これは現地の空気を肌で知るしかないと、韓国・ソウルに飛んだのが1週間前。夕方、足を運んだ国会議事堂前には、肌を刺す寒さの中、主催者発表で10万人もの群衆が押し寄せていた。突然の非常戒厳の発令で国民を仰天させ、6時間で解除に追い込まれた尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領に対する抗議集会である。
「大統領を弾劾せよ、逮捕せよ」。スピーカーからシュプレヒコールの音頭をとる声が流れ、一同がそれに唱和するという昔ながらのスタイルだが、どうやらそれだけではない。流れる音楽はいわゆるK-POPだったり、日本のアニメの主題歌だったりする。そしてよく群衆を見渡すと若い人、特に女性が多いことに気付く。手にしているのは色とりどりのペンライト。それも上の方が輪や星の形になっている。「推し」のコンサートにでも出かけるような雰囲気だ。
参加者のひとりに話しかけてみる。
「SNSを通じて集会に関する情報が拡散されていますし、みんながこの集会を重く考えるより、1回くらいは参加して民主主義のために立ち向かう、というくらいの意味で参加できるのではないかと思っています」。
なるほど、政治集会への参加の壁は高くなさそうだ。だが、次に彼女が発した言葉はとても力強く、決意に満ちていた。
「一人ひとりの力が集まったら大きい力になれると思います。集会に直接参加できない人もたくさんいると思いますが、オンライン参加や日常生活の中でも共感しながら雰囲気を盛り上げることが必要です」。
別の大学生の2人組は、足元のちょっとした隙間にノートパッドを広げて作業をしながら、「弾劾せよ!」と叫ぶ。なかなか忙しい二刀流である。話を聞くと、彼女たちは「大学の課題を片付けていたんです」と少しはにかんで答えた。こちらも少し和んだ気分になって、「いやあ、若い人たちが多いのでびっくりしましたよ」と言うと、ひとりが表情を引き締めて言った。「20代の若い世代が政治に関心を持っていることを示しているのだと思います。これから大韓民国がより良い方向に進むチャンスであることも」。
彼女たちが大統領の「罪深い行為」に対して責任をもって意思表示を示していることが分かる。もうひとりが答えた。「かつての軍事政権時代の経験は私たちにも引き継がれています。ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんの作品も影響を与えてくれています」。ハン・ガンさんは、1980年の民主化闘争の象徴である「光州事件」を題材として扱っていることでも知られ、今回の取材ではいくつもの場所でその名前を聞いた。
カジュアルな中でも決然とした意志。会場が醸し出す、柔らかだけれども強固な一体感。これは一体なんだろう。ソウル市内のサムギョプサルの食堂で許可を得て、食事中のお客さんに次々にインタビューしたが、そこで話が聞けた33歳の会社員の見立てはこうだ。
「実は韓国の若者たちは政治や社会経済にあまり興味がない方だと思います。ただ、そこまで興味がないのにこのように行動するのは、国を守りたい気持ちと、これまで抑えてきた憤りが表面に現れたということではないでしょうか。正義の実現にはあまり関心がなく、利害関係が優先するのが現代社会ですが、これ以上座視することはできない、堪忍袋の緒が切れたということではないでしょうか」。
この男性が言う「憤り」とは、韓国について言われる、高学歴偏重で結婚や住宅取得が困難な社会が対象なのだろうかと、僕は漠然と考えた。
ちなみにこの男性も、今回の大統領の戒厳令には断固反対の立場だった。そして、今後韓国の政治情勢がどちらに向かうかについては冷静でかつ手厳しかった。「いま、与党を引きずり降ろそうとする野党の動きが、果たして韓国のためなのか、次の政権を握るための動きか、考える必要があります」。大統領の判断を不当とみなす国民的な運動が、政治の綱引きの材料に使っていると見なされれば、怒りのエネルギーが向かう先は変わる可能性があるというのである。33歳。ついこの前まで「若者」の範ちゅうにありながら、今は社会全体をバランスよく見ながら、しかも言語化できる人と出会えたことは幸運だった。
韓国から帰国して4日後の14日、僕は名古屋で「ジャーナリストカフェ」というイベントを開いた。大学や新聞社とタッグを組んで、各地の学生を中心に多種多様な社会情勢について自由な意見交換し、刺激し合おうというトークイベントだ。4回目の今回は、南山大学と中日新聞社との共催である。
そこで、ひとりの学生からこんな質問があった。「アメリカ大統領選挙では芸能人などの著名人が自らの支持候補を明らかにして選挙への関心を高めている。日本ではそうした意思表示もなく、若者の投票率も低い。その違いはどこから来ると思うか」。
なかなか難しい質問である。僕は、選挙にはしっかりと責任ある1票を投ずるべきだという考え方だが、こんな言葉が口をついて出た。「投票に行くか行かないかはその人の判断によるが、国際情勢や日本の政治情勢が混迷する中、いずれ一人ひとりが政治的な意思表示を迫られる時が来る。その意味で僕たちはそのための準備だけはしておく必要がある。いつでも『We Are Ready!』と言えるように」。
一緒に壇上でパネリストを務めてくれた南山大学の先生が、「良いこと言いますね」とほめてくれた。だからというわけではないが、我ながら核心はそこにあるのだと思った。
韓国の若者たちは、先人たちの経験を我がごととして心に甦らせ、民主主義を損なう行為を許さないと立ち上がった。そして、野党が再度にわたって提出した尹大統領の弾劾訴追案は、与党の一部も賛成に回る形で可決された。一人ひとりの行動が大きなうねりとなり、社会を動かすことを知った人間は強いはずだ。韓国ではひとつの覚醒が起きたのかもしれない。
では日本はどうか。いつの間にか民主主義を当たり前のことと思い、言論の自由を盾にとって他者の選挙妨害を行うなど、まるで悪ふざけの道具に使う風潮すら見受けられる現状に危機感はどの程度あるのか。
改めて自問したい。僕たちは自由や民主主義という価値が危機に瀕したときに、声を上げ、行動を起こすだけの準備はできているだろうか。Are You Ready?
(2024年12月16日)