ちょっとした成功体験だった。
ワールドカップでの輝かしい戦績を残して、サッカー日本代表が7日夜、帰国した。ありがたいことに、森保一監督が生放送で報道ステーションのインタビューを受けてくれることになった。成田空港近くのホテルの一室を借りて、中継を結んだ。
インタビューは滞りなく進んだ。滞りなく、などというのは段取りめいていて失礼か。それほどに森保監督は誠実に代表の戦いを振り返り、心を込めて応援したファンに感謝の気持ちを伝え、熱く日本サッカーの可能性について語ってくれた。
予定時間をややオーバーし、そろそろお疲れの森保監督をお帰ししなければというタイミングになったとき、僕は最後の質問を発した。
「もし、日本サッカー協会から、代表監督を続投してほしいという要請があれば、引き受けますか?」
森保監督の答えは明快だった。
「はい」
これでインタビューにマルがついた。
番組終了後、プロデューサーがやってきて、「グッジョブ!」とでも言うように親指を立てて見せた。ネット上ではすでに、「森保監督続投へ」というニュースが駆けめぐっていた。
それにしても・・・と僕は思った。
帰国後、森保監督は報道各社との記者会見に臨んでいた。その様子を僕も見ていたが、森保監督の今後についての質問は出ていなかった。なぜだろう。
ひょっとしたらサッカーを専門にするスポーツ記者などにとっては、続投は既定路線だったのかもしれない。実際、森保監督はこれ以前の記者会見などでも、一般論としてだが、監督業の魅力を語っていた。だから、「玄人」の記者たちにとっては、あえてその質問をするのは「素人」くさい所作であり、はばかられたのかもしれない。単なる想像だが。
とはいえ、代表監督を続投するという明確な意思表示が、報道ステーションでのインタビューで行われたという事実は残った。たとえ素人のまぐれ当たりだったとしても、こういうクリーンヒットは気持ちがいい。
実は、永田町で政治記者をしていたころ、僕は何度か苦い経験をしている。自分を含めた古株記者たちが政治家を取り囲み、最後の決め手の言葉を引き出そうと、神経戦を展開している間に、ぽっと入ってきたどこかの社の新人記者が素朴な質問をぶつけ、意外にも政治家の側もあっさりと答えを発する、という場面だ。何でも知っているはずの古株記者たちがびっくりし、慌ててデスクに電話をかけに走る、というような場面は確かにあった。
いや、今回の記者会見がそれに似たケースかどうかは知らない。あくまで想像である。
メディアにとって、取材対象との間での地道な信頼関係の積み重ねが大事なことは言うまでもないし、それが結果としての特ダネにもつながっていく。
ところが、経験値だけが役に立つというものでもない。取材というものはつくづくタイミングや運に左右されるのだなあと改めて実感する。森保監督とは初対面である僕のインタビューが、いわば決勝ゴールのアシストとなった偶然は、僕をときめかせた。
ことしもあと3週間を切った。何か面白いことが起きないものか。僕は高揚している。
ワールドカップはベスト4が出そろった。アルゼンチン、クロアチア、フランス、モロッコ。モロッコはアフリカ勢としては初の準決勝進出だ。
そして、クロアチア!日本戦に続いて、あのブラジルをPK戦で破ったのだ。おそるべき精神力の強さ。クロアチアがあるバルカン半島は、昔から「火薬庫」と言われ、民族紛争に大国の思惑が入り混じる複雑な歴史をたどった。旧ユーゴスラビア連邦の崩壊以降はなおのこと、民族間の争いは激化し、背番号10を背負うチームの柱・モドリッチも、残酷な戦いの中で少年時代を過ごしたひとりだ。
がぜん、興味がわいてきたぞ。モドリッチの足跡をたどりつつ、クロアチアが背負ってきた苦難の道のりを探り、平和の意味を考える。そんなロケができるかもしれない。えーっと、クロアチアの首都ザグレブは、どの空港でどう乗り換えれば行けるんだろう。あす出発すれば到着は・・・。
でもちょっと待て。海外ロケというものは思いつきでどうにかなるものではない。スタジオを留守にするにはそれなりの理由と番組スタッフの合意がいる。「具体的なプランはあるんですか?」と、チーフ・プロデューサーにぎょろりと睨まれればひとたまりもない。ここは気持ちを落ち着かせるとしよう。
でも、ほぼ妄想に近くても、考えるだけで気力が湧く。あすからまた頑張ろうと思える。
そんな日曜の夜である。
(2022年12月11日)