“何者かになりたい”っていう言葉を見たんですけど、いつそういう気持ちが芽生えたんですか? それまでは“無”だったわけですよね。 ナコン もともとHIP-HOPが好きでずっと聴いてたんですけど、大学に入ったぐらいから「せめて音楽とかやってみようかな」みたいな気持ちになってラップを始めたんです。動画サイトにラップの曲を投稿するコミュニティがあったんですけど、そこで同世代の人が有名になったりとかしていて。それを見てうらやましいというか、同じことをしてるはずなのに自分はそんなに見てもらえないなっていうのがコンプレックスではあったんです。それがたぶん“何者かになりたい”みたいな気持ちだったのかなと思いますね。 ──“無”と言いつつ、HIP-HOPという拠りどころはあったんですね。 ナコン それはおっしゃるとおりです。映画とか音楽とかも好きで、そういう受動的に見るやつはめちゃくちゃ見てました。 ──影響されたラッパーっています? ナコン KREVAさんにはけっこう影響を受けてるかもしれないです。シンプルな言葉なんですけど、ちょっと奥行きのあることを言っていて、音楽としてちゃんと成立しているようなしゃべり方、ラップをしてるし、そういう奥深さには惹かれました。こんなに簡単な言葉で人の心を動かせるんだって感銘を受けましたね。 ──音楽以外で、おもしろいことを言うほうの文脈で、もともと好きな人っていましたか? ナコン 『オモコロ』(※WEBメディア)はけっこう影響を受けてますね。実際にマネをしたりとかもしてましたし。それと、ラッパーのノリアキにはめちゃくちゃ影響受けてます。ラッパーとは真逆の出自の方が、首からチェーンをかけてラップをされているんですけど、その姿や姿勢にとても影響を受けました。 ──曲作りって、どんなふうに始めたんでしょうか。 ナコン 安いマイクと録音機材を買って録音してみたり、当時ラップのうしろで鳴ってるような音楽を作れるアプリがあって、それで作曲をしたりしてました。ライブは誘われて2回ぐらいやったんですけど、考えてきたことを人前で発表するっていうのは、けっこう好きだなと思いました。 ──それは、今の動画を作って発表することと同じ感覚ですか? ナコン まったく同じだと思います。自分で考えて、それをそのとおりやるみたいなのが好きですね。 ──ナコンさんにとってラップをやることと、動画で歩きながら話してることって、あんまり線引きがないようにも感じます。 ナコン 表現の仕方が違うだけで、言ってること自体、全部同じだと思います。なので線引きを設けたり、「こういうときはこういうことを言う」とかも変えるつもりがないです。ただただ、自分が言いたいことをいろんな表現を使って言っていくだけっていう感じではあります。 ──noteでは「「新品の赤ちゃん」と伊豆を旅行したら、親の気持ちが少しわかった話」という記事を書かれていましたけど、街中で声をかけられたりしたんですか? ナコン いや、意外とかけられなかったですね。無事ミッションはクリアしました(笑)。 ──「【検証】ディズニーランドは1日で最大何周できるのか」とか、「自分の悪いところ自覚王 選手権」とか、観ていて正直きつそうだなというのがあるんですけど、これはもう二度とやりたくない、途中でやめたかったという企画はありましたか? ナコン 「縛り旅」っていう動画シリーズがありまして、京都駅から大阪湾まで徒歩で歩いたり、異常な距離を歩く企画が多いんですよ。それをやってる途中で「もう二度とやらないな」って思ったりはします。すごくきつくて(笑)。 ──終電後に夜中の街を歩いてる動画を観ていたら、「どこにいても疎外感を感じる」「夜中の松屋にしか発せられないオーラがあんだよな」「夜が我々を主人公にしてくれる」とか、あ、これ自体がもうラップなんだなって。 ナコン ははははは(笑)。よく観ていただいて、ありがとうございます。マジでそうですね。本当にラップを書くときと同じような考え方で、いろんな動画を撮ってます。自分の言いたいことっていうのが、すごく領域が狭いんです。僕の中で「これは普遍的なんじゃないか」と思えることがあって、そういうことだけを言いたいなと思っていて。 ──夜中に歩きながらポエムみたいなことを言ってたら絶対共感しないと思うし、普通に街で歩いて見たリアルなことを自分の感性で言葉にしてるから、共感するんでしょうね。 ナコン たしかにそうですね。散歩しながらしゃべるのって、フリースタイルみたいなもんですからね(笑)。 ヤフコメが怖い──やるからには誰かを傷つけたくない ──最初にアップしたMV「証明」は、「誰にもなれやしない日々」という歌詞から始まってますけど、「何者かになりたいけどなれない自分」が、すべての表現の核になっているのでしょうか。 ナコン それはめちゃくちゃあると思います。今はそうでもないですけど、昔は本当にそういった気持ちが強かったですね。「何者かになりたい」みたいな、ぼんやりとした気持ちがあって、それがコンプレックスになって創作に反映されていた気がします。今はありがたいことに動画を観ていただける方も増えて、そこの気持ちはある程度払拭はされたんですけど、「証明」を出した当時はそういう気持ちが一番強かった感じがします。 ──「どこにいても感じる疎外感」という意味ではいかがですか? ナコン それはやっぱりありますね。「天竜川ナコン」で出させていただくぶんには、僕のことをみんな知っているからまったく感じないんですけど、ひとたび本名で、たとえば同窓会とか、異業種交流会とか……。 ──参加するんですか? ナコン いや、参加しないですけど(笑)。仮にそういう場所があったとしたら、僕はすごく苦手だし、行きたくないなと思います。 ──HIP-HOPの世界って「仲間が大事」みたいな感じがあるじゃないですか? ああいうのはどう思いますか。 ナコン 友達と一緒になってのし上がっていくみたいなのは、ラップ界隈だとスタンダードではあるんですよね。だからそれと真逆のことはしたいなって感覚はあって。まず僕にHIP-HOP的な仲間がいないし、その内容もまったく真逆に近いものを表現したいなっていう気持ちもあるし、差別化もできるかなと思って、そうしてる部分はあります。 ──ラッパーとして「人生」を賭けたHIP-HOPアルバムを創るために、クラウドファンディングをやっていらっしゃいますが、その理由や原動力について聞かせてください。動画の中で、「恥ずかしいけど、はっきり誰かの助けになろうとしている」とおっしゃっていますが、抽象的な表現をするアーティストが多い中で、そういう明確なメッセージを口にしていることに、非常に感銘を受けました。 ナコン ありがとうございます。 ──それは自分がある程度満たされたから、そう思うようになったのか、それともラッパーとして生きていきたいという原動力として、誰かの助けになりたいという気持ちがあったのか、教えてください。 ナコン 大前提として、創作というもの全般が人の助けになると思っているんです。絵とか小説とか音楽も、全部そうだと思うんですよね。その中で、いろんなアーティストが「自分がやりたいからやってるだけです」とか、抽象的なことをお話しされているとは思うですけど、やっぱりみんな恥ずかしいから言わないだけで、たぶんみんな誰かの助けになりたいとは思ってると思うんです。だから、逆にそれをちゃんと言っちゃったほうが誠実だなと思って言ったという背景はあります。 ──現時点で、クラウドファンディングは目標の100万円を遥かに超えた金額が集まってますね。 ナコン めちゃくちゃありがたいし、ここまで行くとは本当に思ってなかったですね。なので、責任が重いなという感じはします。いい内容にして、ちゃんと届けたいです。 ──アルバムのタイトル『人生』にはどんな思いが込められているのでしょうか。 ナコン アルバム自体が僕にとってそういうものというメッセージもあるし、内容も過去に何か思ったこととかを、ある程度整理して時系列のかたちで伝えていったりとかするものを想定しているので、そういう意味でこのタイトルがいいかなと思っています。 ──今の段階で、アルバム制作はどれぐらい進んでいますか? ナコン 9曲入れようと思っていて、そのうち2曲はほぼ完成してます。残りは、ほぼ歌詞とうしろに鳴ってる音楽がある状態で、あとはがんばって歌うだけという段階です。 ──クラファンを始めたことは、Yahoo!ニュースでも取り上げられましたよね。どう思いました? ナコン 怖かったですね。正直いうと、取り上げないでほしいなって(笑)。友達の友達とかがヤフコメで見たとか聞いたりとか……それがすごく怖かったです。 ──今日のインタビュー記事が載ったら、もっと自分のことを知られるわけじゃないですか? それは怖くはないですか? ナコン それは大丈夫です。インタビューの内容って、基本的には僕が話す内容でしかないじゃないですか。Yahoo!ニュースの記事の捉え方とコメントの捉え方って、僕はまったく知らないので、そこがめちゃくちゃ怖いっていうことです。 ──実際、何かコメントが書いてあったんですか? ナコン いや、何回か見たんですけど、今のところ書いてなかったです。それはそれで寂しいんですけど(笑)。 ──ナコンさんは、自己顕示欲みたいなものはあるんですか。 ナコン めちゃくちゃあると思いますね。そうじゃなかったら、たぶんここにいないとは思います。ただ、その自己顕示欲の出し方には、けっこう気を遣ってます。「俺ってすごいだろ」とか、そういった自慢めいた顕示欲はまったくないと思います。 ──自慢もそうですし、人に迷惑をかけるようなことはきっとしないようにしてるんだなって思いました。 ナコン 人に迷惑をかけることはしたくないですね。何か出し物を出している以上、見た人が傷ついてしまうことって絶対あると思ってるんですけど、意図して誰かを傷つけようとは絶対しないようにしています。 ──そういえば、「AIに付き合って貰えるまでラブレターを送りました」という動画がありましたよね。AIってどう思ってますか? ナコン AIは、実は「現実チャンネル」という名前を付けた由来にもなっているんです。5年前ぐらいに、おぼろげながらAIの元みたいなものが世に出始めていたとき、当時「まずいな」と思ったんですよね。SFが好きなので、このテクノロジーは発展するだろうなと思っていたし、そうなると僕が大好きな文章を書いたりとか、動画を作るとかも、たぶんそれに代替されるだろうなって思ったんですね。 会社勤めをしていたとき、僕は大枠ではクリエイティブ関係の仕事をしていたんですけど、自分のYouTubeチャンネルとか自分が顔を出して発信する媒体がないと、僕が会社で創作をする機会っていうのは失われると思ってたんです。それで始めたのが『現実チャンネル』なんです。 今、僕たちが普通に過ごしている考え方自体や、何に幸せを覚えるかとか、全部変わっていくと正直思っていて。それぐらい危機感はあります。もう不可避的にAIは発展していくだろうし、その中で消去法的に、どういう考え方で生きていけば楽しく暮らせるんだろうっていうことはずっと考えています。 ──個人個人が考えてやっていかないといけないということでしょうか。抗うわけでもなく、依存するわけでもなく。 ナコン 僕の考えだと、抗うことはできないと思います。だからどっちかというと、考え方を変えるほうにシフトしていく感じかもしれないですね。たとえば、僕がもともと自分しかできないなと思っていた音楽もAIはたぶん作れますし。そうなると多くの人が、アイデンティティを失いかねない。それってけっこう深刻だと思っていて。そうなったときに「自分って結局なんだったんだっけ?」みたいな気持ちにならない準備はしたほうがいいと思っています。 ──アルバムが世の中に出た先に、見据えている展望があれば教えてください。 ナコン あんまりないですね。アルバムの反応とかは、正直想像ができないと思っています。ただ、ライブは一回やりたいなと思っていて、その準備は並行して進めていきたいと思っています。あとは、HIP-HOP界みたいなところに今まで所属できたことがないので、有名なラッパーの方にも何か心に残ってほしいっていう思いはあります。「意外といいラップするね」って言われたいです。 ──HIP-HOPクルーに加わらないか、みたいな声がかかったらどうしますか。 ナコン たぶん、人とチームになることはないだろうなと思います(笑)。 ──すごく根本的なことを聞きますけれども、人にはあんまり興味がないですか? ナコン 人に興味がないわけではないです。ただ、その人がどんな考えで今そういうことをしてるのかとか、そういった部分のほうにどちらかというと興味があるかもしれないです。 ──「ナコンさん大好きです」っていう人たちが5人ぐらい来て、週末にバーベキューに行きましょうって言われたら? ナコン 行きます! わざわざ好きだと言ってくれる人は拒絶したりはしないですよ。ただ、やっぱり大人数は苦手ではあるので、若干抵抗はあるんですけど……。 ──何人ぐらいから大人数と考えてますか? ナコン 4人以上ですかね(笑)。4人以上はちょっと苦手なんだけどっていう気持ちは若干ありつつも……でも行きます、行きます。 ──今さらなんですけど、「天竜川ナコン」ってどんな由来があるんですか。天竜川っていうのは何か出身地とか想像しちゃいますけど。 ナコン ナコンは、「江戸川コナン」のもじりです。天竜川については、特にゆかりはなくて、カッコいいからつけました。竜がカッコイイし、天がついてるし(笑)。 ──現実をプレイしていくなかで、ラップ以外に興味があることって何かあります? ナコン 創作全般にすごく興味がありますね。動画も興味がありますし、本を書いたりするのも興味があるし。最終的には、映画とか小説を作りたいなと思っています。 ──現実を生き抜く術みたいなのって何か見つかりましたか? ナコン あんまり悲しい気持ちになりすぎないというか、絶望しないというか、それが大事だなと思います。僕自身がそういった悲しい気持ちとかを過大評価してしまうきらいがあるので、そういうのを意識して避けていくというか。嫌なことがあってもほかの人にとっては大したことないだろうとか、なんか今日生きていくお金はあるしとか、そういういい捉え方を選んでいくことが大事なのかなと思ってます。 取材・文=岡本貴之 撮影=Jumpei Yamada(Bright Idea) 編集=宇田川佳奈枝 天竜川ナコン クラウドファンディング “ラッパーとして「人生」を賭けたHIPHOPアルバムを発売します” https://camp-fire.jp/projects/898465/view
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自分が自分の一番のファンだから──“文坂なの”は好きをかたちにできた作品文坂なの(あやさか・なの) 平成生まれ昭和育ち、懐かしくも新しい楽曲を歌うフリーランス・セルフプロデュースソロアイドル「文坂なの」。全国各地でライブ活動中。多数メディアでも注目を集めるなか、2024年1月に1stアルバム『だけど、わたし、アイドル』を全国流通にてリリース。2024年4月、ヒャダイン作曲の「明治プロビオヨーグルトR-1」CMソング歌唱を担当。2025年2月には、80'sアイドルカバーアルバム『Lost & Found Vol.1』をリリース。2025年4月には、楽曲制作にconnie、葉上誠次郎を迎えた「恋のスリズィエ」をリリースし、「NO MUSIC NO IDOL?」(タワーレコード新宿店発のアイドルとのコラボレーション企画)に抜擢される。2026年には、活動10周年を迎える。 大阪拠点で活動を続けているフリーランス・セルフプロデュースソロアイドル、文坂なの。2026年に活動10周年を迎える彼女が、今年11月26日に4th EP『CITY』をリリースした。作詞作曲は好きな人に自らオファーをして実現したという本作品は、松井寛や佐々木喫茶などそうそうたる名が並ぶ。文坂なのは、なぜアイドルになったのか? なぜセルフプロデュースを続けるのか? その理由が明らかになる。 恥ずかしがり屋だった幼少期 ──文坂さんは大阪ご出身ですよね。今も大阪を拠点に活動されているんですか? 文坂 生まれは大阪なんですけど、実は11月上旬から東京に住んでいるんです。地元の大阪にも帰って活動しつつ、東京の活動も増やしてがんばっていきたいなと思っています。 ──なるほど、そうだったんですね。では大阪時代から遡って聞かせてください。“昭和と令和を股にかける懐かしくも新しいアイドル”というキャッチフレーズが印象的ですが、どんなきっかけで音楽に触れたんですか。 文坂 小さいころに歌番組で昭和の懐メロ特集とかを見たりして、気づいたら好きになっていたという感じです。あと、ケーブルテレビでよく流れていた昭和のコンピレーション・アルバムのCMがすごく好きだったんですよ。アニメのチャンネルを見つつ、そのCMが流れるのがけっこう楽しみで。私が学生のころってAKB48さんとかが大活躍されていて、現代のアイドルさんの曲も好きで聴いてはいたんですけど、中でも自分の心に響くのは80年代の音楽で、自然に好きになっていた感じですね。 ──もともと、小さいころから歌を歌っていたりしました? 文坂 いやもう、全然(笑)。めちゃめちゃ恥ずかしがり屋でした。お姉ちゃんがいるんですけど、ふたりとも照れ屋さんなので家族でカラオケに行っても、両親が歌ってるのをひたすら聴いてるみたいな感じでした。音楽の授業でみんなの前でひとりずつ歌うのとかもすごく苦手でしたから。部屋でひとりで歌うのは好きだったけど、人前で歌うとかは全然考えてなかったです。 ──どんなことが好きな子だったんですか。 文坂 休み時間には教室で自由帳にイラストを描くような、あんまり外で活発に遊ぶような子じゃなかったんですよ。自分の好きなアニメのキャラクターを使った二次創作とか、オリジナルの魔法少女のマンガを描いたりとか、架空のアニメのキャラクター設定をして、資料みたいなものを作ったりとか(笑)。今、セルフプロデュースで活動しているんですけど、自分で何か考えてひとりでやるのが好きなのは、そのころからかなと思います。 ──そういう描いたものって、人に見せたりはしたんですか? 文坂 見せてなかったです。あくまでも自分の中で「こういうのが好きだな」とか「こういうのいいな」みたいなことを考えるのが好きで、それを誰かに発表することは全然考えなかったです。たぶん今も実家にあると思うんですけど、ちょっと自分で見るのも怖いですね(笑)。 ──そんな子が今や人前で歌っているっていう。しかも完全セルフプロデュースのアイドルってすごいですよね。 文坂 そう言っていただくことが多いんですけど、それ以外なかったっていうだけなんです。中学生のころにアイドルにのめり込んで、高校生になってから、オーディションを受け始めたんですけど、全然受からなくて。どうしようってなったときに、地下アイドルという存在を知って、調べていくうちにひとりで活動されている方が多いことを知ったんです。 大阪だと、日本橋界隈で活動する“日本橋系アイドル”みたいなジャンルがあって、ライブハウスに見学に行ったとき、みなさん物販もチェキ撮影も全部自分ひとりでやっていて。それを見てから「自分もひとりでやろう」と始めたので、すごいねって言われると自分的には「あ、不思議なんだ」という感じでした。 ──でも、小さいころは恥ずかしがり屋だった文坂さんが、人前で歌ったり踊ったりするようになったというのは、やっぱり不思議です。 文坂 アイドルが本当に好きなんだと思います。いまだにどのライブもめちゃめちゃ緊張するんですよ。人前に立つことって普段ないじゃないですか? ステージに立って、ライトに照らされて歌って、それをみんなが見てるって、いまだに緊張するし慣れないんですけど、でもやっぱり好きだからやれてるんだと思います。 “明菜ちゃん”はファンでもあり憧れの存在 ──最初はどんなアイドルからハマり出したんですか。 文坂 AKBさんや声優アイドルさんとか、当時は本当にいろいろ聴いていましたけど、やっぱり一番好きだったのは80年代のアイドルさんでした。思春期で学校にあんまり行けていない時期があって、実家のリビングのパソコンで調べて曲を聴いたりしていたんですけど、そのときに一番胸に刺さったのは80年代のソロアイドルさんだったんです。 ──80年代のソロアイドルで、特にどんな方が好きなんですか。 文坂 一番好きなのは中森明菜さんですね。アイドルってキラキラの衣装でフリフリで、かわいくて明るくてみんなに元気を与えるみたいなイメージだったのが、明菜ちゃんってけっこう影のある感じというか。そういうところが新鮮で、すごく惹かれました。 ──今日は黒い衣装で撮影していて、中森明菜さんと通じるイメージも感じました。 文坂 自分もキラキラアイドルっていうよりは、切ない曲を歌うことが多いので、通じる部分はあるかもしれないです。それと、私服は基本的に黒しか着ないです。今日はまだ明るいほうで、自宅のクローゼットは本当に真っ黒ですから(笑)。 ──大阪出身っていうと、ちょっと陽気なイメージを結びつけたくなるけど、全然そうじゃないわけですね。 文坂 もう、全然。休みの日は家から出ないんですよ。特にひきこもりがちだった中学時代、当時はもう不登校でまったく家から出なかったので、明菜さんのパフォーマンスがそういう自分にすごく刺さったんです。 ──そういえば、大分のフェスで明菜さんのステージ(※)を観たんですよね? (※2025年4月19日、20日に大分スポーツ公園で開催された『ジゴロック 2025 ~大分“地獄極楽”ROCK FESTIVAL』)。 文坂 そうなんですよ! めっちゃ弾丸スケジュールで観に行きました。明菜さんって私が中学生のころにはもうテレビにあんまり出ていなかったし、私の中ではネットや昔のレコード、雑誌の中で見てた架空の人物みたいな感じだったんですよ。だから、ステージに出てきた瞬間に「あ、明菜ちゃんがいる!」と感動して涙が出ました。 幸運なことに前のほうで観られそうだったんですけど、「これ以上近づけない」と思い、前から4列目ぐらいで観ました(笑)。やっぱり憧れだし、ファンでもあるし、いつかお会いしたいなという気持ちはありますね。 ──明菜さんをはじめとする80年代のアイドルを好きになって、地下アイドルとして活動を始めたときは、どんな感じだったんですか? 文坂 最初はもちろんオリジナル曲はなくて、カラオケ音源で歌う感じでした。それこそ明菜ちゃんの「スローモーション」「セカンド・ラブ」とか。あと(松田)聖子ちゃんの曲も。 ──ご両親とカラオケに行ったときも歌わなかったのに。 文坂 そうですね(笑)。初ステージは20分のステージで4曲歌ったんですけど、もう緊張しすぎて、自分が何をやったかはまったく覚えてなくて、楽屋に戻って号泣しました。安心したのと、「全然できなかったな」っていう悔しさとか、いろんな感情でもうめっちゃ涙で。自分的にはもう本当に0点ぐらいのステージだったんですけど、ずっと憧れてたステージに立てた喜びもあって「一回きりじゃ終わりたくないな」と思いました。 そうしたら、ライブハウスのオーナーさんから「来月も同じイベントがあるから出てください」とオファーをいただいたんです。そこから定期イベントに毎月出るようになって、そのイベントに来ていたほかのイベンターさんのイベントにも呼んでいただくようになったんです。 ──それだけステージに魅力があったということだと思うんですけど、観た人たちからの反響はどう受け止めていたんですか。 文坂 褒めていただくこともありましたけど、自分ではピンときてなかったんですよ。だから、なんで誘っていただけるのかなって、いまだに思っていて。応援してくださってる方にはちょっと失礼になっちゃいますけど、ファンの人がなんで自分を応援してくれるのかがちょっとわかんないんですよ。自己肯定感が低いのかもしれないです(笑)。ただ、もちろん制作や作品は自信を持ってお届けしてますし、そんなに思ってくれるなら、がんばって返していかなきゃなって思っています。 ファンと一緒に作っていく“文坂なの” ──ライブは、号泣した初ステージからどう変わっていったのでしょう。 文坂 当時は“ポンバシ界隈”(日本橋系アイドル界隈)でオリジナル曲を持ってる子が本当に少なかったんですよ。私も最初はカラオケで歌ってたんですけど、どうしても自分だけの曲が欲しくなってきて。でもまわりに聞いてもみんなオリジナル曲を持っていないから「どうやって作るんだろうね?」みたいな。なので、当時私がやったのは、Twitter(現X)で「楽曲提供」というワードで検索して、出てきた人に「こういう者なんですけど、曲を作っていただけないでしょうか?」と連絡して。 ──まったく面識のない人だけど、その人がアップしている曲を聴いたりして連絡したわけですか。 文坂 そうです。曲を聴いて、「この人にお願いしたいな」と思ってメールしました。そしたら返事が来て、曲を作ってもらって、レコーディングしていただいて──活動を始めて2年目の2018年4月に『ひとりごと』っていう初めてのCDを出しました。それは昔の名義なんですけど、当時の地下アイドルの界隈は「盛り上がってなんぼ」みたいな感じだったので、そういうアイドルチックな曲にしました。 そのあとも2ndシングル、3rdシングル、ミニアルバムと続いていくんですけど、やっていくうちに「自分のやりたいのってこれじゃないよな」っていう違和感もあって、2020年に“文坂なの”に改名をして、今の路線になりました。だから今は、当時の音楽性とはまったく変わってます。制作方法は今でも一緒で、面識のない作曲家さんでも自分で連絡してご依頼しています。それも自分の中では当たり前だと思ってここまでやってきました。 ──「こういう楽曲にしたい」というイメージってどんなふうに伝えるんですか? 文坂 「懐かしいけど新しい、80年代だけど新しい」みたいなコンセプトは自分の軸にあるので、それは必ず伝えています。その作曲家さんが好きで頼んでいるので、その方の得意とするジャンルで伝えさせていただくこともありますね。 今回のEPだったら、ほかに収録曲が決まっていて最後にお願いしたのが、加納エミリさんの「ブルー・リライト」なんです。女性に曲を書いていただくのは初めてだったんですけど、ありがたいことにお受けいただいて、細かくイメージをお伝えしました。私は切ない恋愛ソングが好きで自分の声質にも合ってるかなと思うので、そういう曲が多いんですけど、EPの最後を切ない感じで締めくくりたいなっていうのがあったので、「とびきり切なくしてください」とお願いしました。伝え方は作曲さんによってバラバラですね。エミリさんは、もともと面識があった本当に珍しいパターンなんですけど。 ──加納さんも、セルフプロデュースで活動しているアーティストですよね。どんなきっかけで出会ったんですか。 文坂 エミリさんが設立された事務所に所属するアイドルさんの主催ライブに呼んでいただいたときに、初めてお会いしたんです。エミリさんご自身もセルフで全部やってきたので、「大変なこともありますよね」みたいに話をして、その日の物販もお手伝いしてくださったんです。そこから連絡先を交換して、仲よくなりました。今回はレコーディングもディレクションも立ち会ってくれて、コーラスも歌ってくださっています。あと、レコーディング終わりに一緒にごはんを食べたんですけど、「当時こういう場面だったらどうしてましたか?」とか、私の人生相談みたいな感じになって、共感祭りでした(笑)。 ──セルフプロデュースで活動する上での共感があったわけですね。それこそ衣装とか物販のこととか、いろいろ細かい決め事とかもあると思うんですけど、特にどんなところが大変ですか? 文坂 物販は自分ひとりなのでチェキ撮影してくださる方がいないのは大変です。けど、私のファンの方は協力的で、ツーショットを撮るときは、うしろに並んでる人がシャッターを押してくれたりするんですよ。だからみんなチェキを撮るのうまくなって(笑)。さすがにそれは申し訳ないので、現場のスタッフぐらいは雇えるようになりたいなと思いつつ。あとはそんなに大変だなって思うことは、正直言ってあんまりないですね。 ──それ以上に楽しい? 文坂 楽しいし、なんか全部できるようになってしまったので。 ──鍛えられてきたんですね(笑)。 文坂 そうです(笑)。いろいろ経験してきたので。まあ最初は“ソロアイドルあるある”かもしれないですけど、「楽屋がない」とかはありました。グループだと、ヘアメイクとかスタッフ、マネージャーが大所帯で来るじゃないですか。私はリハとかもひとりで行くし、個室はそのみなさんが使うので、「文坂さん、スタッフさんがいなくてひとりならすいませんけど、この廊下で」とか……。 ──ええ~!? 文坂 この前は、「楽屋どこですかね?」と聞いたら「すみません、フロアに行ってもらっていいですか?」って言われちゃって。でも開場したらお客さんが入ってくるから、「ここにいてください」って、今度は会場の裏の小さい物置みたいなところに移動して、そこで準備しました(笑)。そういうことはいまだにあるので、個室の楽屋を用意してもらえるぐらいがんばろうって思いました。 ──そういうのを聞くと、より応援したくなるお客さんもいるでしょうね。来年10周年を迎えるということですが、どんどんファンの方が増えてきている実感はありますか。 文坂 そうですね。「文坂なの」名義になってからは、ラジオや雑誌とか、こういうインタビューとかもでご紹介いただいたり、ライブ以外のお仕事をいただくことが増えてきたので、東京に頻繁に来るようになった3年前ぐらいから、ファンの方も増えてきたなっていう実感はありますね。 上京は夢に近づくためのパズルのピース ──そもそも人前に出たくなかった文坂さんが、こうしてファンの方が増えるぐらいがんばってこられたのって、ただただアイドルが好きだっていうのもあるんでしょうけど、どこにモチベーションを持ってやってきたんですか? 文坂 やっぱり、「好きだから」という理由がもう90パーセントぐらいなんですよね。あとはファンに喜んでもらいたいっていうことですね。自分のことはあと回しで、「これをしたらファンが喜んでくれるかな」っていうのでここまで来ました。 それと、今の名義になって佐々木喫茶さんに作っていただいた1stシングル「愛わずらい」(2021年)を初めてラジオで流していただいたあとの反響が大きくて、「ラジオを聴いてライブに来ました」という方がめちゃめちゃ多かったんですよ。今までのアイドルっぽい曲から、自分の本当にやりたい80年代のジャンルに方向転換をした曲だったので、「これで間違ってないんだな」って自信がついて、この路線でやっていこうと決めた曲でもあるんです。それが今の自分を作り上げる大きなきっかけになっていますね。 ──佐々木喫茶さんは今回のEPでも「シャカリキ飲料」を書いていますね。タイトルを見たときに「これはどういう曲なんだ?」って思いました。 文坂 ですよね(笑)。ほかの作家さんには、たとえば「シティポップ調の曲にしてください」とか、失恋の曲だったり、かっこいい女性の曲にしてくださいとか頼むんです。喫茶さんに関しては、もともと80年代風な曲が多くてすごく好きだったので、最初の「愛わずらい」から毎年曲を作っていただいてて今回で5曲目なんですけど、2曲目からは全部お任せでお願いしているんです。 今回は「ちょっと楽しい曲にしていいですか?」って言ってくださって、「曲できました」と喫茶さんからデモ音源と歌詞が届いたとき、ファイル名が「シャカリキ飲料」とあって……。正直、これは何かの間違いであってほしいなって思いながら聴いたんですけど、「ヤルトキシャカリキ」って歌っていて(笑)。最初はびっくりしましたけど、聴いていくうちにすごくいい曲だなって、めちゃめちゃお気に入りの曲になりました。 ──『CITY』の収録曲は作詞・作曲・編曲の方が曲ごとに違いますけど、EPとして統一感のある作品だと感じました。どんなコンセプトで一枚にしようと思ったのか教えてください。 文坂 これも上京の話になるんですけど、お仕事が明らかに東京のほうが多くて、毎週のように新幹線で行ったり来たりしていたんです。ホテルに泊まるのも高いし、東京にお家を借りなきゃなという思いはずっとあったんですけど、タイミングを逃し続けていて。それで今回、上京することになったので、決意を込めてタイトルに『CITY』とつけたところはあります。 EPを作ろうと思ったのは、松井寛さん作曲編曲の「Night Mirage」という曲をいただいたときに、すごく都会のイメージが浮かんできて、かっこいいなと思ったのがきっかけです。作詞の鈴木さちひろさんに「都会のかっこいい女性を書いてください」とお願いしてこの曲が完成したときに、そういうコンセプトでひとつの作品を作ったらおもしろいんじゃないかなと思って、EPのコンセプトができ上がりました。 偶然にも「シャカリキ飲料」も都会でがんばる社会人の歌で。原田夏樹さん(evening cinema/Vo)に作っていただいた「初恋と呼ぶくらい」は80年代のトレンディドラマとか都会っぽいイメージが浮かんでいたのでピッタリだし、パズルのピースが当てはまるようにでき上がっていきました。 ──セルフプロデュースという意味では、ジャケットなどアートワークへのこだわりもありますよね。 文坂 ジャケットは、今までの自分よりはちょっと大人びた感じを意識して撮影しました。東京タワーが写っていたり、盤面も赤だったり、「大人と都会、東京」みたいなコンセプトで作っています。CDのジャケット、ブックレットのデザインも、入稿まで全部自分でやっています。 ──すごくいい声をしてらっしゃって、すんなり耳に入ってくる歌声だと思いました。80年代をイメージした楽曲を歌う上で、工夫していることや意識していることはありますか。 文坂 「文坂さんは歌はうまくないけど声がいいね」って本当にみなさんに言われるんですよ(笑)。宇多丸さん(RHYMESTER)のラジオで初めて言われて、ほかのメディアで紹介されるときもだいたいそうなんです。正直ちょっとショックでした……けど今は「じゃあそこを自分の長所として声を生かすような歌い方を心がけよう」と思っています。 あと、80年代のアイドルさんって、歌の語尾を上げるんですよ。レコーディングのときに「その語尾を上げるの何?」って言われて、聴いてみたら私の歌も全部語尾が上がってて。小さいころからソロアイドルの曲をずっと聴いてたので、自分の中に染みついてる部分はあるかもしれないです。 ──今後、東京に拠点を移してからの活動はどんな展開を考えていますか? 文坂 上京したというのもあるし、2026年の4月10日で活動10周年なので、そこに向けて次のリリースの計画とか、スペシャルなことだったりを計画しています。それと、リキッドルームでライブをするのが夢なんですけど、実現できるようにがんばっていこうと思っています。 ──日本武道館を目標に掲げるアイドルが多い中で、リキッドルームでやりたいというのはなぜなんですか? 文坂 自分のプロデューサー目線もあるし、ファン目線もあるんですよ。自分自身が自分の一番のファンでもあると思うから。無理してめちゃめちゃ大きいところでやるよりは、堅実にやっていくアイドルのほうが私は推せるので。もちろん、リキッドルームも1,000人規模の大きい箱ですし、今すぐやれっていわれたら埋められないですけど、着実に進んでいきたいなっていう気持ちがあります。 今回のEP『CITY』も、パズルのピースがはまるようにコンセプトができ上がっていったんですけど、そういう偶然的に作っていくものもあれば、先まで考えていることとかもあるので、2026年は、夏までにはこれをして年末までにはこれをして、みたいなことは一応考えています。楽しみにしていてください。 取材・文=岡本貴之 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 文坂なの 4th EP『CITY』 2025年11月26日(水)発売 M1. intro 作曲:松井寛 M2. Night Mirage 作詞:鈴木さちひろ/作曲・編曲:松井寛 M3. 初恋と呼ぶくらい 作詞・作曲・編曲:原田夏樹 M4. シャカリキ飲料 作詞・作曲・編曲:佐々木喫茶 M5. ブルー・リライト 作詞・作曲・編曲:加納エミリ M6. Night Mirage(Instrumental) M7. 初恋と呼ぶくらい(Instrumental) M8. シャカリキ飲料(Instrumental) M9. ブルー・リライト(Instrumental)
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観た人もきっと“トリツカレる”──映画『トリツカレ男』原作:いしいしんじ×監督:髙橋渉【特別対談】何かを好きになると、とりつかれたように夢中になる「トリツカレ男」のジュゼッペが、風船売りの女の子・ペチカに恋をする小説『トリツカレ男』が、ラブストーリー・ミュージカルとしてアニメーション映画に。作る者も見る者も“トリツカレる”という本作について、監督の髙橋渉と、原作者のいしいしんじに語ってもらった。 作っている人たちもみんな「トリツカレ男女」 ──まず髙橋監督は原作と出会ったとき、どのような印象を持たれたのでしょうか。 髙橋 お話をいただいて原作を読んでみたのですが、最初は「自分には難しいかもな」と思ったところもありました。すごくピュアで美しいお話で、直前まで『クレヨンしんちゃん』のおバカな映画を作っていた自分にできるのかなと。 でも、原作を読み込んでいくうちに、キャラクターのユーモラスさやお話が持つ温かさがすごく染みてきて。こうした面を打ち出していけるのなら、僕にもできるかもしれないなと思ってお受けしたんです。 ──いしいさんは、映画化についてどのように思われましたか。 いしい これまでも実写化のお話があったり、お芝居にしてもらったりしたこともあったんです。ただ、今回はアニメ化というお話で、ずいぶん前に書いた小説だったものですから(初版は2001年)、いまだに映像化を考えてくれる人がいて、ちゃんと小説を読んでもらえたことが素直にうれしかったです。 ──アニメ映画化するにあたって、どういったところからアプローチされたのでしょうか。 髙橋 キャラクターが一番要になるなと思ったので、キャラクターのデザインを決めるところからスタートしました。キャラクターは荒川眞嗣さんという超ベテランアニメーターの方に描いていただいて。 いしい いわゆるアニメーション的なイメージのキャラクターとも全然違ったので、それはうれしかったですね。おもしろかったのが、キャラクターデザインが発表されたときに、「『クレヨンしんちゃん』のタッチに似てるね」という声を聞いたことで。 髙橋 シンエイ動画にしてみればわりとおなじみの絵柄なので、自分ではあまり違和感がなかったんですけど、世に出したときはいろんな反響がありましたね。荒川さんとは、「今回はクラシックなアニメーションに対してのリスペクトを出していこうよ」と話していました。荒川さんはそういう絵が昔からお得意だったので、今回は本領発揮といった感じです。でも、ポージングや立ち方の重心はすごくリアルなんですよ。だから、すごく生っぽく見えると思います。 いしい それに動きが激しい。キャラクターの動きが激しいからこそ、動いている最中の体のバランスや飛んだときのポーズなどは、すごく理にかなうように描かれてるんだろうなって思いながら見ていました。 髙橋 リアルすぎるタイミングだと軽やかさみたいなものがなくなるので、昔のアニメならではの動きの気持ちよさみたいなものを意識していったところはありますね。 ──いしいさんは、アフレコ現場にも見学に行かれたそうですね。 いしい まずその前段階として、主人公のジュゼッペが住んでいる部屋などの美術設定を家に送ってくださったんです。テーブルに積み上がっているものや、壁にかかっているものから、ジュゼッペがどんなことをしてきたかがわかる。そういった背景まで含めて制作されているのを感じました。 それを見て、作品を丁寧に扱ってくださっている、その姿勢に心を打たれてしまって。「この人たちこそ、『トリツカレ男女』なんじゃないの?」って思いましたね。本当にいい人たちにアニメ化してもらえたなと、うれしくなりました。 ──アフレコ現場はいかがでしたか。 いしい スタジオに行ったら、ジュゼッペ役の佐野晶哉さんがひとりでふらっと入ってきて。それで声を入れてみますとなったら、踊るんですよ。奇をてらっているわけでも、わざと声を振り絞るでもなく、声の流れと体の動きがまったく一緒になっている。この人、天才なんだろうなって思いましたね。 ジュゼッペっていう主人公は、いろんなことにとりつかれては極めていく、ある種の天才なんですよ。その天才を演じるには天才じゃないとダメだと、監督も思ったんじゃないですかね。ホントすごいことしはるんやなって、びっくりしました。 髙橋 ジュゼッペのキャスティングは悩みましたね。なんにでも夢中になれて、純粋で、きれいな心を持っている、そんなジュゼッペみたいな人にやってもらわないとダメだと思っていたので。 そうしたら、スタッフから佐野さんの名前が挙がったので、テレビを見てみるとバラエティでコントのようなことをやっていた。それで、お笑いができる人ならジュゼッペもできるだろうという確信みたいなものが湧いて、オファーさせていただいたんです。フラれたら立ち直れない、企画もどうなるかわからない、みたいな告白に近い気持ちだったので、受けていただけたときは本当にうれしかったです。 ──実際に声を当てる様子を見て、間違っていなかったという手応えはありましたか? 髙橋 それはありましたね。アフレコ中は、佐野さんというよりジュゼッペに話しかけているような気持ちでやらせてもらえて、幸せでした。それはペチカ役の上白石萌歌さんも同じです。実際にお会いしてみると、目の奥がマグマのようにたぎっていると感じて、「この人はペチカだ」と思いました。 いしい 上白石さんは、まるでチェロに手が生えて、自分でペグをチューニングしながら音の出方を確かめるように声を出していたのが印象的でしたね。そのくらい、自分の声で何かを伝えるということを真剣にやられている人なんだなと。振り返った瞬間の「え?」というひと言まで、全部自分で納得した上でやってはる。まさにペチカという感じでした。 森のように自然でまっすぐな作品になった ──スタッフの方々こそ「トリツカレ男女」だったのではないかというお話もありましたが、実際のところどのように制作に取り組まれていたのでしょうか。 髙橋 最近なかなか作られない少し古いスタイルの作品だったので、やってみたいっていう方がすごく多かったんですね。だからこそ、作画もキャラクターデザインも色彩も美術も撮影も、その方々なりの哲学みたいなものがあって、僕が「ちょっと違うんじゃないかな……」と思うところがあっても、「いや、これでいいんだ!」みたいな(笑)。でも、そう言ってもらえるのはうれしいので、スタッフがぶつけてくるものを受け取っていったような気がします。 ──作品の中でクラシカルなスタイルが感じられるのは、どういった部分ですか? 髙橋 会話のテンポでも、最近は詰めて詰めてテンポをよくしたものが多いんですけど、今回はどっしりとカメラを置いて、じっくり芝居を見せるようなものになっています。スピード感は失われるものの、キャラクターのゆるやかな空気を見せるのには有効で。たとえば、ペチカの瞳の曇りみたいなものがキーになるお話だったので、その変化を絵でつけようかとも思ったところを、あえて芝居の雰囲気で伝わるようにしたり。 いしい ストーリーの上でも、ペチカの表情が濁っているといったことは一切書いていないんですよ。瞳の曇りは、トリツカレ男のジュゼッペにしか見えない。観客にも、シエロにも見えないんです。ジュゼッペだから気づく。たぶんペチカもわからない。 髙橋 じゃあ見せなくて正解だった……! ──完成した作品を、いしいさんはどのようにご覧になられたのでしょうか。 いしい 大勢の方々がそれぞれの得意技をフルに使って、小さな種を大きな森にしてもらったと思いました。変な幹や、見たことのない葉っぱがあるんだけど、みなさんにしか作れない大きな森を見せてもらったなと、自分が書いたことも忘れて見上げているような気分でしたね。 全体が森だと感じたのは、意図して作り上げた何かではなくて、まるで昔からあったみたいに自然だっていうことじゃないかなって。きっと40年前の人が見ても、40年後の人が見ても、今と同じように楽しめるんじゃないかと思うんですよね。 髙橋 やろうと思えばすべてコントロールできてしまうのですが、そういう作り方ではなかったんです。いろんなアイデアや、ベテランの技、若手の暴走的な情熱などがぐちゃぐちゃにくっついてしまえばいいなと思っていました。なので、いしいさんに森のようだと言ってもらえたのはうれしいですね。そういうものを作りたかったんだと思います。 ──いしいさんの中で印象的だったシーンはありますか? いしい 覚えているのは、最初にジュゼッペがオペラにとりつかれて歌い出すところ。歌が始まる瞬間が、絵柄も佐野さんの声もちょうどいいタイミングで、「ああ、本当に始まるんだな」って。特別な時間を自分も一緒に体験していくんだと思えたので、始まりの場面はすごく覚えていますね。 ──ミュージカルの要素は、この作品のカギのひとつだと思います。リアルな会話や重力感から、アニメらしい演出へと飛躍できるのもミュージカルシーンがあってこそかなと。 髙橋 ミュージカルにはあまりなじみがなかったのですが、やっぱり歌のシーンは気持ちがいいですよね。楽しさや悲しさ、愛する心を歌にできるのは、ミュージカル映画の強みだなと。今回も感情を歌う場面がたくさんありますけど、見てくださる方々にもすごく一体感が生まれるんじゃないかと思います。 ──ほかにも風景や雪の描き方など、おもしろい演出がたくさんありました。監督として気に入っている演出などはありますか? 髙橋 荒川さんにはイメージボードといいますか、場面ごとのイメージみたいなものもたくさん描いていただきました。荒川さんはすごく絵の力を信じている方で、たとえば、公園の中の紅葉では「色の強さを出すんだ」と、木々を一本一本書くんじゃなくて、色の印象だけをたたきつけるように描いている。雪や水しぶき、煙の表現などもすごくこだわっていただきました。そういった要素が作品の統一された印象を生み、全体を下支えしてくれていると思います。 いしい 街でいうと、俯瞰する風景などは小説には出てこないんです。僕はどういう街なのかそこまで考えていなかったんですけど、古さといい新しさといい規模といい、ちょうどいい感じに創作されていて。あと、車のデザインもすごくよかったです。自分が書いていないところをうまいことかたちにしてくださっているのが、すごくおもしろかったし、楽しかった。 ──それこそまさに、「ここはこうだ」というスタッフそれぞれの答えというか、こだわりがあった部分なのではないでしょうか。 髙橋 ありましたね(笑)。「こんな三角屋根があるわけないじゃないか」みたいなところもあるんですけど、見た目のシルエットがよければよろしいみたいな。それだけに、何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなってきたところもありましたが……。 いしい とりつかれてる限り、正解なんです。とりつかれてない状態でやっちゃうと、間違うんですよ。 散歩気分で作品の中に入り、とりつかれてほしい ──髙橋監督は、作品と向き合う中で、原作に対する解釈や印象などが変わっていった部分はあるのでしょうか。 髙橋 作品に取り組みながら、現実とのギャップに悩むことはありましたね。世の中では大変なことが起こっているわけですが、『トリツカレ男』の世界のほうが僕にとっては現実で、社会のほうがフィクションというか、ウソのようにしか感じられなかったんです。おもちゃみたいな武器で人が殺されるような現実を信じたくなかった。でも、自分にできることがあるとしたら、こういう美しい作品をひとつでも作ることなんじゃないかと思うようになって。きれいな話を、きれいなままかたちにしたいという気持ちがありました。 ──いしいさんは、この作品が今読まれる、映画として見られることについてどう考えていますか。 いしい 僕は世の中とまったく切り離されてるんですよ。でも、世の中との対比でいうなら、兄に言われた「お前の書くものは、ホラは吹くけどウソはつかへんもんな」という言葉がうれしくて、心に残っていて。人をおもしろがらせて幸せにするホラはいいけど、ウソはつくもんかと思っていました。 ウソがないというのは大事で、この映画が森だと言ったのも、ウソがない「本当」だということですよね。真っ正直な自然の森で、みなさんが信念を持って作られているのが伝わってくる。だから、僕は「美しいな」と思ったんです。このお仕事自体が本当に美しいことだったんだと、感銘を受けました。ここまで押しつけがましくない作品はそうそうないと思う。 ──強いメッセージ性などがあるわけでもないけれど、ただ心に残るというか。 いしい 何もないですもんね。ただ、ごまかさない、ウソをつかない、一生懸命やる、妥協しない。本当に基本的なことじゃないですか。世の中的には「いや、そうは言っても……」みたいなことがあると思うんですよ。でも、その気配すらないというか。 髙橋 映画を作っているとよく作品のテーマを聞かれるんですけど、いつも困るんですよね。何かに注意して見てほしいわけではないというか、ただその中にいてほしい、作品の中に入っていただければそれだけでいい、みたいな気持ちなんです。今回は特にきれいな映画になっておりますので、そこに散歩気分で足を踏み入れてもらえればいいなと思います。 いしい とりつかれてる人間にテーマなんかわかんないですよね(笑)。そんなこと考えてないですよ。でも、見た人はそれぞれ何かを感じる。それが正解だと思うんです。たぶん、作っている人たちが一番わかんないと思いますよ、とりつかれてるから。見る人もとりつかれてくれたらいいですね。 取材・文=後藤亮平 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 髙橋 渉 たかはし・わたる アニメ演出家、監督、脚本家。日本映画学校卒業後、シンエイ動画に入社。テレビアニメ『クレヨンしんちゃん』『あたしンち』などの演出、劇場アニメ『劇場版3D あたしンち 情熱のちょ〜超能力♪ 母大暴走!』『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』などの監督を務める。 いしいしんじ 小説家。京都大学文学部仏文学科卒。2000年、初の長篇小説『ぶらんこ乗り』刊行。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞。『トリツカレ男』は2001年に刊行、2006年に文庫版が刊行。 『トリツカレ男』 11月7日(金)全国公開 (C)2001 いしいしんじ/新潮社(C)2025映画「トリツカレ男」製作委員会 いしいしんじ『トリツカレ男』(新潮文庫刊)
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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藤本洸大(BOY meets logirl #064)藤本洸大(ふじもと・こうだい)2005年10月6日生まれ、兵庫県出身Instagram:kodai_fujimoto_official 映画『終点のあの子』公開中EXドラドラ大作戦『CUT.編集された世界』2月7日(土)24:40〜放送開始Hulu『時計館の殺人』2月27日(金)配信開始 撮影=井上ユリ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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芳村宗治郎(BOY meets logirl #063)芳村宗治郎(よしむら・そうじろう)1998年2月1日生まれ、東京都出身X:@YTactor_1Instagram:sojiro_yoshimura 映画『ヒグマ!!』2026年1月23日公開主演映画『ゾンビ 1/2』2026年春公開予定 撮影=佐々木康太 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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望月雅友(BOY meets logirl #062)望月雅友(もちづき・まさとも)1996年1月5日生まれ、兵庫県出身X:@Mx1050tmtmInstagram:masatomo_mochizuki TikTok:25mstm10 YouTube:望月雅友-25mstm10映画『じっちゃ!』池袋シネマ・ロサほかにて上映中映画『映画館で!おかあさんといっしょスペシャルステージ なないろのはね』上映中映画『星野先生は今日も走る』2026年1月10日よりK’s cinemaほかにてロードショー NHK Eテレ『おとうさんといっしょ』出演中 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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キングオブコント決勝に出たものの…怖いものなしな元祖いちごちゃんの物語はしぶとく続いていく|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#42『キングオブコント2025』決勝、スーパーの店員と客という、取るに足らない設定を逆手に取り、ブリーチの試飲を勧めるという狂気的なネタを披露したのが、元祖いちごちゃんだ。 実は吉本の養成所NSCで出会ったふたり。フリー時代を挟みながら、オフィス北野、浅井企画と渡り歩いてきた。 まったく恵まれなかった、叩き上げの元祖いちごちゃん。しかしふたりからは悲愴感が感じられない。なぜ彼らは17年もの下積みをくぐり抜け、『キングオブコント』決勝までたどり着けたのか。その道のりを聞いた。 【こちらの記事も】 『キングオブコント』決勝に突如現れた元祖いちごちゃんのきっかけは、即席で組んだトリオ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#42 目次不遇の吉本時代オフィス北野、最期の輝き芸人仲間の支えもっと褒めてくれ! 不遇の吉本時代 左から:植村侑史、ハイパーペロちゃん ──元相いちごちゃんは最初のころずっとトリオだったのに、なぜコンビになったんですか。 植村 NSCのときにトリオで好成績だったのに味をしめて、もうひとりが抜けても補充してたんですが、やっぱりなんか違って……。 ペロちゃん 2年ぐらいで僕と一緒に同居してた相方が、家事を何もやらないので、私生活で無理になっちゃって解散しました。 植村 じゃあ気が合う仲のいいヤツを入れようってことになって、それも2年くらい続いたんですけど、そいつが病気になっちゃったんですよね。もし病気になってなければ、ずっと続けてたかもしれません。 ──吉本を辞めたのはなぜ? 植村 実力がなくて、全然ライブに出られなかったんです。本社でのネタ見せに通らないから。ずっと一番下のランクのライブに出てて、ビラ配りとか、毎月お手伝いしかしてなかった。あのとき一番下でくすぶってた人たちの中で、今世に出てる人たちってほとんどいないと思いますね。 ペロちゃん たしかに、みんな辞めてるか。当時は『(爆笑)レッドカーペット』が流行ってて、1分ネタしかできなかったから、僕らは全然ダメだった。 植村 今でこそ「間」がいいって言われますけど、1分ネタだと、1〜2個ボケただけで時間切れだったから向いてなかったですね。まぁその少ないボケも当時は全然おもしろくなかったんですけど……。数年間いたけど、舞台には10回も出てないと思いますね。 オフィス北野、最期の輝き ──吉本を辞めてフリーになり、2016年にオフィス北野に入ったそうですが、なぜオフィス北野だったんですか。 植村 もちろん(ビート)たけしさんがいたのは大きかったですし……。 ペロちゃん あと、オフィス北野に入っていた芸人たちと仲がよかったのもあります。 植村 そうだね。当時はマッハスピード豪速球さんを筆頭に、若手がオフィス北野を盛り上げようとしてたんですよ。「若手を集めてるらしいよ」って噂があって、実際、キュウ、ランジャタイ、スーパー3助さん、バベコンブ、もう解散しましたけど、ハニーベージュっていう今残ってたら『M-1(グランプリ)』で優勝してるかもしれないコンビもいて、すごかったんですよ。 ──すごいメンツですね。 植村 当時は「最強の事務所」って言われてて、いろんな事務所にケンカを売って勝ちまくってましたから。でも最後に錦鯉さん率いるSMAに大負けしましたけど(笑)。 ──そもそもオフィス北野ってどうやって入るんですか? 植村 オフィス北野ってすっごい狭き門で、所属まで2年くらいかかりましたね。まずサンキュータツオさんにネタを見てもらって、「才能ないから辞めたほうがいいよ」って言われたところから始まって。実際、それでショック受けてトリオのときのもうひとりの相方は辞めちゃいましたから。で、僕はもうオフィス北野は受けたくないって思ってたんですけど、ペロちゃんが……。 ペロちゃん 悔しかったんで「ふたりでもう一回受けたら、結果も変わるんじゃない?」って言いました。 植村 そしたらそこでハマったんですよ。今とまったく変わらない雰囲気のネタなんですけど、そのときタツオさんに「すごい間だね」って褒められて始めて、僕らの持ち味が「間」だって気づかされたんですよね。 ──たっぷりと時間を空ける「間」を使ったコントは元祖いちごちゃんの大きな武器ですが、そのときまで自分たちでは気づいてなかったと。 植村 今思うと、トリオ時代ってその「間」をつぶしてたんですよね。それでタツオさんをクリアしたあとは『チャレンジコーナー』っていうネタ見せに出るんです。そこで1位を3回獲れば所属させてもらえるんですけど、そもそもそのチャレンジコーナーが2カ月に1回しか開催されないんです。しかも当時はキュウとかランジャタイみたいなすごいのが一緒だったんで、僕らはまったく勝てなかった。 ──そのメンツで3回勝つとなると、時間かかりますね……。 植村 そうなんですよ。で、結局、僕らは1回しか1位になれなかった。でも見かねたスタッフの方々が推薦枠というかたちで『審査会』に出してくれたんです。 ──審査会ってなんですか。 植村 本来は1位を2回獲った芸人が出られるもので、そこでお客さん票を80%以上取ったら所属っていうシステムなんです。そこでなんとか80%以上取って所属させてもらいました。結局、僕らは『チャレンジコーナー』で長いことくすぶってたので、応援してもらえたんですよね(笑)。 ──ファンに愛された結果だったんですね。 植村 でもすぐにオフィス北野が終わるんですよ。『SLAM DUNK』のラストみたいでした(笑)。 ──王者・山王工業に奇跡の勝利をした直後、負けるというやつですね(笑)。せっかく長い時間をかけて所属が決まったのに……。 ペロちゃん ひどかったですよ。それが2016〜2018年ごろのことです。 植村 で、2019年の1月に浅井企画に拾ってもらいました。 芸人仲間の支え ──当時、賞レースの成績はどうでしたか。 ペロちゃん オフィス北野のころは『キングオブコント』も1〜2回戦負けでしたね。 植村 でも当時はKOCの決勝なんて夢にも思ってなかったですね。オーディションでペロちゃんがはねて、キャラ芸人でいければいいなって思ってました。 ──オフィス北野はオーディションのチャンスも多かった? 植村 いや、まったく回ってこなかったです(笑)。 ペロちゃん 浅井に入って、世の中にはこんなにオーディションがあるんだってびっくりしました。 植村 オフィス北野は「自分たちで仕事持ってこい」って感じだったんですよね。でも僕らは先輩に呼ばれたライブに出るだけだったんで。 ──2014年の結成から2019年まで「吉本興業→フリー→オフィス北野→フリー→浅井企画」と激動ですね。さすがに元祖いちごちゃんはもうムリかもと思った瞬間はなかったですか。 植村 あんまなかったですね。 ペロちゃん いや、でも2年前のM-1……。 植村 あぁ(苦笑)。1回戦で落ちたときね。そのときは自分たちはコントが本業でM-1は半ば遊びのつもりだったとはいえ、1回戦落ちは相当ショックでしたね。 ペロちゃん でもまわりに励まされてね。 植村 僕らはまわりの芸人の励ましに支えられてますね。ちょうど今売れてる人たちが、ずっと「お前らはおもしろいよ」って言ってくれたから、ここまで続けられてる。もちろんお客さんの支えは大きいですけど、メンタルを保てたのは芸人のおかげでした。まぁ僕らは大学にも行ってなければ何かの資格を持ってるわけでもない。ここで辞めたところで何もないから、やるしかないかと開き直ってたところもありますが。 ──とはいえ、2020年に初めてKOC準決勝に行ったのに、そこから4年連続で準々決勝敗退となります。当時はどういう心境でしたか。 植村 いや、僕らはずっと楽しくてしょうがなかったんですよ(笑)。あんまり努力もしてこなかったから「なにくそ」っていう気持ちもなくて。 ──2025年、いきなりKOC決勝に行けた理由ってなんだと思いますか? ペロちゃん 自分たちはいつもと変わらないんで、わからないんですよね。2025年もどうせ準々決勝で落ちると思ってたくらいで。 植村 僕らはいつも、賞レースに挑む感じじゃなくて、ライブで目の前のお客さんを笑わせるだけっていう感覚なんですよ。そしたら決勝に行ってたので、あんまり実感が湧かないっていうか。 むしろ変革を意識してたのは2023年なんですよ。ベタをやったり、設定を変えてみたり、演技力を意識してみたり。それでちょっと力ついたかも、と思ったけどその年はダメだった。翌年2024年の準々決勝はけっこうウケたのに、それでもダメだった。全否定されてる気がして、この先何をすればいいのかわからない。それで2025年は、ほとんどあきらめてたんですよ。なのに急にファイナリストに選ばれた。 ペロちゃん 肩の力が抜けたのがよかったのかな? 理由はまったくわからないね。誰か教えてほしい。ライブシーンではずっと変わらずウケてきたから、自分たちの成長したところがわからない。ファイナリストの記者会見中も具合悪くなっちゃってあんまり覚えてないんです。改めて映像を見て「まわりの芸人がこんなに喜んでくれたんだ」ってうれしくなりました。 もっと褒めてくれ! ──キングオブコント2025、決勝という初舞台はいかがでしたか。 ペロちゃん 僕は普通に楽しかったですね。想像より何も感じないんだなって思いました。それがダメだったのかもしれないですけど、本当に楽しいのみでしたね。 ──落ち着いてたんですね。たしかに司会の浜田(雅功)さんにも絡んでましたし。 ペロちゃん フラットな感じで「浜ちゃんだ〜」ってなっちゃいました。友達になってって。 植村 裏で浜田さんが「アイツなんだよ、おもしろいな」って言ってくれたらしくて、ありがたいですね。 ──植村さんは初決勝、いかがでしたか? 植村 ふたりともマンガが好きで、コンビ名も『元祖!浦安鉄筋家族』と『いちご100%』から取ってるんですけど、なんでもマンガで考えるクセがあって、決勝が決まったときは、そのまま優勝して、芸人としての最終回を迎えると思ってました。「もし売れちゃっても辞めていいんじゃない?」っていう感じで。だけど、いざ出たら全然ウケない。なのでまだまだ連載は続きそうですね(笑)。 ──今回すごいインパクトを残したので、次回も楽しみです。 植村 「次回」って言うの、まだ早くないですか? 僕はもうちょっと初めてのファイナルを褒めてほしいです(笑)。これだけはマジで言いたい……。このペロちゃんを決勝まで上げるの、すげぇ大変なんですよ! ──(笑)。 植村 なのにみんな「ペロちゃんすごい!」って言うでしょう。いや「植村すごい!」って言ってくれよ、と(苦笑)。まず、人間にするのが大変だったんですから。 ペロちゃん 今、思うとね。昔は服装もぼろぼろでしたから。今日の服も相方が選んでくれたやつです。 植村 僕はペロちゃんのスタイリストまでやってるんですよ。基本的に放っておくと今もボロボロのもの着てるから。すべてに興味ないんだよね。 ペロちゃん 服も興味ないし、音楽も興味ないし。 植村 生きてるだけだもんね。 ペロちゃん 生きてるのみ。日々、プラプラ歩いて、町を点検してるだけです。 ──植村さん、すごいです。では、最後にこれからふたりでやってみたいことを聞いてもいいですか。 植村 なんだろうな……僕はとにかくメディアに出たいですね。KOC終わってからも、メディア出演がほとんどなくて。ネタ番組に呼ばれたときもKOC関係なく、「気持ち悪い芸人大集合」っていうテーマでした(笑)。 ペロちゃん ロケとかしたいですね。 植村 バラエティ出たいよね。いつも(仮)っていうスケジュールで埋め尽くされてて、全部直前に流れていくんで……。YouTubeもやましい気持ちで始めましたけど全然伸びないし、まわりからも「お前たちはやるべきじゃない」って注意されてます。 ペロちゃん でも、何かしらひっかかるかもしれないんで、動かなきゃいけないよね。 植村 僕らは本当に不器用っすね。まぁ「元祖いちごちゃん」のマンガはまだまだ続きそうです。 ペロちゃん 僕も14歳で死のうとしてからずっと余生だしね。ずっと続編。 植村 ペロちゃんはもう何も怖くないでしょ? ペロちゃん うん。一回死んだようなもんだからね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 元祖いちごちゃん 植村侑史(うえむら・ゆうし、1989年12月4日、北海道出身)とハイパーペロちゃん(1988年8月4日、東京都出身)のコンビ。2014年結成。『キングオブコント2025』決勝進出。YouTubeチャンネル『元祖いちごちゃんねる』にはネタ動画や、ペロちゃんの食事風景などがアップされている。 【後編アザーカット】
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『キングオブコント』決勝に突如現れた元祖いちごちゃんのきっかけは、即席で組んだトリオ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#42『キングオブコント2025』決勝。スーパーの店員と客という、取るに足らない設定を逆手に取り、ブリーチの試飲を勧めるという狂気的なネタを披露したのが、元祖いちごちゃんだ。 植村侑史と、ハイパーペロちゃんの出会いは2008年のこと。あれから17年の歳月が流れ、アラフォーになったふたりは、地下ライブシーンで発酵しきった強烈なネタを武器に、コントのメインシーンに殴り込んだ。 コアなお笑いファン以外には、まだベールに包まれた元祖いちごちゃん。彼らにお笑いの道に迷い込むまでの軌跡を聞いた。 目次NSCってなんだ?ハイパーペロちゃん、衝撃の初ネタ見せ唯一の娯楽が『バカ殿』だったワケ父親との再会初舞台はトリオだった NSCってなんだ? 左から:植村侑史、ハイパーペロちゃん ──お笑いに興味を持ったのはいつごろですか? 植村 ペロちゃんはかなり強烈な人生なので、僕から話しますね。僕は北海道の新ひだか町出身で、子供のころはテレビもあまり映らないような場所だったんですよ。ただ、『めちゃイケ』(めちゃ×2イケてるッ!)は観ることができて、それが唯一の娯楽だったんですよね。きらびやかな世界で人を笑わせる職業は素敵だなと思ったのが最初です。 ──芸人になりたいと思ったのは? 植村 小学3年生のときから「俺はお笑いをやる、コメディアンになる!」って言ってましたね。で、高校2年生のときにNSCの存在を知るんですよ。 ──何がきっかけだったんですか。 植村 高校の国語の先生が突然『M-1甲子園』のビラを持ってきて、「植村くん出てみれば?」って言ってくれたんです。先生は僕が芸人になりたいっていうのを知っていたんで。 ──じゃあそれが初舞台ですか? 植村 いや、でもそれは出なかったんです。開催場所は家から電車で6時間くらいかかるし、片道5000円もかかる。それにコンビを組む相手もいないですから。でもそのビラに小さく「優勝するとNSCの授業料免除になります」って書いてあって、「このNSCってなんだ?」って親にパソコンで調べてもらったんです。そこで「お笑いの学校があるんだよ」って教えてもらった。そこから卒業したら札幌のNSCに行こうって決めてたんですけど、親が「どうせお笑いやるなら東京行っちゃえば?」って。 ──親が芸人への道に背中を押してくれるって珍しいですね。 植村 それは感謝してますね。まわりの大人も漁師や農家ばっかりで、うちは洋服屋でしたけど、地元から出ない人ばかりだから。まわりの大人たちがみんな、そこで生まれてそこで死んでいくなかで「どうせ家から出るなら、人に甘えないで、東京に出なさい」って言ってくれたのは今にしてみればありがたかったです。自分はいきなり道内から出るのは怖かったですけど、外の世界見てみたいなと思ってたんで。 それで18歳のとき、5万円だけ握りしめて上京してNSCに入りました。 ハイパーペロちゃん、衝撃の初ネタ見せ ──NSCはどうでしたか? 植村 そこで初めてネタをやらなきゃいけないと知って、びっくりしました。NSCを卒業したらすぐにテレビでバラエティ番組に出ると思ってたんで。『M-1(グランプリ)』の存在とかはもちろん知ってましたけど、マストでネタをやらなきゃいけないとは思ってなかった。 運よくネタをやらずにテレビに行ける人もいるけど、それはひと握り。みんな、ネタを作って舞台に立っての繰り返しで下積みするっていうプロセスを、全然知らなかったんですよね。だから最初のネタの授業で、いきなり「この中でネタできるヤツいるか?」って言われたときは、あたふたしました。でもそれは僕だけじゃなくて、誰も手を挙げなくて牽制し合ってたんですよ。そこで最初に挙手したのが、ペロちゃんなんです。 ペロちゃん はいはい。僕はあのときが一番トガってたんで。最初におもしろいことをやれば、NSCでいろんな人からコンビに誘ってもらえるって聞いてたからやったんですけど。 植村 すごい勢いでスベってたね(笑)。それでペロちゃんはNSCから疎外されるんです。ひどいネタだった。 ──ペロちゃんは何をしてしまったんですか。 植村 本当によくわかんないネタで、キャッチボールの相手がいないから、ひとり壁に向かってボールを投げて、返ってきたボールが自分に当たるっていうのを繰り返してて。当たるたびに「あっ……!」「あっ……!」って言うだけ。この説明だけですでにおもしろくないのに、これを彼、5分間も続けたんですよ(笑)。 ──根性据わってますね。 ペロちゃん 僕の体感では1分くらいだったから。一応途中で「ありがとうございました!」って言ったんですけど、まだ短い気がしたから再開した。 植村 こっちは終わってくれよ!って思ってたんですけど、ペロちゃんはそれを3回繰り返しましたから(笑)。 ──ペロちゃんは人前で何か発表するのはそれが初めて? ペロちゃん はい。一発かましてやろうと思ったけど、みんなから無視されて予想外でした。 植村 でもペロちゃんが偉かったのは、彼のネタを見てみんな自信つけて、次々と手を挙げ出したところですよ。 ペロちゃん 「コイツよりはできるわ」って勇気を与えて。 植村 そいつらもひどいんですよ。トランプばらまくだけとか、できないのにバク転やろうするとか、ただ自己紹介するとか。でもそっちのほうがウケてたなぁ。 唯一の娯楽が『バカ殿』だったワケ ──ペロちゃんは、お笑いに興味を持ったのはいつごろでしたか? ペロちゃん 子供のころ、唯一観てたバラエティが『バカ殿』(志村けんのバカ殿様)で、それでお笑いが好きになりました。 ──植村さんと同じように地方に住んでいたからですか。 ペロちゃん いや、生まれは六本木なんですけど、まわりが社長とか馬主の息子のなか、僕だけ貧乏で、父親が働いていた弁当屋の社宅に暮らしてたんです。兄弟3人、5人家族で1DKに住んでて、1台だけあったテレビのチャンネル権は親父が持ってたんですよ。それで演歌番組、野球、相撲、競馬とかばっかり観てるなかで、唯一観るのが『バカ殿』。 ──なぜお父さんは『バカ殿』が好きだったんですか? ペロちゃん エロいやつがあったからですね。 ──お父さん、なかなか強烈ですね。 ペロちゃん そうですね。けっこう酒乱で、酔っ払って帰ってくると僕にジャイアントスイングをする癖があって。机の角に、僕の頭が当たっちゃって、救急車で運ばれたこともありますね。 植村 その話、使えんのか……?(苦笑) ペロちゃん あと、親父のお気に入りの遊びが、僕ら兄弟にでんぐり返しさせることで。兄弟を列に並ばせて、でんぐり返しさせてました。 植村 なんだよ、その遊び(笑)。 ペロちゃん でも、親父はたぶん遊んであげてるだけだったんですよ。ジャイアントスイングもでんぐり返しも、僕らと遊んであげてるつもり。ただ、酔っ払ってるから手を離しちゃうだけで。本当悪い人じゃないんですけど、競馬も大好きで、子供たちの運動会に来ても、うちらのレースを見ずに馬のレースを見てました。僕が10歳のときに、六本木の社宅から立ち退きにあって、川崎に引っ越したんですけど、それも親父が競馬場の近くに住みたいって言ったからで。 ──お金持ちに囲まれて肩身の狭い思いをしていた六本木から引っ越して、子供としても解放感があったのでは? ペロちゃん 六本木のときはお金持ちもいるけど、外国の大使館も多いから外国人の子も多かったんですよ。僕は子供のころから滑舌が悪いんですけど、それもあんまり気にされなくて。お金のことだって、小さいうちはあまり関係なくて平和だったんですよね。でも川崎に引っ越したら、滑舌の悪さとか六本木から来たのがいけ好かないとかで、イジメられたんです。「麻布小学校だったよ」って言ったら、滑舌の悪さから「アダブ」ってあだ名つけられるし。もともと明るい性格ではなかったけど、もっともっと暗くなりました。 植村 昔の話聞くと、本当に壮絶なんですよ。 ペロちゃん 中学のときは殴られたり、髪の毛を抜かれたりして、あるとき川を見て死のうと思って自転車で河川敷から飛び込んだんです。でも浅瀬だったから向こう岸まで着いちゃって。それであんま死ぬのよくないなと思って、生きることにしました。 父親との再会 植村 それにしても強烈な親父さんだったよね。 ──植村さんも会ったことあるんですか。 植村 ええ、何度か。最初にお会いしたのは一家離散の日だったんですけど(笑)。 ペロちゃん 僕が芸人になってすぐだから22歳のころかな。2010年とか。 植村 もう15年前か。夜逃げじゃなくて昼逃げで、親父さんの借金でクビが回らなくなっちゃって両親が離婚して、一家が散るから片づけるってことで、仲のいい芸人さんも数人連れて行きました。僕らが行ったら、もう親父さんはウイスキーのボトルを持ってて、瓶の中に入ったコルクをずっと指で取ろうとしてたね(笑)。 ペロちゃん 「お前らも飲むか?」とか言って、片づけは一切手伝わなかった。 植村 見た目はまんまペロちゃんなんですけど、ペロちゃんより恐かったですね(笑)。 ペロちゃん それからしばらくどこに住んでるかも知らなくて。でもあるとき実は兄貴から連絡が来て「親父、うちに居候してたけど、末期がんになったよ」って。それで10年ぶりに会うために入院先に行くときに、一緒に来てくれたんだよね。 植村 心細いかなと思って「じゃあ俺も行くよ」って言いましたね。 ペロちゃん 親父の名前がある相部屋に入って、一つひとつベッドを見てもいないんですよ。それで病室を出ようとしたら「こっちだよ」って声をかけられて。 植村 親父さんが痩せてたから気づかなかったんだよね。 ペロちゃん そう。で、僕は芸人で仕事もあんまなくて兄貴と弟より動きやすかったから、親父のところによく会いに行ってましたね。 ──植村さんがそこでついていくところに、コンビ仲のよさを感じます。 植村 たしかに仲はいいっすね。めちゃくちゃケンカもしますけど。 ペロちゃん でもお母さんは俺のこと、なんか言ってるんでしょ? 植村 僕の親はペロちゃんの写真を見たときに、「この子はあんまよくないんじゃない? あなた、この子に殺されるかもしれないから気をつけたほうがいいわよ」って言われましたね。親はあんまりペロちゃんのことが好きじゃない(笑)。 ──ペロちゃんの強烈な過去に聞き入ってしまいましたが、話を戻すと、とにかく暗い性格だったというペロちゃんが、どういう経緯でNSCに入るんですか。 ペロちゃん もともと志村けんさんが好きだったのもあったし、M-1とかは見てたから、高校卒業したらお笑いやりたいなとなんとなく思ってました。でも、高校3年生のときの三者面談で「芸人になりたいです」って言ったら、先生にびっくりされました。「お前みたいなヤツがなれるはずない」って。「お前は笑わせる人じゃなくて、笑われる人だ」って言われたのがすごく悲しかった。 ──それはつらいですね。 ペロちゃん お笑いがやりたいから生き延びてきたのに、全否定されたのがムカついて、「じゃあ何やればいいんだ」って聞いたら「いったん大学に行って、社会を見たほうがいい」って言うんで、一応大学受験をすることにしたんですよ。Fランクでなんとか受かるくらいのところを目指して。そしたら、フラフラしてた3歳年上の兄貴も急に「俺も大学受験する!」って言い出して。 植村 「ペロちゃんには負けたくない!」ってなったんだろうね(笑)。 ペロちゃん そうそう。で、兄貴と一緒に夏期講習を受けて、兄貴は主席で受かったんですよ。でも僕は全部落ちた。 ──なんと……。 ペロちゃん で、もともとやりたかったNSCの入学時期も過ぎてしまってて、それで1年間バイトして学費を貯めて入りました。 初舞台はトリオだった ──ふたりは最初から同じコンビだった? ペロちゃん いや、僕は最初、ウエムラってやつとブルーバードってコンビを組んでました。 植村 そこがややこしいんだよな(苦笑)、このウエムラは僕とは違う人なんです。で、僕は『めちゃイケ』の影響で極楽とんぼさんに憧れてて、加藤浩次さんみたいな人をずっと探してたんですよ。でも、加藤さんっぽいだけのヤツって、ただ我が強いヤツになっちゃって、全然うまくいかなくて。それで一回、ペロちゃんと組んだんですよ。 ペロちゃん 夏合宿でね。ブルーバードで相方だったほうのウエムラが来なかったから。 植村 僕も、元の相方が事件起こしてNSCを辞めて、ひとりで合宿に参加しなきゃいけなくて、たまたま残り者同士の3人で組んだのがペロちゃんとで。でも、その合宿の最後にあったネタ大会で3位になったんですよ。 ──即席コンビでそれはすごいですね。 植村 僕はそのとき初めてネタ書いたんですけど、それで味をしめて「俺って意外とネタ書けるんだ」って自信をつけましたね。なのに、合宿が終わってからペロちゃんと、もうひとりに「正式に組んでくれないか」って頼んだら、ふたりに断られて。 ──えぇ! 植村 僕、最初のネタ見せでペロちゃんのことは下に見てたんで、「コイツに断られたら、もう芸人やってけないわ」って落ち込んじゃって、1カ月くらいNSCの授業も休んじゃったんですよ。で、久々に戻ったらペロちゃんのコンビが解散してて……。 ペロちゃん それで「やっぱ組みましょうか」って言いました。 植村 さすがに、なんだよ!って感じでしたね(笑)。結局、組みましたけど。 ペロちゃん それで合宿のときのもうひとりも誘ったんですけど、そっちはダメで。 植村 でも、合宿でウケた感触が忘れられなくて、トリオにこだわってて、3年くらいはもうひとりを入れて、3人組でやってました。ツッコミの人間が3回くらい変わったのかな。結局、吉本を辞めて、フリーになって、オフィス北野に入るタイミングで、これからはふたりでやっていこうってことになりましたね。それが2014年です。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 元祖いちごちゃん 植村侑史(うえむら・ゆうし、1989年12月4日、北海道出身)とハイパーペロちゃん(1988年8月4日、東京都出身)のコンビ。2014年結成。『キングオブコント2025』決勝進出。YouTubeチャンネル『元祖いちごちゃんねる』にはネタ動画や、ペロちゃんの食事風景などがアップされている。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 キングオブコント決勝に出たものの…怖いものなしな元祖いちごちゃんの物語はしぶとく続いていく|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#42
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「ネタが弱くなったら辞める」コントに心血を注ぐファイヤーサンダーが抱く野望とは?|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#41『キングオブコント2025』、ファイヤーサンダーは芸能人の復帰を風刺したブラックなネタで話題を呼んだ。 2023年から3年連続ファイナリストとなり、すっかり『KOC』の常連となったが、ここまでくれば勝負は時の運。その一歩が、遠い。 しかし、きっとまた不死鳥のごとく決勝に舞い戻るであろう彼らは言う。目標は「KOCで2回優勝」だと。 ネタ作りを担当する﨑山祐の自負。ストイックな相方に食らいつくこてつ。ネタ狂いのふたりに『ABCお笑いグランプリ』優勝から、『キングオブコント』決勝までの話を聞いた。 【こちらの記事も】 『キングオブコント』常連の実力派コンビ・ファイヤーサンダーは、初舞台からストイック|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#41 目次『ABC』優勝も総スカン焦るこてつ、冷静な﨑山KOC決勝、CM中の審査が命運を分けた?ネタが弱くなったら芸人辞める 『ABC』優勝も総スカン 左から:こてつ、﨑山祐 ──2015年に上京し、ワタナベエンターテインメントに所属が決まったファイヤーサンダーですが、それからの活動はいかがでしたか? こてつ 2018年に『ABCお笑いグランプリ』で優勝するまでの時期が、芸人として一番しんどかったですね。バイトもしながら毎日ネタ合わせ。今でこそ﨑山が100%ネタ作りをしてくれてますけど、当時は僕も5%くらい考えなきゃいけなくて、プレッシャーがすごかった。 﨑山 大げさですよ、設定のタネを考えてもらってただけですから。 こてつ でも「家族会議」とか「節分」とか1日10個も出さなきゃいけないんですよ。合計2000個くらい送ってますから。あのリスト、売れたら絶対公開しようと思ってたのに、ケータイ壊してデータが全部消えたんですよ。悔しすぎる……。 﨑山 そんな重たい注文はしてないし、何も間違ったことしたと思ってないんですけどね。 こてつ いやいや、毎日10個って大変やで! 﨑山 さっき自分でも言ってましたけど、こてつは5%ですからね。僕が95%ってことは、こてつの何十倍も大変ってことじゃないですか。そういえば、僕がちょうどネタにしようと思ってたアイデアをこてつが送ってきたことがあって、こいつの手柄だと勘違いされたらイヤやなってネタを捨てたこともあります。 こてつ ヤバっ! 最悪や……。俺が送った意味ないやん。 﨑山 まぁ本当はあるある的なシチュエーションを出してほしかったですよ。でもさすがにこてつにはムズいのがわかってたんで、その手前でお願いしてたんです。 ──こてつさん的にはつらい3年間を乗り越え、2018年には『ABCお笑いグランプリ』で優勝しました。この大会で非・吉本&松竹の芸人が優勝するのは史上初の快挙でしたね。一度は大阪を出て、下剋上を果たした。 﨑山 優勝できるわけないと思ってたんで「ラッキー」くらいの感じでしたよ。どうせ、からし蓮根が優勝するんでしょって。下剋上なんて少しも考えてなかった。 こてつ 「やった! お祭りに参加できる!」と思ったら優勝。ひとつも心の準備ができてなかったです。 﨑山 こてつは「これで売れてしまう! どうしよう!」ってテンパってましたね。 こてつ 思ってました。人間としてはなんにもおもしろくないから、テレビに出されても何もできないって焦ってて。 﨑山 でも結局、ほとんどテレビに出なかったんですよ。東京の事務所の芸人だから、大阪の番組にも呼ばれなくて。ABC製作の深夜ドラマにちょろっと出たくらい。 こてつ あと、ダイアンさんのラジオ『よなよな…』にも出たよ。 﨑山 それもABCの打ち上げで僕が「ダイアンさん好きで……」って言ったらその場で決まって翌日出させてもらったんですよね。僕も優勝直後は「これでなんか変わったらイヤやな」って不安でしたよ。「家のある阿佐ヶ谷に今すぐ帰りたい!」って思ってました。打ち上げにいた、さや香の新山にも「テレビってどうすればいいの?」って聞きましたもん。 こてつ これは売れてない芸人、誰もが感じる不安なんですよ。「急にテレビ出てもなんもできん!」っていう。 﨑山 まぁ僕らには完全にいらない心配でした。 焦るこてつ、冷静な﨑山 こてつ 僕は今でも思ってるんですよ、『ABC』で披露した『無人島』と『ダイイングメッセージ』のネタは『キングオブコント』(KOC)で優勝できるネタだったって。あそこで出してなければあの年の『KOC』で優勝できたんじゃないかっていまだに後悔してます。 﨑山 いや、今のネタのほうが全然おもしろいよ。相方がそこわかんないんだ……って感じですよ。 こてつ もちろん今のほうがおもしろいけど! 﨑山 いや、どっちのネタも浅いです。『無人島』なんて「こんなん誰でもできるわ」って1時間半くらいで書いたネタですもん。『ダイイングメッセージ』もこんな発想あるでしょって感じだし。途中、好きなボケはありますけど、今のネタとはかなりの差があります。明確に! こてつ いやいやいや、まだ色あせない衝撃があるよ。もし今新ネタとして出してもめちゃめちゃウケる。自信持っていいよ。 﨑山 いや、今のほうが全然おもしろいです。 ──『ABC』優勝が2018年、そして『KOC』で初めて決勝に行ったのは2023年でした。かなり時間がかかった印象でしたが、むしろふたりは『ABC』がラッキーだったっていう認識だったんですね。 﨑山 はい、だからそれから『KOC』までの5年間、僕はまったく焦ることなく一歩ずつ上がってる気持ちでしたね。でも、こてつはすごく焦ってたんですよ。 こてつ そうなんですよねぇ。『ABC』優勝したときって僕がちょうど30歳だったんですよ。親にも「30歳になって、なんの結果も出んかったら芸人辞める」って言ってて、あのタイミングで優勝したから親も喜んでくれて。でもその勢いのまま売れるつもりだったのが、5年間バイトも辞められなかったんで「いやもうしんど……」ってつらかったです。 ──大阪吉本で一緒だった蛙亭やさや香が先に『M-1』と『KOC』の決勝に行って、それも焦りますよね。 こてつ そうですね。『でかぷっしゅ!!』っていう新ネタライブで一緒だった空気階段、オズワルド、真空ジェシカあたりがお笑いだけでごはんを食べ出したりして。俺らとあいつらで何が違うんやろってすごく思ってました。 ──逆に﨑山さんはなぜそんなに落ち着いてたんですか? 﨑山 おもしろいネタは全然できてたんで、このまま続けてればそのうち僕らの番が回ってくるでしょうと。自分がおもしろいと思えるネタが作れなくなったら焦ってたでしょうね。ただ、2020年に『キングオブう大』で、う大さんにめちゃめちゃ低い点数をつけられて、「﨑山のキャラクターとネタが合ってない」と言われたので、少しフォームを崩した気はしますね。 ──そうだったんですね。 﨑山 そのアドバイスを意識して作ってみてもうまくいかなかったんですよ。『KOC』も2年連続で準決勝に行ってたのに、2021年は準々で負けましたし。でもそれで開き直ったんですよ。今までどおりいっぱいネタ作って、その中から俺のキャラとネタが合ったやつを選べばいいかって。その結果、あれから5年経って、自分のやれる幅も増えてきたんでよかったですよね。『KOC』の決勝行ってう大さんにも「これでいいね」って言ってもらえましたし。 KOC決勝、CM中の審査が命運を分けた? ──2023年、ついに『KOC』の決勝に行きました。初決勝はどうでしたか? こてつ 前日のカメリハから緊張してましたね。しかもあの年に披露した『日本代表メンバー発表』っていうネタで、僕が声をつぶしまくってたんですよ。だからまた決勝直前に喉を壊したらどうしようっていう不安もありました。四つん這いになって大声出すんで、負担がエグいんですよね。 﨑山 僕は当日、出番の2個前くらいから緊張してましたね。僕らの出番がけっこうあとのほうで、それまでは楽屋でモニター観てるんで、家でテレビ観てる気分でしたし。スタジオに降りてから、いよいよか……ってなりました。 ──ネタ中はどうでしたか。 﨑山 ウケてたんで調子よくやれましたね。まぁもっと点数高くてもよかったですけどね。 こてつ 僕らの出順が8番手ですけど、ずっと1位から3位が固定だったところに3位で食い込めた。おかげで大会の盛り上がりを一個作れたのはすごくうれしかったですよ。 ──2024年は惜しくも3位。そして2025年は5位でした。今回のネタが『復帰』というかなりブラックなネタで話題になりました。 﨑山 あれは3月くらいに作ったんですけど、『KOC』に持っていくようなネタじゃないと思ってたんですよ。それでYouTubeにもすぐアップしましたし。でも、準決前にもうストックがないなぁってことで『復帰』を提出してみたら通ったんです。それでやっちゃおうみたいな。 ──決勝審査員のかまいたち山内(健司)さんからは「ブラックなのを扱うときって、それで誰か笑ってない人がいるんじゃないかなっていう不安を、観てる人が抱く危険性がある」「自分はおもしろいけど、誰か大丈夫かなって思っちゃうところまで踏み込んでた」という評価でした。ああいう声が出てくることは予想してましたか。 﨑山 思ってました、思ってました。でもまぁ、「もうちょっと高くつけてる人がもうひとりくらいいてもいいんじゃないの?」とも思いましたけどね、めっちゃウケてたし。小峠(英二/バイきんぐ)さんなんて大好きで、97、8点つけてくれるんじゃないの、と思っちゃってました。 こてつ 体感としてはめっちゃウケてたんです。でも、僕らのネタが終わったあとCMに行って、そこから会場全体が一回冷静になった気がするんですよ。お客さんがネタを振り返って「おもしろかったね、どこで笑ったっけ? うん? 殺人……? それって笑っていいんやっけ?」っていう顔に変化していくのがめっちゃわかった。それで俺らと目を合わせるお客さんがいなくなってって。 﨑山 音響さんのブースから審査員の手元が見えたらしいですけど、審査員の方々も点を入れては消して、とかやってたらしいですよ。 ──長考されてしまったのが仇となった? 﨑山 いやぁ、どうなんでしょうね。それがどっちに転んだのかはわかりません。 ネタが弱くなったら芸人辞める ──最後に、これから踏みたい初舞台を教えてください。 﨑山 『キングオブコント』2回優勝ですね。1回も優勝してないですけど、ここから2回優勝したいですね。 こてつ ……らしいです。 ──普通、芸人は賞レースを卒業したがるのに、その意欲はすごいですね。 﨑山 いや、僕も本当は辞めたいですよ、やっぱしんどいですから。ただ、賞レースを辞めると、本当にネタが弱くなるんです。それはもう仕方ないことなんです。たとえば今回の『復帰』も3月にでき上がった時点でもたしかにおもしろかった。でも、それから叩いていくなかで明らかによくなったんです。賞レースを辞めると、この「ネタを叩く」っていう作業をしなくなるんで、どうしてもネタが弱くなる。 ──ネタが弱くなっても芸人を続けている人はいるわけですが、﨑山さんはそうしない? 﨑山 僕はネタが弱くなっちゃうくらいなら芸人辞めますね。後輩から「最近、ファイヤーサンダーのネタ弱くなったよね」とか言われたくない。やっぱ正直僕らもそういう話をしてるんですよ。だから、言われる側には絶対なりたくない。僕は一生、ムキムキでいたい。 こてつ ……いや、すごい道行くなぁ(苦笑)。もちろん僕も一生ネタはやりたいんでついていくしかないけど。ただ、僕はいろんな人とネタやりたいな欲もあるんですよね。ユニットコントでもなんでも、いろんな人の表現に参加したい。 﨑山 まぁ僕もユニットはやりたいですけど、やっぱりコンビのネタ。ここが弱くなったら辞め時です。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 ファイヤーサンダー 﨑山祐(さきやま・ゆう、1991年3月11日、和歌山県出身)とこてつ(1987年12月16日、大阪府出身)のコンビ。2014年結成。2018年『ABCお笑いグランプリ』で優勝。『キングオブコント』では2023年から3年連続ファイナリストとなった。2025年に開催した第3回単独ライブ『まだ足りない』のDVDが発売中。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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休日にはあえてグルテンを摂取!──女優・鳴海唯の「チートデイ」#21 鳴海 唯(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年・NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年・TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年・ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる「若松のぶ」の同僚「琴子」役として出演。 インタビュー【前編】 目次余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい 余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々 ──これまでいろいろな作品に出演されてきたと思いますが、その中で特に印象に残っているものはなんですか? 鳴海 最近だと、やっぱり『あんぱん』が一番ホットですね。でも、印象に残っているという意味では、『わかっていても The Shapes of Love』(2024年/ABEMA)という、横浜流星さん主演のドラマですね。その作品で私は、余命宣告を受けた女性の役を演じさせていただいたんです。 その役は、必然的に命と向き合わなければならないキャラクターだったので、演じる上で本当にたくさんのことを考えましたし、それを経験したことが自分の中ではすごく大きな糧になっていて……。 もちろん私自身は実際に余命宣告を受けたことはないので、どこまでいっても埋められない差はあるんですけど、だからこそ、その中で「どう向き合っていくか」という難しさに直面しました。この経験を通じて、私自身、役への向き合い方が大きく変わったと思います。だから『わかっていても』は、すごく印象深い作品ですね。 ──そういう壁にぶつかったときは、どう乗り越えていくんですか? 鳴海 自分の人生と全然違う役柄に出会うと、やっぱりすごく難しいなって思いますし、「どうすればいいんだろう」って悩みます。でも、その壁を乗り越えたときに、またひとつ自分が成長できたような気がするんですよね。 だから、自分が取り組みやすい、演じやすい役ばかりじゃなくて、苦手意識のあるキャラクターにも、どんどん挑戦していきたいなと思っています。 ──なるほど。その意味では、先日、NHKで放送された村上春樹さん原作のドラマ『地震のあとで』(第2話「アイロンのある風景」)に出演されましたよね。あれは難しい作品だったと思いますが、どうでした? 鳴海 役がすごく難しくて、ずっと悩んでいました。撮影が終わっても、「これでよかったのかな」と、思い続けていました。 もちろん、正解がない作品だと思うので、正解を求めること自体が違うのかもしれないんですけど……どうしても正解を求めてしまう自分がいて。放送を終えて、視聴者の方から感想をいただいたときに初めて、「わからないままでいいのかもしれない」と思えたんです。 正解が出ないなかで悩み続けることって、その作品とひたすら向き合っている証拠だと思うので、正解が出るかどうかじゃなく、向き合っていた“時間”のほうが大事なんだなと……そういうことを視聴者の方々の感想から教えてもらいました。 ──堤真一さんと共演されていましたが、現場でお話はされましたか? 鳴海 はい。私が演じたキャラクターは、けっこう感情を吐き出すようなシーンがあって、そのときは堤さんが本当に静かに寄り添ってくださいました。監督ともアプローチについて話しながら撮影に臨んでいたんですけど……堤さんは細かくお芝居について話すというよりは、すごく自然に気持ちを引き出してもらえるような関わり方をしてくださって。 実は私、小学生のころから「好きな俳優さんは誰ですか?」と聞かれたら「堤真一さんです」と言っていたくらい、ずっと憧れていたんです。しかも堤さんは私と同じ兵庫県西宮市の出身で地元のスターでもあるので、いつか共演できたら……と思っていた夢が今回実現しました。 撮影中は悩む時間もありましたけど、堤さんとは地元トークで盛り上がったりして……「あそこの公園わかる!」みたいなお話もできたんです。東京にいるのに、地元にいるような感覚でお話しできて、とても楽しかったです。お芝居の面でも、本当にたくさん引っ張っていただきました。 休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい ──地元トークができるのっていいですよね。ところで、少し仕事からは離れますが、最近ハマっていることや気になっていることってありますか? 鳴海 最近ハマっているのは、休みの日に「あえてグルテンを摂取しに行く」ことなんです(笑)。今、普段はグルテンフリーをゆるくやっているんですけど、完全に摂らないでい続けるというのは無理なので、次の日に撮影がないときは「今日は小麦を摂るぞ!」って決めて、気になるパン屋さんを調べて行くんです。 今はそれがすごく楽しみで……パン屋さんまで散歩して、近くのカフェでカフェラテを買って、公園で座ってのんびりするというのが最近のリフレッシュ方法ですね。ひとりでパンを食べたり、トンカツを食べたり……そういうのが今のささやかな楽しみです。(小麦を)ごほうび感覚にすると、適度に距離感が出ることで、より好きになって。 ──いわゆるグルテンフリー版「チートデイ」的な感じですね! 鳴海 そうです(笑)。おっしゃるとおり、チートデイですね。 ──グルテンフリーを始めて、何か変化はありましたか? 鳴海 そうですね。わかりやすく体重が減りましたし、朝の目覚めもすごくよくなりました。よく「本当に効果あるの?」って言われるんですけど、実際にやってみたら本当でした。おもしろいくらい、如実に効果が出ます。 ただ、普段パンを食べていない状態で久しぶりに小麦を食べると、そのあとすごく眠くなるんですよね。だから仕事に集中したいときは、お米を食べるようにしています。 ──なるほど。今後やってみたいことって何かありますか? 鳴海 私、ひとり旅が好きなんですよ。今年は(忙しくて)ちょっと行けそうにないんですけど……去年や一昨年は海外に行っていて。国内旅行は飛ばして、海外にばかり行っていたんです。でも最近は、時間があまりないなかで「どこか行きたいな」と思ったときに「国内旅行もいいな」と思うようになってきて。やりたいことっていうほどではないかもしれないですけど、今は国内旅行をしたい気持ちが強いです。 ──行ってみたい場所はありますか? 鳴海 今は三重県の伊勢神宮に行きたいです……というか、伊勢神宮の手前にある参道で、赤福のぜんざいを食べたいという(笑)。 東京から三重って絶妙に行きづらくて、なかなか友達とも計画が立てられないんですよね。大阪に帰ってくると、つい実家で過ごしてしまうので、やっぱりなかなか予定に組み込めなくて。なので「ちゃんと見に行くぞ!」って決めないと、きっと実現できないなと思っています。 刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい ──三重、近いうちに実現するといいですね……あと、今後演じてみたい役柄はあります? 鳴海 今までは、自分に近い等身大の役が多かったんですけど、最近は特殊な職業の女性を演じてみたいなと思っていて。実はこの前、とあるそういう感じの役をやらせていただいたんです。その役づくりをしていく中でのプロセスが、すごくおもしろくて。 『あんぱん』だと土佐弁がそうだと思うんですけど、そういう役づくりで必要になる要素があると、自然と役と向き合う時間が増えるんですよね。いつも以上に役と向き合わないといけない。準備をしっかりしないといけないから、役やセリフが自分の中にどんどん染み込んでくる、血肉になっていく感じがあって、それが好きなんです。 これからも、そういう特殊な職業の役に挑戦してみたいです。刑事とか弁護士とか、以前からやってみたいと思っていた役にも……実は今後挑戦させていただく予定があるので、夢がひとつ叶ってうれしいですね。絶対、大変じゃないですか(笑)。もちろん大変だとは思っているんですが、限られた時間の中でどこまで取捨選択して準備できるか、挑戦していきたいと思っていますし、大人の女性の役柄を演じていけたらいいなとも思っています。 ──ありがとうございます。最後に、鳴海さんが出演する『あんぱん』の見どころを教えてください。 鳴海 私は『高知新報』という新聞社のパートに出演しているんですけど、そこは戦後最初のパートになるんですね。なので、すごく自由と活気にあふれていて、熱量の高い場面が続きます。ドラマの制作の方からも「開放感のある、明るいシーンにしたい」と最初に言われていたので、そういうエネルギーを意識しながら演じていました。 それと、(若松)のぶと(柳井)崇の恋が大きく進展するパートでもあるし、私が演じる琴子は、そのふたりの恋のキューピッド的な存在でもあるので、琴子の“愛あるおせっかい”によって、ふたりの恋がどう動いていくのか……ぜひ楽しみにしていただけたらと思います。 ──視聴者が思っているもどかしさを、全部代弁してくれるようなキャラクターですよね。 鳴海 そうなんです(笑)。『高知新報』のシーンは、ちょうど作品としては折り返し地点に入っているところなので、最初から観てくださっていて(のぶと崇の関係性が)「もどかしい!」と思っている方には、「ようやく動く!」と思っていただけるんじゃないかなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。
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気鋭の女優・鳴海唯──『なつぞら』でデビューし『あんぱん』に出演。朝ドラへかける想い#21 鳴海 唯(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。 目次#21 鳴海 唯(前編)憧れが生まれたのは11歳──行動に移したのは19歳『なつぞら』出演で、街中でも声をかけられるように共演者とのチームワークで臨んだ『あんぱん』 憧れが生まれたのは11歳──行動に移したのは19歳 ──まずは、デビューのきっかけからお伺いできればと……。 鳴海 小学校のときにドラマ『のだめカンタービレ』(2007年/フジテレビ)を観て女優という職業を知って、私もこういうお仕事をしてみたいと思ったんです。ただ、そこから10年くらいは行動に移さずにいて、気がついたら大人になっていました。 11歳くらいのときに憧れが生まれて、実際に行動に移したのは19歳のとき。映画『ちはやふる―結び―』(2018年/東宝)のエキストラに参加させていただいたのがきっかけですね。そこで「やっぱりこのままでは後悔する」と思って、大学を辞めて養成所に入ろう!と決めて、東京に出てきました。 ──なるほど。大学を辞めるという決断は、かなり大きなハードルだったのではないですか? 鳴海 本当に親不孝なことをしてしまったなと思ってはいます。入ってすぐに辞めてしまったので……。 でも、この思いは今に始まったことではなくて、11歳のころからずっと心の中で沸々と、くすぶっていたんです。それが『ちはやふる』への参加をきっかけに、もう抑えきれないほどあふれてしまって……居ても立ってもいられなくなって、行動に移すしかありませんでした。 ──なるほど。最初のお仕事はなんでしたか? 鳴海 たしか最初は、ミュージックビデオだったと思います。セリフはなかったんですけど、初めてカメラの前に立たせてもらったとき、「どこを見ればいいのかわからない」と思いました。カメラが目の前にあるのに、「カメラを見ないでください」と言われて……「どういうことだろう?」と、そんなことを考えながら撮影に臨んでいました。 カメラを向けられる緊張感や、メイクをしてもらうことへの違和感など、すべてが新鮮で、そうしたフレッシュな感覚をそのまま受け止めながら撮影に臨んでいた記憶があります。 ──セリフのあるお仕事の最初の印象はどうでしたか? 鳴海 その当時は、役づくりがどういうものかということすらわかっていなくて……いただいた台本をただ覚えて、それを一生懸命カメラの前で演じるということで精いっぱいだったような気がします。それでも「お芝居って楽しいな」と思えたことは、今でも覚えています。 結果的に作品として最初にメディアに出たのは『なつぞら』(2019年/NHK)なんですけど、実はその前に撮影した初めての作品があったんです。その作品で出会った仲間たちとは今でも会いますし、自分にとっては本当に大切な出会いでした。 一番最初に行った現場で出会った友達が今でもがんばっている姿を見ると勇気づけられるし、自分も「がんばろう」と思わせてもらえるんです。今もよくご飯に行って、思い出話をしたりしています。 ──それはどなたですか? 鳴海 配信ドラマ『妖怪人間ベラ〜Episode0〜』(2020年)という作品でご一緒した、北原帆夏ちゃんと横田愛佳ちゃんです。1年に1回は集まって、近況報告をしています。 それと別の現場でも、大友花恋ちゃんや森田想ちゃんと再会する機会があって、彼女たちとも『ベラ』で一緒だったんですよ。そうやって初めての作品で出会った人たちと、現場でまた会えるのはすごくうれしいです。最近も(森田)想ちゃんと現場でお会いしたので、そのことを伝えたりしました。 『なつぞら』出演で、街中でも声をかけられるように ──映像として世に出たのは『なつぞら』が先になったとのことですが、ご自身で試写などで初めて観た出演映像作品も『なつぞら』だったんですか? 鳴海 そうですね。自分自身が出演した作品を最初に観たのは『なつぞら』でした。 ──『なつぞら』の出演は、オーディションだったんですか? 鳴海 はい。オーディションです。 ──そのオーディションの印象はいかがでしたか? 鳴海 まず、「受けさせてもらえるチャンスがあるんだ」と驚いたのを覚えています。当時は、本当に受かるなんて思っていませんでした。 友達に家に泊まりに来てもらって、夜遅くまで相手役を手伝ってもらったりして……今までで一番時間をかけて取り組んだオーディションでした。本当に一生懸命だったと思います。 ──実際に受けてみてどうでしたか? 鳴海 自分自身の手応えは特に感じなかったんですけど……当時、ドラマや映画で観ていた女優さんたちが目の前にいらっしゃって、そんな体験も初めてで。オーディションとはいえ、そういった方々とお芝居ができたことがすごくうれしかったです。「楽しかったなー」と思いながら(オーディション会場の)NHK放送センターから帰った記憶がありますね。 ──『ちはやふる』ではエキストラというかたちで共演した広瀬すずさんと、今度は別のかたちでお会いしたわけですが、どんな気持ちでしたか? 鳴海 そうですね。高校生のころの自分に教えてあげたいくらい……本当に夢みたいな瞬間でした。 『なつぞら』を経て感じた、スクリーンやテレビの外から観ていた憧れの方々と共演させていただく喜びみたいなものを、それこそ『なつぞら』以降、たくさん経験させていただくことになるんですけど、たぶんその最初の体験ですね。 ──よく朝ドラに出演すると、街中で声をかけられるようになるって聞くんですけど……実際どうでしたか? 鳴海 『なつぞら』での出演は本当にちょっとだけだったので、そこまで声をかけられることはなかったです。でも、地方で仕事をしていると、「明美(役名)ちゃんだよね?」と声をかけていただくこともあって、朝ドラの影響力って本当にすごいなって、改めて感じました。あのドラマをどれだけの人が楽しみにしているのかが、実感できた瞬間でしたね。 ──映像作品に出演するようになってからの、身近な人や友人からの反応はどんな感じでしたか? 鳴海 父はもう、私が映ってさえいればなんでもうれしいっていう感じで(笑)。どんな作品に出ても喜んでくれるんですけど、特にNHKの作品だとすごく楽しんで観てくれている印象があります。だからNHKの作品に出ると、親孝行がまたひとつできた!っていう気持ちになるんですよね。 そういう意味では今回、『あんぱん』に出演できたことも、おばあちゃんや親にちょっとでも孝行できたかな、という気持ちになりました。 共演者とのチームワークで臨んだ『あんぱん』 ──その『あんぱん』ですが、撮影現場で何か印象に残ったことはありました? 鳴海 そうですね、『あんぱん』の1週間は、まず月曜日にリハーサルをして、火曜日から金曜日は、だいたい朝8時くらいから撮影が始まるんです。毎日NHKに通って撮影をするという流れが、ほかのドラマとは全然違っていて。 普段は時間も毎日バラバラだし、行く場所も変わるんですけど、朝ドラの撮影はルーティンがしっかり決まっていて、それがすごく身体に染みついた感じでした。その感じがすごく不思議で……ああ、これが朝ドラに出演しているっていうことなんだなと思いながら、撮影をしていました。 普段は作品が終わってもそこまで寂しくなるタイプじゃないんですけど、『あんぱん』は参加期間が3週間と短かったものの、毎日同じ現場に通っていたので、終わったときにはすごく寂しくて……。あのルーティンがなくなるのが寂しいな、と。 ──『あんぱん』での役づくりで、特に意識したことはありますか? 鳴海 私が演じる琴子のキャラクターは、一見すごく明るいんですけど、脚本を読んだときにすごく魅力的だなと思ったのと同時に、彼女がどうして明るく振る舞っているのか……その背景が気になったんです。だから、ただ明るいだけじゃなくて、なぜそう振る舞っているのかを丁寧に掘り下げていくことで、もっと人間らしい深みのあるキャラクターにできるんじゃないかと思って……一番そこを意識して向き合いました。ただ明るいキャラクターというだけで終わらせないようにする点には、すごく気をつけましたね。 あとは、やっぱり土佐弁が難しかったんですよね。普段セリフを覚えるときは、単に言葉を覚えるだけなんですけど、今回は「言葉」も「音」も覚えなきゃいけなくて、いつも以上に……覚えるまで2倍くらいの時間がかかりました。すごくハードルは高かったんですけど、この作品に出ている方はみんな同じ経験をしていると思うので、「大変なのは自分だけじゃない!」と思えて、それを励みにがんばれた気がします。 ──共演者の今田美桜さんや津田健次郎さんらとは、現場でどんな感じの……。 鳴海 私が参加した『高知新報』でのパートは、北村匠海さん、今田さん、津田さん、倉悠貴さん、そして私の5人で、基本的に物語が進んでいくんです。現場では今田さんと北村さんがよく前室にいらっしゃって、自然とコミュニケーションも生まれて、いろんな話をしました。 芝居の話ももちろんしましたけど、全然関係ない話もたくさんしましたね。特にご飯の話題が多くて、「今日は何を食べようかな」とか、メニューを見ながら「このデリバリーがおすすめだよ」とか(笑)。 そういう日常的なやりとりを通じて、自然と仲よくなっていった感じですね。だから撮影が進むにつれて、チーム感みたいなものが、どんどん強くなっていきました。もちろん、それぞれの撮影日は違っていたりして完全に一緒に動いていたわけじゃないんですけど、前室の空気みたいなものは、きっと画面にも映っている瞬間があると思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。 ▼『logirl』でマンガ連載(『テレビドラマのつくり方』)をしている、『妖怪人間ベラ〜Episode0〜』で監督を務めた筧昌也さんへのコメントを求めると「筧さん、私が新しい作品に出るたびに連絡をくださるんですよ。またご一緒したいです!と言っているものの、なかなかタイミングが合わなくて……がんばっていれば、きっとまたすぐに作品でお会いできると思うので、これからもよろしくお願いします!」 【インタビュー後編】
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趣味は編み物と映画鑑賞──『おいしくて泣くとき』ヒロイン・當真あみのプライベート#20 當真あみ(後編) 旬まっ盛りな俳優にアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 當真あみ(とうま・あみ)。2020年に沖縄でスカウトされ、『妻、小学生になる』(2022年/TBS)でテレビドラマ初出演を果たす。その後、「カルピスウォーター」の14代目イメージキャラクターに就任、また、『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)など、ドラマへの出演を重ねる。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。後編では、プライベートに関することを聞いてみた。 インタビュー【前編】 目次手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ上京後も送ってもらっていた“実家の味” 手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ ──プライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることはありますか? 當真 映画鑑賞はずっとしています。あと、去年ハマり出したのは、カメラと編み物ですね。編み物は、空いている時間に少しずつ編んで、いろいろと作ったりしています。 ──素材も自分で買いに行ったり? 當真 はい。手芸屋さんへ行って、毛糸を物色したりとか。 ──今まで編んだ中で、一番うまくできたものはなんですか? 當真 ニット帽ですね。けっこううまくいって。夏場は、麦わら帽子になるような素材で、帽子を作ったりもしていました。 ──映画は今、どれくらいのペースで観ていますか? 當真 今年も1月中に3本は観ました。まだまだ観たい作品があって、もうすぐ上映が終わるのかなとか、早く行かなきゃと思っている作品も、今、3つぐらいあります。少なくとも月に1本以上は確実に観たいなと思っています。 ──映画館に行って観るんですか? 當真 そうですね、映画館がすごく好きで。家で観ていると、ちょっと飽きちゃったり、気が散ることもあるのですが、映画館だと大きなスクリーンにすごい音響だったり、本当にその空間がすごく好きなんです。 ──今まで観てきた映画の中で、すごく好きな作品、もしくはこの作品に出ているこの俳優の演技に憧れる、というのはありますか? 當真 お芝居でいうと、杉咲花さんです。昨年観た『52ヘルツのクジラたち』(2024年)と、おととし観た『市子』(2023年)での杉咲さんのお芝居が本当にすごくて……誰かの人生を追いかけて見ているような、そういうリアルなお芝居というか。リアルだし、言葉の一つひとつに、しっかりと伝わってくる強さがあって、そういう相手に届ける力がすごく強い女優さんだなと思いました。 ──お仕事をするなかで、仲よくなった俳優さんはいますか? 當真 『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』というドラマで仲よくなった友達とは、ずっと一緒にいます。みんな映画を観るのが好きなので、最近は一緒に。それこそ『室町無頼』も一緒に観に行きました。共通の好きなものを持っている人がいるのって、すごくいいなと思いながら過ごしています ──今後、やってみたい役柄はありますか? 當真 今、高校卒業間近で、これまでは学生役をいただくことが多くて、今後はさらに先にある大人としての仕事とか、今の学生のさらに先のところで一生懸命にがんばっているような役に挑戦できたらなと思っています。 ──社会人の役などですかね? 當真 そうですね。学生の役では、自分が経験したものだったり、知っている感情をつなぎ合わせて演じていたんですけど、その先となると私もまだ経験したことがないから、たぶんすごく難しいだろうなと思うんです。でもそこを探しながらやるのがすごく楽しいだろうなと思っていて、挑戦してみたいですね。 ──高校を卒業して、成人して、何かが変わる実感はあったりしますか? 當真 成人してですか……まったくないです(笑)。18歳になったからって遅くまで出歩くわけでもないですし、結局あまり変わらないかなというのが大きくて。ただ、学生でも子供でもないというところを意識して、しっかり気持ちを切り替えてかないといけないなとは思っています。 上京後も送ってもらっていた“実家の味” ──俳優以外で、今後やってみたいお仕事はありますか? 當真 ドラマや映画の宣伝で出演するバラエティ番組などで、全然違うジャンルなのに、おもしろくできる俳優さんがいるじゃないですか。すごく明るいキャラクターが出ている感じの……。私は(バラエティでは)うまくしゃべれないぐらいに緊張するので、それをなくせたらなと思っています。 ──書く仕事などは、興味があったりしますか? 當真 あまり考えたことはなかったですね。それよりは、最近カメラを持ち始めてずっと撮っているんですけど、写真を撮るのがすごく楽しくて。その流れで何か挑戦できるものがあったらいいなと思います。 ──写真を撮るときには、ご自分が撮られるときの経験が活きていたりしますか? 當真 いや、まったくないですね(笑)。撮っている対象も友達ばかりですし。画面を通して見ると、また違う人に見えてくるのがおもしろくて、そこはどこかお仕事で活かせたら楽しいだろうなと思います。 ──最後に、改めて映画『おいしくて泣くとき』の見どころを伺えれば。 當真 そうですね。心也くんと夕花の初恋、ラブストーリーではあるんですけど、それだけじゃなくて、ふたりを囲む世界にいる人たちの愛がたくさん感じられる作品だと思います。たとえば30年も相手を思い続ける心也くんの想いや、子供に対する心也くんのお父さんの想いなど、深い気持ちをすごく感じられる作品ですし、人の気持ちの強さ、尊さを感じていただけたらなと思います。 ──タイトルにもつながる、當真さんご自身の「食の思い出」はあったりしますか? 當真 あまり外に出て食べるということをしないのですが、お母さんやおばあちゃんの料理はすごく好きですし、東京に来てからも作った料理を実家から送ってもらっていたことがあって。ハンバーグとか、自分が本当に好きな食べ物を送ってもらっていて、仕事が終わったあとに食べるとすごく体に染み渡りました。ずっと食べてきたものを食べるとすごく安心して、おいしくて。泣くまではいかないんですが、ほっとする料理が身近にあるのは、本当にうれしいことだなと思いました。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 當真あみ(とうま・あみ) 2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。『妻、小学生になる』(2021年/TBS)でテレビドラマ初出演。その後も『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(2024年/TBS)など、ドラマへの出演を重ねる。Netflix映画『Demon City 鬼ゴロシ』が配信中。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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ちっぽけな後悔に涙する、みじん切り大会が開催された夜(中島侑香)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 中島侑香(なかしま・ゆうか) 1999年1月19日、愛知県生まれ。2019年より女性ファッション誌『JJ』を中心に活躍。2022年には映画『名もなき一篇・東京モラトリアム』で俳優としてのキャリアを本格始動。2023年には『なのに、千輝くんが甘すぎる。』で商業映画デビューを果たし、以降『朝をさがして』『祝日』『チャチャ』(2024年)など、話題作への出演が続く。テレビドラマでは、『あなたがしてくれなくても』や『イップス』(ともにフジテレビ)、『ザ・ロイヤルファミリー』(TBS)などに出演。 忘れられない夜。忘れたい夜。 忘れたくない夜。忘れた夜。 ああ、久しぶりにあの夜を思い出した。 「私は心を落ち着かせるとき、野菜をみじん切りにします」 特にそれが始まるのは夜。 夜は、ちっぽけな悩み事が“人生最大の危機”みたいな顔をしてやってくる。 そんな危機から私を守ってくれるのが、みじん切りなのだ。 たとえば新しい作品のクランクイン前夜。ついこの間もプレッシャーに負けじと大量の野菜をきれいな四角に刻んだばかり。 「あれ、“みじん切り”はいつから始まったんだっけ」 この仕事を始めてもうすぐ7年。7年前はみじん切りをしていなかった。20歳の私は自分を守る術なんてまだ知らなかったし、どんな心配事も、根拠なき大自信で乗り越えられていた。20代をドタバタと生きている間に、みじん切りという護身術を習得していた。 大人になるということは、自分を守れるようになることなのでしょうか。 2年前のあの夜。 とあるちっぽけな後悔が、“人生最大の危機”の顔をしてやってきた。 初めて主演を務めた映画の撮影終盤、帰りの電車で乗った駅から降りた駅まで涙した日があった。自分の演技にどうしても納得がいかなくて悔しかった。 そういうとき、目の前に座っていた会社帰りの男性、隣に座っていた高校生ふたり、止まる駅まですべてが、私の陰口で大盛り上がりなんじゃないかって本当に思ってしまう。 こうなったら涙は止まらない。もはやすべて流れ出てしまえ状態。大人になったら涙くらい止められると思っていたのに。 撮影現場に居合わせた人はそこまで大事に思っていなかったみたいだが、どうしても自分だけが自分を許せないときがある。 家に帰ると、すぐさま冷蔵庫を開けて入っていたすべての野菜をキッチンに並べた。 緊急みじん切り大会の開幕だ。 次の日もその次の日も映画の撮影は続くのに、ぐちゃぐちゃになったこの心で明日には行けない。 ならば、みじん切りをするのみ。(心の声になるとヒーロー調になるわけではない) まずは玉ねぎ2個。ザクザクとみじん切りを始める。 くう、目にしみる。もうなんの涙なのか訳がわからなくなって、ちょうどよかった。 次はにんじん。にんじんしりしり用に買ったものだが、今夜は例外。 そして茄子。絶対に揚げ浸しが食べたかったけれど、今夜はみじん切りになっていただく。 トントンザクザク。 カラフルのきれいな四角がどんどん生産されていく。 ぼーっとしながら次の野菜を手に取りザクリ。 うっかりブロッコリーのモサモサ部分に包丁を入れてしまった。「元みじん切りの集まり」みたいなブロッコリーはたちまち崩れて、また少し落ち込む。今宵の私は面倒だ。 冷蔵庫にそれを戻して、みじん切りに戻る。 だんだんと、「ジャガイモの芽に含まれている“ソラニン”そんな響きで毒なのはズルい」とか、「ついでに万能ねぎ刻んで冷凍しとくか」と順調に頭の中が野菜で埋もれていった。 キッチンに積もったカラフルの四角は、立派なものだった。 2、3歩下がってつい眺めた。腫れぼったい目の奥がにんまりとする。 「よし」 深呼吸をし、いってらっしゃいと野菜たちをフライパンに進ませる。 ポイントは弱火で大切に炒めること。せっかく刻んだ悩み事を粗雑に扱ってはダメ。 大切に向き合えば、あんなに泣かされた玉ねぎも狐色になり甘くなる。 それから少しの水で伸ばし、ルウを溶かして完成。 私の“人生最大の危機”は、キーマカレーになった。 浮かない顔した私よ。後悔や悩み事は、今日中に刻んで食べてしまえ。 もちろん、みじん切りをしたって、どんなにおいしいキーマカレーができたって、解決しないことだらけなのはわかっている。だってみじん切りをしているだけだし、キーマカレーがおいしいだけだから。けれど、「みじん切りをすれば大丈夫」というおまじないの効果は絶大だった。本当に、すごく。 それに、人生最大の危機なんてやっぱり大げさだった。 どうでもいいことがどうでもよくなくなったり、このまま夜に閉じ込められてしまう気がしたら、全部夜のせい。(あまりにも眠れない日「誰でも眠れる催眠術」という動画を観終わったことがある) 寂しがり屋で、時々私たちにいじわるをする。夜はひとりぼっちなのかもしれない。そう思うと途端にかわいいやつめ、とも思えた。 ついこの間、プラネタリウムに行きたくなり、レインボーブリッジを越えお台場へ。 谷川俊太郎さんの『夜はやさしい』という作品に出会った。 地球上のさまざまな場所から見える星空と音に包まれて、世界がぐんと横に広がった。夜の優しさが少しだけわかった気がして、ビルみたいなガンダム立像を見上げながら、自動販売機で買ったコーンスープでホッとした日を思い出した。 最後に。今まさに真っ暗な夜にひとりな私とあなたへ。 真夜中にキッチンの暖色灯ひとつでザクザク四角を生産する大人が今どこかにいます。 泣きながら、怒りながら、みじん切りをしています。 夜はひとりぼっちだらけです。ひとりぼっちが集まれば大人数です。 みんなでみじん切りをしましょう。 そしたら暖かいお茶でも飲んで、おやすみなさい。 文・写真=中島侑香 編集=宇田川佳奈枝
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母がいなかった、味のしない「サッポロ一番塩らーめん」を食べた夜(吉宮るり)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 吉宮るり(よしみや・るり) 東京都出身。2016年にデビュー。声優としてアニメやライブなどに出演。現在は『アサルトリリィシリーズ』や、『けものフレンズ JAPARI STAGE!〜きみのあしおとがまたきこえた〜』など舞台にも出演し、2025年3月には自身初のミュージカル『インサイド・ウィリアム』にジュリエット役で出演した。2025年10月気象予報士合格、2026年1月~グリーンチャンネル『中央競馬全レース中継』(日曜・前半)キャスターに就任。 私には生涯忘れることのできない夜がある。 2004年12月27日 私が7歳のころ 母が突然いなくなったのだ。 その夜、私は父とふたりきりだった。 「妹ができるよ」 あれはたしか登校前の朝に言われた言葉だった。 え!? 私に妹!? と思ったのをよく覚えている。 なぜなら、これまでずっとひとりっ子だった私。当たり前に両親の愛情を一身に受け、ぬくぬくと生活していた私にとって、突然現れた家族となる者の存在に驚きを隠せなかった。 それに当時の私の常識では兄弟姉妹は2〜3歳しか離れていないものだと思っていたから、すでに小学校に上がっていた私にできると思っていなかったのだ。 よく「上の子は下の子ができると甘えんぼさんになったり寂しがる」というが、もともとぽけーっとした性格だった私にそんな感情は特になかった。 強いて言えば、幼なじみで仲よしの数少ないひとりっ子同士のなぎさちゃんに「なんて言おうかなぁ」と考えるくらいだった(なぎさちゃんとは今でも仲がよい)。 余談だが、なぎさちゃんに妹ができることを伝えたところ「へー」という返事が返ってきた。 「反応そっけないな」なんて思っていたが、しばらく経ってから私のところにすごい勢いで走ってきて「妹できるの!?」と聞かれた。会話って知ってる? そんなこんなで始まった、母のお腹に妹なる存在がいる生活。 今までバスの座席には必ず私を座らせてくれていたのに、私ではなく母が座るようになり、ぶすくれていたことや、妊娠中の母に「私と妹どっちが好き?」なんて悪魔の質問をしたこと以外は、特に大きなことは起こらなかったように思う。 そして忘れもしない2004年12月27日の夜。 どういう経緯で母が入院したのかは忘れたが、とにかくその夜は父とふたりだった。 「もうすぐ産まれるんだろうなぁ」 子供ながらに思った。 こうして文字に起こすとアッサリしているが、悲しくて悲しくてたまらなかった。 夜ご飯はいつも母が作ってくれるのだが、その日の夜は父が「サッポロ一番塩らーめん」を作ってくれた。 サッポロ一番塩らーめんは家族全員大好きで、みんなでよく食べていた。 いつも母が座る席に私が座り、父と向かい合って食べた。 会話はなかった。 父は険しい顔で食べていたし、 母がいないことといつもあるはずの具がないらーめんを食べたら、寂しくて寂しくてしょうがなくて。 泣きはしなかったものの、悲しい気持ちでひたすら食べた。 あんなに大好きだったサッポロ一番塩らーめんの味がわからなかった。 こんな夜が続くなんて耐えられない。 私だけの母じゃないの? 早く母が帰ってきてほしい。 寂しい寂しい。 妹が産まれるとわかってから初めて感じた「寂しい」だった。 次の日、12月28日。 子供というのは切り替えも早いもので、このときの私は「産まれる瞬間見られるかな〜」なんてのん気なことを考えながら病院へ向かっていた。 病室を開けた瞬間びっくりした。 もう産まれていたのだ。 産まれてから時間が経って、だいぶ落ち着いた様子の母の腕に抱かれた妹らしきピンクの小さい生物を見て 「誰!?」 と思った。 いやだって初対面だから。初対面って誰だって「誰?」ってなるじゃない。 このときは姉になるなんて自覚は特に芽生えず、ただ「ピンクだなー」などと考えていた。あとしつこいようだが、生まれる瞬間がどうしても見たかった……。 のちに母から聞いたところ「産まれるところ見せたかったんだけど、すごいスピードで産まれてきたのよねー」と言っていた。見せたかったはよくわからないが、がんばってくれてありがとう母。 そこからは北海道にいる祖母が東京に来てくれたり、退院した母がしばらく家にいたり、ピンク色ではなくなった妹をお世話したりと、慌ただしい生活が始まった。 そんな慌ただしい生活がすぐに始まったからか「寂しい」なんて気持ちはあの夜限りのものとなっていた。 これが私の忘れられない夜の話だが、もう少しだけ先の話をする。 私の人差し指を握ったり 「いないいないばぁ」をすると笑ってくれたり 子供にしては信じられない量のご飯を食べているのを見たり 走る私に小さいながらに一生懸命ついてきたり 小さい子特有のしゃべり方をするから私が翻訳して母に伝えたり 時には(けっこう)ケンカをしたり そんな積み重ねが、いつの間にか私に姉としての自覚を芽生えさせてくれた。 ご飯にお味噌汁をかけた“ねこまんま”をペロリと10杯食べる妹を見て「赤ちゃんってそんなご飯の量食べるのか、たくましいんだな」と驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 このころ、毎日驚きの連続で楽しかった。 そんな妹ももう大学生。 最近では油物を控えたり野菜中心の食生活にしたり、たくさん食べることを控えたり、あのころの食生活の面影はなく、なんだか大人になったなぁと思う。 だが、7歳離れていたからこそ彼女の小さいときの姿も鮮明に覚えている。 母が子に対して思うように、どんなふうな大人になっていっても私の目に映る妹はあのころと何も変わらない。いつまでもかわいい子供なのだ。 これから先、彼女を悲しませることがひとつでも減ることを祈っているし、あの小さい体で10杯のねこまんまを平らげたたくましさを忘れずに、強く生きていってほしい。 命尽きる瞬間に一番そばにいる可能性があるのが妹だ。産まれてきてくれたのが彼女でよかったと心から思う。 寂しくて寂しくてたまらなかった夜。 あの夜があってよかった。 文・写真=吉宮るり 編集=宇田川佳奈枝
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目に見えない漠然とした呪い、自問自答を重ねたあの夜(橘 花梨)エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 橘 花梨(たちばな・かりん) 1993年生まれ、東京都東村山市出身。俳優。2008年にCM「牛乳に相談だ。」でデビュー。以降、舞台・ドラマ・映画など幅広く活動している。2018年に演劇ユニット「カリンカ」を旗揚げし、企画・プロデュース・出演を兼任。俳優主体の創作を掲げ、定期的に公演を行っている。2026年2月25日〜3月8日に、新宿シアタートップスにて開催される舞台アナログスイッチ『寝不足の高杉晋作』に出演する。 X:@TachibanaKarin Instagram:@tachibana_karin 「待つことは、俳優の仕事のひとつである」と言われたことがある。 わたしはこの言葉に納得していたし、どこか呪いのようにも受け取っていた。 オーディションが来るのを待つ。 結果が出るのを待つ。 はたまたオファーが来るのを待つ。 たしかにいつも待っている。 映像の現場では、物理的な待ち時間も長い。 俳優に限らずあらゆるセクションから「今、何待ち?」なんて言葉が飛び交っている。 なんだろう。そういう、目の前にある「待ち」は、いくらでも待っていられる。 現場に居られること、仕事があることに満たされて、待ち時間もこれといって苦にならない。 でもわたしは、目に見えない漠然とした「待ち」を、もう待つことができなくなっていた。 ちょうど8年前の真冬。 当時24歳、二十代も半ばに差しかかっていたわたしは、かなり焦っていた。 鳴かず飛ばずの芸能活動。デビューからもうすぐ丸10年になる。 俳優として売れたい。 どうしたら売れるのか、そもそも売れるとはなんなのか。 このまま待ち続けていいのだろうか? 自問自答を重ねるうちに、動きたい、自ら進まなくてはいけない、そう思うようになっていた。 あれこれ考えた末にわたしは、一人芝居をしてみようと思い立った。 昔から、思い立ったら即行動。行動に移すことだけは、なんかできるほうだった。 演劇ユニットを旗揚げて、一人芝居の公演を打つことを決意した。 覚悟を決めたあの夜は、わたしにとって宝物となった。 その日、マネージャーさんとなじみのカメラマンさんふたりに頼み込んで、所属事務所の撮影スタジオに向かった。 この決意表明を、新鮮なうちに記録として、形として残しておきたかったのだ。 わたしは東急ハンズでかき集めた、どデカい黒のロール紙、ガムテープ、カラースプレー、絵の具、大きな筆を持参した。 さっそくロール紙をスタジオの壁いっぱいに広げて、ガムテープでペタペタと貼っていく。雑多な黒壁が完成した。 始める前に服も着替える。 「何色にでも染まってやる」そんな気持ちで真っ白なTシャツを着た。 汚れる予感がしたのでズボンは履かなかった。 なぜか髪の毛も、スプレー缶で真っ白に染めた。 何かを察してくれたのか、カメラマンさんがパンクな音楽をかけてくれた。良い。始められそうだ。 今から何が起こるのか自分でもわからないけれど、とにかく思うままにやってみよう。 わたしは筆に白い絵の具をつけた。黒壁に書いてみる。書きたいことがどんどん降りてきて手が止まらない。 胸の奥から何かが噴き出していくようだった。 「演劇」「人生」「売れてる奴全員敵」「小劇場破り」「Eカップです」 カップ数を書く必要があったのかはわからないけれど、粗っぽくて、正直な、剥き出しの言葉たちが黒壁、そして足元いっぱいに埋まっていった。 黒いロール紙が文字だらけになったところで、絵の具をつかんで自分自身に叩きつけていた。 赤、青、黄色。色が混ざり合い、ぐちゃぐちゃに広がっていく。 手のひらが熱くなって、夢中で自分を汚していた。 気がつけば、服も脱いでいた。 そんな姿を、カメラマンさんはずっと撮ってくれている。 絵の具まみれで髪も服もぐちゃぐちゃ。 やりきった自分が収まっていた。 ふと我に返る。情熱的な言葉たちとパレットのような自分の姿に笑ってしまった。 そしてこのとき、あ、これはいける。そう思った。 撮影が終わったあとは、銭湯に行くつもりだったけれど、鏡に映った自分の姿を見てすぐにあきらめた。 絵の具まみれの人間が、お風呂場どころか脱衣所にも入れてもらえるわけがない。 スタジオの水で洗えるだけ洗った。 真冬の水は容赦なく冷たかったけれど、寒さはほとんど感じなかった。 結局、汚れが落ちきらぬまま、カメラマンさんとマネージャーさんと飲みに行った。 顔や髪に汚れが残っているのを笑われても、なぜかうれしかった。 「自ら動いた」証に思えて、ビールはいつにも増しておいしかった。 後日、この日の写真は、『橘花梨一人芝居』公演のフライヤー写真に使用した。 我ながらインパクトのあるいいチラシだったと思う。 あの日から8年。 俳優活動と並行して、あのとき旗揚げした演劇ユニットの公演を定期的に主催し続けている。 今では、「待つ」ことを楽しめるようにもなったし、焦らず立ち止まることの大切さも知った。 ライバル意識より、仲間意識のほうが強くなった。敵は、自分自身であることにも気がついた。 でも、あのとき必死にもがいていた自分は今でも愛おしく、その瞬間を思い出すだけで、力が湧いてくる。 わたしはあの夜の写真が大好きだ。 新しいわたし自身を旗揚げた夜。きっと、始まりの夜だった。 文・写真=橘 花梨 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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生い立ち〜恋愛まで、ママタルト・大鶴肥満の赤裸々な人生──白武ときお『まーごめ180キロ』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 「まーちゃんごめんね」。略して「まーごめ」。 謎の言葉を発して登場する身長182cm、体重188kg。ピンクのジャケットを羽織った一度見たら忘れない巨漢、その名は大鶴肥満(おおつる・ひまん)。「僕がもう少し細ければ」そう言って登場するのは相方・檜原洋平(ひわら・ようへい)。大鶴肥満に隠れているが、実は174cm、82kgと少々太め。凸凹コンビならぬ、凸とちょい凸コンビ──サンミュージックプロダクション所属のお笑いコンビ、ママタルトだ。 『まーごめ180キロ』は新進気鋭のお笑い芸人、ママタルト・大鶴肥満に密着したドキュメンタリー……ではなく、彼が発するあいさつのような……ギャグのような……ともかく彼がバラエティ番組でよく発している言葉「まーごめ」の真髄に迫るドキュメンタリー映画である、らしい。 監督は放送作家の白武ときお。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)の最年少作家でありながら、『しもふりチューブ』、『ララチューン』、『ママタルト本物チャンネル』など数多くの芸人のYouTubeも手がけている。 ひと言でまとめるのは難しい映画だが、あえてひと言でいうと、“180kgのおもしろい男に出会える映画”だ。実際、作中で「まーごめ」という単語はそれほど登場しない。大鶴肥満が現在の大鶴肥満という存在になって得たものの象徴として「まーごめ」という単語が使われているといった感じだ。いわばメタファー。 「ファン向けのムービーなのか?」と思われてしまうかもしれない。だが、大鶴肥満という人間をよく知らない映画ファン、ドキュメンタリーファンの方も興味を失わないでほしい。最初は知らない巨漢でも、2時間見たらきっと好きになるから。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 私がママタルトというお笑いコンビを知ったのは、2021年の冬だった。 個人的な話になるが、私は趣味のひとつとして『ぷよぷよ』というパズルゲームを挙げている。8年ほど前に出会ったこのゲームはなかなかおもしろく、私は大会やオフライン対戦会にも赴き、中級者といっても差し支えない程度の実力を手に入れるほどにはやり込んでいた。2021年11月、ぷよぷよの対戦会で知り合ったいわば“ぷよぷよ友達”のひとりから、ある日こんなことを言われた。 「今年のM-1(グランプリ)、追ってます?」 私は好きなコンビが準々決勝で落ちてしまった旨を話した。 「だったら真空ジェシカを応援しましょう。ボケの川北さんがぷよぷようまいんで」 彼らがYouTubeで芸人仲間を集めてぷよぷよを配信しているということを教えてもらった私はさっそくアーカイブを視聴した。 配信に参加しているのは真空ジェシカ・川北茂澄、ママタルト大鶴&檜原、ストレッチーズ高木貫太、さすらいラビー・中田和伸の5人。全員ちゃんとこのゲームをやり込んでいるのだろうとわかるプレイをしている。うまい。正直、競技人口も多くないゲームだ。芸人さんがこんなにたくさんこのゲームをやり込んでいるのか、と驚いた。 そんなきっかけでこの4組の芸人のファンになった私は、彼らの出演している番組を録画して観たり、西新宿ナルゲキの合同ライブに行ったり、単独ライブに行ったり、ラジオを聴いたり……と彼らを追いかけるようになった。そう、彼らは4組とも、ネタもおもしろかったのだ。ついでにいうと、MCのフリートークもめちゃくちゃおもしろい。おもしろくてぷよぷよがうまい、そりゃあ当然好きになるだろう。 前置きが長くなったが、それからしばらく経った2023年春。ママタルトの……いや、「まーごめの」ドキュメンタリー映画が公開されるという情報を耳にした。どうやらライブ用に作った映像を再編集したものを映画版として全国公開する、という経緯らしい。ドキュメンタリー映画が好きでママタルトも好きな私には願ってもない出来事だった。 さらに、私は大鶴肥満という人間の生い立ちにも興味があった。私は当時、ママタルトの冠ラジオ『ママタルトのラジオ母ちゃん』(GERA)をよく聴いていたのだが、大鶴肥満は時折、実家との確執や学生時代のトラウマに関する話をすることがあった。特に父親との反りの合わなさは繰り返し語られているトピックだった。率直に気になっていた。 とはいえ、芸人さんの(元は)ライブ用の映像ということであまり深い話は期待しないように、ライブの幕間を観る気持ちで観るべきだろう。そんな気持ちで臨んだ上映だったが、結果は期待の上の上を行く大満足だった。お笑い(コメディ)とドキュメンタリーのいいとこ取りをした素晴らしい映画だった。 2021年夏、表参道。ワタナベエンターテインメント本社の前に大鶴肥満はいた。大鶴肥満は言う。 「まーを待ってます」 「まー?」 「マルシアです」 大鶴肥満は俳優の大鶴義丹に似ていることから、現在の芸名を名乗っている。 2004年、大鶴義丹が記者会見でマルシアに対して発した言葉「まーちゃん(マルシア)、ごめんね」を略して「まーごめ」と言っているらしい。 ……えっ、もう答え出たじゃん。いやいや、まだ続く。 本作は3つの軸で進行していく。 1つめは、大鶴肥満がママタルトを結成し活躍するに至るまでの経緯について。大鶴肥満の語りを中心に、大学お笑い時代から親交の深い真空ジェシカやサツマカワRPGら10人のお笑い芸人の視点で語られていく。 2つめは、大鶴肥満の恋の行方について。これは現在進行形の話。マッチングアプリで知り合い1年間もの間気になっているMちゃんとデートを重ね、告白を試みる肥満の様子が映されている。 3つめは、大鶴肥満の……いや、粕谷明弘(かすや・あきひろ/大鶴肥満の本名)のこれまでの人生について。お笑いを始めるきっかけとなった大学のある明大前駅、嫌な思い出の小学校を巡る。 さらにはいじめを受けたという高校時代を振り返りながら 「お笑いは復讐だよ?」 ウエストランド井口浩之の言葉を借りて、自身の原動力を語る。 この映画は入れ子構造にもなっている。前述のとおり本作はもともとライブ用に作られた映像で、真空ジェシカ、大鶴小肥満(※スカート・澤部渡)による上映ライブが行われていた。映画版では上映ライブでの音声や映像も使われており、観客の笑い声や真空ジェシカによるツッコミが副音声的に被せられている。 そんな複雑な構成を取っている本作だが、実際見てみると案外見やすい。 大鶴肥満をはじめとした演者のしゃべりがうまいことに加えて、編集のバランス感覚が非常にいいことが理由だろう。退屈になりがちなインタビューシーンでも館内は常に笑いが起きていた。 おそらくこれは、視聴者の大半がお笑いファンであろうという想定から生まれた配慮だろう。 たとえば、大鶴肥満が語っているとき、ちょっとおもしろい遊具にまたがっていたとする。どう見てもおもしろいしツッコんでほしいけど、大事な話をしているから話の腰は折らないでほしい。そんなとき、後づけのテロップや真空ジェシカによる副音声で処理する。バラエティの手法をドキュメンタリーに取り入れたこの編集は秀逸で、作品にマッチしていたと思う。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 ともかく、「お笑いファンが楽しめる」ドキュメンタリーになっているので、見やすいのだ。 とりわけ印象的なのが、前述のいじめを受けたという高校のあとに訪れた実家のシーンだ。実家が近づくにつれ大鶴肥満の顔が曇っていくように見える。 実家では今どき珍しい、息子の芸を、いや、息子がお笑いの道へ進んだこと自体をまったく認めていない父親が登場する。 「芸能人になるなんて許せないですね」 「情けない。早くコロッて死んじゃえばいいんだよね。誰にも迷惑かけずに死んでください」 さらに父親は、自分はコロナウイルスの関係でできないから友人に葬式をしてもらえと続ける。 「ごめんな、そんな子供に育てちゃって。もうちょっと才能がある子供に育ててあげればよかったのに」 ……もちろん、まったく愛がないわけではないだろう。母親は、父親は自分よりも大鶴肥満の活動を追いかけているとフォローする。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 大鶴肥満は最後、「そのままでいてくれてありがとう」という言葉を残して実家を去る。そのまま、というのはもちろん、俺の嫌いな親父でいてくれて、という意味だろう。 物語の最後は相方・檜原への想いで締められる。マンガ『HUNTER×HUNTER』の主人公・ゴンと 親友・キルアの関係になぞらえて、ひわちゃん(檜原)は俺にとっての光だ、という。これまでの1時間半で大鶴肥満の暗い側面をたくさん見てきたので、よりいっそう、このふたりが出会ったことへ感謝の気持ちが湧いてくる。そんなママタルトは、2024年に初めてM-1の決勝へと進出した──結果は10組中10位と、グランプリを獲得することはできなかったが、平場の強さとふたりの人柄からか、今やお茶の間の人気者となっている。 総じていい映画だったな、と思う。エンディングで流れる音楽も素晴らしい。 私は初見時、少し泣きそうになった。実家のシーンがあまりにもリアルなのもいい。芸人など“しゃべりがうますぎる”人の語りは本心なのかトークをおもしろくするための誇張なのかがわかりづらいときがあるが、あのシーンによって疑う余地もない、本心の部分が見えた気がする。 実はこの映画は以前から紹介したかった一本なのだが、自分がファンだからこそためらっていた。 「知らない人が観てもおもしろいのか?」と。 2025年10月、「第17回下北沢映画祭」で『まーごめ180キロ』が再上映されるということで、私は“ママタルトのことはテレビで見たことがある”程度の認識の友人を誘って観に行くことにした。反応がよければ自信を持って読者に勧められる。結果は想像以上で、かなり気に入ってくれたようだった。物販のクリアファイルを購入し、マックを食べて帰ろうとまで提案してきた。自分の好きな映画、そして自分の好きな芸人にそれだけ人を動かす魅力があることが誇らしい。 『まーごめ180キロ』を観たあと、きっと思うだろう。 このおもしろい男に出会えてよかった、と。 監督:白武ときお プロデューサー:雨無麻友子 構成:橋本拓実、エレファントかさ増し、梶本長之 音楽:PARKGOLF 出演:檜原洋平(ママタルト)、大鶴肥満(ママタルト)、ほか (C)劇場版まーごめ製作委員会
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誰を信じたらいいのか、全聾の作曲家“ゴーストライター”の真実──森達也『FAKE』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「全聾(ぜんろう)の作曲家佐村河内守はペテン師だった!」 今から約10年前の2014年2月、世間を騒がせる“ゴーストライター騒動”の発端となる記事が「週刊文春」(文藝春秋)に掲載された。作曲家である新垣隆(にいがき・たかし)氏が18年間にわたり佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏のゴーストライターを務めていたことなどを告発した一連の騒動である。 (※以下、敬称略) 佐村河内は当時、聴覚障害を持ちながらゲーム音楽や交響曲などを発表し“現代のベートーベン”と評されていた。新垣はこの18年間で20曲以上もの楽曲を提供したことに加え、佐村河内に対し「耳が聞こえないと感じたことはない」「彼のピアノの技術は非常に初歩的で、譜面は書けない」と、佐村河内の聴覚障害の真偽についてや作曲能力についても告発した。佐村河内は、制作が自分ひとりによるものではないことは認めた上で、新垣に対し名誉毀損で訴える可能性もあると公言した。 本作は、映画監督・森達也による佐村河内を追ったドキュメンタリーである。 まず最初に、この映画を評価するのは非常に難しい。そもそも真偽不明な事件を扱っている上に、映像によって登場人物たちへの印象や好感度がコントロールされているように感じる。佐村河内も18年にわたり誇張した自己プロデュースを成功させ世間から評価されていただけあって、(それが意図的な演技なのか、彼の人柄から滲み出る天然ものなのかはわからないが)同情心を煽るのがうまい。大好きな豆乳をコップに並々注いで飲む姿がなんともかわいらしい。佐村河内を献身的に支え、森を含めた来客に毎回違うケーキを振る舞うような気遣いの人である妻・香の存在もそれを助長させる。ついでに猫もかわいい。 でも冷静に考えるとおかしな箇所はたしかに存在していて、作曲に関しても聴覚に関しても、佐村河内は1の真実を100と誇張していたことが問題なのに、メディアが0だと決めつけている(1を取り上げてもらえない)ことについて掘り下げられていく。もちろんそれも問題だしマスメディアの悪いところなのだが、本来は1であるのになぜ100だと誇張したのか、その部分の丸裸の本音が語られることはない。作中で佐村河内は杖をついていないし(足が悪く杖をつかないと歩けないとされていた)、激しい耳鳴りに悩まされ向精神薬(※)を服用しているとされていたが、そのようなシーンもない。もちろんカメラが回っているときにたまたま症状がなかっただけかもしれないので断言はできないが、いち視聴者として「あれって設定だったの?」と思ってしまう部分はある。 (※精神症状の治療に使われる薬物の総称) 大前提として、そもそも佐村河内の肩書は作曲家であるし、実際に足が悪かったかどうかはどうでもよい。別に「キャラ設定のために杖をついていました」と言ってくれたっていい。だが、そういったシーンはないし、きっと佐村河内はそれを認めないだろう。認めない以上、本当に足が悪く、よほど調子のいい日以外は杖がないと歩けない(撮影した日はたまたま調子のいい日だった)という可能性もある。そういうアンバランスさがどうにも気持ち悪い作品だ。 だが私は、この作品をおもしろいと感じた。まがりなりにも、同じものづくりをしている人間として感じるものがあった。この連載では基本的に、テーマ作品の案を私が数点提案し、それを編集部のみなさんに選んでもらうかたちを取っているのだが、私は『FAKE』を今回含め計3回提案し、ようやく記事を書くに至ったくらいだ。 物語は佐村河内の家を訪ねる監督・森のシーンから始まる。そこには森の言葉を手話で通訳し、森にケーキを振る舞う妻・香と夫婦の愛猫が映っている。 「事件から9カ月くらい経つと思うんですけど、日に日にマスコミで報道されている共作問題以外の──特に耳ですね──の嘘。それへの悲しみとか日本中がメディアの言うことを鵜呑みにして、誤解されたままになって日本一低い人間のように扱われて、その悲しみというか……」 佐村河内は自身の聴覚に関する再検査の結果を森に見せる。佐村河内の平均聴力が約50デシベルの感音性難聴であるという事実がマスコミによって取り上げられることはほとんどなかったという。この結果は、脳波を検査して発覚したもので不正などはできない。 ある日、佐村河内の自宅にフジテレビのプロデューサーらが現れる。机には妻・香が用意したであろうケーキが並べられている。プロデューサーらは年末の特番に佐村河内に出演してほしいと、打診のため自宅を訪ねたという。おもしろおかしくイジるのではなく、彼の今後をテーマとして未来に向かった音楽活動を取り上げたい、という。 佐村河内はこんなに目を見て話してくれる人たちを疑いたくないが、もし自分が出演を断ったら復讐のためボロクソにイジられるのではないかと思ってしまう、と申し訳なさそうに伝えた。プロデューサーらはそのような扱いは絶対にしないと説明する。 佐村河内は結局、そのバラエティ番組の出演を断った。そしてその番組には佐村河内の代わりに新垣が出演することになった。番組では新垣が佐村河内に関しての質問を受け「楽器は弾けるというレベルではない」と答える場面が放送されていた。テロップでは「自分の演奏を一度も見せなかった」とも。覚えている人も多いかと思うが、このころ新垣は一躍時の人となっており、バラエティ番組にファッション誌にと引っ張りだこだった。ゴーストライター騒動を話題に、笑いを取っていた。「違ってましたね」と落胆する佐村河内に対し、森は言う。 「出演していたらだいぶ趣旨は変わっていたと思います。つまりどういうことかというと、テレビを作っている彼らには信念とか思いとかが全然ないんです」 このセリフがなんともいえない。その場をおもしろくすることばかり考えている、というのなら佐村河内もそうだったのではないか。音楽を愛しているのなら、そこに信念があるのなら、そもそも全聾であるという嘘は信念を汚すもののような気がする。 ……と書いていくと新垣が真っ黒の悪人のように感じるが、おそらくそうでもないと思う。ゴーストライター問題について長年黙っていたのも、きっと気弱で佐村河内やプロデューサーに流されていただけなのだろう。新垣は大学で教鞭をとっているのだが、学生たちからの評判も非常にいいという。作中でも自著のサイン会に訪れた森に対し、「ぜひお話ししたいと思っていた」と穏やかに対応した。結局、取材の依頼は新垣の事務所から断られてしまうのだが。 物語中盤、アメリカの著名なオピニオン誌の記者から取材を受けるシーンがある。今まで佐村河内への同情心を煽るような撮り方をしていたが、ここで風向きが変わる。 「誰もが気になることだが、そもそもどうして作り話を?」 「18年の間に、なぜ楽譜の読み書きを覚えようとしませんでした? 覚えれば役に立ちません?」 極めつきは、 「なんでピアノがないのですか? 捨てる必要はないんじゃないですか?」 この質問に佐村河内は、 「んーなんですかね。部屋が狭いから」 と答える。腱鞘炎で弾けなくなったのではないのか。 「指示書は見てる。文書は見てる。でも、多くの読者がそれが作曲の半分までと思えない可能性が高い。ぜひ何か佐村河内の作曲である音源なりなんなりを見せてほしいんです」 現実世界でドラマチックなフィクションを演じた人間を追ったドキュメンタリーという企画自体、ある種メタ的なように感じるが、撮り方も観客の感情を振り回すよう巧みに構成されている。佐村河内に肩入れさせられたかと思えば、マジレスする海外の記者を登場させ、でもやっぱり佐村河内の言ってることっておかしくない? 全部嘘なんじゃ?と思わされたり……。 私が本作を初めて観たのは、公開から何年も経ってからだった。 この映画のポスターには大きな文字で「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分」という宣伝文が書いてある。この映画を観て最初に思ったことは、「このラストって“衝撃”なんだ……」ということだった。直接的なネタバレは避けるが、映画を観るにあたり佐村河内のWikipediaを読むと、元バンドマンであることや、新垣と出会う前から作曲の仕事をしていることなどが書かれていたので、本作のラストは私にとって騒動に関する真相がどうであれ、真っ先に想像されるドラマチックな結末であったからだ。いやむしろ、騒動に関して佐村河内が黒に近ければ近いほどラストの展開が見たいと思うはずだ。 本作が公開されたのが騒動から約2年後、まだ騒動について世間が強く記憶していたころということを考えると、当時の観客にとっては「誰にも言えない衝撃のラスト」だったのだろうか。それは佐村河内をなめすぎではないだろうか。というよりも、佐村河内が本作のラストとは違う結末を選ぶような人間だったなら、こんな2時間にも及ぶ映画の主役にはならなかったのではないだろうか。 新垣は佐村河内との制作作業について、 「彼の情熱と私の情熱が、共感し合えたときはあったと思っています」 と会見で語っている。 ラストの展開は少なくとも音楽の専門知識のない私にとっては、騒動に関する真偽を証明できるものではない。曲を聴いて作曲家が同じかどうか判別できるだけの知識などない。だがものづくりを生業とするいち表現者として、感じるものがないわけではない。佐村河内が音楽を愛していた……というよりも音楽というものに期待していた、夢を見ていたことは事実だと思う。事実であってほしい。惜しむらくは作曲に取りかかるシーンがほとんどカメラに収められておらず、撮影を再開したときにはすでにメロディができてしまっていたことだ。 佐村河内は作中で新垣に対し「非常に優秀な技術屋さん」と評した。私事だが、私は以前、ネーム(マンガのコマ割りをしたラフのようなもの)原作のマンガの作画担当をしてほしい、という旨でいただいたお仕事が、いつの間にか「口頭で物語を説明するからあなた(作画家)が内容を詰めて描き起こしてね」というものにすり替わっていたことがある。もちろんそれでは作画担当としての仕事の域を逸脱している、ということでお断りさせていただいたが、きっと佐村河内と新垣の関係性もそういった積み重ねで歪になっていたのではないかと思う。 私だってマンガのアシスタントさんに対して、いつだって細かく指示を出せるわけではなく「ここの背景、いい感じに木を描いておいてください」というような、アシスタントさんの能力にお任せするような指示をすることもある。編集者にアイデアがないかと相談し、それを採用したこともある。私に口頭で説明すると言った原作者もきっと「こいつを使って楽して稼いでやろう。うっしっし」なんて思っていたわけではないと思う。共作自体は悪いことではないし、発表方法を変えてしまえば問題ないのだが、佐村河内の場合、それをプライドが許さなかったことが問題なのだろう。曲作りにおいてプロデューサーのような立場で新垣に指示をしていたのは事実なのだから初めからそう言えばよかった。でも佐村河内はそれができなかった。虚勢を張ってしまった。どんどん誇張して、メディア受けする嘘の自分を演出してしまった。それが彼の業だろう。 物語の最後でもまた、妻・香が森にケーキを振る舞うシーンが映される。チョコレートの装飾のきれいなそのケーキを見て佐村河内は言う。 「うわーすごい」 「こんなことで、楽器が手元に戻ってくるまで、自分こんなことに感情が動くことなかったもん。きれいだとか」 森は『FAKE』の公式サイトに次のようなコメントを寄せている。 「僕の視点と解釈は存在するけれど、結局は観たあなたのものです。でもひとつだけ思ってほしい。様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。」 (映画『FAKE』公式サイトより引用) この連載でどこまで自分の仕事や作品に絡めて文章を書くか毎回悩むのだが、自著である『ミューズの真髄』(KADOKAWA)にも似たシーンがある。美大を志す主人公の美優は、自分の至らなさを受け入れられず、憧れの先生(月岡)の模倣に走ってしまう……というどうにも業の深い女性キャラクターなのだが、彼女が物語の最後にどうして絵を描くのか自問自答し、出した答えが「自分を責め立てる大嫌いな世界でも、絵のモチーフだと思えば美しくおもしろく見えてくるから」というもので、最終的には模倣をやめて自分の絵を描く、という概要だ。ちょっとだけ『FAKE』に近いものがある気がする。 このコラムを書きながら、この作品の何が自分にとってよかったのかがうまく説明できず何日も悩んでいた。結局真相はどうであれ、創作の持つ力を信じさせてくれる演者と作り手だからという、それだけなのかもしれない。佐村河内は、まだ全然我々に丸裸は見せてくれてはいない。きっと彼の虚勢を張る癖、誇張して自己を演出するような部分は、そう簡単なものではないのだろう。 だが、彼が発した「作曲できたおかげ」という言葉は本当のように見えるので、やっぱりいい映画だったなと思う。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya (C)2016「Fake」製作委員会
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4年ごとに人類が抱く夢、映像美を追求したスポーツの記録──市川崑『東京オリンピック』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 1964年8月21日、ギリシャ・オリンポスの丘で点火されたオリンピックの火は日本へ向かった。 『東京オリンピック』は、1965年3月に公開された1964年の東京オリンピックの公式記録映画である。監督は『ビルマの竪琴』(1956年)や『炎上』(1958年)などで知られる鬼才・市川崑。 東京オリンピックの公式記録映画でありながら市川の「単なる記録映画にはしたくない」という理念のもと作られた本作は、「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論を巻き起こし、国内動員2000万人超えの大ヒットを記録し、数々の映画賞を受賞した。 本作の特徴はなんといってもその映像美、芸術性にあると思う。スポーツの祭典であるオリンピックの記録映画でありながら、冒頭の真っ赤な太陽の画など、抽象的なショットがたびたび映し出される。 「とにかく、単なる記録映画にはしたくなかったですね。自分の意思とかイメージというものを重く見て、つまり創造力を発揮して、真実なるものを捉えたい、と。」 (「公益財団法人日本オリンピック委員会」インタビューより引用) 市川は本作の制作にあたり、記録映画であるにもかかわらず緻密なシナリオを制作し、スタッフには絵コンテを描いて説明するなど、演出に強くこだわったという。100台以上のカメラ、200本以上のレンズ。世界で初めての2000ミリの望遠レンズまでも使用された。それらを用いて撮影された映像は、選手の肉体美のみならず、内面までも映し出す。 (C)フォート・キシモト 選手の強張った表情が、額を流れる汗が、彼らがオリンピックというものに向ける大きな感情を如実に表現する。 そして市川らのカメラが捉える対象は、選手だけに留まらない。 ケガをした選手を運ぶ救護班。 グラウンドの整備をするスタッフ。 思わず競技に見入ってしまう審判。 休憩中、競技が始まって、思わず仲間たちと顔を見合わせニヤリと笑う警備員たち。 アメリカ人選手とドイツ人選手による一騎打ちとなった棒高跳びのシーンでは、各国の応援をする観客たちのリアルな表情が対比するように映される。 太ったおじさんの二重あごのアップ……ではなく、息を呑む観客の喉元が、こだわり抜かれた映像技術で映し出される。 彼らもまた、東京オリンピックの参加者のひとりである。 また、本作では、ハードル走のシーンで選手が先行しているかわかりづらいであろう真正面からの画角を採用するなど、スポーツ観戦としての正確性より芸術性を重視した挑戦的なカメラワークを採用している。そのため、映像作品としても非常に完成度が高い。 監督である市川は、もともとスポーツというものにはそれほどの関心がなく、本作の総監督の打診もそのことを理由に一度保留にしていたほどだ。そして、自身がスポーツに疎いからこそ「スポーツファンだけの映画にしない」とスタッフ全員に徹底して伝えたという。 市川はスポーツに対し、たとえばその勝敗などよりも、そこに関わっている人間たちのドラマや心の機微に関心があったのだろう。 そのため本作は記録映画としては不十分ではないかという批評を受けることがある。冒頭でも述べたように、当時は「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論が巻き起こった。試写会で本作を鑑みたオリンピック担当大臣(当時)の河野一郎は、「記録性を無視したひどい映画」と本作を激しく批判し、文部大臣(当時)の愛知揆一もまたこれに同調した。 しかし翌年1965年、『東京オリンピック』が劇場公開されると当時の興行記録を塗り替える大ヒットとなった。 「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」 冒頭の字幕だ。 本作は、オリンピックのために解体される東京の街を映したシーンから始まる。聖火リレーのシーンで映されるのは沖縄の「ひめゆりの塔」、広島の「原爆ドーム」。市川はのちに「どうしても広島の原爆ドームからスタートさせたかったんです」と語る。 1945年8月6日、市川の母を含む家族8人全員が広島に住んでおり、被爆している。当時東京で暮らしていた市川も原爆投下から数日後に広島へ向かい、その凄惨さを目の当たりにしていた。 オリンピックの理念のひとつに世界平和がある。のちのインタビューで市川はこの世界平和という部分に着目してシナリオを制作したと語っている。 東京オリンピックには、実は1940年にも一度開催が予定されていたが日中戦争の勃発などにより幻となったという経緯がある。戦後復興と高度経済成長を世界にアピールしたい日本にとって、1964年の東京オリンピックは絶好の機会であった。 本作は 「人類は4年ごとに夢をみる この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」 という言葉で締めくくられる。 森達也をはじめ、さまざまなドキュメンタリー監督がドキュメンタリーにおいて作り手の視点は重要である、という趣旨の発言をしている。ドキュメンタリーとは事実の記録に基づいた作品のことであり、一般的に「意図を含まぬ事実の描写」であると認識されることが多いが、それを撮影、編集し作品として仕上げている以上、制作者の意図や思想、視点が入り込むことになる。 私はドキュメンタリーのおもしろさはこの制作者の視点にあると思っている。制作陣がどういう感情を持ってその対象を観測していたかの記録であり、そしてその視点を我々視聴者が追体験できるという意味で、ドキュメンタリーは非常に価値のあるものだと感じている。 自分がいつかスポーツマンガを描くのなら、私はこういった制作者の視点が、制作者が何に魅力を感じているのかが如実に伝わるような作品が作りたい。 本作はそう強く思える、市川の視点が十二分に込められた素晴らしいスポーツドキュメンタリーだ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 『東京オリンピック』 Blu-ray&DVD発売中 発売・販売元:東宝 (C)公益財団法人 日本オリンピック委員会
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
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#46「ほんよみにあった怖い話③」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様—— <前の話に戻る
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#45「ほんよみにあった怖い話②」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様—— < 前の話に戻る 次の話に行く >
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#44「ほんよみにあった怖い話①」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様—— < 前の話に戻る 次の話に行く >
マンガ『ぺろりん日記』鹿目凛
「ぺろりん」こと鹿目凛がゆる〜く描く、人生の悲喜こもごも——
林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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チュ・ヨンウさんに“チュうもく”! 飾らない魅力が光る『2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN』レポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 昨年末に開催された『2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN』に行ってきました!! チュ・ヨンウさんは、『オク氏夫人伝 -偽りの身分 真実の人生-』や 『トラウマコード』『広場』『巫女と彦星』など話題作に出演。 『第61回百想芸術大賞』放送部門の男性新人演技賞をはじめ 名だたる賞を受賞している、今大注目の俳優さんです。 今回は特別編として、本イベントのレポートをお届けします! チュ・ヨンウさんにとって、初めての日本ファンミということで 最初から最後まで語り尽くしたい気分ですが…… 2月14日(土)ひる12時からCSテレ朝チャンネル1にて ファンミーティングが放送されるということで ネタバレ禁止で、私が感じた見どころポイントをご紹介したいと思います。 <ファンミーティングツアー日本公演を独占放送!> 2月14日(土)ひる12時~午後2時 CSテレ朝チャンネル1 <独占放送>2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/variety/0841/ 飾らないユニークなトークに、笑いすぎ注意!? まずは、トーク。 日本語がお上手でびっくり!! 日本のアニメをよくご覧になるからなじみがあるそうなんですが、 たくさんの日本語を混ぜながら話してくださいました。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. ヨンウさんの飾らないナチュラルな雰囲気が、とにかくとっても魅力的!! ファンに褒められると大爆笑、リアクション一つひとつが自然で どんどん生まれる親近感に、取り込まれていく。 フレッシュかつ堂々としたオーラ。ものすごいパワー。 今まで感じたことのない独特の雰囲気に、すべてのシーンが印象に残りまくり。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. 見ているこちらのイメージがふくらむ、ユニークな語り口・内容、 大爆笑でした(放送で初めて見る方、笑いすぎ注意ですよ、本当に)。 エピソードの随所に20代の感性がちりばめられていて、新鮮な感覚。 皆様、何回も何回も観たくなっちゃうはずです。録画もお忘れなく! 歌とダンスも器用にこなす、完璧すぎるパフォーマンス! 歌、ものすごく感動。 深みがあって、力強く響いていました。 心がキュンとするようなビブラートも効いていて、 感性のぐんと深いところまで刺さってきました。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. 驚いてばかりになってしまいますが、ダンスのレベルも高すぎました。 長い手足を活かしたダンスは、息を飲む腕前。 俳優さんであることを忘れるくらい、プロでした。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. なんでも器用にさらりと素敵にこなす姿、まぶしいほどに完璧。 インタビューで感じた、謙虚で朗らかな人柄 今回、『大下容子ワイド!スクランブル』でインタビューさせていただきました。 こちらもぜひご覧いただけるとうれしいです。 ファンミーティング前のお忙しい時間にもかかわらず応じていただきました。 質問に一つひとつまっすぐ丁寧にお答えいただき、 謙虚な姿勢に、こちらの背筋もピンと伸びるようでした。 ヨンウさんが作り出すフレッシュで朗らかな空気が 観てくださる方々にも伝わるといいなと思います。 (C)2026 J HARMONY Co., Ltd. All rights reserved. 見れば見るほど、お話を伺うほどに こちらの期待感がぐんぐん増していく感じ。 一瞬一瞬がきらめく。ライジングスターとはこのことかと。 勢いを肌で感じました。 <ファンミーティングツアー日本公演を独占放送!> 2月14日(土)ひる12時~午後2時 CSテレ朝チャンネル1 <独占放送>2025 チュ・ヨンウ ASIA FANMEETING TOUR [Who (is) Choo?] in JAPAN https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/variety/0841/ ファンミーティングの様子が放送されます!! なんと2時間。お見逃しなく。 チュ・ヨンウさんに“チュうもく”です!! <チュ・ヨンウさん出演ドラマ> 韓国ドラマ『トキメク☆君との未来図』 CSテレ朝チャンネル1にて放送中 https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/drama/1127/ 文=林 美桜 編集=高橋千里
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「グループメンバーの一員になりたい」アーティストのYouTube動画に思うこと|「林美桜のK-POP沼ガール」第24回「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 今回は、年末に向けて勝手にいろいろ書く回にします。 最近、急に歯が欠けて心臓がヒュンとなりました。歯ぎしりで歯に負担がかかると、欠けることもあるそうで。 歯医者さん「ストレスとか……?」 あー、それそれ! 疲れました。 一年も終わりますね。 ふとした瞬間にズンズンと壁に囲われたように感じて息苦しさを感じたり、毎日140%で生きていた過去の自分と比較してがっかりしたり、他人のキラキラした日常を見ることがとてつもなくしんどくなったり、誰かのため息が脳にこびりついて眠れない。 書いたらキリがないけど、明るいほうに上がらず、暗いほうにどんどんエネルギーが落ちちゃってます。体力も下がり調子。年末が近づくとこんなふうになりがちです。 若いころは、コンサート中に座りたくなることなんてなかったのに。最近は膝が痛い……悲しい。 でも、これは若かりしころの私が、毎回遅刻ギリギリでコンサート会場まで安い靴で走りまくっていた代償だと思えばしょうがない。 最近、人と話していたとき 「あれさ(仕事)、もっとああやるべきじゃない? 生放送だしね」 ……へ? 私と同じ仕事でもないのに、よく言えるなぁと。 「じゃあ、あんたがやってみろよ」 が、喉まで出かけました。 (ドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』好きです) もう一度生きられるなら、メンバーの一員になりたい 毎日噴出するイライラや疲れを優しく鎮めてくれたのが、『M:ZINE』収録準備のため勉強していた、あるアーティストのYouTubeチャンネル。 気張らず、自然体で、グループの日常を感じる長尺の動画に、妙に癒やされる。 暇なときのちょっとした会話から信頼し合っているのがわかるし、本番前のドキドキ感、ステージを成し遂げたあと高揚しながらキャッキャと話している感じとか。 仲がいいなぁ、メンバーっていいなぁ、と。 もう一度生きられるなら、 グループのメンバーの一員になってみたかったな。 というのも、私の仕事は意外にも、同じ仕事に携わる全員が、同じ瞬間を、同じように見ていることが少ないような気がしていて。 スタッフさんたちと一緒に準備をするので、チームワークではあるのですが、収録や生放送ではぽーんと放り出されて、ひとりぼっちな感じ。 大切な仲間ではあるけど、“同じメンバー”といえるほど、同じときに同じことはしてない。見えている景色も、生まれる感情も、まったく同じというわけではない気がしている。 同僚も、それぞれ番組や役割が違うので、何もかも共有して共感してもらえるような関係ではない。もちろん友人も。 だから、なんだかうらやましくなりました。 「今日、本当最高だったね」って全部を分かち合える人たち。 他人同士、しかも数人いるわけだから大変なことも多いだろうけど、そのメンバーしか知り得ない、素晴らしい景色、心の動き、喜び、幸せ、苦労、秘密……。 歳を取っても共有できるって、人生の宝。 友人とか仲間、家族はこれからでも期待できるかもしれないけど、メンバーだけは時間を巻き戻さないと得られないものな気がします。 改めて、いいなぁ。メンバーという存在がいたら、寂しくなったりしないのかしら。 ILLIT「NOT CUTE ANYMORE」よく聴いてます 本当にいろいろ、ぐだぐだ書きました。 揺らぎまくってます。 誰かに共感してもらえたらうれしいです。 まあ……30歳という節目に感じそうなことを、31歳で感じているということは、私の体内の感覚は1歳くらい若いということ……?(名推理) めちゃくちゃポジティブに捉えることにしてます。 もうひとつ、最近はILLITの「NOT CUTE ANYMORE」をよく聴きます。 강아지보 난 느슨한 해파리가 좋아 「子犬よりは私はゆるいクラゲが好き」(←訳し方はそれぞれ違うと思うので、これが正解ではない) このガツガツしていない感じ、今の若い方々の雰囲気や生き方が歌詞に表れているように感じて、そのゆるっとした素直さに癒やされる。 ガチガチした考え方をふわっとさせたい。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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考察モノ・社会派・日韓共同まで!韓国ドラマ2025年トレンドを徹底トーク|「林美桜のK-POP沼ガール」韓ドラ女子座談会・後編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 10月某日に開催された、林美桜・沼野チョロ子さん・miko 韓国ドラマ沼の住人さんの3人による韓国ドラマ女子座談会。 前編では、それぞれ「恋愛&胸キュン部門」「泣ける部門」「人生ドラマ部門」のオススメ作品を紹介しました。 後編は、最近公開された作品に共通するトレンドや、韓ドラが自分の人生をどう変えたのかを、深く語り合います。 韓国ドラマでも“考察モノ”が大流行中! 沼野チョロ子(以下:チョロ子) 3人でのトークは初めてなのに、すごい盛り上がりを見せています(笑)。 miko 韓国ドラマ沼の住人(以下:miko) なのに、まだまだ語り足りないですね! 林 美桜(以下:林) ここからは座談会の後半戦として、韓ドラ最新トピックを中心に、アレコレおふたりにお聞きしたいと思っています! 最近「個人的にヒット!」だった作品ってどんなものがありましたか? miko 私はサスペンスやミステリー、ホラーのジャンルが大好きなのですが、人気作だと『殺し屋たちの店』(2024年)はよかったですね~。 チョロ子 はい、天才。 miko もうたまらなかったです。あと『家族計画』(2024年)というドラマがあって、あまり観ている人が多くないのですが、本当にみんな観てほしい!! ペ・ドゥナが出ているノワールスリラーで、これがすごくよくできていて。私は考察するのも大好きだから、最近“考察モノ”が流行っているのがすごくうれしいんですよね。伏線がとにかく緻密に張り巡らされていて、2回観ても楽しめるところもすごさだと思います。 そういう意味だと、『ナインパズル』(2025年)は最初のシーンから伏線だらけで、ひたすら考察しまくって結局全部外れてる……みたいなことも(笑)。みんなで予想し合いながらワイワイ観るのがまた楽しいんですよね。 林 Xの反応見ながら「なるほど、そんな考察が……!」ってワクワクするのがいいんですよね。 チョロ子 わかる~。だいたい私たちのタイムラインがざわつくのって、考察か「あのシーンのこの人がカッコいい」の2択(笑)。 miko 最近、タイムラインを賑わせていたのは『北極星』(2025年)かな。恋愛モノなんですが、これに私たちはとにかく夢中になりました。私、“ボディガードもの”が大好きで、この作品も「大統領候補の女性を守るボディガード」という設定の物語なんです。 ボディガードもののよさって、恋が禁じられた関係にあるからなんですね。その要素があるだけでこの『北極星』はすでにもうオイシイのに、そのボディガードを演じるのがカン・ドンウォンなわけですよ。そんなのカッコいいに決まってますから……。 で、『北極星』が一番タイムラインを揺らしたのが「座席交換」のシーン。 チョロ子 (頭を抱えて)わあ~~!!!!!! 林 「座席交換」???? miko この座談会が終わったら、すぐに調べてみてください! ここでは詳しく言えないのですが、“伝説”ともいわれているシーンなんです。 チョロ子 林さんに絶対観てほしい!! 「座席交換」というワードが、こんなにセクシーに聞こえるようになるとは思いませんでした。 林 気になりすぎる!(笑) 韓国文化や人々の暮らしを知る「社会派ドラマ」の魅力 miko こんなふうにドラマを観ながら盛り上がれるのも、座談会の前半戦でチョロ子さんがお話ししていたように、まさに“日常を彩る楽しさ”が韓ドラにあるからなんですよね。 大統領とボディガードなんて、私たちの日常にまったく関係ないことのはずなのに、日々ふたりのことを話してキャーキャー言って……本当に不思議(笑)。 林 楽しい作品はもちろん、社会派な作品も議論を起こすという意味では、話し合いの機会を提供していますよね。 miko そうなんです。社会派ドラマの中でも特に労働問題を取り扱う作品も、最近増えているような気がしていて。 『テプン商事』(2025年)は、IMF危機(1997年、韓国経済が破綻寸前に陥り、IMFからの融資と引き換えに厳しい経済改革を強いられた出来事)に関する作品で、過去の出来事を描いてはいるんですが、その問題は今の労働環境にも引き継がれていることが観ていてわかるんです。 韓国では昔からこうした題材自体は多かったけど、日本で韓ドラが定着したことで、最近より積極的に配信されるようになったのではないかと思います。 林 「もっと韓国の文化や人々の生活が知りたい」という声が多くなったのも関係していそうですね。 miko そうですよね。労働問題については、『ソウルの家から大企業に通うキム部長の物語』(2025年)や『労務士ノ・ムジン』(2025年)でも取り扱われています。 『労務士ノ・ムジン』については、ファンタジーでありながら労働問題などにも切り込んでいて、見せ方がすごく工夫されているから楽しんで観られるという。そうやって、社会問題が題材でありつつ、必ずしもすべてが重苦しいトーンではなく描かれているのも、多くの人の心を捉えるポイントだったりするのかなと思います。 林 「社会の見せ方」が上手ですよね。 チョロ子 労働問題ではないのですが、シリアスな要素もある作品として『ONE:ハイスクールヒーローズ』(2025年)はすごくよかったです。 イ・ジョンハ演じる高校生が過干渉な親を持っていたり、いじめや校内暴力に立ち向かったりするというアクションもので。物語が進むにつれ、主人公が「ケンカって楽しい」というマインドになってきて、ちょっと危うくなってしまい……。 今の時点では完結していないので、彼が内なる暴力性とどう向き合うのかは私も気になるところなのですが、とにかくイ・ジョンハの演技が素晴らしいのと、『弱いヒーロー』(2022年)と同じ制作会社が手がけているので、先の展開に注目しています。 林 韓ドラから多様な社会問題が見えてきますよね。『スカイキャッスル』(2018年~)では受験戦争が描かれていましたし、『人間レッスン』(2020年)では闇バイト、また『D.P. -脱走兵追跡官-』(2021年)を通じて、徴兵制度について改めてしっかりと知れて。 兵役義務から逃げようとする人の切迫した思いや、息遣いまで感じられる臨場感たっぷりの描写が、真に迫って伝わってくるんです。誰にでもある、奥深くに眠る「逃げたい」という感情を引き出して、ぐっと引き込まれたように感じました。 韓国はネットで何かの情報が広がったり、そこから何かのアクションにつながったりする速度が目まぐるしいから、新しい社会現象が起こるとそれがドラマの題材になるまでのスパンもすごく短いのも特徴だなと、今お話ししながら思いました。 『匿名の恋人たち』『グッドニュース』日韓共同ドラマも続々! miko 最近の傾向でいうと、『匿名の恋人たち』(2025年)や『グッドニュース』(2025年)など、日韓共同でドラマや映画を製作することが増えてきているように感じます。お互いの文化的なよさを持ち寄って新しいものを作っていこうという状況は、すごく胸アツでうれしいですね。 『グッドニュース』に関しては、日本の「よど号ハイジャック事件」を扱う作品だけど、それを韓国側の視点で描く上で、日本人役を日本の俳優さん、しかも山田孝之さんや椎名桔平さんというトップクラスの方が演じられていて、リアリティもクオリティもすごく高いものになったのがいいことだなと。 チョロ子 本当ですよね。 林 日韓共同ドラマは昔も一時期ありましたが、それ以降そう多くは見られなかった状況だけに、変化が実感できます。 miko そうそう。日韓どちらのシーンも豊かになっているなと、心が温かくなります。文化差や複雑な歴史的背景もありつつ、私たちも過去のことを含め勉強し続けながら、この新しい現象がどんどん深まっていけばいいなと思っています。 林 こうやって常に新しい作品が生まれ続けて、シーンがアップデートしていって……という今の状況が、当たり前ではないと思っていたいですね。 自分にとって「韓国ドラマ」とは? 林 深いお話をしていただいたところで、そろそろ最後のトークテーマに移っていきたいと思います。ズバリ、おふたりにとっての「韓ドラとは?」を言い表していただけますか。そして、今一番行きたいファンミーティングも教えてください! チョロ子 私にとっての韓ドラとは、「日常をちょっと楽しくしてくれるもの」です。毎日必ず幸せな時間を与えてくれる存在ですね。 そして今一番行きたいファンミは……ナム・ジュヒョクです! 除隊されたので、来日してくれたらうれしいな……。それから、ホン・ギョンにも会いたい!!!! ファンミをやらなそうな人だけど、だからこそ熱望しています! 林 挙げたらキリがないですよね(笑)。mikoさんはいかがでしょう? miko まず私にとって、韓ドラは人生に欠かせないものになってきていて。そういう意味で「空気」でもあり「水」でもあり、ない生活が想像できないものという感じです。 今一番行きたいファンミは、イ・ソンミン! 50歳を過ぎた映画俳優の方って、なかなかファンミをやってくれる機会が少ないので……。 さっきチョロ子さんも挙げていたホン・ギョンもそうですが、「ファンミをやらなそうな人」のファンミに行きたいという思いがあります(笑)。若手はもちろんですが、いぶし銀のベテラン俳優さんを待っている日本の韓ドラファンは本当に多いということを、この場をお借りして伝えたいです! 林 ありがとうございました! 今日はとっても楽しかったですし、これからファンミやコンサートなど現場でおふたりとお会いする機会も多そうです……また、お声がけさせてくださいね。 チョロ子 わー! ぜひぜひ、今度は直接お話ししましょう。 miko トークが止まらなくなりそうです(笑)。 林美桜の取材後記 ……もう、この座談会がドラマになりそうな勢いじゃないですか? まるで台本が用意されていたかのような、トーク・相づち・間合いで お話ししながらちょっと怖くなってしまうぐらい、完璧な時間でした。 mikoさんとチョロ子さんは以前からXで拝見していて 数多くの韓国ドラマの感想や見どころを、どうしてこんなに簡潔に、興味をそそるようにまとめられるんだろう、と感激していました。 最近の韓国ドラマはありがたいことに、観られる作品が数えきれないほどたくさん。 それゆえに、自分で探しに行くのは困難。 そんなときはいつもおふたりの投稿を参考に、自分にマッチする作品を選んでいます。 そうすると、本当にハズレがない。ありがとうございます。 今回はそんな、私の人生の韓国ドラマ師匠のおふたりからいろいろ伺えて、幸せでした。 深く伺うと、同じドラマでも観方(みかた)だったり、熱量を持つ箇所だったり、同じワードでも浮かぶドラマがそれぞれ違って、大変興味深かったです。 今回のコラム、韓国ドラマをどこから観たらいいかわからないという方にもぜひおすすめしたいです。また、よくご覧になる方には共感していただけるかも! そして私はさっそく、mikoさん推しの『1%の奇跡』を観ました。 mikoさん……一気観でした。 韓国ドラマあるあるな展開かしら?と思いきや、全然クドくなく、スッとずっとキュンを届けてくれました。 とにかく、ハ・ソクジンさんが彼女を想ったときのニッコリがかわいすぎる。 今でも愛される理由がわかります。 次は、チョロ子さんおすすめの『九尾の狐とキケンな同居』を観ます!! 1時間半のリモート座談会でしたが、みっちりお話を伺わせていただきました。 充実感とはこのことか。 本当は、この様子をたくさんの方にリアルで観ていただきたいくらいおもしろすぎたかも……なんて(本気で思ってます)。 次は、お客様を入れてリアルイベントに!! MCで参加させてください。 文=菅原史稀 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(フェブラリーS)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(フェブラリーS) いや、先週の共同通信杯、ベレシート勝てたでしょ…と思いつつ、レース中に見せた若さも含めての現時点での完成度と言えます。鞍上の北村友も、だいぶ気をつかったレースでしたが、府中千八であの位置からでは届かないのもやむなし。皐月賞は賞金的に微妙になり、さてダービーTRを挟むとそれはそれでダービー本番の仕上げは難しくなりますから、痛い頭差でした。ともあれ今週は26年初のJRA・G1。2月22日(日)の東京11R・フェブラリーSを予想します。 【フェブラリーSの傾向・特異点】(過去10年) ・巻き返し、3度目の正直が結構ある ・ミスプロ系や米国ダート父系の血を持つ馬の好走率が高い ・大型馬が走りやすい ◎⑨ダブルハートボンド。 8戦7勝でチャンピオンズCを勝った馬で、初距離とはいえスピード型の牝馬。断然人気になっても不思議はありませんが、下馬評は上位の一角という評価。確かにチャンピンズCとフェブラリーSは適性が違うのですが、こういう馬が断然人気にならないあたり、日本の競馬ファンは成熟していると思います。ただまあ、代わりに人気するのがゲート難著しいコスタノヴァと、2年前8着のウィルソンテソーロなら、むしろダブルハートボンドで良くないか、と思う次第。今の府中ダートは前寄り優位ですし。 ○⑬ナチュラルライズ。 東京大賞典ではナルカミとの折り合いはつかないだろうな、と想定したら案の定。さすがに度外視できます。ハナ意欲は断然ですし、気性はあれですが、ゲートが悪い馬よりも引っかかり通しの馬の方を買う主義です、個人的に。 ▲⑯サイモンザナドゥ。 大外ですが、横に並ぶ馬が軒並み逃げ、先行タイプでいい位置を取れそうな気配。みやこSではダブルハートボンドとタイム差なしの2着ですから、重賞級とみて良く、ナチュラルライズ~ダブルハートボンドの行った行ったを狙った上でこの馬が流れ込むとの読みです。 馬券は3連単軸フォーメーション。 <1着>⑨→<2着>⑩⑬⑯→<3着>②③④⑤⑩⑬⑯。18点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(共同通信杯)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(共同通信杯) 中央競馬のローテーションは年々変化していきます。近年はトライアルが相対的に地位を低下させ、一方で年明け重賞の価値が上昇。2歳G1を使えなかった、あるいは使わなかった大物が京成杯、きさらぎ賞からクラシックという例が増えており、先週のきさらぎ賞1、2着ゾロアストロとエムズビギンもクラシック候補に名を連ねました。こうした傾向の先駆けとなった重賞がここで予想する2月15日(日)の東京11R・共同通信杯で、東京芝1800メートルという舞台設定が中山の弥生賞やスプリングSより重視される理由の一つ。今年もここからクラシック級が登場となるでしょうか。 【共闘通信杯の傾向・特異点】(過去10年) ・ノーザンファームのトップ級出走例が多数 ・前走上がり3F1位 ・前走2000メートル組が東京適性を測る感じの出走 ◎⑦ベレシート。 母クロノジェネシスは近年でもかなり強い方の牝馬で、その初年度産駒。父エピファネイアで、いかにも本格派。新馬は故意か偶然かは知りませんが母と同じ小倉V。正直、前走のエリカ賞は勝たなければいけないレースでしたが、今一度少頭数で手綱を任されたとあっては北村友一の気合はいかばかりか。勝てば当然クラシック候補。過去の傾向にも合致するタイプで、あとは東京適性です。母の東京適性はひと息でしたが、そこはエピファネイアに何とかしてもらう方向で。 ○⑤リアライズシリウス。 この重賞はノーザンファームのクラシック級が好走する一方で、冬場のレースらしく血統的にノーザンダンサーが目立つ大型馬も走ります。その枠がリアライズシリウスでどうでしょうか。前走は太め残りとまでは思いませんでしたが、仕上がり的にピリッとしなかったのも確か。延長を心配する向きもありますが、ポエティックフレア産駒は別にマイルがベストという感じでもなく、問題ないと思います。 ▲①サノノグレーター。 ラヴェニューの市場取引価格は1億8700万円。サトノヴァンクルは7920万円。これに対しサノノグレーターは484万円。既にイニシャルコストを楽々回収し、走るたびに利益を生む日高の星です。 馬券は3連単軸2頭流し。 <1着>⑦→<2着>⑤→<3着>①④⑥⑦⑧⑨。 <1着>⑦→<2着>①④⑥⑦⑧⑨→<3着>⑤。12点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東京新聞杯)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(東京新聞杯) 先週の根岸S、スペクタクルな追い込みで2着に突っ込んで来たのがバトルクライ。なんとまあ、走られてみると過去好走馬ですが、3年前の3着馬を拾うのは難しいです。あまり気に病んでも仕方ないレベルの馬が好走したので、気を取り直して2月8日(日)の東京11R・東京新聞杯を予想します。24年のこのレースは◎サクラトゥジュールが7番人気1着、○ウインカーネリアンが5番人気2着。今年もサクラトゥジュールは出走していますが…。 【東京新聞杯の傾向・特異点】(過去10年) ・Dコースで内枠が優位、7・8枠は不利 ・前走上がり3F4位以下が8勝、2着5回と好成績 ・血統面ではダンチヒ注 ◎⑤エルトンバローズ。 前走は有馬記念に出て12着。外枠でもありましたし、見せ場なく終わりました。実際のところ、もちろん陣営は延長の一変狙いではあったでしょうが、当時から再短縮した際のことは視野に入れていたはずで、今回は攻め強化して再ブリンカー。この馬自身、脚力以上に前残りの流れに乗るレースセンスが光るタイプで、東京新聞杯はそういうセンスが問われる重賞。 ○⑫ウォーターリヒト。 マイルCSがあっと驚く15番人気3着。高杉は重賞未勝利ですが、買える若手騎手です。4~9月は出走数も少ないにせよ結果が出ておらず、10~3月、とりわけ寒い時季に好走が集中しているウインターホース。1~2番人気で買いたいかと言われると、あまり食指は動きませんが、能力的に上位の昨年勝ち馬ゆえ相応の評価は必要です。 ▲②ラヴァンダ。 マイルCSはよそ行きのレースをして16着といいところなしでしたが、メンタル回復の早いタイプのうえ、間隔を取って立て直せたとみました。生産者が馬主を兼ねている馬で、詳しい話は全然知りませんが、今年も現役続行の雰囲気。もう一回G1を使いたいなら、賞金も積みたいところで、仕上げにも熱が入ろうというもの。 馬券は3連単1頭軸流し。 <1着>⑤→相手②③⑦⑨⑫⑭⑯。42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑