大越健介の報ステ後記

隣人の素顔
2024年12月08日

 羽田空港の出発ロビーでソウル行きの大韓航空機を待っている。今は8日、日曜日の11時。ソウルに着いてすぐ取材に入れば、夜にかけてかなりの数の街の声を聞くことができるだろう。
 ソウルが震撼したのは、火曜日の夜遅くのことだった。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が突如、戒厳令(非常戒厳)を発令。44年ぶりのことだった。誰もが面食らった。報道ステーションはその時ちょうど番組を終えるタイミングだったが、海外のニュースを主に担当するスタッフたちは、番組終了後の深夜から未明にかけて、ぶっ続けて情報収集に追われた。

 目まぐるしい展開だった。国会議事堂での議員と軍の攻防を経て、本会議場には多くの議員が駆けつけた。190人全員の議員の賛成で戒厳令の解除要求を議決。尹大統領はこれに従う形で、6時間後には解除に追い込まれた。
 中には、眠って起きるまでの間にすべてが始まり、そして終わっていたという人も多かっただろう。どうも韓国の大統領が「オウンゴール」をしてしまったらしい、という結末と共に。

 野党は大統領に対する弾劾訴追案を国会に提出。与党も判断に迷ったが、土曜夜の採決ではほとんどの与党議員が採決を棄権、議場を後にした。
 議場を去った与党議員たちに対し、議場からテレビ画面を通じて投票参加の呼びかけを再三行った禹元植(ウ・ウォンシク)議長の言葉が印象的だった。「これは大韓民国の歴史と民主主義の問題だ。投票に参加しない姿を国民や世界がどう見るだろうか。歴史の評価が怖くないのか」。
 だが、与党議員は大半が議場に戻らず、結局、弾劾案は投票者数が規定に達せずに不成立、廃案となった。
 民主主義国家である韓国の混乱は、そこで収まらない。国会周辺には深夜までデモ隊が抗議の声を上げた。野党は週をまたいで11日水曜日にも、再び弾劾訴追案を提出する方針を固めたらしい。

 韓国の混乱は収まるどころか、その度合いを深めることになりそうだ。現地に飛び、この目で見て肌で感じたい。幸い、ビジネスや観光の往来にはほぼ支障は出ていないということで、僕らは急きょ、ソウルへの取材に出発することになったのだ。急いで荷造りをする僕のトランクの中に居座り、「行っちゃうの?」と寂しげなコタローの視線を振り切って。

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 同行のスタッフが、現地でのインタビューリストを作り、さっそく専門家など現地の関係者にアポイントを取り始めている。聞きたいテーマは山ほどある。レイムダック化すると見られる尹大統領のもと、韓国の政治はどう展開するのか。現政権のような日本と良好な関係は維持できるのか。韓国政治の動揺は、核武装を固める北朝鮮にどのようなメッセージを送ることになるのか。アメリカのトランプ次期政権を見据え、日米韓の連携をどう築いていくべきか…。
 だが、僕はもう少し平場の視線で、立ち止まって考えてみたいと思う。
 大統領に同情的な人たちは一定数いるものの、なぜ韓国の人たちはあれほどの怒りを表明したのだろうか。大統領の弾劾に賛成の人たちは、直近の世論調査で7割を超えている。

 K-POPや韓国ドラマで、僕たちは韓国発の文化に触れる機会が増えた。韓国料理が大好きという人(僕も含め)はいくらでもいる。しかし、僕たちは隣人の素顔をどれくらい知っているだろう。
 デモで激しく叫び声をあげている市民を見て、「韓国ドラマでも激しい感情表現、よく見るよね」といった感想を持つ人は少なくないと思う。だが、今回の政変は現実であり、人々が受けたショックの本質は、決して分かったふりをして終わらせてはいけない。

 日本と異なる民主主義国家の道を歩んだ。
 日本による植民地統治を経て、大戦後の南北分断、そして朝鮮戦争を経験した(北朝鮮とは休戦協定が成立したものの、戦争は今も継続中なのだ)。その後も軍事政権は続き、44年前には、まさに人々の戒厳令の記憶をよみがえらせた「光州事件」が発生、多くの市民と軍人が犠牲になった。その激しい歴史の中、民主化を果たしたのは1987年になってからのことだ。まさに、20世紀の激動期、日本とはまた違った形で、民主主義を血で贖(あがな)ったのが韓国なのである。

 テレビのニュースが様々な市民の声を伝えている。大統領の暴走を非難する声は多い。中でも、「恥ずかしく思う」という声が心に残った。
 ようやく手にした民主国家の形。その中で発展した通信分野のテクノロジーや自動車産業。ソウルは、世界の人たちを惹きつける大都市となった。一方で、検察という巨大な国家権力のトップを経験した大統領が、民意とはかけ離れたところで強権的な手段を発動したのも事実だ。民主化以前の亡霊が突然現れたような恐怖を人々は感じたのだろうか。

 いずれにしても、隣国で起きている混乱について、対岸の火事のようにして眺めることはしたくない。すべてを知ることはできなくても、ひとりでも多くの人たちの声を聞き、その本音を少しでも理解したい。それが、隣人としてこのニュースを伝える人間のマナーのひとつと考えるからだ。
 取材して感じたことは、また来週にでもこのコラムに書こうと思う。もうそろそろ飛行機の出発時間だ。

(2024年12月8日 羽田空港にて)

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