サボリスト〜あの人のサボり方〜
-
「心が動いた瞬間を見つめ、感じたものを大事にする」南沢奈央のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 俳優としてドラマや舞台で活躍しながら、読書や落語、登山などさまざま趣味を持ち、その愛を発信している南沢奈央さん。落語をテーマに初の著書を出版した南沢さんに、文章を書くことの醍醐味、落語の奥深さ、そして意外なサボり術などを聞いた。 南沢奈央 みなみさわ・なお 1990年生まれ、埼玉県出身。立教大学現代心理学部映像身体学科卒。2006年、ドラマ『恋する日曜日 ニュータイプ』(BS-i)で主演デビュー。書評や連載など執筆活動も精力的に行っている。大の落語好きとしても知られ、「南亭市にゃお」の高座名を持ち、初の単著『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)を刊行。近年の出演作品に、ドラマ『彼女たちの犯罪』(読売テレビ・日本テレビ)、映画『咲-Saki-阿知賀編episode of side-A』、舞台『セトウツミ』などがある。 目次感じたものを、そのままの熱量で伝えたい観るだけでなく、自らも高座に一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある以前は成長に捉われて、サボれなかった緑の世話と歯磨きが癒やしの時間落語を愛してやまない南沢奈央さんによるエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』 感じたものを、そのままの熱量で伝えたい ──南沢さんは落語好きとしてメディアにも出演されていますが、落語についてのエッセイが『今日も寄席に行きたくなって』として本になったことは、また特別な感慨があるのでしょうか。 南沢 読書がすごく好きで、文章を書くことも好きで、いつか自分の本を出してみたいなと思っていたので、ひとつ夢が叶った気持ちです。しかも、私が落語好きになったきっかけの小説『しゃべれども しゃべれども』(新潮社)の作者・佐藤多佳子さんに帯のコメントをいただけて、本から出会って本に戻ってきた感じもすごく感慨深いです。 ──初の単著というのは意外でした。今回も落語をテーマにしながら、ご自身が感じたものを描かれていますが、テーマに縛られないエッセイなども興味はありますか? 南沢 ありますね。お芝居は、台本で決められた人物を演じていく中で、自分をどう表現していくかだと思うんですけど、エッセイは自己表現に直結するものなので、書いていると自分の考えがかたちになって、浄化されていく感覚があって。その時間がすごく好きで、心地いいんです。普段は自ら積極的にしゃべるタイプではないので、ストレス発散になっているところもあるかもしれません。 ──書くことで自分を再認識したり、発見したりすると。 南沢 そうですね。ノートにメモしたことを書き出しているうちに、何かが連鎖していって自分の思いや考えにたどり着いたり、おもしろいと感じたことの理由に気づいたり、自分を掘り下げていくことができるんです。 ──落語についても、何か発見などはありましたか? 南沢 落語を通じて発見したことはありますね。「ブラックな笑いでも笑えるんだ」とか。人の失敗やしくじりって笑っちゃいけないものだと思っていましたが、笑ってもいい世界があるんだと知って、ちょっと気持ちが楽になったんです。人が死体を使って笑いにするような話もあるんですけど、落語だと笑えるんですよね。 ──そういった自分の中での新鮮な発見や感動を人に伝えるのは簡単ではないと思います。落語のエッセイを書くにあたって、「好き」を伝えるために意識されたことはあるのでしょうか。 南沢 「鉄は熱いうちに打て」じゃないですけど、できるだけ一番熱量が高まっているときに文章にするようにしていました。ちょっと置いておくと、その気持ちが落ち着いてしまったり、自分の中でなじんでしまったりするので。 最初は落語を紹介するような内容にしようとしていましたが、本当に伝えたいことは違うなと気づいたんですよね。落語を聞いて何を思い出したのか、何を感じたのかを、そのままの熱量で書いたほうが思いも乗るし、伝わるんじゃないかと思ったんです。 観るだけでなく、自らも高座に ──落語を観ることとやることも全然違うのではないかと思います。本の中には、実際に高座に上がって落語を披露したエピソードもありますね。 南沢 全然違いました。もしかしたら文章を書くよりも、自分が出ちゃうというか、取り繕えない感じがありましたね。20歳のときの初高座から11年ぶりに落語をやってみて思ったのは、やっぱり落語は話芸だということです。お芝居のように役に入って演じるのではなく、どういうテンポで、どういう間合いで話したらおもしろくなるのかを追求する芸なんですよね。それだけに、高座に上がるときも「本当にこれでおもしろいのかな?」と不安を抱えていました。 ──役ではなく、あくまで話し手本人が軸になる。だから、演芸の世界では「人(にん)」(その人の持つ個性や雰囲気)が大事だといわれたりするんでしょうね。南沢さんもその点は意識されていたのでしょうか。 南沢 すごく意識しましたね。『厩火事(うまやかじ)』という話では、メインの女性のキャラクター「お崎さん」が好きだったので、その気持ちを大切にしました。大きく筋は変えずに、その女性キャラクターが話の軸に見えるようにしたんです。女性目線の話って少ないんですけど、自分がやるなら、そのほうがおもしろくなるんじゃないかと思って。 最初は、私が落語を教わった柳亭市馬師匠の話を、そのままコピーするくらいのつもりだったんです。とにかく上手にやろうとしていたというか。でも、立川談春師匠に稽古をつけていただいたときに、「亭主にこう言われて、お崎さんはどういう気持ちなの?」と聞かれて。「役者ならどう考えるか」という方向で指導していただいたおかげで、キャラクターの思いまで考えて、自分なりにアレンジしながら生きた存在にしようという意識になりました。 一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある ──言葉にしたり、演じたり、ひとつの「好き」を突き詰めていくと、対象の見え方も変わってくると思いますが、そもそも何かを好きになるのも意外と難しい気がします。南沢さんは、読者や登山などにも魅了されていますが、どのように好きになるのでしょうか。 南沢 昔から好奇心は強くて、シンプルに、触れたことのないものには全部興味があるんです。なんでも一回はやってみたい。そこから自分の性に合っているものに絞られていくんだと思います。だから、ゴルフとかサーフィンとか、ずっと興味はあるけれど体験できていないものもけっこうありますね。 ──興味はあっても、勝手に敷居が高いものだと思ってしまったり、ちょっとおっくうになったり、最初の一歩ってハードルが高いですよね。 南沢 そうですね。でも、一歩踏み出さないと、知ることができない世界がある。そう感じたのも、落語がきっかけでした。初めて寄席に行ったときは本当に緊張したし、「何を着ていけばいいんだろう?」なんてソワソワしていましたが、ひとりで行ってみたら、何も心配するようなことはなかった。 慣れないところで困っていたら、助けてくれる人がいるし、そこから人とつながって輪が広がっていくこともあるんですよね。その経験があるので、ほかのことに対しても一歩踏み出してみようと思えるようになりました。 ──思いきって落語の世界に飛び込んだことが、成功体験になっているんですね。そこから「好き」を深めるには、自分なりの楽しみ方を見つけることもポイントかと思いますが、南沢さんはどんなところに目を向けていますか? 南沢 自分の心の変化ですかね。本を読んだあとの読後感、登山の達成感や疲労感、落語を聞いて心が軽くなった感じ、そういう心の動きがおもしろいなと思います。プロレスも観るんですけど、試合を観終わったあとのワーッとエネルギーが湧いてくる感じが好きなんです。 ──そういった心が動いた瞬間を見つめることで、自分や対象についての認識が深まっていくんですね。 南沢 そうですね。本を読んでいても、何かに共感したり、「こんな人がいるんだ」と違いを感じたりしていると、どこか自分に立ち返ってくるところがあって、それも楽しいんです。 以前は成長に捉われて、サボれなかった ──「サボり」についても伺いたいのですが、たとえば、パソコンに向かって文章を書いていて、サボりたくなる、逃げ出したくなるようなことはありますか? 南沢 あります、あります。最近は、いさぎよく「はい、やめ」って切り替えられるようになってきたので、一回外に出て散歩しに行ったり、「もう今日はおしまい」となったらお酒を飲んだりしちゃいます。 ──ダラダラ作業するよりいいかもしれない。サボり上手ですね。 南沢 でも、もともとサボりが苦手だったんです。休みの日も、「何か仕事につながることを勉強しなきゃ」とか、「尊敬できる先輩と会って話を聞かなきゃ」とか、常に成長していないといけないと思っていたので。それがようやくサボれるようになったというか、成長など関係なく、好きに読書したりできるようになりました。 ──息抜きとして効果を感じていたり、ハマっていたりすることはありますか? 南沢 体を動かすのが好きで、サウナも好きなんですけど、最近、それが一気にできる「ホットヨガ」というものを発見したんです。昔からありましたけど、自分の中では、「汗をかきながら体も動かせる、一石二鳥じゃん!」って(笑)。それで、ホットヨガにハマっています。 ──ホットヨガを「サウナ×運動」だと紹介されたことがなかったので、すごく新鮮に感じます。やっぱりデトックス感みたいなものがあるのでしょうか。 南沢 めちゃくちゃ汗をかけます。あと、ヨガでは「自分の呼吸を意識してください」とすごく言われるんです。自分の内側を意識して、普段考えている雑念などを全部呼吸で出してください、みたいな。そうすると、本当に仕事のことや悩みなどが、全部一回なくなる感じがする。 10年ぐらい前にもホットヨガをやっていたんですけど、そのときはじっとしていることに耐えられなかったんですよね。でも、久々にやってみたら、無心でいることに耐えられるようになっていました。 緑の世話と歯磨きが癒やしの時間 ──何かを楽しむには、出会うタイミングも大事なんですね。もっと日常のささやかな息抜きというか、癒やしなどはありますか? 南沢 観葉植物の世話をしている時間は好きですね。見ていてすごく癒やされるし、「あれ、葉っぱ出てる?」みたいな成長も感じるので、かわいくて。家の中に何か変化する存在というか、生命力があるって、すごくいいなと思います。 夏はベランダで野菜を育てたりもするんですけど、夏の野菜の成長力もすごくて。朝出かけて帰ってきたら、「えっ、私の身長越えてる!?」みたいなこともあって、その成長がすごくうれしいし、心癒やされます。 ──たしかに、家にいると部屋が汚れるとかゴミが溜まるとか、ネガティブな変化が目につくものなので、ポジティブに変化していくものがあるっていいですね。緑に触れているときが、無心になれる瞬間なんですね。 南沢 もっとしょうもないことだと、夜、歯磨きをしている時間は好きですね。10分くらいかけてしっかり磨いていると、無心になれます。その時間は歯磨きだけに集中して、1本1本の歯と向き合ってる(笑)。そうすると、目覚めの爽快感が全然違うんですよ。 ──「歯磨きの向こう側」があるんですね。 南沢 個人的な意見ですけどね。でも、それに気づいてから、歯磨きがやめられなくなりました(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 落語を愛してやまない南沢奈央さんによるエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』 落語との運命的な出会い、立川談春師匠からの意外な「ダメ出し」、蝶花楼桃花さんの真打昇進までの半生記、伝説の超大作『怪談牡丹灯籠』、自身が高座に挑戦した演芸会など、南沢さんの落語愛がつまったエッセイ集『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)が発売中。
-
「先入観を洗い直し、枠組みからものを考える」大川内直子のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、株式会社アイデアファンドの代表として文化人類学の手法をビジネスの分野で活用し、調査や分析を行っている大川内直子さん。文化人類学的な思考がもたらす調査の特徴や、日常を変えるヒントとは? 大川内直子 おおかわち・なおこ 佐賀県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。専門分野は文化人類学、科学技術社会論。学生時代にベンチャー企業の立ち上げ・運営や、マーケットリサーチなどに携わった経験から、人類学的な調査手法のビジネスにおける活用可能性に関心を持つ。大学院修了後、みずほ銀行に入行。2018年、株式会社アイデアファンドを設立、代表取締役社長に就任。著書に『アイデア資本主義 文化人類学者が読み解く資本主義のフロンティア』(実業之日本社)がある。 目次ビジネスの現場で知った文化人類学の可能性先入観に捉われず、丁寧に観察する他人を知ることが、自分を知ることにつながる日常のルーティンを取っ払いたい ビジネスの現場で知った文化人類学の可能性 ──まず、文化人類学をビジネスに活用するようになった経緯について聞かせください。 大川内 大学の学部時代から文化人類学を専攻していて、そのころに「ビジネス人類学」という領域があり、海外では文化人類学者が企業で活躍しているということを知ったんです。ただ、当時は文化人類学の役に立たなそうなところがおもしろいと感じていたので、自分がビジネスに活用するなんて思っていませんでした。 ──大川内さん自身は、もともと研究者肌のタイプなんですかね? 大川内 そうですね。大学に残って研究するほうが肌に合っているだろうなと思っていました。そんなときに、たまたまアメリカのGoogleの依頼で、日本で人類学的調査をする仕事をしたことがあったんです。あらゆるデータを持っている最先端の企業が、文化人類学の泥臭い手法や知見を必要としていることに衝撃を受けると同時に、文化人類学の可能性を肌で感じました。 ──そのときはどんな調査を行ったのでしょうか。 大川内 日本の若者がどのようにスマートフォンを使っているのか調査しました。高校生や大学生の家に行かせてもらい、その様子を観察するんです。データだけではスマホを使っていない時間のことや、使っているときの姿勢や反応はわからないじゃないですか。データからは見えない部分を調査するという体験自体がすごくおもしろいと感じました。 ──それで大学の外に出て働くという道も意識するようになったと。 大川内 ほかにも同じような海外企業の案件をお手伝いすることがあり、日本でも海外企業をクライアントに文化人類学の調査を提供していくことは可能だなと思いました。あくまでも自分ひとりが生活していくレベルですが。 それに、今後は日本でも大学の人材とビジネス界の人材が混ざり合い、相互作用していくような気がしていたので、一度外の世界でがんばっても、また研究がやりたくなったら大学に戻れるんじゃないかという気持ちもありましたね。 ──銀行に就職されたのも、先を見据えてのことなんですか? 大川内 そうですね。学生ベンチャーをやっていた経験がのちの起業につながるんですけど、学生のまま起業しても、組織におけるものごとの決め方や進め方、お金の流れなどがわからない。それで、組織や金融について学ぼうと、銀行に就職しました。 ただ、いざ入ってみると銀行の仕事がすごくおもしろくて。周囲も優秀な方ばかりで、ずっと勤めてもいいかなとも思っていました。でも結局、失敗しても成功しても、自分にしかできないことをやってみたいと思い、「アイデアファンド」を立ち上げたんです。 先入観に捉われず、丁寧に観察する ──社名に「アイデア」と入っていますが、起業時から文化人類学的調査をビジネスの世界で行うだけでなく、アイデアにつなげるという部分を意識されていたのでしょうか。 大川内 銀行にいたとき、大学院とはあまりに違う時間の流れの早さに衝撃を受けました。そこから、資本主義について考えるようになったんですね。私が出した『アイデア資本主義』という本のコンセプト(※)も、このときに頭の中にあったもので。それで、文化人類学を通じてアイデアを生み出し、少しでも社会をおもしろくする活動をしたいと思うようになったんです。 ※物理的なフロンティアの消滅に伴い、アイデアが資本主義の新たなフロンティアとして台頭し、よいアイデアに資本が集まる社会になること ──調査にはいくつか手法があるようですが、どのようなスタイルが基本なのでしょうか。 大川内 基本的には泥臭いフィールドワークですね。現場に行って観察し、お話を聞く、みたいな。調査期間はだいたい2カ月ほどで、プロジェクトの内容や目的に応じて1日だけの視察もあれば、4カ月くらいかける場合もあります。 ただ、コロナ禍に入ってそれが難しくなったこともあり、ビッグデータをフィールドに見立てた調査も行うようになりました。商品の購買データだけでは見えなかったものも、テレビの視聴ログ、スマホの利用履歴などを組み合わせていくと、人の行動が立体的に見えてくるんですよ。 ──調査をして報告するまではどのような流れになるんですか? 大川内 まず、調査方法をデザインするところから始めています。一般的なリサーチ会社のアンケート調査のように数を集めるのではなく、誰を対象にどういう順番でどのくらいの時間をかけて調査するのが効果的なのか検討するんです。文化人類学の調査はたくさんの人を対象にはできませんが、そのぶんおもしろくて意味のある調査ができるよう、対象をピンポイントで洗い出していきます。 また分析にも時間をかけていて、仮説や先入観に捉われず、調査で集めたたくさんのファクトをもとにさまざまな可能性について議論しています。 ──誰を対象に、いかに観察するかは文化人類学の知見が活きるポイントですね。 大川内 そうですね。おもしろいものに気づけるかスルーしてしまうかは観察者次第ですし、観察中に仮説の修正・再構築ができるかどうかも勝負の分かれ目で。その上でAさんというターゲットに向けて商品を作るなら、だんだんAさんという人物の顔が見えてくるというか、行動パターンや考え方が浮かび上がってきて、Aさんの行動理論が作れたらいいなと思っています。 ──そうしてターゲットの人物像を提示するだけでなく、アイデアと結びつけて提案するようなこともあるのでしょうか。 大川内 私たちだけでアイデアを出すのではなくて、クライアントと一緒にアイデアを出していくことが多いです。ターゲットのインサイト(行動の根拠や動機)とクライアントが持つ技術や顧客網を組み合わせると、どんな新商品が考えられるのか、とか。 他人を知ることが、自分を知ることにつながる ──文化人類学的なアプローチが機能したケースとしては、どんなものがありますか? 大川内 大手家電メーカーさんの家電修理サービスの調査なんですけど、商品の故障やトラブルに対して修理対応する部門があるので、もっと活躍させてアピールできるようにしたいというご相談でした。でも、調査でわかったのは、顧客は修理が必要になった時点でかなりマイナスの気持ちを抱くということだったんです。 修理サービスを提供する側としては、壊れたものを修理すれば喜ばれるという前提だったのが、顧客にしてみれば商品が壊れた時点で「不良品だったのでは?」と感じるし、直ったところで新商品を買ったときのような喜びもない。こうして問題のフレームから考え直す必要があるというところから議論できたときは、文化人類学のよさが活かせたなと思います。 ──先入観を捨てて立ち止まって考えたり、注意深く観察したりすることは、ものの見方や考え方を見直すためのちょっとしたヒントになるような気もしました。 大川内 人間の考えとか行動って経路依存性が強いので、ルーティン化されやすいんですよね。それは合理的に生きるために必要な進化だと思うんですけど、行き過ぎると凝り固まってしまう。そこで、あえてでき上がった“自分の中の経路”を変えてみる、つまり考え方の枠組みを変えてみることも重要だと思います。文化人類学がそういったアプローチに強いのは、さまざまな社会を調査してきたからなんです。 たとえば、西洋の文化人類学者によるアフリカの民族調査は、現地の常識などに捉われず観察できた一方で、自分たちの常識を見直す自己批判にもつながっていきました。人と比べることで自分もわかるというフィードバックを続けてきたんです。 私たちが日本で調査する場合、外部の視点は持てませんが、視座を変えたり広げたりするための工夫として、先入観を洗い出すようにしています。この人ならこういうことを言うだろう、こういうことが好きだろう、といった先入観を洗い出し、調査で答え合わせするんです。そこで覚えた違和感を掘っていくと、本質や発見にぶつかるというか。 ──そうやって一度先入観を見直すと、人に対する印象なども変わってきそうですね。 大川内 そうですね。人が生きる術としても、文化人類学は役立つんじゃないかと思っていて。私も個人的にはコミュニケーションってあまり得意じゃないんです……(笑)。でも、文化人類学者の心で他者を理解し、自分も理解することでなんとかやっていけている。 自分の中に「人間事典」みたいなものがあって、「この人はこういうカテゴリーの人かな?」「同じカテゴリーの人でもこういう違いがあるんだな」とか、書き込んだり書き換えたりしているんです。あまりいい趣味とはいえませんが……私はこの事典なしでは人間関係を構築できないと思いますね。 日常のルーティンを取っ払いたい ──大川内さんも、サボりたいなって思うことはありますか? 大川内 サボってる時間、仕事の時間、趣味の時間みたいなものが三位一体というか、あまり区別できていないかもしれません。仕事といっても、中長期的に会社の方向性とか依頼されている講演の内容とかを考えていることもあって。「こういうことをしたいな」って考える時間は、自由に頭を使って夢想している趣味の時間でありつつ、ある意味では事業計画にもつながっている。そういうイメージですね。 ──じっくり考える時間をリフレッシュにあてるようなこともあるのでしょうか。 大川内 場所や時間軸を変えるようなことはやっていますね。午前中にブルドーザーのように溜まったタスクをガーッと処理して、午後は場所を変えて2時間だけ本質的なことを考える時間にしよう、とか。両方うまくできるとリフレッシュになるし、満足感もあるんです。 ──では、単純にやっていて夢中になるもの、好きな時間などはありますか? 大川内 パズルがすごく好きで。数独やジグソーパズル、ナンプレ、フリーセルなんかを無心で解いている時間は好きですね。うすーく脳が冴えている状態でものを考える時間にもなっているので、安らいでいるのかわかりませんが。 ──この連載では、無心になる時間やぼーっとする時間を設けることで、ぼんやりとした考えがアイデアに結びつく、とおっしゃる方もいるのですが、それに近いのかもしれませんね。ほかに息抜きはありますか? 大川内 もともとはひとり旅が好きでした。場所を変えて自分の中の当たり前を洗い直して、考え方のパラダイムを変える、ある種の息抜きとして旅をしていたんです。子供が生まれてからはそうもいかなくなったので、土日だけ子供と田舎のほうに行って緑を楽しんだりしています。田舎育ちなので、「山に帰りたい」という衝動が常にあるんですよ。 ──慣れ親しんだ空気を感じたいというか。 大川内 たぶんそうですね。資本主義の最先端みたいな東京にいて、その合理性に適合している自分にイライラしてしまうというか。それこそ、経路依存的な状況に陥っているので、それを取っ払うために土日だけでもがんばっているんです。 ──ささやかでも、あえてルーティンを崩してみるのって、自分の中の枠組みをずらすことにちょっとつながりそうですね。 大川内 そう思います。いつも通り過ぎている駅で降りてみるとか、近所の知らない道を歩いてみるとか、そういうことでも気づきはあるというか、おもしろいですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「どんなときでも、人に寄り添う気持ちを忘れない」浅田智穂のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 近年、映画やドラマの世界では、性的描写などのセンシティブなシーン(インティマシー・シーン)において、俳優の安全を守りながらスタッフの演出意図も最大限実現できるようサポートするスタッフ「インティマシー・コーディネーター」の存在が注目されつつある。 今回は日本で数少ないインティマシー・コーディネーターである浅田智穂さんに、その仕事の内容や自身の働き方について聞いた。 浅田智穂 あさだ・ちほ 1998年、ノースカロライナ州立芸術大学卒業。帰国後、エンタテインメント業界に通訳として関わるようになり、日米合作映画『THE JUON/呪怨』などの映画や舞台に参加。2020年、Intimacy Professionals Association(IPA)にてインティマシー・コーディネーター養成プログラムを修了。日本初のインティマシー・コーディネーターとして、映画『怪物』、ドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—』(カンテレ・フジテレビ系)、『大奥』(NHK)などの作品に参加している。 目次自分が新しいことに挑戦するとは思わなかった日本で活動するために設けた3つのガイドライン「安心できた」の声がうれしいリラックスするために、知っているところへ行く 自分が新しいことに挑戦するとは思わなかった ──どんなきっかけでインティマシー・コーディネーターになられたのでしょうか。 浅田 大学時代に舞台芸術を学んでいたこともあり、ずっとエンタテインメント業界で通訳の仕事をしてきました。それが、コロナ禍になって仕事がなくなってきたころに、以前一緒に仕事をしたことのあるNetflixの方からご連絡いただいて、『彼女』という作品で出演者もNetflixもインティマシー・コーディネーターの導入を希望しているのだけれども、日本にはいないので「浅田さん、興味ありますか?」とお声がけいただいたんです。 養成プログラムは英語圏でしか受けられず、応募するには現場経験も必要だったため、英語ができて現場も知っているということで、ご連絡いただけたんだと思います。 ──それまではインティマシー・コーディネーターについても知らなかったんですか? 浅田 そうなんです。当時40代半ばで子育てもしていましたし、自分が新しいことに挑戦するなんて思いもよりませんでした。絶対大変だと想像できたので悩みましたが、日本の映像業界の労働環境にはまだまだ問題があると感じるなかで、自分の手で少しでも改善できることがあるのなら意味のある仕事だなと思い、挑戦してみることにしました。 ──プログラムでは何を学ばれたのでしょうか。 浅田 ジェンダー、セクシャリティ、ハラスメントのほか、アメリカの俳優組合のルールや同意を得ることの重要性などについても勉強しました。監督や俳優とのコミュニケーションの取り方、ケーススタディ、あとは、前貼りのような性器を保護するアイテムの使い方や安全な撮影方法など、現場での具体的な対応についてもいろいろ学びました。 ──アメリカでも#MeToo運動(※)をきっかけに注目されたそうですが、それほどノウハウが確立しているんですね。 浅田 そうですね。海外の作品ってインティマシー・シーンも激しくやっているように思われがちなんですが、全然そんなことはなくて。触っているようでクッションを入れているとか、アンダーヘアが見えているようでウィッグを使っているとか、お芝居と割り切ってプロフェッショナルに徹しているんです。そういった実情は日本の現場でもよく話しています。 ※セクハラや性的暴行などの被害体験を、ハッシュタグ「#MeToo」を使用してSNSで告白・共有した運動。2017年にアメリカから世界に広がった。 日本で活動するために設けた3つのガイドライン ──浅田さんは実際にどのように作品に関わられているのでしょうか。 浅田 依頼が来た際には、まず私が設けている3つのガイドラインを一緒に守っていただけるプロダクションと仕事をしたいとお伝えします。アメリカのように細かい労働条件が決まっていない日本でインティマシー・コーディネーターのルールだけを持ち込んでもうまくいかないので、最低限のガイドラインを設けているんです。 それはまず、必ず事前に俳優の同意を得ること。強制強要しないということが第一です。次に、必ず前貼りをつけること。カメラのフレーム外であっても性器の露出をさせないということです。衛生面、安全面、それから共演者や周囲のスタッフへの配慮として必ずつけていただきます。3つめは、クローズドセットという必要最小限の人数しかいない現場で撮影をすること。映像をチェックするモニターも通常より減らします。この3つを一緒に守っていただける意思が感じられない作品はお断りしています。 ──撮影前の確認事項が大事なんですね。 浅田 はい、そうです。その上で台本を読み、インティマシー・シーンと思われる場面をすべて抜粋し、確認します。「そのままベッドへ」とあれば、その続きがあるのか、あるのなら布団をかけているのか、服を脱いでいくのかなど、監督にどういうシーンかお伺いするんです。 次にキャストのみなさんと面談し、各シーンについて確認します。そこで「そこまではできない」といった声があれば監督に戻し、撮影方法や内容を見直しながら双方が納得できるかたちを相談します。 あとは、同意書のサポートや、演出部、メイク部、衣装部といったスタッフとの打ち合わせ、共演者がいる場面でのお互いの許容範囲のすり合わせなどがあります。 ──それから撮影に入ると、現場も監修されるわけですよね。 浅田 はい。まずクローズドセットが守られているかなどをプロデューサーと確認します。あとは、キャストに不安がないか確認しつつ、現場の人数や体制によって、私が前貼りを担当したり、近くでバスローブを持ったりすることもあります。当然、現場で撮影していると演出上の課題が出てくることはあるので、監督が私を介してキャストに伝えたいことがあれば間に入ったりもしますね。 ──現場の方々に理解され、受け入れられるのも大変そうです。 浅田 そうですね。今までにないポジションの人間が急に入って、確認作業も増えるわけなので。俳優側には私に脱ぐように説得されるのでは、と思われる方もいましたし、監督側にも私にインティマシー・シーンを止められると思っていた方がいました。でも、それは想定の範囲だったので、なんとか乗り越えようと。 それに、「ルールを守らなきゃ」といったイヤな緊張感が現場に漂うこともありましたが、一度一緒に仕事をして、インティマシー・コーディネーターの役割を理解していただくと、そんなに神経質にはならなくなるもので。ルールさえ守っていれば普通に和やかに撮影して問題ないと、だんだんわかってもらえるようになりました。 「安心できた」の声がうれしい ──日本の現場に参加されるにあたって、心がけていることはありますか。 浅田 同意を得るにあたって、「ノー」と言いやすい環境を作ることですね。できないことをできないと言うからこそ、できることがあるわけで。面談をするときも、ちょっと悩まれている俳優が断りやすくなる環境を大切にしています。 現場でも「あれおかしいんじゃない?」と思ったら誰でも言えるような環境にしたいんです。クローズドセットで人数を制限していても、それをちゃんと理解されていない方がいるときもあります。そんなときも、まわりの人が告げ口じゃなくて「入っちゃいけない人だよね?」って私に聞けるような空気にしたいと思っています。 ──仕事とはいえ、センシティブなことについて人に話すのはなかなか難しいと思います。コミュニケーションにおいて意識していることなどはありますか。 浅田 私はたぶん、本当に人が好きなんですよね。新しく人と出会ってお話しできるのは財産だと思っています。ただ、いきなり「インティマシー・コーディネーターです」と言っても信頼してもらえるわけではありません。話せること、話せないこと、人それぞれです。俳優が監督の希望する描写をできないと言ったとき、まずは顔色を見て聞けそうなときに理由を聞くようにしています。そして解決できない理由なら、それ以上は詮索しません。 あとは、できるだけ知識を増やし、リサーチすること。年配の監督からしたら、私なんかは新参者の小娘なんですよね。だから、彼らと話す上で説得力を持たせるためにも、経験や知識を蓄えることは大切にしています。キリがないので全部は難しいんですけど、監督の過去作などもできるだけ観るようにしています。 ──そうした取り組みや働きかけが実を結び、やりがいを感じられる場面もあったのでしょうか。 浅田 俳優は、別の作品でやったことはできると思われてしまったりもするんですけど、作品ごとに役も話も違いますし、どのような不安をお持ちなのかわかりません。なので、私はこれまでのことは関係なくサポートして、「なんでも相談してください」とお伝えするようにしています。その結果、「不安がなかった、安心できた」と言ってもらえるとすごくうれしくて。 それに、過去のインティマシー・シーン撮影の経験で苦しんでいるスタッフの方もいます。おかしいと思うことがあっても、自分からは何も言えなかった、何もできなかったと告白されることもあります。でも、俳優の同意が取れているとわかっている現場なら、スタッフの不安も減って、安心して自分の仕事に集中できると思うんです。 ──結果として、作品に関わる人たちみんなにいい影響を与えられるんですね。 浅田 そういう意味で驚いたのは、作品を観たお客さんからの「インティマシー・コーディネーターがいてよかった」といった声がSNSに上がっていたことです。自分の好きなタレントや俳優が、安全な環境でイヤなことをさせられていないとわかると、すごく安心だしうれしいという反応があるとは思っていませんでした。それだけに、私の名前がプロダクションにとってのアリバイにならないよう、責任を持って仕事をしなくてはいけないとも思います。 ──では、インティマシー・コーディネーターという仕事や、ご自身についての今後の展望などはありますか? 浅田 今、日本には私を含めてふたりぐらいしかインティマシー・コーディネーターはいないんです。それだと、年間数十本くらいの作品しかカバーできないんですけど、日本映画だけでも年間で600本くらい作られている。絶対的にインティマシー・コーディネーターが足りていないので、私のほうで育成も進めようとしています。ただ、とにかく現場の仕事で忙しいので、思うように準備が進みません……。 リラックスするために、知っているところへ行く ──それだけお忙しいとサボるヒマなんてないですよね……。 浅田 そうなんですけど、そもそもワーカホリックなところがあるかもしれません。仕事とプライベートの切り替えが下手で。やっぱり好きなことを仕事にしていると、なんでも仕事につなげちゃうんです。仕事に関連する作品をチェックしている時間も、仕事なのかプライベートなのかよくわからないというか。 ──では、シンプルにリフレッシュできることはどんなことなのでしょうか。 浅田 最近はあまり行けていないのですが、家族旅行ですね。行ったことのないところに行こうとすると、またリサーチに夢中になってしまうので……リラックスしたいときはなじみのあるところに行きます。 一番リラックスできるのは、キャンプと温泉。温泉は宿さえ決めればあとは食事も出てくるので、出かけることもなく宿の中で過ごします。キャンプではケータイもできるだけ見ずに、自然の中でゆっくりコーヒーを淹れて飲む時間が好きです。コーヒーは大好きなので、普段からリラックスしたいときも、気合いを入れたいときも飲んでいます。 ──何も考えない時間が大切なんですね。 浅田 そうですね。普段は常に頭の中をフル回転させてしまうタイプなので、ぼーっとできないんですよ。答えが出ないようなことを考えるのが好きというか、何かを分析したいというか。無駄なことかもしれないけれど、それがどこかで役立っているところもあるような気がしています。 ──何も考えない時間がリフレッシュになるように、日常で無になれる、夢中になって何かを忘れるようなことはありますか? 浅田 やっぱり家族といるときですね。自分は仕事人間だと思いますが、忙しい中でも家族と一緒にごはんを食べたり、子供が寝たあとに夫とふたりで話をしたり。私が仕事をしている横で娘が勉強したりしている時間も大切にしています。ついつい「あとでね」とか言っちゃうんですけど、宿題の丸つけだけでも彼女と向き合おうと思ってみると、こんなに楽しくて素敵な時間なんだと改めて感じることもあるんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「なんでもおもしろがって、バカバカしいことに手数と熱を込める」藤井亮のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 映像作家の藤井亮さんは、石田三成をPRした滋賀県のCMやNHKの特撮番組『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』など、いわゆる“お笑い”とは異なる文脈で、ナンセンスな作品を数多く手がけている。藤井さん流の映像作品の作り方や、日常をおもしろがるためのヒントなどについて聞いた。 藤井 亮 ふじい・りょう 映像作家/クリエイティブディレクター/アートディレクター。武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科卒業後、電通関西、フリーランスを経てGOSAY studiosを設立。滋賀県の石田三成CM、『ミッツ・カールくん』(Eテレ)、キタンクラブ『カプセルトイの歴史』、『TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇』(NHK)など、考え抜かれた「くだらないアイデア」で作られた遊び心あふれたコンテンツで数々の話題を生み出している。 目次初めて作った映像で、教室がどっと沸いたやりたいことをやるために、主張し続ける架空の世界を、実際にあるかのように作り上げたいおもしろがれるかどうかは、自分次第 初めて作った映像で、教室がどっと沸いた ──1979年生まれの藤井さんが手がけられるものからは、同世代の人たちが幼少期に触れていた昭和のコンテンツのムードを感じます。藤井さんご自身はどんな子供で、どんなものに影響を受けていたのでしょうか。 藤井 愛知県出身なんですけど、本当に普通の田舎の子供でした。当時の子供がみんな好きだった『週刊少年ジャンプ』、ファミコン、キン消し(キン肉マン消しゴム)が好きで、親は公務員で、3人兄弟の真ん中で、特筆すべきクリエイター的エピソードが全然ないんです。 ──何か変わったものが好きとか、ちょっと変わったところがあるわけでもなく。 藤井 全然。ただ、絵を描くことは好きで、小学生のころは隣の席のヤツを笑わせるために、先生を主人公にしたキャラクターがひどい目に遭う漫画を描いたりしていましたね。常に誰か見せたい対象がいて、自分の内面を掘り下げるようなもの作りをしたことがないという点は、今につながるかもしれません。 ──その結果、美大に進学するようになったんですね。美大ではどんなことを学んでいたのでしょうか。 藤井 武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科は、いわゆるグラフィックデザインをやる学科で、入学当初はカッコいいグラフィックやCDジャケットを作りたいと思っていたんです。でも、「映像基礎」という授業をきっかけに、映像にズブズブとハマっていっちゃって。 機材の使い方もわからないまま、自分で絵コンテを描いてくだらないコントみたいな映像を作ったんですけど、それを流したら教室がどっと沸いたんですよ。今まで絵を描いたりしても味わえなかった体験で、気がつけば、4年生までずっと変な映像ばっかり作る生活になっていました。 ──授業と関係なく映像を作っていたんですか? 藤井 そうです。今考えるとどうかしてるなと思うんですけど。発表する場もなく、見せるあてもないのに、映画っぽい映像や手描きのアニメーションなど、節操なくあれこれ作っていました。 ──藤井さんの映像には、お笑い的なものとは少し異なるテイストのおもしろさがあると思うのですが、その点で影響を受けた人や作品はあるのでしょうか。 藤井 お笑いをあまり観てこなかったことがコンプレックスだったりもするんですけど、そういう意味ではマンガの影響はあるかもしれないです。学生のころは『伝染るんです。』や『バカドリル』など、不条理系といわれるマンガを読んで「こういうの作っていいんだ」と衝撃を受けました。 ──たしかに、自分の感覚的なおもしろさを理屈抜きで表現しているという意味では、藤井さんの作品にも通じるものを感じます。では、学生時代のもの作りとして、思い出深い作品などはありますか? 藤井 学園祭ですかね。学園祭が好きで、模擬店を「藤子Bar不二雄」という全員、藤子不二雄キャラのコンセプトカフェにするとか、無駄にがんばっていたんです。最終的には実行委員になって、学園祭のポスターや内装などを作ったりもしました。 デザイン部門として、作れるものは全部作って。テーマもバカバカしく戦隊ものにして、大学の入口に巨大ロボの顔をどーんと設置したり、教室を基地みたいにしたり、顔ハメ看板を置いたり。子供みたいにバカなことをやるのも、当時のまま変わってないですね。 ──バカバカしい思いつきを徹底して具現化させる執念みたいなものも、現在に通じるような気がします。 藤井 ベースの思いつきはしょうもないんですけど、作り込みでどうにかごまかそうとするところはありますね。当時から、自分には少ない手数でセンスのいい作品を作ることはできないと薄々わかってきていて。それで、数の暴力というか、とにかく手数と熱量でどうにか突破するしかないと思っているところがありました。 やりたいことをやるために、主張し続ける ──広告代理店に就職されたのも、映像を作るためだったのでしょうか。 藤井 映画やアニメなどの映像作品の最後には広告代理店のクレジットが入っているから、ここならいろいろな映像を作れるだろうと、ちょっと勘違いして受けちゃったんです。 でも、アートディレクター採用みたいな感じだったので、最初はポスターやロゴのデザインしかやらせてもらえませんでした。それでも、やっぱり映像を作りたくて入ったので、企画だけは出し続けていましたね。 ──自分の希望を声に出したり、かたちにしたりすることって大事ですよね。 藤井 そうですね。特に新人のときはおもしろいと思ってもらえる手段もないので、どうでもいい役割に力を入れるなど、とりあえず主張し続けていました。会社の宴会の告知のために、めちゃくちゃ凝ったバカバカしいチラシを作って会社中に貼ってみたり。結果、それが目に留まって、おもしろい仕事をしているチームから声がかかるようになったんです。 ──最終的にはCMを手がけられるようになった。 藤井 ただCMの場合、代理店のCMプランナーは、基本的には企画までしかやらせてもらえなかったんです。監督は制作会社のCMディレクターが担当していて。でも、僕は映像を考えるだけでなく作ることもやりたい。それで、自分でも監督する方向に勝手に変えていきました。 「全然やれますけど」みたいな雰囲気で、「今回、僕が監督やりますんで」って言っちゃう。内心は「どうやったらいいのかな……?」って思ってましたけど、まずはできるフリをしてやるしかないなと(笑)。 ──実際には監督経験がないわけで、そのギャップはどう埋めていったんですか? 藤井 冷や汗かきながら勉強したり、人に聞いたりしていました。それでも、やっぱり最初は演者さんに怒られたりしましたね。段取りも何もできていなかったので。失敗したら次はないと思うほど、どんどん空回りしてしまったというか。 ただ、現場と噛み合わなくても、本気で何かをやろうとしている気持ちは伝わるのか、そのCMを見た方が別の仕事で声をかけてくださることもあって。「あんまりヒットしてないけど、こいつは変なことを一生懸命やろうとしてるな」みたいな。 架空の世界を、実際にあるかのように作り上げたい ──現在は藤井さんの作風に惹かれた方々から、さまざまなコンテンツの依頼が来ているかと思いますが、企画の段階ではイメージが伝わりにくいものもあるんじゃないでしょうか。 藤井 僕は作っているものはおもしろ系なんですけど、プレゼンは低いテンションで淡々と進めることが多くて。企画の意図や構造を丁寧に説明していくので、ふざけたものを作ろうとしているとは思われないこともあって、意外とすぐに「いいですね」と言っていただけることが多いです。 それこそ、石田三成のCMは滋賀県のPRコンテンツのコンペで提案したんですけど、「怒られるんじゃないかな」と思いながら説明したら、その場で「これがいいですね、やりましょう」という話になって。選んでくれた方の度量がすごいんですけど。 石田三成CM<第一弾> ──制作自体もまじめに淡々と進めているんですか? 藤井 そうですね。作り手側はそんなにふざけていないというか、おもしろがっていないところはあります。作る側がおもしろがるのと、見た人がおもしろがるのはちょっと違うと思っていて。内輪で盛り上がっている感じが出ていると、僕はちょっと冷めちゃうんですよね。みんながまじめに作ったんだけど、結果的に変なものになってしまった、みたいなおもしろさが好きなんです。 ──作品のテイストとしても、世の中にある「まじめにやってるけど、どこかおかしい」といったズレに着目し、そのエッセンスを取り込まれていると思います。そのために日頃からアンテナを張っていたりするのでしょうか。 藤井 日常にある違和感を探すのは好きですね。そのうえで、自分がグッとくるものに対して「なぜグッとくるんだろう?」と深掘って考えるようにしています。そうやって深掘りしていくと、そのままパクるのではなく、エッセンスを取り出すことができる。パロディというよりシミュラークル(記号化)というか。何かをまねしたいのではなく、架空の世界を実際にあるかのように作っていくのが楽しいんでしょうね。 だから、企画のテーマが決まると「いかに本当にあったか」というディテールを詰めていきます。1970年代の特撮作品をモチーフにした『TAROMAN』を作ったときも、岡本太郎のことはもちろん、特撮文化についてもめちゃくちゃ調べました。そうしているうちに、当時の特撮にあったであろう何か、ディテールが見えてくるんです。 TAROMAN 岡本太郎式特撮活劇 PR動画 ──『TAROMAN』はキャストのしゃべり方からして違いますよね。本当に1970年代に録音したんじゃないかと思いました。 藤井 最初は役者さんに昭和っぽくしゃべってもらおうと思っていましたが、初日にやめようと決めて、全部アフレコにしました。やっぱり役者さんでも昭和っぽくしゃべるのって難しいんですよ。だから、役者さんは昭和っぽい顔で選んで、声は声で昭和っぽくしゃべれる方を探しました。結果的に声と口の動きが微妙にズレているんですけど、それが逆に昭和の特撮っぽくなったというか。当時の特撮も実際にアフレコだったりするので。 ──そういったディテールをかたちにするために、『TAROMAN』ではご自身でどこまで担当されたんですか? 藤井 企画、脚本、監督のほかに、キャラクターデザインや絵コンテ、アニメーションのイラスト、背景作りなど、思いつくことはあらかたやっています。もちろん、撮影、編集、ジオラマ制作など、信頼できる人にやってもらった部分もたくさんありますけど。 とにかく世界観だけはブレないよう気をつけたので、膨大な手直しが必要でした。編集の段階に入ってからも、1カットずつ確認して背景を作り直したり、色を変えたり、タイミングをズラしたりして。 ──そのこだわりがあの世界観を支えていたんですね。では今後、同じくらい熱を入れてみたいこと、興味のあることなどはありますか? 藤井 基本的に「やったことのないことをやりたい」と思っているのですが、なかなか難しいですね。今は生活の半分くらいが育児になっているので。でも、子供向けのコンテンツをたくさん摂取していることも、インプットにはなっているんです。何かしらおもしろがれるところはあるし、「こうしたらいいんじゃないか」と考えることもある。それもどこかで活かせたらいいですね。 おもしろがれるかどうかは、自分次第 ──藤井さんは、仕事の手を止めてついついサボってしまうようなことはありますか? 藤井 Wikipediaのリンクを踏み続けて何かの事件をずっと調べるとか、延々とネットを見ちゃうことはありますね。ただ、直接仕事とは関係なくても、どこかでつながるような気もしているので、そういう意味では明確にサボりとは言えないというか、サボるのが上手じゃないかもしれません。根っこの部分では、生活が下手なタイプなんですけど。 ──生活が下手? 藤井 もともと怠惰な人間なので、仕事や育児をやることでギリギリ人のかたちをさせてもらってるというか。だから、家族がちょっといないだけで、洗いものが山積みのまま朝4時まで起きてるとか、一気に生活がぐちゃぐちゃになってしまうんです。休みを有意義に過ごすのも苦手で、無理して出かけることもありますが、気を抜くと家でダラダラとマンガを読んじゃったりします。 ──ダラダラするのもリフレッシュにはなっているんでしょうね。意識的に息抜きをするようなことはないのでしょうか。 藤井 いろんなものに依存したいなとは思っていて。コーヒーでカフェインを摂るとか、いろんなものに依存して、自分の「依存したい欲」、「責任を放り投げたい欲」を分散したいんです。というのも、普段は父親であったり監督であったりすることで、どうしても依存される側、責任者側になってしまうので。 ──ほかにどんなものに依存しているんですか? 藤井 最近はお酒も飲まなくなったので、人がハマっているものに付き合わせてもらったりしています。サウナ好きの人にサウナに連れていってもらうとか。あと、子供の趣味にも積極的に付き合うようにしています。電車が好きだったときは鉄道博物館に行ったり、新幹線を見に東京駅に行ったり、『ウルトラマン』にハマったときは一緒にショーに行ったり。 そうすると、それまでは何百回と東京・大阪間を往復しても何も考えずに新幹線に乗っていたのが、「お、今日はN700Sか!」と車両に注目するようになったりして。どうでもよかったことの解像度がぐっと上がるのがおもしろいんですよね。 ──先ほどのお子さんと子供番組を観ている話も同じというか、なんでも楽しもうと思えば楽しめる。 藤井 ある意味、何を見てもそんなに苦じゃないんですよね。おもしろがれるか、おもしろがれないかは自分次第で、おもしろがる力があれば何かしら楽しみ方は見つけられるものなので。 ──そういった経験が、結果的にお仕事にも役立っているんですね。では、シンプルに落ち着く時間、好きな時間はありますか? 藤井 風呂ですかね。「会社を辞めよう」とか、大きな決断はだいたい風呂場でしてるんですよ。それも家の風呂じゃなくて、銭湯とかで決断したり、考えたりすることが多くて。だから何かを決めた記憶は、たいてい風呂の天井のイメージと結びついてるんです。 ──それまでなんとなく考えていたことが、お風呂でかたちになるんですかね。逆に、何か結論を出そうとお風呂に行っても、うまくいかないかもしれないですね。 藤井 そうかもしれないですね。意識してやるとうまくいかない気がします。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「できることは全部やる──安定よりも異常で過剰に」中郡暖菜のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 コンサバティブな女性ファッション誌が全盛のなか、影をはらんだ独自の世界観を打ち出した雑誌『LARME』をヒットさせたのが、編集者の中郡暖菜さん。そんな中郡さんに、もの作りにおけるスタンスや、逃避しながら仕事をするという斬新なサボり方などを聞きました。 中郡暖菜 なかごおり・はるな 編集者/株式会社LARME代表取締役。大学在学中からギャル系ファッション誌『小悪魔ageha』の編集に携わり、2012年に女性ファッション誌『LARME』を創刊。編集長を4年務めたのち、女性ファッション誌『bis』の新創刊編集長を経て、2020年に株式会社LARMEを設立。『LARME』のM&Aを行い、編集長に復帰した。 目次下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しいネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』ほかではやらないことをやってこそ意義がある「異常と異常の間」を走り続ける罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる?行動からしか新しい出会いは生まれない 下っ端の雑用係として飛び込んだ、編集の世界 ──中郡さんが手がける雑誌『LARME』では、映画や小説などの世界観を企画のテーマにすることが多いかと思いますが、どんなカルチャーに影響を受けてきたのでしょうか。 中郡 本は全般的に好きでしたが、大きく影響を受けたのはマンガですね。中でも印象深いのは、中学生のときに読んだ竹宮惠子さんの『風と木の詩』。フランスの寄宿舎の話なんですけど、その世界観に衝撃を受けました。 ──では編集の道に進んだのも、本が好きだったからなんですね。 中郡 中学生のときから本に関わる仕事がしたくて、編集者になりたいと思っていました。でも、どの大学に行ったら編集者になれるのかもわからなかったので、音楽高校からそのまま音大に進みつつ、とりあえずマスコミスクールに通ってみたりして。それも「なんか違うな」と辞めてしまって、出版社のアルバイトに応募して入ったのが『小悪魔ageha』なんです。 ──リアルな編集の現場は、やっぱり違いましたか? 中郡 そうですね。一番下っ端だったので編集どころか雑用ばかりでしたが、学ぶことは多かったですし、その時期を乗り越えたことで自信もついたと思います。まだガラケーだしファイル転送サービスも普及してなかったので、手間がかかりましたけど。 読者アンケートのはがきを集計したり、読者に直接電話してアンケートを取ったり。「アイメイクに関するアンケートを50人分取って」と言われたら、ひたすら電話をかけてたんですよ。効率悪すぎますよね。色校正(印刷確認用の試し刷り)や入稿データも直接運んでました。飛脚ですよ(笑)。 難しい壁を乗り越えられたときのほうが楽しい ──下積み経験も糧になっているとのことですが、心が折れたりしなかったのでしょうか。 中郡 折れなかったですね。それよりも早く編集担当になって、ページを作りたいと思っていました。クリエイティブな職業って、下積みもけっこう重要じゃないですか。まわりがフリーの編集者とかだと、教育係がついて教えてくれるということもないので、自分で仕事を覚えていくしかないから。 ──そうして能動的に学んでいくうちに、だんだん会議で企画を提案できるような場面も増えていったとか。 中郡 大学生のころから編集会議には出ていて、企画も出していました。ただ、自分の企画が通っても、編集までは任せてもらえないんです。それが悔しくて。社会人になってようやく、自分の企画を担当できるようになりました。 初めての撮影はすごく印象に残っています。自分の思い描いていたものが、カメラマンさん、モデルさん、ヘアメイクさん、衣装さんたちのおかげでいい写真になったのがうれしくて。今でもあのときみたいに撮影したいと思っていますが、なかなかあそこまで感動できる撮影は多くないですね。 ──どんな企画だったんですか? 中郡 『セーラームーン』のヘアアレンジみたいな企画で、モデルさんたちにコスプレをしてもらいました。ネットでもけっこうバズったんですけど、それ以上に二次元の世界を三次元で表現するといった、難しそうな内容をかたちにできたことがうれしかったんですよね。 大変そうな壁を乗り越えられると楽しいし、チャレンジをしていくことで個性も磨かれていくんじゃないかなと思います。結果が見えるラクな撮影を続けていると、自分ができる範囲でしか仕事をしなくなって、結局どこかで行き詰まってしまうというか。成長の機会を逃してしまう気がします。 ネガティブな要素も肯定的に取り入れた『LARME』 『LARME』 ──ご自身で新たに『LARME』という雑誌を立ち上げた経緯を教えてください。 中郡 編集者として結果を出せるようになって、「編集長になりたい」「自分の本を作りたい」とアピールするようになったんです。そんなことを言う人がまわりにいなかったのもあり、『小悪魔ageha』の編集長があと押ししてくれて、『LARME』の企画を立ち上げました。 ところが、その編集長が会社を辞めてしまったら、企画自体もなかったことになってしまって……。すでに『LARME』の話は進めていたし、当時担当していた『姉ageha』の企画も最後だと思って気持ちを込めて作ったので、「もう続けられない、自分の雑誌をやる」という思いで、会社を辞めて別の出版社に『LARME』の企画を持ち込んだんです。 ──ほかにはない雑誌として、どのような点を意識していたのでしょうか。 中郡 当時の女性ファッション誌って、モテを重視したハッピーでコンサバティブな雑誌がほとんどだったんですけど、無理して笑顔を作らないようなものを求めている人もいるんじゃないかなって感じていたんです。 私自身、悲しいことが起きたとしても何も起きなかったよりはいいんじゃないか、みたいな気持ちがあったので、ネガティブなもの、マイナスなものも悪いものではないというスタンスの雑誌にしようと思っていました。それで、名前もフランス語で「涙」という意味の『LARME』にして。 ──そのスタンスが『LARME』のデザインや世界観をかたち作っているんですね。 中郡 色にはこだわりがあって、自分が嫌いな色は使わないようにしているので、ほとんどの号で水色、ピンク、ラベンダーがメインになっています。水色なら水色で、どこまでバリエーションを展開できるかという方向に力を入れているんです。 もうひとつの特徴は、男性がひとりも登場しないことですね。現実にはあり得ないことですが、この雑誌を読んでいるときだけは、現実とは異なるここだけの世界にしたいんです。そのために女の子を男性役にしたり、着ぐるみを登場させたりすることもあります。 ほかではやらないことをやってこそ意義がある ──企画のテーマを参照するにあたって、基準や作品の傾向などはありますか? 中郡 好みのものがあるというか、嫌いなものははっきりしてますね。お姫様が出てくるような作品は雰囲気的に近いと思われがちなんですけど、王子様ありきの物語が好きじゃないんですよ。『不思議の国のアリス』みたいな、自分の物語を生きて、冒険するような作品が好きなんです。 でも、『小悪魔ageha』に始まり、『bis』という雑誌も作っていましたし、『LARME』も50号以上出ていますから、自分の中にもうストックがなくて……。最近は、1号作り終えたらインプットの期間を設けて、必死に何かを読んだり観たりしています。それを次の号ですぐ使う、みたいな(笑)。 ──ご自身のセンスや価値観と、読者の求めるものや売れ行きとのバランスについては、意識されているのでしょうか。 中郡 最近はあまりバランスを気にすることがなくなってきました。長くやってきたから聞かなくてもなんとなくわかるんですよ、ビジュアルがメインの企画より実用性のある企画のほうが人気だとか。でも、それで実用性のある企画ばかりにしたら『LARME』ではなくなってしまうし、ほかの雑誌ではやらなそうな企画をやることに意義があるというか。 本が売れなくなってきて、雑誌は発売日に電子版が読み放題になっている。そんな状況で売り上げをどうにかしようとしても、気持ちが暗くなるだけじゃないですか。それよりも『LARME』をたくさんの人に知ってもらって、接触面を増やして、本だけの存在を越えたリアルなカルチャーのひとつとしてイベントなどにつなげていくほうが重要かなと思ってるんです。 「異常と異常の間」を走り続ける ──より広く、人に何かを届けるという点で大切にしていることはありますか? 中郡 何においても、自分にできることは全部やりたいと思っています。先日、知り合いの漫画家さんに新刊の宣伝について相談されて、いろいろと提案したんですけど、担当編集さんには「そこまでやらなくてもいいんじゃないか」と言われたらしくて。大手出版社の編集さんにとっては、がんばらなくても売れる作品だし、必死になって無理しても自分の何かが変わるわけでもないし、むしろリスクが増えるから、どうしても保守的になるというか。 私は安定したくないんです。漫画家の楳図かずおさんが「異常の反対は安定じゃなくて、また別の異常がある。その中心にあるのが安定だから、安定を目指すと内に入ってしまってよくない」といったことを言っていたのですが、すごくいい言葉だなって。私はその言葉を信じて異常と異常の間を行き来しているので、どうしても過剰になっちゃうんですよね(笑)。 ──常に難しそうなことにチャレンジする、というスタンスとも共通したものを感じます。では、会社の代表として今後チャレンジしてみたいことなどはあるのでしょうか。 中郡 すでに決まっていることとしては、新宿の東急歌舞伎町タワーで『LARME』10周年のイベントをやる予定で、それが楽しみですね。歌舞伎町って、今一番文化が生まれそうなカオスな場所で、『LARME』との相性のよさを感じていて。私はユートピアよりもディストピア派なので、安定してない混沌とした街と一緒に変化していけるのが、カルチャーとしてカッコいいなって思うんです。 罪悪感を糧にすると、仕事に集中できる? ──中郡さんは、動き続けて忙しさがピークになったとき、サボったり、息抜きをしたりすることはありますか? 中郡 辛いものとか、注射とか、刺激物が好きなんです。本当に忙しくなったり、仕事でイヤなことがあったりしたら、刺激物を求めてしまいますね。「からっ!」「いたっ!」みたいな刺激って、一瞬そっちで頭がいっぱいになるじゃないですか。それが私のストレス発散方法です。 ──刺激に慣れてくるようなことはないんですか? 中郡 今でも辛いものを食べた翌日は、普通にお腹が痛くなったりしますよ(笑)。あとは、飛行機や新幹線に乗るような長距離の移動が好きで。いきなり北海道や福岡に行ってしまうこともけっこうあります。 長距離を移動していると、その罪悪感ですごく仕事が捗るんですよ。移動中にやらなきゃいけないことを一気に解消しています。結果的に移動も楽しめて、マルチタスクをこなせたようでうれしいっていう。 ──仕事とサボりを同時に行うというのは斬新ですね。移動という制限がうまく働いている部分もあるのでしょうか。 中郡 そうですね。移動自体は遊びなんですけど、仕事をするために移動するようなところもあります。家とか会社だと、何かと連絡が来たりして集中できる時間が作りづらいじゃないですか。移動していると対応できなくなることも増えてハラハラするんですけど、そのぶん集中できるんです。 調子が悪くなるかもしれないのに辛いものを求めてしまう感覚と近いかもしれませんね。破滅的な行動が好きなんですよ。毎日同じルーティンを繰り返すような生活ができなくて、辛いものを食べて、めちゃくちゃお酒飲んで、なんか具合悪い、みたいな日常を送っています。 行動からしか新しい出会いは生まれない ──では、無心になる時間、心が休まる時間などもあまりないんですかね? 中郡 心の安らぎもあまり大事にはしてないですね。「安らいだら終わり」みたいな(笑)。ただ、寝る前にマンガを読んでいる時間は幸せで、安らいでいるような気がします。寝る前に読むのはエッセイ系のマンガが多くて、清野とおるさん、まんきつさん、山本さほさん、沖田×華さんといった漫画家さんの作品を繰り返し読んでいます。 ──仕事のためのインプットとはまた違う時間なんですね。 中郡 そうですね。インプットのほうは仕事感が強くて、サボりではないかもしれません。この前も必死になりすぎて、「何かあるかもしれない」と盆栽展を見に行って、特に何もなく帰ってきました。 でも、自分の目で見たもの、実際に体験したものについてしか、何も言えないと思っているので、行動するのは大事なことで。ネットで盆栽を見ても、好きなのかどうかもわからないじゃないですか。ピンとこなくても、そのことがわかっただけでいいんです。 ──やったことのない仕事が成長につながるように、実際に行動して経験することで、新しい刺激や感動に出会えるんですね。 中郡 先日、「ニセコにスノーボードをしに行こう」と誘ってくれた友人がいて、スノボはできないし、寒いのもイヤなのに、マイルで行けるなら行こうと思ったんです。でも結局、ちょうどいい飛行機がなくて断ってしまって。ただ、興味がなくても、チャレンジする機会があるなら前向きに検討してみるのはいいですよね。あくまでマイルで行けるのなら、っていうレベルですけど(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「遊ぶように働きながら、真剣に“ヒマを持つ”」ステレオテニスのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話をうかがったのは、80年代テイストを取り入れたグラフィックデザインで注目を集め、企画やプロデュース業など、幅広い分野で活躍しているステレオテニスさん。精力的に活動を続ける一方で、「サボり」に対しても深い関心を向けているというが、ステレオテニス流のサボり論とは? ステレオテニス アートディレクター/プロデューサー。80年代グラフィックのトーン&マナーを取り入れた作風で、音楽やファッションなどカルチャーシーンを中心に広告表現や空間プロデュース、イベントの企画などを手がける。電気グルーヴやももいろクローバーZなどのアーティストのグッズ制作や、ハローキティなどのキャラクターとのコラボレーションを多数展開。宮崎県都城市で2拠点生活を2018年から開始、プロデュース業やクリエイティブディレクションにも積極的に取り組む。すべてデッドストックの80年代衣料を扱うアップサイクルブティック「マムズドレッサー」を主宰。 目次誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた発想や視点は、矛先を変えても活かせる地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」サボりとは、贅沢のひとつである?お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! 誰も見向きもしなかった80年代が、カッコよく見えてきた ──グラフィックデザインという分野でお仕事をされるようになった経緯について教えてください。 ステレオテニス 学生のころからデザインや絵を描くことが好きで、当時聴いていた音楽ジャンルの影響で、音楽をグラフィックで表す仕事があることを知って、京都の美大でデザインを学ぶようになったんです。卒業後もクラブでVJをしたり、フライヤーをデザインしたりしていましたね。当時は単純に表現することが楽しかったんですけど、もっとおもしろいことをしてみたいと思って、京都を出ることにしたんです。上京をきっかけに少し意識が変わって、ポートフォリオを作って持ち込みしてみたり、知り合いのデザイナーさんに作品を見てもらったりするようになりました。 あと、新宿二丁目のカルチャーと出会って、イベントでVJをさせてもらったりしていたことも大きかったです。自分の表現が広がり、音楽関係者といった方々との出会いもあり、デザインの仕事をもらえるようになって。だから、けっこうアンダーグラウンド出身の叩き上げなんですよ(笑)。 ──そうした活動の中で、どのように作風を確立されていったのでしょうか。 ステレオテニス まわりがやっていないことをやろうとしていて、VJの世界は男っぽくて裏方的なイメージが主流だったので、ちょっとギャルっぽいテイストを打ち出したりしていたんです。そうした奇をてらったアプローチとして、「80年代」を扱うようになって。 当時は今のように80年代のテイストが「アリ」だとされていなくて、古くてダサい、よくない意味で「ヤバい」ものだったんですよ。それをあえておもしろがっていたのが、だんだん「これ、もしかしてカッコいいのでは……?」と思うようになって。それからは、古本屋にある雑誌や、寂れた文房具屋さんに残っている商品、レンタルビデオ店の型落ちビデオなんかを掘り出して、すみっこに追いやられている存在から、自分なりにカッコよさを見出していました。 ──そうしたモチーフを、自分なりにアレンジするようになったと。 ステレオテニス そうですね。80年代をそのまま表現する懐古趣味ではなく、80年代というエッセンスを自分なりに調合して、その時代に落とし込んでアレンジするというか。お仕事の場合、クライアントの反応によってそのバランスやモチーフを自分の勘で変え、提案したりすることもあります。 発想や視点は、矛先を変えても活かせる ──中でも反響が大きかったもの、個人的に手応えのあったものとして、どんなお仕事があるのでしょうか。 ステレオテニス 2010年代前半の、SNSでの広がりは印象に残っています。好きなアイドルについて「グッズを作りたい!」と発信したら、それが拡散されて事務所の方から連絡が来るようなことがありました。そういった仕事をきっかけに依頼もどんどん増えていって、同時に80年代的なムードが理解されるようにもなったことで、小学生のころ愛読していたマンガ『あさりちゃん』のコラボグッズを作らせてもらったり、サンリオさんとコラボレーションさせてもらったりするようになりました。 『東京ガールズコレクション』のキービジュアルは、親でも知ってるお仕事だったので、多方面から反響も大きかったです。それからだんだん平面のデザインではなく、立体物も手がけるようになりました。中でも、東京ディズニーリゾートの施設「イクスピアリ」内のプリクラエリア「moreru mignon」のディレクションは、立体としての規模も大きくて、やりがいがありましたね。 あと、電気グルーヴさんのグッズ制作は個人的に大きかったです。私が中学生のころから聴いていたミュージシャンでしたし、今でも第一線で長く活動されている方に、自分の表現を受け入れてもらえたことで、ある種の達成感を覚えたというか。 『東京ガールズコレクション』(2018)キービジュアル moreru mignon 電気グルーヴ公式グッズ ──そんな80年代も、今やブームと言われるほどの扱いになっています。 ステレオテニス 個人的な印象では3回目ぐらいの80年代ブームなんですけど、ここまで市民権を得るとは思いませんでしたね。ブームが続くと、もう当たり前の存在として定着してきちゃっているような気がします。だから、手慣れた感じでしつこく80年代的なデザインをやればいいのにって思いますけど、素直におもしろいと思えなくて。 それで、次は手段というか、表現の先を変えようと思うようになりました。自分の中にある80年代のポップさとか、発想の楽しさは活かしつつ、その対象を一過性で流れていくものではなく、誰もやっていない分野にシフトするのが楽しくなってきたんですよね。 地元であって、地元でない、不思議な「よそ者感覚」 ──そんな表現の変化として、地方でのクリエイションなどは当てはまりますか? ステレオテニス そうですね。地方を行き来していると、「人が減ってるな」とか、「こういうものが不足していて、こういうものは余ってるんだな」とか、世の中の縮図として問題を知ることがいろいろある。そういった課題や気づきを、自分が80年代を再解釈してデザイン表現したときに培った視点で見てみると、解決につなげられるかもしれない。そうやって表現が変換できることにワクワクしました。 それで、私の地元にある呉服店の昭和のデッドストック服をリブランディングして販売する「MOM’s DRESSER」というブティックやったり、同じようにメガネ屋さんと組んだり、飲食店と組んだりしていると、自分にしかない視点が活かせるとわかって。「人の役に立ちたい」とか、「地域貢献」とかって、あまり好きな表現ではないんですけど、結果としてそれが人のためにもつながることに魅力を感じるようになりました。あくまで自分がおもしろがっているだけなんですけど。 MOM’s DRESSER ──地元である都城市では、どのように活動を広げていったのでしょうか。 ステレオテニス 都城には、おしゃれなお店はあっても、知的好奇心に応えてくれるような文化の発信基地といえるような場所が少ないなと思ったんです。そんなときに、「都城市立図書館」という大きな図書館ができて、最初は実家に帰ったついでに仕事をする場所として利用していました。そのうちに、イベントスペースがあることが気になって、職員さんに何かやる予定があるのか聞いたんですよ。そうしたら、場所はあるけど企画がないので、考えているところだと。 それで、企画を持っていってみることにしたんです。実家に帰ることが増えてから、地元におもしろい活動をしている人がいたら、会いに行ってインタビューする、というフィールドワークをしていたので、これをトークショーにできないかと。それが『おしえて先輩!』というレギュラーの企画として採用されたのがきっかけですね。 ──地元での活動も続けるなかで、意識していることはありますか? ステレオテニス もう何年も離れているし、ずっと住んでいるわけじゃないので、地元だけど、地元じゃない、適度によそ者感覚でいることを大事にしています。それで、地元に対して「懐かしい」とか、「変わらないなぁ」とか言ってるのって、視野が狭い捉え方かもしれないと思って。そうすると、逆に地元が新鮮に見えてきました。同時に問題も見えてきたり。地元感とよそ者感、ふたつの視点を両立させて、おもしろいものを見つけていきたいですね。 サボりとは、贅沢のひとつである? ──ステレオテニスさんは「サボる」ということに対して、どう考えていますか? ステレオテニス 最近、サボっていかに好パフォーマンスを出すか考えるようになったんですよ。もともとアイデアがどんどん湧くので行動的なタイプだったんですけど、サボっているときのほうが行動的なときにはないクリエイティブにつながることに気づいて。ぼーっとしたり、好きなことをしていると、インスピレーションが湧いたり、悩みに対して別角度のひらめきが降りてきたりする。サボりは、自分本来のペースに戻す時間だと思うんです。 ──仕事などはどうしても人のペースに合わせることになりますが、サボってる間は自分のペースになれる。 ステレオテニス そうなんです。サボってるときは自分が軸になるんですよ。だから、ヒマとかサボりとかって、ある種の贅沢というか。「ヒマしてる」「ヒマだ」とか言うと、すごく退屈な印象で、みんなヒマを恐れがちなんですけど、「ヒマがある」「ヒマを持っている」と言うと、ちょっと高貴な気分になれませんか(笑)。 リトリート(日常生活から離れた場所で心身をリラックスさせること)なんかも流行っていて、何もないところに出かけて、何もしないことがレジャーになっている。ヒマを買う人がいて、それがビジネスになってるんですよ。ヘンな話ですけど。そうやってヒマを買うような忙しい人たちも、自分の軸ではなく、誰かの軸を基本に生きているという感覚が拭えないんだと思います。 お金から人生や哲学を考えるのも、遊びのひとつ ──サボりともいえる好きな時間は、何をしているときなのでしょうか。 ステレオテニス 散歩したり、寝たり、コンテンツを観たり、温泉に行ったり、瞑想したり、いろいろありますけど、お金の勉強も趣味なんです。勉強というか、お金の世界を知るのが楽しい。仕事があるのに、お金の仕組みがわかる動画を観たりしちゃいます。遊びというか、仕事と直結しないことを一生懸命やってる感じですね。 その関心も、最初は「お金とは?」「経済とは?」といったところにあったんですけど、お金のことを考えていると、だんだん自分の価値観や生き方といったテーマに広がっていくのもおもしろくて。そんなに意識の高い話ではなくて、お金に縛られないでラクに生きる、発想の転換みたいなことなんですけど。 ──その結果、好きなことや趣味が仕事になって、夢中になっている人もいますよね。 ステレオテニス でも、仕事と遊びの時間は分けたほうがいいような気がするんですよね。私も遊んでお金をもらっているような感覚が仕事にあって、ずっと走り続けていても苦ではないんですけど、気がついたら背中から小さい槍(やり)で追い立てられてるように感じる走り方をしていることに、気づいてない場合もあると思うんです。それで結果的に、体にムリが出たりするのは違うのかなって。だから、ヒマを怖がってワーカホリックになったり、仕事が遊びだと言ったりするより、やっぱり遊びは遊び、真剣にヒマを持つっていう。そういうことがわかってきましたね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 書籍『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』発売! この連載「サボリスト~あの人のサボり方~」が書籍化されることになりました。 これまでに登場した12名のインタビューに加筆したほか、書籍オリジナルの森田哲矢さん(さらば青春の光)インタビューも収録。クリエイターの言葉から、上手な働き方とサボり方が見えてくる一冊です。 『よく働き、よくサボる。 一流のサボリストの仕事術』(扶桑社)は2023年3月2日発売
-
「好きなことでムリなく働くために努力する」佐久間宣行のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、テレビ東京で多くの人気バラエティを手がけ、現在はフリーのテレビプロデューサー、ラジオパーソナリティとして活躍する佐久間宣行さんが登場。クリエイターとしてのルーツや、ほかとは違う番組の作り方、仕事との向き合い方とサボり方などについて聞いた。 佐久間宣行 さくま・のぶゆき テレビプロデューサー/ラジオパーソナリティ。『ゴッドタン』『あちこちオードリー』(ともにテレビ東京)などを手がける。元テレビ東京社員。2019年4月からニッポン放送のラジオ番組『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを担当。YouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』も人気。近著に『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社)がある。 目次SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンスエンタメはサボりのはずが、借金にしゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない SF小説、ドラマ……ルーツを掘り下げ、過去から学んだ ──佐久間さんは、コンテンツの作り手である一方、エンタメ好きとして映画、マンガ、演劇など、さまざまなジャンルの作品を幅広い媒体で紹介していますが、エンタメ好きになったきっかけは、どんな作品との出会いなんでしょうか? 佐久間 やっぱり、中学のころにSFを好きになったのが大きいですね。SFって、ストーリー以前に作品の世界観や仕組みから作っていくんですよ。構造の部分で大きなウソはつくけど、それ以外のディテールはリアリティで埋めていく。そういった世界の仕組みごと作るような作品を好きになったことで、自分がものを作る上でもルールが美しいものや、どこかに新しさがあるものを目指すようになった。SFからの影響は大きいですね。 衝撃的だったのは、中学1年くらいのときに読んだ士郎正宗さんのマンガ『ブラックマジック』。その世界観にびっくりしたのと、まわりの同級生は読んでいなくて、僕だけが出会ったという意味でも特別な作品です。 ──そこからSF小説なんかも読むようになったんですか? 佐久間 中学高校のお小遣いだと、なかなかハード系のSFには手が出せなくて。大学受験が終わったあたりから、よりハードなSFを好きになっていった感じですね。僕が青春時代を過ごした1990年代前半は、音楽でもルーツをさかのぼることが盛んに行われていて、僕は小説やドラマのシナリオなどで過去の作品に触れ、ルーツをさかのぼっていました。古典といわれるSF作品を読むと、「(現在の作品につながる世界観、設定などが)ここに全部あったんだ」といった発見がたくさんあるんですよ。 ──お笑い系のカルチャーも当然好きだったんですよね? 佐久間 もちろん。僕が中高生のころはダウンタウンさんの勃興期で、みんなヤラれてましたから。でも、個人的に大きかったのは、雑誌カルチャーと深夜ラジオですね。特に深夜ラジオは、中学1年でオールナイトニッポン(ニッポン放送)の2部に出会って、毎日聴くようになって。そうすると日曜だけ放送がないから、チューニングをして放送している番組を探していたら、大阪の『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)を見つけたんですよ。海沿いの街だからか、福島県のいわき市でも聴けたんです。 北野誠さんがパーソナリティのすごくカルトなラジオで、番組を通じて大阪のお笑いに詳しくなっていきました。あとは、大槻ケンヂさんや水道橋博士さんといった方々が出ていて、サブカルチャーにも触れられた。深夜ラジオが、地方で暮らすカルチャー不足の僕を救ってくれたんです。 番組作りに必要なのは、仮説の構築と少しのセンス ──佐久間さんのテレビ番組作りについて伺いたいのですが、企画についてはMCとなるタレントありきで考えていると言われることも多いと思います。そうなった背景などはあるのでしょうか? 佐久間 それはあくまでアプローチのひとつなんです。ほかと被らない番組を作ろうとしたときに、ジャンルから考えることもあるし、社会でまだ気づかれていないものから考えることもあるし、そのタレントがほかでやっていないことから考えることもある。 企画を考えるときはだいたいそうですね。自分を掘り下げるか、社会を掘り下げるか、パートナーとなるタレントや企業を掘り下げるか。そこから「このタレントのこういう面って取り上げられてないよな」といった仮説を立てていくんです。 ──仮説を立てるまでが大変そうですね。 佐久間 大変ですけど、日常的に疑問を持ったり、考えたりしているので、そこから仮説が生まれる感じなんですよね。たとえば、「NFT(偽造・改ざんできない、所有が証明できるデジタルデータ)がブームになるって言われてるけど、いつもの怪しい人たちが持ち上げているだけなのか、文化になっていくのか、どっちなんだろう?」とか。 タレントに対しても同じです。フワちゃんがテレビに登場したときは一過性のタレントだと思われてましたけど、仕事をしてみたらそうは感じなかった。きっとそうやって人を油断させながら、しっかりした仕事をしていくんだろうなって。だから、フワちゃんに番組に出てもらうときは、単なる賑やかしじゃなくて、芯を食ったことを言ってもらうようにしています。 ──そういったご自身の見方・価値観と、世の中の価値観とのバランスについては意識しますか? 佐久間 世の中で流行っているものをそのまま扱うことはまずないですね。それは別に僕がやらなくてもいいというか、マーケティングで企画を作れる人が、どんどんアプローチするだろうから。流行っているものの中に、僕が好きになれたり、おもしろがれたりする要素が見つかれば企画にしますけど。 それは、僕がテレビ東京出身だからかもしれません。フジテレビとか電通出身の人なら、人気者のイメージをうまく利用してコンテンツが作れると思うんですけど、かつては、いろんな局の番組を2〜3周してからしか、人気者はテレ東に出なかった。だから、人気者の人気者たる要素から企画を考えるクセがついてないような気がします。 ──自分の価値観をもとに企画を考えると、自分がおもしろいと思うものと、世間がおもしろいと思ってくれるものとでギャップが生じたりしませんか? 佐久間 自分のセンスや価値観だけじゃ番組作りを続けられないだろうから、仮説をもとに仕組みから作ってるんですよね。それでたまたま続けていられるだけで。最終的に自分のセンスを信用しなきゃいけないんですけど、最初から自分のセンスを信用してるわけではないというか。 ──ちなみに、最近では佐久間さん自身がメディアに出演するケースも多くなっていますが、タレントとしてご自身をどう捉えているのでしょうか。 佐久間 表に出ることは、自分では全然考えてないんです。番組の役に立てそうなら出る、くらいの感じで。ラジオは別ですけどね。パーソナリティを数年やってみて、やっぱりラジオが好きだなと思って。仮に『オールナイトニッポン0(ZERO)』が続けられなくなっても、どこかでラジオ番組を持って、しゃべり続けたい、リスナーと触れ合える場にいたい。だから、ラジオを続けるために努力する時間はとっておきたいし、もっと自分の価値観を込めてうまくしゃべれるようになりたい。ラジオパーソナリティであることに対しては、しっかりとした気持ちがあるんです。 エンタメはサボりのはずが、借金に ──佐久間さんは「仕事サボっちゃったな」と思うようなことはありますか? 佐久間 ありますあります。「結局寝ちゃったな」みたいなこともあるし。あとは、サボりとは違うかもしれませんけど、「ここでリフレッシュしないとちょっとしんどいな」と思って、計画的に仕事をしない時間を組み込むことは多いですね。 ──そういった時間にエンタメを摂取しているんですよね。 佐久間 そうなんですけど、最近は観たいものが多すぎて追いつかないから、常に借金を抱えているような状態なんです。だから、サボろうと思って予定を入れるというより、その借金を返すために空いている時間が埋まっていくというか。「やべー、もう劇場公開が終わっちゃう……」みたいな感じで、映画館に行く時間を作ったり。 ──もはやお仕事みたいですけど、やっぱりエンタメに触れる時間自体は別物なんでしょうか。 佐久間 そうですね。作品を観ることについては「勉強のためだ」とかまったく思わず、普通に楽しんでます。自分では、たまたまエンタメを作る側の立場にいるだけ、というイメージなんですよ。常に作品を作り続けなきゃいけない業を背負ったような人たちが、本物のクリエーターだと思うんです。でも僕の場合、一生ゲームをやったり、本やマンガを読んだりするだろうけど、クリエーターでいるのは人生の中で30年ぐらいだろうなって。 しゃべる自分も、しゃべらない自分にもムリはない ──エンタメ以外に、佐久間さんが純粋に好きなことはありますか? 佐久間 人とごはんを食べることですね。本当に少人数で、仕事の話もしないような感じで。一緒に行くのは、大学時代の友人、会社で仲のよかった同僚、あとは後輩数人くらいですけど、おいしいお店でごはんを食べてるときが一番リフレッシュできているかもしれません。 ──仲のいい人といるときの佐久間さんは、どんな感じなんでしょうか。 佐久間 全然しゃべらないです。だいたい話を聞く側で。だから、みんな僕がラジオを始めたときに「こんなにしゃべるんだ!?」って驚いたと思います。誰かに言われたんですよね、「よく黙ってたね」って(笑)。そういう意味で僕のしゃべりに気づいたのは、秋元康さんですね。 秋元さんと『青春高校3年C組』(テレビ東京)という番組を一緒にやっていたとき、毎週定例会議があったんです。そこで秋元さんのひと言に対する僕の返しをおもしろがってくれたみたいで、秋元さんが『オールナイトニッポン』に僕を推薦してくださったんですよ。 ──そうなんですね。打ち合わせのやりとりから、ラジオパーソナリティもできるだろうという発想につながるのがすごいと思います。 佐久間 秋元さんも確信はなかったんでしょうけど、まず『AKB48のオールナイトニッポン』に中井りかさんのサポートとして「出てよ」って言われて。それがおもしろかったということだと思うんですけど。そこはさすが秋元さんだなと。 そんな佐久間さんのラジオでのトークなどがまとめられている 『脱サラパーソナリティ、テレビを飛び出す』(扶桑社) ──普段はあまりしゃべらないほうなのに、ラジオでは自然にキャラクターが切り替えられたのでしょうか。 佐久間 別にムリはしていなくて、キャラクターを作るというより「どの自分を出そうかな?」という感覚でしたね。そこでラジオ好きな自分を出していったっていう。ラジオでの人格も、自分の中にあるものではあるんです。年齢を重ねて、会社を辞めてフリーにもなって、自分にとって不自然なこと、メンタルにくるようなムリのある仕事はやめようと思って。できるだけ気が合う人と仕事をしていたい。そういう意味では、本当のプロフェッショナルではないかもしれません。イヤだったら辞めようと思って働いてるから。 ──オンとオフがあって、オフの状態がサボりということではなく、オンの状態もムリのないようにしていく。それもある意味で息抜きというか、サボりの技術かもしれませんね。 佐久間 基本的に、自分が信用できないんですよ。逆境やストレスの溜まる場所でもがんばれる人間だとは思えないというか。自分をマネジメントするもうひとりの佐久間としては、「佐久間という人間はイヤなことから逃げ出すぞ」ってわかるんですよね。だから、自分で自分のダメな部分をマネジメントする。スケジュールなんかも、「いやこれ、佐久間ムリなんじゃない?」とか、「スケジュールは詰まってるけど、楽しい仕事だから大丈夫そうだね」とか、自分を客観的に見て考えていますね。 撮影=難波雄史 編集・文=後藤亮平
-
「心を動かしながら、遊ぶように働く」加藤隆生のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回は、さまざまな場所から謎を解いて脱出する「リアル脱出ゲーム」を生み出し、新たなエンタテインメントへと育て上げた、SCRAP代表の加藤隆生さんにお話を伺った。クリエイターと経営者、ふたつの顔をどのように行き来しながら、日々「ワクワク」を形にしているのだろうか。 加藤隆生 かとう・たかお 株式会社SCRAP代表取締役/バンド「ロボピッチャー」のギターボーカル。2004年にフリーペーパー『SCRAP』を創刊。同誌の企画として実施した「リアル脱出ゲーム」が評判を呼び、2008年、株式会社SCRAPを設立。多くのリアル脱出ゲームイベントを手がけ、その舞台は遊園地やスタジアム、海外にまで広がっている。また、新宿歌舞伎町の「東京ミステリーサーカス」をはじめ、常設店舗も全国各地に展開している。 ふとしたことから「物語の中に入る装置」を発明 ──リアル脱出ゲームは、2007年にフリーペーパーの企画として行ったのが最初だそうですが、きっかけはなんだったんですか? 加藤 僕が作っていたフリーペーパー『SCRAP』の企画だったのですが、このフリーペーパーはイベントで収入を得ていたんです。フリーペーパーに広告を載せて収益を得るビジネスモデルは崩壊していたので、フリーペーパーを豪華なチラシと捉え、イベントにつなげて集客して、入場料で収益を上げていました。 ある日、「どんなイベントを作ろうか?」という会議をしていたときに、スタッフに「最近、何かおもしろいことあった?」と聞いたら、「(ネットゲームの)脱出ゲームにハマってます」って言う人がいたので、「じゃあそれイベントにしよう」と。 第1回目のリアル脱出ゲーム『謎解きの宴。』 ──とはいえ、謎を作るのはもちろん、脱出ゲームをリアルに再現することなども難しかったのではないでしょうか。 加藤 意外と盲点だったのが、鍵の位置ですね。脱出ゲームって、密室の中で鍵を見つけて、最後にドアをガチャっと開けて出ていくんですけど、現実には部屋の内側に鍵穴のある部屋なんてないんですよ(笑)。外から人が入ってこないようにするものだから。でも、内側から鍵を開けるのが脱出ゲームの醍醐味だから、そこにはこだわろうと、段ボールやガムテープを使って即席の鍵を作ったりしましたね。 あとは、借りていたスペースにこちらが仕掛けた謎とは関係ないものがたくさん置いてあって、みんな、それもわーっとひっくり返しちゃうんですよ。で、そこにあったマンガの中から走り書きのメモみたいなものが出てきて、「これだーー!!」って(笑)。こちらとしては、「え、何それ!?」っていう。でもそれがきっかけで、謎解き目線で世の中を見れば、不思議なことはいっぱいあると気がつけたんです。 ──そういったお客さんの反応や、ご自身の手応えもあって、また開催しようという流れになっていったんですね。 加藤 そうですね。第1回を終えた夜には、「物語の中に入る装置を発明したんだ!」と感じて、謎をどんどん作りたいと思っていました。お客さんも大熱狂で、「興奮して眠れない」というメールが何十通と来て。ほかではできない体験だったので、飢餓感のようなものもすごかったと思います。 ──「早く次の謎をくれ!」みたいな(笑)。 加藤 でも、大事なのは謎じゃなかったんですよ。みんなでコミュニケーションを取りながら、協力して謎と向き合う空間、その仕組みが大事で。僕らは「物語体験」と呼んでいますが、物語を感じる場所、空気があれば、人は熱狂する。それは世界共通で、シンガポールでも、ニューヨークでも、どこでやってもお客さんの熱を感じました。 誰もやっていないことを、自ら切り拓いていく感覚だった ──それにしても、今ほどネットの拡散力が強くなかった時代に、どのように評判が広まっていったのでしょうか。 加藤 当時、mixiに「脱出ゲームコミュニティ」があったので、そこに「リアルでやります」と書いたら、コメントがブワーっとついたんですよね。コミュニティ参加者が6万人もいたので、そこで告知をしただけですぐにチケットが売り切れて。 それ以降は、100枚、200枚、400枚、1000枚と、倍々ゲームでチケットが売れていき、リアル脱出ゲームを思いついた日から4年後の2011年には東京ドームで『あるドームからの脱出』をやっていました。そのころにはTwitterもやっていましたが、東京ドームのときもTwitterとmixiで告知しただけで売り切れたんです。 ──ゲームとして楽しんでいた世界がリアルで体験できると聞いたら、ワクワクしますよね。それで、事業として展開していくようになったと。 加藤 そうですね。さまざまな企業からイベントの依頼や謎制作の依頼が来て、もう個人では対応できなくなり、2008年にSCRAPを設立しました。でも、1回目のイベントの時点で「もうこれは遊びじゃなくなるぞ」と思っていた気がします。そこからは見えるものがすべて謎に見え、日々新しいことを思いついたし、経験を重ねるほど次の経験が作れるようになっていったんです。 だから、ターニングポイント的な大きな出来事があったというより、毎日ターニングポイントを迎えているようなイメージでした。すごいスピードで成長していて、誰もやっていないことを自ら切り拓いて先頭に立っているような感覚で。「ここでは今、自分が世界一なんだ」と興奮してましたね。 ──ひとつずつイベントをこなしながら成長していくことで、東京ドームのような場所でも成立させられるスキルを身につけていったんですね。 加藤 考えてみると、東京ドームでリアル脱出ゲームをやったことは、ひとつのターニングポイントだったといえるかもしれません。小さな部屋だった会場がホール、学校、遊園地と、どんどん大きくなっていって。それが東京ドームになって、燃え尽きてしまった感覚がありました。ミュージシャンにとっての武道館のような場所ですし、名実ともに大きな場所はほかにないんじゃないかと。 そこで、「次は10人しか遊べない部屋を作ろう」と原点回帰して始めたのが、常設店舗です。アパートの一室を借りて、ルーム型のリアル脱出ゲームを展開していきました。イベントごとに会場を借りるのではなく、自分たちで店舗を運営する方向に舵を切ったんです。 「物語」が広げた、リアル脱出ゲームの世界 ──イベントとしての変遷だけでなく、ゲーム自体の変化や進化などはあったのでしょうか。 加藤 コルクという会社の佐渡島庸平さんが編集者として講談社にいらっしゃったときに、マンガ『宇宙兄弟』とコラボしたんです。そのときに、「本当に脱出できてよかった」と泣けるような物語にできないかと提案されて。僕はそれまで、物語は謎解きにとってジャマだとすら思っていたんです。でも、いざ物語をつけてみると、シビアな判断をして脱出しなければならないこともあり、謎が解けた興奮とは別の感動があった。お客さんがみんな泣いていて、それを見て僕も泣いて(笑)。物語性のあるリアル脱出ゲームを作ってみませんか、というのはすごくクリティカルなアドバイスだったと思います。 それをきっかけに、うちのスタッフも急に脚本を書き出すようになって。素人が脚本なんて書けないだろうと思っていたんですけど、みんなサラサラ書いちゃうんですよ。ゲームのシステムや設定を踏まえて、その世界、空間をよりよくするための文章なら、ある意味プロよりもそのゲームを作っている本人のほうがうまく書けるんですよね。 「無実の罪で刑務所に収監され、処刑が目前に迫り脱獄に挑む」というストーリーのある『ある刑務所からの脱出』。 ──やはりスタッフの方々も「リアル脱出ゲーム脳」が発達しているんですね。 加藤 当然、一緒にゲームを作ってきたスタッフたちも、僕と同じようにリアル脱出ゲームを作る力をつけていて、いつの間にか追い抜かれていました(笑)。僕はどうしても経営のほうに回らざるを得ないときもあるので、途中から「もう俺より先に行ってくれ」とゲーム作りを任せるようになっていったんです。 アイデアはパソコンの前に座っていても出てこない ──ご自身が最前線でリードされていたクリエイションを、人に任せることは簡単ではなかったんじゃないかと思います。 加藤 「俺が世界一だ」と思ってやってきたので、やっぱり最初は身を引き裂かれるような思いもありました。でも、47歳になった人間が最前線に立ってクリエイティブだなんだと言っていても、しょうがないなと思ったんです。若い人たちのほうが心の動きのストレッチもきくし、絶対量も多い。だったら、任せちゃったほうがいいんですよね。 今は「どんどんやってくれ」と思うし、スタッフが結果を出せば、自分がそのゲームを作ったかのようにはしゃげる。でも、心のどこかでは「俺のおかげだな」とも思っていて(笑)。彼らがアイデアを思いつけるような場所を用意したり、方法論を作ったりしてきたと、こっそり思ってきたからなんでしょうけど。 ──ゲーム作りのノウハウや知識はしっかり共有されているんですね。 加藤 僕が知っていることは、すべて会社で共有するようにしています。たとえば、謎作りのアイデアが浮かんだとき、すぐに専門家に相談して実現する方法を探ることができるのも、ひとつのアイデア力、企画力だと思うんですけど、そういったネットワークも共有していきました。 あとは、企画の作り方ですね。パソコンの前に座って考えていても、アイデアなんて思いつかないと思うんです。僕のイメージでは、「さあ、思いついて」って言われた瞬間に思いつけないともうダメ。日常的にアイデアにつながるインプットをしていれば、すぐに出てくるはずなんです。何も思いつかないのは、それまでの半年間サボっていたということ。だから、半年後にアイデアを思いつけるような努力を毎日していこうとは、みんなに話しています。 ──何からインプットするかは、やはり人それぞれなんですかね? 加藤 そうですね。マンガでもいいし、山登りでもいい。日常の中にヒントは転がっているはずだから、それを意識することが大切だと思います。ただ、好きなものじゃないと心は動かないので、何かを好きになる能力が高い人は、ゲームもたくさん作れるんですよね。自分の心が動くプロセスを観察できないと、人の心の動かし方もわからないんじゃないでしょうか。 サボりもどこかで仕事とつながっている ──加藤さんの「サボり」についても聞かせてください。 加藤 仕事をサボるほど忙しくないんですよ。1日5時間予定が入っていたら、「うわ、忙しいな……」と感じます。自分では、1日3~4時間で滞りなく業務をこなせる能力があるんだと思っているんですけど(笑)。それくらいの時間ですべてを処理できるようなチーム作りもしてきました。 そう言うとなんか偉そうですけどね(笑)。もちろん、空いている時間にもいろいろ話しかけられたりはするので、純粋に3~4時間しか会社にいないというわけじゃないんです。でも、それは仕事だと思ってないというか。 ──遊びを仕事にしているだけに、線引きが曖昧なのでしょうか。 加藤 はい。今だったらハマってるラジオについて早く社員と話したいんですけど、そう思っている時間も仕事といえば仕事なんです。だから、スマホのソーシャルゲームにハマってダラダラプレイするようなことにも、あまり罪悪感はなくて。絶対にどこかで仕事とつながっているはずだから。 ──常にスイッチをオンにした状態で遊んでいるとしたら、そういった意識もなく純粋に楽しんでいることはあるのでしょうか。 加藤 最近、やっと仕事と関係ない趣味だと思えるものができてきたんです。山登りが好きになって、社内に登山部があるので、その活動に子供と一緒に参加したりしています。あと、仕事っぽくはなりますけど、社内で発足したミステリー研究会にも参加しています。毎月みんなで課題図書を読んで、その感想戦的な飲み会をするんですよ。感想戦の1週間前からドキドキするくらい、それが楽しくて。 ──ひとりで楽しむよりも、みんなで楽しむことが好きなんですね。 加藤 単純に寂しがりなんですよね。会社設立当初は、よくみんなをごはんに誘っていたんですけど、反応が悪いと「もう会社辞める! 俺がなんで会社作ったかわかるか? ひとりになりたくないからや!」って(笑)。それで、みんなパソコンを閉じてごはんに行ってくれる。そんな時代もありました。 今はそうもいかないので、ミステリーとかラジオとか登山とか、共通する話題のある人たちとランチに行ったりしているんです。人と何かを共有するのが好きなんでしょうね。仕事のことをすぐに社内で共有するのも、業務として意識しているというより、単純に自分がそういうタイプなだけなんだと思います。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「普通からズレても、ブレずに自分の“好き”を貫く」中屋敷法仁のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 今回お話を伺ったのは、劇団「柿喰う客」の主宰として演劇シーンをにぎわせながら、2.5次元舞台なども積極的に手がけている劇作家・演出家の中屋敷法仁さん。幼少期からブレずに活動を続けてきた中屋敷さんの、妄信的なまでの「演劇愛」とは? 中屋敷法仁 なかやしき・のりひと 高校在学中に発表した『贋作マクベス』にて、第49回全国高等学校演劇大会・最優秀創作脚本賞を受賞。青山学院大学在学中に「柿喰う客」を旗上げ、2006年に劇団化。旗揚げ以降、すべての作品の作・演出を手がける。劇団公演では本公演のほかに「こどもと観る演劇プロジェクト」や、女優のみによるシェイクスピアの上演企画「女体シェイクスピア」などを手がける一方、近年では外部プロデュース作品も多数演出。 「自分が一番光る場所は、舞台しかない」と思っていた ──中屋敷さんは高校演劇の大会で賞を受賞されるなど、早くから活躍されていますが、演劇と出会ったきっかけから聞かせてください。 中屋敷 一応演劇をお仕事にさせてもらっていますが、思い返すと、5歳のお遊戯会の時点で「世に出てはいた」んです。僕は勉強もスポーツもできなかったんですけど、お遊戯会だけべらぼうに褒められていて。僕としては、演劇でデビューしているという意識でやっていたというか、「自分が一番光る場所は舞台だ」という認識はありました。 みんなにとっては日常が自然なもので、演劇は誰かを演じたり装ったりする世界だったと思うんですけど、僕は逆に役があることで人と会話ができた。実生活では、人とどうコミュニケーションを取ればいいのかわからなかったんです。普段はまったくしゃべらないのに、学芸会になると誰よりも大きい声でハキハキしゃべれたから驚かれていましたね。 ──でも10代になると、人前に出て演技をするにも自意識が邪魔をするというか、恥ずかしくなったりしませんでしたか? 中屋敷 僕は全然恥ずかしくなかったですね。むしろ、一番の地獄は高校の修学旅行でした。新幹線でボックス席になるとか、夜に部屋を行き来するとか、まったくついていけなくて。友達がいないわけでも、ひとりになりたいわけでもないけど、何をすべきかわからなかった。今思えば、雑談をするにしても100%おもしろくて素敵な話をしなければいけないと考えて、うまくできずに苦しんでいた気がします。 ──演じるだけでなく作る側に回ったのも、ご自身の中では自然な流れだったのでしょうか。 中屋敷 演劇部では脚本と演出と主演もやってましたが、とにかくお芝居を作ってみたい、演じてみたいと思っていました。ただ、ほかの部員とはあまりうまくいってなかったです。部活動って、みんなで楽しくやったり、思い出を作ったりすることにも価値があるはずなんでしょうけど、僕は「おもしろい芝居をやらなかったら、やる意味がない」くらいの気持ちでいたので。 おもしろいかどうかは、自分が決めることじゃない 柿喰う客『滅多滅多』(2021年5月) 撮影:神ノ川智早 ──大学時代には劇団「柿喰う客」を立ち上げていますが、当初から「圧倒的なフィクション」といったコンセプトも構想されていたんですか? 中屋敷 そこまで深く考えてませんでしたね。ただ、それまではどうすれば大会で勝てるかとか、同級生にウケるかとか、目的や観客ありきで逆算して作品を作ってきたところがあったので、もうちょっと自分の内面と向き合ってみようと思っていたくらいです。 それで、「妄想」をテーマに自分の頭の中をさらけ出すような作品を作ってみたら、すごくグロテスクなものができてしまって。ただ、演劇はおもしろいけど、自分という人間はつまらないと思っていたのが、「けっこう俺ってヘンだぞ」「人と違うところはあるけど、なかなか悪くないな」と、劇作を通じて自分を客観的に見るようにはなりました。 ──作品を継続的に発表し、劇団としての存在感を高めていくなかで、手応えを感じたり、思うようにいかなかったりしたような紆余曲折はあったのでしょうか。 中屋敷 20歳くらいで演劇をやっていると、「将来これで生きていけるのか?」って、まわりのみんなは悩むし病んでいました。でも、僕はそういうことで悩んだり、ブレたりしたことがない。作品のおもしろさどうこうではなく、演劇に対してこんなに狂信的で盲信的なのはすごいなと我ながら思ったりします。 お客さんが全然入っていないお芝居でも、人生が変わるくらい感動した人はいるかもしれないし、みんながおもしろいと言う作品でも、自分はノれないこともあるわけで。評価を気にしないことはないんですけど、自分の達成感とみんなの評価は違うものなので、そういう点でもブレませんでしたね。 柿喰う客『空鉄砲』(2022年1月) 撮影:サギサカユウマ ──作品作りに関する悩みやスランプも特になかったんですか? 中屋敷 これがないんですよ。先輩たちから「お前は葛藤がなさすぎる」「演技に関する考えが甘いぞ」なんて言われて、「悩んでなきゃまずいんじゃないか」と考えたこともあります。でも今は、「甘くてもいいじゃないか!」って思いますね。無理に悩む必要はないわけで。 「生みの苦しみ」って言葉も、僕はウソだと思ってます。書けないことや思いつかないことは、周囲の人に対して申し訳ないなという気持ちはあるけど、それ自体は苦しくないんですよ。出ないものは出ないし、出たものがたとえつまらないと思っても、とりあえずやってみる。自分ではおもしろいと思えなかった作品に限って、「最高傑作だ」ってみんなに褒められたりするんですから。自分ひとりで判断して、世に出す前にひとりで苦しんでも得がないなとは思いますね。 ──では、ブレずに作り続けた作品において、「演劇のフィクション性」を大事にされているのはなぜでしょうか。 中屋敷 お金と時間をかけて観劇していただくので、日常の延長ではなく、幕が開いた瞬間にすべてのルールが変わるような強い作品をお届けしたいんです。日常とはまったく異なるフィクションの世界に飛び込むことで、お客様の日常もラクになるんじゃないかなと思っていて。僕自身の実生活がそれほどおもしろくないと感じていたからかもしれませんけど。 ──非日常的な演劇を作る上でのこだわり、核となるものなどはあったりするんですか? 中屋敷 気持ち悪いですけど、やっぱり「愛」だなと思います。怒りや悲しみといったネガティブなもの、もしくは悩みや戸惑いといった揺らぎみたいなものって、実はそんなに表現に必要ないと僕は思ってるんです。自分たちがいかに演劇を愛しているか、いかにこの物語を通して世界を肯定的に見ているかを伝えたい。できる限り健康的で、健全で、誰かに対してポジティブな感情を持っていないと、表現を信じられないんじゃないかなと。 お客さんとイマジネーションを共有する2.5次元舞台 ──最近では、2.5次元舞台(マンガやアニメを原作とした舞台)の演出でも活躍されていますが、作品の作り方などに違いはあるのでしょうか。 中屋敷 マンガを読んでいてセリフが声で聞こえてきたり、絵が動いて見えたりしたことってあると思うんですけど、2.5次元舞台では、そういった人間のイマジネーションをくすぐるのが大事だと思っています。原作をそのまま再現しなくても、お客さんの想像力によって作品の世界は動いているはずだから、一緒にその世界を楽しんでいきたいんです。 キャラクターの再現率はあくまでもスタート地点でしかなくて、舞台で観る以上、そのキャラクターに会えたとか、そのキャラクターの感情に触れられたとか、そういう感動がないといけないなと思いますね。 ──イマジネーションを共有できる世界を、舞台上に作り上げていくんですね。演出を始められた当初から、そのような意識はあったんですか? 中屋敷 2.5次元は原作のイメージが強いので、「僕がお客さんなら絶対にこのシーンはやってほしいだろうな」みたいなことは考えてましたね。だからこそ、「どう(演出)するかわからないところほど、お客さんをびっくりさせないとな」という気持ちもあって。 初めて演出した『黒子のバスケ』だと、バスケットボールを舞台上でどう扱うかがまず問題になるんですけど、僕にとってはむしろ「お好み焼きをどう飛ばすか」のほうが難関だったりして。原作にお好み焼きを焼いていたら飛んじゃって、あるキャラクターの頭に乗っかるっていうシーンがあって、どう飛ばすかずっと考えていました。結果的にとてもくだらない飛ばし方を思いついて、本番でも大爆笑でしたね。 ──ボールよりお好み焼き(笑)。そういった細部へのこだわりのほかに、2.5次元舞台における中屋敷さん演出の特徴と呼べるものはあるのでしょうか。 中屋敷 僕は俳優さんが好きなので、彼らが埋もれるようなスケールのセットや大がかりな舞台転換なんかはあまり好きじゃなくて。このスタイルには称賛も批判もあると思うんですけど、できるだけ俳優さんに目が向くように心がけています。 『文豪ストレイドッグス』という舞台には、キャラクターがトラに襲われるシーンがあるんですけど、普通はトラをどう作り出すか考えるじゃないですか。でも、僕はアニメを観たときから、トラから逃げるキャラクターの動きが素敵だから、そこを描きたいと思っていました。トラは映像でいいので、俳優さんの心と体の動きにお客さんの注意が向くようにしたかったんです。 仕事を詰め込まないとパンクしてしまう? ──中屋敷さんのように常に動いていたいタイプの方だと、やはり仕事をサボりたいと思ってしまうようなことはないのでしょうか。 中屋敷 僕は演出家としては多作な部類なんですね。月に1本以上の作品を作っているので、台本を執筆しながら別の舞台の稽古をしたり、午前と午後で別の舞台の稽古に行ったりすることも多い。でも、そうしていないと苦しくなってしまうところがあって。なんか、「頭の中がパンクしちゃう」と思うんですよね。 ──普通は仕事を詰め込むことでパンクしちゃうものですが……。 中屋敷 ちょっとわかりにくいですよね(笑)。過去に一度だけ、ひとつの作品に集中しようと思って、創作に2カ月ぐらいかけたこともあったんですよ。でも、それが僕にとっては地獄の2カ月で、何がやりたくて、何がおもしろいのか見失ってしまって。結局、「もっとたくさんの演劇を観たい、もっとたくさんの俳優さんに会いたい」という気持ちが原点にあるんだと気づいた。だから、僕のサボりも、関係ない演劇作品について考えることだったりするんです。 ──常にたくさんの演劇に触れることが、ある種のサボりというか、息抜きになっているんですね。 中屋敷 「わ~! やることいっぱいある!」って言いながら、直接は関係ないシェイクスピアとかを読んだり、目の前に締め切りがあるのに、1年後に演出する舞台の台本を読んだりしてしまうんですよ。それってサボりなんですけど、自分の作品から離れることでその作品のよさがわかることもあるし、1年後にやる台本を読むことで「準備がいい」と言われることもある。だから、線引きが難しいんですよね。 でも、ごはんを食べに行ったり、山登りに行ったりしても、まったくサボれた気がしない。ちょっと思考が止まっていただけであって、作業を再開したときに何もリフレッシュできていないようなことはよくあります。 ──では、演劇以外で単純に好きな時間、好きなことはありますか? 中屋敷 怖いことに、これもあんまりなくてですね……。家族と過ごしたり、友達と遊んだりするのはすごく楽しいんですけど、没頭するほど好きなものってないなと思っていて。ドラマや映画で俳優さんを見ることは好きですけどね。演技をしている人間や、その芸を見るのは気持ちがいい。 あと最近は、ドラマのスタッフさんに注目しています。この人のプロデュースはいいなとか、このチームの撮り方はすごいとか、美術も作り込んでるなとか。俳優さんだけでなく、俳優さんの魅力をどういう人たちがどう引き出しているのかにも興味があるんです。 ──稽古や取材のときも常にピンクパンサーのぬいぐるみを持ち歩いているそうですが、日常的に大事にしていること、ルーティンなどはあるのでしょうか。 中屋敷 また演劇の話になりますが、“演出家らしさ”を装わないようにしていますね。演出家になりたかったのではなくて、学芸会が楽しかったという思い出が創作のエネルギーの基本にあるので、童心を忘れないようにしたい。ぬいぐるみを持っているのも、そのための警告だったりするんです。演出家ぶって偉そうなことを言っても、ぬいぐるみ持ってたら間抜けじゃないですか(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
-
「ウソとホント、仕事とサボり、あいまいだからおもしろい」吉田悠軌のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回は実話怪談界をリードする怪談・オカルト研究家の吉田悠軌さんに、怪談との出会いやこれまでの活動、実話怪談の魅力などについて聞いた。「虚実のあわい」にあるという怪談が、なぜブームと呼ばれるまでに広まっていったのだろうか。 吉田悠軌 よしだ・ゆうき 怪談・オカルト研究家。早稲田大学卒業後、ライター・編集活動を開始。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長として、オカルトや怪談の研究をライフワークにしている。TBS『クレイジージャーニー』など、さまざまなメディアに出演。テレ朝動画『あなたのまだまだ知らない世界』ではナビゲーターを務めている。怪談に関する著書も多数。近著として、『一生忘れない怖い話の語り方 すぐ話せる「実話怪談」入門』、『現代怪談考』などがある。 好きで始めた怪談が、やがて仕事に ──吉田さんが怪談の道に進んだのは、稲川淳二さんの怪談に出会ったのがきっかけだそうですね。 吉田 はい、2005年ですね。もちろん、小さいころから怖い話などには触れてきてはいましたが、「怪談をやりたい」と思ったのは社会人になってから、まあ、就職できず社会人にはなれなかったんですけど(笑)、稲川淳二さんのライブを観たのがきっかけですね。それで、一緒にライブに行った今仁(英輔)さんという人と怪談サークル「とうもろこしの会」を立ち上げました。 最初は仕事にしようとか、お金にしようとかいう気持ちもなく、怪談好きの人とただ飲み会をやっていた感じで。当時は今ほど怪談が一般に浸透していなかったので、普通の飲み会で怪談の話をすると引かれたというか……まあ、今でもそうでしょうね(笑)。それで、数少ない同好の士と怪談について語り合っているうちに、だんだんLOFT(新宿などにあるトークライブハウス)なんかでイベントをするようになったというか。 ──だんだんお仕事として活動できるようになっていったと。 吉田 時代がよかったんですよね。業界で怪談のプレイヤーを育てようという動きが起こったタイミングだったので。怪談をリードする出版社の竹書房が新人発掘のために『超-1』という実話怪談著者発掘の大会を始めたり、LOFTでも若手の怪談プレイヤーで新しいイベントを企画していたり。それがちょうど2005~2006年くらいだったんです。 私も書き手と語り手の2本柱で活動するようになりましたが、それでも職業にできるほど稼げるまでには7~8年かかっています。その間はずっとバイトをしていました。営業前の居酒屋を借りてイベントをやっても、お客さんがふたりだったこともあって……それこそ『浅草キッド』みたいな状況でしたね(笑)。 30年以上の歴史の中で広がっていった「実話怪談」 ──そこから吉田さんが怪談を仕事にできるようになったのは、何か転機などがあったのでしょうか。 吉田 ある時期を境に大きな変化が起きたわけではなくて、怪談がだんだん社会に受け入れられ、仕事が増えていったという感じですね。やっていることは変わらないのですが、本を出したり、イベントをやったり、メディアに出たりする機会が多くなった。 昨今の怪談は主に本当にあった怖い話である「実話怪談」と呼ばれるものなのですが、私はその動きを15年スパンで3期に分けています。第1期は1989年~90年くらい、平成とともに始まっていて、私は第2期が始まる2005年くらいから活動を開始しました。そして、平成とともに第2期が終わり、令和とともに第3期が始まった。こうしてゆるゆるとシーンの裾野が広がっていったというイメージですね。 ──3期の違いというのは、どういったところにあるんですか? 吉田 第1期はすでに名が売れている作家さんの本やイベントを楽しむような受け入れられ方でしたが、第2期になると、一般の人も「怪談をやろう」とプレイヤーとして動き出すようになりました。私も含め、名もない怪談好きたちがインディーズでバンドを始めるように怪談を語るようになったんです。 そして第3期になると、インターネット配信によってプレイヤー数が爆発的に増えました。YouTubeなどで手軽に配信・視聴ができるようになり、熱心な怪談ファンだけでなく、ライトユーザーと呼べるような人も増えたんだと思います。令和になってから、ほかの業界の方から「今、怪談ブームだよね?」と言われるようにもなりました。 虚と実のあわい……「実話怪談」の不思議な魅力 ──吉田さんの考える「実話怪談」の特徴や魅力などについて聞かせてください。 吉田 ジャンルとしては、実際に不思議な体験をした人がいて、その体験者への取材をもとにしたレポートであるというのが実話怪談です。怪談はそもそも、信ぴょう性やリアリティのグラデーションはあるにせよ、「本当にあった怖い話」のはずですよね。実話怪談はそれをより明確にし、少なくとも体験者は本当にいる、自分で取材したのでその点は担保します、というルールを徹底しています。 私は実話怪談を、書き手や語り手とその受け手が一緒に育てていった、ひとつの文化運動として捉えています。自分が2005年に出会ったときも、「これは新しい、来るな」と文化的な広がりを感じて、「一生やる仕事だな」と確信しました。自分がもっと深掘りし、広げていくべきだと。 ──その新しさとは、どのようなところにあったのでしょうか。 吉田 実話怪談は人の体験談なので、小説のように作家がゼロから創造した作品ではありません。また、リアルなレポートではありますが、ドキュメンタリーやルポルタージュともちょっと違う。不思議な体験を扱うので、体験者はウソをついていなくても、結局、それが証明・検証できる事実かどうかはわからない。本当か事実かということを、きっぱり分けられない。そういった虚実のあわいが、魅力的で新しいと感じました。 私たち怪談好きは、不思議な現象を「本当にあるんだよ!科学的に証明できるんだよ!」と主張しているわけではないんです。証明できるとは思っていませんし、証明できちゃったら怪談じゃないと思っています。でも、不思議な体験をした人がいるのは事実で。私だけでも何千人と取材していますが、みんながウソをついているとは考えにくい。だったら、不思議な体験があるということを楽しみましょうと。肯定と否定の二元論ではなく、その先のステージで考えています。 ──受け手の人たちも、吉田さんのように「ウソかホントか」を超えて不思議な現象を楽しんでいるんでしょうね。 吉田 そうですね。社会におけるリテラシーが変わったというか、「どうせウソでしょ?」と、怪談は科学的思考ができない人が楽しむものだと切って捨てられるようなことが、だんだんなくなってきたと思います。 実話怪談を楽しんでいる人たちは、日常とは異なる世界、異界のようなものがあるかもしれないことに、恐怖やワクワクを感じている。それって、ある種の救いになったりもするじゃないですか。 ──自分が知っている世界がすべてではない、という感覚が楽しみや救いにつながるのはわかる気がします。宇宙探査なんかもかつてはそういった魅力があったんでしょうね。 吉田 つまり「秘境」ですよね。ネット社会になって情報がグローバルに共有され、Googleマップが登場したことで、地理的な意味での秘境はなくなりました。日本でも、90年代までは山奥に誰も知らない村落があるんじゃないかという噂があったりしたんですよ。でも、実話怪談では誰かの身近な体験として不思議なことがある。今はそういう話が求められていると思います。 「俺がなんとかしなきゃ」怪談シーンは終わらせない ──吉田さんは体験者に取材するだけでなく、現地を取材したり文献にあたったりと、怪談を研究するような活動もされていますが、活動としての違いはあるのでしょうか。 吉田 体験者に聞いた話を語ったり文章にしたりする表現的な活動も、現場や文献にあたる批評的な活動も、根本的には同じものだと思っています。実話怪談はそのすべてを組み込める、広がりのあるジャンルなので。誰かの体験談を語り、作品にするのもある種の批評行為なんですよね。人から聞いた体験談をこちらで再構成し、編集して世に出すわけですから。 また、怪談イベントでは、誰かの話にほかの演者が「その話って、こういうことなんじゃない?」と感想を言い合うことがよくあるんですけど、その解釈、つまり批評自体が怖かったりもする。怪談というジャンルはクリエイション(作品)とクリティーク(批評)の境がないんですよね。だから、新しいんだと思いますし、21世紀になって流行っているんでしょうね。 ──では、今後の怪談シーンはどうなっていくのか、またご自身はどう活動されていくのか、お考えを聞かせてください。 吉田 「業界がどうなるか」と受動的に眺めるのではなくて、「俺がなんとかしなきゃ」とは思っていますね。せめて私が老後を迎えるまでは、怪談業界を存続させたいので(笑)。若手も食っていけるようにするために、業界の整備、マネタイズできるような仕組み作り、後進の育成などに意識的に取り組んでいます。まだまだ怪談業界を盛り上げていきたいですね。 仕事の中の「快楽」を見つけてサボる ──吉田さんの「サボり」についても伺いたいのですが、お仕事中についサボってしまうことはありますか? 吉田 自分の中では、ほぼサボってるなという感覚です。ちゃんと仕事をしているのは1日2時間くらいかもしれない。「もういいや、本でも読んでよう」って寝転んでサボっているつもりでも、読んでいるのは資料なのであいまいなんですけど。でも、調査も、文献にあたることも仕事としてカウントしていないんです。 すごい極論ですけど、全知全能の人なら何も調べなくても完全なる正解を書けるわけですよね。調べないで書けたほうが偉いんだけど、調べないと書けないから仕方なく調べていると自覚すべきであって、こちらから自慢してはダメというか。資料を求めて国会図書館に通ったりもしますが、手足を動かして、ひたすら調べればいいわけで。たとえば毎日20kmを血ヘド吐きながら走っているというのとは違う。他人に指摘されるならともかく、自分から「努力してる」「これだけ取材してます」とは言わないほうがいいなと思っています。あくまで好みの問題ですが。 ──他人から見たら煩わしいことが苦にならないという意味では、調査などは向いていることなんでしょうね。 吉田 性には合っているんでしょうね。資料にあたるのが一番の息抜きだったりもしますし、単純に楽しいので。半信半疑で調べていたネタの気になる点を調べていくうち、その元となる情報が本当にあったんだと発見できたときは、めちゃくちゃテンションが上がりますよ。そういった意味でも、苦行に励む努力の類いではない。自分にとって、やっぱり努力ではなく快楽なんですよね。 logirlで配信中の3番組による『logirlスーパーオンラインライブ』が3月20日(日)に開催! 吉田さんもcaicatariスペシャル『三種の恐気(おそれげ)な夜』に登場します ──では、怪談とは関係なく妙に好きなこと、ハマっていることなどはありますか? 吉田 歩くことですね。都内をあちこち歩いているうちに、結局、怪談につながってしまうことも多いんですけど。怪談がささやかれる場所は、たいていアップダウンのダウンに当たる地形で、かつて川だったのが暗渠(あんきょ)になっていたり埋め立てられていたりするような元水場、そういう場所ばっかりなんです。 でも、怪談に出会う前からめちゃくちゃ歩いてましたね。バイト中に電車賃を浮かせるために歩いたりもしていましたが、それも好きだから歩いていただけで。今でもよく歩いています。こんなご時世になる前は、よく缶チューハイを片手にラジオを聴きながら歩いていました。 ──だいぶエンジョイしてますね(笑)。 吉田 いかがなものかとは思いますが……(笑)。私、お酒は好きなんですけど、お店にはあまり行かないんですよ。ひとりでは行かないし、人を誘って行くこともない。仕事のあとの打ち上げは大好きなんですけどね。だから、わざわざ外に出て歩いて飲んでいたんです。 ──何か目的やゴールを決めることもないんですか? 吉田 そうですね。メンチカツのおいしい店を調査しているので、気になる店の近くを通ったら買ったりしますけど、基本的に何も決めていません。なんなんでしょうね、本当に単純に歩くのが好きなんです。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 吉田悠軌さんがMCを務めるテレ朝動画logirlの怪談番組 『あなたのまだまだ知らない世界』が「TVer」で配信中! 同じくテレ朝動画logirl『恋する怪』も「TVer」で配信中!
-
「出会いを大切にしながら、自分と向き合っていく」塩谷歩波のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、建築図法を活用して銭湯を描いた「銭湯図解」が話題を集めた塩谷歩波さん。詳細なだけでなく温かみも感じられる図解の描き方や、絵を仕事にするまでの歩み、リフレッシュにまつわる哲学などを語ってもらった。 塩谷歩波 えんや・ほなみ 画家。早稲田大学大学院(建築専攻)修了後、設計事務所、高円寺の銭湯・小杉湯を経て、画家として活動を開始する。2016年より建築図法「アイソメトリック」と透明水彩で銭湯を表現した「銭湯図解」シリーズを SNSで発表。2019年にシリーズをまとめた書籍『銭湯図解』が発売されたほか、TBS『情熱大陸』など、多くのメディアにも取り上げられた。現在はレストラン、ギャラリー、茶室など、銭湯に留まらず幅広い建物の図解を制作している。ゲスト出演したテレ朝動画『小川紗良のさらまわし』が、3月11日(金)17時〜logirlにて配信予定。 どん底の気分から救ってくれた、銭湯との出会い ──塩谷さんが「銭湯図解」をきっかけに絵をお仕事にするまでには、いろいろな体験や出会いがあったそうですね。 塩谷 はい。大学で建築を学び、設計事務所で働いていました。でも、大学時代に思うような成績が取れなかった悔しさなどから、がんばりすぎて体調を崩してしまったんです。病院の先生に3か月休職するように言われて、「もうこの業界でやっていくのは無理かもしれない……」とだいぶ落ち込みました。 そんなときに、同じように休職していた知り合いに誘われて、銭湯に行ったんです。久しぶりの銭湯は、身も心も疲れていたこともあり、めちゃくちゃ気持ちよくて。「こんなにゆっくりできるの、久しぶりだな」ってすごく感動したんですね。そこから、いろんな銭湯に行くようになりました。 ──そのよさをイラストで表現しようとして、「銭湯図解」が生まれたと。 塩谷 当時、友達とTwitterで交換日記のようなことをしていたんですけど、その子に自分が好きな銭湯について知ってもらおうと思って描いたのが、「銭湯図解」なんです。その絵が銭湯好きの方々の目に留まって。「いいね」をもらえたのがうれしくて、どんどん絵を描くようになったという感じですね。 最初は走り描きみたいなものでしたけど、反応をもらううちに「私が銭湯で感じたよさはこんなものじゃない」「もっと描ける」と、自分が感じたものをよりよく伝えたくなって、試行錯誤するようになりました。最初から建築図法は使っていましたが、浴室をきちんと測量し、より詳細に描くようになったり、水の光の照りを描こうと工夫したり。 高円寺の銭湯「小杉湯」の銭湯図解 建築と銭湯、共通するもの、違うもの ──「銭湯図解」を描き始めたことで、実際に「小杉湯」という銭湯で働く経験もされているんですよね。 塩谷 いろんな銭湯さんから図解のご依頼をいただくようになるなかで、小杉湯の3代目と親しくなったのがきっかけです。ハウスメーカーの営業をされていたこともあり、銭湯を戦略的に盛り上げようと考えているような方で。私も建築の知識を活かして、銭湯で何かできないか考えていたので、すごく仲よくなったんです。 復職したものの、やっぱり体調がついていかないという時期で、そのことを3代目に相談したら「うちで働けば?」と誘ってもらえたので、思い切って転職することにしました。受付や掃除といった業務はもちろん、イラストつきのPOP作り、メディア取材やイベント対応といった広報業務、自主イベントの企画など、いろんなことをやらせてもらいましたね。 ──設計事務所とは異なる分野で働いてみて、得たもの、感じたことなどはありますか? 塩谷 分野は違いますけど、銭湯の仕事は建築に通じる部分も多かったと思います。建築を学んでいたとき、場所や家族構成などの設定をもとに「この家族にとって住み心地のいい家とは?」といった課題に取り組んでいましたが、小杉湯でも「この問題を解消するために、こんなイベントをやってみたらどうか」といった頭の使い方をしていたので。 違いを感じたのは、物事の進み方や距離感ですね。建物が建つまでには何年もかかりますけど、銭湯では絵を描いたら翌日には「いいね」と言ってもらえるような早さや近さがありました。あと、建築は多くの人の手を介してひとつの建物ができ上がりますけど、絵だったら「これは私の作品です」と堂々と言えるのもうれしかったですね。 描きたいのは、人が楽しんでいる幸せな空間 ──「銭湯図解」は、銭湯を楽しむ人たちが生き生きと描かれていることも魅力のひとつですよね。その点についてのこだわりはありますか? 塩谷 建築の絵はあまり人を描き込まないのですが、大学での師匠に当たる方から「絵の中に人がいなかったら、建築、死んでるよね」と言われたことがあって。ずっとその言葉が心に残っていて、「銭湯図解」でも人を描くようになったんだと思います。 それと、もともと奇抜な形の建築よりも、人が集まる様子や物語が感じられる建築のほうに惹かれるタイプだったので、人が楽しんでいる幸せな空間を描きたいという気持ちが、絵に表れているのかもしれません。 国立の銭湯「鳩の湯」の銭湯図解 ──絵に描かれた人々の様子は、実際に銭湯で見た光景がベースになっているのでしょうか。 塩谷 そうですね。子供がお風呂を出た瞬間にパッと逃げて、お母さんがタオルを持って追いかける場面など、銭湯でよく見かけるシーンを絵にすることは多いです。取材で銭湯に行ったときも、一番うれしくなるのはハプニングに遭遇したとき。人との出会いも、銭湯のよさだなって思います。 中にはクセの強いおばちゃんもいたりして、地方の銭湯で「背中洗ってあげるわよ」って、自分の体をめっちゃ洗ったタオルをそのまま背中に持ってこられたこともありました(笑)。「さすがにそれは……」と思いましたけど、そういうハプニングがあると、なんだかうれしくなっちゃうんですよね。 ──実際に体験したこと、感じたことが表現されているので、より親しみを覚えるんでしょうね。 塩谷 本にするときも、その銭湯の情報というよりも、私が感じたその銭湯のよさや、そこに置いてきた感情、帰りに食べた焼き鳥がおいしかったといった思い出をちゃんと伝えたいと考えていました。 描くものも、描き方もどんどん広げていく ──ちなみに、塩谷さんが「いい銭湯だな」と感じるのは、どんな銭湯なのでしょうか。 塩谷 2パターンあるんですけど、ひとつは大切に使われていることがわかる銭湯ですね。掃除も行き届いていて、自分の銭湯を愛してるんだなって伝わるような銭湯。もうひとつは、とんでもなく建物がいい銭湯。すごみを感じるような、歴史のある古きよき銭湯はカッコいいと思います。 ──現在は独立して絵を仕事にされていますが、銭湯以外のものを描いていて、違いを感じることなどはありますか? 塩谷 そこに息づく人を描くということは変わらず大切にしていますが、シンプルに「服を描くのって大変だな」と思うことはありますね(笑)。「なんで服なんか着てるんだろ?」って理不尽なことを考えたりしちゃいます。 あとは、「この劇場のスタッフを全員描いてほしい」とか、その場に関わる一人ひとりに愛情を込めたご依頼が増えたのは、すごくうれしいです。以前は説明や紹介のためのツールとして図解が捉えられていたけれど、だんだん絵としての価値を認めてもらえるようになったのがありがたくて。 ベーカリーカフェ「サンジェルマン」の図解 ──今後の展望として、描いてみたいものなどについて聞かせてください。 塩谷 これからもご依頼いただいたものを描くのはもちろん、自分で「描きたい」と思えるものも見つけていきたいと思っています。今、興味があるのは、寺社仏閣ですね。京都の三十三間堂に千手観音がずらっと並んでいたりするのを見ると、「描きたい……!」って思うんです。大変そうなものほど描きたくなるというか。 あとは海外の建物、世界遺産も描いてみたいし、車の断面なんかも描いてみたい。どんどん描くものの幅を広げていきたいし、図解にこだわらず、表現の幅も広げてみたいと思っています。 日本茶スタンド「Satén japanese tea」の図解 巡り巡って、生活がサボりになった? ──銭湯はサボりやリフレッシュの定番ツールでもあると思いますが、塩谷さんはどのように銭湯を楽しんでいたんですか? 塩谷 小杉湯で働いていたころは、週8くらいで銭湯に行っていましたね。毎日小杉湯に入るのと、小杉湯+別の銭湯で1日に2回入る日もあったので(笑)。あつ湯に入ってから水風呂に入るという交互浴がすごく好きなので、それを繰り返しながら1時間半くらいしっかり楽しむんです。 それこそコロナ前は、ランニングをしてから銭湯で汗を流して、お酒を飲んで帰るのが好きでしたね。銭湯の番頭さんに「このあたりにおいしいお店はないですか?」って聞いたりして。 ──サボりやリフレッシュというより、生活の一部だったんですかね。今のほうが銭湯をリフレッシュとして楽しめたりするのでしょうか。 塩谷 今でも銭湯は好きですけど、最近は「無理に切り替えなくてもいいんじゃないか」と思うようになってきたんですよね。独立してひとりで過ごす時間が長くなると、怒りや悲しみの感情を引きずってしまうこともあるんですけど、無理に切り替えようとすると逆にストレスが溜まる気がして。 生活をしていても、銭湯に行っても、その感情を捨てずに煮詰めていく。そうすると、だんだんネガティブな感情が消えたり、問題の捉え方が変わったりするんですよ。絵がうまく描けなくてムカムカしていたのが、「今は成長のタイミングだから、もっとうまくなるはず!」って思えるようになるとか。 ──息抜きの必要がないということではなく、大事なのは向き合うべき感情から逃げないということですかね? 塩谷 そうですね。お茶が好きなんですけど、自分でお茶を淹れて飲んでいると頭がフッと落ち着くので、そういう時間は好きですし。でも、息抜きすら大事にしていない時期もありました。以前は絵を描くことを重視しすぎて、生活を外に追いやっていたんです。家のお風呂場をクローゼットにしたり、洗濯もコインランドリーで済ませたり……。設計事務所時代ほどじゃないですけど、同じように絵だけを優先してしまっていて。 最近になってようやく、生活を充実させると、意外と仕事も充実することがわかってきたんですよね。今では必要以上に自炊したり、お風呂掃除に異常に時間をかけたりするようになりました。 ──仕事を中心とした一日の中に、「生活」というサボりを取り入れるようになったとか……? 塩谷 そうなんですよ。家事をするようになってから体調がよくなり、朝、ランニングするようになって体力がつき、頭も冴えるようになりました。仕事の効率を上げることを追求していたら、結果的に「普通の暮らし」にたどり着いたというか。「生活」を再発見しましたね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
-
「楽しめるうちは、全力で楽しみきる」MBのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。 今回お話を伺ったのは、ユニクロの商品解説や着こなし術など、ファッションを苦手とする人たちのための情報を発信し続けているMBさん。ファション業界を盛り上げようと動き続けるMBさんの多岐にわたる活動や、心休まる時間などについて語ってもらった。 MB えむびー ファッションバイヤー/ファッションアドバイザー/ファッションブロガー/作家。ユニクロをはじめとするファストファッションを対象にした論理的な「お金を使わない着こなし法」が注目を集め、書籍、ブログ、メルマガ、YouTubeなど、さまざまな媒体で情報を発信。著書『最速でおしゃれに見せる方法』やマンガ『服を着るならこんなふうに』(企画協力)など、書籍の発行部数は累計200万部を突破し、有料メルマガは配信メディア「まぐまぐ!」にて個人配信者として1位をマーク。2022年1月29日には、新刊『MBの偏愛ブランド図鑑』が発売される。 楽しめるうちは、ひたすら突っ走る ──動画を拝見することが多いので、YouTubeの印象が強いのですが、幅広いメディアで活動されていますよね。 MB YouTubeはほぼ毎日更新していて、登録者数も37万人を超えましたけど、始めたのは2年前くらいなんですよね。この仕事を10年ほどやっていて、主な実績となると書籍のほうが強いかもしれません。本は30冊ぐらい出版されていますし、マンガやライトノベルを監修したり、ビジネス書を手がけたりもしているので。 ほかにも有料メルマガやオンラインサロン、オリジナルブランドの販売、アパレルとのコラボレーション、講演会、メディア出演などもやっています。だから、とにかく打ち合わせが多くて。あとは執筆や撮影でスケジュールが埋まるので、年間ほぼ休みなく活動しています。 ──サボるヒマなんかないですね……。 MB 旅行が好きなので、コロナ前は国内海外、いろんなところに出かけてはいましたけどね。旅先でもほとんどパソコンに向かっているんですけど、場所が変わるだけでも気分転換になって楽しいんです。飛行機に乗るのも好きですし。 自分としては洋服が好きでやっていることであって、そこまで仕事をしている感覚もないんですよ。「休みがない」と言うと驚かれますが、精神をすり減らしながら働いている感じではないというか。 ──好きなことを楽しんでいる感覚に近い。 MB そうですね。だから楽しくなくなったら、スパッとやめてしまうかもしれません。無理して続けるつもりはないですね。 日本一、「ファッションに興味のない人」のことを考えた ──ユニクロを扱ったアドバイザー的な活動を始められたのは、どんなきっかけからなんでしょうか? MB パリのファッションシーンが好きで、コレクションを20年ぐらい追いかけ続けているんです。革新的で新しいトレンドを生み出すのは、やっぱりパリなんですよ。ただ、そんな話をしてもわかってくれる人は限られてくる。だったら、ファッションに興味を持ってくれる人を増やして、全体のレベルが上がっていい服が市場に出回るようにしよう、パイを増やそうと考えたんです。 でも、そこで着こなし法やおすすめのアイテムを紹介しても、商品を手に入れて実践できなかったら意味がない。実際に着て「たしかにカッコいい」「褒められた」と実感する体験がないと、市場はふくらまないはず。だからユニクロなんです。47都道府県津々浦々に店舗がしっかりあって、なおかつ同じアイテムを展開しているとなると、ユニクロしかないんですよね。 ──ファッションに興味がない人にアプローチするため、リサーチなどもたくさんされたのでしょうか。 MB たぶん、日本で僕以上にファッションに興味のない人のことを考えた人はいないっていうくらい考えました。死ぬほど考えましたね。アパレルの販売員だったころから、彼らがどんなことに困っていて、どんなところで服を買っているのか聞いたり、リサーチしたりもしていましたし。 自分のセンスを押しつけるのではなく、論理的な提案とターゲットの需要をつなげる作業が必要だと思ったんです。だから、リサーチをもとに「足が短くてパンツが似合わないと思ってる人には、こういう提案をすればいいかな」といった事例をひたすら考えました。あらゆる課題に応えられるように、すべて準備してからコンテンツを作ったんです。 ──最初にブログを始められたそうですが、先々のコンテンツまであらかじめ用意していたんですね。 MB 本当はやりながら改善していったほうがよかったと思いますけどね。ヘンに完璧主義なところがあって(笑)。どんな疑問や反論にも、100%返せるようにしておきたかったんですよ。それに内容だけでなく、ファッションに興味がない人に届けるためのタッチポイントも考えていました。 みんなが洋服のことで悩むのって、主に結婚式やライフステージが切り替わるタイミングなどですよね。だから、「スマートカジュアル」「結婚式の2次会スタイル」「上司の着こなし」といった検索キーワードを押さえるようにしたんです。おかげで準備期間はすごく長くなりましたけど、ブログを始めて半年で月間40万PV獲得できるようになりました。 ──「言われてみると当たり前のようだけど、そこまでやらないな」ということを徹底的に実行されているように感じます。 MB ブログに続いてメルマガも始めたんですけど、とにかく顧客を逃さないようにしていました。よく水とバケツにたとえられるんですけど、集客という水が流れても、バケツに穴が空いていると顧客にはならず、どんどん流れ出てしまう。僕の場合、水の量は少なくても、バケツの穴をふさいで確実に顧客になってもらうように努めました。僕にしか出せない情報を発信し、読者が1,000人規模になっても質問にはすべて返信するといった感じで。 たぶん、自分に自信がないんですよね。だから、人の3倍、4倍時間をかけて、できることをとにかくやる。それだけなんです。 一番の喜びは、「おしゃれが楽しい」と思ってもらえること ──入念にリサーチとシミュレーションを重ねてコンテンツを展開されたわけですけど、読者の質問に答えるなど、ユーザーと触れ合うことによるフィードバックもあったのではないでしょうか。 MB いっぱいありましたね。予想もしないことで悩んでいるんだと驚いたり、思った以上にこちらの言葉が伝わらず、繰り返し発信したり、書き方を変えてみたり。「僕は身長175センチなので、このアイテムはLサイズを選んでいます」と書いたら、「MBさんおすすめのLサイズを買いました!」と身長190センチ近い方からメッセージをもらったこともありました……(笑)。 それこそ、「コーディネートのバランスは、ドレスとカジュアルで7対3に」と10年間言い続けていますけど、「どうですか?」とメルマガに全身カジュアルの写真が投稿されるなんてこともけっこうありますから。でも、自分の中に「こういう言い方をすれば、みんなに届くだろう」っていうおごりがあったんだと思うんです。相手に届く言葉をちゃんと考えなきゃいけなかった。 ──どのように伝え方を変えていったのでしょうか? MB 僕が言葉を届けようとしている人たちが、どんな暮らしをしていて、どんなことを考え、どんな言葉を求めているのかまで考えて、伝え方をブラッシュアップしていきました。「このパンツはシルエットも素材もよくて、どんなトップスにも合わせやすいです」といった言い方ではなくて、「家族と土日に出かけるなら、このパンツはぴったりなのできっと褒められますよ」などとシチュエーションも含めて伝えるとか。 ただ、僕が言ったことを100%忠実にやってほしいというわけではないんです。みんなにファッションに興味を持ってもらって、「おしゃれが楽しいな」って感じてもらうことがゴールなので。 ──ユーザーの方々の変化を感じられることが、やりがいにつながっている。 MB はい。服に興味のなかった人が、今や服が趣味になってハイファッションを楽しんでいるなんて聞くと、やっぱりうれしいですね。うつ病に悩んでいたけれど、通販でユニクロの服を買ってみたことをきっかけに外出できるようになったという方もいました。人生を変えるお手伝いもできるかもしれないと思うと、やりがいを感じます。 いつかは「自分のための服作り」に没頭してみたい ──ご自身でも常にファッションに触れていかなきゃいけない部分もあると思うのですが、どのくらい商品を買ったり、展示会に行ったりされているのでしょうか。 MB 洋服には年間で2,000万円くらい使っています。個人的に好きなブランドのものもいろいろ買いますし、ユニクロが出しているメンズ服は、ほぼ全型買っていると思います。 ──すごい……! 全部は着れないですよね。 MB 体はひとつしかないので、なかなか着れないんですよね。でも、みんなと同じ目線に立たないとわからないこともあると思うので、ユニクロの服も自分でお金を出して買って、自分で着てみることを大事にしています。 それに、ファッション業界に少しでも還元するために、僕ぐらいはきちんと定価で買って、業界にお金をまわしていかないとな、という思いもあります。これは僕だけでなく、アパレルに関わる人たちに共通する感覚だとは思うんですけど。 ──MBさんの場合、商品を魅力的に紹介するだけでなく、ご自身がメディアに出演される機会も増えているかと思いますが、それもあくまでファッション文化を広めるため、ということなのでしょうか。 MB マスに文化を広めるためにも、お仕事をいただいた以上は一生懸命やっています。ただ、本音を言えば表に出るのは苦手で……裏方として自分でミシンを踏んでいたいという気持ちのほうが強いですね。自分で服のモデルをやるのも、体型の整ったモデルよりも説得力があるからという理由だけなんです。 ──「スパッとやめるかもしれない」とおっしゃっていましたが、将来的なビジョンとしては職人的な働き方をされたいと。 MB そうですね。いつかは1日10人くらいしか来ないお店で、自分で洋服を作って販売するような活動にシフトしていきたい。社会のため、業界のためという“広げる”方向から、自分の価値観を“深める”方向に移していくというか。最低限生きていけるだけの売り上げでいいので、自分のこだわりを追求してみたいという思いはありますね。 運転しているときは、何も考えない時間を過ごせる ──現状、休みなく働いていらっしゃるとのことですが、「サボり」と言えそうなMBさんなりの気分転換、息抜きはありますか? MB 車の運転はすごく好きですね。夜中に車を走らせて、首都高をぐるぐる回るだけでも気晴らしになります。以前は、ふらっと車で名古屋ぐらいまで行って、現地でホテルを探す、といったこともやっていました。6時間かけて大阪に行って、特に何をするわけでもなくそのまま帰ってくるとか。 ──純粋に運転している時間が好きなんですね。仕事と同じで、好きだからこそできることだと思います。 MB そうですね。車を選ぶ基準も、あくまで乗り心地です。何も考えずぼーっと運転している感じが好きで。だから、いずれコロナが落ち着いたら、車で日本一周しながら自分の読者さん、フォロワーさんに会いに行くという、InstagramやYouTubeと連動させた企画をやりたいんですよね。 ──日常のルーティンのような、生活のリズムを作ったり、頭を切り替えたりするために習慣化していることはありますか? MB 瞑想ぐらいですかね。10年ぐらい続けていますが、瞑想も頭が空っぽになるからいいんです。ちょっとスピリチュアルな感じがしますけど、科学的にも効果が証明されているんですよ。 頭の中を空っぽにするのって、けっこうむずかしいじゃないですか。脳は常にアイドリング状態というか、何も考えていないつもりでも動き続けているので。その動きをある程度止められるのが瞑想らしいんですよ。 ──趣味はドラムとのことですが、ドラムを叩いている時間は無心にならないんですか? MB ドラムは違いますね。腕の動きなどを確認しながら、コツコツと技術を磨いていくというか、だいぶ考えながらやっています。小学生のときに始めて、プロを目指したこともありました。だから、今でも「プロになれないかな」って気持ちがちょっとあるんですよね(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 「サボリスト〜あの人のサボり方〜」 クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載。月1回程度更新。
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
-
福井梨莉華(Daily logirl #196)
福井梨莉華(ふくい・りりか)2005年1月12日生まれ。岐阜県出身 Instagram:fukuiririka X:@fukuiririka 撮影=石垣星児 ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
-
清乃あさ姫(Daily logirl #195)
清乃あさ姫(せいの・あさひ)2005年9月2日生まれ。千葉県出身 Instagram:asahi.seino.official 『なんで私が神説教』(日本テレビ)綿貫陽奈役で出演中 撮影=石垣星児 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
-
汐谷友希(Daily logirl #194)
汐谷友希(しおや・ゆき)2004年9月14日生まれ。静岡県出身 Instagram:yuki__shioya 撮影=石垣星児 ヘアメイク=内山紗弥 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
Dig for Enta!
注目を集める、さまざまなエンタメを“ディグ”!
-
一夫多妻制は円満なのか? “竜人は救世主♡” 清 竜人25新たな夫人たちの本音
清 竜人25(きよし・りゅうじんトゥエンティーファイブ) シンガーソングライターの清 竜人が結成した一夫多妻制アイドルユニット。前回は2014年〜2017年にかけて活動。今年、清 竜人のデビュー15周年、清 竜人25結成から10周年という節目を迎えるにあたり、完全新メンバーで復活。第101夫人・清 さきな(頓知気さきな/femme fatale)、第103夫人・清 凪(根本凪/ex 虹のコンキスタドール、でんぱ組.inc)、第104夫人・清 真尋(林田真尋/ モデル・舞台女優)、第105夫人・清 ゆな(チバゆな/きゅるりんってしてみて)で活動している。 ※第102夫人・清 嬉唄(島村嬉唄/きゅるりんってしてみて)は7月のお披露目ライブで電撃脱退した Instagram:@kiyoshiryujin25_official 清 竜人25が復活した。“一夫多妻制アイドル”というコンセプトで、一世を風靡し解散したのが2017年のこと。あれから7年。新たな夫人たちを迎え、新生・清 竜人25として再スタートしたのだ。 オリジンの清 竜人25は伝説的な存在だが、現・夫人の4人も負けてはいない。アイドルとしてすでに活躍してきた彼女たちの実力は申し分ない。しかもグループの雰囲気もグッドで、第101夫人のさきなは、「もう家族みたい」と語るほどだ。 10周年だけど、新婚ほやほやの清 竜人25。インタビューで四者四様の夫人たちの魅力に迫ると、大いなる飛躍の予感は、確信に変わった。 目次夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!?さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」真尋は「素直でめんどくさい女」ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」竜人くんはみんなの救世主新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 夫人たちにとって清 竜人は「共通の敵♡」!? ──なぜ、清 竜人25を復活させたんですか。 竜人 10年前は、アイドルシーンにおいて、男性が女の子と一緒にステージに立つユニットがなかったので、そこに一石を投じる気持ちがありました。そのクリエイション以外の部分で成し遂げたかったことは3年かけていったん完全燃焼した。今回は清 竜人25の10周年というアニバーサリーイヤーだったので、純粋なエンタテインメントグループとして、この時代にできるハッピーなもの作りをしたいなと思ったんです。 ──このメンバーならそれができると思ったんですね。 竜人 うん、そうですね。 ──竜人さんの誕生日でもある5月27日に復活が発表されましたが、いつごろ夫人たちに声がかかったんですか。 さきな 半年以上前かな。もうあんまり覚えてない(笑)。でも私は、お仕事ではなく、もう家族みたいだなと思ってます。最初は、真尋ちゃんがみんなの仲を取り持ってくれたよね。 真尋 私、人見知りしないんで。でも、みんないい人で本当によかった。今では夫人4人がすごく仲よくて、竜人が置いていかれてる感があるんですけど(笑)。 さきな だから、夫人たちの間でギスギスすることはなくて、(ステージ上でのウィンクとか)「みんなに平等にしてよ!」とか逆に竜人にクレームが行くことがあるかも? 1対4で、竜人が共通の敵みたいな♡(笑)。 ──寂しいですね。 竜人 そうっすねえ……(苦笑)。 ──楽曲も次々とリリースされています。竜人さんにとって、どんなポジティブな影響がありますか? 竜人 10年前のデビュー曲「Will♡You♡Marry♡Me?」のリアレンジverをリリースして、SNSなどでたくさんの方に聴いていただけている状況で。解釈を変えて世の中に提示することで、違う時代でも受け入れてもらえてるのは、すごくアーティスト冥利に尽きるなと思います。 ──夫人たちは、竜人さんの楽曲を歌ってみていかがですか。 夫人4人 (キーが)高すぎる! 真尋 あと、歌詞に「スケベ」なんて入る曲を歌ったことがなかったので(笑)、新鮮で楽しいです。 ゆな 歌うのが難しい楽曲ばかりですけど、難しいからこそ、どうやって歌うか考えるのが楽しいです。 凪 壁が高いからこそ超えたくなるよね。「竜人、もっと難しい曲提示してよ」みたいな。負けねえぞ!という気持ち。 竜人 すげえ、ストイック(笑)。 さきな かっこいい〜。私はもう「楽しいなぁ!」ってだけかも。「キーが高くて出ないよ〜、楽しい〜!」みたいな。 凪 「振り付けできないよ〜。楽しい〜」ってね(笑)。最終的には「楽しいなら、いっか!」なグループですね。 さきなは「思考力が深すぎて“ゴリゴリゴリ〜”ってしたくなる」 ──夫人同士のお互いの印象はいかがでしょうか? まずは、さきなさんについて。 凪 私たちの振り付けは、ワークショップ的に先生と一緒に考えることが多いんですけど、さきなちゃんは積極的に意見を言ってくれて、それがキレイなかたちにまとまることが多いんですよ。地頭がいいんだと思ってます。 ゆな さきなちゃんは、もう……このまんま人間! 凪&真尋 あはははは(笑)。 さきな これ以上でも以下でもない(苦笑)。 ゆな すごく明るいし優しいし、裏表がまったくない。あと、すごくいろいろ考えてる。思考力が深すぎて、こんなに明るいのに、こんなこと考えてるんだって思うと、ゴリゴリゴリ〜ってしたくなる。 凪 ゴリゴリゴリ……? ゆな 違う! わしゃわしゃわしゃ〜って頭を撫でたくなっちゃうような感じ、でーす(笑)。 真尋 さきなちゃんは言葉の選び方がすごく上品。私は本当に頭が悪いんで、思ったことをすぐ言っちゃうんですよ……。でも、さきなちゃんは、誰も嫌な気持ちにならない言い方をしてくれるから、すごくありがたい。 さきな うれしい、泣いちゃう……! 竜人は? 竜人 ……3人が言ったことがすべてだよね。 さきな えぇ〜。 ゆな 私は、さきなちゃんのいいところもっと言いたいくらいなのに! 竜人 まじめな子だなあ、と思いますね。 さきな もう、竜人はいつもこれしか言ってくれない。「責任感がある」、「まじめ」。そんなことないのに……まだ私のこと知らないんだね。 凪は「おっちょこちょいなおばあちゃん」 ──凪さんはどうですか? 真尋 癒やし系でほわほわしてるけど、ライブ中は、人が変わったようにすごいんですよ! さきな 憑依型だよね。あと、ツッコミ担当だけど、すっごくおっちょこちょい(笑)。 真尋 リップのフタを逆側にハメちゃって、抜けなくなったり(笑)。さっきは、ドアを半開きにしておく方法がわからなくて、ずっとドアの前でわたわたしてた。「大丈夫?」って聞いたら「ダメです」って(笑)。 さきな 凪ちゃんはひとりでごちゃついてること多いよね。 真尋 おもしろいから、放置してずっと見ちゃう。 凪 助けてくれよぉ〜。 さきな あと、すごく人見知りで、心をすぐに開かない。だから、最近心を許してくれたことが本当にうれしくて愛おしくて。 凪 たしかに、今めっちゃ心開いてる。 さきな 最近は顔を見るたびに抱きしめたくなっちゃう。 凪 さっきは肩揉んでくれましたね。 真尋 おばあちゃんだと思われてない!?(笑) 凪 私は、清 竜人25の「おばあちゃん」担当ですね(苦笑)。ちなみに竜人は何かありますか? 竜人 出会ったころから、いい意味で印象が変わってないかも。 凪 前世のレコーディングのときに出会ったんですよね。「歌が上手だね」って言ってくれて。覚えてる? 竜人 覚えてるよ。いい意味でオンオフの切り替えがはっきりしてて、プロフェッショナルだなと思いますね。 凪 ありがとうございます。普段けっこうダウナーなので、意識して切り替えないと、人の前で歌ったり踊ったりできないんですよ。 さきな 凪ちゃんの本来の人間性と、ステージに立つ人の感覚っていうのが、ギャップがあるんだよね。だからそのまんまの凪ちゃんでは出ていけなくて、スイッチを入れなくちゃいけない。 凪 そうそうそう。けっしてお酒を飲んでステージに上がってるわけではないです。 さきな ナチュラルハイなんだよね。 真尋は「素直でめんどくさい女」 ──真尋さんはどうですか。 凪 真尋〜! 大好き!! 真尋 あはは、私も(笑)。 さきな 屈託のない素直さが魅力。何事にもまっすぐ。たまに良くも悪くもって感じになるんだけど。 真尋 よくわかってる(笑)。 さきな 素直に猪突猛進って感じ。私はこういう女が好き。 真尋 告白……!(笑) さきな でも、まだ見たことないですけど、もし機嫌が悪くなったら、めっちゃ態度に出すタイプだと思います。そういうめんどくさい女(笑)。 真尋 合ってます! さきなちゃん、占い師みたい(笑)。 さきな 私、めんどくさい女が大好きなんですよ。あと、私は真尋ちゃんのことは、ほぼ犬だと思ってます。 真尋 どういうこと!? さきな 誰にでも笑顔でしっぽ振って懐いちゃうから……。この3人の中で彼女にしたら一番不安になっちゃうのが真尋ちゃんだと思う。どっか行っちゃうんじゃないかって。 真尋 やばい女じゃん!(笑) さきな めちゃくちゃムードメーカーで、みんなを朗らかにしてくれる存在です。喜びや怒りはまっすぐ表現する反面、自分の弱さは人に見せない強がりさんなところがあって愛おしい。とても器用だから隠すのが上手すぎて、明るい真尋を演じている瞬間があるのでは?と心配になっちゃうこともあるくらい。 凪 今まで出会ったことのないタイプの明るさを持っている人。なので、人見知りの私でもすぐに打ち解けられた。唯一の同い年で、パフォーマンス力がすごく高くて、ダンスとか教えてくれるから……真尋いつもありがとう。 ゆな 真尋ちゃんは本当に優しくて、犬みたい(笑)。 真尋 え⁉︎ なんでみんな犬って言うの!(笑) ゆな (笑)私は、ひとりだけ加入が遅かったんですけど、初めての顔合わせが写真の撮影日で。もうガチガチで、初めて会う人と一緒に写真撮るなんて、ヤバーい!って緊張してて。 さきな この仕事してたら、初対面で撮影なんてしょっちゅうあるでしょ(笑)。 ゆな でもヤバすぎ〜って緊張してたの! そしたら真尋ちゃんがめっちゃ話しかけてくれて、こんなに優しい人がいてうれしいってなりました。楽しいこともうれしいことも、真尋ちゃんにすぐ言いたくなる。 真尋 うれしい〜! じゃあ、竜人。来いよ! 竜人 なんだろう、すごくガーリーだよね。本番前の舞台袖とかでさ、いつもぷるぷる震えてるじゃん。たぶん緊張しいな部分もあるんだよね。そこもかわいいなって思うよ。 真尋 きゅん♡ かわいいならよかった! ──今日初めて「かわいい」って出ましたね。 凪 本当だ! クレームセンター行きだ(笑)。 さきな クレームの窓口どこだろ。 ゆなは「守りたくなっちゃう癒やし系」 ──最後に、ゆなさんはどうですか? さきな ゆなは、繊細さんで守りたくなる。いい子すぎて、すっごく健気で、がんばり屋さんで。ゆなこそ、すっごくまじめ。こうやってずっとニコニコして、ギャグセンがちょっと高くて、おもしろいこととか言うし、ぽわぽわしてるように見える。でも実はちょっと抱え込みがちだから、守りたくなっちゃう。 真尋 癒やしです。ずっと見てたくなる。いつか誰かに騙されそうで、壺とか買っちゃいそう(笑)。守りたくなるんですよね。 ゆな ぜひ守っていただいて♡ 真尋 うん、みんなで守るよ! 凪 めちゃめちゃかわいくて、きゅるんってしてるのにおもしろいし、親身になって同じ目線になって話聴いてくれるところもある。私はゆなちゃんいないと、無理。依存! さきな 中毒性がある(笑)。 真尋 ゆなちゃんって、よく変なこと言うんですよ。このインタビューでもちょいちょい出てると思いますけど(笑)。 さきな 最近おもしろかったのが、私が「トイレ行ってくる〜」って部屋を出ようとしたら「いいなぁ」って返されて。じゃあ「一緒に行こうよ〜」って誘いました。 凪&真尋 あっはっは(笑)。 真尋 パッと出るひと言がすごくおもしろいんですよ。 ゆな ありがとうございます。竜人くんは? 竜人 ゆなはすごく今っぽいなと思いますね。時代をまとった女。 さきな ナウい。いいなぁ。私にもそういうのつけてよ、二つ名欲しい。 竜人 うーん、考えておく。 竜人くんはみんなの救世主 ──夫人たちは、竜人さんとの「結婚」にためらいはなかったですか。 さきな 私は全然。懸念あった? ゆな ゆなはいっぱいあった。 凪 めっちゃ悩んでたね。 ──お披露目ライブで第102夫人の嬉唄さんが離脱し、急遽交代で入ったのがゆなさんでした。 さきな ゆなちゃんは、すっごくファンを大事にしてて、誰ひとり取り残さないで、みんなを笑顔にしたいタイプだから、けっこう葛藤があったよね。 ゆな でも「やる!」って自分で決めて入ったら楽しかったので、勇気を出してよかったです。 真尋 私のファンからも「結婚」っていうワードに対して「悲しい」って意見もありました。でも結局は、私が幸せなら何をしても応援してくれる人ばかりだから、「ごめんね」じゃなくて、「がんばるから見ててね」って前向きな気持ちになれました。 凪 私のファンの方々は「凪がまた元気に活動してくれて、またグループやってくれるなんて!」って喜んでくださってます。私の健康も気遣ってくれるし……って、これじゃ本当におばあちゃんみたいですね(苦笑)。私のファンにとって、竜人くんは救世主です。「竜人くんは救世主♡」って歌作ってほしい! 竜人 やば!(笑) 真尋 いいじゃん! 次の曲それにしようよ! ──歌詞はご夫人方が書いてもよさそうですね。 凪 1行ずつ書こう! さきな 私たちが書いたら絶対グチャグチャになるよ。 凪 たしかに(笑)。 新生・清 竜人25は「観ておかないと、もったいないよ?」 ──ライブツアーも控えていますが、グループとしての目標はなんでしょうか? ゆな ずっとこんな感じでにこにこ楽しく幸せにやっていきたいです。 凪 どんな状況でも、どんなライブハウスでも、路上ライブだとしても、この5人なら、絶対楽しいし、ハッピーを届けられると思います。元気のない人にも、このハッピーオーラを届けたいですね。 真尋 このハッピーさはみんなに伝えたい。あと、私の前世のグループで叶えられなかった目標があるので、清 竜人25では叶えたいです。 さきな すごい! このグループで、そんな大きな目標が話題になったことなかった。 凪 竜人の頭の中にはあるんじゃないの? 竜人 ん? なに? さきな 今、真尋ちゃんがライブハウスよりも大きいステージにこの5人で立ちたいって言ってたの。 竜人 へぇ、いいじゃん! 真尋 明日にでも予約してくれそうなテンション!(笑) さきな 今、決まりました! 行きましょう。 ──さきなさんご自身の目標はどうですか? さきな やっぱりたくさんの人に見てほしいかな。ライブを観に来てくれたお友達とか家族の反応がすごくいいんです。たぶん私たちが思っているよりも、お客さんのことを楽しませることができてる。だから、「私たちのことを観ておかないと、もったいないよ?」って思います。私も観たいくらいだし。こんなグループもう二度と出てこないと思うから、今のうちに観てほしい。見世物小屋を観に来る感覚でいいから。 凪 寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! ゆな 凪ちゃんはすごく天然なんですけど……。 さきな 突然どうしたの?(笑) ゆな さっき凪ちゃんのこと説明できなかったから。凪ちゃんはノートに歌詞を書いてて、メモもたくさんしてます。憑依は、そういう努力のおかげだと思う。っていうのも書いておいてください。 凪 優しい……ゆな〜〜! ゆなはメンバーのことを本当によく見てくれてる。 ゆな 照れるからやめてよ〜(笑)。 文=安里和哲 撮影=時永大吾 編集=宇田川佳奈枝 <出演情報>テレビ朝日『ももクロちゃんと!』 11/9(土)11/16(土)2週連続 深夜3:20~3:40 ※詳しくは、番組ホームページで KIYOSHI RYUJIN25 REUNION TOUR 「THE FINAL」 出演:清 竜人25 会場:豊洲PIT 日程:2024年11月14日(木) 時間:18:00開場/19:00開演 http://www.kiyoshiryujin.com/kr25_2024/
-
H1-KEYはなぜ“K-POP界のアベンジャーズ”? 4人が持つ能力と特別な関係
2022年にデビューしたK-POPガールズグループ・H1-KEY(ハイキー)の魅力は、高い歌唱力と圧倒的なパフォーマンススキル、そして4人のメンバーによる息の合ったステージングにより、幅広い音楽ジャンルを彼女たちの色に染め上げることができるところだ。 今回は日本で初のリリースイベント、そして音楽フェス『XD World Music Festival』出演で来日した4人に、彼女たちの多彩さがたっぷりと詰まった最新作『LOVE or HATE』にまつわるエピソードや、“H1-KEYらしさ”について語ってもらった。 目次グループのイメージを覆す“挑戦”違うところで育った4人がひとつになったK-POPの“スタンダード”になりたい グループのイメージを覆す“挑戦” ──まず初めに、3rd Mini Album『LOVE or HATE』について改めて紹介してもらえますか? ソイ 今まで私たちが歌ってきた曲は、前向きなメッセージが込められている明るい内容がメインでしたが、今回のアルバムは打って変わって“反抗的な学生が結成したスクールバンド”というコンセプトで作ったものです。なので、歌詞もストレートでアグレッシブなものになっているぶん、新しい姿をお見せできたのではないかと思います。 リイナ もともと私たち自身、ガールクラッシュなコンセプトがずっとやりたかったので、『LOVE or HATE』でまさに念願が叶った感じでした。 ソイ 「これは私たちにとって新たなチャレンジになる」って、すごくうれしかったよね! ただ、みなさんがH1-KEYに寄せている期待を覆すものでもあるので、どんな反応が返ってくるかということは正直なところ少し心配でもありました。 ソイ ──これまでのH1-KEYのイメージをアップデートするようなスタイルですね。タイトル曲「Let It Burn」は、まさにこのアルバムを象徴するようなナンバーです。 イェル 初めて聴いたときはすごく私たち好みだなと感じましたし、ギャップを見せられる曲だなと思いました。 フィソ 歌詞も、あまりアイドルが歌わないような表現だからすごく特別な感じがしたよね。「氷が溶けてしまったアイスティー」や「“チャギヤ(愛する人を親しみを込めて「ダーリン」「ハニー」と呼ぶ際に使う韓国語)”、愛してる」、「心が焦げて灰になってしまっても」とか。 イェル 振り付けも挑発的な歌詞に合っていて、すごく気に入っています! 違うところで育った4人がひとつになった ──ほかの収録曲も聴き応え満載なものばかりですが、特にファンの方々にとって特別な曲になったのは、メンバーのみなさんが作詞に参加された「♡Letter」なのではないかと思います。 フィソ 「♡Letter」の歌詞はそのタイトルどおり、作詞をするというよりは、メンバー同士お互いに向けて手紙を書くつもりで作り上げたものなんです。なので、私たちがどんな気持ちで向き合っているかということが表れていて、すごく美しい曲になったと思います。 イェル メンバーのお誕生日に手紙を贈り合ったりもするのですが、そのときとはまた違った感じでした。大変だった時期のことを思い返しながら、それを乗り越えたことへのお互いに対する感謝を込めて書いたので、この曲を聴くだけで涙が出そうになります。 ソイ 「私たちはすでにひとつ」という歌詞があるのですが、それぞれが違う環境で育ち夢を抱いていた4人がひとつのチームになっていく過程で、お互いに近づいていったH1-KEYらしさがよく表れている箇所だと思います。 リイナ そうだよね。それから「これは夢のような現実」という歌詞は、もともと違うものを持っているお互いが今では不思議なことに似たところもたくさんできたという私たちの、信じがたいくらい特別な関係性を伝えるフレーズです。 リイナ ──「それぞれが違う環境で育った」とは、どういうことなのですか? リイナ H1-KEYは、違う事務所の練習生だった4人が集結して結成したグループなんです。 ソイ そう。だから自分たちのことを「“アベンジャーズ”みたいなチーム」と呼んでいます。全員のキャラクターが明確だし、特色もまったく違うから。 ──“K-POP界のアベンジャーズ”であるH1-KEYは、どんな能力を持ったメンバーが集まっているのでしょうか。まずはリーダーのソイさんについて、教えてください。 イェル 私たちのリーダーであるソイさんは、とにかく歌声が特別。いつも「この曲をソイさんが歌ったら、どんな雰囲気になるかな」って考えますし、想像力を掻き立ててくれる声だなって思います。見た目と歌声のギャップも、魅力的です! フィソ ソイさんは、「これをやり遂げるぞ」って一度決めると目の色が変わって、目標に向かってまい進する情熱的な人です。一方で、たとえまわりが浮足立った状況でも、しっかりと自分のペースを保てる冷静さも兼ね備えています。 ──続いて、フィソさんについてご紹介お願いします! ソイ まずは歌声。どんなジャンルの楽曲でも自分のものにできる、宝物のような声ですね。 イェル さっきソイさんを紹介するときは「『この曲をソイさんが歌ったら……』と想像力を刺激する声」とお話ししたのですが、フィソさんは「この曲はフィソさんが歌えばこうなるだろう!」とはっきりイメージできるほど、個性が明確な歌声の持ち主です。その魅力が最大に発揮される音域帯というのもあるのですが、曲の中でパートが近づいてくると「来るぞ~!」と期待してしまいます。 ソイ ステージ上ではカリスマを発揮しているのですが、性格的にはとてもシャイで、情に厚く優しさにあふれているところも愛らしいです。 ──では、イェルさんは? ソイ グループの末っ子なので、以前は「子供みたいでかわいいな」と思うことも多かったのですが、特に『LOVE or HATE』の成熟したコンセプトがすごくマッチしたのか、最近はお姉さんに見えます。性格もサバサバしていてしっかりしているので、年上である私にとっても頼りがいのあるメンバーです。 フィソ 大きな心を持っていて私たちお姉さんメンバーの面倒もよく見てくれる、まるで長女のような存在です。 ソイ (じっとフィソを見つめる) フィソ ……もちろん、本当の長女はソイさんだよ(笑)! 安心して! 一同 (爆笑) フィソ それからイェルは伝統的な舞踊を習っていたというバックグラウンドがありつつ、ヒップホップの感性も持ち併せているところが特別だと思います。 ──では最後にリイナさんについて。 ソイ クールでチルで、芯がしっかりしている人。私は「誰かに頼りたいな」というとき、真っ先に思い浮かぶのがリイナですね。清純な見た目とハスキーボイス、しっかりとした性格とユーモアセンス……と、本当にたくさんの素晴らしいところを持ったメンバーです。 イェル いつも一生懸命なリイナさんは、日本語の勉強も熱心で、実際にとても上手ですよね。そんな姿を隣で見ていると「私もがんばろう」って思えるので、とてもありがたい存在です。 K-POPの“スタンダード”になりたい ──お互いをリスペクトし合う関係性がとても伝わってきました。それでは、ここからは今後のH1-KEYについてお聞かせください。いよいよ『LOVE or HATE』発売イベントで初めて日本のM1-KEY(ファンネーム)と対面を果たしますね(※取材はイベント開催前に実施)。今のお気持ちは? イェル 『LOVE or HATE』で新しい姿に変身したH1-KEYを、日本のM1-KEYに直接お見せできるのが本当に楽しみです! イェル ソイ 私、すごく気になっていることがあるんです。日本のM1-KEYはいつも、かわいい私たちの姿を好んでくださっているような気がするので、今回のような“ちょっと怖いお姉さん”なH1-KEYを気に入ってくださるかなって。よいリアクションをいただけたらうれしいですね。 ──リリースのたびにいろいろな姿を見せてくれるみなさんに、日本のM1-KEYも魅了されていると思います! では最後にこれから先、達成したい目標を教えてください。 ソイ 今後も日本のM1-KEYに会える機会がたくさんあることを願っていますし、少しずつM1-KEYが増えていけばいいなと思います。ゆくゆくは東京ドームでみんなで一緒に楽しめる日が来たら幸せですね。 リイナ 日本デビューは絶対に叶えたいです。私は日本語の勉強を一生懸命がんばっているのですが、特にバラエティ番組がすごく役立つのでよく観て学んでいます。参考になる上に、とてもおもしろいから。なので、いつか私たちも出演できたらいいなって思っています! あと……小さい役でもいいのでドラマや映画に出演したり、演技のお仕事もやってみたいですね。 フィソ チームとしての目標は、ふたりもお話ししてくれたように日本での活躍をもっともっとすることと、そして『コーチェラ』出演です。個人として夢見ているのは、今一般的に知られているボーカリストとしての魅力だけでなく、実用舞踊科出身ならではのダンスパフォーマンスにおける実力もみなさんにお伝えしたいということですね。 フィソ イェル まずは、私たちが「K-POPとはこういうものだ!」ということをこの世界に知らしめたいです! 一同 おお〜! ソイ ちょっと怖いんだけど(笑)! イェル (笑)。でもそれくらい、H1-KEYのパワーを多くの方に知っていただけたらいいなと思っています。もちろん、M1-KEYが見たい私たちの姿もしっかりお見せしたいですね。それから、私自身はダンスやラップだけでなく作詞作曲もできるし、本当にいろいろな才能を持っているので、これからいろいろな魅力を発揮していけたらいいなって。 あとは、メンバー全員がそれぞれ違うブランドのアンバサダーを務めていたらカッコよくない? ソイ めっちゃいいと思う! 私は、日本のCMに出演することが夢です。私たちは、日本の映像の感性にもバッチリ合うと思いますよ〜(笑)! フィソ 「Let It Burn」には「アイスティー」って単語が出てくるし、お茶のCMとかよさそう! ──みなさん、アピールがすごくお上手ですね! リイナ はい(笑)! ひとつでも夢を叶えていけるようにがんばりますので、これからもたくさんの応援をよろしくお願いします。 編集・文=菅原史稀 撮影=山口こすも
-
NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき
平中悠一。高校在学中に執筆した小説『She’s Rain』(1985年/河出書房新社)が「文藝賞」を受賞、1984年に作家デビュー。その後『Go!Go!Girls(⇔swing-out Boys)』(1995年/幻冬舎)、『アイム・イン・ブルー』(1997年/幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(2000年/河出書房新社)などの著作を重ねてきたが、デビューから約40年の間に、エッセイや翻訳なども含め出版された単行本が計15冊という寡作な作家。その平中が、今春『シティポップ短篇集』(2024年/田畑書店)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』(2024年/田畑書店)という2冊の書籍を上梓した。しかも『「細雪」の詩学』に至っては、東京大学大学院にて執筆した博士論文がもとになっている学術書だという。 現在『logirl』のプロデューサーを務めている私自身、デビュー作から追っている作家のひとりで、2作品の同時出版というニュースを知ったときはテンションが上がった。 今回、平中に近著の2作品に関する話を聞くことになったのだが、作品内容だけにとどまらず、本人のスタンスの変遷(=変わらなさ)に関する見解にまで話が及んだ。そこにはタイムリーな「NewJeans」(2022年7月にデビューした、韓国の5人組ガールズグループ)の話題なども加わることに。 ──『シティポップ短篇集』を編纂するにあたっての企図をお伺いできればと思います。 平中 本書のライナーノーツ(解説)にも詳しく書いていますけど、近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃなくて、もともと1980年代にはこのシティポップという言い方はあまり使われてなかったんですが、僕のデビュー作『She’s Rain』が出版されたのは1985年なので、結果的には、僕自身がちょうどいわゆるシティポップの時代に重なるんですよね。 デビュー作の中では、ドビュッシーとかラヴェルとかも書いていますが、実は一番いい場面では登場人物たちは山下達郎を聴いているんですよ、あの小説って。まさにシティポップの真ん中の時代で、シティポップ小説という考え方はなかったけれど、今、回顧的にシティポップと呼ばれているような音楽が出てきていたように、当時すごく都会的な小説もいっぱい出てきていたから、それをまとめたらいいんじゃないかと思っていたんです。 「こういうのをまとめたら、いいものできるよ」って、当時、編集者に言ってはいたんだけど……僕がまとめるという考えはなかった。それを、今ならまとめられるんじゃないかなと思って、作ったんですよ。 「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。 僕自身、もともとシティポップ音楽も好きで、シュガー・ベイブや大貫妙子、ティン・パン・アレー系とか大瀧詠一、そういうのを好きで聴いていて、近年のシティポップの流行はアジアからの逆輸入ともいわれていますけど、、日本の1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の空気感が、経済発展してきた今のアジアの空気にピタッとはまったんだと思うんです。 だから日本のシティポップがオリジナルだからすごいということと同時に、アジアの全体が元気になって、前向きになってきて、1980年代の日本のポジティブで都会的なセンスが共有されるようなってきた。インドネシアにしろタイにしろフィリピンにしろ、最近すごくいいですよね、ポップスがね。 シティポップの話題から、アジア全体のポップスの話へと。平中とアジアンポップスとの邂逅についての話が続く…… 平中 僕は1990年代に入って、ほとんどJ-POPを聴かなくなっていたんだけど、たまたまスカパーをつけたら韓国のチャートをやっていて、すごくおもしろくてびっくりしたんです。それが1998年くらい。そこからK-POPを聴き始めることに。 2、3年後には韓国語もだいたい話せるようになるくらいハマったんですけど、これには自分でも驚きました。最初にトランジットで韓国へ行ったとき、キンポ(国際)空港でソバンチャの3人が歌っているのをテレビで観て、強烈な印象を受けていましたから。それがわずか10年で、ここまでかっこいいポップスをやるようになるとは想像もしませんでした。 1988年のソウルオリンピックのころまでは、韓国は今の北朝鮮のような感じで閉じられていて、日本語も英語も全部放送禁止だった。その後、解放が始まって……最初にキム・ゴンモあたりがレゲエから入ったんですよね。冷戦時代の西側・東側的な政治性から少し離れてるじゃないじゃないですか、レゲエって。だから外国のポップスでもレゲエならいいでしょということで。 僕が一番聴いていた2000年……BoAが出てきたころでもまだ、韓国ではポップスで一番過激なのはロックとヒップホップだといわれていたんですよ。 ヒップホップはメッセージ性もあるし、まだわかるんです。でもなんでロック?なのかというと……ロックはアメリカ文化の典型なので、一番厳しかったみたいなんです。最も反体制的、という感覚があったみたい。 その後、キム・デジュン(大統領/当時)のころから、日本は「侍の、武士の国、武力の武の国」であるけれど、韓国は「文人の国、文の国、文化の国」であるという自己規定をして、カルチャーへ予算をドンと入れていくんですが、2003、4年くらいからK-POPもあんまり僕はおもしろくなくなっていくんです。 なぜかというと、そこまでは、キム・ゴンモからあとも、たとえばパク・ジニョンとか、R&Bというのはこういう音楽ですみたいな……本物志向がすごく強かった。ミュージシャン自身が自分で一番いいと思う音楽をやろうとしてたから……ちょうど日本の1980年前後のシティポップ黎明期のようにね。すごくおもしろかったんです。 それが2003、4年くらいになってくると、もうちょっと売れる感じ……韓国の伝統歌謡、歌謡曲のちょっと下世話な感じまでを取り入れる……ちょっとお色気も入れて、みたいな感じになってきて、ポップな感じとズレていくんですね。結果、どれを聴いても全部おもしろい、というそれ以前のようなよさはなくなってきて。 結局、そのころ、僕自身、ちょっと日本を離れてしまったので……そのあと、日本で韓国の子たちが売れたでしょ? KARAとか少女時代とか、いっぱい。そういう話自体は聞いてたんだけど、あのあたりは全然、僕は知らなくて。だからK-POPファンをやっていて、一番日本で盛り上がっておもしろかっただろうなというあのころは全然知らないんです(※2005〜2015年、平中はパリに住んでいた)。 とまあ、そんな感じだったんですけど……昨年の暮れぐらいからNewJeansを、最初はInstagramのリールか何かでアメリカ人がカバーしているのを聴いて「誰これ? カッコいいじゃん!」と思って調べたらK-POPだっていうから、びっくり!して、原曲を聴いてみたらすごくよかった。 最初に気がついたときは年末くらいだったから、もう『Ditto』が出ていたころだったかな? まずは『Ditto』をすごくいいと思ったんだけど、その前の曲も、『Attention』とかすごくコード進行がジャジーでおもしろいなと思ったりもしたんです。 『Ditto』のときから「あれ? けっこうすごい!」と思っていたんだけど、やっぱり2枚目のEPが出たときに『ASAP』のMVとかを観ると、もう完全に雑誌『Olive』の世界なので……改めてびっくりして、これ『Olive』じゃん!と思って。 マガジンハウスから刊行されていた人気雑誌『Olive』(1982年〜2003年)。その独特な世界観をベースにした編集から根強いファンを持ち、休刊から時が経った現在でも、いまだに回顧系の関連書籍などが出版されている。平中も、かつてこの『Olive』で連載を持っていた 平中 僕は、もともと『Olive』が好きで、デビュー作も『Olive』の読者が想定読者だったんです。デビュー後には『Olive』で声をかけてもらい、結果、連載までやらせてもらいました。もちろん今のNewJeansを作っている人たちは『Olive』には気がついていないだろうと思うんですよね。勝手にやっていると思うんです。自分たちのオリジナルとして。 だけど日本では1980年代のバブルのころに『Olive』みたいなものが出てきていて……当時の読者だった女性からは『Olive』が出てきてどんなに救われたかっていう話を、今でもよく聞くんです。僕自身が『Olive』で書いていたから。 当時の赤文字系雑誌の『JJ』(光文社)や『CanCam』(小学館)は、あくまでいかに男の子にウケるかを考えるということをやっていたんだけど、『Olive』は男の子がどうとかとは関係ないんだ、自分たちがかわいいと思うものがかわいい、かわいいものは全部つけちゃう!みたいな雑誌だった。僕はそれを見ていて、かわいいなぁと思ったわけです。 だから実際に今、NewJeansを見て、あの子たちが自分の好きなものを「ほら、これもこれも!」「これかわいいでしょ、これもかわいいでしょ!」っていうようなあの感じ……あれは当時『Olive』を見ていた感じに、すごく近い。 なるほど、『Olive』とNewJeansの親和性、その世界の中で自律的に自己完結しているというような。その場合、『Olive』読者もBunnies(NewJeansのファンネーム)も、等しくその世界を見つめることに終始することになる。話は、その眼差しに及んでいく…… 平中 1980年代はそういう意味でいうと、ポストモダンの時代でもあったのね。パフォーマティブとかディスクール、コミュニケーションとかそういうものが、すごくプロモートされていた。パフォーマティブでコミュニカティブでないものはだめだ!と否定されてしまうくらい……。でも、すごく豊かな時代というか、多様性が許容できた時代だったということもあると思うんだけど、『Olive』みたいな真逆のものも実はあった……要するにパフォーマティブとかコミュニケーションの基本って、相手に影響を与えようという意図を持って働きかけることで、それが『Olive』の場合、自分がかわいいと思えば、もうそれでいいわけです。人がどう思うかなんて、どうでもいい。そういうものも、パフォーマティブの時代だと思われていた1980年代にちゃんと日本に出てきていた。 そう考えると、シティポップみたいなものがアジアでウケてきている今、NewJeansのようなものが出てくるということは、日本の1980年代を重ねてみると、ひとつ読み解けるんだよな、と。 NewJeans『How Sweet』 日本デビュー曲の「Supernatural」では1980年代に生まれ大ヒットしたニュージャックスイングのスタイルを採用。完全に狙ってる? さらにここから「ノン・コミュニケーション理論」が主体を成す『「細雪」の詩学』へと話が進んでいく。平中の感覚の中でそれぞれの要素がきれいにリゾりながら展開していくさまは、まるで魔法にでもかけられているような気持ちになる。 平中 NewJeansを見ていてなるほどと思ったのは……ちょっと前提から話すと、僕も1980年代に仕事をしていたので、そもそもコミュニケーションが一番大事だと思っていたんだけど、その後、フランスへ行って「ノン・コミュニケーション理論」という、小説はコミュニケーションじゃないという考え方を知ったんです。 ところが日本語というのは、実はコミュニケーションじゃない言葉遣いを失っている。すべてが“言文一致”……話すように書くことで、書き言葉とコミュニケーションの口語を一致させるようになっているので、コミュニケーションじゃない言葉が見えなくなっている。なので、特にわかりにくくなっていると思うんだけど……もともとは“物語”ってコミュニケーションではなくて、別世界なんですよね。たとえば子供に「おじいさんとおばあさんがいました……」というのは、全然別の世界の話なわけです。物語には、そういうところがそもそもあって、これはコミュニケーションでもなんでもないはずなんです。そういうところが今は全然捉えられなくなっています。 ドキュメンタリー番組での「今日は村人たちのお祭りだ」みたいなやつ……ああいうのはフランス語なら、コミュニケーションではなく“物語”なわけです。でも日本のアナウンサーの人たちってそれを一生懸命コミュニカティブに伝えようとしますよね。真逆のことをやっているんです。文章自体は、すっと人から離れたひとつの物語になろうとしているのに、それをコミュニカティブにしようということをやっているので、すごく無理があるんですよね。 フランス語だったら、パッセコンポゼ(複合過去)という日常の会話と、パッセサンプル(単純過去)という、文章でしか使わなくなっている古文のような書き方があって……で、フランス人って、子供におとぎ話を語るときはパッセサンプルなんです。それですっと物語の世界に入っていける。言葉にはコミュニカティブな面とそうでもない面があるということに気がついたのはエミール・バンヴェニストなんだけど、それが本になるのは1960年代以降です。 日本で“言文一致”運動が始まったころにはフランスでもまだ周知されてなかったことなので、現代の日本語に“物語”の言語が確立されていないのは仕方がないところもある。そんななかで、日本の小説家たちはいろいろ工夫してがんばったと思います。 小説というのも“私とあなた”の間のコミュニケーションとは違うところにある“世界”を見せてくれるところが、実はすごくおもしろい。 『細雪』(谷崎潤一郎/1943年〜1948年)なんかはその典型なのだけれど、自分の人生とは別のラインで4年半の時間が流れていて、読んでいると自分の人生がそこのところだけ二股に分かれるみたいな感じがある、別次元のような。なぜそれができるのかというと、別の世界がそこにあって、読者はその世界をのぞき込むように経験するから。 僕の『「細雪」の詩学』では、アン・バンフィールドの「ノン・コミュニケーション理論」に関係して、ヴァージニア・ウルフを紹介しているのだけれど、ヴァージニア・ウルフは意識的にノン・コミュニケーションの小説を書こうと思ってすごく苦しんだ人なんですね。 文章の中にノン・コミュニケーションの部分があるというのはいえるとしても、それだけで1章、2章……と作っていくのは難しいんです。ウルフは『灯台へ』(1927年)でまったく人称性のない章を書いていますけど(第2章)、実はあれはすごく大変で、彼女の日記を見ると、ものすごく苦しんでいるのがわかる。 僕自身の話でいうと『She’s Rain』を書いたときに江藤淳先生から「街の情景の部分が新しいので、あれをもうちょっと発展なさったらいいと思いますね」と言われたので(『She’s Rain』の前日譚になる)次作の『EARLY AUTUMN アーリィ・オータム』(1986年/河出書房新社)のときに、意識的に街の情景を描いてみたんです。カメラアイを用いて街の情景を書いて……ずっと街の情景が続いている中に、人物のセリフがぽっと入る。 映像的にいうと……人物たちが遊んでいるようなシーンに、その画とは関係なしに人物たちの声でナレーションが入るかたちがあるじゃないですか……あれをやりたかった、文章で。 文章でぎっしり4ページくらいはいきたいなと思って書いていたんだけど、全然無理、続かない。やっぱりカメラアイでずっと書くことはすごく大変なんだなと思ったことがあって……ウルフのそういう日記を見て、ああそうだ、これって難しいんだよなと。 ウルフの書いたエッセイには、バンフィールドも取り上げている『The Cinema』(1926年)というのがあって……映画って“中の人たち”は見られていることに気づいていないわけです。こちらを見ない、“こちら”があるとも思っていない。見ていることに気づかれることもない状況でこそ、初めて何か真実の姿が現れる、と言うんですね。 たとえば、映像の中で波が来ても自分の足が濡れることはないし、馬が暴れても蹴られることはない、結局のところ自分たちとは別の世界、逆にこちらの手も届かない世界で起こっている出来事がそこには捉えられている。だからこそ自分たちの日常を離れて、客観的に何か真実が見えてくるというのを『The Cinema』では“映画の美学”として考えている。 そういうものを、ウルフは自分の小説でなんとかやろうとしたんだと思うんです。「ノン・コミュニケーションの美学」はそこにあって、NewJeansの「Bubble Gum」(2024年)とか「ASAP」(2023年)のMVを観ていると感じるのは、そういうもの。こっちで見る者のことを全然意識していない世界が強調的に描かれている。ステージでの「Bubble Gum」のイントロで演じられる小芝居なんか、典型的です(カメラを鏡ということにして、誰にも見られていないていでメンバー同士の内輪の会話が演じられる)。 「ノン・コミュニケーション理論」とNewJeans……コンテンツへの私たちの接し方を考えると、それもあり得る話に思えはするものの、接し方ではなくコミュニケーションという視点に変えることで、モノではなく人、世界になっていく。NewJeansから、話はさらに進む。 平中 若い女の子を眼差しによって消費するのではなく、少女たちに眼差されることがない自分を儚む、みたいな捉え方もあると思うけど、僕はちょっと違って、少女たちがこちらを見返してくれる必要を僕はまったく感じないので……見返されても困るし、持て余しちゃう。あの子たちがああやって遊んでいるのを見て、みんながおもしろいと言って……たぶんそこにはいろいろな楽しみ方があるし、彼女たちの仲間になれる人もいるし、彼女たちに共感したり自分を投影する人もいるだろうし、僕みたいに全然別の“楽しそうだなぁ”と思って見ているだけで自分も楽しくなっちゃう人もいる。そこはやっぱり人によって違うと思う。 ただ僕は、NewJeansを見たときに、これって『Olive』だよね。で、これが『Olive』だということは、NewJeansのこういうノン・コミュニケーション的なところを考えると『Olive』って「ノン・コミュニケーション理論」だったんだよねと思って。 『Olive』からのNewJeans、「ノン・コミュニケーション理論」からのNewJeans、そして『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」、一見すると単なる三段論法のようにも思えるが、深く聞いていくと同じ地平でつながっているのは間違いないことに気づかされる。そしてNewJeansを橋頭堡として、そこへ「シティポップ」もつながってくる。 これはまさに今起こっていること……ここへさらに平中自身の縦軸、デビュー作『She’s Rain』がたどり着いた場所(それは換言すると“普遍性”でもあるのだけれど)の話が続く。 『She’sRain』 装丁はオサムグッズの原田治 平中 僕はずっとこれをやっているんだって、実は最初(デビュー作)から。結局そこで、僕はその子たちに見つめ返されたくない。見つめ返されない自分を悲しむとかはないわけです。なぜかというと、本当に高校生のときから僕はこの子を汚さないというのが僕の考えなわけだから。もう全然、けっこうなわけです。 だから、くるっときれいにつながってくるので、『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」がNewJeansを介して通じたときに、自分がやっていたことが、くるっときれいにつながった感じがしたんです。だからバラバラないろいろなことをやっているようだけど、最終的に僕はそういうことがやりたいんだと思って。 デビュー作『She’s Rain』では、ユーイチとレイコというふたりの高校生の恋物語が描かれる。今風にいうなら“煮え切らない”ように見えるユーイチが抱いているレイコへの思い「僕は、ほんとに好きになったら口説かないでおく。そのコのこと大切に思うから。(中略)そのコをずっと素的なままでいさせてあげる自信なんて、ない」「素的な、一人で歩いて行ける女のコのままでいて欲しい」「束縛したくないんだ(中略)つまんない女のコにしたくないんだ」(『She’sRain』より抜粋)この言葉が、まさにスタンスを体現している。 約40年が経って、改めて変わっていないことに気づかされる、それは自分の志向性が間違っていなかったという自己肯定でもあるのだろう。 取材・文=鈴木さちひろ 平中悠一(ひらなか・ゆういち) 1965年生まれ、兵庫県出身。小説『She’s Rain』で1984年度・第21回「文藝賞」を受賞しデビュー。『それでも君を好きになる』(トレヴィル)、『アイム・イン・ブルー』(幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社)などの小説、『ギンガム・チェック Boy in his GINGHAM-CHECK』(角川書店)などのエッセイの出版のほか、『失われた時のカフェで/パトリック・モディアノ』(作品社)等の翻訳も手がける。 2024年4月『シティポップ短篇集』(編著)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の2冊の書籍を田畑書店から上梓。HP:http://yuichihiranaka.com 『シティポップ短篇集/平中悠一編』(田畑書店) 「1980年代、シティポップの時代」を彩った7人の作家による9つの物語を、自らも小説家である平中悠一が編纂。 (収録作家:片岡義男・川西蘭・銀色夏生・沢野ひとし・平中悠一・原田宗典・山川健一) 平中「読んだあと味がいい……希望が持てる感じかな。1980年代の感覚ってひと言でいうと、大貫妙子さんのアルバムタイトルにもあった『Comin’ Soon』。今にいいことが……一番いいものはこれから来るよみたいな感覚。それがなんだったの?と言ったら何もないまま終わっちゃった、巨大な予告編のようなところもあるのだけど。もっといいものが来るよと思いながら生きていく感じ。そういうあのころの気分のある小説、なにかしら夢が持てる、希望が持てる感じの作品を選びました。 これを僕がまとめなかったら、たぶんまとめられないまま終わっちゃう。ここでいっぺん、こういうものも80年代にはありましたよということをまとめておいたら、いつか誰か拾ってくれるかもしれない。そのときにまた、日本の状況がもうちょっとよくなっていたりしたら……そういう“壜(びん)の中のメッセージ”、タイム・カプセルでもあるんです」 『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み/平中悠一』(田畑書店) 谷崎潤一郎の「細雪」を、日本では初の試みとなる「ノン・コミュニケーション理論」を用いて解析。三人称小説の在り方、文学作品の客観的な読み解き方を考察する。小説家である平中悠一の、東京大学大学院での博士論文を書籍化。 平中「三人称の小説を自分ではうまく書けないっていうのがまずあって。三人称の小説が一番本格的であるという話もよく聞くし、でも日本語で書かれた三人称の小説は、どうもどれもしっくりこないというか……どうも読んでて三人称ごっこみたいに見えちゃう感じがあるのに『細雪』だけは違和感が何もなくスーッと読めるので、なんでだろう?と。どこが違うんだろう?って、ずっと謎だった。『細雪』という小説自体、どうやって書いたんだろう?というのが全然わからなくて。それが『細雪』を研究のモチーフにしたきっかけです。そこから「ノン・コミュニケーション理論」の勉強を始めて……もしこの理論が使えるようになったら絶対おもしろいことになるぞ、と思ったんです」
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
-
浅井小次郎(BOY meets logirl #055)
浅井小次郎(あさい・こじろう)2002年11月10日生まれ、東京都出身 Instagram:ko_ins_ji 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
-
飯島 颯(BOY meets logirl #054)
飯島 颯(いいじま・はやて)2001年10月12日生まれ、東京都出身 Instagram:@hayate_kumakun_official 2025年4月に東京・京都にて上演、舞台『青のミブロ』沖田総司役で出演 撮影=まくらあさみ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
-
新原泰佑(BOY meets logirl #053)
新原泰佑(にいはら・たいすけ)2000年10月7日生まれ、埼玉県出身 Instagram:taisukeniihara.official X:@T__Niihara 現在放送中のTBS日曜劇場『御上先生』に出演中 2025年夏公開の映画『YOUNG&FINE』で主演 2025年6月上演、7月ツアー公演予定の「ミュージカル『梨泰院クラス』」に出演 『新原泰佑 2025.4-2026.3 calendar』が予約販売中 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
-
好きなことを突き詰めてきた異色のコンビ・十九人が、勝ちを意識した瞬間|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34
「M−1、嫌いだったんですよ」 『M-1グランプリ2024』でセミファイナリストとなり、敗者復活戦でも爪あとを残した十九人(じゅうきゅうにん)。 初舞台について聞くインタビュー連載「First Stage」では今回、十九人のふたりに『M-1』の大舞台に初めて上がった感想を話してもらった。 そこで飛び出したのが、冒頭の言葉だ。M-1に対する十九人の本音、そして勝負への覚悟を決めた彼らの現在に迫る。 【こちらの記事も】 『M-1』や『おもしろ荘』で注目を集めるコンビ・十九人の脳汁とニヤケが止まらなかった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34 目次M-1準決勝敗退はひどいなりトップバッターを任されがちM-1が大嫌いだった何も矯正されず、変人のままで M-1準決勝敗退はひどいなり 左から:ゆッちゃんw、松永勝忢(まつなが・まさとし) ──M-1では、昨年初めて準決勝に進出しましたね。 松永 なんか緊張するっていうよりかは、普通に楽しかった。 ゆッちゃんw ね。めちゃめちゃ気持ちよかったです。 松永 楽屋もけっこう和気あいあいとしてたし。 ゆッちゃんw カメラはすっごい多いです、ずっと密着だし。ホントに気づかないうちに撮ってる。僕たちはカメラ向けられたら、いっぱいふざけようって決めてたんですけど、バレないようにめっちゃ撮られまして。でも、密着のスタッフさんとめっちゃ仲よくなりました。僕たちがふざけてたら「いや、使えるかぁ!」とかツッコんでくれた(笑)。 ──準決勝の出番は4番目でした。 松永 よくないなぁとは思ってました。実際、場が温まりきってない感じはしましたし。 ゆッちゃんw でも、後半すぎると逆にお客さんが疲れちゃうから、僕らみたいなのは、みんなが体力のあるうちに見てもらえてめっちゃありがたかったなと思う。元気じゃないと、見てられないときがあるから(笑)。 ──客席から観ていましたが、十九人で会場が温まった記憶があります。 ゆッちゃんw わー、うれしい! たしかにねぇ。気持ちいいくらいウケて、終わった直後はもしかしたら……とは思ったんですけど、僕たちのすぐあとのスタミナパンさんが相当ウケられていたので、ダメかもなぁって。 ──出番が終わって、結果発表まではどう過ごしたんですか? 松永 結果発表まで3時間ぐらいあったんですよ。オズワルドの伊藤(俊介)さんに誘ってもらって、モツ鍋を食べさせてもらいました。スタミナパンの麻婆さんと、豆鉄砲と、例えば炎の田上で行きましたね。 ゆッちゃんw モツ鍋のあとはカラオケに行って、時間がないから、ひとりずつ「魂の一曲」を歌って。僕はYOASOBIの「群青」を歌いました。でも松永くんがすごい曲歌ってた(笑)。 松永 僕、神聖かまってちゃんの「神様それではひどいなり」。 ゆッちゃんw 最後に「殺してやる!」って叫び続ける曲で、みんなで「まだ落ちてないよ! 大丈夫だよ!」って。でも結局、そのモツ鍋メンバー全員落ちてて、ずこーってなりました(笑)。 トップバッターを任されがち ──敗者復活戦では、準決勝とはネタを変えていました。敗者復活戦では『席を譲ろう』、準決勝でやった『耳が痛い』。なぜ変えたんでしょうか。 松永 敗者復活はトップバッターだったんで、トップバッターで「耳が痛い!」って叫びまくるネタはちょっとかかりすぎてるから引っ込めました。テレビだし、初見の人もいっぱい観てくれるから。 ゆッちゃんw 電車のネタは、僕らの中では伝わりやすい温厚なほうだったんです(笑)。『おもしろ荘』では『耳が痛い』をやったんですけど、総合演出の諏訪(一三)さんは「席譲るやつは伝わりやすいけど、十九人を好きな人からすると、物足りないなぁ」って言われました。「まぁ、しょうがないな。テレビだからなぁ。おじいちゃんおばあちゃんが観てるからな」って(笑)。 ──初めての敗者復活戦はいかがでしたか。 ゆッちゃんw 出る直前に煽りVを見てて、「うわぁ、テレビで観てたあれに出るんだ!」と思ったら、一回「ぐぅ!」ってめっちゃ緊張して。でもマネージャーさんに「めっちゃ緊張してきました……」ってベラベラしゃべってたら、「たぶん緊張してないですよ。アドレナリンが出てるだけです」って教えてもらえて、落ち着きました。 松永 でも正直そんなに手応えはなかったなぁ。 ゆッちゃんw だから勝つぞっていうよりも、僕らのネタで番組が盛り上がればいいかって半分思ってた。『M-1敗者復活戦』という番組が、十九人がいたおかげで盛り上がったっていう印象になればいいなって。 松永 僕らは普段のライブでもトップバッターにされることが多い。十九人で無理やり盛り上がらせようみたいな。 ゆッちゃんw 大きい声っていうか、デカい音を出せるから(笑)。 ──最近の若手芸人は「M-1という番組を盛り上げたい」と言う人が増えている印象があります。 ゆッちゃんw たしかに。「絶対に勝つぞ」って気持ちと、番組を盛り上げたい気持ちだったら、どっちがいいのかはわからないけど。 松永 なんやろ。賞レースで結果出して(メディアに)引き上げてもらうっていうよりは、自分たちがおもしろいと思うことをやって、いいものができればいいよねっていう気持ちが強いのかな。だから勝ち負けはそこまで重要じゃないっていうか。もちろん勝ちたいんですけど。 M-1が大嫌いだった ──気が早いですけど、次のM−1への意気込みはどうですか。 ゆッちゃんw M-1に対して意識が変わりました。今までは15年かけて、いいところまで行けたらっていう感じで。普段のバトルライブも、僕らそんなに得意じゃないから、お笑いは戦うもんじゃないしな、みたいに思ってたけど……うん、松永くん、どうだ? 松永 敗者復活に出てみて、見えてるものがちょっと変わったんですよ。もう一回勝てば決勝なんやっていうのが具体的に見えてきて、これからはM-1に向けたネタを作ろうと。今までは自分たちの好きなことやり続けて、いつか決勝行けたらと思ってたけど、決勝に行ってる人たちはM-1で勝つための4分間のネタを作ってるんだって目の当たりにして、ここをちゃんとやらなアカンなっていう気持ちになった。 ゆッちゃんw 勝ちたくなっちゃったね(笑)。みんながあんなに熱いのはこういうわけだったんだなって思っちゃいました。 松永 僕ら、M−1嫌いだったんですよ。かなり嫌い。 ゆッちゃんw こんなこと言っていいのか(笑)? 松永 僕らなんて、1回戦で3回落とされてるし。1回戦って持ち時間が2分じゃないですか。そんな短い時間で伝わるわけないって、ふて腐れてたんです。ライブではめちゃめちゃウケてるまわりの友達もいっぱい落とされるから、M-1自体が嫌いだった。でもだからといって賞レース至上主義からは逃れられんし……。 ゆッちゃんw 悲しいね。なんか悲しい話だね(笑)。 松永 ふふふふ(苦笑)。嫌なんですよね、お笑いの本質って別にバトルじゃないし。なんなら商売ですらない。 ゆッちゃんw 趣味でやってることにたまたまお金が発生して、超ラッキーっていう状態なので。 松永 そんな感じで僕らは賞レース自体が嫌いだったけど、でもそれをM-1の2回戦で負けてるヤツが言ってても仕方ないじゃないですか。 ゆッちゃんw やっぱ決勝に行ってる人たちってめっちゃすごい。でも別に2回戦で落ちた人がおもしろくないわけじゃない。それがみんなに伝わってほしいなって思うから、僕らが勝ったら「たまたま今日評価されたから勝っただけで、ほかの人もみんなおもしろいんだよ」って言えるようになりたい。そのためにがんばりたいなって思えるようになりました。 何も矯正されず、変人のままで ──これからはどんな仕事をしたいですか。 ゆッちゃんw 事務所の先輩たちがすごいので、そういう人たちと一緒にテレビ番組出られたり、営業とか一緒に回れるぐらい有名になれたらいいなとは思ってます。 松永 やりたいことを、やりたい。今は それについてきてくれるお客さんもいるし。去年単独ライブやったんですけど、それが500人ぐらい来てくれて。そのお客さんを大事にしたいなって思う。 ゆッちゃんw ありがてぇ。 松永 僕らに3000円とか払ってくれる人がそんだけいるっていうのがうれしいから。 ゆッちゃんw 高いよね! 松永 だから、僕らをおもしろいと思ってくれる人たちを喜ばせたいし、僕らはやりたいことをやりたいなって気持ちです。 ゆッちゃんw あと、僕らが好き勝手していい場所がテレビにできたらいいなぁ。冠までは行かなくても、僕らの同世代の何組かで番組させてもらえたりしたらいいなぁ。 ──1997年生まれのおふたりも、テレビへの憧れはあるんですね。 松永 テレビは好きですね。僕らはまだギリギリYouTubeじゃなくてテレビに育ててもらったので。それに「テレビは終わり」みたいに言われるけど、まだ終わってないと思うしなぁ。視聴率が数%でも数百万人が同時に観てるってことで、その規模はYouTubeではあり得ない。やっぱりテレビにしかできんことがあると思うし、そこで自分らがやりたいことをできたらめちゃくちゃうれしいですね。 ゆッちゃんw あと、松永くんは英語もすごくできるから。英語クイズなら負けない。ね! 松永 何それ、あんま関係なくない?(苦笑) ──でもEテレの英語番組とかおふたりでやったらハマりそう。 ゆッちゃんw わぁ、やりたい! たしかに「NHK出てください」はファンの人にめっちゃ言われます。最初の単独ライブで人形劇をやったときテレビ局の人から「アテレコ上手〜」って褒められたよね(笑)。 ──たしかにおふたりとも独特のテンションと声質なので、ナレーションも向いてそうです。 ゆッちゃんw やりたい! 『キョコロヒー』で内田紅多(人間横丁)がやってて、めっちゃうらやましいです。大(おお)友達だから。 ──先ほど「同世代の何組かで番組」と言ってましたが、どのあたりの芸人が浮かびますか。 ゆッちゃんw うわぁ、どうする!? 何組かっていったら、まず人力舎のめっちゃ最高ズかなぁ。おばた(最高)は仕切れるし、(めっちゃ)むつみさんは突破力があって、『はねトび(はねるのトびら)』みたいな番組だったら、虻川(美穂子)さんみたいになれそう。あと、何をしても大丈夫っていう安心感が欲しいのでオッパショ石さん。どんな空気でもなんとかしてくれるし、僕らが好きなことやってもまとめてくれる。あと豆鉄砲とか。 松永 いいなぁ。たしかに今売れてる人って何組かでコント番組とかしてきたイメージあるから、そういうのをうちらの世代でできたらいい。 ゆッちゃんw 地下ライブって「これしかできない」みたいな変人がいっぱいいるんです。そういう人たちがテレビに出ようとすると、直さなきゃいけなくなっちゃうけど、それがもったいないなぁって。何も矯正されずに、変人のままテレビに出られるようになったらいいな。僕もそうなんです。松永くんは器用だからなんでもできるけど、僕は松永くんが書いてくれるネタじゃないと無理だから(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 十九人 ゆッちゃんw(1997年9月9日、北海道出身)と、松永勝忢(まつながまさとし、1997年10月29日、大阪府出身)のコンビ。2018年4月、立命館大学の劇団サークルで出会い、コンビを結成。2020年4月に上京し、フリーとして活動。2022年、ASH&Dに正式所属。『M-1グランプリ2024』準決勝進出。2025年元日未明に放送された『おもしろ荘』では3位に入賞した。 【後編アザーカット】
-
『M-1』や『おもしろ荘』で注目を集めるコンビ・十九人の脳汁とニヤケが止まらなかった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34
『M-1グランプリ2024』で準決勝に進出し、敗者復活戦ではトップバッターとして大会を盛り上げた十九人(じゅうきゅうにん)。結成は2018年4月。その初舞台で、お笑いの虜となった。 TシャツGパンの装いで、長髪を振り乱し叫ぶメガネの女、ゆッちゃんw。そんな彼女に翻弄される昭和レトロな出で立ちの松永勝忢。 漫才を見る限り、どんな人間かまったくイメージがつかないふたりに、その初舞台から振り返ってもらった。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次脳汁ドバドバ初舞台号泣のセカンドステージお客さんがようやく僕らに慣れてきた「僕」は、あの俳優の影響 脳汁ドバドバ初舞台 左から:ゆッちゃんw、松永勝忢(まつなが・まさとし) ──十九人の初舞台を覚えてますか。 ゆッちゃんw 超覚えてます。最初のボケでウケすぎて、脳汁がドバドバ出たんです。忘れられない。 松永 当時は大阪にいたんですよ。『C★マン』っていうエントリーライブに出ました。大学3年のときか。30組ぐらい出るんですけど、初めて出て、2位になったんです。 ──すごい。 ゆッちゃんw 鬼のように緊張して、出番前は「吐きそう」って言ってたんですよ。でも僕の最初のボケがドカン!とウケて、そこからは「楽しい!」に変わって。ライブのあと、ふたりでサイゼリヤで打ち上げしたんですけど、ウケすぎたのがうれしくてずっとニヤニヤしてて。メニューを開いたり閉じたりして、全然注文もできないし。コップの水が空になっても、ふたりでずっとニヤニヤしてたね。めっちゃ覚えてるなぁ。 松永 僕らは立命館大学の演劇サークルで出会って、僕が誘ってコンビを組んだんです。最初はずっと続けようなんて思ってなかったもんな。 ゆッちゃんw うん。コメディを主にやるサークルだったんですけど、新入生歓迎公演で松永くんがコントの台本を書いてきて、それがおもしろかったんです。だからこの人の台本で演じられるんなら、なんでもいいやって。僕、お笑いは見てこなかったから、正直、漫才とコントの区別すらついてなかったし。でも初舞台がウケすぎて楽しくて、「もっとやりたい! 早く次やりたい!」ってなっちゃいました。 ──演劇では味わったことのない興奮だった? ゆッちゃんw 演劇のお客さんは笑っても「ふふふ」ってレベルだったけど、お笑いだとみんなが口を開けて笑うんですよ! それがめっちゃくちゃうれしかったです。それからは演劇サークルも行くけど、お笑いの稽古を優先してました。 ──どんなネタをしたんですか。 松永 今とそんなに変わらないですね。この人に思いっきり動いてもらってて。僕はツッコミができないタイプなんで、ほぼしゃべらず。 ゆッちゃんw 松永くんは『ハイスクールマンザイ』にも出てたらしいんですけど、そのときはボケだったんだよね。 ──松永さんはボケ気質なのに、自分がツッコミをするのは大丈夫だった? 松永 そうですね。当時、お笑いをやろうと思って、誰に声かけようかなって手札を見たら、 この人に変なことをさせるのが一番おもしろいと思ったので。もちろん自分がボケたくはあったけど、しょうがないかと。 号泣のセカンドステージ ──初舞台でウケて、そこからは順風満帆でしたか。 松永 2回目のライブは、めちゃくちゃスベったんです。初舞台のネタを改良したつもりだったんだけど……。スベりすぎて、舞台からはけた瞬間に、相方が泣き出したんですよ。 ゆッちゃんw 松永くんはほぼしゃべらないネタだから、「スベったってことは、僕が間違ったんだ!」と思って。「ごめん! 次はがんばるから見捨てないでくれ!」って泣きました。 ──でもそこで方向転換するわけではなく、今の十九人と変わらないスタイルを貫いていた。松永さんには、最初から十九人の理想が見えてたんですか? 松永 半分くらいは見えてたかな。相方がすごく騒いで、僕は静かにする、みたいな方向性だけですけど。ライブによっては作家さんがいて、アドバイスされるんですよ。「もっとツッコミをちゃんとしたほうがいい」「出てきたときにこの人のキャラクターがわかるようなボケを入れて」って。そのほうが正しいよなとは思いつつ、「でもなぁ……」ってそのままやり続けて、ここまで来ました。3年目の途中ぐらいまでは事務所にも入らずフリーで好き勝手やってたので、直す機会もなかった。だからもうガラパゴスです。 ゆッちゃんw 独自の発展を遂げました(笑)。でもだんだん認めてくれる大人ばっかりになってきて。ASH&Dにスカウトしてくださったマネージャーの大竹(涼太)さんも、僕らの漫才を見て腹抱えて笑ってくれて。「そのまま好きにやってください」って。 松永 僕らはほとんどネタ見せも受けてきてない。とにかく自由にやってきました。 ──不安になることはなかった? 松永 自分たちのスタイルで迷ったりしたことはないですけど、コロナ禍はキツかったですね。大学卒業して上京したのが2020年の4月なんですよ。 ゆッちゃんw コロナと一緒に東京に来た。 松永 せっかく上京したのに、半年ぐらいほぼなんもしてなかった。親にも「いったん帰ってきたら?」って言われました。 ゆッちゃんw 今、芸人じゃないなぁ、名乗ってるだけかなぁって。 ──そもそも大学卒業後、芸人になることはすんなり決まったんですか? 松永 大学4年の初めごろにASH&Dにスカウトされたんです。それでいったん預かりになってて。当時のASH&Dは、僕らのすぐ上の先輩がラブレターズさんで若手がまったくいなくて、僕らに若手向けのオーディションを回してくれたんです。あと、大学4年の年末に『おもしろ荘』のオーディションで最終選考まで残ったのもあって、親も説得しやすかった。 ──今年頭の『おもしろ荘』に出演されましたが、そんなに前からいいところまで行ってたんですね。 松永 総合演出の諏訪(一三)さんは、もう5、6年、僕らのことを見てくれてますね。 ──諏訪さんはめちゃめちゃ厳しいと聞きますが。 松永 僕らにはめちゃくちゃ優しかったです。「数百組のネタを見てると、どれも同じに見えるんだけど、君らは違う」って。 ゆッちゃんw 「十九人は覚えてられる、忘れない」って言ってくれました。でも番組にはなかなか出られなくて(笑)。 松永 おもしろ荘のオーディションは「映像審査」「諏訪さんの面接」「客前オーディション」と3段階あって、僕らはお客さんのアンケートで落とされるんです。お客さんはみんなお笑い好きじゃない視聴者の方々だから、僕らの漫才は怖がられて、アンケートでバツばっかつけられる。今年ようやく出られたけど、「×」と「◎」の差が一番激しいって言われましたね。 お客さんがようやく僕らに慣れてきた ──コロナ禍で上京してきた十九人はM-1の予選も東京で受けるようになりますが、2020、21年と2年連続で1回戦敗退でした。 松永 上京2年目までが一番キツかったですね。僕らくらいの若手にとって、M-1で勝つ/負けるって正直かなりデカいんで。 ──しかし2022年は3回戦、2023年が準々決勝、2024年は準決勝と毎年ステップアップしています。何かきっかけがあったんですか。 松永 なんだろうなぁ。2022年にこれまで預かりだったASH&Dに所属したことくらいで、別にそれ以外は変わってないんですよね。 ゆッちゃんw お客さんが僕らを見慣れたんじゃない? 松永 たしかに。ライブもできるようになって、東京での仲間も増えて、M-1もだんだん“僕らの世代”になってきたのかもしれない。 ──僕らの世代。 松永 やっぱり世代ってあるなって思うんです。ここ数年は、令和ロマン、真空ジェシカ世代みたいな感じで、なんとなくあったじゃないですか。1回戦を観に来るような熱心なお客さんが、普段見てるライブによく出てる芸人みたいな。その世代が、2022年あたりにちょっとずつ切り替わる感じはしました。 ──十九人が変わったわけではない。 松永 僕らは大学生のころからほとんど変わってないですね。もちろん、うちらが成長して見やすくなったっていうのはあると思いますけど、それ以上にお客さんが見慣れてくれたのは大きい。一昨年の3回戦でやったネタも、今やると全然ウケるんですよ。うちらのメディア露出も、ここ1年でちょっと増えたし、見慣れてもらうってかなり大きいと思います。 ゆッちゃんw あと、僕の滑舌としゃべり方がよくなった(笑)。昔は相当聞き取りづらかったみたいで、それをがんばって改善して。前は「高すぎて聞き取れない」って言われがちだったけど、今は「高いのに太い」って褒められるようになって。 松永 たしかにそれも大きいね。大阪のそれこそ地下でやってたときは、なんかヤバい女が出てきたと思われてたから。「なんか知ってる」とか「名前は見たことある」だけでも安心して見てもらえる。知ってる人が変なことしてるのと、知らない人が変なことしてるのとだったら、知ってる人のほうがいい。 ──私の勝手な推測ですが、マヂカルラブリーやトム・ブラウン、ランジャタイのように漫才の認識を拡張するコンビがM-1の決勝に出てきたことで、十九人の奔放なスタイルも受け入れられたのかと思っていました。かつては「漫才か漫才じゃないか論争」もあったけど、漫才は自由でいい空気が徐々に広まったのかなと。でも、そういう全体的な雰囲気の変化というよりは、自分たち自身が受け入れられたっていう感覚なんですね。 松永 そうですね。変則的な漫才っていうのは常にある。M-1でいうなら、昔ならスリムクラブさんもいました。だから漫才が拡張された、とかはあんま関係ない気がしてます。結局、個々の知られ方が重要で。大きな流れに乗ったっていうよりは、自分たちの受け入れられ方が変わっただけかな。 ゆッちゃんw でも、マヂラブさんが優勝されたあたりから、変な漫才枠がM-1の決勝にできた気がします。ちょっと変なコンビを2組くらい入れて、その人たちが優勝してもまぁ納得みたいな。そういう雰囲気ができて、僕らは助かるなぁって。 松永 たしかに。あと単純に2020年のマヂカルラブリーさんの優勝とか、その前年のぺこぱさんが準優勝っていうのは勇気づけられましたね。変則的なネタでも、そこまでいけるんだって思えたから。 ゆッちゃんw できないことはないんだって思えたね。 「僕」は、あの俳優の影響 ──十九人のnoteで、松永さんが「男女コンビへの『付き合ってんの?』ではない正解の聞き方」で、男女コンビならではのめんどくささについて書いていました。5年前の記事ですけど、今の十九人を見ていると、男女コンビであることってまったく気にならなくて。 松永 君が女性ってあんまり見られてながち、かもな。衣装のTシャツにGパンも、大学時代ずっとその格好だったからってだけですけど、中性的やし。今も普段はスカートよりはパンツのほうが多いよな。 ゆッちゃんw そうだね。 ──以前、蛙亭を取材したときイワクラさんが、コントで抱き合ったりすると「おっぱい当たってんだろ」と言われたりして、それがうっとうしいと言ってたんですよ。 ゆッちゃんw やっぱしそういうのあるんだ。 松永 俺たちは言われないなぁ。ホンマに今までそこ言われたの、モグライダーのともしげさんくらいかも。 ゆッちゃんw たしかに(笑)。「それはいいのかなぁ……」ってオドオドしながら心配されてた(笑)。 ──違和感がなくて忘れがちですけど、ゆッちゃんwさんの「僕」という一人称もいいのかもしれません。芸人になってから言うようになったんですか? ゆッちゃんw いや、生まれてこの方ずっと「僕」って感じで生きてきました。 ──私の娘も6歳で「僕」って言うんですよ。でもそれはあのちゃんの影響とかもあって。 ゆッちゃんw あぁ、たぶんあのちゃんは僕と同年代です。 ──あのちゃんとゆッちゃんwは「僕」世代。 ゆッちゃんw たしかに(笑)。子供のころ、まわりでは「うち」って言ってる子も多かったけど、僕はしっくりこなくて。でも「私」もなんか長いから違うし。 松永 「うち」「ぼく」より「わたし」は1文字多いから。 ゆッちゃんw そうそう。それで「僕」のまま来ちゃった。あと僕、TEAM NACSが好きなんですけど、ちっちゃいときから北海道のテレビで大泉洋さんを見てて。大泉さんの言う「ぼかぁね〜」が刷り込まれてるのかもしれないです。 ──ルーツは大泉洋。 ゆッちゃんw 保育園のときから言ってたみたいです。親も友達もなんにも咎めないから、そのままやってきちゃって。でも一時期、おじいちゃんYouTuberのマネをして、「わしはね〜」って言ってたら、それは友達に「年寄りの言い方だからやめたほうがいいよ」って言われて、「僕」に戻しましたね(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 十九人 ゆッちゃんw(1997年9月9日、北海道出身)と、松永勝忢(まつなが・まさとし、1997年10月29日、大阪府出身)のコンビ。2018年4月、立命館大学の劇団サークルで出会い、コンビを結成。2020年4月に上京し、フリーとして活動。2022年、ASH&Dに正式所属。『M-1グランプリ2024』準決勝進出。2025年元日未明に放送された『おもしろ荘』では3位に入賞した。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 好きなことを突き詰めてきた異色のコンビ・十九人が、勝ちを意識した瞬間|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#34
-
芸人たちから愛される70代の“若手芸人”おばあちゃんのネクストステージ|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(後編)
2023年6月、よしもとの若手芸人が活躍する、神保町よしもと漫才劇場に激震が走る。なんと76歳の“若手芸人”が、オーディションに勝利し、史上最高齢で劇場入りを果たしたのだ。 「おばあちゃん」という、ひねりがないのに新しい芸名で、笑いをかっさらう彼女。瞬く間に注目されたが、本人は至って平常心だ。 なぜおばあちゃんは、こんなにも飄々と、イキイキしているのか。きっとこのインタビューを読めば、彼女のバイタリティの秘密がわかるはず! 【インタビュー前編】 よしもとの劇場で活躍する70代の“若手芸人”おばあちゃんの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#33(前編) 目次知らぬ間に芸人になっていた高齢者向けの営業で大活躍『M-1』でも大活躍「ババア!」って言われるのもうれしい 知らぬ間に芸人になっていた ──シルバー演劇をやっていたおばあちゃんが、舞台の基本を学ぼうとしてひょんなことから、よしもとの養成所・NSCに入った。そこまではギリギリわかるのですが、なぜ養成所の卒業後に演劇に戻らなかったんですか。 おばあちゃん NSCでは、お笑いだけじゃなくて、発声や舞台での心得も学べるんです。だから勉強しているうちに、舞台という意味では、演劇もお笑いも同じなのかもしれないと思いました。 ──それでそのまま芸人になった? おばあちゃん いえ、私はこの歳で芸人になれるなんて思いませんでした。事務所の方に「おばあちゃん、なんで所属登録しないの?」と聞かれたときも「私はスマホもできないし、みなさんに迷惑かけるので無理です」と言ってたくらいで。 そしたら「たったそれだけの理由?」「そんなことはこっちでバックアップするから、手続きだけしときなさい」と、おっしゃるんです。 ──その言葉は心強いですね。 おばあちゃん でもね、最初はそう言ってた方がメールを教えてくださったんですけど、私があんまりにも覚えが悪いんで、さじ投げちゃって、ほかの若い事務員さんに指導役が変わりました(笑)。スマホは同期の仲間にも教えてもらいましたし、芸人になれたのは、みなさんのおかげなんです。とはいっても、自分が芸人になったって気づいたのは、卒業してから3年後なんですけど(笑)。 ──3年後に芸人になったことに気づくって、どういうことですか(笑)。よしもとに所属して劇場に出ているのに。 おばあちゃん NSC時代からお世話になっていた作家の山田ナビスコさんの舞台に出させてもらってましたけど、コロナもありましたし、それこそシルバー演劇のように、ときどきネタをやってるだけでしたから、自分がプロの芸人になったなんて思わなかったんです。 でもあるとき、同期の男の子と話してたら年寄りのお節介が始まっちゃって。「あんたさ、芸人になるつもりなの? お母さん心配するから辞めときな」と話してたら、その子に「何言ってんの、おばあちゃん。俺たちもう芸人だぜ」と言われて、「えぇ! 私も芸人!?」ってびっくりしちゃって(笑)。「そうだよ、売れない芸人」という言葉で、やっと自分が芸人だったことに気づいたんです。 ──売れてない芸人ゆえにライブが少なくて、芸人の自覚が芽生えなかった。 おばあちゃん そうですねぇ。神保町の劇場(神保町よしもと漫才劇場)に所属が決まったときも、システムがよくわかってなくてね。夜の舞台が多かったんですけど、私は横浜のほうに住んでるから、早めに劇場を出ないと家に着くのが深夜になるでしょう。だから自分の出番が終わったら、すぐ帰っていたんです。 ──それでバトルライブの結果をずっと知らなかった? おばあちゃん 結局、そういうことだったみたいですね(笑)。スマホもろくに見れないから順位も知らない。ある日「おばあちゃん、おめでと〜」って言われても、何がおめでたいのかさっぱりわからない。「オーディションに受かったんだよ」と聞かされて「ねぇねぇ、これに受かってなんの得があんの?」という具合で、みんなから「いい加減にしてくれよ!」と言われちゃいましたね(笑)。 ──若手芸人たちは、必死で勝ち上がろうとしているバトルライブだから、そう言うのも無理はないですね(笑)。 おばあちゃん もうみんな、そのライブのときはピリピリしてますからね。そこで私はおせんべい配って「みんながんばってねぇ」って。自分もこれから出番なのにね(笑)。 高齢者向けの営業で大活躍 ──おばあちゃんの、小噺のあとに川柳を詠むというネタは、どうやって完成したんですか? おばあちゃん NSCの講師だった山田ナビスコさんが卒業後もネタを見てくださって、「おばあちゃんは漫談をシルバー川柳で締めたほうがいい」とアドバイスしてくださったんです。実際、それがすごくよかった。漫談のオチを忘れそうになっても、川柳に書いてあるから読めばいいんですから(笑)。 ──川柳にはもともとなじみがあったんですか。 おばあちゃん 会社員時代にちょっと詠んだりはしましたけど、本格的にやったことはありません。今でも、ひとつの川柳を作るのに、半年以上かかったりすることもあります。もちろんほかのものも並行しながら作っていますけどね。いったん保留にしておくと、あとでいいものが浮かぶことがあるんです。 ──ネタ作りはどんなタイミングでやるんですか。 おばあちゃん ネタ帳というか、メモ帳を家の至るところに置いてまして、いつでもメモを取れるようにしたんです。たとえば、この時期だと今年の流行語をテレビで見て、メモします。……でも流行のネタって、すぐ使えなくなるんですよ。 ──旬が過ぎると、ウケなくなる。 おばあちゃん そうなんです。最初のころは、流行とか季節のネタをよく作ってましたけど、今は一年中どこでも通用するネタを考えてます。あと、依頼に応じて作ることもありますね。補聴器のPRイベントに呼ばれたときは、耳のネタ。お父さんの耳が聞こえにくいのをネタにしたり、老眼鏡も入れ歯も補聴器も、衰えたことを悲しむんじゃなくて、アクセサリーとして楽しみましょうと。 ──営業の機会は多いですか。 おばあちゃん はい。老人ホームもありますね。ただ、老人ホームでもいろいろあって、国がやってるところは認知症の方が多いでしょう。だからネタなんか聞いてもらえない(笑)。認知症の方には音楽がいいですね。ほとんどしゃべれなくなった人でも、音楽が鳴ると、手を叩いたり、リズムを取ったりします。私の漫談ネタをやるなら有料老人ホームが合ってるんでしょうけど、そういうとこの人は、みんなお金を持ってるから、私のネタを見るくらいなら、自分たちでコンサートとか演劇を観に行ってしまう(笑)。 ──高齢者向けの営業はなかなか大変なんですね。 おばあちゃん でも葬儀屋さんでの営業は楽しかったですねぇ。高齢者をいっぱい集めて終活の説明会をするでしょ。お葬式の準備から、後見人制度、財産分与の説明をして、その付録として私たち芸人がネタを披露させていただくんです。若い落語家さんなんかは、やりにくいでしょうけどね(笑)。そりゃあ控え室からお線香臭くて、祭壇があって、お客さんはお年寄りばかりだからしょうがない。でも私は楽しいですねぇ。 ──葬儀屋の営業ではどんなネタをしますか。 おばあちゃん お父さんに「書いといて」って渡したエンディングノートがメモ帳になってたとか、終活で自宅の整理をしている友人が、私の家にたくさんの不用品を送ってきた話とかしてますね。 『M-1』でも大活躍 ──おばあちゃんは、しゅんP(しゅんしゅんクリニックP)さんと一緒に「医者とおばあちゃん」というコンビで『M-1グランプリ』にも出ていますね。2年連続で3回戦まで進出していて、2024年なんて、10,330組中の408組まで残っていて、すごいです。 おばあちゃん そうなんですかねぇ。私はよくわかんないんですよ。 ──「医者とおばあちゃん」のネタはどうやって作ってるんですか? おばあちゃん しゅんPさんと雑談しながらですね。「最近の若い医者はパソコンばっかり見て、患者の顔を見てないねぇ」とか「患者はボロイスなのに、なんで医者はいい椅子なの?」とかって話すと、ネタにしてくれます。あと、私は友達からネタを仕入れてますね。ばあさんのくせにイケメンの先生のところにしか行かないとか、オシャレしていく場所が病院しかないとか(笑)。 ──そもそも、しゅんPさんとはどういう経緯で組んだんですか。 おばあちゃん これも山田ナビスコさんのおかげです。前々からしゅんPさんに、「お前にぴったりの人が入ったから、組んでみたらおもしろいんじゃないの」と言っていたらしくて。それからコロナがあったり、しゅんPさんのご結婚・出産や、相方との別れを経て、初めてお会いしました。そのとき撮った写真がバズったんですって。お医者さんがババアの脈を測っているポーズで。 吉本に後輩ですが75歳の「おばあちゃん」という芸名のピン芸人がいるのですが、今日劇場でお会いしたので写真を撮ったら完全にただの「医者と患者」になりました。 pic.twitter.com/4n7YvavzsY — しゅんしゅんクリニックP(しゅんP) (@fleming_miya) August 27, 2022 そのあとすぐM-1に応募して、1回戦まで受かりました。そろそろ3回戦より上に行きたいんですけど、欲が出てくると危ないんですよねぇ(苦笑)。 ──M-1は緊張感がすごいですが、おばあちゃんは大丈夫ですか? おばあちゃん 私はね、しゅんPさんがいてくれるから全然気が楽なんです。噛もうが何しようが、かぶせてくれるので、安心感があります。医者っていう安心感もあるんでしょうね。最近は脈を測られても「おばあちゃん正常だな、俺のほうが早えや」なんて言ってますよ(笑)。 「ババア!」って言われるのもうれしい ──よしもとって、先輩・後輩の関係性は絶対というイメージがあるんですが、おばあちゃんもやはり年下の先輩におごってもらうんですか? おばあちゃん そうそう、普段から食事に連れてってくださるんです。「おばあちゃん、なんでもいいから。高くてもいいからね」と言ってくれるんで「ありがとうございます。こんなの食べたことありません」って、特上の天丼を食べさせてもらってね。でも時々、お会計で「お前払えよ」「いや、俺金ねえよ」とやりとりしてる同期の会話が聞こえてきて、「明日食べるごはんあるのかなぁ」と心配になることもあります(苦笑)。でも、私も後輩だから出すわけにはいかないので、そこは「ごちそうさまです」と言いますけど。 ──特に仲のいい芸人さんはどなたですか。 おばあちゃん 喫茶ムーンのレヲンっていう女の子は、NSCのときから、よくごはんに行きます。こないだは八景島の水族館にも行きましたよ。私の自宅が八景島のほうにありまして。 ──八景島から都内まで通われているんですね。 おばあちゃん それで舞台も最後までいられないんです(笑)。でも主人は海が大好きで、あそこから離れられないんですよ。この前、「お父さんが亡くなったら都内に引っ越そうかな」って言ったら、イヤ〜な顔して「お母さんそこまで芸人続かないから考えなくていいよ」って言ってましたよ(笑)。 あとよくしてくださってる芸人は、エルフさん、ヨネダ2000さんですね。あと、ぼる塾さんは4人が同じグループになる前は、劇場の控え室で一緒にお菓子を食べていたんです。それがあっという間に人気者になって、今ではテレビで追っかけしてますね。 ──おばあちゃんが若い芸人たちと仲よくやれている様子は、この高齢社会にあってひとつの希望だなって勝手に思ってしまうんですよ。 おばあちゃん そう言っていただけてうれしいです。最終目標はやっぱり世の中のために役に立ちたい、ですから。この年までね、みなさんのおかげでこうやって生かされたので、お役に立ちたい。最近はね、控え室で私が大福食べてると、ほかの芸人さんが「誰か水持ってきとけよ」とか「掃除機どこにある?」とか言い出すんですよ(笑)。みなさんが私のことを笑いにしてくださるのも、すごくありがたい。 ──変に心配されるよりも、笑い飛ばされるほうが居心地がよかったりしますよね。 おばあちゃん そうそう。今までは「ババア!」って言われると、気にしてたんですよ。でも最近は「おい、ババア!」と言われても「ジジイって言われなくてよかったね!」って言い返して、「お主、やるなぁ」と褒められるようになりました(笑)。芸人の雰囲気ってすごくいいんです。私は本当にまわりの方に恵まれていますね。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 おばあちゃん 1947年2月12日、東京都出身。2018年、NSC東京校に24期生として入学。2019年4月、72歳で芸人デビューを果たす。2023年6月に、神保町よしもと漫才劇場のメンバーとなる。76歳での当劇場メンバー入りは過去最高齢。FANYアプリ『おばあちゃんのシルバーラジオ』や、YouTubeチャンネル『おばあちゃんといっしょ』なども展開している。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
-
趣味は編み物と映画鑑賞──『おいしくて泣くとき』ヒロイン・當真あみのプライベート
#20 當真あみ(後編) 旬まっ盛りな俳優にアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 當真あみ(とうま・あみ)。2020年に沖縄でスカウトされ、『妻、小学生になる』(2022年/TBS)でテレビドラマ初出演を果たす。その後、「カルピスウォーター」の14代目イメージキャラクターに就任、また、『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)など、ドラマへの出演を重ねる。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。後編では、プライベートに関することを聞いてみた。 インタビュー【前編】 目次手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ上京後も送ってもらっていた“実家の味” 手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ ──プライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることはありますか? 當真 映画鑑賞はずっとしています。あと、去年ハマり出したのは、カメラと編み物ですね。編み物は、空いている時間に少しずつ編んで、いろいろと作ったりしています。 ──素材も自分で買いに行ったり? 當真 はい。手芸屋さんへ行って、毛糸を物色したりとか。 ──今まで編んだ中で、一番うまくできたものはなんですか? 當真 ニット帽ですね。けっこううまくいって。夏場は、麦わら帽子になるような素材で、帽子を作ったりもしていました。 ──映画は今、どれくらいのペースで観ていますか? 當真 今年も1月中に3本は観ました。まだまだ観たい作品があって、もうすぐ上映が終わるのかなとか、早く行かなきゃと思っている作品も、今、3つぐらいあります。少なくとも月に1本以上は確実に観たいなと思っています。 ──映画館に行って観るんですか? 當真 そうですね、映画館がすごく好きで。家で観ていると、ちょっと飽きちゃったり、気が散ることもあるのですが、映画館だと大きなスクリーンにすごい音響だったり、本当にその空間がすごく好きなんです。 ──今まで観てきた映画の中で、すごく好きな作品、もしくはこの作品に出ているこの俳優の演技に憧れる、というのはありますか? 當真 お芝居でいうと、杉咲花さんです。昨年観た『52ヘルツのクジラたち』(2024年)と、おととし観た『市子』(2023年)での杉咲さんのお芝居が本当にすごくて……誰かの人生を追いかけて見ているような、そういうリアルなお芝居というか。リアルだし、言葉の一つひとつに、しっかりと伝わってくる強さがあって、そういう相手に届ける力がすごく強い女優さんだなと思いました。 ──お仕事をするなかで、仲よくなった俳優さんはいますか? 當真 『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』というドラマで仲よくなった友達とは、ずっと一緒にいます。みんな映画を観るのが好きなので、最近は一緒に。それこそ『室町無頼』も一緒に観に行きました。共通の好きなものを持っている人がいるのって、すごくいいなと思いながら過ごしています ──今後、やってみたい役柄はありますか? 當真 今、高校卒業間近で、これまでは学生役をいただくことが多くて、今後はさらに先にある大人としての仕事とか、今の学生のさらに先のところで一生懸命にがんばっているような役に挑戦できたらなと思っています。 ──社会人の役などですかね? 當真 そうですね。学生の役では、自分が経験したものだったり、知っている感情をつなぎ合わせて演じていたんですけど、その先となると私もまだ経験したことがないから、たぶんすごく難しいだろうなと思うんです。でもそこを探しながらやるのがすごく楽しいだろうなと思っていて、挑戦してみたいですね。 ──高校を卒業して、成人して、何かが変わる実感はあったりしますか? 當真 成人してですか……まったくないです(笑)。18歳になったからって遅くまで出歩くわけでもないですし、結局あまり変わらないかなというのが大きくて。ただ、学生でも子供でもないというところを意識して、しっかり気持ちを切り替えてかないといけないなとは思っています。 上京後も送ってもらっていた“実家の味” ──俳優以外で、今後やってみたいお仕事はありますか? 當真 ドラマや映画の宣伝で出演するバラエティ番組などで、全然違うジャンルなのに、おもしろくできる俳優さんがいるじゃないですか。すごく明るいキャラクターが出ている感じの……。私は(バラエティでは)うまくしゃべれないぐらいに緊張するので、それをなくせたらなと思っています。 ──書く仕事などは、興味があったりしますか? 當真 あまり考えたことはなかったですね。それよりは、最近カメラを持ち始めてずっと撮っているんですけど、写真を撮るのがすごく楽しくて。その流れで何か挑戦できるものがあったらいいなと思います。 ──写真を撮るときには、ご自分が撮られるときの経験が活きていたりしますか? 當真 いや、まったくないですね(笑)。撮っている対象も友達ばかりですし。画面を通して見ると、また違う人に見えてくるのがおもしろくて、そこはどこかお仕事で活かせたら楽しいだろうなと思います。 ──最後に、改めて映画『おいしくて泣くとき』の見どころを伺えれば。 當真 そうですね。心也くんと夕花の初恋、ラブストーリーではあるんですけど、それだけじゃなくて、ふたりを囲む世界にいる人たちの愛がたくさん感じられる作品だと思います。たとえば30年も相手を思い続ける心也くんの想いや、子供に対する心也くんのお父さんの想いなど、深い気持ちをすごく感じられる作品ですし、人の気持ちの強さ、尊さを感じていただけたらなと思います。 ──タイトルにもつながる、當真さんご自身の「食の思い出」はあったりしますか? 當真 あまり外に出て食べるということをしないのですが、お母さんやおばあちゃんの料理はすごく好きですし、東京に来てからも作った料理を実家から送ってもらっていたことがあって。ハンバーグとか、自分が本当に好きな食べ物を送ってもらっていて、仕事が終わったあとに食べるとすごく体に染み渡りました。ずっと食べてきたものを食べるとすごく安心して、おいしくて。泣くまではいかないんですが、ほっとする料理が身近にあるのは、本当にうれしいことだなと思いました。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 當真あみ(とうま・あみ) 2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。『妻、小学生になる』(2021年/TBS)でテレビドラマ初出演。その後も『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(2024年/TBS)など、ドラマへの出演を重ねる。Netflix映画『Demon City 鬼ゴロシ』が配信中。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。
-
最旬女優・當真あみ──松岡茉優や広瀬すずとの共演で培った“演技力”と“人間力”
#20 當真あみ(前編) 旬まっ盛りな俳優にアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 當真あみ(とうま・あみ)。2020年に沖縄でスカウトされ、『妻、小学生になる』(2022年/TBS)でテレビドラマ初出演を果たす。その後、「カルピスウォーター」の14代目イメージキャラクターに就任、また、『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)など、ドラマへの出演を重ねる。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。その作品に関する話から聞いてみることに。 目次心の「居場所」を意識して、作り上げたヒロイン像松岡茉優からもらった「卒業証書」に感銘を受けて 心の「居場所」を意識して、作り上げたヒロイン像 ──映画『おいしくて泣くとき』の話をもらったとき、いかがでしたか? 當真 お話をいただいてから、台本と原作を読んで、すごくあたたかい作品だなと思いました。ほっこりするあたたかさとは違って、人の優しさを知るというあたたかさというか……。私が演じる夕花と、長尾(謙杜)さんが演じる心也との初恋もそうなんですけど、それだけじゃない、人を思いやる気持ちというのがたくさん感じられる作品で、すごく素敵だなと思いました。 ──ご自分の素のキャラクターと夕花とで、似ているところはありますか? 當真 夕花は家庭での複雑な事情があって、少し大人びているところがあるんですけど、その中での芯の強さと、本人のもともと持っている明るさが合わさったときの力強さは私にはないものなので、そこをしっかり出せたらいいなと思いました。 ──撮影していて、特に印象に残っているシーンはありますか? 當真 ひとつだけ挙げるなら、雨の中を帰るシーンですね。実際、その日も雨が降っているというリアルな状況で、楽しいというよりは少し沈んでいる空気を雨が消してくれるみたいな、そういう心情になって。そのあたりの気持ちの作り方を考えて、監督とも相談しながら撮影したこともあって、印象に残っています。 ──ほかにも撮影していて大変だったな、苦労したなというシーンはありますか? 當真 ラストの心也くんとのシーン……気持ちを作るのに少し時間をかけてしまったんですけど、このシーンが大変でしたね。たくさん言葉をかけてくれる心也くんに対して、振り切るかたちで夕花が行ってしまうという行動……すごく大切な部分なので、その気持ちを作るのに時間がかかりました。 ──クランクイン後の最初の撮影、夕花の家でのシーン……けっこう激しいシーンでしたね。 當真 夕花の土台となる、この作品ですごく重要な要素でした。そういった家での状況が中心にあった上で、心也くんとの対話だったり、“子ども食堂”に行っていたりとかするので、重要な部分を最初に撮れたのは、すごくありがたかったなと思います。 ──そこを基準に、役づくりをしていった感じでしょうか? 當真 そうですね。やっぱり家で起きていることが、どんなシーンでも頭をよぎるというか……ふと思い出したりすることができたので、そこはすごくありがたかったです。 ──長尾謙杜さんと共演してみた印象は? 當真 横尾(初喜)監督と長尾さんと私の3人で話すことが多かったので、コミュニケーションを取る機会も多くて、演じる上ですごくやりやすかったです。 ──撮影の合間は、どんな話をしましたか? 當真 撮影地が豊橋だったこともあって、豊橋のおいしい食べ物の話とか……初日は私が緊張しているので、撮影がスムーズにできるような気遣いをしてくださったり。合間では、本当にたわいもない会話や地元の話……図書館のシーンでは、文房具がいっぱい目の前にあったので絵を描いたりとか、そんなこともしていましたね。 ──當真さん自身も、弟役の矢崎滉さんを引っ張っていかなきゃというような意識はありましたか? 當真 やっぱり夕花としては、小さい弟を守らなきゃ!みたいな気持ちもありますし、弟役の矢崎くんも撮影の初日は緊張しているかなとも思ったので、意識的に話しかけたりしました。 ──その様子を見ていて、ご自分が初めて演技したときのことを思い出したりしました? 當真 しました(笑)! やっぱり緊張というか……監督から言われたことを、こうなんだろうか?と考えたりして、本当に難しいなと思っていたことを思い出しました。 ──この映画で見てほしい、ご自分の演技のポイントはどのあたりですか? 當真 (自分の)家にいるときの夕花と、心也くんが作ってくれた居場所にいるときの夕花の違いです。やっぱり、自分にとっての居場所があるというのはすごくうれしいことだなと、撮影の合間にも感じていて……帰ってくることができるという安心感って、たくさんあればあるほどすごく安心できる。その居場所に対する夕花の違いを、見ていただければと思います。 ──當真さんにとっての「居場所」、行き着く場所は、どこなんでしょうか? 當真 やっぱり仲のいい人といる場所……もちろん地元の沖縄のお母さんたち、おうちだったり、おばあちゃんだったり。それと東京に来てから仕事で仲よくなった友達と一緒にいる時間や空間というのも、私にとっての「居場所」だなと思います。 松岡茉優からもらった「卒業証書」に感銘を受けて ──今まで演じてきた作品の中で、一番印象に残っているものはなんですか? 當真 こういう現代の話とは離れたジャンルの時代劇『大奥』(2023年/NHK)と『どうする家康』は、すごく印象に残っていますね。それまでやってきたお芝居とは違って、セリフから所作から何もかも自分の中で新しくやることだったので、すごく難しかった記憶があります。 ──なるほど。時代劇も、今後またやってみたいと思いますか? 當真 そうですね。『大奥』では、特に男女の設定を逆転させて女性のほうが強く押し切るという、実際の歴史とはちょっと違った描き方でしたし、これとはまた違うかたちでの時代劇にもチャレンジしてみたいです。 ──當真さんのInstagramを拝見すると、いろいろな映画作品をご覧になっていますが、最近観た中で印象に残っている作品はありますか? 當真 昨年の12月に観た『侍タイムスリッパー』です。最近観に行ったばかりの『室町無頼』も、現代とはかけ離れた話で、アクションの迫力とか、そういう部分に圧倒されたり。『侍タイムスリッパー』にはコミカルでくすっと笑ってしまうような部分、すごく惹きつけられる部分がたくさんあったので、印象に残っています。 ──以前、憧れている俳優は長澤まさみさんとおっしゃっていましたが、今、憧れている、目標にしている俳優はどなたですか? 當真 変わらずに、長澤まさみさん。それと、ドラマでご一緒した松岡茉優さん、よく出演作品を観ている杉咲花さんです。松岡さんは、ご一緒した撮影現場(『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』)で、すごく圧倒されました。先生役で、ワンシーンがものすごく長くて、セリフもすごい量だったんですけど、長回しで何回も繰り返す撮影でも、毎回ぐっと惹きつけられるお芝居で。観る人だけじゃなく、現場にいる俳優たちも圧倒するようなお芝居が、すごくエネルギーがあって素敵だなと思いました。憧れですし、私もそうできるようになりたいです。 ──松岡さんとの現場での思い出はあります? 當真 松岡さんはすごく優しくて、クランクアップの日は、本当の卒業式みたいに卒業証書をくださいました。一人ひとりが(松岡さんから)ひと言をもらう時間もあって、そこは10話通して撮影してきた中でも本当にラストの卒業みたいな感じになって。撮影中、生徒と松岡さんが演じる先生との間には役柄的にも壁がある感じだったんですけど、撮影が終わると、笑顔で「おつかれさま!」と言っていただいたのも印象に残っています。 ──デビュー以降、初期に演じた作品はいかがでしたか? 當真 長編映画だと最初に演じたのは『水は海に向かって流れる』(2023年)、短編だと『いつも難しそうな本ばかり読んでる日高君』(2022年)ですね。長編では、広瀬すずさんとご一緒しました。お芝居はほぼ初めての状態だったので、監督が撮影1カ月前に何回か個別にリハーサルを組んでくださって、そこでいろいろなアドバイスをもらいながら本番に臨んだので、すごく記憶に残っています。 ──広瀬すずさんとの共演は、どうでした? 當真 一緒のシーンがすごく少なかったのと、映画の内容的にも、私の演じる「楓」が一方的に(広瀬すず演じる「榊千紗」を)敵対視している設定だったということもあって、現場であまりお話しすることはなかったんですよね。ただ、撮影したのが寒い季節だったので、待ち時間にちっちゃいストーブを私のほうに向けて「あったまって!」と言ってくれたりとか、そういう気遣いをしていただいたのは覚えています。 ──実写映画以外では『かがみの孤城』(2022年)での声優経験もありますが、声優と俳優では、どんな違いがありましたか? 當真 声優は、セリフだけで表現しないといけないのがすごく難しいと感じました。俳優だったら表情でやるものを、アニメーションの表情に合わせるにはさらにテンションを上げたり抑揚をつける必要があって、そういう部分がすごく難しかったです。 ──なるほど。ドラマ『ケの日のケケケ』(2024年/NHK)では、ちょっと難しい役柄にも挑戦されていましたが、役づくりはどうされたんですか? 當真 このドラマでは、私が演じた役が持つ「感覚過敏」の方とお話しする機会をいただきました。実際の感覚を教えてもらったり、撮影現場にも来てくださった方から話を聞いたりとか、いろいろと教えてもらいながらやりましたね。たとえば、音や光……駅の騒々しい感じはどれぐらいの大きさに聞こえるんだろう?とか、そういうことを常に想像しながら過ごして、自分の役に取り入れていました。 ──『ケの日のケケケ』で母親役を演じていた尾野真千子さんは、『おいしくて泣くとき』でも大事な役どころで出演されていますね。 當真 ものすごくうれしいですね。尾野さんとまたこうやってご一緒できて。撮影のスケジュール的にはお会いできなかったので、会いたかったなぁ……という寂しい思いもあるんですけど、本当にうれしいです。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 當真あみ(とうま・あみ) 2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。『妻、小学生になる』(2021年/TBS)でテレビドラマ初出演。その後も『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(2024年/TBS)など、ドラマへの出演を重ねる。Netflix映画『Demon City 鬼ゴロシ』が配信中。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。 【インタビュー後編】
-
タイを満喫──女優・莉子が語る『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』撮影裏話
#19 莉子(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 莉子(りこ)。2018年〜2021年まで雑誌『Popteen』の専属モデルを経て、『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)にて連続ドラマ初主演。その後も、ドラマ『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)や、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品に出演し、女優としての歴を重ねる。2024年10月から放送中のドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)では主演を、11月より配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)では、主人公と行動をともにする「広瀬」として、重要な役どころを演じている。前回に続いて、最近の活動にフォーカスする。 インタビュー【前編】 目次「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート 「桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました」 ──最近出演された『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』(ABEMA)(以下、『インフォーマ』)についてもお聞きしたいのですが、実際にやってみていかがでしたか? 莉子 本当に楽しかったです! それはやっぱり、桐谷健太さんと佐野玲於(GENERATIONS)さんのおかげだと思っていて。おふたりがいなければ、私はきっとこの現場を乗り越えられなかっただろうなと思うくらい、おふたりが伸び伸びとお芝居できる環境を整えてくださったので、感謝の気持ちでいっぱいです。 ──海外での撮影は今回が初めてでしたか? 莉子 はい、初めてです。修学旅行以来の海外で、4年ぶり。渡航の準備段階から「海外ってどうやって行くんだっけ?」という感じでした(笑)。久しぶりの海外が仕事で、しかも撮影ということで不安もありましたけど、やるしかないと思って飛び込みました。 ──タイでの撮影はいかがでしたか? 莉子 正直、最初は不安と緊張でいっぱいでした。現地はとても暑くて、ちょっと過酷な環境でしたし。どうしようという不安もあったんですが、『Popteen』時代の体育会系精神がよみがえってきて「やるしかない!」と自分に言い聞かせました。 ──印象に残った出来事は、どんなことでしたか? 莉子 タイはどこも室内が寒いんですよ。タイの人たちは暑さを和らげるために、室内をキンキンに冷やしているんです。それがサービスなんですが、私は寒すぎてスウェットを着たいくらいでした。日本の冷房の感覚とは違って、本当に冷え冷えなんです! それと、交通はバイクや車が主流で、タクシーが渋滞に巻き込まれることがしょっちゅうありました。「バイタク」というバイクタクシーも利用しましたけど、日本ではまず見かけない光景なので新鮮でした。撮影では「トゥクトゥク」にも乗りましたし、日本ではなかなかないことをたくさん体験できて、最初の不安はどこかへ消えて、終わってみれば本当に楽しい思い出ばかりです。 ──ご飯はいかがでした? 莉子 実は私、辛いものが苦手で、最初の1週間くらいは現場でも辛い料理ばかりで食べられず、ずっとタイ米だけを食べる生活でした(笑)。そんななか、プロデューサーさんたちが「ヤバい、莉子ちゃん、辛いのダメらしい」と気づいて気を遣ってくださり、辛くない料理を用意してくれるようになって、そこからはだいぶおいしくいただけました! ──撮影中、特に印象に残ったシーンはありますか? 莉子 私自身のアクションシーンは少なくて、体力的にはほかのみなさんほど大変ではなかったんですけど……普通に楽しかったのは、やはり「トゥクトゥク」に乗るシーンです。それと、前作の『インフォーマ』(関西テレビ/2023年)で印象的だったシーンがまた出てきたり、前作を観ていた人が楽しめるネタがあちこちにちりばめられているので、「あ! このシーンはあれだ!」と、ひとりで密かに盛り上がっていました。 ──今回のドラマでは、どのような役づくりを意識されましたか? 莉子 普段はノートに役について書き込むのですが、今回はあえて決め込まずにいこうと思いました。オーディションでお芝居を見ていただいたこともありますし、木原(桐谷)と三島(佐野)との関わりの中で変化していく役柄なので、先入観で固めてしまわないようにしました。 せっかくのタイという場所での撮影ですし、前作にも出てらっしゃる桐谷さんや佐野さんと初共演するなかで、その場の空気感を大切にしながら生まれるお芝居を受け止めて、キチンと返すことに集中しましたね。 ──撮影中、桐谷さんとはどんなお話をされましたか? 莉子 最初に本当に感動したのは、桐谷さんの気遣いです。タイの室内は寒いというのは聞いていて対策していたんですけど、ロケバスで初対面のあいさつをしてから、移動するとき、桐谷さんが「莉子ちゃん、ロケバスの温度大丈夫?」と、すぐ気にかけてくださったんです。初対面で、しかもさっきごあいさつしたばかりなのにすぐに私の名前を呼んで、温度まで気遣ってくださるなんて、本当に素敵な方だなと思いました。あの瞬間から、私も桐谷さんのような人間になりたいと強く思いました。 ──佐野さんとは、いかがでしょうか? 莉子 佐野さんとは、空港のシーンが最初でした。初対面だったのですが、待ち時間などに少し話しかけてくださったりして。佐野さんって本当に温かみのある方で、コミュニケーションの取り方からも、たくさんの経験をされてきた方なんだなと感じました。 ほかにも佐野さんは、タイでおすすめの場所のリストをスタッフさんを通じて送ってくださったり、後輩や私たちのことを気にかけてくれる方でした。今回の現場では、人に恵まれているなと改めて感じましたね。桐谷さんと佐野さんには本当に助けてもらいました。 ──タイでの撮休日は、観光を……? 莉子 そうですね、最初の3〜4週間はタイに滞在しっぱなしだったので、後半にはもう慣れて、ひとりでタクシーに乗ったり、マッサージやショッピングモールにひとりで行ったりしていました。タイでひとり行動できるなんてすごいなと自分で思うくらい楽しんでました(笑)。 ──特に印象に残った場所はありますか? 莉子 とにかくショッピングモールが大きくて、中には水上マーケットがあったりもするんです。色合いや装飾がタイらしくて楽しかったですね。ナイトマーケットも有名で、暑さのなか、汗をかきながらスタッフとご飯を食べたりして……いい思い出ですね。 ──改めて『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』の見どころは、どんなところですか? 莉子 前作でも日本のドラマでここまで作れるんだと思いましたけど、今作ではタイでの撮影ということで、さらに臨場感があります。日本ではなかなかできないカーアクションもかなり入っているので、映画のようなクオリティになっています。 前作を観ていた方にも「『インフォーマ』が返ってきた!」というような楽しんでいただける要素がたくさんありますし、私も含めて新しいキャラクターも登場するので、見どころ満載です。 映画『恋僕』では福岡に1カ月滞在 ──ほかの作品についてもお聞きします。この夏公開していた映画『恋を知らない僕たちは』(2024年)の撮影はどうでしたか? 同世代の方が多い現場でしたよね。 莉子 とても楽しかったです。同世代と一緒だとリラックスできて、休みの日にはくだらない話で盛り上がることも多かったり、本当に学校のような感覚で撮影できました。 ──撮影地の学校のロケーションも素敵でしたね。 莉子 そうなんです、福岡で。学校や海が印象的な原作だったので、福岡のロケーションが作品の雰囲気を引き立てていました。福岡に1カ月ほど滞在して、酒井麻衣監督の映像美が際立つ作品に仕上がっています。 ──ああいう作品に出演するときは、原作のマンガを先に読んでから臨むんですか? 莉子 読みますね。原作がある場合は必ず読んでいます。原作を一度読み込んでから、そこから自分なりに役を落とし込んでいくんです。酒井監督は、キャラクターづくりに対して本当にこだわりを持っていて、髪型も役のために切ったり、持っている小道具も原作と同じ飲み物を用意したりと、細かい部分まで忠実に再現していました。みんなが一丸となってこだわりを持って作り上げる作品だったので、刺激的でした。 ──ボクも観たのですが、原作についてまったく予備知識がなくて、全然違う展開を想像していたので……。 莉子 そうなんですよ! 水野美波先生が作り上げる『恋を知らない僕たちは』(集英社)は、最初は学園恋愛ものに見えるんですけど、意外な方向に矢印が向かうのがおもしろいんですよね。それがリアルな恋愛模様を描いていて、私はその部分にすごく魅力を感じているんです。 ──この作品もですが、ご家族や友達からは、出演した作品への感想などは伝えられます? 莉子 家族は観てくれていると思うんですが、感想はあまり言ってきませんね。父は『インフォーマ-闇を生きる獣たち-』に出演するのは知っていて、タイでの撮影についても話していたので、前作の『インフォーマ』も観てくれたみたいで、めちゃめちゃハマってましたね。「あれはどうだった?」とか「このあとはどうなるの?」とか聞かれたんですけど、ネタバレはできないので「言わないよー」と返してました(笑)。 キックボクシング、ピラティス、ドライブ──アクティブなプライベート ──ちょっとプライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることや好きなことはありますか? 莉子 カメラが好きで、フィルムカメラと……最近ではデジカメも使っています。フィルムカメラは高校2年生のころからずっと愛用していて、最近はハーフカメラも手に入れて、現像してみたらすごくよくて、さらにハマりそうです。映像作品の撮影現場では、フィルムカメラで共演者の写真を撮ったりしています。 ──カメラを始めたきっかけは? 莉子 高校生のときに「写ルンです」ブームが再燃していて、それをきっかけにインスタントカメラではなく、ちゃんとしたカメラが欲しいと思い、父に初めてフィルムカメラを買ってもらいました。今はスマホですぐに写真が見られる時代なので、現像までの待ち時間が新鮮で、フィルムの色味や画質の粗さもすごく好きなんです。ずっと使っています。 ──写真を撮るときに、何か工夫はしていますか? 莉子 特に工夫はしないのですが、人や物を撮るのが好きです。友達が笑っている瞬間など、現場の思い出を撮影して、あとで見返してそのときのことを思い出すのが楽しいんですよね。だから現場にもフィルムカメラを持ち込んでいます。 ──なるほど。普段はどのような休日を過ごしていますか? 莉子 家にいるのが苦手で、じっとしていられないんです。休みが本当にいらないっていう人間なので、それこそ仕事も週6とかでしていたいんですよ。週1の休みがあればじゅうぶんなんです(笑)。 けっこう日々動いていたくて、休みの日も必ずキックボクシングやジム、ピラティスに行っています。撮影期間中は朝から夜まで撮影があるので、運動できないのがストレスになるくらい。午後から撮影の日なんかは、午前中にジムへ行って、体を動かしています。 ──キックボクシングをやろうと思ったのは、エクササイズ目的で……? 莉子 はい。今は、特に本格的なジムに通っているわけではなくて、習い事的な感覚でエクササイズの一環として通っている感じです。体づくりが目的ですね。中学のときはバドミントンを3年間ゴリゴリにやっていたんですが、高校で仕事が忙しくなってからはできなくなってしまいました。でも、20代で運動をしているかどうかで将来が変わるなと感じていて、まわりの大人の方からもそう言われているので(笑)、やれるうちにやっておこうと思って続けています。 ──ほかに、やってみたいことはありますか? 莉子 最近はドライブにハマっていて、車を運転するのがけっこう好きなんです。友達とドライブに行くことが多くて、もっと遠出してみたいですね。あと、今はずっとグランピングに行きたくて。 ──基本、アクティブですね! 莉子 そうなんですよ、アクティブすぎて(笑)。 ──少し話が戻りますが、ドラマ『怖れ』(2024年/CBCテレビ)など、最近はいろいろな役柄を演じていますよね。そんななか、今後やってみたい役柄はありますか? 莉子 ずっと言っているんですけど……悪役をやってみたいです。ファンの方に「えっ、莉子ちゃんが……?」と驚かれるような役を演じてみたいんです。だから、悪役とか、人とケンカしたりいじめたりする役に挑戦してみたいですね。 ──『怖れ』の役にも、少しそういった空気感があるのかな……と。 莉子 たしかにそうですね。でも『怖れ』では役がいくつもあって、完全に悪役というわけではないんです。新しい挑戦でもあって、そういう意味ではすごく楽しかったです。 ──悪役の役づくりを徹底してみたいと……。 莉子 そうなんです。ワンクール通して悪役をやってみたら、自分がどうなるのか気になりますね。本当にやったことがないので、挑戦してみたいと思っています。 ──ありがとうございます。最後に、今まで観た作品の中で、好きな作品はありますか? 映像でも舞台でも構いません。 莉子 最近観たアニメになっちゃうんですけど、映画『ルックバック』(2024年)を観て、すごくよかったです! たった1時間でここまで人の心を動かせるんだと驚きました。しかもアニメーションで! 河合優実さんも声優をされていて、本当に素晴らしいなと思いました。いろいろな表現方法があって、あの短い時間でも伝わるものがあるんだと感じました。最近観た映画で、一番いいと感じた作品ですね。 ──なるほど。声優にも本格的に挑戦してみたいと思いますか? 莉子 やってみたいですね。ただ、声優って本当に難しいです。今までも少しやらせてもらったりオーディションを受けたりとかしたことはあるんですが……声だけで感情を伝えるのがいかに難しいかを実感しました。それでも、これからも挑戦してみたいと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 莉子(りこ) 2002年12月4日生まれ。神奈川県出身。雑誌『Popteen』(角川春樹事務所)専属モデルを経て、『小説の神様 君としか描けない物語』(2020年)で映画デビュー。その後、ドラマ『ブラックシンデレラ』(2021年/ABEMA)、『最高の教師1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、映画『違う惑星の変な恋人』(2024年)など、さまざまな作品への出演を重ねる。現在、連続ドラマ『3年C組は不倫してます。』(日本テレビ)に主演、11月からABEMAで配信される『インフォーマ -闇を生きる獣たち-』では、主人公と行動をともにする「広瀬」として重要な役どころを演じている。
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
-
悔しくてノートに怒りをぶつけた、いろいろな感情が交錯する夜(箭内夢菜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 箭内夢菜(やない・ゆめな) 2000年6月21日生まれ、福島県出身。2017年8月、「ミスセブンティーン2017」でグランプリを受賞し、雑誌『Seventeen』の専属モデルとしてデビュー。2018年、ドラマ『チア☆ダン』(TBS)でドラマ初出演、2019年には映画『雪の華』で映画初出演を果たす。以降、ドラマ『ゆるキャン△』シリーズ(テレビ東京)、『3年A組-今から皆さんは、人質です-』(日本テレビ)、『明日、私は誰かのカノジョ』(MBS・TBS)『マイ・セカンド・アオハル』(TBS)などに出演。また、バラエティ番組『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ)の「出川ガールズ」としても活躍。 Instagram @ yumenayanai_official 「夜」 私にとっては“敵”のようにも感じる。 普段は前向きでポジティブな私を、 ネガティブに変えてしまうような気がするから。 なぜなのだろう。 「夜」の自分は自分自身でも理解ができないほど、いろいろな感情が入り交じる。 私自身が矛盾する。 そんな「夜」ばかりだ。 私は毎日、無意識にひとりで反省会をしてしまう。 今日はうまく発言できなかったな…… あのタイミングでこう言っとけばよかったな…… あの人に嫌われていないかな…… うまくみんなの輪に入れてなかったな…… もっとああすればよかった。 もっとこうすればよかった。 でも、今日これを言えたからスッキリした! 自分の気持ちはやっぱり素直に言うようにしよう! みんなに褒めてもらえたのうれしかったな〜。 今日のお昼ご飯おいしかったな〜。 浮き沈みが激しいとは、私のことをいうのだと思う。 そして時々、そんなことを考えているうちに、どんどん考え事のスケールが大きくなっていく。 自分は、人生を生きていく上で何をしたいんだろう。 今の現状に満足しているのかな。 将来、自分はどうなりたいのかな。 人生においての優先順位ってなんだろう。 もしも明日地球が滅びるってなっても、後悔しないかな。 もう、キリがない。 21歳の夏、とある夜 いつものように反省会をしていた。 この何気ない、何か嫌なことがあったわけでもない日に、私は突然爆発した。 なぜか「怒り」が強かった。 でも、この怒りをどこにぶつければいいのかわからず、私は無我夢中で、ひたすらノートに自分の思いを殴り書きした。 その筆圧は、紙を破く勢いだった。 「思うままに、直感でやりたいことをやればいいものを、なぜこんなにもいろいろな思考が入るんだろう。言葉を選びすぎて、結局何を言いたいのかわからなくなってしまう。質問されたことから脱線してしまう。 そして結局伝わらない。 これはどうしたら改善できるの? 私の頭の中のことを代弁してくれる小人でもいればいいのに。 自分がどうしたいのかも理解できていない。 どうしたいのかくらい、自分で決められるようになってくれ……。 人に合わせることばかりじゃなく、 自分の思いを話さないとどんどんおかしくなるぞ。 はぁ、何も考えたくない。 何にも追われたくない。 自分から逃げたい。 自分にもいいところはたくさんあるんだから。 自分に甘いのを乗り越えればもっとできるはず。 支えてくれる人、アドバイスをくれる人、怒ってくれる人、背中を押してくれる人は幸せなことにたくさんいるんだから。 逃げずに自分自身が自分のことを支えてあげたい。認めてあげたい」 そんな内容だった。 自分がわからなくて、ムカついて、悔しくて、涙でぐしゃぐしゃになりながら書いた。 私は「言葉」をうまく人に伝えることが苦手で、とてもとても時間がかかる。 心で思っていること。 自分の意思、意見。 これがスパッと言えるようになったら、どんなに楽だろうか。 声にできない悩みが少しずつ溜まっていって、キャパオーバーになってしまったんだと思う。 まだ芸能界に入りたてで、この世界の難しさと厳しさに耐えることで必死だった17歳のころ、 「何があっても、どんな状況でも、笑顔でいないといけない仕事を、夢菜はしているんだよ。だから、家族に何かあってもテレビの前では笑顔でいなさい。それがプロだからね」 と、母から教わったこの言葉を、私はふと思い出した。 17歳のころは、なんでそんなことを言うの? と、その言葉の重みを感じることはできていなかったが、21歳の私は、その言葉で何度も立ち直ることができていた。 私はこの仕事が好きだし、いくつになってもやっていたい。 そう思える仕事に出会えたことは本当にありがたいことだし、今まで続けられているのもまわりの人が支えてくれているから。 見てくれている人がいるから。 そう思うと、少し涙が落ち着いた。 そして私は肩に力を入れず、楽にこの世界で生きていく方法を考えた。 職場での自分、ひとりのときの自分 家族の前での自分、友達の前での自分 このいろいろな自分を、使い分けることができたらいいのではないか。 でも、これってもしかしたら今まで意識していなかっただけで、普段からしていることなのではないかな。 そうも思えた。 よし、これから意識してみよう。 まずは、身近なところから。 と、いろいろなタイプの「自分」を使い分けてみると、 本当に少し楽になった気がした。 私は、出会う人、一人ひとりにいい顔をしようとしすぎていたんだ。 いろいろな自分も、結局は私自身の中に存在するものだから。 偽りでもなんでもない。 もっと気楽に「楽しむ」ようにしてみよう、そう思い、実践できたとき、頭が軽くなった気がした。 前よりも人と話せるようになった。 あの日 たくさん泣いてたくさん考えて、自分の中のモヤモヤと葛藤して、でも自分は嫌いになりたくなくて、いろいろな感情が交互にあふれてこぼれた夜。 つらかったけど、いい気づきになった。 ある意味、自分を知り、向き合えたいい夜だった。 きっとこの先も悩み、小さな細かい分かれ道を迷い続けて生きていくと思うけど、 ネガティブになりがちな「夜」も自分と向き合い、守ってあげられる時間にしてあげようと思う。 文・写真=箭内夢菜 編集=宇田川佳奈枝
-
私が私の背中を押した。巻き戻すことはできない夜(福田沙紀)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 福田沙紀(ふくだ・さき) 1990年9月19日生まれ、熊本県出身。13歳のときに「第10回全日本国民的美少女コンテスト」にて演技部門賞を受賞。2004年にドラマ『3年B組金八先生(第7シリーズ)』(TBS)で俳優デビューを果たし、2005年には高見沢俊彦プロデュースで歌手デビュー。2024年、ショートドラマ配信アプリ『BUMP』の『大人に恋はムズカシイ』で初めて監督を務めた。 夜。 よる。 夜はどちらかというと、わたしは苦手な時間帯かもしれない。 いや “苦手な時間帯かも”ということを含め 好きだったりもするのかもしれない(笑)。 その日の失敗を思い返して 反省しては後悔して 時間を巻き戻すことはできないのに 気にして眠れなかったりしたこともあった。 そんなふうに考えて過ごした時間が思い浮かぶ。 20歳くらいのころだったか、いつか監督をしてみたいな。 そんな好奇心が芽生えたけれど 自分でなにかしらできない理由をつけて、できないもののひとつとして選別していた。 それから十数年変わることはなかったのだが とある日の夜。 たった一度の人生 頭の中にふと浮かんだその好奇心に飛び込んでみてもいいんじゃないか?と自分に問いかけられた。 たしかにそもそもできないと誰が決めたんだ? いつの間にか自分で自分の可能性を狭めているだけだったのではないか? 私のための人生、もっとたくさんの景色を見てみたい。 この夜。 私が、私の背中を押した。 そんなこんなで監督に初挑戦することになったのだが 企画自体は2023年の夏ごろから動き始めた。 まずは先方から企画書をいくつか提案してもらい どんな作品が作りたいのかを打ち合わせをして 作品が決まったら脚本会議で何度もブラッシュアップしていった。 1話3分で全10本のショートドラマ。 作品の登場人物の年齢がスタッフに近いこともあって アットホームな雰囲気の中で進んでいった。 話ごとのテーマと話のフックになる部分を10本分作り 脚本が少しずつ上がってきていた。 その次の会議で思いもよらない大幅な変更が出た。 “ユーザーのみなさんのニーズに合わせて1話1分前後にしたい“ ほう。なるほど……。 1話1分。 “ショートドラマ”とはいえ ショートショートすぎませんか!?!???!???? あまりの尺の短さに驚きつつも やる気に満ちている自分がいた。 2時間だって、1時間だって、30分だって、10分だって、1分だって! そう、やるのみ。 そうなると単純計算で考えて、全体の尺としてはほぼ変わらないとはいえ 話数が増えれば話ごとの構成も変わってくる。 1話ごとに必ず導入部分と、1話の終わりで次が見たくなる構成にしなければならない。 そんなことをしていたらあっという間に1分は過ぎ去ってしまうのだが、私は意外と冷静だった。 さらに脚本会議を行い、構成を変更し、脚本が上がってきて、でき上がった台本をもとにどんどん準備が進んでいった。 キャスティング、ロケハン、美術打ち合わせ、衣装合わせなどなど。 自分の頭の中にあるイメージを共有していく。 そのイメージの一つひとつが小道具や衣装、ロケ現場などに具現化され作品の世界ができ上がっていく。 なんというワクワク感。 どの作業もどの瞬間も愛しくて仕方なかった。 撮影自体は5日間。 毎日、朝から晩までの撮影。 「福田組。クランクインです!!」 “福田組”というワードはなかなか慣れなくて、聞くたびになんとも不思議なふわふわとした気持ちになっていた。 初めてカット割りを伝える際、口にしようとすると少し緊張で喉の奥が詰まった。 もともと私は撮影現場で監督を中心にスタッフさんたちが集まってカット割りをしているところを見るのが好きなのでよく見ていたのだが、もちろんやったことはない。 まさか好きで見ていたような光景の真ん中に自分が立つことになるとは。 と、思いつつカット割りを伝えなければ現場は進まないので、意を決して口を開いた。 “好き”に助けられた瞬間だった。 無事に撮影を終えると編集作業などが待っていて 役者さんのいい表情やお芝居、部分をできるだけ拾って活かしたかったので、OKテイク以外も全素材をもらってチェックした上で編集を行っていった。 現場でも感じていたが、改めて一つひとつのカットを見ると愛しくて愛しくてたまらなかった。 編集作業に没頭して、気づいたら夜になっていた。 その夜、私は宇宙を感じた。 意味合いとしては「世界が広がっていった」ということが伝えたいのだが、頭の中に広がる世界がとても自由で、その暗闇は無限に広がっているように感じた。 行き止まりはない。 どこまでも自由に進んでいけるようで、星がキラキラ輝くように自分の瞳がキラキラ輝いているのを感じた。 そして次に音の最終調整であるMAを行い カラーグレーションで作品の雰囲気を調整していく。 それぞれの仕事が集結し作品ができ上がる。 これまでの役者として作品に参加してきた景色とはまた違う監督という立場で作品作りに携わってみて、改めて作品作りが好きだということを全身で感じた。 各部署の動きや流れはなんとなく把握していたものの、 役者の目線だけでは直接はなかなか見られなかった作業を、今回実際にやってみたり見ることができて、さらに制作することに対しての想いが強まった。 このエッセイを書きながらふと、 小さいころ、自分でカセットテープにラジオ番組を作って収録していたことを思い出した。 「続いてはこの曲!」と曲紹介をして音楽を流す。 音楽はCD プレイヤーで流して、カセットテープに録音している間は自分の声が入らないように黙っていなければならない。 とはいえ紹介する曲は自分が大好きな曲ばかりでついつい口ずさんでしまいそうになりながらも、必死に我慢して録音していた。 たまに録音していることを知らずに私の部屋に入ってきた母の声が録音に入ってしまうと「今、録音してるのに!」とわりと本気で怒って、テープを巻き戻して仕切り直せるところからまた録音し直していた。 何かを作ることが好きで、どんなときも夢中で真剣に取り組んでいたなと思い出した。 思いきって挑戦してみた先に見えた景色は、想像していたよりもすばらしい景色と経験と感情、そして人とのつながりを運んできてくれた。 あの夜がなければきっと出会えなかっただろう。 “好き”という純粋な気持ちをこれからも大切にして 宇宙に飛んでいくような夜を重ねてたくさんの景色に出会っていきたい。 文・写真=福田沙紀 編集=宇田川佳奈枝
-
サンタがくれた贈り物、無菌室で育てられた私の夜(佐藤ミケーラ倭子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 佐藤ミケーラ倭子 元アイドルグループのメンバーで、現在はYouTuber、女優、モデルとして活躍中。YouTubeは登録者数52万人、TikTokはフォロワー数55万人を突破しており、Z世代から支持されている今注目のクリエイター。総再生回数は2億3000万回超。自身をさらけ出した破天荒なスタイルが魅力で、さまざまなシチュエーションを再現したちょっとおまぬけな「あるある動画」が話題沸騰中。飾らない人柄が人気だが、WEBドラマ『港区女子』(『東京カレンダー』)では台本も書き、演技力を発揮する新たな一面も。その他、テレビ/WEBCM『ゴキッシュ』『カジューハイ』、書籍『恋する猿は木から落ちる』(KADOKAWA)、写真集『en』(KADOKAWA)の発売など活動を広げる。最近ではバラエティ番組のサブレギュラー、ニュース番組のレポーターとジャンルを広げ、2025年からはモデルやポッドキャストのMCレギュラーも務めるマルチタレント。 「無菌室で育てられたんだね。」彼はそう言った。 独特なアルコールの匂いが充満している中、私は揺られている。 もう日付も変わる時間。 街のどこにこんなに人がいたんだろうと思うくらい混んでいた。 うずくまり今にも財布が落ちそうなスーツの人、 居酒屋での話の続きをする背の高い人たち、 携帯を持ちながら船を漕いでいる女性、 そんな中で私は吊り革につかまって立っていた。 何か悪いことをしているような気持ちになる。 走っている車内でバランスを取るのが苦手な私は何度もよろけながら携帯を見ていた。 目は携帯に向いているが、何かを“見ている”わけではない。 意識が大きな粘土みたいに重くて動きが悪かった。 ただ携帯の画面をいじくり回しているだけ。でも目だけは冴えていた。 最寄り駅に着いて、改札までつらつらと歩いて外に出る。 スィーっと風を吸って、早歩きで横断歩道を渡った。 水で濡れたレンズで写したみたいな信号がボヤボヤと輝いていて、 バス停の横にツンと止まっているタクシーに駆け寄った。 まるで私を待ってくれていたようだった。 「お願いしまーす」 車内は暖かくて、後部座席に乗るといつも誰かに旅行先まで運転してもらっている気分になる。 安心してシートに深く腰かけた。 私はいつも話しかける。 タクシーに乗ると、運転手のおじちゃんに今日あった悲しいことを話す。 その日、今日もらってきた暴れる悪魔を吐き出した。 おじちゃんは私がいつもそうしているかのように聞いてくれた。 もう二度と会うことのないふたりのプチ旅行。 明るい相づちで私の弱った悪魔がしおしおと出ていった。 身を乗り出して席の間から夜道を見ながら話し続けた。 その時期の私は、まわりの動きとは逆に自分だけ止まっているような気持ちで毎日を過ごしていた。 あるはずという希望に手を伸ばし続けて、 自分がどこまで来ているのか どこに行くのかわからないまま、 でも、何かあると信じて手を伸ばしていなければいけなかった。 夜は苦手だ。 心がガラスでできたウニになってしまうから。 タクシーの中は暖かくてふかふかで、話し続けている私。 おじちゃんの顔は見えなかった。 どんどん家に近づいていく。 木はガサガサ揺れていて、オレンジ色の街灯がすごく大きく見えた。 最後の信号で止まったとき おじちゃんはこう言った。 「お姉ちゃんは、無菌室で育てられたんだね」 すごくうれしかった。 その言葉を聞いたとき、大きな透明の瓶の中に入っている私が浮かんだ。 おじちゃんがどんな意味で言ったかわからないけれど、その瓶を大切に手入れしてくれる人たちのことも優しく思えた。 小さいころは何かが不思議と私の願いを叶えてくれた。 サンタさんは11歳までいた。 まわりの子は半分信じていなくて、少し呆れられていた。 そんな私が、11歳になった年、 今年こそはサンタさんがいるかどうか確かめるためにある作戦を決行した。 家に『急行「北極号」』(あすなろ書房)という絵本がある。 その本は、雪降る夜に主人公の男の子が不思議な汽車に乗るとサンタクロースのおもちゃが作られている場所に到着するお話。 サンタクロースから選ばれた男の子は、何が欲しいか聞かれて サンタのソリについた鈴をもらう。 その鈴を家に帰ってから鳴らすが、妹と男の子にだけ鈴音が聞こえて両親には聞こえない。 サンタクロースを心から信じている人にしかその鈴音は聞こえないという物語。 私はその年のクリスマスに、サンタさんのソリについているベルをプレゼントに願った。 そのベルをもらえばサンタさんがいる証明になる。 私は今までにないくらい心臓が飛び跳ねているのを感じながら、クリスマス前夜は眠りについた。 翌朝12月25日、リビングに行くと食べかけのケーキと飲みかけの牛乳。 そして、ベルが置いてあった。 そのベルはずっしりと重く、明らかに長年使ったように薄汚れていた。 頭についた白いひもは少し茶色く、振っても振っても切れないぐらい太かった。 とんでもないものをもらってしまったと思った。 そのクリスマスは私の人生で特別なものとなり、今でも大切にしている思い出。 その年のずーっとずーっとあとに聞いた話。 誰かが父の部屋にヤスリを借りに来たらしい。 あの日あのとき、私を待っていたかのように佇むタクシーのおじちゃんは今思えばサンタクロースだったのかもしれない。 さっきまでの犬歯の抜けた狼みたいに逃げ腰だった私は、 あのおじちゃんの優しい言葉であたたかい水の中でぷかぷか浮いているような不思議な気持ちになった。 みんなが大切にしてくれた私を私も大切にしよう、という気持ちに気づかせてくれた。 家の近くでタクシーを降りてなぜか何度も おじちゃんにお礼を言って走って横断歩道を渡った。 家に近い最寄り駅はもう終電がなくなっていて、誰もいない。 まぶしいコンビニを横切って、いつもの坂が見えた。 走りながら坂を降りた。 夜は苦手だからぷかぷかした気持ちと一緒に走った。 よく見る夢みたいに、飛べそうなくらい大股で走った。 あごが痛くなって、喉が冷たくなる。 長い坂。 そのまま一気に走って、ゆっくり鍵を差して、 紺色の見慣れたドアを開ける。 「……ただいまー」 私はこの夜のおかげでこれからも瓶の隙間から手を伸ばし続ける。 文・写真=佐藤ミケーラ倭子 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
-
4年ごとに人類が抱く夢、映像美を追求したスポーツの記録──市川崑『東京オリンピック』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 1964年8月21日、ギリシャ・オリンポスの丘で点火されたオリンピックの火は日本へ向かった。 『東京オリンピック』は、1965年3月に公開された1964年の東京オリンピックの公式記録映画である。監督は『ビルマの竪琴』(1956年)や『炎上』(1958年)などで知られる鬼才・市川崑。 東京オリンピックの公式記録映画でありながら市川の「単なる記録映画にはしたくない」という理念のもと作られた本作は、「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論を巻き起こし、国内動員2000万人超えの大ヒットを記録し、数々の映画賞を受賞した。 本作の特徴はなんといってもその映像美、芸術性にあると思う。スポーツの祭典であるオリンピックの記録映画でありながら、冒頭の真っ赤な太陽の画など、抽象的なショットがたびたび映し出される。 「とにかく、単なる記録映画にはしたくなかったですね。自分の意思とかイメージというものを重く見て、つまり創造力を発揮して、真実なるものを捉えたい、と。」 (「公益財団法人日本オリンピック委員会」インタビューより引用) 市川は本作の制作にあたり、記録映画であるにもかかわらず緻密なシナリオを制作し、スタッフには絵コンテを描いて説明するなど、演出に強くこだわったという。100台以上のカメラ、200本以上のレンズ。世界で初めての2000ミリの望遠レンズまでも使用された。それらを用いて撮影された映像は、選手の肉体美のみならず、内面までも映し出す。 (C)フォート・キシモト 選手の強張った表情が、額を流れる汗が、彼らがオリンピックというものに向ける大きな感情を如実に表現する。 そして市川らのカメラが捉える対象は、選手だけに留まらない。 ケガをした選手を運ぶ救護班。 グラウンドの整備をするスタッフ。 思わず競技に見入ってしまう審判。 休憩中、競技が始まって、思わず仲間たちと顔を見合わせニヤリと笑う警備員たち。 アメリカ人選手とドイツ人選手による一騎打ちとなった棒高跳びのシーンでは、各国の応援をする観客たちのリアルな表情が対比するように映される。 太ったおじさんの二重あごのアップ……ではなく、息を呑む観客の喉元が、こだわり抜かれた映像技術で映し出される。 彼らもまた、東京オリンピックの参加者のひとりである。 また、本作では、ハードル走のシーンで選手が先行しているかわかりづらいであろう真正面からの画角を採用するなど、スポーツ観戦としての正確性より芸術性を重視した挑戦的なカメラワークを採用している。そのため、映像作品としても非常に完成度が高い。 監督である市川は、もともとスポーツというものにはそれほどの関心がなく、本作の総監督の打診もそのことを理由に一度保留にしていたほどだ。そして、自身がスポーツに疎いからこそ「スポーツファンだけの映画にしない」とスタッフ全員に徹底して伝えたという。 市川はスポーツに対し、たとえばその勝敗などよりも、そこに関わっている人間たちのドラマや心の機微に関心があったのだろう。 そのため本作は記録映画としては不十分ではないかという批評を受けることがある。冒頭でも述べたように、当時は「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論が巻き起こった。試写会で本作を鑑みたオリンピック担当大臣(当時)の河野一郎は、「記録性を無視したひどい映画」と本作を激しく批判し、文部大臣(当時)の愛知揆一もまたこれに同調した。 しかし翌年1965年、『東京オリンピック』が劇場公開されると当時の興行記録を塗り替える大ヒットとなった。 「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」 冒頭の字幕だ。 本作は、オリンピックのために解体される東京の街を映したシーンから始まる。聖火リレーのシーンで映されるのは沖縄の「ひめゆりの塔」、広島の「原爆ドーム」。市川はのちに「どうしても広島の原爆ドームからスタートさせたかったんです」と語る。 1945年8月6日、市川の母を含む家族8人全員が広島に住んでおり、被爆している。当時東京で暮らしていた市川も原爆投下から数日後に広島へ向かい、その凄惨さを目の当たりにしていた。 オリンピックの理念のひとつに世界平和がある。のちのインタビューで市川はこの世界平和という部分に着目してシナリオを制作したと語っている。 東京オリンピックには、実は1940年にも一度開催が予定されていたが日中戦争の勃発などにより幻となったという経緯がある。戦後復興と高度経済成長を世界にアピールしたい日本にとって、1964年の東京オリンピックは絶好の機会であった。 本作は 「人類は4年ごとに夢をみる この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」 という言葉で締めくくられる。 森達也をはじめ、さまざまなドキュメンタリー監督がドキュメンタリーにおいて作り手の視点は重要である、という趣旨の発言をしている。ドキュメンタリーとは事実の記録に基づいた作品のことであり、一般的に「意図を含まぬ事実の描写」であると認識されることが多いが、それを撮影、編集し作品として仕上げている以上、制作者の意図や思想、視点が入り込むことになる。 私はドキュメンタリーのおもしろさはこの制作者の視点にあると思っている。制作陣がどういう感情を持ってその対象を観測していたかの記録であり、そしてその視点を我々視聴者が追体験できるという意味で、ドキュメンタリーは非常に価値のあるものだと感じている。 自分がいつかスポーツマンガを描くのなら、私はこういった制作者の視点が、制作者が何に魅力を感じているのかが如実に伝わるような作品が作りたい。 本作はそう強く思える、市川の視点が十二分に込められた素晴らしいスポーツドキュメンタリーだ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 『東京オリンピック』 Blu-ray&DVD発売中 発売・販売元:東宝 (C)公益財団法人 日本オリンピック委員会
-
俳優・東出昌大が導く「生きている意味」
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「あいつ、鉄砲の免許持ってて狩猟してるんだよ」 サバイバル登山家・服部文祥の言葉からすべては始まった。 『WILL』は映像作家・エリザベス宮地によるドキュメンタリー映画で、俳優・東出昌大の狩猟生活を追った作品だ。 東出昌大は映画『桐島、部活やめるってよ』(2012年)での俳優デビューから数々の映画やドラマに出演するなど人気の俳優だ。個人的な話になるが、私は東出が将棋棋士・羽生善治を演じた映画『聖の青春』(2016年)をきっかけに、最近では『Winny』(2023年)や『福田村事件』(2023年)などの東出の出演作を観ては彼の魅力に感嘆するいち映画ファン、東出ファンである。彼は世間的に見ると常軌を逸したような、独特な人間を演じるのがうまい。 しかし一般的にはやはり東出といえば、2020年の離婚騒動をはじめとしたスキャンダルのイメージが強いだろう。その後、「山ごもり」が報道され賛否両論となっていたころ、東出は2023年11月放送のABEMAのバラエティ番組『チャンスの時間』に出演した。映画に出演している姿以外ほとんど彼について知らなかった私は、そのあきらめきったような厭世的な様子に少しだけ衝撃を受けた。騒動の印象と端正な顔立ちから、いわゆるチャラい、器用なタイプかと想像していたが、なんとも生きづらそうな人だ、と思った。 俳優・東出昌大はなぜ狩りをするのか。 「カメラ回してもらっても、たぶん僕500時間ぐらい一緒にいないとわからないから」 「カメラ前で主張したいこととかもないし……」 実は本企画は、一度頓挫している。事務所の許可が降りなかったのだ。しかしその半年後、宮地のもとに東出から連絡が届く。2021年10月、再びのスキャンダルにより事務所を離れることになったという。事務所NGがなくなったことで本企画は再び動き出し、宮地は狩りをする東出にカメラを向けることになる。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 東出は狩猟について「悪」であると語る。 「混沌とすることが、常にまとわりついていて、でも、近くに命があるから……考え続けるし……」 なぜ自身が「悪」と定義する狩猟を、つらい思いを抱えながらも続けるのかと尋ねられた東出はたどたどしく答え、頭を抱える。東出は何に葛藤し、何に悩んでいるのか。きっと自分でもわかっていないのだろう。わからないから狩猟をしているのだろう。東出にとって狩猟は、自身(人間)の根源的な罪を心に刻む、ゆるやかな自傷行為なのかもしれない。 「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯食って感謝もしないよか、呪われてるっていう実感持ちながら、そこに張り合い持ってアレの分も……って思ってもらったほうが……とかなんのかな。わからん」 東出から紡ぎ出される言葉はいつも正直で真摯だ。 私は大阪府貝塚市の精肉店を迫ったドキュメンタリー映画『ある精肉店のはなし』(2013年)を見たことをきっかけに、狩猟や屠殺(とさつ)について興味を持ち、関連のドキュメンタリー映画や書籍を読み漁っていたことがある。そうしていわゆる「食育」について学んでいると、「命をいただいている自覚を持って感謝して生きる」といった結論にたどり着くことが多い。それはもちろん間違いではないし、人間として生きていく以上そうして合理化するしかない。だが、屠殺の職に就いているわけでもない「忙しい中でよくわかんないコンビニ飯を食っている」自分にとってその結論は本当に実感を持った正しいものなのだろうかと思う。 もっとわかりやすくいうと、ものすごく耳障りがいい「命への感謝」という概念に違和感があった(これは私が普段食に対して命を実感する生活をしていないことに起因しているため、その結論を出している人たちを批判するものではない)。 東出は自身の銃で鹿を仕留めたとき、ひと言「うぃ〜」と言った。ドキュメンタリーのカメラが回っているにもかかわらず、俳優という世間からわざわざボロを探して叩かれるような人生を送っているにもかかわらず、だ。東出はこのことを振り返って、なんて軽薄なんだと思ったけど、すごくうれしかったから、と語る。こういう素直さは東出の魅力のひとつだ。 作中全編を通して感じることだが、改めて、東出は人間離れした男前である。189cmの長身に、考えられないくらい小さな頭。目鼻立ちもハッキリしており、端正。誰がどう見ても男前なのだ……一般人として生きていけないくらいに。猟友会の中にいる東出は正直、イケメンすぎて浮いている。作中でも狩猟仲間から親戚を紹介され「芸能人」として求められることに苦悩するシーンが映されている。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS スキャンダルや本作中での言動を考えると、東出は本来「芸能人」に向いている性質ではないのだろうと思う。実際、最初はバイト感覚でモデルの仕事をしていたという。だが東出の生まれ持った圧倒的なオーラは、彼が一般人になることを許さない。そして、そのことに葛藤し、もがき苦しんだ東出はよりいっそう俳優として唯一無二な魅力的な存在になっていく。俳優という職業は人生経験が糧になる。彼にしか演じられない役柄が存在する限り、東出は映画界から求められ続けるだろう。 東出は『世界の果てに、ひろゆき置いてきた』(2023年/ABEMA)の仕掛け人である高橋弘樹プロデューサーとの対談で、俳優の仕事について次のように語る。 「僕の場合は(高橋さんと違って)人が用意した台本でやる。たしかにそれはあるんですけど、“僕の35年の人生があって台本をどう読むか”だから。そこに僕のオリジナリティがまた生まれるんです」 「でも役者の仕事はめちゃくちゃ疲弊するんです。磨耗する、削られる。ちょっと休むとまた欲が出るんです。(中略)また身を粉にするように削られるようにやりながら挑戦したいという欲が生まれる」 2022年、東出が出演する映画作品『福田村事件』の撮影が始まる。監督は、『A』(1998年)、『A2』(2001年)、『FAKE』(2016年)など数々のドキュメンタリー作品でも有名な、森達也だ。東出はオファーを受ける前から森の作品のファンだったという。正義や悪や人間は簡単なものじゃない、虐待事件を起こした側にも家族があり愛がある──そういった森の作品に共感し出演を決めたという。私自身も森の作品には感銘を受け、トークショーにも足を運ぶようなドキュメンタリーファンのひとりだ。東出のこの感覚には非常に共感する。 私は普段はマンガの仕事をしているが、時々、自分には作品を発表する素質がないような気がして何も書けなくなってしまうことがある。なにも自分や自分の作り出したキャラクターの価値観が絶対的に正しいだなんて思っていない。何が正しいことなのかを悩みながら、悩んでいるからこそ生きているし、物を作っている。しかし世間が見るのは「完成品」であり「商品」である。当たり前に自分が作ったものが倫理的に正しくないと指摘されることがある。私の作品を見ることで不快になった(=不幸になった)と言われることがある。これ自体は物を作って発表している以上、仕方のないことだ。折り合いをつけていくしかない。 ただ、私はそういう正しくなさも含めて人間(キャラクター)であり、愛らしさであり、それが滲み出ているものが、それを丸ごと抱きしめてあげたくなるようなものが愛しい作品であると思っている。自分はそういった「抱きしめてあげたいような気持ち」に出会うために生きているような気がする。 調子がいいときはそう思えているのだが、物作りをしているとどうしようもない不安に駆られる瞬間がある。自分の考える「愛らしさ」は世間にとって害であり、自分が物を作り自分の価値観を訴えることは多くの人を不快にする行為なのではないか。そうやって価値観を開示したときに人を幸せにできるか否かこそが物作りをすることに必要な素質の有無なのではないか。正直に自分を開示することは世間から愛されるコツだが、開示して出てくるものが世間とズレていたらもうどうしようもないのではないか。 東出は私にとって非常に「愛らしい」存在だ。 東出はきっと、本当に「こういう人」で、それを我々にある程度素直に開示してくれている。何度世間を賑わせて、叩かれて、殺害予告が届いても。 彼の過去のスキャンダルが倫理的に正しかったかというと、うなずくことはもちろんできない。内容はまったく違うが、個人的には本作を観たときの感覚は圡方宏史監督の『ホームレス理事長』(2014年)を観たときに近い。罪は罪だし行為に対して正しいとも思わないけれど、人間が真摯に生きる姿は惹かれるものがある。そして、「自分はやっぱり人間という生き物が好きだな」と思う。 東出は語る。 「──仕事だったり狩猟だったり、人との出会いだったりっていうのを本気でやってると、何か生きててよかったって僕自身思う瞬間もあれば、生きててよかったって(あなたの)おかげで思いましたって言ってくれる人の言葉があったり、生きててよかったとか、どうしようもなく愛おしいっていう気持ちなんだ、とか。それは物に対しても人に対しても作品に対しても。そういうときに、なんか、生きている意味ってあるんだろうな」 さまざまなスキャンダルやバッシングを受け続けた東出の口から、たどたどしい言葉で紡がれる「生きている意味」は必見だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。 (C)2024 SPACE SHOWER FILMS 出演:東出昌大 音楽・出演:MOROHA 監督・撮影・編集:エリザベス宮地 プロデューサー:高根順次 製作・配給・宣伝:SPACE SHOWER FILMS
-
ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#34「ピンチヒッターのピンチ」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#33「新世代の援軍・ライターズルーム!」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
-
#32「脚本打ち合わせは袋小路に…」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
マンガ『ぺろりん日記』鹿目凛
「ぺろりん」こと鹿目凛がゆる〜く描く、人生の悲喜こもごも——
林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
-
古家正亨に50の質問! 座右の銘・モテ期・仲のいい芸能人…プライベートまで大公開|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 連載「林美桜のK-POP沼ガール」新シリーズ・マレジュセヨ編の第1回には、多数のK-POP関連ライブやイベントで司会を務める名MC・古家正亨さんが登場しました。 ▼第1回はこちら 名MC・古家正亨に直撃!K-POPスターの魅力を引き出すコツは?|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編 司会者ならではのお悩みを古家さんにぶつけ、聞き手は「(相手の話を)聞いて、受け止める」ことが大事だと教わった林。 それを踏まえ、今回は古家さんを「50の質問」でさらに深掘り! まだ誰も知らなかったファン必見のパーソナルな魅力を引き出し、読者に伝えることができるのか? 林 ……ということで、古家さんのファン必見! 50の質問~!!(拍手パチパチ) 古家 そんなにバチバチやらなくても……。 林 いや、せっかく古家さんをお迎えしたので、全力で盛り上げていきたいんです! 私、古家さんのご著書やインタビューはすべてチェックさせていただいているんですけど、「50の質問」はこれまでやってこられなかったんじゃないかと。 古家 そうですね! 「50の質問」って、すごくK-POPのファンミっぽい企画(笑)。 林 イベントへ行くと、古家さんの名前が書かれたうちわを持っているファンの方がたくさんいらっしゃるじゃないですか! 古家さんファンのみなさんに喜んでいただきたくて……。私も普段仕事でご一緒してもなかなかお話しする機会がないので、古家さんの仕事以外の一面などいろいろ気になって、企画させていただきました。 古家 だいたい(うちわの)裏を返すと、本命のスターの、ディテールの細かいデコレーションが(笑)。 林 でも、ステージへ登場してあんなに歓声が上がるMCって、なかなかいないですよ。ということで、はりきって始めてまいりましょう! ■Q1.最近のお気に入りの写真は? 古家 (スマホの画面を見せながら)ロウンさんと一緒に撮っていただいた写真。こうやって俳優さんと写真を撮るときって、もちろんこちらは控えめに写るものなんですが、ロウンさんは親しみを持って一緒に写ってくださって、お人柄のよさが伝わりますよね。 この投稿をInstagramで見る 古家正亨(후루야 마사유키/Furuya Masayuki)(@furuya_masayuki)がシェアした投稿 林 素敵〜! ほっこりする一枚です! 先日ファンミにも行かせていただきましたが、古家さんとロウンさんのケミ、大ファンです。 ■Q2.メガネは何個持っている? 古家 4つをローテーションで使ってます。「あの人、いつも同じメガネだよね」って言われたくなくて(笑)。 林 「このメガネをかけてる古家さんはレア!」というのもあるんですか? 古家 真っ赤なのがあるんですけど、派手すぎてもうつけていませんね。今後も使うかどうかわかりませんが、そんな派手なものをかけ始めたら、何か変化があったと捉えていいと思います。 ■Q3.今日の朝ご飯は? 古家 タッポックンタン(닭볶음탕)。もともとはタットリタン(닭도리탕)と呼ばれていたものです。鶏肉とじゃがいもを使った、からい煮物、鶏肉じゃがのようなものです。 林 おいしそう! 奥様の手作りですか? 古家 僕が作りました。数少ない得意料理なんです。韓国に留学時代、下宿先のおばさんが教えてくれて。おいしくて、わりと手軽にできるので、ぜひ作ってほしいです。 ■Q4.朝のルーティンは? 古家 6時50分に、小学生の息子をバス停まで見送ること。 林 毎朝、送ってらっしゃるんですか? 古家 出張で不在のとき以外は。ただ、基本的に家族と過ごすのが好きなので、出張があっても、できる限り日帰りできるようにお願いしています。だいたい毎朝6時前には起きていますね。 ■Q5.平均睡眠時間は? 古家 4~5時間です。 林 短すぎませんか
古家 もともと朝型なんですけど、僕くらい歳を取ると、これくらい寝れば勝手に目が覚めちゃうんです(笑)。 ■Q6.仕事の必需品は? 古家 イヤモニ(イヤーモニター)とストップウォッチ。イベントのときに耳に入れるイヤフォンは、持参しているものです。今のものはたぶん5代目ぐらいです。自分の耳の形に合うもの、音の合うものでないと、けっこう大変です。 林 それで通訳さんや舞台監督さんの声を聴いているんですね。 古家 そうですね、あとアーティストの声も。ストップウォッチは、ラジオのときに「この曲のイントロは何秒か」とかを事前に計るために欠かせません。 ■Q7.願かけはしますか? 古家 あまりいい記憶がないので、こだわりはないですね。 林 冷静なんですね……。ちなみに私は願かけしまくります(笑)。 ■Q8.自分へのごほうびといえば? 古家 家電! 最近購入したものは……。 林 すごくうれしそうな笑顔!! 古家 バルミューダのホットプレートです! ■Q9.ファッションで意識していることは? 古家 とにかくモノトーンを選ぶこと。MCって目立っちゃいけない存在ですから、意図的にそういう服を着るようにしていますね。 林 たしかに、古家さんといえばモノトーンなイメージがあります。 ■Q10.好きなアーティストは? 古家 いっぱいいるから難しい! K-POP限定ですか? 林 K-POPに限らずで大丈夫です! 古家 (しばらく悩んで)……あえて言うなら「Toy」、つまりユ・ヒヨルさんですかね。僕が初めて出会ったK-POPアーティストだからです。 ■Q11.テンションを上げるときに聴く曲は? 古家 K-POPじゃないけど、大江千里さんの「dear」(1990年)……たぶん初めて言います(笑)。あの曲のBPMが自分の歩くスピードに合っているのと、シンプルなのに、よく聴くとかなり凝った清水信之さんの手がけたアレンジが素晴らしい! 林さんはピンとこないと思うんですけど、僕はEPICソニー世代なんです。今はEpic Records Japanになりましたけど、当時EPICソニーに所属していた大江千里さん、渡辺美里さん、TM NETWORKといったアーティストが一世を風靡していた時代があって。毎月『GB』(音楽雑誌)とか買って、今紹介したアーティストの情報を夢中になって読んでたなぁ。 林 大江千里さん、私の勉強不足で存じ上げなかったです……「マツケンサンバ」みたいな感じですか? 古家 全然違うよ!(笑) もともとシンガーソングライターで、今はジャズピアニストとして名を馳せている方。大好きなんです。 ■Q12.悲しいときに聴く曲は? 古家 LOOKの「シャイニン・オン 君が哀しい」(1985年)。これもEPICソニー発ですね。 林 意外! 韓国の曲ではないんですね。 古家 韓国の曲はもちろん聴くんですが、たとえば寝るときなんかに聴くのはJ-POPか洋楽が多いです。 ■Q13.好きな食べ物は? 古家 カレーライス! 林 辛い派ですか、甘い派ですか。 古家 辛い派ですね。 ■Q14.嫌いな食べ物は? 古家 らっきょうですかね。 ■Q15.テンションが上がる、現場の差し入れは? 古家 たまにあるんですけど、スタバのコーヒーをいただいたときは「ラッキー!」って思いますね(笑)。 ■Q16.初恋はいつ? 古家 保育園の年中です。 林 おお、早い! ■Q17.モテ期はいつ? 古家 2024年! 林 えぇっ!? 古家 仕事に、ですけどね。たぶん、今までで一番仕事量が多かった1年で、月平均20本くらいイベントの司会をやっていましたね。 ■Q18.生まれ変わるなら何になりたい? 古家 (熟考して)……鳥? 古家・林 (爆笑) 林 これは、理由をあまり深く聞かないほうがいいですか? 古家 いや、僕、空を飛びたい願望が昔から強かったんです。子供のとき「鳥になりたいなあ」って思っていたことを、今ふと思い出しました(笑)。 ■Q19.オフの日の過ごし方は? 古家 とにかく家にじっとしていられない性格なので、外に出ちゃうかな。公園とか映画館とか。 林 じゃあ仕事がいっぱいあるのは、苦じゃないんですね。 古家 そうですね。ただ、煮詰まってしまうときはあります。そんなときは、ただ何も考えずに歩くことが自分にとって精神安定剤でもあるから、忙しすぎると、その時間が持てないのがつらいですね。家電量販店にも行けないですし。 ■Q20.どんな子供だった? 古家 先生からめったに怒られない、優等生……だったと思います。 ■Q21.得意だった科目は? 古家 地理と生物が、とにかく大好きでした。 ■Q22.最近一番笑ったことは? 古家 うどんが鼻から出たことかな(笑)。 林 (爆笑) 古家 家で家族と一緒にうどんを食べていたとき、くしゃみしたらスポーン!ってキレイに出て。悲しいことに誰も見てなくて、ひとりで笑っていたら「どうしたの?」ってみんなに言われたので「ううん、大丈夫、なんでもないよ」って。 ■Q23.最近泣いたことは? 古家 映画『ドラえもん のび太の絵世界物語』を息子とふたりで映画館に観に行って、ひとりで号泣していました。息子がそんな僕を見て笑っていましたけど。 林 どんなストーリーに、特に弱いですか? 古家 お父さんが出てきたらヤバい。今回の映画『ドラえもん』でも、パパがいいんですよね。それから、よく観る韓国ドラマに出てくるお父さんって、弱い立場のケースが多いじゃないですか。家族に虐げられている姿を見るだけで涙が……。 ■Q24.特技は? 古家 そろばんです。僕、地元の北海道でそろばんのチャンピオンになったこともあるくらい、4歳から中学生まではガチでやってたんです。 林 すごい。そのスキルが、今も活かされることも? 古家 暗算が速いので、たとえばファンミのゲームコーナーで得点を出すときにもすごく役立っていますね。たまにスタッフやお客さんからビックリされます。 ■Q25.リフレッシュ方法は? 古家 テニスは週1、必ずするようにしています。 ■Q26.自分の性格を言い表すなら? 古家 めちゃめちゃシャイ。 林 見えないです。シャイだとできない仕事じゃないですか? 古家 これがね、だからこそむしろできる仕事なんだと思うんです。小・中学生時代、生徒会の役員をやっていたんですけど、その理由は、強制的に人前で話す機会を、シャイな自分に課したかったから。でもいまだに初対面の人と話すのが苦手ですし、仕事仲間以外の友達も本当に少ない。 林 私も友達、少ないです。シャイなのかも。 古家 そうかな……? ■Q27.好きな映画は? 古家 とにかく『ダイ・ハード』。僕の中では、これを超える映画はまだ出てきていません。 ■Q28.短所は? 古家 自分の意見が言えないこと。 ■Q29.長所は? 古家 どんな人にも合わせられること。 林 納得です。私と一緒にお仕事していただいているのも、古家さんが全部合わせてくださっているからですもん。 古家 (笑)。いやいや、そんなことはないです! ■Q30.自信のある顔の向きは? 古家 ……下? とにかく写真を撮られるのが苦手で、鏡を見るのも嫌なんですよ。自分の外見が好きじゃなくて。 ■Q31.人から言われて救われたことは? 古家 「ありがとう」。 林 今までにいっぱいありますよね。 古家 案外、少ないものですよ。MCって、人のために動いて当たり前の仕事じゃないですか。でもイベントって、危機的状況が頻繁に訪れる。そういうときにうまく対処すると、「ありがとう」と言っていただけて。「がんばってよかったな」と。 ■Q32.好きな韓国ドラマは? 古家 『ミセン-未生-』……うーん、やっぱり『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』! これを超えるドラマは、まだないですね。 林 あれはずっと泣けます。 古家 でもこのドラマは、特におじさんに刺さるストーリーだと思いますよ。 ■Q33.尊敬する人は? 古家 学生時代に卒業文集にも書いたんだけど、スティービー・ワンダー。自分のハンディキャップさえもポジティブに受け止めて、パワーに変えている人ってすごく尊敬できるし、魅力的じゃないですか。昔から今まで、ずっと憧れています。 ■Q34.最近後悔していることは? 古家 ロケで韓国に行ったときに「古家さん、そこへ行ったら危ないですよ」と注意されていたのに、構わず進んでいって、うんちを踏んじゃったこと(笑)。 林 あ……でも、運がついたと思えば……。 古家 さすが! ありがとうございます。 ■Q35.自分自身を褒めたいことは? 古家 ここまで同じことをずっと続けてきたことに対して、自分を褒めてあげたいです! ■Q36.座右の銘は? 古家 「為せば成る」。 林 ご著書を読んで、古家さんって本当に即行動派なんだなあって。 古家 後悔したくないんですよね。世の中、やってみないとわからないことばかりだから。 ■Q37.宝物は? 古家 自分のまわりにいる人たち、みんな。 ■Q38.仲よしは誰? 古家 一番メッセージのやりちりが多いのは、家族の次だと、ドランクドラゴンの塚地(武雅)さんかも。 林 ええ!? そうなんですか。でもたしかに、塚地さんってK-POPへの愛情がすごいから、古家さんともたくさんお話しすることがありそう。 古家 直接仕事で会うときよりも、ざっくばらんにK-POPや韓国ドラマの話をしているかもしれません。 ■Q39.最近、恥ずかしかったことは? 古家 とあるイベントで、ずっとパンツの社会の窓(ファスナー)が開いていたこと(笑)。終演後、お手洗いで気づいて焦りました。 ■Q40.プライベートで挑戦したいことは? 古家 時間があるなら、デザインの勉強。もし将来的に、自分で企画してイベントを開催できるチャンスがあれば、すべて自分でプロデュースしたいんですね。そのためには、イベント関連で自分が能力的にできないことを挙げれば、デザインなんです。なので、映像やメインビジュアル、告知ページなどが作れたら、自己完結できるかなぁって。 ■Q41.譲れないこだわりは? 古家 ステージ上では、なるべく椅子に座らない。ソファが用意されているときはさすがにあきらめているんですが、ハイチェアがあるときは、座らずほぼ立っています。 林 その理由は? 古家 座っていると、ステージ全体がよく見渡せないんです。何かあったときに、すぐに動けるようにしたいし。常にステージの状況を把握しておきたいんですよね。あとは、お客さんの死角になりたくないので、みなさんがスターのよく見える位置に立っていたいという気持ちもあります。 林 舞台上の空気を読んだ古家さんの動きの素早さには、いつも驚かされています。 ■Q42.人に対して「うらやましいな」と思うことは? 古家 もしも自分がイケメンだったら、どうだっただろうなって考えることはあります。 林 イケメンですよ!! 古家 お世辞はいりません。でも、僕はもともと、大学の映画・演劇学科か放送学科に進みたかったんです。もしもビジュアルに自信があったら、表舞台に立つ道もあったのかな?って。 ■Q43.自信のあるパーツは? 古家 耳。よくいろんな人から福耳ですねって言われます。 林 みなさん、大注目です!!(笑) 古家 いやいや、適当すぎ!(笑) ■Q44.ファンからかけられたらうれしい言葉は? 古家 これも「ありがとう」かな。 ■Q45.「これだけは許せない!」ということは? 古家 感謝の気持ちを相手に示せないこと。息子にも、いつも「『ありがとう』は必ず言うようにしようね」と伝えているんですが、中にはなかなか感謝できない人もいるじゃないですか。なので、たまに遭遇すると悲しい気持ちになります。 ■Q46.印象的だったK-POPファンミの会場セットといえば? 古家 これはすごいマニアックな質問……。逆に、何も設備がない会場があって、ビックリしました。 林 スクリーンも何も? 古家 そうそう、いわゆる素舞台の中で、スターひとりだけっていうイベントがあって。「このスターのために、自分ができることはすべてやろう」と決意しましたね。 ■Q47.仕事場のこだわりは? 古家 自分の仕事まわりで、唯一お金をかけているのがマイクなんです。自宅でラジオを録音しているから、それにはこだわっています。 ■Q48.印象に残るうちわ、ボードは? 古家 「후루야씨 맛있어요(フルヤシ マシッソヨ/古家さん、おいしいです)」。たぶん「후루야씨 멋있어요(フルヤシ モシッソヨ/古家さん、カッコいいです)」と書きたかったんだと思うんですが……(笑)。 林 かわいらしい間違い! でも、本命にはやっていないことを願いたいです。 古家 そうですね、どなたか見かけたら訂正してあげてください(笑)。 ■Q49.印象に残っているファンは? 古家 本にも書いたんですが、CNBLUEのファンですね。イベントで、メンバーが『のだめカンタービレ』のキャラクター・千秋先輩について話していたんですけど、僕が『のだめ』を知らないせいであまりその内容に触れずに終わっちゃったんです。 すると帰りに、ファンの方から「千秋先輩も知らないんですか?」と言われて。その出来事があったおかげで、以来、幅広い分野まで情報収集するようになりました。 ■Q50.今年の目標は? 古家 とにかく健康でいること! 去年はお医者さんのお世話になったことが何度かあったので、今年は病院に行く必要がない状態でいたいです。 林美桜の取材後記 お話がおもしろくて、すべては載せきれないほど長尺のインタビューになってしまいました。 私は毎年10回以上、舞台上でMCをされている古家さんとお会いしている気がするのですが……みなさんいかがでしたか? よくよく考えてみたら、年に数回しか来日しない最推しの数倍、お会いしているかも。 古家さんのこともいろいろ知りたいけど、仕事上、聞き手をされているため、なかなか人となりを知ることが難しい。 でも、もし知ることができたら……舞台上に推しがふたり、推しと推しの共演? ……ファンミを2倍楽しめる!! そんな思いで「50の質問」を思いつき、伺ってみました。 古家さんファンのみなさんもまだ知らなかった情報が、少しでも引き出せていたらうれしいです。 古家さん、お忙しいなか丁寧に取材にお付き合いくださり、ありがとうございました。 文=菅原史稀 撮影=MANAMI 編集=高橋千里
-
名MC・古家正亨に直撃!K-POPスターの魅力を引き出すコツは?|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 連載「林美桜のK-POP沼ガール」新シリーズが始動! その名も「林美桜のK-POP沼ガール・マレジュセヨ編」。マレジュセヨとは、日本語で「話してください」という意味。林美桜が話を聞きたい“韓国カルチャー仕事人”に突撃取材し、仕事流儀から細かいノウハウ、アドバイスまで、たっぷりと語っていただきます。 マレジュセヨ編の第1回は、多数のK-POP関連ライブやイベントで司会を務める名MC・古家正亨(ふるや・まさゆき)さんが登場。 林とはテレビ朝日公式YouTubeチャンネル『動画、はじめてみました』内の「動はじK-POP部」で共演。同業者・共演者として、古家さんに教えを乞いたいことがたくさんあるようで……? 司会業の悩み「出演者の下調べ、どこまでやるべき?」 林 美桜(以下、林) 今日は、古家さんにお聞きしたいことをぶつけさせていただきます! 古家さんのことは高校時代から韓国カルチャーを深掘りするテレビ番組などでよく拝見していて。当時はその番組を観ることが日々の唯一の楽しみだったんです。大学時代にK-POPについて書いた卒論でも、古家さんの著書を参考にさせていただいて。 なので初めて共演させていただいたときは、うれしくて泣いたんですよ。それくらい、私にとっては尊敬する特別な存在で……。いきなり長くしゃべってしまいました(笑)。今回は、半分、アナウンサーとしての「お悩み相談」になってしまうかもしれませんが……いろいろ伺っていきたいと思います。よろしくお願いいたします! 古家正亨(以下、古家) そんなことを思ってくれていたなんて……ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします! 林 まずは、年間ものすごい数のイベントのMCを務められている古家さんですが、きっとトラブルなんかも少なくないんじゃないかなと思うんです。アナウンサーも、たとえば「番組がもうすぐなのに、台本到着が遅れている!」というピンチがあったり……私自身は、すごく焦っちゃうタイプで。古家さんも、そういうときにストレスを感じたりしますか? 古家 トラブル、よくありますね。僕はけっして焦らないほうなんだけど、つらいなぁって思う瞬間はもちろんあります。たとえば俳優さんのイベントで、出演作をすべて観て完璧に準備しておいたのに、一度もイベントでその話題が上がらなかったときとか(笑)。「あんなに観たのになあ」って、ちょっと悔しくなっちゃうかな。 林 古家さんとは番組でも共演させていただいていますが、台本にアーティストの性格や個性、ハマり事などパーソナルな情報や、ほかにもびっしり書かれていて、お忙しいなか全部調べているんだなと感激したんです。さらに、それを本番が始まるギリギリまで書き込まれていたのが印象的で……。 ただ、リサーチはとても大切だけど、本当に難しいなと最近思っていて。私は音楽バラエティ番組『M:ZINE(エンジン)』で、出演アーティストの作品やパーソナリティをなるべく調べてから収録に臨んでいるのですが、とにかくコンテンツが膨大だからどこまで調べてよいものか悩んでいます。 古家 僕の場合、MVやオフィシャルで出ている映像モノなど、あくまでベーシックなものだけです。とはいえ、ドラマやオーディション番組の場合は一作品にすごい視聴時間を費やすことになるぶん、大変ですよね。 でも、仕草やセリフなど、細かいところを拾っておくと、現場で出演者の方がすごく喜んでくださるし、ファンのみなさんも盛り上がってくださるから、できるだけ記憶するようにしていますね。 林 なるほど! リサーチの段階で、使えそうなものをある程度ピンポイントで予測しておくんですね。 古家 あとは、SNSでファンの方が「こういうことを聞いてくれたらうれしいな」というポストをしていたら、それをメモしておく。いろいろリサーチしたとしても、ステージで自分の知識をひけらかすだけだと意味がないんです。だって、そんなことはファンのみなさんが一番ご存じだから。重要なのは、ファンの方が知りたいことを、スター本人の言葉で引き出すことだと思うんです。 林 わー……。私は「勉強したから、言いたい!」が勝っちゃうんですよ。 古家 それは、不特定多数の方が観るテレビと、ファンだけが来るイベントという性質の差もあるので、テレビでやるならある意味、林さんのやり方が合っていると思いますよ。テレビの場合は、アーティストや作品の情報が初見という方も想定して発信することが必要だから。 ただ、これは僕自身が先輩からよく言われていたことなのですが、知ったかぶりはしないほうがいいです。さらに掘り下げられて答えられなかったときに、信頼できない人として見られてしまうから。それより、むしろ知らないことは「それってどういうことなんですか?」と相手に聞ける姿勢を持つほうが、一般の方と同じ視点に立てるのでいいと思うんですよね。 林 ファンの方が何を求めているかが気になって、「すべて知らないとダメだ」と思い込んでいたので、すごく勉強になります。何を言うか、もしくは言わないかといった取捨選択を、現場の空気を読みつつ行う技術が、古家さんは本当に素晴らしいです。臨機応変ということでいうと、イベント中は何を意識されていますか? 古家 K-POPや韓流スターのファンミーティングの場合、日本公演であっても、基本的にイベントは、韓国制作であることが最近は多くなっています。ワールドツアーの一環で日本に来ることが増えているからです。なので、舞台監督さんや作家さんはもちろん韓国の方々なのですが、韓国の場合は、イベントをテンポよくというよりは、少しでもスターとの接点を増やすため長時間になる傾向がある一方、日本だとむしろテンポのよさが求められるんです。 だから、公演中に運営から「ここをもっと掘り下げて」という指示が飛んできても、それをすべて汲んでいたら絶対に時間が延びてしまうので、自己判断でスルーするケースも往々にしてあります。もし時間が超過して、予定していたコーナーができなくなってしまうことはあってはならないので。全体を見て、必要なことを優先させるようにしていますね。 林 ラジオDJをされているなかで磨かれた“時間の感覚”も活かされていらっしゃるんですね。n.SSignさんのファンミーティングのMCで一緒にお仕事させていただいたときも、古家さんにすべてお任せ状態で、時間調整の面でも救っていただきました……。すごく俯瞰的な視野をお持ちですよね。 古家 あと、なるべく自分はしゃべらないようにして、スターがしゃべれる機会を作れるようサポートすることを意識しています。個人的には、それがMCの務めだと思うからです。 林 私は、“間”が怖くてすぐにしゃべっちゃうんです。 古家 それは、テレビ的な感覚だと思います。放送業界では、間が空きすぎると放送事故につながってしまうから怖くて当然ですよ。僕も基本的にはラジオ人なので、その感覚、すごくよくわかります。でも、イベントだと逆に、その“間”が大事なんです。そのスターが好きで集まっている人しか会場にいないから、返答を考えている姿も見て楽しめるし、間にも“本人らしさ”が出るから。 林 古家さんは、聞くのがすごくお上手ですよね。MCだからしゃべるお仕事かと思いきや、実は聞き出すのが本業というのが、お仕事ぶりを通じてわかります。 「若いくせに」と言われて傷ついた30歳 林 古家さんって、いまだに悩むことってあるんですか? 古家 いっぱいありますよ! MCって滞りなく進行して盛り上げるのが当たり前の仕事だから、褒められることがあまりないんです。正直それがすごく悲しくて。「古家さんに任せとけば、なんとかなる」ってみんな言ってくれるけど、僕だって大失敗する可能性はあるし、イベントを成功させるっていうことを当然のように期待されるのが、正直ずっとプレッシャーなんですね。それで一番悩んでいたのが、コロナ前の2018~9年くらい、林さんに初めてお会いしたころですよ。 林 ええっ
そうなんですか……そんなことまったく感じられませんでしたが、戦っていらっしゃったんですね。 古家 林さんも、同じような葛藤あるでしょう? 林 たしかに、アナウンサーは比較的ケアはされているほうだとは思うんですけど……たとえばバラエティ番組でコメントをするにしても、そのひと言の裏には演者さんのことを調べたりといった蓄積があるものですが、もちろん誰にも感謝されないわけで。それはやっぱり、たまにはしんどくなるときもあります。楽しい仕事ですけど、「なんかもうちょっと感謝されてみたい……」という思いが頭の中をよぎったりはしますね。 古家 わかるなぁ。僕、今の林さんと同じ30歳のころが一番仕事に悩んでいた時期だったんですよ。当時、ラジオの朝帯をやっていて、もともと時事に興味があったから、そういう話題に触れたら「若いくせに、わかったようなことを言うんじゃない」という苦情が来たりして、すごく傷ついて。それ以来、しゃべる言葉を全部台本に書いてから番組に臨むようになったこともありました。 林 「若いくせに」。そうなんですよね、30代前半ってまだまだ説得力を身につけるのが難しいから、そういう心ない声も少なからずあります。 古家 でもね、そのあと大阪のラジオ局で朝帯をやることになって、同じやり方をしていたらディレクターさんから「古家さんって、普段話すとめっちゃおもしろいのに、番組だとつまんないですね」って言われたんですよ。その言葉で「そうなんだ、自由にしゃべっていいんだ」って目覚めて。実は僕、関西に仕事で住んでいたころに経験したことが、かなり今の自分の形成に大きな影響を与えているんですね。 林 そうそう! 古家さんって、アーティストさんのボケに返すツッコミもすごくお上手じゃないですか。それも関西仕込みなんですね。アナウンサーって、わりとツッコミの役割を期待される機会も多いんですけど、それも悩みなんです。私自身は自分をボケだと自覚しているんですが、自分をなくしてやる私のツッコミって、けっこうキツく聞こえてしまうのか、怖がられることが多くて。古家さんはツッコむけど、印象が柔らかいです。 古家 ここでも一番大事なのは、相手の話をよく聞くこと。ツッコみっぱなしが一番冷たく見えるので、そのあとに相手が何を言ったかをよく聞いて、大きくふくらませてあげるんです。正直、林さんは進行に一生懸命になりすぎて、相手の返しをよく聞いていないでしょう?(笑) 林 よくおわかりで……!! ツッコミのあとに、返しを受け止めることが重要なんですね。 古家 「聞いて、受け止める」を2025年の目標にしたらどうですか? それができたら、仕事がもっと楽しめると思いますよ。 林 古家さんには、全部見抜かれてる(笑)。 “やったことないことをやる”が大事。最終目標は「ファンミ開催」! 林 それでは最後に、古家さんが掲げる今後の野望についてもお聞きしたいです。 古家 「後継者を育成しないの?」とはずっと言われていて、そこにかなり固執してきた時期もあったんです。でも最近は、ちょっと違うビジョンが見えてきたというか……誰かを育てるのではなく、自分と同じような波長で協働できるクリエイターを集めてチームを作るほうが、性格上向いているかなって。そうしたら、今抱えている僕の負担も軽減するでしょうし、それが果てには後継の育成にもつながっていくのかなって。林さんは、野望ありますか? 林 私は、今年中に人気(笑)アナウンサーになって、テレビ朝日アトリウムでファンミをやります。で、そのイベントMCを古家さんにお願いする……というのが野望です(笑)! 古家 ……なるほど(笑)。え、でも本当にやったら? 林 いいんですか!? 古家 誰もやったことのないことをやるって、すごく大事ですよ。僕も、これまで自分が主役になることをあえて避けて生きてきたんだけど、去年、タレントで、俳優で、同業者でもある藤原倫己くんとファンミをやってみたら楽しくて、意外といいもんだなって。だから林さんも、この連載の最終目標を「ファンミ開催」にしてみてもいいかもね。 林 すごい、古家さんとお話しできたおかげで連載のビジョンまで見えてきました! 今日は本当に夢のような時間でした。あと、聞くべきことはないかな? 何か忘れているような気がして、不安……。 古家 あ、またしゃべりながら次のことを考えてる(笑)。最後にひと言だけ、相手が話しているときに、台本に目を移す悪いクセを今年中に克服しましょう! 林 言われたそばから……!! 絶対に直します。親より心に響く、古家さんの言葉を胸に! 林美桜の取材後記 古家さんは日本でK-POPを広めた先駆者であるすごい方なのに、どんな人にも謙虚な姿勢で向き合う一面もお持ちです。 今回のインタビューで、古家さんのすごさを引き出したいと思っていたのに……結局自分の話ばかり気持ちよく聞いていただいてしまったような気がします。反省……。さすが名聞き手です(古家さんご自身は“MC”よりも“聞き手”という肩書のほうがしっくりとくるそう)。アーティストさんや俳優さんが、古家さんにはなんでも話したくなる気持ちがわかりました。 私は仕事で行き詰まったとき、古家さんの著書『K-POPバックステージパス』(イースト・プレス)を読みます。古家さんがK-POPに出会ってから今のお仕事に携わるまでの歴史が書かれているのですが、古家さんの行動力や苦労には目を見張るものがあり……。 それだけでもすごいですが、その原動力が自分のためではなく「自分が魅了されたKカルチャーを、自分以外の人にもぜひ知ってもらいたい。誰かとKカルチャーとの架け橋になれたら」という他者への優しさであることに驚かされます。 そんな分け隔てなく与えてくださる温かい優しさは、アーティストさんや俳優さん、そして観客の私たちにもいつも届いていて、古家さんのMCだからこそ叶う出演者とファンをつなぐ愛のあふれるイベントになっているんだなと思うのです。 ↓まだお読みでない方はぜひ!(書影ビジュアルが一新、重版が決まったそうです) https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781621456 古家さんなしでは、Kカルチャーに魅了されている私は存在していなかったです。 本当に감사합니다.(ありがとうございます) 最後に、今回、古家さんからアドバイスまでいただけて、 今までで一番大きな夢が叶った気持ちです。個人的に、31歳になる今年が自分のターニングポイントになると思っているので、そんな年を古家さんとの対談で幕開けできて、すごく気合いが入りました! がんばります!! ▼古家さんの仕事流儀をもっと知りたい方はこちら! 古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学” K-POPの名MC・古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学” 次回は、古家さんファン必見「50の質問」をぶつけてみました。古家さんの仕事観からプライベートまで深掘りしちゃいます! 文=菅原史稀 撮影=MANAMI 編集=高橋千里
-
オク・テギョン&イ・ジュンギ出演『K-ドラマフェス2024』レポート|「林美桜のK-POP沼ガール」特別編
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 韓国ドラマをよくご覧になる方で知らない方はいないのではないか……と思われる アジア最大規模のドラマメーカー「Studio Dragon(スタジオドラゴン)」。 火を吹いているかわいらしい青いドラゴンのロゴ!! あーなるほど安心、これなら間違いないわねこのドラマ、となりますよね。 隙のないほど美しい映像美、こだわりのストーリー。 そんなスタジオドラゴンが誇る人気ドラマ 『ヴィンチェンツォ』からは、チャン・ジュヌ役のオク・テギョンさん 『悪の花』からは、ペク・ヒソン役のイ・ジュンギさん おふたりが出演したスペシャルイベント!! 『K-ドラマフェス2024』に行ってきましたので、少しレポートさせていただきます。 まず、一度に世界的俳優ふたりのファンミを楽しめるなんて、あまりないですよね……。 私は初めての経験でしたし、とても豪華でした。 すべてが正しすぎるイケメン、オク・テギョンさん マチネ公演。 最初に登場したのは、 『ヴィンチェンツォ』チャン・ジュヌ役のオク・テギョンさん。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. お城のバルコニーのような素敵な舞台から 颯爽と登場した“俳優の”テギョンさん。 (“俳優の”をだいぶ強調しておられました) 少し動くだけでも歓声を上げたくなってしまうほどの、あまりにもすべてが正しすぎるイケメン。 さんざんファンにキャーキャー言わせて、 急にイタズラっぽく現実的なことを言ってクスッと笑わせる テギョン節、健在でした。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. イベントでは、2021年放送の『ヴィンチェンツォ』についてたっぷりお話を伺えましたよ! 名シーン総選挙では、 「こんなシーンあったなぁ」なんて思い出しながら、さっと振り返れられたのがよかったですし、 それぞれのシーンに対するファンからのメッセージには さすが俳優のテギョンさん、目元の表現だけで反応。目で語る語る。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. 中でも、 ジュヌのような悪役をやることがつらかったというプライベートな話。 『ドラマフェス』ということで、普通のファンミではなかなか聞けないような 俳優として深度のある話も伺えて興味深かったです。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. そしてサプライズで出てきたのは なかなかスキニーなトロッコ。 テギョンさん、このときばかりは全力でアイドル。 1秒ごとにくるくるとファンサで応えていました。 思いがけず近くまで来てくれて贅沢な時間でしたね……(遠い目)。 普段からトロッコの順路にとても厳しい私ですが、 こちらのトロッコは抜け目なく会場を回りきったのを確認いたしました。 穏やかな空気感をまとった、イ・ジュンギさん 次に登場したのは 『悪の花』ペク・ヒソン役のイ・ジュンギさん。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. すっとラフな格好で現れたイ・ジュンギさん。 内から発光するような、柔らかな光を放つお姿に釘づけ。 話し終わりの優しい笑顔……私、溶けました。 Vフリシーンがまた最高にキュンでして(泣)。 観客をかわいらしく煽ってからの、挑戦。 ファンの気持ちを1から10まで熟知した 完璧なVフリ王子。 最後、照れるところまで。一連で何回も観たくなるはずです。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. イ・ジュンギさんが出演された、2020年放送の『悪の花』。 恥ずかしながらドラマを観ずに参加したのですが、 ググッと引き込まれる名シーンを観ながら語られる役柄への理解、作品への想いに感銘を受け、イ・ジュンギさんの持つ「演技」についての哲学的な考えに触れ……。 これは必ず観なければと、心のメモに筆圧高く書きました。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. 脚本家さんからのメッセージも素敵でした。 なかなかないサプライズですよね。 脚本家さんの選ぶ言葉、文章の温かさから イ・ジュンギさんがどれだけまわりの人を大切にしているか、そして愛されているか 改めてお人柄を知れる機会となりました。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. 途中から、どんどんキュートな動作が大きくなってかわいかったです。 トロッコの上からは ポップに、ユニークに、キレキレなファンサを届けてくださいました。 名前もたくさん呼んでくださっていましたね。 私はその穏やかな世界観にすっかり夢中。 ファンの愛を感じる「祝い花」も素敵! また、会場の外も素敵だったんですよ! オク・テギョンさんとイ・ジュンギさんへの祝い花。 どちらもご本人の雰囲気やカラーを大切にされていました。 ファンの愛ですね。 イ・ジュンギさんの祝い花にはベンチが!! かわいい お正月は『K-ドラマフェス2024』放送で癒やされよう さあ、ここでお知らせです。 2025年1月2日(木)よる7:00~CSテレ朝チャンネル1にて <CSテレ朝チャンネル特別版>『K-ドラマフェス2024 with Studio Dragon』を放送予定です。 (C)STUDIO DRAGON by CJ ENM. ALL RIGHTS RESERVED. (C)avex pictures Inc. バタバタするお正月に、ほっとひと息癒やされるのはいかがでしょうか♪ CS限定の舞台裏映像も放送されるようです。 これぞ永久保存版!! お見逃しなく。 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
-
カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯
先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
-
贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯
これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
-
40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
-
涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
-
W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール
宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
-
宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー
】【ラグビー
】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール
宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
AKB48 Team 8 私服グラビア
大好評企画が復活!AKB48 Team 8メンバーひとりずつの撮り下ろし連載
【会員限定】AKB48 Team 8 私服グラビア Extra
【会員限定】AKB48 Team 8メンバーひとりずつの撮り下ろし連載
生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
-
「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
-
勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
-
克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
-
【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
-
【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
-
【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
logirl staff voice
logirlのスタッフによるlogirlのためのtext
-
「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
-
logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
-
言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(フローラS)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(フローラS) 今週の配信はお休みです。配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬)は先週で#199に達しており、誠にありがたいことです。三谷アナが「誰が見ているのか分からない」と言っていましたが、筆者はこの間「見ましたよ」と思いもよらぬところから声をかけられ恐縮した次第です。なんと銀行員の方でした。ありがとうございます。桜花賞、皐月賞は樋渡結依さんのファンにもご覧になっていただけたようで。といって5000回の視聴数のほとんどは「誰か分からない」状態なのは変わらないのですが…。今後もご愛顧のほどを。今週、予想するのは4月27日(日)の東京11R・フローラSです。 ◎⑬ルクスジニア。 冠名「ルクス」は3月の仁川Sを勝ったルクスフロンティアなどがいますが、「サトノ」の里見オーナーと、「スマート」の大川オーナーが共同出資した名義です。ルクスとしてG2出走は初めて。大物オーナーが組んで5年目ですが、現状は大きな成果が出たとは言いづらい状況。そろそろという思いも両オーナーにはあるでしょう。開幕週で前に行った馬が止まりづらい馬場にせよ、あまり逃げ馬を買いたいレースではありませんが、内の馬を生かせての2、3番手も可能。君子蘭賞だけ走れば何とかなるはず。この馬に関してはレース全てで騎乗し、調教にもまたがった池添がつかんでいるとみて、先行押し切りに期待します。 ○⑫ヴァルキリーバース。 このレースは毎年のようにノーザンファーム(以下NF)生産の馬が走ります。桜花賞路線に乗り損なったNF産の牝馬が活躍するレースとみて間違いなく、◎もそして○ヴァルキリーバースもNF産。ルクスジニアは預託だと思いますが、こちらは純NF産で、自身も妹もサンデーレーシングの募集馬。母グロリアーナは2勝の中堅馬ですが、フェアリードール牝系の大型馬で見るべきところがあったのでしょう。前走のフリージア賞は牡馬相手に完勝。2着のダノンシーマは翌走でアザレア賞を楽勝した3億円ホースですから、一定のレベルは担保されています。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑫⑬→<2着>⑫⑬→<3着>②④⑥⑧⑨⑰。 <1着>⑫⑬→<2着>②④⑥⑧⑨⑰→<3着>⑫⑬。24点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(皐月賞)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(皐月賞) 今週も樋渡結依さんをゲストに迎えて配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#199)しております。予想するのは4月20日(日)の中山11R・皐月賞です。 桜花賞を振り返ると道悪になるは、◎エリカエクスプレスはスタートが良すぎてハナに行かされるは、でちょっとアジャストしきれませんでしたね。モレイラのエンブロイダリーが3番人気なら、そっちだよね…とは思うものの、そういうファクターを事前に予想するのも重要ですからね。今回の1番人気1倍台はさすがに動かないと思いますが…。 ◎⑩クロワデュノール。 種牡馬キタサンブラックがまた大物を出した可能性が大です。前の大物は当然、イクイノックスで、皐月賞前の当時、馬体写真に衝撃を受けました。その後の活躍は言わずもがなですが、クロワデュノールもそれに近いレベルに到達してくれたらと思います。馬体の完成度はいい線にとどいているのではないかと。まあイクイノックスは皐月賞で2着に負けているわけで、いかに素質を感じさせようが皐月賞はそれだけでどうにかなるレースでもありません。正直なところ、調整過程そのものはダービーを見据えた感が漂っているので、馬場コンディションも含めて脚をすくわれるなら今回という気もしますが、十分に強かった東スポ杯2歳Sの印象を重視します。 ○⑨ピコチャンブラック。 スプリングSが中3週から中4週になったことで、在厩の調整をねっきりはっきりやれたかと思います。こちらも名前から分かる通りキタサンブラック産駒。22年産キタサン産駒はイクイノックス登場前で種付け料も底値の300万円(現在2000万円)。この世代からクロワデュノールが出て、皐月賞トライアルで強い勝ち方をする馬が出るあたりが種牡馬キタサンブラックの非凡なところで、クロワデュノールからいくならこの馬も押さえたいですね。道悪の方がいいとは思いますが、前に構えられるタイプで良のスピード勝負にも対応可能です。 ▲③キングスコール。 こちらはドゥラメンテ産駒。種牡馬ドゥラメンテは早世しましたので、この世代が最終世代。前走は道悪スプリングSの最内枠で出遅れ。走ってもノメり通しと厳しいコンディションでしたが、底力で3着に入って皐月賞権利を手にしました。奇数番の内枠で、スタートから道中のさばきから懸念点は満載ですが、相当走る馬だと思います。 良馬場想定です。良馬場なら内枠優勢じゃないでしょうか。 馬券は3連単軸1頭流し。 <1着>⑩→<相手>①②③⑤⑧⑨⑪。42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
-
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(桜花賞)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(桜花賞) 今週は、樋渡結依さんをゲストに迎えて配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#198)しております。予想するのは4月13日(日)の阪神11R・桜花賞です。 樋渡さんはTCK(東京シティ競馬、大井競馬のことです)公式LIVE「ウマきゅん」に出演しており、先日卒業したばかりです。かのギャンブル芸人じゃいさんの薫陶を受けていますから、本配信とも縁続き…と強弁できなくもありません。趣味は競馬予想と野球観戦で千葉推しとのこと。渋い。 さて先週の大阪杯は◎ベラジオオペラが1着、☆ロードデルレイが2着でした。レース内容的には内優位の高速ラップで外から押し上げたロードデルレイの強さが目立ちました。前のレースで同牝系のシヴァースが勝ったように馬場がぴったりだったのはありますが。桜花賞は3歳牝馬限定戦。馬場コンディションや通るコースの内外より、スムーズにレースできるかが重要です。 ◎②エリカエクスプレス。 正直、もまれそうな枠を見て◎をやめようかと思ったのですが、陣営から「ミストレスが入ってくれてある程度ペースが流れるのは歓迎」とのコメントが出ています。ミストレスはランフォーヴァウの回避で出走が可能になったのですが、明確な逃げ馬が入ることで、よどみないペースの好位が取りたいこの馬には流れが向く、と陣営が判断しているのは大きいですね。これなら大丈夫かと。キャリア2戦で桜花賞を制したのは過去10年で1頭だけ。ただ、その1頭が父エピファネイア、杉山晴厩舎のデアリングタクトなので、経験不足と切って捨てるのも軽率と言えましょう。リファール系、ダンチヒ系、サドラー系と累代ノーザンダンサー系が重ねられた欧州牝系で、エピファネイアはサドラー系との相性がいい。そして桜花賞は母父ノーザンダンサー系と相性がいい。この配合は牡馬に出るとちょっと重そうですが、牝馬だと重苦しくなく軽快な脚が使えます。あと配合はオークスっぽいですが、個人的には桜花賞向きだと思います。仕上げも全力感があります。杉山晴厩舎には今年の3歳、なんと10頭のエピファネイア産駒の名があり、内4頭が2勝。ここ出走の2頭と、牡馬には若葉S勝ちジョバンニがいます。デアリングタクトの牝馬3冠達成による「エピファネイア使い」としてのトレーナーの評価がいかに高いか分かると思います。 ○⑦エンブロイダリー。 巷間、散々言われていますが、クイーンCの勝ち時計1分32秒2は強烈です。前週の東京新聞杯が1分32秒6と古馬のG3より速い。主戦はルメールですが、オーストラリアでローシャムパークに騎乗するため不在。その穴を埋めるのはモレイラですから乗り替わりによる影響も無視できます。あえて言うならメジャーエンブレム感が漂います。メジャーエンブレムもクイーンC1分32秒5の好時計で勝ち、前週の東京新聞杯(スローで1分34秒1)より大幅に速く、単勝1.5倍に推された末に桜花賞は4着。3歳牝馬というのは難しいですね。まあ先達は先達。関東馬ですが栗東入りしており、先達のように輸送の影響を気にする必要はありません。 ▲⑩トワイライトシティ。 杉山晴エピファネイアの二の矢です。アネモネSの時計が平凡なので、僚馬との差はいかんともしがたいところですが、好位に構えられてレースセンスがいい。アネモネSは本番とつながらないとはいえ、もともとフィリーズレビュー除外で回ったレースですし、少々行きたがるレース内容からもペースが上がってもそこそこ走れるのでは、という予感はあります。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>②→<2着>⑦⑩⑯→<3着>⑦⑨⑩⑫⑭⑯。15点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
-
WAGEI公開収録<概要・応募規約>
テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
-
新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑