大越健介の報ステ後記

奇跡の世代
2023年11月20日

新潟市内に住む幼なじみから荷物が届き、さっそく開けてみたら新米のコシヒカリだった。つやつやのそれは、われわれ新潟県人の誇りだ。どこに住んでいても。
幼なじみの彼は農家を継ぎ、地元に根付いて生きてきた。さっそく電話をして礼を言うと、「いやあ、今年は本当に大変だった」と、異常な暑さに悩まされたこの年のコメ作りを振り返っていた。
 
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新米と同封されていたのが、母校の小学校の創立150周年記念誌だった。彼も地区の代表として記念式典に出席し、一部を僕に贈ってくれたというわけだ。手に取って学校の歩みを記録したページをめくりながら、自分が6年生だったころの年譜に目が留まった。
8月、「シルバーシャークス準々決勝敗退」と書かれている。僕らが仲間と勝手に?作って空き地で遊んでいた野球チームが、どういう経緯だったか新潟市の大会に出場し、ベスト8まで進んだことがあった。それが、学校の記録として公式に残されていたことになる。
なんだか嬉しかった。僕はこの大会で投手を務め、マウンドに立つ味を占めたのだった。

そして思い出した。学校創立100周年の記念式典が開かれたのが、まさにこの年だった。
小学校は明治6年(1873年)の創立である。創立から100年という時間の長さと短さを、そのとき12歳だった僕は測りかねた。明治6年と言えば、まだ「ちょんまげ」とか残っていたのかな、そもそもこのあたりはみんな農民だっただろうな、などと漠然と考えた。でも、それが「つい100年前」なのか、「100年も前」なのか。6年生には分からなかった。

そして、それからなんと50年が経ったことになる。人間とは勝手なものだ。この50年は、明らかに短く感じる。半世紀、あっという間だ。僕自身の人格は、そのときから何ら変わっていない気がするし、その代わり成長もしていない気がする。

子どものころからよく新聞を読んでいた。しかし、時事問題に興味津々という「ませた」少年というわけではなかった。真っ先に開けるのはスポーツ面。プロ野球と大相撲の結果を熱心に読みふけった。野球のスコア・テーブルは何度も読み返し、選手の打率や本塁打数は自然と頭に入ってきた。大相撲は、千秋楽の翌日の紙面が待ち遠しかった。15日間の幕内の対戦結果を反芻し、新聞が予想する翌場所の番付編成と、自分の予想を比べてみたりもした。

今もそのあたりの習慣は抜け切れていない。新聞を読むときは、スポーツ面での滞留時間が一番長い。6年生の時との差は、さすがに1面から目を通すようになったことくらいだ。
しかし、自分は成長していなくても、時代は確実に変わっている。

新潟市郊外にあるわが母校の、このところの児童数は、1学年60人前後で推移しているようだ。年々、学校の肥大化が進む一方だった僕たちのころは、同学年だけで約200人、全校生徒は1500人近くに上った。教室が追い付かず、プレハブ校舎はもはや慣れっこだった。
卒業後、マンモス化時代に行われた校区の分割で、規模の適正化が図られたことが大きな理由だが、日本全国、どこも少子化の影響は免れない。

それでも、さんさんと降り注ぐ陽光を浴びて、「共に高まる」と描かれた児童たちの人文字を見ると、ずいぶん後輩となるこの子たちの、明るい未来を願ってやまない。よく見ると、グラウンド横の4階建て校舎は、僕たちの頃に新築されたものが今も使われているようだ。耐震補強が行われ、50年を経てなお、学び舎としてドンと構える姿に、僕らの親の世代が残してくれたものの強さを思った。

中東のガザ地区では、こうした校舎や病院までもがイスラエル軍の攻撃にさらされ、悲惨を極めている。そのことに無力感を覚えながら、せめて、今の自分たちが享受できている平和の尊さを心に刻み、次世代の子どもたちに引き継がなければならない。

思えば、僕らは「奇跡の世代」と言っていい。
昭和の戦争の傷もようやく癒えてきた高度成長期に僕らは生まれ、少年時代を過ごした。東京オリンピックが開かれ、その6年後には大阪万博が開かれた。新潟にある僕の小学校でも、夏休みに大阪万博まで出かけ、アメリカ館で「月の石」を見て来たという子が、クラスに一人や二人はいたものである。
インターネットはなかったが、メディアを通じて世の中の動きを知ることができ、友だちと娯楽を共有した。空き地で野球やサッカーをしても怒る人はいなかったし、稲刈りの後の田んぼは絶好のグラウンドだった。もちろん、農家は子どもの遊ぶままにしてくれた。

平和と成長を享受した僕らの世代だが、その分、油断も隙も大ありだった。
成長が当たり前と思っているうちに、身の丈を越えた経済はバブル崩壊という苦汁をなめた。「失われた10年」と言われた日本の経済社会は、10年が20年、30年を数えた。その間に社会の背骨となった僕たちの世代は、成長が当たり前だった時代の上に、相変わらずあぐらをかき続けた世代なのかもしれない。

もちろん、お前のようにのんきに生きてきた人間ばかりではない、と言われそうだ。だが、同世代のトップである首相のスローガンにも、この根拠なき楽観主義が影を落としている。
 「明日は今日より良くなると信じられる時代を目指す」
 岸田首相が今の臨時国会の所信表明演説で述べた言葉だ。どうも違う。それは現実と間尺があっていない。単なるノスタルジーを述べているように感じられる。

 「奇跡の世代」である僕らは、これからの人生をどのように使うべきなのだろう。齢60を超えたわれわれに、残された時間は多いのか、少ないのか。
奇跡の世代であるからこそ、できることがあるはずだ。報道の一線で仕事をする自分には、なおのこと、それが求められる。
150周年という文字が躍る母校の記念誌が、僕の中に、焦りに似た衝動を生んでいる。

(2023年11月19日)

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