サボリスト〜あの人のサボり方〜
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「できることは全部やる──安定よりも異常で過剰に」中郡暖菜のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 コンサバティブな女性ファッション誌が全盛のなか、影をはらんだ独自の世界観を打ち出した雑誌『LARME』をヒットさせたのが、編集者の中郡暖菜さん。そんな中郡さんに、もの作りにおけるスタンスや、逃避しながら仕事をするという斬新なサボり方などを聞きました。 中郡暖菜 なかごおり・はるな 編集者/株式会社LARME代表取締役。大学在学中からギャル系ファッション誌『小悪魔ageha』の編集に携わり、2012年に女性ファッション誌『LARME』を創刊。編集長を4年務めたのち、女性ファッション誌『bis』の新創刊編集長を経て、2020年に株式会社LARMEを設立。『LARME』のM&Aを行い、編集長に復帰した。 目次下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しいネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』ほかではやらないことをやってこそ意義がある「異常と異常の間」を走り続ける罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる?行動からしか新しい出会いは生まれない 下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界 ──中郡さんが手がける雑誌『LARME』では、映画や小説などの世界観を企画のテーマにすることが多いかと思いますが、どんなカルチャーに影響を受けてきたのでしょうか。 中郡 本は全般的に好きでしたが、大きく影響を受けたのはマンガですね。中でも印象深いのは、中学生のときに読んだ竹宮惠子さんの『風と木の詩』。フランスの寄宿舎の話なんですけど、その世界観に衝撃を受けました。 ──では編集の道に進んだのも、本が好きだったからなんですね。 中郡 中学生のときから本に関わる仕事がしたくて、編集者になりたいと思っていました。でも、どの大学に行ったら編集者になれるのかもわからなかったので、音楽高校からそのまま音大に進みつつ、とりあえずマスコミスクールに通ってみたりして。それも「なんか違うな」と辞めてしまって、出版社のアルバイトに応募して入ったのが『小悪魔ageha』なんです。 ──リアルな編集の現場は、やっぱり違いましたか? 中郡 そうですね。一番下っ端だったので編集どころか雑用ばかりでしたが、学ぶことは多かったですし、その時期を乗り越えたことで自信もついたと思います。まだガラケーだしファイル転送サービスも普及してなかったので、手間がかかりましたけど。 読者アンケートのはがきを集計したり、読者に直接電話してアンケートを取ったり。「アイメイクに関するアンケートを50人分取って」と言われたら、ひたすら電話をかけてたんですよ。効率悪すぎますよね。色校正(印刷確認用の試し刷り)や入稿データも直接運んでました。飛脚ですよ(笑)。 難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しい ──下積み経験も糧になっているとのことですが、心が折れたりしなかったのでしょうか。 中郡 折れなかったですね。それよりも早く編集担当になって、ページを作りたいと思っていました。クリエイティブな職業って、下積みもけっこう重要じゃないですか。まわりがフリーの編集者とかだと、教育係がついて教えてくれるということもないので、自分で仕事を覚えていくしかないから。 ──そうして能動的に学んでいくうちに、だんだん会議で企画を提案できるような場面も増えていったとか。 中郡 大学生のころから編集会議には出ていて、企画も出していました。ただ、自分の企画が通っても、編集までは任せてもらえないんです。それが悔しくて。社会人になってようやく、自分の企画を担当できるようになりました。 初めての撮影はすごく印象に残っています。自分の思い描いていたものが、カメラマンさん、モデルさん、ヘアメイクさん、衣装さんたちのおかげでいい写真になったのがうれしくて。今でもあのときみたいに撮影したいと思っていますが、なかなかあそこまで感動できる撮影は多くないですね。 ──どんな企画だったんですか? 中郡 『セーラームーン』のヘアアレンジみたいな企画で、モデルさんたちにコスプレをしてもらいました。ネットでもけっこうバズったんですけど、それ以上に二次元の世界を三次元で表現するといった、難しそうな内容をかたちにできたことがうれしかったんですよね。 大変そうな壁を乗り越えられると楽しいし、チャレンジをしていくことで個性も磨かれていくんじゃないかなと思います。結果が見えるラクな撮影を続けていると、自分ができる範囲でしか仕事をしなくなって、結局どこかで行き詰まってしまうというか。成長の機会を逃してしまう気がします。 ネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』 『LARME』 ──ご自身で新たに『LARME』という雑誌を立ち上げた経緯を教えてください。 中郡 編集者として結果を出せるようになって、「編集長になりたい」「自分の本を作りたい」とアピールするようになったんです。そんなことを言う人がまわりにいなかったのもあり、『小悪魔ageha』の編集長があと押ししてくれて、『LARME』の企画を立ち上げました。 ところが、その編集長が会社を辞めてしまったら、企画自体もなかったことになってしまって……。すでに『LARME』の話は進めていたし、当時担当していた『姉ageha』の企画も最後だと思って気持ちを込めて作ったので、「もう続けられない、自分の雑誌をやる」という思いで、会社を辞めて別の出版社に『LARME』の企画を持ち込んだんです。 ──ほかにはない雑誌として、どのような点を意識していたのでしょうか。 中郡 当時の女性ファッション誌って、モテを重視したハッピーでコンサバティブな雑誌がほとんどだったんですけど、無理して笑顔を作らないようなものを求めている人もいるんじゃないかなって感じていたんです。 私自身、悲しいことが起きたとしても何も起きなかったよりはいいんじゃないか、みたいな気持ちがあったので、ネガティブなもの、マイナスなものも悪いものではないというスタンスの雑誌にしようと思っていました。それで、名前もフランス語で「涙」という意味の『LARME』にして。 ──そのスタンスが『LARME』のデザインや世界観をかたち作っているんですね。 中郡 色にはこだわりがあって、自分が嫌いな色は使わないようにしているので、ほとんどの号で水色、ピンク、ラベンダーがメインになっています。水色なら水色で、どこまでバリエーションを展開できるかという方向に力を入れているんです。 もうひとつの特徴は、男性がひとりも登場しないことですね。現実にはあり得ないことですが、この雑誌を読んでいるときだけは、現実とは異なるここだけの世界にしたいんです。そのために女の子を男性役にしたり、着ぐるみを登場させたりすることもあります。 ほかではやらないことをやってこそ意義がある ──企画のテーマを参照するにあたって、基準や作品の傾向などはありますか? 中郡 好みのものがあるというか、嫌いなものははっきりしてますね。お姫様が出てくるような作品は雰囲気的に近いと思われがちなんですけど、王子様ありきの物語が好きじゃないんですよ。『不思議の国のアリス』みたいな、自分の物語を生きて、冒険するような作品が好きなんです。 でも、『小悪魔ageha』に始まり、『bis』という雑誌も作っていましたし、『LARME』も50号以上出ていますから、自分の中にもうストックがなくて……。最近は、1号作り終えたらインプットの期間を設けて、必死に何かを読んだり観たりしています。それを次の号ですぐ使う、みたいな(笑)。 ──ご自身のセンスや価値観と、読者の求めるものや売れ行きとのバランスについては、意識されているのでしょうか。 中郡 最近はあまりバランスを気にすることがなくなってきました。長くやってきたから聞かなくてもなんとなくわかるんですよ、ビジュアルがメインの企画より実用性のある企画のほうが人気だとか。でも、それで実用性のある企画ばかりにしたら『LARME』ではなくなってしまうし、ほかの雑誌ではやらなそうな企画をやることに意義があるというか。 本が売れなくなってきて、雑誌は発売日に電子版が読み放題になっている。そんな状況で売り上げをどうにかしようとしても、気持ちが暗くなるだけじゃないですか。それよりも『LARME』をたくさんの人に知ってもらって、接触面を増やして、本だけの存在を越えたリアルなカルチャーのひとつとしてイベントなどにつなげていくほうが重要かなと思ってるんです。 「異常と異常の間」を走り続ける ──より広く、人に何かを届けるという点で大切にしていることはありますか? 中郡 何においても、自分にできることは全部やりたいと思っています。先日、知り合いの漫画家さんに新刊の宣伝について相談されて、いろいろと提案したんですけど、担当編集さんには「そこまでやらなくてもいいんじゃないか」と言われたらしくて。大手出版社の編集さんにとっては、がんばらなくても売れる作品だし、必死になって無理しても自分の何かが変わるわけでもないし、むしろリスクが増えるから、どうしても保守的になるというか。 私は安定したくないんです。漫画家の楳図かずおさんが「異常の反対は安定じゃなくて、また別の異常がある。その中心にあるのが安定だから、安定を目指すと内に入ってしまってよくない」といったことを言っていたのですが、すごくいい言葉だなって。私はその言葉を信じて異常と異常の間を行き来しているので、どうしても過剰になっちゃうんですよね(笑)。 ──常に難しそうなことにチャレンジする、というスタンスとも共通したものを感じます。では、会社の代表として今後チャレンジしてみたいことなどはあるのでしょうか。 中郡 すでに決まっていることとしては、新宿の東急歌舞伎町タワーで『LARME』10周年のイベントをやる予定で、それが楽しみですね。歌舞伎町って、今一番文化が生まれそうなカオスな場所で、『LARME』との相性のよさを感じていて。私はユートピアよりもディストピア派なので、安定してない混沌とした街と一緒に変化していけるのが、カルチャーとしてカッコいいなって思うんです。 罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる? ──中郡さんは、動き続けて忙しさがピークになったとき、サボったり、息抜きをしたりすることはありますか? 中郡 辛いものとか、注射とか、刺激物が好きなんです。本当に忙しくなったり、仕事でイヤなことがあったりしたら、刺激物を求めてしまいますね。「からっ!」「いたっ!」みたいな刺激って、一瞬そっちで頭がいっぱいになるじゃないですか。それが私のストレス発散方法です。 ──刺激に慣れてくるようなことはないんですか? 中郡 今でも辛いものを食べた翌日は、普通にお腹が痛くなったりしますよ(笑)。あとは、飛行機や新幹線に乗るような長距離の移動が好きで。いきなり北海道や福岡に行ってしまうこともけっこうあります。 長距離を移動していると、その罪悪感ですごく仕事が捗るんですよ。移動中にやらなきゃいけないことを一気に解消しています。結果的に移動も楽しめて、マルチタスクをこなせたようでうれしいっていう。 ──仕事とサボりを同時に行うというのは斬新ですね。移動という制限がうまく働いている部分もあるのでしょうか。 中郡 そうですね。移動自体は遊びなんですけど、仕事をするために移動するようなところもあります。家とか会社だと、何かと連絡が来たりして集中できる時間が作りづらいじゃないですか。移動していると対応できなくなることも増えてハラハラするんですけど、そのぶん集中できるんです。 調子が悪くなるかもしれないのに辛いものを求めてしまう感覚と近いかもしれませんね。破滅的な行動が好きなんですよ。毎日同じルーティンを繰り返すような生活ができなくて、辛いものを食べて、めちゃくちゃお酒飲んで、なんか具合悪い、みたいな日常を送っています。 行動からしか新しい出会いは生まれない ──では、無心になる時間、心が休まる時間などもあまりないんですかね? 中郡 心の安らぎもあまり大事にはしてないですね。「安らいだら終わり」みたいな(笑)。ただ、寝る前にマンガを読んでいる時間は幸せで、安らいでいるような気がします。寝る前に読むのはエッセイ系のマンガが多くて、清野とおるさん、まんきつさん、山本さほさん、沖田×華さんといった漫画家さんの作品を繰り返し読んでいます。 ──仕事のためのインプットとはまた違う時間なんですね。 中郡 そうですね。インプットのほうは仕事感が強くて、サボりではないかもしれません。この前も必死になりすぎて、「何かあるかもしれない」と盆栽展を見に行って、特に何もなく帰ってきました。 でも、自分の目で見たもの、実際に体験したものについてしか、何も言えないと思っているので、行動するのは大事なことで。ネットで盆栽を見ても、好きなのかどうかもわからないじゃないですか。ピンとこなくても、そのことがわかっただけでいいんです。 ──やったことのない仕事が成長につながるように、実際に行動して経験することで、新しい刺激や感動に出会えるんですね。 中郡 先日、「ニセコにスノーボードをしに行こう」と誘ってくれた友人がいて、スノボはできないし、寒いのもイヤなのに、マイルで行けるなら行こうと思ったんです。でも結局、ちょうどいい飛行機がなくて断ってしまって。ただ、興味がなくても、チャレンジする機会があるなら前向きに検討してみるのはいいですよね。あくまでマイルで行けるのなら、っていうレベルですけど(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「遊ぶように働きながら、真剣に“ヒマを持つ”」ステレオテニスのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話をうかがったのは、80年代テイストを取り入れたグラフィックデザインで注目を集め、企画やプロデュース業など、幅広い分野で活躍しているステレオテニスさん。精力的に活動を続ける一方で、「サボり」に対しても深い関心を向けているというが、ステレオテニス流のサボり論とは? ステレオテニス アートディレクター/プロデューサー。80年代グラフィックのトーン&マナーを取り入れた作風で、音楽やファッションなどカルチャーシーンを中心に広告表現や空間プロデュース、イベントの企画などを手がける。電気グルーヴやももいろクローバーZなどのアーティストのグッズ制作や、ハローキティなどのキャラクターとのコラボレーションを多数展開。宮崎県都城市で2拠点生活を2018年から開始、プロデュース業やクリエイティブディレクションにも積極的に取り組む。すべてデッドストックの80年代衣料を扱うアップサイクルブティック「マムズドレッサー」を主宰。 目次誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた発想や視点は、矛先を変えても活かせる地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」サボりとは、贅沢のひとつである?お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! 誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた ──グラフィックデザインという分野でお仕事をされるようになった経緯について教えてください。 ステレオテニス 学生のころからデザインや絵を描くことが好きで、当時聴いていた音楽ジャンルの影響で、音楽をグラフィックで表す仕事があることを知って、京都の美大でデザインを学ぶようになったんです。卒業後もクラブでVJをしたり、フライヤーをデザインしたりしていましたね。当時は単純に表現することが楽しかったんですけど、もっとおもしろいことをしてみたいと思って、京都を出ることにしたんです。上京をきっかけに少し意識が変わって、ポートフォリオを作って持ち込みしてみたり、知り合いのデザイナーさんに作品を見てもらったりするようになりました。 あと、新宿二丁目のカルチャーと出会って、イベントでVJをさせてもらったりしていたことも大きかったです。自分の表現が広がり、音楽関係者といった方々との出会いもあり、デザインの仕事をもらえるようになって。だから、けっこうアンダーグラウンド出身の叩き上げなんですよ(笑)。 ──そうした活動の中で、どのように作風を確立されていったのでしょうか。 ステレオテニス まわりがやっていないことをやろうとしていて、VJの世界は男っぽくて裏方的なイメージが主流だったので、ちょっとギャルっぽいテイストを打ち出したりしていたんです。そうした奇をてらったアプローチとして、「80年代」を扱うようになって。 当時は今のように80年代のテイストが「アリ」だとされていなくて、古くてダサい、よくない意味で「ヤバい」ものだったんですよ。それをあえておもしろがっていたのが、だんだん「これ、もしかしてカッコいいのでは……?」と思うようになって。それからは、古本屋にある雑誌や、寂れた文房具屋さんに残っている商品、レンタルビデオ店の型落ちビデオなんかを掘り出して、すみっこに追いやられている存在から、自分なりにカッコよさを見出していました。 ──そうしたモチーフを、自分なりにアレンジするようになったと。 ステレオテニス そうですね。80年代をそのまま表現する懐古趣味ではなく、80年代というエッセンスを自分なりに調合して、その時代に落とし込んでアレンジするというか。お仕事の場合、クライアントの反応によってそのバランスやモチーフを自分の勘で変え、提案したりすることもあります。 発想や視点は、矛先を変えても活かせる ──中でも反響が大きかったもの、個人的に手応えのあったものとして、どんなお仕事があるのでしょうか。 ステレオテニス 2010年代前半の、SNSでの広がりは印象に残っています。好きなアイドルについて「グッズを作りたい!」と発信したら、それが拡散されて事務所の方から連絡が来るようなことがありました。そういった仕事をきっかけに依頼もどんどん増えていって、同時に80年代的なムードが理解されるようにもなったことで、小学生のころ愛読していたマンガ『あさりちゃん』のコラボグッズを作らせてもらったり、サンリオさんとコラボレーションさせてもらったりするようになりました。 『東京ガールズコレクション』のキービジュアルは、親でも知ってるお仕事だったので、多方面から反響も大きかったです。それからだんだん平面のデザインではなく、立体物も手がけるようになりました。中でも、東京ディズニーリゾートの施設「イクスピアリ」内のプリクラエリア「moreru mignon」のディレクションは、立体としての規模も大きくて、やりがいがありましたね。 あと、電気グルーヴさんのグッズ制作は個人的に大きかったです。私が中学生のころから聴いていたミュージシャンでしたし、今でも第一線で長く活動されている方に、自分の表現を受け入れてもらえたことで、ある種の達成感を覚えたというか。 『東京ガールズコレクション』(2018)キービジュアル moreru mignon 電気グルーヴ公式グッズ ──そんな80年代も、今やブームと言われるほどの扱いになっています。 ステレオテニス 個人的な印象では3回目ぐらいの80年代ブームなんですけど、ここまで市民権を得るとは思いませんでしたね。ブームが続くと、もう当たり前の存在として定着してきちゃっているような気がします。だから、手慣れた感じでしつこく80年代的なデザインをやればいいのにって思いますけど、素直におもしろいと思えなくて。 それで、次は手段というか、表現の先を変えようと思うようになりました。自分の中にある80年代のポップさとか、発想の楽しさは活かしつつ、その対象を一過性で流れていくものではなく、誰もやっていない分野にシフトするのが楽しくなってきたんですよね。 地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」 ──そんな表現の変化として、地方でのクリエイションなどは当てはまりますか? ステレオテニス そうですね。地方を行き来していると、「人が減ってるな」とか、「こういうものが不足していて、こういうものは余ってるんだな」とか、世の中の縮図として問題を知ることがいろいろある。そういった課題や気づきを、自分が80年代を再解釈してデザイン表現したときに培った視点で見てみると、解決につなげられるかもしれない。そうやって表現が変換できることにワクワクしました。 それで、私の地元にある呉服店の昭和のデッドストック服をリブランディングして販売する「MOM’s DRESSER」というブティックやったり、同じようにメガネ屋さんと組んだり、飲食店と組んだりしていると、自分にしかない視点が活かせるとわかって。「人の役に立ちたい」とか、「地域貢献」とかって、あまり好きな表現ではないんですけど、結果としてそれが人のためにもつながることに魅力を感じるようになりました。あくまで自分がおもしろがっているだけなんですけど。 MOM’s DRESSER ──地元である都城市では、どのように活動を広げていったのでしょうか。 ステレオテニス 都城には、おしゃれなお店はあっても、知的好奇心に応えてくれるような文化の発信基地といえるような場所が少ないなと思ったんです。そんなときに、「都城市立図書館」という大きな図書館ができて、最初は実家に帰ったついでに仕事をする場所として利用していました。そのうちに、イベントスペースがあることが気になって、職員さんに何かやる予定があるのか聞いたんですよ。そうしたら、場所はあるけど企画がないので、考えているところだと。 それで、企画を持っていってみることにしたんです。実家に帰ることが増えてから、地元におもしろい活動をしている人がいたら、会いに行ってインタビューする、というフィールドワークをしていたので、これをトークショーにできないかと。それが『おしえて先輩!』というレギュラーの企画として採用されたのがきっかけですね。 ──地元での活動も続けるなかで、意識していることはありますか? ステレオテニス もう何年も離れているし、ずっと住んでいるわけじゃないので、地元だけど、地元じゃない、適度によそ者感覚でいることを大事にしています。それで、地元に対して「懐かしい」とか、「変わらないなぁ」とか言ってるのって、視野が狭い捉え方かもしれないと思って。そうすると、逆に地元が新鮮に見えてきました。同時に問題も見えてきたり。地元感とよそ者感、ふたつの視点を両立させて、おもしろいものを見つけていきたいですね。 サボりとは、贅沢のひとつである? ──ステレオテニスさんは「サボる」ということに対して、どう考えていますか? ステレオテニス 最近、サボっていかに好パフォーマンスを出すか考えるようになったんですよ。もともとアイデアがどんどん湧くので行動的なタイプだったんですけど、サボっているときのほうが行動的なときにはないクリエイティブにつながることに気づいて。ぼーっとしたり、好きなことをしていると、インスピレーションが湧いたり、悩みに対して別角度のひらめきが降りてきたりする。サボりは、自分本来のペースに戻す時間だと思うんです。 ──仕事などはどうしても人のペースに合わせることになりますが、サボってる間は自分のペースになれる。 ステレオテニス そうなんです。サボってるときは自分が軸になるんですよ。だから、ヒマとかサボりとかって、ある種の贅沢というか。「ヒマしてる」「ヒマだ」とか言うと、すごく退屈な印象で、みんなヒマを恐れがちなんですけど、「ヒマがある」「ヒマを持っている」と言うと、ちょっと高貴な気分になれませんか(笑)。 リトリート(日常生活から離れた場所で心身をリラックスさせること)なんかも流行っていて、何もないところに出かけて、何もしないことがレジャーになっている。ヒマを買う人がいて、それがビジネスになってるんですよ。ヘンな話ですけど。そうやってヒマを買うような忙しい人たちも、自分の軸ではなく、誰かの軸を基本に生きているという感覚が拭えないんだと思います。 お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ ──サボりともいえる好きな時間は、何をしているときなのでしょうか。 ステレオテニス 散歩したり、寝たり、コンテンツを観たり、温泉に行ったり、瞑想したり、いろいろありますけど、お金の勉強も趣味なんです。勉強というか、お金の世界を知るのが楽しい。仕事があるのに、お金の仕組みがわかる動画を観たりしちゃいます。遊びというか、仕事と直結しないことを一生懸命やってる感じですね。 その関心も、最初は「お金とは?」「経済とは?」といったところにあったんですけど、お金のことを考えていると、だんだん自分の価値観や生き方といったテーマに広がっていくのもおもしろくて。そんなに意識の高い話ではなくて、お金に縛られないでラクに生きる、発想の転換みたいなことなんですけど。 ──その結果、好きなことや趣味が仕事になって、夢中になっている人もいますよね。 ステレオテニス でも、仕事と遊びの時間は分けたほうがいいような気がするんですよね。私も遊んでお金をもらっているような感覚が仕事にあって、ずっと走り続けていても苦ではないんですけど、気がついたら背中から小さい槍(やり)で追い立てられてるように感じる走り方をしていることに、気づいてない場合もあると思うんです。それで結果的に、体にムリが出たりするのは違うのかなって。だから、ヒマを怖がってワーカホリックになったり、仕事が遊びだと言ったりするより、やっぱり遊びは遊び、真剣にヒマを持つっていう。そういうことがわかってきましたね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! この連載「サボリスト~あの人のサボり方~」が書籍化されることになりました。 これまでに登場した12名のインタビューに加筆したほか、書籍オリジナルの森田哲矢さん(さらば青春の光)インタビューも収録。クリエイターの言葉から、上手な働き方とサボり方が見えてくる一冊です。 『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』(扶桑社)は2023年3月2日発売
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「好きなことでムリなく働くために努力する」佐久間宣行のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、テレビ東京で多くの人気バラエティを手がけ、現在はフリーのテレビプロデューサー、ラジオパーソナリティとして活躍する佐久間宣行さんが登場。クリエイターとしてのルーツや、ほかとは違う番組の作り方、仕事との向き合い方とサボり方などについて聞いた。 佐久間宣行 さくま・のぶゆき テレビプロデューサー/ラジオパーソナリティ。『ゴッドタン』『あちこちオードリー』(ともにテレビ東京)などを手がける。元テレビ東京社員。2019年4月からニッポン放送のラジオ番組『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを担当。YouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』も人気。近著に『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社)がある。 目次SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンスエンタメはサボりのはずが、借金にしゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ ──佐久間さんは、コンテンツの作り手である一方、エンタメ好きとして映画、マンガ、演劇など、さまざまなジャンルの作品を幅広い媒体で紹介していますが、エンタメ好きになったきっかけは、どんな作品との出会いなんでしょうか? 佐久間 やっぱり、中学のころにSFを好きになったのが大きいですね。SFって、ストーリー以前に作品の世界観や仕組みから作っていくんですよ。構造の部分で大きなウソはつくけど、それ以外のディテールはリアリティで埋めていく。そういった世界の仕組みごと作るような作品を好きになったことで、自分がものを作る上でもルールが美しいものや、どこかに新しさがあるものを目指すようになった。SFからの影響は大きいですね。 衝撃的だったのは、中学1年くらいのときに読んだ士郎正宗さんのマンガ『ブラックマジック』。その世界観にびっくりしたのと、まわりの同級生は読んでいなくて、僕だけが出会ったという意味でも特別な作品です。 ──そこからSF小説なんかも読むようになったんですか? 佐久間 中学高校のお小遣いだと、なかなかハード系のSFには手が出せなくて。大学受験が終わったあたりから、よりハードなSFを好きになっていった感じですね。僕が青春時代を過ごした1990年代前半は、音楽でもルーツをさかのぼることが盛んに行われていて、僕は小説やドラマのシナリオなどで過去の作品に触れ、ルーツをさかのぼっていました。古典といわれるSF作品を読むと、「(現在の作品につながる世界観、設定などが)ここに全部あったんだ」といった発見がたくさんあるんですよ。 ──お笑い系のカルチャーも当然好きだったんですよね? 佐久間 もちろん。僕が中高生のころはダウンタウンさんの勃興期で、みんなヤラれてましたから。でも、個人的に大きかったのは、雑誌カルチャーと深夜ラジオですね。特に深夜ラジオは、中学1年でオールナイトニッポン(ニッポン放送)の2部に出会って、毎日聴くようになって。そうすると日曜だけ放送がないから、チューニングをして放送している番組を探していたら、大阪の『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)を見つけたんですよ。海沿いの街だからか、福島県のいわき市でも聴けたんです。 北野誠さんがパーソナリティのすごくカルトなラジオで、番組を通じて大阪のお笑いに詳しくなっていきました。あとは、大槻ケンヂさんや水道橋博士さんといった方々が出ていて、サブカルチャーにも触れられた。深夜ラジオが、地方で暮らすカルチャー不足の僕を救ってくれたんです。 番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンス ──佐久間さんのテレビ番組作りについて伺いたいのですが、企画についてはMCとなるタレントありきで考えていると言われることも多いと思います。そうなった背景などはあるのでしょうか? 佐久間 それはあくまでアプローチのひとつなんです。ほかと被らない番組を作ろうとしたときに、ジャンルから考えることもあるし、社会でまだ気づかれていないものから考えることもあるし、そのタレントがほかでやっていないことから考えることもある。 企画を考えるときはだいたいそうですね。自分を掘り下げるか、社会を掘り下げるか、パートナーとなるタレントや企業を掘り下げるか。そこから「このタレントのこういう面って取り上げられてないよな」といった仮説を立てていくんです。 ──仮説を立てるまでが大変そうですね。 佐久間 大変ですけど、日常的に疑問を持ったり、考えたりしているので、そこから仮説が生まれる感じなんですよね。たとえば、「NFT(偽造・改ざんできない、所有が証明できるデジタルデータ)がブームになるって言われてるけど、いつもの怪しい人たちが持ち上げているだけなのか、文化になっていくのか、どっちなんだろう?」とか。 タレントに対しても同じです。フワちゃんがテレビに登場したときは一過性のタレントだと思われてましたけど、仕事をしてみたらそうは感じなかった。きっとそうやって人を油断させながら、しっかりした仕事をしていくんだろうなって。だから、フワちゃんに番組に出てもらうときは、単なる賑やかしじゃなくて、芯を食ったことを言ってもらうようにしています。 ──そういったご自身の見方・価値観と、世の中の価値観とのバランスについては意識しますか? 佐久間 世の中で流行っているものをそのまま扱うことはまずないですね。それは別に僕がやらなくてもいいというか、マーケティングで企画を作れる人が、どんどんアプローチするだろうから。流行っているものの中に、僕が好きになれたり、おもしろがれたりする要素が見つかれば企画にしますけど。 それは、僕がテレビ東京出身だからかもしれません。フジテレビとか電通出身の人なら、人気者のイメージをうまく利用してコンテンツが作れると思うんですけど、かつては、いろんな局の番組を2〜3周してからしか、人気者はテレ東に出なかった。だから、人気者の人気者たる要素から企画を考えるクセがついてないような気がします。 ──自分の価値観をもとに企画を考えると、自分がおもしろいと思うものと、世間がおもしろいと思ってくれるものとでギャップが生じたりしませんか? 佐久間 自分のセンスや価値観だけじゃ番組作りを続けられないだろうから、仮説をもとに仕組みから作ってるんですよね。それでたまたま続けていられるだけで。最終的に自分のセンスを信用しなきゃいけないんですけど、最初から自分のセンスを信用してるわけではないというか。 ──ちなみに、最近では佐久間さん自身がメディアに出演するケースも多くなっていますが、タレントとしてご自身をどう捉えているのでしょうか。 佐久間 表に出ることは、自分では全然考えてないんです。番組の役に立てそうなら出る、くらいの感じで。ラジオは別ですけどね。パーソナリティを数年やってみて、やっぱりラジオが好きだなと思って。仮に『オールナイトニッポン0(ZERO)』が続けられなくなっても、どこかでラジオ番組を持って、しゃべり続けたい、リスナーと触れ合える場にいたい。だから、ラジオを続けるために努力する時間はとっておきたいし、もっと自分の価値観を込めてうまくしゃべれるようになりたい。ラジオパーソナリティであることに対しては、しっかりとした気持ちがあるんです。 エンタメはサボりのはずが、借金に ──佐久間さんは「仕事サボっちゃったな」と思うようなことはありますか? 佐久間 ありますあります。「結局寝ちゃったな」みたいなこともあるし。あとは、サボりとは違うかもしれませんけど、「ここでリフレッシュしないとちょっとしんどいな」と思って、計画的に仕事をしない時間を組み込むことは多いですね。 ──そういった時間にエンタメを摂取しているんですよね。 佐久間 そうなんですけど、最近は観たいものが多すぎて追いつかないから、常に借金を抱えているような状態なんです。だから、サボろうと思って予定を入れるというより、その借金を返すために空いている時間が埋まっていくというか。「やべー、もう劇場公開が終わっちゃう……」みたいな感じで、映画館に行く時間を作ったり。 ──もはやお仕事みたいですけど、やっぱりエンタメに触れる時間自体は別物なんでしょうか。 佐久間 そうですね。作品を観ることについては「勉強のためだ」とかまったく思わず、普通に楽しんでます。自分では、たまたまエンタメを作る側の立場にいるだけ、というイメージなんですよ。常に作品を作り続けなきゃいけない業を背負ったような人たちが、本物のクリエーターだと思うんです。でも僕の場合、一生ゲームをやったり、本やマンガを読んだりするだろうけど、クリエーターでいるのは人生の中で30年ぐらいだろうなって。 しゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない ──エンタメ以外に、佐久間さんが純粋に好きなことはありますか? 佐久間 人とごはんを食べることですね。本当に少人数で、仕事の話もしないような感じで。一緒に行くのは、大学時代の友人、会社で仲のよかった同僚、あとは後輩数人くらいですけど、おいしいお店でごはんを食べてるときが一番リフレッシュできているかもしれません。 ──仲のいい人といるときの佐久間さんは、どんな感じなんでしょうか。 佐久間 全然しゃべらないです。だいたい話を聞く側で。だから、みんな僕がラジオを始めたときに「こんなにしゃべるんだ!?」って驚いたと思います。誰かに言われたんですよね、「よく黙ってたね」って(笑)。そういう意味で僕のしゃべりに気づいたのは、秋元康さんですね。 秋元さんと『青春高校3年C組』(テレビ東京)という番組を一緒にやっていたとき、毎週定例会議があったんです。そこで秋元さんのひと言に対する僕の返しをおもしろがってくれたみたいで、秋元さんが『オールナイトニッポン』に僕を推薦してくださったんですよ。 ──そうなんですね。打ち合わせのやりとりから、ラジオパーソナリティもできるだろうという発想につながるのがすごいと思います。 佐久間 秋元さんも確信はなかったんでしょうけど、まず『AKB48のオールナイトニッポン』に中井りかさんのサポートとして「出てよ」って言われて。それがおもしろかったということだと思うんですけど。そこはさすが秋元さんだなと。 そんな佐久間さんのラジオでのトークなどがまとめられている 『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社) ──普段はあまりしゃべらないほうなのに、ラジオでは自然にキャラクターが切り替えられたのでしょうか。 佐久間 別にムリはしていなくて、キャラクターを作るというより「どの自分を出そうかな?」という感覚でしたね。そこでラジオ好きな自分を出していったっていう。ラジオでの人格も、自分の中にあるものではあるんです。年齢を重ねて、会社を辞めてフリーにもなって、自分にとって不自然なこと、メンタルにくるようなムリのある仕事はやめようと思って。できるだけ気が合う人と仕事をしていたい。そういう意味では、本当のプロフェッショナルではないかもしれません。イヤだったら辞めようと思って働いてるから。 ──オンとオフがあって、オフの状態がサボりということではなく、オンの状態もムリのないようにしていく。それもある意味で息抜きというか、サボりの技術かもしれませんね。 佐久間 基本的に、自分が信用できないんですよ。逆境やストレスの溜まる場所でもがんばれる人間だとは思えないというか。自分をマネジメントするもうひとりの佐久間としては、「佐久間という人間はイヤなことから逃げ出すぞ」ってわかるんですよね。だから、自分で自分のダメな部分をマネジメントする。スケジュールなんかも、「いやこれ、佐久間ムリなんじゃない?」とか、「スケジュールは詰まってるけど、楽しい仕事だから大丈夫そうだね」とか、自分を客観的に見て考えていますね。 撮影=難波雄史 編集・文=後藤亮平
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「心を動かしながら、遊ぶように働く」加藤隆生のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、さまざまな場所から謎を解いて脱出する「リアル脱出ゲーム」を生み出し、新たなエンタテインメントへと育て上げた、SCRAP代表の加藤隆生さんにお話を伺った。クリエイターと経営者、ふたつの顔をどのように行き来しながら、日々「ワクワク」を形にしているのだろうか。 加藤隆生 かとう・たかお 株式会社SCRAP代表取締役/バンド「ロボピッチャー」のギターボーカル。2004年にフリーペーパー『SCRAP』を創刊。同誌の企画として実施した「リアル脱出ゲーム」が評判を呼び、2008年、株式会社SCRAPを設立。多くのリアル脱出ゲームイベントを手がけ、その舞台は遊園地やスタジアム、海外にまで広がっている。また、新宿歌舞伎町の「東京ミステリーサーカス」をはじめ、常設店舗も全国各地に展開している。 ふとしたことから「物語の中に入る装置」を発明 ──リアル脱出ゲームは、2007年にフリーペーパーの企画として行ったのが最初だそうですが、きっかけはなんだったんですか? 加藤 僕が作っていたフリーペーパー『SCRAP』の企画だったのですが、このフリーペーパーはイベントで収入を得ていたんです。フリーペーパーに広告を載せて収益を得るビジネスモデルは崩壊していたので、フリーペーパーを豪華なチラシと捉え、イベントにつなげて集客して、入場料で収益を上げていました。 ある日、「どんなイベントを作ろうか?」という会議をしていたときに、スタッフに「最近、何かおもしろいことあった?」と聞いたら、「(ネットゲームの)脱出ゲームにハマってます」って言う人がいたので、「じゃあそれイベントにしよう」と。 第1回目のリアル脱出ゲーム『謎解きの宴。』 ──とはいえ、謎を作るのはもちろん、脱出ゲームをリアルに再現することなども難しかったのではないでしょうか。 加藤 意外と盲点だったのが、鍵の位置ですね。脱出ゲームって、密室の中で鍵を見つけて、最後にドアをガチャっと開けて出ていくんですけど、現実には部屋の内側に鍵穴のある部屋なんてないんですよ(笑)。外から人が入ってこないようにするものだから。でも、内側から鍵を開けるのが脱出ゲームの醍醐味だから、そこにはこだわろうと、段ボールやガムテープを使って即席の鍵を作ったりしましたね。 あとは、借りていたスペースにこちらが仕掛けた謎とは関係ないものがたくさん置いてあって、みんな、それもわーっとひっくり返しちゃうんですよ。で、そこにあったマンガの中から走り書きのメモみたいなものが出てきて、「これだーー!!」って(笑)。こちらとしては、「え、何それ!?」っていう。でもそれがきっかけで、謎解き目線で世の中を見れば、不思議なことはいっぱいあると気がつけたんです。 ──そういったお客さんの反応や、ご自身の手応えもあって、また開催しようという流れになっていったんですね。 加藤 そうですね。第1回を終えた夜には、「物語の中に入る装置を発明したんだ!」と感じて、謎をどんどん作りたいと思っていました。お客さんも大熱狂で、「興奮して眠れない」というメールが何十通と来て。ほかではできない体験だったので、飢餓感のようなものもすごかったと思います。 ──「早く次の謎をくれ!」みたいな(笑)。 加藤 でも、大事なのは謎じゃなかったんですよ。みんなでコミュニケーションを取りながら、協力して謎と向き合う空間、その仕組みが大事で。僕らは「物語体験」と呼んでいますが、物語を感じる場所、空気があれば、人は熱狂する。それは世界共通で、シンガポールでも、ニューヨークでも、どこでやってもお客さんの熱を感じました。 誰もやっていないことを、自ら切り拓いていく感覚だった ──それにしても、今ほどネットの拡散力が強くなかった時代に、どのように評判が広まっていったのでしょうか。 加藤 当時、mixiに「脱出ゲームコミュニティ」があったので、そこに「リアルでやります」と書いたら、コメントがブワーっとついたんですよね。コミュニティ参加者が6万人もいたので、そこで告知をしただけですぐにチケットが売り切れて。 それ以降は、100枚、200枚、400枚、1000枚と、倍々ゲームでチケットが売れていき、リアル脱出ゲームを思いついた日から4年後の2011年には東京ドームで『あるドームからの脱出』をやっていました。そのころにはTwitterもやっていましたが、東京ドームのときもTwitterとmixiで告知しただけで売り切れたんです。 ──ゲームとして楽しんでいた世界がリアルで体験できると聞いたら、ワクワクしますよね。それで、事業として展開していくようになったと。 加藤 そうですね。さまざまな企業からイベントの依頼や謎制作の依頼が来て、もう個人では対応できなくなり、2008年にSCRAPを設立しました。でも、1回目のイベントの時点で「もうこれは遊びじゃなくなるぞ」と思っていた気がします。そこからは見えるものがすべて謎に見え、日々新しいことを思いついたし、経験を重ねるほど次の経験が作れるようになっていったんです。 だから、ターニングポイント的な大きな出来事があったというより、毎日ターニングポイントを迎えているようなイメージでした。すごいスピードで成長していて、誰もやっていないことを自ら切り拓いて先頭に立っているような感覚で。「ここでは今、自分が世界一なんだ」と興奮してましたね。 ──ひとつずつイベントをこなしながら成長していくことで、東京ドームのような場所でも成立させられるスキルを身につけていったんですね。 加藤 考えてみると、東京ドームでリアル脱出ゲームをやったことは、ひとつのターニングポイントだったといえるかもしれません。小さな部屋だった会場がホール、学校、遊園地と、どんどん大きくなっていって。それが東京ドームになって、燃え尽きてしまった感覚がありました。ミュージシャンにとっての武道館のような場所ですし、名実ともに大きな場所はほかにないんじゃないかと。 そこで、「次は10人しか遊べない部屋を作ろう」と原点回帰して始めたのが、常設店舗です。アパートの一室を借りて、ルーム型のリアル脱出ゲームを展開していきました。イベントごとに会場を借りるのではなく、自分たちで店舗を運営する方向に舵を切ったんです。 「物語」が広げた、リアル脱出ゲームの世界 ──イベントとしての変遷だけでなく、ゲーム自体の変化や進化などはあったのでしょうか。 加藤 コルクという会社の佐渡島庸平さんが編集者として講談社にいらっしゃったときに、マンガ『宇宙兄弟』とコラボしたんです。そのときに、「本当に脱出できてよかった」と泣けるような物語にできないかと提案されて。僕はそれまで、物語は謎解きにとってジャマだとすら思っていたんです。でも、いざ物語をつけてみると、シビアな判断をして脱出しなければならないこともあり、謎が解けた興奮とは別の感動があった。お客さんがみんな泣いていて、それを見て僕も泣いて(笑)。物語性のあるリアル脱出ゲームを作ってみませんか、というのはすごくクリティカルなアドバイスだったと思います。 それをきっかけに、うちのスタッフも急に脚本を書き出すようになって。素人が脚本なんて書けないだろうと思っていたんですけど、みんなサラサラ書いちゃうんですよ。ゲームのシステムや設定を踏まえて、その世界、空間をよりよくするための文章なら、ある意味プロよりもそのゲームを作っている本人のほうがうまく書けるんですよね。 「無実の罪で刑務所に収監され、処刑が目前に迫り脱獄に挑む」というストーリーのある『ある刑務所からの脱出』。 ──やはりスタッフの方々も「リアル脱出ゲーム脳」が発達しているんですね。 加藤 当然、一緒にゲームを作ってきたスタッフたちも、僕と同じようにリアル脱出ゲームを作る力をつけていて、いつの間にか追い抜かれていました(笑)。僕はどうしても経営のほうに回らざるを得ないときもあるので、途中から「もう俺より先に行ってくれ」とゲーム作りを任せるようになっていったんです。 アイデアはパソコンの前に座っていても出てこない ──ご自身が最前線でリードされていたクリエイションを、人に任せることは簡単ではなかったんじゃないかと思います。 加藤 「俺が世界一だ」と思ってやってきたので、やっぱり最初は身を引き裂かれるような思いもありました。でも、47歳になった人間が最前線に立ってクリエイティブだなんだと言っていても、しょうがないなと思ったんです。若い人たちのほうが心の動きのストレッチもきくし、絶対量も多い。だったら、任せちゃったほうがいいんですよね。 今は「どんどんやってくれ」と思うし、スタッフが結果を出せば、自分がそのゲームを作ったかのようにはしゃげる。でも、心のどこかでは「俺のおかげだな」とも思っていて(笑)。彼らがアイデアを思いつけるような場所を用意したり、方法論を作ったりしてきたと、こっそり思ってきたからなんでしょうけど。 ──ゲーム作りのノウハウや知識はしっかり共有されているんですね。 加藤 僕が知っていることは、すべて会社で共有するようにしています。たとえば、謎作りのアイデアが浮かんだとき、すぐに専門家に相談して実現する方法を探ることができるのも、ひとつのアイデア力、企画力だと思うんですけど、そういったネットワークも共有していきました。 あとは、企画の作り方ですね。パソコンの前に座って考えていても、アイデアなんて思いつかないと思うんです。僕のイメージでは、「さあ、思いついて」って言われた瞬間に思いつけないともうダメ。日常的にアイデアにつながるインプットをしていれば、すぐに出てくるはずなんです。何も思いつかないのは、それまでの半年間サボっていたということ。だから、半年後にアイデアを思いつけるような努力を毎日していこうとは、みんなに話しています。 ──何からインプットするかは、やはり人それぞれなんですかね? 加藤 そうですね。マンガでもいいし、山登りでもいい。日常の中にヒントは転がっているはずだから、それを意識することが大切だと思います。ただ、好きなものじゃないと心は動かないので、何かを好きになる能力が高い人は、ゲームもたくさん作れるんですよね。自分の心が動くプロセスを観察できないと、人の心の動かし方もわからないんじゃないでしょうか。 サボりもどこかで仕事とつながっている ──加藤さんの「サボり」についても聞かせてください。 加藤 仕事をサボるほど忙しくないんですよ。1日5時間予定が入っていたら、「うわ、忙しいな……」と感じます。自分では、1日3~4時間で滞りなく業務をこなせる能力があるんだと思っているんですけど(笑)。それくらいの時間ですべてを処理できるようなチーム作りもしてきました。 そう言うとなんか偉そうですけどね(笑)。もちろん、空いている時間にもいろいろ話しかけられたりはするので、純粋に3~4時間しか会社にいないというわけじゃないんです。でも、それは仕事だと思ってないというか。 ──遊びを仕事にしているだけに、線引きが曖昧なのでしょうか。 加藤 はい。今だったらハマってるラジオについて早く社員と話したいんですけど、そう思っている時間も仕事といえば仕事なんです。だから、スマホのソーシャルゲームにハマってダラダラプレイするようなことにも、あまり罪悪感はなくて。絶対にどこかで仕事とつながっているはずだから。 ──常にスイッチをオンにした状態で遊んでいるとしたら、そういった意識もなく純粋に楽しんでいることはあるのでしょうか。 加藤 最近、やっと仕事と関係ない趣味だと思えるものができてきたんです。山登りが好きになって、社内に登山部があるので、その活動に子供と一緒に参加したりしています。あと、仕事っぽくはなりますけど、社内で発足したミステリー研究会にも参加しています。毎月みんなで課題図書を読んで、その感想戦的な飲み会をするんですよ。感想戦の1週間前からドキドキするくらい、それが楽しくて。 ──ひとりで楽しむよりも、みんなで楽しむことが好きなんですね。 加藤 単純に寂しがりなんですよね。会社設立当初は、よくみんなをごはんに誘っていたんですけど、反応が悪いと「もう会社辞める! 俺がなんで会社作ったかわかるか? ひとりになりたくないからや!」って(笑)。それで、みんなパソコンを閉じてごはんに行ってくれる。そんな時代もありました。 今はそうもいかないので、ミステリーとかラジオとか登山とか、共通する話題のある人たちとランチに行ったりしているんです。人と何かを共有するのが好きなんでしょうね。仕事のことをすぐに社内で共有するのも、業務として意識しているというより、単純に自分がそういうタイプなだけなんだと思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「普通からズレても、ブレずに自分の“好き”を貫く」中屋敷法仁のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、劇団「柿喰う客」の主宰として演劇シーンをにぎわせながら、2.5次元舞台なども積極的に手がけている劇作家・演出家の中屋敷法仁さん。幼少期からブレずに活動を続けてきた中屋敷さんの、妄信的なまでの「演劇愛」とは? 中屋敷法仁 なかやしき・のりひと 高校在学中に発表した『贋作マクベス』にて、第49回全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞を受賞。青山学院大学在学中に「柿喰う客」を旗上げ、2006年に劇団化。旗揚げ以降、すべての作品の作・演出を手がける。劇団公演では本公演のほかに「こどもと観る演劇プロジェクト」や、女優のみによるシェイクスピアの上演企画「女体シェイクスピア」などを手がける一方、近年では外部プロデュース作品も多数演出。 「自分が一番光る場所は、舞台しかない」と思っていた ──中屋敷さんは高校演劇の大会で賞を受賞されるなど、早くから活躍されていますが、演劇と出会ったきっかけから聞かせてください。 中屋敷 一応演劇をお仕事にさせてもらっていますが、思い返すと、5歳のお遊戯会の時点で「世に出てはいた」んです。僕は勉強もスポーツもできなかったんですけど、お遊戯会だけべらぼうに褒められていて。僕としては、演劇でデビューしているという意識でやっていたというか、「自分が一番光る場所は舞台だ」という認識はありました。 みんなにとっては日常が自然なもので、演劇は誰かを演じたり装ったりする世界だったと思うんですけど、僕は逆に役があることで人と会話ができた。実生活では、人とどうコミュニケーションを取ればいいのかわからなかったんです。普段はまったくしゃべらないのに、学芸会になると誰よりも大きい声でハキハキしゃべれたから驚かれていましたね。 ──でも10代になると、人前に出て演技をするにも自意識が邪魔をするというか、恥ずかしくなったりしませんでしたか? 中屋敷 僕は全然恥ずかしくなかったですね。むしろ、一番の地獄は高校の修学旅行でした。新幹線でボックス席になるとか、夜に部屋を行き来するとか、まったくついていけなくて。友達がいないわけでも、ひとりになりたいわけでもないけど、何をすべきかわからなかった。今思えば、雑談をするにしても100%おもしろくて素敵な話をしなければいけないと考えて、うまくできずに苦しんでいた気がします。 ──演じるだけでなく作る側に回ったのも、ご自身の中では自然な流れだったのでしょうか。 中屋敷 演劇部では脚本と演出と主演もやってましたが、とにかくお芝居を作ってみたい、演じてみたいと思っていました。ただ、ほかの部員とはあまりうまくいってなかったです。部活動って、みんなで楽しくやったり、思い出を作ったりすることにも価値があるはずなんでしょうけど、僕は「おもしろい芝居をやらなかったら、やる意味がない」くらいの気持ちでいたので。 おもしろいかどうかは、自分が決めることじゃない 柿喰う客『滅多滅多』(2021年5月) 撮影:神ノ川智早 ──大学時代には劇団「柿喰う客」を立ち上げていますが、当初から「圧倒的なフィクション」といったコンセプトも構想されていたんですか? 中屋敷 そこまで深く考えてませんでしたね。ただ、それまではどうすれば大会で勝てるかとか、同級生にウケるかとか、目的や観客ありきで逆算して作品を作ってきたところがあったので、もうちょっと自分の内面と向き合ってみようと思っていたくらいです。 それで、「妄想」をテーマに自分の頭の中をさらけ出すような作品を作ってみたら、すごくグロテスクなものができてしまって。ただ、演劇はおもしろいけど、自分という人間はつまらないと思っていたのが、「けっこう俺ってヘンだぞ」「人と違うところはあるけど、なかなか悪くないな」と、劇作を通じて自分を客観的に見るようにはなりました。 ──作品を継続的に発表し、劇団としての存在感を高めていくなかで、手応えを感じたり、思うようにいかなかったりしたような紆余曲折はあったのでしょうか。 中屋敷 20歳くらいで演劇をやっていると、「将来これで生きていけるのか?」って、まわりのみんなは悩むし病んでいました。でも、僕はそういうことで悩んだり、ブレたりしたことがない。作品のおもしろさどうこうではなく、演劇に対してこんなに狂信的で盲信的なのはすごいなと我ながら思ったりします。 お客さんが全然入っていないお芝居でも、人生が変わるくらい感動した人はいるかもしれないし、みんながおもしろいと言う作品でも、自分はノれないこともあるわけで。評価を気にしないことはないんですけど、自分の達成感とみんなの評価は違うものなので、そういう点でもブレませんでしたね。 柿喰う客『空鉄砲』(2022年1月) 撮影:サギサカユウマ ──作品作りに関する悩みやスランプも特になかったんですか? 中屋敷 これがないんですよ。先輩たちから「お前は葛藤がなさすぎる」「演技に関する考えが甘いぞ」なんて言われて、「悩んでなきゃまずいんじゃないか」と考えたこともあります。でも今は、「甘くてもいいじゃないか!」って思いますね。無理に悩む必要はないわけで。 「生みの苦しみ」って言葉も、僕はウソだと思ってます。書けないことや思いつかないことは、周囲の人に対して申し訳ないなという気持ちはあるけど、それ自体は苦しくないんですよ。出ないものは出ないし、出たものがたとえつまらないと思っても、とりあえずやってみる。自分ではおもしろいと思えなかった作品に限って、「最高傑作だ」ってみんなに褒められたりするんですから。自分ひとりで判断して、世に出す前にひとりで苦しんでも得がないなとは思いますね。 ──では、ブレずに作り続けた作品において、「演劇のフィクション性」を大事にされているのはなぜでしょうか。 中屋敷 お金と時間をかけて観劇していただくので、日常の延長ではなく、幕が開いた瞬間にすべてのルールが変わるような強い作品をお届けしたいんです。日常とはまったく異なるフィクションの世界に飛び込むことで、お客様の日常もラクになるんじゃないかなと思っていて。僕自身の実生活がそれほどおもしろくないと感じていたからかもしれませんけど。 ──非日常的な演劇を作る上でのこだわり、核となるものなどはあったりするんですか? 中屋敷 気持ち悪いですけど、やっぱり「愛」だなと思います。怒りや悲しみといったネガティブなもの、もしくは悩みや戸惑いといった揺らぎみたいなものって、実はそんなに表現に必要ないと僕は思ってるんです。自分たちがいかに演劇を愛しているか、いかにこの物語を通して世界を肯定的に見ているかを伝えたい。できる限り健康的で、健全で、誰かに対してポジティブな感情を持っていないと、表現を信じられないんじゃないかなと。 お客さんとイマジネーションを共有する2.5次元舞台 ──最近では、2.5次元舞台(マンガやアニメを原作とした舞台)の演出でも活躍されていますが、作品の作り方などに違いはあるのでしょうか。 中屋敷 マンガを読んでいてセリフが声で聞こえてきたり、絵が動いて見えたりしたことってあると思うんですけど、2.5次元舞台では、そういった人間のイマジネーションをくすぐるのが大事だと思っています。原作をそのまま再現しなくても、お客さんの想像力によって作品の世界は動いているはずだから、一緒にその世界を楽しんでいきたいんです。 キャラクターの再現率はあくまでもスタート地点でしかなくて、舞台で観る以上、そのキャラクターに会えたとか、そのキャラクターの感情に触れられたとか、そういう感動がないといけないなと思いますね。 ──イマジネーションを共有できる世界を、舞台上に作り上げていくんですね。演出を始められた当初から、そのような意識はあったんですか? 中屋敷 2.5次元は原作のイメージが強いので、「僕がお客さんなら絶対にこのシーンはやってほしいだろうな」みたいなことは考えてましたね。だからこそ、「どう(演出)するかわからないところほど、お客さんをびっくりさせないとな」という気持ちもあって。 初めて演出した『黒子のバスケ』だと、バスケットボールを舞台上でどう扱うかがまず問題になるんですけど、僕にとってはむしろ「お好み焼きをどう飛ばすか」のほうが難関だったりして。原作にお好み焼きを焼いていたら飛んじゃって、あるキャラクターの頭に乗っかるっていうシーンがあって、どう飛ばすかずっと考えていました。結果的にとてもくだらない飛ばし方を思いついて、本番でも大爆笑でしたね。 ──ボールよりお好み焼き(笑)。そういった細部へのこだわりのほかに、2.5次元舞台における中屋敷さん演出の特徴と呼べるものはあるのでしょうか。 中屋敷 僕は俳優さんが好きなので、彼らが埋もれるようなスケールのセットや大がかりな舞台転換なんかはあまり好きじゃなくて。このスタイルには称賛も批判もあると思うんですけど、できるだけ俳優さんに目が向くように心がけています。 『文豪ストレイドッグス』という舞台には、キャラクターがトラに襲われるシーンがあるんですけど、普通はトラをどう作り出すか考えるじゃないですか。でも、僕はアニメを観たときから、トラから逃げるキャラクターの動きが素敵だから、そこを描きたいと思っていました。トラは映像でいいので、俳優さんの心と体の動きにお客さんの注意が向くようにしたかったんです。 仕事を詰め込まないとパンクしてしまう? ──中屋敷さんのように常に動いていたいタイプの方だと、やはり仕事をサボりたいと思ってしまうようなことはないのでしょうか。 中屋敷 僕は演出家としては多作な部類なんですね。月に1本以上の作品を作っているので、台本を執筆しながら別の舞台の稽古をしたり、午前と午後で別の舞台の稽古に行ったりすることも多い。でも、そうしていないと苦しくなってしまうところがあって。なんか、「頭の中がパンクしちゃう」と思うんですよね。 ──普通は仕事を詰め込むことでパンクしちゃうものですが……。 中屋敷 ちょっとわかりにくいですよね(笑)。過去に一度だけ、ひとつの作品に集中しようと思って、創作に2カ月ぐらいかけたこともあったんですよ。でも、それが僕にとっては地獄の2カ月で、何がやりたくて、何がおもしろいのか見失ってしまって。結局、「もっとたくさんの演劇を観たい、もっとたくさんの俳優さんに会いたい」という気持ちが原点にあるんだと気づいた。だから、僕のサボりも、関係ない演劇作品について考えることだったりするんです。 ──常にたくさんの演劇に触れることが、ある種のサボりというか、息抜きになっているんですね。 中屋敷 「わ~! やることいっぱいある!」って言いながら、直接は関係ないシェイクスピアとかを読んだり、目の前に締め切りがあるのに、1年後に演出する舞台の台本を読んだりしてしまうんですよ。それってサボりなんですけど、自分の作品から離れることでその作品のよさがわかることもあるし、1年後にやる台本を読むことで「準備がいい」と言われることもある。だから、線引きが難しいんですよね。 でも、ごはんを食べに行ったり、山登りに行ったりしても、まったくサボれた気がしない。ちょっと思考が止まっていただけであって、作業を再開したときに何もリフレッシュできていないようなことはよくあります。 ──では、演劇以外で単純に好きな時間、好きなことはありますか? 中屋敷 怖いことに、これもあんまりなくてですね……。家族と過ごしたり、友達と遊んだりするのはすごく楽しいんですけど、没頭するほど好きなものってないなと思っていて。ドラマや映画で俳優さんを見ることは好きですけどね。演技をしている人間や、その芸を見るのは気持ちがいい。 あと最近は、ドラマのスタッフさんに注目しています。この人のプロデュースはいいなとか、このチームの撮り方はすごいとか、美術も作り込んでるなとか。俳優さんだけでなく、俳優さんの魅力をどういう人たちがどう引き出しているのかにも興味があるんです。 ──稽古や取材のときも常にピンクパンサーのぬいぐるみを持ち歩いているそうですが、日常的に大事にしていること、ルーティンなどはあるのでしょうか。 中屋敷 また演劇の話になりますが、“演出家らしさ”を装わないようにしていますね。演出家になりたかったのではなくて、学芸会が楽しかったという思い出が創作のエネルギーの基本にあるので、童心を忘れないようにしたい。ぬいぐるみを持っているのも、そのための警告だったりするんです。演出家ぶって偉そうなことを言っても、ぬいぐるみ持ってたら間抜けじゃないですか(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「ウソとホント、仕事とサボり、あいまいだからおもしろい」吉田悠軌のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は実話怪談界をリードする怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんに、怪談との出会いやこれまでの活動、実話怪談の魅力などについて聞いた。「虚実のあわい」にあるという怪談が、なぜブームと呼ばれるまでに広まっていったのだろうか。 吉田悠軌 よしだ・ゆうき 怪談・オカルト研究家。早稲田大学卒業後、ライター・編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長として、オカルトや怪談の研究をライフワークにしている。TBS『クレイジージャーニー』など、さまざまなメディアに出演。テレ朝動画『あなたのまだまだ知らない世界』ではナビゲーターを務めている。怪談に関する著書も多数。近著として、『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』、『現代怪談考』などがある。 好きで始めた怪談が、やがて仕事に ──吉田さんが怪談の道に進んだのは、稲川淳二さんの怪談に出会ったのがきっかけだそうですね。 吉田 はい、2005年ですね。もちろん、小さいころから怖い話などには触れてきてはいましたが、「怪談をやりたい」と思ったのは社会人になってから、まあ、就職できず社会人にはなれなかったんですけど(笑)、稲川淳二さんのライブを観たのがきっかけですね。それで、一緒にライブに行った今仁(英輔)さんという人と怪談サークル「とうもろこしの会」を立ち上げました。 最初は仕事にしようとか、お金にしようとかいう気持ちもなく、怪談好きの人とただ飲み会をやっていた感じで。当時は今ほど怪談が一般に浸透していなかったので、普通の飲み会で怪談の話をすると引かれたというか……まあ、今でもそうでしょうね(笑)。それで、数少ない同好の士と怪談について語り合っているうちに、だんだんLOFT(新宿などにあるトークライブハウス)なんかでイベントをするようになったというか。 ──だんだんお仕事として活動できるようになっていったと。 吉田 時代がよかったんですよね。業界で怪談のプレイヤーを育てようという動きが起こったタイミングだったので。怪談をリードする出版社の竹書房が新人発掘のために『超-1』という実話怪談著者発掘の大会を始めたり、LOFTでも若手の怪談プレイヤーで新しいイベントを企画していたり。それがちょうど2005~2006年くらいだったんです。 私も書き手と語り手の2本柱で活動するようになりましたが、それでも職業にできるほど稼げるまでには7~8年かかっています。その間はずっとバイトをしていました。営業前の居酒屋を借りてイベントをやっても、お客さんがふたりだったこともあって……それこそ『浅草キッド』みたいな状況でしたね(笑)。 30年以上の歴史の中で広がっていった「実話怪談」 ──そこから吉田さんが怪談を仕事にできるようになったのは、何か転機などがあったのでしょうか。 吉田 ある時期を境に大きな変化が起きたわけではなくて、怪談がだんだん社会に受け入れられ、仕事が増えていったという感じですね。やっていることは変わらないのですが、本を出したり、イベントをやったり、メディアに出たりする機会が多くなった。 昨今の怪談は主に本当にあった怖い話である「実話怪談」と呼ばれるものなのですが、私はその動きを15年スパンで3期に分けています。第1期は1989年~90年くらい、平成とともに始まっていて、私は第2期が始まる2005年くらいから活動を開始しました。そして、平成とともに第2期が終わり、令和とともに第3期が始まった。こうしてゆるゆるとシーンの裾野が広がっていったというイメージですね。 ──3期の違いというのは、どういったところにあるんですか? 吉田 第1期はすでに名が売れている作家さんの本やイベントを楽しむような受け入れられ方でしたが、第2期になると、一般の人も「怪談をやろう」とプレイヤーとして動き出すようになりました。私も含め、名もない怪談好きたちがインディーズでバンドを始めるように怪談を語るようになったんです。 そして第3期になると、インターネット配信によってプレイヤー数が爆発的に増えました。YouTubeなどで手軽に配信・視聴ができるようになり、熱心な怪談ファンだけでなく、ライトユーザーと呼べるような人も増えたんだと思います。令和になってから、ほかの業界の方から「今、怪談ブームだよね?」と言われるようにもなりました。 虚と実のあわい……「実話怪談」の不思議な魅力 ──吉田さんの考える「実話怪談」の特徴や魅力などについて聞かせてください。 吉田 ジャンルとしては、実際に不思議な体験をした人がいて、その体験者への取材をもとにしたレポートであるというのが実話怪談です。怪談はそもそも、信ぴょう性やリアリティのグラデーションはあるにせよ、「本当にあった怖い話」のはずですよね。実話怪談はそれをより明確にし、少なくとも体験者は本当にいる、自分で取材したのでその点は担保します、というルールを徹底しています。 私は実話怪談を、書き手や語り手とその受け手が一緒に育てていった、ひとつの文化運動として捉えています。自分が2005年に出会ったときも、「これは新しい、来るな」と文化的な広がりを感じて、「一生やる仕事だな」と確信しました。自分がもっと深掘りし、広げていくべきだと。 ──その新しさとは、どのようなところにあったのでしょうか。 吉田 実話怪談は人の体験談なので、小説のように作家がゼロから創造した作品ではありません。また、リアルなレポートではありますが、ドキュメンタリーやルポルタージュともちょっと違う。不思議な体験を扱うので、体験者はウソをついていなくても、結局、それが証明・検証できる事実かどうかはわからない。本当か事実かということを、きっぱり分けられない。そういった虚実のあわいが、魅力的で新しいと感じました。 私たち怪談好きは、不思議な現象を「本当にあるんだよ!科学的に証明できるんだよ!」と主張しているわけではないんです。証明できるとは思っていませんし、証明できちゃったら怪談じゃないと思っています。でも、不思議な体験をした人がいるのは事実で。私だけでも何千人と取材していますが、みんながウソをついているとは考えにくい。だったら、不思議な体験があるということを楽しみましょうと。肯定と否定の二元論ではなく、その先のステージで考えています。 ──受け手の人たちも、吉田さんのように「ウソかホントか」を超えて不思議な現象を楽しんでいるんでしょうね。 吉田 そうですね。社会におけるリテラシーが変わったというか、「どうせウソでしょ?」と、怪談は科学的思考ができない人が楽しむものだと切って捨てられるようなことが、だんだんなくなってきたと思います。 実話怪談を楽しんでいる人たちは、日常とは異なる世界、異界のようなものがあるかもしれないことに、恐怖やワクワクを感じている。それって、ある種の救いになったりもするじゃないですか。 ──自分が知っている世界がすべてではない、という感覚が楽しみや救いにつながるのはわかる気がします。宇宙探査なんかもかつてはそういった魅力があったんでしょうね。 吉田 つまり「秘境」ですよね。ネット社会になって情報がグローバルに共有され、Googleマップが登場したことで、地理的な意味での秘境はなくなりました。日本でも、90年代までは山奥に誰も知らない村落があるんじゃないかという噂があったりしたんですよ。でも、実話怪談では誰かの身近な体験として不思議なことがある。今はそういう話が求められていると思います。 「俺がなんとかしなきゃ」怪談シーンは終わらせない ──吉田さんは体験者に取材するだけでなく、現地を取材したり文献にあたったりと、怪談を研究するような活動もされていますが、活動としての違いはあるのでしょうか。 吉田 体験者に聞いた話を語ったり文章にしたりする表現的な活動も、現場や文献にあたる批評的な活動も、根本的には同じものだと思っています。実話怪談はそのすべてを組み込める、広がりのあるジャンルなので。誰かの体験談を語り、作品にするのもある種の批評行為なんですよね。人から聞いた体験談をこちらで再構成し、編集して世に出すわけですから。 また、怪談イベントでは、誰かの話にほかの演者が「その話って、こういうことなんじゃない?」と感想を言い合うことがよくあるんですけど、その解釈、つまり批評自体が怖かったりもする。怪談というジャンルはクリエイション(作品)とクリティーク(批評)の境がないんですよね。だから、新しいんだと思いますし、21世紀になって流行っているんでしょうね。 ──では、今後の怪談シーンはどうなっていくのか、またご自身はどう活動されていくのか、お考えを聞かせてください。 吉田 「業界がどうなるか」と受動的に眺めるのではなくて、「俺がなんとかしなきゃ」とは思っていますね。せめて私が老後を迎えるまでは、怪談業界を存続させたいので(笑)。若手も食っていけるようにするために、業界の整備、マネタイズできるような仕組み作り、後進の育成などに意識的に取り組んでいます。まだまだ怪談業界を盛り上げていきたいですね。 仕事の中の「快楽」を見つけてサボる ──吉田さんの「サボり」についても伺いたいのですが、お仕事中についサボってしまうことはありますか? 吉田 自分の中では、ほぼサボってるなという感覚です。ちゃんと仕事をしているのは1日2時間くらいかもしれない。「もういいや、本でも読んでよう」って寝転んでサボっているつもりでも、読んでいるのは資料なのであいまいなんですけど。でも、調査も、文献にあたることも仕事としてカウントしていないんです。 すごい極論ですけど、全知全能の人なら何も調べなくても完全なる正解を書けるわけですよね。調べないで書けたほうが偉いんだけど、調べないと書けないから仕方なく調べていると自覚すべきであって、こちらから自慢してはダメというか。資料を求めて国会図書館に通ったりもしますが、手足を動かして、ひたすら調べればいいわけで。たとえば毎日20kmを血ヘド吐きながら走っているというのとは違う。他人に指摘されるならともかく、自分から「努力してる」「これだけ取材してます」とは言わないほうがいいなと思っています。あくまで好みの問題ですが。 ──他人から見たら煩わしいことが苦にならないという意味では、調査などは向いていることなんでしょうね。 吉田 性には合っているんでしょうね。資料にあたるのが一番の息抜きだったりもしますし、単純に楽しいので。半信半疑で調べていたネタの気になる点を調べていくうち、その元となる情報が本当にあったんだと発見できたときは、めちゃくちゃテンションが上がりますよ。そういった意味でも、苦行に励む努力の類いではない。自分にとって、やっぱり努力ではなく快楽なんですよね。 logirlで配信中の3番組による『logirlスーパーオンラインライブ』が3月20日(日)に開催! 吉田さんもcaicatariスペシャル『三種の恐気(おそれげ)な夜』に登場します ──では、怪談とは関係なく妙に好きなこと、ハマっていることなどはありますか? 吉田 歩くことですね。都内をあちこち歩いているうちに、結局、怪談につながってしまうことも多いんですけど。怪談がささやかれる場所は、たいていアップダウンのダウンに当たる地形で、かつて川だったのが暗渠(あんきょ)になっていたり埋め立てられていたりするような元水場、そういう場所ばっかりなんです。 でも、怪談に出会う前からめちゃくちゃ歩いてましたね。バイト中に電車賃を浮かせるために歩いたりもしていましたが、それも好きだから歩いていただけで。今でもよく歩いています。こんなご時世になる前は、よく缶チューハイを片手にラジオを聴きながら歩いていました。 ──だいぶエンジョイしてますね(笑)。 吉田 いかがなものかとは思いますが……(笑)。私、お酒は好きなんですけど、お店にはあまり行かないんですよ。ひとりでは行かないし、人を誘って行くこともない。仕事のあとの打ち上げは大好きなんですけどね。だから、わざわざ外に出て歩いて飲んでいたんです。 ──何か目的やゴールを決めることもないんですか? 吉田 そうですね。メンチカツのおいしい店を調査しているので、気になる店の近くを通ったら買ったりしますけど、基本的に何も決めていません。なんなんでしょうね、本当に単純に歩くのが好きなんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 吉田悠軌さんがMCを務めるテレ朝動画logirlの怪談番組 『あなたのまだまだ知らない世界』が「TVer」で配信中! 同じくテレ朝動画logirl『恋する怪』も「TVer」で配信中!
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「出会いを大切にしながら、自分と向き合っていく」塩谷歩波のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、建築図法を活用して銭湯を描いた「銭湯図解」が話題を集めた塩谷歩波さん。詳細なだけでなく温かみも感じられる図解の描き方や、絵を仕事にするまでの歩み、リフレッシュにまつわる哲学などを語ってもらった。 塩谷歩波 えんや・ほなみ 画家。早稲田大学大学院(建築専攻)修了後、設計事務所、高円寺の銭湯・小杉湯を経て、画家として活動を開始する。2016年より建築図法「アイソメトリック」と透明水彩で銭湯を表現した「銭湯図解」シリーズを SNSで発表。2019年にシリーズをまとめた書籍『銭湯図解』が発売されたほか、TBS『情熱大陸』など、多くのメディアにも取り上げられた。現在はレストラン、ギャラリー、茶室など、銭湯に留まらず幅広い建物の図解を制作している。ゲスト出演したテレ朝動画『小川紗良のさらまわし』が、3月11日(金)17時〜logirlにて配信予定。 どん底の気分から救ってくれた、銭湯との出会い ──塩谷さんが「銭湯図解」をきっかけに絵をお仕事にするまでには、いろいろな体験や出会いがあったそうですね。 塩谷 はい。大学で建築を学び、設計事務所で働いていました。でも、大学時代に思うような成績が取れなかった悔しさなどから、がんばりすぎて体調を崩してしまったんです。病院の先生に3か月休職するように言われて、「もうこの業界でやっていくのは無理かもしれない……」とだいぶ落ち込みました。 そんなときに、同じように休職していた知り合いに誘われて、銭湯に行ったんです。久しぶりの銭湯は、身も心も疲れていたこともあり、めちゃくちゃ気持ちよくて。「こんなにゆっくりできるの、久しぶりだな」ってすごく感動したんですね。そこから、いろんな銭湯に行くようになりました。 ──そのよさをイラストで表現しようとして、「銭湯図解」が生まれたと。 塩谷 当時、友達とTwitterで交換日記のようなことをしていたんですけど、その子に自分が好きな銭湯について知ってもらおうと思って描いたのが、「銭湯図解」なんです。その絵が銭湯好きの方々の目に留まって。「いいね」をもらえたのがうれしくて、どんどん絵を描くようになったという感じですね。 最初は走り描きみたいなものでしたけど、反応をもらううちに「私が銭湯で感じたよさはこんなものじゃない」「もっと描ける」と、自分が感じたものをよりよく伝えたくなって、試行錯誤するようになりました。最初から建築図法は使っていましたが、浴室をきちんと測量し、より詳細に描くようになったり、水の光の照りを描こうと工夫したり。 高円寺の銭湯「小杉湯」の銭湯図解 建築と銭湯、共通するもの、違うもの ──「銭湯図解」を描き始めたことで、実際に「小杉湯」という銭湯で働く経験もされているんですよね。 塩谷 いろんな銭湯さんから図解のご依頼をいただくようになるなかで、小杉湯の3代目と親しくなったのがきっかけです。ハウスメーカーの営業をされていたこともあり、銭湯を戦略的に盛り上げようと考えているような方で。私も建築の知識を活かして、銭湯で何かできないか考えていたので、すごく仲よくなったんです。 復職したものの、やっぱり体調がついていかないという時期で、そのことを3代目に相談したら「うちで働けば?」と誘ってもらえたので、思い切って転職することにしました。受付や掃除といった業務はもちろん、イラストつきのPOP作り、メディア取材やイベント対応といった広報業務、自主イベントの企画など、いろんなことをやらせてもらいましたね。 ──設計事務所とは異なる分野で働いてみて、得たもの、感じたことなどはありますか? 塩谷 分野は違いますけど、銭湯の仕事は建築に通じる部分も多かったと思います。建築を学んでいたとき、場所や家族構成などの設定をもとに「この家族にとって住み心地のいい家とは?」といった課題に取り組んでいましたが、小杉湯でも「この問題を解消するために、こんなイベントをやってみたらどうか」といった頭の使い方をしていたので。 違いを感じたのは、物事の進み方や距離感ですね。建物が建つまでには何年もかかりますけど、銭湯では絵を描いたら翌日には「いいね」と言ってもらえるような早さや近さがありました。あと、建築は多くの人の手を介してひとつの建物ができ上がりますけど、絵だったら「これは私の作品です」と堂々と言えるのもうれしかったですね。 描きたいのは、人が楽しんでいる幸せな空間 ──「銭湯図解」は、銭湯を楽しむ人たちが生き生きと描かれていることも魅力のひとつですよね。その点についてのこだわりはありますか? 塩谷 建築の絵はあまり人を描き込まないのですが、大学での師匠に当たる方から「絵の中に人がいなかったら、建築、死んでるよね」と言われたことがあって。ずっとその言葉が心に残っていて、「銭湯図解」でも人を描くようになったんだと思います。 それと、もともと奇抜な形の建築よりも、人が集まる様子や物語が感じられる建築のほうに惹かれるタイプだったので、人が楽しんでいる幸せな空間を描きたいという気持ちが、絵に表れているのかもしれません。 国立の銭湯「鳩の湯」の銭湯図解 ──絵に描かれた人々の様子は、実際に銭湯で見た光景がベースになっているのでしょうか。 塩谷 そうですね。子供がお風呂を出た瞬間にパッと逃げて、お母さんがタオルを持って追いかける場面など、銭湯でよく見かけるシーンを絵にすることは多いです。取材で銭湯に行ったときも、一番うれしくなるのはハプニングに遭遇したとき。人との出会いも、銭湯のよさだなって思います。 中にはクセの強いおばちゃんもいたりして、地方の銭湯で「背中洗ってあげるわよ」って、自分の体をめっちゃ洗ったタオルをそのまま背中に持ってこられたこともありました(笑)。「さすがにそれは……」と思いましたけど、そういうハプニングがあると、なんだかうれしくなっちゃうんですよね。 ──実際に体験したこと、感じたことが表現されているので、より親しみを覚えるんでしょうね。 塩谷 本にするときも、その銭湯の情報というよりも、私が感じたその銭湯のよさや、そこに置いてきた感情、帰りに食べた焼き鳥がおいしかったといった思い出をちゃんと伝えたいと考えていました。 描くものも、描き方もどんどん広げていく ──ちなみに、塩谷さんが「いい銭湯だな」と感じるのは、どんな銭湯なのでしょうか。 塩谷 2パターンあるんですけど、ひとつは大切に使われていることがわかる銭湯ですね。掃除も行き届いていて、自分の銭湯を愛してるんだなって伝わるような銭湯。もうひとつは、とんでもなく建物がいい銭湯。すごみを感じるような、歴史のある古きよき銭湯はカッコいいと思います。 ──現在は独立して絵を仕事にされていますが、銭湯以外のものを描いていて、違いを感じることなどはありますか? 塩谷 そこに息づく人を描くということは変わらず大切にしていますが、シンプルに「服を描くのって大変だな」と思うことはありますね(笑)。「なんで服なんか着てるんだろ?」って理不尽なことを考えたりしちゃいます。 あとは、「この劇場のスタッフを全員描いてほしい」とか、その場に関わる一人ひとりに愛情を込めたご依頼が増えたのは、すごくうれしいです。以前は説明や紹介のためのツールとして図解が捉えられていたけれど、だんだん絵としての価値を認めてもらえるようになったのがありがたくて。 ベーカリーカフェ「サンジェルマン」の図解 ──今後の展望として、描いてみたいものなどについて聞かせてください。 塩谷 これからもご依頼いただいたものを描くのはもちろん、自分で「描きたい」と思えるものも見つけていきたいと思っています。今、興味があるのは、寺社仏閣ですね。京都の三十三間堂に千手観音がずらっと並んでいたりするのを見ると、「描きたい……!」って思うんです。大変そうなものほど描きたくなるというか。 あとは海外の建物、世界遺産も描いてみたいし、車の断面なんかも描いてみたい。どんどん描くものの幅を広げていきたいし、図解にこだわらず、表現の幅も広げてみたいと思っています。 日本茶スタンド「Satén japanese tea」の図解 巡り巡って、生活がサボりになった? ──銭湯はサボりやリフレッシュの定番ツールでもあると思いますが、塩谷さんはどのように銭湯を楽しんでいたんですか? 塩谷 小杉湯で働いていたころは、週8くらいで銭湯に行っていましたね。毎日小杉湯に入るのと、小杉湯+別の銭湯で1日に2回入る日もあったので(笑)。あつ湯に入ってから水風呂に入るという交互浴がすごく好きなので、それを繰り返しながら1時間半くらいしっかり楽しむんです。 それこそコロナ前は、ランニングをしてから銭湯で汗を流して、お酒を飲んで帰るのが好きでしたね。銭湯の番頭さんに「このあたりにおいしいお店はないですか?」って聞いたりして。 ──サボりやリフレッシュというより、生活の一部だったんですかね。今のほうが銭湯をリフレッシュとして楽しめたりするのでしょうか。 塩谷 今でも銭湯は好きですけど、最近は「無理に切り替えなくてもいいんじゃないか」と思うようになってきたんですよね。独立してひとりで過ごす時間が長くなると、怒りや悲しみの感情を引きずってしまうこともあるんですけど、無理に切り替えようとすると逆にストレスが溜まる気がして。 生活をしていても、銭湯に行っても、その感情を捨てずに煮詰めていく。そうすると、だんだんネガティブな感情が消えたり、問題の捉え方が変わったりするんですよ。絵がうまく描けなくてムカムカしていたのが、「今は成長のタイミングだから、もっとうまくなるはず!」って思えるようになるとか。 ──息抜きの必要がないということではなく、大事なのは向き合うべき感情から逃げないということですかね? 塩谷 そうですね。お茶が好きなんですけど、自分でお茶を淹れて飲んでいると頭がフッと落ち着くので、そういう時間は好きですし。でも、息抜きすら大事にしていない時期もありました。以前は絵を描くことを重視しすぎて、生活を外に追いやっていたんです。家のお風呂場をクローゼットにしたり、洗濯もコインランドリーで済ませたり……。設計事務所時代ほどじゃないですけど、同じように絵だけを優先してしまっていて。 最近になってようやく、生活を充実させると、意外と仕事も充実することがわかってきたんですよね。今では必要以上に自炊したり、お風呂掃除に異常に時間をかけたりするようになりました。 ──仕事を中心とした一日の中に、「生活」というサボりを取り入れるようになったとか……? 塩谷 そうなんですよ。家事をするようになってから体調がよくなり、朝、ランニングするようになって体力がつき、頭も冴えるようになりました。仕事の効率を上げることを追求していたら、結果的に「普通の暮らし」にたどり着いたというか。「生活」を再発見しましたね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「楽しめるうちは、全力で楽しみきる」MBのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、ユニクロの商品解説や着こなし術など、ファッションを苦手とする人たちのための情報を発信し続けているMBさん。ファション業界を盛り上げようと動き続けるMBさんの多岐にわたる活動や、心休まる時間などについて語ってもらった。 MB えむびー ファッションバイヤー/ファッションアドバイザー/ファッションブロガー/作家。ユニクロをはじめとするファストファッションを対象にした論理的な「お金を使わない着こなし法」が注目を集め、書籍、ブログ、メルマガ、YouTubeなど、さまざまな媒体で情報を発信。著書『最速でおしゃれに見せる方法』やマンガ『服を着るならこんなふうに』(企画協力)など、書籍の発行部数は累計200万部を突破し、有料メルマガは配信メディア「まぐまぐ!」にて個人配信者として1位をマーク。2022年1月29日には、新刊『MBの偏愛ブランド図鑑』が発売される。 楽しめるうちは、ひたすら突っ走る ──動画を拝見することが多いので、YouTubeの印象が強いのですが、幅広いメディアで活動されていますよね。 MB YouTubeはほぼ毎日更新していて、登録者数も37万人を超えましたけど、始めたのは2年前くらいなんですよね。この仕事を10年ほどやっていて、主な実績となると書籍のほうが強いかもしれません。本は30冊ぐらい出版されていますし、マンガやライトノベルを監修したり、ビジネス書を手がけたりもしているので。 ほかにも有料メルマガやオンラインサロン、オリジナルブランドの販売、アパレルとのコラボレーション、講演会、メディア出演などもやっています。だから、とにかく打ち合わせが多くて。あとは執筆や撮影でスケジュールが埋まるので、年間ほぼ休みなく活動しています。 ──サボるヒマなんかないですね……。 MB 旅行が好きなので、コロナ前は国内海外、いろんなところに出かけてはいましたけどね。旅先でもほとんどパソコンに向かっているんですけど、場所が変わるだけでも気分転換になって楽しいんです。飛行機に乗るのも好きですし。 自分としては洋服が好きでやっていることであって、そこまで仕事をしている感覚もないんですよ。「休みがない」と言うと驚かれますが、精神をすり減らしながら働いている感じではないというか。 ──好きなことを楽しんでいる感覚に近い。 MB そうですね。だから楽しくなくなったら、スパッとやめてしまうかもしれません。無理して続けるつもりはないですね。 日本一、「ファッションに興味のない人」のことを考えた ──ユニクロを扱ったアドバイザー的な活動を始められたのは、どんなきっかけからなんでしょうか? MB パリのファッションシーンが好きで、コレクションを20年ぐらい追いかけ続けているんです。革新的で新しいトレンドを生み出すのは、やっぱりパリなんですよ。ただ、そんな話をしてもわかってくれる人は限られてくる。だったら、ファッションに興味を持ってくれる人を増やして、全体のレベルが上がっていい服が市場に出回るようにしよう、パイを増やそうと考えたんです。 でも、そこで着こなし法やおすすめのアイテムを紹介しても、商品を手に入れて実践できなかったら意味がない。実際に着て「たしかにカッコいい」「褒められた」と実感する体験がないと、市場はふくらまないはず。だからユニクロなんです。47都道府県津々浦々に店舗がしっかりあって、なおかつ同じアイテムを展開しているとなると、ユニクロしかないんですよね。 ──ファッションに興味がない人にアプローチするため、リサーチなどもたくさんされたのでしょうか。 MB たぶん、日本で僕以上にファッションに興味のない人のことを考えた人はいないっていうくらい考えました。死ぬほど考えましたね。アパレルの販売員だったころから、彼らがどんなことに困っていて、どんなところで服を買っているのか聞いたり、リサーチしたりもしていましたし。 自分のセンスを押しつけるのではなく、論理的な提案とターゲットの需要をつなげる作業が必要だと思ったんです。だから、リサーチをもとに「足が短くてパンツが似合わないと思ってる人には、こういう提案をすればいいかな」といった事例をひたすら考えました。あらゆる課題に応えられるように、すべて準備してからコンテンツを作ったんです。 ──最初にブログを始められたそうですが、先々のコンテンツまであらかじめ用意していたんですね。 MB 本当はやりながら改善していったほうがよかったと思いますけどね。ヘンに完璧主義なところがあって(笑)。どんな疑問や反論にも、100%返せるようにしておきたかったんですよ。それに内容だけでなく、ファッションに興味がない人に届けるためのタッチポイントも考えていました。 みんなが洋服のことで悩むのって、主に結婚式やライフステージが切り替わるタイミングなどですよね。だから、「スマートカジュアル」「結婚式の2次会スタイル」「上司の着こなし」といった検索キーワードを押さえるようにしたんです。おかげで準備期間はすごく長くなりましたけど、ブログを始めて半年で月間40万PV獲得できるようになりました。 ──「言われてみると当たり前のようだけど、そこまでやらないな」ということを徹底的に実行されているように感じます。 MB ブログに続いてメルマガも始めたんですけど、とにかく顧客を逃さないようにしていました。よく水とバケツにたとえられるんですけど、集客という水が流れても、バケツに穴が空いていると顧客にはならず、どんどん流れ出てしまう。僕の場合、水の量は少なくても、バケツの穴をふさいで確実に顧客になってもらうように努めました。僕にしか出せない情報を発信し、読者が1,000人規模になっても質問にはすべて返信するといった感じで。 たぶん、自分に自信がないんですよね。だから、人の3倍、4倍時間をかけて、できることをとにかくやる。それだけなんです。 一番の喜びは、「おしゃれが楽しい」と思ってもらえること ──入念にリサーチとシミュレーションを重ねてコンテンツを展開されたわけですけど、読者の質問に答えるなど、ユーザーと触れ合うことによるフィードバックもあったのではないでしょうか。 MB いっぱいありましたね。予想もしないことで悩んでいるんだと驚いたり、思った以上にこちらの言葉が伝わらず、繰り返し発信したり、書き方を変えてみたり。「僕は身長175センチなので、このアイテムはLサイズを選んでいます」と書いたら、「MBさんおすすめのLサイズを買いました!」と身長190センチ近い方からメッセージをもらったこともありました……(笑)。 それこそ、「コーディネートのバランスは、ドレスとカジュアルで7対3に」と10年間言い続けていますけど、「どうですか?」とメルマガに全身カジュアルの写真が投稿されるなんてこともけっこうありますから。でも、自分の中に「こういう言い方をすれば、みんなに届くだろう」っていうおごりがあったんだと思うんです。相手に届く言葉をちゃんと考えなきゃいけなかった。 ──どのように伝え方を変えていったのでしょうか? MB 僕が言葉を届けようとしている人たちが、どんな暮らしをしていて、どんなことを考え、どんな言葉を求めているのかまで考えて、伝え方をブラッシュアップしていきました。「このパンツはシルエットも素材もよくて、どんなトップスにも合わせやすいです」といった言い方ではなくて、「家族と土日に出かけるなら、このパンツはぴったりなのできっと褒められますよ」などとシチュエーションも含めて伝えるとか。 ただ、僕が言ったことを100%忠実にやってほしいというわけではないんです。みんなにファッションに興味を持ってもらって、「おしゃれが楽しいな」って感じてもらうことがゴールなので。 ──ユーザーの方々の変化を感じられることが、やりがいにつながっている。 MB はい。服に興味のなかった人が、今や服が趣味になってハイファッションを楽しんでいるなんて聞くと、やっぱりうれしいですね。うつ病に悩んでいたけれど、通販でユニクロの服を買ってみたことをきっかけに外出できるようになったという方もいました。人生を変えるお手伝いもできるかもしれないと思うと、やりがいを感じます。 いつかは「自分のための服作り」に没頭してみたい ──ご自身でも常にファッションに触れていかなきゃいけない部分もあると思うのですが、どのくらい商品を買ったり、展示会に行ったりされているのでしょうか。 MB 洋服には年間で2,000万円くらい使っています。個人的に好きなブランドのものもいろいろ買いますし、ユニクロが出しているメンズ服は、ほぼ全型買っていると思います。 ──すごい……! 全部は着れないですよね。 MB 体はひとつしかないので、なかなか着れないんですよね。でも、みんなと同じ目線に立たないとわからないこともあると思うので、ユニクロの服も自分でお金を出して買って、自分で着てみることを大事にしています。 それに、ファッション業界に少しでも還元するために、僕ぐらいはきちんと定価で買って、業界にお金をまわしていかないとな、という思いもあります。これは僕だけでなく、アパレルに関わる人たちに共通する感覚だとは思うんですけど。 ──MBさんの場合、商品を魅力的に紹介するだけでなく、ご自身がメディアに出演される機会も増えているかと思いますが、それもあくまでファッション文化を広めるため、ということなのでしょうか。 MB マスに文化を広めるためにも、お仕事をいただいた以上は一生懸命やっています。ただ、本音を言えば表に出るのは苦手で……裏方として自分でミシンを踏んでいたいという気持ちのほうが強いですね。自分で服のモデルをやるのも、体型の整ったモデルよりも説得力があるからという理由だけなんです。 ──「スパッとやめるかもしれない」とおっしゃっていましたが、将来的なビジョンとしては職人的な働き方をされたいと。 MB そうですね。いつかは1日10人くらいしか来ないお店で、自分で洋服を作って販売するような活動にシフトしていきたい。社会のため、業界のためという“広げる”方向から、自分の価値観を“深める”方向に移していくというか。最低限生きていけるだけの売り上げでいいので、自分のこだわりを追求してみたいという思いはありますね。 運転しているときは、何も考えない時間を過ごせる ──現状、休みなく働いていらっしゃるとのことですが、「サボり」と言えそうなMBさんなりの気分転換、息抜きはありますか? MB 車の運転はすごく好きですね。夜中に車を走らせて、首都高をぐるぐる回るだけでも気晴らしになります。以前は、ふらっと車で名古屋ぐらいまで行って、現地でホテルを探す、といったこともやっていました。6時間かけて大阪に行って、特に何をするわけでもなくそのまま帰ってくるとか。 ──純粋に運転している時間が好きなんですね。仕事と同じで、好きだからこそできることだと思います。 MB そうですね。車を選ぶ基準も、あくまで乗り心地です。何も考えずぼーっと運転している感じが好きで。だから、いずれコロナが落ち着いたら、車で日本一周しながら自分の読者さん、フォロワーさんに会いに行くという、InstagramやYouTubeと連動させた企画をやりたいんですよね。 ──日常のルーティンのような、生活のリズムを作ったり、頭を切り替えたりするために習慣化していることはありますか? MB 瞑想ぐらいですかね。10年ぐらい続けていますが、瞑想も頭が空っぽになるからいいんです。ちょっとスピリチュアルな感じがしますけど、科学的にも効果が証明されているんですよ。 頭の中を空っぽにするのって、けっこうむずかしいじゃないですか。脳は常にアイドリング状態というか、何も考えていないつもりでも動き続けているので。その動きをある程度止められるのが瞑想らしいんですよ。 ──趣味はドラムとのことですが、ドラムを叩いている時間は無心にならないんですか? MB ドラムは違いますね。腕の動きなどを確認しながら、コツコツと技術を磨いていくというか、だいぶ考えながらやっています。小学生のときに始めて、プロを目指したこともありました。だから、今でも「プロになれないかな」って気持ちがちょっとあるんですよね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「やりたいことも、楽しいことも、自分で探す」枝優花のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は初長編作品『少女邂逅』が世界で称賛を浴び、一躍注目された映画監督の枝優花さんに、映画監督になるまでの歩みや、映画作りにおけるこだわり、フリーランスならではの息抜き術などを聞いた。 枝 優花 えだ・ゆうか 映画監督/写真家。1994年生まれ。群馬県出身。2017年、初長編作品『少女邂逅』を監督。主演に穂志もえかとモトーラ世理奈を迎え、MOOSICLAB2017では観客賞を受賞、劇場公開し、高い評価を得る。香港国際映画祭、上海国際映画祭正式招待、バルセロナアジア映画祭にて最優秀監督賞を受賞。2019年、日本映画批評家大賞の新人監督賞受賞。また写真家として、さまざまなアーティスト写真や広告を撮影している。 幼いころから憧れていた、映像の世界 ──映画を好きになったきっかけなどはあるのでしょうか。 枝 小さいときからなんですけど、近所の子たちと違う保育園に通っていて、全然友達がいなかったんですよ。それに祖父母の家に預けられることも多かったので、近所の公民館で借りたビデオを観たりしていました。 父が映画好きだったので、家で一緒に観ることもよくありましたね。父はいつも途中で寝るんですけど(笑)。それこそ王道のハリウッド映画なんかを、タイトルも知らないままいろいろと観ていました。だから、今になって「このタイトルって、あのとき観た映画のことなんだ」って気がつくこともけっこうあります。 ──それで映画の世界に憧れを? 枝 はい。映画に限らず、漠然と映像の世界に興味はありましたね。「どうやったらあっちの世界に行けるんだろう?」とぼんやり思っていました。私は群馬出身なんですけど、地元にいても憧れの世界には行けないことがわかっていたので、きっかけみたいなものを探していたんです。 そんなときに、東京からお芝居を教えてくれる先生が来ることを回覧板で知って。いわゆるワークショップみたいなものですね。それで勇気を出して母に「これ行ってみたい」って言ったんですよ。まだ10歳くらいだったんですけど、母は公務員で、納得できる理由がないと認めてくれない人だったので、子供なりに思い描く将来像などを説明して通わせてもらいました。 ──10歳から演技を学んでいたんですね。 枝 ワークショップは月に何度かあったので、自分のお年玉で会費を払いながら、15〜16歳まで通っていました。お芝居を学んで、先生に紹介してもらった監督のショートフィルムに出てみたり。でも、恥ずかしくて友達には言えませんでしたね。 映像の世界に進みたくて、親や先生の反対を押し切って東京の大学に進学しました。そこでワークショップの先生と再会して、今度は演出の勉強のために先生のレッスンのアシスタントをするようになったんです。先生は芸能事務所に所属する俳優のレッスンを受け持っていたので。 映画を通じて、自分を表現すること ──大学生のときには作る側を意識されていたということは、映画を撮ったりもしていたんですか? 枝 アシスタントをやりながら映画サークルにも入っていたので、そこで初めて映画を撮りました。サークルメンバーの映画作りを手伝っていたら、その人が逃げちゃいまして……。残ったメンバーでどうするか話し合ったんですけど、一向に話がまとまらないので、「私が脚本を書いていいですか?」って申し出て、そのまま監督もやることになったんです。 監督はもちろん、脚本を手がけたこともなかったんですけど、やってみたら、めちゃくちゃおもしろくて。先輩が脚本から撮影まであれこれ面倒を見てくれたおかげもあって、なんとか作品を完成させることができました。 ──映画作りのおもしろさに目覚めたんですね。 枝 上映会は口から心臓が飛び出そうなくらい緊張したんですけど、自分ができなかったと思っていた部分は、みんなそれほど見ていなくて。逆に思ってもみないところで「いいね」「映画的だね」って言ってもらえたのが新鮮でしたね。無自覚に撮っていたシーンにも、小さいころから映画を観てきた経験や、その記憶が紐づいていることがわかって、「自分を表現するって、こういうことなのかも」って思ったんです。 「好きになれるキャラクターしか登場させたくない」 ──「自分を表現する」という要素は、一般公開された作品を観ても感じられるのですが、作品にはどのぐらいご自身が投影されているのでしょうか。 枝 基本的に自分で脚本も書くのですが、どうしても自分からかけ離れたものは作れないんですよね。演出する際も自分に引き寄せて考えているので、自己投影度は高いほうだと思います。 主人公に60%ぐらい自分を託して、残り40%は取材するなどして作り上げていくイメージです。主人公以外のキーパーソンに自分の中の大事なものを分散して預けることもあります。 ──キャラクターに自分を託す割合の調整は、より共感してもらえるようにキャラクターを普遍化していくイメージなのでしょうか。 枝 割合についてそこまで考えてなかったんですけど、自分が作る物語の中に完璧な人は出したくないという思いがあって、そこは意識していますね。完璧にいい人もいないし、完璧に悪い人もいないはず。人はもっと多面的だと思うんです。 だから、どこか好きになれる要素がある人物しか登場させないんですね。物語的によく思われないキャラクターでも、自分は嫌いになれないようにしています。「この人、イヤだな」と思うと、それが画に出ちゃうんですよ。どこか適当で、そっけないシーンになってしまう。 ──物語はそういったキャラクターから広げていくんですか? 枝 やりたいことや言いたいことがあって、それがどうしたら伝わるのかを意識しながら、物語の展開などを考えています。でも、テーマとなるような思いって、根っこの部分はずっと変わらないんじゃないかと思っていて。だから、やりたいことが常にあるわけではなくて、がんばって探しているところもあるんです。根っこの思いはありつつ、それを枝分かれさせてみたり、角度を変えてみたり。ただ、「こういうシーンを撮りたい」といったシーンのイメージは常にありますね。 ──たしかに、枝さんの作品には特別な瞬間を切り取ったような印象的なシーンがありますよね。画だけで語ろうとする意志を感じます。 枝 やっぱり映像が好きなんですよね。映像が見たくて映画を観ているといってもいいくらい、たくさん映画を観るよりも、好きなシーンを観るために何百回も同じ作品を観るようなタイプで。 自分で映画を作るときも、どうしたらイメージしたシーンが撮れるかを常に考えているので、脚本では光の指定もします。「ここで後光が差す」とか。「差す」じゃないよっていう(笑)。でも、そういった光の演出のほうがセリフよりよっぽど伝わるし、小説でも音楽でもできないことだと思うので、そこは重視しているというか、プライドを持ってやっているかもしれないですね。 「自分たちの話だ」と思えるような作品を作りたい ──撮りたい映像のイメージなどは、やはりこれまで観てきた映画から受けた影響が大きいのでしょうか。 枝 それも大きいんですけど、自分で映画を撮るようになって見方が変わったんですよね。大学の先輩たちに撮ることについて一から教えてもらったり、撮った映像に1カットずつダメ出しされたりしたことで、映像を意識的に見るようになりました。そうしているうちに、好きなショットやカメラの動き、レンズの深度などがわかってきたんです。 一方で、映画だけ観ていてもダメで。やっぱり見たことのない世界を撮りたい気持ちがあるので、映画として表現されたものだけでなく、別の刺激も必要なんですよね。なので、海外のショーや知らない国の人たちの生活を映したドキュメンタリーなど、いろんなものを観るようにしています。 ──異なる刺激が自分の中で組み合わさることによって、何かが生まれるかもしれない。 枝 そうです。それこそ、ただ広い土地を眺めるとか、映像じゃなくてもいいんです。自分の記憶と経験が作品に投影されて、それが作家性になると気づいたので、今はいろんな経験を重ねたい。だから、ひとりでどこでも行きます。 この前も、舞台挨拶で茨城に行くことになったので、早めに行って大洗まで足を延ばしてみたんです。行くあてもなかったので、とりあえず「めんたいパーク」(明太子の老舗かねふくが運営する明太子のテーマパーク)に行って。バス旅行のおじいちゃんおばあちゃんグループが明太子作りをじっと見ていたんですけど、その景色が妙におもしろかったんですよね(笑)。そんな記憶が、脚本を書くときに活かせるかもしれないなって思うんです。 ──そういった経験も重ねた上で、今後撮ってみたい作品のイメージなどはあるのでしょうか。 枝 日本映画を観ていても、「自分たちの話がないな」と感じることが多いんですね。自分が直面している問題や、同年代の子が同じように抱えている悩みを描いている作品が少ないんじゃないかなって。だからこそ、私のような人たちが「自分たちの話だ」と思えるような作品を作っていきたいですね。 それは作品だけでなく、プロモーションなどもそうで。若い人たちに作品が届くような発信の方法を考えるべきだし、これまでのルールや型にこだわらず、試行錯誤していかなくてはと思っています。 サボりに大切なのは、「公言すること」 ──「サボり」についても伺いたいのですが、枝さんにとって「サボる」ってどんなイメージでしょうか。 枝 誰かが「フリーランスはいつでも休めるし、いつも休めない」と言っていたんですけど、本当にそうなんですよね。私も休むことへの罪悪感が強くて。会社のように就業時間も決まっていないので、具体的な仕事がなくても、ずっと脚本のことが心のどこかにあったりするんですよ。 だから、気持ちを切り替える方法もいろいろ考えてはいて、最近は「サボります」と公言するようにしています。友達とかに「今日はもう絶対に仕事しない」って言うんです。何かやらなきゃと思いながら結果的にサボっちゃうのが、一番罪悪感を覚えるので。 ──たしかにサボると決めれば、少なくともその1日は後悔なく楽しめそうですね。どんな過ごし方をするとリフレッシュできるのでしょうか。 枝 友達を家に呼んで料理をするのが好きですね。書き物などの仕事がうまくいかないときも、料理に逃げています。脚本は手を動かしていればなんとかなるものではないけど、料理は手を動かしていれば完成するじゃないですか。「何かを作っている」という感覚が得られるので、脚本がうまくいかないストレスが解消できるんです。 ──食べることで元気にもなれますしね。 枝 そうですね。それに、スーパーに行くのも好きで。「めんたいパーク」に行くのと同じように、店内でかかる謎の音楽を聞いて「誰が作ったんだろう?」って思ったり、「私が作りました」みたいなラベルのある野菜を見て「これは家族が撮ったのかな?」と思ったり、そういうのが楽しい。 ──ストレスを発散しながら、クリエイティブな刺激も受けている。 枝 そう思います。日常の中でもどれだけ豊かな経験をして、豊かにものを見ているかが、創作にも関わってきちゃうんですよね。映画の技術部の友達がいるんですけど、撮影などで地方に行くと、ちょっとした隙間の時間に地元の有名なお店や観光地に行くんですよ。インスタで「サボりチャンス」なんて言いながら、みんなに内緒でさっと消えていく。そういう限られた時間でも積極的に楽しむ姿勢は大事だなって思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「仕事の中で“好き”を見つける」平井精一のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)にお笑い部門を立ち上げ、コウメ太夫、バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、錦鯉などの人気芸人を世に送り出してきた平井精一さん。クセの強い芸人さんたちをどう集め、背中を押してきたのか。平井さんの仕事論を聞いた。 平井精一 ひらい・せいいち 渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)を経て、1998年、ソニー・ミュージックアーティスツに入社。2004年、同社にお笑い部門を立ち上げる。SMA NEET Projectといったプロジェクトや専用劇場「Beach V(びーちぶ)」などを手掛け、多くの芸人を輩出している。 「今しかない」とお笑いに参入 ──どういった経緯でSMAにお笑い部門を立ち上げられたのでしょうか。 平井 SMAは音楽系と俳優・文化人系のグループ会社が合併したばかりで、「好きなことをやれ」って社長から号令があったんです。そこにちょうど、『エンタの神様』(日本テレビ)ブームが来て。ブームのときって、「俺でもできるや」って勘違いした芸人が集まるんですよ(笑)。それと、東京のお笑い事務所は少数精鋭のところばかりなので、都内にフリー芸人があふれているのも気になっていました。 ──いろんなタイミングが重なって、「お笑いをやってみよう」と。 平井 そうですね、「今しかない」と。でも、こんなに芸人の出演番組が増える時代になるとは思いませんでしたね。逆に今だったらやってないんじゃないかな。やっぱり芸人が財産なので、芸人たちを集められたのが大きかったと思います。 ──とはいえ、あふれているフリーの芸人さんとなると、あまりテレビ向きじゃないというか、マニアックな芸風の方も多い印象です。そこは問題にならなかったのでしょうか。 平井 車でたとえると、軽自動車ばかり売ってたり、スポーツカーばかり売ってたりすると、事務所としてテレビ番組に対応できないなと思っていて。いろんなヤツがオールマイティーにいたほうが、いろんな番組に突っ込めるじゃないですか。特定のイメージより、「あそこだったらなんかおもしろいヤツがいるんじゃないか」っていうイメージを持たれたほうがいいなと。 ──芸人さんが集まったところで、どう売り込んでいったんですか? 平井 渡辺プロダクション時代の人脈が残っていたので、東京の各プロダクションのマネージャーさんのところに挨拶がてらリサーチに行きました。どういうふうにマネージメントしていて、どんな番組に売り込んでいるのか。ライブも観せてもらいましたね。あとは(番組側に)頭を下げるだけです。音楽の宣伝をやっていたときにさんざん頭を下げてきたので、そこはもう慣れてますんで(笑)。 「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」 ──SMAといえば個性的な芸人さんが多いイメージですが、平井さんはそんな芸人さんたちをどうサポートしてきたんですか? 平井 僕は芸人にまず「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」と聞くんです。好きなことをやりたいなら事務所に入る理由はないし、成功したいなら成功に歩み寄らないといけない。その上で、毎月やっている事務所ライブでは新ネタをやってもらいました。 ネタ番組に何度か出ると、土日の営業が入るようになるんですよ。でも、ネタ番組の傾向って時代によって動いていくから、ずっと同じネタだと対応できない。だから、どんどん新ネタをやれと。 ──時代やメディアの要望に合わせて、キャッチーなネタを作れるようになってほしいということですかね。 平井 そうですね。芸人によりますけど。お笑いの教科書はどの事務所にも養成所にもないんだから、時代を見てくれ、テレビを見てくれ、と言っていました。あとはお客さんが共感できるネタを作ってくれと。 お笑いから離れていた僕が偉そうに評価するのもおかしいし、ほかのスタッフが評価しても方向性を間違ってしまう可能性がある。売れるネタに歩み寄るには、お客さんに判断してもらうのが一番なんじゃないかと思うんです。だから、ライブもお客さんの投票でランクづけするシステムにしています。 ──そうやって数をこなしていると、だんだんネタも変わってきますか? 平井 やっぱり毎月新ネタを作っていると、どこかで方向性を変えざるを得ないというか、勝手に変えてきちゃうというか。それでウケるようになってくるヤツがいると、ほかの芸人も引き寄せられたりする。芸人同士の仲がいいせいか、みんなでサポートしたり、相談したりするんです。 人の言うことなんて聞かないヤツもいますけど、ランクの1軍に入れば番組のオーディションに入れるようにしたことで、自ら試行錯誤してくれるようになったところもありますね。 必要なのは、「3分のネタ2本とトーク力」 ──テレビで活躍しているバイきんぐさんやハリウッドザコシショウさんといった方々も、試行錯誤を重ねてこられたのでしょうか。 平井 バイきんぐなんかは、「いい加減にしてくれ〜」って思うくらい、クレイジーなネタをやってましたよ(笑)。それでも、舞台上で光るものがあったので、もっといろんなネタが作れるように、単独ライブをやれと言ったんです。小峠(英二)は嫌がってましたけど、とにかくやらせてみたら、また好き勝手にやっていて……。 今度は2組でやるライブにして、テーマに応じたネタを作るというコンセプトを決めたんです。お客さんの評価のもと、2組でネタ6本を対決させるようにした。そこからバイきんぐのネタがガラッと変わっていきましたね。何かをつかんだようにネタを量産していって、『キングオブコント』優勝にまでつながりました。 ──今や誰もが小峠さんのバラエティスキルを認めていますよね。それもライブをやっていく中で磨かれたものなのでしょうか。 平井 昔から小峠には「トーク力が大事だ」って口酸っぱく言っていたんですよ。「テレビはまずネタありきで、そのあと、バラエティの雛壇に並ぶようになってからはトーク。トークができないと絶対に残らないから」って。 ──平井さんのそういった認識は、テレビを観たりしながら気づかれたものなんですか? 平井 渡辺プロダクション時代に担当していたホンジャマカさんの教えかもしれないですね。恵(俊彰)さんがトーク、トークと言っていたので。逆にトークが苦手で、テレビからいなくなっていったタレントも見てきました。 それで、芸人たちには「3分のネタ2本とトーク力があれば、絶対に芸能界を闊歩(かっぽ)できるから」って言うようになったんです。「ネタはとりあえず3分だけ楽しけりゃいいんだ、トークだって先輩のおもしろい話をそのまま話したっていいからとにかくメモれ!」と。 きれい事でも、できるだけのことはしたい ──平井さんは常に劇場(Beach V)にいらっしゃるんですよね? 今の劇場や若手の芸人さんたちの雰囲気は、どんなものなのでしょうか。 平井 ネタ見せと土日ライブはほぼ見るようにしているので、週4日は劇場にいます。新人の応募も多いんですけど、「では、3分のネタをお持ちください」って返信すると返ってこなかったりする。みんな軽い気持ちで、1から10まで育成してくれると思ってるんですかね。 でも、やっぱり人が財産なので、そこで値踏みするんじゃなくて、事務所で成長させたいという気持ちがあります。勇気を持ってお笑い事務所の門を叩いてきた人を、たまたまマネージャーの仕事をしているだけの僕たちがジャッジしていいのかなって思うんです。きれい事ですけど、誰かがそのきれい事を押し進めないと、泣くヤツがいると思ってるんでね(笑)。 ──出会いやタイミング、その後の努力などによって、芸人さんが化けることもありますしね。 平井 コウメ太夫もそうですけど、「このネタはないな……」と思っていたような芸人が突然化けることってあるんですよ。だから、うちではできるだけ芸人たちを受け入れたい。まずはプロの舞台に乗せてあげて、そこで可能性を見極めたり、チャレンジしたりしたほうがいいと思うんですよね。 ──ちなみに、平井さん個人としては、どんなお笑いが好みなんですか? 平井 人力舎の芸人さんたちがやるような、きっちり作り込まれたコントが好きなんですよ。ハリウッドザコシショウとかはちょっとね、見てると疲れてきちゃう(笑)。 芸人たちに背中を見せるため、空手の道へ? ──平井さんにとっての「サボり」とはどんなことですか? 平井 現場が重なったときに、好きな現場に行くっていうのはサボりかもしれないです。楽しそうなほうに行っちゃう。昔からこんな調子で、仕事をしながら自分で楽しみを見つけているような感じなんです。お笑いの現場に関わるのも楽しいし、音楽のマネージメントをやっていたときも、それはそれで楽しんでいました。 ──お仕事以外の趣味や息抜きなどはありますか? 平井 今はコロナで行けてませんが、2011年から極真空手はやってますね。それも芸人たちに発破をかけたくて始めたんです。高校球児が甲子園に出て負けたら、涙を流すじゃないですか。あれって限られたチャンスのために死ぬほど努力してきたからだと思うんです。だから芸人が記念受験みたいに「今年ダメだったら、また来年」って気持ちで賞レースに出ているのにすごくイライラして。「お前らの人生なんだから、もっと気合い入れろ!」と言いたくて本気で空手をやりました。 ──「俺の背中を見ろ」と。 平井 やり始めて半年後には大会に出て、黄帯(5級)になったときには関東の大会で準優勝しました。ただ、芸人たちにも「見に来い!」って言ってビデオを撮らせてるんですけど、一度、回し蹴りで思いっきりノックアウトされたことがあって。そのときは「これ、俺の葬式で流してくれ」って言いました(笑)。 ──やっぱり一番喜びを感じるのも、芸人さんが活躍するときなんでしょうか。 平井 そうですね。バイきんぐの『キングオブコント』優勝や、ハリウッドザコシショウとアキラ100%の『R-1グランプリ』優勝もそうですし、芸人が賞レースに優勝したときが一番感動しますよ。やっぱりチャンピオンになったときの彼らの“報われた感”はもう最高ですよね。こんな人生を味わえるとは思わなかったってくらい。 少なくとも東京で一番のお笑い事務所にしたいので、これからもさらに打率を上げていきたい。SMAでナンバーワンになれば売れると言われるくらい売れっ子を輩出していって、もっと芸人たちのモチベーションを上げたいんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「息抜きのラジオもアイデアのタネに」川上アキラのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は、2008年のデビューから10年以上にわたってももいろクローバーZを支える名物マネージャー・川上アキラさんが登場。「ほとんど自己流でやってきた」というマネージャーとしての仕事術や、メンバーの近くで多忙な毎日を送る中でのリフレッシュ方法を語ってもらった。 川上アキラ かわかみ・あきら 1974年生まれ、埼玉県出身。株式会社スターダストプロモーション執行役員・プロデューサー。マネージャーとしてキャリアをスタートし、沢尻エリカらの俳優のマネジメントを担当。その後、2008年にももいろクローバーを立ち上げ、国立競技場ライブを実現するなどの人気グループへと導く。 「餅は餅屋」、仕事は線引きが大事 ──川上さんのマネージャーとしてのお仕事についてお聞きしたいです。 川上 タレントを世に出す仕事がマネージャー業なんじゃないですかね。売れるっていう言い方が合ってるかわからないですけど、収益が上がって、メンバーと、彼女たちに関わるスタッフが食べていけるようにする仕事だと考えてますね、昔から。 ──タレントが「売れる」ことを最終ゴールとして考えると、マネージャーである川上さんはどんな役割を担っているのでしょうか。 川上 タレントが一番いい状態で仕事をできる環境を作るのがマネージャーの仕事かもしれないですね。そのためにいろんな現場に立ち会ったりすることもありますし、番組やコンサートのスタッフと調整したりすることもあります。だから基本的には調整役ですね。 ──ももいろクローバーZのクリエイティブの部分に関してはどうですか? 川上 コンサートでも番組でも楽曲でも、そういうクリエティブに関しては専門の方々がいるので、そういう人たちにお任せして。餅は餅屋ですから、アイデアレベルで種をまいたりすることはありますけど、基本的にはそれぞれ信頼できる専門スタッフに任せています。そういう意味では僕らはスタッフには恵まれてますね。 ──もともとどういうきっかけでマネージャーになったんですか? 川上 大学のときにテレビのADのアルバイトをしてたんですけど、つらくて逃げちゃったんですよね。そのときに収録の現場に来てたマネージャーを見て「なんか楽そうだな」って思ったのはあるかもしれないです。単純におもしろそうだなって思ったのもありますけど、別に志高くマネージャーを目指したわけじゃないですね。 ──実際にマネージャーになってからは苦労もされましたか? 川上 苦労っていうか、肉体的に大変なのはやっぱりテレビの制作の人たちだろうから、肉体的なつらさは特になかったですね。ただ、失敗はしましたよ。若いころは何もできてなかったんじゃないですか。いろいろ経験した今だったら、もうちょっとうまくできるんじゃないかとは思いますけどね。 昔はけっこう厳しめにタレントに接してたんで、もうちょっと柔らかく接してもよかったなとかは思います。そのときはほかのやり方を知らなかったし、それがメンバーのためになると思ってたから。それから僕自身も経験を積んだし、メンバーも成長してきたんで、接し方も少しずつ変わってきました。 ──ももいろクローバーZとは10年以上の付き合いですが、マネジメントをする上で意識していることはありますか? 川上 あくまでメインは表現者である彼女たちだし、実際にステージに立つのは僕じゃないから、尊敬を持って接することですかね。お客さんの前や、カメラの前に立っている人にしかわからない領域があるので、そこはしっかり線引きしてます。その上で、彼女たちを俯瞰で見て何か参考になることが言えたらいいかなっていうスタンスですね。 ──メンバーはもちろん、マネージャーは外部のさまざまなスタッフと接する機会も多いですよね。 川上 そうですね。でも、仕事以外での付き合いは一切しないようにしています。いろんなことが面倒臭くなりそうだし、あくまで仕事での付き合い。そうやって割り切ったほうが仕事がしやすいんですよね、あくまで僕の場合はですけど。 新しい出会いのタネは至るところにある ──今回は企画にちなんで「息抜き」の方法についてもお聞きしたいです。仕事のオンとオフはきっちり分けているほうですか? 川上 けっこうダラダラ仕事のことを考えてるかもしれないです。毎日車で片道2時間くらいかけて通勤してるんで、車に乗ってる時間はとにかく長いんですよ。だから行き帰りは基本的にラジオを聴いていて、それが息抜きになってるのかもしれないです。 車に乗ってる時間にもよるんですけど、伊集院(光)さんの番組は聴いてますし、ほかにはニッポン放送の『テレフォン人生相談』とか『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』、TBSラジオの『たまむすび』とか。大して何も考えずに聴いてるんですけど、「あ、これは仕事に使えそうだな」って気づくこともあるし、やっぱり仕事に紐づいてはいますよね。 ──そこから新しい出会いも生まれる? 川上 そうですね。この前もたまたまうちの事務所の本仮屋ユイカが出ているABS秋田放送のラジオをなんとなく聴いてたら、そこのアナウンサーさんがももクロの大ファンだって言っていて。それをTwitterでつぶやいてみたら返信もいただいて、いつかそういうアナウンサーさんがいる番組にも出てみたいなと思ったり。そういうヒントはありますね。 ──ももいろクロバーZはこれまでもさまざまなジャンルの方々とコラボしたり、ライブで共演したりしていますが、そういう方々の情報も積極的に集めているんですか? 川上 いや、そんなに一生懸命チェックしてるわけではないですよ。単純に、テレビ観て「この人おもしろいな」って思うくらいです。この前『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』(テレビ朝日)を観てたら80年代アイドルに詳しい女の子が出てきて、「うちの佐々木彩夏と会わせたいな」とか。 普段からすごく意識してるわけじゃないですけど、テレビとかネットとかYouTubeを観て、こういう人がいるんだなって知る感じですね。あとは世の中の流れを見てつかんでおいたほうが、直接的ではなくても「こういうライブを作ったらいいのかな」「こういう人をゲストに呼ぼうかな」っていうヒントはありますよね。 ──これまでで印象的なゲストとの出会いは? 川上 ゲストというか、今でも一緒にお仕事してますけど、ももクロと本広克行監督との出会いはおもしろかったですね。もともと僕が本広監督の作品が好きだったこともあって、「いつか本人たちに会わせたいな」と思ってお呼びしたんです。そのあと「七番勝負」(トークイベント『ももいろクローバーZ 試練の七番勝負』)で本人たちと最初に会ったのがきっかけで、映画『幕が上がる』も作りましたし、印象深い出会いですよね。 撮影中、偶然通りがかった(!)ももクロの高城れにさんと ストレス解消法は「とにかく食べること」 ──仕事で落ち込むこともありますか? 川上 だいたい寝たら忘れるタイプですけどね。あとはとにかく食べる。だから食べることがストレス解消になってるんですよね。それでここまで太ったわけだから、「お前が言うな」って話かもしれないですけど(笑)。今日も朝から築地場外でホルモン丼を食べてきましたから。まだまだ全然、食べれますよ。 ──すごいですね。休日はリフレッシュに時間を割いたりしていますか? 川上 別にこれといった趣味はないんで、もうただただダラダラしてますよ。日曜の夕方から徳光さんが出てる『路線バスで寄り道の旅』(テレビ朝日)の再放送を観て、『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ)を観て……っていうルーティーンです。別に仕事のことを考えてるわけでもないですし、あの時間はすごく有意義ですよね。そう考えるとテレビっ子なのかもしれないですね。それで昼間から酒を飲めていれば一番いいですね。 ──ちなみに、平日のルーティーンもあったりするんですか? 川上 子供ができてからは寝るのも早くなったんで、だいたい9時半くらいには寝ちゃうんです。そこから朝5時半とか6時に起きて、朝風呂に入る。ニュースをチェックしたり、ネットで情報収集したりするのはだいたいその時間ですね。 コロナ禍でもできることを粛々と ──ももクロは、デビューしたてのころからテレ朝動画やCSテレ朝チャンネルでも番組を持つなどテレビ朝日とはとても深いつながりがありますよね。特に番組スタートから10年以上が経つ『ももクロChan』はグループにとっても象徴的な番組だと思います。 川上 『ももクロChan』は本当にグループの初期からやらせてもらってる番組ですし、メンバーにとっても番組がホームになっていると思います。スタッフのみなさんのおかげですよね。 ──ホームという意味では、テレ朝動画logirlの『川上アキラのひとのふんどしでひとりふんどし』も、メンバーの身近な姿が感じられる場になっていますよね。 川上 なかなかライブができない状況ですが、『ひとりふんどし』はメンバーの近況を伝える場というか、イメージだとラジオのフリートークにも近いと思います。今はYouTubeとかInstagramとかいろいろありますけど、彼女たちにとっては、一番リアルタイムに近いかたちで自分たちを伝えられる場になってるんじゃないですかね。 『ももクロChan』では、番組初となるオンラインイベント 「テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~」を11月6日(土)19時開演 ももクロが10年間で培ったバラエティスキルの集大成として、 歌やコントやバラエティ企画に挑戦! logirl会員は割引価格でご視聴いただけます ──『ももクロちゃんと!』(テレビ朝日)も、10月から土曜深夜(3時20分放送)に枠が移動し、リニューアルされたばかりですよね。番組のますますの進化が楽しみです。では最後に、これからグループとしての展望や挑戦したいことを教えていただけますか? 川上 いつになるかわからないですけど、お客さんをたくさん入れて、声を出してっていうライブができなくなってますから、そういうのはもう一回やりたいですよね。コロナ禍になってから、エンタテインメントに関わる人はみんな頭を悩ませてると思いますけど。 基本的に、エンタメって世の中がちゃんと平和で幸せで余裕があるときに見るものですから。もともとそんな大層なものだと思ってないんで、僕は。だからこういう状況でも世の中に迷惑をかけずに喜んでもらえることがあるなら粛々とそれをやっていこう、っていう感じですね。 ──やれることを地道にやっていく。 川上 そうですね。ただ、この前の9月に横浜アリーナで開催された『@JAM EXPO 2020-2021』にももクロが呼んでもらって、久々のライブ出演だったんですけど、やっぱりいいなとは思いましたね。ご時世次第ですけど、そういうこともできたらなと思います。 撮影=石垣星児 文=山本大樹 編集=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
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「自分の中の『好き』と『問い』を大事にする」畑中翔太のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、『絶メシロード』、『八月は夜のバッティングセンターで。』、『お耳に合いましたら。』といった深夜ドラマの企画・プロデュースで注目を集める畑中翔太さん。広告の世界で活躍してきた畑中さんが、ドラマというジャンルに足を踏み入れたきっかけや、その仕事ぶりなどについて語ってもらった。 畑中翔太 はたなか・しょうた クリエイティブディレクター/プロデューサー。2008年博報堂入社。プロモーション局に配属後、2012年より博報堂ケトルに参加。手段とアプローチを選ばないプランニングで「人と社会を動かす」広告キャンペーンを数多く手掛ける。これまでに国内外の200以上のアワードを受賞。カンヌライオンズ審査員。2018年「クリエイター・オブ・ザ・イヤー」メダリスト。現在は、ドラマや番組などのコンテンツ領域における企画・プロデュース・脚本も務める。2021年dea inc.を設立。 「クリエイティブディレクターって何をやる人なんですか?」 ──まず、広告クリエイターの畑中さんが、ドラマに関わることになったきっかけから聞かせてください。 畑中 絶やしてしまうには惜しいローカルな飲食店とその絶品メシ「絶メシ」を紹介する地域創生プロジェクトを手掛けていまして。本を出版したり、いろんな地域に展開したりして、ニュースにも取り上げてもらったんですけど、市民権を得られていないな、という感覚があったんです。一般の人に広く浸透している実感がなかったというか。 テレビで5分のニュースにすることに限界を感じて、だったら、30分〜1時間のメディアになっちゃったほうが早いんじゃないかと思ったんですよね。それで、「絶メシ」ならドラマにできるんじゃないかと、テレビ東京さんに企画書を出してみたのがきっかけです。 ──それが、ドラマ『絶メシロード』(テレビ東京)になったんですね。 畑中 でも、最初はいくつもある候補のひとつに過ぎなくて、企画が通る可能性は低かったんですよね。そこで、絶メシを巡る男の話だけでは弱いとなったときに、「ロード」の部分を思いついたんです。ちょうど車中泊YouTuberの動画を観ることにハマっていたので、「車中泊」という要素を掛け算してみたらどうだろうと。車中泊が盛り上がりつつあったし、車中泊をしながら絶メシを巡る話なら地域創生などにもつなげられるかもしれないなと思いました。 ──ふたつの要素を掛け合わせることで、企画が通ったんですね。ドラマ作りが始まってからは、現場に立ち会ったりもしていたのでしょうか。 畑中 ドラマチームの方たちに名刺を渡したとき、「クリエイティブディレクターって何をやる人なんですか?」ってシンプルに聞かれたんですよね。それにうまく答えられなくて、広告の中でだけ確立されている役職にちょっと虚無感みたいなものを感じて、ドラマでは一からいろいろ学ばせてもらおうと思いました。 とりあえず、制作プロダクションさんに居候するようなかたちで、撮影だけでなく編集などの現場にもいるようにしたんです。すごく新鮮で、世界が広がるような感覚があったんですけど、だんだんと「ただ居候しているだけではダメだな」と思い、より入り込むというか、自分から関わっていくようになりました。あのころは、本当にずっとプロダクションさんにいましたね。 ドラマ『絶メシロード』 普通のサラリーマン・須田民生は家族のいない週末、車中泊をしながら 「絶メシ」を追い求めるという小さな大冒険に出かける ドラマは観る人のことをイメージできる ──畑中さんの場合、「企画・プロデュース」とはどんなことをされているのでしょうか。 畑中 『絶メシロード』や『八月は夜のバッティングセンターで。』(テレビ東京)は、「企画・プロデュース」として参加していますが、わりと原案に近いところから手掛けている感じですね。『八月〜』なら、バッティングセンターが舞台で、妄想の世界に本物の元プロ野球選手が出てくるドラマという設定や、ストーリーラインなどを考えています。 『お耳に合いましたら。』(テレビ東京)は、主人公がチェーン店グルメ「チェンメシ」をテーマにしたポッドキャストを始めるという設定やストーリーを一から考えているので、「原案・企画・プロデュース」ということになっています。12話までの仮の展開も決めて、それをもとに脚本をお願いしました。 ──ドラマ作りに参加して、30分〜1時間という時間のほかに広告との違いを感じたところはありますか? 畑中 広告って、どこにどのタイミングで流れるのかわからないことも多いんですけど、ドラマは何曜日の何時って枠が決まっているじゃないですか。すると、「金曜日の深夜にテレ東を観ている人って何が観たいんだろう?」とドラマを観る人のことをイメージできるんですよね。 『絶メシロード』のときは、金曜深夜に観た人が、そのまま主人公と同じように出かけてくれたらいいなという気持ちがありました。車で出かけて車中泊して、土曜日に帰ってくる、みたいな。それと、週末の深夜なので、事件やドラマ性のあるものよりも、楽しそうでちょっと気の緩むようなもののほうが観ている人に届くんじゃないかとも考えました。そういう発想で企画を考えたことがなかったので、おもしろかったですね。 ──実際にドラマに登場した絶メシを食べに行った人もたくさんいたみたいですね。 畑中 「絶メシ」という概念がドラマを通じて広がって、SNSでも毎日のように「お店に行ったよ」「マネして車中泊やってみました」といった投稿が上がっていたので、当初の狙いどおりというわけじゃないですけど、本当によかったなと思いました。 ドラマ『八月は夜のバッティングセンターで。』 高校生の夏葉舞がアルバイトをするバッティングセンターに現れた 元プロ野球選手・伊藤智弘は、バッティングから人の悩みを察し 野球にたとえた人生論で背中を押していく ドラマ『お耳に合いましたら。』 主人公の高村美園は、あるきっかけからチェーン店グルメをテーマにした ポッドキャスト番組を始める。 美園の妄想の世界にラジオ界のレジェンドが登場する展開も話題に 自分の「好き」を掘り下げて、記憶に残るものを作りたい ──その後もドラマを手掛けられるようになったのは、広告的な発想でドラマを作ることができるとわかったのが大きいのでしょうか。 畑中 そうですね。広告でやっていることはドラマに転用できるなと思いました。企画を作るとか、それをプレゼンして通すとか、そのドラマのおもしろいポイントを見つけるとか。あとは、コピーライティングじゃないですけど、ドラマを表すキーワードを考えるとか。そういったことが活かせるとわかって、もっとドラマをやりたいなと思うようになりましたね。 ──絶メシ×車中泊や、チェンメシ×ポッドキャストなど、要素の組み合わせの妙にも、企画性の高さを感じます。 畑中 『お耳〜』は、ポッドキャストというテーマは決まっていて、グルメか何かと掛け算できないかなと思っていたんですけど、コロナで外食もできないので、テイクアウトがいいんじゃないかなと。チェーン店グルメなのは、僕が好きだからなんですけど。 広告をやっているからか、テーマを掛け合わせるようなクセがあるんでしょうね。「ただ恋愛ドラマをやる」というだけだと、おもしろくなるか不安になってしまうというか。ドラマの世界では邪道なんだろうと思うんですけど、逆に新鮮に見てもらえているのかもしれないです。 ──そこに畑中さんの「好き」も加わっているので、頭の中で考えただけではない、熱のようなものが感じられるのかもしれません。 畑中 テレビ東京さんの深夜ドラマって、カルチャー系のものも多かったりするように、100人に刺さらなくても7〜8人に深く刺さればいいっていう作り方をさせてもらえるので、ありがたかったんですよね。『八月〜』で野球をテーマにしたのも自分が好きだったからなんですけど、自分たちの好きなものを掘り下げて、それに共感してくれた人の記憶に残る、そういうドラマを作りたいと思ってるんです。 ──元プロ野球選手の選び方などに、「好き」を感じました。 畑中 僕だけでなくスタッフも野球好きばかりだったので、打ち合わせから撮影までずっと楽しくて。特に「誰に出てもらうか」という打ち合わせは、好きなチームの話にまで脱線して、収拾できないくらい盛り上がりましたね(笑)。主人公の名前が「伊藤智弘」なのも、僕が元ヤクルトスワローズの伊藤智仁さんが好きだったからなんです。 『お耳〜』でドムドムハンバーガーが登場したのも、完全に自分が好きなだけ。僕が子供のころに初めて食べたハンバーガーがドムドムだったので、ハンバーガーを出すなら絶対にドムドムだと言ってたんです。単なるエゴですね(笑)。 「どちらかというと、走り続けるタイプなんです」 ──ところで、2本のドラマを同時に進行するなど、畑中さんはかなり忙しく動いていらっしゃるようですが、「サボり」というか、息抜きなどはしているんですか? 畑中 どちらかというと、走り続けるタイプなんですよね。なので、息抜きといっても、ソーシャルトラベルみたいなことで。スマホの中でいろんなソーシャルメディアをブワーッと巡って情報のシャワーを浴びてきて、また仕事に戻るような感じなんですけど。 ──それもちょっとお仕事みたいですね……。 畑中 仕事のためというわけではなく、好きなものが多くて、置いていかれるのがイヤなんです。だから、時間ができたら話題に追いつきたい。大谷翔平選手がホームランを打ったことを、翌日知るなんてイヤじゃないですか。それが僕にとっては息抜きなんですよね。 ただ、企画をする仕事なので、情報に触れることが仕事につながっている部分もあります。ひらめきや要素の掛け算って、自分の中にあるものから生まれるものなので、引き出しを増やしておいたほうが、ふとしたときに何か思いつく可能性も高くなると思います。 ──好きなことに限らず、広く情報には触れるようにしているんですか? 畑中 そうですね。でも、ただ情報を見るというよりは、気になった情報について一度考えることが大事だと思っています。たとえば、事件を起こした犯人が沖縄で逮捕されたというニュースを見たら、「なぜ犯人は南に逃げるんだろう?」って考えてみるとか。そこから、「自分が犯人でも、わざわざ寒い地方には逃げないよな」「警察はどう考えるんだろう?」と広げていく。問いを立てて考えた経験は、あとになって企画に活きたりするんですよね。 ──仕事とプライベートの曖昧なところも楽しんでいらっしゃるんですね。純粋に楽しんだり、無になったりする時間はないのでしょうか。 畑中 あの、性格的にあとに残しておくのがダメなんですよ。夏休みの宿題を全部7月にやっていたくらいで、仕事もやり残した状態だと気持ち悪いんです。だから、本当に全部仕事が片づいて、やることはもうない、1日か半日何もしなくていい、という状態になってようやく無になる。その瞬間は好きですね。 楽しいことも、自分で率先してやるような趣味はないんですけど、逆にどんなことでも楽しめるんですよね。情報に対して問いを立てるのと同じように、「なぜ?」と考えながら見ているだけでおもしろい。実家に帰ると、両親や祖母と「花を見に行こう」なんて話になったりするじゃないですか。僕は花には興味がないんですけど、でも、「なぜ人は歳を取ると草花が好きになるんだろう?」って考えるのは楽しいというか。それも結局、仕事につなげちゃうんですけどね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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内田未来(Daily logirl #175)
内田未来(うちだ・みらい)2005年11月14日生まれ。東京都出身 Instagram:mirai.uchida_official X:@uchida_mirai 撮影=時永大吾 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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朝日奈まお(Daily logirl #174)
朝日奈まお(あさひな・まお)2002年1月14日生まれ。東京都出身 Instagram:maokra__ X:@maokra__ 撮影=青山裕企 ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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松藤百香(Daily logirl #173)
松藤百香(まつふじ・ももか)2005年11月4日生まれ。福岡県出身 Instagram:miss_todai5_2024 X:@mmk_utl 撮影=大靏 円 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
Dig for Enta!
注目を集める、さまざまなエンタメを“ディグ”!
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一夫多妻制は円満なのか? “竜人は救世主♡” 清 竜人25新たな夫人たちの本音
清 竜人25(きよし・りゅうじんトゥエンティーファイブ) シンガーソングライターの清 竜人が結成した一夫多妻制アイドルユニット。前回は2014年〜2017年にかけて活動。今年、清 竜人のデビュー15周年、清 竜人25結成から10周年という節目を迎えるにあたり、完全新メンバーで復活。第101夫人・清 さきな(頓知気さきな/femme fatale)、第103夫人・清 凪(根本凪/ex 虹のコンキスタドール、でんぱ組.inc)、第104夫人・清 真尋(林田真尋/ モデル・舞台女優)、第105夫人・清 ゆな(チバゆな/きゅるりんってしてみて)で活動している。 ※第102夫人・清 嬉唄(島村嬉唄/きゅるりんってしてみて)は7月のお披露目ライブで電撃脱退した Instagram:@kiyoshiryujin25_official 清 竜人25が復活した。“一夫多妻制アイドル”というコンセプトで、一世を風靡し解散したのが2017年のこと。あれから7年。新たな夫人たちを迎え、新生・清 竜人25として再スタートしたのだ。 オリジンの清 竜人25は伝説的な存在だが、現・夫人の4人も負けてはいない。アイドルとしてすでに活躍してきた彼女たちの実力は申し分ない。しかもグループの雰囲気もグッドで、第101夫人のさきなは、「もう家族みたい」と語るほどだ。 10周年だけど、新婚ほやほやの清 竜人25。インタビューで四者四様の夫人たちの魅力に迫ると、大いなる飛躍の予感は、確信に変わった。 目次夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!?さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」真尋は「素直でめんどくさい女」ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」竜人くんはみんなの救世主新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!? ──なぜ、清 竜人25を復活させたんですか。 竜人 10年前は、アイドルシーンにおいて、男性が女の子と一緒にステージに立つユニットがなかったので、そこに一石を投じる気持ちがありました。そのクリエイション以外の部分で成し遂げたかったことは3年かけていったん完全燃焼した。今回は清 竜人25の10周年というアニバーサリーイヤーだったので、純粋なエンタテインメントグループとして、この時代にできるハッピーなもの作りをしたいなと思ったんです。 ──このメンバーならそれができると思ったんですね。 竜人 うん、そうですね。 ──竜人さんの誕生日でもある5月27日に復活が発表されましたが、いつごろ夫人たちに声がかかったんですか。 さきな 半年以上前かな。もうあんまり覚えてない(笑)。でも私は、お仕事ではなく、もう家族みたいだなと思ってます。最初は、真尋ちゃんがみんなの仲を取り持ってくれたよね。 真尋 私、人見知りしないんで。でも、みんないい人で本当によかった。今では夫人4人がすごく仲よくて、竜人が置いていかれてる感があるんですけど(笑)。 さきな だから、夫人たちの間でギスギスすることはなくて、(ステージ上でのウィンクとか)「みんなに平等にしてよ!」とか逆に竜人にクレームが行くことがあるかも? 1対4で、竜人が共通の敵みたいな♡(笑)。 ──寂しいですね。 竜人 そうっすねえ……(苦笑)。 ──楽曲も次々とリリースされています。竜人さんにとって、どんなポジティブな影響がありますか? 竜人 10年前のデビュー曲「Will♡You♡Marry♡Me?」のリアレンジverをリリースして、SNSなどでたくさんの方に聴いていただけている状況で。解釈を変えて世の中に提示することで、違う時代でも受け入れてもらえてるのは、すごくアーティスト冥利に尽きるなと思います。 ──夫人たちは、竜人さんの楽曲を歌ってみていかがですか。 夫人4人 (キーが)高すぎる! 真尋 あと、歌詞に「スケベ」なんて入る曲を歌ったことがなかったので(笑)、新鮮で楽しいです。 ゆな 歌うのが難しい楽曲ばかりですけど、難しいからこそ、どうやって歌うか考えるのが楽しいです。 凪 壁が高いからこそ超えたくなるよね。「竜人、もっと難しい曲提示してよ」みたいな。負けねえぞ!という気持ち。 竜人 すげえ、ストイック(笑)。 さきな かっこいい〜。私はもう「楽しいなぁ!」ってだけかも。「キーが高くて出ないよ〜、楽しい〜!」みたいな。 凪 「振り付けできないよ〜。楽しい〜」ってね(笑)。最終的には「楽しいなら、いっか!」なグループですね。 さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」 ──夫人同士のお互いの印象はいかがでしょうか? まずは、さきなさんについて。 凪 私たちの振り付けは、ワークショップ的に先生と一緒に考えることが多いんですけど、さきなちゃんは積極的に意見を言ってくれて、それがキレイなかたちにまとまることが多いんですよ。地頭がいいんだと思ってます。 ゆな さきなちゃんは、もう……このまんま人間! 凪&真尋 あはははは(笑)。 さきな これ以上でも以下でもない(苦笑)。 ゆな すごく明るいし優しいし、裏表がまったくない。あと、すごくいろいろ考えてる。思考力が深すぎて、こんなに明るいのに、こんなこと考えてるんだって思うと、ゴリゴリゴリ〜ってしたくなる。 凪 ゴリゴリゴリ……? ゆな 違う! わしゃわしゃわしゃ〜って頭を撫でたくなっちゃうような感じ、でーす(笑)。 真尋 さきなちゃんは言葉の選び方がすごく上品。私は本当に頭が悪いんで、思ったことをすぐ言っちゃうんですよ……。でも、さきなちゃんは、誰も嫌な気持ちにならない言い方をしてくれるから、すごくありがたい。 さきな うれしい、泣いちゃう……! 竜人は? 竜人 ……3人が言ったことがすべてだよね。 さきな えぇ〜。 ゆな 私は、さきなちゃんのいいところもっと言いたいくらいなのに! 竜人 まじめな子だなあ、と思いますね。 さきな もう、竜人はいつもこれしか言ってくれない。「責任感がある」、「まじめ」。そんなことないのに……まだ私のこと知らないんだね。 凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」 ──凪さんはどうですか? 真尋 癒やし系でほわほわしてるけど、ライブ中は、人が変わったようにすごいんですよ! さきな 憑依型だよね。あと、ツッコミ担当だけど、すっごくおっちょこちょい(笑)。 真尋 リップのフタを逆側にハメちゃって、抜けなくなったり(笑)。さっきは、ドアを半開きにしておく方法がわからなくて、ずっとドアの前でわたわたしてた。「大丈夫?」って聞いたら「ダメです」って(笑)。 さきな 凪ちゃんはひとりでごちゃついてること多いよね。 真尋 おもしろいから、放置してずっと見ちゃう。 凪 助けてくれよぉ〜。 さきな あと、すごく人見知りで、心をすぐに開かない。だから、最近心を許してくれたことが本当にうれしくて愛おしくて。 凪 たしかに、今めっちゃ心開いてる。 さきな 最近は顔を見るたびに抱きしめたくなっちゃう。 凪 さっきは肩揉んでくれましたね。 真尋 おばあちゃんだと思われてない!?(笑) 凪 私は、清 竜人25の「おばあちゃん」担当ですね(苦笑)。ちなみに竜人は何かありますか? 竜人 出会ったころから、いい意味で印象が変わってないかも。 凪 前世のレコーディングのときに出会ったんですよね。「歌が上手だね」って言ってくれて。覚えてる? 竜人 覚えてるよ。いい意味でオンオフの切り替えがはっきりしてて、プロフェッショナルだなと思いますね。 凪 ありがとうございます。普段けっこうダウナーなので、意識して切り替えないと、人の前で歌ったり踊ったりできないんですよ。 さきな 凪ちゃんの本来の人間性と、ステージに立つ人の感覚っていうのが、ギャップがあるんだよね。だからそのまんまの凪ちゃんでは出ていけなくて、スイッチを入れなくちゃいけない。 凪 そうそうそう。けっしてお酒を飲んでステージに上がってるわけではないです。 さきな ナチュラルハイなんだよね。 真尋は「素直でめんどくさい女」 ──真尋さんはどうですか。 凪 真尋〜! 大好き!! 真尋 あはは、私も(笑)。 さきな 屈託のない素直さが魅力。何事にもまっすぐ。たまに良くも悪くもって感じになるんだけど。 真尋 よくわかってる(笑)。 さきな 素直に猪突猛進って感じ。私はこういう女が好き。 真尋 告白……!(笑) さきな でも、まだ見たことないですけど、もし機嫌が悪くなったら、めっちゃ態度に出すタイプだと思います。そういうめんどくさい女(笑)。 真尋 合ってます! さきなちゃん、占い師みたい(笑)。 さきな 私、めんどくさい女が大好きなんですよ。あと、私は真尋ちゃんのことは、ほぼ犬だと思ってます。 真尋 どういうこと!? さきな 誰にでも笑顔でしっぽ振って懐いちゃうから……。この3人の中で彼女にしたら一番不安になっちゃうのが真尋ちゃんだと思う。どっか行っちゃうんじゃないかって。 真尋 やばい女じゃん!(笑) さきな めちゃくちゃムードメーカーで、みんなを朗らかにしてくれる存在です。喜びや怒りはまっすぐ表現する反面、自分の弱さは人に見せない強がりさんなところがあって愛おしい。とても器用だから隠すのが上手すぎて、明るい真尋を演じている瞬間があるのでは?と心配になっちゃうこともあるくらい。 凪 今まで出会ったことのないタイプの明るさを持っている人。なので、人見知りの私でもすぐに打ち解けられた。唯一の同い年で、パフォーマンス力がすごく高くて、ダンスとか教えてくれるから……真尋いつもありがとう。 ゆな 真尋ちゃんは本当に優しくて、犬みたい(笑)。 真尋 え⁉︎ なんでみんな犬って言うの!(笑) ゆな (笑)私は、ひとりだけ加入が遅かったんですけど、初めての顔合わせが写真の撮影日で。もうガチガチで、初めて会う人と一緒に写真撮るなんて、ヤバーい!って緊張してて。 さきな この仕事してたら、初対面で撮影なんてしょっちゅうあるでしょ(笑)。 ゆな でもヤバすぎ〜って緊張してたの! そしたら真尋ちゃんがめっちゃ話しかけてくれて、こんなに優しい人がいてうれしいってなりました。楽しいこともうれしいことも、真尋ちゃんにすぐ言いたくなる。 真尋 うれしい〜! じゃあ、竜人。来いよ! 竜人 なんだろう、すごくガーリーだよね。本番前の舞台袖とかでさ、いつもぷるぷる震えてるじゃん。たぶん緊張しいな部分もあるんだよね。そこもかわいいなって思うよ。 真尋 きゅん♡ かわいいならよかった! ──今日初めて「かわいい」って出ましたね。 凪 本当だ! クレームセンター行きだ(笑)。 さきな クレームの窓口どこだろ。 ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」 ──最後に、ゆなさんはどうですか? さきな ゆなは、繊細さんで守りたくなる。いい子すぎて、すっごく健気で、がんばり屋さんで。ゆなこそ、すっごくまじめ。こうやってずっとニコニコして、ギャグセンがちょっと高くて、おもしろいこととか言うし、ぽわぽわしてるように見える。でも実はちょっと抱え込みがちだから、守りたくなっちゃう。 真尋 癒やしです。ずっと見てたくなる。いつか誰かに騙されそうで、壺とか買っちゃいそう(笑)。守りたくなるんですよね。 ゆな ぜひ守っていただいて♡ 真尋 うん、みんなで守るよ! 凪 めちゃめちゃかわいくて、きゅるんってしてるのにおもしろいし、親身になって同じ目線になって話聴いてくれるところもある。私はゆなちゃんいないと、無理。依存! さきな 中毒性がある(笑)。 真尋 ゆなちゃんって、よく変なこと言うんですよ。このインタビューでもちょいちょい出てると思いますけど(笑)。 さきな 最近おもしろかったのが、私が「トイレ行ってくる〜」って部屋を出ようとしたら「いいなぁ」って返されて。じゃあ「一緒に行こうよ〜」って誘いました。 凪&真尋 あっはっは(笑)。 真尋 パッと出るひと言がすごくおもしろいんですよ。 ゆな ありがとうございます。竜人くんは? 竜人 ゆなはすごく今っぽいなと思いますね。時代をまとった女。 さきな ナウい。いいなぁ。私にもそういうのつけてよ、二つ名欲しい。 竜人 うーん、考えておく。 竜人くんはみんなの救世主 ──夫人たちは、竜人さんとの「結婚」にためらいはなかったですか。 さきな 私は全然。懸念あった? ゆな ゆなはいっぱいあった。 凪 めっちゃ悩んでたね。 ──お披露目ライブで第102夫人の嬉唄さんが離脱し、急遽交代で入ったのがゆなさんでした。 さきな ゆなちゃんは、すっごくファンを大事にしてて、誰ひとり取り残さないで、みんなを笑顔にしたいタイプだから、けっこう葛藤があったよね。 ゆな でも「やる!」って自分で決めて入ったら楽しかったので、勇気を出してよかったです。 真尋 私のファンからも「結婚」っていうワードに対して「悲しい」って意見もありました。でも結局は、私が幸せなら何をしても応援してくれる人ばかりだから、「ごめんね」じゃなくて、「がんばるから見ててね」って前向きな気持ちになれました。 凪 私のファンの方々は「凪がまた元気に活動してくれて、またグループやってくれるなんて!」って喜んでくださってます。私の健康も気遣ってくれるし……って、これじゃ本当におばあちゃんみたいですね(苦笑)。私のファンにとって、竜人くんは救世主です。「竜人くんは救世主♡」って歌作ってほしい! 竜人 やば!(笑) 真尋 いいじゃん! 次の曲それにしようよ! ──歌詞はご夫人方が書いてもよさそうですね。 凪 1行ずつ書こう! さきな 私たちが書いたら絶対グチャグチャになるよ。 凪 たしかに(笑)。 新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」 ──ライブツアーも控えていますが、グループとしての目標はなんでしょうか? ゆな ずっとこんな感じでにこにこ楽しく幸せにやっていきたいです。 凪 どんな状況でも、どんなライブハウスでも、路上ライブだとしても、この5人なら、絶対楽しいし、ハッピーを届けられると思います。元気のない人にも、このハッピーオーラを届けたいですね。 真尋 このハッピーさはみんなに伝えたい。あと、私の前世のグループで叶えられなかった目標があるので、清 竜人25では叶えたいです。 さきな すごい! このグループで、そんな大きな目標が話題になったことなかった。 凪 竜人の頭の中にはあるんじゃないの? 竜人 ん? なに? さきな 今、真尋ちゃんがライブハウスよりも大きいステージにこの5人で立ちたいって言ってたの。 竜人 へぇ、いいじゃん! 真尋 明日にでも予約してくれそうなテンション!(笑) さきな 今、決まりました! 行きましょう。 ──さきなさんご自身の目標はどうですか? さきな やっぱりたくさんの人に見てほしいかな。ライブを観に来てくれたお友達とか家族の反応がすごくいいんです。たぶん私たちが思っているよりも、お客さんのことを楽しませることができてる。だから、「私たちのことを観ておかないと、もったいないよ?」って思います。私も観たいくらいだし。こんなグループもう二度と出てこないと思うから、今のうちに観てほしい。見世物小屋を観に来る感覚でいいから。 凪 寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! ゆな 凪ちゃんはすごく天然なんですけど……。 さきな 突然どうしたの?(笑) ゆな さっき凪ちゃんのこと説明できなかったから。凪ちゃんはノートに歌詞を書いてて、メモもたくさんしてます。憑依は、そういう努力のおかげだと思う。っていうのも書いておいてください。 凪 優しい……ゆな〜〜! ゆなはメンバーのことを本当によく見てくれてる。 ゆな 照れるからやめてよ〜(笑)。 文=安里和哲 撮影=時永大吾 編集=宇田川佳奈枝 <出演情報>テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 11/9(土)11/16(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 出演:清 竜人25 会場:豊洲PIT 日程:2024年11月14日(木) 時間:18:00開場/19:00開演 http://www.kiyoshiryujin.com/kr25_2024/
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H1-KEYはなぜ“K-POP界のアベンジャーズ”? 4人が持つ能力と特別な関係
2022年にデビューしたK-POPガールズグループ・H1-KEY(ハイキー)の魅力は、高い歌唱力と圧倒的なパフォーマンススキル、そして4人のメンバーによる息の合ったステージングにより、幅広い音楽ジャンルを彼女たちの色に染め上げることができるところだ。 今回は日本で初のリリースイベント、そして音楽フェス『XD World Music Festival』出演で来日した4人に、彼女たちの多彩さがたっぷりと詰まった最新作『LOVE or HATE』にまつわるエピソードや、“H1-KEYらしさ”について語ってもらった。 目次グループのイメージを覆す“挑戦”違うところで育った4人がひとつになったK-POPの“スタンダード”になりたい グループのイメージを覆す“挑戦” ──まず初めに、3rd Mini Album『LOVE or HATE』について改めて紹介してもらえますか? ソイ 今まで私たちが歌ってきた曲は、前向きなメッセージが込められている明るい内容がメインでしたが、今回のアルバムは打って変わって“反抗的な学生が結成したスクールバンド”というコンセプトで作ったものです。なので、歌詞もストレートでアグレッシブなものになっているぶん、新しい姿をお見せできたのではないかと思います。 リイナ もともと私たち自身、ガールクラッシュなコンセプトがずっとやりたかったので、『LOVE or HATE』でまさに念願が叶った感じでした。 ソイ 「これは私たちにとって新たなチャレンジになる」って、すごくうれしかったよね! ただ、みなさんがH1-KEYに寄せている期待を覆すものでもあるので、どんな反応が返ってくるかということは正直なところ少し心配でもありました。 ソイ ──これまでのH1-KEYのイメージをアップデートするようなスタイルですね。タイトル曲「Let It Burn」は、まさにこのアルバムを象徴するようなナンバーです。 イェル 初めて聴いたときはすごく私たち好みだなと感じましたし、ギャップを見せられる曲だなと思いました。 フィソ 歌詞も、あまりアイドルが歌わないような表現だからすごく特別な感じがしたよね。「氷が溶けてしまったアイスティー」や「“チャギヤ(愛する人を親しみを込めて「ダーリン」「ハニー」と呼ぶ際に使う韓国語)”、愛してる」、「心が焦げて灰になってしまっても」とか。 イェル 振り付けも挑発的な歌詞に合っていて、すごく気に入っています! 違うところで育った4人がひとつになった ──ほかの収録曲も聴き応え満載なものばかりですが、特にファンの方々にとって特別な曲になったのは、メンバーのみなさんが作詞に参加された「♡Letter」なのではないかと思います。 フィソ 「♡Letter」の歌詞はそのタイトルどおり、作詞をするというよりは、メンバー同士お互いに向けて手紙を書くつもりで作り上げたものなんです。なので、私たちがどんな気持ちで向き合っているかということが表れていて、すごく美しい曲になったと思います。 イェル メンバーのお誕生日に手紙を贈り合ったりもするのですが、そのときとはまた違った感じでした。大変だった時期のことを思い返しながら、それを乗り越えたことへのお互いに対する感謝を込めて書いたので、この曲を聴くだけで涙が出そうになります。 ソイ 「私たちはすでにひとつ」という歌詞があるのですが、それぞれが違う環境で育ち夢を抱いていた4人がひとつのチームになっていく過程で、お互いに近づいていったH1-KEYらしさがよく表れている箇所だと思います。 リイナ そうだよね。それから「これは夢のような現実」という歌詞は、もともと違うものを持っているお互いが今では不思議なことに似たところもたくさんできたという私たちの、信じがたいくらい特別な関係性を伝えるフレーズです。 リイナ ──「それぞれが違う環境で育った」とは、どういうことなのですか? リイナ H1-KEYは、違う事務所の練習生だった4人が集結して結成したグループなんです。 ソイ そう。だから自分たちのことを「“アベンジャーズ”みたいなチーム」と呼んでいます。全員のキャラクターが明確だし、特色もまったく違うから。 ──“K-POP界のアベンジャーズ”であるH1-KEYは、どんな能力を持ったメンバーが集まっているのでしょうか。まずはリーダーのソイさんについて、教えてください。 イェル 私たちのリーダーであるソイさんは、とにかく歌声が特別。いつも「この曲をソイさんが歌ったら、どんな雰囲気になるかな」って考えますし、想像力を掻き立ててくれる声だなって思います。見た目と歌声のギャップも、魅力的です! フィソ ソイさんは、「これをやり遂げるぞ」って一度決めると目の色が変わって、目標に向かってまい進する情熱的な人です。一方で、たとえまわりが浮足立った状況でも、しっかりと自分のペースを保てる冷静さも兼ね備えています。 ──続いて、フィソさんについてご紹介お願いします! ソイ まずは歌声。どんなジャンルの楽曲でも自分のものにできる、宝物のような声ですね。 イェル さっきソイさんを紹介するときは「『この曲をソイさんが歌ったら……』と想像力を刺激する声」とお話ししたのですが、フィソさんは「この曲はフィソさんが歌えばこうなるだろう!」とはっきりイメージできるほど、個性が明確な歌声の持ち主です。その魅力が最大に発揮される音域帯というのもあるのですが、曲の中でパートが近づいてくると「来るぞ~!」と期待してしまいます。 ソイ ステージ上ではカリスマを発揮しているのですが、性格的にはとてもシャイで、情に厚く優しさにあふれているところも愛らしいです。 ──では、イェルさんは? ソイ グループの末っ子なので、以前は「子供みたいでかわいいな」と思うことも多かったのですが、特に『LOVE or HATE』の成熟したコンセプトがすごくマッチしたのか、最近はお姉さんに見えます。性格もサバサバしていてしっかりしているので、年上である私にとっても頼りがいのあるメンバーです。 フィソ 大きな心を持っていて私たちお姉さんメンバーの面倒もよく見てくれる、まるで長女のような存在です。 ソイ (じっとフィソを見つめる) フィソ ……もちろん、本当の長女はソイさんだよ(笑)! 安心して! 一同 (爆笑) フィソ それからイェルは伝統的な舞踊を習っていたというバックグラウンドがありつつ、ヒップホップの感性も持ち併せているところが特別だと思います。 ──では最後にリイナさんについて。 ソイ クールでチルで、芯がしっかりしている人。私は「誰かに頼りたいな」というとき、真っ先に思い浮かぶのがリイナですね。清純な見た目とハスキーボイス、しっかりとした性格とユーモアセンス……と、本当にたくさんの素晴らしいところを持ったメンバーです。 イェル いつも一生懸命なリイナさんは、日本語の勉強も熱心で、実際にとても上手ですよね。そんな姿を隣で見ていると「私もがんばろう」って思えるので、とてもありがたい存在です。 K-POPの“スタンダード”になりたい ──お互いをリスペクトし合う関係性がとても伝わってきました。それでは、ここからは今後のH1-KEYについてお聞かせください。いよいよ『LOVE or HATE』発売イベントで初めて日本のM1-KEY(ファンネーム)と対面を果たしますね(※取材はイベント開催前に実施)。今のお気持ちは? イェル 『LOVE or HATE』で新しい姿に変身したH1-KEYを、日本のM1-KEYに直接お見せできるのが本当に楽しみです! イェル ソイ 私、すごく気になっていることがあるんです。日本のM1-KEYはいつも、かわいい私たちの姿を好んでくださっているような気がするので、今回のような“ちょっと怖いお姉さん”なH1-KEYを気に入ってくださるかなって。よいリアクションをいただけたらうれしいですね。 ──リリースのたびにいろいろな姿を見せてくれるみなさんに、日本のM1-KEYも魅了されていると思います! では最後にこれから先、達成したい目標を教えてください。 ソイ 今後も日本のM1-KEYに会える機会がたくさんあることを願っていますし、少しずつM1-KEYが増えていけばいいなと思います。ゆくゆくは東京ドームでみんなで一緒に楽しめる日が来たら幸せですね。 リイナ 日本デビューは絶対に叶えたいです。私は日本語の勉強を一生懸命がんばっているのですが、特にバラエティ番組がすごく役立つのでよく観て学んでいます。参考になる上に、とてもおもしろいから。なので、いつか私たちも出演できたらいいなって思っています! あと……小さい役でもいいのでドラマや映画に出演したり、演技のお仕事もやってみたいですね。 フィソ チームとしての目標は、ふたりもお話ししてくれたように日本での活躍をもっともっとすることと、そして『コーチェラ』出演です。個人として夢見ているのは、今一般的に知られているボーカリストとしての魅力だけでなく、実用舞踊科出身ならではのダンスパフォーマンスにおける実力もみなさんにお伝えしたいということですね。 フィソ イェル まずは、私たちが「K-POPとはこういうものだ!」ということをこの世界に知らしめたいです! 一同 おお〜! ソイ ちょっと怖いんだけど(笑)! イェル (笑)。でもそれくらい、H1-KEYのパワーを多くの方に知っていただけたらいいなと思っています。もちろん、M1-KEYが見たい私たちの姿もしっかりお見せしたいですね。それから、私自身はダンスやラップだけでなく作詞作曲もできるし、本当にいろいろな才能を持っているので、これからいろいろな魅力を発揮していけたらいいなって。 あとは、メンバー全員がそれぞれ違うブランドのアンバサダーを務めていたらカッコよくない? ソイ めっちゃいいと思う! 私は、日本のCMに出演することが夢です。私たちは、日本の映像の感性にもバッチリ合うと思いますよ〜(笑)! フィソ 「Let It Burn」には「アイスティー」って単語が出てくるし、お茶のCMとかよさそう! ──みなさん、アピールがすごくお上手ですね! リイナ はい(笑)! ひとつでも夢を叶えていけるようにがんばりますので、これからもたくさんの応援をよろしくお願いします。 編集・文=菅原史稀 撮影=山口こすも
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NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき
平中悠一。高校在学中に執筆した小説『She’s Rain』(1985年/河出書房新社)が「文藝賞」を受賞、1984年に作家デビュー。その後『Go!Go!Girls(⇔swing-out Boys)』(1995年/幻冬舎)、『アイム・イン・ブルー』(1997年/幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(2000年/河出書房新社)などの著作を重ねてきたが、デビューから約40年の間に、エッセイや翻訳なども含め出版された単行本が計15冊という寡作な作家。その平中が、今春『シティポップ短篇集』(2024年/田畑書店)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』(2024年/田畑書店)という2冊の書籍を上梓した。しかも『「細雪」の詩学』に至っては、東京大学大学院にて執筆した博士論文がもとになっている学術書だという。 現在『logirl』のプロデューサーを務めている私自身、デビュー作から追っている作家のひとりで、2作品の同時出版というニュースを知ったときはテンションが上がった。 今回、平中に近著の2作品に関する話を聞くことになったのだが、作品内容だけにとどまらず、本人のスタンスの変遷(=変わらなさ)に関する見解にまで話が及んだ。そこにはタイムリーな「NewJeans」(2022年7月にデビューした、韓国の5人組ガールズグループ)の話題なども加わることに。 ──『シティポップ短篇集』を編纂するにあたっての企図をお伺いできればと思います。 平中 本書のライナーノーツ(解説)にも詳しく書いていますけど、近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃなくて、もともと1980年代にはこのシティポップという言い方はあまり使われてなかったんですが、僕のデビュー作『She’s Rain』が出版されたのは1985年なので、結果的には、僕自身がちょうどいわゆるシティポップの時代に重なるんですよね。 デビュー作の中では、ドビュッシーとかラヴェルとかも書いていますが、実は一番いい場面では登場人物たちは山下達郎を聴いているんですよ、あの小説って。まさにシティポップの真ん中の時代で、シティポップ小説という考え方はなかったけれど、今、回顧的にシティポップと呼ばれているような音楽が出てきていたように、当時すごく都会的な小説もいっぱい出てきていたから、それをまとめたらいいんじゃないかと思っていたんです。 「こういうのをまとめたら、いいものできるよ」って、当時、編集者に言ってはいたんだけど……僕がまとめるという考えはなかった。それを、今ならまとめられるんじゃないかなと思って、作ったんですよ。 「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。 僕自身、もともとシティポップ音楽も好きで、シュガー・ベイブや大貫妙子、ティン・パン・アレー系とか大瀧詠一、そういうのを好きで聴いていて、近年のシティポップの流行はアジアからの逆輸入ともいわれていますけど、、日本の1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の空気感が、経済発展してきた今のアジアの空気にピタッとはまったんだと思うんです。 だから日本のシティポップがオリジナルだからすごいということと同時に、アジアの全体が元気になって、前向きになってきて、1980年代の日本のポジティブで都会的なセンスが共有されるようなってきた。インドネシアにしろタイにしろフィリピンにしろ、最近すごくいいですよね、ポップスがね。 シティポップの話題から、アジア全体のポップスの話へと。平中とアジアンポップスとの邂逅についての話が続く…… 平中 僕は1990年代に入って、ほとんどJ-POPを聴かなくなっていたんだけど、たまたまスカパーをつけたら韓国のチャートをやっていて、すごくおもしろくてびっくりしたんです。それが1998年くらい。そこからK-POPを聴き始めることに。 2、3年後には韓国語もだいたい話せるようになるくらいハマったんですけど、これには自分でも驚きました。最初にトランジットで韓国へ行ったとき、キンポ(国際)空港でソバンチャの3人が歌っているのをテレビで観て、強烈な印象を受けていましたから。それがわずか10年で、ここまでかっこいいポップスをやるようになるとは想像もしませんでした。 1988年のソウルオリンピックのころまでは、韓国は今の北朝鮮のような感じで閉じられていて、日本語も英語も全部放送禁止だった。その後、解放が始まって……最初にキム・ゴンモあたりがレゲエから入ったんですよね。冷戦時代の西側・東側的な政治性から少し離れてるじゃないじゃないですか、レゲエって。だから外国のポップスでもレゲエならいいでしょということで。 僕が一番聴いていた2000年……BoAが出てきたころでもまだ、韓国ではポップスで一番過激なのはロックとヒップホップだといわれていたんですよ。 ヒップホップはメッセージ性もあるし、まだわかるんです。でもなんでロック?なのかというと……ロックはアメリカ文化の典型なので、一番厳しかったみたいなんです。最も反体制的、という感覚があったみたい。 その後、キム・デジュン(大統領/当時)のころから、日本は「侍の、武士の国、武力の武の国」であるけれど、韓国は「文人の国、文の国、文化の国」であるという自己規定をして、カルチャーへ予算をドンと入れていくんですが、2003、4年くらいからK-POPもあんまり僕はおもしろくなくなっていくんです。 なぜかというと、そこまでは、キム・ゴンモからあとも、たとえばパク・ジニョンとか、R&Bというのはこういう音楽ですみたいな……本物志向がすごく強かった。ミュージシャン自身が自分で一番いいと思う音楽をやろうとしてたから……ちょうど日本の1980年前後のシティポップ黎明期のようにね。すごくおもしろかったんです。 それが2003、4年くらいになってくると、もうちょっと売れる感じ……韓国の伝統歌謡、歌謡曲のちょっと下世話な感じまでを取り入れる……ちょっとお色気も入れて、みたいな感じになってきて、ポップな感じとズレていくんですね。結果、どれを聴いても全部おもしろい、というそれ以前のようなよさはなくなってきて。 結局、そのころ、僕自身、ちょっと日本を離れてしまったので……そのあと、日本で韓国の子たちが売れたでしょ? KARAとか少女時代とか、いっぱい。そういう話自体は聞いてたんだけど、あのあたりは全然、僕は知らなくて。だからK-POPファンをやっていて、一番日本で盛り上がっておもしろかっただろうなというあのころは全然知らないんです(※2005〜2015年、平中はパリに住んでいた)。 とまあ、そんな感じだったんですけど……昨年の暮れぐらいからNewJeansを、最初はInstagramのリールか何かでアメリカ人がカバーしているのを聴いて「誰これ? カッコいいじゃん!」と思って調べたらK-POPだっていうから、びっくり!して、原曲を聴いてみたらすごくよかった。 最初に気がついたときは年末くらいだったから、もう『Ditto』が出ていたころだったかな? まずは『Ditto』をすごくいいと思ったんだけど、その前の曲も、『Attention』とかすごくコード進行がジャジーでおもしろいなと思ったりもしたんです。 『Ditto』のときから「あれ? けっこうすごい!」と思っていたんだけど、やっぱり2枚目のEPが出たときに『ASAP』のMVとかを観ると、もう完全に雑誌『Olive』の世界なので……改めてびっくりして、これ『Olive』じゃん!と思って。 マガジンハウスから刊行されていた人気雑誌『Olive』(1982年〜2003年)。その独特な世界観をベースにした編集から根強いファンを持ち、休刊から時が経った現在でも、いまだに回顧系の関連書籍などが出版されている。平中も、かつてこの『Olive』で連載を持っていた 平中 僕は、もともと『Olive』が好きで、デビュー作も『Olive』の読者が想定読者だったんです。デビュー後には『Olive』で声をかけてもらい、結果、連載までやらせてもらいました。もちろん今のNewJeansを作っている人たちは『Olive』には気がついていないだろうと思うんですよね。勝手にやっていると思うんです。自分たちのオリジナルとして。 だけど日本では1980年代のバブルのころに『Olive』みたいなものが出てきていて……当時の読者だった女性からは『Olive』が出てきてどんなに救われたかっていう話を、今でもよく聞くんです。僕自身が『Olive』で書いていたから。 当時の赤文字系雑誌の『JJ』(光文社)や『CanCam』(小学館)は、あくまでいかに男の子にウケるかを考えるということをやっていたんだけど、『Olive』は男の子がどうとかとは関係ないんだ、自分たちがかわいいと思うものがかわいい、かわいいものは全部つけちゃう!みたいな雑誌だった。僕はそれを見ていて、かわいいなぁと思ったわけです。 だから実際に今、NewJeansを見て、あの子たちが自分の好きなものを「ほら、これもこれも!」「これかわいいでしょ、これもかわいいでしょ!」っていうようなあの感じ……あれは当時『Olive』を見ていた感じに、すごく近い。 なるほど、『Olive』とNewJeansの親和性、その世界の中で自律的に自己完結しているというような。その場合、『Olive』読者もBunnies(NewJeansのファンネーム)も、等しくその世界を見つめることに終始することになる。話は、その眼差しに及んでいく…… 平中 1980年代はそういう意味でいうと、ポストモダンの時代でもあったのね。パフォーマティブとかディスクール、コミュニケーションとかそういうものが、すごくプロモートされていた。パフォーマティブでコミュニカティブでないものはだめだ!と否定されてしまうくらい……。でも、すごく豊かな時代というか、多様性が許容できた時代だったということもあると思うんだけど、『Olive』みたいな真逆のものも実はあった……要するにパフォーマティブとかコミュニケーションの基本って、相手に影響を与えようという意図を持って働きかけることで、それが『Olive』の場合、自分がかわいいと思えば、もうそれでいいわけです。人がどう思うかなんて、どうでもいい。そういうものも、パフォーマティブの時代だと思われていた1980年代にちゃんと日本に出てきていた。 そう考えると、シティポップみたいなものがアジアでウケてきている今、NewJeansのようなものが出てくるということは、日本の1980年代を重ねてみると、ひとつ読み解けるんだよな、と。 NewJeans『How Sweet』 日本デビュー曲の「Supernatural」では1980年代に生まれ大ヒットしたニュージャックスイングのスタイルを採用。完全に狙ってる? さらにここから「ノン・コミュニケーション理論」が主体を成す『「細雪」の詩学』へと話が進んでいく。平中の感覚の中でそれぞれの要素がきれいにリゾりながら展開していくさまは、まるで魔法にでもかけられているような気持ちになる。 平中 NewJeansを見ていてなるほどと思ったのは……ちょっと前提から話すと、僕も1980年代に仕事をしていたので、そもそもコミュニケーションが一番大事だと思っていたんだけど、その後、フランスへ行って「ノン・コミュニケーション理論」という、小説はコミュニケーションじゃないという考え方を知ったんです。 ところが日本語というのは、実はコミュニケーションじゃない言葉遣いを失っている。すべてが“言文一致”……話すように書くことで、書き言葉とコミュニケーションの口語を一致させるようになっているので、コミュニケーションじゃない言葉が見えなくなっている。なので、特にわかりにくくなっていると思うんだけど……もともとは“物語”ってコミュニケーションではなくて、別世界なんですよね。たとえば子供に「おじいさんとおばあさんがいました……」というのは、全然別の世界の話なわけです。物語には、そういうところがそもそもあって、これはコミュニケーションでもなんでもないはずなんです。そういうところが今は全然捉えられなくなっています。 ドキュメンタリー番組での「今日は村人たちのお祭りだ」みたいなやつ……ああいうのはフランス語なら、コミュニケーションではなく“物語”なわけです。でも日本のアナウンサーの人たちってそれを一生懸命コミュニカティブに伝えようとしますよね。真逆のことをやっているんです。文章自体は、すっと人から離れたひとつの物語になろうとしているのに、それをコミュニカティブにしようということをやっているので、すごく無理があるんですよね。 フランス語だったら、パッセコンポゼ(複合過去)という日常の会話と、パッセサンプル(単純過去)という、文章でしか使わなくなっている古文のような書き方があって……で、フランス人って、子供におとぎ話を語るときはパッセサンプルなんです。それですっと物語の世界に入っていける。言葉にはコミュニカティブな面とそうでもない面があるということに気がついたのはエミール・バンヴェニストなんだけど、それが本になるのは1960年代以降です。 日本で“言文一致”運動が始まったころにはフランスでもまだ周知されてなかったことなので、現代の日本語に“物語”の言語が確立されていないのは仕方がないところもある。そんななかで、日本の小説家たちはいろいろ工夫してがんばったと思います。 小説というのも“私とあなた”の間のコミュニケーションとは違うところにある“世界”を見せてくれるところが、実はすごくおもしろい。 『細雪』(谷崎潤一郎/1943年〜1948年)なんかはその典型なのだけれど、自分の人生とは別のラインで4年半の時間が流れていて、読んでいると自分の人生がそこのところだけ二股に分かれるみたいな感じがある、別次元のような。なぜそれができるのかというと、別の世界がそこにあって、読者はその世界をのぞき込むように経験するから。 僕の『「細雪」の詩学』では、アン・バンフィールドの「ノン・コミュニケーション理論」に関係して、ヴァージニア・ウルフを紹介しているのだけれど、ヴァージニア・ウルフは意識的にノン・コミュニケーションの小説を書こうと思ってすごく苦しんだ人なんですね。 文章の中にノン・コミュニケーションの部分があるというのはいえるとしても、それだけで1章、2章……と作っていくのは難しいんです。ウルフは『灯台へ』(1927年)でまったく人称性のない章を書いていますけど(第2章)、実はあれはすごく大変で、彼女の日記を見ると、ものすごく苦しんでいるのがわかる。 僕自身の話でいうと『She’s Rain』を書いたときに江藤淳先生から「街の情景の部分が新しいので、あれをもうちょっと発展なさったらいいと思いますね」と言われたので(『She’s Rain』の前日譚になる)次作の『EARLY AUTUMN アーリィ・オータム』(1986年/河出書房新社)のときに、意識的に街の情景を描いてみたんです。カメラアイを用いて街の情景を書いて……ずっと街の情景が続いている中に、人物のセリフがぽっと入る。 映像的にいうと……人物たちが遊んでいるようなシーンに、その画とは関係なしに人物たちの声でナレーションが入るかたちがあるじゃないですか……あれをやりたかった、文章で。 文章でぎっしり4ページくらいはいきたいなと思って書いていたんだけど、全然無理、続かない。やっぱりカメラアイでずっと書くことはすごく大変なんだなと思ったことがあって……ウルフのそういう日記を見て、ああそうだ、これって難しいんだよなと。 ウルフの書いたエッセイには、バンフィールドも取り上げている『The Cinema』(1926年)というのがあって……映画って“中の人たち”は見られていることに気づいていないわけです。こちらを見ない、“こちら”があるとも思っていない。見ていることに気づかれることもない状況でこそ、初めて何か真実の姿が現れる、と言うんですね。 たとえば、映像の中で波が来ても自分の足が濡れることはないし、馬が暴れても蹴られることはない、結局のところ自分たちとは別の世界、逆にこちらの手も届かない世界で起こっている出来事がそこには捉えられている。だからこそ自分たちの日常を離れて、客観的に何か真実が見えてくるというのを『The Cinema』では“映画の美学”として考えている。 そういうものを、ウルフは自分の小説でなんとかやろうとしたんだと思うんです。「ノン・コミュニケーションの美学」はそこにあって、NewJeansの「Bubble Gum」(2024年)とか「ASAP」(2023年)のMVを観ていると感じるのは、そういうもの。こっちで見る者のことを全然意識していない世界が強調的に描かれている。ステージでの「Bubble Gum」のイントロで演じられる小芝居なんか、典型的です(カメラを鏡ということにして、誰にも見られていないていでメンバー同士の内輪の会話が演じられる)。 「ノン・コミュニケーション理論」とNewJeans……コンテンツへの私たちの接し方を考えると、それもあり得る話に思えはするものの、接し方ではなくコミュニケーションという視点に変えることで、モノではなく人、世界になっていく。NewJeansから、話はさらに進む。 平中 若い女の子を眼差しによって消費するのではなく、少女たちに眼差されることがない自分を儚む、みたいな捉え方もあると思うけど、僕はちょっと違って、少女たちがこちらを見返してくれる必要を僕はまったく感じないので……見返されても困るし、持て余しちゃう。あの子たちがああやって遊んでいるのを見て、みんながおもしろいと言って……たぶんそこにはいろいろな楽しみ方があるし、彼女たちの仲間になれる人もいるし、彼女たちに共感したり自分を投影する人もいるだろうし、僕みたいに全然別の“楽しそうだなぁ”と思って見ているだけで自分も楽しくなっちゃう人もいる。そこはやっぱり人によって違うと思う。 ただ僕は、NewJeansを見たときに、これって『Olive』だよね。で、これが『Olive』だということは、NewJeansのこういうノン・コミュニケーション的なところを考えると『Olive』って「ノン・コミュニケーション理論」だったんだよねと思って。 『Olive』からのNewJeans、「ノン・コミュニケーション理論」からのNewJeans、そして『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」、一見すると単なる三段論法のようにも思えるが、深く聞いていくと同じ地平でつながっているのは間違いないことに気づかされる。そしてNewJeansを橋頭堡として、そこへ「シティポップ」もつながってくる。 これはまさに今起こっていること……ここへさらに平中自身の縦軸、デビュー作『She’s Rain』がたどり着いた場所(それは換言すると“普遍性”でもあるのだけれど)の話が続く。 『She’sRain』 装丁はオサムグッズの原田治 平中 僕はずっとこれをやっているんだって、実は最初(デビュー作)から。結局そこで、僕はその子たちに見つめ返されたくない。見つめ返されない自分を悲しむとかはないわけです。なぜかというと、本当に高校生のときから僕はこの子を汚さないというのが僕の考えなわけだから。もう全然、けっこうなわけです。 だから、くるっときれいにつながってくるので、『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」がNewJeansを介して通じたときに、自分がやっていたことが、くるっときれいにつながった感じがしたんです。だからバラバラないろいろなことをやっているようだけど、最終的に僕はそういうことがやりたいんだと思って。 デビュー作『She’s Rain』では、ユーイチとレイコというふたりの高校生の恋物語が描かれる。今風にいうなら“煮え切らない”ように見えるユーイチが抱いているレイコへの思い「僕は、ほんとに好きになったら口説かないでおく。そのコのこと大切に思うから。(中略)そのコをずっと素的なままでいさせてあげる自信なんて、ない」「素的な、一人で歩いて行ける女のコのままでいて欲しい」「束縛したくないんだ(中略)つまんない女のコにしたくないんだ」(『She’sRain』より抜粋)この言葉が、まさにスタンスを体現している。 約40年が経って、改めて変わっていないことに気づかされる、それは自分の志向性が間違っていなかったという自己肯定でもあるのだろう。 取材・文=鈴木さちひろ 平中悠一(ひらなか・ゆういち) 1965年生まれ、兵庫県出身。小説『She’s Rain』で1984年度・第21回「文藝賞」を受賞しデビュー。『それでも君を好きになる』(トレヴィル)、『アイム・イン・ブルー』(幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社)などの小説、『ギンガム・チェック Boy in his GINGHAM-CHECK』(角川書店)などのエッセイの出版のほか、『失われた時のカフェで/パトリック・モディアノ』(作品社)等の翻訳も手がける。 2024年4月『シティポップ短篇集』(編著)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の2冊の書籍を田畑書店から上梓。HP:http://yuichihiranaka.com 『シティポップ短篇集/平中悠一編』(田畑書店) 「1980年代、シティポップの時代」を彩った7人の作家による9つの物語を、自らも小説家である平中悠一が編纂。 (収録作家:片岡義男・川西蘭・銀色夏生・沢野ひとし・平中悠一・原田宗典・山川健一) 平中「読んだあと味がいい……希望が持てる感じかな。1980年代の感覚ってひと言でいうと、大貫妙子さんのアルバムタイトルにもあった『Comin’ Soon』。今にいいことが……一番いいものはこれから来るよみたいな感覚。それがなんだったの?と言ったら何もないまま終わっちゃった、巨大な予告編のようなところもあるのだけど。もっといいものが来るよと思いながら生きていく感じ。そういうあのころの気分のある小説、なにかしら夢が持てる、希望が持てる感じの作品を選びました。 これを僕がまとめなかったら、たぶんまとめられないまま終わっちゃう。ここでいっぺん、こういうものも80年代にはありましたよということをまとめておいたら、いつか誰か拾ってくれるかもしれない。そのときにまた、日本の状況がもうちょっとよくなっていたりしたら……そういう“壜(びん)の中のメッセージ”、タイム・カプセルでもあるんです」 『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み/平中悠一』(田畑書店) 谷崎潤一郎の「細雪」を、日本では初の試みとなる「ノン・コミュニケーション理論」を用いて解析。三人称小説の在り方、文学作品の客観的な読み解き方を考察する。小説家である平中悠一の、東京大学大学院での博士論文を書籍化。 平中「三人称の小説を自分ではうまく書けないっていうのがまずあって。三人称の小説が一番本格的であるという話もよく聞くし、でも日本語で書かれた三人称の小説は、どうもどれもしっくりこないというか……どうも読んでて三人称ごっこみたいに見えちゃう感じがあるのに『細雪』だけは違和感が何もなくスーッと読めるので、なんでだろう?と。どこが違うんだろう?って、ずっと謎だった。『細雪』という小説自体、どうやって書いたんだろう?というのが全然わからなくて。それが『細雪』を研究のモチーフにしたきっかけです。そこから「ノン・コミュニケーション理論」の勉強を始めて……もしこの理論が使えるようになったら絶対おもしろいことになるぞ、と思ったんです」
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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日野友輔(BOY meets logirl #048)
日野友輔(ひの・ゆうすけ)2002年6月3日生まれ。愛知県出身 Instagram:hinoyusuke63 X:@hinoyusuke63 『仮面ライダーガヴ』(テレビ朝日)仮面ライダーヴァレン/辛木田絆斗役で出演中 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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坂元愛登(BOY meets logirl #047)
坂元愛登(さかもと・まなと)2009年2月9日生まれ。福岡県出身 Instagram:sakamoto_manato_official 木曜ドラマ『スカイキャッスル』(テレビ朝日系/毎週木曜よる9:00~放送)南沢青葉役で出演中 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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赤澤遼太郎(BOY meets logirl #046)
赤澤遼太郎(あかざわ・りょうたろう)1997年1月11日生まれ。神奈川県出身 Instagram:akazawa_taro X:@akazawa_taro 舞台 朗読劇『青野くんに触りたいから死にたい』presented by eeo Stage(2024年9月11日〜16日、CBGKシブゲキ!!にて上演) 撮影=Jumpei Yamada 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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自分たちのおもしろさを疑わなかったコンビ時代…カリスマ率いるリンダカラー∞の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#32(前編)
ひとりのカリスマが、ふたりの信者の相談に乗る「カリスマンザイ」で、今ブレイク中のトリオ・リンダカラー∞(インフィニティ)。 誰も見たことのない“漫才”で注目を集めるが、実は3人組になったのは2022年と最近だ。紅一点の りなぴっぴ加入前は、カリスマのDenと、坊主頭のたいこーのコンビだった。 芸人たちの初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」。この前編では、小学生からの幼なじみであるDenとたいこーの出会いから初舞台、りなぴっぴの加入までが明かされる。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次幼なじみの初舞台は、修学旅行俳優でもアーティストでもよかったけど 「俺たちがおもしろくない可能性あんのかよ!」漫才の枠をぶち壊したかった 幼なじみの初舞台は、修学旅行 左から:りなぴっぴ、Den、たいこー ──先に撮影を行いましたが、3人とも最高でした。 Den 僕らは被写体がうまいんでね。 ──Denさんの堂々とした佇まいと、たいこーさんの強い眼差し。ふたりは芸歴8年目なので、まだわかるんです。でも、2年前にまったくの素人からスタートしたりなぴっぴさんの表情が、カメラを向けられた瞬間に一変したことに驚きました。もともと芸能関係の仕事をしてたんですか? りなぴっぴ 全然してないです。ずっとバイトとかしてました。 Den りなぴっぴは、もう完全にプロですね。 ──カリスマであるDenさんの指導の賜物? Den いやいや、完全なるポテンシャルです。僕ら3人の中で、一番スター性があるのが彼女ですよ。 りなぴっぴ ありがとうございます(笑)。 ──そんなりなぴっぴさんのこともすごく気になるんですが、リンダカラー∞の歴史を、順を追って聞きます。Denさんと、たいこーさんは、小学校の同級生なんですよね? Den そうですね。小学校3年生で同じクラスになって以来、ずっと一緒にいる仲間です。学校が終わると、たいこーの家に遊びに行くのがルーティーンでしたね。 たいこー 親が共働きで家に大人がいないんで、みんなが遊びに来てました。 Den 何人かで集まってましたけど、それぞれゲーム、マンガ、パソコンでエッチなもん見るって感じで、みんな自由にやってましたよ。 ──学校生活はどんな感じでしたか。 Den ウチの小学校ってちょっと特殊で、マジメに勉強する文化がなかったんですよね。 たいこー 正直にいえば、荒れてましたね。 Den なんかもうね、みんな、善悪があんまりわかってなかった。僕も校長室登校を1カ月させられてました。あえて悪さをしてやろうなんて気持ちは、これっぽっちもなかったんですけど。 たいこー ただ、ふざけてただけ。それが笑えると勘違いしてたんすよ。 ──中学生では、より荒れた? Den いや、中学で変わるんですよ。普通、中学校って運動ができるとか、ヤンキーでケンカ強いヤツが力を持つじゃないですか。でも僕らの中学校は、おもしろいヤツが一番だし、モテました。 ──ちなみにDenさんはおもしろいヤツでしたか。 Den もちろん。最強でしたよ。 ──おふたりは横須賀の出身ですね。 Den 横須賀にお笑いの文化があるわけじゃないし、中学も上の世代はとんでもなく荒れてたんで、僕らの代だけおもしろいのが正義でした。上の世代の影響で、修学旅行の行き先も岩手でしたもん。定番の修学旅行先に行くと、他校の学生とケンカするから(笑)。僕らの学年は平和主義だったのに。 たいこー 岩手ではホームステイして、川下りとかして楽しかったっすね。 Den そういえば、たいこーとの初舞台は中3のときの修学旅行ですね。僕とたいこーと、友達ふたりで漫才をやりました。 ──4人で漫才って、すでに型に捉われてなくて、すごいですね。 Den 自由ですよ。お笑いをやるのは好きだけど、観る側としてはあんま知らなかったし。だからネタを作るときも「漫才ってこんな感じじゃね?」って、みんなで話し合って考えましたね。まぁ結局は、いつものノリで舞台出れば大丈夫っしょって感じでやりましたけど。 たいこー まぁ中学生の余興なんて、知ってるヤツが出てくるだけで盛り上がるんで。ネタでウケたっていうよりも、みんなずっとテンションが高いって感じでしたね。 ──どんなネタをやったんですか。 Den 漫才コントをやった記憶があるけど、あんまり覚えてないんですよ。まぁ4人でネタ作るのも、披露するのも楽しかった。それだけです。 俳優でもアーティストでもよかったけど ──中学で漫才をやって芸人になることを意識し始めた? たいこー いや、それはないっすね。僕ら、高校は別々で。俺は高校卒業で就職して、Denが大学卒業したころに、俺から誘いました。2017年ですね。 ──たいこーさんは、なんで芸人になりたいと思ったんですか。 たいこー 自分がやってみたらどうなるんだろうって気持ちだけですね。別にめちゃめちゃ熱心にお笑いを観てたわけでもないし、特別好きな芸人がいるわけでもない。『M-1(グランプリ)』の出囃子に乗って出てくる感じがかっこよくて憧れてました。 Den たいこーに誘われて、すぐやることにしました。僕はちょっと就職活動もしましたけど、本気ではなくて。でも正直、自分のカリスマを世界に見せつけられるなら、俳優でもアーティストでもなんでもよかった。ただ、自分の能力値を考えると、お笑いがずば抜けてたんで、芸人になろうと。 ──ふたりは23歳で、芸人の養成所に入りました。なぜ、ワタナベエンターテインメントの「ワタナベコメディスクール」を選んだんですか。 たいこー どんな事務所があるのか、よくわかってなかっただけです。吉本は知ってたけど、上下関係が怖いらしいっていうのは聞くからやめました。 Den 小学生のころ、さんざん怒られてきたんで、もうコリゴリなんですよ(笑)。 たいこー 地元のモスバーガーの2階で、いろんな養成所をネットで調べてワタナベに決めたよな。 Den そうだったわ。検索して最初に出てきた事務所にしようって言ってたら、吉本の次が、ワタナベだった。 ──ワタナベのSEO対策が見事だった。 Den 実際、ワタナベでよかった。「先輩の言うことは絶対!」とか、ないから。 ──「お笑いがずば抜けてる」という自己認識だったDenさんは、養成所でも抜きん出てましたか。 Den もちろん、人間としては「俺はレベルがちげぇな」って思ってましたよ。でも、ネタは作ったことがなかったんで、ロジックもわからなくて、そこは苦労したかな。それこそ、芸人としての初舞台では、心がぽっきり折れた瞬間がありましたね。 「俺たちがおもしろくない可能性あんのかよ!」 ──何があったんですか。 Den 最初のランク分けで、Bランクになったんですよ。最初は「なんで俺らがAじゃねぇんだよ」とも思いましたけど、よく考えたらプロの作家が見て「B」なんだからこれが事実なんだろうと。「あの俺たちがおもしろくない可能性あんのかよ!」ってかなり落ち込みましたね。次のランク分けのライブに出るまでの1カ月間はしんどかった。 ──カリスマ、初めての挫折。 Den まぁそっからすぐAランクに上がって、そこで優勝するんですけどね。でも、あの初舞台は鮮明に覚えてる。今までの自分を否定された感覚に陥りましたから。あの感覚は、あの瞬間、あの場所でしか得られないものだった。 たいこー 俺は大丈夫だと思ってましたよ。まぁすぐに勝てるだろって。 ──たいこーさんも大物感があります。 たいこー いや、当時はお笑いの世界のことがよくわからなかっただけですね。養成所でも、お笑い好きの人たちがトガった感じでマウント取ってくるのが、意味わかんなくて。単純におもしろいこと言えばいいだけなのに、何やってるんだろうって思ってましたよ。 Den たいこーは、こういうとこカッコいいんですよ(笑)。まぁ俺も、速攻で「やっぱりレベル違うじゃん」と、折れて落っこちてた天狗の鼻をつけ直しましたよ。これが俺の標準装備だから。 たいこー でも、もっとヤバい初舞台もありました。養成所に入る前、アマチュアとして1回だけM-1の1回戦に出たんですよ。東京だとちょっと厳しいから、大宮の劇場に行って。トップバッターだったんですけど、舞台に出て10秒くらいでDenがネタを飛ばして。それで俺もテンパってゴチャゴチャした記憶があります。 Den こいつウソついてます。 たいこー はぁ? Den 10秒じゃない。3秒だよ。 りなぴっぴ ははは(笑)。 Den たしかにあれは初めての感覚だったっすね。今思うと極限状態だった。テンパってる自分と、その自分を客観的に見てる俺が共存してた。 たいこー でも、なんかウケたんだよ。 Den そう、これはすごいことですよ。記憶も曖昧で、真っ白の状態で、笑いを起こしたんですから。 たいこー 今思えばあり得ないんですけど、「こんだけウケたら、1回戦通るだろ」って思ってたわ(笑)。 Den それは俺もよ。 たいこー ネタのクオリティを審査員が見てるとかもよくわからなかったから、単純に笑いの量だけだったら、俺らもいけるんじゃないかなって勘違いしてましたね。 漫才の枠をぶち壊したかった ──養成所を卒業してすぐ、若手芸人によるテレビ番組『ウケメン』(フジテレビ)にもレギュラー出演するようになりました。 Den 『はねトび(はねるのトびら)』(フジテレビ)の総合演出・近藤真広さんも入ってたんで、 王道の活躍路線ですよ。僕らは最年少で入れてもらったので気合いも入ってました。結局、力及ばずで2年弱で終わっちゃいましたけど。 ──当時のインタビューを読むと「ボケのデンさんが投げかける突拍子もない設定に、たいこーさんが熱いツッコミで応える」とあって、想像つかないんですが……。 たいこー ははっ(笑)。 Den 僕がアフリカに行ったというネタをやってるころとかですかね。アフリカの辺境の地でオリンピックが開催される。そこで僕が選手宣誓をお願いされそうだと。日本人ってバレたら、槍でひと突きされちゃうから、ちゃんとしなきゃっていうネタで。そこには理由もなければ道理もない、ナンセンスですよね。ほかのネタも「なんかこの景色見たことあんな」から入って「デジャブだわ」って4分間言い続けるとか。めちゃくちゃでした。 ──型にはまった漫才が嫌いだった? Den そうっすね。「お願いします」「いきなりなんだけど」「ありがとうございました」って定型文とか使って、漫才っぽいことをする。そういう漫才の枠に捉われたくなかったんですよね。とにかく新しいものを生み出したかったですね。 ──その思いでふざけ倒すDenさんに、たいこーさんは熱いツッコミを返していたと。 たいこー 熱いツッコミっていうか、単純にすごくでかい声出してただけです(苦笑)。 Den 僕のボケで、たいこーが困ってるのがおもしろいんですよ。それは小学生のころから変わらない。昔はネタとか平場でたいこーを困らせてたけど、りなぴっぴが入った今は、人生まるごと使って困惑させるのが、テーマになってますね。 たいこー リンダカラー∞になってから、もう2年経ちますけど、いまだに戸惑ってます。 Den ふたりで漫才やってるときは、伝統と歴史がある漫才文化をとにかく壊したかったんですよ。でも、リンダカラー∞になってから「壊す」よりも「作る」ほうに関心が向いている。古い漫才をぶっ壊すんじゃなくて、新しい漫才を立ち上げる。この3人なら、やれますね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 リンダカラー∞ Den(1994年2月22日、神奈川県出身)、たいこー(1993年8月5日、神奈川県出身)、りなぴっぴ(1998年2月10日、山形県出身)のトリオ。小学生から幼なじみだったDenとたいこーで前身となるコンビ「リンダカラー」を結成。2022年5月、Denのファンである りなぴっぴが加入し、「リンダカラー∞(インフィニティ)」に改名する。2024年、若手芸人の登竜門『おもしろ荘』(日本テレビ)で「カリスマンザイ」を披露し、準優勝した。 【前編アザーカット】
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活躍の場と規模を広げていく、兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(後編)
京都を拠点に活動する劇団・THE ROB CARLTON。浮世離れしたラグジュアリーな人間たちの、不毛な会話劇が魅力だ。 近年、東京での公演にも力を入れるが、コロナ禍は大きな壁として立ちはだかった。その危機を乗り越えた今、追い風が吹いている。 さらに、演劇だけでなくコントにも注力するTHE ROB CARLTONに、これからの拡大戦略を聞いた。 ちなみに、作・演出を務める村角太洋は、役者名をボブ・マーサムという。弟の村角ダイチは、太洋を「ボブ」と呼ぶので、本文はそれに従う。 【インタビュー前編】 不毛な会話劇で魅せる兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(前編) 目次「HEP→ABC」関西劇団のステップアップコロナに阻まれた東京進出THE ROB CARLTONのコント流儀「存在感を引っ込める」おじさんになって説得力が増す 「HEP→ABC」関西劇団のステップアップ 村角太洋(ボブ・マーサム) ──THE ROB CARLTONは京都を拠点に活動されている劇団です。関西の演劇シーンはいかがでしょうか。 ボブ 僕らみたいなコメディの系譜でいうと、2世代上にMONOさんがいらっしゃって、年齢的に10歳くらい離れたところにヨーロッパ企画さんがいらっしゃる。まずは、このふたつの劇団のような動きができたらいいなと、昔から思っていました。 ──劇場の規模としては、どういうふうにステップアップしていくんですか。 ボブ 僕らのときは梅田のHEP HALLでまずやりたいんですよ。あそこは200席くらいで、わりとぎゅっとした空間だけど、大阪のイケてる小劇場なんです。その次というと、これも梅田のABCホール。ここはそれこそMONOさんとかヨーロッパ企画さんがロングラン公演をされるところです。最大で300席超のキャパですね。僕らはこの10月にABCホールで公演を行います。 村角ダイチ ──東京でいうと、下北沢の本多劇場より少し小さいくらいの規模でしょうか。THE ROB CARLTONが、HEPホールに初めて立ったのはいつですか? ボブ 2015年ですね。 ──旗揚げは2011年ですから、かなり早いんじゃないでしょうか。 ボブ いやね、このときは無理やり行ってしまったんですよ。一度やってしまおうと。当然ロングランなんて無理なので公演数も減らしました。それからまた4年くらいはHEPさんにお世話になってます。 ──当時は無理やりでも一度立つことが必要だった? ボブ そうですね。HEPホールでやることによって、気づいてくれる層は確実にいますから。実際、あのときはやせ我慢してよかったなと思ってます。僕らは劇団を始めたのも30歳近くになってからで遅かったから、急ぐ必要がありました。若くて勢いのある子たちは、20代のうちにHEPに立って、30代早めにABCに行く。そこに合わせるとなると、早く行かなきゃいけなかった。 ダイチ そういうところ、ボブはめちゃめちゃ戦略的に考えられるんですよ。もしボブがぼやっと「俺たちの演劇がわからないヤツらはダメだ」みたいに独りよがりな考え方をするヤツやったら、たぶんケンカしてましたね(笑)。僕が考えるようなことの数手先を見てボブは動いている。だからここまで信じて、ついてこられたところはあります。 ボブ 失敗は多いですけど、意識して動いてきたから、なんとかここまで来られた。その安堵感はあります。でも、大きな後悔がひとつだけあるんですよ。 コロナに阻まれた東京進出 ──大きな後悔とはなんですか? ボブ もう2年早く、東京に出てればよかったなと。東京での初公演は2018年2月、赤坂RED/THEATERで行いました。それからは毎年1回、東京でやろうと決めていた。でも、その2年後にはコロナ禍になってしまったんです。もしも、HEPホールをやった翌年の2016年に、その勢いのまま東京で初公演を打っていれば、コロナ禍までに4回はできた。それが実現していたら状況はかなり違ったんじゃないかと思ってしまうんですよ。 まぁコロナは誰にも予測できない事態だったので、しょうがないですけど……でも早くやっておくことに越したことはなかった。そのことは後悔してもしきれないですね。 ──なぜ2016年に東京公演をできなかったんですか。 ボブ やっぱり金銭的な問題が出てきたんです。東京公演が毎年できるような体制を整えるのに、ちょっと時間がかかったんですよね。でも今思えばほかのやり方があったかもしれない。それこそ、やせ我慢を続けていたらよかったのかもしれません。 ──演劇でも、東京と関西ではお客さんの反応も違いますか? ボブ やっぱり違いますね。東京のお客様のほうが、反応が細かい感じがする。90分の上演中、どのシーンでも誰かしら笑ってくれているといいますか。関西は公演日によって、けっこう反応に差がある気がしますね。 ダイチ 関西では、お客さんのほうも僕らを見慣れているから、反応がまろやかになるのはしょうがない。東京のほうが物珍しく見てくれてはるな、という印象です。 ボブ だから東京でも、もっと公演をやりたいんですよね。これからは年に1〜2回は東京でやるつもりです。そしたら関西でも新鮮に見てもらえるようになるかもしれませんし。 THE ROB CARLTONのコント流儀「存在感を引っ込める」 ──THE ROB CARLTONは今年に入ってひとり離脱し、ボブさんとダイチさんのふたりになりました。今、東京公演の話もありましたが、今後の戦略を伺ってもいいですか。 ボブ そうですね、図らずもふたりになってしまったので、戦略の変更は余儀なくされましたが、大枠は変わらないです。関西が我々のベースにあるので、そこで定期的に公演を続けながら規模を拡大していく。そして先ほど言った東京公演もコンスタントに行うと。 『テアトロコント』(演劇人とコント師が競演するライブ。ダウ90000躍進のキッカケにもなった)にも呼んでいただきましたが、コントだと演劇よりもお金をかけずに、いろんな方々に我々を見てもらえる。こういう機会を増やしていけたらなと思いました。 ──その『テアトロコント』では30分の持ち時間で、コントを5つ披露されました。いかがでしたか。 ダイチ コントを次々とやっていくのは初めてで、忙しなく切り替えていく感じが新鮮で楽しかったです。 ボブ ある種の気軽さが楽しかったですね。普段の演劇公演は根を詰めて準備するから、メンバー同士の関係性も不安定になるものです。そして僕は作家&演出&出演なので、そこで揉めることは少なからずある。これは産みの苦しみなので仕方ない。ところが今回5本のコントを一気にやったときは、ひたすらやるしかないね、という気楽さがありました。瞬発力勝負の心地よさですね。 ──THE ROB CARLTONは、ネタ番組に出ても注目されそうです。 ボブ もちろん出られたらうれしいですよ。まずは存在を知っていただくことが大事ですから。ただ、テレビの数分間に耐えられるものを僕らが作っていけるかといえば、そう簡単なことじゃない。芸人さんたちは四六時中、コントと向き合っているわけですからね。 ──とはいえ近年、コントでも演技力がかなり重視されるようになっていて、抜群の演技力を持つTHE ROB CARLTONにも、時代の追い風が吹いているように思います。 ボブ たしかにコントにも演劇的な要素が求められるのは、僕らが学生のころにはなかった傾向です。そのトレンドにうまくマッチすればおもしろいでしょうね。でもコントを本職にされている方々は、引き出しが多いじゃないですか。キャラクターの幅が広く、ギャグもできて、おまけにお芝居もうまいわけで。 ──今回は芸人のコントと差別化するような、演劇的なアプローチで作られたコントがあって印象的でした。 ダイチ それはすごくうれしい、狙いどおりの感想を言っていただけました(笑)。 ボブ たしかにいくつかのコントは、演劇的なアプローチで作りましたね。通常のコントって、誰が演じているのかがかなり重要ですよね。 ──芸人自身のイメージが、コントのキャラクターにもある程度反映されて笑えるという構造はありますね。 ボブ しかし演劇の場合は、演じる本人の存在感を薄めるといいますか、引っ込めるといいますか。誰が演じているのかを、お客さんに意識させないようにする。そのアプローチをコントにも導入してみました。 ダイチ 特にボブは、極端なほどに自分を出さないですね。 ボブ このキャラクターは実在する、ということを納得させられれば、絶対にそのおもしろさが伝わると思っているんです。だから自我を出さずに演じることを徹底しています。 おじさんになって説得力が増す ──これからもTHE ROB CARLTONのコントをたくさん観たいです。 ボブ ありがとうございます。意外とね、舞台美術という制約がないから、いろいろアイデアが浮かんできて考えやすかったですよ。もっとやりたいです。でも、演じるのはやっぱり難しかったね。 ダイチ お芝居やったらね、物語の流れがしっかりあるから感情の持っていき方も段階を踏んでやりやすいんですけど、5分〜10分となると、急に感情を変えなアカンから、不慣れで難しかった。 ボブ 「本当にそういう気持ちになるかな?」と、ディテールを考え出すと、コントの演技には入り込みにくい。演劇的な脳みそでやると、つまずいてしまうんですよね。あと、前編でも言いましたが、僕らのコメディはボケもツッコミもいないわけです。 登場人物は自分が正しくて、常識人だと思っているけれど、その認識がそもそもズレている。そのズレを観客が楽しむのがコメディなんですよね。それが可能なのは、90分という時間をかけて、丁寧に物語と人物を説明できるから。 ──5分程度のコントで、そこを丁寧に見せるのは至難の業ですね。 ボブ そうなんです。だからこそコントにはボケとツッコミが不可欠なんですよね。 ──ここで笑ってください、というメタ的な指示として、ボケとツッコミは優れていますね。 ボブ 機能として抜群に優れていますよ。そこはまだまだ勉強しなくちゃいけないです。 ──THE ROB CARLTONは、ゴージャスな雰囲気だったり、重厚感のある演技も魅力なので、年齢を重ねれば重ねるほど、キャラクターとおふたりの存在感がハマって、よりおもしろくなるような気がします。 ダイチ それは本当にそうですね。実際、おじさんになっていくにつれて、やりやすくなってきましたから(笑)。 ボブ 昔はどこかしら無理して、おじさんを演じてたからな。今ではいい意味で動きが遅くなって、所作に重みが出てきてます。コップひとつ取るにしても、体が若いと機敏になっちゃうんですよ(笑)。若いうちは体も薄いからスーツも似合わなかったですし。その意味でもTHE ROB CARLTONは完全に遅咲きだと思ってるんで、僕ら自身ここから先が楽しみです。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 THE ROB CARLTON(ザ・ロブ・カールトン) 村角太洋(1984年7月21日、鹿児島県出身)、村角ダイチ(1985年11月24日、鹿児島県出身)による劇団。2004年、出身校である京都府立洛西高等学校ラグビー部のOBで「洛西オールドボーイズ」を結成。これが母体となり、2011年に「THE ROB CARLTON」が誕生する。ROBは「洛西オールドボーイズ」の頭文字であり、CARLTONは憧れのホテル「ザ・リッツ・カールトン」から取っている。10月には新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』を、東京と大阪で上演する。 新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』 【東京公演】 MITAKA“Next”Selection 25th 参加公演 2024年10月4日(金)〜14日(月・祝) 会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール 【大阪公演】 2024年10月25日(金)・26日(土) 会場:ABCホール http://www.rob-carlton.jp/ 【後編アザーカット】
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不毛な会話劇で魅せる兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(前編)
京都を拠点に活動する劇団・THE ROB CARLTON。大富豪や政治家など、浮世離れした設定とキャラクターたちが繰り広げる、不毛な会話劇が魅力の劇団だ。 作・演出を務め、俳優としても出演する村角太洋と、村角ダイチは兄弟である。幼いころから仲良しで、40歳を目前にした今もともに歩むふたりに、いくつかの初舞台を聞いた。 ちなみに、太洋は役者名をボブ・マーサムという。ダイチは太洋を「ボブ」と呼ぶので、本文はそれに従っている。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次「僕らのコメディにはボケもツッコミもいない」弟の文化祭演劇に脚本を書く「知らなすぎや!」劇場スタッフに叱られる意図せず不毛だった初舞台 「僕らのコメディにはボケもツッコミもいない」 左から:村角太洋(ボブ・マーサム)、村角ダイチ ──この連載では普段、芸人の方々のファーストステージ=初舞台について聞いているんですが、今回は劇団ということで異色回です。 ボブ そうですよね。そうそうたるメンバーの中にインタビューが載るのはありがたいですけど、私たちでいいんですか。 ──もちろんです! THE ROB CARLTONの演劇の魅力は、重厚な世界観の中で繰り広げられる不毛な会話劇ですが、その一方でコントにも挑戦されていますから。演劇にせよ、コントにせよ、創作のこだわりはなんでしょうか。 ボブ 知らないことはやらない、ですかね。重厚な世界観と言っていただきましたが、もともとそういう古い映画が好きだから、そのシーンを再現したくて作ってるんです。 ──自分の愛着から創作がスタートする。 ボブ 物語やキャラクター、設定の根底をどれだけ能動的に把握できてるかは、僕にとって重要ですね。THE ROB CARLTONは、僕がもともと好きなもの、興味のあるものを題材にしている。その説得力はあると思います。 ──喜劇を作っているTHE ROB CARLTONの、笑いの肝はなんでしょうか。 ボブ 僕らのコメディにはボケとツッコミが存在しないんです。それは、小さいころ親父に見せられてたアメリカのコメディ映画の影響だと思っていて。コメディ映画の登場人物って、みんな自分が「普通」だと思って行動するんだけど、それを観客側から見ると滑稽なわけです。自分の好き勝手に動いていたら、互いのアクションと思惑が絡み合って、どんどんカオスになっていく。そういう意味では、説明的になりすぎずに、キャラクターを理解してもらうことが重要だと思っています。 ダイチ キャラクターとシチュエーションをしっかり作り込まないと、お客さんはなんのこっちゃわからないので、そこは大変ですよね。 ボブ 逆にいえば、キャラクターとシチュエーションを理解してもらったら、あとは彼らが多少変なこと言おうが何しようが、お客さんたちは納得して見てくれるんですよね。シットコム(シチュエーション・コメディ)を作る感覚にも近いのかもしれません。 ──正統派のコメディなんですよね。 ボブ そう言ってもらえるとうれしいですね。時代遅れともいえるのかもしれないから(笑)。7月にはユーロライブで行われている演劇人とコント芸人が交差するライブ『テアトロコント』に呼んでいただきましたが、そこで観る芸人さんたちは、自分たちにはないロジックで笑いを作ってらっしゃっておもしろいし、演技も設定も巧みで。そこはすごく勉強させてもらってますね。 弟の文化祭演劇に脚本を書く ──ボブさんとダイチさんは、兄弟なんですよね。 ボブ そうです。だから初舞台っていったら、幼稚園生のころだと思います。ホームビデオが残ってるんですよ。家でふたり並んで蝶ネクタイを締めて演説してる。でも、ダイチがすねてるんです。 ダイチ そうそう(笑)。僕がしゃべろうと思ってたのに横取りされたんやろな。親に対してだけど、何かを演じて見せるのはアレが初めてやった。僕は幼稚園のお遊戯会でも、ひとりだけ目立つ役をやらせてもらって、それでちょっとした優越感を覚えた記憶がありますね。 ボブ それ聞いて急に思い出したんですけど、小学1年生のときにものすごい悔しい経験をしたんですよ。クラスで演劇をしたんですが、ある男の子が「先生。僕、チャーリー浜のセリフ言いたいです」って言い出して。実際、本番でその子がめちゃめちゃウケてて、それが悔しくてしょうがなかった。当時から人を笑わせたいっていう欲求があったんでしょうね。 ──実際に演劇をやるようになったのはいつからですか? ボブ 高校から脚本を書くのがおもしろくなってきました。高校の文化祭でクラスで演劇をすることになって、台本を書いたんですが……自分で立候補するのは気恥ずかしいから、うまいこと根回しして自分が書くことになるよう仕向けましたね。 ──なんで書きたいと思ったんですか。 ボブ もともと映画が好きで、映画監督になりたかったんですよ。いろいろ観ていくうちに、脚本を自分で書く監督がいることを知り、じゃあ書いてみようと。ただ、映画は簡単には撮れないじゃないですか。だから脚本だけいろいろ書いてたんです。人前で見せるための脚本は高校2年生の文化祭のときが初めてですね。 ──どんな物語でしたか。 ボブ もうハチャメチャで、いろんなマンガやアニメのキャラクターを全部出すみたいな感じです、今思えば恥ずかしい。でも学校の文化祭って客席は身内しかいないから、ある程度ウケてしまって。それで「自分には才能がある」って勘違いしちゃったんでしょうね(笑)。 ──でも、文化祭の持ち時間は少ないでしょうし、既存のキャラクターを使うと説明が省けるから、効率的でいいなと思いました。 ボブ たしかにそうですね。クラス演劇なので、いろんな人を出せるように、誰もが知ってるキャラクターを寄せ集めたところはあったかもしれない。 ダイチ 僕はボブの1学年下やから、その劇、観たんですよ。それで影響されて、僕も演劇をやりました。3年生のときは卒業してたボブに脚本を書いてもらって。ボブはずっと学校で目立つ人やったんで、僕の学年でもある程度信頼があって。「ダイチの兄ちゃんが書くんやったら大丈夫やろ」って感じで受け入れてもらいましたね。 ボブ ダイチに渡した脚本は『ゴッドファーザー』を下敷きにした話でしたね。自分で書いた脚本を、初めて客席から俯瞰して観られたので、勉強になりました。 「知らなすぎや!」劇場スタッフに叱られる ──ボブさんとダイチさんは子供のころから仲がよかったんですね。 ボブ 僕らは幼稚園も小学校も中学も高校も同じですしね。 ダイチ 僕らが小学校に上がるぐらいのタイミングで、九州から京都に引っ越したんですよ。僕は今でこそ関西弁ですけど、当時は言葉も違ったから、露骨にヘンなヤツ扱いされてしんどかったです。でも家に帰ったらボブがいるし、そっちで遊んでるほうが楽しい。ボブの友達とも一緒に遊んでました。 ボブ ダイチとは兄弟って感じもしないですね。僕ら三兄弟で、4つ下の三男がいるんですけど、彼はちゃんと弟なんですよ。会ったらお小遣いをあげたくなる感じ(笑)。でもダイチはもう友達に近い。 ダイチ 不思議な距離感やね。 ボブ でも僕らにとってはこれが普通だから。 ──高校卒業後、すぐにTHE ROB CARLTONを結成するんですか。 ボブ いや、僕は相変わらず映画が撮りたかったんで、海外に映画の勉強しに行こうと思ってホテルで働いてお金を貯めてました。でも同時に脚本を書いて、それを試したいから、(出身校の)洛西高校のラグビー部の連中を集めて、お芝居の真似事をやったんです。 ダイチ 「洛西オールドボーイズ」っていうそのまんまの名前でな(笑)。文化祭しか経験がなくて公演の打ち方もわからないのに、 一丁前に京都の劇場を借りてやりましたね。それが2004年か。 ボブ 照明も音響もわからない。すべて見よう見まねでやりましたね。 ダイチ 劇場の人たちに「知らなすぎや!」ってめちゃめちゃ怒られましたよ(笑)。 ボブ でも、そのスタッフのお姉さんたちも演劇好きなんで、呆れながら教えてくださいましたね。 ──洛西オールドボーイズが、そのままTHE ROB CARLTONになる? ボブ いや、あれは本当にただのお遊びで、2008年には終了しました。その後も僕は、結局3年ほどホテルで働き続けました。でもあるとき、やっぱり本気でやっていきたいなと思いまして。しかし中途半端に年食っちゃったんで、弟子入りもスクールに入るのも難しい。それならいっそ自分でやってしまえとTHE ROB CARLTONの旗揚げ公演を行ったのが、2011年の2月11日でした。メンバーの(入江)拓郎も、そのときに弟がバイト先から連れてきたんです。 意図せず不毛だった初舞台 ──その初舞台は覚えていますか。 ボブ 鮮明に覚えてますね。 ダイチ 最初の公演なんて恥ずかしくて思い出したくないんだけど、忘れられない(笑)。 ボブ 台本も見てらんないよな。今まさにタイムリーですけど、大統領が演説中に撃たれるというシチュエーションで、そのシークレットサービス側を描いた話でした。 ダイチ 大統領は助かるんだけど、銃弾が1個だけ見つからなくて、シークレットサービスが疑われると。それがしょうもないオチで……。 ボブ あらぬ容疑をかけられたシークレットサービスが、すっごいくせ毛だったんですよ。 ダイチ アフロヘアの中に銃弾が残ってたというね(苦笑)。 ボブ 今思えば、くだらなすぎてむしろおもしろい気がする。 ダイチ でも密室に閉じ込められるっていう場面があって暗転が明けたら、ドアが開きっぱなしやったんですよ(笑)。 ボブ それは終わってるわ、はははは。今思えば最悪だったね。記録映像を見返してもすぐに止めるほどです。 ──今振り返ればさんざんだったとはいえ、当時は達成感もあったのでは? ボブ いや、普通に落ち込みましたよ(笑)。稽古は盛り上がってたんですけどね。稽古中はシーンごとにやっていくんで、ポイントでしか捉えられなかったんですよ。一本の劇として全体で見通せてなかった。当時はおもしろいシーンがいっぱいできたら最高だよね、って感じでしたから。演劇って全体としての流れが重要で、波を作らないといけない。そんなことすらわからず、第3回公演までは試行錯誤してましたね。 ──初回からTHE ROB CARLTONの「芳醇な不毛な会話」という特徴は表れていましたか。 ボブ そうですね。ファーストステージの公演は、その最たるものだった気がします。今は不毛なものを作ろうと意図してますけど、当時は一生懸命やってるのにフタを開けたら不毛だっただけですけど。 ──天然で不毛だった(笑)。 ボブ そうそう(笑)。ちゃんと構築されたコメディがやりたいのに、できない。でも、あるときから、自分たちのよさは「この不毛さなんだ」って気づいて、これを人工的に作り出せれば、おもしろい演劇ができるのではなかろうかと思ったんです。人を笑わせたいのに、天然でやってたらダメなんですよ。 ──先ほど第3回公演までは試行錯誤していたとのことでしたが、4回目で何かつかんだんでしょうか。 ボブ そうですね。そこで初めて客演さんをお呼びしたんですよ。劇団メンバー以外の方が入ったことで、内輪ノリができなくなったのが功を奏しました。客演さんはもちろんのこと、その方を見に来るお客さんにもわかってもらうことを意識したんです。あの回が礎となって、THE ROB CALROTNの型ができましたね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 THE ROB CARLTON(ザ・ロブ・カールトン) 村角太洋(1984年7月21日、鹿児島県出身)、村角ダイチ(1985年11月24日、鹿児島県出身)による劇団。2004年、出身校である京都府立洛西高等学校ラグビー部のOBで「洛西オールドボーイズ」を結成。これが母体となり、2011年に「THE ROB CARLTON」が誕生する。ROBは「洛西オールドボーイズ」の頭文字であり、CARLTONは憧れのホテル「ザ・リッツ・カールトン」から取っている。10月には新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』を、東京と大阪で上演する。 新作舞台『THE ROB CARLTON 18F「THE STUBBORNS」』 【東京公演】 MITAKA“Next”Selection 25th 参加公演 2024年10月4日(金)〜14日(月・祝) 会場:三鷹市芸術文化センター 星のホール 【大阪公演】 2024年10月25日(金)・26日(土) 会場:ABCホール http://www.rob-carlton.jp/ 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 活躍の場と規模を広げていく、兄弟演劇ユニット・THE ROB CARLTONのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#31(後編)
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タイを満喫──女優・莉子が語る『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』撮影裏話
#19 莉子(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 莉子(りこ)。2018年〜2021年まで雑誌『Popteen』の専属モデルを経て、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)にて連続ドラマ初主演。その後も、ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)や、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品に出演し、女優としての歴を重ねる。2024年10月から放送中のドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)では主演を、11月より配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)では、主人公と行動をともにする「広瀬」として、重要な役どころを演じている。前回に続いて、最近の活動にフォーカスする。 インタビュー【前編】 目次「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート 「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」 ──最近出演された『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)(以下、『インフォーマ』)についてもお聞きしたいのですが、実際にやってみていかがでしたか? 莉子 本当に楽しかったです! それはやっぱり、桐谷健太さんと佐野玲於(GENERATIONS)さんのおかげだと思っていて。おふたりがいなければ、私はきっとこの現場を乗り越えられなかっただろうなと思うくらい、おふたりが伸び伸びとお芝居できる環境を整えてくださったので、感謝の気持ちでいっぱいです。 ──海外での撮影は今回が初めてでしたか? 莉子 はい、初めてです。修学旅行以来の海外で、4年ぶり。渡航の準備段階から「海外ってどうやって行くんだっけ?」という感じでした(笑)。久しぶりの海外が仕事で、しかも撮影ということで不安もありましたけど、やるしかないと思って飛び込みました。 ──タイでの撮影はいかがでしたか? 莉子 正直、最初は不安と緊張でいっぱいでした。現地はとても暑くて、ちょっと過酷な環境でしたし。どうしようという不安もあったんですが、『Popteen』時代の体育会系精神がよみがえってきて「やるしかない!」と自分に言い聞かせました。 ──印象に残った出来事は、どんなことでしたか? 莉子 タイはどこも室内が寒いんですよ。タイの人たちは暑さを和らげるために、室内をキンキンに冷やしているんです。それがサービスなんですが、私は寒すぎてスウェットを着たいくらいでした。日本の冷房の感覚とは違って、本当に冷え冷えなんです! それと、交通はバイクや車が主流で、タクシーが渋滞に巻き込まれることがしょっちゅうありました。「バイタク」というバイクタクシーも利用しましたけど、日本ではまず見かけない光景なので新鮮でした。撮影では「トゥクトゥク」にも乗りましたし、日本ではなかなかないことをたくさん体験できて、最初の不安はどこかへ消えて、終わってみれば本当に楽しい思い出ばかりです。 ──ご飯はいかがでした? 莉子 実は私、辛いものが苦手で、最初の1週間くらいは現場でも辛い料理ばかりで食べられず、ずっとタイ米だけを食べる生活でした(笑)。そんななか、プロデューサーさんたちが「ヤバい、莉子ちゃん、辛いのダメらしい」と気づいて気を遣ってくださり、辛くない料理を用意してくれるようになって、そこからはだいぶおいしくいただけました! ──撮影中、特に印象に残ったシーンはありますか? 莉子 私自身のアクションシーンは少なくて、体力的にはほかのみなさんほど大変ではなかったんですけど……普通に楽しかったのは、やはり「トゥクトゥク」に乗るシーンです。それと、前作の『インフォーマ』(関西テレビ/2023年)で印象的だったシーンがまた出てきたり、前作を観ていた人が楽しめるネタがあちこちにちりばめられているので、「あ! このシーンはあれだ!」と、ひとりで密かに盛り上がっていました。 ──今回のドラマでは、どのような役づくりを意識されましたか? 莉子 普段はノートに役について書き込むのですが、今回はあえて決め込まずにいこうと思いました。オーディションでお芝居を見ていただいたこともありますし、木原(桐谷)と三島(佐野)との関わりの中で変化していく役柄なので、先入観で固めてしまわないようにしました。 せっかくのタイという場所での撮影ですし、前作にも出てらっしゃる桐谷さんや佐野さんと初共演するなかで、その場の空気感を大切にしながら生まれるお芝居を受け止めて、キチンと返すことに集中しましたね。 ──撮影中、桐谷さんとはどんなお話をされましたか? 莉子 最初に本当に感動したのは、桐谷さんの気遣いです。タイの室内は寒いというのは聞いていて対策していたんですけど、ロケバスで初対面のあいさつをしてから、移動するとき、桐谷さんが「莉子ちゃん、ロケバスの温度大丈夫?」と、すぐ気にかけてくださったんです。初対面で、しかもさっきごあいさつしたばかりなのにすぐに私の名前を呼んで、温度まで気遣ってくださるなんて、本当に素敵な方だなと思いました。あの瞬間から、私も桐谷さんのような人間になりたいと強く思いました。 ──佐野さんとは、いかがでしょうか? 莉子 佐野さんとは、空港のシーンが最初でした。初対面だったのですが、待ち時間などに少し話しかけてくださったりして。佐野さんって本当に温かみのある方で、コミュニケーションの取り方からも、たくさんの経験をされてきた方なんだなと感じました。 ほかにも佐野さんは、タイでおすすめの場所のリストをスタッフさんを通じて送ってくださったり、後輩や私たちのことを気にかけてくれる方でした。今回の現場では、人に恵まれているなと改めて感じましたね。桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました。 ──タイでの撮休日は、観光を……? 莉子 そうですね、最初の3〜4週間はタイに滞在しっぱなしだったので、後半にはもう慣れて、ひとりでタクシーに乗ったり、マッサージやショッピングモールにひとりで行ったりしていました。タイでひとり行動できるなんてすごいなと自分で思うくらい楽しんでました(笑)。 ──特に印象に残った場所はありますか? 莉子 とにかくショッピングモールが大きくて、中には水上マーケットがあったりもするんです。色合いや装飾がタイらしくて楽しかったですね。ナイトマーケットも有名で、暑さのなか、汗をかきながらスタッフとご飯を食べたりして……いい思い出ですね。 ──改めて『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』の見どころは、どんなところですか? 莉子 前作でも日本のドラマでここまで作れるんだと思いましたけど、今作ではタイでの撮影ということで、さらに臨場感があります。日本ではなかなかできないカーアクションもかなり入っているので、映画のようなクオリティになっています。 前作を観ていた方にも「『インフォーマ』が返ってきた!」というような楽しんでいただける要素がたくさんありますし、私も含めて新しいキャラクターも登場するので、見どころ満載です。 映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在 ──ほかの作品についてもお聞きします。この夏公開していた映画『恋を知らない僕たちは』(2024年)の撮影はどうでしたか? 同世代の方が多い現場でしたよね。 莉子 とても楽しかったです。同世代と一緒だとリラックスできて、休みの日にはくだらない話で盛り上がることも多かったり、本当に学校のような感覚で撮影できました。 ──撮影地の学校のロケーションも素敵でしたね。 莉子 そうなんです、福岡で。学校や海が印象的な原作だったので、福岡のロケーションが作品の雰囲気を引き立てていました。福岡に1カ月ほど滞在して、酒井麻衣監督の映像美が際立つ作品に仕上がっています。 ──ああいう作品に出演するときは、原作のマンガを先に読んでから臨むんですか? 莉子 読みますね。原作がある場合は必ず読んでいます。原作を一度読み込んでから、そこから自分なりに役を落とし込んでいくんです。酒井監督は、キャラクターづくりに対して本当にこだわりを持っていて、髪型も役のために切ったり、持っている小道具も原作と同じ飲み物を用意したりと、細かい部分まで忠実に再現していました。みんなが一丸となってこだわりを持って作り上げる作品だったので、刺激的でした。 ──ボクも観たのですが、原作についてまったく予備知識がなくて、全然違う展開を想像していたので……。 莉子 そうなんですよ! 水野美波先生が作り上げる『恋を知らない僕たちは』(集英社)は、最初は学園恋愛ものに見えるんですけど、意外な方向に矢印が向かうのがおもしろいんですよね。それがリアルな恋愛模様を描いていて、私はその部分にすごく魅力を感じているんです。 ──この作品もですが、ご家族や友達からは、出演した作品への感想などは伝えられます? 莉子 家族は観てくれていると思うんですが、感想はあまり言ってきませんね。父は『インフォーマ-闇を生きる獣たち-』に出演するのは知っていて、タイでの撮影についても話していたので、前作の『インフォーマ』も観てくれたみたいで、めちゃめちゃハマってましたね。「あれはどうだった?」とか「このあとはどうなるの?」とか聞かれたんですけど、ネタバレはできないので「言わないよー」と返してました(笑)。 キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート ──ちょっとプライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることや好きなことはありますか? 莉子 カメラが好きで、フィルムカメラと……最近ではデジカメも使っています。フィルムカメラは高校2年生のころからずっと愛用していて、最近はハーフカメラも手に入れて、現像してみたらすごくよくて、さらにハマりそうです。映像作品の撮影現場では、フィルムカメラで共演者の写真を撮ったりしています。 ──カメラを始めたきっかけは? 莉子 高校生のときに「写ルンです」ブームが再燃していて、それをきっかけにインスタントカメラではなく、ちゃんとしたカメラが欲しいと思い、父に初めてフィルムカメラを買ってもらいました。今はスマホですぐに写真が見られる時代なので、現像までの待ち時間が新鮮で、フィルムの色味や画質の粗さもすごく好きなんです。ずっと使っています。 ──写真を撮るときに、何か工夫はしていますか? 莉子 特に工夫はしないのですが、人や物を撮るのが好きです。友達が笑っている瞬間など、現場の思い出を撮影して、あとで見返してそのときのことを思い出すのが楽しいんですよね。だから現場にもフィルムカメラを持ち込んでいます。 ──なるほど。普段はどのような休日を過ごしていますか? 莉子 家にいるのが苦手で、じっとしていられないんです。休みが本当にいらないっていう人間なので、それこそ仕事も週6とかでしていたいんですよ。週1の休みがあればじゅうぶんなんです(笑)。 けっこう日々動いていたくて、休みの日も必ずキックボクシングやジム、ピラティスに行っています。撮影期間中は朝から夜まで撮影があるので、運動できないのがストレスになるくらい。午後から撮影の日なんかは、午前中にジムへ行って、体を動かしています。 ──キックボクシングをやろうと思ったのは、エクササイズ目的で……? 莉子 はい。今は、特に本格的なジムに通っているわけではなくて、習い事的な感覚でエクササイズの一環として通っている感じです。体づくりが目的ですね。中学のときはバドミントンを3年間ゴリゴリにやっていたんですが、高校で仕事が忙しくなってからはできなくなってしまいました。でも、20代で運動をしているかどうかで将来が変わるなと感じていて、まわりの大人の方からもそう言われているので(笑)、やれるうちにやっておこうと思って続けています。 ──ほかに、やってみたいことはありますか? 莉子 最近はドライブにハマっていて、車を運転するのがけっこう好きなんです。友達とドライブに行くことが多くて、もっと遠出してみたいですね。あと、今はずっとグランピングに行きたくて。 ──基本、アクティブですね! 莉子 そうなんですよ、アクティブすぎて(笑)。 ──少し話が戻りますが、ドラマ『怖れ』(2024年/CBCテレビ)など、最近はいろいろな役柄を演じていますよね。そんななか、今後やってみたい役柄はありますか? 莉子 ずっと言っているんですけど……悪役をやってみたいです。ファンの方に「えっ、莉子ちゃんが……?」と驚かれるような役を演じてみたいんです。だから、悪役とか、人とケンカしたりいじめたりする役に挑戦してみたいですね。 ──『怖れ』の役にも、少しそういった空気感があるのかな……と。 莉子 たしかにそうですね。でも『怖れ』では役がいくつもあって、完全に悪役というわけではないんです。新しい挑戦でもあって、そういう意味ではすごく楽しかったです。 ──悪役の役づくりを徹底してみたいと……。 莉子 そうなんです。ワンクール通して悪役をやってみたら、自分がどうなるのか気になりますね。本当にやったことがないので、挑戦してみたいと思っています。 ──ありがとうございます。最後に、今まで観た作品の中で、好きな作品はありますか? 映像でも舞台でも構いません。 莉子 最近観たアニメになっちゃうんですけど、映画『ルックバック』(2024年)を観て、すごくよかったです! たった1時間でここまで人の心を動かせるんだと驚きました。しかもアニメーションで! 河合優実さんも声優をされていて、本当に素晴らしいなと思いました。いろいろな表現方法があって、あの短い時間でも伝わるものがあるんだと感じました。最近観た映画で、一番いいと感じた作品ですね。 ──なるほど。声優にも本格的に挑戦してみたいと思いますか? 莉子 やってみたいですね。ただ、声優って本当に難しいです。今までも少しやらせてもらったりオーディションを受けたりとかしたことはあるんですが……声だけで感情を伝えるのがいかに難しいかを実感しました。それでも、これからも挑戦してみたいと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 莉子(りこ) 2002年12月4日生まれ。神奈川県出身。雑誌『Popteen』(角川春樹事務所)専属モデルを経て、『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)で映画デビュー。その後、ドラマ『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)、『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品への出演を重ねる。現在、連続ドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)に主演、11月からABEMAで配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』では、主人公と行動をともにする「広瀬」として重要な役どころを演じている。
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女優・莉子“忙しすぎた”モデル時代を経て“負けず嫌い”な役者へ──
#19 莉子(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 莉子(りこ)。2018年〜2021年まで雑誌『Popteen』の専属モデルを経て、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)にて連続ドラマ初主演。その後も、ドラマ『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)や、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品に出演し、女優としての歴を重ねる。2024年10月から放送中のドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)では主演を、11月より配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)では、主人公と行動をともにする「広瀬」として、重要な役どころを演じている。若くして歴を重ねている彼女、まずは活動のきっかけから聞いてみた。 「focus on!ネクストガール」 今まさに旬な方はもちろん、さらに今後輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載。 目次学業とモデル業の両立。忙しすぎた学生時代モデルから女優へ──転機となった映画初出演松岡茉優との共演に学び、畑芽育とは刺激を受け合う仲 学業とモデル業の両立。忙しすぎた学生時代 ──この業界に入ったきっかけを教えてください。 莉子 小学6年生のころに「ANAP GiRL」というブランドが大好きで、よくそのお店に通っていたんです。ある日、店内にWEBモデル募集のお知らせが貼ってあって、そのブランドが好きすぎて応募したくなったんですよね。もともと、おしゃれやモデル、雑誌が好きだったので、ちょっとやってみたい気持ちはありました。ただ、当時はジュニアモデルでも身長が重視される時代で、応募条件に合わずに落ちてしまいました。そこから1年ぐらいの間、牛乳を飲んで身長が伸びるようがんばったりして、もう一回応募して受かったのが、きっかけだと思います。 ──なるほど、そのころから活動を始めたんですね。 莉子 はい。母は、幼稚園のころから私はファッションにこだわりがあったと言っていました。たとえば髪型にしても、母が「ここで結んでほしい」と言っても私は「イヤだ!」と言ったり……「これを着て」と言われても、「このスカートを履きたい」とか、自分の意思が強かったみたいです。 ──ANAP GiRLには、特にどんな魅力があったんですか? 莉子 ブランド自体が大好きだったのもありますけど、店長さんがとてもよくしてくれたんです。今でも連絡をくれるくらい親しくしていて……本当にお姉ちゃんみたいな感じで接してくれて、私にとって特別な存在でした。フリフリした服装よりも、ポップでカジュアルなスタイルが好きだったので、それも大好きになった理由ですね。 ──初めてWEBモデルとしての仕事をしたときの印象や、覚えていることはありますか? 莉子 ANAP GiRLは中学生までのブランドだったので、中学3年生までには卒業というルールがあったんです。私は背が低かったので、わりと長く続けることができたのですが……小学生のころは本当に「放課後の楽しみ」でした。それこそ撮影場所が原宿だったので、竹下通りに行けるのも楽しみのひとつだったし。放課後になると急いで家に帰り、母と一緒に撮影場所へ向かうという日々で、撮影がある日はそれだけでやる気が出て、学校の授業や宿題もがんばれました。 中学に入ると部活動が始まって、忙しくなりました。部活を休んで撮影に行くこともあったんですけど、基本的には学校に通い、部活がない日の放課後に活動をしていたんです。そんななか、中学2年生のときに今の事務所から声をかけていただいて、そこから本格的にお仕事としてやっていくという自覚が芽生えていきました。 ──なるほど。ちなみに部活は何をやっていたんですか? 莉子 バドミントンです。 ──中学生での部活と仕事の両立は、大変ではなかったですか? 莉子 正直、中2から中3まではそれほど忙しくなかったです。事務所に入って数年後に『Popteen』のモデルが決まったんですけど、高校の3年間は、もう本当に凄まじく忙しかったですね。 ──特に忙しかったときのこと、何か覚えていますか? 莉子 高校時代はほぼ始発で『Popteen』の撮影に行って、朝8時くらいに撮影が終わったら急いで学校に行き、放課後また撮影に戻って、夜10時まで仕事をして帰る……という日々で、本当にあっという間に時間が過ぎていきましたね。 ──それはもう、やりたいというモチベーション、一心で……? 莉子 そうですね、当時は特にやる気がみなぎっていました。時代的にも、ちょうどTikTokやSNSが流行り始めていた時期で、雑誌内でのバトルや競争も多かったんです。ずっと目標だった『Popteen』モデルの仕事ができているという気持ちがモチベーションになって、これをがんばらないと!というエネルギーで突っ走っていました。 ──その中で、徐々に活躍が増えていったという実感はありましたか? 莉子 正直、あまり自覚はなかったですね。気がついたら単独で表紙を飾ることもありました。私は常に自信がないタイプなので、まわりから「たくさん見かけるよ」と言われて初めて、「あ、私ってそんなに世の中に出てたんだ」と気づくことが多いんです。 自覚はあまりないのですが、先輩たちが卒業していくなかで、だんだん自分も先輩の立場になっていくことを感じるようになりました。『Popteen』は年功序列がはっきりしていて、体育会系のような厳しさもあったので、礼儀や上下関係についてはかなり学びましたね。 ──『Popteen』時代で、特に思い出に残っている出来事はありますか? 莉子 運動会があったんですよ。小学校の体育館を借りて、モデル全員で本当に運動会をしたり、あと、キャンプに行ったりもしました。自分たちでテントを組み立てて泊まるとか、けっこう過酷な経験(笑)。『Popteen』は“第2の学校”みたいな存在で、学校での高校生活と同じくらい充実していました。いつも忙しく動き回っていたので、あのころの自分の体力はすごかったなと思いますね。 ──モデルとして活動しながらも、何か新しいことをやりたいという気持ちが芽生えてくる感じはありましたか? 莉子 正直なところ、高校の3年間はがむしゃらに過ごしていました。本当に毎日を生き抜くのに必死で(笑)、自分がやるべきことをこなすのに精いっぱい。『Popteen』の撮影に向かう電車の中で、テストに向けて赤シートを使って必死に勉強していると……気づいたら寝落ちしていて、隣のおじさんがその赤シートを持っていてくれたことも。そんなギリギリの生活をしていました。あのときの自分を褒めてあげたいですね。 モデルから女優へ──転機となった映画初出演 ──なるほど。とすると、そんな忙しい中で『Popteen』を卒業したあとに何をするのかを考え始めたのは……? 莉子 実は、高校2年生のときに『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)という映画に出演させてもらったりして、少しずつお芝居にも触れていました。ただ当時は、自分から「お芝居をやりたい」というよりも、マネージャーさんから勧められた感じでした。 この映画に出たときは、まわりの方々のお芝居に圧倒されて、自分が何もできないことが本当に悔しかったんです。それまでモデルだけをしていたので、お芝居の現場で何も知らずに立っている自分が申し訳なくて、それでお芝居についてもっと知りたいと思うようになりました。基本、負けず嫌いなので、できないことに直面すると悔しくて、もっとやらなきゃと思うんです。 それをきっかけにワークショップに通い始めて、演技の基礎を学んでいくなかで、お芝居が楽しくなっていきました。ちょうどそのころ『Popteen』も卒業しようと決めたので、「これからはお芝居もやっていきたい」と思うようになりました。 ──最初にお芝居をした『小説の神様 君としか描けない物語』の現場は、具体的にどんな感じでしたか? 莉子 撮影は2日間くらいで、佐藤大樹(EXILE)さんの妹役で病院に入院しているシーンだけだったのですが、とにかく悔しかったんです。まわりの方々を見て、「これがお芝居なんだ」と感じ、緊張しっぱなしでほとんど覚えていないような感じです。でも「悔しい」という気持ちだけはしっかり残っているので、それをきっかけにお芝居を学びたいと思ったのは間違いないですね。 ──それまでも、視聴者としてドラマはいろいろと観ていたり……? 莉子 今ではお芝居の仕事をしているのでいろいろなジャンルのドラマを観るようになったんですけど、昔は恋愛ものやキラキラした作品が大好きで、そういうものばかりを観て育ったので、幅広いジャンルにはあまり触れていませんでした。 ──好きだった作品はなんですか? 莉子 小さいころに観ていたのは『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー〜』(2009年/フジテレビ)ですね。月9の恋愛ドラマです。 ──お芝居を意識的に始めてから「自分がキチンと演技できているかも……」と感じた最初の現場はどこですか? 莉子 演技が楽しくなってきたときにお話をいただいたのが、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)でした。初めての主演としてプレッシャーを感じながらも、演技をしっかりできたという感覚が生まれた作品です。さまざまな感情が混ざり合った濃い経験で、本当に忘れられない作品でした。 ──『ブラックシンデレラ』での役柄は、コンプレックスを抱える複雑なキャラクターでしたが、どう役づくりをしていきましたか? 莉子 初めての連ドラでの主演ということもあったので、役づくりについてどうすればいいかもわからず、とにかく身近なところから始めました。たとえば、高校の友達に「顔に傷があったらどう感じる?」と質問したり、そうやって自分のまわりから役づくりを始めた記憶があります。それからは、ノートに自分の考えやキャラクターの想いを書くことを続けています。この作品で得たその感覚は今でも大切にしていて、毎回作品に入るたびにノートを取って、自分の解釈を書き込んでいます。 松岡茉優との共演に学び、畑芽育とは刺激を受け合う仲 ──それ以降で、印象に残っている作品はありますか? 莉子 ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)は、地上波での初めての連続ドラマで、しかも学園ものなので、同世代の俳優たちと同じ空間で演技をする瞬間のすごさやスケールの大きさを感じました。特に教師役の松岡茉優さんは、穏やかで素敵な方でありながら、演技に入るときの切り替えはすごくて、現場全体に影響を与えていました。松岡さんの演技力と佇まいが私たちに多くのことを教えてくれて、本当に刺激を受けました。 ──松岡さんとは、撮影中、話す機会はありました? 莉子 はい。撮影が終わったとき、みんな号泣するほどやりきった感があって。そのとき、松岡さんが「ありがとうございました」と言いながら、生徒役一人ひとりにお花を渡してくれたんです。私にも「莉子ちゃんは本当にまっすぐな目がすごく印象的だった」と言ってくださって……30人近くいる生徒役のことをちゃんと見てくれているんだなと感じましたね。松岡さんとご一緒したことで、私も広い視野ですべてを見られる女優でありたいなと思いました。 ──活動していくなかで、仲よくなった方はいますか? 莉子 畑芽育ちゃんとは、すごく仲よくなりました。映画『なのに、千輝くんが甘すぎる。』(2023年)で初めて一緒になったんですけど、私はそれまで芽育ちゃんのことをずっと注目していて“かわいすぎるコがいる!”と思っていました。初めて会ったときに「ずっと好きでした!」って伝えたら、芽育ちゃんも「えー! うれしいです」ってなって……そこから撮影期間を通じて仲よくなって、今でも作品のあとにご飯に行くとか、こんなに長く仲よくさせてもらうことになるとは思わなかったので、とてもうれしいですね。 ──畑芽育さんとのエピソードで、思い出深いものはありますか? 莉子 一緒に温泉や岩盤浴に行ったり、家にも来てくれたりします。疲れたとき「とりあえず会って話そう」と、焼き鳥屋さんでご飯を食べたりするような仲です。ただ会って話すだけで満足できる、そんな本当に友達みたいな関係になれて、すごくうれしいし、ありがたいです。 ──仕事の話もお互いにするんですか? 莉子 はい。次の作品についてとか。行き詰まったときにもLINEで「こんなことがあるんだけど、どう思う?」と聞くと、「大丈夫、大丈夫。莉子はまじめだから」と励ましてくれるんです。同業でここまでの仲になれるのは珍しいことなので、本当にありがたい存在ですね。 ──松岡さんの話もありましたが、ほかに憧れている、目標にしている俳優さんはいますか? 莉子 有村架純さんのお芝居がずっと好きで。今後20代後半から30代になったときに、有村さんのような深みのあるお芝居ができる女優になりたいと思っています。今は役や作品によって求められることを必死にこなしている感じなんですが、大人になればなるほど、お芝居にもその人の人間性がにじみ出てくると思うんですよね。有村さんの演技は自然で柔らかいのに、しっかりと感情が見える部分があって、すごく惹かれます。 ──有村さんの出演作の中で、特に好きなものはなんですか? 莉子 『海のはじまり』(2024年/フジテレビ)は、感情の起伏があるシーンと日常的な会話が多いシーンのバランスが素晴らしいと思っています。普通になりがちなシーンでも感情がしっかり伝わってきて、あの柔らかさと強さのバランスは、やはりキャリアを積んだ方だからこそ出せるものなんだろうなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 莉子(りこ) 2002年12月4日生まれ。神奈川県出身。雑誌『Popteen』(角川春樹事務所)専属モデルを経て、『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)で映画デビュー。その後、ドラマ『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)、『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品への出演を重ねる。現在、連続ドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)に主演、11月からABEMAで配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』では、主人公と行動をともにする「広瀬」として重要な役どころを演じている。 【インタビュー後編】
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“本当に怖がりながら逃げた”『逃走中』ヒロイン・田鍋梨々花
#18 田鍋梨々花(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 田鍋梨々花(たなべ・りりか)。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。 「前編」では、この世界に入るキッカケや、モデルや女優としての初仕事の思い出を話してくれた彼女。「後編」では、意外な回答が出てきた、この問いから……。 インタビュー【前編】 目次目標は、研ナオコさん“リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」プライベートでは“食”を軸に 目標は、研ナオコさん ──田鍋さんが、目標にしている方はいますか? 田鍋 研ナオコさんが好きなんです。『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)に出ていた研ナオコさんを好きになったのがきっかけで、今も研さんのYouTubeチャンネルを観たりしています。話し方とか、ファッション、メイク、自分のスタイルを持っているのがカッコいいなと思っています。 ──自分を持っている人というところに憧れている? 田鍋 はい、カッコいいです! 私もああいうふうに歳を重ねていったら楽しいだろうなと思っています。メイクとかも、常に楽しんでいて。 ──でも、研ナオコさんというのは、ちょっと意外でした。バラエティ的なことなんかにも興味はあったりします? 田鍋 見るのは楽しいです。 ──コントをやってみたいな、まではない……。 田鍋 うーん……コントはとっても難しそうです。 ──演技だと思えばやりやすいのかも。普通にバラエティのスタジオで話すより、もしかしたらコントのほうが台本があるぶん、女優さんとしてはやりやすいかも……。 田鍋 たしかに! そういう考え方もありますね(笑)。 ──いつか、ぜひ。それと、何か好きな作品はあったりしますか? 映画でもドラマでも。 田鍋 何かひとつの作品というよりは……けっこういろいろと観るんですけど、人の愛憎入り乱れるようなギッタギタなやつが大好きです。ママ友の嫉妬とか、不倫とか、裏切ったり裏切られたり、人間の闇が見える瞬間のドラマが、私からすると“異世界”すぎて、おもしろいです。 ──たとえば、どんな作品が好きなんですか? 田鍋 少し前の作品ですけど、『名前をなくした女神』(2011年/フジテレビ)とか、好きです。 ──ああ、なるほど。きっと自分のまわりにはない世界だからこそ、おもしろいんですね。自分でもそういう役をやってみたいと思いますか? 田鍋 チャンスがあれば、いつかやってみたいです! 自分にとって異世界的なものが好きなんですよね。『逃走中』(フジテレビ)も、絶対に現実にはないし、そういう世界が好きなのかも。 “リアルに怖かった”何十体もの「ハンター」 ──今ちょうど出てきましたが、映画『逃走中THE MOVIE:TOKYO MISSION』が公開されますよね。最初にお話を聞いたとき、どう思いましたか? 田鍋 最初は……『逃走中』の映画って何? どういうこと?っていう感じでした。 ──そうですよね。僕も最初に聞いたときはびっくりしました(笑)。どういうストーリーで、田鍋さんは、どんな役を演じているんですか? 田鍋 『逃走中』に、弟と一緒に参加するんですけど……ゲーム自体が乗っ取られて、捕まったら死ぬというデスゲームに切り替わってしまうんです。私は弟思いのお姉ちゃんの役なのですが、ほかにもお金が欲しいとか、なにかしらの目的があって集まったいろいろな人たちの人間模様が繰り広げられます。 ──弟を守りながら逃げるという……? 田鍋 そうですね。 ──実際に走って逃げたりするシーンも多かったりしましたか? 田鍋 そうですね、「ハンター」(逃走者を確保するため追ってくるアンドロイド)も、実際に何十体もいたりするので、リアルに怖かったです。 ──テレビで観ていた『逃走中』よりも、リアルに感じましたか? 田鍋 テレビで観ていると楽しそう!って思ってたんですけど、実際に追いかけられるとこんなに怖いんだという感じでした。 ──撮影中に印象に残ったことや、思い出に残ったことはあります? 田鍋 ゲームが乗っ取られてからは、ハンターが「ワイルドハンター」という悪いハンターに変わるんです。地下駐車場へ降りていくシーンで、私のちょっとうしろにワイルドハンターが4人くらいいて、襲ってくるんです。全力で坂を下るんですけど、エキストラの方たちの悲鳴とか迫力がすごすぎて、その中に入って、うまく逃げられるかなって……本当に怖くて逃げたことが、すごく印象に残っています。 ──弟役の子(川原瑛都)とは、撮影の合間に話したりしましたか? 田鍋 そうですね。撮影中はすごくしっかりしているんですけど、不意に垣間見える小学生らしさがかわいくて、そのギャップにみんなやられていました。 ──田鍋さんが思う、映画の見どころはどのあたりでしょうか? 田鍋 人間模様はもちろんなのですが、テレビの『逃走中』によく出演されている方や、ガチャピンなんかも出てくるんです。あと、ちょっと笑えるようなシーンもあって……もちろん感動もあります。たくさんの要素が詰まっているところが見どころだと思います。 ──幅が広いんですね。 田鍋 はい。 ──印象に残っている方はいますか? 田鍋 キャラクターですね! (出世大名)家康くんとか、ぐんまちゃん、ご当地キャラクターがかわいかったです。 ──ゆるキャラは、ゆるキャラのまま登場するんですね。 田鍋 はい、そうです。ゆるキャラのまま(笑)。 ──撮影の合間に、ゆるキャラと絡んだりしました? 田鍋 はい! 楽しかったです。 ──ご自分が演じたシーンで、ここを観てほしいというポイントはありますか? 田鍋 ただ逃げているだけじゃない、みんなの勇敢な姿を観てほしいです。ラストに向かってみんなのスイッチが入る瞬間があるので、そこは特に見どころだと思います。 プライベートでは“食”を軸に ──田鍋さんが今後やってみたい役柄はありますか? 田鍋 いろいろな職業に触れてみたいですね。警察官とか受付係とか……今までは学生の役が多かったので。コンビニ店員なんかもやってみたいです。 ──今思う、具体的にやってみたい職業はありますか? 田鍋 そうですね、オフィスで名札をつけて働く役とか、スーパーのレジ打ちもやってみたいです。 ──ドロドロもありそうですよね、スーパーとか(笑)。……話は変わりますが、最近ハマっているものはありますか? 田鍋 最近は、薬膳が好きです。マーラータンとか火鍋とか、薬膳系の味が大好きなんです。辛いのが大好きすぎて、毎日食べていた時期もあったんですけど少し控えてて……ただ、最近またちょっとずつ食べ始めたら、今またハマってしまっています(笑)。やっぱり薬膳が好きですね。 ──中でも、この具が好きとかあります? 田鍋 キクラゲですね! あと、薬膳は体にいいと思いつつ……ご飯、お米も大好きで。 ──なるほど。薬膳以外で好きな食べ物はありますか? 田鍋 生牡蠣やパクチー、大葉など、けっこう癖が強いものが好きですね。 ──お店を自分で探したりはします? 田鍋 夜寝る前にGoogleマップでお店を見て、食べたいメニューを決めて……というのをよくやるんですよ。でも結局、行ったりはしないんですけど(笑)。 ──(笑)。自分で行くお店以外で……たとえば、撮影の合間に出てくるご飯の中で好きなものはあったりしますか? 田鍋 のり弁が大好きです! 唐揚げ弁当なんかも好きなんですけど、のり弁だけでいけちゃいます。おかずもなしで、のりと醤油だけで、何杯でもご飯が進みます。 ──それにしても、ご飯(米)ばかり食べていても太らないんですか? 田鍋 太らないわけではないんですけど、気持ちの問題だな、と。太らないと念じて食べています(笑)。 ──なるほど、気持ちなんですね。今後やってみたいことはあります? 田鍋 いつか気球に乗ってみたいです。それと最近では、ぬか床を作って、ぬか漬けを自分で作ってみたいと思っています。常に家にぬか漬けがあると幸せだな~と思って。 ──ぬか漬け! 食に関することが多いですね。 田鍋 はい、食を軸に生きています! ──気球には、なぜ……? 田鍋 気球から見える景色はきっとキレイなんだろうな、感動するだろうな~、と。そこでしか味わえない何かが生まれそうな気がします。 ──空を飛びたいというわけではなく、気球に乗りたいんですね。 田鍋 はい、気球に乗りたいんです。 ──逆にぬか漬けのほうが、ハードルが高そうですね。あと、ドラマ以外の仕事でやってみたいことはありますか? 田鍋 わんこそばチャレンジとかやってみたい! プライベートでわんこそばを食べても苦しくなるだけな気がするけど、撮影を通してなら、楽しみながら挑戦できそう。 ──わんこそばは、何杯くらい食べられそうですか? 田鍋 女性の平均がどれくらいなのかわからないのですが、100杯を目指します。 ──ぜひ、いつかチャレンジを。ちなみに食リポの仕事はやったことあります? 田鍋 ほとんどないです。 ──やってみたら、うまくできそうな気がします? 田鍋 え~、できないと思います(笑)。私、真剣に食べちゃうので。 ──食に関するドラマなんかもいいですよね。 田鍋 たしかに! お寿司屋さんとか。でも、これって食べたいだけですね(笑)! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 田鍋梨々花(たなべ・りりか) 2003年12月24日生まれ。千葉県出身。2016年「ミスセブンティーン2016」でグランプリを受賞。『Seventeen』専属モデルとして活動を始めたのち、『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』(2017年/フジテレビ)で女優デビュー。その後も『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『マイストロベリーフィルム』(2024年/MBS)、『くるり~誰が私と恋をした?~』(2024年/TBS)等のドラマに出演。映画『逃走中 THE MOVIE:TOKYO MISSION』が7月19日に公開。
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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賑やかな夏景色が懐かしくなった、蚊がいない暑すぎる夜(夏川椎菜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 夏川椎菜(なつかわ・しいな) 1996年7月18日生まれの声優、アーティスト。2011年に開催された「第2回 ミュージックレイン スーパー声優オーディション」に合格し、翌年より声優として活動を開始。『アイドルマスター ミリオンライブ!』シリーズ、『響け!ユーフォニアム3』(NHK Eテレ)、『マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝』など多数出演。2015年からは同じく声優の麻倉もも・雨宮天とともにユニット「TrySail」(トライセイル)としても活動し、これまで横浜アリーナ公演などを成功させている。2017年4月には1stシングル『グレープフルーツムーン』で自身の名義にてソロデビュー。2023年11月には3枚目のアルバム『ケーブルサラダ』を発表し、12月よりライブツアー『LAWSON presents 夏川椎菜 3rd Live Tour 2023-2024 ケーブルモンスター』を開催。2024年10月30日に9枚目のシングル『「 later 」』をリリース予定。ほかにも小説・コラムなどの執筆活動や、舞台出演など、声優だけに留まらない幅広い活動を展開している。 HP:https://www.natsukawashiina.jp/ X:@Natsukawa_Staff ブログ:『ナンス・アポン・ア・タイム!』 今年の夏、蚊がいなかったのである。 調べてみたら、蚊は25℃から30℃で活動が活発になり、35℃以上になると木陰で休む傾向にあるのだという。 40℃になると死んでしまうこともあるんだとか。 つまり、今夏の気温は蚊にとって「活動限界」なのだ。 たぶん、人間の活動限界も同じようなもんだと思うが、 なぜこんなにも街は人であふれかえっているのか。 国の偉い人たちには、ぜひとも本気で「夏眠制度」の導入を検討してもらいたい。 外気が35℃を超える見込みなら、すぐにすべての経済活動を中断して、みんなでお家で冷麺とか食べるのである。 お外が涼しくなるまで、そうやって耐え忍ぶのである。 今年は、夜でも容赦のない暑さだ。 陽はもう落ちきっているというのに、昼の熱気を吸い込んだコンクリートが「もう我慢ならん」という感じに放出するせいで、暑さがぶり返す。 夏の夜といえば、子供のころの嘘みたいに風流な景色を思い出す。 祖父の家、風鈴の音が鳴っている縁側に、足を投げ出すようにして座り、ばあちゃんが切ったスイカをかじる。 庭ではみんなが花火をしていて、「線香花火、誰が一番長くもつか」なんて勝負で盛り上がる。 花火の煙と、蚊取り線香の香りが混じって、めっちゃいい香りの催涙ガスになって飛んでくる。 思わず吸い込んでしまって、むせて、家族に背中をさすられる。 あのときは、なんでもない、ちょっとだけ賑やかな夏の夜という認識でしかなかった光景だが、時が経った今、あまりにも再現性がないことに、ちょっとだけ悲しくなる。 そう、この暑さじゃあ。 風鈴はなんの気休めにもならず、スイカはすぐにぬるくなる。 線香花火よりも先に、汗が滴り落ちるのだろうし、蚊は活動限界中なのだから、蚊取り線香も必要ない。 ていうか、縁側がない。 都内じゃ花火も難しい。 うう、悲しくなってきた。 ともかく私が言いたいのは、このクソ暑さのせいで、夏の夜の風物詩がかなり失われてしまったんじゃねぇの?ってことである。 蚊がいない。 今年の夏、蚊がいないのである。 どっちかといえば、たぶん喜ばしいことなのかもしれない。 でも、ちょっとだけ浮かばれない想いが、たしかにここにあるのである。 私は去年、運命の出会いを果たした。 たまたま立ち寄った百貨店で、鳥をモチーフにした作品が集う企画展をやっていて、ある作品にひと目惚れした。 ハシビロコウを模した、陶器の蚊取り線香スタンドこと「コータロー氏」である。 切り株の上にちょこんと座ったコータロー氏が、両翼を使って器用に鉄の棒を持っている。 鉄の棒の先は、蚊取り線香のサイズに合わせたクリップのような形状になっていて、蚊取り線香のトグロの最終地点に挟むと、固定できる。 コータロー氏が蚊取り線香の傘をさしているように見える、激アゲ最カワ夏アイテムなのだ。 コータロー氏に出会ってから、私は夜ごと近くの公園に出かけていって、コータロー氏と晩酌を楽しんだ。 (余談だがこの公園には、毎晩ブレイクダンスの練習をしながら動画を撮っている、おじさんTikTokerがいる。コータロー氏と過ごした夜には、必ずこのブレイクダンスおじさんも一緒だったということを、一応、書き添えておく) コータロー氏は、毎回健気に蚊取り線香を背負って、私を蚊から守ろうとしてくれているのだが、肝心の蚊のほうが活動限界中なので、あまり意味をなさない。 無駄な蚊の殺生が発生していない、と考えれば、平和な世界でいいじゃないか、と思えるのだが、こちらは、この激アゲ最カワ夏アイテムを使いたいがために、わざわざクソ暑いなか公園で晩酌しているわけなので、ちょっとだけ虚しくなっちゃうのだ──パンダを観るため長蛇の列に並んだのに、自分の番になったら終始遊具の影にいて、背中の一部しか見ることができなかったみたいな誰も、何も悪くないし、パンダはかわいいんだけど、それでも感じてしまう「この時間はなんだったんだ」という。 あの感じに似ている。 なんだか申し訳なさそうな背中で、蚊取り線香を背負うコータロー氏の横で、私は「まぁ、でも蚊取り線香っていい香りだしな」とかいってなんとか気分を上げつつ、コンビニで買ったお酒をチミチミ飲む。 (肴になるものは、ブレイクダンスおじさんしかない。全然上達しないな、なんてことを思いながら飲む) しばらくすると私の活動限界もやってくるので、まだ半分以上も残っている蚊取り線香の火を消し、コータロー氏を箱に戻してさっさと退散する。 たぶん晩酌していた時間より、準備のほうに時間がかかっている。 そんなわけで、コータロー氏はいまだにその本領を発揮できないままなのである。 今年の夏も、何度か試みてはみたのだが、気温が高すぎて断念したり、気温はよくても雨が降ったりしたせいで、公園のベンチが使えなくなっていて、あきらめている。 (だから、おじさんのブレイクダンスが上達したのかどうかも、私は知らない) 夏の気温が下がってくれれば、すべてが解決するので、ぜひそうしてもらいたい。 私は、せっかく手に入れたコータロー氏の、活躍が見たいのだ。 蚊のみなさんごめんなさい。 (ちなみに、万が一の公園バレを避けるため、おじさんが練習していたものがブレイクダンスだというブラフをかけていたのだが、ちょっと無理があったかもしれない。 夜ごと、公園の砂利に頭部を擦りつけているおじさんを想像されていた方には非常に申し訳ないが、そんな人物はいない。 いるわけがない。 おじさんが練習していたのは、少なくともブレイクダンスではない、ということだけ、最後に言わせてほしい) 文・撮影=夏川椎菜 編集=宇田川佳奈枝
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憧れの舞台での挑戦、大雨と拍手がやまない夜(鈴々舎美馬)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鈴々舎美馬(れいれいしゃ・みーま) 1993年4月12日生まれ、神奈川県相模原市出身。落語協会所属の落語家。桜美林大学在学中から落語研究部に所属し、全日本学生落語選手権に入賞するなど活躍。2018年2月、十代目鈴々舎馬風に入門、2019年7月21日、「美馬」と命名され前座となる。2023年11月上席より二ツ目に昇進し、2024年1月の二ツ目昇進披露公演は、異例の1800人規模のホールで開催した。 X:@reireishamiima YouTubeチャンネル:鈴々舎美馬の落語道【やってミーマ】 雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。 こんなことが恥ずかしげもなく言えてしまうほど感激した、一夜の話をしたいと思う。 その夜は、大雨のあと、大吹雪になった。 落語協会所属の落語家で、2023年の11月に5年9カ月の前座修行を終え二ツ目に昇進した私は、2024年の1月13日、記念の昇進落語会を地元相模原の1800人収容できるホールで、初めて自らが主催となり開催することに決めた。そうしなければいけないと思った。 今から10年前、落研所属の大学生だった私は、運よく全国大会に出場できたこともあり、落語女子としてほんの少しだけ話題になると、新聞やテレビ等のメディアで紹介されたりもして有頂天だった。 『モヤモヤさまぁ~ず2』(テレビ東京)に出演したあと、大手芸能事務所からお声がけをいただき、落語タレントとしてデビューをする話が持ち上がった。ずっと地味に生きてきた自分に突然当たったスポットライトは前が見えないほどまぶしく、これから誰に会って何をして、どんな人生が待っているんだろうと頭の中いっぱいの妄想に脳みそを掻き回されながら、小さな体がまさに天高く舞い上がった瞬間に、寸前で突然白紙になって夢は打ち砕かれた。 それは、もともと気が弱くて自分に自信がない私の心を折るにはじゅうぶんな出来事で、そのまま地面に叩きつけられた私は、ありがたくもお誘いいただいていた師匠の声も聞こえなくなり、プロの落語家への道もあきらめて、エステティシャンとして就職する道を選んだ。 ただ、自分の人生なんてこんなもんだとポッキリ折れた気持ちがもう一度悲鳴を上げるくらいには落語が大好きになっていた私は、数年働いたあと、腹を決めて退職し、師匠に入門をした。 前座のころは、毎日、地元の相模原から、片道2時間近くかけて寄席に向かい、男仕立ての着物を着て、楽屋働きをする。日給1000円だから交通費のほうがもちろん高い。ブラックとかホワイトのレベルの話ではない。おまけにアルバイトは禁止されている修行期間という明確な縛り。でも、それが悪いことだとはまったく思わない。タダでさまざまなことを仕込んでくれた師匠方には感謝しかない。ただ、入門時にそれが6年続くとわかっていたら門は叩けなかったかもしれないとは思う。 私はそそっかしい前座で、よくしくじりばかりしてしょっちゅう怒られていた。スタートラインの二ツ目になることを夢見ていたが、コロナ禍の真っ只中で、それどころではない状況に先も見えない焦りもあった。20代半ばから後半を、同世代の女性たちのキラキラした生活を横目に、前座たるもの、もちろんスッピンで目立たない色のシャツとズボンを身にまとい、大きなリュックを背負って毎日4時間揺られる車窓に映る自分は、さながらねずみ男のように見えた。 入門から5年、二ツ目昇進が決定した瞬間はうれしさよりホッとした気持ちのほうが大きかった。昇進の発表があったのが4月1日だったので、嫌な冗談だなと思いながら、師匠から「よかったな」と言ってもらえて初めて実感が湧き、涙を堪えた。 同時に、バカだと言われてもデカイことをしよう。私はがんばった。昔に比べれば住み込みでもないし、甘くなっているのも間違いないんだろうとは思う。でも私はがんばったんだ。あのとき叩き落とされてから、まだ起き上がってない。立ち上がって歩き出すための昇進の会は、あの日の自分を納得させられるものにしたいと思い、計画を始めた。 昇進の会のゲストには感謝と尊敬しかない鈴々舎馬風(れいれいしゃ・ばふう)師匠と、落語家になる道を作ってくださった兄弟弟子の鈴々舎馬るこ(れいれいしゃ・まるこ)師匠、大学時代からずっとずっと憧れていた蝶花楼桃花(ちょうかろう・ももか)師匠に出演していただけることになった。 師匠方の胸をお借りして、自分の披露目の会を開催するならば、それに見合った大きい挑戦をしなければと、演目は落語の中でも大ネタのひとつである「文七元結(ぶんしちもっとい)」に決めた。 会場は、私が幼稚園の卒園式や小学生のころ習っていたバレエの発表会、中学高校の吹奏楽部の演奏会、それから成人式とずっとお世話になった1800席の大ホール「相模女子大学グリーンホール」。ここしかない憧れの舞台だった。 勢いで突っ走り始めたのはいいものの、冷静に考えると自分があのホールをいっぱいにするのは無理があるとすぐに焦り始め不安で夜も眠れなくなった。 準備を進めるなかで、ただがむしゃらにがんばっていたことが思いがけず大きなショックを受けることにつながり、6年間の修行の中で一番くじけそうにもなったけど、それ以上に私を応援してくださるたくさんの素敵な方々と出会い、励まされ、力添えをいただいてなんとか前向きな気持ちを取り戻すことができた。 当日は、まさかの大雨、大吹雪だった。 なんで今日に限って、やっぱり神様は私を飛ばせたくないんだ、と落ち込む私の耳に聞こえてきたのは、大吹雪のなか、たくさんのお客様が会場前に詰めかけてくれているという声だった。こんな天候のなかでたくさんのお客様が会場に足を運んでくださっていると思うと感謝の思いで開演前から涙を拭った。 雨の音は拍手の音に聞こえるから好きだ。 いや、好きになった。 パチパチと傘に当たって弾ける水滴。幕が上がると、その音はその日の嵐の雨音よりもさらに大きな音だった。これまでに感じたことがない量の音圧に、感動と興奮と昂揚で全身に電気が走った。 師匠方の圧巻の高座のあと、飛び出しそうな心臓をなんとか飲み込み、出囃子が鳴って、高座に向かって舞台袖から歩き出したところで足がつった。もう終わりだと思った。なんで私はこうなんだ。高座に上がって、座布団に座って頭を上げる。 大勢のお客様の前で私ひとりにスポットライトが当たった。その瞬間、足がつっているのは忘れてしまった。ひと言発するたび、お客様一人ひとりの気持ちが伝わってくるような不思議な感じがした。かと思えば口が全自動で動いているような、でも頭はいろんなことを考えていて。きっと人生であの瞬間しか感じられなかっただろう奇妙な感覚。 先月まで前座だった未熟者の、しかもネタ下ろしで1時間の大ネタの高座を、最後までお付き合いいただけたお客様には感謝しかない。演目が終わり、頭を下げて、追い出し太鼓が流れるとお客様の拍手の音は幕が下りきるまで続いて、重厚な拍手の音が今度は自分を包み込んでくれるような、そのまま体がふわっと浮いた気がした。 ようやく立ち上がれた私は、あれから大雨の降る日は、あの日の夜の鳴りやまない拍手を思い出して、応援してくれる人たちのために成長しよう、よしがんばろうと思うようになった。 文・写真=鈴々舎美馬 編集=宇田川佳奈枝
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あの日過ごした部屋との思い出、騒音すら恋しく感じた東京の夜(まるいるい)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 Ⓒ吉本興業 まるいるい 1997年11月28日生まれ、神奈川県横須賀市出身。NSC東京23期生のお笑い芸人。吉本坂46(2期生)としても活動していた。自身の家族をテーマに綴ったエッセイやYouTubeチャンネル『まるいるいの逆襲』が話題になる。 X:@Rui_tontokoton note:https://note.com/maruirui61 YouTube:『まるいるいの逆襲』 二十歳のとき、上京して三鷹に六畳一間の家を借りた。築40年。畳の香りが鼻をかすめるどこか昔懐かしいアパート。私はそのアパートが大好きだった。 20年間ともに過ごした家族と離れることを決め、ホームシックになることを覚悟していたのに、意外にも寂しかったのは最初のひと晩だけだった。 その家は朝から晩まで側を走る中央線の音が鳴り響く。壁が薄すぎてお隣さんのオナラも、ビール缶のプルタブを起こす音も聞こえる。今、『キユーピー3分クッキング』(日本テレビ)を観ているな、ということまで把握できた。 それから1年後。その家とともに過ごす2度目の夏を迎えたとき。 “ドドドドドドドドド” 5歳くらいの子供が天井裏を駆け回っているのではないかと疑うくらいの大きな足音だった。 “チュー” ネズミだ。 屋根裏にネズミがいる。 まぁ、ここに建てられてから40年も経っていたらどこかに隙間もできるよな。仕方ない。大して気には留めなかった。 そんなある朝、起きたら身体中がかゆかった。イエダニの仕業だ。このダニはネズミがいない限り家に発生することはめったにないらしい。実害が出たら放ってはおけなかった。かゆすぎた。皮膚科に行った。 大家さんに報告すると、すぐに魚肉ソーセージを吊るした鉄製で箱型の、原始的なネズミ捕りを持ってきてくれた。 それを仕掛ける際、大家さんは私の部屋の天袋を開けた。そして両手を上げたかと思うと天板をバコッと外した。屋根の裏が姿を現した。 大家さんに「見てみるか?」と問われたのでうなずいた。そして天板が外れたことで現れた隙間に上半身を突っ込んだ。 私の目の前には想像以上に広い空間が広がっていた。驚くべきことに、お隣さんの部屋との間に仕切りはなかった。お隣さんとそのまたお隣さんの間にも、そのまたお隣さんとの間にもだ。同じ階の全部屋の屋根裏がつながっていた。大家さんいわく今の建築法では作れない、作ってはいけない家の構造らしい。こりゃ音が筒抜けなわけだなと合点がいった。 そんなことを思っていると奥からガササッと音がした。大家さんはネズミ捕りを仕掛け、天板を元に戻した。これで平穏な生活が訪れるはず。 季節は冬になった。ネズミ捕りを設置したかいはまったくなかった。相変わらず5歳児が屋根裏を駆けていた。 そんなある日、管理会社からアパートの更新料のお知らせが届いた。引っ越しを決めた。ネズミとの共存はできなかった。 退去の日、大家さんと写真を撮ってもらった。 「写真を撮ってと言われたのは初めてだよ」 困ったように笑う照れ屋な大家さん。いつも長靴を履いていて、たまに畑で採れた野菜をおすそ分けしてくれた大家さん。小柄で日に焼けた笑顔がかわいい大家さん。鍵を返して2年間のお礼を告げ、お別れをした。とても寂しかった。 次に借りた家は板橋区のマンション。私はマンションにこだわっていた。大好きだったアパートを出た唯一の理由は騒音だった。静寂を求めていた。それなら木造アパートではなく鉄製マンションに住むべきだと考えた。 引っ越して最初に迎えた夜。先輩にLINEした。 「前の家が恋しくて涙が出ます。」 比喩ではない。本当に泣いていた。お別れしたときの大家さんの顔も浮かんできてよけいに泣けた。 「私も初めて借りた家を出たときは恋しかったな。でも、もう今はここが私の家で、一番落ち着く」 私はこの家をそんなふうに思えるだろうか。不安だった。 とりあえず寝ようと布団を敷き、横になった。真っ暗な部屋。 鉄筋コンクリート造りのその部屋のお隣からはレゲエともヒップポップともつかない謎ジャンルの音楽が爆音でひっきりなしに流れている。壁が躍るのを感じる。音が振動になるということは相当な音量だ。ライブ会場かここは。話が違う。 こっそりドアを開けてお隣の様子をうかがうと、聞き慣れない言語での会話が聞こえた。外国人だ。料理をしている。嗅ぎ慣れないスパイスの匂いが漂う。 不安すぎた。私はこの家が本当に好きになれるだろうか。騒音からも解放されないではないか。 シクシク泣きながら、数時間爆音に耐えたが、我慢の限界が訪れた。管理会社はもうとっくに営業を終了している時間だった。 警察に電話しよう。生まれて初めて警察に通報した。 「事件ですか? 事故ですか?」 事故では絶対にないが、これは事件なのか……? 「じ、事件です」 そう告げると内容を聞いてくれた。時刻は午前5時。 電話を切ってから10分程度で駆けつけてくれた。音はピタッと鳴り止んだ。警察の方々には心から感謝した。 しかし、騒音は音楽だけではなかった。洗濯機の音だ。そのマンションは洗濯機置き場が玄関前にあったので、お隣さんの洗濯機の音が家の中まで鳴り響く。お隣さんの洗濯機は明らかに普通じゃなかった。一番音がひどいのは脱水のときだ。洗濯機自体が暴れてどんどん前に進むのだ。よく壊れずに使えているなと感心すら覚えるほどだ。 だが、音楽の騒音とは違って生活音に文句をつけるのは違うと思った。お互い様な部分もある。黙って暴れる洗濯機を見守ることにした。 慣れというものは怖い。数週間目の当たりにしていると、あまり気にならなくなってくる。 私が入居してから2カ月も経たずしてお隣さんは引っ越した。そこからは静かな暮らしが続いた。 入居当初は辟易していたはずの暴れ洗濯機がいなくなっていて、少し寂しいかもとすら思った。私は環境の変化に弱いけど、適応するのは早いのだなということに気がついた。 引っ越して最初の夜はいつも心細くて不安になって、前の家が恋しくなる。だがその家を出たら、またその家が前の家になるのだ。 板橋のその家も、今では私の大切な家の記憶になっている。コロナ禍をともにした家。緊急事態宣言が発出され、丸1カ月こもった家。当時の相方たちがネタ合わせに訪れた家。温かい記憶。 東京に出てきてからの6年間。 7度の引っ越しをした。 あと何度こんな気持ちになる夜を過ごすのだろう。 文・写真=まるいるい 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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俳優・東出昌大が導く「生きている意味」
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「あいつ、鉄砲の免許持ってて狩猟してるんだよ」 サバイバル登山家・服部文祥の言葉からすべては始まった。 『WILL』は映像作家・エリザベス宮地によるドキュメンタリー映画で、俳優・東出昌大の狩猟生活を追った作品だ。 東出昌大は映画『桐島、部活やめるってよ』(2012年)での俳優デビューから数々の映画やドラマに出演するなど人気の俳優だ。個人的な話になるが、私は東出が将棋棋士・羽生善治を演じた映画『聖の青春』(2016年)をきっかけに、最近では『Winny』(2023年)や『福田村事件』(2023年)などの東出の出演作を観ては彼の魅力に感嘆するいち映画ファン、東出ファンである。彼は世間的に見ると常軌を逸したような、独特な人間を演じるのがうまい。 しかし一般的にはやはり東出といえば、2020年の離婚騒動をはじめとしたスキャンダルのイメージが強いだろう。その後、「山ごもり」が報道され賛否両論となっていたころ、東出は2023年11月放送のABEMAのバラエティ番組『チャンスの時間』に出演した。映画に出演している姿以外ほとんど彼について知らなかった私は、そのあきらめきったような厭世的な様子に少しだけ衝撃を受けた。騒動の印象と端正な顔立ちから、いわゆるチャラい、器用なタイプかと想像していたが、なんとも生きづらそうな人だ、と思った。 俳優・東出昌大はなぜ狩りをするのか。 「カメラ回してもらっても、たぶん僕500時間ぐらい一緒にいないとわからないから」 「カメラ前で主張したいこととかもないし……」 実は本企画は、一度頓挫している。事務所の許可が降りなかったのだ。しかしその半年後、宮地のもとに東出から連絡が届く。2021年10月、再びのスキャンダルにより事務所を離れることになったという。事務所NGがなくなったことで本企画は再び動き出し、宮地は狩りをする東出にカメラを向けることになる。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 東出は狩猟について「悪」であると語る。 「混沌とすることが、常にまとわりついていて、でも、近くに命があるから……考え続けるし……」 なぜ自身が「悪」と定義する狩猟を、つらい思いを抱えながらも続けるのかと尋ねられた東出はたどたどしく答え、頭を抱える。東出は何に葛藤し、何に悩んでいるのか。きっと自分でもわかっていないのだろう。わからないから狩猟をしているのだろう。東出にとって狩猟は、自身(人間)の根源的な罪を心に刻む、ゆるやかな自傷行為なのかもしれない。 「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯食って感謝もしないよか、呪われてるっていう実感持ちながら、そこに張り合い持ってアレの分も……って思ってもらったほうが……とかなんのかな。わからん」 東出から紡ぎ出される言葉はいつも正直で真摯だ。 私は大阪府貝塚市の精肉店を迫ったドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』(2013年)を見たことをきっかけに、狩猟や屠殺(とさつ)について興味を持ち、関連のドキュメンタリー映画や書籍を読み漁っていたことがある。そうしていわゆる「食育」について学んでいると、「命をいただいている自覚を持って感謝して生きる」といった結論にたどり着くことが多い。それはもちろん間違いではないし、人間として生きていく以上そうして合理化するしかない。だが、屠殺の職に就いているわけでもない「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯を食っている」自分にとってその結論は本当に実感を持った正しいものなのだろうかと思う。 もっとわかりやすくいうと、ものすごく耳障りがいい「命への感謝」という概念に違和感があった(これは私が普段食に対して命を実感する生活をしていないことに起因しているため、その結論を出している人たちを批判するものではない)。 東出は自身の銃で鹿を仕留めたとき、ひと言「うぃ〜」と言った。ドキュメンタリーのカメラが回っているにもかかわらず、俳優という世間からわざわざボロを探して叩かれるような人生を送っているにもかかわらず、だ。東出はこのことを振り返って、なんて軽薄なんだと思ったけど、すごくうれしかったから、と語る。こういう素直さは東出の魅力のひとつだ。 作中全編を通して感じることだが、改めて、東出は人間離れした男前である。189cmの長身に、考えられないくらい小さな頭。目鼻立ちもハッキリしており、端正。誰がどう見ても男前なのだ……一般人として生きていけないくらいに。猟友会の中にいる東出は正直、イケメンすぎて浮いている。作中でも狩猟仲間から親戚を紹介され「芸能人」として求められることに苦悩するシーンが映されている。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS スキャンダルや本作中での言動を考えると、東出は本来「芸能人」に向いている性質ではないのだろうと思う。実際、最初はバイト感覚でモデルの仕事をしていたという。だが東出の生まれ持った圧倒的なオーラは、彼が一般人になることを許さない。そして、そのことに葛藤し、もがき苦しんだ東出はよりいっそう俳優として唯一無二な魅力的な存在になっていく。俳優という職業は人生経験が糧になる。彼にしか演じられない役柄が存在する限り、東出は映画界から求められ続けるだろう。 東出は『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』(2023年/ABEMA)の仕掛け人である高橋弘樹プロデューサーとの対談で、俳優の仕事について次のように語る。 「僕の場合は(高橋さんと違って)人が用意した台本でやる。たしかにそれはあるんですけど、“僕の35年の人生があって台本をどう読むか”だから。そこに僕のオリジナリティがまた生まれるんです」 「でも役者の仕事はめちゃくちゃ疲弊するんです。磨耗する、削られる。ちょっと休むとまた欲が出るんです。(中略)また身を粉にするように削られるようにやりながら挑戦したいという欲が生まれる」 2022年、東出が出演する映画作品『福田村事件』の撮影が始まる。監督は、『A』(1998年)、『A2』(2001年)、『FAKE』(2016年)など数々のドキュメンタリー作品でも有名な、森達也だ。東出はオファーを受ける前から森の作品のファンだったという。正義や悪や人間は簡単なものじゃない、虐待事件を起こした側にも家族があり愛がある──そういった森の作品に共感し出演を決めたという。私自身も森の作品には感銘を受け、トークショーにも足を運ぶようなドキュメンタリーファンのひとりだ。東出のこの感覚には非常に共感する。 私は普段はマンガの仕事をしているが、時々、自分には作品を発表する素質がないような気がして何も書けなくなってしまうことがある。なにも自分や自分の作り出したキャラクターの価値観が絶対的に正しいだなんて思っていない。何が正しいことなのかを悩みながら、悩んでいるからこそ生きているし、物を作っている。しかし世間が見るのは「完成品」であり「商品」である。当たり前に自分が作ったものが倫理的に正しくないと指摘されることがある。私の作品を見ることで不快になった(=不幸になった)と言われることがある。これ自体は物を作って発表している以上、仕方のないことだ。折り合いをつけていくしかない。 ただ、私はそういう正しくなさも含めて人間(キャラクター)であり、愛らしさであり、それが滲み出ているものが、それを丸ごと抱きしめてあげたくなるようなものが愛しい作品であると思っている。自分はそういった「抱きしめてあげたいような気持ち」に出会うために生きているような気がする。 調子がいいときはそう思えているのだが、物作りをしているとどうしようもない不安に駆られる瞬間がある。自分の考える「愛らしさ」は世間にとって害であり、自分が物を作り自分の価値観を訴えることは多くの人を不快にする行為なのではないか。そうやって価値観を開示したときに人を幸せにできるか否かこそが物作りをすることに必要な素質の有無なのではないか。正直に自分を開示することは世間から愛されるコツだが、開示して出てくるものが世間とズレていたらもうどうしようもないのではないか。 東出は私にとって非常に「愛らしい」存在だ。 東出はきっと、本当に「こういう人」で、それを我々にある程度素直に開示してくれている。何度世間を賑わせて、叩かれて、殺害予告が届いても。 彼の過去のスキャンダルが倫理的に正しかったかというと、うなずくことはもちろんできない。内容はまったく違うが、個人的には本作を観たときの感覚は圡方宏史監督の『ホームレス理事長』(2014年)を観たときに近い。罪は罪だし行為に対して正しいとも思わないけれど、人間が真摯に生きる姿は惹かれるものがある。そして、「自分はやっぱり人間という生き物が好きだな」と思う。 東出は語る。 「──仕事だったり狩猟だったり、人との出会いだったりっていうのを本気でやってると、何か生きててよかったって僕自身思う瞬間もあれば、生きててよかったって(あなたの)おかげで思いましたって言ってくれる人の言葉があったり、生きててよかったとか、どうしようもなく愛おしいっていう気持ちなんだ、とか。それは物に対しても人に対しても作品に対しても。そういうときに、なんか、生きている意味ってあるんだろうな」 さまざまなスキャンダルやバッシングを受け続けた東出の口から、たどたどしい言葉で紡がれる「生きている意味」は必見だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 出演:東出昌大 音楽・出演:MOROHA 監督・撮影・編集:エリザベス宮地 プロデューサー:高根順次 製作・配給・宣伝:SPACE SHOWER FILMS
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ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
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バカにされても突き進む、カッコいい男の“生き様”を描く──湊寛『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 “新根室プロレスは競技を見せているのではなく生き様を見せている” 『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』は、北海道文化放送によって制作されたドキュメンタリー映画で、北海道根室市で活動する「新根室プロレス」を追った作品だ。 新根室プロレスは、おもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に地元のプロレス愛好家たちが集まって2006年に旗揚げされたアマチュアプロレス団体だ。所属メンバーは地元の会社員、漁師、酪農家、派遣社員など日々を生きる社会人ばかり。 創設者であるサムソン宮本は「無理しない ケガしない 明日も仕事!」を、モットーに掲げている。 本映画では新根室プロレスの活動の軌跡と、創設者であるサムソン宮本が平滑筋肉腫(※癌の一種)と診断され、55歳の若さでこの世を去るまでの生き様を主軸として描いている。 プロレスといわれて世の中の人は何を思い浮かべるのだろうか。私は恥ずかしながらプロレスという文化に疎く、バラエティ番組で目にしたことがある毒霧やパイプ椅子の映像から「なんかよくわからないけど痛そうだから見たくない」とさえ思っていた。しかし安心してほしい。新根室プロレスは“エンタテインメント全振り”だ。サムソン宮本が「老若男女誰でも楽しめるプロレスを目指す」と発言しているように、新根室プロレスは思わず笑顔になってしまうようなおもしろさを売りにしている。 所属するメンバーも、レジェンドプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアント」にちなんだ、身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」、同じくレジェンドプロレスラーの「ハルク・ホーガン」にちなんだ豊満な体型の「ハルク豊満」など、くすりと笑えるものばかり。 サムソン宮本は、ロープ渡りを失敗してお股にロープが直撃……なんていう、コミカルな動きで観客を笑わせる。必殺技も“相手の頭をパンツの中に突っ込む”とか“カンチョー”とか、とても上品とはいえないものばかり。サムソン宮本の娘も「(最初は)恥ずかしかった」と語っている。 そんな新根室プロレスのメンバーたちには、ある共通点がある。 それは“学生時代イケてなかった”ことだ。たしかに作中に登場するメンバーは優しそうな、悪くいうと気弱そうな、一見格闘技などしなそうに見える面々だ。最年少であるTOMOYAの異名も「メガネのプリンス」、「ラブライバー」(※メディアミックス作品『ラブライブ!』ファンの総称)といったとおり。 所属メンバーにとって新根室プロレスがどういう存在であったのかは、映画パンフレットに記載されている新根室プロレス選手名鑑を見ると、ひと目で理解できる。職業や得意技と合わせて、「新根室プロレスとは?」という項目があるのだ。 「家族」「恩人」「居場所」「遅れてきた青春」。「自立支援団体」や「精神安定剤」と回答しているメンバーもいる。 サムソン宮本の弟である「オッサンタイガー」は次のように語る。 「ズレている人ばっかでしたね。マトモな人は入れないです。(中略)いかにイケてないかとか、ダサいとか、ちょっと社会に適合していないとかが基準なんですよね。そういう人たちに惹かれるんですよ、サムソンは」(※「新根室プロレス映画化記念メンバー座談会」より引用) かくいう私も、いわゆる“イケてない”、“ダサい”、“社会に適合していない”と言われるような人たちに惹かれる性分だ。自分自身がそうだから、というのももちろんあるし、そういう人たちにスポットライトが当たりづらい世間の風潮に対する反骨精神もある。これは私が今、漫画家として仕事をしている理念の部分になっているし、きっとドキュメンタリー映画が好きな人にはそういう性分の人間が多いのではないだろうか。普段スポットライトが当たりづらい人たちにカメラを向け、誤解されやすい、理解されづらい彼らの生き様をまざまざと描く。これは私がドキュメンタリーというものに感じているよさの、最も大きい部分と言っても過言ではない。 普段はイケてない人たちが仮面を被って別の名前を名乗ることで「カッコよく」変身するというのもよい。冴えないオタクがヒーローに変身して活躍するのは、マンガやアニメの王道だ。 まあ、つまり、ひと言で言うと私は『新根室プロレス』のような物語が好きでたまらないのだ。 映画としての編集もニクい。本作では「サムソン宮本として死にたい」という本人の発言を尊重し、最後までサムソン宮本の素顔を映さないように編集している。若いころの写真にも闘病中の家族との写真にも、たとえ家族の素顔が映っている場面でも、サムソン宮本に対しては徹底してマスクを合成する編集がされている。制作陣のサムソン宮本への多大なリスペクトが感じられる。 2019年9月。根室・三吉神社のお祭り興行でサムソン宮本から衝撃の告白が飛び出す。「難病・平滑筋肉腫と診断され……新根室プロレスを解散します」 平滑筋肉腫は10万人に3人の難病で、治療法も確立されていないという。 2019年10月。東京・新木場1stRINGにて、新根室プロレス最初で最後の興行が開かれた。1stRINGはインディ興行の聖地ともいわれる場所。約300人のファンが詰めかけ、会場は超満員となった。 次々とメンバーたちの試合が進み、第二部。場内スクリーンには「生か死か サムソン宮本13番勝負」の文字、サムソン宮本が新根室の面々と13番勝負をするという企画だ。本映画の編集マン・堀威の取材日記によると、大会当日のサムソンは「本当につらそう」だったという。また、13番勝負12戦目のセクシーエンジェル・ねね様戦でサムソン宮本が助骨を骨折していたということも明かしている。身体がボロボロになりながらも「プロレスラー・サムソン宮本」として戦う姿に、私は涙が止まらなかった。サムソン宮本は必ずまた新木場のリングに戻ってくると宣言するが、翌年9月、55歳の若さでこの世を去ってしまう。 制作した北海道文化放送の吉岡史幸プロデューサーは北海道新聞の取材に対し「(サムソン宮本は)自分の死すらもエンタテインメントにするほど徹底したプロデューサー」であると語った。 サムソン宮本は、うつ病や仕事の悩みを抱えるメンバーたちの悩み事を魅力にして人気者にし、観客たちを楽しませたように、自らの病気や死も観客を楽しませるためのネタにする男なのだ。 「新根室プロレスにおいて重要なのは、強さ、うまさではなく、観ている人の感情を揺さぶれるかどうか。それが本当の勝者」 新根室プロレス結成当時のサムソン宮本の言葉だ。 この映画はドキュメンタリーとしてはもちろん、題名どおり物語として非常によくできている。 というのも、プロレス自体、競技とエンタテインメントの両方の特性を併せ持つものであるし、登場人物たちもまた本人と、それとは別にプロレスラーとしてのキャラクターも持っている。自分の人生さえもさらけ出して「サムソン宮本として死にたい」とまで言っていた彼を追った映画なのだから、“物語”になるのは必然なのかもしれない。 本映画の後半では、残されたメンバーたちで新根室プロレスを再結成し、復活させる様子が描かれている。 先頭に立ったのは、小学3年生のときに新根室プロレスに魅了され、一度は入門を断られながらもメンバーとなった最年少のTOMOYAだ。サムソン宮本を敬愛していたメンバーの中には、TOMOYAだけで大丈夫なのだろうかと心配するメンバーもいたが、支え合いながら復活に向けて動いていく。 みんなの大黒柱だったサムソン宮本が亡くなって解散してしまった新根室プロレスが、メンバーの中でいわば末っ子であるTOMOYAの強い気持ちで再び集まっていく様子は、胸が熱くなるものがある。 「人生一度きり。やりたいことをやれ。カッコ悪くてもいい。バカにされてもいい。いつかわかってくれる。Don’t give up! Do your best!」 サムソン宮本の最後の言葉だ。 上映が終わったあと、映画館には涙を啜る音が響いていた。少なくとも映画を観た人たちの中に、サムソン宮本をカッコ悪いだとかダサいとかいう人間はいないだろう。 これは、北海道根室市に新しい文化を作ったカッコいい男の物語だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)連載中。さらに、2024年3月、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて読切『下北哀歌。』を掲載。 配給:太秦 (C)北海道文化放送
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「涙袋メイク沼」で10年以上かけてたどり着いた“最強のコスメ”|「林美桜のK-POP沼ガール」第19回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 私に欠かせないもの それは「涙袋」。 前髪がうまくセットできないと一日テンションが上がらない方、まつ毛の上向き具合に気分を左右されちゃう方、いろいろいらっしゃると思うのですが 私の場合はここ10年以上、やる気・元気、全部が「涙袋の出来具合」にかかっていると言っても過言ではありません。 涙袋メイクデビューを果たした高校時代 K-POPと出会ったのは高校時代。 ただ、校則が厳しかったのでK-POPメイクを実践することが難しく 時は過ぎ、大学生で満を持して涙袋メイクデビュー。 当時、KARA、少女時代、IU、f(x)などのMVを、延々とリピートしながら いったい何をしたら、私はK-POPアーティストに……? Twitterで彼女たちの画像を拾い集めては、拡大し、拡大しては分析し K-POPアーティストに少しでも近づくためには、「涙袋」の存在も重要なのだと気づかされたわけです。 そこから、私と涙袋メイクとの付き合いが始まりました。 少女時代・ユナのホワイトゴールド涙袋メイク 私の涙袋メイクに影響を与えたアーティスト:その1 少女時代・ユナ 大学時代半ばくらいまで、特に参考にしていたのは少女時代のユナさんのメイク。 そのころのK-POPアーティストの涙袋は、色はゴールドでラメも大きめ。 ステージライトが当たると、ラメがホワイトゴールドに輝くような……そんな涙袋が特徴だったと思います。 当時は今のようにメイク動画なども少なく、Twitterにアーティスト使用コスメの詳細があふれていたわけでもないので、自力で似たものをデパートの端から端まで探し、テスターを試しまくって、私の感性に訴えかけてきたゴールドは、RMKのシングルアイシャドウ、インジーニアス パウダーアイズ(シャイニー シルバーゴールド/現在は廃盤)。 メイクに慣れていなくて毎日塗りたくっていましたが、まつ毛にラメがひと粒でもついたまま太陽のもとに出ると、見える世界が一瞬で輝き出すような、そんな強力に光瞬くアイシャドウ、そして涙袋でした。 MissA・スジの「Only You」メタリック涙袋メイク 私の涙袋メイクに影響を与えたアーティスト:その2 Miss A・スジ 大学時代半ばから新社会人のころは、Miss Aのスジさんの涙袋を意識していました。 スジさんのことは、ドラマ『ドリームハイ』を観てからずっとファンなのですが、特に衝撃的だったのが2015年に配信された「Only You」MVのビジュアル。 スジさんは今まで、ここまで目の下を強調したメイクをされていたことがなかったので、新しいスタイルが私の目に飛び込み、そのまま勢いよく感性に刺さりました。 うろ覚えですが、スジさんのメイク動画をスクショしてズームして特定した使用コスメが、おそらくMAKE UP FOR EVERのアクアマティック アイシャドウ(メタリックピンキーベージュ/現在は廃盤)。特に気に入って、使っていました。 ギシッとラメが詰まったメタリックに輝くアイシャドウで、涙袋が浮き出るんです! ピンクという膨張色により100%……いや、160%のぷっくり感、うるっと感を演出できる!! TWICE担当メイク ウォン・ジョンヨによる「涙袋メイク革命」 私の涙袋メイクに影響を与えたアーティスト:その3 TWICE アナウンサーになって2〜3年目からは、TWICEさんのメイクを参考にしていました。TWICEさんは涙袋メイクに革命を起こしたアーティストだと思います。 メンバーのメイクを担当されているウォン・ジョンヨ(*1)さんが、世界中のメイク好きから支持を集めている理由がわかります。アーティストのメイク動画が流行り出したきっかけもTWICEさんではないかと……! 涙袋がとにかく強調されているのに、わざとらしく見えないテクニック。何度も何度も動画を観て学びました。 涙袋の影を描く、涙袋の下地にコンシーラーを塗る、ベージュ系やコーラル系のアイシャドウを何色も重ねる。特にこの工程が新しかった。 全部マネしたくて、動画に出てきたコスメは買い漁りましたが、鍵になるアイシャドウは海外でしか買えないものだったりして悔しい思いもしたなぁ……。 ただ、このころの私は仕事に慣れず精神的にブレブレだったので、使っていたコスメもブレブレで、毎日涙袋が違いました。 韓国にあるTWICEの通うメイクショップ「Bit&Boot」でメイクをしてもらったとき。プロがするとやっぱり違う!! 涙袋が1.3倍ぷっくり! 最近のお気に入りコスメ そして! 今までK-POPアーティストの涙袋を研究して取り入れてきましたが、最近のお気に入りはこれ。 どのポーチにも入れています too cool for schoolのフロッタージュペンシル。 最近、Xでもバズっているのでご存じの方も多いかもしれません。 昨年、韓国でプロのメイクアップアーティストの方に教えてもらってから使っています 一撃で涙袋が爆誕します。 いろいろアイテムを使ってきましたが 私はよく面倒を見てあげないと、コンシーラーがシワに溜まりやすかったり、ジェルペンシルではムラになってしまったりするので、 粉末状の細かいラメが詰まった柔らかい色鉛筆のようで、すっと描けるこのアイテムがベストでした。 ベージュとピンクのいいとこ取りで、 派手になりすぎずに、もともとの涙袋を1.3倍くらい自然にぷっくりさせられる感じ。 もし涙袋メイクに行き詰まっている方がいたら、ぜひおすすめです。 涙袋には“希望”が詰まってる 涙袋があるかないかでだいぶ変わるなと、毎日自分のオンエアを観ながら思います。 涙袋のおかげで顔の重心が下がって幼い印象になり、中顔面の短縮にもなることで、顔も小さく見える。 たった数ミリ! されど数ミリ!! 時には、心ない人に「涙袋変だよ」とか言われたこともありましたが(年を取るにつれて自分にとってマイナスなことを言う人とは距離を置いているので、今はそんなにいない) 毎日メイクしていたら、塗りすぎたり塗らなすぎたり、ムラはあるし! 研究段階なメイクで外に出ているときもある。 奥深い涙袋メイク沼。今まで投資したコスメ費用を考えたくもないですが、すでに10年以上は浸かっている沼。これからも浸かり続けるでしょう。 ぷっくりな日はハッピー満タン。 涙袋には、その日の希望が詰まってる。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/ウォン・ジョンヨ 韓国の人気メイクアップアーティスト。彼女が監修するコスメブランド「Wonjungyo」(ウォンジョンヨ)は日本でも大人気です! 文=林 美桜 編集=高橋千里
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人気芸人4組がアイドル練習生に!? 春とヒコーキ・ひつじねいり・ママタルト・令和ロマンが目指す「東京ドームへの道」|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 今回は、いつもとは少し内容を変えて!! 私、『研修テレビ!!』という 春とヒコーキさん・ひつじねいりさん・ママタルトさん・令和ロマンさんの芸人4組と テレビ朝日の若手アナウンサーが「バラエティの研修」を行うという内容の深夜バラエティに参加していまして、 その番組の中で「芸人さんをK-POPアイドル風にしてデビューさせて東京ドームを目指す!」というシリーズ(コーナー?)のプロデューサーをしていました。 なんてわかりづらい説明なんだ……。 ですが、もうこれ以上の説明が思い浮かばないんです。 なので……こちらを観ていただくのが早いです。 【テラサ】 (1)研修テレビ『自分なりに分析してぶつけてみよう~後編~』 (2)研修テレビ『林美桜プロデュース目指せ!東京ドームへの道』 (3)研修テレビ『林先生の言うことを聞きなさい!』 (4)研修テレビ『東京ドームへの道 完結編』 ※テラサにご加入いただけますと、過去回も観られます ざっくりの内容なんですが、 私がK-POPアーティストのプロデューサーとして、芸人さんたちにK-POPといえば!な「エンディング妖精」を指導したり、ファンミの練習をしたり、漫才にかけ声を入れてみたり……本当にいろいろやりました。 アユクデ(*1)を意識した運動や、即席ボードに全力ファンサで応える練習も。 それらをすべて、芸人さんにやってもらってます(大声)。それも至って真剣に。 シリーズを通してK-POPアーティストのオーディション風にもしていて、 デビューを目指して、実力を見てデビュー組と練習組に振り分けたり、センターを決めたりもしています。 『研修テレビ!!』アイドル練習生8名を紹介! さあ、ここで、今回「研修テレビ!!デビューオーディション」に参加していたメンバーを紹介したいと思います。 ※以下、コンビ名あいうえお順 ・ぐんぴぃさん(春とヒコーキ):ぐんぴぃ 奥ゆかしい性格で、初めはプロデューサーの目に1ミリも止まらなかったり、MCとしてオーディションに参加した新人アナウンサー荒井理咲子に心を奪われてしまったり、喘息で歌えなくなったり……。さまざまなアクシデントがあったが、すべて乗り越え、著しい成長を見せたメンバー。 アイドルはパフォーマンスだけじゃない! 人間とは何か、視聴者に考えさせた今回のオーディションの主人公である。また、毎晩書く日記が素晴らしかった。多くの人の心を動かす言葉の数々。デビュー前にもかかわらず「ぐんぴぃの金言日めくりカレンダー」の販売が決まった。 ・土岡哲朗さん(春とヒコーキ):つちぴぃ オーディション参加前からラップがうますぎると話題だった練習生。独特な感性から生み出される唯一無二のラップでチームのレベルを底上げした。天才に魅了された大御所芸能人のファンが続出。 また、宿舎での自由時間が放送のたびに話題になった。自分の部屋をよくわからない何かでユニークに飾りつけ、大きな奇声でストレスを発散していた。アイドルに今まで興味のなかった、考察好きや私物特定好きの人をファンにつけ、票を伸ばした。デビュー曲の作詞を担当する。 ・細田祥平さん(ひつじねいり):ほそぴょん 際立つビジュアルで登場し、他メンを圧倒した。しかし、歌もダンスも未経験なことが足を引っ張り、他メンに差をつけられ、スタジオの隅っこで体育座りをしていたり、ただぼうっと佇んでいたり……そのような姿でも視聴者を惹きつける力があったメンバー。そんなほそぴょんをファンたちは「尊い」と呼んだ。 最終ミッションではカメラを見つけることが自分の特技だと気がつき、どの瞬間も必要以上のカメラ目線でパフォーマンスすることで大逆転、デビュー組に入った。 ・松村祥維さん(ひつじねいり):まっちゃん ムードメーカー的存在。しっかり者で、起床時間になるととても大きな声で全メンバーを起こしに行き、スタジオに着いたらとびっきりの関西弁で点呼をする。ファンからは「まっちゃんことオモニ(*2)」というあだ名で愛された。 特にパフォーマンス以外のブレイクタイムで輝きを見せ、女装コンテストやパン食い競争でグランプリに輝いた。出番が少ない回は、「やっぱりまっちゃんがいないと締まらないわ……」となり、視聴数がガクっと下がった。数字を持つ男。 ・大鶴肥満さん(ママタルト):ひまちゃむ どこにいても隠れない圧倒的な存在感。よく食べる愛らしい姿が、特に同世代ファンやお子様の心をつかんだ。ひまちゃむが食べたスナック菓子はコンビニから姿を消すほどの人気となり、オーディション期間中に大ブームを巻き起こした。 洞察力が鋭く、ひまちゃむがメンバーのパート分けを担当すると必ず成功する。プロデューサーにはとても小さな声で、あまりにも芯を突きすぎている反抗的な発言をすることが多々あったが、そのワイルドな姿に惚れた視聴者も多かった。 ・檜原洋平さん(ママタルト):ひわちゃむ とにかくプロデューサーに気に入られた伝説の優等生。偉い人の言うことの核を瞬時に理解し、実践できる。深夜までスタジオに残って練習したり、泣いちゃった練習生に寄り添ったり、鍵になるシーンにはなぜか必ずいる。宿舎に隠されたカメラ一つひとつに漏れなくファンサするあざとさに視聴者は虜になった。 1位を死守し続けた、アイドルになるべくして「成った」アイドル。グループ紹介を任せると他メンを置いてけぼりにすること、パフォーマンスに古典舞踊みが強く出すぎることがあり、その点は課題。 ・髙比良くるまさん(令和ロマン):くるまチャム 登場の瞬間から視聴者がデビューを確信したスター練習生。運営側もイチオシで、パフォーマンスや発言の際にはいちいちキラキラ加工が入る。ミッションでは毎回リーダーやキリングパートを任され、休み時間には練習についてこられない他メンの指導までする優等生。どんなコンセプトも難なく消化し、ファンを魅了することができる。頼れる愛されマンネ(*3)。 ただ、期待の重圧に耐えきれず、収録中にスタジオを飛び出してホワイトボードが真っ黒になるくらい極限まで悩みを書き出したこともあった。 ・松井ケムリさん(令和ロマン):ケムどん ドラマチックな美しい顔をお持ちのケムどんの右に出る者はいない。ロックやセクシーコンセプトで魅力を遺憾なく発揮した。素直な性格で特に年上の方からの人気が高く、「国民の息子」というあだ名まで獲得し、デビュー組上位圏までのぼり詰めた。 ファンの間ではバラをくわえさせたり、ワイングラスを持たせるなどの加工を施した画像を拡散するのがブームに。とてもまじめで、ワイプでも気を抜かずアイドルとしてキュートに爪あとを残す姿勢も評価された。 と、ここまで書いてびっくりしたんですが、 メンバー紹介が、放送内容とほぼ関係なくなっちゃいました。これ、本当です。妄想がふくらんじゃって。放送内容と混じり混じり。 怖い!! 私ってこういうところあるんですよね。 オーディション番組に臨むアイドル練習生だったらこんな感じかしら。と、勝手に長々と「妄言」を書いちゃってました。オーディション番組好きの方には「あるある〜」と思っていただける……かも? ファンの皆様、これは違うぞ!このメンバーはこうだと思う!など、どしどし返信で教えてくださいませ。 改めて、本物をぜひご覧ください↓ 【テラサ】https://www.telasa.jp/videos/221350 「KT-TM」東京ドームを目指してデビュー決定! ようやくデビューが決まった、 K 研修 T テレビ T 東京ドーム M 美桜 ぎゅっとして 「KT-TM(ケイチーム)」。 真ん中の線は、メンバーと東京ドームをつなぐヒモ。 みなさんどうか、このヒモをつかんで離さないでくださいね!! 東京ドームがそこにある限り道は続きます。 東京ドームが逃げない限り。 井口(浩之)さん(ウエストランド)がその道を遮るなら戦いましょう。 https://x.com/kenshutv5ch/status/1836831122422198421?s=46&t=wKbIHEhNnaB1hY5sTdeASA いろいろありましたが、これが決定したデビューフォーメーションです テレビ朝日で仕事できてよかった! 最後に、 「東京ドームへの道」は、K-POPコンサートや韓国の俳優さんのファンミに行かれたことがある方にとっては多少わかりやすい内容だと思うのですが、 芸人さんをはじめ、芸人さんファンの方にとっては見慣れない光景で、驚かせてしまったかもしれません。 そんな状況の中、文句ひとつ言わず私のやりたいことを最大限叶えてくれたスタッフのみなさん、想像の何万倍も楽しくしてくださった心温かい芸人さんたちには、もう頭が上がりません。 放送されていない収録現場は、私の言いたいことがしっちゃかめっちゃかで、「激ヤバ」だったんです。本当にたくさん助けていただきました。 感謝の気持ちでいっぱいです。 入社8年目、仕事にこんなにワクワクできて、夢のような時間が過ごせて、テレビ朝日で仕事できてよかった。幸せだ!ラッキー!!と、心からそう思えました。 そして、いつも東京ドームへの道の放送後、SNSは温かいコメントにあふれていて……読んでは癒やされ、心が弱ったときには力をもらっています。 本当にありがとうございました。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/アユクデ 韓国語で「アイドルスター陸上選手権大会」、いわゆる「アイドル運動会」のこと。韓国MBCで人気バラエティ番組として放送されていました。 *2/オモニ 韓国語で「お母さん」を意味する言葉。 *3/マンネ 韓国語で「末っ子」を意味する言葉。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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最新のおすすめK-POPドキュメンタリー|「林美桜のK-POP沼ガール」第18回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 今年の夏はひどく暑い。 何をやろうにも、まず自分が疲れないように気遣う気持ちが先に立ってしまい、全力でがんばれない感じ。 そうなってしまうのはしょうがないかもしれないけど……。 そんな私に最近深く刺さったのが、ふたつのK-POPドキュメンタリー! 『n.SSign THE MOVIE』と『LE SSERAFIM - Make It Look Easy』。 どちらのドキュメンタリーもアーティストの素の姿、考えに触れることができます。 輝かしいステージの裏でアーティストたちはこんなに努力しているのか……と もうこんなにがんばっているのに、まだまだがんばりたいという姿勢に 自然と涙が流れました。 どんな内容だったのか本当にざっくりご紹介させていただくと、 初心を思い出す『n.SSign THE MOVIE』 韓国のボーイズグループn.SSignの、日本デビューまでの軌跡が映し出されたドキュメンタリー映画。 日本デビューを間近に控え、東京・有明アリーナで行われた単独公演『BIRTH OF COSMO』で、初めてステージ上からファンを見たメンバーの表情にはグッと……。 COSMO(n.SSignのファンネーム)への大きな感謝と未来への想いが語られていて、初心が思い起こされます。 メンバーの優しい人柄がまっすぐ伝わってきて、率直な思いやさまざまな感情を、見ているこちら側も自分事のように感じられる映画でした。 壮絶な裏側に心を打たれる『LE SSERAFIM - Make It Look Easy』 韓国のガールズグループLE SSERAFIMの、過去1年間の活動の裏側が映し出されたドキュメンタリー映像。 華やかで完璧な姿を見せ続ける、その裏側は壮絶で……内面の葛藤から出てくる不安や悩みの言葉が深く、ずしんと考えさせられました。 つらいときでも、メンバーと顔を合わせるだけで幸せを生み出せているのも印象的でした。 高みを目指し続ける姿勢にも、学ぶところがたくさんあります。 「裏の努力」に思いを馳せたい いろいろ感じるところがありましたが、 みんなが一度は夢見る大舞台の上、 目の前にいる人みんなが自分のパフォーマンス・存在に心から喜んでくれているという高揚感のなか、 まだ努力が足りていないんじゃないか、もっとできたのではないかという不安な気持ちを併せ持っているって、改めてすごいなと。 何度も自分だったらと想像してみましたが……私は一生かけても知り得ない感情だと思い知りました。 そしてドキュメンタリーを観たあとにふと思い出した感覚なんですが…… 私は素晴らしいものを観たとき、心から感動します。 ただ、そのときの私は、目に映るものだけへの感動に留まっているかもしれないな とボーっと考えてしまいました。 その奥を知るための努力を怠ってしまっているのではないか……。 完璧なものであればあるほど、努力の積み重ねが見えづらい。隙がないゆえに。 でもそれを作り上げるためには想像を絶する血のにじむような努力や苦労があって、 このときに存在してくれているということを忘れちゃいけないですね。 もっと背景を知ろうとする努力、思いを馳せることを怠ってはいけないと強く思いました。 その過程にもしっかりと目を向けられる人って 一生懸命努力している人、人の心の痛みがわかる温かい人な気がします。 私もそうありたい。 晴れやかな気持ちでコンサートに行きたい! いつも大好きなK-POPアーティストのパフォーマンスに生きる力をもらい、疲れた心を癒やしてもらってばかりですが、 仕事でもなんでも、自信を持ってがんばったと言えるほど努力して、晴れやかな気持ちでコンサートやファンミに行きたくなりました。 微力でも、アーティストに感謝と、いいパワーを届けたい!! ペンライトだけに頼らず、自分自身が内側から発光して輝いて応援したい。 そう思ったらもう少し仕事をがんばれると思った今日このごろです。 まずは夏を乗り越えたい。 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯
先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯
これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
大好評企画が復活!AKB48 Team 8メンバーひとりずつの撮り下ろし連載
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(マイルチャンピオンシップ)
意外と大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(マイルチャンピオンシップ) 先週のエリザベス女王杯のコラムでは「このレースで外国人騎手の好走確率が高いのは有名ですね」と書いて、配信では「京都芝2200は欧州の騎手に合う」と言ったのですから、外国人騎手を本命にする目もあったのですが、スタニングローズかあ…。踏み込めなかったです。反省しつつ当コラムは粛々と11月17日(日)の京都11R・マイルチャンピオンシップを予想していきます。今回の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#186)では、雪平莉左さんをゲストに迎えて、マイルチャンピオンシップと、最近の京都芝は大型馬がいいことについて語っています。 ◎⑤ジュンブロッサム。 マイルチャンピオンシップは後半の末脚勝負になります。3コーナーで上り坂がありつつも、マイルのハイレベル戦はそこそこのペースになります。4コーナーから坂の下り。山おろしでの仕掛け合いで、エリザベス女王杯と同様に勝負ポイントが長め。よほどの持続力がないと前に行った馬は厳しく、差し追い込みが決まりやすいレイアウトです。ジュンブロッサムは上がり3Fの脚が現役でも上位に入る1頭。G1でチャンスがあるとすれば、適性的に安田記念よりこちらかと思います。もうちょっと馬体重があって坂の下りでつけた勢いを効率的に利用できれば、もっといいのですけどね。富士Sを勝ったばかりで鮮度も十分。今年の富士Sはレベルも高かったと思います。 ○④ナミュール。 先週エリザベス女王杯で妹のラヴェルが復活の2着。8枠でしたね。この牝系は外枠が得意。桜花賞を大外で勝ったキョウエイマーチの頃からです。ナミュールの昨年このレースVも大外。硬質な末脚の使い手で、もまれない方がいいタイプ。コースの切り替えはあまりうまくないので、一気に決められるかどうかがポイントです。もう少し外の枠がほしかったですね。内が前に行く馬、外は小柄な差し馬なので並びは悪くありませんが。 ▲⑰エルトンバローズ。 昨年、毎日王冠を制して3歳で勇躍挑んだマイルチャンピオンシップは4着。古馬牡馬に1キロもらって1着ナミュールと2着ソウルラッシュには0秒2離されましたから完敗でした。今年は毎日王冠3着。ただ、その毎日王冠は1着シックスペンス(マイルCS回避)、2着ホウオウビスケッツ(天皇賞・秋3着)なので、一定のレベルは保証されています。シックスペンスが万全で出てくれば人気を背負ったでしょうし。そして今年は昨年のこのレースと違って確たる逃げ馬が不在。昨年よりずっと先行馬に有利な流れになる公算が大です。もちろん外差し傾向の馬場、かつレースなので、楽ではありませんが、大型馬の惰性先行でなだれ込み…がちょっと想像できてしまったので。 馬券は3連単軸フォーメーション。 <1着>⑤→<2着>④⑰→<3着>②④⑦⑪⑬⑭⑰。 <1着>⑤→<2着>②⑦⑪⑬⑭→<3着>④⑰。 <1着>④⑰→<2着>⑤→<3着>②④⑦⑪⑬⑭⑰。 <1着>④⑰→<2着>②④⑦⑪⑬⑭⑰→<3着>⑤。計46点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(エリザベス女王杯)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(エリザベス女王杯) 筆者の住んでいる大阪はようやく涼しくなってきました。秋の京都は風情があるのですが、いい悪いとかそういう問題ではなくて観光客が多すぎてたいへんです。京都競馬場は洛中から遠いのでそこまでではありませんが。ともあれ11月10日(日)の京都11R・エリザベス女王杯を予想していきます。今回の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#185)では、雪平莉左さんをゲストに迎えて、エリザベス女王杯の予想と、外国人騎手についていろいろと。このレースで外国人騎手の好走確率が高いのは有名ですね。 ◎⑤モリアーナ。 本命はヤスナリ・イワタです。今年ワープスピードが2着に入ったオーストラリアの国民的レース・メルボルンCを同騎手はかつてデルタブルースと共に制しました。今でもあのレースの鞍上だったヤスナリ・イワタはメルボルンでの著名な日本人にランキングするとかしないとか。なお去年もコーヘー・マツヤマとか言って三谷さんに白い目で見られた気がします(松山弘平騎乗ルージュエヴァイユ、5番人気2着)。捏造された記憶かもしれませんが。さて、前走府中牝馬S8着後に岩田康は「マイルぐらいの距離がいいかもしれません」とコメントしていましたが、果たしてエリザベス女王杯へ。距離延びとるやんけ、と突っ込むところながら、個人的には延長ローテでコスモス賞、紫苑Sと2勝していることをポイントにあげたい。この馬は前走よりペースが楽になったり、道悪が良になったり、格下がりすると結果が出ています。なんというか、前走より何らかの形で楽に走れると力を発揮します。そういう馬なのです。 ○⑦レガレイラ。 3番人気あたりなら食指は動きますし、ブレイディヴェーグとチェルヴィニアがいればその人気になった可能性もありますが、今年未勝利の馬がG1で1番人気必至。かつ後方から運ばざるを得ないタイプとなると、踏み込みづらいですね。スケールの大きい走りで、能力的には上かと思いますが。◎○はいずれもハイクレア牝系。 ▲⑬サリエラ。 前走も案外なら調教もひと息。輸送も微妙なので消そうかとも思いましたが、先入観のないムーアの騎乗がプラスに出る可能性を拭いきれません。オッズもそれほどおいしくはないでしょうけども、ムーアの乗ったスノーフェアリーは圧巻の強さでした。なぜムーアが京都であれほどうまいのか分からないものの、世界一の騎手が乗るわけですからね。個人的な話ですが、筆者は今でも好きな馬を問われた時はスノーフェアリーとダイタクヤマトをあげています。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>⑤→<相手>①②⑦⑪⑫⑬⑰。計42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(アルゼンチン共和国杯)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(アルゼンチン共和国杯) 今秋のG1も面白いです。先週の天皇賞(秋)は、武豊ドウデュースのベストレースといっていい内容でした。馬券的には◎マテンロウスカイは5着でしたが、横山典もあれ以上は無理かというぐらいのラチ沿いぴったり。ほんのちょっと流れが違えば、通ったコース的には馬券になっても不思議はなかったかと思います。今週はJRA4重賞、米ブリーダーズカップ、佐賀でJBCと競馬ファンにはイベントいっぱい。ここでは11月3日(日)の東京11R・アルゼンチン共和国杯を予想します。今回の配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#184)では、成瀬琴さんをゲストに迎えています。もちろんスクリーンヒーローの話が出ました。ご尊父である鹿戸調教師のトレーナーとしての重賞初Vがアルゼンチン共和国杯です。 ◎⑭セレシオン。 前走の新潟記念では、正直なところシンリョクカはつかまえないといけなかったと思います。もちろん上がり3F32秒8は物理的にそれ以上を望むのは難しいわけですが、仕掛けてからの加速が根本的にタルいというか、そのあたりはハーツクライ産駒の特徴です。ただ、友道厩舎はシュヴァルグラン、ドウデュースとA級のハーツクライ産駒を育てていますし、マイラプソディの試行錯誤でいっそう産駒取り扱いの習熟度が上がったと思います。ここで結果が出ればG1戦線も視野に入ります。荻野極も気合の入るところでしょう。 ○⑯ショウナンバシット。 札幌芝2600メートルでオープンを連勝。神戸新聞杯で上がり3F33秒台を出した実績はあるのですが、あれは相当速い馬場でした。しぶとさを生かすタイプで、長丁場の常連になるタイプでしょう。そういうタイプはアル共、ステイヤーズ、ダイヤモンド、目黒記念で買っておくべきです。 ▲⑩マイネルウィルトス。 出たら面白いと思っていたワイドエンペラーが出走しなかったので、8歳ながら東京芝2500G2には一家言あるこの馬の印を引き上げました。今年の目黒記念は5着でしたが、流れが不向きでした。その着順と年齢で見切られるようなら馬券的な妙味も出てきます。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>⑭→<相手>①②④⑨⑩⑬⑯。計42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>
動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2024年8月28日(水)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画でレギュラー配信中、話芸の達人が集う「WAGEI」公開収録! 番組MCを務める浪曲師・玉川太福と、ワゲイストにはSF小説のネタを披露する落語家・立川わんだが登場! ゲストには、落語経験のある「今村美月」(元STU48)が登場!今回特別に高座で落語を披露します。 さらに「髙橋彩音」(AKB48)も緊急参戦!豪華出演者たちとの貴重なトークや、 サイン入りグッズが当たるプレゼント企画も用意しています! 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2024年8月28日(水)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川鈴(曲師)/立川わんだ(落語家)/今村美月/髙橋彩音(AKB48) ※さらに出演者が追加する場合も有ります。 応募詳細 追加応募期間:2024年8月16日(金)17:00~8月22日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 当選発表:当選した方のみ、8月23日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2024年8月28日(水)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福 玉川鈴(曲師)・立川わんだ・今村美月・髙橋彩音(AKB48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、8月23日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑