ぎょろりとした目つきは怖いが実は心優しい番組のチーフプロデューサーと、僕のカロリー摂取にはものすごく厳しいがやっぱり心優しいマネジャーから、突然「プレゼントです」と言ってスポーツ仕様のレインウエアを渡された。色違いで、妻と2人分である。
「はて?」と理由を聞くと、この日10月4日は、僕が報道ステーションのキャスターを務めてからちょうど3周年なのだという。記念日を忘れがちなのは昔からの僕の欠点で、むしろこちらから感謝を伝えなければならないのに申し訳ない。そして、その日付を大切に覚えてくれていたスタッフの気持ちがとても嬉しかった。
明けてきょうは10月5日の土曜日。東京は秋雨前線の影響でずっと雨模様だ。ちなみに梅雨前線は、温暖化が進む昨今は特に危険な存在だし、「ばいうぜんせん」という言葉にもいささか暴力的な響きがある。だが、秋雨前線の方は、いつの間にか「お邪魔しております」という感じでゆるりと日本列島にやってくる。「あきさめぜんせん」という音の運びもどこか控えめで、さめざめと泣いているお姫さまみたいなイメージである。もっともこの前線も、時には各地に大雨被害をもたらすくせ者であり、地震と豪雨の二重災害に苦しむ奥能登の人たちには残酷な追い打ちとなる。
朝起きて窓を開け、そんな鉛色の空を見上げながらやけに体が重いなと思った。最近は週末を使ってドイツまで弾丸出張したり、立憲民主党と自民党の党首選で、複数の候補者をスタジオに招いたり、その関係で結構な量の資料を読み込んだりと、なかなかの忙しさだった。
きょうは1日じゅうボーッとして過ごそうと思い、メールでも来ていないかと自宅のパソコンを開くと、「報ステキャスター就任」というフォルダが目に入ってきた。ふだんは目に留まることはないのに、3年という節目の意識がそうさせたのかもしれない。開いてみると、キャスター登板に向けたいろいろな準備書類などが保存してあり、その中に「記者懇談会冒頭発言の骨子」といういかめしいタイトルの文書があった。
そう言えば3年前、登板まであと約1か月というタイミングで、テレビ朝日の広報局の尽力により、報道各社の記者の皆さんを前に自分の所感を述べ、自由に質問を受けるという機会があった。あの時はみんなマスクをして、席にもアクリル板の仕切りがあったなあと思い出した。
心配性な僕は、大体どんなことを発言するかをメモにまとめていたのだった。おそるおそるその文書を開くと、そこには報道ステーションで仕事をするにあたっての、自分の原点があった。以下、抜粋する。
私は「平たい言葉で伝える」ということをひとつのモットーにしている。これまでそれができたのかといえば自信がないが、平たいという言葉には私なりに2つの意味を込めている。
ひとつは複雑なニュースでも、突き詰めて取材し、その事象の本質にできるだけ迫ることで、最もふさわしく、シンプルな言葉に行き着くということ。そんな平易な言葉を探し当てること、それが取材の到達点のひとつだと思う。
もうひとつは、視線をフラットにすること。上から目線でお説教めいたコメントをしたり、とにかく反権力ありきで下から上をにらみつけるだけで仕事をした気になるというような、偏った姿勢に陥らないことが大事だと思う。大きな権力を持った人物を相手にしても、市井の人々に話を聞くときでも、あくまで同じ人間としてのフラットな視線、相手に対するリスペクトを忘れないようこころがけたい。(2021年9月7日)
「オレ、なかなかいいこと言ってるじゃないか」とつかの間、自己満足に浸ったが、同時に背筋が伸びる思いである。あの時の静かな決意を、自分はしっかり実践できているだろうか。答えはイエスであり、ノーでもある。
「平たい言葉」で伝えることはどこまで行っても難しい。幸い、この3年間でチームとのあうんの呼吸が育っている。現場での取材実感、それを編集してオンエアに持ち込む制作班の思い、そしてニュースのアンカーとしてそれらをつなぎ、まとめるコメントを発する自分の役割。それがスムーズにいってこその報道ステーションだと思う。
コメントに呻吟する僕にさりげなくスタッフが助け船を出してくれる場面も増えたし、ニュースの本質に近づくほど、言葉はシンプルになるという意味を実感する機会も増えた。一方で、もう熟練の味を出していい年齢なのに、力んでしまって言葉が空回りすることもしばしばである。
こうして毎週コラムを書いているのも、その週のニュースの核心はどこにあるのだろうと静かに振り返るためだし、僕自身のキャスターワークや、仕事の姿勢そのものを自省するためでもある。
今週は石破内閣が本格始動したほか、イスラエルとイラン、イランが支援するヒズボラなどとの報復の連鎖がニュースを賑わせた。連続した緊縛強盗事件は、ネット時代特有の社会の闇が垣間見える犯罪だった。これらについてはまた別に考えを整理する機会があるだろう。
きょうは雨空を見上げながら、ゆっくりとした時間を過ごすとしよう。でも日課の散歩は外せない。雨にぬれても平気なように、プレゼントしてもらったレインウエアを着て外に出ようか。
そう思ったら、コタローが包装をしたままの真新しいウエアの上に寝転んでいた。気に入ったらしい。寝床を奪ったら機嫌を損ねそうだ。
雨は霧雨。気温も下がったとはいえ20度を超えている。ゴアテックス素材の立派なレインウエアの出番は、もう少し季節が深くなってからでいい。きょうは普段のTシャツと短パンにキャップをかぶれば大丈夫だろう。
幸い、4年目を迎えた僕は、多少の雨などへっちゃらなくらい、十分に元気である。
(2024年10月5日)