3月1日に思う
2025年03月01日

 亡父の誕生日は3月1日だ。その父が若い頃、僕を相手にこんなことを言っていた。「オレの本当の誕生日は2月29日なのだが、それじゃ4年にひとつしか歳をとらないだろ?何かと不都合だから、3月1日に生まれたことにして両親が役所に届け出たわけだ」。
 小学生だった僕は「へえ、そうなのか」と納得し、うるう年というものが4年に1回やってくること、ついでに言えば夏のオリンピックは決まってその年に開催されることまで理解したのだった。それってつまり、父の本当の年齢は自分と一緒かもしれないと考え、妙にドキドキもした。ところが僕も成長し、真偽を確かめようと暦を調べてみると、父が生まれた昭和2年(1927年)はうるう年でも何でもなく、2月29日は存在していなかった。要するに、父は幼い息子をからかっていたのである。

 そんな父も他界して久しく、今さら恨みを言うつもりは毛頭ないが、父が吹いた小さなホラのせいか、毎年3月1日という日を迎えると、なんだか虚実ないまぜになったような、少し落ち着かない気持ちになる。気象区分では春の入り口であり、梅の花はあちこちで咲き始め、わが家のコタローは平気で食卓に上がり、安心しきって居眠りをしているというのに。

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 そして、今年は落ち着かないという表現には収まらない、心のざわつきとともにこの日を迎えている。理由のひとつは、岩手県大船渡市で続く山林火災だ。
 大きな被害が出ている大船渡市三陸町綾里という難しい地名を、初見で迷いなく「りょうり」と読めたのには、おそらく理由があった。複雑なリアス式海岸に縁どられるように位置する大船渡は、2011年3月11日に発生した東日本大震災の甚大な被災地のひとつだ。この地名も、あの時のニュースで複数回登場したことで記憶に刻まれたのだ。ニュース番組で長くキャスターの仕事をしてきた僕にとって、最も衝撃的だった出来事のひとつが14年前の大震災だったのである。

 東京では春の足音が確かに聞こえるが、三陸の3月はまだ寒いはずだ。14年前にもそのことを念頭にニュースを伝え続けた。命を落とした人たちの無念はもちろん、愛する人や家財を失い、寒さの中で過酷な避難生活を送る人たちの悲痛を思った。
 そして、大船渡ではまたも、ほぼ時期を同じくして、多くの避難者を生むこととなったのだ。テレビでは、あの時の巨大津波で家をさらわれた女性が、せっかく高台に家を再建したというのに、今度は炎の恐怖におびえ、避難所で再び寒さをしのぐ姿が映し出されていた。

 平成以降、最大規模にまで広がったこの山林火災の原因は、極度の乾燥と強風である。さらに遠因をたどれば、地球温暖化に行き着くという。
 北極の寒気が温暖化によって押し下げられ、日本付近をも覆うこととなった。寒気は日本海側には豪雪をもたらしたが、列島の背骨をなす山を越えると、そこには乾燥をもたらした。
 一方、そのさらに東の太平洋の海水温は温暖化によって上昇している。暖房の利いた室内で窓を開けると、外の冷たい空気が一気に流れ込んでくるのと同じ理屈で、山おろしの乾燥した冷気は、暖められた海に向かって勢いを強める。今年、三陸地方に乾燥した強風が吹く理由について専門家が語った内容を、僕なりの理解で言うとそうなる。
 大船渡の人たちは、巨大津波にとどまらず、地球温暖化という人類レベルの大敵にも牙を向けられてしまったことになる。避難所で不自由な暮らしを強いられる人々を思うとあまりに切ない。

 3月1日、もうひとつの憂うつなニュースがあった。それもかなり衝撃的な。
 世界が注目したアメリカのトランプ大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の会談(現地時間2月28日)は、記者団を前にした冒頭撮影の段階で亀裂が入ってしまった。冒頭撮影という言葉があてはまらないほど、双方のやりとりはメディアにオープンな形で延々と続いた。穏やかな空気が崩れて応酬が激しくなったのは、撮影開始から40分ほど経ったころだった。
 ゼレンスキー氏が、ロシアによるクリミアの一方的な併合以来10年余り、第一次トランプ政権を含む歴代の米大統領が、ロシアの侵略行為を止められなかったことを指摘したのが亀裂のその入り口になった感がある。ロシアのプーチン大統領と歩調を合わせるかのようなトランプ・バンスのコンビに対する不信が顔をのぞかせた瞬間だった。

 それ以降のやり取りは、改めて見れば見るだけつらくなるものだ。プーチン氏がいかに信頼できない相手か、その結果ウクライナがいかに苦汁をなめてきたかというウクライナ側の心情を、トランプ氏に理解させるのは難しかったようだ。それどころか、トランプ氏はメンツをつぶされたと感じたのか、ゼレンスキー氏に向かって「あなたにはカードがない」とか、「第三次世界大戦をギャンブルにしている」などとメディアの面前でこき下ろした。「アメリカにもっと感謝の意を示せ」と、まるでガキ大将みたいな感情論までむき出しにした結果、会談は決裂し、ウクライナのレア・アースの共同開発をめぐる「ディール」はひとまずお流れとなった。

 ゼレンスキー氏は虎の尾を踏むべきではなかったのかもしれない。だが、譲ることのできない一線を守ったとも言える。そして相手が悪かった。加えて場所はホワイトハウス、交わされたのは英語だ。ゼレンスキー氏は英語が堪能な人だが、それでも外国語で本気のやり取りをすればどうしても不利になる。
 ウクライナは世界の同情を集めたに違いないが、結果としてアメリカという最強の後ろ盾を失いかねない事態となった。これはかなり悪い事態だ。結果的に高笑いしているのがプーチン氏であることはまず間違いない。

 地団太を踏む3月1日である。
 生きていればきょう98歳になっていたはずの父は、すでに自らの享年よりも長く生きている息子がひとり気をもむ姿を、あの世からどのように見ているだろう。そして、その息子とその子、孫を取り巻く今という不穏な時代に、どのような思いを抱いているだろうか。

(2025年3月1日)

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