♫よーくかんがえよー おかねはだいじだよー(だいじ、だいじ)♫
金がらみの事件やトラブルがメインニュースとなるような日、このCMソングが僕の頭の中をぐるぐる回る。本番前、スタジオのコメントを考えながら、自然と口ずさんでいることも多い。最後の(だいじ、だいじ)は、CMどおり、声色まで変える芸の細かさだ。そんな僕は、そのたびに近くにいるスタッフに笑われる。
このCMに出演しているのは俳優の吉沢亮さんであり、NHKの大河ドラマでは、日本資本主義の礎を築いた主人公の渋沢栄一を演じた。
11日木曜日、東京・日本橋のデパートで開催されていた「大黄金展」という展示販売会場から、価格1040万円という金の茶碗が盗まれた。名工による作品であり、被害は甚大だ。プラスチックケースから取り出し、地下鉄で逃走したという。白昼堂々の犯行だった。
ちなみにこの場合の「金」は、当然「きん」と読む。国際情勢が不安ないま、安全資産とされる金(きん)は高額のお金(かね)で取引されている。英語だったら「Gold」と「Money」で区別がつくが、日本語だと同じ「金」の一文字。日本語は親切なようで不親切だ。
容疑者の男は2日後に逮捕された。新聞記事によると、男はこの茶碗を都内の古物買取り店に180万円で売却したが、警視庁が調べたところ、茶碗はすでに店になかったという。
金の茶碗はいずこへ。その行方も知りたいが、この1040万円から180万円という価格の落差も大いに気になる。金の茶碗はいま何者の手に渡り、どのような価格で、どこに流通しているのか。あるいは、ひとつの金の塊に化してしまっているのだろうか。その場合の価格とは…。
物質としての金(きん)はともかく、金(かね)とは面妖なものであり、変幻自在だ。そして怖いものである。
金の怖さを思い知らされたのが、大谷翔平選手の元通訳・水原一平氏の事件だった。アメリカの捜査当局によって銀行詐欺罪で訴追されたいま、水原容疑者と呼ぶほかない。
11日、連邦検察が会見して明らかにした水原容疑者の転落の姿は生々しかった。賭博の件数はおよそ2年間で約1万9千件(!)に上り、勝った額は総額約218億円、負けた額は280億円だという。具体的な罪名としては、大谷選手の銀行口座から約24億5千万円をだまし取ったとする銀行詐欺罪が適用された。
いろいろな凄まじさを感じる。
スマホひとつで巨額の金額を動かし、短時間に信じがたい回数の賭けを繰り返すさまは、展示販売会場から金(きん)を物理的に盗み出すアナログな手口とは対照的だ。訴状からは、
負けが込みだすと胴元にバンプ(賭けの上限額引き上げ)を何度も頼み込み、どんどん泥沼にはまっていく様には背筋が寒くなる思いもする。
大谷選手の口座開設を手伝った経緯から、銀行からの連絡先を自分の電話番号とメールアドレスに変更することに成功し、大谷選手を蚊帳の外に置いた。「大谷選手の意向だから」と、同選手の現地の会計担当者などに口座に関与できないように言い含めていたそうだ。日本語と英語を自由に操ることができる水原容疑者ならではの綱渡りとも言える。いずれも、訴状の内容がすべて真実であれば、という前提だが。
連邦検察官は会見で、「私は強調したい。大谷選手は被害者だ」と言い切った。金の管理責任が甘かったのではないか、もしかしたら自らが違法賭博に関わっていたのではないか。「私は強調したい」という一言からも、大谷選手をめぐって世の中に渦巻くそうした疑念を打ち消そうとしたように聞こえた。さらに言えば、大谷翔平というアスリートはもはやかけがえのない社会的な財産であり、それが少しでも棄損されることを避けたいという、政治的な判断も含まれているように感じた。
その会見の翌日、大谷選手は松井秀喜さんと並ぶメジャーリーグ通算175号の本塁打をかっ飛ばした。身辺のモヤモヤを結果で吹き飛ばして見せる胆力に舌を巻く。
それにしても、ああ、一平さん。
大谷選手を取材するメディアは、何度かインタビュー取材をした僕を含めて、水原容疑者に、悪印象を抱いた人はほぼいないはずだ。通訳はもちろん、キャッチボールの相手も、買い物など日常生活のサポートも、ほとんどこの人が務めていた。それは、間違いなくよき相棒としての水原一平だった。
もし水原容疑者のそばに巨額の金がなかったらと、どうしても考えてしまう。これほどの深みにはまることはなかっただろう。彼は弱かっただけだ。悪事の呪いをかけたのはむしろ金の方なのではないか。彼がまとう朴訥とした雰囲気を知る僕は、えこひいきとは分かっていながらそう思えてしまう。やはり、金は怖い。
ところで、日本で政治資金をめぐる問題を言うとき、なぜ「政治とカネ」と表記することが多いのだろう。カネ。なんとなくチープな感じがする。日本政治がチープだとは思いたくないが。これは余談である。
どこから仕入れたのか、妻は「渋沢栄一は、金銭は大切だけど、軽蔑すべきものでもあると言っているのよ!」と力説する。正義感の強い妻は、金に絡んだ犯罪に対して手厳しい。
確かに渋沢栄一は、決して金の亡者ではなかった。国を豊かにするメカニズムを考え抜く中で、金が持つ力が不可欠だと説いたのであり、その恐ろしさの方も熟知していたに違いない。それは吉沢亮さんの大河ドラマでの演技を通じてもよく伝わってきた。
とはいえ、人間はしばしば金に目がくらむ。豊かさを作り出すと同時に、人間の愚かさをあぶり出すのが金である。
こうして家で原稿を書いていると、いつもネコのコタローと小夏が邪魔をしにくる。パソコンのキーワードに乗っかってきたり、足元でにゃーにゃー泣きながら遊べとせがむ。しかし、きょうに限っては丸くなったまま大人しい。
書いているテーマが金だからだろう。ネコはやはり金に興味がないらしい。
(2024年4月14日)