大越健介の報ステ後記

岸田さんの夏
2024年08月18日

 毎朝、新聞を読むときは、居間のじゅうたんに新聞紙を広げ、手をどんとついて記事を追う。これが一番リラックスできる体勢なのだ。しかし、この状況はコタローも大好きらしく、静かに近づいてくると、僕が読んでいる記事のところで、必ずと言っていいほど寝転がる。
 新聞の中の岸田さんは、「ネコは気楽でいいなあ」と、うらめしそうである。コタローはコタローで、「人間は大変だにゃー、知らんけど」と考えているふうでもある。

01

 3年前に報道ステーションのキャスターになって以来、ほぼ週1回のペースでこのコラムを書き続けてきたが、岸田さんにはコタローと同じか、それより多いくらい文中に登場してもらった。忘れもしない、僕が報ステに初登板した2021年10月4日は、岸田さんが第100代の内閣総理大臣に就任したその日だった。どうもご縁があるらしい。
 「ジャーナリズムたるもの、反権力でなくてはならない!」と、しょっちゅうコメカミに青筋を立てるのは僕の流儀とするところではないが、権力者に対して厳しい視線を注ぐことは僕らの務めであり、その意味で岸田さんに対しては辛らつなことを言ったり書いたりしてきた。

 その岸田さんが、次の自民党総裁選挙に立候補せず、退陣することを表明した。「来るべき時が来た」と受け止めたが、縁を感じていたこの国のリーダーが表舞台を去ることには感慨を禁じ得ない。
 7年8か月続いた2回目の安倍政権、その官邸を居抜きで買い取ったような形の菅政権と、それまでずいぶん長いこと「コワモテ」の政権が続いてきた。ここで言う「コワモテ」というのは、内閣、つまり政府が与党に対するパワーバランスで優位に立つ、「政高党低」の状態が続いた、という意味である。政府与党は一体という言い方をされるが、政府は行政府、一方、与党(今は自民・公明)は議会側にあり、行政を監視する役割を持つ。「政高党低」の安倍・菅政権時代は、政府トップである首相官邸の顔色ひとつで、または眉毛の動きひとつで物事が決まった、といえば言い過ぎか。

 そうした時に、メモ帳片手のベタな演出とともに「聞く力」を売りにして登場した岸田さんには、期待するものもあった。ある政治部記者は、岸田さんの政治手法を「ソフトなリーダーシップ」と評した。確かに、積極的平和主義と称して攻めの安保政策を一気に推し進めたり、異次元の金融緩和だと言って容赦なく日銀の尻を叩いたりするそれまでの政権の姿に、「ちょっと一息つかせてくれ」という気分にもなった側としては、聞く力を持ったソフトなリーダーの誕生はありがたいとすら感じたものだ。

 その岸田さんは、一連の政治とカネの問題について、いわば「もらい事故」と感じていたかもしれない。安倍派を中心とする政治資金パーティーの裏金問題は、岸田政権の致命傷となった。昭和のロッキード事件などと違い、ひとりの政治家のカネの額は必ずしも大きくはない。しかし、派閥ぐるみで大がかりに不正を認識していたのだからやはり罪は深い。政治倫理も地に落ちた。岸田さんにとっては不本意だっただろう。

 だが、その後の党の迷走ぶりを見ると、やはり総理総裁たる岸田さんの政治責任は問われなければならない。岸田さんは退陣表明の会見で、政治資金規正法の改正などに踏み切った決断を説明した上で、「残されたのは自民党トップとしての責任。所属議員が起こした重大な事態についての組織の長として、責任をとることにいささかの躊躇もない」と言い切った。
 だが、そもそも法律を守りさえすれば起きなかった問題について、法の側に問題があるという姿勢一点で突っ走り、国会論戦を空費した罪は大きいと僕は考える。身内である党所属議員に対する処分は甘すぎたし、政治倫理審査会に総理総裁自らが出席するという判断も、唐突な印象を残しただけで成果はほとんどなかった。

 ただ、追い詰められた岸田さんが、「ソフトなリーダーシップ」をかなぐり捨て、独断専行で降した判断の中で、僕は自民党の派閥解消の行方には関心をもっている。
 自民党は長らく派閥連合体として存続してきた。400人近い国会議員が所属する巨大政党は、政策の考え方の近さや人脈によって集まった派閥によって、いわばクラス分けが行われ、党内統治が行われてきた。今も麻生派だけは解散していないし、かつての派閥の仲間同士で再び集まる議員心理はこれからも働くだろうが、ポスト岸田を決める9月の総裁選挙は、派閥の存在感が水のように薄れた、自民党史上初めての親分選びとなる。

 そして、自民党に対する国民感情は、かつてなく厳しいと僕は感じている。
 かつて小泉純一郎さんが、不人気だった森喜朗政権の後継争いで、「自民党をぶっ壊す」と叫んで総裁選挙を勝利した。だが、これは結果的に自民党を「疑似破壊」して見せた、その手際の良さに観客が熱狂した稀有な例だ。今はこの時と比べて観客の熱は低い。これは、僕のような元政治記者の仲間たちが等しく抱く温度感である。
 白けた観客の前で、盛り上がらない舞台を見せられても観客はなおのこと白けるだけだ。かといって、トリッキーな見世物を演じても、滑ってしまえば残るのはみじめさだけだ。

 岸田さんの「らしくない」蛮勇で、派閥のグリップが効かなくなった総裁選には、今のところ約10人もの議員が名乗りを上げ、あるいは立候補をにおわせ、百家争鳴の趣である。しかし、メディアはまだ顔ぶれを追いかけるのに手いっぱいで、「総裁候補」たちの人物像や価値観、党運営のやり方などについてはほとんど伝えていない。
 少なくとも、岸田さんの置き土産である派閥なき自民党を、どう秩序立てて運営していくのか。国民から乖離してしまったカネにまつわる倫理観を、どう打ち立てていくのか。これらは、経済再生や外交安保、少子高齢化などの政策課題と並んで、国民政党たる自民党の存在証明そのものとして、待ったなしで再構築していかなければならない問題だ。

02

 酷暑は続く。でも、夕暮れ時は少し過ごしやすくなった気がする。河原を散歩すると、西日にずいぶんと自分の影が伸びている。セミの声も、アブラゼミからヒグラシの鳴き声が主役に取って代わろうとしている。
 静かに秋は近づいてきている。この季節が、信頼を大きく損なった自民党にとっての再生の糸口となりますように。野党第一党として代表選を控える立憲民主党についても、再生という同じ願いを込めたい。
 さらに付け加えれば、政治の体たらくを嘆き、批判し続けてきたわれわれマスコミの役割も自省したい。困難なこれからの時代、建設的なテーマと議論を投げかけることのできる言論の場を作り出せますように。
 そんな実りの秋を迎えたい。

(2024年8月18日)

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