若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>
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オズワルド「この問題を解くまで次に行けない。それがM-1」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(後編)
昨年は若手芸人の登竜門『ABCお笑いグランプリ』で優勝し、年末の『M−1グランプリ2021』でも準優勝したオズワルド。あと一歩のところで優勝を逃した彼らが、今回のM-1を振り返る。 そしてこれからオズワルドはどこへ行くのか。今後の展望も語ってくれた。 【インタビュー前編】 オズワルド『M-1』決勝戦を終えて。「芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次M-1のお客さんが日本一平等に観てくれるオズワルドは去年のM-1で優勝するべきだったゆにばーすの背中を見て「がんばろう」と思った寄席でめちゃくちゃおもしろい漫才師になりたい【後編アザーカット】 M-1のお客さんが日本一平等に観てくれる オズワルド。左から:畠中悠、伊藤俊介 ──前編では、ミルクボーイのシンプルな構成で爆笑を取るスタイルが理想だと話していました。実際、M-1のオズワルドも、伊藤さんと畠中さんがしゃべるからおもしろいというシンプルさへ近づいてる印象です。 畠中 たしかに今年の1本目のネタ(『友達』)はシンプルかもしれないです。「友達がいないからちょうだい」「あげないよ」っていうシンプルなやりとりの4分間。こういうネタがウケるし、おもしろいんだなと思いましたね。 伊藤 マジでそうですね。でも、俺たちは2本目のほうが自信あったんですよ。 ──2本目の『割り込み』ですね。たしかに『友達』よりも複雑でした。 伊藤 いろんな要素が入りすぎると、B級映画みたいになるんですかね。ゾンビも出ればラブロマンスもあってコメディもやるなんて、わけわかんなすぎてついていけないというか。 畠中 ライブだとウケてたんですけどねぇ。M-1という舞台では、結局シンプルなほうがウケるということに今年改めて気づきました。観てる人が全員お笑い観まくってるわけでもないので。 伊藤 本筋は大きく逸れないほうがいい。 畠中 俺たちが出たここ3年で優勝した人はみんなそうだよね、ミルクボーイさん、マヂラブ(マヂカルラブリー)さん、錦鯉さん。錦鯉さんってバカなおじさんが暴れ回るっていうシンプルな漫才じゃないですか。その構図ってテーマが違っても変わらないから見やすくて、大人も子供も笑えるという。 ──『割り込み』は昨年7月の『ABCお笑いグランプリ』の優勝ネタと同じで、あれをブラッシュアップしたんですよね。 オズワルドのおずWORLD/OmO 畠中 そうですね、ブラッシュアップした結果、よりわかりにくくなったのかもしれない。 伊藤 あれがライブでウケちゃってたからなぁ。そりゃそうっすよね。ライブは俺たちのこと好きで観にきてくれる人が多いから。M-1のお客さんがこの世で一番フラットなんですよ。誰々推しとかで観る人は少ないし。 ──そういう意味でも、M-1は芸人として真の実力が測れる。 伊藤 そうですね。 畠中 優勝した人が一番おもしろいんだなって信じられます。 ──ABCからM-1まで約半年ネタをブラッシュアップして、見せ方が大きく変わりましたが、いつも時間をかけてネタを磨いていくんですか。 伊藤 決勝に初めて行った年は、年明けの段階でこのネタで行こうと決めて、叩いていきましたね。でも、2〜3回目は、「これでいこう」というネタが結局ダメで、それまで触れてなかったネタを準々決勝と準決勝の数週間で鬼のように叩いていった。 時間をかければいいものができるわけでもないってことなんですけど、やっぱり最初から自信のある2本をそろえていったほうがいい。今度は早めに2本用意して、そのまま行ければいいですけど。 畠中 まだ何もできてないですねぇ。 伊藤 ほんとに去年の2本目は、自分らをダイナミックに見せようとしすぎた。結局、1本目のシンプルなほうがいい……といってもテーマはイカれてますけど(笑)。テーマは飛んでても、誰もがわかるやりとりのほうがよかったんですよね。 オズワルドは去年のM-1で優勝するべきだった ──M-1のオズワルドの歩みには、ストーリーがありますね。初回で優勝への意識が芽生え、2回目で松本人志さん、オール巨人師匠の批評の間で板挟み(※)。3回目はそこを克服したけれど、もう一歩届かず。 ※『M-1グランプリ2020』決勝で、審査員の松本人志とオール巨人の評価が正反対に割れた。松本は「静かなオズワルドが観たかった」と言い、オール巨人は「最初から大きい声でツッコんだほうがよかった」とアドバイス。畠中は「ムズすぎますって、来年」と苦笑した。 伊藤 そうっすね。こんなん言ってもアレですけど、今回お膳立ては整ってたので、絶対優勝するべきだった。次は物語もなけりゃ、ネタのストックもない。もう一回ゼロから試される。 畠中 だいたい3年目で獲りますし。 伊藤 最初はM-1の決勝に出て、仕事が増えて売れればいいなと思ってましたけど、今となっては、仕事のために優勝したいわけじゃない。逆に「優勝したから仕事が増えたんだろ」って言われるのはイヤだし。おもしろいから売れるし、おもしろいから優勝する。それだけなんですよ。 ──『M-1グランプリ2021 アナザーストーリー』(テレビ朝日)では、オズワルドが熱心にネタ合わせする様子が映ってました。 伊藤 そういうのはやっぱハズいですよ。優勝してたらいいですけど。 ──最終決戦では、錦鯉さんのネタ中に耳をふさぐ様子も映ってました。 伊藤 らしいですね。ただ、そこはものすごく弁解したいんですよ。勝負事のときはいつもほかの人のネタは聞きたくないんです。だから実際はインディアンスさんのときから耳ふさいでるんですよ。まるで錦さんがウケすぎて怯えてるみたいな画になってたらしくて。 畠中 編集のアレですね。 ──伊藤さんはオンエア観てないんですか? 伊藤 僕はそもそも自分が出たM-1を観返したことないんですよ。ほかの人のネタもほぼ観てない。そもそも自分が出てるテレビはあんまチェックしないです。 ──自分がどういうふうに映っているかとか気にならないですか。編集でどのように切り取られるのか知っておきたいとか。 伊藤 それはまあしょうがないですよね。エゴサーチとかはしてますけど。まぁ、うまくいってようがいってなかろうが観ないですね。 ──畠中さんはどうですか? 畠中 僕も出てる番組はそんなにチェックしないですけど、M-1は好きな番組なので観ますね。「オープニングVTRかっこいいなぁ」とか。毎回ワクワクするんで。 ゆにばーすの背中を見て「がんばろう」と思った ──最近は大阪でもすごくライブをしていますね。 畠中 漫才師としては、NGK(なんばグランド花月)が日本で一番いい場所だと思うんで、そこに定期的に呼んでもらえるのは誇りですね。俺たちは漫才師なんだなと思えます。 ──今は吉本の劇場を飛び回ってるおふたりですが、M-1の決勝初進出のころは吉本以外のライブにも出てたそうですね。 伊藤 そうっすね。ゆにばーすの川瀬(名人)さんに「吉本だけじゃわからん」って言われたので。あの人たちが先に外のライブを暗躍してたんですよ。そういう意味では、俺たちは、ゆにばーすのやり方をマネてばっかりです。 畠中 2017年にゆにばーすさんがM-1ファイナリストになったのは衝撃だったんですよ。俺らの1期上なんですけど、あのころって(ヨシモト)∞ホールまわりの芸人が決勝に行くなんて夢物語だった。でも、ゆにばーすさんが外ライブに出まくって、ほんとに決勝進出しちゃって。 伊藤 知ってる人がマジで行けるんだって感じでした。 畠中 M-1決勝というものが今よりだいぶ遠い感覚だったよね。 伊藤 ゆにばーすさんがM-1をリアルにしてくれたから、俺たちもがんばろうって思えたんですよ。逆に俺らが決勝初めて行ったときに、同じこと思った後輩もいたんじゃないですかね。 畠中 ライブでめちゃくちゃスベってるオズワルドを知ってるぞとか思ってるでしょうけどね(笑)。 ──ゆにばーすさんとともに出た昨年のM-1決勝は感慨深いですね。 伊藤 正直めちゃくちゃうれしかったですね。 ──ほかの顔ぶれも、オズワルドが外部ライブでやってきたメンツがそろって。 畠中 そうですねぇ、錦鯉さんも真空ジェシカも……。 伊藤 ほんとにいいメンツだったなぁ……。 畠中 決勝発表されたとき、メンバー見てやっぱりうれしかったですね。 伊藤 みんなはしゃいでたよな。ファイナリスト発表で誰も泣いてなかったの初めてじゃないですか……いや、違うな。きむさん(インディアンス)だけ泣いてた。あれ意味わかんないよな。 畠中 意味わかんない(笑)。3回目なのになぜか泣いてた。でもほんとに和気あいあいとしてましたね、決勝進出者発表後の記者会見も緊張感ゼロで。みんなほんとに新宿バティオスとか新宿バッシュ!!でライブやってるくらいの感覚(笑)。 伊藤 決勝の楽屋も和やかで。 ──決勝の舞台を前にして、緊張感ゼロだったり、和やかだったりするのはマイナスにはならないですか? 畠中 どうなんですかねぇ……。 伊藤 やるときはきっちりやるメンツなので問題なかったんじゃないですか。 ──『アナザーストーリー』では、野田クリスタル(マヂカルラブリー)さんに、「お前らはM-1という大会も背負ってる」と言われるシーンがありました。 畠中 野田さんにそう言われたときは、正直戸惑いましたね。予想ランキングでも優勝候補みたいになってて、びっくりしたんですよ。個人的には常連組っていう感覚が全然ないので。毎年“M-1様”にチャレンジさせてもらう気持ち、挑戦者のつもりなので。 伊藤 たしかに俺たちが初めて決勝行ったときとは、メンツも様変わりしたからなぁ。でも、今年は初進出5組でしたけど、俺らが初めて出たときなんか、7組が初進出でほぼ無名だった。SNSでは「今回のM-1観る気なくしたわ」とか「知ってる人誰もいねぇ」って言われてましたけど、フタを開けてみればあの年って「過去最高の大会」と呼ばれたじゃないですか。結局そういうもんだから、今回も絶対そう言わせたいなと。 それに俺たちは今年のメンツをよく知ってるから、いい大会になると確信してた。M-1ってやっぱり出場者みんなで作るものなんですよ。もちろん優勝を目指してるんだけど、自分らが出てた大会が最高だったって言われたい。「よくあのメンバーの中で優勝したね」っていうメンバーに勝ちたい。 前年の結果とか、お客さんには関係ない。あと負けるとムカつくんですよね、ほんとにムカつく。なんぼのもんじゃいで見てきますからね。 寄席でめちゃくちゃおもしろい漫才師になりたい ──これからオズワルドとしてやっていきたいことはありますか。 伊藤 なんだろうな。俺はめっちゃテレビにも出たいし、劇場で漫才も続けたい。でも畠中は劇場重視なんで、そこはバランス取れたらいいですね。ただ、俺は今テレビの仕事も全力出しきれてないんですよ。どうしてもM-1が一番大きい。 ──M-1優勝しないと、テレビに集中することができない? 伊藤 なんかね、学校のテストでも、わからない問題があったときは、それを飛ばして次の問題に取りかかったほうがいいっていうじゃないですか。俺はそれができないんですよね。この問題を解くまで次に行けない。それがM-1ですね。 このまま時間切れになるのか、それとも俺のメンタルが折れるのかわかんないすけど、とりあえずこれを解くまでは、次を考えられない。 畠中 俺にとってはM-1優勝が最終問題なんで。正直、それ以外の問題は正解できなくてもいいかなって感じ。それさえ二重丸もらえれば(笑)。 伊藤 ただ、M-1が終わったらいよいよ漫才が寄席の10分尺の世界になってくるんですよ。そこでめちゃくちゃおもしろいって言われる漫才師になりたいですね。 畠中 寄席で観る中川家さんはめちゃくちゃすごいですからね。やすとも(海原やすよ ともこ)さん、テンダラーさん、プラマイ(プラス・マイナス)さんもそうですけど……。 伊藤 師匠方もね。ザ・ぼんち師匠とか、オール阪神・巨人師匠……。 畠中 うん。あの方々の10分の漫才って見事なんですよね。とにかくウケますし。そこの域には全然達してないので、そういうところ目指したいですね。ほんとにしゃべりだけで笑わせるっていうのはすごいです。 ──オズワルドも審査員の(ナイツ)塙(宣之)さんに「一畳で見せる漫才師の憧れ」と評されていました。遅かれ早かれ、その域に行くんだろうなと。 畠中 うーん……。俺らはでき上がった台本を4分間やるネタしか今のところないんですよ。だから10分の持ち時間があったら、2本つないでやってますし。アドリブ的なこととか、その場で作り上げる掛け合いってところまでは全然です。 伊藤 あと、これが恐ろしいんですけど、先輩方ってアドリブの掛け合いみたいに見せるのがすごくうまいだけで、ほんとはしっかり固まってるんですよ。 畠中 うん、ほんとすごいっすよ。 オズワルド 2014年結成。伊藤俊介(いとう・しゅんすけ、1989年8月8日、千葉県出身)と畠中悠(はたなか・ゆう、1987年12月7日、北海道出身)のコンビ。2020年、『マイナビ Laughter Night』第6回チャンピオンLIVE優勝。2021年、『第42回ABCお笑いグランプリ』優勝。2019年、M−1決勝に進出し、7位に。以降、2020年は5位、2021年はファーストラウンドで最高得点を獲得し、ファイナルラウンドに進むが惜しくも敗退。YouTubeチャンネル『オズワルドのおずWORLD』。TBSラジオ『ほら!ここがオズワルドさんち!』は毎週金曜日24:30-25:00に放送中。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 蛙亭「おもしろければ、いいんでしょ?」トガっていた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#4(前編) 板橋ハウス、ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(前編) 東京ホテイソン「たけるの声で絶対に売れる」確信を得た初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#2(前編) かが屋「これじゃ終われない」2万円と自信を失った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#1(前編)
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オズワルド『M-1』決勝戦を終えて。「芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(前編)
昨年の『M−1グランプリ2021』、1stステージで最高得点を叩き出すも、最終決戦で錦鯉に惜しくも破れたオズワルド。 2019年のM-1で初めてファイナリストになり、M-1での順位が上がるのに比例して、活躍の場を広げているふたり。 このインタビューでは「初舞台」をキーワードに、オズワルドの歩みを振り返ってもらった。「オズワルドになってそこまで苦労してない」と語る、彼らの快進撃──。 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次目標が「決勝」から「優勝」に変わったM−1決勝初進出元相方との約束「お互いのネタは観ない」畠中、芸人になって気づいた同級生への違和感芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる結成当初のオズワルドはボケとツッコミが逆だった【前編アザーカット】 目標が「決勝」から「優勝」に変わったM−1決勝初進出 オズワルド。左から:畠中悠、伊藤俊介 ──初舞台について聞く企画なんですが、やはり『M-1グランプリ』の話も聞きたいなと。決勝初進出は2019年ですね。 畠中 当時は決勝に行くことが目標だったので、浮かれてましたね。入り時間もめちゃくちゃ早いし、楽屋弁当がいっぱいあるし、「これが決勝の舞台か」って浮足立ってて。でも、かまいたちさんだけは、ほぼ誰とも話さずに何回もネタ合わせしてて、これが決勝常連の緊張感かと思いましたね。 伊藤 俺たちは決勝行ったら自然と売れるんだと思ってて。オズワルドって特殊なキャラとかエピソードがあるわけじゃない。俺は、妹が天才女優・伊藤沙莉というのがありますけど、それだけで仕事はもらえないじゃないですか。だからやっぱり漫才で目立つしかない。そんな俺たちが世に出るためには、M-1ファイナリストになるしかないなと思ってた。でも実際にM-1の決勝に進んで、目の前で優勝の瞬間を見ると、話が変わってくる。 畠中 目標が「決勝に行く」から「優勝する」に変わった。 ──ミルクボーイが優勝した年ですね。 伊藤 そうですね。出順がちょうど俺たちの直前で(当時の)史上最高得点を出して。ちょうど昨日もルミネ(theよしもと)の出番が久しぶりにミルクさんの直後で、ちょっとあのときのこと思い出しましたよ。 ──とんでもない漫才を見せつけられた直後の出番は大変ですよね。荒れ果てた場に出ていく。 伊藤 そうっすね。でも、ランジャ(タイ)さんとか、トム・ブラウンさんとか、そういう系の人たちに場が荒らされるのと、ミルクさんみたいなタイプの超絶正統派が焼け野原にしたあとでは、わけが違う。正統派が大ハネしたあとのほうが、俺たちはムズいっすね。 ──お客さんが「いいもの観たなぁ」と余韻に浸っている場に出ていくほうが大変。 畠中 これは審査員の方も言ってましたけど、やっぱミルクボーイさんがすごすぎて、俺たちのネタが最初は入ってこなかったみたいで。めっちゃいい映画観たあとって、2本目は観たくないじゃないですか。あれと同じ。 伊藤 2019年以来ミルクさんの漫才をしっかり観るのは少し抵抗あったんですけど、昨日改めてミルクさん観て、すっごいなと思いました。 ──同じ漫才師として、オズワルドのおふたりが、ミルクボーイに感じるすごみはなんでしょうか。 伊藤 漫才ってシンプルなことで笑わせるほうが難しい。自分たちはどっちかっていうと、バラシというか「そういうことか!」っていう驚きで大きい笑いを狙うタイプですけど、ミルクさんは、超真正面からおもしろいことを言い合って、その繰り返しだけでバカみたいにウケる。あれが漫才師の理想なんですよ。ブラマヨ(ブラックマヨネーズ)さんとかもそうですよね。そのふたりのしゃべりがおもしろいという。 元相方との約束「お互いのネタは観ない」 ──ここからは、おふたりの芸人の原点について聞きたいです。伊藤さんは大学時代、教師になる予定だったんですよね。そこからどうして芸人を志したんですか。 伊藤 ずっと心の内では芸人への憧れはあって、それが21歳のとき再燃するんです。地元のヒップホッパーの先輩のライブの前座で漫才をして死ぬほどスベったんですけど、むしろお笑いやりたい気持ちがあふれ出しちゃったんですよね。 その先輩には今もお世話になってて、YouTubeの撮影場所も貸してくれて。 俺が飯食えないときもごちそうしてくれたり、服もいっぱいくれたりしたんですけど、そういうのもたぶん、「俺のせいで伊藤が芸人になっちゃった」っていう負い目があるからだと思うんですよね。 ──初舞台で芸人になったんですね。その前座で漫才をやった人とNSCに入ったんですか。 伊藤 そうです。小学校と中学校、あと大学が同じだったヤツで。 ──なぜNSCを選んだんですか。 伊藤 特に理由はないですね。お笑いといえば吉本っていうのと、一番学費が安かったから。でもNSCはあんまりまじめに通ってなかったんですよ。根拠もなく「俺たち絶対売れるだろ」と思ってて。とてもよくないトガり方をしてたかもしれないですね。 ──なぜそのコンビは解散したんですか? 伊藤 『THE MANZAI』に3回出て全部1回戦落ちだったのと、NSCから4年くらい続けて、2カ所しかウケなかったからです。ツカミでなんかウケたのと、パワープレイで無理やり笑わせた感じの2回だけ。 俺たちの年から東京校で教えてたNSCの本多(正識)先生が「3年やって、ひとつも結果が出なかったら解散したほうがいい」って言ってたのを思い出して、まさにそうだなと。相方はおもしろいヤツだったので。 でも、俺がお笑いに誘ったのに、俺から解散を告げたので……ちょっとエグいことしたなとは思いましたよ。そいつには結婚を考えてる彼女もいたんですけど、芸人やるってことで別れたりもしてて、完全に人生変えちゃったので。あの解散はキツかったから、次のコンビは絶対解散したくないなと思いましたね。次のコンビでは、絶対売れなきゃな、と。 ──当時の相方は、解散後どうしてるんですか? 伊藤 数年は続けてましたけど、もう辞めましたね。解散するとき、「別の人とコンビ組んでも、お互いのネタは観ないようにしよう」って言ってたんですよ、恥ずかしいから。でもさすがにM-1は観てると思うんで、俺らの漫才をどう思ったのか気になりますね。 畠中、芸人になって気づいた同級生への違和感 ──畠中さんも同級生とコンビを組んでたそうですね。 畠中 24歳のときに高校の同級生とNSCに入りました。 ──少し遅いですね。 畠中 でも同期でも(鈴木)もぐらとか、コットンのきょんが同い年なんで、そんなに意識してないです。 ──お笑いをやろうと思ったのは社会人になってから? 畠中 そうですね。最初、チョコレート工場で働いてたんですけど、夜勤とかつらすぎて。転職して金物屋さんで働いたんですけど、今度はつらくないけど、おもしろくもない。このまま一生終わるくらいなら、もうどうなってもいいから好きなお笑いをやろうと思ったのが22〜3歳です。 ──お笑いはずっと好きだったんですね。 畠中 中学校のころ、友達が貸してくれた『オンバト(爆笑オンエアバトル)』(NHK)のビデオで衝撃を受けて好きになりましたね。それまで漫才とかネタっていうものを観たことがなかったんですよ。あのとき初めて「世の中にこんなおもしろいものがあるのか……」って気づきました。 陣内(智則)さんとかおぎやはぎさん、スピードワゴンさんの給食のネタとか、今でも強烈に覚えてますね。『オンバト』は、3倍録画でテープに録って、繰り返し観てました。あと、『(ダウンタウンの)ごっつ(ええ感じ)』(フジテレビ)を観て、「ダウンタウンさんってやっぱりすごいんだ」って気づいたり。 ──どういった経緯でNSCに入ったんですか。 畠中 最初は幼稚園からの幼なじみとやる予定だったんです。そいつがまだ大学に通ってたので「卒業したら一緒に行こう」と。でも、そいつのお父さんが亡くなって、お母さんとふたり暮らしになり、「芸人になるなんてギャンブルできない」と言われて、それもそうだなと。 でもお笑いやりたい気持ちは消えなくて、そのことを高校の同級生に話したら「俺と一緒にやろう」って言ってくれて。その同級生ともいろいろあってNSC在学中に解散したんですけど……。 伊藤 20万くらい貸したまま飛ばれてるんだよな。 畠中 そうですねぇ。一緒に上京して、同じ部屋に住んでたんですよ。NSCのある神保町に通いやすい巣鴨に住んで。でも、一緒に暮らしてるうちに「こんなに嫌なヤツだったのか」と気づいちゃって。好きなお笑いから性格まで、まったく合わない。 これは書かなくてもいいんですけど……部屋割りを決める時点で「あれ?」と思うことがあって。巣鴨のアパートが、2Kで8.5万円。部屋は4.5畳と6畳だったんです。で、6畳のほうにエアコンがついてる。そこで俺は譲歩して「俺が4.5畳の部屋で4万2千円で払うよ」って提案したんです。これ、条件としては破格じゃないですか。相手は千円多めに払うだけで広くて快適な部屋に住めるわけだから。なのに、「お前ケチだなぁ〜。お前は千円でも得したいんだ」って言われて。 伊藤 何が? あいつやっぱりヤバいな。 畠中 そういう違和感がありつつ、一緒に住み始めたんですけど、やっぱり嫌な部分がどんどん見えてくる。解散したあとも同居は続けてたんですけど、元相方はギャンブル好きだったんで、お金も貸してて。3年くらい経って伊藤と組んだタイミングで同居やめたんですけど、「月1万円ずつでもいいから返すわ」という言葉を残し、音信不通です。 伊藤 向こうから「月1万ずつでもいいから」って言うのも意味がわからない。 畠中 まぁそいつも芸人辞めて、社会人なりたてでお金なかったんでね。もうあれから何年も連絡取ってないですけど。あいつはM-1で俺たちの漫才観て、どう思ったかな……。 伊藤 俺のエモい話と一緒にするな。 畠中 伊藤とやり始めたころって、ライブがちょっと増えてきて、バイトの時間も作れなかったので、月10万をどうやってやりくりするかみたいな生活だったんです。「あの20万があれば……」って何度も思いましたね。でも、お金にもある程度余裕が出てきたので、今となっては、まぁいいかって感じですね。 伊藤 俺はまだめっちゃムカつくけどな。聞いてるだけで胸クソ悪くなりますよね? ──そうですね、畠中さんの懐が深い。ちなみに畠中さんの初舞台は、その元相方と? 畠中 NSC生が出る『RUSH』っていうライブがあって……それに出た気がしますけど、あんまりウケなかった気がしますね。人前で何かやる経験が初めてだったので、めちゃくちゃ緊張しました。でもネタは記憶にないですねぇ……全然手応えがなかったことだけ覚えてます。 芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる ──畠中さんは元相方と同居しながらピン芸人として3年間活動してました。伊藤さんは当時の畠中さんを見て「地獄みたいな状況でも楽しそう」だと思ったとか。 伊藤 そうっすね。こいつはどうして笑ってられるんだろうと思ってました。 畠中 俺は芸人になったときから、人生どうにでもなれと思って生きてるので。そもそも好きなことやれてるし、バイトも嫌いじゃないし、「この先どうなるんだろう……」って不安もまったくない。 伊藤 畠中と組んだ一番の決め手はそこですよ。絶対何があっても芸人辞めないだろうなというタフさ。良くも悪くも鈍い人間だから。 ──伊藤さんから誘われて、畠中さんはすぐに快諾したんですか。 伊藤 即答でしたよ。ようやく就職決まったみたいな顔して。俺も正直絶対断られないだろうなと思ってましたから。 畠中 初めて人から「コンビ組もう」って言ってもらえたんで素直にうれしかったですね。もともと漫才が好きでお笑い芸人になったので、それならちょっとやってみようと。伊藤と組んでどうなるかまったくわかんなかったですけど、そもそもどうなるかわからない人生を送ってますし。それが2014年末ですね。 ──伊藤さんは、畠中さんのおもしろさに惹かれたというよりは、人間としての胆力を見込んだんですか。 伊藤 いや、もちろんおもしろいのは前提ですよ。畠中と絡んだことのないヤツは、畠中の何がおもろいのか、まったくわかってなかった。近くにいないとわからないんですよ。だから畠中は掘り出し物でしたね。 あと、なんかね……「こいつほんとにお笑い好きなのかな?」っていう同期のほうが圧倒的に多かったんですよ。メシ食えてないし、ライブシーンでもパッとしないのに、合コンで「俺、芸人やってんだ」とかよく言えんな……と。そいつらに比べると、畠中はまともでしたね。 結成当初のオズワルドはボケとツッコミが逆だった ──オズワルドとしての初舞台って覚えてますか? 畠中 これは覚えてます。吉本のランキングシステムの最下層ライブが初めてだったんですけど、15組中のトップになって。これは何かが変わるかもしれないと思いましたね。 伊藤 トップ狙って実際勝てたんで、めっちゃうれしかったな。 畠中 最初めっちゃわかりやすいネタしたよな。俺がヒーローになりたいヤツで、伊藤が助けに来てほしい子供みたいな。子供役の伊藤がボケて、俺が困るみたいな、超ベタな展開のネタ。 伊藤 ボケツッコミも今と逆で、畠中はツッコミ的な……。 畠中 ツッコミというか、説明。そのあと、2015年にオズワルドとして初めてM-1に出たときは、3回戦まで行ったんですよ。同期にも知られてないコンビがそこまで行くのは革命的だったんじゃないですかね。 伊藤 いや、これはほんとにそう。同期で行ったのが、俺たち含めて3組だけだった。 畠中 ラフレクラン(現・コットン)と、すごい論(2020年解散)。俺たちはそこで初めて観てもらえるようになった気がしますね。 ──ボケツッコミを入れ替えたきっかけは、なんだったんですか? 伊藤 2016年のM-1で1回戦落ちしたときですね。負けたタイミングで、ダンビラムーチョの原田(フニャオ)さんに「ツッコミとボケが逆だろ」って言われて。まさに、本多先生がナイナイ(ナインティナイン)さんに言ったみたいなことですよね。たしかに、俺は普段すごいツッコんでたんで当然ですよね。 ──ネタ作りも変化しましたか? 伊藤 今は畠中がネタのテーマを持ってくるけど、2017年ごろまでは俺もネタに手を出してましたね。俺のツッコミがハッキリしていくのに比例して、畠中に任せるようになって。畠中が自分で思ってることをネタにしてボケたほうが、本当っぽいだろうなと。 ──畠中さんが持ってきたネタを伊藤さんがおもしろいかどうかで判断するところから……。 伊藤 いや、おもしろくないとは思わないですよ(苦笑)。よくなりそうかどうかですよね。これでいこうって決まったら、そのテーマからふたりで揉んでいきます。 ──こうやって聞いても、2014年末の結成から、オズワルドの歩みってすごく順調ですよね。 伊藤 んなことない……と最近まで思ってたんですけど、冷静に考えたらM-1決勝も早いは早いですよね。結成5年で芸歴8年目くらいか。 畠中 オズワルドではそこまでの苦労ってしてないかもしれないですね。 オズワルド 2014年結成。伊藤俊介(いとう・しゅんすけ、1989年8月8日、千葉県出身)と畠中悠(はたなか・ゆう、1987年12月7日、北海道出身)のコンビ。2020年、『マイナビ Laughter Night』第6回チャンピオンLIVE優勝。2021年、『第42回ABCお笑いグランプリ』優勝。2019年、M−1決勝に進出し、7位に。以降、2020年は5位、2021年はファーストラウンドで最高得点を獲得し、ファイナルラウンドに進むが惜しくも敗退。YouTubeチャンネル『オズワルドのおずWORLD』。TBSラジオ『ほら!ここがオズワルドさんち!』は毎週金曜日24:30-25:00に放送中。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 オズワルド「この問題を解くまで次に行けない。それがM-1」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(後編)
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トンツカタンの向き合い方「各々のがんばりで未来とチャンスつかむ」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#9(後編)
東京のライブシーンで異彩を放ち、活躍するトンツカタン。今年、『NHK新人お笑い大賞』で決勝進出、『キングオブコント』では5年ぶりのセミファイナリストと着実に歩みを進めている。 そんな3人の初舞台を聞くこのインタビュー。傍目には順調そのものに見えるが、3人いれば現状認識も異なるようで……。 ブレイク前夜のトンツカタンの、現在地を探る。 【インタビュー前編】 芸人でしか生きられない男と、奇妙なふたり トンツカタンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#9(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次森本がひとりでコントを書くようになった理由転機のネタは、お抹茶が“持ち運んだ”トンツカタンなりの賞レースとの向き合い方お抹茶は未来が霞んで見えない【後編アザーカット】 森本がひとりでコントを書くようになった理由 森本晋太郎 ──前編では、トンツカタンがトリオになるまでの話を伺いましたが、ようやく3人が合流します。3人での初舞台はいつですか? 森本 養成所卒業直前ですね、2012年の2月か3月。すぐに僕ひとりでネタ書くようになるんですけど、最初は3人で作ってて、『カイジ』みたいな世界観のコントでした。 ふたりがすんごい白熱してカードを出し合ってるんですけど、それがまったく意味のわからないカードゲームで、僕が「どういうゲームなんだ……」とツッコむ。 お抹茶 今思うと、森本が傍聴人みたいな意味わかんないポジションで(笑)。 櫻田 森本が見つけたルールブックが、めちゃめちゃでかいっていうのが一番のボケでした。 櫻田 佑 森本 そうだそうだ。その小道具のルールブックは、コンビニで買ってきたジャンプを5冊くらい重ねて、お抹茶が作ってくれたんだよね。 お抹茶 舞台監督に「いい出来だねぇ……」って褒められた思い出の小道具ですね。当時はよく作ってました。 森本 昔は道具のおもしろさに頼ってたよね。今は非現実的な小道具が必要になる設定のコントは減ってきました。 ──初舞台のコントは3人で書いたそうですが、現在のネタ作りは森本さんがひとりでやられてます。いつごろから今の作り方に変わったんですか? 森本 わりとすぐです。3人集まってもみんなでわいわいアイデア出し合うわけでもなかったんで、だったらネタ書く時間はふたりを自由にしたほうがいいかなと。 お抹茶 もう来なくていいってなったときは戦力外通告を受けたみたいで悲しかったっすねぇ……。 森本 そういうつもりではなかったけど(苦笑)。 お抹茶 楽しくネタ作りしてたころが懐かしいです。今はもうさすがにやりたくないですけど。 森本 でも最近の新ネタライブでは、お抹茶のコントもやってるじゃない。あれおもしろいよ。 お抹茶 お抹茶 あれは僕の書いたネタじゃなくて、みんなのアドリブがウケてるんですよ! 僕が5分想定で作ってるネタが、10分超えるほどアドリブするから。 森本 すごくアドリブがしやすい台本なんです。 お抹茶 隙間だらけってことですね……。 森本 あっはっは(笑)。 お抹茶 緻密なコントをいっぱいやったあとだから、ギャップもあってウケてしまう。 ──『レンタルさん』とか? お抹茶 そうですそうです! ほんとに台本どおりの部分はさっぱりで、アドリブばっかりウケるんですよ。 森本 そんなことはないですよ(笑)。 転機のネタは、お抹茶が“持ち運んだ” ──養成所を出たトリオのトンツカタンはどうでしたか? 森本 最初の半年はけっこうキツかったっすね。大学時代からずっと漫才書いてきたのに、急にコントに切り替えた上に、トリオですから。しばらくは、ちょっとムリある設定しか思いつかなくて自信なかったですよ。「俺向いてないのかなぁ……」って。 ──その苦しい時期を乗り越える転機になったコントとかありますか? 森本 『辞めないよね』ってネタです。僕が野球部で、櫻田が新入部員で。「野球部入りたいんです」と言うから、名前を尋ねたら「桐島です」と返されて「え? 辞めないよね?」となるコントで。 当時、『桐島、部活やめるってよ』って映画が流行ってたんですよね。あのネタから急にウケることが増えた気がします。明確にコツをつかんだわけじゃなくて、感覚的なものですけど。 その数カ月後に、今もお世話になってる『カタコト塾』ができて、トリオでもやっていけるかも、と気持ちを立て直せました。 お抹茶 これは言っておきたいんですが、『辞めないよね』の案って僕が持ってきたんですよ。 森本 そうだっけ? お抹茶 というのも、僕が同期から「こういう案があるよ」と聞いて、それをそのまま森本に伝えたところから生まれたんです。 森本 それネタの案を持ち運んだだけだよ(笑)。 お抹茶 トランスポーター、ネタ運び屋ですね(笑)。当時の僕って本当にポンコツで怒られてばっかりだったんですよ。滑舌も悪いし、演技も得意じゃない。勝手に髪切っちゃって叱られたり。 森本 あれはひどかった。今YouTubeにも上がってる『天使と悪魔』とは別で、同じタイトルのコントが初期にあったんですけど、当時おかっぱのお抹茶が、天使役だったんですよ。彼の髪の毛がつやつやで天使そのものだったんです。 なのに、いざライブの入り時間にやってきたコイツが、長渕剛みたいな髪型になってて(笑)。「いやぁ、気合い入れてきたよ!」って言うんですけど「お前のキューティクルありきの天使役だったのに!」と腹立ちましたねぇ。 お抹茶 天使は長渕じゃダメなの? 森本 長渕ヘアーの天使はブレるだろ。 櫻田 あれは長渕というより、もはやただのスポーツ選手だった(笑)。 お抹茶 とにかく迷惑ばっかりかけてたので、転機となるコントのアイデアを持ち運べて、信頼を取り戻せた気でいましたね。 トンツカタンなりの賞レースとの向き合い方 ──2016年には『ツギクル芸人グランプリ』の前身である『お笑いハーベスト大賞』を受賞され、キングオブコントも初めて準決勝に進みましたが、それからの5年間はいかがでしたか? 森本 賞レースの成績はよくなかったんですけど、結成当初と比べたらネタは悪くないかなとは思ってました。でも、賞レースで、トンツカタン史上一番ウケたときにも落とされちゃって。そのタイミングで僕は「賞レースに賭ける」って考え方を、ちょっとズラしました。 ──ズラしたというと? 森本 それまでは「ここで勝たなきゃ、また1年売れない芸人だぞ」とせっぱ詰まってました。でも「ここで一喜一憂してたらよくないな」と感じたんです。 賞レースは審査員の方がいいと思ったネタが上がっていくシステムの中での闘いじゃないですか。そこに全神経を集中させると精神面的によくないかなと思いました。 もちろん賞レースは毎年出てますし本気でやってるんですけど、両足ずっぽりハマってあくせくするのは僕の性格的にあまり合ってないかなと。 お抹茶 そうらしいですよ。 ──お抹茶さんと櫻田さんは、森本さんの賞レースに対する気持ちの変化を知らなかったんですか? お抹茶 ふんわりとは聞いてましたけど、話し合いとかは特になかったので、知らなかったですね。僕は落ちても「また次がんばろう」ってすぐに切り替えられるタイプだから、賞レースへの比重が下がるのは残念でした。ここ4年くらいは少し寂しかったです。 森本 そうなの? でもこれはトンツカタンが「賞レースの結果は求めない」って話ではなくて、あくまでも僕の気の持ちようの話であって。ネタ作りのペースも変わってないし、賞レースに向けた努力もしてるでしょう! お抹茶 でも前みたいに、賞レースに向けて単独ライブやったり、ライブにたくさん出るっていうことが減ってきてて、僕は涙涙でしたよ。 森本 僕ら単独ライブはあまり向いてないって話はしたよね。 お抹茶 たしかにそれはしましたね。トンツカタンとしてやりたいコントがひとつひとつバラバラすぎて、単独にするにはまとまらない。 ──テーマが一貫した単独ライブができないと。でも年明けに『新年のトンツカタン』という単独のライブしますよね? 森本 あれは単独ライブではなくて、新ネタライブという位置づけなんです。特にテーマは設けず、1時間かけて新ネタをひたすら下ろす。東京03さんみたいに長尺コントをやって、幕間でVTRというかたちのライブを、定期的にやるのはトンツカタンには合わないなということですね。 ──なるほど。櫻田さんは賞レースへの想いとか、単独ライブへのこだわりはないですか? 櫻田 そんなにないですね。特にキングオブコントは地元の秋田県では観れないので、なじみがないんです。 森本 地上波って何個あるんだっけ? 櫻田 民放は3つ。キングオブコントやってるTBSが入ってない。 森本 ふたつじゃなかったっけ? 櫻田 フジと日テレと朝日で3つ。……ちょっとバカにしすぎじゃない? 森本 あぁ……ごめん(苦笑)。 お抹茶 森本はほんとに田舎をバカにしがちで。 ──東京生まれ東京育ちのシティボーイだから。 お抹茶 そうなんです。埼玉に住んでる僕が最寄りにカフェがないって話したら「カフェがない駅なんてあるの?」って言ってくるし。 森本 それに関しては驚きで言ったのよ。ただ唯一バカにしたのは、コイツのマンション近くの外壁に「埼玉ナンバーワン!」って落書きがあったことですね。 お抹茶 あれは僕も引いてますよ。埼玉のナンバーワンってすごくしょぼいし……(苦笑)。 お抹茶は未来が霞んで見えない ──今年のキングオブコントは、“史上最高の大会”と言われてました。それにコント番組も増えてきて、コントが盛り上がってる印象です。そんな変化のなかで、トンツカタンとして、今後どんなビジョンを描いていますか? 森本 どうでしょうかね。 お抹茶 やっぱり僕は賞レースの決勝行って優勝したいですし、単独公演もやりたい。でも、トンツカタンとしてはそこが一番の目標ではなくなってたので迷いますね。だから僕はわりと今ビジョンがないです。僕のこの先はもうずっと靄かかってます。 森本 そこまで言うの?(苦笑) お抹茶 言っちゃいますねぇ。妻と子供もいるので、もう一か八か僕は休業して、バイトがんばったほうがいいのかなとも思ってます。 森本 えー!(笑) お抹茶 テレビタレントさんになれたら一番いいですけど、そのイメージも湧かないですし。 森本 でも、こないだの『あちこちオードリー』(テレビ東京)もいいイジられ方して、お抹茶の回になったじゃない。 お抹茶 『あちこちオードリー』さんはありがたい編集でしたけど、あれは珍しいんですよ。普段は僕ががんばっても編集でカットされて、全然映らないんです。「そうか、俺の発言は必要ねぇか……」と毎回思うので、テレビタレントも向いてないのかな、と。だから今はやっぱりバイトですかね。 ──今は森本さんはライブのMCとして注目され、最近はラジオやテレビのレギュラーもあって、存在感が増してます。その流れで、おふたりもこれから出ていくんだろうなと勝手に楽観視してましたが……。 森本 そうなんですよ。このふたりは魅力的なんだけど、それが伝わりにくい。だからこそ最初に僕がたくさんメディアに出て、「相方どんな人なの?」ってところまで興味持ってもらう。そこで初めて、ふたりが暴れてくれたらいいなと思ってます。 お抹茶 暴れ回るチャンスが、近々あるってこと? 森本 近々……あるんじゃない? お抹茶 でも、この方針だと僕らは待つしかないんですよ。 ──たしかに、森本さんがひとりでネタを書き始めたときと同じ状況なのかもしれないですね。 お抹茶 だったら、もうその待ってるだけの時間もったいないから、バイト始めようかなと。 森本 たしかに「自由にしてくれ」とは言ったけど、バイトは違うんじゃない?(笑) ──森本さんが表に出てる間、裏で力を溜めておいて、いざというときに発揮してほしいとか? 森本 そうですよ。それこそ彼が作ったオリジナルレシピがTwitterでバズったんです。 今年の恵方が分からない方へ 全方巻きです。 pic.twitter.com/7ltPXMroaW — お抹茶(トンツカタン) (@OMATCHA_TTT) February 2, 2021 森本 あれがきっかけで、『ananweb』で連載も始まったんです。自由な時間の活用としてベストじゃないですか。 ──お抹茶さん悲愴感たっぷりですが、ananで連載ってすごいじゃないですか。 お抹茶 いやいやいや、あれはたしかにラッキーでしたけど……。独身のふたりと違って、子供がいる僕は自由な時間ないですし、待つ時間はけっこう大変で。今の僕は、トンツカタンに振り落とされないよう、しがみつくので精いっぱいです。 森本 たしかに僕は奥さんも子供もいないから想像するしかないですけど。子育てはすごい大変そうだよね。 お抹茶 しかも僕が子育てしてるから。あの要領の悪いお抹茶が育児してるわけですから。 森本 そうそう。すんごいがんばってるなと思ってるよ。その間僕がちょっとでもね、知名度上げられたらと思ってるんですけど。 ──育児はほんと大変ですよね。僕も3歳の娘がいて、仕事で靄かかってる感覚がちょっとわかります。仕事をもっとがんばりたいけど、育児に時間取られて、焦りだけが募っていくというか。 お抹茶 そうなんですよ。今がんばりたいのになって思いながら子育てするしかなくて……。もっと話したいですね、今度ちょっと酒飲み行きませんか。 森本 飲み友達を増やそうとするなよ(笑)。 ──櫻田さんは“待ちの時間”どうですか? 櫻田 お抹茶は靄がかかってると言ってましたけど、僕の視界は晴れ渡ってます。自分の好きなことを仕事にできればいいかなと思って、いろいろ楽しんでます。 ──コロナの自粛期間中も、映画を1日に6本観る生活をしてたとか。フィルマークスの感想文もいいですよね。 櫻田 この前も初めて音楽イベントの主催をさせてもらいましたし、今後も自分の趣味が仕事になることが増えていけばいいかなと思ってます。そのための待ち時間です。 森本 櫻田が一番充実してるんですよ。 お抹茶 うらやましいなぁ……。 森本 お抹茶のスイーツとか、櫻田のカルチャー的な仕事とか、各々がんばってるんで、来年は「僕の相方すごいんですよ」ってもっと広めていきたいですね。 トンツカタン 森本晋太郎(もりもと・しんたろう、1990年1月9日、東京都出身)、お抹茶(おまっちゃ、1989年9月26日、埼玉県出身)、櫻田 佑(さくらだ・たすく、1989年9月4日、秋田県出身)のトリオ。2012年に結成。2016年、『第7回お笑いハーベスト大賞』優勝。『キングオブコント2021』では、5大会ぶりに準決勝進出。「聞くトンツカタン」(ラジオアプリGERA)は毎週日曜20時に配信中。『トンツカタンOfficial YouTube Channel』でネタ動画を随時アップする。 2022年1月7日(金)、東京・北沢タウンホールで新ネタライブ『新年のトンツカタン』を開催。会場チケットはLivePocketにて、配信チケットはZAIKOにて販売中。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 ザ・マミィ「お笑いの世界は結果がすべて」と知った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#3(前編) 吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編) 板橋ハウス、ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(前編) 『すごいよ!!マサルさん』に憧れたストレッチーズの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(前編) 即席ユニットでも、初M-1で“ボコウケ”怪奇!YesどんぐりRPGの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#8(前編)
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芸人でしか生きられない男と、奇妙なふたり トンツカタンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#9(前編)
実力派コント師のトンツカタン。東京のライブシーンでは確固たる地位を築いている3人だが、メディアでの露出はまだ増え始めたばかり。 もともとはお抹茶と櫻田佑で組んだところに、森本晋太郎が合流したことでトリオとなった3人。今回は合流以前の3人が、芸人として踏んだ初舞台について聞く。 「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次トンツカタンは“都合のいい男“と組んだコンビだった芸人の肩書がないと生きづらい森本初舞台は覚えてないですコンビ時代のトンツカタンは兵士だった【前編アザーカット】 トンツカタンは“都合のいい男“と組んだコンビだった 左から:お抹茶、森本晋太郎、櫻田佑 ──そもそもトンツカタンは、お抹茶さんと櫻田さんのコンビだったんですよね。 櫻田 はい。もともとは「トンツカタントンツカタン」って名前でした。僕の兄がお笑い好きで、名づけてくれました。でもちょっと長すぎるってことで、トンツカタンに変えて。 お抹茶 そうですね。大学生のころ、バイト先で出会った僕と櫻田が、人力舎の養成所JCAに入ったのがスタートです。僕は子供のころから『笑う犬の生活』(フジテレビ)とか『爆笑オンエアバトル』(NHK)を観てて、お笑い芸人になりたいと思ってて。でも、ひとりで養成所に行くのは嫌だったんです。櫻田はけっこうお笑いに詳しいし、雰囲気もおもしろかったんで、コイツとならいいかなと思って誘いました。 ──櫻田さんもずっとお笑いが好きだった? 櫻田 そうですね。ずっとお笑いが好きで観てたので、芸人になることも選択肢にはありました。僕も、兄と姉の横で『オンエアバトル』をずっと観てましたね。 ──当時好きだった芸人って覚えてますか? 櫻田 アメリカザリガニさん、ホーム・チームさん、コンビ時代のバカリズムさんですね。おぎやはぎさんも好きでしたねぇ。シュールというか、無理やり笑いを取りにいかないスタイルが当時から好きでした。 ──お抹茶さんと櫻田さんがもともと友達で、一緒に芸人やろうということで結成したのがトンツカタン。 森本 いや、そこが妙なんですよね。当時の話を何回聞いても、別に仲よくなさそうなんですよ。たぶん友達ではない。 お抹茶 そんなことないですよ。飲みに行ったり、映画も観に行きましたし……。 森本 その映画観に行ったってエピソードが怖いのよ。映画館で待ち合わせて、お互いに観たい映画が違ったから、別の映画観て、そのまま解散したらしくて。映画館前に集合、映画館内は別行動、映画館前で解散って、一緒に遊んだとは言わないよ。 お抹茶 でも映画を観に行くって約束して集合したんだから友達ですよ。ちなみに彼は『踊る大捜査線』観て、僕は『ハナミズキ』観ました。 森本 邦画と邦画っていうのも絶妙にズレてるんだよなぁ……(笑)。それにしても、お笑いを一緒にやるってけっこう重大な選択じゃないですか。人生を賭けるところあるから、「コイツじゃなきゃダメだ」って固いつながりがありそうなもんですけど……。 お抹茶 逆に親友だと、人生背負いすぎてて気が引けちゃうんですよ。その点、櫻田は末っ子だし、大学も一般入試じゃない。櫻田家の未来を少しも担ってない感じがしたので、ちょうどよかったんです。 ──櫻田さんは都合のいい男だった。 お抹茶 そうなっちゃいますねぇ。 ──櫻田さんは、お抹茶さんと芸人をやることを、ためらわなかったんですか。 櫻田 そうですね。彼は当時からお笑いに対するガッツがありましたから。お抹茶は『めちゃイケ』(フジテレビ)の新メンバーオーディションにも行ったんですよ。 お抹茶 それはひとりで行ってさんざんでしたけどね。待ち時間が12時間くらいあってくたびれちゃうし、本番ではネタ飛ぶしで、「めちゃイケメンバーにエールを送ります」と言って「フレーフレー!」だけやって帰りました。 櫻田 でもバイト先では、出征して帰ってきたみたいな感じで英雄でしたよ。「めちゃイケオーディションどうだった?」って話で持ちきりでしたから。 芸人の肩書がないと生きづらい森本 ──ふたりと養成所で出会った森本さんは、当時コンビのトンツカタンをどう見てましたか? 森本 すごい独特のコントするなぁと思ってましたね。みんながボケてツッコむスタイルでやっているなか、このふたりはボケっ放しでツッコミがなくて。おもしろいんだけど、わかりにくいからウケづらかったんですよ。そこで焦ったのか、お抹茶が無理してツッコみ出したんですけど、それがかなりストレスだったらしく。 お抹茶 ツッコミ向いてないですから……。 森本 やりたくないことをしないために芸人になったのに、性に合わないことばかりしてるから元気もなくなっちゃってて。 ちょうどその時期に、僕も当時組んでたコンビを解散したんですけど、お抹茶から「ツッコミとして入ってくれないかな」と誘われたんです。僕はもともとコンビで漫才がやりたかったんで、「トリオか……」と思いつつ、でもほかに組む相手もいないから、入れてもらいました。 お抹茶 森本と組めてほんと運がよかったです。彼はもともと大学お笑い出身なのもあって、養成所の中では“天才ツッコミ”だったんですよ。生徒はもちろん講師も一目置く存在で、養成所ライブをスキップして、『バカ爆走!』っていう事務所ライブに出そうかっていう話まであって。でも、結局彼が授業をサボっちゃってその話はなくなるんですけどね。 森本 そうなんですよ……。 お抹茶 とはいえ、やっぱり僕も「お笑い界を変えるのはこの男だ」と思ってましたよ。 森本 ウソつけ! ──お抹茶さんがまったくツッコミができない一方で、森本さんは、生まれながらのツッコミ気質だとインタビューなどで話されてますよね。 森本 そうですね。くりぃむしちゅーの上田(晋也)さんがピンでやってた『知ってる?24時。』(ニッポン放送)を中学生のときに聴いてて、「この人みたいになりたい」と思ったりしてました。 高校生までは中高一貫の男子校だったので、普段から友達にツッコんでも問題なかったんです。でも、大学でも「なんでだよ!」「うっせぇな!」とか言ってたら「なんでそんなに怒ってるの?」「怖いんだけど……」って人が離れていったんです。キャンパスライフもしばらくの間ひとりで過ごしてて、全然楽しくなかったですねぇ。今思うとあれが最初の挫折かもしれない。 ──大学お笑い出身とのことですが、いつサークルに入ったんですか? 森本 2年のときです。僕が入学した年にサークルはできてたんですけど、特に活動していなかったので1年のときは入ってなくて。でも、サークルに入ってからは、人にツッコんでも「さすがお笑いサークルだね」ってむしろ褒められる感じに変わったんです。 お笑いっていう名刺があれば、僕みたいなツッコまずにはいれない人間も、人は安心して接してくれるんだなって気づいて、改めて芸人になろうと思いました。僕が生きやすい世界にするためには、芸人という肩書が必要なんです。 初舞台は覚えてないです ──森本さんの初舞台はサークル時代になるんですね。 森本 そうですね。コント公演みたいなのが最初です。もう内容は覚えてないですけど、1時間半くらいかけて『流しそうめん部』とか『レジ打ちの神様』とか、いろんなコントをやりつづけて。 楽しかったんですけど、やっぱり思い描いていたお笑いとは違うなぁっていうのが正直な感想でした。ライブ後に「テレビのネタ番組みたいな感じで、各コンビがネタをするのはどう?」って提案しましたね。だから芸人としての初舞台って感じではないかもしれない。 櫻田 『巨人の村』はいつやったの? 森本 それはもうちょいあと(笑)。『巨人の村』っていうのは、僕の2個下の後輩の180センチの子と、30代で留学生のショーンさんっていう190センチ超の人とやったコントで。そのふたりがいる「巨人の村」に僕が取材に行く設定だったんですけど……。 今でもショーンさんとはSNSでつながってるんですけど、こないだ僕が『アメトーーク!』(テレビ朝日)でこの話をしたら、それ以降ショーンさんのアカウント名が「ショーン 巨人の村村長」に変わったんですよ。 ──森本さんがあれが芸人としての初舞台だったなと思うのはいつですか? 森本 うーん……。大学お笑いの大会もありましたけど、基本的にお客さんもお笑いサークルの人たちなんですよ。養成所ライブも、お笑い好きは来なくて、養成所生の友達ばっかりで、初舞台っぽくないですし……。 お抹茶 ほぼ身内だから、お客さんの笑い方も普通のライブと全然違うんですよね。 森本 そうそう。普段お笑い見てない人が来るから、とにかく元気でわかりやすいネタがウケるんです。当時は養成所ライブのランキングで一喜一憂してたけど、今思うとあれは芸人としての評価とはそこまで関係なかった。 自分の色を出したネタをやる人のほうが、プロになったときはウケるんですよ。今でこそ客観的に見れますけど、当時はそういうのもわかってなかったなぁ。……結局、初舞台って覚えてないですねぇ。 コンビ時代のトンツカタンは兵士だった ──櫻田さんとお抹茶さんの初舞台は、おふたりが組んでからになりますよね。 櫻田 いや、僕の初舞台は幼稚園のときで演劇をしたんですけど……。 森本 さかのぼりすぎだな! お笑いの初舞台だから。 櫻田 宿屋の主人役をさせてもらって。 森本 続けるのねぇ。 櫻田 「もう泊まれないよ」みたいなセリフでしたね。 森本 なんで満室なんだよ。 ──櫻田さんはそのとき人前で表現をするのが好きだなと気づいたとか? 森本 無理して広げなくてもいいですよ。 櫻田 でも……緊張してたのかなぁ。ちょっと覚えてないですね。 森本 そりゃそうだろ。 ──その後も人前で発表したりパフォーマンスしたりする子供時代でしたか? 櫻田 普通の人よりは、やってたほうですね。中学生のときは学年集会で、サッカー部の人とお笑いっぽいことをしました。高校では生徒会長だったんですけど、毎回の挨拶では笑わせてやろうと思ってましたね。人前で何かすることへの抵抗はなかったです。 ──今の寡黙な雰囲気からは想像できないくらいサービス精神があるというか。 櫻田 意外とそうですねぇ。あと、生徒会長のときに、文化祭でいきなり坊主にしてみんなの前に出て笑いを取ったんですが、実はお抹茶もそれと同じことを高校生のときにしたらしくて。 お抹茶 そうですね。僕は野球部だったんでもともと坊主だったんですけど、さらに短い5厘カットにするという気づかれにくいボケをしました……。 櫻田 「坊主はおもしろい」という感性が、お抹茶と僕で一致してるんですよね。 お抹茶 だから一緒に芸人になったのかもしれない。……あれ、なんの話だっけ?(笑) ──初舞台の話でした。ふたりのトンツカタンの初舞台は覚えてますか? お抹茶 初舞台は『キングオブコント』が先なのかな……。でもその前に出たテレビ番組『芸人たまご ~人力舎的お笑い芸人の育て方!?~』(フジテレビONE)が初めてかもしれないです。人力舎の先輩が講師として来て、そこでネタ見せして、合格したら出演できるという。 ──最初がテレビだったんですね。 お抹茶 はい。それこそ森本のコンビも出てて。そのあとキングオブコントがあって、養成所ライブだったと思いますね。 ──キングオブコントはどんなネタでしたか? お抹茶 アメリカ軍のネタじゃないっけ? 櫻田が考えたやつ。 櫻田 あぁ。アメリカ軍に自分の母親が殺されるってネタで……。 森本 そんなネタ受かるかぁ! 櫻田 息子役のお抹茶が会話の中で英語を使うたびに、父親役の僕が仏壇の前で「ごめんなさい」って手を合わせるという……。 お抹茶 あれ、それだっけ……? 『アメリカ軍』のネタ2個あるな……。 櫻田 そうだった。 お抹茶 アメリカ軍の格好でランニングしながら「アイ・アム・ナンバーワン!」って言うネタ。櫻田が教官役で……。 ──『フルメタル・ジャケット』みたいな。 お抹茶 いい感じで言うとそういうことですね(笑)。でも全然ウケなくて、とにかく緊張したのはなんとなく覚えてます。初めてだったので基本に忠実にとにかく大きな声を出すことだけを意識して。 森本 大きな声出すだけじゃ、軍人のシゴキなのよ。 お抹茶 教官の指示にとにかく従い、音が鳴ったらすぐ退散っていうコントでした。 森本 ひとりの兵士としてキングオブコントに挑んだんだね。 トンツカタン 森本晋太郎(もりもと・しんたろう、1990年1月9日、東京都出身)、お抹茶(おまっちゃ、1989年9月26日、埼玉県出身)、櫻田 佑(さくらだ・たすく、1989年9月4日、秋田県出身)のトリオ。2012年に結成。2016年、『第7回お笑いハーベスト大賞』優勝。『キングオブコント2021』では、5大会ぶりに準決勝進出。「聞くトンツカタン」(ラジオアプリGERA)は毎週日曜20時に配信中。『トンツカタンOfficial YouTube Channel』でネタ動画を随時アップする。 2022年1月7日(金)、東京・北沢タウンホールで新ネタライブ『新年のトンツカタン』を開催。会場チケットはLivePocketにて、配信チケットはZAIKOにて販売中。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 トンツカタンの向き合い方「各々のがんばりで未来とチャンスつかむ」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#9(後編)
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舞台で狂うために、常識人でいる。怪奇!YesどんぐりRPGのこれから|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#8(後編)
Yes!アキト、どんぐりたけし、サツマカワRPG。それぞれピン芸人として活躍する3人が『M-1』に出場するために結成したユニットが「怪奇!YesどんぐりRPG」。 前編では、怪奇!としての初舞台やその後の活動について聞いた。 後編では、3人それぞれの初舞台、彼らの出会い、そして3人の絶妙な距離感の秘訣について話してくれた。 【インタビュー前編】 即席ユニットでも、初M-1で“ボコウケ”怪奇!YesどんぐりRPGの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#8(前編) 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次札幌の街でギャグを売っていたアキトお笑いオタクのサツマカワ「オンバトの点数は全部覚えてる」「ちょっと紹介したいギャガーいるんだけど」ステージで狂うために、常識人でいる【後編アザーカット】 札幌の街でギャグを売っていたアキト Yes!アキト ──後編では、3人それぞれの初舞台について教えてください。アキトさんは、地元の札幌で活動されてたとか。 アキト そうですね。高校生のころは、路上でギャグやってましたよ。僕、高校に5年通ってたんですけど……。 ──5年はちょっと長いですね。 アキト 進学校に入っちゃったら授業についていけなくなったんですよね。授業がダルくて通わなくなり、高1を3年やってから、通信制に編入して。そこはストレートに卒業して、大学に行ったんです。 その通信に通ってるときですね。お金欲しいけどバイトは面倒だなと。そういえば俺にはギャグあるなと思い出して、路上でギャグを1個50円で売り始めたのが、初舞台です。 サツマカワ マッチ売り少女ならぬ、ギャグ売りのアキト。野良ギャガー。 ──「俺にはギャグある!」とは? アキト 中学のときからギャグを作って仲間内で見せてたんですよ。お笑いはずっと好きだったんで、そういうことしてましたねぇ。 ──ちなみに1日の稼ぎってどれくらいになるんですか。 アキト これがですね、売れる日は1日7千円とかもらえるんですよ。 たけし すげぇ! アキト 気前のいい人は千円くれたりするんで、一気に跳ねるんです。ギャグ売りを続けてるうちに、「本気でお笑いやってみるか」と思い、大学生のときに札幌吉本のオーディションを受けました。だから、大学生のときは学校に行きながら事務所ライブも出てましたね。 ──上京は卒業後ですか? アキト そうですね。札幌で半年間お金貯めて、事務所辞めて、東京に来ました。それが2015年末ですね。東京の初舞台は下北GRIP(下北沢)でした。 ──札幌の路上で鍛えたギャグは通用しましたか。 アキト いや、全然通用しなかったですねぇ。手応えもないし。 サツマカワ たしかにお客さんにはウケてなかったけど、アキトは最初からすごかったよ。 僕が当時、下北GRIPにレギュラーで出てて、楽屋で「なんかヤバいギャガーが急に現れたぞ」ってざわつきましたから(笑)。普段は楽屋でぼんやりしてる芸人たちが、アキトのときはみんな裏まで観に行ってましたからね。それがアキトとの出会いです。 アキト 芸人に認めてもらえたおかげで、東京で折れずに続けられたんだよな。 ──逆に、アキトさんはサツマカワさんの第一印象覚えてますか? アキト 暗い人だなぁ……って(苦笑)。でも、北海道にいたときから、YouTubeでネタは観てて、サツマカワのことは知ってたんですよ。会う前から、若手の勢いある人だって認識してました。 当時はほんと暗くて、衣装もトレーナー。ステージにぼうっと出てきて「ショートコント……」ってつぶやく感じでした。 サツマカワ いかにも「センスありますよっ!」って雰囲気を出したかったんですよね。 お笑いオタクのサツマカワ「オンバトの点数は全部覚えてる」 サツマカワRPG サツマカワ 僕の初舞台は、1991年の1月の山梨でした。生まれた瞬間、へその緒がおもしろく絡みついて、お母さんと医療関係者が笑ってくれて。 たけし 分娩台が初ステージ(笑)。 ──当時の心境はいかがでしたか? サツマカワ 当時の心境って……「おぎゃぁ!」ですよ。 ──明確に物心ついてからの初舞台についても教えてください。 サツマカワ ……大学1年生ですね。嘘ついてすみません。 たけし わははは(笑)。 ──分娩台から時間がかなり飛びました。ひょうきんな子供ではなかった? サツマカワ そうですね、子供のころは思い出したくないくらいイジメられてたんで(笑)。めちゃくちゃ太ってて、小学校の3〜4年生のときは、「サツカワ菌だ〜」ってベタなイジメ受けてましたよ。 ──今はむしろ細身ですよね。 サツマカワ 高校デビューしたくて、炭水化物抜きダイエットをめちゃめちゃがんばりまして。その甲斐あって痩せた状態で入学できたんですが、高校は普通にあんまりおもしろくなかったです。先生と仲いいタイプの優等生で、成績もオール5でしたよ。でも、テストはあまり得意じゃなかったんで、指定校推薦で明治大学行きましたねぇ。 ──お笑いを好きになったのは? サツマカワ 中1くらいからですかね。『爆笑オンエアバトル』(NHK)がめちゃめちゃ好きでした。お笑いオタクだったんで、全部成績覚えてますよ。 ──ザ・マミィの酒井(貴士)さんも点数を全部記録してたと言ってました。 サツマカワ 復活した『オンバト』でザ・マミィが533キロバトル取ったのも知ってますよ(笑)。 サツマカワ 当時は三拍子さんがすごい好きでした、この取材がまさにサンミュージックなんでドキドキしてます。あと、ハマカーンさんとかタイムマシーン3号さんとかですね。 売れまくってる人より、オンバトに出てる勢いある若手のほうが好きだったんですよね。「俺しか知らないコアな笑い」みたいな気分で見てるめんどくさいファンでした。 ──アキトさんのようにギャグを作ったりネタ書いたりしましたか? サツマカワ お笑いファンだったので、自分でやることはなかったですね。でも、高校でイジメからイジられに昇格したときは、教室で『イロモネア』ごっこをやらせてもらったりしてましたね。やらされ組が3人くらいいて、クリアできないと肩パンされたりして。 たけし あはははは(笑)。 サツマカワ 教室イロモネアも、サイレントまでクリアしたら「すげぇじゃん!」って言ってもらえるんです。学園祭では漫才もやりましたね。もしかしたらあれが初舞台かもしれないです。あれがめちゃめちゃウケたんですよ。楽しかったなぁ。 ──どんなネタやられたんですか? サツマカワ 言わない言わない! たけし なんだなんだぁ!? サツマカワ いや、それこそオンバト出てた人たちのパクリみたいなことですよ。ほかの人はそんな深夜のネタ番組知らないからバレないじゃないですか(笑)。 それで高3のとき、大学にはお笑いサークルってものがあるらしいぞと知って、明治大学でサークルに入りました。当時はまだプロになりたいとかは思ってなかったんですが、なぜか「コイツは天才だ……」って高評価もらいまして。 ワタナベエンターテインメントが大学生の素人向けに開いてる大会『笑樂祭』に力試しで出たら大学2年のときに準優勝させてもらいました。 ──4年生までいるなかで、2年生にして準優勝はすごいですね。そのとき優勝したコンビ・ダージリンのひとりが、現サスペンダーズの依藤たかゆきさん。 サツマカワ そうです。でも、ダージリンは優勝特典のワタナベコメディスクール無料入学を蹴ってましたね。僕も声かけてもらったんで、プロになるかどうかはともかく、せっかくのチャンスだし、入ったんです。 そのまま養成所からワタナベエンターテインメントに本所属になれたんで、これなら通用するのかなと思ったんですが、1年で辞めることになり(笑)。3〜4年フリーでやってたときに、アキトと出会いました。 「ちょっと紹介したいギャガーいるんだけど」 どんぐりたけし ──サツマカワさんとアキトさんの下積み時代の話に、どんぐりたけしさんは出てこなかったですね。 サツマカワ そうか。どんぐりはフリー期間ないもんね。 たけし そうですね。東京アナウンス学院にある養成所入って、そのままケイダッシュステージさんにお世話になりました。遡ると、僕の初舞台は高2の『ハイスクールマンザイ』です。同級生と「ATM」ってコンビを組んでました。 サツマカワ ATMってどういう意味だっけ? たけし 相方の青木の「A」と、たけしの「T」プラス漫才の「M」でATMです。 アキト 漫才のMだったんだ(笑)。 たけし ATMの漫才のツカミまだ覚えてますよ。「僕らATMと言いますけどね。ATMのA!『あそこの』。T!『田んぼは』。M!『マジで臭い』」「違うだろ! 『青木』『たけし』『漫才』でATMだろ!」でした。 サツマカワ 最高じゃん(笑)。 たけし 茨城県だったんで、「田んぼが臭い」ってあるあるだったからそこそこウケたんですよ。 『ハイスクールマンザイ』は当時全国のイオンで予選やってて、買い物ついでのお客さんが観にくる感じだったんですけど、めちゃくちゃ緊張しましたね。2年生のころ初めて出たときは、えずきまくって、覚えてないほど緊張しました。レギュラーさんがMCやってましたねぇ。 ──ネタは覚えてますか? たけし ヤンキーがどうのこうのみたいな……。1個だけ覚えてるボケは、「ちょっと俺のバイクのうしろ乗れ!」って言われたヤツが、めちゃくちゃ離れたところに座るやつですね。「そんな長いバイクねえだろ!」ってツッコんで……。 アキト おもろいじゃん……。 たけし 高3でも挑戦したときは、千葉とか埼玉のイオンまで行って何回もチャレンジしました。『ハイスクールマンザイ』って、同じ関東エリアだったら、いろんなイオンの予選にエントリーできたんですよ。たしか水戸のイオンで優勝して、関東大会で負けちゃいましたね。 日程・結果ーAEONハイスクールマンザイ2010 たけし それで「俺たちもっと上目指せそうだから続けようぜ」ってことで、相方が探してきた養成所、東京アナウンス学院に行きました。でも、相方は1カ月で辞めちゃって(笑)。 ──それからずっとピンですか? たけし いや、小河っていう巨漢と「ゴブリンマジック」っていうコンビを組みました。そいつは、プロ野球選手のカブレラと身長体重が同じだって自分で言ってましたね。 東京アナウンス学院は専門学校なんですけど、2年に上がるとき、小河が辞めちゃって、そこからピン芸人です。僕もアキトさんと同じで、中2くらいから趣味程度にギャグ作ってたんで、ひとりでもできるかなと思ったんですよ。 養成所在学中のオーディションで、ケイダッシュステージさんに拾ってもらいました。それが2013年ですね。 ──サツマカワさんとアキトさんとの出会いは覚えてますか? たけし いつだっけな……。 アキト 俺は覚えてますよ。ファミレスでギャグ芸人仲間と一緒にギャグ作ってたとき、「ちょっと紹介したいギャガーいるんだけど」って言われて、現れた男が「どんぐりたけしです」と。 サツマカワ ファミレスでギャグ作る気持ち悪い集まりに、さらに変なギャガーがやってきたんだ(笑)。ちなみに、ふたりをつないでくれたギャガーは誰? アキト それがあの、「鼻矢印永井」さんなんですよ! サツマカワ 読んでる人誰も知らないよ! ──みんなギャグで引き寄せられたんですね。 たけし そうなんですよ。 サツマカワ ギャグでつながってますねぇ。でも、これだけは言っておきたいんですが、僕はギャガーではないんですよ。よく誤解されるんですけど、ピンのときはショートコント中心でやってて。だから、ショートコンターです。まぁ、ギャガーって言ったほうがいいときは、そう名乗ってますけど(笑)。 アキト どんぐりとサツマカワの話を聞いて、俺も初舞台のネタ思い出しました。最初はギャグじゃなくて、『マージャンマン』っていうコントでした。 サツマカワ マージャンマン? アキト これ僕が考えた架空の怪人なんですけど、体のいたるところに麻雀パイをつけたマージャンマンが、麻雀の役を1個ずつ紹介していくネタで。足元の白いソックスには赤丸をつけてて、点棒を模してましたね……。 ──ウケましたか? アキト ウケるわけないじゃないですか! 奇妙な格好でただただ役を紹介するだけですよ。「九蓮宝燈はこういう役で〜」って説明したら、お客さんは「へぇ〜」って顔してましたよ。 ステージで狂うために、常識人でいる ──3人とも個人の仕事も忙しくなるなかで、すれ違ったりケンカしたりしませんか? アキト 全然ないですね。 サツマカワ こう見えても3人とも常識人なんですよ(笑)。怪奇!の活動は、僕がいろいろ方針を考えてふたりに頼むかたちなんですけど、ふたりとも「これは違うな」と思ったときは、はっきり言ってくれるというか、話し合いがちゃんとできるんですよ。 芸人ってやっぱり不まじめな人が多いけど、このふたりはまともなので、そこがすごくありがたいですね。 アキト 不満らしい不満もないんですけど、仕事観の違いでズレることはありますよ。僕、休みの日に例外的に仕事とかネタ合わせを入れられるのが苦手なんで。「休日は絶対に休むの!」って頑なに思ってるところがあって。 たけし たしかにそういうところありますね(笑)。 サツマカワ でもアキトは感情的に「俺は休むんだよっ!」って怒るんじゃなくて、「ちょっと休みたいんだけど……」ってまろやかに言ってくれる。そうすると「じゃあ別の日にやろっか」って円滑に話せるんです。 ──舞台上ではあんなに狂気的なネタをする3人が、普段は常識人というギャップがいいですね。 サツマカワ ふざけたネタをするからこそ、まじめじゃないといけないんですよね。普段も狂ってたら、誰も相手にしてくれないじゃないですか(笑)。 でもやっぱり最近みんな忙しくなってきて、3人で会って合わせるみたいなことが難しくはなってきました。でも、売れるってことはそういうことなんで、割り切ってますね。 ──3人がもっと売れっ子になって、年末特番や賞レースなど特別な舞台でしか見られないユニットになる未来もおもしろそうです。 サツマカワ いいですねぇ。でも、最終的には「俺が一番売れてやる! 俺だけ売れてやる!」って対抗心も強いんですよ。 アキト コイツらには、負けたくないですからね! たけし いやいや、そこは仲よくいきましょうよ!(笑) アキト お前はとにかく早くバイトを辞めろよ! 怪奇!YesどんぐりRPG Yes!アキト(サンミュージック所属)、どんぐりたけし)、サツマカワRPG(ともにケイダッシュステージ所属)によるユニット。2018年、『M-1グランプリ』に出場するため結成。2018年から2020年まで3回戦敗退だったが、2021年は準々決勝に進出。今年10月『怪奇!YesどんぐりRPGのラジオばあちゃんの踊り場の間ん家のうさぎ』(ラジオ関西、金曜 20時45分〜21時)で初レギュラー番組を獲得。YouTubeチャンネルは『怪奇!YesどんぐりRPG』。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 「あれ、これイケんじゃね?」手応えを掴んだトム・ブラウンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#12(前編) サスペンダーズの初舞台は、文字どおり“毒だらけ”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(前編) かが屋「これじゃ終われない」2万円と自信を失った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#1(前編) 芸人でしか生きられない男と、奇妙なふたり トンツカタンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#9(前編) 板橋ハウス、ルームシェアのきっかけは「お笑いが足りてなかったから」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#14(前編)
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即席ユニットでも、初M-1で“ボコウケ”怪奇!YesどんぐりRPGの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#8(前編)
Yes!アキト、どんぐりたけし、サツマカワRPG。それぞれピン芸人として活躍する3人が『M-1』に出場するために結成したユニット。それが「怪奇!YesどんぐりRPG」だ。 わずかひと晩で生まれた『プレイヤーチェンジ』、どんぐりたけしのネタをリサイクルした『ムール貝』。彼らの代名詞となる“漫才システム”は、遊びながら生まれたという。 軽やかに、楽しみながら、お笑いの世界を刷新していく若き三銃士に、その初舞台を聞いた。 若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage> 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次どんぐりたけしは、怪奇!のスタイリスト遊んでいたらできた『プレイヤーチェンジ』、どんぐりがスベった『ムール貝』『プレイヤーチェンジ』はめちゃくちゃバズると思ってたネタは四六時中考えている【前編アザーカット】 どんぐりたけしは、怪奇!のスタイリスト 左から:どんぐりたけし、サツマカワRPG、Yes!アキト ──今日はなぜ衣装ではなく、私服で撮影に臨んでくれたんですか? たけし なんでだろう……。 サツマカワ いや、編集者さんの指定ですよ! やめてくださいよ、こっちが私服で行かせてくださいって言ったみたいじゃないですか! どんぐりも「なんでだろう…」じゃないんだよ(笑)。 ──そうだったんですね! 大変失礼しました……。 アキト 怪奇!が急にエゴ出したと思われてたんですか? サツマカワ そうだったら、めちゃめちゃ痛いヤツらじゃないですか(笑)。 ──でも、3人ともすごくオシャレですよね。 サツマカワ オシャレなんだとしたら、どんぐりのおかげですね。YouTubeでもどんぐりにコーディネートを教えてもらう企画やりましたもん。 僕、オシャレがまったくわかんなくて。この「つらいけどサンバ」っていうTシャツも、『歯のマンガ』のグッズなんですけど、マンガが好きで100着くらい買ったんですよ。オシャレわかんないなりに、いつも同じTシャツ着てればこだわりあるっぽく見せられるかなと思いまして……。 アキト 俺も服はどんぐりたけしに教えてもらってます。一度クレジットカード渡して、全身コーディネートお願いしたことありますよ。 たけし あれは楽しかったなぁ! 値段気にしなくていいですもん! サツマカワ スタイリスト的な仕事もできそうだよね。でも、どんぐりたけしは服代稼ぐために、いまだにバイト3つ掛け持ちしてるんですよ……。 たけし そうですね。朝は6時〜10時でお弁当屋、10時半〜14時はラーメン屋、午後空いてる日は学童保育入ってます。 アキト 芸人なんてラクなバイトを好んでやる生き物なのに、ラーメン屋で昼働くヤツなんて、ほかにいないですよ。 たけし あはははは(笑)。阿佐ヶ谷の「一笑」っていうめちゃくちゃ人気店なんで、やりがいがあるんですよね! 最近ようやく、麺を茹でさせてもらえるようになりました。 アキト 辞める気持ちになってくれよ。 たけし バイト代はまるごと服代につぎ込むんで、芸人の仕事で食えてないわけじゃないんですよ。でもまあもっと売れても、バイトは辞めたくないかもしれない……。 サツマカワ こいつはバイトが好きなんですよ。 たけし なんかわかんないけど、好きなんですよ(笑)。 アキト すみません! 初舞台のインタビューだって聞いてきたんですけど、今日こんな感じで大丈夫ですか? 遊んでいたらできた『プレイヤーチェンジ』、どんぐりがスベった『ムール貝』 ──では、気を取り直して……。「怪奇!YesどんぐりRPG」は、普段ピン芸人の3人によるユニットですが、結成のきっかけを教えてください。 サツマカワ M-1に出るために、僕がふたりを誘いました。2018年なので、なんだかんだ4年目ですね。こんなにがっつり活動するとは思ってなかったです。 アキト さらっと始めた感じだったのに、まさかM-1の挑戦が4回目になるなんて……。 サツマカワ 僕がもともとM-1で決勝に行きたい願望が強かったんですよね。アキトとどんぐりと組む前は、吉本の先輩芸人のTEAM近藤さんと、TEAMサツマカワっていうコンビでチャレンジしてました。 2015年から2017年まで出てたんですけど、2018年に急に近藤さんが出られなくなって。それで当時僕がハマってたアキトとどんぐりを誘って、「怪奇!」を組みました。 個人的には、「TEAMサツマカワ」ってM-1ファンにはそれなりに認知されてる感覚があったので、「あの片割れのサツマカワが、知らないふたり連れてきたぞ!」ってざわつかせられたらいいな、という打算もありましたね。 たけし 組む前から3人で『ミルク工房うし』っていうライブもやってましたよね。杉並区立産業商工会館の和室でした。 アキト あったねぇ。 ──3人でのネタ作りって最初のころはどうしてたんですか? サツマカワ 3人で集まって遊びながらです。「ちょっと、どんぐりここ立ってみて」「じゃあ俺ここ立つわ」「おお! いけそういけそう」ってやってたら「プレイヤーチェンジ、プレイヤーチェンジ」ってなって「これこれこれ!」みたいなね(笑)。 たけし ほんとにそう(笑)。 サツマカワ 案は次々に出してて、縦一列になってギャグやるとか、椅子に座りながらやるかとか、いろいろやりましたけど、結局ひと晩であの『プレイヤーチェンジ』が形になって。 アキト たしかに早かった。 ──『プレイヤーチェンジ』を作って、そのあとネタ合わせはするんですか? 怪奇! ネタ合わせ……? ──こういうギャグの流れでいこう的なのは……? サツマカワ いや、基本は完全にアドリブ……。 アキト&たけし ……。 サツマカワ すみません、嘘です。めっちゃ合わせてます。 アキト まじめに話すと、結局ネタによりますね。途中でやる個人のネタは知らないことも多いです。 たけし 要所だけ決めて「あとはテキトーに」みたいな。本番で「これ出してきたか!」って思うことは、よくあります。 サツマカワ テレビ出させてもらう機会が増えて、事前にネタ動画を提出することがあるんですけど、そういうときは困ります。「あの番組のネタ見せは、どのネタやったんだっけ?」って忘れちゃうとか。 ──『ムール貝』は、どんぐりさんのピンネタだったんですよね? たけし そうです。お客さんには全然ウケないのに、芸人さんにおもしろがってもらえて。 サツマカワ 僕とアキトはうしろで観てて、腹抱えて笑ってましたよ。全然ウケてないのも含めておもしろかった(笑)。「あのネタめっちゃいいね」って言ったら、どんぐりが「じゃあ3人でやってみます?」って言ってくれて。 たけし ひとりじゃうまく消化できなかったあのネタも、3人でやってみたらなんか形になったんですよね。 サツマカワ あのネタでも結局M-1落ちたのは悔しかったですよ。 ──今年はすでに3回戦まで行っていますが、新たなネタはどうですか?(※取材は10月中旬に行った) サツマカワ 実は今年衣装をそろえてるんですよ! 3回出て、何が審査員の方のNGになってたのか精いっぱい考えた結果、とりあえず衣装をそろえようと。 たけし 今までのバラバラな感じじゃなくて、統一感を少しでも出そうと。 サツマカワ あと、個人のギャグは封印して、ちゃんと漫才っぽいというか……むちゃくちゃはやるんですけど、ギャグではないものを見せるつもりです。 『プレイヤーチェンジ』はめちゃくちゃバズると思ってた ──怪奇!としての初舞台っていつになるんでしょうか? サツマカワ 2018年のM-1の1回戦前に出た『M-1未対策ライブ』ですね。 たけし 懐かしい……。 サツマカワ シャラ~ぺが主催のライブです。 たけし 今何やってんのかな、シャラ~ぺ。 アキト 福岡でウーバーイーツしてるらしいよ。 サツマカワ 東京がイヤんなっちゃってね(笑)。 ──手応えありましたか? サツマカワ ほんとにボコウケして、こりゃいけるぞってなりましたよ。M-1も3回戦まで行って、そこでも全組中一番ウケたんですよ。 アキト あれはウケたなぁ。 たけし まわりの芸人さんにもめちゃくちゃ褒めてもらったのに……。 サツマカワ なぜか落ちちゃって。やっぱり漫才じゃないと思われたんですかね。 アキト 初舞台ですからね、僕らも漫才があんまよくわかってなかったんですよ。マイクの前でしゃべればなんでも漫才じゃないか!って思ってましたね。 ──漫才がわからないなんて絶対ウソじゃないですか(笑)。その手応えがあったから、続けていくことになった。 サツマカワ 手応えもそうですけど、GYAO!にアップされた3回戦の動画を観たテレビスタッフの方々が、番組に呼んでくださったのが大きかったですね。それから呼ばれた番組は全部出させてもらうのを続けてたら3年経ちました。 アキト 3回戦の動画が上がって1カ月経たないくらいでオファーが来たんだよな。 サツマカワ テレビ観てくれた人がYouTubeのチャンネル登録してくれる流れもできて。TikTokとInstagramも、YouTubeと同じ日に始めてますね。 アキト 高画質でネタ撮ろうってことで、かが屋の加賀翔に頼んで、真冬の河原でネタやって撮ってもらいましたね。 サツマカワ お笑い好きじゃない人に、ネタ動画観てもらいたくても、劇場の定点の汚い画質のヤツだと無理なんですよ。 自分たちでも、『プレイヤーチェンジ』はめちゃくちゃバズる可能性のあるネタだと思ってたので、お笑いファンより遠くに届けようと考えたとき、河原でいい画質で撮ろうかって(笑)。 ──ネタの届け方を、戦略的に考えていたんですね。 アキト あの動画がすごく伸びたんですけど、当時は僕のアカウントだったので、お金が全部僕に入っちゃうなぁっていううしろめたさがありましたね……。 サツマカワ そこで3人のチャンネル作らないとまずいなと思い、怪奇!のチャンネルを作りました(笑)。 ネタは四六時中考えている ──ギャグを専門にする芸人を“ギャガー”と呼ぶのも浸透しました。ひと昔前なら、“一発屋”と呼ばれたタイプの芸人が、ギャガーとして尊重されてる空気を感じます。 サツマカワ ギャガーにそんな流れありますか? たけし いや、僕わかるなぁ。一発ギャグってスベリ笑いありきみたいな空気ってあるじゃないですか。罰ゲームに一発ギャグやらせてスベらせて笑うとか。でも、最近はギャグもお笑いの武器のひとつとして、しっかり認知されてきた実感があります。 アキト コロナに入ってから、ひとりでなんかやれる人が使ってもらいやすいっていうのは感じますね。笑いがひとりで完結できるから、リモート収録やソーシャルディスタンス保った収録でも使いやすかったんだと思います。 ──3人とも怪奇!での活躍はもちろんのこと、ピンとしてもネタ番組やライブに出つつ、単独ライブも精力的で、ほんとストイックです。 アキト サツマカワは急に新ネタ100個下ろすライブやるし、どんぐりも月3回新ギャグ45個下ろすライブやってるよね。 ──ギャグを作らずにはいられない。 アキト そうですね。なんなら今もしゃべりながら考えてますからね。 サツマカワ 左脳でしゃべって右脳はずっとネタ考えてる。 アキト そういう感覚だよね。 たけし 怖いよ! アキト でも、どんぐりもバイト中にネタ考えたりするでしょ。それと同じよ。 たけし たしかにそうですね(笑)。 怪奇!YesどんぐりRPG Yes!アキト(サンミュージック所属)、どんぐりたけし、サツマカワRPG(ともにケイダッシュステージ所属)によるユニット。2018年、『M-1グランプリ』に出場するため結成。2018年から2020年まで3回戦敗退だったが、2021年は準々決勝に進出。今年10月『怪奇!YesどんぐりRPGのラジオばあちゃんの踊り場の間ん家のうさぎ』(ラジオ関西、金曜20時45分〜21時)で初レギュラー番組を獲得。YouTubeチャンネルは『怪奇!YesどんぐりRPG』。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 舞台で狂うために、常識人でいる。怪奇!YesどんぐりRPGのこれから|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#8(後編)
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サスペンダーズ「お笑いはズボンのチャックを閉めない人間も包み込む」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(後編)
独自の世界観で、情けなくて、毒っ気のある人間臭いコントを次々と生み出すサスペンダーズ。 前編では、彼らの信じるお笑いを突き進む上で重要だったサークル時代の話や、マセキ芸能社の社風について聞いた。 そして後編では、売れないことへの焦り、ネタの転換期、今後のコント界の展望、そしてサスペンダーズの目指す地平について話してくれた。 【インタビュー前編】 サスペンダーズの初舞台は、文字どおり“毒だらけ”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(前編) 「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次後輩の活躍に焦る素の自分を投影して、コントが変わった正しくない、異常な人間たちのやりとりコントブームの終焉が怖いお笑いは、僕のダメなところも包みこむ【後編アザーカット】 後輩の活躍に焦る 依藤たかゆき ──前編では、サスペンダーズの毒っ気のあるネタが、お笑いサークルやマセキ芸能社の風土の中で育まれたという話を伺いました。 一方で、その独自の路線は、大衆に愛されるポップさとは真逆なので、売れるまで時間がかかりますよね。 依藤 そうですね。たしかに売れたいと思い始めてから、毒のあるトガったネタは少しずつ減らしてきました。 古川 そのままの路線で続けていっても先がないというか……。どう売れていくか明確なビジョンがないまま、ただただダークでおもしろいネタを突き詰めて、目先のライブでウケることばかり考えていましたね。 でも同世代の芸人や、同じ事務所のかが屋とかパーパーっていう後輩が活躍し始めて、このままじゃさすがに厳しいなと思って……。 ──後輩が躍進して初めて、焦りを覚え始めた。 依藤 ほんとそうっすねぇ。同世代や後輩の活躍を見て「この世代でもちゃんと売れるんだ!」と気づかされて、めっちゃ焦りました。 ──お笑い一本でご飯が食べていけないつらさや、成り上がりたいみたいな野望は薄かったんでしょうか? ひたすらに自分たちのお笑いを追求するのみというか……。 依藤 いや、ずっと成り上がりたいとは思ってますよ(笑)。でも……。 古川 そういう野望には現実味がなかったです。売れてない芸人たちと一緒にライブやってたら、当然みんなおもしろいし盛り上がりますしお金はないけど楽しいから、つらい感覚がどんどん麻痺していったんでしょうね……。 僕らは大きくくくると第七世代になると思うんですけど、その世代がネタ番組にどんどん出ていくなかで現実を突きつけられました。ちょうど、僕も依藤も30歳に差しかかるころで、本格的に何かを変えなきゃという焦りが大きくなってました。 素の自分を投影して、コントが変わった 古川彰悟 ──マセキのYouTubeチャンネルに上がっているサスペンダーズのネタ動画の再生リストを通して観たのですが、ネタのテイストが明らかに変わるタイミングがありました。具体的には、2019年4月の『サークルクラッシャー』です。ここで今のサスペンダーズのスタイルにかなり近づいたのかなと。 古川 そうですね。その時期にネタ合わせで依藤から「一回いろいろ考え直してやってみないか」と言われて。 依藤 一回話し合って、今までやってこなかったこと全部やってみようって提案したんですよ。自分たちのやりたくないネタや、サスペンダーズには合わないと思ってたことも、とりあえず一回全部やってみる。 そうやっていろいろグチャグチャやっていく中で、普段の古川をネタに取り入れたら、反応がよかったんですよね。古川の挙動不審な仕草だったり、やたらと焦るところ、人目を気にしすぎる感じを、コントのキャラに反映したらウケた。そういう手応えを受けて、作ったのが『サークルクラッシャー』でした。 古川 ネタに僕の実体験を取り入れたり、素の僕に近いキャラクターを演じたら、ハマったんで。キャラクターを演じ分ける演技力がないことも自覚していたので、素の自分を出すようになってから、だいぶやりやすくなりました。 ──『サークルクラッシャー』や『復讐のバーベキュー』あたりは、ウケすぎておふたりの声が聞こえないほどでした。あんなにウケたのは、初めてでしたか? 依藤 そうですね。それこそ舞台裏で観てた先輩も「『キングオブコント』の決勝も狙えるね」って言ってくれたりして。 古川 それまでも別にスベり続けたわけじゃないんですけど、あそこから反応が確実に1段階、2段階上がったというか。この方向性で進化させればいいという希望の光が見えた気がしましたね。 ──ライブ動画を過去から順に観ていくと、『サークルクラッシャー』で劇的に変化するので、感動的ですらありました。 依藤 あっはっは(笑)。たしかに、動画で振り返ると、あの1カ月で一気に変わったように見えますよね。でも、ずっと水面下で試行錯誤はしてて。うちのマネージャーさんが、小手先を変えただけのネタを見せると怒るんで、事務所ライブでは今までどおりにやりつつ、外のライブでいろいろ試してたんです。 繰り返し練って「これなら間違いない」と思って満を持して事務所ライブに持っていったんですよ。 正しくない、異常な人間たちのやりとり ──依藤さんは、バイきんぐ小峠(英二)さんのツッコミに憧れているというお話を聞いたことがあるんですけど。 依藤 そうですね。ああいう強いツッコミにすごく憧れがありましたね。 ──でも、古川さんの人柄がコントに出てきたのを境に、依藤さんのツッコミはやや控えめになったように思います。自分のやりたい芸風を変えることに、葛藤はありましたか? 依藤 いや、むしろしっくりきてます。どっちかっていうと、よりよいやり方を見つけたなと思いました。 たぶん、根の部分で僕は小峠さんタイプじゃないんですよね。コントでは小峠さんみたいにツッコむんだけど、平場ではうまくできなかった。マネージャーさんと話してても「コントで大きい声で、キレよくツッコむキャラクターを演じてるんだから、平場でもガンガンツッコまきゃダメだよ」ってことはずっと言われてて。 でも、やっぱりできなかったんですよね。今はコント中と平場での差がそこまでないので、芸人としても、いい状態だと思います。 古川 でも、ここ最近のネタはさらに展開が加わって、依藤のツッコミでうねるようにまた変化してきてるんですよ。ツッコミというより、僕と依藤が大声で言い合いしてる感じですけど。 一時期は、僕だけが変人で、自意識や焦燥に駆られて暴走するみたいなネタが増えたんです。でも、お互いがお互いを異常だと思って、ドロ沼にハマっていく……みたいなネタに少しずつ変わってきてます。 依藤 古川だけじゃなくて、僕にもまた変な部分や隙があったりするから。 古川 キングオブコントの敗退などを経て、ふたりで話していくなかで、僕も依藤もお互いを異常なヤツだと認識してるコントを作るようになりました。 ──たしかに10月にスタートした6カ月連続のツーマンライブ『二掛六』でも、それは感じました。依藤さんのツッコミ気質が復活することで、よりいっそうツイストしてる。 古川 僕らは性格もほぼ正反対なので、お互いにお互いのことを異常だと思ってるんですよ。僕に共感してくれるお客さんもいる一方で、依藤の肩を持つ人もいる。そういうどっちも正しくない人間のやりとりをおもしろく見せたいです。 依藤 そうだね。お互いに共感できるポイントがある状態で観てほしいです。笑いどころは古川かもしれないけど、「どっちの異常性もわかるなぁ」っていうラインを保ちたい。 ──人間誰しも変というか。普通な人はひとりもいない、そういう人間のおかしみが、サスペンダーズのコントには凝縮されているのかもしれませんね。 依藤 そうですね。人間の歪みみたいなのは、普段からずっと感じてるので(笑)。 古川 単純なボケツッコミじゃない関係性が、より深くて大きな笑いにつながるんじゃないかと思ってます。 コントブームの終焉が怖い ──今の話を聞いていて、サスペンダーズのコントが、お互いの会話や関係性で見せる演劇的アプローチにも近づいているのかなと思いました。 依藤 あぁ……多少は演劇的要素もあるのかもしれないですけど……そこは流行りに乗っかってますね。 古川 はははは(笑)。 依藤 それこそ今年のキングオブコントがそうでしたよね。ちょっとなんか……そうっすね……。 ──何か思うところがありましたか? 依藤 コントの流行りがいろいろ見えてしまった感があって、バブルが崩壊する直前な感じがして……ちょっと怖くなったんですよね。 古川 「史上最高の大会」とも言われてましたし。 依藤 昔は演劇チックなコントって「演劇みたいなことやってるよ(笑)」というメタ的な笑いになってたんですけど、今はその視点がなくて、ごく素直に「そういう見せ方もいいね」と捉えられてて。 “エモい笑い”がブームになってて、僕らもそういう流行りに乗ってるところが多少ある。でも、今年のキングオブコントの盛り上がり方を見て、演劇っぽいコントがこの先飽きられるんじゃないかと、ふと思ったんですよね。 ──ちなみに、演劇的なコントの流行って、どこから始まったと思いますか? おふたりも出演されている『テアトロコント』は、大きな流れを作ったのかなと。 依藤 テアトロコントはそうですね……あと、かが屋の存在は決定的ですよね。僕らみたいなバカバカしいコントは、何度も食われてきました(笑)。 それこそ先日の『ツギクル芸人』(ツギクル芸人グランプリ2021)や『ラフターナイト』(「マイナビ Laughter Night」第7回チャンピオンLIVE)で、めちゃくちゃドラマチックでエモくやってくる金の国に、僕らは負けたんですよね。ああいうコントと比較すると、ほかのコントってすごく薄っぺらく見えちゃう。すごいですよ、金の国。 ──ただ、サスペンダーズは流行りのエモさを取り入れつつ、パワーワードというかキラーフレーズを挟むことで、ほかのコントと差別化されている気がしてます。 依藤 それはありますね、ふたりとも強いワードが昔から好きなんで。 古川 僕も依藤も大学生のときから一貫して、ダークな雰囲気とかキラーフレーズへのこだわりは一致してるので、そこを突き詰めて自分たちにしかできない形を作りたいです。 ──流行を踏まえつつ、サスペンダーズは差別化して闘っているんですね。 古川 はい。僕は演技面で厳しいのも自覚してるので、もっと泥臭く、むき出しのドロッとしたコントをしたいです。バカバカしさを前面に押し出しつつ、展開にうねりを加えた形を磨きたいです。そこを突き詰めれば、今年のキングオブコントに出られてたトップクラスのコント師たちに太刀打ちできるかなと。 お笑いは、僕のダメなところも包みこむ ──マセキで自分たちの欠けているところやトガっているところを愛されて、のびのびとお笑いをやってきたふたりが、後輩の活躍に刺激を受けて売れるためにがむしゃらになっている。そんなサスペンダーズはこれからどこを目指すのでしょうか? 依藤 自分たちのでこぼこを隠すんじゃなくて、活かしつつ、いいかたちで商品になるようにしていきたいです。 古川 僕も依藤も自分自身をさらけ出した状態で、売れるのが一番いいですよね。 依藤 そうだね。どうせ僕らは取り繕えないですし。それこそ、さっき撮影してたときも古川のズボンのチャック開いてたらしいんですよ(笑)。そういう抜けてるところとか、どうしようもない性格は変えられないので、そのままでいくしかないとは思ってます。 古川 そうですね……自分のだらしないところやダメなところも包み込んでくれるから、お笑いをやってるところがあるので。 ──目標にしてる仕事はありますか? テレビ番組でも単独ライブでもなんでもいいのですが。 依藤 冠番組は持ってみたいですね。 古川 コント番組もやりたいっすね。 依藤 ゴールデンの番組やりたいし、ラジオももっとやりたいし、単独やりたいし……結局お笑いでできること全部やりたいっすね。 古川 コントだけじゃなくて、お笑い全般がすごく好きなんで、なんでもやっていきたいです。 ──そのためにもキングオブコントでの活躍が重要なんですね。 古川 そうですね。今年のキングオブコントは衝撃的で、僕もめちゃくちゃ笑いました。サスペンダーズも決勝に行けるように、自分たちを研ぎ澄ませていかなきゃいけないなと思ってます。 サスペンダーズ 古川彰悟(ふるかわ・しょうご、1990年4月26日、神奈川県出身)と依藤たかゆき(いとう・たかゆき、1990年6月7日、東京都出身)のコンビ。2014年に結成。今年、『ゴッドタン』(テレビ東京)の人気企画「お笑いを存分に語れるBAR」で、東京03飯塚悟志が注目すると語った。『サスペンダーズのモープッシュ!』(Cwave/Podcast/Spotify)でラジオパーソナリティを務める。YouTubeチャンネル『サスペンダーズの稼げ年収1000万チャンネル』は、毎週火・木曜日20時に企画動画、土曜日20時には生配信を行う。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 かが屋「これじゃ終われない」2万円と自信を失った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#1(前編) 『すごいよ!!マサルさん』に憧れたストレッチーズの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#13(前編) 東京ホテイソン「たけるの声で絶対に売れる」確信を得た初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#2(前編) ザ・マミィ「お笑いの世界は結果がすべて」と知った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#3(前編)
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サスペンダーズの初舞台は、文字どおり“毒だらけ”|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(前編)
サスペンダーズというお笑いコンビが今、お笑いファンから熱い視線を送られている。 若手芸人の登竜門といえる賞レース『ツギクル芸人グランプリ』や『マイナビ Laughter Night チャンピオンLIVE』では決勝進出。東京03飯塚悟志や、GAG福井俊太郎といったコント師からも支持される彼ら。 情けない中にも毒のある、サスペンダーズ独自のコント世界は、いつ花開いたのか。彼らにその初舞台を振り返ってもらい、コントの原点を聞いた。 「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次“毒だらけ”の初舞台カリスマ依藤と、孤高の“マダム古川”閉鎖的なサークルで、お笑いを楽しんだ大学時代マダム古川くんは、オーディションに6回落ちる荒くて汚い芸人を愛してくれる事務所【前編アザーカット】 “毒だらけ”の初舞台 古川彰悟 ──サスペンダーズの初舞台は覚えていますか? 依藤 2014年のマセキの事務所ライブ『オリーブゴールド』でやった『ハイキング』っていうネタですね。初舞台にしては、反応は悪くないと思ってたんですよ。 古川 そうですね。ほかの芸人よりすごいウケてるなと。 ──同じ事務所のかが屋は、初舞台で「つんつるてんにスベった」と言っていましたが、サスペンダーズは最初からうまくいった。 古川 僕らは大学お笑い出身ですからね。なまじ小賢しいところがあるんですよ。 依藤 あるなぁ。かが屋は完全にゼロからやってますからね。 ──サスペンダーズは、つんつるてんにスベったことはないですか? 古川 あんまりないです。ネタの構造的にも、笑いどころがはっきりしてるので致命的にスベることはなかったですね。僕らに比べたら、かが屋がやってきたことって特殊なんですよ。 依藤たかゆき ──たしかにかが屋は「ここが笑いどころですよ」と親切に教えないというか、そういう点ではトガっていると言えるのかもしれないですね。 古川 そうですね。かが屋のアプローチだと、慣れない最初のうちはすごくスベるのもわかります。そこを突き詰めたのがすごいですよね。 ──話をサスペンダーズの初舞台に戻しますが、どんなネタだったんですか? 古川 僕がハイキングの案内人で、依藤がガイド頼むんです。 依藤 それでガイドが毒の話しかしないみたいなネタでしたね。「これは毒がありますよ」「あれも毒があります」という(苦笑)。 ──文字どおり毒だらけのネタ。 依藤 やっぱなんつーか……イヤなこと言ってやりたいっていう気持ちがすごくあるんですよね。その欲求は今でもあるんですけど、当時はもろに出しちゃってました。 あと、さっきは初舞台でウケたって言いましたけど、今観返すとそこまでウケてないんですよ(笑)。マセキのYouTubeチャンネルで初舞台の動画が上がってるんで、それを観てもらえば当時の雰囲気もわかると思うんですけど……。 古川 あのときの感覚ではウケてたんですよね。自分たちも成長したし、一緒にライブに出る芸人さんたちもレベルが高いので、あれくらいのウケだと不安になります。 依藤 でも、2回目のライブでやったドラッグのネタは、めちゃくちゃウケたよな? 古川 うん、絶対テレビじゃできないネタですけど……。僕が薬物中毒者の役で、一般人の依藤を売人だと勘違いして「ドラッグを売ってくれ」ってひたすら言い続けるみたいな。そういうのもマセキは自由にやらせてくれたんで……。 依藤 マネージャーさんも褒めてくれたので、そのあともますますその路線を突き進みましたね。 古川 なんであんなネタを自由にやらせてくれたんでしょうね……。さすがに令和の価値観だと一発アウトなネタも平気でやってたんで、特殊な事務所です。 依藤 ははは(笑)。 古川 でもあの時期のネタって確実に今につながってるんですよ。 依藤 そうなんだよね。確実に遠回りはしてますけど、いい時間でしたね。 カリスマ依藤と、孤高の“マダム古川” ──そもそも依藤さんと古川さんは、2009年に早稲田大学に入学し、「早稲田寄席演芸研究会」で出会われたそうで、芸歴以上に長い付き合いなんですね。 依藤 そうですね。最初僕はダージリンっていうコンビを組んでて、古川はピンでやってました。 古川 ダージリンはサークル内でも相当カリスマ的存在で。依藤はツッコミで、相方でボケの楡井(直之)が大声で「私は神である!」みたいに叫び続ける、カルト的な漫才をやってて、それがめちゃめちゃウケてたんですよ。 依藤 『笑樂祭』っていうナベコメ(ワタナベコメディスクール)が主催する学生お笑いの大会で優勝させてもらいました。 古川 ほんとに名を轟かせてた。 依藤 そうですねぇ(笑)。でも、その後は特に目立った活動はしなくて、名前だけが知れ渡っていくというか。 古川 僕らの同学年はけっこう組数が多い上に、おもしろい人たちが多かったんです。プロになったのは僕らとスパナペンチですね。 スパナペンチはもう解散して永田敬介がピンでやってますけど『漫才を愛する学生芸人No.1決定戦』で優勝して、在学中に人力舎に所属してました。『THE MANZAI 2013』でも、芸歴1年目で認定漫才師に選ばれるみたいなすごい人たちで。 あと今「大人のカフェ」という演劇コントユニットを主宰する伊達さんも、僕と同じようにピンでやってましたね。 依藤 伊達さんもめちゃくちゃおもしろかったなぁ。 ──古川さんがなかなかご自身のことを話してくれませんが……(笑)。「マダム古川」という芸名でやってらしたんですよね。ユニークな芸名だなと思ったんですが。 依藤 先輩がつけたんじゃなかったっけ? 古川 いや、自分でつけました。19歳の青年がマダムを名乗ったらおもしろいかなって単純な思いつきでした。その後も学生時代はずっとピンだったので、名前を変えることもなく。 ──なんでひとりでやろうと思ったんですか? 古川 なんでなんですかね、19歳でトガってたというか……。もともとプロになりたかったんで、絶対に感性が合う人と組みたいと思ってたんですけど……。理想が高すぎたりして合う人がいなくて、だったらピンでやればいいかって感じでした。 それに、あとあと誰かと組みたくなったときにはもう遅いんですよ。みんな最初に組んだ相方とコンビを続けているので、余った人がいないんですよね。 ──YouTubeの企画で、学生時代の初舞台を振り返っていましたよね。普通だったら照れて「恥ずかしい」「全然できてない」と茶化しがちなところを、おふたりが感慨深そうなのが意外で、印象的でした。 依藤 たしかに「俺たちこんなダセェことやってたんだ……」みたいな感覚はなかったんですよね。 古川 自分たちの原体験というか、芸人としてのエピソード0だったので、すごい懐かしいのはもちろん、当時があって今の自分たちがいるっていう気持ちを再確認したというか。お笑いサークルの4年間はそれくらい貴重な時間でしたね。 閉鎖的なサークルで、お笑いを楽しんだ大学時代 ──古川さんは最初からプロを目指していたとのことですが、依藤さんのダージリンやスパナペンチの活躍を見て焦りましたか? 古川 少しは嫉妬心とかうらやましい気持ちはありましたけど、意外と平気でしたね。今思うと、自分は一般ウケしないクセのある笑いだからと思い込むことで、自分を保ってたんでしょうね。「マダム古川は、気持ち悪いひとりコントをやってる独自路線の孤高の存在」みたいに思い込んでやってました。 ──依藤さんもプロを目指していたんですか? 依藤 そうですね。高校生くらいのときからお笑いの世界には憧れてました。早稲田の付属校に通ってたので、そのまま進学して、お笑いサークルで楽しく過ごして、就活のころにまだお笑いやりたかったら、プロ目指そうかなというゆるい感じでした。 だからお笑いサークル内では、プロを目指して切磋琢磨するというよりは、とにかく楽しんでましたね。 ──ゆるくやってたのに、大会で優勝をかっさらうの、かっこいいですね。 依藤 いやいや、そうまとめられると少し語弊があります(笑)。 古川 いや、でもダージリンはほんとにすごかったですよ。 依藤 うーん……ただ、「ゆるくやってた」って言いましたけど、ある意味では僕もトガってたんですよ。ほかのお笑いサークルは変にプロ意識があるというか。「プロみたいなことやってんなぁ」という空気感が苦手で、僕はそっち側ではないなと思ってました。 ──「プロごっこ」に見えたというか。 依藤 学生お笑い界の中で偉いヤツとされてる人間が、有名人みたいな雰囲気でやってたり、「誰それが解散して、あそこと組んだ」みたいな噂話はマジでしょうもないなと思ってました。 古川 解散をTwitterで発表するとかね。たしかに小さな芸能界みたいな空気があったかもしれない。けっこうお笑いサークルあるあるなんですよね。 依藤 今はお笑いサークルも10年前よりずっと盛り上がってるので、僕らみたいな感覚のほうがダサいのかもしれないですね。でも、当時はそういう学生お笑い独特の空気が生まれ始めたころだったんで、そこに合わせたくない気持ちは強かったです。学生の間は、ただただアマチュアとして楽しくお笑いをやりたかったんです。 古川 依藤と同じで、僕も“つながり”みたいなのには、抵抗がありましたね。僕らのサークルは、ほかの大学と交流がほとんどない閉鎖的なサークルで、それが性に合ってました。閉じたサークルで、ドロドロしたお笑いを作るのが楽しかったですね。 マダム古川くんは、オーディションに6回落ちる ──別々に活動していたおふたりはなぜ、サスペンダーズを組んだんですか? 依藤 やっぱりプロになりたいなと思ったときに、費用と1年間っていう時間を考えると、養成所には行きたくなかったんです。それでダージリンの相方とか、お笑いサークルでおもしろいなと思ったヤツを片っ端から誘ったんですけど、みんな断られて。 それこそ古川も誘ったんですけど、「俺の世界観を大事にしたいからピンでやりたい」って言われて。 古川 僕は千原ジュニアさんやバカリズムさんみたいに独自の世界観を構築するタイプの芸人になりたかったんですよ。コンビではやりたいけど、僕は自分が完全ブレーンになって、僕の世界の一部でパフォーマーとして動いてくれる相方が理想でした。 だから、依藤みたいに自分のお笑いの芯を持ってるタイプは、合わないだろうなと思ったんです。 依藤 で、僕は結局誰とも組めずピンでやれるとも思わなかったんで、公務員試験の準備してたんです。そのタイミングで、マセキのオーディションに3回落ちた古川が「やっぱり組みたい」って言ってきたので、コンビになったんだよな。 古川 結果的には、依藤と話し合いながら協力してネタを作るのが、自分的には合ってるなと思います。今ならわかりますけど、僕って絶対に世界観を支配できるタイプの芸人じゃないので(苦笑)。 ──おふたりが組んで、オーディションはスムーズに受かりましたか? 古川 いや、また3回オーディションに落ちました。当時、3回落ちたら合格はほぼないって……。 依藤 言われてたね。 古川 でもあとあと聞いたんですけど、僕がピンで受けてるころ、「ピンですごい気持ち悪いヤツが来てます」って噂になってたみたいで……。 依藤 ははははは(笑)。 依藤 だから、依藤と一緒にオーディションに行ったときも「あの気持ち悪いヤツが、相方連れてきたぞ」って先入観で見られちゃって落ちたんですよね。僕のキモさのせいで、サスペンダーズはマイナスからのスタートだったんです。 でも、よく見たら相方もちゃんとしてるし、おもしろいじゃんって思ってもらえたみたいで、4回目からようやく認めてもらえて。僕ひとりの力では絶対に入れませんでした。 ──そういえばサスペンダーズって名前はどうやって決めたんですか? 古川 大学の先輩に“サスペンダーズ”っていうコンビがいて、それを襲名したみたいな感じです。僕らは3代目で……。 依藤 襲名っていうよりは、盗んだって感じですけどね(笑)。オーディション受けるときに、「そういえばコンビ名決めてない」って気づいて「先輩のアレでいいじゃない」と。 古川 そのとき依藤が「サスペンダーズってめっちゃかっこいいと思うんだよ」と言ってたんですけど、僕は猜疑心を抱いてて。でも、コンビ組んで間もなかったんで、意見できなかったんですよ……。 依藤 ははは(笑)。 古川 これまで「“サスペンダーズ”ってコンビ名かっこいいね」って言われたことほとんど記憶にないので、やっぱり騙された気がします。 荒くて汚い芸人を愛してくれる事務所 ──マセキにこだわっていたのは、なぜでしょうか? 依藤 三四郎さんがけっこう売れ始めたころで、こんなにおもしろい人がいるところに行きたいと思ってました。 ──三四郎さんへの憧れがあったんですね。 依藤 めちゃくちゃありましたね。ライブでは、今の世の中じゃ絶対に言っちゃいけないようなことを平気で言ってて、それがほんとにおもしろかったんですよ。自分たちの信じるお笑いを、ただひたむきにやってりゃいいんだっていう姿勢がめちゃくちゃ好きでした。 古川 当時は三四郎さん以外にもロックな感じの人がいて、僕らが所属したころでいえば、エル・カブキさん(2021年退所)とか、浜口浜村さん(2015年解散)もそうでしたね。 依藤 ほんとそうだなぁ。 古川 三四郎さんの世代は、みんな独自の世界観を持ってて、それをぶつけてくるみたいな人が多かったので、その影響はかなり受けてますね。 依藤 芸人の荒かったり汚かったりする部分を愛してくれる事務所なんですよね。特にマネージャーさんは人間の欠けてる部分が好きで、「お前らはどこが欠けてるか見せてほしい」っていうスタンスなんですよ。 6角形のパラメータがあったとしたら、大きな円になってる人は求めない。どこかが欠けてて、どこかが突出してるギザギザを大事にしようぜ、みたいな。その思想に救われたみたいなところはありますね。 サスペンダーズ 古川彰悟(ふるかわ・しょうご、1990年4月26日、神奈川県出身)と依藤たかゆき(いとう・たかゆき、1990年6月7日、東京都出身)のコンビ。2014年に結成。2021年、『ゴッドタン』(テレビ東京)の人気企画「お笑いを存分に語れるBAR」で、東京03飯塚悟志が注目すると語った。『サスペンダーズのモープッシュ!』(Cwave/Podcast/Spotify)でラジオパーソナリティを務める。YouTubeチャンネル『サスペンダーズの稼げ年収1000万チャンネル』は、毎週火・木曜日20時に企画動画、土曜日に20生配信を行う。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 サスペンダーズ「お笑いはズボンのチャックを閉めない人間も包み込む」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#7(後編)
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ラランド「“M-1出場”は売れるためじゃない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#6(後編)
2019年、アマチュアながらもM-1セミファイナリストになり、注目を集めたラランド。その後もフリーで活動したが、今年、満を持して個人事務所「レモンジャム」を設立した。 過酷なお笑いの世界を、独立独歩で突き進むふたり。 しかし社長のサーヤによれば、相方であり社員でもあるニシダこそが、最大のリスクだという。 前代未聞の男女コンビ・ラランドに、前人未到の現在地を聞いた。 【インタビュー前編】 ラランド「今は振り返れない」快進撃の始まった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#6(前編) 「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次賞レースは“売れるため”じゃない相方のスキャンダルで野垂れ死ぬことも考えてるニシダは何者?令和のヤドカリ芸人【後編アザーカット】 賞レースは“売れるため”じゃない サーヤ ──前編では、サーヤさんが卒業して就職し、ニシダさんが学生のままでラランドを続けていたところまで話を聞きました。今のブレイクに至る転機はいつになりますか? サーヤ 2019年のM-1ですね。それまでは1〜2回戦で負けてたんですけど、そこで準決勝まで行って。そこで一回負けるんですけど、敗者復活戦ってテレビでやるじゃないですか。あそこで初めてテレビに出て、仕事のオファーが来るようになりましたね。 ──今までうまくいかなかったのに、2019年にいきなり敗者復活まで行けたのはなぜだったと思われますか? サーヤ 私は新卒で広告代理店に入ったんですけど、その仕事を通じて、ラランドのことも商品として捉えられるようになったのは大きかったなと思います。 それまでは大学生のサークル活動の延長で記念エントリーしてたというか、自己満足のお笑いをやっちゃってたんですよ。「奇をてらったワード言ってやったぜ、どやぁ」みたいな。でも、仕事するようになって初めて自分たちの漫才を客観的に見られるようになりました。 そこで初めてニシダとも「ツッコミをこういうふうに変えてほしい」とか「こういう漫才をしよう」って話し合ってガッツリ向き合ったら、準決勝にいけたというか。 ──仕事の経験が漫才にも活きたんですね。 サーヤ 結果的にそうなりましたね。ちゃんと大衆に届ける漫才を目指す方向にシフトしました。ワードひとつ取っても、これは観てる人を傷つけちゃいそうだな、とか意識するようになりましたし、自分たちにはなじみのある話題でも一般的には知られてないだろうからやめておこうとか。そういう意識の変化はありましたね。 ニシダ ──ニシダさんは、ライブでの自分の好きなお笑いをやるのと、賞レースに照準を合わせて作り込むのとでは、どちらが好きですか? ニシダ うーん、ライブと賞レースで違いを意識することはほとんどないですね。賞レースだからといって、やりたいことを完全に制限するわけではないですし。本当にちょっと表現に気をつけるくらいの差ですよね。 ──今年のM-1に向けて、現在の手応えはいかがですか? サーヤ こないだ大阪で単独やって新ネタも下ろしたんですけど、まぁこれから調整しつつという感じですね。 ただ、「売れてるし、どうせ出ないでしょ」って言ってくる人がいて、それがすごいイヤなんですよ(笑)。「ラランドはもう売れっ子だし、賞レースなんか出なくてもいいでしょ」って軽口叩くフリして、本音のところは私たちに出てほしくなさそうなヤツっているんですよ。そういう人たちの顔見てると、よけいに出てやろうって気持ちになるというか。 ──ラランドが手強いから、ほかの芸人がそう言いたくなる気持ちもわかります(笑)。 サーヤ 売れることと、賞レースで勝つことって全然違うのになって思います。たしかにラランドは若手では売れてるほうですけど、M-1という大舞台で漫才やって、もっと多くの人に自分たちのネタを届けたいという思いは変わってないんで。 相方のスキャンダルで野垂れ死ぬことも考えてる ──2019年末のM-1以降、メディア露出が増えたラランドですが、今年3月には個人事務所「レモンジャム」を設立されました。 サーヤ ラランドが注目され始めたころって、私は会社員だし、ニシダは学生だったので、活動スタイルが既存の事務所に合わなそうだなと思って、フリーで活動してたんです。 既存の事務所に入ると制約が多くて、二足のわらじでやっていくのが難しかったんですよね。事務所ごとにいろいろルールがあって、毎月必ず出なきゃいけないライブがあったり、先輩の単独を手伝わなきゃいけなかったり、あとチケットノルマがあったりするんですよ。 ──とはいえ、プロのお笑いの世界や芸能界に入ったばかりで、いきなり個人事務所でやっていくのは大変ですよね。 サーヤ そうですね。うしろ盾がないので、今後事件が起きたら野垂れ死ぬんだろうなと覚悟はしてます。 ニシダ 死ぬところまで想像してるんだ。 サーヤ 社長だから当然そこまで考えますよ。 ニシダ そうか……。 サーヤ また他人事のように言ってるけど、何かしでかすとしたらニシダだから(笑)。ニシダは女関係でいろいろやらかしてて……。私のインスタのDMに、ある女性からニシダの裸の写真が送られてきたこともありますし、先輩の彼女に手出したこともあって(笑)。 ニシダ そうですね、はい……。 サーヤ でも私、地元ガチャ成功してるんでそこは心強いんですよ。 ──地元ガチャ? サーヤ 八王子出身なので、バックにヒロミさんがいるんです(笑)。ヒロミさんが八王子出身の著名人を集めた集団「八王子会」にも入れてもらったので、圧力かけられたりしたら、ヒロミさんにチクろうかなと。 ──そういえばレモンジャムの事務所にあるテーブルも、ヒロミさんの手作りでしたっけ。 サーヤ そうなんですよ。あと、事務所の備品でいうと、さらば(青春の光)の森田(哲矢)さんからもソファーをいただいたんですけど、あの人もいろいろ乗り越えてきた個人事務所の先輩じゃないですか。森田さんの一挙手一投足はチェックしてかなり参考にさせてもらってます。 ──東ブクロさんの相方としてはもちろん、事務所社長としても森田さんは大変そうですよね。 サーヤ そうなんですよ。あと、相方にスキャンダルがあったのに(アンジャッシュ)児嶋(一哉)さんみたいにブレイクできなかったところも、森田さんらしくて好きですね(笑)。 ニシダは何者? ──事務所設立後、「大阪進出」も打ち出しましたね。 サーヤ 大阪の芸人さんが東京進出するなら、東京の芸人が大阪進出してもいいだろうってことで。お笑いを一からちゃんとやりたいなと思ったときに、お笑い濃度の高い大阪でも活動するのはいいかなと。 最近のラランドって全国区だと、私たちが望まないかたちのオファーも増えてきたんですよ。私だったら「代理店としてのひと言ください」って台本に書いてあって、「そういうことしたくて二足のわらじやってるわけじゃないんだけど」って思うことも増えてたんですよね。ニシダもクズエピソードが本気で引かれてしまったり(笑)。 ──ニシダさんも大阪のほうが活きる? ニシダ 単純に、俺が大学2度辞めてる話とか、さっきの女性関係の話とかクズエピソードって東京だと普通に引かれて終わっちゃうみたいなところがあるんですよ。でも、大阪の人はおもしろがってくれるんで助かります。 サーヤ 関西って変人に対する免疫がめちゃくちゃ強いので、ニシダを見ても「なんやねん、おまえ!」ってすぐツッコんでくれるんですよね。どんな人間でも笑いに昇華してくださる方が多いんです。 ──話を伺っていて、ラランドは経歴も活動スタイルも唯一無二だなという思いを強くしました。ちなみに理想の芸人っていますか? サーヤ いないですねぇ……。もう令和なんで、既存の形に囚われずいろんなことやれたらなって思ってます。 ニシダ ……右に同じですね。既存の芸人さんで俺たちのモデルケースになる人っていないと思うんで、自由に楽しくできたらなと思います。 サーヤ ……ここまでニシダの話聞いてわかったと思うんですけど、コイツは本当に意志がないんですよ(笑)。 ニシダ ないんです。 サーヤ 志がないんです。 ──たしかに、ニシダさんってメディアを通して観てても、クズだってことしか伝わらないというか。あんまり自我が見えてこないですよね……。 サーヤ あはははは(笑)。私とマネージャーも「ニシダは何者なんだ」ってずっと考えてます。どうやったらコイツを活かしてあげられるんだろうって。このインタビュー中もずっとかしこまったフリしてるじゃないですか。後編に至ってはここまでほとんど私がしゃべってますし(笑)。 令和のヤドカリ芸人 ──サーヤさんはニシダさんにどう変わってほしいですか? サーヤ 単純にもっとやる気を出してほしいですね。「もうサークル活動は終わったよ。これは仕事だよ。お金もらってるんだよ」ってことを自覚してほしい。 ニシダ マジ説教じゃないですか……。 サーヤ 早く会社に売り上げをもたらしてほしいです(笑)。文章書いてみたいっていうから、社長命令でnoteの更新やってもらってるんですけど、それも全然マジメに続けないんですよ。ニシダの芽が全然見えてこない。 ニシダ 見つかってないか。 サーヤ 逆に見つかってると思ってた? ニシダ 芽だらけだと思うけど……。文章もそこそこ評判いいし、ドラマにも出て俳優としても意外とがんばれたし……。 サーヤ なんで真っ先にお笑いがんばらねぇんだよ! 黙々と文章書いたり、演技したりしてないで、バラエティ番組でしゃべってくれよ! ニシダ たしかに(笑)。 サーヤ お前が笑うのは絶対に違うからな。ニシダはいつもこうやって他人事みたいに笑うんです。 ──サーヤさんの忍耐力が本当にすごいなと思います。 サーヤ まあもうこういう人間だってことはずっと知ってるので……。でも、コンビ解消しようと思ったことは何度かありますよ。ニシダが無断欠勤が続いた時期があったんですけど、それでも全然悪びれないんですよ。私が代わりにどれだけ頭下げたのかもニシダは知らない。あのころは「絶対コイツ切ろう」って思ってましたね。 ニシダ それは感じてました……。このままだと終わっちゃうな、と。 ──でもニシダさんも改心されたのか、今日は予定時刻の10分前に来てくれました。 サーヤ それは最近ニシダがヤドカリみたいに住み着いた家の女性が起こしてくれるからですよ(笑)。 ニシダ ヤドカリって言うな! 同棲です。 サーヤ 家賃払ってないんだからヤドカリでしょ。ニシダは令和のヤドカリ芸人ですよ。 ニシダ 平成のヤドカリ芸人は誰なんだよ。 サーヤ 今ツッコむところ絶対そこじゃないわ。とりあえず今はニシダの仕事量が少ないので、個人のYouTubeチャンネルと、noteの更新をがんばってくれ、というのが会社の方針です。 ニシダ 意志がないので、全部命令で動いてます。 サーヤ 本当にニシダが自主的にやったことってひとつもないよね。 ニシダ はい、ないです。もう奴隷みたいなもんです。サーヤさんに言われたとおり動いてる。 サーヤ 奴隷って、従っても見返りがないみたいな雰囲気出すのはやめてください。ウチ、売り上げもたらさない社員にも、それなりの給料払ってる優良企業ですから。 ニシダ そこまで言われたら何も言い返せないっす……。 サーヤ あはははは(笑)。ニシダの言うことは全部論破できますよ。 ラランド サーヤ(1995年12月13日、東京都出身)とニシダ(1994年7月24日、山口県出身)のコンビ。2014年、上智大学のお笑いサークル「SCS」で結成。2018年『お笑いサークル団体戦 NOROSHI』に「オデッセイ」として出場し、優勝。翌年末にはアマチュアながら、『M-1グランプリ』のセミファイナリストとして敗者復活戦に進出。2021年2月には個人事務所「レモンジャム」を設立。サーヤが社長に就任し、ニシダは正社員となった。YouTubeチャンネル『ララチューン【ラランド公式】』には、ネタ動画やさまざまな企画動画をアップする。『ラランド・ツキの兎』(TBSラジオ)や、『ラランドの声溜めラジオ』(GERA放送局)でラジオパーソナリティを務める。また、サーヤ単独のレギュラー番組に『トゲアリトゲナシトゲトゲ』(テレビ朝日)や『ラランド・サーヤの虎視舌舌』(文化放送)がある。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 蛙亭「おもしろければ、いいんでしょ?」トガっていた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#4(前編) 吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編) オズワルド『M-1』決勝戦を終えて。「芸人になったときから、人生どうにでもなれと思ってる」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#10(前編) 東京ホテイソン「たけるの声で絶対に売れる」確信を得た初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#2(前編)
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ラランド「今は振り返れない」快進撃の始まった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#6(前編)
群雄割拠の若手お笑いシーンの中でも、異彩を放つ男女コンビ・ラランド。 2014年に上智大学のお笑いサークル「SCS」でコンビを結成し、4年目には大学お笑いサークルの頂点を決める大会『NOROSHI』で優勝。その翌年2019年には、アマチュアながら『M-1グランプリ』でセミファイナリストになった。その後、めきめきと頭角を現し、若手芸人の代表格のひと組となった。 コンビ結成から現在に至るまで順風満帆のラランド。そんなふたりに、船出となった《First Stage=初舞台》について聞いた。 「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次どうやって組んだか覚えてない初ライブ後、調子に乗ったニシダコンビ継続の秘訣は、マイペースの死守?サーヤはなぜニシダと手を切らないのかラランド唯一の弱点とは【前編アザーカット】 どうやって組んだか覚えてない サーヤ ──上智大学のお笑いサークルで活動されてたおふたりのそもそもの出会いはアカペラサークルの新歓コンパだったそうですね。 サーヤ アカペラサークル入るつもりで新歓行ったんですけど、楽しくなさすぎて。そこで私と同じようにすごく気まずそうにしてたのがニシダで、私から声かけたのが最初ですね。私たち同じイスパニア(スペイン)語学科だったので、顔は見たことあったんですよ。だから「同じ学科だよね」って話しかけてみたら、意外と話が合っちゃって。 ニシダ そうですね、お笑い好きっていう話になって。 サーヤ 「『オンバト』観てんだ!」みたいなね。ニシダは地下ライブも観に行くって言ってたので「がっつりお笑いファンなんじゃん」ってことで仲よくなりましたね。 ニシダ 高校生のときは横浜に住んでたんですけど、吉本の∞ホールとかたまに行ってて。その流れで大学入学したころは地下ライブにもハマってたんですよ。 ──ニシダさんはお笑い芸人を目指していたんですか? ニシダ いや、当時はおもしろいなぁってファンとして観てるだけだったので、自分がお笑いやるって考えたことは全然なかったですね。 サーヤ なのに私がお笑いサークルに入るときに「お笑いサークル行くけど、どう?」って誘っちゃったんですよ。 ニシダ 「誘わなきゃよかった」みたいな言い方するなよ(苦笑)。僕はサーヤさんに誘われるがまま見学に行って。 サーヤ ニシダはコアな芸人も知ってたし、会話もちゃんと打ち返してくるから、話してて楽しかったんですよね。 ──じゃあお互いにサークルに入ったときから、ふたりでコンビを組むつもりで。 ニシダ 僕は組みたかったですね。サーヤさんギャグセン高いし、おもしろい人だなって最初の段階で思ってたので。 ニシダ サーヤ 私は別に考えてなかったです。サークルの部室にいるとニシダがちょくちょく「組もうよ」「ちょっとやってみない?」って言ってきてたのは覚えてますね。でも、私はずっと流してて。あとコンビ組むにあたって外堀を埋められたのがキモかったです。 ニシダ そうだっけ? サーヤ そうだよ、まわりの人に「ニシダが組みたがってるよ」って言わせるんですよ。キモかったなぁ。 ニシダ キモくないだろ、別に。 サーヤ いや、キモかったのよ。積極的に誘ってくるから意欲あるのかなと思ったらそうでもなくて、結局私にネタ書かせるし。 ──正式に結成した日って覚えていますか? ニシダ いつだっけな……。 サーヤ 学食でネタ合わせした日だった気がするけど、はっきり覚えてないです。1年生はデビューライブが5月にあったんで中旬くらい? ニシダ たぶんそれくらいじゃない? サーヤ ニシダ以外に組みたいと思える人もいなかったし、とりあえずふたりでできるネタ作らなきゃなって感じで。 ──気づいたらなんとなく組んでいた。 ニシダ そうだったと思います……。けっこう大事なことなのに、あんまり覚えてないもんですね……。 初ライブ後、調子に乗ったニシダ ──初舞台はいかがでしたか? サーヤ 初めてにしてはウケたんですよね。ライブ前のネタ見せは先輩にめちゃくちゃウケたし。一発目でウケて、みんなにちやほやされて。初舞台前のニシダは緊張してたくせに、ウケたもんだから調子に乗ってブイブイ言われせるようになって……。 ニシダ そんなことないだろ! サーヤ 2年に上がったら、ネタ書いてないのに後輩にダメ出ししてたじゃないですか。「ふたりのキャラクターに合わない」とか「その設定だったら、今の単語抜いたほうがいい気がするな」とか言ってさ。 ニシダ すごいな、俺。そんなこと言ってたっけ……。 サーヤ ニシダが偉そうに後輩にアドバイスしてるの見るのが好きでしたねぇ。「ニシダやってんなぁ〜(笑)」って。 ニシダ 俺もたいがいだけど、サーヤさんも趣味悪いな! ──ちなみにその初ライブでやったネタって覚えてますか? サーヤ 「彼女がスマホになっちゃう」っていう独特の漫才でしたね。 ──ポップな雰囲気のネタですね。今でも軽くネタ合わせすればできそうですか? ニシダ いやぁ……ほんとにたぶんあの一回しかやってないんで難しいですよ。 サーヤ ボケとかなんとなく思い出せるけど……今はもう恥ずかしくてできないっすね。 ニシダ 動画探したらどっかにあるんだろうけど、絶対観たくないな(笑)。 コンビ継続の秘訣は、マイペースの死守? ──結成当初からプロを目指していらっしゃったんですか? サーヤ いや、組みたてのころは、ただお笑いやりたいというサークルのノリでしたね。いろんな大会に出るうちに、目指したくなった感じです。でもお笑い続けるにしても辞めるにしても、私は実家の経済状況的に一回就職はしておく必要があって。 だけどニシダは大学中退したり再入学したりしてて、お笑い以前に何を考えてるのかがわかんなかったんですよ。だからお笑い続けていくにしても、ニシダとコンビをずっと続けていくのはムリだろうなとは思ってましたね。 ──しかし2018年に全国一のお笑いサークルを決める大会『NOROSH』で優勝されて。そこでラランドとしても、もっと上を目指せるみたいな機運が出てきたんでしょうか。 サーヤ いや……ニシダの意志は相変わらずまったく見えなくて。私が就職しても、ニシダはずっと大学に残ってて、何がしたいのか全然わからない。まぁ、でもふたりで漫才するのは好きだったんで、会社が休みの土日はライブに出たりしてっていうのを続けてましたね。 ニシダ 俺も大学生で暇だったんで、土日は全然やってましたね。 ──ニシダさんはサーヤさんが卒業して焦りを感じたりしなかったんですか? ニシダ 多少は感じてたはずなんですけど、たしかにそこまで真剣には考えてなかったというか……。まぁ結果的に後輩も2個下くらいまでは見送りましたよね。 サーヤ ニシダがずっとサークルの部室にいて、「なんでニシダさんは卒業しないんだ……」って後輩たちがすごくイヤがってましたね。 ──後輩に煙たがられているのに、学校に残り続けるタイプの人間でここまで成功されている方も珍しいですよね。 ニシダ お笑いサークルに限らず、部室に入り浸るような先輩は大成しないイメージありますもんね。 サーヤ よく自分でそれ言えるなぁ。いっつも不思議なんだけど、自分のこと他人事みたいにしゃべるよね。全部お前の話だよ! ──(笑)。そういうニシダさんがフラフラしている時期って、サーヤさん的には「早く進路決めてくれよ」と苛立ったりはしませんでしたか? サーヤ それはなかったんですよね。ニシダは出会ったときから何考えてるかわかんないし、まともじゃないっていうのは知ってたので。だから私は自分のペースを乱さないように生活しながら、とりあえず土日に漫才やれればいいかって思ってました。 サーヤはなぜニシダと手を切らないのか ──なんだかんだいっても、ニシダさんを見放さないサーヤさんが不思議だなと思うんです。サーヤさんはニシダさんとお笑いをやることに、どんな魅力を感じていたんですか? サーヤ 魅力……? ニシダとやることの魅力……。 ニシダ そこ疑問持つなよ。 サーヤ 魅力かぁ……。ちょっと持ち帰ってもいいですか……? ニシダ 後日回答(笑)。 サーヤ いや、でもインタビューのあともニシダのこと考えるのもダルいか……。うーん……普通に友達と楽しくしゃべってる延長で漫才ができてるって感じですかね……。いや、やっぱわかんないです。すごくきれいな言い方しちゃってるから、これ本心じゃないかも。 ニシダ 撤回が早いな……。 ──逆にニシダさんは、サーヤさんがニシダさんのどこに魅力を感じていると思われますか? ニシダ サーヤさんはニシダで一番笑う人間なんですよ。サーヤさんが本当の笑顔を引き出せるのは、たぶんニシダしかいない。言葉で直接言われたことはないですけど、そう思ってくれてるんじゃないですかね。……だよね? サーヤ ……。 ──黙秘ですね(笑)。ちなみにラランドは、かっちりとした台本を作らないそうですね。 サーヤ 昔はそうでしたけど、最近はちゃんと台本書いた漫才もやってますね。こないだの単独では、コントの台本も書きましたよ。前はニシダが「台本に沿うと、俺っぽくなくなっちゃう」って言ってたんで、よさが消えるならアドリブっぽい感じのほうがいいかなと思ってたんですけど……。ニシダがドラマに出るようになって変わったんですよ。 ニシダ いやいや、そんなことはないですよ……。 サーヤ 俳優としてスキルを磨いて、自分の言い方ができるようになってきたというか。今は漫才もコントも、台本があってもちゃんとニシダのよさが活きるんですよ。 ニシダ どの角度から俺の俳優業イジってんだよ! まぁまぁ。でも、たしかに最近は台本にすることが増えてきて。作り方も変わってきましたねぇ。 サーヤ 何それ、まるで自分が台本書いてるみたいな言い方するじゃん(苦笑)。「作り方も変わってきましたね」って言うけど、何も書いてないでしょ。 ニシダ こういう細かい言い方のニュアンスで、インタビューを読んでる人は「ニシダもちゃんとネタ作り参加してるんだなぁ」って勘違いしてくれるからね。 サーヤ ニシダはそうやってごまかすのが本当うまいよね。 ラランド唯一の弱点とは ──ラランドは、初ライブもウケたし、お笑いサークルでも日本一になったし、着実に売れているし、常勝というか負け知らずですね。 ニシダ 「青春アミーゴ」みたいな? サーヤ 「地元じゃ負け知らず」。 ──「今日は負けたなぁ」って思ったことありますか? 一番スベった思い出とか。 サーヤ 『笑点』(日本テレビ)かな? お客さんが全然なびかねぇなぁ、全員寝てんのかなって思いましたね。あと、『きみまろ寄席』。 ニシダ あれか……漫才協会のベテランの方が4人くらい審査員でいて。 サーヤ 80歳くらいの審査員の方々がみんな寝てましたね。それで最後に「東洋館出なさい」って言われるという、何も観てなかっただろ!みたいな(笑)。 ニシダ 懐かしいなぁ。(東京)ホテイソンさんも出てて。 サーヤ そうそう、たけるさんが備中神楽まで繰り出してハマりにいこうとしたのに、「そういうのはあんまりよくないよ」ってなぜか怒られて(笑)。 ──ホテイソンさんのかわいそうなエピソードはともかく(笑)。ラランドがスベったのは、いずれも年齢がかけ離れたお客さんの前でだけ。 サーヤ たしかにそうかもしれないですね。ダダスベリって経験ないかも。まあ、大スベリしないように、直前に客層見てツカミとかネタ変えたりもするんで、スベりようがない。でも、さすがにオーバー80の人に合わせるのは難しかったですね(笑)。 ラランド サーヤ(1995年12月13日、東京都出身)とニシダ(1994年7月24日、山口県出身)のコンビ。2014年、上智大学のお笑いサークル「SCS」で結成。2018年『お笑いサークル団体戦 NOROSHI』に「オデッセイ」として出場し、優勝。翌年末にはアマチュアながら、『M-1』のセミファイナリストとして敗者復活戦に進出。2021年2月には個人事務所「レモンジャム」を設立。サーヤが社長に就任し、ニシダは正社員となった。YouTubeチャンネル『ララチューン【ラランド公式】』には、ネタ動画やさまざまな企画動画をアップする。『ラランド・ツキの兎』(TBSラジオ)や、『ラランドの声溜めラジオ』(GERA放送局)でラジオパーソナリティを務める。また、サーヤ単独のレギュラー番組に『トゲアリトゲナシトゲトゲ』(テレビ朝日)や『ラランド・サーヤの虎視舌舌』(文化放送)がある。 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 ラランド「“M-1出場”は売れるためじゃない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#6(後編)
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吉住「憧れは満員なのに出待ちのない芸人」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(後編)
前編ではピン芸人・吉住が、生まれるまでの歩みを語ってくれた本連載<First Stage>。 後編では、ひとりになってからの苦労や初めてのテレビ収録の苦い思い出、優勝を飾った『女芸人No.1決定戦 THE W 2020』のエピソード、そして意外な今後の目標を話してくれた。賞レースチャンピオンになっても尽きない悩み。未だ発展途上にある吉住の現在地を聞いた。 【インタビュー前編】 吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編) 「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次初めてのテレビ収録で大失敗「どうも、石原良純です」の真相優勝しても、すぐに変わらなくてもいい憧れは満員なのに出待ちのない芸人【後編アザーカット】 初めてのテレビ収録で大失敗 吉住 ──テレビの初舞台は『新しい波24』(2016年12月28日/フジテレビ)ですよね。 吉住 はい。そのときはまだ相方を探してたんですけど、ネタ見せのお話が来たのでピンで行かせてもらったんです。そうしたら、あるディレクターさんがおもしろがってくださって。それでそのままひとりでやってるって感じですかね。 ──初めてのテレビ収録はいかがでしたか。 吉住 ピンで初めて作ったネタをやったんですけど、思いっきりネタ飛ばしたんですよ……。ボディビルダーのネタだったんですけど、作って間もなかったし、一度客前でやったときもあんまりウケなかったので自信はなかったんです。でも本番の収録では予想外にウケて、それにビックリしてネタが飛んじゃったんです(笑)。 ──オーディションには合格したのに、なぜ自信がなかったんですか? 吉住 ネタ見せでは別のネタをやってたんですよ。ただ、それがコンプラ的にどうだろうとなって。当時はピンネタが2本しかなかったので、急遽もうひとつのほうのネタをやりました。 ──ネタが飛んだあとはどんな空気でしたか。 吉住 それが、平成ノブシコブシの吉村(崇)さんや岡村(隆史)さんたちが「がんばれ! 思い出せるぞ!」って応援してくださって、場を盛り上げてくださったんですよね。でも、逆に盛り上がりすぎたせいで、初めてのテレビ収録で大失敗する様子がオンエアされちゃいました(笑)。 自分としてはすごく苦い思い出で、当時は「もう二度とテレビ出られない」って落ち込みました。裏に戻った瞬間に膝から崩れ落ちましたし、それから3年くらいは時々その光景がフラッシュバックして。きつかったです……。でも今思えばあれでちょっと肝が据わった気もするので、結果的によかったのかな。 その番組のオーディションの日はいつも、森山直太朗さんの「どこもかしこも駐車場」を聴きながらお台場に向かってて。自分の中ではその番組といえばこの曲となってたので、収録でネタ飛ばしてからしばらくは聴けなかったです……。今はもう聴けますよ(笑)。 「どうも、石原良純です」の真相 ──『新しい波』や『おもしろ荘』(日本テレビ)に出演されて、ピン芸人になってからは、けっこう順調だったのかなと。 吉住 いや、相変わらず焦ってましたよ。『新しい波24』が終わって、そこから抜擢された若手たちで始めた番組『AI-TV』(フジテレビ)にも選ばれなかったですし、『おもしろ荘』も優勝はできなかった。若手発掘のチャンスを逃した上に、変にテレビ出ちゃったからフレッシュさもなくなって、もう売れることはないんだろうって思ってました。 でも、自分では、すごくテレビ出てるつもりでも、意外と誰も観てないんですよね。だから結局ネタを作り続けることが大事だってところに立ち返って。ちょうど『THE W』も始まったので。 ──その『女芸人No.1決定戦 THE W 2020』で吉住さんは優勝されますが、その前も相変わらずでしたか? 吉住 悩んでましたねぇ。直前の『ラフターナイト』(TBSラジオ)でも年間チャンピオンを逃したし、『NHK新人お笑い大賞』も勝てなくて、私は結局勝ちきれないんだなと思って。変な話、お笑いファンにもそんなに刺さってないし、私の芸風はムズいなぁと。そこは『THE W』優勝しても解消されてないんですけど……。 ──しかし『THE W』はそうそうたるメンバーの中、文句なしの優勝だったと思います。ネタ中から手応えはありましたか? 吉住 1本目の『女審判』は出ていったときに、ちょっと反応があったんで「これはやりやすい空気かも」って思いましたね。私の入ったBグループって「死のグループ」みたいに言われてたんで、みんなにも「決勝行けただけですごいよ」って言われてたんですよ。 でもひとりだけ「ゆりやん(レトリィバァ)さんとAマッソさんが肝になる。ゆりやんさんが勝てば、吉住にもチャンスある」って予想してる人がいて。だから出番直前にセットの裏でスタンバイしてたら、ゆりやんさんがAマッソさんに勝ったっていうのが聞こえてきて、「これはあるかもしれない」ってちょっとだけ思いましたね。 ──優勝後のコメントでは泣きながら「こんな明るいところにいれる人間じゃないんです……」と言っていたのが、とても印象的でした。あれはとっさに出た言葉でしたか? 吉住 そうですね。「あの言葉に自分を重ねて勇気もらえました」って感想とかもいただけたので、よかったなと思うんですけど、あのときって頭の中では岡野(陽一)さんから託された「石原良純」をいつ言うかばっかり考えてたので、狙ったものではなかったんです。 私の優勝を喜んでくれてる後輩たちの動画がTwitterに上がってて、この間ちょっと見返したんですけど、「どうも、石原良純です」って言った瞬間、後輩たちがシーンとしてて。 続こう人力舎芸人!!!!!!!! pic.twitter.com/Z8vkIvqdaW — さきぽん (@sakipon_yoiko) December 14, 2020 pic.twitter.com/4TJHtgYeyc — さきぽん (@sakipon_yoiko) December 14, 2020 吉住 『THE W』が流れてるテレビの音声だけでも、後藤(輝基)さんが一瞬言葉を失ってるのがわかるんですよ。百戦錬磨のMCの方が絶句するって相当じゃないですか……。私の中では、優勝の達成感と、岡野さんからの課題をこなした清々しさとともに番組が終わってたので、「こんな空気になってたのか」と驚きましたね。 優勝しても、すぐに変わらなくてもいい ──賞レース優勝からしばらく経ちましたが、最近はいかがですか? 吉住 『有吉の壁』(日本テレビ)とか『ネタパレ』(フジテレビ)、『にちようチャップリン』(テレビ東京)に出ると反響があるので、やっぱり私にはネタっぽいことのほうが向いてるんだろうなって実感してます。 「ネタはちゃんとやってるぞ」っていう自信がないと、『ロンドンハーツ』とか『アメトーーク!』(ともにテレビ朝日)みたいなトークバラエティでも、本音が言えなくなると思うので、そこはずっとやっていきたいです。 ライブもやっぱり好きで、直でお客さんの反応が返ってくるのがいいんですよね。舞台に立って「うわーたのしい!」って思うときもあれば、信じられないくらい叩きのめされるときもありますけど……。 ──今でも叩きのめされることあるんですね。 吉住 普通にあります。この間も信じられないくらいスベっちゃいました……。最近は「ヘコんでやるもんか!」って変な意地が出てきてるんですけど、そう思うこと自体がヘコんでるじゃないですか(笑)。少しでも落ち込む回数を減らせるようになりたいです。 ──優勝してすごく変わったことってありますか? 吉住 ちょっとしたことなんですけど、外食で冒険できるようになりました。今までは失敗したくなくて置きにいってたんです。だから自分にとっては大きな変化です。何かを作り出す上では、いろいろなことを知っておくのがすごく大切じゃないですか。だから初めての料理にも挑戦できるようになったのは、すごくいいことだなって思います。 でも一方で、そんなに急に変わらなくてもいいや、とも思うんです。この間錦鯉さんに「売れてからお金を何に使うようになりましたか?」って聞いたら、(長谷川)雅紀さんは「缶詰をふたつ買うようになっちゃった」。(渡辺)隆さんは「自転車買った」って言ってたんです。おふたりとも素朴だなぁと思いましたし、「そうだよな、そんなに一気に変わらなくていいよな」ってどこか安心させられたので、私もゆっくりでいいかって思いました。 憧れは満員なのに出待ちのない芸人 ──吉住さんの今後の目標ってなんでしょう。この連載では、コント師の方々から「全国ツアーが目標」だという話を何度か聞きましたが吉住さんは? 吉住 全国かぁ……。やりたいなとは思いますけど、私はそこまでの人気がないので、まずはしっかり人気のある芸人になりたいです。ちょうどこの間、芸人仲間と「ピンの女性芸人で全国回ってる人って誰だろう。目指すべきはそこなんじゃないか」って話になって考えたところ、目指すべきは清水ミチコさんだという結論に至りました。 ──意外な感じがします。 吉住 芸風はたしかに違いますけど、武道館にひとりで立って、あれだけのキャパを埋めて全方位を満足させる清水ミチコさんのパワーに憧れるなと思って。あと、噂で聞いたんですが、清水ミチコさんは武道館ソールドアウトさせるほどの人気があるのに、出待ちがゼロらしいんですよ。かっこよくないですか? それを聞いて「そういう芸人になりたいなぁ」って思ったんですよね。 舞台上でやる自分の芸だけで完全に満足させて、お客さんは出待ちする必要ないくらい芸の余韻に浸りながら帰っていくって、理想じゃないですか。みんな清水ミチコさんの芸に惹かれてるってことだから。これまでにも何度か「どういう人になりたいですか」って質問されてきましたけど、最新は清水ミチコさんです。 ──「文章を書きたい」ともおっしゃってますよね。 吉住 そうですね。でも、エッセイみたいに自分の知識や感情だけで書くと、誰かを傷つけるかもって思っちゃって、芸人のクセに当たり障りのない文章を書いてしまうんです。だったらゼロからの物語を作っちゃったほうが、そういうことを気にせずに書けるかもと思ったので、小説とか書きたいです。 ──インタビューはこれで終了です、ありがとうございました。 吉住 ありがとうございました……。すみません、こんなにしっとりとした話ばかりしちゃって大丈夫でしたか……? 吉住 (よしずみ)1989年11月12日生まれ、福岡県出身。2015年デビュー。2016年ムテンカナンバー解散後、ピン芸人として活動開始。『女芸人No.1決定戦 THE W 2020』優勝、『R-1グランプリ2021』ファイナリスト。『吉住の聞かん坊な煩悩ガール』(ラジオアプリGERA)は毎週土曜日更新。第4回単独公演『生意気なトルコ土産』は9月24日、25日に開催予定。 Twitter/Instagram/YouTube 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【後編アザーカット】 R-1王者・お見送り芸人しんいち「ファイナリストの中で僕が一番楽しもうとしてたのは間違いない」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#11(前編) ザ・マミィ「お笑いの世界は結果がすべて」と知った初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#3(前編) 芸人でしか生きられない男と、奇妙なふたり トンツカタンの初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#9(前編) 蛙亭「おもしろければ、いいんでしょ?」トガっていた初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#4(前編) ラランド「今は振り返れない」快進撃の始まった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#6(前編)
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吉住「こんなんじゃダメだ」挫折を味わった初舞台|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(前編)
昨年、『女芸人No.1決定戦 THE W』で新女王に輝いた吉住。 異様なほど役に入るひとり芝居と、その独創的なセンスのコントが魅力のピン芸人だが、芸人として初めて舞台に立ったときはコンビだった。最初のコンビを解散したあとも、次々とコンビを組んでは解消していった吉住。今にして思えば、その理由は初舞台の時点で明らかになっていたわけだが……。 初舞台の思い出に留まらず、話はお笑いに惹かれた理由やコントの作り方にまで及んだ。 「若手お笑い芸人インタビュー連載 <First Stage>」 注目の若手お笑い芸人が毎月登場する、インタビュー連載。「初舞台の日」をテーマに、当時の高揚や反省点、そこから得た学びを回想。そして、これから目指す自分の理想像を語ります。 目次東京03のコントで、物心がつく知らないことはネタにできない内輪ウケの怖さを痛感した初舞台私は最後まで相方を活かせなかった全部自分の責任だから、ピンは性に合ってる【前編アザーカット】 東京03のコントで、物心がつく 吉住 ──お笑いは子供のころから好きでしたか? 吉住 私はバラエティは観てました。ネタ番組はあまり。兄のほうが好きでよく観てましたね。兄は漫才好きだったんですが、私は漫才のテンポについていけなくて……。そのころはネタというものにはあまり興味がなかったかもしれません。 コントが好きになったのは高2のころに『エンタの神様』(日本テレビ)で東京03さんのコントを観てからです。「陰口を言うネタ」だったんですけど、「こんなおもしろいものがあるんだ!」って衝撃でした。テンポが速すぎるということもないし、画で見せてくれるというのもあって、私にはコントというものが新鮮に映りました。それでやってみたいかもって。 ──いきなり「自分もコントやりたい!」となるのがおもしろいですね。まずはお笑いファンになりそうですけど。 吉住 流されるまま生きてきた自分が、初めて興味を持って「やりたいかも」と思ったのがコントだったんです。強烈に何かを好きになる経験がそれまでなかったんです。部活でキャプテンになったのも、辞める理由がなくてダラダラ続けた結果であって、積極的だったからでもないですし。 ──ラジオ番組『吉住の聞かん坊な煩悩ガール』(ラジオアプリGERA) での「学生時代の記憶がほとんどない」という話に驚いたんですが、今の話でなんとなく腑に落ちました。記憶がないのは、東京03に出会って初めて、吉住さんの自我が芽生えたからなのかな、と(笑)。 吉住 そうかもしれない……(笑)。あそこで初めて物心がついて、自分の好きなものがわかるようになりましたからね。 知らないことはネタにできない 吉住 でも、そういえば『名探偵コナン』と、堂本剛さんが出てたドラマ『金田一少年』(ともに日本テレビ)は昔から大好きでした。推理小説も好きで、特に初期のころはネタの中で人がよく亡くなってて。ミステリーを好んでたので、作中に人が亡くなることを不思議に思ってなくて。養成所の講師の方に「人は殺さないほうがいい」と言われて、気をつけるようになりました。 養成所では「自分が知らないことは書けない」と、よく言われたんですけど、その意味が今ならよくわかります。『THE W』でやった『女審判』のネタも、結局(ソフトバンク)ホークスが好きでファンクラブに入ってたからできたんですよ。そういう意味では、経験とか知識を増やせばネタの幅も広がるはずなので、去年の自粛期間中はたくさん映画を観ました。1日6本、合計300本くらい観たんですけど、ほとんど何も覚えてないです。 ──そんなに観たのにもったいないですね……(苦笑)。でも、野球は実際にお好きなんですね。 吉住 はい。北九州出身なんですけど、小学校のころ(ソフトバンク)ホークスのファンクラブに入ってました。それも兄の影響ですけどね。球場にもよく観に行ってて、なんとなく審判の人って気になってたんですよね。 気になる単語を書き留めておくノートがあってけっこう溜まってるんですけど、読み返すと全部に「審判」って書いてあって。あるときふと「審判の人って大きい動きで元気よく『アウトー!』とかやってるけど、家に帰ったら反抗期の息子がいたりするのかなぁ」とか考え始めて。「芸人は子供が芸人になりたがったら『反対する』ってあるあるだけど、審判の人も自分の子供が審判になるのは嫌なのかな」とか考えてるうちにできました。 ──気になる単語ノートは、頻繁に読み返すんですか。 吉住 新ネタライブとか単独ライブが近くなると読み返します。何も種がないなぁってときに振り返りますね。 ──そこからネタが生まれていく。 吉住 単独まで1週間を切ると、ネタ脳(ネタを書ける脳)になる瞬間があるんです。それまでは頭の中でふわぁっとしてた設定とかアイデアが突然「あれ? こことここつなぎ合わせたらいけるぞっ!」ってつながっていく。その脳になるためには、いろんな文字を頭に入れておかなくちゃいけないので、読み返してます。 内輪ウケの怖さを痛感した初舞台 ──吉住さんは芸人のスタートは、コンビとしてだったんですよね。 吉住 そうですね。養成所(スクールJCA)で最初は、現・合わせみその河田(祥子)と組みました。2013年4月に入所して、人前での初舞台は9月の養成所ライブでした。 ライブ前の養成所生の前でやるネタ見せも反応は悪くなかったからイケると思ったんですけど……。初舞台は全然ウケなくて、お客さんの投票で決まる順位でも下から2番目でした。コントをやったんですけど、私の演技が濃いめで、河田は逆に薄くて、その温度差が原因じゃないかと同期に言われましたね。 ──初舞台のコントは吉住さんが書いたんですか? 吉住 はい。なんだっけなぁ……。メイドさんの服着てたことしか覚えてないです。ネタの内容は覚えてなくて、すごくスベったという感触だけが残ってます……。ネタ見せでの感触もよかったし、自信満々で臨んだら、鼻をへし折られたって感じでした。 ──コント中に「ウケてないなぁ」って気づくものですか。 吉住 はい、あんまり反応ないなと思いました。終わってからも「私たちダメなんだなぁ」ってだいぶ落ち込みましたね……。結局、ネタ見せは内輪ウケだったんですよね。そこで初めて「自分が何をおもしろいと思っているのか」を、見る人にもちゃんと伝える努力をしないとなと思いました。 ──内輪ウケするってことは、同期には人気があったんですね。 吉住 今思えば、ネタの内容じゃなくて、普段大人しい女が大きい声出してるってのがギャップがあって、おもしろかったのかも(笑)。同期は普段の私たちのキャラを知ってるからおもしろがってくれますが、もちろんお客さんは知らないわけで。だから、初見のお客さんは笑わせられない。あれは完全に内輪ウケでしたね。 ──河田さんとコンビ解消されて、すぐピンに? 吉住 いえ、しばらくは何度も相方を変えてコンビを続けました。養成所のラストライブでは別の男の子と組んだんですけど、事務所に上がれませんでした。それで、もう1年養成所に残ってダメだったら諦めようという覚悟で、JCAで2年目を迎えました。 ──ザ・マミィさんにお話を聞いたときも思ったのですが、人力舎は所属のハードルが高いんですね。 吉住 そうなんですかねぇ。私はもともと女性同士でコンビ組みたかったので、2年目のスタートは、いかちゃんと組みました。でも、囚人のコントを一緒にしたら、講師の先生に「いかちゃんにそんなことさせるな!」って言われて、すぐ解散しました(笑)。 吉住 それでのちに一緒にデビューする、かわえなつきとムテンカナンバーを組みました。その子とも、コントやったり漫才やったり試行錯誤しましたね。 私は最後まで相方を活かせなかった ──人力舎所属後の、初舞台はいつですか? 吉住 5月の『バカ爆走!』っていう事務所ライブです。養成所時代に一番自信あったネタをやったんですけど、キンキンにスベったわけじゃないのに、「こんなんじゃダメだ……」と悔しかったのを覚えてます。 そのときに出られてた先輩は、小屋が揺れるくらいウケてたんですよ。巨匠さんとかトンツカタンさん、真空ジェシカさん、リンゴスターさん、フルパワーズさんとかですね。あれくらい笑わせないと「ウケた」ことにはならない。アンケートを見ても、結局一番笑わせた人しか記憶に残らないってわかるんです。挫折でしたね。 ──ムテンカナンバーはどれくらい続きましたか。 吉住 1年半くらいです。最後まで相方のキャラに合ったネタを書けなくて、それで解散しました。いかちゃんに囚人のコントさせちゃうような人間ですから(笑)。漫才もコントもやりましたが、相方のキャラクターを活かしたネタが書けないっていう悩みは解消できないまま、私はピンになったんです。 ──吉住さんが漫才作ってたっていうのが意外なんですが、どんなネタを書いていましたか? 吉住 『ストーカー』と『牛になりきる漫才』はよく覚えてます。 『ストーカー』は、私が「ストーカーされるのって怖いよね」って言うと相方が「大丈夫だよ。ズミさんはたぶんストーカーとかされないよ」ってなだめてくれて。でも、そこで私が「考えてみて。かわいい子をストーカーするヤツより、私みたいな女をストーカーするヤツのほうがヤバそうじゃない?」というネタでした。 『牛になりきる』やつは、「『食べちゃいたいくらいかわいい』って言葉あるけど、あれって、牛のことだよね……」っていうやつなんですけど。はしょりすぎて意味わからないと思いますが、とにかく、牛になってみるって漫才でした(笑)。 ──今振り返って、なぜ吉住さんは短期間に何度もコンビを組んでは解散してきたと思いますか。 吉住 まぁ、養成所はお試しという感じが強かったので、いろいろ試したくてという感じですかね。ムテンカナンバーに関しては、賞レースで結果が出せないことが大きかったです。今振り返ると、「1〜2年目で結果出なくても全然焦る必要なかったな」って思うんですけどね。 全部自分の責任だから、ピンは性に合ってる ──結局吉住さんはコンビではなく、ピン芸人として活躍することになります。 吉住 ムテンカナンバーの解散が決まってからも、いろんな人に声はかけたんです。でも結局相手に合ったコントが書けなくてうまくいかない。 そんなときにトンツカタンのお抹茶さんが「相方は焦って決めるもんじゃないよ」って言ってくださって、我に返りましたね。じゃあ今は、ネタを書く技術を上げようと。でも同時に、舞台に立たない期間が長くなると、人前に立つとき恐怖心が出るかもしれないと思って、ピンで出るようになりました。 ──自分にはピンが合っていると思いますか? 吉住 自分のやりたいことを気を遣わずにやれるので、性に合ってますね。あと、人のせいにできないのも自分の性格に合ってるかな、と。友達と旅行に行くときは友達に全部頼っちゃうんですけど、ひとり旅だったら自分でやらなくちゃいけない。もし相方がいたら甘えちゃうので、よかったかな。ちょっと大人になった感じもあるし。31歳の女が「大人になった」って何言ってるんだって感じですけど……。 ──東京03に出会って物心ついたということなので、最近大人になったというのも、あり得る話です。 吉住 たしかにそうですね。ふふふふ(笑)。 吉住 (よしずみ)1989年11月12日生まれ、福岡県出身。2015年デビュー。2016年ムテンカナンバー解散後、ピン芸人として活動開始。『女芸人No.1決定戦 THE W 2020』優勝、『R-1グランプリ2021』ファイナリスト。『吉住の聞かん坊な煩悩ガール』(ラジオアプリGERA)は毎週土曜日更新。第4回単独公演『生意気なトルコ土産』は9月24日、25日に開催予定。 Twitter/Instagram/YouTube 文=安里和哲 写真=青山裕企 編集=龍見咲希、田島太陽 【前編アザーカット】 【インタビュー後編】 吉住「憧れは満員なのに出待ちのない芸人」|お笑い芸人インタビュー<First Stage>#5(後編)
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山﨑玲奈(Daily logirl #156)
山﨑玲奈(やまさき・れな)2007年1月28日生まれ。愛媛県出身 X:@RenaYamasaki Instagram:renayamasaki07 主演ミュージカル『ピーター・パン』7月24日より上演 撮影=石垣星児 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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石田莉子(Daily logirl #155)
石田莉子(いしだ・りこ)2006年3月28日生まれ。千葉県出身 X:@dariko_official Instagram:rk_io0328 撮影=石垣星児 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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西川実花(Daily logirl #154)
西川実花(にしかわ・みか)2008年10月3日生まれ。東京都出身 X:@mika_nishikawa_ Instagram:mika_nishikawa_ 撮影=大靏 円 ヘアメイク=渋谷紗矢香 編集協力=千葉由知(ribelo visualworks) 編集=中野 潤 【「Daily logirl」とは】 テレビ朝日の動画配信サービス「logirl」による私服グラビア。毎週ひとりをピックアップし、撮り下ろし写真を月曜〜金曜日に1枚ずつ公開します。
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NewJeans、『Olive』、『シティポップ短篇集』──小説家・平中悠一の気づき
平中悠一。高校在学中に執筆した小説『She’s Rain』(1985年/河出書房新社)が「文藝賞」を受賞、1984年に作家デビュー。その後『Go!Go!Girls(⇔swing-out Boys)』(1995年/幻冬舎)、『アイム・イン・ブルー』(1997年/幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(2000年/河出書房新社)などの著作を重ねてきたが、デビューから約40年の間に、エッセイや翻訳なども含め出版された単行本が計15冊という寡作な作家。その平中が、今春『シティポップ短篇集』(2024年/田畑書店)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』(2024年/田畑書店)という2冊の書籍を上梓した。しかも『「細雪」の詩学』に至っては、東京大学大学院にて執筆した博士論文がもとになっている学術書だという。 現在『logirl』のプロデューサーを務めている私自身、デビュー作から追っている作家のひとりで、2作品の同時出版というニュースを知ったときはテンションが上がった。 今回、平中に近著の2作品に関する話を聞くことになったのだが、作品内容だけにとどまらず、本人のスタンスの変遷(=変わらなさ)に関する見解にまで話が及んだ。そこにはタイムリーな「NewJeans」(2022年7月にデビューした、韓国の5人組ガールズグループ)の話題なども加わることに。 ──『シティポップ短篇集』を編纂するにあたっての企図をお伺いできればと思います。 平中 本書のライナーノーツ(解説)にも詳しく書いていますけど、近年シティポップが流行ったから選集を考えたというわけじゃなくて、もともと1980年代にはこのシティポップという言い方はあまり使われてなかったんですが、僕のデビュー作『She’s Rain』が出版されたのは1985年なので、結果的には、僕自身がちょうどいわゆるシティポップの時代に重なるんですよね。 デビュー作の中では、ドビュッシーとかラヴェルとかも書いていますが、実は一番いい場面では登場人物たちは山下達郎を聴いているんですよ、あの小説って。まさにシティポップの真ん中の時代で、シティポップ小説という考え方はなかったけれど、今、回顧的にシティポップと呼ばれているような音楽が出てきていたように、当時すごく都会的な小説もいっぱい出てきていたから、それをまとめたらいいんじゃないかと思っていたんです。 「こういうのをまとめたら、いいものできるよ」って、当時、編集者に言ってはいたんだけど……僕がまとめるという考えはなかった。それを、今ならまとめられるんじゃないかなと思って、作ったんですよ。 「シティポップ時代の日本の短篇集」というのが本当のタイトルで、『シティポップ短篇集』というのは、僕が企画を提案したときの仮タイトルがそのまま残っちゃってるだけなんです。いわば“シティポップ短篇集のようなもの”ということなんですよね。 僕自身、もともとシティポップ音楽も好きで、シュガー・ベイブや大貫妙子、ティン・パン・アレー系とか大瀧詠一、そういうのを好きで聴いていて、近年のシティポップの流行はアジアからの逆輸入ともいわれていますけど、、日本の1980年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の空気感が、経済発展してきた今のアジアの空気にピタッとはまったんだと思うんです。 だから日本のシティポップがオリジナルだからすごいということと同時に、アジアの全体が元気になって、前向きになってきて、1980年代の日本のポジティブで都会的なセンスが共有されるようなってきた。インドネシアにしろタイにしろフィリピンにしろ、最近すごくいいですよね、ポップスがね。 シティポップの話題から、アジア全体のポップスの話へと。平中とアジアンポップスとの邂逅についての話が続く…… 平中 僕は1990年代に入って、ほとんどJ-POPを聴かなくなっていたんだけど、たまたまスカパーをつけたら韓国のチャートをやっていて、すごくおもしろくてびっくりしたんです。それが1998年くらい。そこからK-POPを聴き始めることに。 2、3年後には韓国語もだいたい話せるようになるくらいハマったんですけど、これには自分でも驚きました。最初にトランジットで韓国へ行ったとき、キンポ(国際)空港でソバンチャの3人が歌っているのをテレビで観て、強烈な印象を受けていましたから。それがわずか10年で、ここまでかっこいいポップスをやるようになるとは想像もしませんでした。 1988年のソウルオリンピックのころまでは、韓国は今の北朝鮮のような感じで閉じられていて、日本語も英語も全部放送禁止だった。その後、解放が始まって……最初にキム・ゴンモあたりがレゲエから入ったんですよね。冷戦時代の西側・東側的な政治性から少し離れてるじゃないじゃないですか、レゲエって。だから外国のポップスでもレゲエならいいでしょということで。 僕が一番聴いていた2000年……BoAが出てきたころでもまだ、韓国ではポップスで一番過激なのはロックとヒップホップだといわれていたんですよ。 ヒップホップはメッセージ性もあるし、まだわかるんです。でもなんでロック?なのかというと……ロックはアメリカ文化の典型なので、一番厳しかったみたいなんです。最も反体制的、という感覚があったみたい。 その後、キム・デジュン(大統領/当時)のころから、日本は「侍の、武士の国、武力の武の国」であるけれど、韓国は「文人の国、文の国、文化の国」であるという自己規定をして、カルチャーへ予算をドンと入れていくんですが、2003、4年くらいからK-POPもあんまり僕はおもしろくなくなっていくんです。 なぜかというと、そこまでは、キム・ゴンモからあとも、たとえばパク・ジニョンとか、R&Bというのはこういう音楽ですみたいな……本物志向がすごく強かった。ミュージシャン自身が自分で一番いいと思う音楽をやろうとしてたから……ちょうど日本の1980年前後のシティポップ黎明期のようにね。すごくおもしろかったんです。 それが2003、4年くらいになってくると、もうちょっと売れる感じ……韓国の伝統歌謡、歌謡曲のちょっと下世話な感じまでを取り入れる……ちょっとお色気も入れて、みたいな感じになってきて、ポップな感じとズレていくんですね。結果、どれを聴いても全部おもしろい、というそれ以前のようなよさはなくなってきて。 結局、そのころ、僕自身、ちょっと日本を離れてしまったので……そのあと、日本で韓国の子たちが売れたでしょ? KARAとか少女時代とか、いっぱい。そういう話自体は聞いてたんだけど、あのあたりは全然、僕は知らなくて。だからK-POPファンをやっていて、一番日本で盛り上がっておもしろかっただろうなというあのころは全然知らないんです(※2005〜2015年、平中はパリに住んでいた)。 とまあ、そんな感じだったんですけど……昨年の暮れぐらいからNewJeansを、最初はInstagramのリールか何かでアメリカ人がカバーしているのを聴いて「誰これ? カッコいいじゃん!」と思って調べたらK-POPだっていうから、びっくり!して、原曲を聴いてみたらすごくよかった。 最初に気がついたときは年末くらいだったから、もう『Ditto』が出ていたころだったかな? まずは『Ditto』をすごくいいと思ったんだけど、その前の曲も、『Attention』とかすごくコード進行がジャジーでおもしろいなと思ったりもしたんです。 『Ditto』のときから「あれ? けっこうすごい!」と思っていたんだけど、やっぱり2枚目のEPが出たときに『ASAP』のMVとかを観ると、もう完全に雑誌『Olive』の世界なので……改めてびっくりして、これ『Olive』じゃん!と思って。 マガジンハウスから刊行されていた人気雑誌『Olive』(1982年〜2003年)。その独特な世界観をベースにした編集から根強いファンを持ち、休刊から時が経った現在でも、いまだに回顧系の関連書籍などが出版されている。平中も、かつてこの『Olive』で連載を持っていた 平中 僕は、もともと『Olive』が好きで、デビュー作も『Olive』の読者が想定読者だったんです。デビュー後には『Olive』で声をかけてもらい、結果、連載までやらせてもらいました。もちろん今のNewJeansを作っている人たちは『Olive』には気がついていないだろうと思うんですよね。勝手にやっていると思うんです。自分たちのオリジナルとして。 だけど日本では1980年代のバブルのころに『Olive』みたいなものが出てきていて……当時の読者だった女性からは『Olive』が出てきてどんなに救われたかっていう話を、今でもよく聞くんです。僕自身が『Olive』で書いていたから。 当時の赤文字系雑誌の『JJ』(光文社)や『CanCam』(小学館)は、あくまでいかに男の子にウケるかを考えるということをやっていたんだけど、『Olive』は男の子がどうとかとは関係ないんだ、自分たちがかわいいと思うものがかわいい、かわいいものは全部つけちゃう!みたいな雑誌だった。僕はそれを見ていて、かわいいなぁと思ったわけです。 だから実際に今、NewJeansを見て、あの子たちが自分の好きなものを「ほら、これもこれも!」「これかわいいでしょ、これもかわいいでしょ!」っていうようなあの感じ……あれは当時『Olive』を見ていた感じに、すごく近い。 なるほど、『Olive』とNewJeansの親和性、その世界の中で自律的に自己完結しているというような。その場合、『Olive』読者もBunnies(NewJeansのファンネーム)も、等しくその世界を見つめることに終始することになる。話は、その眼差しに及んでいく…… 平中 1980年代はそういう意味でいうと、ポストモダンの時代でもあったのね。パフォーマティブとかディスクール、コミュニケーションとかそういうものが、すごくプロモートされていた。パフォーマティブでコミュニカティブでないものはだめだ!と否定されてしまうくらい……。でも、すごく豊かな時代というか、多様性が許容できた時代だったということもあると思うんだけど、『Olive』みたいな真逆のものも実はあった……要するにパフォーマティブとかコミュニケーションの基本って、相手に影響を与えようという意図を持って働きかけることで、それが『Olive』の場合、自分がかわいいと思えば、もうそれでいいわけです。人がどう思うかなんて、どうでもいい。そういうものも、パフォーマティブの時代だと思われていた1980年代にちゃんと日本に出てきていた。 そう考えると、シティポップみたいなものがアジアでウケてきている今、NewJeansのようなものが出てくるということは、日本の1980年代を重ねてみると、ひとつ読み解けるんだよな、と。 NewJeans『How Sweet』 日本デビュー曲の「Supernatural」では1980年代に生まれ大ヒットしたニュージャックスイングのスタイルを採用。完全に狙ってる? さらにここから「ノン・コミュニケーション理論」が主体を成す『「細雪」の詩学』へと話が進んでいく。平中の感覚の中でそれぞれの要素がきれいにリゾりながら展開していくさまは、まるで魔法にでもかけられているような気持ちになる。 平中 NewJeansを見ていてなるほどと思ったのは……ちょっと前提から話すと、僕も1980年代に仕事をしていたので、そもそもコミュニケーションが一番大事だと思っていたんだけど、その後、フランスへ行って「ノン・コミュニケーション理論」という、小説はコミュニケーションじゃないという考え方を知ったんです。 ところが日本語というのは、実はコミュニケーションじゃない言葉遣いを失っている。すべてが“言文一致”……話すように書くことで、書き言葉とコミュニケーションの口語を一致させるようになっているので、コミュニケーションじゃない言葉が見えなくなっている。なので、特にわかりにくくなっていると思うんだけど……もともとは“物語”ってコミュニケーションではなくて、別世界なんですよね。たとえば子供に「おじいさんとおばあさんがいました……」というのは、全然別の世界の話なわけです。物語には、そういうところがそもそもあって、これはコミュニケーションでもなんでもないはずなんです。そういうところが今は全然捉えられなくなっています。 ドキュメンタリー番組での「今日は村人たちのお祭りだ」みたいなやつ……ああいうのはフランス語なら、コミュニケーションではなく“物語”なわけです。でも日本のアナウンサーの人たちってそれを一生懸命コミュニカティブに伝えようとしますよね。真逆のことをやっているんです。文章自体は、すっと人から離れたひとつの物語になろうとしているのに、それをコミュニカティブにしようということをやっているので、すごく無理があるんですよね。 フランス語だったら、パッセコンポゼ(複合過去)という日常の会話と、パッセサンプル(単純過去)という、文章でしか使わなくなっている古文のような書き方があって……で、フランス人って、子供におとぎ話を語るときはパッセサンプルなんです。それですっと物語の世界に入っていける。言葉にはコミュニカティブな面とそうでもない面があるということに気がついたのはエミール・バンヴェニストなんだけど、それが本になるのは1960年代以降です。 日本で“言文一致”運動が始まったころにはフランスでもまだ周知されてなかったことなので、現代の日本語に“物語”の言語が確立されていないのは仕方がないところもある。そんななかで、日本の小説家たちはいろいろ工夫してがんばったと思います。 小説というのも“私とあなた”の間のコミュニケーションとは違うところにある“世界”を見せてくれるところが、実はすごくおもしろい。 『細雪』(谷崎潤一郎/1943年〜1948年)なんかはその典型なのだけれど、自分の人生とは別のラインで4年半の時間が流れていて、読んでいると自分の人生がそこのところだけ二股に分かれるみたいな感じがある、別次元のような。なぜそれができるのかというと、別の世界がそこにあって、読者はその世界をのぞき込むように経験するから。 僕の『「細雪」の詩学』では、アン・バンフィールドの「ノン・コミュニケーション理論」に関係して、ヴァージニア・ウルフを紹介しているのだけれど、ヴァージニア・ウルフは意識的にノン・コミュニケーションの小説を書こうと思ってすごく苦しんだ人なんですね。 文章の中にノン・コミュニケーションの部分があるというのはいえるとしても、それだけで1章、2章……と作っていくのは難しいんです。ウルフは『灯台へ』(1927年)でまったく人称性のない章を書いていますけど(第2章)、実はあれはすごく大変で、彼女の日記を見ると、ものすごく苦しんでいるのがわかる。 僕自身の話でいうと『She’s Rain』を書いたときに江藤淳先生から「街の情景の部分が新しいので、あれをもうちょっと発展なさったらいいと思いますね」と言われたので(『She’s Rain』の前日譚になる)次作の『EARLY AUTUMN アーリィ・オータム』(1986年/河出書房新社)のときに、意識的に街の情景を描いてみたんです。カメラアイを用いて街の情景を書いて……ずっと街の情景が続いている中に、人物のセリフがぽっと入る。 映像的にいうと……人物たちが遊んでいるようなシーンに、その画とは関係なしに人物たちの声でナレーションが入るかたちがあるじゃないですか……あれをやりたかった、文章で。 文章でぎっしり4ページくらいはいきたいなと思って書いていたんだけど、全然無理、続かない。やっぱりカメラアイでずっと書くことはすごく大変なんだなと思ったことがあって……ウルフのそういう日記を見て、ああそうだ、これって難しいんだよなと。 ウルフの書いたエッセイには、バンフィールドも取り上げている『The Cinema』(1926年)というのがあって……映画って“中の人たち”は見られていることに気づいていないわけです。こちらを見ない、“こちら”があるとも思っていない。見ていることに気づかれることもない状況でこそ、初めて何か真実の姿が現れる、と言うんですね。 たとえば、映像の中で波が来ても自分の足が濡れることはないし、馬が暴れても蹴られることはない、結局のところ自分たちとは別の世界、逆にこちらの手も届かない世界で起こっている出来事がそこには捉えられている。だからこそ自分たちの日常を離れて、客観的に何か真実が見えてくるというのを『The Cinema』では“映画の美学”として考えている。 そういうものを、ウルフは自分の小説でなんとかやろうとしたんだと思うんです。「ノン・コミュニケーションの美学」はそこにあって、NewJeansの「Bubble Gum」(2024年)とか「ASAP」(2023年)のMVを観ていると感じるのは、そういうもの。こっちで見る者のことを全然意識していない世界が強調的に描かれている。ステージでの「Bubble Gum」のイントロで演じられる小芝居なんか、典型的です(カメラを鏡ということにして、誰にも見られていないていでメンバー同士の内輪の会話が演じられる)。 「ノン・コミュニケーション理論」とNewJeans……コンテンツへの私たちの接し方を考えると、それもあり得る話に思えはするものの、接し方ではなくコミュニケーションという視点に変えることで、モノではなく人、世界になっていく。NewJeansから、話はさらに進む。 平中 若い女の子を眼差しによって消費するのではなく、少女たちに眼差されることがない自分を儚む、みたいな捉え方もあると思うけど、僕はちょっと違って、少女たちがこちらを見返してくれる必要を僕はまったく感じないので……見返されても困るし、持て余しちゃう。あの子たちがああやって遊んでいるのを見て、みんながおもしろいと言って……たぶんそこにはいろいろな楽しみ方があるし、彼女たちの仲間になれる人もいるし、彼女たちに共感したり自分を投影する人もいるだろうし、僕みたいに全然別の“楽しそうだなぁ”と思って見ているだけで自分も楽しくなっちゃう人もいる。そこはやっぱり人によって違うと思う。 ただ僕は、NewJeansを見たときに、これって『Olive』だよね。で、これが『Olive』だということは、NewJeansのこういうノン・コミュニケーション的なところを考えると『Olive』って「ノン・コミュニケーション理論」だったんだよねと思って。 『Olive』からのNewJeans、「ノン・コミュニケーション理論」からのNewJeans、そして『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」、一見すると単なる三段論法のようにも思えるが、深く聞いていくと同じ地平でつながっているのは間違いないことに気づかされる。そしてNewJeansを橋頭堡として、そこへ「シティポップ」もつながってくる。 これはまさに今起こっていること……ここへさらに平中自身の縦軸、デビュー作『She’s Rain』がたどり着いた場所(それは換言すると“普遍性”でもあるのだけれど)の話が続く。 『She’sRain』 装丁はオサムグッズの原田治 平中 僕はずっとこれをやっているんだって、実は最初(デビュー作)から。結局そこで、僕はその子たちに見つめ返されたくない。見つめ返されない自分を悲しむとかはないわけです。なぜかというと、本当に高校生のときから僕はこの子を汚さないというのが僕の考えなわけだから。もう全然、けっこうなわけです。 だから、くるっときれいにつながってくるので、『Olive』と「ノン・コミュニケーション理論」がNewJeansを介して通じたときに、自分がやっていたことが、くるっときれいにつながった感じがしたんです。だからバラバラないろいろなことをやっているようだけど、最終的に僕はそういうことがやりたいんだと思って。 デビュー作『She’s Rain』では、ユーイチとレイコというふたりの高校生の恋物語が描かれる。今風にいうなら“煮え切らない”ように見えるユーイチが抱いているレイコへの思い「僕は、ほんとに好きになったら口説かないでおく。そのコのこと大切に思うから。(中略)そのコをずっと素的なままでいさせてあげる自信なんて、ない」「素的な、一人で歩いて行ける女のコのままでいて欲しい」「束縛したくないんだ(中略)つまんない女のコにしたくないんだ」(『She’sRain』より抜粋)この言葉が、まさにスタンスを体現している。 約40年が経って、改めて変わっていないことに気づかされる、それは自分の志向性が間違っていなかったという自己肯定でもあるのだろう。 取材・文=鈴木さちひろ 平中悠一(ひらなか・ゆういち) 1965年生まれ、兵庫県出身。小説『She’s Rain』で1984年度・第21回「文藝賞」を受賞しデビュー。『それでも君を好きになる』(トレヴィル)、『アイム・イン・ブルー』(幻冬舎)、『僕とみづきとせつない宇宙』(河出書房新社)などの小説、『ギンガム・チェック Boy in his GINGHAM-CHECK』(角川書店)などのエッセイの出版のほか、『失われた時のカフェで/パトリック・モディアノ』(作品社)等の翻訳も手がける。 2024年4月『シティポップ短篇集』(編著)、『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の2冊の書籍を田畑書店から上梓。HP:http://yuichihiranaka.com 『シティポップ短篇集/平中悠一編』(田畑書店) 「1980年代、シティポップの時代」を彩った7人の作家による9つの物語を、自らも小説家である平中悠一が編纂。 (収録作家:片岡義男・川西蘭・銀色夏生・沢野ひとし・平中悠一・原田宗典・山川健一) 平中「読んだあと味がいい……希望が持てる感じかな。1980年代の感覚ってひと言でいうと、大貫妙子さんのアルバムタイトルにもあった『Comin’ Soon』。今にいいことが……一番いいものはこれから来るよみたいな感覚。それがなんだったの?と言ったら何もないまま終わっちゃった、巨大な予告編のようなところもあるのだけど。もっといいものが来るよと思いながら生きていく感じ。そういうあのころの気分のある小説、なにかしら夢が持てる、希望が持てる感じの作品を選びました。 これを僕がまとめなかったら、たぶんまとめられないまま終わっちゃう。ここでいっぺん、こういうものも80年代にはありましたよということをまとめておいたら、いつか誰か拾ってくれるかもしれない。そのときにまた、日本の状況がもうちょっとよくなっていたりしたら……そういう“壜(びん)の中のメッセージ”、タイム・カプセルでもあるんです」 『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み/平中悠一』(田畑書店) 谷崎潤一郎の「細雪」を、日本では初の試みとなる「ノン・コミュニケーション理論」を用いて解析。三人称小説の在り方、文学作品の客観的な読み解き方を考察する。小説家である平中悠一の、東京大学大学院での博士論文を書籍化。 平中「三人称の小説を自分ではうまく書けないっていうのがまずあって。三人称の小説が一番本格的であるという話もよく聞くし、でも日本語で書かれた三人称の小説は、どうもどれもしっくりこないというか……どうも読んでて三人称ごっこみたいに見えちゃう感じがあるのに『細雪』だけは違和感が何もなくスーッと読めるので、なんでだろう?と。どこが違うんだろう?って、ずっと謎だった。『細雪』という小説自体、どうやって書いたんだろう?というのが全然わからなくて。それが『細雪』を研究のモチーフにしたきっかけです。そこから「ノン・コミュニケーション理論」の勉強を始めて……もしこの理論が使えるようになったら絶対おもしろいことになるぞ、と思ったんです」
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K-POPの名MC・古家正亨「透明な存在でありたい」韓国カルチャー伝道師の“譲れない哲学”
古家正亨(ふるや・まさゆき) 1974年生まれ、北海道出身。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程修了。ラジオDJ、テレビVJ、韓国大衆文化ジャーナリスト。年間200本以上の韓国アーティスト・俳優イベントのMCを務める。NHK R1『古家正亨のPOP★A』、ニッポン放送『古家正亨 K TRACKS』、テレビ愛知『古家正亨の韓流クラス』などのレギュラー番組でも活躍中 K-POPが好きな人なら、一度は「古家正亨」の名を耳にしたことがあるだろう。数々の韓国アーティスト・俳優による来日イベントなどでMCを務める古家は、ラジオDJそしてジャーナリストとして、長年、韓国大衆文化と併走してきた。 今回は、そのたしかな知識とカルチャーへのリスペクトを感じさせるトークで、ファンそしてスターたちからも厚い信頼を集める彼の職業観を聞いた。 現地での実体験でしか得られないものがある 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』 ──2024年4月に新著『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA)を刊行されました。本書ではK-POPの最新シーンはもちろんのこと、韓国芸能が国外へ受容されるまでの道のりもわかりやすく綴られていますが、なぜこうした内容を発信したいと思ったのですか。 古家正亨(以下、古家) まず、僕の中では日本におけるK-POPの展開って、KARAや少女時代が日本に進出した2010年前後である程度広がりきったと思っているんですね。逆にいうとそこまでのプロセスが大事で、それ以降はひとつのムーブメントとして定着していったといえる。 その一方、最近のK-POPシーンについては多くの方がご存じですし、記録としてもいろんなかたちで残っているけれど、当時の細かい事象についてはあまり知られていないように感じるんです。 ──“細かい事象”というと、どのようなものが挙げられますか? 古家 たとえばCDショップのK-POPコーナーに行くと、アルバムパッケージの形がすごく多様だと気づかされます。正方形のスタンダードな形態だけでなく、すごく大きいものや細長いもの、本型もあれば箱型もある。 なぜこうなったのかという背景にはさまざまな要因がありますが、よくいわれているのは「韓国では芸能事務所が作品プロデュースを徹底していて、アルバムのデザインワークにもこだわっているから」ということですよね。 でも僕の目には、別の理由もあるように映っているわけです。というのも、CDの売り上げが下降していった時期に、韓国ではCDケースのメーカーが次々に倒産してしまい、国内生産が難しくなっていたんです。そこで仕方なく、代わりにDVDのパッケージが使われ始めたんです。 それ以降、CDの形態が画一ではなく、いろいろなものが出始めて、見た目の自由度も増していった……というのがそもそもの経緯なんですね。 ──そんな事情があったんですね! 古家 もともと僕は大学卒業後にカナダへ留学して、そのときに韓国人留学生の友人から聴かせてもらったK-POPがきっかけで韓国の音楽に傾倒していったんです。 ラジオDJとして活動しながら「自分の好きな韓国の音楽についてもっとみんなに知ってもらいたい!」と流行歌を紹介したりしていたわけですが、今とは違って当時はインターネットも普及しておらず、現地のトレンドを把握するのがすごく大変だった。なので自ら韓国のCDショップへ足を運んで、音源をチェックするしかなかったんです。 その時代の日本は、ほかのアジア諸国を軽視するような風潮がありましたし、韓国カルチャーの発信に積極的なメディアも少なかったので、僕の活動を認めてくれる人も少なかったですし、渡韓費用もCD代もすべて自腹でした。 そんな時代、韓国のCDショップへ行くたびに、個性的な形のCDが少しずつ増えていき、知らず知らずに(ショップ内で)やたら足を(CDに)ぶつけるようになっていったわけです(笑)。 さらに時が経つと、今度は三角形のアルバムパッケージなんかも登場して(miss Aの『Bad But Good』)。日本ではそんなケースが少なかったので「なぜだろう?」と思い、関係者に聞いてみると、先ほどお話ししたことがわかったんです。 miss A『Bad But Good』 ……話が少し長くなってしまいましたが、あるムーブメントを捉えるにおいて、実体験を通じて新鮮に感じたことや疑問に思ったことを調べる、ということの繰り返しでしか見えてこないことってあるんですよね。なのでそういう経験を通じて、この目で見てきた“細かい事象”を伝えたいという気持ちがあるんです。 ──どこにいながらも世界中の最新曲がチェックでき、現地メディアのレポートが即日多言語でアップされるようになって久しい今も、その考えに変化はありませんか? 古家 そうですね。昔は「若者の間で流行っている音楽を知るには、明洞(ソウルの繁華街)を歩け」といわれていましたが、最近は好みや音楽ジャンルが多様化して、そうはいかなくなりました。 ソウルの若者の遊び場も、かつては一極集中だったのが、今ではいろいろなところに広がっています。それぞれの場所で流れている音楽も、たとえば芸術系大学エリアの弘大はインディーズミュージックの中心地ですし、名門大学エリアの梨大や新村では日本のシティポップが流れていたりする。 日本で「韓国の音楽」といえばアイドルが中心ですけど、韓国本国では2010年以降音楽の多様化が一気に進み、さまざまなジャンルのアーティストが音楽界で支持されています。 日本でヒットチャートだけを見ていては「アイドルが流行っている」という情報しか得られず、わかったような気になってしまうので、現地の実情を理解するには、ネットでなんでも調べられる今だからこそフィールドワークが大切だと思うんです。きっと大学院でジャーナリズムを専攻していたこともあり、その思いが強いのかもしれません。 MCで大事なのは「透明な存在になること」と「入念なリサーチ」 古家正亨 ──古家さんはK-POPのイベントMCを数多く務められていますが、それぞれのアーティストに関する知識の深さにファンから驚きの声が上がることもよくあります。その根本にはジャーナリズムの精神があったのですね。 古家 大学で専攻していた臨床心理学によって培われたものも大きいと思います。心理学って要は、“人の心”を数値化する学問じゃないですか。見えないものを“見える化”する作業は、今僕がMCやラジオDJをするにあたって、非常に役立っているんです。 それから、当時の恩師から教えていただいた「カウンセラーは自ら答えを提供するのではなく、あくまで困っている人の話を聞き、気づきを与える職業」という言葉に大きな影響を受けました。「真の話し上手は、最高の聞き上手である」という先輩からのアドバイスも、今の僕の成長の糧になりました。 ですから今の仕事をするなかで常に念頭に置いているのは、できるだけ“透明な存在”になって、主人公のスターとファンをつなぐパイプ役に徹したいということ。必要なタイミングにだけ、なるべく短い言葉を発することでスターとファンとの橋渡しができたらというのが、仕事をするにあたっての哲学です。 ただ、その「必要なタイミング」というのはいつやってくるかわからないので、どんな状況にも対応できるように、やはり事前の入念なリサーチが重要になるわけです。 ──逆にいうと、どれだけリサーチしても「必要なタイミング」が来ない限りは、せっかく準備した情報の出番はないということですよね。 古家 そうです! 昔、マラソンの実況をやっていた先輩から「ランナー全員のバックグラウンドや趣味まで調べ上げても、それが少しも役に立たないことが多い。それでも1000リサーチしたうち1や2が活かされるときのため、我々は準備している」という話を聞いて、すごく感動したんです。 だから常にスターの動向をチェックして、現地の記事を読んで、時にはファンのSNSを見て……。家族には「いつもネットばかり見て、楽しそう」と思われていますけど(笑)。 ──本当に大変なお仕事だということがわかります……。 古家 最近は年間200本ほどイベントに出演しているのですが、その中で「今日は満足できた」と思えるイベントって、正直10本あるかないかなんです。 MCという立場上、自分がどれだけ準備をしても、すべてをコントロールできるわけではないし、韓国と日本という文化や習慣が違う、異なる民族の者が混在する現場が多いので、価値観や目的にもズレが生じるわけです。 とはいえ、表に立って進行しているのはMCですから、もしもイベントがイマイチだったときは僕の責任になってしまうんです。 たまに「なりたい職業は古家さんです」と言っていただくことがあるんですけど、はっきりいってオススメできません。想像できないかもしれませんが、心労は計り知れません。 韓国カルチャーの「スポットが当てられていない部分」も伝えたい ──とはいえそんな古家さんだからこそできる仕事、伝えられることが多いぶん、活動のフィールドを広げていらっしゃるのだと思います。今後新たに挑戦したいことってありますか? 古家 たくさんあります。たまに「古家さん主催のフェスをやってほしい」と言われるので、いつか実現できればと思っています。ただ、K-POPアイドルのフェスにしてしまうと、どうしてもお金が莫大にかかってしまいますし、すでに多くのイベントが日本で行われているので、僕がする意味はもはやないと思います。 自分のキャリアの原点って、もともと韓国のインディーズ音楽を聴いてハマったということもありますし、あまり日本では知られていなくても、実力のあるアーティストを呼ぶというかたちでなら可能かもしれません。 それと、昔からずっとやりたいと思っているのは、韓国音楽についてのドキュメンタリー制作です。取り上げたいテーマはいろいろあって、1970~80年代に日韓の音楽交流の架け橋として尽力してきた歌謡界の重鎮の半生だったり、日本における韓国エンタメの定着の過程だったり……。K-POPが日本でここまで受容されるようになった背景については、もっと掘り下げられるべきだと思うんです。 今でこそ注目されるようになった韓国カルチャーですが、スポットライトが当てられているのはまだまだほんの一部なので、それ以外のところを“古家目線”で記録として残したい、というのが僕の希望ですね。 文=菅原史稀 編集=高橋千里 INFORMATION 『BEATS of KOREA いま伝えたいヒットメイカーの言葉たち』(KADOKAWA) 著者:古家正亨 定価:1,600円(税別) 古家正亨が韓国カルチャーの過去・今・未来を、ラジオ番組仕立てで届ける https://www.kadokawa.co.jp/product/322111001104/
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春アニメを遡り考える“アニメのこれから” ──DJ・KO KIMURA×アニメ評論家・藤津亮太
KO KIMURA 木村コウ(きむら・こう) 国内ダンスミュージック・シーンのトップDJ。クラブ創成期から現在までシーンをリードし、ナイトクラブでの活動のみならず、さまざまなアーティストのプロデュース、リミックス、J-WAVE『TOKYO M.A.A.D SPIN』(毎月第1金曜日27:00〜29:00)にてラジオDJとしてなど、国内外で活躍中。 藤津亮太(ふじつ・りょうた) アニメ評論家。地方紙記者、週刊誌編集を経てフリーのライターとなる。主な著書として『「アニメ評論家」宣言』(2003年/扶桑社、2022年/ちくま文庫)、『アニメと戦争』(2021年/日本評論社)、『アニメの輪郭』(2021年/青土社)などを出版。 昨年11月に実現したアニメ好きで知られるDJ・KO KIMURAとアニメ評論家・藤津亮太の対談。今回は、春アニメをテーマにふたりのアニメ対談第2弾を敢行した。人気作『鬼滅の刃』や『僕のヒーローアカデミア』の続編をはじめ、『忘却バッテリー』や『怪獣8号』など話題作が盛りだくさんの今期。過去〜現代の春アニメ作品を比較しながら、トレンドやアニメ業界の変化などについて語ってもらった。 目次“春アニメ”で思い出すあの作品過去〜現在でよくできたアニソンとは?春アニメから見る業界のこれから “春アニメ”で思い出すあの作品 ──アニメ対談第2弾ということで、今回はビッグタイトルが並ぶ春アニメについてです。毎年、春アニメはどこも気合いが入っているようですが、20年前、10年前、現在放送の春アニメを比較しながらお話を伺えたらと思い、2004年、2014年、2024年の春アニメ作品リストを持ってきました。 藤津 2004年の春アニメもそこそこ数がありますが、『アニメ産業レポート』(日本動画協会)によると、2004年は年間放送されたアニメが203本ぐらいあったんです。2022年の段階でテレビアニメは年300本を超えているので、2004年は現在の3分の2ぐらいだったころで。 木村 今は毎クール50番組を超えていますから、もう全部をチェックするのは不可能に近いですよね。こう見てみると、昔は一般には広く流行らなくても、アニメシーンの中では話題になる作品が多かった気がしますかね。 藤津 2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』の放送があるんですけど、そのあとからラノベ(※ライトノベル)のアニメ化がまた増えるんですよね。1990年代以来ですね。2004年はその直前なんで、意外とラノベアニメは少ないかなって。 木村 マンガ原作が多いからか、全部が似たような作品にならない時代でしたよね。 藤津 今だと異世界転生モノがたくさんあるので(笑)。ベースが似ている──たとえると、でき上がっているラーメンは別ものなんだけど、基本の出汁は同じみたいなところがありますよね。個人的に春アニメの記憶をたどると、『機動戦士ガンダム』(1979年)がすぐ浮かびますね。 木村 ガンダムは春の放送だったんですね。 藤津 そうなんです。4月7日放送開始で。小学校高学年ぐらいのときで、事細かに春の記憶と結びついているわけではないんですけど。そのあと『機動戦士Ζガンダム』が1985年3月放送開始で、高校2年生になった4月に、友達と登校中に会って「(Zガンダム)どうよ?」という話をしたのを覚えています。 木村 『Ζガンダム』になって、だいぶストーリーが暗くなりましたよね。富野由悠季監督のネガティブなところがいっぱい出ている気がしました。 藤津 重苦しい感じがありましたよね。キャラクターを追い詰めていくところがある作品ですからね。 木村 10年おきに見てみると、異世界転生モノのような今っぽいアニメはまだないですね。2004年は『忘却の旋律』でLiSAさんの歌(OPテーマ「Will」)を思い出しました。あと、『頭文字D Fourth Stage』はCGが少しよくなっている時代ですね。 藤津 『頭文字D』は2023年秋に『MFゴースト』(※『頭文字D』と同じ世界の近未来が舞台という設定)をやっていて、今年もシーズン2をやると言っているし。『ケロロ軍曹』や『キン肉マン』は今年新シリーズ発表をしていて、2004年を見ていると、意外と20年後の今と重なるものがあっておもしろいです。 木村 20年経っても観ている方はけっこういそうですよね。あと、アニメファン初期の人たちも多く見ていそうです。ちょうど『風の谷のナウシカ』(1984年)で映画館に並んでいたような人たちなのかな。 藤津 『風の谷のナウシカ』も春の映画でしたね。ちょうど中学3年から高校に上がる春休みの公開だったので、映画館に観に行きましたね。約束もしてないのに友達も観に来ていて、映画館でばったり隣り合わせるみたいな(笑)。 木村 「やっぱり来るよね!」って言ってね(笑)。90年代になると今でいう深夜アニメ的なものはOVAになっていったじゃないですか。だんだん夕方6時のアニメもなくなってしまうし。自分が子供のころ、ジャンプアニメは19時からやっているみたいな。それが今になると夕方はニュースばっかりで。あと土曜と日曜の朝にやるアニメが増えましたよね。 藤津 結局はアニメそのものの視聴率が90年代の終わりごろからジリ貧の状態だったんです。その結果として、たとえば『ONE PIECE』(1999年〜)がゴールデンタイム放送じゃなくなるのが2006年で、『名探偵コナン』(1996年〜)もずっと月曜19時台でやっていたのが、2009年以降は土曜夕方枠に移っていて。そんなふうに、ちょっとずつ視聴率的にゴールデンタイムからアニメ枠が押し出されていって、逆に深夜にアニメ枠が増えていくことになった感じですね。 木村 なるほど。『交響詩篇エウレカセブン』(2005〜2006年)は朝7時とかにやっていて、京田知己監督や脚本家の佐藤大さんが「ナイトクラブで踊ったあとに見てもらいたい」と言っていたんですよ。そういう狙いもあるのかなって。僕もそのころは『マリア様がみてる』(2004年)を観るために、DJ終わったあとすぐ帰っていたから。最近は日曜朝のアニメって、大人向けのものが少なくなってきましたよね。 藤津 かっちり棲み分けされていますよね。土日の朝は、玩具やカードがセットになっている番組が中心で。 木村 たしかに多いですね。カードバトルものとかね。僕は朝6〜7時ぐらいまでDJをしていたりするので、日曜の朝に好きなアニメを観られるのは、DJ中もテンションが上がっちゃって。あと、土曜朝の『家庭教師ヒットマンREBORN!』(2006年)とかも好きでした。 過去〜現在でよくできたアニソンとは? ──その時代のトレンドはあるのでしょうか? 木村 2004年はやっぱりマンガ原作が多かったですよね。『GANTZ』(2004年)はアニメを観るときに少しフレッシュさがなくなってしまうから、原作は読まないようにした思い出があります。 藤津 あと、現代は “なろう系”(※小説投稿サイト『小説家になろう』発の原作の作品)という言葉に代表される、WEB投稿発の小説が企画のスタート地点のものがめちゃくちゃ多くなっているので、そこが一番違うところですよね。 木村 『サムライチャンプルー』も2004年春なんですね。少しサブカルっぽい雰囲気が伝わってきていて、アニメでヒップホップの音楽が流れることはなかったから。 藤津 そういう意味では『サムライチャンプルー』は、かなり目立っていましたよね。 木村 そういえば当時は野球中継があると、最終回までテレビでやらないとかありましたよね。 藤津 ありましたね(笑)。『GAD GUARD』(2003年)も地上波放送が途中で終わってて。そのあたりは、アニメ制作会社は局と連携があまりよくなくて、過渡期といえば過渡期だったんですよね。深夜アニメが始まって10年弱ぐらいで、改めてアニメに力を入れようとなったけれど、その体制が2004年はまだ固まりきってないんですよ。 木村 そうなんですね。『GAD GUARD』とかも「え、これどうなるの?」で終わっているから。今だと次のクールの最終話の持ち越しとかありますから。最終話を見るために、OVAを買ったり、レンタルしたりしなきゃいけなくなるという。 藤津 あとBSだけで全部やります、みたいなケースもありますからね。 木村 なかなか懐かしいですね。『サムライチャンプルー』も最後あれ?ってなりました(笑)。『GAD GUARD』はカッコよかったですよね。 藤津 ちょっとトガったビジュアルセンスのある作品だったので。 木村 最近は“なろう系”ばっかりで……。 藤津 すごく量が多いですからね。あと、2004年春の作品リストを見ると『DANDOH!!』があるんですよ。ということは、2004年も今年も両方ともゴルフアニメが入っています。そもそもゴルフアニメなんて、めちゃくちゃ少ないのに。両方にあるのはすごいなと(笑)。今年放送の『オーイ! とんぼ』は、ゴルフ雑誌『週刊ゴルフダイジェスト』(ゴルフダイジェスト社)の長期連載マンガですね。 木村 10年周期でゴルフアニメが出てくるのかもですね(笑)。ゴルフアニメはおもしろいですけど、数が少ないからいいのかもしれないですね。サッカーとか野球とか多いから、そうすると、どれか埋もれちゃう。 藤津 ただゴルフというスポーツの欠点は1試合が長いということですね(笑)。省略しすぎるとゴルフらしさが減っちゃうし、そこが実際にアニメで描くときには難しいところだなと思いますね。マンガだと延々とできるんですが、アニメだと区切りのいいところで収めないといけないから。 木村 箱根を自転車でずっと走っている『弱虫ペダル』(2013年〜)も同じですよね。 藤津 あれも走り出すと長いですからね。 木村 1クール全部、箱根を走っているみたいな。バスケットボールとか野球は、春や夏の甲子園とかね、終わらすタイミングがありますけど。 ──こう並べて見てみても、記憶に新しい作品が多いですよね。 木村 え、『ハイキュー!!』は2014年!? 藤津 そうなんですよ。テレビで第3期までやって、今年は映画です。映画『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』(2024年2月)は、すでに興行収入100億円と勢いがすごいんです。今は人気が出ると、作品寿命がかなり長くなるんですよね。『ラブライブ!』も最初のシリーズの第2期が2014年ですけど、シリーズは今も継続中ですからね。今度NHKで一番新しいシリーズをやるし。さらにほかのシリーズも展開しますと予告しているし。 木村 『ラブライブ!』といえば、作中に出てくる“穂むら”(※神田にある和菓子屋“竹むら”)。僕は90年代からずっと甘味好きなのもあって通っていたんですが、『ラブライブ!』人気でやばいことになっていて。作品ファンらしき人たちがグワーって並んでいて、当時全然行けなくなってしまって。店内での撮影もダメになり、アニメって影響力は強いんだなって(笑)。もちろん僕も、『らき☆すた』(2007年)の聖地巡礼もしていましたけど。みんなが聖地巡礼をやり出したのは、どのあたりなんですかね? 藤津 どこで線を引くか難しいんですけれど、もとから映画のロケ地探訪というのがファンの中ではあったんですよね。70年代〜80年代前後だと『ベルサイユのばら』ファンがフランス旅行へ行くというのもあったりして。当時はまだ聖地巡礼という名前がついていたわけではなかったけれど、アニメの舞台を訪れるという意識は昔からあったんです。“聖地巡礼”といわれたり、新聞記事になるようになったりしたのが、『おねがい☆ティーチャー』(2002年)あたりからだと思います。作中に長野県・木崎湖が出てくるんですけど、木崎湖に年1回ファンが集まるみたいなことが自然発生的に起きるようになって。それがさらに大きく話題になったのは『らき☆すた』ですよね。そのあと、さらに『ガールズ&パンツァー』(2012年)で茨城県・大洗町がフィーチャーされた感じです。ほかにもいっぱいあるけど、節目でいうとそこですかね。 木村 なるほど。今期の『変人のサラダボウル』は岐阜県を舞台にしていて、僕が岐阜県出身なのでうれしくなって。その土地と組んでアニメを作ることも増えましたよね。 藤津 フィルム・コミッションにロケ地を挙げてもらったりしているみたいですね。『となりの妖怪さん』(2024年)は静岡県西部の山のほうが舞台になっているのと、『ゆるキャン△ SEASON3』(2024年)は原作どおり、このあと静岡の山間地も登場する流れです。僕は静岡県出身なので、いろいろな地名が出てくると懐かしいなと思って観ています。 木村 実際に行ってアニメの場所が現実世界でそこにあるとうれしいですよね。僕も、長崎や函館に行ったときは、仕事ついでに1日余分に取って聖地を訪れています。 藤津 長崎に住んでいる知り合いの方が、長崎舞台のアニメはいくつかあるけれど、逆に住んでいるぶんだけ楽しみにくいみたいなことを言っていて。現地のリアルな情報があるから、「こういう感じじゃないんだけどな……」と気になってしょうがないと。素直に作品を観られなくなっちゃうらしくて。そういう、実際に住んでいるからこその感想はちょっとおもしろいなと思いました。 木村 アニメを観た人に来られても困る場所とかありますもんね。 藤津 舞台にはしたけど、私有地だから「入ってはいけないですよ」みたいな場所だったり。 ──地元が盛り上がるのはうれしいですが、難しい問題もありますよね。ほか、気になる作品はありますか? 藤津 『シドニアの騎士』(2014年)は、ひとつ分岐点っぽい作品で。国内で地上波放送をする前に、当時はまだ日本でサービスインしていなかったNetflixで先にかけたので、海外のほうが先に見られる作品だったんです。そのあと2015年に日本でNetflixのサービスがスタートしたんです。『シドニアの騎士』は日本のアニメが配信を舞台に海外で戦えているよ、というごく初期の例で。そういう意味で興味深い作品です。今は配信サービスがめちゃめちゃありますけど、10年前はまだ黎明期だったよなって。 木村 配信で最新のものを観たいけど、いずれ人気なのはテレビでやるだろうって思いながら。同じ業界の知り合いのTOWA TEIさんが音楽を手がける『スーパー・クルックス』(2021年)を観ようかなって思ったけど、テレビだけでも追われているのに、Netflixまで追い出すと大変。 ──同じ業界の人、知り合いの方が関わっている作品は気になりますよね。 木村 『BANANA FISH』(2018年)は気になって観たんですけど、結局音楽ばかり気になって、作品のほうに入っていけなくなったり。そういうのもおもしろいんですけどね。音楽でいえば、僕はアニソンはやっぱり、アニソンらしいほうが好きで。最近だと、YOASOBIさんとかはうまく作品にリンクしていますよね。 藤津 この間『AnimeJapan 2024』で、YOASOBIのレーベルプロデューサーに公開取材をするイベントがあったんです。そのときおっしゃっていたのが、YOASOBIは小説を歌にするユニットなので、どのアニメタイアップも小説を必ず書いてもらうんですって。最初にやった『BEASTARS』(2019年)も原作の板垣巴留先生に「書いてみてください」と言って書いてもらったみたいです。小説を書いてもらって、そこから世界観を抽出しているので、作品とのマッチ具合がいいんでしょうね。 木村 そのやり方を崩してないのは合ってる気がしますね。あと、ボカロPっぽい感じの曲の作り方も。 藤津 アニメのオープニングは89秒ですから、その中に詰め込む力がないと物足りなくなってしまいますからね。 ──アニメタイアップ曲は印象に残りますし、何年経っても色褪せないというか。数十年経って聴いてもいい曲が多いですよね。 藤津 2014年の『ピンポン』は、牛尾憲輔(うしお・けんすけ/作曲家)さんが初めてアニメの劇版をやった作品で。牛尾さんはもともとアニメ好きで知られている方ですが、当時は依頼が来たことにテンションが上がって、監督などと打ち合わせをする前に、まず曲を書いて渡してたっておっしゃってました。 木村 『ピンポン』の音楽も作品に合っていましたよね。子供のころは直球アニソンが多かったけど、『サムライチャンプルー』とか、2000年代から全然違う曲調が増えてきたなという印象ですね。そのころから、海外のDJでもリクエストが増えてきて、海外でもアニメが流行っているなって。 藤津 2005〜2006年に北米で日本のアニメのDVDが売れているんですよね。ただ当時は、DVDベースなので、ローカライズして輸出することができる作品は限られていた。向こうのファンも渇望しているというか、飢えている度合いが高かったんです。それがYouTubeのサービスが始まったあたりから海賊版が大量に発生して、DVDが売れなくなり、さらにリーマンショックもあって、その影響で日本のアニメ産業がシュリンクする時期があるんですよ。なので、作られているテレビアニメのタイトル数は、今お話しした海賊版やリーマンショックの影響で2010年で少し減っているんです。その後、徐々に持ち直していくのですが。そして2015年ごろから配信サービスの普及で当たり前になって、今やほぼタイムラグなしで日本のアニメが観られるようになっているんですよね。それによって業界も売り上げが増えていますし。 木村 アニメファンはおもしろい作品には課金してみようかな、というマインドがありますよね。DVDも自分用、友達への布教用、あとは保管用で買ったりして。 春アニメから見る業界のこれから ──今期の春アニメについてはどうでしょうか? 全体的には“なろう系”からの作品が多いですが。 藤津 『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』は「つむぎ秋田アニメLab」という秋田のアニメスタジオが作っているんです。同社は、少人数で作るための体制やワークフローを整えて、同作を作っているそうです。東京だとスタッフが足りないという話も多いですが、そういった状況に対するカウンターですね。時代の先端のやり方だと思いました。興味深いです。作品自体も気軽に楽しめる魅力があります。木村さんは、何か気になるアニメありますか? 木村 とりあえずこれまでの続きの2〜3期ものは押さえつつ、『転生貴族、鑑定スキルで成り上がる』、『LV2からチートだった元勇者候補のまったり異世界ライフ』、『転生したら第七王子だったので、気ままに魔術を極めます』、『Unnamed Memory』、『Re:Monster』、『魔王の俺が奴隷エルフを嫁にしたんだが、どう愛でればいい?』、『WIND BREAKER』、『喧嘩独学』、『となりの妖怪さん』はおもしろいですね。『変人のサラダボウル』、『忘却バッテリー』とかも。 藤津 『忘却バッテリー』は、おもしろいほうの宮野真守さんを堪能できる作品ですよね。 木村 あと、僕はまだCGアニメ系についていけてなくて……。 藤津 ああ、そうですか。実は今期だと『ガールズバンドクライ』は、イラストレーターさんの絵を3DCGで動かすという、変わったアプローチをしていて。視聴者や業界が「どうやっているの?」って思うであろう、すごく攻めたルックで、独特の雰囲気を持っています。あれは3DCGのインパクトがある作品です。 木村 あと僕は昭和世代なので『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』も気になります。再構築じゃないですけど、ちょっとは新しく、変わっているんですか? 藤津 『宇宙戦艦ヤマト2199』(2013年/※リメイク版シリーズ)からの続きですね。旧シリーズの『新たなる旅立ち』に相当する位置づけの作品ですね。『2199』以降のリメイクシリーズは、科学的なアイデアやミリタリー的な要素も大幅にアップデートされていて、旧作よりもリアリティは増しています。だから旧作を知っている世代は「そうきたか」とおもしろがれると思います。 木村 そういう話を聞くと、おもしろさが増しますよね。前からそういうことを指摘する人っていたじゃないですか、「こんなことできないよ」って。 藤津 『怪獣8号』はご覧になられました? 木村 観てます! これからおもしろくなっていきますね。 藤津 ギャグシーンも含めて、このあとも緩急含めていい感じに仕上がっていますよね。 ──さすがジャンプ作品ですね。5月からは『「鬼滅の刃」柱稽古編』や『僕のヒーローアカデミア 第7期』などビッグタイトルのシリーズが始まります。2期、3期と続くのは定番化されているのでしょうか? 藤津 確認したことはないんですけど、配信になると、今観た作品の続きが“おすすめ”の欄に出てくるじゃないですか。そうなると、“おかわり”がしやすいんですよね。ヒットしたら続きを作ったほうが、配信サービスにも売りやすいのかなって想像しています。配信って、新しい作品を観るのもいいけど、続きがあるならとりあえず続きを観てみるか、となりやすいサービスなので。そういう意味で、ここ10年、シリーズものが増えているのかなと。 木村 自分的には、間に半年とか空くと忘れてしまうので続けて放送してほしいんですけど(笑)。あと気になるのは『じいさんばあさん若返る』。 藤津 『じいさんばあさん若返る』は、たわいのない話なんですけど、三木眞一郎さんがおじいさんをやっていて。『アストロノオト』に出てくるおじいさんも三木さんなんですよ。三木さんがおじいちゃんをやるようになるんだ……といろいろ思いましたね。 木村 やっぱりおじいちゃんキャラがうまいんですね。『終末トレインどこへいく?』も観てますが、本当に「どこへ行く?」というストーリーで(笑)。 藤津 本当にそう! どうなるんだろうなって。おもしろいより先に不思議、という感想になりますね。これを観ていると、自分はどんな気持ちになるのか予想がつかないです(笑)。 木村 おもしろくなるのかどうなるのか。不思議な感じですよね。『ダンジョン飯』もちゃんと続いていますよね。ご飯のお話で、ストーリー持つのかな?と思っていましたけど、第2期になって、ご飯の話じゃなくなってきて。 藤津 アニメは最初すごく飯推しで宣伝していたのでね(笑)。原作の九井諒子さんは短編のうまい方で、長編をどう描くのだろうと?と思っていたら、飯推しから始まって、だんだんハードなファンタジーになっていって、さすがだなと。そういう意味ではアニメも安心できるなと。 木村 ちゃんとダンジョンのお話になっていきましたよね。 藤津 あと、『転生したらスライムだった件』は第3期で、これが終わると1期から数えて70話を超えることになります。かなり長いシリーズになっていて、話数的に昔のOVA『銀河英雄伝説』(本伝全110話)に近づいてきてるんです。これは実はなかなかすごいことだと思います。 木村 『転スラ』は会議のシーン多いし、キャラも多い。キャラも一つひとつ立っているからいいですね。 藤津 時々ちゃんとバトルもありますからね。 木村 魔法のバトルなり、剣のバトルなり、戦闘機のバトルなり──やっぱりアニメにバトルシーンを取り入れると、それで人気が出るのはあるんですかね? 子供のころのアニメとかはそういうので話題になっていたから。今の時代もそうなのかなって。 藤津 やっぱり華になるシーンですし、SNSで戦闘がカッコよかったって、動画を上げる人もいますからね。目を引くし、人を呼び込む力はありますよね。 ──今期のアニメで、おふたりがアニメ好きに限らず、ライト層にもおすすめするならどの作品ですか? 木村 『怪獣8号』や『戦隊大失格』は見やすいかなと思います。『ダンジョン飯』も見やすいかな。異世界転生モノは、もう少しアニメに慣れてからかな。 藤津 『転スラ』は3期ですしね。やっぱり『怪獣8号』はおすすめしやすいですね。バトルもクスッと笑えるところもありますから。あと、深夜にゆったりとした気持ちで観るなら『となりの妖怪さん』。田舎暮らし的なお話なので。 ──ここまで春アニメを振り返ってみましたけど、今後のアニメ全体はどんなシーンになりますかね? 木村 異世界転生モノはもう原作がなくなってきたんじゃないですか? そのジャンルが今後どうなるのかは心配になってきています。 藤津 少しでも人気があるやつはすぐアニメ化されていますからね。あとは改編期が配信ベースになると、どうなっていくのかなって。配信だけだと広がりが出ないとわかっているので、テレビアニメがなくなることはないと思うんですけど。テレビと配信のどっちが主になるのか。テレビ局もアニメにもっとコミットして放送外収入を得ましょう、という流れもあって。ここからテレビ局とアニメ業界の綱引きで、どういう未来を目指すかということが将来のテレビアニメ、春アニメに関わってくるのかなと。 木村 見逃したアニメを観るために、Netflix、Hulu、dアニメストアに加入しているんですけど、減らしてもいいのかなって(笑)。 藤津 dアニメは新作アニメリストがあるから便利ですよね。HuluはDisney+がセットになりましたしね。 木村 これ以上観ないといけないアニメの数が増えると困っちゃいますね(笑)。 撮影=Jumpei Yamada 取材・文・編集=宇田川佳奈枝
BOY meets logirl
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金田 昇(BOY meets logirl #042)
金田 昇(かねた・しょう)2000年1月9日生まれ。北海道出身 Instagram:sho_kaneta_ X:@Sho_Kaneta 新番組『ウルトラマンアーク』7月6日(土)朝9時スタート(テレ東系列6局ネットほか)石堂シュウ役 撮影=矢島泰輔 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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橋本祥平(はしもと・しょうへい)1993年12月31日生まれ。神奈川県出身 X:@hashimotoshohey 主演舞台『「野球」飛行機雲のホームラン ~ Homerun of Contrail』(2024年6月22日~6月30日公演) 撮影=Jumpei Yamada 編集=宇田川佳奈枝 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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伊藤あさひ(いとう・あさひ)2000年1月19日生まれ。東京都出身 Instagram:asahi_ito_official X:@asahi_ito_0119 ドラマ『絶対BLになる世界VS絶対BLになりたくない男 2024』(Lemino/独占配信中)菊池役で出演 ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』(5月16日〜新国立劇場 中劇場にて)マーキューシオ役で出演 撮影=大嶋千尋 編集=高橋千里 【「BOY meets logirl」とは】 今、注目の「BOY」をピックアップし、撮り下ろし写真を公開します。
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今まさに旬な、そして今後さらに輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載
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女優・桜田ひより、二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと
旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 インタビュー【前編】 目次お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと お腹は空きつつ、心は満たされる『あたりのキッチン!』 ──放送中の主演ドラマ『あたりのキッチン!』について伺いたいです。どのような作品ですか? 桜田 はい、今も絶賛撮影中で、お腹が空きます(笑)。撮影中は、本当にお腹がすごく空くんです。 ──(笑)。料理については、どうですか? 桜田 作品内の料理は手軽に作れるもの、家庭料理が多いので、視聴者の方々もまねしていただきやすいかなと思います。この作品自体はグルメに焦点を当てるというより、グルメとハートフルなドラマの要素が組み合わさっているんですよね。 主人公の辺(あたり)「清美」ちゃんはコミュニケーション能力がゼロの大学生で、話が進むにつれて、関わっていく人々によって成長していく過程や、将来の自分についての悩みにもがく姿など、大学生ならではの胸に迫る瞬間も描かれています。観ていただければ、お腹も空きつつ、でも心は満たされる素敵な作品だと思います。 ──『あたりのキッチン!』ではメガネをかけていましたが、今までも桜田さんが演じるのはメガネをかけたキャラクターが多い印象があります。 桜田 メガネをかけてお芝居するのって意外と難しいと思っていて。技術的な問題になっちゃうんですけど、反射でどうしても顔が撮れなかったり、フレームで目が隠れたりということがあって。顔の角度とかも、意識しないとちょっと難しいんです。 ──たしかに。お顔も小さいので、合うメガネを見つけるのも難しいでしょうし。 桜田 メガネの形で、雰囲気も変わってきますし。 ──『家政夫のミタゾノ』の「実優」ちゃんと『あたりのキッチン!』の「清美」ちゃんは、キャラクター的にもかなり違いますが、その演じ分けはどうでしたか? 桜田 楽しいです。どちらもやっぱり演じていて楽しいですし。「実優」ちゃんのように相手のパーソナルスペースにすんなり入り込むことも楽しいですし、「清美」ちゃんのちょっとずつ成長していく姿は親目線というか、がんばれがんばれっていう気持ちで演じているので、それも楽しいです。観ていただく方々に変化を感じていただけることを期待しています。 殺人鬼を演じてみたいけど、追われる役が多い ──今後、挑戦してみたい役柄はありますか? 桜田 今後……そうですね。まだ制服を着る役にも挑戦できるかなと思うので、制服を着た役や、若さならではの恋愛に焦点を当てた役とか、それと! 刺激的な殺人鬼のような役にも挑戦してみたいと思っています。二十歳を過ぎてから、役の幅もますます広がると思っているので、さまざまな役に挑戦していきたいです。 ──若い女優さんにこの質問をすると、みなさん、殺人鬼の役を挙げるんですよね(笑)。 桜田 わぁー。みなさん、思考がちょっと変わってるのかもしれないですね。私もだけど(笑)。 ──殺人鬼の役を演じたいということですが、今までって、逆に何かに追われる役のほうが多かったりしません? 桜田 たしかに! 追われる役、多いですね。よく森に逃げて、森の中を走り回るシーンが多かったです。 ──ですよね。それと、プライベートの話も伺いたいのですが、最近ハマっているものや気になっていることはあります? 桜田 私、最近何してるんだろう……(笑)。思い出せない……台本を読んでいることくらいしか思い浮かばないです。楽しみを見つけたいと思います。 ──(笑)。何かやってみたいことはありますか? 桜田 マイナスイオンがたくさん出ているような森に行って、癒やされる系の旅館に泊まってみたいです。鳥のさえずりを聞きながら、リラックスできる場所で過ごしてみたいです。私はインドア派なので、思いきって外に出てみたいですね。 ──ちょうど1年くらい前に取材で話を伺ったときには、スカイダイビングをやりたい、と。 桜田 ああー(笑)。スカイダイビングは、ずっとやりたいんです。機会があれば挑戦したい。気球にも乗ってみたいです! 二十歳を迎えて、変わったこと、変わらないこと ──去年の12月に二十歳を迎えてもうすぐ1年が経ちますけど、どうですか? 何か変わりました? 桜田 なんにも変わっていません(笑)。仕事は本当に充実した1年で、着実にステップアップしている感覚はあるんですけど、プライベートでは何も変わりませんでした。 ──たとえば、お酒を飲むようになったり……。 桜田 そうですね……お酒も本当にたまにしか飲まないので。しかも基本的に家族と乾杯することが多いです。 ──なるほど。まわりからの期待など、二十歳になって変わったと思うことはありますか? 桜田 そうですね、仕事先で、作品を観たよ、よかったよ、と褒めていただく機会が増えたと思います。すごくうれしいです。 ──あと、現在思っている(スカイダイビング以外に)今後、挑戦してみたいことってあります? 桜田 冬に「かまくら」をつくってみたいです! これまで「かまくら」をつくったことがないので、試してみたいです。家の中でやりたいことは、だいたいやってきたと思うので。連れ出してくれる何かがないと、外に出られないんです(笑)。だから「かまくら」をつくりに行きたいですね。 ──「かまくら」づくりは、けっこうコツがいるんですよね。 桜田 崩れないようにがんばりたいです。手先が器用だと思うので、できる気がします(笑)。 ──体力も……。 桜田 体力も意外とあると思うので……がんばります! ──具体的にこのあたりへ行きたいとか、考えている場所はありますか? 桜田 北海道でおいしいものを食べたいですね。特に海鮮系。 ──北海道でおいしいものを食べて、「かまくら」をつくって、気球に乗って……。 桜田 森の鳥のさえずりを聞きながら(笑)。 ──ぜひ、そういう仕事を。 桜田 お待ちしております(笑)。 ──(笑)。最後に……日常生活で気をつけていることとか、普段やっていることはありますか? 桜田 撮影中はお弁当を食べることが多いので、時間があるときは、サラダや野菜を摂取して身体のバランスを保つようにしています。睡眠にも気をつけています。睡眠不足になると肌が荒れたりするので、スキンケアや身体のメンテナンスは、ゆとりがあるときに心がけていますね。最近は特に。 ──料理とかも? 桜田 たまに自炊もします。家族が食べたいものをつくったりしています。簡単なスープをつくったりすることが多いですね。 ──いわゆる冷蔵庫にあるものを使って……。 桜田 レシピさえあれば、基本なんでも! 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。
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『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい。女優・桜田ひよりの役づくり
#17 桜田ひより(前編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 桜田ひより(さくらだ・ひより)。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。近年では『卒業タイムリミット』(2022年/NHK)、『彼女、お借りします』(2022年/朝日放送・テレビ朝日)、『生き残った6人によると』(2022年/MBS・TBS)などで、ヒロイン役を連投。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。 「focus on!ネクストガール」 今まさに旬な方はもちろん、さらに今後輝いていく「ネクストガール」(女優、タレント、アーティスト等)を紹介していく、インタビュー連載。 目次中学3年生で“役”に没入する感覚を経験作品を通して“青春時代”を擬似体験『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい 中学3年生で“役”に没入する感覚を経験 ──桜田さんがこの世界に入ってからの、初仕事は覚えていますか? 桜田 本当の意味で最初に行った仕事というと、詳しく思い出せないんですけど……でも小さいころから演技のレッスンに通っていて、気づいたらドラマや映画に出ていた気がします。 ──こんなふうになりたいと憧れた女優の方などはいました? 桜田 女優さん……5歳くらいから始めているので、そのころはまだ将来像まで考えることはありませんでしたね。習い事の延長のような……仕事というより、楽しいものとして、演技を楽しんでいました。 ──なるほど。経験を重ねる中で、特に印象に残っている作品はありますか? 桜田 中学3年生のときに出演した映画『祈りの幕が下りる時』(2018年)です。初めて“役”に没頭したという経験がとても印象に残っていて、鮮明に覚えています。いい意味で“役”と一体化する感覚を得ることにつながったんですけど、逆な意味では(演じていた)記憶がなくなるのは怖いなと感じたりもしました。 ──印象に残っている共演者の方はいますか? 桜田 小日向(文世)さん、お父さん役でした。とても印象に残っています。 ──まわりの反応はどうでした? 桜田 反応はスゴかったです。たくさんの反響をいただき「大ヒット御礼の舞台挨拶」にも登壇させていただいたので。本当に多くの方から、印象に残ったと言っていただけました。 ──その後もいろいろなドラマに出演されていますが、「役づくり」について、ルーティン的なものはできたりしましたか? 桜田 そうですね。役づくりの際に大切にしているのは、自分自身が、演じる役の一番の理解者であることです。たとえば、殺人鬼のような役を演じる場合、通常の感覚ではその役の行動に共感できないじゃないですか……なんでこんなことするんだろう?とか、普通の人じゃ考えられないようなことをするという。そういう非日常的な役を演じるにあたって、実際には経験したこともないし、その思考回路に入ることもできません。だからこそ、演じる役の過去や背景を想像し、役の立場や行動を理解するよう努めます。 たとえば、幼少期に何があったのかとか、どのような経験からこうなったのかとか……こういったアプローチをして理解を深めることによって、その役の立場や意味を理解できるようになると思っています。役割も明確になりますし。 ──たとえば……女子高生役やリアルな彼女の役、またはSFや架空設定の役など、それぞれ異なる役を演じる際には、どのように? 桜田 私は原作のある作品に出させていただくことが多いので、そのときは原作を入念に読み込んで、その世界に入り込むことから始めたり。あと、洋画や海外の作品も好きなので……現実離れした作品とか多いので、架空の設定にも抵抗感が薄いですし、想像力を広げることも無限大だと考えているので。なので、役づくりで苦労することはあまりありません。作品の世界にスムーズに入り込めるほうだと思っています。 ──海外の作品で、特に好きなものはありますか? 桜田 SF、ファンタジー、アクションとかすごく好きですね。 ──具体的な作品を挙げるとしたら? 桜田 ありきたりなんですけど『スター・ウォーズ』『ハリー・ポッター』『ミッション:インポッシブル』『バイオハザード』などが好きです。ほとんどアクションとSFですね(笑)。 作品を通して“青春時代”を擬似体験 ──最近では、映画『交換ウソ日記』がありましたけど、この作品はどうでした? 高校生役でしたね。 桜田 そうですね。青春ものを演じることは、自分の人生の中で限られた期間しかないと思っています。大人になっちゃうとできないし、子供すぎても難しかったし。だからこそ、今の絶妙なラインでいるからこそ、この作品が成立すると感じました。 同世代の俳優の方々と共演することは刺激になりますし、制服を着て青春ものを演じることは、高校時代や中学時代に基本的に仕事をしていた私にとって、青春を味わう機会でしたね。 ──なるほど、手応えはどうでした? 桜田 手応え……実際には試行錯誤が多かったです。作品をつくる側として、観てくださる方にどれだけキュンキュンしてもらえるかがすごく重要だと思っているので、本当に、表情の微妙な変化など、それらを監督、プロデューサー、カメラマン、そして共演者と協力してつくり込みました。けっこう緻密な計算はありましたね。 ──まわりからの反響は? 桜田 はい、ありました。特に女性のファンの方からの反応が増えたように感じました。これが初めての恋愛映画で、ヒロインを務めることになったので、ファンのみなさんもすごく喜んでくれて。 ──ご自身、映画館で鑑賞されたりとか……。 桜田 観ました! 実際に映画館に行って観ました。みなさん、意外なところにキュンキュンしてくれてたりとか……え? ここでキュンキュンするんだ、とか。私たちが演じた作品に真摯に向き合ってくれている様子を見て、とても印象に残っています。 『ミタゾノ』に新しい風を吹かせたい ──近々のドラマ出演について伺わせてください。『家政夫のミタゾノ』のオファーを受けたとき、どうでした? 桜田 シリーズとして続いている作品だったので、それに伴う責任も感じました。単にシリーズの一環として捉えるのではなく、この『家政夫のミタゾノ』という世界観に新しい風を吹かせられる機会と思い、挑んだんです。現場はすごく明るく、松岡(昌宏)さんや伊野尾(慧)さんが温かく迎えてくださったので、とても楽しかったです。 ──桜田さんが演じるのは、どのような役柄なんでしょう? 桜田 私が演じている矢口「実優」ちゃんは感情が激しくて、シーンごとに、喜び、怒り、悲しみがジェットコースターのようにコロコロ変わるキャラクターだったので、演じるのがすごく楽しかったです。「実優」ちゃんに振り回される周囲のキャラクターたちとの関係性の在り方も、この作品ならではだと思います。 ──撮影中、印象に残ったエピソードや、共演者とのエピソードはありますか? 桜田 めちゃくちゃ暑かったですし、ロケ地が全部遠かったんです。移動距離がかなり長かったので、この夏は『ミタゾノ』に捧げていたな(笑)と感じています。 ──松岡さんや伊野尾さんはどうでした? 桜田 おふたりとは、撮影の合間に本当に他愛もない会話をさせていただきました。生で見る「ミタゾノ」さんは、画面で見る「ミタゾノ」さんより迫力満点です(笑)。大きさ含めて、ぜひとも生で見てほしいって思いました。 ──放送回の中で「実優」さんが活躍するエピソードはあります? 桜田 はい、「実優」ちゃんが活躍するエピソードも、もちろんあります! あと、全編を通してなのですが、「実優」ちゃんは基本的にゲストの方々にツッコミを入れていくタイプなので……ワーッてやっている中に、ポンポンおもしろいツッコミを入れたり、物語が進行する中で瞬時におもしろいツッコミを考えたり、テンポを崩さずにセリフを言う必要がありました。このリズムを崩さないようにしたり、「実優」ちゃんのツッコミが笑いを誘導できるようにバランスを取ることは、今回の撮影で難しい部分でしたね。 ──今回、初めて『家政夫のミタゾノ』を観る方にとっての見どころは? 桜田 やっぱり「ミタゾノ」さんが存在することによって、作品内の謎が次第に明らかにされていく過程が楽しいところです。それと、登場するゲストの方々が、本当にこんなにやっちゃっていいんですか?っていうくらい、もうハチャメチャに作品の中で暴れてくださっているので、その中に、合いの手を入れていく「実優」ちゃんだったりとか。うまくお茶の間に笑いを届ける役割を果たせていればいいなと思います。 ──特に印象に残っているエピソードはあります? 桜田 やっぱり第1話は印象的でした。私自身も初めて『家政夫のミタゾノ』の世界に入った瞬間でしたし。第1話では、ゲストとして松本まりかさんが登場して(演技的に)暴れ回っているパフォーマンスがすごく印象深かったです。さすがだな、と。その空気感をベースに『家政夫のミタゾノ』の世界観へ、私も一気に入り込むことができました。 ──ありがとうございます。各エピソードとも、楽しみです。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=菅井彩佳 編集=中野 潤 ************ 桜田ひより(さくらだ・ひより) 2002年12月19日生まれ。千葉県出身。『明日、ママがいない』(2014年/日本テレビ)などへの出演を経て、『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』(2017年/MBS・TBS)でドラマ初主演を果たす。映画『交換ウソ日記』(2023年)では主演を務めた。現在『家政夫のミタゾノ』(テレビ朝日系/毎週火曜よる9時〜)、『あたりのキッチン!』(東海テレビ・フジテレビ)に出演中。写真集『my blue』(集英社)が11月29日に発売予定。W主演を務める映画『バジーノイズ』が2024年初夏に公開予定。 【インタビュー後編】
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“恐竜推し”女優の山谷花純、3度目の朝ドラ出演への思い
#16 山谷花純(後編) 旬まっ盛りな女優やタレントにアプローチする連載「focus on!ネクストガール」。 山谷花純(やまや・かすみ)。オーディションを経て、ドラマ『CHANGE』(2008年/フジテレビ)で女優デビュー。2015年『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(テレビ朝日)に“モモニンジャー”役として出演。女優としてドラマ、映画への出演を重ね、主な出演作は映画『劇場版コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―』(2018年)、映画『フェイクプラスティックプラネット』(2020年)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年/NHK)、『親友は悪女』(2023年/BSテレ東)など。現在、NHK連続テレビ小説『らんまん』に“宇佐美ゆう”役として出演中。後編では、最近の仕事からプライベートまでを伺った。 インタビュー【前編】 目次「悪女」を演じて、気づいたこと3回目となる朝ドラへの出演好きな恐竜は、スピノサウルス 「悪女」を演じて、気づいたこと ──最近のお仕事について伺いたいのですが、『親友は悪女』で主演されていましたね。不思議というか、独特な役で……まるで原作からそのまま抜け出てきたような空気感で演じられていました。 山谷 そうですね。本当にみんなから「意地悪」って言われて! 「性格が悪そう」とも(笑)。 『親友は悪女』ではダブル主演ということもあり、役づくりにおいては相手役との関係性を重視しました。もし私ひとりが主演だったら、違ったアプローチをしたかもしれません。でも、ダブル主演という表記がされていたことから、お互いに強く叩かれなければ受けきれない部分もあると考えました。私が弱かったら(「堀江真奈」役を演じる)清水くるみさんの苦しみも立たないだろうなと。相手をかわいそうと思わせなければ、私も活きてこないだろうと思いましたし。それならば、容赦なくやったほうがお互いにとってすごくいいだろうなと思って、けっこうひどいことをしましたね(笑)。 もちろん負けたくない気持ちもありましたが、お芝居は相手のために行うものだと思います。ただ、私がパンッと叩くとき、叩かれた側も痛いですし、叩く手も痛い。だから、撮影中は家に帰ってくると疲れがどっと出てましたね。叩くことの痛みを実感しました。ちょっと時間が経ってから、自分が疲弊していたことに気づく。 ──ダブル主演……なるほど。それは考えたことがありませんでした。 山谷 ある意味、親友関係や、いじめられっ子いじめっ子などの作品は、お互いが弱かったり強かったりしないと成立しないんじゃないかと思います。 ──伝わりにくいかもしれませんが、プロレスのような感じですかね? 山谷 まさにそんな感じです(笑)。格闘技のような感覚。 ──まわりの感想は、どんな感じでしたか? 山谷 親からは、「すごく嫌な子だねぇ」って言われたり、「そんな娘に育てた覚えはないよ」と言われたりしました(笑)。でも「強い役が似合うね」とも言われます。実は、読んだときに共感したのは清水くるみさんが演じた役のほうでした。撮影が終わって時間が経つと、私が演じた「高遠妃乃」と共通する部分も少しずつ見つかってきて、実は承認欲求が強い部分や負けず嫌いな部分が似ているのかもと気づきました。 3回目となる朝ドラへの出演 ──なるほど。次に『らんまん』についても伺わせてください。役柄については、どうですか? 山谷 長屋の住人という設定で、たくさんのキャストがいる中で、自分がどのようなバランスを取って存在感を出していくか、台本を読んだときに考えました。長屋にはワケありの人が多くて(笑)、皆さまざまなものを抱えて十徳長屋にたどり着いたという背景があります。 私が演じる「おゆう」さん(宇佐美ゆう)は、恋愛や異性へのバックボーンを抱えて唇を噛みしめながら生きてきた強い女性です。物語の中で(「おゆう」さんが自らの)過去をオープンにする回があるのですが、そのときには絶対にかわいそうと思われたくないと思いました。脚本家の長田育恵さんは、女性から見てもかっこいいと思える女性を描くのが得意で、素敵な言葉で物語を紡いでくださるので、その世界に恥ずかしくない存在でありたいと思いました。どんなに悲しいことがあっても、私はその過去を抱きしめながら、明日を生きているし、今は笑っているんだよ、それが幸せだと思うんだという気持ちを視聴者に届けたいと思い、役作りに取り組んでいます。地に足をつけて踏ん張ることだけを意識していますが(笑)、自分の中の強い部分や負けず嫌いな部分にも意識を向けながら、役に向き合っていますね。 ──連続テレビ小説(朝ドラ)は何回か経験していると思うのですが、作品によって現場に違いがあったりしますか? 山谷 最初のころの『おひさま』(2011年)の記憶はほとんどなくて……。『あまちゃん』(2013年)の現場のことは、うっすらと覚えています。ただ、そのときは作業着を着ることができてうれしかったという記憶くらいで(笑)。海女(あま)の学校に行って「じぇじぇじぇ!」って言えるみたいな(笑)。海女のダンスを踊るのが大変だったとか、そういう部分的な記憶はありますが、具体的に何が起きたとか、話したことはほとんど覚えていません。 ──では、今回の『らんまん』で、しっかりと朝ドラの現場を経験されたという……。 山谷 そうですね。当時(『おひさま』『あまちゃん』の撮影時)は、まだ中学生や高校生で、お仕事という感覚がそれほど強くありませんでした。好きなことをしているだけで、習い事のような感覚でお芝居をしに行っていました。だからこそ、今になって朝ドラの現場での撮影方法や進行の仕方などを初めて経験するような感じなんです。 ──『らんまん』の撮影中に、共演者の方々とこんなことをしているみたいなことは、何かありますか? 山谷 将棋をやっていましたね、子役の子と。将棋は年代を問わず楽しめるゲームだし、大人も一緒に遊べるんだなと。それと、この作品は明治時代の設定なので、撮影現場に金平糖とかあやとりがあったりするんです。カメラが回っていないところでも、みんなが着物姿で金平糖を食べている様子は素敵です(笑)。渋谷のど真ん中で、スタジオに来るまではセンター街を抜けてくるのに、スタジオに入ったら着物姿になってかつらをかぶり、下駄を履いて……みたいな。で、撮影が終わると、またネオン街を抜けて駅へ向かう。不思議な感覚です。でも、それもこの仕事の楽しさのひとつだと思います。 ──たしかに。楽しそうな現場ですね。『らんまん』での山谷さんのココを見てほしいという、見どころをぜひ。 山谷 人間は失敗を重ねて、今があるんだと思います。その中で、悔いていることがたくさんあると思うんです。でもそれでも乗り越えて、たとえわずかな後悔があったとしても、「悔いていないよ。今が一番楽しいし、あのときに戻れるなら同じ道を選ぶ」と言えるような「おゆう」さんの姿を見てほしいです。 好きな恐竜は、スピノサウルス ──ありがとうございます。プライベートも少し伺いたいのですが、最近ハマっていることは何かありますか? 山谷 最近はインドアを卒業しようと思っています。去年までは映画を観たり、本を読んだり、マンガを読んだりと、すべてを家の中で楽しむことに没頭して、インドアを極めようとしていましたが、さすがにそれは不健康だなと思って。最近は散歩をしたり、コーヒーを片手に外で過ごすこともあります。 あと、もう一度恐竜にハマってみようと思って! 子供のころから恐竜や動物が大好きで、絵本を読んでもらうよりも、図鑑を見せてもらって育ちました。おばあちゃんと一緒に、図鑑の中の恐竜で物語を作る遊びをずっとしていました。最近はそれを思い出して、恐竜の映画やアニメも、改めて楽しんでいます。恐竜展にも行って、子供のころと同じ気持ちになりました。本物の恐竜が存在していたことを再確認して、いつか本物の恐竜に会えるかもしれないと思ったり。久しぶりに仕事を忘れて楽しむ時間を取り戻せて、リフレッシュできたのはとてもよかったです。 ──恐竜展というのは、恐竜の骨が飾られている展示ではなく……。 山谷 いや、飾ってました。本物の。 ──最近よくある、ロボット的に動くやつではなく? 山谷 私、恐竜の骨が好きなんですよ(笑)。恐竜の保存状態が素晴らしく、皮膚の断面なども残っているんです。最近は新種の「ズール」という恐竜が日本に来ていて、それが目玉でした。本当に存在していたことを実感できて、とても楽しかったです。 ──恐竜に関しては、途中で新たな発見があったりしますよね。実はカラフルだったとか。 山谷 そうです、そういう発見もあります。恐竜にヒレがあったのではないかとか、水陸両用だったのではないかとか、爪の長さとか、いろいろ。 ──それを、まわりの方とも話されるんですか? 山谷 ほとんどの人には共感されないですね(笑)。ただ、山谷家では姉妹そろって恐竜が好きだったので、マンモスとか、古代のモノとか……家族の中では盛り上がります。 ──おすすめの恐竜は先ほど言っていた「ズール」? 山谷 いや、私のおすすめはスピノサウルスですね。ゲラノサウルスとライバル関係にあったんですよ。スピノサウルスはティラノサウルスよりもシュッとしていて、ゴツくはないですが、爪が鋭かったり。 ──……肉食? 山谷 肉食です(笑)。この前、恐竜展に行ったときにフィギュアが売られていて、つい買っちゃいそうでしたが、まだ早いかなと思って我慢しました。 ──いずれは……? 山谷 私は熱しやすく冷めやすい性格なので、一瞬で手に入れてしまったら冷めてしまうだろうなと思って、我慢して帰りました(笑)。 ──なるほど。インドアのほうについても伺いたいのですが、WEB(『smart Web』)で映画評の連載(「All IS TRUE」)をされていますよね。ご自分で執筆したり、俳優の吉田鋼太郎さんや、のんさんとの対談をしたりというのは、本職の仕事とは違う経験だと思いますが、実際にやってみてどうですか? 山谷 いやぁ、難しいけど楽しいですね。すごく新しい挑戦です。 ──もともと、執筆などの表現も好きだったりします? 山谷 私は文章を書くのがとても好きで、小さいころから作文が大好きでした。国語のテストの「この作品を読んだ感想を述べよ」という問題でも、私の回答はたいてい独創的すぎて「×」になってしまうんです。感想を述べたのになぜ×をつけるのかと抗議して○をもらったこともあります(笑)。本当に生意気な小学生でした。ただ、文章で表現することは、演技のときには言葉で表せない表情や感情を、文字で表すということにもつながっていて。うれしい気持ちひとつ取っても、どのようにうれしかったのか、何を伝えたいのか、どのような文章にしたら相手がすんなりと気持ちを理解してくれるのか……そういうことを考えて、表現方法を工夫することがとても楽しいです。 ここのところずっと小説を読むことを怠っていたんですが、年明けから読書を復活させて、いろいろな作品を読んでいます。作家さんによって言葉の使い方や文章の組み立て方が違うので、参考にもなります。 ──最近読まれた小説で、これは!という作品はありますか? 山谷 湊かなえさんの『絶唱』(新潮社)です。ちょうどこのあいだ読み終わったんですが、阪神・淡路大震災とトンガ王国という国を絡めた物語で、善意の二面性や被災者への思いなどが描かれています。湊かなえさんは登場人物の視点を分けて描くので、一冊の本でも短編集を読んでいるような感覚になって、私はとても好きですし、素敵だなと思います。 ──山谷さん自身が出演された映画の原作『告白』(双葉社)も読まれたんですね。 山谷 もちろん、大好きです。『告白』も大好きですし、『母性』(新潮社)もとてもおもしろかったです。 ──その『告白』での学生役など、今までいろいろな役を演じてきていますが、今後やってみたい役柄はありますか? 山谷 そうですね、準備してから挑まないといけないような、役職的な役に挑戦してみたいと思っています。今までは患者の役など、お世話をしていただく……何かエピソードを持ってくる役が多かったのですが、ちょっと年齢も上がってきたこともあり、医者や弁護士など、さまざまなゲストを受け止める役に挑戦してみたいと思っています。 何度も病気をして手術を受けた役を演じたことはあるのに、医者として手術着を着たこともないんです。たぶん専門用語もたくさんあって大変だと思うんですけど、しっかりと勉強し準備をして役に入る経験をしたいと思っています。 ──楽しみにしています。 取材・文=鈴木さちひろ 撮影=時永大吾 ヘアメイク=永田紫織 編集=中野 潤 ************ 山谷花純(やまや・かすみ) 1996年12月26日生まれ。宮城県出身。オーディションを経て、ドラマ『CHANGE』(2008年/フジテレビ)で女優デビュー。2015年『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(テレビ朝日)に“モモニンジャー”役として出演。女優としてドラマ、映画への出演を重ね、主な作品は映画『劇場版コード・ブルー ―ドクターヘリ緊急救命―』(2018年)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022年/NHK)、ダブル主演を務めた『親友は悪女』(2023年/BSテレ東)など。2019年『フェイクプラスティックプラネット』で、マドリード国際映画祭2019「最優秀外国語映画主演女優賞」を受賞。現在、NHK連続テレビ小説『らんまん』に“宇佐美ゆう”役として出演中。
サボリスト〜あの人のサボり方〜
クリエイターの「サボり」に焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載
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「自分の中の衝動と向き合い、うまく付き合う」越智康貴のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 フローリストの越智康貴さんは、ショップを経営するほか、イベントや広告などでフラワーアレンジメントを手がけている。花の美しさを引き出す作品だけでなく、写真や文章でも注目を集める越智さんに、フローリストとしての考え方や、サボることの難しさについて聞いた。 越智康貴 おち・やすたか フローリスト/「ディリジェンスパーラー」代表。文化服装学院にてファッションを学んだのち、フローリストの道へ。2011年、ディリジェンスパーラーを開業。ショップ運営のほか、イベントや店舗、雑誌、広告などのフラワーアレンジメントを手がける。また、写真や文章の分野でも活躍している。 「向いてるな」という直感で花の道へ ──服飾系の学校を卒業されたのに、なぜフローリストの道を選ばれたのでしょうか? 越智 服飾の学校を卒業したら資格の専門学校に入学する予定だったんですけど、そのときに花屋でアルバイトをしていたんです。それで、「こっちのほうが向いてるな」と思って、すぐに独立しちゃいました。 当時は「手に職をつけなければ」という焦りがあって。それで、アパレル関係の会社に就職した友達などが、展示会やポップアップストアをやる際に「花を生けてよ」って頼んでくれるようになったこともあり、とにかく失敗してもいいから独立してやってみようと。そのまま10年以上が経ったという感じですね。 ──それでなんとかなるものなんですか? 越智 でも、最初の1年は本当に仕事がなかったし、請求書の作り方とかも何もわからなかったので、とにかく手探りのままなんとか生きてきました。4年ぐらいはショップの一部を間借りして花を売っていたんですけど、外に出る仕事が多くなってきたころに、「表参道ヒルズのコンペに参加しないか」とお声がけいただいて。そのコンペに参加して店を出すことになり、会社化したあたりからちょっと流れが変わってきました。 でも、会社を作ってからの1〜2年も大変でしたけどね。店の固定費が跳ね上がって、人も雇うことになって。人間と働くのがイヤで独立したのに、あれよあれよと人間、人間……ってなっちゃって(笑)。 「花で表現はしない。花は花でいい」 ──外でも花の装飾などをたくさんやられてきたとのことですが、お仕事としてのターニングポイントなどはありますか? 越智 手応えのある仕事をひとつやったというよりは、グラデーションのように変わっていった感じですね。僕、スタイルがどんどん変わっていくんですよ、会社の経営スタイルでも、外から来る仕事でも。だから、いろんな仕事が連鎖していって、実力もついていったし、評価していただけるようにもなっていったと思います。 ──経営スタイルはどう変わっていったのでしょうか。 越智 僕は既存のやり方に則らない方向でしか物事を考えられなくて。インディペンデントな花屋なのに商業施設に入ったのも、そういう店がほとんどなかったからなんです。インディペンデントな小規模の花屋さんって、センスのいいフローリストさんがオーナーで、隠れ家的にやっていることが多かったんですよね。 でも、自分はそういう方法だと長く続かない気がして、店舗に立つ頻度なども減らしていき、店と自分を分離するようになりました。やっぱり店ってお客様が作っていくものというか、自分がいなくてもお客様のニーズに合わせて物事を展開していけば、それがいつの間にかブランドになっていくと思うので。 ──越智さんらしさにこだわらないんですね。 越智 もちろん僕のアイデアもありますが、ルールを壊していく発想が多いので、どうしても定着するのに時間がかかるんですよ。透明の取っ手がついた花を入れるためのバッグがシグネチャー的に有名になったんですけど、それも最初はみんな「何これ?」みたいな反応でしたし。 あと、花屋の特徴として、花を買いに来てくださる方+それを受け取られる方、ふたりのお客様がいるんです。買いに来てくださるお客様は花を贈るお相手のことをわかっているようでわからない場合も多いので、「お相手に合うものを花で用意するとしたら何がいいだろう?」と考えたり、わりと翻訳的な仕事が求められる。それによって自分たちも助けられ、店として成長していったところもあります。 ──外で装飾のお仕事をされる場合、依頼内容や目的などはありますが、もう少し表現する要素が強いかと思います。そこの違いはあるのでしょうか。 越智 それもあまり自分の個性みたいなことは考えてなくて。花で表現したいことも特にないというか、表現媒介として花を使うっていうことをなるべく避けようと思ってるんです。花は花でいい。だから、花屋の場合と同じで、頼んでくれた方が言っていることを翻訳していくイメージですね。 もちろん、それでも自分の視点が反映されて、どうしてもスタイルみたいなものはできてしまいますが、本当はそれも避けたい。自分の持ち味みたいなものには興味がないので、仕入れなんかもスタッフに任せたりします。 「なんか違う」言葉にできない感覚をどう生み出すか ──ひとつのスタイルや自分にこだわらないとのことですが、ずっと花と向き合ってきたことで、植物に対する考えや捉え方などは変わってきていますか? 越智 そうですね。生花もやってるんですけど、その影響は強いです。花の個別性や、「そこにある見えないもの」を重視するようになりました。その場に花が一輪あることで雰囲気が変わる、その雰囲気をそのままパッケージしたいと思ったりするというか。すごく感覚的な話なんですけど、そういった人の感覚的なものに頼るようになってきました。「なんか違う」ことをやっていると、見た人も「この花屋さんはなんか違う」と思ってくれる。そういう言語化できないことを徹底的にやっています。 ──「なんか違う」を生み出せたかどうかが、越智さんの中でOKかどうかの基準になっているとか。 越智 なんか違わないとヤバいっていうか、そこに驚きとか喜びがないとつまらないなと思っていて。一見何も気にならないのに、大きく見ると今までにない印象が生まれるとか、目に見えないものをそこに生じさせるとか、そういうことができないかずっと考えています。まだ全然成功してないんですけど。すごくめんどくさい話してますよね(笑)。 ──いやいや(笑)。でも、なぜそういう考えなのかは気になります。 越智 自分の中に3方向くらいの衝動があって、それぞれが緊張状態にあるんですよ。まずルールに縛られず自由でいること。同時に博愛的であること。そこが自分にとっての喜びにつながっているんですけど、一方で物事を持続したり変えなかったりすることにも安心を感じる。独立したいけど、博愛的でいたい。新しいことをやりたいけど、変化したくない。そういう方向性の違う衝動が自分の中でぐるぐるしてるんですよね。 ──それが仕事や表現にも影響している。 越智 そうですね。サイコロの出目みたいにどんどん変わるので、スタッフも困ってるんですけど、みんな慣れてきて無視するようになりました(笑)。文章や写真の仕事をやっているのも、そういう自分の中のさまざまな衝動を逃すためなんです。花では自分を表現していないし、それだけだと過集中しちゃうので。だから、自分らしさは文章で表現すると決めています。 ──文章ではどんな活動をされているんですか? 越智 仕事として短い話やエッセイを書いたりすることもありますし、個人的な制作として小説を書くこともあります。花や写真では自分を表現したいと思っていないにもかかわらず、そのことにストレスも感じてるんですよね。頼まれた仕事だけが世に出ることで、それが自分らしさだと思われてしまうから。 ──自分を正しく理解してほしい、といった気持ちもあるんですか? 越智 理解してほしいとはあんまり思ってないですね。ただ、愛してほしい。「こんなことを考えてるよ」「こんなことをしたよ」「こんなところに行ったよ」って、愛してほしくて書いてるんだと思います。あと、文章では「こういうことってあるよね」「こういうのはわかるかもしれない」っていう、言葉にできていなかった体験を人と共有したい気持ちもあります。 ──文章について、何かやってみたいことなどはありますか。 越智 いくつか話が溜まってきていて、ちょっとずつ人に読んでもらったりしてるんです。それがもうちょっと溜まったら、本にできるといいですね。 猫は神様が作った最高傑作 ──頭の中も仕事も忙しいと、サボりたくなったりはしませんか? 越智 サボってると安心できない状態になってしまうので、本当にサボれないんですよ。そういうものが必要な人もいることは理解できるんですけど、自分にはちょっと当てはまらないというか。純粋に趣味といえるものもほとんど存在しなくて。美術を観るのも、映画を観るのも、本を読むのも好きなんですけど、全部「自分だったらこうする」とか、何か制作したい気持ちと切り離せないものなので。 ──仕事や制作と関係のない時間がほとんどない。 越智 でも、猫を飼い始めたんですよ。対象を決めて、そのために時間を使っているぶんには大丈夫なので、猫と遊んだり、猫の世話をしたりしている時間が、自分にとってはサボるということなのかもしれないです。本当に時間貧乏性なので、何かしてないとダメで。 ──猫と戯れている時間だけは、そこから解き放たれているんですね。 越智 友達と遊んでいても、頭の中はめちゃくちゃぐるぐるしてるんです。でも、猫は思考を追う必要がない。猫の性質や動いていることから受け取るものもありますし、めちゃくちゃ猫のことを文章にしたりもしてるんですけど、仕事が絡んでないというか、「かわいい、OK」みたいな感じで。だから、「猫は神様が今まで作ったもので一番完成度が高い」「猫がもたらすものは世界平和だ」と本気で思ってます。 あと、文章を書くこともけっこうリフレッシュになりますね。そのときだけは考えていることが外に出ていくから、デトックス的な感じかもしれないです。しかも、最終的に人に見せることができるのも、自分としてはうれしい。 ──コーヒーを飲むとホッとするとか、そういう些細なレベルのものはないですか? 越智 食べ物も全然興味がないんですよね。先日、京都に5日間いたんですけど、ずっと朝はベローチェでサンドイッチ、昼はベローチェでホットドッグ、夜はカロリーメイトでした。友達とごはんに行くと、ちょっとしたビストロとかに入るじゃないですか。そういうのも一切興味ないんですよ。お酒も飲みますけど、けっこう強いからあまり酔わないし、リラックスすることもなくて。 「動いてるほうがサボれるんです」 ──安らいだり楽しんだりする時間も広くサボりとして伺っているのですが、基本的に活動していたいということなんですかね? 越智 僕の場合、安心、安全みたいなものがエネルギーや闘争心とくっついてしまっていて、活動的であることに安心するんです。だから、物事の持続や、発展・拡大を実感することでリラックスしてる。動いてるほうがサボれるんです。喜びを感じるのはまた別の領域なんですけど。 ──仕事と趣味の境目がなくて、結果としてサボりを必要としていない方もいますが、それともまた違いますね。 越智 母親の影響もあるかもしれません。母子家庭で、母親がずーっと働いてる家だったんですよ。それが安心のかたちを作ってしまったと思いますね。ただ、経理の人が「休むのも仕事だから、本当に休めるときに休んでください」ってすごく言ってくれるので、「なるほど、仕事か」と物理的に休むようにはなりました。 ──ちなみに、睡眠はしっかり取るタイプですか? 越智 睡眠もヤバくて。寝たり起きたりみたいなことが多いですね。猫も平気で起こしてくるから。睡眠にアプローチするアロマオイルにハマったり、いろいろトライしてますけど、なかなか難しい。夜中に目覚めたら、夢で見たものを全部メモしようとしたり、「こういうふうに編集すればいいんだ!」っていきなり動画編集を始めたりしちゃう。「どうせしばらく眠れないから、無理に眠ろうとせずに仕事しよう」って。本当にヤバい(笑)。 ──やっぱり猫と遊ぶしかないですね。 越智 でも、つい「いつか死ぬんだよな……」ってなっちゃう。2匹いるので、今は夜中に追いかけっこ始めて走り回ったりするから「ええ加減にせえ」ってなるんですけど、それだけが心配ですね。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「前例に捉われず、自分たちが楽しめるかを考える」サリngROCKのサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 ちょっと不気味で不思議な作風で、関西の演劇シーンで活躍している劇団「突劇金魚」のサリngROCKさん。最近では映画『BAD LANDS』での怪演も話題になった彼女に、劇団独自のスタイルやルーツ、サボりマインドについて聞いた。 サリngROCK さりんぐろっく 劇作家/演出家。2002年、劇団「突劇金魚」を旗揚げし、大阪を拠点に活動。2008年に第15回OMS戯曲賞大賞、2009年に第9回AAF戯曲賞大賞、2013年に若手演出家コンクール2012優秀賞を受賞。2023年には映画『BAD LANDS』にて俳優として映画デビューし、第78回毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞を受賞した。 就活がイヤで劇団旗揚げ…? ──演劇と出合ったのは、高校時代に所属されていたという演劇部ですか? サリngROCK(以下、サリ) そうなんですけど、高校のときはあまり演劇を知らなくて。大学に入学するころに、演劇好きの先輩に連れて行ってもらった「惑星ピスタチオ」を観て衝撃を受けて、小劇場の作品を観るようになったんです。 惑星ピスタチオの舞台って、オブジェみたいな抽象的な舞台美術で、その中で宇宙を表現したりしてたんですよ。体ひとつで人物や物語を想像させられるのがすごいなって。演劇で想像力を掻き立てられるという体験が初めてだったので、すごくびっくりしたのを覚えてます。 ──そこから大学で劇団を立ち上げるようになったきっかけは? サリ 当時の演劇サークルでは、先輩たちが卒業のタイミングで劇団を作っていたので、前例があったんですね。もうちょっと演劇をやりたかったのと、なにより就職活動がめちゃめちゃイヤやったんで(笑)、だったら先輩たちみたいに同級生と劇団をやってみようと。私は演出がやりたかったんですけど、脚本を書く人が誰もいなかったので、自分で脚本も書いたのが最初の公演でしたね。 ──立ち上げ当初から、劇団としてのコンセプトやイメージなどは決まっていたのでしょうか。 サリ 子供のころからかわいいキャラクターより幽霊が好きだったり、ティム・バートン監督の映画が好きだったり、ちょっと不気味だったり、痛々しかったりするものに惹かれるんですよ。だから、そういうドロドロとしたものを入れた、ひと筋縄ではいかない舞台にしようとは思っていました。 ──実際に公演をやってみて、手応えはありましたか? サリ とにかくやりきれたというのが大きくて。やりきることを続ける、初期はそれだけやったと思いますね。若手のための演劇祭にもとにかく出場していたんですけど、そしたら、劇場のスタッフさんが選ぶ賞をもらえて、劇場が使える権利をもらったんです。それが人から認められたほぼ初めての経験だったので、「この方向でいいんや、間違ってなかった」みたいに思えた気がします。 ──そこから公演を打ち続けるなかで、ターニングポイントなどはあったのでしょうか。 サリ 28歳のときに、OMS戯曲賞という関西の劇作家が欲しがる戯曲賞で大賞をいただいたんですよ。そこから観に来る人もガラッと変わって、「どんなもんやねん」って批評的に観られるようになり、「脚本は独特でおもしろいけど、演出と俳優がめちゃめちゃダメや」といったことを言われるようになりました。特に演劇の勉強をしてきたわけではなかったので、やっぱり未熟やったんだと思います。 それで、「何がダメなの?」と思うようになったころ、今も一緒に突劇金魚をやってる山田蟲男くんが劇団に関わるようになったんです。山田くんのほうがわりとロジカルに技術的なことも考えているタイプで、だんだん「だったら、こうしたほうがいいんじゃない?」って提案してくれるようになって。彼の言うことに応えようと、薦められた本を読んだり、作品を観たりしながら技術を身につけていったことで、徐々にできることも増えてきた。そう思えるようになってきたのは、ここ最近の話なんですけど。 活動の軸は「楽しく生きていくこと」 ──劇団を続けることは簡単なことではないと思いますが、ひたすら試行錯誤を続けるうちにここまで来た、という感覚なんですかね? サリ それに近いと思います。技術を身につけて客観的にわかりやすくなった作品は評判もいいんですけど、私独特のヘンテコな要素が薄まると、それはそれで「前のほうがよかった」と言われたりもする。でも、そこは絶対両立できるはずなので、今もヘンテコだけど伝わりやすいラインを探してます。そういう目の前の課題をただやり続けてきたというか。 あと、今は劇団も山田くんとふたりでやってる状態なので、ふたりが納得すればいい。だから続けられてるところもあります。それを「劇団」って言っていいのかよくわからないんですけど。 ──1公演で俳優2チームのWキャストにするといった独自のスタイルも、その結果のひとつなのでしょうか。 サリ 山田くんがけっこう前例に捉われないアイデアを出してくるんです。大人数のキャストを2チームにするのもそうで、私が「そんなんやってる人おらんけど大丈夫なん?」って聞いても、「論理的に考えたら、このほうがうまくいくんや」みたいな。 結果的に、俳優さんがケガや病気になっても中止にしなくて済みますし、関係者が増えれば公演の宣伝をしてくれる人も増えるので、そういう意味でも助かっています。それに2チームあるだけで、俳優さんたちがそれぞれ勝手にがんばってくれるんですよ(笑)。 ──切磋琢磨する状況が生まれるんですね。関西の小劇場というシーンなどはあまり意識されていないんですか? サリ 同世代とは友達感覚はありますけど、横のつながりを意識するようなことはあまりないかもしれません。「アイツら、なんかヘンなことやってんな」って思われてるんじゃないですかね。前例や風習に捉われないという意味では、裏方の仕事など、当たり前に人に頼んでいた仕事についても一から検討して、自分たちでできることはやろうとするから、まわりから変わった目で見られている気がします。 ──劇団としてのあり方にも捉われていない印象ですが、活動のイメージも変わってきているのでしょうか。 サリ ふたりとも40歳を過ぎたので、劇団の核になるものについて改めて話し合うようになったんです。それで、劇団を続けるとか売れるとかじゃなくて、我々ふたりが楽しく生きていくことを軸にしようと話していて。 次はどこどこの劇場でやろうとか、東京にも行かないといけないんじゃないかとか、そういうことは無視しようと。できるだけしんどいことは無理してやらんとこうというか。「自分たちの人生のためになっているか」が基準としてはっきりしてきたので、結果として、私が全然演劇をやらなくなる可能性だってある。そうやって縛られずに考えられるようになったのはいいことやなと思いますね。 映画初出演で感じた、演劇との違い ──最近では映画『BAD LANDS』への出演の話題になりましたね。ただ、最初は監督からのオファーを断られていたそうですが……。 サリ でも、映画の現場はめちゃくちゃ楽しかったです。演劇では、お客さんにちゃんと声を届けるとか、顔が見えるように立つとか、役者+お客さんで演じるんですよ。そこが楽しみのひとつでもあるんですけど、映画では目の前の俳優さんと演技すればいいだけなのがめっちゃ楽しくて。もちろん、映画でもカメラの位置やいろんなことを意識しなければいけないんでしょうけど、初めての映画出演だったんで、そこは今回は無視させていただいて。 ──裏社会に生きる林田というキャラクターを演じる上で意識したことなどはありますか? サリ かたちから入ることってめっちゃ大事だと思うんです。かたちを心がけてたら、中身も寄っていくというか。それで、なるべく瞬きをしないようにしたり、口を半開きにしたり、ちょこまか動かないようにしていました。あとは基本的に演出どおりにやれば成立するものなので、ヘンなことをやろうとしたり、「ちゃんと演じたろう」みたいな欲は出さないようにしました。そういうのって、バレるんですよね。 ──こうした経験をきっかけに、演劇でも自ら演じる機会が増えるような可能性もあるのでしょうか。 サリ あるかもしれないですね。演出をやりながらだと難しいところもあるし、外部の作品に役者として出ることにもあまり興味がないので、どういうかたちかはわかりませんけど。ただ、山田くんとは「二人芝居やりたいね」といった話もしているので、役者としてのウェイトが大きい公演を、ふたりで演出しながらやってみたいとは思ってます。 時間が許すなら、イヤになるまでサボり続ける ──サリngROCKさんは、「サボりたいな」と思ったりすることはありますか? サリ 私の仕事の場合、みんなで仕事してる最中にひとりだけサボって抜け駆けするようなことはないんですけど、やらなきゃいけないことがあるのになかなかできない、みたいなことならめっちゃあります。でも、結局締め切りに間に合うんだったら、それも必要な時間というか。 「スマホを見なきゃもっと仕事が進んだのに」って思うよりも、「私はそこでスマホを見る人間だし、この作品はそんな人間が作ったものなんだ」って思っちゃうというか。そういう達観みたいなものはあるかもしれない。 ──やっぱりサボるときはスマホを見てしまうことが多いんですかね。 サリ そうですね。SNSとか、YouTubeとか。そういうときはもう飽きるまで見続けます。逆にそっちがイヤになるまでやっちゃったほうがいいんじゃないかなって。結局、スマホを見続けられてるってことは、その時間が許されてるってことなんで。ほんまにやんなきゃいけなかったら、やるじゃないですか。 ──そのほうがすっきり切り替えられそうですね。もうちょっとポジティブなサボりというか、アイデアにつながるリフレッシュとしてやっていることはありますか? サリ お風呂に入ってリラックスしたら新しいアイデアが湧く、みたいなことがあまりないので、映画を観たり、偉人たちの戯曲を読んだりしますね。インスピレーションを受けようと思って観たり読んだりするわけじゃないんですけど、人のアイデアに触れることで何か考えたり、受け取ったりすることが多い気がします。 ──より趣味に近いかたちで楽しんでいるものもあるのでしょうか。 サリ これも創作ではありますけど、絵を描くことですかね。時間ができたら絵を描きたい。でき上がったものがパッと一瞬で目に入るのが好きなんですよ。脚本は「完」って書くのが気持ちよくても、一瞬で全部は見られないので。ただ、もうちょっと本格的にやろうとしたら、絵を描く手が止まってしまいそうな気もするんですけど。 ──では、より仕事に関係なくリラックスしたり、楽しんだりできる時間は? サリ スーパーに行って野菜を選んでるときです。別に料理好きなわけじゃないんですけど、「今日は自炊する余裕があるんだ」とか「普通の日を過ごせている」って思えるのがうれしくて。だから掃除でもよくて、余裕を感じられることがうれしいというか。 あと、最近はユニクロのお店に行ったり、サイトを見たりするのがめっちゃ好きで(笑)。新商品が次々出るので、チェックするのが楽しい。好きなブランドと似合う服って違うんだということがようやくわかってきたので、ユニクロでいろいろな服を試してて……ってどうでもいいか(笑)。 ──いやいや(笑)、そういうささやかな楽しみも聞きたいんです。 サリ コラボものとかは大きい店舗にしかないので、わざわざ発売日に自転車で遠い店まで行ってるんですよ。発売日がいっぱいあるっていいですよねぇ。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
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「サボりたくなる人間だから、短歌を書いているのかもしれない」伊藤紺のサボり方
クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト~あの人のサボり方~」。 歌人の伊藤紺さんは、心のどこかにある感情、情景が呼び起こされるような歌で多くの共感や支持を集めている。3作目となる歌集『気がする朝』も反響を呼んでいる伊藤さんに、短歌との出合いや、歌が生まれる過程、サボりと創作などについて聞いた。 伊藤 紺 いとう・こん 歌人。2016年に作歌を始め、2019年に『肌に流れる透明な気持ち』、2020年に『満ちる腕』を私家版で刊行する。2022年には、両作を短歌研究社より新装版として同時刊行。最新刊は2023年に発売された第3歌集『気がする朝』(ナナロク社)。 短歌と出合って、すぐに投稿を始めた ──短歌と出合ったのは、大学生のときだそうですね。 伊藤 最初は小学生か中学生のときに教科書で見た俵万智さんの歌だと思うんですけど、そのときは特にすごいと思ったりはしなかったんです。でも、大学4年生の年末に突然俵さんの歌を思い出して、「あれ? なんかわかるかも、いい歌かも」と思って、そのまま本屋さんで俵さんの『サラダ記念日』(河出書房新社)と、あと穂村弘さんの『ラインマーカーズ』(小学館)という歌集を買いました。 ──読んでみてどうでしたか? 伊藤 歌集って400首くらいの歌が載っているので、よくわからないものもあったんですけど、繰り返し読みたくなるほど「いいな」と思える歌もあって。それから短歌や歌人についてネットで調べて、佐藤真由美さんの『プライベート』(集英社)という歌集と出合いました。とっつきやすい言葉でリアルなことが書かれていて、すごくおもしろくて。そのあとすぐ、2016年元旦に短歌を始めました。 ──「おもしろい」から「やってみよう」までが早いですね。なんとなく詠み方などもつかめたのでしょうか。 伊藤 いや、何も考えてなかったです。かわいいイラストを見て自分でも描いてみたくなるのと同じような、軽い感じでしたね。なんでもすぐにやってみるタイプではあったので、なんとなく1首書いてみて。それが2首、3首と書くうちに「いいかも」と思えてきて、母に読んでもらったりしていました。 ──人に見せるのも早いですね(笑)。 伊藤 書いたその日には当時のTwitterにアカウントを作って、短歌を投稿し始めてましたから。ただ、当時は短歌そのものに愛を感じていたというよりは、「わかる/わからない」という基準で判断しているところが大きかったし、まだ趣味にも満たないマイブームっていう感じでしたね。 でも、歌人の枡野浩一(※)さんが早い段階で「いいね」してくださって、「あれ、才能ある……?」みたいな(笑)。枡野さんは特別うれしかったけど、そうでなくても反応をもらえること自体が当時のモチベーションの一部だったと思います。 (※)簡単な現代語で表現されているのに思わず読者が感嘆してしまう「かんたん短歌」を提唱するなど、若い世代の短歌ブームを牽引した歌人。 「若い女性の恋心」を詠んでいるわけではない ──歌人として活動していくようになったのは、どんなタイミングだったのでしょうか。 伊藤 短歌を真剣に書き続けている人はみんな歌人だと思いますし、「歌人になる」というタイミングはほぼ存在しないと思うんですけど、肩書を「歌人」だけにしたタイミングはなんとなくありました。それまではライターやコピーライターとしても活動していて、特に短歌では食べていけない気がしていたし、そもそも作家は精神的に苦しいだろうから、あんまりなりたいとは思ってなかったんです。 だけど、どんどん短歌だけが調子づいてきて、ほかの仕事とは違う早さでいろんなことが進んでしまって、「これなのか……?」って。今でもたまにコピーを書くことはありますが、「歌人・伊藤紺」として、自分の言葉で書くものだけ、ということにしています。 ──手応えのある歌ができた、といったことでもなく? 伊藤 その時々で「書けてよかったな」と思える歌はちょこちょこあるんですけど、あとから思うとそうでもなかったような気がすることもありますし、これといった歌があったわけではないと思います。ただ、最近はいいと思える打率が上がってきたというか、外さなくなってきたような感覚はありますね。 ──では、周囲の反響による手応えはあったのでしょうか。2019年には私家版(自主制作の書籍)というかたちで最初の歌集『肌に流れる透明な気持ち』を作られていますよね。 伊藤 第1歌集は300冊作ったらすぐ増刷になり、(私家版も扱う)書店にも置いてもらえて、思ったよりも反響があってうれしかったですね。読者の方の解釈を聞いたりするのも新鮮で楽しかった。でも同時に「若い女性の揺れる恋心」みたいなよくある言葉がひとり歩きすることがあって、抵抗もありました。自分はそういうつもりじゃなかったので。 ──ご自身の中ではどんな作品、作風だと認識されていたんですか? 伊藤 当時はあんまりわかってなかったですね。「なんか違う気がするな」っていうだけで。少し成長してある程度見えてきたのは、作品内での他者への特別な感情について、恋とか愛とか友情とかっていう仕分けをあんまり重視していないということです。「情」って言葉が近いのかな。人間でなくてもよくて、動物や植物に胸がきゅうっと動くのも全部一緒でいい。登場人物の設定などを詳細に書かなくてもいいから短歌がおもしろかったのに、「若い女性の恋」だけになっていくことに違和感があったんだと思います。 でもやっぱり「きみ」とか「あなた」って入っていたら恋の歌に見えやすいし、事実、私は「若い女性」だったし、今の話を聞いても「恋だ」と思う人もいるはずで、それはそれでもちろんいいんです。自分にできることは、そういう違和感に向き合って、描きたいものを明確にしていくことなのかなって。 ──そういった変化は第3歌集の『気がする朝』にも反映されているのでしょうか。 伊藤 そうですね。歌を作るにしても、本当に書きたいことか、立ち止まることが増えたように思います。歌の並べ方もそうで、編集の村井(光男)さんがいわゆる恋っぽい歌をひいおじいちゃんの歌の近くに置く案をくれたとき、すごく見え方が変わることに気づいて。それは大きな発見でした。 歌になるのは、自分にとって「真実らしきもの」 ──伊藤さんの場合、短歌はどういう流れで作られているんですか? 伊藤 自分にとっての真実らしいものが見つかると、それが歌になると思うんです。自分にとってはそれが情とか自由、命みたいなものだと思うんですけど。生活しているなかで、そういう真実のかけらみたいなものを見つけたらメモしておきます。短歌を書こうと思ってパソコンに向かったときは、そのメモから広げていくことが多いですね。 まずは短歌にしてみて、それを読んで「こういうことじゃないな」とかって思いながら、改行しては書き直していく。ちょっとずつ軌道を変えていったり、突然思いついた方向にガラッと変えていったりしながら、いいと思えるかたちになるまで書き続けています。 ──考えてみれば当たり前なんですけど、やっぱりパソコンで作るんですね。 伊藤 申し訳ない(笑)。 ──いえいえ、さすがに短冊に筆で書いたりしていないと思いますが、なんとなくアナログなイメージというか思い込みがあったので。改行しながら書き連ねていくことは、思考の痕跡を残すためでもあるのでしょうか。 伊藤 そうですね。行き詰まったら過去に書いたものやメモを見返して、いいと思えた要素を取り込んだりすることもあるので。けっこうしょうもないことも書いたまま残しているから、あとで見るとひどいなって思うこともあるんですけど、いいものだけ残そうとするとカッコつけちゃうんですよね。なんでもいいから書き続けることが大事というか。 ──以前は完成までたどり着けなかったメモが、時を経てかたちになる、といったこともありますか? 伊藤 ありますね。時間が経って自分が成長したことで書けるようになる場合もありますし、時間が空いたことで客観的に見直せるようになる場合もあります。たとえば、「机と宇宙」という言葉の感じが気に入っていても、何がいいのかわかっていないと、下の句にたどり着けなかったりする。でも、時間を置いてから見直すと、そのよさや言葉の結びつきがわかることがあるんです。 ──何かを感じたときにメモしておく習慣があると、自分の感動や感情に意識的になるし、その気持ちを思い出すこともできるんでしょうね。 伊藤 そう思います。なるべく新鮮な状態で言葉にしておくと、言葉を解凍したときに食べられる、みたいな。メモせずにあとから思い出して書こうとしても、感動が言葉にたどり着かなくなることもあるので。 今は小石のような真実が、いつか世間の真実になるかもしれない ──『気がする朝』のあとがきに、短歌を書くことは「日常の些細な喜び」ではなく、「100%の満足」だとあったのが印象的でした。日常の中で「真実らしいもの」を見つけていくこと自体が生きることだという意味でもあるのかなと思ったのですが、いかがでしょうか。 伊藤 そうですね。でも、真実らしいことでなくても「お茶がおいしい」とか「木漏れ日がきれい」とかで心が大きく動くこともあるし、そういうふうに楽しく生きてはいける気もする。短歌と生きることがイコールではないです。 『気がする朝』は「このところ鏡に出会うたびそっと髪の長さに満足してる」という歌で始まるのですが、この歌もひとつの真実らしいものが基盤になっていて、その発見が歌になっています。その真実は私がそのへんで拾ってきた小石のような真実なので、きっと理解しない人もいる、というかそっちが多数派でしょうね。逆に自分が多数派だったら書こうとも思わないのかもしれない。 ──そういった気づきから、「自分」というものを発見していく感覚はあるんですか? 伊藤 あまり自分で意識したり実感したりしたことはないんですけど、あるかもしれません。自分の言いたかったことや思ったことを短歌にして、それを何度も読んだりするのって、自己理解にもつながりますしね。 でも、その小石のような真実を「みんなも本当はこうなんじゃない?」ってどこかで思ってるんですよね。100年後、1000年後、世間一般の真実になっているかもしれないって。だから、「自分」を発見するということにもつながっているけど、自分の特異性というよりは、いつかどこかで誰かと共有でき得るものだと思っているかも。 ──みんなが気づいていないだけかもしれない。そんなふうに、伊藤さんの歌によって自分では意識していなかった感情に気づいた、という経験をした読者も多いのではないでしょうか。それって作家としてはうれしいことですよね。 伊藤 よく言われます。すごくうれしいですね。ただ、そう感じてもらうことが短歌を作る目的ではないので、自分にとっての山頂を目指して歩いていたら、給水スポットの人がすごく優しかった、みたいな感じというか。 ──なるほど。では、伊藤さんの中で今後目指したい山のイメージなどはあったりするのでしょうか。 伊藤 書きたいと思ったものを短歌にするという意味では、毎回山頂に登ったような気持ちで作品を作っていて、登りきったところでまだ山頂ではないことに気づいたり、別の山に登ってみたくなったりする感じなんですね。 それで今、ちょっと登りたい山があって、「5・7・5・7・7」ぴったりの定型に帰ってみようかなと思ってるんです。作品作りを積み重ねていくなかで、どんどん定型から外れてきたんですけど、『気がする朝』で自分のやりたいことがすごくできたので、勉強がてら定型に戻ってみたいなって。いざやってみるとどうしても外れてしまうので、今は難しいと思いながら向き合っているところです。 「ずっとサボってゲームしてます」 ──伊藤さんは、作業をしなくてはいけないと思いつつ、サボってしまうようなことはありますか? 伊藤 ずっとサボってますね。ゲームしちゃうんです。最近は、落ちてくる数字を小さくまとめていくゲームとか、ブロックをそろえて王様を助けてあげるゲームとか。サボりっていうか、気がつくと8時間くらいやっちゃうこともあります。作品を作ったり、本にしているときが一番逃げやすいので、『気がする朝』を出したあとはそんなにやらなくなったんですけど。 ──やっぱり、やらなきゃいけないことがあるからこそ、サボりも発生するんですよね。 伊藤 そうですね。ゲームをやることが楽しいわけじゃないのに、サボってる間は楽しくなるんですよ。でも、もうちょっとちゃんとしたサボりというか、スーパーで買い物するついでに散歩したり、喫茶店で本を読んだりしてリフレッシュすることもあります。 ──リフレッシュを挟むことで、作業が進展するようなこともありますか? 伊藤 けっこうあります。散歩から帰ったときにメモしたいようなことが出てきたり、行き詰まっていた原稿がはかどるようになったり。5日くらい外出しないこともあるんですけど、そんなときも家事をしたり、お風呂に入ったり、何か食べたり、そういうことをちょこちょこ挟んだほうが調子は出やすいですね。 ──ずっと家にいられるタイプなんですね。1時間おきとかにできそうな、気軽な息抜きもあったりしますか? 伊藤 詩集を読んだりしますね。好きな1節とか1ページだけ読んで本を閉じると、「いかんいかん」って書きたい気持ちが戻ってくることがあります。小説だと戻れなくなっちゃうので、つまみ読みできるような詩集がいいんです。Instagramとかも見ますけど、猫の動画をずっと見ちゃったりして、「いかんいかん」を20回くらい繰り返すことになるので……。 ──戻れない感じ、すごくわかります。そういうブレを断ち切って、ストイックに作品に向き合いたいと思ったりすることはあるのでしょうか。 伊藤 うーん……ありますけど、たぶんそういうことができる人間だったら、短歌を書いてないんじゃないかなって思います。もっとお金がいっぱいもらえる仕事に就いたほうがよさそうじゃないですか。もちろん、芸術や文化を愛している人の中にもストイックに動き続けられる人は山ほどいるわけですけど、自分の場合は短歌と出合う前にやりたかったことが本当はたくさんあった気がするので、そのうちのどれかをしているんじゃないかな。そうじゃないからここに来てしまった感じがします。 撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平
エッセイアンソロジー「Night Piece」
気持ちが高ぶった夢のような夜や、涙で顔がぐしゃぐしゃになった夜。そんな「忘れられない一夜」のエピソードを、オムニバス形式で届けるエッセイ連載
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人生が変わりかけた眩しい夏の夜(やーこ)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 やーこ 日常に転がるちょっとしたトラブルを、ドライブ感あふれる筆致でユーモアたっぷりに書き、Xやnote、ブログで配信中。2023年5月に『猫の診察で思いがけないすれ違いの末、みんな小刻みに震えました』(KADOKAWA)でデビュー。また、2024年4月に2冊目となる著書『電車で不思議なことによく遭遇して、みんな小刻みに震えました』 (KADOKAWA)を発売。 X:@yalalalalalala ブログ『やーこばなし』:https://yalalalalalala.livedoor.blog 初夏の夜。 私は蛍を見に行けなかったことを偲び、ボタン式のナイトライトを臀部に装着し、自宅で蛍の気分を味わっていた。 すると友人から、今から我が家に「お土産を渡しに行ってもよいか」との連絡が入った。 せっかくなので草陰に止まる蛍のように家の門の陰に潜み、友人が我が家のインターホン近辺に到達した瞬間に姿を現すことによって、私という名の蛍の光を披露することにした。 タイミングを見計らい、私は光を見せつけるように尻を構えた。 門から道へ蛍が浮遊する様をイメージし舞うと、若干低めの叫び声が響いた。 友人にしては声が低すぎると、不審に思い振り向くと、友人は我が家からまだ2メートルほど遠くにおり、代わりに私の近くには春物のコートを羽織り、下半身に何も装着していないオヤジが佇んでいた。 友人ではなく、半裸の男に発光する尻を見せつけてしまった。 蛍ならばメスの蛍が寄ってくるが、私が人間であったために蛍も人類も寄ってこぬ、孤独な尻光野郎となった。 友人だと信じて疑わなかったところに半裸のオヤジが出てくるという、予想と現実のあまりの振り幅に私は脳の処理が追いつかなかった。 露出狂のほうも突然民家から尻を発光させる不気味な人間が現れるなどとは思っておらず、我々は出会ったポージングのまま静止した。 夏の訪れを想わせる夜風が草花の香りを我々に届けるなか、私は露出狂に尻の光をお届けしている。 露出狂は自身も不審者であるくせに、まるで自分だけが不審者に出会ったかのような顔をしていた。 ハイジャック犯が、別のハイジャック犯と同じ飛行機に乗り合わせる確率は極めて低いという。 では、我々の出会いは何%の確率で舞い降りたのだろうか。 私と露出狂は運命的な出会いを果たした。 すると、コンビニの袋を下げた近所の男子大学生が通りかかり 「うわっ……」 と、小さく声を漏らした。 しかし、大学生はコートを羽織る露出狂の背後から声を発しているため、明らかに露出狂の局部ではなく、私の臀部に対し声を上げている。 声を上げる相手が違うのではないだろうか。 あちらは局部に対し布がないが、こちらは臀部に対し布がある。さらにライトで装甲されている。 間違っても人様の網膜に私の生肌が直撃することはない、するのは尻の光だけである。 なによりも、布がなく出ている者と、布があり光っている者とでは、明らかに前者のほうが重罪である。 赤子が他人と母親に名を呼ばれれば、母親のもとへ向かうことが必然であるように、警官も露出狂と私の間では露出狂のほうへ足を進めることであろう。 しかし、角度的に私の尻の発光しか見えていないこの現状は非常に分が悪いものであった。 せめて、佇まいだけでも正そうと、私は尻を少々突き出したポージングから態勢を立て直した。 その際、布と尻に圧迫されてライトが押され、 カチッという小気味よい音とともに私の尻の光が白から紫に変色した。 何度か押すと色が変わる仕様であった。 友人は私の尻の変色がツボに触れ、苦しんでいた。 このままでは、露出狂というわかりやすい変質者がいるにもかかわらず、私こそが変色する尻を持つ変質者となってしまう。 (※当時の再現写真) この男が露出狂であることをまず知っていただきたい。 あわよくば、それで私の印象を薄めたい。 考えた末 「この人、露出狂なんですよ」 と言葉を発したが、どこか言い訳がましい雰囲気が漂った。 こうなれば、論より証拠である。 私は不審者認定されたくない一心で 「ちょっと、うしろに振り返ってもらえますか?」 と、露出狂に申し入れた。 露出狂はこちらを見つめ、何を言われているのか理解が追いつかないといった表情をして停止した。 なんでもいいからとりあえずうしろへ振り返ってほしい。 しかし数秒したのち、露出狂は私を避けるように大きく迂回し、走り出した。 この半裸の男は、この中で一番どこに出しても間違いのない変質者であるというのに、背後の者たちからの己の印象だけを穢れなきままに走り去る気である。 そんな生半可な気持ちで露出狂など務まるのであろうか。 そこはかとなく裏切られた気持ちさえ生じている。 お前は明らかにこちら側である。 私は反射的に「捕まえて大学生に証拠を見せなければ」という謎の使命感に駆られ走り出した。 露出狂の背中を追いかける私の臀部で、ライトが何度か押されるような感触があった。 おそらく走ったことで再び布に圧迫され、尻の色が変色していたことだろう。 しかし、よく考えれば、捕まえたところで大学生も露出狂の露出という景観を害するものは見たくもなければ、私のほうも漁師が釣り上げた大魚の感覚で露出狂を見せつければ、なんらかの罪に問われそうである。 冷静になりすぐさま帰ろうと振り向くと、家の前で友人が待っていた。 大学生は友人に 「この地域、本当に変な人多いんで、気をつけてくださいね」 と、言葉を残し去っていったという。 その変人の中に自分が入っていないことを祈るばかりである。 露出狂の証明が叶わなかった今、通報などされれば警官と長く会話をすることになったのは私であったことだろう。 私は見に行けなかった蛍たちに思いを馳せた。 蛍は淡い光で、今年も命をつないでいるのだろう。 私は尻の光で、首の皮一枚でつながっている。 私の忘れられぬ夜のひとつとなった。 文・写真=やーこ 編集=宇田川佳奈枝
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思いを馳せるふるさとの夜(山根千佳)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 山根千佳(やまね・ちか) 1995年12月12日生まれ、島取県出身。「第37回ホリプロタレントスカウトキャラバン」ファイナリストとなり、デビュー。両親の影響で幼少期から相撲を見て育ち、自身も相撲好きとなる。相撲好き女性「スー女」の第一人者として、相撲関連の番組やイベントにも多数出演。また、相撲への愛と知識が詰まったコラムの連載や、音声配信なども精力的に行う。相撲を筆頭に駅伝、競馬、アイドル、怪獣などさまざまなカルチャーにも精通。5月9日に自身初となる書籍『山根千佳の大相撲の歩き方』(マイクロマガジン社)を発売。 Instagram:@ yamane_chika X:@yamane_chika 芸能のお仕事を始めて12年目。 東京での生活にもだいぶ慣れ、楽しく生活する毎日。 けれど、時折思い出すのは、やっぱりふるさとの鳥取のこと。 数えきれないくらい、たくさんの思い出が詰まっている場所。 中でも忘れられないのが、鳥取のレギュラー番組のMCをさせていただくことになり、新番組がスタートした、2年前のあの夜。 その日の夜は、共演者の方、スタッフさんたちと懇親会があった。 芸能を始めたころからの目標だった、ふるさとでのレギュラー番組が始まったこと(しかも私がMCで!)が、本当に、本当に、うれしくて、そして感慨深く、忘れられない一夜となった。 私も、まわりの人たちも、世界中の多くの人たちを苦しめたコロナ禍が、ようやく落ち着いていたこともあり、お酒も解禁! デビュー当時から二人三脚でがんばってきた、同郷のスタイリストさんとも喜びを分かち合いながら乾杯をすることができた。 しかも地元のおいしいお酒で! 飲まずにはいられない(笑)。 番組のスタッフさんも、山陰(鳥取、島根)出身の方がほとんどで、方言で話せることがとてもうれしかったー! 標準語とはまた違う、懐かしいイントネーションから、「〜けん」、「〜だがん」、「〜だへん」など語尾が変わっとったり。 上京してから、苦労して直した方言を、当たり前に使える喜びが込み上げてきて、ほわっと温かい気持ちになる。 そして、注文した山陰の海鮮はどれも本当においしい〜! 改めて日本海側に生まれて幸せだと噛みしめる。海鮮のみならず、全国的に有名な大山鶏の料理も絶品。東京でも大山鶏の料理を見かけては食べるようにしているが、ふるさとに帰ってきて、地のもの、ソウルフードを食べられることがなによりうれしい(しかも圧倒的に安い!)。 ブランド鶏なのできっと同じものなのに、食べる場所が違うだけで、一緒に食べる人が違うだけで、こんなにも味がおいしく変わるとは。 飛び交う方言とおいしいお酒とソウルフード。 これで地元トークに花が咲かないというのは無理がある。「同窓会はどこでやった?」「あのホテル会場か! 同じだ!」などなど。 私も学生時代は「あそこのイオンにいつも遊びに行ってたなぁ」などと思いを馳せてみると、プリクラはみんな同じ場所で撮ってたり、フードコートに行くと必ず同じ学校の人に出くわしたり、細かい地元あるあるが次々とあふれ出てきて……。 それから、鳥取で開催される「がいな祭」という大きなお祭りの話に。地元の人たちは必ず誰でも一度は行ったことのある、歴史ある大きな規模のお祭り。私も毎年行くのが恒例だった。 幼いころは、祖母が浴衣の着つけをしてくれて、母にかわいい髪型にしてもらい、特別な気持ちで打ち上げ花火を見に行って、はぐれないようにと父が手をつないでくれたのも鮮やかに思い出すことができる。 小学生からは、ジャズヒップホップダンスを習い始めていた私。この「がいな祭」ではかなり気合いの入った特設ステージが設けられ、たくさんのダンスチームが出演する。小学生から芸能活動を始める高校生までの数年間は、幼なじみと同じ教室に通い、ダンスに熱中していた。 いまだにダンスを発表したステージのある場所を通ると、楽しく踊っていたあのころの思い出が一気によみがえってくる。このお仕事をしていても、ダンスを習っていてよかったなぁと思うことが多い。たとえば人前で何かを発表したり、ステージに立ったりを堂々とできること。表現するということがなんとなく体験できたこと。習わせてくれた両親に感謝したい。 少し話はそれてしまいましたが、このレギュラー番組がきっかけとなり、地元でのほかのお仕事もさせていただく機会が増えてきた。 鳥取県は夜空に輝く星がとてもキレイで、「星取県」ともいわれている。その夜空とともにムービーの撮影ができたこと。これも忘れられない夜となり、とっても印象に残っている。 そうだ! 先日は高校のときの同級生と飲みに繰り出し、3軒ほど(!)ハシゴ酒した夜も強烈だった(笑)。 もう卒業して10年ほど経ちますが、出会ったころと何も変わっていない気がするんだよなぁ。時が止まった感じというのだろうか? みんなそれぞれお仕事をがんばっていたり、子育てしていたり、県外に出ていたり。今の生活環境はバラバラなはずなのに、いったん集まってしまうと、あの当時と同じ空気感に巻き戻っていく。 高校1年生でたまたま同じクラスになって、10年経ってもこうして当時のまま気軽に集まれる友人がいるって素敵なことだな。なんの気を遣うこともなく、大人になってもなんでも話せる人って貴重だなとつくづく思う。過去にすがりつくようなことはせず、自分の意見をしっかり持っていて、ポジティブな子しかいないので、本当に恵まれている。毎回集まる夜は楽しくって、時間があっという間に過ぎていく。 うれしいことに最近は、お店の中やみんなで歩いている帰り道、私に気づいて話しかけてくださる方もいらっしゃって。とーーっても温かい言葉をかけてくださる方ばかりで心がホッとする。そんなやりとりを誇らしそうにしながら見守ってくれる友人の表情にもまた心が温まる。 なんて素敵な地元なんだろう。 こうして声をかけてくださる方がいることで、またがんばろう!と思えてくる。 そして、そうこうしていると、そんなに大きな街ではないので、当時の学校の先生方にもばったり会ったりもして。 「ふるさとのみんなが応援してくれているんだ!」と帰るたびにパワーアップした気持ちで東京に戻ってこられる。 地元でのレギュラー番組が始まる前までは、年末年始やお盆のタイミングの、年に1、2回しか帰る機会がなく、こうして定期的に帰省もできて、本当にありがたい気持ちでいっぱいになる。 両親や愛犬とだらだら実家で過ごす何気ない夜も大好き。みんなで夜ご飯を食べながら、テレビで大相撲中継を観て、あーだこーだ言う時間。ごひいき力士が勝つとみんなで喜び、負けるとみんなでがっかり。私の家族はみんな相撲に詳しく、話していて本当に楽しいし、学びにもなる。 相撲を観終わるころには、夏は虫の声がよく聴こえてくる。東京では聴けない、極上のBGMだ。テレビを消して、素敵なBGMを楽しみながら、蚊取り線香をつけて、スイカを頬張るのも毎年恒例。いつも扇風機の前は愛犬の「むさしまる」が陣取っている。夏の夜に扇風機と柴犬、なんとも微笑ましい光景です。「これが"チルアウト"ということか」と、ひとりほくそ笑む。普段はひとり暮らしなので、地元で過ごす夜は最高の時間。 充実した時間を過ごし、また東京に戻る日々。 鳥取はまだ新幹線が通っていないから飛行機移動が基本なのだが、人生で初めて飛行機に乗ったのも、このお仕事を始めるきっかけとなったホリプロタレントスカウトキャラバンの合宿審査に向かうとき。何年経っても空港に着き、飛行機に乗り、窓から空を見ると「よし! 東京に行ってがんばろう!」と気合いが入る。 どんどん小さくなっていくふるさとを眺めては、最初は心細くなったときもあったけれど、今では飛行機の窓から見える夜空は、私の心を強く昂らせ、わくわくさせてくれる宝物だ。実はもともと飛行機は大の苦手なんですが(笑)、12年も経つと人は慣れるものなんだなぁ。 よし……! またがんばるか! 文・写真=山根千佳 編集=宇田川佳奈枝
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自分の好きな場所にいたかった。小さな書店で過ごす夜(石山蓮華)
エッセイアンソロジー「Night Piece〜忘れられない一夜〜」 「忘れられない一夜」のエピソードを、毎回異なる芸能人がオムニバス形式でお届けするエッセイ連載。 石山蓮華(いしやま・れんげ) 1992年、埼玉県出身。電線愛好家・文筆家・俳優。日本電線工業会公認・電線アンバサダー。テレビ番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日)や、映画、舞台に出演。著書に『犬もどき読書日記』(晶文社)、『電線の恋人』(平凡社)。TBSラジオで毎週月曜〜木曜14時から放送中の『こねくと』にメインパーソナリティとして出演中。 早稲田にある小さな書店の閉店時間は24時だった。 算数のできない私がレジ締めの係になると、同じシフトの人はいつまでも帰れない。 バイトの先輩である学生さんに「石山さん、そろそろできましたかー?」と言われ、「できてる気がするんですが……ちょっとエラーが出てしまって……」と、まじめにやっている感だけでも受け取ってほしく、もごもご言った。私だって帰りたかった。 20代半ばのころ、同棲相手に家賃を払ってもらっていた。レギュラーのお仕事でもらえるギャラを所属事務所と分配し、手元に入る金額をロケの拘束時間で時給換算してみると、最低賃金は豪快に割っている。行き倒れにはならないが、ひとり暮らしは見込めない私の稼ぎ。それでも外で酒を飲み、悩んで悩んで服を買い、収支の合わない暮らしをしていた。 同じ番組に出演している華のある女の子たちはテレビに出ているときもそうでないときも小綺麗な格好をして、デパートで売っている化粧品をそろえ、カフェでは1500円のプレートに700円のスムージーをためらわず頼んだ。 私は借り物の衣装を着ていないときは、古着屋で買った服をよく着ていた。テレビに出るときにしか使わない化粧下地を買うのが面倒だったので、テレビ局のメイク室でいつも同じ下地を借りていた。カフェでブレンドコーヒーを頼むのは、おかわり無料だからだった。マネージャーさんからは、苦学生のようだと言われていた。 同じ仕事をしているはずなのに、まわりの人はなぜ優雅なのか、私にも優しいのか、こんなにキレイなのか、近くで見ても不思議でうらやましく、どうしたって同化できない。 「れんちゃんは個性的だね」と言われても、私が選べるものを選んだらこうなっていた。 本が好きな人は、本も書店も書店員のこともかっこいいと思っていると、私は思っている。 この本が欲しいんですと在庫を聞くと、その本がある棚まで案内してくれる。こんなにたくさん本が並んでいるのに、どこにどの本があるかすぐわかる。きっと新刊本も名作本もちゃんと読んでいるのだろう。優雅な女の子になるのは、仕事で頼りになる先輩の実家が田園調布にあると聞いたときからあきらめていたが、私もできる範囲でかっこいい人になりたい。それに、アルバイトでいいから自分が好きな場所にいたかった。 近所の書店でバイト募集の貼り紙を見つけ、いそいそと電話をかけ、面接を受けた。夜遅いシフトに入ればちょっと時給が上がるし、日中はロケやオーディションにも行ける。店に入ってすぐ右隅に設置されたレジの前に立ち、本に挟まれた短冊形の売上スリップの整理をしたり、レジ打ちをしたり、棚の整理をしたりする書店員さんにずっと憧れていた。バイトを辞めて何年も経つ今だって、書店員さんに憧れがある。 店長もバイトの同僚もみな親切で、少しずつ仕事も覚え、自信を持って店に立てるようになった。お客さんがいないときは、文庫やハードカバーなどにかける紙製のブックカバーを折る。レジ横の黒いペン立てにはブックカバーを折るときに使うためのマーカーペンが差してあった。このマーカーを麺棒のようにスライドさせると、不器用な私もまっすぐな折り目をつけられる。そのカバーには赤いインクで象の絵が印刷されていて、店に並んだ深緑色の棚と補色になっているのがおしゃれで気に入っていた。 月に何時間かのささやかなシフトではあったが、そのバイト代によって店で本を買い、近所の喫茶店でコーヒーを飲むというささやかな貴族暮らしが楽しめた。この貴族は、鳥貴族にいる貴族である。 調子に乗って口座のお金をすべて使い、奨学金の引き落としができずに催促の電話がかかってくることもあった。今年やっと返済できたけれど、借金をせずに大学まで行ける国でやっていきたかった。 木曜の夜、いつもひとりでしゃべりながら雑誌のコーナーを眺めていく人、マンガの新刊を発売日に買っていく人、親と一緒に付録いっぱいの雑誌を持ってくる子、私が読んだことのない翻訳小説を買っていく人。街の本屋にはいろいろな人が来る。本屋が好きだし、本屋に来る人も好きだった。お客さんが買った本を見て「私もこの小説、好きですよ」と思う。口に出すのはやりすぎなので、教わったとおり接客する。 ある日、お客さんにささいなことで怒鳴られた。ほとんど同い年くらいに見えるその人は、私が謝っても「謝り方が悪い」とスマホのレンズを向け、さらに謝罪を要求した。私は頭を下げながら、顔が熱くなり、手は冷たく、足は震えた。内線で呼び出された店長と深々謝り、その人は帰っていった。 涙が出てもシフトは続く。そのままレジに立っていたら、店中のお客さんが本やボールペンなどを買って「大変だったね」と次々に声をかけてくれ、私はまた深々と頭を下げた。「私は池袋のジュンク堂で働いているのでわかります。いろんな人がいますから」と伝えてくれた人は本を買ったあとにすぐまた店に来て、「プレゼントです」と包装紙に包まれた分厚い本をくれた。聖書をもらったのは、あとにも先にもこの一度きりだ。 閉店時間の少し前に、同じシフトのバイトさんが有線放送を「蛍の光」に変える。 黒いノートパソコンの画面に、レジ締め用のエクセルが表示されている。その日の売り上げを記入する大事な作業。まさに帳尻合わせだ。 私は算数が苦手だ。年下の先輩バイトさんは人並みの計算能力があり、私より早く正答が出せる。代わりにやってくれればいいのにと思ってはいるが、口には出せない。私がレジ締め係になってしまっているので、これはやるまで帰れない。それに、この作業自体はもう何度も教えてもらっていて、覚えられない私がいけないのだという申し訳なさがある。 その日の閉店時にレジにあるお札や硬貨の枚数を数えることそのものは案外難しくはない。細長いコインサイズのくぼみに硬貨をはめ込んでいくだけで、何枚分重なっているかを教えてくれる親切な道具があるからだ。 並んだ表のコマをにらみ、数を数え、電卓で計算し、これっぽい、きっとかなりの確率でこれだという数字を入れ、エラーが出て、計算し直し、また数字を入れてみて、エラーが出なければよしとして帰る。 バックヤードで待っている先輩に「遅くなってすみません」と謝りながら、店の電気を消し、鍵を閉め、閉じかけたシャッターの隙間をくぐって外へ出る。この時間、開いている店はあまりない。お疲れ様でしたと声をかけ、坂道をのぼって家へ帰った。 文・写真=石山蓮華 編集=宇田川佳奈枝
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~
人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など──漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記
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ファッションが持つ力を信じる、最前線の美しさに込めたメッセージ──関根光才『燃えるドレスを紡いで』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 服を作ることは罪でしょうか? 本作はその疑問に真っ向からぶつかる日本人デザイナーを追った作品だ。 『パリ・オートクチュール・コレクション』。 オートクチュールとは「高級仕立服」という意味のフランス語で、『パリ・オートクチュール・コレクション』は、パリ・クチュール組合に加盟する限られたブランド、または招待されたブランドしか参加できない格式高いコレクションである。 本映画は、同コレクションに日本から唯一参加するブランド「YUIMA NAKAZATO(ユイマ ナカザト)」のデザイナーである中里唯馬に密着したリアル・ファッション・ドキュメンタリーである。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は国内外で活躍する日本のトップデザイナーのひとりだ。ベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミー出身である彼の卒業コレクションは、インターネット上で回り回って世界的ヒップホップグループであるThe Black Eyed Peasのスタイリストの目に留まった。同グループの世界ツアー衣装のデザインを手がけたことをきっかけに、唯馬は対話から服を作っていけるオートクチュールに惹かれていった。 その後、唯馬は2009年に前述のブランド「YUIMA NAKAZATO」を設立。日本人では森英恵以来ふたり目となる『パリ・オートクチュール・コレクション』のゲストデザイナーに選ばれている。そんな輝かしい経験を持ち、ファッション業界の最前線を走る唯馬にはひとつの関心事があった。 「衣服の最終到達地点を見たい」 映画は、唯馬がアフリカ・ケニアへ旅立つシーンから始まる。アフリカ・ケニアのギコンバはメディアを通してしばしば「服の墓場」と表現されることがある。 映画『燃えるドレスを紡いで』 チャリティ団体や回収ボックスに寄付された古着がその後どのような道をたどるかご存じだろうか。昨今ファストファッションの流行などにより先進国での衣類の生産量や購入料は実際に必要とされている分よりも遥かに多いとされる。流行のデザインの安価な服をワンシーズンのみ着用するために購入する、ということも珍しくないだろう。そういった服を善意から、廃棄ではなく前述のような手段で寄付というかたちで手放すこともあるだろう。しかし現実には、回収量が必要量を上回っていたり、質などの問題で再利用できなかったり、ニーズに合っていなかったりと問題が多く、運ばれてくる古着のうちそのまま売り物になるのは20%ほどで、ゴミ同然のものも多いという。 ケニアの街の人々は口々に言った。 「服はじゅうぶんにある。もう作らないでほしい」 そうして弾かれたり売れ残ったりしたゴミ同然の古着は「服の墓場」である集積場に廃棄される。ケニアには焼却炉はない。集積場には生ゴミなども廃棄されており、プラスチックゴミの自然発火も相まって、街に入った瞬間から腐敗臭が立ち込めるという。 色とりどりの衣類等のゴミが地平線まで積み重なり、その中を子供たちが歩く様子は我々が想像すらしたことのないような光景でまさに圧巻。37年間、このゴミ山で暮らしているという女性の姿も映し出される。風でゴミたちが巻き上がる。 唯馬は、服の墓場を見て「美しい」とつぶやいた。 唯馬は『さんデジオリジナル』(山陽新聞)のインタビューでそのときのことを振り返り「不快だという思いもあるんですけど、それだけではない何かがあるな……と」、「適切な言葉が思いつきませんでした」と述べている。この「美しい」という言葉には我々には想像もつかないくらいたくさんの感情が込められているのだろう。 安価な服はポリエステルを主としている上、さまざまな原料が混ぜられているので、そう簡単にリサイクルすることはできない。 新しい服を作ることに魅力を感じ、生業としている唯馬にとってケニアでの光景は大きな葛藤を産むものだった。唯馬は「なぜ自分は服を作るのか」と自問自答した。唯馬の動揺がスクリーン越しに強く伝わってくる。 このとき、すでに次のパリコレクションまでの猶予は2カ月ほどしかなかった。この現実を知り、強い落ち込みを感じているのに、それを無視してまったく別のコレクションを発表することなどできない。 その後、唯馬たちはケニア北部のマルサビット地方を訪れる。マルサビット地方ではひどい干ばつが続いており、家畜が死に、食糧危機にも悩まされていた。そんな場所で唯馬が出会ったのは、羊の皮を縫い合わせた服や色とりどりにビーズを使った装飾品を身につけておしゃれを楽しむ現地の女性たちの姿であった。深刻な食糧危機に悩まされるこの地域でも、人々はおしゃれを楽しんでいたのだ。 映画『燃えるドレスを紡いで』 唯馬は彼女らから人が装うことの根源的な意味を考えるヒントを得て帰国し、パリコレクションに向けての制作に入る。 映画の後半では、帰国からパリコレクションまで約2カ月間の奮闘が描かれている。ケニアで売られていた古着の塊を持ち帰った唯馬は、さまざまなハプニング──SDGsとも関係のないものも含めた本当にさまざまなハプニングに見舞われながらも、より美しいコレクションを作るために妥協なしで服作りを進める。 この後半の物語によって、本作はSDGsに関する啓蒙映画という枠にとどまらず、むしろ中里唯馬というひとりの人間の生き様を映した映画になっていると思う。 服の過剰生産に対する問題提議を新しい服を作るという方法で行うのは、一歩間違えたら矛盾と捉えかねられない難しい活動だ。実際、唯馬も社内ミーティングで「(パリコレクションのような消費を促すことが目的の場に)関わっている以上、すでに加担してしまっている」、「そういう中で何を言っても、言い訳にしか聞こえないだろう」と言葉にしている場面があった。しかし、唯馬は方向性を固めてからは、ただひたすら美しさに重点を置き、ストイックにそれを追求していく。 唯馬はきっと芸術、特に美しい衣服の持つ力を心の底から信頼しているのだろう。 唯馬は「オートクチュールはF1レースみたいなもの」だという。技術を集結させ最も美しいものを発表する場だ、と。しかしF1レースで培われた技術は10年後には公道を走る車に応用される。かつては男性のものだったパンツスーツが今は女性の装いとして当たり前のものになっているように。最前線で美しいものを発表することが、人々の装いを、そして価値観までを変えることができる、服の持つ美しさにはその力があると信じているのだろう。 趣味程度だが、私は美術館やギャラリーで絵画や現代アートを見ることが好きだ。それらの作品の中には、戦争や政治、環境問題などに対するメッセージや主張が込められたものが多い。そして、それらはただ単純に文字や言葉での主張ではなく、絵画や彫刻などの美しく心が惹かれるようなかたちに昇華されている。 なぜ人は、理路整然とした言葉や理屈ではなく、美しさを通じて何かを主張しようとするのだろうか。その答えは簡単にわかることではないが、パリコレクションという大きな舞台の本番の直前まで美しさにこだわり、追求し、微調整を続ける唯馬を見ていると、我々もまた美しさの持つ可能性を信じずにはいられなくなる。美しさは時に言葉よりも鮮明に、そして強く物事を主張することができる。 映画『燃えるドレスを紡いで』 「デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼(唯馬)は常に何か言いたいことがあった」 作中で唯馬について述べられていることのひとつだ。 何かどうしても言いたいことがある人が、美しさの持つ力を圧倒的に信じることで、世の中のデザインや芸術というものはでき上がっているのかもしれない。 『燃えるドレスを紡いで』は環境問題やファッション業界について知ることができるのはもちろんのこと、中里唯馬という人間のかっこいい生き様をのぞける貴重な作品だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2024年7月18日、WEBコミック配信サイト『サイコミ』連載の『感受点』(原作:いつまちゃん)の単行本が発売予定。 映画『燃えるドレスを紡いで』 出演:中里唯馬 監督:関根光才 プロデューサー:鎌田雄介 撮影監督:アンジェ・ラズ 音楽:立石従寛 編集:井手麻里子 特別協力:セイコーエプソン株式会社 Spiber
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バカにされても突き進む、カッコいい男の“生き様”を描く──湊寛『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 “新根室プロレスは競技を見せているのではなく生き様を見せている” 『無理しない ケガしない 明日も仕事! 新根室プロレス物語』は、北海道文化放送によって制作されたドキュメンタリー映画で、北海道根室市で活動する「新根室プロレス」を追った作品だ。 新根室プロレスは、おもちゃ屋を営むサムソン宮本を中心に地元のプロレス愛好家たちが集まって2006年に旗揚げされたアマチュアプロレス団体だ。所属メンバーは地元の会社員、漁師、酪農家、派遣社員など日々を生きる社会人ばかり。 創設者であるサムソン宮本は「無理しない ケガしない 明日も仕事!」を、モットーに掲げている。 本映画では新根室プロレスの活動の軌跡と、創設者であるサムソン宮本が平滑筋肉腫(※癌の一種)と診断され、55歳の若さでこの世を去るまでの生き様を主軸として描いている。 プロレスといわれて世の中の人は何を思い浮かべるのだろうか。私は恥ずかしながらプロレスという文化に疎く、バラエティ番組で目にしたことがある毒霧やパイプ椅子の映像から「なんかよくわからないけど痛そうだから見たくない」とさえ思っていた。しかし安心してほしい。新根室プロレスは“エンタテインメント全振り”だ。サムソン宮本が「老若男女誰でも楽しめるプロレスを目指す」と発言しているように、新根室プロレスは思わず笑顔になってしまうようなおもしろさを売りにしている。 所属するメンバーも、レジェンドプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアント」にちなんだ、身長3メートルの「アンドレザ・ジャイアントパンダ」、同じくレジェンドプロレスラーの「ハルク・ホーガン」にちなんだ豊満な体型の「ハルク豊満」など、くすりと笑えるものばかり。 サムソン宮本は、ロープ渡りを失敗してお股にロープが直撃……なんていう、コミカルな動きで観客を笑わせる。必殺技も“相手の頭をパンツの中に突っ込む”とか“カンチョー”とか、とても上品とはいえないものばかり。サムソン宮本の娘も「(最初は)恥ずかしかった」と語っている。 そんな新根室プロレスのメンバーたちには、ある共通点がある。 それは“学生時代イケてなかった”ことだ。たしかに作中に登場するメンバーは優しそうな、悪くいうと気弱そうな、一見格闘技などしなそうに見える面々だ。最年少であるTOMOYAの異名も「メガネのプリンス」、「ラブライバー」(※メディアミックス作品『ラブライブ!』ファンの総称)といったとおり。 所属メンバーにとって新根室プロレスがどういう存在であったのかは、映画パンフレットに記載されている新根室プロレス選手名鑑を見ると、ひと目で理解できる。職業や得意技と合わせて、「新根室プロレスとは?」という項目があるのだ。 「家族」「恩人」「居場所」「遅れてきた青春」。「自立支援団体」や「精神安定剤」と回答しているメンバーもいる。 サムソン宮本の弟である「オッサンタイガー」は次のように語る。 「ズレている人ばっかでしたね。マトモな人は入れないです。(中略)いかにイケてないかとか、ダサいとか、ちょっと社会に適合していないとかが基準なんですよね。そういう人たちに惹かれるんですよ、サムソンは」(※「新根室プロレス映画化記念メンバー座談会」より引用) かくいう私も、いわゆる“イケてない”、“ダサい”、“社会に適合していない”と言われるような人たちに惹かれる性分だ。自分自身がそうだから、というのももちろんあるし、そういう人たちにスポットライトが当たりづらい世間の風潮に対する反骨精神もある。これは私が今、漫画家として仕事をしている理念の部分になっているし、きっとドキュメンタリー映画が好きな人にはそういう性分の人間が多いのではないだろうか。普段スポットライトが当たりづらい人たちにカメラを向け、誤解されやすい、理解されづらい彼らの生き様をまざまざと描く。これは私がドキュメンタリーというものに感じているよさの、最も大きい部分と言っても過言ではない。 普段はイケてない人たちが仮面を被って別の名前を名乗ることで「カッコよく」変身するというのもよい。冴えないオタクがヒーローに変身して活躍するのは、マンガやアニメの王道だ。 まあ、つまり、ひと言で言うと私は『新根室プロレス』のような物語が好きでたまらないのだ。 映画としての編集もニクい。本作では「サムソン宮本として死にたい」という本人の発言を尊重し、最後までサムソン宮本の素顔を映さないように編集している。若いころの写真にも闘病中の家族との写真にも、たとえ家族の素顔が映っている場面でも、サムソン宮本に対しては徹底してマスクを合成する編集がされている。制作陣のサムソン宮本への多大なリスペクトが感じられる。 2019年9月。根室・三吉神社のお祭り興行でサムソン宮本から衝撃の告白が飛び出す。「難病・平滑筋肉腫と診断され……新根室プロレスを解散します」 平滑筋肉腫は10万人に3人の難病で、治療法も確立されていないという。 2019年10月。東京・新木場1stRINGにて、新根室プロレス最初で最後の興行が開かれた。1stRINGはインディ興行の聖地ともいわれる場所。約300人のファンが詰めかけ、会場は超満員となった。 次々とメンバーたちの試合が進み、第二部。場内スクリーンには「生か死か サムソン宮本13番勝負」の文字、サムソン宮本が新根室の面々と13番勝負をするという企画だ。本映画の編集マン・堀威の取材日記によると、大会当日のサムソンは「本当につらそう」だったという。また、13番勝負12戦目のセクシーエンジェル・ねね様戦でサムソン宮本が助骨を骨折していたということも明かしている。身体がボロボロになりながらも「プロレスラー・サムソン宮本」として戦う姿に、私は涙が止まらなかった。サムソン宮本は必ずまた新木場のリングに戻ってくると宣言するが、翌年9月、55歳の若さでこの世を去ってしまう。 制作した北海道文化放送の吉岡史幸プロデューサーは北海道新聞の取材に対し「(サムソン宮本は)自分の死すらもエンタテインメントにするほど徹底したプロデューサー」であると語った。 サムソン宮本は、うつ病や仕事の悩みを抱えるメンバーたちの悩み事を魅力にして人気者にし、観客たちを楽しませたように、自らの病気や死も観客を楽しませるためのネタにする男なのだ。 「新根室プロレスにおいて重要なのは、強さ、うまさではなく、観ている人の感情を揺さぶれるかどうか。それが本当の勝者」 新根室プロレス結成当時のサムソン宮本の言葉だ。 この映画はドキュメンタリーとしてはもちろん、題名どおり物語として非常によくできている。 というのも、プロレス自体、競技とエンタテインメントの両方の特性を併せ持つものであるし、登場人物たちもまた本人と、それとは別にプロレスラーとしてのキャラクターも持っている。自分の人生さえもさらけ出して「サムソン宮本として死にたい」とまで言っていた彼を追った映画なのだから、“物語”になるのは必然なのかもしれない。 本映画の後半では、残されたメンバーたちで新根室プロレスを再結成し、復活させる様子が描かれている。 先頭に立ったのは、小学3年生のときに新根室プロレスに魅了され、一度は入門を断られながらもメンバーとなった最年少のTOMOYAだ。サムソン宮本を敬愛していたメンバーの中には、TOMOYAだけで大丈夫なのだろうかと心配するメンバーもいたが、支え合いながら復活に向けて動いていく。 みんなの大黒柱だったサムソン宮本が亡くなって解散してしまった新根室プロレスが、メンバーの中でいわば末っ子であるTOMOYAの強い気持ちで再び集まっていく様子は、胸が熱くなるものがある。 「人生一度きり。やりたいことをやれ。カッコ悪くてもいい。バカにされてもいい。いつかわかってくれる。Don’t give up! Do your best!」 サムソン宮本の最後の言葉だ。 上映が終わったあと、映画館には涙を啜る音が響いていた。少なくとも映画を観た人たちの中に、サムソン宮本をカッコ悪いだとかダサいとかいう人間はいないだろう。 これは、北海道根室市に新しい文化を作ったカッコいい男の物語だ。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)連載中。さらに、2024年3月、『ビッグコミックスペリオール』(小学館)にて読切『下北哀歌。』を掲載。 配給:太秦 (C)北海道文化放送
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偶然で必然の出会い、渋谷に響くひとつの歌声──島田隆一『ドコニモイケナイ』
文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ 人生を変えた一本、退屈な日々に刺激をくれる一本、さまざまな愛に気づく一本など── 漫画家・文野紋によるリアルな視点、世界観で紹介するドキュメンタリー映画日記 『ドコニモイケナイ』は2012年に公開され、第53回日本映画監督協会新人賞を受賞したドキュメンタリー映画である。 物語は2001年の渋谷から始まる。1996年生まれの自分には当時の渋谷の空気は想像でしかわからないが、ギャルブームやメディアの注目もあり若者のファッション・トレンドの街だったという。本作のパンフレットによるとゼロ年代初期の渋谷は「行き場のない若者が集まっては、ただひたすらにたむろしている場所」であったと書いてある。今でいう「トー横(※新宿の歌舞伎町にある東宝ビル横のこと)」のような位置づけだったのだろうか。 監督の島田隆一は2001年当時、映画専門学校に通う学生だった。本作は当初、専門学校の実習課題として撮影され始めたものだった。ほかの学生より大人しく、課題を探しあぐねていた島田に講師が「渋谷へでも行ってみたら?」と提案したことがきっかけだった。 2001年10月23日、ひしめく若者たちの中で島田とスタッフたちはひとりの女性と出会う。あまり上手とはいえない声で歌う彼女は、佐賀からヒッチハイクでやってきたストリートミュージシャンの吉村妃里(よしむら・ひさと/当時19歳)であった。 「元気で行こう 精一杯の力を出して 元気で行こう 無理しなくて いい 元気で行こう 気楽な気持ちでリラックスして」 そう歌う彼女に惹かれた島田とスタッフたちは彼女を追いかけて撮影をすることに決める。 (C)JyaJya Films 妃里は、新宿で出会った芸能事務所の社長という人間からスカウトをされ、事務所が借りたウィークリーマンションに住むようになる(最終的には妃里は「貧血」を理由にわずか1カ月ほどで切り捨てられ、住む場所を失ってしまう)。そのあと路上で知り合った友人・幸香の家に居候したりと妃里を取り巻く環境が不安定に変わっていくなか、2001年12月13日、島田らスタッフの元に幸香から連絡が届く。 「妃里の様子がおかしい」 妃里は統合失調症を発症していた。 翌々日の12月15日には妃里は都内の病院に緊急入院し、翌年3月には故郷である佐賀の病院に転院することとなる。こうして映画の撮影は中断され、妃里を映したテープは放置されたまま、島田らスタッフは映画専門学校を卒業してしまう。 私個人の話で恐縮だが、私の祖母は私が物心ついたころ、すでに統合失調症を患っていた(母から聞いた話だと、母が小学生のころにはすでに発症していたという)。 当時はまだ統合失調症という病名に改称されて日も浅かったからか、母からは「ばーちゃんは精神分裂病だから」と言われて育った。家族で帰省したときには祖母が私を罵倒することもあったようだから、「精神分裂病だから、ばーちゃんの言うことは気にしなくていいよ」という母から子への思いやりから出ていた言葉だと思う。私の中の祖母の記憶は、誰かに怒っているか、上のほうの何もない一点を見つめて何かぶつぶつと話している姿しかない。 母には「神様と話してるらしいよ」と教えられた。祖母は歩くことも難しかったので、母は祖母を風呂に入れることにすごく苦労していたような記憶がある。もちろん、統合失調症の症状はさまざまで、これは私の祖母の話でしかないので主語を大きくするつもりはない。 私は、発症する前の祖母を知らないので祖母とはそういうものだと思っていたし、祖母の話す言葉は方言がきつかったこともあり罵倒されても特別傷つくということはなかったが、母が「母さんも発症したらどうしよう」、「遺伝かもだから」とひどく心配していたのは今でも強く印象に残っている(実際、遺伝的要素は示唆されているものの、未だ解明はされていないようだ)。 母は発症前の祖母を知っている。母にとって統合失調症は「突然、自分にも起こってしまうかもしれないこと」なのだと思う。私もそうなんだろうな、と思う。人間は現実に物語性を見出したくなってしまうが、それは必ずしも正しくない。 本作のパンフレットでも精神科医の春日武彦は統合失調症の発症について「率直に述べるなら、運が悪かったとしか表現できない」(『ドコニモイケナイ』パンフレットより引用)と述べている。 監督である島田は語る。 「吉村妃里を統合失調症にまで追い込んだのは、カメラを回し続けた自分の責任ではないだろうか」 (C)JyaJya Films 以前、『監督失格』について書いた記事でも引用したが『ゆきゆきて、神軍』の監督である原一男は「ドキュメンタリーをやる人間は畳の上で死ねない」と述べている。 『監督失格』の監督である平野勝之も「人の死で金儲けしていると言われるかもしれない」と心配していた。 (文野紋のドキュメンタリー日記 ~現実(リアル)を求めて~ #1:https://tvablog.tv-asahi.co.jp/reading/logirl/2894/) 『監督失格』も『ドコニモイケナイ』も不安定な、美しい女性とそれに惹かれた監督がカメラを通してコミュニケーションを取る、カメラを通してしかコミュニケーションを取れない、という構造で物語が進む。もちろん取り巻く状況や彼女らのキャラクターはまったく違うものなので単純に比較はできないが『監督失格』の被写体である林由美香は売れっ子のAV女優だ。どんな激しい場面でも撮りなさいと平野に言った。監督である平野もプロのAV監督であるから、悩みながらも彼女の言葉に従った。しかし『ドコニモイケナイ』の被写体である吉村妃里は歌手志望の19歳の若者でしかない。監督である島田も、当時20歳そこらの映画学校の学生だ。 本作の後半では、撮影を中断してから9年後、佐賀で暮らす妃里が描かれている。 妃里が佐賀に渡り撮影を中断してから島田やスタッフはそれぞれの道を歩んでいた。島田も起業用のPR映像の制作に携わるなど映画業界で仕事をするようになる。ただ、そうしている間にも島田の胸にはしこりのように妃里さんを映した映像のことが残っており、細々と編集作業もしていたという。2007年、冒頭で島田に「渋谷へでも行ってみたら?」と提案した映画学校の講師から「あれをまとめてみないか」と電話を受ける。講師から「現在の吉村妃里を描くべきだ」という言葉もあり、悩みながらも島田はカメラを持って現在の妃里に会いにいく。 (C)JyaJya Films そこでは、母とふたりで暮らしながらNPO法人・鹿陽会チャレンジド支援センター「ザ・鹿島」に通っている妃里の姿があった。そこで軽作業(服をたたんでビニール袋に詰めるなどの単純作業)にも取り組んでいる。 2001年との渋谷とはあまりにも正反対の妃里の故郷の風景は、一種のやるせなさというか切なさのようなものを感じさせる。そして同時に映画を完成させるために、その対比を映さなければならないというドキュメンタリー監督という職業の業も感じさせられる。物語の終盤、彼女が博多の駅で再び「元気で行こう」を歌うシーンがある。道ゆく人は誰も彼女とコミュニケーションを取ろうとしない。 ただ、切なく感じてしまうというのも現実に物語性を求めてしまう鑑賞者である私たちの悪癖でしかなく、妃里の人生も島田の人生も続いているのだ。妃里は本作についてこう語る。 「50歳くらいになったら、この作品を持って講演をしたいな」 島田がこの作品を撮ることができたのはある意味“偶然”なのだろうと思う。当時の島田にとっては悪い偶然だったのだろうと思うし、自責の念を抱えていたことも窺える。だが、その映像を『ドコニモイケナイ』という一本の映画にまとめるに至ったのは、島田のドキュメンタリー監督としての性なのだと思う。 デリケートな題材であるがゆえ、すべての人が観るべきだとは思わない。だが、少なくとも私はこの映画を観ることができてよかったと思う。公開10周年を記念して再上映をしてくれたポレポレ東中野にも感謝でいっぱいだ。 この映画を必要とする人に届いてくれたらいいなと思う。そして願わくば、ふたりにとってもいいものであったらいいな、と思う。 文野 紋(ふみの・あや) 漫画家。2020年『月刊!スピリッツ』(小学館)にて商業誌デビュー。2021年1月に初単行本『呪いと性春 文野紋短編集』(小学館)を刊行。同年9月から『月刊コミックビーム』(KADOKAWA)で連載していた『ミューズの真髄』は2023年に単行本全3巻で完結。2023年9月より、ウェブコミック配信サイト『サイコミ』にて『感受点』(原作:いつまちゃん)の新連載がスタート。 (C)JyaJya Films 出演 吉村妃里 吉村はる子 撮影・録音 朝妻雅裕 島田隆一 城阪雄一郎 佐賀編撮影 山内大堂 編集 辻井潔 音楽 AMADORI モリヒデオミ 宣伝 酒井慧 配給 JyaJya Films 製作 JyaJya Films 監督 島田隆一
マンガ『テレビドラマのつくり方』筧昌也
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マンガ『ぺろりん日記』鹿目凛
でんぱ組.incの「ぺろりん」こと鹿目凛がゆる〜く描く、人生の悲喜こもごも——
林 美桜のK-POP沼ガール
K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム
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n.SSign日本ファンミで公開収録!現場で感じたメンバーの絆とファンの優しさ|「林美桜のK-POP沼ガール」第17回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 『動画、はじめてみました』というテレビ朝日公式YouTubeチャンネルの中で、K-POP評論家の古家正亨さんと私が、K-POPに関するさまざまな内容をお届けしている『動はじK-POP部』。 今年1月に『動はじK-POP学校』に進化し、 今回、なんとn.SSign(エンサイン/*1)さんのファンミーティングにおじゃまして 公開収録させていただきました!! こんな日が来るとは…… イベントが終わっても「現実だったのかな」と思ってしまうほど、夢のような時間でした。 思い出しながらテンションが高ぶって、いろいろすっ飛ばして書いてしまいそうなので まずはn.SSignさんのことを簡単に紹介させていただきます。 こちらをご覧ください‼︎ 実は、n.SSignのみなさんには今年1月にも『動はじK-POP学校』に出演いただきました。 この自己紹介動画、メンバー一人ひとりの個性が光っていて、何回も観られてしまう沼動画です。 (私の母はこの動画ですっかりn.SSignさんにハマりました) 放送後、COSMO(*2)の皆様からの温かくて大きな反響もあって、今回の出張収録が決まりました。 ありがとうございます! 全瞬間が見どころ!ファン必見のお気に入りポイント 公開収録当日。 アナウンサーを7年間続けているものの、たくさんの方の目の前で司会する機会にあまり恵まれなかった私。 『ワイド!スクランブル』とナレーションの仕事を終えて やっと現場に到着した本番1時間半前から、 心臓が身体中にあるのかと疑うほどドキドキ。 そんななか開催された第1部は、こちら。 第2部は、こちら。 なんと、舞台裏も緊急配信! 僭越ながら、私のお気に入りポイントを挙げさせていただきますと…… 第1部 ・ぐるぐるバッドでよろよろ、ニコニコ笑顔が癒やし効果抜群のエディさん ・本当は虎なのに猫にもなれるシャイボーイ、ハンジュンさん ・会場を妖精のように駆け抜けるフェアリー、ロレンスさん ・お菓子箱からお菓子が落ちないように、クールにさっと手を貸す気遣い王子、ロビンさん 第2部 ・トップバッター、カントリーマアムにも動揺せず華麗に! みんなの頼れる伝説の優等生、カズタさん ・メロンパンに動揺して赤髪と同じくらい赤くなってしまった猫、ジュニョクさん ・つけ襟を頭に。誰よりも演技に熱が入る、縦割れ腹筋のヒウォンさん ・壁になり「壁だよ」と親切につぶやく、ムキムキ王子ソンユンさん(壁の表情にご注目) 全瞬間が見どころなので選びきれないですが…… COSMOの皆様、ぜひお気に入りポイントを教えてください。 n.SSignの心の絆 一生忘れられない大切な思い出になりました。 私のムチャブリにも応じてくださったn.SSignのみなさん。 いつも私たち番組側が想像する何万倍も全力で、前向きに、楽しく取り組んでくださる姿には 尊敬や感激の思いが入り混じって、ぐっと感情がこみ上げてきます。 いつも目がキラキラしていて、今という瞬間にワクワクしているのを感じて…… 心が本当にまっすぐで、きれいなんですよね。 カメラが回っていないときや舞台裏でも、ステージ上と変わらないわちゃわちゃ感で メンバー同士で楽しくお話しされているのが、微笑ましくて。 目線の合い方や距離感に、家族のような信頼関係、心の絆を感じました。 MC古家さんに助けられた、ドキドキの公開収録! ちょっと脱線して、私の話なんですが、 ファンミ前日、台本の時間割を確認しながら、ふと「時計が必要なんじゃないか?」と。 普段はスタジオにあるカメラ映像の画面に時間が表示されていたり、スタッフの指示で進行したりと、あまり時計は必要ではないので、持っておらず。 よくよく考えたら持ってないとまずいかもしれないぞと、前日、急きょ電器店に走り、購入した時計。 しかし当日、1ミリも時計を見ることはありませんでした。 現場では、MCの古家さんに全力でおんぶにだっこ状態。 古家さんの仕事ぶり、もうそれはそれは神でした。 決められた進行時間と闘いながら、通訳さんと息を合わせて、おもしろいと思ったところは広げて、ファンの方が知りたいパーソナルな情報を引き出して、ツッコミを入れて……。 目が回るほど忙しい。目の前にお客さんがいらっしゃるので、失敗が許されないわけです。 テレビ収録のように、スタッフからたくさんの指示が飛んでくるわけではなく、自分ですべてを進めなきゃいけないという、極限の生放送。 古家さんがたくさんの俳優さん、K-POPアーティストに信頼される理由が、横からビシビシ感じられました。 一方で、普段から“あとから編集される”のが前提で司会進行をしている私。 もっとピリッと緊張感を持って仕事しなくては。 COSMOの皆様、ありがとうございます! 最後に…… 舞台に立って感じたんですが、n.SSignのみなさんに初めて会ったときの印象と、COSMOの皆様から感じていた印象が同じだったんです。 ポジティブなエネルギーに満ちていて、穏やかで優しい。 双方が似ていることを、一瞬で体感して感動しました。 COSMOの皆様、いつも温かいメッセージをありがとうございます! 私も、そして携わっているスタッフさんも、いつも本当に励まされています。 またいつか『動はじK-POP学校』、開校されますように。 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/n.SSign グループ名は“net of Star Sign”の略語で、“星座の連結(星のつながり)”という意味が込められています。 *2/COSMO n.SSignさんのファンダムネーム。星座をつなげると宇宙ができるように、n.SSignさんとCOSMOさんがつながれば“無限の力を発揮できる”という意味が込められています。 文=林 美桜 編集=高橋千里
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夢の“韓国留学”が実現!漢陽大学で得た「意欲的に学ぶことの大切さ」|「林美桜のK-POP沼ガール」第16回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム 絶賛、鬱々とした毎日を送ってます(前回から変わらず)。 気持ちが上向きになるのに時間かかりすぎるタイプです。 特にバラエティの収録のあとがダメなんですよね……すぐ放送されたらいいのに、収録から放送まで時間がかかるのは、とってもメンタルを食い散らかされちゃう。悩んでも変わらないのにね! ですが、これからコンサートやファンミの予定があるので、それを楽しみにがんばっている今日このごろです。 大学時代からの夢「韓国留学」がついに実現! 3月の末、1週間の休みを取り 韓国の大学に4日間の超短期留学をしに行ってきました! まず、留学したきっかけなんですが 普段からお世話になっているキム・スノク先生が中心となって企画されたプログラムであることに運命を感じたから そして、大学時代から抱いていた「韓国に留学して韓国語を学んでみたい」という夢に、ようやく向き合って実現してみようと思ったからです。 当時からこの夢は、頭の中でふんわり浮遊していたり、全速力でよぎったりしてはいたのですが 大学生活が楽しかったし、コンサートなど推し活で忙しかったし……全部言い訳ですね。 なんといっても勉強が苦手だからという理由で、いつだって怠惰な自分との戦いに負けて、常に優先順位の下位に送られていたわけです。 韓国語の勉強が日本でもできていないのに、留学するのはまだ早い。そう思って忘れていました。 ところがどうしたことでしょう。 社会人になり、韓国語を学び始めると、あんなに暇だった学生時代に留学すればよかった……と頭を抱えるわけです。大矛盾。 正直、悩んでいる暇はないので、運命と感じた己の直感を信じて……えいっと決めました。 まるで韓ドラ? 現地で韓国語を学んだ4日間のキャンパスライフ 今回はひとりぼっちで渡韓。しかも大学に通うということでドキドキ。 ソウル唯一、駅直結の漢陽(ハニャン)大学(*1)。 通学路で大学のスカジャンを着ている学生がたくさん。なんだかほっこり。 4日間、語学堂で毎日10時から17時まで韓国人の先生の授業を受けて、発表などをする内容でした。 ただ、久しぶりすぎる学生生活のカムバック。 歳を取ったからといって昔の学習態度がアップデートされているわけではなく、集中力を保ち続けるのが昔と変わらず大変でした(笑)。がんばって勉強している学生さんを尊敬します。 なによりも、頭に流れ込んでくる韓国語の量に圧倒されちゃいました。 日本で韓国語を勉強していると、文法や単語は日本語で説明してもらえるので、その部分まで韓国語だともう大混乱。 初めのほうは言われていることもわからない、話したいことがまったく韓国語で浮かばない、浮かんだとしても声に出せない。これぞお先真っ暗。 心温かいまわりの生徒さんに助けてもらうことで、やっと生きられるといった感じでした。トホホ。 そしてこの超短期留学は、ただ学ぶだけではなく、プログラムが工夫されていて、漢陽大学の生徒さんとお話しできる機会がありました。 鍋を囲みながら こちらが拙い韓国語で話しても、ニコニコお話ししてくれて、学生生活だったり、おすすめスポットだったり、ちょっとした日々の愚痴だったり(笑)。 学生ならではの他愛もない話の内容や雰囲気がすごく懐かしくて、でも韓国語だから新鮮に感じて……不思議な感覚だったなぁ。 後日、学生さんが「日本語を学び始めた」とSNSに掲載していたのがすごくすごくうれしかったです。 昼食は学食で食べました! 韓国の大学で学食を食べるなんて……夢かな。 韓国ドラマかな。ヒロインかな(え?)。 石鍋で提供されるのが韓国っぽいなと感じたんですが、いかがですか? おいしかったです とてつもなく広く自然豊かなキャンパス内を散策していたら、 この鳥、カラスではないんです。 韓国の国鳥「カッチ」です。 見かけたら幸運が訪れるらしい……。 やっと慣れてきて、前より少し韓国語を理解できたり話せたりするかも……? で、あっという間に最終日。 最後には修了証までいただきました。 4日間講義をしてくださったチェ先生 キム・スノク先生、カムサハムニダ たった4日間ではありましたが、ぎゅっと濃い時間で、きっとこのあともずっと記憶される日々です。 帰り道は達成感と寂しさと……まるで卒業式の帰り道のような気持ちでした。 アン・ボヒョンのファンミでも「韓国語が聞き取れた…!」 あと、実はこの学習期間にちゃっかり、ファンミーティングに参加する予定を入れていました。 俳優のアン・ボヒョン(*2)さんです。 韓国開催なので、もちろんオール韓国語。 ファンミはゲームなどもあるので、韓国語がわからなかったら……と不安もありましたが 学習の成果なのか、もちろんすべてではないですが聞き取れたり、頭の中で訳するスピードもギリギリ間に合ったりと、楽しめました! 現地で学んだという実感を得ることができて、すごくうれしかったです。 そして、アン・ボヒョンさんは韓国で会っても日本で会っても、素晴らしく素敵。 「学びたい」意欲が、勉強が苦手だった自分を変えた 今回は書きたい気持ちが前のめりで、長くなってしまいました……。 ところどころ大変だった感じに書いていますが、やっぱり好きなことなので、つらいといった感情はまったくなかったです。 あと、勉強をやらされているわけではなく、自分の意思で学びに来ているので、自分でも驚くほど意欲的に勉強できたように感じました。これが社会人になって勉強することの醍醐味なのかもしれません。 今回のメンバーには、私より年上の方もいらっしゃって、学習への前向きな姿勢や、韓国語における美しい言葉の選び方、知的で深みのある文章の作り方に触れ、この先を照らされたような感じがして感銘を覚えました。 私も長く韓国語を学び続けたいな、と。 大学のキャラクターと 久しぶりの学生生活に疲れて、ほぼ観光らしい観光はできなかったのですが、訪れてよかった場所などは今度ご紹介させてください。 超短期留学から帰ってきて、今後の日本での学習プランを考え直し、最近は韓国語の会話授業に参加しています! もっと語彙を増やして、ナチュラルに話せるようになりたいです! 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/漢陽大学 漢陽大駅直結という、立地条件も魅力的なキャンパス。今流行りの聖水(ソンス)にも近いので観光も楽しめました。語学堂の先生、スタッフの皆様がとても温かくて、アットホームで過ごしやすかったです。広いキャンパスはなんでもそろっていて、困ることがありませんでした! 規模が小さい女子大に通っていた私は、短期間でしたが大きい大学に通えたのがめちゃくちゃうれしかったです。これぞキャンパスライフという感じでした *2/アン・ボヒョン 『梨泰院クラス』や『ユミの細胞たち』、『生まれ変わってもよろしく』など、このほかにも代表作はたくさん。どんな役もハマる天才的な俳優さんです。えくぼが素敵 文=林 美桜 編集=高橋千里
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RIIZEが登場『M:ZINE』と一緒に成長したい!MC・林美桜の新たな決意|「林美桜のK-POP沼ガール」第15回
「林 美桜のK-POP沼ガール」 K-POPガチオタク・林美桜テレビ朝日アナウンサーの沼落ちコラム お久しぶりです。最近、誕生日を迎えまして、30歳になりました。 なんだか文字にすると急に実感が湧くのが不思議。K-POPファン歴はこれで人生の半分くらいになるのか……! ファン歴がどんどん伸びていくんだと思えば、歳を取るのも悪くないかもしれないです(笑)。 季節の変わり目で忙しく、なかなかライブに行けない日々が続いていますが…… 私がMCを務める新番組『M:ZINE』が始まりました! 『M:ZINE』とは…… アーティストの方、芸人さん、私が、「ZINE」(同人雑誌)の編集スタッフとして ひと組のアーティストの特集記事を作っていくというコンセプトの音楽バラエティです。 記念すべき第1回のゲストには、今大注目のボーイズグループ「RIIZE」(ライズ)(*1)をお迎えしています。 そして編集スタッフには、韓国語がお得意なMrs. GREEN APPLEの若井滉斗さん、マヂカルラブリーの村上さん! 豪華すぎます!! まさか私が!? 新番組へのプレッシャーと下準備 今回、この番組の企画の話を聞いたときは、 K-POPと初めて出会った高校時代から、今までの推し活の記憶が脳内に降り注いで、思い出再生以外のすべての機能が停止。 ああ、あのときの……ハイタッチ…… K-POPで哲学した卒論…… 韓国でJ.Y.Parkさんに手を振ったあの日…… 一気に巡って、一瞬窒息するくらい驚きました。 うれしかったのも束の間、襲ってきたのは、全身が埋め尽くされるほどの不安。 私なんかに務まるのか。だけど、やるからには精いっぱいがんばって番組に貢献したい! 収録までに、日本の地上波番組、公式YouTube、音楽番組、SNSのファンの声を集めるなど、今の自分にできる限りの下準備をしました。 ミセス若井×RIIZEの特別コラボに感動! 迎えた収録当日。 RIIZEのみなさん、目が覚めるほどのキラキラしたオーラをまとわれていて、心が洗われるほど礼儀正しくて……(泣)。 収録の序盤は、私をはじめ番組スタッフの緊張感が半端なかったのですが、 RIIZEのみなさんのあたたかい存在、丁寧な受け答えに早い段階で緊張がほぐれ、 終始和やかなムードでした。 すべてがおすすめのシーンなんですが、 中でも若井さんとRIIZEの特別コラボ『Get A Guitar』が最高でした!! 若井さんのギター演奏に合わせて、ショウタロウさん・ウォンビンさんがキレッキレのパフォーマンス。 初めて合わせたと思えないほど息ピッタリでした。 若井さんの弾き姿と音色、軽やかに舞うおふたりに、村上さんと一緒にうっとり。 「私は今、ものすごい瞬間を目撃している」と直感しました。 全K-POPファンに観ていただきたいシーンです。 「見たい・知りたい・聞きたい」を叶えられる番組に 収録後、私はナレーションも担当しているので、 放送の少し前に、ナレーションをつけながら内容を観ることができるんですが、 センスが光るパワーワードの数々、表情一つひとつに 時折ナレーションをつけ忘れるくらい見入っちゃう。 ただ一方で、自分に着目すると、 なんでもっとうまい返しができないのか、あの質問はもっとこうすべきだったよね、何回同じリアクションを……。 弱々しいワードの連発に、完全に自分の中の“陰モード”に引きずり込まれ……。 脳内大反省会。 でも、こんなふうになってしまうのも、K-POPが大好きで、番組を楽しみにご覧になる視聴者の皆様と同じく、私自身も推し活に命を注いでいるからだと思います。 初めて聞く推しのエピソード、見たことのないリアクション、出演者とのかけ合い。 そんなものが見られた日には、元気に学校へ行けたり、仕事がつらくても踏ん張れたあのときの私を思い出して…… 観てくださる皆様の「見たい・知りたい・聞きたい」を叶えられる番組にしたい、その中で少しでも役に立ちたいと思ったんです。 下調べ、話の聞き方、話し方、タイミング。 アナウンサーの原点に立ち帰って精進。 反省は必ず次に活かす。 番組と一緒になるべく早く、成長していきたいです! 林美桜のチョアチョア♡メモ *1/RIIZE 2023年9月にデビュー。デビュー曲「Get A Guitar」が1週間でミリオンセラーを突破するなど、世界が注目するアーティストです! 抜群のパフォーマンス力、圧巻です。ぜひMVを観てから『M:ZINE』をご覧ください。ギャップがたまりません INFORMATION テレビ朝日『M:ZINE』 毎週金曜深夜1:30〜放送CSテレ朝チャンネル1(有料放送) 『M:ZINE 完全版~K-POPアーティストRIIZEの魅力大全開SP』 4月28日(日)12:00~13:30放送 ※3回にわたって放送された地上波回に、未公開を加えた番組 文=林 美桜 編集=高橋千里
奥森皐月の喫茶礼賛
喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート
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あんみつコーヒーのおいしさに震える!マジシャン店主の想いを継ぐ「世田谷邪宗門」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第7杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 雨はあまり好きではないが、街に人が少なくなるところは好きだ。 傘をさしながら散歩をして、長靴を履いてこなかった自分を呪いながら飲むコーヒーはとてもおいしい。平日で雨の日の喫茶店なんて、一番静かで落ち着く。 濡れることや疲れることのマイナスを、雨の日にしか味わえない空気から得られる楽しさが上回ることのほうが多い。 だから雨のときは思いきって外に出ることにしている。たまに、雨だし、行こうと思っていた喫茶店も閉まっていたし、のようなさんざんな日もあるけれど。 ちなみに、今の時期こそ行きたいお店といえば、高円寺の名曲喫茶ネルケンだろう。先日久しぶりに一杯コーヒーを飲みに行ったが、店先の紫陽花は今年もきれいだった。 まるで資料館? 凄まじい骨董品の数々 さて、今回訪れたのは、下北沢と三軒茶屋のちょうど間あたりの住宅街にある喫茶店。1965年創業の老舗「世田谷邪宗門(じゃしゅうもん)」さんだ。 閑静な通りで、レンガの壁が目印のこのお店。扉を開けお店に入った瞬間、思わず息を呑んだ。一歩足を踏み入れると、アンティークの品々が所狭しと並んでいる。 喫茶店で見るアンティーク調のランプが私は大好きなのだが、この「世田谷邪宗門」は天井から数えきれないほどのランプが吊り下げられている。見ているだけで胸が高鳴る。 メニューはシンプルで、バリエーション豊かなコーヒーと、紅茶やココアやジュースなどのドリンク。ライトミールとして3種類のトースト、ケーキがある。 その中で唯一見たことのない「あんみつコーヒー」というメニューがあった。これは世田谷邪宗門名物で、あんみつコーヒー目当てで訪れるお客さんや取材も多いとのこと。味の想像ができなかったので、楽しみにしながら注文した。 それにしても、店内の骨董品が凄まじい。古いカメラがたくさんあったり、古い電話機があったり、壁には火縄銃がたくさんかかっている。 これは、喫茶店の内装のアンティーク品の範疇を大きく超えている。どちらかといえば資料館のようだ。 これまでいろいろな喫茶店を巡ってきたが、過去一番くらいにキョロキョロあたりを見回した。どこもかしこも気になる代物ばかり。 世田谷邪宗門名物「あんみつコーヒー」が絶品! あんみつコーヒーが登場した。たっぷりの寒天の上に、あんことバニラアイスが乗っている。別の器に入っているのが冷たいコーヒーで、生クリームもついている。 このあんみつコーヒーは、黒蜜の代わりにコーヒーをかけるというスイーツ。まずはコーヒーを全部かけて、あんこを少し溶かしてかき混ぜてからアイスクリームと合わせて食べるのがおすすめとのことだ。 あんことバニラアイスの甘さにコーヒーのいい香りと苦味が相まって、ひと口食べただけで震えるようなおいしさ。寒天なので、コーヒーゼリーよりももっと弾力があるのもよい。 あんことコーヒーの相性のよさに舌鼓を打った。これから暑くなるのにピッタリのメニュー。 アイスクリームが溶けてきたころに生クリームも加えて混ぜると、よりまろやかな味わいになる。寒天を食べきったあとに、お椀に残ったクリーム入りのコーヒーも飲み干した。 クリームあんみつはたまに最後のほうで甘みが強く感じられてしまうことがあると思っていたのだが、このあんみつコーヒーは最後の最後までおいしくいただける。 絶対にこの夏はもう一度、なんならもっと食べたいと感じた。 全国5店舗、暖簾分けの条件は「店主がマジシャンであること」 今回お話を聞かせていただいたのは、店主の息子さん。店主さんは今年90歳とのことで、お体のこともあり、今は息子さんがお店にいらっしゃることが多いそうだ。 「邪宗門」というかなり印象的な店名だが、実はこの名前の喫茶店は全国に5店舗ある。そのうち「荻窪邪宗門」は私も何度も行っているお気に入りのお店だ。 世田谷にもあるということを知って、いつか行ってみたいと思っていたので、今回訪れることができてうれしい。 ちなみにほか3店舗は、静岡県の下田、新潟県の石打、富山県の高岡で営業しているそうだ。邪宗門巡りの旅をいつかしてみたい。 邪宗門の始まりは東京の国立で、おいしいコーヒーと骨董品のある、多くの人に愛された喫茶店だったそうだ。創業者の名和孝年さんはマジシャンでもあり、そのコーヒーとマジックに心を奪われた人も多数。 いつからか、その常連客が暖簾(のれん)分けというかたちで、各地に「邪宗門」と名のつく喫茶店を開いたそう。「邪宗門を名乗るには、店主がマジシャンであること」という特殊な条件がついていたとのことだ。 最大で8店舗あった邪宗門は、店主8人が全員マジシャン。なんだかマンガや物語のようだが、実際に、世田谷邪宗門の主人もマジシャンだという。以前はお店でマジックを披露することもしばしばあったそう。 ちなみに邪宗門の店主は「門主」というらしく、昔は1カ月に一度ほど「門主会」という集まりも開かれていたらしい。 その話を聞いて、「マジックができる邪宗門の門主たち」という響きから、秘密結社のようなものを想像してしまった。実際はみんなで楽しく遊んでいたとのことだ。 現在営業している邪宗門は、門主のご夫人やご子息などがお店を切り盛りしているところが多いので、なかなかマジックをお目にかかれる機会はなさそう。それでもワクワクする響きのお話だと思った。 西荻窪の「物豆奇」は、世田谷邪宗門の姉妹店! 店主の息子さんと喫茶店についてお話ししていたとき、私は西荻窪の「物豆奇」(ものずき)というお店が好きだと何気なく言った。すると、「物豆奇はここの姉妹店なんだよ」という衝撃の事実を教えてくださった。 たしかにそこも店内にアンティークが置いてあり、壁にもたくさんかかっている雰囲気がどことなく似ているのだが、私はまったく知らなかったので驚いた。 物豆奇の店主と世田谷邪宗門の店主は、今でも交流があるそうだ。最近少しずつわかってきたのだが、喫茶店は意外と横のつながりがあるらしく、それもおもしろい。 物豆奇の店主もまた国立邪宗門のファンだったそう。そこで邪宗門という喫茶店を開こうとしたが、その方はマジシャンではなかったため邪宗門は名乗れなかったらしい。ここまでおもしろいエピソードが聞けるとは思っていなかったので、思わず笑ってしまった。 ただ、国立邪宗門の雰囲気を強く受け継いでいるのは物豆奇とのこと。国立はもう閉店してしまっていて行くことができないので、今度西荻窪に行ったら物豆奇にまた必ず行こうと思った。 歴史あるインテリアで、半世紀前にタイムスリップ? 昔は今ほど骨董品が高価ではなかったそうで、そのころに店主は次々に買いそろえてお店に置いていったそうだ。 店の奥には奥様の趣味の音楽のものも並んでいる。ジュークボックスが置いてある場所も、今はなかなかないと思うので、貴重で見ていて楽しい。 扇風機は半世紀ほど前からあるもので、いまだに動くそう。きちんと稼働していて、古くからのものが大切に使われ続けているのは本当に素敵だと思った。 ピンクの電話も現役だそうで、世田谷邪宗門に電話をかけると、ここにかかってくるらしい。私の世代はダイヤル式の使い方も知らない。かくいう私も実際にダイヤル式の電話機で電話をしたことはない。タイムスリップしたような体験ができるかも。 世田谷邪宗門はアニメの聖地にもなっていて、そのアニメのファンや海外からもお客さんが訪れるそう。 それでも常連さんが来られることを大切にしているとのことで、この取材の日も常連さんがいらした。お店の人かと思うくらいに、邪宗門や喫茶店のお話をしてくださって、とても楽しい時間だった。 “好き”を貫く精神が、居心地のよさの理由 そういえば、邪宗門の暖簾分けの条件はもうひとつだけあったそうだ。それは「お金儲けに走らないこと」。 “好き”を貫いてお店を営業している精神が邪宗門からは感じられる。だからこそ味わえる居心地のよさがきっとある。 街の中の一枚の扉を開くだけで、こんなにも素敵な世界が広がっているということがなんだか幸せ。ひと休みにも、ちょっとした現実逃避にもいいかもしれない。 下北沢や三軒茶屋から歩いて世田谷の街を楽しみ、このお店まで行ってみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 世田谷邪宗門 平日:9時〜17時、土日:9時〜18時、水木:定休日 東京都世田谷区代田1-31-1 世田谷代田駅から徒歩11分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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“談話室中毒”になりそう!具だくさんナポリタンが人気の「談話室 ニュートーキョー」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第6杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート 喫茶店での過ごし方は無限にあると思う。以前までの私は「喫茶店に行く」ということ自体が楽しく、反対にいえば足を運んだ時点で目的が達成されてしまっていた。最近になってようやく「どう過ごすか」ということを考えるようになってきた。 音楽喫茶であれば、ひとりでゆったりと音楽を楽しむ時間を過ごすということが目的になる。モーニングで新聞を読んでみたり、昼下がりに読書してみたり、店内でうっすら流れるラジオを聴きながら人を待ってみたり。 喫茶店というのは10人いれば10通りの過ごし方があるからおもしろいのかもしれないと思い始めた。 エスカレーターで2階に上がる「談話室 ニュートーキョー」 今回はJR日暮里駅東口から徒歩1分、駅前のロータリーの前にある「カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー」さんを訪れた。 通り沿いのショーケースに並ぶメニューがどれもおいしそうで、お店に入る前から何を食べようかとワクワクする。 お店がある2階へはエスカレーターに乗っていく。過去に数えるほどしか見たことがないが、2階にある喫茶室へ向かうためだけのエスカレーターはかわいらしさがある。昭和の時代からあるビルに多い印象だ。レトロモダンを感じられてよい。 店内に入るとその幽玄な景色に圧倒される。ビルの2階のワンフロアは丸々この「談話室 ニュートーキョー」で、なんと客席は160席。平日の昼時もとうに過ぎたころだったが、店内では食事やお茶をしているお客さんで賑わっていた。 大理石の壁や赤い絨毯(じゅうたん)、各テーブル席の間の木製の柵に、ゴージャスなシャンデリア。欲しいものが全部詰まっているような、喫茶店らしさであふれる店内。 そしてなにより、木をベースに柄のある赤いベルベット調の生地が張られた椅子がすべての席にある。ひとりがけもソファ席もすべてこの素材。 昭和の雰囲気は感じられるが、清潔感がありピカピカとしている、とても過ごしやすい店内だ。 具だくさんのナポリタンをペロリと完食! 午前11時から午後2時まではランチタイム。 私が訪れたときはランチの時間は過ぎていたが、午後2時からラストオーダーの午後8時25分まで、「サービスメニュー」としてハンバーグやロースカツの定食セットがいただける。プラス110円でドリンクをつけることも可能。 夜ご飯の時間にも食べられることも含めて、とても良心的だ。ちなみに平日は7時から11時まで、土日祝日は8時から11時まで、モーニングの営業もある。 私はグランドメニューの「下町のエビ入りナポリタン」を注文した。銀のお皿がたまらない。 ナポリタンにエビが入っているのは初めてだったが、これがとてもおいしかった。定番のウインナーももちろん入っており、具だくさん。さらにゆで卵が上に乗せられているのがよい。かわいらしくてキュンとしてしまう。 ソースの味も絶妙で、最初に見たときはかなりボリューミーに感じたが、あっという間にペロリと完食してしまった。 これはナポリタンの特集でも紹介されるほどの名品だそうで、お客さんからの人気も高いメニューとのこと。ちなみにテイクアウトもできる。 アイスコーヒーはすっきりとした苦味のある味わい。ひと口飲むと落ち着いた気持ちになり、談話室の空気に溶け込むような感覚があった。コースターもお店のオリジナルで素敵だ。 店内にある絵をぼんやりと眺めたり、店内の音楽に耳を傾けたりして、食後のひとときを過ごした。いつまでもいたくなるような空間だ。 ほぼ毎日来店する“談話室中毒”のお客さんも このお店について、店長さんにお話を伺った。 「談話室 ニュートーキョー」としての営業は45年近く続いており、店長さんも30年ほどお仕事されているとのこと。 談話室は地元の人に愛され続けている喫茶店で、常連さんも多いそうだ。365日のうち340日ほど来店する“談話室中毒”といってもいいお客さんもいるとのこと。 年中無休で朝から夜まで営業しているから、どんなシーンでも訪れることができる。仕事に行く前のモーニングや、誰かと会うときにお茶をするなど、日常の一部になる喫茶店だ。 「ニュートーキョー」というのは会社の名前で、もともとはこの日暮里駅前のビルの1階でパチンコ店を営んでいたそうだ。そしてその2階は喫茶室として営業していた。さらに上の階には宿泊施設があったらしい。 昔はそのような形態で営業しているところが多かったと店長さんがおっしゃっていた。たしかに、先に記した「エスカレーターで行く2階の喫茶室」は、ほかもまったく同じように、下がパチンコ店で上が宿泊施設だったことを思い出して、なんだかスッキリした。 時代が流れていくうちにパチンコ店などはなくなってしまったそうなのだが、この談話室だけは残り続けて、令和の今もたくさんの人が訪れるお店として営業している。 日暮里駅や駅前も開発で変わっていったらしい。そのなかで、この談話室は変わらず存在しているというのが歴史を味わえて素敵だと感じた。 駅前ロータリーが見える大きな窓は“談話室の顔” 店内は何度か改装はしていて、席の生地の張り替えなどもしているそう。しかし、壁やシャンデリアや銅のテーブルは開店当初からずっと使い続けているとのこと。 長持ちするものが大切に守られているというのは、喫茶店のよいところだと思う。そのような細やかなことが空間全体の温かみにつながっているのではないだろうか。 駅前を見渡せる大きな窓。やはりこの窓際の席は人気らしく、「あそこに座りたい」というお客さんも多いそう。 お店の端にいても窓がちらりと見えて、光が差し込んでいることがわかる。この大きな窓は“談話室の顔”ともいえるかもしれない。 日暮里散策と談話室がセットで楽しめる 日暮里という土地に、正直私はなじみがなかったのだが、店長さんいわく谷中霊園や繊維街に訪れる人が多いとのこと。そのため、霊園や繊維街の帰りにこの談話室に立ち寄るお客さんもいる。 日暮里という街に訪れることと、談話室に寄ることがセットになっている人がたくさんいるのも、やはりこのお店が何度も行きたくなる落ち着きのある空間だからなのではないかと思う。 街や時代が移り変わるなかで、試行錯誤を重ねながら続いてきた「カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー」。最近ではコロナ禍での営業など大きな困難もあったが、談話室は街の人をはじめ多くの人に愛されている。 朝も昼も夜も、お茶もお食事も。いつどんなときもお客さんを温かく受け入れる。近くに行った際はぜひ訪れてほしいし、談話室に行くついでに日暮里を散策してみてもいいだろう。 私も帰りがけに初めて繊維街を訪れたが、なかなか楽しかった。谷中もまた違った趣がある。一度この街とお店に足を運んでみてはいかがだろうか。 次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 カフェ&レストラン談話室 ニュートーキョー 平日:7時〜21時、土日祝:8時〜21時 東京都荒川区西日暮里2-19-4 ニュートーキョービル2階 日暮里駅から徒歩1分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
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地下で出会った“想像以上のオムライス”とは? 44年の歴史に新しさを取り入れる「カフェレストラン 泥人形」|「奥森皐月の喫茶礼賛」第5杯
「奥森皐月の喫茶礼賛」 喫茶店巡りが趣味の奥森皐月。今気になるお店を訪れ、その魅力と味わいをレポート “喫茶店巡り”という趣味をとても気に入っている。手軽に始められて、場所にも時間にも縛られず、好きなようにできるからだ。 仕事や旅行で普段は行かない遠い土地を訪れたときに、そこで喫茶店を探して入るのも楽しい。店員さんが何かを教えてくれたり、地元の人と話せたりと、人との触れ合いが生まれるところも魅力だと思う。 唯一難しいのは、お店がなくなってしまうこと。行こうと思っていた店がさまざまな事情で閉店していく。行きたいなぁと思うだけでは仕方ないので、いつも少し焦りながらあちこちを巡る日々だ。 新しいものは次々と増えるが、古いものが急に増えることはない。それも魅力ではある。 地下にひっそり佇む、レンガ壁の「泥人形」 今回訪れたのは千駄ヶ谷駅と北参道駅どちらからも徒歩5分以内の、通りに面したお店。「カフェレストラン 泥人形」さんだ。 「泥人形」と大きく描かれた看板が目につく。レンガ壁の階段を下り、お店のある地下1階へと向かう。 お店に入ってすぐ、その雰囲気に圧倒された。木製のテーブルと椅子に、レンガが積まれた壁、ほどよい明るさで包まれた空間は落ち着きと安心を感じられる。 お昼時も過ぎた時間ではあったが、店内は談笑するグループやひとりでくつろぐお客さんなどで賑わっていた。 なによりお店の中央天井にあるステンドグラスが目につく。人物やバラなどが描かれたステンドグラスは温かな光で照らされており、引き込まれるような魅力があった。 ボリューム満点!フワトロオムライスの風味にびっくり 席に着く。星座のマークが刻まれたおしゃれな椅子は、背面と座面がグレーとも茶色ともいえない絶妙な色のベルベット調生地。素敵な椅子に座るとそれだけで気分が上がる。 ランチが注文できるとのことで、人気だというオムライスとアイスコーヒーをセットで注文。ほかにもナポリタンと日替わりランチが人気とのこと。どれもおいしそうで、近くで働いていたら毎日好きなメニューを頼みたいなぁ、なんて思った。 オムライスはフワトロタイプの卵にたっぷりのケチャップ。どう写真を撮ってもなかなか伝わりきらなさそうだったのだが、想像以上にボリューム満点。腹ペコのときに食べに行くのがよさそうだ。お味噌汁がついてくるのもうれしい。 ひと口食べるととろけるような卵がとてもおいしい。ケチャップライスに少し変わった風味を感じたので、もうひと口食べてみて驚いた。イカやエビが入っている。シーフードのケチャップライスだ。 ベーコンなども入っていて具だくさんで最高。お腹いっぱいになるまで食べられて大満足だった。 コーヒーはすっきりとしていながらも苦味を感じられて、食後にピッタリ。もうアイスの季節だ。銅のタンブラーは春の訪れ。 楽しくおしゃべりをしているお客さんたちの雰囲気がよく、つい長居したくなってしまうような居心地のよさがある。 歴史ある喫茶店だが、Wi-Fi使用OK! ご夫婦で営まれているとのことで、おかみさんにお話を伺った。 1980年にオープンした泥人形は今年で44周年。当時20代だったご夫婦は、それ以前のお仕事を辞めて喫茶店を始めることにしたそう。 ずっと喫茶店をやりたいと思っていたのかと尋ねると「別にやりたかったわけではない、私は美術系のことをしていたし」と意外な返答をいただいた。それでも、なんとなく喫茶店をやるといいのではないかとピンときて始めたとのことだ。 それで半世紀近く、たくさんの人に愛されるお店になっているのだから、おかみさんの鋭い勘に圧倒された。 美術系の経験があったことを活かし、内装などのプロデュースはすべてオープン時におかみさんがしたとのこと。壁から床板から家具まで統一感があり、世界観がしっかりとしている印象だったのだが、これらはおかみさんの細やかなこだわりだった。 家具などは、ほとんどがオープン当初から変わらないとのこと。唯一電話ボックスだけ撤去されたそうだが、「TELEPHONE」と書かれたガラスにその名残が感じられる。 ひとつ驚いたのは、お店の中でWi-Fiが使えること。なかなか喫茶店でWi-Fiを使えるところはなく、パソコンなどの利用を禁止としているお店もよく見かけるのでかなりびっくりした。 「サクサクインターネット見られるほうがいいでしょ、パソコンで仕事している人もよく来るのよ」とおっしゃっていて、新しさを取り入れたり変化したりすることを拒まないその姿がかっこいいと感じた。 愛され続ける「泥人形」店名の由来 泥人形は、ドラマや映画などの撮影やロケでもよく使われているとのこと。取材NGだったり、一般のお客さんの写真撮影を禁止したりしている喫茶店も少なくないが、このお店はそれらも積極的に受け入れているようだ。 また、雰囲気のいいお店ではあるが、お子さんも大歓迎だという。おかみさんがお孫さんのお世話をしていた時期が長かったそうで、小さな子やその家族も安心して過ごせる喫茶店でありたいという優しい心遣いを知ることができた。 お店のすぐ隣に能楽堂があるため、その関係者の方や著名人も多く訪れるそう。どんな人でも温かく迎え入れるところも、長きにわたってお店が愛される秘訣であろう。 インパクトの強い「泥人形」という名前も、おかみさんがつけたそう。初めはご主人が反対していたとのことだが、お客さんから「どろんこ」などと呼ばれ、愛され続けている名前のようだ。 “泥”というと少しマイナスなイメージがあるが、土から生まれ土に還るように中に入ってみると落ち着く場所。お店が地下なこともあり、一歩踏み入れると安心できる空間だという意味もあるそうだ。 昔は店内に人形も置いていたとのことだが、今は特に置かれていなかった。 「やりたいことがあったら今やらないと」おかみさんの若きポテンシャル お店のメニューも、おかみさんがイチからパソコンで作ったものらしい。人に頼むより、自分で学んで、思い描くとおりのものを作っているようだ。 全部自分で作っていてこだわりがすごいですね、と言ったところ「だって自分の店だもん」とおっしゃっていた。 こだわりを持ちながらも常にアンテナを張り、何が必要で何が不要かを吟味して取捨選択しながら進化していく。なかなかまねはできない。本当に素敵な方だと感じた。 時代の流れは早いから、やりたいことがあったら今やらないと。置いていかれる前にまず行動する、そこから考えてみればいい。というようなことを話していただいた。 見た目も中身も若々しくアグレッシブなおかみさんからは学ぶことがたくさんあり、またお話をしてみたいと感じた。 偶然にも私と誕生日が同じだということがわかって、それも盛り上がった。魅力的な方が営んでいる店はやはり魅力にあふれている。 半世紀近く続く愛にあふれた都会のオアシス。誰かとランチをしに行くときにも、ひとりで何かに集中したいときにも立ち寄れる「カフェレストラン 泥人形」。 ぜひ一度は足を運んでみてほしい。次回もまたどこかの喫茶店で。ごちそうさまでした。 カフェレストラン 泥人形 10時〜19時 日曜日は定休日 東京都渋谷区千駄ヶ谷4-20-2 地下1階 千駄ヶ谷駅から徒歩5分 北参道駅から徒歩5分 文・写真=奥森皐月 編集=高橋千里
奥森皐月の公私混同<収録後記>
「logirl」で毎週配信中の『奥森皐月の公私混同』。そのスピンオフのテキスト版として、MCの奥森皐月が自ら執筆する連載コラム
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涙の最終回!? 2年半の思い出を振り返る|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第30回
転んでも泣きません、大人です。奥森皐月です。 この記事では私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』の収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを毎月書いています。今回の記事で最終回。 『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の9月に配信された第41回から最終回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがすべて視聴できます。過去回でおもしろいものは数えきれぬほどあるので、興味がある方はぜひ観ていただきたいです。 「見せたい景色がある」展望タワーの存在意義 (写真:奥森皐月の公私混同 第41回「タワー、私に教えてください!」) 第41回のテーマは「タワー、教えてください!」。ゲストに展望タワー・展望台マニアのかねだひろさんにお越しいただきました。 タワーと聞いてやはり思い浮かべるのは、東京タワーやスカイツリー。建築のすごさや造形美を楽しんでいるのだろうかとなんとなく考えていました。ところが、お話を聞いてみるとタワーという概念自体が覆されました。 かねださんご自身のタワーとの出会いのお話が本当におもしろかったです。20代で国内を旅行するようになり、新潟県で偶然バス停として見つけた「日本海タワー」に興味を持って行ってみたとのこと。 実際の画像を私も見ましたが、思っているタワーとはまったく違う建物。細長くて高い、あのタワーではありません。ただ、ここで見た景色をきっかけにまた別のタワーに行き、タワーの魅力にハマっていったそうです。 その土地を見渡したときに初めてその土地をわかったような気がした、というお話がとても素敵だと感じました。 たとえば京都旅行に行ったとして、金閣寺や清水寺など名所を回ることはあります。ただ、それはあくまでも京都の中の観光地に行っただけであって「京都府」を楽しんだとはいえないと、前から少し思っていました。 そこでタワーのよさが刺さった。たしかに、その地域や都市を広く見渡すことができれば気づきがたくさんあると思います。 もちろん造形的な楽しみ方もされているようでしたが、展望タワーからの景色というものはほかでは味わえない魅力があります。 かねださんが「そこに展望タワーがあるということは、見せたい景色がある」というようなことをお話しされていたのにも感銘を受けました。 いわゆる“高さのあるタワー”ではないところの展望台などは少し盛り上がりに欠けるのではないか、なんて思ってしまっていたけれど、その施設がある時点でその景色を見せたいという意思がありますね。 有効期限がたった1年の、全国の19タワーを巡るスタンプラリーを毎年されているという話も興味深かったです。最初の印象としては、一度訪れたところに何度も行くことの楽しみがよくわからなかったです。 でも、天気や季節、建物が壊されたり新しく建築されたりと常に変化していて「一度として同じ景色はない」というお話を聞いて納得しました。タワーはずっと同じ場所にあるのだから、まさに定点観測ですよね。 今後旅行に行くときはその近くのタワーに行ってみようと思いましたし、足を運んだことのある東京タワーやスカイツリーにもまた行こうと思いました。 収録後、速攻でかねださんの著書『日本展望タワー大全』を購入しました。最近も、小規模ではありますが2度、展望台に行きました。展望タワーの世界に着々と引き込まれています。 究極のパフェは、もはや芸術作品!? (写真:奥森皐月の公私混同 第42回「パフェ、私に教えてください!」) 第42回は、ゲストにパフェ愛好家の東雲郁さんにお越しいただき「パフェ、教えてください!」のテーマでお送りしました。 ここ数年パフェがブームになっている印象でしたが、流行りのパフェについてはあまり知識がありませんでした。 このような記事を書くときはたいていファミレスに行くので、そこでパフェを食べることがしばしばあります。あとは、純喫茶でどうしても気になったときだけは頼みます。ただ、重たいので本当にたまにしか食べないものという存在です。 東雲さんはもともとアイス好きとのことで、なんとアイスのメーカーに勤めていた経験もあるとのこと。〇〇好きの範疇を超えています。 そのころにパフェ用のアイスの開発などに携わり、そこからパフェのほうに関心が向いたそうです。お仕事がキッカケという意外な入口でした。それと同時に、パフェ専用のアイスというものがあるのも、意識したことがなかったので少し驚かされました。 最近のこだわり抜かれたパフェは“構成表”なるものがついてくるそう。パフェの写真やイラストに線が引かれていて、一つひとつのパーツがなんなのか説明が書かれているのです。 昔ながらの、チョコソース、バニラソフトクリーム、コーンフレークのように、見てわかるもので作られていない。野菜のソルベやスパイスのソースなど、本当に複雑なパーツが何十種も組み合わさってひとつのパフェになっている。 実際の構成表を見せていただきましたが、もはや読んでもなんなのかわからなかったです。「桃のアイス」とかならわかるのですが、「〇〇の〇〇」で上の句も下の句もわからないやつがありました。 ビスキュイとかクランブルとか、それは食べられるやつですか?と思ってしまいます。難しい世界だ。難しいのにおいしいのでしょうね。 ランキングのコーナーでは「パフェの概念が変わる東京パフェベスト3」をご紹介いただきました。どのお店も本当においしそうでしたが、写真で見ても圧倒される美しさ。もはや芸術作品の域で、ほかのスイーツにはない見た目の豪華さも魅力だよなと感じさせられました。 予約が取れないどころか普段は営業していないお店まであるそうで、究極のパフェのすごさを感じるランキングでした。何かを成し遂げたらごほうびとして行きたいです。 マニアだからとはいえ、東雲さんは1日に何軒もハシゴすることもあるとのこと。破産しない程度に、私も贅沢なパフェを食べられたらと思います。 1年間を振り返ったベスト3を作成! (写真:奥森皐月の公私混同 第43回「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」) 第43回のテーマは「1年間を振り返り 〇〇ベスト3」ということで、久しぶりのラジオ回。昨年の10月からゲストをお招きして、あるテーマについて教えてもらうスタイルになったので、まるまる1年分あれこれ話しながら振り返りました。 リスナーからも「ソレ、私に教えてください!」というテーマで1年の感想や思い出などを送ってもらいましたが、印象的な回がわりと被っていて、みんな同じような気持ちだったのだなとうれしい気持ちになりました。 スタートして4回のうち2回が可児正さんと高木払いさんだったという“都トムコンプリート早すぎ事件”にもきちんと指摘のメールが来ました。 また、過去回の中で複雑だったお話からクイズが出るという、習熟度テストのようなメールもいただいて楽しかったです。みなさんは答えがわかるでしょうか。 この回では、私もこの1年での出来事をランキング形式で紹介しました。いつもはゲストさんにベスト3を作ってもらってきましたが、今度はそれを振り返りベスト3にするという、ベスト3のウロボロス。マトリョーシカ。果たしてこのたとえは正しいのでしょうか。 印象がガラリと変わったり、まったく興味のなかったところから興味が湧いたりしたものを紹介する「1時間で大きく心が動いた回ベスト3」、情報番組や教育番組として成立してしまうとすら思った「シンプルに!情報として役立つ回ベスト3」、本当に独特だと思った方をまとめた「アクの強かったゲストベスト3」、意表を突かれた「ソコ!?と思ったランキングタイトルベスト3」の4テーマを用意しました。 各ランキングを見た上で、ぜひ過去回を観直していただきたいです。我ながらいいランキングを作れたと思っています。 ハプニングと感動に包まれた『公私混同』最終回 (写真:奥森皐月の公私混同最終回!奥森皐月一問一答!) 9月最後は生配信で最終回をお届けしました。 2年半続いた『奥森皐月の公私混同』ですが、通常回の生配信は2回目。視聴者のみなさんと同じ時間を共有することができて本当に楽しかったです。 最終回だというのに、冒頭から「マイクの電源が入っていない」「配信のURLを告知できていなくて誰も観られていない」という恐ろしいハプニングが続いてすごかったです。こういうのを「持っている」というのでしょうか。 リアルタイムでX(旧Twitter)のリアクションを確認し、届いたメールをチェックしながら読み、進行をし、フリートークをして、ムチャ振りにも応える。 ハイパーマルチタスクパーソナリティとしての本領を発揮いたしました。かなりすごいことをしている。こういうことを自分で言っていきます。 最近メールが送られてきていなかった方から久々に届いたのもうれしかった。きちんと覚えてくれていてありがとうという気持ちでした。 事前にいただいたメールも、どれもうれしくて幸せを噛みしめました。みなさんそれぞれにこの番組の思い出や記憶があることを誇らしく思います。 配信内でも話しましたが、この番組をきっかけにお友達がたくさん増えました。番組開始時点では友達がいなすぎてひとりで行動している話をよくしていたのですが、今では友達が多い部類に入ってもいいくらいには人に恵まれている。 『公私混同』でお会いしたのをきっかけに仲よくなった方も、ひとりふたりではなく何人もいて、それだけでもこの番組があってよかったと思えるくらいです。 番組後半でのビデオレターもうれしかったです。豪華なみなさんにお越しいただいていたことを再確認できました。帰ってからもう一度ゆっくり見直しました。ありがたい限り。 この2年半は本当に楽しい日々でした。会いたい人にたくさん会えて、挑戦したいことにはすべて挑戦して、普通じゃあり得ない体験を何度もして、幅広いジャンルを学んで。 単独ライブも大喜利も地上波の冠ラジオもテレ朝のイベントも『公私混同』をきっかけにできました。それ以外にも挙げたらキリがないくらいには特別な経験ができました。 スタートしたときは16歳だったのがなんだか笑える。お世辞でも比喩でもなくきちんと成長したと思えています。テレビ朝日さん、logirlさん、スタッフのみなさんに本当に感謝です。 そしてなにより、リスナーの皆様には毎週助けていただきました。ラジオ形式での配信のころはもちろんのこと、ゲスト形式になってからも毎週大喜利コーナーでたくさん投稿をいただき、みなさんとのつながりを感じられていました。 メールを読んで涙が出るくらい笑ったことも何度もあります。毎回新鮮にうれしかったし、みなさんのことが大好きになりました。 #奥森皐月の公私混同 最終回でした。2021年3月から約2年半の間、応援してくださった皆様本当にありがとうございます。メールや投稿もたくさん嬉しかったです。また必ずどこかの場所で会いましょうね、大喜利の準備だけ頼みます。冠ラジオは絶対にやりますし、馬鹿デカくなるので見ていてください。 pic.twitter.com/8Z5F60tuMK — 奥森皐月 (@okumoris) September 28, 2023 『奥森皐月の公私混同』が終了してしまうことは本当に残念です。もっと続けたかったですし、もっともっと楽しいことができたような気もしています。でも、そんなことを言っても仕方がないので、素直にありがとうございましたと言います。 奥森皐月自体は今後も加速し続けながら進んで行く予定です。いや進みます。必ず約束します。毎日「今日売れるぞ」と思って生活しています。 それから、死ぬまで今の好きな仕事をしようと思っています。人生初の冠番組は幕を下ろしましたが、また必ずどこかで楽しい番組をするので、そのときはまた一緒に遊んでください。 私は全員のことを忘れないので覚悟していてください。脅迫めいた終わり方であと味が悪いですね。最終回も泣いたフリをするという絶妙に気味の悪い終わり方だったので、それも私らしいのかなと思います。 この連載もかれこれ2年半がんばりました。1カ月ごとに振り返ることで記憶が定着して、まるで学習内容を復習しているようで楽しかったです。 思い出すことと書くことが大好きなので、この場所がなくなってしまうのもとても寂しい。今後はそのへんの紙の切れ端に、思い出したことを殴り書きしていこうと思います。違う連載ができるのが一番理想ですけれども。 貴重な時間を割いてここまで読んでくださったあなた、ありがとうございます。また会えることをお約束しますね。また。
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W杯で話題のラグビーを学ぼう!破壊力抜群なベスト3|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第29回
季節の和菓子が食べたくなります、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の8月に配信された第36回から第40回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組も、もちろん観られます。 「おすすめの海外旅行先」に意外な国が登場! (写真:奥森皐月の公私混同 第36回「旅行、私に教えてください!」) 第36回のテーマは「旅行、教えてください!」。ゲストに、元JTB芸人・こじま観光さんにお越しいただきました。 仕事で地方へ行くことはたまにありますが、それ以外で旅行に行くことはめったにありません。興味がないわけではないけれど、旅行ってすぐにできないし、習慣というか行き慣れていないとなかなか気軽にできないですよね。 それに加え、私は海外にも行ったことがないので、海外旅行は自分にとってかなり遠い出来事。そのため、どういったお話が聞けるのか楽しみでした。 こじま観光さんはもともとJTBの社員として働かれていたという、「旅行好き」では済まないほど旅行・観光に詳しいお方。パッケージツアーの中身を考えるお仕事などをされていたそうです。 食事、宿泊、観光名所、などすべてがそろって初めて旅行か、と当たり前のことに気づかされました。 旅行が好きになったきっかけのお話が印象的でした。小学生のころ、お父様に「飛行機に乗ったことないよな」と言われて、ふたりでハワイに行ったとのこと。 そこから始まって、海外への興味などが湧いたとのことで、子供のころの経験が今につながっているのは素敵だと感じました。 ベスト3のコーナーでは「奥森さんに今行ってほしい国ベスト3」をご紹介いただきました。海外旅行と聞いて思いつく国はいくつかありましたが、第3位でいきなりアイルランドが出てきて驚きました。 国名としては知っているけれど、どんな国なのかは想像できないような、あまり知らない国が登場するランキングで、各地を巡られているからこそのベスト3だとよく伝わりました。 1位の国もかなり意外な場所でした。「奥森さんに」というタイトルですが、皆さんも参考になると思うので、ぜひチェックしていただきたいです。 11種類もの「釣り方」をレクチャー! (写真:奥森皐月の公私混同 第37回「釣り、私に教えてください!」) 第37回は、ゲストに釣り大好き芸人・ハッピーマックスみしまさんにお越しいただき「釣り、教えてください!」のテーマでお送りしました。 以前「魚、教えてください!」のテーマで一度配信があり、その際に少し釣りについてのパートもありましたが、今回は1時間まるまる釣りについて。 魚回のとき釣りに少し興味が湧いたのですが、やはり始め方や初心者は何からすればいいかがわからないので、そういった点も詳しく聞きたく思い、お招きしました。 大まかに海釣りや川釣りなどに分かれることはさすがにわかるのですが、釣り方には細かくさまざまな種類があることをまず教えていただきました。11種類くらいあるとのことで、知らないものもたくさんありました。釣りって幅広いですね。 みしまさんは特にルアー釣りが好きということで、スタジオに実際にルアーをお持ちいただきました。見たことないくらい大きなものもあるし、カラフルでかわいらしいものもあるし、それぞれのルアーにエピソードがあってよかったです。 また、みしまさんがご自身で○と×のボタンを持ってきてくださって、定期的にクイズを出してくれたのもおもしろかった。全体的な空気感が明るかったです。 「思い出の釣り」のベスト3は、それぞれずっしりとしたエピソードがあり、いいランキングでした。それぞれ写真も見ながら当時の状況を教えてくださったので、釣りを知らない私でも楽しむことができました。 まずは初心者におすすめだという「管理釣り場」から挑戦したいです。 鉄道好きが知る「秘境駅」は唯一無二の景色! (写真:奥森皐月の公私混同 第38回「鉄道、私に教えてください!」) 第38回のテーマは「鉄道、教えてください!」。ゲストに鉄道芸人・レッスン祐輝さんをお招きしました。 鉄道自体に興味がないわけではなく、詳しくはありませんが、好きです。移動手段で電車を使っているのはもちろん、普段乗らない電車に乗って知らない土地に行くのも楽しいと思います。 ただ、鉄道好きが多く規模が大きいことで、楽しみ方が無限にありそう。そのため、あまりのめり込んで鉄道ファンになる機会はありませんでした。 この回のゲストのレッスン祐輝さん、いい意味でめちゃくちゃに「鉄道オタク」でした。あふれ出る情報量と熱量が凄まじかった。 全国各地の鉄道を巡っているとのことで、1日に1本しか走っていない列車や、秘境を走る鉄道にも足を運んでいるそうです。 「秘境駅」というものに魅了されたとのことでしたが、たしかに写真を見ると唯一無二の景色で美しかったです。山奥で、車ですら行けない場所などもあるようで、死ぬまでに一度は行ってみたいなと思いました。 ベスト3では「癖が強すぎる終電」について紹介していただきました。レッスン祐輝さんは鉄道好きの中でも珍しい「終電鉄」らしく、これまでに見た変わった終電のお話が続々と。 終電に乗るせいで家に帰れないこともあるとおっしゃっていて、終電なんて帰るためのものだと思っていたので、なんだかおもしろかったです。 あのインドカレーは「混ぜて食べてもOK」!? (写真:奥森皐月の公私混同 第39回「カレー、私に教えてください!」) 第39回は、ゲストにカレー芸人・桑原和也さんにお越しいただき「カレー、教えてください!」をお送りしました。 私もカレーは大好き。インドカレーのお店によく行きます、ナンが食べたい日がかなりある。 「カレー」とひと言でいえど、さまざまな種類がありますよね。日本風のカレーライスから、ナンで食べるカレー、タイカレーなど。 近年流行っている「スパイスカレー」も名前としては知っていましたが、それがなんなのか聞くことができてよかったです。関西が発祥というのは初めて知りました。 カレー屋さんは東京が栄えているのだと思っていたのですが、関西のほうが名店がたくさんあるとのことで、次に関西に行ったら必ずカレーを食べようと心に決めました。 インドカレーにも種類があるらしく、たまにカレー屋さんで見かける、銀のプレートに小さい銀のボウルで複数種類のカレーが乗っていてお米が真ん中にあるようなスタイルは、南インドの「ミールス」と呼ばれるものだそうです。 今まで、ミールスは食べる順番や配分が難しい印象だったのですが、桑原さんから「混ぜて食べてもいい」というお話を聞き、衝撃を受けました。銀のプレートにひっくり返して、ひとつにしてしまっていいらしいです。 違うカレーの味が混ざることで新たな味わいが生まれ、辛さがマイルドになったり、別のおいしさが感じられるようになったりするとのこと。次にミールスに出会ったら絶対に混ぜます。 ランキングは「オススメのレトルトカレー」という実用的な情報でした。 レトルトカレーで冒険できないのは私だけでしょうか。最近はレトルトでも本当においしくていろいろな種類が発売されているようで、3つとも初めてお目にかかるものでした。 自宅で簡単に食べられるおいしいカレー、皆さんもぜひ参考にしてみてください。 9月のW杯に向けて「ラグビー」を学ぼう! (写真:奥森皐月の公私混同 第40回「ラグビー、私に教えてください!」) 8月最後の配信のテーマは「ラグビー、教えてください!」で、ゲストにラグビー二郎さんにお越しいただきました。 9月にラグビーワールドカップがあるので、それに向けて学ぼうという回。 私はもともとスポーツにまったく興味がなく、現地観戦はおろかテレビでもほとんどのスポーツを観たことがありませんでした。それが、この『公私混同』をきっかけにサッカーW杯を観て、WBCを観て、相撲を観て、と大成長を遂げました。 この調子でラグビーもわかるようになりたい。ラグビー二郎さんはラグビー経験者ということで、プレイヤー視点でのお話もあっておもしろかったです。 ルールが難しい印象ですが、あまり理解しないで観始めても大丈夫とのこと。まずはその迫力を感じるだけでも楽しめるそうです。直感的に楽しむのって大事ですよね。 前回、前々回のラグビーW杯もかなり盛り上がっていたので、要素としての情報は少しだけ知っていました。 その中で「ハカ」は、言葉としてはわかるけれど具体的になんなのかよくわからなかったので、詳しく教えていただけてうれしかったです。実演もしていただいてありがたい。 ここからのランキングが非常によかった。「ハカをやってるときの対戦相手の対応」というマニアックなベスト3でした。 ハカの最中に対戦相手が挑発的な対応をすることもあるらしく、過去に本当にあった名場面的な対応を3つご紹介いただきました。 どれも破壊力抜群のおもしろさで、ランキングタイトルを聞いたときのわくわく感をさらに上回る数々。本編でご確認いただきたい。 今年のワールドカップを観るのはもちろん、ハカのときの対戦相手の対応という細かいところまできちんと見届けたいと強く感じました。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 奥森皐月の公私混同ではメールを募集しています。 募集内容はX(Twitter)に定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは毎週アフタートークが公開されています。 最近のことを話したり、あれこれ考えたりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式X(Twitter)アカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! 今週は!1年間の振り返り放送です!!! コーナーリスナー的ベスト3 奥森さんへの質問、感想メール募集します! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は9/19(火)10時です! pic.twitter.com/nazDBoFSDk — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) September 18, 2023 奥森皐月個人のX(Twitter)アカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 キングオブコントのインタビュー動画 男性ブランコのサムネイルも漢字二文字だ、もはや漢字二文字待ちみたいになってきている、各芸人さんの漢字二文字考えたいな、そんなこと一緒にしてくれる人いないから1人で考えます、1人で色々な二文字を考えようと思います https://t.co/dfCQQVlhrg pic.twitter.com/LMpwxWhgUF — 奥森皐月 (@okumoris) September 19, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は、なんと収録後記の最終回です。 番組開始当初から毎月欠かさず書いてきましたが、9月末で番組が終了ということで、こちらもおしまい。とても寂しいですが、最後まで読んでいただけるとうれしいです。
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宮下草薙・宮下と再会!ボードゲームの驚くべき進化|『奥森皐月の公私混同<収録後記>』第28回
ドライブがしたいなと思ったら車を借りてドライブをします、大人です。奥森皐月です。 私がMCを務める番組『奥森皐月の公私混同』が毎週木曜日18時にlogirlで公開されています。 このブログでは収録後記として、番組収録のウラ話や収録を通して感じたことを奥森の目線で書いています。 今回は『奥森皐月の公私混同〜ソレ、私に教えてください!〜』の7月に配信された第32回から第35回までの振り返りです。 月額990円ですが、logirlに加入すれば最新回までのエピソードがたくさん視聴できます。『奥森皐月の公私混同』以外のさまざまな番組ももちろん観られます。 かれこれ2年半もこの番組を続けています。もっとがんばってるねとか言ってほしいです。 宮下草薙・宮下が「ボードゲームの驚くべき進化」をプレゼン (写真:奥森皐月の公私混同 第32回「ボードゲーム、私に教えてください!」) 第32回のテーマは「ボードゲーム、教えてください!」。ゲストに、宮下草薙の宮下さんにお越しいただきました。 昨年のテレビ朝日の夏イベント『サマステ』ではこの番組のステージがあり、ゲストに宮下草薙さんをお招きしました。それ以来、約1年ぶりにお会いできてうれしかったです。 宮下さんといえばおもちゃ好きとして知られていますが、今回はその中でも特に宮下さんが詳しい「ボードゲーム」に特化してお話を伺いました。 巷では「ボードゲームカフェ」なるものが流行っているようですが、私はほとんどプレイしたことがありません。『人生ゲーム』すら、ちゃんとやったことがあるか記憶が曖昧。ひとりっ子だったからかしら。 そんななか、ボードゲームは驚くべき進化を遂げていることを、宮下さんが魅力たっぷりに教えてくださいました。 大人数でプレイするものが多いと勝手に思っていましたが、ひとりでできるゲームもたくさんあるそう。ひとりでボードゲームをするのは果たして楽しいのだろうかと思ってしまいましたが、実際にあるゲームの話を聞くとおもしろそうでした。購入してみたくなってしまいます。 ボードゲームのよさのひとつが、パーツや付属品などがかわいいということ。デジタルのゲームでは感じられない、手元にあるというよさは大きな魅力だと思います。見た目のかわいさから選んで始めるのも楽しそうです。 ランキングでは「もはや自分のマルチバース」ベスト3をご紹介いただきました。宮下さんが実際にプレイした中でも没入感が強くのめり込んだゲームたちは、どれも最高におもしろそうでした。 「重量級」と呼ばれる、プレイ時間が長くルールが複雑で難しいものも、現物をお持ちいただきましたが、あまりにもパーツが多すぎて驚きました。 それらをすべて理解しながら進めるのは大変だと感じますが、ゲームマスターがいればどうにかできるようです。かっこいい響き。ゲームマスター。 まずはボードゲームカフェで誰かに教わりながら始めたいと思います。本当に興味深いです、ボードゲームの世界は広い。 お城を歩くときは、自分が死ぬ回数を数える (写真:奥森皐月の公私混同 第33回「城、私に教えてください!」) 第33回は、ゲストに城マニア・観光ライターのいなもとかおりさんお越しいただき、「城、教えてください!」のテーマでお送りしました。 建物は好きなのですが歴史にあまり詳しくないため、お城についてはよくわかりません。お城好きの人は多い印象だったのですが、知識が必要そうで自分には難しいのではないかというイメージを抱いていました。 ただ、いなもとさんのお城のお話は、本当におもしろくてわかりやすかった。随所に愛があふれているけれど、初心者の私でも理解できるように丁寧に教えてくださる。熱量と冷静さのバランスが絶妙で、あっという間の1時間でした。 「城」と聞くと、名古屋城や姫路城などのいわゆる「天守」の部分を想像してしまいます。ただ、城という言葉自体の意味では、天守のまわりの壁や堀などもすべて含まれるとのこと。 土が盛られているだけでも城とされる場所もあって、そういった城跡などもすべて含めると、日本に城は4万から5万箇所あるそうです。想像していた数の100倍くらいで本当に驚きました。 いなもとさん流のお城の楽しみ方「攻め込むつもりで歩いたときに何回自分がやられてしまうか数える」というお話がとても印象的です。いかに敵に対抗できているお城かというのを実感するために、天守まで歩きながら死んでしまう回数を数えるそう。おもしろいです。 歴史の知識がなくてもこれならすぐに試せる。次にお城に行くことがあれば、私も絶対に攻める気持ち、そして敵に攻撃されるイメージをしながら歩こうと思います。 コーナーでは「昔の人が残した愛おしいらくがきベスト3」を紹介していただきました。 お城の中でも石垣が好きだといういなもとさん。石垣自体に印がつけられているというのは今回初めて知りました。 それ以外にも、お城には昔の人が残したらくがきがいくつもあって、どれもかわいらしくおもしろかったです。それぞれのお城で、そのらくがきが実際に展示されているとのことで、実物も見てみたいと思いました。 プラスチックを分解できる!? きのこの無限の可能性 (写真:奥森皐月の公私混同 第34回「きのこ、私に教えてください!」) 第34回のテーマは「きのこ、教えてください!」。ゲストに、きのこ大好き芸人・坂井きのこさんをお招きしました。 きのこって身近なのに意外と知らない。安いからスーパーでよく買うし、そこそこ食べているはずなのに、実態についてはまったく理解できていませんでした。「きのこってなんだろう」と考える機会がなかった。 坂井さんは筋金入りのきのこ好きで、幼少期から今までずっときのこに魅了されていることがお話を聞いてわかりました。 山や森などできのこを見つけると、少しうれしい気持ちになりますよね。きのこ狩りをずっとしていると珍しいきのこにもたくさん出会えるようで、単純に宝探しみたいで楽しそうだなぁと思いました。 菌類で、毒があるものもあって、鑑賞してもおもしろくて、食べることもできる。ほかに似たものがない不思議な存在だなぁと改めて思いました。 野菜だったら「葉の部分を食べている」とか「実を食べている」とかわかりやすいですけれど、きのこってじゃあなんだといわれると説明ができない。 基本の基本からきのこについてお聞きできてよかったです。菌類には分解する力があって、きのこがいるから生態系は保たれている。命が尽きたら森に葬られてきのこに分解されたい……とおっしゃっていたときはさすがに変な声が出てしまいました。これも愛のかたちですね。 ランキングコーナーの後半では、きのこのすごさが次々とわかってテンションが上がりました。 特に「プラスチックを分解できるきのこがある」という話は衝撃的。研究がまだまだ進められていないだけで、きのこには無限の可能性が秘められているのだとわかってワクワクしちゃった。 この収録を境に、きのこを少し気にしながら生きるようになった。皆さんもこの配信を観ればきのこに対する心持ちが少し変わると思います。教育番組らしさもあるいい回でした。 「神オブ神」な花火を見てみたい! (写真:奥森皐月の公私混同 第35回「花火、私に教えてください!」) 7月最後の配信のテーマは「花火、教えてください!」で、ゲストに花火マニアの安斎幸裕さんにお越しいただきました。 コロナ禍も落ち着き、今年は本格的にあちこちで花火大会が開催されていますね。8月前半の土日は全国的にも花火大会がたくさん開催される時期とのことで、その少し前の最高のタイミングでお越しいただきました。 花火大会にはそれぞれ開催される背景があり、それらを知ってから花火を見るとより楽しめるというお話が素敵でした。かの有名な長岡の花火大会も、古くからの歴史と想いがあるとのことで、見え方が変わるなぁと感じます。 それから、花火玉ひとつ作るのに相当な時間と労力がかけられていることを知って驚きました。中には数カ月かかって作られるものもあるとのことで、それが一瞬で何十発も打ち上げられるのは本当に儚いと思いました。 このお話を聞いて今年花火大会に行きましたが、一発一発にその手間を感じて、これまでと比べ物にならないくらいに感動しました。派手でない小さめの花火も愛おしく思えた。 安斎さんの花火職人さんに対するリスペクトの気持ちがひしひしと伝わってきて、とてもよかったです。 最初は、本当に尊敬しているのだなぁという印象だったのですが、だんだんその思いがあふれすぎて、推しを語る女子高校生のような口調になられていたのがおもしろかったです。見た目のイメージとのギャップもあって素敵でした。 最終的に、あまりにすごい花火のことを「神オブ神」と言ったり、花火を「神が作った子」と言ったりしていて、笑ってしまいました。 この週の「大喜利公私混同カップ2」のお題が「進化しすぎた最新花火の特徴を教えてください」だったのですが、大喜利の回答に近い花火がいくつも存在していることを教えてくださっておもしろかったです。 大喜利が大喜利にならないくらいに、花火が進化していることがわかりました。このコーナーの大喜利と現実が交錯する瞬間がすごく好き。 真夏以外にも花火大会はあり、さまざまな花火アーティストによってまったく違う花火が作られていることをこの収録で知りました。きちんと事前にいい席を取って、全力で花火を楽しんでみたいです。 成田の花火大会がどうやらかなりすごいので行ってみようと思います。「神オブ神」って私も言いたい。 『奥森皐月の公私混同』は毎週木曜18時に最新回が公開 『奥森皐月の公私混同』ではメールを募集しています。 募集内容はTwitterに定期的に掲載しているので、テーマや大喜利のお題などそちらからご確認ください。 宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp です、たくさんのメールをお待ちしております。 logirl公式サイト内「ラジオ」のページでは、毎週アフタートークが公開されています。 ゆったり作家のみなさんとおしゃべりしています。無料でお聴きいただけるのでぜひ。 (写真:『奥森皐月の公私混同 アフタートーク』) 『奥森皐月の公私混同』番組公式Twitterアカウントがあります。 最新情報やメール募集についてすべてお知らせしていますので、チェックしていただけるとうれしいです。 また、番組やこの収録後記の感想などは「#奥森皐月の公私混同」をつけて投稿してください。 メール募集! テーマは【カレー🍛】【ラグビー🏉】です! ▼奥森!コレ知ってんのか!ニュース▼ゲストへの質問▼大喜利公私混同カップ2▼リアクションメール▼感想メール 📩宛先は s-okumori@tv-asahi.co.jp メールの〆切は8/22(火)10時です! pic.twitter.com/xJrDL41Wc9 — 奥森皐月の公私混同は傍若無人 (@s_okumori) August 20, 2023 奥森皐月個人のTwitterアカウントもあります。 番組アカウントとともにぜひフォローしてください。たまにおもしろいことも投稿しています。 大喜る人たち生配信を真剣に見ている奥森皐月。お前は中途半端だからサッカー選手にはなれないと残酷な言葉で説く父親、聞く耳を持たない小2くらいの息子、黙っている妹と母親の4人家族。啜り泣くギャル。この3組がお客さんのカレー屋さんがさっきまであった。出てしまったので今はもうない。 — 奥森皐月 (@okumoris) August 20, 2023 『奥森皐月の公私混同』はlogirlにて毎週木曜18時に最新回が公開。 次回は「未体験のジャンルからやってくる強者たち」を中心にお送りします。お楽しみに。
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生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」
仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載(文=山本大樹)
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「才能」という呪縛を解く ミューズの真髄
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 『ブルー・ピリオド』をはじめ美大受験モノマンガがブームを呼んでいる昨今。特に芸術というモチーフは、その核となる「才能とは何か?」を掘り下げることで、主人公の自意識をめぐるドラマになりやすい。 文野紋『ミューズの真髄』も、一度は美大受験に失敗した会社員の主人公・瀬野美優が、一念発起して再び美大受験を志し、自分を肯定するための道筋を探るというストーリーだ。しかし、よくある美大受験マンガかと思ってページをめくっていくと、「才能」の扱い方に本作の特筆すべき点を見出すことができる。 「美大に落ちたあの日。“特別な私”は、死んでしまったから。仕方がないのです。“凡人”に成り下がった私は、母の決めた職場で、母の決めた服を着て、母が自慢できるような人と母が言う“幸せ”を探すんです。でも、だって、仕方ない、を繰り返しながら。」 (『ミューズの真髄』あらすじより) 主人公の美優は「どこにでもいる平凡な私」から、自分で自分を肯定するために、少しずつ自分の意志を周囲に示すようになる。芸術の道に進むことに反対する母親のもとを飛び出し、自尊心を傷つける相手にはNOを突きつけ、自分の進むべき道を自ら選び取っていく。しかし、心の奥深くに根づいた自己否定の考えはそう簡単に変えることはできない。自尊心を取り戻す過程で立ち塞がるのが「才能」の壁だ。 24歳という年齢で美術予備校に飛び込んだ美優は、最初の作品講評で57人中47位と悲惨な成績に終わる。自分よりも年下の生徒たちが才能を見出されていくなかで、自分の才能を見つけることができない美優。その後挫折を繰り返しながら、予備校の講師である月岡との出会いによって少しずつ自分を肯定し、前向きに進んでいく姿には胸が熱くなる。 「私は地獄の住人だ あの人みたいにあの子みたいに漫画みたいに 才能もないし美術で生きる資格はないのかもしれない バカで中途半端で恋愛脳で人の影響ばかり受けてごめんなさい でももがいてみてもいいですか? 執着してみていいですか?」 冒頭で述べたとおり、本作の「才能」への向き合い方を端的に示しているのがこのセリフである。才能がなくても好きなことに執着する──功利主義の社会では蔑まれがちなこのスタンスこそが、他者の否定的な視線から自分を守り、自分の人生を肯定していくためには重要だ。才能に執着するのではなく、「絵」という自分の愛する対象に執着する。その執着が自分を愛することにつながるのだ。それは「好きなことを続けられるのも才能」のような安い言葉では語り切れるものではない。 才能と自意識の話に収斂していく美大受験マンガとは別の視座を、美優の生き方は示してくれる。そして、美優にとっての「美術」と同じように、執着できる対象を見つけることは、「才能」の物語よりも私たちにとっては遥かに重要なことのはずである。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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勝ち負けから離れて生きるためには? 真造圭伍『ひらやすみ』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 30代を迎えて、漠然とした焦りを感じることが増えた。20代のころに感じていた将来への不安からくる焦りとはまた種類の違う、現実が見えてきたからこその焦りだ。 周囲の同世代が着々と実績を残していくなか、自分だけが取り残されているような感覚。いつまで経っても増えない収入、一年後の見通しすらも立たない生活……焦りの原因を数え始めたらキリがない。 真造圭伍のマンガ『ひらやすみ』は、30歳のフリーター・ヒロト君と従姉妹のなつみちゃんの平屋での同居生活を描いたモラトリアム・コメディだ。 定職に就かずに30歳を迎えてもけっして焦らず、のんびりと日々の生活を愛でながら過ごすヒロト君の生き方は、素直にうらやましく思う。身の回りの風景の些細な変化や季節の移り変わりを感じながら、家族や友達を思いやり、目の前のイベントに全力を注ぐ。どうしても「こんなふうに生きられたら」と考えてしまうくらい、魅力的な人物だ。 そんなヒロト君も、かつては芸能事務所に所属し、俳優として夢を追いかけていた時期もあった。高校時代には親友のヒデキと映画を撮った経験もあり、純粋に芝居を楽しんでいたヒロト君。芸能事務所のマネージャーから「なんで俳優になろうと思ったの?」と聞かれ、「あ、オレは楽しかったからです!演技するのが…」と答える。 「でも、これからは楽しいだけじゃなくなるよ──」 「売れたら勝ち、それ以外は負けって世界だからね」 数年後、役者を辞めたヒロト君は、漫画家を目指す従姉妹のなつみちゃんの姿を見て、かつて自分がマネージャーから言われた言葉を思い出す。純粋に楽しんでいたはずのことも、社会では勝ち負け──経済的な成功/失敗に回収されていく。出版社にマンガを持ち込んだなつみちゃんも、もしデビューすれば商業誌での戦いを強いられていくだろう。 運よく好きなことや向いていることを仕事にできたとしても、資本主義のルールの中で暮らしている以上、競争から距離を置くのはなかなか難しい。結果を出せない人のところにいつまでも仕事が回ってくることはないし、自分の代わりはいくらでもいる。嫌でも他者との勝負の土俵に立たされることになるし、純粋に「好き」だったころの気持ちとはどんどんかけ離れていく。 「アイツ昔から不器用でのんびり屋で勝ち負けとか嫌いだったじゃん? 業界でそういうのいっぱい経験しちまったんだろーな。」 ヒロト君の親友・ヒデキは、ヒロトが俳優を辞めた理由をそう推察する。私が身を置いている出版業界でも、純粋に本や雑誌が好きでこの業界を志した人が挫折して去っていくのをたくさん見てきた。でも、彼らが負けたとは思わないし、なんとか端っこで食っているだけの私が勝っているとももちろん思わない。勝ち/負けという物差しで物事を見るとき、こぼれ落ちるものはあまりに多い。むしろ、好きだったはずのことが本当に嫌いにならないうちに、別の仕事に就いたほうが幸せだと思う。 私も勝ち負けが本当に苦手だ。優秀な同業者も目の前でたくさん見てきて、同じ土俵に上がったらまず自分では勝負にならないということも30歳を過ぎてようやくわかった。それでも続けているのは、勝ち負けを抜きにして、いつか純粋にこの仕事が好きになれる日が来るかもしれないと思っているからだ。もちろん、仕事が嫌いになる前に逃げる準備ももうできている。 暗い話になってしまったが、『ひらやすみ』のヒロト君の生き方は、競争から逃れられない自分にとって、大きな救いになっている。なつみちゃんから「暇人」と罵られ、見知らぬ人からも「みんながみんなアナタみたいに生きられると思わないでよ」と言われるくらいののんびり屋でも、ヒロト君の周囲には笑顔が絶えない。自分ひとりの意志で勝ち負けから逃れられないのであれば、せめてまわりにいる人だけでも大切にしていきたい。そうやって自分の生活圏に大切なものをちゃんと作っておけば、いつでも競争から降りることができる。『ひらやすみ』は、そんな希望を見せてくれる作品だった。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
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克明に記録されたコロナ禍の息苦しさ──冬野梅子『まじめな会社員』
【連載】生きづらさを乗り越える「大人のためのマンガ入門」 仕事、恋愛、家族、結婚……大人のありきたりでありがちな悩みや生きづらさと向き合い、乗り越えていくためのヒントを探るマンガレビュー連載。月1回程度更新。 5月に『コミックDAYS』での連載が完結した冬野梅子『まじめな会社員』。30歳の契約社員・菊池あみ子を取り巻く苦しい現実、コロナ禍での転職、親の介護といった環境の変化をシビアに描いた作品だ。周囲のキラキラした友人たちとの比較、自意識との格闘でもがく姿がSNSで話題を呼び、あみ子が大きな選択を迫られる最終回は多くの反響を集めた。 「コロナ禍における、新種の孤独と人生のたのしみを、「普通の人でいいのに!」で大論争を巻き起こした新人・冬野梅子が描き切る!」と公式の作品紹介にもあるように、本作は2020年代の社会情勢を忠実に反映している。疫病はさまざまな局面で社会階層の分断を生み出したが、特に本作で描かれているのは「働き方」と「人間関係」の変化と分断である。『まじめな会社員』は、疫禍による階層の分断を克明に描いた作品として貴重なサンプルになるはずだ。 2022年5月末現在、コロナがニュースの時間のほとんどを占めていた時期に比べると、世間の空気は少し緩やかになりつつある。飲食店は普通にアルコールを提供しているし、休日に友達と遊んだり、ライブやコンサートに出かけることを咎められるような空気も薄まりつつある。しかし、過去の緊急事態宣言下の生活で感じた孤独や息苦しさはそう簡単に忘れられるものではないだろう。 たとえば、スマホアプリ開発会社の事務職として働くあみ子は、コロナ禍の初期には在宅勤務が許されていなかった。 「持病なしで子供なしだとリモートさせてもらえないの?」「私って…お金なくて旅行も行けないのに通勤はさせられてるのか」(ともに2巻)とリモートワークが許される人々との格差を嘆く場面も描かれている。 そして、あみ子の部署でもようやくリモートワークが推奨されるようになると、それまで事務職として上司や営業部のサポートを押しつけられていた今までを振り返り、飲食店やライブハウスなどの苦境に思いを巡らせつつも、つい「こんな生活が続けばいいのに…」とこぼしてしまう。 自由な働き方に注目が集まる一方で、いわゆるエッセンシャルワーカーはもちろん、社内での立場や家族の有無によって出勤を強いられるケースも多かった。仕事上における自身の立場と感染リスクを常に天秤にかけながら働く生活に、想像以上のストレスを感じた人も多かったはずだ。 「抱き合いたい「誰か」がいないどころか 休日に誰からも連絡がないなんていつものこと おうち時間ならずっとやってる」(2巻) コロナによる分断は、働き方の面だけではなく人間関係にも侵食してくる。コロナ禍の初期には「自粛中でも例外的に会える相手」の線引きは、限りなく曖昧だった。独身・ひとり暮らしのあみ子は誰とも会わずに自粛生活を送っているが、インスタのストーリーで友人たちがどこかで会っているのを見てモヤモヤした気持ちを抱える。 「コロナだから人に会えないって思ってたけど 私以外のみんなは普通に会ってたりして」「綾ちゃんだって同棲してるし ていうか世の中のカップルも馬鹿正直に自粛とかしてるわけないし」(2巻) 相互監視の状況に陥った社会では、当事者同士の関係性よりも「(世間一般的に)会うことが認められる関係性かどうか」のほうが判断基準になる。家族やカップルは認められても、それ以外の関係性だと、とたんに怪訝な目を向けられる。人間同士の個別具体的な関係性を「世間」が承認するというのは極めておぞましいことだ。「家族」や「恋人」に対する無条件の信頼は、家父長制的な価値観にも密接に結びついている。 またいつ緊急事態宣言が出されるかわからないし、そうなれば再び社会は相互監視の状況に陥るだろう。感染者数も落ち着いてきた今のタイミングだからこそ本作を通じて、当時は語るのが憚られた個人的な息苦しさや階層の分断に改めて目を向けておきたい。 文=山本大樹 編集=田島太陽 山本大樹 編集/ライター。1991年、埼玉県生まれ。明治大学大学院にて人文学修士(映像批評)。QuickJapanで外部編集・ライターのほか、QJWeb、BRUTUS、芸人雑誌などで執筆。(Twitter/はてなブログ)
L'art des mots~言葉のアート~
企画展情報から、オリジナルコラム、鑑賞記まで……アートに関するよしなしごとを扱う「L’art des mots~言葉のアート~」
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【News】西洋絵画の500年の歴史を彩った巨匠たちの傑作が、一挙来日!『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が大阪市立美術館・国立新美術館にて開催!
先史時代から現代まで5000年以上にわたる世界各地の考古遺物・美術品150万点余りを有しているメトロポリタン美術館。 同館を構成する17部門のうち、ヨーロッパ絵画部門に属する約2500点の所蔵品から、選りすぐられた珠玉の名画65 点(うち46 点は日本初公開)を展覧する『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』が、11月に大阪、来年2月には東京で開催されます。 この展覧会は、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、クラーナハ、ティツィアーノ、エル・グレコから、カラヴァッジョ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、レンブラント、 フェルメール、ルーベンス、ベラスケス、プッサン、ヴァトー、ブーシェ、そしてゴヤ、ターナー、クールベ、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌに至るまでを、時代順に3章で構成。 第Ⅰ章「信仰とルネサンス」では、イタリアのフィレンツェで15世紀初頭に花開き、16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛したルネサンス文化を代表する画家たちの名画、フラ・アンジェリコ《キリストの磔刑》、ディーリック・バウツ《聖母子》、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《ヴィーナスとアドニス》など、計17点を観ることが出来ます。 第Ⅱ章「絶対主義と啓蒙主義の時代」では、絶対主義体制がヨーロッパ各国で強化された17世紀から、啓蒙思想が隆盛した18世紀にかけての美術を、各国の巨匠たちの名画30点により紹介。カラヴァッジョ《音楽家たち》、ヨハネス・フェルメール《信仰の寓意》、レンブラント・ファン・レイン《フローラ》などを御覧頂けます。 第Ⅲ章「革命と人々のための芸術」では、レアリスム(写実主義)から印象派へ……市民社会の発展を背景にして、絵画に数々の革新をもたらした19世紀の画家たちの名画、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《ヴェネツィア、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂の前廊から望む》、オーギュスト・ルノワール《ヒナギクを持つ少女》、フィンセント・ファン・ゴッホ《花咲く果樹園》、さらには日本初公開となるクロード・モネ《睡蓮》など、計18点が展覧されます。 15世紀の初期ルネサンスの絵画から19世紀のポスト印象派まで……西洋絵画の500 年の歴史を彩った巨匠たちの傑作を是非ご覧下さい! 『メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年』 ■大阪展 会期:2021年11月13日(土)~ 2022年1月16日(日) 会場:大阪市立美術館(〒543-0063大阪市天王寺区茶臼山町1-82) 主催:大阪市立美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社、テレビ大阪 後援:公益財団法人 大阪観光局、米国大使館 開館時間:9:30ー17:00 ※入館は閉館の30分前まで 休館日:月曜日( ただし、1月10日(月・祝)は開館)、年末年始(2021年12月30日(木)~2022年1月3日(月)) 問い合わせ:TEL:06-4301-7285(大阪市総合コールセンターなにわコール) ■東京展 会期:2022年2月9日(水)~5月30日(月) 会場:国立新美術館 企画展示室1E(〒106-8558東京都港区六本木 7-22-2) 主催:国立新美術館、メトロポリタン美術館、日本経済新聞社 後援:米国大使館 開館時間:10:00ー18:00( 毎週金・土曜日は20:00まで)※入場は閉館の30分前まで 休館日:火曜日(ただし、5月3日(火・祝)は開館) 問い合わせ:TEL:050-5541-8600( ハローダイヤル) text by Suzuki Sachihiro
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【News】約3,000点の新作を展示。国立新美術館にて「第8回日展」が開催!
10月29日(金)から11月21日まで、国立新美術館にて「第8回日展」が開催されます。日本画、洋画、彫刻、工芸美術、書の5部門に渡って、秋の日展のために制作された現代作家の新作、約3,000点が一堂に会します。 明治40年の第1回文展より数えて、今年114年を迎える日本最大級の公募展である日展は、歴史的にも、東山魁夷、藤島武二、朝倉文夫、板谷波山など、多くの著名な作家を生み出してきました。 展覧会名:第8回 日本美術展覧会 会 場:国立新美術館(東京都港区六本木7-22-2) 会 期:2021年10月29日(金)~11月21日(日)※休館日:火曜日 観覧時間:午前10時~午後6時(入場は午後5時30分まで) 主 催:公益社団法人日展 後 援:文化庁/東京都 入場料・チケットや最新の開催情報は「日展ウェブサイト」をご確認下さい (https://nitten.or.jp/) 展示される作品は作家の今を映す鏡ともいえ、作品から世相や背景など多くのことを読み取る楽しさもあります。 あらゆるジャンルをいっぺんに楽しめる機会、新たな日本の美術との出会いに胸躍ること必至です! 東京展の後は、京都、名古屋、大阪、安曇野、金沢の5か所を巡回(予定)します。 日本画 会場風景 2020年 洋画 会場風景 2020年 彫刻 会場風景 2020年 工芸美術 会場風景 2020年 書 会場風景 2020年 text by Suzuki Sachihiro
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【News】和田誠の全貌に迫る『和田誠展』が開催!
イラストレーター、グラフィックデザイナー和田誠わだまこと(1932-2019)の仕事の全貌に迫る展覧会『和田誠展』が、今秋10月9日から東京オペラシティアートギャラリーにて開催される。 和田誠 photo: YOSHIDA Hiroko ©Wada Makoto 和田誠の輪郭をとらえる上で欠くことのできない約30のトピックスを軸に、およそ2,800点の作品や資料を紹介。様々に創作活動を行った和田誠は、いずれのジャンルでも一級の仕事を残し、高い評価を得ている。 展示室では『週刊文春』の表紙の仕事はもちろん、手掛けた映画の脚本や絵コンテの展示、CMや子ども向け番組のアニメーション上映も予定。 本展覧会では和田誠の多彩な作品に、幼少期に描いたスケッチなども交え、その創作の源流をひも解く。 ▽和田誠の仕事、総数約2,800点を展覧。書籍と原画だけで約800点。週刊文春の表紙は2000号までを一気に展示 ▽学生時代に制作したポスターから初期のアニメーション上映など、貴重なオリジナル作品の数々を紹介 ▽似顔絵、絵本、映画監督、ジャケット、装丁……など、約30のトピックスで和田誠の全仕事を紹介 会場は【logirl】『Musée du ももクロ』でも何度も訪れている、初台にある「東京オペラシティアートギャラリー」。 この秋注目の展覧会!あなたの芸術の秋を「和田誠の世界」で彩ろう。 【開催概要】展覧会名:和田誠展( http://wadamakototen.jp/ ) 会期:2021年10月9日[土] - 12月19日[日] *72日間 会場:東京オペラシティ アートギャラリー 開館時間:11:00-19:00(入場は18:30まで) 休館日:月曜日 入場料:一般1,200[1,000]円/大・高生800[600]円/中学生以下無料 主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団 協賛:日本生命保険相互会社 特別協力:和田誠事務所、多摩美術大学、多摩美術大学アートアーカイヴセンター 企画協力:ブルーシープ、888 books お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル) *同時開催「収蔵品展072難波田史男 線と色彩」「project N 84 山下紘加」の入場料を含みます。 *[ ]内は各種割引料金。障害者手帳をお持ちの方および付添1名は無料。割引の併用および入場料の払い戻しはできません。 *新型コロナウイルス感染症対策およびご来館の際の注意事項は当館ウェブサイトを( https://www.operacity.jp/ag/ )ご確認ください。 ▽和田誠(1932-2019) 1936年大阪に生まれる。多摩美術大学図案科(現・グラフィックデザイン学科)を卒業後、広告制作会社ライトパブリシティに入社。 1968年に独立し、イラストレーター、グラフィックデザイナーとしてだけでなく、映画監督、エッセイ、作詞・作曲など幅広い分野で活躍した。 たばこ「ハイライト」のデザインや「週刊文春」の表紙イラストレーション、谷川俊太郎との絵本や星新一、丸谷才一など数多くの作家の挿絵や装丁などで知られる。 報知映画賞新人賞、ブルーリボン賞、文藝春秋漫画賞、菊池寛賞、毎日デザイン賞、講談社エッセイ賞など、各分野で数多く受賞している。 仕事場の作業机 photo: HASHIMOTO ©Wada Makoto 『週刊文春』表紙 2017 ©Wada Makoto 『グレート・ギャツビー』(訳・村上春樹)装丁 2006 中央公論新社 ©Wada Makoto 『マザー・グース 1』(訳・谷川俊太郎)表紙 1984 講談社 ©Wada Makoto text by Suzuki Sachihiro
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「誰も観たことのないバラエティを」。『ももクロChan』10周年記念スタッフ座談会
ももいろクローバーZの初冠番組『ももクロChan』が昨年10周年を迎えた。 この番組が女性アイドルグループの冠番組として異例の長寿番組となったのは、ただのアイドル番組ではなく、"バラエティ番組”として破格におもしろいからだ。 ももクロのホームと言っても過言ではないバラエティ番組『ももクロChan』。 彼女たちが10代半ばのころから、その成長を見続けてきたプロデューサーの浅野祟氏、吉田学氏、演出の佐々木敦規氏の3人が集まり、番組への思い、そしてももクロの魅力を存分に語ってくれた。 浅野 崇(あさの・たかし)1970年、千葉県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan』 『ももクロちゃんと!』 『Musee du ももクロ』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』、など 吉田 学(よしだ・まなぶ)1978年、東京都出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~』 『ももクロちゃんと!』 『川上アキラの人のふんどしでひとりふんどし』 『Musée du ももクロ』、など 佐々木 敦規(ささき・あつのり)1967年、東京都出身。ディレクター。 有限会社フィルムデザインワークス取締役 「ももクロはアベンジャーズ」。そのずば抜けたバラエティ力の秘密 ──最近、ももクロのメンバーたちが、個々でバラエティ番組に出演する機会が増えていますね。 浅野 ようやくメンバー一人ひとりのバラエティ番組での強さに、各局のディレクターやプロデューサーが気づいてくれたのかもしれないですね。間髪入れずに的確なコメントやリアクションをしてて、さすがだなと思って観てます。 佐々木 彼女たちはソロでもアリーナ公演を完売させるアーティストですけど、バラエティタレントとしてもその実力は突き抜けてますから。 浅野 あれだけ大きなライブ会場で、ひとりしゃべりしても飽きがこないのは、すごいことだなと改めて思いますよ。 佐々木 そして、4人そろったときの爆発力がある。それはまず、バラエティの天才・玉井詩織がいるからで。器用さで言わせたら、彼女はめちゃくちゃすごい。百田夏菜子、高城れに、佐々木彩夏というボケ3人を、転がすのが本当にうまくて助かってます。 昔は百田の天然が炸裂して、高城れにがボケにいくスタイルだったんですが、いつからか佐々木がボケられるようになって、ももクロは最強になったと思ってます。 キラキラしたぶりっ子アイドル路線をやりたがっていたあーりんが、ボケに回った。それどころか、今ではそのポジションに味をしめてる。昔はコマネチすらやらなかった子なのに、ビックリですよ(笑)。 (写真:佐々木ディレクター) ──そういうメンバーの変化や成長を見られるのも、10年以上続く長寿番組だからこそですね。 吉田 昔からライブの舞台裏でもずっとカメラを回させてくれたおかげで、彼女たちの成長を記録できました。結果的に、すごくよかったですね。 ──ずっとももクロを追いかけてきたファンは思い出を振り返れるし、これからももクロを知る人たちも簡単に過去にアクセスできる。「テレ朝動画」で観られるのも貴重なアーカイブだと思います。 佐々木 『ももクロChan』は、早見あかりの脱退なども撮っていて、楽しいときもつらいときも悲しいときも、ずっと追っかけてます。こんな大事な仕事は、途中でやめるわけにはいかないですよ。彼女たちの成長ドキュメンタリーというか、ロードムービーになっていますから。 唯一無二のコンテンツになってしまったので、ももクロが活動する限りは『ももクロChan』も続けたいですね。 吉田 これからも続けるためには、若い世代にもアピールしないといけない。10代以下の子たちにも「なんかおもしろいお姉ちゃんたち」と認知してもらえるように、我々もがんばらないと。 (写真:吉田プロデューサー) 浅野 彼女たちはまだまだ伸びしろありますからね。個々でバラエティ番組に出たり、演技のお仕事をしたり、ソロコンをやったりして、さらにレベルアップしていく。そんな4人が『ももクロChan』でそろったとき、相乗効果でますますおもしろくなるような番組をこれからも作っていきたいです。 佐々木 4人は“アベンジャーズ"っぽいなと最近思うんだよね。 浅野 わかります。 ──アベンジャーズ! 個人的に、ももクロって令和のSMAPや嵐といったポジションすら狙えるのではないか、と妄想したりするのですが。 浅野 あそこまで行くのはとんでもなく難しいと思いますが……。でも佐々木さんの言うとおりで、最近4人全員集まったときに、スペシャルな瞬間がたまにあるんですよ。そういう大物の華みたいな部分が少しずつ見えてきたというか。 佐々木 そうなんだよねぇ。ももクロの4人はやたらと仲がいいし、本人たちも30歳、40歳、50歳になっても続けていくつもりなので、さらに化けていく彼女たちを撮っていかなくちゃいけないですね。 早見あかりが抜けて、自立したももクロ (写真:浅野プロデューサー) ──先ほど少し早見あかりさん脱退のお話が出ましたけど、やはり印象深いですか。 吉田 そうですね。そのとき僕はまだ『ももクロChan』に関わってなかったんですが、自分の局の番組、しかも動画配信でアイドルの脱退の告白を撮ったと聞いて驚きました。 当時はAKB48がアイドル界を席巻していて、映画『DOCUMENTARY of AKB48』などでアイドルの裏側を見せ始めた時期だったんです。とはいえ、脱退の意志をメンバーに伝えるシーンを撮らせてくれるアイドルは画期的でした。 佐々木 ももクロは最初からリミッターがほとんどないグループだからね。チーフマネージャーの川上アキラさんが攻めた人じゃないですか。だって、自分のワゴン車に駆け出しのアイドル乗っけて、全国のヤマダ電機をドサ回りするなんて、普通考えられないでしょう(笑)。夜の駐車場で車のヘッドライトを背に受けながらパフォーマンスしてたら、そりゃリミッターも外れますよ。 (写真:『ももクロChan』#11) ──アイドルの裏側を見せる番組のコンセプトは、当初からあったんですか? 佐々木 そうですね、ある程度狙ってました。そもそも僕と川上さんが仲よしなのは、プロレスや格闘技っていう共通の熱狂している趣味があるからなんですけど。 当時流行ってた総合格闘技イベント『PRIDE』とかって、ブラジリアントップファイターがリング上で殺し合いみたいなガチの真剣勝負をしてたんですよ。そんな血気盛んな選手が闘い終わってバックヤードに入った瞬間、故郷のママに「勝ったよママ! 僕、勝ったんだよ!」って電話しながら泣き出すんです。 ああいうファイターの裏側を生々しく映し出す映像を見て、表と裏のコントラストには何か新しい魅力があるなと、僕らは気づいて。それで、川上さんと「アイドルで、これやりましょうよ!」って話がスムーズにいったんです。 吉田 ライブ会場の楽屋などの舞台裏に定点カメラを置いてみる「定点観測」は、ももクロの裏の部分が見える代表的なコーナーになりました。ステージでキラキラ輝くももクロだけじゃなくて、等身大の彼女たちが見られるよう、早いうちに体制を整えられたのもありがたかったですね。 ──番組開始時からももクロのバラエティにおけるポテンシャルは図抜けてましたか? 佐々木 いや、最初は普通の高校生でしたよ。だから、何がおもしろくて何がウケないのか、何が褒められて何がダメなのか。そういう基礎から丁寧に教えました。 ──転機となったのは? 佐々木 やはり早見あかりが抜けたことですね。当時は早見が最もバラエティ力があったんです。裏リーダーとして場を回してくれたし、ほかのメンバーも彼女に頼りきりだった。我々も困ったときは早見に振ってました。 だから早見がいなくなって最初の収録は、残ったメンバーでバラエティを作れるのか正直不安で。でも、いざ収録が始まったら、めちゃめちゃおもしろかったんですよ。「お前らこんなにできたのっ!?」といい意味で裏切られた。 早見に甘えられなくなり、初めて自立してがんばるメンバーを見て、「この子たちとおもしろいバラエティ作るぞ!」と僕もスイッチが入りましたね。 あと、やっぱり2013年ごろからよく出演してくれるようになった東京03の飯塚(悟志)くんが、ももクロと相性抜群だったのも大きかった。彼のシンプルに一刀両断するツッコミのおかげで、ももクロはボケやすくなったと思います。 吉田 飯塚さんとの絡みで学ぶことも多かったですよね。 佐々木 トークの間合いとか、ボケの伏線回収的な方程式なんかを、お笑い界のトップランナーと実戦の中で知っていくわけですから、貴重な経験ですよね。それは僕ら裏方には教えられないことでした。 浅野 今のももクロって、収録中に何かおもしろいことが起きそうな気配を感じると、各々の役割を自覚して、フィールドに散らばっていくイメージがあるんですよね。 言語化はできないんだろうけど、彼女たちなりに、ももクロのバラエティ必勝フォーメーションがいくつかあるんでしょう。状況に合わせて変化しながら、みんなでゴールを目指してるなと感じてます。 ももクロのバラエティ史に残る奇跡の数々 ──バラエティ番組でのテクニックは芸人顔負けのももクロですが、“笑いの神様”にも愛されてますよね。何気ないスタジオ収録回でも、ミラクルを起こすのがすごいなと思ってて。 佐々木 最近で言うと、「4人連続ピンポン球リフティング」は残り1秒でクリアしてましたね。「持ってる」としか言えない。ああいう瞬間を見るたびに、やっぱりスターなんだなぁと思いますね。 浅野 昔、公開収録のフリースロー対決(#246)で、追い込まれた百田さんが、うしろ向きで投げて入れるというミラクルもありました。 あと、「大人検定」という企画(#233)で、高城さんがタコの踊り食いをしたら、鼻に足が入ってたのも忘れられない(笑)。 吉田 あの高城さんはバラエティ史に残る映像でしたね(笑)。 個人的にはフットサルも印象に残ってます。中学生の全国3位の強豪チームとやって、善戦するという。 佐々木 なんだかんだ健闘したんだよね。しかも終わったら本気で悔しがって、もう一回やりたいとか言い出して。 今度のオンラインライブに向けて、過去の名シーンを掘ってみたんですが、そういうミラクルがたくさんあるんですよ。 浅野 今ではそのラッキーが起こった上で、さらにどう転していくかまで彼女たちが自分で考えて動くので、昔の『ももクロChan』以上におもしろくなってますよね。 写真:『ももクロChan』#246) (写真:『ももクロChan』#233) ──皆さんのお話を聞いて、『ももクロChan』はアイドル番組というより、バラエティ番組なんだと改めて思いました。 佐々木 そうですね。誤解を恐れずに言えば、僕らは「ももクロなしでも通用するバラエティ」を作るつもりでやってるんです。 お笑いとしてちゃんと観られる番組がまずあって、その上でとんでもないバラエティ力を持ったももクロががんばってくれる。そりゃおもしろくなりますよね。 ──アイドルにここまでやられたら、ゲストの芸人さんたちも大変じゃないかと想像します。 佐々木 そうでしょうね(笑)。平成ノブシコブシの徳井(健太)くんが「バラエティ番組いろいろ出たけど、今でも緊張するのは『ゴッドタン』と『ももクロChan』ですよ」って言ってくれて。お笑いマニアの彼にそういう言葉をもらえたのは、ありがたかったなぁ。 誰も見たことのない破格のバラエティ番組を届ける ──そして11月6日(土)には、『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』を開催しますね。 吉田 もともとは去年やるつもりでしたが、コロナ禍で自粛することになり、11周年の今年開催となりました。これから先『ももクロChan』を振り返ったとき、このイベントが転機だったと思えるような特別な日にしたいですね。 浅野 歌あり、トークあり、コントあり、ゲームあり。なんでもありの総合バラエティ番組を作るつもりです。 2時間の生配信でゲストも来てくださるので、通常回以上に楽しいのはもちろん、ライブならではのハプニングも期待しつつ……。まぁプロデューサーとしては、いろんな意味でドキドキしてますけど(苦笑)。 佐々木 ライブタイトルに「バラエティ番組」と入れて、我々も自分でハードル上げてるからなぁ(笑)。でも「バラエティを売りにしたい」と浅野Pや吉田Pに思っていただいているので、ディレクターの僕も期待に応えるつもりで準備してるところです。 浅野 ここで改めて、ももクロは歌や踊りのパフォーマンスだけじゃなく、バラエティも最高におもしろいんだぞ、と知らしめたい。 さっき佐々木さんも言ってましたけど、まだももクロに興味がない人でも、バラエティ番組として楽しめるはずなので、お笑い好きとか、バラエティをよく観る人に観てもらいたいです。 佐々木 誰も見たことない、新しくておもしろい番組を作るつもりですよ。 浅野 『ももクロChan』が始まった2010年って、まだ動画配信で成功している番組がほとんどなかったんですね。そんな環境で番組がスタートして、テレビ朝日の中で特筆すべき成功番組になった。 そういう意味では、配信動画のトップランナーとして、満を持して行う生配信のオンラインイベントなので、業界の中でも「すごかった」と言ってもらえる番組にするつもりです。 吉田 『ももクロChan』スタッフとしては、番組が11周年を迎えることを感慨深く思いつつ、テレビを作ってきた人間としては、コロナ以降に定着してきたオンライン生配信の意義を今改めて考えながら作っていきたいです。 (写真:『テレビ朝日 ももクロChan 10周年記念 オンラインプレミアムライブ!~最高の笑顔でバラエティ番組~』は、11月6日(土)19時開演 logirl会員は割引価格でご視聴いただけます) ──具体的にどういった企画をやるのか、少しだけ教えてもらえますか? 浅野 「あーりんロボ」(佐々木彩夏がお悩み相談ロボットに扮するコントコーナー)はやるでしょう。 佐々木 生配信で「あーりんロボ」は怖いですよ、絶対時間押しますから(笑)。佐々木も度胸ついちゃってるからガンガンボケて、百田、高城、玉井がさらに煽って調子に乗っていくのが目に見える……。 あと、配信ならではのディープな企画も考えていますが、ちょっと今のままだとディープすぎてできないかもしれないです。 浅野 配信を観た方は、ネタバレ禁止というルールを決めたら、攻められますかねぇ。 佐々木 たしかに視聴者の方々と共犯関係を結べるといいですね。 とにかく、モノノフさんはもちろんですが、少しでも興味を持った人に観てほしいんですよ。バラエティ史に残る番組の記念すべき配信にしますので、絶対損はさせません。 浅野 必ず、期待にお応えします。 撮影=時永大吾 文=安里和哲 編集=後藤亮平
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logirlの「起爆剤になりたい」ディレクター・林洋介(『ももクロちゃんと!』)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第5弾。 今回は10月からリニューアルする『ももクロちゃんと!』でディレクターを務める林洋介氏に話を聞いた。 林洋介(はやし・ようすけ)1985年、神奈川県出身。ディレクター。 <現在の担当番組> 『ももクロちゃんと!』 『WAGEI』 『小川紗良のさらまわし』 『まりなとロガール』 リニューアルした『ももクロちゃんと!』の収録を終えて ──10月9日から土曜深夜に枠移動する『ももクロちゃんと!』。林さんはリニューアルの初回放送でディレクターを務めています。 林 そうですね。「ももクロちゃんと、〇〇〇!」という基本的なルールは変わらずやっていくんですけど、画面上のCGやテロップなどが変わるので、視聴者の方の印象はちょっと違ってくるかなと思います。 (写真:「ももクロちゃんと!」) ──収録を終えた感想はいかがですか? 林 自粛期間中に自宅で推し活を楽しめる「推しグッズ」作りがトレンドになっていたので、今回は「推しグッズ」というテーマでやったんですが、ももクロのみなさんに「推しゴーグル」を作ってもらう作業にけっこう時間がかかってしまったんですよね。「安全ゴーグル」に好きなキャラクターや言葉を書いてデコってもらったんですが、本当はもうひとつ作る予定が収録時間に収まりきらず……それでもリニューアル1発目としては、期待を裏切らない内容になったと思います。 ──『ももクロちゃんと!』を担当するのは今回が初めてですが、収録に臨むにあたって何か考えはありましたか? 林 やっぱり、リニューアル一発目なので盛り上がっていけたらなと。あとは、ももクロは知名度のあるビッグなタレントさんなので、その空気に飲まれないようにしないといけないなと考えていましたね。 ──先輩スタッフの皆さんからとも相談しながらプランを立てていったのでしょうか? 林 そうですね。ももクロは業界歴も長くてバラエティ慣れしているので、トークに関しては心配ないと聞いていました。ただ、自分たちで考えて何かを書いたり作ったりしてもらうのは、ちょっと時間がいるかもしれないよとも……でも、まさかあそこまでかかるとは思いませんでした(笑)。ちょっとバカバカしいものを書いてもらっているんですけど、あそこまで真剣に取り組んでくれるのかって逆に感動しました。 (写真:「ももクロちゃんと! ももクロちゃんと祝!1周年記念SP」) 「まだこんなことをやるのか」という無茶をしたい ──ももクロメンバーと仕事をする機会は、これまでもありましたか? 林 logirlチームに入るまで一度もなくて、今回がほぼ初対面です。ただ一度だけ、DVDの宣伝のために短いコメントをもらったことがあって、そのときもここまで現場への気遣いがしっかりしているんだという印象を受けました。 もちろん名前はよく知っていますが、僕は正直あまりももクロのことを知らなかったんですよね。キャリア的に考えたら当然現場では大物なわけで、そのときは僕も時間を巻きながら無事に5分くらいのコメントをもらったんですが、あとから撮影した素材を見返したら、あの短いコメント取材だけなのに、わざわざみんなで立ち上がって「ありがとうございました」と丁寧に言ってくれていたことに気がついて、「めっちゃいい子たちやなあ」って思ってました。 ──一緒に仕事をしてみて、印象は変わりましたか? 林 『ももクロちゃんと!』は、基本的にその回で取り上げる専門的な知識を持った方にゲストで来ていただいてるんですが、タレントさんでない方が来ることも多いんですよね。そういった一般の方に対しても壁がないというか、なんでこんなになじめるのかってくらいの親しみ深さに驚きました。そういう方たちの懐にもすっと入っていけるというか、その気遣いを大切にしているんですよね。しかもそれをすごく自然にやっているのが、すごいなと思いました。 ──『ももクロちゃんと!』は2年目に突入しました。今後の方向性として、考えていることはありますか? 林 「推しグッズ」でも、あそこまで真剣に取り組んでるんだったら、短い収録時間の中ではありますが、「まだこんなことをやってくれるのか」という無茶をしてみたいなと個人的には思いました。過去の『ももクロChan』を観ていても、すごくアクティブじゃないですか。だから、トークだけでは終わらせたくないなっていう気持ちはあります。 (写真:「ももクロChan~Momoiro Clover Z Channel~」) 情報番組のディレクターとしてキャリアを積む ──テレビの仕事を始めたきっかけを教えてください。 林 大学を卒業して特にやりたいことがなかったので、好きだったテレビの仕事をやってみようかなというのが入口ですね。最初に入ったのがテレビ東京さんの『お茶の間の真実〜もしかして私だけ!?〜』というバラエティ番組で、そこでADをやっていました。長嶋一茂さんと石原良純さんと大橋未歩さんがMCだったんですが、初めは知らないことだらけだったので、いろいろなことが学べたのは楽しかったですね。 ──そこからずっとバラエティ畑ですか。 林 AD時代は基本的にバラエティでしたね。ディレクターの一発目はTBSの『ビビット』という情報番組でした。曜日ディレクターとして、日々のニュースを追う感じだったんですが、そもそもニュースというものに興味がなかったので、そこはかなり苦戦しました。バラエティの“おもしろい”は単純というか、わかりやすいですが、ニュースの“おもしろい”ってなんだろうってずっと考えていましたね。たとえば、殺人事件の何を見せたらいいんだろうとか、まったくわからない世界に入ってしまったなという感じがしていました。 ──情報番組はどのくらいやっていたんですか? 林 『ビビット』のあとに始まった、立川志らくさんの『グッとラック!』もやっていたので、6年間ぐらいですかね。でも、最後まで情報番組の感覚はつかめなかった気がします。きっとこういうことが情報番組の“おもしろい”なのかなって想像しながら、合わせていたような感じです。 番組制作のモットーは「事前準備を超えること」 ──ご自身の好みでいえば、どんなジャンルがやりたかったんですか? 林 いわゆる“どバラエティ”ですね。当時でいえば、めちゃイケ(『めちゃ×イケてるッ!』/フジテレビ)に憧れてました。でも、情報バラエティが全盛の時代だったので、結果的にAD時代、ディレクター時代を含めてゴリゴリのバラエティはやれなかったですね。 ──情報番組のディレクター時代の経験で、印象に残っていることはありますか? 林 芸能人の密着をやったり、街頭インタビューでおもしろ話を拾ってきたりと、仕事としては濃い時間を過ごしたと思いますが、そういったネタよりも、当時の上司からの影響が大きかったかなと思います。『ビビット』や『グッとラック!』は、ワイドショーだけどバラエティに寄せたい考えがあったので、コーナー担当の演出はバラエティ畑で育った人たちがやっていたんですよね。今思えば、バラエティのチームでワイドショーを作っているような感覚だったので、特殊といえば特殊な場所だったのかもしれません。僕のコーナーを見てくれていた演出の人もなかなか怖い人でしたから(笑)。 ──その経験も踏まえ、番組を作るときに心がけていることはありますか? 林 どんなロケでも事前に構成を作ると思うんですが、最初に作った構成を越えることをひとつの目標としてやっていますね。「こんなものが撮れそうです」と演出に伝えたところから、ロケのあとのプレビューで「こんなのがあるんだ」と驚かせるような何かをひとつでも持って帰ろうとやっていましたね。 自由度の高い「配信番組」にやりがいを感じる ──logirlチームには、どのような経緯で入ったんでしょうか? 林 『グッとラック!』が終わったときに、会社から「次はどうしたい?」と提示された候補のひとつだったんですよね。それで、僕はもう地上波に未来はないのかなと思っていたので、詳細は知らなかったんですけど、配信の番組というところに興味を持ってやってみたいなと思い、今年の4月から参加しています。 ──参加して半年ほど経ちますが、配信番組をやってみた感触はいかがですか? 林 そうですね。まだ何かができたわけじゃないんですけど、自分がやりたいことに手が届きそうだなという感じはしています。もちろん、仕事として何かを生み出さなければいけないですが、そこに自分のやりたいことが添えられるんじゃないかなって。 具体的に言うと、僕はいつか好きな「バイク」を絡めた企画をやりたいと思っているんですが、地上波だったら一発で「難しい」となりそうなものも、企画をもう少ししっかり詰めていけば、実現できるんじゃないかという自由度を感じています。 ──そこは地上波での番組作りとは違うところですよね。 林 はい、少人数でやっていることもありますし、聞く耳も持っていただけているなと感じます。まだ自分発信の番組は何もないんですけど、がんばれば自分発信でやろうという番組が生まれそうというか、そこはやりがいを感じる部分ですね。 logirlを大きくしていく起爆剤になりたい ──logirlはアイドル関連の番組も多いです。制作経験はありますか? 林 テレビ東京の『乃木坂って、どこ?』でADをやっていたことがあります。本当に初期で『制服のマネキン』の時期くらいまでだったので、もう9年前くらいですかね。いま売れている子も多いのでよかったなと思います。 ──ご自身がアイドル好きだったことはないですか。 林 それこそ、中学生のころにモーニング娘。に興味があったくらいですね。ちょうど加護(亜依)ちゃんや辻(希美)ちゃんが入ってきたころで、当時はみんな好きでしたから。でも、アイドルに熱狂的になったことはなくて、ああいう気持ちを味わってみたいなとは思うんですけど、なかなか。 ──これからlogirlでやりたいことはありますか? 林 先ほども言ったバイク関連の企画もそうですが、単純に何をやればいいというのはまだ見えてないんですよね。ただ、logirlはまだまだ小さいので、僕が起爆剤になってNetflixみたいにデカくなっていけたらいいなって勝手に思っています。 ──最後に『ももクロちゃんと!』の担当ディレクターをとして、番組のリニューアルに向けた意気込みをお願いします。 林 『ももクロちゃんと!』はこれから変わっていくはずなので、ファンのみなさんにはその変化にも注目していただければと思います。よろしくお願いします! 文=森野広明 編集=中野 潤
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言葉を引き出すために「絶対的な信頼関係を」プロデューサー・河合智文(『でんぱの神神』等)インタビュー
ももいろクローバーZ、でんぱ組.inc、AKB48 Team8などのオリジナルコンテンツを配信する動画配信サービス「logirl」スタッフへのリレーインタビュー第4弾。 今回は『でんぱの神神』『ナナポプ』などのプロデューサー、河合智文氏に話を聞いた。 河合智文(かわい・ともふみ)1974年、静岡県出身。プロデューサー。 <現在の担当番組> 『でんぱの神神』 『ナナポプ 〜7+ME Link Popteen発ガールズユニットプロジェクト〜』 『美味しい競馬』(logirl YouTubeチャンネル) 初めて「チーム神神」の一員になれた瞬間 ──『でんぱの神神』には、いつから関わるようになったんでしょうか? 河合 2017年の3月から担当になりました。ちょうど、でんぱ組.incがライブ活動をいったん休止したタイミングでした。「密着」が縦軸としてある『でんぱの神神』をこれからどうしていこうか、という感じでしたね。 (写真:『でんぱの神神』) ──これまでの企画で印象的なものはありますか? 河合 古川未鈴さんが『@JAM EXPO 2017』で総合司会をやったときに、会場に乗り込んで未鈴さんの空き時間にジャム作りをしたんですよ。企画名は「@JAMであっと驚くジャム作り」。簡易キッチンを設置して、現場にいるアイドルさんたちに好きな材料をひとつずつ選んで鍋に入れていってもらい、最終的にどんな味になるのかまったくわからないというような(笑)。 極度の人見知りで、ほかのアイドルさんとうまくコミュニケーションが取れないという未鈴さんの苦手克服を目的とした企画でもあったんですが、@JAMの現場でロケをやらせてもらえたのは大きかったなと思います。 (写真:『でんぱの神神』#276/2017年9月22日配信) 企画ではありませんが、ねも・ぺろ(根本凪・鹿目凛)のふたりが新メンバーとしてお披露目となった大阪城ホール公演(2017年12月)までの密着も印象に残っていますね。 ライブ活動休止中はバラエティ企画が中心だったので、リハーサルでメンバーが歌っている姿がとても新鮮で……その空間を共有したとき、初めて「チーム神神」の一員になれたという感じがしました。 そういった意味ではねも・ぺろのふたりに対しては、でんぱ組.incという会社の『でんぱの神神』部署に配属された同期入社の仲間だと勝手に感じています (笑)。 でんぱ組.incが秀でる「自分の魅せ方」 ──でんぱ組.incというグループにどんな印象を持っていますか? 河合 僕が関わり始めたころは、2度目の武道館公演を行うなどすでにアイドルグループとして大きく、メジャーな存在だったんです。番組としてもスタートから6年目だったので、自分が入ってしっかり接していけるのかな、という不安はありました。 自分の趣味に特化したコアなオタクが集まったグループ……ということで、それなりにクセがあるメンバーたちなのかなと構えていたんですけど、そのあたりは気さくに接してもらって助かりました。とっつきにくさとかも全然なくて(笑)。 むしろ、ロケを重ねていくうちにセルフプロデュースや自己表現がすごくうまいんだなと思いました。自分の魅せ方をよくわかっているんですよね。 ──そういったご本人たちの個性を活かして企画を立てることもあるのでしょうか? 河合 マンガ・アニメ・ゲームなどメンバーが愛した男性キャラクターを語り尽くすという「私の愛した男たち」はでんぱ組にうまくハマった企画で、反響が大きかったので、「私の憧れた女たち」「私のシビれたシーンたち」と続く人気シリーズになりました。 やはり好きなことについて語るときはエネルギーがあるというか、とてもテンション高くキラキラしているんですよね。メンバーそれぞれの好みというか、人間性というか……隠れた一面を知ることのできた企画でしたね。 (写真:『でんぱの神神』#308/2018年5月4日配信) ──そして5月に『でんぱの神神』のレギュラー配信が2年ぶりに再開しました。これからどんな番組にしていきたいですか? 河合 2019年2月にレギュラー配信が終了しましたが、それでも不定期に密着させてもらっていたんです。そのたびにメンバーから「『神神』は何度でも蘇る」とか、「ぬるっと復活」みたいに言われていましたが(笑)。そんな『神神』が2年ぶりに完全復活できました。 長寿番組が自分の代で終了してしまった負い目も感じていましたし、不定期でも諦めずに配信を続けたことがレギュラー再開につながったと思うと、正直うれしいですね。 今回加入した新メンバーも超個性的な5人が集まったと思います。やはり今は多くの人に新メンバーについて知ってほしいですし、先ほどの「私の愛した男たち」は彼女たちを深掘りするのにうってつけの企画ですよね。これまで誰も気づかなかった個性や魅力を引き出して、新生でんぱ組.incを盛り上げていきたいです。 (写真:『でんぱの神神』#363/2021年5月12日配信) 密着番組では、事前にストーリーを作らない ──ティーンファッション誌『Popteen』のモデルが音楽業界を駆け上がろうと奮闘する姿を捉えた『ナナポプ』は、2020年の8月にスタートしました。 河合 『Popteen』が「7+ME Link(ナナメリンク)」というプロジェクトを立ち上げることになり、そこから生まれたMAGICOURというダンス&ボーカルユニットに密着しています。これまでのlogirlの視聴者層は20〜40代の男性が多かったですが、『ナナポプ』のファンの中心はやはり『Popteen』読者である10代の女性。そういった人たちにもlogirlを知ってもらうためにも、新しい視聴者層への訴求を意識した企画でもあります。 (写真:『ナナポプ』#29/2021年3月5日配信) ──番組の反響はいかがでしょうか? 河合 スタート当初は賛否というか、「モデルさんにダンステクニックを求めるのはいかがなものか?」といった声もありました。ですが、ダンス講師のmai先生はBIGBANGやBLACKPINKのバックダンサーもしていた一流の方ですし、メンバーたちも常に真剣に取り組んでいます。 だから、実際に観ていただければそれが伝わって応援してもらえるんじゃないかと思っています。番組も「“リアル”だけを描いた成長の記録」というテーマになっているので、本気の姿をしっかり伝えていきたいですね。 ──密着番組を作るときに意識していることはありますか? 河合 特に自分がディレクターとしてカメラを回すときの場合ですが、ナレーション先行の都合のよいストーリーを勝手に作らないことですね。 僕は編集のことを考えて物語を固めてしまうと、その画しか撮れなくなっちゃうタイプで。現場で実際に起きていることを、リアルに受け止めていこうとは常に考えています。一方で、事前に狙いを決めて、それをしっかり押さえていく人もいるので、僕の考えが必ずしも正解ではないとも思うんですけどね。 音楽の仕事をするために、制作会社に入社 ──テレビ業界を目指したきっかけを教えてください。 河合 高校時代に世間がちょうどバンドブームで、僕も楽器をやっていたんです。「学園祭の舞台に立ちたい」くらいの活動だったんですけど、当時から「仕事にするならクリエイティブなことがいい」とはずっと考えていました。初めは音楽業界に入りたかったんですが、専門学校に行って音楽の知識を学んだわけでもないので、レコード会社は落ちてしまって。 ほかに音楽の仕事ができる手段はないかなと考えたときに浮かんだのが「音楽番組をやればいい」でした。多少なりとも音楽に関われるなら、ということで番組制作会社に入ったのがきっかけです。 ──すぐに音楽番組の担当はできましたか? 河合 研修期間を経て実際に採用となったときに「どんな番組をやりたいんだ?」と聞かれて、素直に「音楽番組じゃなきゃ嫌です」と言ったら希望を叶えてくれたんです。1998年に日本テレビの深夜にやっていた、遠藤久美子さんがMCの『Pocket Music(ポケットミュージック)』という番組のADが最初の仕事です。そのあとも、同じ日本テレビで始まった『AX MUSIC- FACTORY』など、音楽番組はいくつか関わってきました。 大江千里さんと山川恵里佳さんがMCをしていた『インディーウォーズ』という番組ではディレクターをやっていました。タレントさんがインディーアーティストのプロモーションビデオを10万円の予算で制作するという、企画性の高い番組だったんですが、10万円だから番組ディレクターが映像編集までやることになったんです。 放送していた2004〜2005年ごろ、パソコンでノンリニア編集をする人なんてまだあまりいませんでした。ただ僕はひと足先に手を出していたので、タレントさんとマンツーマンで、ああでもないこうでもないと言いながら何時間もかけて動画を編集した思い出がありますね。 ──現在も動画の編集作業をすることはあるんですか? 河合 今でもバリバリやっています(笑)。YouTubeチャンネルでも配信している『美味しい競馬』の初期もそうですし、『でんぱの神神』がレギュラー配信終了後に特別編としてライブの密着をしたときは、自分でカメラを担いで密着映像とライブを収録して、それを自分で編集したりもしました。 やっぱり、自分で回した素材は自分で編集したいっていう気持ちが湧くんですよね。忘れかけていたディレクター心に火がつくというか……編集で次第に形になっていくのがおもしろくて。編集作業に限らず、構成台本を作成したり、けっこうなんでも自分でやっちゃうタイプですね。 (写真:『でんぱの神神』特別編 #349/2019年5月27日配信) logirlは、やりたいことを実現できる場所 ──logirlに参加した経緯を教えてください。 河合 実は『Pocket Music(ポケットミュージック)』が終わったとき、ADだったのに完全にフリーになったんですよ。そこから朝の情報番組などいろんなジャンルの番組を経験して、番組を通して知り合った仲間からいろいろと声をかけてもらって仕事をしていました。紀行番組で毎月海外に行ったりしたこともありましたね。 ちょうど一段落して、テレビ番組以外のこともやってみたいなと考えていたときに、日テレAD時代の仲間から「テレ朝で仕事があるけどやらない?」と紹介してもらい、それがまだ平日に毎日生配信をしていたころ(2015〜2017年)のlogirlだったんです。 (写真:撮影で訪れたスペイン・バルセロナにて) ──番組を作る上でモットーにしていることはありますか? 河合 今は一般の方でも、タレントさんでも、編集ソフトを使って誰でも動画制作ができる時代になったじゃないですか。だからこそ、「テレビ局の動画スタッフが作っている」というクオリティを出さなければいけないと思っています。難しいことですが、これを諦めたら番組を作る意味がないのかなという気がするんですよね。 あとは、出演者との信頼関係を大切に…..といったことですね。特に『でんぱの神神』『ナナポプ』といった密着系の番組は、出演者の気持ちをいかに言葉として引き出すかにかかっていますので、そこには絶対的な信頼関係を築いていくことが必要だと思います。 ──実際にlogirlで仕事してみて、いかがでしたか? 河合 自分でイチから企画を考えてアウトプットできる環境ではあるので、そこは楽しいですね。自分のやりたいことを、がんばり次第で実現できる場所。そういった意味でやりがいがあります。 ──リニューアルをしたlogirlの今後の目標を教えてください。 河合 まずは、どんどん新規の番組を作って、コンテンツを充実させていきたいです。これまで“ガールズ”に特化していましたが、今はその枠がなくなり、落語・講談・浪曲などをテーマにした『WAGEI』のような番組も生まれているので、いい意味でいろいろなジャンルにチャレンジできると思っています。 時期的にまだ難しいですが、ゆくゆくはlogirlでイベントをすることも目標です。logirlだからこそ実現できるラインナップになると思うので、いつか必ずやりたいと思っています。 文=森野広明 編集=田島太陽
大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』
仙波広雄@スポーツニッポン新聞社 競馬担当によるコラム。週末のメインレースを予想&分析/「logirl」でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(北九州記念)
今週から小倉、福島開催が始まり、いよいよ夏競馬も真っ盛り。今年は例年と小倉、中京の開催が入れ替わり、レース史上初となる北九州記念の6月開催。小倉芝は養生十分なのでコンディションはいいでしょうが、週なかばにはまとまった雨。開幕週、芝1200メートルのハンデ戦。YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#169)でも、タレントの成瀬琴さん、三谷紬アナウンサーとともに、6月30日(日)の小倉11R・北九州記念はいかに突破口が多いかを話しています。こういうレースは一点突破、全面展開です。 ◎③サーマルウインド。 人気は蓋を開けないと分かりませんが、葵S組の3歳馬に集まりそうな下馬評です。好タイムの決着で軽ハンデなので、むべなるかなとは思いますが、ここではいわゆる状況的に勝負がかりのサーマルウインドに◎。奥村武厩舎は、ノースブリッジをずっと在厩で使って結果を出すなど、調整スタイルがユニークで評価すべき厩舎です。今回は栗東トレセン入りしての調整で随分具合がいい。関東馬が栗東滞在込みの小倉重賞遠征ですから、勝ち負けを見込んでいて当然。鞍上も早い段階から前走に続き川田を確保。ゲートが良くない馬なので、継続騎乗はありがたいところ。出遅れればその時点でありませんが、千二でそんなことを言っていては馬券を買えないので、スタートは決まるものとします。ハンデ55.5キロは気持ち見込まれましたが、ハイペースの好位差しでチャンスありでしょう。 ○④グランテスト。 3勝クラス勝ち直後なので前走から3キロ減となる53キロ。2走前の小倉で4着に負けましたが、だいぶ窮屈なレースをしいられたもので、小倉が走れないわけではありません。隣枠のサーマルウインドと似た位置で競馬しそうという読み。 ▲⑨ペアポルックス。 5戦2勝2着3回とキャリア全て連対。好位に付ける脚があって立ち回りもうまく、安定感がある一方で少々勝ちみに遅いという印象。葵Sで先着されたピューロマジックと前走で2キロあった斤量差が1キロに。枠も真ん中で、うまく好位を取れそうなところなのは歓迎。 ☆⑫ピューロマジック。 二の脚が速くハンデも53キロ止まり。同型が多くとも行けそうな雰囲気はあります。行き切ってしまえば、そうそう止まらない馬場。いつまでもからまれると微妙ですが。 馬券は3連単2頭軸マルチ。 <軸>③④→<相手>②⑨⑪⑫⑬⑭。36点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(宝塚記念)
宝塚記念が行われる6月23日は、今年の174日目。半分には少し足りませんが、宝塚記念の上半期締めくくり感は競馬ファンの共通認識。さあ一年の半分をいい形で締めくくりましょう。YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#168)は、6月23日(日)の京都11R・宝塚記念を予想しています。ゲストは成瀬琴さんです! ◎⑫ブローザホーン。 日曜の京都芝は蓋をあけないと分かりません。少々雨が降っても、改修後の京都はそれほど悪くならないくらい排水性も良く、極端な道悪とはなりづらい。それでも天気予報を当てにするなら、お湿りは確実でしょう。そしてブローザホーンはキャリア20戦のうち、半分の10戦がやや重、重、不良で占められる生粋の雨男。なおかつやや重~不良で【4/1/2/3】と雨が降った馬場をほぼ苦にしないので、陣営は雨ごいをしないまでも週末の雨予報は歓迎。というか、420キロ台の小柄な馬で良の切れ味勝負になると上位人気馬には及びません。雨でスリッピーな馬場になるか、大幅に湿ってかなり時計がかかる馬場になるかしないとチャンスは少ない。ブローザホーンのレインブリンガーぶりに期待の◎です。 ○④ドウデュース。 能力的に、そして実績的にもドウデュースが最右翼で、続くのはジャスティンパレス。これに異論は少ないでしょう。道悪想定で予想するならピッチ走法のドウデュースを上に取ります。 ▲②ジャスティンパレス。 やや重だった昨年の天皇賞・春を勝っていますが、良馬場の方がいいフットワーク。淀で滑りやすい馬場にならなければ力は発揮できそうですが。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>④⑫→<2着>④⑫→<3着>①②⑦⑩⑬。 <1着>④⑫→<2着>①②⑦⑩⑬→<3着>④⑫。20点。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
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大胆に予想!『美味しい馬券〜「美味しい競馬」スピンオフ〜』(マーメイドS)
函館スプリントSは◎☆△でした。どうしてこの印で3連単の目を引けていないのか…と頭を抱えましたが、「サウザンサニー いい脚で突っ込んで4着っぽい」で4着とか、「ウイングレイテスト 初千二、59でむしろ狙い目の感」で2着とか、全頭評価がさえていましたので報告します。読者の皆さんにおかれましては、こちらの全頭診評価を見て、競馬仲間にあのレースのあれは~やろ、という形でドヤるのに使える一言コメントとなっております。YouTube(logirl 【テレ朝動画公式】YouTube)美味しい競馬#167)は、6月16日(日)の京都11R・マーメイドSを予想しています。ゲストはギャンブル芸人じゃいさんです。 相変わらず勝者の余裕があります。 ◎①ベリーヴィーナス。 キズナ牝馬のパートナーといえばソングラインでG1を勝った戸崎や池添、アカイイトの幸が思い浮かぶと思いますが、筆者は藤懸です。ハギノピリナで2勝、オークス3着(16番人気)、シャムロックヒルでマーメイドS制覇(10番人気)、アネゴハダでCBC賞3着と、キズナ牝馬に乗せたら上々の成績。単勝回収率256%、複勝回収率194%。そんな藤懸の直近キズナ牝馬パートナーがベリーヴィーナス。下鴨Sで単勝8番人気、20.7倍で激走して相性の良さを発揮しています。単なる偶然と捉えることもできますが、違うと思います。キズナ牝馬は「前哨戦に強い、非根幹距離向き、ムラ、短縮や馬具装着が効く」などの特徴があります。厩舎スタッフとの密な連携や気性の理解が重要なタイプが多いため、調教技術が高く人柄に定評のある藤懸に癖はありつつ走るキズナ牝馬が集う…というわけです。あとタフで、詰めて使うのもプラスになるのがキズナ牝馬。中1週でも心配無用です。最内枠もハナを切るには絶好でしょう。logirlのコラムなので書いておきますが、ももクロをトレセンに広めたのは、栗東は藤懸貴志、美浦は嶋田純次です。 ○⑨コスタボニータ。 牝馬の2000メートル重賞なので、ペースはスローの見立て。ベリーヴィーナスとアリスヴェリテが競って流れが速くなれば、2頭とも沈んで馬券も外れますので、ベリーヴィーナスを◎にした時点で印もスロー想定です。後方待機組より先行勢を重視。コスタボニータは福島牝馬Sを4角4番手から押し切ったように、ある程度のポジションを取って、その利を生かすタイプ。出来も引き続き良く、重賞V直後なら56キロでも買いとみました。 ▲⑧セントカメリア。 牡馬相手の都大路Sで上がり3F33秒1を使って3着。評価すべきレースでしょう。どうにも乗り難しく、気性面でも安定しないのがつらいところですが、気分良くレースができればここでも上位争い可能です。 馬券は3連単フォーメーション。 <1着>①→<2着>⑧⑨→<3着>③④⑥⑧⑨⑩⑪⑬⑭⑮。 <1着>⑧⑨→<2着>①→<3着>③④⑥⑧⑨⑩⑪⑬⑭⑮。 <1着>⑧⑨→<2着>③④⑥⑧⑨⑩⑪⑬⑭⑮→<3着>①。54点。買い目にガチ感があふれています。ベリーヴィーナスが走った際に取り逃す気はありません。 text:仙波広雄@大阪スポーツニッポン新聞社 競馬担当/【logirl】でアーカイブ公開中『美味しい競馬』MC
その他
番組情報・告知等のお知らせページ
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Task have Fun Diary 公開収録<概要・応募規約>
テレ朝動画「Task have Fun Diary公開収録」番組観覧無料ご招待! 2024年4月27日(土)開催!「タスクダイアリーお笑いライブ」 logirl(ロガール)会員の中から抽選で100名様に番組観覧ご招待! 番組概要 テレ朝動画でレギュラー配信中!Task have Funの番組「Task have Fun Diary」初の公開収録!今回はTask have Funとオジンオズボーン篠宮暁の4人で初の試みとなる「お笑いライブ」を開催!漫才あり、コントあり、トークあり、さらにライブも特典会もありのスペシャルプログラムでお届けします。 日時:2024年4月27日(土) 開場18:00 開演18:30~20:10頃(その後特典会あり) 場所:浅草木馬亭 東京都台東区浅草2−7−5 出演者(予定):Task have Fun/オジンオズボーン篠宮暁/??? ※さらに出演者(キャラ?)が追加する場合も有ります。 【応募詳細】 応募期間:2024年4月6日(土)21:30~4月15日(月)23:59締切 応募条件:logirl(ロガール)会員のみ対象(当日受付で確認させていただきます) 下記「応募規約」をよく読んでご応募ください。 応募フォーム:https://www.tv-asahi.co.jp/apps/apply/post.php?fid=10786_d37bf ご応募お願い致します。 当選発表:当選した方のみ、当選メール(ご招待メール)をご登録されたアドレスまで お送りさせていただきます。 「Task have Fun Diary公開収録」応募規約 【応募規約】 この応募規約(以下「本規約」といいます。)は、株式会社テレビ朝日(以下「当社」といいます。)が 運営する動画配信サービス「テレ朝動画」における「Task have Fun Diary」(以下「番組」といいます。)に関連して実施する、公開収録の参加者募集に関する事項を定めるものです。参加していただける方は、本規約の内容をご確認いただき、ご同意の上でご応募ください。 【募集要項】 開催日時:2024年4月27日(土)18:30開始~20:10頃終了予定(その後特典会予定) (途中、休憩あり) ※スケジュールは変更となる場合があります。集合時間等の詳細は当選連絡にてお伝えいたします。 場所:浅草木馬亭(東京都台東区浅草2-7-5) 出演者(予定):Task have Fun/オジンオズボーン篠宮暁 ※出演者は予告なく変更される場合があります 募集人数:100名様(予定) ※応募者多数の場合は、抽選とさせていただきます。 【応募資格】 ・テレ朝動画logirl(ロガール)会員限定 ・年齢性別は問いません 【応募方法】 応募フォームへの必要事項の入力 ・テレ朝動画にログインの上、必要事項を入力してください。 【ご参加お願い(参加決定)のご連絡】 ■ご参加をお願いする方(以下「参加決定者」といいます。)には、応募フォームにご入力いただいたメールアドレス宛に、集合時間と場所、受付手続等の詳細を記載した「番組公開収録ご招待メール」(以下「ご招待メール」といいます。)を送信させていただきます。なお、ご入力いただいた電話番号にショートメールでメッセージもしくはお電話をさせて頂く場合がございます。非通知設定でかけさせていただく場合もございますので、非通知拒否設定は解除して頂きますようお願いします。 ■当日の集合時間と集合場所は「ご招待メール」に記載します。集合時間に遅れることのないようご注意ください。 ■「ご招待メール」が届かない場合は、残念ながらご参加いただけませんのでご了承ください。 ■「ご招待メール」の送信の有無に関するお問い合わせはご遠慮ください。 ■公開収録の参加は無料です。参加決定のご連絡にあたって、参加決定者に対し、参加料等のご入金のお願いや銀行口座情報、クレジットカード情報等のお問い合わせをすることは、一切ございません。「テレビ朝日」や本サービスの関係者を名乗る悪質な連絡や勧誘には十分ご注意ください。また、そのような被害を防止するため、ご応募いただいた事実を第三者に口外することはお控えいただけますようお願い申し上げます。 ■「ご招待メール」および公開収録への参加で知り得た情報、公開収録の内容に関する情報、及び第三者の企業秘密・プライバシー等に関わる情報をブログ、SNS等への記載を含め、方法や手段を問わず第三者への開示を禁止いたします。また、当選権利および当選者のみが知り得た情報に関して、譲渡や販売は一切禁止いたします。 【注意事項】 ■ご案内は当選したご本人様1名のみのご参加となります。(同伴者はご案内できません) ■未成年の方がご応募いただく場合は、必ず事前に保護者の方の同意を得てください。その場合は、電話番号の入力欄に保護者の方と連絡の取れる電話番号をご入力ください。(保護者にご連絡させていただく場合がございます。) ■開催当日、今回の公開収録の参加および撮影・映像使用に関しての承諾書をご提出いただきます。(未成年の方は保護者のサインが必要となります。) ■1名につき応募は1回までとします。重複応募は全て無効になりますので、お気をつけください。 ■会場ではスタッフの指示に従ってください。指示に従っていただけない場合は、会場から退去していただく場合がございます。 ■会場でのスマートフォン等を用いての録画・録音についてはご遠慮ください。 ■会場までの交通手段は、公共交通機関をご利用ください。駐車場はございません。 ■会場までの交通費、宿泊費等は参加者のご負担にてお願いいたします。 ■当日は、ご本人であることを確認させていただくために、お手持ちのスマートフォン等で表示または印刷した「ご招待メール」と、「身分証明書」(運転免許証・パスポート等、氏名と年齢が確認できるもの)をお持ち下さい。ご本人確認が出来ない方は、ご参加いただけません。 ■荷物置き場はご用意しておりません。貴重品の管理等はご自身にてお願いいたします。貴重品を含む持ち物の紛失・盗難については、当社は一切責任を負いません。 ■公開収録に伴い、参加者・客席を含み場内の撮影・録音を行い、それらの映像または画像等の中に映り込む可能性があります。参加者は、収録した動画、音声を、当社または当社が利用を許諾する第三者(以下、当社および当該第三者を総称して「当社等」といいます)が国内外テレビ放送(地上波放送・衛星波放送を含みます)、雑誌、新聞、インターネット配信およびPC・モバイルを含むウェブサイトへの掲載をはじめとするあらゆる媒体において利用することについてご同意していただいたものとみなします(以下、かかる利用を「本件利用」といいます)。なお、本件利用の対価は無料とさせていただきますので、ご了承ください。 ■諸事情により番組の公開収録が中止又は延期となる場合がありますのでご了承ください。 【開催日付近の新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、以下内容を実施する可能性がございます】 ■ご登録いただいたお名前、ご連絡先を、必要に応じて公共機関へ提供させていただく可能性がございます。 【個人情報の取り扱いについて】 ■ご提供いただいた個人情報は、番組公開収録への参加に関する抽選、案内、手配又は連絡及び運営等のために使用し、収録後に消去させていただきます。 ■当社における個人情報等の取扱いの詳細については、以下のページをご覧下さい。 https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/ https://www.tv-asahi.co.jp/privacy/online.html
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新番組『WAGEIのじかん』(CS放送)
CSテレ朝チャンネル1「WAGEIのじかん」 落語・浪曲・講談など日本の伝統芸能が楽しめる番組。MCを務める浪曲師玉川太福と話芸の達人(=ワゲイスト)たちが珠玉のネタを披露します。さらに、お笑いを愛する市川美織が番組をサポート!お茶の間の皆様に笑いっぱなしの15分をお届けします。 お届けするネタ(3月放送)は、玉川太福の浪曲ほか、古今亭雛菊・春風亭かけ橋・春風亭昇吉・昔昔亭昇・柳家わさび・柳亭信楽の落語、神田松麻呂の講談などが登場します。お楽しみに〜!(※出演者50音順) ★3月の放送予定 3月17日(日)25:00~26:00 3月21日(木)26:00~27:00 3月24日(日)25:00~26:00 ⇩【収録中の様子】市川美織さん箱馬に乗って高さのバランスを調整しました。笑