わが家のコタローが珍しく悪さをした。
僕のバッグに突然おしっこを引っかけたのである。すぐに洗って事なきを得たが、初めてのことだったのでびっくりした。どうしたことかと猫に詳しい人に尋ねたら、腑に落ちる答えが返ってきた。
たぶん、コタローはやきもちを焼いているのだという。
まだ息子たちが小さかったころから30年近く、わが家は犬も猫も人間も一緒くたになって住んでいた。そして、ことしの6月、最後の犬を見送り、家族は妻と僕とコタローだけになった。寂しくなったが、夫婦ともに60歳を越え、子犬や子猫を新たに飼っても、最後まで面倒を見られるかどうかわからない。そして妻は「絶対に飼わない!」と宣言していた。
しかし、そのわずか1か月後、神社の軒下でうずくまっていた三毛猫を、妻が引き取ってきた。「運命の出会い」だから仕方ないそうだ。現金なものだ。
夏にやって来た小さなメス猫だから「小夏」と名付けた。日本的な名前だが、顔つきはなかなかエキゾチックだ。
見るからに和風なコタローとは対照的である。しかも、家じゅうをひょんひょんと飛び回るコタローとは対照的に、小夏はとてもおとなしい。ほとんど動き回らないし、鳴きもしない。首輪のあとが残っているので、元は飼い猫だったのが捨てられたのかもしれない。人間を信用していないふうでもある。
しかし、わが家にやってきてひと月、ふた月が経ち、だんだんとなついてきた。しかも、エサやりをはじめあれこれと世話を焼く妻よりも、家ではほとんど役立たずの僕の方に寄って来る。滅多に声も出さないくせに、僕の前ではたまに鳴いてみせる。
小夏の場合、「にゃ~ん」ではなく「な~ん」と鳴く。
こうなると愛着がわいてくる。気がつくと、僕は小夏の前に這いつくばり、「こなつー!」、「こなちゅー!」、「こなっちゃーん!」とかじゃれている。「な~ん」と返事が返ってくれば大喜びである。我ながら、かなり珍妙な光景だ。
そのせいで、コタローのことがすっかりお留守になっていた。彼は、薄情で浮気な飼い主のせいで、ひそかにストレスをため込んでいたに違いない。だから僕のバッグに液状排泄物を放った。妻からは、「これからは小夏を可愛がるぶん、その3倍はコタローを可愛がらなければダメ」などと言われている。
きょうも小夏を可愛がっていると、2階からコタローが、「にゃ~ん、にゃーん」と呼んでいる。遊んでくれと呼んでいる。大急ぎで階段を上がる。休日の僕はかなりのヒマ人だが、小夏というニューフェースが登場して以来、2匹の猫の間を行ったり来たりで結構忙しい。
考えてみれば、僕もニューフェースである。報道ステーションのキャスターとして2年目に入り、この10月からは、これまでは休みをいただいていた金曜日にも登板するようになった。やや企画色を盛り込み、スタジオの展開やカメラワークも微妙に違うテイストを出す「金曜報ステ」にとって、僕は新人である。
初登板となった7日は、まさにカラフルな内容となった。
ノーベル平和賞の発表が行われ、人権活動に取り組むロシアとウクライナの団体、ベラルーシの個人に贈られることになった。プーチン大統領が強権的手法で目指す政治的野望の実現より、人権や平和的共存という普遍的な価値によって絆を紡ぐことが大切だという、主催者の強烈なメッセージだ。絶妙と言える選考に、僕はいつもよりコメントに熱が入った。
自分が取材に出かけるミニ企画も放送した。北朝鮮による中距離弾道ミサイルの発射で、Jアラートが発信されたのが4日の火曜日。どう行動すれば良いのかと戸惑った人も多いだろう。「有事」が現実味を帯びる中、自治体は地下鉄の駅などを、相次いで「緊急一時避難施設」に指定しているが、おそらく周辺住民の中でも知っている人は少ない。そんな実態を取材し、スタジオで立ってプレゼンをするという経験もさせてもらった。
さらには、世界中に熱狂的なファンを持つピアニスト・藤田真央さんのスタジオ生演奏もあった。モーツァルトという作曲家が、こんなにも奔放でやんちゃであるとは思ってもいなかった。藤田さんによって導かれた新たな発見だ。
こんなふうにして、僕の金曜日デビューは、これまでとは一味違った空気感ができ上がった。スタッフの皆さんも、新番組のような緊張感で臨んでくれた。ストレスもあっただろうが、これでひとつ波に乗れそうだ。
帰宅すると、わが家のニューフェース・猫の小夏が「な~ん」と鳴いて迎えてくれた。
僕もひょっとしたら鳴き方が変わるかもしれない。いつもの「にゃ~ん」ではなく、金曜日には「な~ん」と鳴くかもしれない。なんとなく。
(2022年10月9日)