大越健介の報ステ後記

戦争する生き物?
2022年04月25日

 1泊2日で病院の人間ドックに入った。脳から心臓、消化器と、60歳になった自分を総点検し、還暦後の人生「2周目」に備えるためである。
 そして結果は、大変ありがたいことに、すべての項目で異常は認められなかった。しかも1年ほど前から取り組んできたダイエットの甲斐あって、体重や体脂肪率といった、僕が最も気になってきた指標が、なんと「標準」のレベルと確認された。「かくれ肥満」とは指摘されたが、「かくれ」というあたりが控えめで美しい。1年前までは「かくれ」もへったくれもなく、十分な「肥満」だったのだから。

 日帰りのドックはこれまで何回か経験したが、泊りがけは初めてだ。各検査の待ち時間はゆったりとしていて、夜は当然ながら寝酒というわけにもいかない。退院までの間に本を一冊読み切ってしまった。
 本の題名は逢坂冬馬著「同志少女よ、敵を撃て」。
「第十一回アガサ・クリスティー賞」に続いて2022年の「本屋大賞」を受賞した話題作だ。舞台は第二次世界大戦の独ソ戦。ナチス・ドイツに家族を殺され、村を焼き払われた少女が、ソ連軍の狙撃兵となって悲惨な戦いを生き抜く。勇ましい冒険譚というより、兵士という残酷な記号となった人間が、互いに殺し合う戦争の狂気と不条理を、これでもかという筆致で描いた力作だ。

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 それにしても、この作品がロシアによるウクライナ侵攻という事態に先立って発表されたのは偶然か、それとも著者が予兆を感じ取っていたからなのか。小説での戦場の描写のみならず、例えば「自走式榴弾砲(りゅうだんほう)」などといった兵器の名称などが、日々ニュースで伝える事象とことごとく重なる。その頻度には軽くめまいを思えるほどだ。
 第二次世界大戦が起きたのはもう約80年も前のこと。しかし、戦場で威力を発するのは今も変わらず火力であり、それを発する大砲や戦車、航空機を人が操るという構図は、80年前も今も同じということか。
 もちろん、精度は確実に上がったはずだし、ドローンを使った攻撃が繰り広げられるなど、技術の進歩はあるだろう。だが、人の命を蹴散らし、街を破壊するのは、断然、物理的な力であることを今回の戦争は示した。「21世紀になってまさかこのような戦争が起きようとは」と多くの人が驚いたのは、古典的な戦争の本質がなお不変であることを見せつけられたからでもある。

 とはいえ、当たり前のことながら、この小説と今の戦争では重ならないところもある。物語は旧ソ連軍の女性兵士が主人公であり、ナチスの暴虐に対抗するソ連の正義を前提として戦う。一方で、われわれにとって今のウクライナの戦線は、祖国を守るウクライナの側にこそ正義があり、ソ連の後継国であるロシアの唱える正義は欺瞞にしか映らない。そのギャップと皮肉が、読み進む中で不思議な困惑を呼び起こす。
 だが、見方を変えればこうも言える。戦争の大義は、それを見る角度や立場によっていくらでも言い繕うことができるのだ。プーチン大統領がウクライナに侵攻する大義に使ったのが、「ネオナチ」勢力の排除だった。東部ドンバス地方のロシア系住民たちは、ウクライナの極端な民族主義者たちによって迫害され続けてきたと主張する。まるでかつてのナチスのようなその不届き者を排除し、同胞たちを救済するためにこの侵攻を始めたという。

 そのプーチン氏の大義がもはや破綻しているのは明らかだが、ロシア兵たちはその大義のもとに戦っている。ウクライナの市民への虐殺行為や暴行、略奪にまで及んだとすれば決して許されるものではないが、ロシア兵たちとて望んで戦場に向かったわけではないはずだ。戦争が人間を狂気に陥れるのか、それとも人間とはある時点で戦争に向かう宿命を負った生き物なのか。
 いずれにせよ、国家の大方針によって翻弄される末端の兵士や市民の命のはかなさは、現実にも小説にも通底している。

 泊りがけの人間ドック。時間はゆっくりと流れ、検査結果も異常なしということで、晴れ晴れとリフレッシュした気分になっていいはずだ。しかし、どうにも気疲れが残る。
 考えてみれば、前や後ろから管を通し、電磁波によって体を輪切りにして内部を観察したわけである。その合間にはドキドキしたり、悲痛な気持ちになったりして活字を追い続けた2日間だった。思いのほか消耗したのかもしれない。
 ドックから一夜明けた日曜日は、日課の散歩も完全にサボってしまった。僕にとって散歩とは、ダイエットの手段のみならず、自然に触れて気持ちを入れ替え、日々伝えるニュースの意味を反芻し、次へと向かう大事なステップである。この習慣だけは維持しなければ。
 ところが身体がなかなか動かない。ドックでのさまざまな検査を乗り切るという当面の目標を達成して、何かの糸が途切れたのか。それでは本末転倒だ。検査自体が自己目標化してしまっているではないか。本来の目標はもっと大切なところにあるはずなのに。

 これでは、大義はどこへやら、戦争自体が自己目標化しているあの暴君と変わらない。自分に舌打ちをする。プチンと音がして何かのスイッチが入った。
 ダジャレではない。今週も身体を整えて、自分なりの使命感を持ってがんばろうと思う。

(2022年4月25日)

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