大越健介の報ステ後記

斬新、それとも未熟?
2024年10月01日

 「うーん、この人は真面目な人には違いないが、どうにもつかみどころがない」。
 僕は9月27日の夜、自民党の新しい総裁に選出された石破茂さんと、スタジオで向き合いながら、そんなことを考えていた。
 なにしろ5回目の総裁選のチャレンジで、ようやく射止めた自民党トップの座である。しかも選挙は大接戦。午後1時から始まった自民党大会に代わる両院議員総会は、1回目の投票でトップの高市早苗さんに議員票で後れを取りながら、上位ふたりの決選投票で石破さんがかろうじて逆転勝利したのだった。

 朝から相当な緊張があっただろう。その後も、岸田文雄前総裁との交代のセレモニー、記者会見と分刻みのスケジュールだ。報道ステーションでは総裁選出後、ただちにその夜の番組への生出演をオファーした。
 だが、さすがにこの日は出演を断られるのではないかと思っていた。石破さんは4日後の10月1日には国会で総理大臣に指名される。自民党役員人事や、第1次石破内閣の閣僚人事など、政権発足に向けた大事な数日のはずである。
 ところが、たちどころに出演を快諾してくれた。

 テレビに出るのが好きな人、という評判もある。これまでも、記者団にマイクを向けられればまず断ることはなかった。テレビの生放送の出演依頼もほぼ受ける。そうして広げた知名度が、今回の選挙結果につながった面もある。メディアを通じて国民と対話する姿勢を大事にしてきた人であることは間違いない。
 
 出演予定時刻の午後10時25分ぎりぎりにスタジオに到着した石破さんは、少し疲れているようにも見えた。把握できただけで、「報道ステーション」はこの夜すでに3局目の出演だった。
 だが、能登半島豪雨の被災地からの声をVTRで紹介すると、その映像を食い入るように見つめた。今すぐに支援を必要としている人がいる。元日に起きた地震からずっと水道が復旧しないまま、またも壊滅的被害を受けた家もある。その様子を映し出した映像に石破さんは、「(政府は)これまで何もやってこなかった」といら立ちを隠さなかった。

 災害対応など当面の課題、石破さんが得意とする安全保障政策、そして党役員や閣僚の人事の方針、さらには衆議院の解散総選挙に踏み切るタイミング。こうしたテーマに、ひとつひとつ丁寧に、ゆっくりとした口調で答えていく。真面目な人であることは間違いない。答えの中には明確な自己の主張が入っているものもある。

 ただ、だんだん僕は、石破さんの話を聞きながら「はて?」と思うことが増えてきた。能登の災害に政府は何もやってこなかったと批判するが、ではあなたならどうするのか、という質問に明確な方向性はない。
 また、得意の安全保障政策ではアジア版NATOの創設を訴えるが、日本は安倍政権で集団的自衛権の行使容認に踏み切ったばかり。それすら強い異論の中だった。その安全保障の枠組みを広くアジアの友好国(おそらく仮想敵は中国だ)に広げようという構想は、石破さんがひとりの政治家として抱く安全保障哲学としては自由だが、日本のリーダーであるいま、軽々しく口に出していい問題ではないとも思う。

 石破さんは総裁選挙に敗れることこれまで4回。党幹事長や地方創生担当相などを歴任したものの、党内非主流派の代表格のような存在だった。正論を吐き、政権中枢の批判も厭わなかった彼は、「党内野党」とさえ言われた。野党であれば批判はむしろ当然だが、これからは違う。ときに第三者的で批判的な言説は、総裁に就任した時点から、自らに向けられた批判の矢となりうるという自覚は当然お持ちだろうが、長年の癖を脱却するのは難しい。そして、それは政権にとってのリスクにもなりうる。

 番組を終えてほっと一息つきながら、他局の深夜のニュース番組を見ていると、ここにも石破さんの姿があった。立憲民主党の新代表となった野田佳彦さんとの対談という演出である。緊張あふれる総裁選挙、その後は分刻みでテレビに出ずっぱり。そして、日付も変わろうという時に、当面の最大のライバルである最大野党の代表と一騎打ちに臨む石破さん。疲れの色が濃くなっていた気がするが、それでもゆっくりと丁寧に言葉を発している。
 うーん、石破さんという人は「いい人」なのか、「マスコミにとっていい人」なのか、いやおそらく両方なのだろう。

 ところが、疲労困ぱいのはずの石破さんだが、翌土曜日から政権の人事はあっという間に進んでいった。党の幹事長には野党とのパイプに長けた森山裕氏を充てることになった。日曜日には党執行部と第1次石破内閣の閣僚の顔ぶれがマスコミの取材ですべて明らかになった。
 ずいぶん早いなあ。人事はトップにとっての最初の大仕事であり、昔流に言えば鉛筆なめなめ、熟慮に熟慮を重ねて行うものという固定観念があったが、ひどくあっさりとした感じがある。少なくとも、怒涛の金曜日からほとんど時間を置かずに体制はほぼ固まってしまった。いつ、こんな人事を考えていたのだろう。

 驚いたのは週が明けた月曜日、9月30日である。まだ自民党総裁という肩書であり、総理大臣に国会で指名されてもいないのに、衆議院を速やかに解散し、10月27日に衆議院選挙を行うと明言した。考えられる最速のタイミングである。なぜ、総理になってもいないのに解散・総選挙の日程を口にするのかという質問には、全国の選挙管理委員会の事務的な負担を挙げたが、これにはさすがの自民党の同僚議員からも拙速、国会軽視の声が上がった。
 さらに僕が驚いたのが、閣僚に内定と報じられた議員たちが、メディアの取材に担当する政策課題や抱負について滔々とコメントしていたことである。閣僚は、組閣後に皇居での認証式を経て正式に就任となる。そうした段取りには厳しいはずの自民党だが、「石破内閣」の一部の人々はまるっきり眼中にないらしい。

 政治とカネで批判を浴びた自民党は、派閥が解消、ないしは流動化した。親分子分の関係が薄れた、初めての総裁選挙を経験した。その結果、党のトップに「党内野党」の石破さんが就き、解散総選挙の表明の仕方も、新閣僚の意識のあり方も、これまでの尺度では測れないものとなっている。
 自民党はどの方向に変わっていくのだろう。
このコラムを書き終えようというまさにこの瞬間、石破さんは衆参両院で内閣総理大臣に指名された。参議院本会議では、石破さんでなく「高市さん」に投票する造反議員も出た。
 真面目な人であると思われる石破さんではあるが、その政治手法を斬新と見るか、未熟と見るか。テレビのコメンテーターなどの発言を見ると、どうやら後者の「未熟」との評価が優勢のようである。今のところ。

(2024年10月1日)

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