大越健介の報ステ後記

それは僕だったかもしれない
2022年10月17日

01
 
 この土曜日、僕は郷里の新潟にいた。母校の県立新潟高校で講演をするよう頼まれ、荷が重いと思いつつも引き受けた。話の筋書きは決めずに臨んだ。その方がむしろ心のこもった話ができると思ったからだ。
 日本海からの浜風が記憶を呼び覚ましたのか、僕は高校生の頃に新潟市の海岸で起きた出来事から話し始めた。今から約45年前、この新潟で、決して許すことのできない事件が起きていたのだということを。

 1977年11月15日。新潟市の海岸近くで、下校途中の中学1年生が忽然と姿を消した。横田めぐみさんである。僕はそのとき、めぐみさんが姿を消した場所からほど近い、新潟高校の1年生だった。その後、市内のあちこちに、制服姿のめぐみさんの写真が、立て看板となって設置されていった。「この子を知りませんか?」と看板には書かれていた。

 新潟高校の裏手の住宅地を抜けるとすぐに松林が広がる。その先は日本海の砂浜だ。
 野球部の投手だった僕の練習メニューは、投げ込み以外はもっぱらランニングだった。チームメートがグラウンドでノックを受け、バッティング練習をしている間も、僕はグラウンドを出て松林をひたすら走っていた。たったひとりの、孤独な練習だった。

 時おり、めぐみさんのことを思った。ランニングコースの途中に神社があり、そこにもまた「この子を知りませんか?」という立て看板があった。走りながら、彼女はどうして行方不明になったのだろうと考えていた。
 日本政府が、めぐみさんを含む複数の行方不明者について、「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と国会で答弁したのは、それから10年以上が経ってからだ。
 北朝鮮の工作員たちは、友だちと別れて自宅に向かっていた女子中学生を狙った。一方、松林をひとりで走る男子高校生、つまりこの僕が彼らの目にとまり、犯行の対象となった可能性もなくはない。めぐみさんを襲った不幸は、僕にも起こり得た。明暗はほんの偶然から分かれたのかもしれないと思われた。

 それからさらに十数年が経ち、日朝間で大きな動きがあった。
当時の小泉首相が北朝鮮を訪問。キム・ジョンイル総書記との首脳会談に臨んだ。キム総書記は、特殊部署による拉致行為があったことを認めて謝罪。その上で被害者の安否について、5人が生存し、8人が死亡したと発表した。めぐみさんの名前は、死亡の側にあった。
 僕はその時、NHKの政治部記者だった。小泉首相に同行取材していた同僚記者が中継で伝えていた。緊張した声だった。
 だが、伝え方は冷静だったと思う。発表内容を正確にたどりながら、あくまで根拠があいまいな、北朝鮮の一方的な発表であることを繰り返し伝えた。

 実は、北朝鮮から重いリポートをした同僚記者の役割は、ほぼ五分五分で僕に回ってきたかもしれなかった。
 その3か月ほど前、管理職になって間もない僕は、政治部のチームから、現場の取材チームを率いるキャップを任せると言われていた。「野党と外務省、どちらのキャップがやりたいか」と聞かれ、国会をもっと知りたかった僕は野党キャップを希望した。外務省キャップを希望すれば、そうなっていたはずだ。

 電撃的な小泉首相訪朝に同行取材した同僚は、つまりは僕とセットで、五分五分の確率で外務省キャップとなった記者だ。彼の中継リポートを聞きながら、僕は震える思いがした。
 東京で待ち受ける家族会の皆さんの痛切な気持ちを思ったことも理由だが、別の理由もあった。自分がその発表を伝える立場だったら、しっかりと対応できただろうかと、怖い気持ちになったのである。あのリポートの現場には僕がいたかもしれないのだ。

 突然行われたこの発表が、北朝鮮による一方的なものであることを、僕は瞬時に判断することができていただろうか。
 実際、めぐみさんについて言えば、のちに北朝鮮側が「死亡の証拠」として示してきた遺骨が、DNA鑑定の結果、偽物である可能性が高いことが分かった。
 もし僕があの時、発表の現場にいて、驚き狼狽して「死亡」と断定する中継リポートをしていたら、誤報を流したことと同じになる。何より、被害者家族を深く傷つけていたことになる。

 偶然にも、自分はそのリポートを伝える役割とはならなかった。だが、高校時代に、すぐ近くの場所で拉致されためぐみさんの、機微に触れる情報を、今度は自分が伝える側にいるという事実に、僕は軽い戦慄を覚えた。
 20年余りを経ても、時空はつながっていたのである。
 
02
 
 そんな思い出を入り口にして、僕が新潟高校で講演をしたのは先日の10月15日である。折しも、拉致被害者のうち5人が帰国してからちょうど20年という節目の日だった。今なお、めぐみさんをはじめ多くの拉致被害者の安否が不明のままだ。
 人間は時代から逃れるわけにはいかない。
 自分は高校時代から、拉致事件というものが、そして北朝鮮という危険な国家の存在が、ずっと心にへばりついている。そして北朝鮮問題に限らず、時代を画する大きな出来事や、経済成長や衰退といった大きな波とも決して無関係でいられない。

 だから僕は講演であえて強調した。時代に関わらざるを得ない以上、むしろ積極的に時代に「加担」して、少しでも良い方向に社会を動かしていこう。そんな青臭い理想を語った瞬間、母校の生徒たちの表情が引き締まった気がした。
 
03
 
(2022年10月17日)

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