もうひとつのふるさと
2025年12月08日

 きょうは「おかしゅうて やがて悲しき」ことを書こうと思う。それは「老い」についてである。いったい何が始まるのかという書き出しだが、要は週末に参加した草野球のことを書きたいだけだ。おかしかったし、妙にしみじみしたのだ。
 草野球と言ってもやや特殊な集まりである。東京六大学野球を1984(昭和59)年秋のシーズンで引退した各校同期の選手たちの草野球だ。ことしは慶応が幹事校となって、都内にあるグラウンドに「往年の名選手」が集まった。

 とはいえ、もうみんな60代半ばである。9回を戦う体力は期待できず、2校ずつ3回を戦う。最初の3回は東大対立教、次は早稲田対慶応、最後の3回は法政対明治で、それぞれ30分を越えて新しい回に入らないという、還暦越えを十分自覚したルールである。
 プレーボールのマウンドに立ったのは僕だった。番組で「球速130キロに挑戦」などという大それた企画に取り組んできたことは、神宮の同窓生の間では有名らしく、1球投げるごとに「100キロしか出てねえぞ!」とかあちこちからヤジが飛ぶ。実はこのヤジもかなり優しいもので、実は冬の寒さもあって90キロがせいぜいといったところか。

 それでも何とか1回を投げ切ったところで、もはやマウンドに再び登る勇気はなく、「きょうはブルペンデー」、などと言い逃れして僕は2回からショートのポジションについた。守備機会の最初はハーフライナー。本当は慌てたが、勝手にボールがグラブに飛び込んできてくれて無事アウト。
次は投手の足元を抜けたゴロ。本来なら投ゴロのあたりだが、投手の反応もやはり還暦越えのそれで、グラブを出したが間に合わない。そこは最初のライナーを処理して自信をつけた遊撃手大越、当然の守備範囲とばかりにゴロをさばいた。

 悲しいのはここからだ。捕球するなりランニングスローで一塁に投げた。いや、投げようとした。しかし足はもつれ、ボールは手につかずで、完全な暴投である。この場面、打者走者の脚力の衰えを計算に入れていれば、無理にランニングスローなどする必要はなく、ゆっくりと態勢を立て直して一塁送球をしても十分アウトだったのである。
 さらに攻撃でも失態があった。見事にセンター前ヒットを放ったのは良いものの、次打者のセンター前で、なんと僕はセカンド・フォースアウトになってしまったのである。

 いずれも、現役時代だったら監督から思い切り雷が落ちるところだし、凡プレーをしてしまう自分が情けない。しかし、この場には誰も雷を落とす人はいない。誰が好プレーを見せようが、誰がエラーをしようが、みんなが学校の壁を越えて笑いこけ、ヤジを飛ばす。自己嫌悪に陥る必要もない。年齢を重ねるということは、全てを笑顔とペーソスで包み込むことなのだと考えれば、ジジイになるのも悪くない。

 やがて舞台は夜の部の懇親会に移る。圧巻は、この同窓会のもうひとつの主役、応援団の登場である(東京六大学では、大学によって応援部、応援団、応援指導部と呼称が分かれる)。
 会場は都心の広めの宴会場。幹事団が慎重に隣の部屋が「お開き」になったのを確認した上で(これから先は音量ががぜん大きくなる)、まずは東大が先陣を切り、応援部員と野球部員たちが壇上に並んだ。
 
 東大を代表するのが応援歌「ただ一つ」である。リーダーのO君が、現役時代から少しも劣らぬ朗々とした声で、「東京大学応援歌 ただ一つ!」と大音声をあげると、それに続いて壇上のわれわれが唱和する。
 歌い始めるとすぐに気づいた。宴もたけなわだというのに、会場にいる他の5大学の選手と応援部員はおしゃべりをやめ、身じろぎもせずに一緒に声を合わせて歌っている。全国的には決して有名とは言えないこの応援歌だが、神宮で共に時間を過ごした仲間同士、歌詞と曲をそらんじているのだ。

 今度は立教の番だ。「芙蓉の高嶺を 雲井に望み」で始まるこの校歌は僕の好きな曲のひとつである。自席に戻ったわが東大同期たちも声を合わせて歌っている。次は早稲田。校歌「都の西北」の前奏の段階から、僕はなんだか泣けてきた。実に胸にしみる曲だ。当然、僕もこの曲をそらんじている。リーグ戦では、7回の攻守交代のタイミングで各校が厳粛に校歌(または応援歌)を斉唱する。早稲田戦では、僕は相手方の「都の西北」に聞きほれてしまうことすらあったのだ。

 ステージは「法政 おお わが母校」と連呼する法政の校歌、「白雲なびく 駿河台」で知られる明治の校歌、最後は慶応の名曲「若き血」で会合が締めくくられた。あこがれの的で高嶺の花だった元チアリーダーたちも、今やみな、親しみやすいおねえさまたちである。リーダーの発声やエールに茶々を入れ、笑いを取る他校応援団のタイミングも抜群だ。
 還暦を過ぎた男女が、青春を彩った曲に思い思いに酔いしれていた。

 生まれ育った場所はそれぞれだし、その後に歩んだ人生も十人十色だ。でも、僕らは共通のふるさとを持っている。それが各校の校歌や応援歌に彩られた神宮球場なのだ。
 最後、次回の幹事校・立教の元エースが「来年も万全の準備をしますので、また野球をやりましょう」と高らかに宣言して会合を終えた。

 「また野球をやろう」という言葉は、この年齢になると現実的な重みをもつ。
 たとえボールをお手玉しても、ワンバウンド送球しかできなくても、歩くようなスピードでしか走れなくても、ユニフォームを着てグラウンドに来ることができるのは幸せなことだ。しかし、病気ひとつでもすれば、もうプレーとはお別れとなってもおかしくない。われわれの年齢になると、「野球をやろう」という言葉は、「もっと生きていこう」という言葉と同義なのだ。
 このところサボりがちだった散歩も、ちゃんと復活させよう。ストレッチングも筋力トレーニングも欠かさずやることにしよう。幸い、冬の陽だまりはコタローの憩いの場であり、自分の進退と格闘する僕を、たぶん励ましてくれている。
 また来年もふるさとに戻ってこよう。元気な姿で、心のふるさとに。

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(2025年12月8日)

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