生涯一記者
2024年12月21日

 ネコのコタローは、僕がパソコンに向かって文章を書いていると、ほぼ必ず横にやって来て監修任務につく。「にゃあ」と言うくらいでなにか文句をつけることはないのだが、ときどきキーボードの上を横断したり居すわったりして、それまで書いていた文章を台無しにすることもある。消去キーはなぜか彼のお気に入りなのだ。
 まるで昔の新聞社の鬼デスクみたいだ。かつては、せっかく記者が書いた原稿を「話にならん」と言って、クシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てる、なんてことはよくあったと聞く。コタローがやってのけるのは、つまりはそういうことだ。

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 渡辺恒雄さんとは、読売新聞政治部時代、どういうデスクだったのだろう。原稿をゴミ箱にポイ、「あとはどうするか自分で考えろ」というタイプだったろうか。
 僕はそうではなかったような気がする。強面(こわもて)であることは間違いないが、若い記者が書いた突っ込みどころ満載の原稿に対し、記者が言いたかったことをそれなりに尊重しながら、ああでもないこうでもないと赤を入れるタイプだったのではないか。結局、元の原稿は原型をとどめないにしても、突き放し型ではなく、うるさいくらいに面倒見の良いタイプだったのではと思ったりする。

 読売グループの主筆であり続けた渡辺恒雄さんが亡くなった。読売新聞によると、渡辺さんは先月末まで定期的に出社し、役員会や社論会議に出席していたというから、自分の手を通るもの、目の前を通るものについては決して無責任でいられない人だったのだろう。
 東大名誉教授の御厨貴(みくりや・たかし)さんらが聞き手となったオーラルヒストリー「渡邉恒雄回顧録」(中公文庫)をはじめ、渡辺さんの人物像をめぐる評伝は多く、毀誉褒貶も著しい。それらの中で渡辺さんの多感な青春時代と政治部の特ダネ記者時代、それに辣腕の経営者時代は語られても、若い後輩たちの取材と出稿の指揮を執ったキャップやデスクの頃、つまり「中間管理職」時代の姿はあまり語られていない。そこで自分なりに想像してみたのが、先述のような「ナベツネ」像だ。

 幸いなことに、僕は晩年の渡辺さんに、2019年から21年にかけて計8回、延べ10時間以上にわたってインタビューする機会を得た。その内容は、NHK BS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄」昭和編・平成編として、そしてNHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治」として放送され、オンデマンドでも配信されている。また、ディレクターとして番組作りに取り組んだ安井浩一郎氏によって新潮社から書籍化もされているので、興味のある方はぜひご一読いただきたい。

 逝去の日である19日の報道ステーションは、冒頭から渡辺さんの訃報でほぼ30分を費やした。北九州を悲しみと恐怖で凍り付かせた中学生殺傷事件の容疑者が逮捕されるという大ニュースも、当然ながら十分な時間を取って伝える必要があり、事前に準備していた他のいくつかの企画に「泣いて」もらわなければならなかった。それでも渡辺さんの訃報にそれだけの時間を費やしたのは、この日の番組総合デスクが、渡辺さんが最後の戦後政治の生き証人であり、その死去によってひとつの時代が幕を下ろしたことを意味すると判断したからだ。

 政治部記者として政界に関わる中、取材者と当事者の境界線を自在に行き来した人だった。鳩山一郎元首相や大野伴睦元自民党副総裁のふところに入り込み、記者としての枠を超えて秘書役にもアドバイザーにもなった。中曽根康弘元首相とは「盟友」の関係で、若いころから共に週1回の読書会で研鑽を積んだ仲だ。猛烈な勉強家にして人たらし。政界の裏も表も知り尽くす辣腕記者として、羨望と批判がない交ぜとなりながら、「ナベツネ」の名をとどろかせていった。
 番組でゲストにも来ていただいた御厨貴さんは、中曽根氏を首相に押し上げた頃が、渡辺さんのひとつの頂点だったと言う。それ以後は、むしろ社内的にも社外的にも渡辺さんの地位の方が上がり、時の首相をはじめ、政治家の側から「渡辺詣で」をするようになった。御厨さんに言わせれば、その頃から渡辺さんは「自分で『お座敷政治』をするようになった」ということになる。

 政治家の指南役までする新聞記者など、昭和の時代ならともかく、今のご時勢では「癒着」と一刀両断され、コンプライアンス違反と批判されるかもしれない。しかし、政治記者はその瀬戸際での勝負の連続であるのも事実だ。僕も政治記者出身だからよく分かる。
 記者からすれば、「書かない」という前提だからこそ聞くことができる政治家の本音もある。そして、一度の特ダネのチャンスを逃したとしても、親密な関係を裏切らずに続けていくことで得られる成果もある。本音を知っているだけに政局のスジ読みを間違うリスクを回避できるし、いま我慢することで、いずれ勝負のタイミングで大特ダネを発するチャンスをつかめるかもしれない…

 しかし、渡辺さんは「書く記者」だったと、御厨さんは指摘する。「書かない」ことで膨大な情報量を蓄積する「大記者」は、当時珍しくなかった。しかし、タイミングを見て読者にでっかい特ダネを届け、それでも取材先との信頼関係を維持できる記者は貴重である。渡辺さんに対してはときに辛口でもある御厨さんだが、ジャーナリストとしての渡辺さんの矜持を評価することに、ためらいはないように見えた。

 この日の番組の最後で、僕は渡辺さんについてこんなコメントをした。
 「いくつもの矛盾した要素が、渡辺さんというひとつの人格の中に、何の無理もなく収まっていました。事実を追求する新聞記者でありながら、その事実を作り出す当事者にもなってしまう。そして、超がつく知識人でありながら、政治は情だと言い切る浪花節の人でもありました」。
 晩年の貴重な10時間余りを、僕との対面の時間に当ててくれたことに心から感謝したい。そう言えば、番組コメントの最後にこんな言葉も付け加えた。
 「彼の人間性に圧倒され、そして情にほだされたという人は多いのではないでしょうか」。
 言いながらおかしくなった。これは僕自身のことでもあった。
 渡辺恒雄主筆。98歳。合掌。

(2024年12月21日)

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