エッセイアンソロジー「Night Piece」
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あの日過ごした部屋との思い出、騒音すら恋しく感じた東京の夜(まるいるい)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 Ⓒ吉本興業 まるいるい 1997年11月28日生まれ、神奈川県横須賀市出身。NSC東京23期生のお笑い芸人。吉本坂46(2期生)としても活動していた。自身の家族をテーマに綴ったエッセイやYouTubeチャンネル『まるいるいの逆襲』が話題になる。 X:@Rui_tontokoton note:https://note.com/maruirui61 YouTube:『まるいるいの逆襲』 二十歳のとき、上京して三鷹に六畳一間の家を借りた。築40年。畳の香りが鼻をかすめるどこか昔懐かしいアパート。私はそのアパートが大好きだった。 20年間ともに過ごした家族と離れることを決め、ホームシックになることを覚悟していたのに、意外にも寂しかったのは最初のひと晩だけだった。 その家は朝から晩まで側を走る中央線の音が鳴り響く。壁が薄すぎてお隣さんのオナラも、ビール缶のプルタブを起こす音も聞こえる。今、『キユーピー3分クッキング』(日本テレビ)を観ているな、ということまで把握できた。 それから1年後。その家とともに過ごす2度目の夏を迎えたとき。 “ドドドドドドドドド” 5歳くらいの子供が天井裏を駆け回っているのではないかと疑うくらいの大きな足音だった。 “チュー” ネズミだ。 屋根裏にネズミがいる。 まぁ、ここに建てられてから40年も経っていたらどこかに隙間もできるよな。仕方ない。大して気には留めなかった。 そんなある朝、起きたら身体中がかゆかった。イエダニの仕業だ。このダニはネズミがいない限り家に発生することはめったにないらしい。実害が出たら放ってはおけなかった。かゆすぎた。皮膚科に行った。 大家さんに報告すると、すぐに魚肉ソーセージを吊るした鉄製で箱型の、原始的なネズミ捕りを持ってきてくれた。 それを仕掛ける際、大家さんは私の部屋の天袋を開けた。そして両手を上げたかと思うと天板をバコッと外した。屋根の裏が姿を現した。 大家さんに「見てみるか?」と問われたのでうなずいた。そして天板が外れたことで現れた隙間に上半身を突っ込んだ。 私の目の前には想像以上に広い空間が広がっていた。驚くべきことに、お隣さんの部屋との間に仕切りはなかった。お隣さんとそのまたお隣さんの間にも、そのまたお隣さんとの間にもだ。同じ階の全部屋の屋根裏がつながっていた。大家さんいわく今の建築法では作れない、作ってはいけない家の構造らしい。こりゃ音が筒抜けなわけだなと合点がいった。 そんなことを思っていると奥からガササッと音がした。大家さんはネズミ捕りを仕掛け、天板を元に戻した。これで平穏な生活が訪れるはず。 季節は冬になった。ネズミ捕りを設置したかいはまったくなかった。相変わらず5歳児が屋根裏を駆けていた。 そんなある日、管理会社からアパートの更新料のお知らせが届いた。引っ越しを決めた。ネズミとの共存はできなかった。 退去の日、大家さんと写真を撮ってもらった。 「写真を撮ってと言われたのは初めてだよ」 困ったように笑う照れ屋な大家さん。いつも長靴を履いていて、たまに畑で採れた野菜をおすそ分けしてくれた大家さん。小柄で日に焼けた笑顔がかわいい大家さん。鍵を返して2年間のお礼を告げ、お別れをした。とても寂しかった。 次に借りた家は板橋区のマンション。私はマンションにこだわっていた。大好きだったアパートを出た唯一の理由は騒音だった。静寂を求めていた。それなら木造アパートではなく鉄製マンションに住むべきだと考えた。 引っ越して最初に迎えた夜。先輩にLINEした。 「前の家が恋しくて涙が出ます。」 比喩ではない。本当に泣いていた。お別れしたときの大家さんの顔も浮かんできてよけいに泣けた。 「私も初めて借りた家を出たときは恋しかったな。でも、もう今はここが私の家で、一番落ち着く」 私はこの家をそんなふうに思えるだろうか。不安だった。 とりあえず寝ようと布団を敷き、横になった。真っ暗な部屋。 鉄筋コンクリート造りのその部屋のお隣からはレゲエともヒップポップともつかない謎ジャンルの音楽が爆音でひっきりなしに流れている。壁が躍るのを感じる。音が振動になるということは相当な音量だ。ライブ会場かここは。話が違う。 こっそりドアを開けてお隣の様子をうかがうと、聞き慣れない言語での会話が聞こえた。外国人だ。料理をしている。嗅ぎ慣れないスパイスの匂いが漂う。 不安すぎた。私はこの家が本当に好きになれるだろうか。騒音からも解放されないではないか。 シクシク泣きながら、数時間爆音に耐えたが、我慢の限界が訪れた。管理会社はもうとっくに営業を終了している時間だった。 警察に電話しよう。生まれて初めて警察に通報した。 「事件ですか? 事故ですか?」 事故では絶対にないが、これは事件なのか……? 「じ、事件です」 そう告げると内容を聞いてくれた。時刻は午前5時。 電話を切ってから10分程度で駆けつけてくれた。音はピタッと鳴り止んだ。警察の方々には心から感謝した。 しかし、騒音は音楽だけではなかった。洗濯機の音だ。そのマンションは洗濯機置き場が玄関前にあったので、お隣さんの洗濯機の音が家の中まで鳴り響く。お隣さんの洗濯機は明らかに普通じゃなかった。一番音がひどいのは脱水のときだ。洗濯機自体が暴れてどんどん前に進むのだ。よく壊れずに使えているなと感心すら覚えるほどだ。 だが、音楽の騒音とは違って生活音に文句をつけるのは違うと思った。お互い様な部分もある。黙って暴れる洗濯機を見守ることにした。 慣れというものは怖い。数週間目の当たりにしていると、あまり気にならなくなってくる。 私が入居してから2カ月も経たずしてお隣さんは引っ越した。そこからは静かな暮らしが続いた。 入居当初は辟易していたはずの暴れ洗濯機がいなくなっていて、少し寂しいかもとすら思った。私は環境の変化に弱いけど、適応するのは早いのだなということに気がついた。 引っ越して最初の夜はいつも心細くて不安になって、前の家が恋しくなる。だがその家を出たら、またその家が前の家になるのだ。 板橋のその家も、今では私の大切な家の記憶になっている。コロナ禍をともにした家。緊急事態宣言が発出され、丸1カ月こもった家。当時の相方たちがネタ合わせに訪れた家。温かい記憶。 東京に出てきてからの6年間。 7度の引っ越しをした。 あと何度こんな気持ちになる夜を過ごすのだろう。 文・写真=まるいるい 編集=宇田川佳奈枝
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花束みたいな友ができた、魔物と戦い続けた夜(美山加恋)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 美山加恋(みやま・かれん) 1996年生まれ、東京都出身。2002年、舞台『てるてる坊主の照子さん』でデビュー。2004年、ドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』(フジテレビ)の凛役で注目を集める。以降、映画『いま、会いにゆきます』、『僕らのごはんは明日で待ってる』、ドラマ『around1/4 アラウンドクォーター』(朝日放送)、舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』、ミュージカル『ピーターパン』、『赤毛のアン』など出演作多数。声優として、2017年『キラキラ☆プリキュアアラモード』(テレビ朝日)で主人公・キュアホイップ/宇佐美いちか役でアニメ初主演を果たす。現在、MCを務める『あにレコTV』(テレビ東京)が放送中。 スポットライトがひと筋。 私を照らしている。 誰もいない舞台上。 セリフが出てこない。 身体が動かない。 袖を見ても、誰も助けてくれない。 そもそもこれがどんな作品か思い出せない。 そんな夢を、よく見る。 朝起きたときの気持ち悪さといったらない。 夜になると魔物が私の枕元にやってきて、頭の中に侵入してくるんじゃないか。 夢占いが大好きで起きたらすぐ調べるのだが、たいていの夢はすぐ忘れてしまう。 でも舞台上の夢だけは、あまりにもリアルでいつも頭にこびりつく。 そして現実でも、袖から出るときに思い出す。 一種の自己暗示のようなプレッシャーなんじゃないか。 30歳を前に、最近よく自分のパーソナリティについてよく考える。 私は身長が低い。 実際に会うと 「思っていたより小さいんですね」 とよく言われる。 実は152cm。 この記録は小学校高学年くらいから変わっていない。 小学校高学年で152cmというと背の順でも大きなほうだったので、うしろからみんなを見ていた。 中学に上がるとどんどん前に押し出され、ついには先頭を陣取ることになった。 あのときの気持ちといったら。 「一番前なんて嫌だ。恥ずかしい」 「でも“前へならえ”というくらいだから、先頭がしっかり位置についていないとみんなに迷惑がかかるし……」と、悶々としていた。 うしろはいいな。前にならうだけだもんなぁ。 これが私の性格。 なるべく目立ちたくはない。 うしろ指もさされなくない。 そう、女優のくせに、目立ちたくはない。 人と比べられたくない。 (あの“前へならえ”できれいに並ばないといけないの、なんでだったんだろう……) あれ、なんか過去の愚痴になってしまった。 身長が小さいと、なるべくみんなと目線を合わせたくて自分を大きく見せるようになる。 「小さいのかわいいね〜」と言われても、ちっともうれしくなかった。 カッコいいと言われたかった。ないものねだりだ。 でもこれは、夢に出てくる魔物のせいでもあると思う。 小さいころは特に同い年の子より寝る時間が少なかったため、ご機嫌な夢を満足いくまで見られた試しがない。そのため睡眠時間も減り、じゅうぶんな成長期を逃した。 そんな自分が嫌いだった中学時代。 でも実は、そのとき出会った友達が今でも一番の親友だったりする。 人と比べられることが大嫌いで、転校も多く、なるべくひとりでいたかった私にも、友達ができたのだ。 その子と仲よくなったきっかけは些細なことだった。 教科書が入れ替わっていただけ。 授業中、教科書にアンダーラインを引くのだが、私の教科書に引いたその子のアンダーラインは定規できれいにそろえられており、逆に友達の教科書に引いた私のアンダーラインはガッタガタだった。 それだけのことなのに、なんだかお互いに興味を持つようになった。 それからはなんとなくずっと一緒に過ごしていた。 その友達の前だと、自分の気持ちに素直でいられる気がした。 目立ってもいいんだ。 人と違ってもいいんだ。 顔もよく覚えていない誰かにうしろ指さされても、気にすることないんだ。 中学2年の夏、家庭の事情で私は別の区に転校をした。 だけど、その子とは転校しても会い続けた。 親に怒られるくらいに、しょっちゅう遊んでいた。 仕事も勉強もおろそかになるほど、当時の私は遊びたかったのだ。 会いに行ってくると言うと「遊びすぎよ。やることをやりなさい」と言われた。 それでも会いに行った。 さながらロミオとジュリエットだ。 その子と離れ1年が過ぎたころ。 私は初舞台を踏んだ。 (正確には子役デビューは舞台なのだが、5歳のころなのであまり記憶がなく、これが初舞台に近い状態) めちゃくちゃ怖かった。 知らない世界に飛び込む怖さを初めて味わった。 勝手がわからない。 稽古ってどうやってやるんだろう。 いつ舞台上に出ればいいのだろう。 声が小さいと言われる。 全力でやっているのに、何かが足りないのはわかる。でも何ができていないのかわからない。 これまでの自分をすべて否定された気分だった。 それでも、お芝居をしている時間は楽しかった。 自分の発したセリフで、まわりが動く。 芝居の空間というものを感じられたのは初めての感覚だった。 稽古も終わり、劇場入り。 客席というものがあることをそのとき思い出した。 そうか、目の前の人たちに届けるのか。 一斉にこっちを向いて、私の芝居をじっと見つめてくるのか。 衝撃だった。 袖から感じる本番の張り詰めた空気。 この舞台のひと言目は私のセリフ。 音楽のタイミングで、ひと言発しながら走って舞台に上がる。 “これだけのこと”が怖かった。 勢いで初日を迎えたが、正直、何も覚えていない。 稽古で言われていた「声が小さくて聞き取れない」ということ。 本番でも指摘された。 お客さんがみんな敵に思えた。 私のセリフは届いていなくて、きっとみんなに 「あの子は何を言っているんだろう」 「なんでこの舞台出ているんだろう。下手だなぁ」 なんて思われているんじゃないか。 朝になればまた劇場へ行ってひとりで発声練習をしなければならない。 なんでがんばらないといけないのだろう。 つらい世界で、なんのためにがんばればいいのだろう。 あるとき、友達が観に来てくれた。 「加恋の舞台、絶対に観に行く」と言ってくれていて、楽しみにしてくれていた。 この広い客席のどこかに、あの子がいる。 そう思うだけで力が出た。 やらなければ。 声が小さいとか、どう観られているとか気にしている場合じゃない。 楽しんで、全力でがんばる自分を彼女に観てもらいたい。 とにかくがむしゃらだった。 終演後、楽屋まで会いに来てくれた。 中学生なんてまだ子供なのに、お小遣いで買うには高いであろう花束を、わざわざ買って持ってきてくれた。 「すごい」と何度も言ってくれた。 初めて肯定された気分だった。 泣くほどうれしかった。 そうか、敵ばかりじゃないんだ。 楽しんで観てくれている人もいたんだ。 真っ暗に見えていた客席が、少しクリアに見えた気がした。 拍手も、笑い声も、お客さんの顔も、ちゃんと見てみよう。 それから私は舞台が好きになった。 自分のお芝居で楽しんでもらう快感を知った。 そんな私のいろんなターニングポイントとなった友達が、先日婚約をした。 一番に報告をしてくれたのだ。 報告を受けたのは、一緒に行ったサウナの中(笑)。 サプライズにしてもなんてタイミングだ。 お互い裸じゃないか。 早く報告したかったらしい。 私たちらしいね、と笑う。 改めてちゃんとお祝いさせてね、と伝えた。 彼女と別れたあと、夕方の薄暗くなるころ。 昼と夜が混ざり合うとき。 これを逢魔時(おうまがとき)というらしいが、魔物との戦い方はもう攻略済みだ。 帰り道に花屋を訪れてみた。 売れ残った花たちはすっかり元気をなくしていたけど、バケツの真ん中に一輪。 凛と立っている。 今度は私が花束を持って彼女に会いに行くのだ。 文・写真=美山加恋 編集=宇田川佳奈枝
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人生が変わりかけた眩しい夏の夜(やーこ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 やーこ 日常に転がるちょっとしたトラブルを、ドライブ感あふれる筆致でユーモアたっぷりに書き、Xやnote、ブログで配信中。2023年5月に『猫の診察で思いがけないすれ違いの末、みんな小刻みに震えました』(KADOKAWA)でデビュー。また、2024年4月に2冊目となる著書『電車で不思議なことによく遭遇して、みんな小刻みに震えました』 (KADOKAWA)を発売。 X:@yalalalalalala ブログ『やーこばなし』:https://yalalalalalala.livedoor.blog 初夏の夜。 私は蛍を見に行けなかったことを偲び、ボタン式のナイトライトを臀部に装着し、自宅で蛍の気分を味わっていた。 すると友人から、今から我が家に「お土産を渡しに行ってもよいか」との連絡が入った。 せっかくなので草陰に止まる蛍のように家の門の陰に潜み、友人が我が家のインターホン近辺に到達した瞬間に姿を現すことによって、私という名の蛍の光を披露することにした。 タイミングを見計らい、私は光を見せつけるように尻を構えた。 門から道へ蛍が浮遊する様をイメージし舞うと、若干低めの叫び声が響いた。 友人にしては声が低すぎると、不審に思い振り向くと、友人は我が家からまだ2メートルほど遠くにおり、代わりに私の近くには春物のコートを羽織り、下半身に何も装着していないオヤジが佇んでいた。 友人ではなく、半裸の男に発光する尻を見せつけてしまった。 蛍ならばメスの蛍が寄ってくるが、私が人間であったために蛍も人類も寄ってこぬ、孤独な尻光野郎となった。 友人だと信じて疑わなかったところに半裸のオヤジが出てくるという、予想と現実のあまりの振り幅に私は脳の処理が追いつかなかった。 露出狂のほうも突然民家から尻を発光させる不気味な人間が現れるなどとは思っておらず、我々は出会ったポージングのまま静止した。 夏の訪れを想わせる夜風が草花の香りを我々に届けるなか、私は露出狂に尻の光をお届けしている。 露出狂は自身も不審者であるくせに、まるで自分だけが不審者に出会ったかのような顔をしていた。 ハイジャック犯が、別のハイジャック犯と同じ飛行機に乗り合わせる確率は極めて低いという。 では、我々の出会いは何%の確率で舞い降りたのだろうか。 私と露出狂は運命的な出会いを果たした。 すると、コンビニの袋を下げた近所の男子大学生が通りかかり 「うわっ……」 と、小さく声を漏らした。 しかし、大学生はコートを羽織る露出狂の背後から声を発しているため、明らかに露出狂の局部ではなく、私の臀部に対し声を上げている。 声を上げる相手が違うのではないだろうか。 あちらは局部に対し布がないが、こちらは臀部に対し布がある。さらにライトで装甲されている。 間違っても人様の網膜に私の生肌が直撃することはない、するのは尻の光だけである。 なによりも、布がなく出ている者と、布があり光っている者とでは、明らかに前者のほうが重罪である。 赤子が他人と母親に名を呼ばれれば、母親のもとへ向かうことが必然であるように、警官も露出狂と私の間では露出狂のほうへ足を進めることであろう。 しかし、角度的に私の尻の発光しか見えていないこの現状は非常に分が悪いものであった。 せめて、佇まいだけでも正そうと、私は尻を少々突き出したポージングから態勢を立て直した。 その際、布と尻に圧迫されてライトが押され、 カチッという小気味よい音とともに私の尻の光が白から紫に変色した。 何度か押すと色が変わる仕様であった。 友人は私の尻の変色がツボに触れ、苦しんでいた。 このままでは、露出狂というわかりやすい変質者がいるにもかかわらず、私こそが変色する尻を持つ変質者となってしまう。 (※当時の再現写真) この男が露出狂であることをまず知っていただきたい。 あわよくば、それで私の印象を薄めたい。 考えた末 「この人、露出狂なんですよ」 と言葉を発したが、どこか言い訳がましい雰囲気が漂った。 こうなれば、論より証拠である。 私は不審者認定されたくない一心で 「ちょっと、うしろに振り返ってもらえますか?」 と、露出狂に申し入れた。 露出狂はこちらを見つめ、何を言われているのか理解が追いつかないといった表情をして停止した。 なんでもいいからとりあえずうしろへ振り返ってほしい。 しかし数秒したのち、露出狂は私を避けるように大きく迂回し、走り出した。 この半裸の男は、この中で一番どこに出しても間違いのない変質者であるというのに、背後の者たちからの己の印象だけを穢れなきままに走り去る気である。 そんな生半可な気持ちで露出狂など務まるのであろうか。 そこはかとなく裏切られた気持ちさえ生じている。 お前は明らかにこちら側である。 私は反射的に「捕まえて大学生に証拠を見せなければ」という謎の使命感に駆られ走り出した。 露出狂の背中を追いかける私の臀部で、ライトが何度か押されるような感触があった。 おそらく走ったことで再び布に圧迫され、尻の色が変色していたことだろう。 しかし、よく考えれば、捕まえたところで大学生も露出狂の露出という景観を害するものは見たくもなければ、私のほうも漁師が釣り上げた大魚の感覚で露出狂を見せつければ、なんらかの罪に問われそうである。 冷静になりすぐさま帰ろうと振り向くと、家の前で友人が待っていた。 大学生は友人に 「この地域、本当に変な人多いんで、気をつけてくださいね」 と、言葉を残し去っていったという。 その変人の中に自分が入っていないことを祈るばかりである。 露出狂の証明が叶わなかった今、通報などされれば警官と長く会話をすることになったのは私であったことだろう。 私は見に行けなかった蛍たちに思いを馳せた。 蛍は淡い光で、今年も命をつないでいるのだろう。 私は尻の光で、首の皮一枚でつながっている。 私の忘れられぬ夜のひとつとなった。 文・写真=やーこ 編集=宇田川佳奈枝
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思いを馳せるふるさとの夜(山根千佳)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 山根千佳(やまね・ちか) 1995年12月12日生まれ、島取県出身。「第37回ホリプロタレントスカウトキャラバン」ファイナリストとなり、デビュー。両親の影響で幼少期から相撲を見て育ち、自身も相撲好きとなる。相撲好き女性「スー女」の第一人者として、相撲関連の番組やイベントにも多数出演。また、相撲への愛と知識が詰まったコラムの連載や、音声配信なども精力的に行う。相撲を筆頭に駅伝、競馬、アイドル、怪獣などさまざまなカルチャーにも精通。5月9日に自身初となる書籍『山根千佳の大相撲の歩き方』(マイクロマガジン社)を発売。 Instagram:@ yamane_chika X:@yamane_chika 芸能のお仕事を始めて12年目。 東京での生活にもだいぶ慣れ、楽しく生活する毎日。 けれど、時折思い出すのは、やっぱりふるさとの鳥取のこと。 数えきれないくらい、たくさんの思い出が詰まっている場所。 中でも忘れられないのが、鳥取のレギュラー番組のMCをさせていただくことになり、新番組がスタートした、2年前のあの夜。 その日の夜は、共演者の方、スタッフさんたちと懇親会があった。 芸能を始めたころからの目標だった、ふるさとでのレギュラー番組が始まったこと(しかも私がMCで!)が、本当に、本当に、うれしくて、そして感慨深く、忘れられない一夜となった。 私も、まわりの人たちも、世界中の多くの人たちを苦しめたコロナ禍が、ようやく落ち着いていたこともあり、お酒も解禁! デビュー当時から二人三脚でがんばってきた、同郷のスタイリストさんとも喜びを分かち合いながら乾杯をすることができた。 しかも地元のおいしいお酒で! 飲まずにはいられない(笑)。 番組のスタッフさんも、山陰(鳥取、島根)出身の方がほとんどで、方言で話せることがとてもうれしかったー! 標準語とはまた違う、懐かしいイントネーションから、「〜けん」、「〜だがん」、「〜だへん」など語尾が変わっとったり。 上京してから、苦労して直した方言を、当たり前に使える喜びが込み上げてきて、ほわっと温かい気持ちになる。 そして、注文した山陰の海鮮はどれも本当においしい〜! 改めて日本海側に生まれて幸せだと噛みしめる。海鮮のみならず、全国的に有名な大山鶏の料理も絶品。東京でも大山鶏の料理を見かけては食べるようにしているが、ふるさとに帰ってきて、地のもの、ソウルフードを食べられることがなによりうれしい(しかも圧倒的に安い!)。 ブランド鶏なのできっと同じものなのに、食べる場所が違うだけで、一緒に食べる人が違うだけで、こんなにも味がおいしく変わるとは。 飛び交う方言とおいしいお酒とソウルフード。 これで地元トークに花が咲かないというのは無理がある。「同窓会はどこでやった?」「あのホテル会場か! 同じだ!」などなど。 私も学生時代は「あそこのイオンにいつも遊びに行ってたなぁ」などと思いを馳せてみると、プリクラはみんな同じ場所で撮ってたり、フードコートに行くと必ず同じ学校の人に出くわしたり、細かい地元あるあるが次々とあふれ出てきて……。 それから、鳥取で開催される「がいな祭」という大きなお祭りの話に。地元の人たちは必ず誰でも一度は行ったことのある、歴史ある大きな規模のお祭り。私も毎年行くのが恒例だった。 幼いころは、祖母が浴衣の着つけをしてくれて、母にかわいい髪型にしてもらい、特別な気持ちで打ち上げ花火を見に行って、はぐれないようにと父が手をつないでくれたのも鮮やかに思い出すことができる。 小学生からは、ジャズヒップホップダンスを習い始めていた私。この「がいな祭」ではかなり気合いの入った特設ステージが設けられ、たくさんのダンスチームが出演する。小学生から芸能活動を始める高校生までの数年間は、幼なじみと同じ教室に通い、ダンスに熱中していた。 いまだにダンスを発表したステージのある場所を通ると、楽しく踊っていたあのころの思い出が一気によみがえってくる。このお仕事をしていても、ダンスを習っていてよかったなぁと思うことが多い。たとえば人前で何かを発表したり、ステージに立ったりを堂々とできること。表現するということがなんとなく体験できたこと。習わせてくれた両親に感謝したい。 少し話はそれてしまいましたが、このレギュラー番組がきっかけとなり、地元でのほかのお仕事もさせていただく機会が増えてきた。 鳥取県は夜空に輝く星がとてもキレイで、「星取県」ともいわれている。その夜空とともにムービーの撮影ができたこと。これも忘れられない夜となり、とっても印象に残っている。 そうだ! 先日は高校のときの同級生と飲みに繰り出し、3軒ほど(!)ハシゴ酒した夜も強烈だった(笑)。 もう卒業して10年ほど経ちますが、出会ったころと何も変わっていない気がするんだよなぁ。時が止まった感じというのだろうか? みんなそれぞれお仕事をがんばっていたり、子育てしていたり、県外に出ていたり。今の生活環境はバラバラなはずなのに、いったん集まってしまうと、あの当時と同じ空気感に巻き戻っていく。 高校1年生でたまたま同じクラスになって、10年経ってもこうして当時のまま気軽に集まれる友人がいるって素敵なことだな。なんの気を遣うこともなく、大人になってもなんでも話せる人って貴重だなとつくづく思う。過去にすがりつくようなことはせず、自分の意見をしっかり持っていて、ポジティブな子しかいないので、本当に恵まれている。毎回集まる夜は楽しくって、時間があっという間に過ぎていく。 うれしいことに最近は、お店の中やみんなで歩いている帰り道、私に気づいて話しかけてくださる方もいらっしゃって。とーーっても温かい言葉をかけてくださる方ばかりで心がホッとする。そんなやりとりを誇らしそうにしながら見守ってくれる友人の表情にもまた心が温まる。 なんて素敵な地元なんだろう。 こうして声をかけてくださる方がいることで、またがんばろう!と思えてくる。 そして、そうこうしていると、そんなに大きな街ではないので、当時の学校の先生方にもばったり会ったりもして。 「ふるさとのみんなが応援してくれているんだ!」と帰るたびにパワーアップした気持ちで東京に戻ってこられる。 地元でのレギュラー番組が始まる前までは、年末年始やお盆のタイミングの、年に1、2回しか帰る機会がなく、こうして定期的に帰省もできて、本当にありがたい気持ちでいっぱいになる。 両親や愛犬とだらだら実家で過ごす何気ない夜も大好き。みんなで夜ご飯を食べながら、テレビで大相撲中継を観て、あーだこーだ言う時間。ごひいき力士が勝つとみんなで喜び、負けるとみんなでがっかり。私の家族はみんな相撲に詳しく、話していて本当に楽しいし、学びにもなる。 相撲を観終わるころには、夏は虫の声がよく聴こえてくる。東京では聴けない、極上のBGMだ。テレビを消して、素敵なBGMを楽しみながら、蚊取り線香をつけて、スイカを頬張るのも毎年恒例。いつも扇風機の前は愛犬の「むさしまる」が陣取っている。夏の夜に扇風機と柴犬、なんとも微笑ましい光景です。「これが"チルアウト"ということか」と、ひとりほくそ笑む。普段はひとり暮らしなので、地元で過ごす夜は最高の時間。 充実した時間を過ごし、また東京に戻る日々。 鳥取はまだ新幹線が通っていないから飛行機移動が基本なのだが、人生で初めて飛行機に乗ったのも、このお仕事を始めるきっかけとなったホリプロタレントスカウトキャラバンの合宿審査に向かうとき。何年経っても空港に着き、飛行機に乗り、窓から空を見ると「よし! 東京に行ってがんばろう!」と気合いが入る。 どんどん小さくなっていくふるさとを眺めては、最初は心細くなったときもあったけれど、今では飛行機の窓から見える夜空は、私の心を強く昂らせ、わくわくさせてくれる宝物だ。実はもともと飛行機は大の苦手なんですが(笑)、12年も経つと人は慣れるものなんだなぁ。 よし……! またがんばるか! 文・写真=山根千佳 編集=宇田川佳奈枝
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自分の好きな場所にいたかった。小さな書店で過ごす夜(石山蓮華)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 石山蓮華(いしやま・れんげ) 1992年、埼玉県出身。電線愛好家・文筆家・俳優。日本電線工業会公認・電線アンバサダー。テレビ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)や、映画、舞台に出演。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)、『電線の恋人』(平凡社)。TBSラジオで毎週月曜〜木曜14時から放送中の『こねくと』にメインパーソナリティとして出演中。 早稲田にある小さな書店の閉店時間は24時だった。 算数のできない私がレジ締めの係になると、同じシフトの人はいつまでも帰れない。 バイトの先輩である学生さんに「石山さん、そろそろできましたかー?」と言われ、「できてる気がするんですが……ちょっとエラーが出てしまって……」と、まじめにやっている感だけでも受け取ってほしく、もごもご言った。私だって帰りたかった。 20代半ばのころ、同棲相手に家賃を払ってもらっていた。レギュラーのお仕事でもらえるギャラを所属事務所と分配し、手元に入る金額をロケの拘束時間で時給換算してみると、最低賃金は豪快に割っている。行き倒れにはならないが、ひとり暮らしは見込めない私の稼ぎ。それでも外で酒を飲み、悩んで悩んで服を買い、収支の合わない暮らしをしていた。 同じ番組に出演している華のある女の子たちはテレビに出ているときもそうでないときも小綺麗な格好をして、デパートで売っている化粧品をそろえ、カフェでは1500円のプレートに700円のスムージーをためらわず頼んだ。 私は借り物の衣装を着ていないときは、古着屋で買った服をよく着ていた。テレビに出るときにしか使わない化粧下地を買うのが面倒だったので、テレビ局のメイク室でいつも同じ下地を借りていた。カフェでブレンドコーヒーを頼むのは、おかわり無料だからだった。マネージャーさんからは、苦学生のようだと言われていた。 同じ仕事をしているはずなのに、まわりの人はなぜ優雅なのか、私にも優しいのか、こんなにキレイなのか、近くで見ても不思議でうらやましく、どうしたって同化できない。 「れんちゃんは個性的だね」と言われても、私が選べるものを選んだらこうなっていた。 本が好きな人は、本も書店も書店員のこともかっこいいと思っていると、私は思っている。 この本が欲しいんですと在庫を聞くと、その本がある棚まで案内してくれる。こんなにたくさん本が並んでいるのに、どこにどの本があるかすぐわかる。きっと新刊本も名作本もちゃんと読んでいるのだろう。優雅な女の子になるのは、仕事で頼りになる先輩の実家が田園調布にあると聞いたときからあきらめていたが、私もできる範囲でかっこいい人になりたい。それに、アルバイトでいいから自分が好きな場所にいたかった。 近所の書店でバイト募集の貼り紙を見つけ、いそいそと電話をかけ、面接を受けた。夜遅いシフトに入ればちょっと時給が上がるし、日中はロケやオーディションにも行ける。店に入ってすぐ右隅に設置されたレジの前に立ち、本に挟まれた短冊形の売上スリップの整理をしたり、レジ打ちをしたり、棚の整理をしたりする書店員さんにずっと憧れていた。バイトを辞めて何年も経つ今だって、書店員さんに憧れがある。 店長もバイトの同僚もみな親切で、少しずつ仕事も覚え、自信を持って店に立てるようになった。お客さんがいないときは、文庫やハードカバーなどにかける紙製のブックカバーを折る。レジ横の黒いペン立てにはブックカバーを折るときに使うためのマーカーペンが差してあった。このマーカーを麺棒のようにスライドさせると、不器用な私もまっすぐな折り目をつけられる。そのカバーには赤いインクで象の絵が印刷されていて、店に並んだ深緑色の棚と補色になっているのがおしゃれで気に入っていた。 月に何時間かのささやかなシフトではあったが、そのバイト代によって店で本を買い、近所の喫茶店でコーヒーを飲むというささやかな貴族暮らしが楽しめた。この貴族は、鳥貴族にいる貴族である。 調子に乗って口座のお金をすべて使い、奨学金の引き落としができずに催促の電話がかかってくることもあった。今年やっと返済できたけれど、借金をせずに大学まで行ける国でやっていきたかった。 木曜の夜、いつもひとりでしゃべりながら雑誌のコーナーを眺めていく人、マンガの新刊を発売日に買っていく人、親と一緒に付録いっぱいの雑誌を持ってくる子、私が読んだことのない翻訳小説を買っていく人。街の本屋にはいろいろな人が来る。本屋が好きだし、本屋に来る人も好きだった。お客さんが買った本を見て「私もこの小説、好きですよ」と思う。口に出すのはやりすぎなので、教わったとおり接客する。 ある日、お客さんにささいなことで怒鳴られた。ほとんど同い年くらいに見えるその人は、私が謝っても「謝り方が悪い」とスマホのレンズを向け、さらに謝罪を要求した。私は頭を下げながら、顔が熱くなり、手は冷たく、足は震えた。内線で呼び出された店長と深々謝り、その人は帰っていった。 涙が出てもシフトは続く。そのままレジに立っていたら、店中のお客さんが本やボールペンなどを買って「大変だったね」と次々に声をかけてくれ、私はまた深々と頭を下げた。「私は池袋のジュンク堂で働いているのでわかります。いろんな人がいますから」と伝えてくれた人は本を買ったあとにすぐまた店に来て、「プレゼントです」と包装紙に包まれた分厚い本をくれた。聖書をもらったのは、あとにも先にもこの一度きりだ。 閉店時間の少し前に、同じシフトのバイトさんが有線放送を「蛍の光」に変える。 黒いノートパソコンの画面に、レジ締め用のエクセルが表示されている。その日の売り上げを記入する大事な作業。まさに帳尻合わせだ。 私は算数が苦手だ。年下の先輩バイトさんは人並みの計算能力があり、私より早く正答が出せる。代わりにやってくれればいいのにと思ってはいるが、口には出せない。私がレジ締め係になってしまっているので、これはやるまで帰れない。それに、この作業自体はもう何度も教えてもらっていて、覚えられない私がいけないのだという申し訳なさがある。 その日の閉店時にレジにあるお札や硬貨の枚数を数えることそのものは案外難しくはない。細長いコインサイズのくぼみに硬貨をはめ込んでいくだけで、何枚分重なっているかを教えてくれる親切な道具があるからだ。 並んだ表のコマをにらみ、数を数え、電卓で計算し、これっぽい、きっとかなりの確率でこれだという数字を入れ、エラーが出て、計算し直し、また数字を入れてみて、エラーが出なければよしとして帰る。 バックヤードで待っている先輩に「遅くなってすみません」と謝りながら、店の電気を消し、鍵を閉め、閉じかけたシャッターの隙間をくぐって外へ出る。この時間、開いている店はあまりない。お疲れ様でしたと声をかけ、坂道をのぼって家へ帰った。 文・写真=石山蓮華 編集=宇田川佳奈枝
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蕎麦屋で見つけた安らぎ、運命を感じた夜(葉山莉子)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 葉山莉子(はやま・りこ) 1993年東京生まれ、東京育ち。2022年より執筆活動を行う。ティンダー上で交わされた日記をまとめた『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』(タバブックス)を刊行。美術館によく行く。 instagram:@nikki.tin X:@n_i_kk_i_tin その夜、彼はわたしが残した海老の尻尾を取り上げた。そのとき、この人ならば安心して自分を見せられるかもしれないと思った。 運命、なんて言葉と恋を安易に結びつけてしまうのはあまりにも安っぽい。けれど、彼がわたしの目の前に現れたときに、わたしは運命という言葉を使わざるを得ないほど、何か得体の知れないものを感じた。全身の細胞が湧き立っていくような、そんな高揚を感じた。 その出会いは突然のことだった。わたしにとって彼は別世界の人で、わたしに興味を持つなんてそんなことは考えられなかった。想像するのも、馬鹿馬鹿しく思えた。だから、そんなふうに感じたのは自分だけだったに違いないと思い、即座にその気持ちを封印した。一瞬の出来事に舞い上がってしまっただけだと、自分に言い聞かせた。 けれども、彼は軽々しく、わたしの前に手を差し出した。わたしはおっかなびっくりしながら、その手を握ると、ふわふわとわたしを連れ出していった。その展開はあまりに早く、思考を挟む余地がなかった。この波に身を任せたいと思った。彼のことを警戒していたはずなのに、あのときの直感がわたしだけのものではなかったと信じてみたいと思ってしまった。彼がどう思っていたのかはわからない。けれど、彼のまなざしから向けられる好意、それが確かなものであってほしいと願っていた。 その夜は、何度目かのデートだった。出会ってから日も経たず、なにかと理由をつけてしょっちゅう会っていた。今日も昨日からずっと一緒にいるのに、解散するのが惜しくなってしまっていた。こんなにも一緒にいたら、早々に飽きられてしまうんじゃないかとわたしは不安になって、今日は帰ると彼に何度か切り出した。でも、帰らなければならない理由はなく、彼はそのたびわたしを引き留めた。結局帰らないまま夜になった。だから、夕飯を食べよ、という彼の提案に乗って、彼が運転する車の助手席に乗った。 わたしたちはお店を探すことにした。でも、場所がよくないのか、Googleマップを開くと、近くの店はもうすでにラストオーダーを終えていた。どうしようかと言いながら、お店を探す。だけど、話が脱線してけらけらと笑っているうちに、どこまでも夜が引き伸ばされていく。彼のお気に入りの音楽をかけながら、無闇に夜の道をぐるぐると回る。わかっている。本当は離れがたくて、わたしはお店なんか探したくなかったのだ。 しばらくして、彼があっと声を上げた。あそこに行こうと言って連れていってくれたのは、お蕎麦屋さんだった。モダンで天井の高いおしゃれな店内。広々とした店内に、親子連れとカップルが何組かいる。わたしたちは隅の席に通された。 恋をすると、わかりやすく食欲がなくなるわたしは、普段ならぺろりと平らげてしまうはずの天せいろを食べきれるかどうかで悩んでいた。「じゃあ天ぷら盛り頼むから好きなのだけ食べなよ、余ったの食べるから」と彼が提案して、天ぷら盛りとわたしはせいろ、彼は鴨南蛮を頼んだ。 その日一日を通して、彼の様子はいつもと少し違っていた。いつもの彼は、はつらつとした、気ままな自由人で、大好きな人や物に囲まれている生活を楽しげに話した。けれどその日はなんだか元気がなかった。「俺なんか」と口にして、背中を小さく丸めた。彼の中にある弱さや寂しさを感じた。これまで見せてくれていた元気さは仮のもので、これが本来の彼なのだろうと思った。その片鱗はずっと感じていた。それも含めて彼なのだから、わたしは彼のことをもっと知りたいと思った。 蕎麦を待っている間、彼は怖いんだと話した。その怖さは具体的な恐怖ではなく、彼の前に立ちはだかっている形のない恐怖のように思えた。それがなんなのか、彼もはっきりと理解してはいないのかもしれない。途方もない暗さに自分自身が覆われてしまうことがあるのだろう。初めて見た彼の姿に不安になった。わたしはそんな恐怖を抱える彼を理解できるだろうか、ちゃんと受け止められるだろうか。どんな表情で彼を見たらいいのかわからない。わたし自身もその覚悟が決まったわけではなかったけど、その放り出された彼の手をわたしは握りたくなった。その手の温かさに安心した。同じように安心してほしかったのだ。彼もゆっくり握り返す。そして、所在なさげにぽつりぽつりと彼はまた話し始めた。彼を見つめる。こういうときに人は愛おしいと感じるのだなと思った。 そんなふうに見つめ合っていると、蕎麦が届く。テーブルで手を握り合っているのを店員さんに見られて、恥ずかしくなり、ふたりでパッと手を離した。気まずそうにふたりで笑う。バカップルだと思ってもらえるといい。 そして、わたしも彼に初めて自分の家族の話をした。これまで誰にも言ったことはなかった。いや、あったけれど、自分の心の重荷になっている問題として、誰かに打ち明けられたことはなかった。話している間、体が緊張して、蕎麦をすすり上げる手の震えが止まらない。口の中で蕎麦がぼろぼろとほぐれ、うまく飲み込むことができない。どのように話していいかわからず、口が回らなくて、言葉が途切れ途切れになる。 その灰色の麺と深い赤茶のつゆに視線を往復させながら、わたしはボソボソと話していた。ふと見上げると、自分の話をしているとき、虚ろだった彼の目が温かい視線に変わっていた。彼がそのときなんて言ってくれたのか、わたしは覚えていない。だけど、そのまなざしで、自分を受け止めてもらえた気がした。 そのとき、彼が皿の端にあった、わたしが食べ残した海老の尻尾を取り上げて、バリバリと音を立てながら食べた。大げさに口を動かして、ニコニコと子供がおどけるみたいに笑う彼は、いつものはつらつとした彼だった。 実はわたしも普段は海老の尻尾まで食べている。だけど、あまり上品ではないから彼の前ではそれを控えていたのだ。だけど、この人の前ならそんなこと気にしなくてもいいのかもしれない。彼になら、本当の自分を見せてもいいのかもしれない。そう思えた。 わたしが「おいしい?」と尋ねると、彼はうれしそうにうなずく。お互いが抱えていた緊張が解けていく。この人のこと、信じてみようとわたしはこの夜に決意したのだった。そんなわたしの決意をよそに、彼はまだ海老の尻尾を咀嚼する。 次に彼と天ぷらそばを食べるときには、わたしは堂々と海老の尻尾を食べよう。2本あったならば、1本ずつ分け合おう。バリバリと音を立てながらふたりで尻尾まで食べよう。そう、心に誓った。 けれど、わたしと彼が天ぷらそばを食べることはもうないのかもしれない。わたしが感じた運命とやらはどうやらまやかしだったようだ。なのに、うっかり海老の天ぷらを頼んでしまうたびに思い出してしまう。だから、わたしはそのたびにバリバリと海老の尻尾を飲み込む。喉に刺さった生々しい傷が癒えていくように、思い出へと着地させるため、わたしはそれを飲み込み続ける。 文=葉山莉子 写真=Cho Ongo 編集=宇田川佳奈枝
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世界の中心が変わった、子猫が来た日の初めての夜(若菜みさ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 若菜みさ(わかな・みさ) 2001年3月8日、長野県産まれ。2016年、SMAオーディション「アニストテレス」ファイナリスト。2021年よりフリーで画家として活動を開始、2023年5月に初の個展を開催。現在は総合24万人のフォロワーを抱え、自身のコラムや動画発信など幅広く活動を行っている。 Instagram:neko_ne_ko1/ misa_art38 X:@Neko_ne_ko1 人間は自分のことを人間と信じてやまず、まさか自分が宇宙人だとは疑いもしないのだろう。 動物から見たら、この世で最も摩訶不思議なのは人間という生物の存在であり、その姿はまさしく宇宙人そのものであると私自身は感じる。 今から書くのは3年前の5月、子猫を迎えた夜のことだ。 その日は、家の近くにあるビリビリに破壊されたカラーコーンも、営業しているところを一度も見たことがない歯医者も、なにもかもが私に拍手と歓声を送ってきているようであった。 家族を迎えるということが、これほどまでに光を帯びることだとは想像もつかなかった。 家に到着したのは20:00ごろだった。 ほんのり肌寒く心地のいい、夏の序章の最中にいた。 いつもよりもドアを静かに開け、できるだけよけいな音を立てないように靴を脱いだ。 リビングに着くなり、子猫を入れたバッグをなるべく傾かないように肩から降ろし、そっと床に置いた。 「大丈夫だよ」と声をかけながら、ファスナーのつまみを静かに、丁寧に、ゆっくりと横にスライドさせた。 だんだん奇妙な緊張感が走り始めた。 人を上げることは一切ない部屋に、子猫が解き放たれる日が訪れるとは。 あまり近くにいないほうがいいかもしれないと思い、子猫が出てくるまで少し離れた距離から見守ることにした。 それでもしばらく出てくる様子がなく、相当おびえているのだと察した。それはそうだろう、私だったら急に巨大生物の家に到着したら死を覚悟する。 のちに「スンスン、スンスン」と音が聞こえ始めた。 子猫は大きな目で周囲を確認しながら、バッグから体を出し、ゆっくりとおぼつかない足取りでフローリングの上を歩き始めた。 「よちよち」という効果音がこれほどまでにマッチする光景を見たことがあっただろうか。 肉球の色は柔らかなピンクで、全身を覆う毛は幻のように白かった。 子猫のまんまるな眼は、いかにその魂が純粋であるかを私に魅せつけてくるようだった。 部屋に落ちていた私の服が気に入ったのか、ピンクの鼻先をぴくりぴくりとさせながら何度も匂いを嗅ぐ、かと思ったら突然奥歯でギシギシと噛み始めた。 なんてかわいくて、意味不明なのだろう。 困惑と興味のせめぎ合いの中で、何から手をつけるべきかわからない様子にも見えた。 嗅いでは、飽きたかのように次の物を嗅ぎ、また飽きた様子で別の物を探す。 このときは、まさかそれが猫のスタンダードであるとは想像もできなかったのである。 2時間も経つと、子猫はだいぶなれなれしくなった。まるで最初からここに住んでいたかのような態度で、私が招かれた側なのだと錯覚をするほどであった。 腹を仰向けにして寝転がったり、イヤホンを破壊したり、思い出したかのようにトイレをし始めた。 本来ならイヤホンが壊れることは嫌だが、そんなことがどうでもよくなるほどに猫のすべての行動がおもしろく、怖いほどに魅力的だった。 尻尾がふにょん、ふにょん、と動いたり、時々耳がぴくっと横に傾く。すべての動作には同じ地球に産まれたとは思えない違和感があった。 そもそもなぜこんなに小さいのか、なぜこんなにかわいいのか、その尻尾は自分でかわいいとわかっているのだろうか。 愛おしいという気持ちは、時間をかけずとも案外すぐに湧くものなのだろうか。 そういえばこの子はまだ生後2カ月だ。 地球の姿も知らないのだろうし、世界のことも何も知らないはずだ。 この場所は私にとっては家、しかしこの子にとっては世界のすべてになるだろう。 5畳の部屋は世界にしては狭く、薄暗く、なんだかものすごく寂しい。ベッドと、キッチンと、トイレ以外に何もない。牢屋に少し課金したような部屋だ。 この子が、もっと広い部屋で走り回ったり、ゴロゴロしたりする姿を単純に見てみたいと思った。喜んでくれるかわからないが、生き生きとした姿を見られれば誰よりも私が満足するだろう。 その日の夜、ベッドでアニメを観ていた。 すると子猫が私の膝の上に乗っかってきて、すぐに小さな寝息が聞こえてきた。 私の膝の上で安心してくれているのだろうか。なんだか愛おしさとうれしさと視覚的なかわいさとで、壊れそうなくらいに気持ちが高まった。 脚に変な感覚が走った。 同じ体制で座っていたせいで、脚と腰に絶妙な痛みと不快感を感じ始めた。 じわじわ、と何かが骨を蝕んでいくような、鈍い不快感だった。次の瞬間ズキーン!と強い痺れが身体中を巡った。 私が動けば子猫が起きてしまう。 今日は一日疲れただろう、ようやく眠れたのに私の都合で起こすことはできなかった。痺れた足腰から意識を逸らして、そのままじっと耐え続けた。 ふと、おかしな気持ちになった。 自分の足腰のことよりも、この子にいい夢を見てほしいと思う気持ちが優先しているではないか。あんなに自己中心的だった私が、自分ではない何かを想って、しっかりと遠慮しているのだ。 そのとき、私は私が自覚している以上に大切な何かを得たのではないかと感じた。 それがたまらなくうれしくもあり、偉大な力のようで怖くもあった。 カーテンをめくって窓を見ると、外はもうすっかり深い夜の色になっていた。 いつもならば、ひとりで考え事ばかりしてしまう窮屈な夜を過ごして、朝が来そうになると焦り始める、むごいルーティンがあったはずだ。 その晩、小さな部屋の中で夢を見た。 それは幻想や無自覚に見る夢などではなく、子猫とのこれからの生活や、未来を自分の胸で描いた、本当の夢だ。 おやすみ、と明日も明後日も、1年後もこの子に伝えることができて、一緒に朝を迎える未来が今日この瞬間から始まったのだ。 ダイヤモンドのような夜だった。 あれから3年が経った今、もう1匹家族が増えて、ずいぶんと愉快になった。 朝は猫たちが暴れる音が目覚まし時計だ。 そしてこれを書いている現在、猫が「なぜ、撫でない?」とわかりやすく苛立った目でプレッシャーを与えてきている。 猫、君たちにとって私たち人間はどんな存在なのだろう。宇宙人か、大きな猫か、親か。 魂の大きさや、脳の仕組みが違っても、幸せを共有し、感情を伝え合うことはじゅうぶんに可能だと猫が教えてくれた。 きっと我々は人間同士であっても、本質的には宇宙人同士なのだろう。 私にとって君たち猫は、宇宙生物である。 猫が宇宙生物なら、私たち人間も宇宙生物であるはずだ。 文・写真=若菜みさ 編集=宇田川佳奈枝
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一歩近づいたあの日の目標、不器用な優しさに涙した夜(青戸しの)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 青戸しの(あおと・しの) 神奈川県出身・ライター兼モデル。2018年夏から被写体としての活動を始め、自身やカメラマンのSNSに写真がアップされると、そのつかめない表情や雰囲気、かわいさからすぐに話題となり人気が急騰。最大で月間100件以上の撮影依頼の問い合わせがある人気モデルとなり、ポートレートモデルの先駆け的存在として雑誌で特集が組まれるなど業界から注目を浴びた。go!go!vanillas「パラノーマルワンダーワールド」のMVにてヒロイン役を務めるなど演技の活動もする一方で、『小説現代』(講談社)にてミステリー小説の書評連載を務めるほか『ar web』(主婦と生活社)では乙女の憂鬱をテーマに恋愛コラムの連載も担当、映画の感想コメントを提供するなど、ライターとしても活躍の幅を広げている。 Instagram:aotoshino_02 TikTok:aotoshino_02 X:@aotoshino_02 記憶に残り続ける言葉や、夜は案外短く、とてもシンプルだったと思う。 シュークリームを3つ抱えてバス停から走る。 息切れしながら玄関を開けると「ただいま」と言うよりも先に「おかえりー!」と大きな声が聞こえた。 その日は久々の帰省だった。 リビングのドアを開けると、炊き立てのご飯の匂いがしてぐーっとお腹が鳴る。 「今日は米何合食べて帰るんか」 出会い頭、父に意地悪を言われた。 久々に会った娘への第一声がそれか!と思いつつ父なりの愛情表現でもあるので、「5合」と冗談で返すと「大丈夫! 2回お米炊くから!」とキッチンから母の真剣な声が聞こえた。 振り返ると手の込んだおかずが机いっぱいに並べられていて、とても冗談だとは言えなくなった。 私の実家では「もう勘弁してください……」と言うまで追加の料理が出てくる。 もしかしてあの冷蔵庫は異空間にでもつながっているのだろうか……? 満腹になってソファに横たわる私を横目に、父は「お風呂」と言ってリビングをあとにした。 昔から20時になるとお風呂に入って、そのまま寝るのが日課なのだ。 『金曜ロードショー』で観たい映画が放送される日はどうしているのだろうか。 そもそも好きな映画とかあるのだろうか。 私は食事中にひととおり近況報告を済ませていたが、父は相づちを打つのみであまり自分の話をしない。 「お父さん相変わらず淡白だね」 「そう? だいぶ変わったと思うけど……」 特段変わった様子は見当たらなかった、白髪が少し増えたくらいだ。 「え〜、たとえばどこが?」 お母さんはお土産のシュークリームをかじりつきながら昔から変わらない、優しい笑顔で言った。 「お風呂から上がる前に、お父さんの部屋のぞいておいでよ」 言われるがまま、私は数年ぶりにそっと父の部屋に忍び込んだ。 相変わらずきれいで、ホコリひとつない。 ホテルのように整えられたベッド、無駄なものがないシンプルなデスク。 お父さんも私と同じO型だよな……?と改めて血液型占いの信憑性を疑っていると、デスク横の棚に並べられた時計と靴が目に入った。 どちらも私がプレゼントしたものだった。 よく見るとビジネス書が並べられていたはずの本棚には、私が連載している雑誌が隙間なくきっちりと並べられている。 母の言っている意味が、久しぶりに入ったこの部屋にぎゅっと詰まっていた。 この歳になってまで父に泣かされるのが悔しくて、あふれそうになる涙をグッとこらえる。 正直、自信がなかったのだ。 今も昔も、自慢の娘でいる自信がなかった。 大人になってから、忙しさを理由に何カ月も会わない日々が続いたり、誕生日に連絡するのを忘れたりすることもある。 実家に顔を出すのもたいていが落ち込んでいるときで、せっかく作ってくれたご飯をひと口も食べられない日もあった。 父はそんな私を、責めたことは一度もなかったけど、口に出して慰めることもしなかった。 その距離感が居心地よくもあり、ずっと不安でもあったのだ。 言ってくれればよかったのに、「いつでも見てるよ」と、もっと早く教えてくれればよかったのに。 肝心なところが変わっていない、昔から優しさが不器用さに隠れてしまう人だった。 「お父さんね、大事なお仕事がある日は必ずしのがプレゼントした時計をつけて出勤するんだよ」リビングに戻ると、内緒ねと母が教えてくれた。 「雑誌は発売日に買ってくるし、しのが帰ってくる日は、張り切って買い物に連れて行ってくれるんだから」 わかってはいたけど、うちの冷蔵庫は異空間につながっているわけではなかった。 さっきまで「まだ食べるのか」と文句を言っていた父がなんだかかわいく思えてくる。 「いらんこと言わんでいい」 お風呂から上がった父が珍しくリビングに戻ってきた。 母はしまった!という顔をしてキッチンへ逃げていく。 どうしたらいいのかわからず「そろそろ帰ろうかな……」とその場から逃げ出そうとする私に、父は「送ってやろうか?」と言った。 「え?いいの?」 「車出してくるから待ってろ」 母からたくさんのお土産を受け取り、父の車に乗り込んだ。 車内はYOASOBIの「夜に駆ける」が流れている。 「お父さんYOASOBIとか聴くんだ」 「若い子は聴くらしいな」 返事になっていない。 私が知っていそうな曲をかけてくれたのだろうと、都合のいい解釈をした。 「時計、新しいのプレゼントしようか?」 飾られていた時計は数年前にプレゼントしたもので、今ならもう少しいい物を買ってあげられる。 父はしばらく黙ったあとに 「いい、あれが気に入ってる」 とまっすぐ前を向きながら答えた。 「そっか」 話したいことがたくさんあるのに夜景はぐんぐん進んでいく。 少しでも車をゆっくり走らせてほしかった。 まだ実家に住んでいたころ、父は今よりずっと怖く見えていた。 仕事であまり家にいなかったし、口数も少ない。 当時の私は休日に父とふたりで過ごしても、何を話していいのかわからず、窮屈に感じていた。 「またすぐに帰ってくるね」 今の私にできる精いっぱいの甘え方だった。 口下手なのは父に似たらしい。 「いつでも帰ってこい」 たったひと言、ぶっきらぼうで淡白な返事だったけど、明日からも踏ん張って生きていくにはじゅうぶんすぎる言葉だった。 きっとこれから挫折することもあるだろう。 泣きながら過ごす夜もあるだろう。 それでも、この先どんなに苦しいことがあっても大丈夫だと、そう思えた。 運転中の父の横顔は昔よりずっと穏やかで、若くはない。 数年後にはあの殺風景な部屋を私でいっぱいにしてみせる。 新しくできた目標を胸に、眠りについたあの夜を私はきっと忘れない。 先日、実家に帰省すると花と一緒に『週刊プレイボーイ』が玄関に飾られていた。 ご丁寧に私が掲載されているページが開かれている。 「玄関に飾るのはやめてよ……」 母に頼み込むと「俺の部屋にもあるぞ」 と父が部屋から2冊目を持ってきた。 ギャグのような光景に思わず吹き出す。 今日もまた、あの日の目標に一歩近づいた。 文・写真=青戸しの 編集=宇田川佳奈枝
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たどり着いた真夜中の終着駅。人生で最もスリルを感じた夜(鳥飼 茜)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 鳥飼 茜(とりかい・あかね) 漫画家。1981年生まれ、大阪府出身。2004年に『別冊少女フレンドDXジュリエット』(講談社)でデビュー。代表作に『おんなのいえ』(『BE・LOVE』/講談社)『先生の白い嘘』(『月刊モーニング・ツー』/講談社)『地獄のガールフレンド』(『FEEL YOUNG』/祥伝社)、『サターンリターン』(『週刊ビッグコミックスピリッツ』/小学館)など。 指を折り数えると身震いしてしまうのだが、あれはもう20年近く前なのだった。そのころ私はアルバイト兼自称漫画家で、雑誌に載った読み切りの原稿料を投じて、ニューヨークの街に乗り込んだ。ただ旅行に行っただけだが、興奮していたし、この上ない緊張感と不安でいっぱいだった。 海外では音楽を聴くくらいしか能力を発揮しないガラケーと、地球の歩き方と銘打たれた地図つきのガイドブックを携え、初めての海外ひとり旅だった。 踏み切れたのは、バイト先で偶然出会ったひと組のカップルと、古本屋で知り合ったアメリカ人学生がどちらもニューヨーク在住で、ニューヨーク未経験の私に遊びに来なよ!と誘ってくれたからで、若く厚かましい私はその親切になんのうしろめたさもなく乗っかったのであった。 英会話が得意なわけでもないし、20代前半の臨時収入なんて知れている。ホテル代は彼らの親切で無償だったので、予算は飛行機代と、毎日の食事代だけでギリギリだったはずだ。 そんな丸腰でよくぞ無事に帰ってこられたと今となっては感心する限りだが、人生で最もスリルのある夜を経験したのもこのときだ。 同じニューヨークといえど、彼らの自宅はマンハッタンとブルックリンという2カ所に跨っていた。そこを行き来するのに、移動は専ら地下鉄である。 当時のニューヨークは、大きく変化を迎えたばかりで、若く無知な外国人の自分にも地下鉄が利用できるくらいには治安がよくなったらしかった。それでもブルックリンにはまだまだ危険の多い場所があり、地下鉄で往来するということ自体相当なスリルがあった。 その日は友達がブルックリンでのパーティーに誘ってくれて、夜中過ぎに解散となり、私は宿泊させてもらっているマンハッタンのカップルの家までひとりで帰ることになった。 ニューヨークではひと晩中、電車が走っている。昼間の移動には少し慣れてきていたが、初めての路線で深夜にひとりということもあって、緊張もひとしおだった。身も引き締まるところだが、普通の人と違って、私は「緊張するほど慎重さを欠く」というたいへん難儀な性質なのである。 何度も念押されたはずの乗り換えをスコンと忘れ去り、終点へ向かう深夜過ぎの地下鉄車内はどんどん人気が少なくなっていた。何かがおかしい気がするが、自分が間違っている確証が持てない。電車内に表示されている路線図は簡素化されすぎていて、自分がどこに運ばれる予定なのかがわからない。よけいな動きをして無駄に失敗を重ねるくらいなら、とにかく確実に結果がわかるまでこのまま電車に乗っていようと思った。 深夜1時を過ぎたニューヨークの地下鉄の乗客は次々と帰路につき、怪しいと感じた時点で車両には私だけだったと思う。駅が進むにつれどんどんノイズが薄れ静かになっていく。少なくとも聞き覚えのある地名が出てきてくれれば少しは安心するかもしれないのに、などと根拠のないことを思い始めたとき、電車はとうとう終着駅に到着した。アナウンスを聞いて、かるく戦慄した。「ワールドトレードセンター」。世界を震撼させた前代未聞のテロ事件からまだ数年、何度もニュースで耳にしたあの場所に、深夜2時前、私はたったひとりで降り立った。 あらかじめ知ってのとおり、ここは世界屈指のビジネス街である。東京のそれと同じように、真夜中を過ぎたビジネス街に用事のある人はほとんどいない。際立って静かなのは単にそれだけが理由のはずだが、地理的にも終着点であること、そしてさらに、この場に惨禍に見舞われた無数の魂が眠っていることを思うと、静寂と闇が膨張し、地下鉄構内をかろうじて照らす電気を今にも飲み込みそうな気配を感じた。ここは、都会の夜の端っこだ。 私は完全なパニックから、まずホームに降り立った人の中に女性ふたり連れを見つけ、藁にもすがるように声をかけた。話しかけてどうなるわけでもないが、誰かに優しくしてもらわないと不安で仕方がなかったのだ。果たして、どうなるわけでもなかった。彼女たちも旅行者で、私が戻りたい場所への行き方を知らなかった。彼女たちにとってはここが目的地なので、当然のように地上へと掃き出されていった。 私もいっそ地上に出て、タクシーでとにかく帰るという選択肢も考えたが、タクシーが体よく捕まらなかったときのことを考えると、地上よりも地下鉄構内にいたほうがましなのではないかとまごついた。 私は完全なひとりだった。 ニューヨークではひと晩中電車が走っていると書いたが、時刻表などはない。従って、次の電車はだいたい何分置きに来るとかいう予想もできない。夜中になると本数が減ること、ホームで待つときはカメラのある場所にいること、という友人からの教えが思い出された。ここで屈強な、何か悪いことを企んでいる人間と鉢合わせたら私は死ぬ、冗談抜きでそう思った。 人がいるところを必死で探し、改札口に駅員を探すが乗客どころか駅員さえいない。こんなの終夜営業といえるのか?と怒りすら覚えた。ようやくホームの端で黙々と線路の改修工事をしている移民系の男性を見つけ、事情を片言ながら説明すると、ここで待っていればいつかは電車が来ると言われた。いつかはわからないけど、と。 人がいるということに、こんなに救われたことはない。電車が来るまで、オレンジの光に照らされた一角の、彼の工事作業をただ呆然と見つめていた。外国の、自分とは本来関係のない場所に立って、見知らぬ人の作業を眺めながら私はいつ来るか知れない真夜中の電車を待っていた。 簡単に考えればわかることだが、どこかで乗り換えを忘れて終点にたどり着いたのなら、降りずに折り返し、正解の地点で乗り換えれば済むだけのことなのだった。おそらくほんの十数分後のことであろう、折り返しの電車はやってきた。今度は無事降車した乗換駅で、心配をかけているであろう宿主に手持ちのコインで公衆電話をかけ、ただ今帰路についている旨を説明した。説明しながら、なんと無駄な冒険だったことかと笑いが込み上げてきた。電話口の宿主も笑っていた。 よけいな不安を不注意から創作して盛り上がっただけの一夜だった。 慌て、窮し、考え、自ら何かを解決したようで、実はどうということもなくゼロ地点にいただけのような話だ。 くだらなくも、自分にとっては相当に映画的な夜の顛末であった。 GoogleマップとSNSとタクシーアプリがあればこんな経験はきっとしないで済むであろう。 忘れられない夜になったが、二度と再現できない夜はすべて忘れられない夜である。 戻ってこないもの、場所、人、それらが偶然ひとところに集まった夜を我々は日々更新中なのだが、忘れられない夜となるのはそれらが過ぎ去り、手のうちからこぼれてしまったあとなのだ。 文・撮影=鳥飼 茜 編集=宇田川佳奈枝
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“好き”を貫く大切さに気づいた、神様と出会えた忘れられない夜(阪田マリン)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 阪田マリン(さかた・まりん) 2000年12月22日生まれ。昭和カルチャーが大好きで“ネオ昭和”と自ら命名し、ファッションやカルチャーを発信する人気インフルエンサー。数々のメディアや企業からの出演オファーが殺到中。SNSでの総フォロワー数は約23万人。同じくZ世代で昭和歌謡に精通するシンガーの吉田カレンとタッグを組み、世に放つ懐かしくも新しいネオ昭和歌謡プロジェクト「ザ・ブラックキャンディーズ」を結成。昭和98年4月29日にシングル「雨のゴールデン街」でデビュー。 私の忘れられない夜はなんだろう。 思い浮かべるとあの日の出来事がすぐさま頭に浮かび上がった。 2022年8月14日に参戦した山下達郎(※敬称略)のコンサートだ。そのコンサートの話をする前に、この話をしたい。 私は70s、80sの音楽や文化や服装が大好きだ。私が中学2年生のときに祖母の家にあったレコードプレーヤーで、チェッカーズの「Song for U.S.A.」という曲を初めて聴いた。そのとき、レコードの仕組みや音質に影響を受けたことがきっかけで、当時流行っているものが見えなくなるぐらい“昭和のもの”に夢中になっていった。けれど中2の私はみんなと違うものが好きだということは“恥ずかしいこと”だと思っていた。仲間外れにされたらどうしよう……と。友達とカラオケに行ったとき昭和の歌を歌いたいはずなのに、歌えなかった。本当はとってもとっても歌いたかったのにね。 中学校の廊下には音楽ボックスというものが置いてあった──給食の時間に流してほしい音楽をリクエストできるというボックスだ。匿名でリクエストができるので私は紙に“山下達郎「クリスマス・イブ」”と書いて提出した。 それは真冬のことだった。給食の時間に「クリスマス・イブ」が流れた。私はうれしすぎて心の中でコッソリと喜んだ。みんなはこの歌にどんな反応をしてるだろう……知ってる人はいるかな? この曲を好きな人はいるかな?とまわりを見たが、みんな無反応で「誰の曲?」という感じだった。やっぱそうなるよなぁと。時代が時代だもんね。中学生の私は自分の好きなことを隠し、カラオケでも妥協をして流行りの歌をみんなに合わせて歌っていた。そんな私が高校生になるときに山下達郎の名言に出会う。 “新人バンドなどがよく説得される言葉が「今だけ、ちょっと妥協しろよ」「売れたら好きなことができるから」でも、それはウソです。自分の信じることを貫いてしなかったら、そこから先も絶対にやりたいことはできない” 私はこの名言を見てハッとした。 自分を貫くってどれだけ大事なことなんだろう。 それに気づいた私は高校からは好きなものを好きと言い、自分を隠さずに生活した。だけど、友達は全然私のことを忌避しなかった。むしろ「その趣味いいね!」と言ってくれたのだ。それから中学校生活と比べものにならないくらい高校生活は楽しいものとなった。最近は私の好きな昭和が仕事にもつながってきている。自分を貫き信じることの大切さを教えてくれた山下達郎。まさに私にとっての神様なのだ。 さて、コンサートの話に戻る。念願のチケット当選を喜び、友人とふたりで行く予定だったのだが友人がカゼをひいてしまい、私ひとりで参戦することになった。ひとりでコンサートに行くのは初めてだし、なんといっても山下達郎を生で観られるのはこの日が初めてだ。心臓がドキドキと飛び出そうで、手汗がびっしょりしていた。 少し早めに会場に到着し、グッズを購入した。もちろんカゼで行けなかった友人にもね。泣きながら悲しんでいたから(笑)。席に座ると私はこんなことを考えた。 「山下達郎は私の中で神様だ……本当に存在するのかな。この目で拝めるのかな。夢じゃないかしら」と。 まるでその場にいる自分が信じられなくなるぐらい、ふわふわとした気持ちになった。 山下達郎はどんなときでも私の心の支えだった。 失敗した日、成功した日、寂しい夜、うれしい夜、そんなとき、いつも山下達郎を聴いていた。 あぁ会場が暗くなった。 もうすぐ始まるのだ。息を呑む。 ジャカジャカジャンとギターの音が聞こえた。すぐにわかった。この曲は私の大好きな「SPARKLE」だ。そして山下達郎が登場した。 どうしよう、目の前が涙で滲んでぼんやりしている。登場してわずか5秒も経たないうちに、私は号泣してしまった。目をつむると大好きだった山下達郎の声や音楽を独り占めしているような気分になった。この曲はお父さんが教えてくれた曲で、小学校のころ毎年夏になると白浜の海水浴によく連れて行ってもらって、帰りの車の中で「SPARKLE」がよく流れていたのを覚えている。車の窓を全開にすると夕日とともにムワッとした風が入ってきて「曲が聴こえなくなるから窓を閉めて」とお父さんに怒られたのを思い出した。 山下達郎の音楽を聴くと、当時のいい思い出がアルバムを開いたときのように次々とよみがえってくる。私は中でも「Paper Doll」という歌がとても大好きで、(コンサートで)この曲を歌ってほしいな、とずっと願っていた。ツアーなので調べるとセトリも事前に見られるのだが楽しみが減るような気がして、あえて絶対調べないようにしていた。コンサートの中盤に差しかかったころ、なんと「Paper Doll」が流れ始めた。私はなんてラッキーなんだ。初めての山下達郎のコンサートで、私の一番大好きな曲が聴けるなんて。 いつまでも 一緒だと 囁いている 君はただ 手のひらに 僕を乗せ 転がしている だけなのさ Paper Doll 僕等の恋は まるでおもちゃさ 遊び疲れる時を きっと 君は待ってるんだ 僕は好きな女性に遊ばれている。と悟っているような、弱気な男性を描いた歌詞。こんなリリックどうやったら思いつくんだろう。改めて山下達郎の才能を身に感じながら大切に大切にこの1曲を聴いた。観客席のひとりがペンライトを振っていた。それに気づいた山下達郎は「僕のコンサートでペンライトを振ってる人いるんだね(笑)珍しいなぁ。ありがとう」と言った。わぁ……うらやましい。私もペンライトやうちわとか持ってこればよかったと後悔をした(笑)。一瞬で時間は過ぎ、コンサートは終わった。私の隣に座っていた3人組の女性たちはおしゃべりをしながら「あの曲がよかった」とか「ここは感動したね」とか楽しそうに語り合ってる。ひとりで来ている私はコッソリとその話を聞きながら「うんうん、たしかにそこ感動したわ」ニヤリと、心の中で共感したりしていた。ひとりでのコンサートは寂しいと思っていたが、集中して楽しむことができたし、会場みんなが一体となる感覚なので、ひとりもありだなぁと気づいた。 会場を出たのは21時ごろ。真夏なのにその日は少し涼しく、星が見えていた。さっきまで私たちの目の前にいた山下達郎。会場を出て外の空気を吸うと、やはり夢だったような気がしてちょっぴり虚無感に襲われた。やはりひとりでコンサートは寂しいかもと思った。楽しい時間は一瞬で過ぎるな。本当だったら今この帰り道、イヤホンをつけて山下達郎の歌を聴きながら余韻とともに電車に乗るのだが、私は我慢をした。 家に帰ってからリスペクトと愛を込めて、山下達郎のレコードに針を落とすのだ。そんな小さなこだわりや、少しの手間が音楽をよりいっそう輝かせる。コンサートの余韻に浸りながらあの夜、家で聴いた「SPARKLE」最高だったな。 忘れられない夜だ。 文・写真=阪田マリン 編集=宇田川佳奈枝
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そこは美しい絶望の地だった──甘く、脆い夢を見た夜(伊東楓)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 伊東 楓(いとう・かえで) 1993年10月18日生まれ、富山県出身。大学卒業後〜2021年までTBSにてアナウンサーとして活躍。フリーに転身後、2021年3月に初の絵詩集『唯一の月』を出版、atmos千駄ヶ谷店にて個展『変化の兆し』を開催。現在はドイツに拠点を移し、アーティストとして活動中。 夜は美しく、優しい。 世の中の雑音も、涙が出るほどの愛おしさも、孤独も寂しさも、何もかもを私から奪い去ってしまう。 始まりだったのか、それとも終わりだったのか。 あの夜、私たちがたどり着いたのは 夢のように悲しく 夢のように輝きに満ちて 夢のように美しい絶望の地だったのか。 その答えは、まだ誰も知らない。 ドイツに移住してから、あっという間に1年半が過ぎて、振り返る暇もなく走っているうちに、多くのものを置いてきたように思う。それを実感したのは、1カ月前の帰国のときだ。 久しぶりの日本だった。飽きるほど見たはずの東京の夜は、まるで別人のように思えた。こんなにも騒がしく、煌々として、どこか他人事で寂しかっただろうか。太陽とともに寝て起きる、自然の流れに抗わぬまま生きるヨーロッパの生活が、思った以上に自分の肌になじんでいるらしい。 東京の部屋に着いてホッとひと息つき、ベランダに出た。そこには変わらない美しい東京が広がっていた。白く光るレインボーブリッジが遠くに見える。 いつ見てもこの景色は変わらない。何ひとつ変わっていない。そう思ったら、なぜだか急に、言葉にできない切なさが胸に押し寄せた。代わり映えしない景色が、たった一夜の出来事を甦らせた。レインボーブリッジを見つめ、ふたりでたくさんの夢を語り合ったあの夜を。そして私は、もう二度と取り戻せない何かを思い出していた。 ちょうど1年前。 今思うと、あのころの私は、旅立ちの前の静けさに嫌気が差して、新しい刺激を探していたように思う。 そんなある日。その人は「つまらない」とつぶやく私を、夜のドライブに誘ってくれた。 車窓から流れる眩い都会の光をただ見つめて、交わす言葉も少なく、聴き慣れた音楽とともに、私たちはあてもなく夜の街をさまよった。最終的にたどり着いたのは、東京湾の浜辺だった。実にベタな展開。でも、私にとってはどれも初めてのイベントだったから、ワクワクする気持ちと少しの照れ臭さで、なんだか落ち着かなかったのを覚えている。 まさかこの人とこんな場所に来るなんて想像もしていなかった。 強い風に体を打たせて、ふらふらと砂浜を歩いた。ふたりの間には優しい沈黙が流れる。頬に触れる風は冷たいのに、私の熱は冷めないように思えた。 私たちはアスファルトの段差に並んで腰かけた。目の前には、吸い込まれそうになるような漆黒の海が広がっている。聞こえるのは柔らかいさざなみの音と、どこかではしゃぐ若者の楽しそうな声。遠くに浮かぶレインボーブリッジの光が海面に反射して、ゆらゆらと揺れていた。とてもキレイだと思った。 ぽつり、ぽつりと、口からこぼれ始めたのは、未熟で道半ばで、鋭く光る自分だった。 叶えたい夢がある。そのために日本を出て、世界に拠点を変えた。先は見えない。頼れるのは自分の直感と、果てしない情熱だけだ。時に、堪え難い孤独が私を襲う。それでも、私はその先を渇望している。 あの人は、ただただ黙ってそれを聞いていた。そして、あの人のうつろう瞳の中に強い何かが見えた。 私の心に渦巻く、羨望と憧れ。 “早くあなたに追いつきたい、世界で何かをつかみたい” あの人の横顔を見つめながら、そっと心に火を灯す。そして、たどり着く場所が同じであればいいと、心から願った。私たちは、甘く、脆い夢を見た。 「ずっとこのまま、変わらず、そばにいて」 そのひと言が出かかって、飲み込んだ。熟していない果実を飲み込むような感覚だった。 変わらないものはない。私たちは常に変化の中で生きている。その事実を、私が誰よりも知っていた。だから、私にはたったひと言が言えなかった。悲しみとともに訪れたのは、透き通るような甘さと、穢れのないひと粒の希望だった。 あれから1年が過ぎた。 あの日のふたりは、もうどこにもいない。 そして、ふわふわと夢の中で理想を語る自分も、もうどこにもいない。 あのころ欲しかったものは、確実に少しずつ手に入って、永遠に暗闇の中で見えないと思っていた光が見えるようになった。同時に、私はいろんなものを手放してきたのだろう。夢のための代償は、最初から覚悟していた。それでも、こんなにも現状が変化していくなんて。過ぎ去った日々を思い返して、私は、まだ出ぬ答えを思い巡らせていた。 遠くの空が、次第に淡くなっていく。気づけば、静かで煌びやかな東京の夜が、もうすぐ明けようとしていた。 ああ、そうか。変わったのはほかでもない、私だ。 あの日のふたりに、偽りはひとつもなかった。あれもすべて真実だったと思う。しかし、私自身が先へ進むことを選んだのも、また真実なのだ。 あの日、あの瞬間、もしも違う選択をしていたら、私にも平凡な幸せが手に入ったのかもしれない。道が逸れてしまった今はもう、その答えは永遠にわからない。だけど、それでいいのだ。代わりに、私たちは別の景色を手に入れたのだから。 日が昇る前に、私は再び走り出す。 どんなにあのころが素晴らしくても、今以上に大切なものはない。うしろ髪を引かれるような思いも、孤独も、悲しみも、すべてをこの夜に置いていこう。未来への希望に胸を踊らせて、今は真っすぐに走り続けよう。 これから私が向かうのは、最も険しく、美しい最果ての地なのだから。 文・写真=伊東 楓 編集=宇田川佳奈枝
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夢に見る初夏の香り、鮎が教えてくれた夜(大野いと)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 大野いと(おおの・いと) 1995年7月2日生まれ、福岡県出身。映画の撮影を見学しているところをスカウトされ、芸能界入り。2009年『週刊文春』のグラビア「原色美女図鑑」でデビューし、『週刊少年マガジン』の巻頭グラビアにも登場。2010年からは専属モデルとなった『Seventeen』をはじめ、さまざまなファッション雑誌で活躍。2011年、映画『高校デビュー』でヒロインに抜擢されスクリーンデビューを果たす。その後、舞台、CM、連続ドラマなど活動の幅を広げている。近年の主な作品は、ドラマ『インビジブル』『リコカツ』(TBS)、『真夜中にハロー!』(テレビ東京)、映画『高津川』、舞台『ウィングレス(wingless)翼を持たぬ天使』など。福岡県中間市のPR大使を務めている。現在、配信サービスLeminoにてオリジナルドラマ『放課後ていぼう日誌』が配信中。 私は鮎が好き。 魚の中で一番くらいに好き。 初夏が近づくと鮎が食べたくてソワソワしてきて夢に見ることもあるくらい。 そして先日、今年初めての鮎をこれまた鮎好きの友達に誘われて食べに行った。 鮎をひとりで5匹。食べすぎと思うかもしれないけど私としてはこれでもまだ遠慮している。2匹はそのままで3匹は蓼酢(たでず)につけて。それではまず塩焼きをそのままでいただく。カシュッと揚げるように焼かれた頭、わずかにこげて香ばしい皮目、ホクホクとして鮎独特の旨みをまとった身、パリッと焼けた腹びれ、そして鮎を鮎たらしめているほろ苦いお腹のワタ……それらの味が合わさって口いっぱいに広がり、そのあとに若草のような香りが鼻に抜けていく。はい、もうべらぼうにおいしいです、参りました。こうして今年も私は鮎の軍門に下るのである。 でも、これでまだ終わらないのが鮎のすごいところ。次は蓼酢につけて食べるのだ。そのまま食べても鮎は一番おいしい魚といえるかもしれない。ただ、蓼酢と合わさると鮎は一番おいしい魚から一番おいしい料理へと昇華される。あのピリっとして青くさい苦味のある蓼酢に鮎をつけて食べると、鮎の持つすべての味がより濃く華やかに鮮明に広がっていく。この組み合わせを考えた昔の人は本当に天才だと思う。 私は5匹、もちろん友達も5匹をペロっとたいらげたところにお店の人が来てこう言って褒めてくれた。 「まあ、5匹も食べられたんですか、本当に鮎がお好きなんですね。鮎は急流に負けず川を昇っていくので、鮎をたくさん食べる方は出世すると昔からいわれてるんですよ」 ふむ。遠慮して5匹、本当はもうあと3匹は食べられた私はどんな困難があっても乗りきっていけるってことだ、やったー! こうして、今年初めての私の至福の時間はあっという間に過ぎていったのだった。 と、ここまで鮎がどれだけおいしくて私がどれだけ鮎が好きかを書いてきましたが、“鮎が教えてくれた夜”はこの夜のことではないのです。 話は私がまだ20代前半だったころに遡ります。 その年の夏の終わり、私は新しい映画の撮影で島根県の高津川が流れる小さな町に来ていた。高津川は日本ではもう少なくなったダムのない清流で町は豊かな自然にあふれていた。 当時の私はまだ自分の演技に自信を持てず、このまま進んでいっていいのか漠然と将来への不安を感じていた。 私の役は、その町に住む私と同じくらいの歳の素直で優しい「七海」という名の女性だった。 最初は自分と似ているところもある役なのでなんとかやれそうと思っていたのだけど、うまくできない。七海ならこのときどんな表情をするのかなとか、考えれば考えるほど表面的な演技になってしまい、そんな不甲斐ない自分にひとりで泣いてしまうことも幾度となくあった。それでもなんとか諸先輩方にアドバイスをいただきながら必死でついていこうとしていた。 そんなある日、晩ごはんに高津川で捕れた天然の鮎が出てきた。私はそれまでにもスーパーで買ってきた養殖の鮎を食べたことはあったけれど、川魚のくさみが嫌で正直あまりおいしいと思ったこともなく、できるかぎり避けてきた魚だった。でもその日は肉体的にも精神的にも本当に疲れていて何も考えられずに出された鮎をただ口に入れた。「えっ、何これ? えっ、鮎?」そこに広がったのは、私が今まで食べてきたものの中で一番おいしいと思えるぐらいの鮮烈な味と香りだった。 その日の夜、布団の中で目を閉じると悩んでいたあるシーンが浮かんできた。 それは七海が祖母に「七海は鮎が食べたくて帰ってきたんじゃろ〜」と言われるシーン。昨日までうまくつかめなかった七海と祖母の気持ちが今ならわかる。あんなにおいしい鮎があるならそんな楽しい会話が自然と出てくる。 「そっか! 今まで私は七海を理解しようとして必死に七海を見てきたけど、それだけじゃダメなんだ。七海が見たり感じたりしてる世界を私も見たり感じたりしなきゃいけないんだ」 次の日の朝、私は高津川に行った。自然が豊かな本当にキレイな川で、ふと透き通った水の中を見ると数匹の鮎が泳いでいくのが見えた。子供のときに遊んだ山の風景とそのときのワクワクした楽しさが、そのときの感情を伴って心と記憶に広がった。 お昼には撮影場所に地元の皆さんがおにぎりを作って持ってきてくれた。そのおにぎりがおいしくておいしくて。別の日の夜には近くの神社にその地方に古くから伝わる神楽を観に行った。その荘厳さに心を奪われ、その美しい舞いをただただ見つめていた。帰りに地元のおじさんが「はい、これあげる」と言って焼きたての焼き芋をくれた。甘くておいしい、ありがとう! 私はいつしか「七海」になっていた。 高津川で食べた鮎の夜と、その日から始まる忘れられない体験は私を女優としても人間としてもちょっぴり成長させてくれた。 そして27才になった今もあの日々の大切な思い出は少しも色褪せずそっと私を支えてくれている。 追記 なんとその映画のお仕事でまた高津川に行けることになりました! いろんなことを私に教えてくれた高津川やお世話になった地元の方々にまた会えると思うとうれしくて涙がでてきます。 そして夏は鮎の一番おいしい季節! 日本一おいしい高津川の鮎をお腹いっぱい食べまくるぞ! 文・撮影=大野いと 編集=宇田川佳奈枝
Daily logirl
撮り下ろし写真を、月曜〜金曜日に1枚ずつ公開
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森 ふた葉(Daily logirl #226)森 ふた葉(もり・ふたば) 2002年12月24日生まれ。兵庫県出身Instagram:futabamori X:@Futaba_Mori TikTok:fuudrum 写真集『ふた葉』発売中 12月13日(土)発売記念イベントサイン会&バースデーイベント開催決定劇団 SUPER TAICHIMON プロデュース『どりーむぼっくす』Up & Coming Stage Vol.1 Presented byソニー・ミュージックアーティスツ2026年1月12日(月・祝)出演 撮影=青山裕企 ヘアメイク=高良まどか 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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相羽星良(Daily logirl #225)相羽星良(あいば・せいら) 2006年8月19日生まれ。東京都出身Instagram:seira_aiba_official TikTok:seira_aiba_official 撮影=佐々木康太 ヘアメイク=Saya 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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古澤メイ(Daily logirl #224)古澤メイ(ふるさわ・めい) 2000年5月2日生まれ。東京都出身Instagram:mei.furusawa X:@furusawa_mei 撮影=時永大吾 ヘアメイク=Saya 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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観た人もきっと“トリツカレる”──映画『トリツカレ男』原作:いしいしんじ×監督:髙橋渉【特別対談】何かを好きになると、とりつかれたように夢中になる「トリツカレ男」のジュゼッペが、風船売りの女の子・ペチカに恋をする小説『トリツカレ男』が、ラブストーリー・ミュージカルとしてアニメーション映画に。作る者も見る者も“トリツカレる”という本作について、監督の髙橋渉と、原作者のいしいしんじに語ってもらった。 作っている人たちもみんな「トリツカレ男女」 ──まず髙橋監督は原作と出会ったとき、どのような印象を持たれたのでしょうか。 髙橋 お話をいただいて原作を読んでみたのですが、最初は「自分には難しいかもな」と思ったところもありました。すごくピュアで美しいお話で、直前まで『クレヨンしんちゃん』のおバカな映画を作っていた自分にできるのかなと。 でも、原作を読み込んでいくうちに、キャラクターのユーモラスさやお話が持つ温かさがすごく染みてきて。こうした面を打ち出していけるのなら、僕にもできるかもしれないなと思ってお受けしたんです。 ──いしいさんは、映画化についてどのように思われましたか。 いしい これまでも実写化のお話があったり、お芝居にしてもらったりしたこともあったんです。ただ、今回はアニメ化というお話で、ずいぶん前に書いた小説だったものですから(初版は2001年)、いまだに映像化を考えてくれる人がいて、ちゃんと小説を読んでもらえたことが素直にうれしかったです。 ──アニメ映画化するにあたって、どういったところからアプローチされたのでしょうか。 髙橋 キャラクターが一番要になるなと思ったので、キャラクターのデザインを決めるところからスタートしました。キャラクターは荒川眞嗣さんという超ベテランアニメーターの方に描いていただいて。 いしい いわゆるアニメーション的なイメージのキャラクターとも全然違ったので、それはうれしかったですね。おもしろかったのが、キャラクターデザインが発表されたときに、「『クレヨンしんちゃん』のタッチに似てるね」という声を聞いたことで。 髙橋 シンエイ動画にしてみればわりとおなじみの絵柄なので、自分ではあまり違和感がなかったんですけど、世に出したときはいろんな反響がありましたね。荒川さんとは、「今回はクラシックなアニメーションに対してのリスペクトを出していこうよ」と話していました。荒川さんはそういう絵が昔からお得意だったので、今回は本領発揮といった感じです。でも、ポージングや立ち方の重心はすごくリアルなんですよ。だから、すごく生っぽく見えると思います。 いしい それに動きが激しい。キャラクターの動きが激しいからこそ、動いている最中の体のバランスや飛んだときのポーズなどは、すごく理にかなうように描かれてるんだろうなって思いながら見ていました。 髙橋 リアルすぎるタイミングだと軽やかさみたいなものがなくなるので、昔のアニメならではの動きの気持ちよさみたいなものを意識していったところはありますね。 ──いしいさんは、アフレコ現場にも見学に行かれたそうですね。 いしい まずその前段階として、主人公のジュゼッペが住んでいる部屋などの美術設定を家に送ってくださったんです。テーブルに積み上がっているものや、壁にかかっているものから、ジュゼッペがどんなことをしてきたかがわかる。そういった背景まで含めて制作されているのを感じました。 それを見て、作品を丁寧に扱ってくださっている、その姿勢に心を打たれてしまって。「この人たちこそ、『トリツカレ男女』なんじゃないの?」って思いましたね。本当にいい人たちにアニメ化してもらえたなと、うれしくなりました。 ──アフレコ現場はいかがでしたか。 いしい スタジオに行ったら、ジュゼッペ役の佐野晶哉さんがひとりでふらっと入ってきて。それで声を入れてみますとなったら、踊るんですよ。奇をてらっているわけでも、わざと声を振り絞るでもなく、声の流れと体の動きがまったく一緒になっている。この人、天才なんだろうなって思いましたね。 ジュゼッペっていう主人公は、いろんなことにとりつかれては極めていく、ある種の天才なんですよ。その天才を演じるには天才じゃないとダメだと、監督も思ったんじゃないですかね。ホントすごいことしはるんやなって、びっくりしました。 髙橋 ジュゼッペのキャスティングは悩みましたね。なんにでも夢中になれて、純粋で、きれいな心を持っている、そんなジュゼッペみたいな人にやってもらわないとダメだと思っていたので。 そうしたら、スタッフから佐野さんの名前が挙がったので、テレビを見てみるとバラエティでコントのようなことをやっていた。それで、お笑いができる人ならジュゼッペもできるだろうという確信みたいなものが湧いて、オファーさせていただいたんです。フラれたら立ち直れない、企画もどうなるかわからない、みたいな告白に近い気持ちだったので、受けていただけたときは本当にうれしかったです。 ──実際に声を当てる様子を見て、間違っていなかったという手応えはありましたか? 髙橋 それはありましたね。アフレコ中は、佐野さんというよりジュゼッペに話しかけているような気持ちでやらせてもらえて、幸せでした。それはペチカ役の上白石萌歌さんも同じです。実際にお会いしてみると、目の奥がマグマのようにたぎっていると感じて、「この人はペチカだ」と思いました。 いしい 上白石さんは、まるでチェロに手が生えて、自分でペグをチューニングしながら音の出方を確かめるように声を出していたのが印象的でしたね。そのくらい、自分の声で何かを伝えるということを真剣にやられている人なんだなと。振り返った瞬間の「え?」というひと言まで、全部自分で納得した上でやってはる。まさにペチカという感じでした。 森のように自然でまっすぐな作品になった ──スタッフの方々こそ「トリツカレ男女」だったのではないかというお話もありましたが、実際のところどのように制作に取り組まれていたのでしょうか。 髙橋 最近なかなか作られない少し古いスタイルの作品だったので、やってみたいっていう方がすごく多かったんですね。だからこそ、作画もキャラクターデザインも色彩も美術も撮影も、その方々なりの哲学みたいなものがあって、僕が「ちょっと違うんじゃないかな……」と思うところがあっても、「いや、これでいいんだ!」みたいな(笑)。でも、そう言ってもらえるのはうれしいので、スタッフがぶつけてくるものを受け取っていったような気がします。 ──作品の中でクラシカルなスタイルが感じられるのは、どういった部分ですか? 髙橋 会話のテンポでも、最近は詰めて詰めてテンポをよくしたものが多いんですけど、今回はどっしりとカメラを置いて、じっくり芝居を見せるようなものになっています。スピード感は失われるものの、キャラクターのゆるやかな空気を見せるのには有効で。たとえば、ペチカの瞳の曇りみたいなものがキーになるお話だったので、その変化を絵でつけようかとも思ったところを、あえて芝居の雰囲気で伝わるようにしたり。 いしい ストーリーの上でも、ペチカの表情が濁っているといったことは一切書いていないんですよ。瞳の曇りは、トリツカレ男のジュゼッペにしか見えない。観客にも、シエロにも見えないんです。ジュゼッペだから気づく。たぶんペチカもわからない。 髙橋 じゃあ見せなくて正解だった……! ──完成した作品を、いしいさんはどのようにご覧になられたのでしょうか。 いしい 大勢の方々がそれぞれの得意技をフルに使って、小さな種を大きな森にしてもらったと思いました。変な幹や、見たことのない葉っぱがあるんだけど、みなさんにしか作れない大きな森を見せてもらったなと、自分が書いたことも忘れて見上げているような気分でしたね。 全体が森だと感じたのは、意図して作り上げた何かではなくて、まるで昔からあったみたいに自然だっていうことじゃないかなって。きっと40年前の人が見ても、40年後の人が見ても、今と同じように楽しめるんじゃないかと思うんですよね。 髙橋 やろうと思えばすべてコントロールできてしまうのですが、そういう作り方ではなかったんです。いろんなアイデアや、ベテランの技、若手の暴走的な情熱などがぐちゃぐちゃにくっついてしまえばいいなと思っていました。なので、いしいさんに森のようだと言ってもらえたのはうれしいですね。そういうものを作りたかったんだと思います。 ──いしいさんの中で印象的だったシーンはありますか? いしい 覚えているのは、最初にジュゼッペがオペラにとりつかれて歌い出すところ。歌が始まる瞬間が、絵柄も佐野さんの声もちょうどいいタイミングで、「ああ、本当に始まるんだな」って。特別な時間を自分も一緒に体験していくんだと思えたので、始まりの場面はすごく覚えていますね。 ──ミュージカルの要素は、この作品のカギのひとつだと思います。リアルな会話や重力感から、アニメらしい演出へと飛躍できるのもミュージカルシーンがあってこそかなと。 髙橋 ミュージカルにはあまりなじみがなかったのですが、やっぱり歌のシーンは気持ちがいいですよね。楽しさや悲しさ、愛する心を歌にできるのは、ミュージカル映画の強みだなと。今回も感情を歌う場面がたくさんありますけど、見てくださる方々にもすごく一体感が生まれるんじゃないかと思います。 ──ほかにも風景や雪の描き方など、おもしろい演出がたくさんありました。監督として気に入っている演出などはありますか? 髙橋 荒川さんにはイメージボードといいますか、場面ごとのイメージみたいなものもたくさん描いていただきました。荒川さんはすごく絵の力を信じている方で、たとえば、公園の中の紅葉では「色の強さを出すんだ」と、木々を一本一本書くんじゃなくて、色の印象だけをたたきつけるように描いている。雪や水しぶき、煙の表現などもすごくこだわっていただきました。そういった要素が作品の統一された印象を生み、全体を下支えしてくれていると思います。 いしい 街でいうと、俯瞰する風景などは小説には出てこないんです。僕はどういう街なのかそこまで考えていなかったんですけど、古さといい新しさといい規模といい、ちょうどいい感じに創作されていて。あと、車のデザインもすごくよかったです。自分が書いていないところをうまいことかたちにしてくださっているのが、すごくおもしろかったし、楽しかった。 ──それこそまさに、「ここはこうだ」というスタッフそれぞれの答えというか、こだわりがあった部分なのではないでしょうか。 髙橋 ありましたね(笑)。「こんな三角屋根があるわけないじゃないか」みたいなところもあるんですけど、見た目のシルエットがよければよろしいみたいな。それだけに、何が正しくて、何が間違っているのかわからなくなってきたところもありましたが……。 いしい とりつかれてる限り、正解なんです。とりつかれてない状態でやっちゃうと、間違うんですよ。 散歩気分で作品の中に入り、とりつかれてほしい ──髙橋監督は、作品と向き合う中で、原作に対する解釈や印象などが変わっていった部分はあるのでしょうか。 髙橋 作品に取り組みながら、現実とのギャップに悩むことはありましたね。世の中では大変なことが起こっているわけですが、『トリツカレ男』の世界のほうが僕にとっては現実で、社会のほうがフィクションというか、ウソのようにしか感じられなかったんです。おもちゃみたいな武器で人が殺されるような現実を信じたくなかった。でも、自分にできることがあるとしたら、こういう美しい作品をひとつでも作ることなんじゃないかと思うようになって。きれいな話を、きれいなままかたちにしたいという気持ちがありました。 ──いしいさんは、この作品が今読まれる、映画として見られることについてどう考えていますか。 いしい 僕は世の中とまったく切り離されてるんですよ。でも、世の中との対比でいうなら、兄に言われた「お前の書くものは、ホラは吹くけどウソはつかへんもんな」という言葉がうれしくて、心に残っていて。人をおもしろがらせて幸せにするホラはいいけど、ウソはつくもんかと思っていました。 ウソがないというのは大事で、この映画が森だと言ったのも、ウソがない「本当」だということですよね。真っ正直な自然の森で、みなさんが信念を持って作られているのが伝わってくる。だから、僕は「美しいな」と思ったんです。このお仕事自体が本当に美しいことだったんだと、感銘を受けました。ここまで押しつけがましくない作品はそうそうないと思う。 ──強いメッセージ性などがあるわけでもないけれど、ただ心に残るというか。 いしい 何もないですもんね。ただ、ごまかさない、ウソをつかない、一生懸命やる、妥協しない。本当に基本的なことじゃないですか。世の中的には「いや、そうは言っても……」みたいなことがあると思うんですよ。でも、その気配すらないというか。 髙橋 映画を作っているとよく作品のテーマを聞かれるんですけど、いつも困るんですよね。何かに注意して見てほしいわけではないというか、ただその中にいてほしい、作品の中に入っていただければそれだけでいい、みたいな気持ちなんです。今回は特にきれいな映画になっておりますので、そこに散歩気分で足を踏み入れてもらえればいいなと思います。 いしい とりつかれてる人間にテーマなんかわかんないですよね(笑)。そんなこと考えてないですよ。でも、見た人はそれぞれ何かを感じる。それが正解だと思うんです。たぶん、作っている人たちが一番わかんないと思いますよ、とりつかれてるから。見る人もとりつかれてくれたらいいですね。 取材・文=後藤亮平 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 髙橋 渉 たかはし・わたる アニメ演出家、監督、脚本家。日本映画学校卒業後、シンエイ動画に入社。テレビアニメ『クレヨンしんちゃん』『あたしンち』などの演出、劇場アニメ『劇場版3D あたしンち 情熱のちょ〜超能力♪ 母大暴走!』『クレヨンしんちゃん ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』などの監督を務める。 いしいしんじ 小説家。京都大学文学部仏文学科卒。2000年、初の長篇小説『ぶらんこ乗り』刊行。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞。『トリツカレ男』は2001年に刊行、2006年に文庫版が刊行。 『トリツカレ男』 11月7日(金)全国公開 (C)2001 いしいしんじ/新潮社(C)2025映画「トリツカレ男」製作委員会 いしいしんじ『トリツカレ男』(新潮文庫刊)
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そこにあるのは「撮りたい/撮られたい」という欲望だけ──480Pの大作写真集『少女礼讃〜portrait〜』刊行に添えて──青山裕企(写真家)×大槻香奈(美術作家)×岡藤真依(漫画家)鼎談『少女礼讃』──写真家の青山裕企が、名前も素性もわからない“謎の少女”を撮り溜め、発表してきた膨大な作品群の総称だ。2018年から2025年現在に至るまで、私家版を含めて100冊以上の写真集、3,000を超えるWEB記事による投稿と、その圧倒的な質と量は他に類を見ない。このたび、5年ぶりとなる商業出版を記念して、同書籍の帯にも文を寄せている美術作家の大槻香奈、漫画家の岡藤真依と、青山裕企本人の3名で、この作品の魅力に迫る。 青山裕企(あおやま・ゆうき) 愛知県出身。写真家。2007年、キヤノン写真新世紀優秀賞受賞。『ソラリーマン』『スクールガール・コンプレックス』『少女礼讃』など、“日本社会における記号的な存在”をモチーフにしたポートレート作品を制作。 大槻香奈(おおつき・かな) 京都府出身。美術作家。嵯峨美術大学客員教授。主に少女モチーフの絵画作品を中心に、日本的感受性や空虚さを「うつわ」的に捉え、現代日本の情景や精神性を表現している。作品集に『その赤色は少女の瞳』『ゆめの傷口』など。 岡藤真依(おかふじ・まい) 兵庫県出身。漫画家、イラストレーター。2013年「シブカル杯。」グランプリ受賞。思春期の少年少女の未完成な性をモチーフとした作風で注目を集める。著作に『どうにかなりそう』『少女のスカートはよくゆれる』『彼女は裸で踊ってる』など。 「人を信じる」「お互いに信じ合う」ことを教えてくれる作品 ──大槻さんと岡藤さんは、ずっと『少女礼讃』を見続けてきたと思うのですが、今回、集大成となる写真集をご覧になって、どのような思いを抱きましたか? 大槻 私は、すごく多くの人に勇気を与える作品だと思いました。現代の、特に若い人たちは、信仰とか、人を信じることを過度に恐れている感じがして。信じても裏切られるんじゃないかとか、そもそも信じ方がわからないとか、「頂き女子」みたいな例もあるし。相手のことを好きかもしれないと思っていても、ちょっと一歩引いて距離を取ったり、あまり踏み込んだ会話もしないイメージがあります。 『少女礼讃』は、撮る側、撮られる側がお互いにちゃんと自立していて、信じ合った結果としてでき上がっていると思っていて。単に写真作品というだけでなく、もっと広い意味でもすごく力強いメッセージを発していると捉えています。 岡藤 「勇気を与える」という部分、私もすごく同意です。青山さんの欲望がとてもまっすぐに表現されていると思うのですが、それをちゃんと受けて、応えてくれる被写体ですよね。いろんな表情で、いろんな格好で、清楚な感じだったり、時には小悪魔的だったり。カテゴライズできないぐらい、あらゆるキャラクターを演じているようにも見えます。 あと、身体の傷とかそういうところも隠さずに出しているのも印象的です。これを世に残るものとして出せるっていうのは、被写体の強さと覚悟と、あとは青山さんとの関係性みたいなものにも思いを馳せつつ、制作に対するまっすぐさをすごく感じましたね。 『少女礼讃〜portrait〜』帯には大槻と岡藤からの寄稿 青山 もちろん大前提として、本人との信頼関係のもとに、作品として発表しています。「まっすぐ」と言っていただきましたけど、まさに、まっすぐ撮る、まっすぐ出すっていうだけなんですよね。でも、それだけをやる難しさも自覚しています。 たとえばタレントの写真集の場合は、時間的な制約があるなかで撮っていかなければならないのですが、この作品ではもちろんそこはゼロです。時間も気にしないし、あらかじめ決めない。本当に長い時間をかけて、撮ってきたので。 大槻 撮影するときは、被写体のほうから、いろいろ動いてくれるんですか? 青山 それが、まったくないんですよ。「振り返ってください」くらいは言いますけど、細かい表情を指示したりっていうのは、していなくて。普通はたくさん撮られることでだんだん慣れてくるものなんですけど、それもないんですよね。それでも、ものすごい「被写体力」を持っている。 初めて撮影したとき、時間は短かったんですけど、すごいものを感じたので、すぐに次回のアポイントを取ろうとしたら、先に彼女のほうから連絡をもらって。「もっと撮られたい」ということを、ちょっと熱い文面で受け取って、そこから始まったんですよね。 大槻 すごい! なんか、すごくいい話。 青山 僕の作品は、サラリーマンを跳ばせて(ソラリーマン)、制服の女の子の顔を隠して(スクールガール・コンプレックス)、そのあとに、これ(少女礼讃)なので。真正面に向き合ったポートレートは、実は初めてなんです。仕事としてグラビアを多く撮っていますが、自分で発表する作品としては、これが最初。今回は、『少女礼讃〜portrait〜』という名前なので、本当にポートレートとしての決定版だと思っています。 でも実は、みんな誰でもこれくらい撮ってるんじゃないかとも思っているんです。別にそれは、男女とか恋人に限らず、たとえば自分に子供がいれば、写真はたくさん撮ってるでしょうし。大切な人とか、撮りたい人って、めちゃくちゃたくさん撮ってるよねっていうことを、作品としてやっているという面もあります。 岡藤 彼女との関係性というか、とにかくこの子が撮りたいんだ、撮りたいんだっていう。ただそれだけなんだなっていう。この写真集の素敵さってそういうことを教えてくれるところにある気がしていて。本当はみんな、こういうことができるはずなんだよって。 大槻 お互いにコミュニケーションの精度がすごく高いというか、成熟していて、すごいことですよね、本当に。 岡藤 表情ひとつ取っても、だんだんキレイに、大人になっていく。おぼこい感じの少女から、大人の女性に。 大槻 変化していく被写体ということも含めて、私は、何かひとつの奇跡を目撃している感覚にもなるんですよ。 未来の「コミュニケーションの教本」に ──今後、時代の移り変わりなどもあって、このような作品は現れないかもしれないと感じています。『少女礼讃〜portrait〜』は、未来に何を残すと思いますか? 青山 結局、ひとりの写真家ができることって、別に世界を変えることじゃなくて、目の前にいる人をちょっと変えるぐらいのことで。私としては、ただただこの写真たちを、誇りを持って作品として伝え続けていきたいです。 岡藤 この作品を見ていると、いつも私の中で何かが揺さぶられるといいますか。この子は本当はどんな子なんだろう、とか。青山さんとどうやって話しながら撮ったんだろう、とか。写っているものの向こう側にあるストーリーが、平面で印刷されたものなのに、すごくにじみ出ている。こういうものって、これからどんどんなくなっていくんじゃないかな。少なくとも、紙という媒体では。 こんなに密接で、生々しさが見える関係性って、今後、見ることが少なくなっていくと思います。目の前にいる人の手触りさえ、実感できない時代になっていく。そういう意味でも、すごく価値のある作品だと改めて感じますね。 大槻 今の子供たちって、おそらく我々の世代よりもコミュニケーションの取り方に悩んで大人になっていくと思うんですけど、そのさらに子供たちとなると、ますますそうで。そんな世代にとっては、もしかしたらこの写真集が「コミュニケーションの教本」みたいになる可能性もあるんじゃないかと思っています。 自分もこんなふうに大切な人を撮りたい、大切な人に撮られたいと思うことって、コミュニケーションの入口だともいえますよね。「お互いに踏み込む」ことに勇気を与えてくれるような、そんな作品として残っていってほしいと思います。 文・編集=中野 潤 『少女礼讃〜portrait〜』 著者:青山裕企 仕様:A4/480ページ 定価:5,500円(税込) 発売:2025年10月3日 発行:玄光社
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ネガティブなことも全部エンタメで消化したい──イラストレーター・タレントとしての鹿目凛が描く“第二章”鹿目 凛(かなめ・りん) 1996年9月21日生まれ、埼玉県出身。2014年にアイドルとしてデビュー。いくつかのグループを経て、2018年1月より2025年1月のエンディングまで「でんぱ組.inc」に所属。イラストレーター・漫画家の「ぺろりん先生」の活動でも名を馳せ、マルチな活躍を見せるクリエイターとしての顔も持つ。 2025年1月にエンディングを迎えたでんぱ組.incの元メンバー、愛称“ぺろりん”こと鹿目凛。所属していた事務所を6月に離れ、フリーランスとして活動をスタートさせた彼女が立ち向かう新しい挑戦について話を聞いた。アイドル時代を第一章とするなら、イラストレーター・タレントとして歩むこれからが第二章だという彼女にとって、今後描きたい未来はどのように彩られていくのか? 目次フリーランスとしてイチから勉強──“飼い犬が森に放たれた”揉まれて揉まれて、レベルアップして──自分のことを好きになれた、アイドル時代ブログ、マンガ連載 etc──“続ける力”の先にある、叶えたい夢 フリーランスとしてイチから勉強──“飼い犬が森に放たれた” ──5月31日に事務所を退所されて、6月からフリーランスになられましたが、新しい一歩を踏み出された心境はいかがですか? 鹿目 ちょっとサバイバル的な感じで(笑)。今までアイドルとして、でんぱ組.incとして、事務所に守ってもらっていたというのがすごく大きいなと思っていて。でも、これからはそういうものも一切なく、自己責任になっていくから。飼い犬が森に放たれたみたいな(笑)。 ──自由になった反面、不安が大きくなりますよね。 鹿目 はい。自分から動かないと本当にもう息絶えてしまうというのがあって。 ──今日も現場にひとりで入られていました。これまではそういったことは少なかったですよね? 鹿目 そうですね。今までと違うことがいっぱいです! ──これまでと違うことがひとつ入ることで、また違う脳を使いますよね。これまでの自分とは違う一面が出てくるというか。フリーランスになってどんな気持ちが一番大きいですか? 鹿目 ワクワクな気持ちが大きいです。 ──全部自分で決めなきゃいけない責任感もあるけど、それを含めても? 鹿目 そうですね。フリーだと全部自分の責任で、全部自分で決めて。あと、先方とのやりとりなども直接になったので日々勉強です。今まではマネージャーさんにやりとりをしてもらっていたので、そういった社会経験はすごく少なかったと実感しています。それも含めて楽しんでいます。 ──アイドルをやられていたという部分で、ほかの人とは違う経験を積んでいるから、それは鹿目さんにとっての大きな武器だと思います。でも、謙虚な気持ちでイチから進められているんだなと思いました。少しは慣れましたか? 鹿目 ちょっとは(笑)。メールの書き方とか、「お世話になっております」という世の中で当たり前のように使われている用語にもだんだんと慣れてきました。 ──ネットで調べながらですよね。 鹿目 最初はわからなすぎて「これをビジネス用語にして」とChatGPTに添削してもらったり(笑)。AIから学んで、「なるほど、こういうときはこういう書き方なんだ」って。 ──ちゃんとひとつずつ確認しながら進められているところを見ると、まじめな性格なんですね。 鹿目 良くも悪くもまじめだと思います(笑)。ようやく社会人1年目のような気持ちです。 ──フリーになって、一番大変なことってなんですか? 鹿目 ありがたいことに、いろんなお仕事をいただいていて。もちろん気持ち的には全部やりたいんですけど、「なんでもやるぞ!」というスタンスも持ちながら、ブランディングだったり、方向性だったり、スケジュールだったり……そういう全部のバランスを見て決めなきゃいけない部分は少し大変なところかもしれないです。なので、なんでもかんでもがむしゃらにやる、ではなく自分なりに一つひとつ向き合いながらしっかり考えることを大事にしようと日々思っています。 ──これは正しいのか、と思いながら? 鹿目 そうですね。もともと良くも悪くもまわりがしっかり見えるタイプではないので。考えず突っ走ろうとする前に、ひと呼吸置かないといけないなと。 ──アイドル時代とは違うジャンルの方とも関わりますし、いろんな意味で人を見る目を養っていかなきゃですもんね。 鹿目 はい。相手は自分の何に魅力を感じてくれて、何を求めてくれているのだろう?とか、そういうのもちょっとずつ見られるようになっていけるといいなと思っています。 ──YouTubeチャンネル『ぺろりんチューブ』でおっしゃっていた、仕事で必要な資料をコンビニで印刷することなど、地道な作業も楽しめていると。 鹿目 昔はコンビニでコピーもできなくて。そういう事務作業も機械も苦手だったんですけど、なんとか自分でできるようになると「レベルアップした!」と、どんどんゲームをクリアした感じがして。苦手なこともゲーム感覚で楽しめるようになりました。 揉まれて揉まれて、レベルアップして──自分のことを好きになれた、アイドル時代 ──もしかしたらフリーは向いているのかもですね。ここでいったん、これまでのアイドル活動を振り返れたらと思います。アイドル活動を10年間されて、改めてどうでしたか? 鹿目 “ザ・青春”でした。世間でいわれる青春は、学生時代のことが多いじゃないですか。私は高校3年生のときにアイドルを始めてから、今が28歳で。青春時代を延長してたっぷり味わえたような気持ちです。 ──やってよかったなと思う瞬間は、振り返るとどんなことがありますか? 鹿目 たくさんありますが、一番は自分をちゃんと好きになれたことですね。もともとはすごくネガティブで、自分のことを大切にしているくせに自分のことは好きじゃないという、こじらせ系だったので。それでもどうにかして自分を変えたい、自分のことを肯定したいと思い悩んでいたときに、でんぱ組.incの存在を知って、自分を変えるきっかけとなるアイドルの世界に飛び込むことができました。そのおかげでこの10年間があって、いろんな人と出会って好きになれる自分を見つけられたことはすごく幸せなことだと思います。 ──人生楽しくなってきますよね。 鹿目 すごく楽しくなってきました。 ──きっかけとなった言葉や、誰かに言われて心に残っていることはありますか? 鹿目 言葉もたくさんありますが、ファンの方の行動や考え方からよい影響をもらうことも多いです。みんな自分の機嫌を取るのがすごく上手で。たとえば、どうしても行きたかったイベントの抽選に外れて参加できなかったとき、普通だったら落ち込むはずなのに、抽選漏れしたファン同士で別のイベントを開催しようよって集まって。最終的に「むしろこっちのほうが楽しいかもね」と(笑)。自分で自分の機嫌を取って、自分が楽しめる生き方を見つけるのが本当に上手なんです。 ──そういう人を間近で見ていると、悩んでいることがちょっと軽くなるというか。きっとファンの方は鹿目さんの言葉を聞いたらうれしいはずです。今回、事務所に所属するというかたちではなく、フリーランスになる決断をされましたが、かなり迷いもあったのかなと思います。 鹿目 でんぱ組.incがエンディングに向かっていくにつれて、次に私は何をしたいのか、たくさん考えてたくさん悩むようになりました。事務所のみなさんにも相談をしていろいろ考えていただいたり、移籍候補先を挙げていただいたり。ただそのときは”本業をこれにするならココかな?”というふわっとした感じで、当たり前のようにどこかに所属するというアイデアしかなくて。 そんななか、スタッフさんに「このままも移籍もいいけど、フリーランスという道もアリなんじゃない?」と言われて。考えてもみなかったことなので、最初は全然イメージが湧かなかったんですけど、あるとき直感的に、フリーになるということと、漠然としていたやりたいことの数々が自然と混ざり合う瞬間があって。まさに何かが降りてきたような感じでした(笑)。 ──結果、いい選択肢だったのかなと。これまでも自身の直感に従ってよかったと思うことはありましたか? 鹿目 アイドルを始めたてのときは、今よりずっと視野が狭くて知恵もなくて、感覚だけを頼って動いていたんです(笑)。そんな自分が気づいたらでんぱ組.incに入っていて。そういった意味では直感に従ってよかったと思います。ただそういう動きのせいで、まわりに迷惑をかけてしまうことも多くて。自分の”普通”が”普通”じゃないというか。そしてそこに気づくようになると、だんだんと動物的なトゲが丸くなっていって、逆に考えすぎて萎縮してしまった時期も長かったです。 でも、そうなると今度は自分自身の個性というか長所も消えてしまったような感覚があって。時間はかかりましたが、まわりの助けもあって、ようやく常識との境目も少しずつわかるようになってきた感じで。そこから直感力も少しずつ戻ってきましたね(笑)。 ──レベルアップした上で、本来の自分を取り戻したんですね。 鹿目 いろいろありましたが、揉まれて揉まれて、脱出しました(笑)。学ぶところは素直に学んで、自分のよいところはしっかり認めて、人のよいところはちょっとでも吸収する努力をして……と、みんなのおかげです。 ──鹿目さんは、まわりからどんな人って言われますか? 鹿目 風変わり……? そういうことじゃないですよね(笑)。なんだろう……応援したいって思ってもらえる。最近も、番組で初めてご一緒させていただいた方に「応援したくなる」と言ってもらえて。だから、そういうところがあるのかな? ──わかる気がします。人をそういう気持ちにさせる魅力があると思います。 鹿目 あと、元でんぱ組.inc最年少メンバーの高咲陽菜ちゃんに言ってもらって、うれしかった言葉があって。「ぺろさんは私のことを年下だからとか、そういうのを思わないで、ちゃんと意見を対等に言ってくれて、聞いてくれる。そういうところすごいと思います」と言ってくれたんです。年下だから年上だからとか仕事だからとかではなく、その前に人として見てくれているというようなことも言ってくれて。 ──それは素敵ですね。年齢を重ねていくと、損得勘定で付き合いをすることもありますし。ちゃんと信頼し合えている感じがあって、うれしいですよね。 鹿目 すごくうれしかったです。 ブログ、マンガ連載 etc──“続ける力”の先にある、叶えたい夢 ──鹿目さんのブログの中で「私の歌の成長は、歌での才能ではなく続ける才能が評価されたのだ(と解釈している)」とありました。logirlの連載マンガ『ぺろりん日記』もそうですけど、“続けること”って実は難しいことで。“続けること”は鹿目さんにとって意識的にしていることなんでしょうか? 鹿目 意識したりしなかったりですが、ブログに関しては、まず習慣になるまで根性で毎日続けてみようと(笑)。習慣になったあとで、しっかりと思いを届けるという目的と、ファンの方のコメントを励みに継続していきたいと改めて意識し続けた結果、アイドルとしてのエンディングまでちゃんと続けられたんだと思います。 以前、信頼している方から「義務感で継続することと、意図を持って継続することの先は全然違うよ」と言われたことがあって。そこから私もちゃんと取捨選択というか、何を目的として続けるべきなのかを考えるようになりました。どんなことでも続けることはもちろんすごいことなんだけど、私の場合はただ続けることだけにフォーカスしたら、すぐ甘えが出てしまってダメだと思って。 ──心に深く刻まれた言葉ですね。やはり鹿目さんの“続ける”は、レベルが高いです。ブログを続けてきたことの先で、得たものはありますか? 鹿目 文章を書く能力が以前よりレベルアップしたと思います。上手な文章を書けるわけではないんですけど、伝えるための読みやすい文章を書けるようになった気がして。今でこそ読むようになりましたが、もともとそんなに本を読まないタイプだったので、あんまり文章を読めなかったんですよ。だから、私のように文章を読むのが苦手な人も読みたくなるような文章を書くぞ、と意識していました。 ──そんな努力が! たとえば、どんな本を読まれていたんですか? 鹿目 最近は……特に妖怪図鑑を(笑)。最初のほうは手に取りやすかったので、自己啓発本をよく読んでいました。私は読んだだけで成功した気になっちゃうタイプなので、それに気づいてからは少し控えてますけど(笑)。 ──振り幅がすごい。努力を見せないのは、恥ずかしさからですか? 鹿目 そうですね、恥ずかしさもあるんですが、爽やかに結果を出せる人に憧れるので。過程も大事だけど、結果だけを見て納得してもらえるように努力するスタイルが、自分には向いているなと。過程を評価してもらえると、私はそこで満足しちゃう気がして(笑)。 ──なるほど。ここまで話を伺っていると、誰かの言葉をちゃんと受け止めて、すぐ吸収されていて、常に学ぶ姿勢がありますね。 鹿目 これは自分のために言ってくれているんだ、自分の成長のためになるんだ、と思いながら受け止めています。 ──大人になると、受け止めることって難しいですよね。そしてlogirlでの連載も2年が経ちました。4コマで起承転結を描くことはもちろん難しいですが、エピソードはどういうときに思いつくんですか? 『ぺろりん日記』好評連載中 鹿目 本当に日常のシーンを切り取っていて。レポマンガに近い感じです。すごく継続しやすいテーマでやらせてもらっています。日常生活の中で、自分のこういう性格、やらかしも含め、イコールでおもしろいことが起きやすいというか。 ──日常でこんなにいろいろなことが起きているんですね。 鹿目 そうなんです(笑)。ちゃんと全部実話です。 ──締め切りギリギリに思いつく(起こる)ことが多いのか、起きた出来事のストックを溜めて小出しにしているのか、どちらですか? 鹿目 ストックしていた昔の出来事から消化するよりも、直近で起きたことのほうをなるべく選ぶようにしています。読者の方にはあまり関係ない部分かもしれないですけど、記憶が鮮明なほうがより伝わりやすいマンガになるかなと。 あとは日記というタイトルからも実体験が重要なので、行動的になったと思います。行動しないと物語って起きないから。 ──人を楽しませようという気持ちがとても強くて、エンタメ精神がすごいです。イラストはもともと好きで描いていたと思うんですが、仕事になると向き合い方は変わりました? 鹿目 昔と比べて、特に線に気をつけて描くようになりました。もともとは趣味で美少女タッチのイラストを主に描いていたんですが、ヲタクイラストがバズってからは、デフォルメしたイラストばかりを描くようになったんです。当時は質より量という感じで、少し抜けている感じが味だと思ってそのまま出していて。たくさんの人に楽しんでもらえてよかったし、だからこその今があると思うんですが、アイドルという肩書がなくなってイラストレーターでやっていくぞ、となるとやっぱりまず絵が一番大事じゃないですか。 これまではアイドルが描いているから「いいイラストだね」と言ってもらえていた部分もきっとたくさんあっただろうなと。私のことを知らない人がイラストを初めて見たときに「おもしろいね」「いいキャラだね」「上手だね」と言ってもらえるようになりたいんです。logirlの連載も、初回から現在まで見直したら、全体もそうですけど、特に線はどんどん変わっていると思います! ──たしかに印象が違いますね。みなさんにもぜひ見返してほしいです。やっぱりイラストを描くことは楽しいですか? 鹿目 楽しいです。物心つく前から自然と絵を描いていたから。それが仕事になるのはすごくうれしいです。 ──楽しんでできる仕事が一番幸せだなと思いますよね。logirlといえば、番組『でんぱの神神』も印象深いです。番組収録で記憶に残っていることはありますか? 鹿目 やっぱり旅行系のロケですね。でんぱ組.incのエンディングが決まってから、みんなで京都へ修学旅行に行ったこととか。おいしいごはんを食べて、屋形船に乗って──たくさん素敵な企画をしてくださって、ありがたいです。裏で支えてくださっていたスタッフさんの愛を感じて、グッときました。あと、USJとか。そういったごほうび企画は、感謝の気持ちも込めて特に思い出に残ってます。 『でんぱの神神』メンバー全員で最後の大宴会! IN 京都 ──なかなかメンバーみんなで遊びに行く機会ってないですもんね。 鹿目 京都でみんなで夕ごはんを食べようとなったとき、スタッフさんに「食べながらでいいよ」と言われていたんです。けど、トークしないといけないからみんな食べものに手をつけないんですよ。めっちゃお腹空いているし、食べていいって言われたし……って、私だけこっそり食べてました。いまだに正解だったのかな?と思ってます(笑)。ひとりでエビの天ぷらをコソコソと。私が食べたからといってみんなが食べ始めるわけでもなく。私にそこまでの影響力はなかったです(笑)。 ──(笑)。鹿目さんといえば、登山の山頂ビール回も印象に残っています。 鹿目 あれは初めてのひとりロケで、しゃべりながら登れるのか不安でした。ちゃんと番組として成り立たせることができるのかとか。ちゃんとしたきれいな言葉でのレポートはできないから、自分らしい表現で伝えていこうって。けど、楽しかったです。 『でんぱの神神』ぺろりん1人登山にチャレンジ! ──すごく楽しそうでしたよ。なんでしょう、鹿目さんの笑顔って元気になりますよね。つらいこととか大変なときってあると思うんですけど、鹿目さんが自分の機嫌を取るためにやっていることはありますか? 鹿目 今、自分に起きていることを映画にする──自分が主人公の映画作品にして、関わる方を登場人物にして、最後のシーンは全員が登場するハッピーエンドにしたいんです。アイドル人生は第一章で、今が第二章なんです。そう考えるとネガティブなことも全部エンタメで消化されるような気がして。バックでサントラが流れてるみたいな(笑)。そういうのがあるとネガティブなことも客観視できて、囚われずにいられるのかなって。 ──素敵な考え方ですね。ゆくゆくは本当に自伝映画を作ってしまいそうです。第二章を歩み出されて、イラストレーター、タレントとして叶えたい夢を教えてもらえますでしょうか? 鹿目 まずイラストレーターとして、自分のメインとなるコンテンツを生み出さないといけないなと思っています。で、ショッピングモールでイベントしたいなと。子供から大人まで、幅広く好きになってもらえるようなキャラクターを作りたいです。 タレントとしては、CMに出たいです! 「ぺろりん売れたな」って思ってもらいたいですね。 ──鹿目凛として、ひとりの人間としての夢はなんですか? 鹿目 自分が自分を、心からかっこいいと思える人間になることです。まだけっこう遠いんですけど(笑)。アイドルをやって少し近づけたんですけど、まだまだで。もっともっと近づけるようになりたいです。 取材・文=宇田川佳奈枝 撮影=まくらあさみ ヘアメイク=MAFUYU 編集=中野 潤
BOY meets logirl
今注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開
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望月雅友(BOY meets logirl #062)望月雅友(もちづき・まさとも)1996年1月5日生まれ、兵庫県出身X:@Mx1050tmtmInstagram:masatomo_mochizuki TikTok:25mstm10 YouTube:望月雅友-25mstm10映画『じっちゃ!』池袋シネマ・ロサほかにて上映中映画『映画館で!おかあさんといっしょスペシャルステージ なないろのはね』上映中映画『星野先生は今日も走る』2026年1月10日よりK’s cinemaほかにてロードショー NHK Eテレ『おとうさんといっしょ』出演中 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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原田琥之佑(BOY meets logirl #061)原田琥之佑(はらだ・こうのすけ)2010年2月2日生まれ、東京都出身Instagram:kounosuke0202映画『海辺へ行く道』主演(8月29日公開)WOWOW 連続ドラマW『夜の道標 - ある容疑者を巡る記録 -』(9月14日午後10時スタート)映画『平場の月』(11月14日公開) 撮影=Jumpei Yamada(ブライトイデア) 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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吉田晴登(BOY meets logirl #060)吉田晴登(よしだ・はると)2000年12月15日生まれ、東京都出身 Instagram:haruto_yoshida1215 『ウルトラマンオメガ』ホシミ コウセイ役で出演中(テレ東系6局ネット/毎週土曜あさ9時〜放送) 『SPIRIT WORLD -スピリットワールド-』ユウキ役で出演(10月31日~全国拡大公開) 舞台『いつものオーロラが割った夜』(11月27日~12月1日公演) 撮影=井上ユリ 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
「初舞台の日」をテーマに、当時の期待感や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語る、インタビュー連載
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「先輩を追い越したい」年間400本のライブをこなすブレイク前夜のコンビ・センチネルが目指す先とは|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#40結成6年目のコンビ・センチネル。2020年のコロナ禍に誕生したコンビは、『ツギクル芸人グランプリ』や『ABCお笑いグランプリ』といった若手芸人の賞レースでファイナリストになった。 着実にステップアップし、大きな初舞台を踏んできた彼らは今、最初の壁にぶち当たっている。年間400本ものライブを重ねてきたセンチネルだからこそ気づけた漫才の奥深さ。芸事の深淵を垣間見た彼らは、もがきながらも楽しんですらいるようだ。 事務所の先輩の活躍に励まされ、さらなる高みへと邁進するセンチネルのふたりが、初舞台から現在に至るまでを駆け足で振り返った。ブレイク前夜の貴重な証言である。 【こちらの記事も】 ふたりでやった漫才がとにかく楽しかった…太田プロのホープ・センチネルのコンビ結成前の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#40 目次初舞台は「どーも!」で飛んだ田中みな実と仮屋そうめんの言葉ライブ年間400本の処世術漫才の所作が足りてない先輩を追い越したい 初舞台は「どーも!」で飛んだ 左から:大誠、トミサット ──結成はコロナ禍の初期、2020年7月ですね。 トミサット そうですね。初ライブもアクリル板かマスクつけてやってましたね。 大誠 一発目は『モータースLIVE』でした。「新しいコンビ組んだんなら出ろ」ってヤマザキモータースさんが出させてくれて。トップバッターでね。 トミサット 前のコンビで勝ち上がってたし、正直余裕だろうと思ってたんですけど、不思議なもんでセンチネルとして初めて出ると緊張しちゃって。人間って今までの経験とかめっちゃリセットされるんですよね。ネタ飛んだもんね。 大誠 それは富里がすげぇ厳しかったせいですよ。ネタ合わせで最初の「どーも!」を20回以上やらされましたもん、「キーが違う」って。 トミサット いまだに違います。 ──ははははは(笑)。 大誠 いざ舞台上がったら「どーも!」の次のセリフから台本1ページ分くらい飛ばしたんですよ、「どーも!」の練習しすぎたせいで。 トミサット 上位3位までが上のランクに行けるライブでしたけど、ギリギリ通過って感じでしたね。 大誠 コロナで平場もなかったから、新コンビとしてイジってもらうこともなくて初舞台感はあんまなかったかも。 トミサット 本当に新人になったような感じだった、全部ゼロになった。 ──ネタはどうやって作ったんですか? 大誠 最初から富里が作ってきてくれましたね。 トミサット 作るっていっても箇条書きのメモを伝えていく感じですけどね。いいツッコミが出てきたらそれでお願いします、みたいな感じです。 ──センチネルとして軌道に乗ってきたと感じたのはいつごろですか? トミサット 2021年の『ABCお笑いグランプリ』で準決勝に残れたんですよ。そこで「あれ、俺たちおもしろいの?」って思いました。 ──結成2年目で準決勝はすごいですね。そこから着実に賞レースの成績も上がっている印象です。 大誠 たしかに一つひとつ確実に進んでるなっていう感じですね。 トミサット ずっと「去年より絶対おもしろくなりたい」「1年前と同じことしてちゃダメだ」っていう気持ちはありますね。 田中みな実と仮屋そうめんの言葉 ──2022年には『ゴッドタン』の「この若手知ってんのか!?」で紹介されましたね。 大誠 『ゴッドタン』はマジで追い風になりました。あそこからライブでも「応援されてる!」って感じるようになって。 トミサット 先輩がイジってくれるようになりましたね。東京のライブシーンは優しい先輩が多いんで、ムチャブリとか少ないんです。でも『ゴッドタン』でアレだけできるなら大丈夫だろうってイジってくれるようになった。 ──そもそも『ゴッドタン』に出られたのはなぜだと思いますか? トミサット 前のコンビが解散して悩んでるときに、青色1号の仮屋(そうめん)さんに「すぐ過去になるから、気にしないでガンガンやったほうがいいよ」って言ってもらえて吹っ切れました。 ──仮屋さんってそういうこと言うイメージないからよけいカッコいいですね。 トミサット 言ってくれましたね。僕が「前のコンビのイメージがなまじあるんで、この先どうするか迷ってます」って言ったら「お前が思ってるよりまわりはお前のこと気にしてないし、ライブシーンも早いからすぐ過去になるよ」って。実際、仮屋さんも前のコンビがめっちゃ調子よかったのに解散したけど、青色1号で上がってるところで。 ──説得力ありますね。 トミサット それに、ライブのお客さんって一期一会だから、一回一回を大事にしないとダメだなって気づいたんですよ。それまでは正直ちょっと手抜いてるときもあったんですけど、毎回爪あと残そうってがんばるようになりました。そしたら先輩に「お前がんばってんな」って言ってもらえて。それが『ゴッドタン』につながりましたね。 大誠 前に出てくれるのは頼もしいですね。富里って前のコンビのときは引き気味だったんですよ。 トミサット 性格的には引きのほうが合ってるんです。 大誠 アフロにサンダルだった芸人が「引きのほうが合ってる」って言っても説得力ないけどな。 トミサット ピンのころ、一度だけテレビに出させてもらったんですよ。そのとき田中みな実さんに「サンダル、ケガしますよ」って言われちゃって……。 大誠 はははは(笑)。 トミサット あれはターニングポイントでした。自分ではキャッチーなキャラクターだって思ってたんですけど、サンダルは大人として恥ずかしい格好なんだと気づきました。それで靴を履くようになりましたね。 ライブ年間400本の処世術 ──『ゴッドタン』以降も、2024年は『ツギクル芸人グランプリ』、2025年は『ABCお笑いグランプリ』で決勝に進出しています。若手の登竜門といえる大会で、一定の成果を出せている理由はなんだと思いますか。 トミサット 新ネタライブをひたすら欠かさずやってきたのは、結果につながってるのかもしれないですね。 ──ABCでは年間400本ライブに出ていることがフィーチャーされていました。 トミサット 専用の劇場がある吉本興業とは違って、太田にいる僕らが年間400本出てるのはすごいことなんですよ。ネタがおもしろいのはもちろん、社会性もあるからできることなんです。僕らがいかにロビー活動をがんばっているか! 大誠 まずはあいさつ! トミサット 主催者に点呼取られたときに返事をする! 大誠 「よろしくお願いします!」 トミサット で、出番をトチらない。平場を一生懸命盛り上げ、主催者と仲よさそうな芸人がボケたら手を叩いて大笑いする。ライブのエンディングもダラダラせずに率先してはける。でも必ず告知はする。「ほかの芸人とは違うんだぞ!」っていうところを、ABCさんには強調してほしかったですね! 大誠 言いすぎだろ! トミサット これは事実だから。太田プロっていう第三勢力で劇場もないなかがんばってるのが一番カッコいいんだよ。 ──2023年にスタートしたフジテレビの『ハチミツ』シリーズでも、活きのいい若手芸人がたくさん出ている中で、センチネルさんは爪あとを残してましたね。 トミサット あれでバラエティを学んだというか。若手がたくさん出てる中で「次の『めちゃイケ』(めちゃ×2イケてるッ!)になるために生き残らなきゃいけない」って必死でしたから。流れを壊してでも前に出ていかなきゃいけない。本当にまわりを押しのけていくんです。「ちょっと様子見て前に出よう」なんて考えてたら先にやられちゃう。みんなの野心が渦巻いていましたね。 大誠 全員“かかって”た。 トミサット あそこでは吉本の団結力も見せつけられました。9番街レトロさんとか生ファラオさん、マリーマリーさん……。もちろん個の強さもめっちゃありますけど、チームプレーでほかのプレイヤーをつぶすんですよ。僕はその流れに乗るんじゃなくて、別のところで使われるようにしようってがんばりましたね。 大誠 僕は太ってるだけで終わってる回がたくさんありますね。気づいたら終わってる。いろいろ考えるキッカケにはなりましたね。あんまりいい思い出はないっすけど(苦笑)。 漫才の所作が足りてない ──着実にステップアップしているなかで、『M-1グランプリ』だけが3回戦止まりなのが気になります。どう自己分析されていますか? トミサット シンプルにネタの構成力は課題ですね。あと、僕らのキャラクターだとお客さんが気になるところが多いんですよ。なのにそこをカバーできてない。前に『有吉ベース』に出させてもらったとき有吉さんに「お前は顔でハードル上げすぎてるよ」って言われたんです。 ──ふたりとも見た目にインパクトがありますもんね。 大誠 でも僕らはそう思ってなかったんです。僕はただ太ってるだけだし、富里もアントニー(マテンロウ)さんとか、植野(行雄、デニス)さんみたいにハーフっていう個性を使わないし。 ──たしかにトミサットさんはネタの中に出自の要素をあんまり入れませんね。 トミサット 自分が軸になっちゃダメだっていうのはずっと思ってました。これからの時代、ハーフキャラのイジり方もどんどん変わっていくだろうなと思ってたんで、俺がフロントマンになるようなコンビは通用しなくなるだろうと。そもそもハーフ芸もアントニーさんたちにやり尽くされてるので勝ち目はないですし。 でもそれを意識しすぎて、お客さんからすれば僕らの見た目が引っかかるってことを忘れてたんです。自分たちのネタがお客さんを置いてきぼりにしてることにはABCの決勝で気づきました。僕らは初めて見る人に不親切だったんです。 大誠 マジな話をすると、所作も全然できてないなって痛感しましたね。僕らが普段やってる小っちゃい劇場と、M-1の予選とかテレビのスタジオって全然環境が違うんですよ。実際、普段のライブだとマイクが入ってない会場もあって。そういうのに慣れてるとサンパチマイクをうまく使えなくなる。 トミサット 去年のM-1の3回戦も、マイクから離れると声が聞こえないって言われてました。会場のうしろまで声が届いてない。そういうところは改善したいです。 ──細かなテクニックの点で、まだ適応できてない。 大誠 そうなんですよ。僕でいうと富里が動いてるときの自分の所作を全然意識できてなかった。富里に集中してほしいから動かないようにしてたけど、動かないなりに富里を目立たせるための所作があるはずだなって。そのへんは全然足りてないです。あとはシンプルに落ち着きがないですね。ABCはふたりしてガッチガチだったから。 トミサット 客席の浴衣の女の子たちが怯えてたもんな。 大誠 なんかコイツらミスってんだけど……みたいな(笑)。「どーも!」から「ありがとうございました」までの所作、舞台の使い方が課題ですね。 トミサット やっぱり適切な「どーも!」を出すところからですね。待ってるんですけど。 大誠 そっか、まだ始まってなかったのか(笑)。 先輩を追い越したい ──最後に、この先踏みたい「初舞台」を聞いてもいいですか。 トミサット ドベタですけどM-1決勝です。青色さんが『キングオブコント』の決勝に行って高みを見せてくださったんで、俺たちも続きたいですね。っていうか追い越したい。 ──たしかに青色さんの活躍を見て、いよいよ太田プロの若い世代が活躍する時期が来るのでは、と思いました。 大誠 太田プロの養成所出身の芸人が賞レースの決勝に行くのは初めてだったんですよ(「太田プロエンタテイメント学院」は2009年開設)。 トミサット これ、すごいことですよ。 大誠 僕、青色の榎本(淳)さんと一緒に住んでますけど、準決勝から帰ってきた日なんて家の中でスキップしてましたから(笑)。 ──そしてセンチネルは何年以内にM-1決勝に行くイメージですか? トミサット もちろん今年行きたいですけど……。 大誠 でも今年のABCで負けたとき「再来年優勝します!」って言ったよな? そうなるとM-1はもっと先のイメージだけど。なんで来年じゃないんだっけ? トミサット ABC的には来年は俺ら無理だから。僕はABCファンなんで傾向がわかるんです。だから来年はツギクルを獲って、再来年ABC。まぁ今年M-1で決勝行ったらツギクルもどうなるかわかんないけど。 ──M-1は芸歴制限がありますが、センチネルは同期よりも結成が遅いので、ラストイヤーはまだ先ですよね。 トミサット でも同期がいるうちに優勝したいですよ。 大誠 そうですね。あと、単独ライブをどのタイミングでやるかも迷ってますね。やってみたい。まぁ焦ってやるものじゃないんで、ゆくゆくですけどね。 ──単独ライブも首を長くして待ってます。今回はブレイク前夜のタイミングに取材させてもらえて本当によかったです。ありがとうございました。 トミサット この先とんでもなく落ちぶれる可能性もありますが……。 大誠 そんなこと言うなよ! 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 センチネル 大誠(たいせい、1993年11月25日、埼玉県出身)と、トミサット(1993年4月13日、東京都出身)のコンビ。2020年結成。2024年に『ツギクル芸人グランプリ』、2025年には『ABCお笑いグランプリ』でファイナリストとなる。ラジオ『センチネルのラジオ&ピース』(GERA)は毎週木曜日20時に最新回が配信。YouTubeチャンネル『チルチルセンチネル』も不定期更新中。 【後編アザーカット】
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ふたりでやった漫才がとにかく楽しかった…太田プロのホープ・センチネルのコンビ結成前の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#40結成6年目のコンビ・センチネル。2020年のコロナ禍に組み、2022年には『ゴッドタン』の「この若手知ってんのか!?」に出演。それ以降も、事務所ライブでの優勝や、『ツギクル芸人グランプリ』『ABCお笑いグランプリ』ファイナリストなど、めざましい活躍を見せている。 しかしセンチネル以前のふたり、大誠とトミサットは大いに惑っていた。そんなふたりを救ってくれたのは太田プロの世話人であった。 ブレイク直前のセンチネル、そのふたりが初舞台に至るまでの道のりを語る。 若手お笑い芸人インタビュー連載<First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次家出中にお笑いを浴びまくる恩人は城咲仁とヤマザキモータース虹の黄昏で決心ヤマザキモータースの「ほな、もうええな」一緒に漫才できたらいいなと思ってた 家出中にお笑いを浴びまくる 左から:大誠、トミサット ──おふたりは子供のころから、お笑い好きでしたか。 大誠 僕は小学生までは全然でしたね。家にテレビが1個しかなくて、いつも親父がゴルフか麻雀を見てて。バラエティ番組はとんねるずさんと、さまぁ~ずさんだけ見る人でしたけど。 トミサット 僕はとにかくバラエティ番組が好きでしたね。小学校低学年のころから、親に黙って深夜時代の『はねトび』(はねるのトびら)を観てました。『リチャードホール』も好きでしたね。団地に住んでたんですけど、親が寝静まったらテレビにめちゃめちゃ近づいて音絞って観てましたね。 ──ひとりっ子なんですか? トミサット お姉ちゃんがふたりいます。お姉ちゃんの影響で、『めちゃイケ』(めちゃ×2イケてるッ!)とか『SMAP×SMAP』を観始めて、バラエティにハマりました。SMAPに岡村(隆史)さんが入るやつがあったじゃないですか、ああいう芸人とアイドルが絡んでいくみたいなのに、すごいワクワクしてました。あと、『とんねるずのみなさんのおかげでした』も好きでした。だから、たぶん僕は平成のテレビのマインドのまま来ちゃってます。車とか爆破してほしいですし。 ──自分の愛車でも大丈夫ですか。 トミサット もちろん爆破してほしいです。 大誠 自分のでもいいんだ! ──楽しみです。トミサットさんは学校ではどんな子供だったんですか。 トミサット ホント恥ずかしがりで、仲間内でだけおもしろいことを言う感じでしたね。授業を遮ってふざけるとか、おぞましい行為だと思ってました。 ──大誠さんはいつごろお笑いに目覚めるんですか。 大誠 中学のときに家出して、友達ん家に泊まってたときに観ました、一生分。そいつもヘンなヤツで、中学生でひとり暮らしみたいなことしてて。めっちゃテレビが好きなヤツだったんで、全部教えてもらいました。1年近く家には帰らなかったかな。最初は黙ってその家にいたんですけど、ちょっと大ごとになっちゃったんで、居場所だけは伝えて。 ──なんでまたそんなに長期間にわたって家出を? 大誠 僕、お父さんが52歳のときの子供なんですよ。今、82歳で。姉ちゃんもいるんですけど、今54歳かな。 トミサット いやいや、お母さんでしょ? 大誠 いや、お姉ちゃん。腹違いでめっちゃ年が離れてる。子供のころは「この家、大人ばっかだな」と思ってなんか居心地よくなかったんですよね。今は仲いいですけど。 ──中学生の鬱屈としているときに、一気にお笑いを浴びまくったのは革命的な出来事でしょうね。 大誠 俺の人生にお笑いが一気にバコーンって入ってきた感じでしたからね、最初すごかったっすよ。テレビで見るお笑いがおもしろすぎて帰んなくなっちゃったくらいだから。 恩人は城咲仁とヤマザキモータース ──トミサットさんが芸人になりたいと思ったのはいつごろですか。 トミサット 中学の同級生に「芸人になろう」って誘われたんですよ。学校で目立つタイプではなかったんですけど、誘われるってことは芸人向いてるのかもって思って、その気になりましたね。 でもそいつが大きい企業のひとり息子で、「高校卒業まで待ってくれ」と言われ、次は「大学卒業まで待ってくれ」と言われ……。僕は大学にも行かないでフリーターしながら待ってたんです。でもそいつは大学お笑いを始めて、そこで満足しちゃったらしくて。しかもそのころおばあちゃんが亡くなって、遺言で「家業を継いでくれ」って言われたって断られましたね。僕は7年くらい待ってましたけど(笑)。 ──切なすぎますね……。 トミサット でも僕もそのころ牛角でバイトしてて、バイトリーダーになったり、恋愛も楽しんだりしてたんで全然いいんです。でもある時期から酒飲んでてもなんか楽しくなくなってきて、生きてる感じがしなくなった。ちょうどそのころに城咲仁さんのエピソードを聞いて変わりました。 大誠 カリスマホストの城咲さんね。 トミサット そう。城咲仁さんって俳優になったんですけど、そこで「お前の演技は響いてこない」と怒られて、プライドを捨てるためにお風呂場の排水溝をなめたっていうんですよ。それ聞いて俺もなめてみたら、翌日からめっちゃ活動的になったんです。それまでは「明日からがんばろう」って決意しても朝起きたら、決心は流れ去ってたのに。 ──どう変わったんですか? トミサット すぐ同級生を誘って、一緒にエントリーライブに出たんです。そしたらいきなり1位になれて。今思うと見た目のインパクトでウケてたんですけど「俺たち天才じゃん」ってテンション上がっちゃって、すぐ太田プロ(ダクション)に電話したんですよ。「俺たちおもしろいんで、ネタ見てくださいよ」って。 それでネタ見せに参加させてもらったんですけど、緊張しすぎてネタ飛ばして、むちゃくちゃでした。養成所の講師をやられているヤマザキモータースさんにも「お前ら全然なってない、ネタにもなってへん」と言われて。 ──落ち込みますね。 トミサット 正直、最初は太田プロとかライブシーンをナメてたんです。「テレビに出てる人いないじゃん」って。でもそのあと、エントリーライブで1位になったごほうびで、K-PROのライブに出させてもらったときに自信をへし折られましたね。 結成したばっかりの宮下草薙さんが、とんでもなくウケてて、とんでもなくおもしろかったんですよ。「え? こんな下のライブに、こんなおもしろい人いるの?」ってびっくりしちゃって。そのあともK-PROのバトルライブ『スクリュードライブ!』に出たら、はなしょーさん(2022年解散)とかもめっちゃおもしろいし。 ──打ちのめされた。 トミサット 今思えば、たまたますごい人といきなり出会っただけなんですけど、俺の同級生は完全に心が折れちゃってすぐ解散しました。でも、太田プロのマネージャーさんから「来月のネタ見せは来ますか?」って電話が来たんですよ。解散したことを伝えたら「君はどうするの? お笑いやりたいの?」って聞かれて。「やりたいです」って言ったら太田プロの稽古場に呼ばれたんです。 ──面倒見がいいですね。 トミサット そこにマネージャーさんとヤマザキモータースさんがいて「『ネタ見てくれ』っていう気概のあるヤツ、最近おらへんかったから、一応、養成所入れてみようと思うんですけど」「いいんちゃいます」っていうやりとりがあり、稽古場で3時間待たされて、そのまま養成所の授業を受けましたね。 ──劇的な話ですね。 トミサット ドラマティックでしたねぇ。正直、電話したときも「芸能界の人たちはドラマティックなの好きでしょ?」って計算してた部分はありましたけど(笑)。 虹の黄昏で決心 ──大誠さんはどうやって芸人になっていくんですか。 大誠 僕はその家出先の友達に「俺らも『モヤモヤさまぁ〜ず』みたいなことしようぜ」って言ったことがあって。でも「俺らにはムリだよ」って断られたんです。「お笑いなんてクラスの人気者、エースで4番、太陽みたいなヤツがなるんだから。そんな夢見るのやめよう」って。それでやる気なくなっちゃって。 ──お笑いのおもしろさを教えてくれた友達の言うことだから信じちゃいますね。 大誠 でも、高校3年生のとき、文化祭の余興で友達に誘われて漫才をやったんです。それで、俺もやっていいんだって思えましたね。 ──トミサットさんも大誠さんも友人に誘われて「自分もお笑いをやっていいんだ」と思えるようになったんですね。ちなみに大誠さんはその文化祭が初舞台になりますが、どうでした? 大誠 身内の前でやったのに、そんなにウケなかったですね。 ──ネタはどうしたんですか? 大誠 僕はラグビー部だったんですけど、部活終わりに食堂に集まって作ってましたね。そいつがめっちゃお笑い好きだったんで、僕がなんか提案しても「それは◯◯さんがもうやってるよ……」って言われる感じで(笑)。 ──高校生で芸人を「さんづけ」で読んでるあたりにもリスペクトを感じますね(笑)。 大誠 ただ、あんなにネタ被りを避けてたのに終わったあと、ほかのお笑い好きに「お前ら、ダイノジさんパクってんじゃねぇかよ」って言われたんですよ。モデルのエビちゃん(蛯原友里)っているじゃないですか。あの人を「カニちゃん」って呼んだら「カニにちゃんづけかよ!」ってツッコむ。それに「ツッコむとこ、そこじゃねぇだろ」って言うくだりが丸被りしてて。それでお笑い好きのふたりが殴り合いのケンカになってましたね(笑)。 ──血の気が多い(笑)。その友達と芸人になるんですか? 大誠 誘われて大学時代にエントリーライブにも3回くらい出たんですけど、結局辞めました。そいつがボクシング部に入ったら、減量のときなんておもしろいこと一個も言えないんですよ(笑)。忙しくて予定も合わないし。で、3回目に出たエントリーライブで、MCをやってた虹の黄昏さんに感動しちゃって。あの人たちどんなライブでも全力でやるから。 ──この世代の芸人で、虹の黄昏に感銘を受けた人は多いですね。 大誠 そしてそのライブの帰りに友達と大ゲンカしたんですよ。ふたりともホンモノを見て怖気づいて、八つ当たりしてたんです。乗ってた車を路肩に停めて言い合いになって。結果的に俺はそいつに発破をかけたくて「俺、大学辞めて、本気でお笑いやるわ」って言ったんです。そしたらそいつは「たしかにな、俺も虹の黄昏さん見てそう思ったわ。一回考えさせてくれ」って言ったその翌日に電話で「俺、就職するわ」と(笑)。 ──一夜明けて冷静になっちゃった。 大誠 でも俺はもうお笑いやりたくなってたんで、そのまま大学辞めましたね。それでも中学時代に言われた「エースで4番がお笑いやるんだよ」って言葉が頭から離れなかったんで、まさにエースで4番みたいな性格のヤツの首根っこ捕まえて、一緒にワタナベの養成所に入りました。 トミサット コンビ名は「イチバンニバン」ね。 ヤマザキモータースの「ほな、もうええな」 ──大誠さんは最初ワタナベだったんですね。 大誠 でも養成所が終わって1年で解散しました。 ──それはなぜ? 大誠 僕が講師に逆らったせいですね。僕と相方はふたりともラグビー部だったんですけど、講師が「ボケる理由がわからないから、『ラグビーで頭ぶつけすぎておかしくなっちゃいました』って最初に言え」とか言うんですよ。「なにそれ?」って感じじゃないですか。 トミサット 平成のころの表現だから。しょうがないね。 大誠 7年前でもダメだろ。そのあとも「スクラム組みながら漫才しろ」とか言うし。さすがに俺もボケだと思って「なんすか、それ」ってツッコんだんです。そしたら「お前のそういうとこが悪いんだよ」って言われちゃって、そこから事務所ライブにも全落ち。講師のアドバイスを全無視する僕に、相方も愛想つかしちゃって、結局大ゲンカして解散しましたね。 トミサット すぐテレビに出やすいようにアドバイスされる方もいますからね。 大誠 そう、たぶんその人はテレビの人だった。でも一回、開き直ってユニフォーム着てスクラム組んで漫才したんですよ。そしたら普通にスベったんで、その会場にユニフォーム捨てて帰りました(笑)。 ──そこからどうやって太田プロに移るんですか? 大誠 そのコンビは解散したんですが、ライブに出たかったので、太田プロの養成所にいた大野木ひろしってヤツと組んだんですよ。 トミサット コンビ名は「ブルースタンバリン」ね。 大誠 で、大野木が太田プロに「ワタナベのヤツと組みます」って伝えたら「そういうことなら来週から養成所に連れてきなさい」ってことになって。だからワタナベに内緒でちょっとだけ通って、ワタナベ退所後は太田プロ養成所卒業ってことになりました。 ──ワタナベにはどうやって説明したんですか。 大誠 養成所の講師をやられているヤマザキモータースさんが話をつけてくれました。「俺、太田の養成所で授業受けていいんですかね?」って相談したら、山崎さんが「何言うてんねん、俺が言ったる」ってすぐワタナベに電話してくれて。どうやらそっちの人とも長い付き合いらしくて電話一本で「ほな、もうええな」って決まりました。 一緒に漫才できたらいいなと思ってた ──センチネルはどうやって結成するんですか。そもそもの出会いは? 大誠 僕がワタナベ、こいつが太田で1年目のときですね。今僕らのラジオの作家もやってくれてる山田ボールペンがやってた『若気の至り』っていうライブで出会いました。太田とワタナベ、人力舎、それぞれの養成所で成績のよかったヤツを集めたライブ。 その後、僕が太田プロに入って前のコンビが1年で解散しちゃうんですけど、ちょうど富里も同じタイミングで解散したんで、一緒にやることにしましたね。ちょうどコロナのときでしたけど。 ──お互いのことは意識していたんですか。 大誠 一度、シャッフル漫才をやったんです。 トミサット そのときに相性がよかったんだよな。 ──センチネル結成前に、ふたりの初舞台があった。 大誠 『若気の至り』の1周年オールナイトでしたね。くじ引きで即席コンビを組んで、別のコーナーをやってる間にサッとネタ合わせしてすぐやったんですけど、なんか楽しかったんですよ。 トミサット そんなに合わせてもないのに噛み合ってて。あのイメージがずっと残ってたから、一緒にできたらいいかもとは思ってましたね。 大誠 俺はワタナベ時代のコンビを解散したのに、そのことをまだ公にできない時期でした。だから一番モチベーションがなかった。なのに富里とのシャッフル漫才がめっちゃ楽しかったのを覚えてます。それで組んだのが2020年の7月くらいだった気がしますね。 トミサット 僕も当時は前のコンビを解散して暗黒期で病んでたんですよ。 大誠 当時はピン芸人・パイナポー富里でしょ? トミサット そう。夜中に自暴自棄になってお酒飲みまくってアフロだったのに坊主にしてパイナポー富里になりました。 大誠 絶対アフロのころのほうがパイナポーなのに(笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 センチネル 大誠(たいせい、1993年11月25日、埼玉県出身)と、トミサット(1993年4月13日、東京都出身)のコンビ。020年結成。2024年に『ツギクル芸人グランプリ』、2025年には『ABCお笑いグランプリ』でファイナリストとなる。ラジオ『センチネルのラジオ&ピース』(GERA)は毎週木曜日20時に最新回が配信。YouTubeチャンネル『チルチルセンチネル』も不定期更新中。 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 「先輩を追い越したい」年間400本のライブをこなすブレイク前夜のコンビ・センチネルが目指す先とは|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#40
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にぼしいわしが語る『THE W』優勝までの道のりと、次なる漫才のスタイル|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#39『女芸人No.1決定戦 THE W』第8代チャンピオン・にぼしいわし。 にぼしいわしのしゃべくり漫才は、日常の疑問を、豊かなアイデアでふくらませ、観客をとんでもない笑いへと導いていく。「シャネル」と「おばんざい」、「アイドル」と「うんこ」。にぼしいわしの手にかかれば、正反対の存在が手をつないで、笑いになって羽ばたいていく。 それでも彼女たちは「自分たちの力を信じきれない」という。一度は絶望し、お笑いの世界から離れもした。それでもお笑いが辞められず、帰ってきた彼女たちが、プロの芸人となり、頂点を極めるまでの道のりを明かしてくれた。 【こちらの記事も】 『THE W』王者・にぼしいわしが振り返る、人気者への対抗心がきっかけだった高校時代の初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#39 目次泥棒と漫才挫折しても続けたお笑いブルーオーシャンで水を得た「うちらはお笑い向いてない」私は本気ですよ 泥棒と漫才 左から:香空にぼし、伽説いわし ──いわしさんに誘われたにぼしさんは、ふたつ返事でNSCへの入学を決めたそうですが、生半可な気持ちじゃ入れないですよね。そもそもお金がかかりますし……。 にぼし これもいろいろありまして……。 いわし これから話すこと、全部載せてください。 うちらって、高卒ストレートで入ったら34期なんですよ。でも、にぼしが受験で全滅したんです。滑り止めも何も受からなくて、まっさらな浪人生になってしまった。それで1年待って、35期になるんです。 ──そもそもにぼしさんの親は、高校時代からお笑いをやることに反対してたんですよね? いわし そうなんですよ。それも成績が悪かったからで。だから親と交渉してなんとか「受験うまくいったら、NSC入ってええよ」って許してもらったんです。なのに、全滅。それで1年遅れたんです。 にぼし 結局、親には内緒で入学しました。 いわし 私と、私のおばあちゃんのお金でな。 ──当時の学費が約40万円と聞きますが……。 いわし 私が大学1年生の間に、自分の授業料40万円と、相方の授業料の半分20万を稼いだんです。それでもにぼしの足りない20万円を、私のおばあちゃんから借りた。そのおばあちゃんも、だんだん認知症になってしまい、返済が間に合わなかったんです。 にぼし 一応、全部返しましたよ。 いわし 4〜5年はかかったけどな(笑)。私のおばあちゃんは亡くなる直前に、「お前は泥棒と漫才してるんか!」って言ったんですよ。 にぼし 天国のおばあさんは、私がまだ泥棒やと思ってる。 いわし 当たり前よ。おばあちゃん家でネタ合わせとかしてたのになぁ(笑)。 ──いつ、にぼしさんの親は、芸人をやってることに気づくんですか。 にぼし お笑いをしてるっていうのはうっすら知ってて。でも最初は仕事もやりながらだったから、趣味でやってるんちゃうって思ってたみたいです。 いわし 初めて『THE W』の決勝が決まったときにバレて。そこから、にぼしの親は手のひら返したみたいに応援してくれてますね。でもね、こっちは40万貸してるんですよ。にぼしの親は、いいところしか知らない(笑)。 にぼし お金を借りてたことも知らないですから。 挫折しても続けたお笑い ──その後、NSCは卒業して吉本の所属になりますが、すぐに辞めています。それはなぜですか。 いわし 同期で仲よかったゆりやんレトリィバァに絶望したんです。ゆりやんは入った瞬間からずっと輝いてて、在学中にテレビに出だした。いつも一緒におったのにな、ってそこで力の差を感じて。あと、もともと私たちってお笑いの下地がないんですよ。 ──高3でお笑いをやるまで、お笑い番組もあまり見ていなかったって言ってましたもんね。 いわし そう。だから最初こそ『ハイスクールマンザイ』からやっていたおかげで、同期よりマシだったんですけど、だんだんみんなのネタができ上がっていくと、追い越されていく。自分が子供のころにお笑いを見てなかったことのツケが回ってきたんです。 それであんま向いてないんかもしれへんなと思い、引き返すなら今やと。まだ20歳やったんで、普通に就職しました。 にぼし そのときは私も大学が忙しすぎたし、両立すんのは難しいやろなって思ってたんで、すんなり辞めましたね。 ──同期に止められませんでしたか? いわし 社員さん以外には、誰にもなんにも言わないで辞めたんで、それはなかったですね。 ──それからどれくらいお笑いから離れたんですか。 いわし 私が大学3年生のときにお笑い辞めて、働いてたのが4年間。だから6年くらいですかね。ただ『M-1(グランプリ)』だけは出てたんですよ。吉本辞めて最初のM-1は2015年で、そのときは1回戦のために1年ぶりに、にぼしに会いました。同期にはバレたくないから、大阪じゃなくて広島予選に行ってな。ネタ合わせもろくにしてないからあっさり負けて、牡蠣食うて帰ってくるみたいな。小旅行ですね(笑)。 にぼし 楽しかった。 いわし ただ、就職して2年目、2017年に3回戦まで行ったんですよ。3回戦まで行くと配信されるじゃないですか。そこで「あれ? にぼしいわし戻ってきてんの?」って知られて、ライブにちょこちょこ呼んでもらえるようになりました。社会人しながらぬるりと戻ってきたのが、2018年でしたね。 ──なんで3回戦まで行けたんだと思いますか。 いわし マジでわからん……。 にぼし でもそのときはM-1前に、ちょっとだけエントリーライブに出てたやん。 いわし たしかにそのバトルライブの成績はよかったけど、ネタは1本しかないしなぁ。声も小さかったし。実際、2018年は2回戦で負けちゃってるし、まぐれやと思う。ただ、おかげでライブの本数は増えて、いよいよ仕事との両立が難しいってなって退職したのが2019年の3月末でした。 ──仕事を辞めるのは不安じゃなかった? いわし 不安でしたけど、2019年って調子よかったんですよ、初めてTHE Wの決勝に行けたし、M-1も準々決勝まで行けた。あと、(よしもと)祇園花月でやった『王将』のネタで東京のほうにも知ってもらえるようになって。そこから知り合いが増えましたね。2019年は2カ月に1回、東京でライブできてて。なので、うまく行ってる実感はありました。 ──お笑いに集中したとたん、その成績はすごいですね。 いわし どうなんでしょうね。たしかに「働くの辞めたら、こんなにネタ考える時間あるんや」とは思いました。月60ステくらい出てましたし、わりと順調でしたね。 ブルーオーシャンで水を得た ──2019年のTHE W決勝の初舞台はいかがでしたか。 いわし ネタ中に、自分の足が震えているのを感じたのは、あの瞬間だけですね。夢見心地で終わっちゃった。 にぼし 私も緊張はしましたけど、ライブと違いすぎて、別の次元に来ちゃったのかなって感じでした。 いわし 2020年のTHE Wは、ファイナリストがほぼ知り合いで楽しかったですけどね。Aマッソさん、オダウエダ、ヨネダ2000もいて、ライブの延長線上みたいな感じでできた記憶があります。でも結果的に2020年は一票も入らなかった。この先まで行くためには何かを変えないとって思いました。それで『にぼしいわしの何卒何卒…!』っていうライブをやり始めたんです。 ──どういうライブだったんですか。 いわし 東京の芸人さんを大阪に呼んだんです。そもそも私たちの問題は、新規のお客さんが入りづらい環境でライブをやってることだなと。普段、コアなお笑いファンしかいないところでばっかりネタをやってると、やっぱタブーだったりバイオレンスだったりがウケるからネタ作りも引っ張られる。 にぼし ライブとテレビでは、ウケるところが全然違うよな。 いわし そやねん。だからどうやったら普段からテレビっぽいお客さんの前でネタができるか考えて。そこで東京の芸人さんのラジオを聴いてる在阪のリスナーがブルーオーシャンだと気づいたんです。ラジオリスナーって、普段お笑いライブになじみのない人も多くて。でも、東京から来るんだったら見たいじゃないですか。 それでまずは、真空ジェシカさん(『ラジオ父ちゃん』)とかカナメストーンさん(『カナメちゃん村』)、ママタルトさん(『ラジオ母ちゃん』)を呼んだら、「BAR舞台袖」っていう40人の小さい箱とはいえ、数十秒で売り切れた。あのライブが賞レースの架け橋になったのは大きかったですね。 ──実際、そのライブでネタも変わりましたか? いわし そうですね、私らのネタって、日常の延長線上でやるのが意外とないねやと思って、そこからは万人に伝わりやすいネタを作るようになりました。 「うちらはお笑い向いてない」 ──2年連続で出ていたTHE Wの決勝ですが、2021年は惜しくも準決勝敗退となりました。 いわし 落ち込みましたねぇ。親友のオダウエダが優勝したあの回は見られませんでした。 にぼし いわしは道頓堀川で泣いてました。 ──どういうシチュエーションですか。 いわし ライブのあと、出演者のひとりがライブビューイングするって言い出したんですよ。「いや、負けてるヤツいるのに、そんな提案ようすんな」ってライブハウスを出てった。 にぼし くっさい川の前で泣いてました(笑)。 ──そこから這い上がって、上京もして、3年後にTHE Wで見事優勝したわけですが、結成から12年、解散危機はありましたか。 いわし 月1くらいでありますよ(笑)。やっぱりうちらって、うっすら腐ってるんですよ。教室の隅っこで「あいつらより、うちらのがおもろい」みたいな反発心から始まったけど、その変な自信もハイスクールマンザイとNSCですごい才能に出会って折れてる。 だから自分たちの力を信じきれてなくて、たぶん人の数百倍悩んでしまってるんです。「うちらはお笑い向いてないな」って。それでほかの芸人よりライトに「辞めようか」っていう話をしてしまうんですよね。「俺らはおもろい」って芸人、本当にけっこういるんですよ。これは嫌味とかじゃなくて、ほんまにすごいなって思います。 ──とはいえ、ここまで続けられたわけですが、最低限の自信を得たきっかけのライブはあったんでしょうか。 いわし それはあります。ちょっと待ってくださいね、スケジュール確認したらわかります。……あ、2020年11月28日に初めて出た『グレイモヤ』っていうライブでの新ネタですね。そこでめっちゃウケたんですよ。 前の出番だったカナメストーンさんがウケて焼け野原にしていったから、うちらはもう無理やろうなって思ったのに、ですよ。あれで「私たちもここにいていいんだ」って初めて思えました。あれ以上のウケはないんちゃうかな。それからいろんな芸人さんがしゃべりかけてくれるようになりましたし、転機のライブですね。 初グレイモヤ!!ありがとうございました、ずっと出たかったんや…!お笑いの汁に十分に漬け込まれた最強のお客さんの前で最強の方々とご一緒出来て嬉しかったです〜脳味噌溶けた状態で大阪戻ります〜この上なく嬉しすぎる1枚を皆様にお見舞いします!喰らえ! pic.twitter.com/6b7ewoxYqp — にぼしいわし (@NIBOSHIIWASHI21) November 28, 2020 私は本気ですよ ──10月28日には、個人事務所「株式会社A-dashi(えぇだし)」を設立されますが、そもそもどこかの事務所に入る選択肢はなかったんですか? いわし みなさんけっこう優しくて、「なんかあったら言いや〜」って事務所さんはあったんですけど、お断りしてたんです。それも結局うっすら腐ってるからかもしれない。個人でやってるほうが動きやすいし、誰にも迷惑かけへん。ほかの個人事務所の方々とは違って、野望はあんまりないですね(笑)。 ──最後に、これから踏みたい“初舞台”が聞きたいです。 いわし やっぱりまずはM-1ですよね。注目度は上がってて、お客さんの見る目も変わってきてる。客観的にはいい流れなんでしょうけど、個人的にはTHE Wでいったん、天井を叩いた気がしてます。だから今は違う一面を見せるためチェンジをやってるところですね。これがハマるかどうか……たぶん2年くらいかかるかも、という覚悟でやってますけど。 ──THE Wのネタはひとつの完成形でした。にぼしさんの人柄も出てるし、発想もボケもどんどん飛躍していく。それなのにここから改めてチェンジを目指しているとは驚きです。 にぼし いやいや、まだまだこれからです。こないだの新ネタは、よりニンが出ていましたよ……。 いわし ……お察しのとおり、この人、普段はネタほどボケないじゃないですか。だからまずは普段のほうでおもしろいことを起こしたほうがいいんですよね。漫才としては完成したとしても、そこからテレビやラジオで活躍するためには、ネタと平場では乖離している部分を減らしたい。 ずっとネタだけにトガり続けてきたので、相乗効果で知られるようになりたいです。これはTHE Wで優勝したからこそ踏み切れた境地ですけど。 ──賞レース以外ではどんなことに挑戦したいですか。 いわし ネタで全国ツアーをしたいですね。行ったことない土地で漫才をして、その場のお客さんを笑かす。それが一番楽しいんで。 個人としては、最近エッセイの連載をしてて、文章を書くのは続けたいです。脚本の仕事もしたいですね。劇団の方にコントを書かせてもらったりしてるんですよ。にぼしいわしではできないようなネタも、もっと書きたいです。 にぼし 私は手芸と絵を描くのが好きなので、いつか個展がやれたらうれしいです。あと、自分で編んだものを、この人(いわし)に身につけてほしいです。この人に編み物を被せた写真をSNSに乗っけると、かなり伸びるんですよ。その評定を全部図録にまとめて、出版できたら。 いわし NHKの『すてきにハンドメイド』も出たもんな。そう遠くないんちゃう? にぼし 前回は編み物好きのゲストとして出ましたが、次は講師として出たいです。 ──いいですね(笑)。 にぼし いやいや……笑ってますけど、私は本気ですよ。 ──いや、にぼしさんが手芸家として、いわしさんが作家として有名になって、それでもふたりが舞台でネタをやっている未来を想像したら「いい未来だな、微笑ましいな」と思いまして……。すみません。 にぼし あ、そういうことか。こちらこそなんかすみません(苦笑)。 文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平 にぼしいわし 香空にぼし(きょうから・にぼし、1992年6月13日、大阪府出身)と伽説いわし(ときどき・いわし、1992年7月2日、大阪府出身)のコンビ。2010年、高校3年生で結成。2012年、大学在学中に大阪NSCに35期生として入学し、2013年にデビューするも、翌2014年に活動休止。『女芸人No.1決定戦 THE W』では4度ファイナリストとなった(2019年、2020年、2022年、2024年)。そして2024年、大会史上初めてフリー芸人として優勝を飾る。2025年10月28日には個人事務所「株式会社A-dashi」を登記申請し、同日記念ライブを開催予定。にぼしは文筆業、いわしは編み物でも活躍する。YouTubeチャンネル『にぼしいわしの吹き溜まり』も更新中。 【後編アザーカット】
focus on!ネクストガール
今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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休日にはあえてグルテンを摂取!──女優・鳴海唯の「チートデイ」#21 鳴海 唯(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年・NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年・TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年・ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる「若松のぶ」の同僚「琴子」役として出演。 インタビュー【前編】 目次余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい 余命宣告を受けた女性、感情を吐き出すシーン──難しい役に直面する日々 ──これまでいろいろな作品に出演されてきたと思いますが、その中で特に印象に残っているものはなんですか? 鳴海 最近だと、やっぱり『あんぱん』が一番ホットですね。でも、印象に残っているという意味では、『わかっていても The Shapes of Love』(2024年/ABEMA)という、横浜流星さん主演のドラマですね。その作品で私は、余命宣告を受けた女性の役を演じさせていただいたんです。 その役は、必然的に命と向き合わなければならないキャラクターだったので、演じる上で本当にたくさんのことを考えましたし、それを経験したことが自分の中ではすごく大きな糧になっていて……。 もちろん私自身は実際に余命宣告を受けたことはないので、どこまでいっても埋められない差はあるんですけど、だからこそ、その中で「どう向き合っていくか」という難しさに直面しました。この経験を通じて、私自身、役への向き合い方が大きく変わったと思います。だから『わかっていても』は、すごく印象深い作品ですね。 ──そういう壁にぶつかったときは、どう乗り越えていくんですか? 鳴海 自分の人生と全然違う役柄に出会うと、やっぱりすごく難しいなって思いますし、「どうすればいいんだろう」って悩みます。でも、その壁を乗り越えたときに、またひとつ自分が成長できたような気がするんですよね。 だから、自分が取り組みやすい、演じやすい役ばかりじゃなくて、苦手意識のあるキャラクターにも、どんどん挑戦していきたいなと思っています。 ──なるほど。その意味では、先日、NHKで放送された村上春樹さん原作のドラマ『地震のあとで』(第2話「アイロンのある風景」)に出演されましたよね。あれは難しい作品だったと思いますが、どうでした? 鳴海 役がすごく難しくて、ずっと悩んでいました。撮影が終わっても、「これでよかったのかな」と、思い続けていました。 もちろん、正解がない作品だと思うので、正解を求めること自体が違うのかもしれないんですけど……どうしても正解を求めてしまう自分がいて。放送を終えて、視聴者の方から感想をいただいたときに初めて、「わからないままでいいのかもしれない」と思えたんです。 正解が出ないなかで悩み続けることって、その作品とひたすら向き合っている証拠だと思うので、正解が出るかどうかじゃなく、向き合っていた“時間”のほうが大事なんだなと……そういうことを視聴者の方々の感想から教えてもらいました。 ──堤真一さんと共演されていましたが、現場でお話はされましたか? 鳴海 はい。私が演じたキャラクターは、けっこう感情を吐き出すようなシーンがあって、そのときは堤さんが本当に静かに寄り添ってくださいました。監督ともアプローチについて話しながら撮影に臨んでいたんですけど……堤さんは細かくお芝居について話すというよりは、すごく自然に気持ちを引き出してもらえるような関わり方をしてくださって。 実は私、小学生のころから「好きな俳優さんは誰ですか?」と聞かれたら「堤真一さんです」と言っていたくらい、ずっと憧れていたんです。しかも堤さんは私と同じ兵庫県西宮市の出身で地元のスターでもあるので、いつか共演できたら……と思っていた夢が今回実現しました。 撮影中は悩む時間もありましたけど、堤さんとは地元トークで盛り上がったりして……「あそこの公園わかる!」みたいなお話もできたんです。東京にいるのに、地元にいるような感覚でお話しできて、とても楽しかったです。お芝居の面でも、本当にたくさん引っ張っていただきました。 休日にはあえてグルテンを摂取! ひとり旅にも行きたい ──地元トークができるのっていいですよね。ところで、少し仕事からは離れますが、最近ハマっていることや気になっていることってありますか? 鳴海 最近ハマっているのは、休みの日に「あえてグルテンを摂取しに行く」ことなんです(笑)。今、普段はグルテンフリーをゆるくやっているんですけど、完全に摂らないでい続けるというのは無理なので、次の日に撮影がないときは「今日は小麦を摂るぞ!」って決めて、気になるパン屋さんを調べて行くんです。 今はそれがすごく楽しみで……パン屋さんまで散歩して、近くのカフェでカフェラテを買って、公園で座ってのんびりするというのが最近のリフレッシュ方法ですね。ひとりでパンを食べたり、トンカツを食べたり……そういうのが今のささやかな楽しみです。(小麦を)ごほうび感覚にすると、適度に距離感が出ることで、より好きになって。 ──いわゆるグルテンフリー版「チートデイ」的な感じですね! 鳴海 そうです(笑)。おっしゃるとおり、チートデイですね。 ──グルテンフリーを始めて、何か変化はありましたか? 鳴海 そうですね。わかりやすく体重が減りましたし、朝の目覚めもすごくよくなりました。よく「本当に効果あるの?」って言われるんですけど、実際にやってみたら本当でした。おもしろいくらい、如実に効果が出ます。 ただ、普段パンを食べていない状態で久しぶりに小麦を食べると、そのあとすごく眠くなるんですよね。だから仕事に集中したいときは、お米を食べるようにしています。 ──なるほど。今後やってみたいことって何かありますか? 鳴海 私、ひとり旅が好きなんですよ。今年は(忙しくて)ちょっと行けそうにないんですけど……去年や一昨年は海外に行っていて。国内旅行は飛ばして、海外にばかり行っていたんです。でも最近は、時間があまりないなかで「どこか行きたいな」と思ったときに「国内旅行もいいな」と思うようになってきて。やりたいことっていうほどではないかもしれないですけど、今は国内旅行をしたい気持ちが強いです。 ──行ってみたい場所はありますか? 鳴海 今は三重県の伊勢神宮に行きたいです……というか、伊勢神宮の手前にある参道で、赤福のぜんざいを食べたいという(笑)。 東京から三重って絶妙に行きづらくて、なかなか友達とも計画が立てられないんですよね。大阪に帰ってくると、つい実家で過ごしてしまうので、やっぱりなかなか予定に組み込めなくて。なので「ちゃんと見に行くぞ!」って決めないと、きっと実現できないなと思っています。 刑事や弁護士、特殊な職業を演じてみたい ──三重、近いうちに実現するといいですね……あと、今後演じてみたい役柄はあります? 鳴海 今までは、自分に近い等身大の役が多かったんですけど、最近は特殊な職業の女性を演じてみたいなと思っていて。実はこの前、とあるそういう感じの役をやらせていただいたんです。その役づくりをしていく中でのプロセスが、すごくおもしろくて。 『あんぱん』だと土佐弁がそうだと思うんですけど、そういう役づくりで必要になる要素があると、自然と役と向き合う時間が増えるんですよね。いつも以上に役と向き合わないといけない。準備をしっかりしないといけないから、役やセリフが自分の中にどんどん染み込んでくる、血肉になっていく感じがあって、それが好きなんです。 これからも、そういう特殊な職業の役に挑戦してみたいです。刑事とか弁護士とか、以前からやってみたいと思っていた役にも……実は今後挑戦させていただく予定があるので、夢がひとつ叶ってうれしいですね。絶対、大変じゃないですか(笑)。もちろん大変だとは思っているんですが、限られた時間の中でどこまで取捨選択して準備できるか、挑戦していきたいと思っていますし、大人の女性の役柄を演じていけたらいいなとも思っています。 ──ありがとうございます。最後に、鳴海さんが出演する『あんぱん』の見どころを教えてください。 鳴海 私は『高知新報』という新聞社のパートに出演しているんですけど、そこは戦後最初のパートになるんですね。なので、すごく自由と活気にあふれていて、熱量の高い場面が続きます。ドラマの制作の方からも「開放感のある、明るいシーンにしたい」と最初に言われていたので、そういうエネルギーを意識しながら演じていました。 それと、(若松)のぶと(柳井)崇の恋が大きく進展するパートでもあるし、私が演じる琴子は、そのふたりの恋のキューピッド的な存在でもあるので、琴子の“愛あるおせっかい”によって、ふたりの恋がどう動いていくのか……ぜひ楽しみにしていただけたらと思います。 ──視聴者が思っているもどかしさを、全部代弁してくれるようなキャラクターですよね。 鳴海 そうなんです(笑)。『高知新報』のシーンは、ちょうど作品としては折り返し地点に入っているところなので、最初から観てくださっていて(のぶと崇の関係性が)「もどかしい!」と思っている方には、「ようやく動く!」と思っていただけるんじゃないかなと思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。
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気鋭の女優・鳴海唯──『なつぞら』でデビューし『あんぱん』に出演。朝ドラへかける想い#21 鳴海 唯(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 鳴海唯(なるみ・ゆい)。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ね、今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。 目次#21 鳴海 唯(前編)憧れが生まれたのは11歳──行動に移したのは19歳『なつぞら』出演で、街中でも声をかけられるように共演者とのチームワークで臨んだ『あんぱん』 憧れが生まれたのは11歳──行動に移したのは19歳 ──まずは、デビューのきっかけからお伺いできればと……。 鳴海 小学校のときにドラマ『のだめカンタービレ』(2007年/フジテレビ)を観て女優という職業を知って、私もこういうお仕事をしてみたいと思ったんです。ただ、そこから10年くらいは行動に移さずにいて、気がついたら大人になっていました。 11歳くらいのときに憧れが生まれて、実際に行動に移したのは19歳のとき。映画『ちはやふる―結び―』(2018年/東宝)のエキストラに参加させていただいたのがきっかけですね。そこで「やっぱりこのままでは後悔する」と思って、大学を辞めて養成所に入ろう!と決めて、東京に出てきました。 ──なるほど。大学を辞めるという決断は、かなり大きなハードルだったのではないですか? 鳴海 本当に親不孝なことをしてしまったなと思ってはいます。入ってすぐに辞めてしまったので……。 でも、この思いは今に始まったことではなくて、11歳のころからずっと心の中で沸々と、くすぶっていたんです。それが『ちはやふる』への参加をきっかけに、もう抑えきれないほどあふれてしまって……居ても立ってもいられなくなって、行動に移すしかありませんでした。 ──なるほど。最初のお仕事はなんでしたか? 鳴海 たしか最初は、ミュージックビデオだったと思います。セリフはなかったんですけど、初めてカメラの前に立たせてもらったとき、「どこを見ればいいのかわからない」と思いました。カメラが目の前にあるのに、「カメラを見ないでください」と言われて……「どういうことだろう?」と、そんなことを考えながら撮影に臨んでいました。 カメラを向けられる緊張感や、メイクをしてもらうことへの違和感など、すべてが新鮮で、そうしたフレッシュな感覚をそのまま受け止めながら撮影に臨んでいた記憶があります。 ──セリフのあるお仕事の最初の印象はどうでしたか? 鳴海 その当時は、役づくりがどういうものかということすらわかっていなくて……いただいた台本をただ覚えて、それを一生懸命カメラの前で演じるということで精いっぱいだったような気がします。それでも「お芝居って楽しいな」と思えたことは、今でも覚えています。 結果的に作品として最初にメディアに出たのは『なつぞら』(2019年/NHK)なんですけど、実はその前に撮影した初めての作品があったんです。その作品で出会った仲間たちとは今でも会いますし、自分にとっては本当に大切な出会いでした。 一番最初に行った現場で出会った友達が今でもがんばっている姿を見ると勇気づけられるし、自分も「がんばろう」と思わせてもらえるんです。今もよくご飯に行って、思い出話をしたりしています。 ──それはどなたですか? 鳴海 配信ドラマ『妖怪人間ベラ〜Episode0〜』(2020年)という作品でご一緒した、北原帆夏ちゃんと横田愛佳ちゃんです。1年に1回は集まって、近況報告をしています。 それと別の現場でも、大友花恋ちゃんや森田想ちゃんと再会する機会があって、彼女たちとも『ベラ』で一緒だったんですよ。そうやって初めての作品で出会った人たちと、現場でまた会えるのはすごくうれしいです。最近も(森田)想ちゃんと現場でお会いしたので、そのことを伝えたりしました。 『なつぞら』出演で、街中でも声をかけられるように ──映像として世に出たのは『なつぞら』が先になったとのことですが、ご自身で試写などで初めて観た出演映像作品も『なつぞら』だったんですか? 鳴海 そうですね。自分自身が出演した作品を最初に観たのは『なつぞら』でした。 ──『なつぞら』の出演は、オーディションだったんですか? 鳴海 はい。オーディションです。 ──そのオーディションの印象はいかがでしたか? 鳴海 まず、「受けさせてもらえるチャンスがあるんだ」と驚いたのを覚えています。当時は、本当に受かるなんて思っていませんでした。 友達に家に泊まりに来てもらって、夜遅くまで相手役を手伝ってもらったりして……今までで一番時間をかけて取り組んだオーディションでした。本当に一生懸命だったと思います。 ──実際に受けてみてどうでしたか? 鳴海 自分自身の手応えは特に感じなかったんですけど……当時、ドラマや映画で観ていた女優さんたちが目の前にいらっしゃって、そんな体験も初めてで。オーディションとはいえ、そういった方々とお芝居ができたことがすごくうれしかったです。「楽しかったなー」と思いながら(オーディション会場の)NHK放送センターから帰った記憶がありますね。 ──『ちはやふる』ではエキストラというかたちで共演した広瀬すずさんと、今度は別のかたちでお会いしたわけですが、どんな気持ちでしたか? 鳴海 そうですね。高校生のころの自分に教えてあげたいくらい……本当に夢みたいな瞬間でした。 『なつぞら』を経て感じた、スクリーンやテレビの外から観ていた憧れの方々と共演させていただく喜びみたいなものを、それこそ『なつぞら』以降、たくさん経験させていただくことになるんですけど、たぶんその最初の体験ですね。 ──よく朝ドラに出演すると、街中で声をかけられるようになるって聞くんですけど……実際どうでしたか? 鳴海 『なつぞら』での出演は本当にちょっとだけだったので、そこまで声をかけられることはなかったです。でも、地方で仕事をしていると、「明美(役名)ちゃんだよね?」と声をかけていただくこともあって、朝ドラの影響力って本当にすごいなって、改めて感じました。あのドラマをどれだけの人が楽しみにしているのかが、実感できた瞬間でしたね。 ──映像作品に出演するようになってからの、身近な人や友人からの反応はどんな感じでしたか? 鳴海 父はもう、私が映ってさえいればなんでもうれしいっていう感じで(笑)。どんな作品に出ても喜んでくれるんですけど、特にNHKの作品だとすごく楽しんで観てくれている印象があります。だからNHKの作品に出ると、親孝行がまたひとつできた!っていう気持ちになるんですよね。 そういう意味では今回、『あんぱん』に出演できたことも、おばあちゃんや親にちょっとでも孝行できたかな、という気持ちになりました。 共演者とのチームワークで臨んだ『あんぱん』 ──その『あんぱん』ですが、撮影現場で何か印象に残ったことはありました? 鳴海 そうですね、『あんぱん』の1週間は、まず月曜日にリハーサルをして、火曜日から金曜日は、だいたい朝8時くらいから撮影が始まるんです。毎日NHKに通って撮影をするという流れが、ほかのドラマとは全然違っていて。 普段は時間も毎日バラバラだし、行く場所も変わるんですけど、朝ドラの撮影はルーティンがしっかり決まっていて、それがすごく身体に染みついた感じでした。その感じがすごく不思議で……ああ、これが朝ドラに出演しているっていうことなんだなと思いながら、撮影をしていました。 普段は作品が終わってもそこまで寂しくなるタイプじゃないんですけど、『あんぱん』は参加期間が3週間と短かったものの、毎日同じ現場に通っていたので、終わったときにはすごく寂しくて……。あのルーティンがなくなるのが寂しいな、と。 ──『あんぱん』での役づくりで、特に意識したことはありますか? 鳴海 私が演じる琴子のキャラクターは、一見すごく明るいんですけど、脚本を読んだときにすごく魅力的だなと思ったのと同時に、彼女がどうして明るく振る舞っているのか……その背景が気になったんです。だから、ただ明るいだけじゃなくて、なぜそう振る舞っているのかを丁寧に掘り下げていくことで、もっと人間らしい深みのあるキャラクターにできるんじゃないかと思って……一番そこを意識して向き合いました。ただ明るいキャラクターというだけで終わらせないようにする点には、すごく気をつけましたね。 あとは、やっぱり土佐弁が難しかったんですよね。普段セリフを覚えるときは、単に言葉を覚えるだけなんですけど、今回は「言葉」も「音」も覚えなきゃいけなくて、いつも以上に……覚えるまで2倍くらいの時間がかかりました。すごくハードルは高かったんですけど、この作品に出ている方はみんな同じ経験をしていると思うので、「大変なのは自分だけじゃない!」と思えて、それを励みにがんばれた気がします。 ──共演者の今田美桜さんや津田健次郎さんらとは、現場でどんな感じの……。 鳴海 私が参加した『高知新報』でのパートは、北村匠海さん、今田さん、津田さん、倉悠貴さん、そして私の5人で、基本的に物語が進んでいくんです。現場では今田さんと北村さんがよく前室にいらっしゃって、自然とコミュニケーションも生まれて、いろんな話をしました。 芝居の話ももちろんしましたけど、全然関係ない話もたくさんしましたね。特にご飯の話題が多くて、「今日は何を食べようかな」とか、メニューを見ながら「このデリバリーがおすすめだよ」とか(笑)。 そういう日常的なやりとりを通じて、自然と仲よくなっていった感じですね。だから撮影が進むにつれて、チーム感みたいなものが、どんどん強くなっていきました。もちろん、それぞれの撮影日は違っていたりして完全に一緒に動いていたわけじゃないんですけど、前室の空気みたいなものは、きっと画面にも映っている瞬間があると思います。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=丸林彩花 編集=中野 潤 ************ 鳴海 唯(なるみ・ゆい) 1998年5月16日生まれ。兵庫県出身。2019年、NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、テレビドラマ初出演を果たす。2021年『偽りのないhappy end』で映画初主演。その後、テレビCMや大河ドラマ『どうする家康』(2023年/NHK)、ドラマ『Eye Love You』(2024年/TBS)、映画『赤羽骨子のボディーガード』(2024年)、ドラマ『七夕の国』(2024年/ディズニープラス)などへの出演を重ねる。2023年には写真集『Sugarless』を発売。今夏、NHK連続テレビ小説『あんぱん』に、今田美桜演じる若松のぶの同僚「琴子」役として出演。 ▼『logirl』でマンガ連載(『テレビドラマのつくり方』)をしている、『妖怪人間ベラ〜Episode0〜』で監督を務めた筧昌也さんへのコメントを求めると「筧さん、私が新しい作品に出るたびに連絡をくださるんですよ。またご一緒したいです!と言っているものの、なかなかタイミングが合わなくて……がんばっていれば、きっとまたすぐに作品でお会いできると思うので、これからもよろしくお願いします!」 【インタビュー後編】
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趣味は編み物と映画鑑賞──『おいしくて泣くとき』ヒロイン・當真あみのプライベート#20 當真あみ(後編) 旬まっ盛りな俳優にアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 當真あみ(とうま・あみ)。2020年に沖縄でスカウトされ、『妻、小学生になる』(2022年/TBS)でテレビドラマ初出演を果たす。その後、「カルピスウォーター」の14代目イメージキャラクターに就任、また、『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)など、ドラマへの出演を重ねる。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。後編では、プライベートに関することを聞いてみた。 インタビュー【前編】 目次手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ上京後も送ってもらっていた“実家の味” 手芸屋で毛糸を物色、俳優仲間と映画館へ ──プライベートなことも伺いたいのですが、最近ハマっていることはありますか? 當真 映画鑑賞はずっとしています。あと、去年ハマり出したのは、カメラと編み物ですね。編み物は、空いている時間に少しずつ編んで、いろいろと作ったりしています。 ──素材も自分で買いに行ったり? 當真 はい。手芸屋さんへ行って、毛糸を物色したりとか。 ──今まで編んだ中で、一番うまくできたものはなんですか? 當真 ニット帽ですね。けっこううまくいって。夏場は、麦わら帽子になるような素材で、帽子を作ったりもしていました。 ──映画は今、どれくらいのペースで観ていますか? 當真 今年も1月中に3本は観ました。まだまだ観たい作品があって、もうすぐ上映が終わるのかなとか、早く行かなきゃと思っている作品も、今、3つぐらいあります。少なくとも月に1本以上は確実に観たいなと思っています。 ──映画館に行って観るんですか? 當真 そうですね、映画館がすごく好きで。家で観ていると、ちょっと飽きちゃったり、気が散ることもあるのですが、映画館だと大きなスクリーンにすごい音響だったり、本当にその空間がすごく好きなんです。 ──今まで観てきた映画の中で、すごく好きな作品、もしくはこの作品に出ているこの俳優の演技に憧れる、というのはありますか? 當真 お芝居でいうと、杉咲花さんです。昨年観た『52ヘルツのクジラたち』(2024年)と、おととし観た『市子』(2023年)での杉咲さんのお芝居が本当にすごくて……誰かの人生を追いかけて見ているような、そういうリアルなお芝居というか。リアルだし、言葉の一つひとつに、しっかりと伝わってくる強さがあって、そういう相手に届ける力がすごく強い女優さんだなと思いました。 ──お仕事をするなかで、仲よくなった俳優さんはいますか? 當真 『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』というドラマで仲よくなった友達とは、ずっと一緒にいます。みんな映画を観るのが好きなので、最近は一緒に。それこそ『室町無頼』も一緒に観に行きました。共通の好きなものを持っている人がいるのって、すごくいいなと思いながら過ごしています ──今後、やってみたい役柄はありますか? 當真 今、高校卒業間近で、これまでは学生役をいただくことが多くて、今後はさらに先にある大人としての仕事とか、今の学生のさらに先のところで一生懸命にがんばっているような役に挑戦できたらなと思っています。 ──社会人の役などですかね? 當真 そうですね。学生の役では、自分が経験したものだったり、知っている感情をつなぎ合わせて演じていたんですけど、その先となると私もまだ経験したことがないから、たぶんすごく難しいだろうなと思うんです。でもそこを探しながらやるのがすごく楽しいだろうなと思っていて、挑戦してみたいですね。 ──高校を卒業して、成人して、何かが変わる実感はあったりしますか? 當真 成人してですか……まったくないです(笑)。18歳になったからって遅くまで出歩くわけでもないですし、結局あまり変わらないかなというのが大きくて。ただ、学生でも子供でもないというところを意識して、しっかり気持ちを切り替えてかないといけないなとは思っています。 上京後も送ってもらっていた“実家の味” ──俳優以外で、今後やってみたいお仕事はありますか? 當真 ドラマや映画の宣伝で出演するバラエティ番組などで、全然違うジャンルなのに、おもしろくできる俳優さんがいるじゃないですか。すごく明るいキャラクターが出ている感じの……。私は(バラエティでは)うまくしゃべれないぐらいに緊張するので、それをなくせたらなと思っています。 ──書く仕事などは、興味があったりしますか? 當真 あまり考えたことはなかったですね。それよりは、最近カメラを持ち始めてずっと撮っているんですけど、写真を撮るのがすごく楽しくて。その流れで何か挑戦できるものがあったらいいなと思います。 ──写真を撮るときには、ご自分が撮られるときの経験が活きていたりしますか? 當真 いや、まったくないですね(笑)。撮っている対象も友達ばかりですし。画面を通して見ると、また違う人に見えてくるのがおもしろくて、そこはどこかお仕事で活かせたら楽しいだろうなと思います。 ──最後に、改めて映画『おいしくて泣くとき』の見どころを伺えれば。 當真 そうですね。心也くんと夕花の初恋、ラブストーリーではあるんですけど、それだけじゃなくて、ふたりを囲む世界にいる人たちの愛がたくさん感じられる作品だと思います。たとえば30年も相手を思い続ける心也くんの想いや、子供に対する心也くんのお父さんの想いなど、深い気持ちをすごく感じられる作品ですし、人の気持ちの強さ、尊さを感じていただけたらなと思います。 ──タイトルにもつながる、當真さんご自身の「食の思い出」はあったりしますか? 當真 あまり外に出て食べるということをしないのですが、お母さんやおばあちゃんの料理はすごく好きですし、東京に来てからも作った料理を実家から送ってもらっていたことがあって。ハンバーグとか、自分が本当に好きな食べ物を送ってもらっていて、仕事が終わったあとに食べるとすごく体に染み渡りました。ずっと食べてきたものを食べるとすごく安心して、おいしくて。泣くまではいかないんですが、ほっとする料理が身近にあるのは、本当にうれしいことだなと思いました。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 編集=中野 潤 ************ 當真あみ(とうま・あみ) 2006年11月2日生まれ。沖縄県出身。『妻、小学生になる』(2021年/TBS)でテレビドラマ初出演。その後も『パパとなっちゃんのお弁当』(2023年/日本テレビ『ZIP!』朝ドラマ)や『どうする家康』(2023年/NHK)、『最高の教師 1年後、私は生徒に■された』(2023年/日本テレビ)、『さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~』(2024年/TBS)など、ドラマへの出演を重ねる。Netflix映画『Demon City 鬼ゴロシ』が配信中。2025年4月4日公開の映画『おいしくて泣くとき』では、複雑な家庭環境下にあるヒロイン・夕花を演じている。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「作業もインプットもサボりも、常にマルチタスク」水野太貴のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 人気チャンネル『ゆる言語学ラジオ』で言語学の魅力を発信し、その深い言語愛で多くの人を言語の沼へと引きずり込んでいる水野太貴さん。本業である出版社での仕事を続けながら活動を続ける水野さんに話を聞くと、精力的すぎる日常や斬新なサボり方が見えてきた。 水野太貴 みずの・だいき 愛知県出身。名古屋大学文学部卒。専攻は言語学。出版社で編集者として勤務するかたわら、堀元見とのコンビでYouTube・Podcastチャンネル『ゆる言語学ラジオ』の話し手を務める。著書に『復刻版 言語オタクが友だちに700日間語り続けて引きずり込んだ言語沼』(バリューブックス・パブリッシング)、『きょう、ゴリラをうえたよ 愉快で深いこどものいいまちがい集』(KADOKAWA)、『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社)がある。 『ゆる言語学ラジオ』は趣味だから、忙しくても楽しめる ──番組のパートナーである堀元見さんに誘われて『ゆる言語学ラジオ』を始めたそうですが、やはり言語学の専門家ではないことなどからの迷いはあったのでしょうか。 水野 最初は葛藤してなかったんです。尊敬するクリエイターから「一緒にものを作ろう」と誘われたら、断らないじゃないですか。それに、専門家じゃない人間が言語学の番組を始めたって、そんなに流行ると思わなかったので、細々と趣味としてやるイメージでした。だから、実名、顔出しで始めてしまったんですけど、めっちゃ軽率でしたね(笑)。 ──番組の構想やおふたりの役割などについては、どのように決まっていったんですか? 水野 打ち合わせみたいなものは特になかったんですよね。堀元さんからは企画書をもらっただけで、あとは「この日にここに来て」と言われて。行ったら、もうカメラのセッティングなんかもされていて。「じゃ、始めましょっか」っていう感じでした。 ──それでできてしまうのがすごいですね。さすがに水野さんのほうで何か準備はされていったんですよね。 水野 はい。僕は彼のnote、個人ブログを読んでいたので、テーマを決めて、「堀元さんだったらこういう感じのタイトルをつけるだろうな」っていうタイトルをつけて投げたんですよ。具体的な内容も書かず、「日本語は『Call of Duty』(ファーストパーソン・シューティングゲーム)的で、英語は『荒野行動』(バトルロワイヤルゲーム)みたいな言語だ」といったパンチラインだけを送りました。 ──見出しだけ送ったらもうオッケーみたいな。 水野 そうですね。堀元さんから「こういう話に変えてくれ」みたいなことも全然言われなかったです。役割としても演者という感覚が近くて、プロデューサーが堀元さんという感じで。だから、このインタビューではクリエイターと言ってもらってますけど、全然クリエイターという意識はないんです。企画を0→1で生み出している堀元さんのほうがクリエイターですよね。 ──とはいえ、テーマの切り口を考えたりしているのは水野さんですし、お互いの持ち味をうまく活かすかたちで最初から番組が作られていたということですかね。 水野 僕たちの番組がわりとうまくいっているのは、お互いに編集的な視点を持ってるからだと言っていただいたことはありますね。お互いが相手を活かすために、「どう調理したら一番おもしろくなるだろう」みたいなことは考えていて、その視点って、編集者としては当然やることなんです。どちらも編集業や執筆業をやっていたことは大きかったかもしれません。 ──一方で、カメラの前で話すことなどについては素地があったわけではないと思うのですが、実際に収録してみてギャップを感じることはなかったのでしょうか。 水野 あまりなかったんですよ。もともとおしゃべりが得意で、高校生のころから学校で集団授業をしていたくらいなんで。授業がしたくて、使われてない教室に友達を集めて英語を教えたりしてたんです。堀元さんに誘われたとき、「しゃべりうまいね」と言われて、集団授業をしたり、塾講師になりたいと考えたりしていたことを思い出して。「これで塾講師の夢も成仏できそうだな」と思いました。 ──番組を続けてきての変化はありますか? 水野 自分としてはそんなに変わらなくて、開始当初の自分の延長線上にあるような感じがします。ただ、言語学に対する誠実さが以前とは違ったり、勉強の量が増えたり、そういう変化はありますね。特に生産量が増えていて、昔なら土日は普通に遊んでましたけど、今はゆる言語学ラジオでやらなきゃいけないことが多すぎるので、平日も仕事のあとに作業して、週末も遊びに行かずに作業をしてます。 ──それって苦しくないんですか? 水野 「人と遊ぶより、言語学の勉強をしたほうがおもしろいかも」ってなっちゃって。それがいいことか悪いことかわからないので、美談としては語れないんですけど。ライフワークバランスでいうと、ゆる言語学ラジオは趣味だと思っていて、ワークと捉えてないんです。 ──まさにご自身が言語沼にハマっている。 水野 そうですね。 批判に向き合い、正確性のある番組作りを進めていった ──番組がたくさんの人に見聞きされるとは思っていなかったとのことですが、実際に登録者が増えていくに従って、意識の変化はあったのではないでしょうか。 水野 公益性を意識するようになったのは大きくて。YouTubeで「言語学」と検索すれば、上位は僕らの番組になると思うんです。つまり、言語学について知りたいと思った人のファーストコンタクトが、僕らになる可能性がある。やっぱり、アカデミックな世界でやっていない人間が学問の看板を使ってビジネスしていて、専門家からは白眼視されているとしたら、それはあまり健全じゃないというか。 なので、開始当初は収録前日の深夜まで台本を作って、そのまま堀元さんに話していましたが、今は正確性を期すために収録の1週間前には台本を仕上げて、適切な専門家の監修を経てから収録するようになりました。収録後も粗編集した素材を専門家に見てもらい、テロップや発言に問題がないかチェックしてもらっています。 ──なるほど。専門家からの意外な指摘などはありましたか? 水野 「なんで王道じゃなくて、こんなトリッキーなテーマを選ぶの?」みたいなことはたまに言われますね。そこはずっと変わっていないところで、再生数が稼げるウケそうなネタとかは意識していなくて、僕がおもしろいと思うものをしゃべっています。 ──では、テーマ選びや台本作りはどのように行われているのでしょうか。 水野 やりたいテーマをメモしていて、今だと160個ぐらいのテーマがネタ帳にあるので、そこから文献を読んで読書メモをつけるなどのリサーチを進めます。リサーチはそれぞれちょっとずつ並行して進めていて、リサーチが完了したものを台本として整理していく、といった流れですね。 料理にたとえると、文献や本を読むことは買い物に行くようなもので、読書メモを作ったり、そこからおもしろいと思ったことをさらにメモしたりすることは下ごしらえ、それらをまとめて魅力的に伝える方法を考え、ストーリー構成していくのが調理、みたいな感じです。 ──堀元さんは、その内容を収録現場で初めて知るわけですよね。 水野 そうですね。知ってる話だとどうしてもウソっぽくなってしまうので、台本は相方に見せていません。そういうウソのリアクションって、視聴者にすぐバレてしまうんですよ。だから、聞き手の負荷はめちゃくちゃ大きいと思います。 ──番組的なターニングポイントを挙げるとしたら、どんな出来事がありますか? 水野 それは、自分がしゃべった内容に問題が含まれていて批判を受けたときの反応じゃないですかね。開き直ったり、黙殺したりする選択肢もあったんですけど、僕は謝罪して、ゆる言語学ラジオの活動を支援してくれる研究者の方がいないか呼びかけたんです。そこからアカデミズムの世界の方に監修してもらったり、ゲストとして登場してもらったりするようになったので、批判のあとの行動が大きな分岐点だったと思います。 ──正確性を期すという方向に舵を切っていったと。 水野 はい。そもそも僕が批判を浴びたのも、問題の多い書籍を典拠にしていたことだったんですが、それってアカデミズムの外にいると見分けられないんですよ。見た目的には問題がなさそうでも、実はとんでもないことが書いてあったりする。なので、監修のほかにも、リサーチの段階で信頼のおける参考文献を教えてもらったりするようになりました。 ──結果として作業の工程が増えていっても、あくまで趣味として楽しんでいるとのことでしたが、番組を続けるモチベーションも変わらないのでしょうか。 水野 そうですね。趣味なのでやめたいと思ったことはないです。僕は基本的に副業ができないので、番組を通じてお金をもらうこともないですし。金銭的なインセンティブがないというか、やめたところで生活に困らないというのもあるかもしれません。生活のための仕事にしてしまうと、楽しむ余白を失ってしまうこともあると思うんですけど。 ──そこは趣味だからこその強みかもしれないですね。 水野 あとは、やっぱり堀元さんの存在も大きいです。僕がしゃべった内容を彼が一般化したり、似た構造のものにたとえたり、違う発見に導いたりしてくれるから、やれている。自分が調べたことをもとに相方が別の視点を提示してくれるので、僕は僕でインプットをアウトソースしているような感覚があって。それがモチベーションにもつながっていますね。 ──そういったなかで、番組に手応えを感じるのはどんなときなのでしょうか。 水野 書籍を執筆していて番組のリサーチにあまり時間がかけられなくなったときに、僕の身近にいる、おもしろいけど世間的には有名じゃないような人にゲストに出てもらっていたんです。そういう人たちのおもしろさを最大化する企画ができたことはよかったですね。 特にムロさん(室越龍之介)という友人に出てもらった回(「徹底討論!「結論から喋る」は本当に正しいのか?」)は気に入っています。アカデミックなバックグラウンドがある人で、いろんなポッドキャストなどにも出てるんですけど、おそらく一番再生されているのはその回だと思うんですよね。みんなムロさんを正しくおもしろく提示する方法をわかってないとうっすら感じていたので、自分の仮説が当たったようでうれしかったです。 世界とチューニングを合わせられた本 ──最近出版された著書『会話の0.2秒を言語学する』についても伺いたいのですが、なぜ「会話で相手に返事をするまでにかかる時間は0.2秒である」ということをテーマにしたのでしょうか。 水野 最初からテーマにしていたわけじゃないんですけど、僕がおもしろいと思ったことを書こうとしたときに、会話はたった0.2秒でできているという軸を通したら、読み物としての強度が上がると思ったのが理由のひとつです。あとは、僕は言語学の専門家ではないけれど、しゃべることを仕事にしているといえるので、会話については言語学者よりも知っているかもしれない。そこをかけ合わせれば、専門性を持たせることができると思ったのがもうひとつの理由です。 ──内容についても、水野さんがテーマをもとに文献を読み進めていくような、結論ありきの書き方ではなかったように感じましたが、実際どのように書き進めていたんですか? 水野 書き上げてから章を入れ替えたりはしましたが、本当に結論が見えないまま1章ずつ書き上げていった感じですね。1〜2章くらいまでは「会話の0.2秒」というテーマもなかったので、編集の方も不安だったと思います(笑)。でも、問い自体がおもしろいから、本では結論めいた章も作りましたけど、「ここまでのことがわかりました」と示すだけで終わっても最低限のおもしろさは担保できると思っていました。 ──発売されてからの反響はいかがでしたか。 水野 過去に出した本に比べて、感想に幅があるのが印象的でしたね。読んだ人によって注目するポイントや論じ方にかなり差があって。構成を褒めてくれる人もいて、Amazonのレビューで「クリストファー・ノーランの『インセプション』みたいだ」と言ってもらえたのはうれしかったですね。ほかにも、ASDや吃音について扱った部分について当事者の方からよかったと言ってもらえたケースとか、本当に感想が千差万別でした。 ──さまざまな人の個人的な関心に引っかかるような作りになっていたんでしょうね。 水野 出版業界の人間として思うのは、それって売れる本の特徴なんですよ。反対もあれば賛成もあって、おもしろいと思う部分も全然違う。そういった反応が自分の本でも起こったことが意外で、うれしかったです。あとは、ゆる言語学ラジオよりも骨太に作ったつもりだったんですけど、意外とスラスラ読んでもらえているようなので、そこもよかったです。僕と世界のチューニングが合っていたんだという気がして。 ──今後書いてみたいテーマなどはありますか? 水野 少し前まで『中央公論』で「ことばの変化をつかまえる」という、いろんな分野の先生方に言葉の変化について尋ねる短期連載をやっていたんですが、それを5年以内くらいに本にまとめられたらいいですね。どうしてもリサーチに時間がかかりそうなんですけど、僕の場合、ちょっと調べて1年くらいで書いたものだと、おもしろくならない気がするので。書けるものを書いても仕方ないというか、着手した段階では頭の中で正解や完成形が見えていないものを書かないとダメなタイプだと思うんです。 イルカのように、サボりながら作業する ──水野さんが相当忙しい日々を送っていると聞いた上で聞くのも気が引けるのですが、仕事をしていてサボりたいと思うことはありますか? 水野 息抜きしたいと思うことは、あまりないかもしれないです。本を書いている間も、旅行に行きたいとか、飲みに行きたいとかあまり思わなかったので。全部楽しくてやってることですから。家での作業で息抜きになっているとしたら、トイレに行くことですかね。トイレに本が置いてあって、そこでは作業と関係ない本を読んでもいいというルールにしてるんです。家で仕事をしているときに本が読みたくて、あり得ないくらいお茶を飲むこともあります(笑)。 ──ルールに厳格なんですね(笑)。ゲームや動画につい夢中になるようなことはないんですか。 水野 でも、疲れたときに『ハースストーン』というネットカードゲームや、『モンスターストライク(モンスト)』をやったりしますよ。お酒を飲んで辞書を見ながらですけど。モンストは読書中やメールの返信中なんかもずっとやっているので、ビビるくらいランクが高いです。 ──同時並行で、サボりながら働いてる。脳の片方だけで眠るイルカみたいですね。斬新なサボり方だ。 水野 普通、サボりに集中しますもんね。常にマルチタスクというか、完全に作業やインプットをしないということは、あんまりないのかもしれない。一番のリラックスタイムはお風呂にお湯を張って浸かることなんですけど、そのときもKindleでマンガを読んでますから。でも、湯船から上がってキンキンに冷えたビールを飲みながら、パンツ一丁でハースストーンをしながら雑誌を読む時間がすごく好きなんで、それはわりと息抜きタイムかもしれない。 ──すごく幸せな時間だと思いますが、やっぱり要素が多いですね(笑)。 水野 ひとつのことに集中することって、本当にないですね。サボりについて聞かれることがなかったので、初めて気がつきました。俺、「コスパ厨サボり」だったんだ。新しい自分を知ることができました。ありがとうございます(笑)。 ──いえいえ(笑)。ほかに最近関心のあることなどはありますか? 水野 温泉とクラフトビールにはハマりかけたんですけど、やっぱり関心のほとんどを言語学に使い果たしちゃってますね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平 『会話の0.2秒を言語学する』発売中 会話で相手と交替するまで平均0.2秒。この一瞬に起きている高度な駆け引きや奇跡をもとに、言語学の魅力を伝える水野太貴さんの著書『会話の0.2秒を言語学する』が新潮社より発売中。 『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社)
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「答えのない世界で、自分の幅を広げていく」児玉雨子のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 作詞家としてアイドルソングやアニメ主題歌など、さまざまな楽曲の歌詞を手がけ、小説家としても芥川賞候補作をはじめ話題作を執筆している児玉雨子さん。どのように言葉を紡ぎ出し、どのように気分を切り替えているのか、児玉さんの仕事とサボりについて聞いた。 児玉雨子 こだま・あめこ 作詞家・小説家。神奈川県出身。アイドルグループ、声優、テレビアニメ主題歌やキャラクターソングを中心に作詞提供。2021年に小説『誰にも奪われたくない/凸撃』(河出書房新社)刊行。2023年に『##NAME##』(河出書房新社)が第169回芥川龍之介賞候補作にノミネート。同年9月に文芸エッセイ『江戸POP道中文字栗毛』(集英社)を刊行。 歌詞であることの意味は、リズムにある ──10代のころから執筆や作詞活動を始められたそうですが、どんなきっかけで表現の道に進まれたのでしょうか。 児玉 もともとマンガやアニメが好きで、最初はマンガを描こうとプロットを書き出してみたんですけど、なんだか小説みたいだなと思ったんです。それを小説として新人賞に出してみたら、受賞までは行かなかったものの、途中の選考まで進んで。 作詞をしたのも、そういったこともあってテレビ局の方から番組主題歌の歌詞を依頼されたのがきっかけです。ただ、やはり「若い女性が書く」ことへの期待も少なからずあったと思います。そういうこともあって、個人的には長続きするものだとは思っていませんでした。 ──仕事にするとは思っていなかったからこそ書けたところもあるのかもしれませんが、とはいえ、歌詞なんていきなり書けるものなのでしょうか。 児玉 当時から依頼を受けた以上、自己表現ではなくて仕事であるという意識もありました。だからといって気持ちが入らなかったわけでもなくて、実際にやってみたらすごくおもしろかったので、作詞を仕事にしていけたらいいなと思うようになりました。もともと音楽を聴いたり楽器に触ったりするのも好きだったので、個人的には小説を書いたりすることとの差も感じなかったんですよね。 ──思わぬきっかけで作詞家として活動を始められたわけですけど、実際のところどんなふうにお仕事をされているのか教えてください。どのように受注や制作をされているのか、よく知らないもので。 児玉 まずディレクターや作曲家の方から指名していただくパターンと、コンペに参加するパターンの2パターンがあります。次の段階についてはジャンルによるんですけど、アニメだったら、最初から楽曲や使用シーン、物語上の文脈などもある程度決まっていて、それに沿って書いたりします。J-POPにはそういった文脈がないので、曲によりますね。リアルアイドルだとグループとしてのコンセプトはあるんですけど、逆にコンセプトしかなかったりもするので、そこから私が楽曲テーマを考えることもありますし、ディレクターやプロデューサーのイメージをもとに進めていくこともあります。 ──なるほど。では、実際にどんな歌詞を書くかについても、ケースバイケースになりますかね。 児玉 そうですね。難しいのは、発注してくださる方が“児玉らしさ”をどこに感じているのか、その解釈の部分で。おかげさまでいろんなジャンルからお声がけいただいて、自分の中の引き出しはいくつかあるんですけど、どの引き出しを“児玉らしさ”と感じてくださっているのか、考えてしまうことはありますね。 ──職人的な作詞家として活動されている面がありつつ、作家性のある作詞家として期待されている面もあるんでしょうね。ご自身ではどう認識されているのでしょうか。 児玉 器用に思われている気がしますが、自分ではそうでもないと思ってるんです。ただ、アニメにもジャンルの幅がありますし、アーティストやアイドルにもいろいろな個性があるので、毎回自分の表現の幅を広げるつもりで向き合っています。 ──結果的に職人的な作り分け方をされていると。そんななかでも、ご自身の個性として意識されている部分はありますか? 児玉 韻やリズムがないと「歌詞」じゃないなと思っちゃうんですよ。わざわざメロディに乗せる意味があるのかな、と考えてしまう。歌に乗せる意味は、耳で聴いたときの気持ちよさにあると思っています。そこは歌詞というジャンルとしてのこだわりかもしれません。 安易に人を傷つけず、心に残る表現を追求したい ──児玉さんといえば、アイドル楽曲などではインパクトの強いパワーワード、パンチラインを生み出されている印象もあります。そういった言葉はどのように生まれるものなのでしょうか。 児玉 自分ではそこまで狙って書いたものではないときもあります。リスナーにいいフレーズだと褒めていただいて、「みんなこれをパワーワードだと思ってくれるんだ」と驚くことのほうが多くて。 あと、私の「パワーワード」という言葉の定義がずれているのかもしれませんが、最近はパワーワードといわれる言葉に、人の心を傷つけるようなものが多いことが気になっています。暴力的な表現や、人をけなすような表現ばかり「刺さる」といわれてしまうことについて、問題視しているというか。人の心を安易に傷つける言葉しか印象に残せないのかな、と。その点は懸念しています。 ──目立った者勝ちで、なりふり構わず強い言葉を使うというのは、歌詞に限らず起きている現象かもしれません。 児玉 表面的な言葉で賛否が起これば実績になる一方で、繊細なフレーズが埋もれていってしまうのはどうかと思うんです。もちろんこれは自戒も込めています。やはり優れた表現は胸に刺さって抜けないものなのですが、その攻撃性についてもっと自覚的でいようと。だから最近は、歌詞を書くときに「強い言葉に頼らなくても印象に残る表現を追求する」ということを自分に課しています。「もっと鋭い表現ちょうだいよ」と言われがちですが、その鋭さの方向には少し立ち止まって考えるようになりました。 ──すごく現代的な問題意識だと思いますが、ポップスを作ること自体が、時代やトレンドと密接に関係していますよね。児玉さんはその点についてどう向き合っているのでしょうか。 児玉 最近は、数年前に書いた曲が知らないうちにサブスクやミームとしてバスることもあって、かえって目先のトレンドを意識しなくなってきました。世代論などの話になると「最近の人は目の前のことに追われて……」なんて言われがちですが、一方でプラットフォームの発展のおかげで、昔のものを発見しやすくなっている。だからこそ、「時間を超えてこの曲に出会ってくれる人もいるかも」と、もうちょっと世界というか、他者を信用してみようという気持ちになっています。それだけに、「今はこうやって売り出せば売れる!」みたいな公式のない、難しい時代だとも思いますけど。 ──時代やトレンドといった取っかかりがないとなると、歌詞やテーマはどのように考えられているのでしょうか。 児玉 トレンドを意識したものほどうまくいったことがなかったので(笑)、そもそもそういう作り方は自分には向いてないと思っていたかもしれないです。だからといって流行っているものを否定したくないし、職業作家としては反省すべきなんですけど。私はたぶん、「この人、何言ってるかわかんないよね」枠に入れられてるんじゃないかな(笑)。 ──世代についてはどのように意識されていますか。たとえば、同世代のアイドルに寄り添った歌詞を期待されていたのが、だんだんそうはいかなくなってきたりすることがあるのかなと。 児玉 20代のころから、自分はアイドルやタレントがいうところの「大人」の側にいると思っていました。よくいうじゃないですか、不都合な存在を「大人」って(笑)。見た目や属性が近くても私はその「大人」だから、アイドルやタレントと同じ視点では書けないという自覚があって、そのように振る舞っていました。 どちらかというと、私が意識していたのはリスナーですね。リスナーの目を見ている感じが自分の中にある気がします。ステージに立つ人の視点には立てないから、リスナーやファンとして聞きたい表現、言葉、テーマを考えるようにしてきました。 ──たしかにリスナーの視点でもストーリーは広がりそうですね。あと、作詞における児玉さんの理想について伺いたいのですが、これまで満足いった経験や、理想のイメージなどはありますか? 児玉 これまで書いてきた歌詞については、改めて曲を聴くと書き直したくなってしまうので、満足したことがあるとはいえないですね。もちろん、その曲を好きになってくれた人のことを否定するわけではなくて、クリエイターとしてどうしても「やっぱりここはこうすればよかった」などと思ってしまうというか。これはもう治らないだろうなと思います。 小説は他人の目で世界を見ることができる ──児玉さんは小説家としても活躍されていますが、小説を書くという作業は、また作詞とはモードが異なるものなのでしょうか。 児玉 作詞は良くも悪くもお仕事として取りかかっているので、小説は明確にスイッチが変わりますね。特に私は純文学と呼ばれるジャンルで書いているので、基本的には自分でテーマから何から組み立てている。J-POPは曲が先行することがほとんどなので、自分で一から作っていける小説は、また別の楽しさがあります。 あと、作詞はどれだけ論理から飛躍できるか、予想外のフレーズが出せるか、という世界なのに対して、小説は世界をひとつずつ組み立てていくものなので、その違いも感じます。歌詞だと先に韻があって意味があとからついてくるようなこともよくありますが、小説だとそうはいかなくて。書いているうちに主人公が勝手に動き出すような感覚はあるんですけど。 ──登場人物が動き出すのも、緻密な設定があってこそですよね。小説では、現代的な女性の内面を描いていることが多いように感じたのですが、テーマとして意識されることはあるのでしょうか。 児玉 ジェンダーの話は、自分が「若い女性の作詞家」みたいにいわれてきたこともあり、切り離せないテーマではあります。ただ、たとえばジェンダー格差の問題は経済格差の話でもあるなど、いろんなテーマが私の中で結びついているんです。それをジェンダーの話と捉えるか、経済の話と捉えるかは読む方によって違うので、作詞における“児玉らしさ”と同じように、みんながそれぞれの視点で作品を読んでくださっている気がしますね。 ──人物造形やテーマについて、日常からインスピレーションを受けることはありますか。「これ、小説のネタになるな」みたいな。 児玉 人が意図せず本音を漏らす瞬間は気になりますね。コンプライアンス的に問題があるような言葉じゃなくても、「すごく本性が出ちゃってるけど、本人は全然悪いと思ってなさそうだな」みたいなことってあるじゃないですか。そういう瞬間は内心うれしいですね。 あとは、そのコミュニティだけの独特な風習なんかも好きで。業界ごとの符牒(ふちょう)もおもしろいし、ラーメン界隈の独自のルールやワードみたいな、謎のしきたりとか専門用語みたいなものに出会うと「おっ!」と反応してしまいます。 ──最近発表された小説『目立った傷や汚れなし』でも、フリマアプリを使って「せどり」(安く仕入れた商品を高く売ることで利益を得るビジネス)を行うサークルが登場しますが、あれも独自のカルチャーを感じました。 児玉 せどりビジネス関連の動画もすごいんですよ。グリーンバックで合成した夜景をバックに成功を演出しながら、「原価が80円で売られているこれを150円で売れば、70円の利益確定です! おめでとうございます!」みたいに、まだ売れてもいないどころか仕入れてもいないのに、売れた体(てい)でどんどん話していく。すごくリズムがよくて話もうまいから、気を抜くとあっという間に飲み込まれそうで怖かった。思わぬところで言葉の魔力を感じましたね。 ──本当にバカにできないですよね。では、登場人物を描くにあたっては、どういった準備をされているのでしょうか。 児玉 現実的な設定や人物の状況などはある程度考えておきますが、書いてみないと進まないので、私はとりあえず書き出してしまいます。作詞でのクセというか、発注の意図が見えていない場合も少なくなくて、「とりあえず複数パターン書くので、その中から選んでもらっていいですか?」といった進め方もしていたので。ただ、小説ではもうちょっと考えないとマズいと思って、最近は時系列や設定などをもう少し整理するように意識しています。そうしたら、すごく書きやすくて。気づくのが遅すぎますよね(笑)。 ──ほかにも小説ならではの醍醐味、おもしろさを感じることはありますか? 児玉 まったく別の人の目で世界を見られることですね。一人称で書いているとどうしても作家の主観は入ってくるんですけど、それでも書いているうちに「私、こういう世界の見方ができるんだ」と気づかされることもあって。別の人の目を通じて初めて知ることがあったり、普段は考えてもいなかったことを考えたりするので、いろんな人を書きたいと思っています。 最近の趣味は「教室荒らし」? ──児玉さんのサボりについて聞かせてください。普段、ついサボってしまうようなことはありますか? 児玉 ずっと仕事をしているイメージを持たれがちなんですけど、人の2〜3倍はサボってると思います。私は睡眠のリズムを作るのが苦手で、本当に一日中寝すぎてヤバいときがあったので、ジムに行く習慣をなんとかつけました。ジムでのウェイトトレーニングって、漫然とできないんですよ。集中しないと器具を落としたりケガしたりするので。だから、いろんなことを考えて頭がこんがらがってきたときや、ネガティブなことを考え始めてしまったときもジムに行きます。集中する状況を無理やり作ると、その時間は仕事のことを考えなくなるんです。 ──筋トレが精神的なリフレッシュにもなってるんですね。でも、ジムに行くと疲れてまた寝てしまいそうです。 児玉 そうなんですよ、本当にどうすればいいんですかね(笑)。 ──文章だと最初に書き出すまで時間がかかるようなこともあると思いますが、児玉さんはどうですか? 児玉 めんどくさいなと思うこともありますが、「やれば終わる」という気持ちでやっています。とりあえずキーボードに触れるとか、ハードルの低いところから始めるんです。動き出しさえすればどうにかなるので。逆にどうにかなることしかやってこなかったというか、本当にやってもできないことから逃げ続けて今ここ、という感じなので……。 ──ずっとモニターとにらめっこするタイプですか? 児玉 ツールやソフトにそこまでこだわりはなく、なんでもいいので、その時々で変えることもあります。歌詞はなんだかんだペンを握って書きますね。iPadのノートアプリにスタイラスペンで書き込んで、Wordで整えて、そこから合成音声ソフトに歌詞を打ち込んで、耳で聴いてまた直して……という工程を踏みます。打ち込んだり歌にしたりすることで直したい部分も見えてくるので、とりあえず書くことが大事なんです。歌詞の場合は、譜面を見ながらメロディやリズムが可視化された状態で書くとか、いろんなアプローチで向き合っていますね。小説だとモニターとにらめっこしてるかもです。 ──そうやって勢いがついてきてからの息抜きも、なかなかタイミングが難しいですよね。 児玉 筆が乗ってきたときに無理に止めることはしませんが、私はあまりアドレナリンに自分を任せないようにしています。時間割みたいなものを作って、時間が来たら強制的にシャットダウンする。基本が夜型なので、そうしないといつまでもダラダラしてしまいそうで。 ──自分で定時を作るっていいですね。定時後の楽しみなどはありますか? 児玉 小説を読んだり、映画を観たりすることが多いですね。とはいっても、仕事中も「今はダメだ、書け!」って思いながら、本を読んだりしてしまうんですけど。本や音楽は「仕事の一環なんで。インプットなんで」って言い訳できるので、つい手を伸ばしてしまいます。 ──趣味と仕事が被っていると、どうしても境界線が曖昧になりますよね。 児玉 そうなんですよ。ほかに趣味もなくて。でも最近は、陶芸やクラフト系の教室に行くようになりました。言葉はどうしても手で触れられないので、その反動から手で触れられるものが好きなんです。といっても、いろんな陶芸教室で初心者クラスの初回を荒らしたりするようなものですけど……。この前は着付け教室にも行きました。陶芸や着付けはスキルがないぶん、集中しないとうまくできないところもよくて。 ──「教室荒らし」が趣味とは初めて聞きました。でも筋トレに通じる、仕事を忘れられる趣味といえそうです。 児玉 たしかにそうですね、休みのときはいろんな教室を荒らしてます(笑)。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「メイドでいても、家庭にいても、変わらない自分で楽しむ」志賀瞳のサボり方クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 メイドカフェ「あっとほぉーむカフェ」のカリスマメイド「hitomi」として活躍し、運営会社のCBOも務める志賀瞳さん。結婚・出産を経た現在も現役のメイドとして活動を続け、メイド文化の発展に尽力する志賀さんの仕事への向き合い方と、ひと息つく瞬間について聞いた。 志賀 瞳 しが・ひとみ 2004年、「あっとほぉーむカフェ」にてメイドとして働き始める。2005年にはメイドルユニット「完全メイド宣言」としてデビューし、「萌え〜」で新語・流行語大賞トップテンを受賞。2018年よりあっとほぉーむカフェの運営会社であるインフィニア株式会社のCBO(チーフブランディングオフィサー)を務める。また、2017年より秋葉原観光親善大使を務め、2019年にはNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演するなど、現役でメイドを続けながら、広くメイド文化の発信に努めている。 テーマパークのキャラクターのようにメイドに徹する ──メイドカフェにおけるメイドさんのお仕事について、ぼんやりとしたイメージはあるのですが、実際どんなことをされているのでしょうか。 志賀 「あっとほぉーむカフェ」では、お客様のことを「ご主人様/お嬢様」とお呼びしていて、「お屋敷」と呼んでいる店内で、ご主人様・お嬢様にお給仕(接客)するのがメイドのお仕事です。 「お帰りなさいませ、ご主人様」とお出迎えするだけでなく、メニュー名やその説明でもメイドらしいかわいらしさや「萌え」を大切にしていて、お客様に世界観を楽しんでいただけるようにしています。もうひとつポイントとして、お食事を提供する際に「萌え萌えキュン」と愛を込める「愛込め」がありますが、これはあっとほぉーむカフェ発祥なんです。 ──お店には女性もたくさん来ていて驚きました。 志賀 そうなんですよ。最近は男女比も半々くらいで、年齢層も幅広くて。よく「男の人が楽しむお店」みたいな偏見を持たれがちなんですけど、メイドのお給仕は基本的にカウンター越しなのでご主人様の隣に座ることもないですし、指名制とかでもなくて、あっとほぉーむカフェはあくまでメイドとのトークや世界観を楽しんでいただく場所なんです。お話しする内容も「メイドカフェだからこの話をしなきゃいけない」とかはなくて、お嬢様には恋バナを聞かせてもらったり、恋愛相談を受けることもありますね。 ──志賀さんがメイドとして大切にされていることはなんですか? 志賀 私が自分で作った言葉なんですけど、「ハートにもメイド服」を心がけています。見た目だけでなく心の中でもメイド服を着た感覚を持って、芯の部分からメイドになる必要があると思っているんです。そうすることで、お給仕中の発言や所作、立ち居振る舞いなどにメイドらしさが出てくるんじゃないかなって。そこはすごく大切にしています。 ──そういったメイドとしてのプロ意識を持つ上で、参考にした人などはいるのでしょうか。 志賀 私はディズニーがすごく好きで、家が近かったのでディズニーランドに行く機会も多かったんですけど、ミッキー(マウス)に感じてきた憧れは、メイドにとっても大切なものだと思っています。いつ会ってもミッキーはミッキーで、誰にでも平等でみんなに手を振ってくれる。「ハートにもメイド服」にも通じますが、メイド服を着ているときは常にミッキーの心を忘れないというか、「メイド」というキャラクターであり続けるという意識は、ディズニーから学ばせてもらったのかなと思います。 メイドという職業は、人生を懸ける価値がある ──学生時代から20年以上メイドを続けられていますが、そのモチベーションにつながっている経験などはありますか。 志賀 大きなターニングポイントとして、これは書籍などでもお話ししているのですが、2008年に秋葉原で起きた無差別殺傷事件があります。あの事件をきっかけに秋葉原が暗いムードに変わってしまい、事件を目撃したことで秋葉原に来られなくなったご主人様もいました。私もメイドへの偏見を覆したい一心で働いてきた心がちょっとくじけそうになってしまったんですけど、明るい秋葉原が戻ってくるまでこの場所を守り続けることが大事だと思い、お給仕を続けていました。 そうしたら事件から2年経ったころに、ずっと見かけなかったご主人様がご帰宅してくれたんです。やっぱり事件のことがトラウマになっていたそうなんですが、SNSで私の活動を見て、「hitomiちゃんがこんなにがんばってるんだったら、また行ってみようと思ったんだ」と言ってくださって。たとえ目の前でお話しできなくても、自分がメイドとして活動を続けることで誰かの人生を後押ししたり、癒やしになったりすることもあるんですよね。そのことに気がついて、「やっぱりメイドってすごいな。これから先も人生を懸けてこの仕事をやる価値がある」と思えた経験は大きかったです。 ──それは大きな経験ですね。ちなみに、もっとささやかなレベルで力をもらえるような言葉や経験としてはどんなものがありますか。 志賀 ささやかレベルでいうと、こちらの言動に対して、ご主人様・お嬢様の反応がすぐに返ってくるところがモチベーションになっています。いい反応も悪い反応も、一瞬でわかるんですよ。だからこそ、反応が悪くてもすぐにリベンジするチャンスがもらえると思っていて、目の前で反応を見ながらやりとりできることにやりがいを感じるんです。 ──相手の反応を見ながらその場で対応を考えていくって、引き出しやアドリブ力なんかがないとできませんよね。プロのスキルだと思います。 志賀 たしかに、引き出しは大事ですね。後輩のメイドからよく「ご主人様と何を話していいかわからない」といった相談を受けるんですけど、できるだけ自分の中に引き出しを作っておいた上で、会話のラリーを意識してもらうようにしています。そうじゃないと、誰に対しても同じような質問のQ&Aになってしまって、楽しくならないんですよ。 あとは、お話そのものを目的にするんじゃなくて、ご主人様・お嬢様に興味を持つことが大切です。相手に興味を持っていることが伝われば、お互いに高い熱量でお話しできるんです。そうやって話を掘り進めていれば、共通点や盛り上がる話題もきっと見つかると思います。これを私は勝手に「ホリホリの技術」って呼んでるんですけど(笑)。 ──そういった経験の積み重ねで、観察力なども鍛えられているんでしょうね。 志賀 視覚から入る情報には注目していますね。お顔の様子はもちろん、服装や持っているバッグの大きさ、キーホルダーやスマホケースまで、いろんなところを観察して、会話のネタにしています。観察するクセがついているので、ご主人様がご帰宅されたとき、一瞬で「あ、もしかしてこういうものを求めてるのかな」と想像できてしまうときもあって。なんか怖いですね(笑)。 メイドの先生のコツは、自分で答えに気づいてもらうこと ──運営会社のCBO(チーフブランディングオフィサー)としては、どんなお仕事をされているのでしょうか。 志賀 あっとほぉーむカフェの新サービスや新メニューについて意見をしたりもしますが、メイドについて世間に発信したり、メイド向けに「メイドとは」というお話をしたり、メイドの世界観に携わるケースが多いですね。そして、もっとメイドという文化の認知を広げ、偏見をなくしていくために、あっとほぉーむカフェが安全安心で健全なお店だということのアピールにも力を入れています。 ──メイドとして働くこととは、また違ったやりがいがありそうです。 志賀 そうですね。メイドは自分が一プレイヤーとしてご主人様・お嬢様と対峙する存在なんですけど、CBOの場合は、1対1というより、世の中に訴えかけたり、メイド全員に向けて活動したりする。そういった意味で、やりがいの規模感も大きいなと思います。同時に、しっかりと向き合い、本気で臨まないと、ちょっとした言動でメイドそのもののイメージを壊してしまう恐れもあるので、責任感みたいなものも増しましたね。 ──メイドさんとも向き合っているそうですが、いわゆる上司と部下みたいな、お客さんとはまた違ったコミュニケーションが生じますよね。志賀さんはメイドさんたちとどう接しているのでしょうか。 志賀 面談や相談に来るメイドたちは、みんな話したいことがあるわけじゃないですか。問題を解決するよりも、まずは「私の意見をわかってほしい」「共感してほしい」という子が多いんですよ。だから、メイドが相談に来たときは話を途中で止めないようにしています。途中で「ん?」と思うことがあっても口を挟まず、最後まで話を聞いて、思う存分吐き出してもらうんです。 そして、「それはイヤだったね」「大変だったね」と共感して、すべて受け入れます。落ち着いてきたら、「私はそういうときこうしたよ」とか「こういうご主人様もいたよ」と、自分の経験を話します。私のほうから答えを出したり、決めつけたりしないように意識していますね。自分で答えに気づけたほうが納得できるし、行動できると思うんです。 ──すごい、先生みたいですね。問題の答えじゃなくて解き方・考え方を教えるみたいな。 志賀 たしかに、メイドの先生かもしれないです(笑)。 ──ずっとあっとほぉーむカフェで働くメイドさんたちを見てきたなかで、変化を感じることはありますか? 志賀 変わりましたね。私はもともとギャルだったんですけど、入ったころはメイドもオタクな子ばっかりで、スーパー異端児でした。でも今はギャルっぽかった子や陽気な子、元アイドル、大学院生など、本当にいろんな子がいます。 それに、あっとほぉーむカフェのメイドになりたくて地方から出てくる子もとっても多いんですよ。それこそ海外から来る子もいますし、メイドが憧れの職業になってきているのかもしれないな、って思えるようになりました。 ──メイドが憧れの職業になるなんて、メイド文化の発展に貢献してきた志賀さんにはうれしいことですよね。 志賀 そうですね。以前は「秋葉原でメイドなんて大丈夫?」と親が心配して、メイドになることを許してもらえなかった子も多かったと思うので、イメージも変わってきていると思います。そういった理解がもっと広まっていくといいですね。 どこにいても、ムリなく自分らしく ──志賀さんは結婚してお子さんがいることも公表されていますが、メイドをしながら会社の運営に携わり、さらに家庭もあるとなると、サボるヒマなんかないですよね。 志賀 自分の中ではサボってるというか、息抜きはしっかりしていると思ってます。プライベートの志賀瞳として子育てをしているときは、もちろん大変なこともあるんですけど、同時に息抜きにもなってるんです。最近は子供がASMRにハマっているので、一緒にTikTokを見たり、トレンドの食べ物を買ってASMRごっこをしたりするんですけど、そういう時間がサボりの時間、癒やしになっています。 ──ただお子さんの相手をしているのではなくて、自分もちゃんと楽しんでいるから、リフレッシュになる。 志賀 そうなんです。趣味や好きなものも似ています。それと、私がメイドであることもすごく喜んでくれていて。子供は男の子ふたりなんですけど、4歳の次男は「将来ママ(メイド)になりたい」と言っています。家でもメイドごっこをするのが好きで、一緒にオムライスにケチャップで絵を描いたりして楽しんでいます。 ──それはうれしいですね。お子さんとの時間以外に楽しんでいることはありますか? 志賀 スマホのゲームとかもやりますよ。メイド同士で一緒にやったりもします。みんなでずっとやってるのは、『トゥーンブラスト』っていうパズルゲームです。よく広告で出てくるやつなんですけど。 ──実際にあるのかどうかわからないようなゲームですよね? 本当にあったんだ。 志賀 はい、3年くらいずっとハマってますね。チームで得点が出たりするので、仲のいいメイドたちとグループを組んでいて、「最近、ミッションやってないじゃん。ちゃんとやろうよ」ってLINEしたり(笑)。 あと、YouTubeなんかもよく見るんですけど、家だとずっと流しっぱなしにしているような感じで。生活音というか、いろんな音が聞こえてる状況が好きなんです。だから、ぼーっとするにしても、家にいるよりは人が集まるファミレスとかのほうがいい。仕事で何か作業をしなきゃいけないときも、無音よりはYouTubeを流したり、外でやったりしたほうが集中できますね。 ──そういったぼーっとしている時間が意外とお仕事のインスピレーションにつながった、みたいな経験はありますか? 志賀 やっぱりファミレスとかにいると、自然と女子高生の会話が耳に入ってきたりするので、今の若い子がどんなことをしているのか聞きながら「こういうグッズがあったらいいかも」って考えることはありますね。 あと、子供といる時間も同じで。あっとほぉーむカフェにはお子さんもたくさんご帰宅してくれるんですけど、場違いだと感じてほしくないし、楽しんでほしい。そういうときに、子供たちのトレンドとか、マクドナルドのハッピーセットの最新情報とか、普段子供としゃべっている内容を話すと、すごく喜んでくれるんです。だから、意外と自分がダラけたり、ただ楽しんだりしている時間も、お仕事に役立っているのかもしれないですね。 ──結局、すべての時間を上手に楽しまれているような気がします。 志賀 会社の人にもよく言われますね。メイドでいるときも、会社にいるときも、家にいるときも、そんなに差がないんですよ。どっちかで自分を作っていたり、意識してがんばったりしているわけじゃなくて。 ──どこにいても自分らしくいられるのが一番いいですよね。 志賀 そう思います。本当にムリしてないんで。家でも職場と同じテンションで話してると、子供もすごく楽しんでくれるんですよね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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生い立ち〜恋愛まで、ママタルト・大鶴肥満の赤裸々な人生──白武ときお『まーごめ180キロ』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya 「まーちゃんごめんね」。略して「まーごめ」。 謎の言葉を発して登場する身長182cm、体重188kg。ピンクのジャケットを羽織った一度見たら忘れない巨漢、その名は大鶴肥満(おおつる・ひまん)。「僕がもう少し細ければ」そう言って登場するのは相方・檜原洋平(ひわら・ようへい)。大鶴肥満に隠れているが、実は174cm、82kgと少々太め。凸凹コンビならぬ、凸とちょい凸コンビ──サンミュージックプロダクション所属のお笑いコンビ、ママタルトだ。 『まーごめ180キロ』は新進気鋭のお笑い芸人、ママタルト・大鶴肥満に密着したドキュメンタリー……ではなく、彼が発するあいさつのような……ギャグのような……ともかく彼がバラエティ番組でよく発している言葉「まーごめ」の真髄に迫るドキュメンタリー映画である、らしい。 監督は放送作家の白武ときお。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)の最年少作家でありながら、『しもふりチューブ』、『ララチューン』、『ママタルト本物チャンネル』など数多くの芸人のYouTubeも手がけている。 ひと言でまとめるのは難しい映画だが、あえてひと言でいうと、“180kgのおもしろい男に出会える映画”だ。実際、作中で「まーごめ」という単語はそれほど登場しない。大鶴肥満が現在の大鶴肥満という存在になって得たものの象徴として「まーごめ」という単語が使われているといった感じだ。いわばメタファー。 「ファン向けのムービーなのか?」と思われてしまうかもしれない。だが、大鶴肥満という人間をよく知らない映画ファン、ドキュメンタリーファンの方も興味を失わないでほしい。最初は知らない巨漢でも、2時間見たらきっと好きになるから。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 私がママタルトというお笑いコンビを知ったのは、2021年の冬だった。 個人的な話になるが、私は趣味のひとつとして『ぷよぷよ』というパズルゲームを挙げている。8年ほど前に出会ったこのゲームはなかなかおもしろく、私は大会やオフライン対戦会にも赴き、中級者といっても差し支えない程度の実力を手に入れるほどにはやり込んでいた。2021年11月、ぷよぷよの対戦会で知り合ったいわば“ぷよぷよ友達”のひとりから、ある日こんなことを言われた。 「今年のM-1(グランプリ)、追ってます?」 私は好きなコンビが準々決勝で落ちてしまった旨を話した。 「だったら真空ジェシカを応援しましょう。ボケの川北さんがぷよぷようまいんで」 彼らがYouTubeで芸人仲間を集めてぷよぷよを配信しているということを教えてもらった私はさっそくアーカイブを視聴した。 配信に参加しているのは真空ジェシカ・川北茂澄、ママタルト大鶴&檜原、ストレッチーズ高木貫太、さすらいラビー・中田和伸の5人。全員ちゃんとこのゲームをやり込んでいるのだろうとわかるプレイをしている。うまい。正直、競技人口も多くないゲームだ。芸人さんがこんなにたくさんこのゲームをやり込んでいるのか、と驚いた。 そんなきっかけでこの4組の芸人のファンになった私は、彼らの出演している番組を録画して観たり、西新宿ナルゲキの合同ライブに行ったり、単独ライブに行ったり、ラジオを聴いたり……と彼らを追いかけるようになった。そう、彼らは4組とも、ネタもおもしろかったのだ。ついでにいうと、MCのフリートークもめちゃくちゃおもしろい。おもしろくてぷよぷよがうまい、そりゃあ当然好きになるだろう。 前置きが長くなったが、それからしばらく経った2023年春。ママタルトの……いや、「まーごめの」ドキュメンタリー映画が公開されるという情報を耳にした。どうやらライブ用に作った映像を再編集したものを映画版として全国公開する、という経緯らしい。ドキュメンタリー映画が好きでママタルトも好きな私には願ってもない出来事だった。 さらに、私は大鶴肥満という人間の生い立ちにも興味があった。私は当時、ママタルトの冠ラジオ『ママタルトのラジオ母ちゃん』(GERA)をよく聴いていたのだが、大鶴肥満は時折、実家との確執や学生時代のトラウマに関する話をすることがあった。特に父親との反りの合わなさは繰り返し語られているトピックだった。率直に気になっていた。 とはいえ、芸人さんの(元は)ライブ用の映像ということであまり深い話は期待しないように、ライブの幕間を観る気持ちで観るべきだろう。そんな気持ちで臨んだ上映だったが、結果は期待の上の上を行く大満足だった。お笑い(コメディ)とドキュメンタリーのいいとこ取りをした素晴らしい映画だった。 2021年夏、表参道。ワタナベエンターテインメント本社の前に大鶴肥満はいた。大鶴肥満は言う。 「まーを待ってます」 「まー?」 「マルシアです」 大鶴肥満は俳優の大鶴義丹に似ていることから、現在の芸名を名乗っている。 2004年、大鶴義丹が記者会見でマルシアに対して発した言葉「まーちゃん(マルシア)、ごめんね」を略して「まーごめ」と言っているらしい。 ……えっ、もう答え出たじゃん。いやいや、まだ続く。 本作は3つの軸で進行していく。 1つめは、大鶴肥満がママタルトを結成し活躍するに至るまでの経緯について。大鶴肥満の語りを中心に、大学お笑い時代から親交の深い真空ジェシカやサツマカワRPGら10人のお笑い芸人の視点で語られていく。 2つめは、大鶴肥満の恋の行方について。これは現在進行形の話。マッチングアプリで知り合い1年間もの間気になっているMちゃんとデートを重ね、告白を試みる肥満の様子が映されている。 3つめは、大鶴肥満の……いや、粕谷明弘(かすや・あきひろ/大鶴肥満の本名)のこれまでの人生について。お笑いを始めるきっかけとなった大学のある明大前駅、嫌な思い出の小学校を巡る。 さらにはいじめを受けたという高校時代を振り返りながら 「お笑いは復讐だよ?」 ウエストランド井口浩之の言葉を借りて、自身の原動力を語る。 この映画は入れ子構造にもなっている。前述のとおり本作はもともとライブ用に作られた映像で、真空ジェシカ、大鶴小肥満(※スカート・澤部渡)による上映ライブが行われていた。映画版では上映ライブでの音声や映像も使われており、観客の笑い声や真空ジェシカによるツッコミが副音声的に被せられている。 そんな複雑な構成を取っている本作だが、実際見てみると案外見やすい。 大鶴肥満をはじめとした演者のしゃべりがうまいことに加えて、編集のバランス感覚が非常にいいことが理由だろう。退屈になりがちなインタビューシーンでも館内は常に笑いが起きていた。 おそらくこれは、視聴者の大半がお笑いファンであろうという想定から生まれた配慮だろう。 たとえば、大鶴肥満が語っているとき、ちょっとおもしろい遊具にまたがっていたとする。どう見てもおもしろいしツッコんでほしいけど、大事な話をしているから話の腰は折らないでほしい。そんなとき、後づけのテロップや真空ジェシカによる副音声で処理する。バラエティの手法をドキュメンタリーに取り入れたこの編集は秀逸で、作品にマッチしていたと思う。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 ともかく、「お笑いファンが楽しめる」ドキュメンタリーになっているので、見やすいのだ。 とりわけ印象的なのが、前述のいじめを受けたという高校のあとに訪れた実家のシーンだ。実家が近づくにつれ大鶴肥満の顔が曇っていくように見える。 実家では今どき珍しい、息子の芸を、いや、息子がお笑いの道へ進んだこと自体をまったく認めていない父親が登場する。 「芸能人になるなんて許せないですね」 「情けない。早くコロッて死んじゃえばいいんだよね。誰にも迷惑かけずに死んでください」 さらに父親は、自分はコロナウイルスの関係でできないから友人に葬式をしてもらえと続ける。 「ごめんな、そんな子供に育てちゃって。もうちょっと才能がある子供に育ててあげればよかったのに」 ……もちろん、まったく愛がないわけではないだろう。母親は、父親は自分よりも大鶴肥満の活動を追いかけているとフォローする。 (C)劇場版まーごめ製作委員会 大鶴肥満は最後、「そのままでいてくれてありがとう」という言葉を残して実家を去る。そのまま、というのはもちろん、俺の嫌いな親父でいてくれて、という意味だろう。 物語の最後は相方・檜原への想いで締められる。マンガ『HUNTER×HUNTER』の主人公・ゴンと 親友・キルアの関係になぞらえて、ひわちゃん(檜原)は俺にとっての光だ、という。これまでの1時間半で大鶴肥満の暗い側面をたくさん見てきたので、よりいっそう、このふたりが出会ったことへ感謝の気持ちが湧いてくる。そんなママタルトは、2024年に初めてM-1の決勝へと進出した──結果は10組中10位と、グランプリを獲得することはできなかったが、平場の強さとふたりの人柄からか、今やお茶の間の人気者となっている。 総じていい映画だったな、と思う。エンディングで流れる音楽も素晴らしい。 私は初見時、少し泣きそうになった。実家のシーンがあまりにもリアルなのもいい。芸人など“しゃべりがうますぎる”人の語りは本心なのかトークをおもしろくするための誇張なのかがわかりづらいときがあるが、あのシーンによって疑う余地もない、本心の部分が見えた気がする。 実はこの映画は以前から紹介したかった一本なのだが、自分がファンだからこそためらっていた。 「知らない人が観てもおもしろいのか?」と。 2025年10月、「第17回下北沢映画祭」で『まーごめ180キロ』が再上映されるということで、私は“ママタルトのことはテレビで見たことがある”程度の認識の友人を誘って観に行くことにした。反応がよければ自信を持って読者に勧められる。結果は想像以上で、かなり気に入ってくれたようだった。物販のクリアファイルを購入し、マックを食べて帰ろうとまで提案してきた。自分の好きな映画、そして自分の好きな芸人にそれだけ人を動かす魅力があることが誇らしい。 『まーごめ180キロ』を観たあと、きっと思うだろう。 このおもしろい男に出会えてよかった、と。 監督:白武ときお プロデューサー:雨無麻友子 構成:橋本拓実、エレファントかさ増し、梶本長之 音楽:PARKGOLF 出演:檜原洋平(ママタルト)、大鶴肥満(ママタルト)、ほか (C)劇場版まーごめ製作委員会
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誰を信じたらいいのか、全聾の作曲家“ゴーストライター”の真実──森達也『FAKE』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 「全聾(ぜんろう)の作曲家佐村河内守はペテン師だった!」 今から約10年前の2014年2月、世間を騒がせる“ゴーストライター騒動”の発端となる記事が「週刊文春」(文藝春秋)に掲載された。作曲家である新垣隆(にいがき・たかし)氏が18年間にわたり佐村河内守(さむらごうち・まもる)氏のゴーストライターを務めていたことなどを告発した一連の騒動である。 (※以下、敬称略) 佐村河内は当時、聴覚障害を持ちながらゲーム音楽や交響曲などを発表し“現代のベートーベン”と評されていた。新垣はこの18年間で20曲以上もの楽曲を提供したことに加え、佐村河内に対し「耳が聞こえないと感じたことはない」「彼のピアノの技術は非常に初歩的で、譜面は書けない」と、佐村河内の聴覚障害の真偽についてや作曲能力についても告発した。佐村河内は、制作が自分ひとりによるものではないことは認めた上で、新垣に対し名誉毀損で訴える可能性もあると公言した。 本作は、映画監督・森達也による佐村河内を追ったドキュメンタリーである。 まず最初に、この映画を評価するのは非常に難しい。そもそも真偽不明な事件を扱っている上に、映像によって登場人物たちへの印象や好感度がコントロールされているように感じる。佐村河内も18年にわたり誇張した自己プロデュースを成功させ世間から評価されていただけあって、(それが意図的な演技なのか、彼の人柄から滲み出る天然ものなのかはわからないが)同情心を煽るのがうまい。大好きな豆乳をコップに並々注いで飲む姿がなんともかわいらしい。佐村河内を献身的に支え、森を含めた来客に毎回違うケーキを振る舞うような気遣いの人である妻・香の存在もそれを助長させる。ついでに猫もかわいい。 でも冷静に考えるとおかしな箇所はたしかに存在していて、作曲に関しても聴覚に関しても、佐村河内は1の真実を100と誇張していたことが問題なのに、メディアが0だと決めつけている(1を取り上げてもらえない)ことについて掘り下げられていく。もちろんそれも問題だしマスメディアの悪いところなのだが、本来は1であるのになぜ100だと誇張したのか、その部分の丸裸の本音が語られることはない。作中で佐村河内は杖をついていないし(足が悪く杖をつかないと歩けないとされていた)、激しい耳鳴りに悩まされ向精神薬(※)を服用しているとされていたが、そのようなシーンもない。もちろんカメラが回っているときにたまたま症状がなかっただけかもしれないので断言はできないが、いち視聴者として「あれって設定だったの?」と思ってしまう部分はある。 (※精神症状の治療に使われる薬物の総称) 大前提として、そもそも佐村河内の肩書は作曲家であるし、実際に足が悪かったかどうかはどうでもよい。別に「キャラ設定のために杖をついていました」と言ってくれたっていい。だが、そういったシーンはないし、きっと佐村河内はそれを認めないだろう。認めない以上、本当に足が悪く、よほど調子のいい日以外は杖がないと歩けない(撮影した日はたまたま調子のいい日だった)という可能性もある。そういうアンバランスさがどうにも気持ち悪い作品だ。 だが私は、この作品をおもしろいと感じた。まがりなりにも、同じものづくりをしている人間として感じるものがあった。この連載では基本的に、テーマ作品の案を私が数点提案し、それを編集部のみなさんに選んでもらうかたちを取っているのだが、私は『FAKE』を今回含め計3回提案し、ようやく記事を書くに至ったくらいだ。 物語は佐村河内の家を訪ねる監督・森のシーンから始まる。そこには森の言葉を手話で通訳し、森にケーキを振る舞う妻・香と夫婦の愛猫が映っている。 「事件から9カ月くらい経つと思うんですけど、日に日にマスコミで報道されている共作問題以外の──特に耳ですね──の嘘。それへの悲しみとか日本中がメディアの言うことを鵜呑みにして、誤解されたままになって日本一低い人間のように扱われて、その悲しみというか……」 佐村河内は自身の聴覚に関する再検査の結果を森に見せる。佐村河内の平均聴力が約50デシベルの感音性難聴であるという事実がマスコミによって取り上げられることはほとんどなかったという。この結果は、脳波を検査して発覚したもので不正などはできない。 ある日、佐村河内の自宅にフジテレビのプロデューサーらが現れる。机には妻・香が用意したであろうケーキが並べられている。プロデューサーらは年末の特番に佐村河内に出演してほしいと、打診のため自宅を訪ねたという。おもしろおかしくイジるのではなく、彼の今後をテーマとして未来に向かった音楽活動を取り上げたい、という。 佐村河内はこんなに目を見て話してくれる人たちを疑いたくないが、もし自分が出演を断ったら復讐のためボロクソにイジられるのではないかと思ってしまう、と申し訳なさそうに伝えた。プロデューサーらはそのような扱いは絶対にしないと説明する。 佐村河内は結局、そのバラエティ番組の出演を断った。そしてその番組には佐村河内の代わりに新垣が出演することになった。番組では新垣が佐村河内に関しての質問を受け「楽器は弾けるというレベルではない」と答える場面が放送されていた。テロップでは「自分の演奏を一度も見せなかった」とも。覚えている人も多いかと思うが、このころ新垣は一躍時の人となっており、バラエティ番組にファッション誌にと引っ張りだこだった。ゴーストライター騒動を話題に、笑いを取っていた。「違ってましたね」と落胆する佐村河内に対し、森は言う。 「出演していたらだいぶ趣旨は変わっていたと思います。つまりどういうことかというと、テレビを作っている彼らには信念とか思いとかが全然ないんです」 このセリフがなんともいえない。その場をおもしろくすることばかり考えている、というのなら佐村河内もそうだったのではないか。音楽を愛しているのなら、そこに信念があるのなら、そもそも全聾であるという嘘は信念を汚すもののような気がする。 ……と書いていくと新垣が真っ黒の悪人のように感じるが、おそらくそうでもないと思う。ゴーストライター問題について長年黙っていたのも、きっと気弱で佐村河内やプロデューサーに流されていただけなのだろう。新垣は大学で教鞭をとっているのだが、学生たちからの評判も非常にいいという。作中でも自著のサイン会に訪れた森に対し、「ぜひお話ししたいと思っていた」と穏やかに対応した。結局、取材の依頼は新垣の事務所から断られてしまうのだが。 物語中盤、アメリカの著名なオピニオン誌の記者から取材を受けるシーンがある。今まで佐村河内への同情心を煽るような撮り方をしていたが、ここで風向きが変わる。 「誰もが気になることだが、そもそもどうして作り話を?」 「18年の間に、なぜ楽譜の読み書きを覚えようとしませんでした? 覚えれば役に立ちません?」 極めつきは、 「なんでピアノがないのですか? 捨てる必要はないんじゃないですか?」 この質問に佐村河内は、 「んーなんですかね。部屋が狭いから」 と答える。腱鞘炎で弾けなくなったのではないのか。 「指示書は見てる。文書は見てる。でも、多くの読者がそれが作曲の半分までと思えない可能性が高い。ぜひ何か佐村河内の作曲である音源なりなんなりを見せてほしいんです」 現実世界でドラマチックなフィクションを演じた人間を追ったドキュメンタリーという企画自体、ある種メタ的なように感じるが、撮り方も観客の感情を振り回すよう巧みに構成されている。佐村河内に肩入れさせられたかと思えば、マジレスする海外の記者を登場させ、でもやっぱり佐村河内の言ってることっておかしくない? 全部嘘なんじゃ?と思わされたり……。 私が本作を初めて観たのは、公開から何年も経ってからだった。 この映画のポスターには大きな文字で「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分」という宣伝文が書いてある。この映画を観て最初に思ったことは、「このラストって“衝撃”なんだ……」ということだった。直接的なネタバレは避けるが、映画を観るにあたり佐村河内のWikipediaを読むと、元バンドマンであることや、新垣と出会う前から作曲の仕事をしていることなどが書かれていたので、本作のラストは私にとって騒動に関する真相がどうであれ、真っ先に想像されるドラマチックな結末であったからだ。いやむしろ、騒動に関して佐村河内が黒に近ければ近いほどラストの展開が見たいと思うはずだ。 本作が公開されたのが騒動から約2年後、まだ騒動について世間が強く記憶していたころということを考えると、当時の観客にとっては「誰にも言えない衝撃のラスト」だったのだろうか。それは佐村河内をなめすぎではないだろうか。というよりも、佐村河内が本作のラストとは違う結末を選ぶような人間だったなら、こんな2時間にも及ぶ映画の主役にはならなかったのではないだろうか。 新垣は佐村河内との制作作業について、 「彼の情熱と私の情熱が、共感し合えたときはあったと思っています」 と会見で語っている。 ラストの展開は少なくとも音楽の専門知識のない私にとっては、騒動に関する真偽を証明できるものではない。曲を聴いて作曲家が同じかどうか判別できるだけの知識などない。だがものづくりを生業とするいち表現者として、感じるものがないわけではない。佐村河内が音楽を愛していた……というよりも音楽というものに期待していた、夢を見ていたことは事実だと思う。事実であってほしい。惜しむらくは作曲に取りかかるシーンがほとんどカメラに収められておらず、撮影を再開したときにはすでにメロディができてしまっていたことだ。 佐村河内は作中で新垣に対し「非常に優秀な技術屋さん」と評した。私事だが、私は以前、ネーム(マンガのコマ割りをしたラフのようなもの)原作のマンガの作画担当をしてほしい、という旨でいただいたお仕事が、いつの間にか「口頭で物語を説明するからあなた(作画家)が内容を詰めて描き起こしてね」というものにすり替わっていたことがある。もちろんそれでは作画担当としての仕事の域を逸脱している、ということでお断りさせていただいたが、きっと佐村河内と新垣の関係性もそういった積み重ねで歪になっていたのではないかと思う。 私だってマンガのアシスタントさんに対して、いつだって細かく指示を出せるわけではなく「ここの背景、いい感じに木を描いておいてください」というような、アシスタントさんの能力にお任せするような指示をすることもある。編集者にアイデアがないかと相談し、それを採用したこともある。私に口頭で説明すると言った原作者もきっと「こいつを使って楽して稼いでやろう。うっしっし」なんて思っていたわけではないと思う。共作自体は悪いことではないし、発表方法を変えてしまえば問題ないのだが、佐村河内の場合、それをプライドが許さなかったことが問題なのだろう。曲作りにおいてプロデューサーのような立場で新垣に指示をしていたのは事実なのだから初めからそう言えばよかった。でも佐村河内はそれができなかった。虚勢を張ってしまった。どんどん誇張して、メディア受けする嘘の自分を演出してしまった。それが彼の業だろう。 物語の最後でもまた、妻・香が森にケーキを振る舞うシーンが映される。チョコレートの装飾のきれいなそのケーキを見て佐村河内は言う。 「うわーすごい」 「こんなことで、楽器が手元に戻ってくるまで、自分こんなことに感情が動くことなかったもん。きれいだとか」 森は『FAKE』の公式サイトに次のようなコメントを寄せている。 「僕の視点と解釈は存在するけれど、結局は観たあなたのものです。でもひとつだけ思ってほしい。様々な解釈と視点があるからこそ、この世界は自由で豊かで素晴らしいのだと。」 (映画『FAKE』公式サイトより引用) この連載でどこまで自分の仕事や作品に絡めて文章を書くか毎回悩むのだが、自著である『ミューズの真髄』(KADOKAWA)にも似たシーンがある。美大を志す主人公の美優は、自分の至らなさを受け入れられず、憧れの先生(月岡)の模倣に走ってしまう……というどうにも業の深い女性キャラクターなのだが、彼女が物語の最後にどうして絵を描くのか自問自答し、出した答えが「自分を責め立てる大嫌いな世界でも、絵のモチーフだと思えば美しくおもしろく見えてくるから」というもので、最終的には模倣をやめて自分の絵を描く、という概要だ。ちょっとだけ『FAKE』に近いものがある気がする。 このコラムを書きながら、この作品の何が自分にとってよかったのかがうまく説明できず何日も悩んでいた。結局真相はどうであれ、創作の持つ力を信じさせてくれる演者と作り手だからという、それだけなのかもしれない。佐村河内は、まだ全然我々に丸裸は見せてくれてはいない。きっと彼の虚勢を張る癖、誇張して自己を演出するような部分は、そう簡単なものではないのだろう。 だが、彼が発した「作曲できたおかげ」という言葉は本当のように見えるので、やっぱりいい映画だったなと思う。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 X:@bnbnfumiya (C)2016「Fake」製作委員会
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4年ごとに人類が抱く夢、映像美を追求したスポーツの記録──市川崑『東京オリンピック』文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 1964年8月21日、ギリシャ・オリンポスの丘で点火されたオリンピックの火は日本へ向かった。 『東京オリンピック』は、1965年3月に公開された1964年の東京オリンピックの公式記録映画である。監督は『ビルマの竪琴』(1956年)や『炎上』(1958年)などで知られる鬼才・市川崑。 東京オリンピックの公式記録映画でありながら市川の「単なる記録映画にはしたくない」という理念のもと作られた本作は、「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論を巻き起こし、国内動員2000万人超えの大ヒットを記録し、数々の映画賞を受賞した。 本作の特徴はなんといってもその映像美、芸術性にあると思う。スポーツの祭典であるオリンピックの記録映画でありながら、冒頭の真っ赤な太陽の画など、抽象的なショットがたびたび映し出される。 「とにかく、単なる記録映画にはしたくなかったですね。自分の意思とかイメージというものを重く見て、つまり創造力を発揮して、真実なるものを捉えたい、と。」 (「公益財団法人日本オリンピック委員会」インタビューより引用) 市川は本作の制作にあたり、記録映画であるにもかかわらず緻密なシナリオを制作し、スタッフには絵コンテを描いて説明するなど、演出に強くこだわったという。100台以上のカメラ、200本以上のレンズ。世界で初めての2000ミリの望遠レンズまでも使用された。それらを用いて撮影された映像は、選手の肉体美のみならず、内面までも映し出す。 (C)フォート・キシモト 選手の強張った表情が、額を流れる汗が、彼らがオリンピックというものに向ける大きな感情を如実に表現する。 そして市川らのカメラが捉える対象は、選手だけに留まらない。 ケガをした選手を運ぶ救護班。 グラウンドの整備をするスタッフ。 思わず競技に見入ってしまう審判。 休憩中、競技が始まって、思わず仲間たちと顔を見合わせニヤリと笑う警備員たち。 アメリカ人選手とドイツ人選手による一騎打ちとなった棒高跳びのシーンでは、各国の応援をする観客たちのリアルな表情が対比するように映される。 太ったおじさんの二重あごのアップ……ではなく、息を呑む観客の喉元が、こだわり抜かれた映像技術で映し出される。 彼らもまた、東京オリンピックの参加者のひとりである。 また、本作では、ハードル走のシーンで選手が先行しているかわかりづらいであろう真正面からの画角を採用するなど、スポーツ観戦としての正確性より芸術性を重視した挑戦的なカメラワークを採用している。そのため、映像作品としても非常に完成度が高い。 監督である市川は、もともとスポーツというものにはそれほどの関心がなく、本作の総監督の打診もそのことを理由に一度保留にしていたほどだ。そして、自身がスポーツに疎いからこそ「スポーツファンだけの映画にしない」とスタッフ全員に徹底して伝えたという。 市川はスポーツに対し、たとえばその勝敗などよりも、そこに関わっている人間たちのドラマや心の機微に関心があったのだろう。 そのため本作は記録映画としては不十分ではないかという批評を受けることがある。冒頭でも述べたように、当時は「芸術か? 記録か?」と政治問題にまで発展する議論が巻き起こった。試写会で本作を鑑みたオリンピック担当大臣(当時)の河野一郎は、「記録性を無視したひどい映画」と本作を激しく批判し、文部大臣(当時)の愛知揆一もまたこれに同調した。 しかし翌年1965年、『東京オリンピック』が劇場公開されると当時の興行記録を塗り替える大ヒットとなった。 「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」 冒頭の字幕だ。 本作は、オリンピックのために解体される東京の街を映したシーンから始まる。聖火リレーのシーンで映されるのは沖縄の「ひめゆりの塔」、広島の「原爆ドーム」。市川はのちに「どうしても広島の原爆ドームからスタートさせたかったんです」と語る。 1945年8月6日、市川の母を含む家族8人全員が広島に住んでおり、被爆している。当時東京で暮らしていた市川も原爆投下から数日後に広島へ向かい、その凄惨さを目の当たりにしていた。 オリンピックの理念のひとつに世界平和がある。のちのインタビューで市川はこの世界平和という部分に着目してシナリオを制作したと語っている。 東京オリンピックには、実は1940年にも一度開催が予定されていたが日中戦争の勃発などにより幻となったという経緯がある。戦後復興と高度経済成長を世界にアピールしたい日本にとって、1964年の東京オリンピックは絶好の機会であった。 本作は 「人類は4年ごとに夢をみる この創られた平和を夢で終わらせていいのであろうか」 という言葉で締めくくられる。 森達也をはじめ、さまざまなドキュメンタリー監督がドキュメンタリーにおいて作り手の視点は重要である、という趣旨の発言をしている。ドキュメンタリーとは事実の記録に基づいた作品のことであり、一般的に「意図を含まぬ事実の描写」であると認識されることが多いが、それを撮影、編集し作品として仕上げている以上、制作者の意図や思想、視点が入り込むことになる。 私はドキュメンタリーのおもしろさはこの制作者の視点にあると思っている。制作陣がどういう感情を持ってその対象を観測していたかの記録であり、そしてその視点を我々視聴者が追体験できるという意味で、ドキュメンタリーは非常に価値のあるものだと感じている。 自分がいつかスポーツマンガを描くのなら、私はこういった制作者の視点が、制作者が何に魅力を感じているのかが如実に伝わるような作品が作りたい。 本作はそう強く思える、市川の視点が十二分に込められた素晴らしいスポーツドキュメンタリーだ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本を発売。2025年1月から、『週刊SPA!』(扶桑社)にて『トムライガール冥衣』(原作:角由紀子)の新連載がスタートしている。 『東京オリンピック』 Blu-ray&DVD発売中 発売・販売元:東宝 (C)公益財団法人 日本オリンピック委員会
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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#45「ほんよみにあった怖い話②」|マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也 もっとドラマが楽しめる? 映画・ドラマ監督/脚本家の筧昌也が描く、テレビドラマづくりの裏側、こだわり、人間模様——
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林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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胸キュンも、涙も!韓国ドラマの猛者たちが選ぶ“忘れられない名作”とは?|「林美桜のK-POP沼ガール」韓ドラ女子座談会・前編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 引き続き、韓国ドラマにどハマりしている林美桜。「韓ドラ好きな方々と、思いっきり語りたい!」ということで、10月某日に急きょ座談会を開催することに。 座談会に参加してくださったのは、韓ドラファンの中でおそらく知らない方はいないおふたり。Xの感想ポストが共感の嵐でバズりまくっている、沼野チョロ子さんとmiko 映画ドラマ沼の住人さん。 「恋愛&胸キュン部門」「泣ける部門」「人生ドラマ部門」の3ジャンルに分けて、イチオシの作品を互いに紹介。リモートとは思えない、白熱したトークをお楽しみください! 【恋愛&胸キュン部門】“契約恋愛モノ”がたまらなく好き! 林 美桜(以下:林) 私も常日頃、おふたりのSNSを楽しく拝見していたので、「今日は思いっきり語れる!」とすごくワクワクしています。 沼野チョロ子(以下:チョロ子) ありがとうございます、うれしい! miko 映画ドラマ沼の住人(以下:miko) よろしくお願いします! 林 さっそくですが、おふたりの韓ドラ歴はどれくらいですか? miko 初めて観たのは『冬のソナタ』(日本放送は2003年~)ですが、遠ざかっていた期間もあったので……。でも、少なくとも10年以上は追いかけていますね。 チョロ子 私はコロナ禍に観始めたので、4年くらいです。性格的に一度ハマったらとことんなので、ものすごい勢いでチェックしました。 林 今日は、そんな韓ドラ歴の中でおふたりが出会った作品から、各ジャンルのイチオシを教えていただければと思っています。最初は「恋愛&胸キュン部門」のオススメをお伺いできますか? チョロ子 私がまず選んだのは『九尾の狐とキケンな同居』(2021年)っていう、チャン・ギヨン様の出演作品です。私、ラブコメが好きなんですが、これぞ理想的なラブコメ!って感じで……とにかく最初から最後まで、すべてが完璧なんですよ。甘い瞬間もあれば、ちゃんと試練もあって、そのバランスや見せ方がすごくいいんです。 林 ええ~! この作品、知らなかったです。 miko 今すぐに観たほうがいいです!!!! チャン・ギヨン史上、一番といっていいほどカッコいい。 チョロ子 (深くうなずきながら)この作品で、チャン・ギヨンは九尾を持つ狐、つまり人間ではない役を演じているんです。見た目は人間なんですけどね。 そんな彼と、イ・ヘリ演じる大学生の女の子が出会って始まる物語です。九尾を持つ狐としていつか人間になりたいと願い、奮闘するというちょっと変わった設定なんですが、このファンタジー要素も効いてるんですよね。 続いてもうひと作品、チェ・ウシクとキム・ダミの『その年、私たちは』(2021年~)も推したいです。「二度と会いたくない」と思っていた元恋人たちが再び出会うといったストーリーなんですが、作品の見せ方がとにかくシンプル。よけいな要素がなく、ふたりの関係をじっくりと描いてくれるところがよくて。 それから私、ドラマのエピローグ(本編終了後に追加される短い映像で、韓国ドラマでは定番の手法)がすごく好きなんですが、この作品でも、本編では明かされていなかったエピソードが楽しめたりして、そこもいいんです。 林 わかります~! まず、主演のおふたりが素晴らしすぎて。 miko そうそう。それまでのチェ・ウシクってコミカルな役どころが多かったけれど、この作品が契機になってイケメン俳優として頭角を現したのかなと思います。 それから、彼とダミちゃんはその前に共演していた『The Witch 魔女』(2018年)では殺し合いをする関係だったのに、本作では一転して恋仲に……というのもおもしろかった! チョロ子 そういうの、見どころですよね! 林 さっそく大盛り上がり(笑)。じゃあ次、私が行かせていただきます。選んだのは『ユミの細胞たち』(2021年~)です。 チョロ子 ああもう、大好きですよ! miko もはや大好きなのが前提として、登場するふたりの男性のうち「あなたはどっち派?」っていう話ですよね! 林 アン・ボヒョン演じるウンか、パク・ジニョン演じるボビー(バビ)か。私は、ウン派です。 miko&チョロ子 (勢いよく挙手して)一緒! miko 満場一致、珍しい展開。だいたい割れるのに。 林 ちょっと恥ずかしいんですが、ジニョン演じるボビーはアプローチの仕方や存在が現実的じゃないですか。だから、観ていて「これはちょっと、リアルによすぎる!」と、それ以上感情移入しないように自制しちゃって(笑)。 一方、アン・ボヒョン演じるウンは少し変わり者で、私の場合はそういうところがドラマの中の人物として心を寄せやすかったのかなと。 miko この作品って、細胞たちがキャラクターとして登場してしゃべったり、アニメーションが使われていたりするんだけど、人間関係や葛藤がすごく現実的に描かれているんですよね。そういうところがよくて、私も今回挙げようと思っていたくらい好きで……(本作に登場するキャラクター“腹ペコ細胞”のぬいぐるみを手に)。 林 ああっ! チョロ子 最高。私も持ってます(笑)。 林 『ユミの細胞たち』仲間と話せて、うれしい……。そんなmikoさんの「恋愛&胸キュン部門」イチオシ、気になります。 miko 私は、一番好きなラブコメといえばコレ!というのがあって。それが『1%の奇跡』です。これは2003年版と2016年版があるんですけど、私はハ・ソクジン主演の後者がとにかく大好きです。 チョロ子 ソクジンオッパ……。 miko そう。私の韓ドラ沼のお友達はこのドラマが好きすぎて、でもハ・ソクジンがなかなか来日してくれないからって、自主的に『1%の奇跡』ファンミーティングを開催したんですよ(笑)。キャストはいなくてファンが集うだけなんですが、Xで参加者を呼びかけたところ、15人くらいが集まって。 林 すごい熱量! miko それくらい、今でも熱狂的な人気のある作品ですね。 チョン・ソミン演じる主人公ダヒョンは小学校の先生で、ある日、校外学習の途中でおじいさんの命を救うんです。そのおじいさんが実は財閥の会長で、後日、ハ・ソクジン演じる孫のジェインに「ダヒョンとの結婚を条件に、すべての財産を譲る」と言い出して、ふたりは大困惑。なんとか交渉した末、6カ月間の期間限定の交際を始めることに……というストーリーで。 私、“契約モノ”が大好きなんです(笑)。終わりがあるという設定で、関係性がどう揺れ動いていくかっていうのがすごくいい。この作品だと、ふたりの立場がまったく違うっていう要素もあるから、回数を覚えていないくらい観返しているけど毎回本当におもしろいです。 チョロ子 拍手しちゃうくらい、プレゼンが完璧。mikoさんは『1%の奇跡』ファンとして有名ですもんね。 miko これで今日、私の役目はほぼ完遂したかなってくらい(笑)。 【泣ける部門】それぞれの立場から家族を思う姿に、涙… 林 では続いて、「泣ける部門」のオススメに移りましょう。 miko 韓ドラって泣ける名作が多すぎて悩んだんですが、「最近観た中で一番ティッシュの消費量が多かったのはどれかな?」と考えて思いついたのが、『おつかれさま』(2025年)でした。 林 ああ~!!!! チョロ子 間違いないですね。 miko 一見「重いドラマ?」って思われていそうなんですが、世代を問わずあらゆる視聴者が共感できるポイントのある作品なんですよね。今ちょっと思い返しても泣いちゃいそうなので、あまり深く話せないくらい……(笑)。 主演のIUとパク・ボゴムの演技が素晴らしかったですし、ふたりが年老いてからを演じたムン・ソリとパク・へジュンも本当に素敵で。 チョロ子 子が親を思う気持ち、親が子を思う気持ち、それぞれが描かれているから若者からお年寄りまで楽しめるんですよね。 miko うんうん。もちろん恋愛模様もたっぷり描かれているから、いろんな要素があってね。 それから『私が死ぬ一週間前』(2025年)は、観ている人の数は少ないと思うのですが、本当にオススメ。まずタイトルから泣かせにきているんですが、ファンタジー要素もあればヒューマンドラマのよさもあり、これも泣きましたね。コンミョンとキム・ミンハが主演です。今はまだ有料レンタルしかないのですが、全6話で観やすくもあるので、未見の人はぜひ! チョロ子 『私が死ぬ一週間前』、すごくよかった……泣かされました(笑)。私も、泣ける韓ドラをオススメさせてください。『ムービング』(2023年)です。 miko わーなるほど! そこ行くんですね。 チョロ子 ヒューマンドラマでもたくさん好きな作品はあるのですが、私はこれで。ジャンルとしては超能力ものではあるものの、根幹にあるのが実は家族ドラマっていうところがミソなんです。 「誰のために、なんのために戦うのか?」という問いに、この作品の登場人物たちは「自分の大切な家族のために」って答えを持っていて。子供のために、親のために、みんながそれぞれの立場から家族を思う姿は、『おつかれさま』にも通じるかもしれません。 林 『ムービング』はコメディ要素もあるから、そういう意味でもしっとりしすぎなくて、幅広い人にオススメできそうです。 チョロ子 たしかに! 楽しく笑えて、家族愛で泣ける素晴らしい作品です。 家族の物語でいうと、『輝くウォーターメロン~僕らをつなぐ恋うた~』(2023年)も大好きなんです。耳の聞こえない両親を持つ青年が、ある日、1995年の世界へ行ってしまって……というファンタジーで。 タイムスリップものと聞くと「おや?」と感じるかもしれませんが(笑)、過去へ行った先で青年が出会うのが、彼と同年代のお父さんなんですよ。しかも当時のお父さんはまだ耳が聞こえていて、お母さんとの出会いも目の当たりにして。 親の過去って、子供は知らないことが多いじゃないですか。実はお父さんはこういうことに情熱を傾けてキラキラしていたんだということだったり、お母さんとどう結ばれるかだったり、そういうのを間近に見て何を感じるかという。これはもう、グッときます。 林 mikoさんもおっしゃっていたとおり、韓ドラは泣ける作品が多いから、ジャンルも幅広いですよね。ひと口に「家族愛で泣ける作品」といっても、超能力ものだったりタイムスリップものだったりいろいろあるんですね。 続いて、私のイチオシも紹介させてください。『ナビレラ -それでも蝶は舞う-』(2021年)です。 miko&チョロ子 あれは……よかった……! 林 ソン・ガン演じる青年チェロク、パク・イナン演じる元郵便配達員のおじいちゃんドクチュルがふたりでかつての夢をかなえるためクラシックバレエダンサーを目指すというストーリーなのですが、人生経験が豊富な年長者だからこそ伝えられる教訓だったり、与えられる勇気があるなと感じられる作品ですよね。私自身も「人生は一度きり、挑戦してみよう」と背中を押されました。 また終盤、認知症になったドクチュルに思い出してもらおうと、チェロクが舞うシーンもとにかく美しくて、ボロボロ泣きました。 miko ご老人が出ている作品って、私はちょっと刺さりすぎちゃうことが多くて、逆に敬遠しちゃうんです。この作品もだいぶ寝かせていたのですが、やっと観て、やっぱり胸が締めつけられました。あのラストも素晴らしくて……忘れられないシーンとして心に刻まれましたね。 【人生ドラマ部門】コロナ禍で出会い、日々に彩りを与えてくれた 林 それではいよいよ私たちのオールタイムベスト作品、「人生ドラマ部門」を発表していきましょう! チョロ子 これは選ぶのが難しすぎました!(笑) miko 選びに選びましたね。被るかな?とも思ったので、私は比較的最近の作品からチョイスしました。『今日もあなたに太陽を ~精神科ナースのダイアリー~』(2023年)です。 パク・ボヨン演じる看護師が、ある日内科から異動になって精神科で働き始めるのですが、やがてメンタルの不調に陥ってしまって……というかなりシリアスな話。 ただ最後まで観てみると希望が見えるというか、「明けない夜はない」というメッセージが伝えられるんです。内容としても、精神科の事情についてはもちろん、シングルマザーの現実や教育問題、毒親問題、経済格差など、その背景からもたくさんのことが見えてくる骨太な作品になっているんですよね。 重いテーマなのでなかなか手が伸びにくいかと思うのですが、「青龍シリーズアワード」でドラマ最優秀作品賞に輝いたほど高く評価されている一作ですし、なにより視聴者が観終わったあとに自分を見つめたくなるような、そんな気持ちにさせるパワーを持ったドラマなので、多くの人に届いてほしいですね。 チョロ子 私、これ途中で観るのをやめてしまったんですよね。つらくて……。 miko それもすごくわかるなあ。 チョロ子 ただ同時に、本当に素晴らしい作品だということもわかったので、勇気を出してもう一回観てみたいです! miko あとは、やっぱり『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』(2018年)かな。これはもはや「みんなの人生ドラマ」かなと思ったので、あえて外したんですが。 林 ズバリ、私の人生ドラマでもあります。この作品が「みんなの人生ドラマ」たるゆえんって、どんなところなんでしょうかね。 miko “恋愛モノ”にならなかったところだと、私は思います。あのふたりの特別な関係性というか。恋愛ドラマにせずに、ヒューマンストーリーに仕上げたことと、底辺に生きる人々の息苦しくもリアルな生活を描きながら、温かくも思いやりある希望も描かれていて……寂しくも温かいドラマだなと。 林 たしかに。完全に理不尽な立場に置かれているIU演じるジアンが、イ・ソンギュン演じるドンフンと出会い、恋愛ではない関係でお互いの共通点を見出して、手を差し伸べ合う。一緒にいて癒やしを得られるんだけど、結局それ以上の幸せを求めるには離れなくてはいけない、というその関係性がこの上なく切ないんですよね。 逃げ場のない孤独感にすごく共感してしまって。観ていてしんどいんですが、そういう虚しい感情って自分だけじゃないのか……とちょっと救われる部分もあったりして、ものすごく深いところに響いてくるドラマなんですよね。 もうひとつ、人生ドラマを挙げるとすれば、私は『ミセン』(2014年)です。 チョロ子 色褪せない名作。 林 描かれているのが、会社員の日常っていうのもよくて。そのなかでいろいろな事件が起きて、人々が団結していくわけですが……社員同士って家族や友達ではないけれど、同じ目標に向かって走っているという共通の宿命を持っているじゃないですか。 一緒に悩んで時には憎み合って、何かを成し遂げられたら喜びを分かち合う。ただ同じ会社に入社した、ただそれだけの他人同士なのに、それでも運命をともにひた走っていく……現代社会人のリアルが映し出されているところが共感できるし、観ていてすごく励まされます。実際、仕事でちょっと落ち込むようなことがあったときに観返すドラマですね。 miko たしかに、会社勤めの人の胸を打つ物語ですよね。韓ドラはあまり観ないけど『ミセン』は好きという方も多いみたいです。 林 なるほど! そういう意味では、韓ドラの入口にもピッタリなのかも。では最後に、チョロ子さんの人生ドラマを聞かせてください。 チョロ子 私はいろいろ考えた挙句、自分でもちょっと意外なセレクトになって。『わかっていても』(2021年)と『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』(2018年)です。 なぜこのふたつになったかというと、「人生ドラマ」っていろんな考え方ができるなと思っていて。もちろんすごく大きな影響を受けたものだったり、忘れられない感動をもらったものという捉え方もできるんですが、私にとっての「人生ドラマ」は、平凡な日常を彩ってくれるような作品なんですよね。 林&miko ああ~!! チョロ子 それでまさにコロナ禍、起伏のない日常で出会って、韓ドラの魅力に気づかせてくれたのがこの2作品だったんです。観ているときの「なんだこの楽しさは!」という感覚、その時間がなによりもありがたくて。コロナが落ち着いて普段の生活が戻っても、「帰ったらあれを観よう」と考えて幸せな気持ちにさせてくれる韓ドラが、私は大好きなんです。 林 素敵な話。人生を変えた出会いと言っても過言ではないですよね。 チョロ子 本当に。それからやっぱり私は恋愛ドラマが好きなので、この2作品は観ていて「カッコいい~」と夢中にさせてくれるんですよ。あり得そうな話でもあるから、どんどん私も主人公になったような気持ちになるというか。その体験そのものが、この上ない幸せなんですよね。 『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』については、この作品に出てくるジュニ(チョン・へイン)を超える胸キュン男性主人公に、まだ出会えてないなってくらい刺さってて。好きすぎて、もう観返せないくらい。観るとしんどくなるから。 林 ええ!? miko わかります。しんどい!! しんどい!! チョロ子 でもジュニのことを思うと、今でも幸せになれる。日常の中で、そんな特別なひとときだったり“ひと呼吸”をくれる作品です。 林 たしかに、そうですよね。「人生ドラマ」って人生の数だけ捉え方がそれぞれだから、選ぶ基準も違ってくる。それがすごくおもしろいです。想像以上に深い話もお聞きできましたが、おふた方と繰り広げたい“韓ドラ談義”はまだまだあるので、後半戦も引き続きお願いいたします! ------ 後編では、近年の作品を中心に、韓国ドラマの最新トピックを語ります。何年経っても、韓ドラに魅了される理由とは? ------ 文=菅原史稀 編集=高橋千里
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スターたちの輝きに感激!『M:ZINE LIVE』見どころレポート|「林美桜のK-POP沼ガール」第21回「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 9月9日の『M:ZINE LIVE』にお越しくださった皆様、生中継でご覧いただいた皆様、ありがとうございました! アーティストの皆様、ファンの皆様のおかげで無事に終えることができました。 そして、なんと!! 10月放送の『M:ZINE』では、『M:ZINE LIVE』の様子を なんとなんと4週にわたってお届けするということで、 このコラムでは、私が感じた見どころをさくっと伝えさせていただきます。 全4グループの個性が爆発!エンジョイダンスバトル まずは「エンジョイダンスバトル」。 番組MCを務めるMrs. GREEN APPLE若井滉斗さんが「DJ若井」に変身!! DJ若井がかける音楽に、どれだけ“エンジョイ“しながら 即興ダンスで音楽を表現できるかを競うゲーム。 IMP.、NCT DREAM、THE BOYZ、BALLISTIK BOYZの全アーティストのチーム対抗戦で行われました。 まだご覧になっていない方も多いと思うので詳しくは控えますが、 とにかくグループ色が濃いのが見どころ。 アクロバットだったり、ちょっとシャイだったり、演技力だったり、パワフルだったり…… こんなにも飛び込んでくる印象が違うのかと。 それがとにかく楽しいです。 即興とは思えないパフォーマンス力の高さ、繊細な表現にご注目ください!! 目指せダンスモンスター!努力家なミセス若井さん 続いては「若井ダンスモンスターへの道」。 ギタリストの若井さんが、ゲストアーティストからダンスを学び極める、『M:ZINE』名物企画!! イベントでは4組のアーティストと一緒にパフォーマンス。 スタジオを飛び出して、ライブでお届けすることになりました。 今回に向けた若井さんの努力の裏側がまとめられたVTRに ウルッとされているファンの方もおられて、 私が言葉にするよりも……とにかく観ていただきたいのですが、 『M:ZINE LIVE』バラエティコーナーの感動的な締めくくりとなりました。 若井さん、想像を絶するであろう忙しさのなか、 ダンスを毎回必ず完璧に仕上げて収録に臨まれます。 この1年半、本当に一度も手を抜かず。 ファンの皆様はずっと前からご存じなのだと思いますが、 スターなのに、こういう丁寧で誠実な仕事への向き合い方を 変えずに継続できるって、すごすぎるなと…… 「すごい」以上の言葉があればそれを使いたい。 毎回、そのひたむきな努力に「心洗われますね」と 山添(寛)さんや松陰寺(太勇)さんと話していて(もう拝む勢いで) 私はもっともっときちんと生きなければと思わされます。 『M:ZINE LIVE』でしか観られない、4組のダンスの競演。 ギタリスト×アーティスト×ダンス こういったコラボレーションは、ほかではなかなか観られないと思います。 果たしてダンスモンスターになれたのか…… そしてほかにも「キメ顔モンスターは誰だ!? 選手権」も!! 放送をお楽しみに!! スターたちの輝きは、まさに“ステージ上発電”! アナウンサー9年目にもかかわらず、たくさんの方の目の前で司会進行をする機会があまりなかった私。 いきなり大きすぎるさいたまスーパーアリーナという会場で、心臓が飛び出る思いというか……鼓動がどこから伝わってきているのか、ステージ上で心臓のありかがわからなくなって大パニックになっていました(笑)。 普通に記憶が飛んでいる部分があり(え?) まず「……その間に一曲歌ったりしてたらどうしよう」と思って 終わった瞬間、母に確認の連絡をしたんですが、それは大丈夫だったみたいです。 本当によかった。 改めて、何百人、何千人、何万人というファンの前でパフォーマンスするアーティストのカリスマ性を身に染みて感じました。 アーティストのみなさん、そして松陰寺さん 声援を力に、さらに輝きがどんどん増していく!! “ステージ上発電”という感じ。 ステージに上がると、ライトに透かされるように 付け焼き刃の文言や知識を溶かされて ほぼ素でいることしかできなかった私。 やはりスターたちはまったく違いました。 あの場所で支えになるのは 日々の努力・鍛錬なのだなと。 私たちが魅せられて、得ている感動は、 アーティストのみなさんの、血のにじむような努力の結晶。 いつも完璧以上に、期待以上に存在してくださるのって、当たり前じゃないですね。 もっと一瞬一瞬を大事に、感謝しながらライブやステージ、作品を観るべきだなと考えさせられました。 観客のみなさんのお顔もうちわも、よく見えてました! あと、なかなか壇上に立つ機会がないので、ステージに立って思ったのは、ご来場くださる皆様のお顔・うちわ・ボード、よく見えました! 私はよくライブやファンミに行く人間なのですが 「……今、目が合った気がする……?」は、目が合ってます、確実に。 という学びを得ました!! 実は、ライブ前にエゴサーチ(趣味)をしているなかで 『M:ZINE LIVE』に向けて素敵なボードを作っている方を発見して 気になっていたのですが、しっかり見つけました。 私がファンサするのも違うか……と、反応できなかったのですが 見えておりました!! アーティストのみなさんにも、もちろん見えているということですね(確信)。 いろいろ脱線しながら私目線の駆け足の感想になってしまいましたが、 これを読むより、なにより観てほしい。 10月放送の『M:ZINE』は 『M:ZINE LIVE』の様子を 見どころを凝縮してお届け!! 10月3日(金)・10日(金)・17日(金)・24日(金) ※10月毎週金曜 深夜1時30分~1時50分 (関東ローカル) 11月15日(土)昼12:00~CSテレ朝チャンネル1で『M:ZINE LIVE』特別版を放送。 こちらはパフォーマンスもたっぷりとお届け!! CSでしか観られないインタビューもありますのでお楽しみに♪ https://www.tv-asahi.co.jp/ch/contents/variety/0821/ ・番組公式サイト:https://www.tv-asahi.co.jp/mzine/ ・番組公式X:https://twitter.com/MZINE_tvasahi ・番組公式TikTok:https://www.tiktok.com/@mzine_tvasahi ・番組公式Instagram:https://www.instagram.com/mzine_ex/ ※『M:ZINE』は地上波放送終了後、下記の各プラットフォームで見逃し配信を行います。放送を見逃した方、もう一度見たい方はこちらもお楽しみください ・『TELASA』https://www.telasa.jp/series/14568 ・『ABEMA』https://abema.tv/video/title/87-1895 ・『TVer』https://tver.jp/series/srd07alm4c ・『テレ朝キャッチアップ』https://douga.tv-asahi.co.jp/program/47615-47614 『M:ZINE LIVE』の感想、できる限り読ませていただいて、温かいメッセージに感動しました。 引き続き、『M:ZINE』をよろしくお願いいたします! 文=林 美桜 撮影=田中聖太郎写真事務所 編集=高橋千里
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“予約のとれない韓国料理教室”がコロナ禍でも続いた理由とは?「ヒャンミレシピーズ」ゼン・ヒャンミのポジティブマインド術|「林美桜のK-POP沼ガール」マレジュセヨ編「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 林美桜が話を聞きたい“韓国カルチャー仕事人”に突撃取材する「林美桜のK-POP沼ガール・マレジュセヨ編」。 今回は、東京・西荻窪で韓国料理教室「ヒャンミレシピーズ」を主宰しているゼン・ヒャンミ先生が登場! 普段はあまり自炊をしない林だが、「韓国料理を学んでみたい」という意気込みのもと、ヒャンミ先生に料理を教えてもらいながらお話を聞くことに。 著書『ヒャンミレシピーズ 予約のとれない韓国料理教室』(主婦の友社)から、水キムチのレシピを紹介。夏にぴったりの「トマトの水キムチ」を一緒に作ります。 料理初心者の林美桜が「水キムチ作り」に挑戦! 林 美桜(以下、林) いつも料理本やSNSを拝見していたので、「ここがヒャンミ先生の教室!」とテンションが上がっています。普段からこちらに生徒さんを招いて、お料理を教えていらっしゃるんですよね。 ゼン・ヒャンミ(以下、ヒャンミ) そうなんです。みなさん年齢層もバラバラだったりするのですが、「韓国料理が好き」という共通点があるのですぐに仲よくなって、いつも和気あいあいとした雰囲気ですよ。林さんも韓国料理に関心があるとお聞きしたので、今日は一緒に作ろうといろいろ準備してきました。 「ヒャンミレシピーズ!」の教室で体験させていただきました! 林 ありがとうございます! でも私、料理スキルに自信がなくて……。しかも韓国料理はハードルが高いイメージがあって、少し不安です。 ヒャンミ 大丈夫です。生徒さんの中には“食べ専”の方や初心者の方もいらっしゃいますし、今回ご紹介するレシピはとってもシンプルなので安心してください。その上、健康にも美容にも効果的で、おいしいので、入門編に最適です。 林 がんばってみます、よろしくお願いします! 一般的なキムチとは違う? 辛さ控えめの「水キムチ」とは トマトの水キムチ 〈材料〉 トマト(中玉) 10個 新玉ねぎ 2分の1個 にんにく 2カケ ショウガ 1カケ 水 1リットル 砂糖 大さじ1 塩 大さじ1 梅エキス 大さじ1~ 林 想像よりずっとシンプル。これだけでキムチが作れるなんて、驚きです。 ヒャンミ 一般的にイメージするキムチは、真っ赤で辛いものですよね。でも、この水キムチは比較的辛さも塩分も控えめで、漬け汁は、発酵前は透明ですが、発酵後は濁ってくるところが大きな特徴です。また乳酸菌がたくさん含まれているので、具だけではなく漬け汁も主役のキムチなんです。スッキリとした味わいが楽しめるので、捨てるところがないんですよ。 まずは、ボウルに水、塩、砂糖、梅エキスを入れてよく混ぜていきましょう。 「メシルチョン(매실청)」と呼ばれる梅エキス。韓国スーパーやオンラインで購入できます 林 梅エキスをキムチの漬け汁に使うのですね! ヒャンミ 韓国ではすごくメジャーな調味料で、自家製を作る家庭も多いんです。ぜひ、エキスだけで味見してみてください。 甘くて、梅の香りが効いていて、おいしい! 林 こうやって、今まであまりなじみのなかった調味料や具材を知ることができるのも楽しいですね。 ヒャンミ 気に入ってくださって、私もうれしいです。さあ、これから玉ねぎ・にんにくを薄くスライスして、ショウガを千切りにしていきますよ。私の料理教室では、いつもデモンストレーションをしてから生徒さんにもやっていただくので、今回もそのようにしていきますね。 先生の手さばきが美しくて、見ているだけでうっとり…… 林 実際に間近でお手本を見てから実践できるから、すごく勉強になります。 ヒャンミ 具材は繊維に沿って切ると、キレイにでき上がりますよ。それから、まな板の中心に対して身体の中心を合わせて、利き手側の足を引いて切るのが基本です。では、林さんもやっていきましょう。 ちょっと怖いけど、ゆっくり慎重に…… ヒャンミ すごくキレイに切れています! 回数を重ねれば、もっともっと伸びていきそう。 林 やったー! 先生が優しくてたくさん褒めてくださるから、緊張がほぐれて楽しくなってきました(笑)。 ヒャンミ 次は、ヘタを取ったトマトを3~4つずつ、15秒間沸騰したお湯に入れて、冷水につけてから湯剥きしていきます。 湯上げしてから冷水につけることで、スルッと皮が剥けます ちなみに、水キムチはさまざまな野菜で作れるのですが、今回トマトをチョイスしたのは、夏が旬なので一番おいしくてお得に手に入れられて、栄養価も高いからです。 林 なるほど、旬な食材を選ぶのもポイント。これと、玉ねぎ・にんにく・ショウガを先ほどの漬け汁に加えていくのですね。 ヒャンミ そうそう。それから落とし蓋の要領でラップをして、ホコリが入らないようさらに上からラップをして、常温で放置するだけ。室温が25度以上の時期は、3日程度で完成です。 ぷくぷくとした泡が出てきたら、過発酵を防ぐために冷蔵庫で保管すると、3週間はおいしく食べられます。 発酵した水キムチがこちら。ぷくぷくした泡が出ています さらにこの時期は過発酵してしまいがちなので、殺菌作用のある青唐辛子を少しだけ入れるのもオススメです。爽やかな辛さで、味に彩りも加えてくれます。 青唐辛子を入れることで、見た目もより鮮やかに! ヒャンミ 最初に「水キムチは捨てるところがない」とご説明しましたが、この漬け汁を使って冷麺も作っていきますよ。 林 なんと、ここからさらにもう一品広がっていくのですね! すごい。 ヒャンミ そうなんです。そうめんを普通にゆでていただいて……。 韓国では冷麺用の麺をそうめんで代用することも多いそう ゆで上がった麺の水気をしっかり切って、漬け汁に入れます。その上にトマトの水キムチの具、お好みで茹で鶏などをトッピングすれば、「水キムチの汁の冷麺」のでき上がりです! おいしそう! どんな味か気になります! 健康にも美容にも◎! 水キムチの驚くべき効果とは 林 ドキドキ。ではさっそく、水キムチからいただきます。 ……わ、ビックリ! なんだか新しい感覚なのに、たしかにキムチを感じます。噛んだ瞬間、フレッシュトマトのジューシーな爽やかさと甘い味わいが口の中に広がって、そのあとにシュワシュワ感が来ますね。これがキムチの発酵なのでしょうか。 ヒャンミ はい。水キムチ最大の特徴は、乳酸菌がふんだんに含まれているところで、腸活に最適なんですよ。なので身体によくて、お肌にもいいんです。 林 そういえば韓国ドラマを観ていると、たまに二日酔いの登場人物に母親が「水キムチの汁だけ飲んでから仕事へ行きなさい!」と言うシーンがありますが、味がスッキリしているから身体を起こしてくれるし、健康的だからなんですね。 先生に今日お会いして、お肌のキレイさに改めて感動したのですが、その秘訣も水キムチだったりするのでしょうか……? ヒャンミ ありがとうございます(笑)。私自身、水キムチが大好きで普段からよく食べているんです。寒い時期に、あまり食べなくなると肌のくすみが気になったりするので、効果を身をもって実感しています。 林 冷麺も乳酸菌たっぷりの漬け汁が使われているから、おいしく食べられて身体にも美容にもいいんですね。その上、日常にも取り入れやすそうなレシピでうれしい。辛さ控えめだから、辛いものが苦手な方にもオススメしたいですね。 水キムチの漬け汁を使った冷麺も、とてもおいしかったです! コロナ禍でも「教室を続ける方法」を模索した 林 それではこの2品をいただきつつ、ここからは先生にいろいろとお話をお伺いできればと思います。まず、韓国料理研究家になった経緯はどんなものだったのでしょうか。 ヒャンミ 子供のころから食べることが大好きだったというのが、大きな理由です(笑)。そして在日韓国人として、家庭では日本と韓国の料理がどちらも日常的に食卓に並んでいるのを当たり前に目にしてきました。 そういった環境で育ったからこそ発信できること、教えられることがあるのではないかと思ったことが、料理教室を開くきっかけになりました。 せっかくだから、おいしいだけでなく健康にもいい料理を作れたらということで栄養士の資格を取得して、叔母が営んでいるお店(神楽坂にある韓国宮廷料理店「松の実」)でお手伝いをするところから始めて。 叔母に、お店の営業時間外で料理教室の開催を相談したことがきっかけとなり、レッスンがスタートしました。初めは友人だけだった生徒さんも、お店にチラシを置かせてもらったりして、少しずつ増えていきました。 林 そうして地道に人気を集めて、今では生徒数が2000人を超えているとのこと! 先生の料理本を読むと、とってもおいしそうなだけでなく、「私も作れるかも」と感じられるくらい、幅広い層に門戸が開かれている印象を受けます。こういった点も、生徒さんに教えられる上で意識されているのでしょうか。 ヒャンミ そうですね。私が目指しているのは、「日本の食卓に韓国料理が溶け込んでいる光景」を当たり前にすることなんです。それを実現に近づけるためには、みなさんに「自分にもできるかも」「これならやってみたい」と思っていただけることが一番。 なのでおいしさはもちろん、できるだけ楽しくお手軽な調理法のほか、韓国の調味料や材料を必ずしも使用しなくても作れる術など、再現度の高いレシピをご紹介するように心がけています。 『ヒャンミレシピーズ 予約のとれない韓国料理教室』でも、家庭で再現しやすいレシピを数多く紹介 林 実際、今日教えていただいて「キムチ作りはハードルが高い」というイメージがすっかり覆りました。 ヒャンミ うれしい! それに、生徒さんからは「辛くない韓国料理もたくさんあるということを初めて知りました!」「チゲやフライドチキンのように味の濃いものでなく、繊細な味わいの韓国料理も多いんですね」といった声もいただきます。食文化を知れば知るほど、韓国料理の概念が広がっていくのもおもしろいですね。 私自身、たくさんのレストランへ足を運んでさまざまな食文化を学んだり、インスピレーションを得ようとしています。子供がまだ小さかったころも、1日だけ母にお世話してもらっている間に弾丸で渡韓して、いろんなところを食べ歩きしつつ「これは日本のお醤油で作ってみたら、どんな味になるのかな?」と考えたり。 林 先生のバイタリティ、とても尊敬します。 ヒャンミ 好きを仕事にできているのは、とても幸せですね。だからこそやりたいことが多いんです。それに私は“試作魔”なので、メニューを考えるときもとにかく数をこなして、必ずどこかで失敗を挟むようにしています。そうすることでこそ、生徒さんにどうすれば失敗しないかを教えてあげることができるから。 林 行動に起こすことで生まれる失敗が、結果的に糧になるんですね。 ヒャンミ そのとおりです。コロナ禍のときも、可能な限りリスクを抑えつつ教室を続ける方法を医療従事者の夫に相談しながら考えて、限られた環境の中でどうやったら生徒さんに楽しんでいただけるかを試行錯誤していました。 まさにトライ&エラーの連続で苦労もしましたが、マスクを外さなければいけない試食タイムを極力抑える代わりに、完成したお料理をお持ち帰りしてもらうやり方を考えたら、それが生徒さんから「家族にも楽しんでもらえてうれしい!」と好評だったりして。 そういう試行錯誤は、コロナ禍が明けた今も続けています。調味料を足したり引いたりしながら味を整えるのと一緒で、何事も日々微調整しながら挑戦し続けることが大事かなと思いますね。 「あきらめないこと」が特別な何かにつながる 林 私は今31歳なんですが、この歳だからこそ人生の悩みも増えてきて。先生も同じ年齢のころ、苦労することはありましたか? ヒャンミ ちょうど資格を取って、教室を始めたはいいものの生徒さんも少なくて、どうしたらいいものやらと考えていた時期です。 そのころに背中を押してくれたのは、お店に立っている叔母の姿でした。常に新しいメニューを考えることに余念のないその背中を見て、特に突飛なことをすることもなく、当たり前のことを真摯に続けることの素晴らしさを学んだんです。 いつもと同じことをすると、どうしてもつらいなと感じることもありますよね。でも、とにかくあきらめずに続けること。それが特別な何かにつながると信じています。 林 叔母さまの探求心と継続力が、ヒャンミ先生の今につながっているのですね。最後に、何かを続ける上でモチベーションを保つためにしていることがあれば、お聞きしたいです。 ヒャンミ ストレスを発散することです。「ちょっと疲れているな」という時期は、どうしてもその気持ちが料理の味に出ちゃうんですよ。だからそういうとき、私の場合はなるべく料理しないようにして、カラオケに行ったりおいしいものを食べに行ったり、とにかく自分の好きなことをして心をリセットさせています。 あとは、運動もすごくいいですよ。暗闇の中、音楽がかかっている状態でエアロバイクをひたすらこぐフィットネスとか、心がすごくリフレッシュできて。落ち着いた状態だからこそ新しいアイデアも浮かぶし、挑戦に対してワクワクできるんだと思います。 林 それを自然にやっていらっしゃる先生は、きっと普段からご自身と向き合われていて、だからこそ自分の好きなことを理解されているのではないかと思いました。 今日お話しいただいたことを心に留めて、私も前向きなエネルギーを人々に与えられるようになりたいです。それと、健康的で美しい先生のお肌にも近づけるように、お家で水キムチ作りにチャレンジしてみます! ヒャンミ先生、ありがとうございました! 林美桜の取材後記 楽しかったぁ!! 普段ほとんど料理をしないのでドキドキだったのですが、ヒャンミ先生が優しく褒めてくださるので、自己肯定感増し増しの一日になりました。 プロの技を見て、学び、実践する。「習う」って改めていいですね。 新しいことを学ぶ機会が久しぶりだったので、細胞から喜んでいるのを感じました。 先生の完璧な包丁さばきなどが忘れられず、この日以来、料理をするときには先生を思い出して、丁寧に取り組むことを意識できるようになりました。 そして、ヒャンミ先生が美しくてキュートで、お肌が内側から発光していて……。 すっかりファンになってしまいました!! Instagramを拝見して、推し活しています! 今回学んだ「水キムチ」。発酵ってすごい!! 爽やかにシュワっと身体に染み込んでいくのが心地よくて。その後、体内を円滑に巡っていくように感じられました。 ぷくぷく発酵していく様子もかわいくて、愛情が生まれかけましたよ。 暑い日が続きますが、栄養満点の水キムチを食べて乗り切りましょう! 韓国料理教室「Hyangmi.Recipe's ヒャンミレシピーズ」 西荻窪駅から徒歩2分 ※場所の詳細はご予約いただいた方のみにご連絡します https://ameblo.jp/ohhtetsu612/ 文=菅原史稀 撮影=MANAMI 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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カボチャのムースがピカイチ!喫茶店の未来を考える「カフェ トロワバグ」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第10杯先月、友達と名画座に行ってきた。期間限定で上映している作品がおもしろそうだと誘われ、私も興味があったので観ることに。同じ監督の作品が2本立てで楽しめて、大満足で映画館をあとにした。 2本分の感想が温まっている状態で、その街でずっと営業している喫茶店に行った。けっして広くないお店のカウンターであれこれ楽しく映画のことを話していると、店の奥にいた男女のお客さんの声が聞こえてきた。どうやらそのふたりも私たちと同じ映画を観ていたそうだ。 その街での思い出を、その街の喫茶店で話している客が同時にいて、これこそ喫茶店のいいところだよなと感じた出来事だった。 「3つの輪」を意味する店名とロゴマーク 今回は神保町駅から徒歩1分というアクセス抜群の場所にある「カフェ トロワバグ」を訪れた。 大きな看板と赤いテントが目印の建物の、地下へ続く階段を降りていく。トロワバグとはフランス語で「3つの輪」という意味だそう。輪が3つ連なっているロゴマークが特徴的だ。 店内に入るとまず目に入るのは、かわいらしいランプやお花で飾られたカウンター。お店全体はダークブラウンを基調としていて、照明も落ち着いている。大人の雰囲気をまとっていながらも、穏やかな時間が流れている空間だ。 昼過ぎではあったが、若い女性のグループからビジネスマンまで幅広い客層のお客さんがコーヒーを飲んでいた。独特なフォントの「トロワバグ」が刻まれたお冷やのグラスでテンションが上がる。カッコいいなあ。 横型の写真アルバムのような形のメニューが素敵。一つひとつ写真が載っていてわかりやすく、メニューも豊富だ。 コーヒーのバリエーションが多く、サンドウィッチ系の食事メニューや甘いものなど全部おいしそうで、どれにしようか悩む。喫茶店ではあまり見かけないような手の込んだスイーツも豊富で、すべてオリジナルで手作りしているそうだ。 いつかホールで食べ尽くしたい「カボチャのムース」 今回は創業から一番人気でロングセラーの「グラタントースト」と「カボチャのムース」と「トロワブレンド」をいただくことにした。結局、人気と書かれているものを頼みたくなってしまう。 グラタントーストにはサラダもついている。ありがたい。 ハムやゴーダチーズなどの具材が挟まれたトーストに、自家製のホワイトソースがたっぷり。ボリューミーだけれど、まろやかで優しい味わいなのでもりもり食べられる。 クロックムッシュを置いている喫茶店はたまにあるが、「グラタントースト」というメニューは案外見かけない。わかりやすい名前と誰もが虜になるおいしさで、50年近く愛されているのだという。 カボチャのムースがこれまたおいしい。おいしすぎる。カボチャそのものの甘さが活かされていて、シンプルながら完璧な味。なめらかな舌触りで、少し振りかけられているシナモンとの相性も抜群。添えられているクリームはかなり甘さ控えめで、ムースと食べると食感が少し変わる。 カボチャのムースがある喫茶店は多くないだろうが、トロワバグのものはピカイチだと思う。いつかお金持ちになったらホールで食べ尽くしたい。食べ終わるのが名残惜しかった。 ブレンドは苦味と酸味のバランスが絶妙で、食事にもケーキにも合う。 まろやかで甘みも感じられるので、コーヒーの強い苦みや酸味が苦手という人にも飲みやすいのではないかと思う。 喫茶店が50年も残り続けているのは「奇跡的」 カフェ トロワバグについて、店主の三輪さんにお話を伺った。 オープンしたのは1976年。お母様が初代のオーナーで、娘である三輪さんが2代目として今もお店を継いでいるそうだ。学生時代からお店で過ごし、お母様とともにお店に立たれている時代もあったとのこと。 地下のお店なのでどうしても閉塞感があり、当時はタバコも吸えたので男性のお客さんが多かったそうだ。しかし、禁煙になってからは女性客も増え、最近は昨今の喫茶店ブームで若いお客さんも多いという。 女性店主ということもあり、なるべく華やかでかわいらしさのあるお店作りを心がけているそう。たしかに、テーブルのお花や壁に飾られている絵は店内を明るくしている。 客層の変化に合わせて、メニューも少しずつ変わったとのことだ。パンメニューの中にある「小倉バタートースト」は女性に人気らしい。 若い女性のグループが食事とスイーツをいくつか注文し、シェアしながら食べていることもあるそうだ。これだけ豊富なメニューだと誰かと行ってあれこれ食べてみたくなるので、気持ちがよくわかった。 落ち着きのある魅力的な店内の内装は、松樹新平さんという建築家さんが手がけたもの。特徴的な柱やカウンター、板張りの床などは創業以来変わらず残り続けている。 喫茶店というものは都市開発やビルのオーナーの都合などで移転や閉店をしてしまうことが多い。そのため、50年近く残り続けているのは奇跡的だ。 松樹さんは今でもたまにトロワバグを訪れることがあるそうで、自分のデザインのお店が残り続けていることを喜ばしく思っているそうだ。店内のあちこちに目を凝らしてみると、歴史が感じられる。 店主とお客さん、お互いの「様子の違い」にも気づく これまでにも都内の喫茶店を取材して耳にしていたのだが、三輪さんいわく喫茶店の店主は“横のつながり”があるそうだ。お互いのお店を訪れたり、プライベートでも交流したり。 先日閉店してしまった神田の喫茶店「エース」さんとも親交があったそうで、エースの壁に吊されていたコーヒーメニューの札をもらったそう。トロワバグの店内にこっそりと置かれていた。温かみがあって素敵だ。 神保町にはかなり多くの喫茶店が密集している。ライバル同士でお客さんの取り合いになっているのではないかと思ってしまうが、実際は違うようだ。 たとえばすぐ近くにある「神田伯剌西爾(カンダブラジル)」は現在も喫煙可能なため、タバコを吸うお客さんが集まっている。また「さぼうる」はボリューミーな食事メニューがあるため、男性のお客さんも多い。 そしてトロワバグさんは女性客が多め。このように、時代の流れによってそれぞれの特色が出て、結果的に棲み分けができるようになったとのことだ。 街に根づいている喫茶店には、もちろん常連さんがいる。常連さんとのコミュニケーションについて、印象的なお話を聞いた。 たとえば三輪さんの疲れが溜まっていたり、あまり元気がなかったりするときに、常連さんは気づくのだという。それは雰囲気だけでなく、コーヒーの味などからも違いを感じるのだそう。きっと私にはわからない違いなのだろうが、長年通っているとそういった関係が構築されていくようだ。 反対に、お客さんの様子がいつもと違うときには三輪さんも気づく。「コーヒーを1杯飲むだけ」ではあるが、それが大切なルーティンでありコミュニケーションであるというのは喫茶店ならではだ。喫茶店文化そのもののよさを、そのお話から改めて感じられた。 2号店「トロワバグヴェール」を開いた理由 実は、トロワバグさんは今年の6月に2号店となる「トロワバグヴェール」をオープンしている。同じ神保町で、そちらはコーヒーとクレープのお店。 週末のトロワバグはお客さんがたくさん来店し、外の階段まで並ぶこともあるという。そこで、せっかく来てくれた人にゆっくりしてもらいたいという思いがあり、2号店をオープンしたそうだ。 また、現在のトロワバグのビルもだんだんと老朽化してきていて、この先ずっと同じ場所で営業するというのはなかなか難しいのが現実だ。 その時が来たらきっぱりとお店をたたむという考えもよぎったそうだが、喫茶店業界では70代以上のマスターが現役バリバリで活躍している。それを見て三輪さんも「身体が元気なうちはお店を続けよう」と決心したそうだ。 結果として、喫茶店の新しいかたちを取ることになった。元のお店を続けながら2号店を開く。 古きよき喫茶店は減っていく一方のなか、トロワバグがこの新しい道を提案したことによって守られる未来があるように思える。 三輪さんは喫茶店業界の先を見据えた営業をされていて、店主仲間ともそのようなお話をされているそうだ。私はただ喫茶店が好きで足を運んでいるひとりにすぎないが、心強く思えてなんだかとてもうれしい気持ちになった。 最終回を迎えても、喫茶店に通う日々は続く 時代の変化に伴いながら、街に根づいた喫茶店。神保町という街全体が、多くの人を受け入れてきたということがよくわかった。 喫茶店のこれからを考える三輪さんは、これからのリーダー的存在であろう。大切に守られてきたトロワバグからつながる「輪」を感じられた。神保町でゆっくりとしたい日には、一度は訪れていただきたい名店だ。 昨年12月に始まったこの連載だが、今月が最終回。私も寂しい気持ちでいっぱいなのだが、これからも喫茶店が好きなことには変わりない。 今までどおり喫茶店に日々通って、写真を撮って記録していく。いつかまたどこかで、みなさんに素晴らしいお店を紹介したい。そのときにはまた読んでね。ごちそうさまでした。 カフェ トロワバグ 平日:10時〜20時、土祝日:12時〜19時、日曜:定休 東京都千代田区神田神保町1-12-1 富田ビルB1F 神保町駅A5出口から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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贅沢な自家製みつまめを味わう。成田に佇む“理想の喫茶店”「チルチル」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第9杯これまでに行った喫茶店とこれから行きたい喫茶店の場所に、マップアプリでピンを立てている。ピンに絵文字を割り振ることができるので、行った場所にはコーヒーカップ、行きたい場所にはホットケーキ。 都内で生活をしているため、東京の地図にはコーヒーカップの絵文字がびっしりと並んでいる。少しずつ縮小していくにつれ、全国に散り散りになったホットケーキのマークが見える。 いつか日本地図を全部コーヒーカップの絵文字で埋め尽くしたいなぁと、地図を眺めながらよく思う。 そのためには旅行をたくさんしてその先で喫茶店に行くか、喫茶店のために旅行するか、どちらかをしなければならない。どちらにせよ遠くまで行ったら喫茶店に立ち寄らないのはもったいないと思っている。 旅行気分で、成田の喫茶店「チルチル」へ 今回はこの連載が始まって以来一番都心から離れた場所に行ってきた。JR成田駅から徒歩で12分、成田山新勝寺総門のすぐそばのお店「チルチル」さんだ。 ずっと前から SNSや本で写真を見ていて、いつか行ってみたいと思っていた喫茶店。取材させていただけることになり、成田という土地自体初めて訪れた。 駅から成田山までの参道にはお土産屋さんや古い木造建築の商店などが建ち並んでおり、成田の名物である鰻(うなぎ)のお店も軒を連ねていた。 賑やかな道なので、体感としては思ったよりもすぐチルチルさんまで行けた。よく晴れた日で、きれいな街並みと青空が最高だった。旅行気分。 レンガでできた門に洋風のランプ、緑色のテントがとてもかわいらしい外観。 この日は店の外に猫ちゃんが4匹いた。地域猫に餌をあげてチルチルさんがお世話をしているそうで、人慣れしたかわいらしい猫たちがお出迎えしてくれた。 製造期間20日以上!とっても贅沢な手作りのみつまめ 店内に入り、思わず息を飲んだ。ゴージャスかつ落ち着きのある「理想の喫茶店」といってもいいような空間。 木目調の壁、レトロなシャンデリア、高級感のある椅子やソファ。天井が高いのも開放的でよい。装飾の施されたカーテンや壁のライトは、お城のような華やかさがある。 メニューは喫茶店らしさにこだわっているようで、コーヒー・紅茶・ソフトドリンク・ケーキ・トーストとシンプルなラインナップ。 レモンジュースやレモンスカッシュは、レモンをそのまま絞ったものを提供しているそう。写真映えするのでクリームソーダも若い人に人気なようだ。 ただ、チルチルのイチオシ看板メニューは、手作りのみつまめだという。強い日差しを浴びて汗をかいてしまっていたので、アイスコーヒーとみつまめを注文した。 店内の椅子やソファに使われている素敵な布は「金華山織」という高級な代物だそう。しかし布の部分は消耗してしまうため、定期的にすべて張り替えているとのこと。お値段を想像すると恐怖を覚えるが、ふかふかで素敵な椅子に座ると、家で過ごすのとは違う特別感を味わえる。 アイスコーヒーはすっきりしていておいしい。ごくごくと飲んでしまえる。ちなみにシロップはお店でグラニュー糖から作っているものだそう。甘いコーヒーが好きな人にはぜひたっぷり使ってみてもらいたい。 そして、お店イチオシのみつまめ。「手作り」とのことだが、なんと寒天は房州の天草を使った自家製。さらに「小豆」「金時」「白花豆」「紫豆」の4種類の豆は、水で戻すところから炊き上げまですべてをしているそうだ。完全無添加で、素材の味が存分に活かされたとにかく贅沢なみつまめ。 粉寒天や棒寒天で作るのとは違って、天草から作る寒天は磯の香りがほのかにする。また食感もよい。まず寒天そのものがおいしいのだ。 また、お豆は何度も何度も炊いてあり、とても柔らかい。甘さもほどよく、豆だけでもお茶碗一杯食べたくなるようなおいしさ。花豆はそれぞれ最後の仕上げの味つけが違うそうで、紫花豆は黒砂糖、白花豆は塩味。すべて食べきったあとに白花豆を食べると異なる味わいが楽しめるので、おすすめだそう。 このみつまめすべてを作るのには20日以上かかるとのことだ。完全無添加でこれほど時間と手間がかかっているみつまめは、ほかではないだろう。一度は食べていただきたい。 1972年に創業。店名は童話『青い鳥』から お店について、店主のお母様にお話を伺った。 「チルチル」は1972年11月に成田でオープン。当初は違う場所で、ボウリング場などが入っているビルの中で営業していた。 夜遅くもお客さんが来ることから夜中の0時までお店を開けていたため、毎日忙しく、寝る暇もなかったらしい。当時は20歳で、若いうちから相当がんばっていらしたそう。 2年後の1974年12月25日から現在の成田山の目の前の場所で営業がスタート。もとは酒屋さんが使っていた建物だそうで、1階はトラックが停まり、シャッターが閉まるような造りだったらしい。そこに内装を施して喫茶店にしたため、天井が高いようだ。 店名の「チルチル」は童話の『青い鳥』から。繰り返しの言葉は覚えやすいため、店名に選んだらしい。かわいらしいしキャッチーだし、とてもいい名前だと思う。 「チルチル」の文字はデザイナーさんに頼んだそうだが、お店の顔ともいえる男女のイラストは童話をモチーフにお母様が描いたもの。画用紙に描いてみた絵をそのまま50年間使い続けているとのことだ。今もメニューやマッチに使われている。 記憶にも残る素晴らしいデザインではないだろうか。おいしいみつまめも、トレードマークの看板イラストも作れる素敵な方だ。 「お不動さまに罰当たりなことはできない」 成田山のすぐそばで喫茶店を営業するからには、お不動さまに罰当たりなことはできない、というのがチルチルのポリシーらしい。 お参りをしに来た人がゆったりとくつろげて、「来てよかったな」と思ってもらえるようにやってきたそう。お参りをしてからチルチルに立ち寄る、というルーティンになっているお客さんも多いらしい。 店内は何度か改装をしているが、全体の造りや家具は50年間ほとんど変わりがないとのこと。椅子やテーブルはお店に合わせて職人さんに作ってもらったもので、細やかなこだわりを感じられる。 お店の奥のカウンターとキッチンの棚もとても素敵だ。これも職人さんがお店に合わせて作ったもの。喫茶店の特注の家具は、たまらない魅力がある。 随所にこだわりが光る「チルチル」は、50年間大切に守られてきた成田の名所のひとつであろう。 素通りするわけにはいかないので、成田山のお参りももちろんしてきた。広い境内は静かで、パワーをもらえるような力強さもあった。 空港に行く用事があっても「成田」まで行こうと思うことがなかったため、今回はとてもいい機会であった。成田山に行き、帰りに「チルチル」に寄るコースで小旅行をしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 チルチル 9時30分〜16時30分 不定休 千葉県成田市本町333 JR成田駅から徒歩12分、京成成田駅から徒歩13分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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40年前から“映え”ていたクリームソーダにときめく。夏の阿佐ヶ谷は「喫茶 gion」で|「奥森皐月の喫茶礼賛」第8杯「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 暑さが一段と厳しくなってきたので、大好きな散歩も日中はほどほどにしている。 昼間に家を出ると、アスファルトの照り返しのせいかフライパンで焼かれているようだ。寒さより暑さのほうが苦手な私は、夏の大半は溶けながらだらりと過ごしてしまう。 しかしながら、夏の喫茶店は大好き。汗をかきながらやっとお店に着いて、冷房の効いた席に座るときの幸福感は何にも変えられない。冷たいドリンクを飲んで少しずつ汗が引いていくあの感覚は、夏で一番好きな瞬間だ。 阿佐ヶ谷のメルヘンチックな喫茶店 今回訪れたのはJR阿佐ケ谷駅から徒歩1分、お店が建ち並ぶ駅前でひときわ目立つ緑に囲まれたレトロな外装の喫茶店。阿佐ヶ谷の街で40年近く愛されている「喫茶 gion(ぎおん)」さん。 実はこのお店は、私のお気に入りトップ5に入る大好きな喫茶店。中学生のころに初めて行ってから今日まで定期的に訪れている。取材させていただけてとてもうれしい。 店内はかわいいランプやお花や絵で装飾されていて、青と緑の光が特徴的。いわゆる「喫茶店」でここまでメルヘンチックな雰囲気のお店はかなり珍しいと思う。 どこの席も素敵だが、やはり一番特徴的なのはブランコの席。こちらに座らせていただき、人気メニューのナポリタンとソーダ水のフロートトッピングを注文した。 ブランコ席は窓に面していて、この部分だけ壁がピンク色。店内中央の青色を基調とした空気感とはまた違う、かわいらしさと落ち着きのある空間だ。 店先の木が窓から見える。今の季節は緑がとてもきれいだ。 焦げ目がおいしい!一風変わったナポリタン ここのナポリタンは、一般的な喫茶店のナポリタンとは異なる。大きなお皿にナポリタン、キャベツサラダ、そしてたまごサラダが乗っている。店主さんいわく、このたまごサラダはサンドイッチに挟むためのものだそう。それを一緒に提供しているのだ。 まずはナポリタンをいただく。ハムが1枚そのまま乗っている見た目がいい。このナポリタンは色が濃いのだが、これは少し焦げるくらいまでしっかりと炒めているから。麺にソースがしっかりとついていて、香ばしさがたまらなくおいしい。 次にキャベツと一緒に食べてみると、トマトのソースが絡んで、シャキシャキとした食感が加わり、これもまたいい。 最後にたまごサラダと食べると、まろやかさとナポリタンの風味が最高に合う。黒胡椒も効いていて、無限に食べられる味だ。ボリュームたっぷりだがあっという間に完食した。 トーストもグラタンもお餅も少し焦げ目があるくらいが一番おいしいので、スパゲッティもよく炒めてみたところおいしくできたから今のスタイルになったそうだ。 ただ、通常のナポリタンなら温める程度でいいところを、しっかり焼くとなると手間と時間がかかる。炒めてくれる店員さんに感謝だ。ごく稀に、焦げていると苦情を入れる人がいるそう。そこがおいしいのになあ。 トロピカルグラスで飲む、おもちゃみたいなクリームソーダ これまた名物のクリームソーダ。 正確にいうと、gionで注文する場合は「ソーダ水」を緑と青の2種類から選び、フロートトッピングにする。すると、丸く大きなグラスにたっぷりのクリームソーダを飲むことができる。このグラスは「トロピカルグラス」というそうだ。 gionさんのまねをしてこのグラスを使い始めたお店はあるが、このかわいいフォルムはオープン当初から変わらないとのこと。「インスタ映え」という言葉が生まれる遙か前からこの「映え」な見た目のクリームソーダがあったのは、なんだか趣深い。 深く透き通る青と炭酸のしゅわしゅわ、贅沢にふたつも乗った丸いバニラアイス。どこを切り取ってもときめくかわいさだ。 見た目だけでなく、味もおいしい。シロップの風味と炭酸に、バニラ感強めのアイスが合う。「映え」ではなくなってくる、アイスが溶けたときのクリームソーダも好きだ。白と青が混じった色は、ファンシーでおもちゃみたい。 内装から制服までこだわった“かわいい”世界観 お店について、店主の関口さんにお話を伺った。 学生時代に本が好きだった関口さんは、本をゆっくりと読めるような落ち着いた場所を作りたかったそうで、20代はとにかく必死で働いてお店を開く資金を貯めていたとのこと。 1日に16時間ほど働き、寝るためだけの狭い部屋で暮らし、食べ物以外には何もお金を使わず生活していたとのことだ。 そしてお金が貯まったころから1年かけて東京都内の喫茶店を300店舗ほど回り、どんなお店にしようかと参考にしながら計画を練ったそう。 お店を開くにあたって、設計から何からすべてを関口さんが考えたそうで、1cm単位で理想の喫茶店になるように作って、できたのがこの喫茶 gion。 大理石の床、板張りの床、絨毯の床、どれも捨てがたいと思い、最終的には場所ごとに変えて3種類の床になったらしい。贅沢な全部乗せだ。ブランコはかつて吉祥寺にあったジャズ喫茶から得たエッセンス。 オープン時には資金面でそろえきれなかった雑貨やインテリアも少しずつ集めて、今のお店の独特でうっとりするような空間になっていったようだ。 白いブラウスに黒のリボン、黒のロングスカートというgionの制服も関口さんプロデュース。手書きのメニューもキュートで魅力的だ。 ご自身の好みがはっきりとあり、それを実現できているからこそ、調和した世界観になっているのだとわかった。お店のマークも、関口さんの思い描く素敵な女性のイラストだという。ナプキンまでかわいい。 「帰りにgionに寄れる」という楽しみ 喫茶gionのもうひとつの魅力は、午前9時から24時(金・土は25時)まで営業しているところ。モーニングが楽しめるのはもちろん、夜も遅くまで開いている。阿佐ヶ谷には喫茶店が多くあるが、たいていは夕方〜19時くらいには閉店してしまう。 私は阿佐ヶ谷でお笑いや音楽のライブに行ったり、演劇を観に行ったりする機会が多い。終わるのは21時〜22時が多く、ちょうどお腹が空いている。ほかの街なら適当なチェーン店に入るのだが、阿佐ヶ谷に限っては「帰りにgionに寄れる」という楽しみがある。 ナポリタン以外にもピザやワッフルなど、小腹を満たせるメニューがあってありがたい。夜のgionは店先のネオンが光り、店内の青い灯りもより幻想的になる。遅くまで営業するのはとても大変だと思うが、これからも阿佐ヶ谷に行ったときは必ず寄りたい。 夏の阿佐ヶ谷の思い出に、gion 関口さんの理想を詰め込んだメルヘンチックな喫茶店は、若い人から地元民まで幅広く愛される名店となった。 阿佐ヶ谷の街では8月には七夕まつりも開催される。駅前のアーケードにさまざまな七夕飾りが出される、とても楽しいお祭りだ。夏の阿佐ヶ谷を楽しみながら、喫茶gionでひと休みしてみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 喫茶 gion 月火水木日:9時〜24時、金土:9時〜25時 東京都杉並区阿佐谷北1-3-3 川染ビル1F 阿佐ケ谷駅から徒歩1分、南阿佐ケ谷駅から徒歩8分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
logirl staff voice
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビューももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(ジャパンカップ)
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(ジャパンカップ) 今週は榎原依那さんをゲストに迎えて配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#214)しております。榎原さんはグラビアで活躍しており、12月3日には2nd写真集が発売されるとか。競馬番組にも出演しておられます。予想も期待しましょう。こちらのコラムでも11月30日(日)の東京12Rジャパンカップを予想していきましょう。普段のG1と違って12Rなのでご注意を。 【ジャパンカップの傾向・特異点】(過去10年) ・若馬志向のレースで牝馬もいい。6歳以上は馬券圏内なし ・内枠、とくに1枠が強い ・父は王道系、母父は日米欧問わず軽め ◎⑥ホウオウビスケッツ。 G1での最高着順は昨年の天皇賞・秋3着。2400メートルはダービー(6着)の1走だけで、正直距離は長いかと思います。ただ近年のジャパンCは緩く流れてそれほどスタミナが問われるペースになりづらく、今回はその気なら主導権も取れる組み合わせ。マインドユアビスケッツに東京芝2400メートルは正直なところ微妙ですが、母父ルーラーシップ、母母父ディープインパクト、かつ曽祖母はキングカメハメハの母という配合の奥を期待してみます。ここ2年連続でトニービン、ボールドルーラー内包の馬が勝っていますしね。まあドウデュースとイクイノックスですから血統は関係ないかもしれませんが。 ○⑪アドマイヤテラ。 京都大賞典は伸びあぐねての4着。仕上がりは悪くないと思いましたが、叩いた方がいいタイプです。デビュー以来、2000メートル以上しか使ったことがなく、休み明けもピリッとしないあたり古き良きステイヤー感があり、友道厩舎はこういう馬でも実績を上げています。17年ジャパンカップ勝ち馬シュヴァルグランがそれ。京都大賞典からジャパンカップのローテは自家薬籠中です。なおこの馬もトニービン、ボールドルーラー持ち。 ▲②クロワデュノール。 凱旋門賞14着は仕方ないとして。強いダービー馬です。完調に戻っていれば最右翼でしょう。そして出来については正直、まだ良くなる余地はあると思いますが、八分の出来でも走りきってしまう気性。有馬を見据えていれば消し頃ですが、そういう感じでもないですね。 ☆⑭ダノンデサイル。 昨年ダービー馬。そのダービーが2着ジャスティンミラノに2馬身差で、東京芝2400メートルの瞬発力勝負が合っています。位置も取れます。 △⑮マスカレードボール。 紙一重の気性だと思いますが、さすが手塚厩舎です。心身ともに健やかに成長させました。それでも中3週で大丈夫かと言われると、ちょっと心配です。ダービー2着、天皇賞・秋勝ち馬ですから、シンボリクリスエスぐらいの世代傑出度がある可能性もあるわけです。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑥⑪→<2着>②⑥⑪⑭⑮→<3着>②⑥⑪⑭⑮。 <1着>②⑭⑮→<2着>⑥⑪→<3着>②⑥⑪⑭⑮。42点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(マイルチャンピオンシップ)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(マイルチャンピオンシップ) 今週も樋渡結依さんをゲストに迎えて配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#213)しております。予想するのは11月23日(日)の京都11Rマイルチャンピオンシップです。凄い配当を当てた…という経験はないのですが、過去10年でもモーリス、ステルヴィオ、グランアレグリアの2回目に◎を打っているので、いいイメージで臨めます。マイル分野というのは傑出した馬が王朝を築いてきた歴史があり、ニホンピロウイナー、ダイタクヘリオス、タイキシャトル、デュランダル、ダイワメジャー、グランアレグリアが連覇しています。 【エリザベス女王杯の傾向・特異点】(過去10年) ・基本的に差し優位。前走上がり3F1、2位 ・リピーターレース、連覇多数 ・6歳以上はリピーターか好調馬(前走馬券圏内)のみ注意で ◎⑤アスコリピチェーノ。 前走はフランスの直線競馬で、馬混みにもまれて不完全燃焼。瞬発力のある牝馬で府中向き、3歳ピークのダイワメジャー牝馬で馬体も冬毛もこもこ、攻めもあと一本ほしいか…と、どうもネガティブなファクターも多いのですが、リッスンから一代へてサンデー系のスピード種牡馬をつけてマイラーの成功馬というのはタッチングスピーチが走っていたころからありそうに思っていた配合なのでもう一つを期待。ジャンタルマンタルにはNHKマイルCで道中の不利もあって敗れていますから、そのリベンジも。 ○⑮ジャンタルマンタル。 国内での馬券圏外なし、2000メートルの皐月賞でも3着ですから、資質的に現役マイラーでもトップクラスなのは疑いありません。SNSなどでは追い切りの動きを疑問視する評も見ましたが、そうなの?という感じで、出来にも疑問はありません。外枠も、このレースは差し優位に振れる傾向なので問題なし。先週のレガレイラもそうですが、2頭軸の片方は任せていいのでは。 ▲⑨エルトンバローズ。 5歳なのに3年連続で毎日王冠→MCSのローテ。3歳時1→4着、4歳時3→2着、そして今年5歳は毎日王冠5着からのMCS。今年こそピークをここに、という陣営の意図はうかがえます。惜しむらくはもう少し攻めの気配が良かったら…。 ☆⑰ソウルラッシュ。 昨年覇者。能力をキープできています。過去6頭の連覇した馬と比べてどうか、と言われると、もうひと押し感は個人的にはありますね。ロマンティックウォリアーに勝ったことの評価は必要ですが。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑤⑮→<2着>⑤⑨⑮⑰→<3着>⑤⑥⑦⑨⑪⑭⑮⑰。36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(エリザベス女王杯)大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(エリザベス女王杯) 今週、予想するのは11月16日(日)の京都11Rエリザベス女王杯です。配信(YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#212)は樋渡結依さんをゲストに迎えております。樋渡さんは弊紙スポニチの予想に登場いただいたこともあり、あのギャンブル芸人じゃいさんの薫陶を受ける競馬好きタレントです。 【エリザベス女王杯の傾向・特異点】(過去10年) ・4歳馬が中心。リピーターレースとして有名だが、ここ4年はリピーター不在。 ・前走G2出走馬でここ目標の馬は手堅い ・中長距離型サンデー父系が順当に強い。ディープ直子は勝ち切れなかった ◎⑤サフィラ。 今年のアイルランドトロフィーはレースの上がり3F33秒2という瞬発力特化のレースになりました。サフィラは33秒8で12着でしたが、ノーカウントでいいでしょう。もともと長距離輸送に不安もあるタイプなので京都替わりは歓迎。ここ2走の凡走によって人気は底。西村淳は逃げ、捲り得意の自力型かつストラテジックな騎手で、こういう大本命がいるレースでその相手として狙いたい。ある程度、流れるペースの淀中距離でドイツSラインの底力に期待します。 ○⑦レガレイラ。 昨年3歳にして有馬記念を制した異才の牝馬。1着か着外かという戦歴で、中山巧者であると同時にハマらなかった時の打点が低いタイプ。実際、去年もルメールを背にしながら伸び切れず5着。スローで道中も今ひとつスムーズさを欠いたのが敗因で、今年はエリカエクスプレスがそこまでスローで運べないタイプの逃げ馬ですから、昨年よりはずっとレースしやすい。ロングスパート型のレースでは有馬記念に勝つぐらいなので、ここでは断然。実質、有馬記念の壮行戦的な使い方ですね。 ▲⑯リンクスティップ。 桜花賞3着馬。賞金不足により、秋華賞は出走がかなわず。紫苑Sで権利を取る算段だったでしょうが、スローの最内枠という不器用な牝馬にとっては厳しい流れとなったのが痛かった。前述した通り、今回はエリカエクスプレスが引っ張りそうなのでレースはしやすいはず。大外もこの馬にとっては悪くないと思います。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>⑤⑦⑯→<2着>⑤⑦⑯→<3着>①④⑤⑦⑧⑨⑬⑯。36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
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WAGEI公開収録<概要・応募規約>テレ朝動画「WAGEI 公開収録」番組観覧無料ご招待! 2025年1月18日(土)開催! logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画で配信中の伝統芸能番組『WAGEI』の公開収録! 番組MCを務める浪曲師「玉川太福」と、五代目三遊亭円楽一門の落語家「三遊亭らっ好」が珠玉のネタを披露します。 ゲストには須田亜香里と、SKE48赤堀君江が登場!出演者からの貴重なプレゼントも用意する予定です。 超レアなプログラムを是非お楽しみください。 日時:2025年1月18日(土)開場12:30 開演13:00(終演15:15予定) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演:玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) 応募詳細 追加応募期間:2024年12月27日(金)15:00~2025年1月9日(木)17:00締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/jump.php?fid=10062 追加当選発表:当選した方のみ、2025年1月10日(金)23:59までに 当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまでお送りさせていただきます。 「WAGEI公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「WAGEI」(以下「番組」といいます。)に関連して 実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の 内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2025年1月18日(土)13:00開始~15:15頃終了予定 (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):玉川太福(浪曲師)・玉川みね子(曲師)/三遊亭らっ好(落語家)/須田亜香里/赤堀君江(SKE48) ※出演者は予告なく変更される場合があります。 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、1月10日(金)23:59までに、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅ることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑