大越健介の報ステ後記

サイレント・マジョリティ
2025年09月28日

 「サイレント・マジョリティ」、つまり静かなる多数意見、物言わぬ多数派を重視する考え方は、民主主義の成熟につれて、日本にも広く行きわたってきたものだと思う。そして、ジャーナリズムの仕事は、常にこの声のありかにアンテナを張り、われわれは民意とともにあるのだという自覚が前提となってきた。
 ところが最近は、この「サイレント・マジョリティ」の探し方が難しい。SNSがこれだけ広まると、もはや「誰もが発信者になれる」という域を超えて、「誰もがインフルエンサーになれる」時代になっている。ネットの海はいろいろな方向の波がぶつかり合って大荒れになるときもあれば、ひとつの方向への巨大な海流となることもある。

 ところで、「サイレント」とパソコンで打とうとすると、このソフトは「サイレンと」と変換する。「サイレント」をあえて「サイレンと」とひらがなで区切ってくる。面倒だな、とブツブツ言っているうちに、意外とこの機械は賢いのではないかと思えてきた。マジョリティはもはやサイレント(静か)に黙っていることはなく、「サイレン」と共にけたたましく主張するものだと、このパソコンは学習しているのかもしれない。

 外務省の外郭団体であるJICA(国際協力機構)が手痛いミスをした。千葉県木更津市など国内4市を、ナイジェリアなどアフリカ4か国のそれぞれを「ホームタウン」と認定し、交流を深めていこうという構想が白紙撤回となったのだ。アフリカからの移民政策を押し進めるものだ、などという誤った情報が拡散し、各市の市役所などに抗議電話が殺到、日常業務に支障が出る事態に発展したという。

 僕には、2002年のサッカーW杯日韓大会のことがしきりに思い出される。各チームのキャンプ地となった市町村が、選手たちと草の根交流につとめるニュースが話題を呼んだ。アフリカで思い出されるのが、カメルーン代表と当時の大分県中津江村との交流だ。遠く海を越えてやってくる選手たちを、心からもてなしたいという住民の思いが伝わってきた。

 あれから20年余り。時代は変わった。日本は長引くデフレで勢いをなくし、自分のことで精いっぱいになった。物価が上がり、生活は苦しい。アフリカの国の「ホームタウン」とされた自治体住民の中には、「外国人のことよりわれわれの暮らしだろう」という思いを抱く人がいたとしても不思議ではない。
 つまり、すでに素地はできていたことになる。乾いた草原に放たれた火が瞬く間に広がるように、不安をあおる情報が拡散するのに時間はかからなかった。それが今回の事例ということになる。

 だが、そこに根本的な疑問が残る。サイレント・マジョリティは果たしてどこにあったのだろうか。常識的に考えて、インターンの受け入れやイベントの開催といった、草の根の国際交流を否定する人が多いとは思えない。しかも、これらの4市はすでにそれぞれの国との交流の歴史があったという。交流を歓迎する声がありながら、サイレンのように鳴り響くネット上の「大きな声」にかき消され、穏健で常識的な声が埋もれていったとは考えられないか。
 今回の件は、情報の海の中でかき混ぜられた結果として、サイレント・マジョリティが見えにくくなっていることの証左のように思うのだ。

 ではこちらの方はどう見るべきだろう。自民党総裁選挙に立候補している小泉進次郎氏の陣営での出来事である。広報戦略の担当者が、ネット上で小泉氏を賞賛するコメントを書き込むよう、支援者らに要請していたという。
 その例文としては、「去年より渋みが増したか」とか「泥臭い仕事もこなして一皮むけたのね」など、若さゆえの経験不足を指摘されて敗北した前年の総裁選を意識したものが目立つ。そうした弱点をこの1年ですっかり克服したと印象付けたかったようだ。

 政治に携わる人がネットの言論空間で印象操作を試みることは厳に慎まなければならないが、これらのコメントはまあ、かわいい部類かもしれない。むしろなんだか気恥ずかしくもなるくらいだ。わが報ステのチーフ・プロデューサーは、「陣営が、『党員や党友に抱いてほしいと願う小泉進次郎像』みたいなものが、丸出しになっちゃいましたね」と喝破したが、なるほど、こっちまで気恥ずかしくなるのはそのせいだろう。
 しかし、とてもかわいい部類とは言えないものもあった。「ビジネスエセ保守に負けるな」という例文は、誰を意識したものかはわからないが、競争相手を根拠なく誹謗するものと責められても仕方ない。国民民主党の榛葉幹事長が、「このステマ(ステルス・マーケティング)の問題はそう軽くないよ、うん」と目をギラリと見開いて言うのもうなずける。

 幸か不幸か、こうした小泉氏賞賛コメントはさほど広がることなく、それより先に週刊誌にすっぱ抜かれて小泉氏自身が謝罪に追い込まれた。優勢に戦いを進めているという見方があった中で、陣営にとっては小さくない痛手となったはずである。
 これもまた、荒れ狂う情報の海に、十分な舵も羅針盤もないままに漕ぎ出してしまった致命的ミスと言えるだろう。陣営としては、ネットの中にある「サイレント・マジョリティ」を刺激して、小泉氏への支持を可視化したかったのだろうが、欲が出すぎた。

 僕のような臆病者は、荒れる海に出るのはおっかなくて仕方ない。しばらくは安全に距離を取って見ていようと思うのだが、油断していると、この荒れた情報の海を完全に制覇する存在が登場する可能性がある。それこそが、この時代の最大の恐怖なのかもしれない。
 すでにその兆候は出ている。日本が最も親しい国の大統領が、その天賦の才能と徹底した反エリート主義で、ひとつの巨大な潮流を作り出しているのはご承知の通りだ。

 まずは落ち着いて、目の前の小さな声を聞くことから始めよう。

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 わが家の猫の小夏は、目も耳も不自由で、コタローとは対照的に極端に動きが少ない。それでも、僕が帰宅すると気配を察して寝床から起き上がり、あっちにぶつかりこっちにぶつかりしながら、僕のもとにやってくる。「ナーン、ナーン」というその声は、「さみしかったよ」という意味なのだろうかと想像力を働かせながら、あっちを撫で、こっちを撫でて対話する。小夏はマジョリティには遠い存在かもしれないが、この静かな主張に心の耳を向けることは、彼女の飼い主としての最低限のモラルだと思っている。

(2025年9月28日)

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