大越健介の報ステ後記

乗り換えか、乗り入れか
2023年04月23日

 先日、乗り慣れない東京メトロの南北線に乗っていたら、なんと路線案内図が神奈川県内を走る相鉄線にまで伸びていることに気づいた。東急東横線の日吉までは従来から直通運転していたが、その先に、新横浜駅を経由する相鉄線の新線が完成し、横浜と海老名をつなぐ相鉄本線にまで乗り入れるのだという。僕は18歳の時に新潟から上京して以来、東京近郊の鉄道会社の、複雑怪奇な相互乗り入れというものに面食らい続けてきたのだが、またも新種の登場だ。

 新潟市で育った少年時代、国鉄(!)の信越本線、白新線、それに越後線の列車でにぎやかな新潟駅は、僕にとっては十分に誇らしいターミナル駅だった。ところが東京では事情が全く違った。新潟では国鉄はあくまで国鉄であり、それ以上でも以下でもなかった。それなのに東京では、国鉄(あくまで当時、です)と私鉄と地下鉄が猛烈にこんがらがって、乗り換えたり乗り入れたりと、路線図を見ただけで目がくらんだ。

 予備校生として、文京区にある都営地下鉄三田線の千石駅近くで下宿生活を始めた僕はある日、大田区に住む伯母に招かれたことがあった。都営三田線、都営浅草線、京浜急行線を使って大森海岸駅で降りなさい、とのことである。
 そこで、三田線の終点の三田まで行って浅草線に乗り換えたのだが、その浅草線の地下鉄がいつの間にやら京浜急行線の特急か何かに変身したようで、品川から地上に出たかと思いきや、あれよあれよと大森海岸などすっ飛ばし、蒲田か川崎の方まで行ってしまった。いつのまにか、京浜急行線に乗り入れていたのである。
 慌てて降りて、各駅停車で大森海岸まで引き返すという事態になり、駅員さんに「乗り越しの分、支払ってね」と言われやしないか(自動改札なんてない時代です)と、ハラハラして改札を通った記憶がある。言われなかったけど。

 それ以来、東京を中心とする首都圏の鉄道は僕にとっては警戒すべき代物となった。乗り換えか、乗り入れか。ああ、それが問題だ。
 はて?何を書こうとしたのだろう。そうだ。軽やかに人生の路線を乗り換えた、ある後輩のことを書こうと思ったのだ。彼の名前は伊藤悠一君という。僕がNHKでスポーツ番組のキャスターを務めていたときに、番組のディレクターとして活躍していた。テニスの全豪オープンの取材で一緒にオーストラリアまで行った、思い出深いディレクターだった。
 この冬、そんな彼の名前をネットのニュースで見つけて驚いた。なんと、NHKを退職して、プロ野球の独立リーグのひとつであるBCリーグ・茨城アストロプラネッツの監督に就任したというではないか。静岡の高校では野球部だったと聞いていたが、それにしてもなぜ?

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 その前に独立リーグとは何か。日本にはセパ12球団が所属するNPB・日本プロ野球機構以外にも、全国に8つのプロリーグがあり、一般に独立リーグと言われる。地域密着を掲げ、目指すのはリーグ優勝だが、ここで活躍してNPBのドラフトで指名を受けたいと、夢を追いかける若者も多い。パ・リーグの首位打者になったロッテの角中勝也選手などがその成功例だ。

 しかし逆に言えば、それだけレベルの高いリーグである。そのリーグに所属するチームの監督になるには、いくらなんでも荷が重いのではないか。
 その伊藤監督に話を聞くために4月、BCリーグの開幕戦、つまり彼のデビュー戦を茨城に訪ねた。試合は熱心なファンの声援もかなわず雨天コールドでの敗戦となったが、伊藤監督は、「僕がインタビューされる側だなんて、想定外ですね」と、にこやかに取材に応じてくれた。

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 彼は球団が募集した「監督トライアウト」に応募して採用された。彼の理論はとてもシンプルだ。ディレクターは取材して情報や映像素材などを集め、それを編集して番組を作る仕事である。その際、カメラマンや音声マンといった職人たちをうまくまとめてチームを作ることは必須となる。
 それはつまり、野球の監督と同じなのだという。選手たちと積極的にコミュニケーションをとり、その思いや希望を「取材」し、分析する。その際、個別の技術指導は、職人である専門のコーチたち(NPB出身者も多い)陣に任せる。そうしてチームの形を作りながら、ベストな布陣を「編集(編成)」するというわけだ。
 伊藤監督によると、そうした考えが球団に受け入れられたのだという。野球が好きなのは言うに及ばず。

 しかし、理屈と野球愛だけで監督が務まるわけではない。ただでさえ、観客数の少ない独立リーグは、せめて勝って盛り上げなければ経営は苦しい(ちなみに、伊藤監督の場合は、NHK時代から給料は3分の1に減ったそうだ)。加えて、将来のスターを目指す選手たちの夢の実現のためには、彼らの実力を伸ばし、NPBの球団の目に留まるよう個人成績を出していかなければならない。「素人監督」の手には余るのではないか…。

 だが、伊藤監督はそんな僕の問いに対して決然として言った。
 「選手の人生を預かっている」。
 「テレビのディレクターを辞めて、退職してまでここにきた。お互いの覚悟を見せ合う」。

35歳の伊藤監督には、妻と第1子がいて、第2子の誕生を控えている。その中で、退路を断って新たな道へと人生を乗り換えたのだ。家族の説得も必要だっただろう。だから、推して知るべしなのだ。決断の理由をもっと聞くべきだったかもしれないが、それ以上の質問は無意味に思えた。彼はもう走り出した。そして結果を出すために、必死にもがくのだろう。後のことを考えていたら、今を走ることがおろそかになる。彼の決断はそれほど潔い。

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 自分の人生に照らせば、とてもそこまでの勇気はないと思う。僕もNHKからの転身組だが、それまでもキャスターを務めてきたし、報道ステーションのキャスターに極めて自然に溶け込むことができた。伊藤監督の勇気ある乗り換えに比べれば、穏やかな挑戦ではある。
 そんなことを考えて地下鉄南北線に揺られていたら、降りる予定の六本木一丁目を乗り過ごしそうになった。このまま東急線や相鉄線まで乗り入れるわけにはいかない。
 僕はまだまだ、六本木で挑戦を続けるつもりである。

 (2023年4月23日)

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