大越健介の報ステ後記

モノクロで描くふるさと
2022年05月30日

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 ウクライナにある故郷のドニプロは、「薄い、青の色」のイメージだと言う。「空と雲と合わせた、そういう色」。ところが、そんな彼女がスケッチブックに描くドニプロの街は、黒一色のモノクロだ。
 16歳のズラタ・イバシュコワ(敬称略)が戦火を逃れてやってきたのは、横浜だった。横浜市在住の支援家族のもとで暮らしている。海を臨む公園で彼女と2か月ぶりに再会した。

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 「横浜はドニプロに似ている」と言う。
 はて?と思い、ほぼ毎日目にするようになったウクライナの地図を確認すると、ドニプロはずいぶん内陸部にある。そのことを聞くと、「ドニプロには、同じ名前の川があります」とズラタは言った。確かに、ドニプロ川(地図上ではドニエプル川と表記されることが多い)は、欧州有数の大河だ。豊かな水運の都市という意味で、港湾都市・横浜と重なるのだろう。

 ズラタは、ロシアによるウクライナ侵攻から1か月近くが経った3月半ば、ポーランドの南東の街・メディカで、私たち取材班に自ら声をかけてきた。母親とともにドニプロから避難し、ポーランドの首都・ワルシャワに向かう途中だった。私たちに、「日本に行きたいです。漫画が好きです」と日本語で訴えた。
 番組スタッフが連絡先を交換し、その後もズラタを励まし続けた。念願かなって受け入れの段取りが整い、4月、彼女はワルシャワからの直行便で単身、日本にやって来た。母親は祖母が住むドニプロの実家に戻ったそうだ。日本で漫画家になりたいという16歳の夢を、遠く離れて後押ししている。

 久しぶりに会ったズラタは、ずいぶん大人びて見えた。背丈は僕より少し高いくらいかもしれない。横浜は雨だったが、ズラタは「雨は好きです」と、むしろ晴れやかに話した。
 もともと日本語に興味があったという。なんと、ドニプロでは、太宰治の「人間失格」の初版本(!)を入手し、いまも大切にしている。難しい漢字も視覚で覚えている。
 彼女にはもともと画才があった。文学から入門した形だが、日本を代表する文化となっている漫画の魅力のとりこになった。それは彼女にとっては自然な流れだった。

 横浜では市内のデザイン学院に通っている。日本語学校を併設し、世界から日本のアートを愛する若者が留学してくるこの学院は、彼女にとって願ってもない学びの場となった。クラスメートとの共通語は日本語だから、「いやでも覚えてしまいます」と屈託がない。間違いなく、2か月前よりも格段に言葉は上達している。
 日本語の勉強に加え、デッサンなどを特訓している。クラブ活動では仲間とバンドも組んだそうだ。経験はなかったが、「ボーカルとギター。歌は上手じゃないけど、好きだから頑張ります」とはにかんだ。学園生活の話をする彼女は本当に楽しそうだ。

 とはいえ、故郷のことは頭から離れない。母親とは毎日、連絡を取っている。この数日前、家の近くの鉄道に爆弾が落ちたそうだ。いつも元気な声を聴かせてくれる母親も、この時ばかりは沈んでいたという。
 ウクライナの戦争のニュースも見ない。「もっと不安になってしまいますから。見ることはできると思いますが、見ないようにしています」。
 戦争に関する情報は、母親との電話で聞かされる方が安心なのだと言う。「すごく怖いことが起きている。なんでこうなってしまったのか、よくわからなくて」という彼女は、「早く戦争が終わってほしい」と願っている。

 改めて、彼女が描いた故郷のドニプロの絵に目を凝らしてみた。
 筆先の細いペンにインクをつけて、丹念に描いた絵である。大きな川に橋が架かっている。鉄道の架線も見える。手前の道路を街灯が照らしている。夕闇が迫る時間帯だろうか。何気ない街の日常を描きながらも、胸を揺さぶる不思議な魅力を持った絵だ。
 モノクロで描く理由を聞いてみると、「その方が好きだから」とあっさりとした答えが返ってきた。しかし、色のない絵にしたくなるのは、戦争の暗いイメージが影響しているせいかもしれないと話した。
 「もう故郷から出てきましたから。故郷は記憶の中。映画のように、頭の中では白黒に見えます」。

 ドニプロを逃れ、ポーランドを経由して日本にやってくるまでのことは、混乱していてほとんど覚えていないそうだ。しかし、不幸な戦争がきっかけだったとはいえ、大好きな日本に、彼女はやって来た。
 そして、彼女はきっぱりと語った。
 「漫画家になりたいです。日本で生活をしていきたい。ただ数年経って帰るのではなくて、ずっと住んでちゃんとした仕事をしたいです。夢に近づくためにここに来ましたから。今までは夢を窓から覗いていただけですが、今は扉を開いてそこに入っている。もうその一部になるしかない」。

 幸と不幸を取り混ぜ、絶え間なくやってくる運命の波に流されるのではなく、その偶然を自分の人生に取り込み、力に変えていこうとするたくましさ。彼女が大人びて見えるのは、そのせいだろう。
 ふと見ると、横浜の港に大きなクルーズ船が入ってきた。
 「海の向こうから来た船ですか?建物みたいな大きさ・・・」。
 ズラタの瞳が輝いた。大人びた彼女が見せた、つかの間のあどけない表情だった。

(2022/05/30)

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